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17日のYEOのパーティで配る資料と名刺に載せるオフィシャル・サイトの作成の為、2日間は睡眠2時間で頑張ったのが祟って、次の日から肩こり、背筋の痛みを覚え、おまけに頭までふらつき出しました。それまで、紺屋の白袴にならない様に、新しく自分の為のLiFTをアセスメントをしてからサウンド・プログラムをやろうと思っていたのですが、その暇が無く延び延びになっていました。でも、18日にはコンピューターに向かっている時、余りに疲れが酷く、体内の活動エネルギーも低くなっているのを感じたので、本来LiFTをやる時はコンピューターはやらない方が良いのですが、以前に2度ほどリスニング・センターでプログラムを取っていますし、カナダからの引越し前もアセスしてやり始めたのが、引越しの忙しさで途中で止めてしまったことがありました。それで、「まー半分の効果でもやらないよりいいや、とにかくやってみよう。」と言うくらいの気持ちで引越し前のアセスで組んだサウンド・プログラムを始めました。ところが、1時間もすると、酷かった疲労感が取れ。肩の痛みまで取れてきて、すっきりとした気分で残りの仕事が出来たではありませんか。19日には2日間の寝不足(毎夜2時間ほど)もあって、LiFTをやりながらキーボードを叩いていたものの眠くなってしまい、LiFT Kitsを着けたまま横になりました。その時、始めは天井の電灯が酷く眩しかったのですが、30分程すると、眩しさもなくなり、目の疲れまで取れた感じでした。私自身そんな所まで効果が出るとは思わなかったものですから、驚きました。以前は、英語力だけが目的だったものですから、疲れが取れることに意識を向けていなかった為、「リラックスしたなー。」程度で終わっていたのです。でも今回、活動エネルギーが高まるというのはこういう事なのだと実感した事です。それからは、毎日どんな症状が良くなるのか、LiFTをやる度にメモをつけています。2日間の寝不足とその後の忙しさから、ここのところ3回ほど腰にギクッと来る痛みを感じましたが、その度に何とか立ち直っているのも、最近体力が着いてきていたこととLiFTで緊張を取れているからではないかと思っています。以前なら、1回の「ギクッ」で完全にぎっくり腰になっていたところです。でも、過信は禁物ですし、娘もダンスで腰を痛めたと言うので、酷くならない為の予防も兼ねて、火曜日にはいつもの鍼灸士さんの所へ行ってきました。それでも彼も「以前に較べたら身体も締まってきたし、首の懲りの状態も随分良いですね。」と言ってくれました。鍼灸をして貰っても以前より効果が出易い(つまり良く効く)様です。やはり、運動とリラクゼイションを合わせてやりながら、時には鍼灸で予防するというのが、私にとって一番良い体力維持の方法の様です。インターンのYさんもLiFTプログラムの前半期を終えて、いい結果が出ています。今彼女は大学院の研究室の方の仕事が大忙しになってしまって、暫く休んでいますが「・・・本当に、LiFTの効果はすごいですね。こんなにいいもなのだから、早く他の人たちにも試して欲しいと思わずにはいられません。そして、こんなすばらしいものを私にプログラミングしてくださった慧子さんには本当に感謝しています。本っ当ーにありがとうございました。」という感想をメールしてくれました。彼女の具体的な結果は、オフィシャル・サイトのHPの方で事例として出したいと思っています。私も早く皆さんにこのプログラムの良さを知って頂いて、お役に立ちたいとHP製作に励んでいます。もう少しで出来上がります。そしたら皆さん遊びにいらして下さいね。
2002年10月25日
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17日のパーティのご報告です。先ず、結果から。残念ながら私は、打ち合わせの時間に少し遅れてしまって、パネラーとしては採用されませんでしたが、とても良いパーティでした。JRから地下鉄東西線に乗り換えたのですが、JRのIOカードでは地下鉄を通れないんですね。それで少し手間取った上、ビルの下にある地下鉄の改札を出た所では、地図を持って行っていても、カナダ大使館のあるのがどちらの方向か分からないんですね。方向音痴ではない積りの私でしたが、東京の地下鉄出口での方向感覚は余りない様です。そんな訳で遅れた上、前日にコンピューター・ウイルスにやられたお陰で資料の作成に手間取って60人分の資料をホチキスで止めもせずに持って行った次第なので、パネラーになれなかったのは仕方ない事ですね。でも、その資料も殆んどの方に手渡せて、色々な方とお話も出来ましたので、ラッキーでした。そのパーティは、YEOという若い社長(企業家)さん達のグループの例会に、これから起業或は起業したばかりの若い人達を招いて激励し様という趣旨だった様です。メンバーになる条件を、同じテ-ブルになった方にお聞きしましたら、40歳以下で、年商一億以上の企業家、ということでした。凄いですね。そんな若い企業家たちが増えたら、これからの日本経済も今の不景気を吹き飛ばせるだろうな、と期待を抱きました。かく言う私は、年齢40歳はとっくに過ぎていますけれども、女性起業塾の主催者でTV番組の「マネーの虎」に出演もなさっている尾崎社長(彼女は30歳代)に、起業したばかりであるという点と精神年齢の若さを訴えまして、出席を許して頂いたのです。YEOの企業家さん達も私の年(50代おm終わりに近いのは私だけだったでしょう)を咎める方は何方もいらっしゃらなくて、むしろ「頑張って下さい。」とか「米国などの企業は、社員のメンタル・ヘルスに熱心ですが、日本もそうなるべきですね。」などと具体的な言葉で励まして下さる方まであって、流石に若くして年間一億以上もの商いを出来る方々は心が広いなー、と感じた事でした。そして皆さんに共通する特徴は、何事もポジティヴに捕らえて行動する、と言う点だろうと思いました。私もポジティヴ思考には自信がありますが、それを上回るかも知れない位のパワーを感じました。私は、パネラーの社長さん達に、「未だクライアントが無いのですが、皆さんにも苦しい時期が有りましたか?有りましたらどうやって切り抜けられたのか教えて下さい、」という質問を致しました。答えは夫々でしたが、皆さん苦しい(難しい?)時期は在ったようです。でも、兎に角落ち込まずに、出来る事は何でもやって動かれた様です。実は私も、マーケティングに関しても、未だ十分に出来る事をやっていないので、出来る事を皆やる迄はポジティヴ思考で動こうと思ってやっている所なのですが、成功なさった皆さんはどうなさったのかな、と思っての質問でした。ですから、社長さん達からのお答えは、非常に納得出来るものでした。そして「兎に角凹まずに必死でやっていれば、うまく行くものです。」というお答えにも勇気付けられました。このパーティのある幹事の方が、「辛いと思うなら、(起業を)止めたが良い。」と言われました。私は即座に「辛くはありません。」と答えましたが、「苦しい」と言うのと「辛い」と言うのでは意味が違って来るんですね。「苦しみ」は寧ろ、その後の糧になります。切り抜ける為に色々工夫しようとする余裕があり、向上の為のバネにもなりますから。そしてその後の楽しみに繋がります。でも「辛い」となると、工夫しようという気力迄無い状態ではないでしょうか。最も、その「辛い」を切り抜けた人は、「苦しい」を切り抜けた人よりも、もっと強くなれるかもしれません。でも私はこの仕事を楽しんでやろうと思っていますので、「辛い」という感覚は、義務感で嫌々仕事をする人に訪れるのではないかと思います。もしそういう義務感で辛い仕事をする事になったら、私はこの仕事を止めるだろうと思います。現在の私は、むしろ今の時期を、「後に来られるであろうクライアントの為により良い説明やプログラムを考える為の準備期間で、これも必要な期間だな。」と思って楽しんでいる所もありますから、「苦しい」とも言えないのかも知れません。その為でしょうか、あれだけ高かった血圧もすっかり安定して、しかも毎日のオフィス通いとバーンアウトしない為の運動や自己暗示で、鍼灸士さんも感心するほど、以前以上の体力まで着いたのです。この事だけでも、オフィスを開く事にして良かったと思います。話を戻しまして、このパーティを企画、しかも無料で招待して下さったYEOの方々に心から感謝致します。又、このパーティで配る「リッスン+」の名刺にオフィシャル・サイトのアドレスを入れ様と、2日間睡眠時間2時間以内しか取らずにHP作りにも励みまして、何とかサイトは作りましたが、未だ不十分なので、一両日中にもっと良い形にしてから全部のページをアップしようと思って頑張っています。そのサイトが出来ましたら、この日記にも書きますので、このサイト同様、皆さん遊びにいらして下さいね。
2002年10月18日
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沢山あるのですが、今「リッスン+」の公式サイトの製作に追い込みを掛けていまして、この日記に時間を掛けられない状態です。17日に、起業塾生及び出身者とYEOという若い社長さんのグループとのパネルディスカッション形式のパーティがカナダ大使館であるんです。そこで私もパネラーとしての出席をお願いしてあるのですが、自分の起業/企業についての資料やパンフも出席者の皆さんにお渡し出来るそうなんです。それでその為の資料と名刺に書き込めるHPアドレスを作る為に多くの時間が必要です。忙しいけれど、色々な方々、特に若くして起業し、成功した方々にお会い出来るのが本当に楽しみです。異業種の方々とお会いするのって、自分の世界が広がって行くのが目に見えるような気がして今からわくわくです。又その様子などご報告致しますので、それまで日記は少しお休みさせて下さい。18日以降のこの日記をお楽しみに!
2002年10月11日
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imamiさんのHPへの来訪へお礼の訪問に伺いましたら下記の様な内容の日記がありました。同じ女性として非人道的な女性蔑視の捌きには我慢出来ずに私も早速アムネスティを通じて抗議メールを打ちました。ここにimamiさんの日記の部分を転載しますので、ご賛同下さる方はアクションをどうぞ!但し、これはあくまで私個人の賛同ですので、アクションなさるかどうかは読者の皆さんのご自由です。決して強制ではありませんのでご理解くださいませ。「ナイジェリアの女性を救おうという話題が取り上げられていました。この女性は離婚した身であるに関わらず出産した為に、姦通罪で石打の刑に処される危機にあります。石打の刑すなわち死刑。彼女を首まで土に埋めて、その周りを人々が囲んで、彼女の頭蓋骨がつぶれて死ぬまで石を投げるというものだそうです。30日以内に上告しなければ、死刑が執行されてしまうらしいです。詳しい内容はこちら。日本語 http://www.amnesty.or.jp/campaign/Nigeria_action.htm英語 http://www.mertonai.org/amina/ ナイジェリア大統領、司法長官に対するあなたの一通の抗議メールによって、彼女を救うことができるかもしれません。日本語サイト内の"Take Action"を開くと英文のサンプルレターがあります。その文をコピーして署名し、大統領、司法長官宛にメールまたはFAXをお願い致します。
2002年10月07日
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忘れられない出会いになる事がある。今日はそんな素晴らしい出会いを教えてくれた人がいる。yasuraguのメール・アドレスに覚えの無い英語の名前の人からメールが届いた。大体見知らぬ英文の名前や数字の入った送信者からのメールにはヴァイルスが入っている事があるので直ぐには開けない事にしている。件名を読んで覚えがあれば開けるが、そうでない時は削除する。今日もそんなメールかと思ったが、件名が“The Listening Centre”となっている。それで、「LiFTインストラクターの新しい仲間かな?」と思いつつ開いてみて驚いた。昨年9月ニューヨークのテロ後直ぐに前から予定していたトロントへシカゴ経由で行った時にシカゴからトロントへの待ち時間に、シカゴ空港で出会い、トロントへの機内でも一緒になったAllisonさんからのメールだったのだ。テロ直後と言うことで機内はガラガラだった。待合の隣の椅子に座った彼女の笑顔に親しみを感じて私の方から話し掛け、テロの話から始めて、彼女が日本の千葉に英語のアシスタント教師(NHKのさくらの様な役割)として滞在している事など聞いた。お互いにメール・アドレスを交換しながら、彼女が日本の中学・高校生たちへの指導で困る事がある、という話をした時、私も専門を紹介し、いずれ自分のオフィスを持つ積りである事とその中でやるカウンセリングとLiFTの話をしたのだった。すると彼女がLiFTに非常な興味を示したので、トロントのリスニング・センターでの自分の経験と共にその場所もお教えしておいた。そしてトロント着後、「日本で会う機会があれば又お会いしましょう。」と言って分かれたのだったか、自分の事で忙しく彼女へのメールもし忘れたままになっていた。そして何時しか彼女の名前も・・・。ところが彼女はちゃんと覚えていて、1年後トロントに帰った時リスニング・センターに行ったのだそうだ。その後の経過を今日メールして来てくれた。これもお互いの滞在先がお互いの母国であるという親しみから心を開いて語り合ったお陰である。この出会いから、心を開いて語リ掛けることの大切さに改めて思い至ったので、ここから日記の調子を語り掛けに変え様と思う。この日記を書き始めた時、日記なのだからと単なる日記として自分の呟きの様な形で書いてきたけれど、その中でも、この日記を読んで下さる方への語り掛けになっていた部分が多々ある。自分一人の為でなく、読んで下さる方があってこそのWeb日記なのだから、読んで下さる方との出会いを大切にする為にも読者への語り掛け調にした方が良いのではないかとづっと思ってきた。そして「外国育ちさん」の様に完全な語り掛け(しかも彼女の日本語はとっても美しい)の日記に接してから「いいなー。」とその形に惹かれて来た。「でも日記なのだから」と思う部分があって、踏ん切りが付かなかった。でも今日・・・。++++++++++++++++++++++++++++今日のAllisonさんからのメールをご紹介するのを機に、このサイトは読者への語り掛けの言葉と致します。先ずはAllisonさんからのメールをお読み下さい。英語は苦手の方もいらっしゃると思うので、一応私の訳を下に付けて置きますね。英語の得意な方は、日本語部分は飛ばしてお読み下さいませ。Dear Mrs. Inoue, (井上さん)How are you? I wonder if you remember me, we met last year in the airport. 如何お過ごしですか?去年空港でお会いした私の事を覚えていらっしゃるかしら?You and your husband were visiting relatives in Toronto, あなたとご主人はトロントのご親戚(私達の息子のand I was coming home to see my cousin’s wedding.Though 事)の所へ行かれ、私は従弟の結婚式に出席する為に実家へ帰I haven’t been in contact, I was very impressed by youるところでした。連絡こそ致しませんでしたが、and your husband. I was especially interested in what 私は貴方とご主人から強い印象を受けていたのです。貴方が話you told me about The Listening Centre. Now, I have して下さったリスニング・センターの事には特に、興味を抱きmoved back to Toronto. I am getting my teacher’s licenceました。さて、現在私はトロントに帰り、トロント大学で教諭at the University of Toronto. I attended an open house 免許を取る為の勉強中です。私は、1・2週間前に、at the Listening Centre a few weeks ago and will begin リスニング・センターのオープン・ハウスに参加しましたよ。observation and training to become a part-time therapistそして何と今週からパート・タイム(リスニング)セラピスト this week!!! I am very excited about the Tomatis になる為の研修を始める事になりました。トマティス・メソッmethod and its potential. I really have you to thank! ド(*注)とその潜在的可能性に触れてとても興奮しています。ありがとう!I wish all the best for you and your family, I really あなたとご家族のご多幸をお祈り致します。そして私にこの様なappreciate your kindness in opening up this opportunity 機会を与えて下さったあなたのご親切に心から感謝致します。for me.Take care, (お身お大切に)Sincerely, (敬具)(以上英文は原文のまま。)*注:トロントのリスニング・センターは現在でも、LiFTプログラムとトマティス・メソッドの両方を臨床しています。トマティス・メソッドは大きな機械を使うので近くの人に、LiFTプログラムは小さな機械で良いので専門家指導によるクライアント用と遠方の人用に、と使い分けているようです。まだ初めたばかりのAllisonの中では、トマティス・メソッドもLiFTプログラムもごっちゃになっている様で、私もトマティス・メソッドをやっていると思っているのでしょう。何と嬉しい手紙でしょう!一年前に空港で出会ってほんのちょっとだけ話した日本人の事を覚えていてくれただけでも感動なのに、出会った一年後に日本から帰国してちゃんとリスニング・センターに行き、セラピストにまでなろうとしている彼女に、私の方こそ感謝ですよね。今私は、自分の為にやった(学んだ)ことが、又何気なく自分も楽しんで話した事が他の人の役にも立った喜びを感じています。きっと彼女は教師としての仕事の中でLiFTプログラムを使うことになるのでしょう。そしていつか、生徒がLiFTプログラム後に成長するのを見る時、彼女もまた自分の為に学んだ事が、生徒たちの役に立つ喜びを感じるのでしょうね。トマティス・メソッドからLiFTプログラムを発展させたポールさんも又、昔は自分のLDを克服する為にトマティス・メソッドで訓練を受け、学んだのでした。その自分の為の学びが多くの人を救ってきました。そんな彼の夢は、学校の中でLDやAD(H)Dなど軽度発達障害の傾向を持った子供達が早期発見され、適切な指導を受けながら障害の傾向を軽減して、社会に適応し役立つ人として育ち認められる様になる為にLiFTプログラムが使われることだそうです。難しいけれど素晴らしい夢ですから、私も日本の中でそのお手伝いが出来るといいな、と思っています。更に日本では難しいと言われる英語教育(特にリスニング)にも威力を発揮するLiFTプログラムですから、日本の多くの子供達が世界の共通語となりつつある英語力を付け、しかも最近切れがちな心を持つ子供達が、安らいで、穏やかな心で世界中の人々とコミュニケイト出来る(軽度発達障害の傾向を持った子供達が最も苦手とすることです)様にLiFTプログラムを使って貰えたら、どんなに嬉しいことでしょうか。そうなる為に、Allisonさんの様な指導者がカナダでも日本でも、いえ全世界で増えてくれる事を願っています。「リッスン+」では、事業としてWin-Winの原則を大切にしながら、そんな仕事を心を込めてやりたいと思います。その為にもっとLiFTを多くの皆さんに知って貰いたいものです。現在その為のWebサイトを作成中です。ご期待くださいね。そしてご自分もLiFTプログラムを学んで、LiFTインストラクターになりたいと思う方は是非ご連絡くださいませ。
2002年10月06日
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今日は、秋晴れである。昨夜の台風は足が速くて、テレビをゆっくり見る暇の無い私なぞにとっては、いきなりやって来た様な感があった。相変わらず予約の無いオフィスも早々に(普段の受付は7時まで)閉めて、授業の帰りに寄って貰う約束になっていたYさんにも電話が留守電なので「来ない方が良いでしょう。」というメールを打ち、5時過ぎにはオフィスを後にした。いつもは早くて8時過ぎ遅いと12時にもなる私を夫がからかって(喜んで?)「おカアさん(と未だに夫と私は子供が幼かった頃からの呼び名を切り替えられない)がこんなに早く帰るのは始めてじゃろー。」と笑った。いつもは終電で帰る娘も昨日は早く帰るからと船橋で待ち合わせ、久し振りに3人一緒に帰宅。こういうのも又楽しからずや。服は全員びしょびしょに濡れたけど・・・。実を言うと、鹿児島で育った私は、幼少の頃から台風には慣れっこで、被害が無い限りではその非日常的な状況にワクワクする所がある。被害に遭われた方からは不謹慎だと言われそうだが、子供の頃は未だ殆どの家に木製の雨戸が付いていて、台風情報を聞いた人々が窓ガラスが飛んでくる瓦などで割れない様に雨戸を閉め、その雨戸が吹き飛ばされない様にペケ印に木を渡して打ち付けたりと、家を守る為に強い雨風に負けずに立ち向かう大人達の様が好きだったのかもしれない。そして停電に備えて懐中電灯や蝋燭を用意するのが子供達に出来る手伝いだった。そこには、家族全員で家を守ろうとする気持ちが漲っていて、普段は何かとドン臭くて叱られる事の多かった私でも、3人姉妹の長として頼りにされた。家族全員の気持ちが一つになって、外敵に立ち向かう気分だったのだろう。風が強ければ強いほど、皆の気持ちが纏まって居た様な気がする。又、学校も早く終わったり、休校になったりしたからそれも楽しみだったのかな。授業が早く終わり、そこまで来ている台風の強風に背中を押されながら歩くとき、「良いぞ、良いぞ、もっと吹け!」等と興奮しながら呟いたりしたのを思い出す。鹿児島を襲った台風の中で私が思い出す一番思いで深いのは、ルース台風である。風速40メートルの強風だった。看板が飛び、瓦が飛び交う音を聞きながら、停電の中を家族みんなで集まって、風の弱まるのを待ったものだ。台風の目に入ると、それまでの強風が嘘の様に静かになり、一瞬もう台風が過ぎ去ったのかと思うほどで、青空さえ見えるが、その後は再び恐ろしい程の強風に見舞われる。あの台風の目も好きだったな。恐ろしさの中で一息つく安らぎ感があったから。そんな事が言えるのも、自分の家が大した被害に遭わなかったからだが、伊勢湾台風の被害を聞いた時は、流石に、子供心にも「台風って悪者だな。そんな台風は来ないで欲しいよ。」等と勝手な事を願ったものだ。随分古い事を書いたが、昨日の台風の強さは、久し振りにそんな子供の頃の事を思い出させてくれた。いい年を食った今は「もっと吹け!」等とは思わないが、強い自然への畏敬の念を思い出すと共に、台風一過の清々しい風を楽しんだ一日であった。今の私のオフィスが立ち向かうべき風もかくやり過ごし、この清々しい気分に浸りたいものだと思った。
2002年10月02日
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