2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全13件 (13件中 1-13件目)
1
8月29日の『ニューヨーク・タイムズ』紙で Kim Severson 記者が「宇宙食の最前線」について書いていて、面白かった。宇宙ステーション計画実施も迫り、米・露・EUが共同で、フランス料理のシェフまで動員してメニュー開発を進めているらしい。(日本の「宇宙ラーメン」は、所詮、単発ものだったか……。)「へえ」と思ったこと、以下ご紹介します。ロシア・チームは、生トマトをよく持ち込むのだが、絶対にかぶりついてはダメ。かぶりついて汁が飛び散ると、無重力空間に浮かぶトマト汁を回収するのがえらく大変。だから、かならず鋭利なナイフでスライスして食べる。塩や胡椒も液状。塩粒や胡椒粒が無重力空間に飛んで、機器につまったり、宇宙飛行士の鼻や目に入ったらえらいことになる。柑橘系や香辛料系の香りの強い食べものが喜ばれる。無重力空間では体液がのぼりがちで、鼻がつまりがちになる。罐詰やパウチからの食事なので、臭覚の刺激に飢えるのだそうで、宇宙に数ヶ月もいるとa bottle of Tabasco or a raw garlic clove can be heaven(タバスコ1瓶、生ニンニクひとかけらが、天にものぼる美食)だとか。小麦粉でつくったトルティーヤ(パンケーキ)が重宝する。何でもくるんでサンドイッチにできる。普通のパンだと、かけらが飛んでしまう恐れあり、これが宇宙では大敵。
Aug 31, 2006
コメント(2)
8月22日のブログで紹介した George F. Will が、議論の前提として今の東アジアをどう描写しているか。日本にとって冷戦はまだ終わっていない。ベルリンの壁が倒れても、日本にとっては一時代が終わったわけではなかった、と。冒頭でそう言われて、そういえばそうだったよな、と思い返した。そうだった。いまのこの状況は、冷戦なんだ。たとえ日本企業の中国向け投資が激増していても、冷戦であることに変わりはない。冷戦の冷戦たる所以(ゆえん)。>≪日本は……なにかといえば突っ掛かってくる中国とオドロおどろしい北朝鮮という2つの共産主義政権が周辺にいて、安穏とはできない。≫truculent に weird ですか。なるほどね(こうやって語彙を増やすのです、ぼくは。)中国が20世紀前半の日本の軍国主義にこだわり続けるのが、political choices(政治的選択)だと書いてあるところも、よく勉強してくれている。それにしても、George F. Will によれば Japan's 1910-45 militarism だそうだ。とんでもない誇張である この辺、議論してコテコテに負かしてやりたいね。だいたいぼくは、日本の昭和10年代を militarism と呼ぶのが好かないんだ。あれは military socialism(軍事社会主義)だろ。>≪マルクス主義は破綻し、中国がマルクス主義と正反対の手法で経済発展を追求すればするほど社会を違和感が覆う。≫
Aug 29, 2006
コメント(1)
"Rent" というミュージカルがある。邦題も『レント』。ブロードウェイで平成8年4月29日以来の長期公演中。オリジナルキャストに Aiko Nakasone の名がある。どんな人なんだろう。じつは台北で何気なくCDを買ってホテルで聴きはじめたのだけど、ケースにひとり、台湾の人気ナンバー1歌手の蔡依林ちゃんみたいな女性がポーズしていて、「この人、誰なんだろう……」と思ったわけですね。主人公の Roger の母親役とか幾つかのチョイ役をひとりでこなしています。ホノルル生まれのようです。ハワイにいるナカソネさんということは、幾世代か前に沖縄から移民したのでは?たぶん、仲宗根藍子、です。"Rent" のほかにも、"How to Succeed in Business Without Really Trying"(『努力しないで出世する方法』)とか、いくつかのミュージカルに出ています。見てみたいですね、どんなパフォーマンスだったのか。ネット検索してみると、いまは Bikram Yoga というヨガ講習フランチャイズの、ニューヨーク市ブルックリン・ハイツ支店でインストラクターをしておられます。ミュージカル俳優が、ヨガ・ダンスの指導に進出、ということなのですが、舞台の世界の不安定に左右されずに済むように、踊りの才能を生かした生活基盤をヨガ・ダンスに見出そうとしたのでしょうか。ひとりの芸人が、才能を活かしながら人生の次のステージにどう備えてゆくのか。そういうことに興味をもつようになったのは、ぼくも歳をとっちゃったかな。ミュージカル『レント』は、今年の11月16日から25日まで東京厚生年金会館で来日公演があります。http://www.rent2006.com見に行こうと思ってます。CDを聴いて、すっかり気にいりました。ひょっとして Aiko Nakasone が出てくれたら、もう大感激なんだけど。
Aug 28, 2006
コメント(1)
わたしの信頼する米国保守派の論客 George R. Will 氏が、8月20日の『ワシントン・ポスト』紙に The Uneasy Sleep of Japan's Dead(日本の死者の安らかならざる眠り)と題して東京発のコラムを書いていて、これが8月21日の『ウォールストリート・ジャーナル』紙に Japan's Ever-Present Past(日本にとって過去はいつまでも現在形)と題して、ほぼそのまま転載されていた。いつもながら、淡々としたところがいい。靖國神社問題について、いちおう合格点の論考になっている。日本のまともな識者たちと会って勉強した様子がうかがえる。さすがと思ったのは、それらを踏まえて彼が米国人としての翼を広げてみせた、最後の部分だ。≪靖國神社論争を前にして、米国人なら思い当たることがあるはずだ。南北戦争で南部連合が掲げた旗を今日なお掲げることについての、靖國問題ほど深刻ではないにせよ、それなりに激しい議論を呼ぶ一件を思い起こせば、米国人もまた、一国の歴史的記憶にまつわる政治というのがいかに白熱したものになりうるか理解できるのである。そして、戦死者が殉じた理念そのものは必ずしも受け入れずとも戦死者そのものは礼を以て遇する、ということがどういうことなのか、米国人には分かるのだ。≫南部連合の旗で思い出したことがある。勤務先の商社で米国のエンジニアリング会社と打合せをしていたときのこと。会議室の絵を見て、米国人エンジニアが頓狂とも聞こえる声を上げた。「南部連合の旗じゃないか! ……いやぁ、驚いたなぁ。イズミさん、この旗がひるがえる絵を飾るというのは、米国では意味深なことなんだが、わかって飾っているんだろうか」「ああぁぁ。いやぁ、言われなきゃ絶対気づかないな。まずいかな、この絵をそのままにしておいたら」「いや、べつに……、いいんじゃないの。それにしても、じつに interesting だ。東京の会議室で、南部連合の旗を見るなんて……」小泉首相があえて中国共産党の意向に従わぬことを示したことについても、George Will 氏は理解をしめす。≪これはいわば「ネルソン提督の火かき棒の原理」だ。トラファルガー海戦の前夜、ネルソン提督は何人かの士官と話しながら、火かき棒をとりあげてこう言った。「この火かき棒を私がどこに突っ込むかなんて、どうでもいいことだ。ただし、ボナパルトがこの私に火かき棒はどこそこに突っ込めなどと言ってきたら、話は別だ。そう言われたら、別のところに突っ込むしかない」≫こういうふうに目先の喧騒を、まったく別のエピソードを切り口にして腑分けしてみせるのが、教養の最たるものである。そういうコラムを書こうと思ってわたしも修行しているわけですが。以下、引用和訳したところの原文:>
Aug 22, 2006
コメント(4)
目下、帝劇「ダンス オブ ヴァンパイア」の吸血鬼フォン・クロロック伯爵役で劇場全体を豊かな声量と人間力で包み込んでいる山口祐一郎さん。ウィキペディアを見たら、≪1979年劇団四季入団。ミュージカル『コーラスライン』のオーディションを、合唱のオーディションと間違えたのが入団のきっかけとなった。ダンスができないためオーディションには不合格となったものの、演出家から声をかけられた。≫とお茶目なことが書いてあるのですが、「ダンス オブ ヴァンパイア」公演を2回見て、「実力、人気ともに日本ミュージカル界ナンバーワンの存在」(『ミュージカル』誌)という批評に、しんそこ、納得です。そうか、ダンスはあまりなさらないんですね。そういえば、フォン・クロロック伯爵の役も、娘サラの血を吸うとき以外は傲然と立っていらっしゃるだけだった。カーテンコールで役者さんが全員踊っているときも、ひとりだけ出てこなくて、そして最後にすごい存在感で登場してくれました。山口祐一郎さんは昭和31年10月生れだから、ぼくより2歳半ほど歳上でいらっしゃるわけです。ああ、あと2年半しても、こんなふうにエネルギーを発散させていたいなぁって、そういう目で俳優さんを見るのは、ぼくもすこし歳をとったのかな。「ダンス オブ ヴァンパイア」のアブロンシウス教授役の市村正親(まさちか)さん。稀代のエンターテイナー。昭和24年1月生れ。勝新太郎を思い切りさわやかにしたような風貌です。去年、24歳下の篠原涼子さんと再婚してらっしゃるんですね。俳優さんの人生そのものに、ちょっとばかり自分を照らし合わせてみるなんて、考えてもみなかった。そういうふうに他人(ひと)の人生を若干のいとしみもこめて見る歳になっちゃったようです。
Aug 20, 2006
コメント(0)
金正日(きんしょうにち)後の朝鮮国の経済復興は、誰が主導すべきなのか?『ウォールストリート・ジャーナル』紙上の評論文に、めずらしく、虫唾が走るほどの反発を覚えたコラム子です。さあ、読者諸賢のご意見は如何に?
Aug 17, 2006
コメント(13)
8月15日の午後、帝劇のミュージカル「ダンス オブ バンパイア」を見てきました。これまた満員御礼。7月20日に引きつづき、2度目。舞台藝術というのは、公演しながら確実に進化するところも魅力ですね。回数を重ねながら深まってゆく。今回は席が2階席の2列目で舞台全体が見渡せて、脇で動く俳優さんたちの工夫までよく見てとれて、その分いっそう楽しめました。キャストでは売らず、出演者が平準化している劇団四季。生演奏をせず、音楽を録音音源にたより、その経費節減を広告にまわして企画を立ち上げるエネルギーにする劇団四季。それと比べるとやっぱり帝劇というのは横綱相撲というか、豪華キャストの次元が違うんだということが、ようやくしみじみ分かりました。そうだ、生演奏だから、舞台の進化に合わせて演奏も微妙にテンポや盛り上げ方を変えているのかもしれない。それが生(なま)の魅力なのじゃないか。準主役の、美しい娘サラと、頼りないけどいい男のアルフレートがダブルキャスト。それぞれどちらの役者さんがよかったか、というのが劇評のひとつの話題になるわけですが、これは前回みた「大塚ちひろ+泉見洋平」(徳島県人ペア)が声量の豊かさと色っぽさで一段上でしたね。今回みた「剱持たまき+浦井健治」(東京人ペア)。宣伝ビラの写真を比べると、こちらのペアのほうがあかぬけした美女美男ペアに見えるのですが、うーん、ちょっと声量が細くて存在感が薄かったというか。浦井健治さんは、絵に描いたような美男子なんだけど、カーテンコールで盛り上がって出演者総出で思い思いにくねくね踊っているとき、最前列でひとり手拍子とってた、あれはないと思ったな。ごめんね、きついこと言って。演出の進化という意味では、劇の部分の最後でしょうか。前回は、娘サラが かっ!と吸血鬼の歯を観客に見せつけたところで、いきなりヴァンパイアたちが登場して集団ダンスに移って、何となく「尻切れ」の雰囲気が拭えなかったんですね。(記憶ちがいかもしれません。)今回は、娘サラがアルフレートを虜にしてしまって、「血がおいしくなった」と浦井健治君に言わせて、そのまま舞台で“組んずほぐれず”抱き合ってるんですね。その少しの時間をもらうことで、観客がストーリーの意外な急展開を消化する余裕を与えられて、若干の諦念とともに納得した瞬間にヴァンパイア・ダンスが始まるんですね。この辺の間の取り方が絶妙で、「尻切れ」感がなくなった。俳優さんのなかで文字通り藝に磨きがかかったのが、伯爵の息子ヘルベルトなる“ゲイ”の吸血鬼を演じる吉野圭吾さん。1回目も楽しめたけど、2回目はさらに洗練されて、つまり「遊ぶ余裕」が加わって、カーテンコールのときの様子も見てて華があった。ああ、この俳優さんは伸びるぞ! と思いました。2回目は、剱持たまきさんがちょっと乾いていた分、宿屋の主人の愛人マグダを演じる宮元裕子さんが小さな体から発散する色気が、とりわけ快かった。「ダンス オブ ヴァンパイア」は今回は8月27日で終わってしまいますけど、これまた毎月見たくなる傑作。今から次の公演を楽しみに待ちたくなります。「ダンス オブ ヴァンパイア」の1回目の観劇録はhttp://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/200607210000/「ダンス オブ バンパイア」のCD感想録はhttp://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/200607220000/
Aug 16, 2006
コメント(1)
またまた今年も「靖國神社」論です。わたしの議論も、年ごとにちっとは進化していると思うのですが。本日の配信コラムへのご感想はこちらへ書き込んでください。
Aug 14, 2006
コメント(8)
劇団四季のミュージカル『エビータ Evita』を見てきた。満員御礼だった。狂言回しの「チェ」役の芝 清道の声が冴えに冴えて、彼の存在でもっているような舞台だった。Evita 役の井上智恵も、次々と役割を遷ってゆくなかで凄みが加わってゆく様子はみごとなのだけど、もうちょっと遊べないかな、という不満が残る。彼女はきっと伸びるから、遊ぶこともできる女優を目指してほしい。ペロン役の下村尊則は、頑張ってはいるのだけど、そもそもこの役にはもっとオジサマの役者を充てるべきではないのか。1895年生れのホワン・ペロンと1919年生れのエヴァ・ペロンが、ステージ上では同年輩に見える。もう少しこういうベーシックなところの配慮ができないか。これはプロデューサーへの苦言。政治のごたごたさえも、能楽のような抽象画で表してしまうのがミュージカルの醍醐味だ。ペロンが同輩の軍人らを次々に蹴落として地位に就くところを、椅子取りゲーム風の演出で観客の笑いをとりながら表現してみせたのは、あれはミュージカルでなければできない。普通の話劇であれをやったら、しまらない。ミュージカルという、旋律の支えがある世界だからできる、能狂言的演出だ。エヴィータが人生という舞台を退出するとき天上からふりそそぐ、紫色の花びら。舞台にうずたかく降り積もってゆく紫が、美しかった。毀誉褒貶あるエヴァ・ペロンの生涯を、愛惜もこめつつ、辛辣も忘れず、バランスよく劇化していたと思う。照明効果が冴えていた。
Aug 13, 2006
コメント(0)
「一高」といえば「いちこう」、第一高等学校。今の東大駒場の前身。以下、二高(仙台)、三高(京都)、四高(金沢)、五高(熊本)、六高(岡山)、七高(鹿児島)、八高(名古屋)ということなのだが、このうちの「四高」。てっきり「よんこう」と読むのだと思っていたら、そんな読み方をすると顰蹙を買うのだということを今日知った。8月10日付『北國新聞』(金沢市)の1面コラム「時鐘」(じしょう)。最後の締めもなかなかよろしいので、全文引用紹介させていただきます。≪「バンカラ」とは「ハイカラ」をもじった言葉である。西洋風にしゃれた女性をハイカラさんと言い、その対極に登場した。野蛮のバンが語源で、旧制高校生の代名詞になった石川近代文学館で旧四高(しこう)の制服を着た説明員の解説が始まるという。旧四高校舎を利用した建物だから面白い試みである。本物のバンカラ四高生を見たことのない人が多いだろうからOBに話を聞いて役づくりに励んでもらいたい若い人には注意事項がある。間違っても「しこう」を「よんこう」と言わないことである。昨今は、金大生でも「よんこう」と呼ぶ者が増えて四高OBの嘆きは深い。数年前の創立記念祭では来賓が「よんこう」と発言して、ひんしゅくをかったこともある「し」と呼ぶ理由を語れるのはOBでもほとんどいないが、こんな説がある。「し」は士や志にも通じ、数字の四は一、二、三、四と上がる時は「し」と読む。下がる時は「七、六、五、四」と「よん」になる。上昇の気風が好まれる。鹿児島の「七高」も「ななこう」ではなく「しちこう」だ先輩が守ってきたことを尊重する、伝統とはそんなものかもしれない。≫というわけで、「四高」「七高」が来年の漢検の問題に出るかもしれませんよ (^J^)
Aug 10, 2006
コメント(6)
松山に久々に帰った。松山というのは、地方都市としてはかなり高いレベルのお菓子文化を半世紀以上前に達成してしまい、以来その過去の遺産だけに頼って生きているようなところです。異国の皆様がたに、松山の過去の遺産を3点、ご紹介。「タルト」という大名菓子。柚子餡を豪勢につかったカステラ巻です。グラニュー糖をまぶして、きらきら光っている。「坊ちゃん団子」は、大豆餡、抹茶餡、鶏卵餡の3色の団子を串に刺したもので、わたし、昔は好きだった。昔は芯に普通の白玉粉の餅を使っていたのに、最近のはこれが甘ったるい羽二重餅。餡も昔ながらに甘いので、ふたつ合わせて激甘となり、どうもダメですね。絶品は「母恵夢」(ポエム)。「ひよ子」みたいな乳菓で、ミルク白餡をやさしく包んだ洋風まんじゅうなのですが。ぼくは、これは「ひよ子」に負けていないと思ってます。白餡を包んだ皮の部分が、手にもつとほろっとくずれそうになるくらい、やわやわとしていて、ちょっと食べにくいけど、あの「ほろほろ感」は天下無敵です。松山で生れた菓子で唯一、瀬戸内海全域を商圏にするところまで広がった菓子です。で、新銘菓ふたつですが。ひとつが、「マドンナだんご」。なるほど「坊ちゃん団子」があるんだから、ペアで作ればよかった。いままでなぜ気がつかなかったのでしょう。3つの団子は、いちご餡、ミルク餡、ミルクコーヒー餡です。まあ、ようやくこういう組合せが受け入れられる世の中になったと言えましょうか。味は合格です。(相変わらず、芯の羽二重餅が甘ったるすぎるけど。)せっかく新銘菓をつくったのだから、さっそく「坊ちゃん団子・マドンナだんご」のペアセットとか、作って売ればいいのに、それをしないんですね。商売っ気がないというか…。あと、包装にも問題あり。串がだんごのなかにはまり込んでしまい、持つところがないので、手が汚れます。もうひとつは「一朶の雲」(いちだのくも)。『坂の上の雲』にちなんだ新銘菓ですが、これはなかなかよく出来ていた。白餡まんじゅうですが、白餡の芯に伊予柑の砂糖煮を刻んだのを入れて、皮には「はったい粉」をまぜてひなびた感じを出し、そとに粉砂糖をまぶして雲の雰囲気を出しています。ところが、この表面の粉砂糖が手につくので、食べたらお手々を洗わなきゃいけないのですよ。(おしぼりがあればいいけど。)なんとか、皮の色合いだけで雲の感じを出せるよう、頑張ってみてほしいものです。というわけで、新銘菓ふたつ。どちらも、(松山にしては)久々のアイデア商品でしたが、手が汚れてしまうという一点で、消費者のことをちょっと考え足りなかったかな、というところですね。
Aug 9, 2006
コメント(1)
韓国映画『イルマーレ』の米国リメイク版 "The Lake House" を先週台北で見た。日本ではこの秋公開らしい。Il Mare というのは「海」という意味で、海辺の家の郵便ポストが不思議なタイムトンネルになっている、というのがプロット。大きさが郵便ポストなので、人間がタイムトラベルするわけではないが(それをやったらドラえもんになってしまう)、手紙がタイムトラベルできてしまう。オリジナルの韓国映画で「海辺の家」だったのが、米国版では「湖畔の家」になった。だから The Lake House なのだが、このリメイク版を日本では韓国映画の題名をそのまま使って『イルマーレ』と題して公開するらしい。そのほうが営業的にはいいのだろうけれど、「どうせ日本人はイタリア語の意味なんか分かりゃせんのじゃけん、よかろがね」(←松山辯)という、しけた料簡が見え見えで、どうもイヤですね。台北での中国語題名は『超越時空的情書』。「時をかける少女」をもじれば、「時をかけるラブレター」と訳せようか。韓国版の俳優は、激しさを抑えてキュートにきめた全智賢(ぜん・ちけん)さんと、こちらももろに韓国顔の李政宰(り・せいさい)さんだった。李政宰が、のっけからひとりでスパゲティーをつくってワインを傾けるところが、ずいぶんオシャレで、「へえぇ……韓国人がこういうシーンを受け入れるようになったんだ」と軽い驚きを感じたのを覚えています。米国版は、Sandra Bullock と Keanu Reeves が主人公の2人を演じていて、しっとりと大人の仕上がり。映画評の礼儀として、ストーリーは書けませんが、結末の仕上りぶりを比べると、わたしは米国版のほうがいいと思った。韓国版のほうは「ふしぎな戸惑い」が画面にひろがって今後の展開を想像させる構成。米国版は若干ストーリーを変えていて、最後が炎のように盛り上がるんですね。どちらが好みかは、人それぞれでしょうね。けっこうこれで性格判断ができるかもしれない。いずれにせよ、脚本のオリジナル性というポイントを除外して評価すれば、米国版のほうが完成度は高い。さすがにカネのかけ方も違いますし。
Aug 3, 2006
コメント(3)
7月30日に書いた「王子製紙の蛮勇に息をのんだ」が、渡部亮次郎さん主宰の「頂門の一針」に転載されてしまった。いま読むと、突っ込まれる余地を感じるので、補足しておきたい。そもそも中国は水不足の国で……とばかりに大陸を十把ひとからげに論じたのは、藝がなかった。件(くだん)の製紙工場は江蘇省南通市につくるが、南通市は揚子江に面している。さすがに揚子江の水は枯れまい。河口近くで水はたいそう汚かろうが、製紙プラントをやっている人間にきくと、工場で紙漉きに使う前にとうぜん水処理をしてきれいにするから、問題ないのだそうだ。しかし、取水価格の変動ありうべし、と書いたところは合っていると思う。中国全体で工業用水の相場が上がってゆけば、南通市の王子製紙工場だけ例外というわけにはゆかぬ。事情通によると、この製紙工場でつかった水は、揚子江にそのまま戻すのでは問題があるのか(?)、南通市の費用で延々と黄海までのびるパイプラインを敷設し、黄海へ捨てるらしい。なぜだ!? 揚子江に捨ててならない水は、黄海にも捨ててもらっては困るぞ。むしろこちらのほうが問題ではないのだろうか。詳しいことは何ら分からないが、実情を王子製紙はぜひ説明してもらいたいものだ。1社で 2,000 億円を中国に投資するというのは、日本企業のプロジェクトとしてはこれまでにない規模だ。王子製紙は、どうやってリスク分散をするつもりだろう。事情通によると、王子製紙は何とこの投資を「自己資金」でまかなうらしい。(つまり、王子製紙という会社の信用による銀行借入、でしょう。)超伝統的にはこの種の大プロジェクトは、中国政府が国家プロジェクトとして行い、そこに円借款がついて…… といったかたちで行われた。民間プロジェクトでは、プロジェクトファイナンスに仕立てることが多い。銀行団がプロジェクトのリスクを分析し、プロジェクトの失敗のリスクも負いつつカネを貸す、という手法。そうやってリスクを分散する。投資の配当金で、銀行借入利息をカバーし、かつ元本分を回収するのに王子製紙さんは何年かける予定なのだろう。他人ごとながら、実に興味をそそられる。
Aug 2, 2006
コメント(3)
全13件 (13件中 1-13件目)
1
![]()

