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勤務先でちょいと担当替えとなり、3年ぶりでフィリピンへ行ってきた。マニラ支店のオフィスが移転して、52階からの眺望はマニラ湾の向こう、バタアン半島のくっきりしたスカイラインをとらえていた。あるプロジェクトを思い出して感慨にふけっていると、「バタアン半島がこんなにきれいに見えることは、めったにありません」と駐在員が言った。あとになって、ブログ用に写真に撮ればよかったと後悔し、ちょっと落ち込んだ。駐在員氏によるとマニラ在住の外国人は、韓国人がついに米国人・日本人を抜いてトップになった。韓国人ならではのパターンが、母と子が英語留学でマニラに住み、父親が韓国で月給取りにいそしむというもの。米国やオーストラリアでは予算オーバーだ。「人間誰もが上下関係」 の韓国人にとって、周囲の人々への優越感を抱きつつ低コストで生活するための準英語国として、フィリピンは人気なのだそうだ。* * *マニラのビジネス街マカティ区にある アヤラ博物館 の一角で画家 Mia Herbosa さんの 個展<人生の万華鏡> をやっていた。 (開催は9月11日まで。)Mia Herbosa さんは、昭和45年マニラ生れ。ニューヨークで活躍している。不覚にも名前の読みを聞き忘れた。米国人なら 「マイア・ハーボウザ」 と読むだろう。ここでは 「ミア・ヘルボーサ」 さんとしておこう。彼女の自画像。Seeking To Know Thyself (「自分さがし」)。放心の表情のように見えて、凝視しつづけると何かを語り出しそうな存在感。黄緑の使い方もうまい。会場には彼女のお母さんの Elaine Herbosa さんがいて「昨日オープンしたんだけど、作品はほとんど即日完売だったわ」と言いながら、いくつかの作品の説明をしてくれた。唯一売れ残った静物画の小品を買わないかと、しきりにすすめられた。「小さいからスーツケースにすぐ収まりますわよ」個展会場の作品のなかで気にいったのが、ナイトガウン姿のフィリピン女性を描いた Mutya (Monica) (若い女、モニカ) という作品。静かな誇りに満ちた顔つきがさわやかだ。ナイトガウン (英語でいうところの kimono) は実際のガウンを裁断して貼り付けてある。写真からも伝わる質感はそのせいだ。そこに垂れ下がる長い髪もホンモノの髪の毛を貼り付けてある。会場にいた母のエレーンさんによると、「何十年か先に、貼り付けた布や髪の毛が取れてしまっても作品として成立しつづけるように、青いガウンの下にもちゃんと絵の具で絵は描いてあるんですよ」* * *帰国して ミア・ヘルボーサさんのサイト を見た。彼女のサイトの ギャラリー の絵でいちばん気にいったのが At The Mirror (「鏡のまえで」) という作品。(今回のマニラの個展には出品されていません。) 確かなデッサン力が支えるしなやかさ。光と陰の処理がうまい。躍動の寸前を切り取った美しいヌードだ。ところが、鏡に映る彼女の不安げな表情が、見る者の心にしがみついてくる。ぼくの好きな画家 Edward Hopper (エドワード・ホッパー) が描きそうな表情。これこそ、絵画のちからだ。もうひとつ、Henri de Toulouse-Lautrec (ロートレック) 作品を思わせるこの絵も好きだ。絵の題は Aviva (アヴィーヴァ)。アクの強いキャラクターに負けない赤色の使い方が的確だ。決して美しい女ではないけれど、美醜を超えたちからを感じる。
Aug 31, 2008
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8月9日の公演 では気後れして加われなかった、終演後の劇場出口近くでのアンサンブルの皆さんとの握手の列に今回は加わった。帝国劇場の公演は、どれをとってもアンサンブルの皆さんの動きがきびきびとしていて安心して見ていられる。感謝の気持ちを握手にこめた。ひとりひとりと笑顔を交わすうちに、呑みに行きませんかと誘いたくなってしまったけど。8月23日、夜の部。今回は、別所哲也さんがエンジニア役。物腰のひとつひとつに いたずらっぽさがまつわりつく市村正親さんのエンジニアに比べると別所哲也さんは、生真面目な男が仕方なしにセクシー・バーの客引き商売をやるハメになったという趣だ。市村さんは仕草の遊びのひとつひとつが完璧に板についているから余人の及ぶところではないけれど、別所さんの優れた歌唱力が支える第2幕の「アメリカン・ドリーム」は絶品だった。これは、市村さんの書いた色紙。≪ミス・サイゴン それは俺のアメリカン ドリーム≫。まさに市村さんの俳優人生の上昇気流となった作品でもあったものね。米兵クリスの米国帰国後の妻エレン役は RiRiKA さん。前回見た公演はシルビア・グラブさんで、ベトナム娘キムと全く対照的な白人女性の妻という構図がはっきりしていて、いい配役だと思った。シルビアさんの歌唱力は折紙つきだし。けれど今回、RiRiKA さんのエレンに軍配を挙げたくなった。キムがバンコクにいることを知っても、文句なしにエレンとの生活をとるクリスの選択に現実味を与えるには、エレンにも若さとキュートさが必要だ。笹本玲奈さんのキムは完璧で、伝説の本田美奈子さんにどこが劣りうるだろうかといぶかる。笹本さんは笑顔の美しさと気乗りしない顔の落差がはげしいひと。まさにそれがいい役者ということなのだろう。バンコクのゴーゴー・バーからひらりと現れる彼女を1階席の舞台近くで見ると、クリスとの再会を予感する悦びに満ちあふれ、きらめいていた。前回の公演では、エレンに対して割り切れない激情をぶつける場面が爆発しすぎて早口に空回りしてしまったが、今回はひとつひとつの言葉の意味をだいじに相手の心へ投げ込んだ。役作りが深い。ストーリーを知って見た今回は、キムのすべての歌詞にさまざまな伏線が巧みに仕組まれていることに感じ入った。米兵クリス役、井上芳雄さんは、微妙に恰幅がよくなって役作りに渋みが加わったように思えた。井上さんの色紙。≪言いたいことは、全て舞台の上にある…はずです≫ と。それにしても「ミス・サイゴン」は、じつによくできたミュージカルだ。第1幕も第2幕も、あかるい歓楽街のさんざめきで観劇者の心をもみほぐしておいて、「命をあげよう」の切ない歌でたましいを揺さぶり尽くしてくれる。今回も、総立ちのカーテンコールが終わったあと、あらためて「命をあげよう」のメロディーが脳裏いっぱいに広がって、ふいに涙が出てしまった。翌日になっても、観劇の当日のような余韻が残っている。いいミュージカルは、すごい。
Aug 24, 2008
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ドイツの高級紙 Die Welt のウェブサイトで 「熊の餌食となった顔を整形した中国人」 の写真に驚愕した。ドイツの通信社 DPA が配信したものなので、願わくはウソ写真でありませんように。「まえ」 と 「あと」 である。右の写真だけ見ると、これが 「まえ」 みたいだが、左の写真の悲惨さはどうだ。この男性が熊に襲われたのは4年前。当時、本人の皮膚を移植して整形を試みたが、結果は左の写真のような具合。横から見たところ。まさしく顔を失った感じだ。そこで熊の襲撃の2年後に、死人の頬・鼻・唇を移植する本格的整形手術をした。右側の写真は手術2年後の最近のようすだ。上が、死人の顔の一部を移植した手術直後のようす。フランケンシュタイン博士の 「怪物」 状態だ。ドイツの通信社 DPA の記事によると、手術はじつに18時間に及んだ。中国・陝西省西安市の第四軍医大学西京医院整形外科研究所の李会元さん率いる医師団の成果という。(李会元の「会」の字は、正しくは「草かんむり」がつく。)美少女の歌唱代演や、漢人による異民族仮装行列など「これはいくらなんでもホンモノでなければ!」という局面でさえ、世界の常識をサッサと裏切ってくれることが続く中国五輪を見ていると、この整形手術 「まえ と あと」 だって「じつは映画制作現場の特殊効果最前線の取材でしたァ」と、明日の Die Welt ウェブサイトに訂正が出ているかもしれない。ウソ写真と判明しても もう驚かないが、いちおう実話であろうと推察したからブログにこうして紹介しておるわけであります。
Aug 22, 2008
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ことしの4月18日に「正式、全面的に建設開始」となった北京上海高速鉄道であるが、すでに4ヶ月が経った。建設開始から5年で完成すると大見得を切っているから、すでに全工程の15分の1が終わってしまったわけだが、この「報道のされなさ」はどうだ。日本のメディアはおろか、中国のポータルサイトを見ても報道がない。どうなっているのだろう。わたしの持論はかねてより「北京・上海のような長距離は、急ぐなら飛行機、時間があるなら在来線で移動すべき距離。日本の太平洋側のメガロポリスと異なり、北京と上海のあいだにこれという大都市群がない中国で、長距離を結ぶ新幹線建設はナンセンス」というものだった。『中国人に会う前に読もう』にも北京上海新幹線への反対論を書いた。その後、原油高騰で航空コストが大幅アップしたので、そろそろ宗旨替えせねばならぬかとは思う。ただ、北京上海高速鉄道が完成しても、中国共産党の幹部が日常的に使うようになるまでは、安全面が心配で絶対に乗らないつもりだが。北京上海高速鉄道は、北京南駅から上海虹橋駅まで複線で1,318キロ。最高時速350キロで、5時間で結ぶという触れ込みである。わたしが乗るなら7時間かかってもいいから各駅停車の「こだま」にしたい。(それもバカらしいから、やはり飛行機だ。)香港の『亜洲週刊』今年5月4日号によると、総投資額は 2,209.4 億元(302億米ドル)で、初期投資の規模としては三峡ダム工事よりも巨額なのだという。
Aug 19, 2008
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中国共産党による報道統制の手法が、より巧妙になってきているらしい。ネット社会ではニュースを隠そうとしても漏れ広がる。そのなかでなおニュースを隠しつづけていると、報道統制をやっていること自体が目立ってしまうわけで、ムリしてシラを切りつづけることもまた中国共産党にとっては一応、恥辱となる。そこで、マイナスのニュースも官製メディアの記者にあるていど詳しく報道させ、ポータル・サイトなどにもこの掲載をゆるす作戦に出た。官製報道を流すことで「共産党は情報を隠そうとしている」という批判は免れる。その一方で、ブログや掲示板の書き込みのほうはしっかり規制を続けて、マイナス情報から生じる「炎上」は阻止するという作戦。官製メディア報道でもって、打ち止め。飛び交う批評さえ阻止すればよい、ということだ。8月14日の『ウォールストリート・ジャーナル』紙に Rebecca MacKinnon さん(香港大学ジャーナリズム・センターの assistant professor)が、彼女が行った実験の結果を書いている。8月11日に彼女は試しに、北京の鼓楼で起きた米国旅行者殺害事件のことを、中国の官製メディアの報道の範囲で中国の多くのブログや掲示板に書き込みをしてみた。数時間たってチェックしてみると、官製メディア報道の範囲で書いた書き込みが次々に消されていた。彼女は7月にも貴州省での少女レイプへの抗議暴動の際に同じような実験をし、同じように、官製メディア報道の範囲で書いた書き込みが次々に消されたという。中国の官製メディアの報道ぶりだけを見ていては、中国の底知れぬ報道規制の実態は分からないということだ。
Aug 18, 2008
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トウモロコシ農場経営者の票をあてにした補助金政策を下支えする 「なにが何でもCO2削減」 論だが、ものには限度というものがある。トウモロコシから燃料用のエタノール (エチルアルコール) を作るのにつかう水の量を知って、たまげた。米国エネルギー省によると、1リットルのエチルアルコールをトウモロコシから作るために2,000リットルの水が必要だ。植物を育て、得られる植物油を加工して1リットルのディーゼル油をつくるためには、5,000リットルから10,000リットルの水が必要だ。6月13日の 『ウォールストリート・ジャーナル』 紙上にネスレ社のブラベック・レトマット (Brabeck-Letmathe) 会長が寄せた Global Drying という評論 (Global Warming の もじり) で、この驚きの数字を知った。農業が いかに多くの水を使うかの表れで、朝な夕なの食べ物もものすごい量の水の産物と思うとありがたみが増す。食糧・食料を粗末にしてはならぬというのは本能に裏打ちされた思いだけど、それは食物の背後にある膨大な水の幻影を見るからだろうか。地球の危機は、温暖化ではなく真水不足にあり。温暖化で死者は増えないが、農業用水の不足、食べる糧の欠乏は人民を滅ぼす。いま行われているような、食糧・植物油からつくる 「バイオ燃料」 は、非道と言わねばならぬ。「化石燃料をだいじに使う」 という常識の健全さ。
Aug 13, 2008
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金沢の 『北國新聞』 はスジの通った論説が強みで、いわゆる「道州制」にも反対の立場。わたしも道州制には反対だ。都道府県の合併で高度な地方自治の受け皿を作るのが本筋だと思っている。いまの 「道州制」 案では区割りが大きすぎて、中央政府の出先機関(たとえば 「九州経済産業局」 「九州厚生局」 「九州運輸局」 のような)が 「道州政府」 の母体となるだろう。道州制の美名のもと、 「九州」 という単位で ひとかたまりになるなら、これまで福岡市で 「全国均一政治の実現」 を目指して九州全域への睨みをきかせてきた中央政府の出先機関が主人公となる。「地方色ゆたかな自治」の母体であった県庁は廃止され、その職員たちは 「中央政府の出先機関」 のそのまた出先の職員になり下がる。なんのことはない、道州制の正体は、中央政府の出先機関が「地方自治」なるものを行うという自己撞着に塗りつぶされた 「霞が関政治の全国津々浦々化」 である。(そうならぬよう、わたしの案では九州は「福岡府」(山口県を併合)、「長崎県」(佐賀県を併合)、「熊本県」(大分県を併合)、「鹿児島県」(宮崎県を併合)、「沖縄府」の2府3県になる。拙著 『日本の本領(そこぢから)』 に詳述してある。)さてさて、中央政府の出先機関の再編すなわち道州制実現である、というホンネが、だんだん表面化してきたらしい。『北國新聞』が8月11日の社説でそういう考え違いを諫めている。 ≪ 国出先機関の見直し 道州制と絡めるのは論外政府の地方分権改革推進委員会がまとめた国の出先機関見直しに関する中間報告を受け、福田康夫首相が 「分権改革は内閣の最重要課題」 と改造内閣でも重要な旗印に掲げたのは当然としても、気がかりなのは出先機関の見直し論議の具体化とともに道州制が分権先送りの理由に使われ始めたことだ。分権推進委の丹羽宇一郎委員長が 「浮ついた道州制の議論に意味はない」 と苦言を呈したように、出先機関改革を道州制と絡めるのは論外である。 これまでの道州制論議は端的に言えば、府県合併と国の出先機関の統合を合わせた形で論じられる傾向があり、出先機関の統廃合は、その受け皿となる広域行政体としての道州制と結びつきやすい。 だが、国出先機関の見直し論議は現行の都道府県制度を前提に進められており、分権推進委が描く改革が実現すれば道州制はいらないことになる。実際、今回の中間報告の中でも、都道府県を超えた広域的な行政需要については選択肢の一つとして 「広域連合」 などが明示され、道州制には触れられていない。 道州制ビジョン懇談会は 2018 年までの道州制実現を打ち出し、自民党の道州制推進本部も2015~2017年の移行を提唱した。目標時期が明示されて分権反対派から出てきたのが 「道州制導入時に一気に分権を進めればいい」 との先送り論である。 国の出先機関は国家公務員33万人のうち21万人を抱え、地方整備局だけで年間8兆円の予算を執行している。二重行政や予算の無駄遣い、官製談合などの問題が次々と明らかになり、統廃合を含めた出先機関の見直しは避けられないだろう。それは国と地方の在り方を抜本的に変える大仕事となる。 第二期地方分権改革のまさに 「本丸」 ともいえる見直しがこれから本格化しようとする時に、現行制度の枠を超えた 「受け皿」 論が一人歩きすれば分権論議は混乱するだけである。ましてや道州制の導入で地方分権を推し進めようなどとする考え方は本末転倒と言わざるを得ない。≫
Aug 12, 2008
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芥川賞受賞作 『時が滲 (にじ) む朝』 に、主人公・梁浩遠 (りょう・こうえん) のおふくろの味として登場するのが 「羊肉泡摸」 (ようにくほうも) だ。単行本だと6ページと129ページに出てくる。(「羊肉泡摸」 の 「摸」 は正しくは 手へんでなく食へん。)6ページの箇所は、こうだ。≪「もうご飯にしよう。浩遠、あんたの大好物の羊肉泡摸 (ヤンローポオモオ) だよ」 母は父の話を遮って、浩遠の手を引っ張って食卓の前に座らせた。「羊肉泡摸、久しぶり、腹が減ったな」 浩遠の顔にやっと笑みが浮かんだ。兄も妹ももう待ちきれない様子で、手で白い、お月様のような摸をちぎろうとしている。≫せっかくの団欒シーンだが、どういう食べ物なのか、この描写ではあまりに素っ気なく、想像の広げようがない。129ページでは、浩遠が父の声を聞きたくなって、日本から中国の実家に電話する。≪「どうかしたのかい?」 父は気にかけて訊いた。「うん、んん」 気がくさる浩遠は喉が塞がれ、否定するのに頭を振って、息が荒くなった。「羊肉泡摸が懐かしくなっただろう? 食べたければいつでも帰って来い」「うん」 荒い息は嗚咽になった。≫大の大人から嗚咽を引き出すほどのソウル・フード (癒しの食)、羊肉泡摸 (ようにくほうも) とは、いかなる食べ物なのか。中国内陸部の家庭料理なので、広東料理・上海料理・北京料理などを出す店ではお目にかからない。さすが東京には、これを食べさせてくれる店がある。「西安刀削麺酒樓」 というチェーン店。(本稿の末尾に店の一覧を掲げたので、参考にしてください。)作中にいう 「白い、お月様のような摸」 ってのは、こんな具合。(「摸」は正しくは手へんでなく食へん。) 西安刀削麺酒樓では、ピザの一切れのように切ったのを出してくれた。こうやって切る前の、丸い形の おやき は正に 「白い、お月様のような摸」 だろう。厚さ1センチほど。小麦粉を固く練って、発酵もさせず ふくらし粉も加えず、そのまま弱火で焼いたもの。これをまず細かくちぎるのであります。そしてそれが厨房に戻され、羊肉と春雨とともに滋養たっぷりのスープで煮込まれて出てくる。ど~ですか。付け合せは、ラッキョウとコリアンダー、豆板醤 (とうばんジアン)。ご覧のとおり 「小粒のすいとん(水団)」 というのがぴったり。食感も、すいとん そのもの。粉をいったん練って焼いてあるので、澱粉がスープにあまり溶け出さないのも、いい。『時が滲む朝』 でも、「羊肉泡摸 (ヤンローポオモオ)」 ではなく、「羊の煮込みスープのすいとん」 と言うておれば、日本語の読者の脳裏にイメージを大いに広げたのではないか。椀の底にひそむ羊のぶつ切りも食いでがあります。スープに豆板醤を加えて、いっそう食が進みます。西安刀削麺酒樓のメニューによれば、 「羊肉泡摸」 は≪お好みの大きさにちぎった西安式ナンを柔らかなラム肉、ヘルシーな春雨と一緒にさっぱりしたスープで煮込んだ西安名物料理。≫なるほど。 「西安式ナン」 ときましたか。日本人には、この説明がいちばん直截 (ちょくさい) で分かりやすい。西安刀削麺酒樓の 「羊肉泡摸」 は、大が1,000円、小が630円。写真は、小。 ひとりなら、これで大満足だ。わたしが敢えて 「ようにくほうも」 と音読みするこの食べ物。西安刀削麺酒樓のレシートを見たら 「ヤンルーポーモー」 と書いてあった。『時が滲む朝』 では 「ヤンローポオモオ」 だが、北京音を正確にカタカナに移せば 「ヤンロウパオモー」 なのだ。こういうカタカナ化のいい加減さが、わたしには許せない。西安刀削麺酒樓の三田店 (下の写真。目下、仮店舗) で撮った。三田店は、港区芝五丁目25-7。電話 03-3769-6568. 年中無休。ほか、虎ノ門店。 港区虎の門一丁目11-10、電話 03-5512-7088. 日曜・祝祭日休み。神田店。 千代田区鍛冶町一丁目5-3 泰成ビル、電話 03-3253-5993. 土・日・祝祭日休み。神保町店。 千代田区神田神保町二丁目26-7。電話 03-3239-4466. 日曜・祝祭日休み。本郷店。 文京区本郷二丁目40-13 本郷コーポレイション2階。電話 03-5842-3118. 年中無休。
Aug 10, 2008
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帝劇ロビー出口あたりにアンサンブルの皆さん20名ほどが並んだ。観劇を終えた人々が握手の列をつくった。ぼくは列に加わりかね、やや離れたところを行きすぎながら目が合った俳優さんたちに会釈した。それだけでも、すがすがしさが胸を駆けた。8月9日の夜の部は、エンジニア 市村正親さんキム 笹本玲奈さんクリス 井上芳雄さんエレン シルビア・グラブさん。これらの役は4名1役のキャスティング。なかでも見逃せない役者さんが勢揃いした公演を選んだ。伝説のミュージカル 「ミス・サイゴン」 だけど、筋書きを調べたことがなかったので、まことにお恥しい勘違いをしていた。ベトナム娘のキムが米国人の「エンジニア」に恋をし、エンジニアの子を宿し、劇の最後にヘリコプターが大使館から飛び立ち、キムとその子がベトナムに残される悲劇……なのだろうと、何となく思っていた。笹本玲奈さんのキムが市村正親さんのエンジニアに恋をしてしまったら、井上芳雄さんが何のためにいるか分からないじゃないか。配役を見たら、悟れよな。市村さんの狂言まわしぶり。円熟が生んだ軽みの一瞬一瞬が濃い。笹本さんが歌いはじめると、2階席にいても心がじんじん沁みた。キムの短い いのち そのものに跳び込んで、泳ぎきった。バンコクの歓楽街パッポンあたりのゴーゴー・バーのお立ち台から玲奈キムがビキニで現れたのには、びっくり。胸もとをそれとなく隠そうとする仕草で初々しさを表わす。そして、愛する人との再会がかなうことを知った喜びが、いなづまのように劇場を明るくした。共産軍の全土占領がもたらした別れの悲劇は無数の人々それぞれを襲ったけれど、「ミス・サイゴン」の悲劇はその先にあるキムだけの悲劇だった。それは、不必要ともいえる犠牲だから痛ましいのだけど、けっして不条理な悲しみの発作ではなくて、愛するいのちが新たな人々によって全面的に受け入れられることを願ったゆえの考え抜かれた犠牲だったから、一層つよく心を打つ。何度目かのカーテンコールで、舞台にひとり現れた市村正親さんに劇場総立ちで拍手を送って、ホールを後にしながらキムの最後の決断の意味を考えるとき、感動が2度、3度と波のように押し寄せた。ほんとに、あとをひく思いをいっぱい残してくれる名作だ。深い満足を得て、夏が終わってしまったような気がしたが、8月はまだまだ終わらない。だって、8月23日には1階席から観るのだ。エンジニアが別所哲也さん、エレンは RiRiKA さん。そしてもちろん、笹本玲奈さんと井上芳雄さんにも会える。さて、劇場のロビーには数多くの役者さんたちの書いた色紙(しきし)も飾られていた。笹本玲奈さん。こちらは新妻聖子さん。沖縄県出身の知念里奈さん。そして、4年前の公演の松たか子さんに代わって、今回「キム」キャストに加わった高知県出身のソニンさん。いずれも、キム役の4人でした。(公演は10月23日まで帝国劇場で。そのあと来年1月5日から3月15日まで福岡の博多座で。)
Aug 10, 2008
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“Hiroshima mon amour” (ヒロシマ、わが愛) を意識したのであろう邦題 「天安門、恋人たち」。原題は 「頤和園 (いわえん)」、英題 “Summer Palace”だ。平成18年の作品。中国では上映禁止になっている。物語は昭和62年から平成12年にわたる。『時が滲 (にじ) む朝』 もそうだが、平成元年6月の天安門事件前後を描いた部分が世間的には注目を集める。しかし、ほんとうの読みどころ・見どころは、6・4事件から10年以上を経たあとの、それぞれの人生、それぞれの思いだ。それこそが、予想を裏切り想像を飛び越え、読む者・見る者の心をゆさぶってくれる。大学にほど近い、清朝末につくられた頤和園の人工湖にただ1艘のボートを浮かべて、うつくしい娘、余紅 (よ・こう) と、もの静かな青年、周偉 (しゅう・い) が、もっとも自然の姿で並んで横たわる、その水の静寂。心の奥に残る映像だった。作品原題が 「頤和園」 なのも、納得がいく。若さは盛んな行動を伴うけれど、内面は意外にも虚無の洞 (ほら) だったりするのだ。暮れてゆく頤和園の水のように。11年後の再会はその逆で、ふたりの外面は虚無がおおうけれど、内面は激しく逆巻く。映像化しがたい内面を、ふたりがたたずむ河北省・北戴河 (ほくたいが) の砂浜に寄せる荒波が表現してくれた。田舎町で心と体を寄せた相手からタバコを吸うことを習った娘、余紅は、北京に出てきてからも、男に心を開いては、くずおれ、突き上げられる。素朴なセックスが点景のように見えては消えてゆく。「え、また?」 とさえ思えるセックスシーンの頻繁さに、いかなる必然性があるのか、最後になって合点がいく。乾ききった映画 「バベル」 のように、最終章でこの映画 「頤和園」 は人間の心のずたずたを実にドライに描くのだ。砂漠のかさかさした音が聞こえてきそうなほどドライに。ふたりがふたたびセックスで互いを確かめ合うのだろうという想像をみごとに裏切る構成には、負けた。余紅を演じている女優の赫蕾 (かく・らい) さん (正確には 「赫」 は 「赤+おおざと」) は、笑うと田中美佐子さんのように愛くるしい。思春期さえ香る歓びも、あらゆることばを拒絶する空しさをも、よく演じ切った。昭和53年、吉林省生れ。平成12年に上海演劇学院俳優科を卒業している。本格女優としてこれだけの表現力があって、からだをここまでさらけ出して。「バベル」 の菊地凛子 (りんこ) さんを思い出した。相方の周偉を演ずる郭暁冬 (かく・ぎょうとう) さんは、若いころの山崎 努さんを思い出させる。シャイな表現ぶりには、ときに いささかの ひ弱さも感じたが、物静かな外面と内にこもった情感の重層を演じて、知性的な役柄をよくこなしていた。昭和49年、山東省生れ。平成12年、北京電影 (=映画) 学院俳優科卒業。天安門事件のころ、わたしも北京に駐在していた。時代考証的には、街の酒場や学生寮のようすがいささか新しすぎる。(学生さんたちのセックス環境は外国人にはうかがい知れぬ世界で、コメントのしようがないけれど。)燃え上がる軍用トラックに石を投げつける学生群像は、ひとつの象徴としてリアル。そこに銃声が聞こえ、やがて現れるロボットのような共産党軍の兵士らは銃口を上に向けて、空砲を撃っている。実際には、天安門に達するまでに一部の兵士は銃口を横に向けて実弾を撃ち始めたのだが (当時わたしの親しかった中国人の息子も、路地に潜んでいたところに流れ弾がきて臀部に重傷を負った)。空砲を撃つ兵士にとどめたことで、無用な政治性から自由になった。目下の中国共産党にとっては許容範囲外だとしても、映画 「頤和園」 に、中国共産党糾弾のメッセージ性はない。時代をかけぬける女と男のギリギリのところを切り取った秀作だ。(渋谷の シアター・イメージフォーラム で上映中。秋には、大阪の第七藝術劇場、名古屋のシネマスコーレでも上映予定。)
Aug 8, 2008
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フィリピンでは大型の発電所プロジェクトを2件担当したことがあり、それぞれ思い出深いのだけど、当然、というか、いずれもマニラのあるルソン島の案件だ。ミンダナオ島にも小さめの案件があったが、誰もはなからフォローしなかった。昔々昭和47年に始まったイスラム・ゲリラの叛乱で治安が悪化してなかなか改善が見えず、出張もままならないところだったから。(けっきょく中国勢が受注した。)今頃になって知ったのだが、叛乱が起こったのは、フィリピン政府の後押しのもと、昭和20年代からルソン島やヴィサヤ諸島のカトリックの農民がミンダナオ島へ入植して、イスラム教徒がもっていた土地を体よく召し上げてしまったことに根本の原因があった。和解プロセスの一環で、さる8月5日、フィリピン政府と「モロ・イスラム解放戦線 (Moro Islamic Liberation Front, MILF)」が自治権拡大の覚書に調印しようとしていた。ところが直前の8月4日にフィリピン最高裁判所が「違憲の疑いあり」と言い出して自治権拡大の覚書調印を差し止め、8月15日に公聴会を開催することになった。土地所有権の剥奪を恐れるカトリックの地主や政治家が最高裁を動かしたのだ。ここはアロヨ政権に踏ん張ってもらいたいものだ。MILFは、米国もテロリスト集団には指定せず、一人前の政治勢力として扱っている。昭和20年代以来の利害のドロドロをどうかうまく解きほぐして、ミンダナオ島をふつうの南洋の島に戻してほしい。昭和10年代にはミンダナオ島のダヴァオに日本人の大コミュニティができていた。そういう平和な島だったのだから。
Aug 7, 2008
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大東亜戦争の激戦の地、ガダルカナル (Guadalcanal) 島に日本軍、つまり自衛隊が平和上陸できるかどうか、8月19日の 太平洋諸島フォーラム 総会で決まる。事務局はフィジーにある。英文名は Pacific Islands Forum で、オーストラリアを含む16ヶ国が加盟している。ガダルカナル島のある独立国「ソロモン諸島」は人口50万人あまりの独立国だが、平成14年に政府が崩壊したため、秩序維持のためにオーストラリア軍が駐屯している。これに自衛隊も加わろうという話だ。南太平洋の島々は、日本からのODAの金額が減る一方、中国が台湾の外交攻勢を阻止すべくカネをばらまいている地域だ。日本が自由主義国の一員として、こうして一段レベルを上げた国際協力をして存在感を示すことは大きな意義がある。ガダルカナル島で落命した2万人の日本人将兵への、何にもかえがたい供養になると思う。
Aug 6, 2008
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製作者に名を連ねるフジテレビが朝のワイドショーで、試写会で何度笑いを取ったかを数え上げ「とにかく笑える映画」とPRしていた 「ザ・マジックアワー」。不思議の国のようなセット。劇中映画のかずかず。演劇気分が溢れ、映画を作ることへの愛が炸裂しているところは、まぎれもなく三谷幸喜作品だけど、ぼくには、伊丹十三映画の生れ変りのように思えた。ひとの心が理屈をすっ飛びぬけて迷走し、誤解と偶然が生み出す 「あれれれ」な展開のディテールをとことん楽しむための映画。スタントマン稼業の村田大樹 (佐藤浩市 こういち さん) が、恋多き暴力団員の備後びんご (妻夫木聡 つまぶき・さとし さん) に映画の撮影だと騙されて、名うての殺し屋を堂々演じはじめる。その殺し屋を無き者にしようとたくらむ暴力団ボスの懐に飄々ととびこんで。暴力団ボス (西田敏行さん) は、ゴム製の拳銃で本物のギャングと渡り合って平然としている村田の度胸に仰天する。勘違いが勘違いを生むからとてもおかしいのだけど、それは 「笑い」 というよりむしろ、凝りに凝って作ったルートを転がり落ちてゆくビー玉を目で追ってゆく楽しさといったらいいだろうか。ふつうこういう映画は伏線探しの楽しみを求めてもういちど見たくなるのだけど、「ザ・マジックアワー」 は材料を骨の髄まで嘗め尽くすように料理していて、十二分に満腹して映画館を出た。水戸黄門の渥美格之進 (格さん) 役で活躍していた伊吹吾郎さんが、訳知りで思い切りのいいバーテン役をやっている。プログラムを読んでいたらその伊吹さんが、主演の佐藤浩市さんのことでこんなことを言っていた。≪三谷監督の脚本である 「新選組!」 の撮影現場での事、佐藤さん扮する芹沢鴨が年老いた浪人を罵倒するシーンがあったのですが、その場面が終わるやいなや佐藤さんがその役者さんに近より、深々と頭をさげ、「役柄とはいえ、失礼な事を言い、大変申しわけありませんでした」と わびておられた時、また胸の奥が温かくなりました。≫ほめられている佐藤浩市さんにも、ほめた伊吹吾郎さんにも、ほれちゃうなぁ。
Aug 3, 2008
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この映画 「ぼくの大切なともだち Mon meilleur ami」 を、フランスではのべ450万人が見たというのだから、国民性の違いを改めて感じた。≪人を信じすぎて傷ついてきた男と、人を信じず傷つけてきた男。2人に芽生えた小さな奇跡の物語。≫と、宣伝ビラにある。この ≪人を信じず傷つけてきた≫ 主人公の美術商フランソワ(ダニエル・オートゥイユさん)は、傲慢ゆえにほんとうの友だちがいないという設定だ。しかし映画のなかの彼は、一生懸命の不器用な気配りが不発におわったり裏目に出たりというほどのことであって、言うなれば金持ちになった車寅次郎みたいなものだ。気取った微笑をたたえつつ「お前の葬式には誰も行かない」と平然と言い放つ仲間たち(これがフランスでは「ふつうの人々」らしいが)のほうが、百倍もイヤ味な存在だ。この「ふつうの人々」のずけずけとした残酷さが随処に出てくるのがこの映画。フランスのふつうの人々というのは、なんと難しい人たちか。「傲慢で気配りが粗忽で友だちがいない」という設定の主人公フランソワがじたばたする姿のほうが、その他おおぜいの「ふつうの人々」よりもよほど愛すべき共感の対象になる。ヘマというヘマが、車寅次郎ふうなのだ。自分にはフランス人の友だちはできないだろうと確信して映画館を出た。村の楽隊が奏でるような素朴な音楽は絶品だった。(8月8日まで、渋谷の Bunkamura ル・シネマで上映中)* * *で、ぼくにとって 「だいじな友だち」 とは?胸に手をあてて自問すると、ぼくが求めるのはあくまで共同作業の仲間であって、それ以上の、「人生を語りあう」みたいな関係は、ベタつき感がいやで本能的に忌避してしまう。ほれた女は、べつだ。いしょうけんめい話をして、すべてを求めてしまう。ベタついてもいいからだろうか。すべてを求めても、与えられるものは少ない。「ザ ダンス オブ ザ ヴァンパイアズ」 か 「ザ ファントム オブ ザ オペラ」 めいているか。
Aug 3, 2008
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