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いい舞台だった。だから、観るなりの準備をしてから観劇すべきだったと、申し訳なく思った。チェーホフの名作戯曲『かもめ』についての予備知識ゼロで劇場の席についてしまったのである。登場人物は一方通行の恋慕の火花をいくつも散らしながら右往左往し、何かの中心に引き寄せられることなく、したがって図太いストーリーがあるわけでもない。長いセリフの数々は、ひとつひとつ味があるのだけど、ストーリーへの関連は必ずしも明らかでない。『吾輩は猫である』のなかの講釈みたいな饒舌。予備知識なしで「かもめ」を観たぼくは、ストーリーを掬いあげようとして疲れきってしまった。(席が2階の最上層、舞台から最も遠い場所だったのも無謀だった。こういう濃密なストレート・プレイは、もっと近くから観るべく気合を入れて切符を取るべきだった……。)第3幕まで演じられたところで幕間の休憩となって、プログラムを買って目を通した。登場人物の相関図を知り、そもそもストーリーらしいストーリーのない芝居であることを知ったところで第4幕を観たら、俄然おもしろかった。悲劇なのに喜劇に仕立てる横紙破りな勢いがいい。予備知識を持って観れば、第1幕からおもしろかったろう。悔しいから、もう1度観たい。「かもめ」が何度も上演されるのも、うなづける。能舞台を思わせる舞台美術が冴えていた。2階席だったからよく分かったのだが、三角形の演劇空間から4つの渡り廊下が左手へ2本、右手へ1本、奥へ1本渡されているような造りだ。第1幕は、湖のほとりに急ごしらえの仮設舞台が設けられ劇中劇が演じられるのだが、何もないところに湖が見えてくるから不思議だ。そして劇の最後に起こる「事件」。劇のなかの唯一の事件らしい事件は、舞台から見えないところで起こったにもかかわらず、舞台上の鮮烈な照明によって観る者の心のなかに残り、意味を自問させ続ける。舞台美術がシンプルだからこそ、照明効果が十二分に生きた。鹿賀丈史さんの演じる作家トリゴーリンは、沈着さのなかに熱情がほの見える魅力的な存在。登場人物のなかで比較的分かりやすいキャラクターだったからか、小島 聖(ひじり)さんの「黒い服のマーシャ」が気にいった。麻実(あさみ)れい さんの演じる女優アルカージナの懲りない「いたぶり役」ぶりも堂に入っていたけれど、劇前半の素っ頓狂な叫びの甲高さが時として耳障りだった。あれは、わざとそういう演出だったのだろうか……?藤原竜也さんの主役トレープレフは、ぼくが観た舞台では やや深刻みが勝ちすぎていたように思うが、これからだんだん遊びが入って練れてゆくのだろうか。赤坂ACTシアターの売店では、プログラムや関連グッズとともに、沼野充義(みつよし)さんのみずみずしい新訳「かもめ」を掲載した『すばる』7月号も売られていた。登場人物解説には、藤原竜也さんをはじめとする今回の配役も書かれている。プログラムを買うなら、こちらも一緒に。いつの日か『かもめ』のロシア語原作も読んでみたい。「ロシア語もやっておいてよかった」と、きっと思わせてくれるに違いない。
Jun 29, 2008
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海の大食漢、鯨が、アメリカ・オーストラリアで同情を集め、一部の自称「環境保護団体」が生活の糧(かて)にもできる理由のひとつは、鯨が、鳴くからではないだろうか。無言の巨体が遊泳すれば不気味なだけだ。あの哀感を帯びて聞こえる虎落笛(もがりぶえ)のような鳴き声で相当トクをしている。もし魚が盛大に鳴いたなら、世界はどう変わったろうと時々想像する。地引網(じびきあみ)漁など、すごいことになる。何千匹もの鰯が一斉に甲高い声で鳴きながら砂浜へと上がってくる。カモメが数百羽、一斉に断末魔の声を上げる状況を思い浮かべよ。隣の人が声をかけてきても聞こえないくらい、うるさい。鰯の大群は、砂浜に上げられて一時すると、圧死したり窒息死したりして急速に静かになる。それでもしぶといのが鳴き続ける。ふと後ろを向くと、自称「環境保護団体」がFISHING SARDINES IS CRUEL(鰯漁は残酷だ)という横断幕を持って立ち、PR用のビデオを撮っていたりして、ね。もしも、魚が鳴いたなら。民族によっては「魚はうるさい」といって、湖や川に毒をまいて騒音源を絶滅させる、なんてことをやるのではないか。まあ、そうしているうちに静かな魚が生き残る、かな?それを人々は「進化」と呼ぶか。
Jun 26, 2008
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「市民運動」「人権運動」「平和運動」は、いずれも高貴な理想から出発したのに、さまざまな思惑の政治勢力がときの政権への異議申し立ての具に使い、挙句の果てはいろんな利権にも結びついて、すっかり胡散臭いものになった。ことに 「市民運動」 など、言葉のとりすましたイメージが却って醜悪感を呼ぶ。ぼくは 「住民運動」 という言葉に換えている。「住民運動」 のほうが、まともに響く。こういう 「運動」 ものを裏で指揮しているのが、ご当地の住民ではなく、東京など大都市の政治団体・準政治団体の 「市民」 殿であるとすれば、市民殿が、ご当地の住民どもを煽動し操り動かし、ないしはご当地の住民に化けて 「運動」 しているから、「市民運動」 なのだ。市民殿にとってご当地の住民どもは、争いを進めるための手段にすぎない。住民は主人公ではない。だから、 「住民運動」 ではないのだ。「住民運動」 でなく 「市民運動」 と呼ぶところに、市民殿とそれを支持するメディアのホンネが見える。そういう嫌らしい構図の臭いをぷんぷんさせた言葉だから、 「市民運動」 は嫌いだ。原点を主張しつづける 「住民運動」 という言葉が好きだ。「市民運動」 という言葉を新聞やビラで見たら、「なぜ <住民運動> ではないのか?」考えてみよう。
Jun 25, 2008
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Me And My Girl は、ぼくをミュージカルにはめてくれた作品。毎日見てもいいくらいだ。よく、死ぬ前に食べたい食べ物は? というアンケートがあるけど、ぼくは食べ物などどうでもよくて、「ミー&マイガール」を見て死にたいよ。第1幕の締め「ランベス・ウォーク」というナンバーのノリで、文句なしに元気が出る。貴族のパーティー。ホスト役は、先代の落とし胤(だね)、下町ランベス育ちのビルことウイリアム・スナイブスン。そこに恋人サリーと下町の仲間たちが派手な格好で闖入(ちんにゅう)する。ホスト役のビルが「貴族流に振舞おうとする自分はやっぱり場違いさ。下町ランベスでは、こうやって生きてるのさ。歩き方ひとつでも……」といって歌いだすのが The Lambeth Walk だ。はじめは ビル+下町の仲間たちで歌い踊っていたのが、いつしか 取りすましていた貴族たちも召使たちも みんなツラれて踊りだしてしまう。きっと、イギリス人にとって「俺たちみんな英国人さ!」の共感に包まれあうためのサイコーのナンバーなのだろう。だからこそ国難の時代、昭和12年から1646回のロングラン公演を女王陛下もご覧になったのだろう。きのう東京宝塚劇場の月組公演に行ったら、公演のCDとDVDが前日に発売になったところだった。(ミュージカルの神様、ありがとうございます!)東京公演に先立つ宝塚大劇場での公演を収録したから出来る早業(はやわざ)だ。いいナンバーがいっぱいあるのだけど、しみじみ じんときたのが、彩乃(あやの)かなみ さんのサリーが歌う Take It On The Chin.彩乃かなみさんは今回の「ミー&マイガール」で宝塚歌劇団を退団する。彼女にとって、宝塚とのお別れという切ない思いがある公演だ。Take It On The Chin は、恋人のビルが思いがけず貴族の世継ぎの地位を得ようとしているのを前にして、断腸の思いで身を引く決意をしたサリーの思いを歌っている。じたばたせずに、顔には微笑みを絶やさずにいようと。ビルとの別れをせつなく思う気持ちが、宝塚歌劇団とのせつない別れを前にした彩乃かなみ さんの今と、どこか重なっているからだろうか、きれいな指で心をいたぶられてしまった。この take it on the chin というのは英語のイディオムで、accept something unpleasant in a brave way without complaining(不本意なことでも潔く不平不満を言わずに受け入れる)という意味のインフォーマルな表現。日本語でいえば 「じたばたしない」 あたりだ。ところが、これはもう痛恨の誤訳の領域だと思うが、宝塚公演ではこれを直訳して「アゴで受けとめる」と訳しているのである。これが男役のセリフなら許せるが、可憐なサリーの唄う歌に「アゴで受けとめる」はないだろう。≪ちょっとした知恵 悲しみ受け流す知恵アゴで受けとめてニヤリとしてから スマイル≫この歌詞は絶対的違和感があるのだが、おそらく20年前の昭和62年の本邦初演以来、こう訳されてきたのだろう。「アゴで受けとめて」という8音節は、「じたばたしないで」と訳せばよかった。成句にこだわるなら、日本語では「歯をくいしばって」(8音節)となるが、「歯をくいしばってスマイル」では表現として失格だ。次の公演では「じたばたしないで」に直してほしい。このナンバーは、平成18年6月の帝国劇場公演では笹本玲奈さんが歌った。歌詞は覚えていないのだが(プログラムにも採録されていない)、なんとなく「あれ?」という感じがあったのを覚えているので、きっと「アゴで受けとめて」的な誤訳は共通していたのではなかったか。そのときの笹本玲奈さんの振付は、あまりにファミリー・ミュージカル的だった。「スマイル! スマイル!」というところで両手を広げて頬にそばだてて「お日さまで~す」のポーズをさせられていた。あそこだけは、見ていてはずかしかったのである。これは笹本さんが悪いのではなく、当時の振付の玉野和紀さんの責任だけどね。玉野さんは、日頃いい仕事をしておられるのに、玉に瑕(きず)が出てしまった。宝塚公演では「スマイル! スマイル!」もごく自然な身振りで、彩乃かなみさんの気持ちがそのまま伝わった。2年前の帝劇公演で笹本玲奈さんは「よい子」を抜け出せずに、下町のサリーも品が良すぎた。彩乃かなみ さんのサリーは生成(きな)りにアバズレていて、まさにあるべきサリーだった。第2幕最後の笹本玲奈さんのサリーはダイアモンドをちりばめたように輝いていて、あの女神のようなサリーは誰も超えられない。彩乃かなみ さんのサリーも品格が際立っていて、月組でヒロイン役をつとめてきた彼女にまことに似つかわしいエンディングだった。瀬奈じゅん さんの演じる やんちゃ貴族のビルは、いたずらぶりが冴えわたっていて、帝劇版の井上芳雄さんもハダシだ。妖艶なジャクリーンを演じていたのは明日海(あすみ)りお さんだった。恵まれた容姿に加えて、演技に遊びを交える余裕も持ち合わせている。彩輝(あやき)なお さんを思わせる、すばらしい才能だ。明日海りお さんは、6月3日の新人公演のほうで男役のビルを演じている。藝の幅も広いのだ。明日海りお さん、きっとトップスターになるひとだと思う。このスウィートなミュージカルに、快い塩味というか隠し味というか、ちょっとハズしてホッとさせてくれる存在が弁護士セドリック・パーチェスターだ。今回これを演じているのが、宝塚の専科所属のベテラン未沙(みさ)のえる さんだ。このパーチェスター役は、満座の前で意を決して「ドジョウすくい」を踊り始めるようなところがあって、よほど気合を入れてやらないと観ているほうが恥ずかしくなってくる。この実に難しい役を、21年前の昭和62年につとめたのが、やはり未沙のえる さんだった。みごとな歴史を背負った配役で、絶品だった。この次、帝劇で「ミー&マイガール」をやるとき、宝塚から一人出向していただくとしたら、未沙のえる さんの弁護士パーチェスターだ。(公演は、東京宝塚劇場で7月6日まで。わたしは8時40分から並んで15時半開演の立見席当日券をいただきました。)
Jun 22, 2008
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先週月曜の会社での出来事がずっと気になっていたのだが、ようやく「オチ」を見つけたので書くことにした。エレベーターに6人ほど乗っていた。以前いっしょの課にいた50代前半の人を背にして立っていたら、後ろから「泉って、なんでそんなに髪が黒いの?」と聞いてくるではないか。エレベーターのなかで「染めてます」なんて、恥ずかしくて言えるか。隠すために染めてるんだから。まさか「昆布を毎日たべてるんです」なんて答えを期待していたのだろうかネ。女性に「なんで、最近まつ毛が長いの?」と聞くようなものだが。ひとまえで「マスカラつけてます」なんて言わせてみろ。夜道で脳天を叩き割られるだろう。これが同僚か年下の相手なら「バカなこと訊くな」で終わりだが、相手は年長者だからそれは言えない。しかし頭には「愚」の字が乱舞し、口からついて出たのが「それって、愚問じゃないスか?」言ってから、自分のことばのきつさに、自分で戸惑った。かと言って、言い過ぎたと謝ることもないと思った。だって、まぎれもなく「愚問」だ。「それは愚問ですね」じゃなくて「それって、愚問じゃないスか?」と、いちおうは口調にクッションも入れたし……。先方に悪気がないのは分かっていた。ただ愚かなだけ。でも「それって、愚問じゃないスか?」は、きつかった。模範的な受け答えは何だったんだろう?■昨日、エレベーターに乗っていたとき、隣にいた同僚に後ろから元ニューヨーク駐在の某氏が突っ込みを入れてきた。「◎◎君も髪がずいぶん白くなってきたじゃないか」そもそもこういう、人を見下す目線というのが気に食わない。このテの突っ込みを入れて先輩風(かぜ)を吹かす人間をぼくは軽蔑するが、同僚の受け答えはよかった。ひと呼吸おいて「苦労してるんですよ……」と、ゆっくり一言。あぁぁぁぁこれ、つかえる「泉って、なんでそんなに髪が黒いの?」「……苦労が足りないんですよ」とゆっくり言ってやればよかった。会社での受け答えとしては満点だ。「エレベーターのなかですよ」という無機質的な答えも考えたのだが、「苦労が足りないんですよ」という はずし方に軍配だ。40代かそれ以上の男性の場合、「苦労してるんですよ……」「苦労が足りないんですよ……」は、どちらを遣うかさえ間違わなければ、どーでもいい突っ込みに対する ほぼ万能の受け答えことばになる。
Jun 20, 2008
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あれは小学校の理科だったか、それとも中学校の化学だったか、教科書に出ていた実験がけっきょく実演されなかったのがいまだに残念だ。木炭を太いガラス管に入れて下からアルコールランプで蒸し焼きにする。すると、ガラス管の端からガスが出てくる。火がつく。たぶん、木炭からしみ出るタールがガラス管にこびりついて、後始末がたいへんなのだろう。それを大規模にやろうとしているのが、石炭ガス化だ。石炭をそのままボイラーで燃やして蒸気をつくって蒸気タービンを回すのが従来の石炭発電。新方式は、石炭を反応炉のなかでガス化して、そのガスを吹き入れてガスタービンを回し、余熱で蒸気をつくって蒸気タービンも回すという「1粒で2度おいしい」世界を目指している。効率アップで、二酸化炭素排出が相対的には減る。だから、先進国の発電プラントメーカーはこの「石炭ガス化複合発電」技術の実用化に全力を挙げている。従来型の、石炭を微粉にしてボイラーで燃やすタイプの技術は、1世代前に開発研究が頂点に達してしまい、今では中国メーカーでも最高仕様のものが作れる(基幹部品は日本などから輸入するのだけどね)。だから先進国メーカーは石炭ガス化複合発電に活路を求めている。もちろん、それを売る我々の目も飛び出る高価なものだけど。開発費用を回収しないといけないからね。「石炭をガス化する」化学プラント的な新規部分がお高いのである。日本経済新聞6月17日夕刊1面に、石炭を地中でガス化する次世代技術開発のことが報道されていて、発想の転換にあっと驚いた。石炭というのは、確かに地中でも燃えるのである。中国の山西省では、地表ちかくにある地下の石炭に火がついてくすぶり続け、これを消火することができず手がつけられない状態になっている地域があると、『ニューヨーク・タイムズ』紙で読んだことがある。日経報道の次世代技術は、もっと深い地下にある石炭鉱脈に酸素を吹き込み不完全燃焼させ、水素と一酸化炭素などからなる燃焼ガスを発生させて取り出そうというもの。石炭層の上下にある硬い岩盤が、天然の圧力容器となってくれる。これには、うならされた。≪採掘した石炭をガス化する従来手法に比べ、初期投資は10分の1で済む。5年後をメドに実用化を目指す。≫≪地下深く採掘の難しい石炭を有効活用できる利点もある。≫≪2010年までに試験設備を国内の炭坑に設置し、実効性を確かめる計画で、利用価値の高い天然ガスや水素の割合を増やす技術を開発する。地下水汚染や地盤沈下の防止技術も手がける。≫自分が商社にいるうちには商業化は間に合わないが、こういう未来技術の開発に一生懸命取り組む人たちの息づかいが聞こえるような気がして、わくわくさせられた。
Jun 19, 2008
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「たばこと健康を考える議員連盟」も立ち上がり「1箱 1,000円」タバコが話題だが、今朝の「めざましテレビ」ではニューヨーク州ではタバコ1箱 900円と報じていた。ネット検索してみたら、ニューヨーク州ではタバコへ1箱あたり2.75ドルの州税がかかる。全米で最も高い。(CNN報道 「たばこ税が全米一に、禁煙を考える喫煙者増加と NY州」)州税が2番目に高いのが南隣のニュージャージー州で、1箱あたり 2.58 ドル。逆に最も安いのがミズーリ州の1箱 0.17 ドルだ。ニューヨーク州では1箱10ドル(1,080円)のタバコもお目見えということだが、10ドルから州税の 2.75 ドルを引いても 7.25 ドルだ。みんながドサクサ紛れにコストや利益をタバコ価格に乗せまくっている感じだ。わたしは10年ほど前からタバコはほとんど吸わない。(ほとんど、というのは、ごくたまに女の子に誘われて吸うことがあるのだ。男とは吸わない。ひとりでも吸わない。)だから、こうやって喫煙者が減り1人1日の本数も減りして、さらに煙害訴訟がトドメを刺すかたちでヨレヨレの衰退産業化するのが、タバコの未来だと思っている。そういうなかで 日本たばこ産業(世界第3位)が世界第5位の英国ギャラハー社を2兆2500億円出して買収する と平成18年12月に発表 したときには、「あぁあァアぁ、メリル・リンチの口車にJT勤務の無責任官僚たちが踊らされて、よりによって衰退産業で日本経済史上最大の会社買収のバクチかよ……」と思ったものだ。先進国ではこれ以上儲からないから、英ギャラハー社が強いロシア・東欧などで喫煙者を搾取して利益を上げようという話で、無謀かつ不届きなる発想だ。あの話、その後どうなったのだろう。話をまとめたメリル・リンチの担当者らは巨額の報酬を得てとっくにリタイアしているだろうけど。( 当時の英タイムズ紙報道 ではメリル・リンチ社が得た手数料は 2500 万ポンド、53億円だったという。案件規模にしては、案外安い? あぶく銭だけど。)巨額投資で損失を出せば、まずはタバコの価格を上げて喫煙者から回収することになるはずだが、投資話が発表になったとき世間は静かだった。当時の報道では、日本たばこ産業株式の 50.02 %はわが中央政府が保有していて、2兆円を超す巨額投資が万一失敗すれば政府保有株式の価値が下がり、国民の資産も目減りするのだ、と説明してあったが、世間は静かだった。国民全体の財布に直結する、(わたしから言わせれば)世にも愚劣な会社買収の一件。その後とんと報じられないのはなぜだろう。英企業買収はやっぱり止めたのかしらん。==Wikipedia で Gallaher Group を見たら、平成19年4月18日付けでギャラハー社は日本たばこ産業の100%子会社になっていた。嗚呼!
Jun 17, 2008
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低開発国の飢えたる子供たちへの援助食糧として最良のものは何か。現状では、栄養強化した小麦粉が援助食糧の主力だ。国際機関による援助で使われる標準品になっている。栄養からいえば、とりわけ3歳までの子供たちには粉ミルクが望ましいのだが、不衛生な水に溶かしてそのまま飲んだり、溶かしたミルクが腐敗したのを飲んだりすることになり、そのためにかえって命を落とす子供がいる。ミルクは援助に使えないのか?10年前にフランス人のアンドレ・ブリアン(Andre Briend)氏が考案した画期的な栄養食品がある。粉ミルク、すりつぶしたピーナッツ、油脂、砂糖、ビタミン、ミネラル類を混ぜ合わせたもの。保存も容易で、食べるとき水を加える必要もない。(宇宙食みたいですね。)パウチ包装から直接食べられるから、栄養不良の子供を入院させることなく、家で養生(ようじょう)させられる。これが大事なポイントで、救える子供の数が格段に増えるのだそうだ。栄養不良の子供に与えると、9割以上の子供が回復に向うというからすごい。まことにいいことずくめなのだが、栄養強化小麦粉に比べてコストがかかることもあって、「粉ミルク+アルファ」のペースト食品を与えるのは栄養不良が深刻化した子供たちに限定するよう、国連も米国も指針を定めているのだという。低開発国の栄養不良児2千万人のうち、ミルクペースト食品の恩恵にあずかれるのは、わずか3%の60万人だ。援助食糧の質的向上を図ってほしい……と、国境なき医師団(Medecins Sans Frontieres, Doctors Without Borders)のスーザン・シェパード(Susan Shepherd)さんが訴えていた。ちょっと古いが今年1月30日の 『ニューヨーク・タイムズ』 紙。記事によれば、米国は援助用食糧の世界最大の供給国なのだという。きっと、援助用の小麦粉の買い上げが、米国では政治的支出として確立していて、今さら品目を変えられないのだろうなぁ。日本も、国内の酪農農家と米作農家の援助を兼ねて、粉ミルクと米の粉などを混ぜた援助用ペースト食品が作れないものだろうか。パウチ包装には直接、日本の国旗とAID FROM JAPANの文字を印刷しておく。どう横流しされても、パウチ包装から食品を摂取するわけだから、PR効果は絶大だ。ODA予算を使って、日本国内の酪農家・米作農家・食品メーカーを潤しつつ、製品は政府広報の尖兵としてよく働いてくれるだろう。いけると、思いませんか。
Jun 15, 2008
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きのう6月9日は新聞休刊日だったから、駅売り一般紙は SANKEI EXPRESS 紙だけだった。以前『産経新聞』本紙が新聞休刊日に「宅配なし・駅売り限定」で出されたときは、危機感を募らせた他紙がしつこく「休刊日なのに宅配ありの特別号」を出しつづけた。けっきょく皆んな疲れて「止め」になった。毛色のちがう(そしてまだ部数も少ない) SANKEI EXPRESS 紙は、業界(=ナベツネ…?)から新聞休刊日駅売り発行のお許しが出たようだ。その新聞休刊日を前に、けっして許せない陰惨な事件が起きた。SANKEI EXPRESS 紙の腕の見せ所だったのだが、1面見出しが失敗だった。≪「オタクの聖地」凍った≫と大きな明朝体。小さな小さな副見出しが≪秋葉原通り魔 7人死亡、10人けが≫。新聞というより日刊雑誌志向の SANKEI EXPRESS 紙のカラーを出そうとして考えに考えてつけたのであろう大見出し≪「オタクの聖地」凍った≫。文字通りオタクすぎる見出しだ。凝りすぎて、浮いた。駅売りで買ったわたしは、このあまりにオタクな大見出しの新聞を電車のなかで広げる勇気がなかった。大見出しと副見出しが逆でもよかったのではないか。もっと「普通の新聞らしく」てもいいと思う。本文冒頭も≪オタクの聖地アキバの愛称で知られる東京・秋葉原で8日昼、……≫とあるが、この始め方があまりに軽い。痴漢事件ていどなら結構だが、今回のような大事件の第一報として書く記事、つける見出しは、もっと無機質的なほうがよかった。せっかく他紙が出ていない休刊日に出せているのだから、号外を出しているつもりで紙面整理をしてほしかった。SANKEI EXPRESS 紙は横書きの特性を生かして、見出しに横文字を入れることがあるのだが、それも賛成しかねる。駅売りで2つ折りで新聞立てに並ぶと、横文字だけが見えてパッと見、英字新聞のように思えるときがある。駅売りでアピールするよう、1面と最終面の紙面レイアウトや見出しのつけ方を工夫したほうがいい。コンパクトで読むところも結構多く、ほんらい駅売り向きの SANKEI EXPRESS 紙なのに、潜在する実力を発揮できていないのが惜しまれる。
Jun 10, 2008
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思い出したのは、NHKが長年かけて開発していたアナログの「高品位テレビ」がデジタルの「ハイビジョン」に席を譲ったときのことだった。デジタルコンピューターと通信が融合することが見えたところで、アナログの高品位テレビの負けは決まった。しかし、せっかくの投資が無駄になるという「メンツ」の次元に議論は堕ちた。アナログ高品位テレビの研究は、いっときずるずると続いた。水素を使う燃料電池車も、アナログ高品位テレビのようなものではないかと思えてきた。白金(はっきん)などの高価なレアメタルの使用が災いして、燃料電池車は1台1億円とさえささやかれている。レアメタルの稀少性は増すばかりだから、燃料電池車というのは原理的に無理なのではないか。6月7日の日経夕刊1面で、まったく別の発想の水素カーが紹介されていた。コストの観点からも実現性に手が届く発明だ。「水素を混ぜることでガソリンの燃焼性能が増し、二酸化炭素の排出量を減らせる」という原理が出発点になっている。ガソリンに3%だけ水素を混合すれば、通常のガソリン車に比べて二酸化炭素を約3割削減できる、とある。どういう原理なのだろう。勉強してみたい。既存の車をガソリン・水素の混合燃焼車へと改造する費用がわずか20~30万円というから、ちょっと行政が支援すれば爆発的に広まる可能性を秘めている。カギになる「水素の運び方」も優れている。液体水素を運ぼうとすると冷却コストがかかる。だから、水素をトルエンなどと化合させて液体化した「有機ハイドライド」を車体に積む。車体の底には小型の水素発生装置が装着され、車の走行時の廃熱で有機ハイドライドから水素を取り出しガソリンに混ぜる。高価なレアメタルをつかった触媒によるのではなく、エンジン廃熱を利用するところがミソだ。この有機ハイドライドが、ガソリンと同じようにタンク車で輸送でき、ガソリンスタンドで供給できるようなシステムを作ることも可能だ、というのも気にいった。高度すぎないから、いまの社会システムをちょっと改造すれば受け入れられる発明。こういうのを待っていたのだ。日経記事によると、≪水素製造装置などを販売する フレイン・エナジー (札幌市)と北海道大学の市川勝名誉教授がいち早く実用化に着手。岡崎市に拠点を置く伊藤レーシングサービスに委託し、自動車への適用を進めてきた≫という。革命より、漸進がいい。これはノリだ。ぼくが商社の経営者なら、いかにしてこの技術応用に商社として食い込むか、担当部門に直ちに投資の伺いを書かせるね。
Jun 7, 2008
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「ふるさと納税」制度は、まだ議論の段階だとばかり思っていたら、なんと、すでに始まっていた。6月4日の『北國新聞』の社説で知ってびっくりした。あわててウィキペディアを見たら、≪2008年4月30日の地方税法の改正により、個人住民税の寄附金税制が大幅に拡充される形で導入された。都道府県・市区町村に対する寄附金のうち、5千円を超える部分について、個人住民税所得割の概ね1割を上限として、所得税と合わせて全額が控除される。≫とあった。ははぁ、そうすると、「ふるさと納税」した場合に5千円は自己負担ということだ。それが、居住地での税金控除事務手続き見合いのおカネということか。そう思って制度を眺めれば、けっきょく行政の手間を増やしているだけかもしれない。わたしがかりに「ふるさとと認識する市町村への、税金控除を前提とした寄付」を行うとしたら、生まれ故郷で本籍地でもある松山市ではない。もっと貧しい、かつての上浮穴(かみうけな)郡小田町(おだちょう)大字寺村(おおあざ てらむら)だ。父の生まれ故郷であり、その生家に今もわたしのいとこが住まっている。ところが町村合併で喜多(きた)郡内子町(うちこちょう)寺村となり、「小田」の名は地図から消えてしまった。もし単にいま喜多郡内子町へ「ふるさと寄付」をするとしても、わたしの意中の旧「上浮穴郡小田町」のために使われるとは限らない。カネは天下のまわりもの、とはいえ。だから、北國新聞が言うように、 「ふるさと寄付」 を受けたい市町村には、やはり使い道のメニューを明らかにしてほしい。寄付金、なのだから、当然だろう。6月4日の北國新聞社説:≪ふるさと納税 使い道のメニューがほしい 「ふるさと納税」が始まって1カ月になった。石川、富山両県では県をはじめとして各自治体が各地の県人会などを通して郷土出身者に呼び掛けたり、条例制定(改定も含む)の準備を急いでいる段階とあって、使い道を具体的に示すところはまだ少ないようだ。が、納税者の身になった、丁寧で分かりやすい使い道のメニューがほしいものだ。 富山市の例が、半ば迷い気味ともいえる自治体側の様子を大変分かりやすく教えてくれるように思われる。同市では使途を設けずに寄付を積み立てる受け皿として「ふるさとぬくもり基金」を創設する方針であり、市議会六月定例会に条例案を提出して制定をはかることにしているが、申し込みなどの様子をみた上で使い道を考える構えだ。 金沢市にしても、インターネットのホームページで制度の案内や手続きを紹介しているが、芸術文化の振興、将来を担う人材の育成、市民と協働して進めるまちづくりなどの施策に使わせてもらうなどと抽象的である。全部調べたわけではないが、どちらかというと、金沢市のような自治体が大半ではないのか。 活用の道として石川県は金沢城復元整備を、あるいは高岡市が開町400年記念事業などを挙げている。せめてこれくらいの具体的な呼び掛けをしたいものである。 生まれ故郷や応援したい地方自治体に寄付すると、住民税などが安くなるのが「ふるさと納税」の制度である。が、控除の上限が住民税の約1割とあって、これでは財政的に大きなプラスを期待できないとか、目くらましではないのかなどといった受け止め方が自治体側にあるようだ。 それも分からなくはないが、使途を具体的に示さない働きかけは愛郷心に漠然と訴えることになって効果が薄れて、威勢のよい反応が期待できないのではなかろうか。 申し込みが、ぽつぽつという現状はそうしたことにも原因があるのではないか。呼び掛けられる側の立場をも考慮して、これこれに使います、と呼び掛けるように知恵を出さねばなるまい。≫
Jun 5, 2008
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「プリントゴッコ」販売終了の短信記事が5月30日付の日経夕刊に出ていた。葉書に多色刷りの謄写版印刷が手軽にできる発明だった。白紙に字や絵を書き、謄写用紙を張ったシートを置いて上からフラッシュの閃光でシートを焼いて製版する。あとは好きな色のインクを裏に塗り本体に装着し、ぺたんこぺたんこと葉書に押し付けて刷る。うちでも年賀葉書を刷るのに2度使った覚えがあるが、刷ったものは残っていない。平成4年のワープロ刷り年賀状が残っているので、使ったとしても平成3年以前だ。年賀葉書のワープロ刷りを始めてほどなく、プリントゴッコは廃棄してしまった。いま思えば、生活用具の証(あかし)として残しておけばよかった。名品だった。といって、保存用に新たに買うほどの情熱はないけど。学生のころ、エスペラントサークルの会合案内の葉書を刷るのに重宝した。今なら電子メールで済んでしまうが、当時はそういうことにカネがかかった。販売終了の記事を見て、まだ売っていたのか! と驚き、そして心のなかでそっと手を合わせた。5月30日の日経記事:≪理想科学工業は30日、家庭用簡易印刷機「プリントゴッコ」の販売を6月30日に終了すると発表した。1977年に発売され、家庭で年賀状印刷の主役を担った時期もあったが、パソコンや家庭用プリンターの普及により需要は落ち込んでいた。在庫がなくなり次第、店頭から完全に姿を消すが、ランプやインクなど消耗品は5年程度販売を継続する。≫
Jun 3, 2008
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