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すてきなスペースだった。この場所をジャンルとして命名するなら 「ギャラリーカフェ」 または 「ワークショップカフェ」 かな。3月31日まで、作品展 ハギエンナーレ2013 “Third Life” が開催されている。千駄木駅から路地に入ってちょっと歩くと、3月28日夜は満開の桜の岡倉天心記念公園があり (これがまた、三島由紀夫の卒塔婆小町の舞台のような公園だ) 、その真ん前にあるモト木造アパート、というかほとんど下宿屋のような 「萩荘」。改装して、1階の半分は厨房と喫茶スペース (豚のスネ肉を煮込んだ HAGISO カレー 千円也が美味だった) 、もう半分は吹き抜けの展示スペースと奥のアートショップに、そして2階は工房と事務所にした。階段の踊り場や階段下、トイレにまで作品を展示し、はては屋根裏にまで映像作品を投影している。林千歩さんの修了制作の映像作品 「雲を眺めて古きを落とす」 に再会した。修了展でも2回観たけれど、今回も飽きずにまた2回観てしまった。映像制作につかった金色の女陰仏陀のつくりものが、吹き抜けの壁にかけられ、階段下のスペースに螺髪(らほつ)の顔オブジェが集合している。映像作品と螺髪オブジェをセットにして、螺髪の数だけのエディションで販売したらどうかしらと思ったね。林千歩さんの修了展作品について、ぼくのブログ:東京藝大卒業・修了作品展 林 千歩さんの映像、藤森詔子さんの……林千歩さんのインタビュー記事 (東京藝大サイト):Disguise & Performance ~林千歩の妄想ワールド~ 絵画科油画専攻修士2年・林千歩そして、1階トイレには有賀慎吾さんの映像作品とドローイング。黄と黒。深い森から躍りだしてくるようなキャラが鮮烈だ。ドラマリーディングのイベントでコラボしてみたいです。有賀慎吾さんの作品:ARUGA Shingo: Works2階に上がる踊り場に3つの扉があり、そこに窓がある……ように見えるのは、イリュージョン。吉野ももさんの油画だった。「HAGISO の隙間」 シリーズ。階段踊り場で反転して上を見上げると、天井板が外された屋根裏がキラキラゆらめいている。池田拓馬さんの KeleidoCity.じっさいの都市の灯りを撮影して加工した映像作品だ。喫茶スペースの棚にアーティストたちのファイルが置いてあるのもいい。ぼくの倉庫にあふれそうな図録を寄贈しようかなと思いついて、記帳ノートに書いた。お会計の応対をしてくれた女性と、す~っとおしゃべりした。Pinpin Co こと顧彬彬(こ・ひんぴん)さん。帰宅してウェブサイトを見たら、昭和58年 中国・杭州生まれで、4歳のとき親御さんと日本に来て日本で教育をうけ、早稲田大の建築学科を卒業して東京藝大院の修士修了という経歴だった。京劇の舞台化粧を細密化したようなモノクロのフェイス・ペインティングをするひと。5時間もかかるそうなので、たとえば仕上げにはいる最後の1時間をドラマ・リーディングと組み合わせてイベント化するのは、ありかなと思った。キレのある線が魅力的。ドローイングがほしいな。顧彬彬 Pinpin Co さんのホームページ: http://www.pinpinco.com/HITSPAPER のインタビュー記事:http://antenna7.com/asiaspot/2012/07/pinpin_co.html
Mar 29, 2013
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3月26日にジャパンプレミア試写会に行ってきた。87分の映画。前作に比べると淡々とした作り。ハーブ&ドロシー・ヴォーゲル夫妻の現代アートコレクションのうち2,500点が平成20年に全米50州の50の美術館に50点ずつ寄贈されたあと、それぞれの美術館が作品群にどう向き合い企画展を開催していったか、50館のうち11の美術館のオモテとウラを取材した映像。最後のカットに、じんとくる。夫のハーバートが亡くなり、1LDKの住まいの壁に所狭しと掛けられていたアート作品群がすべて搬出されたあとの殺風景な白い壁に、たった1枚のこされた絵。それは新婚時代にハーバートさんが描いた、妻・ドロシーさんの絵だった。目も鼻も口も描かず、濃厚な絵具で速描きした、うずくまって坐る着衣の妻の全身像なのだけど、一目でドロシーさんとわかった。心が釘付けになった。*インディアナポリス美術館だったかどの美術館だったか忘れたが印象的だったのは、それまでひたすら無口だった老ハーバートが、展示場に絵をかけていくのに立ち会った際に、がぜん的確な指示を出すところ。あぁ、このセンスの良さが、あの偉大なコレクションを紡いだのだな。どこにどの絵を置き、絵を掛ける位置はどうするか。もちろん美術館側は事前に周到な検討を重ねていた。展示場の縮小モデルをつくって壁面構成を検討し、切手のように小さく縮小プリントした絵の紙片を展示モデルに置いてみては調整する。ハーブ&ドロシーの狭小な居間の雰囲気をちょっとだけ再現したスペースに、作品を掛けていく段に、夫妻が立ち会ったときの光景だ。佐々木芽生(めぐみ)さんが監督・プロデュースした前作 「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」 から4年を経て、元気なヴォーゲル夫妻もさすがに急速に老いた。80代後半の夫・ハーバートさんも、心ここにあらずと思えるような姿が多い。そんななかでの、鋭くきらりとした瞬間だったので印象が深かった。*平成24年7月にハーバートさんが亡くなる。それから1ヶ月後の妻・ドロシーさんをインタビューしている。「アートの収集は、やめることにした。コレクションは夫との共同作業だったから、夫が亡くなったあとのわたしがひとりでそのコレクションを薄めたり変えたりしたくないの」 とドロシーさんは静かに語る。コレクションが、ふたりの人生の証であり、ふたりが人生をかけた神聖なものであることをしみじみと知った。コレクション総数、約4,800点。それに加えて夫妻は、図録や展覧会の案内状、雑誌・新聞の切り抜きなども捨てずに積み上げていて、それらの資料も公文書館へ寄贈された。「すべて寄贈して部屋がすっきりしたら、壁を白く塗り直し、そこで静かに暮らすのよ」 と語るドロシーさん。いい作品と出会うたびに磁石のように吸いつけて家に持ち込み、資料も捨てられずにとってきた数十年は、いわば渦巻く執着心の数十年だったとも言えると思うが、いまドロシーさんも78歳となり、別の境地にある。もしぼくだったら、お気に入りの十数点はそれでもやはり最後まで手元に残しておくか。いや、いまや聖なるコレクションから十数点を剥ぎ取って手元に置くこと自体が、ドロシーさんの心にそぐわないものなのか。そんなことを考えていたぼくの目に飛び込んだ、映画のラストシーン。白い壁に1枚のこされた、愛する夫が新婚時代に描いた自分の絵。「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」3月30日から、新宿ピカデリーと東京写真美術館ホールほかで上映。
Mar 27, 2013
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アートフェア東京2013 (3月24日まで) で、相場るい児(あいば・るいじ)さんの茶道茶碗 「白沢(はくたく)茶碗」 を買った。15万円+税だった。ことしは自分のキャッシュフローが厳しいので買うものは厳選しているのだが、この茶碗は買わないとずっと後悔するだろうと思ったのである。山口県防府(ほうふ)市の 「おとまつ画廊」 さんのブースにて。会場配布の 「月刊アートコレクターズ3月号特別企画 アートフェア東京2013完全ガイド」 の10ページに、この 「白沢茶碗」 をアップにした写真が掲載されている。相場さんは昭和39年生まれ。陶作品は猫又の根付(ねつけ)あり、九尾の狐の茶碗あり。おどろおどろしくも見えるが、根付の猫又の舌がひゅっと動くような細工をしてみたり、あそび心もたっぷりだ。鮮やかな色づかいながら古色を帯びているのも心憎い。この古色をいいことに、「江戸時代の骨董だ」 と偽って高値で転売した悪者がいて相場さんは心を痛め、以来 作品には銘として 「R」 の文字を入れることにしたと、これは懇切な解説をしてくれた おとまつ画廊さんの話である。さすがに猫又ものは面妖がすぎたが、白沢(はくたく)の顔には怪異ななかにも諧謔がある。対話ができる顔だ。買うことにした。買うのを決めてから、おとまつ画廊さん曰く、白沢は邪気をはらうので江戸時代には白沢の工藝品を伴にする旅人もいたとか。こりゃまた、縁起がいいねぇ。*カネに余裕があれば150万円はたいて在庫5セットを買い占めたのにと思ったのが、長谷川加奈さんの大判木版画7枚セットの 「親指姫シリーズ」 である。やや年増にみえる親指姫と、擬人化された蛙や魚、モグラや燕などがからみあう。色づかいがヴィヴィッドで、金箔・銀箔の使い方も手馴れている。作家本人が刷りまでやったというから、新鮮な発想と高度な技を兼ね備えた、版画界の若き逸材と見た。海外の記者が、アートフェアの紹介のためにと言って、長谷川加奈作品全7枚を撮影していったという。海外でもウケるだろうと、わたしも確信する。昭和61年生まれ、京都造形藝術大 院修了のひと。この大判版画の出来ばえからして、作品価値を客観的にみれば1枚でも30~50万円の値段をつけて誰もいぶからないはずだ。同世代の東京藝大 院修了の大坂秩加さんの作品なら、もっと高いだろう。が、なんと京都・蔵丘洞(ぞうきゅうどう)さんは、発狂価格をつけた。大判木版画7枚に額を1つつけて、わずか30万円で販売だという。エディションは10だ。すでに5セット出ていて、蔵丘洞さんに残るのは5セット。わたしなら150万円で5セット全部買占め、1セットは手元におき、4セットを小出しに海外オークションに出して400万円儲けるところだ。と、そんなカネの話はどうでもいいが、とにかくこの長谷川加奈さんには注目だ。おどろおどろしたところもある版画のキャラとは異なりご本人はとてもかわいいひとだそうで、“寿退職” して次作が出ないと困るが、蔵丘洞さん曰く、ねばりづよい性格で既に次の作品シリーズにとりかかっているという。
Mar 23, 2013
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平成25年3月末に閉館となる銀座シネパトス。ときどき前を通るが、ついぞ行ったことがないのを、今になってつくづく後悔した。やらなかったことをこれほど後悔したのは初めてかもしれない。それはぼくが人生の折り返し点に来たということかな。本作は、「映画」 というジャンルそのものへのオマージュ。共感出演の豪華キャスティングだが脚本がいまひとつで、早く終わらないかなという思いがかすめたのは事実。森下悠里さんと中丸シオンさんの濃厚なキスシーンがよかった。チョイ役の古谷 敏さん、老けてないな、いかしてる。250321 インターミッション The Intermission @ 銀座シネパトス 秋吉久美子、香川京子、小山明子、夏樹陽子、竹中直人、佐野史郎、染谷将太、佐伯日菜子、奥野瑛太、ひし美ゆり子、畑中葉子、寺島 咲、勝野雅奈恵、森下悠里、中丸シオン、中川安奈
Mar 22, 2013
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メールマガジンで配信したコラムです。無料メールマガジンの登録は http://archive.mag2.com/0000063858/index.html でどうぞ! 近ごろの環境省は妙に調子に乗って、ほんらいの領分外のところまで縄張りを拡げすぎている。石炭火力発電所の建設や原子力再稼働の問題で、つくづく感じる。 それを言うとしっぺ返しが恐ろしいから、実業界の面々は口をつぐんでいる。 3・11の後遺症で経産省も文科省も下を向いている。 統治機構のバランスがおかしい。■ 環境省が反対すると石炭が燃やせない ■ 東京電力が予定している、新しい火力発電所の入札がある。 燃料コストを考えれば石炭火力にしたいところだが、環境省はそもそも 「石炭を燃やす」 ことに頑固なまでに反対した。石炭は天然ガスなどに比べて、単位あたりのCO2排出量が多いからという理由で。 煤塵や窒素酸化物の規制をいくらクリアしても、とにかく石炭を燃やすというだけでバツ。世界最高の技術を結集した石炭火力発電プラントも、日本での新設はまかりならんと環境省はゴネる。 「本件の癌は、環境省のナントカさんとカントカさんだ」 と、関係者には名前まで知れているに違いない。本人たちは奥の院に引っ込んでオモテに出てこない。 オモテに出てこない人たちが執念をかけてゴネただけで、成文化された環境規制にすべて合格の石炭火力発電所も建設できない。 日本で石炭火力が建設できないと、それだけ電気代が高くなる。国民経済にとってはマイナスだ。 ここまで大きな権限を、我々国民はいつ環境省の官僚に与えたのだろうか。■ 環境省と経産省の確執 ■ 環境省の縄張りはほんらい、発電所や工場の敷地の外だろう。敷地の外に出てくる排気・排水・廃棄物が基準内に収まっていれば良しとするのが環境省の領分だ。 敷地のなかで、合理的な範囲で最高技術を使うよう指導するのが経産省。国民経済全体を考えてエネルギー政策を策定するのも、経産省のはずだ。 この経産省の領分に、環境省が上がり込んで確執を深めるものだから、まことに迷惑なのである。 3月17日の日本経済新聞が1面トップで報じたところでは、ようやく環境省も振り上げたこぶしの下ろしどころを探そうとしているらしい。 見出しにいわく≪発電、石炭火力を推進燃料費抑制 環境相も合意へ新増設へCO2新基準≫とある。 なにせ、環境省さまがお決めになるわけだ。行政の範疇なので、各政党も動かない。 今や環境省は経産省よりも怖い役所に成り上がっている。■ 専門知見に乏しい環境省が原子力規制委員会を所轄 ■ 「怖い」 の極め付けが原子力規制委員会。原子力発電所の再稼働も廃炉も、この委員会の 「サジ加減ひとつ」 というのが平成25年の風である。 今や国民経済へのインパクトは兆円レベルだ。 てっきり内閣府か総務省 (消防防災の所轄官庁) に属しているのだと思っていたら、さにあらず。 原子力規制委員会は、環境省に属している。 原子力設備の専門的知見は経産省の領分だし、科学技術全般は文科省の領分だ。 しかし今や、それらの官庁を差し置いて、やおら環境省が、原子力プラントの技術仕様や活断層について語るわけである。 統治機構のあり方として、ムリがある。 ムリがあるから、のろい。原発の新たな安全基準の策定も遅々としたものだ。■ 津波と活断層、どちらが深刻で緊急か ■ 南海トラフの巨大地震は頻度が 「百年」 単位である。おもに津波の被害によって避難者は950万人に達し、死者は最悪で30万人以上と推定されている。 想定される津波が高すぎて、とても堤防では防ぎきれないし、都市の高台移転も不可能だ。だから、本来なら血相変えて小型の避難艇 (箱舟) を大量生産し、街の駐車場ごとに1隻ずつ常備すべきところである。 カネがいくらあっても足りない。 その一方で、原発用地の下を通る活断層が再び大きくズレる頻度は 「1万年」 単位である。 そして、福島原発や女川(おながわ)原発も、大地震の揺れそのものには強靭(きょうじん)であった。 活断層という “前科者” が再びズレを起こす確率は、万年単位で考えて相対的には高いと推定されている。 しかし、かりに断層の “前科” がない場所で同様のズレが起きても対処できるように対策を立てるのが、これからの原子力プラントの基本でなければならない。 原子炉直下の活断層認定でシロとクロの議論をするのは、じつは事の本質から外れている。事の本質から外れた議論をした挙句に、まだ運転できる原発を廃炉にするのは、じつは本末顛倒なのである。■ 原子力規制委は内閣府か総務省の管轄下に移せ ■ 環境省は今や絶大なサジ加減の権限を有するに至った。 今年7月に導入される新たな安全基準を、現在運転中の大飯(おおい)原発3・4号機には今年9月まで適用しないことを決めた。 この決定じたいは妥当なものだ。感謝に値する。 恐ろしいのは、そういう極めて政策的、政治的、恣意的、経済的、総合的観点の決定プロセスに国会も総理大臣も経産省も文科省も関わることができず、環境省の専権事項になっているということだ。 死者が出る規模と確率を右目で見、経済効果や経済的得失を左目で見ながら、総合的な判断を下すべき問題なのに、今や全てが環境省の手のひらの上。 国家統治のありかたとして、異常だ。 民主党が残したこの異常が正され、エネルギー政策や機器設備の技術問題を再び経産省が所轄し、科学技術全般を再び文科省が所轄するとき、はじめて3・11は収束に近づいたと言えるのである。 緊急避難的には、原子力規制委員会は内閣府か総務省 (消防防災を所轄) の傘の下に移すべきではないか。 いまの環境省の姿勢には、なにかと経産省へのツラ当てのような確執が感じられる。 ほとんどサボタージュと言ってもよいほどに。
Mar 21, 2013
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こう言っちゃ何だけど、ミュージカルでとびきり感動するのって、セックスと同じなんだ。ミュージカルのいいところでコンビニ袋をがさがさやられるのって、セックスでいきそうなときに電話が鳴るようなものさ。……という比喩を温めてきたのだけど、これがまんざら間違いでないことがわかった。≪カナダのマギル大学のザトーレ教授は、お気に入りの曲を聴いて背筋がゾクゾクする快感(いわゆる「鳥肌が立つ」感覚)をおぼえるときの脳の活動を、PET(癌検診にも使われる装置)を用いて捉えることに成功しました。驚いたことに、音楽を聴いてゾクゾクするときに働く脳部位は、食事や、非合法ドラッグの摂取、性的な刺激によって快感を感じるときに働く部位と同じだったのです。≫ (231頁)「ミス・サイゴン」 のような名作になると、ミュージカル・ナンバーの前奏が流れ出しただけでからだじゅうが感動モードになってしまうのだが、この説明もこの本にあった。≪私たち人間には、音楽による感動という “ご褒美” をあらかじめ予測してドーパミンを出す脳部位 (尾状核) と、感動することによってドーパミンを出す脳部位 (側坐核) の2つがあると言えます。……直前に 「来るぞ来るぞ」 と思って期待する脳の働きと、その後、「来た!」 と感動する脳の働きのそれぞれで、脳がご褒美を得られるわけです。サビやクライマックスの直前で、少しテンポを遅くするピアニストがいますが、これは、聴き手が感動を予測することで得られるご褒美を増やそうとしていると言えるかもしれません。≫『ピアニストの脳を科学する ― 超絶技巧のメカニズム』 古屋晋一 著 (春秋社、平成24年刊)名演奏の情感には、テンポのゆらぎが関わっているのだという。まったく楽譜どおりの機械的な演奏 (= ゆらぎゼロ) から、優れたピアニストが弾いたとおりのゆらぎがある演奏まで、ゆらぎの程度の違う演奏を5つ用意して、多くのひとに聴かせて 「どのくらい情感豊かな音楽に聞こえるか」 点数をつけさせた。≪その結果、ゆらぎの量が減るにつれて、聴き手は、演奏の情感が乏しく機械的だと感じることがわかりました。つまり、ピアニストが演奏に込めた表現は、決して独りよがりなものでも無意味でもなく、聴き手の心にちゃんと届いているのです。≫ (221頁)本書の前半では、ピアニストが練習して体得する能力が脳のどの部位に反映しているのかを語ってくれる。巻末の参考文献リストを見ても、ほとんどが英語書きのもの。日本の読者にとってユニークな本である所以である。
Mar 20, 2013
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小説の主人公・坂下広美。彼女を演じてもらうなら、ぱっと思い浮かぶのが広末涼子さんだ。ちょっと天然っぽくて、でも芯がつよくて、そして いとしく思えるような女。あたたかそうで、次の瞬間にはひとを突き放す。風来坊ふうなところ。あるいは、画家・清水智裕さんの描く少女が、ふきすさぶ試練を経た姿。三浦哲郎の 『忍ぶ川』 の志乃さんのイメージもあるな。『母親ウエスタン』 原田ひ香(か) 著 (光文社、平成24年刊)週刊文春のサイトに、著者インタビューがあった:<著者は語る・文春図書館> 母性のままにさすらう女 『母親ウエスタン』 (原田ひ香 著)場末の街に さすらいのガンマンのように ふらりと現れて、ディープに関わって、ある日ふいと居なくなる。母親の情に かつえた子供をいつくしみつくして、ふいに居なくなる。「さすらいマザー」 とつけてもいいが、「母親ウエスタン」 という印象ふかいタイトルは読んでみて納得だ。幾筋ものストーリーがやがて縄のように なわれてゆく。ちょっぴり謎解きの楽しみもまじえて。登場人物の設定にエネルギーの7割を割いて、とりわけ坂下広美の設定にはエネルギーの3割を割いて、あとはそれら人物たちを出会わせただけで なるほどストーリーはこういうふうに展開するだろうなと納得感のある自然さだ。原田ひ香さんの作品、『東京ロンダリング』 と 『人生オークション』 も読んでみよう。
Mar 20, 2013
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現代絵画の園 VOCA 展の今年は、図録を買って反芻したくなる作品が何点かあったので満足。ここぞと応援したいのが、唐仁原 希(とうじんばら・のぞみ)さんの “It hurts to say goodbye”. 推薦者の太田垣 實さんの解説から用語をひろえば、夢想的群集劇絵画というのが当たっている。唐仁原さんの絵は、去年 トーキョーワンダーサイト本郷で見て、ひかれた。いつか絵を買いたいものだと思って、ご本人といちどメールのやりとりをした。リアルなタッチに、目だけはアニメのキャラのような大きな猫目なのが、唐仁原さんの描く人物の特徴。本郷で見たときは、ちょっと大きすぎる目に辟易させられる作もあったけど、VOCA 展の作はちょうどいいところに落ち着いている。幻想、夢想がうつくしくまとめられている。うつくしいのは、いいことだね。ぐちょっと描いて、現代美術でございッての、ぼくは嫌いでね。*VOCA 賞をとった鈴木紗也香さんは Gallery Q で育ったひと。絵具のタッチがいいセンスをしていて、だからこそ安住せずにいてほしい。次はどう突き抜けてくれるかなと、気になる存在だ。今回の作品、展覧会のちらしで小さい写真を見たときはピンと来なかった。しかし会場で作品を見ると、紅いろの地に大柄の花を配して絵の枠とし、絵をきりりと締めたセンスがすばらしい。このひとの絵は、いいセンスで満足感を与えつつも、満腹感は与えてくれない。次はどういう展開かなと、今回もますます気になった。*佐藤翠(みどり)さんの “Reflections of a closet” は、リッチなウォークイン・クロゼットのワンピースとハイヒール群。これまでの作品に比べると、ダークグレーを多用して、コケティッシュなところを意識的に剥いだ感じ。ぼくは、これまでの華やいだ感じのほうが好きだけど。VOCA 展で VOCA 賞についでおいしい大原美術館賞を受賞した。*吉田晋之介さんの 「雨」 は、人工物でしかありえないキッチリした立体物と、泥のようなくすんだ色彩の奔流物が共存して、迫力ある画面構成。去年 Gallery MoMo 両国で個展を見たときは、「がんばってはいるんだけど」 感があったが、今回の 「雨」 は納得の作だ。同じ Gallery MoMo 所属の作家で平子雄一さんも VOCA 奨励賞をとった。ぼくの好みからすると、絵にただよう依怙地な雰囲気が生理的にちょっと受け付けがたい。けれども客観的に評せば、変化に富んだおもしろい世界をつくっている。大崎のぶゆきさんの映像作品もおもしろかった。雪山スキー風景を描いた3枚の絵が、3枚のモニターに映し出されているのだが、これが上からゆっくり溶けていく。ひとが消え、雪山がおぼろと化する8分間。といっても、ぼくは1分ほどしか見ていなかったけど。映像はCGではなく、水彩絵具で描いた絵を水槽につけて実写したものという。
Mar 17, 2013
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JAXA (宇宙航空研究開発機構) が、NOx (窒素酸化物) の排出を現在より8割減らせるという画期的な基盤技術を開発した。今後は三菱重工など国内メーカーとも協力して研究を進め、実用化にこぎつけたいということなのだが、信じられない悠長さにたまげた。≪排出規制強化の流れを先取りし、20年後をめどに 「エコエンジン」 として実用化を目指す≫ とある。日経の3月12日17面の報道。本気で実用化したいなら、最初に掲げる錦の御旗はまずは「5年後」ではないのか。「20年後」と言われた途端、ほとんどの関係者は「そのころ自分はこの世にいない、この会社にいない、この部署にいない」と考える。「20年後」 という数字は、技術研究にかかる人工(にんく)、つまり 「人数×日数」 を毎年得られるであろう予算 (=毎年の研究者人数) で割って出したものだろう。担当研究者の発想としては、「あぁ、これでわたくしも20年間ほそぼそと、仕事が確保できた」ということなのだろうか。技術の実用化よりも、研究者の雇用確保のほうが前面に出ている感じだ。ほんとうに良い技術なら、人とカネを集中させて短期決戦すべきなのだが、エンジンの改良に20年かけるという発想に強烈な違和感を感じた。日本経済新聞 平成25年3月12日17面≪「エコエンジン」 宇宙機構が技術 旅客機用実用化でNOx排出8割減宇宙航空研究開発機構 (JAXA) は、大気汚染の原因となる窒素酸化物 (NOx) の排出を大幅に減らすジェットエンジンの基盤技術を開発した。旅客機用に実用化すれば、排出量を現在より8割減らせる。今後、三菱重工業など国内航空機エンジンメーカーに協力を呼びかけて研究を進めて、出力や燃費などを実用レベルに引き上げる。排出規制強化の流れを先取りし、20年後をめどに 「エコエンジン」 として実用化を目指す。旅客機のジェットエンジンは圧縮した高温の空気に燃料を噴射して燃やす。燃費をよくするために空気を強く圧縮すると温度が上がり、NOx の発生量が増える問題がある。新技術は自動車などに使われる技術を応用した。少ない燃料と空気をあらかじめ混ぜる「希薄予混合燃焼」方式を採用。燃料と空気を混ぜて混合気をつくるノズルを2つ組み合わせ、燃焼室に送り込んだ燃料の濃度を均一にし、今度が上がり過ぎないように工夫した。……米ゼネラル・エレクトリック (GE) などは航空機エンジンの NOx 排出量技術を進め、希薄予混合燃焼方式のエンジンが B787 に採用された。JAXA によると、新技術は NOx をさらに減らせるという。≫GE のスピード感と JAXA のスピード感のちがいがそのまま、民と官の落差、米国と日本の落差を象徴しているのではないか。
Mar 13, 2013
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わたくし泉幸男の長女の美大卒業制作が、きょう3月8日(金)から3月10日(日)の3日間、浅草橋駅のすぐ近くで展示されます。「おどぎのくにのサーカスショウ」という15分ほどの短篇アニメであります。こちらのサイトで静止画像を4枚ご覧になれます:http://www.idd.tamabi.ac.jp/design/exhibit/gw12/56.htmlいちばん上の絵の象亀さんは、なかなかかわいくて、キャラとしてブレークしてほしいんですがね。彼女は、ゆるいキャラをササッっと描かせると、いい味の絵が描けるひとです。あと、色彩感覚もいい。じつはわたしは昨年末にごく一部だけ見せてもらっただけで、だから、父親だというのにまだ作品そのものは見せてもらっていないので、あした会場で見ようと思っているのです。彼女のステートメントによれば、≪誰もが知る人魚姫やシンデレラといった物語に、あるルールがあるのはご存知でしょうか?兄弟が出る作品は高い確率で末っ子が成功し、種族の異なる結婚は悲しい結末を迎える…このような運命づけられた童話のルールを、裏から見ればどうなるでしょうか? この作品は架空のサーカスを舞台とした、童話の世界のお約束を裏切ったアニメーション作品です。必ず成功する末っ子も、結ばれない異種結婚も、禁じた扉を開けた奇跡も、長い旅路も、全てのお約束を裏切った混沌のサーカスの悲喜こもごもの群像劇をお楽しみください。≫というわけで、フィロソフィーをこめたところも買いたいと思います。「多摩美術大学 情報デザイン学科 情報デザインコース卒業研究制作展2013つ な が り の か さ な り」場所は台東区浅草橋1-22 ヒューリック浅草橋ビル2F「浅草橋 HULIC HALL」日時は3月8日 (金) 12:00~18:003月9日 (土) 10:00~18:003月10日 (日) 10:00~16:00展示会のサイトはこちらです:http://www.idd.tamabi.ac.jp/design/exhibit/gw12/なお、3月20日~23日の多摩美八王子キャンパスの卒業・修了展でも展示されます。「2012年度 多摩美術大学 美術学部 卒業制作・大学院修了制作展」3月20日 (水・祝) 10:00~18:003月21日 (木) 10:00~18:003月22日 (金) 10:00~18:003月23日 (土) 10:00~15:00関連サイトはhttp://www2.tamabi.ac.jp/cgi-bin/pro/gw/
Mar 8, 2013
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環境省原子力規制委員会の委員長である田中俊一氏は、今から35年前、33歳のときに共産党系の労働組合の中央執行委員をつとめている。こちらのサイトで確かめることができた:原研労組 (日本原子力研究開発機構労働組合) のホームページ 「あなたの疑問に答える Q & A 」関係箇所を抜粋すると ――≪Q8: 原研の組合は共産党系だと聞きました。私は共産党が嫌いです。A8: 原研労組は、組合員の思想信条の自由、政党支持の自由を厳格に守っている組合です。あなたの思想や考え方は、組合に加入してもなんら束縛されることはありません。≫A8が 「原研労組は共産党系ではありません」 という回答になっていないことに注目だ。共産党系でないなら、端的に 「共産党系ではありません」 と否定するはずなのに、そういう表現になっていない。原研労組は、かりに組合員の個人レベルでの思想信条の自由や政党支持の自由まで “束縛” しないとしても、組織レベルでは共産党の方針に従うということだろう。そうでなければ、こんな持って回った表現はしない。≪Q7: 組合に入ると、研究所から差別されるのではないかと心配です。A7: 労働組合をつくり、加入し、組合活動を行う権利 (団結権) は、法律で定めています。「組合員だから」 という差別は、不当労働行為として禁止されており、私たちの職場では組合加入を理由とした不当差別は起こっていないし、その心配は全くありません。現在の役員や管理職も、若い時代にはほとんどの方が原研労組の一員で、組合役員を経験している方も大勢います。例えば、前原子力安全委員で元理事の佐藤一男氏は中執委員長 (14期)、人事・労務担当理事の今井栄一氏は東海支部副委員長 (22期)、飛岡利明理事は初代大洗支部書記長、浅井清理事 (20期) や田中俊一東海研究所副所長 (30期) も中執経験者です。万一、あなたが組合に加入したことを持って差別された場合は、組合が全力をあげてあなたを守り、必ず不当差別を撤回させます。≫端的に書かれている。環境省原子力規制委員会の田中俊一委員長は、共産党系の労働組合の中央執行委員をつとめたことがある。(「中執」 とは中央執行委員の略。)文中に 「30期」 とある。昭和53年 (1978年) である。(労組のホームページを見ると、第60期の挨拶が2008年7月10日付なので、30期はその30年前、つまり1978年だ。)田中俊一氏は昭和20年1月9日、福島市生まれの68歳。共産党系労組の中央執行委員をつとめたのは33歳のとき。今から35年前の話だ。*ところで、原子力規制委員会は環境省ではなく内閣府に属して行政上の中立性を確保すべきではないのか。現在は環境省に属している。不適切だと思う。環境省はエネルギー政策や経済政策を総合的に見る立場でないにもかかわらず、石炭焚火力発電所の新設にはムキになって反対するし、太陽光や風力発電にはちゃっかり所轄官庁の顔をする。経済産業省との敵対姿勢むき出しなのである。そういう情緒的な官庁のもとに原子力規制委員会を置くべきではない。国民経済と産業政策、そして科学技術を総合的に俯瞰できる立場の、内閣府に属させるべきである。
Mar 7, 2013
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1月終わりの「藝大卒展」記。観覧2日目のことを今ごろ書きます。(観覧1日目のことは 東京藝大卒業・修了作品展 林 千歩さんの映像、藤森詔子さんの版画・油画・立体、若林真耶さんの鍛金 に書いています。)楽しみにしていた 「五美大展」 が思いのほか低調だったのと比べるにつけ、藝大のちからを再認識したのでした。ひらめきやセンスもさることながら、作品制作へのねばり、時間のかけ方が、大きな差を生んでいるのではないかと。東京都美術館での展示から。内田里奈(りな)さん (デザイン、学部4年) の 「憎しみのかえるところII」 が印象深い。白い人体が、樟脳のように蒸発昇華している。和紙でつくられた巨大な張子。人体には、あまたの焦げ茶色の蛾がまとわりつく。焦げ茶は着色ではなく、紙を焦がして出した色。この技だけでもただものではない。よく見ると、人体の皮膚に繭のようなものがいくつも埋まっている。あぁ、人体に巣食う蛾の幼虫・さなぎが孵化して皮膚を食いちぎり群れている。しずかで陰惨なストーリーを、高度な工藝であらわにした。幻想作品をみるとき、出来が中途半端だと「だますなら徹底的にだましてほしい」 と作家さんにアドバイスすることがあるが、内田里奈さんの場合はまさに見る者を徹底的にだまして、別世界へ運んでくれる。今回の卒展でいちばんじっくり見たのが、たぶんこの作品だ。そして見た後も、内田里奈さんがこれからどういうアプローチをしていけばいいのだろうと、気になり続けた。美術館に置く作品としてはじつにいいのだけど、コレクションとして買おうとするとパーツがあまりにバラバラで、はかない。溶けた人間はまだ よいとして、何十匹とある蛾に美の愛好家は魅力を感じるか。彼女の造形の腕前を生かすにはどういうテーマがいいのだろう。翼があり、紙焦がしの技法が生かせて、美として受け入れられやすいもの。小鳥ではないかと思った。蛾よりも手間はかかるけど。人体の皮膚から鳥が孵化するとすれば、見る者に拒絶感はすくない。鳥は、さまざまなメタファーが蓄積されたモチーフだから、想像は一気に多重に開花するはずだ。*大坂奈穂さん (デザイン、学部4年) の 「奇蝶」 は、展翅された蝶の羽がアルファベットのAからZまで大文字小文字をつくり、幼虫が疑問符・感嘆符をかたちづくる。想像上の昆虫フィギュアでは、国展やシェル賞展で入賞した川越ゆりえさんの作品にぼくは注目している。変わりアルファベットも、いろいろなひとが作品を作ってきた。そういうアイディアの合体といえば言えるけど、こうして粘り強く実際に巨大な昆虫標本箱にまで仕立てた粘りが、すごいのである。*高城(たき)ちひろさん (油画、学部4年) の 「逃避、夢の中へ」 は、高い脚つきのキャビネットの四周に油画の小品を9枚ずつ、つまり36枚の油画をあしらった作品。キャビネットは下が開いていて、下から中に頭を突っ込んで闇のなかで内側の小壁画も見られるようになっている。「逃避、夢の中へ」 という題名も、この趣向から来ているのだろう。それ以外にも、壁に十数枚の作品を展示していて、意欲的なひとである。作品そのものは、銀座フォレストあたりでふらりと出会いそうな幻想油画で、実際にフォレストの森 弘彦さんから声がかかったらしい。作品は、いいものとそうでないもののムラがあるけれど、方向性は現代アートの需要に応えているので、どんどん描いてほしい。「逃避、夢の中へ」 は、このあとどう保管されるのか気になっていたら、その後 高城ちひろさんから連絡があり、「みなかみコレクション」 の平成25年度収蔵作品として収められることになったと。群馬県利根郡みなかみ町(まち)は、新潟県との県境沿いにある人口2万人の町。「みなかみ」 は 「水上」 と書くが、平成17年の町村合併でひらがな表記に変わった。みなかみ町は、まちづくりの一環として藝術村をかたちづくろうと、平成18年から東京藝大の卒業・修了作品の寄贈を受けコレクションとし、展覧会やワークショップ開催も行ってきた。*大石雪野さん (彫刻、修士2年) の作品は、独特の発想とそれを支える技があって、見ごたえあり。えてして 「発想だおれ」 あるいは 「技だおれ」 に終わるひとが多いなか、一流の発想と技が共存しているひと。展示室の隅っこに置かれた “Time continuity seen in her surface” は、うつくしい裸婦の後ろ姿。FRPでつくった造形にプロジェクターで映像投影してある。隅っこに置かれたのは理由があって、裏にまわって彫像の顔をみると、それが老婆なのである。“Bison [Outstretched]” は、動物のバイソンを縦長に引き伸ばした。“Old man [of pieces]” は、人頭をいくつも横に輪切りにして ずらした。*総合工房棟では 村上 萌(もえ)さん (先端藝術表現、修士2年) のノリがよかった。黒と朱の漆工藝とみえる作品 「食媒」 に、一升瓶で日本酒らしきものをサーブする和服の女。作品の周囲には8人の客が群がり、中央からサーブされる酒がながれて自分の眼前の窪みに溜まったのをすすりつつ、縁(えにし)を確かめ合うのであった。とまぁ、そういう趣向の作品でありまして、和服の女は村上萌さんそのひと。サーブされているのは、学内展示で酒の供応は不可ということで、お出汁(だし)なのだそうである。秘密結社にぜひ欲しいアイテムですね (笑)
Mar 5, 2013
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ポルトガルの詩人・作家 Fernando Pessoa (1888―1935)。寺山修司みたいな広がりのあるひとだな。あまたの箴言からなる本。ぼくもこんな本を最後に著述して死んでいきたい。≪神のことを考えることは、神に叛(そむ)くことだ。神はわれわれが神を知らないことを望んだのだから。≫ (46頁)しびれるね。≪神は、彼よりも偉大な別の神にとっては一個の人間である。≫ (47頁)ペソアのことばに抱かれながら毎夜 眠りについたなら、人生はどんなに素敵で、不敵で、勝手なものになるだろう。Fernando Pessoa 『不穏の書、断章』 澤田 直訳 (平凡社ライブラリー、平成25年刊)ものすごく鋭い「えぐり」のちからでグサッとくるページがあるかと思うと、数十ページにわたり退屈なひとりごとが続き途中で放り出そうかと思うところもある。ペソアがじっくりゆっくりしたためたペンの歩みにペースを合わせて、すこしずつ読まなければいけないのさ、ほんとはね。逆説と倦怠。≪読者はこの文章にどんな意味があるのかと自問しているにちがいない。そんな誤りをおかしてはいけない。言葉や物の意味を訊ねるなどという子供っぽい習慣は捨てることだ。≫ (278頁)ここまで言い切った人間が、文学史上いたろうか。無敵だ。で、子供って?≪神がいるとしたら、それは無限に大きな子供なのではあるまいか。宇宙全体がお遊び、腕白坊主のいたずらではないのか。≫ (296頁)逆説の数々。≪愛するとは、ひとりでいることに飽きることだ。したがって、怯懦(きょうだ)であり、自分自身にたいする裏切りである (愛さないことはきわめて重要である)。≫ (298頁)≪優れた人間が、劣った人間やその兄弟である動物たちと異なるのは、ただ彼が逆説(アイロニー)という長所を持っているからだ。この逆説(アイロニー)こそが、意識が自己を自覚する最初の徴(しるし)なのだ。そして逆説は2段階を通過する。第一は 「私は自分がなにも知らないということだけを知っている」 と言ったソクラテスの段階であり、第二は 「私は自分がなにも知らないかどうかさえ知らない」 と言ったサンシェス (16世紀のポルトガルの哲学者) の段階である。≫ (307頁)切り立った崖のようなペソア。そのペソアに、こんな人生観を披瀝されるとほっとする。≪わたしとは、俳優たちが通り過ぎ、さまざまな芝居を演じる生きた舞台なのだ。≫ (40頁)≪私たちには誰でも二つの人生がある。真の人生は、子供のころ夢見ていたもの。大人になっても、霧のなかで見つづけているもの。偽の人生は、他の人びとと共有するもの。実用生活、役に立つ暮らし。棺桶のなかで終わる生。≫ (73頁)≪私は、野原の真ん中に始まり、別の野原で消え失せるような道路を造って一生を送りたい。≫ (319頁)
Mar 3, 2013
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