2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全6件 (6件中 1-6件目)
1
著者はテレビ朝日の政治部記者である。テレ朝入社10年目に社費で防衛大学校へ行き、国際安全保障学の修士号を取ったという変わった経歴。こちらに、布施哲さんが防衛大学校のウェブサイトに寄せた一文がある:テレビ記者、防衛大に行くー総合安全保障研究科での2年間を終えてなぜか読了まで著者経歴に目が行かなかった。テレ朝記者と知ったら、即、読むのを止めていたかもしれないから、神さまのご配慮があったのかもしれない。衝撃的内容の本だった。傾聴すべき提言もある。中国共産党軍など質が劣り、通常兵器の戦いであれば自衛隊も持ちこたえ、自衛隊+米軍の前にはイチコロと思っていた(もちろん米日による中国大陸への侵攻は問題外。あくまで域外に出てきた中国軍を叩くという前提)。そうではないという。中国軍にはるかにまさるデータ収集能力と性能優位の武器を日米がもっていたとしても、現在のペースで軍拡をすすめる中国軍が2030年に先制攻撃を仕掛けてくれば、物量にものをいわせた中国軍のミサイル攻撃によって緒戦では日米の戦闘能力は大いに削がれるという見立てだ。布施哲(ふせ・さとる) 『米軍と人民解放軍 米国防総省の対中戦略』 (講談社現代新書、平成26年刊)たとえ烏合(うごう)の衆のように戦意に劣る兵隊の集団であっても、たとえ1対1のドッグファイト(戦闘機どうしの一騎打ち)で中国軍が100%敗れても、繰り出されるミサイルを片っ端から日米の迎撃ミサイルが撃墜できても、勝負は甘くない。中国各地の森のなかに隠された移動式の発射台から、中国側がミサイルで集中豪雨のような攻撃を仕掛けたとしよう(隠された移動式発射台をピンポイントで破壊するのは、極めて困難なのだという)。1基のミサイルの迎撃には2基のミサイルが使われる。中国軍が物量で撃ちまくってくれば、日米の戦艦や戦闘機も一時的にミサイル切れとなり、後退せざるを得ない。第4章「米中衝突2030」が、そういう事態をシミュレーションして見せる。日米が手を携えたからといって盤石の備えというわけではない。衝撃をうけた。≪弾切れになれば、いくら高性能な護衛艦や戦闘機を揃えても、戦闘力は失われてしまう。ましてやフルスケールに近い通常戦争であれば、自衛隊の基地だけでなく弾薬庫や燃料備蓄施設も攻撃対象となり、補給や整備を受ける施設も失われる可能性が高い。ミサイルを撃ち尽くし、補給を受けられないイージス艦や戦闘機は、戦闘力ゼロの単なる高価な兵器に成り下がってしまう。≫ (303頁)中国経済が破綻してくれれば中国も弱体化し危機は去ると思ったら、これまた大間違い。今や、むしろその逆だというのである。≪日本にとって中国の脅威は軍事力だけではなく、中国経済の破綻による政治的社会的混乱によって引き起こされるのではないか。別の言い方をすれば、日本にとって最大の脅威は「強い中国」ではなく、「弱い中国」なのではないだろうか。経済がクラッシュして予算の大盤振る舞いができなくなり、軍のみならず法執行機関も不満をくすぶらせ、おのおのが政治主張を始め、事態が徐々に統制がきかなくなる……。こうしたとき中国は内なる不満や混乱を外に向けさせるため、強硬行動や武力行使を選ぶ――。そして、そのとき標的にされるのは台湾であり、台湾侵攻を企てる中国と、それに反発する日米の間で軍事的緊張が一気に高まっていく。米中戦争があるとすれば、まさにこのような形で始まるのではないだろうか。米国防総省の懸念もここにある。≫ (87~88頁)中国のミサイルを邀撃(ようげき)するために、将来的にはレーザー兵器が有効らしい。だんだんSF映画の世界になってきた。≪DEW(directed-energy weapon 指向性エネルギー兵器)と呼ばれるレーザー兵器は地上配備型だけでなく、小型化とコストダウンが実現すれば艦艇にも搭載できるようになるだろう。イージス艦などに搭載できるようになれば、ミサイル迎撃に大きな効果が期待できる。≫≪レーザー兵器は、電力が供給される限りミサイルのように弾切れの心配もない上に、レスポンスタイムも短く1発あたりのコストが1ドルと極めて廉価という利点がある。迎撃ミサイルを搭載せずに済めばその分、巡航ミサイルを多く積むこともできる上、目標に対してレーザーを指向させるのもミサイル誘導より容易、などメリットは多い。なにより米軍にとっては、ミサイルの弾切れの不安から解放されるメリットが大きいだろう。≫ (171頁)*本書末尾の著者提言は真摯な傾聴に値する。≪国力が衰退し財政面の制約を今後も受け続けることを考えれば、日本はコストパフォーマンスを強く意識しながら、新しい脅威に対抗できる抑止力となる自衛隊を整備していかなければならない。防衛予算全体のパイ拡大は望めない。そもそも「日中紛争」や「台湾海峡危機」といった、発生の可能性が低い、しかし発生したときの影響が大きい事態を想定した防衛力整備をどこまでやるべきか、という根本的な精査も必要だろう。あやふやな中国脅威論に便乗した、無軌道な防衛予算の増加は最も忌避されるべきものだ。今後の防衛予算は、防衛という限定された世界の中での積算ではなく、財政や社会保障、教育、経済成長への投資という優先事項とのバランスの中で決定されなければならない。放漫財政により日本国債がクラッシュし、経済的に荒廃すれば、防衛力整備も始まらなくなる。≫≪人員も予算も多い陸上自衛隊から、海空自衛隊への予算のシフトを真剣に実行する時だろう。陸上戦力の役割は引き続き大きいものがあるが、日本の脅威は海や空を通ってやってくることを考えれば、どうしても海と空の守りを重点的に整備していかざるを得ない。≫ (307頁)著者は、安全保障外交が経済力や技術力も含めた総合力に基づくことを強調して本書を終えている。≪米軍のアジアでの展開を支える日本の整備能力、技術力もまた日米同盟の基盤であり、米国を日本防衛とアジア太平洋に引き留めている要因だ。(米国国防総省の作戦構想である)ASB(Air-Sea Battle 本書の第3章に詳細記述あり)を見ても、日本の支援がなければ米国の作戦は成立しない。こうした日本の強みは対米関係においても日本の交渉力であり、日本はこうした強みも自覚して対米関係や対中関係などで活用していくべきだ。そして、なにより米国と中国の狭間にいる日本の交渉力を強める特効薬は、日本経済の成長だ。米国は、経済力(=国力)が衰退した「弱い日本」を望んでいない。日本が米国にとって頼りになる強いパートナーでいることもまた、米国の日本への関与につながる。中国に対して経済面で過度に依存することは、中国の要求に対する日本の脆弱性を高め、日本の戦略的判断の幅を狭めることになりかねない。経済力という国家のパワーを維持し、中国に対する敏感度を下げ、経済的にも政治的にも米国にとって頼りがいのあるパートナーとなることで、日本の安全保障上の選択肢は広がっていくのである。≫ (309~310頁)信頼が置けそうな論客・布施 哲(さとる)氏だが、あのテレ朝で仕事を続けて、周囲の圧力でつぶされないことを祈るばかりだ。なお、角川叢書『希望の政治学 - テロルか偽善か』の著者、布施 哲(さとし)氏は別人ですので、ご注意を。
Nov 29, 2014
コメント(0)

今週土曜までの4日間となってしまいましたが、託摩敦子展は一見の価値ありです。広めの画廊で作品をじっくり見終わって、「いい銅版画だけど、刷りが薄いのがあるのが残念だな…」などと思いつつ過去ファイルをめくったら、なんと、「水性ペン」とある。さまざまな太さの水性黒ペンをつかって、手描きでエッチングの風合いを実現した一点ものだった。紙に水性黒ペンだと、銅版画の盛りのあるインクに比べれば弱くなるので、「刷りが薄い」と思ったわけですが、最近作はこれを克服するためにジェッソを塗った面に水性ペンで描画。これをやると、銅版画なみの強い線が描けますが、ペン先に負担がかかるので描画はいっそう大変だったそうです。作品です。託摩敦子「猿の給仕係」清純と乱雑が沈黙のうちに隣り合せている。なんというアイロニーでしょう。文明批評にもなっていますね。3匹の蝶が気になりました。えてして蝶々などを必要以上に描いてしまう作家がいるものです。「あ、この蝶々は、こちら側にいるんです。見る側の視点なんです。それが動いているんです」と作家の託摩さんが説明してくれました。なるほど、それなら納得がいきます。確かにサイズからみて、蝶々は確実に「こちら側」にいます。託摩敦子「おうまさんごっこ」おうまさんが、じつにリアル。耐えてる感じ!託摩敦子「食欲奴隷の晩餐会」162cm×65cmの大作。ジェッソ塗りの上に水性ペン描きなので、たいへんな労力がかかっています。右側の船盛りです。人魚姫ちゃんが、これから食欲の的と化するわけです。こちらは左側の船盛り。人魚姫が骨になっちゃってるの、わかりますか。拡大してみましょう。銅版画の描画の伝統をしっかり吸収し自分のものにしたうえで、どきっとさせる絵をつくっています。ファイルを拝見すると過去から作風は同じですが出来は着実に進歩していて、とくに ここ2年ほどの作品はじっくりと見入らせるしっかりしたコンセプトがあります。作家もうつくしいかたです。詩文集を作りたいと言っておられました。応援したいです。特製デザインのトランプを制作するときは共同出資してもいいなと思いました。
Nov 26, 2014
コメント(0)
ミュージカル女優・笹本玲奈さんのファンクラブイベントは欠かさず出てますが、今年はとても充実していました。何といっても、彼女自身が人として成長して、当たりがやわらかくなった。以前は、気負いを発散させていましたが、いまは自然にひとと やわらいでいる。おとなの女性になって、そして一段と美しくなりました。以下、彼女のトークの前半部分(演劇関係)から抜粋です。ちなみにトーク後半は出演したコンサート関連でした。◆ジャンヌ◆自分がずっと演じたかった役が5つありました。レ・ミゼのエポニーヌ、ミスサイゴンのキム、ガイズ&ドールズのサラ、ミー・マイのサリー、そしてジャンヌ・ダルクです。昨年9月に「ジャンヌ」を演じて、この5つを20代のうちに演じることが、かないました。文学座の皆さんに囲まれて、女性ひとりポツンでしたけど、稽古中は毎日戦争でした。今までになく長い台詞(せりふ)でしたから。これまでのお芝居では、稽古期間の前に3日間だけ椅子に坐って台詞だけひたすら読んでいたのですが、「ジャンヌ」は10日間、台詞だけの練習をしました。出づっぱりで衣装も重いし、長い台詞が各シーンにあるんですね。最後の裁判シーンは説明台詞が多いのですが、地方公演で台詞を3頁飛ばしてしまった俳優さんがいたんです。どうやって巻き戻そうかと舞台上のみんなが助けようとしていろいろ台詞をトライするんですが、戻そうとする台詞がひとによってポイントが違って、うまくいかないんです。1分ちかく、しーんとしてしまって。1分の空白のあと、どなただったか、うまく続けて、それでまた舞台が回り出したんですが。じつは飛ばしてしまったのは某##さんでした。(注:お名前はブログには書かないことにします) 大先輩でもそんなこともあるんだなぁと。ところが##さんは舞台が終了するまで自分が間違えたとは思ってなくて「誰だよ、次の台詞は !?」と思っていたそうで、じつは自分の間違えだと分ったあと、新幹線に乗るまでの時間にレストランでおごっていただきました。演じる前にフランスのオルレアンに行きました。ジャンヌの住んでいた家も建て直されてレプリカが建っています。河のあっち側とこっち側で敵味方が向かい合った場所にも行きました。舞台で台詞を言いながら、その場所の絵が浮かんでくるんですね。「ルドルフ」のマイヤーリンクにも行ったことがあります。建物は変わっていても、風景は変わっていません。実際にあった出来事に基づくお芝居を演じるときは、その場所を見たほうがよいと思いました。ストレートプレイ(注: ミュージカルではない台詞劇)は来年も1本、予定しています。ミュージカルをやるにしても、歌がうまいだけではダメで、基本はお芝居ですから、ことばだけで伝えることができないといけませんね。わたしの演じる役は悲劇的結末のものが多いのですが、コメディーも率先してやっていきたいです。◆クリスマスキャロル◆稽古がレ・ミゼの本番中だったので、迷惑をかけてはいけないと思って一旦はお断りしたのですが、市村正親さんがすごく推してくださって。市村さんの40周年記念の作品でもあったのです。市村さんは、1998年にわたしがピーターパンにデビューしたとき初日に観に来て楽屋に来てくださって、そのときイギリスのピーターパンの銅像が立っている公園でお撮りになった写真にサインしてわたしにくださったんです。「いつか、共演できるように頑張ろうね」って。舞台でご一緒できたのは2004年の「屋根の上のバイオリン弾き」でした。市村さんはわたしにとってミュージカル界のパパです。いつも目を光らせてわたしの演技を見ていてくださり、いろんなアドバイスをくださいます。◆ラブ・ネバー・ダイ◆衣装の早変わりをする「水着の美女」では最初の段階で7枚重ね着しているので、このままでは雪だるまになっちゃうと思ってダイエットしました。久々にダンスもあって、ミュージカルらしい作品でした。わたしの演じたメグは、前半はひたすら明るい人柄で、最後に本心が見えてくるのですが、演出家さんから「ここはお客さんをだましてしまおう!」と。淡々と演じて最後にはぜる役はやりがいがあります。ダブルキャストの彩吹(あやぶき)真央さんは宝塚のかたなので、立ち方や踊り子さんとの距離感を学ばせていただきました。ラウルとファントムのどちらを選ぶかと言われたら、ファントムを選びますね。ラウルも最後はせつないですけど。ラブ・ネバー・ダイIIがあったら、どういう話になるのかなぁと考えます。ファントムとクリスティーヌの息子であるグスタフを、この先はファントムとラウルが立派に育てて……とか。みんなが不幸になるのはかわいそうだから、メグもどこかの国に母親と一緒に逃げて、結婚してハッピーになってほしい。5つの役がダブルキャストなので、いろんな組み合わせで稽古をします。相手が違うと、こちらの演じ方も変わります。市村さんと鹿賀丈史さんは、個性のちがうファントムだったので、わたしの演じるメグも動くポイントとかいろいろ演じ違えました。そういうことが楽しかったですね。市村さんと鹿賀さんの違いが楽しかったです。市村さんは、ついていきたいと思わせるファントム。鹿賀さんは、あなたの才能をまもってあげたいと思わせるファントムでした。◆ミス・サイゴン◆新演出のロンドン公演のオープニングに招待状をいただいて、市村正親さん、駒田一(はじめ)さんとともに行きました。新演出は、人数も増え、セットも変わり、ヘリコプターも再登場ですし、すごく変わったなという印象で、違和感さえ感じたほどでした。2012年演出の映像のヘリコプターに慣れてしまっていたんですね。今回の帝劇公演は、ロンドンの新演出をそのまま持ってきています。2012年は青山劇場という小さなハコでしたが、今年の帝劇は大きなハコなので、同じセットでも場所を広く使います。2階席のいちばん奥の席にいらっしゃるお客さまにも伝わるお芝居をしなければなりません。わたしがキムをはじめて演じたのは19歳のときで、そのときはまっすぐストレートに子供を守りたいという気持ちを歌いました。しかし人間は迷いや弱さもないわけではない。クリスを信じていると口では言っていても、本心ではやはりクリスは戻って来てはくれないとも思う。でも、ことばでもって「クリスを信じている」と言って、自分を奮い立たせているのがキムなのだと気づきました。弱さが勝って、涙が出ることもある。演出のダレン・ヤップさんも「強いだけの人間はいない。弱い面も見せればいい」と言ってくれて、自分もそのほうがやりがいがありました。トゥイとの対決の場面でも、キムにはきっと「このひとと一緒になれば苦労もなくなり、子供もしっかり育てて安定した生活ができるかもしれない」という思いがよぎったはずだとダレンは言うんですね。トゥイをキムが殺したとき初めてキムは「迷いはない」と本当に強い気持ちになって「命をあげよう」を歌い上げる。過程がちゃんとあった上での「命をあげよう」なのです。2004年から10年間で154回のキムを演じることができ、ぜいたくな経験でした。イベント恒例の「歌のコーナー」は、レ・ミゼ笹本エポニーヌの歌「オン・マイ・オウン」と、平原綾香さんの「おひさま ~ 大切なあなたへ」。「おひさま」の歌詞は、ミス・サイゴンのキムのことばとして聞くこともできますね。イベントの最後、笹本さんにひとことお伝えしました。「35歳になるまでにぜひアメリカかイギリスでお芝居をやってください。もう日本では極めちゃったところもあるし。イギリスには演出家のジョン・ケアードさんもいるし」。笹本さんは「え!?(できるかな??)」という反応でしたけど、5年計画で新たな高みを目指してくれればと祈っています。
Nov 24, 2014
コメント(0)
日本橋高島屋美術画廊Xで12月1日まで開催の三瀬夏之介「画家の方舟」展に行きました。昨年の平塚市美術館での個展は力強い墨作品が展開していたようで、見られず心残りに思っていたが、本展の作品はやや一本調子。いささかがっかりでした。でも、日常雑多のものを置き並べた空間コラージュが面白かった。プライベートメッセージの覗き見気分。そこに本も並べてあって(ちょっとだけ松岡正剛さんふうですが)、読書の参考に書き留めてきました。こんなラインアップでした。上の段:高野慎三 『つげ義春を旅する』(ちくま文庫)斉藤光政 『偽書「東日流(つがる)外三郡誌」事件』(新人物文庫)寺田寅彦 『地震雑感/津浪と人間』(中公文庫)宮沢賢治 『注文の多い料理店』和辻哲郎 『イタリア古寺巡礼』(岩波文庫)片岡義男 『日本語の外へ』(角川文庫)赤坂憲雄 『象徴天皇という物語』(ちくま学藝文庫)岡倉天心 『茶の本』(講談社学術文庫)岸田劉生 『富山秀男』(岩波新書)木原善彦 『UFOとポストモダン』(平凡社新書)矢代幸雄 『水墨画』(岩波新書)舞城王太郎 『九十九十九(つくもじゅうく)』(講談社)米山俊直 『小盆地宇宙と日本文化』(岩波書店)H・K・バーバ 『文化の場所 ポストコロニアリズムの位相』(法政大学出版局)下の段山下澄人 『コルバトントリ』(文藝春秋)水村美苗 『日本語で読むということ』(筑摩書房)真壁仁 『みちのく山河行』(法政大学出版局)内藤正敏 『遠野物語の原風景』(荒蝦夷)村上義男 『萬鐵五郎を辿って』(創風社)樺山紘一・岩本由輝・米山俊直 『エナジー対話「東北」論』(エッソ・スタンダード石油)辻邦夫『春の戴冠 上・下』(新潮社)『奈良県 ―新風土記― 1958』(岩波写真文庫・復刻版)三瀬夏之介さんは、奈良県生まれで、いまは東北藝術工科大教授。奥羽地方関連の本が多いのもうなずけます。
Nov 15, 2014
コメント(0)
うなぎパイは、固く焼けているのに表面にてらっとしたひと味があって、好きだ。週末に静岡に行った女性社員がおみやげに職場で配ってくれて、久しぶりに食べた。パイを包んだ小袋に書いてある文字も昔のままなのだが、時代が変わったからだろう、ドキッとしてしまった。おもて≪夜のお菓子うなぎパイ浜名湖名産≫うら≪うなぎパイは……フレッシュバターを豊富に入れたパイに、うなぎの粉、夜の調味料ガーリックを配合し、日本茶にも、コーヒー、紅茶にも合い、あなたの暮しに微笑みのひとときを与えるお菓子です。≫このお菓子、男のぼくは職場で配れないなぁと思ってしまった。とくに女性たちに対しては。あまりに意味深(しん)で。セクハラということばさえ存在せず、生命保険会社の勧誘員が年末に配ってくれる卓上ヌードカレンダーが職場の机にあった昭和末期~平成1桁には、まったく自然な「にやり」感だったろう。ところが、保険会社が子犬の卓上カレンダーに切り替えて久しい平成26年になってみると、これらのことばがタイムカプセルから取り出したような感じがする。お菓子の製造元の春華堂のホームページを見ると、≪夜のお菓子とは家族団らんのひとときに召し上がってもらいたいという意味です。命名者は当社二代目社長の山崎幸一です。うなぎパイが誕生した昭和36年は高度経済成長の真っ只中。その成長期において女性も社会に働きに出るようになり、子供たちも学校・塾など……皆が家にいる時間が少なくなりはじめていたようです。そんな中、夜の夕食だけは家族の集まる団らんのひとときとして大切にされていた時間でした。そんなひとときに「うなぎパイ」を囲んで楽しいひとときをすごしてもらいたいと命名されたのが「夜のお菓子」です。ただ、実際には違う解釈もして買っていく方も多いようです。≫あぁ、そういうことでしたか。まさしく「夜のお菓子」はタイムカプセルだったわけだ。わが家など、夜の団欒のひとときという概念が結婚時点からほとんどない。いちばんの元凶は、激務のころにぼくの帰りが遅かったから。今や夜の団欒は実現可能だが、娘たちは好き勝手な時間に食事することに慣れきっていて、「ご飯だよ~」と声をかけてもなかなか集まらない。責められない。ぼくが悪いのだから。うなぎパイにおかれては、これからも時代を超えた「にやり」を振りまいてほしいものです。*ところで、ふつうの うなぎパイ(ニンニクが入っていると言われても、ニンニクはほとんど感じられないが)に加えて、「山椒味」のうなぎパイを食べてみたいと思うのは、ぼくだけだろうか。うなぎといえば山椒だから、春華堂さんも当然ながら真っ先に試作し、結果が散々だったから商品化されなかったのだろう。スパイシーなものを消費者が求める世の中だし、調味エッセンスも格段に進歩しているから、ぜひもう一度、山椒味うなぎパイの開発をしてもらいたいものです。プレーンと山椒味を10本ずつ入れた20本セットとか、どうですかね。いまのところ うなぎパイの変わり味は、アーモンド風味の「うなぎパイ ナッツ入り」と、ブランデーとマカダミアナッツ風味の「うなぎパイ V.S.O.P」だけらしい。
Nov 11, 2014
コメント(0)

内藤亜澄(あずみ)さんの “Hand” と題したサムホール判の小品(平成23年作品)を持っている。見る者を幻視世界に とろりんこと引き込む、内藤ワールドのファンである。11月8日まで京橋三丁目の Gallery Tsubaki/GT2 (11/2, 11/3 は休廊)で「内藤亜澄展」をやっている。2度もかよってしまった。最も引き込まれたのは、この作品だ。内藤亜澄 「誰かの夏」 F50号6つの十字架は何を象徴しているのだろう。十字架からこちらに向かって伸びる黒い線はもはや影ではなくて、どこにつながっているのか 底知れぬ深い溝ではなかろうか。人物と十字架を分かつ結界を示すような赤い線は、何の象徴だろう。寓意を含む絵は、えてして「伝えたい理屈を絵解きしてみました」という作家のメッセージが見え見えのものがある。そういう絵はけっきょく、見る側の感受も作家が準備した理屈を超えられない。ところが「誰かの夏」は、そうではない。内藤さんなりに絵を支えるロジックは組み立てておられるのだろうが(それを聞いてみたい気もするが)、あらゆる象徴はすでに作家のロジックを超えたところで息づきはじめている。刻一刻と、見る者の大脳を刺激する波動が、絵から放射されている。白い壁面と、赤い壁面と、それを取り巻く樹林。その3つの何れか1つだけが現実で、残る2つが幻視だとしたら、現実は白壁、赤壁、樹林のうちの何れだろう。そんなことを考えだすと、絵はすでに静止画像ではなく、幻視の樹林がむくむくと立ち上がる動的光景まで見えてきそうだ。視線をこの絵に向けるたびに、謎に踏み入り、さまざまな幻視を感じる。飽きない絵とは、まことにこの「誰かの夏」のような絵を言う。内藤亜澄 「瞬間」 F8号内藤亜澄 「夜明けまで」 F8号内藤亜澄 「止まり木」 F8号内藤さんが描く人物は、平成23年から24年にかけて大きく変わった。それまでは、霧の向こうの乳の凝固体のような人物だった。それがやおら、メタリックなゆらめきを帯び高圧電流を放出しつつ融解しそうな人物へと変わった。創造したメタリックキャラを、内藤さん自身、御(ぎょ)しきれていないように感じられたのが昨年だったが、今年の個展ではこのメタリックキャラを御しきった。メタリックな跳込板の少女はすでに手の先を失い、水面に着地するまでに秒速で空気に拡散しそうだ。ボート上で闇を見つめる少年からは、アーク燈のじりじりという音まで聞こえてくる。そしてショッキングピンクのカーテンの向こうの妖怪少女には、次の瞬間にあらゆる変化(へんげ)が可能なポテンシャル(潜在力)を強く感じさせる。メタリックキャラが潜在的にもつ動感を生かしきった三部作だ。内藤亜澄 「駆け抜ける」 F20号少女の飄々(ひょうひょう)。ジョルジョ・デ・キリコの「通りの神秘と憂愁」の左下に描かれた輪回し少女を思い出した。内藤亜澄 「求められる家は山をも創る」 S50号今回の個展のDMに使われた作品。画題の含意を作者から聞きたい衝動にかられる。内藤亜澄さんは昭和58年生まれ、東海大教養学部美術学科卒。平成24年にシェル美術賞 本江邦夫審査員賞を受賞。個展はギャラリー椿で11月8日まで。
Nov 2, 2014
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1
![]()

