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12月31日。そういう気はまったくしないが、大晦日である。 今朝の最低気温はマイナス4度だそうだが、風がないので体感温度はもう少し暖かい。気温が上がらないから、2日前に降った雪も、木の上で固まっている。 今日は本来なら日曜日で休みなのだが、1月3日にやるべき授業を移動してきて、新年は3日までが正月休みになる。おせち料理作りも、大掃除も、年越しソバも、更には紅白歌合戦も格闘技もない大晦日である。 学生たちはだいたい半分近くが故郷に帰り、残りの半分は学校に残る。学生たちに言わせれば「正月休みは普段の日曜日と同じ感覚です」とのこと。 普段はあまり思い出すこともない日本料理だが、こういう特別な日になると、ダシのきいたソバが食べたくなる。中国では春節は一家で必ず餃子を食べるそうだが、雑煮よりも、むしろソバが懐かしい。 その気持ちを抑えて、今日の昼は田中先生、松嶋先生と連れ立っておんぼろ街に行き、ワンタンを食べ、中華クレープのようなもの(クレープのような生地にねぎや揚げ湯葉を乗せ、味噌ダレを塗ったものを、巻いたもの)を買って歩きながら食べた。 今日は他の先生の授業も早く終わったり、或いは休講したりで、実にのんびりしたもの。 私も100分の持ち時間を50分で終えて、学生たちと一緒に部屋に帰った。 日本にいてなんとなくわかっていたつもりだった中国、想像していた大学、そして学生、或いは普段の生活など、やはり実際に経験して初めてわかったことがたくさんある。 反日思想は確かにあるのだろうが、学生たちからはそういう声を聞いたことがないし、すくなくとも私が会った多くの中国人は、誰もが日本人の私に親しみのこもった視線を投げかけてくれた。 日本を発つ前、知り合いの人は「醤油を持っていったほうがいい」とか「レトルトカレーは欠かせない」などと忠告してくれたが、そんなものは一切不要だった。むしろ、中国の香辛料を日本に持って帰りたいくらいだ。 最も不安だった、学生たちの私に対する反応は、まったく杞憂だった。 明日は新年。初詣に行く代わりに学生たちの寮に行って話をすることになっている。 それが私にとっての年始まわりになる。
2006年12月31日
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夜の7時から、3年生1班による「年末ゲーム大会」が開かれ、参加してきた。 歌あり、ゲームあり、寸劇ありの、バラエティ大会だった。 入学から卒業まで同じ寮で4年間を過ごすからか、中国の学生たちの仲間意識は、日本では想像できないくらい強い。 クラス単位でのこういう会は珍しくないし、先日の誕生会兼クリスマス・パーティは寮の同室の仲間が開いたものだった。 先日は2年生が2回、「日本語会話ショー」と「日本語交流大会」を開いて、日本人教師と中国人の日本語教師たちの喝采を浴びたところだが、今回の3年生は全編、中国語だった。 参加した教師は私だけだったが、他の日本人先生が出席していたら、またぞろ「2年生は上手なのに、3年生は……」とお小言の一つの言われても仕方のないところだった。 だが、今日は仲間内でわいわい楽しむ会なのだ。 思ったことをずばずば言って、日ごろの憂さを晴らし、ストレスを解消するための会なのだから、これでいいのだ! 私が9月に授業を始めたとき、学生たちは既に日本語能力試験1級の準備にとりかっていた。それからずっと、しゃにむに勉強ばかりをしてきたのだ。中にはストレスが溜まって、笑顔がなくなった学生もいる。 ところが今日は、全員が笑顔で、大声で笑ったり喋ったりして、素の二十歳の若者だった。 だから、今日は無理に日本語を話さなくてもよかったのだ。 他の先生の前では、きっと上手に日本語のスピーチをしたり日本語ドラマが演じられるように、これから私と学生たちとで頑張ります。 だから今後、もし3年生が上手な日本語会話を披露したら、思いっきり誉めてやってください。 一緒に頑張ろうぜ、3年生たちよ! これが本日の司会進行役の4人。スーツを着てきたり、化粧をして着飾っていた2年生とは違って、この普段着が会の趣旨と3年生たちの個性を表しているのだ。 おどけた表情をしているのが吉君で、この前、私に火鍋をご馳走してくれた。 だが、先週の作文の授業では「『自己紹介』というテーマでは、私は作文を書きたくない。これまで何度も書いてきた」と言って、とうとう最後まで書かなかった反骨精神の持ち主だ。勿論、「先生、すみません」と謝ってきた。 歌を披露したのは3人。トップバッターが彼女。 彼女は授業中はあまり目立つことはないが、指名するときれいな発音でしっかりと答える。おとなしい子なのだが、寮を訪ねたときには積極的に話しかけてくれた。男子学生に人気があるのだが、「好きではない人は私に関心を持ってくれるけど、私が好きな人は、私に何も関心を持ってくれないの」と言っていた。 寸劇の場面。男が彼女に恋の告白をして結ばれるというシーンらしい。 ピンク色のコートを着ているのが、前の班長さんで私の中国語の先生です。 椅子取りゲーム。こういう他愛のないゲームに興じることが面白いのだ。 そして最後は、私を囲んでお決まりの集合写真。 この写真の前にクラス全員の寄せ書きが入った新年カードとティーポットをプレゼントされた。 みんないい笑顔だなあ……。
2006年12月29日
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最近、ネットの速度が異常に遅い。 どれくらい遅いかというと、ブログの管理画面から「日記・記事に書き込む」という画面に移動するまでに早くて1時間半、長くて3時間。そうやってやっと辿り着き、書き終わって登録すると、これまた20分か30分後に「ページを表示できません」と出てきて、また30分ほど時間をかけて戻ると、書いた記事が全部消えていた、ということもしばしば。 このネットのサーバーは大学のものらしく、図書館やコンピューター室、教職員住宅、そして学生たちの寮でも使っているから、ただでさえすし詰め状態で、そこにもってきて、新しい教学楼や職員住宅、寮などをどんどん建てているから、回線の工事も多い。 今は、その過渡期なのだそうだ。 日本語の雑誌も新聞もなく、テレビも中国語という生活の中で、インターネットだけが自分と日本をつなぐ唯一の手段である。だから、そのネットが不便だと、本当にストレスが溜まる。 以前、3日ほど回線がつながらなかった時は、孤島に取り残されたような気分になったものだ。 だが、それ以外の生活(衣食住)に関しては特に、というより何の不満もない。 今、住んでいる部屋は、築25年で、以前はロシア人の住居だったという。例えて言えば、神戸や横浜の外国人屋敷(というほどではないが)を、アパートのように作り変えて住んでいるようなもの。 これが建物の概観で、1階に2人、2階に2人が住んでいる。 私は2階の右側で、その下は田中先生の部屋。左隣には松嶋先生が住んでいる。階下や隣の音はほとんど聞こえないので、学生が訪ねてきて話しても迷惑になることはない。 部屋の中はこんな感じ。 入り口を入ったところが、この客間。 今は少し模様替えをしたので、この写真とは様子が変わっているが、机が二つとソファ、冷蔵庫、テレビ、給水器、電話、本棚、エアコンなどがついている。電気、水道などの費用はただ。家賃ももちろん学校持ち。この部屋だけでクローゼットが2つあるので収納力も充分。 ここが寝室。 向こう側は衣装ダンス。反対側にはここにもクローゼット。 残念なことにガスがないので、自炊はできない。 食事は朝昼夜、3食ともこの建物の隣の外国人教師食堂に用意してもらえる。食事代は朝食が3元、昼と夜は6元で、1日3食で15元(220円くらい)。これは給料日に徴収される。 私は朝食はいつも食堂ではなく、バナナとりんご、そしてミルク(または豆乳)というメニューで、自分の部屋で食べている。田中先生と松嶋先生も同じ。お二人は電熱器を買っているので、ゆで卵を作ったり、牛乳を温めて飲んでいるそうだが、私はもっぱら粉末牛乳か粉末豆乳。これが栄養価が高くておいしいので、気に入っている。 日本にいる時に、中国での就職先をいろいろ調べたが、その時の基準は給料の額だった。 上海や広州、北京などの都会では、日本語教師の求人は多く、給料も5割くらい高い。だが、いざ暮らしてみると、給料の額よりも重要なものがある。 ここ河南省は内陸の農村地域だから、給料の差は物価の安さで相殺できるし、あくせくしたり、せかせかしたところもない。とてものんびりして、精神衛生上、極めていいところだと思う。 一番いいのは、現在、この大学に顔を揃えている外国人教師のメンバーが、非常に気安くて、気の置けない人ばかりだということである。 あとは空気と水さえ良ければ、言うことなし、なんだけどなあ。
2006年12月29日
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今日の院生の授業は久々に「新聞選読」をやった。 日本の新聞記事を読みながら、日本事情を紹介したり、一つの話題についていろいろ議論(というほどのことはなくて、雑談だが)をするというもの。 これまでは「横綱審議委員会」や「メタボリック症候群予備軍」「天皇継承問題」などの話をしてきた。 一歩間違えれば硬くなりがちな授業だが、これまで笑いや肯きに満ちた授業になっているので、多分、院生たちも楽しみにしている授業だと思う。 一般に大学の授業は教師の話を聞くだけで、学生が発言をするのは指名をされた時か、質問をする時くらいのものなので、自分の考えを自由に言えるこういう授業は異質で面白いと感じるのだろう。 今日のテーマは「米国産牛肉輸入再開へ向けて」。 こういうテーマで、果たして面白い授業になるかどうか、私自身が心配していたのだが、国名の記述(中国ではアメリカは『美国』だが、日本では『米国』と書く、それは何故か?)、国民性(98%大丈夫でも『多分』をつける日本人、50%の確信で『大丈夫!』と断言する中国人、貿易問題(資源が少ない日本)、食品文化(犬を食べる韓国人、鯨を食べる日本人、鯨以外なんでも食べる中国人)、タイ米騒動(輸入したタイ米を『まずい』と言って捨てた日本人)、エネルギー問題(日本の原子力発電と中国の原子力発電の話題、エネルギーの備蓄) などを私が実際に見聞きした実例をあげながら話した。 当初は、院生は6人で全員が現役の日本語教師(或いは現役の通訳)ということから、こちらも身構えながら授業をしていたのだが、言葉や文法の説明がそれほど必要ではないので、余分な時間をかけずにポイントを絞れるし、余談になっても充分ついてきてくれる。 むしろ彼らは、日本人しか知らない余談が興味深いのだ。 ……と思いながらも、授業の前は、やはりあれこれと心配になる。 だから今日も、上記の新聞記事以外にもう一つ別の記事を用意していたし、それでも時間があまったときのために、漢語を和語に直すクイズも用意していた。 だって、こういう授業は話題がどう展開するかわからないから教案の作りようがないし、作ってもその通りに進むことはないから、難しい。 それだからこそ、日本人としての視野や話題、知識の広さなど「日本人力」が試され、養われるのだろうと思う。 自分に話題を拡大し展開しながら、楽しく授業ができるかどうか、或いはつぼをついた院生の質問にうまく答えることができるかどうか、いつも心配するのが、この「新聞選読」の授業である。 それでいて、終わった後、充実感が残るのもこの授業なのだ。
2006年12月28日
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今朝の最低気温はマイナス4度だったそうだ。 日本、特に私の故郷ではこの気温だと、大寒波到来で必ず大雪になるのだが、こちらでは雪は降らず、乾燥しているから、視覚と体感とのギャップがある。 本日の授業は3年生の会話。 先週から3つの練習方法を組み合わせて、集中力を途切れさせず、全員に多くの日本語発話をさせるようにした。今週は2回目だから、時間配分もうまくいき、教室内に活気が溢れた。 やっぱり会話の授業は、学生たちの声が廊下に響くくらいでないと。 とはいえ、やっぱり1週間に1回では、どうしても足りない。 いつもは校内を散歩して、偶然出会った学生と会話をするのだが、マイナス4度の中を散歩する気分にはならないし、出会う学生の数も限られる。 というわけで、今日は学生たちの寮におしかけ、寮の中で会話をした。学生の大半は女性だから、今日は女子寮にも入った。押しかけたというより、むしろ学生たちがそれを希望したのだ。 以前、散歩中に男子学生と出会い、誘われるままに男子寮に行ったことはある。女子学生からも「寮に来てくれ」という誘いは受けていたのだが、こちらが照れて遠慮をしていたのだ。だが私自身もヘンな下心ではなく、学生たちと長い時間会話をする機会を持ちたいと思っていた。 そして、今日はクラスの女子学生が、私の部屋まで迎えに来てくれて、彼女たちと連れ立って寮に行ったのだった。 寮は8人部屋で、今日は4部屋(女:3部屋、男:1部屋)を訪問。 各部屋での滞在時間は1時間余りで、男の部屋のみ2時間。 充分に話ができたというわけではないが、部屋ごとに違う話題が出て、教室でとは違った学生の顔や性格が垣間見れたことが収穫。特に、教室ではあまり進んで発言をしない学生が積極的に話しかけてきたり、またはその逆だったり、或いは日本語レベルがつぶさにわかったり、と収穫は大きかった。 中でも、男子寮では、授業中あまりやる気が見えないように見えた学生が、たどたどしいながらも、次から次へと質問をしてきたり、私のほうも、相手が男ということで、男にしかいえない冗談を言ったりで、日本語会話以前の心の交流のようなものができたことが嬉しかった。 次はきっと、2組の学生たちが「先生は不公平だ」と言うかもしれないが、それはこちらも望むところで、これからもどんどんあちこちに出かけて行って、学生たちの相手をしてやりたい。 3年生たち、必ず上手になろうな!
2006年12月27日
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昨夜は本大学に勤める4人の日本人教師だけで忘年会をした。 三重県から派遣されてきた松嶋先生は、実は12月24日が誕生日だそうで、当初はその誕生会をしようという計画もあったのだが、一人をすると全員しなければならなくなるので、誕生会ではなく忘年会という形にしようということになったのだ。 まあ、火鍋を食べる口実があれば、なんだっていいんだけど。 というわけで、ご覧の通りの豪華な火鍋パーティとなった。 手前に並んでいるのは牛肉で、その向こうも牛肉。 本当は羊肉のほうがおいしいので、牛肉と羊肉の2種類を注文したつもりだったのだが、うまく通じなかったようだ。その更に向こうはよくわからない(自分で注文しておいて、よくわからないというのもヘンだが)が、多分、おしどりの肉とその肉団子ではないかと思われるものも並んでいる。 肉以外は春菊やほうれん草、白菜の盛り合わせ(奥に見える)と、豆腐、春雨、えのき茸など。そして青島ビールという取り合わせ。 これらを煮えたぎった鍋に入れ、煮えたら食べる。言ってみればしゃぶしゃぶのようなもの。 なんか豪勢だなあ。。。 中国では食事は大勢で賑やかに食べるというのが常らしく、一皿ごとの量が多い。だから一人で食べる時は麺類か炒飯のようなものになり、こういう火鍋を食べる時は、やはりある程度の人数が必要なのだ。 この日の食事代は全部で132元(1700円くらい)で、1人あたり400円ちょっと。 我々4人の日本人教師は、この中国という異国だからこそ巡り合うことができた。日本人でありながら、日本では知り合うチャンスなど一生なかったはずで、これぞまさしく縁というものだろう。来年もこの縁を大切にして、お互い助け合いながら、異国での生活を大過なく過ごしたいものだ。 その前に、31日まで、年内の授業がずっと続くのだが。
2006年12月26日
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中国にいると、それもこんな片田舎にいると、クリスマスだニューイヤーだという雰囲気はほとんどない。 大掃除も棚卸しも、年賀状書きもないし、テレビを見ても年末特番なぞやっていない。 それにこちらでは、休みは1月1日だけ。 新年を連休にするために、1月2日と3日の授業を、12月30日、31日の土曜と日曜に持ってくるから、これから年末まで休みなしという状態になる。 だから、ますます年末という感じがしなくなる。 数日前、学生たちは「教師評価」を終えたという。 これは文字通り、学生たちが自分たちの教師を点数によって評価するもので、点数のつけかたや評価基準はわからないが、教え方が上手だとか、いろいろなことを教えてくれる、親しみやすいなどが評価の対象になるようだ。 私は、学生たちにどう思われているかわからないが、そんなに悪い評価ではないと、なんとなく(何の根拠もなく、ほんとうになんとなくだけど)思っている。 ただし、この評価は給料などの待遇には結びつかないらしい。 本来なら、能力が劣ったり、教える知識、技術が不足している教師は淘汰されるべきなのだろうが、そういうことは、少なくとも、日本人教師に関してはないそうだ。 昨夜はクリスマス・イブだったが、ひとりの学生の誕生日にあたったので、そのお祝いのパーティに、誘われて参加してきた。 場末の小さな食堂で開かれたそのパーティは、おいしい中華料理が次から次へと出てきて、それを食べながらゲームをしたりで、3時間以上も騒いだ。 そして、今日はこの大学に赴任している日本人教師4人で忘年会を開くことになっている。 場所は先日、学生と一緒にいった火鍋屋だ。 なんだかんだ言いながら、だんだん年の瀬を感じてきたこの頃である。
2006年12月25日
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この大学で唯一の日本人留学生である垣本君が明日、日本に帰る。 いったん帰国した後、また中国に来るのだが、次に来るときはここ河南省ではなく、大連に本拠を移す。大連外語学院に編入するので、我々とはもう会うチャンスはなくなる。 彼はこの大学で2年半、中国語を勉強し、もはや普通の中国人と遜色ないくらいに中国語を話す。将来はその語学力を活かした職につきたいと希望しているので、日本人が少ない河南省より、日系企業が多く、就職の可能性のある大連に行くことにしたのだという。 というわけで、今日は垣本君の送別会を兼ねて、破街の食堂で送別会(というほどのものではないが)を開いた。 破街の奥まったところにあるこの店は、昨日、田中先生が学生たちと一緒に餃子を作りに来た店だそうだ。中国では冬至に餃子を食べる習慣があるそうで、学生たちが先生を連れ出したのだという。おかげで、昨日は餃子を食べすぎ、今日は餃子を見る気もしないとおっしゃっていた。 送別会(というより食事会だな)のメニューは全5品。 写真は手前から、お馴染みの「麻婆豆腐」、「魚香肉糸」(チンジャオロースに似ているが、甘辛味でおいしい)、一番向こうが「焼茄子」(茄子に衣をつけて油で炒めたもの。松嶋先生のリクエスト)。この他に「チンジャロース」(塩味でさっぱりしていた)と「酸辣白菜」(白菜を酢とラー油で炒めたもの)で、1人にそれぞれご飯がついて、5人で合計38元(580円くらい)。 垣本君がいなくなれば、この大学の日本人留学生は一人もいなくなる。 韓国人留学生が20人いることを考えれば、寂しい限りだ。もう少し西の西安には日本人留学生は多いし、東に行ってももっと多いのだから、河南省はエアポケットのようなものだな。 だからこそ、日本人教師の役目は大きいのだけどね。 さらば、友よ! 君の未来に幸多かれ!
2006年12月24日
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昨夜は日語科2年生による「日本語交流大会」が開かれた。 以前、一度やった「日本語会話ショー」の第2弾で、前回がドラマの一部分(ごく一部分)を切り取って、それを日本語で演じたり、日本の歌を歌ったりという、バラエティ系、悪く言えば「学芸会」のようなものだったのに対して、今回は日本語スピーチ大会といった趣の会だった。 スピーチ大会だから、発表者が独自に自分の言いたいことを原稿にまとめ、発表する時は基本的には原稿を見ない。3分程度の日本語を書いて、それを暗記し、みんなの前で話すのだ。 ほんの1年前は「あ・い・う・え・お」を、教師が言うとおりに真似をしていた学生たちが、1年後の今、日本語でスピーチをするのだ。産まれたばかりの馬が、自分の脚で立ち、草原を駆け回るようになった、という感じだ。 言うまでもなく、学生たちは努力をしている。 朝6時半に起き、8時からの授業に備えて7時頃には教室に行き、1日に10時間(時には12時間)の授業を受けて、授業が全部終わった後は、教室で自習をするのだ。休みの日もほとんど同じで、空いている教室に行って自習するか、或いは天気のいい日は校内の公園に座って、教科書を暗記するのである。1日中勉強。勉強漬けである。 彼らが司会者。司会をしながら、「静かにして」とか「席に座って」などと、聴衆に声をかけていた。実に達者な日本語を話す学生たちだ。 彼女がトップ・バッター。 私は2年生の学生たちに対して1度だけ授業をしたことがあるが、その後、校内で会った時に声をかけてくれて、30分近く散歩しながら日本語で会話をした学生である。 彼女は自分の経験から、友情の尊さを学んだことを発表した。話しっぷりは、青年の主張コンクール(今はないんだっけ?)のように、一語一語が明瞭で、非常に聞き取りやすかった。 そして、お決まりの歌。もちろん日本語で、しかも手話つき。 田中先生(2年生の会話と作文を担当)も熱唱! ただしこちらは日本語の歌ではなく、中国語の歌である。 2年生たちの日本語は確かに上手である。上手である以前に、物怖じしない。 この交流大会の開催を聞いた時、ある先生が「2年生は上手だけど、3年生はダメねえ」と言っていた。私は決して3年生がダメだとも思わないし、2年生の全員が上手だとも思わない。今日、発表した2年生の学生は確かに上手だが、平均すれば、やっぱり3年生のほうが圧倒的に上手だ。 ただ2年生には物怖じしない学生が多いということは言える。 3年生たちよ、あなたたちの会話を絶対に上手にしてあげるから、一緒に頑張ろうな! 私は、日本語交流大会に出席しながら、ずっと3年生たちのことを考えていたのだった。
2006年12月23日
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院生の授業(作文)が終了。 この授業では、先週から「日本語教育能力試験」(日本語教師の資格を得るための試験)の記述問題を使って授業をしている。その方が、現役の日本語教師或いは将来、日本語教師になる院生たちにとって、普通の作文を書くよりも、役に立つと思うからだ。 そして、その方が院生の反応もいい。実際の現場で使える知識が身に付くからだ。 更に、今日の授業では(本来、作文の授業だから)、漢語と和語についても、これもクイズ形式で次々に出題した。学生たちが作文を書くと、漢字の国の人々だけあって、漢語の使用が多い。日本語らしい日本語を覚えたいという彼らにとって、和語の知識は是非とも必要なのである。■問題:次の漢語に相当する和語を書きなさい。 「微風⇒そよ風」 「各自⇒めいめい、おのおの」 「閉店⇒店じまい」 「肥料⇒肥やし」 「挑戦⇒挑む」 そのほか出題した漢語は以下の通り。 「病後」 「一目散」 「独占」 「皮膚」 「飛沫」 「復習」 「雑踏」 「一応」 「一切」 院生は日本語の語彙も文法も、ある意味では、日本人以上に豊富な知識を持っている。 彼らはこれまで、日本語を試験に合格するために学び、学問の対象にしてきた。だが、「言葉」は本来、学問の対象ではなく、他人とのコミュニケーションの道具である。 院生や学生たちに、私が望んでいることは、日本語に関する豊富な知識を自由自在、縦横無尽に使って、他の人を楽しませたり、新たな友達づくりに役立ててほしいということだ。 だから、私の最終目標は、院生のメンバーで「笑点」をやるということだ。 実は、私は日本から、ワープロの誤変換を集めた資料を持ってきている。 例えば、 ■歯医者は猿のみ (敗者は去るのみ) ■徳川マイ雑巾 (徳川埋蔵金) ■君と血痕死体 (君と結婚したい) ■君と歯無し死体 (君と話したい) ■硝酸を浴びる喜び (賞賛を浴びる喜び) こういう誤変換が多いのも、母音と子音が少ない日本語の特徴で、その特徴を活かした遊びは日本にいくらでもある。 院生たちには是非、日本語の運用能力と奔放な発想力を身につけてほしいと、私は願っている。
2006年12月22日
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こちらに赴任する前から考えていたことは、中国の学生たちが将来、日本に来たときに困らないだけの日本語と日本の常識を身につけさせたいということだった。赴任後、そのチャンスをうかがっていたのだが、やっと今日の院生の授業で、前半の50分を使って、教科書では習わない(習えない)日本の常識を紹介した。 今日やったのは、例えば、こういう問題。■病気で入院している友達を見舞うとき、持って行ってはいけないのは。 A:鉢植えの強い花 B:切花■祝儀袋に書く、結婚祝いの言葉は。 A:御結婚祝 B:御結婚御祝 というような問題をクイズ形式で出題し、日本人の習慣や考え方を紹介した。 上の問題は二つとも全員が不正解だったが、中国人から見れば、おかしい、奇妙だと思われることでも、理論づけて説明すると、きちんと理解してくれる。そして、日本に対する理解を深め、興味を増してくれた(と思いたい)ようだ。 後半の50分は、川柳の紹介。それもサラリーマン川柳。 オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る やめたのか? やめたその職 おれにくれ! 「何食べる?」 何があるのか 先に言え! 学生たちは古典文学や俳句などに関する豊富で高尚な知識を持っている。院生ともなれば、その方面の知識は日本人以上である。 だから、日本人の私は、こういうサラリーマン川柳を紹介して、学問や研究対象としての日本語ではなく、「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」「リストラ」といった、辞書には載っていない、しかし日本の世相を表している言葉を教え、同時に日本の現状や社会問題を教えたのだ。 授業中は、オレオレ詐欺の様子を、1人で演じながら説明したが、院生たちは私の話を聞きながら熱心にメモを取っていた。院生(勿論、学生も)たちにとって、これまで知らなかったことを知ることが嬉しいことであり、彼らの知らないこと(日本人だからこそ知っている知識)を教えてやることが、日本人教師にしかできない本来の仕事だろうと、私は思っている。 あとの問題は、ネタだなあ。こんなに次々と引出しを開けちゃって、果たして来年まで持つかなあ……。これが目下の最大の心配である。※写真は、風邪を引いたときにそなえて、私が買い揃えた薬(全部、中国製)。感冒薬、喉スプレー(これは爽快!)、漢方トローチ、うがい薬など。
2006年12月21日
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3年生の作文の授業では、これまでいろいろなテーマで文章を書かせてきた。 作文の授業では、私の自作の資料(エッセイや評論など)を使って、まず読ませ、文法や語彙の理解を確認したうえで、その資料に因んだ作文を書かせてきた。書かせる際には使用する語句や文法など条件をつける場合もあれば、自由に書かせる場合もある。 だが、このやり方に、最近、私自身が飽きてきた。そして、もっと他に教えるべきことがあるのではないか、と思うようになってきた。 その一つが「腹を決める」「胸を焦がす」「瞼に焼き付ける」などの『からだ言葉』を教えて、日本語の語源、日本人の感性、日本語らしい日本語を学生たちに伝えることである。 幸い、中国の学生たちは、教えられた日本語を、乾いた砂に水を撒いたように吸収してくれる。 そして、もう一つは、単なる作文ではなく、より実践的な文章を作らせることだ。 そこで、昨日の作文の授業では、日本人の前で話すという仮定で、自己紹介の文章を書かせた。 自己紹介というテーマは作文では定番で、学生たちも何回も書いてきているはずだ。だが、私が求めたのは、自分を日本人に強く印象付ける自己紹介文で、それを実際に話すように書きなさいということだった。 そして、この自己紹介文を、来週、もう少し手直しと肉付けをし、堂々たる内容へと進化させ、今度は学生たちに、自分で書いた自己紹介文を暗記させ、一人づつスピーチさせるのである。 私も中国語を覚え始めた当初、会社のパーティの席上、中国語でスピーチをした経験があるが、あの時暗記した中国語は、その後、中国人に出会った時、或いは公式な場での挨拶にとても役にたったものだ。 つまり、作文と会話のコラボレーションである。 私の担当は作文と会話だから、この二つの能力を伸ばすにはどうしたらいいかと、ずっと考えていて、一昨日、校内を散歩していた時に、ふと思いついたものだが、さてどうなるだろう。 教師が意図したように進まないことはよくあることなのだが……。
2006年12月20日
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今日の院生の授業(精読)で群ようこの『アンパンとOL』を読み終えた。 当初は、知識欲が旺盛な院生の好みにあうかどうか不安だったが、意外に好評でなによりだった。研究対象や学問の対象にはならないが、こういう小説を読むことが人間の幅を広げるのであり、日本人と共有の話題になるのである。 しかし、さすがに院生だと思ったのは、群ようこの独特の言語感覚をしっかりととらえていたことだ。 例えば――■ふたりとも太陽電池が体に埋め込まれているんじゃないかと思われるほど元気いっぱいにはしゃいでいる。■きっと角を曲がるときも直角に曲がるだろうと思われるような人だった。■私が机にへばりついて、領収書と会計伝票を睨みつけ、嵐のように電卓を叩きまくっているというのに(後略) こういう表現を、院生たちはすごく気に入っていた。「情景が目に見えるようで、とてもいい表現だと思いました」……古文や近代名作文学などを研究対象として「精読」してきた彼女たちにとって、多分、これまで目にする機会がなかった表現だと思う。まさか森鴎外や島崎藤村が、上記のような表現はしないだろうから。こういう表現に触れることが勉強なのだ。 重松清、村上春樹、群ようこ……と来て、さあ次は何にしようか。 本当は、筒井康隆の「経理課長の放送」をやりたくてしょうがない! のだが、授業中に笑ってばかりで「精読」にならないだろうし、院生にあのドタバタが理解されるかどうかも疑問なので、同じ筒井康隆なら「家族八景」かなあ。 それとも折原一の叙述推理にしようかなあ。犯人がしかけるトリックではなく、作者がしかける叙述トリックを、院生たちはどう思うのだろう。 日本にいた時には、中国で仕事をする際の選択肢として「日本語学校」か「大学の日本語科」という2つがあったのだけど、やはり大学に来たのは正解だった、と今になってよく思う。 文法や単語を教えながら、学生達が上達していく姿を見るのは楽しいことだと思う。 今の私は、担当が日本語1級試験を受ける3年生と、既に1級に合格し、現役の日本語教師、現役の通訳という院生だから、教える内容は初級者相手とはまったく違う。 だから、通信教育で学んだ知識というものは、今、ほとんど役に立っていない。 日本語教師としての「日本語力」というものはあまり問題にされないが、その代わり、日本人教師としての「日本人力」を、私に求めているような気がする。 それが具体的にどういうものかうまく言えないが、言葉や文法を超えた、日本人が伝えることのできる何か、を残していきたいと思っている。※写真は校内の風景。芸術学部の学生が学生の似顔絵を描いているところ。こういう風景に出会えるのも、大学の良さだ。
2006年12月19日
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今はすっかり回復したが、病気の時はやはり不安になった。異国でなら尚更だ。 私は日本で研修生(日本の工場で仕事をする外国人)を受け入れる仕事をしたことがあり、その研修生たちに日本語を教える仕事をしたことがきっかけで、現在、中国で日本語教師をするようになった。 研修生たちは3年間という長い期間、日本に滞在し、相当な理由がなければ途中帰国は認められなかった。中には結婚したばかり、或いは幼い子供を置いて日本に来たという者もおり、故郷を恋しがる気持ちは、我々の比ではない。 3年間という長期滞在だから、当然、いろいろな問題が起こる。 ストレスから同僚と喧嘩をしたり、日本語がわからず孤独感を強めたり、厳しい規則に反発したり……そして、病気である。 日本人であれば、風邪を引いた時には気軽に、日本の薬を服用する。そしてそれが当然だから、外国人に対してもそのように強要する。だが、外国人にとっては成分も効能も、すでによく知っている薬のほうが安心できるのだ。 それは外国にいて風邪を引けば、実感できる。 風邪くらいならまだいい。 私が日本で教えた研修生で、結核を発病した者がいた。 彼女は毎日、微熱が続き、食欲もなくなって、10キロも痩せ、耐え切れずに会社の社長と病院に行った。そして、結核だと診断され、入院することになった。 その時、彼女を受け入れていた会社の社長はどうしたか? 彼女を病院に放り出し、入院手続きから医師との問診の際など、全部、(病気の)彼女にやらせたのだ。 日本に来て半年で、日本語もままならない時に、そして大病を患い、健康と診察費、入院費など抱えきれない不安を抱えていた彼女を病院に置いてけぼりにしただけでなく、その後も、見舞いには来ず、それどころか、仕事が滞ること、会社にとって大きな損害であること、他の社員があなた(の病気)を怖がっていることなどを、彼女に電話で言ったという。 それでも彼女は前向きに、同室の患者たちと積極的に話をし、覚えた言葉をノートに書き込み、何度も暗誦して、会話がめきめき上手になり、患者や医者、看護婦達の人気者になっていった。 また別の一人は、日本で虫垂炎になった。 入院したその日、彼女は私に電話を掛けてきて「先生、中国語の試験はどうでしたか?」と質問をした。そして、最後まで、自分が病気で入院したことは言おうとしなかった。 彼女が入院したことを知った私が、見舞いに行くと言うと、「いいです、先生。私は大丈夫ですから」と気丈に答えていた。そして「これもいい経験です」とかすかに笑いながら言っていた。 彼女は今、中国に帰って、日本に研修生を派遣する会社で仕事をしている。日本でいろいろな経験をした者だからこそ、これから不安な気持ちを抱えて日本に行く研修生たちを勇気づけることができるのだ。 この何日か、そんなことを思い出していた。
2006年12月18日
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今日もいい天気。最低気温はマイナス1度だそうだが、日中には9度まで上がるらしい。 そして、空気はとても乾燥している。 ドアを開けるとパチッ、蛇口をひねろうとするとパチパチッ、シャワーを持つときもパチッッ、服を脱ごうとしてパチパチッパチパチッ、あちこち静電気だらけだ。 体調はすっかり回復し、土曜日に続いて、昨日の日曜日も火鍋をしっかり食べてしまった。 ホカホカと温まりながら部屋に帰ると、今度は田中先生がダウンしていた。先生が言うには麻辣■(「湯」の下に「火」)を食べて、お腹がびっくりしたからだろうとのこと。私も以前、マーラータンを食べて内臓が七転八倒したことがあるが、大量の唐辛子と大量の山椒が沈殿している食事は、慣れが必要のようだ。 だが、私にしろ田中先生にしろ、そして他の先生も、赴任後3か月が過ぎて、知らぬ間に溜まっていた疲れが表れる頃かもしれない。水も空気も食べ物も、生活様式も何もかも違うところで生活するのだから、一見、快適に見えてもどこかで無理をしているのだろう。 そして田中先生の場合は、早い時は朝の8時から夜の10時まで、学生達が部屋にやってきては会話練習と称して、覚えたての日本語を話している。その相手をするのも大変なことだと思う。 田中先生(勿論、他の先生にも)には、私が風邪のときと腹を下した時は大変、お世話になった。先生の具合が良くなったら、快気祝いを兼ねて忘年会をしようと思っている。 メニューは勿論、火鍋だ!
2006年12月18日
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先週は当地には珍しく、ずっと晴れて眩しい太陽が顔を出していた。 普段なら、勇躍、校内を散歩して学生たちと話をするのだが、体調不安もあって、昨日、やっと外出することができた。約1時間の散歩を2回で、話をした学生たちは7人、それぞれ10分から20分間、日本語だけで会話をしたから、中身の濃い課外授業になった。問題は人数だな。 昨日は7番目に会った学生から、体調を聞かれ、回復の予感が実感に変わりつつあった私がそう答えると、彼は「今晩、私の友達が開封から来ます。3人で一緒に食事をしましょう」と誘ってくれた。 彼は、以前、足を挫いて、私の作文の授業を欠席した時、それを悔いたのと私に対するお詫びとして、「私は足が挫いた」という作文を私宛に書いた学生である。彼は私の授業を気に入っているようで、以前から「先生にご馳走したい」と言ってくれていた。 そこで、彼ら2人と私は、中国人が大好きな火鍋(ひなべ)を食べに行ったのだった。 手前の煮えたぎっているスープ(辛口)に肉や野菜を入れ、火が通ったら食べるというもので、テーブルに並んでいるのは、牛肉、羊肉、肉だんご(これがうまかった!)、向こう側は冬瓜と豆腐。これ以外にきくらげとほうれん草、春菊などが高さ30センチくらいの山盛りになっていた。 誰だ? 日本食が恋しいなんて言っていたのは。 幸い、食後12時間が経過した現在も体調は悪くなく、これにて体調も完治との判断を下して(おっ、『下す』なんて縁起でもない)良いだろう。 節操がないといえば、そうなのだが、異国で長期間滞在するには、こういう適応力も必要なのだと、自分で自分を納得させたのだった。 ところで、中国の学生は、教師にお金を払わせようとしない。私が「おごってあげるよ」と言っても聞かない。むしろ水臭いと感じるようだ。だから、私は学生達にいつもおごってもらっている。気の毒に感じるのだが、学生達はそれが嬉しいようだ。
2006年12月17日
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どうやらやっと体調が戻りつつある実感がする。 まだまだ楽観はできないが、それでも確実に治っている気がする。 食欲がまったくない状態で、なんとか口に入れることができたのは、お茶漬けだった。 体力の低下を最小限に抑えようと、毎回、食事をキャンセルせず、毎回、食堂に顔を出したのだが、油っこい料理はどうしても喉を通らず(その前に食べる気さえ起こらなかった)、その時に目に入ったのが、同僚の先生が日本から送ってもらっていたお茶漬け海苔だった。 日本食って、いいなあーっっっっ! 中国にきて3か月半、一度も日本食を恋しいと思ったことがなく、他の先生方が岩海苔や味付け海苔、お茶漬けなどを食べている時も、「郷に入っては郷に従え」を身をもって実践していた私が、初めて日本食を恋しいと思った瞬間だった。 一度、そう思ってしまうと、出るわ出るわ、日本食への熱い思い。 焼き鳥、おにぎり、大根おろし、冷奴、納豆(納豆サンドも)、さきいか、おしゃぶり昆布……安いものばかりだけど、懐かしくなった。 特に食べたいと、心から思ったのが、魚貝スープであっさりした醤油味のラーメン。或いはカップ・ヌードル。 中国は麺の国だから、様々な種類の麺料理があり、それぞれに様々な味がある。だが、油っこくない、あっさりした魚貝スープの、醤油ラーメンにはまだお目にかかったことがない。 本当に食べたかったなあ。 とはいえ、体調回復を実感した今日は、日本食恋しさもどこへやら、久々に外歩きをしておんぼろ街に行き、またまたチープな立ち食い中華で腹を満たしてしまったのですが……。
2006年12月16日
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8時からの院生の作文の授業が終われば、今週は終了。 私が担当している3年生の会話と作文、そして院生の授業は、授業のやり方も使用する資料も全面的に、私の裁量に任されている(重要視されていないような気がするが?)。 そこで今日の作文の授業では「作文」ではなく、日本語教育能力試験の記述問題をやらせた。 院生のメンバーは、これまで大学で日本語を教えていた現役の教師、或いはこれから大学で日本語教師になろうとしている者ばかりである。彼(彼女)らが日本語教育能力試験の問題をどう解くかに、私自身、興味があった。 まずはウォーミング・アップとして簡単な(?)文法から。■日本語学習者が次のような間違いをした。学習者に間違いのポイントを教えなさい。1、私の兄は元気とやさしいです。(解答:2つの文を接続する場合には「と」ではなく「て・くて・で」を用います。「て」は動詞(例:聞いて理解した)、「くて」は「い形容詞」(例:長くて急な坂)、「で」は「な形容詞」(例:きれいで高い山)などです。「元気」は「な形容詞」ですから「で」を使って接続しなければなりません)2、きのう友達の家に行きました。あの家は新しくてきれいでした。(解答:話し手と聞き手が情報を共有している場合は「あの」が使えるが、聞き手にとって新しい情報である場合は「その」しか使えません)3、橋を渡るとすぐに右に曲がってください。(解答:「~と」に続く文には、話し手の意志や命令、希望、依頼などの表現は使えません。そういう表現を使う場合は「~って」「~ったら」を使いましょう) まあ、こんな例題を5問やり、院生たちはいとも簡単にことごとく正解を答え続けた。 さすが、文法から日本語を学んだ人たちである。日本人がこういう問題に答えることは至難の業だと思われる。 というわけで、今日の課題(作文の授業なのである)は次の問題。■授業で敬語表現を学習したので、ロールプレイの形で定着を図った。A君とB君とで会話をしている時、B君が「今朝の新聞をご覧になりましたか?」と質問したのに対し、A君は「はい。拝見しました」と答えた。●問題:以下の4点について、学習者に話して聞かせるように、説明しなさい。(400字以内)1、A君に正しい言い方を教える。2、A君の「拝見しました」がなぜ適切ではないのか、その理由を説明する。3、「拝見する」はどういう場合に使えるのか、例をあげて説明する。4、同じような敬語使用の間違いを、例をあげて説明する。 これは第14回の「日本語教育能力試験」に実際に出題された問題だが、院生たちは一生懸命に考えて、書いていた。1、2、3については全員が完璧に正解し、4でやや手こずっていた。 それでも、中国人日本語教師、恐るべし、である!
2006年12月15日
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火曜日の精読の授業は体調不良のために休講にしたから、院生とは先週の金曜日以来の再会。「先生、痩せましたねぇ」 に続いて、「目が大きくなったよ」 という声。 ここ3日間、トイレにばかり行っていて、ほとんど何も(1日にバナナ1本)食べていなかったので、確かに体重は減っているような気がしていた。鏡を見ても、なんとなく、頬がこけたかかなとは感じていたが、やっぱりそうか。しっかりやつれていたのだ。 原因は多分、お茶、ではないかということになった。 こちらでは水道水を気軽に飲むことはできないので、いつも水筒に水かお茶を入れて持ち歩いているのだが、そういえば何日か前の朝、前日のお茶をゴクゴク飲んだ記憶がある。 大学の中は教室から寮、食堂に至るまで、温水パイプが張り巡らされ、室内にいる限りは寒さはあまり感じない。中でも、我々外国人教師の部屋は暖かい。 この暖房が1日中(ということは夜中もずっと)効いているので、葉っぱをたっぷり入れて作ったウーロン茶が変質したのではないかと考えられるのだ(田中先生説)。 まあ原因は何にせよ、今回の件で気が付いたことがある。 それは他人の人情のありがたさ。 同僚の日本人先生たちは、私の体調を心配して、田中先生は薬やお茶、果物、ビスケット、くず湯、生姜湯などを持ってきてくれたし、電話をかけてきた学生もいる。松嶋先生などは「番茶が体にやさしいから、今から作りに行ってあげようか」と電話をしてくれた。 もしずっと元気で、何もなければ、異国でのこういう人情に触れる機会はなかったのかもしれない。それを考えると、いい仲間、学生に囲まれて幸せだなあと思う。 今日はごはんを少し、お茶漬けで食べることができたし、食欲も少しずつ戻ってきている。 来週には、元の体調に戻るのではないかと、期待しているのだが……。
2006年12月14日
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まず、語彙を増やすこと。 語彙を増やして、どういう内容の会話でも対応できるようになること。 次に、覚えた言葉を何度も話して流暢さに磨きをかけること。 何のことかといえば、学生達の会話だけでなく、私の中国語のこと。 中国に来てから、もう3か月になるのに、進歩がないのである。そりゃ確かに、話す回数が日本にいた時と比べると圧倒的に増えただけに、流暢さは出てきた。初対面の中国人に会った時も、タクシーに乗った時も、店で買い物をする時も、以前に比べて上手に話せるようになった(と思う)。 だが、私が話した後で、相手に何か言われた時、それが聞き取れないのだ。 結局、新しい語彙が増えていない。これに尽きる。 これを何とかしようと、クラスの学生1人と中国語だけで会話する時間を作り、約2時間会話をしているが、その場では会話の流れで、理解できても、新しく耳にした単語や構文が頭に残らないから、次の会話でも「……?」となってしまう。 中国語で毎日、日記を書くことも自分に課したが、それも飛び飛びになり、最近はすっかりご無沙汰になっている。 授業のアイディアを考え出し、文献を探して、資料を作る。或いは、作文添削に時間がかかるなど、忙しいからという理由はあるが、それが言い訳であることも、自分が一番よく知っている。 私の会話相手になってくれているのは女子学生だが、その指導法は厳しい。 私が中国語の意味を理解できない時、彼女は日本語で説明せず、別の中国語で説明する。その彼女が先日、私にこう言った。「毎日、中国語で日記を書くといったのは先生でしょ。自分で決めたことなのに、どうして守らないのですか?」 彼女のその中国語だけは、はっきりと聞き取れたのである。
2006年12月13日
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おかしい。絶対におかしい。 昨日の夜からずっとトイレ通いが続いて、ろくに寝ることができなかった。痛みや吐き気はないのだが、とにかくお腹がごろごろ鳴って、頻繁にトイレに駆け込まざるをえないのだ。そういう状態が昨日の夜から今日の朝まで続き、この後もいつまで続くかわからない。 だから、今日の院生の精読と3年生の作文は休講にした。 今はだいぶん落ち着いてきたが、原因がわからない。 食べたものは、他の先生と変わらなくて、他の先生が元気だということは、原因は何なのだ? まあいいや。治ってきたから。 先日は、日曜日だというのに、部屋の下を大勢の学生がぞろぞろ通り、教学楼の前に人だかりができていた。この人だかりは8時頃に最初のピークを迎えて、学生たちが全員、教室の中に入ったかと思うと、また新手の学生が集まるという繰り返しで、結局4時頃までこの喧騒が続いた。 聞いてみると、これは4年生の就職登録会なのだそうだ。 そういえば校内の印刷センターには履歴書用の表紙がたくさん飾ってあった。 学生たちはお気に入りの表紙を選び、自分の履歴書を作って、提出するのだという。 しかし教員の育成が主眼の「師範大学」では、卒業しても教師の職を得ることは難しく、特に日本語科の場合は、高校で日本語を教えている学校が少ないこともあって、更に就職は厳しい。 政府では、卒業した学生たちの就職口を増やすために、更に学生を募集しているが、まったくの悪循環、いたちごっこでしかない。 日本語科の学生たちが、日本語試験の後は英語の試験を受けるといっているのも、また院生試験の合格を目指すという目標を定めているのも、そうしないと将来へのキップが手に入らないからである。 それにしてもいつも思うのだが、学校を卒業して社会人経験がない教師が、学生の就職指導なんてできるのだろうか。 面接を受けたことがなくても、きちんとした面接指導ができるなら、それでいいのだけど……。
2006年12月12日
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ふうっ。なんとか全員と会話をした。 今日の会話の授業は、全員が授業時間内に1度は会話をするという目標をたてて臨んだのだった。だが、思えばヘンな目標だ。 会話の授業で、学生が会話をするのは当たり前なのだから。 だが、その当たり前のことがこれまではできなかったのだ。 会話とは、私の定義では、相手と自分とで、言葉が少なくとも6往復以上する場合を言う。そして、今日は最低でも9往復を目指していたのだ。 100分間の授業で、学生が30人いるのだから、指名して質問の答を言わせるだけなら、全員の発話は可能なのだが、会話で9往復となると、なかなかの難関である。 そして、何よりも気になるのが、会話に参加していないその他29人が手持ち無沙汰になってしまうこと。時間がたつにつれて聞いているだけの学生たちの集中力がだんだんなくなってくるのがよくわかるのだ。これも大きな問題だった。 つまり、全員が授業時間内に長めの会話をする機会があること。そして、学生たちの集中力を切らせないこと。この二つの課題を持って、授業に臨んだのだった。 ……で、とりあえず、全員が9往復の会話をやり終えた。 集中力は、100分内で、CDを使った会話と、教科書を使った会話と、途中でメニューを変えたから、これもなんとか緩まずにすんだ。 だけど、1週間に1回だけしかない会話の授業で、一人が1回の会話をしてそれで満足するなんて、どう考えたっておかしいでしょう。それで上手になるとも思えないし。 校内を散歩して学生と話をすることは続けているけど、これからマイナス10度の厳冬期には散歩する気にもならないだろうし。学生たちの寮に行って会話をすることはどんどんしたいけど、女子寮に行くのはどうも……。 この大学では、日本語能力試験1級に合格することを学生に課しているから、これまでは会話は軽んじられてきた。 試験優先主義なのだ。 今の4年生は去年まで会話の授業がなく、4年生になった今年、初めて「会話」という授業を受けることができるようになった。 しかし、それは1週間に1回。60人が一緒に受けるという凄まじいものだ。 それを考えれば、60人を二つの班に分けてやっている、今の会話の授業はまだましなのかもしれない。 だが、学生たちのことを考えれば、担当の時間数が増えてもいいから、せめて10人のクラスにしてくれないかなあ、と思うのである。
2006年12月11日
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昨日の夕食が終わった後、松嶋先生から「明日の昼はポージェ(おんぼろ街)で炒飯を食べましょう」というお誘いがあり、即座にOKした。 昨日も書いたが、松嶋先生は外歩きが好きで、バスに乗ったり、歩いたりして、市内のあちこちに出没しては、怪しげな中国語を使いながら買い物をしている。松嶋先生の頭の中には「言葉がわからないからやめとこう」という発想はない。 今日もおんぼろ街を歩いていると、「この辺の店には全部入ったわ」と言いながら、店のおばさんたちに「また来たわよぉ」と肩を抱き合っている。 カタカナを細切れにしたような、覚えたての中国語を駆使して、カメラを構えては店の人に、「イー・アール・サン」と声を掛けて写真を撮ってしまうのである。たいした度胸だ。 というわけで、今日はおんぼろ街に行って、まず道端餃子店を覘いてみた。 以前から気になっていたこれは、小麦粉を練ったものの中にそぼろ肉を入れて、縦に伸ばしたような包子の一種……なのだそうだ。松嶋先生が以前食べたことがあるそうで「うん、おいしかったよ」とのこと。 それより気になったのがこちら。 写真ではわかりにくいが、もち米に味をつけて、ワンタンの皮で包んで、蒸したもの。つまり中華ちまきだ。1元(15円)で5個だからお買い得。 ここの店主は、松嶋先生がカメラを向けた途端に恥ずかしがって、そっぽを向いてしまった。シャイな人である。 そして今日の昼食のメインは「揚州炒飯」(3元) これは田中先生が学生たちに「おいしい炒飯の店がある」と教えてもらった店なのだそうだ。 ご覧の通り見た目がきれいで、塩味もちょうど良いのだが、難は人参が固い(生だ)ことと油がふんだんに使ってあって、皿を傾けると油が大さじで掬えるくらい溜まること。 カロリー高いよ! 他の客が食べていた焼きソバや釜飯風のラーメンのほうがおいしそうだった。 松嶋先生は早くも、来週の出没地を考えているそうで、本当に元気のいい人である。異国では、こういう、何にでも興味を持てる性格の方が順応しやすいし、生活も楽しい。 私も見習わなければ……。
2006年12月10日
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昨日は雪がちらついたが、今朝は起きたら一面の真っ白な霧。 その霧の中から、姿は見えねど、大きな日本語の声が聞こえてきた。階下を見てみると、松嶋先生が田中先生を外出に誘っているところだった。 松嶋先生は部屋の中にじっとしていると気が狂うというほどの外出好きで、毎日、あちこちに出かけては怪しげな中国語を駆使して、いろいろな買い物をしてくる。 一方の田中先生はまったくの出不精。 今日は、松嶋先生が市内のデパートに行きたいらしく、田中先生を誘っていたのだ。 そこで中間を取って(?)、三人でおんぼろ街に行って、昼食を食べようと提案した。 実は先週、行った時に店が込んでいて食べられなかった香辣麺を、ぜひお二人に食べさせたかったのである。実は、私が食べたかったのだ。 おんぼろ街の入り口でザーサイや豚ひき肉の包子を買い、歩くこと30秒。 ここが香辣麺のおいしい店。 入り口で食券を買って、厨房(?)へ。そこで辛さと麺を指示し、テーブルで待つというシステム。今回は大盛で辛口、麺はたまご麺にした。(1杯2元=30円) 使った中国語は「ダー(大)」「ラー(辣)」の2つ。後は麺を指差して「これにしてくれ」という態度を見せただけ。会話は簡潔に! である。 で、出てきたのがこれ。真っ赤なスープがいかにも辛そうだが、食べてみるとむしろ甘い。変な香辛料臭さもなく、コクのある甘さの中にピリッとした辛さが感じられる。何よりも麺がサッポロラーメンにそっくりなところが日本人好み。麺は他にはうどんのような白くて太いい丸麺ときしめんを太くしたような麺の3種類があった。 この後、お二人は市内のデパートへとショッピングに出かけられ、私はしばらくおんぼろ街を散策し、出会った学生達とあれこれ喋りながら、店をひやかして回った。 これは香辣麺屋さんの前で出店をしている「中華サンド(?)」屋さん。奥に見える白いパンに切れ目を入れて、そこに手前の蒸篭の中の豚肉のそぼろとサラダ菜を挟んで食べるというもの。希望によっては唐辛子と山椒をかけてくれる。入れるかどうか質問してくれるので、その時は「要(ヤオ)」と答えればよい。1個が1.5元(22円)。 これが先週、入ったワンタン屋さん。店の前でワンタンを作っている。そこで大きさを指定し、後はテーブルで待つだけ。何度でも食べたくなるくらいおいしかった。 ワンタン屋さんの前には道端餃子屋さん。 おんぼろ街を外れて、角を曲がったところにあるのが「刀削麺」の店。練った大きな小麦粉を首と腕に挟んで、刀で削りながら鍋に落としていくというもの。まだ入ったことはないが、看板に書いてある餃子と刀削麺だけでおなかいっぱいになりそう。この店は今後のお楽しみ。 そして最後に、河南省で麺といえば、これ「会麺」(「会」は火ヘンに会)。 これは先日、平原大学で講義をした後に食べたもので、その店は会麺にかけては有名なのだという。写真でわかるかどうか、麺は大きくて厚いきしめんのような、もちもちした麺で、スープは癖のない羊骨スープ。 麺の下には春雨や昆布の細切りのようなものも入っている。これに唐辛子たっぷりの油を入れて、赤くなったスープで食べると更においしい。 中国では北米南麺といわれるけど、河南省は双方の境界にあたるから、米食も麺食も両方ある。わずか300メートルくらいのおんぼろ街のメニューだけでも食べきれないんだから、中華料理とは奥が深いのだ。
2006年12月09日
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10時からの院生の作文が終わって、今週の講義はすべて終了。 今日の作文は、吉本ばななのエッセイ「痛みとかゆみ」を題材にして、これまで最も痛かった痛みについて書きなさいという課題を出した。目的は、痛みという目に見えないものを、読む人がわかるように書くこと。 どう書けば、痛みを視覚化できるかは無論、いろいろな方法を教えた。 そして、その都度、院生たちは肯きながらノートに書き込む。 学生達が新しい知識を得た瞬間が、つぶさにわかる。 だからこちらも嬉しくなるし、準備に手が抜けない。 昨日は、日本のことわざや難解な文字の読み方、慣用句の正しい使い方などをクイズ形式で出題し、日本人の正解率と比較した。 例えば「五月蝿い」「態と」「注連縄」といった漢字の読み方、或いは「足をすくわれる」と「足元をすくわれる」、「絶体絶命」と「絶対絶命」の正しいほうを選ぶ等の二者択一問題、または「総合」「緊張」「軽率」などの反対語、そして「紺屋の白袴」と同じ意味の諺、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と反対の意味の諺を書かせるなどの諺問題、全部で100問。 多分、日本人でも50点以上取るのは難しいのではないかと思えるレベルの問題で、院生たちもだいたい50点程度。源氏物語を読み解き、文法を論理立てて説明できる、いわゆる日本語エリートの院生をもってしても、いかにも日本語的な問題は難しかったようだ。 だが彼らは決して悲観してはいない。むしろ間違えることをむしろ楽しんでいる。 何故なら、新しい知識にふれることができたからである。今まで知らなかったことを教えてくれる授業は、院生(だけでなく学生たち)にとって面白い授業なのだ。 今日の作文も、難しいからこそ、書く意欲が湧く。 教師の側が機嫌を取って、簡単な課題ばかり与えていると、学生たちは自分達の能力を伸ばしてくれない教師に失格の印を与え、きっとそっぽを向いてしまうだろう。
2006年12月08日
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雪が降った。とはいってもみぞれだが、公園の芝生がうっすらと白くなった。 そんな寒い中、昨日は3年生の会話の授業を終わらせてから、同じ新郷市内にある平原大学に日本語の授業をしに行った。友人の宋先生に、以前から「平原大学の学生達に日本語の授業をしてやってくれないか」と頼まれていたからで、それがやっと実現したのだ。 宋先生はかつて市の経済局に勤めていたが、現在は平原大学で週に4コマぐらい日本語の授業を持っている。勿論、日本語は非常に上手だ。そして、友人が多い。これまで宋先生の紹介で多くの中国人と知り合うことができたし、おいしい料理もごちそうになった。 今回はその恩返しだ。 写真がその教室。教壇に立っているのが宋先生。 学生たちの専攻は英語で、日本語は第2外国語として学んでいるという。 それは事前に聞いていたので、初心者用の教案を用意したが、授業というよりは言葉のゲームをしながら、日本語の楽しさを味わい、語彙を増やすことを目的にした。 ところが レベルが思ったより低い。日本語の勉強を始めて2か月とはいえ、「今日」「昨日」がわからず、「365」が言えないでは、ゲームの説明もできない。 というわけで、急遽、数字の勉強へと切り替えて、その中に笑いを盛り込むことにした。 直接法ではなく、中国語をせっせと喋ってしまったがそれは仕方がない。それでも授業が終わった後で「1週間に1回来てくれ」「師範大学に先生の授業を見に行きたい」と言ってくれたので、なんとか好評だったようだ。 手前の右端が宋先生で、その隣は新郷市経済局の張さん。張さんは独学で日本語を勉強しており、よく電話をかけてくる。 授業が終われば、恒例の食事会。 写真はその時の食事。いずれも庶民の食べ物で、左側の茶色っぽいのが豚の角煮(おいしかった)、その向こうは湯葉と野菜の炒め物、その向こうが豚の耳(これは私が好きな料理の一つ)手前の赤いのは酒。 この店では自家醸造をしていて、レジの横にいくつかの甕があって、度数と酒の名前が書いている。中国では白酒だが、この酒は赤くて少し甘い。アルコール度数も38度とやや控え目。 というわけで、たらふく食べ、適度に(途中からビールにした)飲んで9時過ぎに学校に帰り、その足で日本語資料室に行き、学生達と話をして10時半、部屋に戻ってきたのでした。
2006年12月07日
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3年生たちの最大の目標だった日本語能力1級試験が終わったので、今週から作文と会話の授業は模様替えをした。 これまでは助走期間で、これからホップ、ステップ、ジャンプへと移っていく(はずだ)。 昨日の作文の授業では、作文は書かせず、日本語と日本人の思考について話をした。と言っても難しいものではなく、「からだ言葉」についての講義。つまり、日本人は頭で考えるのではなく、腹で考え、胸で感じるというもの。 「腹を決める(決心する)」「腹を据える(覚悟を決める)」「腹を括る(覚悟を決める)」など、日本人は古来、腹で物事を考え、「胸を潰す」「胸を撫で下ろす」「胸に秘める」「胸が痛む」など、胸で感じてきた。 3年生ともなれば、これらの言葉の意味はほとんど知っている。だが、それは単なる言葉の意味を知っているだけで、知識をつなぎ合わせて考えるとか、新たな発見をするということがない。昨日の授業はそこを突いてみた。 学生達にとって「面白い授業」とは、冗談を言って笑いが爆発するような授業もそうだが、彼らの知識欲を満たしてやる授業も「面白い授業」である。 だけど、いつも思うのだが、こういう「からだ言葉」とそれに因む「日本人的思考」等は、中国人相手よりも、むしろ日本の小学生や中学生に対して行なうべき授業ではないのか。「胸を焦がす」「目頭が熱くなる」「瞼に焼き付ける」など、日本語には素晴らしい表現がある。こういう言葉が日本の中から消え、中国(というか外国)で残っていくといのが正常な状態とは思えない。「お疲れ様」「お先にいただいております」「おかげさまで元気です」こういう表現は英語にはない。小学校の授業に英語を導入するより、教えるべき日本語があるだろう、と思うのである。※写真は本文と無関係ながら、昨日の夕食。この後更に一皿追加されて、これを5人で食べた。
2006年12月06日
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外は晴れていい天気に思えるのだが、実際は0度。昨日は最低気温がマイナス3度だったそうだが、そうは見えなかった。 この「そうは見えない」というのが曲者で、日本ならマイナス3度にもなれば雪が降ってもおかしくないのだが、こちらでは晴れて眩しいのに、気温はまったく上がらず、視覚と感覚とのギャップがある。それでも雪は降らないにこしたことはない。 院生の精読を終えて食堂に行くと、スチュワートが何やら浮かぬ顔をしている。聞けば腎臓結石で、痛みが激しく、日々の行動に支障があるという。いつもは陽気な男なのだが、可哀相だ。 食堂の食事で最近、増えてきたのがカレー。老板(ラオバン)がどこからかカレーのルウを見つけてきたらしく、更に日本人教師が4人もいるということで、気を利かせてくれたようだ。尤も、カレーを喜んでいるのは日本人ではなく、アメリカ人のビルとスコットランド人のスチュワートの二人。 実は日本人に、この食堂のカレーは、人気がない。 何故なら、カレーが塩辛いからだ。 原因は、野菜を炒める時に塩を入れすぎるから。逆に、塩辛いカレーを好んでいるのが西洋人二人である。中国人が香辛料を好きなように、この西洋人コンビは塩を好んでいる。 私はといえば、昨日は学生と一緒に学食に行き、『炒拉面』を食べた。字だけを見れば「炒めたラーメン」だが、出てきたものはしょうゆ味の「焼き細うどん」。日本風の焼きソバは『炒面』だそうだ。付き合ってくれた学生は『炒飯』を頼んでいたが、いずれも皿に山盛りで今にもこぼれそうな量。 おまけに野菜入りのとろみスープがおまけについていたから、彼女は食べきれず、ナイロン袋をもらってその中にチャーハンを入れて、寮に持ち帰って行った。
2006年12月05日
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これまでは会話アレルギーの払拭に重点を置いて、授業をしてきたのだが、1級試験も終わり、これからはいよいよ実践編へと移行して、会話能力の養成に努める段階に入った。 しかし クラス全員に、一人ずつ話すチャンスが数多くあり、それが会話として成り立ち、授業時間内でステップ・アップさせるというのは、容易でない。 1クラス30人で、しかも1週間に1回だけという会話の授業で、学生達の会話力をアップさせるとなると、やはり限界はある。会話の教科書を読むのも悪くはないが、暗記ではなく、あくまでも自発的な会話でなければ身に付かないのではないか。 そもそも3年生たちは1級試験を受験できるぐらいの語彙力はあるのだから、それを頭の中から自由に出し入れすればいいだけなのである。と、簡単に言うが、そこで立ち塞がるのが100分間で30人という時間と人数の壁だ。 そして、考え抜いて、やっと編み出したのが「通訳問答法」。 これなら一人ずつに話すチャンスがたくさんあり、それが会話として成り立ち、徐々に難しいものへとステップ・アップできる(のではないか)という密かな確信があった。 そして資料と道具を用意して、朝を迎え、8時からの授業を待っていたところへ、1本の電話が……。「先生! おはようございます」「ああ、おはよう。昨日はお疲れ様」「いいえ。でも私たち、昨日洛陽から帰ってくるのが遅かったので、今日の授業は休講にしましょう。いいですか?」 他の先生も午前中は休講にしているし、学生達も試験が終わって気が抜けている段階だから、今日ぐらいはゆっくり休ませてやるか、と思ったのでした。 ということで、臨時休講にしてしまったのです。 「通訳問答編」の成果はあさっての2班の会話の授業で試すことにする。※写真は学生達の寮
2006年12月04日
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3日続きの好天に誘われて、今日もポージェ(破街)へ。 今日は昨日買い忘れた毛糸の手袋と分厚い靴下を買うのが目的。そして、ついでに朝食用のバナナも補充した。 昼食はこれ。名前はわからない。 たまご1個を鉄板の上で割って、そこで野菜と一緒に炒め、唐辛子をふりかけ(入れるかどうか確認してくれる)、辛し味噌を塗って、それをパンに挟んで食べるというもの。 他にもっとおいしいものがあるので、これはお勧め度だけど、チープでおいしいファーストフードだ。 学校に帰って散歩をしていると、何やら人だかりがしているので、近寄って見たら、各学部の女子学生の手作り作品展だった。 絵のように見えるのはクロスステッチで、赤いのは切り絵。切り絵は、中国土産として、日本に来た研修生たちにもらったことがあるが、自作できる者も少なくなく、器用さにいつも驚かされる。 その隣ではこれ。 傍には誰もいなくて、ただ置いてあるだけだが、書道の心得がない私でも、上手いなあと思ってしまう。クラスの学生の中にも書道が上手な者がいて、書道コンテストで入賞経験もあるという。 そして、展示品の奥にはこれ。 別にどうってことのない献血車。でも、中国で見るとなぜか「へえっ」って思ってしまう。 日本にいた時は、休みの日には競馬に行ったり格闘技を見に行ったりしていたが、こちらにはおよそ娯楽といったものや、日本語の新聞、週刊誌、雑誌、ドラマ、映画、バラエティ番組などはない。 しかし、手持ち無沙汰になったり、暇をもてあましてホームシックになることもない。 それは、目に映るものがすべて興味深く、また気軽に声をかけてくれる学生がいる(私の教え子の3年生は全員が試験のために洛陽に行っているが)からだ。これが外国で日本語教師をする醍醐味なのだなあとあらためて実感する。 3年生たち、早く帰って来いよ!
2006年12月03日
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このブログで何回か紹介した破街を写真でご案内します。 日本語科の学生たちには、代々『おんぼろ街』という名前が受け継がれているようで、その名の通り、決してきれいな通りではありませんが、食べるものから衣料品、化粧品、日用雑貨まで、とにかく安い。きれいではないが安い。悪いものもあるが、安い。そういう庶民の町です。 これが入り口。 ここにはたいていバナナやりんご、みかん、キウイなどの露店が出ていて、時々、傍で古本を売っていたり、また別の行商の人が焼き芋や果物などを売っている。 入り口を入ると、包子(肉まん、野菜まん)の露天が2軒、その他にも食べ物の店がずらっと並んでいる。包子は4個で1元(15円)。 私はキャベツが好きだが、田中先生はニラを気に入っていた。 その近くでは揚げ物の露店。 魚肉ではなくて、さつま芋をすりつぶしたものらしく、食べるとほんのり甘い。これこそ『さつま揚げ』というべきなのだろうなあ。 私はこれを、舌がしびれるマーラータンと一緒に食べた。 破街では通りの真ん中が格好の商売の場所なので、歩くところがとても狭く、その中を自転車や三輪バイクが通るので、クラクションの音もうるさい。 そんなことを気にせず、野菜炒め(手前に麺があるから、焼きソバか?)を作っている。 これは、ナンのようなパン(もっとふっくらしている)に切れ目を入れて、炒めた具をはさんで食べる、例えて言えば惣菜パン。 私はこれではなく、蒸したそぼろ風の豚肉をはさんで食べる方が好き。 しかし、1個で1・5元(22円)とやや高額(?)。 食べ物だけでなく靴下やタオルなどもすべて青空の下。 田中先生は1.5元の靴下を1元に値切ろうとしていたが、0.5元(7円)を値切るなんて……。 私はマフラー2つ(20元と18元)を30元で買った。20元から交渉して、私が根負けしたのだ。 写真の向こうに見える青い服のご婦人が田中先生。この日は土曜日で授業がなかったので、学生たちにやたらと声を掛けられていた。 私の学生は日本語能力1級試験受験のために、全員(!)洛陽に行っていて、誰も知った顔がいなかった。 こういう店もある。奥にはラフで割と格好いいジャケットなどが掛かっていた。 だが、私が買ったのは写真には写っていないが、厳寒期用の、黒いニットタイツ。2足で34元というのを30元で買った。 田中先生は、買ったものを店の人に、ミシンで補強させていた。 破街は更に続く。これは野菜の店。 これまでに中国に来た時は旅行団の一員だったことが多く、豪勢な料理ばかり食べていたのだが、本当はこういう街の、こういう食堂の、こういう食事に憧れていた。 中国で麻婆豆腐を食べたのも、家常豆腐を食べたのも、この破街の中が初めて。 この街の中には相当な数の飲食店があって、相当な数のメニューが揃っている。 いつ行っても飽きない街である。
2006年12月02日
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今日はせっかくのいい天気だったので、田中先生を誘って破街(ポージェ、日本名:おんぼろ街)で買い物がてら外食をした。 破街とは大学とは道路を挟んだ向かい側にある市場通りのこと。狭い通りの中に飲食店から美容院、衣料品店、日用雑貨店、立ち食い屋台(ファースト・フード店だい)、化粧品店などが雑然と並び、活気のある街である。 今日の目当ては香辣面(シャンラーミェン)。 以前、学生に教えられて食べたのだが、きしめんかソーメンのような麺が多い中にあって、香辣面はサッポロラーメンのような形と食感で、スープは八丁味噌に少し唐辛子を入れた感じだが、辛さよりもむしろ味噌の甘味が感じられて、他の日本人先生にも紹介したかったのだ。 しかし土曜日とあって、昼前から破街は学生達で混雑し、お目当ての店は学生で満員。他の店に行ったが、香辣面はやっていないということで、急遽、予定を変更し、ワンタンを食べることにした。 店の前でワンタンを作っているお姉さんに、田中先生の小碗(1.5元=22円)と私の大碗(2元=30円)を注文し、小碗には香菜(シャンツァイ)を入れないように頼んだ。香菜は中国独特の香りがする香辛料(?)で、私は好きだが、日本人の多くはこの味が好きではない。 で、待つこと3分。登場したのが写真のワンタン。 ご覧の通り熱々で、透明なスープは中国らしくなくあっさりしている。これがまた美味しいのなんのって! このワンタンと、通りで買った包子(キャベツとニラ)は、日本でも食べられそうな気もするが、しかし日本では絶対に食べられない本場の味といったところ。 食べ終わった後は、厳寒に備えてマフラーやズボン下(それも分厚いニット製)を値切りながら買って、最後に朝食用のりんごを調達して、帰ってきたのでした。
2006年12月02日
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7時に学生が部屋に迎えに来てくれて、日本語会話ショーの会場へ。 この、部屋に迎えに来るというのは、日本語科の伝統というかしきたりらしく、毎回の授業の時は教師の部屋から教室まで、学生と教師が歩きながら話をする。こういう風景は他の学部では決してお目にかかれない。日本語会話の実践の場でもあるのだ。両側を学生に挟まれて会話をするこの状況を、私は「サンドイッチの中のハムの気分」と評している。 今日の日本語会話ショーは、実は2年生のある一人の学生が寝入りばなにふと思いついて、仲間に声をかけ、2年生全員を統率して実現したものだという。学生達は自分の班(クラス)のことを「まとまりがいいです」といつも自慢するが、こういう現場を目の当たりにすると、なるほどと納得させられる。 日本語会話ショーの会場は、普段使っている教室で、通常、空き教室は学生達の自習の場になるので、今日は会場となるその教室に、自習学生を入れないようにして会場セッティングをしたようだ。何から何まで、学生達の手作りである。 「日本語会話ショー」というイベント名なので、一体何をするのかといえば、日本のテレビドラマの一場面を切り取り、登場人物になりきって演じながらセリフを話すというもの。「東京ラブストーリー」や「愛の奇跡」「娘の結婚」など、2年生達が時にたどたどしく、時に流暢に演じていた。なるほど「日本語会話ショー」だ。 実は赴任直後から、3年生に日本語劇をやらせたいとずっと思っていた。そして、学級新聞のようなものも作らせたいとも考えていた。しかし、学生達は日本語能力1級試験に全力を投球しており、そのタイミングをずっと考えていたのだ。 劇は会話能力、新聞作りは作文能力と、それぞれの向上を目指してなどというつもりはなく、ただ単純に、3年生の時に何かを成し遂げたという思い出を作らせてあげたいと思っただけ。 試験が終わったら3年生たちに提案してみようと思っているのだが、さてどういう反応が返ってくるだろうか?
2006年12月01日
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今朝の天気予報を見ていたら、至る所で最低気温がマイナスになっていた。気がつきゃ今日から12月なのだった。 それでもここは最低気温こそ1度だったが最高気温は12度で、外はポカポカ陽気。 中国に来てから初めて知ったことは、大学はほとんどが全寮制だということ。 だから(か、どうかわからないが)、授業を欠席する学生はほとんどいないし、誰かが欠席しても、その理由をほとんどの学生が知っている。誰の彼女はどこの学部の誰だとか、誰と誰は付き合っているとか、そういうことは、噂ではなく、全くオープンだから、これも誰もが知っている。 仲間が欠席した理由を誰もが知っているように、教師が授業で何をし、何を言ったかなんてことも、情報の伝達は光ファイバー並みに早い。 たまに知らない学生から挨拶されたり、馴れ馴れしく話しかけられたりするが、学生同士の噂や批評で、向こうが私のことをよく知っているからなのだろう。 とにかく情報が早い。そしてプライバシーなどない。 簡単に言えば、人と人の距離が近いということだ。こういう環境で育つと、なるほど「日本人はよそよそしい」と評されるのもよくわかる。
2006年12月01日
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