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こちらに来てから大藪春彦の本を5冊読破した。20年くらい前に読んでいた作品ばかりだが、何故かこちらの生活によく合う。他にはスティーブン・ハンターやトレヴェニアンなどの翻訳物ばかりを読んでいる。 学生(というか)人間相手の仕事だから、情緒を感じさせない硬質な文体と、マシンと銃の作品世界を読んで、無意識のうちに精神のバランスを取っているのかもしれない。理由はよくわからない。 日本語資料室には芥川龍之介や太宰治、川端康成などといった作品(日本から送ってもらった古本が中心)が並んでいるが、中に西村寿行の鯱シリーズも並んでいた。西村寿行の作品も一時凝って、30冊近く読んだことがあるが、大丈夫なのかなあ。 そういえば、中国の近現代に影響を与えた日本人の中に高倉健が入っているのは、彼が主演した映画『君よ憤怒の河を渡れ』が中国で大ヒットしたからだ。その原作者は確かに西村寿行だから、彼の作品が日本語資料室に置いてあっても不思議ではないが、鯱シリーズはどうかなあ……。 今日の院生の授業では、内館牧子のエッセイを使って、日本の国技・相撲を紹介した。相撲の起源、しきたり、番付、相撲から出た言葉(序の口、軍配、胸を貸す、ちゃんこ等)、横綱審議委員会、相撲用語などなど。ついでに歌舞伎から発生したことばを紹介して100分間が無事終了。 この後は田中先生の作文の授業を見学しながら、3年生の作文の添削をして、夜は大藪春彦の小説を読んで(多分、)1日がつつがなく終わる(だろう)。
2006年11月30日
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先週の「教育評価」に続いて、今週末は「日本語能力1級試験」で、3年生はホッとする間もない。 日本語科の学生は入学した時点で、日本語能力試験1級合格を義務付けられ、それに向かって2年間を過ごす。 本学では1級試験の合格率は80%以上。昨年はやや低くて76%だったというが、なんだか凄まじい数字だ。 「あいうえお」の勉強を始めて、2年後に、日本語試験最高峰の1級に合格するんだから。それも合格率が80%というんだから。感心を通り越してあきれるね。 それでも学生達はストレスが溜まっているらしく、胃腸炎になったり、激励すると涙ぐんだりと人それぞれ。 私の、3年生の担当授業は月曜から水曜に集中しているので、今週はもう3年生に会う機会もない。合格のために、彼らがどれほど凄まじい努力をしてきたかをずっと目にしてきただけに、ぜひとも合格してほしいと願っている。 その前に、試験の前に風邪をひくなよ!
2006年11月29日
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朝からの一面の霧は、昼前になってやっと晴れて、久々に太陽が顔を出した。 8時からの院生の授業(精読)は群ようこの『OLとあんぱん』の第1回目。群ようこは小説よりもエッセイの方がいいのだけど、なんせ精読で、しかも短編という条件がついているので、これを選んだ。 院生たちはこれまで古典や近代文学は、独立した授業、それも会話や作文よりももっと多くの時間をかけた授業の中で、学んできた。そしてその知識は、日本人よりも深く多いかもしれない。 だが、彼らが将来、日本人と親しくなった時、果たして源氏物語や梶井基次郎、中村草田夫(俳人)などの話題を持ち出して、日本人と楽しく話ができるかといったら、それはほとんど無理だ。それよりはむしろ赤川次郎や西村京太郎のほうが、話題を共有できる。 今日の授業で言ったのは、「文学とは研究するものではない」「読んだ人に考えさせることは高尚だが、読んだ人を笑わせることはもっと高尚なことだ」「娯楽は人間にとって重要な要素である」ということ。 これまで重松清、村上春樹ときて、今回が群ようこ。フラッシュメモリーの中に準備しているのは他に石田衣良、連城三紀彦、渡辺淳一、宮部みゆき、筒井康隆、片岡義男、折原一、山田詠美等など。 いずれも院生のレベルがわからない時点で選んだものばかりなので、作品も、書き込んだ語句、慣用句の説明も、問題集の設問も、直すべきところが若干ある。 しかし、取り敢えず、これで乗り切るしかない。
2006年11月28日
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昨夜の12時半までかかって用意した資料を持って、今週のオープニングになる「会話(3年生)」の授業に臨んだ。 資料といっても、「富士山」だとか「曹操」「きゃべつ」「トイレ」「歯ブラシ」「小泉純一郎」「郵便局」などといった単語を紙に書き、それを小さい紙に書いて小さく畳んで、袋に入れただけ。 今日の授業では、クラスを5人ずつ6つのチームに分けて、1つのチームが、その袋の中から引いた単語が何かを、他のチームが当てるというゲームをした。 「それは私より大きいですか?」「あなたはそれを食べたことがありますか?」「教室の中にありますか?」「いくらで買いましたか?」等、およそ考えつく質問を駆使して、相手チームが引いた単語を当てるもので、当てた速さによって得点を与え、チーム対抗戦とした。 本来なら、こういうゲームは3年生ではなく、1年生の後期か2年生の前期でやるべきものだと思う。それは充分にわかっているが、質問と答との応酬によって、たくさんの日本語を話させたいと思ったし、試験を数日後に控えた学生達の緊張をほぐしてやりたいとも思っていた。また、将来、教師を目指している学生が多いから、遊びながら日本語を覚える方法を伝授したいという意図もあった。 そして、何より3年生たちに、大きな声で話をさせたかったのだ。 会話の語彙を増やす、より流暢に話す、上手に相槌を打つ、臨機応変な受け答えをする等、上手な会話にも種類とレベルがあるが、3年生たちは今、会話に照れや緊張がなくなり、次のステップに進もうとしているところだ。焦ることはないし、悲観することもない。 今日は、普段、あまり発言をしない学生も含めて全員が、たくさん、大きな声で日本語を話した。早く正解したくて、次から次へと質問を繰り出した。そして、みんなが大笑いした。「もっとやりましょう」「もう1回!」という掛け声も飛んだ。試験を控えたストレスもこれで多少は解消できたようだ。 試験、頑張れよ! 負けるな、3年生!
2006年11月27日
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先日、2年生が部屋を訪ねてきた。 チラシを渡され、見ると「日本語会話ショーと日本語演説ショー」を開催すると書いてある。 演説ショー……? ショーっっ! 目的は「2つの活動を通じて、お互いに助け合う意識を強めます。日本語の学習の興味を起こします。講壇で演説と出演の能力を鍛えます。感情交流を広めます。日本語らしい日本語を身につけます」とある。 感情交流を広めるか……。広まるかなぁ? それでも、去年の今頃はやっと「あいうえお」を卒業したぐらいだった学生が、1年後の今、「演説ショー」(笑)をやるんだから、これって凄いことだ。そして更に1年後は「日本語能力試験1級」に挑戦か。 話は違うけど、今日はディープインパクトがJCを勝ったそうで、第1回のJCでメアジードーツの勝利を見ていた私にとっては、感慨深いものがある。 何が感慨深いかというと、世界が近くなったなあということ。 当時は競馬にしろ何にしろ、世界は遠いものだったけど、今はディープだってフランスに行ってきたし、私も今、中国にいるんだもの。 2年生たちが去年、「あいうえお」を勉強していた頃、私は一人で「日本語教育能力試験」に向けて勉強し、試験を受けていたのだった。 勤めていた会社を辞める勇気も、それを言い出す決断もできず、どこに採用されるという当てなんか全くないまま、タメ息ばかりついていたものだ。 それが、今は大学の学生たちから「日本語演説ショー」の特別ゲスト(だって!)として招待されるんだから。 たかが1年、されど1年……。来年は一体、どうなっているのやら?※写真は本文とは全く関係ないけど、昨日、外国人教師たちで作った餃子(左奥に見えるのが、それ。手前のきれいなのは料理人さんや中国人の先生達の作品)
2006年11月26日
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珍しく降り続いた雨が、今日は久し振りに傘を差さずに歩くことができた。 この大学には正門を入ったところにでっかい図書館があるので、その周囲を歩くときは、ビル風ともいうべき突風に襲われる。私もこれで傘をダメにした。 先週はなんだか全く印象にのこらない1週間だった。何故だろうと考えたら、雨続きで散歩ができなかったからだと気が付いた。 散歩ができないから、部屋の中でじっとしているしかない。散歩ができないから学生に会えない。学生に会えないからバカ話ができない。バカ話ができないから発散できないということだ。 さて、次の日曜日は、3年生達の最大の目標である「日本語能力1級試験」が行なわれる。みんなが涙ぐましいほどの努力をしてきたのを知っているだけに、なんとか全員に合格してもらいたい。明日と水曜日の会話の授業では、激励することばを中国語で言ってくださいと、私の中国語の先生(私の生徒ね)リクエストされたので、この後、その準備をしようと思っている。 あっ、そういえば作文の添削もまだ終わってないし、会話の授業もこれまでとは趣向を変えて、全員が満遍なく、たくさん話せるような形式にするのだが、その資料がまだできていないのだった。 あぁ、また今日も外に出られない……!※写真は図書館。手をあげている御仁は毛沢東さん。
2006年11月26日
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今日は、我々外国人教師が厨房を借りて餃子を作った。 外国人教師同士の親睦と、いつもお世話になっている厨房の方たちとの交流を目的として、外事弁公室が主催してくれたのだ。 餃子の餡は野菜と肉の2種類で、これは料理長さんたちが用意してくれた。我々の担当は、皮を作って、餡を包むという作業だったのだが、ビルはバナナのような巨大な餃子を作るわ、主婦としてもベテランの日本人の先生方が作るのも形や大きさが様々。 中国では何かめでたいことがあると餃子を食べるそうで、学生たちの大半は自分で作ることができるそうだ。そして、中に入れる具も地方や家庭によって違っている。 日本で研修生たちの相手をしていた頃は、何度も餃子を作る場に立ち会い、数え切れないくらいご馳走になったが、意外においしかったのは豆腐入りの餃子。そのままの豆腐では水分が出るので、固く絞るのだが、あっさりしているしタレがよく染みるのでつい量が増える。 餃子以外では「家常豆腐」も印象に残った一品。豆腐を揚げて味噌で炒めた家庭料理だが、ごく普通の若い女性といった研修生が、目の前でそれを作っていく様子を見た時は、その手際の良さに思わず唸ったものだ。魚を簡単に捌いたり、肉じゃがを作れる日本の若い女性はどれくらいいるだろうか? 今日作った餃子は早速、昼食の席に出され、全員がお腹いっぱいになるほど食べた。見てくれは多少悪くても、実においしゅうございました。※写真はルーマニア人教授の奥さんと日本人の松嶋先生、そして私。
2006年11月25日
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北京から5年に1回、視察に来るという「教育評価」が無事(?)終了した。我々外国人教師には何の影響もないのだが、学校と学生にとっては、この「教育評価」は、今後の大学の環境を左右する何ものにも代え難い重要なイベントなのだそうだ。「教育評価」の中には、例えば居住環境とか栄養状況といった項目もあるそうで、この1週間は学生は6時に叩き起こされて、寮の掃除をさせられたらしい。一方、学食のメニューはこの期間は格段に豪勢になったという。 その「教育評価」が終わったので、昨日は各学院(学部)ごとに打ち上げをしたようだ。我らが外語学院も英語から韓国語、日本語に至る全教師が市内のホテルに繰り出して、食事会をした。 バイキング形式の食事だったが、メニューが豊富で、割と満足できる内容だった。ただ、どの先生も、学生気分で「一気!」をやるのはどうかと思うけど……。 「一気! 一気!」の掛け声で白酒とビールを次々飲まされたのは、この私でした。飲めと言われれば飲むけどね……。
2006年11月25日
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クラスの中にいつも、印象に残る作文を書く男子学生がいる。彼の作文を読んでいつも思うのは、他の先生は彼の作文にどういう評価をするのだろうということだ。 例えば、以前「自分が羨ましく感じる他人の才能」というテーマで作文を書かせたことがある。学生たちは、他人の才能について書きながら、その実、自分を見つめ直して作文を書いた。そしてそれが私の出題の意図だった。 ところが、その男子学生は次のような内容(大意)の作文を書いた。 私の背中には大きな翼がある。私はその翼で空を飛ぶという才能がある。空を飛ぶのはとても楽しい。友達は私の才能を羨んでいる。私は空を飛び、遠い宇宙まで飛んで、星に降りる。そこは寒くて、私以外は誰もいない。私は孤独だ。とても寂しい。 しかし朝が来て、目が覚めると、私の翼は消えてしまう。私の才能はなくなる。しかし、周りには友達がたくさんいるから、私は寂しくない。友達から羨ましく思われることはないが、孤独も消えるのである。 彼の字は汚い。悪字である。時々、中国語の単語が使ってあるし、送り仮名や文法の間違いも多い。減点法で採点すれば、及第点になるかどうか怪しい。しかも、出題の意図とはまるで異なる内容の作文である。 私は無論、大絶賛した。間違いなんぞは、教えてやればいい(それが添削なのだ)、だが、こういう発想は教えてできるものではない。上手い作文を書く学生は他に何人もいるが、こういう作文を書く学生は他にいない。こういう発想をできることが、彼の才能なのである。 そして、今週の作文は、日本の「恋文コンテスト」の優秀作品を読ませ、テーマは「手紙」とした。作文ではなく、手紙を書きなさいということだ。相手も内容も、一切条件はつけなかった。 多くの学生たちは、家族や友達、昔の恩師(私宛の手紙を書いた学生も何人かいたけど)、以前の恋人などに宛てた手紙を書いた。そして私もそれが当然だろうと思っていた。ところが彼が手紙を書いた相手はまったく予想外の相手だった。 では件の彼は、誰にどういう手紙を書いたのか。以下に(間違いもそのまま)紹介します。 3年前、君に出会った時、君は家のベランダで、ミルクを飲んたり、私に怖い声で「ウンウン」と吠えていた。それは私たちの初見面だ。その後の夏休みの2月間の毎朝、君は私の床の前で待っていた。小い体、白い色、目が黒い、可愛いなあ。 あの夏休みは大学に進学試験の後、成績はよくない。私の気持ちは雨が降った後ようにとても悪いだった。しかし、君に見て後、太陽が出たと感じがあった。毎日、君は私の後についてあそこへ行った。時々「ウンウン」と私に話出した。小川で君の可哀相な様子を見てのは最も面白いだった。悪い時は早いで渡った。 今年の夏休み後、4月間くらい見えない。君は今いいか。幸せを祈る。 どうですか? 他の先生方、やっぱり落第ですか?
2006年11月24日
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今日の院生の授業は、日本の新聞記事を読んでお互いに話し合うというもの。 今日は「中国の近現代化に影響を与えた50人の中に日本人が6人選ばれた」という内容の記事。小さな囲み記事だったので、この話題で10分も持たないだろうと思ったら、なんと意外に盛り上がって80分も話し合っていた。 選ばれた6人とは、昭和天皇(なるほどね)、松下幸之助(ああ、なるほど)、田中角栄(ああ、そうね)、伊藤博文(ああ、ああ)、岡村寧次(知ってる?)、そして高倉健(えっ、健さん?)という面々。 松下幸之助は松下電器の創始者としてよりも、経営の神様として、中国のビジネスマンにも影響を与えているそうだし、高倉健は『君よ憤怒の河を渡れ』という随分前の映画が、現在の50歳くらいの中国人に強烈な影響を与えているそうだ。 そのほかの田中角栄も伊藤博文も、そして昭和天皇に関しても異論のないところだが、岡村寧次という人は知っていますか? 日中戦争の時の中国派遣軍の隊長で、中国では東條英機よりも悪名が高い人物だそうです。何故なら、東條英機は日本国内で指揮を取っただけだが、岡村寧次は中国人を次々と惨殺した人だから、というのが理由のようです。 だから「岡村」という名前の日本人は、中国人にとって因縁の名前なのだそうです。 この顔ぶれを紹介しながら、「ソニーと松下」「天皇家と民間人の結婚」「公害病」「女性天皇」「国歌斉唱」などについてあれこれ喋っていたら、時間がどんどん過ぎてしまったのでした。 何しろ、質問が多かったから、楽だった。例えば「SONYという名前のいわれは?」だとか「天皇の人間宣言について」だとか、「高倉健の映画」だとか……いずれも得意分野だったし、皇族の結婚などは芸能ネタで知っていたから、院生たちの興味を引いたり、知識欲を満たしたりしながら楽しく語り合うことができた。 先日の村上春樹の精読で、質問攻めにあったときは、困ったけどね。
2006年11月23日
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今日は、中国でこういう言い方があるかどうか知らないが、「木枯らし」が吹いた。木々がさわさわと揺れ、木の葉が風に舞っている。その音にあらためて冬の到来を知るといったところだ。 今日は会話の授業があったが、会話の授業にはいつも悩む。 作文は添削をして、解説や例文を書込み、日本語らしい日本語に書き直して返却すれば、クラス全員のレベルアップも、個々人の間違いの訂正もできるのだが、しかし会話はそうはいかない。まとめて添削なんてできないし、作文と違って全員(1クラス30人)と一斉に会話をすることはできないからだ。 だからできるだけ全員に話を振って発話できるようにしているのだが、100分間の授業で学生一人の発話時間が1分にも満たないのに、それを会話の授業と言えるのかどうか。 だから、次善の策で、授業中は教科書の会話文を、男対女に分けたり、机の列ごとに分けて、人数を変えたりしながら読ませるようにしている。そうすると、クラスの全員が、すくなくとも日本語を口にする機会と時間は多くなる。でも、それは音読であって、会話とは言えないよね。 学生たちには、教室は言い方や語法を覚える場。実践は教室の外で、と言い、毎日、校内を散歩しているのだが、人数に限界はあるし、最近は2年生の相手もしなくてはならなくなった。しかもこれから冬になって、氷点下10度の戸外を散歩する気などない。 ロールプレイも1人対1人だったのを、1人対3人にするなど、工夫はしているのだけど、なにか、もっといい方法、全員がたっぷり話せて、それぞれの間違いを指摘でき、更に使用語彙が増えるような方法はないだろうか?
2006年11月22日
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今朝は一面、真っ白な霧の中! すれ違うまで、相手の姿が見えないほどの濃い霧。11時になった今でもまだ霧は晴れず、部屋から教室まで歩く間に髪がしっとりと濡れるほど。 今は、8時からの院生の精読を終えたばかりだが、日本で想像していた日本語教師の仕事と、今やっている仕事は、実は全然違っていてる。赴任先が大学で、担当クラスが3年生と院生ということもあるのだけど、日本語教師というよりは、日本人教師という感じ。 1年生から始める文法や語彙の説明はすべて中国人教師が担当し、日本人教師は発音を直すだけ。2年生になれば、会話と作文、総合日本語の授業が始まるが、日本人は会話と作文を担当し、文法の説明などを行なう総合日本語は中国人教師が行なう。3年生になって会話、精読、作文のすべてを日本人が担当するという具合だ。 しかし、これは仕方がないことでもある。 何故なら、この大学で募集したのは「日本人教師」であって、「日本語教師」ではないからだ。日本語教師の資格を持っているのは私だけで、他の先生方は日本で長年教鞭を取っておられた日本人の教師である。日本語の文法などは、日本人だから教えられるというものではない。 実際、文法の説明は日本人よりも、中国人教師の方が断然うまい。しっかりと理論づけて教えることができるし、日本語を理解できない学生に、日本人が日本語で(或いは通訳を介して)教えることは難しいし、うまく伝えることができないからだ。そして、そうなればお互いにストレスが溜まり、殊に学生の場合、日本語に対する興味を失いかねない。 では、日本人教師の役目は何かというと、私は日本語は面白いと思わせること、日本語に対する興味をかきたてることだと思う。日本語ならではの面白さを教えることは、それこそ日本人教師しかできないからだ。そして、語学としての面白さだけでなく、他の人とと会話をする喜び、会話をして得られる嬉しさを与えることができるのも、日本人教師の役目だと思う。 だから、こちらに来てから役立ったのは、日本語教師用の教育資料ではなく、日本語の語源・由来辞典(学生たちは「へえ~っ」と感心したり納得したりだ)や「平成教育委員会(国語問題)」や「脳内サプリ」「さるヂエ」などのクイズ問題、「頭の体操」「ジョーク集」などの、知識より知恵を問う問題、連想ゲームやジェスチャー・ゲーム、伝言ゲームなどの遊びなど。 その他には芸能関係(歌や歌手)、映画やドラマ(日本のドラマは人気があって、先日は『ドラゴン桜』について質問された)、政治や地理、歴史などのミニ知識が重宝する。そういう知識は試験には直結しないが、そういうものこそ、学生たちが知りたいもので、それは日本人でなければ教えられないものである。 どうすれば学生たちが日本語に興味を持てるのか、進んで会話をするようになるか、そして成績がアップするのか――そのために、日本人教師として何ができるのかを毎日、考えている。
2006年11月21日
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この大学では、今週は北京からの視察団による教育評価が行なわれている。この教育評価の結果によって、来年度からの予算割当が決まるそうで、学内は上は学長、書記長から下は学生たちまで右往左往の毎日だ。 例えば、校内には標識や街灯、掲示板がやたらと増え、教室やここ外事弁の壁もきれいに塗りなおされた。まあ壁を塗りなおしても、すぐにまた砂埃で汚れるのだけどね。膨大な人数の掃除人が、落ち葉を掃きまくって、その度に砂埃が立つし、教室棟の中にも掃除人の姿が目立つ。 学生は毎朝6時には全員が叩き起こされ、寮から出されて行進のようなことをさせられているし、学生のリーダーがそれをしっかり監視している。おかげで授業中にあくびをする学生が多くなった。そして、以前はパンや軽食を食べながら歩いている学生の姿が目立ったが、それも厳重に取り締られ、立ち食いをしている学生はいなくなった。 だが、街灯も掲示板も、教室も、きれいになったのは視察コースだけ。例えば、教室棟は2階まではきれいになったが、3階以上は前のまま。何故なら、エレベーターがない教室棟は3階以上は視察されないからだ。 そして、今、困っているのが、部屋の暖房。 我々、外国人教師の部屋は、夏はエアコンで涼み、冬はセントラル・ヒーティングで暖を取るという恵まれた環境にあるが、だが、昨日(視察が始まってから)から、部屋の中の暑さが異常になった。どれくらい暑いかというと、Tシャツ1枚になっても汗が流れるほど。まるで夏だ。温度調節ができないから、暑さを和らげるためには、窓を開けて冬の冷気を入れるしかないのだが、そうすると砂埃がワッと入ってくる。床も机の上もザラザラになる。 今日は授業中に汗が流れて、まだ風邪が治ってないのかと思ったら、単に室内温度が高かっただけだった。冬、暖かくて文句を言うのもどうかと思うが、「暑い!」
2006年11月20日
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風邪が快方に向かっているので、また日課の散歩を始めた。散歩をしている時、先週までと大きく違うのは、見知らぬ学生から声を掛けられる回数が増えたことだ。先週、担当外の2年生に1回、それも50分間だけの授業をしただけで、2年生たちが親近感を感じてくれたようだ。 昨日、今日と、そんな2年生たちの会話の相手になって校内を散歩したが、感じるのは、もっと会話が上手になりたいという強い思いだ。だが、その思いに応えるには、1週間に1回だけという会話授業はあまりにも少なすぎる。私が相手をしてやるにしても、その数はやはり限定される。 だから、学生たちが教室外で日本語を話す機会は、積極的な学生を除いて、ほとんどない。 この大学の日語科の学生は3年生になると、「日本語能力試験1級」の受験が義務付けられ、その合格率は70%を超え、時に80%を超える年もある。僅か2年前に「あいうえお」を覚えるところから始めたことを思えば、凄まじい進歩である。英語の勉強を始めて2年後に英検1級に合格することを考えても、その上達ぶりの速さがわかる。 だが、試験に合格するために蓄えられた知識に比して、学生たちが会話で使う語彙は少なく、発音も怪しく、流暢さにも欠ける。そして、そのことは学生たち自身が一番よく知っている。 もっと話したい、会話が上手になりたいと思っている学生たちにどうやって応えるか、日本人教師(日本語教師ではなく)がそれぞれ考えるべき問題である。※写真は日曜日の朝8時の風景。学生たちが自習をしているところ。
2006年11月20日
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次回で村上春樹の精読が終わるので、今日はその次に使う資料をコピーして揃えた。何にしようかと迷った挙句、選んだのが筒井康隆の『家族八景』だった。 重松清、村上春樹と来て、筒井康隆である。そしてその次は山田詠美か宮部みゆきを予定している。 実は、筒井康隆であれば『経理課長の放送』や『関節話法』(打ち間違いじゃないよ)、或いは『乗越駅の刑罰』などを採用したかったのだが、現状じゃまだ無理だと判断した。『経理課長の放送』を読ませれば、院生どころか、同僚の日本人の先生たちだって眉を顰めるだろうしね。 ところで、授業のたびに印務中心(印刷センター)に行ってコピーを取らなければならないのは、けっこう面倒くさい。特に小説などは印刷枚数が多くなるし、作文の授業にも毎回、資料を使っているから、回数も部数も相当になる。 作文の授業では、日本語のエッセイや評論、記事などを読ませて、その中の漢字や文法を確認した後、資料に沿ったテーマで作文を書かせている。良い文章を書くためには、数多くの良い文章を読むべきだ、と考えるからだ。 ところで、以前、作文の授業に遠藤周作のエッセイを資料として使ったところ、その後、学生の一人が図書館から遠藤周作の小説を借りて読んだと教えてくれた。作文のために選んだ資料から、作家に興味を持ち、自分で本を探して読破したのだ。それを聞いて、素直に嬉しかった。 まさに「興味は最良の教師」である。※写真は開封市(本文とは無関係です)
2006年11月19日
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こちらに来てからいろいろな経験をしたけど、今回は初めての「風邪」を引きました。 先週あたりから、なんだか喉が痛いなあと思っていたら、すっかり声が変わってしまいました。寝込むほどではないし、日常生活には支障はないのだけど、なんだか鬱陶しいのです。 試験を控えている3年生に風邪を移してしまっては、一生の後悔になるので、学生とも話せないし、本当に「なんだかな~」です。 と言いながら、昨夜は宋先生から「一緒に食事をしましょう」という電話があり、そそくさと出かけてしまいました。 宋先生は新郷市の役所に勤めていて、私とはもう7年来の付き合いですが、彼を通じて随分多くの中国人と知り合いました。その多くは人民政府関係者だったり、会社経営者などです。ほとんどは日本語がわからないので、自然と私が中国語を話さざるを得ないということになります。 宋先生は私が中国語を、自分の友達に聞かせるのが嬉しいようですし、私も中国語を話したいのですが、人によって「聞き取りの才能」というのは、あるようです。同じことを言っても、聞き取れる人と、聞き取れない人がいるのです。 だから、「聞き取り才能」がある人と出会うと、自分の中国語が上達したように感じますし、その才能がない人と話をすると、自信を失くして暗くなるのです。※写真は開封の菊祭り
2006年11月19日
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前回の院生の授業(日本報刊選読)では、新聞記事ではなく、週刊誌の記事を使って授業をした。一つは、安倍内閣が誕生したという記事。そして、もう一つはその週刊誌の連載記事で、椎名誠のエッセイ。 このエッセイは、日本に数ある「記念日」を皮肉ったもので、なまじの日本語教育を受けただけでは読解できない高尚な内容だった(そんな大層なものではないが)。 例えば8月19日はバイクの日と俳句の日。これなんかは簡単だが、1月28日が衣類乾燥機の日となると説明は難しい。答えは「衣服ふんわり」で128なのだそうだ。2月9日はそのまま「服の日」で、5月9日は「メイクの日」、これは5月のMAYと9の合成。さらに2月22日は「ニーニーニー」の「猫の日」(無理があるなあ)、11月1日はワンワンワンで「犬の日」(こちらは正統派)と続き、11月11日は+と-の組み合わせで「電池の日」など等、日本人でも知らない記念日が次々と紹介してあった。 単なる語呂合わせなのだが、極めて真面目に日本語を勉強してきた中国人に、このバカバカしさが理解できるのだろうか、と授業前には一抹の不安もあった。まあ、実際は心配するほどではなく、多少の笑いも出ていた。 とはいえ、『笑点』までの道のり、いまだ遠しである。『笑点』は、日本語を自由に使いこなす相当な知識と柔軟な発想が必要だからである。
2006年11月18日
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金曜日の持ち授業は院生の作文だけ。これが午前10時で終われば、今週の授業は全部終わり、待ち構えているのが3年生と院生の作文の添削だ。 作文の添削というのは、どこまで直せばいいか、いつも悩む。たくさん直せば、多くの間違いに気づき、知識が増えるだろうが、真っ赤になった原稿用紙を見て自信をなくす場合もある。 私の場合はまず、文法や、誤字、脱字など明らかな間違いを原稿用紙に書き込む。 次に、学生たちが書いた作文を、私自身が日本語らしい日本語で書き直す。 そして、学生に課したテーマで、私自身がオリジナルの作文を書く。 最後に、感想や励ましの言葉など何らかのコメントを、彼らの原稿用紙に書き込む。 以上の4つの過程を経ることにしている。 だから返却する原稿用紙は、赤ペンによる訂正箇所は比較的少ない。 授業の中では、彼らの作文を私が書き直した「日本語らしい日本語編」を読ませる。いろいろな表現を覚えさせる。多少難しい言い回しでも、それは彼らが既に自分で書いたことだから、充分判読できる。これが新出の文章であれば、読むのに時間がかかるだろうが、この方法なら短時間ですむ。 3枚目は私自身の作文で、これを読んでポイントの掴み方や、起承転結の構成などを覚えさせる。最後のコメントは、相手によって誉めたり、励ましたり、様々。 これを60人やるのだから、結構時間をくってしまう。 今回のテーマは、出口汪氏の教育論を題材にして「教育にとって最も重要なものは何か」というものにした。ただ、これだけでは漠然としているので、「今までで一番印象に残った先生」をサブテーマとした。印象に残った先生について書きながら、自身の教育論を書きなさいというわけだ。 提出された作文を読むと、中国の教育がわかるのと同時に、学生たち個々の興味や考え方がよくわかる。 テーマがフィットしたのか、作文能力が上がってきたのか、今回はほとんどの学生がこれまでより長い作文を書いている。 ……だから添削が大変なのだが。
2006年11月17日
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先週からの約束で、2年生を相手に授業をした。 私にとってはほとんどが初対面だが、学生たちは私のことを知っているようで、教壇に立つ前から、興味津々といった表情。その期待に応えるように、第一声は「Good Morning,Everybody」にした。私が日本語を話すのを待ち構えていた学生たちは、完全に意表をつかれたようで、教室内が笑いに包まれ、一挙に雰囲気がなごんだ。そして、この挨拶だけで、私がどういう人間なのか、学生たちは完全に理解したようだ。 なごんだ空気の中で、今日行なったのは「会話のススメ」と「単語記憶術(頭脳編・肉体編)」の二つ。教室内は常に爆笑だったし、その中で学生たちの集中力も途切れることはなく、満足してもらえたかなというところ。 学生を笑わせればいいというものでもないが、日本語を聞いて笑うことができれば、日本語に興味が持てるし、笑いでも何でもいいが、強い印象とともに覚えた言葉は忘れにくい。そうやって語彙を増やしていけば、会話を怖がることもなくなる。 今日は、先週、孫先生の授業を見学した時に、2年生を相手に話すよう要請されたもの。 そして私の授業を孫先生と田中先生が見学しておられた。私は他の先生の授業をよく見に行くが、私の授業を他の先生が見に来られたのは初めてで、孫先生は非常に喜んでおられたが、さて田中先生がどういう感想を持たれたかは、怖くてまだ聞いていない。※写真は今日の私の授業(私が中国語でまず自己紹介をし、学生が日本語に通訳をしているところ)
2006年11月16日
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3年生の最大目標である日本語能力1級試験が近づいてきた。そしてそれに絡んだ質問も増えてきた。だが、どう答えていいか困るような質問が多い。無論、学生たちが悪いのではなく、そういう問題を出題する側がバカなのだが。 例えば、次の( )内のどちらが正しいか、という問題では……。1、休日なのに出勤なんて、そんなに(束縛・拘束)されるのは嫌だ。2、今度の試合ではチーム全員が(結束・団結)して頑張ろう。3、彼は(元来・本来)頑健な体を持っていた。 意味と状況に相応しい言葉を使うべきではあるが、日本語を学んでいる外国人に対して上記の知識の有無を問うことにどんな意味があるのだろう。質問に来た学生は「日本語は難しいです」と言っていたが、こういう試験を課しておいて、日本語を好きになれと言う方が無理だ。 1は時間に関する「休日」という言葉が問題文にあるから「拘束」が正しいのだとしても、「束縛」だって、ちゃんと意味は通じるし、2を「団結」、3を「元来」としたって、大きな支障があるわけではない。 こういう質問もあった。「『~するやいなや、~するとすぐに、たちまち、~とたん』時間が一番短いのはどれですか?」 そういう質問にどう答えろって言うの? 「とたん」が一番短そうな気はするけど(気がするだけ)、根拠を説明することはできないし、そんなことを考えるのもバカバカしいでしょ。 昨日の作文の授業では「教育にとって一番重要なものは何か?」「一番印象に残っている先生」という二つのテーマを合体させて、一つの作文を書かせた。 その中で「学生が自主的に勉強したくなるような教育」と書いた生徒が多い。あんなけったいな問題を出していると、外国人は日本語を勉強したいという意欲を失うのではないかと危惧するのである。
2006年11月15日
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今朝の最低気温は6度。テレビの天気予報を見ていると、すでにマイナス10度くらいのところがあるかと思えば、最高気温が30度のところもある。中国はやっぱり広いんだなあ。 今日は午前中に院生の精読(村上春樹)を終えて、昼ごはんは学校を飛び出して『おんぼろ街』の立ち食いへ。先日、日本語科の教授と話をした時、『おんぼろ街』を話題にしたのだけど、教授はご存知ありませんでした。まさに庶民、我々のような下々の街だということがわかる。 今日食べたのは「包子(バオズ)」と「中華クレープ」のようなもの。 「包子」は小ぶりの野菜まん、肉まんといった感じで、中身はキャベツ、ニラ、ザーサイなどいろいろで、4個で1元。「中華クレープ」は醤を塗ったふっくらしたクレープのようなもので、これも1元。けっこうお腹いっぱいになって、〆て2元(28円ぐらい)。 さて、午後は60人を相手の作文の授業だ。 最近、パソコンに写真を取り込むことができなくなった。本来なら、こういう話題は写真を見てもらえれば一目瞭然なのだけど。
2006年11月14日
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断っておきますが、今日の授業は、言葉の知識ではなく、言葉を使った知恵を養うことが目的であり、特に社会性にこだわったものではありません。 では友達が、恋人に振られて死にたいと言ったら、学生たちは友達にどう声をかけるか?「恋人のことを忘れることができるように、映画や食事の話ばかりをする」「家族や友達が悲しみます。だから死なないで」「私もあなたと一緒に死にます!」「あなたの彼氏はバカだ! 死ぬのはあなたではない。あなたを悲しくさせた彼だ!」「もし死にたいなら3年後にしてください。3年後死にたかったら、死んでもいいです」「素敵な男は、彼以外にたくさんいますよ。ほら見て御覧なさい」「今は、彼と知り合う前に戻っただけですよ。違う彼氏を探すチャンスですよ」 他にも何人かが発言をしたけど、大体上記のようなもの。 回答は全て真面目なもので、予め予想できるものばかりだったが、それはそれでいいではないか。30人が1人残らず自主的に発言したこと(これってすごいよね?)が大事なのだ。中には、自分の経験を交えて切々と話す子もいたし、誰もが、友達を救うため一生懸命考え、それを話したのだから。 中国の大学は全寮制だから、仲間意識、友情というものには時折目を見張らされるが、今日の授業中もそういう光景が垣間見られ、大いに感心させられたものだ。
2006年11月13日
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先週の2班の青空教室のことを聞きつけた1班の学生たちが「私たちは?」とすねたので、今日も教室を飛び出した。しかし、今日は気温が少し寒く、時々埃が吹き荒れていたので、青空授業は15分程度で切り上げ、教室で『こんな時どうする?』という問題を出して、学生たちと語り合った。 私は学生たちに「言葉は他の人と仲良くなるための道具だ」とよく言う。日本語科の学生は、日本語、英語、中国語と3種類の言葉を話せるのだから、他の学部の学生よりも友達をたくさん作ることができるはずだ、とも。だが、現実は学生は日本語の知識は多いが、試験のためにしか使っていない。私は、学生たちに日本語を知恵として活用してもらいたいのだ。 今日は、「あなたの親友が恋人にふられて死にたいと泣いている。あなたはその友達になんと声をかけるか?」というような問題をいくつか出して、学生に考えさせた。すると、手が挙げる、挙がる……これまで自分から手を挙げたことがない生徒まで、発言するではないか。学生たちの回答は、授業で「笑点」をすることを目指している私を満足させるものではなかったが、教室の中に学生たちの声が満ちるのが嬉しかった。※写真は1班の学生たち(彼らを相手に『笑点』をしたいなあ)
2006年11月13日
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昨日はクラスの学生による2週間ぶりの「中国語講座」。 これまでは部屋の中で向き合って話をしたり、私の中国語日記を添削してもらっていたのだが、昨日は気持ちよく晴れ渡っていたので、一緒に外を歩きながら中国語会話をした。 散歩をしながらの会話は、目に見える景色を話題にすることができるし、そうすればうまく聞き取れなくても、何についての話かぐらいは理解できる。部屋の中の会話では、話題が飛ぶと、もうついていけず、会話が煮詰まってしまうことがある。(以前、彼女の話が全く理解できなくなり、『私は、先生の中国語を上手にする自信がありません』と言われたことがあった) 私の中国語の先生は非常に熱心で、私が彼女の発話に対して、「それはどういう意味?(勿論中国語で)」と尋ねても、日本語で言い換えることをせず、別の中国語で説明してくれる。 そんなわけで、昨日は3時間近く、中国語にどっぷりつかり、中国語を話し続けた時間としては過去最長を記録した。 実は、散歩しながらの会話というのは、私が毎日、生徒とやっていることだ。学生たちは私が話す日本語を必死に聞き、そして話をしようとする。教室の中では仲間目もあって間違えることを怖がる学生たちも、私と二人っきりの会話では、間違えつつも話そうとする。昨日の私がまさにそうだった。 会話なんていうものは、そんなにすぐに上手になるものではないが、何度か使ったフレーズはきっちり身に付くし、発話も流暢になる。そして、会話を続けられたという自信が何ものにも代えがたい収穫になるのだ。 私が今朝一人で、バスで市内に買い物に行ったのは、昨日得た自信によるところが大きい。店員に話しかけ、値段の交渉をしたり、他のデザインや色の服を出してもらったりできたのは、語彙力ではなく自信のおかげなのである。
2006年11月12日
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前記の通り、今日は田中先生と松嶋先生がお出かけなので、私も外食をすることにした。外国人教師食堂では、食事をする人数によって料理の質と量に極端な差が出て、4人以下の食事の場合は完全な手抜きになるからだ。 というわけで今日の食事は昼も夕方も大学の前にある『破街(ポージェ)』ですませた。その方が安くて、おいしいし、しかも庶民の味を味わうことができる。『破街』というのは露天や飲食店、古本屋から日曜雑貨、美容院や洋装店などがごっちゃまぜになった市場通りのことで、日本語科の学生たちは『おんぼろ街』と訳している。 そしてそんな通りの中にたくさんの食堂があり、それぞれに個性と豊富なメニューがある。そして大半は見たことも聞いたこともない料理ばかりだが、何を食べてもほぼ例外なくおいしいことに驚かされる。 学生と一緒に食事をする時、お金を払うのはいつも学生である。私がお金を出しても、学生たちは決して受け取らない。教師とはありがたい知識を授けてくれる人であり、そういう人にお金を払わせるようなことがあってはならない、というのが学生たちの考え方なのだそうだ。 私は今日、クラスの学生と3時間近く、中国語を話をしながら散歩をして、その後、『破街』で一緒に食事をしたが、こういうことは外国語学部の学生と外国人教師との間では珍しいことではない。それくらい学生と教師との距離は近く、こちらに来た時には、まずそのことに驚かされた。 しかし、これも外国語学部の学生と外国人教師だけの関係で、中国人の学生にとって外国人教師というのは特別の存在のようである。※写真は、手抜きがない時の外国人食堂の食事。
2006年11月11日
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現在、大学の評価試験に備えて、校内各地で工事やら修理が行なわれており、そのあおりで今朝は8時から11時まで停電だった。 今回は事前の予告付きだったので、田中先生と松嶋先生は、停電を避けるように鄭州へショッピングへと出かけられた。今日は引率兼通訳(4年生の学生)と一緒だが、このお二人は中国が初めて、中国語も不如意ながら、非常に行動的である。言葉を変えれば怖いもの知らず? あちこちを歩き回り、しっかりしたカタカナ中国語を駆使しながら、時には店員と堂々と値切り交渉をし、「この店より、向こうの店の方が安いし、新鮮よ」などという生きた情報を披露してくれる。好奇心が旺盛で、買い物だけでなく食べ物でも、まず試してみようというところが感じられるし、やたらと日本を恋しがらないところがいい。 その田中先生と松嶋先生は鄭州から帰った後、今日の夕飯はマーラータンを食されるご予定だそうだ。とても辛いということは予めご説明申し上げているので、後はご本人たちの節度ある自制心を望むばかりである。
2006年11月11日
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今日は院生の作文の授業だったのだが、「ゆとり教育」の是非についての資料を読ませたところ、作文ではなく議論をしようということになった。 こちらの大学生はカリキュラムがぎっしりで、自由な時間などほんの僅かしかない。しかも、授業がない時は、空いている教室に行き、自習をする。それが学生たちにとって自然な状態のようだ。だから、仮に中国に「ゆとり教育」を持ち込めば、学生たちは空いた時間を効果的に、自分の能力向上のために使うだろうし、「ゆとり」か「反ゆとり」という議論さえ成立しない。時間があれば勉強するし、時間がなくても時間を見つけ出して勉強するのだから。日本では考えられないほど、勉強熱心で、ほとほと感心させられる。 だが、学生たちの勉強は「試験に合格するため」だけのもので、ゆえにモチベーションは高いが、学ぶ喜び、理解に至った時の感動、なんてものはない。彼らにとっては、試験に出る知識を必死に暗記することが勉強なのだ。だから知識だけは豊富でも、知恵が足りない学生が多い。 我々外国人教師の授業が好評なのは、単に物珍しいというだけでなく、授業に融通があって、中国人教師とは明らかに違う授業をするからなのだろう。 さて、もうすぐ8時だ。金曜の夜は学内の日本語資料室に行って、学生と話(ほとんどは学生をからかったり、バカな話をするだけ)をすることになっているので、ちょっと行ってきます。でも、バカ話ができるようになっただけでも、彼らにとってはすごい進歩なんですよ。
2006年11月10日
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私は5年前から日本に来た研修生(日本の工場で働きながら技術を学んでいる外国人)に日本語を教え始め、それが縁で中国語の勉強を始め、日本語教師という仕事を知り、昨年、日本語教育能力試験を受験した。 今、中国には既に日本での3年の研修期間を満了して帰国した子たちがたくさんいる。そしてこれからも毎年、教え子たちが中国に帰ってくる。教え子たちの中には、日本にいる間に日本語能力試験で優秀な成績をあげ、こちらで後進に日本語を教えている者もいる。 私が、中国で日本語教師をしたいとぼんやりと思うようになったが、だいたい2年前。だが、いつも不安に思っていたのが、生活への順応や、中国語会話、収入や家族のことではなく(勿論、それらも当然不安だったけど)、「私が日本語教師としてちゃんとやっていけるのだろうか」ということだった。 そして、そういう私をいつも勇気づけてくれたのが私の教え子である研修生たちだった。「先生なら大丈夫です」「先生は中国できっと人気者になります」「先生の教え方は素晴らしいです」……多少のお世辞はあるにしろ、そういういくつもの声に後押しされて、海を渡る決心をしたのだった。 この大学で授業を始めるようになって、丁度2か月。「まだ2か月か」というのが現在の正直な感想である。この僅か2か月で、多くの学生と知り合い、様々な経験をした。学生たちとはもう何年も前からの友達のようだし、担当の3年生・院生以外にも2年生や4年生とも数多く知り合いになった。日本では経験できないこをたくさん経験したし、これからももっとたくさん経験するだろう。 まさに、この道を行けばどうなることかと危ぶむなかれ。行けばわかるさ! ということだ。※写真は西安の大雁塔の三蔵法師像の前で。
2006年11月10日
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大学の近くに『おんぼろ街』という市場通りがある。立ち食いの店や食堂、雑貨屋、或いは露天の果物などいろいろな店が狭い地域にずらっと立ち並び、学生や近所の人などでごったがえしている、喧騒と埃が充満した通りである。 昨日は青空教室の後、学生と一緒にその『おんぼろ街』で食事をした。食べたのは「麻辣■(マーラータン)」(■は「湯」の下に「火」)というスープのようなものと包子(小ぶりの中華まん)。「麻辣■」とは「痺れて・辛くて・熱い」という意味で、その名の通り、おいしいことはおいしいが、食べているうちに口が痺れて痛くなってくる。具を全部食べ終わって、箸でスープを掬えば、お碗の底に山椒と唐辛子がどっさり沈殿しているといった料理で、ここまで山椒を入れる必要がどこにあるんだと、思いながらも、この辛さが癖になるかもしれないという気にはなった。 胃と腸が悲鳴をあげたのは、その4時間後ぐらいからだった。大量の香辛料に刺激された、我が内臓がのた打ち回り始め、夜までトイレ通いが続いた。おかげで今朝は胃と腸がすっかり洗浄されたような気分になった。 そして今日、午前中の授業を終えて部屋に帰る途中、クラスの学生に会い、誘われるままに学生食堂へ。今日は台湾料理専門の学食で、選んだのが「■麺」(■は「手偏」に「労」)。これは香辛料を利かせた赤いスープの中に日本のうどんが入っている感じ。懲りないな、私も。「■麺」の後には、串の棒棒鶏と羊肉の串焼きを食べたが、これもたれを塗った後に山椒と唐辛子を振りかけて食べる。そしてそれがおいしい(昨日のマーラータンだっておいしかったのだ)。 今日は今のところ、腹具合はなんともない。また一つ、こちらの生活に慣れたということか。
2006年11月09日
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今日は抜けるようないい天気。8月29日にこちらに来て以来、雨が降ったのは2回だけ。 3年生2班の会話の授業をするために教室に行くと、学生たちの「先生、今日は天気がいいですから外で授業をしましょう」という声。反射的に「おっ、いいねえ!」と私が答えると、学生たちの「うわぁい!」という大歓声と拍手が続き、教室を飛び出して、全員で公園内の芝生に車座になっての授業(というか雑談会)となった。 語学力の進歩というのは目では見えない。3年生たちに「日本語は上手になりましたか?」と質問をすれば、「いいえ」「あんまり」という返事が返ってくる。上手になったことが実感できないからだ。 だから、私は3年生たちに、12月の日本語能力試験が終わったら、2年生の会話と精読の授業を是非見学しなさい、と提案をしている。去年(2年生の時)、あまり聞き取れなかった会話や、よく理解できなかった日本語の文章を、今なら「簡単じゃん!」と思えるはずだからだ。そうすれば、自分の日本語が上手になっていることを実感できる。進歩を実感できれば、更に意欲が増す。意欲が増せば、もっと上手になるのである。 さて、芝生の上での青空授業は、全員に話を振ったり、ゲームをしたり、恋人談義をしたりで瞬く間に時間が過ぎた。予定していた教科書の課は進められなかったが、会話の授業だからこれはこれで立派な授業だ。そして私自身が、なんだかいい時間を過ごしたなあという幸せな気分になったものだ。
2006年11月08日
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作文の授業に出かける直前、一人の学生が電話をかけてきた。聞けば、足を挫いて歩くことができず、今日の授業は欠席するという、お詫びの電話だった。 授業の出席率が高いこの大学でも、時には欠席する学生はいる。だが、欠席することを詫びるために、電話をかけてくる学生は彼以外にいないのではないか。それだけではない。彼は授業を欠席することを悔やみ、自分の今の気持ちを作文に書き、それを私に渡すようにと友人に託したのだ。 決して優等生ではなく、がさつな印象もあるが、人懐っこい性格の彼は、私の授業が始まって1か月した頃から、教室の最前列に陣取るようになり、会話などでも大きな声をあげて、流暢ではない日本語を話すようになった。私の授業のファンなのだという。 作文もうまいとはいえないが、いつも何か印象に残る文章を書いてくる。前回も作文の中に「私は字が下手で本当に悩んでいる。先生も私の作文を読めば、私の悩みがわかるでしょう」等という一文を書き込んでいた。 というわけで、作文番外編として、彼の肉声作文を読んでください。■足が挫いた 昨日、運動場でバスケットボールをしていた時のことでした。右足が挫いて腫れた。とても悔しかった。横山先生の授業も出席できなくなったからこそ、悔しかった。 そして、友達の郭さんと姜さんは私を連れて学校内附属病院に行った。驚いたことに、病院には外科の医者がいなかった。「日曜日ですから、外科の医者は休みです」と言われた。私が動けなくなったので、姜さんは附近の薬屋で「雲南白薬」という薬を買ってくれた。郭さんは「私も足を挫いた経験がある。心配しなくていい。『雲南白薬』はよくきく!」と言った。郭さんの話を聞いて、ほっと安心した。 仕方がなかった。寮に戻った。郭さんの指導の下で、薬を足に吹きつけた。数時間後、足が少し痛くなくなった。腫れも減った。姜さんと郭さんのおかげで、安心して寝ていた。郭さんにも姜さんにもとても感激した。 ところで、日曜日だからといって、外科の医者が休むのは患者に無責任だ。学校の病院は制度の不健全だとわかった。 ハードボイルド小説のような歯切れの良い文体ではないか(笑)。ソツのない上手さよりも、こういう荒々しい文章、私は好きだな。
2006年11月07日
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8時からの院生の授業を終えた後、松嶋先生の授業(4年生:精読)を見学。その二つ隣の教室ではビルが英語の授業をしており、そこには学生に混じってスチュワートの姿が……。彼は陽気なあんちゃんといった感じだが、どうしてなかなか熱心な先生である。 午後は3年生の作文の授業。 先週の授業では『羨ましい才能』というテーマで作文を書かせた。今日はそれを添削したものを返し、多かった間違いを全員で確認した後、今日の課題を発表した。今日のテーマは『羨ましい才能』……そう、先週と全く同じもの。テーマだけでなく、内容も同じものを書かせた。 勿論、条件はつけた。前回、使った単語は極力使わず、別の表現を使うこと。そして、「感動した」「嬉しい」「感心した」「羨ましい」「寂しい」「悲しい」「残念だ」「元気だ」「明るい」「大きい/小さい」「頭がいい」「上手/下手」「大きい/小さい」などは、決して使ってはならないNGワードにした。『羨ましい才能』について書くのに「羨ましい/感心した/上手」を使うなというのだから、過酷な要求である。 学生たちの作文を読むと上記の単語が頻繁に出てくる。「感動した」と書くのではなく、感動した状態を他の言い方で書き表しなさいというわけだ。学生たちはたくさんの日本語の知識を持っているのだから、その知識を使わせたいと思ったのだ。知識は時々、日光浴をさせないとカビが生えてしまう。 授業時間をたっぷり使って、彼らはどうにかこうにか書き終えた。今、授業が終わったばかりで、その作文が手元にあるが、今から読むのが実に楽しみでもあり、不安でもある。
2006年11月07日
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先週の会話の授業でやった「大声伝言ゲーム」が大好評だったので、今週は何をしようかとずっと考え、あれこれとアイディアを出した結果、やはり、教科書を使ったオーソドックスな授業(これだって好評なんだけど)をすることにした。目新しさのない授業で、学生たちの声が溢れる活発な授業ができるのか……まあ、そんな課題を自分に課して授業に臨んだのだった。 結果は、心配するまでもなく、私と学生との間で言葉のやり取りと笑いが途切れず、明るく活発な授業になったが、その中で私はあることに気がついた。 それは冗談に即座に反応できるようになったこと。2か月前なら、私が冗談を言った時に、「これはどういう意味だろう?」と堅苦しく考えていた学生たちが、今では、瞬間的に笑いを返してくるようになった。言葉は他人と仲良くなるための道具である、が信念の私にとって、学生たちのこの変化は、何より嬉しいものである。 そして授業が終わる10分前には、突然、英語教師のスチュワートが私の授業を見学にきたので、日本語会話から急遽、英会話へと内容を変え、教室の中は英語と日本語、そして中国語が入り混じった賑やかな爆笑空間となった。 実は、ビルもスチュワートも、中国の学生たちは恥ずかしがってなかなか話をしてくれないとぼやいていたことがある。しかし、私のクラスの学生たちは初対面のスチュワートと、笑いながら楽しそうに会話をしているではないか。その姿を見ながら、またまた学生たちの変化と進歩に感心したのだった。※写真は突如、乱入(?)してきたスチュワート先生。
2006年11月06日
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今日の朝、校内を散歩していたら、日本語科の学生と出会い、そのまま1時間近く歩きながら話をした。彼女と一緒に歩いていると、別の学生が駆け寄ってきて、3人でしばらく立ち話をした。 昨日は別のクラスの学生と30分近く話し、その後も別の学生につかまって、自習に付き合わされた。そしてこういうことはよくあり、学生ごとに話題も違う。 学生たちと話す時間は30分や1時間というのも珍しいことではなく、長くなる一方だ。中には寮までわざと遠回りをして話をする子もいる。 その話ぶりは流暢ではないし、単語を間違えることも多い。だから決して上手とは言えない。だが、これだけ日本語で会話ができる学生を指して、「下手」と言っていいのかどうか。 ただ、これだけは言える。学生たちは日本語で話をしたいという、溢れるほどの欲求を持っているということだ。 聞けば、昨年の会話の授業は精読の教科書を使っていたそうだ。そして教師が一方的に話すだけで、まだ語彙力の乏しかった彼らは、教師の話を半分もわからぬまま、何も話さずじっと座っていたらしい。そういう授業を1年間続けて来た学生たちが、私の初めての授業の時、「会話は難しい」「何を話していいかわからない」と言ったのも仕方のないことだったのだ。 外国人教師の食堂でのスチュワートやビルは、私たち日本人のつたない英語を一生懸命に聞こうとする。そして自分が話す時はゆっくりと文節を区切りながら、はっきりとした発音を心がけてくれ、相手の発話に対してはちゃんとリアクションを示し、次の話を振ってくる。これが会話なのだ。そして会話の楽しさなのだ。 会話を楽しいと思えば、たくさん話したくなる。たくさん話せば上手になる。 3年生たちは、会話の楽しさを覚え、今はたくさん話したい気持ちになってきたところだ。彼らの会話に対する評価はもうしばらく待ってほしいと思うのである。
2006年11月05日
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近頃、話題になっているのが「3年生は会話がとても下手だ」ということ。4年生に比べてだけではなく、2年生と比べても劣るのではないかという声もある。 私は、その3年生の「会話」担当で、毎週1回の授業の他に毎日、校内で学生たちとたくさん話をしているが、それでも彼ら(彼女ら)の会話が下手なのか上手なのか判断しがたい。 4年生が上手なのは当たり前だが、現在、日本人教師の世話をしたり、質問に来たりする4年生は、学年の中でも優秀な生徒ばかりで、いわば選ばれた学生だということを知っておかねばならない。優秀な学生と平均値とは当然違う。 2年生についても同様で、自分の近くに寄ってくる生徒だけを見ていると、「2年生は上手だ」という誤解につながる。 だから私は3年生の会話能力が他の学年に比べて劣っているとは思わない。上手かと言われれば、言葉に窮するが、日本語の勉強を始めて2年で、ここまで話せればたいしたものだと思う。私の中国語、或いは学生時代の英語と比べてもそう思う。間違いやぎこちなさ、速さについていけないなどの問題点は当然あるが、僅か2年の学習歴でそこまで完璧を求めるのは酷だと思うし、3年生の中にも上手に会話をする子は何人もいる。(なんだか、懸命に弁護しているようだが…) 一つ言えることは、3年生は全員が1か月後に「日本語能力試験1級」に挑戦する。そして例年通りなら約8割が合格する。1級試験は日本語に関する試験の中で最高峰だから、その学力と会話能力がアンバランスであることは確かだ。 学生たちは1級試験に合格することを義務付けられ、合格するためのカリキュラムを受けてきているからだ。そしてそれは合格者の多さ、合格率の高さが、大学の価値を決めるという事情ゆえである。(以下、次回)
2006年11月05日
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外事弁のご好意で、本日は、外国人教師一行は開封へとバス旅行をした。 外事弁主催の旅行は年に何回か催されるそうで、9月には鄭州博物館へ行き、今回が開封、来年には洛陽ツアーが計画されているらしい。今回、開封が選ばれたのは、丁度今、菊祭りをしているからで、龍亭公園一面が色とりどりの菊で覆われていた。ちなみに来年の洛陽ツアーは牡丹祭りに合わせて行なわれるらしい。 開封は西安や洛陽ほどの知名度はないが、北宋時代の都で、例えてみれば鎌倉のようなものだろうか。イスラム系の人が多く住んでいて歴史と異国情緒とが混在した街である。だが、宋の時代の街並みは黄河の氾濫によって、全部地面の下に埋没してしまい、現在の街並みは比較的新しいものらしい。(以上は、6年前と5年前に訪れた時に、開封外事弁公室の韓さんが説明してくれたもの) 今回のバスツアーのメンバーは日本人が3人、アメリカ、イギリスが各一人、ルーマニアが2人(夫婦)、韓国が20人(留学生たち)、そして外事弁のスタッフとその家族が中国人という構成。 赴任先(というか就職先)を選ぶ時、日本語学校か大学かという選択を迫られたのだが、こういうインターナショナルな構成というのは、やはり大学ならではのもの。
2006年11月04日
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大学のサーバーがこの何日か故障していて、ブログの更新もメール・チェックも、インターネットも何もできなかった。「イギリス文化」という授業を持っているスチュワートは授業の準備ができないため、「ガッデム!」と罵りながら市内のインターネット・カフェに出かけ、田中先生はパソコンでゲームをやりだす始末だ。 今日、4日ぶりに回線が通じた時は、大げさではなく、暗闇の中で灯りがついたという感じだった。 こちらではテレビがなくてもいっこうに差し支えないのだが、インターネットが使えないと、途端におろおろしてしまう。困るのは、インターネットが繋がらないことが、何の原因に由来し、いつ復旧するのかという情報が全くないことだ。勿論、大学や業者からの謝罪などない。 まあ、これが中国ということで、いちいち角を立てて怒り、謝罪を要求する日本とどちらがいいかと、比べても意味はない。 この4日間にはいろいろな出来事(嬉しいこと、楽しいことがいっぱい!)あったのだが、それらはまたぼちぼちと紹介します。まあ、サーバーが故障しなかったらという条件ですが……。
2006年11月03日
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