全34件 (34件中 1-34件目)
1
明日の授業(3年生)で返却する作文の添削をすべて終えた。 私は、作文を返す際には、本人の作文を赤ペンで添削したもの、そしてそれを日本語らしい日本語に書き直したもの、更に同じテーマで書いた私自身の作文の3つを1セットとして、学生に渡している。学生たちがそれを何度も読み返してくれれば、文章力がつくはずだ。 添削するたびにいつも思うのは、中国の学生たちの感性の豊かさ、純粋さである。日本語の勉強を始めて僅か2年だから語彙や文法の間違いは多いし、適切な表現を知らないためのぎこちなさは感じるが、それらを補って余りある感性の豊かさがあり、それゆえに胸を打たれることが多い。 今回返却する作文は内館牧子のエッセイを題材に「一番嬉しかったプレゼント」というテーマで書かせたもの。3年生全60人がそれぞれ、暖かい思い出と、幸せな一瞬を書いていたが、その中から2作品を紹介する。(本人の記述上の間違いはそのまま書いてある)■張麗 私が今までもらった中で一番嬉しかったプレゼントは小さい妹がくれた卵です。 今年の正月14日が私の22歳の誕生日でしたが、父と母は忙しくて、私の誕生日を忘れてしました。晩御飯を食べている時に、ただ10歳の妹は私に一つの煮た卵をあげながら「誕生日おめでとうございます」と言いました。私は妹の笑顔を見て、涙ながら「ありがとう」と言いました。 私は妹より12歳大きいです。妹はやはり子供と思います。意見が違う時、ずっと妹は叱られていました。しかしそのことを通じて、妹はもう大人になったとわかりました。その後、妹ともっと仲良くなりました。■孫珊珊 私は一人っ子なので親に甘やかされています。毎年の誕生日には、親はおいしい料理を作ってくれて、私がほしいものを買ってくれます。でも、もっとも楽しかったのは高校2年生の誕生日のことです。なぜかというと、友達からたくさんのプレゼントをもらったからです。 高校2年生の時には私たちは校舎で住むことを初めて体験しました。休日以外に家に帰ることができませんでした。そしてクラスと一緒に誕生日を過ごすことも初めて体験しました。 私は誰にも誕生日のことを言いませんでした。でも意外なことに、誕生日の前日、勉強を終わって寮に戻ってみたら、机の上に可愛いプレゼントが小山のように置いてありました。また一枚のカードもあって、「誕生日おめでとう」と書いてありました。私は驚いて嬉しくて涙が溢れてきました。私たちはもっと家族になりますと思いました。今にも、それらの友達の顔とプレゼントをはっきり覚えています。 それらのプレゼントは今までの私にとって、一番大切なものです。
2006年10月30日
コメント(2)
会話の授業というのは、理想を追えば追うほど難しくて、これで十分ということがない。 授業内で会話をするにしても、一人(教師)対多数(学生)では会話とは言えないし、まして個々のレベルに応じた会話などできず、話題もありきたりなものにしかならない。1週間に1回(100分)だけという限られた時間内では話題も、直接会話をする機会も人数も、そして時間も限定される。限定どころか、聞けば、去年までの会話の授業では教師が一人で喋っていたこともあったそうだ。 外国人との会話を怖がらず、むしろ面白いと思わせ、積極的に会話ができるようにするのが教師の仕事なのだが、現状ではそれは難しい。そこで私は「理論は授業で、実践は課外で」と位置づけて、毎日1時間ずつ2回、校内を散歩しながら出会った学生たちと、個別に10分程度の会話をするようにしているが、それでもやはり人数は限られる。どうすれば学生たち全員が、一人ずつ(これが大事だ)、大きな声で(これも大事だ)話ができるのだろうと、ずっと考えていた。そしてその解決法の一つを与えてくれたのがアメリカ人教師のビルだった。(ビルの授業は先週のブログで掲載済) 今日の授業ではビルのやり方を採用したが、結果はやはり大成功! 普段、授業中に発言をしない学生も、今日は大きな声で日本語を話していたし、誰もが相手にわかるように話し、相手の話を聞き逃さないように必死に耳を傾けていた。日本語の文章を相手に伝えるのだから、会話とはいえないが、それでも学生たちは「授業でこんなに日本語を話したのは初めてです」と楽しそうな表情で言っていたから、それが嬉しかった。 やはり、生徒にたくさん話をさせないようでは会話の授業とはいえない。
2006年10月30日
コメント(0)
この大学に来て、今日で丁度2ヶ月。特に日本を懐かしむでもなく、日本料理を恋しいと思うこともなく、あっという間に過ぎた2ヶ月間だった。 初の長期滞在に備えて、赴任前にいろいろなものを前もって発送しておいたのだが、それもいらぬ心配だった。中国には、およそ日本にあるものは何でもあり、しかも安い。だから、日本で用意すべきものは授業用教材と日本語の本ぐらいで、その他の日用品から衣料品、文具、薬、電気製品などに至るまで、こちらで全部揃う。日本人の先生方は食べ物を日本から送ってもらっているようだが、私には必要ない。 日本から送って無駄だったのは、スーツ。 大学の先生だからと、夏服と冬服をそれぞれ何着か荷物にして送っておいたのだが、いつも学生と同じような格好をして授業をしているので、これまでスーツは一度も着たことがないし、これからも多分着ることはないだろう。 逆に必要になったのが、日本語の本。教材ではなく、寝る前に読む小説。持ってきた本はすべて読みつくしたので、大藪春彦の小説を送ってもらうことにした。ただ、これからは学校の図書館で中国語の本を借りて読む機会が増えてくると思う(中国語能力の進歩次第だが)。 中国に来た初日、窓の外から聞こえる中国語に「異国」を感じたものだが、あれから2ヶ月、何に対しても違和感を感じることはなくなった。
2006年10月29日
コメント(0)
夕方、学生から、クラスの友達の誕生日パーティに来てくれという電話があった。 学生たちは入学時からずっと同じメンバーが同じ寮で寝起きをしているので、親密な関係ができており、こういう機会には仲間が集まって会を開くことが多い。私も彼女の誕生日のことは知っていたので、昨日校内で会った時に「おめでとう」は言っておいたのだが、あらためて学生たちと一緒に祝うことになった。 普段は何かに追われるように授業と自習に明け暮れている彼女たちだが、彼氏の話になると(私がそっちに話を振ったのだ)途端に賑やかになり、こういうところはやっぱり20歳を過ぎたばかりの女の子ならではだ。座が盛り上がるにつれて、教室では見られない彼女たちの素顔を垣間見ることができて、こちらも楽しい。 この大学は教師を目指す学生が多く、従って女の学生が多い。まして外国語科ともなれば女性が圧倒的だから、どんなに美人で性格が良くても彼氏がいない女の子は多い。もったいないことだ。 だが彼氏がいないからといって、彼女たちが私を恋愛対象にすることは(多分)ない(だろうな)。教室の中では教師だが、課外では友達といった感覚だろうか。それが嬉しくもあり、少し寂しくもあるのだが、友達付き合いができる教師というのも希少で、だから今日呼ばれたんだろう。
2006年10月28日
コメント(0)
今日の院生の授業(作文)は、教材に遠藤周作のエッセイを使い、テーマを「妙な才能」にした。自分または誰かの妙な才能について30分以内に書けというものだ。 実は院生たち(無論、学生も)の悩みは、時間内に思ったことが書けないということ。感想文なら目の前の作品を読み返しながら書けばいいのだが、今回のようなテーマでは、何をどのように考え、考え付いたことをどう書けばいいか迷っているうちに、徒に時間を浪費してしまう。 だから今日は、書く前に、早くたくさん書く方法を伝授した。そして、見事に全員がこれまで以上の量を時間内に書き終わり、全員が関門を無事にクリアーした。「思ったより簡単に書けました」とは院生たちの感想。簡単だと思えれば、作文を好きになれる。好きにさせることも教師の仕事の一つ。 この辺は、日本で新聞記者をずっとやっていたから、昔取った杵柄。 今週の授業は全部終わったので、呉先生の「日本事情」の授業を見学した。 日本語科(3年生)の学生たちは、石橋先生の精読、私の会話と作文、劉先生の古典など語学の他に、日本事情や日本の歴史、地理なども学んでいる。日本語科だから当然とはいえ、私が大学で英文学を専攻していた頃にはイギリスの地理も歴史も、伝統文化も教わった覚えはない。 中国の学生は日本について、良きにつけ悪しきにつけ、豊富な知識を持っている。日本の学生はどうだろうか?
2006年10月27日
コメント(0)
今日の院生の授業は日本の新聞記事を題材に、あれこれ話し合うというもの。 テーマは「少年犯罪の量刑」。近年増加している少年犯罪と、人権についての日本人の考え方(特に加害者の側の人権)について取り上げ、話題は死刑制度のあり方や性犯罪、更には司法制度にまで広がった。 ご存知のように、中国では死刑が当たり前のものとして普及(?)しており、経済犯罪や汚職といった犯罪でも死刑になる。殺人犯などは余程の情状酌量がない限り死刑だから、日本のように加害者の更生に期待をするなどということは、見ていてまどろっこしいようだ。意見が一致したのは、判決に際しては、もっと被害者の心情を汲むべきだという点。被害者の遺族が量刑を決めればいいという意見もあった。 出所した性犯罪者の前歴を公表すべきか否かという質問に対しては、「中国では性犯罪者は死刑ですから、そういう質問は成立しません」なのだそうだ。 死刑に関して言えば、以前読んだ法月倫太郎や高野和明の小説に詳しく書いてあったので、それを説明したところ、中国でも死刑執行(銃殺だそうだが)の際には3人の執行官の、誰の発砲で死に至ったのかは本人たちにわからないようになっていると教えてくれた。 授業の中では教科書に載っていない、こういう小ネタがとても重宝し、学生(今日は院生だったが)たちも興味を持って聞いてくれるし、教師の知識の豊富さの証明にもなる。 こちらでは学生たちも教師を評価するらしいから、教師にとってはそういう引出しの多さはやはり必要なのだ。(私がどういう評価を得ているかは知らないが……)
2006年10月26日
コメント(0)
今日はビルの授業を参観した。 ウィスコンシン州から一人でやってきたビルは、23歳と年齢は若いが、実に気持ちのいいやつだ。スチュワートは外食派のため、外国人教師食堂では日本人教師とビルだけという顔合わせが多いのだが、日本語の会話の中で慎ましやかに食事をしているし、田中先生が英語で話かけると、丁寧に受け答えをし、他の先生方にも満遍なく話を振ってくる。更に関心するのは、野菜炒め中心の食事に順応していることだ。 私も時々、ビルに話しかけるのだが、聴くほうは慣れてきたとはいえ、言いたいことが思うように言えず、英語と中国語が混じってしまうので、実にもどかしい。これでも大学では英文学専攻だった…。 というわけで、今日は8時からビルが担当する1年生の英会話の授業を参観(受講だな)した。 ビルは、まず授業の導入に英語の歌(今日はジョン・レノン「イマジン」)を聴かせ、歌詞カードを配って、意味を理解させた上で、みんなで合唱をさせた。アメリカ人のビルと中国人の学生(と日本人の私)が一緒に歌う「イマジン」を聴きながら、わけのわからない感動がこみ上げてきて、私は不覚にも泣きそうになってしまった。 ビルの基本方針は全員が話すこと。そして大きな声で話すことの2つで、その実践法として、今日は伝言ゲームを取り入れていた。クラスを6人ずつ5つのグループに分け、長文の英語を次の人に伝えるというゲームで、ゲームの開始に際して、ビルは話し手と聞き手の距離を空けさせた。グループごとに、伝える内容が違い、それぞれのグループが一斉に伝言を始めたから、教室内は一挙に騒々しくなり、その中で次の人に伝えるためには大声を出さざるをえないというわけだ。 この方法では口と耳をフル回転せざるを得ず、自然と会話能力が身に付く。多分、1年後、ビルの授業を受けた学生たちの英語力は格段に伸びているだろう。 ビルは来年の7月にはアメリカに帰国し、エンジニアになるという夢を持っている。だが、今、同じ仕事に携わっている身からすれば、実にもったいないことだと思う。
2006年10月25日
コメント(2)
朝8時からの院生の精読で取り上げたのはは村上春樹の短編「沈黙」。村上春樹は中国でもとても有名で、日本語がわからないコピーセンターの係員も「村上春樹」という字を見ただけで興味を持っていた。 「沈黙」を選んだのは長さが手頃だったことと外来語の使用が少ないという2点だけで、特に深い理由はない。私自身、読書は好きなのだが、「読書の醍醐味は疾走感だ!」と、速読・多読をモットーにしてきたので、一字一句を細かく検討しながら小説を読み解くというのは性にあわない。ただ、精読の授業の準備をしていると、疾走感だけでは得られなかった、作品の面白さもあらためて知ることができる。つまり、精読は私自身の勉強でもある。 3年生は今日も「労働授業」で、校内の雑草取りや水撒き、落ち葉掃きなどに従事していた。しかし悲壮感や義務感といったものはなく、形だけ適当にやって、後はお喋りをしたり、遊んだりしているところは、日本での地域清掃の雰囲気と同じ。 昨日と今日は、校内を散歩しながら、掃除をしている3年生を見つけてはいろいろな話をした。授業内の会話だけでは人数も回数も限られるし、教室外でたくさん話すことの方が、日本語はよっぽど身に付く。昨日は、授業中に発言したことがない男子生徒と20分近くも話をしたほどだ(彼は、時々「中国語で話していいですか?」と言っていたが)。 たくさん話せば自信になり、自信がつけば、もっと話したいと思うようになる。もっと話したいと思えれば、会話は自然に上手になる。だから生徒と話をしなければならないのだ。
2006年10月24日
コメント(0)
日本語教師日記と言いながら、最近は食べ物の話題が多いのだが、ついでに以前このブログ内で書いた、羊の骨で取ったスープの麺も紹介しておこう。この料理は「■麺」(■は火ヘンに会)と言って、河南省北部の名物料理だ。 ご覧の通り麺はきしめんのように平べったくきしめん以上に幅が広くて厚い。スープは豚骨スープに似ているが、あれ以上に臭みはまったくなく、中にはクコの実や棗、その他漢方薬に使われそうな植物、そして中華料理といえば欠かせない香菜もチラホラ見える。 実はこの■麺は、他の日本人先生方にはあまり好評ではない。その理由は、まず麺が太くて、食べても食べてもなかなか減らないということ。次に、日本風のあっさり醤油味に慣れた舌には、羊骨スープは合わないらしいこと。そして香菜のプンとくる匂いが駄目という3点らしい。 ここは中国なのに、そんなに嫌ってどうするんだ、と思うが、結局、ラーメンに対する固定概念がまずあって、それに収まりきらないものは駄目なようだ。そういう日本人は多くて、これまでこの大学に何人も来た日本人教師はほぼ全員が日本から日本食を持参、或いは郵送してもらって食べているそうだ。 むしろ、日本食が全く恋しくならない私のほうが、他の先生方から見ればおかしいのだろう。 今週も学生らとチープな(中華料理というほどのものではない)中国食を食べに行くつもりだ。
2006年10月23日
コメント(0)
週の始まりだが、今日は授業はなし。というのも、3年生は今日から3日間、労働授業といって校内清掃が課せられているからだ。これが日本なら「授業を優先しろ」だの「強制は是か非か」といった議論になるのだろうな。 もっとも日本語能力試験まであと6週間を切った学生たちは、授業があろうがなかろうが、時間さえあれば自習をしているし、授業の内容と試験問題とが直接関係あるわけではないので、彼(彼女)らにとって大きな影響があるわけではない。 むしろ気になるのは、同じ学生が掃除に精を出しているその脇で、歩きながら痰を吐く学生が多いことだ。時には、私と肩を並べて歩いている学生でさえ、話しながら痰を吐くし、学生に限らず、中国人はそういうことを全く気にしない。北京オリンピックを控えて、政府はマナーの遵守を訴えかけているが、どこまで徹底できるかは疑問だ。
2006年10月23日
コメント(0)
回族飲食街の最大の名物はやはり串焼き肉で、それぞれの店の前で串に刺した羊(または牛)の肉を焼いている。焼きあがった肉串を店の人が持って店内を回り、客の要望に応じてテーブルに置き、客は食べた分だけ料金を払うというルール。 肉には香辛料がたっぷりまぶしてあって、その香りと味がいかにも異国。こういう、日本では味わえないものを味わえるのが、外国生活の楽しみでもある。串焼き以外にも、肉料理はたくさんあるし、野菜料理も無論、たくさんある。あっさりした料理も豊富なので、薄味好きの日本人にも安心して来てもらいたい。 写真は、西安に来て最初の食事で食べた餃子。 西安は餃子が有名だが、観光客用の店ではなく、普通の西安人が普段の食事で食べている餃子を食べたいと言ったところ、連れて行かれた店で出てきたのが、写真の餃子。 中国では餃子といえば、たいていは水餃子、或いは茹で餃子で、いずれもはおかずではなく、主食。見るからに真っ赤で、いかにも辛そうだが、この辛さがおいしい。辛いのが苦手な人には、たれに付けて食べる茹で餃子の方がお勧め。たれに唐辛子を入れさえしなければ、大丈夫。ただ水餃子にしろ、茹で餃子にしろ、結構な量だから、食べすぎにはご注意を。 餃子の奥に写っているのはピータンと■■■■(名前を忘れた)で、冷たくてあっさりしているから箸休めに丁度いい。
2006年10月22日
コメント(2)
今朝6時半に起きてみると、内陸性の霧が垂れ込めて、まるで雲海の中にいるのかと思えるほど一面真っ白だった。 その霧の中を散歩していると、教室に自習をしに行く学生たち何人かと会い、その中の一人と一緒に朝ごはんを食べた。校内には学生食堂が何箇所かあるが、今日食べたところは、河南料理、西安料理、山西料理、湖北料理等、各地の特色ある料理のコーナーがあって、それぞれいろいろなメニューが揃っている。西安料理のコーナーには昨日このブログで紹介した「羊肉抱■」もちゃんとあった。今朝食べたのは酸味と辛味が効いたお粥と韓国のチジミのようなもの。 食事を終える頃には、霧も晴れて太陽が顔を覗かせていた。 8時半から、クラスのバスケット・ボールの試合を見るために、彼女と一緒に会場の青空コートへ。 バスケットは学生たちに人気があるスポーツだから、試合に出場しない学生もたくさん応援に来ていて、私を見るや次々に話しかけてくれた。僅か四日会わなかっただけなのに私も生徒たちの顔を妙に懐かしく感じてしまった。普段は朝から夜まで勉強漬けの学生たちだが、自分のクラスが得点するたびに手を叩いて喜んでいる様子は、大学というより高校の体育祭の雰囲気。時々はこういう気晴らしが、彼(彼女)らには必要なのだ。
2006年10月22日
コメント(0)
寝台車から降りた西安駅でタクシーに乗り、運転手に西安で一番おいしい料理を聞いたところ、答えてくれたのがこの料理。その名を「羊肉泡■(「模」の「木」を「食」に変える)」という。西安の人たち、何人かに聞いてみたが、この料理の名前をあげる人が多かった。 西安はシルクロードの発着地だから、市内には回族料理店がずらっと軒を連ねている一角もあり、この料理は回族料理店の人気メニューの一つだ。白く四角く見えるのは小麦粉を練ったものを細かく切ったもので、讃岐うどんのようなもっちりした食感がある。これが豚骨っぽい(羊骨だろうけど)スープの中にたくさん入っている。豚骨スープでいただく讃岐うどんと思ってもらえば、そう間違ってはいないと思う。 左に見えるのが薬味。白いのがにんにくで赤いのは唐辛子の練ったもの。こちらでは何を食べるにしても薬味はつき物で、特に油と唐辛子は欠かせない。これを食べ終わった時も、残ったスープは赤くなっていた。そこが讃岐うどんとは違うところ。
2006年10月21日
コメント(0)
西安への旅を終えて無事に帰宅。 西安では、日本に研修生を派遣している会社の人がいろいろと案内してくれたり、日本から帰ってきた研修生の一人がずっと一緒にいてくれたりで、何も困ることなく楽しい旅行をすることができた。 日本で研修生(当時は河南省の研修生)に日本語を教えることになったのもひょんなきっかけからで、西安の派遣会社の人と知り合うことができたのも、ほんの偶然から。そんなことがなければ中国語を勉強しようとも思わなかっただろうし、まして中国で日本語教師をするなんて考えもしなかっただろう。去年の10月には日本語教師試験を受験するだけはしてみたが、中国に行く当てなんてまるでなかったことを思い起こすと、人生なんて、どこでどうなるか本当にわからないものだ。 まだ中国で仕事をするということを現実として考えられなかった頃、プレステ2で「三国志」のゲームをやっていた頃から、西安は、行ってみたい街の一つだった。古いものと新しいものが渾然と一体になった街で、喧騒の隣に静寂があったりする。古い中国とシルクロードを通じた異国の文化も入り混じっている、実にエキゾチックな街だ。 そういう街を自分が訪れ、しかもその街に、私を歓迎してくれる人がいるなんて……なんだか、本当にいい旅だったなあ。
2006年10月21日
コメント(0)
院生の日本文学精読の授業が終了。 重松清の「カーネーション」は、先週から「早く続きを読みたい」と催促されるほど好評で、今日、読み終えた。重松清の作品は他にもいくつか候補があったのだが、選択は間違っていなかったようだ。 文学精読には教科書がないので、授業で取り上げる小説は、私の判断に任されている。そして、中国で教科書といえば、読むべき文章があり、その中の新出語彙、難解な文法の解説があり、更に読後の問題までを含んだもののことをいう。つまり一冊で教科書と参考書と問題集を兼ねているのだ。 だから、赴任前の半年間は、図書館に通いづめて、沢山の小説を読み漁り、選んだ小説(だけではなく、あらゆ資料)をパソコンで打ち直してデータ化し、難解な漢字にルビを振り、語彙や文法を説明したり、練習問題を付けるという作業をずっとしていた。大変な手間がかかったが、そうやってファイル化したデータが今の私の宝物だ。 一つ誤算があるとすれば、中国人に異質な文化を見せたいと思っていたため、今の院生の雰囲気に合わない作品を揃えてしまったこと。異質だからこそ紹介すべきだとも思うが、理解不能の異質さは反発を招くだけとも思う。だから、もう少し様子を見るために、次回は中国人にも人気が高い村上春樹か、或いはとっつきやすい群よう子の作品にしようと思っている。 だが、精読の授業は、まるで現代国語で、日本にいる時に想像していた「日本語教師」の仕事とは大きく違っている。えっ、私が国語の教師を? という気分だ。
2006年10月17日
コメント(1)
先週水曜日の会話の授業(2班)が盛り上がりのないまま終わってしまった教訓から、今日は内容を大幅に見直して、久々に緊張して1班の授業に臨んだ。 改善点は、1、例文や解説の吟味。既習語彙による説明と現実に即した例文の提示。2、教える項目の厳選。3、生徒たちとの意思疎通を図って一緒に授業を作ること――という3点。 そして、最後の自由会話(ロールプレイ)も、誰もが気楽に参加できるように、これまでは1対1の会話だったものを、3人対1人(私)に変えた。今日は「入院した友達を見舞う」という場面の会話だったので、骨折して入院している私をクラスの3人が見舞うという設定にし、3人にはそれぞれロールプレイの中で言うべき言葉を指定しておいた。そして、そうすれば、より多くの学生に会話の機会を与えることができる。 で、結果は、授業の始めの雑談から終始和やかで賑やかな雰囲気になり、友達の発言や私の話を聞き逃さないようにしようという、積極的な雰囲気が感じられ、活発な授業になった。前回の2班の授業では、学生を受け身にさせてしまったのが失敗の原因だった。 そして何より嬉しかったのは、これまで他の生徒の自由会話を見ているだけだった生徒たちまで次々に挙手をしてくれたことだ。特に、クラスの中でも最も引っ込み思案と思われている生徒や、「会話の授業は緊張して、何も話せません」と言っていた生徒が、自分から進んで教室の前に出てきた時は、こちらが感動させられた。 1か月前、初めて授業をした頃は、教師の話を聞くことが授業だと思っていた生徒たちが、怯えを捨てて、話を楽しみたいという気持ちになり、今やっと行動に移せるようになってきた。 そういう学生たちの変化が見えるから、この仕事は面白い。どうなることかと緊張して臨んだ授業だったが、生徒たちに「ありがとう」と言いたい気分だ。
2006年10月16日
コメント(0)
10月18日から始まる連休中の外国人教師たちの計画が出揃った。 私は一人で西安へ。他の3人の女性日本人教師たちは院生と一緒に安徽省の黄山(世界遺産だ)へ。そしてスチュワートとビルの英語コンビは二人で遼寧省へ行き、川の対岸から北朝鮮を眺めるのだという。移動時間は英語コンビが最も長く特急で18時間。女性軍が行く黄山までは特急で12時間で、西安まで鈍行で11時間だ。 外国人教師が旅行に行く際には、必ず外事弁公室に届け出なければならず、時には計画が不許可になることもある。といっても、思想弾圧などではなく、安全を考えてのことで、例えば中国語がわからない場合、一人で旅行をすることは禁止の対象になる。だが、私に対しては「どうぞ、楽しんできてください」という返事だった。田中先生が中国語習得に躍起になり始めたのも、そういう理由があるからかもしれない。 しかしスチュワートは中国語がわからないにもかかわらず、去年からあちこちの観光地に出かけており、何のお咎めも受けていない。多くの観光地(特にホテルなど)では英語は比較的通用するし、見るからに異国の人に対しては、中国人側でも応対を考えてくれるからだろう。 さて、明日は先日失敗した会話の授業(先日は2班で、明日は1班)だ。
2006年10月15日
コメント(0)
今日は土曜日。午前中は洗濯や掃除をして、午後3時からはクラスの学生を部屋に招いての中国語講座の第3回目。彼女と2時間、中国語だけで話をするというのが、この講座の趣旨。ちなみに田中先生も先週から院生を招いて週に2回、2時間ずつ中国語を教えてもらっている。 私にとって、中国語(特にヒアリング)の能力を上げることは長年の懸案になっており、この講座とは別に、今週からは毎日、中国語で日記を書くことを自分に課した。そうでもしないと、最初の1か月があっという間に過ぎたように、何も進歩がないまま帰国の日を迎えてしまいそうな気がしたからだ。そして、嬉しいことに彼女は私のために、中国語の慣用句を書き出してくれて、この中国語を使って例文を作りなさいという宿題までくれた。これだ! こういうのを望んでいたのだ。 さて、今日の中国語会話は彼女が簡単な単語を選んで話をしてくれたせいか、先週よりもたくさん聞き取れたが、話す方は1時間を過ぎる頃から、またまた声調がガタガタになってしまった。例えて言えば、マラソンの途中で足がもつれて走れなくなったという感じで、会話の基礎体力不足はたかだか1週間では身に付かないということだ。 6時になると、知り合いの宋先生から「一緒に食事をしようよ」というお誘いの電話がかかってきた。待ち合わせ場所に行ってみると、妙齢の女性が一緒にいて、3人で食事をすることになったのだが、彼女は日本語が分からないので、これまたずっと中国語で話をした。と言っても、初対面の挨拶や自己紹介、大学生活の紹介など、定番会話ばかりだから、これは簡単。食事の後はカラオケに行き、これまた中国語の歌を歌った。ちなみに中国のカラオケには、日本の歌も懐メロから最近の歌まで結構たくさん網羅されていた。 というわけで、なんだかんだ言いながら、結局、3時から10時まで、中国語をせっせと話した一日だった。
2006年10月14日
コメント(0)
今週は一つだけ心残りなことがあった。 3年生の会話の授業に活気がなかったことだ。私の会話の授業を毎回見に来ている4年生も「今週は活気がありませんでしたね」と評していた。毎回、賑やか(会話だからそうあるべきだ)な授業になっていたので、余計に落差が目立ってしまったのだ。 原因はいろいろあるが、まず挙げなければならないのは私自身の準備不足。授業を甘く見て、語彙や文法の例文を吟味せず、またロールプレイの設定も適当にすませていたのだ。そのせいで、学生たちは頭の回りに「?」をつけたまま、授業について行かざるを得なかった。 もう一つは、教科書の場面設定が難しかったこと。今回の課は「見舞い」だったから、動きのない会話になってしまったこと。 そして、これが一番大きな原因なのだが、100分間にあまりにたくさんのことを詰め込みすぎたこと。本来の会話に加えて、授業を始める前の頭の体操、1級試験対策講座(語彙も文法も)など、学生にとって焦点が絞りにくく、理解と記憶を定着させにくい内容になってしまった。それにかまわず、次々に重要単語や文法を教えたものだから、学生の口数が少なくなるのも当たり前だ。しかも学生たちの集中力が薄れていくのに気づいていながら、先を進めたくて、気分転換を図ってやることもしなかったのだ。黒板にはいつも「会話の授業はあなたが主役」と書いているのに、今週は学生たちがすっかり脇役になっていた。 まあ、これまでが順調すぎて、授業を甘く見ていたところがあったかもしれない。 というわけで、まあこういう失敗は早めにしておいて良かった。来週からは多分、大丈夫。
2006年10月14日
コメント(1)
院生たちと中国の大学教育について話し合った、 中国では98年に約1000校だった大学が04年には1700校になり、学生数は98年の600万人が04年には2400万人へと4倍にも膨れ上がった。以前より増えた1800万人分だけ、学生たちのレベルは下がっているということだ。増える学生数に比して、施設の拡充は進んでいないから、既存の教室をフル回転するしかなく、学生たちが自習をする場所はなくなる。そして、一番の大きな問題は、膨れ上がった学生たちが卒業した時、それを全部雇用できるだけの仕事が今の中国にはないということだ。大卒の就職率は今や50%前後だという。 就職難の原因は学生数の増加以外にもある。それは大学の4年間で、社会における実践的な知識も技能も身に付けることができないということ。学生たちは専門科目の授業以外に「登小平理論」だとか「江沢民思想」「毛沢東思想」「マルクス主義なんとか」「解放経済なんとか」など政府が義務化している必修科目を受けざるを得ず、そのため専門分野の授業数が少なくなっているのだ。日本語科なのに、会話の授業が週に一回だけしかないのもそのせい。 そういう中で学生たちは、空いた教室で朝の7時前から夜は10時過ぎまで自習をしている。その自習は暗記至上主義で、どうにもいびつなのだが、試験に合格するためには暗記が手っ取り早いわけで、学生たちにとっては、試験に合格できなければ大学に入った意味がないのである。
2006年10月13日
コメント(0)
西安行きのキップが届いた! 本学では10月18日から20日まで学内大運動会があり、この間は授業はなく、続く土曜日、日曜日と合わせて5連休になる。かねてからこの期間を利用して旅行をしようと思っていた。 中国国内にいながら、あちこちに観光に出かけるというチャンスはあまり多くない。なぜなら中国はあまりに広すぎて、6時間ぐらいで列車に乗っても延々と同じ景色が続くだけで、そこはまだ河南省の中だからだ。だから旅行ともなると時間とお金がまず必要になる。西安は河南省の隣の省にあり、ここから比較的近い(とはいえ、寝台車で12時間かかるが)観光地なのだ。 実は2週間くらい前に、このキップの入手を外事弁公室の李主任に頼んでいた。李主任は日本語がわからないから、私は中国語で目的地、出発の日時、列車の種類などを話し、そのキップを買っておいてほしいと頼み、李主任も了承してくれたはずだった。ところが、それ以降何の連絡もなく、どうなったのだろうと再確認しようとしていた矢先の昨日、やっとキップが届いたのだった。 一時は、自分の中国語が李主任に通じていなかったのではないかと心配になったのだが、これで一安心というところ。聞いてみれば、中国では出発日の1週間前にならないとキップを発売しないのだそうだ。
2006年10月12日
コメント(0)
今日の最高気温は27度。昨日の30度ほどではないにしろ、授業中はしっかり汗をかいた。ただし最低気温は15度だから、寒暖の差は大きい。 我々、外国人教師の食事は、具材こそ毎日変わるが、調理法は油でジャッと炒めるか、衣を付けて揚げるというものばかりで、変わり映えがしない。だから今日は午前の授業が終わった後で学生と一緒に近所の市場内の食堂へ出かけた。 食べたのは羊からダシを取ったラーメン。見た目は豚骨スープのように白っぽいが、案外あっさりしていて、変なクセもない。麺は太くて厚いきしめんのようで、食べ応えがあり、スープの中にはクコの実や棗などが入っていて……などと説明するよりも、写真を見てもらえれば一目瞭然なのだが。(何故か画像登録ができなくなった)。 これまで中国に来た時は団体の一員だったので、いつも豪華なもてなしを受けていた。だから日本でお馴染みの中華料理(麻婆豆腐や青椒肉糸、或いはラーメンなど)は、せっかく中国に来ても食べたことがなかった。今回の赴任に当たっては、地元の人たちが食べているごく普通の中華料理を食べたいと密かに願っていたのだ。そしてそういうものを食べたいと思えば、どんどん外に出るしかない。 書を捨てよ街に出よう、だ!
2006年10月11日
コメント(0)
今日は院生の「日本文学精読書」と3年生の作文。 やっぱり3年生の授業は面白い。院生は日本語学習歴が長いから、細かい説明をしなくても理解してくれるから楽だけど、クラスがワッと沸くなんてことはない。その分、3年生は反応がいいし、思考に柔軟さがまだ残っているから、なんでもすぐに吸収してくれる。学生たちが日々成長していくのがわかるから嬉しい。 今日の作文のテーマは「来週、日本から団体客が中国に来ます。パーティの責任者であるあなたは初めて中国を訪れる日本人団体客にどういう料理を出しますか?」というもの。先日の院生の作文と同じだが、今回は使用単語や構成などの条件は一切つけなかった。 3年生曰く「難し~い」。そりゃそうだ。自分の頭の中であれこれ考えて、場面を思い浮かべ、それを習い始めて僅か2年しか経っていない日本語で書けというのだから。 今日、学生が書いた作文の中から、2作品を紹介する。(間違いは本人が書いたそのまま) 私はパーティの責任者として賓客を持てなすためにいろいろ工夫をした。以下の料理と食物を準備した。どうぞ召し上がってください。 まず、刺身を作るつもりだ。中国の新鮮な魚で作る刺身だ。きっとお気に召すになると思う。 それからギョーザを作るつもりだ。いくつギョーザをいくつ碗に置いて、碗においてあるギョーザの中の一つに砂糖が入っていた。どなたがそのギョーザを食べたら、この方は幸運な人になる。このしかたは中国の伝統的なしかただ。そして、この方は無料で中国の世界遺産地へ行けることになる。賓客たちは楽しみにしてください。(孫真真) 皆さん、こんにちは。これから中国の一類の料理を紹介しております。それは豆腐です。でもね、この豆腐は普通の豆腐ではなくて、とても臭いです。臭いけど、すごく美味しいですよ。皆さんは食べたことがないかもしれません。 その料理に関する昔話があります。昔ある少女は毎日豆腐を作って、それから町へ行って、お金を稼いで一家を支えました。しかし、ある日、彼女は暑い日に布を掲げ忘れたので、豆腐は臭くなってしまいました。彼女は、その時泣いてばかりいました。突然、一計を案じて、この豆腐を油であげてみたら、どうになるでしょう。もし食べられるたら、豆腐を捨てるまでもなく、お金も稼ぐことができるかもしれないと思います。 皆さん、それはこの料理に関する話です。今日、私たちは昔のように貧しい生活がもう消えてしまいました。でも、今だに、私たちは食糧を浪費すべきではないが、これらの労働を通して、収穫した食物は大切にすべきですよ。 皆さん、お召しになってください。(李貞静) この2つの作品よりも文法や単語の間違いが少ない作品はたくさんある。だが、単語や文法の間違いなど、添削して教えれば、彼女らはすぐに覚える。だが、上記の作品には言葉で教えることができない、豊かな感性がある。パーティの会場でテーブルに臭い豆腐が出てきたり、餃子を食べて当たりが出たら、世界遺産に無料で招待など、誰が考え付くものか。そして、彼女ら二人は、心からお客様に喜んでもらいたいと思っていることが、文面から伝わってくる。 ああ、直すのがもったいない!
2006年10月10日
コメント(2)
中国での停電は、最近までは日常茶飯事だったのだが、こちらに来てからは極く短時間ものが2回あっただけ。こういう点だけをみても、中国のインフラへの投資状況はよく分かる。 ところが、今日の停電は朝の7時半から夜の8時までという長時間のもの。校内で何かの工事をしているらしく、校内だけが停電になったのだ。朝シャワーを浴びていたビルは途中から冷水になって風邪を引きそうになり、「あらかじめ連絡をするべきだ!」と怒っていた。 日中はまだよかったのだが、夕方6時半を過ぎた頃から、部屋の中も外も、広大な校内には一条の光もなく、空にも星はなしで(こちらに来て星を見たことはない)、目の前の相手の顔も見えなくなってしまった。その深い闇(!)の中を大勢の学生たちがぞろぞろと歩いている光景(暗景か?)は実に異様だった。 心配だったのは、厨房で我々の食事を作れるのかということ。もし、できなければ外で食べようとも思ったが、学食が閉店になったために、学生たちも大挙して外に出るだろうから、その大混雑を想像すると腰が引ける。結局、ロウソクを灯しながら食事の準備をしてくれて、我々もご覧の通り、ロウソク2本をつけてのロマンチックな(?)食事となった。 こういう経験をすると、中国が春暁ガス田開発に躍起となるのもよく理解できるのだ。
2006年10月09日
コメント(0)
今、帰って来ました。時間は10時40分。日本なら11時40分です。 友人の結婚式の後の家族同士の食事会に行っていました。友人と言ってもこちらに来てから、知人の紹介で一回会っただけという薄い関係なのですが……。その新郎新婦は、新郎が日本人で、新婦が中国人(日本語の先生)という組み合わせで、今日の食事会は日本人と中国人が半々というメンバー構成だった。 しかし、問題だったのは通訳できる者が、新婦と宋先生(いつも私を酒を飲みに連れて行ってくれる人)以外にいないということ。というわけで、何故か私も通訳としてあちこちの席に呼ばれてしまったのでした。例えば、新郎の母と新婦の母との会話では「うちの娘は一人っ子だから、子供の頃から洗濯や炊事などの家事をやらせたことがない。日本に行ってどうするのだろうと心配をしている。もし至らない点があったらわが子のように容赦なく叱ってください」などという言葉をずっと通訳していた。 また私の席の両隣は、新婦の父(当たり前だが中国人)と新婦の兄(勿論、中国人)だったので、結局、終始中国語を聞いたり話したりしていたことになる。おかげで中国人には大いに気に入ってもらったようだ。会話を怖がるな、ということだな。 花嫁の父が盛んに言っていたのは「中国と日本の間の問題なんて、私たちには関係がない。私の娘は日本人を夫に選び、私たちもそれを喜んでいる。今日は日本人も中国人も一緒に仲良くこうやって楽しんでいるではないか。これがすべてなんだ!」ということ。 というわけで、私は青島ビールに天津ワイン、そして52度の白酒を飲みながら、中国人との会話を楽しんだしだいです。 そして、最後に何故か歌を歌うことになり、歌ったのが新沼謙治の「嫁に来ないか」で、♪嫁~に、嫁に来ないか、からだ、からだ一つで~、のところで日本人の親族と花嫁が泣いておりました。
2006年10月08日
コメント(2)
中国に来たばかりの頃は、周囲の中国語が気になり、「思えば遠くに来たもんだ」とその度に実感していたのだが、今では中国語が耳障りではなく、自然に耳に入ってくるようになった。 さて、昨日は中国語会話講座の第2回目を受講。会話講座といっても、私のクラスの学生と中国語だけで会話をするというだけのことで、その日の出来事や最近感じたことなどを、お互いに中国語で話すというもの。最初は正しい声調で格調高い標準語を話すのだけど、しばらく経つと声調がバラバラになってくる。 中国語には4つのアクセント(声調)があって、「マ」という音が声調の違いによって「母」「馬」「罵る」「麻」という4つの意味に分かれる。だから音以上にこの声調が重要で、これを間違えると意味が通じない。例えば「母から手紙が届いた」の声調を間違えると「馬(うま)から手紙が届いた」になり、知り合いに馬(ま)さんがいる場合は、母からの手紙のはずが「馬(ま)さんから手紙が届いた」と差出人が変わってしまうこともある。以前、出先からタクシーに乗った時は「師範大学まで」と何度も言ったのだが、運転手に全然通じず、ほとほと困り果てたことがあった。あれはきっと「師範(シーファン)」を「好き(シーファン)」か「お粥(シーファン)」と間違えたんだろうな。ついでに「大学(ダーシュエ)」も「大雪」か「大きな靴」だと思ったんだろうな。 時間とともに声調が乱れるということは、要するに話し慣れていないから、会話のスタミナがないということなのだ。聞く方は更に駄目で、会話の間中、メモと辞書は手放せない。中国語の達人への道、今なお遠しである。
2006年10月08日
コメント(0)
昨日、たくさん食べた月餅を、今日も朝から3個食べ、残りは10個を切った。そのため、今朝はカロリー消費のために1時間の散歩をした。こちらに来てから1日に1時間の散歩は欠かしておらず、時には朝、昼、夕方とそれぞれ1時間、合計3時間の散歩をする日もある。 散歩をする目的は、カロリー消費以外に、日本ではお目にかかれない珍しい光景や施設を見たり、クラスの学生と会って話をしたり、そして次の授業で話す小ネタを考えたりするのだ。 私の授業では、始業後5分はこの小ネタを使った会話をし、雰囲気を和ませた上で(最近はいきなり和んでいるけど)、その次の5分で脳を活性化させるクイズを出題して、集中力を高めてから本番の授業に入るという手順を踏んでいる。だが、このクイズで何度も苦渋を飲まされ続けてきた学生たちもさるもので、この頃では騙されないように、出題の裏を読んでくるようになった。大いなる進歩である。ひっかけ問題が多い日本語1級試験(特に聴解!)などではこの「出題の裏を読む」ことが重要になる。 で、散歩の後は来週からの授業の準備。この大学では資料をコピーする際はその都度校内、或いは校外(校外の方が安い)の印刷所に行って、お金を払ってコピーをしなければならない。そのお金は学生たちが出し合ったもので、受益者負担の原則が徹底されている。 日本のように事務室や研究室にコピー機があって、自由に使うことができるというわけではないので不便だし、その都度学生にお金を払わせるのも気が引けるのだが、当の学生はそれを当たり前のことして全然気にしていない。 学生と一緒に食事に行こうものなら、学生たちは教師には一切お金を払わせようとしないし、バスに乗る時のバス代も私が払うより先に学生が払ってしまう。教師節の花や昨夜(中秋節)の月餅の贈り物も根は一緒だと思うのだが、いくら親しくなっても、学生たちは教師に対して越えざる一線を自ら画しているようだ。 そんなことを何度も経験してくると、「親しき仲にも礼儀あり」はこの国では実際の行為として根付いているのだなあと実感するのである。
2006年10月07日
コメント(0)
国慶節前まで軍事教練を行なっていた1年生は、連休が終わった今日が初授業。 1年生の発音を担当する田中先生と松嶋先生も、今日が1年生との初顔合わせになる。日本語が全然わからない1年生のために、初めの1か月間は4年生が日本人教師の補助として通訳してくれることになっている。私は中国語のヒアリング練習のために、田中先生の授業を参観することにした。 ところが部屋まで迎えに来るはずの生徒が来ず、自ら教室に行けば、そこには1年生がいるだけで、通訳をする4年生の姿がない。相手は日本語が一切わからないから、あいさつから説明、指示、更には誉めたり、簡単な雑談まで、何も話ができないのだ。教務主任に連絡を取ろうにも、電話番号は宿舎の中だし、連絡が取れても、教務主任が適当な4年生を探して連絡し、その4年生が教室に来るまでに相当な時間がかかる。最悪の場合は、今日の授業は休講になる可能性さえあった。 そこで、田中先生が取ったのは、まず簡単な英語を話し、生徒がそれに反応したことを確認してから、授業をずっと英語で展開するという方法だった。かくして日本人の田中先生が、中国人の学生に、英語を使って日本語を教えるという、ストレンジ・ワールドが教室の中で繰り広げられた。この壮絶な授業を田中先生は100分間やり通したのだからたいしたものだ。 日本のように事前に完璧な段取りが終わっているということは、この中国で期待する方が無理で、私もクラスの名簿などは始業の前日にもらったし、教科書も私には用意してあったが、学生には何の指示もなく、もともと1年生の発音と2年生の会話・作文、院生の会話・作文の担当だったはずが、こちらに来てから急に3年生の担当といわれ、日本から持ってきた資料が無駄になったということもあった。 だが、今日のような場面に直面すれば、パニックになってもおかしくない。 まさにここは日本ではなく、中国なのだということを実感させられた1日だった。
2006年10月06日
コメント(1)
昨日、今日と学生の来客が相次いだ。 今日10月6日は中国では中秋節に当たり、月餅を食べながら祝うのだそうだ。それで何組かの学生が月餅やら果物などのプレゼントを持って部屋に来てくれたというわけだ。9月の教師節には花を届けてくれたし、授業の前と後は連れ立って歩くなど、中国では学生と教師との関係が極めて近いことを実感する。特に外国人教師と学生とは、そうだ。 昨夜は夜9時頃に3人(男1人、女2人)が訪ねてきたので、しばらく歓談してから、寮まで送っていった。女子寮へと向かう彼女らと別れて、私は男子寮で、6人の男子学生としばし話をした。話題は2か月後に控えた試験のことから、男ばかりだから当然、クラスの女子学生の話になり、みんな照れながらも、「○○は性格がいいと思う」「××は美人だ」などと言い合っていた。だが、女性を語る語彙が少ないからなのか、個々の性格なのか、或いは国民性なのかわからないが、ふざけた感じが一切く、非常に節度のある話し方だったのも、これも日本とは大いに違うところだ。 一方で冗談が通じにくいとか、ドタバタが理解されにくいという面はあるが、物事を正面からしっかり捉えるというのは、堅苦しい反面、中国人の美点なのだと思う。 というわけで、今、部屋の中には月餅がたくさんあるのだが、おすそ分けしようにも、他の先生もたくさんの月餅を抱えているから、暫く自分自身で食べ続けなければならないだろう。
2006年10月06日
コメント(0)
こちらに来てから1か月が経過した。 初めての経験と新たな出会いの連続で、困ることも悩むこともなく、楽しく充実した1か月を送ることができた。 ただ、やはり異国の生活というものはどこかに影響が出るようで、最近、外国人教師の間では体調不良を訴える者が目立ってきた。主な症状は疲労感、喉の痛み、アレルギー性鼻炎、腹痛等などで、互いの間を薬が飛び交っている。至って順調なのは私だけだ(!)。 確かに食事は油っこく、香辛料も強烈だし(だからおいしいのだが…)、空気は乾燥して埃っぽいから(この1か月で雨が降ったのは2回だけ)、こちらに来た外国人は必ずといっていいほど、風邪や下痢の洗礼を受けるようだ。特に気をつけなければならないのは、水。蛇口をひねると冷たく透明な水が出てくる日本とは違って、こちらの水道水は、グラスに入れておくとグラスが白く濁り、底に不純物が沈殿する。 だから、飲み水は買わなければならず、値段は18リットルで6元。一人暮らしの場合は、これで3週間くらいは大丈夫。寮生活をしている学生は、校内にある給水所に大きなポットを持って行き、それに水を汲んで、飲み水に利用している。 ただ、当の中国人はこういう環境を何の不思議も不満もなく、ごく普通のこととして受け入れているのだから、我々も日本はどうだった、日本ならこうなのに、などと言わず、こちらの生活に適応すべきなのだろう。 赴任して1か月が経過した今は、帰国までの残りの日数を数えて、それが減っていくことに寂しさを感じているほどである。※写真は部屋に備え付けの給水器。赤いコックは熱湯、青いコックからは常温の水が出る。
2006年10月05日
コメント(0)
今日は3年生の会話の授業。会話の授業の時はいつでも、まず「間違いを怖がるな」「主役はあなた」と黒板に書いてからスタートする。 まず教科書の会話例文を私対学生に分かれて音読、次にクラスを2つに分けて音読、立場を変えて音読、更に学生同士が一人ずつ何組か音読をしてから、新出語彙や重要な文法、構文をたくさんの例文を交えて説明し、学生たちの理解を確認したうえで自由会話(寸劇ともロールプレイともいう)へと移る。 自由会話では、使用する単語(或いは文法)を指定したり、相手にそれを言わせるといった条件をつける。また私が学生の相手をする場合は、会話の途中で雨が降ってきただとか(今日の学生は、「傘を持っていますから、入ってください」と臨機応変に対応した)、5年振りに会ったという設定で、気づかずに通り過ぎたり(学生は「私のこと、忘れたの?」とすぐに切り返した)などの障害を用意する。勿論、単語やアクセントの間違いや、過去形にすべきところを現在形で言う等の基本的なミス、或いは慣れないゆえのたどたどしさはあるものの、自発的に会話をしよう、もっと話したいという雰囲気が回を重ねるごとに高まっていることが嬉しい。そして、私はそれでいい(というより、それが一番大切だ!)と思っている。話す気さえあれば、会話なんぞ自然にうまくなる。 授業が終わる10分前には、日本語能力試験1級対策用の解説をする。 今日のテーマは「まで」。「明日まで」「中国まで」という日時や場所を表す言い方とは別に、日本語には「まで」の使い方がたくさんある。 その1つが、「必要がない」という意味の、「言うまでもない」「説明するまでもない」という言い方。2つ目が「我慢してまで、仕事を続けようとは思わない」「妻と離婚してまで、彼女と結婚しようとは思わない」の「まで」、そして3つ目に「全部とは言わないまでも、せめて半分はほしい」「100点とまではいかなくても、80点は取れているはずだ」の「まで」。2つ目の「まで」がなかなか理解できなかったようだ。 「まで」は2年前の1級試験の文法問題で2問出題されており、出題頻度が高い。 その説明を今日、終えたので、来週の会話授業では「まで」を使った自由会話を展開させようと思っている。※写真は今日の会話授業の風景。
2006年10月04日
コメント(1)
昨日は私も学生たちを見習って、公園の中で勉強しようと、中国語の教科書を持って部屋を出た。歩いていると私のクラスの生徒に出会い、しばらく肩を並べて歩いた後、彼は教室へ行き、私は公園へと分かれた。ところが公園で教科書を開き、中国語の会話文を暗唱するという慣れないことをしたせいか、集中力がまるでなく、20分くらいで切り上げ、部屋へと帰ったのだった。 私が部屋に帰るとほぼ同時に、部屋の電話が鳴った。出ると、先ほどの学生からだった。「先生、私は今、教室にいます。私は勉強しましたが、とても眠い。先生、一緒にビールを飲みませんか? ご都合はどうですか?」 来る者は拒まず、を身上とする私が断るわけもなく、早速彼と合流し、大学の前にある大衆食堂のようなところで麻婆豆腐(真っ赤な唐辛子とラー油がたっぷりだが、おいしい:5元(70円))と焼茄子(茄子をスライスして衣をつけ、油で炒めた料理:これも5元)を注文して、ビールを飲みながら話をした。 日本語1級試験の話、女子学生の話、友達の話、私の授業について、など等。 これまでは、日本語を話して間違えると、いつも直され、友達の前で恥ずかしい思いをしていたと、彼は言った。他の人が難しい単語や文法を使って話すのを聞いていると、自分も話そうという気になれず、会話にますます怖気づいていたそうだ。そしてそういう気持ちを理解してくれる先生もいなかったという。 そんな彼が、私と話をしたくて電話をかけ、間違いを気にせず、どんどん話しかけてくるのだから、教師としてはこれ以上の喜びはない。更に彼だけではなく、散歩中に出会った生徒は誰もが笑顔で近づいてきて、日本語で話をしてくれるようになった。学生たちの楽しそうな顔を見れば、こちらも楽しくなる。あとの問題は、私自身の中国語会話だな。※写真は週末の夜の校内。ムードミュージックと照明とで、恥ずかしくなるような雰囲気だ。
2006年10月03日
コメント(0)
今日は外事弁公室の主催で、外国人教師一行は鄭州の河南省博物館へと出かけていった。去年、既に行った経験があるスチュワートや石橋先生、韓国人の劉先生、そして私(これまで3回行った)は校内に留まった。 河南省は黄河文明発祥の地で、河南人に言わせれば、「たかだか200年前くらいの歴史を知りたければ北京に行きなさい。2000年前の歴史を知りたければ西安に行きなさい。それ以上の悠久の歴史を知りたければ河南省に来なさい」と、その歴史の古さを自慢する。 河南省博物館は鄭州市民(600万人)ご自慢の新しい博物館で、象形文字やら甲骨文字などが書かれた石や、青銅器、壷から書画や唐三彩などに至るまで膨大な展示物を誇っているから、河南省においでの際は是非一度は訪れることをお勧めします。 というわけで、今回の連休は結局、どこへも行かず、居残っている学生と一緒に過ごして終わりそうだ。ただ、先週、院生と相談して、金曜8時からの作文の授業を月曜の10時からに移動したので、金曜は完全なオフになる。つまり、毎週、金・土・日が3連休になるので、それを使ってあちこちに出かけようとかと思っている。※写真はコンクリートの卓球台。結構人気があって、台はいつも埋まっている。メンテナンスや片付ける必要がないので、便利だ。
2006年10月02日
コメント(0)
ゴールデンウィーク2日目。私以外の日本人の先生たちは全員、バスで近くの渓谷観光に出かけた。このツアーは旅行科の学生たちが企画したもので、代金は60元(900円)。連休に合わせていろいろなツアー企画の募集が行なわれていて、これがこの期間の風物詩らしい。 私は午前中、3年生の作文の添削を終わらせ、午後はスーパーに黒酢(こちらでは酢といえば黒いものと決まっているので、「黒酢」ではなく「香酢」と呼ぶのだが)を買いに行った。いろいろな種類の中から選んだのが、写真の山西省産香酢。これを湯または水で割って飲むのである。山西省産の香酢は、以前受けた中国語検定3級の長文読解問題にその話題が出ていたこともあって、親近感を感じていたのも選んだ理由。 我々、外国人教師の宿舎にはキッチンがないので、食事は必ず外国人教師用の食堂で取る。出される料理は、中国の普通の素朴な家庭料理ばかりで、1度の食事で5皿程度が出されるが4皿は野菜炒めで、1皿が肉炒め、そしてこれにスープが付くというパターンだ。野菜が多いのはいいのだが、すべての料理が油をふんだんに使っているので、カロリー消費のために毎日の散歩が欠かせない。黒酢を飲もうと決めたのも、健康管理の一環だ。 食堂での食事代は朝食(パンと牛乳、ゆで玉子、果物)が3元(45円)、昼と夜は上記の内容で6元(90円)。昼と夜はまだしも、朝の3元は高いので、3週間前から食堂の朝食をキャンセルして、市場で買ったりんごとバナナ、そしてヨーグルトという朝食に変更にした。これなら1回あたりが1.5元くらいになる。 3元を高いと感じるあたりが、こちらの感覚に染まってきたという証拠かもしれない。※写真は山西省産の香酢。スーパーに並んでいるものの中では高いほうだったが、それでも4元(60円)。他の酢は2.6元(40円)だった。
2006年10月01日
コメント(0)
全34件 (34件中 1-34件目)
1


![]()