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2023/05/31/水曜日今月は誰かとランチする機会が比較的多かった。お蕎麦行脚の機会が減ってしまった。❶しおて ★初訪問 世田谷区 1日 水曜日 夜、一人7000円くらいただしお蕎麦2色もりは1200円。珍しや。京都美山の蕎麦と鹿児島のもの。蕎麦の産地違いの2色。↓違いが分かりづらい随分と呑んだ後であったけど、産地でこんなにも蕎麦の味が異なる!ことだけはくっきり。カエシは懐かしの江戸風。今度はお蕎麦中心で愉しみたいけど夜だけ営業、それに厨房内がお一人なので、随分待ちます。❷手打蕎麦 ふじや新宿区 17日 水曜日 十割蕎麦 980円いやーこの日は蕎麦がつながっていず、短い。いつもの蕎麦打ちさんじゃなかった?気温の読み違え準備?まあ、こんなこともある。お蕎麦そのものは十分満足。ごちそうさま❸蕎麦切り 森の文京区 19日 金曜日大もり 1250円3度目訪問にして、ようやく大盛りを頂く。蕎麦がうまい!十割とは思えない滑らかな喉越しツユが好みの、微かな苦味酸味の仕上がり。美味い蕎麦が呼び覚ます、あの、ウズラ卵が口内を満たす感覚炸裂。値段設定はやや高め❹近江屋新宿区 24日 水曜日せいろ大盛り 930円新大久保駅の真ん前二八とツユ。大盛りでこの値段は今や安い方ではある。十割蕎麦が食べたいのだが、ここは二八のみ。小麦粉が入ると喉越しは良くなるけれどやはり物足りない。ツユは申し分ない。天ぷらが美味しくてなかなか人気。客席多くあれどお昼時は大抵並ぶ。【番外編】タイ東北酒場 町田市タイ東北地方のレストランランチセット¥1050からパッタイ選択味は濃い目、甘め。ライムが添えてあった。青いパパイヤも。これが美味しかった。もう少し薄味ならスパイスがよりクリアーになったかな?卓上の辛酸っぱいソースを加え頂く。今度はトムヤムラーメンを食べてみようかな?町田は駅そばに美味しいお蕎麦屋さんが無いのだ。
2023.05.31
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2023/05/30/火曜日/樹木の香り濃くなる瓢箪から駒本から散歩犬も歩けば棒にあたる↑私好みの言い回し^ - ^先だっての18日、職場早退して銀座線で浅草へなぜか。それは、毎月18日が長昌寺御本尊の開帳日なので、ひょっとして拝観できるかも!と期待したためである。間も無く四時なので、もう終了かな、と早足で隅田川を右に見ながら浅草駅から北上17分余り人力車に乗った観光客のベスト撮影スポットを過ぎると、左手には聖天さんああ。この先左に曲がれば、ステキな和菓子屋さんがあるのだが、がまん。更に今戸焼もこらえ、今戸神社を過ぎゆく。やがて細い道の左手に、立派なお寺が現れる。これが長昌寺江戸幕府内最古の日蓮宗のお寺とか。由緒あり。開祖は日寂上人。このお上人、元は金龍山浅草寺の第三世座主にあった高僧である。時は鎌倉時代、元寇流行病旱魃などの苦難の時代背景に新仏教が勃興して、辻々に説法の僧侶が立っていた。はずだ。たまたま当地を訪れた日蓮宗の僧と宗論を交わした日寂はことごとく論破され、身延山に居たらしい日蓮の元に駆けつけ修行に努めた。浅草寺に戻り、山ごと宗旨替えを訴えたが受容されず、長昌寺前身の妙昌寺を石浜に創建したのは、1279年6月2日のことという。そういえば全山こぞって宗旨替えした古刹に麻布の善福寺がある。この寺はそれこそ浅草寺に継ぐ江戸村の古刹で、824年空海開祖の真言宗寺と言われる。当時の高名な上人了海が親鸞と目見え開化されて、全山こぞって浄土真宗に改めたのが1260年頃というから、両山鳴動の事態である。昨今の時間が止まったようなお寺に比して、宗教哲学に対する求道の志は雲泥の差である。しみじみ↑地名の鐘ヶ淵の由来そういえば、この頃鎌倉と生地を何度も往復した日蓮が常宿とした谷中の天王寺は元、感応寺。確か幸田露伴の『五重塔』にその名が出てきた筈。こちらは1274年の築で、幕命で廃された後、天台宗の寺になった。天台宗は徳川と縁が深い。さて、浅草寺の去り際、座主は一寸八分の金の聖観音像を帯出したそうで、どうやらこれが浅草寺のいわゆる秘仏ではないか、と想像するのも面白い。↓長昌寺HPよりそんなこんなであたふた訪ねてみれば、もうご開帳は終了していた。というか、そもそもお像は美術品ではなく信仰の対象である、のだ。心掛けが間違っていた(;ω;)毎月18日、午後1時から始まるお勤めに参加し、遠くから厨子の扉が開かれた様を眺めるような具合と伺う。寺は祈祷寺であり、また仏門に入る方の修行は厳しくその矜持を保っているのが日蓮宗のようだ。名残惜しそうにしていると多忙な中、少しお話し頂いた。要約すると、明治天皇が浅草寺を御幸された折、秘仏拝観を所望したが浅草寺は拒否したらしい。その後公の調査官が遣わされ確認されたが、それは木造の尺五寸ほどの観音像だったらしく伝説とは異なっていた。絶対秘仏なので浅草寺側が事前にすり替えたとも噂されるが、やはり長昌寺の聖観音がそれだろう、とのご説明だった。寺務所側に弁財天が祀ってあった。500円玉を洗い、今戸神社に向かう。↑おや、石清水八幡宮とのつながりがここは人力車でやって来た女性が多くいた。縁結びの宣伝が功を奏したような賑わい。まあ、御祭神がイザナギイザナミだから結びついたのだろけど。半分は武久長運の八幡大菩薩とも思われるけれど。創建は長昌寺よりも200年は古い。もし、ご縁がありましたら長昌寺のご祈祷に外部から加わりたいもの。
2023.05.30
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2023/05/27/土曜日/ウグイスの声も聞きやすくウグイスの子は父から一子相伝で美しく歌えるよう毎日特訓中。我が家のある辺り、その昔、それはそれは美声を聴かせるウグイスが何代か続いた。ところがいつの間にか下手な子がその門跡を継いで以降、下手が継承されていく。美声はもちろんメスの気を引くクドキ浄瑠璃のクドキは物語の絶頂編み物のホドキは、編む過程で一番血圧心拍激しくなる、まあ何というかこれも一つの絶頂。で。ここまで底部を編んできて、どうも違う!毛糸の残糸も不安ホドキに至る。しかし、この糸、三色撚り合せの故かホドケない。休日を丸一日かけて、たったこれだけをホドク。涙、滂沱浄瑠璃ならメリヤス挟んでのんびりやるところをムキになって編む。お教室課題を盛り込んで、何とか次回先生に見ていただけるよう。ウグイスの子の気持ち。おでべそみたいに愛らしい?ボタンにゴム留めこれはこれでお孫ちゃんへプレゼントとなりゆく。↓庭のラズベリーがそろそろ色付き始める
2023.05.27
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2023/05/24/水曜日/空が青い〈DATA〉 言視社 / 著者 川副秀樹2016年8月31日 初版第1刷〈私的読書メーター〉〈著書は高尾山ガイドもする庶民信仰や古文書の在野の研究家。間も無く三社祭だが、浅草寺はそも三社権現社と呼ばれていた。三社は檜前浜成(ヒノクマハマナリ)と竹成兄弟とその主人、土師眞中知(ハジノマツチ)をさす。浅草寺縁起は兄弟の漁った黄金の聖観音像が本尊と記す。が、著書によれば檜前兄弟は浅草一帯で牧場を経営する郷士、主人土師氏は野見宿禰の末裔で彼らは上総へ渡る一帯「豊島駅」の支配者だという。そういえば浅草寺と隅田川の間に馬道通りがありマツチは待乳山を思わせるし黄金像にまつわるミステリーは長昌寺へと興味深い。〉〈関心が浅草今戸石浜に向かい、高尾山まで辿りつけない(;ω;)高尾山と浅草を比較しつつ、墓を持たない両寺の経営戦略である、大衆好みの聖と俗を織り込んだ物語性を指摘。かつ歴史的背景も資料に当たり押さえている。かと思えばパワースポット案内など混じえ、寺の経営本領が著者にもそのまま見出せるなぁ。〉不思議も読書に劣らず大好き。そもそも人間に関心大。人間て、なんて不思議な生き物だろう、かく言う私もその内のひとりであるか。本を読む→好奇心に駆られる→見知らぬ場所へ出かける→モノコトヒトに会う→その印象を携える→読書で深めたり寄り道する 書は捨てず街に山に海に河に出る、のだ。そんなこんなで隅田川界隈は好んで出かける。そのきっかけが江戸から明治に至った時代の東京や神仏の歴史に関わる読書から、であった。↓関連図書の一つに素白先生のこれがある。副題の「お菓子に散歩に骨董屋」がもうもう私の好みとピタリ重なる。この随筆中の風景は川瀬巴水の版画が重なり、そんな時代を知らない私に、ツイこの前の日本とは、そこに暮らす人とはこんな事であったよ、と語ってくれる。それらは懐かしい記憶のようになって私の裡に畳まれていくのである。素白先生の文中の待乳山聖天さんに惹かれて何度か足を運んだ。関東大震災前の待乳山を隅田川対岸から観た眺めの良さが「向島」の章にある。観音堂、その先に五重塔、晩秋初冬のそれら眺めを版画さながらに述べている。震災後、聖天堂をくるんでいた巨木が倒れ、お堂が中空に浮かんでいるかのようだったのも束の間、戦災で消失し、甍も五重塔も失せた変わりように変わらぬは隅田川の水ばかり、と書き留めている。待乳山は真土山とも記すように周囲から10米は迫り上がった小山だった。川副氏の本であらためてハジノマツチ(他にも読み方がいくつかある)の名を聞くと隅田川沿いにここだけ、ぽっこりと高いのは、ひょっとして土師真中知の墓所だったのでは⁈と妄想を抱く。筆者の私説が述べるところ土師真中知は野見宿禰の末裔という。宿禰は出雲系の勇者であり当麻ケハヤと力比べの相撲でこれを負かし、垂仁天皇に召し上げられた。皇后の葬儀では殉死の生贄を止めさせ埴輪を考案し、土師の臣の姓を賜り豪族となり、その一族から菅原道真も出た。従って真中知も埴輪をはじめとする古墳増築の技術者であった可能性をとく。ここで思い出すのが、『深大寺の白鳳仏』。本書でも武蔵野に転封された渡来人某が、相撲の腕で出世し時の帝に重用されて姓を賜る。坂東に国分寺を建立する際に、まつろわぬ土地のものたちをまとめ上げ、事業を成し遂げた。おそらくその功によって橘夫人の持仏を授けられた、のではなかいかという内容であった。因みにこの国宝は、深大寺でいつでも身近に拝観できるのがたいそう有難い。当時の土着オリジン日本人からすれば、異能異才の帰化人らは、大陸半島から海を超えて辿り着いた島国で大きな仕事を為し、姓を得て重用され、やがて貴族に列せられる者も出てきた。そんな歴史が想像されるではないか。待乳山聖天さんの縁起では推古天皇の代に、この場所が一夜にして盛り上がり樹木繁り、どこからかやって来た金龍が山をぐるりと囲んで聖別した、というもの。推古天皇の、西暦628年が浅草寺建立とされるのに歩調をあわしているが、更に浅草寺の山号は金龍山、である。川副氏の考えに戻ると、一方の檜前ヒノクマ氏は927年編『延喜式』に「武蔵国檜前の馬の牧」の文字が見られるため、この一帯に牧場を営む土地の豪族でやはり阿智王と共に来訪した帰化人であったという。また、『続日本後紀』には「檜前舎人連は土師氏と祖を同じうする」とあるのだとか。そうならば、待乳山と浅草寺は同一の、仏教に帰依した帰化人一族の霊所であり、浅草寺完全秘仏の、一寸五部の金像は、大きさからいっても渡来の時に携えた持仏であったろう、と解く。浅草寺を訪れると、そのあまりの観光の賑わい雑踏歓楽振りに信仰的な雰囲気は私的には後退する。奥の院ともいうべき聖天さんは、ガネーシャ🟰聖天の本地としての十一面観音が本尊とのことだが、どことなし異国的な持ち味がある。さて、浅草寺秘仏巡り散歩へと浅草、今戸へその先へ散歩は続く。と書いてきたら、土師眞中知の名と神戸連続殺人事件の被害者、土師くんはハセくんだったことに気づく。今日、5月24日が命日だと新聞で読んだ。合掌
2023.05.24
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2023/05/23/火曜日/なんと最高気温16度気温差が今年は半端なく、毛糸を触るのに抵抗の度合いが日々異なる。そんな事も熟慮されてか、今月はクロッシェクロッシェとはかぎ針のことだけど、編み物をを学ぶ場面ではかぎ針と言わず、クロッシェと呼ぶ。これで編んだものもクロッシェと呼んだりする。因みに 棒針は器具のことであり、ニットは棒針を用いた編み物のことだ。今月のお題は、冊子毛糸だま にも案内されている「Fur Stitch. using crochet hook」編む過程で、一年ほど前に習った Foundation double crochet をおさらい。これは鎖目を作りながら長編みや細編みを同時に編む手法。準備、と声に出して自分に言い聞かせて鎖目を作る要領を思い出せば間違いが少ない。ところで、長編みの立ち目に鎖三目ルールは日本風なのだとか。日本以外では一目、二目と多様であるらしい。今回は二目鎖目の立ち上りとする。先生は長方形状に編まれたものを袋に形成されていた。さてこのテクスチャーというか表面盛り上がりは、どんなデザインのどんな用途に向くか。そこがオリジナリティの生じる場面私は毎回、コンビニでコーヒーを買ってお教室に行くのだけど、その時カップが手に熱い。なのでカップの腰巻きを編もうと、カップに当てながらFoundation double crochet を編んだ。2段目編んだところでカップに当たると随分大きい。あらま。はて、何にするか。そうだ、取手!バッグの。バゲットを入れる袋の取手にしよう。と、四つのわちゃわちゃ←ファー部分を編んでCO カットオフそして胴体へ。
2023.05.23
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2023/05/22/月曜日/まあまあ過ごしやすいけれど黄砂届く広瀬みどりさんのカシス、出来上がる。1番小さいサイズの次、2サイズで試作。使用針は8号↓松の草木染、ウール100%後ろ身ごろの途中から右肩を拾い目して輪針一本で仕上げるところがユニークだし、それが肩のデザインになっている。↓庭のローズシナクティフが4月からパラパラ咲き始めた。私は手が緩いので、2作目は努力してかっちり編んでみる。サイズはいきなり8サイズへ。松の糸が不足してリブは菊染めの糸を使用この緑色は大変好みの色だけど、こちらも糸量が足りないかも。薔薇は咲くし、娘がパラデコのクッキーをプレゼントしてくれるし、〈ベスト〉シーズンでございます。内緒でこのベスト、がんばります(^ ^)
2023.05.22
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2023/05/21/日曜日/本日晴天、初夏らしく〈DATA〉 角川書店/ 著書 艾未未 アイウェイウェイ 訳者 佐々木紀子2022年12月1日 第1刷発行 〈私的読書メーター〉〈中国モダンアートにも疎い私は著者アイ・ウェイウェイを初めて、だが、本書で能く知り得た。自伝とあるが全体の3分の1を割いて詩人だった父の生涯が先行する。絵の志を立てパリ遊学を果たし民主主義に共鳴しながら党独裁の匙加減一つで辺境に追いやられ苦難の人生を歩んだ。清王朝末期、日中戦争に重なる怒涛の大変革の時代描写は一つの山場。インターネット勃興期に米国滞在でアートシーンの自由を得たウェイウェイが祖国で葛藤するのは道理。取調室の詳細はこれ自体インスタレーションのような錯覚を覚える。後日作品化の強かさは天晴れだ。〉交河故城にてまるで隊商が街を通り抜けていったかのよう人の喧騒に混じるラクダの鈴の音変わらぬ市場のにぎわい尽きない人と荷馬車の流れいや、違うーー豪奢な宮殿は荒れ果てて廃墟となった千年の歓喜と悲哀、出会いと別れは一片の痕跡すらない今生きている者は、全力で生きねばならぬ天地が記憶してくれると、望んではならぬ1980年、艾青の詩が巻頭を飾る。艾青とは著書の父である。この詩からタイトルが定まっている。千年、誰がこの土地を、この家族の二代に及ぶ無益な苦役を記憶するというのか。しかし私は試みないではいられない。なぜなら息子、艾老が生まれたのだから。著書のそんな声が聞こえる。今現在著書はドイツ在住だが、彼自身、ドイツが産んだ社会芸術家ヨーゼフ・ボイスを彷彿とさせる。アートを狭義な世界から解放し、現実をアート作品に展開していく、時間や個々の人びとの関わりの変化を包摂するといった手法が共に見られる。ように思われる。芸術における至高の価値は自由なのだから不自由を自由に変換することは芸術行為である。と私は考える。そんな気概を彼に覚えるし、それを実行した彼の生命力、怒りを創造力に転換させる意志に感嘆する。彼に匹敵しうるアーティストを日本に探すとしたらだれだろうか。岡本太郎か草間彌生或いはオノヨーコ、坂本龍一、安藤忠雄?規格外、個人で国とか世界に対峙しうるそんな若いアーティストを切に求む。
2023.05.21
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2023/05/16/火曜日/突然初夏となる今年のゴールデンウィークは山も行かず。家で庭仕事と読書と編み物をする他はほぼぼんやり過ごした。昨年のコロナ渦中の方がもっと活発だったような。あ、ミュージカルと映画には出かけたけれど。遠出はしなかった。しかし。編み物をめぐる私の状況は沸騰していた。大量草木染のギャップ糸を何とか!プロジェクトが進行中で、あむひび さんの↑これにトライすること4月下旬よりしかしギャップの太いところで糸は緩み、細いところに合わせると歪み、どうも気に入らず。とうとうヨーク部分全て編み終わっていたけれど昨夜に解いてしまった。そして、頭を切り替え、針も6号から10号へ倍増させ、かねてより編みたかった広瀬みどりさんの カシス と命名されたベストを編むことにした。広瀬みどりさんは編み物フォーラム、ravelry で人気のニットデザイナーしかしravelryでは製作方法が手に入らず。結局、作成図が掲載されているLAINE なる冊子 をフィンランドの出版元から取り寄せた。2冊送料込みで10,000を少し超えた!お高い!お高すぎやろ〜円安ジャポン(;ω;)ところで、後日Amazonで買う方が安いと知った∑(゚Д゚)かくなる上はこの二つの冊子を有効利用したいと決意も新た。カシス は青い方に紹介されている。1〜12とサイズは沢山。そのための表記が多くて対数かなんか?みたいだし、アルファベットニット記号満載だし、取り掛かるのに気合いが必要。編んだものを解くと嫌でも気合いは充満するのだ。正しく、ポジティブフィードバック。指定より針、糸共に小さめなのでゲージも目数を増やす必要がある。けれど、2番目に小さい2サイズで手慣らし開始。この段階ではギャップもあまり気にならない。問題はメリヤス編みになったらどんな具合になるか、ちょいこわい。雰囲気が気に入ればこれでサイズ展開して、子どもたちの伴侶のクリスマスプレゼントなるべし。
2023.05.16
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2023/05/10/〈DATA〉 朝日新聞社 / 著者 富岡多恵子 1993年12月1日 第1刷発行 〈私的読書メーター〉〈 いつか読みたいと思う内に著者は冥土に渡ってしまう。そんな事がそろり増えている。この随筆は主に新聞冊子に掲載されたもの、或いは私信など。なので矩形?大阪の商家育ち。浄瑠璃歌舞伎に幼い頃から馴染み艶やかな感覚の持ち主であると同時に都会育ちのサバサバ感が見通す慧眼合わせ持ち、さすが詩人感覚。巻頭、三島由紀夫に代表される女性嫌悪、女性憎悪の我が国文化の伝統と出生率低下を絡めた文章は実に32年前。一方で編み物を能くされて鶴岡真弓さんと紋様を求めアイルランド巡り!垂涎止まず。看取った犬の事、北志向など感じる点多い〉全五章立てそのⅠのいきなりが 「女ぎらい」の文化三島由紀夫の稚気とアンバランスな文才を短文の中にようもまあ。返す刀で少子化笑止、の留めとは鮮やか政府の歌う 異次元の少子化対策富岡多恵子さんの評価で溜飲下げたいなぁ対策って、なんか根本を欠いている。しかも何でも異次元って。ドラえもんポケットに財政が並ぶ異次元ですわ。保育園落ちた日本しね、のお母さんとか。富岡さんを幽冥境から召喚の異次元チャットGPTとか駆使する?歴史学者社会学者アーティスト民俗学者伝統芸能者、宗教家産婆さん保育士教師なども呼んでみんなで先ず意見を出し合って。みたいなスタートを、富岡さんが警鐘した32年前からじっくり寝かせては試すをしなくてはいけなかった。人口動態などの統計では測ることのできない複雑さに丹念に取り組まなくてはならなかった。今ではそんな余裕は無さそう。目の前の巨魁な老人層をどうするか?老いと病のちがいで、長谷川町子の去り際を富岡さんは簡潔に述べ、共感している。私も大いに共感する。長谷川町子は同居の姉と三つの約束をした。密葬にしてほしい。病気になっても入院させないでほしい。手術を受けさせないでほしい。長谷川町子と異なり、社会的立場なんぞない私の葬式は必然として密葬のようなものだろうけれど。後の二つ、これは全く私もそう願う。いや、既に密かに実戦を始めているのだ、うふ。老いと病気の違いをきちんと見据えた長谷川町子への敬愛の念と、一人の人間が真っ当に朽ちて死んでいくことの現代的困難さを見事にまとめている。さすれば懐かしくもある、蟷螂の 尋常に死ぬ 枯野かなとりかへばや物語武智鉄二近代読者論津軽中勘助など出会いを求めたい。文中、表現者の責任として死をも覚悟、ではあるがあまりに誤解の多い受取方に対しては抗議もするとした、そんな態度に惚れ惚れとする。『網の男たちのセーター』ようよう手に入れたときの喜びが思い出され、編み物の好みも近しく覚える。
2023.05.13
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2023/05/08/月曜日/朝の雨、午後に上がる先日、家人と待ち合わせて、大変な人の中、わっしょいわっしょいと表門に回る。既に縄張りがしてあり、それ以上は進めない。欅下に太鼓、お神輿が出てくるのを待つ。若い人や海外の観光客らしき人も多い。4年ぶりの開催という。6時になり空砲。しばらくすると遠くから太鼓のど、どーん、どどーんが近づくにつれ地面から足元へと振動が伝わり始める。こんな大太鼓の皮はいったいどうやって張るのか。六つの太鼓が大から小へと並びゆく。大国魂神社は六社を祀る武蔵総社なので、六つの太鼓?そもそも総社を造営し土地神をまとめたのは国造が新たに赴任した際、其々を訪ね詣でた慣わしの簡略化と聞く。埼玉東京神奈川に広がる神様をここで一意にお詣りするという天晴れな合理性。それでも神々を勧請するに及び、神々の威光と移行は龍が移動でもしているようにどどーんと響いた古代であったろう。そんな様が1400年を隔て響くかのような祭だ。間も無く神輿が出発するらしいお囃子が鳴り響く大国魂神社前の旧甲州街道を全てが練り歩くと夜はすっかり更けていく。あちこちで太鼓の叩き手に共感と激励の拍手↓祭のメーンを外れたところには里神楽おひねり投げ銭したいところを家人に制される。太鼓に応えるかのような丸い月がぼうやりと。↓昨年6月に訪ねたときの大国魂神社の様子初宮はこちらでお参りしているけれど、電車でやって来たのはかなり久しい。駅の周辺が様変わりしてマゴつきつつも、ケヤキ並木に誘われる。大宮神社よりも小ぶりとはいえ、武蔵総社の威風があり、平日朝ながらお詣りの人が途絶えない。管内神社祭事をまとめて執り行えるよう武蔵国内六社を国府のあったこの地に合祀したという、まあ便利な発想ではある。拝殿からはそれはそれは立派な鏡が据えられていて、その後ろに簡素な本殿があり、中殿左右に六社が祀られている様子。六社は埼玉三社、東京都二社、神奈川一社のバランス。その中の一ノ宮が小野大神。初詣に出かけた神社で、ご祭神はかの瀬織津姫。つまり大国魂神社の主神は大国主命だけれども合祀の一位が瀬織津姫という有り難い国津神神社とのご縁となる。苔むした立派な狛犬。この側に亀石鶴石。重要文化財の狛犬は、しかしこれに非らず。
2023.05.08
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2023/05/05/こどもの日、筍のウラ年〈DATA〉小学館 / 著者 山田風太郎2002年8月20日 初版第1刷発行 〈私的読書メーター〉〈昭和21年1月から12月末までの日記。1行で終わる日、長く綴られる日混在。印象に強く残ったのが、借りた傘が持ち去られた顛末にみる山田青年の意外?な生真面目さと敗戦後の振興宗教女にたたられる朋輩小西氏の顛末を描く筆の妙、冴えて日記逸脱。女性に対する蔑視あれど、そこに至る母恋に同情も覚え。欠乏にあって日々の食べ物日々の読書、克明。世相早くも雨後の筍の如く屋台闇市メチル混在の怪しい酒、田舎へ田舎へと買い出し溢れる人びと。知人製造の糊の行商に徘徊する東京市中に今の東京風景を重ね、当時からの忘れ物を夢想する。〉この本の口絵に、山田風太郎氏がタバコをくゆらせている写真がある。片方の目は前方を鋭く見、片方は気弱げに過去を眺めいるような風貌だ。そこはかとなく寂しげである。その裏側に医学専門学校時代のエリート青年、やや文学寄り、な姿から随分遠くへ来たではないか。無茶苦茶な戦争、敗戦前の凄まじい空襲。焼け出されて日用品どころか食べるものがない。頼る人を失くした幼い浮浪児の群れ、乞食に身を落とした老人の群れ、猛烈なインフレ、田舎と都市の食糧格差、栄養失調、人心の荒廃、大陸からの引揚者手のひら返しの新聞報道、権威の失墜、昨日鬼畜米英、今日カムカムエブリボディ日本の歴史の大転換。あれから間も無く78年山田風太郎24.5歳。敗戦からまだ5ヶ月足らずの現在を生きていた記録だ。大切に感じたところなどを引用する。P26〜27 1月16日付け「今の日本の新聞は何処の国の新聞か分からない。今の日本の壇上で叫ばれる口、今の日本の紙に書きなぐられる筆は何処の国のものか分からない。寂しい。寂しい。あんまりひどい。あんまり惨めだ。戦争が正しいとは思わない。それは人間の悲劇だ。しかし人類は戦わねばならない時がある。戦うべき時に戦わないのは、更に恥ずべきである。神の目から見たら「戦うべき」時などはないであろう。戦争の口実は許されないであろう。しかし吾々は神を相手に戦ったのではない。アメリカ人を相手に戦ったのだ。アメリカ人が悪いから戦ったのではない。しかし日本も悪いから戦ったのではない。戦いはそれ自身は「悪」であろうが、戦う人間は互いに「悪」を超越している。戦うべき戦いを戦って、吾々は敗れた。「悪」のせいではなく「力」のせいである。 そうして吾々はこの前途に全く光のない暗黒の惨憺たる日本に生きている。聞こえるものは飢餓のうめきと「戦争犯罪人」への罵倒と、勝利者への卑屈な追従の声ばかりだ。」P107 〜 3月6日付け「吾々は「知る」権利がある。「知る」結果は幸か、不幸かそれは知らない。(自分はちょっと暗澹たる気持ちになる)しかしともかく可能なる限り知らねばならない。月は女神の住む天上の鏡だと信じて疑わなければ幸福であろう。しかしそれは地球の衛星の一つで日中は焦熱地獄、夜更は八寒地獄の断崖絶壁の岩石の大塊であると、もし事実がそれを示したならそれは知らねばならない。それをイヤでも美玉であると信じさせようとするのは人間の尊厳に対する罪悪である。 天皇制がそれである。吾々は先ず知らねばならぬ。歴史的真相を、人格的真相を。ーー知ってなお尊敬出来たら幸せである。月はその本態を知ってもその美観は人間の魂の中にレベルを落とさない。天皇制もそうであったら幸せである。しかし、ーー天皇は月のごとくそうであるだろうか? 親友松葉との会話は続く では君は神なら拝むか?と松葉はいう。 神も信じない。少なくとも今のような人間の形 をした神を、今までのような気持ちでは拝まな い。 世界はだんだん神を失ってゆくのだろうか?と 松葉。 今までのような神は失われてゆくだろう。しかし 宗教は残るだろう。すぐれた人は、自らの神、 心の神によって自ら動く。トルストイの基督は 文字通りトルストイの神であったごとくにだ。松葉は更に世界の人間がコスモポリタン的になるのか問う。百二百年の近い将来は無理でも千年以内にはそうなるだろうと応える山田青年。この世界融合をイヤでも実現せしめるのは科学である、と。 考えてみれば日本人が天皇制に熱狂しているのは、くだらないことである。それは第一義的の問題ではない。これからの教育の第一義的なものは生徒を「人間」に育てるということだ。偏らぬ、自由な、世界的なものの見方をするように、そういう性格を育て上げるということだ。 世界が次第に一つになってゆくにつれて、今の日本人の好むと好まざるとに拘らず、天皇制は人間の批判的精神に耐えなくなるだろう。それはやがて崩壊するであろう。P223〜 5月31日付け…抜弁天より電車にのりて、万世橋より一つ手前にて降りる。廃墟の草原の中を上る坂道の右に焼け残れる神田明神の青き屋根見ゆ。宮本公園を見ればジャガ芋畠となれり。昭和18年、ここは樹木美しく涼しき小公園なりき。19年には池が出来、ドイツ人夫婦が散歩する姿も見えたが、先だっては崩れた煉瓦コンクリートの柱に夏草が覆い、今や芋畠になった、と。風景の目まぐるしい変わりようを今また吾は見る。P310〜 9月13日付け生来絵が好きで、絵ばかり描いて中学生で天才とさえ言われたが今では描かなくなり。剣道は中学で選抜されたが、これも4、5年時には、専らサボりで、剣の字を聞けば胸が悪くなる平和論者になったが、その頃より文学に興味が芽生え、小説みたいなものを書き出し、受験誌に当選し嬉しがっていたが、これは今でもちょいちょいくだらぬもの考えてなぐさんでいるが、これも滑りはじめて、自分は結局、何の趣味もない、また自分の職業にそれほどの愛着もない凡々たる「お医者さん」になるらしいと感懐しているが、11/14日記で『達磨峠の事件』の原稿代920円を得ている。当時叔父から月150円ばかりの、もっともカツカツの送金であったから、新人とはいえ、まあまあの稿料であったろう。沖電気勤め以来身内のような高須さんのにわか商売を手伝いつつも、右から左に移して金子を得るようなことは自分には出来ない、と断言し、はて何で食っていくかの分かれ道がこの敗戦の翌年であったのだなぁ。そして、日記は女性への偏執的蔑視を羅列した上に、冬に向かうに連れボリュームが薄くなる。P388〜 12月30日付け小西哲夫よりハガキ来る。朝鮮人なら切符買える由、高須氏、朝鮮人連盟の知人に頼みて証明書2枚貰い来たり。余夕、経堂駅に買いにゆけど買えず。十三章「注意」読。にて了。
2023.05.05
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2023/05/04/木曜日/青葉のころ先日仕事帰りに、イザイホーの一日上映会に行った。ツレはよく行くらしい紀伊国屋ホール、私は初めて。トークイベントまで参加すると9時半は過ぎそうなのでそちらは割愛。因みにトークイベントには諏訪春雄氏北村皆雄氏乾尚彦氏岡田一夫氏アジア民俗芸能の研究、映像関係のみなさんイザイホーは、沖縄に隣接した珊瑚礁からなる久高島に伝わる、12年に一度、午年に行われた祭礼。首里の東に位置し神聖な島として琉球王府と深い関わりがあり600年以上続いたという。祭祀を司るのはノロと呼ばれる神女で、久高島に生まれた女は30歳になると神女集団に加えられるが、その就任儀礼をイザイホー、という。祭礼は4日間に及ぶが、その前段の準備はひと月前から始まり、威厳に満ちたものだ。島の神聖な場所である御嶽を廻り、御願立、祭場準備、香炉の継承が滞りなく終わると、祭典に従い建てられた小屋でおこもりをする。それを見届けるとそこに対座した村人は三々五々帰途につく。神女たちは翌日おこもりから出て、朝まだ来の道を辿りガマの湧水で禊をする。4日の間、繰り返えされる神謡ティルル、舞、橋渡りは一塊の熱狂となって小屋に吸い込まれ鎮まるのである。デジタル処理された画面の明るさは南国の光、風、雨と濃厚な緑をスクリーンに映す。先だって見た 岡本太郎の沖縄 の、生と死の原型がもつ独特の昏さがオーバーラップし、今となってはどちらがどちらか。そのどちらだったか、かつて久高ノロが采配したという闇夜に素手でエラブウミヘビを狩る場面がある。これがゾワリと深いところに触れる。スサノオの妹イモとしてのノロがイメージされ、私はアジアの古代信仰の生の姿を見る思いがした。ウミヘビは何日も神聖な場所で燻製され供物となる。諏訪氏の解説によるイザイホーの構造暗黒空間空間に至る橋と狭い出入り口祖霊と一体化して神女ノロとして新生祖霊は大地の女神神女ノロは男性を助ける、おなり神信仰人は神、神は人氏によれば天皇の即位儀礼である大嘗祭も含め、古代の信仰形式が、イザイホーに確認されるという。久高島は沖縄の東の細長い島日本はユーラシア大陸の東の弓状列島久高島から人が消えてノロを継げる女はいなくなった。日本から子どもが消えて日本というクニを引き継ぐことが困難になるかもしれない今古くも新しい神謡を謡い、舞を踊るをと見出し手ずからに危険を掴み取り、美味し供物に変ずる祭礼が、今ぞ待たれる。
2023.05.04
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2023/05/03/水曜日/風光る渋谷に マチルダ を観に出かける。娘からの早めのお誕生日プレゼントとのこと、ありがたし。しかしランチ代は高くつく。言わずと知れたロアルド・ダールの一番人気児童文学『マチルダは小さな大天才』子どもたちが大好きで何度か読み聞かせした。舞台装置もマチルダのMにフレーミングされているのだった。しかしながら舞台を見終えると、このMはmature の M かも?と思った。そのフレーム中心に一人ですっくりと立つマチルダが眩しい。子どもじみた大人の存在、が主題かも。間も無くこどもの日のニッポン自覚しているミスハニーと最後まで自覚無しのワームッド夫婦の対比そうそう案外、大人の成熟物語なのかな。ファンタジーとリアリズムがくっついて、そのどちらもが跳ね上がらず収まりながら大きな物語を小さな個人に届けるこれはメリーポピンズ由来、英国方式、フィリッパ・ピアスも思い出されることよ。ビクトリアン時代からこっち、英国って余程子どもが困難な国で、でも本邦にしたって、経済発展後にはその隘路に陥ってしまった。暴力に向かうか引きこもるか問題まあ、ともかく型破りなマチルダにエンパワメントされて子どもたちは監獄、軍隊みたいな学校構造を打ち壊す。 彼らの団結の力が嬉しい。という訳で、こんなミュージカルを観て、舞台せましと躍動する元気な子どもたちがそんまんま実生活でも元気でね、と祈るアタシ。さて、大人ができることは子どもを孤立させず仲間を増やす、そんな力添えをしなさいよ、て読める舞台でした。マチルダの熊野さん、セリフの滑舌もう少し、ミスハニーの昆さん、繊細さが役どころにピタリミストランチプルの小野田さん流石、ブラボー!
2023.05.03
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2023/05/02/火曜日/素晴らしきかな五月〈DATA〉講談社 / 著者 多和田葉子2022年10月18日 第一刷発行〈私的読書メーター〉〈消失した、かもしれない列島故郷。Hirukoは居住地デンマークから、事実を確かめに東を目指す。彼女を含む6人の旅の仲間が信じられないほど知的で素敵なんですけど。頼りなげなHirukoが物語の進行と共にくっきりと像を結びSusanooの長姉というポジションを示す如く変身する、濃くなる。アカッシュに誘われ腰を上げたクヌートの相手になるべく素早く立ち上がりダンスを堪能、ラトビアの蜂蜜の官能。蘆の舟で流された未発達の赤子=ヒルコは自ら船になることを意志する。太陽諸島から来て、新たに生まれる太陽諸島へ渡る船に。〉『地球に散りばめられて』『星に仄めかされて』に続く三部作の最終巻となるのかな。いつかスピンオフとかエピローグが生まれるのかもしれないけれど。これらの物語が生まれた背景には、著書がどう発言しているかは全く知らないけれど、どうしたって3.11があるのだ、と思う。彼女にとってドイツは既にホームランドであるから、日常触れることのない祖国は彼女の日々において余り意識に上らない、本当にその国があるかどうかさえあやふやな存在だろう。欧州では、世界では?国境は動き続け、今はない国があれば新たに生まれた国もある。東アジアの片隅の島国を呑み込んだ津波繰り返し電波に乗って流れた、黒い水に奪われる家、車、諸々と自分と近しい姿をした罹災者、焼き尽くされる沿岸の街、そして神の怒りに触れたかのような原発事故。多和田葉子さんは既にそこを離れ何十年?だが、ここまで近しくいたわしく切なく覚えた祖国の姿は無かった筈だ。何とか言葉で物語で、希望に続くか或いはディストピアか、紡がずにおれない。そんな多和田さんだったのではないか。彼の国の物語、基盤となる一番古い物語であるところの祖国の神話を辿ればあの列島から最初に流された、かもしれないヒルコという存在、に出会う。一方に、母の国へ帰りたいと暴れ狂ったスサノオという存在。その両人?両神?が思い浮かぶではないか。多和田さんは、その二人の周りに、インドの、性のお引越し中なるアカッシュ。彼はクヌートに思いを寄せる。ところでクヌートはヒルコの編み出したパンスカ語に関心を抱くデンマークの若き言語学者。日本人に間違えられるグリーンランドイヌイットの多言語話者ナヌーク。そんなナヌークに惹かれる、意識高い系ドイツ人女性ノラと多士済々、多言語、多様性。その過ぎたる複雑さをHirukoは何によって結びつけるのか。それは「空洞」かもしれないと思うのだ。Hirukoとは何か。帰るべき所が失くなった、そんな切迫感に苛まされる空虚を内に抱いているのは、ひょっとして今地上に存在する全てのわたしたち。かもしれない。その空虚をどこか共有するゆえに、旅の、道行の同行者はより空洞を持つヒルコに対して、わずかでも、あるモノ、思い、を盛ることはできるだろう。太陽の中心爆発が日食で塞がれれば観測できるあのコロナ現象はまさに空洞の見える化。原子炉ならぬ太陽の溶鉱炉そして天照らすヒルコになりゆく。物語はフィクションと現実、今と昔と未来を行きつ戻りつする。そしてたまにはっとするような詩が浮かび上がる。鳥の声が王冠か花輪を空に描き、それが地上に降りて来る、あの表現の美しさ。何ページであったか。探したけど見つからない。さて。一行も訪れるリガ。そこで得たhoney &moonで、ヒルコに魔法が掛かる。「空洞」はヒルコによって「家になる」意識、意志に変換されていく、それが希望に他ならない。ラトビアの、白樺のジュース黒い太陽のようなパン自家製の、お手製の多種多様な金のハチミツ緑なす森の豊かなマーケット歌と踊りと手仕事市民が、彼らの手のリレーで蔵書を新設図書館に運んだ、街で最も立地な建物は教会でも市庁舎でもなく、図書館!そんな街リガを再び訪ねたい。
2023.05.02
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2023/05/01/月曜日 過ごしやすけれど少し湿気今月は初訪問の老舗二軒と久しぶりの神田薮と江戸前蕎麦の月❶玄蕎麦 露庵 ★初訪問世田谷区5日 水曜日 ランチセット 1250円炎天下に並ぶ。蕎麦屋に長居する人が多いとあちゃーまして幼い子どもにタブレットを与え居座る客にお店も辛かろう。この子はどんな大人になるのかしら。そんな中、45分後にようやく席に着くころはペコペコで掟破りのランチセット天丼は余分なものが無くて好印象お値打ちの1250円蕎麦も申し分なく美味しい十割蕎麦ツユは最近の傾向?江戸と京を足して2で割る印象こんなに並ばないなら通いたいもの❷手打蕎麦 ふじや新宿区 8日 水曜日 十割蕎麦 950円いつものお店のいつもの十割蕎麦最近若い女性とリタイアしたようなご夫婦をよく見かける。サラリーマンは何処へ?❸浜町 かねこ ★初訪問 世田谷区 19日 水曜日 ざるそば 1000円人気の店らしいけれど、1時頃着いたのでするっと入れたのはありがたい。天丼セットにするか迷いつつも、初めての店はせいろからルールを順守店の雰囲気が良い、まさに浜町のイメージお茶は甘味の残る温かい蕎麦茶これが基本かと思います。狭い店内はほぼカウンター、一つ掘り卓三人用あり厨房に三人、外に二人蕎麦150g、茨城の十割蕎麦でコシはあるが細めに切ってあり、喉越しがよい。よく締めてある。ツユは最近の江戸➕京甘さよりしょっぱさ勝ち蕎麦湯が早めに来て、おまけにとろみが強すぎた。私はもう少しあっさりが好ましい。しかし、通いつけたり夜訪ねたくなるお店店主も蕎麦屋らしい清潔感がある。❹蕎麦切り 森の文京区 21日 金曜日むぎめおと 麦と蕎麦の二種もり 1200円ざるの大盛りを食べる期待で並んでいると、今朝打った麦のそば?うどん?が本日スペシャルらしい。ならばそれを頼んでみる。かえしはいつも濃口で。ちゃっちゃと蕎麦を食べる。美味しいねえ、これで十割とは驚く仕上がり喉越し、コシ、食べに行く蕎麦屋の中では今ここが一番のお気に入り。麦もびっくり。麦のソバと呼べるねえフレッシュであまみがあり、艶やか。唯一難をつけるなら、もうちょっと量が欲しいなあ、あたしは❺民芸手打ちそば 志な乃 ★初訪問 新宿区 26日 水曜日 もりそば 1200円え!もりそば1200円は高くない?普通強気な蕎麦代にびっくり。運ばれたもりそば見て、あら。これはざる、しかも大盛りベース。うん。蕎麦は旨い。ツユはとっくり首までたっぷりの、京風すましだけど、思ったほどにはその味薄くない。ただ、場所の不便さを考えるとそこまで通うかな?でもこの蕎麦にハマる人はハマるんだろうなあ。番外編いしい 中央区天丼定食 1250円前回のお刺身定食が美味しすぎた。今回は蕎麦屋以外では殆ど食べない天丼にしてみる。うーん、お刺身が上かな。厨房3人の内、一番年配の大将らしき人が自ら米を研いでいた。リズミカルさが懐かしい響き。この店のご飯の美味しさの秘密。下職にご飯を任せない、にありか。研いだ米はビニール袋で保存。冷蔵庫?水に浸さないみたい。
2023.05.01
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