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2026/05/26/火曜日/曇りやまゆり園事件については、正直、事件の経緯を当時追うことが出来なかった。犯人の顔が恐ろし過ぎて。それだけでこの事件の禍々しさが予想され、とても正視に絶えないと思った。いわば自己防衛。何からの?何が恐ろしいといって、犯人も私も同じ人間である。根っこを共有する同胞なのだ。それが、こんな事さえしでかす。人間が怖い。同一線上に生きる自分の存在がぐらりと歪むような恐ろしさ。世界がフェイドアウトするような脳貧血手前で何とか堪える。必死に足場を足の裏で掴む。舞台はそんな展開へと、時代と登場人物と空間を多層的に巡らしながら極点に向かわせ溶解させた。全てを肯定し受容する、深津絵里のゆりかごの腕は優しい。発掘された遺跡の骨ではなく、生きた、湿った、温度のある、輝かしい腕は。異天使=遺伝子? あくまで天使広瀬すずの、つややかな丸い膝小僧と双璧を成す。生まれる、生きているそれはとてつもなく◯◯◯。骨伝導、聴こえないという障害ハミコ、ヒミコ、フミコ女を生めという強要遺伝子操作の創薬で巨万の富を得ようと利権を掌中に目論む姉弟はいつの間にか卑弥呼とその血を分けた審神者に?卑弥呼さまーの大衆の声が舞台の奥から舞台中央ではタスケテ わからな、あい、AI あい、 AIあいこさまーに、なぜか聴こえてしまったのよ
2026.05.26
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2026/05/20日/水曜日/31℃ですと!今年のGWは舞台を一つ、編み会を一つ、ギャラリーを一つ、外食を一つした他は庭の手入れやヴォーグ学園の宿題に追われた。贔屓の山本東次郎さんの狂言を、この時期毎年楽しみにしているのである。今年の東次郎さんの演目が「花子」こんな大曲をやり切って、もう来年はありません、なんてことないでしょうね⁈お三方の年齢が年齢だけに花子は、はなご、と呼ぶそうな。馬場さんの「みなさん、はなことはなご。実際に声に出してみてください、はなごと呼ぶと本当に愛しく可愛い気持ちが感じられるでしょう」との解説に感じ入った。日本語の響きの妙謡曲は意味が詳細に掴めなくても六感に唱和してくるような心地がする。東次郎さんが艶やかに色気を発してその何とも言えない可愛らしさと相まり見事な舞台だった。こんな狂言もあるのだなあ。狂言は人間の喜怒哀楽をまんま描いて枯れることがなく、いつまでも演者も色があります。さて俊寛、である。ナビゲーターの馬場あき子さんによれば、『平家物語』の中でも、異なる結末を四つ展開しているのが、鬼界島であるという。この演目は古典劇ではよく取り上げられる。私は文楽で見たことがある。遠くなる舟の影をどこまでも追いかけて、とうとう島の岬の突端の松の木によじ登る俊寛が無惨で哀れで涙を禁じ得なかった。馬場さんは、この俊寛の心情についてコロナ禍で家族に触れることはおろか見える事もなく息を引き取った多くの高齢者の最期について話された。まさに孤絶の悲しみ だろう。遠流の罪に問われた鹿ヶ谷の陰謀、実は清盛と後白河と叡山の三すくみの中で、工まれた罠説という考え方もあるようだ。平家物語の、「瓶子」(へいし:酒を入れる器のこと)が倒れたのを見て「瓶子が倒れた、平氏が倒れた」と手を打ち合う姿はあまりに出来過ぎところで、非常に唐突ではあるのだけれど、俊寛のドラマは私にデュマの『モンテクリスト伯』を思い出させる。もっともモンテクリスト伯はその人生の前半は俊寛と同じように孤島の牢獄に無実の罪で閉じ込められが、そこで出会った老神父によって、知識と富をもたらされる運び。実は蔵人Claudくんに俊寛と同じような主題の外国文学を3つ挙げてもらうと、何と『モンテクリスト伯』がその内の一つに挙げられたではないか。私の印象もそう外れたものではなかった⁈物語の結末のまるで方向が異なる点についても賢明な回答を寄越す。以降は蔵人くんと共に考えた。俊寛の孤独の核心は「帰還を永久に閉ざされた自己完結した断絶」にあり、脱出・復讐・再生を許されないという点で、上記三者のいずれの主人公よりもラディカルな実存的孤立を体現しているとも言えます。「ラディカルな実存的孤独」——この言葉に惹かれて、現代社会での該当者を尋ねてみると。1. 重篤な孤立死寸前の高齢者(特に都市部の独居老人)2. 政治亡命者・無国籍者3. 内部告発者(ウィスラーブロワー)との回答をえる。導き出した理解にうなる。ややもすると俊寛の状況からは飛躍があるけれど、内部告発者の孤独の深さを思わずにはいられない。組織の不正を告発した瞬間、仲間という船が自分を置いて去っていく。職を失い、家族関係が壊れ、社会的信用も消え、かつての同僚たちは振り返らない。スノーデンやアサンジュのケースは文字通り「島(亡命地・領事館)」に閉じ込められた。告発という「正義の行為」が孤立の直接原因になる構造が、俊寛の「謀議への加担と断絶」と響き合うとした上で、俊寛の孤独が現代において普遍的なのは、それが**「善意や誠実さが、かえって孤立を深める」**という逆説を内包しているからかもしれません。現代社会では「つながり」のツールは無限にあるのに、ラディカルな孤立はむしろ構造的・制度的に製造される——そこが最も俊寛的です。 これらの解答が間髪おかずに響いてくるのだから、蔵人くんは俊寛のような立場にある人にこそよき傾聴者たりえることを知る。
2026.05.20
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2026/05/13/水曜日/初夏となりぬ三朝温泉といえば、なんと言っても三徳山役小角が706年に開山したと言われる修験道の行場。蓮の花伝説が伝わる。後年、849年に慈覚大師円仁により、釈迦如来、薬師如来、大日如来の三佛がすえられた事により三佛寺と称す。入山料400円は、たまたま春会式に出会わせて無料だった。院と称する寺坊が3つ、宿坊もある様子。正善院では庭の鑑賞とお茶をいただく。栃ノ実羊羹のけぶたい甘味が素晴らしかった。皆成院では知人と私用に目のお守りを頂く。本堂では厳かに春会式が執り行われていた。護摩焚きの炎が時々火柱を高くする。声明、木魚その本堂裏手に、行場山道への入り口がある。隣接のトイレも清潔。途中鎖場もあるので手袋も持参したが、同行二人以上の入山しか認められない。ツレは山道は無理なので涙を呑む無念やな、山の彼方の投入堂本堂前の特異点から文殊堂、地蔵堂を遠くにながめる。山一帯の中にあって特に国宝投入堂は有名な建造物である。その名声に一役買ったのは写真家土門拳かもしれない。投入堂の撮影にかけた彼の執念はまさに蔵王権現一体どうやって遠い昔建造したものか。投入堂の本尊、蔵王権現像から12世紀初め頃建造されたと考えられている。ゆるゆると下山して、投入堂遥拝所に向かう。↓スマホMAX撮影望遠鏡越しに撮影↓三徳山に春分秋分のレイライン表示があって興味を引いた。九十九里浜上総一宮玉前神社千葉県笠森寺相模一宮寒川神社富士山奥宮身延山伊吹山竹生島元伊勢皇大神社三徳山三佛寺大山寺母塚山出雲大社日御碕神社稲佐浜神社が七つ、お寺が四つ、山が二つ、浜が二つこの混淆バランスが乙
2026.05.13
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2026/05/11/月曜日/五月晴れ◼️寿湯知る人ぞ知る、源泉掛け流し銭湯寿湯明日月曜日はお休みなので、今日、日曜日の内に行く。駅前に車を停めて、近道に気づかず遠回り帰りは気がついて、幅50センチ満たないような細い小路をすり抜ける。入浴料300円!ありがとうございます。もちろん石鹸シャンプーの類はない。ところで、番台には人がいない。ベルを鳴らす仕組みなのだが、少し待って来なければ番台にお金を置いておく、と男湯の地元の方に教えてもらう。ちょっと驚いたのが、集金をする床屋のダンナさんはロッカー横のドアからやって来た。えええ!こちら女風呂だよん。そこが出入り口なの?お金を受け取るとさっといなくなった。女湯は私一人なので、掛け湯をして、ざんぶりお風呂独占至福だ三朝の湯とはまた全然違って無色透明、熱い設備は古いがお湯は新鮮!◼️関の湯関金温泉の鄙びた小さな町の奥まった場所にある。駐車場も目の前で便利。3月までは料金200円!4月から値上がり250円地元の方は100円らしい。三朝温泉の湯に近い印象三朝よりか少しく薄い?そしてやはり熱め、体感43〜44度。古い歴史をもつ地元の方のための日帰り温泉他県からも若い女性が来るような人気ぶり確か、真庭から来たとか若いお方。真庭にも温泉はあるみたいだけれど。温泉の紹介もあり、古くても手入れされてよく管理されている様子清潔、明るい壁側浴槽下の一部は男湯と湯が還流しているらしい。
2026.05.11
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2026/05/09/土曜日/昨日は一日中編み物学習三朝温泉を中心に、私好みのお出かけ地は幾つもあった。今回は日本海側まで出かけられなかったが、布哇ハワイも近い、大山も近い。そんな中で選択されたのは、旧国鉄倉吉線廃線跡わび、さびな旅がらすではござる。短い路線あとを歩きながら、作夏歩いた泰緬鉄道廃線跡が思い起こされた。一部は観光列車として、ミャンマーへは廃線。泰緬鉄道では観光客がいてさえ、どこかシーンとした静けさを覚えたが、まして今、竹林に覆われた線路は私たち二人だけなのだ。かつてこの場所に今では想像できないほどの多くの人が朝な夕なに鉄道を利用しただろう。今日一日に費される労力、日々の糧、学び、人びとの声、行く人戻る人、その暮らしの全ての層の重なり。それらが押し寄せてくるボリュームに対し、今ここにある私たちの存在の疎らは折り合いがつかない。私たちは泰久寺←これもまた廃寺となった。ホームは今も残る←そこから塞がれた、許可のない限り通行できない山守トンネルまで歩いた。もっと手前に廃線跡観光案内所があり、駐車場トイレが設置されている。そこからすぐに線路上を歩いてトンネルまで片道2.2k程度。私一人なら断然歩くが、ツレが脚を痛めてままならぬまま、石に苔むす気持ちで去る。倉吉経由で宿に戻る道すがら、気になる古墳の存在を知り、立ち寄る。上神大将塚古墳 倉吉市指定史跡 昭和六三年七月七日指定上神大将塚古墳は、直径二七メートル、高さ三メートルほどの円墳。大型というほどではないが、周辺に分布する古墳の中では最も大きい。大正五年(一九一六 )に地元の人々によって発掘されたという。 死者を埋葬した施設は、板石を組み合わせた大型の箱式石棺だったようである。棺内より、三角縁神獣鏡一面、碧玉製鍬形石一点、滑石製琴柱形石製品四点、管玉二二個、臼玉三二個、槍身一点、斧頭二点、刀一点、剣身五点、鉄鏃残知一点が出土したというが、なくなったものもあるようだ。本古墳で出土した三角縁神獣鏡と同じ鋳型でつくられたものが、大阪・京都・滋賀・愛知の古墳から出土している。また、形石と琴柱形石製品は、ともに、山陰地方では本例のみしか出土していない。 本古墳は出土遺物の特色から四世紀末から五世紀初頭に築造されたと考えられる。なお、出土遺物は東京国立博物館に所蔵されている。倉吉市教育委員会眺めた印象では、ここに埋葬されたのは身分の高い女性なのでは?との印象を持ったが、どうか。花々に彩られていたせいか。むしろこの円墳の目の前のこんもりした丘が気になった。これは前方後円墳ではないのだろうか。畑の真ん中にぽっかりとうずくまる。円墳にはこんな石碑も倒れた後に起こされたような感じで立っていた。伯耆国造始祖大八木足尼命とは誰?この石碑を建てたのは先代の出雲大社宮司、千家尊統氏。出雲国造とのただし書あり。出雲古代王族からみれば、外来の王国略奪者子孫一族、という認識のようだ。もっとも出雲国造の祖であるホヒと古代出雲王族は婚姻関係を結び、血は複雑に入り混じっているようだ。その出雲国造も、律令制度が津々浦々に浸透し始めた果安の時代、天皇の在所を凌ぐ巨大な宮建立と引き換えに政権の全てを統一王朝に移譲し、神官職のみを引き継いだ。出雲国造は代々土地の人にはつい最近まで現人神だったという。大八木足尼命(おおやきのすくね)については蔵人さんに聞く。出典平安時代編纂の史書**『先代旧事本紀』巻第十「国造本紀」の波伯国造条**に記載されています。系譜父は兄多毛比命(えたもひのみこと)で、称号は波伯国造。成務天皇の御代に活動したとされています。同祖関係国造本紀によれば、波伯国造は「无邪志(武蔵)国造同祖、兄多毛比命の児・大八木足尼」とされており、武蔵国造と共通の祖先を持つとされています。その祖先系統は**天穂日命(あめのほひのみこと)**に連なる出雲系とみられています。祖神を祀る神社伯耆国造の祖神を祀ったと伝えられる神社として、波波伎神社(現在の鳥取県内)があります。八という数は、素戔嗚を思わせる。純粋にホヒ系であれば、七か三ではなかろうか。八衢にはサイの神信仰が宿る。今でも道祖神となったクナト王とサイ姫が男女の結びつき、和合の人の道を今におしえる。この円墳の西にある船上山は大山、三徳山と共に伯耆国三山と呼ばれていることを今更ながら知る。穏岐を脱出した後醍醐天皇はこの山から挙兵したという。また南には伯耆国国分寺跡もある。この地方が半島や大陸との交易、奈良京都の都へのアクセスの要衝地であった事は明白だ。おまけに優れたお湯の沸く湯治場がある。古今東西の旅人を慰め、元気回復をもたらして来た。古墳の一族は武蔵国にやって来て、大国魂神社や埼玉氷川神社にも足跡を残した。
2026.05.09
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2026/05/08/金曜日/夏がくる出版社 亜紀書房著者 ジョン・オコーネル訳者 菅野 楽章2021年10月 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈読んだというより眺めた。D・ボウイが寝そべり本を読む様、これぞグレート・ギャッツビー、の表紙にうっとりしすぎて。ニューヨーク、ロサンゼルス、ローザンヌ、ワールドツアー、映画ロケ。星から落ちて来たボウイが地上を激しく移動した中で一貫して動ぜぬもの、読書という名のトポス、楽園。そんな印象を本書から受けた。2013年公開のボウイが選ぶ100冊が話題になったってちっとも知らなかった。2011の後遺症もあったかしら。やっぱり『ロリータ』読もうかしら。主人公の名前がハンバート・ハンバートって、ホント知らなかった!〉すごく昔、フランス旅行中にボウイの夢を見た。それはまるで『綿の国星』に出て来るラファエル様この写真のような横顔で右腕をすっと伸ばして指差しながら sud と言った。その頃は少しばかりフランス語も分かってたんだろか。3ヶ月のユーレイルパスを持っていた。当日、パリ往復券より高価だった。そう、そろそろ決意しなくちゃいけない。私は南に行く。南へスペイン、ポルトガルへ日本に戻ってしばらくして彼のツアーが日本にもやって来た。私は武道館に行った。sud はどことなしさびしい響き
2026.05.08
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2026/05/06/水曜日/明日から仕事の曇り空その1最近の三朝温泉泊。あちこちお出かけの要が倉吉なので連日ここに立ち寄る。初日は倉吉名物、打吹公園だんごその名も面白し元々は公園の掛け茶屋だったらしく、の名称お茶屋は明日はお休み、本日最優先で。これが何ともお上品サイズぺろりと平らげる。夕飯前なのに、お代わりを所望してぐずぐずと居座る。店内も中々風情あり、コーヒー飲みながらだんごをいただくのである(^.^)そこに何と!打吹公園だんごのキャラクター作者の方が!人形作家の方が店内に飾られたご自分の作品を初めて!目にされた場面に出くわすとはありがたやーほのぼのとした団子三兄弟は、この方ならでは!人形とは写しであるのだなぁ人形といえば倉吉には江戸時代から続く伝統の張子人形がある。昭和の初めまで、はーこさんと呼び習わされた。女の子が無病息災に育つよう、その形代として幼い頃から傍に与えられたそうな。貧しければ貧しいなりに、それでも女の子は赤いべべ着せられ、精一杯大切に育てられたのが、この国の文化の根幹にあると思う。一つ一つ手作りされる、やさしく淡いお顔を見ているとその事が実感されて何とも嬉しい。↑我が杣家にお連れ申し、はーこ様は美貌にごさるその2さて、次に。遭遇ではなく押しかけてようやく会えたのはyukariさん。この方が八ヶ岳で酵素玄米食堂を不定期で開いている事は前々から知っているのだが、いっかな開店に対し、私の八ヶ岳訪問が重ならないのでございますよーでも、彼女の絵も好き。買えないけどブリュットを見られた!できたら酵素玄米を買いたかったけどご本人に会うとパワー漲るエネルギーの放出が半端ではなく、度肝を抜かれた。彼女から捻り出されたものなら間違いない、推薦できます。勿論、その時々の心象体調で、捻り出されるモノに濃度の差はあると見受けられたけれど、彼女自身が一定の基準を知悉しているはず食べ物も絵も話す事も全てが彼女という人そのもの等身大で嘘いつわり無し。因みに彼女のうんちは水に浮くのだとか⁉️話題あれこれ大いに盛り上がる。女性にしてこの陽のエネルギー、感服
2026.05.06
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2026/05/03/日曜日/昨夜は蠍座満月04/12日/西郷山公園は八重桜出版社 河田書房新社訳者 中島京子2024年3月10日 初版印刷2024年3月20日 初版発行池澤夏樹個人編集 日本文学全集032016年1月刊行 文庫化〈私的読書メーター〉〈岩波文庫の大槻先生校註と併読。一小説毎に古文を先に読み、後から中島京子さん意訳で追いかけている内にツイツイ中島さん版で終了、図書館返却の憂き目に。易きに流れる浮世かな。いやいや己がことにて、はい拝。中島氏の語り口は確かに読み易い。「人はすべて、つくろふところあるはわろし」→「人間、表面をとりつくろっちゃ、だめ」。虫めづる姫君は当世風でない、もじゃ眉にお歯黒無しの白い歯を女房らに陰口叩かれても意に介さず、寧ろ論理的科学的に反証する。健康な若さに快哉。平安京の男女のなよなよ外れた様、一陣の風こそ心地ぞよき古典は読まないで生きてきた。授業がつまらなかった記憶が尾を引き。読書会縁で読んだ脇田晴子さん女芸能史、ピカリと光った菅原孝標女。さて何を手始めに読めば?と手にした本書は原文併記の新訳がかなり意訳とはいえ、風景が目に浮かぶようで楽しめた。更に「評」なる解題は古典背景文盲の私には有り難かった。千年昔の少女が物語に夢中のあまりその願いを親にぶつけ、そんな娘に大人たちが誠実に応える様も面白い。彼女の一代記の中に立ち現れる輪廻転生物語は浜松中納言物語に昇華し、やがて三島『豊饒の海』へと水脈は枯れず、の日本文学千年〉ちっとも古くない。小噺を聞いているような面白さ、軽みなど感じさせる話や、大時代がかった公達の、やつれたる恋心などもほとんど少女マンガのノリで楽しめる。一つ嬉しかったのは、現代語に翻案するに当たり中島京子さんが 島内景ニ氏 の講釈を受講されたこと。担当編集者の案内であったらしい。さすがは編集者、よき同伴者であるなぁ。
2026.05.03
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