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2026/06/29/月曜日/青森は晴れ2026年6月6日の午後6時に6000円のコースを予約した↓リトルレオへ行く6が5つも並ぶレアなディナー(°▽°)にわくわくレストランは千綿駅が最寄り私の足だと12分くらいの距離かな?千綿からは海に面しながらも交通量の多い国道しか選択の余地がないため、快適とは言えない移動ではあった。が、レストランのある一角はすこぶる面白い空間で、若い人の移住も多いと聞く。食事前にお店を巡る。5時にはソリソリソもヴォートさんも閉まるので要注意米蔵を改装したカフェやレストランお惣菜なんかも買える?=vote がお店の名前元々はコインランドリーだったのを改装したのだとか。作家さんのナマ作品を見られる。私はそこに作品を提供しているSaoriさんのファンになってしまった。Saori極細のペンで下書きもなく世界を描くボールペン画家。色彩の理を引き剥がし、色鮮やかな世界を再構築する。作品は独特な歪みを持ち味に繊細さと鮮烈さを併せ持つ。近年は様々な画材で表現の幅を広げている。2018年「ART BRUT FESTIVAL 2018生のままの芸術、独創的な芸術作品たち」(諫早市美術)2018年 コメダ珈琲のポスターに採用2018年「minatomachi factory 雑貨になったアートたち」(佐世保市博物館島瀬美術センター)2019年「Minatomachi factory. Zoo作品展」(長崎アルカス sasebo)2020 年 kominkan 初個展を開催エネルギッシュでお洒落でコケットリーな作品の数々アール・ブリュットといちいち説明する必要もない。これはアートだ。原作作品からはエネルギーが出ている!カラーペンで彫刻しているようなマチエール一体どれだけ時間をかけたのだろう?さて、まだレストランオープンまで小1時間たっぷり楽しませていただいたかのがGONUTさん知る人ぞ知る古着屋かも!欧米で買い付けたというグッズが大きな店舗におもちゃ箱をひっくり返したみたいに。値段も良心的ブラウンのブラウス、買ってしまう(°▽°)そうこうするうちにレストランの席に着き、600円の格安、しかしよくチョイスされたグラスワインで乾杯!その時壁の時計を見た1人が、あらやだ、6時6分!明日は川棚の四次元カフェに参上鼻息も荒い我ら三人衆
2026.06.29
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2026/06/27/土曜日/北へ通過の車内は薄く晴れ6月は旅続き多忙で記録も更新できず_φ( ̄ー ̄ )6/5からの3泊4日九州旅の書き置きしないと!時間は猛スピードで銀河を突き進むのだ。今現在、まさに東北新幹線車中なのである。↑至近でも玄界灘を渡海の波は荒らくメンバーはそれぞれ7つ違いの女同志年若と年長で14年の隔たりの三つぞろい。↓大島港から中津宮見ゆる大島一泊は私のスピンオフ残る2人は糸島への知人のカフェで演じられるマリオネットショー及びお友だち親子ガイドの糸島観光ツアートリオは自在に変奏する♬↑宿側には夢の小夜島 その名前が詩的大島の宿はハーバー側で沖津宮遥拝所にも回り道しないことを条件に探した。漁師宿?三好で一泊。これが激安!かつては沢山の泊まり客のいた風情朝食はオーナー奥さんの喫茶店で。夕飯は奥さんの口ききで、近所のダイニングミアレ 夜は提供のないランチ食セットを用意してくれた。みあれはみあれ祭からのネーミング10/1大島の宿は今から予約でいっぱいだとか。イカとワカメが感動の旨さだった。翌朝は6時過ぎに遥拝所まで歩く。マリア像のような観音さまの在る安昌院そこには史跡、安倍宗任の墓もある。奥州の豪族・宗任は前9年の役に敗れて京都に連行され、伊予国からさらに大島に流罪され、天仁元年(1108)2月4日77歳でこの地に没した。約900年を経た大木(えのき)があったが枯死した。法名は安昌院殿海音高潮大居士今から千年近くの昔、流罪にあって宗任は、この地の島民に仏法を伝授したに違いない。当時の都でも超一流の学問が島にもたらされた。三女神は航海の安全を保護したが、それだけで衆生は救われぬ。沖で、病で命を虚しくした人びとの無念遺された者がただ悲嘆にくれるのではなく来世説き、そのための功徳、弔いを生きる力へ繋げたのだろうと想像する。神の宮は海辺に、寺院は海を見渡す高台にある。今も宗任は手厚く追善されていた。ご親切な標識を左に見る細い路地はすぐに尽きて林道に出るするとじきに 島の反対側の海に出た。海に向かい少し降りて左手を上る。誰もいない。静かさが嬉しい感謝を捧げる女人禁制の沖津島に奉賽されているのは三女神の内の長女、タゴリヒメ(タギリヒメ)そんな孤島に貴人のヒメを据え置くなどは到底考えられない。父王が認めるはずもない。ヒメの御魂としてのカガミや玉を身代わりに島に置いてきたのではないだろうか。強い霊感に満たされたヒメのカガミと玉ギョクを潮も叶いぬ今は漕ぎ出でな出航を采配し、航路の安全祈願を呪う海と空の出会うところ、かすかに島らしきシルエット。これは⁈タゴリヒメの沖津島?年間通して数日しか見えないとかや上は拡大、下はポスターから。後日、2人に尋ねられて、確信が持てず見えなかったとは答えたものの、私の心の内では見えた、ことにして秘めおく。遥拝所を出る。ら三女神の後、オキナガタラシヒメが三韓征伐祈願にやって来たのは香椎神宮だ。宗像ムナカタと博多ハカタの中間に位置する。そんな事をつらつら考え、トレイルの道に分け入る。草木が誘っている。いつの間にかこんな所にやって来た。朝ごはんは8時半。ピッチをあげる。かれこれ2時間以上のお散歩。ところで、神湊でバスの連絡が悪過ぎた。1時間半待つのが嫌ならタクシー利用しかない、と考えていたら、女将さんがご近所ネットワークを駆使してむなりんくの手配をしてくださった。(T_T)感謝!自治体が配車サービスを格安に担っている仕組神湊から東郷駅は2500円が相場の所を700円で!しかもフェリーから降りたら既にバス乗り場に待機してくださる!バスが不便な分をカバーしてあまりある!感謝!こうしてとてもスムーズに博多駅→新幹線→リレー号と9時過ぎから午後3時まで乗り継ぎ、ハウステンボスを窓外に一幅の絵と眺め、とうとう千綿駅に集合!少しの雨に出迎えられ宿へお迎えの一杯のお茶の美味しいこと!濃い緑と甘味の彼杵ソノギのお茶とティーツリー長旅を癒す
2026.06.27
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2026/06/07/日曜日/みどりリレー号にて鳥取、三朝旅のつづく…◼️倭文神社しとりじんじゃと読む。考えてみたら三朝温泉は みささおんせん。読み方難しい。観光神社とは趣きが異なり、ひっそりと鎮まる。銘板に曰く建葉槌命(主神)倭文(しづおり)の織物の祖神で、創立当時この地方の主産業が倭文の織物であったことから、主祭神として祀られました。 下照姫命大国主命の娘で、出雲から海路でこの地に移り住み、安産の指導に努めるほか、農業開発・医薬の普及にも尽くされたと伝えられています。 安産の神として特に篤く信仰されており、才色兼備の女神としても知られています。その他の5柱事代主命・建御名方命・少彦名命・天稚彦命・味耜高彦根命は、大国主命の御子神か、それと関係の深い神々です。↓神仏習合が穏やかに残る御衣桜?が見納めですよ、と声を掛けられた。緑色からだんだんと黄色に変化する桜とかひそやかで控えめな姿が神社と相似。勝手な印象としては、姫神←古代出雲王族←を中心として地域の人の崇敬を得たお社栄枯盛衰しつつも、未だ女性のお産などに尽くしてくださる、ありがたい神さま出雲から富山辺りまでは高貴な女性への敬愛が強く感じられる。九州地方、東北地方ではその印象は薄い。東西の限界地点を探ってみたいもの。◼️ 三朝神社みささじんじゃ湯村(三朝)神社祭神大巳貴命(大国主命)砂原神社祭神 誉田別命・武内宿禰命・大山祇外谷神社祭神 素盞鳴命(荒神様)の三社を合祀したものである。大巳貴命は少名彦名命と共に特に温泉療法の神として崇められており三朝温泉の鎮守として祀られている。巻田別命・武内宿禰命・大山祇命は家内安全・延命長寿・商売繁盛・厄除け開運の神として崇められている。未社に祀られている素盞鳴命は豊作成就・学問成就・家内安全の神として崇められている。例祭日 十月十七日ご由緒より国津神が祀られているのも有り難い。神職常在ではないようだけれど立派なしめ縄勝手な思い込み続く大巳貴命オオナムチノミコトを中心とする出雲王族は、山から産出される資源を求め、山陰、北陸、四国まで足を伸ばした。土地土地の実力者の娘と婚姻を結び勢力を広げた実例は、翡翠の勾玉に繋がるヌナカワ姫との縁結びその過程で、これら地域の温泉も発見されたはず。古い温泉は国津神のお陰様道後温泉も多分なんと、こちらの手水は飲泉のできる温泉!そんなに熱くなくクセも少ない、と記憶湯に浸かるときは国津神の御恩を思え世の人↑本居宣長風に◼️萬祥山 大岳院由緒もと駿河、沼津城主中村彦左衛門一栄公の菩提寺で慶久寺と称していたが、公の移封とともに伯耆、八橋に移って来た。公の没後、倉吉城主 となった嫡子、中村伊豆守栄忠公は亡父の菩提をとむらうため、現在地に1605年.開基したそうだから421年の歴史となる。山号寺名は一栄公の法名である「萬祥寺殿大缶周碩大居士」に因む。また境内には、安房、館山城主里見安房守忠義公の香華院として忠義公と殉死八臣の墓所がある。忠義は1614年、倉吉に配流され、1622年、29歳の若さで病没したという。忠臣8名が殉死したが、彼らの法名には全て賢の字が用いられた。これを滝沢馬琴が、名作『南総里見八犬伝』に仕立て大ヒットした。また、第百十九代光格天皇の御生母大江磐代君が当院檀中出身の縁があり、磐代君と有栖川宮第六代織仁親王及び第七代部仁親王の御三方の位牌をお祀りし有栖川宮御祈願所の指定を受けている。↓菊の御紋がそのシルシ何と見るべきものの多いお寺であることか。
2026.06.07
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2026/06/05/金曜日/朝は晴れ8:40離陸の羽田発が随分遅れた。プレミアム席のお客さんを待ったようだ。えええ?福岡空港10:55着予定より20分以上の遅れ。しかし!博多駅発新門司行き、鹿児島本線11:10発 に間に合った!実は電車も発車が少し遅れた。 奇跡のリレー?市杵島姫さま、ありがとうございます。という訳で宗像大社は辺津宮に↓祈願堂私はこのまま大島に渡るためスーツケース持ち。タクシーの運転手さんから、参拝に1時間はかかるので大変ですよ、御朱印など頂ける祈願堂で聞いてみては?とのアドバイスこれがリリーフ、リリース!荷物は6時まで無料で預かってくれたのだった!市杵島姫さま!おかげで、高宮祭場、神宝館など身軽に回れた。古代の信仰の姿がうつくしい 三女神が降りたった神籬神道の本来の姿を沖縄で強く印象付けられたが、ここにもその姿が残された事は有り難い。 これはウタキだという直感 祭場の右手の白い楕円の玉石が気になる。 ↑洗心、揮毫は出光佐三と言われる。宗像市赤間の出身。これだけの有功者でありながら神への熱い気持ちが彼を天狗にしなかった。彼の威光はイランに及ぶ。天孫→皇室との強い結びつきは、あちこちに見られる16弁の菊の御門からも伺われる。宗像大社を莫大な資産で復活させた出光興産創業者の出光佐三の企図が働いたのではあるまいか。彼は昭和天皇を敬うことこの上ない人であったようだ。海ゆかば、の物部一族オビト振りだ。作家の好悪は別として、『海賊と呼ばれた男』は読むべきか。白い石を見ながら考えた。しかしこれはまるで蛇の卵である。ここに蛇信仰があったのではないか。出雲風土記の6代大名持 八束水臣津野(意美豆怒命)オミヅヌは、国引きを為した神として島根では高明な御先祖神だ。その息子のアタカタスが今の宗像、かつては胸肩と表記した。出雲王族の勢力を伸ばした西限がこの地であった、と。アタカタスの三姫の内、長女、次女はそれぞれ出雲の7代、8代大名持に嫁ぐ。しかし、三女市杵島姫はニギハヤヒ、出雲口伝では徐福に嫁いだという。辺津宮と、名前は控えめながら第一宮としてあつらえられてい今の姿は、やはり天孫への崇敬の気持ちが明治維新以降強力な勢いを中国、九州地域にもたらしたのに違いない。私は二人の姉神を辿りたいと思ったが、実は三女神の名残りは今では本当に微か過ぎて辿れないほどだ。
2026.06.06
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