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2021.09.28
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カテゴリ: 本と歩くのだ
2021/09/28/火曜日/曇り時に晴

ただ今 幸田露伴『五重塔』を読書中
その雰囲気を味わおうとひぐらしの里の天王寺を訪ねた。



『五重塔』には感応寺の寺名で出て来る日蓮宗のお寺。しかし碑文にあるように、1698年、幕府の命で天台宗に変更された。しかしこの時はまだ感応寺の名のままだった。

後、日蓮宗への帰宗を願い出たが許されず、その代案に
そのときに今に至る天王寺と改名された。

ところで、話はそれるが谷中にはもう一つ別の感應寺(應は応の古い字)があり、ややこしい。山門に神田山とあるが寺名は、光照山 感應寺とは?元々は神田にあったお寺のようでそのご縁か、かの渋江抽斎の墓碑と渋江家のお墓がある。

さて、1644年。感応寺の日長上人が境内に建立した五重塔は1771年の目黒行人坂の大火で焼失するも、わずか20年後にはに再建され、上野戦争、関東大震災、東京大空襲も生き延びたのに、不倫の焼身自殺で跡形無く燃え尽きたとは無念なり。



幸田露伴既に亡き後だった事がせめてもの慰めだが、幸田文の事件に寄せる衝撃を何かで読んだ記憶がある。五重塔が能く見えていたろう露伴の2年間暮らした屋敷跡には当時からあったという珊瑚樹が健在。



谷中霊園は何度か訪ねているが、お寺、五重塔を中心に眺めてみたのは今回が初めて。今は真っ直ぐな寺前の道路がかつて参道であったと寺の人から聞く。霊園外に日蓮宗のお寺の沢山あることからもよほど大きな寺領であった往時が偲ばれる。日蓮宗は権力から嫌われた一点で胸がすくなぁ。

ところで上野戦争では会津藩士の戦死体は新政権が埋葬を禁じ野ざらしの累々たる状態だったことを何かで読んだ。吉村昭だったか。恐らく当時この近辺は人の住める状況では無かったろう。

五重塔そのものも土地も、公称では「東京市に寄進」とあるものの、寺側からすれば没収であり敷地の大半が上野戦争後、公営墓地にさせられてしまった事になる。

日蓮上人は極楽の池から覗いて何をか思われん。


初めの画像の銅製釈迦如来坐像は感応寺が天台宗に変わる直前に建立された。その時の日蓮宗十五世日遼が最後の住持と銘板にある。隣接の谷中霊園寛永寺領の徳川家霊廟の最後の将軍も十五代。そのすぐ側に控えるように渋沢栄一の墓





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最終更新日  2021.09.30 19:42:58
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