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2024/05/27/月曜日/雨が近づいている5/25/土曜日何度訪れても様々な駅からのアプローチで困惑することの多いホールだ。今回はドボルザークの新世界が聞きたくて兎も角チケットを押さえていたが、人気な演目らしく早々と埋まり、私の席はなんと楽譜が覗ける、指揮者渡辺一正氏とご対面の場所。演奏5分前には満席状態、すごいなぁといっても若い方は少なく、日本のアートシーンを支える団塊世代の厚みをしみじみ考えさせられる。ホールは美しく、音はホールを満たして天井を抜けて天空へまで響きの波が見えそうだ。天上的なシューベルトの1番、2番からベートーヴェン、運命へ。コンマスの弓の所作が美しくてびっくり。この曲は弦が優位なんだなぁ、と新世界よりと比較して感じた。新世界は弦は控えめで、何と言っても管楽器の存在感が大きい。大波を超え、その先に新しい世界が広がる様子が浮かぶ。第3楽章から第4へと息もつかさず。あー、たまにはこんな心身の震える時間が大切
2024.05.27
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2024/05/14/火曜日/雨上がる11日土曜日の風光る日世田谷美術館は初めての訪問だ。この美術館は何しろ不便な場所にある。今回の訪問で分かったことだが、一番便利なのは小田急千歳船橋からのバスで、環八を真っ直ぐ南下するのがベストかな、と感じた。バスの本数も多いみたい。私は成城学園前駅からのバスを利用したけど、バス下車からの道のりが複雑過ぎる、つまり農園?農道?で迷うこと甚だし。↑迷い迷い歩いていると、こんな立派に維持されている稲荷神社にも出会う。犬も歩けば棒に当たる。お目当ては、これ。平日午前に関わらず、そこそこ人がいる。2年?3年?前の民藝の100年展を観て、元々好きだった、民俗的手仕事にますます強く惹かれるようになった。以来、沖縄壺屋、日本民藝館、益子の参考館、佐久の平和と手仕事多津衛記念館、京都の河井寛次郎記念館、沖縄キジョカの芭蕉布会館、空振りに終わった芹沢銈介美術館などなど随分巡って来た。幼い頃から手仕事に惹かれていた自分であったけれど、柳宗悦の思想に触れるなどして共感する点も多々あり、こんな先人を東大哲学が送り出した戦前もあったんだなぁ、と感じいった。生き方としては河井寛次郎。まだ訪ねることのできない吉田 璋也にも関心がわく。行きたい所が増えるばかりなのだが、小鹿田焼の里は昔から関心があるが中々行けない。今回の展覧会で生産地ビデオの紹介に小鹿田焼が取り上げられていて嬉しかった。唐杵?というのか水の力を利用して陶土をつく時のあの、古代の生き物の鳴き声が山間にこだまする景色があーあれだ!と心をふるわせる。『皿と紙ひこうき』石井睦美←国産ジュブナイルでは私のベストテン入り←で読んだ文字が現実になって見えたきたのだった。↑今回1925年の民藝展示を再現したコーナー↓当時の画像人の掌の息遣いが感じられる、永遠のモダンそんな手触りが好ましい。↓河井寛次郎による陶器の硯、いい!民藝の100年展に比べるといささかボリュームは下がるが、再現コーナーは随分予算をかけたことと想像された。芹沢銈介コレクションの沖縄の紅型の中でも白眉の一枚が展示されていたが、私が目を奪われたのは岩七輪/これは阿仁銅山で有名な地域なものだろうか。黒い石の面取りや卓上で使用する工夫がよい。蝋石製薬煎/焼き物の釉薬の黒とは明らかに違うマットな黒の存在感が、軽やかな把手デザインでとてもモダン刺子の胴着/稽古を付けてもらえる我が子の腕が磨かれるというより、どうか寒い思い、痛い思いをしませんようにという願いが伝わって来るようで、じんわりする。他にバーナード・リーチが小鹿田焼の窯で焼いた水差し、柳宗悦らの出版物の装丁。これらが素晴らしかった。民藝冊子や出版物でたまに眼にする、ビームスの元バイヤーさんデュオの演出した居間もあったが、あまり感心しない。民族的なデザイン応用のセーターはよかったけど。何だろうなあ、深みと命の躍動、誠実で健康な、そんなカタチが見える、表現が重なる、それを観たい。↑私のお買い物。
2024.05.14
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2024/04/29/月曜日/八ヶ岳は薄曇り同じ神奈川県なのに、ウチからは本当に遠く感じる電車三本乗り換えの1時間30分。それが元町・中華街駅が最寄りの近代文学館そんなわけで近代文学館では興味深い催しがあっても腰が重い。しかしながら、今、絶賛積ん読中の橋本治の回顧展が開かれていて、彼の編み物も展示中。しかも前期後期で若干入れ替えがあるというではないか。むりくり時間を拵えた。爽やかな晴れ間、港の見える丘公園を散歩しながら海風を感じお散歩を楽しめるのも一興と。橋本治はたまたま今読書中でもあった。一番の楽しみはやはり彼の編み物。残念ながら撮影ができない。これ、近代文学館の方はちょっと考え直してほしいなあ。彼の作品は基本が編み込みで、その緻密な色彩配分にあり。やはり桜のカーディガンに目を奪われた。ところで橋本治が影響を受けた作家2名、久生十蘭と有吉佐和子、との紹介である。有吉さんとは交流があり、千羽鶴?鶴?のセーターをプレゼントする口約束をしていたらしい。突然の有吉さんの訃報の後、セーターは編み上げられ、親族の方に贈られた。義理堅いのである。真面目に遊べる人である。駒場祭ポスターデザインで一躍有名になったように、彼の仕事のスタートはデザインだったのだなあ。ポスターは着れないが、セーターなら着られる。これが編み物開始のきっかけという。沢田研二ステージに衝撃を受け、突発的に編んだ作品が素晴らしいできだった。丘を南に下りて、李園でエビそばを食べ、再び港の見える丘公園沿いに駅に戻る。日本的な味付けの町中華。人気店、うむ旨し。横浜雙葉を通り過ぎたところに素敵な住宅を見て、ベーリック・ホールだけ早足で見学。弘前でもこれと似たサンルームの洋館があり、そこでアップルパイを食べたなぁ。子ども室らしい演出が施されている。ここが一時期学生寮になっていたとは!しかしどんな具合に部屋を分割したのだろう。パタパタと次の集会所でバナー作り。私の持分は き の文字。チチアガールをイメージして、とりあえず作りあげました〜これは政治的手芸部のフラッグに。
2024.04.29
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2024/03/31/日曜日/岡崎市は23度一昨日は大雨大風の中をついてバス、地下鉄、新幹線で初めての静岡駅下車↑へー、そうなんだ。静岡に着く頃には雨止む、車中窓外に山水画のような風景を眺めるさて、芹沢銈介美術館を目指す。南口22番乗り場のバスで10分ほど。歩くには距離があり過ぎる。降りたのは登呂遺跡、終点。この敷地内奥に、憧れのというか、昨冬から続く民藝旅の一角を占める、芹沢銈介さんの美術館と旧住宅がある。↑位置関係。はやはや。はあ⁉️なんと。まさかの。私においてはありがちの。展示替え休館であった!へなへな〜しかし、春休みに掛かるこの季節に、何と大胆なスケジュールであろうか。一縷の望みを賭けて敷地内旧宅に向かう。あ、あ、あ。こちらは芹沢銈介美術館開館時期の日曜日が基本見学可能、とのことである。涙そうそ。せめて旧宅の周りをぐるぐると、は回れず2方向から眺める。大変好ましい佇まいだ。妻側の表情は、濱田庄司の作陶納屋のよう。そのスケッチは芹沢銈介が描いたのではなかったか。奥行き二間にはみ出し2尺が南北に伸びている。間口は四尺五寸のリズムが大らかな三間にやはり二尺壁が東西に延長。一階と二階で真壁柱が通ってないのも、小洒落感ある。二階南側思いっきりな吐き出し雨戸は全開するとさぞや清々しいだろう。吉村順三の山荘もかくや。出窓の意匠、土台の継ぎ手。漆喰と障子の白、その素材の違いと杉?の茶色は庭の緑を最も美しくみせる。建坪十坪ばかりの豊かさ住む人の人柄のよく見える心映え私ならば庭にもう少し花実がほしい。かえすがえすもおなごり惜しく、めそめそと美術館外を眺める。次はしっかり調査の上、住宅も見学できるよう予定を練ります。いつの間にやら強い日差しの元富士山が見える。静岡駅の特産ショップにて、葛布のペンケースを求める。味わいよろしい。
2024.03.31
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2024/03/23/土曜日/まだとても寒い朝電車を3つも乗り換えて辿り着いた会場生前の中村哲さんの講演に伺うことはできなかったがとうとう彼の事業のパートナーともいえる藤田千代子さんの講演を聴く機会を得た。前半は中村さんの活動の記録、授業などに用いるために1時間を45分に編集したもの。以前に観たことがある内容だけれどやはり新たまる。そして思いを強くする。登山隊の随行医師として参加したパキスタンの寒村で、置き去りにせざるを得なかったパキスタン人ハンセン患者たちへの断腸の念。その贖罪に突き動かされた生涯幾つも病院を作り、井戸を掘り、最終的には用水路を作る事業を起こした。そのために治水を学び、ショベルカー運転技術を身に付けた。小柄で朴訥とした人柄はたとえ大統領の前でも物乞いの前でも全く変わらなかった。そしてペシャワールの病院には大勢のアフガニスタン難民が逃れてやって来た。彼らの多くは農民だ。当時のアフガニスタンはソ連が10年戦争で荒らし、それが去って間も無く9.11報復で国土は荒み、更に旱魃が追い打ちを掛けた。戦争どころではないのだ。旱魃による飢えからの解放のために作物の大地を潤す用水路を作ろう、と中村氏は言い出す。誰もが馬鹿げていると反対した。素人の私たちにそんなことができるわけがない、藤田さんも当初は反対した。しかし諦めるような中村氏にあらず。用水路工事は挫折も経験したが、中村氏の生まれ育った福岡市の古い治水工事の叡智がその難場を救ったという。そしてその資金は日本の一般の、市井の人びとの寄付金なのだ。水は通じた。ありとあらゆる苦労と努力と半目も全て水に流して。10年で風景は一変した。緑の農園と木々に囲まれ、武器を捨てた男たちは畑を耕す、喜ぶ母親、笑う子ども、おそらく鳥も小動物も虫たちも沢山集まって来たことだろう。中村氏はいう。自然と人びとの努力、それらへのお礼に種をまく、と。高山から吹き付ける風に揺れながら麦は見事に実っていた。中村氏は無惨にも銃弾によって突然人生が閉じられたが、今、医療関連に従事しながら用水路工事の熟練工でもある地元アフガニスタン、パキスタンの人びと90余人が育った。彼らは小さな村々から要望を受け、用水路は着実に実現されている。アフガニスタンの乾いた大地を潤す源には中村氏の確固たる決意が決起しているのだ。いつかアフガニスタンやパキスタンの国境には緑なす草原、畑、森、花々が楽園のように広がるだろう。人びとは平和の鐘を鳴らすだろう。藤田さんの講演のあと、岩手の方による鎮魂のさんさ踊りがあり、それが舞台背景で微笑む中村氏と相まってとても良かった。アフガニスタンの空に舞と楽曲が届いたかのようで。この催しは申込開始後1時間で完売したそうだ。
2024.03.23
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2024/02/17/土曜日/打って変わって寒い休日月曜日の午後1時からお話と大西さんピアノが聞ける、との情報を得て11時配布チケットのために30分前に並んだ。既に立派な列が。スタッフの方からこの辺りはもう配布分を超えています、とのアナウンス。それでも30分は過ぎ、やっぱり私の前20人以降はため息と共にばらける。一昨日午後に仕事帰り立ち寄り、彼のペンキ画、ティンカ、ティンカを観た。会場には彼がいて何やらまた行列ができている。なんか気の毒な感じがした。タンザニア、ブンジュ村で技法を学んでいた頃のShogenさんは、厳しい顔つきでどこかインドの少年みたいな風貌だ。やがてこんな温かい雰囲気にタンザニアの美しい人びと三原色に黒白、たしかそんな色を混ぜて自分の色を作るのだとか。掻き落とし?みたいな技法も。夜の星の明るさで空が白くなる、そんなことばが添えられている。自分を無くしているように感じるときは、裸足で土の上に立ち、草花で自分を包み飾る、というようなガラス額装されて分かり辛いけれど、この絵が私は一番好きかな。入ってすぐ。大きな一枚、カラフルな眠り絵はたくさん売れて散逸しているので、この数を集めるのも大変だったとか、スタッフの方から聞いた。絵からは真っ直ぐなエネルギーと柔らかい気持ちが伝わる。
2024.02.17
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2024/02/08/木曜日/午後から晴れ先日ようやく足を運んだステーションギャラリー随分昔、改装前にここのホテルに泊まり、憧れのバーでカクテル呑んだこともなつかしい。何しろ猫脚バスタブ!だったのである。ギャラリーには初めて入ったかも。案外展示スペースは広く、フロアも二つ備えている。JRらしく旅心をくすぐる展示だ。殆どの木造の神像、仏像、眷属像、或いはそれらの混淆スタイルが130点。青森、岩手が多く秋田は少し。平安時代から江戸時代まで。大工の右衛門四良作、法蓮寺と青岩寺の作品群が驚き。仏師ではなく大工さん。何かの願いが込められたか。円空の観音菩薩坐像が一点。これを手本にこぞって腕に覚えのある村や町の人が手がけた観音さんが微笑ましい。この頃では仏像が彫られることはないだろう。ましてごく普通の人の手でということは。さて。私の父の父、つまり祖父。なのだが、父と私は孫ほど年齢の開きがある上に、父と祖父もそれに近い開きがあり、祖父は私の生まれるずっと前に亡くなっている。その祖父がある日、小さな仏像を彫った。子ども心にも、あまりに見事なので父はそれがほしいとねだったのだとか。祖父が言うには、これは川の源流に近い河原に埋めるのでまた別に作ってあげよ、と。結局それきりとなったが、祖父は何か願うことがあったのだろう、というような話をこれまた大昔、父から聞いたのだった。全国的津々浦々の山里や清流の奥に密やかに仏さまが眠っておられると想像することは奥ゆかしい。なので、そんな思いを抱いて仏さまを観たのだった。残念なことに撮影は全て禁止。好きなお顔の仏さまを待ち受けにはできなんだ。↓宿泊当時の面影が少し味わえる階段やアルコーブ
2024.02.08
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2024/01/30/月曜日/晴れ、春ちかし27日土曜日、気持ちの良いお天気の中を江戸川沿いのげんげ工房さんを、知人を誘い訪れた。知人と主催者の恵津子さんは旧知の仲。しかもここで初めてお会いする方が私と同じ町内仲間という、驚きの出会い。まあ話が盛り上がること!そこへ、恵津子さんのマクロビランチ、拍手ものピースボート、山本太郎、伊藤野枝、トランプ、北海道のオーロラ、バイオダイナミクス、梨木香歩、子安氏の再婚、大阪と維新、投票にはボールペン持参の案件、平塚らいてふ、女性の人権意識は大正期からなぜ後退したか、コモン、杉並区長選と八王子市長選、福田村事件、処理汚染水、寄付行為のまともなあり方、塩田廃止と海水塩、エプスタイン島ハニートラップなどなどみなが皆話したいことが後から後から尽きず。私が読書中の『美は乱調にあり』を読んでいて、駅を乗り過ごしたといえば、恵津子さんは今これを読んでいて、おすすめしてくれた。食後には、思い思いの手仕事に没頭して静かな時間が訪れる。手先を使う作業はよい。簡単に作れるけれど美しい。ローズウィンドウ
2024.01.30
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2023/12/12/火曜日/雨のち晴知られざる未開の道はなを永遠に黙して永く永く無限に続く新聞記事で見つけたコンサートはタイトルが長すぎて覚えきれず、知人に伝えるのにマゴついた。ただただ伊藤野枝の名に呼ばれて会場へその内容は伊藤野枝とその同時代を生きた女性音楽家たちをめぐるコンサートとトークと銘打ったとおりのものだった。↑明日館へは目白駅から歩くことが多い。今回は徒歩時間の短い、慣れない池袋駅を下車した。メトロポリタン口に近いところでは光輝く広場が迎えてくれる。明日館の建物、その風景は都内建造物中で一番好きかもしれない。学校建築をフランクライドライトに設計依頼する、という驚き。当時の日本の文化度は世界でも先進的で優れていたのだはなかろうか。しかもこれが一私立学校の学び舎なのだ。垂涎、自由学園。伊藤野枝は1895年生まれ、1923年没。自然死ではない、関東大震災の大混乱に乗じて憲兵大尉甘粕正彦に殺害されたのだ。未だ20代であった。ライトの設計監督によって二代目帝国ホテルが披露されたのはまさに関東大震災のその日のこと。百年の来し方を瞑目せずにいられない。今年、まさに9月1日、の帝国ホテル百年事業のランチに出かける前には映画福田村事件を観た。未曾有の災害に、社会主義者も朝鮮人も癩病者も被差別者も新聞報道も転倒した、させられた、ことを映画は鋭く描写していた。軍部の権力が勃興し、自由や権利は後退した。圧倒的武力の前で、徒手空拳の私たちは「壁にぶつけられる卵」のように無力だ。今宵、百年前に立ち戻り、伊藤野枝の激しい生涯を野枝と同時代の日本女性音楽家による3曲、日本の語りに即した楽器琵琶のための新曲が披露された。野枝に捧げる琵琶の作曲及び企画はフランチェスカ・レロイという英国人の若い女性音楽家だ。会場は断じて自由学園でなければならないだろう。学園の創立者、羽仁もと子は当人によれば、日本最初の女性新聞記者、なのだ。学園はヨハネ福音書の「真理はあなたたちを自由にする」から名付けられたという。それは震災の2年前のことだった。あなたたちには、男だけでなく、女も子どもも、世界中の人が含まれる、ということを感覚的に身体的に把握できない男たちが制御する当時の日本で、豊かな才能、思想を変節することなく伸びやかに歌い切った女性作曲家、すなわち幸田延/ ヴァイオリンソナタ第一番変ホ長調外山道子/ 日本民謡による組曲 〈子守唄〉〈追分〉〈籾引歌〉吉田隆子/お百度詣の代表作が演奏された。西洋音楽受容の幸田延それに対して日本のオリジナルを問うた外山道子社会や環境音楽を見据えた吉田隆子重なりながら展開される音楽の喜びが披露された。演奏はヴァイオリン、吉田薫子ピアノ、前田朱音二人の呼吸はぴったり、吉田さんの繊細な音の響きは美しいだけでなく芯を感じさせた。これを英国人女性が見せてくれた、なんだか日本の女性を勇気づけてくれているような音楽会幸田延の第二楽章辺り、涙ぐみそうになった。私たちの賢明な選択がきっと世の中を明るく温かいものにしていく、と歌っていた。こんなステキな女性たちが全く初めての道を勇気を持って一歩踏み出していたよ、百年前に、と。↓来年2月、伊藤野枝の映画が公開される。レロイさんは、瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』を読んで伊藤野枝に強く関心を抱いたという。瀬戸内寂聴は震災の前年1922年の生まれ、百年を超えて生き今年亡くなられた。合掌。
2023.12.12
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2023/11/29/水曜日/温かい初冬10月28から11月18日の3週間の間に、どうしたものか濱田庄司、河井寛次郎、柳宗悦の旧居を連続して訪ねた。日本民藝館以外はそこが第一の目的ではなく、付随しての見学だったが案外それら御三人の住まいが、心に沁み込むこと大だった。かつてそこに在り、その空気を動かし、影を刻んだ姿をぼんやり空想すると、気配はいよいよ濃密になる。その気配の色合いにも御三人の個性は立つ。▼濱田庄司旧居素晴らしい茅葺きの、堂々とした農家。心の故郷ともいえるような益子の風景と住まい。濱田庄司の、昨日は居たけど今日は留守、明日はどこなと出かけてます、の意の揮毫らしき一枚実は庵の奥深く、ひたすら土をこね土の声を聞いている気配濃厚だ。ここは土地の風景が格別素晴らしい。景色が魂を潤す。▼河井寛次郎旧居↑思索のためか、二畳の離れ田舎の好々爺、元先生の住まいのような風情がある。重さと軽さが同居している。ちょいと足を伸ばせば祇園、先斗町の町中に一つの宇宙がまろくある、という印象。禅問答のようなインスピレーションの書が多々。好きなのが、手霊足魂 の四字柳は紋様のための紋様を嫌ったそうだが、河井寛次郎は手を彫り、手を描いて紋様に昇華している。↑手の紋様。他にも関節毎に球に近いような作品もある。右は五世井上八千代氏の手。あ、河井寛次郎の手だ、と驚く。器の初源、掌。▼柳宗悦旧居↑日本民藝館玄関扉ガラス面に映る旧居2階豪農の長屋門は、栃木日光街道沿いにあったという。徳川家代々が目にもしたろう。同じ栃木でも濱田庄司の参考館辺りとは異なり、風格とか威厳が限りなく権力というものに近づいているような。そのあまりの重厚感は、瓦に用いられている大谷石が発する。しかしながら玄関土間にも大谷石が敷かれていて、頭の上と足の下が同素材というケレン味内部空間もその長屋門に同調するように重い。黒光りの木材は、長年囲炉裏で炙られた色であったとしても私には重か感じられる。ほっと息が漏れるのは民藝館玄関扉の白木の肌合い。その軽さと長年手に触られ練れた明るみ。畳面や障子、和紙、竹。できる限り素が、私には好ましい。柳宗悦旧居の、日本民藝館西館からの帰途、小さなギャラリーでレードルを求める。↑竹俣勇壱作/素材ステンレス型あり/仕上げコタタキ工業製品+手工芸 シン民藝?大皿の汁ものの取り分けに重宝している。
2023.11.29
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2023/11/19/日曜日/うららかな晴天↓作業場に続く庭に出る前に鏡が掛けてある。心遣いの。↓故郷有志のみなさんが贈った竣工祝いの球体石は寛次郎所望のカタチ↓素焼き窯の前に、元作業場の所にも小ぶりの椅子お国柄も素材も違うけれど調和している。↑左の室はロクロを引く部屋、右は土コネの間だったか。手前には素焼き窯が設置されている。↓素焼き窯↓この造形そのものが神聖だ。↓地域の工人と共有したという登窯↓後期作品群↓中期作品群↓初期作品群↑左下、最初期作品↓晩年の頃↓暮らしの中に戒をもつことの大切さ。ましょう、の繰り返しが柔らかくかつ鍛錬された意識を伝えます。↓またおこしやす。草花も作品も生き物もそのように私に語りかける。
2023.11.19
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2023/11/18/土曜日/風あるも晴れ金曜日の朝、東京目指す新幹線ひかり米原は曇り、千代田区は土砂降りの様子今回のタンカン京都 のツインピークスの一つ。それは 河井寛次郎記念館佇まいのその静かな表に、よもや急な休館ではなかろうかと恐る恐る重め格子戸を引く。あ、開いた。入れる。やれ嬉しや。↓吹き抜けの、炉のある応接の間には小さな家のような家具のツマ側に火伏せの神棚か?この吊り戸棚をもう少しゆっくり見てくればよかった。ここにも火伏せを祀る?方角は登窯ではなかろうか。屋根付き家具南面と囲炉裏↓囲炉裏の隅の意匠。火、の文字が見える。↓応接の間。三本脚の椅子と不思議なオブジェはストーブだろうか?↓ウスのイス階段家具の手摺り?握り玉↓2階階段ホール。どことなく日本民藝館のような↓卓のテクスチャー↓階段ホールの出窓風↓ホールにつながる、上座敷き。小上がり床になっている。素晴らしい母子像。寛次郎作と思われる。↓お琴が立て掛けてあったと思う。お嬢さんの部屋かしら、青のガラス花瓶蓋付き作品の配列↑手考足思
2023.11.18
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2023/11/08/水曜日/立冬小田急東北沢駅から徒歩13分くらい。民藝館入り口の建具が素晴らしい。民藝館の全ての中で、私にとってはこれが一番と言えるかもしれない。面の取り方が丸く柔らかで、訪問者を招き入れる気持ちが伝わる。↓当日の展示11/23まで中は撮影禁止、一箇所だけ撮影可能な場所があったが、そもそも柳宗悦の尽力で建てられた館。写真など撮って、余計な知識など蓄えて何するものぞ、ということか。直観の力で見よしかし若い見学者は何と館内で動画を撮っているではないか。びっくり。禁止されてるみたいよ、とは伝えてみた。見学者の多さにも驚く。こんな辛気臭い?所に大勢、若い方や海外の方も集まって来るって、何が起きているのか。井戸茶碗と椅子、アイヌのタバコ入れ、キセル立て、刺繍、古い椅子などが目を引く。↓撮影許可のあったもの。これでは何とも。↓柳宗悦の旧宅、長屋門は栃木からの移築。西館これが柳宗悦の嗜好する住宅建築モデルだとしたら、重い。風格があるがちょっと厳つい。日本民藝館はこの意匠に合わせ、柳宗悦がデザインしたもの。西館の方の見学は第2と第3の水、土曜柳宗悦が没するまでここで暮らしたという。内部空間はどうか。次はこちらも訪ねたい。しかし次の展示の入れ替えの際には長期間閉館するらしく、ぶらり派の私もさすがに自分に注意を促したい。↓パンフレットとショップで買ったもの柳宗悦の書いたものと柳宗悦について書かれた最新研究の新書。鶴見俊輔が著したものとで悩んだが、中見真理氏の小文を先日読んでとても共感したので。民藝バックナンバーは吉田璋也の名を認めて帰途、先に気になったパン屋さんにてバゲット他も買う。
2023.11.08
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2023/11/02/木曜日/日中は暑くなるらし旅は道連れカゴ。旧濱田庄司邸を背景に、茅の輪くぐりのような。↓藁屋根の厚さ!きれいなケラバ。こんな美しい葺き方を初めて見た。↓お邪魔します。無料である。いつから土間に大谷石?うつくしい色とテクスチャーが年月を経た無垢板と清潔な障子紙に映える。建築関係の外国からの見学者だろうか、ため息混じりに眺め入っていた。濱田庄司は英国でも作陶をし、生活した。彼の芸術果実はとても日本的だが、普遍性の土台は頑丈だ。屋内は平家で、天井は二階家くらいの高さ。↓ステージはロクロを回す作業コーナーが3箇所ばかり。掘り炬燵形式でここに腰掛け作業する。外の光が手元を照らす塩梅になっている。作業コーナー上はロフトのような中二階。作業する場所は天井を低くし、土をこねることに没頭できる配慮が感じられる。無垢板の床が飴色に光を反射する。すぐ側に囲炉裏の火とヤカンの湯↓上画像の大甕。益子の海外交流事業で来日した韓国の作家が益子の登り窯で焼いた作品。見事にこの屋内に調和している。素朴で質実剛健な民家に、華奢で優美な欄間半衿の刺繍を見るようなあわいの繊細さ↓日本の伝統家屋の意匠は屋根にあり。↓参考館ショップで買ったポストカード濱田庄司の掌陶器市1週間前の益子は人も少なく、このタイミングで来てよかった。いつの間にやら晴れ上がる。↑108回を重ねたとはすごい。↓回廊ギャラリーを渡り、芹沢銈介展を見に行く静岡の芹沢銈介美術館にはぜひ行きたいとかねがね思いながら果たせていないのだけれどまさかの益子で 旅する染色家芹沢銈介展が。↑開館30周年記念 益子日帰り がデザインされた表紙↓この建物は今ひとつ感心しない。旅をよくした、民藝運動の芹沢銈介は訪ねた各地の風景、特に手仕事の工房のスケッチを数多く残し、中には手作りの絵本に仕立てたものもある。展示されていたましこひかへりは展覧会の主題。↑芭蕉布に芭蕉の型染め沖縄紅型や、釉薬の流れた甕の図案の着物、暖簾などグラン・パレでの展覧会出品作など展示フランスでの展示会は、あのバルテュスが芹沢作品を愛し、骨折りして開催にこぎつけたという。バルテュスは20世紀最後の巨匠と言われた画家。パリのレアールでの大回顧展を随分昔に見た。晩年スイスの山里で、スイスの古い民家シャーレに着物姿の節子夫人と隠遁暮らししたことに何となく作品との乖離を覚えたものだった。しかしその違和感が芹沢銈介展開催への、彼の奔走の事実を知り氷解したかも。↑このおおらかさと繊細な色調が好い。左は戦前に益子を訪れ、芹沢銈介がスケッチした濱田庄司の工房。右は先ほど訪れた際の画像。おや。同じアングルやなかとですか。軸組はさすがに変わらず、屋根葺材と外壁の仕上げが変わりました。絵の方に住みたくなりまする。↓焼き物展示会場入り口正面に島岡達三作品。↓今回気になった作家、加守田章二加守田章二(1933-1983)は大阪で生まれ、京都で陶芸を学び、益子で独立。遠野で生涯を終える。北上の人、である。受賞後毎に、その作風をがらりと変えた。入場券を買うと、喫茶百円引き券を頂き、見学後カフェにて休憩。ずらりと並んだ中から好みのカップを選べ、とのこと。お、陶芸美術館を謳うだけのことはあります。私のチョイスは岩下宗晶さんの、少し島岡ブルーぽいカップ。先が楽しみな作陶家さん。紅葉の始まり出した丘を下り、陶芸屋さんを冷やかしにそぞろ歩き開始。
2023.11.02
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2023/10/31/火曜日/秋深まる週末の土曜早朝、益子へ一度は訪れたいと思いながら、同じ関東でも我が家からのアクセスが悪く先送りにしていたが、ついに私鉄→湘南新宿ライン→新幹線→バス大宮から宇都宮移動は一駅、椅子を温める間も無く宇都宮駅に到着。↑初めて降りた宇都宮駅↓バスの案内がとても分かりやすい事前に練った旅程は待ち時間をできるだけ短くしている。しかしそのプランは女子トイレ長蛇の列を考慮していない。でもわずかでも新幹線に乗れるのでOK。豪華な個室が用意されております。を乗り継ぎようよう 濱田庄司記念館に辿り着く立派な長屋門に駆け込むより早い雨脚おまけに雷さまが轟く手荒い歓迎振りではないか。長屋門左がオフィスとショップ右が一つ目のギャラリー↓今回展示ベスト3、スペインの耳付き壺濱田庄司さんが「負けた」と思ったという手仕事が世界各地で収集されて、ここ益子に北欧、メキシコ、英国、モンゴル、朝鮮、イラン、ペルシア、日本↓左から濱田庄司、柳宗悦、河井寛次郎↓中心上から時計回り 濱田庄司、バーナード・リーチ、黒田辰秋、富本憲吉、河井寛次郎作品▼第二のギャラリーへ↓濱田庄司を紹介するビデオから美しい2号館の内装空間。建物は東北大震災で被災したが多くの寄付金が集まり、2年後には修復、公開がなされた。作品がいくつか割れてしまう被害もあった。今回の展示中のベスト3↓リーチの鹿のプレート↓好きな作家、ルーシー・リー作品が一つ↓上、3号館から2号館を見る 下2号館出入り口▼3号館 沖縄、角形酒注 ベスト31.2.3号館に一つずつとてもいいなぁ、と思う焼きものがあった。既に濱田庄司氏の目のフィルターに掛けられたものなので、どれをとっても素晴らしい。贅沢な選択ではある。▼工房ここで土がカタチになった。もちろん濱田庄司氏もここでロクロを回した。▼上ん台↑頗る立派な百姓家。豪農屋敷と呼ぶべきか。濱田庄司は早い時期から古民家も収集していた。焼き物のみでなく、家具や住まい、風景風物、衣装、染め物、おそらく食事に至るまで、みな民藝の風景の中にあり、それは小津安二郎の映画空間にも流れているように感じる。▼濱田庄司館こちらには喫茶室もあった。お茶を注文しなくても、椅子に座りぼんやりできるのがありがたい。これだけの財産。個人のものに留めれば散逸の難は免れなかった。公開して公共の財産にしていただけたことが有難い。豪農屋敷、上ん台から敷地を下りていくともう一つの長屋門。左右にはやはり小さなギャラリーがあり、濱田庄司氏の生涯とその作品が控えめに紹介されている。↓氏の初期の作品雨の中、入場者は私一人だった。濱田庄司の求めた世界に浸る濃厚な時間だった。
2023.10.31
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2023/09/08/金曜日/午前中風雨強いテート美術館展 新国立美術館 7/12〜10/2先週酷暑の中、ターナーが観たくて出かける。ウィリアム・ブレイクも2点「アダムを裁く神」「善の天使と悪の天使」楽園で暮らしているようなブレイクだが、それは神というゲイテッドオーチャードの中でのみの自由。ブレイクから半世紀人はここまで印象を風景へ、風景を印象へと自由に飛翔させた。大切なのは光としての色光と色彩(ゲーテの理論)大洪水の翌朝 創世記を書くモーセ12色彩環図アンモナイトのようにも見える油絵は他に2点湖に沈む夕日陰と闇 大洪水の夕べターナーからさらに50年。モネ。ポール=ヴィレのセーヌ川風景に神は存在しない。コロナで突然中止になり見られなかったハマスホイが2点。室内、ゆかにうつる陽光↑私には月明かりにしか見えないけれど、好きだなぁ、これ。室内この隅っこの暖房は当時のデンマークの住宅で見られる様式。一つで複数の部屋を温める。コロナ前に行ったデンマークのスカーヘンだかスカーゲン。その地の美術館に所蔵があるはずだが、私はアンカー夫妻の画家のアトリエしか行かず、街のアンティークショップやクラフトショップをふらふらしたことが悔やまれる。しかし画家の室内はハマスハイの描く室内ととても似ている。ハマスホイからほぼ百年心象風景は要素に分解され、展開され、ある規則や偶然に従って変化を見せる示威行為に。その中にも光、陰、色があり、はたまた音が加わりより宇宙的になった。自然科学と共に歩んだアートが一覧される。そんな時代にあっても私は手仕事。↓ニット作製のインスピレーション用に桑沢デザイン時代にはやたらとこんな作品を描いた記憶が。
2023.09.08
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2023/08/16/水曜日/突然の雨、時々晴れ今月初め、山からの帰り道、大村博士の生家を中心とした一角を訪ねた。生家の敷地内にある手入れの行き届いた小庭が美しい。この土地は釜無川の南側。地名に神山とあるように小高い山の中腹で、東に眺望があれば富士山が良い角度で見られる。北西遠くには堅固な岩山の上に開けた韮崎市街が見える。大村博士の生家は堅牢な、質素な、力強い、しかし細部においては繊細な、清潔な構えであり、このような在所に産声を上げ、成長する人の人間の容れ物とその精神的内容をあらためて感得させる。お母さまは、結婚後も暫くは小学校教員を務められたのち家庭に入った。大村少年はその母によって学ぶことの大切さを教えられ育ったろう。農家の後を継ぐつもりだったが父から進学を勧められ、地元の山梨大学に進学し東京で夜間学校の教職に就いたのが、そのキャリアのスタートだ。夜間学校では真剣に学ぶ就労学生の姿に刺激され、改めて学び直しを決心し、教師、大学院生と研究の日々を過ごした。教えるものと学ぶもの、医師と病人、それは一対を為す。その良い影響が双方を癒し、伸ばす。この母屋で、大村博士によるセミナーが何度か持たれたそうだ。まさに寺子屋だ。母屋に面して直ぐに蔵が隣接している。母屋とのバランスで言えば蔵は大きく思われる。静謐な空間でまことに好ましい。蔵は改装されて、宿泊可能な貸室スペースとなっている。内装は民藝運動に連なる意匠と家具。日本のスタンダードな暮らしの目指す方向はこれなのでは無いかと思う。生家から徒歩3分ほどに大村博士のミュージアム美術館は大村博士に関わるメモリアルと収集あるいは贈呈された、あるいは女子美大との関わりで購入した絵画や彫刻焼き物などの展示と企画展のコーナーからなる。大村博士が土に親しみ育ったこと、高校大学でスキーに没頭したこと。その好奇心と体力によって土壌の細菌採集、研究実験がやがてノーベルプライズナー辿る道となっていく様が具にわかる。一方で芸術と民藝を楽しまれている様子も美術館と道を挟んでお蕎麦屋さんと温泉。あと清潔な宿と図書館とワインバーがあれば申し分ない^ - ^のだが。
2023.08.16
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2023/07/31/月曜日/山の朝、曇り夏休み第一弾の終了前回は無念の休館。昨日7/30 日曜日、とうとう入館の運び。開いてる開いてる、嬉しいな♫私は手仕事が好きだ。手仕事されたものも好きだ。もちろん平和はかけがえがない。手仕事と平和が結びつく、というのは何かを呼び起こす、と思いながら見学させていただく。入館料は大人300円。そんなに大きくはない。が、小さな町に小さな灯火を掲げる空間だ。平和と用の美の結束点としての民芸、地方の、一人の教師の、80年のコレクションがつややかに並ぶ。民芸館の多津衛の名は、館の初代館長でもありそのコレクションオーナーでもあった 小林多津衛 に因む。明治半ばの1896年に生まれ、21世紀の2001年、満104歳の大往生。その人生は、自己を生かす教育、手仕事の大切さ、美と真の暮らし、平和への願いに貫かれた教育者の生涯だ。二十歳の時に柳宗悦の『ウィリアム・ブレイク』に出会い、その影響を強く受け、白樺派の運動に共鳴すると共に80年に渡り様々な手仕事を収集した。↑ロンドンにはブレイクの作品を集めたギャラリーがあった。詩人の霊感を持つ人だった。多津衛は晩年には地球温暖化など、環境問題に深く関心をもった。柳宗悦の講演が近在の望月であり、それをきっかけに多津衛の民芸の収集が始まったようだが、最初に求めたのは古伊万里の蕎麦猪口だったという。館内の蕎麦猪口コレクションのボリュームは、それ故か充実している。↑左下、コレクションNo.1の蕎麦猪口。右下は佐久界隈の生活雑器である焼き物。まさに用の美。中段には李朝の器、花瓶。上段左の二つ、バーナード・リーチ。→二つの左、河井寛次郎、右浜田庄之助年齢を比較すると宗悦が多津衛より7つほど年上だから、『ウィリアム・ブレイク』は、宗悦が20代に書いたものと想像できる。すごいな。↓柳宗悦が多津衛に贈った書今現在の日本で、こんな幸福な若い出会いってあるかしら。ウィリアム・ブレイク!そういえば、無言館美術館にもいくつか所蔵があった。長野とブレイクは縁があるのか。平和と手仕事が想起させるもの…観覧の内に、このコーナーを見てハッとする。そうだ、それは糸車を回すガンジーの姿だ。と、同時に先日深く考えさせられた、『八月の光』に描かれた 道 が蘇る。ここに、こんなに鮮やかに、ガンジーの言葉が描かれていたとは。「平和への道はない。平和こそが道だ。」なんとも含蓄ある言葉。平和は到達点として存在するものではなく、行為に他ならない。屈せず、たゆまず続ける道としての平和の行為。それを止める、そこから降りる、ということは即ち、反平和の選択なのだ。アメリカ先住民の、「美の中心へと私は歩く」みたいな、花粉の道?の歌を同時に思い出す。美の中心を歩くとき、私の前も後ろも上も下も美しい。それが平和の道である。本日の訪問はとても実り豊かだ。↑左、白馬のデザイン、右は山羊?燭台民芸館のある御牧ヶ原台地は古来より朝廷に馬を納める牧場として日本最大の産地であったという。望月歴史民俗資料館に詳しい。↓図書コーナーや、コーヒー、紅茶のカフェも併設今日はコーヒーを美味く淹れる館長さんが只今ご不在とのことで、カフェは開店休業中。この地域のクラフト作家の作品も少し販売していた。↓ガラス作家さんのスタンドグラスのペンダント購入。2400円だった。竹紙にくるんで下さった。↑対応下さったご婦人の息子さん手製の蕎麦猪口兼お湯呑み、館長のイラスト入り、を(内緒)でくださった!恐縮至極。館では陶芸の体験もできる。音楽会、学習会などの活動もあるようだ。ああ、私の住まいの近所にこんな所がほしい。
2023.07.31
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2023/05/04/木曜日/青葉のころ先日仕事帰りに、イザイホーの一日上映会に行った。ツレはよく行くらしい紀伊国屋ホール、私は初めて。トークイベントまで参加すると9時半は過ぎそうなのでそちらは割愛。因みにトークイベントには諏訪春雄氏北村皆雄氏乾尚彦氏岡田一夫氏アジア民俗芸能の研究、映像関係のみなさんイザイホーは、沖縄に隣接した珊瑚礁からなる久高島に伝わる、12年に一度、午年に行われた祭礼。首里の東に位置し神聖な島として琉球王府と深い関わりがあり600年以上続いたという。祭祀を司るのはノロと呼ばれる神女で、久高島に生まれた女は30歳になると神女集団に加えられるが、その就任儀礼をイザイホー、という。祭礼は4日間に及ぶが、その前段の準備はひと月前から始まり、威厳に満ちたものだ。島の神聖な場所である御嶽を廻り、御願立、祭場準備、香炉の継承が滞りなく終わると、祭典に従い建てられた小屋でおこもりをする。それを見届けるとそこに対座した村人は三々五々帰途につく。神女たちは翌日おこもりから出て、朝まだ来の道を辿りガマの湧水で禊をする。4日の間、繰り返えされる神謡ティルル、舞、橋渡りは一塊の熱狂となって小屋に吸い込まれ鎮まるのである。デジタル処理された画面の明るさは南国の光、風、雨と濃厚な緑をスクリーンに映す。先だって見た 岡本太郎の沖縄 の、生と死の原型がもつ独特の昏さがオーバーラップし、今となってはどちらがどちらか。そのどちらだったか、かつて久高ノロが采配したという闇夜に素手でエラブウミヘビを狩る場面がある。これがゾワリと深いところに触れる。スサノオの妹イモとしてのノロがイメージされ、私はアジアの古代信仰の生の姿を見る思いがした。ウミヘビは何日も神聖な場所で燻製され供物となる。諏訪氏の解説によるイザイホーの構造暗黒空間空間に至る橋と狭い出入り口祖霊と一体化して神女ノロとして新生祖霊は大地の女神神女ノロは男性を助ける、おなり神信仰人は神、神は人氏によれば天皇の即位儀礼である大嘗祭も含め、古代の信仰形式が、イザイホーに確認されるという。久高島は沖縄の東の細長い島日本はユーラシア大陸の東の弓状列島久高島から人が消えてノロを継げる女はいなくなった。日本から子どもが消えて日本というクニを引き継ぐことが困難になるかもしれない今古くも新しい神謡を謡い、舞を踊るをと見出し手ずからに危険を掴み取り、美味し供物に変ずる祭礼が、今ぞ待たれる。
2023.05.04
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2023/01/17/火曜日/曇りのち雨の日は映画館へと言いたくなるお天気朝一番の映画館は、それでも若い人がちらほら座席に休講組?3Dグラスを携えまあ、アメリカ映画は滅多に観ないけれど娘と一緒なら行くしかない。3時間超えの上映時間もそこまで長くは感じない。ということは楽しめた、ということただ前作から13年?その割に人間共の価値観が進歩しているどころか後退している。ヨナを呑み込むクジラ みたいな 絵 とかその名前がトゥルクンなので沖縄のグルクンを思い出す。あれは旨いです。やっぱり宮崎駿オマージュがそこかしこに地上の楽園、沖縄、先島の風景を迷彩で上塗りしているのはどこのどいつ?メタバース映画館ができたら、メガネかけてお魚の一匹くらいにはなれちゃうのかな?そんな事にはあまり食指が沸かない私が次に観たい、というかホントに観たいのはこれだ↓
2023.01.17
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2022/12/06/火曜日/まだ晴れない寒い朝土曜日、晴天の下川越市立美術館の小茂田青樹展に出かけた。美術館滞在時間の倍以上を我が家からは往復に要するため、腰が重いけれど、明日までの公開なので決意。尤も川越は大好きな鰻が旨い街でもあり、それも私を引率するのである。電車に乗る前に念願の 東屋 に予約電話してみる。はーもちろん予約一杯小川菊も林屋も電話つながらず。ダイレクトに赴くしかない。11時半には既に店頭30人以上待ち、これでは美術館の時間が無くなる!駅から遠くなればなるほど空いてるかも、と伝米へああヽ(;▽;)入れました、ラッキー鰻が熱々!お米がつぶつぶ、イキイキ!タレの煮詰めがハンパでない炭焼きの苦味と甘味のハーモニー卓の山椒が香り高いお漬物の昆布佃煮すんごく美味はー満足満足え?何しに来たんだっけ。そうそう美術館へそれにしても第8波をモノともせず、相変わらずの観光客で賑わう、人を惹きつける川越美術館まで来るとさすがに幅地元のみなさんの日常姿が多くなる。これこれ。実は私はこの画家を全く知らなかった。今回川越市政、美術館開館記念特別で川越が生んだ小茂田青樹をまとめて観る機会に恵まれ、その姿が具に見られた。青樹初期の作品を原三渓が買い上げ、一躍画壇に知れ渡る。その2点はこれからの彼の絵画の方向を示すようでもある。しかし評価に恵まれず、武蔵野の山奥でひたすら自然觀照に至った大正後半の「麦踏」←埼玉県立近代美術館蔵に足が止まる。ミレーの晩鐘が想起されるけれど、明らかに自然に対する人の姿が異なる。あー、なんてよいのだろう。夫婦と思われる2人の素朴さ、包み込む自然の緑の布団、二人のの足元にほのかに光る麦すべてが愛おしくなる風景無名性の中に自然も生き物も溶け合う厳かさは深い宗教感を見るものに教える。この絵で青樹がいっぺんに好きになるスケッチ集を見て驚く。大変な才能技量なのに、実際に仕上げた絵はその技量を捨て素朴なのである。稀に「緑雨」や「菊」「葡萄」に隠しようもなく漲るけれど、全体に技術に溺れず、ユーモアとか朗らかさが拡がる。↑未完の最期の作品41歳の若さで没したことがかえすがえす残念な。この倍は生きて作画を続けていたら、日本画壇がまた違って見えたことだろう。びっくりするのは彼のハガキや箱書きの書の美しさツイこの前の昔日の人びとの教養品性を知り、我が身を恥いるばかり素晴らしい作品をたっぷり味わった悦びの後、指定文化財の展示に合わせた文化財保護学芸員の方のレクチャーが始まり参加させて頂いた。①木造天海僧正坐像と②堀川夜討図①は県の指定文化財。寄木の緩みから彩色剥離が生じどのように修理したか、またこの坐像がどのような経緯を持つのか。天海僧正に関しては上野寛永寺界隈のお寺縁起などで知った。彼は108才まで生き3代の将軍に仕え、宮廷との外交もこなした。故の、日光は輪王寺の天海像であるわけで、それは京仏師の作品であるらし川越喜多院の坐像は作者不詳もしも輪王寺と同じ仏師であれば、管轄文化財の行政が上位になるとかや非常に不思議の人である。いつかこの人について読んでみたい。②堀川宮に仮寓する義経を、兄頼朝が梶原景時に命じ討伐の図時間の流れを六双の屏風で一意に見渡す面白さしかもいかにも天の上からのメタ認知細部を眺め飽くことなし、なんだけど。無知の悲しみ、知りたいことが募るばかり文化時間のあとのお楽しみおあつらえのように和菓子の道灌さんが並びにあるではないか!名前を失念したけれど、芋もちクリーム冷凍品帰途、すっかり溶けたところをぱくぱくうわーん、美味しい。お土産は道灌まんじゅう黒糖のしっとり生地にくるまれた品の良い粒あんと濡れ甘納豆渋茶若しくはコーヒーと頂く
2022.12.06
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2022/12/04/日曜日先月に訪問竹内栖鳳のスケッチ、写実能力の高さ欧州旅行を通し、西洋絵画芸術からの吸収も同時代や門下の作品も併設展示があったけど、栖鳳が一頭抜きん出ていることは間違いない。特に栖鳳の〈あお〉が素晴らしい。↑「斑猫」の、この目の色↓この猫のエピソードも面白い。猫はさぞや迷惑なことだったろう。それがこの表情にも伺える。しかし、館内展示唯一、これが撮影できる!山種さんの心意気、ありがとう。栖鳳の あお は、紅梅図 の花芯にもぽっと置かれているのであった。↑購入した絵葉書四枚拡大、ましてコピーの画像では全く再現不可能なれど、蛙のまとう あお この色を現物で見ることが嬉しい。
2022.12.04
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2022/08/27/土曜日/暑さ巻き戻し動物園右奥の都立美術館でボストン美術館展フィン・ユールとデンマークの椅子展どちらかといえば後者に惹かれたのだけど、同時に観ると椅子展が三百円引き♪やはりねえ、日本美術の宝庫の筈がテーマがテーマだし。ちっとも魅力を感じない散漫なエキシビジョンその中で惹かれたのは乾隆帝の龍袍長船長光の太刀12世紀の大日如来坐像12世紀、吉備大臣入唐絵巻見る人が見れば、他に優品があるかもしれないけれど。椅子展撮影可能ブースあり、座れるブースあり。高校生以下無料フィン・ユールに関わる資料や画像もデンマークは手仕事、ハンドクラフトの充実したお国針仕事の家具も陳列。例のお猿さんも照明器具も。気にいった椅子類座り心地抜群はJAPANと名付けられたフィン・ユールのもの。↓左上ジャパンチェア 1957年610×700×780 SH350
2022.08.30
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2022/07/25/月曜日/お昼晴れた前回訪ねた時は閉館間際だった閉まるのが案外早い。今回は早く現地に着いた、少し時間前だったが鍵は開いていて入館できた。無名の若い画学生を多く含む、戦死若しくは戦争が原因で早世した沢山の人の作品と愛用品が展示されている。心惹かれる作品がいくつか。中でも、椎野修さん。 無言館の坂を降ると残照館。こちらにも思った以上の作品。図書館も併設室内空間の静かさが心地よい更に 村山槐多エピタフ へ彼の画集は我が家にある。作品は一点のみだが、驚いたことにブレイク、エゴン・シーレが数点。それから立原道造の充実したコレクション。彼のデザインのオシャレなこと!持ち物の可愛らしい、本物ぶり。↓この木彫りの小人さん、私好み!ロマン主義の明るさ軽さ健康、といった要素が全てこの人の上で輝いている。ゆっくり3.4時間を過ごして併設のカフェでランチ、地元さん野菜たっぷり
2022.08.14
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2022/08/12/金曜日/ハマでは立秋を感じ何ヶ月か前彼女の自伝を読んだ。ご本人が講演はこれで最後と公言されている事もあり神奈川県立音楽堂の、岸惠子講演に出かける。↓河畔にタグボートや小舟のための緩衝材が浮いてハマらしい、上野毛界隈へぶらぶら歩きながら小高い丘の音楽堂へ左手建物よい!岸惠子さんどんな雰囲気、立ち振舞い、話し声なのかそれを感じたいではないか。そう思わせる女性。『ベラルーシの林檎』から進行役の女性が横浜空室の一節を朗読することから始まる。これは自伝の内容と丸々重なっているが、描写や表現力が素晴らしい。1時間ちょっとの中で小津安二郎の話、雪国、駒子役と池部良、大根役者と自覚する自分が唯一演技できた「おとうと」について海外渡航禁止の日本からパリに着いた時の眩しいパリ、貧しい日本それから21cmしかない脚のオーダー靴からユダヤ、イスラエルの話題。無知な自分が仏教以外1年間宗教に関わる書籍、原典を学んだこと。旧ソ連赤の広場にあるデパートの陳列品と価格の驚くべき変化、ウクライナ、そして両国の戦争夫イヴ・シャンピと撮ったゾルゲの映画の顛末とフルシチョフ専用機でソ連中を巡った話日本に未だ2台しかなかった英国車を買った若い日の話、遂に免許返納した後の池袋の運転誤操作母子殺人の87歳について今ウクライナに寄付しても武器になることへの懸念10歳若ければウクライナに行きたい、など自伝の印象からは気風のよい、シャキシャキした女性が浮かぶけれど、実際の岸さんはおっとりとした山手マダムだった。ゴージャスでジャーナリストというよりはやはり往年の女優さん。頗るイキが良くて頭が良くて好奇心旺盛な。昨日の8/11で何と90歳真紅のロングドレスがとてもお似合いの↓これが近々のエッセイ「高齢者の自覚」の掲載された岩波書店冊子「図書」会場では岩波さんが在庫を配布
2022.08.12
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2022/07/17/日曜日/とにかく暑い太郎さんがどんな環境で生まれ育ったか。両親はどんなひとであったか。当時の日本でこんな稀有な家族はちと見当たらぬ。ピカソやダリなんかより随分若かった。パリでは半分揶揄か畏敬ゆえかアンファンテリブルと評された。フランス語を話すときの理知的な部分が支柱になっている。縄文文化に日本のオリジナルな芸術生命の躍動を見出した功績はもっと日本文化の中で脚光を浴びるべきだ。その作法はパリ大学民族研究所のマルセル・モース博士に学んだ。絵を忘れるくらい打ち込んだのだ。モース博士は、かのレヴィ・ストロースに大きな影響を与えた。永遠のモダン清潔感生命の横溢、太郎のアートたまたま小松美羽展 岡本太郎に挑むー霊性とマンダラが公開されてた。プロデュースした高野山高祖院住職 飛鷹全法さんとやら。若干怪しみ。かの竹中平蔵氏との対談ですと⁉︎才能はともかく 春秋に富む若さ。怪しきと交わらず、もたれかからず サイの角の如く歩んでほしいなあ。岡本太郎のように本物と出会う目もあろうよ彼女は高野山や伊勢神宮 出雲大社など探索しながら過剰な紋様を埋め尽くすアートを繰り広げていた。その目に尻尾の無いことを祈る←『名探偵と海の悪魔』でもマンダラ、ということなら 太郎の太陽だねー大日如来顕現の赤方便無し ストレートに個人と結びつくこれは ならば太郎の月か平和を希求する祈り の柔らかさその背面の強い意志展示の中で最も惹かれた作品
2022.08.07
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2022/06/10/金曜日/薄曇り小さな会場なのに、音と時間が五感に感じられ何やら遠い宇宙まで意識が運ばれるような、服部セイコーのモノ作りヴィジョン展覧会殆ど崇高ですらある機械私は、この白樺ケースメントの時計が素晴らしいと感じ、後日デパートで確認すると軽く百万円を超えるのでしたー右下、和光ビル内だけで購入出来る和光セイコーオリジナルも美しい。こちら白樺の半額。
2022.06.17
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2022/05/22/日曜日/すごく暑い日今年は小田原フラワーガーデンへ初めて出かけてみた。11時頃の到着、駐車場待ちが10分ほど。割と回転が早い。ガーデンはこじんまりとしているけれど、起伏やバラのトンネル、遊べる噴水など工夫があり楽しく過ごせる。キッチンカーも4.5店舗あり木陰で軽食が、バラの香りに包まれ摂れるのが嬉しい。この日の暑さで美しいシーズンは終わりかな?子連れ犬連れの人が多く子どもとバラ、犬とバラの撮影も。
2022.05.29
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2022/05/22/日曜日/晴画像がちょっと分かり辛いのは、ケースのガラスが反射しているためか。あー、ここまで来たのだからお願いしてガラス扉を開けて貰えばよかった!小田原城内高校の先生が執筆された神奈川古社縁起の本を読んで、小田原から箱根に向かう道すがら訪ねてみたのだった。迷いながら移動している中で、たまたま農作業中の方に公民館の場所を尋ねると日曜日は閉館、もしくはほとんど閉まっているらしいことを教えて頂く。みなさまのの好意のリレーで、結局拝観させて頂き心から感謝申しげます。像は平安時代末期、当地の仏師により製作されたものという。平安時代のおっとりしたお顔が好もし。8畳ほどの畳のお部屋のほぼ中央におられて右に脇仏が座すこの部屋では地元の方の念仏講が定期的に持たれているとか。そのためか、後世塗装の剥がれが多少お顔を汚しているけれどもそれすらしっかり馴染む、柔和さがある。いかにも衆生と共におられるような。阿弥陀様というよりはもっと現世的な、おらが仏さま。この地は京と相武州を結ぶ街道で神奈川では最も速く開けたため、県下平安時代末期の仏像の多くがこの辺りにあるそうだ。それらの仏像と併せて、この阿弥陀仏さまは来年11月に馬車道側の県立歴史博物館の展覧会で再会できるかもしれない。だとしたらガラス越しでないお姿を見る機会がある!
2022.05.28
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2022/05/13/金曜日/雨まじりお習字レッスンの後ミッドタウンのサントリー美術館へ大英博物館所蔵の充実したコレクションが観られる。そこに至った英国人コレクターにもスポットライトを当てた試み。通覧して感じるのは、北斎の持つ永遠の新しさということ。北斎の水、墨や藍の配置、グラデーションのイキイキした感じ、躍動感が見るものに流れ込んでくる。画布と画家の往復で完結していない広がりはどこから来るのか。↑神奈川沖浪裏と上の作品のみ撮影可能。北斎が尾形光琳の模写もしていたという「梅樹図」たまたま先だって、別のギャラリーで光琳の梅の絵を見たところだった↓これはまた、何ともアクロバットな枝振りだけれど、書に通じる空間の面白さ。これに比すれば北斎やや真面目なスタディ作品だったかも。富嶽三十六景、版画の面上下のベロ藍、確かに頻出。このシリーズやっぱりいいなぁ。他に「諸国名橋奇覧」なんぞは初めて見たかも。精選された肉筆画、殊に「白拍子図」←北斎館所蔵「流水に鴨図」←大英博物館所蔵「鯉亀図」←埼玉県立歴史と民族の博物館所蔵とても一日では回れない各地に散らばった作品をいちどきに見られる有り難さ。
2022.05.18
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2022/05/02/月曜日/さわやか五月3度目訪問で知った外壁に記された孫文の四字には、大財閥となった岩崎一族のノブレスオブリージュが滲む。いつもながら広開土王碑文の実物大を呆気に取られながら眺める。今回はシルクロードの旅と題して、さすがのコレクションを披露している。窓から緑陰、時折鳥の囀り、美味しいお茶若しくはコーヒー偶にビスコッティを頂き、日がなこれら資料に目を通し3つのシルクロードに点在する街や人、文化暮らし風土自然宗教言語など研究する。そんな生き方もあるのだなぁ。シルクロードの東の果てが日本というのはちょっと身贔屓のようにも思うけれど。東海の小島に正倉院ありて。それは大陸の政変を逃れた旧主の携えた種々かも知れず。ソグド人、ソグド語、ネストリウス派、秦氏。とうとうたらりたらりら。あらとうと。本は旅である。旅は本である。
2022.05.06
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2022/04/30/土曜日/気持ちの良いお天気諏訪湖沿いにあるうなぎ屋さん目指す。開店より30分早く着く。一番乗りは燕尾服の小さな紳士。徒歩7分の所に島木赤彦の家があるという。中を見学するには委員会に事前予約が必要であるらしい。もう少し時間があれば縁の場所や歌碑も巡れたろうけれど。門は見当たらない。道路に面して倉があり、門に該当する立派な松の木を潜り母屋へ向かう。藁葺き、漆喰、木建具の家の単純な造形の美しさ。家の裏側の雨戸は戸袋無し、私としてはこの納まりを愛す。桟を外壁に付けるに当たり真壁構造なので釘打ちも自在。木部の濃茶色は保存後の手が入ったためだろうか。当初は柿渋など塗ったのだろうか。井戸の横にお社、美味しいお水、目の前には光る湖面
2022.05.03
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2022/04/26/火曜日/蒸し暑い日田端駅の南口で降りたのが間違い。3分で着くところを15分迷い歩く。が、開館が10時なのでほぼぴったりに着く。南と北の高度差がかなりある。面白い土地風景。メインは室生犀星と芥川龍之介の交友と文学について。二人が親友だったと知りなんとも驚く。金沢で犀星記念館を訪れた時にはその関係への言及は無かったような。お互いの子どもを気遣う手紙のやり取り、二人を比較した展示など文士に親しみの湧くような工夫が凝らされている。木登りする龍之介!などビデオ資料も独自に編集されていて興味深い。画像を見て龍之介の自殺に関しての漠然とした捉え方が少し変わった。その知らせに衝撃を受けた高校生だった当時の太宰治の日記や、戦後津軽にいた太宰を芥川比呂志が訪ね「新ハムレット」上演許可を求めた逸話はマンガメディアで紹介している。これも配布されている。北区では芥川龍之介記念館が開館されるらしく、多角的に龍之介の人と作品が理解されるようになりそうでとても楽しみだ。荒川区や北区では文化歴史資産を積極的に収集公開しようとする動きが感じられ頼もしい。午前一杯ゆっくり楽しめる。入館料は無料。私自身は中学生の頃よく読んだ室生犀星との詩の再会再び、が印象に残る。娘の朝子さんが書かれたものなども読んでみたい。合わせて荒川散歩も。
2022.04.26
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2022/03/30/水曜日/ほどほど温かい根津美術館に出かけた後、すぐ側にある岡本太郎の旧居アトリエ、現在記念館、を訪問する。太郎のエネルギーが精神にヴァイタミン作用する今は「赤と黒」のテーマ展示左、「雷人」は遺作で未完のため、太郎のサインはない。そのキャプションと太郎の老いと死に対する考えのボードはショップにある。赤あっての黒、黒あっての赤。俺の中の悪が俺を生き延びさせてくれた、とは鶴見俊輔。関川夏央の対談で飛び出した言葉なんかが蘇る黒。そして狭い庭のどこまでも豊穣な白と緑に蘇生させられる。座ることを拒否する目玉の赤い椅子は、コムデギャルソンのplay!だと気づく。あれはハートではなくお尻、hipのシャレなんだな。
2022.04.03
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2022/03/21/日曜日/たまに雨降り用向きで小田原に出る。お昼をいただき街を歩く。海に向かう道すがら粋な黒塀で思わず道を折れると直ぐに公開中の案内があった。週末土日に公開してるらしい。松本剛吉邸のお茶室、とある。どんな方かとググってみると明治の元勲・山縣有朋と親交の深かった明治・大正期に活躍した政治家とある。建物は、大正12年(1923年)頃に建築されたもので、平成28年(2016年)小田原の歴史的風致形成建造物に指定。主屋はこの日たまたま上映会とかで見学は出来ず。別棟のお茶室「雨香亭」を拝見。え!と驚く。中に入れます。案内人の方がいないのに?しずしず入り、長居もいかがなものかとそそくさ出てしまう。説明書など有れば有難いのだけど。玄関が大変凝っている。シークエンスを遊ばせながら左奥に水屋。沓脱2ステップで右手に四畳半方形茶室。3ステップで左に八畳、外からは欄干、内からは掃き出し窓の、実に開放的なお茶室。玄関床は細い竹と板をノミか手斧かで刻みを入れて竹の枝が伸びたような意匠。これはほんと歌舞いておりまする、遊んでおりまする。↓右手茶室↓左手茶室待合は敷地奥、一番高い築山にあり。客は木立に蹲るような古屋の茶堂へと赴く。侘びてさびた贅沢な、それでいて待合からの上下の視点の動きが秘密基地めいた企みもあり面白い。
2022.03.27
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2022/03/19/土曜日/ときどき雨の降る先日金沢文庫の展覧会に出かけ、本日は小田原三の丸ホールで展覧会に因む講演会を聞きに遥々やって来た。そもそもの始まりは3年前の江之浦測候所訪問であり、私にとっても少しは長い旅の帰着といえる。そして講演の後数日にして江之浦測候所には春日大社の分祀が鎮まり、杉本氏は自伝が上梓の運び。全て滞りがない。氏の言うように東国から鹿島立ちされた神々の望むところに遣わされた、ということだろうか。故に段上に並ぶ面々も迫力だ。春日大社宮司は藤原道長次男の末裔、花山院カサンノイン33代。大らかなたっぷりしたユーモアを含む身体を見れば、血統に胡散臭いものもあるかのご一族より由緒を覚えるわいな。藤原家の末代に藤原の姓は無いとか当主以外は出家し、先祖縁戚の99%は仏教徒であるとか。一方、春日大社といえば興福寺。その事務老院、多川氏。この役職は氏の創意と言い、大抵の質問には分からないと即答。何とも仏教できず固まりの哲学者のようでもあった。神仏分離令の野蛮を腹に据えかねる氏は、100年単位で感情を持久させる。いや天平奈良の修復される姿の中核の思想を思えば千年単位の御仁とも。唯識論研究の著作も多数あるようで関心が向く。展示物の紹介をしながら、神仏習合、日本の地理自然が育んだ日本的霊性を大いに感じ取った時間だった。時に笑いをまじえ、求道者にして数奇者たちのたっぷり豊かに遊び戯れをこの後千年、海に山に向かいて奉る。そんな発意の言の葉代、そんな印象をもった。
2022.03.22
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2022/03/12/土曜日/啓蟄の候、晴杉本博司という人については、3年近く前「江の浦測候所」を訪ねて初めて知った。その時同行した30年ほどアメリカで暮らす知人は、アメリカではタイムズが特集を組むくらい著名な人だという。石組や石の使い方はよく練られた印象を受けた。建物に関しては彼の意図を汲むよい建築家が日本には沢山いると感じた。元々写真家としてスタートしたとのことだけど、私自身写真に余り関心が無いこともあり、展示されていた氏の作品はあまりピンとこない。さてその杉本氏。知人曰く、彼は古美術でニューヨークで財を成した人ではないかと言っていたが、さにあらん。金沢文庫で、そんな氏の長年の古美術収集のインスピレーションがまとまりを持って展示、表現されている。それだけではなく、春日大社や興福寺その他国宝級も。心惹かれたのは前田青邨から白州正子を経て氏の元に至った十一面観音像のなんとも穏やかにまろびたお顔。能楽完成前の南北朝時代と見られる児屋根命と銘のある古面の呪術帯びた姿などただ全体に照明が意図してだろうが暗すぎる。もう少し明度を上げてほしい。ここから称名寺に出るトンネルは何となくミホミュージアムを思い出させた。
2022.03.19
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2022/02/25/金曜日/空が青く晴れ渡った日牛込柳町駅から草間彌生美術館(休館中)の手前を折れて直ぐ。小さな記念公園隣接、見晴らしのよい所にあります。漱石自邸の内の書斎が原寸大で再現されている。神奈川の近代文学館の資料から丁寧に読み取り再現してみせた力作。ぐるりとサンルームのような回廊が周り、芭蕉を植えてあるのが洋行帰りらしい。また漢籍という教養を持ち得た最後の時代の教養人の趣も濃厚で実にインターナショナル?グローバル?な精神的砦としての書斎。漱石の手紙ハガキ便りは電話くらいの感覚で一日に何度もしたためだと聞く。その中からいくつか公開されていたが残念なことに撮影禁止。記憶に残るのは鏡子夫人にロンドンから送った一筆。神経衰弱でよほど弱っていたのかと思える内容。人情なんぞが理解できない自分でさえお前が恋しくてたまらぬ、何とも奇特なことではないかと存外素直に、また作家らしく第三者的に自らを観察した文面を夫人に届けている。初耳だったのが、漱石は建築家になりたいと考えたくらい美術に通じており、装丁にもかなり気を使っていた事や山房の木曜会では水彩画の会なども持たれた事など。書斎には漱石の手による禅画の複製もある。あれだけの手紙を書き、連載小説やら俳句の会やら木曜会やら書やら絵やら、よくもまあ時間があったもの。隣接公園に飼い犬の墓の塔がある。漱石は、子どもらは子犬の間はやたらと構っていたもののすぐに興味を無くしたが、犬の方では生涯愛情を失うことはなかった、という痛切な一文を遺している。漱石の、こういう〈目〉が好きだ。↑漱石のリアルロボットかと思ったらマネキンだった。恐らく玄関はこの辺、という辺りに格子戸。山房を後にして、弦巻バス停まで10余分歩く。上56だったか上野松坂屋に行くバスで30分ばかりて森鴎外記念館側のバス停に行ける。ここのカフェはなかなか良い。本日は時間が押して立ち寄れなかった。森鴎外記念館では写真展写真の中の鴎外、といっても過去に見たものが殆どであってあまり目新しく感じたものは無かった。後添えの妻のことを知人にいささか自慢げに「美術品の妻」を手に入れたというように手紙に書いてあるのを見て、ちょっとげんなりした。この知性と感性で、女性に対しては所詮これか、の印象。これに比べれば漱石は見合い後、鏡子夫人の印象を歯並びを気にせず笑うところがよかった、などと感想を述べて結婚している辺り、人間に向き合っているではないか、と思わされた。悪妻だの、いや漱石はDVだったの喧しいが七人の子を成し猫にも犬にも愛情を注いで添い遂げたのだもの立派なこと。
2022.03.04
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2022/02/25/金曜日/空が青く晴れ渡った日牛込柳町駅から草間彌生美術館(休館中)の手前を折れて直ぐ。小さな記念公園隣接、見晴らしのよい所にあります。漱石自邸の内の書斎が原寸大で再現されている。神奈川の近代文学館の資料から丁寧に読み取り再現してみせた力作。ぐるりとサンルームのような回廊が周り、芭蕉を植えてあるのが洋行帰りらしい。また漢籍という教養を持ち得た最後の時代の教養人の趣も濃厚で実にインターナショナル?グローバル?な精神的砦としての書斎。漱石の手紙ハガキ便りは電話くらいの感覚で一日に何度もしたためだと聞く。その中からいくつか公開されていたが残念なことに撮影禁止。記憶に残るのは鏡子夫人にロンドンから送った一筆。神経衰弱でよほど弱っていたのかと思える内容。人情なんぞが理解できない自分でさえお前が恋しくてたまらぬ、何とも奇特なことではないかと存外素直に、また作家らしく第三者的に自らを観察した文面を夫人に届けている。初耳だったのが、漱石は建築家になりたいと考えたくらい美術に通じており、装丁にもかなり気を使っていた事や山房の木曜会では水彩画の会なども持たれた事など。書斎には漱石の手による禅画の複製もある。あれだけの手紙を書き、連載小説やら俳句の会やら木曜会やら書やら絵やら、よくもまあ時間があったもの。隣接公園に飼い犬の墓の塔がある。漱石は、子どもらは子犬の間はやたらと構っていたもののすぐに興味を無くしたが、犬の方では生涯愛情を失うことはなかった、という痛切な一文を遺している。漱石の、こういう〈目〉が好きだ。↑漱石のリアルロボットかと思ったらマネキンだった。恐らく玄関はこの辺、という辺りに格子戸。山房を後にして、弦巻バス停まで10余分歩く。上56だったか上野松坂屋に行くバスで30分ばかりて森鴎外記念館側のバス停に行ける。ここのカフェはなかなか良い。本日は時間が押して立ち寄れなかった。森鴎外記念館では写真展写真の中の鴎外、といっても過去に見たものが殆どであってあまり目新しく感じたものは無かった。後添えの妻のことを知人にいささか自慢げに「美術品の妻」を手に入れたというように手紙に書いてあるのを見て、ちょっとげんなりした。この知性と感性で、女性に対しては所詮これか、の印象。これに比べれば漱石は見合い後、鏡子夫人の印象を歯並びを気にせず笑うところがよかった、などと感想を述べて結婚している辺り、人間に向き合っているではないか、と思わされた。悪妻だの、いや漱石はDVだったの喧しいが七人の子を成し猫にも犬にも愛情を注いで添い遂げたのだもの立派なこと。
2022.03.03
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2022/02/22/火曜日/晴天地域の歴史資料館がなかなか楽しい。大変充実しているのに見学者が殆どいないのは、勿体ないこと。訪ねる予定の新宿歴史博物館が前日夕刊に大きく紹介してされたので賑わうかもと半分期待の面持ちだったが、有料室はわたしひとりである。駅からは多少不便だけれど、気持ちの良い立地にある。地域の資料では旧橋の欄干展示もよく見かける。江戸は運河の巡る北欧のような風情ある街であった事が偲ばれる。内部の画像OKは3箇所くらい。江戸時代、蔵付き店舗住宅の復元。まあ谷中にはそのものが残って地域資料館になっていますが。パノラマ模型に見る、開かれていく宿場としての新宿。街としてのハーモニー、自然との調和が美しい。なぜこのような人間スケールの暮らしが取り戻せないのか。江戸時代、ようやく町民が人間らしい暮らしを手に入れられた。室町時代までは庶民はまだ土間暮らし、掘立小屋程度だったのだ。金閣銀閣など当に殿上人の世界なのだ。震災も世界大恐慌も乗り越えた束の間の平安な時、まさかこの10年後に東京が焼け野原になるとは思いもせず、こなれた西洋文化と和風の混在の魅力的な小住宅が立ち並ぶ。プランはよく練られてムダがないけれど、キッチンは東北隅で狭小。とはいえお勝手口はお豆腐屋さんや魚売りなど呼び止めたり、ご近所と塩、砂糖やり取りなど便利だったろう。小さい住宅でも厳寒はゆったり構えている。玄関から茶の間が覗けて、ご近所さんと直ぐお茶ができそう。キッチンにガスが来れば手を伸ばせば届きそうな距離感。川越など地方にはまだこんな住宅が沢山散見される。微笑ましくなる住宅。これでお正月も雛祭りも七夕もお盆もお月見もお誕生日会もクリスマスも楽しめる暮らしが整ったのだ。また、漱石山房記念館の木曜会面々の実物はこちらにある。
2022.02.27
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2022/02/19/土曜日/薄曇り寒い日差し↓この外観である。この地はかつて銀行頭取らがお屋敷を構え、銀行通りとも呼ばれた、その通りに面して建つ。第1と第3土曜日のみ見学できる。ようやく足を運ぶ事ができた。この住宅を知って日本ナショナルトラスト会員となったといえる。コロナ禍対策でボランティアの方の説明案内が無い。それでも疑問など尋ねるとあれこれ応えてくださる。大正8年に実業家藤田好三郎によって贅を尽くし建てられた。工事は清水組、今の清水建設。3年弱住んで別宅に移り空き家になったところを、震災に遭い適当な住まいを探していた安田楠雄氏が購入した。そして忘れてはならないのが、娘幸子と楠雄氏がここに越して間もなく岳父善次郎氏は東大に大講堂を寄贈している。生前は名前を出されることを厭ったが、彼の死後誰ともなく大講堂から安田講堂と呼ばれるようになった。大きな沓脱石の玄関を右に進み雁行した左、和洋が美しく調和した洋間。2方面にサンルームなような広縁。暖炉側の出窓ヌックベンチが寛ぎや親密な空気を醸す。↓アイランドスタイルの、天窓からたっぷり光の届くキッチンは殆ど唯一オリジナルに手を加えた所らしい。安田楠雄氏は、安田財閥を築いた善次郎氏の娘婿で幸子夫人はキッチンの中まで戦前は入ることは無かったと思われる。コックさんのいるお屋敷なのだから。とはいえ、お茶の間にはご自分でお茶など立てたらしい水屋が併設してあり襖一つで奥に消える仕組み。お茶の間は浅い平床で、あっさりとしていながら明るくキッチンも廊下一つ隔てた至近の場所。ゆったりした畳廊下を南口に行けば「残月の間」写しがある。↑残月の間西付き廊下から見た庭石。この下に防空壕が掘られている。2階には最も格式の高い客間が二室続きである。風格のある美しい邸宅は、あの関東大震災にもびくともしなかったのに、更に耐震工事も施され多くの見学者を待っています。写真が自由に撮れ有り難い。庭の山野草を販売していた。ユキノシタをひとつ買い、善次郎氏の陰徳ということを考える。世の上に立つほどの財力権力を得たる者、それをどのように用いるか。文化芸術科学のより良い未来に投じて己の名を惜しまず、とした善次郎氏の生き方。人間の命は儚いもの、猛きものもついには滅びぬ。この空の続くとつ国の戦火を憂い。
2022.02.26
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2022/02/19/土曜日/晴れ間もある曇天土曜日の午前、寛永寺は開かれていた。秘仏前立も朧げに拝まれる。上野戦争で銃撃を受けた黒門は三ノ輪の円通寺に保管公開されている。ここに置かれるに至った歴史も哀しい。思えば吉村昭の『彰義隊』を読んでから会津を訪い、彼の記念館を訪れたり川越の喜多院にも出かけ、上野戦争関連資料を読んだりしてこの一年半ばかりが過ぎたようなものだ。漸くこの寛永寺根本中堂に来た。鶯谷駅の北口が近いと思いきや、日暮里のようには台地側へ登れず迂回して長い階段を経て言問通りからアクセスした。国立博物館前の噴水の池、あそこら辺りにかつて寛永寺本堂があり動物園、不忍池を含む広大な森の中にどれだけの塔やお堂、寺院が林立していたことだろう。ついこの前の御一新の頃のことなのだ。お堂前のステンレス展示ボードの説明では「彰義隊の兵火で1868年消失した」とある。こういう忖度はどうしたもんだろう。間違いなく圧倒的兵力を持った薩摩藩との上野戦争によるものだ。パンフレットや有料資料(300円)には上野戦争と表記されている。寛永寺を出て言問通りの向こうに、平櫛田中が97歳まで居住した屋敷を訪ねる。公開されていないし、高い門扉も閉ざされてよく見えない。広くないアプローチだが、左二階屋が雁行したデザインで、来訪を広げた翼のように迎える雰囲気。芸大の方は取って返すと、市田邸。これも一般公開はない様子。その先へ行くと護国院。山門入って右手にすばらしお顔の大黒天さまが。こちらも東叡山所縁の道場寺だったという。小さくとも美しい建築。東叡山を開山した天海大僧正は会津に生まれ、川上喜多院の名僧豪海の門に入ったという上野に連なる縁の深い高僧。戦国時代に生まれ、信長焼き討ちの比叡山を復興させ、江戸には将軍と庶民の憩いの名所を作り上げ、活字による経典出版事業も初めて行なった。その寿命108歳。長寿秘訣のこんな歌を残した。気は長く つとめはかたく 色うすく 食ほそうして 心ひろかれ長命は粗食 正直 日湯 陀羅尼おりおり御下風あそばさるべし
2022.02.23
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2022/02/18/金曜日/光の春めいた晴天書道教室をお昼前に出てその足で乃木坂の新美術館へ。金曜日日中は予約無しでも入り易いと期待して、ぐるっとパス利用の百円引きで30分ほど待ち入館。これほどの作品が国外にまとめて出ることはメトロポリタン美術館が自然光取り入れ鑑賞のため改装中の今ならではかも。Ⅰ フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピなどイタリアの至宝。この豊かな静けさⅡクラナーハのパリスの審判。ホメロス『イーリアス』の世界が広がるが、パリスの魅力があまりにも欠けている。クラナーハって時々何処かに粗雑なところがあるのでは。そしてカラヴァッジョ。この絵は彼の作品中それほど魅力的を感じられない。それでも才能は頭一つ同時代を飛び抜けているのと感じる。この区分ではフェルメール「信仰の寓意」。随分前にニューヨークMETで観て以来二度目。フェルメールの作品にあって少し違和感を覚える作品。直線と円球、陰と陽、固いものと柔らかいもの、生と死、カトリックとプロテスタント。全て一なるものから生じた。信仰の寓意というより信仰は寓意、なのか。それにしてもこの女性の球体に剥き出した目!パンフレットにはターナーのヴェネツィアとグアルディのヴェネツィアが並んでいるが、会場ではⅡとⅢの室に別れていて比較が難しい。しかし風景画を通して明らかに意識の跳躍がある。二人の画家の間には70年の歳月が横たわる。その間、産業革命、東インド会社設立など欧州、特に英国を中心に世界が沸騰した。江戸には幕府顧問オランダ人三浦按針が日本橋辺りに住んで江戸都市開発を担ったのだった。Ⅱの、女性画家の描く「マリー・ドニーズ・ヴィレール」の軽やかさよ。光あふるる。Ⅲ オノレ・ドーミエ「三等客車」フランス革命以降に。ゴッホの初期作品にも似て。同時期のマネの描く少年。彼の階級とその寂しさの宿る表情にもまた時代の寄せ来る波を見出す。ゴッホ「花咲く果樹園」、束の間の健康な安らぎ。誰もが大好き、美術館ショップでファット・ウィッチーズのチョコ発見!大好きなブラウニーはやっぱりニューヨークじゃないと買えないのかな?と聞くと、スタッフさんが私はまだ食べてないけど美味しいんですってね、そこにお店のパンフレットありますよ、と仰る。なんとなんと!代官山にお店があるですと!凄いですね〜ニッポン。京都にも!だいぶ前このお店を訪ねた時は、確かチェルシー地区のショップモールの片隅の小さな小さなお店だった筈、へーへーへーである。つい先日代官山に行ったのに最近は和菓子屋さんしかチェックしてなくて見落としてしまったぞい。
2022.02.21
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2022/02/16/火曜日/日陰は未だ寒い晴恵比寿秋から西郷山公園に向かい10分ほども歩いた所に元豪農で政治家としても活躍した朝倉家の旧居が公開されている。立派なお屋敷とお庭で、ロケーションは申し分ないけれど、住みたい意欲が湧かないのは何故か。この住宅の利用意図が商工会議や政治に用いられた事にもよるのだろうか。功上げ名を成した、ややもすると権威的な雰囲気が私の好みとは異なる。建具が唯一女性的で華やかに美しい。保存状態よく見学できる。唯一好ましく感じた平床、変わり地袋の、あっさりした数奇屋風の部屋。庭の形状は林芙美子邸とよく似た崖線の、水捌け陽当たりの良い雰囲気。再び訪ねるなら、私は林芙美子邸。
2022.02.20
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2022/02/15/火曜日/曇りから晴へ映像フェスティバル中なのに、がら空きなのだ。初めて訪れた美術館。アプローチはえ、ここ日本?みたいな印象。色彩と配分が品が良い。何となく小淵沢リゾナーレなんかを思い出す。美術館として中身と器の一致感高い。ぐるっとパス消化モードだったが、俄然意欲湧く。入館時、本日現在第14回恵比寿映像祭中であり入館料発生する事を知る。受付の方がすかさず、地下と2階は無料です、のフォローをしてくれて、そちらだけを訪問した。二つの展示で釘付けとなる。佐藤朋子「オバケ東京のためのインデックス序章」なるほどなあー岡本太郎のエコーはまだまだ強烈。レクチャーパフォーマンスっていうのか、ゴジラによるジグゾーパズルの都心破壊、アイディア光る。ひらのりょう「ガスー」いやいや、これ凄いでしょ。生首に心肺消化器官、大腸ぶら下げた女の妖怪、ひゃーかわいい、こわい、こわい、かわいいー、アニメーション、音楽、才能の塊かと。結局2時間も滞在で、無料ですみません!
2022.02.19
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2022/02/08/火曜日/午後には良い天気書道の先生から招待状を頂くも、期限がこの17日であり強行で出かける。こじんまりとして好きな美術館。年に1.2度は出かけているだろうか。羊のズンが特に好きでショップでハガキを一枚は買う。↓今回求めたもの着物の技法の微に入り際に穿った手仕事を凝視していると、日頃の睡眠不足のためか、意識が朦朧としてよろめきそうになる。これは殆ど曼荼羅である。意識の飛翔体験。そもそもホール。ここで石仏に引き込まれていたのだった。私の好きな十一面観音様の、十一面は損なわれているも、尚神々しいこの面にすっかり参っていたのだ。花の無い枯れた庭で殊更石仏の存在が光る場所で冷気に辺り呼吸を深くして帰途につく。
2022.02.14
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本日は思ったより細雪、稍重の。永青文庫に出かけた先週は春模様2022/02/02/水曜日/春を感じるお日和早稲田駅下車、神田川を椿山荘の塀を見ながら遡り、急な坂をよろめき登る。坂の鼻突き右手は松尾芭蕉がかつて水番屋暮らしをしていた場所で、左手には水神社。古来水と神社は分かち難い。吉野の水分神社など。と、思う間も無く左に永青文庫。質素な建物だ。本来は細川家の家政事務を預かる所だったが、骨董美術、特に古代中国の種々を愛する細川護立がここに住まいやがてそのコレクションを披露したという。残念ながら国宝細川ミラーは前期の公開から入れ替えられていた。鶴岡真弓さんが垂涎しそうな渦巻である。今は別の国法、金彩鳥獣雲文銅盤が展示されていた。因みに所蔵国宝8点は三菱の静嘉堂文庫美術館より一点多い。さすがというべきか。三菱とでは歴史が違うというべきか。織田信長書状や宮本武蔵の水墨画もある。文庫の名が付くことから想像できるように展示スペースは小さい。その、疲労感を覚えない大きさがよい。更に良いのが庭園がオープンされていること、誰でも立ち寄れる。庭の作りは武家らしくあっさりとしているが、老若男女それぞれに寛いで気持ちがよい。高田馬場に出るか、都電、バスで行くか。今回も結局高田馬場駅を目指す。途中、甘泉園公園を抜けて行くと紅梅が盛り、薔薇のような椿。水稲荷神社の裏手に抜け出るとヤギさんお出迎え。
2022.02.10
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2022/02/08/火曜日/朝の内曇り館内は左右二つの展示からなる。ロッカーにコートなどしまい、近い展示室2から入る。こちらの主題は「懐石膳」入り口展示の茶碗を撮影しようとしていたら、館内の方が駆けつけ注意を受ける。撮影禁止は見つけられなかったが、岡のドア付近に掲示されてました。出品リストにシャープペンでメモ書きしていると、注意を受ける。いわゆる普通の鉛筆以外は禁止とか。鉛筆とボードを親切にも貸して頂く。(80)源内焼、三彩六角皿。平賀源内が指導した窯が讃岐にあった。緑と金茶と小豆色のハーモニー(82)頼山陽文字入盃、龍文堂安平は青木木米の親友だとか。(90)萩結文向付、十代三輪休雪、力強か美しい。懐石膳の命名、朝鮮唐津の呼び名と特徴展示室1 入り口に伝運慶、愛染明王坐像。武野紹鴎、小堀遠州、千利休、豊臣秀吉などなど。展示室に、敷地内の現在非公開の3茶室の床を模して、掛け軸や陶器で室礼を見せている。(13)(14)井戸茶碗(21)鼠志野茶碗(23)祥瑞胴〆茶碗のコバルトブルー。呉須(38)三島白花文(43)黄瀬戸盃の、ほんのり浮かぶ緑色(60)武野紹鴎作、茶匙をくるんだ細手更紗が素晴らしい。あと手鑑という名の裂地サンプル。お大尽さんにはたっぷりと時間があってあちこちから使用した珍奇な布地の残りが集まったんだなぁ。布地の美しさばかりでなく交流の広さも見てとれる。画像で確認できないのが残念、ただお庭も広いし、素朴な石佛が沢山あった半日は楽しめますが、食事やお茶の頂ける場所がない。↑二子玉川駅に最寄りの出口は入ることはできない。Googleではここからもアクセス可能なようになってるけれど。↑お持ち帰りのお土産
2022.02.09
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2022/02/01/火曜日/穏やかな晴庭園美術館、旧朝香宮邸へ来るのは25年以上前の開館近い頃以来。新館が増設されていた。スキャパレリからアントワープ派、日本の着物も。ワビサビの真っ向からの雄叫びが聞こえる、人毛三つ編みドレスとか、ダリのオブジェいくつか。中でも「燃える女」。奇想のモードの流れにによく合う。ひょっとして映画「燃ゆる女の肖像」はこれにインスパイアされたのかも?玄関ホールモザイク、ホール斜め階段下の不思議なスペースの鉄のデザインフレームなど、ゼセッションインテリアの撮影不可が残念この扉が開かれれば素晴らしいオブジェが待っている。↓新館への通路、ガラスの模様に屈折する太陽光のあぶくを抜けて向こうへ↓日本的フェティシズム炸裂コーナー日本的技術、光る絹糸ドレスの浮遊↓案内から、矢張り朝香宮邸の美しさ宮さま方は和装で寛がれている様子の写真を見たけれど和室はない!徹底してると思っていたら敷地内に純和建築がある模様。やはり。
2022.02.08
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2022/01/28/金曜日/歩けばそこそこ温かい日未来へつなぐ陶芸 伝統工芸のチカラ展新橋駅から旧新橋停車場広場裏の便利な場所にこんな美術館があったんだなあ。カフェが無いのが残念。土、釉薬、灰、焼成温度、色、形、テクスチャー、文様、造形、手の働き。110余点の存在感板谷波山の1914〜1919年作品を例外に、後は殆ど1950年代から2021年の作品まで満遍なく収集展示されてきる。撮影ができず画像がないので、リストと焼き物の姿を具に思い出すのが難しい。目録は買わないことにしている。出品リストに合わせて鉛筆を用意して下さっているのはたいへんありがたい。清水卯一★田村耕一島岡達三市野元和寺本守市野雅彦徳田八十吉伊勢崎創★の作品は好みで、特に★有りは印象的だった。これら作陶家の焼き物を見る機会を捉え、自分の焼き物における好みを見極めたいもの。
2022.02.02
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