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英語 日本正式に日本国。東アジアに位置し太平洋、日本海、中国、北朝鮮、韓国とロシア、オホーツク海、北は東シナ海と台湾に囲まれる島国で、日出づる国を意味する。日本は 6852の島々からなり、最大の島である本州、北海道、九州及び四国で日本の陸地面積の97パーセントを占める。日本は世界第10位の人口を占め1億27百万人以上いる。其の中でも首都の東京と周囲の県で、3000万人以上の人口を有する。考古学の研究では、後期旧石器時代のから日本に人が住んでいたことが分かっている。中国の歴史書によると紀元1世紀に初めて、日本のことが記述されている。19世紀末から20世紀初頭、日清戦争、日露戦争や第一次世界大戦はでは勝利し、日本は軍国国家となり、帝国を拡大していった。1941年に、広島と長崎への原爆投下がなされ、1945年に第二次世界大戦は、終焉を迎えた。経済大国である日本は世界で第3位の経済大国にして名目GDPと第四位の経済大国で購買力平価がある。また、世界で第4位の輸出国と第4位の輸入国でもある。日本は正式に、戦争を宣言する権利を放棄したが、実際には、6番目に大きい軍事予算で自己防衛と平和維持の役割のために軍事力を維持している。日本は世界で最も低い殺人率(未遂殺人を含む)である。日本の厚生労働省によると、日本の女性は世界で二番目に平均寿命高い。国連によると、世界で乳児死亡率が3番目に低い。インテリジェントの高いドイツ日本はアジア大陸の東沖に位置する。面積の面で最大の第四つの島からなる国家は、世界で最も人口の多い国のひとつだ。1947年以来、立憲君主国である憲法ので天皇が国家元首としての君主している。日本の事実上の首都で最大の都市が東京だ。日本は高度に発達している工業国であり、そして長年にわたって背後に世界第2位の経済大国であった。1952年以来アメリカと軍事同盟を結んでいる。独立国家の形成は、5世紀から中華帝国の文化的影響から成り立ち、6世紀以来 日本は、19世紀以来、西洋と直接接触していき、獲得した植民地で大国としてその後、2つの世界大戦に参加していった。中国での積極的な拡大は太平洋戦争と枢軸国の敗北につながった。植民地や占領国としての日本の過去はいまだに隣国と弁済を負担している。 スペイン日本国家、文字通りの意味:太陽の起源の国東アジアの太平洋海と日本海、中国、ロシアと朝鮮半島の間に位置し、日本の主要な島は本州、北海道、九州、四国で総面積の形97%を占め、その他6848の小さな島から成る人口 2700万人、世界で10番目に大きい、東京およびその都道府県周囲のは、人口の点では世界最大の都市圏。日本列島は、旧石器時代から人が住んでいた。中国の歴史書に少しだけ日本の記述が最初に書かれた。日本は、"太陽の昇る国"として知られている、世界最大の経済大国の一つである。国連、G8、G4とAPECのメンバーである。また、輸出国として世界6番目であり、輸入国としては、世界8位である。チェコ 日本は、東アジアにおける覇権的な島国である。西では、北朝鮮韓国とロシアと日本海を隔てる接する。日本列島の琉球の東には、台湾を隔てる東中国海がある。 日本人の名前は文字通り意味である。日本の火山の象徴は富士山だが、その「さん」というのと、人の名前を呼ぶ○○さんは同じ発音である。韓国日本国土は太平洋の日本列島の四つの島から成り、北海道、本州、四国、九州を中心に、その周辺に散在している小さな島々で構成されている。総面積は37万7835平方キロメートルで、これはノルウェーの(スバールバル諸島とヤンマイェンを含む場合)よりも小さく、ドイツよりも大きい。面積順では、世界61位だ。6,852の島からなる群島国家であり、このうち本州、北海道、九州、四国などの4カ所の島が日本の総面積の97%を占めている。その多くの島々の火山活動によって生まれた。日本の人口は約1億2,800万人で、世界で10番目に多い。事実上の首都東京を取り巻く(神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県、栃木県、群馬県)を含む首都圏は、世界で最も大きなメトロポリス形で、この地域には約4,000万人が居住してている。現在の日本は、1945年 ポツダム宣言に署名した後、1947年に制定•施行された日本国憲法によって法的に成立した国家である。日本国憲法が制定され、日本は立憲君主制を採用しており、象徴的な国家元首の役割をする日本の天皇と国民の選挙によって選出される参議院 • 衆議院で構成される国会が共存している。現在の天皇は明仁天皇、国会の与党は民主党であり、首相は野田佳彦だ。経済力は2010年、現在の名目、購買力平価ベースで世界で三番目に大きい。また、世界で四番目に輸出が多く、 五番目に輸入が多い国だ。1991年、ソビエト連邦の崩壊以降、2010年中華人 民共和国に席を譲るまで20年間、世界で2番目に国内総生産が高かった。1993年当時は、ルクセンブルクに次いで1人当たり名目国内総生産も世界2位を記録したが、バブル崩壊以降、徐々に下落にいて、現在は20位にとどまっている。日本は代表的先進国として認められており、人間開発指数は、2011年基準で世界12位でアジアで最も高い。日本はまた、アジア諸国の中では、ロシアを除いてG8に入る唯一の国であり、国際連合安全保障理事会の非常任理事国の地位を保有している。日本は憲法によって軍隊と交戦権のをあきらめたが、国土の防衛と平和、秩序維持のために作られた自衛隊は、現代的で強力な軍事力を維持している。国際連合と世界保健機関によると、日本は乳児死亡率が世界で三番目に低く、世界で最も高い平均寿命を記録している。大卒者初任給は2010年現在約235万円で、G8諸国の中では最も低く、イタリアとほぼ同じ水準だ。中国日本は、アジア東部の北海道、本州、四国、九州の 4の大きな島と以上の6000の島々を領土とする。日本の民話によると、2月11日、660に紀元前国家としての成立したとされる。単語"日本"の意味は"朝陽ライジング"である。今日まで日本政府は、まだ日本語の単語の標準的な発音を提供していないため、「にほん」「ほっぽん」と2つの読み方がる。日本は世界で先進7カ国のグループに属し、これまでアジア唯一の加盟国で、、また、世界第二位の工業国と第三位の経済大国である。日本は長い間君主制、立憲君主制の国であった。第二次世界大戦後、日本国憲法は公布され、司法、行政、立法の権限の分離、。日本国民と国家の君主天皇の象徴としての立憲主義をとり、日本の国家理念、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、とした。120万人以上の日本の人口は、10以上あり、多首都圏の首都都市東京と周囲の最大の、3000万人以上の人口が居住している。フィリピン日本人は東アジアにあり、島々で構成され、最大4島が本州、九州、四国、そして北海道である。エレクトロニクス技術を駆使したを日本は最も裕福な国の一つ。その首都東京は最も大きい都市でワールドワイドである。日本は 3000の島々から構成されている。最高峰富士山を含め、ほとんどが火山である。1.28億人々との、東京をはじめとする周囲の県を含む首都圏では、3000万人が住んでいる最大メトロポリタン領域です。いくつかの研究ではpaleolitiko中に日本列島に住んでいた人々があることが述べられている。日本は世界で二番目の規模である経済(名目GDPによるで)、6番目に大きい雇用があり、と輸入がある。国連、G8、及びAPECのメンバーである。ロシア語クエリ«日本»は、 東アジアの島国。に位置し、太平洋の東に中国、北朝鮮と韓国北朝鮮、ロシアは、日本海、オホーツク海を隔てて接し、台湾とは東シナ海と接する。日本は6852の島列島から成る。その最大の島である 本州、北海道、九州及び四国の4列島の総面積の97%を占めています。ほとんどの島は山岳、多くの火山で、日本の最高点-火山富士山である。127百万人以上の人口を持つ、日本は世界で10番目に大きい。日本の首都東京を含む、東京およびいくつかの周囲の県、3,000万人の人口を持つ世界最大の都市集積地域である。日本は経済力は、第三最大の名目で、世界の国内総生産(GDP)と第三位。第四位の輸出国と第六最大の輸入国である。日本は、先進国であり、リビングの標準(人間開発指数)は非常に高い。2009年世界一の寿命で、82.12歳であった。また、最低の乳児死亡率を誇る。日本は中国•メンバー間でG8や、APEC、及び国連安全保障理事会で非常任理事国に選出されている。日本は戦争の権利を放棄を表明しているが、実際は大規模で近代的な自己防衛と平和維持のための軍隊を持っている。反面、日本は世界で核兵器を使用された唯一の国である。
2012.10.31
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インドネシアからフェリーで1夜。朝には、バックパックを背負った人間がフェリーから吐き出された。みんな椅子があるのに、床で寝ていたなあ。スマトラは結構、朝が寒くて、だったのだが、朝から暑い暑い。汗ダラダラかいた。そして、冷たいもの飲みすぎて腹壊した。ペナンで泊まった安宿 大安旅社 大安旅社は当時格段に安かった、ように思うのだが、部屋に蛇口があったのが、格段に良かった思い出がある、部屋で歯が磨けるし、顔が洗えるんだ。旅社の前は賑やかとなる ジョージタウンって2008年に世界遺産に登録されたんだねえ。チンスポもあるねえ。蛇寺 蛇がいたこと覚えてない。ペナンといえば、当時、1980年代の話だが、アヘン窟だ。本当にあったのか。アヘン窟では、じじいがつくという。口元までジジイがキセルを持ってきてもらう。おしっこも、朦朧としたままジジがついて来てくれて、おしっこの残りを振り絞ってくれるという。最後は、ニコニコされながら白昼追い出されて3日はたっているという。バツフェリンギからテロックバハンに向かう。海はいまいち。極楽寺 バスに乗って行ったことと、亀よーさんおったことしか覚えてない。海岸沿いは夕涼み客相手に屋台が出る朝、昨晩飲み過ぎて、寝過ごしたのだ。何故走ったのか覚えていないが、対岸のマレー半島のバターワースに行くフェリーまで走ったのだ。汗が吹き出る、暗い日の出前だった。何故走ったのか、それは覚えてない。フェリーは無料だった。バターワースからは、料金が2倍らしい。ペナンから国境へマレーシアイミグレとタイイミグレの間にある市場
2012.10.30
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いつも大学のOB回はOB幹部が続出して植物人間になったり、高齢になったり、腰砕けというか腰が悪くなっって歩けなくなったり、うつ病になったりして、参加者激減ということで、急遽応援体勢を依頼され、行くこととなった。とはいえ、陽気な現役学生は、我々が現役の時にはまだこの世に生を受けていないぐらいの人間たちで、なんとも隔世の感があるのだ。 とにかく、飲んでは弾けているものの、いろいろ規制厳しく、多少息苦しそうな感じであった。洞窟潜りは、規制が厳しくなってもう入れなくなっているらしく、山と河がメインらしい。インドネシアジャワの火山にもいってきたそうだ。OBでも1名だけ、60歳超えてフィリピンキューピッドにハマッテイルお方もおられた。就職も職を選ばなければなんぼでもあるのだが、そういう訳にもいかず、卒業2年後のOBも参加していて話を聞くことにしたが、就職先も早々に辞め、現在アルバイトで暮らしながら、公務員を目指しているということだ。 我々バブリーな時代は、公務員になる人間はほとんど聞かれなかったが、今や、不況といわれる時代、就職の高値の花のようである。彼の第一希望は、国鉄清算事業団の後処理(現在は清算事業団は解散して、一般会計に組み入れられている)。HPを見ると、あと20兆円ぐらいの借金のようだ。おまえ、暗いな、そういわれそうなのだが、確かに暗いのだ。まあいいけど。 そういえば、年金も、清算事業団の真似をして、損金を一旦清算したらどうだろう。
2012.10.29
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女性陣は顔がありませんので、特徴はありません。 未来人トルコ人ギリシャ人ニュージーランド人フィリピン人南アフリカ人カナダ人イギリス人(結構、黒人のイギリス人多いからねえ)ベルギー人 ルクセンブルク人オーストラリア人オランダ人フランス人タイ人エチオピア人コロンビア人 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.10.28
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よりによって、ジャワ島スラバヤからのバスが夜中の3時にデンパサールのバスステーションに到着するなんて。確かに朝に着くとは聞いていたのだが。そして、バスはどこに行くのだろうか、私だけを降ろして、更に東へと走り去ってしまった。 深夜、寝静まったバス停で、数件空いていた屋台でコピを飲み、卵を食べた。まだ真っ暗な中、クタビーチ行きのベモに乗った。客が集まるまで出発しないと言うのだが、音楽がガンガンかけられており、バリの暗さをつんざく。おまけに、テープは壊れ何度も同じ箇所で巻き戻され元に戻り30秒しないうちに同じ音楽が流れ、音は割れ、頭がおかしくなりそうなクレイジーなバリの夜明けであった。クタで安宿を探す前に、まっすぐビーチに行き、朝になるまで待っていた。徐々に、波の高い海が鮮明になり、ところどころ、現地の人々が歩き始めた。静かな朝だった。波の音だけがし、何も特に用事のない姉妹とバリの軟派師の男が私の横に座り、たわいのない話をした。頭の上にカゴを乗せた女の人がやって来た。そのカゴの中にはバナナの葉にくるんだ弁当があり1つ¥30のそいつを買った。ゆっくり食べる間、手で食べるというのに、スプーンを貸してくれ、スプーンを返してもらうまで、つまり私が食べ終えるまで、じっと横に座って待っていた。4,5時間座っていただろうか。朝、10時近くになり、私は適当な宿屋にチェックインした。その後、安宿にチェックインしたが、どこの安宿でさえも、朝食がつく。テラスのテーブルには冷え切ったバリコピとバナナが置かれていた。宿の主が寝坊の私を嫌な顔一つせずに何か言葉を発してくれた。2杯目のコーヒーはいつも前の屋台で啜っていた。屋台の裏の雑貨屋の娘は、私が来ると、いつも嬉しそうな笑顔を私に与えてくれた。その雑貨屋ではいつも誰かがたむろしていて、その誰かが、私をどこかへ連れていってくれた。適当にチェックインしたわりには、偶然にも私の安宿の隣は、マジックマシュルームを食べさせてくれるレストランであった。そういう星に生まれたのであろうか。そして、その後、この安宿から抜け出せなくなったのであった。1年後、友達がバリへ行くというので、ビーチにいるかもしれないから、この写真渡してくれと頼んだ。友達は、写真を見ながら、この人たちがいるか写真と照合して、無事渡してくれた。「ああ、インドネシア語話す人ね」と言われたそうだが、20単語程度でそういうもんなんだなあ。初めての、バリだったから、バロンとかレゴンとかケチャとか観光化されているといえど、見に行った。初めてのバリだったからベサキ寺院とかキンタマニーとかにも行ったよ。1ヶ月ほどして、遂に私は動いた。バリ島北部のシンガラジャを目指す。途中ベモが停車したとき、15円でトウモロコシを買って食べる。こういうのが、嬉しいんだ。段々のライステラスを通り抜け、峠を越え、木で出来た橋を渡り、霧を抜けた。濃淡な緑を一貫して通り、窓を開けると深く深呼吸が出来た。北部の町シンガラジャに抜けた。再び海が現れた。 シンガラジャから、更に数キロ西に海岸沿いに走ると、ロビナビーチがある。穏やかな海。火山灰の為、砂は黒っぽく、海に注がれる小川と相性が良く感じた。クタや開発されたばかりのヌサドアからみると静かだった。夕暮れになり、砂浜を歩く村人に宿を尋ね、小奇麗なロスメン(宿)を紹介してもらった。 宿に落ちついてから、することはなくなり、バナナを中心とする森を、夜な夜なヘッドランプをつけて歩いていると、1件の家があり、オヤジが外で何かをしていた。親父は少し驚きながらも珍客を歓迎してくれた。同時に商売熱心でもあり、明日の早朝、是非沖合いの珊瑚礁を見にいかないかと誘われた。何となく、OKと言った。 朝の水温は静かで張っていた。細いバンカで数百メートル沖合いに出た私は、潜水艇になり、目という司令部から幻想的な光景を観察した。悪党的に、圧倒的に美しい自然に触れると、世の中というのはあまりに単純で、理に適っていることが体感できる。そして些細なことが馬鹿馬鹿しくなる瞬間が訪れる。私はただ浮いているだけであった。自失状態で珊瑚礁群を眺めているだけであった。(1986年英語版のロンリープラネットを読んでいて、世界で一番素晴らしい安宿とされていたのが、このロビナビーチにあった。勿論、すぐに行ったが、満室であった。名前なんだったかな)
2012.10.27
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クマも馬車に乗るのか。退屈クマごときが、動物園で他の動物を見学してもいいのか倫理。クマも賛美歌するのかキリンも小さいのお。クマも教会に通うのか宗教。クマもヘッドホンで音楽聴くのかクマも結婚式するのかクマも踊りサルムノリクマも餅つくのかクマもロックか自由民権運動クマもビラ配り街宣活動するのか扇動クマも人間らしい生活するのかクマも泥棒するのか、あ、これはするね。クマパンチ。クマも鮭取りするのか、あ、噴水にいなかったクマも愛国するのか クマも国籍があるのかクマも国名はいった服着るのか韓国で人気番組らしいね、ロック調にまな板包丁で叩きながら料理パフォーマンスクマもブランド志向クマも893の親分を要しているのかクマもちょっとだけよく描いて媚びヲ売るのかクマも893の集会に警察が取り囲むのかクマもパチモン売るのかクマもロジョウパフォーマンスするのかあっ、回転止まっちゃったクマも王族があるのか同時、中年男性、こんなこと書いておっても、つまないなあと思う次第。あぁ・・・ 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.10.26
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昨年に続き、ちょと用事があったので1時間程寄ってみる。 何か舞台で素人さんがやっているのを尻目にメシ。急いで、フィリピンビールフォーにパッタイにスリランカ魚カレー舞台も勝手に進んでおり、市長の挨拶で、半分ぐらいの人が、終わった終わったと席を立つ。緩きゃらも登場。サンバの人と一緒に帰る。無茶旨い豆乳。 アンダルシアの夏野菜冷え冷えスープが何を隠そうガスパッチオ。韓国土産というか実用品はブランドの靴下。
2012.10.25
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ソウルメトロ4号線三角地駅を降り立ちというか、ついついソウルタワー麓からタクシー飛ばしてやってきたという按配で、駅から5分という好立地にある元陸軍本部のあった戦争記念館、3万5000坪の其の広大な敷地に入るのを躊躇しつつも、すっと入ってみると、家族連れやカップルや軍人や観光バスやで、何だかお祭りのようである。軍事のおどろおどろしさを期待すれば、からっと晴れた日にちょっとピクニックねという感じである。あやうく、ミュージアムを間違えそうになったが、それは愛嬌だ。入場料は嬉しい無料である。記念館の中は、子供も楽しめるドリームランドのレジャーランド化しているのであった。あれ、其の横、軍事施設で結婚か!外もヘリなどが置いてあり、亡命可能だ。ガキ共も、戦車や対空砲に乗ってご満悦、親もそれなりに満足係りの人、いつもいるのに、熱心にまた贅にハイって展示物を見ている。おちょけて、軍部に誘う作戦海外活動の場ベトナムだ、北軍のトンネルを解説。ヘリでぴゅーっときて、何人かやられて、ピューっと帰る。信頼できる野村進の本(コリアン世界の旅)で知ったのだが、随分、ベトナムで酷いことしたらしいねえ。ライダハンもいっぱい生まれた。トンネル作ることの出来ない僕らは地上に作ります。 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.10.24
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アメリカって、大抵の日本人は都心部かハワイしかいかないから、全然アメリカのこと知らないよね、私も本を読んでしかしらないけど、パスポート持っているアメリカ人って2割なんだってね。聖書そのものの記述を信じている人らもイーパイいて、聖書以外余計なこと知る必要なし、知るとろくでもない、無知こそ善、がはびこっているんだよね。そんな福音派は人口の2,3割もいて、もちろんブッシュはそうだったわけ。アメリカの伝統ってか、プルグリムファーザーズとか抜かして原理主義たちがアメリカに勝手にやってきたわけね。大統領選挙は、ご存知のとおり、各州ごとに決められた選挙人の票を過半数とれば、其の州の全部の票になるってわけで、得票数で上回っても選挙に負ける(ゴアはそれでブッシュに負けた)事態も生じる。これなら都市部より田舎のほうが一票の重さが重くなり、田舎には福音派がごっそり、テレビ伝道で信者を大量投票導入だ。聖書が大事なので、財政赤字や海外の戦争を仕掛けることより、ゲイとか堕胎とか進化論の問題のほうが重要な問題なんだ。そういえば、80年代にエイズパニックになり、今度有無の説明を繰り返したら、福音派が「今度ウムを使うということはセクスを奨励しているみたいじゃないか!こんなの使うのはダメだ!」と主張、実行し、結果、10代で子供がイーパイ生まれて、進学も出来なくなって、貧困層に落ちていったというわけ。まあ、話は途中で終わるとして、大統領になるもの、どんな人からも票を得るためにコビヲ売らないといけないから大変だよねえ。
2012.10.23
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中国のニーハオトイレは全国津々浦々公衆トイレとしてあまねく存在していたが、昨今は観光地などには有料でそれなりにきれいな個室トイレもできていて、ニーハオトイレはおそらく減少傾向にあるかと思われる。現状はよく分からないが、それでも田舎町や旧市街地、駅などの共同トイレはニーハオトイレが生き残っているんじゃなかろうか。まず誤解して欲しくないのだが、「ニーハオトイレ=汚いトイレ」ではない。掃除の行き届いた清潔なニーハオトイレというものも案外多い。ニーハオ状況があまりにも衝撃でトイレも汚いように感じてしまうのかもしれないが、水洗式ニーハオトイレ(後述)などは日本の手入れの悪い公衆便所よりもきれいだったりする。 衛生とは何か、美的感覚とはなにか、知らなかったら良かったものとは何か、最終的に人間の尊厳とは何か。初めてのニーハオトイレ体験は、忘れもしない80年代後半。留学生として中国東北の町で暮らし始めて1か月、大学の外国人担当部署が企画した小旅行に出かけるために駅に行った時だった。駅のトイレ(男女別だ、もちろん)に入ると、トイレ部分が一段高くなっていて、正面右から左に向かって軽く傾斜した幅30cm深さ50cmほどの溝が1本、どーんと10mぐらいの長さで横たわっている。その溝をまたいで用を足す、という仕組み。人1人分ぐらいの幅ごとに50cmほどの低い間仕切りがあるが、もちろんドアも壁も何も無い。だもんで、トイレに入ると溝をまたいでしゃがむ人たちの横向きの姿が自動的に目に入る。トイレスペースは白い大きなタイル張りで、水がびしゃびしゃした感じはするが臭いも少なくそれほど汚い感じは無かったのが幸いだった。 入口に服務員がいて、紙を売っているのだが、確かにざらざらのもの、それを1人1枚である。そして、臭いを誤魔化すためか、分からないが、ウンコ待ちしている人々の多くが、タバコを無意味に吸っていた。 細い溝を前でシャガンデイルやつらのウンチが流れてくるのを、吐きそうになりながら一度は眺め、目をつぶるのふぁが、ふと、目を開けると、生まれて初めて、他人の大人の人間の尻からウンコが出てくるのをみた。再び私は哲学者モードとなり、人間の哀れみや無常さを感じたのであった。ほんの僅かな時間であったが、そうそうに切り上げたく、入口でザラバン紙買わずに、日本から持ってきたポケットテッシュを駆使して何回も何枚も使って尻を拭いていると、気がつけば10人以上のウンコしつつある中国人の注目の的になってしまった。あまり死にたいと思わない私も、さすがに恥ずかしくて死にたくなった。覚悟はしていたものの隠れようの無いトイレにはもちろん動揺した。しかしトイレはこれしかない。溝をまたぐ人たちをしばし眺め、先頭部と最後尾にスペースがあるのを確認した。心理的負担は最後尾の方が軽かろう、と判断し、よっこらしょ、と溝をまたぐ。いったん決心すれば、というか他にどうにもならないのでここで無駄に躊躇するとかえって不審に思われる。何気なく用を足したのだが、この溝式トイレ、一定の時間ごとに右から結構な勢いの水が流れてくる。この水が溝に落ちている諸々を押し流し(ただしトイレで使った紙はスペース毎に置かれているくずかごに入れる。当時の中国人はトイレットペーパーよりも雑誌とかノートの切れっぱしなど反古をよく使っていたので、流すことはできなかった。もちろん尻のヤワな日本人はトイレットペーパーを万難を排して入手していたが、これもくずかごに入れる)、溝が一気にきれいになる。それと、チベットでは、あんなけ360度何もない草原なのに、山の中腹にトイレがあって、バス休憩に入ると、確かに穴がもともと、あった、が、しかし、其の穴から、円錐状のウンチが盛り上がっているのであった。そして、中国人はほぼ立っている状態か、せいぜい中腰で、其の上からウンコをしているのである。なんせしゃがむと、ウンコにしりが当たるのである。おそらく、冬場にカチンコチンに凍ったウンコを一気に処理するのではないかと邪推したのだが、これでは、私とて、反立ちでウンコはしたこともなく、下手すれば尻に他人のウンコがつくだけではなく、足場もはっきり言って結構ウンコ状態である。すぐさま、トイレから出て草原でゆっくりウンコをしたことはいうまでもない。
2012.10.22
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海外旅行 人間トラブルのケースメゾット、いやメソットでもないな。タイ・・・小さなボートで川遊びをしたら川の中腹で船こぎにナイフを突きつけられ、金を要求される。(カオサンで会った全財産を盗まれた奴)タイ・・・美人女性軍団に誘われてウホウホついて行き、楽しもうと思ったら、彼氏が登場しそうになり逃げたら、金全部なくなってた(ガリバー先輩、あ、しまった、いっちゃった)インド・・・ 入国審査では必ず賄賂、スーベニアを要求された。(今は知らない)ボールペン、キャラクレイタル、100るぴー、エトセトラ(私)フィリピン・・・ジープニーに乗ったら、乗客全員が暴漢。(フィリピン人のトモダチ)フィリピン・・・マビニで両替した瞬間、外に出たらチンピラに絡まれて其の金ぱくられる(俺)タイ・・・夜行列車でバンコクからチェンマイ行って、3日ほどして腰巻調べたら、金減ってた(全部とればすぐばれるので半分ぐらい取られた)キルギス・・・悪徳警官にやられる。(私)シンガポール・・・長髪だったので入国拒否される(同輩)トルコ・・・マリワナ容疑で警察に捕まる(同輩)イギリス・・・マリワナ容疑でダッシュして逃げる(同輩)ジャマイカ・・・マリワナ容疑で警官が近づいてきて、一気に口の中に入れて食べてしまう(小川君)スイス・・・駅で寝ていて警官に追い出される(先輩)アルジェリア・・・石を投げられる(先輩)ゴア・・・パーティから朝帰ってくると、コテジに荷物なーんもなし(後輩)中国・・・バス正面衝突(先輩。入院して、公安に詫びの酒盛りパーティで飲みすぎて、その場で吐く)チベット・・・暴動に巻き込まれる(先輩。その後朝日新聞のインタビューに答える)各国・・・中国人と間違われるニューヨーク・・・ツインタワーであの日働いていた(高校の同級生)あとは、私の体験では、些細なことばかりだ。ラクダ商人にやられる(エジプト)、偽札を銀行でつかまされられる(中国)、飛行機が飛ばずに空港に閉じ込められる(ウクライナ)、飛行機がキャンセルになって延泊する(ブルガリア)、ホテルの隣の部屋のベッドきしみ音と張り裂け声に悩まされる(タイ)、トランジットで通過する通過がなくて腹が減る(タイ-マレーシア-シンガポール)、腹を下す(ビルマ、インド)、土砂で道が決壊し2日間歩く(ネパール)トラブル回避策1 出かけないこと。トラブル回避策2 話しかけてくる人は基本ロクなことはない。しかし、無視すると面白さも半減トラブル回避策3 安全はお金で買うこと。トラブル回避策4 警察を見たらとにかく難癖つけられないようにその場から去ることトラブル回避策5 その場を和ませること。
2012.10.21
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今日は駅が大変混んでいたのは、K-POPのカラとかティアラとか4ミニッツとかシスターが来ていたからで、奇しくも、カンナムスタイルの4ミニッツメンバーもきとるわけだ。以前、済州島で、テディベアムージアムが大変面白かったので、ソウルでも、まあ、することもないので、のこのこ行くことにした。済州島では世界史であったがこちらは、朝鮮歴史なので、よく分からんというのが、本当のところ。済州島をみてしまっていたので、こちらでは、うーん、いまいちやなあというのが、正直な感想であり、そういえば、前にも民族博物館で歴史の勉強したなあ、と思った次第。いろいろ電動で動いていて、情けなくなる。ガキ、落書きして手が動いているが、壁に届いてないって。 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.10.20
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1986年夏、バンコクからソウルに到着した時の所持金は1,000円程度でした。ストップオーバーは5日間。なんとか、学生の家に泊めさせてもらったのであいた。その泊めて貰っていた学生の後輩が、ソウルを案内してくれるという。彼は、彼女を連れてきており、学校では日本語も勉強しており、日本語を少しばかり話す人であり、日本語を学校で勉強しているとのことです。名前は伏せておきますが、ドンボーという名前。泊めて貰っていた家の親父に日本語で毎日、「オマエタベル」とか戦中の名残で怖い言葉で更にニコニコしながら片言の日本語を話してくれていたために、ドンボーの日本語は敬語が散りばめられとても優しく感じました。「観光しましょう、ソウルタワーに行きましょう。健康のために歩きましょう」 ドンボーの彼女は日本語と英語が出来なく、自分は英語と韓国語ができないので、ドンボーの彼女はニコニコしているだけでした。そこで、素早くドンボーはニコニコしながら日本語で言いました。「私の彼女は、あまり、うつくしくありません」自分は少し顔が引きつり、苦笑いをしながらドンボーの彼女の顔を見ました。ドンボーの彼女は微笑み返しで、私に更にニコニコっと笑ってくれました。当時のクルクルパーマが印象的でした。 すこし、顔が凍りついた自分に気がついたドンボーは、更に得意の日本語でいいました。「そのベンチで、アンパン食べましょう」ドンボーは、誠にオカネのない自分がいうのも何ですが、彼自身も学生の分際でお金の持ち合わせが少なく、自分に食糧を供給するのに苦労していたようです。是非、日本に来られた時には、酒池肉森全漢千席の世界にご招待したいと心から誓ったのでした。随分歩いた気がします。でも、僕もまだ10代だったので、元気でした。飲んで徹夜しても、朝また飲めるぐらい元気でした。元気ですが、お金ありませんでした。 ソウルタワーからの景色のことは、今ではすっかり忘れてしまいましたが、そこで声をかけてきた女性が、今まで会った日本語を話す外国人で最も日本語が流暢な人でした。顔もアジア人なので、日本に紛れ込んでも、絶対にガイコクジンとは分かりません。分かったとしても絶対在日韓国人と思われるぐらいの熟練度でした。(その後、海外に住む人で彼女ほど日本語が流暢な人にまだ出合ってません) 彼女も彼を連れて来ていて、よく覚えてませんが、多分帰りはロープウエイに乗りました。私は、もう3ヶ月ぐらいは髭を剃っていなかったので、ボーボーで、当時は韓国で髭を生やしている若者はいませんでした。しかし、彼女の彼は生やしてました。そのことを指摘すると、彼は特別ですといいました。よく見ると、いや、よく見ないでも、彼女も彼も美女美男子でした。ドンボーとドンボーの彼女は、多分ロープウエイ代を出してもらったこともあるでしょうが(何を隠そう私も絶対出してもらっている筈、だって全財産1,000円なんだから、5日滞在だから1日の予算は200円なんだから)静かでした。 今回、ロープウエイで上りながら、そっか、もしかして歩いて登ってタクシーで降りたと記憶していたのは間違いだったのだ、と気がつきました。しかし、上記以外の、例えば、景色とか、どのくらい人が来ていたのとか、何も覚えてないのですが、今回えらく、賑わっているのですが、何となく、閑散としていたような覚えがありますが、それも間違いかも知れません。あのストップオーバー5日間というのは、金がなかったので、アジアンゲーム会場に連れて行ってもらった、喫茶店に行った、ソウルタワーに行った、映画に連れて行ってもらった以外は酔っ払っているか(他人の金で)、二日酔いで寝ているかだけだったのです。当時は1泊のトランジット以外はビザが必要だったんですよ。学生たちと飲み明かしてる時、本当に、韓国人は、私が自由にアジアを旅行していることを羨ましそうに聞いていたんですよ。海外渡航が自由化されてなかったから。(1989年に自由化された) 二日酔いも何だかよく覚えてないのだが、ある日、学生たちと梯子酒して、最後に、マッコリ買って来て、トラックの上に乗って皆ベロベロ議論していましたなあ。あとは、倒れるだけなんだ。 去年夏韓国に会社帰りに行った時も(翌日カザフスタンに行ったけど)、空港からソウル市内に入ったら、サラリーマン親父がベロベロに酔った週末、男同士肩組んで歩いているのを懐かしくみましたよ。 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.10.19
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昔さ、高校生とか中学生の頃でさえ、ケインズを習って、多少間違っているかもしれないけど、有効需要や、利子雇用なんちゃらや、プロテスタンティズムとか、いやあればウエバーだ、いろいろならって、そして、それなりに公共工事等で、うまくいったり(ニューディール政策もたまたまという説もあるが)、要は、最初は公共工事で穴掘って埋めて掘って埋めてしたら、お金が入って消費して、お金が回って景気良くなるって按配。 しかし、考えたら、公共工事って、お金下ろしたら、どんなけ中間搾取されて、ほんまの工事にどんなけかかって、そこからどんなけ消費に回るか考えたら、直接国民に渡したらいいやんてな感じで、あの何とか商品券、期限付きでいついつまでに使わないと無効になるってのは、なかなかよいシステムだ。 しかし、国民全部に金ばらまいても、すーっと、将来不安があるから預金に消える。そこで有効なのが、生活保護じゃないのか。一部ワルイ、ずるい奴らがいて批判されているけど、どこでもイケナイ奴はいて、一部に過ぎない。生活保護なら、消費に100パーセント使われる(ちょっとは貯金してもいいのかな)。それに、国民全員にうすーくじゃないので、お金も安く済む。 国民に直接渡したり、生活保護に直接渡すのは、うがった見方でなく、正しい見方をすれば、国や役人、官僚が自分たちで再拝して威張り散らしたり、自分たちの天下り先確保できなくなるから、都合悪くなるんだよね、きっと。それは、消費税上げるのも同じ理屈だろう、景気がそれで悪くなろうが、そんなことどうでもよいんだ。 生活保護充実してまっせ、というと、今の小金持ち老人も(生活保護の多くが老人だ)、将来が不安なので、自分たちの短い将来や子供たちに残しておかなければならないという意識も薄れ、消費してくれんじゃないのか?あ、もう欲しいものないか?でも海外ブランド品買っててもしゃあないよなあ。 しかし、日本人も弱者に対して冷たいなー。
2012.10.18
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竹島問題で対日感情が悪化したと思われる韓国、しかし、我々もそうだが、一般庶民は、そんなに関係がなく、食堂も売れたほうがいいし、モノも売れたほうがいいし、道も聞かれたら普通に親切に教えてあげるし、タクシーも乗車拒否なんかないわけで、安心して、南山タワー麓の安重根博物館だか、記念館だかにでかける。 子供の頃から、こうやって、彼の英雄ぶりと日本の極悪ぶりを懇切丁寧に説明しているのであろう。今、ガキ共の前に私が立つと石を投げられるに違いないが、芝生でよかったよ。敵国ニポンジンにも、優しく入場料無料の出血大サービスかつ、日本語のレーフレットも装備。すごい家系ですっていうが両班か、ヤンバン(リャンパン)という貴族階級の現代韓国人の思いはどうなのか、知らないが、李氏朝鮮末期には、7割ぐらいが「おれ両班」とかいってたとかなんとか。転んでも自ら起きない、地に足をつけない、箸より重いものを持たないとか散々言われている。日本を誉めた(手放しではないが)イザベラバートの記述イザベラ・バード『朝鮮紀行』より「朝鮮の災いのもとのひとつに、この両班つまり貴族という特権階級の存在がある。両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥じとはならず、妻がこっそり よその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。両班は自分では何も持たない。自分のキセルですらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、大勢のお供をかき集められるだけ かき集め引き連れていくことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して、飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。」「当時はひとつの道に44人の地方行政官がおり、そのそれぞれに平均400人の部下がついていた。部下の仕事はもっぱら警察と税の取り立てで、その食事代だけをとってみても、ひとり月に2ドル、年に総額で39万2,400ドルかかる。総員1万7,600人のこの大集団は『生活給』をもらわず、究極的にくいものにされる以外なんの権利も特典もない農民から独自に『搾取』するのである。」そのほか、いざべらバードは、随分、朝鮮を辛らつに書いている。まあ日本もかなり書いているけど、この本、面白いよねえ。白い人。誓いの為に指切断したんだねえ・・・日本でなくてよかったよ、ジンギ。 本当の憂国の士であるとしても、誰かに操作されていたんだろうなあ、と思う。暗殺するのは、誰か?皆殺しなら分かるが、よりによって、必死のパッチで軍部の朝鮮併合を、急激過ぎるとストップさせていた伊藤を暗殺してしまうなんて。そういう政治事情の情報が入っていなかったのか、どこかからバイアスが入ったのか、単なる間抜けだったのか、それは分からない、分からないが、併合慎重派の伊藤博文を殺して、一挙に朝鮮併合が早まったのは皮肉である。哀れじゃないか?いや、いずれにせよ、併合されてから時期なんか問題ではない、抵抗したのがよかったということなんでしょうか。ハルビンで殺された伊藤、まあ、天皇にまで女遊びをたしなめられた男。旧1000円札の人。お、よくみると、ライオン!100年後の今も広告宣伝費上位に居る花王、すごいなあ。伊藤博文よ、体型が・・・こりゃやばい明治天皇は伊藤を信頼していた。明治天皇は、正直者で、金銭にきれいな奴が好きだったらしい。伊藤に私財のないことを知った明治天皇は、金を恵んでいる。但し、天皇からは伊藤の芸者好きに対してええかげんんにせいやと苦言を呈されていた。それから天皇から「東京を離れてはならぬ」とまで命じられていたが、まあ、無視したら、やられちまった。裁判所の風景です撃った銃を写真に撮ったと思ったが撮ってなかった。カルビン銃で撃たれたのだが、そうではない。角度も違う。そういう噂はある。ウキペディア・・・伊藤博文の随行員として事件現場にいた外交官出身の貴族院議員である室田義文が、伊藤に命中した弾丸はカービン銃のものと証言しているのに、安重根が所持していたのは拳銃(ベルギー製)である。弾丸は伊藤の右上方から左下方へ向けて当たったと証言している。そして安重根は兵列の影に隠れる様に「しゃがんで」撃ったと自白している。伊藤の身体に残された弾痕は右上から左下へと入っているので伊藤より高い位置から銃弾を発射しなければならないなりません安重根が「しゃがんで」撃った場合安重根よりも伊藤博文の身長が遥かに低くなければ不可能。ことなどから、伊藤に命中した弾丸は安重根の拳銃から発射されたものではない、という説がある。この説においては安重根は事件の真相を闇に葬るための人身御供とされる。ちなみに伊藤博文と共に銃弾を浴びた室田義文の証言も遺体に処置を施した医師の証言も検死報告書もナゼか安重根の裁判で採用される事はなく、室田の証言が公になるのは伊藤博文が死去してから30年後であった。人形は立って撃ってます6発撃って、6人、13発被弾した。は?ところで、ウキペディアってのは何なんだろう、誰が管理しているのか作っているのか、実はよく分からない。文責がないので、よくない。噂によるとCIAが大元という噂もあるよね。アンジュングンは死ぬとき、朝鮮で生まれたから不幸だったと言った。 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.10.17
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パダンのバスステーション(ビスロケット)に行くと「クマナ?(どこいく)」とやたら声を掛けられる。どころか引っ張っていかれる。スマトラのバスは厳しい。スマトラ南部からジャワ島のフェリー。やっと立つことができほっとする。ジャワ島のバスステーションで水浴びをして、ジャワ島中部スマランまで行く。そこから先に進んでスラバヤ経由でバリに行こうとするが、ジョクジャカルタに行く人と知り合いになり、南下することとする。、ウノソボ郊外の村に来た。そこの軒先を借りて睡眠。その家の方に、無理矢理インドネシアカラテというシナリカというものを教えられる。ウノソボでは、軽度障がい者の学校を表敬訪問し、ガキ共を卓球でケチョンケチョンにやっつける。その後、食事。ススとはミルク、タペは醗酵もち米みたいなの、テはTEA、コピはコーヒー、右から、俺、コピーのリコーさん、ガバメントショップさん、プレイボーイさん、インディラガンジーさん。この裏にあるインディラさんちに泊めさせてもらったが、この店の人、夜中トイレ借りに来る。この小さな店で、キョーツケの姿をして寝ていた。ディエン高原に行く。温泉もあり。マゲランを経由してボロブドゥール村に着く。その様子そのすぐ横にあるチャンディムドウッド古都ジョクジャカルタに着く。物価が最も安いらしい。確かに同じ国内といえ島国、流通の関係か、スマトラはここの2倍であった。イリアンジャヤ(ニューギニア)なら4倍らしい。王宮プランバナン遺跡へ。ジョクジャ市内から10キロほど。
2012.10.16
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バンコク ファランポーン駅前市場。タイ南部の都市、ハジャイまで列車で行く。バンコク出てすぐ。ハジャイ バスを旅行代理店軒先でボーっと待っていると、リキシャが現れ「チーチーパーパー」と繰り返すので、何かしら観光でもできるとこがあるのか、と思い、時間も1,2時間あったので、乗っていくと、単純な女郎屋であり、すぐさま引き返す。ハジャイは、イスラムも多い。そしてマレー系も多く、週末にマレーシアから男たちが遊びに来ると聞いた。ハジャイからシンガポール行国際バス18時間乗る。途中マレーシアで、マレーシアドルがないことに気がつき、一度も飲食せずにシンガポールへ。シンガポール 蚊がいないことに、驚き。シンガポールのフィンガー突堤からインドネシアのビンタン島のタンジュンピナンに向かう。1泊、南京虫にやられる。タンジュンピナンから沖合いの船まで手漕ぎボートで行く。怪しい感じ。立ちこぎが一般の模様。ポンポン船は出発。船内は満室(雑魚寝20人程度で)船内には簡易調理場もあり、乗員が多すぎて、魚は5等分されて出てきた。何度も寄港し、食事を採ったり、荷物の出し入れをする。(セラバンジャンという場所)で、翌日から川に入る。乗客は全員暇で、乗客は外国人である私のフルネームと住所を諳んじれるようになった。小さな船内でもタバコの不始末によるボヤがあり、全員がおまえだおまえだと責任転嫁攻撃し、笑った。2泊3日でスマトラ島中部のペカンバルに到着し、市場にてバスを7時間待つ。バス1泊でパダンに到着。ここからまだジャワ島を目指す。
2012.10.15
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古くなってもほったらかし布も参加。時代も反映してか、スマートフォンのカバー交換後の使い捨てもやたら多い。軽石も参加自転車のワイヤーチェーンも参加靴下も参加愛の絆は、やがて出鱈目になり、靴べらも参加コップも参加単独日本人も参加全く関係のないものも参加状態。なべも参加最後に自分がもてあましているもの取り付けて終了。 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.10.14
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昨晩夜中に買ったキンパを朝飯として食う。帰り前のご飯は、普通の石焼ビビンバとなりに、西洋人男性4人組が入ってきたが、何を頼んでいいか分からないようだ。私の食べているものをガン見されて、あれをくれと頼んでいた。まあ、考えたら、むかし、どこでも、自分がやっていた方法だ。しかし、出てきてからも、食べ方を私のほうを見ながら真似して食べている。いつも韓国に行けば、マッコリ買ってくるのだが(100円なんで)、気圧の関係で、グルグルマキとする。しかし、随分漏れていたようだ。メインは何を食べるか特に考えていなかったが、到着は夜12時前であったので、かるーく、というのはやめて重くいくぜえ。あんこうなべか?最近韓国ドラマがマレーシアかインドネシアかフィリピンで流行っているようで、マレー系の人を多く見た。タコ一匹とか、何かの脳みそみたのとか、苦い草とか、いやはや・・・極めつけは、エボヤ(ミドドク)ホヤの一種のようで、食べると、塩辛い生臭い液体が出てきて、あとは硬いぞという按配である。 2012ソウル 26年ぶりのソウルタワー 南山ソウルタワーブロック テディベアに学ぶ歴史の旅 テディベアに学ぶ現代の肖像 テディベアに学ぶかつてのソウル テディベア自体の歴史 ソウル軍事博物館1 安重根博物館 ソウル軍事博物館2 軍服 ソウル軍事博物館3 戦時中の生活 ソウル軍事博物館4 ソウルgourmetの旅
2012.10.13
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というのは、もう滅法なくなっていて、それほど暇じゃないと難しいのだが、昔はやたらすることがなくて映画を見にいたりしたんだ。 インドでは、もう、何回も映画を見に行ったのだが、インド映画は最高だ。勿論、サタジットレイみたいな社会派もみたよ。 マレーシアでは、ローニジャという映画を観たのだが、検索しても出てこない。この映画館が面白かったのが、タバコを吸ってもOkだということだった。シンガポールでは、ミッキーローク主演のナインハーフを見に行ったのだが、これが結構イヤラシイ映画で、上半身も出すのはだめなので、何の映画か分からなかったのだが、「SEEX」とミッキーが言うと字幕に「快感」と出てふきだした。しかし、あの男前だったミッキーローク、ジョニーハンサムとかいう映画とかもでていたほどハンサムだったのに、すげえよ、彼は、麻薬で顔がぼろぼろになったのではなく、ボクシングでだよ。カックイイぜ。タイもそうだったが、韓国も当時は映画の前に国家掲揚で、全員が映画館で起立!であった。もー、チャックノリスのデルタフォース見に行ったんだからねえ。飛行機がもじりのTWAだよ、もうないよ。でも最後テロリストから解放されたら皆バドワイザーで乾杯してて、あー、やだやだってな感じだったわ。チャックノリスはブルースリーとローマのコロッセウムで戦ったが、最近シルベスタースタローンに誘われて映画にデテンジャン。すげ。タイとかフィリピンでは地元映画みて全く分からなかった。しかし、フィリピンのタガログ語で吸血鬼の物語だったんだけど、後ろに吸血鬼が近づいたら、エイが見ている人たちが、「後ろうしろ!」て叫んでいるんだよ、日本人ってシニカルだなあと思った次第。アメリカだって、映画終わったら、良かったら、拍手していたよなあ。馬鹿にしないでくれよ、おれは、セントラルパーク前の映画館で、ホームアローン2見たんだから。あいつ、大人になってヤク中になったけど、いやはや舞台がセントラルパークだったんだから、親しみ感じるじゃねえか。確かに、パート2が1作目を超えることは、まずない。同等以上が、ゴッドファーザー2とフレンチコネクション2だけだ。と私は思う。でも、昔、渋谷の文化村で、「ムトゥ、踊るマハラジャ」って観たんだ。そのとき、ピンチのシーンで、お笑いお決まりの奇蹟が起きて、日本の映画館というのに、笑いと拍手が起きた。あとにも先にも日本で拍手がおこった映画を経験したのはこれだけだ。とにかく、インド映画は平気で3時間とか4時間とかあって、休憩時間があって、観客が映画の続きで暴れるし、ガイコツジンのオレが訳も分からないのに映画観に来ていると知ったら、「インド映画は最高だ!」とボリウッドを褒め称えるのが、まあ、ちょっと鬱陶しかったかなあ。
2012.10.12
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最近、さすがに海外に行くと、国力が下がった感がすることを感じるものだが、世界中で物価が下がっているのは日本だけだ。アメリカ様に厳命されているのかもしれないが、とにかく、インフレを恐れず、まずは金を刷りまくることだ。ハイパーインフレなんかおこりっこない、2,3パーセントのインフレおこしてもらわないと、なんだかどんどんみんな厳しくなる。価格で世界と勝負したらあかん。負ける一方や。ブランド力とか技術力とかでやらんと、労働力の安い国はいーぱいある。ブランドモンなんか大したことないのに、ベンツもBMもエルメスもルイビトンも円高差益キャンペーンしとらん。いろいろ安いわといって喜んでいいってものじゃないよな、嬉しいけど。でも昼間の弁当が300円じゃ400円じゃ、って日本経済としてダメじゃないか。その分、賃金下がったり、利益削ったり、厳しいなあ。そんでもって、世界に、まだまだいけるでえと、見栄はってくれや。なめられとう。
2012.10.11
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日本北端当たりにある彫刻、(じゃねえな)秋田犬(木製)仙台ブロンズ二本松、福島県東京大田区タイヤ富山県雪帽子三重県コケコッコー高野山兵庫県28号
2012.10.10
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今はすっかり風変わりしたようだが、ポカラ自体には特に何があるというわけではないが、カトマンドゥの喧騒から逃れ、ビールを飲みながら800メートル級の山を眺めるという快楽エリアであった。そのため、ゴア、バリウブドゥ、バラナシ、バンビエン、カオサン、フンザ、コパンガン、このあたりと並ぶ、旅行者のチンポツ地域として有名だった。今は知らない。(70年代まではカブールも有名な沈没地だった)で何をするのかというと、木登りペタ湖のほとりで、おじさんと意味のない会話。(ボートで対岸にいく)夜は、スパスパスパー(昼間もだけど)。 (参考)ヒッピー・トレイルの旅は西ヨーロッパの諸国、特にロンドンやアムステルダムといった都市を出発点とするのが典型的であった。アメリカ合衆国からの旅行者は多くアイスランド航空でルクセンブルクへと渡り、そこからイスタンブル、テヘラン、ヘラート、カブール、ペシャーワル、ラホール、デリー、ワーラーナシー(当時ベナレスと呼ばれていた)などの「主要な」場所を経由し、ゴアもしくはカトマンズを最終目的地としていた。カトマンズでは今日でもJochen Tole通りがここを通った無数のヒッピーたちを記念して「フリーク・ストリート」と呼ばれている。トルコからシリア、ヨルダン、イラク、イランと渡りそこから東進するルートもあった。南インド、スリランカ(当時セイロン)、さらに南東に進みオーストラリアにまで至るさらなる旅も行われることがあった。
2012.10.09
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学生時代までは、放浪さんの現在と同様、自分で切ったり、友達に切ってもらったり、タイやインドに行って散髪していたのだが、その後、無事会社員として社会復帰を無事果たし、散髪屋とか美容院とか行くようになったのである。ちなみに、散髪屋と美容室の違いは、何か法律で分けられているだけで、違いはないようである。 私は、どちらにせよ、いたしている間は寝ることにしているので、世間話をしてこないところが好きである。好きであるというか、カットは美容室のほうが好きなのだが、髭剃りとマッサージがより好きなのである。混んでいて、10分近くカットまでマッサージを受けながら待っていたというのが、今まで一番良かった経験である。 そんな訳で、何故、ここに書いたかというと、今日、時間がなかったというか、まあもろもろの理由で、QBという1000円10分散髪に行ってみたのである。行ってみたところ、特に、3000円4000円と、違いが、自分では分からないということが判明した。自分で分からないということは、自分以上に自分に興味ある方はイナイので、誰も分からないということに相成る。 でも、オレは1000円でありがたいなあ、と思いつつも、こんなんで日本いいの?って思うんだ。理髪業は人件費が多くを占める。こんなに技術料安かったら、何人でもいいやん。技術料いるのか?経験なんかどうなんか。ラーメン食べました。
2012.10.08
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人類が来るまで、バリにも、神々はまだいなかったのだろうか。 バリに行って、神は、細部に宿るということを感じた。 スペインに行って、キリスト教って、おどろおどろしいとうか、土着だなあと思った。 インドに行って、石も空も家も空気も人もヒンドゥだということを教えてもらった。 チベットに行って、石も空も家も空気も人もチベット仏教だということを教えてもらった。 イランに行って、イスラム教徒といえ、同じようなことを考えている人間だと感じた。 アメリカ行ったら、宗教国家だと思った。1ヶ月、バリに居たけど、記憶があまりないのは何故。■「スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・」が777777アクセスを突破!!あなたのホームページのアクセスカウンターが、777777アクセスを超えました。つぎは1000000アクセスを超えたときにお知らせします。今後とも引き続き楽天ブログでお楽しみください。
2012.10.07
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バルセロナに着いた。ドイツ経由で、日本から年末到着した。2日前にチケットを取ったのだ。すぐに、高校の時のトモダチに連絡した。当時は勿論、国際電話だ。明後日空港に着くから来てくれ。(彼女はスペインで結婚して、時々日本に帰ってきて、いきなり電話してきて、あんた今年収何ぼやねん、と聞く嫌な奴だ)20代は適当だ。空港には、カップルでやって来てくれてて、ぶっきらぼうのカタラン人の彼は、車に乗れといい、家まで連れて行ってくれた。そんで、飲みに行ったのだが、俺は、アンダルシアに行くぞというと、ああそっか、ということで、次の日は飲みに行って、少し観光して、グエル公園には勝手に行って(家からまっすぐ歩いていけば分かるからといわれて)、翌朝列車に乗った。翌日、彼氏が、あの日本からきた奴はどこ行った?え、アンダルシア行ったよ、何でだ!おれはあいつが好きなんだ!お前の連れてくる日本人は全員困った奴らばかりだ、俺たちに寄ってたかってべったり張り付いて鬱陶しいんだ!でもあいつは違う、気兼ねもいらないし、空気のように泊まっているだけだ!だからもっとバルセロナに居てもらえよ、とよく分からないことを言われたようだ。 シニカルには見えても、ああ、スペイン人じゃないんだ、と分かる感じで、理解すればいい奴だった。グエル公園から違法建築サグラダファミリアが見えるグエルの受託開発、ここは1邸しか売れなかった(自宅)それで公園になった。カサミラ。(がうでぃ)カサバトリオ(がうでぃ)あれからガウディ関連のものを数冊読んだが、禁欲者であり、偏屈者であり、設計図書がない。そして、芸術家の中で建築家だけが特質すべく点は、長生なことだ。建築家は頭オカシカッタラ駄目なのだ。
2012.10.06
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全然ダメ来ている人も、まったく目的がないし、見ている人なし。1億円持ち上げさせて頂けます、ありがたや。宝くじ、当たったら、多くの人が金銭感覚狂って借金する人生。宝くじというのは、夢を買い、金を捨てることだ。換金率悪すぎる。胴元儲け過ぎ。税金も無駄遣いと、天下り立派な施設に違いないよね世界の宝くじだそうで、でも展示してあるのは、はずれくじ。歴史だそうですHPもあるよ、後ろめたいかね。こんなもん作って。(私の足入り画像、お楽しみ下さい)
2012.10.05
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プラザホテル。日本では1985年プラザ合意として有名。円高になってバブル発生した。タイムズスクエアブルックリン橋自由の女神メットライフビル(旧パンナムビル) 世界2位の床面積 エンパイヤーステートビル ロックフェラーセンター、三菱そんしたねえ。 グッゲンハイム美術館。バルビオにはいってないが、ベネチアは行った。ウォール街 トリニティ教会ツインタワー
2012.10.04
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つくづく、昔から兵士になってしまっても人を殺せないよな、と思ってたら、映画や物語と違い、第二次世界大戦でも、アメリカ人は15パーセント、日本人ヨーロッパ人も20パーセントが人を殺したというアンケートを見た。やっぱりためらうと思う。まずは威嚇するらしい。どっかいけと。どうしようもなかったら、手足を撃つ。でも、今、コンピュータでシュミレーションして、頭が機械みたいになったら怖いなあ。個人的に恨みはないんだからひところしになるなら殺されるほうがいいや、そうなる人も多いんじゃない?とにかく、異常な心理、正常じゃ人殺しなんかできない。合法だってさ。(だから人殺しで精神鑑定やめてほしい。だってそのときは異常心理だったはずで、全員無罪になっちゃうじゃん、正常じゃないんだもの)
2012.10.03
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今、イギリスから妹が1歳半の娘を連れて帰ってきていて、動物園に連れていきましたが、まだ動物にはまったく興味がないようです。と書かれていた。 奇しくも、40年以上前に、1歳半の私を同じ動物園に連れていったのは、何を隠そう、私の両親である。勿論、そんな年齢であるから、私が記憶の片隅においているわけがない。3歳頃までの記憶はリセットされるもので、それは、生きていくための脳の働きらしい。嫌な思い出は消せってことか?こんな世の中生まれてくるんじゃなかったぜ、羊水の中で心地よく浮かんでいたかったぜ、ってことか、それは知らないが、とにかく記憶はなくなるようになっているのだ。忘れるのではない。そんな、私が、葉書を読んで、子供時代のアルバムに書かれた母の言葉を思い出した。まだ動物にはまったく興味がないようです。孫に対しても同じ感情を持ち、記憶も残らないし、興味もないの分かっているのに、動物園。まあ、確かに、大人がいっても、それなりに楽しいに違いない。俺も、暇で仕方なく、インドのカルカッタ動物園にも、バンコクのドシト動物園にも、インドネシアのスラバヤの動物園にも行った。カルカッタでは、ラクダの傷口をやたら攻撃して肉をついばむ鳥を見て、バンコクではフラフラしていてコレトいった記憶もなく、スラバヤではコモドオオトカゲを見た。まあ、近所の動物園には、何度も行ったが、小学校1年のときも、トモダチとその母と3人で行ったのだが、その母が今考えれば、20代前半だったんだよなあ。そのときはさ、まだ、皆さん、自分と同じで、全員が会社勤めで、全員が同じ年に結婚して、全員が同じ歳の子供だと思ってたからさ、俺のオカンも20代だったけど、てか、あれか、今のオレの年齢の頃のオカンは、もう息子がインドでボウフラみたいに彷徨ってた頃だね。ああ・・・。
2012.10.02
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国際社会、国家間では、無償の愛は存在しないよね、いいや親子間であってもそうである。一方的な主張で押し切るのは、難しいという場面が多いのだ。特に領土なんかは、戦争して支配するか買い取るといのが歴史的に一般的であり、あるいは交換かもしれない。 アメリカが国際連合に日本を参加させるために(自分の子分にするために)、ハンガリー動乱を黙認したり、キューバ危機でケネディとフルシチョフの話し合いで、キューバからのソ連軍撤退とトルコからアメリカ軍の撤退を交換した。それで、何をいうか、ぼっーと違うことしてたら忘れた。また来年思い出したら書くわ。きっと、どの領土問題も解決してないと思うから。
2012.10.01
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