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恒例の反省で、締めくくり、みなさん、さようなら、来年ですね。1月 出初式に出席する。ジャンプで年明けご苦労でした。反省点;特になし。バチカンに行くが人が多く、美術館は取りやめにする。バチカンの悪さを暴くこともできず退散。反省点;本気で行きたかったら、朝一に行けって。2月 うるう年胃カメラ初めて飲む。胃戦線異状なし!反省点;1年以上、健康保険センターから早く検査に行けといわれていたが、こんな簡単なら行けばよかった。3月 親が引っ越して、新しい実家に行く。(前年年末の契約に立ち会う)反省点;特になし。韓国 珍島の海割れの日に併せて渡りに行く。反省点;意味がわからなかったので避けたが、ウニビビンバ食えばよかった。4月 グアムのレオパレスに4時間滞在する。反省点;もう少し滞在できるようにしたかった、反省というより希望。5月 ミクロネシア連邦、ポナペ島の海上遺跡に行く。反省点;ビレッジに泊まれる日に行ければよかったのに。パラオでマングローブ蟹を食する。パラオから日本経由してウランバートル行く。反省点; ふぁっきんビーガン食べに行けばよかった。肉はもういいちゅうねん。郊外にも行く。反省点;ゲルにも1泊すればよかったと思った。6月 恐山に行く。反省点;いたこのいる祭り時にいかんといけん。むつを視察する。7月 京都造形大学まで芝居見に行く。反省して欲しい点。5時間は長かった。台湾、貝殻で埋め尽くされた寺院に行く。反省点;淡水名物を知らず、やり過ごしてしまった。8月 アルバニアに行く。反省点;隣国マケドニアにいけず。ルーマニアにも行く。9月 1500円のうどん食べる。反省点;腹を超減らして行くべし。10月 ソウル、戦争記念館にて結婚式見る。反省点;日韓関係悪化にそんなにびびらんでもよかった。11月 歯神社にお参りに行くそういううちに12月になった。何だか、今年は後半半年ぐらい、クソ忙しくなって、情けなかったなあ。
2012.12.27
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財布は、大財布であり、3口のチャックに、ドルとユーロと円が入っており、写真にはないが、小財布には(同じナイロンの軽いの)機動力のある小さな単位のお金と、3つの通貨以外の現地の金を入れる。黄色い長細いのがハワイ産チケット入れである。いざという時に、不意に会ったガキなどに、お土産も用意しており、いつ忍ばせているのである。最近はネット関係充電器必要関係も持っていくので、どの国でも対応できるコンセントに、LANケーブルも忍ばせている。上下、下着もズボンもヒートテクとかまあ、ユニクロだ。要は重さだ。マイナス35度の北極圏行ったときの服、どんなけ分厚かったか・・・アメリカ軍からの極地仕様払い下げを東京アメ村横丁買いに行ったものなあ。確かに考えたら、この前の風任さんのコメントのことなんだけど、昔は旅行したら、暇だったってこともあるけど、とにかくネットもないし、ツアーじゃなかったら、マイナーな国は地球の歩き方とかロンリープラネットとかしかなかった。だから、日本人だけでなく、積極的に外国人からも情報を得るようにしていたんだ。勿論、当時は、自由旅行をしているのは、日本人だけだったよ、中国だけは香港人がいたけど。正直言って、暇すぎて、こちらから声を掛けたことも2,3回はある。でも、もう私はだめ。ずっと前から。1990年代の終わり頃、インドにタイから行ったのだ。そのとき、私は既に社会人であり、乗っていた乗客旅行者は学生かそのあたり。飛行機降りる頃と、税関並んでいる頃から、皆は徒党を組み始め、しかし、話しかけるなよオーラを放ちまくっていた私だけには誰も話しかけなかった。(そして、タクシーでぼられそうになって、運転手の首を絞めて途中で降りる羽目になったけど)もう、旅行したら、誰とも話したくないんだ。ダメだ、現地の人との交流もない。面倒なんだ。ダメね。でも旅行に過剰な情報はいらないんだ。ふれあいもいちいちもういらないんだ、というか、触れ合う時間もないんだよ。年齢は高速だ。もう、出発3日前ぐらいからルート作りに大忙しである。おまけに、出発してから楽に予約できるように、ホテルの目星をつけなければならないのも愛嬌だ。まあ、今日、ユニクロで5900円のが3900円になった薄あったかジャケット買ったので、重ね着で明日からマイナスの世界でも大丈夫だ。
2012.12.26
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会社の人たちの飲み会のスペシャルゲストとして、半年だったか1年前だったかに定年退職した部長が登場した。部長は、生涯独身を貫くストイックな人、といえば聞こえがいいが、いったい、どうなっとるのか、まあ、あんまり人の人生興味ないんだけど、せっかく来て頂いたからには、しょおもない質問をするのだ。「あれですか、もしかして、寝たきり老人堪能しているのですか、起きるのは夕方で寝るのは朝ですか?」「いいや、起きるのは昼だ。起きたら結構することがないことが多いな」「そんなんやったら、ボケるんちゃいますの?刺激とかやる気とかないのですか」「ないから、結構、忘れる、というか、今も誰とも接点ないから、やっぱり忘れる」「私、トイモイといいます、知ってますか?」「覚えてるよ、さすがに何年も毎日会っていた人は覚えてるな」「最近、意味なくどっか行かれましたか」「京都行ったよ、新しく出来た水族館とか、行ったことなくていったよ、でも、何か京都、海から遠いからか川魚多かったよ」「ああ、オリックスがやっているところね、儲かってるらしいですよ、アクアマリン事業部に人間結構異動になっとるらしいです。ちなみに京都も海ありますやん、日本海のほうに。あ、でも海から一番遠い水族館なんですよ」「ほんまか」「うそです。嘘ですが、世界で一番海から遠い水族館はカザフスタンの首都アスタナにあるんです」「そうか、どうでもいいな。でも、京都市から日本海は遠いからな。だから河魚か、ピラルクもピラニアもおらん、いやおったかな、アマゾンか」「西中島南方にも浄水場があって、川魚見学できますよ。滋賀県のなんとかには湖の魚もおりますよ」「アア、家の近くだな、まだ行ってないな、暇なのに。いろいろ行くとこあるなあ」「暇にしてて何か凝っていることあるんですか」「そうだなあ、世界史を読み直している。今はインダス文明とエジプト文明だ、すごいものだあな」「まだはじめの方ですねえ。そういえば、高校で世界史勉強して、そこに行ったら面白いですよ、何だか勉強してた高校時代を思い出すんですよ、インドネシアならスマトラ島でシューリービジャヤ王国の首都パレンバンとか」「石油のでるところだな」「よく知ってますねえ」「そりゃ、戦争史は詳しいからねえ。帝国軍は、石油求めてたからねえ。」「今も採れるんですよ。そういえば、首都っていうのも、変な訳ですね。キャピトルですよね。まあ、当時は帝都っていったんですかね、東京。キャピタリズムは資本主義ですけど、要は、キャッピなんちゃらってのは、集まるってことなんでしょうね、人が集まって首都、金が集まって資本、なんでしょうね。それって、西洋系の人らは、キャピタルとキャピタリズムと同じように見えるんでしょうね。でも首都と資本は漢字にしたらちーとも違いますよね。まあ、漢字も同じでしょうね、天国、天皇、天井、とか、英語じゃあヘブン、エンペラー、シイルとちーとも、共通性ないけど、漢字みたら、まあ、上にあるもの、ってイメージですもんね、同じですよね」「そんな話してないんじゃないか」「そうですよね、そういえば、会社員は、期限ばかりで計画に追われていたけど、今は、いついつまでに何しようというのはやっぱないわけですか」「そんなもん、ないよ。毎日、目が覚めても、昨日と同じだ」「それで、空しくならないところが、ダラダラ力とでもいうもんでしょうか」「そうかもな、修行が必要かもな」「退職前は、たった一人の男性部下をいびり、たいいあ一人の女性部下をセクハラするくらいしかなかったけど、20年前には、部下が30人ぐらいいましたのにね」「そういう時代だったんだ」「健康状態はどうですか、ちゃんと、病院行って、病人同士で毎日挨拶して、健康を確認していますか」「病院は行ってない。昔から血圧が高いぐらいだ。老人の知り合いはおらん」「今日は、老後の参考になりました。部長みたいにならないよう、精進します」「おう、そうか、そりゃいいことだ」
2012.12.25
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いやはや師走ですが、近年、なかなか正月に日本で正月を味わうことなく、逃亡を繰り返しているので、再度思い出すことにしたのです。門松・・・ないねえ注連飾り・・・ないねえ鏡餅・・・ないねえ。でも田舎であって、最後に、かち割ってストーブの上で焼いて、食べましたねえ。御節料理・・・作ったことないねえ。そういえば、正月って、子供の頃、秋田ねえ、確かに、カレーもね、ってそりゃ、やっち違うもの食べることが出来ると子供心に思ったよなあ。数の子、なんかの佃煮、レンコン、伊達巻、たたきごぼう、紅白かまぼこ、くりきんとん、マメ、あんまりうまくなかったけど、昆布はうまかった。でもコロッケが一番うまかった。次がブリだね。タイはたいしたことない。でもクワイなかったなあ。このクワイ食べたら、うまかった。雑煮・あなたの実家は、何雑煮?ってのが流行ったか?屠蘇・飲まないよねえ、酔っ払わないよねえ。餅・昔、食ってたよなあ。もう何年食べてないか。七草粥・こういうのって、今なら毎日食べたいわ。なます・・ああ、まあ、日常的に何となくついでに食べないか?何かそんな気がする。何か、弁当買ったら、ギザギザのアルミホイルに入ってないか。なんていうのあれ?緑のぎざぎざの仕切りは、バランっていうのだよね、ちゃうかったかな。羽子板・やったことあるよ、後ろに人形の顔がついたので。なんだかはがれそうで嫌な感じ。羽のついたボール、結構小さいのに重くて硬いよね、板が傷みそうだよね。何せ、ゴムじゃないから跳ねないのが、跳ねる世代に生まれてしまった私のは難しい感じがしたよね、ドッジボール、テニスボール、スーパーボール、おっぱい。凧・ゲイラカイトだな。独楽・コマって正月やったかなあ。でもやったよなあ、手に乗せて、熱くなってきたりなんかして。喧嘩ゴマとかあったよなあ。まあ、後から出すほうが強いわな。宇宙ゴマって出なかった?あ、地球ゴマか。双六・なんかのオマケでしかやったことしかないよね。でも、必ずやったかな。福笑い・漫画とかテレビでしかみたことない。だっておもろないもの。かるた・というより、やっぱ、トランプだったんじゃねえか。でもトランプも20年ぐらいやってない、暇じゃないとできないものねえ。いや、暇な奴らが集まらないとできないものね。百人一首・・・できませんエマニエル婦人・・・正月の夜中は、コレやってましたね。こっそり見るのが子供の定番。ビデオなんかなかったからねえ。そういえば、テレビが終わって砂嵐になって、夜中3時からえろ番組始まるぞ、冗談でいったら、3時にトモダチ来て困ったわ。初夢・これ、どうするんだっけ。仕事始め・行くのを忘れてたのは1回だけです。 親戚周り(おとしだま)・子供の頃は、田舎にお年玉を回収しに行ったものだ。それで双眼鏡も買ったが、守銭奴だった私は、中学校に入るまでに、10万円を隠し持っていた。それも古い1万円札のままだ。なんと、それをインド行く時の飛行機代に使ってHISの担当者がびびってた。小西さんが。書き初め・しません。したら、書道の先生だった母にしばかれるというか、右手にバツつけられるからです。初詣・1月1日に行ったことあったかなあ。初日の出はあるけどな。山の上から見たときは、足のつま先もげるかと思った。そこで無事出てきた御来光、感激か?寒いからやよ退散しようや、子供はそう思った。年賀状・・・今はもう書かない。母上に書いてもらっている。それにしてもほんま、正月って忙しいねんなあ。
2012.12.24
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北朝鮮の衛星、今こんなとこ飛んでるよ。学生時代は、考えなくてもだけど、金はないが、できるだけ、何でも見てみたいと長居するために、いろいろ我慢しながら、いろいろ時間があるだけに、面倒だった。簡単に言えば、金があったら、わずらわしさを買うだけで、実際そうなのだが、よくよく考えたら、今、会社員として幸いにも働いているが、その煩わしさを避けるために金を稼いでいるのだが、煩わしさと、働いている時間やスキルを考えると、実はおかしいことに気がつく。東京に行きたい、ネットかなんかで同乗者や連れて行ってくれる人を募る、見つかった、ガソリン代一部払います、運転している時は寝てはいけない、何か面白いネタを提供したり気を遣う・・・そういうことをわずらわしさを考えることと、働くこと考えたら、天秤かけたらどっちが大変か・・・。まあ、自分は結局働いているから、遠道しているんだよなあ、と思う。気遣って、ちょと金出すだけのほうがよっぽど労力楽チンだよね。でも、まあ、どうしても、ってのは実は、あまりなくって、家も、はっきりいってゴミ屋敷というか、どの家も、いらないものだらけで、生きていくために必要なものはあまりなくて、結局、欲望のための金がちょこちょこ使われてるってな感じですか。腹立つよね、でも腹立つって、まあ正義感とか不公平感とかで腹立つってこと以前に、自分が何もできない無力感に対してだよね。まあ、それは、そうとして、もうすぐクリスマスですね、サンタさんを子供の頃信じていましたか?私は、子供の頃から一度として信じたことはなく、きっと親があれは架空のもので、うちは浄土真宗なんで関係ありません、と洗脳されたからであろう。しかし、その信じるという言葉、なかなか危うい。あなたは神を信じますか?あなたを信じます。きっとこうなると信じています。しかし、正月を信じます、バンコクがあることを信じます、明日飲みにいくことを信じます、とは言わない。未来のことも含めて、信じる前に決まっていることだからだ。神を信じますか?それは、もしかしたら、いないかも知れないという気持ちとセットだからこそ、信じますになるんでは。もしかしたら裏切られる、もしかしたらうまくいかないかもしれない、と思うから、決まっています、あります、ではなく信じますだ。じゃあ、信じているのに、都合の悪いことがあったらどうすんだ。そんなときゃ、そうさ、悪魔とか地獄とか出してくるしかないじゃん。でないと、矛盾してくるんだなあ。
2012.12.23
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エストニアのタリンからこの豪華客船で1昼夜でバルト海を渡り、ストックホルムにやって来た。といっても席は椅子の最低席である。値段も3000円とかそういったものだ。どこか分からなかったので、駅までタクシーで行ってもらい、駅で切符を買い、荷物を預ける。中学生の頃、性教育の発展した国、アバの国といったイメージしかなかった国、スエーデンのストックホルムを散歩する。 イミグレーションオフィサーに「何、ストックホルムに2日しかいない予定だって?それは良くない」と笑いながら呆れられたことを思い出しながら、ちょっとわざとらしい旧市街ガムラスタンをまず歩き始めた。この都市は島で構成された公園の多き水庭都市であり、この旧市街以外は、やたら前向きの近代都市という感じで、北欧のベネチアと言われながらも、その辺りが多少つまらないという面がある。湖の中にある首都という格好良さは否めない。水は流れ、風を起こし、気温2度というのになかなか厳しい寒さだ。旧市街はなかなかいいが、メーンストリートはどの都市の例に漏れず観光化はなはだしく陳腐な土産物屋が続く。何故か結構人は外で煙草を吸い、室内に気を使っているのか不思議な気がする。旧市街であるが、ずっとイスタンブール、スペイン、イタリア、フランスと北に来るにつれて何かどこか新しいというイメージがついて回る。 3時を回り、暗くなり、王宮、国立美術館や建築美術館の3つの博物館美術館を経た後、1つの中学生時代の疑問を思い出した。例の性教育のことだ。早速夜を待ち、またシティガイドや目クラ滅法怒涛徒歩行進で、何かヒントになりそうなものを探したが、せいぜいナイトクラブぐらいしか分からず、勝手に、性が開けっぴろげなのではなく性教育が一般の事象と同じ様に健康的に明るく実施されているだけだったのだな、ジェンダーの問題が発達しているのだな、と勝手に結論づけた。 それにしても、身体障害者が街に多く出ている。一瞬、割合が高いのかと誤解するぐらいであるが、結局バスや公共施設がそう対応していて、人々もそういう意識であって、さすがに福祉国家なのだなとすぐ分かる。そして、ここ最近のその福祉政策の行き詰まりを何とか、それでも推し進めながらも発展してやろうという意気込みを感じる。変に考えると、フィンランドと比較してであるが、過去の歴史なのだろうか、常に支配でやってきたからなのか、何となく強い、と感じてしまうのであった。あと、思い出すことは、ストックホルム症候群ぐらいか。解説 1973年、ストックホルムの銀行を強盗が襲い、犯人は数人の人質をとって立てこもった。警官隊と何度も衝突をくり返し、人質が解放されたのは、事件発生から1週間後。しかし、人質を解放した後、事件関係者は不思議なことに気づく。当然、犯人を憎むはずの人質が、口々に犯人をかばうような証言をするのだ。それだけではなく、「感謝されるはずの」警察を、侮辱するようなことさえ口にする。そのうえ、事件が解決した後、人質の1人であった女性が、なんと、犯人グループの一人と結婚してしまう。これが、最初に有名になった「ストックホルム症候群」で、この症候群は、この事件から名付けられた。まあ、写真残すためにアップしたものの、記憶もうあんまりないんだよなあ。ほんの15年前なのになあ。
2012.12.22
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マヤ、あと3分で終わりますか世の中?もうすぐお正月ですね、子供の頃は、よくこうやって歌いましたね。お正月には餅喰って腹を壊して死んじゃった。早く来い来い霊柩車~まあ、それはおいといて、最近はクリスマスだけでなく、頑張ってハロウィンも日本に導入しようと商売躍起になっているけど、そのうち、復活祭、サンクスギビング出てきて、国慶節、春節、ホーリー祭、ユダヤ教の祭り、ラマダンとか取り入れるのではないか、あ、断食は儲からないか・・・いや、反動でメシ食いまくるか。 すみません、バブルの時代、クリスマスといったら、そら大変だったんですよ、多分。(よくある話を引用)バブルの頃は、クリスマスっていったら盆も正月も吹っ飛ぶ勢いの、一年中でもっとも熱いイベントだったのだ。日本中の若い男女に、「クリスマスを一人で過ごすのは絶対にイヤ!」という強大な強迫観念が蔓延していた。なにがなんでもクリスマスまでに彼氏を作って(その後ポイしてもかまわない)、青山あたりでフランス料理のフルコースを食べて、夜のお台場をドライブして、夜景のキレイなスポットでティファニーのオープンハートのネックレスをもらって、赤プリのスイートルームに泊まって、ドンペリ開けて、それから、それからあとはムフフ......てのがバブル当時のカップルの典型的なクリスマスの過ごし方だったのである。そのコースをたどれない者=負け犬、という見えない圧力があったね。男性誌も女性誌もクリスマスが近づくとこぞって「彼or彼女をメロメロにするクリスマスの過ごし方」「クリスマスまでに彼(彼女)を見つけるには」みたいな特集を組んでたなあ。当時放送されていた吉田栄作と仙道敦子主演の「クリスマス・イブ」というドラマは、クリスマス・イブを恋人と過ごす、ということに異様にこだわっている女の子の葛藤を描いたお話だった。 そのバブル時期、今もそうなんだが、やっぱり、仲間にさえ入っていなかった私は、笛吹けど踊らずというか、日本にいないか、アルバイトしているか、であった。そういった特集を組んだ雑誌は読まず、読む奴を軽蔑しながら、あっシー君メッシー君、あ、そんな言葉知らんか?にはならずに、関係ない君のままであった。それは親の教育もあって、自宅では、子供の頃からクリスマスがなく、「うちは何でクリスマスないの?」と子供心に聞くと、「うちは仏教です」と叱咤激励された。さすが、実家が仏壇屋だけある子供心を壊す勇気ある発言である。それでも、子供心にしつこく、クリスマスプレゼントおねだり攻撃をした結果、昆虫図鑑、それも、文字の方が多い図鑑をプレゼントされ、外で皆と遊んでいると、誰かの母が通りがかり、「みんなはクリスマスに何をもらったの?」聞き、皆はなんかのおもちゃかなんか大声で叫ぶ中、私はその奥地で、静かにクリスマスのボケっといったかいってないかは定かではない。 しかし、冬にヨーロッパやアメリカに働いてから行くようになってからは、クリスマスは素晴らしいというか、アフタークリスマスは素晴らしく、売れ残りはバカみたいな値段になる。日本じゃあ、多分、値崩れを防ぐために処分してしまうだろうものも、もう売れるなら1円でもいいよ、みたいな感じになってきて、おかげで、ジャンバー1,000円とか、ジーンズ700円で手に入れたばかりか、かつては、5ドル程度になったタンブラーを買占め、3000円ぐらいでオークションで売りまくって、笑えた。 まあ、いずれにせよ、そうやって、チャランポランにバブル時代を謳歌する寸前(まだ働いてなかったから)だったため、現在の若い子はしっかりしていて、そつなく、もう、完全、負けました。サイナラ。
2012.12.21
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キティエモン、てか、ドラティか・・・反省が4回ということは、今年の忘年会が4回ありましたってことなのだろうか。オレにはそう思えない。忘年会とはいえ、取引先とトモダチでは、随分会話の内容も変更されるのである。友達というのは、それも働くまでに知っていた友達というのは、全く利害関係がないから政治経済宗教精神世界危ない世界ヤバイことプチ犯罪時事評論原発個人攻撃ウハウハエログロナンセンス叱咤激励罵詈雑言言い放題のてんこ盛りなのである。取引先となっても、自分の立ち位置によって、大変なのである。上記、トモダチとの会話のようなものはタブーなので、仕方なくウンコとか仕事の話とか天気天候ぐらいしかないのも事実である。何セ芸能スポーツエンタメ系の話はまったく分からないのである。野球やゴルフの話になると、ひたすらニコニコしてご機嫌を採りながら酒を黙って飲むという循環迷路に落ち入り、静かに酔っ払ってしまうこともありえるのである。家族の話も今のところ家族はいないので、話には事欠くのである。たまに、妹の話をするぐらいであり、その話し始める最初のフレーズは「私の人生において、一番身近の資産家は妹なんです」なのである。後は、住んでいる方面とか、出身地、出身校などでセンシティブな問題なので、なんとなく、引き出すのである。全く違った方面ならば、こそっと流すのであるが、趣味なんかは、まあ、同調したらそれでよしなのである。山歩きとか寺めぐりとか。しかし、さすがに、読書や映画、芸術系は好みが激しいので、まずなかなか難しいが、音楽なら、古い人間もいるので、60年代で盛り上がることはたまにはあるのである。たまに、誰かがヒートアップしてしまうと、悪くはないのだが、ちょっと困っちゃったなという感じにもなることがあり、歴史好き二人がやたらマイナーな人物を取り上げ始めたりすると、さすがについていけないのであるが、実は大抵の話にはついていけないものんなのである。いずれにせよ、死後、間違った、仕事の話はしないようにはしているのだが、恐ろしくも、酔っ払った覚えがないのに、4回目の飲み会の内容をほとんどトレースすることができない自分に気がつき愕然とするのであった。さすがに6時間もダラダラ呑むと、すっかりダメ人間である。あ、もともと、ダメなんだった。差し障りない!ソレが大切だ!ノーガッツ!ノーグローリー!追伸:最近、3年ぶりぐらいに米買いました。2キロ。さて、今から、マヤ暦の12月21日にむかってGO!
2012.12.20
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事故で死なないようにリスクを回避するのは当たり前だけど、0にすることは無理で、0に限りなく近づけようとしながらも、もうしゃあないやろといった点も当然ある。テストで50点の人が次回90点とるのと、90点の人が次回100点とること考えたら後者のほうが断然難しいということは経験的にもご存知のまま。交通事故で死ぬ人は8000人に一人、自殺なんか事故じゃないけど、3万人だから4000人に一人の確率ですよね。このあたり、目処にして、まあ、感覚的に適当に10000分の1以下にするのは労力の無駄ってな感じじゃないでしょうか。どこどこの貯水池に有害物質がいくたいくら検出されましたで水道止めたり(てあったよね)、狂牛病でイギリスからの輸入禁止とか(ってあったよね)、どれだけ死ぬねん、ダイオキシンどこが危険やねん、環境ホルモンってどこに行ってもてん、なんてどれだけコストや損失あるねん、と考えたら、役所も文句言われたくない~あまりコスト考えないんだろうねえ。 この前、仕事で取引先で打ち合わせ中に、「そういえばさあ、柵のない谷間を覗く時って、2人で覗き込んだら、何だか、肩組んだり、手つないだりしてしまわない?相手が男、女関係なくね。でもソレって、落ちる時は一緒って感じだよね。何でだろうね」と聞くと、「普通、谷は覗きませんから。その前にそんなこと考えませんから」と苦笑いされた。なんか、おれ、変なことばかり考えたりしとる人間と思われたような感じがして、ちょっと悲しくなった。 しかし、つまらん選挙だったね。昔小泉に入れて、次に民主に入れて、今回自民か維新とかに入れた人、一番つまらなかったんじゃね?ついつい、昔、カメラを撮る為に後ずさりして、そのままグランドキャニオンに落ちた日本人の恐怖の欠落思い出しちゃたりしてさ。想像の欠如っていうの?ところで、チキンライスとダックライス、違うのか?あ、ウスーク伸ばしたイカだった。私の子供たべられますから、あなたに作って売りますよ、まったく・・・。http://www.youtube.com/watch?v=wx_r3_crFFo&feature=related
2012.12.19
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瀟洒なCentral Prague Hotel を駅中のホテル紹介してもらった。少し予算超えるが・・・といわれたが1,000円だか2,000円だか超えている、7,000円程度であった。清潔なホテルで、朝7時頃にチェックインして、徹夜の眠気を我慢して、散歩に出かけたというのは嘘で、昼の2時まで爆睡し、寒空1昼夜から暖かい至福の布団の中であった。白い感覚であった。時々、旅行してたら、スコブル気持ちいい目にあう。実は、当時、プラハに行く前に、カスケード(日本語にすると、なんていうの階段状に階段沿いに流れる小川みたいなもの)というバーがあって、それがどこにあるか分からなくて、それはセントラルホテルにあるという情報だけ得ていて、泊まってから、あれって、何ホテルだったっけ?どこにあるんだろう、ってメモをみたら、あれ、ここじゃん、あれ、と見に行ったら潰れていた。ヤンフス像。宗教改革者のフスこそ、ルターやカルヴァンみたいな疑問の残る改革者とは違う民衆の味方であったと思うのだが、間違っているか?カルヴァン、ルターもドイツ農民戦争の時は国に反逆した農民は殺し尽くせ、それが神の御心にかなうことだ、と言ってる。旧市庁舎。ティーン聖母教会天文時計しかし、中世そのままのプラハはどこまで歩いても楽しく、ビールも旨い。石畳、尖塔、ドーム、三角屋根、色、飾り、渾然一体となり、どこもが見入ることができる。ドボルジャーク、スメタナ・・・あちこちで、今夜演奏しますよ、って宣伝のチラシというか紙を渡される。市民会館ミクラーシュ教会シナゴーグ火薬庫地下鉄 ここは、共産圏の名残だと思う。あと、後年、ハンガリーとかルーマニアとか共産圏の地下鉄だった。プラハだけは、東欧でも、何回でも再訪したいと思う。いくぞ死ぬまでに。俺も読んだけど、白水社「ビールと古本のプラハ」行く人読んでるんだなあ。確かに名エッセイ。
2012.12.18
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機内食、俺の中だけランキング、もっかいやっちゃるぜよ前もこんなことやったけど、自分の中だけで好評だったので、敢えてもう一回する系でよりそくおねがいします。 するといいながら、私にとっては、機内食は結構どうでもよくって、ビジネスクラスでも、フルフラットで飯抜きのほうが、どれだけ嬉しい系か。それに、もう大人になったので、韓国や台湾に行くときは、ビジネスクラス系でも、基本、メシは食わない系なのである。食っちまったら、着いてから安くておいしいご飯食べることできないじゃんと思う系なのである、いわゆる結構グルメ系なんだ。そうやって行き急いでいる系なのである。または、生き急いでいる系なのである。ちょっとぐらいゆっくりせいや系でいかんかい、と自分に言いたいのだが、残念ながら胃袋は1つしか持ち合わせていない系のである。かといって、牛のように4つも持って、反芻する系のは嫌なのである。反省するのも嫌系なのである。それに、オレは、大きな声では言えないが、ちいとも本当はグルメ系ではないんで、ランキングといったものの、まあ、酒が飲めたらいいかナー系てな感じもあるんですよ。とにかく、1番は、トルコ航空系のアペタイザー系だ。ちょこちょこ小出し系なのであるでも何がうまいかは、その日の体調と腹のヘリ具合によるから、結構どうでもいい系のである。そういうわけで、第2位は写真はないが、ユナイテッド航空のハワイかどっかから帰りの朝食のパニーノ系。トルコ航空でも、ケール系なんか、が案外うまいんだ。(左下の青いの)キャビアパン系ってのも乙だでも、まあ、いわば、チーズにコニャック系かポルトワイン系でガツンと締めるのが、いいのである。もうその頃には、大抵ふらふら系というか、映画をつけっぱなし系のたまま、眠ってしまうものなのである。おまけに、トップクラス系で機外に出られるというのが、よくって、しかしながらイミグレ系で怪しまれ系だったりすることもあって、どんどん後方部隊系に抜かれていくという事態も時々あるのである。 そんな訳で和食系で、陶器で系でお茶がでてきたりなんかしたら、何となく不思議系な気分になるのである。あと面白系としては、アーティチョーク系であったが、すでに、もう前菜系で腹パンパン系で、残す系になってしまっていたこともあったのだった。何が言いたい系か分からんまま、終り系で。関係ない系で、2004年の良く見られている順日本のサイトalexa.comによると、関係ないけど2012年の良く見られている日本のサイト系でどうかわったのか。Yahoo! Japan Google 日本 FC2 YouTub e Amazon.co .jp 楽天市場 Facebook livedoor Wikipe dia アメーバブログ ニコニコ動画 goo Twitter カカクコム Baid u.com MSN はてな 99.COM アメ ーバブログ mixi livedoor. biz Seesa a DM M ・・・日本の検索系ポータルサイトなくなったなあ。逆に2004年には存在しなかったサイト系も。
2012.12.17
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濃い茶色オランダ 原色の赤や黄色のチューリップ、これこそオランダの狂った色。ビリヤードグリーン アルバニア曇色 スチールグレー ミクロネシア白 青 キルギス緑 青 サイパン黒 ハワイカラフルオランダカラフル アルゼンチン茶、青、白 モンゴル緑、白、赤、黄 インド料理緑 パラオ泥色 カンボジア茶 煉瓦色 青 オマーン白赤 チベット藁葺き色 イギリス砂色 エジプト夕焼け色 カザフスタン雨上がり色 青 マーシャル諸島茶 スロヴェニア茶 ベルギー ブルージュ白 スペイン アンダルシア しかし、イメージはどす黒い赤。ピカピカ マカオ煤けた白 グアテマラモザイク メキシコ柿色 ローマピンク インド ジャイプル でもピンクじゃないど、インドは。透明 モルジブ透明 フィンランド 北欧とニューヨークはピカピカのガラスだ。黄色 ビルマ土色 ヨルダン茶 香港茶色 ハンガリーエメラッルド モルジブ緑 カンボジア 残念ながら、人を栄養にした緑だ。目が痛くなるぞ
2012.12.16
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水は大事なんである。どこまで大事かというと、電気ガス水道を滞納しても水道代だけは、最後のギリギリまで止められないぐらい大事なのである。何せ、生命線である。神戸ウォーターどうぞって言われても、売ってないやん。水道らしい建物なのである。ベタやな・・・。まずは館内入ってすぐに歴史を学ぶ。歴史は好きか。そして思想は渦巻くこいつ誰やねん。いまは4分の3を淀川から水もろとる。それでも明治にここが神戸の貯水池の発祥の地ということらしい。東南アジア並みに雨降っとたか。ジョッキで水飲めやってか。オマエの体重を水にしたら、このくらいやわい、と分からせてくれる装置。南極の氷で水割り作ったら最高らしいよ。食料自体かなり重かったんですが、気のせいか。よく見たらインド人の子供でした。神戸市民、どんなけ水蹴散らしてるねん。歯磨きでどんなけ水使っとんねん。台所でどんなけ水使っとんねん。洗濯でどんなけ水使っとんねん。トイレでどんなけ水使っとんねん。どこにどんなどんな水道管が埋まっているか、実は、もうあまり分かっていないと聞いたことがある。確か、20年ぐらい前まで、水まずかったが、今は、高度浄水処理に変わって、それって最近のことなんだ。水と人間の流れところで、明日総選挙ですけど、総選挙って衆議院だけど、別にもう、公約破っても関係ないし、入ってから政党鞍替えしても関係ないから、いったい、何なんだ、事前の選挙活動。いずれにせよ、今回の選挙、無効だよ。
2012.12.15
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ハワイホンジュラスオランダサンフランシスコミクロネシア共和国ミクロネシア共和国サイパンミュンヘンブルガリアスロヴァキアパラオオーストリアオーストリアスロベニアミュンヘン反則 キルギス
2012.12.14
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夜も遅くなって、腹も減ったのかどうか分からないけど、適当な時間の22時半、電車で、ついつい座ってしまうと、隣にヨッパライリーマン上司が座り、もう座る席がなくなって後輩イッパライサラリーマンが立っていた。上司ヨッパライが部下に、「でっかいカバンだなあ」といった。 「弁当箱がスルリと入るのがいいですね」と後輩は言い、私は、弁当昼間に食ってんだなあと単純に思ったが、弁当入れてもまだ十分に入るカバンじゃんとも思った。 この前、自動販売機の前でうろうろしているおばちゃんがおって、ここが関西人トモダチ感覚が発揮されるんだな、「どこ行くの?」丁寧語でもないのだが、よく考えたら笑っちゃうよね。お店で何か買ったら、相手が年上であろうが、みんな「ありがと」とか「おおきに」という。年上やけどこっちは一応客やし、相殺して対等やんなあ、って感覚なんだろうか。 何年か前に、アジア人が車掌に泊まっている電車にこれのっていいいのか駅員に聞いていたが、よく分からなかったみたいだったので、割って入ってどこいくのって英語で聞いたら、須磨とかいいよって、おいおい、これブルートレインだよ、と思ったのだが、コレ停まらないから、俺と一緒の電車乗れと言った。 この前、道の先に破壊系ヨッパライが道行く人に卑猥な言葉を投げかけていた。仕方ないなあ、と思い、進んでいると、20メートルぐらい前を歩いている女性に、「10年後はべっぴんになるでえ、げへへ」と言葉を浴びせた。許せない下衆や労だ、お、次これは、俺の番だ、臨戦態勢を整えメンチを切りながら歩くと、急に小声になって、「ただのヨッパライです」と下を向いて答えた。何だよ・・・。
2012.12.13
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この前、世界タワー特集したけど。ろっぽんぎひるず京都塔東京塔スカイツリー、江戸1。うどんタワー大阪塔ブリーゼタワー太陽の塔PLタワーオメガ塔日本一の水子塔一宮タワー138(いちのみや)メートル、バブルの無用塔人間タワー石造タワー万里の長城沖縄タワー鳴門こういったものを見ていると、文化とは、建築とは、税金であろうと、何であろうと、皆の総意なんかではないのです、偉い人が声を荒立てて勝手にやってしまう!それが文化ってものなんです。
2012.12.12
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神戸がむっちゃ混んでいたのは、いやはや何だっけ、ルミナリエのせいだったみたいだが、こちらは、約束時間に2時間半遅れて店に到着したのであった。大学の後輩で武器商人であるK(東京在住)が大阪に寄ったので、呑むということに相成った。昨年と変わらぬ生活で、毎日、キッチンシンク下のヌメリを取る作業を奥様に命じられてはや10年、毎日欠かさず続け、去年から引き続き夕食は、彼が作っているという毎日で、最近は、子供のカルボナーラを作るのが、得意とほざいてはいたものの、朝からカレーを2杯イッキ食いしたため(か?)体調を崩したらしく、しおらしくホットウイスキーを飲んでいた。今回も前回に続き、呉基地に行ってきたそうだが、自衛隊の前でデモンストレーション開催したというのに、ほとんど藻抜けの空だったという。沖縄に向かったのだ。北朝鮮からミサイルか人工衛星かが飛んでくるぞと、えらいことになっとおるのだ。(今回は2回目だからニュース性がなくなってあまり報道してないのか?)まったく、仕事にならないよ、と後輩はぼやいていたが、それで、日本の平和が守られるならいいじゃないか、というものだ。いいのか?迎撃なんかできるのか、PAC3,使ってみないと分からないね。なかなか、彼の言うことは、いつも妄想も交じっているので壮大だ。いつも話半分で聞かねばならぬ。そういうもんなんだ。それでも、彼は、管直人の選挙区で、演説していたが、誰も聞いている人いなかったとのことである。今度の選挙はどこかな、といいながら、やっぱ幸福実現党じゃね?絶対通らないから、理想言いまくりOKだよね。まあ、予想は自民党の圧勝、民主党はなくなりかけ、その他も思った程伸びない、というところで。そんな感じのメタファーを含みながら、後輩は、気分が悪いと先に帰った。
2012.12.11
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セブに到着して、マニラで紹介された友達を探していると、FMラジオ局に連れて行かれ、ラジオで呼びかけてくれた。セブとは言うものの、現地の人は、どちらかというと、シブというか、シとセの間の発音をしていて、単語も後から無理矢理SEBUではなくCEBUを当てはめたんであろう。セブアーノを話し、浅瀬を渡るという意味らしいが、このセブアーノの美しいという言葉が、マニラなどのルソンの、マガンダとは違い、グアポ(グアパ)なのだ。これってスペイン語じゃん?マクタン島にいく。マクタンといえば、空港があって、ラプラプ市があるけど、ラプラプとう魚もあって、これは結構おいしいというか、魚は白身でちょとだけグロテスクなんだけど、ラプラプは何と言っても、地元の英雄。ラプラプ軍はマクタン島で、あのマゼランを殺したのだから。マゼランの軍団は、命からがら逃げ出し、何とか辿り着いたら、あら不思議、世界一周しちゃいましたよって訳。いやはや、マゼランなんか、どこの地元でも好き放題虐殺を繰り返し、女性をおかしまくって、わはっはわっはは、そりゃどこへ行っても、いい加減怒るわ。あいつら銃を持っているけど、こっちは地元、砂浜で甲冑を身につけた足元フラフラ。しかし、世界史では、マゼランが世界一周したことになっていないか?マゼランの部下であり、多分、遅れたヨーロッパ人としてだろうな・・・鄭和とか。当時は、ヨーロッパ送れてたからねえ。ちなみに鄭和は宦官である。中国宦官ベストスリーは司馬遷、蔡倫である。蔡倫は世界初、紙を作った人ね(多分改良した人だろうけど)。しかし、どうも、高校生級知識の影響、鄭和とその後に出てくる鄭成功とが結構ごっちゃになるんだなあ。台湾行ってからそれなくなったけど。それに、鄭成功の母は日本人らいしいから。船からレイテ島実は、今思い出したが、私は、ネグロス島にも足を踏み入れた。ドゥマゲテにセブからの船が寄港して、外に出たのだ。ネグロス島は、砂糖の島で、フィリピンでは4番目に大きい島である。タバコ買ったんだよ、屋台で。それしか覚えてない。
2012.12.10
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ウイリアム王子とキャスリン、取材に応じた看護師自殺・・・あれ、あれ、あれ、前にも見たぞ。結構、既視感って私には頻繁に起こる現象で、学生時代ぐらいまでは、コレって前にもこんなシーンなかった?って会話を中断してしまったが、今は、もうそういう説明はしない。それは、納得の一番いきそうな考え方に、リアルに経験している瞬間にリアルに忘れて、そのくせ、今リアルに起こっているから思い出すという0.1秒差の出来事みたいな感じ。あ、コレ前にも見たことある、と思いつつ、それは絶対いつのことか思い出せず、実は目の前に起こっていることを瞬間的に忘れ、そして新たに見て、おお、コレ前にもあったような、実は0.1秒前に起こったから過去なんだけど、まあ、そういう感じなんですね。こりゃ、脳の問題だよなあ。記憶したつもりでも、瞬時に忘れる、それが不思議な感覚なんだ。しかし、もしかしたら、連続性の歴史の連続性というか、数秒後の自分とか、数分後の自分とか、数年後の自分がいて、全部決まっていて、同時進行していて、時々錯綜したりの記憶だったら、どうなんだ、不思議なんだが、今の私は30分後の私、のままなんだ。 今日は、野菜カレーを大阪駅の下で食べた。まあ、キャンプにはカレーというのは、定番であるが、そのほとんどは、レトルトカレーであり、ま、キャンプというコンセプトで、飯盒出したり、フライパンのままカレー出したりという感じなのである。説明書によると、厚生労働省が推奨する1日の野菜摂取量と同等の350g以上が入ったカレー。野菜は、カレーの中で煮込むものでなく、注文が入ってから炒め、そこにカレーソースを加え、軽く煮た状態で提供。野菜は、トマト、イエロートマト、レンコン、ナス、シシトウ、カボチャ、ジャガイモ、シメジ、エノキ、マイタケ、サツマイモ、パプリカ、コマツナの13種類の野菜と合挽肉という按配。どうだ?困ったことに、家でもできそうだなあ、という感じと、辛いもの求道者の私にはあと10倍辛くないと、満足できない体になってしまっていて、愕然。その後、芝居を見に行ったが、ストーリーが良く考えられていて、話はどんどんややこしくなっていくのだが、これは、「奇人達の晩餐会」とか、「ワンダとダイヤと優しい奴ら」系のヤヤコシ面白コメディ要素も含んでいるのだった。 見に行ったHEPには、関西のスターバックス1号店がって、まちょっと、ソイラテでも飲んで行くか、というと、注文後名前を聞かれたので、ドギーさんにした。よくアメリカでは、注文後後で渡すからと名前を聞かれるから、日本語名は難しいので、イチローというと、わお、日本人イチローだらけね、といわれ、他にも皆日本人メンドクサガッテイチローとかマツイとか言ってんだろなと推測される。そういえばニューヨークでは国籍聞かれたねえ。今日、オレは、ドギさんです。
2012.12.09
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俺は、えらそうなことを言うが、会社人としてのオレの立ち位置と性格を演じ、家庭人としてのオレの立ち位置と性格を演じ、友達の前ではトモダチ人としてのオレの立ち位置と性格を演じ、恋人の前では恋人としてのオレの立ち位置と性格を演じ、親の前では息子としてのオレの立ち位置と性格を演じ、先生の前では、取引先の前では、屋台の大将の前では、・・以下同じである。しかし、しかしである、知らない人の前では。立ち位置は、知らない人の距離を保ちつつ、性格はどうでもいいのである。特に、もう2度と会わないだろう、旅行中の人なんか特に、遊べるのである。 といっても、性格を一挙に変えて百変化に遊べるほどの度胸と自由度をなかなか、一匹羊の臆病がトレードの私が持っているはずもないのだが、何をやっているのかは、コレは自由なんだ。自由と言っても、目をつぶって夢食う旅人ですみたいな、寝ぼけたことは恥ずかしくていえないのですが、特に西洋の旅行者や現地の人には適当なことを言って私は遊ぶこともあるのである。 「私はコスモロジストです」「あ、専門ですか?えーっとマーズです。火星って・・・うんちく開始してもいですか」「私は、日本でそこそこ有名なコメディアンです、でも英語でコメディはできないので、ちっとも面白いことはいえません」「私は、プロフェッサーです」「あ、専門ですか、えーっと、マチマチックスです、あ、アルジェブラです、あ、アラビアから来た言葉で、アルコールとかアリカリと同じ語源ですね」「私は、プロフェッサーです」「あ、専門ですか、えーっと、フィロソフィーです、あ、そうです、世界の合言葉、これじゃあ、食えないですね、先生になるしかないです」頭を丸めて海外に行ったとき「日本のモンクです。ブディストです、あ、テンプルのプレジデントの息子です、今、見聞のため世界を回ってます、あ、ブディズムのファンダメンタリストです」(その前に中国では筆談で、和尚?と書かれた)「アーチストです。ドローイングですが、あいにく、筆持ってません。ホリディで来ましたが、普段も毎日がサンデーです」「スナイパーです。女性専門ですが、あいにく、いい筆持ってません。・・・冗談ですすみません」「・・・好きに生きな・・・実はドリンカーですそうやって一期一会、特に誰にも迷惑かけているわけではないのである、多分。
2012.12.08
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ベルリンを出て暫くして、車内販売が始まった。小銭は両替してくれないので、ビールに替えてしまおうと思い、値段を確認した。出てきたのはチェコのブドワイザー。 ホップが無尽蔵に利いており、ここ最近こんなに美味いビールを飲んだことがない、と思わず膝をパチンとたたいてしまった。 外はもう暗くなっていて景色が分からない。列車に乗っている全員が降りた。ドレスデン。私も、乗り換えなのではないかと思って降りてしまう。どうやらベルリンからプラハに行く人が誰もいなかっただけのようであった。エルベ河を渡り、車窓から塔がいくつも見える。 いつになったらチェコに入るのかと思っていたら、道路と平行に走り始め、道路標識を見ると、ドイツ語にはない文字があった。 そうするうちにどかどかと制服を着た三名の男女がパスポートのチェックを始めた。乗客は、一枚の証明書のようなものを見せていた。日本人がビザが不要になってまだ半年たっていないので、少し緊張した。旧共産圏らしい疑い深い態度でのぞまれるのではと思っていたが、その女性は長々とパスポートを眺め、鋭い目つきで「シュプレッヘン ドイチェ?」と尋ねてきたので「ナイン」と答えた。彼女は仕方ないわねという顔をして去って行った。ドイツ語が話せなければ、もういいってことなのか、と私はスタンプも押してくれなかったことに多少の不安を感じた。未成年らしき一群が乗車して来た。舌にピアスをした青年。クリーム色の髪の毛の女の子、白に限りなく近い髪の女の子など、南スラブ系を基本にいろいろ交じっている。ビールをおいしそうに飲み交わし、ワインを回し飲みし、煙草を吸っている。正月祝いが初々しい。(私とて、当時20代後半、にもかかわらず、何だか、いろんな人種が、みんな美人で、いいなあと思ってしまう) プラハ駅。午後九時半。降りる乗客もまばらで、駅も少し寂しい。両替をして、先日コペンハーゲンのネットで予約したホテルの場所を、地図を見て探す。そして、暫く歩いてみるが、石畳ではキャリアを転がしにくい。駅前からして中世的世界が始まった。どうやら遠いことが判明、タクシーに乗る。紙を渡すと、頷き、モルドバ河を越え、川沿いに浮かぶ船がホテルになっているのを発見する。中心から随分離れてしまったようだ。タクシーを降り、フロントへ行くと、目の吊り上ったババアが面倒そうに「部屋はいっぱいだ」といい宿帳を広げて見せた。どこか近くにホテルはないかと尋ねると、ドイツ語で道を説明してくれた。何故か分かった。ホテルを出て歩こうとすると乗ってきたタクシーのおじさんが声をかけてきてくれた。ちゃんと私が無事チェックインしたかどうか、暫く待機してくれていたのだ。これが大人の仕事で当たり前の仕事なのかも知れないが、私は大いに感謝した。今からではどこもホテルはいっぱいだというので、ホテル紹介のある駅に戻ることにする。おじさんは来た道の半額でいいよ、といってくれた。来た道は、しかし、既に群集が出始めていて、警察に止められた。おじさんは食い下がった「この日本人は、わざわざ日本から来てくれたのにホテルがないんだ。ちょっとぐらい通してくれよ」と。警官は我々の車だけを通してくれた。 駅に戻ったが、インフォメーションは既に閉まり、パネルで選んで電話予約できるコーナーへ行って十数本電話してみるが、どこもいっぱいだった。どうやらホテルにありつけなかった旅行者が何十人もいるようだ。一様にホテルは無い、君も同じ問題か、という話しになり、大きな荷物を駅のコインロッカーに仕舞う。宿無し青年が彼のママンが作ってくれたというクッキーを一切れ分けてくれ、よい正月をといって街に繰り出して行った。正月まで、あと一時間。時間を追うごとに爆竹の間隔が狭まっていく。ビールを買い、私も駅を出る。ヴァツラーフ広場で、爆竹を鳴らしまくっているのは、中国人たちであった。正月0時に、チェコのプラハで馬鹿騒ぎ。皆が寒空の中、誰彼構わず乾杯。私が日本人と分かると、地元プラハ君はかわいらしい彼女を抱きかかえながら、私と乾杯したあと、こういった。「日本って経済的にすごいんだけど、国民は結構満足できず不幸なんだって?本当かい?」朝まで、トイレを気にしながらも、ビールをちびちび飲みながら、朝を迎える。朝の最後は、地下鉄の中で暖をとろうと、地下鉄に乗るが、これがまた寒い。朝、駅でホテルを紹介してもらい、ホテルに行って、朝食を採って、少し寝たら昼の2時を越えていた。早速また出かけた。プラハも大きな都市なので区に分かれている。ヴァーツラフ広場、って通りなんだけど、奥は国立博物館。ヴィトー大聖堂プラハは、ビザが要らなくなってすぐに行った。行ったのは1997年頃の正月だった。東欧には当時そんなに興味なかったのだが、ボヘミアン、中世のまま、というのに惹かれて昔から行ってみたかった。千年の歴史を持つ都市であり、第一次・第二次世界大戦の被害にも、また、その後の資本主義の高度経済成長にも巻き込まれなかったことで、ロマネスク建築から近代建築まで各時代の建築様式が並ぶ「ヨーロッパの建築博物館の街」になり「千の塔を持つ都市」となる。カレル橋 カレルチャペックの本、飛行機に忘れた。知っている像は、フランシスコザビエルぐらいか。
2012.12.07
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すべきである・・・それはお前の感情だろう。毅然な態度をとるべき、自衛隊を派遣すべき、弱腰外交から脱却すべき、それはオマエの主観だろうと相手からみたら思われてしまうだろうな。うまくはいかない。ところで、いろいろ出てきても政治には期待できないが、まあ、自分の身を切ることで、(それはたいした金額ではないからあまり意味ないんだけど)自ら示してみては同なんだ。憲法違反の選挙区なんか、ちょちょいで変えれるじゃん。今じゃあ、清き0.5票とか0.2票だよね。基盤がどうのこうのっていうのも、選挙区なんか抽選にしちゃったらいいのにねえ。それに、もらえるお金が多すぎる。飛行機やJRがただって、私用に使っても分からない。これ、パスではなくって、スイカとかイコカにして、履歴公開したら即解決だよね。さあ、何も難しいことはない、やろう。しかし、違憲のまま選挙やっちゃうんだから、あとで、やっぱこれ選挙違反じゃん、無効ジャンって言われても、正統な反論できないんだよ。次の選挙、やっぱ無効じゃない?
2012.12.06
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交通事故国際比較を見ると、結局事故の処理の律儀さもあるとは思うのだが、信号を守りましょう、ということを考えたら、これの効果は薄いのだろうか?まさか、信号さえ守っていたら、なんて思っていないよねえ、日本人。よく外国人に撮られるオモロイ日本風景というのに、車が完全に来ないのに、信号で待っている姿ってのがあるけど、どうなんですか? 随分前のことだけどトモダチの店に飲みに行って、今日は持ち合わせが少ないからカードで払っても言いかというと、5パーセントだか8パーセントだかもカード会社から盗られるから現金にしてくれよぅ、と言われた。ナニイ、カード会社儲け過ぎちゃうんか、と思ったのだが、間違いか?これってミカジメ料じゃん。結局、焦げ付き率を計算して、その分を全部、店に押し付けているってな構造なんだろう。(アメリカなんかは多分2パーセント)飲食店で、利益5パーセントも搾取されたら、こりゃ経営厳しいんじゃないのか?どうなんですか?英語で「正義」にあたる語はjusticeであるが、その動詞形justifyには「正当化する」という意味もある。つまり正義とは、「自分の考えを正当化するための道具」ということですか?正義の反対は不正義、不義、また別の正義であって、悪ではないですよね、善悪ですよね。そんでもって、正義を振りかざして、悪を作り出し、鉄槌を加え、堂々勝利宣言!これって、アニメの悪い影響なんでしょうか?どうなんですか?
2012.12.05
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それは、一言で言うと、金と時間のバランスなんです、そういうことは、誰でも思いつくことなんです。人生を一歩進めるためには、お金を使わなければならないこともあるんです。お金は、単なる共同幻想の紙なんですけど、それだけじゃないです。ここはタクシーで行くか、バスで行くか、電車で行くか、そう考えた時にも、ぱっと使ってしまっても問題ないのです。ラクになるんです、気持ちだけでなく、財布も軽くなるんです。お金を使うということは、問題を解決するということなんです。しかし使いすぎると新たな問題が勃発するのですが、今のところ、旅行業で破産まではいっていません。火の車だけなんです。お金を使って楽をしたからといって、それが、いいか、悪いか、だけの判断ではダメなんです。すぐ危ない政治家はイエスかノーかを迫りますが、アホなマスコミは0か100をすぐ選択させようとしますが、人間はそう単純なものではないです。そのほかに、楽しい、痒い、何となく嫌な感じ、とか良い悪いだけではないんです。 あとは、ネットの違いですね。ネットが生まれてから、どんなけ旅行スタイルが変わったのか、ということなんです。何セ、学生時代ボルネオ島に行くといっても、中学社会科地図帳しかないんだから。ガイドブックもなくって、図書館に行ったり、図書館の世界詳細地図をコピーしたり、ボルネオのバラム河にはどんな魚が住んでいるのか、危険な(ワニとか)動物は住んでいないのか、まだどこかに首刈り族の生き残りがいるのか、ジャングルで危ない動物とか病原菌はないのか、調べられるのは、もう図書館しかなかったんです。でもそれでも、分からないことだらけでした。仕方ないです。 まだ、中国とかインドとかは、ちょっとは情報集められたんです、そして、ガイドブックもあったりしたんです。それに、中国やインドでは、日本人とすぐ知り合うようにして、情報交換は必要だったんです。今は、旅行行ったら、もう話しません。やっと解放されて、何故向こうでまた日本人と話さないといけないの?ビヘー、ってな感じになってしまっているんです。飛行機についても、何度も格安航空会社に出かけ、まだですかまだですか、と言っていたし、海外でもリコンファームでいちいち航空会社事務所まで出かけていたものなんです。 しかし、今も昔も変わらない事実もあるんです。それは、旅行とは、帰ってくることなんです。それでないと、失踪者になってしまうんです。だから旅行では、いかに家に帰ってくるか、緻密な計画が必要なんです。どこまで緻密かというと、まずは帰りの飛行機の混み具合を確認することなんです。出ないと、海外に出ずっぱりになるんです。まだ若いので、そこまでの勇気はないんです。そして、今のところ、帰ってくるのは全て達成しているのです。それも、学生時代は、返ってくる予定から1ヶ月遅れましたというのはあったけど、働いてからは、たった1日なんです、それも1回だけなんです。しれてます。
2012.12.04
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キーアズマからの風景。今までベスト3に入るほど面白い美術館だった。24時間有効のヘルシンキカードを購入、数々の美術館博物館無料の公共機関乗り放題だったような。ポストミュージアムのトイレ。ヘルシンキ大聖堂 ウスペンスキー寺院邸宅街シベリウス公園 ここを散歩するためにシベリウスを持ってきたのだ。サウナはどこにでもあり、どのホテルにもついている。夜中は酒飲みながらテレビ。やたらエスコートがどうのこうのという専門チャンネルがある。北極圏から30度近く気温が上がって、明るい時間も2時間ほど増えたが、まだ海は凍っている。北欧では大型豪華客船も3000円とか、5,000円でも乗れる。2つの大型客船が交差するハーモニー。シンララインとバイキングライン。早朝、バルト海を渡る。今回初めて、太陽を見る。
2012.12.03
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同年代でないケリーさんからのささやかなリクエストにより、地名を浮かび上がらせる作業に没頭する私であります。勿論、ほかにいろいろすることがあるので、実はそんな暇はないのです、が、暇は作り出すものなんです。するとずっと暇になるんです。空虚ともいいます。アジャンター・・・この前ジャルガオンの紹介をしたんですが、誰も覚えてないですよね。忘却力が大切です。このジャルガオンからバスで、アジャンター石窟寺院に行ったのですが、世界遺産です。当時、ここでジーンズを履いたインド人女性を見たんです、サリーやパンじゃピードレスでない女性を見たのは初めてだったので驚いたんです。まあ、驚いたのはいいとして、アジャンター、まるでアジャパーです。勿論、タイムリーでアジャパーが流行っていた時代にこの世に生を受けていたわけではないですが、古いギャグを集めていて、高校のときに、3人ぐらいの中だけで流行ってたんです。そりゃアジャパー、ガチョーンみたいな感じだったんです。現代においても、年に1回ぐらいは、アジャパーというんです。アジャンターは、イギリス人のハンターおっさんが、虎を追いかけているときに偶然見つけたとのことなんです。ハンターですね、日本語に訳すと、またぎ、です。またぎといえば、キリタンポを発明した人々ですね。保存食なんです。だから私もキリタンポのお土産は、キャンプに行った時に食べたんです。それだけなんです。あ、アジャンターはインドですよ。パレンバン・・・かつてのシューリービジャヤ王国の首都だったんです(多分)。でも今は、今と言っても20年ぐらい前ですが、スマトラ島の小さな都市になっていたんです。何セ、おおここが、かつての首都なのかとおもいを馳せる暇もなくて、夜、屋台で買い物をしようとしても、おばちゃん、後ろを向いたままコチラを振り向きもせず、何となく人生諦めたのかうなだれているように見えたのです。しかし、顔の表情は後ろ向きなので、がっくり落とした肩から想像するしかありません。そんな訳で、サテを買うのは諦め、多分、何か固定物を買ったのですが、お金も勝手に置いて来たという淡い記憶があります。パレンバンはそういうところなんです。私はその名前から、至極賑やかなところかと思ってましたよ、管楽器ぽいじゃないですか、トランペットとか、チューバ、ホルン、あれ、似てないじゃん。カンパンペット・・・そこで思い出したのが、タイのカンパンペットなんです。しかし、このときは、自転車でタイを縦断中という特殊事情もあったので、まさか、トランペットを思いつくこともなく、実は、花王のマイペットを思い出していたんです。いつも、掃除をさせられていたから?なんてのは邪推です。もう、現在自宅にマイペットはないんですが、昔は、会社で使っていたような気がするんです。もしかしたら妄想かもしれません。花王は、ライオンと対抗するべく、ガオウと名前を変えて欲しいと昔から思っているのですが、思っているだけです。クチン・・・マレーシアのボルネオ島の大きな都市なんです。クチンの意味は猫だそうですが、私には、どう見ても、猫には思えませんでした。ワクチンとか何かそんな感じなんですが、これから俺たちはボルネオのジャングルに入るため、酒はなくなる、よってこのクチンで酒を飲むのだ、といって、地酒を買ったら、とてもまずく、次の日船に揺られて吐いた経験まであるんです。おまけに、行き先も、出発時間も同じ船があって、乗ってからチケット見せたら、あれはあの船だ、と言われたときには、もう船は南シナ海上にあったのです。だから、2重払いしたんです。みなさんもクチンでは騙されないように気をつけましょう。ウドン・・・カンプチアの首都プノンペンから50キロぐらい先のところにあり、誰かが、日本語のウドンのネーミングの故郷といっていましたが、そりゃ、あの閑散とした村がそんなウドン帝国の基礎になったとは到底思えません。簡略化していえば、嘘です。しかし、ここまで、どうやって行くかが問題だったのですが、三輪バイクにどうだというと、もう往復100キロですから、目を輝かせて、行きます行きますすぐに行きましょう旦那!と言われて、交渉の結果、ツーリストプライス往復20ドルで相成ったんです。ウドンには寺院があり、子供たちが金くれなんかちょーだいと、つきまとうのですが、決してウドンくれという嘆願はなかったんです。おまけに、寺院見学が終わって下に下りると、三輪バイクドライバーは、後ろの席で思いっきり昼寝をしていて、私が起こさなければならなかったんです。だって、起こさなければ、私はこのあと、バンコクに飛ぶ予定だったんですからね、そんで、日本に帰らないと、仕事をサボらないといけない羽目に陥るので、涙を呑んで惰眠を貪るドライバーをたたき起こしたんですよ。ちなみに、タイでウドンといえば、ウドンタニーですね。地元民は、ウドン、と言ってたニーを省略しています。これは、横浜人が、浜っ子といっているのと同じようなものでしょうか。しかし、神戸人は、神になってしまうので、おこがましくて略したりなんかしないんですよ。分かりますか?ニャウンウー・・・この地名は今も覚えられなくて、検索しなおして出てきました。ビルマは、古都パガンの入口になる町なんです。Nyaung-Uとそれも英語表記すると、全く読めないんです。結局、行ったにも関わらず、未だに口に出して発音したことのない私の中では珍しい地名なんです。しかし、発音しなくても、ニャウンウー空港出たら、ガイドとか、ガイドとか自称ガイドが一杯たむろしていて、私をキャッチしてくれるので、心配ありません。あとは、どのガイドを選ぶかです、というか、別にガイドはいらないんですが、何せ広大な敷地(パガンの寺院の入場料は、空港で取るんですよ、つまり、エリア全部が寺院なんです)で時間がないなら、泣く泣く、ガイドを雇ったほうが得策かもしれません、私も嫌な気がしたんですが、何セ生き急いでいる身、結局ガイドとドライバーセットで雇って効率よく回れて正解だったのだ。でも正解の後ろには、幾千もの誤答があるんです。そして、旅の基本は誤答なんです。だからたまにのしょうもないことにでも、感動してしまうのです。ウランバートル・・・いや、これは、モンゴルの首都ということは、日本人なら8割ぐらい知っているよ、と思うんですが、これが英語表記ならなんじゃこりゃとなるのが、ウランバートルなんです。Ulaanbaatarなんです。私も、空港でそのことに気がつき、なんてAが多いんだろうと、一種の感動めいたものまで感じ、恨めしい棒?のように思ってしまったのは、日本人でモンゴルに行ったことのある人の8パーセントぐらいは感じたと思うんです。ウラアア~ンバアア~トルってのが、より忠実な発音なのかも知れません。今度、モンゴル力士に確認したと思っています。今度は、まだいつかかは分かりません。インチョン・・・韓国の国際空港インチョンですが、漢字で書けば、仁川なんです。いや、これは、韓国の首都郊外の空港名ということは、日本人なら8割ぐらい知っているよ、と思うんですが、これと、西宮市にある仁川(にがわと読む)ダブル人は、日本広しとはいえ、阪神間に住む人の8割ぐらいいるのではないでしょうか。きっとそうなんです。仁川には、大学も高校もあるけど、競馬場もあるんです。阪神競馬場で、人格者もいますが、人格破損済者も来られるんです。一方、インチョンには空港があるんです。ハブ空港として、日本の田舎の人は、ここ経由で欧米に行ったほうが早いんです。ちなみに、インチョン空港で乗り継ぎ時間長かったので、インチョン市内に行ったのですが、これが、何と、ソウル市内に行くのと時間があまり変わらないのです。こんなことで、インチョン空港と名乗っていいのでしょうか。更に阪神間の人は、多さ各校ゆうても、あれ伊丹空港やんけ、と敷地の半分が兵庫県であることを全国にアッピールしているんです。カオシュン・・・インチョンが仁川なんだ、ということを力説しましたが、そうなると出してこないといけないのが、台湾のカオシュンです。漢字で書けば、高雄です。私の知り合いに英検1級の農薬をアジアで売りさばいている死の商人、高雄君がいるのです。永らく会ってませんが、ここで実名を出してしまいました。彼は、大学の後輩のトモダチなんですが、ネパールのポカラで熱を出して倒れてました。そのときに初めて彼を見て、それからずっと見てなかったので、彼の印象は、高熱で倒れている男なんです。ポカラとはいえ、昼間はまあまあ暑いのですが、それでも靴下はいて、シュラフにもぐりこんだりして、ものすごく熱く見えました。人の印象なんてそんなもんなんです。その後、10年後ぐらいに東京で会い、呑みに行ったのですが、熱を出していなかったし、背広を着ていたのが不思議な夜の提灯下がりでした。まあ、そんな感じで、カオシュンに行ったときには、ついつい、高雄元気にしてるかなあ、熱出しているかなあ、と老婆心ながらに思ったんです。チュニス・・・チュニジアの首都だからってチュニスはないだろう、安易だな、と思ったですが、アルジェリアの首都もアルジェですね。でも実際は、チュニスのほうが先にできたので、チュニスのある国、チュニジアだぜよ!ってなことなんでしょ、多分。何セ、大きな声では言えませんが、チュニジアに行くまで、私は、30年間チェニジアだと思ってましたからね、チュニジアに行くまで誰もそのことを指摘してくれなかったことを思うと、多分、行くまで一度も言葉に出して発音しなかったのではないでしょうか。そう、言葉としては知っているが、発音したことのない言葉というのは、相当数あるんです。六波羅探題、愛憎二筋、ベングリオン大統領、シークエンス、ジョンフィッツジェラルドケネディ、ゲロッパ・・・まあ、人生そういうものだんです。だから結構厳密には、アバウトで覚えているのが常なんです。それは、サハラの意味が砂漠、ガンガーの意味が河、みたいなもので、それぞれ日本語に直すと、砂漠砂漠とか、河河になっちゃうです。それは、アメリカに、ザ・バンドというグループがあたんですが、元々はバンド名がって、でも、ドサ周りで行く先々で、店の人に「バンドの人、バンドの人」とか言われてもう面倒になって、俺たちは、「ザ・バンド」だと宣言し、バンド名をザ・バンドに変えたのと同じようなものです。人は、そうやって、安易にネーミングするもんなのです。済州島・・・チェジュドは、変換すると、最終等となってしまい、大変困った島なんです。一方的に終わります。サイナラ。
2012.12.02
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昨日部下に、「いやいや、近年、鈴木姓を田中姓が上回ったんだよ、日本では」なんて言ったら、「まあ、鈴木さんでも田中さんでもいんですけど、」とかわされて、確かにどうでもいいことだと思ったのだが、家でもう一度調べると、佐藤さんが鈴木さんを抜いたことを知った。私は、社会人というか会社人として、間違った躾を部下にしてしまったのではないかと反省するのである。ちなみに、姓の多い順は、簡単に言えば、というか、チョちょいと調べてすぐ分かる便利な時代。日本に多い苗字は、佐藤、鈴木、高橋、田中、渡辺、伊藤、山本、中村、小林、加藤、吉田、山田、佐々木、山口、松本、井上、斎藤、木村、林、清水が20傑。ということが判明した。というか判明するまで5秒だけど。確かに、20人とも知り合いいるわい、と気がつくのに、1秒ぐらいしかかからなかったのだ。しかし、書くのに15秒ぐらいかかっている気がする。まあ、それは、愛嬌だ。そういうわけで、今日はリップサービスで、誰も興味がない20傑苗字の知り合い俺の中でまあ、その名前の中で一番オモロイ奴ってのを企画したのだが、多分、途中でやめるし、誰も興味はないんだ。ぐはっ!佐藤・・・そいつは、高校時代の同級生で、同じ陸上部長距離のまあまあ近い存在だったのだが、一言で言えば、赤い人、燃えているわけでも共産主義者でもなく、単に赤が好き、ってな男で、コートも靴もハチマキも赤。何故か一度聞いたことがあるのだが、その理由はすっかり忘れてしまった、なんせ高校時代の話だから。彼には、遺伝ということを教えてもらった気がする。彼は高校生の2年のときに、隣町から引っ越してきた。高校の編入ってどうよ、あまり覚えてないが年間1人いればいいほうじゃないか?高校を転校するってのは、結構人生を転向するようなものじゃないか。そう思うのである。転校も隣の市ということは、親の転勤とかで仕方なくではなく、親が引っ越し好きだったということが高校のときから既に判明した。バブル経済もまだの頃だが、その趣味は引越しは普通なんだが、佐藤家の趣味は趣味は買い替えだったのだ。常に持ち家なんだ。そして、ステップアップしているのが不思議で、彼は、いや、彼の親は、大きな一戸建てに引っ越してきた。(でも大学時代、親はまた買い換えて家を買って引っ越した)まあそれはそうとして、彼は確か23歳ぐらいで働き始めていきなり2年目ぐらいで家を買った。その5年後ぐらいにまた家を買って、またその後家を買ったときに会ったのだが、最近の年賀状によるとまた家を買っていた。それも、まったく、地縁のないところにだ。さすが、赤い奴だ。さすがの私も、さすがに、青くなった。うそなるはずない。何セ、俺なんか、家は買うものではない、貸すものだとしか思っていない不届きモノだからだ。それがプロなんですよ、プロとは何かというと、それでメシを食うということですが、そういう意味では私はアマチュアです、ララプチュアではないです。それって、ブロンディだよね。コールミーのブロンディだよ。まあ、そんな訳で佐藤は赤い奴。栄作じゃないから。鈴木・・・実は関西にはそんなに鈴木姓はいないんだ、いないといっても鈴木商店とかあったぐらいだから、バカにはできない。今も同時進行で鈴木さんと3、4人一緒に仕事をしているぐらいだから、誰のどこそこ兵の鈴木さんといってくれないと、分からないのだ、というか、まあ、結局は第一声の声で、おお、あの鈴木さんね、と分かるので心配はないのである。何セ、私は、昔のことは記憶がよく、それは地方老人なみで、痴呆ね、最近のことはもう歳も歳だからすぐ忘れるのである、私のイメージは痴呆老人が昔のことに詳しいのは、最近の記憶とか直前の記憶が速攻で剥がれ落ちて、昔の記憶が最前列に来てしまうからだと思っているのだ、そうじゃろ。記憶は玉葱なんだ、実は忘れたのではなく、埋没していくのだ。見えないのだ。人生と同じだ。見えないのが嫌なら、どうするか、ソレは簡単だ、決めることだ、未来も決めてしまうのだ、それに沿っていくだけだ、でもそれも、あまり面白くもなさそうだ、すみません。新党大地頑張れ。高橋・・・子供時代というのは、不思議で世界が閉じられていて、例えば、金持ちとか貧乏とかあるなんか知らなくて、誰も親も同じものだと思っていた小学校低学年時代があったりなんかして、ある日、太田君の名前がいきなり高橋君になって、びびったというか、羨ましかった。苗字変えれるなんてどうやったら変えることができるの?純粋に羨ましかった、私も、苗字毎月変えることできたら楽しいなあ、先生に申告したらできるのだろうか、まあ、単純にいえば、その仕組みというかシステムが分からず、その裏にある不幸なんか見えるはずもなかった(一方は幸福だったのかもしれないが)。恥ずかしいけど、ちなみに大学時代に一番影響を受けた高橋は、そりゃ、源一郎だろな。幸弘は中学校だったから。田中・・・お、田中さんか、こりゃ難しいなあ。どうしようか、3,4人一瞬に顔が浮かんだが、それぞれにエピソードがあるが、そのエピソードがまあ普通のエピソードだったことき気がつき、純子のことを無理矢理思い出すことにした。純子は、まあ、色黒だったと思うのだが、それはいいんです。中学校のキャンプのクラス対抗で何か催し物、スタンツをすることになったのですが。我がクラスは、大きな声では言えないが、オフコースのイエスノーを歌ったのです。まあ、はっきり言って、中学校のときははまりましたよ、一般世間なみに。私の中でオフコースナンバーワンは「さよなら」なんです。でも20年は聞いてないけど、そんなことはどうでもよくって、夜のキャンプファイヤーで、芝生の上で純子さんは皆と一緒に歌っていたんです。実はそれだけなんです。不思議だ、彼女のこと好きか嫌いとか、かわいいとかキレイだとか思ったこともないのに、今でももしイエスノーを聞いたら彼女が体操服でキョウチケの姿勢で歌っている姿が目に浮かんでしまうのです。こんなことでいいのでしょうか、の明石城のほとりでした。あの人はなんなんでしょう。世の中の私の中でYEDNOだけで生き続けているのです。というか、そう思い出したのも30年ぶりでした、すみません。渡辺・・・渡辺、-うーん、悪い奴なんです。小学校2年のときにゲイラカイトを買ったんです、いや、親戚に買ってもらったんです、詳しくはオカンの弟に買ってもらったんです。ゲイラカイトですよ、今もあるんですか?というか今、凧揚げするんですか?おいらのガキ時代は竹ひごで凧作ったじゃん。自分でもボーイスカウトでも学校でも、いや学校では作らなかったかかな。まあ、ソレはどうでもよくて、ゲイラカイト知っている?親戚詳しくはオカンの弟なんですけど、カイトの両端に大きく私の苗字を書いた、のはいいけど、それは漢字が間違っていたんです。30めーたーぐらい飛ばしても間違った漢字がくっきりみえたのだ、でもある日、そのゲイラカイトがなくなって、もっとある日,凧飛ばしている渡辺みたらゲイラカイトで、名前のところが張り紙してあって、そのほかは私のゲイラカイトの全く一緒だった。でも、当時小学校低学年から中学年に移りつつあった小学校3年では、分別の季節であり、そのカイトを見ながら、飛ばしている渡辺に行った。「おれのゲイラに似ているな、なんか、凧に張り紙までしてるけど」しかし、渡辺は「オレが買ったんだ」の一点張りであった。でもカイトを地上に降ろして、張り紙を剥ぎ取ったらオレの名前が出てくるのは間違いなかった。でも、オレは分別のつきつつある小学校3年生だった。そのころから、どうやら世の中は不公平らしいということに薄々気がつきつつあり、子供にとっての不公平は親の影響であるということにまで気がつきつつあり、渡辺家庭が貧乏であることを薄々感じ始めたときであったので、「オマエのゲイラだよね、俺、帰るわ」といってその場を去ったのであります。主旨は、子供時代から気を使う人間だったてことなんですよ、わたしは。次は、伊藤といかに戦うか、と思ったのだが、さすがに眠くなってきたので、いつかある『次回』にすることにしたよ。
2012.12.01
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