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昨日に引き続いて、名城公園からお送り致します。公園内レストランの近くに6本の柱があり、パンジーの花で覆われている。 近くの花壇も、そしてご丁寧にも、公園の外にまでパンジーが植えられている。 全くもって徹底したものではある。 しかし、まだ植えられたばかりで、花柱を除いてはぱっとしない。レストラン内の一角が温室風になっている。パキスタキスやベゴニアが花を咲かせている。パキスタキス・ルテア キツネノマゴ科、原産地はメキシコ~ペルーで、 常緑小低木。 茎の先端に長さ10cmほどの花穂をつけ、美し い黄色の苞が整然と重なり、苞の間から白い 花を咲かせる。 温度さえあれば、いつでも開 花する。 別名をウコンサンゴ(鬱金珊瑚)ともいう。 パキ スタキス属はルテア種が実用種で、単にパキス タキスといえば、一般的にこれを指す。ベゴニア・オリンピアレッド シュウカイドウ科、オーストラリア大陸を除く世界 中の熱帯・亜熱帯に広く分布し、花の形状やそ の存在から「天使の翼」と呼ばれている。 その名はフランスの植物愛好家ミシェル・ベゴン 氏にちなんで付けられた。 わが国では石垣島 などに生育している。 科の名前になっている シュウカイドウは中国原産であるが、寒さに強い ため、庭の中の日陰の湿った所によく植えられ ている。 花言葉 : 片想い、安定した幸福 名城公園<完> 画像は下記をクリックして下さい。 名城公園(2)ヘジャンプ※ 今年は色々と楽しませて頂き、ありがとうござ いました。 来年もよろしくお願いいたします。
2002年12月31日
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12月26日(木)正午前に名城公園に行って来た。実に久しぶりのことである。 曇り空で寒い日とあって、人影もまばらである。 名古屋城の内堀の北側にある公園で、川あり噴水あり、運動場も勿論ありで結構楽しめる。 春の「ふじ」は有名である。 市役所、県庁の近くにあるが、殆どの人達は名古屋城には行くが、ここまで足を延ばす人は少ない。公園の中央近くに小高い丘があり、シーズンごとに色々な花が咲いている。 ごく最近「パンジー」を植えたばかりのようだ。 そのうち、素晴らしいお花畑となる事だろう。そのすぐそばに、菜の花畑があり、なんと既に数輪黄色い花が咲いている。 年々早くなっているのか、それとも狂い咲きだろうか。 画像は下記をクリックして下さい。 名城公園(1)ヘジャンプ
2002年12月30日
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温室の最後になりました。 出口のすぐ傍にデンファレが可憐に咲いていた。デンファレ ラン科、原産地はオーストラリア・ニューギニア。 花々の女王と言われるラン類の中で、茎の先から花が 伸びるタイプの蘭で、デンドロビューム・ファレノプシス を略してデンファレという。 日本では沖縄で生産が盛んだが、海外では熱帯性気 候 の国に多く、花の首飾りに使用されている。明るい 雰囲気は、花言葉の通り魅惑的で可憐である。 ランの中では最も高温を好む着生ランである。 花色 は多く、純白から淡緑色、濃いピンク等、色々ある。 花の形や咲き方がファレノプシス(胡蝶蘭)に似ている ため、この名が付いたという説もある。 花言葉 : 魅惑、お似合い。デンファレの反対側に、背の高い面白いランを見つけた。オドントブラッシアである。 品種名は「サンタ・バーバラ」で、初めて見るランである。 名前から考えると、原産地はアメリカかも知れないが、よく分からない。 褐色のクモのイメージのあるランで変わっている。以上で温室は終わり、出口を出る。 ところが出た所にもランがある。 つまり普通の室内で咲いているランである。 バンダ ラン科、パンダ属の着生ラン。 原産地は熱帯アジア。 花は径5~10cmで色や形は変化に富み、華麗であ る。 ランとしては、珍しく青系統の花もあり、大輪花 も登場して人気を高めている。 赤系統もある。白い 斑点があるのが特徴である。ジゴペタルム・マッケイー ラン科、原産地はブラジル。 花茎が約90cmと長く、 ときに曲がりくねっている。 唇弁の基部からは、濃い 赤色から青紫色のすじ状の模様が放射状に入り、短 毛が密生する。 ユニークな花が魅力的。 改良種は、強い香りのある ものが多い。 比較的低温性のランで栽培しやすい。この部屋を出ると、全くの屋外で、風雨が身にしみる。地下鉄北山口までの道のりは、結構遠かった。 京都府立植物園<完> 画像は下記をクリックして下さい。 京都府立植物園(9)ヘジャンプ
2002年12月29日
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温室も最終コーナーに近づきました。 次は洋ランです。 日頃見なれていない品種が多かったですが、感心したのは、多分原産地の様子に合わせて栽培したのでしょうか、素朴な良さが出ていました。ツニア・マーシャリアナ ラン科、原産地はミャンマー・タイ。 初めて見る ランである。 なお、名札には気をつけている積 もりですが、間違っている場合もあるかと思い ます。 お気づきの節はご指摘下さい。ナリヤラン(成屋蘭) ラン科、原産地は琉球列島、熱帯アジア。 日の 当たる原野や山裾に生える自生ラン。 西表島 に多産し、成屋の部落にちなんで命名された。 カトレアに似た美しい花を開き、冬でも見られる。 草丈は1mを超えるほど大きくなる。エウロフィア・フォルスファリー ラン科、原産地はアフリカ西部。 まさに、ランの原種をみる感じの素朴さである。 画像は下記をクリックして下さい。 京都府立植物園(8)ヘジャンプ
2002年12月28日
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次の温室の部屋へと移って行く。 アナナスが目に入る。アナナス・ネオレゲリア パイナップル科、原産地はブラジル。 アナナス のなかで、最も有名なのはアナナス・コモサス、 つまりパイナップルであろう。 しかし、ネオレゲ リアは花や葉の美しさを鑑賞する植物である。 大地に根を張って育つというよりは、岩や大木 に張り付いて暮らすのが得意で、極端な場合、 雨露だけを頼りに生きているものもある。 エア プランツもアナナスの一種と考えれば分かり易 い。 バラエティーに富んだ葉の色もさることながら、 なによりも花の美しさが特徴的である。 特に 花を咲かせる花茎や、花弁を保護する苞が見 事で、1ヶ月くらいは色あせせずに長持ちする。そのすぐ傍で、ヘリコニアが橙赤色の花を咲かせている。ヘリコニア・プシッタコルム バショウ科、原産地は中央アメリカ、南アメリカ の多年草。 植物学的にはバナナに近い。 バショウのような大きな葉や、美しい色彩の花、 苞を鑑賞する。 高温多湿で排水のよい所を 好む。 耐寒性はあまりなく、最低15度は必要 である。 ヘリコニアという名は、ギリシャ神話の芸術を つかさどる女神ムーサの住むヘリコン山に由 来しているとか。次の部屋に入ると、馬鹿でかいアンスリュームに驚かされる。 オバケアンスも大きいが、美しさはともかく、これは巨大といっていい。アンスリューム・キューベンセ サトイモ科、原産地は西インド諸島。 名前は ギリシャ語の「花(anthosaura)」と「尾(oura)」に 由来するとか。 小花が集まった花序部分が 仏炎苞についた尾に見えることからという。 このキューベンセは葉っぱも巨大だが、尾の 部分が極めて大きい。 ただ、惜しむらくは 大きいだけで、美しくはない。 画像は下記をクリックして下さい。 京都府立植物園(7)ヘジャンプ
2002年12月27日
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温室を更に進んでいくと、バナナやパパイアのコーナーに来た。 何やら、細長い紐状のものにラグビー・ボウルの形をした実をぶら下げているものを見つける。 どうやら、リュウキュウバショウらしい。リュウキュウバショウ(琉球芭蕉・小笠原亜種の バナナ) バショウ科、原産地はマレー半島で多年生草本。 樹木のように見えるが、幹の部分は茎で、木の ように硬くはならない。 石垣の島バナナは小笠原亜種と呼ばれる種類 である。 台湾バナナより小さいが、モンキーバ ナナよりは大きい。 島バナナの特徴は、濃い 香り、深い甘み、やや酸味のある味で、「本物 のバナナ」であることを、食べる者に実感させて くれるとか。 象の鼻のように長く伸びた茎の根元の方に緑色 の実がなり、先端の方には赤紫色の大きな蕾の ようなものが付いている。 手のひら位のこの皮 (苞という)がめくれると、その内側に5cm位の クリーム色をした物が一列に並ぶ。 これが、バ ナナの花である。 そのそばにパパイアが高い木の上の方にぶら下がっている。パパイア パパイア科、原産地は熱帯アメリカ。 熱帯各地 に栽培されている主要果樹である。 沖縄では古くから庭木として植えられている。野 菜として食べる場合は、緑色のうちに収穫して、 皮をはぎ炒め物などにして食べる。 果物用と して食べる場合は、樹上で果実の1~2割程度 色付けさせてから収穫し、追熟で黄色く柔らか くしてから食べる。パパイアの次の部屋には、スプレプトカーパスの鉢が天井からぶら下がっている。スプレプトカーパス イワタバコ科、葉は托葉(葉の根元を支える部 分)が無く、対生である。 花は両性で、径1cm 位の花を咲かせる。 普通は紫色であるが、白 色のものもある。同上、クーペリ・南アフリカ 葉っぱの大きさがもの凄く大きい。 初めて見る 品種であった。 画像は下記をクリックして下さい。 京都府立植物園(6)ヘジャンプ
2002年12月26日
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引き続き温室からお送りいたします。温室の奥に向かって歩を進め、暫くして左手に、おなじみのブーゲンビレアが咲いていた。ブーゲンビレア オシロイバナ科、原産地は南米で、常緑半蔓性中 低木。 エキゾチックな雰囲気の夏の熱帯花木の 代表である。 花に見えるのは苞(ほう)で、3個の 苞が集まって1個の花のように見える。 枝先に3枚の苞葉に包まれた黄白色の小花が咲く。 今回はたまたま蕾の状態のものを撮影出来た。 花言葉 : ピンク、情熱 白、熱心近くに珍しい花を見つけた。 フヨウの一種らしいが、蕾の状態に見える。 これで咲いているらしい。ウナズキヒメフヨウ アオイ科、原産地はメキシコ、コロンビア。 花弁は 殆ど赤色だが、まれにピンクもある。 垂れて咲くの で<ウナズキ>の名が付いた。 蕾のように見える がこれ以上開くことはない。次は、これまたおなじみのハイビスカスである。もともと、雌しべが長いのが特徴であるが、撮影したものは雌しべの花柱が特別長かったので驚いた。ハイビスカス ハワイの州花であり、マレーシアの国花である。 アオイ科で、原産地は東南アジアと考えられていて、 常緑低木である。 フヨウやムクゲも同じ属であるが、ハワイアンハイビ スカスといわれる、交配品種群をハイビスカスという。 近年、品種改良や矮(わい)化剤の利用により、鉢 花としても多く生産されている。 花色は赤、ピンク、橙、黄、白、藤他で八重咲きも ある。 花言葉 : 繊細な美、常に新しい美 画像は下記をクリックして下さい。 京都府立植物園(5)ヘジャンプ クリスマスの記念にトナカイを捕獲
2002年12月25日
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温室の中は可成り広い。 更に中に進んでいくと、ジャングルを歩いている雰囲気となる。 首が馬鹿に長い白い花が咲いていた。ロスマニア・ロンギフロラ アカネ科、原産地はアフリカ西部。 アカネ科特有 の葉は対になって茎についている。 ラッパ形の 細長い筒を持った白い花を付けている。 因みに コーヒーの木もアカネ科である。植物園の温室でよく見かける、トックリヤシがあった。根本が膨らんでいて、徳利のようなので分かりやすい名が付いている。 進行方向の右手に、観葉植物が繁茂していた。カラテア・テニオサ クズウコン科、原産地はブラジル。 葉はやや厚く、 緑色地に暗緑色の矢羽根状の模様が入り、大変 美しい。 珍しくクリーム色の花 苞をつけていた。 生育が良く、根元から新芽、新葉を次々と出す。続いて、今度は左手にルコウソウに似た花を見つけた。イポメア・ホルスファリアエ ヒルガオ科、原産地は西インド諸島である。 朝顔 と同じ科であるが、やはり熱帯性の植物の花であ る。 そんなに大きくないが、鮮紅色で存在感が ある。 画像は下記をクリックして下さい。 京都府立植物園(4)ヘジャンプ
2002年12月24日
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<ポインセチア特集>温室内に入ると、急にむっとする。 外気との温度差が大き過ぎるようだ。 眼鏡が曇り、慌ててハンカチで拭う。入り口に「第11回ポインセチア展」の大きな看板がぶら下がっている。 成る程、可成りのスペースをポインセチアが占めている。 早速カメラを取り出し撮影を開始する。 ところが、レンズが曇って撮影が出来ない。 1回シャッターを押す都度、レンズを拭く必要がある。ポインセチア ドウダイグサ科、常緑性低木で原産地はメキシコ。 欧米では「クリスマス・フラワー」の愛称で親しまれ、 日本でもクリスマスの花として愛好されている。 真紅に彩っているのは、 苞(ほう)と呼ばれる花 を包んでいる器官で、花は真ん中に小さく集まっ ている。 最近は品種改良が進んで、 苞も大きくなり、耐寒 性も増してきた。 花 苞の色も赤だけでなく、ピン ク、クリーム、白や複色のものまである。開花調節 の技術も進んで、秋早くから出回るようになった。 1825年、当時メキシコ駐在でアメリカの公使だっ たポインセット氏がメキシコに自生していたポイン セチアを発見した。 その功績がたたえられて氏 の名前から「ポインセチア」と命名された。 その後、アメリカからポインセチアが渡った欧州 では、クリスマスにキリストの血の色、すなわち赤 を飾る習慣があり、しかも花の中にある密腺の 黄色が、鈴の金色の役割を果たしていることから、 特にポインセチアがクリスマスに用いられるように なった。 花言葉 : 情熱的な恋レンズを毎回拭きながら、なんとか撮影する。 新品種の「モネ」はピンクで美しい。 立て札に<散り斑の赤が今までより濃い>とあった。ポインセチアの反対側に珍しい花が咲いていたので、撮影する。 雨に濡れた感じであるが、温室内が多湿のためである。 リュエリア・デフォシアナ キツネノマゴ科、原産地はブラジル。 青色の可 愛い花である。 画像は下記をクリックして下さい。 京都府立植物園(3)ヘジャンプ
2002年12月23日
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バラの撮影が半ばで、小雨が降り始めた。 慌てて、傘を取り出す。 左手に傘を持ち、右手にデジカメで撮影を続ける。アイスバーグ 1958年、ドイツ作出、FL。 花は淡いピンク(普通 は白)で、半八重の平咲きである。 霜にあたっても、 次々に咲いてくる位耐寒性がある。 勿論病気にも 強い。 作出後40年以上経過しているのに、未だ に人気がある。デスティニィ 1989年、フランス作出、FL。 クリーム白色の花 弁に、赤桃色の縁取りが入る。 中輪で花弁数は 25枚。カリンカ 1970年、フランス作出、FL。 サーモンピンク色 で、丸弁平咲き。 1970年代各地のコンテストで 金賞を受賞している。まだ、撮影していないバラが沢山あるが、雨足が強くなってきたので、温室の方に移動することにする。途中に、低木のサザンカが咲いていたので撮影する。花だけを見ていると、バラに見えてくるから面白い。5分以上歩いただろうか、やっと観覧温室が見えてくる。 相当大規模な温室のようだ。 1992年4月に完成したとの事である。 温室から東を望むと、比叡山が見えた。 素晴らしい眺めである。 画像は下記をクリックして下さい。 京都府立植物園(2)ヘジャンプ
2002年12月22日
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17日(火)に神戸に行く前、午前中京都府立植物園に立ち寄った事はすでに記述しましたが、今日はそのレポートをお送り致しましょう。植物園の開園時間は09:00で、その直後に入園する。 当然のことながら、園内には人影はまばらである。 冬の植物園が淋しいのはやむを得ない。この植物園は1924年(大正13年)に開園した。多分近代的な公立植物園としては最も古いものの一つではなかろうか。日本最古としては、1684年徳川幕府が設けた「小石川薬園」がある。 ここは、世界でも有数の歴史を持つ植物園といっていいだろう。さて、園内に入ってすぐ目に付くのは、ハボタンである。 冬の花壇は淋しいものであるが、ハボタンが目を楽しませてくれる。ハボタン(葉牡丹) アブラナ科、一年草。 原産地は中国、北ヨーロッ パ。 ハボタンはキャベツに近縁のもので、我が国 で改良が進み、栽培も日本が中心である。 心葉は、中心が着色し、赤系と白系とがある。また 葉の形から次のように分類される。 ・丸葉系 : キャベツに近く葉が丸い ・ちりめん系 : 葉の周縁が細かく縮れる ・切れ葉系 : 葉の周縁が細かく切れ込みが入る 花ではないが、花言葉がある。 花言葉 : 祝福古い植物園だけあって、樹木はすでに森林の趣をなしている。 大きなスダジイ(ブナ科)の林があり、京都らしく竹林もある。 案内板をたよりに洋風庭園に向かう。 バラ園が目に入る。 秋バラは既に殆ど散っているが、寒さの中を健気に、まだ咲いているバラもある。サンフレア 1984年、アメリカ作出、FL(フロリバンダ)。 美しい純黄色で、花つきが良く、光沢がある葉で 耐病性に優れている。 バランスがとれた、樹高 約80cm位となる。ホワイトマジック 1989年、アメリカ作出、FL。 中輪、半八重。 クリーム色がかった白い花弁数20枚程の花び らが、黄色のおしべを包んでいる。 花びらが 厚いので、雨に少々打たれても大丈夫である。花霞 1985年、日本作出、FL。 白地にピンクのぼ かしが、花弁縁を覆うように美しく咲いている。 春咲きほどの力強さはないが、辺りを華やかな 雰囲気に包んでいる。 画像は下記をクリックして下さい。 京都府立植物園(1)ヘジャンプ
2002年12月21日
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神戸のルミナリエを見た後では、名古屋駅前のイルミネーションは可成り見劣りするが、いまや名古屋の師走を彩る風物詩となったので、レポートしましょう。神戸との一番の違いは、結構人出はあるが、並ぶ必要はないし、楽に撮影できる。 そのかわり、駅前のロータリーは車、車、車で大渋滞である。 つまり、殆どの人は車で見物に来るという事である。 渋滞のお陰で、車の窓を開けて写真を撮っている。テーマが特にあるわけでなく、年末を明るく飾ろうという程度で、JRが大スポンサーなので、汽車がメインになっている。 愛知県や名古屋市も参加して、万博をPRすれば、効果があると思うが、多分予算が無いのであろう。蒸気機関車が時々蒸気を出して、汽笛を鳴らしているのは面白い。 子供達にも楽しんでもらえるよう、色々と工夫している。 特にメリーゴーラウンドが人気があるようだ。 不景気で気が滅入りそうな中で、明かりを点したのは評価できる。 今後より良くなる事を期待している。今晩は兎に角映像を見て頂きましょう。 画像は下記をクリックして下さい。 X’mas イルミネーション・名古屋駅前ヘジャンプ
2002年12月20日
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一昨日17日(火)、京都と神戸に行ってきた。 主たる目的は旧友との忘年会を神戸・元町で持つことであったが、折角だからと京都に立ち寄った。早朝名古屋を出て、新幹線京都駅に着いたのは08:35であった。 行き先は神社、仏閣ではなくて、京都府立植物園である。 09:00開園直後とあって、人影はまばらである。 しかも、折悪しく雨が降り始めた。結局11:30に外に出るまで、雨が降り続いた。ということで、殆ど温室での撮影となった。 この件は後日レポートしましょう。JR京都駅地下街で昼食をすませた後、新快速で三宮に向かう。幸い雨はやんで、日が射してきた。忘年会は夕方から始まるので、その前に「人と防災未来センター」を見学することになった。14:00JR三宮駅中央口に集合する。 駅前からバスで神戸東部新都心(HAT神戸)に向かう。直通バスで停まるのは一カ所、県立美術館だけである。人と防災未来センター 阪神・淡路大震災 (1995.1.17 am5:46) の経験 と教訓を継承する拠点として、今年4月27日に オープンした。 当日の記憶をよみがえらせる、 生々しい映像や展示も多い。 9月には当センタ ーで全国の防災担当者を対象にした研修講座 が行われた。 今回オープンしたのは一期部分で、地上7階 地下1階のガラス張りの建物である。 被災者 やボランティアから、研究や保存用に記録や 写真、思い出の品といった貴重な一次資料、 約16万点が提供されている。入館して先ず1F研修室で「語り部」から、震災当日の体験談と、その後の対策のあり方について話を聞く。 人命の救助が第一であるが、肉親のそして近所の人達の助けが一番有効であったとか。 時間の経過と共に絶望的になっていくから。集会所における避難生活では、トイレの問題が一番深刻だったとか。 二番目は水と食料である。 話が終わったところで、エレベーターで4Fにあがる。 そして見学しながら、順番に階下へと下りていくわけである。一番ショッキングなのは、4Fの「1.17シアター」であろうか。 3D映像を駆使して、当日の生々しい崩壊の様子が映しだされる。 被災者の人達にとっては、胸がつぶれる思いをされるのではなかろうか。 迫力満点で、地震の怖さを実感できる。 途中で気分が悪くなって、外に出る人もいるとか。 次のコーナーは「震災直後のまち」である。 破壊された町並みを実物大の模型で再現している。これまた、迫力満点である。 今にもビルが倒れてきそうで恐い。各階ともゆっくりと見学したかったが、最終のバスが15:40頃である。 残念ながら、展示物を眺めながら、通り過ぎるだけで、バス停へと急ぐ。16:00前にJR三宮駅前に到着する。 忘年会の会場は元町なので、歩いて行くことにする。 そのまま真っ直ぐ西に歩けばルミナリエ会場に近づくが、忘年会場はJRの北側で、ルミナリエとはJRをはさんで反対側にある。 約20分後に会場のホテルに着く。ルミナリエを会の後で見学するため、忘年会を早く始める。 先ほど見た映像のショックが大きく、盛り上がるのに時間がかかったがやむを得ない。19:40忘年会を終わり、徒歩でルミナリエ会場へと向かう。 トアロードを南にJRをくぐる。 いや、凄い人混みに驚く。 広い道路が歩行者天国で、しかも一方通行となっている。 兎に角最後尾について、のろのろと進んでいく。聞くところによると、今日は空いているそうで、土日ともなると、なんと50万人近い人出があるとか。震災の年の1995年12月に、犠牲者(6432名)への鎮魂の意と、都市の復興・再生への夢と希望を込めて、開催されたとか。 今年で8回目、テーマは「光のぬくもり」である。 毎年デザインが変わっているとか。正面入り口の明かりが見えてきたのは約20分後である。 帰りの新幹線の時間が気になって、焦ってくる。 同行の連中に、お先に失礼するむね伝え、足早に入り口にちかづき、フロントーネ(光の玄関)とガレリア(光の回廊)を撮影する。 中に入って、スパッリエーラ(光の壁掛け)を撮りたかったが、時間の都合で断念する。入り口手前で引き返し、近くでタクシーを拾う。新神戸への途中渋滞したが、なんとか最終列車に間に合った。 画像は下記をクリックして下さい。 ルミナリエ・神戸ヘジャンプ 人と防災の未来センターへジャンプ
2002年12月19日
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<イタリア旅行最終回>フォロ・ロマーノに行きたかったが、時間の都合で撮影だけにとどめ、カンピドリオの丘を下りていく。バスのところへ行く途中、何処を眺めても絵になる。 撮影に夢中になると、ついグループを見失いがちになり、慌てて後を追う。次の目的地は「真実の口」である。 車窓より、大理石の建築としては最古(紀元前2世紀後半)のヴェスタの神殿と、ローマに現存する神殿としては最も古い(紀元前2世紀)フォルトゥーナの神殿を撮影する。「真実の口」はサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の入り口左手の柱廊にある。 案内板は何も無いので分かりにくい。 イタリアを旅行していて気づくことは、日本に比べて、看板が殆ど無いということである。 遺跡と看板は似合わないわけで、立派なものだ。さて、分かりにくい所ではあるが、長い行列を見れば成る程と納得出来る。 兎に角、最後尾に並ぶ。 一人一人が「口」に手を入れて撮影しているので、時間がかかる。 おそるおそる手を差し込んでいるのが面白い。 海の神、トリトーネの顔をかたどったこの円盤は1632年に教会の壁から発見されたとか。 もとは井戸の蓋に使われていたという。いよいよ最終観光地、カラカラ浴場跡へと向かう。 夕陽に照らされた遺跡を眺め、往事を偲び感慨ひとしおである。カラカラ浴場 紀元後217年にカラカラ帝時代に造られた巨 大な浴場跡である。 1600もの人達が同時に 入浴出来たという。 この浴場は大理石で埋め 尽くされ、無数の彫像、壁画、モザイクの床で 装飾された素晴らしい建物だったようだ。 6世 紀に北ゴート族の襲来で破壊され、現在残るの はモザイクの床と煉瓦の壁のみである。 古代ローマ人は大の風呂好きで、朝風呂を習 慣とし、格好の社交場となっていたようだ。風 呂の後の赤ワインの味もまた、格別ではなか っただろうか。一週間に及ぶイタリア旅行も、あっという間に終わってしまった。 イタリア病にとりつかれ、いまだに夢心地が続いている。ホテルへの帰途、特にリクエストして、コロッセオに再度立ち寄ってもらった。 夕陽に浮かぶコロッセオをもってこの旅を締めくくりましょう。長い間のご愛読ありがとうございました。 イタリア旅行<完> 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(21)・ローマⅨヘジャンプ
2002年12月18日
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今日はこれから、京都と神戸に行ってきます。神戸の元町で忘年会があるので、会が終わった後でルミナリエの撮影が出来そうです。お越しの節は、掲示板に書き込みをお願いいた します。 帰り次第、そちらにお伺いいたします。 宮じい
2002年12月17日
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コロンナ宮殿を後にし、再びバスに乗り込む。 市街地を走り5分もしないうちに、ヴィットリオ・エマヌエレ2世記念堂に着く。 ヴェネツィア広場の南の大きな建物である。5世紀のローマ帝国の崩壊以来、いくつもの国に分かれていたイタリアを1870年に統一しイタリア王国を作り上げ、初代の国王となったのが、ヴィットリオ・エマヌエレ2世である。 記念堂中央に献花する場所があるが、国際的な行事に使用されているようだ。次いで、徒歩でカンピドリオ広場へと登っていく。 ここは、ミケランジェロによって設計された広場で、中央にあるマルクス・アウレリウス帝の騎馬像もミケランジェロ作である。 高台にあるので、ここからの眺めは素晴らしい。 歩いていると石ばかりの町という感じであるが、高台から眺めると結構緑に恵まれている。広場の反対側からの眺めもまた格別である。 フォロ・ロマーノが一望出来る。 フォロとは「フォーラム」の語源となった言葉で、公共広場の意味だが、広場に建てられた神殿や聖堂などの政治・宗教の中心施設を含めたエリアを総称してフォロと呼んだ。フォロ・ロマーノ カンピドリオの丘とパラティーノの丘に挟まれた谷間 に広がる最古のフォロで、皇帝達のフォロが出来る 前までは、古代ローマの中心として栄えた。 その 起源ははっきりしないが、紀元前6世紀には排水口 などが設備され、都市として機能していたという。 現在の姿は、1803年以後に発掘されたもので、一 部復元された建物を除いて、廃墟のまま公開され ている。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(20)・ローマⅧヘジャンプ ※ お知らせ : 明日京都、神戸に行きますので、 次回花紀行(208)の掲載は 明後18日の夕刻となります。
2002年12月16日
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12:00までに、一旦ホテルに帰る必要があるので、サン・ピエトロ広場前の大通りを広場の方に向かう。予想したとおり、タクシーの溜まり場が見えた。道路側に一番近いタクシーに乗ろうとすると駄目で、3列並んでいる車の一番中央寄りに乗車する。ホテルのカードを示せばOKで、すぐスタートする。ホテルは市街地の外れにあるので、渋滞する中心地を経由しなければならない。 ナビがついているので便利である。 渋滞しない場所を選んで進んでいる。 11:40にホテルに着き、一旦部屋に入る。10分後にロビーへと降りて行く。 グループの人達が既に半数位揃っている。ロビーに大きくて立派なアンスリウムが花瓶に生けられている。 見事としか、いいようがない。 早速撮影する。 さあ、イタリアにおける最後の観光に出発である。12:00全員集合したところで、バスに乗り込む。先ずは、腹ごしらえをしなければならない。 テルミニ駅に近いレストランに入っていく。 入り口は小さいが中に入ると豪華である。 地元の人達も食事をしているので、期待出来る。キノコ入りのピッツァは美味しかった。 ケーキとコーヒーも出て、満腹となる。 13:30レストランを出る。 目的地はコロンナ宮殿である。 「ローマの休日」のラストシーンを飾った所として有名である。歩いても行ける距離であるが、バスで近くまで行ってもらう。 宮殿を外から見たかんじでは、特別凄いというほどではないが、中に入った途端、目を見張った。 素晴らしい、これぞまさに宮殿と感嘆する。 アン王女と会えそうな雰囲気で、夢心地である。 ここも、例により撮影禁止であるが、入場者は我々のグループだけということもあって、係員が特に3枚だけ撮影を許可してくれる。 何処を選ぶか迷いに、迷ったあげく兎に角3枚数撮す。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(19)・ローマⅦヘジャンプ
2002年12月15日
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サン・ピエトロ広場に出て、さて、次は何処に行こうかとあたりを見回す。 といっても、すぐ見つかるわけでもなく、ガイドブックを取り出す。近くにサンタンジェロ城があるようだ。 歩いて行ける距離なので、兎に角そちら方向に歩を進める。ヴァチカンは世界一小さな国である。 従って城壁があり、門もあるが、国境警備があるわけでもなく、自由に出入り出来る。しかし、中世時代には、法王とローマ貴族との争いの時、法王達はこの城壁の上の道を通ってサンタンジェロ城に入り、防戦したらしい。 城壁に沿って東へと歩いていく。 大きな通りを越えると、すぐサンタンジェロ城が目にはいる。 歩いて10分くらいだから、大した距離ではない。サンタンジェロ城 この城は、テヴェレ河畔にあり、紀元後135年ハ ドリアヌス帝が自分と子々孫々の墓所として建設 を開始、4年の歳月をかけて完成した。 この城の名は、590年、法王聖グレゴリオ1世が、 その頃ローマに猛威をふるっていたペストの絶滅 祈願の行列を催していた際に、城の上に天使(= アンジェロ)が現れ、手にした剣で悪疫を追い払っ たという伝説に由来する。 1527年、法王クレメンテ7世が神聖ローマ皇帝 カール5世の”ローマ略奪軍”に囲まれ、この城に 逃げ込み、身の安全を図った事で有名である。 イタリア統一後は兵舎や政治犯収容所として、現 在は武器・美術品等を陳列する博物館、および 歴代法王の廟として使用されている。 また、この城に架かるサンタンジェロ橋は、ローマ で最も美しい橋といわれ、橋上の天使10体は17 世紀のベルニーニの作である。 この橋はハドリ アヌス帝が建設したもので、橋げたを繋ぐアーチ のうち、中央部の3つは当時のまま残っている。お城の中に入りたかったが、残念ながら時間がないので、サンタンジェロ橋を渡って行く。 そういえば、オペラでトスカが身を投げるのはこの城からであるが、当時はテヴェレ川がすぐそばに迫っていたのだろうか。橋上からの眺めは素晴らしい。 ただ物売りが多いのは煩わしい。 古代ローマ人らしい扮装で、コンサートのチケットを売っている。橋を渡りきったところで、そのまま前進し、一本目を右側に路地に入ってみる。 裏通りも、なかなか趣きがある。 さて、今日は午前中のみ自由行動で、午後はグループと行動を共にするので、ぼつぼつホテルに帰らなければならない。 川と大聖堂のドームが目印なので、道に迷う心配はない。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(18)・ローマⅥヘジャンプ
2002年12月14日
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流石カトリックの総本山である。 サン・ピエトロ大聖堂は、内外観共に素晴らしいし、荘厳である。中に入って、奥に向かって右側に聖ピエトロ像がある。 ブロンズ製で、作者は13世紀にローマで活躍した彫刻家アルノルフォ・ディ・カンビオとされている。 この聖ピエトロ像は信者からの崇敬を集め、足にさわってお祈りする人が後を絶たず、甲の部分がすっかり擦り減ってしまっている。大ドームの真下に位置する内陣には、教皇の祭壇を飾るブロンズの天蓋が立っている。 ベルニーニが1624年から10年を費やして制作した、バロック彫刻の傑作で、らせん模様の刻まれた4本の柱が印象的で、この荘厳な聖堂内で、ひときわ目を引く建造物である。 聖ピエトロの豪華な墓室で、97個のオイル・ランプで照らされている。聖堂を飾っているのは、イタリア芸術の巨匠たちの傑作ばかりで、見て回るのに最低3時間は必要だろう。 ミケランジェロが設計した大ドーム(クーポラ)に登れば半日がかりとなる。我々は時間が無くて、残念ながら登れなかった。地上120mにあるバルコニーから、ローマが一望できて素晴らしいとのことである。出口に「天国の鍵」が描かれていた。 聖書によれば、ピエトロというのは「岩」という意味で、イエス様が彼に「お前の信仰は岩のように固い」といってそう名付けられた。 そのピエトロにイエス様が「天国の鍵」を授け、それをもってピエトロが初代教皇と見なされるようになった。従って、「鍵」のモチーフは教皇庁の印でもある。荘厳さに圧倒されて、いささか疲れを覚えた。外に出て、広場で深呼吸して、ほっとする。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(17)・ローマⅤヘジャンプ
2002年12月13日
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11月22日 6日目、サン・ピエトロ大聖堂昨日は最後のトレヴィの泉で雨が降り出したが、今日のお天気は大丈夫のようだ。 午前中はフリーである。07:30朝食後、午前中の行き先を検討する。昨日システィーナ礼拝堂は見学したが、サン・ピエトロ大聖堂はまだ見ていない。 そこへ行こうと衆議一決(といっても家内と二人だけだが)する。 立派なホテルだが、残念ながら地下鉄駅に遠い。 フロントでタクシーを頼む。 同じグループのご夫婦が同乗を依頼される。 勿論OKである。 5分くらい待たされたがタクシーがやって来た。 ガイドブックで目的地を指させば、すぐスタートする。 09:10頃である。少し渋滞した所もあったが、25分後にはサン・ピエトロ広場前に着いた。 割り勘ですんだのは有り難かった。 サン・ピエトロ広場 バロックの巨匠ベルニーニが設計した「世界一の 広場」として名高く、1667年に完成した。 広場 は284本のドーリア式円柱が並ぶ回廊で囲まれ、 中央にはエジプトのオベリスクが立つ。 これは、 紀元後37年に古代エジプト都市へリオポリスよ り運ばれてきたもので、後世の地震で唯一倒れ なかった。 高さは25mある。 クリスマスになると、この広場にはイエス様誕生 の場面の人形が多数置かれ、大変賑やかとの 事である。 毎週日曜日の正午には、法王様の 姿を拝見出来るとか。 この広場はなんと、30 万人を収容出来る。法王様を守る衛兵が入り口を警備している。 縞模様のユニフォ-ムはミケランジェロがデザインしたものを、現在も使用している。衛兵はスイス人で、しかも代々ここを警備した子孫でなければならないとか。 衛兵の交代を見学出来たのはラッキーだった。 広場を一通り撮影したところで、いよいよ待望のサン・ピエトロ大聖堂に入っていく。サン・ピエトロ大聖堂 世界最大の規模と豪華さを誇る、カトリック教会 の大聖堂である。 現在の建物は16世紀以後 のものだが、その前身となったのは4世紀のコ ンスタンティヌスの聖堂である。 紀元後313年にキリスト教徒となった最初の 皇帝コンスタンティヌスは信仰の証として、バシ リカ(聖堂)の建設を命じた。 聖ピエトロに捧 げられたこの聖堂は、暴君ネロによって逆さ磔 (はりつけ)にされたというピエトロ殉教の地に 建てられた(349年)。 1546年に再建の命を受けたミケランジェロは、 彼独自のデザインで建設を始めた。 さらに、 デラ・ポルタやカルロ・マデルノらに工事は引き 継がれ1626年に完成した。 この間に様式は ルネッサンスからバロックへと移り変わった。 最も有名なのは、ピエタの礼拝堂であろう。 ミ ケランジェロが最初のローマ滞在中に制作した 若き日(25歳)の傑作、ピエタ像が安置されて いる。 フランス人枢機卿フェツェンザックの依 頼を受けて、1499年に完成した。 この作品 によって、ミケランジェロは天才として世の注目 を集めるきっかけとなった。 1972年に像の一部が破壊されるという事件 があり、現在は防弾ガラスによって守られて いる。 台座が高くて、イエス様の顔が見られ ないのは残念である。聖堂内には礼拝堂、礼拝所が幾つもあり、入り口から奥に向かって右側の、秘蹟の礼拝堂では今日もミサが行われていた。 観光客は勿論入ることは出来ない。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(16)・ローマⅣヘジャンプ
2002年12月12日
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コロッセオを後にして、次はトレヴィの泉へと向かう。北上する感じだが、歩いてもいける位の距離である。途中の車窓からの眺めも素晴らしい。 古い遺跡の連続といっても過言ではない。バスを降りて、細い路地を歩いていく。 暫くすると、突然開けた場所にでる。 彫刻と一体になった、巨大なポーリ宮殿の白壁が現れる。 「トレヴィ」の原語が示している通り、3つの辻が出会っている。トレヴィの泉 ここは、ローマで最も有名な場所の一つであろう。 数あるローマの噴水の中で最も大きく、バロック 様式の舞台的効果にあふれている。 ポーリ宮殿の壁を巧みに利用して造られたこの噴 水の設計者は、1730年に法王クレメンス12世 が募集したコンクールで決められた。 入選者と なったのは、若く無名のニコラ・サルヴィであった。 彫刻はプラッチが担当し、完成したのは1762年 である。 壁面中央の勝利のアーチを背にして立つのが、 海の神・ネプチューンで、彼が乗る貝殻の馬車 を引くのは天馬ペガサス、手綱を操るのは2体 のトリトンという構成である。 ギリシャ・ローマ 神話の一場面が劇的に表現されている。 素朴な疑問の一つは、昔これほど豊富な水を どうやって引いてきたのか? なんと、紀元前 2世紀から紀元後2世紀にかけて、テヴェレ川 を水源として、整備された古代ローマの水道を 利用したという。 19世紀末に水道は改築され たが、今見る噴水も古代ローマの恩恵に浴して いるというのだから驚きである。 おなじみの、「後ろ向きにコインを投げれば、 再びローマに戻ってこられる」というロマンティ ックな伝説は比較的新しい習慣とか。 昔は 泉の水を飲むということで願をかけていたとい う。世界中から来る観光客が、必ず立ち寄る場所とあってか、兎に角人、人、人の波である。 日没も近く、薄暗くなっていたが、生憎ぱらぱらと小雨が降り始める。 慌てて、折り畳み傘を広げる。大部分の人達は、傘もささず平気で濡れている。身体のことより、カメラが心配で撮影は中止する。残念だがやむを得ない。30分後、小さな教会の前の石段の上に集合する。 2名がアイスクリームの行列で手間取り、雨の中を走ってくる。 これにて、今日の予定は終了。 バスでホテルに向かう。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(15)・ローマⅢへジャンプ
2002年12月11日
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システィーナ礼拝堂を後にしてバスに向かう。 なかなか興奮が冷めない。 その上、11月下旬だというのにローマは暖かい。男性は全員ノー・コートである。この近くには駐車できないので、かなり歩かされる。とある教会の広場で、バスを待つ。 広場にピンクの可愛い花が咲いていた。 日本では見かけない花である。 早速撮影する。5分くらい待って、バスがやっと来る。 まだ、正午前だが早い目にレストランに向かう。 今回のツアーは殆ど食事が付いているので、面倒がなくて助かる。 ランチだというのに、野菜サラダ、ヒラメのムニエル、そしてパスタである。 勿論パンもあるから、ボリューム満点である。 赤ワインもボトルで出てきた。イタリア式に、のんびりと食事を楽しむ。 最後のケーキとコーヒーを飲んで外へ出たのは、既に13:30を過ぎていた。 バスに乗り込んで、コロッセオへと向かう。コロッセオ ”永遠の都”ローマのシンボルである。 「ローマ は永遠なり。 されど、コロッセオが崩れるとき ローマも終わる」という中世からの言い伝えが、 それを物語る。 この古代ローマの円形競技場 は、紀元前70年頃に建設が始まり、完成したの は100年以上も時を経た紀元後80年である。 直径188m、周囲527m、高さ57mの4階建て である。 5万人を収容した観客席は、身分や性 別によって区別されていたという。 大観衆を前にアリーナで行われていたのは、剣 闘士同士や猛獣と人間による血なまぐさい殺し 合いであった。 勝利者の門から、意気揚々と 出ていくか、密かに別の門から運び出されるか の何れかである。 昔のこととはいえ、なんとも、 やりきれない思いであった。コロッセオの隣にあるのが、ローマ最大の凱旋門である。コンスタンティヌスの凱旋門 コンスタンティヌス帝がテヴェレ川に架かるミル ヴィオ橋でマクセンティウス帝に勝利した記念に 建てられ、紀元後315年に完成した。 このこ とが、キリスト教公認(313年、ミラノ勅令)につ ながった。 18世紀までは、可成り傷んでいたが、以後修復 され、現在も美しさが保たれている。 ナポレオン がこの凱旋門を見て、パリに凱旋門を造ったの は有名な話である。 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(14)・ローマⅡヘジャンプ
2002年12月10日
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<花紀行200号記念>11月21日(木)花紀行は「孫とハワイ」のあと、4月24日「三河八橋のカキツバタ」から始まった。 以後8ヶ月近く、3日坊主の私としてはよく続いたものである。 花が主なテーマであるが、紀行中はどうしても風景が中心になる。 300号を目指したいが、どうなるかは分からない。何れにしても、花紀行200号記念をローマで飾れるのは、望外の喜びである。 さて、昨夜はフィレンツェでキャンティ・ワインをいささか飲み過ぎた。 しかも、悪いことに今朝は05:00起床である。 理由は簡単、ローマのシスティーナ礼拝堂を予約してあるからである。洗面後、荷造りをして、スーツケースをがらがらとロビーまで持って降りる。 早朝なので、自分でやるしかない。 06:20チェックアウトを済ませる。全員集合を確認して、06:30ホテルを出る。 しばらくして、バスは高速道路に入る。 途中の風景は全く素晴らしい。 朝食はバスの中でとる。 サンドイッチとジュースの簡単なものである。しかし、いい景色を眺めながらの食事も悪くない。1時間半くらい走ったところで、トイレ休憩である。勿論有料で、ユーロ・コインを用意する。 20セント、日本円で25円くらいか。 レストランの前でピラカンサが綺麗な果実をつけていた。 横幅10数mに広がっている。 なかなか、見応えがある。 早速撮影する。15分の休憩後出発する。 再び高速道路を走り、約1時間後にローマ市内に入る。 09:30予約のヴァチカン博物館へ十数分前に到着である。 入り口は既に長蛇の列である。 予約している人達は団体入り口から、すいすいと入れる。 チェケット売場は螺旋階段を上った2階にある。 法王様が住んでいるヴァチカン宮殿は、その大部分をヴァチカン博物館が占めている。 館内には20もの博物館、美術館や図書館があるという。すべてを見て回るには2日は必要とか。 我々はそんな余裕はないので、システィーナ礼拝堂に的を絞る。システィーナ礼拝堂 ミケランジェロの『最後の審判』と創世記を主題に した天井画で有名である。 ヴァチカン観光のクラ イマックスといっていいだろう。 65歳のミケラン ジェロが8年の歳月をかけて完成させたこの大作 は、修復によって鮮やかな色彩がよみがえり、オ リジナルの美しさを際だたせている。 実は、このフレスコ画が描かれてから何度か修復 が行われてきたが、その時ニカワを表面に塗布し て保護処理をした。 その結果、温度と湿度の変 化で、収縮を繰り返しているうちに、表面は亀裂 だらけとなった。 さらに、照明に使われたオイル ランプの煤でかなり、くすんでしまった。 そこで、後世のために、今回の洗浄の過程をフィ ルムに作成したが、これを担当したのは日本の TV局だったという。さて、システィーナ礼拝堂に至る廊下は極めて長い。しかも、その通路自体が芸術そのものである。やっとの思いで、礼拝堂に入って更に驚いた。全く人、人、人で、まさに立錐の余地もないくらいである。2部屋が通しになっているが、500人以上は確実にいる。 ひょっとすると、1000人近いかもしれない。『最後の審判』が素晴らしいことは勿論であるが、残念ながらゆっくりと鑑賞する訳にはいかない。写真撮影は勿論禁止で私語も禁止である。なにか、重苦しい感じであるが、ここは、文字通り「礼拝堂」であるから、当然かも知れない。20分後に出口近くにグループを見つけて、ほっとする。 システィーナ礼拝堂は下記をクリックして下さい。 システィーナ礼拝堂へジャンプ 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(13)・ローマⅠへジャンプ
2002年12月09日
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サンタ・クローチェ広場ではすでに明かりが灯り始めた。 既に17:00近い。 バスに再び乗り郊外のドッチャに向かう。 有名な陶磁器メーカーのリチャード・ジノリ博物館に30分後に到着する。 館内は例により撮影禁止である。リチャード・ジノリ 13世紀末、ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが中 国の白磁を持ち帰ったことに始まる。 ヨーロッパ の人々の、東洋の白い磁器への憧れは、18世紀 において、独自に磁器焼成を行うという形で結実す る。 マイセン、ウィーンに続いて、イタリアにおいて初め ての磁器窯が1737年、トスカーナ侯爵カロル・ジ ノリによって、フィレンツェ郊外の自領ドッチャに創 設された。 その後ジノリ侯爵家代々の当主に受 け継がれ、現代に至るまで265年の歴史を誇って いる。 1873年に日本の岩倉具視使節団がドッチャを 訪れ、ジノリ侯爵の案内で磁器工場を見学し、記 念のサイン・プレートを残している。 1896年ミラ ノのリチャード陶磁器会社と合併し、近代化の道 を歩んでいる。 ジノリ窯は伝統を守りつつ、革新 的な作品を送り続けている。 代表的なデザイン は1758年からのイタリアンフルーツ(通称イタフ ル)が有名である。 ↓ イタリアンフルーツ・デザインの磁器へジャンプ博物館内をゆっくり観覧していては、何時間あっても足りない。 僅か1時間で一旦見学を打ち切り、30分間工場製品直売所に行く人とそのまま見学を続ける人の2班に分かれる。 なんと、殆どの人達が買い物に行き、見学を続けるのは家内と2人だけになってしまった。 おかげで、のんびりと自分の見たいものを観察できた。 ジノリ製品は値段はともかく、その気なら日本でも買えるが、ここへ来るチャンスはまず二度とないからである。定刻19:00、入り口のシャッターが静かに降りる。バスに戻ったのは我々2人だけで、ガイドさんもまだである。 余程値打ちなものがあったのだろうか。 15分後、やっと全員揃う。 手に手に大きな紙袋を提げている。 バスはすぐスタートし、最後の見学地のミケランジェロ広場へと向かう。 どうやら高台からフィレンツェ市内の夜景を眺めようという趣向らしい。 暗い駐車場に観光バスが沢山停まっているのに驚く。 フィレンツェの夜景は本当に素晴らしい。広場を後にしたのは既に20:00をまわっていた。空腹も限界に達しつつある。レストランは有名なヴェッキオ橋のそばにある。この橋はフィレンツェで最も古い橋である。 橋の上に店が出るという。 中世の橋の形態をいまだに保っている。 昔は皮革製品店が多かったようだが、現在は殆ど宝石店である。20:30やっと食事を始める。 料理はトスカーナディナーである。 腹が減っていたこともあって、赤ワインがよくまわった。 いうまでもなく、キャンティ・ワインである。 料理も最高に美味しかった。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(12)・フィレンツェⅢへジャンプ
2002年12月08日
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シニョーリア広場に有名な、ミケランジェロ作「ダビデ像」が立っている。 しかし、これは残念ながらレプリカである。 現物はアカデミア美術館に納められている。 本物は高さ6m近い大理石像で、1504年に完成した。 ダビデと名付けられているが、ミケランジェロは「理想の人間」を表現したかっのだろう。さて、いよいよ待望のウフィツィ美術館訪問である。予約していないと、2時間以上も待たされると言う。16:00の予約なので、ドゥオモの中に入ることが出来ず、急いでここに来たわけである。ツアーとあればやむを得ないことである。ウフィツィ美術館 イタリア・ルネッサンスの至宝を集めた、最も重要 な美術館である。 ウフィツィには総合庁舎の意味 がある。 そこに16世紀以来のメディチ家の当主 たちの熱心な収集意欲の成果のすべてが納めら れている。 この美術館は、ざっと見て回るだけで半日は必要 だろう。 そこを、ツアーの悲しさ、僅か1時間しか ない。 とにかく、超有名な作品に集中せざるを得 ない。 私が一番期待したのは、ボッティチェリの『春= プリマヴェーラ』と『ヴィーナスの誕生』である。 レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』とミケランジ ェロの『聖家族』、そしてラファエッロの『ヒワの聖 母』も必見である。旅行前に、特に『ヴィーナスの誕生』は繰り返し美術書で見ておいたので、現物に接した時の感激は、言葉に表されないくらいである。 館内は撮影禁止なので、よくご存じと思うが、リンク先を記しておきます。 ボッティチェリへジャンプ足早に鑑賞しただけで、後ろ髪を引かれる思いで次の会場へとむかう。 美術館からヴェッキオ宮殿が眺められる。 ここは単にデラ・シニョーリア(政庁)と呼ばれることもある。 この14世紀初頭の建物は、ドゥオモと共にフィレンツェの顔である。 鐘楼の高さは94mもある。 宮殿の一部は今でも市庁舎として機能している。次は、サンタ・クローチェ教会である。 フランチェスコ会の教会で、13世紀から15世紀にかけて建設されたものである。 時間の都合で中を見学できなかった。 この教会前の広場は、フィレンツェで最も古い広場といわれている。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(11)・フィレンツェⅡへジャンプ
2002年12月07日
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オリエント急行内の服装の注意として、男性はジャケットとネクタイ着用、女性はパーティードレス又はそれに準ずるものとあり、男性は問題ないとして、女性はなにかと大変だったらしい。 着物の人もいたが、たしかに着物は国際的な正装である。旅行中はスリに狙われないように極めてラフな恰好をしていて、車内ではおめかしし、その落差が大き過ぎて面白かった。新幹線に4時間も乗ると言うことは大変なことなのに、オリエント急行での4時間はあっという間に終わってしまった。 次回は是非2泊くらいの旅行をしてみたい。 フィレンツェ駅到着はほぼ定刻の15:00である。駅前広場からドォウモのドームが見える。フィレンツェが町の形を整えたのは11世紀のことである。 次の12世紀を通じて、主として商業と金融の分野で発展し、自由都市となる。その発展の過程で、巨万の富の蓄積に成功したのがメディチ家であった。 メディチ家は町を実質的に支配すると同時に、学問、文芸、芸術を保護し、全ヨーロッパから優れた人々を集めるのに熱心であった。 実際、ミケランジェロ(1475~1564)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)といった、ルネッサンスを代表する巨匠たちは、フィレンツェに於いてその才能を開花させ、その後各地に散って行ったのである。ドォウモは正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレという。「花の聖母」という優美な名称で、その名の通り花の都フィレンツェのシンボルとなっている。14世紀半ばに完成したこの建築は、均整がとれていて、調和を追求したルネッサンスのひとつの完璧な帰結をここに見ることが出来る。近くにある84mの垂直の塔はジョットの鐘楼と呼ばれている。 ジョットはフレスコ画だけでなく、建築の設計にも類い希な才能を発揮した。 まさに、万能のルネッサンス的人物といえる。 完成は彼の死後の1359年である。ドゥオモの道を隔てた反対側(西側)に洗礼堂がある。 11世紀の建造で、フィレンツェ最古の建造物のひとつである。 東側のブロンズの扉はミケランジェロが「これこそ天国の門(Porta delParadiso)だ」と叫んだことで、世界的に知られている。 ということで、扉の前は観光客で込み合っている。撮影に苦労する。 ガイドさんが次に移るため、傘を振り上げて必死にグループを呼んでいる。次に行ったのは、シニョーリア広場である。 ドゥオモがフィレンツェの宗教の中心だとしたら、ここは政治の中心である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(10)・フィレンツェⅠヘジャンプ
2002年12月06日
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11月20日(水) オリエント急行に乗車(ヴェネツィ ア-フィレンツェ間)昨夜サン・マルコ広場近くのレストランで遅い夕食をとり、リド島のホテルに着いたのは22:00頃である。さすがに疲れた。 シャワーを浴びる程度で、すぐ就寝する。 06:30起床、07:30朝食をすませる。 食後ホテルの近くを散歩する。 桟橋近くに八百屋さんがあったが、日本の店頭とそんなに変わりはない。 ミカン、洋なし、クリ、カーキ(柿)もある。 渋柿なので完熟を食べているようだ。このリド島は、普段は落ち着いた住宅地だが、8月最後の週から2週間にわたるヴェネツィア映画祭はこの島の「映画の宮殿」で催される。 世界中から名だたる俳優や監督、ジャーナリストが集まり、華やかな様子がTVで伝えられる。また、海水浴のリゾートとしても有名である。 なんと、1874年にはすでに2万5000人の海水浴客が集まっていたという。さて、09:00ホテルのロビーに集合する。 早速桟橋に向かう。 桟橋といっても、木の杭が4~5立っているだけである。 フェリー用の立派な桟橋が近くにあるらしい。 因みにこの島では自動車が走り回っているので、ヴェネツィアと違って要注意である。水上タクシーでサンタ・ルチアに向かう。 途中の眺めは、昨日と違う角度からで、それなりに素晴らしい。約25分後に桟橋に着く。 駅はすぐそばである。さあ、憧れの「ヨーロッパの貴婦人、オリエント急行」とご対面である。 いささか、エキサイト気味である。別に鉄道マニアというほどではないが、この列車には一生に一度でいいから、乗車したいとかねがね念願していた。いた、いた。 雑誌やTVでおなじみのブルーの車体である。 何枚も写真を撮る。 車体側面中央に誇らしげに飾り付けられている「向かい獅子」マークのエンブレムが眩い感じである。オリエント急行 ヨーロッパのオリエント急行を作り出したワゴンリ社 はベルギー人ジョルジュ・マッカースが創設した国 際寝台車会社である。 1883年にパリのエスト駅を出発して、トルコのイス タンブール駅に向かった5両編成の寝台車と食堂 車がその第1号車である。 内装はマホガニー、壁 は総絹張り、床にはトルコ絨毯を敷き詰めるという まさしく世界一の超豪華列車だった。 第1次世界大戦後には、次々に新路線と姉妹列車 が運行されるようになった。 120年にわたって世 界中の人々が優雅な歴史的ドラマを繰り広げてき た、まさに「走る宮殿」といえる。アガサ・クリスティの 推理小説『オリエント急行の殺人』はあまりにも有名 である。10:30オリエント急行は音もなく発車する。 ヨーロッパ旅行をした人はお気づきのように、駅でのアナウンスも列車内でも殆どない。 定刻(殆ど遅れるが)に音もなく出るので要注意である。先ずは、コンパートメント内に落ち着く。 といっても興奮気味で落ち着かない。 通路を観察したり、トイレを確認したりと忙しい。 別に急ぐ必要はない、なにしろフィレンツェまで4時間以上かかるのだからと言い聞かせる。今回は日本人ばかり約150人による貸し切り列車である。 従って、食事の時と記念品の買い物の時だけ日本語によるアナウンスがある。 これは例外で、普通は車掌が連絡にくるらしい。我らがグループは幸い第1回目の食事である。11:00と少し早いが、丁度腹も減ってきた時でありがたい。 ピアノで生演奏中のラウンジを通ってレストランに行く。ランチなのに、予想に反してフランス料理のフルコースである。 赤のフランスワインと美味しい料理で満足、満足である。 外を流れる風景は、まさに一幅の絵であり、夢心地となる。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 オリエント急行に乗車へジャンプ
2002年12月05日
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アカデミア美術館を鑑賞するには、少なくとも3時間は必要だが、ツアーの悲しさ僅か40分で切り上げてしまう。 有名な絵を見ただけである。 美術館を出ると、もう夕闇が迫っている感じである。幸いすぐ前の桟橋に水上バスが停船していた。 慌てて飛び乗る。 すぐ、船は桟橋を離れ一カ所寄って、 サン・マルコ広場のそばの桟橋に着く。 夕焼けを背にしたサン・マルコ寺院が美しい。 早速撮影する。サン・マルコ広場へ向かう途中の露店はもう閉まっている。 広場も薄暗くなり、人影もまばらとなっている。17:00をまわったところである。 レストランや土産品店は勿論まだ営業している。 ヴェネツィアン・グラス 土産品のNo.1はヴェネツィアン・グラスだろう。 この 町の文化と産業を考える上で忘れれないのは、ガラ ス工芸である。 オリエントやヴィザンティン世界か ら技術を導入し、10世紀ころからその製造が始まっ た。 13世紀末に火災の危険を避け、しかも技術の 秘密を保持するために、すべてのガラス工場を北東 に少し離れたムラノ島に移転させた。 15~16世紀には最盛期を迎え、その華麗さを世界 中に誇った。 このガラス工芸は、モダン・アートとも 結びつきながら、今なおヴェネツィアの重要な産業と なっている。 特に真紅のワイン・グラスは特筆ものである。 本物 の金を含有しないと、その色は出ないそうで、従って 極めて高価である。 欲しくて、迷いに迷ったが、あま りに高いので諦めた。17:30再度、先ほどの桟橋に集合する。 お待ちかねのゴンドラ・クルーズである。 舟1隻に6名ずつ乗船する。 乗り終わった舟から出発する。 先ずは、大運河をのんびりと進んで行く。 すでに、夕闇にすっぽりと包まれている。 所々ライトアップされたビルがある。大運河では3隻が並んで、陽気な船頭3人がお客を無視して、大声で話し合っている。 カンツォーネでも歌えばムードがより盛り上がるのだが。暫くして、小運河へ入る。 当然のことながら、1列縦隊となる。 それでも、狭い所では向こうからのゴンドラやモーターボートと行き交うのは大変である。 しかし、流石にプロである。 見事な舵さばきをみせてくれる。それでも、他のグループで、モーターボートと接触してゴンドラの船頭が運河に落ちたとか。 やはり、危険な感じである。1時間ちかくの航海を楽しみ、先ほどの桟橋にもどる。暗いのも、それなりにムードがあるが、もう一度昼間に乗ってみたいものだ。 上陸して、全員が揃ったところでレストランにむかう。 昼食の時と同じように狭い路地を入っていく。 看板が「TAVERNA」とあり、食べるなとはと、皆で面白がる。 イタリア語は全く分からないが、英語から連想すると「居酒屋」という感じだろうか。腹が減っていたということもあるが、ワインとシーフードは最高に美味しかった。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(8)・ヴェネツィアⅣヘジャンプ※予告: 明日は「オリエント急行乗車」をお送りします。
2002年12月04日
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昼食を終えて、再びサン・マルコ広場に戻る。 やはり、一番目立つ建造物は「大鐘楼」である。 高さが96.8mあり、エレベーターで昇るとヴェネツィアの全景が眺められる。この鐘楼は10世紀の監視灯台(16世紀再建)を転用したもので、ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)はこの塔から天体観測を行ったと言われている。 しかし残念ながら1902年に倒壊し、その後復元された。さて、次の見学先はドゥカーレ(総督)宮殿である。 ドゥカーレ宮殿 ヴェネツィア共和国の総督(ドージェ)の住居と政治 の府、裁判所を兼ねた官邸である。 14~15世紀 に現在の姿になった。 ヴェネツィアン・ゴシック様 式を代表する建物で、大理石の白と薄ピンクの配色 が上品で美しい。 中庭に16世紀に造られた、ブロンズの縁石の井戸 がある。 総督及び貴人専用の階段が総督の間に 続いている。 外観は質素であるが、内部は素晴ら しい天井画や壁画で飾られている。 大委員会の間はこの宮殿で最も美しい部屋である。 総督の座の背後にティントレットの『天国』があり、 76代までの総督の肖像画が並んでいる。天井には ヴェロネーゼの『ヴェネツィア礼賛』がある。 宮殿の牢獄も見学できる。 牢獄へ連行する「溜息 の橋」は高い位置にあり窓も小さい。 囚人がここ で溜息を漏らしたとか。 牢獄は宮殿の華やかさか ら一転して、暗くじめじめしている。 カサノヴァ(有名 なイタリアの山師-1725~1798)が脱獄したのは この牢獄だったという。宮殿を出て、次に向かったのはアカデミア美術館である。 大運河の対岸に渡らなければならない。 かなり先に橋があるが、水上バスを利用した方が早く行ける。桟橋に行く途中に土産物を売っている店が並んでいて覗いて見たいが、ガイドさんは先を急いでいる。水上バスは思ったより混んでいた。 座席に座ることができない。 しかし、10分程度らしいので、たいしたことはない。 2つ目で降りる。 アカデミア美術館 ヨーロッパの中でも重要な美術館のひとつで、ヴェネ ツィア派の絵画の集大成をここで見ることが出来る。 特に第7室、ティツイアーノの『授洗者』、未完の『ピエ タ』、ヴェロネーゼの『レヴィ家の晩餐』、ティントレット の『聖マルコの奇跡』、『アダムとイヴ』は必見である。 ヴェネツィア派の14世紀から18世紀の流れがつか めるようになっている。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(7)・ヴェネツィアⅢヘジャンプ
2002年12月03日
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サン・マルコ桟橋を降りたところにレストランがあり、ピンクの花が目に入った。 ゼラニュームだろうか。日本へは、江戸期にオランダより入った花で、天竺葵(てんじくあおい)となづけられた。 のんびりと、撮影していたらグループを見失ってしまった。慌てて、後を追う。 足元が濡れていて歩きにくい。十数メートル先を、50cmくらい嵩上げされた板の上を歩いているグループを見つけた。 ガイドさんに聞いてみると、今朝は10数cmくらい浸水していたらしいとのこと。 高潮のときは、よくあることのようだが、30cmを超えると徒歩で観光できなくなることもあるとか。 なるほど、サン・マルコ広場にはたまり水の後がまだ残っていた。 現地の人達は長靴を履いて歩いている。 有名なサン・マルコ寺院へ入って行く。サン・マルコ寺院 サン・マルコ寺院はまさにヴェネツィアのシンボ ルである。 この寺院は紀元828年にエジプト のアレキサンドリアから盗んできた聖マルコの 亡骸を奉るために、建設された。 こととき以来、ヴェネツィアの守護人は聖マルコ となり、付き添うライオンがヴェネツィア共和国 の紋章となった。 寺院は11世紀から17世紀 にかけて様々に手を加えられてきた。 東洋的 な円屋根は13世紀に造られたものである。 この改築によって、東洋と西洋の様式がミック スし、それらの調和が寺院に独特の美しさを醸 しださせている。 内部は残念ながら撮影禁止 である。 天井から床までモザイクで埋められ ている。 12~14世紀に施されたこのモザイクは、16 ~17世紀に有名な地元出身の画家、ティツィ アーノ、ティントレット、ヴェロネーゼらの指揮 で修復された。寺院を見終わったのは12:30を過ぎていた。寺院のそばの路地をレストランへ向かう。路地は勿論濡れていて、滑りやすいので、注意しながら歩いていく。例により、赤ワインを飲みながらのランチである。 イカスミスパゲッティは最高に美味しかった。 因みに、白ワインは冷やしてあるが、赤ワインは常温のままである。 理由はよく分からない。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 イタリア旅行(6)・ヴェネツィアⅡヘジャンプ
2002年12月02日
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姪の結婚式に上京します。 お越しの節は足跡を残しておいて下さい。 12/2にそちらにお伺いいたします。従いまして、花紀行(193)-イタリア旅行(6)-の掲載は明日となります。
2002年12月01日
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