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4月26日(土)午後、名城公園に行く前に、バスを「新出来」で下車し、徳源寺に立ち寄る。 桐の花で有名な寺である。徳源寺 臨済宗妙心寺派の寺で、正式には「蓬莱山徳源 禅寺(ほうらいさんとくげんぜんじ)」といい、禅宗 の専門道場(僧堂)である。 文禄元年(1592)織田信長の次男信雄が、熱田 に忠嶽和尚を請じて、徳源寺の前身である「清涼 山宝泉寺」を創立した。 寛文2年(1662)に昭和 区石仏へ移り「蓬莱山徳源寺」と改称した。 寛保 4年(1744)現在地に移り、雲水修行の専門道場 が創建された。 昭和20年5月14日の名古屋大空襲により、大部 分を焼失し、かろうじて仏殿が残った。 再建は戦 後昭和28年(1953)である。 現在も全国より、 多くの修行僧が集まり、厳しい修行を続けている。桐の花 桐はゴマノハグサ科の落葉広葉樹で東アジア特産 の植物である。 蕾が前の年にでき、翌年の5月頃 枝先の円錐花序に薄紫の花を咲かせる。 花冠は5cmくらいで、花の先が唇形に五裂に分か れている。 木の高さは8~15mになる。 会津桐、 南部桐、地桐などと呼ばれるが、全て同一種のニ ホンギリで、生育環境の違いによる。 また、タイワ ンギリ、アブラギリ等はニホンギリとは別種である。昔は女の子が産まれたら、桐の木を植えて、お嫁入りの時タンスを作ったとかいうが、いまや都市部で桐の木を見ることはまれとなった。 昨年の日記を見ると、4月8日には同程度に咲いていた。 つまり、今年は昨年に比し、可成り遅れているが、今年が平年並みで、昨年が早過ぎたということらしい。禅寺ということもあってか、本堂前の庭は極めて簡素で、石が数個置いてあるだけである。仏殿 空襲をまぬかれた唯一の建物で、釈迦涅槃銅像が 安置されている。 釈迦涅槃絵図は沢山のこされて いるが、銅像は珍しいかも知れない。 涅槃とは入滅(死)を意味し、釈迦(BC460±40年) の死後、右脇を下にして、頭を北方にして枕し、足は 南方を指したとか。 なぜか、北枕が不吉な条件とし て、言われはじめたのかは、このことが原因らしい。 桐の花・徳源寺 <完> 画像は下記をクリックして下さい。 桐の花・徳源寺(名古屋)へジャンプ
2003年04月30日
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昨日に引き続いて、名城公園よりお送りいたします。昨日は雨であったが、今日(3/26)は午後3時頃より、晴れ間が出てくる。 やはり、雨の日よりは楽に撮影が出来る。 昨日と同じ様な映像であるが、一日違いということでご容赦下さい。3尺藤 マメ科である。 日本の春の山野を彩るものは、 ヤマブキの黄花とフジの紫であるといわれている。 フジの仲間には2種類あって、ノダフジとヤマフジで ある。 ノダフジの蔓が右巻きなのにたいし、ヤマフ ジは左巻きなので、容易に区別できる。 ノダフジの 一輪一輪の花は小型であるが、花穂は長く伸び、 藤棚に使われる「3尺藤」はこの系統で、花色は白、 紫、ピンクであり、広く一般的に分布している。3尺藤のすぐそばに、「紫花美短藤」が咲いている。 文字通り房が短い。 ヤマフジの系統だろうか。 房が短い分、花が多少大きい気がする。 花の形も多少違っている。 名古屋城の外堀の向こうに、白い藤棚が見えた。「白野田藤」である。 周りが紫一色なので、白は目立つ。 ただし、房はあまり垂れ下がっていない。 棚の上で咲いている感じである。700mもの長い藤棚の中にあって、やはり圧巻は「9尺藤」であろうか。 少し、手を伸ばせばさわることが出来る。 夜にはぼんぼりに火が灯り、幽玄な雰囲気を醸しだすことだろう。 又の機会に、夜景も撮影したいものである。フジは日本原産で、本州、四国、九州の低山、平地に自生していたが、古くから愛され、園芸品種も多く開発され、いまや世界中で栽培されている。花を観賞するほか、丈夫な蔓は古代から縄の代用にしたり、かごなごの材料としても用いられている。 花にはビタミンが多く含まれているので、中国では食用にされている。 種子は薬用になり、緩下剤として利用されてきた。 花言葉 : フジ(紫)は「恋いに酔う」、「懐かしい想 い出」 フジ(白)は「歓迎」 名城公園 <完> 画像は下記をクリックして下さい。 約700mの藤棚(続)・名城公園(2)へジャンプ
2003年04月29日
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4/23(水)から3日続きの雨で、待ちきれずに4/25(金)小雨の中を、名城公園の藤棚の撮影に行ってきた。 雨とあっては、さずが見物客は殆どいない。 ほんのりと、いい香りが匂い、気分は悪くない。 しかし、傘をさしての片手撮りは困難を極める。ここの藤の回廊は、兎に角延長距離が長いことで有名である。 雨の中では、とても全部を廻ることは出来ないので、途中の一部分にとどめる。藤棚が直角に曲がる所で、向かって左側が本紅藤(ほんべにふじ)と右側が3尺藤(さんじゃくふじ)に分かれている。 写真では残念ながらその対比がはっきりしていないが、肉眼ではまことに見事であった。白野田藤(しろのだふじ)は、まだ、棚の上で咲いている。 周りが藤色一色といった感じなので、それなりに目立つ存在である。9尺藤(きゅうしゃくふじ)は、文字通り長い房が垂れ下がっていて、素晴らしい。 明日からゴールデン・ウイークに入るので、お天気が良くなれば混雑することだろう。 今日は条件は悪いが、のんびりと撮影できたのはありがたい。藤棚から名古屋城を望むと霞んでいたが、それもまた一幅の絵であった。4/26(土)午前中は曇っていて、がっかりしたが、午後は晴れるとの予報である。 14:00とにかく家を出る。 やはり、名城公園の藤はお天気が良いときに撮影したいものである。 15:00公園の到着とほぼ同時に、日が差してきた。 やった、といった感じである。「藤の回廊」と名付けてあるが、延長距離はなんと約700mとか。 相当大きなスケールである。当然の事ながら、人出は多い。 人を避けながら、シャッターを押し続ける。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 約700mの藤棚・名城公園(1)へジャンプ
2003年04月28日
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昨夜の就寝は23:00過ぎとなったが、今朝の出発は10:20なので、のんびりできる。 08:00朝食後ホテルを出て周辺を散歩する。 いわゆる、ダウンタウンであるが、まだ、朝早いということもあって店は殆ど閉まっている。出勤途中のサラリーマンであろうか、気楽に声をかけてくれるのには驚く。 地元の人であろうと、観光客であろうと関係ないようで嬉しい限りである。一回りして、ホテルの一角に仏像があるのに気付く。壺まで置いてあった。 東洋趣味ということは、アジアからの観光客が多いということだろう。10:00チェックアウト。 定刻ホテルを出発する。高速道路を通り、11:20トロント国際空港に到着。直ちに出国手続きをする。 入国にくらべ極めて簡単に手続きは終わる。 例により、手荷物検査は厳重を極めたが。 13:20定刻を少し遅れトロントを離陸する。 帰途は逆風のため往きより1時間半余分に時間がかかる。 ひたすら、13時間辛抱強く時を過ごすしかない。 客室はがら空きの積もりであったが、そうでもない。 80%くらいの乗車率である。 多分便数を減らしているからであろう。ほぼ、定刻の15:30に近く成田国際空港に着く。やはり、日本に無事帰れたかとほっとする。 トロントから帰ってきたので、かなり厳しい身体検査を覚悟していたが、別に自主申告の必要もなく、いつもの通りに簡単に入国でき、拍子ぬけである。4/13(日)なので、まだ、危機感が乏しかったのかも知れないが、トロントへの渡航自粛勧告していたにしては、成田で全く手を打っていないというのが不思議であった。10日後の23日頃になってやっとWHOの勧告があって、成田・関空・名古屋各国際空港での入国にさいし、体温検査を始め身体検査が厳しくなったとは、行政の打つ手の遅さに怒りを覚えざるを得ない。ということで、19:30名古屋空港に無事帰着したが、それ以後、10日間我が家でひっそりと過ごすしかなかった。 折角買ってきたお土産も、どうしようかと迷っているところである。 カナダ <完> 画像は下記をクリックして下さい。 トロントF・カナダ(13)へジャンプ
2003年04月27日
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中華海鮮料理を堪能したところで、今日のメイン・イベントであるCNタワーに向かう。 レストランのすぐそばなので、歩いて行く。CNタワー トロントの街並みを印象づけるCNタワーは、カ ナダを代表する建造物として、広く知られてい る。 高さは553mで、世界一高い独立構造 建築物である。 1976年竣工当時は、TVやラジオ用の電波塔 を目的としていたが、現在は、どちらかというと 観光スポットとしての感が強い。 CNとはカナダ国鉄(Canadian National Railway) を意味するようで、札幌駅にJRタワーができた のと同じような感覚かも知れない。 地上346mの高さにある展望台とグラス・フロア からの眺めは、素晴らしいの一語に尽きる。ガ ラスを通して、346mの眼下を覗くのは誠にス リリングである。 ガラス張りの高速エレベータ ーに乗り僅か60秒で到着する。 展望デッキか らは、トロントの風景を360度楽しむことが出来 る。 お天気が良ければ、ナイアガラを望遠出来 るとか。すでに、21:00近いが、観光客で結構混んでいる。エレベーターに乗る前に、可成り厳しい手荷物ならびに、身体検査がある。 テロの標的としては、これ以上のものは無いからだろう。エレベーターで外の景色を眺めながら上るのは快適である。 もっとも、あっという間に着いてしまう。展望デッキに出れば、外気に触れるが、そんなに寒くはない。 一回りしながら、トロントの夜景を撮りまくる。 室内に戻り、グラス・フロアに乗ってみる。 足元から、346mの真下が見える。 膝がふるえそうになる。 面白いことに子供は平気である。 すぐそばの壁面に、タワー工事中を示す大画面がある。入れ替わり、立ち替わり、グラス・フロアに恐る恐る乗り、記念撮影をしている。地上階におりて、土産物屋に立ち寄りたかったが、時間も遅くなっていたので、すぐマイクロバスに乗りホテル帰着は22:30を過ぎていた。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 トロントE・カナダ(12)へジャンプ※ 明日をもってカナダ旅行記は完結します。
2003年04月26日
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教会の見学を終え、ショッピングのためイートン・センターに戻る予定であったが、疲れたのでホテルに帰り、お茶でも飲もうかということになる。徒歩10分くらいでホテルに着く。 17:00近くである。 一番大きいレストランに入って行く。 どうやらセルフサービスである。 コーヒーとケーキを選び、会計を済ませて、窓際の席に着く。 日系2世のTさんにはお世話になった。 彼女は日頃、日本語は全く使わないとか。 今日は久しぶりに日本語を楽しめたと、お礼を言われ、かえってまごつく。 話の種は尽きなかったが、2005年の愛知万博には是非お越し下さいということで、別れる。さて、オプショナルツアーは18:40集合である。まだ、時間があるので一旦部屋に戻る。 家内はすぐ、ホテル内の土産品店に出かける。 私は1時間近く昼寝をする。 夏時間なので、18:40といっても、外はまだ明るい。 定刻全員ホテルのロビーに集合する。 マイクロバスで、オンタリオ湖畔に向かう。 トロント・ハーバーのすぐそばのビルに入る。 外観は質素だが、内部は大理石を使用している感じで、可成り豪華である。2Fのレストランから湖畔の風景を撮影する。やがて、日が沈み、夕景も撮ることが出来た。 例により、飲み物を聞きにきたので、老酒を頼む。 家内はカナダビールにする。 中華料理なので、老酒が一番似合う筈であるが、このあとCNタワーに上る予定なので、飲むのもほどほどにしておかねばならない。中華海鮮料理で、目の前の獲りたての新鮮魚介類が中心である。 酒旨し、料理も美味しく、満足満足である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 トロントD・カナダ(11)へジャンプ
2003年04月25日
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ストリートカー(路面電車)でオンタリオ州立美術館(AGO)に向かう。 停留所のすぐそばにあるので助かる。入り口近くに、凄く大きなブロンズ製の彫像が展示されている。 雰囲気からヘンリー・ムーアの作品ということがすぐ分かる。 オンタリオ州立美術館(AGO) 1900年の創立。 北米8番目の規模を誇る州立 美術館で、古典から近代までの常設作品数は 24,000点以上。 常設展の入場料は「払えるだ け」というもので、常識的には大人カナダ$6程度。 印象派やそれ以前の古典も豊富に揃っているが、 なによりも、ヘンリー・ムーアの作品が充実してい るのが嬉しかった。 ただ、残念ながら館内は撮 影禁止である。ヘンリー・ムーア(1898~1986) イギリスが世界に誇る20世紀の彫刻家である。 「自然と人間の調和」を生涯のテーマとし、現代 彫刻史に確固たる地位を築いた。 ムーアの作 品は、自然との対話、生命の尊厳、そして人間 愛に満ちており、21世紀を生きる私達に普遍的 なメッセージを語りかけている。美術館の入り口近くに展示された、ムーア作の彫像を眺めながら、熱海のMOA美術館の「王と王妃」(1952~53)を思い出していた。 勿論人物と、オブジェの違いがあるが、作風で彼の作であることはすぐ分かる。 半日かけても、総てを鑑賞することは困難であるが、次の予定もあり、2時間弱で美術館を後にする。 地下鉄セント・パトリック駅で乗車、キング駅で下車する。 目的地はチャーチ・ストリートである。名が示す通り、立派な教会が数多く建っている。聖ジェームズ教会 現在の建物は1853年のもので、3番目の建物 になる。 最初の2つは、1839年と1849年に それぞれ焼失した。 建築家フレドリック・カンバ ーランドが設計した現在の教会は、カナダで一番 高い尖り屋根の建物である。 しっかりとした、大 理石の聖歌隊席やステンド・グラスの窓といった 見事なインテリアは、残念ながら中に入って見る ことが出来なかった。聖ミカエル大聖堂 伝統的ネオ・ゴシック様式と見事なステンド・グラス の窓、そして、印象的な高塔と尖塔(屋根)をもつ このカトリックの大聖堂はトロントの建築学的、ま た精神的ランドマークの一つとして、高名をはせて いる。 地域活動も盛んにしており、強力な「カトリック女性 連盟」や、毎週行われる「アルコール中毒者匿名会」 などに場を提供している。チャーチ・ストリートから西にヤング・ストリートに向かう。 有名なイートン・センターを横切る。イートン・センター ショッピング・モールとデパート(シアーズ・カナダ)か らなる。 ガラス張りの天井の下に320店以上の ブティック、レストラン、映画館などがある。 日本で は考えられない壮大なスケールである。本当はショッピングをしたかったが、時間が許せば後でということになり、すぐ西側の教会に行く。ホーリー・トリニティ教会 1847年に建設されたこの教会はトロント最古のも のである。 ミッドタウンの喧噪から逃れられるオア シスになっている。 ザ・カウボーイ・ジャンキーとい う有名なグループがここで「トリニティ・セッションズ」 というCDの録音を行った。 ヴィクトリア調の教会は 音響的にも優れた施設となっている。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 トロントC・カナダ(10)へジャンプ
2003年04月24日
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トロント大学の建物は概ね大通りに面しており、出入りは自由で、まさに、文字通り開かれた大学である。しかも、新旧の建物が同居している感じも面白い。次に、トロント市庁舎を見学する。 斬新なデザインの新市庁舎は1965年に建造された。 地球を両手で包むような形になっている。 外側に窓はなく、内側にだけ窓があるのも変わっている。 上空から見ると、人の目に見えるとか。 瞳はマッシュルームのような議事堂である。市庁舎の道を隔てた反対側に、1899年に建てられた旧庁舎がある。 現在は裁判所として使っているらしい。さて、今日のツアーの最後は例によりショッピングである。 カナダの代表的な高級レザー製品のショップに立ち寄る。ビーバーの毛皮製品が主体であるが、加工技術を活かしてイタリアからなめし皮を輸入し、紳士用及び婦人用のジャケットを製造販売している。 着心地はいいが、値段も結構高い。 カナダ$1200位する。 日本円で10万円くらいだろうか。 とても手がでない。 折角トロントに来た記念として、レザー・ハットを購入して、早速着用する。 指輪のコーナーもあり、アンモナイトの素晴らしい原石が置いてあったので、了解を得て撮影する。ナイアガラより安いような気がしたが、宝石類のことは、よく分からない。ショッピングを終わり、ホテルに12:00過ぎに入る。 本来チェックインは15:00以降であるが、ガイドさんが交渉して、部屋にはいれことになった。 ということで、今日はこれにて解散、後は自由時間である。 オプショナル・ツアー参加者は18:40ロビーに集合となる。キーを貰い、エレベーターで9Fの部屋に行く。メッセージが入っていたので、フロントに聞いてみると、現地の日系2世のTさんからで、差し支え無ければ、トロントを案内しましょうとの事。早速部屋から電話してみるが、旨くかからない。電話番号を聞き間違えたかもわからないので、フロントに行き、聞いてみるが間違っていなかった。 近くに公衆電話があり、25セントを使って掛けてみると、今度は旨くつながった。13:30にホテルのフロント近くで会いましょうということになる。 実はTさんとは成田空港の搭乗口待合室で隣り合わせとなり、ご両親は広島県出身で、私も同県出身ということで、意気投合し、トロントのホテル名を教えておいた次第である。 昼食はまだなので、ホテル内でとるべく探す。フロントの近くに、夜はバーだが、昼はインド料理のランチをやっているところがあったので、早速はいる。 バイキング・スタイルであった。 多少辛かったが、まあまあの味で、満足する。定刻に、何とかTさんと会うことが出来た。さて、何処に行くかということになり、予め調べておいた、オンタリオ州立美術館をお願いする。ベイ・ストリートに出て、徒歩で2ブロック歩き、ストリートカー(路面電車)の停留所に行く。時刻表が全くないのが面白い。 1861年に9kmの軌道と11台の車両ではじめられたという。 5分も待たない間に電車が来た。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 トロントB・カナダ(9)へジャンプ
2003年04月23日
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4月11日(金) 07:30起床。 ホテルの窓から外を見る。 昨朝とは打って変わって、今日のナイアガラは晴れている。 よし!といった感じである。 やはり、旅はお天気次第であると痛感する。朝食後、08:50チェックアウト、09:00マイクロバスはトロントに向けて出発する。 途中オンタリオ湖畔を走り、約1時間ちょっとでトロント郊外に入る。 やがて、市内に入り真っ先にCNタワーとスカイドームが車窓より眺められた。トロントは人口約480万人のカナダ最大の都市である。 政治の中心はオタワであるが、経済の中心はトロントである。 「フォーチュン」誌によると、暮らしやすさは世界でナンバーワンとか。 住宅費、物価、公共料金が安く、銃社会のアメリカと違い治安がよく、緑豊かな環境が評価されたのだろう。スカイドーム 1989年以来トロント・ブルージェイズのホー ムグランド。 5億ドル以上かけて造られた驚 異的な建築は完全な格納式ドーム屋根をも つ。 3月31日に大リーグの開幕戦が行われ、ニ ューヨークヤンキースの松井秀喜選手が大 リーガーとして、初打席で初ヒット・初打点を あげた。さて、バスは市街地に入り、多少渋滞気味の中をオンタリオ州議事堂に向かう。 駐車場に入るのを省略して、議事堂のすぐそばにバスがとまる。オンタリオ州議事堂 トロントのミッドタウンの中心地、クイーンズ・ パークにある。 1893年に完成した。 設計 したのは、リチャード・ワイトという建築家で ある。 どっしりした石造り・レンガ造りで、ロ マネスク様式でまとめられている。 議事堂は左右非対称で建築学的に意義が あるとのこと。 前庭の公園では、野鳥やリスが飛び回っていた。 林の向こうにはトロント大学が見える。トロント大学 1849年に設立された。 大学には学生が 約53,000人と11,000人の教職員がいる という。 世界の大きな大学の一つで、学生 は百ヶ国以上から勉強に来ている。 大学は230以上の建物からなっており、街 の至る所に大学の歴史的建物が見られる。 三つのキャンパスに分かれており、シャトル バスで簡単に行き来できる。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 トロントA・カナダ(8)へジャンプ
2003年04月22日
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二重虹を見ることができ、幸福感に満たされながらホテルに戻る。 17:00頃であるが、夏時間ということもあって、陽はまだ高い。 夕食まで室内で休憩する。18:40ホテルのロビーに集合する。 マイクロバスでテーブル・ロックへ。 なんと、今日ここに来るのは4度目である。 2Fのレストランで滝を間近に見ながらの夕食は最高であった。 カナダビールが美味だったことはいうまでもない。 メインのサーモンはおいしかったが、どうも、ボリュームがあり過ぎた。レストランの入り口に、アジサイとスプレー菊の鉢植えが置いてあったのには驚いた。 日本人観光客が多いからだろうか。さて、夕食後はお楽しみのナイアガラ滝のライトアップ・コントロールである。 今回のツアーの目玉の一つである。 マイクロバスで行ったが、歩いてもすぐの所にある。 古い時代の「砦(とりで)」といった感じで、少し気味が悪い。 恐る恐る、コントロール・タワーに入って行く。 技師のSさんが迎えて呉れる。30年くらいの経験があるベテランである。投光器は21台あり、スイッチは各5個付いている。つまり、操作盤にはスイッチが105個ある。各投光器の色は、無色、赤、青、緑、黄の5色でそれを適当に組み合わせればいいわけである。先ず、無色のスイッチを入れると、普通の投光器の状態で滝を明るく照らす。 次いで、その列の青のスイッチを入れると、青いフィルターが下りてきて、青い状態に変わる。 明るい状態から青になるのに約20秒かかる。 なんとも、のんびりした話しで、スイッチを入れてから、おもむろに、外に出て確認しても間に合う。 デジタルにしないところがカナダらしい。 入れ替わり、立ち替わりスイッチを入れている内に、沢山の色を出したくなる。 そうすると、かえって暗くなり、なんとも恰好がつかなくなる。 あわてて、Sさんが来て、やり直す。 今夜の観光客の皆さんには迷惑をおかけしました。 ごめんなさい。 次回は、もっと旨くやります(といっても、これが、初めで、終わりの経験であろうが)。いやはや、今日は09:00~21:30まで、12時間ちょっと、ナイアガラを堪能したわけで、誰もが満ち足りた顔をしている。 これで、紅葉に映えるナイアガラを見ることが出来れば、更に言うことはないが、叶う夢だろうか。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 ナイアガラのライトアップ・カナダ(7)へジャンプ ※明日はトロントよりお送りいたします。
2003年04月21日
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スカイロン・タワーを降りて、再びテーブル・ロックに向かう。 今日はなんと、3度目である。 それほど、ナイアガラの滝は見飽きることがない。時々刻々と変化するからである。アメリカ滝から撮り始めていると、家内が「虹だ!」と叫ぶ。 カナダ滝の方を見ると、綺麗な虹が出ている。 暫く見とれていたが、慌ててシャッターを切る。 右側の半円なので、左側を見ると、レインボー・ブリッジにまさに、レインボーが懸かっている。ただし、背景のせいか薄くてはっきり見えない。もう一度、目を右側に転じると、心なしか虹が薄くなっている。 上流の方へと移動する。 移動しながら、兎に角シャッターは押し続ける。「あっ、二重の虹だ!」今度は私が叫ぶ。 「どこ、どこ?」と家内が聞くが、一寸指さしただけで、すぐシャッターに指を戻す。 副虹は薄くて、分かりにくい。二重の虹 虹はご承知のように、太陽の光が雨粒の中で 反射して出来る現象である。 光の屈折率の 違いから、太陽の光が7色に分かれる。 二つの虹のうち内側の虹は一般に見られる 虹で主虹と呼ばれ、光の配列は外側が赤、内 側が紫になる。 外側の虹は副虹と呼ばれ、 色の配列は内側が赤、外側が紫になる。 色の配列が逆になるのは、太陽光線が雨粒 の中で反射する回数に関係している。 1回 反射するのが主虹で、2回反射するのが副 虹である。 さて、副虹はどのような時に出来るかという と、虹が出来るときには主虹と副虹は同時に 出来ているのだが、副虹は色が薄くて、見え ない事が多い。 虹がはっきり見えるには、 雨粒の大きさに関係している。 雨粒が大き いほど、虹の色は濃くなり、小さいと虹の色 は薄くなる。 霧雨だと、白っぽい虹になる。 したがって、太陽の光が強く、雨粒が大きい 場合に二重の虹がはっきりと見えやすい。ということで、普通は二重の虹は見られないわけで、今回は誠にラッキーとしか、いいようがない。 何点か映像を添付しましたが、果たして、皆さんにも副虹が見えるかどうか自信がありません。 もし、見えたなら、私が得た幸せ感を貴方にもおすそわけ出来るのですが。テーブル・ロックのそばで花模様を見つけた。どうやらクロッカスらしい。 二重の虹、そして、可愛い花達に会えて、幸せ一杯にルンルン気分で17:30一旦ホテルに帰る。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 二重虹がナイアガラに!・カナダ(6)へジャンプ
2003年04月20日
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ヘリコプターでの上空からのナイアガラは素晴らしかったが、あっという間に終わってしまった。 これで、午前中の予定を終わり、昼食をとるため、シェラトン・ホテルに向かう。 テーブル・ロックの駐車場にバスを入れたので、10分ばかり時間を貰い、滝の撮影をする。今朝一番にここに来たときは、全くアメリカ滝が見えなかったが、今や完全に晴れ渡ってナイアガラ滝の全貌を目にすることが出来た。ナイアガラ滝 普通アメリカ滝とカナダ滝の2つに分けるが、地元 の人達は、アメリカ滝の向かって右側の幅10数m の小さい滝を、ブライダル・ベール滝と称して、3つ に分けている。 カナダ滝は高さ54m、幅670mの巨大な滝で、ア メリカ滝の約10倍の水量を誇る。 5大湖のエリー湖からオンタリオ湖に流れるナイア ガラ川の途中にあり、流れ落ちる水量は世界最大 である。 ナイアガラ川はカナダとアメリカ合衆国の 国境にもなっている。 アメリカ滝とカナダ滝を仕切 るのは、アメリカ側のゴート島である。テーブル・ロックから、やっと普通のナイアガラの滝を撮影できほっとする。 お天気次第というのも、辛い所であるが、晴れたのはラッキーとしかいいようがない。さて、昼食はシェラトン・ホテルでバイキング形式でとる。 残念ながら、ここに宿泊しているわけではない。 8Fレストランで滝を眺めながらの食事も悪くない。 食後、早速滝の撮影をする。 色んな高さ、角度からの撮影が出来満足する。今日の予定の最後はショッピングである。 ホテルから、そんなに遠くない店に行く。 大橋巨○の経営するショップなので、日本円OK、勿論日本語でOKである。一番人気はアイスワインとアイスワイン入りチョコレートである。 その次は、ご婦人方垂涎の宝石・アンモライトである。 国土の広いカナダに何故かダイアモンドは少ししか採れなかった。 20数年前とごく最近アルバータ州の草原でアンモライトが発見された。アンモライトは7億年から2億年前に生息していた、アンモナイトという貝が化石化したものから作られる。見た目では、オパールに少し似ている。ご婦人方が宝石の前で釘付けになっているので、男性陣は手持ちぶさたで、休憩室で日本茶のご馳走になった。ショッピングが終わったところで、ホテルに帰り、これにて本日の行事は総て終了となる。 15:00頃である。一旦各自部屋に戻ったものの、昼寝するのも勿体ないと、我々2人は直ちにホテルを出る。目指すは、スカイロン・タワーである。 徒歩10分位で着く。 高さは約160mで、エレベーターは3基ある。入場料はカナダ$8.50であるが、65歳以上は$1安くなる。 パスポートを提示しようとしたら、その必要なしとか。 つまり、顔を見れば65歳以下ということはありえないということらしい。 家内と二人で大笑いする。さて、TOPからの素晴らしい景色は映像を見て頂きましょう。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 ナイアガラ全景・カナダ(5)へジャンプ
2003年04月19日
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一時間でナイアガラ・オン・ザ・レイクの見学を終え、バスは町の郊外のワイナリーに向かう。 30社近くあるそうだが、アイス・ワインの生産で有名である。直営店前で下車、早速アイス・ワインを試飲する。この後、ヘリコプターに乗るので、お酒に弱い人は飲み過ぎないよう注意がある。 甘くて口当たりのいいワインである。 無料とあっては、つい飲み過ぎてしまう。アイス・ワイン 独特の製法で製造されるワインの一種で、非常に 甘く、デザート・ワインとして親しまれている。 この地方独特の冬の気候により、何度も凍結と解 凍を繰り返した果実は、水分が抜けている分だけ、 糖分と酸味が濃くなっていて、芳香も強い。 熟成しているので、ワインになるブドウ液は少ない。 説明によると、テーブルワイン(普通のワイン)用の ブドウ1トンから約700リットルのブドウ液が採れる のに、アイス・ワイン用のブドウからは75リットルし か採れないという。 つまり、通常の僅か十分の一 程度である。ということで、値段もそれなりに高価である。 しかし、日本で購入する1/3とかなので、試飲しながら何本買うべきか考える。 普通のワインの半分のボトルであるが、取りあえず3本購入する。 幸い、米ドルもOKとかで、カナダ・ドルをキープできた。さて、次はいよいよ待望のヘリコプターに乗ることになる。 今回のツアーの目玉で、オプションではない。つまり、これがあるから、ある程度無理をしてでも、ツアーに参加した訳である。 ワイン・ストアから僅か10分くらいで、ナイアガラ・ヘリコプターに到着する。 ガイドさんがチケットの手配をし、10人は2組に別れて直ちに出発である。家内はこの期に及んでも、まだ、乗るべきか否か迷っている。 権利放棄は自由なので、待合室にいるよう伝えると、なぜか、やはり乗るという。先日、名古屋の動物園で孫娘とジットコースターに乗ったとき、孫娘が「乗らないで後悔するより、挑戦したかった」の言葉が頭をよぎったらしい。さて、搭乗寸前にデジカメのテストをしたところ、なんと、バッテリー切れ寸前ではないか。 家内のせいにしてはいけないが、一寸油断していた。写真が撮れなくては、何のためにヘリに乗るのか、と考える暇もなく、離陸した。 予備のバッテリーは勿論持参しているが、とっさのことで、頭の中が空白になる。 焦りに焦って、2分後に交換を終える。 いつもなら、1分ですむのに、仕方がない。 15分の内の貴重な2分を浪費してしまった。焦る気持ちを抑えて、下をみるとナイアガラ川が見えた。 ヘッドホンからワールプールという言葉が聞こえた。 勿論日本語であるが、有名な場所であることは調べてある。 とにかく、やたらシャッターを切った。 ナイアガラの滝からオンタリオ湖に向かう、ナイアガラ川が大きく東に曲がる場所である。 ここで、当然のことながら、渦巻きが起こる。 バスで通り過ぎながら、説明は聞いていたが、バスから眺めることは出来ない。 この目で確認出来て満足、満足である。次いで、最大の見所は馬蹄形をしたカナダ滝である。 アメリカ側から滝に近づく。 滝の上流は馬鹿に波立っている。 水量も今日は豊富である。 う~ん、見事に馬蹄形を確認できた。 音はヘリの爆音だけで、滝の音は聞き取れない。滝のそばはホテルばかりと思っていたが、上空から見るとそうでもない。アメリカ滝も見えたと思うが、こちらの方は上空からでは、絵にならない。滝を見終わったところで、もう、帰途につく。途中アメリカ側の発電所を確認できた。 反対側にカナダ側の発電所があるが、なぜか、発電量はすべてアメリカに輸出しているとか。着陸寸前、あれほど怖がっていた家内がニコニコしている。 どうやら、ヘリが気に入ったらしい。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 ヘリからナイアガラ・カナダ(4)へジャンプ
2003年04月18日
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昨日に引き続いて、ナイアガラからお送りいたします。世界一小さい教会をあとにして、バスはメープル街道を走って、ナイアガラ・オン・ザ・レイクに向かう。メープル街道 ナイアガラからケベックシティまでの約800km、 オンタリオ州とケベック州を結ぶ東部カナダの ゴールデンルートである。 別名をヘリテージ・ハイウェイ(伝承の道)といい、 フランスやイギリスによるカナダ入植時代の歴史 的背景も残されている。 紅葉のベストシーズンは、9月下旬から10月上 旬とか。 その時期に再訪したいものである。この付近の街道はナイアガラ川沿いにあり、川の向こうはアメリカである。 トロント、オタワと首都の移転に伴って延びていったらしい。さて、約15分後にはナイアガラ・オン・ザ・レイクに着いた。 ここは、19世紀カナダが植民地だった時代に首都として栄えたところである。ナイアガラ川がオンタリオ湖に注ぐ河口の町で、のんびりとした雰囲気を味わうにはもってこいの所である。 町自体は非常に小さく、30分足らずで散策出来るが、カナダでも指折りの恵まれた気候であることが、町をより魅力あるところにしている。1864年に建てられた、プリンス・オブ・ウエールズ・ホテルは一際目立つ存在である。オンタリオ湖畔まで徒歩5分位とのことなので、そちらに向かう。 湖畔は一面の靄に覆われている。町は晴天なのに、僅か数分で視野が遮られ、まさに幽玄の世界を歩く感じである。 標識にクイーンズ・ロイヤル・パークとあるのがやっと読みとれた。展望台があるが、湖面を確認することが出来なかった。 同行者の一人が、どんどん湖辺に近づき、ガイドさんが慌てて、その氷の下は湖ですと叫ぶ一幕があった。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 ナイアガラB・カナダ(3)へジャンプ※ 明日はヘリコプターからのナイアガラの滝をお送り いたします。
2003年04月17日
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4月9日(水) 19:10(現地時間)、ナイアガラに到着する。 すでに、夏時間を採用しているとかで、まだ明るい。 トロントから高速道路を通って、約1時間半かかる。早速ホテルにチェックインする。 もう少し遅く到着を予定していたので、夕食としておにぎりが配られていた。 レストランに行くのを節約して、部屋でお茶を沸かし、おにぎりを食べる。カナダ米かカリフォルニア米か分からないが、結構おいしかった。ホテルの部屋から眺める夕陽は素晴らしいの一語。 遥か向こうの森林の中に沈んでいった。 時差ボケを解消するには、今夜無理をしてでも寝た方がよいとの事なので、早い目に入浴をすませ、22:00就寝する。4月10日(木) 07:00起床する。 カーテンを開けて、外を見てびっくり。 朝靄に覆われている。 一瞬、この調子では、大きな滝全体を見渡すのは困難だろうと、嫌な予感がする。 いまにも、降り出しそうな感じである。 お天気に関しては、運を天に委せるしかないようだ。バイキング形式の朝食はおいしく、腹一杯食べておいた。 ランチは1時過ぎの予定なので。 09:00 フロントに集合する。 10名という小人数は便利である。 確認はすぐ済み、マイクロバスに乗車し、滝へと向かう。5分後には、テーブル・ロックに着く。 ここは、カナダ滝を見るのに絶好の場所として有名である。 おお、憧れのナイアガラの滝を目前にすることが出来た。 ただし、轟音が聞こえるだけで、靄に覆われて滝の様子はよく分からない。 先ずは、滝を裏側から見ることにする。エレベーターで地下道へと降りていく。冬でも結構混むらしいが、今日は閑散としている。 滝の真裏は、厚いガラス窓ごしに見るわけだが、どうも様子は、さっぱり分からない。 もう一ヶ所見ることが出来るとかで、そちらに急ぐ。 もの凄い音が轟いている。 二ヶ所窓があり、ガラスはないので、飛沫が飛び込んでくる。 すぐ目の前を、大量の水が落下している。 いやはや、度肝を抜かれるような迫力である。 デジカメが濡れないよう気を付けながら、シャッターを押しまくる。世界一の滝を間近に見て、大満足である。本来なら、この後すぐ、ヘリコプター乗り場に行く予定であったが、お天気の様子を見るべく予定時間を延期してもらう。 シーズン中ならとても無理なことでも、閑散期なのでOKである。ということで、予定を変更して、ナイアガラ・オン・ザ・レイクに向かう。 マイクロバスに再び乗車し、10分後に小さな教会の前に停車する。世界一小さな教会(ウェイサイド・チャペル) ギネスブックに掲載されているという、白 いミニ教会である。 牧師を含めた定員 が、僅かに7人である。 犬小屋みたいに小さいが、ちゃんと教会 になっていて、結婚式を挙げる人も多い とか。 我らがツアー・ガイドさん(日本人) もカナダの青年と2年前、ここで結婚式を あげた。 1969年にナイアガラ・クリスチャン・リフ ォームド・チャーチによって建てられたと いう。 世界一大きい滝と、世界一小さい教会を見ることが出来大感激である。 しかも、教会を見学中に、お天気が快晴となって来たではないか。 この調子なら、ヘリも期待出来るし、ナイアガラの滝の全体像もOKと、わくわくしてくる。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 ナイアガラA・カナダ(2)へジャンプ
2003年04月16日
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4月9日(水)~13日(日)まで、カナダ旅行をして来た。 主たる目的は、ナイアガラ観光である。はじめに 定年退職後10年間、各地を旅行しているが、 今回ほど中止か、決行か迷った事はない。 理由は次の3つが影響しているが、9分9厘 ツアーが中止になると思っていたので、催行 する通知を受けた時には驚いた。 1)イラク戦争 2)エアカナダの倒産 3)SARS(重症急性呼吸器症候群) イラク戦争は峠を越した感じで、エアカナダも 運行はするとの事で、問題はSARSである。 外務省から、最も低いレベルとはいえ、「渡航 注意」が出たのはショックであった。 幸い、今月に入ってすぐ、カナダ・オンタリオ 州政府より正式情報が出て、FAXならびに HPでその詳細を確認することができた。 それによると、トロントの2ヶ所の病院で、 SARS患者との直接接触による院内感染が あったこと、並びに死者が出たことは事実で あるが、3月28日をもって完全に封じ込め る事ができた。 今後は、香港方面からの感 染旅行者と直接接触しない限り大丈夫との事 であった。ということで、4月2日にカナダ旅行を予定通り実行することに決めた。 さて、4月9日名古屋空港集合は11:20である。 地下鉄とバスを乗り継いで、空港に11時丁度に着く。 今回は成田までは国内線で行く事になった。 ツアー参加者は僅か10名である。今までは最低でも20名位であったので、やはりの感を深くする。12:20定刻に名古屋空港を飛び立つ。 約20分後に富士山を眺めることが出来た。 ただし、頂上の雪に覆われた部分だけである。13:20成田空港に着く。 バスで国際線ターミナルへ。出国手続きをすませ、一応搭乗口を確認しておく。 搭乗手続き開始時刻は16:45で、3時間も待たねばならない。 幸いPCルームがあるので、そこで時間をつぶすことにする。 2年くらい前までは有料であったが、現在は無料である。しかも、ADSLとはありがたい。 窓の外にはシャトルバスが走っている。定刻より少し遅れ、17:30成田空港をトロントに向けて飛び立つ。 1時間後に飲み物と機内食が出る。 質素な感じであるが、味もボリュームも、まあまあといったところ。 赤ワインは2本にとどめ、ミネラルウオーターを沢山飲む。食後は、スクリーン上の映画を見るか、うとうとと眠るかしか、他にすることはない。 12時間ものフライト後、やっとトロントに着く。 現地時間は16:30である。入国審査をすませ、荷物を引き取り、税関を通る。 バスに乗るため、外に出ると、可成り寒い。 トロントはまだ冬である事を実感する。あわてて、マフラーを取り出す。今夜の宿泊地であるナイアガラに向けて出発する。 外は一面の雪景色である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 はじめに(一日目)・カナダ(1)へジャンプ
2003年04月15日
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<お 知 ら せ>4月9日~13日 カナダに行って来ます。お越しの節は、足跡を掲示板に残して置いて下さい。 帰り次第(15日頃)、そちらにお伺いいたします。
2003年04月09日
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4月5日(土) 孫と一緒に、名古屋市の中心である栄に出かける。 花写真展を見るためで、入場券は新聞販売店から入手していた。 子供は無料である。実は、高橋永順さんの事は全く知らなかった。女性ならではの花の写真に圧倒される。 高橋永順 フラワーアーティスト、写真家、文筆家として、若い 女性からベテランの花愛好家まで幅広く支持を得 ている。 青春時代に写真家を志し、キャリアを積み重ねて いた彼女だが、夫の協力を得て、自ら建てた群馬 山中でのログハウス生活で人生は一変する。 <種を蒔き、花を摘み、そして写真に撮る>大自 然の中での創作活動を通して、淡い藍色使いに 代表される彼女独特の美の世界を生み出していく。展示場内は残念ながら撮影禁止である。 どのようにして撮影されたのか、見当もつかないものが多いが、美しさにたいする感性が先ず必要のようだ。サイン会場は若い女性の長蛇の列である。 列に男性が一人もいなかったのは、不思議であった。会場の綺麗な花を撮影する。同じフロアでエミール・ガレ(1846~1904)の「桜文大ランプ」を見る事が出来、大満足である。 嘗て、諏訪の美術館でガレのガラス作品を数多く見たことを思いだした。 アールヌーボー(新しい芸術)運動の中心にいた彼に、日本画家高島得三が東洋の自然観と花鳥風月の描き方を教えたという。孫を見送るために、栄から地下鉄でJR名古屋駅に行く。 広い駅構内のコンコースに、待ち合わせの目印として、金の時計塔、銀の時計塔が最近出来た。 金の方の基部には綺麗な花が植えられている。孫は在来線で、知多郡の自宅へと帰っていった。独りで初めて祖父母宅に旅をする冒険に成功したことに気をよくしながら。 画像は下記をクリックして下さい。 花写真展・高橋永順の世界へジャンプ
2003年04月08日
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昨日に引き続いて、日本モンキーパークからお送りいたします。モンキーバレーの近くに、コモンリスザルの島がある。 小さな木の橋を渡り、サルが逃げ出さないように、注意しながら鉄製の柵を開けて島に入る。つまり、島の中で放し飼いとなっている。コモンリスザル 生息地は南アメリカで、体重は600~1,000グ ラムと小さなサルである。 現地では、40頭ほどの群で、ジャングルの中を 遊動して生活しており、樹上性が強く、木から滅 多におりない。 主食は虫と果実である。なんとも可愛いサル達が、気ままに島内を飛び回っている。 飼育のお兄さんが来ると、餌を期待して集まってくるが、普段は木の上で遊んでいるらしい。さて、次は完成したばかりの新施設に行く。 ここは、ガラス窓と上の観覧デッキからサルの動きを観察することができる。 アヌビスヒヒ アフリカ生まれのヒヒが、現在約50頭群をなし て生活している。 赤ちゃんも生まれ、親子の ほほえましい姿を見ることができる。 アヌビスヒヒ(ドグエラヒヒ)は、アフリカのなか でも、赤道のやや北に広く分布するヒヒの仲間 である。 黒みがかった緑色の毛が特徴である。 顔はいかにも恐ろしげであるが、おとなしい性 格の持ち主である。 開けた草原にすみ、夜 は岩棚や大木の上でかたまって眠る。 木の 実、草、虫などを食べるが、小動物を捕まえて 食べることもある。大部分の群は反時計回りに、ぐるぐる際限もなく廻っているが、たまには休憩するのだろうか。親子一家が小高い所から、彼らを眺めている。サル達の各コーナーを廻っていては、時間がいくらあっても足りない感じである。 ということで、遊園地の方に廻る。孫はジェットコースターに乗りたいようだが、昼食時ビールを飲んだので、私としては自信がないので、旨く説き伏せて、大観覧車にする。大観覧車からの眺めが素晴らしかったことはいうまでもない。 犬山 <完> 画像は下記をクリックして下さい。 日本モンキーパーク続・犬山(3)へジャンプ
2003年04月07日
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昨日に引き続いて、犬山からお送りいたします。お城に登るのは大変であるが、降りるのは簡単である。 正午を過ぎたので、近くのホテル内のレストランで食事をとることにする。 ホテル敷地内のサクラも満開である。 最上階はフランス料理であるが、我々は2Fの和食を選ぶ。 私は松花堂弁当を孫は子供用の弁当を注文する。 孫の分は、小さな御所車に載って来たのには驚いた。 格好の良さの割には、内容は平凡である。昼食を終わったところで、外に出る。 中庭で観桜会の準備をしている。 思ったより広く、サクラもしっかり咲いている。 今にも雨が降りそうだが、まだ大丈夫である。 ということで、モノレールに乗って、日本モンキーパークに向かう。日本モンキーパーク サル専門の動物園であるモンキーセンターと遊園地 からなる。 アフリカ、南米などからやってきた、珍し いサル80種類650頭が飼育されている。 モンキー バレイ等では餌を与えることが出来る。 遊園地には、大観覧車、イーグルコースターなど、子 供から大人まで楽しめる約30種類の遊戯施設があ るほか、春・秋には各種イベントも開催している。 夏には屋外プールも営業されている。モノレールは犬山遊園と日本モンキーパークをつないでおり、途中成田山別院で停車する。 終点でそのまま、園内に入る。先ず、濃いピンクのシダレザクラが目に入る。 八重の可愛い花を咲かせている。 遊園地は後回しにして、モンキーセンターの見学をはじめる。ヤクニホンザル・モンキーバレイ 冬になると、たき火にあたり、そのうえ焼き芋まで食 するサルとして、海外でも知られている。 世界遺産 の島、屋久島に生息し、体重は大人の雄でも10~ 12kgほどで、ニホンザルより一回り小さい。 同センターでは、12代目ボス「スルメ」(雄20歳)が 約90頭の群を統率している。 ボスの3条件は「強さ、 賢さ、ルックス」であるが、センター内のボスは腕力の 占める比率が野生に比べ低く、食料と外敵の心配が 無い、ここのボスは”人望”も大切な条件である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 日本モンキーパーク・犬山(2)ヘジャンプ
2003年04月06日
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4月4日(金) 昨夜から、春休みを利用して滞在している孫(新中1)を連れて、犬山へ出かける。従来は、地下鉄平安通から一旦地上に出て、名鉄上飯田駅まで約1.5kmを歩くかバスを利用していた。 3月27日にやっと念願の平安通へ接続することが出来た。 従って、平安通駅で名鉄(名古屋鉄道)に乗り換え、小牧・犬山方面に行くことが出来るようになった。当然の事ながら、新駅は立派なもので、乗車時のみ扉が開くようになっている。 車両も新車で雰囲気が良くなった。 午前9時半頃とあって、比較的空いていた。終点犬山駅で乗り継いで、次の犬山遊園駅で下車する。 木曽川左岸を犬山城に向かう。 ソメイヨシノが丁度満開で、素晴らしい光景を楽しむことができた。 お城は小高い所にあるので、坂道を登ったり、石の階段を上ったりと、可成りきつかったが、駅から徒歩20分くらいで天守閣の下に到着する。国宝犬山城 国宝という事は、要するに古い建物という事であ る。 ちなみに、日本国内の国宝の城は4つあり、 他の3つは、松本城、彦根城、姫路城である。 その他の城は、古くなって倒壊したり、戦災にあっ たりして、建て直したものである。 犬山城は天文6年(1537)現在の位置に天守閣 が造営され、織田信康が城主となった。 その後 何代か城主が代わり、文禄4年(1595)石川備前 守光吉が守った。 慶長5年(1600)の関ヶ原合戦 の後、小笠原和泉守吉次が入城した。 その後、平岩主計頭親吉のあと元和3年(1617) 成瀬隼人正正成が城主となってからは、成瀬氏が 継いで明治に至った。 明治4年9代目正肥の時 廃藩置県で廃城となった。 明治24年(1891)濃 尾震災で天守閣の一部や城門が壊れたので、同 28年(1895)旧犬山藩主正肥に、城を修理する という条件で譲られ、唯一の個人所有の城として 現在に至っている。 犬山城は別名を「白帝城」という。 江戸時代の 儒者・荻生徂來(おぎゅうそらい)が李白の詩か らとって命名したと伝えられる。天守は3層だが、内部は4階で、石垣中に地階の2階がある。 最上部まで上ることが出来るが、階段はすべりやすく、上るのに難儀する。 最上部からの眺めは素晴らしく、苦労した甲斐がある。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 国宝犬山城・犬山(1)へジャンプ
2003年04月05日
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昨日に引き続いて、東山動物園よりお送りいたします。楽しいランチが終わったところで、遊園地へと移動する。 動物園は公道で南北に別れており、主な動物は南側におり、遊園地は東山スカイタワーのある、北側にある。陸橋を渡って、遊園地に向かう。 途中黄色い花を樹木一杯に咲かせているのが目についた。周りが緑とピンクに包まれているので、黄色は目立つ存在である。 どうやらアカシヤらしい。ギンヨウアカシア(銀葉アカシア) マメ科、原産地はオーストラリアで、常緑高木で ある。 別名はミモザ、花アカシア。 2月の終わ りから3月にかけて、黄金の花をつける。 小さ なぽんぽんのような花が房状に沢山ついている。 葉は羽状複葉で、白銀色がかった緑色である。 明治末期に渡来し、暖地で庭木、切り花用とし て栽培されている。 樹形には異変が多い。樹 高は8~15mくらい。さあ、遊園地の入り口に着いた。 先ず、スロープ・シューターが目に付く。 孫娘達が是非乗りたいという。 彼女たちのママとばあちゃんも付き合うとの事。 私は写真係である。新小2の下の方は、降りてくるなり、恐かったとまだ震えている。 お姉ちゃんの方はニコニコして、もう一度乗りたいと言っている。 同じものでは仕方がないので、別の乗り場の方に移動する。一番目につくのは、観覧車とジェットコースターである。 どちらに乗りたいか尋ねたところ、姉はジェットコースターを希望する。 妹は先ず駄目と思いながら聞くと、なんと自分も乗りたいという。スロープ・シューターを恐がったくらいだから、とても無理なのだが、本気で乗る積もりである。まあ、親が一緒に乗ればいいだろうと、またまた4人で列に並ぶ。案の定、降りてくるなり、妹はもう二度と乗らないと叫んでいる。 姉の方はニコニコしている。妹の方になぜ乗ったのか聞くと、「乗らないで、あとで後悔するより、挑戦してみたかった」との事。 意気込みだけは立派であった。 東山動物園 <完> 画像は下記をクリックして下さい。 遊園地・東山動物園(2)ヘジャンプ
2003年04月04日
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4月1日(火)、広島から帰って来ている孫娘達と東山動物園に行く。 生憎の曇り空で、傘を持参する。 せめて、午前中は降らないで欲しいと願う。 東山動物園 前身は、大正7年(1918)に開園した、名古屋 市立鶴舞公園附属動物園である。 同園は、昭 和4年に名古屋市立動物園と改称し、手狭にな ったため、昭和12年(1937)に東山公園へ移 転し、東山動物園となった。 新しい動物園は、面積166,320㎡と鶴舞の約 13倍で、施設はドイツのハーゲンベック動物園 長の助言を得て、ライオン舎、ホッキョクグマ舎 に無柵式を取り入れるなど、きわめて斬新的で 名古屋の新しい名所として自慢の施設となった。 東山で開園の年の12月、木下サーカスから4 頭のインドゾウを購入した。 前からいた、1頭 を加えると5頭が飼育されていたわけで、ゾウが 東山動物園のシンボル的な存在であった。 第二次世界大戦末期には、危険な動物は屠殺 されるという事態となったが、生き残っていた2 頭は、関係者の必死の努力で苦しい戦争時代 を乗り越え、生き抜くことができた。 日本国内で敗戦を迎え、生き残ったゾウはこの 2頭、「マカニー」と「エルド」だけであった。 ゾウ がいない東京の子供達から、「ゾウを一頭譲って 下さい」との熱心な陳情が始まった。 ついには、 都知事をたてての陳情となり、譲ることはできな いが、お貸ししましょうということになった。 しかし、マカニーとエルドの結びつきが強く、2頭 を引き離そうとすると、狂ったように暴れたという。 そんな中、東京、名古屋の両都市、国鉄の間で、 「それでは、名古屋のゾウさん見学のために...」 と「ゾウ列車」が実現した。 敗戦後の子供達の心 に明るい火を点すことが出来たと、年老いた人達 の語り草となっている。さて、という事で真っ先に「象さん」の見学である。いまでは、一番人気はコアラに奪われたが、子供達の人気の的であることに変わりはない。鶴舞公園ほどではないが、ソメイヨシノも丁度満開で、春休み中とあって、チビッコ達で賑わっている。コアラ舎は行列が出来るくらいだが、残念ながら撮影禁止である。 もっとも、殆ど木の上で寝ており、歩き回るのを見たことはない。まだ、11時を少し過ぎたところだが、歩き回っているうちに、腹が減ってきた。 早速テーブルを確保する。 きしめん・おでんを買ってきて、持参のおにぎりを食べる。 孫娘達と、野外でのランチは最高であった。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。 花ざかり・東山動物園(1)ヘジャンプ
2003年04月03日
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昨日に引き続き、名古屋城よりお送りいたします。城内いたる所にソメイヨシノが咲いているので、どの樹を撮影すべきか、大いに迷う。 その中で、アンズが少し濃いめのピンクの花を咲かせていた。その近くに(正門のそば)、樹齢推定600年以上の榧(かや)の樹が、支柱に支えられて、辛うじて立っている。 なにか、痛々しい感じである。榧の樹 樹高16m、幹の周りは約8.1mで、榧の樹と しては、全国で3番目に大きい。 築城以前か ら自生していた。 尾張徳川家の始祖、徳川義直(1600~1650) が、「大阪の陣」参陣の際、食膳でこの樹の実を 食したという。長年名古屋城には来ているが、実は天守閣を一回りしたのは、今回が初めてである。 途中「鵜の首」という外堀の入り江があった。鵜の首 西の丸、御深井丸(おふけまる)などの郭(くるわ) の接するところに、防衛上から入り組んだ堀を設 けている。 細長いところから、これを「鵜の首」 という。名古屋城のシンボルは何といっても、金の鯱(しゃち)であろう。 金の鯱 城の大棟に鯱を揚げることは室町時代の前期、 城郭形態の完成した頃から始まったといわれて いる。 当時は火除けのまじないであったもの が、後には城主の権威の象徴として飾られる ようになった。 金の鯱は、尾張名古屋のシンボルとして昭和の 世まで伝承されてきたが、惜しくも第二次世界 大戦の戦火により、天守閣と運命を共にした。 戦後昭和34年(1959)10月、天守閣と共に 再建され再びその姿を見せるようになった。 慶長17年(1617)築城当初の、雌雄そろって 燦然と輝く金鯱は、20金の慶長大判1940枚 (3201kg)を延ばして木型に張った豪勢なも のだったという。大きさも雄2.57m、雌2.15 mと巨大で、関ヶ原の合戦後、家康が豊臣方に 自らの富と権力を顕示するために作らせたとい う。 金鯱はその豪華さのあまり、波瀾万丈の運命 を余儀なくされたが、その物語は又の機会に お伝えしましょう。 名古屋城 <完> 画像は下記をクリックして下さい。 金のシャチ・名古屋城(2)へジャンプ※ 明日は東山動物園よりお送りいたします。
2003年04月02日
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昨日の午後名古屋城に行って来た。 例年サクラが満開になると、先ず鶴舞公園に行き、次は名古屋城である。地下鉄市役所駅を出ると、外堀の城壁の上にサクラが咲いている。 やはり、お城にはサクラが似合う。路上では、手作り屋さんがカラフルな小物を売っている。 サクラに浮かれてか、結構商売になっているようだ。 正門でなくて、東門から城内に入る。 城内には2千本のサクラが豪華に咲き誇っている。 どこを通っても、サクラ、サクラである。表二之門(国重要文化財) 古くは南二之門といわれ、門柱・冠木ともに鉄板 張りとし、用材は木割が太く堅固に作られている。 袖壁は土塀で、鉄砲狭間を開いて、要害としの 堅固さを示している。表二之門の中には入らずに、正門の方に進んでいくと、左手にシダレザクラが咲いている。 城内は殆どソメイヨシノなので、豪華ではないが、目立つ存在である。 樹の下で、記念撮影している人も多い。さて、やはりサクラと天守閣が一番絵になる。 サクラが咲いている位置の関係で、意外に撮影場所を選ぶのが困難である。天守閣 金色さん然たる金の鯱を城頭に頂き、名古屋の シンボルとして親しまれてきた名古屋城が空襲 で焼失してから10数年後の昭和34年(1959) 10月に再建された。 -つつく- 画像は下記をクリックして下さい。 お城とサクラ・名古屋城(1)へジャンプ
2003年04月01日
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