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2003年 12月18日(木) 2日目(3)ジンジャーの撮影を終わり、別のコーナーへ移って行く。 青紫色の可愛い花が咲いていた。オカタンツス・カエルレウス キツネノマゴ科、原産地はブラジルで、常緑亜低木。 葉は楕円形で、花は青紫色、中心部は白色、筒の 部分は白色で細長い。 熱帯地方原産とは思えない、可憐な花である。そのそばで、ミカンの実がなっていた。シーカーシャー ミカン科、原産地は沖縄、台湾で、常緑低木。葉は 楕円形で、枝には棘があり、高さは3~5mほどに なる。 春に白い花を咲かせ、11月から12月ごろ、 果実は黄橙色に熟す。 名前は沖縄の方言で、「シー(酸っぱい)」と「カーシ ャー(食べさせる)」に由来する。 別名で「ヒラミレ モン(平実檸檬)」とも呼ばれる。 果実は酸味が強 いので、ジュースの原料として、また薬用にも利用 される。向かい側に、面白い赤色の花が咲いていた。パボニア・インターメディア アオイ科、原産地はブラジル(園芸種)で、常緑低木。 ホオズキの実を小さくして、逆向きにしたような花が 咲く。 鮮やかな赤色をした花弁のように見える部分 は、正しくは副萼片で、10枚近くあり、花弁を包んで いる。 主に、この部分を鑑賞するが、なかなか美し い。近くの大きな木から、薄オレンジ色のエンジェルス・トランペットの花が鈴なりに、ぶら下がっている。 こんなに沢山の花を見るのは、初めてである。エンジェルス・トランペット ナス科、原産地はブラジルで、常緑低木。 トランペ ットのような大型の花が垂れ下がる姿は豪華である。 本種はダツラ属に分類されていたので、ダチュラの 名でも呼ばれる。 花色は白が多いが、種間雑種の 園芸種が多くあり、淡黄、淡桃、紫、赤など多彩であ る。 ダツラ属のチョウセンアサガオは花が似ているが、 草本性である。更に進んでいくと、赤くて目立つ花が咲いている。カリアンドラ・トウィーティー マメ科、原産地はブラジルで、常緑低木(非耐寒性)。 ベニゴウカンの一種である。 花に見えるのは、房のように多数ある雄しべで、本 当の花は小さくて目立たない。 なお、ネムノキは高 木で別種であるが、本種はせいぜい1.5m程度の 低木である。何分、館内は広く、多品種の花達を撮影したが、又の機会に見ていただくことにして、途中ですが、今回の旅はこれをもって終わらせて頂きます。 京・大阪旅行 <完> 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku565.html ※ 2003年も終わろうとしております。 この1年間 お付き合い頂き、ありがとうございました。来年 もよろしくお願いいたします。 では、良いお正月をお迎え下さい。
2003年12月31日
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2003年 12月18日(木) 2日目(2)熱帯スイレンの部屋を出て、奥へ進んで行く。 再びランのコーナーがあり、可愛い花を咲かせている。進行方向、左手に珍しいランがあった。ブラッソレリア・リヒャルトミュラー ラン科、栽培品種。 その他の詳細はよく分からな い。 ランの園芸上の分類は、大きく分けて、東洋ラ ンと洋ランであるが、この品種は東洋ラン系である。 地味ながらも、なんとも、風格のあるランである。この向かい側に、パフィオペディルムが咲いている。パフィオペディルム ラン科、原産地は熱帯アジアで、洋ラン、多年草。 属名は、ギリシャ語で「ビーナスの靴」という意味を 持つ花で、ヨーロッパでは「レディース・スリッパ」と 呼ばれている。 唇弁の形から、名付けられたの だろう。 なお、品種名は多分、「ハニー」と思うが、定かでは ない。近くに、人口滝があり、そのそばにカトレアが綺麗な花を咲かせている。 カトレア ラン科、原産地は熱帯アメリカ。 洋ランの女王と 呼ばれている。 この花をイギリスで最初に栽培し たキャトレイさんの名前から、名付けられた。 更に、進んでいくと、ジンジャーのコーナーとなる。トーチジンジャー ショウガ科、原産地は熱帯アジアで、大型の多年 草。 花を観賞するほか、若い花序は香味野菜に、 果実は生食に、種子は香辛料として利用される。レッドジンジャー ショウガ科、原産地は西インド諸島で、多年生草本。 草丈は3~4mで、葉は長さ60cmくらい。 赤く見 えるのは苞(ほう)で、花そのものは黄色である。 日本に自生する、ハナミョウガなどの仲間である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku564.html
2003年12月30日
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2003年 12月18日(木) 2日目(1)昨夜は法善寺横丁を撮影した後、近くの忘年会の会場へ行った。 かしわの鍋で、しかもビール、酒、焼酎、ウイスキーが飲み放題とあって、急ピッチで盛り上がった。2次会はカラオケ大会となる。 ホテルに帰ったのは11時過ぎであった。07:00 起床する。 今朝も曇ってはいるが、雨が降る心配はなさそうだ。 朝食をすませ、部屋でのんびりと過ごす。 09:30チェックアウトし、徒歩で地下鉄心斎橋駅へ。 長堀鶴見緑地線で、10:00頃鶴見緑地駅に着く。地上に出ると、駅前に広場があり、人口滝もあって、ゆったりとした気分になれる。 しかも、花博記念公園鶴見緑地へは、大きな通りが整備されている。花博記念公園鶴見緑地 EXPO’90「花の万博」が開催された鶴見緑地に展開 する、広大なファミリーパークである。 鶴見区と守口 市にまたがる、約117万平方メートルの広い公園で ある。 園内には、各種スポーツ施設、乗馬苑、国際庭園、 「咲くやこの花館」、「いのちの塔」等がある。今日のお目当ては、咲くやこの花館で、先ずはそこへ直行する。 館全体が温室といった感じで、熱帯から極北圏までの約2,600種の植物を8つのゾーンに分けて展示している。館内に入ると、まずカジュマルとランの群が目に入る。カジュマル クワ科、原産地はインド、東南アジアで、常緑性高木。 台風、潮害などにも強い、生命力あふれる樹である。 大ききなると、無数の気根を出し、気根が地面につく と幹になる。近くに、珍しいランが咲いていた。オドントグロッスム ラン科、原産地は中南米の山地である。 比較的最近 市場に出てきた新しい洋ランで、美しい形や色合いで 人気が高まりつつある。 クールオーキッドとも呼ばれ、 夏の暑さを嫌うため、日本の低地での栽培は困難だ が、半面冬の寒さには強い。進行方向左手に、熱帯スイレンの部屋があり、目を楽しませてくれる。 熱帯スイレン 水辺で花を咲かせるスイレンは、日本人にとって比較 的なじみ深いが、これらは、殆ど「温帯種」である。 「熱帯種」は、アフリカや南米、東南アジアを原産地と している。 水面に浮かぶように花を咲かせる温帯種と異なり、水 面から高く突き出るように花を咲かせ、よい芳香を放 つのが特徴である(温帯種には無香が多い)。 夜咲きと昼咲きの二種類がある。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku563.html
2003年12月29日
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2003年 12月17日(水) 1日目(10)12:00近くになったので、京都府立陶板名画の庭を後にして、地下鉄北山駅に行く。 JR京都駅の地下街レストランで昼食をとる。食後、在来線の新快速で大阪駅へ。 西梅田から、四ツ橋下車。 大阪厚生年○会館のホテルへチェック・インは14:30頃。 少し、早すぎたが部屋に入ることが出来る。 1時間昼寝をすることが出来、有り難かった。16:00ホテルを出て、難波に向かう。 僅か1駅だが地下鉄に乗車する。 地下から外に出てみると、小雨が降り始めた。 傘はホテルに置いてきたので、取りに戻るかどうか迷ったが、面倒なので、そのまま道頓堀に行く。 カメラをかばいながら、夕景を撮影する。幸い、大した降りでないので、法善寺横丁に行く。丁度1年ぶりである。 昨年9月9日、中座の解体現場でのガス爆発事故で、法善寺横丁の伝統ある各店が類焼の被害を受けた。 今回は、その復興ぶりに期待したが、不景気や、建築基準法上の問題点など、障害が多くて、残念ながら、はかばかしく進んでいないようだ。 法善寺横丁 浄土宗天龍山法善寺の境内の露店から発展。明 治から昭和の初期にかけては、紅梅亭と金沢亭が 全盛で、落語を楽しむ人達で賑わった。 太平洋戦争の空襲で、寺ともども焼失したが、戦後、 再び盛り場としてよみがえった。 寺は江戸時代の 創建だが、現在は不動さんと金比羅堂だけが残っ ている。 長さ約80m、幅3mの2本の露地が東西にのびた 横丁には、約60軒の店が並んでいる。 スナック、 小料理屋、洋風料理店など、バラエティーに富んで いる。夫婦善哉 織田作之助の原作と同名の「夫婦善哉」(1955年 公開)は、雪の舞う法善寺横丁で、ぼんぼん育ちの ダメ男柳吉が、しっかりものの芸者蝶子に語りかけ るラストシーンが有名である。 柳吉を演じた森繁 さんにとって、忘れられない出世作の一つであろう。 浄瑠璃語りの竹本繁太夫が副業としてはじめた 「めおうとぜんざい」(明治24年、1891年創業)か らと伝えられている。門を出た、すぐの所に「上方浮世絵館」がある。入りたかったが、時間の都合で、看板がわりの、浮世絵入り陶器製の猫を撮影する。 大阪らしいアイディアで、興味を引く存在である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku562.html
2003年12月28日
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2003年 12月17日(水) 1日目(9)素晴らしい紅葉の隣に、「メタセコイアの林」が聳えたっている。 巨樹の連なりは壮観である。メタセコイア スギ科、原産地は中国で落葉高木、針葉樹である。 メタセコイアは絶滅したと考えられていた植物で、こ の名は、もともとは、化石に付けられた学名であっ た。 1941年、中国湖北省で発見された、この個体が、 絶滅属として発表されていたメタセコイアであること が判明し、「生きている化石」として大きな話題とな った。 日本でも、300万年~100万年前(新生代第3期) には沢山生えていて、化石も発見されており、既に 絶滅したと考えられていた。 その実生(種子から発芽して成長したもの)や接ぎ 木を行い、現在では世界中に広がっていった。成長 がとても早く、樹形が綺麗に整うので、学校や公園 に沢山植えられている。北山門のすぐそばで、ナデシコが可愛いく咲いていた。ダイアンサス(ナデシコ-交雑種) ナデシコ科、原産地は中国で多年草(耐寒性)。 中国から渡来したセキチクを改良して、江戸時代に 育成された園芸上の品種群で、完全な四季咲き性 である。 花色は、赤、ピンク、白、覆輪など多彩である。以上で、花の撮影は一応打ちきり、門外に出る。すぐ隣に、「京都府立陶板名画の庭」があるので、入って見る。 ここも、65歳以上は無料なのは有り難い。陶板名画の庭 名画の美しさを、そのまま再現した、丈夫な陶板画 を、安藤忠雄氏設計の施設に展示している。 屋外 で鑑賞できる、世界で初めての絵画庭園である。 陶板画は全部で8点。 このうち、『最後の審判』な ど4点は、「1990年国際花と緑の博覧会」に出品 されたもので、「テラスにて」など4点は新しく制作さ れたものである。『最後の晩餐』(432cmx886cm) レオナルド・ダ・ヴィンチ作の、ほぼ原寸大の再現で ある。 イエスが捕まる前の晩、12人の弟子達と食 事をとった情景が描かれている。『ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後』(205cmx305cm) フランス新印象派の画家スーラは、無数に打った原色 の点が、遠目には混ざって見える事に気付き、点描派 を確立した。 この作品は、彼の代表作である。『テラスにて』(100cmx81cmの原寸を縦横2倍に拡大) 豊かな色彩で知られるルノアールであるが、この作品 では、伝統的な描き方と、彼の個性とのバランスがうま くとられている。『糸杉と星の道』(92cmx73cmの原寸を縦横2倍に拡大) 独特なタッチで知られているゴッホ。 彼は生涯全く評価 されなかったが、死後、その独自性が高く評価された。『最後の審判』(1430cmx1309cm、ほぼ原寸大) 天才・ミケランジェロが、たった一人で、6年かけて仕上げ た大作である。 ヴァチカン・システィーナ礼拝堂では、入場するのに並ばね ばならず、しかも、超満員で、じっくり鑑賞というわけにはい かない。 勿論、礼拝堂内は撮影禁止なので、ここで、撮 影出来るのは、極めて有り難い。 陶板画は、原画を写真製版し、陶板に複写したものである から、原画の雰囲気をそのまま味わうことが出来る。※ どの様な状態で展示されているかを分かって頂くため、 下記をクリックして下さい。http://design.web.infoseek.co.jp/1-ando/kyouban/kyouban3.html -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku561.html
2003年12月27日
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2003年 12月17日(水) 1日目(8)温室内を更に進んで行くと、「カエンカズラ」が橙色の花を咲かせていた。カエンカズラ ノウゼンカズラ科、原産地はブラジル・パラグアイ で、常緑の蔓性低木。 樹高は10m以上に育つ。 花の咲き方は見事で、アメリカノウゼンカズラの 花を沢山付けたような形をしている。 葉は2~3 枚の小葉からなり、先端の1枚は巻き髭になる。 花冠は橙黄色で、5裂して反曲し、花筒の長さは 6~7cmである。さて、温室の最終は、ランのコーナーである。デンドロビウム・ビギブム・スペルブム ラン科、原産地はオーストラリア・ニューギニアで ある。 デンドロビウムは最も人気のある洋ラン で、東南アジア一帯に自生している。 原種が 2,000種類以上もあり、色々な花の形や色を楽 しむ事が出来る。 乾燥に強く、低温にも耐えるので、栽培しやすい。エピフロニティス・ヴィーティー 橙色の、何とも可愛い花を咲かせている。 ラン科、 園芸品種である。 詳細はよく分からない。その近くに、人目を惹くランが咲いていた。ジゴペタルム・マッケイー ラン科、原産地はブラジルである。 花径が約90cm と長く、ときに曲がりくねっている。 唇弁の基部から、 青紫色のすじ状の模様が放射状に入り、短毛が密生 している。オンシジウム ラン科、原産地は中南米。 小さな黄色の蝶が沢山 舞っているような花が印象的である。 花は小型か中型で、唇弁(下側の花弁)の中央の裂 片が大きく広がる。 花色は黄系統が一番多いが、赤、ピンクなどもある。さて、温室でもう少し、のんびりと過ごしたかったが、この後の予定もあり、11:00過ぎに温室を出る。 北山門に向かう途中、12月中旬だというのに、見事な紅葉に出会えたのはラッキーであった。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku560.html
2003年12月26日
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2003年 12月17日(水) 1日目(7)温室内には、色々と変わった花が咲いているが、次の花は話題をよんだランである。デンドロビウム・クレプディフェルム ラン科、原産地はインドネシア(マルク島)。 数年前、インドネシアからヨーロッパに導入された、 デンドロビウムが、スラウェシ島原産の新種として、 2000年にドイツで記載された。 花が非常に美し く、園芸的価値の高い新種が発見されたと話題を 呼んだが、1922年に J.J.SMITH がヘルマヘラ島 産の標本に基づいて記載した本種であることが分 かった。 つまり、約80年ぶりに再発見されたわけである。近くに、変わった花が咲いていた。アロプレクツス・フィンブリアツス イワタバコ科、原産地は熱帯地方。 筒状唇形の 花で、白色の毛が密生している。 イワタバコ科の植物は、120属2,000種を超える 大所帯であるが、その分布は熱帯、亜熱帯が中心 である。 温帯に属するものは、日本のイワタバコを始め数種 に過ぎない。次に、サボテン・ゾーンに入って行く。 エンゼルランプ(カランコエ・ウニフロラ)に似た花がぶら下がっていた。センジャク(扇雀) ベンケイソウ科、原産地はマダカスカルで、非耐寒性 多年草。 橙色のランプのような、鐘形の花が、茎頂 から多数ぶら下がって咲く姿は、エキゾチックである。同じコーナーに、鉢植えで、面白い花を咲かせている。アカンツス・プベスケンス キツネノマゴ科、原産地は東アフリカで、非耐寒性多 年草。 樹高は約3m位まで伸びる。 枝先に直径約 3cmの薄紫色の花を穂状につける。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku559.html
2003年12月25日
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2003年 12月17日(水) 1日目(6)温室の中を進んで行くと、面白い花が目に入った。イポメア・ホルスファリアエ ヒルガオ科、原産地は西インド諸島。 イポメア属 はヒルガオ科の最大の属である。 熱帯から亜熱 帯に400種類以上ある。 多くはつる性、匍匐性 の草本で、まれに低木性のものがある。 朝顔もヒルガオ科で、原産地は熱帯アジアである。 奈良時代に中国を経て、渡来したという。その近くで、バナナが花序をつけていた。バナナ バショウ科、熱帯に分布。 栽培種は種子が無く、 甘くおいしいが、野生種には種子が出来る。数m に成長するが、草本類である。 ぶら下がっている赤紫の部分は苞(ほう)で、竹の 子の皮のように何層にも重なって、その根本にあ る花を守っている。 一皮剥ける毎に、環状に花 が咲く。 熱帯では、花序をバナナハートと呼び、野菜にす る。 表面の硬い苞をむいて、煮物などに入れる と、こくのある味が楽しめるとか。更に進んで行くと、変わった花が咲いていた。ロドデンドロン・ヤスミニフロルム ツツジ科、原産地はマレー半島で、常緑低木。 筒状花が基部で沢山くっついているのが面白い。その近くに、ランの花に似た可愛いピンクの花が咲いていたが、インパチンス属の一種とあるだけで、品種名は不明である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku558.html
2003年12月24日
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2003年 12月17日(水) 1日目(5)温室内の通路の両側に、ポインセチアの鉢植えが置かれている。 この時期は、どこへ行ってもお目にかかる。ポインセチア トウダイグサ科、原産地は中央アメリカで、常緑性低 木。 米国初代の駐メキシコ大使J・R・ポインセットがメキ シコ西南部の町タコスで発見したのが、ポインセチア の名前の由来とか。 赤く色づいて花のように見える部分は、苞(ほう)と呼 ばれるもので、中央の黄色の豆状の部分が本当の 花である。 最近の苞は、赤だけでなく、白、クリームやピンク、そ して霜降り状のピンクなど色々あって、目を楽しませ てくれる。 更に進んで行くと、左手に目立つものがあった。ヘリコニア・ビハイ バショウ科、原産地はブラジル~西インド諸島で、多年 草。 この仲間では大型で、高さが2m以上にもなる。 葉の間から花茎を出して、大きな花穂を付ける。 花は 黄色で、濃赤色の苞に包まれている。前方に、「トックリヤシ」が目に付く。トックリヤシ ヤシ科、原産地はモーリシャスで、高さ8m程度。 和名 のトックリは、幹の形が徳利に似ていることから、また、 英名のボトル・パームは瓶に似ていることから付けられ た。 成長の遅いヤシとして知られている。 種子を播いて、 15年目くらいで、高さがやっと3m位である。その近くに、観葉植物の「カラテア・テニオサ」があった。カラテア・テニオサ クズウコン科、原産地はブラジルで、常緑多年草。高さ は30cm程になり、群落を形成する。 葉は楕円形で、 先が尖り、葉柄は紫色で毛に被われている。 葉の表面は濃い緑色で銀白色の縞があり、表面は暗い 緑色か灰緑色をしている。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku557.html
2003年12月23日
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2003年 12月17日(水) 1日目(4)バラ園から、観覧温室に移動する途中に、立派なクスノキの並木道がある。 これらの樹木は、当園が大正6年(1917)に着工した時植えられたので、樹齢86年を超えている。クスノキ クスノキ科、原産地は日本南部、台湾、中国南部で、 常緑高木。 高さは30mまでになる。 ときに老大木 で、幹周24mに達するものがある(鹿児島・蒲生の 大楠)。 楠の幹や葉を切ると、樟脳の匂いがするが、 楠は腐食や害虫に強く長寿である。 樟脳採取のために職裁されこともある。 東南アジア では、古くから作られていたが、日本では意外に歴史 が浅く、江戸時代から作り始められた。 セルロイドが もてはやされていた、明治から昭和のはじめ頃には、 世界一の生産量となったこともある。 現在では、合 成樟脳やプラスチックが出回って、天然物は衰退して しまった。クスノキの並木道を通り抜けると、目の前に、観覧温室が横たわっている。 外観は、池に浮かんだ金閣寺のイメージと、北山連峰のシルエットを取り入れた優雅なデザインとなっている。 平成4年(1992)4月に竣工、延床面積は約5,000㎡、高さは最高15mあり、展示職裁植物は約4,500種類、25,000本に及び、国内初展示、初開花の植物も多く、名実共に日本最大級の温室である。温室の正面入り口に、「松竹梅・万両」が飾られていた。もう、お正月の準備だろうか。 万両 ヤブコウジ科、原産地は日本で、常緑小低木。 山の中 に自生している。 また、観賞用として栽培されている。 6~7月にかけて、葉陰に白い花を咲かせる。 冬には 小さい球形の実を付ける。 松竹梅、福寿草、ナンテン などと共に、正月縁起物として愛用される。果実の色は、 赤、白、黄、橙色等があり、江戸時代から広く作られて 来た。 なお、ナンテンの実は上方に飛び出し、万両は葉の下側 に実がなり、千両は葉の上に実がなる。さて、温室の会館時間は10:00からで、約10分待たされた。 温室内は高温・多湿で、カメラのレンズがすぐ曇ってしまう。 ハンカチで拭きながらの撮影となる。 入ってすぐのところに、白い花が咲いていた。ヤスミヌム・レクス モクセイ科、原産地はタイで、常緑低木。 ヤスミヌム属 の中では、一番大きな花が咲く。 花は白色で、香りは ない。 温室の天井から、水滴が落ちてくる位多湿である。 その近くで、メディニラ・スペキオサが鉢植えされていた。メディニラ・スペキオサ ノボタン科、原産地はジャワで、常緑小低木。 高さが 1mほどになるが、高温多湿と十分な日当たりが必要。 熱帯アジアでは、かなり一般的に栽培されている。 メディニラ・マグニフィカとよく似ているが、スペキオサの 花房の上には、ピンクの苞(ほう)がない。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku556.html
2003年12月22日
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2003年 12月17日(水) 1日目(3)これから見て回るバラは、すべてフロリバンダ系である。フロリバンダ(FL) 中輪、房咲き、四季咲きの木バラである。 ほとんど の品種が丈夫で、花付きが良く、繰り返し花を咲か せる。 ラビアンローズ 1990年、作出国日本、FL。 外側はピンク、内側は白のツートンの可愛い花を咲 かせる。 日本人好みの名前を付けたようだ。 ラビアンローズ とは、「バラ色の人生」といった感じである。 名が示す 通り華やかである。その隣で咲いているのは、「サプライズ」である。 本当に驚いた。 この寒空の下で、元気良く咲いている。サプライズ 1993年、作出国ドイツ、FL。 黄色い花が、群れ咲いているのは、誠に印象的である。少し離れた所に、ルスティカーナが、沢山の蕾を付けている。 ルスティカーナ 1972年、作出国フランス、FL。 花径は約7cmと中輪。 花色はサーモンピンク。 樹 高は200~250cmと高い。 非常に多花性で、遠くから見ても、大変美しい風景を 作り出す。更に離れたところに、ディスティニィが紅白の花を付けている。 日本人の感覚からすると、非常におめでたい感じのバラである。ディスティニィ 1989年、作出国フランス、FL。 白花にピンクの縁取りで、誠に可愛い花である。 この 紅白の色合いに似た花としては、他に「ダブル・デライ ト」がある。他にも花を咲かせているバラ達があったが、時間の都合で一旦打ちきり、温室の方に廻ることにする。 途中「アツバキミガヨラン」が沢山の花をぶら下げていた。アツバキミガヨラン(厚葉君が代蘭) ユリ科、北アメリカ南部原産の常緑低木。 属名でユッカ と呼ばれることも多い。 明治中期に渡来した。 舟形の大きく厚い葉が特徴。 約60~80cmあり、先端 には鋭い棘がある。 花は初夏と晩秋の2回咲き、秋のも のはやや赤味を帯びている。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku555.html
2003年12月21日
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2003年 12月17日(水) 1日目(2)初冬ということもあって、バラ園は閑散としている。昨夜の雨が、花びらに凍り付いたようで、痛ましい感じがするが、この寒空の中を凛として咲いているバラを見ると、勇気づけられる。ナショナル・トラスト 1970年、作出国イギリス(マグレディ)、HT。 四季咲き、大輪系である。 1970年代の国内外の各種コンテストに入賞 している、人気品種である。ヘリテージ 1984年、作出国イギリス、イングリッシュローズ の代用的な品種のうちの一つで、人気種である。 花色はソフトピンクで、中輪カップ咲き。 樹高は 約150cmで、ブッシュ型。 本来は強いオールド ローズ香があるらしいが、残念ながら、今回は微 香のみであった。次のバラに移る途中に、小さな池があり、「歓びと期待」像が池の中に立っている。 天使が舞い降りて来るのを、乙女が迎える形で、『受胎告知』をイメージしたものだろうか。その像のすぐそばで、「リバプール・エコー」が咲いている。 リバプール・エコー 1971年、作出国ニュージーランド、CL系。 優しいサーモンピンク色の花が咲く。 元来はフロ リバンダ系であるが、日本ではつる性の成長をす る。 もとはフロリバンダなので、四季咲き性は強く、あま り伸びない。 つるバラとしてみると、あまり強健な 品種ではなく、黒点病に弱いのが難点である。近くで、「ゴールデン・ボーダー」が黄色い花を咲かせている。ゴールデン・ボーダー 1987年、作出国フランス、修景用バラ。 草丈は 50~70cm。 ブーケのような房咲きで、沢山の 花を咲かせる。 完全四季咲きで、木立性のバラ。 丈夫なバラで 刺も少ないので、育てやすい品種である。 丸弁で やわらかい色合いの花には、弱いながら爽やかな 微香がある。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku554.html
2003年12月20日
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2003年 12月17日(水)1日目(1)早朝起床。 06:20家を出る。 地下鉄経由で新幹線名古屋駅へ。 ひかり号で、京都08:20到着。構内で少し休憩して、地下鉄で京都府立植物園に向かう。 実は、今夕大阪・千日前で行われる忘年会がメインであるが、折角大阪に行くのならと、京都に立ち寄った次第である。 丁度一年前にも、ここに来ている。京都府立植物園 京都市北部の平坦地に位置し、東は比叡山、東 山連峰を望み、西に加茂の清流、北は北山の峰 々を背景とした景勝の地にある。 大正6年(19147)に着工し、同13年(1924) 1月1日に一般有料公開した。 戦後暫く閉館し ていたが、昭和36年(1961)に再開された。 総面積24ha、約12,000種類の植物がある、 日本の代表的な植物園である。北山門から入った所に、葉牡丹が展示されている。 例年のことであるが、誠に素晴らしい。近くに、「麦わら帽子の少女像」があり、趣に花を添えている。 絵画では、ルノアールであろうが、この像も素朴で捨てがたい。奥の方に進んで行くと、左手に竹林がある。ホウショウチク(鳳翔竹、蓬翔竹) 葉に多数の白条を出現させる変異体である。 タケノコは秋に出て、竹の縁と中央部分に白条 が多い。更に進んで行くと、洋風庭園に至る。 バラ園の境界線の刈り込みが面白い形をしている。グランディーヌ・マサコ 1994年、作出国イギリス。 皇太子妃雅子さ んにちなんで名付けられた。 ソフトピンクのロゼット咲き。 最後まで崩れにく い四季咲きの品種。昨夜の雨に濡れて、寒々しい感じではあるが、良く頑張って咲いている。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku553.html
2003年12月19日
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※お知らせ 12/17(水)~18(木)まで、2日間京都・大阪に出かけま す。 従いまして、次回花紀行(518)の掲載は19日(金)の 夕方となります。 お越しの節は、掲示板に足跡を残して頂ければ幸いです。 19日にそちらに、お伺いいたします。
2003年12月17日
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2003年 12月10日(水) 名古屋城(3)名古屋城正門から、再び東側に移動し、二之丸庭園へ。二之丸庭園 元和年間(1615~23)、二之丸御殿の造営に伴って 同御殿の北側に庭園が設けられたが、享保(1716~ 36)以後度々改修され、枯山水回遊式庭園に改めら れた。 明治の初めに、兵営建築のために、二之丸庭園の多 くが壊されたのは、残念なことである。初冬に入ったというのに、紅葉が残っており、嬉しくなる。春の桜とお城が一番絵になるが、紅葉も捨てがたい。しかし、樹木が繁茂し過ぎて、アングル的に旨く入らない。二之丸庭園の近くに、「清正公石曳きの像」がある。天守閣の石塁の構築を命じられた加藤清正は、巨石の運搬に際し、巨石の上で、自ら音頭をとって指揮したと伝えられている。清正の像は、城外の能楽堂の前にもあり、この方が立派である。名古屋能楽堂 一旦城外に出なければならないが、能楽堂を見学(無料) して、名古屋城に再入城することが出来る。 能楽を始めとする、伝統芸能の振興と文化交流の推進 を目的として、平成9年(1997)4月に名古屋城正門前 に開館した。 実は、開館に際してひと騒動があった。 というのは、舞 台後ろの鏡板の松の絵を有名画伯に依頼したところ、伝 統的な老松でなく、若松が描かれた。 画伯としては、伝 統を打破して、若々しく歩んで欲しいという願いがあった ようだが、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論の末、老松 を他の画家が描いて、現在は若松と老松を1年おきに使 用している。 私個人としては、門外漢ながら、やはり若松 の方が好きである(今回の画像は若松)。折を見て、本格的な能楽鑑賞を、ここでしたいものである。 名古屋城<完> 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku552.html ※お知らせ 12/17(水)~18(木)まで、2日間京都・大阪に出かけま す。 従いまして、次回花紀行(518)の掲載は19日(金)の 夕方となります。 お越しの節は、掲示板に足跡を残して頂ければ幸いです。 19日にそちらに、お伺いいたします。
2003年12月16日
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2003年 12月10日(水) 名古屋城(2)東側からの天守閣撮影を終え、正門に向かう。 つまり、裏門から入り、一般の人達とは反対方向に歩いているわけである。内堀の西南角に隅櫓がある。西南隅櫓(國重要文化財) 未申櫓ともいわれ、屋根2層・内部3階の櫓である。 西、南両面に、軍事用の「石落し」を張り出して屋根 を付けている。 濃尾大地震で石垣と共に崩壊した が、当時の宮内省によって修復され、鬼瓦などに 菊花紋が見られる。この位置から望む天守閣は、誠に素晴らしいが、最近は樹木が繁茂しすぎて、全体像が撮れなくなった。 この近くに「榧の木」が立っているが、老木で痛々しい感じである。名古屋城の榧の木(天然記念物) 樹齢600年以上を経たと伝えられている。 築城が 慶長14年(1609)なので、それ以前からの老木で ある。 藩祖義直が、大阪の陣に出るに当たって、その実を 食膳に供したと伝えられている。正門はすぐそばにある。正門(焼失・再建) 明治43年(1910)に旧江戸城内の蓮池御門が移築 されたが、戦災により焼失したため、昭和34年(1959) 天守閣と共に再建された。金しゃち物語(2) 今でも、名古屋のシンボルであり続けているが、その 歴史は順風満帆というより、波瀾万丈だったようだ。 尾張藩の財政難の度に、「金しゃち」の資産的価値で ある、豊富な金が着目された。 つまり、改鋳を行うこ とによって、余剰金を捻出した。 ・第1回 享保15年(1730) 天守閣修理と並行して、はじめての金鯱の改鋳を 行う。 鱗の部分を鋳直し、純度の高い「慶長大判」 から純度の低い金に取り替えた。 ・第2回 文政10年(1827) 天守閣東側の広場に小屋をかけ、金・銅・鉛を吹き 直した。 ・第3回 弘化3年(1846) 以上3回にわたる改鋳の結果、鱗はうすくなり、多量の 銀を混ぜたことにより、金の純度は次第に衰えていった。 また、鱗の合わせ目の部分を半減したために、大風が 吹いた時などは、鱗が剥がれ飛ぶこともあったという。 第2回目の時の、尾張藩のイイワケが面白い。 「金しゃちの金ピカは派手すぎるので、渋めに変えた」 とか。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku551.html
2003年12月15日
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2003年 12月10日(水) 名古屋城(1)11月25日に姫路城、岡山城を撮影したので、急に名古屋城に行きたくなった。12月10日快晴。 午後デジカメを持って名古屋城に行く。 初冬に行くのは初めてだが、暖かくて晩秋という感じであった。 地下鉄「市役所」駅で下車し、東門(裏門)から入って行く。 やはり、勝手を知っているお城とあって、気分的に楽に撮影できる。東門を入ると、すぐ、東南隅櫓と天守閣が望める。東南隅櫓(國重要文化財) 辰巳櫓(たつみやぐら)ともいわれ、西南隅櫓と比較 して、規模、構造は同じだが、「落狭間」(石落とし)の 破風の形が異なっている。 この櫓は、創建当時の 姿を伝えるもので、鬼瓦などに葵の紋が見られる。東南隅櫓のすぐ西側(向かって左側)に、天守閣に入る「表二之門」がある。 表二之門(國重要文化財) この門も、幸い焼失をまぬかれ、創建当時のままで ある。 古くは、南二之門といわれ、門柱・冠木とも鉄板張り とし、用材は木割が太く、堅固に作られている。 袖 塀は土塀で、鉄砲狭間を開いて、要害としての堅固 さを示している。この門を入ると、本丸御殿となるが、残念ながら昭和20年(1945)5月の空襲で、小天主閣、天守閣と共に焼失してしまった。 現在復元のための募金をしている。本丸御殿跡 本丸のほぼ中央に建てられた書院造りの大建築で、 将軍などが上洛する時の宿舎にあてられた。 この 御殿は、二条城の二之丸御殿と並んで書院建築の 双璧であったという。天守閣 金色さん然とした、金のしゃちを城頭に頂き、名古屋 のシンボルとして親しまれてきた名古屋城が焼失して から14年後の昭和34年(1959)10月に天守閣が 再建された。金しゃち物語(1) イ)先ずは、ホットニュースから 2005年日本国際博覧会(EXPO-愛・地球博) の開催に合わせ、名古屋城の「金のしゃち」が21 年ぶりに地上に降ろされ、一般公開される予定。 ロ)金のしゃちの大きさは? 雄(北側)は八尺五寸(約2.57m)、雌は八尺三 寸(約2.51m) ハ)構造は? 金鯱は中身まで全て金で出来ている、と思ってい る方もいるかも知れないが、そうではない。 寄木の粗彫に、鉛板を竹釘で張り、その上に鱗 型の銅板を銅釘で止め、その銅板に薄い金の延 板をかぶせ張りにして作られている。 ニ)金のしゃちに使われた金の量は? 作られた当初は、慶長大判で1,940枚、小判で 17,975両と伝えられている。 ※慶長大判(明暦判)は量目165.2gで、現物の 現在の骨董価格は1枚約1,500万円である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku550.html
2003年12月14日
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2003年 11月27日(木) 3日目(3)祖谷(いや)のレストランで食事をしながら、手の震えがなかなか納まらない。 それだけ、緊張したという事だろうか。 終わってしまえば、ニコニコしているが、渡っている途中の写真は、とても他人様に見せられる代物ではない。約40分で昼食を終わり、後は土産品コーナーで買い物である。 土地の名産品は「こんにゃく」で、球形のものが並んでいる。 名物祖谷そばは食事の時に出た。 そば粉100%なので、切れやすいが、そば特有の香りがして、美味である。13:30 祖谷に別れを告げる。 多分再び来ることはなかろうと、渓谷を瞼に焼き付けておく。 徳島自動車道に入ってからは、車は順調に進んで行き、鳴門に15:00頃着いた。 鳴門大橋を渡りながら、うまくいくと、うず潮が眺められるのではないかと期待する。 ところが、車はあっという間に通り過ぎるので、「うず潮」らしきものを辛うじて撮影出来ただけである。鳴門大橋 昭和51年(1976)7月に工事が開始され、昭和 60年(1985)6月に完成した。 全長は1629m、 主塔高が約144mの吊り橋である。鳴門海峡は、淡路島と四国(鳴門市の大毛島)の間にある約1340mの海峡である。 この海峡は、瀬戸内海と紀伊水道の間にあることから、両者の潮の干満によって鳴門海峡に約1.3mの落差が出来る。そのため、大小沢山の渦(鳴門のうずしお)が出来ることで有名である。さて、車は淡路島に入り、神戸・鳴門自動車道を北進する。 島の北端に近いところに、淡路サービスエリアがあり、連絡道路で「ハイウェイオアシス」に直結している。 ここは、インターチェンジと淡路島公園が直結した、淡路島の新しいランドマーク(その場所の目印や象徴になっている建物など)である。ハイウェイオアシス館 明石海峡大橋が平成10年(1998)4月に開通す ると同時に開館した。 休憩所、土産品店、レストラ ン等が完備されている。 定例イベントの開催など、 訪れるたびに新たな体験の出来る施設である。 館内に西オーストラリア州から贈られた、「震災モニ ュメント」が展示されている。 海外から、震災にたい する支援は人々の記憶にとどまっている半面、具体 的な形で残るものは少ない。 このブロンズ像が県 民(被災者)の励みになったことだろう。 この5羽の ブラックスワンは、大空に向かって飛翔している姿を 表しており、作者・彫刻家のチャーリー・スミスさんは 「スワンは再生のシンボルで、フェニックスのように 再び飛び立つことをイメージした」とのこと。ハイウェイオアシス館から「明石海峡大橋」が望める。明石海峡大橋 神戸市垂水区舞子と淡路島・淡路町に架かる、世 界最長の吊り橋である。 橋の全長は3911m、 橋桁を支える支間長は1991m、主塔の高さは海 面上約300mある。ハイウェイオアシス館を出発したのが、16:30で、すぐ明石海峡大橋に入る。 通り過ぎれば、舞子で、ハイウェイは更に新神戸駅に通じている。 トンネルを出れば、そこに新神戸駅があり、あっという間に到着である。 17:00前に散会、3日間の楽しかった旅は終わった。 国内旅行 <完> 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku549.html
2003年12月13日
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2003年 11月27日(木) 3日目(2)大歩危を後にして、さあ、いよいよ今回旅行のメインエベントである、祖谷(いや)・かずら橋へと向かう。平家の落人が、追っ手から逃れるため、辺鄙な山奥に住んだというだけあって、九十九折りの山道を上ったり、下ったりして奥へ奥へと進んで行く。 観光バス同士は何処で、すれ違うのかと心配になる。11:00 少し前に、かずら橋近くのレストラン駐車場に到着する。 ここで、2手に分かれる。 橋を渡る人と渡りたくない人である。 渡りたくない人は、この近辺を散策し、レストランで待機となる。 数名を残して、殆どが「かずら橋」へと向かう。 足が多少不自由で、杖をついている人まで参加したのには驚いた。かずら橋・降り口まで、約10分歩いた。 降り口から橋までは、3分くらいで着いた。 かずら橋 800年前、平家の落人が、追っ手が来ても、すぐ切 って落とせるために作ったという。 また、かずら橋は 慣れていないと激しく揺れるので、渡り方、身のこなし を見て、土地の人と偵察に来た者とを判別した。 高山に自生しているシラクチカズラというかずら(つる) を、極寒の冬場に採取して、火であぶり柔らかくして から、編みながら谷に架ける。 祖谷渓には13の橋があったようだが、現在は2つしか 残っていない。 現在はワイヤーで補強されているので 心配はないが、昔は、いつ切れるかヒヤヒヤしながら渡 ったことだろう。 國の重要有形民俗文化財に指定されている。長さ45m、 幅2m、水面からの高さは14m。 進む毎に、ギシギシ 揺れ、スリル満点。 渡し木の間から見える祖谷川の流 れも、恐さに拍車をかける。日本3大奇橋のひとつである。 因みに、他の2つは、山口県・錦川の錦帯橋と、山梨県・桂川の猿橋である。さて、いよいよ、渡り始める。 手すり状のものに片手をかけて渡るが、足元の隙間が結構あって、下を覗くと遥か向こうに水面が望め、足が震えてくる。 三分の一くらいまでは、何とか順調に歩を進めることが出来た。途中片手でシャッターを切ったりして余裕があったが、誰がいたずらしたのだろうか、急に橋が揺れだした。 慌てて両手で、手摺り状のものを掴む。 揺れは簡単に止まりそうもない。 後ろから人は来るし、じっとしておる訳にもいかない。 片手を離せばいいわけであるが、また、いつ揺れるか分からないので、手放せない。 両手で、手摺り状のものを抱えたまま、カニの横這いとなる。 不格好だが、そんな事を気にしている余裕はなくなった。 四苦八苦しながら、普通の倍以上の時間をかけて、なんとか渡りきった。 やった、という感じである。 といって、もう、二度と渡りたくない心境である。レストランに戻っての、ビールの美味しかったこと。 アマゴの塩焼きを食べながら、よくぞ渡れたと、自分自身をほめていた。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku548.html
2003年12月12日
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2003年 11月27日(木) 3日目(1)07:00 起床。 昨夜就寝が遅くなったので、まだ眠い。 可成り飲んだにしては、二日酔いの感じがないのは有り難い。 07:40 朝食をとる。08:30 チェックアウト後、バスに乗車。08:40ホテルを発車する。 暫くして、高速道路に入る。善通寺を通過したのは覚えているが、車内ですぐ寝入ったようで、目が覚めた時は、すでに車は吉野川沿いを走っていた。 ということは、1時間近く寝たようだ。 10:00 少し前に、「大歩危(おおぼけ)」に到着する。 立派なレストランの駐車場から眺めることが出来る。 う~ん、素晴らしい眺めである。大歩危 数千万年もの時を経て、四国山地を横切る吉野 川の激流に結晶片岩(※)が削られて出来た渓 谷で、大理石の彫刻がそそり立つかのようで、 誠に素晴らしい景観である。 この辺りは、四国山脈を越える時に、必ず通らね ばならぬ場所で、崖が切り立ち、川の流れも速く、 古くからの難所として知られていた。 そこで、「大 股で歩くと危ない」という意味で「大歩危」、「小股 で歩いても危ない」ということで、「小歩危」と呼ば れるようになった。 大歩危峡は、ごつごつした巨岩・奇岩が5kmも 続き、その下流の小歩危峡(車窓から眺めたの み)は、岩の表情は穏やかだが、曲がりくねって 流れが早いのが特徴である。本当は、谷川の下まで崖道を下りると良かったのだが、帰途の上りを考えると、とても無理という事で断念した。百聞は一見にしかずとか、はやりこの目で確認して、撮影出来、素晴らしい風景を満喫することが出来、満足、満足である。川の流れもさることながら、岩肌にしがみつくように生えている紅葉が、時節柄誠にいい眺めである。※結晶片岩(けっしょうへんがん) 色々な岩石が、高い圧力で変成を受けた岩を いう。 普通は、地下深部で強い圧力を受けて 出来た岩が隆起したものと考えられる。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku547.html
2003年12月11日
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2003年 11月26日(水) 2日目(4)17:20 高松フェリー港に到着する。 バスに乗ったまま上陸し、直ちに市街地へ。 折悪しく、夕方ということで、可成りの渋滞に巻き込まれる。それでも、20分後には「料亭○蝶」に着く。 数寄屋造りの建物が、風情を漂わせる料亭である。庭を囲むように部屋が配置されている。 料理は瀬戸内海の魚介類が中心で、四国の幸をシンプルな味付けで味わえると評判の料亭である。これは期待できそうである。舞台付きの大部屋に通されて、早速女将が挨拶に現れた。 この女将の経歴が変わっている。なんと、K大出身で、1960年代の卓球女子シングルスの世界チャンピオンというから驚く。 現在も香川県の卓球関係の指導をしておられるとか。幹事のうちの一人が、現役時代、出張で度々高松に来て、この料亭のおなじみさんとか。 彼の乾杯の音頭で、酒宴がはじまる。 銘柄は忘れたが、大吟醸の酒がふるまわれ、そのうち3人のお姐さん達も来て、ピッチがあがる。 お姐さんを呼んだのは、この会合が始まって40年来の初めての経験である。出席者の大部分が、10年前にリタイアしているので、現役時代はいざしらず、最近芸者さんにお酒の酌をしてもらったことはないので、いささかエキサイト気味である。やがて、お姐さん達の踊りがはじまり、座が盛り上がって行く。 私はといえば、お酒を飲んだり、写真を撮ったりと忙しいことこの上ない。 まあ、たまには、こういったハメを外すことも、いいのではなかろうか。 明日は、大歩危・小歩危、祖谷のかづら橋の観光があるので、21:00で宴会を打ちきり、一旦市内のホテルに入る。まだ飲み足りない連中6人が、2台のタクシーに分乗してカラオケに繰り出す。 私は、カラオケボックスなるものは初めてで、いささか緊張する。ビールのピッチャーを2杯注文したら、2㍑入りが2本来た。 こんな、大きなピッチャーも初めてである。 2時間の間に、それぞれが4~5曲歌っただろうか。 ホテルに帰ったのは23:00過ぎであった。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku546.html
2003年12月10日
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2003年 11月26日(水) 2日目(3)オリーブ園に別れを告げ、バスは寒霞渓に向かう。14:00過ぎ、ロープウエイの駅「紅雲亭」に到着する。 シーズン中とあって、駅は結構混んでいた。兎に角、行列の最後尾に並ぶ。 乗り場まで、ぞろぞろと歩いて登る。 本来ならエスカレーター形式の歩道なのだが、停まったままなので、歩くしかない。10分間隔で出発しているらしい。20分かかって、やっと乗り場に着く。 1台につき、40数名が定員らしいが、定員ぎりぎりまで乗車させるので、超満員である。 発車すれば、5分位で頂上に着くので、立ったままでも一向に差し支えないが、悪いことに窓際に立つことが出来なかった。真ん中に立ったままである。 やがて、発車したが、これでは、写真の撮りようがない。 強引に、無理をお願いして、窓からやっと数枚写真を撮った。流石、有名な寒霞渓だけのことはある。 渓谷美、特に奇岩をバックに映える紅葉は素晴らしいの一語である。 ただし、私の事前のイメージは、全山燃えるような紅葉を想像していたので、いささか、拍子抜けしたことは事実である。 といって、日本三大渓谷美の一つに数えられる事は納得出来る。(他の2つは、大分県耶馬渓と群馬県妙義山)寒霞渓 1600万年前をピークとした火山活動、地殻変動、 その後主に第3期の火山活動により角礫を含んだ 凝灰岩が堆積し、浸食作用により、現在の景勝地 寒霞渓が生まれた。 標高差約312m、全長917mのロープウエイに乗 れば、春のツツジ、初夏の新緑、秋の紅葉と四季折 々の渓谷美を眼下に眺めながらの空中散歩を楽し むことが出来る。612mの山頂から望む瀬戸内海は、まさに絶景である。 百聞一見にしかずとか、是非皆さんの目で確認して欲しいものである。山頂で、約30分過ごす。 土産品店、1億円かけたという立派なトイレと、30分はあっという間に過ぎる。バスが山頂で待機していて、帰途はバスに乗車して下山する。 16:00土庄港着。 暫くバスの中で待って、高松行きのフェリーに乗船する。 高松まで約1時間かかる。途中、瀬戸の夕暮れを眺めることが出来た。 満足、満足で、言うこと無しである。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku545.html
2003年12月09日
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2003年 11月26日(水) 2日目(2)余島を後にして、再びバスに乗る。 約20分後、12:25「オリーブ園」に到着する。 オリーブの丘は全山、オリーブの木で覆われている感じで、誠に素晴らしい。 これだけの、オリーブの樹林を眺めるのは、初めて経験である。園内入り口でパンフレットを配布され、簡単な説明がある。 その後、自由散策となる。 オリーブの原木があるとかなので、先ず、そちらの方に登っていく。 日本におけるオリーブ生産の歴史 日本に初めてオリーブオイルが持ち込まれたの は、約400年前の安土・桃山時代である。当時 キリスト教伝道のため来日した、ポルトガル人 神父が携えてきたものである。 その後、江戸時代の鎖国政策のため、オリーブ に接する機会は再び閉ざされた。 ただ、オラン ダの医師が医薬として用いていた程度である。 我が国へのオリーブの伝来は、文久2年(1862) 医師林洞海が、フランスから輸入した苗木を横 須賀に植えたのが最初とされている。 明治41年(1908)、当時の農商務省が、三重、 香川、鹿児島の3県を指定して、アメリカから輸 入したオリーブの苗木で試作を始めた中で、香 川(小豆島)だけが栽培に成功した。 原産地の 地中海と気候風土が良く似ていたかららしい。 以後、試験研究が続けられ、農家に普及すると 共に、小豆島を中心とした香川県、岡山県、広島 県などにも栽培が広がった。オリーブ モクセイ科の常緑高木。 有史以前から中近東 一帯に自生しており、BC3,000年頃から栽培さ れ始められたと言われている。 温暖で比較的 雨量の少ない地帯が生育に適している。 主たる生産地はスペイン、イタリアその他の地中 海沿岸諸国である。 小豆島の場合は、6月初めに小さな白い花を咲 かせ、やがて緑色の実を付ける。 10月初旬か ら実の収穫が始まり、緑の実は塩漬けにして食 用に、熟した黒紫色の実から搾られるオリーブ油 は、光沢ある淡い緑と黄金の色調を持つ高級植 物油として利用される。さて、丘の中腹にある、オリーブの原木は、とても100年近く経ったとは思えない樹勢があり、今も沢山の実をならせている。更に登って行くと、広い芝生の広場があり、「ギリシャ風車」が廻っている。 目の前には、瀬戸内海が望め、なかなか絵になる風景である。 ここで、のんびり過ごしたかったが、時間の都合で、やむなく降りて行く。途中に、「オリーブ油しぼり機」が展示してあった。オリーブの実挽き臼は平成元年まで、使用されていた。 木製の圧搾機は、大正2年(1913)から使用開始され、20年位前まで使われていたとか。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku544.html
2003年12月08日
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2003年 11月26日(水) 2日目(1)07:00 起床。 朝食は和食で、「おかゆ」にする。旅行太りしないよう、注意しなければならない。08:30 ホテル・ロビーに集合し、バスで新岡山港に向かう。 途中渋滞していたが、30分一寸で港に到着する。 天草-長崎間のフェリーは、バスから降りて徒歩で乗船したが、ここは、下車する必要はなく、バスに乗ったままフェリーに入り、下車して、上の客室に入って行く。09:20 出港する。 幸い、瀬戸内海とあって、船の揺れは殆どない。 目指す先は小豆島である。約1時間かかるらしい。 フェリーは、毎日13~17便出ているとか。 高速船を利用すれば、35分で着く。客室にはTVがあるが、殆どの人達は、外の景色を眺めている。 到着10分位前に、船内放送があり、それぞれのバスへと急ぐ。 というのは、到着次第、バスは上陸するからである。10:30 土庄港(とのしょうこう)に着いた。小豆島へ来るのは、生まれて初めてである。 港のすぐそばに、『二十四の瞳』の銅像がある。 二十四の瞳の銅像 小豆島を舞台にした、壺井栄の名作『二十四の 瞳』の登場人物、大石先生と12人の子供達を モデルに1956年に作られた。 『二十四の瞳』が発表されたのが1952年、最初 の映画化は1954年で、木下恵介監督、高峰秀子 主演であった。 再び映画化されたのは33年後の 1987年で、小豆島各地でロケが行われた。この銅像のそばに、「オリーブの女神」の像が建っている。 オリーブと小豆島は密接な関係があるからだろうか。 少し早いが、余島(よしま)の近くのホテルに行き、割子スタイルの昼食をとる。 瀬戸内海が目の前にあり、爽快な気分で食事が出来た。 食事もそうそうに、ホテルの中庭から浜辺に出る。余島はすぐそばに在る。 ここは不思議なスポットで、潮の満ち干きで、4つの島が繋がったり離れたりする。ここの干潮は、大体04:00と16:00で、残念ながら只今は満潮時で島は離れている。 干潮時の砂州をエンジェルロード(天使の散歩道)と呼び、砂州の真ん中で、男女が手と手を結ぶと願いが叶うという、ロマンチックな言い伝えがあるとか。ただし、のんびり島で遊んでいると、潮が満ちてきて、帰れなくなる人もいるとかで、要注意である。再び、ホテルの中庭に戻ると、「ガザニア」が可愛いく咲いているのに気付き撮影した。ガザニア キク科、南アフリカ原産の常緑多年草だが、園芸上 は秋まき一年草扱い。 花は晴天の日の日中のみ開き、曇りや雨、夜などは 咲かない。 赤、黄、白など様々な色があり、花びら の付け根に美しい模様が入る。 花は春から秋まで 長期間咲き続ける。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku543.html
2003年12月07日
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2003年 11月25日(火) 1日目(7)宮本武蔵展を見終わったところで、天守閣を出る。途中、城壁に当然狭間(さま)はあるが、丸か四角で、姫路城のように変化に富んではいない。 廊下門にまで狭間があった。外に出ると、旭川が流れているが、素人目にも内堀として、上手に利用していることが分かる。 月見橋の近くの右岸に、小公園があり、石のオブジェが立っていた。 2枚の石の板の間から、城の天守閣が望めるのが面白い。 作品名は「文化の十字路」である。その近くに、犬島(岡山市宝伝沖3kmの小島)からお城へ築城用の石を運ぶ様子を再現している。筏と修羅(木枠)を用い運んだらしい。さて、お城から岡山駅まで徒歩で20分位かかる。城下で路面電車に乗るかどうか迷ったが、歩くことにする。 路面電車の停留所は道の真ん中にあるので、地下道を通って歩道に出る必要がある。その地下道が凄く立派なのには驚いた。17:00過ぎホテルに帰る。 会合の開始まで、1時間部屋でのんびりと過ごす。18:00会合が始まる。 会合といっても、要するに仲間同士の飲み会である。 年1回の総会とあって豪華なフランス料理らしきもので、お酒も大いにすすむ。 料理もさることながら、洋皿の立派なのには感心した。 日本酒は飲み過ぎる恐れがあるので、途中からウィスキーに切り替えた。大いに盛り上がり、2次会は19Fのバーに行こうと張り切って上がって行く。 ところが、上がって来たのは数人だけで、大部分は外へ出てカラオケに行ったらしい。 19Fからの夜景は最高に素晴らしかった。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku542.html
2003年12月06日
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2003年 11月25日(火) 1日目(6)月見櫓を後にして、不明門に向かう。 門に向かって、左側の石垣に、「岡山中学の址」とあった。不明の門(あかずのもん) 表書院の東南端から、本段(本丸)に通じる石段の 入り口に設けた渡櫓門。 当時は、本段の正面に 上がる門にもかかわらず、昼夜とも、門扉を閉ざし ていたので、「あかずのもん」と呼ばれた。旧制岡山中学校(現岡山朝日高校) 明治8年(1875)創立。 本丸址に、昭和26年 (1951)まで存続していた。 途中で、岡山第一 中学校と改称している。 天守閣は、戦前には国 宝であったので、国宝のすぐそばに、中学校があ ったわけで、極めて珍しいケースである。不明の門を入り、石段を上りきると、左手に天守閣を望める。 下に向かうほど、極端に末広がりで、狭間(さま)や石落としの類が殆ど見あたらない。天守閣に向かって右手に、「礎石」が配置されている。 戦災で天守閣は焼失し、昭和41年(1966)に元の位置に再建されたため、礎石のみをここに移して、元の配置で設置されている。そのすぐそばに、小さな門がある。六十一雁木上門 本段(本丸)から川手に通じる石段道の上にある 門で、石段が61段あったことから、こう呼ばれた。 主に、奥勤めの女中などが、この門から出入りし ていた。さて、いよいよ天守閣に上る。 幸いエレベーターがあるので、姫路城のように苦労することはない。復元天守閣内の地下とエレベーターの存在 本来、岡山城天守閣の復元には、外観および 内部を出来る限り正確なものにする考えであっ た。 外観は、焼失以前の天守閣に限りなく近いが、 内部は全く異なっている。 その理由は、復元 当時の建築基準法によるところが大である。 それによると、6階建て以上の建造物に対して は、地下と、エレベーターを設置することが義務 付けられていた。 それ故、天守台の石垣を切 り開いて地下を設け、更に4階までエレベーター を設置した。 ということで、4階から少し歩いて上るだけで、最上階に到着する。 ここからの眺めが素晴らしいことはいうまでもない。 運良く、「金の鯱」を撮影出来た。4階で、「宮本武蔵展」を行っていた。 TVドラマ出演時の衣裳などが主である。 昔の竈(かまど)もあって、懐かしい思いをした。 武蔵が生まれ、育ったのは、県北の大原町ということになっている。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku541.html
2003年12月05日
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2003年 11月25日(火) 1日目(5)観騎亭を後にして、園内の南の方に向かう。 池があり、茶室のような感じの建物がある。廉池軒(れんちけん) この建物からは、沢の池越しに見る松林など、北方 の景観が一望できる。 池にハスが植えられていた ので、廉池(蓮池)とよばれている。 園のほぼ中央に築山(唯心山)があり、そこに登る。ここからの展望は抜群である。 暫し、撮影を忘れて眺めていた。築山を降りて、園の南側の出口に向かう。 外に出ると旭川が流れている。 月見橋から眺める「岡山城」は、誠に素晴らしい。 岡山城 慶長2年(1597)、豊臣五大老の一人、宇喜多秀家 が築城した。 三重六層の堂々たる天守閣は、織田 信長の安土城天守閣を模して築かれたと伝えられ、 全国的にも珍しい不等辺五角形の天主台をしてい る。 関ヶ原合戦以前の古式を伝える貴重な天守で ある。 黒い下見板張りの外観から、別名「烏城(うじょう)」 と呼ばれ、また、金の鯱を挙げていたと伝えられる ため「金烏城」の名もある名城。 戦前には国宝であった天守閣は、昭和20年(1945) 6月29日岡山空襲で焼失し、現在のそれは、昭和 41年(1966)に再建された。 月見橋を渡り、「廊下門」から城内に入って行く。廊下門 表書院(中段)から本段(上段)に渡した長廊下の 下手に設けられた門。 要するに、門の上が廊下 になっている。門をくぐり、石段を上がって行くと広場に出る。西北の隅に、「月見櫓」が立っている。月見櫓 江戸時代初期(元和元年・1615年頃)に表書院 (中段)の西北隅を守る隅櫓として建てられた。 内部の構造は、軍事上の目的以外に、最上階に 廻縁をつけた楼閣風で、風流を楽しむ展望台とし て使われていた。 幸いにも、戦火をまぬかれ、創建時の姿を今に 伝えている。 国指定の重要文化財である。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku540.html
2003年12月04日
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2003年 11月25日(火) 1日目(4)JR姫路駅から、再び新幹線に乗り、岡山へ。正午過ぎ到着する。 駅ビルのレストランで昼食をすませる。駅のすぐ隣がホテルなので、手荷物を預けるため立ち寄る。 14:00以降チェックイン出来ると聞いていたが、部屋に入ってもOKとかで、キーを貰って上がって行く。ツインの部屋だが、相棒は当然のことながら、まだ来ていない。 会合が18:00から始まるので、17:00過ぎには帰ってくるむねメモを置き、カメラを持って出かける。ホテルの前でタクシーに乗り、先ずは「後楽園」に行く。10分もかからないで到着する。後楽園 本園は貞享3年(1686)、備前藩主池田綱政が家 臣津田永忠に命じて、14年の歳月を費やし、元禄 13年(1700)に完成した。 完成後は池田家で使 用していたが、明治17年(1884)に岡山県の所有 となり、一般に公開された。 園の名称は、亭を主とすれば茶屋屋敷、園を主とす れば後園と呼ばれたが、明治4年(1871)に名実 共にふさわしい「後楽園」と改められた。 本園は江戸時代を代表する回遊式庭園で面積約 13haに及び、主建物の延養亭を中心に烏城(岡山 城)、操山を借景として取り入れている。 旭川の中洲に造られた庭園であるが、清らかな水 を引き入れて、曲水・池・滝などに上手に水を利用 したことは、造園技術上注目に値するものである。 昭和27年(1952)には文化財保護法による特別 名勝に指定され日本三名園の一つとされている。 ちなみに、他の二つは、水戸偕楽園と金沢兼六園 である。さて、入園料は65歳以上は無料である(健康保険証等年齢が確認出来る書類が必要)。 名古屋の敬老パスを示して入園する。 目の前に、「平四郎の松」がある。 築庭前から、この地に住んでいた、名主の平四郎邸の庭先に植えられていた松を、平安遷都の際「右近の橘」をそのまま残した故事に因んで、この松を残したという。 樹齢300年をこす大樹であったが、枯れてしまったため、植え替えられ、この松は二代目である。兎に角、園内は広大である。 池の向こうに小高い丘が造られており、「唯心山(ゆいしんざん)」と名付けられている。 後楽園の中心に位置する築山で、頂上から園の景勝が一望出来る。延養亭(えんようてい) 藩主の静養や、賓客の接待に使われた。 園内で 最も重要な建物である。 本園は、ここからの眺望 が最も素晴らしく、園内の景勝の殆どをここから眺 められるように造られている。鶴鳴館(かくめいかん) 元は広間と呼ばれていた、園内でも最大の建物で、 家臣たちの控えの間や接待の準備に用いられた。観騎亭(かんきてい) 藩主が馬術を見るための建物。 亭の前の長さ 約160mの馬場では、馬術が演じられていた。 亭の反対側は堤防になっており、その斜面全体 がヤブランに覆われていて壮観である。 今回は 黒い実がなっていたが、実は、8月20日伯方島・ しまなみ海道旅行の帰りに立ち寄った時は、実に 見事な花が群をなしていた。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku539.html
2003年12月03日
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2003年 11月25日(火) 1日目(3)天守閣最上階からの眺望は誠に素晴らしい。 南側には、大通りの突き当たりにJR岡山駅中央口がある。 西側は、先程見てきた化粧櫓、渡り櫓(内部は百間廊下)が望め、なるほど、200m近くあることを実感出来る。 北・東側と、一通り見て回る。ここで、ゆっくりと過ごしたいが、残念ながら座る所はない。 やむなく、下り始める。 5階で「東大柱」を見つけた。東大柱 大天守は、長さ25m、元口径1m、末口径42cmの 東大柱と西大柱の2本の心柱で支えられている。 東大柱はモミ材で、西大柱はツガ材であったという。 昭和の大修理(昭和31~39年)で、西大柱は木曽 ヒノキ材に取り替えられたが、東大柱は根元部分の み根継ぎされたが、その他は築城当時のままである。天守閣を出て、外に出るとき、埋門(うずみもん)をくぐった。 石垣の部分に通路を設けたもので、いざという時に、内側を土砂で埋め、敵軍の侵入を防ぐという。お城を一旦外に出て、姫路城西御屋敷跡庭園「好古園(こうこえん)」に向かう。 お城のすぐ西側にあるので、歩いて5分とかからない。好古園 本多忠政時代(元和4年-1618年)に造営された西 御屋敷跡に造られた「御屋敷の庭」、姫山原生林を借 景とした「池泉回遊式庭園」がメインで、誠に素晴らし い庭園である。 この時期は特に、紅葉が池に映える姿は抜群である。 白い土塀の武家町を思わせる路地を通り抜ける風情 もなかなかで、なにか、時代劇のシーンが目に浮かぶ。環境抜群の場所で、のんびりと過ごしかったが、午後は岡山城を撮影する予定があるので、やむなく好古園を後にして岡山駅に向かう。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku538.html
2003年12月02日
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2003年 11月25日(火) 1日目(2)化粧櫓を出て、天守閣に向かう。 途中の塀に色々な形の狭間(さま)があるのが面白い。狭間 鉄砲狭間、矢狭間の数は、記録では2,522か所と いわれているが、現在残っているのは内曲輪(内堀 の中)のものだけで、その数は287である。 この覗き穴は、内部からは外が見やすく鉄砲が打ち やすいのにたいして、外からは弾丸が飛び込みにく いように工夫されている。さて、「に」の門、水三門を通り抜けると、いよいよ本丸に近づく。 ここから、天守閣を見上げると、「軒裏」が誠に美しい。 正面から見る姫路城が美しいのは勿論であるが、この軒先の裏の意匠もまた美しく、しかも力強い。ちなみに、この城は、やたらに門があるが、外曲輪(外堀の中)まで含めて、昔は84の門があったという。現在は21の門が残っている。いよいよ、お目当ての天守閣最上部へと上って行く。流石国宝とあって、無粋なエレベーターなどはついていない。 急な木製階段を、自分の足で上るしかない。途中階に城の説明のパネルや展示品があるので、休憩しながら上って行けるのは有り難い。姫路城・大天主 外観は5層、内部は地下1階、地上6階で、入り母屋 と破風をバランスよく配置した華麗な姿を誇る。 建物の高さは31.5m、石垣の高さは14.8m、姫山 (標高45.6m)の上に建っているので、合計すると海 抜92mになる。他の3つの国宝の城も、天守閣を上っているので、大体の見当はついてる積もりであったが、5階部分を最上階と勘違いし、着いたと思ったら、まだ、後一つ残っていることを知り、参った、参ったである。 幸い後続の人はいないので、カメラを背中に回し、両手で手すりにつかまり、最後の気力をふりしぼり上っていった。やっと、最上階(6階)に到着。 神棚があって、1/3位を占めているので、意外に狭い感じである。 東西南北を見渡せるのは、誠に気分がいい。 神棚のご祭神は「姫路長壁大神」と「播磨富姫神」と立ち札に書いてあった。 仏壇は普通、高い所には置かないが、神棚は天井近くの高い所におかれる。 神は高いところにおられるという信仰に基づくものであろうか。 -つづく- 画像は下記をクリックして下さい。http://hmiya.pepper.jp/raku537.html
2003年12月01日
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