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首都デリーの空港で、国際線に乗り換え、いよいよ「ネパール」へ向かう事になります。インドは、もォ~どこへ行っても3~4時間は、遅れる飛行機。 デリーの空港 3時間も遅れています ネパールに着くのは・・・・明日になりそうです。 グループには、お年寄りが多い 疲労も限界になっていて 体調不良者が即発しています。 その中で きらり 元気イッパイ ノリノリ)) 国際線待合室で3時間・・・今度は、 INDIAN ARMY 「インドの兵隊さん」だらけです。何百人かな? 兵隊さんにお願いしたらOKです。 珍しい事です! 皆さん素敵です。 その中で・・・ 好みの イケ面 発見 きらり「この人と撮ってェ~~~」 オバちゃまが、 乱入!!! 「違うの!違うの!」 「この彼とツーショットしたいの」 若いイケ面の兵隊さんは ポ~ッ インディアン・アーミー先輩方は、ワサワサ・うらやましそうでした 番号さえも聞かずにお別れ! そろそろ 手荷物検査に行こうかしら・・・・ 今度は、チャイニーズ軍団の列に混入! 大好きな中国語をしゃべり放題! きらりは、名前を中国語読みで紹介したり・・・ パスポートで、それを確認したり楽しいチャイニーズ達 今回は、フリーでインド見物だそうで これから 私たちより早い中国便で帰国するそうです。 パスポートのビザを見せ合いながら・・・旅のはなし きらりの中国ビザが、珍しいらしく、大喜び! そう言えば・・・・日本のビザなんて?見た事無いです! 青年は、日本のビザを見せてくれました。 ほほ~まず日本人は、日本政府発行のビザ見れませんから そんな チャイニーズ達・・・・ 荷物検査の荷札を取りに行った空きに きらりの前に急いで横入りしてました。 流石~競争社会で育ったチャイニーズ油断できません。 荷物検査は、順調に通り・・・ 出発ゲートでも、ウェイト! インド・デリー発 ネパール行き 3時間以上遅れで出発 ロイヤル・ネパール航空 218便にて ネパール・カトマンドゥへ 『インド旅日記』ーおーしーまーいランキングに参加しています。ちょいと押すだけ→ありがとう さんです。
2007.09.20
インド国内線で、ベナレスから、首都デリーまでの飛行時間は1時間あまり。座席は前方で横に3列3列・通路席左・・・周囲を見回すと日本人は私だけです。 英国人の中に・・・・ ジャパニーズ きらり ポツンと! 周りでは 英字新聞雑誌をスラスラ読んでいる。 ほんまモンやぁ! まぁ~そんな事も楽しい経験ですよね。 デリーの空港到着 17:55 外はすっかり夜 飛行機から タラップを降りると 待機しているリムジン・バスに乗る やっぱし 上品な 英国人だらけです・・・・ バスは、夜の空港を何処までも走る 同乗の英国人は、何処へ行くのだろう? まだ、インドを旅するのだろうか? それとも、帰国するのだろうか? このバスは、何処へ向かっているのかしら・・・・ 国際線のターミナルへ行かねばならぬ・・・・きらり 英国人と、何処へ連れて行かれるんだろうか? 急にドキドキしてきた・・・・・ 夜の空港をバスは、きらりの不安を乗せ随分と遠くまで走った! デリーの空港は、2016年オリンピック招致を目指し、東洋一の大空港を建設している。 広いはず! 2016年東京オリンピックのライバルです・・・・ぜひ 初のインドを推薦したい! しかし それまでに運COさんだけは・・・何とかして欲しい! 選手団のアイテムが、靴荒いブラシは困る・・・・ とてつもなく広い空港 随分と走りターミナル到着 見回しても ジャパニーズ グループ 未確認! あっれ~ ? 上を見ると・・・・「国際線ターミナル」らしい? ここで良いんだ~ キョロ キョロ でっかい 英国人ばかりですね・・・・ 発見! ジャパニーズ グループのご夫婦 良かったわ~英国人とインド・ツアーを繰り返すのかと・・・ 飛行機降りたとたんのターミナル移動って・・・考えられません! こわいわ~ほんのこつ・・・・こわかと~! ランキングに参加しています。押しておくりやしてぇ~→ありがとうでごんす
2007.09.19
インドの聖地ベナレスで、牛さんの運COを落とす事に専念して、ベナレスのフリータイムが無くなってしまいました。行きたい所だってあったのに・・・MOWあかんがなっ ベナレス発 14:40 9W-714便 ジェットエァーウェイズ に乗り 首都デリー経由 国際線でネパールまで飛ぶ ★ベナレス 空港 荷物検査★ ボロな ベルト・コンベアー トランクが流れる 過酷なインドの旅を共に歩んだ戦友 私たちのグループは、 助け合って、インドを旅して来ました。 トランクが 4つ 取り出されました! 持ち主が呼び出され・・・・ トランクを開けています。 「時計! 目覚まし時計よ!」 「目覚まし時計なら、みんなトランクに入ってるじゃない?」 「4人だけって 変よね?」 「時限爆弾でも入っていると思ったのかしら?」 きらりのトランクも・・・・・・ すぐに 駆け寄り 目覚ましを見せる それだけでは・・・・駄目なんです。 中の電池を抜いて見せないと 電池を抜けば、冷たく・・・釈放です。インド現地ガイドは、ここでお別れです。 きらり「インドが大好きなので、また来ます」・・・・(私だけです) 命からがら旅をした面々・・・やっとインドを脱出できる! そんな喜びに浸りながら 「お世話になりましたぁ~ありがとう」 ベナレス脱出 15:55 少しだけ遅れ インド国内線 ジェットエァーウェイズ 機内食 ベナレス→デリー 周りを見回すと・・・・全員が英国人です。 ジャパニーズ きらり ポツンと! 英国だらけの旅も いいもんだ~ なんてか?ランキングに参加してるのです(ポチ)よろしく→飛びます飛びます
2007.09.18
牛さんは、インドの神様であります。神様はインド中を自由にお散歩しています。お食事は、町の生ごみで、排泄物は、丸めて乾かし肥料となります。インドの生活に無駄はないのです。 世界を旅して、最も辛い事件が起きました。 イランで、トイレを開けられた以来の大惨事! 犯人は 牛さんです。 そう~ 神様の落し物です。 その事件の発端は、 早朝 5時に 起き ガンジス日の出観賞への道すがら 牛さんの「うんこさん」を踏んだのです。 かなりレアータイプ 新鮮な落し物です。 それに気付いたのは、日の出観賞の最中です。 町の臭いのお陰で・・・ それ程 困っては居なかった! 帰り道靴を ズリズリしながら歩けば 取れてしまうはず! ホテル入口にある タワシ・マットでズリズリ! 多分 きれいになったはず! 【ホテルのレストランで朝食】 夜行列車で同室だった 果樹園ご夫妻と事業家のおじさまが 同じテーブルに誘ってくださいました。 楽しいお食事が、終わった時 事業家のおじ様が 「なんか?さっきから 臭わないか?」 「誰か?ウンコ 踏んだんだろう?」 おじ様は、何度もインドを旅しているので鋭いのです。 きらり 「わ・わ・わたしかも?」 おじさま達は大笑い! なんで? 気を付けないの? とか 臭い!臭い!と大笑い! あんなに スリスリしたのに・・・ まだ 付いていたの? インドの神様に好かれているのか? でも、どこかで洗えば・・ お部屋に戻りました。 お部屋の入口で靴を脱ぎ部屋に入れると すっごい臭いです! 洗わなくては・・・・ 洗う所? 困った! 洗面所しか無い! 靴を裏返して見る しっかり付いている ネパールで山登りするので ABCマートで買ったばかりの リーボック 新品だから ギザギザが深い 深い所に しっかりと食い込んだ ズリズリしたから 砂も混入してる 神様の「うんこさん」 どうしょう? 臭う! どうしよう? そうだ! 一番最初に泊まったホテルの歯ブラシもらって来てた! 普段は、もらって来ないのに、なぜかトランクにある。 とっても 大きな歯ブラシです。 これで こすれば 取れるはず! 仕方ないっ 洗面所を使うしかない! ゴシゴシ! あれ~? 取れないじゃん! 運が良いのか? 悪いのか? それに服に跳ねたらいやだ 思いっきり 独り部屋 キャミ と パンティー姿に! 何事も根気です 時間をかければ できない事などないはず 少しづつ 亀さんみたいに 少しづつ 完ぺき主義=A型 1時間かけて 取れましたぁ! 大惨事は、まだまだ お気に入りのキャミに 2粒 水 跳ねが・・・ たった 2粒の 水 跳ねだけど 臭って見ると くっさ~い! も~ぉ 哀れキャミは、ゴミ箱の もくずとなる。 いや~恐ろしい事です コレほどの悪臭を放つ神様は、偉大であります。 お風呂に入りたっぷり浸かって・・・HOO~OH 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.09.17
インドを旅していて困った事がある。ホテルで充電が出来無い事。プラグが刺さらない、どうしても入らない!充電できないとデジカメは駄目です。こんな時一人旅は困ってしまう! も~ 写真など撮るのは止めよう! インドは、 それが良いのかも? ベナレスのホテルに来て・・・・いよいよ充電が切れそうになる。 ホテルの廊下で、ホテルマンに出会う 充電が出来ない事を説明し 部屋に連れて来る レディーのたしなみ ドアは全開で ホテルマンは、微笑み 胸のポケットから ボールペンを取り出し コンセントの上に刺し 同時にその下にプラグを差し込んだ なんなくコンセントが刺さり充電できる事になった。 「あ~~ありがとう!」 ホテルマンにチップを渡し・・・心配解決です そうか~ボールペン刺すのか? それって常識なの? 後で、一人旅のおじさまに聞いたら・・・ 力ずくで刺したと言う! やっぱし・・・できないのね。 こんな時一人旅は、部屋でウロウロするのよね 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.09.14
インドのガンガー(ガンジス川)日の出観賞を終え、流域の高い階段を登り、ベナレスの町を歩きました。前夜は、死を待つ人達の小屋を通り、遺体を運ぶ光景に出くわしたりで、夕食をキャンセルしました(疲れもあったし) ベナレスの町の匂いは、何と言うか・・・・強烈であります。私たちのグループは、マスクをしている人が多い・・・・・きらりは、マスクもせずに町の匂いを満喫! 巡礼者の町=早朝のベナレス・スケッチ ゆき倒れになっている方など失礼なお写真は撮れません! 巡礼者たちのモーニング・タイム 失礼があってはいけません! 牛さん でっかいです・・・インドの牛みんな痩せてます。 インド名物「野良牛」 親子か? 友好的な野良親子 最接近 真冬のインドは、日本人の私たちには快適な気温です。 インドは、エコな町であります・・・ ベナレスの交差点 リヤカー サイクルリクシャー 朝のスクールバスも動力は自転車 早朝から学校が始まる。 インドは、子どもが多すぎて、午前組、午後組に別れています。 女の子たちは、ほろ馬車みたいですネ いってらっしゃ~い 良いとこのボンボン 義務教育が無いインドですから・・・・制服着用して私学です。 インドの子ども達かわいいです スクールバスの動力は自転車なんですね インドは感心するほどエコな国です。 でも 匂いは強烈でありました冬で良かった。ランキングに参加しています(料金は不要)クリック→ありがとうさんです
2007.09.13
今回の旅は、お買い物をしていない旅であります。女にうまれたからには、お買い物は大切なお仕事・・・・とうとう爆発してしまいました。 しみじみと・・・日の出鑑賞をしたら 観光客相手におみあげ屋さんが来ます おじさんが持っているのは? つまらない おもちゃ・・・ お次の船は・・・ 鐘 壺 ガンジス川の水を金の壺に詰めてくれる この場で詰めて見せる・・・ 金の壺は、どんなに振っても ガンジスの水はこぼれない お値段を聞くと・・・なんと1ドル(110円)ミニサイズです。 1ドル ガンジス川の水を持っていると天国にゆけると言う・・・・? ガンジスの水は、きらりが死ぬ時まで枯れないと言う・・・? 何とか?お婆ちゃんの時には枯れないだろう・・・? 早速 2個 お買い上げ 舟の一押し商品は、鐘です(舟の一番後ろ) すりこ木棒で、こすると共鳴する キョゥワァ~~~ン キョゥワァ~~~ン 小さな鐘が ガンジス川全体に共鳴しているようです・・・ 値切りに 値切って 5ドル(550円)+すりこ木棒付き 菩提樹のネックレス(多分ニセモノ?)100ルピー(300円) 調子に乗った 船上みあげ店 目玉商品は・・・・? バケツの魚 ガンガー・フィッシュだと言う! 「誰が・・・買うんじぁ~い」 バケツを持って乗るの?「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.09.11
インドのガンジス川には、もうひとつ名物があります。紀元前から、ほとんど変わらない川岸の洗濯風景であります。 インドの最も聖なる川「ガンガー巡礼」に来る人は 年間100万人を越えるそうであります。 ガンガー周辺には、お手ごろなお宿も多いと聞きます。 ガンガーの洗濯場 朝から お洗濯をしている 長ぁ~い洗濯板に 洗濯物を叩きつけている 叩きつけ 洗い・・・ 泡も見えないので洗剤は使わないのかも? インドの洗濯はエコであります。 体にとっても良いじぁないの? インド人にハゲ頭の人がいないのは、そのせいか? 「そんなの関係ない!そんなの関係ない!」 この洗濯場の上を見ると・・・ 沢山の洗濯物が干してある。 どうも~プロの洗濯屋さんかも知れませんね きちんと種類別に干してあります。 エコで、結構な几帳面・・・ 聖なる川の洗濯場一度お洗濯を依頼してみては・・・「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.09.10
インドの最も聖なる川ガンガー(ガンジス川)の日の出を、舟から鑑賞するという幸せを得る事ができました。ご説明は不要・・・・少しでも幸せを感じていただければ嬉しいです。 早朝 聖なるガンガーへ 船上から 日の出を待ちます。 こちらから→ 来年の年賀状用 見たような映像と・・・思われるかも知れません エジプト・アブシンベルの日の出(2006年6月)ここをクリック グアム・サンセット・クルーズ(2006年9月) ここをクリック モロッコ・サハラ砂漠の日の出(2006年11月) ここをクリック あっ!これは残念ながら・・・訳ありでした。 ヒマラヤの日の出(次回 ネパール旅日記にて) きらり「旅の宝物」でした ランキングに参加しています。ぽちっと押すだけ無料ですありがとう
2007.09.09
インドの母なる川ガンジスに触れるだけで、天国にゆけるそうであります。夜明け前に、ガンガー(ガンジス川)で体を清める・・・つまり沐浴・行水ですね。 観光客でも、ガンガーの沐浴は可能であります。 ただし・・・・衛生面は、補償できません! その沐浴を見学する人々の視線に耐る勇気を有する事。 そんな勇士は・・・? 何でも参加したがり(若き乙女)きらりご遠慮致しました。 2007年2月21日(水)早朝5時に起きてホテルを出発 チャーターした車に乗り込む5:45 車の助手席に・・・ ホテルからガンガーへの道はスリリング 助手席は怖すぎ! はっきり言ってグッチャグチャ~ まともに道を進むのは 難しい・・・ リクシャー バス 車 何人乗りかのバイクに 攻撃されながらの・・・ガンガーへの道 ビビリまくり・・・インドの交通事情! インドの道にお釈迦様は、いらっしゃらないの? 何とか 無事 ガンガーに着きました。 川岸には、ゴミがいっぱいです 衛生面は、最悪であります。 しかし 聖なる川 ここから舟でガンガー・クルーズです。 ガンガー(ガンジス川)最も聖なる川の川岸には 南北 6kmもの ガート(沐浴場)があります。 雨季であれば、階段の上部(水色部分)まで水が来る。 この時は、乾季 昨日のニュースでインドは大洪水が続いている。 橋が流され、沢山の犠牲者がでている報道がありました。 とても心配しております。 ガンガーの夜明け前 朝の沐浴を見学する人は 沢山の舟に乗り 川岸の沐浴を見に 世界中からやってきます。 勿論 昨夜「火葬」をしていた場所とは違います。 きちんと区分けがしてあるのです。 ガートに数名の沐浴者 発見 沢山のギャラリーが舟からカメラをかまえて近寄ります。 沐浴者 エキサイティングしたのか? 泳ぎだしました 聖なる川は、修行の地であり、銭湯であり、スイミングプール、ジムの役割もあったのです。「旅行ブログ」ランキングに参加しています。押すだけです→どうも~です
2007.09.08
インドシルクのお店に午後行きました。小さな工場で昔ながらの機織りを見せてくれます。注文をして夜には、ホテルに配達してもらえるとの事。 機織りは、意外にも・・・・イケ面?少年が ・・・・ 織っています。 義務教育が無いインド 職人さんは、小さい頃から働いていると思われます。 青年になると 見えているのは裏側です。 かなり 緻密な模様を織っています。 青年は、小さな木に金糸を巻きつけて笑顔で プレゼントしてくれます・・・ それは、内緒で・・・・ 後で気が付いたのですが・・・・ チップが欲しかったみたいです・・・? 可哀想な事したわ~チップあげれば良かった! と、後で思ったのですが・・・・ やはり 少年は、少ない賃金で働いて 親に仕送りしているのでしょう? ここで、シルクのパンツスーツとショールをオーダー(計8000円) 「サービスで、あまり布をちょうだい!」 と要求したら・・・ 大きなスカーフ大の布をもらえました。 バックでも作ろうかしら・・・ でも~未だに作ってませんが・・・ 夜の10時過ぎにホテルのお部屋に届きました。 翌日 早速 着用・・・・・なかなか快適です。 さすが~オーダーぴったし! しかし、インド女性のほとんどが、現在でもサリーを着て生活をしています。 日本人は、和服を着て仕事をする人は、ほとんど居ませんから・・・驚きました。 これは、ガンジーが、国の習慣を大切にする事を言い続けた事に寄るものか この日は、【考古学博物館】へも行きました。撮影禁止でしたので残念です。 日本人のさちこさんと言う方が、インド人と結婚して経営している「さちこの店」へ 菩提樹 お香入れ 800円 お釈迦様は、菩提樹の下で悟りを開かれました。そんな記念になるお品を・・・・ 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.09.06
インドを旅する目的のひとつは「ストゥーパーを見たい!」と言う希望がありました。お釈迦様が初めて説法をしたサルナート(SARNATH)と言う聖地であります。 聖地・サルナート (SARNATH) お釈迦様が、初めて5人の弟子の前で説法をした 仏教徒にとっての 聖地 であります。 インド紙幣の左端には、インドのシンボルマークがあります。 シンボルマークの基はここにありました。 インドの主な動物を集めて彫刻したもの 大切な本体は、博物館に安置されています。 今回の目的「ダメークスツゥーパを見たい!」 高さは、42,6m 本に寄ると、ストゥーパ=そとうば そとうば=法事やお彼岸に木の板をお墓に刺す「そとうば」「おとうば」 であると書いてあるが・・・インド人に聞くと「知らない」と言う? 今度 お彼岸に日本のお坊さんに聞いてみましょう~ 以前「そとうば」=天国に行った人に対する「お手紙」だと聞きましたが・・・ やはりスツゥーパーとは、意味が違うみたい? ダメークストゥーパ やっと会えました・・・・・・感動 お釈迦様が、初めて説法をした場所です。 その場所に茶色いレンガを積んで、 砂岩で周りを形作り、蓮の模様が施されていたそうです 中には、仏様の遺骨 仏舎利が納められているそうです。 アショーカ朝時代 紀元前3世紀 王様は、戦争に勝ち その戦争に勝った事を皆で祝おうとしていました。 ところが・・・・ 街の人々は 「家族を戦争で亡くしたので、喜べない!」 そんな声を 王様は聞き・・・・反省します。 そして ここにお寺を建てたのです。 現在はこのように削られています・・・何故? 18世紀にイギリス人が来て、 「お釈迦様の聖地ならお宝が眠っているはず?」 そして、ストゥーパーを削ったそうです。 エジプトのお墓と同じ事をしたのですね・・・多分 でもインドでは 金銀財宝は 見つかりませんでした。 お釈迦様は、略奪したり財宝を持っているはずが無い・・・ 仏教徒なら・・・・常識であります。 (最近の外車を乗り回すなまぐさ坊主・・・って言う人は別格) ガイド 「どなたか ここで 修行しませんか?」 きらり 「は~い」 きらり 台座に乗り 瞑想・・・・・ なんと~ 気持ちが良い・・・・ お釈迦様の近くに来た感じ・・・・ ストゥーパーが、もうひとつありました・・・上半分がありません! 18世紀の王様が 削って自分の宮殿を作ったそうです。 白い服で修行に来ている人がいます 本堂だった場所です。 お釈迦様は、この本堂でも説法したそうです。 お坊さんがお経を唱えると・・弟子たちが後に続いて唱えます ミェスケンラ~ ミェスケンラ~ デッカウェ~~ィ デッカウェ~~ィ カマ~~ン カマ~~ン ア~テッカヤマ~ン ア~テッカヤマ~ン カ~サバィナト~ン カ~サバィナト~ン バ~マィサト~ン バ~マィサト~ン 意味は、わからないけど・・・お坊様の後をマネして唱えました。 お願い事?・・・・あ~忘れてた! 紀元前3世紀には 100人の弟子たちが暮らしていました。 井戸もあります 100人のお部屋は、個室でした。気持ちが良いので ここでも座禅を組んでみました・・・ やっぱし 気持ちが良い 仏様の世界に、ひたった・・・きらりでした。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.09.05
インドでお釈迦様が、活躍したのは、今から2500年も前の事であります。その様子を26枚の壁画によって説明してくれる「ムルガンダ・クティ寺院」 1931年・建立のお寺のお話・・・つづきです。 お釈迦様は、決心して いよいよ 修行の旅に出ます。 6年間の旅 5人の弟子を連れて 苦行の旅 お釈迦様は修行しています。 スジャータ村長さんの娘さん 美しいスジャータさんが 歌を歌いながら水汲みに来ていました。 シタールの音も聞こえます。 シタールの弦は、柔らかくても きつくても良い音が出ない 人間も きつ過ぎるのも 楽すぎるのも いけないのだ 幸せも苦しみも その丁度良い間にあるのだと ・・・悟ります・・・ スジャータが お釈迦様に 乳がゆ を差し出している所です。 日本でも「スジャータ」と言う ミルク ありますが・・ お釈迦様は スジャータが作った 乳がゆを飲みます。 5人の弟子は、若い娘さんが来たので お釈迦様に嫉妬します。 弟子たち「ったく~修行なんて言って 若い姉ちゃんに差し入れしてもらって!」 「あいつだけ おいら達も 欲しいさぁ~」 そんな顔に見えますね~ 人間は、 「欲」 と 「嫉妬」 これが、すべての悪の根源なのでしょうか? 欲と嫉妬を捨てられない 5人の弟子たちは、お釈迦様の所から去ります。 悟りを開いたお釈迦様は、久し振りに帰って来ました。 大歓迎されている・・・ 足をきれいに洗って5人の弟子も帰って来ました。 5人の弟子たちが お釈迦様を見ると お釈迦様のオ~ラが違っていました。 お釈迦様は、最初の説法をこの地でおこないました。 その後 お釈迦様は 世界の人々を救う為に歩きます。 涅槃 お釈迦様は、80歳で亡くなります。 今でも 世界の人々の心を救っているお釈迦様の壁画でした。 日本人画家 野生司 香雪 (のうず こうせつ)作 以上~○球の歩き方にも無い「インド人現地ガイド」の説明をベースに解説致しました。 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ そんなお話にも関連して 今でも 王様が 国で一番の「仏教徒」である お国へ旅立ちます。 4泊5日 39800円 毎年9月初めに旅をしています。 学生時代バイト先で知り合ったお友達エミchanと も~10年くらい・・・・つづく 年中行事 「チエジュ旅日記」「グアム旅日記」など エミchanが、2個先輩なので きらりは パシリ なんです~ そんな パシリは、勝手に自分の行きたい所へと 今回も、 超~激安な旅を見つけて来ました! 4泊5日 39800円 勿論 海外 勿論 まだ行った事の無い国 初めての「仏教国」 直行便で日本の航空会社(3年ぶりか?) 今回は、観光とご飯が付きます 最後の1日は「自由行動」と言うもの・・・ 行きたかった【世界遺産】も見ちゃいます。 民族舞踊を見ながらディナー (また踊る?) ××料理にはまっているし・・・スイーツも楽しみ ××式マッサージ(イケ面希望)も付いてます 大きな動物にも乗ります。 39800円ですが 燃油サーチャージ(飛行機のガソリン代)が 17400円もします! ったくも~せっかくの激安が~だいなしですよ~ わがままな エミchanとの珍道中は、どんな事になるのでしょう・・・・ では、9月4日に元気なら帰国予定です。行ってまいります「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.08.30
お釈迦様の大壁画があるインド・ベナレスは、お釈迦様が最初の説法をしたと言う聖地でもあります。 前回のつづきです。 お釈迦様30歳の時 お城から外の世界を見に行きます。 「だし」に乗って、運転士さんの案内で行きます。 王様は、前もって運転士に言います 「汚い物や、辛い所を見せないように」と そんな世界を知って 出家したら困るからです。 一番最初に出会ったのは 下の絵「老人」です お釈迦様は、老人も知りませんでした。 お釈迦様 最初のショ~ク!です。 お釈迦様「何で?腰が曲がって シワシワ・ヨレヨレなの?」 運転士「年をとると 皆 こうなるのですよ!」 お釈迦様は、ショ~ック!です。 自分は若くてたくましい しかし いつかは、自分も年寄りになるのか! 次に出会ったのは、 壁画の下から2番目 「病気」で倒れている人です。 お釈迦様「どおして こんなに 痩せて 倒れて元気が無いの?」 運転士「病気だからですよ! お金が無いと 食べ物が無くて 倒れます お金があっても 病気になって 倒れます」 お釈迦様2番目の ショ~ク!です。 お釈迦様は、人間は 皆 病気になり 倒れる事を知ります。 しばらく行くと 壁画の下から3番目 「葬式」に出会います。 お釈迦様3番目のショ~ク!です。 亡くなった人を 皆で かついで荼毘にふす所です。 お釈迦様は、人間の最後を知るのです。 最後に出会ったのは、 壁画の1番上 「お坊さん」です。 お釈迦様は、彼を見て驚きます。 汚い服を着て やせこけている でも晴れ晴れとして リンとして歩いている お釈迦様「あれは、誰ですか?」 運転士「お坊様ですよ」 お釈迦様は、「お坊さん」を見て 4度めのショ~ク!と感動をします。 お釈迦様は、なに 不自由無く 贅沢三昧で育ちました。 お釈迦様は、悩みます 欲を捨てられるか? 畑を耕す牛を見ているお釈迦様 畑の作物を植え 育てる 時間をかけて 守り育てる 苦労しないと育たないんだなぁ~ 苦労=修行 そして お釈迦様は 決心します。 家族がまだ寝ている時に家を出ます。 つづく 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.08.29
インド・ネパールを旅する目的のひとつは、お釈迦様の足跡を探す事であります。お釈迦様が初めて説法をした聖地に参りました。 ムルガンダ・クティ寺院 1931年 建立 世界中の仏教徒が協力して造られた寺院です。 靴を脱いで中に入ってみましょう~ 正面に 金色に輝く仏像があります。 内部の撮影はOKです お布施を入れましょう~ 寺院の中には、巨大な「フレスコ画」 お釈迦様の生涯が描かれています。 26場面 日本人画家 野生司 香雪 (のうず こうせつ)作 『お釈迦さまの生涯』・・・が描かれています。 今から2500年程前のお話です (紀元前3世紀) お釈迦様のお母様は、不思議な夢を見ます お腹の中に白い象 お腹の中に「白い象」が居る夢です。 エ~ッ お腹の中に「白い象」が? お母様は、不安になり 当時は、星占いや手相で占っておりました。 勿論 ヒンズー教 ヒンズー教において「白い象」は神聖なもの 偉いお坊さんに尋ねると 「象は 幸せの元だから 良い子が産まれますよ 安心して下さい」 まずまず よかったわ~ インドの習慣で 初めての子は、奥さんの実家で出産する その為に実家へと向かいます インドとネパールの国境付近まで来て ルンビニ園で 休憩 金色の光りがさし アショーカの花の香りがただよう中 母は、お腹が痛くなり サラソウー樹の木に手をかけて出産します。 な な なんと~ 母の右ワキから産まれたのです。 右ワキの下から産まれたお釈迦様 赤子は、産まれてすぐに7歩 歩き 右手を高く挙げ 左手で地面を指し 「 天 上 天 下 唯 我 独 尊 」 てん じょう てんが ゆいが どくそん と 言ったそうです。 そして 母は 亡くなりました。 どおして 右ワキの下から産まれたの? お釈迦様の前世は「鹿」でした。 鹿に産まれ 狩りで打たれて死んでしまいました。 奈良の寺に鹿がいるのも「鹿」はお釈迦様の前世だからなのです。 お母さんが死なない様に ワキから産まれたのに それでも お母さんは死んでしまうのです。 お釈迦様は、シャカ族の王子として産まれました。 お名前は「ゴータマ・シッタルダ」 お釈迦様=ブッダ の誕生です。 お坊さんが赤子のお釈迦様を抱いています。 お坊さんは、衝撃を感じ涙が溢れます 「この子は、世界の王様になるか?出家して世界の人を救う人になるか?」 父である王様は、出家したら子孫が途絶える! 「世界の王様になって欲しい」と思い お釈迦様は、お城で結婚し、子どもを儲け 30歳まで 贅沢三昧の生活をさせられます。 30歳の時 「自分も外の世界を知りたいから」と言い 王様も息子が 世界の王になる為には、 世の中を知る事も必要だ! 贅沢三昧で育ったのだから よもや出家をする事は、無かろう~ そして お釈迦様は、お城の外の世界を見に出かけるのです。 つづく 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.08.28
今日のホテルは、クラーク ベナレス (HOTEL CLARKS VARANASI)です。今回の旅では、ランク的には、1番落ちるホテルでしたが・・・それは、それで味があるものであります。 夜行列車が着いたのは朝9:20 待ち時間4時間 乗車時間9時間 ドラマチックな旅でした。 人が溢れリクシャーが溢れかえる駅前でバスが待っていました。 「インドの観光バス」の中をご案内致します。 このバスは、インドでは、とっても上等です・・・ では、ご一緒に乗りましょう・・・ 運転席は、客席と扉も完全に別れています ヒンズー教の神様らしき置物で守られている運転席 日本と同じ右ハンドル 車内・・・ 座席は、自由席(ハイクラスなツアーの為座席は決められていない) 朝のインドの街を走るバス 沢山のバイクやリクシャーを交わしながらのスリリングな旅 阿部総理もインドに行かれましたが・・・ この実態をご覧になったのでしょうか? 排ガス規制など無いインド 帰国してから3日は、咳が止りませんでした。 阿部総理・・・・今頃・・咳はいかがなもんでしょうか? クラーク ベナレス (HOTEL CLARKS VARANASI) ホテル到着 見た感じかな? ロビーとインドの民芸品・衣類・仏具などを売る店があります。 ラウンジで朝食をいただきました。 かなり庶民的な感じ・・・・ イケ面にオムレツを作ってもらいました。 どこのホテルもオムレツマンは、素敵です 疲れているので、お部屋で一休み お部屋も庶民的 バルコニーが1部屋づつ付いていて少しだけ素敵です。 バス・トイレ・洗面台・・・何とか我慢できる程度でしょう~ ベナレスでは、贅沢な方でしょうか? 結婚式シーズンで、豪華なホテルは満員らしい? こんな 庶民派ホテルが なぜかなじむ・・・きらり ゆっくり 洗面歯磨き入浴 ああ~地獄に仏 ??? あ~あ住めば都 天国天国「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.08.26
どこまでも暗黒の駅「タンドゥラ駅」から乗った夜行列車は0時20分に発車。目的地「バナラシ駅」に到着したのは9時20分です。所要時間9時間でした。 バナラシ到着 悪夢の様な昨夜のことを忘れさせてくれるまぶしい太陽 ベナレスでの目的は? 1)お釈迦様の足跡を探す事 2)ガンジス川の風景を堪能する事 ウキウキしながら列車を降りました。 夜行列車ですが、座ったまま一夜を過ごした方もいたのです。 申し訳ない事です おまけにポーターさんに荷物を運んでもらう・・・大名旅行! 自分の荷物は自分で運んでいますね やっぱり素敵サリーのママさん! ホームには、朝食やデザートを売る店が開いています 葡萄売り インドの計量は、紀元前から時が止ったままです パパイヤ売り スライスしてくれます お弁当屋 良く見えないけど駅弁は、やはり暖かいカレーでしょうか? インド人は、PEPSI派か? 駅の歩道橋 自転車は、どこに行くのか? 歩道橋を下る しかし インドは人間が多い この少年背中に注目 ジャンパーの背中に空ペットボトルを詰めている 列車で回収してきたのか・・ 両腕にもいっぱい持っている お金になるのでしょうね・・・ きらりもいっぱい捨てて来ました。 インドは、街中にゴミが放置されている国ですが・・・ ペットボトルが、落ちているのを見た事が無い! 不思議です 日本は、ペットボトル落ちていますが・・・ 生ごみは街に積んでないですから 不思議なものですね。 少年は、朝の9時からお仕事をしているのです。 念のため・・インドには義務教育はありません!「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.08.23
4時間遅れで到着した「アグラー行き」列車は、元々、午後8時20分発~午前5時に到着予定です。 当然ですが、遅れて到着する事になります・・・・ 走り始めた列車は、途中で徐行運転になりました・・・ 果樹園のおじ様が 「最前から 少しも進んで おまへんで~ ほんまに 着くんやろか?」 発車が4時間も遅れているのですから・・・・きらりも心配 結局 眠れたのは2時間足らず それでも 他の方達よりはマシだったみたいです。 この列車に乗るに当たって【準備】したのは まず情報ですね。 ある旅行記を読むと、列車にはダニなどが発生しているので シーツ(きめが細かくてダニが入れない物)が必要だと書いてありました。 心配症な きらり 家の綿でしっかり編んだシーツを持参(捨てる予定で) 2等寝台は、白いカバーが かかった毛布と枕が支給されます。 やや潔癖症で用心深い きらり それは使いません ダウンのコートを着て タオルの枕 Myのシーツに包まって寝ました。 しかし 翌朝 幸いにもダニやノミに刺された方は居なかったです。 冬だからかな・・・ エジプトの「ナイルエキスプレス1等車」には、ダニ居たのに・・ まぁ~誰も食われなかったのですから(良かったわ~) 朝になると 毛布を回収に来ました。 しっかり 枚数をカウントして・・・確認 きらりのシーツもまぎれています! 確かに見慣れないシーツがあるのに 無反応で・・・なにも言わずに持ち去りました。 ええええ~? 「多い時はなんだぁ~」 おじさん 家で使うのかしら 後で トイレ近くで おじさんが 回収した毛布とカバーを分別して きれ~いに 棚にしまう所を見ました。 (そのまま次のお客に使うかの様に・・・ ) おじさん私を見て「リネン リネン」と言っている 寝具をかたずける所だよ!と言いたいらしい・・・ 「おじさん!それ次の人が そのまんま使うのかな?」 日本語でそんな事 言ったって・・・おじさん笑うのみ まさかと、思いますが・・・・ 朝は コーヒーを売りに来ます。 やはり 列車の旅は楽しい でも お腹が心配なので、ブレイクは我慢 インドの列車は、飲酒が禁止ですから売りに来ません 正しい旅行者は、決まりを守らなくてはいけないのです。 勿論 内緒で飲んだりする人は居ないはず! インドの夜行列車2等車は、2段ベットです。 2等ですから ドアで仕切りがありません。 乙女にとってはやや不安 4人が1室です。 窓際の席は、かなり狭く悲惨です。 ベットの横幅が狭い為に安心して眠れません 中央に継ぎ目があるのも気になります。 何より困るのはトランクの置き場所が無い事 4人部屋と窓際に共通する辛い条件は 2階ベットに登るのが、大変危険である事 お年寄りは、とても登れ無い・・・・ 背が小さくて か弱い女性も登れ無いと思います。 だからかしら・・・ベットは男性が上に 女性が下に それも 女性にとっては、身の危険を感じますが・・・ 噂では、 「朝起きたら 隣にインド人のおじさんが寝ていた」 なんて言う事も良くあるそうですから・・・(危険) では トイレのご紹介 どちらが前か わかりますか 洗面台は、トイレの中にあります。 ですから トイレは、案外広いです。 水洗と言うか 左のコップで水をかける方式です。 そのコップも便器にかけるのか 自分のお尻にかけるのか 不明 トイレの穴から線路見えます 白いつかまり棒みたいな物が前後にありますから・・・ どちらを向いて使うかは、自由なのでは・・・・ 当然ですが「トイレットペーパーが無い!」などど言う方は居ません! コップのウオシュレットが、お好みでない方は 必ず トイレットペーパーを持って行きましょう~ 洗面所の水は、あまり信用できませんので、ミネラルウォーター持参で 洗面&歯磨きをされたらと思います。 tougeiさんの情報によると 「3等車には このトイレに何人か占領している人が居るそうです。 ですから その人達に見られながら用を足す事が出来る人だけが乗れる おそるべしインド3等車の世界です 正しいインド夜行列車の過ごし方♪お解かりいただけたでしょうか?「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうございます☆
2007.08.22
インド「タンドゥラ駅」午後8時20分に来る予定の列車が来たのは、0時20分でありました。ジャスト4時間遅れたのであります。 タンドゥラ駅には、雑誌の売店や暖かい晩ご飯なども販売されています。 そんな店も気づいたら・・・・いつの間にか居ません プラットホームの上には、ムクドリの一団が並んで、フンを落としています 2回も爆撃の被害に合いました! ツアーの人が ウエットティッシュでふいてくれました。 皆さん 本当に良い方ばかりです。 歯磨きもしたし メイクも落としたし ジャージにも着替えたし あとは 列車に乗って寝るだけです。 その時ホームに放送がありました 現地の言葉なので?何を言っているのか解りません! 現地ガイドが「ホームが反対側に変わりました」 あわてて、反対のホームに荷物を移動 間もなく 列車が到着しました。 0時20分・・・4時間遅れです! ポーターさんも8時から どこかで ず~っと待っていたのです。 列車が来た事が とっても うれしかった ムクドリさん 大きなねずみさん 大きなゴキブリさん さようなら 列車は2等寝台車です。 通路窓側に面したベット と 4人向き合ったベットがあります。 私は 4人向き合った 通常の寝台ベットです。 2段ベットですね その 席は 勝手に決められます。 同室のご夫婦 ご主人さまが2階 奥さまが1階 関西で果樹園を経営されているご夫婦です。 きらりは、奥さまの向かいの1階です。 きらりの2階は、果樹園のご夫婦の旅友の方です。 毎月外国旅行をされると言う豪快な元実業家のおじさま 3人とも とてもお金持ちみたいで・・・ 話のスケールが違い過ぎます! いくら お金持ちでも 2等寝台に乗せられ 窮屈な旅の始まりです。 そこに お客様が来ました。 元大銀行の支店長さんご夫妻です。 も~ぉ とっても とっても お上品なご夫婦です。 4時間もホームで待ったのでお友達になったのです。 6人で 夜中の0時過ぎに・・・・ こそ こそ ひそ ひそ 楽しいお話が始まっちゃいました。 「おかき 食べはりますか?」 「おつまみもありまっせ~」 果樹園のご夫婦は、トランクからいっぱい出しました。 ふふふぅ・・・ じつは・・・ こんなの飲みます? きらりの寝酒を提供 へへへへ・・・ じつは・・・ こんな物ありますが? 元実業家のおじさまも 6人で内緒のお酒盛りが始まってしまいました! この列車は「禁酒」なんです。 絶対にお酒飲んじゃ駄目なんです・・・ あ~この話はにして下さいね。 何だかネ~ 汚い列車に乗せられ 皆さんだいぶご立腹です! こんな 酷い旅は 初めてだと! そんな時 寝台車の青いカーテンが ソロソロ開きました・・・ 現地ガイドの男性です。 どうも・・・酒盛りがばれたみたいです。 現地ガイドもきつく叱る事ができません! 大事なお客様ですもんね~ でも~困ったと思います。 私達は、すっかりご陽気になっていますから 困る様子も無く おじ様は、ガイドにお酒を勧めました 現地ガイドも 「実はボクも寝酒を持っているんです」 ステンレスの容器を見せてくれました。 寝酒が無いと眠れない時があるそうです。 しばらく 7人でお酒盛りをしました。 楽しい話が盛り上がり・・・・ も~2時です。 きらり 眠くなりました・・・ 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.08.21
インドのタンドゥラ駅からベナレスへの移動は、楽しみな夜行列車であります。しかし列車は来ません!定刻に来ることが無いインドの交通機関ですが、それにしても・・・遅すぎます。 長い間 立っているのも辛いので 自分のトランクに座っていました。 そこに10人ほどの中高学生が来て囲まれた・・・きらり この 可愛い少年が代表で話かけてきました・・・ナンパか 英語です 親戚の結婚式に来たそうです。 そう言えば 駅のホームからも 結婚式の花火が見えます 駅に来たのは 列車に乗るためでは無く 駅でおしゃべりを楽しんで居るようです 「日本から来たのよ!」と 言うと喜んで 少年は得意げに 「ジャッキーチェン知ってるよ!」と 言うのですが 大きな勘違いをしている 少年 少年の心を傷つけるといけないので きらり 「 アチャ~ アチャ~ 」 と ジャッキーの拳法を披露したら・・・ 少年達は、ほんまもんや~と まん丸目玉をでっかく見開いて 大喜びです そんな 暇つぶしをしばらくしても・・・・列車は来ない! 2時間 3時間・・・ 2月19日 20時20分発の夜行列車 何故来ないのか? その時は 何の情報も無かったのですが インド デリー発 パキスタン行き 急行列車が テロリストに爆破され 死者 68名 を出すと言う大惨事が起きていたのです。 私たちの列車もデリー発 急行 影響を受けたと思われます。 しかし 私たちの列車に爆弾が仕掛けられたらと思うと やはり生きて帰って来れたのは・・・奇跡的 そんな 情報は知らずにプラットホームで待つ インドと言えどもデリーは北部 2月で10時をまわると寒い お尻の下に敷いていたトランクを開け コートとジャージに着替えました。 こんな時 ロングスカートは便利 もうすぐ 12時になります・・・ そうだぁ~ メイクを落とさねば・・・・ ゴシ! ゴシ! あ あ あ~さっぱり! 歯磨き しようっ~と! ホームで歯磨き・・・気持ちが良い! ミネラルウオーターは売るほど持っています。 クチュ クチュ ペー! ホームから 線路に しかし 汚い線路です。 生ごみが いっぱい・・・ エ~~~ツ? 線路に居るのは? 誰? 動物か? 猫か? いやぁ~ でっかい でっかい ねずみです! ギャァ~ッ インドのネズミは、でかいです! もぉ~線路は、のぞかない! ホームには、でっかいゴキブリも・・・・ アアアア~ン早く列車来てよ! トイレはホームの外れにあるそうですが・・・ 見て来た方がバツサインで帰って来たので、恐ろしくて行けません! も~怖い物は、見たくない! ブログネタ?・・・・そんなの関係ない!ちなみに・・・ホームでメイク落しと歯磨きしたのは、きらりだけでした(恥)爽快でした!「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.08.20
インドの旅は、想い出がいっぱいであります。特に強烈な印象が残るのは、アグラからベナレスへの9時間の夜行列車の旅であります。列車の旅が大好きなきらり・・・エンジョイできたのでしょうか? 2月 結婚式シーズン 真っ只中のインドであります。 バスの前方にはキラキラの電飾が見えます 夜になると 結婚式のパレードが始まります。 音楽隊の先導で 新郎新婦は着飾り、花馬車に乗り行進します。 花火が揚げられ 豪華なパーティーが街中で開かれます。 その為 道路は大渋滞です。TUNDLA タンドゥラ駅 発車は 19時45分・・・ その前に何とか間に合いました 「駅に行くように」・・・・と 言われ 駅の階段を登り 改札は 無いのかしら? 改札は 無いみたいです! 駅舎方向にどんどん歩きます そうすると ギャ~ ギャ~ ものすごい声が 上を見ると ものすごい数の ムクドリ 駅舎に入るには ムクドリの大合唱の下を通り抜けなくては・・・ 何万羽のムクドリの糞攻撃 やっと 通り 駅舎に入ろうとした時 後ろから、コンダクターに呼び戻される 「こちらへ お戻り下さい!」 エ~~~~ッ もう一度 ムクドリ=トンネル 通るのカ~ッ もう~ 必死です 猛ダッシュ 真っ暗な所に 何故に ムクドリは 集うのでしょうか? 鳥インフルエンザになったら・・・ アアアア~も~イャ~ 恐ろしい駅舎から ホームに降りて来ました ホームにも ムクドリ居ます・・・ 数は、少ないです 1000羽位しか居ません! 駅のポーターさんが 私たちの荷物を運んでくれています。 とっても 力持ちです 約20kgを2個も・・・ 3個持っているぅ しかし きらりのは なかなか来ません すっご~く 重いからです・・・最後に来ました 水です 水がいっぱい 入っているからです 毎日 水がプレゼントされるからです。 それに 一人旅なので 2本づつもらえるので・・・ トランクの中は 水が いっぱいなんです 水は 確かに 重い・・・ ポーターさん ごめんなさいね~ でも 優しい人 ばかりです 午後7時45分の列車は 来ません しかし 驚く人は居なかった 飛行機が4時間おくれ その 後も 乗り物の全てが3時間は遅れたのですから・・・ 私達は 確実に 強くなっていました そして インドに居る事を実感していたのです。 しかし インドの駅は 暗い 静かだ そおか 駅の放送が無いからか! そしたら どれに 乗るか わからない じゃない 何台も列車が通ります 超~汚い 列車です。 「これ じゃない わよ!」 「私達は2等列車だから」 「でも 何で 2等列車なんだろう?」 「お高いツァーなんだから 1等に乗りたいわ~」 おば様たちは、かなりご不満です。 どうも この駅には 1等列車が留まらないから2等列車になったそうですが、 「豪華な旅」ばかりしている方たちには、耐え難い経験でありました。 後日 お手紙をいただいて 「生きて帰れて良かった」と インドの旅は、確かに 年配者にとって命がけなのです。 それにしても 列車は来ません ホーム反対側にこの駅止りの3等列車が到着しました。 満員です すごい人の数です。 同時に(失礼なのですが) 悪臭も降りてきたのです・・・ 列車の中は 臭かったのですね のぞいてみると 座席は、硬い椅子です インド庶民は 辛抱強いです 朝の中央線・朝の大阪環状線など・・・文句言えません! しかし 列車は来ません! 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.08.19
インドの首都デリーの観光が終わり、今夜は夜行列車で、ガンジス川下流に(有名な沐浴を見に)行きます。インドの列車の旅は、私にとって一番の楽しみであり、今回は衝撃の列車でありました。列車のご飯は、評判が悪いので、夕方5時からアグラーのレストランでカレーを食べました。 竹を編んだインテリアが、とっても素敵なレストランです。 とりあえず200ルピー ハーブ入りのパリパリです! おつまにに最高な揚げ物 (約600円・・・高いっ!) お待ちかねのカレー ナーン ソーセージ テーブルは、いっぱいです。 ほうれん草カレーコーヒー 野菜スープ 激甘スイーツ も~食べられない程に次々と運ばれる料理み~んな 美味しくいただいきました デリーは、インドの北部なので小麦粉文化が発達して ナーンやインド風のパンを食べるそうです。 中東やヨーロッパの文化も入ってきた・・・ そんな背景もあると思われます。 インドの南部は、お米の文化が発達しました。 お米をいっぱい生産しているそうです。 しかし 日本の様にご飯にドロッ~としたカレーをかける 「カレーライス」は無いらしい? あっさりスープカレーを、手でご飯をこねて食べるそうです。 それ それ~それョ~ やりたいのに~残念 カレーライスは日本独自の庶民の食文化みたいですね~ レストランを出ると・・・・ 自転車 ヘビ使いのおじさんが居ました 首に大蛇カゴに コブラ おじさん 左手をコブラに近付けて 私たちにアピール きらり 10ルピー(約30円)を払う! おじさんは、大喜び・・・・何度も危険な技をみせてくれる! 30円で・・・・・・ ビールの600円と比べると・・・・申し訳ない! 実は、このおじさん 私たちがで、レストランに到着する前からバスについて来ていた! 私たちの食事が終わるまで、ここでスタンばっていたのです! レストランの客は、私たちだけ・・・・ 立ち止まってくれたのは 3人・・・だけ おじさん 商売になってるのか? 私たちが、バスに乗ると おじさんも 早々に店じまい ターゲットが帰れば閉店か~ その姿を見てインド庶民のGNPを実感・・・・・・ 「旅行ブログ」ランキングに参加しています暑いけどポチっとお願い致します→今日も33度C「辛いです~」インドの人を思うと我慢我慢ありがとうございました。
2007.08.08
インド【世界遺産】アーグラー城から、タージマハルをながめているのは、王様とお猿です? 現在インド地方は、大水害だそうですが、とっても心配です。 インドはスコールが多いそうであります。 お城には、排水溝があります 16世紀当時に すでにあったのですね 排水溝から ここに集めるのです。 そこに お猿が 王様の図書館裏のテラス テラスからタージマハルが見えます感動っ 下には お猿が・・・なますて~ チワ ここからは 5代目の王様 タージマハルを建てた シャー・ジャハンの建築群です。 王様が「お昼寝をする部屋」 勿論 窓から タージマハルが 見えます。 こんな所で お昼寝して暮らしたい 雨トイからタージマハルを見ている お猿 王様が幽閉されタージマハルを見ていた部屋 5代目シャー・ジャハンは、6代目の息子に寄って、 8年間閉じ込められ・・・・亡くなります。 毎日 タージ・マハルを眺めながら 暮らしたそうです。 しかし それまでの 王様の暮らしぶりは どうだったのでしょうか? 豪華絢爛であります 大理石でできた寝殿 と アングリー庭園 葡萄を栽培していた庭園 自家製ワインを飲みながら 美しい女性達の踊りや歌を聞いていた 電気の無い時代に噴水が造られた イランの噴水と同じものですね 噴水で遊んだり 踊りを踊る美しい女性を見て 今夜は、この子に決~めた お庭の先にハーレムがあります・・・ 王様は、お気に入りの子と 2階のお部屋に お部屋は、いくつかありますよね 凄い! 寝殿の両脇は、2人の娘さんのお部屋です(タージマハルが見えます) 娘さん達は、王様が亡くなった時に 「大好きなお母さんと同じお墓に入れてあげたい」と言い 仲良く タージマハルに 夫婦ふたり 棺を並べる事になりました。 王様が幽閉されていた部屋 王様は、息子に8年間死ぬまで ここに閉じ込めました。 (違う部屋に閉じ込められ殺されたと言う噂もあります) それにしても 美しい大理石のお部屋です 室内なのに噴水があり 素晴らしい宝石が埋め込んである 沢山の宝石は、植民地時代に持ち去られましたが・・・それでも美しい 最後は 謁見の間 字が読めない庶民が 王様と会い直接悩みを聞いてもらったそうです。 横から見ると 大理石のアーチが素晴らしい 中央には 素晴らしい装飾があります 玉座には、世界中から集めた大きな宝石があったそうですが その宝石は 植民地時代に 抉り取られてしまいました。 今は イギリス王妃の冠の中にあります。 玉座の前には、可愛い女学生が座っていました サンダル可愛い 謁見の間前にある棺 1857年インドの最初の独立運動の時に亡くなったイギリス軍人 なぜあるの邪魔ですが? インド人に言わせると インドの教育は、全て教える教育です 日本や韓国と違う 植民地時代のモニュメントを残し教材としています。 イギリスの植民地であった事をイギリス人のせいにしない 弱肉強食 弱ければ当たり前 植民地支配された事を 許す教育 許す事が尊い → ヒンズー教 ヒンズー教の教えなのですね 私たち許す事がなかなかです! 庭の先は 奥様や女官たちの為のバザール 外出できない奥様たちの為に 町の個人商店が出店していました。 その時代の流行が、手に入ったそうです。 アーグラー城 END「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→どうも どうも
2007.08.05
赤い城と呼ばれた『アーグラー城』の王様には、ヒンズー教・イスラーム教・キリスト教・仏教を信仰する4人の奥様が居ました。 赤い城『アーグラー城』に入ると長いスロープがつづきます・・・・ きらりが 現地ガイドから聞いたお話です。 アーグラー城は、元々 軍事目的で造られたお城だったのです。 だから 馬が あがれる 長ぁ~いスロープなんですね! スロープを登りきると右に宮殿があります・・・・ ジャハンギール宮殿 一番古い宮殿です。 1575年お城が出来た当時の建築 ムガール帝国 3番目の王様 アクバルが造りました。 アクバルとは、大帝の意味 アクバルには 4人の奥様 が居ました・・・・(側室ですけどね) 1)ヒンズー教 2)イスラーム教 3)キリスト教 4)仏教 ところが・・・・ 14年間も子どもが生まれませんでした。 アクバルの心はいつもブルーでした だって 跡継ぎが居ないのですから・・・・ アクバルは、誰でも救ってくれると言う有名な お坊さん の所へ行きます。 35kmも裸足で歩きました。 アクバル「私に子どもを授けて下さい」 お坊さん「お帰り下さい」 アクバルは、1晩中お坊さんの家の前で待ちます。 朝になりました・・・・ お坊さん「帰りなさいと言ったでしょ」 アクバル「私は、子どもが欲しいのです。 私は、人々を差別しないで良い事ばかりをしてきました。 なのに 何故?子どもができないのでしょうか?」 お坊さん「世界中で 毎日毎日 沢山の子どもが産まれています。 それは、貧富の差など関係なく産まれています。 子どもに恵まれない人も沢山います。 子どもが産まれても、親が別れてしまったりする事もあります。 それも すべて 自然の法則なのです。 貴方は、王様として生まれ有名になりましたね。 人は、何でも手に入れる事は難しいのですよ!」 ところが・・・・・・不思議な事が起きます。 お坊さんの子どもが、突然亡くなります。 同時に、アクバル王様に子どもが産まれたのです。 14年ぶりのベビーです。 ベビーの名前は「ジャハンギール」ちゃん この宮殿の名前は、14年ぶりに授かった子どもの名前を付けました。 ジャハンギール宮殿 宮殿の前にでっかい石のオワンみたいなものがあります・・・ 王様が、14年ぶりに授かった子どもと一緒に入る為に作った お風呂です。 当時は、宮殿の中にあったものです・・・・ミニプールかな? 宮殿の入口 宮殿に入るとすぐに 音楽の部屋 があります。 ここで 音楽を奏でると 隣の奥様の部屋に聞こえる仕組みです。王様には、ヒンズー教・イスラーム教・キリスト教・仏教を信仰する4人の奥様が居ました。 奥様の部屋は、平等に造ってあります。 まず・・・正方形の庭があります。 そこに面して、4人の奥様の部屋があります。 キリスト教を信仰する奥様の部屋 仏教の奥様の部屋 イスラーム教の奥様の部屋 ヒンズー教の奥様の部屋 奥様は、格子戸の中にいました・・・ 奥様は、人に顔を見せてはいけないのです。 知人が来ても 格子越しに お話するのです。 夏は、格子から風が入り とっても 気持ちが良かったらしいです。 壁の模様も平等でした。 ヒンズー教の神様ガネーシャ → 象 仏教 → 蓮の花 イスラーム教は偶像崇拝禁止なので → 花 キリスト教 → 十字架 十字架?・・・・・無いみたいですけど・・・・どこ? 上の方を見ると・・・・ 5つの十字架がありました 4人の奥様を平等にするには、 お金がかかりそうですね。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.08.02
インド【世界遺産】アーグラー城に行ったのは、夕方であります。赤い砂岩が夕焼けに映し出され感動の出会いでした。 アーグラー城は、大変大きなお城です。 【世界遺産】タージマハルは、知っていても・・・・ 【世界遺産】アーグラー城を知らない人は 恥ずかしながら・・・・私も知らなかったひとり アーグラー城に到着・・・・ 夕焼けのアーグラー城に出会った事を感謝 【世界遺産】の看板に恥じぬお姿です。 ワクワクしながら入場です・・・・・ 1575年から140年以上もかかって造ったお城です。 3代目の王様から・・・・6代目の王様で完成 アーグラー城って・・・日本で言うと・・・何時の時代なのでしょうか? 着工は、3代目の王様の時代です。 1575年 =信長 秀吉の時代ですね。 この時代インドでは、砂岩の建築が流行していました。 高い城壁に囲まれていると言う事は・・・軍事目的だったのですね! アーグラー城の入口・・・チケット売り場 お城に入ると・・・ 登りのスロープがあります馬で登れるようになっています。 そういえば・・・・ イランのペルセポリスも エストニアでも馬で登れましたね~ このお城は、途中から模様が違います・・・ 着工から完成までの歳月を感じます。 3代目の王様 (日本で言うと、信長・秀吉の時代) 赤い部分の・・・砂岩がトレンドでした。 4代目の王様 (日本で言うと、家康の時代) 王様は、パキスタン(当時インドの一部)に滞在していた為に タイルを使いました青いその部分がわかりますね。 5代目の王様 シャージャハン←タージマハルを造った (日本で言うと、家光の時代) 大理石が流行ったのです。 大理石の部分は、ここには見えませんが・・・・ お城の内部に素晴らしい大理石建築があります。 インドで一番美しい建築が生み出された時代ですね! 6代目の王様 (日本で言うと、吉宗の時代) 王様は、父をお城に幽閉し、宗教建築に力を入れます。 その為、建築に対してのチャレンジ精神が無く・・・ 素晴らしいインドの建築は、衰退してしまします。 歴史は、かなり苦手ですが・・・こうして見ると案外面白いですね! 思えば・・・ 3代目の王様の時代にインドは統一します。 この時代は、「世界的に国が統一する時代」でありました。 歴史の偶然は・・・・不思議 では、今の時代は・・・・どうでしょうか・・・ 歴史年表には、どう書かれるのでしょうか? 「世界各地で、テロが連発する時代」 「核で世界を支配しょうとする時代」 「天変地異・異常気象の時代」 日本で言えば、「総理大臣がコロコロ変わる時代」 そんな 歴史年表になるのでしょうか「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.07.31
ひとり旅の楽しさは、現地で沢山のお友達が出来る事であります。タージマハルには、地元インド人や観光客がいっぱいです。勿論イケ面やミスユニバース候補者もいっぱいです。 タージマハルの正面で・・・・ 可愛い子どもと仲良くなりました・・・ 若いママたちが来て・・・・ きらり 同じグループの方が乱入 この靴カバーが、現地ツアー会社からもらったダサダサの奴 足デカッ ミッキーマウス でしょうが・・・ 美しいサリーを着た一団が・・・・ タージマハルの正面 お立ち台からの眺め ここから見たのです 下から見るとここですね タージマハルの裏側も素敵な模様なんですこれは、コーラン 家族旅行の集合写真に入れていただきました。 今頃一族で写真を見て笑っているでしょう! ここからは、ガンジス川の支流ヤムナー川が見えます。 王様は、向こう岸に黒いタージを造り橋でつなぐ予定でした。 迎賓館からもヤムナー川が見えますね・・・ タージマハルから見ています白い大理石が贅沢に敷き詰めてあります。 可愛い子どもとも仲良しになりました! なんだぁこのねえちゃん! 〈お友達になりました〉 素敵なインド青年と! 素敵な欧米人と! 超・イケ面と! ええ~っ 超・イケ面が見えないって? ポージングしてもらいました! 凄い美人の彼女が居たのです・・・・あ~あっ! あらら~ ハートブレイク こうなったら団体で・・・・ う~ん?? インド青年も色々とありますね・・・・パス 美しいタージマハルと美しいサリー姿 タージマハルの人々でした・・・・END「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.07.24
世界で最も美しいお墓『タージマハル廟』の真下まで来ました。大きいです真っ白な大理石が、私の目前にある・・・・感動です! タージマハルは、1983年ユネスコ【世界遺産】に登録されました。 今月7日には、世界七不思議に選ばれました。 インドのムガール帝国時代 (1526年~1858年)の建築 5代目の王様 「シャー・ジャハン」 (在位1628年~1658年) 妻の「ムムターズ・マハル」の為に建てたお墓であります。 ムム ターズ・マハルターズ・マハルタージ・マハルとなったのです。 1631年 38歳で妻が亡くなり 2年後に建設を始めた。 建設は、インド国内の産地から白い大理石を運び、 国内外から集めた宝石をモザイクにあしらった。 世界各国から職人を集め、完成までは20年がかかった。 これは前回のあらすじです。 タージマハルの真下まで、ゆっくりと歩いて来ました。 美しいです感動です タージマハルの前には靴を預かる業者が居ます。 タージマハルは土足厳禁なのです寺院はだいたい はだしになるか?・・・靴の上にカバーを付ければ OK 私達は、靴の預かり業者に預けません・・ 私達は、ツアー業者からプレゼントされた だっさ~い「靴カバー」を靴の上に履くのです。 足デカッ まるでミッキー・マウスみたいになってます! タージマハルの左には、モスクがあります。 イスラームの建築様式で、中央にはミフラブがあります。 屋根には、3つの白大理石のドームがあります。 横には、小屋根の可愛いチャトリが、インドの雰囲気を出しています。 その前には、噴水がありました。 タージマハルの右にも、同じ建物があります。 これは、迎賓館だそうです。 迎賓館の前の噴水には、なぜか?水が入っていませんでした。 タージマハルの正面には、水路があります。 その先には、私達がセキュリティーチェックをした大門があります。 この3つの建物は赤い砂岩と白大理石でできています。 では、中央のタージマハルには、どうでしょうか? 近くで見ると・・・ タージマハルの模様 (少し黄色く見えますが光線の加減です) 純白の大理石には、お花の彫刻がしてあります。 その周りには、宝石が精密にモザイクではめ込まれています。 この色は、ペイントでは無くぜ~んぶ宝石なのです! 宝石を削り・・・ はめ込んだのです・・・・ 職人さん達の名人芸でした。大変残念なのですが、タージマハルの内部は、撮影禁止であります。 ここからは、頭の中で想像して下さい・・・・ タージマハルに入ると、すぐ目の前に穴があります。 穴には、金網がしてあります。 薄暗い穴の中をのぞくと、地下に棺が、かすかに見えます。 それが、奥様の棺です。 そして、奥様の棺の横に、ご主人の王様の棺も並んでいます。 王様の予定では黒い大理石のタージを造る予定だったのです 跡取りに、邪魔されて・・・・奥様の隣に並んで葬られたのであります。 本当は、奥様のお墓にお金を使いすぎたからなのですが・・・ 以前・この地下室にも入れたそうですが爆弾を仕掛けられた事件以来入場禁止になったらしい? 残念です 穴をのぞいても~あまり地下の棺が見えません では、素晴らしいタージマハルの中央まで進みましょう 大理石の丸い大きな柵が囲んであります。 見事です大理石に透かし彫りが見事です 美しい宝石が、沢山モザイクにはめてあります美しいです 感動です・・・・大感動です その中には、王様と奥様の大理石の棺が、仲良く並んでいます。 しかし、これは形だけのもので、本当の棺は、先程の地下にあります。 撮影禁止なので、とっても残念ですが・・・・ この美しいお墓を心に焼きつけて帰る・・・きらりでありました。 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.07.23
タージマハルは、地球に現存するお墓の中で一番大きく、一番美しく、一番贅沢なお墓であると思うのです。誰が誰の為に造ったお墓なのでしょうか?その恐ろしいまでの情熱のゆえに私たちを魅了するのでしょうか? 【世界遺産】タージマハル この壮大なお墓は、誰が造ったのでしょうか? ムガール帝国 1526年~1858年 5代目の王様 シャー・ジャハン 在位1628年~1658年 シャー・ジャハンとは、自ら名乗った「世界王」と言う意味です。 それほどまでに 力があったのでしょうね! 王様が生涯愛し続けた奥様の為に造ったお墓であります。 元々インドでは、お墓を作る習慣がありませんでした。 王様は、奥様の為に永遠の住まいとして造った御殿だったのでしょうか? 王様は、白大理石のお墓を奥様の為に建設し ガンジス川支流のヤムナー川対岸に、王様のお墓を黒大理石で建設し それを、橋で結び 行き来が出来るようにと考えておりました。 それは、夢で終わったのです・・・・黒大理石のお墓の予定地私がイランに行った時に「タージマハルはイランの職人が造ったんだよ!」と聞きました。王様の奥さんは「イランからお嫁に行った!」とも聞いていたのです。 え~っ? それって本当なのかしら・・・・・ 確かに、タージマハルは、イランのイマーム広場のモスクとほとんど同じであります。王様は、何らかの方法で、イランのモスクをお手本にしたのだと思います。インドは、白い大理石が豊富にあったために、豪華に大理石でタージマハルを造りました。しかし、イランでは、タイルを焼いて精密なモザイク模様でモスクを建設したのですね。 ですから私は、 世界一手の込んだ建造物は、イランのイマームモスク 世界一美しいお墓は、タージマハルであると思うのです。 さ~て ここで久々の【クイズ】です。 〔問題〕インドの王様「シャージャハン」の奥様は、何人だったでしょうか? 1)イラン人 2)インド人 3)トルコ人 4)ウズベキスタン人 5)日本人 答えは5択です さ~て ナニジン でしょぉ~うか? カチ カチ カチ カチ ブゥ~~~~ゥ 【正解】2)インド人現地ガイドに聞きました「奥様は、普通の家のインド人だった」と! それも恋愛結婚です。 王様は、大変おしゃれで ファッションリーダーでもあったそうです! そおかぁ~ナンパ か? どうかは わかりませんが・・・今でもお見合い結婚が多いインドに置いて、王様が平民の女性をお后にするなんて・・情熱的っ! 「タージ・マハル」←この名前も 実は、奥様の名前なのです! 奥様には、元々名前は、あったのですが・・・・ お后に決定してから 「宮廷の選ばれし者」「宮廷の冠」と言う意味の ムムターズ・マハル と名付けられました。 ムムターズ・マハルが 変化して タージ・マハルとなったのです。 奥様の名前が そのまんま 付いたのですね! しかし 男と言う者の愛について 理解できない事があるのです! 生涯愛し続けた王妃がありながら・・・ 沢山の側室がいたそうなんですよ! その辺は、許せないと思う男のサガ そんな理由が あったのか 無かったのか? 奥様は、どこにも同行したそうです。 たとえ火の中水の中 戦場の中! その成果の子どもは、なんと~14人 15人目を戦地で出産する時に 奥様は、産褥熱でなくなったのです。 38歳だったそうです。 38歳で15人かぁ~やっぱし側室は必要だったのかも? でも そんな男の言い訳を許したらあかんがな! 王様は、大変悲しみました! 立派なお墓を建ててもその悲しみが 生涯癒える事は 無かったそうです。 王様の愛の記念碑「タージマハル」の建設には、20年の歳月がかかりました。 材料は、インド国内に大きな大理石の産地から運びました。 はめ込んである宝石は、世界各地から集めたそうですが・・・ インドは、世界有数の宝石算出国ですから贅沢に使われたのですね。 職人は、世界各地から呼び寄せたそうですから 天文学的なお金がかかったのですね! ムガール帝国は、大変豊かな国だったそうですが・・ 王様のお墓の建設費用に寄って 国力が衰えたのであります。 それ程までに愛が深かったと思うと・・・・ やっぱし 男って・・・・・その後の王様の人生は、大変可哀想な事になります。王様は、長男に家督を譲る事にしますが、長男は殺され! 次男も殺されます!犯人は、三男の「ウラングゼーブ」です (多分)ウラングゼーブは、王位に付くと、シャー・ジャハンをお城の座敷牢に閉じ込めます!シャー・ジャハンは、生涯「タージマハル」を遠くに見ながら暮らします。最後には、三男に殺されてしまったらしいですが・・・・これは、うわさです。閉じ込められたお城も見てきたので・・・・お楽しみに・・・・・この話は多分つづきます。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.07.21
タージマハル廟は、とっても広いお庭で、大きな水路と池があり、広い芝生が冬であるにもかかわらず緑が豊かであります。真っ白なタージマハルに美しいドレスを着せているのは誰なのでしょうか? 【世界遺産】 タージマハル廟 1983年登録 欧米人は芝生で 日光浴してるのかしら? 「ここは、宮殿では、ありませんよ!」 タージマハルは、大きな 豪華な お墓ですよ! 今度は、少し右の方から見てみました。 やっぱり 世界一美しいお墓です。 完全に左右対称である事が 人々を和ませる要因なのでしょうか? 広く長い水路は、 どこのイスラーム建築より立派です。 では・・・・・・・・歩いてみましょう 純白のタージマハルを見ながら・・・・私は歩きます。 長ぁ~~い間 憧れ続けた これまでの 長ぁ~~い歳月をかみ締める様に ゆっくり 歩きました。 広い水路を挟んで右と左に道はあります。 せっかくなので、行きは右 帰りは左を歩きました。 美しいインドのヤンママ達・・・サリーが素敵ですね~ 子沢山のママも素敵な衣装・・・活動的なタイプの服もあります。 インドの人達は、ほとんどが 家族でお出かけします。 お庭で芝刈りをしています・・・・良く見ると 牛が2頭で芝刈りをしています。 牛の芝刈りは、初めて見ました! インドは、エコです。 動物が乗り物を引いたり、畑を耕したり、 そんな姿をいっぱい見る事が出来ます。 日本もインドを見習って欲しいです。 インドは、確かにエコであります。 日本も原子力に頼らずに牛さんをいっぱい飼いましょう! 牛さんが無理なら豚さんにしましょうか? どちらも ウンコさんが良い肥料を生産してくれます! 緑が豊かになって、地球温暖化も無くなるかも? そうそう~ウンコさんを発酵するとガスは、都市ガスになるですよ~ なんならきらりも協力しましょうか?かなりいいもん出します! 牛さん達が、タージマハルの美しさの為に一汗かいているのですね「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.07.19
中越沖地震で被災された方にお見舞い申し上げます。一刻も早く以前の生活に戻れますようにブログの中からではありますが心からお祈り致します。 タージマハル廟は、大地震も想定して造られた、大きなお墓であります。 タージマハルの四隅にミナーレットが4本建っています。 ミナーレットは、イスラーム寺院においては、 お祈りの時刻を知らせる重要な建物であります。 ミナーレットは、国に寄って、形や本数も違うのです。 しかし タージマハル廟のミナーレットは、 ただの飾りであった・・・・・・と言って良いと思われます。 タージマハル廟のミナーレットを見ると少し外に傾いて見えませんか? 外側に傾いて・・・・・・・見えますよね 確かに 少し外側に向いて建てられました。 何故か 大地震が、あったら外側にミナーレットが倒れて タージマハルに倒れて来ない様にしたのであります。 タージマハルの基礎部分は、 95m四方で、 本体は、57m四方 高さ 67m ミナーレット 43m 大地震が起きたら当然4本のミナーレットはお墓に倒れる・・・ だから 王様は、外に向けたのですね タージマハルは、22年 の歳月をかけて 1653年に完成しました。 王様の予想に反して、未だに大地震が起きない為に ミナーレットは、どこに倒れるかは実証されていません・・・「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうさん
2007.07.17
新・世界七不思議が7月7日に決まりました。とは言うものの単なる人気投票みたいな物であります。その新・世界七不思議にインドのタージマハルも堂々ランクインされました。 冒険家ベルナルド・ウェーバーによって提案されたものです。 先日7月7日に ポルトガルのリスボンで発表 世界の7つの不思議・・・・と言う意味とは、少し違い 世界の素晴らしい建築物を人気投票で選んだのであります。 しかし ユネスコ【世界遺産】とは、関係がありません! 今回の 『新・世界七不思議』 の最終候補地は、21箇所でした。 アクロポリス (ギリシア・アテネ) アルハンブラ宮殿 (スペイン) アンコール・ワット (カンボジア) チチェン・イッツァのピラミッド (メキシコ) イエス・キリスト像 (ブラジル・リオデジャネイロ) コロッセオ (イタリア・ローマ) イースター島のモアイ (チリ) エッフェル塔 (フランス・パリ) 万里の長城 (中国) 聖ソフィア大聖堂 (トルコ・イスタンブール) 清水寺 (日本・京都) クレムリンと赤の広場 (ロシア・モスクワ) マチュ・ピチュ (ペルー) ノイシュヴァンシュタイン城 (ドイツ) ペトラ (ヨルダン) ギザのピラミッド (エジプト) 自由の女神像 (アメリカ・ニューヨーク) ストーンヘンジ (イギリス) シドニー・オペラハウス (オーストラリア) タージ・マハル (インド) トンブクトゥ (マリ) 何処に投票しますか? 21箇所中印8箇所行きましたが、 私が、今すぐにでも行きたいのは・・・ トンブクトゥ・ペトラ・アンコールワット・チチェンイッツァかな?この中から選ばれた『新・世界7不思議』は・・・・・ 1)チチェン・イッツァのピラミッド (メキシコ) 2)イエス・キリスト像 (ブラジル・リオデジャネイロ) 3)万里の長城 (中国) 4)マチュ・ピチュ (ペルー) 5)ペトラ (ヨルダン) 6)コロッセオ (イタリア・ローマ) 7)タージ・マハル (インド )なるほど~この7つか? 確かにどうやって造ったのか? 不思議と言えば不思議に思えます。しかし、現代では、この不思議な建築物の全てが、解明されているそうであります。 きらり 「インド旅日記」 タージマハルさて~その「新・世界七不思議」のひとつ『タージマハル』に行ったお話しをしたいと思います。小学生の時から、憧れ続けた「タージマハル」に対面できた事は、私の生涯の宝であります。 入口では、厳しいセキュリティーチェックがあります。 バックの中身は、しつこく・・・全部調べます。 体もしっかり触って、確認します。 勿論、女子は、女性の検査官でした。 きらりのバックに下げた人形が気になって 女性検査官が、なかなか通してくれません! ・・・・・・欲しかったのかな? 思いっ切りギャグを飛ばして・・・この場を乗り切りました 合格すると・・・初めて「タージマハル」とご対面できます。 【ユネスコの世界遺産】 タージマハル 『新・世界七不思議』 感動です! 真っ白です! THE・世界遺産です! 新・世界七不思議です! この世界で一番有名で不思議な建築物の解明は、長くなりますので、次回に 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.07.15
インドは、国中がZOOであります。一番の憧れ【世界遺産】タージマハルの参道まで来ました。露天商が沢山並び客引きが・・・カモに見えるのか?私に迫ってきます。 タージマハルの入口 露天 バスを降りて、しばらく「タージマハル」の参道を歩きます。 ラクダの馬車が、走っていましたインドやなぁ~ 私の姿を見ると、露天商がこちらに向かってきます! 「ワンダラー・ワンダラー」 サンダルが、1ドルらしい? サンダルが・・・・125円? インドの人は、大体がサンダルを履いています。 特に女の子のサンダルは可愛い! サンダル・・・・・・買いたいなぁ~ ツァーだから・・・・立ち止まれません! だから・・・・嫌よね~ツァーってチッ 呼び込みのおじさんは、お店に連れて行き 店主:「1ドルだよ!」 きらり:「え~コレ全部1ドルじゃないよね!」 おばちゃま:「私・買いたい!」 きらり:「タージマハルを見てからね」現地のガイドにサンダルの事を話すと・・・400ルピー(1200円)位が妥当だと言うのです。 おばちゃまは、タージマハルでも、サンダルの話で大盛り上がり! 大・感動の参拝を終えて・・・・ 私とおばちゃまを、 呼び込みのおじさんは、待って居た 時間が、ありません! 呼び込みのおじさん+おばちゃま+きらり= 店まで、走ります 予想通り・・・・ 1ドルのサンダルは、ごく一部です。 やっぱしね~ きらりは、宝石の付いたピンクのサンダルを買いました。 300ルピー(約900円) それでも・・・・値切り成功! おばちゃまも、自分用に茶色いサンダルと お孫さんに、1ドルのサンダル2個を買いました。 現地ガイドに、 「300ルピーに負けさせましたよ!」と言ったら・・・・ 「うぁ~それは、良い買い物でしたね!」と驚いていた。 感動のタージマハル参拝は、多分・次回に・・・・ 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.07.13
タージマハルは、真っ白な大理石で造られています。近くに寄ると、沢山の宝石が埋め込まれているのです。その細密なモザイク模様を製作している所を見に行きました。 とは、言うものの・・・観光客相手の大きな店なんですけどね! え~~~っ? そこで? 何か買ったんだろうって・・・ここは、見るだけ! ホテルからバスですぐの所です。 右の長くて赤い弓を上下に引っ張って機械を回します。 右手で赤い弓を引いて・・・左手に宝石を持って削ります。 大理石に宝石をはめ込みます。カメラ目線 インドでは、大理石や宝石が、いっぱい採れたのです。 古代から、変わらぬ方法で加工の技術は、伝承されているのですね。 ここでは、若い職人さん達が、いっぱい働いています。 おばちゃま達は、 お兄さんに宝石をおでこに付けてもらい大喜びしています。 チップあげないとね・・・・ 織物をしているおにいさん インドの高級な工芸品が、売っていました。 きらりには、お呼びで無いのです・・・・・見るだけ!お昼ご飯は、ジェイピー パレス ホテル アグラ ☆☆☆☆☆ Jaypee Palace Hotelに戻ります。 ホテルでの食事は夜・朝・昼とまとめてご紹介します お料理は、食べ放題のバイキングです・・・・ カレーの種類も多くてうれしい・・・・ 朝食のオムレツは、やっぱしオムレツ王子が焼いてくれます。 お昼のビールが美味しかったみたい同席のご夫婦のおごり! ナンやおかずを食べ放題です・・・・昼 ご飯 夜のビールは、これでした同席のおじさま達のおごり! ま~どおぞ!ど~ぞ!なんて~言われて・・・ ご馳走になりました感謝 ホテルでお散歩していると・・・・賑やかな♪音楽が聞こえてきます! 同じツァーのおばちゃまが・・・行きましょう! と誘ってくださったので ♪音楽が、聞こえる方に行くと・・・・ 「人形劇」をしていました。 おばちゃまと、きらりは、大感激です! おばちゃまは、ご主人と2人で参加しています。 真面目そうで、堅物なご主人です・・・・ おばちゃまは、 時々 ご主人から逃げ出して きらりと遊びます! 1~10まで、お世話をしないといけないご主人だそうで・・・ 明るく陽気なおばちゃまは、 きらりと意気投合 「人形劇」は、おばちゃまと、きらりと、子ども1名・・・無料です。 楽しい劇でした ホテルには、お店もあります。 おばちゃまと、仲良くお店に入りました。 おばちゃまの目に留まったのは・・・バックです。 バックは、2個あります・・・・おばちゃまは、 「あなた~これ2人で買いましょう!2人で買うと安くなるから」 さすが~おばちゃまも旅なれて居ます・・・・ いくらかしら?・・・・・1つ40ドル だと言う! 高っ・・・・・5000円か 「2つ買うから負けてよ!それにコレしか無いから・売れ残りでしょ?」 「10ドルに負けないと・・・要らないわっ!」 おばちゃまと、きらりは、肩を組んで店から出る・・・・ そうすると・・・・ 奥に座っていた店主が、奥から手招きをしている・・・・ 10ドル(約1250円)でいいよ・・・・・・店主怒り顔で、シブシブ! やったね~10ドルになったね バック少し大き過ぎて、引きずりそうで、未だに使ってません! おばちゃまは、その後体調を崩し、帰国まで高熱が下がらなくて大変でした。 ご主人のお世話って大変なんだなぁ~と・・・・・思うきらりでした。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.07.07
旅の楽しみは、日常を忘れる事にあります・・・夢の中の様な豪華5つ☆☆☆☆☆ホテルに宿泊しました。ホテルは、タージマハルやアグラ城のあるインドのアグラの中心地にあります。 ホテル前の大きな道路 朝の出勤風景 ジェイピー パレス ホテル アグラ ☆☆☆☆☆ Jaypee Palace Hotel ホテルの正門 セキュリティーは万全です! では 中に入りましょう~ 門から長~~い 登り坂があります。 正面玄関 インドの民族衣装を着た 立派なおじさんが立っています。 人形では ありませんよ! インドの「イケ面ドアマン」です。 ホテルの廊下も白い大理石が豪華 可愛いメイドさんも通ります。 イケ面 ウェイターも通ります・・・どっちが? お部屋に行く廊下には、中央に水路が流れています とっても大きなBED デスク TV 鏡 洗面所も大理石 【お部屋の設備】 アイロンボード エアコン ズボンプレス デイリーニュースペーパー テレビ ヘアドライヤー ミニバー 室内映画 時計つきラジオ 【ホテル内設備】 ATM・銀行 セーフティーボックス バー ヘアサロン ランドリーサービス ルームサービス レストラン 医者待機 外貨両替 郵便サービス 【スポーツ・レクリエーション】 キッズクラブ スイミングプール スカッシュコート スパ テニスコート フィットネスルーム それでは 広大なお庭を拝見してみましょう~ とっても広いので迷子になりそうです・・・・池や噴水がいっぱい! プールでは、パーティーの最中です。 結婚式のパティーをしています。 インドの結婚シーズンは 11月~2月 お金持ちは、豪華なホテルで結婚パーティーをします。 そんな結婚式シーズンである2月のホテルは、どこも満員です。 遠くから親戚が集まっていて、豪華なサリー姿の方がいっぱいです。 そうで無い方は、町のレストランなどでパティーを行ないます。 そうで無い方でも200人位親戚知人が集まるそうですから・・驚きです! 夜には、屋台に新郎新婦を乗せて行列をします。 楽隊が演奏しながら、街を練り歩きます・・・ 花火もパンパンとあげるのです! インドは、超ど派手な結婚式なんですね~ ホテルの中庭も噴水がいっぱいです。 きらりの部屋は、中庭が見える1階でした。 お庭を散歩していると・・・ お猿さんが・・・・ 親子です・・・・ 庭そうじをしている お兄さんが 「ダメ! ダメ!そばに寄らないで!」 子どもを連れているお母さん猿が、反撃する事があるらしい? インドは、ホテルも ZOO でありました「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.07.05
インド・首都デリー市内見学(クトゥブ・ミナール→フマユン廟→ガンジーさんのお墓)を終え、お昼のランチに向かいます。本場のカレーって・・・・どの様なものなのでしょうか? バスは、市内のレストランへと向かいます。 バスは・・・・ 何だか・・・うっとおしいボロ布が下がった工事現場の横に止ったまんまです! も~30分は、うっとおしいボロ布の下がった工事現場に居るのですから 何かが 起きているに違い無い! バスを降りて、道の先に確かめに行きました・・・・ 大きなバスに沢山の人が群がって、 バスを押していました・・・・ そんな助け合いの心も ヒンズー教の精神なのでしょうか? バスに戻ってしばらくすると・・・バスは発車しましたふ~ レストランは、大きな街路樹が立ち並ぶ少し奥にあります。 本場のカレーをいただきました 豆のスープ ナン おかわりしたナン タンドリーチキン 野菜のカレー あずきのカレー チキンカレー ほうれん草のカレー 数人で取り分けていただきました だいぶ~食べてしまって~すみません~ とっても 美味しかったです もしかすると・・・・・ 「辛そう~」 と、思われるかも知れませんが・・・・・ 残念な程に 辛くないんです どうも観光客向けなのでしょうか? 各階 欧米の方で満員大盛況であります! 欧米人は、辛い物が苦手な方が多いからか? 辛くないのです。 ビールは、200ルピー(約600円)高ぁ~ 紅茶 と ミニバナナがデザートでした。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.06.29
インドへ行って考える事がいっぱいありました。インドは、あまりにも貧しい・・・しかし本当に貧しいのは、インド人なのだろうか?日本人は、このままで良いのだろうか? 当時のインドは、人口の半分が、シュードラと言いカーストの下の人達でした。 マハトマ・ガンジーは、彼等と一緒にご飯を食べました。 何故なら・・・彼等は、 自分と同じ生まれ方をして 食べ物を食べ 同じ様に死んでゆく 同じ血液が流れる人間であると考えていたからです。 ガンジーは差別を無くして、自ら見本になったのであります。 イギリスの植民地から、独立するには、差別を無くす事が必要だったのです。 ガンジーは、カーストの一番下の人達を ハリー・ジェーン『神様のこども』 と呼んだ! ハリー・・・・・神様 ジェーン・・・・こども 彼等は、良い名前を付けられたので、喜びました そして、ガンジーの独立運動に力を貸したのであります。 ガンジーは、独立運動の為に断食をしたり・・・・・ 何度も刑務所に入りました(通算7238日) 1947年8月15日 インドは、独立しました。 ガンジーさんのお墓の横には、今でもハリージェーンの為の募金箱があります。 ガンジーは、1日に 1.5食しか食べなかった。 後の半分は、貧しい人にあげるため・・・・・・ 衣服も、いつも同じ1枚だけを着ていました。 何着持っていても、着るのは1枚だからだそうです・・・ 衣服も貧しい人の為にささげたのです。 ガンジーさんが、言うには、 世界中の人が、1食だけ貧しい人にあげたなら・・・・ この世界から、食べ物に飢える人が無くなる! 世界中の人が、1枚づつ衣服をあげたら・・・・ 寒さや暑さから逃れる服が着れる! きらりすみません~何着も服 持ってます~ごめんなさい 毎日4食 食べてます 水着が少しヤバイ位に食べてます! 1食減らします~3食にします・・・やせな~あかんがな マハトマ・ガンジー(偉大な・ガンジー) 1948年1月31日 (地球の歩き方には、1月30日とあるが、日本時間かな?) ナットワンゴルセと言う人に暗殺されました。 ガンジーの最後の言葉「He Ram」おお、神よ! 1868年~1948年 享年79歳かな・・・ かなり・・・長生きです 1.5食は、長生きですね~ メタボや糖尿にならないから・・・ 暗殺されなければ・・・まだまだ生きられたでしょうに・・ 遺体は、この黒大理石の所で火葬されました。 偉い方だったので、遺骨は、3つに分けました。 ガンジス川に流し ヒマラヤ と ガンジー記念館へ 確かに食べ過ぎであり、無駄の多い自分を反省私だけでは、ダメです・・・・・・もし 世界中の人が、日本人と同じ生活をしたならば、世界は3ヶ月で滅亡するそうです。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.06.27
インドの父「マハトマ・ガンジー」は、結婚後に私費で、イギリスの大学に留学し、弁護士の資格を得ました。 インドの「ラージ・ガート」 マハトマ・ガンジーのお墓の入口 ガンジーは、イギリス留学を終え インドと同じ様にイギリスの植民地であった 南アフリカ へ行きます。 当時の南アフリカは、黒人と白人の 人種差別 が激しい国でした。 ガンジーが 南アフリカで 列車に乗った時、 ガンジーも 有色人種だという事で、 列車から、降ろされる・・・と言う事件が起きた! 貴族の生まれで、イギリスで弁護士の資格まで取得したガンジー ・・・差別を受ける・・・ と言う事は、ガンジーにとって、衝撃の出来事であったのです。 ガンジーは、南アフリカで、活動し、有名な政治家になり、 インドへ帰国します。 現在のインドは、日本の 9倍 あります。 当時のインドは、日本の 18倍 ありました・・・・・2倍もあったのですね パキスタンやバングラディシュなどは、当時インドの一部であったからです。 ・・・・とっても とっても 大きな国なんです・・・・ガンジーは、インドに、おいても 解決しなければいけない問題 がありました。 その問題を解決しないと、インド独立への夢 が果せないと考えていたからです。 【ガンジーの考え】 インドの宗教は、沢山あるが、共存できると考えていた。 (ヒンズー・イスラーム・キリスト・スィク・仏教・ジャイナ教など) インドの言語も、沢山あるが、何とか通じ合えると考えていた。 (現在でも 18もの言語・844の地方の方言がある) ガンジーは、この2つは解決できると考えていたのでした。 それでは・・・・・・何が 問題だったのでしょうか? 【ガンジーが、解決しなくてはいけないと考えていた問題】 問題・1 カースト制度 問題・2 激しい貧富の差 この2つを、解決しないと、インドは、一つになれないと思っていた。 植民地独立 そ~です!!! インドの心が解らないといけない ガンジーは、インド全土を旅したのであります。 「水戸黄門様のように全国行脚の旅」 しかし 助さん 格さん 風車の弥七も見当たらない 印籠だって、無かったのです。 何しろ・・・・国土18倍ですからね~黄門様も負けてます そして、気温が50度を超えるインドだと考えると・・・・驚異ガンジーさんには、まだ私の心を打つお話があるのですが・・・・・世もふけたので(多分つづく)「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうさん
2007.06.25
インド人が、尊敬する偉大な国のお父さんと言われる「マハトマ・ガンジー」のお墓をお参りしました。勿論、きらりも尊敬するガンジーさんとは?インド人から見ると、どんな方なのでしょうか? インド独立の父と言われた「マハトマ・ガンジー」のお墓は、 首都デリーにあります。 ラージ・カート ガンジーさんのお墓のあるラージ・カートとは? 元々 場所の名前です。 ラージとは・・・・・勝利 カートとは・・・・・沐浴場 「勝利の沐浴場」と言う意味です。 1948年1月31日に ガンジーは、暗殺されました。 その翌日に、ヒンズー教の作法により この地で火葬されました。 ガンジーさんとは? どんな人だったのでしょうか? マハトマ・ガンジーは、本当の名前では、ありません! マハトマとは?「偉大な魂」と言う意味です。 修行をつんだ お坊さんに付ける名前なのです。 本名は、どんな お名前なのでしょうか? マハンダース = カレンチェンド = ガンジー 長~い 名前です。 じゅげむ・じゅげむ・・みたいです! インド人の名前は、皆さん長~いのです。 名前の付け方には、法則があります。 【男子】 ファーストネーム お父さんの名前 名前 【女子】 ファーストネーム お母さんの名前 名前 モハンダース カレンチェンド ガンジー ほしの ひさえ きらり そんな風になっちゃいます・・・・・ ガンジーさんは、1869年10月2日にインドで生まれました。 やせて 小顔で 汚い布を腰から下げた印象のガンジーさんですが、 実家は、とってもお金持ちでした。 高級家族の息子さんで 現在でも、義務教育が無いインドですが・・・ 19世紀 生まれのガンジーさんは、私立の高校 に行きました。 私費で、イギリスに留学したのです。 イギリス留学に際して、家族には心配な事がありました! 「ガンジーが、英国の女性と結婚して帰って来なかったら・・」 そぉ~だ! 留学前に結婚させよう ガンジーは、高校生の時に結婚したのです。 ガンジー=16歳 奥様=12歳 随分と若い奥様ですね~ ま~秀才のお金持ちと結婚するのだから・・良いか? と・・・思ったか?どうかは?わかりませんが? 尊敬するガンジーさんのお話は、次回に多分つづきます。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうです
2007.06.23
インド【世界遺産】フマユーン廟の敷地内には、沢山の人達のお墓があります。英国の植民地時代に、こちらの霊廟にまとめられたそうであります。 「フマユーン廟」はムガール帝国2番目の皇帝フマユーンの奥様が建築した霊廟です。 フマユーン皇帝は、イスラームが大好きな皇帝でしたが、 皇帝としては力が無く 辛い生涯を閉じました。 奥様は、お見合い結婚でしたがとっても悲しがりました。 皇帝が無くなって9年後奥様は立ち直り、王様のお墓を造る決心をしました。 1565年~1575年 7年もかけて立派な霊廟を建設したのであります。 フマユーン廟 タージマハル廟・・・似てるでしょ? 「タージマハル廟」は その100年後に、フマユーン廟を徹底的に研究して造られたお墓であります。 フマユーン廟の庭から見ると、他にもドームが見えます。 どうも? 誰かのお墓みたいなのですが・・・ 入口に説明がありますが・・・ 誰のお墓かしら 読めもしないのに・・・真剣に読むきらり そこに 現地ガイドが、通りかかりました きらり:「誰のお墓ですか?」 ガイド:「王様の床屋さんのお墓ですよ!」 え~~~~っ 床屋さん このお墓が、王様の床屋さんのお墓とは・・・ホンマカイナ? 床屋さんにしては、むっちゃ豪華です がぁ?? 「フマユーン廟」には、150人ものお墓があるそうです。 王様一族は勿論ですが、イロイロな方のお墓があるんですね~ きっと、王様は、亡くなってからは、楽しい楽園で お気に入りの床屋さんに整髪してもらっているのでしょうね これも、「見合い結婚のお手本」の奥様のお陰でしょうか・・・・めでたしめでたし「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.06.17
世界には、驚く建築がいっぱいありますが、その中でもイスラーム教の建築は、私たち日本人には、大変に珍しいものであります。 今回は、インドで有名なイスラーム建築の霊廟(お墓)であります。 『 フ マ ユ ー ン 廟 』 【世界遺産】フマユーン廟は、大きな庭の真中にあります。 左右対称のシンメトリのデザインで、幾何学模様です。 中央には、白い大理石で出来たドームがあります。 ドームの高さ=38m クワットルゥ・モスクの時代には、未熟であったドーム建設の技術ですが、 ペルシャ (イラン) の技術を取り入れて この (ムガール帝国) フマユーン廟の完成によって インドのイスラーム建築が花開いたのであります。 白いドームの横には、可愛い小塔(チャトリ)があります。 小塔のデザインはインドらしい雰囲気ですね~ 茶色と白のコントラストが、とっても~素敵ですね 近くで見ると・・・・ 赤砂岩と白い大理石で出来ています。 インドでは、豊富に砂岩や大理石を産出していたので、 こんな 贅沢なイスラーム建築ができたのですね! それらを精工に、はめ込んだ技術は、インドご自慢であります。 それでは、この霊廟の中に入ってみましょう! 霊廟への階段はとっても急なものです 一気に登らないと、転がってしまいそうです インドのお婆ちゃんが、 サリーを着て必死に登っています・・・ きらりは、お婆ちゃんの脇を支えてあげて、一緒に登りました。 フ~~~ッ 登り終えて 二人で同時に ニッコリ!!! あ~あ 家の婆ちゃんも連れて来たかったわ・・・なんて~ 景色は、最高です!入口の門と庭園がきれいです! ではでは 中に入りましょう・・・ 内部は、案外シンプルなものです。 白い大理石のお墓が3つあります。 内部は、意外にも 簡素な造りでありました。 (内部)・・・・さほどの感動が無いので もっと 上に登りたいっ! 霊廟の周りをクルクル周り 登り口を探しましたが・・・・・ どうしても? 階段が、無い! どこなの階段は・・・・・? あの小塔まで登りたいのに残念です。クソッッ!!! チョット・がっかりだったのですが・・・庭園にサプライズが アニメぼのぼの君のお友達 シマリス君に会いました! しかし シマリス君は、思ったとおり無口で・・・・・恥ずかしがり屋さんインドは、国中が動物園であります目を凝らして見ると動物好きには、たまらん国であります。 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.06.15
今回の旅は、現地旅行会社から「毎日毎日プレゼントがもらえる旅」と言うのですが・・・どぉ~も?日本人の趣味と、インド人の趣味が一致しないと思うのです! (きらりは、いつも後ろの方の座席に座ります) 現地ツアーガイドが、うれしそうにバスで、ひとりに1個ずつ手渡しています。 野球帽・・・キャップって言うんかな? トップは、白で前面に旅行社のロゴが入って、ツバは、紺色です。 ガイドは、満面の笑顔で手渡している・・・「ど~ぞ」 来たっ! 来たっ! 女子にも配ってるぞっ! きらり:「あ・あ・ありがとう~」 これって? まさか? 全員でかぶって観光するんじゃないよね? え~~~~~っ! あ・ありえない~~~~っ! おじさま達・・・・うれしそうに・早速かぶってるぞ! 何だか面白くなって来た・・・・ 白い帽子軍団が、インドの王様の墓参りするなんて??? どんな宗教団体やっ??? 面白い・・・ 少しだけ・・・ 少し以下かな? ん? 全然面白く無いらしい??? おばちゃまと 女の子は・・・・・ありえないっ! バスの座席に置き去りにされた哀れ帽子たち・・・ コスプレ・マニアの きらり キャップ かぶりました! やっぱし・・・・面白いっ! 暑い時期のインド旅行なら、喜ばれるかも知れないが・・・ 2月で気温は、17度位ですから 帽子は不要ですし・・・・ 素敵な 帽子で お墓にGO~ 【世界遺産】フマユーン廟を観光しました。 おじさまの帽子姿 奥様は、自分の帽子です。 面白いけど・・・・・・・・・きらり すぐに飽きちゃいました! ここの観光だけで・・・・我慢の限界のキャップでした。 インド到着の時=空港でもらったプレゼント 「マリーゴールドのウエルカム・レイ」は、うれしかつたけどね どうも・・・・現地のインド人と 日本人の好みに 差がある様です。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.06.13
インドで一番有名な建築は「タージマハル廟」と言う有名なお墓がありますが、約1世紀前にそのお手本となった建築が造られました。 『フマユーン廟』 【世界遺産】1993年登録 フマユーン廟の入口 ムガール帝国時代 (1520年~1658年) 2代目の皇帝「フマユーン」は、力の弱い皇帝でした。 ムガール帝国最大の霊廟を建設したのは、 「フマユーン」の奥様であります。 門を入ってみましょう・・・・ 茶色に白でシンメトリなデザインに感動する! 【世界遺産】フマユーン廟 フマユーン廟は、イスラーム教の霊廟であります。 イスラーム教は、砂漠の国で生まれた宗教である為 水は貴重で大切であり・・・ 水を豊かに使う事は王様の力を示す事でもありました。 宮殿の庭には、必ず水を豊かに使うのであります。 イスラームの王さま達は、 水路・噴水を使った「楽園」をお庭に再現したのです。 フマユーン廟も、お墓の周りにイスラームの楽園を造ったのです。 田の字の市松模様に水路が掘られていて フマユーン廟は、その中央にあります。 小さな噴水もあがっていました。 右の庭の中から見たフマユーン廟・・・・ 緑を豊かに使うのもイスラーム楽園の特徴です。 皇帝フマユーンと奥様は、お見合い結婚でありました。 当時のインドは、ほとんどがお見合い結婚でしたから 珍しい事でも無かったのですが・・・ 奥様は、フマユーン皇帝をとってもとっても愛していましたから 皇帝が残念な生涯を閉じた時 大変 悲しみました 悲しみから立ちあがり・・・ ご主人が、亡くなってから9年後にお墓を造り始め 1565年~1572年 完成しました。 な・な・なんと~7年間もかかったのですね~ インドでは、 フマユーンご夫婦を「見合い結婚の立派な見本」 それに対して、 タージマハルの王様夫妻を「恋愛結婚の立派な見本」 と言われるのであります。 フマユーン王妃は、立派なお墓を造る事で愛を完成させたのでありました・・・・つづく「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.06.11
インドを旅すると、観光地でたくさんの家族連れに出会う!老人から 子どもまで かなりの人数なのです。今の日本では、まず無い光景であります。 タージマハルにて・・・家族写真に参加 インド人の家族は 明るくて 仲が良い 日本人が、インド人に学んで欲しい事のひとつです。 インドでは3世代~4世代同居が普通であります。 インドの 奥さんは とっても 早起きです。 早起きして 必ず シャワーを浴びます。 体を清めるのですね・・・ お線香を持って(ヒンズー教の神様)お参りをします。 インドの奥様は、とっても家族に尽くします。 女性の平均寿命は、65歳位なのです。 日本より30年も短命な・・・・インドの奥様に朝寝坊を薦めたい! インドには、義務教育がありません! 貧富の差が大きいのは、教育が受けられるかと言う所にも原因があるのです。 年金制度もありません! (ただし 公務員には、年金があるそうですが) 子どもが親と同居して親の老後の面倒をみるのが常識であります。 年金が無い事も原因の一部ですが・・・ それには 宗教 の教えが根底にあるからなのです。 インドの家の晩ご飯は、9時過ぎです。 家族全員が勢ぞろいします。 みんなで 楽しく カレーを食べるのですね・・・ 食べ終わると・・・・ 両親に優しい言葉をかけたり・・・ 体の痛いところを さすってあげたり・・・ 親孝行をするのです。 インドの家庭は、みんな そうだそうですよ! お休みの日は、こうして、観光地に家族全員で出かけるのです。 3~4世代同居のせいか? 子どもの数も多いです! 沢山の家族で、老人を支えているのです・・・ 国が年金を払わなくて・・・・子どもがいっぱい? ジャポネ~の厚生省が聞いたら・・・・・・・・・・チッ!カッ?「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうさん
2007.06.09
インドの都市の名前は、王様の名前が付いていたり、女神様の名前が付いていました。しかし、イギリスの植民地時代には、英語の地名がつけられていました。 インドは、やっぱり 不思議な国であります。 地名を見ると・・・・・ デリー ニューデリー ムンバイ ボンベイ チェンナイ マドラス コルカタ カルカッタ 2つの名前が・・・・・・ありますが? それぞれは 大きな都市です! では、インド地図で位置を確かめてみましょう~ デリー コルカタ ムンバイ チェンナイ デリーは王様の名前ですが・・・あとは女神様の名前が付いています。 首都 デリー Delhi ここは、何度も地名が変わりました。 デリーと言う名前は、3番目に付いた名前です。 最後の王様の名前をもらい「デリー」と名付けました。 インドは、イギリスの植民地時代に英語読みで 「ニューデリー」 New Delhiと呼ばれました。 首都は、独立し「デリー」の名前に戻りました。 現在 「ニューデリー」と言えば「新市街」の事で 「オールドデリー」とは、「旧市街」の事であります。 コルカタ Kolkata カルカッタ Kalcutta も植民地時代の英語読みです。 ベンガル語で「コルカタ」は女神様の名前 様々な人種が入り混じり、生活の香り漂う街らしい? 今は「コルカタ」と呼ばれる。 チェンナイ Chennai 英語名 マドラス Madras 「チェンナイ」女神様の名前 イギリスの東インド会社が設立された場所。 現在でも、各国の銀行・商社は、ここに支店を置いています。 「アジアの一番星」さん の運転手さんは、こちらの出身だそうです。 こちらの人達の顔は、丸顔で鼻もあまり高くないそうですが、 運転手さんは・・・・・どおなんでしょうか? ムンバイ Mumbai 英語名 ボンベイ Bombay 「ムンバイ」港町漁師の女神 インド最大の都市 街中にセレブが集うと言われています。 IT長者 株長者 アラブの大富豪 映画スター アーチストなど 飛行機で知り合った「33歳・超・イケ面青年」もムンバイ在住の宝石商でした。 1ヶ月に1回も日本と行き来をするセレブであります。 美人の奥様が・・・居たのは、残念な事でした インドは、地名が幾つもの呼び方があります。どちらを呼んでも通用するみたいですが・・・ 不思議さが・・・ますます深まるインドでありました。「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとさん
2007.06.07
インドは、広い国であります。世界遺産は、26箇所もあります。今回は、北インドの一部のみを訪問したのですが・・・インドは素晴らしいです! インドの世界遺産 1)アジャンター石窟群・・・・・1983年登録・文化遺産 2)エローラ石窟群・・・・・1983年登録・文化遺産 3)アーグラ要塞 ・・・・・1983年登録・文化遺産 4)タージ・マハル・・・・・1983年登録・文化遺産 5)コナラクの太陽寺・・・・・1984年登録・文化遺産 6)マハーバリプラムの建造物群・・・・・1984年登録・文化遺産 7)カジランガ国立公園・・・・・1985年登録・自然遺産 8)マナス野生生物保護区・・・・・1985年・自然遺産=1992年危機遺産 9)ケオラデオ国立公園・・・・・1985年登録・自然遺産 10)ゴアの教会群や修道院群・・・・・1986年登録・文化遺産 11)カジュラーホの建造物群・・・・・1886年登録・文化遺産 12)ハンピの建造物群・・・・・1986年登録・文化遺産・1986年危機遺産→1999年除外 13)ファテープル・シークリー・・・・・1986年登録・文化遺産 14)パッタダカルの建造物群・・・・・1987年登録・文化遺産 15)エレファンタ石窟群・・・・・1987年登録・文化遺産 16)現存するチョーラ王朝の寺院群・・・・・1987年登録・2004年拡大・文化遺産 17)スンダルバンス国立公園・・・・・1987年登録・自然遺産 18)ナンダ・デヴィ国立公園と花卉国立公園・・・・・1988年登録・2005年拡大・自然遺産 19)サーンチーの仏教建造物群・・・・・1989年・文化遺産登録 20)デリーのフーマユーン廟・・・・・1993年登録・文化遺産 21)デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群・・・1993年登録・文化遺産 22)インドの山岳鉄道群・・・・・1999年登録・文化遺産 23)ボード・ガヤにあるマハーボーディ寺院の建造物群・・・・・2002年登録・文化遺産 24)ビムベトカの岩石遮蔽物群・・・・・2003年登録・文化遺産 25)チャンパネール=パーヴァガドゥ考古公園・・・・・2004年登録・文化遺産 26)チャトラパティ・シヴァージ駅(旧ヴィクトリア・ターミナス・・・・・2004年登録・文化遺産 今回は、北インドの一部4箇所を訪問しました。 しかし・・・インドの強烈な想い出は、【世界遺産】以外に多くあるのであります。 日本の世界遺産は、13箇所? 14箇所かな? そのなかで 半分も訪問していません 日本の世界遺産 1)法隆寺地域の仏教建造物群・・・・・1993年登録・文化遺産 2)姫路城・・・・・1993年登録・文化遺産 3)白神山地・・・・・1993年登録・自然遺産 4)屋久島・・・・・1993年登録・自然遺産 5)古代京都の文化財(京都市、宇治市、大津市・・1994年登録・文化遺産 6)白川郷と五箇山の歴史的集落群・・・・・1995年登録・文化遺産 7)広島平和記念碑(原爆ドーム)・・・・・1996年・文化遺産 8)厳島神社・・・・・1996年登録・文化遺産 9)古代奈良の文化財・・・・・1998年・文化遺産 10)日光の神社群や寺院群・・・・・1999年登録・文化遺産 11)琉球王国のグスク遺跡群と関連する遺産群・・・・・2000年登録・文化遺産 12)紀伊山地の聖地と巡礼路網・・・・・2004年登録・文化遺産 13)知床・・・・・2005年登録・自然遺産 14)石見銀山遺跡(島根県)・・・・・2007年・・もう登録が済んだのかしら?文化遺産 あと8個も残っているではありませんか楽しみは、大事にとっておく事にしましょう「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうね
2007.06.05
インド【世界遺産】デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群 は、不思議がいっぱいであります。「歴史の浪漫」を解明してみょうと思いますが・・・・そこんとこヨロピクです。 クワットゥル・イスラーム・モスクの真中には、不思議な鉄の棒がある。 鉄柱 IRON POLAR グプタ朝時代 4世紀頃に造られたと言う鉄柱 なんと・・・・ 純度100パーセント近い 1500年前の鉄が・・・今でも錆びていない 雨ざらしでモスクの中央に刺さって居るが・・・錆びていない 1500年前のインドで 純度100パーセントの鉄を作る技術が存在したのだろうか 謎・・・謎が多いこの遺跡であります・・・・ 謎の鉄柱~~~~~~~~『きらりの考えたお話』~~~~~~~~ むか~し むか~し 宇宙の果てから お客様が 不思議な乗り物に乗って インドで いちば~ん高い塔を 見に来ました ぐるぐる 周るうちに 不思議な乗り物は、この塔の天辺にひっかかり モスクの上に ドッスンと落ちた 不思議な乗り物は、 アッと言う間に 燃え上がりました。 不思議な乗り物が燃えた後には 1本の鉄柱だけが残されたのです 人々は 飛行機がぶつかったと思いました・・・・ 雷が落ちたと言う人も居ました・・・・・・ 人々は、この柱をモスクの真中に建てました。 鉄柱には、不思議な力がありました。 【柱に背中を付けて、両手を柱に回し指先に届いたら・・何でも願いが叶う】 人々は、お願いを叶えに インド(てんじゅく)に、旅をしたのでした。 その中には 有名なソン・悟空や、mr.サンゾウもいらしたそうな? めでたし めでたし ~~~~~『きらりの考えたおはなし』・・おしまい~~~~ 鉄柱 と ミナーレット この鉄柱に、願いを叶えてもらおうと思ったのですが・・・柵がしてあった! どおしてよっ塔にも登れないし・・・鉄柱もダメなのつまんないジャン! きらりの作った「おはなし」は、さておき・・・ この不思議な鉄柱は、未だに錆びていません 柱には、文字が刻まれています。 「これは、偉大な王様チャンドラを記念して建てられた」 とある・・・ グプタ朝時代の王様 チャンドラ・グプタ2世(375~413) チャンドラとは、この王様の事だと思われる 柱の中央には、この上に像を刺したへこみがある。 ヒンズー教の王様であった事から ヒンズー教のヴィシュヌ神が乗っていた大きな鷹の像がのせてあったのでは? しかし この鉄柱が どおして ここにあるかは 謎であります。 お坊さん達も訪れる・・・ イスラームのモスクに若いお坊さん軍団も見学に 遺跡群にはまだまだ不思議な物体がある・・・ アライーの塔 ALAI MINAR 何だか? 美味しそうなケーキに見えてしまう物体は・・・太いクグロフ? 人間と比べると 恐ろしく でっかい! イスラーム政権になり3番目の後継者が クトゥブ・ミナールより大きな塔を造ろうとしたそうですが・・・ 勢力が衰えて、途中で挫折したとも? 王様が暗殺された為に そのままになったとも? 言われていますが・・・・ これも謎であります。モスクをはさんで、100mもの塔が左右に建っていたらと思うと、完成して欲しかったですね~ 100mの高い塔を・・・・2回も・・・さて・・・登れたかしらネ「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとです
2007.06.03
現在インドには、26もの世界遺産があります。そのひとつ『デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群』は、その中でも不思議な建築群であります。 【世界遺産】 デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群 (1993年登録) クトゥブ・ミナール QUTB MINAR 1192年 クトゥブ・アッディン・アイバック インド北部征服 勝利の塔(クトゥブ・ミナール)を建てた。 ミナーレットの後ろに行くと・・・・ アライーダルワーザ ALAIDARWAZA この遺跡群の門 1311年建造 赤砂岩を基本に造られ・所々に白大理石がはめてある。 イスラームの幾何学模様が確認できます。 中央は、赤砂岩のドーム天井になっています。 当時インドでは、イスラームの大きなドームを造る技術がありませんでした。 大工さんは、ヒンズー寺院しか造った事がなかったからです。 砂岩を少しづつずらして、小さなドームを造ったのです。 だから すぐに壊れちゃって あまり残っていません! 門の右に遺跡があります・・・・ クワットゥル・イスラーム・モスク QUWWAT-WL-ISLAMMASJIT インド北部を制圧したのは、クトゥブ・アッディーン・アイバック トルコ系 アフガニスタンの奴隷軍人の実力者であります。 彼は、インドで最初のイスラーム教徒のスルタン(王様)になった。 彼が、奴隷軍人の出身であった事から『奴隷王朝時代』と名ずけた。 このモスクは、大変に不思議であります・・・ モスクの後ろにも遺跡群があります。小さなドームは崩壊していますね! 鳥の公園と言われる程鳥がいっぱい飛んでいます。 確かに綺麗なイスラームの模様です。 ところが これからが 不思議がいっぱいなんです! モスクのなが~い回廊は、不思議な模様があるのです。 イスラームは、偶像崇拝禁止なのに女神像が? 随分と~削られたので見えにくいですが・・ とっても 古い物ですね 1192年から6年間で大急ぎで造ったモスクですが、 その時に 周辺の 27個の ヒンズー寺院と ジャイナ教寺院を 破壊して、 材料を調達したのであります。 それは、王様の力を人々に知らせる為であります。 でっかいアラビア文字でコーランを描いたのもそんな理由 きらりさんそんな所でかくれんぼしないでよ ヒンズー寺院の大工さんが造ったので 何だか? モスクに見えません!これからが、不思議でたまらないのですが・・・長くなってしまったので、ここで一休みつづく「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとうさん
2007.06.01
『インド旅日記』初めに訪問したのは、首都デリーから約15km程の所にある広い公園で【世界遺産】クトゥブ・ミナールでした。 インドの人々の生活を観照しながらバスは15km走った 到着したのは、緑が美しい公園 小学校の遠足と美しい先生 サリーを着た現地ギャル 【世界遺産】 クトゥブ・ミナール 1993年登録 この高い塔が「クトゥブ・ミナール」 高さ=72.5m デリーに現存する遺跡の中で 最も古い時代の物 インドに現存する 最も高い石造建築 「○球の歩き方」の本には、 以前100mあったが、飛行機事故で破損して現在の高さになった× と書いてあるが・・・・それは、間違いであります。 本当は雷が落ちて上部が破損したものです。 飛行機が塔にぶつかれば、NY9・11同様の結果になるはず・・・ なぜ・・・こんな間違いが「○球の歩き方」の本に書いてあるのか不思議?? 塔の高さは、72.5m 全体は5層になっている。 それはなぜ?造られた時代が違うからだそうです。 ここが入口 またまた・・・「きらりさんっ登らないの?」・・・と言う声が 72.5m・・・・登らせようなんて残念ですが閉まってます! 「小学校の遠足で螺旋階段を登る途中に将棋倒しになり子どもが犠牲になった」 そんな事件が起きた事から、閉鎖されたそうです。 この塔は1206年~1290年インドで最初のイスラーム王朝の王様が造りました。 トルコ系の王様「ヌムルーク」が、インド北部を征服した記念に造り始めたので VICTORY TOWER 『 勝 利 の 塔 』 現地では「クトゥブ・ミナール」そうです!ミナーレットであります。 イスラームが、インドの北部を征服した時代のミナーレットだったのです。 全体は、5層に別れています。 1層目(一番下)基礎部分=直径15m=赤砂岩・・・ヒンズー様式 2~3層目 赤砂岩で造られた・・・・・・・・イスラーム様式 4~5層目 雷で破損した為に後に修復・・・白い大理石。先端は直径3m コーランの文字が模様になっていて美しいです~ 5層で・・・濃い色にコーランの文字・・4~5層目は白い大理石 見えにくくて・・・・どうもあかんがな! 赤砂岩で造られています。 モロッコも砂岩で出来た遺跡が多かったですが、 モロッコの砂岩は、柔らかい砂岩でしたが、 インドの砂岩は、かなり硬い物ですね。 ですから、こんな高い塔ができたのでしょう・・ そして現在まで残っている・・・素晴らしいです 72.5m・・・・・・・・・・・・登りたいグスッ!!!「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→どうもどうも
2007.05.28
インド・デリーに1泊し翌日は、爽やかな朝とともに始まった。ホテル出発は9時です。お迎えのバスは、これまでの旅とは、おもむきが・・・違う! リッチな旅のはずが・・・・・バスは、かなり・・・ ヘボイ! 飛行機だって・・・・・・ ヘボかったし! そのバスのシートの・・・・座り心地は最悪であります バスの運転席は、乗客とは隔離されています。 インドの観光バスは、みんなそうなのか? そんな気持ちでバスに乗り・・・ イヨイヨ出発!2月18日 日曜日 バスは、インドの町に繰り出した・・・・・ 何なの? この街に・・・何が起きているの? 人が多い!!! 人が多い事に驚く程・・・田舎者では無いと思っていたきらり! 道路は、とっても広い! しかし 人が溢れ帰っている・・・・・・ 首都デリー現在の人口は、公式には1300万人であります。 それ以外に、出稼ぎの人が1500万人も居るそうですから・・・ 13000000人+15000000人=28000000人 デリーには、2800万人の人が居る事になる! 広い道路を埋め尽くす人々が、どれ程多いか・・・・想像できますか? 道路を埋め尽くしているのは、人間だけではありません! さて・・・・信じられない光景です・・・・・ 広い道路には、ちゃんと歩道が存在します。 しかし 彼等にとって 歩道とは・・・何なのか? (壁に向かって立ちションをする場所なのか・・・・?) バスからは、信じられない光景が・・・・・・それだけは止めてっ! 歩道ではなく・・・車道に店を広げている! 日曜日だからかな?お祭りかな? 車道に店を出せば・・・道は、狭くなります! 当然の事ながら・・・・道は混雑しますよね。 道路には、リクシャーが走っています。 リクシャーとは? 日本の人力車が語源だそうですが・・・ 自転車で引っぱる・・・・サイクル・リクシャー 小さな三輪車のオート・リクシャー それと、とっても小さなバスが走っている・・・ 何故か・・・窓には鉄格子が付いている。 バイクは普通2人乗っているが・・・ 3人乗っている! 4人乗っている 家族全員乗っている事も・・・全然普通の事であります。 2人乗り・リクシャーに乗っている人数も・・・・6人か?8人か? トラックなどは、も~てんこ盛りに人間が乗っています! 乗車率は、500パーセント位でしょうか? デリーの人口2800万人を輸送するには、まだまだ・・・・ 動物に乗っている人も居ます。 ロバとか・・ラクダに乗っている人も居ます。 勿論ピッカピカの新車だって走っていますよ! ボロボロの壊れた乗用車だって・・・走っている! そのあらゆる交通手段が道路に溢れかえっているのです・・・ インドの人は、かなりのスピードで走る! 制限速度ってあるのか? 何しろ 速い! 目まぐるしくて・・・・ 見ていると 目が回ります 気持ち悪くなってきます・・・ そして その道路の最大の問題は・・・・ 牛・・・・うし 街に居るのは野良犬ではありません! 野良牛です! ノラウシ! でかいです! ヒンズー教の神様が・・・・のんびりと・・・ 街の生ごみを食べています! 食後に道路をお散歩しています。 食後には、大きな排泄物が。。。。。 彼ら神様が、道路の混雑をマスマス酷くしているのであります。 空気は、最悪であります・・・排ガス規制は無いのでしょうか? しかし インドは、動物好きには嬉しい国であります。 インド中がZOO!!! 動物園であります。 さて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どんな動物が現われるのか?「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとMOO
2007.05.26
インドの首都デリーに到着したのは、真夜中の0:45です。荷物を受け取り、沢山のお出迎えに驚き!リキシャーの呼び込みにも負けず、チップの被害にも合わずにバスに乗る事ができました。 マリーゴールドの首飾りをかけてもらいゴキゲン! だけど~首飾りが冷たいんです~首が寒いわ・・・・ 冷しておいたのか? 冷たいから髪飾りにしちゃいました インドでは、マリーゴールドのレイで歓迎してくれます。 両替は、5千円しました。 5千円=1730ルピー 1ルピー=約3円 インド旅行 5000円で過ごせるのか?・・・・・物価が安い! ルピー札の肖像は、すべて インドの父である 「マハートマー・ガーンディー」 インドの人々が尊敬する お父さんであります。 深夜2:15 ホテル到着 フォーチュン グローバル セレクト ホテル FORTUNE GLOBAL SELEGT HOTEL ガラス張りのお洒落なホテルです。 立派なお髭のドアボーイさん! 衣装が、とっても素敵です そおか これが インドのイケ面か・・・・ 後ろの入口がレストランです 朝食は、ここで食べました さて・・・・お部屋は? 大きな 大きな ベットです 木の落ち着いたインテリア 観葉植物がお洒落です・・・ バス・洗面には、緑のバンブー タオルのスリッパ付き ミネラルウォーター付き 湯沸かしポットもある 冷蔵庫もあるが中身は有料 お菓子も有料 コーヒー・紅茶 無料 ・・・・窓辺にてこのツァーは、枕銭をコンダクターから毎日もらえるんです・・・水も毎日もらえます・・・お高いツァーだから当たり前と言えば、それまでですが・・・予算5000円で生活できそう! という事で 成田出発から 本日の支出0円でした 寝られずに朝になる・・・・興奮状態! 寝てないけど・・・・・元気いっぱい! 豪華な朝食を食べて・・・外をお散歩。 さぁ~9時から首都デリーの観光です。 インド衝撃の人々・・・・美しい世界遺産!インドの食事は、とっても美味しいです。朝食バイキングで辛いカレーは、たった1つだけでした。心配していた食生活も、クリアーしてホ~~ッ! バルト3国 御訪問中の天皇・皇后両陛下は、現在エストニアのタリンにご滞在。歌の原公園・タリン歴史地区などに行かれて、エストニアの人々に大歓迎されたそうです。 「旅行ブログ」ランキングに参加していますクリックよろしく→ありがとう
2007.05.25
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