再出発日記

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2006年10月07日
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テーマ: 韓国!(16981)
カテゴリ: 韓国旅行記
5日目 9月2日(土)

初めて市内バスに乗る
地下鉄中央駅に荷物をコインロッカーに入れ(1,000w安い!しかし、鍵でもなく、暗証番号でもなく、指紋で照合するシステム。すごい、というか個人情報の管理はどうなっているんだろう、というか‥‥‥)イルミネの前のバス停からカチャン2番行きのバスに乗って鹿洞書院(ノクトソウォン)に行く。初めて市内バスに乗った。メモ用紙を運転手に見せて、ここに行くかと聞く。ついたら教えてほしい、と頼んで座席に座る。目的地にまで着くまでどきどきだった。鹿洞書院は山の奥というイメージがあったのだが、大邸から40分くらい走って案外大きな道路から入ってすぐのところで、普通の村であった。

なぜ沙也可は寝返ったのか
ここは400年前日本人が朝鮮軍に「寝返った」沙也可という男を祀っているところである。記念館にあった説明書にはこのように書いてある。「(壬申・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)のとき)若いときから朝鮮の文物と人倫重視思想を敬い、日本が朝鮮を侵略したことを不満に思っていた金忠善(キムチュンソン李朝よりの賜姓)は加藤清正の先鋒将として朝鮮に出兵するが、釜山に上陸してすぐ3千の部下とともに礼儀の国として敬っていた朝鮮に帰化した。それから将軍は火縄銃の製作技術を伝授し、慶州や蔚山などの戦争に参加して功績を上げた」去年読んだ神坂次郎の小説 「海の伽耶琴」 によると沙也可こと金忠善の正体は鉄砲集団紀州雑賀衆の頭領鈴木孫市ということになっている。雑賀(さいが)が沙也可になったわけだ。彼なら秀吉に反発しながら秀吉の軍門に下ったわけだから可能性は高いと私も思う。ここは司馬遼太郎が「街道を行く」で取り上げて一躍有名になったらしい。司馬は「左衛門」という名前の男だったのではないかと書いているらしい。その他諸説あり。彼が誰であれ、あの時代に儒教を学んでいたとは思えない。儒教が学問としてきちんと輸入されるのは江戸時代以降ではなかったか。彼がなぜ「朝鮮軍に寝返ったのだろうか」私は「確かに大儀なき戦争で、日本の将兵の中でも反対論はあった。戦争はむごいものだ。人間として侵略される側に味方したいと思う気持ちもわからないではない。けれども、大将として寝返る以上はいろんなことを犠牲にしなくてはならない。本当のところはどうだったんでしょうか。」金氏の遺物を管理している記念館の解説員に素直に聞いてみた。彼女は日本語が出来る。突っ込んだ質問に「私もわかりません」というしかなかったようだ。記念館には金氏の文集「慕夏堂文集」の一説をハングル、漢文、日本語で屏風にして飾ってある。沙也可が儒教を学んでいたという根拠はこの文集にあるようだ。しかし表向きはいくらでも取り繕うのが日本人ではある。

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日韓交流の架け橋として
韓国の人たちの団体も来たので、一緒に解説ビデオも見た。インタビューには何人か日本人の感想も出てくる。趣旨は「この場所を日韓交流の架け橋にしたい」ということに尽きる。沙也可のことを扱った日本の本は最新の漫画本も含めてほとんど書棚にあった。確かにここは日韓交流記念館の役割も果たしているのだろう。沙也可が作ったという韓国製の鉄砲も飾られてあった。(写真)単純な素朴なつくりで、日本製とは性能はだいぶ落ちただろう。それでも鉄砲がまだ入っていなかった李王朝にとっては大きな力になったのである。

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鹿洞書院前の桜
沙也可を祭ってある鹿洞祠には金忠善の祭壇と美しい絵が飾られてある。祠の前には日本から送られてきたという桜が二本参道脇に植えられていた。2メートルほどの高さになっている。聞くとやっぱりソメイヨシノだ。「あと30年もすると、この桜はものすごい大木になりますよ」解説員の人はイメージを持ちきれていないような顔をしていたが、そのときはほかの木々を駆逐するような存在感を持つかもしれない。その桜がこの村でどのように迎えられるのか、そのころまた来てみたいような気になった。沙也可の墓は山へ30分くらい歩かなくてはならないらしい。あきらめる。この鹿洞書院の周りは穏やかな農村だ。写真は適当に写した一軒の農家である。日本の農家と変わりないが、外に釜炊きがあった。少し散歩してみる。沙也可の子孫が住んでいて、ほとんどの門には金氏の表札がついていた。森まゆみの韓国旅行記「海はあなたの道」(PHP)でもここを訪れていて、金忠善の直系子孫の金淳景さんが表紙を飾っている。
海はあなたの道
昼食は豆腐料理
大邸の町に戻って西門市場を見て回り、昔のお城あとで今は市民公園になっており家族連れが動物園などを見て休日を楽しんでいる達城公園に行き、近くのサンゴルソン豆腐ボッサムという店で遅い昼食を取る。納豆鍋とビールを頼む。副菜は6品もついてどれも美味しかった。特に練り物の炒め物、もやしキムチは美味しかった。(写真には豆腐鍋は載っていない。)

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安東に泊まる


安東って清里?
一息ついて外に出ると、駅前の通りに若者がうじゃうじゃといた。若者しかいなかった。寂れた田舎町を想像していただけにこのギャップに驚く。土曜の夜、ここに遊びに来ているのだろうか。昔の清里みたいなところなんだろうか。夜食は鶏の焼き飯(タルギャチコルバンポックンパ)。鶏肉とキャベツとコチジャンの焼き飯なのだが、美味しかった。コチジャンはいろいろと使い道がありそうだ。

韓国で尻だしファッションは流行らないか
この間、若者のファッションを見て気がついたこと。ここでは、日本で大流行の背中(あるいはお尻)が出てしまう短いシャツがほとんどない。若者はたくさん見た。特に大邸は「りんごの産地だから美人が多い」ということで有名で、実際多いなあと思ったし、ファッションに気を使っている女性も多いのだが、まだ肌を出すことに抵抗があるようだ。しかし2%ぐらいの女性はしている。私は推測するのであるが、わりと早い時期に尻だしファッションが韓国を席巻するだろう、と思う。韓国の流行伝達速度は驚くほど速い。98年に韓国に来たころは若者のうち数えるぐらいしか携帯は持っていなくて、一様に黒い大きいものであったが、06年現在、老人はおろか、若者の95%ぐらいの割合でみんなスライド式の携帯になっている。これは4年前にはほとんど見ることの出来なかった携帯のモデルで、それだけ買い替え速度が速いということだ。私の予測は当たるだろうか。

1,000(コインロッカー) 800(地下鉄) 3,500(朝のパン代) 1,300(鹿洞書院行きのバス代) 900(鹿洞書院帰りのバス代) 1,000(ジュース) 8,000(豆腐鍋とビール) 2,000(PC房) 800(地下鉄) 6,800(大邸→安東バス代) 25,000(宿代) 3,300(焼き飯) 1,800(酒とつまみ) 






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最終更新日  2006年10月07日 23時00分03秒
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