パスカルは言う。神があるのか、ないのか。どちらが本当らしいか。「理性はこれを決定することが出来ない」。神とわれわれを隔てる無限のかなたで、「賭けが行われる」。表が出るか、裏が出るか。「神がいるという表を取って損得を考えよう。二つの場合がある、もし勝てばすべてを得、負けても失うものは無い。それならば躊躇わずに、神がいるという方へ賭けるのがよいだろう」 たとえばこの論法のおおいに親鸞に似ているのを見るべきである。(略)宗教の宗教性は超越者に集中する。超越者と人間の関係は、信仰という行為に集約される。その信仰という行為の根拠は、一種の「賭け」である。たとえ法然上人が間違っていて地獄に落ちても後悔することはないと親鸞は言い、たとえ神がいると賭けて間違っていたとしても失うところは何も無いはずであるとパスカルは言う。信仰の本質を突き詰めると、親鸞たらずとも、また仏教徒たらずとも、Gredo quia absurdumへいくようである。
Gredo quia absurdumてなんだろう。(たぶんフランス語だと思う)誰か教えてくれませんか。