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前回紹介したマズロー博士は数々の名言を遺していますが、今回はその中から「人を働かせずにおくことは、どんなに仕組まれた拷問よりも残酷なことである。」と「責任ある行動は報われる」という大事な名言を取り上げます。この二つの名言から、日常に生かせる、非常に有効で大切なヒントがあるからです。そのヒントとは、・「働く意味」を考えることです。「あなたは、自分の仕事に満足していますか」「職場の人間関係に問題はありませんか」これが今回のテーマです。「金のために働くのだから、気に入らないことも我慢しなければならない」と考えてはいませんか。でも、これでは、職場生活で充実感は味わえず、職場が楽しくなければ家庭生活にも暗い影を落とします。つまり、人生も幸せとはいえません。 できれば、充実感、使命感をもって、仕事をしたいものですね。 それには、上司や同僚や部下との人間関係がうまくいくことも大切な要素。 上司が「仕事は生活のため仕方なくやっている」と考えていると、職場の雰囲気は沈滞します。 学校での「いじめ」が問題になっていますが、いじめは学校だけではありません。職場にも深刻な「いじめ」があるのです。 上司が部下を「好き嫌い」だけで判断し、不公平な取り扱いをしたり、感情的で不当な叱責、たとえば、「お前は頭が悪い」「役に立たない」「この会社に君は不要だ」「辞めてしまえ」「この給料泥棒め」などという暴言を吐いて部下は切ない思いをさせられることもあるようです。このように、上司の権限に物を言わせて、プレッシャーをかける上司の行為はパワーハラスメントといわれることもあります。 部下は成績査定(人事考課)が悪くなることを恐れて上司の不当な扱いにも泣き寝入り、何もいえないことが多いのです。 上司や職場の先輩と合わないと毎日出社するのが苦痛で、それどころか「生きていることさえ辛くなる」ものです。 確かに、不当な扱いや人格を否定する暴言は許されませんが、最悪の「拷問」は「無視される」ということです。 日本の会社や役所では、上司が部下を「活かして使わない」ことも多く、ひどい場合は、「仕事を与えない」ということもあります。出勤しても無意味な仕事しか与えられず、やるべき仕事がないのです。 「何も仕事をしないで給料がもらえる。こんな結構なことはないじゃないか」という人もいるかもしれません。しかし、これほど残酷な「いじめ」=マズローのいう「拷問」はないのです。 日本では「雇用が確保されていればありがたい」という考え方があります。 でも、それは違います。私にも経験がありますが、こんな情ないことはありません。なすべき仕事もなく、職場にいるだけでは、これほど惨めなことはないのです。 ここで「仕事は金のため、多少は気に入らないことがあっても我慢しなければならない」という人は考え方を全面的に切り替えてください。 どんな仕事であっても、「意義」「役割」があるはずです。それを教え「君(私たちの職場、仕事)にはこういう使命がある」「私たちの活動は、こういう人から期待されている」ということを説得するのが上司の務めなのです。一方、部下の立場の人々も「自分たちはこういう使命がある」「自分たちには待っていてくれるユーザー(市民)がいる」ということを常に念頭において仕事をすべきなのです。 人間はだれでもミスや過ちを犯します。それは仕方のないことでしょう。しかし、近年、重要な役割すなわち人命を預かり、あるいはユーザーや市民の安全や幸福の鍵を握っている人々に考えられないような初歩的なミスが目立つのは「使命感」の欠如からではないでしょうか。 全ての職場でリーダーが先頭に立って「自分の仕事の使命を見直し、仕事の意義を再認識すること」によって、職場のミスは減り、働く人々の「士気(モラール)」も一段と向上するはずです。 上司たるもの、何かがあっても真相を隠蔽し、自らも責任を回避することが、「物分りのいい上司、管理者」と心得ていませんか。あるいは 責任逃れや責任回避をする方が、「楽で、得な生き方」と考えていませんか。でも、それは違います。 一般社員(職員)の方々も「自分たちは、仕事の責任を回避し自らを拷問に等しい状態に追い込んでいないか」「少しでも、ユーザーや市民から喜んでもらい、役に立とうと勤めているか」「任された仕事は最後まで責任を全うしているか」と自らに問い掛けることが必要です。そうすることが、働き甲斐を感じ、毎日を充実して過ごすコツです。短期的には、責任をあいまいにし、すべてをごまかして責任回避したほうが得で、正直に責任を全うする人は、要領が悪く感じられます。が、結局は、そのほうが、心は爽やかで、すっきりした気持ちで毎日を過ごすことができます。何事もうやむやにすればするほど後々まで「心に悔いが残る」からです。 今、「不況」というと経営者は、すぐに首切りをしたがります。特に、大企業の経営者は。これは「どんなに仕組まれた拷問よりも惨いことなのだ」ということを肝に銘じて、安易な首切りはしないようにしてください。 そんな経営者の会社では「みんなで、働くのを辞めてやればよい」のです。そうすれば経営者が逆立ちしても、会社は成り立たないのですから。
2009.05.30
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今回は、拙著『感性の磨き方』(産能大学刊)から、『感性を磨け』そして、マズロー博士の金言・「現実をより有効に知覚し快適な関係を保つこと」を取り上げます。 この二つの言葉は、表現方法は全くちがいますが、実は「異口同音」結局は、同じことを言っているのです。マズローらは 日常、精神的に健康で、充実した生活を実現している人々、あるいは歴史上「精神的に健康で、充実した生涯を送った」と考えられる人々を対象に『何が彼らを自己実現者たらしめているか』調査を行ない、14の要素を抽出し著書の中で列挙しています。が、その全てを紹介するのは、混乱を招くだけなので、ここでは省略します。それら14項目の筆頭に上げられた最も重要な条件が、「現実をより有効に知覚し快適な関係を保つこと」です。 他方、私は予てからライフ・ワークとして『精神的充実=幸福実現』の決定的な要因を研究してきました。特に「人間はなぜ、争うのか、神経症になるのか」「どうすれば、戦争をなくし、穏やかにしかも、精神的に充実した生活を実現できるか」を主要テーマに掲げてきました。そして、その究極の要素は『感性』である、という仮説を立てていました。そのプロセスで『マズローの心理学』という本に出会い、マズローの後継者でこの書籍の著者とも直接会って、私の仮説を裏付けてくれるものに他ならないことを確認したのです。 換言すれば、マズローのこの一見抽象的な表現の中身を、より具体的に、ブレイク・ダウンしていくと、今回の私の提言・感性を磨けに至るといってもよいのです。 そこで、『感性を磨く』ことについて、少し説明します。(詳細は拙著「感性の磨き方」「先が見える感性の磨き方」「自分を見失わないで生きる」「生き方を変える17の鉄則」(産能大学刊、絶版後、いずれも、パピレス社から電子書籍としてアップ・ロードhttp://www.papy.co.jp/act/books/1-5651/) 人は、本来「無邪気な目」を持っており、「現実を直視し、さらに、ものの表面だけでなく、本質を見抜く目」「ウソや欺瞞を見破る目」「優れたものを見通す洞察力」を、もっていたはずでした。が、多くの大人は、かつては国家や権力者、狂信的な「思想」によって、洗脳され、惑わされ、干渉、統制され、あるいは言論統制やマスコミの誘導などにより、『感性を鈍らせ』まちがったリーダーシップに傾倒し、心酔し、道に迷い、破滅の道を進んだこともありました。 未だに独裁者の国々では、同じ不幸が繰り返されていると伝えられています。 戦後の日本では、幸い、民主化が進み、そのような危険は少なくなりました。が、一方で情報の氾濫、無責任の横行、自由のはきちがえ、リーダーシップの欠如などにより・何が正しいか・何をしてはいけないかのケジメがつかなくなり、新たな『混乱』『低迷』が見られるようになりました。 人命軽視、汚職の横行、治安悪化、詐欺や食品の虚偽の表示、慢性的に多数の自殺者が出るなど、別の意味での『精神的危機』が見られます。これは ・「現実をより有効に知覚し快適な関係を保つこと」ができなくなったことにほかなりません。 ですから、今こそ各人が『本来の感性を取り戻し、正しい現状認識=何が正しいか、望ましいか、何をしてはいけないか、何がニセモノで何がホンモノかを見抜く目=賢い『鑑識眼』=『感性』を磨くことが不可欠なのです。 では、どうやったら『鈍った感性を取り戻し、本来もっている感性を甦らせることができるか』詳しくは上記の拙著を参照していただくとして、一口で言うなら、・自然体で臨むこと・あまり、期待感や『欲目』でものをみたり判断しないこと・「偏見」で人に接したり、話を聴いたりしないこと自然体で臨むことは言葉としては理解できても、いざその場になると、実践することは、なかなか難しいものです。ですから、せめて・日頃から『自然体』になろうと心がけることだと思います。少なくとも・うまい話には乗らないこと・行政やマスコミあるいはインターネットで流されている情報を『鵜呑み』にしないこと・権威があるとされている人や機関の話は、複数の情報で一応は、確かめること=医療で言われている「セカンド・オピニオン」を一般社会の情報についても、応用するわけです。これで、事態はかなり改善され、感性も本来の力を取り戻すと思います。参考までに、次の『感性診断』にあるようなことを口に出す人が、周囲にいたら、その人の「感性は鈍っている証拠」ですから、そのつもりで(警戒して)接してください。・「感性診断」・そんなことは知っている・そんなことは、当たり前だ・前例がない(前にやったがダメだった)・最善を尽くしている・ほかにやりようがない・私の責任じゃない・まあ、こんなもんだ・他人はどう思うだろうか(どうしましょうか)・変わっている』と言われたくない・みんなと同じでいたい・私が正しい・お前が間違っているあなたが、こういうことを口に出したり、頭の中で考えたりしたら、感性が鈍った証拠ですから、『要注意』です。
2009.05.27
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年々歳歳花相似 歳々年々人不同代 悲 白 頭 翁 (白頭を悲しむ翁に代わる)劉 廷 芝年々歳々花相似たり歳々年々人同じからず『卒業』『就職』『転勤』―人生の節目、「別れ」もあり、色々考えさせられる時期でもあります。前に「楽しく学ぶ」ことについてお話しましたが、今回は、「学び方次第で楽しくなる」という実例です。漢文が苦手、という方でも、ここにあげた漢詩の一節はどこかで、一度は聞いたことがあるはずです。中国唐時代には、李白、杜甫、白楽天(白居易)をはじめ、多くの詩人が輩出し、わが国の文学作品にも、大きな影響を及ぼしています。*この詩は、長文の詩で作者は劉 廷 芝作品名は「代 悲 白 頭 翁 (白頭を悲しむ翁に代わる)」という作品です。 私は、ここ、二〇年オーストラリアと日本を行き来して、いろいろな人と知り合いになりました。が、転居、転勤、病気、死去、人によっては、消息不明になるなど、オーストラリアが移民国家であるだけに、一層、激しい移り変わりを感じ、思わずこの一節を思い出しました。ここで、連想されるのは、杜甫の代表作「春望」です。春 望 国破山河在 城春草木深時感花濺涙 恨別鳥動心烽火連三月 家書抵万金白頭掻更短 渾欲不勝簪(杜 甫)杜甫は詩聖と称され、李白と並ぶ唐代随一の詩人。彼の生涯は、貧しく孤独な漂泊の旅。が、放浪の中にも常に妻を同伴していたといわれます。この「春望」は、*安緑山の乱により、捕らえられて長安に幽閉され、妻子と別れ別れになった四十六才(757年)の作で、乱で、荒れた長安の都の風景を歌ったもので、「年々歳歳花相似、年々歳歳人不同」に通じる気持ちが表されています。(現代語訳)長安の都は戦乱のために荒れ果ててしまったが、城には相変わらず春が訪れ,草木が生い茂っている。こんな季節には、花を見ても、楽しいはずなのにかえって涙ぐみ、心をなごませてくれるはずの小鳥のさえずりにも(警戒心から)心を驚かす。戦火は三か月も続き、家族からの手紙は、万金にも値するほど嬉しい。自分の白髪(しらが)頭をかくと、髪の毛も短く、冠をとめる簪さえも挿せないほどになってしまった。 次に、唐の大詩人白楽天の大叙情詩「長恨歌」。これは玄宗皇帝と絶世の美女といわれた楊貴妃の代表的な悲恋、ラブロマンスです。(原文は長文なので省略、現代語訳のみ掲載)。唐(8世紀ごろ)時代玄宗皇帝は最愛の楊貴妃の愛に溺れて政治が疎かになり、安禄山が謀反を起こした。 (*安禄山の乱) 反乱軍が突入し、皇帝は楊貴妃を始めとする身内と僅かばかりの側近を連れ、成都へ向けて脱出したが、百里ばかり進んだ馬嵬驛で部下の兵士が反乱を起こし、楊貴妃の命を求めた。かくて美しい楊貴妃(宛轉蛾眉)は皇帝の馬前に練り絹で自ら首をくくり、38歳でこの世を去った。(中略)やがて反乱は鎮圧され、皇帝一行は長安に帰ることができた。帰ってみれば、楊貴妃がいないことを除いては、池の芙蓉も宮殿の周囲の柳も昔のまま。芙蓉は楊貴妃の顔に見え、柳は彼女の眉を想い出させる。これを見るにつけ涙は止まることを知らぬ。楊貴妃の霊の行方はなかなか見つからなかったが、海上に神仙の住む山があるという情報が入った。(中略)修験者は神山を探し当て、宮殿に向かい、皇帝の使者であると面会を申出た。 豪華な帳(とばり)の中に、休んでいた美女は、皇帝の使いと聞いてはっとする。皇帝への思いで涙にうるむ眼差しで、「陛下はお元気ですか」と修験者に尋ねる。「お別れして以来、陛下のお声もお姿も遙か彼方へ遠ざかり、恩愛は絶えてしまいました。」「昔、陛下から賜った螺鈿(らでん)細工の小箱と黄金のかんざしを、恋の想い出として陛下にお持ち帰り下さい」。そういって二個の品物を二つに裂き、一つを陛下に一つを自分の手元に置く。「今は天上と人の世に二人は別れていますが、お互いの心が螺鈿の小箱や金のかんざしのように堅いものでしたら、もう一度お目にかかる日がありましょう。」別れ際に楊貴妃(の霊)は、更に言葉を重ねて陛下に伝えてほしいといった。「…二人だけが知っている誓いの言葉があります。それは、七月七日の夜半、長生殿であたりに誰もいない時、二人が交わした愛の秘め言。私たちが天界へ召されたら羽が繋がった二羽の鳥になりましょう。また天界から地上へ戻されたら、枝がくっついた二本の木になりましょう。私たちは、今も、次の世も、その次の世も、夫婦であろうとお誓いしました。」「天は長く地は久しく存在するとしても、やがては天地ともに滅び尽きることがあるでしょう。だがこの恋の恨み、愛の裏にある別れの恨みは、天地が滅びようとも綿々として尽きることはないでしょう」と。*筆者注中国唐代でも、死後の世界が、美しく描かれています。**わが国古典への影響例清少納言は「枕草子」で、仕えていた中宮定子から詩人白楽天の七言律詩の中の「香炉峰雪撥簾看」(香炉峰の雪は簾を撥げて看る)を連想させる質問を受け、雪の日に御簾を高くあげてみせ、大いに面目を施した…というエピソードを紹介しています。芭蕉は「奥の細道」で、李白の作品から「夫れ天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客なり。」という一節を冒頭に引用。時代を問わず日本の識者たちは中国から学びそれを誇りにしていたことがわかります。* イラスト化して、長恨歌原文を掲載するのはいかが?漢皇重色思傾国、御宇多年求不得。楊家有女初長成、養在深閨人未識。天生麗質難自棄、一朝選在君王側。回眸一笑百媚生、六宮粉黛無顔色。春寒賜浴華清池、温泉水滑洗凝脂。侍児扶起嬌無力、始是新承恩沢時。雲鬢花顔金歩揺、芙蓉帳暖度春宵。春宵苦短日高起、従此君王不早朝。承歓侍宴無閑暇、春従春游夜専夜。後宮佳麗三千人、三千寵愛在一身。金屋粧成嬌侍夜、玉楼宴罷酔和春。姉妹弟兄皆列土、可憐光彩生門戸。遂令天下父母心、不重生男重生女。驪宮高処入青雲、仙楽風飄処処聞。緩歌慢舞凝絲竹、尽日君王看不足。漁陽?鼓動地来、驚破霓裳羽衣曲。九重城闕煙塵生、千乗万騎西南行。翠華揺揺行復止、西出都門百余里。六軍不発無奈何、宛転蛾眉馬前死。花鈿委地無人収、翠翹金雀玉掻頭。君王掩面救不得、回看血涙相和流。黄埃散漫風蕭索、雲桟?紆登剣閣。峨嵋山下少人行、旌旗無光日色薄。蜀江水碧蜀山清、聖主朝朝暮暮情。行官見月傷心色、夜雨聞鈴腸断声。天旋地転廻龍馭、到此躊躇不能去。馬嵬坡下泥土中、不見玉顔空死処。君臣相顧尽霑衣、東望都門信馬帰。帰来池苑皆依旧、太液芙蓉未央柳。芙蓉如面柳如眉、対此如何不涙垂。春風桃李花開日、秋雨梧桐叶落時。西宮南苑多秋草、落葉満階紅不掃。梨園弟子白髪新、椒房阿監青娥老。夕殿蛍飛思悄然、孤灯挑尽未成眠。遅遅鐘鼓初長夜、耿耿星河欲曙天。鴛鴦瓦冷霜華重、翡翠衾寒誰与共。悠悠生死別経年、魂魄不曾来入夢。臨?道士鴻都客、能以精誠致魂魄。為感君王輾転思、遂教方士殷勤覓。拝空馭気奔如電、昇天入地求之遍。上窮碧落下黄泉、両処茫茫皆不見。忽聞海上有仙山、山在虚無縹緲間。楼閣玲瓏五雲起、其中綽約多仙子。中有一人字太真、雪膚花貌参差是。金闕西廂叩玉?、転教小玉報双成。聞道漢家天子使、九華帳裏夢魂驚。攬衣推枕起徘徊、珠箔銀屏??開。雲鬢半偏新睡覚、花冠不整下堂来。風吹仙袂飄?挙、猶似霓裳羽衣舞。玉容寂寞涙闌干、梨花一枝春帯雨。含情凝睇謝君王、一別音容両渺茫。昭陽殿裏恩愛絶、蓬莱宮中日月長。回頭下望人寰処、不見長安見塵霧。唯将旧物表深情、鈿合金釵寄将去。釵留一股合一扇、釵擘黄金合分鈿。但令心似金鈿堅、天上人間会相見。臨別殷勤重寄詞、詞中有誓両心知。七月七日長生殿、夜半無人私語時。在天願作比翼鳥、在地願為連理枝。天長地久有時尽、此恨綿綿無絶期。
2009.05.21
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今回は「勉強」について考えてみたいと思います。『学ぶこと』について、孔子は次のように論語の中で述べています。論語現代語訳「学ぶこと、そして時々“おさらい”することは楽しいことだ。次第に同志ができ、集まってくる。こんな楽しいことはない。人に認められはくても、そんなことは気にかけず勉強を続ける。これが本当の「君子」(立派な人)だ。」私は、かつて、二人の仲間とパソコンを媒体にした勉強会を始めました。はじめはたった3人の勉強会でしたが、10年経った今、次第に仲間が集まって、「教えられたり、教えたり」私たちのささやかな活動は、百人を超えるシニアのサークルに育ちました。孔子のいう『君子』の道 無上の喜びというほど大それたことではなくいろいろ曲折もありました。が、最初の『志』を大切にして、新しい仲間(朋あり遠方より来る、また楽しからずや)を暖かく迎え、一緒に楽しく勉強することを心がけたのです。本来、『学ぶ』ことや「仲間作り」とは、孔子のいうような楽しいもの、何ものにもとらわれない自由なものであったはずです。それがいつの間にか「効率性」「成果」だけを求めるせち辛い勉強、偏差値を上げ、いい学校へ進学し、いい職場に就職することが目的の「勉強」になってしまいました。『勉強』という言葉には『強いる』という字を使います。これがそもそも、まちがいの元。その結果、人間として大切な「価値観」や職業人に必要な基本的な「使命感」、安全、人命尊重の精神が忘れられ、悲惨な事故や不祥事がたびたび繰り返され、しかもそれらがさんざん勉強をしたはずの人たちによって引き起こされているのです。いま、団塊の世代が定年を迎え、もう一度勉強の原点に立ち返って、勉強の楽しさや友情の素晴らしさを見直すことが必要です。「シニア特にリタイアしてからはそれでいいが、将来ある子供の教育はそうはいかない」という反論も予想されます。特に、子育て中のお母さんたちにそういう考え方をする人が多いようです。しかし、この考え方には大いに問題があります。本人に素質があり、意欲もあるならそれもいいでしょう。が、実力も意欲もないのに無理強いすれば、どこかでひずみが出て取り返しのつかないことになる恐れもあります。そういう親からの押し付けがたたって、家庭内暴力を誘発した例は数多く、将来医者(歯医者)を継ぐことを強いられた医者(歯医者)の子供が自宅に放火して家族を殺したり、家族を残虐な方法で殺した挙句、遺体を不法に遺棄する悲惨な事件は記憶に新しいところです。ですから、百歩譲って、詰め込み教育を必要悪と認めて、やらせるとしても、楽しく「ゲーム感覚」でやることを心がけること。しかも、「何のための勉強か」「これも一時」ということを徹底したうえで、勉強をさせることです。少なくとも、命がけの?心に余裕のない受験勉強は百害あって一利なし。親が子供に強いるべきことではありません。「親から言われたから」「みんなが行きたがるから」という理由で、自分自身考えることもせず、みんなが望む有名大学、有名学科を狙っても、後で後悔する恐れがあります。受験戦争はいやがうえにも熾烈で望みが叶えられるいわゆる「エリート」になれる可能性は低いからです。かりに、受験競争を勝ち抜く「エリート」の仲間入りができたとしても、本人の満足する人生を歩めるとは限りません。銘柄大学を出て、希望の官庁や企業に就職していわゆる「キャリア組」になっても、「職場の人間関係に悩んで、休職したり、転職を繰り返したりする」人も少なくありません。悩んだ挙句自殺する人もいます。筆者が、そういう人々の相談に乗るケースは未だにあとを絶ちません。エリートを目指すことが難しい場合は、少なくとも「視野をひろくする」ことを学ぶべきです。社会人になってから、視野が狭く会社の上層部がまちがった判断を下しても、見抜くことが出来ず、『知らず知らず悪の手先になっている』ことも気づかない。気がついたときには騙されて『濡れ衣』を着せられるような人になってはいけません。「いわゆる一流会社、役所へ入れば、いい人生を送ることができる」と言う時代ではないのです。一部上場企業でも倒産して消えた銀行や商社も数多く、また、解雇された人も珍しくありません。役人として、あるいは天下り先の会社で違法行為に関与し、告訴され、心ならずも犯罪者になった例も報じられています。 戦後の高度成長時代に、『会社のため』と必死に働いたけれど気がついたらエコノミック・アニマルと批判された会社人間もこのタイプの人です。悔いのない人生を送るには、勉強をしてそれを正しく使いこなす『知恵』が必要です。 いずれにしても「学ぶことは楽しい」ということ、「人生いくつになっても学べる」ということを思い出してください。特に高齢社会を迎えて・楽しく「学ぶ」ことは、「生きがい」の発見にもつながります。60歳を過ぎてから中学や高校、大学、大学院へ行く人も多いのです。
2009.05.18
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現代に生かす金言・名言「もったいない」(W.マータイ)地球温暖化、地球環境の危機が叫ばれています。京都議定書発効の国際会議に招待され、出席したケニアの環境副大臣ワンガリー・マータイ女史。私たち日本人が忘れかけ、死語になりかけていた「もったいない」という言葉はマータイ女史が光を当てて甦り世界中から注目されています。「限りある資源を有効に使い、みんなで公平に分担すべきだ。そうすれば、資源をめぐる争いである戦争は起きない」と提言、「もったいない」は今、人類に最も必要な言葉だと訴えかけたのです。先ごろ、私はオーストラリアのメルボルンを訪れた際、宿泊していたホテルの地階にあるテイスト・オブ・アジアという名前のテイクアウトの小レストランで、野菜豊富なヌードル・スープを注文しました。大きな器に溢れるばかりの野菜と鶏肉それにヌードル・スープ(日本流にいえば湯麺=タンメン)が配膳されました。ブロッコリーやカリフラワー、赤、緑、黄色のピーマンそれに地鶏いかにもヘルシーで味も淡白、日本人好み。しかも値段も格安。おいしく夢中で、戴いたのですが、あまりに量が多くて食べ切れませんでした。作ってくれたシェフにすまないと思いながら、3分の1は残して「おいしかった。でも、これは日本の2倍近いボリュームだ。残してごめんね。ハーフサイズか少なめのメニューも作ったら、もったいないから」といったのです。すると、相手は「そうですね。わかりました。捨てるのは、もったいないですから」といって、次回から、そのようなメニューを用意してくれるようになりました。日本から遠く離れた南半球の英語圏のオーストラリア、メルボルンのレストランでアジア系と見られるウエイトレスやシェフにも「もったいない」は通じたのです。まさに、この言葉が世界共通語になったことを実感し、本当に嬉しくなりました。マータイ女史は国土が乱伐で森林が消滅していくのに危機感を抱いて、わずか9本の苗木を植えることからNGOグリーンベルト運動を始めました。この植林運動で3年間に3000万本の木がアフリカ、ケニアを中心とする女性たちによって植えられたといいます。彼女の果たした役割はそれだけにとどまらず、アフリカ諸国の政治改革を促したこと。これらを通じて国際平和に貢献したことがノーベル賞受賞の対象になったといわれています。その原動力、土台となったのは長年重労働と無教育、無知を強いられ、弾圧されてきたアフリカ諸国の女性の「意識変革」にあったことを見逃してはなりません。国の指導者の関心は覇権争い、経済的軍事的優位に向けられ、民衆の生活、幸福、平安、国土ひいては地球環境の保全などは無視されがちです。その陰で、女性たちをはじめ民衆は「無知」「無力感」をもち、「問題意識を持つもの」は弾圧されます。アフリカ諸国はその典型でかつてケニアでも、女性の社会参加は大幅に制限を加えられ、10人以上が集会を開くことさえ禁止されていたそうです。(NHKクローズアップ現代の対談より)このような、女性、民衆にとって最悪の社会環境の中で、「女性の意識改革」は並大抵のことではなく、体制と対決し、投獄されたこともたびたびだったそうです。しかも彼女は流血、暴力などの実力行使なしで、初志貫徹、これはなかなか出来ないことですね。アフリカ諸国だけでなく、経済的に貧しい発展途上国、独裁国などでは貧困、無教育、無知がさらなる貧困や紛争を招き、環境の悪化そして貧困-という果てしない悪循環が生まれます。この悪循環を断ち切るには政治家に意識改革を迫ることよりも、民衆の「意識改革」を促し、「社会活動への参画意識」を高めることが必要かつ有効というところへマータイ女史は着目したのです。これは、経済的に貧しい発展途上国だけの問題ではありません。政治家を始め社会の指導者が挙って「アメリカ一辺倒」になり、一般民衆まで勤勉や節約の大切さを忘れようとしています。「もったいない」に限らず、日本人が古来ご先祖から受け継いできた、大切な「文化」や「知恵」を見直し、「誇り」をもって、本当の意味での「温故知新」を世界に示すことが重要です。「意識改革」から「行動化への戦略、実現」を大いに学び、自分のできる範囲で多くの理解者、仲間に広めて行きたいものです。(参考)05年3月25日愛知万博、開幕式でのマータイ女史の言葉より(要旨、一部省略)毎朝、太陽とともに目覚め、踏みしめる大地に支えられ、花とともに栄えます。蜂や蝶が花粉を運び、植物は果実と種を与えてくれます。 私たち人類は自然の一部です。この惑星に住む多くの生物種の一です。肉体は自然から生まれ、最後は自然に帰り、そして営々と命の営みを続けます。 私たちが日差しを楽しむとき、木々の葉は、太陽のエネルギーを取り込み、穀物や根菜や樹木に蓄えます。(中略)自然は私たちのまわりに。私たちの中にも、前にも、横にも、下にもあり、私たちとともにあるのです。(中略)自然の叡知は、実に多くのことを教えてくれます。それは永遠の命の書のように、見る目と、聞く耳を持つ者にしか明らかにされません。どうぞ皆様も、ご一緒に自然の叡知を讃えようではありませんか。
2009.05.17
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009創業は易く守成は難し (貞観政要) 中国、唐の太宗は奢侈を戒め賢臣を起用して「貞観の治世」(在位22年)といわれる善政を成し遂げた名君。あるとき、家臣たちに「『創業(何かを始めること)』と『守成(出来上がったものを守ること)』のどちらが難しいか」たずねたところ、創業に功労のあった家臣は「創業」と答えました。が、他のある家臣は「出来上がった体制も安逸にふけるとすぐに崩れます。守成が難しい」と答えました。そこで、太宗は「これまでみんなの功績によって創業ができた。これからは、心を引き締め守成に力を合わせてゆこう」と呼びかけたと伝えられます。後に貞観政要は為政者の必読書となったそうです。 戦後の日本の政治家や経営者、貞観政要を読んだかどうかー『創業』には成功したものの、『守成』がうまくいかないケースが多かったようです。その結果、今の社会の苦悩と混迷があります。創業者が甘かったのか、後継者が愚か(無能?)だったのか、おそらく双方に問題があったのでしょうね。日本の代表的な産業、企業の栄枯盛衰を調べてみるのも面白いですね。製紙各社、ビール各社、銀行等金融各社、紡績各社、造船各社、製鉄各社、重電各社、合繊各社、弱電各社、自動車各社、カメラ等精密各社、大型流通業、IT各社...何の順で並べたか?実は明治以降、古い産業から並べてみました。明治維新からたかだか百数十年、殖産興業、富国強兵、欧米に追いつけ追い越せ、国の政策によって、産業の栄枯盛衰...企業、組織を維持するのは容易ではないことが分かります。ところで、日本の歴史を見ても、平和が長く続いたのは、平安時代(平安遷都794-保元の乱1156)の362年が最も長く、次いで、江戸時代(開幕1603-大政奉還1867)の264年くらいのもので、後は「戦乱に明け暮れていた」といっても言い過ぎではありません。すなわち源氏は頼朝が鎌倉幕府を開いてから3代で滅び、後を襲った執権北条氏の時代を含んでも141年(1192-1333)で鎌倉幕府は滅びます。その間執権時宗の時代には2度にわたる元寇があって国家の存亡を脅かされています。室町幕府(1338-1573)の足利氏は比較的長期政権で、3代義満の次代には金閣寺を建立するなど平和な時代もありました。全体を通して235年でした。が、義政が銀閣寺を建立して頃には財政も逼迫し、次第に内戦状態に陥り、将軍とは名ばかりの戦乱の世に。応仁の乱から戦乱の世となり、そこから、ようやく天下統一の一歩手前までこぎつけた織田信長が本能寺の変であえなく消えた後豊臣秀吉が、漁夫の利を占め、両者の時代は織豊政権、安土桃山時代などといわれています。が、この間わずか数十年、最後に笑ったのは、「啼くまで待った」徳川家康でした。徳川幕府は15代約270年にわたり、磐石の長期政権を維持したと伝えられています。が、これも一族内部での確執は激しく、本家は細々と7代までで,8代からはいわば分家の紀州徳川家や後には水戸家に辛うじて受け継がれたのです。西洋の歴史でも、ローマ帝国は強力な軍事力で周辺諸国を侵略すると共に道路、水道などの文化を伝え、西ローマ帝国は数百年ヨーロッパを後に分裂して東ローマ帝国は中東までを千年以上も支配しましたがやがて滅びます。東欧と西アジアでは始終覇権争いが絶えず、キリスト教文明とイスラム教文明の対立は、21世紀の今でも続いています。そういう歴史の中で、オーストリア(プロシャ王国)ハプスブルグ家やフランスのルイ王朝それにロシアのロマノフ王朝なども長期政権で壮大な宮殿を築いて、天下に覇を唱えました。が、プロシャ王国もしばしば、王位継承をめぐって、王位継承戦争(1740-1748)をはじめ王家の間で、内紛を繰り返しています。他方で、オスマントルコなど外敵の侵略?に脅かされ、特にトルコの軍隊の進出は遠くオーストリア、ウイーンにも及び、モーツアルトやベートーベンなどウイーンにゆかりの作曲家は、トルコ系のリズムを取り入れた曲を残しているほどの影響を受けています。トルコ行進曲はその象徴といってよいでしょう。イタリア,ベネチア、サンマルコ寺院で有名なロマネスク・ビザンチン様式建築が残るなど、エジプト、イスラム文化の影響が見られます。また、スペインでは有名なアルハンブラ宮殿にイスラムの陰が色濃く残っています。中国では、春秋戦国の時代を経て、秦の始皇帝の国家統一以後、前漢,後漢、隋、唐、宋(後に南北に分裂)、元、明、清と漢民族と満州族などがめまぐるしく入れ替わっています。チンギス・ハンの興したモンゴル帝国の勢力は、ヨーロッパまで及びましたが、血族間の争いで、分裂、崩壊しました。そして中華民国から中華人民共和国に至るわけですが、その中国4千年の歴史では、常に漢民族とモンゴル族をはじめ北方の異民族との抗争、覇権争いが繰り返されました。北方民族の侵入に備えた万里の長城はその歴史の象徴としてよく知られています。その中で漢民族国家、唐の太宗の時代は、非常に安定した時代であったことが分かります。その泰平の世の実現には太宗のような指導と努力があったわけですね。このように、時には「大きな流れ」に目を配るのも、今日の私たちの生き方に、示唆を与えてくれます。•* スピーチの話材•* 「守り」の姿勢では、現状を守れない•* 常に、前向きで「未来を展望」せよ•* プリンシプルを確立せよ•* 何のための仕事か
2009.05.16
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008 現代の究極の病理は「価値の喪失」である。それは人類史上どんな時代よりも危機的な状態である。このような状態に対して人間は何かできることがあるはずだ。(A・Hマズロー)人間性心理学の開祖AHマズロー博士は今から半世紀近くも前に、代表作「人間性の心理学」の中で、「人類は『価値』を喪失している。『価値の喪失』こそ、人類にとって最大かつ最も深刻な危機である。」と指摘しました。それは当時のアメリカが経済的には豊かになっても、一生懸命に働く目標を失って、犯罪が多発し、少年非行、暴力、売春、アルコール中毒、麻薬中毒などに溺れていく社会になったと警鐘を鳴らしたのです。当時の日本はそれほど豊かではありませんでした。でも、マズローは日本人の勤勉さや精神的充実感を強調し、繁栄は国土の広さや天然資源の豊かさではなく、「人が意義ある目標を持つことができるか否かにかかっている。日本を見習え」と述べたのです。残念ながら、そして皮肉なことに、その後日本は当時のアメリカの悪い面ばかりを追いかけ、「危機的状態」(価値の喪失)を招いてしまいました。今、自殺者が年間3万人を越え、ニートが64万人という異常な社会日本。その根本的な原因は・多くの人が『大事なことは何かを見失ってしまったこと』、言い換えれば価値の喪失にあります。 この異常な状態を脱出し健全で平和な社会を甦らせる『突破口』は『価値ある目標』の発見ということになります。では、「価値ある目標」とは何か。それは他人から与えられるものではありません。指示されるものでもないのです。ヒントを差し上げれば、人間は・自分が好きなこと・ 楽しめるものにヤル気が起きるものです。でも、それだけでは、「価値ある目標」というにはちょっと何かが足りないような気がしませんか。そうです。人間は、自分ひとりで、楽しんでいてもやがては「空しい気持ち」になります。出来れば、自分の打ち込んでいるもので・人を助けること・人を支えること・人が喜ぶことができれば、自分の喜びも、一層高まるのです。 それが仕事であれば「天職」ということになります。が、かりにそういう仕事にめぐりあえないとしても、一生懸命働いて、それで一家を支える、家族が幸せになればこれも立派な「価値ある目標」といえるでしょう。 最近では、自分だけのことしか考えられない人が多くなり、かえって自分も不幸になっている。それどころか、ひどい場合は夫(妻、親、子供)などを殺して保険金を手にする。そんなことをして幸せになれるはずがないのです。 やはり、元を辿れば、「苦労しなくてもやすやすとお金が稼げるシステム」がすべての元凶といえるのではないでしょうか。 まじめに働いている人も、周囲に、額に汗することなく電話一本、コンピュータ1台で?巨万の富を築く人がいると、「まじめに働くこと」がばかばかしくなってくる、ということは十分考えられます。 いわゆるマネーゲームが世界中を覆いつくし、それがさらに『投機』を誘い、それがまた「あぶく銭」を生む。こういう現状が望ましくないことに気づいたとしても、それを改善することは一人の力いや、一国の力をもってしても、いかんともしがたいことに思われます。外国為替相場もこの風潮に拍車をかけます。すなわち、企業努力とは無関係に円安になれば、輸出企業の利益は急増し、円高は逆に、輸出産業にとってはマイナスに働きます。企業買収も悪意、敵対的強制的買収にかかり、これに国際的なファンドが絡むと、力で制圧されることもあるのです。また、武器輸出や麻薬はては偽札作り、人身売買に手を貸している国さえあるといわれています。本当に嘆かわしい世界の風潮といわざるを得ません。 しかし、そういう風潮の中でも、正攻法で堂々と生きていこうとする人々もいます。そして、短期的にはそういう会社や個人は、目先の繁栄を狙う人々に比べて損をしているように見えますが、結局はまともな経営や生きかたをしたほうが、成功を収め幸せになれるのです。 バブル期に、マネーゲームや土地転がしに腐心をした企業も人もその後のバブル崩壊で破綻したり、苦境に立たされています。 それにくらべて、堅実に生きた会社や人は結局は、精神的な充実感と心の安らぎを得ています。言い換えれば・ 自分の『理念』『理想』を描き・ その実現に向かってまい進すること・自分の生活のペースを乱されることなく、・ これをやっていることが一番楽しい。苦労はあっても、みんなの役になっているという実感を味わうことが肝要です。自分を『待っていてくれる人がいる』と思うだけで、空しい気分は吹っ飛び、充実した日々が送れるのです。さらにー「何をすべきか」「何をしたらよいか分からない」という方々へ。そういう場合は・ ものごとの基本を楽しく学ぶことそうしているうちに、何が大切か、何が幸せか、この宇宙を動かしている『真理』=『大きな力』=人智の及ばない存在が見えてくるはずです。 そしてこの世で,金や権力を握ることが果たしてどんな意味があるか、握った人は何をすべきかなどいろいろなことも見えてくるでしょう。以上が、価値喪失の世界的風潮の中で個人としていかに対処するか。その基本的な心構えといってよいでしょう。*関連金言「天網恢々疎にして漏らさず」(老子)(天の法網は目が荒いようだが、悪事は漏らさず罰を下す。)*スピーチの話材*「大事なこと」「大切なこと」「価値あること」を見つければ、この世はバラ色*それが見つからなければ、何をしても「空しい」*この世は、そういう人(大切なことが見つからない人)が大多数
2009.05.04
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