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規模:250億円行使日:9月15日以降行使価格:17万円修正開始日:12月15日以降修正下限:12月15日の修正額の65%まぁ、希薄化の規模は大した事ないです。が、それにしても意外ですね。寄り付き暴落なら買ってもいいかもしれません。ただ僕には余力がない。それに、他にも魅力的な銘柄が散見しています。
2008.02.28
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若い人は成長株を買い、企業と共に成長するべきだ。その際は、信頼できる企業の業績見通しを大いに信用して構わない。リスクの少ないバリュー銘柄など、老い先短い老人にでも買わせておけば良い。何度も言うが、僕らの歳で全財産がなくなったって、そんな事は大した事じゃないんだ。(本当に全財産をなくした僕が言うのだから間違いない)
2008.02.25
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長期投資は目先の業績はどうでも良い。バリュー投資家の多くは「安全圏」にいる、という驕りを持っている。
2008.02.22
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業績が良くなり、将来展望が明るくなってから買うのでは、株価上昇の最も美味しい時期を逃してしまう。企業の成長にはサイクルがある。このサイクルを見極められれば、株価のサイクルも見えてくる。株価のサイクルが分かれば、巷で騒がれているバリュー投資なるものがどれだけ曲がるかが分かる。将来が明るい優良企業を買うのではなく、将来が明るくなるような大変身が期待できるような企業を買うべきである。バリュー投資家の多くは、このような投資を投機だといって見下すだろうか?なに、気にする事はない。彼らは投資と投機の違いを不確実性くらいでしか分けられないのである。彼らのやる事は精々成長サイクルの変動が少ない企業を探す事くらいである。ところで、世界経済成長率が5%前後だとすると、PBR1倍ならPER20倍が適正なのだろうか。
2008.02.20
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そもそも、バリュー投資は絶対評価であるべきです。相対評価をやっている投資化はすべからくバリュー投資家ではありません。
2008.02.17
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50%の確率で資産が一割増え、50%の確率で資産が1割減るとする。このゲームを続ければ続けるほど、貴方の資産は減る事だろう。0.9倍になった元本を回復する為には、1/0.9倍、つまり1.11倍しなくてはならないからだ。先ほどのゲームが勝率50%であるならば、勝った時には1/0.9倍にならなければ資産は減り続ける事になる。50%の確率で資産が半分になるならば、もう50%では資産が1/0.5倍、つまり2倍にならなければならない。ところで、確率50%で勝ったら2倍、負けたら半分などというゲームは存在しない。ルーレットを思い出して欲しい。赤と黒。確率はそれぞれ50%でも、当たれば2倍、負ければ0だ。これは常に全資産の10%を賭けるとすると、まさしく最初に述べた±10%のゲームになる。半分賭け続けるなら±50%のゲームだ。このゲームに勝つ方法は一つしかない。それは単純明快、「勝ち続けること」だ。全資金に対して賭けるお金の割合が高いほど、求められる勝率は高くなる。何も難しい事はない。勝率が一定のラインを超えると、物凄く利益を得る事ができる。試しに資産の半分を、確率50%で賭けるルーレットを2回やってみよう。賭け方は4通り。赤-赤、赤-黒、黒-赤、黒-黒。この4通りのうち、1つは2.25倍になり、2つが0.75倍になり、最後の1つは0.25倍になるのだ。勿論全部足して4で割ると1になる。それでは2回じゃなくて10回続けたらどうなるか?賭け方は2の10乗、1024通りである。この1024パターンのうち、極少数が大勝で、少数があまり変動なし、残りの多数がマイナスである。プラスになっているのは3分の1より少し高いくらいの割合だ。確率50%で返却率100%でも賭け続けるなら負ける可能性の方が圧倒的に高くなる。これが複利の魔力である。さらに、人は勝っている時は賭けの比重を大きくする傾向にある。元本が大きい時に、より難しいゲームに参加する。この為、勝ち続ける人は更に少数になる。負け続けた多くの人はゲームをやめるが、また新たな参加者が次々に現れる。これは当然ルーレットに限った話ではなく、そのまま株式市場にも当てはまる。市場が長期的にはプラスサムであったとしても、一握りの勝者と大多数の敗者に分かれる所以である。
2008.02.14
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バリュー株投資家値上がりを期待しない→株価はどうでも良い割安株投資家値上がりを期待する→相対評価割安株コレクター割安株収集家。保有の如何に関わらず、値下がりを喜び、値上がりを悲しむ
2008.02.06
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日本人は預貯金が好きな民族である。備えあれば憂いなし、の農耕民族である。僕は例外のようで預貯金に余り魅力を感じない。欲しいものは欲しい時に欲しいだけ買う。といっても、それほど高価なものが欲しい訳でもないので、散財といっても大した額ではない。本を買ったり、外食したり、飲みに行ったり、旅行に行ったりする程度の事だ。たまに事故を起こしたり、病気になったり、面白くもない賭け事をしたりする。節約という概念がなく、自分に対するご褒美という概念もない。欲しい株があれば即座に買う。余力があればあっただけ、証券会社に注ぎ込む。決して給料が多い訳ではないが、累計で注ぎ込んだ投資金額の合計額を算出すると、我ながら驚くばかりである。今回は、僕の話をしようと思う。「むぎゅ。」では最初で最後になるだろうから、興味はあまりないだろうけど読み流してもらいたい。負債が好きだ。マクロでみれば、資本主義社会は借金をして何かを挑戦すればリスク以上のリターンが期待できると信じて疑わない。負債に意欲というスパイスを振りかけるだけで、見事な果実を得る事ができるのではないか、という甘い期待を拭い去る事ができない。長期的に資本主義市場が成り立つ為には、借金はした者勝ちなのだ。そうしなければ、金利は発生しなくなるし、資本自体が膨張機能を果たせなくなってしまう。そんな考えが、どうしても頭から離れない。脳裏に刻み込まれている。いつからだろうか。今まで読んだ本に影響されているのだろうか。随分偏った本なども好んで読んできてしまった。本なんか読まなければ良かった。果たしてこれが、信用取引で完膚なきまで痛みつけられ続けた人間の考えであるというのだから尋常ではない。休むも相場?そんな馬鹿な話はない。株価が上がるか下がるかは大して問題ではない。目の前に欲しい株が転がっている。もう沢山だ。明日になったら99%、いや、例え100%株価が下がるとしても、僕はこの値段で買いたいのだ。それにしても。僕が忸怩たる思いでこの株価を見続ける羽目になったのも、全ては信用取引に手を出したからだ。信用取引さえしていなければ、僕は相場で休む必要なんてなかった。焦燥感は休息時間に比例して大きくなる。それでも決して後悔はしていない。くどいようだが、反省はしている。物凄く。しかし、再び僕は思う。「欲しいものを欲しいだけ買う割安株投資家が、信用取引に手を出さないなんて有り得るのだろうか?」そして、思考は振り出しに戻る。僕は日本人では数少ない借金肯定派だ。破産した今でも、借金に魅力を感じている。大体銀行のやっている事だって借金みたいなもんだ。借りている側なのに、信用という名の下、貸していると偉そうにしているのだから性質が悪い。僕は借金肯定派だが、究極的には間接金融が必要ない、借金のない世界が理想だとは思う。乱筆御免。最初で最後だから許して下さい。
2008.02.02
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