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「第六回科学の統一に関する国際会議」1977年11月25日サンフランシスコ、フェアモントホテルにて 敬愛する議長初め、著名なる学者、科学者の皆様。「第六回科学の統一に関する国際会議」(第六回世界科学者会議)に御参加下さいまして心からの歓迎を申し上げます。それはともかく、年ごとに変化しつつある状況の中で、今回の会議もまた、皆様の意見を率直に交換できる良い機会を新たに与えてくれるでしょう。 私は宗教的指導者として、また科学者として、科学と同様に宗教と哲学に長い間、関心を持ってまいりました。このような科学者の会議を始めたのはそのためです。ある人が永遠の真理の発見に一生懸命であろうと、また、ある人は出来事の観察者であろうと、とにかく、その異なる学問の間にはある関係があると思います。実際、もし超現実との関係がなければ、時空内で起こる事件について、考えたり想像したりすることが可能でしょうか。 宗教と科学は、人間の良心が長い間苦悶し考えぬいてきた、形而上学的な、倫理的な問題に関係するものであります。私たち人間はどこからきたのか? 人間の苦悩の原因は何か? 何が善で何が悪か? 死後の世界はあるのか? これらの疑問は、私たちの学問の分野が何であれ、皆等しく関心をもつところであります。 科学は、宇宙の原則、時空内の出来事を理解するものとして、それ自身に限界があります。周知のように、科学はこの二、三百年の間に、知識的には急激な発展を遂げてきました。しかし、科学を導く価値基準なしには、科学は破壊的なものとなる可能性があります。核戦争の可能性はこのことを証明しています。今までの会議と同様に、今回の会議のテーマは“価値の基準と科学との関係”となっております。 私の考えでは、神学から自然科学までの全学問は、これを導くための、よく理解された方向性と目的なしには意味がありません。価値の基準を求めるということは、この目的を探究することに他なりません。これを共に追求してゆく時、一つの学問の分野は、他の分野に関連したものとなります。実際、ある分野での新しい発見は、他の分野での研究に重要な影響を与えます。 今世紀、実用科学はあらゆる分野で、学問を探求する個々人の信念や行動に絶大な影響を与えてきました。例えば、相対性理論や不確定性原理は多くは間違って理解されましたが、しかしまた疑いなく、哲学や神学に大きな影響を与えてきました。しかし、たとえ研究の分野が異なっても、その研究が自分の分野にしか関心をもたない学者達としかかかわりをもたないというのは、残念なことであります。私達は、発見した喜びを他の学者達とさらに理解し合い、分かちあうべきです。私たちの知識が上すべりで不正確にならないように、私達は喜んでそれを聞かなければならないでしょう。 宗教的な人々は、科学の発展に対し――特にルネサンス以来――脅威を感じてきました。しかし、いわゆる宗教的な人々は、人間の飢餓や病患、老人問題、住居や衣生活の窮乏を解決するにあたって、それに必要な知識や技術の発達に関することを考えずには、どうして救済ということを考えることができるでしょうか。たしかに科学は、この目的のために多くのことに貢献してきました。さらに、人間と宇宙の不可解さ、神秘性について、宗教と科学は、直観や論理、観察を通じて表現することを追求し、少なくとも、宇宙や人類を存在せしめた原因について指摘しています。 このように、人間の起源や目的について熟考するのは、私達が他のものと違って人間であるからであり、またそれにより、つきることのないエネルギーが私達に与えられるのです。この点に関して、二十世紀の宇宙論者や生物学者は、自分達を神学者、または哲学者とかかわりあるものとみなしています。 人は、人間および彼らが住む世界の不思議さを考えるならば、経済的そして政治的な事情や意味を考えざるを得ません。人間はそれぞれ、表現する潜在能力をもち、愛と善と美の特性をもっています。しかしながら未だに多くの国々で、政府は人間をただ経済的な点でのみ、価値ある動物であると定義しています。政府は、国の主張と人々の主張が違うという理由で、人々を迫害しています。不幸にも最近、無政府主義者やテロリスト達が暴力行為をもって民主主義を壊そうとしています。この会議で私達は、価値の基準を追求する機会をもちました。人類の正義、自由、尊厳というようなものの価値を発展させるのをおびやかす、政治的、社会的現実があることを忘れずにおくことは大切なことであると思います。 あなた方学者や科学者達の発明や考えは、あなた方の学生達に直接的に影響を与えるのはいうまでもなく、政府やマスコミや社会の方向性に影響を与えます。このように、あなた方は自分達のできることを行うことによって、人間と人間の住む社会状況を発展させるという大きな責任を分担しています。あなた方が研究しているそれぞれの分野での発展や発見を、この会議で理解し、評価し合うことは、会議の参加者にとって重大なことであります。そうすれば私達は皆、未来をよりよく理解できるかも知れません。 今回の会議のテーマは“変化する世界での絶対的価値の追求”であります。私は今回の会議に、皆様の研究と追求の結果がもたらされることを切望いたしています。あなたの信ずるところを十分に、自由に語って下さい。そのような雰囲気の中でこそ、意義深い会合が行われ得るでしょう。今回の会議にご参加下さいましたことに対し、また次の三日間の会議のテーマに対し、偉大な貢献をして下さることに対し、心からの感謝を申し上げます。この会議が一人一人に豊かな実りをもたらしてくれるように希望いたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.30
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第4回神統一韓国平和フォーラム(2021.10.1)희망전진대회 [Rally of Hope]チャンネル登録者数 1.04万人天一国9年 天暦8月25日(2021.10.1)孝情文和苑 文和ホール & tv.peacelink.live2021/10/01 09:00に公開予定です。追記10時半確認で、今回は韓国語のみのようです。https://youtu.be/_qoTp4fAc-o一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【中古】 受難の源流 文鮮明師の西大門刑務所収監の真相 / 武田吉郎 / 光言社 [新書]【メール便送料無料】【あす楽対応】【中古】文鮮明師と金日成主席 : 開かれた南北統一の道 状態良日はまた昇る蘇る日本 共産主義を崩壊させた文鮮明師の統一思想 [ 日本統一思想研究院 ]【中古】真の御父母様の生涯路程 文鮮明先生御言精選 10 /光言社/文鮮明(単行本)【中古】平和を愛する世界人として : 文鮮明自叙伝 状態良真の御父母様の生涯路程 4 文鮮明先生御【新品】【本】真の御父母様の生涯路程 7 文 鮮明 著真の御父母様の生涯路程 8/文鮮明【3000円以上送料無料】真の父母 [ 文鮮明 ]【新品】【本】天総官 文興進様 文 鮮明 著【新品】【本】天宙平和の王のメッセージ 2 文 鮮明
2021.09.29
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(CS-02-日本語) 李基誠 苑長 天心苑 特別精誠祈祷一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【中古】 真の母のまなざし 韓鶴子女史御言選集 出生から結婚・世界平和講演まで / 韓 鶴子, 世界基督教統一神霊協会 / 光言社 [単行本]【ネコポス発送】【中古】 天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会 文鮮明先生のみ言 韓日対訳・読み仮名付き 第2版 / 光言社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】【中古】 主の道 写真で見る文鮮明師の路程 改訂新版 / 光言社 [単行本]【ネコポス発送】【中古】 解読されたノストラダムス最終暗号 / 高坂満津留 / 光言社 [新書]【ネコポス発送】【中古】 真の家庭 合本版 / 世界基督教統一神霊協会, 文鮮明 / 光言社 [単行本]【ネコポス発送】【中古】 真の家庭と世界平和運動 世界に広がる統一運動 グラビア / 光言社 / 光言社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】【中古】神様の摂理から見た南北統一 /光言社/文鮮明(単行本)
2021.09.29
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「再会の心情」1977年9月11日ニューヨーク・ベルベディア 暖流と寒流 七十日後、あなた方とこうして再会することができて、本当にうれしく思います。私が、ここを出発したのが七月三日ですから、ちょうど七十日間です。この七十日間に皆さんが、私を恋い慕う思いで待ってくれましたことを、心から感謝しうれしく思います。再会に際して、互いに慕い合う情や、懐かしいと思う情と意志が起きなければ、共通の目的と目標がないということになります。 私は韓国人で、アジアから来ましたが、あなた方はアメリカ人です。一方は東、一方は西という文化伝統の全く相異なる両極の世界をつなぎ合わせ、結合させるという背後には何か深い摂理的な内容があるのです。そうでなければ今あなた方が、こうしてアジアから来たある人物を慕い待ち望んでいるということは、起こり得ないはずです。 御承知のように海には、暖流と寒流があります。海は、たとえじっと静止しているように見えても、決して止まっているのではなく、絶えず異なる二つの海流によって動いているのです。この二つの海流は、それぞれあちらの方向、こちらの方向と激しく動き回りながら、しかも常時ぶつかり合い、出合っているのです。人の目には、膨大な海原は不動で静止しているかのように見えますが、実はその広々とした海洋に、大いなる運動が展開されているのです。流れ、走り、ぶつかり、うず巻き合い、その他あらゆる動きを海洋の中に見いだすことができます。 海洋の動きを観察する人は、一日に少なくとも二回、海がふくれ上がったり減少したりして潮が出入りするのを見届けるはずです。しかし海の動きは、それだけではないのです。潮が流れ激突し合って動いていく中に、全地球の動きが、実にこの動きの中に包含関連づけられているのです。 海中には、この潮の流れに従って、多種多様の驚くべき魚がひしめき泳いでいるのです。海の多数の魚が、暖流と寒流の巡り合う所に住んでいます。世界でも有数な漁獲地、例えばボストン北部やヨーロッパ北部といった漁獲地は、例外なく暖流と寒流が交流しているのです。魚の種類は、川の魚と海の魚の二つに分けることができます。しかし魚が産卵する時には、通常、川と海の魚が出合う場所を探し求めるのです。産卵の目的のゆえに彼らが特定の交合点に集まるということは、実に驚くべきことです。出合いということ、共に一緒になるということは、非常に大切なことです。 さらに古代文化の根源を見る時、いくつかの世界的に有名な文化発祥地は、例外なくどこも水と陸が合流しているのを知ります。陸も港も川もみな一つに集合する。そうでなければ人類の文明は発生しません。例えばギリシャ文明やイタリア文明は、陸または半島、あるいは港と川とが合致している特別な地域です。これらの地域は、人類文明のために特別に選ばれた地域です。 劇的な出会い そして出会いや再会のその距離が、短ければ短いほど感激は少ないのです。しかし遠く離れた両極が再会するとなると、その感激は、劇的な感動ぶりで迎えるのです。ある意味で私は、地球の反対側の最も離れた所から来たことになります。多くの人々は、韓国といえば遠く離れた国、ともすれば月よりも遠いように思っています。アメリカ人の心の中には、韓国は戦争で知られ、戦争の惨事で惨めに傷ついた跡が思い浮かぶのです。韓国とは、この国ではそれほど色鮮やかな国としては映らないのです。 例えていいますと、米国は山の高峰にそびえ、韓国は谷底の奥深い所にあるとしましょう。ところで世の人々は不思議がっています。「いったい、この理解できない事態は何だろう。誇り高き近代文化の頂点にあるアメリカで、谷底の奥深い所にある韓国から来た人物に、全くどんな力と理由があるのだろうか。この両者には、どんな関係があるのだろうか」。人々はとんと見当がつきません。 広大な海は、表面では分からなくてもそこには暖流と寒流とが交わり合って大運動が展開しています。同じように、レバレンド・ムーンと皆さんたちが、大洋の潮流のように二つのものが一つになる時、偉大な、普通でない出来事が生じるのです。ではそれはいったい、誰の意志なのでしょうか? レバレンド・ムーンの意志ですか、皆さんの意志ですか? 私は、そうとは思いません。そこには何かそうせしめる摂理的な意志とかみ旨があるに違いありません。二つの極を押し合わせ、一つの偉大なものへと結び合わせるある宇宙的な力が働いているに違いないのです。そこには、何か超自然的なものがそうせしめているのです。 何か興味を引く音楽を作曲する場合、高い音から低い音あるいは強い音から弱い音への急激な変化のある音やリズムの動きのある曲にします。ドラマーを考えてみましょう。彼はただ、ドラムを上下に打つだけではないのです。わくわくするようなドラムをたたくためには、彼の動きは大きく幅広く上に跳ね上がったり下がったりする必要があります。その動きが私たちをわき立たせるのです。ドラム自体が興味をそそる音を出すのではなく、ドラムをたたく人間であり、また彼のすべての動作、顔つき、その他すべての動きが総合されてそのような音をつくり出していくのです。こうして出てきた音が、聴衆者に響き、共鳴をもたらし、興奮へと導くのです。バイオリンは、細い弦を使う楽器です。非常に女性的で、美しい音を奏でます。しかしこのバイオリンにも、高い音と低い音があり、大変音の変化の激しい楽器です。太い弦は低音を、細い弦は高音の響きを奏でます。この弦によってバイオリンの美しさを奏でているのです。 調和による美 人類の東と西の融合を考えたら、バイオリンと比べることができるでしょう。皆さんは、バイオリンの低音部の弦のようなものです。アジアの文化は、まるで高音でバイブレーションは極めて高く、貫く音を出します。歩き方も東と西とでは、大層な違いがあります。アメリカの人たちはターザンやキングコングのように歩きます。しかし日本人の歩き方は、小刻みです。ダンスを見ても、調和のとれたよいダンスを演出しようとすると、ここでも日本人のような小さな動きと、アメリカ人のような大きな動きの両極がなければならないのです。こうしたすべての動きが総合的に結ばれ、一つの調和された動きとして描き出される時、そこに偉大な芸術がつくり出されるのです。 調和という言葉を用いる時、その言葉は単に同じものを結び合わせる目的のために存在しているのではありません。調和の状態が美を生み出す時は、両極端に異なるものが融合し一つの美を創出する時なのです。調和の価値は、相異なる二つのものが結合し、一つの意味をかもし出すことによってつくられるのです。ではいつ、それがなされるのでしょうか? 皆さんは花が好きですか? どんな種類の花が好きですか。赤い花ですか、あるいは黄色ですか? 一人一人違った好みをもっていると思います。もしすべての人が、黄色だけを好んだとしましょう。そうしたらその世界は、たちまち黄色と化し、黄色の衣服、黄色の口紅、黄色の化粧になってしまいます。その世界は、実に色の地獄になっています。気の狂った世界です。 宇宙の神秘とは何でしょうか? 調和です。すべての色を統合した時の調和です。ある時は黄色、赤色、青色、それが混じり合ったもの、斑点のあるものなど、様々です。様々な色があるから、私たちはいろいろ解釈鑑賞することができます。私たちの心情をいろいろ反映することができるのです。そこには美があり、私たちはその美に決してあきることがないでしょう。 人間にある調和 朴普煕先生を御覧なさい。けさ朴先生は、様々な色を携えているでしょう。黒い髪と少し日焼けした額と唇、それに灰色のスーツ。一人の人の中に既にたくさんの異なった色があるのを見つけることができるでしょう。女性は、自分自身を引き立てるために、何か一つよけいに装います。ネックレスとか指輪とか装飾品を身につけます。皆さんは、いつも同じものを身につけますか? 一つ一つ違うはずです。赤い色の服を着た時、それにマッチしたものを身につけるはずです。マッチするということが、つまり調和ということなのです。 あなた方は、すべての人が例外なく青い目をもってほしいですか? 私の目が黒と茶であるという理由だけで、私のことを「ノー」と言うのではないでしょうか。皆さんは、心底では青い目が好きなのでしょう。それでは皆がみな、青い目、青い歯、青い舌をしていたらどうでしょう。その上に青い顔であるとしたらどうでしょう。なぜ神は、そこに青い目を与えたのでしょう。白い肌と高い鼻それに黄色い髪、その中にちょうどうまく対照的に調和するようにはめられた二点、それが青い目だったのです。まるで二つの小さな池のように。 特にアメリカ人の鼻は高く、目は深いので奥をのぞき込むのに何マイルも行かなくてはならないのです。考えてもごらんなさい。目の井戸の奥深い所が黒であるとしたら、何か恐ろしくある意味では地獄のようです。しかし神は、黒い目を収められなかった。神は青い目を置き、そして劇的に美しさと完全な調和をかもし出されたのです。皆さん、私の説明はなかなかよいとは思いませんか。黒い歯をずーっと並べた人を想像してごらんなさい。たとえその人が笑っても、恐ろしい顔に映ります。 被造物を見ると、神は実に見事な芸術家だと感じます。それを観察すると、それ以上に優れた調和は考えられません。すべてのものがうまく調和しているのです。東洋人の顔は、特に女性の顔は平たくつくられています。神は、その顔に合わせて目の色を与えられました。神は、いかにして事物をマッチさせるかを知っておられます。ですから被造物は、実に美しく調和を保って創造されているのです。 交わる時の混乱 極と極とが出合い統合して、調和の美がつくり出されます。暗黒の世界も二つのものが出合う時、そこにはいつも、何か稲妻のような閃光があるのです。文化の最果ての極、すなわち韓国からきたアジア文化、それを代表するアジア人のレバレンド・ムーンに、その逆の極地にあるアメリカの若者がなぜ従うのですか? 私たちは、ここに東と西の両極を合致させ、調和された文明へと統合して、宇宙的な美をつくり出すために集まっているのです。 ところがあなた方の両親の多くは、私に反対しています。川が流れる時、いつもどこかに何らかの妨害物があります。水が岩を打ちつける時、そこにはざわめきや混沌、そういうものがつくり出されるのです。ですから二つの巨大な文明圏が一つの融合となって交わり合う時、必然的にどこかで生じる騒動は避け得ないのです。しかし、ある混乱や騒動が生じても、しまいにはそれらも統合されるのです。それは水がすべてつながり合っているように、一つの主流に最終的に巻き込まれていくのです。一度主流に加わったものは、主流の先を越えていくことはできません。どこまでも主流と共に流れていくのです。 現在、両親が反対し否定的であったとしても、時は、必ず来るのです。ぶつぶつ文句を言いながらも、しかも我知らず両親はこの遠い流れの末端に連なって、従ってくる時が必ず来るのです。そうすることによって、また一つの大規模な融合がなされるのです。川の流れは、あらゆる種類の動きがあります。急流、うず巻き、混沌、激突が行われ、主流へと流れ込むのです。しかしその動きが滝にさしかかるとしましょう。その時は、すべての水の動きが前向きへと向かってしまうのです。 味わいある水 あなた方が山へ行くと、たくさんの岩やあらゆる形をした小石や、多くの種類の木々を見つけるでしょう。この無数の岩石や木々を通り抜け、わき上がって出てくる水は、実に健康に良い水なのです。それは、この水があらゆる種類の物質からたくさんの要素を吸収して、うまく調和されているからなのです。 私は時々、美しい山の鳥がなぜ山に住むのか、と考えたことがあります。それは、美しい水がそこにあるからなのです。ですから山から離れ去ることができないのです。このように、すべて論理的になっています。山を流れる川、入り江を形成する小石の一つ一つ、崖に突き出る岩々、山川草木のあらゆる色や形や種類は、全体を美しく調和的にまとめ上げているのです。その一つ一つが重要な役割を果たし、何物も無駄な存在とはなっていないのです。こういう観点から見ると、すべてのものがより一層美しく映えてくるのです。 あなた方も、高い山に登りわき水を見つけてごらんなさい。山からわき出る水は、決して人を害するものにはなりません。山の鹿やトナカイを御覧なさい。いつも澄んだ水を飲み、清い美しい公害のない空気を吸って、あんなにたくましく、健康的に速く走っているではないですか。すべては一言に尽きます。それはハーモニー、調和されているからです。調和された世界とは、画一化され編成化された世界のことをいうのではありません。調和とは、個々別々にそれぞれが各自の独特の個性を発揮しながら、互いに引き立て合っていることなのです。何が山を素晴らしくするのですか? あなた方は、高く伸びた松の木だけが山を美しくすると考えるのですか? そうではありません。一種類の木だけではなく、すべての種類の木々、巨大な木、曲折した木、様々な影と色を映し出した木々が、その山の美しさをつくり出しているのです。 出会いの理由 本来の話に戻りましょう。私たちは、なぜここで出会うのですか? なぜハーモニーが必要なのですか。なぜ東と西の文化が出合うのでしょうか。またどんな調和で、どんな目的があるのでしょうか。それを話すために私は「再会の心情」という題を選びました。外的な統一、一致だけだとそれは浅薄なものです。そこには深く心情的な愛を中心とした理由があるに違いないのです。出会いの、何かの理由が。 この世には、あらゆる研究分野があります。その中でも、最も私が重要だと考える研究分野は、調和についてだと思います。もしある大学が、調和科という学部を設けたとして、その学部で研究した学生が結婚する時、単純な画一化された同種の文化民族同士の結婚を願うと思いますか? きっと願わないでしょう。皆さんは、反対の人を願うといいました。では白人に対する反対というと、それは黒人です。これは、実に意味深いことです。アメリカには、白人と黒人がいます。全く正反対の者が、共に住んでいます。これには、いったい何の目的があるのでしょうか。そして今日、アメリカには完全な調和が見られますか。調和を保てない理由は、どこにあるのでしょうか。いったい、誰に責任があるのでしょうか。率直にいって、調和を妨げるきっかけをつくっているのは誰ですか。黒人ですか、白人ですか? ここアメリカには、全く調和がありません。神様は、二極を組み合わせ調和をつくろうとされてアメリカを祝福されました。ですからこの国の不調和に対する責任をとらなくてはならないのは、まずもって白人です。神は、アメリカ人が世界の中でも最も調和学部を必要とする国であると思っておられます。あなた方は、調和学部の生徒でなければなりません。そしてあなた方が、この特別課目をよく修了した時に初めてこの世界に調和が見られることでしょう。 昼の文化と夜の文化 真昼は明るく膨大な太陽の陽光が、全くその逆の立場にある真夜中に向かって照らし出すのです。しかし真夜中を通過しなくては、翌日の真昼を迎えることができません。もし真夜中の暗闇を通過することを欲しなければ、次の日の真昼の中に現れることはできないのです。 今日、西洋文化は、原則的に白人文化です。白人文化は、非常に尊大であり、また権威主義的なのです。例えば、「我々白人文化は、他に何もいらない。最高の文化である」と言っています。他の原始的で暗黒の文化や黄色人種の文化を排斥したりして、自分たちのみが生き残ろうとするのです。それは、あたかも真夜中を通過することを拒否する真昼のようなものです。そして二度と再び、次の昼を迎えないでしょう。他を排斥するような西洋文化圏に住む人々が、どれほど必死になって食い止めようとしても結局は滅んでしまうのです。 今日、西洋文化は、真昼のような最高の明るさの中にありますから、今後の西洋文化の方向性は、原始的で暗い文化のような人種の暗い文化へと移りつつあるのです。西洋文化に、他の何ものかを混ぜ合わすように努力すれば、新しい創造と新しい日が始まるのです。もう一つの栄光に満ちた繁栄が訪れるのです。そうしなければ西洋文化は、何の希望もありません。 さて、どちらが完全な調和に近いでしょうか? 高い文明は高い文明にとどまり、低い文明は低い文明にとどまっているのと、二つの文明が互いにその位置を交換するのと、どちらが完全な調和をつくり出せるでしょうか。かつてのギリシャも、彼らは自分たちの文明の精華を悦楽していました。彼らは、その文明が永遠に存続するものと考えました。また強大な力を誇ったローマ帝国も同様です。彼らは、自ら享楽している文明が未来永劫に存続する、と考えていたのです。彼らの文明が滅んでしまうなどとは、誰も考えたり予感すらしなかったのです。しかしいつしか、いずれの文明も滅亡してしまったのです。 今日、最高の頂点を謳歌している西洋文明も、夜というものを探し求め通過していくビジョンがなければ、かつて不滅を誇ったすべての文化と同じく、この文化もまた消えていくのです。それが自然の理であり、普遍的法則なのです。例外のない何人も避けることのできない真理なのです。 和合者による調和 このように調和が、文化を存続させたり繁栄を約束したりする鍵になるのです。そしてこの調和をつくるためには、和合者がいなければなりません。ゴム糊とか接着剤のような、間に来るような人物がいなくてはなりません。しかしこれは、一瞬の内にできることではありません。原理的で規則正しく厳正な過程を経なければなりません。例えば極と極である白と黒とが調和されるためには、その中間色である黄色がこれら二つの中間に立たなければならない、ということは論理的に正しいのです。ですからあなた方は、神様がなぜレバレンド・ムーンをアジア人種の中から選び出したか、明瞭になったと思います。調和をつくり出すためには、絶対に和合者や媒介者が必要なのです。 神は、白人と黒人とが険しく激突している事態に遭遇しているこのアメリカに、レバレンド・ムーンを連れてきました。私は、一本の腕で白人を支え、もう一本の腕で黒人を支え、踊りを踊りながらバランスを保つよう努力しているのです。私は、二つの人種を闘いの形相から微笑の形相に変えようと試みているのです。今、白人が私を拒絶する割には、黒人が私に親愛の情を示しているということは、非常に驚くべきことです。ある意味では素晴らしいことですが、これは神様は黒人だけが好きだとか、白人だけが好きだということではありません。神が人類を救済するために、こうした現象が起きつつあるのです。このことは、重要な真理なのです。 二つの脅威 白人文化すなわち西洋文化には、基本的に二つの脅威があります。この二つの脅威のゆえに西洋文化は、滅亡の危機を通過しつつあります。一つは、共産主義によってもたらされ、もう一つは、黄色人種によって引き起こされるものです。このことは、西洋人自身が認めている事実です。そしてこのことに対して彼らは、非常に神経質であり偏執病的であり懐疑的です。彼らは私に対してさえ、「彼は共産主義者ではないか。彼はイエロー・パワーの中心的人物ではないだろうか」などとささやき合うのです。 さらにこのイエロー・パワーと共産主義の力とが一つになって、あなどり難い勢力として西洋世界に対峙しているのです。それが中共です。アメリカは、今この国に恐怖を感じております。共産主義国家中共は、巨大なイエロー・パワーなのです。ですからアメリカは、中共の関心を勝ち取るために、外交使節を送ったり上手に振る舞ったりしております。しかし中共の共産主義者たちは、「我々は真の友人をもっている。だからアメリカは出ていけ」と言っております。アメリカ政府は、中共を相棒にすることができませんでした。これがアメリカのおかれている現実的な立場です。 なぜ太陽のもとにおける最強最大の国家アメリカは、中共に威{い}嚇{かく}されているのでしょうか。なぜ建国三十年前後の中共に、アメリカが関心を払うのでしょうか。それは、西洋文化に打ち勝つ何ものかが押し寄せてくるのを感ずるからです。イエロー・パワーと共に共産主義という巨大な津波が打ちかかって来るのです。そこに一種の恐怖を覚えるのです。しかしこれは、必然的な一つの歴史の流れなのです。 もう一つのイエロー・パワー 私は、同じ領域のアジアから来ましたが、私の道は中共とは全く反対の立場です。現実問題として共産中国は、イエロー・パワーと共産主義とを合わせもって現代のアジアに恐るべき勢力を築きました。一方私は、共産主義とは全く逆の立場から、もう一つのイエロー・パワーとして登場してきました。彼らは、「神は存在しない」と主張します。しかし私は、「神は実在する」と訴えるです。 今日、共産中国は、「我々は、実に長い年月にわたって辛苦をなめ続けてきた。しかし今や我々は、共産主義によって世界を征服する。我々黄色人種が世界を征服するのだ」と言っています。しかしもう一つのイエロー・パワーである私は、「いいや、我々はそれは許せない。我々がなすべきことは、全人類が一つの共通の親、すなわち神のもとに一つになることである」と言って西洋の若き青年たちあなた方と結び合い、巨大な神の基盤を築いているのです。 これらの二つのイエロー・パワーは、現在互いに面と向かい合い、また激しい戦いの中に対峙しているのです。しかし私は、西洋文化に対するイエロー・パワーの脅威から彼らを防御するために、西洋文化にアプローチしているのです。私は、巨大なコンテナー(入れ物)としてこの容器を満たすべく、アメリカという西洋世界に参りました。私たちはこの容器の中をまだまだ材料で満たさねばなりません。そしてやがてこの容器がいっぱいとなり、あふれ出すような時が必ず来るのです。何者もこの巨大な潮流に逆らうことは不可能なのです。私はこの巨大なパワーが、神の願いのごとく働くことを願っています。そしてこれは、単に黄色人種のためのものでは、絶対にあり得ないのです。西洋文化と全人類を救済するために、すべての人種を黒人や黄色人種などの区別なく、一つの大きな流れとなるのです。ナイアガラの滝よりも、もっと巨大な流れに成長してくるのです。 統一教会の行く所 それでは統一教会は、いずこへ行くべきでしょうか。統一教会は、この潮流を動かさねばならないのです。私たちが高い位置にあるとするならば、一番底辺に降りていかなければなりません。また仮に、一番低い所にいるとするならば、最頂へ向かわなければなりません。現在、統一教会は、アメリカにあって底辺にいるのです。今あなた方は、この国を神の方に向かわしめるための、準備をしていますか? 今からこのことが、現実的な問題として展開してくるのです。ですから私たちは、底辺から頂にはい上がっていくのです。そしてその次に私たちは共産圏に向かうのです。海が熱帯地方の水が北極に向かい、北極の水が温暖水域に向かって流れていることは、一般的事実です。すべては、回転しなければならないのです。 人類の文化の流れも、同じように回転しています。古代文化は、熱帯文化でした。インド文明もエジプト文明もギリシャの文明も、すべて熱帯か亜熱帯地域に属しているのです。現代文明は、温帯文明圏にあります。例えばアメリカ、西ドイツ、日本、イギリス等々の国は、みな温帯地域の中にあって世界的な大きな勢力になっているのです。そして歴史は必然的に、寒帯地域に向かうようになるのです。それが共産主義のソ連です。ですから今日、この寒帯文明は、全世界に吹きまくり暴風雪をもたらしているのです。 しかし聖書的歴史から見ると、元来人類文明の源エデンの園は、熱帯地域にありました。これが秋に相当する涼帯文明に移行し、さらに現在共産諸国が存在する冬の文明である寒帯文明へと移ったのです。私たちの生きている所は、涼しい秋の季節です。共産主義が、この秋の文明圏に吹き暴れ、冬の到来を告げています。 新しい世代の種子 すべての葉が色づき落ちていきます。そしてそれと同時に、秋は収穫を代表しています。収穫とは、新しい世代を約束する種子がある、ということを意味しています。葉が落ち実が落ちて、木は枯れ木となりますが、その実の中に種子が威厳をもって存在しています。冬が過ぎてやがて春に相当する新しい文明が、種子を蒔かれて誕生するのです。では誰が、この新しい人類の種子になるのでしょうか? 私は、あなた方に人類文明の流れが、正確に復帰のパターンに当てはまることを知ってもらいたいと思います。復帰には、ある基本的な骨組み、筋道があるのです。中心点があるのです。それがすなわち種なのです。種子は、外皮の中に隠された要素で、どんな天候にあっても腐らない、いかなるものにも勝って堅いものです。新しい日が来るまで、じっと耐えて自己を守っているのです。種子は、ある意味で小さく醜い存在ですが、内部には強力なパワーをもっています。どれほど寒い冬が襲ったとしても種子だけが春を迎えるのです。そしてこの厳しい冬が種子を鍛え上げる唯一の助けになるのです。 これは、歴史的な原則であって、私が作った特別な理論ではありません。ではどこにこの真実を見いだすことができるのでしょうか。この新しい生命の道、信仰の道は、共産主義によって犯されるような弱いものではありません。共産主義も、西洋文化も他のいかなる思想、宗教、イデオロギーも、この生き方に対して何の力ももたないのです。種子は、四季のいかなる温度によっても影響されず幾十年幾百年も生命を保ち続けるのです。その種子こそ統一教会なのです。 あなた方は、本当に自分たちがいかなる厳しい天候にも生き残り、春を迎えることのできる種子になっていると実感していますか? こういう概念を、今初めて気がつき意識するようになったのでしょう。そして賢明なあなた方は、その考え方を私から盗んで自分のものにしようと思っているのですから、泥棒みたいですね! ここであなた方が、間違いなく種子になれるという絶対的確信をもったとしたら、これは歴史的事件です。良い意味で重大な問題です。あなた方は、巨大な力の源泉になるのです。 冬を通過する種子 けさの私の説教を要約すれば、一つの力強い黄色い勢力、イエロー・パワーが、他のもう一つの中国という神を否定する勢力に、相対するようになるということです。私は、地球上のすべての人種を神という共通の父母のもとに導きつつあります。それは、言葉だけのことではなくして注目に値するイデオロギーをもっているのです。私は今日まで、み旨を実らせるために、巨大な文化を築くために、様々な試練を乗り越え何回となく冬を過ごしてきました。ですから、あなた方も訓練されなければなりません。 西洋文化は、秋の文化に相当しています。秋は急速に過ぎ去っていくのです。そして今日、人類の前に冬が戸をたたいて訪れているのです。私たちが一粒の種子になるためには、冬の冷たい気候に耐え得る堅い殻が必要なのです。そのためにあなた方は、規則正しく厳しく訓練されなければなりません。アメリカの人々は、夏が来ると涼しい所に避暑に行き、冬が来ると暖かいマイアミビーチに出かけています。統一教会は反対です。私たちは冷たい気候で衝突する。また暑い気候の所で衝突する。それに出会い勝利する。これが私たちの生き方なのです。あなた方は、堅固な種子になりましたか? 共産主義のような、冷たい天候に試される準備をしていますか。彼らの拷問にあい、信仰の放棄を強いられるようなことを、考えたことがありますか? 実際問題として、あなた方は相当の問題児とされています。誰もあなた方を、正しく評価していません。しかし私たちは、歴史の必然的流れが明確に分かっています。ですから寒い冬の中でも、私たちは元気はつらつになるのです。やがて春が来て種子が芽生えるように、私たちの時代と希望が実現されるのです。 中和文化の到来 今、私たちは、人種と文化の異なった環境から集まり、ここで出会っています。ここで私たちのなしていることは、清く崩れることのない何ものかを、互いに交換し続けているのです。一粒の堅固な種子となるためには、いろいろな要素からエネルギーと成分とを吸収する必要があるのです。土、水、肥料と太陽光線などが一つになって初めて、一つの種子を形成するのです。美しい白人の女性たちは、どう思っていますか? あなた方は心の中で、“私は黒人も黄色人種も好きではない”と考えているのではないですか? それとも人種偏見から完全に抜けきっていますか。黒人の女性たちは、どうですか。今もなお“白人には我慢できない。たとえ原理を聞いたあとでさえ嫌だ”と決心しているのではないですか? 私は、きっとあなた方が神の愛のもとで、互いに一つになっているのだと信じます。 私たちは、互いに不滅の美のエネルギーを引き出し合っているのです。ですから不滅の種子を創造することができるのです。やがて春が到来します。新しい日、理想の世界が到来するのです。それは春の文化であって、私はこれを中和文化と名づけます。中和とは、中心的調和あるいは中心的平和を意味します。あなた方は、この中心的調和の要素になる準備ができていますか? 今、人類歴史は、春の文化に向かって移動しつつあります。それがエデンの園、すなわち地上天国なのです。それが人類歴史の最終目的地なのです。 神の愛による種子 一粒の種子は、いったいどこから来るのですか? レバレンド・ムーンからですか? その種子の原因は、神御自身です。神が根であり、あなた方が種子です。神は愛のプロセスを通じてこの種子を創造されました。この愛のプロセスにあって神の愛の丹精あることによってのみ、種子が堅くなる道があるのです。 私たちは、基本的に二つの調和的愛をもっています。一つは人類の愛、人間性の愛であり、他は神の愛です。二つの愛は、一つの愛の中で調和しなければなりません。円は、ある点を中心に回転しています。この円運動が中心点に来れば、再び中心点外に行かざるを得ません。自由に内と外を動くことは、行き詰まりがありません。この円運動の中心点は、運動の中心、核心です。そしてこの位置を占めるために、メシヤが来られるのです。メシヤによって天的愛が中心からもたらされ、私たちは外に出ることができるのです。 今日まで、この人間と神の愛の完全に調和した理想社会は、単に理想としてあるいは、夢の世界に存在するものとして考えられてきました。メシヤは、この不可能と考えられてきた現実を、実際的なものにされるお方なのです。そしてそれが今は、手の届く所にあるのです。統一教会は、この目的を達成するために誕生しました。レバレンド・ムーンの最大の貢献は、人類と人類歴史に対して一つの共通の目標のもとに、人類を一つに織りなし、神の愛によって一つの調和的理想を実現していくところにあります。 争いの原因の統一 今日まで、常に、北と南の間には争いがありました。アメリカも例外ではありません。南部と北部が互いに敵となり、南北戦争を引き起こしました。東洋と西洋も互いに戦ってきました。このことは、国家間の問題だけではありません。家庭にあっても、団体同士も、常に争いがあったのです。 何をもって、私が勝利している、といえるのでしょうか。それは、争いの原因を統一させることによってです。私はそれを試みているのです。小さな韓半島にあってさえ南北の人々は、それぞれがプライドをもち互いに敵意を抱いています。彼らは、歴史的に憎み合ってきました。しかし統一教会の結婚では、南北の一致があるのです。初めは南部の花婿と北部の花嫁は、互いに敵同士のように相対し、まるで二人の騎士が決闘をして捕らえているようでした。しかしやがて二人は、微笑し夢中になり、ついには最高の幸福をつかんだのです。この二人ですら初めは敵同士のようだったのですから、家族がどれほどの関係であるか言うまでもありません。しかし彼らも、いつしか花婿と花嫁の喜びに包まれてしまうのです。そして今では、韓国にあって大勢の青年たちが、「今度の合同結婚式はいつか。自分も加わりたい」と外部の人までが興奮を抑えきれないでいるのです。小さな波が、津波のように大きく成長しているのです。日本も同じです。初めは反対したけれど、今では、統一教会のカップルを見守っているのです。 アメリカでも同じです。私の一挙手一投足を色メガネで見ながら、「次の結婚式はいつか。アメリカの青年たちの反応はどうか」と言っているのです。しかしいつかは理解されるようになるのです。全世界の人種が一つになる一番近道は国際結婚しかありません。二つの全く違った文化圏と環境から選ばれた男女が、神の愛によって仲むつまじく一つになる。これが完全なる調和と統一なのです。 神の心情を知る私たち このような空想を実現するのが、私たちです。偉大な仕事を成就するために、私たちは巨大な愛の力を探らねばなりません。ただ最高の愛の力によってのみ、そのような力を発揮するのです。社会の動きや環境によって翻{ほん}弄{ろう}されるような愛ではありません。最高の愛こそが、国境を越え、人類の境を越え、文化の境を越え、知識の境を越えるのです。 人類歴史を通じて展開してきた人類愛は、こうした壁を乗り越えるには限界があります。私たちの統一教会は、一なる神の愛と神の心情を中心に存在しております。統一教会は、人類歴史上初めて神の心情を語る、最初のグループになるのです。神の心情は一度感ずると、朝の太陽のように広がり、誰もとどめることはできません。さらにその輝く朝の光が、全世界をあまねく照らし出すのです。人間には一つの中心的ポイント、心があります。それは全人類を代表して神の愛を人間の基準につなげる点です。それは一つの点にとどまることはありません。遍在的であって、全地にあまねく広がり内外に出入りし授受作用するのです。神の心情、仮にあなたがそれを中心に回転する時、あなたの意図は、神の心情と出会うことでなければなりません。 そしてその中心点と出会ったら、あまりに美しく圧倒される経験のゆえに、再び外に出ていくのです。神の心情に出会って、外に向かってはじき出される時、家族や、社会や、国家や、世界を抱き抱えたいほどの興奮を味わうのです。このようにして私たちは、あらゆる国内を通過しながら、地上天国実現へと向かうのです。 これが、喜びの再会、心情の再会に関する中心的真理です。東洋と西洋が、共に出合い、喜んでいる。二つのものを一つにつなげる中軸、核心が神の心情なのです。私たちは、言葉でもって十分に神の心情を表現することができません。しかしそれは、私たちの心を温め力づけてくれます。あなた方が、心の空虚さを感ずることは間違いです。あなた方の心の中に、その中軸に神の心情の動きがないならば、たとえ統一教会員であっても、内面に空洞を感ずるのです。神の心情がすべてです。神の心情が心の中に入り住みつくようになれば、一人でいても決して寂しくはありません。すべてが充実してくるのです。完全に満たされた人は、完全に幸福なのです。 幼い子供が外から帰った時、兄や姉が楽しく談笑していても、もし母親がいなかったらその子供は、「誰もおうちにいないの」と言います。実際は、楽しく優しい兄と姉がいてもです。それは、母親がいなかったからです。すなわち母親が愛の主体者だからです。愛の中心、中心軸がそこにあるので、皆は満たされ無心に振る舞うことができるのです。 今あなた方は、主体の位置に立ち、その愛を広めなければなりません。この愛を十分に捧げ尽くした時、理想の倍化と実現化があるのです。愛は、距離を超越します。そして愛のスピードに対して光の速さは、比べものになりません。愛は最も速く、最も明るく、最も満ち足りているのです。愛は最高の甘さです。全宇宙の中で、愛を越えるものは何もありません。例えば、退屈で味気のない人生を送っている女性が、この愛の可能性を知った時、突然彼女は、体全体が輝くばかりに変わるのです。このような奇跡は、ただ愛の力によってのみ可能なのです。脅迫や銃口ではできません。 統一教会の生き方 私は、あなた方に統一教会の生き方を、知ってほしいと思います。私たちの哲学、原理の核心は、宇宙の中心、神の心情に連結しているのです。私は、あなた方に私自身が統一教会にあって、最高のもの、最も光沢あるもの、最も甘美に満ちたものを所有しているということを、知ってほしいのです。 あなた方は、なぜ朝早くからここに集まって来るのですか。なぜそう好男子でもない私を見に来るのですか。私は、何のプレゼントも持ってきておりません。あなた方は私が愛の特別な力を発散していることを知っているから来たのでしょう。そしてあなた方も、自分で愛を広めていくことができるようになりたいからです。もちろん愛は、形に見ることはできません。しかし父母のいない家庭には、味わいがないのと同じように、私が存在しない統一教会は、無人のように感じられるのです。 私は、人間としてはあなた方と同じです。では、何が違うのでしょうか。私は、生涯神の心情を受けることに捧げ尽くしてきました。誰も私ほどには、神様のことについて知っている人はいないでしょう。神様を知っているだけでなく、神の心情を感じとっているのです。だから私は、神によって光を放つ愛を与えることができるのです。 あなた方は、太陽になることはできませんが、灯台になることはできるのです。あなた方が、街頭に出るとムーニーであることが分かって軽蔑されたり、つばを吐きかけられたりしたでしょう。しかし今、あなた方がいなくなれば、「あの快活な青年はどこへ行ったか」と言うに違いありません。もはやあなた方は、灯台になっているのです。そして人々は、これに気づくのです。私は、あなた方に灯台であるという、自信をもってほしいのです。灯台は、台風が来ても変わらないのです。まっすぐ立ち、もっと力強く輝かなければなりません。逆境の中だからこそ、より強く輝くのです。それが灯台の使命なのです。 私の立てた伝統 私はグロスター港に七十日間滞在しました。そこで私は、伝説的人物になりました。私が海上で錨を下ろすと幾隻もの船が集まり、遠くから双眼鏡で私を観察し始めるのです。反対派の人々は、「魚よ逃げてしまえ」と言っているのです。しかし魚たちは私に従順なのです。あまりにも早く魚を獲るので、皆びっくりしています。そして彼らは、“彼は何かつき運をもっている。悪く言うのはよそう”と感じ始めるのです。 私は、常に一番早く行きました。ですから私は、熟練の漁師たちにも良い影響を与えました。彼らは、魚を売った代金をみな酒に換えてしまいます。しかし私と競争し私を負かすためには、酒も飲まず一生懸命に働かなくてはなりません。まもなくうわさが広まりました。「この衰退しつつある漁港を救うのは、レバレンド・ムーン以外ない」と言うのです。市長も警察署長もこのことを言い出しました。 私は、例外なく毎朝三時に起床しました。三時三十分には、もう外にいました。月影の下に船は出航し、もう一つのムーンとの間でいろいろなことが起こるのです。ところであなた方は、朝早く起きることができますか? ボートのメンバーは、私に従うしかないのです。眠いなどとは言っておられないのです。この夏、私は金銭的にはもうけたものは何もありません。しかし伝統を立てた、ということでは何千億ドル以上の価値ある仕事をしました。今後この伝統の上で、あなた方が歩むことでしょう。伝統を立てる、ということは私にとってさえ、重労働です。しかし統一教会の後孫のためにも、伝統を築かなければなりません。これが私の七十日路程でした。 私がどれほど、伝統のために心血を注いだか、あなた方は知りません。七年間、私は二時間しか睡眠をとりませんでした。毎日毎日私は、原理を語り続けました。ある食口が非常に眠気に襲われた時、突然その眠気がすっ飛ぶような大きな衝撃を受けました。天使が現実に出現し、その人に、「何をしているのか。先生を見なさい。先生は毎日汗と涙と血の中で働き続けているではありませんか……」と叱ったのです。 アメリカの代表としての自覚 アメリカの兄弟たち、私のこういう話は多分、今まで聞いたことがなかったでしょう。私があなた方に願っていることは、既に昔、私自身が体験し、今も実践している内容なのです。あなた方は、決して不平を言うことができないのです。私の全生涯は、そうした経験とエネルギーと霊的力の豊かなる蓄積なのです。 私は、こうした財産をすべてアメリカにもって来て、すべてをアメリカに降ろしているのです。政治家をはじめ、世界のすべての人々は、この国に来ると何か自分たちの国にもって帰ろうとします。大統領は、たとえ小さな国の元首であっても、国賓として迎えるでしょう。また他の誰が来てもこの国は、お客として迎えるでしょう。しかしレバレンド・ムーンが、神のみ言を携えて来ても、誰一人迎える人もなく、反対に拒絶されたのです。 もしあなた方がいなかったならば、もしあなた方が私を慕っていなかったならば、私は、アメリカに関心をもつことができません。あなた方が私の力を引き寄せているのです。あなた方は、二億四〇〇〇万のアメリカ人の代表なのです。あなた方は、この国の希望です。この国の生命を守っているのです。あなた方なしには、アメリカは滅亡してしまうのです。統一教会は、神のみ言を中心にした統一と再統一の運動なのです。稲妻のように、あるいは雷の響きのように、私たちの運動は国中の隅々まで広げられるのです。私たちが神の心情を心に秘めていれば、私たちは、これをなすためのエネルギーをもつことができます。重要なことは、あなた方の心情です。激烈なる力をもっているか否か。そうした潜在的エネルギーをもっているか否かが重要なのです。 再会の日 きょうは、再会の日です。七十日後に再び私とあなた方が再会したのです。しかしより重要なことは、天と地が再会する場所だということです。あなた方が、きょうの再会を期して、エネルギーと心情をもってほしいのです。ニューヨークは、私たちの活動の舞台としては、狭すぎるのです。そういう思いをもってほしいのです。 「私」は、天と地の文化を一つにする中心であり、和合者である。「私」は愛の焦点である。「私」は神の愛の伝達者である。「私」はこの国に、春の季節をもたらす思想を広める無限なるエネルギーを保有している。そう自覚してほしいのです。 きょうは、そういう意味で新しい日、再会の日なのです。心情の再会の日なのです。私たちが、この再会の心情、愛慕の心情、神の心情、父母の心情をもつようになれば、新しい建設的で、創造的な力が生じてくるのです。私たちの動きを中心として、世界は回るのです。私たちは、本当に世界、文化を創造する発電機になれるのです。再会のある所に、目的がなければなりません。目的のない所は、誰も二度と出会うことはありません。目的をもって、それを達成した時、再び出会うのです。そのために準備いたしましょう。私たちの最終的ゴールを成就するために、再び前進しましょう。けさから違った私たちにならなければなりません。 そのような人は、両手を挙げて祈りましょう。神の祝福がありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.28
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「2021 神日本天運相続孝情奉献秋季聖火式」の本式典前のエンターテイメントの中で歌われたものです。「炎」Blue Sheep 2021.09.26 聖火式「ZETTAI ZENREI(絶対善霊)」Blue Sheep 2021.09.26 聖火式一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.27
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「医師となり、指導者となれ」(神学校卒業式でのメッセージ)1977年7月1日統一神学校で 御来賓の皆さま、著名なる教授の皆さま、卒業生の皆さま、紳士淑女の皆さま。 きょう一九七七年七月一日は、統一教会にとりまして新たなる記念すべき一日であります。また神の復帰歴史においても記念すべき画期的一日であります。きょう私共は、統一神学校の第一回目の学位授与を挙行することができます。 まず最初に私は、この記念すべき行事に御参列下さいました皆様に感謝申し上げたいと思います。そして卒業生の皆さまに心からの御祝いと、あなた方が、この学校において成し遂げられました価値ある業績に対し感謝を申し上げる次第です。皆さまの行く末一生涯、幸福に満ちたものでありますように、お祈り申し上げます。 きょうあなた方はこの愛すべき学びの舎を巣立ち立派な親愛なる教授の皆さまや、同級生に別れを告げようとしております。この時にあたって私は皆さまに二、三のことを申し述べたいと存じます。 私達が今日生きておりますこの世界は、混乱と混沌の世界です。これは、私達が生活の真の基準と宇宙の主体なる真の中心を決めることができない為です。この混乱は、個人、家庭、社会、国家、世界各々の生活の中に見うけることができます。私達は、今だ絶対的な基準や中心を見い出さぬままに生活しているのです。つまり世界は、まだ主を見い出していないのです。 歴史は、因果の法則に基づいて進みます。この原因は、いつも結果の中に現われます。私達が、悪の種を蒔けば必ず悪の結果を刈り取るのです。もし善の種を蒔けば善の結果が必ず生まれます。この世界が混乱し混沌としているのは、この世界が悪から始まった、間違いから始まったからです。悪の主人が、悪の基準によって歴史の種を蒔きました。そして、今日私達は、悪の結果を刈り取っているのです。 宗教においては、この悪の始まりを人間の堕落と呼びます。私達が、「堕落」という時、本然の状態からの出発を意味しています。堕落の結果は、病気の結果にたとえることができます。病気も、健康な状態から出発するのです。堕落の為に、神が予定した本然の基準と中心目的とは、実現されず、世界は今だ真の主人を知りません。 堕落は、本然からの逸脱ですから本然の状態を復帰する為には、堕落と逆の方向に動かなければなりません。この為に私達は、リーダーあるいは案内人が必要です。ご存知のように病気をなおす為には、病気の原因を診断し、正しい薬を処方してくれる医師が必要です。同様に私達の目的は、堕落以前の本然の状態に復帰されることですから、私達は、堕落が何によって起こったのかを、はっきり知っているリーダーが必要です。そうして彼は、その治療として、問題を解決し、この場合には、人類に救いをもたらすことができるのです。 堕落の原因と内容とを、本当に知っている唯一の方は、神です。そして神は、人間を本然の状態に復帰することを願っています。神のこの願いは、個人、家庭、社会、国家、世界の各々のレベルにおいて、実現されなければなりません。この仕事を果たす為に神は、リーダー達を選ばなければなりません。そして人間の復帰は、医師が病気を治ふ仕事にたとえられますから、神は、有能な医師を訓練する病院を建設する必要があります。 歴史を通して哲学と宗教は、神の為の有能なリーダーと医師とを訓練するのに役立ってきました。こうしたリーダー達によって神は、種々な人々と文化とを、神の絶対的な目的に向かう一つの統一した方向に導きたいのです。神は、本当に人類を最終的基準、一つの中心、絶対で調和のとれた永遠なる一つの主体へと導いておられます。神は、主人に人類を導きたいのです。 神の絶対、不変、永遠の基準を示し中心を示す為に神はメシヤを送ります。神は、メシヤを人類の主として送ります。メシヤは総合病院の外科医長にたとえられます。彼は、聖人義人の原型です。彼は取り替えのきかない、という点で唯一の者です。メシヤを個人、家庭、社会、国家、世界が必要としています。メシヤの必要性は、絶対的です。メシヤは、人類を復帰するという最終目標に導く絶対に確実なガイドです。 統一教会とその思想は、メシヤの仕事の為の世界的基盤作造りをするために生まれてきました。今日のあなた方の目標は、神とメシヤのみ旨を代表すできる真の医師と真のリーダーになることです。実際にあなた方は、神とメシヤの手足となり、体にならなければなりません。あなた方は、天の家庭、民族、国家、世界を建設する初めての者となり、最終的に本然の基準を定め、中心を示し宇宙の主体となる特権を持っています。 きょう私は、神の主なる伝統を受けついだ神の中に住む、真の医師、真のリーダーとなるようにと、あなた方を激励いたします。人類の救済の為に、世界に飛び出して、全世界の人々が、完全に神の御前に復帰されるよう導きなさい。あなた方は、神の医師でありリーダーです。神の豊かなる恵みがあなたの上にありますように。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.27
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「万物の願い」1977年6月17日(万物の日のみことば)マンハッタンセンターにて 創造目的 皆さんも良く知っているように、きょうは十五回目の「万物の日」です。そこできょうは、「万物の願い」というテーマでお話したいと思います。 被造世界はすべて創造目的を持って創造されています。「万物」という場合に、その中には創造されたすべてのもの、すなわち自然界のすべてのもの、それに人間も含まれます。ではこの観点から見た場合に、創造目的とは何でありましょうか。それは、神様のみ旨を達成するということであります。み旨の達成とはどういうことでしょうか。それは、神様の愛を実現することであります。神様はなぜ、この被造世界を創造されたのでありましょうか。それはただ単に、人間や自然をながめるだけのためではありませんでした。 神様が被造世界を創造された目的は、神様の愛を完遂するためであったのです。たとえ神様が実在するとしても、神様が愛の神でなかったならば、すべての物の存在は無意味なものとなってしまうでしょう。神様が真に神様であり得るためには、神様は愛の神でなければなません。したがって、神様は万物を創造することによって、愛の神たる存在の意義を達成しようとされたのであります。 すべての人間は真の人間になりたいと願っております。では、真の人間とは何か。その定義は何でしょうか。真の人間とは、真の神の、真の愛を受けることのできる人間です。それでは、聖なる存在となるためには、人間はどうすべきでしょうか。人間以外の万物は、真の神から真の愛を受けるという目的のために存在しているのです。真の人間は、神からの真の愛を受けるために存在しているのです。真の人間は、神からの真の愛を受けるために存在しています。 しかしながら、人間の堕落によってこれらの目的は、達成されなくなってしまいました。したがって人間の堕落以後は、神様の目的も成就されなくなってしまったのです。なぜなら、神の真の愛を受けるべき人間が、いなくなってしまったからです。神様は、人間を神の愛を受ける相対物として創造し、万物は人間から愛を受ける存在として創造されたのですが、中心存在たる人間が神の愛を受ける存在でなくなってしまったために、神様の創造目的は実現され得ず、したがって神様自体もまた、完成できなくなってしまったのです。 では、人間についてはどうでしょうか。人間は愛について良く語りますが、この世で人間が語り合う愛とは、はたして神様を中心とした愛でありましょうか。親は子を愛します。しかしその愛は、神様を中心とした愛ではありません。夫婦が愛し合うとき、その愛は神様を中心とした愛でしょうか。この世の人々が語り合う愛は、神様から離れた愛でしかありません。この世の人たちの間のあらゆる種類の愛、親子・兄弟・友人間の愛は、神様を中心とした愛でない以上、完全な愛とはいえません。 愛の水準 では、神様はこれまで何をしてこられたのでしょうか。神様は人間を創造本然の位置と状態に復帰しようとしてこられたのです。そのため、神様は宗教をてられ、これを通して、個人的レベルから世界的レベルに至るまで、人間を復帰しようとしてこられたのです。原理が説明しているように、復帰は一人の人間から始まります。神様は一人の男を立てて、一人の女を復帰し、これによって一つの家庭を復帰します。そうしてそれを世界的規模に拡大するのです。この一人の完全な男性、これがメシヤなのです。 メシヤの存在が必要とされる理由は何でしょうか。メシヤが来られる目的は、人間の不完全な愛を完全な愛へと完成することであります。堕落によって愛は、サタンに奪われてしまいました。そこで神様はメシヤを通して、このサタンに奪われてしまった愛を取り戻し、純化し、聖なる愛へと高めようとされるのです。このためには、サタンの下に置かれている人間を復帰し、神様の真の愛を受けることのできる人間をつくることです。これがメシヤの使命なのです。 したがって、復帰された人間は、神様の愛を受ける資格を持つためには、愛の水準をより高い水準にまで引き上げなければなりません。復帰された人間の使命は、サタン世界における愛よりも高い水準の愛を神様の前に示すことです。神様とメシヤは、サタン世界にいる人間いる人間を前のままで愛することができません。神様がメシヤを送られた時、もし堕落世界にいる人間がそのままで復帰されるのであれば、世界の復帰は極めて短時間でなされ、長い復帰歴史は必要なかったでありましょう。 宗教の役割は人々を教え、彼らがサタン世界におけるよりも高い水準の愛を身をもって示すときに、神様の愛が始まるのであります。だから聖書には、「あなたがたは誰よりも私を愛しなさい、父よりも母よりも兄弟姉妹よりも誰よりも私を愛しなさい。さもなければ、あなた方は私にふさわしくない」と書いてあるのです。これが正は、統一原理の核心でもあります。 私たちはこのサタン世界の誰よりも、神様に対してより高い水準の愛を示すことのできる者にならねばなりません。なぜなら、そうすることによって、神様の愛を受けることのできる者となるからです。だから男も女もすべての人間は、神様とメシヤを最高に愛するこにによって、人間として完成することができるのです。この理由により、統一教会ではこの道を歩まんとする者は、神様とメシヤを愛するためにすべての愛を注ぐ七年間の路程を歩むことになっているのです。 自分を犠牲にして努力する者 統一教会に入教後、三前ないし三年半この道を歩むことによって初めて祝福を受ける資格ができるという規則になっています。そして実際には、家庭を持つまでの準備期間として、さらに三年半歩むことにより、合計七年間の路程むことになっています。これは天からの大いなる恵みの期間です。個人から家庭、社会、民族、国家、世界へとすべてのレベルにおいて、三年路程が必要です。 入教後三年半経って祝福されたら、今度は共に夫婦として残りの三年半を歩みます。この期間はちょうどアダム・エバが堕落したのを乗り越える期間です。完成するために二人でこの期間を乗り越えなければならないのです。だから子供をもつものは、普通、祝福されてから三年った後ということになりるのです。これまでの祝福家庭は、三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭から今日まで、皆この路程を通過てきました。先人達がこのような条件を立ててきたおかげで、今回祝福された七十四双の場合は、七カ月の聖別期間を経て、子供をもつことが許されるようにちりました。 統一教会の目標は単純明解です。私たちが統一教会のメンバーになるのは、主に出会い、神様の愛を実現することであります。皆さんはきょう早くからここに集まって、私の話しを聞いていますが、内心では早く話しが終わったらいいのに、そうすれば早く街へ新聞販売に出かけることができるのに、と思っているかもしれません。なぜそのように心が動くかといえば、それは神様自身がそれを望んでおられるからです。このように神様の願いを知り、それを実現しようと努力する者は、神様からの祝福を得る資格ができるのです。 神のための仕事をすることによって、皆さんに将来、妻または夫にふさわしい人間となっるように訓練されるのです。皆さんが神の願いをはたすために街頭に出て行くのは、いわば将来の妻や夫にためでもあるのです。エデンの園において、もしアダムが男として一生懸命にその責任を果したならば、エバはそれほど苦労しなくても共に祝福されたでしょうし、また反対に、もしエバがアダムの分まで努力したならば、アダムはそれほど働かなくても祝福されることができたはずなのです。 堕落とは何か。簡単にいえば、神様を無視して、自分勝手な道を歩んだことです。神様の願う方向とは何かを知らずに、一生懸命働いても、神様から祝福を受けることはできません。皆さんが神様の願いを知って、そのために働くことは、つまり将来の配偶者や子供を幸せにするための貯金をし、道を直くすることになるのです。このように神様を中心として働くということが、サタン世界から脱却するために何よりも大切なことなのです。 サタン世界は個人から家庭、氏族、民族、国家、世界へとあらゆる水準に存在しています。したがって、神様の道を歩まんとする宗教者は、あらゆる段階においてサタンから防害され、攻撃されるのです。真の宗教者はこれらの迫害に直面しても屈することなく、サタンと対決し、これを乗り越えてゆく決意を持っていなければなりません。だから結論として言うならば、もし真に神様と人類のために、自分を犠牲にして努力する人々のグループがあるとすれば、神様は必らずそのググルループを通して働かれ、そのグループは必ず世界的になるでしょう。それは間違いにのない真理です。そのような立場にあるグループが統一教会です。 発展と勝利の秘訣 これまで歴史上、数多くの宗教団体が存在しましたが、統一教会ほど急速に世界的になり、かつ世界的に迫害されている団体はありません。統一教会の創始者レバレンド・ムーンは何者か。その特徴は何か。レバレンド・ムーンは一つの小さな国の出身でありながら、かくも早く世界的になり、かつ世界的に反対を受け、迫害されている、という点において歴史上他に類を見ない存在です。そして、世界的な迫害の中にありながら、統一教会のメンバーはますます固く結束して、これらの障害を克服し、さらにそれを乗り越えつつあります。 神様の目には、これこそ世界的なサタンを打ち負かすことのできない無敵のグループであると映ることでしょう。なぜこのような強さがあるのか。それは私たちが何よりも神様の愛を求めて努力しているからであります。私たちは、神様の愛を受ける者となるためにはどのようすればよいかを知っています。それは、カインとアベルの一体化によって蕩減条件を立てるということです。 カインとアベルはお互いに敵であり、愛することができない立場にあります。サタン世界はこのために必ず分裂し、闘争が起るのです。しかし私たちは、これとは逆の道を歩みます。すなわち、お互いに愛し得ない者同志が愛して一体化するということです。これこそが発展と勝利の秘訣なのです。アベルとカインの関係において、アベルはより神様に愛される立場にあり、カインはアベルを通して神様の愛を受けるべき立場にあります。しかし、だからといってカインの立場にある者は、アベルの立場にある者に無条件で従うのが当然だ、などと考えることは誤りです。アベルの立場にある者は、カインの立場にある者が従順に従ってくることができるように、仕向けなければなりません。 カインは本来、アベルに反感を持ち、反発する性質をもっていますから、そのままでアベルを愛し従ってゆくことは、むづかしいのです。したがって、アベルの立場にある者は、誰よりもカインの立場にある者を心から愛し、身をもって教え導くことにより、カインの立場の者が心から喜んで従ってくるようにしなければなりません。そのようにするための中心的な要素は何か。それは愛であります。愛こそ二つのものを結びつける磁石なのです。皆さんは私を愛していますか。原理が正しい真理であば、このように私と皆さんとの間に愛の関係が存在するのは当然のことです。もしそうでなかったら、原理は真理でないでしょうし、私は世界で最もみじめな人間となることでしょう。 復帰の基礎 私は朝早く目が覚めるとすぐ、皆さんの仕事のために外に出かけます。もっと家で時を過ごしたら良いのにと言われることもあります。が、私はいつも外にばかり目を向けています。それはなぜかというと、私は親の立場であり皆さんは子供の立場にいますから、親として私は一生懸命働くことによって、子たる皆さんも親になってがんばってくれるように願うからです。そしてまた、私ががんばることによって、弟子たる皆さんにできるだけ多くのものを相続してもらいたいと思うからです。 私は独身時代には、北韓で拷問されたり、牢獄に入れれたり、あらゆる苦労をしまたが、そのような時でも私は希望を捨てずにいました。自分が苦労することにより、自分が築く土台の上に、将来自分に与えられる妻や子供は、それほど苦労しなくても幸せになれる。そういう希望を持って耐えました。皆さんもいかなる苦しさ、いかなる困難の中にあっても、私はそれによって将来の妻のため、家庭のために、今、蕩減条件を払っているのだと考えて、常に希望をもって耐えました。皆さんも今、同じような立場にいます。将来の妻や夫、家庭を幸せにするために蕩減を支払っているのです。 個人から世界に至るあらゆる水準の復帰の中で、最も困難なものは個人と家庭の復帰です。なぜか。個人と家庭こそがすべての復帰の基礎だからです。個人と家庭を復帰すれば、子供が与えられます。これが世界を復帰する基本的な基台となるのです。サタン世界の迫害がどんなに厳しくても、個人と家庭を復帰してあれば、それがサタンの攻撃から身を守る盾となるのです。この基台さえ確立すれば、後は大した危険なく進んでゆくことができるのです。 統一教会には若者が多く入ってきます。それはなぜかというとや神様が若者を多く送るからです。神様が願われることは、皆さんが若い間に大いに苦労することによって、個人としての人格を形成し、その人格の上に家庭を築き、そして築かれる家庭の上に世界を復帰して天国を築いてほしいということです。皆さんが個人のレベルにおいてみ旨のために働くとき、あらゆる方面から迫害を受けます。皆さんの家庭・社会・国家・世界が皆さんに反対し、迫害するでしょう。神様はそのようなとき、皆さんが決して挫けることなく、強く雄々しく困難に立ち向い、苦労して蕩減復帰の基台を打ち立てることを願っておられるのです。 神の愛を求める道 皆さんは時々、自分は孤独だと感じることはありませんか。誰も自分のことをわかってくれない。家庭からも反対され、教会のメンバーたちさえも、自分に同情してくれない。先生も自分のことはわかってくれない。そしてさらには、神様からも愛されていないのではないかと思うくらいや孤独でさびしいと思う時があるでしょう。そのような時こそ、信仰が試される時です。他人から何と言われようと、他人が何と思おうと、けっしてあきらめることなく、自分が正しいと信じる道を歩み続けると決意するならば、その瞬間、皆さんは信仰者として最高の基準に到達した時に、神様は無条件で皆さんを信頼することができるのです。そして皆さんは飛躍的に発展することができます。だから孤独の時、さびしい時こそ神様のことを思いなさい。神様を信じて、けっして希望を失わないこと、これが信仰者にとって大切なことです。 苦難に直面した時、たとえ自分の身が死んでもこの道をめくという決意と勇気をもちなさい。皆さんは死ぬのは惨めだと思うかも知れません。しかし神様のみ旨のために死ぬことは、けっして惨めではありません。それは敗北ではなく勝利なのです。全霊界が皆さんを英雄として歓迎することでしょう。なぜか。それは蕩減復帰の法則からいって当然のことです。皆さんは、神様のためにすべてを捨てました。愛する父母や兄弟姉妹、学校、職場、すべてをみ旨のために捨ててきました。だから神様はこのような皆さんに対して、すべてを与えようとされるのです。それが蕩減復帰の法則です。わかりますか。私は正にこのような道を進んできました。 皆さんの場合は、私ほどの苦労をしなくても済みます。私がすべてに先を歩んだからです。私の歩んだ道に従って歩めばよいのです。しかし私の場合は、誰一人教えてくれる者もなく、自分で切り開いて行かねばならなかったのです。わかりますか。安易な道を歩んでいたのでは、けっして私の道に従ってくることはできません。安易に思える道を自分なりに考えて歩んだとしても、結局は後戻りして再び元に帰ってこざるを得なくなるのです。 世間の人々は皆さんが統一教会に入って、私に従っているのを馬鹿にするでしょう。なぜそんな馬鹿なこと〆するのか、と笑うでしょう。しかし皆さんは、この道を歩むことが必要であることを知っています。なぜかうまく説明することはできないけれども、心の中の何かが、この道を歩むことが最善なのだ、と皆さんに命令しているはずです。それは皆さんの本心で、この道が究極的に神様の愛を追求していく道であることを知っているからです。私の場合は、この道を歩むに際して、目に見えない神様に従ってきましたが、皆さんの場合は、目に見える私に従って行けばよいのです。私たちは神様の愛に向って歩んでいます。だからこの道を歩むならば、何か気持が良いものを感じ、歩まない時は気持ちが悪い感じがするのです。それは本心がそのように働くからなのです。 男性・女性の願い きょうの話のテーマは「万物の願い」でしたね。それではその万物の女性たちの願いは何か。女性は自分を愛してくれる男性を得たいと願うものです。いかなる愛で愛されることを願うか。真の愛です。真の愛とは神様の愛です。要するに女性は、神様の代身者として神様の愛を与えてくれる男性を得たいと願うのです。皆さんが知っているように、神様は唯一絶対不変なるお方です。そして神様は人間を神の似姿として、永遠なる存在として創造されました。だから、人間が堕落しても、神様は人間を亡ぼしてしまうことはできず、人間を何とか復帰し、これを再創造しようとしてこられたのです。 だから真の愛とは何か。真の愛とは、神様の性相を代表するものでなければなりません。すなわち、永遠、不変、唯一、絶対的な愛です。だから女性は、このような神様の愛を表わす男性、すなわち、女性を唯一、永遠、不変、絶対なる存在として愛してくれる男性を得たいと願うのです。女性が求めるの自由でなく、自分を真に愛してくれる男がいれば、むしろその愛の因人となることを求めるものです。そのような男性の前では、何でも男性のいうままに従うことがむしろ喜びであるのです。私は自分が女性でないからら、女性の心理を全部わかっているわけではありませんが、原理から考えれば、女性というものの願いは何かがわかるのです。すなわち女性は、神様に代わって永遠不変、絶対的に愛してくれる男性を得たいと望むのです。そのような男性がいれば、女性にとってその男性は正に神様のように見えるものなのです。 では男性についてはどうでしょうか。男性も女性から同じようなことを求めます。そうでしょう。男たち、わかりますか。神様も正にそれを望んでいるのです。だから男性と女性がこのような水準の愛でお互いに愛し合う時に、神様を中心として一体化することができるのです。神様は分かれているものを結びつける力です。なぜ男性は妻を得たいと望み、女性は夫を得たいと望むかといえば、夫婦とちることによって神様の性質、すなわち、永遠不変、絶対なる愛を経験することができるからです。私たちの目標はこのような神様の愛を体恤した人間となり、愛の家庭を築くことです。 三つの愛 次に父母の役割は子供を教育することです。夫婦が互いに争っていたのでは子供を教育することはできません。子供が立派になるように導くための第一歩は、夫婦が互いに愛して一つになることです。万物の願いは何か。万物の願いは、そのような理想的な愛の関係にある人間から愛を受けることです。万物は神の愛、父母の愛、子女の愛の三つの愛を体恤した人間から愛されることを何よりも願っているのです。 予供は親よりも愛を受けるのにより良い立場にいます。なぜなら、子供は神様と親の両方から愛されるからです。アダムとエバの子供は、アダムとエバ自身と神様御自身から愛を受ける立場にいたわけです。親子の愛は縦的であり、夫婦の愛は横的であす。だから親子の愛の方がより本質的です。なぜそういうことが言えるでしょうか。たとえばアメリカでは、夫婦の離婚はたくさんあります。しかし、お互いに愛が冷えて離婚した夫婦であっても、子供に対する愛は冷えることはありません。子供は将来、神様の愛と結ばれるための希望であり、離婚した夫婦が再びよりを戻すためにもその拠り所となることを何となく本心は感じ、子供に期待するのです。だから離婚する夫婦は何とか子供だけは自分の手元におこうとするのです。 親がその子供を殺害したり、殺害されるような立場におくことは重大な罪です。なぜなら、神様さえもそのようなことはできないからです。そのような罪を犯す人間を、神様は赦すことができません。これと反対に、子供のために自らの生命さえも犠牲にしようとする親に対しては、神様はこれをほめ讃え、祝福されるのです。なぜなら、神様御自身がこれまで子たる人類に、自らを犠牲にしてきたから、そのような立場が理解してくれる人間がいることは神様にとって大きな慰めになるからです。 統一教会のメンバーである皆さんは、結婚して子供をもって時に、自分たちの幸せのために子供を犠牲にし、捨てることができますか。自分の喜びのなめに、子供を邪魔者扱いするような親は、それこそ地獄へ行くに値するといわねばなりません。動物や馬ですら、自分の子供を愛する本能をもっているにもかかわらず、まして人間でありながら、自分の子供を愛さないとしたら、それこそ動物よりも劣るといわねばなりません。そのような動物以下の人間が多いのが堕落した人間社会の実状です。 人間の価値を決定するものは何か。それは外見や財産や地位ではなく、愛であります。だから結論として言うならば、万物の願いは神様の愛、アダム、エバ、エバの愛、そして神様とアダム、エバから愛されている子女の愛、この三つの愛を受けることです。子供が親から受け継ぐものの中で最大のものは、神様の愛を体恤した親からの愛です。だから私たちは子供に対して、神様の愛を教え、受け継がせて行かなければならないのです。神様の愛がいかなるものであるかを子供に教えるめにも、親が神様の立場に立っち、神様の愛を実践することによって、子供に身をもって示さなければなりません。 真の愛で結ばれた家庭 統一教会のメンバーは、祝福を受けて結婚し、子供を持ったならば、もし子供に対して何か罪を犯したりしたならば、それは最大の罪であることを知っていなければなりません。その場合には、神様の前に悔い改めるよりも、むしろそれ以上に子供に対して謝罪し、子供との関係を償わねばなりません。それがもっと重要なことです。それによって子供が親を赦すならば、神様もその親を赦すことができるのです。 これと反対に、もし子供が神様の前に罪を犯した場合には、その親が神様の前で子供の立場で悔い改め、赦しを乞わねばなりません。その時初めて、神様はその親の故に、子供を赦すことができるのです。しかし神様がけっして赦すことができない一つあります。それは神様の真の愛を破壊する罪です。誰でも神様の真の愛を放棄し、顧みない者がいたら、神様はその限人を赦すことができないのです。なぜか。もし神様がそのような者を赦すことができたならば、何も復帰のために今まで苦労る必要はなかったはずであります。これまで何千年もの間、忍耐し、苦しむ必要はなかったはずです。神様が一つだけ絶対に妥協することができないのは、このことです。 人間が神様の真の愛を復帰する条件を自らの力で立てるよう導くために、神様はこれまで苦労してこられたのです。神様はいかなる犠牲を払っても、人間が蕩減条件を払って、失われた神様と人間との間の永遠不変、絶対的な愛の関係を復帰されようとなされるのです。この点において神様は、けっして安易な妥協をすることはできないのです。神様の真の愛を破壊する罪に対しては、神様は決して容赦できないのです。 この世界、とくにアメリカにおいては、夫婦が真に愛し合うことなく離婚したり、別居したりするケースが多くありますが、これははなはだしいことでです。統一教会においては、祝福を受けて結婚した夫婦は、お互いに愛し合い、信じ合い、助け合って、神様を中心とした幸福な家庭を築き、世の模範とならねばなりません。真の愛で結ばれた家庭こそ、神様の栄光と喜びを表わす博物館であると思わねばなりません。それこそが神様にとってすべての中で最も貴重な存在なのです。「万物の日」などの天の名節の日に、神様はその博物館を訪れて、神様の愛と美を表わした作品を見に来られますが、神様が何よりも見たいと願われるのは、夫婦が神様の愛を中心として創り出す家庭の美であります。そのような家庭を神様は探しておられるのです。 美の世界の実現 神様の願いは、神様の真の愛をアダムとエバが受け、それをその子供に与え、されにそれを万物に与えてゆくさまを見たいということです。アダムとエバの願いは、神様からの愛を子供に与え、そして子供がさらに万物に対して、神様からの愛とアダムとエバからの愛を与えてゆくのを見たいということです。また、子供の願いは、神様とアダム・エバからの愛を万物に与え、万物がそれによって喜ぶのを見たいということです。 このようなことが実現するときに、万物はこういうでしょう。「われがめはこれまで、被造物の中で最も下位に位置する取るに足らない存在だと思ってきたけれども、実際は、がわれわれは、神様とアダム・エバとその子供たちのすべてから愛される存在であるから、われわれが最も多くの愛を受ける光栄な立場にいるわけだ。だからわれわれは最も聖なる存在なのだ」と、こういって宇宙の万物は喜んで美を帰すのです。こうして万物は、神様に感謝し神様の栄光を帰すために、統一教会する宇宙の中心存在たる人間のために、人間の必要な食物や衣類やその他一切を与えるのです。 万物はこのようにして人間の身体をつくり、人間を生かし、人間に役立つことによって人間を通して神様に喜びを帰すことを彼らの誇りと思うのです。このように世界は本来、美しい聖なる世界であるはずだったのです。統一教会を中心とした美の世界の実現、これこそ万物の願いであり、神様の願いなのです。 皆さんは神様の代身者として万物に対してこのように考え、愛をもって接していますか。この世の多くの人々は、万物に対して感謝することもなく、いつも不平不満を言っています。このようなことでは、万物は悲しむし、万物からの美を感じることはありません。皆さんが台地を歩む時も、大地を愛する心をもって歩くならば、大地からの反応を感じることができるでしょう。文学作品や詩歌が、人々の心を魅きつけるのも、それらの中において、作者が自然の万物に対して愛の心をもって接し、それらの価値を理解して描いているからです。 神様は人間を被造物の中で最高の存在として創造されました。人間の中に森羅万象の要が含まれています。人間の身体の構造は、植物や動物の構造と似た面をもっています。人間の胃は植物の根に相当し、肺は植物の葉に相当します。また、人間は無形実体世界、すなわち霊界のすべての要素をも備えています。だから人間は、「小宇宙」であると言われるのです。人間が動けば、それは宇宙全体が動くと等しい価値をもっています。人間はそれほど貴重な存在なのです。 だから皆さんが真に幸福であれば、全宇宙が幸福に感じて喜ぶのです。だから人間は自分のためでなく、万物のために幸福にならなければならないのです。幸せに生きる秘訣は何か。それは常に感謝に心をもって、他者のために生きることです。自然を見るとき、神様の偉大なる創造の作品であることを知って讃美し、また感謝しなさい。そうすれば皆さんは地上天国に生きることができるのです。 統一教会の人生哲学 皆さんは三段階の蕩減の道を歩まねばなりません。独身時代には最も困難な苦労の道を歩みなさい。その苦労を長して、蕩減条件を立ててこそ初めて祝福を受け、結婚することができるのです。配偶者を得てからは、独身時代ほど苦しまなくても、また別の意味での蕩減復帰の道を歩まねばなりません。そして第三段階としては、子供をもってから、また新しい復帰の道を歩むことになるのです。 高様はこれまでずっと誰よりも苦しんでこられました。それは一なるアダムを得るためでありました。だから皆さんは、神様に祝福されるアダム、エバとして結婚するまで、最も困難な苦労の道を歩み、迫害を耐え忍ばなければなりません。苦労を通してここ、真に人格を磨き、愛を深めるこほができるのです。このような苦労の道を通過して夫婦になってこそ、真に神様の願う理想家庭を築くことができるのです。 皆さんがほんとうに神様のために、世のため、人のために自らを犠牲にして尽すならば、神様は皆さんの苦労をけっして忘れることなく、皆さんに色々な形で恵みを返すでしょうし、さらには皆さんの子孫たちに恵みがもたらされるのです。だから皆さんは独身の間に、将来の家庭と子供のためにすべてよ蕩減を払ってしまう覚悟で、神様に対して一層困難な苦労を与えて下さい、と要求するくらいでなければなりません。蕩減をはたしておかなければ、結婚してからもカタンから借金を払うように要求されることになります。サタンが門口で待っていることになります。そのような者となってはなりません。 独身時代に完全に蕩減条件を支払っておけば、祝福されてから相対者をサタンから守ることができます。蕩減をはたして神様の愛の一体となった夫婦には、サタンは指一本触れることはできないからです。そのような家庭こそ、真にサタンから解放され、自由を享受することができるのです。そのような夫婦は世界中どこへ行ってもサタンの讒訴を免れることができるのです。 皆さんは統一教会に雇われて教会のために働いているのではありません。それどころか、私が苦労して築いた土台の上に、大きな恵みを受けるために歩んでいるのです。私はそう思いますが、どうでしょうか。皆さんは将来、天国に生きるために歩んでいるのです。だから皆さんは、自分自身をその目的のために雇っているようなものです。もし不満があるとしたら、それは自分に対する不満であるべきです。けっして他人のせいにしてはなりません。アダムは堕落した時、それはエバが悪かったからだと、責任を転嫁しました。そのように責任を他に転嫁するような者となってはなりません。不満があるならば、自分をこそ責めるべきです。他に対して不平不満を言う者は、天国への丘を越えることはできません。 私にしても、もし神様に不平不満を述べるとすればいくらでもあります。「神様、あなたはなぜ私にアメリカへくるようにと命じられたのですか。アメリカでは、歓迎もされないし、生命を狙う者さえもいます。なぜこのようなことをせよと命じられるのですか。あなたらほんとうに私のことを思って下さっているのですか。」等々、いくらでも神様に対して不平を言うことができます。しかし私は、けっして神様に不平を言ったことはありません。だから神様も私に感謝し、受け入れて下さるのです。 私は神様に対して、「どうかもうしばらく待って下さい。必ず勝利しますから」と頼むだけです。皆さんも神様や私に対して、このような態度を示してほしいのです。わかりますか。皆さんはどちらを取りますか。不平不満の道ですか。(従順です!)では従順によって皆さんは何を得るでしょうか。何よりも、皆さんは人間として完成することができます。完成することがなぜ必要ですか。それは真に、神様の愛を受けることのできる人間となるためです。そうすることによって、万物を真に解放する力が神から与えられるのです。 統一教会の人生哲学はこうです。「私は万物に影響を与え、世界に影響を与え、神様に影響を与えるものとなります」これです。きょうは正に、このことを決意し、誓う日としましょう。ほんとうにそのような生き方をするために出発しようではありませんか。そのように決意する人は手を上げなさい。どうもありがとう。では祈りましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.27
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「神は我々だけを頼りにしている」1977年6月1日ベルベディアにて 堕落による混乱と無秩序 この世界と人類を救う為には、神のみ旨を中心としなければならないことを、われわれは十分承知しています。神のみ旨は、神ご自身のみによっては達成できません。神と人間が共に働かなければなりません。もしアダム・エバの堕落がなければ神のみ旨は、その時代に達成していたにちがいありません。男性は百パーセント完成し、女性も同じく完成していたにちがいありません。 もし堕落がなかったならば人間を中心として完全な神の愛が達成されたのです。神の愛を中心として完成した夫婦、親子が、個人から家庭、民族、国家、世界、天宙へと拡がっていったにちがいありません。この神の本来の理想は、人間とすべての万物が一つになることです。この神のみ旨は、地上のみでなくして霊界にも成就されたはずです。いいかえれば二重の世界が、神の理想を中心として完成されたはずです。 この地上だけでなく霊界にもアダムとエバは、家庭をもったにちがいありません。ですから天宙的な一大家族による理想の統一世界が成されたにちがいありません。このような世界が実現していたなら、地上地獄はなかったでしょうし、この地上に住んでいる人々は、完成して自動的に天国に行くようになるはずです。 アダムとエバの完成によってつくられる天宙的な文化文明は、神の文化であり神の文明です。すべての人類が、天の血統を受け継ぐと同時に、すべての人類と万物は、神の主管下に入るようになります。それによって神は、地上に住まわれ、またわれわれの間に住まわれるようになるのです。その世界は、神が本来計画した理想の世界となるのです。内的には、人々の中に神が住まわれ、外的には、神によって文化と文明が創られ、内外の天国が地上に成就されるのです。 この世界を見つめた時、この世界は理想世界とは正反対です。人間の堕落により混乱と無秩序と悲劇が見られます。この世界には、数多くの文化と文明が現われ、数多くの異なる生活様式が現われました。そして、数多くの分裂と不調和と対立による悲劇があります。また数多くの異なる国家が出現しました。 神の目から見れば、神の下の一国家が理想のはずです。この小さな地球の上に、どうしてそのように多くの国家があるのでしょうか。すべての人々は、自由に国境を越えて友人と語り合うこともできないのです。神のみ旨とは正反対なのです。 誰がこの問題を解き、誰が神のみ旨を解決することができるのでしょうか。どうしたらこの問題を解決することができるのでしょうか。 因習や宗派を超越する宗教 この問題を解決し目的地に到達する為に神は、宗教を設立したのです。宗教は、個人のためや国家のためのみあるのではなく、もっと大きな目的のために存在するのです。 過去の宗教の指導者、創始者たちは、宗教のこの本来の目的について理解していませんでした。宗教は、神のみ旨を達成するためにあるのです。宗教を基盤とした善や愛は、個人を越え国家、世界を超越して全人類に及ぶものでなければなりません。けっして小さな枠の中に閉じ込められるものではありません。 これまで多くの宗教研究家が、一つの宗教の構造の中で研究してきたけれども、宗教間の境界を越えては研究してはこなかったのです。各宗教は、それぞれの教義や自分たちの救いのみを考えてきただけで、自分の宗教を越え人類世界のことは考えてきませんでした。ですから神は、み旨を成就させるために外的には文化を、内的には宗教を、と二面性をもって進めてこなければなりません。 しかるに現在は、すべての人々が国家の平和や秩序について、語りあっている時代であるにもかかわらず、宗教指導者たちは、自己の宗教の中にとじ込もってしたっています。これは、まったく神のみ旨に反することです。神の目からすれば、そんなに多くの宗教は必要ではありません。仏教、イスラム教、キリスト教、あるいは数多くの宗教がありますが、神はそんなに多くの宗教を必要としておりません。自分の教派にとらわれたり、世俗に陥った宗教は、必要ではないのです。 因習や宗派を超越し世界の為に働き、悪の力を一掃する為の宗教を、神は必要としているのです。過去においてより力のある優秀な文化文明が、発達の遅れている文化文明を支配してきました。同じように力のある優秀な宗教が、力の弱い宗教を吸収し超越していくのです。しかしそれは、暴力によって強制的にするのではなく、自動的に自然にそのような方向に移向するのです。 神が宗教を通じて人類を救おうとされる以上、これに適った宗教があるにちがいありません。神はそうするにちがいないのです。そのような宗教は、一つの国家の性質と方向性を内包するものでなければなりません。さらに一つの国家だけでなく、世界を神と結びつけるものでなければなりません。 そのような理想の宗教は、他の宗数と対立するものではなく、他の宗教と並行しともに働きながら、それらを自動的に吸収するにちがいありません。そのような宗教は、それが出発した国だけに影響を及ぼし吸収するだけでなく、他の宗教、文化、文明を自動的に吸収していくにちがいありません。このような宗教を神は創りたいと思っているし、また創るにちがいありません。 神が望む宗教 この方向性と思想をもって神と交流できる一つの宗教を創る為に、二千年前にイエス様がこられました。しかし今日のキリスト教は、間違った方向にいってしまっています。今日では、四百以上もの宗派に分れています。もしキリスト教が、一つの国、一つの世界という理想をもち、それを実行する力をもっていたならば、宗派の分裂はなかったでしょう。さらにもしキリスト教が、神の願いを直ちに継承していたら、内外両面において勝利し吸収支配していたにちがいありません。その後で、主義とか宗派について語りあえばよいのです。 では神の望む宗派とは、なんでありましょうか。もしすべてを抱擁し吸収する一つの宗教があるとすれば、神とイエス様はきっと喜ばれることでしょう。 クリスチャンは皆、イエスが雲に乗ってくる、と信じています。しかもイエス様が今来られたら、どのようなことになるでしょうか。一つの体しかもたないイエス様は、四百もの宗派があるので、どの宗派に行ったらよいかわからないでしょう。四百の宗派を見てイエス様は、天の父になんと言ってよいか分らず、混乱してしまうにちがいありません。 イエス様は、神にどう祈るでしょうか。「二千年前、私の弟子たちはとてもよく働きました。今は四百もの宗派があります。どうぞ私の祈りを聞きとげて下さい。」これはとてもできることではありません。また四百もの宗派を訪問して、それぞれに対して「あなた方は素晴らしい仕事をした。」といって称賛され喜ばれるでしょうか。四百の宗派を見てきっとこういわれるでしょう「一つになれ」と。他に方法はありません。神は、バプテストとかプロテスタントとかの一つだけを受け入れることはできません。 四百の宗派の中で神が受け入れることのできるのは、ただ「一つになろう、神と一つになろう、キリストと一つになろう。」と主張するグループのみです。神の目からみる時、世界はこの方向に近づきつつあります。そしてその唯一の宗派が、統一教会であり、ムーニーたちです。 あなた方は、とても敏感で熱狂的です。しかし私たちは、ものすごい迫害を受けています。それは、民族や国家の壁を乗り越えて活動しているからです。韓国とか日本とかアメリカとかの国家を乗り越えなければなりません。一つの世界、一つの神、一つのキリスト、それが私たちのモットーであり、これを追求しているのです。統一教会は、神のご計画に従って現われた歴史的な運動であることを忘れてはなりません。私たちは、現代のこの時代を指導しなければなりません。 あなた方の使命は何か。世界を一つにすること、神のみ旨を成就することです。あなた方は、素晴しい言葉を知っている。しかしまだまだ道は遠い。あなた方は英語を使っているが、アダムとエバは神と話す時、どのような言葉を使っていたでしょうか。とにかく一つの言語であり、一つの文化である、一つの生活様式、心情も一つであったにちがいありません。これが人類の行くべき運命です。ですから、これは自分のものだ、われわれのものだ、などといってはなりません。 貧しい統一食口 私はアメリカの各地をまわってみると、どこでも人々は、博物館にある過去の遺物を誇りにしている。素晴らしい、貴重だといっていますが、歴史的残骸の何ものでもない。神の目から見たら、くず以外何ものでもない。それは多くの人々を搾取し働かせてつくられたも物にすぎない。搾取された人々の、血と汗の結集物にすぎない。そこには、愛もなければ情も何もない。神とは何の関係もありません。 国王や貴族や金持ちが、世界のいろいろな宝石類を素晴らしいといって賞賛しますが、神の目からすれば心の痛むことであります。 神は、これらのことをどんな思いで眺められているだろうか。歴史的残骸を賞賛しているイギリスをはじめヨーロッパの国々と比較した時、アメリカは少し神の側に近いようです。アメリカには新しいものを発見し、新しいものを創造しようと努力してきました。ですから博物館や科学の観点からすればアメリカは、神の側に近いといえます。 統一教会はどうでしょうか。私たちは、博物館をもっていません。博物館や科学という観点から見れば、統一教会は今貧しい状態にあります。あなた方は、自分の部屋すらももっていません。狭い場所に眠ったり起きたりしています。あなた方は、ジプシーやかたつむりのようです。その上、殻さえもっていません。さらに最悪の場合は、両親たちが「おまえはもう私の息子でも娘でもない。レバレント・ムーンの子供だ。」といって裁判に訴えています。そして自分の子供たちを誘拐して法廷に訴えています。 このようなおかしなことは、過去の歴史において起こらなかったことです。図書館で調べても、そういう記録はありません。それは、この時代のムーニーに関係してだけのことです。ムーニーは、強い神秘的な神の力をもっているので、すべての反対者が迫害しようとやってきます。 神は、私たちに注目し、同情しています。なぜあなた方は、ここに集まっているのでしょうか。あなた方は、小さくてまるでかたつむりのようだけど、世界を救い人類を救うのだ、と大きなことをいつも考えています。本当にそうしようと思っているのですか。あなた方は「イレブンカー(二本の足)」しかありません。あなた方は、毎日何を食べていますか。普通の人が食べたがらないものを食べていま。それでも世界を救い人類を救う、という情熱を持っています。あなた方のしている仕事は、普通の人々が好まない内容です。あなた方は、普通の人々からみたらとうてい考えられないことをしています。それでも人類と世界を救うために、と信じているのです。 努力すれば祝福も大きい 三十才以上になった女性も、三十五才以上になった男性も結婚のことを考えないで、毎日神のみ旨のことを考えています。私は、この度の祝福の時とても強い印象を受けました。三十八才の女性に結婚したいかと聞くと「いいえ、神の仕事をしたいです。」と答えがありました。彼女は、自分のことより神のみ旨と自分の使命のことを考えているのです。 私は、非常に責任を感じました。あなた方にこのような道を歩ませたのは、自分なのだと。それでも私たちは、行かねばならないのです。あなた方の情熱の野心は、人類と世界を救うことです。 私も同じです。自分のすべての人生が迫害とともにありました。それでも私は、敵がくればくるほど、その迫害の下で、彼らと競争をしてきました。われわれの敵は、天国までついてくるかも知れない。私は、その覚悟ができています。しかし今は無視しています。戦っている時間はありません。神のみ旨を行うことで忙しい、自分は戦うためにここにいるのではありません。神のみ旨を果たす為にいるのです。着実に神のみ旨の目的地に進まなければなりません。敵の位置を気にせずに、より早く神の目的に向かって進みたいのです。 しかしあなた方が、私についてくるのは非常にむつかしいことです。昨日も神山君がきて報告するには、明日六月一日はヤンキー大会の記念日であるけれど、自分たちは伝道したり新聞があったりで忙しい。だから明日の記念日は、ニューヨーカーで迎えたらよいのではないか、という期待をもってきました。私は、これに同意しませんでした。私はもっとあなた方の霊的な面を重要視しているのです。千名近くの人々が、ベルベディアに行くよりも、先生がニューヨーカーにきた方がよい、というような期待を神山君はもっていたのでしょう。 それは、神が許してくれません。一度が二度になり、継続してくると日常の習慣となり、最後は恐ろしい結果となります。もし私がニューヨーカーに行くならば、このような怠惰な訓練されない組織化されないことが生じます。 あなた方は、きょう五時半にここにきました。ですから私も、昨晩は目覚まし時計をセットし、遅れないように霊的にも準備してきました。努力すればするほど、大きな恵みを得る。それが霊界の法則です。ですからあなた方に、六時ではなくて五時半までに来るようにいいました。素晴らしいことです。 神に属する万物 このようなムーニーになることは、素晴らしいことですか悲劇だと思いますか。幸福ということは、お金をたくさんもつことですか。ムーニーは、お金を持っていません。あなた方が持っているのは、五本の指と二本の腕と手の掌だけです。同じ衣類を何日も着て、予備の背広ももっていません。それでも幸福ですか。そこにいる女性は、もともとは美しい人ですが化粧もしていません。それでも幸福ですか。 私たちは、何も持っていません。多くの人々は、レバレント・ムーンは百万長者で、大きな邸宅をもち、大きな土地を持っていると批評しています。しかしそれは、教会が所有しているもので、私自身のものはなにもありません。神のみ旨を果たす為の資金がないので、むしろ苦しんでいます。神の仕事をしているのに、なにも持ってちいない私に、あなた方は同情しなければなりません。持たない私が、あなた方に同情するという法はありません。 あなた方は汗水流して得たお金を教会に持ってきます。私はそれを、神のみ旨のために使用しています。もしそのお金をあなた方が使うとしたら、どんな使い方をするでしょうか。学校とか修練所をつくっていたでしょうか。私は、神に属する者を使うために頭を痛めております。あなた方も、私のために働いているのではありません。私自身のことに関しては、私はけっして誰も頼ってはいません。 ムーニーとサニー 多くの人々が、あなた方を「ムーニー」といって批判する時、あなた方はどんな気持ですか。「ムーニー」という言葉が、韓国人にはどのように聞こえるかというと、から目上の人への相談とか対話という意味です。ですから人間が神に話しかける、という意味をもっていることになります。また音声上のもう一つの意味があります。単色の絹の着物の上に、花とか美しいデザインがあると、もっと意味深く価値ある優れたものになります。韓国人は、それを「ムーニ」と呼びます。ですから私たちは、天のお父様と相談しつつ、サタン世界に美しい刺繍をしている。、という二つの意味をもっているのです。 音声上韓国語がもっている二つの重要な意味に従えば、まず第一に、世の人々が問題をもっている時、あなた方のところに相談にこなければなりません。次に、改善とか発展を必要としている時、あなた方のところにこなければなりません。 あなた方は、刺繍した花のついている美しい絹を着ている場合にあります。「ムーニ」は、すぐに「サニー」(太陽のような意)となります。人々はあなた方のことを「ムーニ」と呼んでいますが、神の目から見れば、あなた方は「サニー」です。 やがて私たちが、「サニー」となり、この世の人々が「ムーニ」となる時がくるに違いありません。目下の「ムーニ」と目上の「サニー」が互いに近ずきあって、ついに世界は一つになるのです。「ムーニ」は、すぐれた魅力的な、そして自動的かつ摂理的に存在するようになった名前です。あなた方は、「ムーニ」として生まれ「サニー」となって死ぬのです。本当にそうです。私たちは、地上での生活が終ったら天国に行き、神の下で「サニー」となるのです。 きょうの話の題目は、「神は、あなた方を頼りにしている」としました。 神の期待と理想は、この世界を復帰することです。ムーニーは月の人で、サニーは太陽の人です。地上のムーニーと天上のサニーが集まって一つになることを、神は期待しておられます。東洋的運勢からすれば、女性は月のような人になりたいし、男性は女性陽のような人になりたいと思っています。 時間、物すべてを献げよ この地上にはムーニーとかサニーとか呼ばれている人間は、私たちしかいません。私たちには、民族的境界もなければ、差別もありません。神は無色です。私たちはその真の子供になろうとしているのですから、統一教会においては、そのような概念すら持つことはできません。 もしも将来、あなた方が世界に散らばり一国の大統領になったとします。そして神が、一斉に国境を取り除けと命令します。その時あなた方は、国家の大統領を辞めて一般国民にならなければなりません。はたしてその覚悟はできているでしょうか。今あなた方は、大統領ではないのでイエスと答えることができますが、しかしいったん国家の主権とか権力を握ったら、誰もそれを手離したくないし、退めたくないものなのです。これが問題です。 あなた方は辞めることができますか。あなた方の中には、時間、物すべてを神に献げきっていない人がいます。もしそのような性質をもっていたら、どうして大統領を辞めることができるでしょうか。もしも霊肉共にあなた方がもっているすべてのものを、神の為に献げる覚悟がないならば、天国に住む市民の資格はありません。 きょうのテーマに照らして、考えてみなければなりません。本当に自分は、神が頼ることのできる者となっているか。あなた方は、イエスといっていますが、安心できません。この話の最中でも居眠りしている人もしますし、横を向いている人もいます。イエスといいながらも、心の中には不平不満や妄想がいき交っているのです。真剣に考えなければなりません。神が私たちに頼る時、本当にその期待に答えることができるかどうかを。 神が信頼する者となるために あなた方に自信がなく、また資格がないので神は、どうしたらこの人々を頼ることができるか、と真剣に考えなければなりません。一人びとりを眺めた時に、この人は滅びようとしているのか、本当に成功しようとしているのか、あるいは発展しつつあるか、改善しつつあるのか、神はいつも考えなければならないのです。 自分は試験に通過するかもしれないが、自分の妻や子供たちは失敗するかもしれない、というのであれば、どうして神が頼ることのできる資格ある人、といえるでしょうか。 考えてみましょう。神は最初にアダムとエバを信頼しましたが、彼らは失敗してしまいました。信頼したがた為に、悲しい経験をしてしまったのです。また人間を信じた神の歴史は、失敗だったか成功だったかを。アダム・エバ、カイン・アベル、ノア、ヤコブ、モーセ、洗礼ヨハネなど。過去において神は、人間を信じてきました。しかし結局は、失敗の記録になってしまいました。ですからどうして、あなた方を信じることができるでしょうか。 あなた方は、本当に一つになっているか。あるいはその過程であるか。多分神は、あなた方の考えは信頼するでしょう。しかしあなた方の行動、実践は信じることはできません。なぜでしょうか。大きなことをいうのは、容易なことです。しかし人類と世界の復帰を実行することは、非常にむつかしいことです。 あなた方の考えは、神が信頼できるものです。大きくて素晴らしい。しかしその考えは、どこからきたのですか。神から私を通してきたものです。そしてその概念や思想を自分のものにする為には、それを実行に移さなければなりません。概念や思想が行動として実現された時、はじめて神はあなた方に頼ることができます。あなた方は本当にそのような段階に到達していますか。 唯一の方法 個人を復帰するためには、蕩減を払わなければなりません。あなた方は、どうしたら蕩減できるかさえ知りません。家庭、民族、国家、世界を復帰するため為にも、同じように蕩減が必要です。あなた方はその方法さえ知りません。そうならばあなた方のできる最善の方法は、真の主に継がることです。接ぎ木されて一つになり、ともに行動するのが唯一の方法です。接ぎ木されれば、真の親の性相を受け継ぐのですから。あなた方は自動的に天国へ行くことができるのです。接ぎ木することが必要です。ですからあなた方は、真の親、真の父母が必要なのです。あなた方は、本当に真の父母が指要だと思っていますか。 レバレント・ムーンが詐欺師であるか本物であるか、一体誰れが知っていますか。神に必死になって尋ね、答えを求めたことがありますか。神が自分に頼ることができるということは、実際にどういう意味でしょうか。このような概念を神は、人類歴史において長い間考えてきました。イエス様をはじめ、過去の聖人義人も同様に考えてきました。 問題は行動すること 問題は、いかに考えを行動に移して実践するかです。これを果たす為には、あなた方はすべての面において主体性をもつ必要があります。半体性という意味は、どんな障害もどんな反対もどんな不運も通過し、乗り越えなければならない、ということです。それは、個人においてだけでなく、組織全体についても同じです。個人個人が、すべての困難に打ち勝ち神のみ旨を果たす、という確信を、心の中に刻み込まなければなりません。これが、目的を成就するた為の道です。 私だけでは十分ではありません。あなた方全体が、ともにこの確信をもって行かなければなりません。すべての統一食口が、思想を行動に移す、という確信をもって努力し一つにならなければなりません。 神はアダム以後、六千年の間とてつもない苦い経験してきたので、人間を信頼することができません。しかし今全統一食口が、先生を中心として一つになって、思想を実践するという確信をもって出発しようとしています。ですから神は、あなた方に希望をもっておられるに違いありません。 私を通して語られた原理は、素晴らしいものです。それを受け入れ信じているあなた方をみて、神は賞賛しておられます。問題は、いかにそれを実行するかです。神を知らない人々は、私たちに反対し妨害し邪魔してきます。しかし問題は、いかに私たちが実行するかです。神は、あなた方が私を中心として、み旨を実現するまでじっと待っておられるのです。神は、あなた方が信頼できるようになるため、時がくるまで待っておられるのです。 問題なのは、私たちの行動であり、けっして世間の反対ではありません。実践している途中で、たとえ多くの敵が迫害してきたとしてもいつも神と一つになっていると確信していかなければなりません。 行動と鉄の意志の人 もしもレバレント・ムーンが、思想を語るだけの人間であったら、誰れが彼について行くでしょうか。私が行動の人だから鉄の意志の人だからこそ、あなた方も私についてくるのです。アメリカ人の目から見れば、レバレント・ムーンは東洋の一角韓国から来た人間であり、それほど重要ではありません。名士でもなく、ただの普通の人間です。しかし彼は、実践の人であり、一たん口に出せば必ずそれを成し遂げる男だ。これが問題なのです。 私は一年前のきょうをはっきりと記憶しています。ヤンキー大会の戦いと勝利です。あの日神は、宝座より降りてこられました。神は、私たちを本当に頼っていたでしょうか。あの時あなた方がなにを考えたか、覚えていますか。あなた方の中にはあの時、もし神がいるなら、そして神がレバレント・ムーンを愛しているならなぜこの時間にこのような暴風雨が起こるのだろうか、と思ったに違いありません。神山君でさえ、私の部屋にきて泣き、どうしたらよいでしょうか、と途方にくれていました。 その時私は、このような危機に直面した時こそ私たちは、冷静に安定にしていなければならない、と思いました。戦いはまだ終っていない、終りまでまたなければならないと思いました。そしてそれを実行しました。私の写真が、嵐のためはだけ落ちた時は、私も気持ちの良いものではありませんでした。もしこのようなことが生じたら、あなた方は自分を謙遜にして、気持を鎮めなければなりません。もしなにか誤ちが生じたら、統一食口はその結果を甘んじて受け、天からの懲罰を受けなければなりません。 私たちは、いつもそういう覚悟をしていなければなりません。どんなことがあっても、最善を尽さなければなりません。ヤンキー大会が終れば、何が起こるか、次の段階は何か、という思いが私の心の中にありました。 試練を甘受すること 私たちは、二つのことを考えなければなりません。もし神が、罰を与えておられるのであれば、それを甘受しなければならないし、もし試練を与えておられるのであれば、それを乗り越えなければなりません。そうすれば私たちは、より多くの祝福を受けることができるでしょう。 実際、自分の全エネルギーと心をヤンキー大会の為に集中しています。あの時反対する者たちは、殺し屋を雇って私を暗殺しようと計画しています。私は、それほどの危機的な状況だったことを知っていました。しかし雨と嵐のために暗殺計画は、お流れになりました。こういう観点からみると、あの嵐は、私を救う為の神の作戦だったことが分ります。 常識からすればあのような天候の下では、大会は中止せざるを得ません。しかしその悪条件の下でも遂行することができたのは、ムーニーだけです。ムーニーだけが乗り越えることができるのです。ヤンキー大会の価値ある勝利を、覚えておかねばなりません。条件の悪い避けることのできない逆境を、乗り越えて成功したので、私たちは貴重な素晴らしい成果をうちたてることができたのです。 この情熱と力によって、六カ月以内にワシントン大会を勝利することができました。元来ワシントン大会は、今年一九七七年に計画されていましたが、一年締めてしまいました。それは、新時代を画する出来ごとです。摂理歴史よりみて私たちは神の願いを地上に成すための真の礎石を、一年前のヤンキー大会を中心として打ち建てたことになります。 議論の的になる私たち どうしてムーニーは、議論の的になるのでしょうか。それはあなた方が、考えたり話したり教えたりするだけでなく、実際に行動するからです。これは、大きな問題です。あなた方の行動は、この世の動きとは次元を異にしています。 本当にあなた方は、世界を救おうとしていますか。もし万が一私が基準を下げ、前進を止めてしまったら、その時あなた方はどうしますか。本当に前進しますか。イエスというのは非常に易しいです。はたして信じることができるでしょうか。ではいつから行動しますか。一年後か一カ月後か、あるいはきょうからか。 私たちは、たとえ生命を犠牲にしても行かねばなりません。もし死んだら霊界から降りてきてでも、この仕事を続けるという決意が必要です。世界にでて行く時、神に「今から世界にでて行くのですから、どうぞ私の歩みを保証して下さい。」とお願いしたらよいです。 一九七二年にこの地にきた時、私も同じように神に語りかけました。「あなたがこの地にくるように命じたのですから、私はこの第一を初めとして、三年以内にこの世界と人類を救います。」そう神に語り、行動でそれを示し目標を達成しました。 私の責任は、好むと好まざるとにかかわらず、すべての人々に真理の御言を広めることです。私が語ることにより、全アメリカ、全世界にレバレント・ムーンという名を知られるようにならなければなりません。私はそれを成しました。統一教会という名前は、知らない人がいるかもしれません。しかしレバレント・ムーンという名前は知っているのです。私は肉体的には、けっして美男子ではないかもしれませんが、鉄の意志と行動の男です。あなた方がもし、この思想を行動に移したなら、私が成した以上のことを成すかもしれません。 アメリカは、自由諸国の指導的立場であるのに、このレバレント・ムーンがきてアメリカをかきまわし、革命的に救いをもたらそうとしています。これは、常識では理解できません。アメリカのすべての組織、権力、科学者、政府、そしてすべての宗教者が改革を重ねてきました。しかしレバレント・ムーンは、よく跳ねるゴムまりのようです。彼らが打てば打つほど、もっと跳ねて元に戻ってくる。彼らのこぶしが疲れ砕けても、レバレント・ムーンは平気であり、以前より強く力を貯えるのです。 勝利の要 なにが勝利の要だと思いますか。行動とゴムまりのような跳躍です。攻撃がくればくるほど、その度に乗り越え抱擁し、逆に賛成するように導く。この強い行動力の背後に何があると思いますか。神です。ではどうして神が、後押しするのでしょうか。彼らが攻撃すればするほど、跳躍し自動的に円を描いて元の位置に戻る。見た目には負けているよですが、実際は勝利し、その度ごとに領域を拡大してきました。 常識からすれば統一教会は、落ちぶれているようですが、内的にはより強くなり発展し、そして前進しています。私は、神を信頼しています。その確信をもって行動します。ですから神は、後押しせざるを得ません。 しかしたとえそうであっても、私は神に頼ってばかりいるのではありません。親は「自分は、私の素晴らしい子供に頼る」といい、その子供中誇りにします。神も同じです。私が神に対して、「私は、あなたに頼るだけでなく、私の子供たちにも頼ります。」といったら、神も納得してくれるに違いありません。 たとえ神が、すべてを与える立場にあったとしても、この世界の状態をみた時に、悲劇的であり、悲観的にならざるを得ません。しかしもし「天の父よ、勇気をもって下さい。私がここにいます。この状態を改善しますから、どうぞ楽観的になって下さい。そしてその仕事を私にさせて下さい。必ず成し遂げますから。」と祈る者がいれば、神はその人によって慰められます。神は「やりなさい。」と命令するでしょう。 レバレント・ムーンが、このような存在ですので、長い期間失敗を続けてきた歴史であっても神は、今度こそ未来に希望をもち始められておられます。なぜなら神は、私を信じることができるからです。私は、この三年の内に個人から家庭、氏族、民族、国家、世界の基準まで復帰し、神の名によってアメリカ大陸に立ち戦い、神のために多くのものを獲得しました。このような私の歩みを神が見た時、神はとても誇りにし、頼りにしているにちがいありません。ですから私は、神が頼ることのできる資格をもっていると思っています。 自分で考え行動する者 きょうの話のテーマは「神は我々だけを頼りにしている」ということです。もしあなた方が、私に頼って行動しているならば、それはあなた方自身が仕事をしている、ということになりません。あなた方は、自分の力でやらなければなりません。私が指示する前に、自分で考え行動し勝利し、大きな成果を上げるならば、天の父もあなた方を信頼するでしょう。あなた方が、私が歩んで達成したのと同じ方法、教訓を受け継ぎ、この国と人類と世界を救うために行動するなら、神もあなた方を信頼するでしょう。 私たちには、次の目標があります。その目標に向って行進するために、準備しなければなりません。「たとえ先生が行けなくとも、私だけは行く。」そういう様に考え、この世界の一切のむつかしい問題に責任を持たなければなりません。そして自分を押し出さなければなりません。このようなタイプの人が、この教会の主人となり、指導者となります。あなた方一人ひとりがこれを実行し、横的に展開するなら、神から信頼される者となることができます。 言うのは易しいけれど、実行することはむつかしいです。今からは毎朝鏡をみて、自分はこのような種類の人間として資格があるかどうか、尋ねてみるとよいです。ペテロでさえも忠誠を約束し、誓ったにもかかわらず三度も裏切ったのです。非常にむつかしいのです。神のみ旨を果たす為に、自分の生命をかける覚悟をしておかなければなりません。ばくちをする時、お金をかけると同じように、神のみ旨を果たそうとする時、自分の生命をかけなければなりません。 神と共にある自分 伝道や活動をしながら、人類と世界を救うといっているのを、この世的にみると非常に惨めにみえます。このような惨めな抱いた時は、理想の世界と反対の世界を見つめている神に波長を合わせて、神の気持を自分の中に感じなければなりません。悲しかったり惨めになった時は、いつも天の父の立場を思うことが大切です。天の父も、同じように悲しく惨めに感じている、という経赴をしたことがありますか。もしそのように感じたならば、その時こそ神はあなたと共におられるのです。もし天の心情とばれているなら、たとえ実績が少なくとも、問題ではありません。霊的には価値が高いのです。 ここでもう一度決意しておかなければなりません。たとえ私たちが少数であったとしても、復帰する実績が少なくとも、それは人類と世界の救いに直結している。そういう考えを統一食口は、持たなければなりません。伝動や活動の時、そのような考えで実践するなら神は、あなた方を最も価値あるものと考えるでしょう。 神の目から目る時、この少数の人間が神のみ旨と理想をこの地上に実現する、というのは、ある意味では惨めに見えるけれど、希望があるのです。たとえ少人数であったとしても私たちは、天の理想を代表したものであり、未来においてこの地上に理想を実現するための希望です。 私は、迫害のまっただ中にあったとしても、それを乗り越え、反対する者をも神の前に導いていきます、と神の前で誓います。なぜなら私は、自分の考えに確信があるし、行動の男だからです。 私たちはこの地に責任をもちます、といって神を慰めます。私たちはこの国と世界を救う為に迫害を乗り越えていかなければなりません。私たちは、このような天の仕事を成すことのできる唯一の存在です。神が未来に希望を持つことができるように行動を通して、神に刺激を与えなければなりません。 私が神を慰めたように、あなた方は私を慰めるように歩まなければなりません。「たとえ自分はこのように小さいけれど、明日は今日よりももっと良い働きをします。私たちのグループは、このように小さいけれど天の道を拡大していきます。」そういって先生に刺激を与え慰めなければなりません。このようにしてこそ、統一教会において責任ある男性あるいは女性になるのです。現在神は、誰に頼ることができるのでしょうか。私たち以外にはいないのです。私も、あなた方を信頼する以外ないのです。 共同運命下の私たち 神も私もあなた方も、統一教会の運動を信頼しなければなりません。結論としていうならば、統一教会の目的は、全世界と人類の完全復帰に責任をもっている、ということです。現在軍隊は、存在していません。国連は、元来国境を越えて世界のために存在するためにつくられました。しかし神の目から見たら、もはやその目的に合致するものとはいえません。私たちは、天の軍隊として世界を救わなければなりません。銃とか大砲は必要ではありません。私たちではなく、「私」の手によって救われるのです。 私とあなた方は、共同運命の下にあります。世界は、私たちの手で救われます。かりに戦場で負けるような場合には、共に死ななければなりません。そのような精神を私たちの軍隊に持たなければなりません。過去においては黒人と白人は、異なった人種でありましたが、今は天の軍隊をつくるため、異なる人種、民族を一つにしなければなりません。一つの血と一つの肉をもって、一つの目的の為に死のう。以前は、敵であった民族が、神のものに一つになった天の役軍です。 迫害による練磨 こういうことを考えたことがありますか。五十州の責任者がきていますね。神による思想に従えばあなた方は、神と私が頼ることのできる唯一の人達です。けっして滅びない岩です。あなた方は、今まで統一教会に従ってきて色々な経験をしたことでしょう。しかし私は、もっとひどい想像もできないほどの経験を、過去においてしてきました。日帝時代、韓国を征服し私を牢屋の中で拷問したこと、けっして忘れることができません。また共産主義者が、牢屋の中でものすごい拷問を加え、全身から血が流れた事を、忘れることができません。また韓国の既成教会が、理由もなしに迫害してきたし、政府からも迫害を受けました。 しかし今までいかなる多くの蕩減を払ってきたとしても、もし勝利できないならば、今までの蕩減は無駄になってしまう。ですから勝利に向かって前進すなければなりません。迫害がくればくるほど、より強い確信をもって行動しなければなりません。もし迫害がなければ、発展する機会がなくなってしまうのです。ですから外からの迫害のかわりに今からは、私があなた方を迫害しようと思います。 私たちは、いずれかの迫害を必要としています。迫害を通して私たちは、練磨され、もっと多くの実りを上げられるようにならなければなりません。このような訓練を受ければ、子孫たちもこの思想を受け継ぐのです。迫害を通して私たちは、完成することができます。サタンが攻撃してきても生き残り、神が迫害しても、私が迫害しても生き残るなら、すべての迫害を乗り越え勝利者になったことを意味します。そうなけば、どこへ行ってもあなた方は、永遠の勝利者です。サタンに勝利したら、あなた方は自分の思い通りに、サタンを主管することができます。六千年間という長い間闘争してきた、神とサタンとの間の仲保者となり、平和条約を結ばせることもできます。 思想を行動に移す習慣 私は、神に対してこう祈ります。「もしも使命をこの地で果たせずして、天の父の宝座に行ったとすれば、もう一度降りてきて十倍あるいは百倍ものメンバーを編成して、残りの仕事を成し遂げます。」と。そうすれば百倍もむつかしい仕事が成し遂げられるでしょう。しかし実際には、この地上にいる間にこの仕事をする方が、霊界から降りてきてするよりももっと容易なのです。 このように祈る者に対して神は、信じ頼らざるをえないのです。もしあなた方が、このような基盤をもった確固たる人間であるなら、サタンが左に押したとしても元の位置に戻り、右に押したとしても元の位置に戻る、安定した変わることのない者となります。そうすれば、他のどのような力によっても影響を受けない者となります。あなた方は、このようなタイプの人間になっていますか。 思想を行動に移すことを、習慣としなければなりません。ちょうど食物がなくなると、お腹が減ってくるのと同じように。日常生活において、このような習慣をくり返すことによって、変化のない人間とならなければなりません。神の命令がきたら、それに従って新しい責任分担につけるよう、いつでも出発する準備をしておかねばなりません。 多くの人が、レバレント・ムーンは豪華な邸宅に住んでいる、と批判しています。しかし私は、そのようなものには何の未練もありません。ただ社会の基準からみて、またあなた方が恥ずかしくないような、環境を整えているだけです。本当は大きなベッドを使うより、手枕の方がもっと気持ちが良いのです。私は、むしろ単純な生活や自然物の方が好きなのです。神が命令する時は、いつでも行く準備をしています。 先生より有利な私たち あなた方の生活は、まるで避難民のようです。女性は、そのような夫を持ちたいですか。(イエス)なぜですか。いつでも夫を所有していたいに違いありません。私の妻でさえ、私がいつも出かけてばかりいるのは、好まないに違いありません。私としては、ベリータウンやニューヨーカーに行く時は、いつでも一緒に連れて行きたいのですが、何か口実を見つけて家に残ろうとしています。でも妻は、少し身重になっていて、良い徴候なので申し訳がたちますが。 あなた方は、神の命令がきたら、どこへ行くのかわからなくても、いい訳したり、不平をいってはなりません。もしアフリカとか共産圏へ行け、という命令だとしても出発する準備をしていなければなりません。あなた方の行動は、世の人々との行動とは完全に違っています。私は、あなた方が将来どういう人になるだろうか、といつも関心をもっています。見た目に弱そうな者であっても、私の思想を受け継ぎそれを行動に移すなら、五年あるいは十年もすれば、このアメリカの指導者になることができるでしょうか。私はそう思います。 あなた方は、私よりも多くの有利な点をもっています。たとえば私は、通訳を使わなければなりませんが、あなた方は自国の言語を自由に話し、半分の量でメッセージを伝えることができます。 どんなことでも真剣に この男性は、最近修士諸程を卒業してきました。昨日ニューヨーカーに行ってた時、彼はセンターの床をごしごし磨いていました。喜んでやっていたか、いやいややっていたか、どうですか。あなたは、もっと一生懸命働かなければなりません。 私は、使命あって生まれました。しかし今していることを、けっして恥ずかしいとは思ってはいません。私はよくベリータウンでは、自分で網を縫い漁師になって神学生たちに教えます。教授たちがそれを見て、驚きます。しかし恥ずかしいとは思いません。ん。ある時、神学者の会議があって有名な神学者たちが、たまたまベリータウンを訪れていました。彼らは、まさかレバレント・ムーンがきているとは知らず、私が自分で網を縫ったり学生たちに教えているのをみて、感銘を受けていました。彼らからすれば、まさかレバレント・ムーンがこのような卑しい仕事をするとは、想像もしていなかったのです。 あなた方も、どのようなつまらない仕事であっても、不平をいうことはできません。私は、模範を示すためにすべてを通過してきたのです。 この世界には、数多くの宗教や文化文明がありますが、神の目からみたら、私を中心とする統一教会の食口以外に信頼できる者はないのです。神は、私たち一人ひとりに衣頼しているのです。地上天国は、私の地上天国です。私は、自分の手で地上に理想の天国を建設する、と決意しましょう。霊界に行く時、どのような心情を持つか。五種類の皮膚の色をもった人種が、ともに手と手をつないで、自分の霊の子とともに霊界に行くのです。このような心構えを、準備しなければなりません。 全世界に希望を与えることができるのは、私たちだけです。ですから私たちは、自分を誇らなければなりません。理想の天国を成し遂げるのは、地上にただ私たちだけです。ですから一生懸命働き、ただひたすら前進しなければなりません。そうすれば私と神は、あなた方個人個人を頼りにするでしょう。このような行動をするアイプの人間になろうと決意しましょう。では祈りましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.26
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26日(日)午前9:30からPeaceLink(ピースリンク|LIVE (peacelink.live))で「第2回 天の父母様聖会 成和子女礼拝 孝情ヌリ」が行われます。とりわけ幼児と小学生のいらっしゃる方は文薫淑会長の訓読も予定されていますので、お子様と視聴されたらいががでしょうか?https://v-live-kr.kollus.com/dvmgtuaskgg76vbl?autoplay=1また、26日午後1:00からは、北海道の「聖火の郷」で行われる「2021 神日本天運相続孝情奉献秋季聖火式」の生中継もあります。午後1:00からはアトラクション、午後1:30から本式典の予定です。教会で参加される方は、白いTシャツを準備してご参加ください。また、今回コロナ感染予防のため、家庭での視聴も可能にしてくださいました。家庭での視聴を希望される方は、リンク先を教会で確認してください。https://www.youtube.com/watch?v=7sK2XYLUJdo式典は15分ごろからです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.26
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「先生による真のお母様の証し」 一九七七年五月三日 御聖婚記念日※ お母様の『19770503 -「 苦難と栄光の座 真のお母様自身の証し」』の後にお父様がお母様について語られたものでした。 「あなたも天の花嫁候補です」 あなたたちも知っているように、一九六〇年の聖婚以前は、約十五年以上も先生は独身で、ひたすら使命を果たすことのみを考えていた。しかし原理を知っている者は誰でも、原理的に明らかな事として、先生がいつかは結婚されるという事を知っていた。そして誰も彼も皆が、「あなたも天の花嫁の候補者になれる」という啓示をそれぞれに受けたのである。「あなたも……」、「あなたも……」と。 そこで、いわばものすごい競争が起こったのである。我々の教会の内部に、見えざる霊的闘いが引き起こされたのである。そして驚いた事には、教会の古い姉妹で、七十代、六十代になる老女達までも、神は同様な啓示をもって慰められたので、彼女らまでが「神が私に『天の花嫁になる』と言われました」というのである。さらに十代の女の子もまた、「『あなたが主の花嫁になるだろう』と言われた」というのである。このように七十歳の老女も十歳の少女も、教会員たる女性はすべて老いも若きも皆、あなたが天の花嫁候補者です」という啓示を受けたのである。 どうして神はそういうふうにしなければならなかったのであろうか。何故なら、神の時間を計る尺度は時間を超えているという事なのである。神には時間というものはなくて、永遠、無限無窮という時のみがあるのである。つまり神にとって、百年は一万年に等しく、一万年は百年に等しいというように、神御自身の心中において、時間というものは非常に融通性のあるものなのである。だからすべての女性という女性に「いつの日か主の花嫁に選ばれる」という予告を与えることは、神にとってはごく自然なことなのである。 そういうわけで神様は、そのように教え、啓示されたのである。何故なら女性は誰でも主の花嫁の使命の一部分を果たしているといえるからである。だからある人が使命のある部分を果たしていると認められるならば、神は「あなたが主の花嫁の候補者です」と言うことが出来るというのである。 しかし原理的にいえば、最終的にはいろいろな部分的役割を総合させる一人の実体なる方がその位置に来られるのである。それが言うまでもなく、オモニム(真のお母様)なのである。 先生は今日、オモニム(真のお母様)の知らない、背後で見られた混乱と競争の顛末について語りたいと思う。 原理を知っているなら理解できると思うが、神がその独り息子をメシヤとしてお送りになった時、その方は正しく全人類の花婿として来られるのである。ことに人類のうちのすべての女性に対して、花婿としての位置にあるのである。だから神は、先生に歴史上のいかなる男性よりも、もっと多くの女性に愛され慕われる者になってほしいというのである。そこで神は先生に、その多くの女性に愛されることにおいて、最高の記録を作ることを許された。そういうわけで、歴史上にもろもろの王や皇帝がいたけれども、誰にも見られなかったような現象が起こってきたのである。先生はかくも多くの女性の注目を集める歴史的記録を作った。歴史上にかつて、そんなにおびただしい女性達から、かくも献身的、自己犠牲的な愛を受けた人はいなかった。それも天の摂理の一部分であったのである。これらのことが聖婚式が行なわれた当時の背景である。当時忠清におられた比較的無名のお母様が、先生によって『天の花嫁』として選び出されたのだから、それは多くの人々にとってなんと衝撃的な、いわば天地のひっくり返るようなショックであったことは想像がつくだろう。教会に関する限り、まさに大地震で、天地がひっくり返るような出来事だったのである。 愛の戦争 何しろ「天の花嫁は必ず自分の家庭から出る」と信じ込んでいる家庭がたくさんあった。祖母、娘、孫娘、三代の女性が皆、「自分達のうちの一人が、来たるべき天の花嫁になる」と神がお告げになったと信じていたのである。一家庭ならともかく、実に驚く程多くの家庭がそう確信していたというのだから、それは本当におかしなことでもあった。 考えてもみなさい。そういう時に、突如として思いがけなくもオモニム(真のお母様)が選ばれたのだから、それらの家庭の人々にとっては、どんなに大きな衝撃だったことだろうか。 また先生は多くの霊能者のおばあさん達を、祭司や神と人の間の預言者のようなもの、すなわち神の啓示を受ける器として用いていたが、彼女らは多くの摂理的使命を果たしていたから、非常なプライドと権威を持っていた。そして「自分達が天の花嫁を決めることになるだろう」と思っていたのが、突然そのおばあさん達には一言の相談もなくして、まさに突然オモニム(真のお母様)が選ばれたのである。彼女らの動揺は想像がつくだろう。その様な事情環境のもとで、一九六〇年の子羊の婚宴は挙行されたが、それに先立って、教会の中には様々なゴシップが往きかっていた。「あそこの家の娘がきっと天の花嫁として選ばれるに違いない」等々、多くの人々が様々に異なった噂をふれまわっていた。教会内は信じられないほどの期待で湧き返っていたのである。 この様な情況のもとにオモニム(真のお母様)は選ばれたのである。それまで多くの若い女性達が、この世的観点から見れば、あらゆる面において、自分こそふさわしく見え、自分こそ選ばれるべきだという確信に満ちていました。「私はこんなに美しいし、大学を卒業して学位も持っているし、あらゆる社会的な教育を受けている。良家の出身で家庭環境もこんなにいいのだから、主は私の家に来なければならない」、「私のようなタイプの女性こそ天の花嫁になるべきである」と。 そしてその年、先生は四十歳という最も重要な摂理的な年齢だったから、彼女らは、「そうだ、先生は四十歳なのだから、花嫁は三十五歳の人が理想的だ」と勝手に考えて決めつけたり、「いや、三十六歳かも、あるいは三十四歳、三十二歳、三十歳ということもありうる」という調子でその年配の女性達があげられ、その女性達は、「自分達こそ最も選ばれる可能性の大きい者達だから、きっと私達の中の一人が選ばれるに違いない」と言い合っては競争に勝とうとしていた。 彼女らが「花嫁はその年齢層、三十歳から四十歳の人の中から選ばれるべきだ」と考えたのには、もう一つの理由があった。「天の花嫁の資格として、その方は非常な指導者としての使命を果たすことになるから、どうして十代、二十代の若い女性がその位置について、オモニム(真のお母様)として必要な指導力を発揮することが出来るだろうか、出来るはずがない」というのである。 そういう観点からみて、「教会における母の役割を果たすためには、誰か成熟した年齢の三十代位の者でなければならないはずだ」と、きわめて論理的な結論が出されたのである。かくしてその見えざる競争がいかに激しく展開されていたか想像がつくだろう。一つの層の人々の間だけでなく、様々な基準で様々な角度から競われたのである。 実体的な銃弾が飛んだわけではないが、いたる所で心情の銃弾が飛びかって、それはまさに見えないけれども、凄まじい戦争の様なものであった。心情の戦争、愛の戦争である。みなが、その愛とその目標を勝ち得ようとしたのだから。 先生の作戦 こうして多くの人々の期待が高まっていた頃、突如として、これらの人々は皆、失望のどん底に落とし込まれた。考えてもみなさい、人々はまさにどん底に落ちたような気持ちであった。そして一種の危険性もあった。彼らはそれほどまでに大きな希望と高い期待を持っていたので、その希望と期待が裏切られた時の反発も強かったからである。失望と迷夢から目覚めた時の反発反応は、非常に強いことが当然考えられたからである。 先生がこの時の事情について公的に明かすのは今日が初めてである。この信じ難いほどの緊張した背後の情況をよく知っている先生は、オモニム(真のお母様)のお母さんにも、「家にこもって教会の玄関からは来ないようにしなさい。自分の娘であっても会いに来てはいけない。どうしても来なければならない時は、こっそりと裏口から入りなさい」というような指示を与えたほどである。 そうすることによって、惨めな捨てられた立場にいるお母さんになるから、誰もオモニム(真のお母様)の母親になったことを羨やまないからである。誰でも、「オモニム(真のお母様)の母親になることは、女王様の母親になるようなものだ」と思っていた。「ああ、彼女は栄光を受けるのだ」と。しかしこれらの期待の裏をかくために、彼女をして犠牲にするような立場に追いやって、自分の娘なのに、「会いに来てもいけない」と言ったのである。 だからある意味でこれは、先生の戦法をよく表わしている。多くの娘を持った母親達が、「自分の娘がいつの日か主の花嫁になるかもしれない」と期待していたから、オモニム(真のお母様)の母親のいわば不運で悲観的な立場を見せることによって、誰も彼女を羨やまないように、母親をして犠牲になる役に追いやったのである。それは先生が彼女らをなだめ、屈伏させる作戦だったのである。 候補者といわれていた十代の娘や、立派な娘をもつ母親達は、教会でも強い発言権、位置を持ち、非常に献身的、信仰的な人々であったが、これらの人々が一番問題だったのである。だから先生はそうすることによって、その人々を鎮まらせたのである。「そんなに思いわずらう必要はないのだ」となだめたのである。 だから先生が洪ハルモニを、そのように不当な程、困難な立場におくことによって、人々はむしろ洪ハルモニに同情して、先生に不平を言いに来る人さえいた。そういう人々は、「どうして先生は御自分のお母様をそういうふうに扱われるのかしら。信じられないことです。本当にあなたに同情しますわ」と洪ハルモニを慰めた。そういう情勢になっていくことが、先生の切に願う所でもあったのである。 結婚後の最初の一年間、先生はどのようにオモニム(真のお母様)を扱ったかというと、それは先生の奥様としてではなく、まるで召使いのように扱った。先生はオモニム(真のお母様)に、「私の部屋に特別な許可なしに勝手に来てはならない。階下に小さな部屋をもって先生が呼んだら来なさい」と言ったのである。先生とオモニム(真のお母様)は、本当は花婿、花嫁として新婚時代であるはずなのに、その新婚時代は、オモニム(真のお母様)にとって厳しい試練以外の何ものでもなかった。 このようにいわば僕の立場から出発したのである。先生は、オモニム(真のお母様)がまさに最低の所から出発することを願っていた。何故なら、数多くの、主の花嫁の候補者達は、先生がどのようにオモニム(真のお母様)を扱うか鋭く観察していたが、先生がオモニム(真のお母様)をひどく扱っているのを見て、オモニム(真のお母様)の位置を羨やましがらなくなり、「選ばれなくてよかった」と思い始めた。それも先生の戦法だったのである。 真のお母様の訓練 しかしながらその期間の内的な意味は、オモニム(真のお母様)と洪ハルモニの信仰を試す期間でもあったのである。彼女たちはどんな情況のもとでも決して不平を言わず、先生に背かず、不屈の忍耐を持って、黙々としてすべての事情を甘受しなければならなかったのである。先生はそれを願い、彼女たちは願われた如くにした。 ここでもまたカイン・アベルが問題であった。カインの立場を理解して、カインのために苦しまなければ、アベルになる道はないのである。オモニム(真のお母様)と、洪ハルモニとは、他のすべての食口に対して、アベルの立場にあるのだから、その失望せる人々を抱擁していかなければならないのである。先生は、すでに個人、家庭、氏族、国家、世界、天宙と予定されたすべての段階において勝利したので、サタンはまったく侵害する権限がないのである。しかしながら、オモニム(真のお母様)の方は、これから出発するのだから、最初の七年間は、オモニム(真のお母様)の訓練期間だったのである。七年間もの長い魚釣り競争のようなものであった。 最初の三年間は、神の前に、またサタンを屈伏させるために個人的に「勝利した女性」となるための闘いの期間であり、次の四年間は、家庭的な段階における闘いの期間であり、先生の全家族は、信じられないような想像を絶する試練の期間を通過したのである。出発線から出発したオモニム(真のお母様)は、完全基準に向かってひたすらに七年間闘って来られたのである。この七年間というものは、実に様々な非難、中傷、噂、誤解が、先生一家をめぐって渦巻いていた。非難、中傷、迫害によって血を流す思いの期間であったが、それらのすべてが必要なことだったのである。問題は、オモニム(真のお母様)がこの様な試練に耐えて、非難されてもそれを克服し、乗り越えていけるかどうかということであった。当時のオモニム(真のお母様)の立場の難しさが想像できるであろう。そしてオモニム(真のお母様)はすべてに勝利したのである。 とにかくいろいろなことが言いふらされ、「オモニム(真のお母様)は勝利しなかった。だから、先生は新しいオモニム(真のお母様)を選ぼうとしておられる」とか、まして「オモニム(真のお母様)は誕生日を偽って二人の誕生日が同日であるように見せかけたのだ」とか、まったくのサタンの業としか思えない、心ない噂を耳にする度に、オモニム(真のお母様)は胸が張り裂けるような思いであった。 そういう情況の中で、オモニム(真のお母様)はひたすら沈黙を守り、耐え忍ばねばならなかったのである。こういう事情の中に年月は過ぎ去っていった。 しかし何事が起ころうともオモニム(真のお母様)は、絶えず不屈の信仰で忍耐され、犠牲になりながら沈黙を守り通して、先生への信仰を持ち続けた。そして結局ついには、非難されてきた事情のすべては逆転し、皆オモニム(真のお母様)の前に頭をたれて、「この方は本当に天宙のオモニム(真のお母様)だ」と思うようになり、そのように敬い対するようになってきたのである。 時には信じられないようなことが起こったこともある。ある女性が、ずうずうしくもオモニム(真のお母様)の部屋に侵入してきて、「あなたには主の花嫁になる資格なぞ全々ない。私がなるべきだ。あなたは私の夫になるはずの人を盗んだのだ」というのである。また七十歳にもなるあるおばあさんが、「『あなたが主の花嫁になり、先生と結婚して、十二人の子供を持つ』という啓示を受けた」というのである。七十歳なのである! そういう人々はオモニム(真のお母様)を憎悪する立場に立ったわけであるが、驚いたことには、彼らはオモニム(真のお母様)と一体化することを望まず、結局一人、また一人と去っていった。 先生は原理をもっているから、この種の事情をいかに主管して、指導者としての使命を全うし、最終的勝利をもたらすかがよくわかっていたのである。もし原理を知らなかったら、先生は本当にどう処置すべきか困惑してしまったに違いない。結局は愛なのである。愛が中心であり、すべては愛の問題である。そして愛の問題がいかに極端な方向に行くものであるか、あなたたちも知っているだろう。 だからこういう事情を主管することは、本当になんとデリケ―トで難しいことだろうか。悲しいことであるが、ある意味では外で行われる多くの殺人より遥かに凄まじい、激しい戦いだということができるだろう。 先生は愛を征服し、復帰するために来た。そしてそれは神に対する心情の復帰でもある。だから先生は、愛のため、心情のための蕩減をしなければならなかったのである。愛に勝利し、すべての愛を天のために復帰しなければならなかったのである。それはそのために負うべき十字架を意味していた。それはまさに愛の十字架であり、愛の十字架こそは、最も大いなるものであった。 無私こそが勝利の鍵 そして、これらの事情については、決して二人の間で話し合われることはなく、「さあ、オモニム(真のお母様)、あなたはそれを理解し、勝ちぬき、不屈の忍耐で勝利しなければならない。私はそれをこういう計画を成就するために、こういう目的に基づいてそうしたのだから」というような説明はたった一言もしなかった。 先生がオモニム(真のお母様)に説明し、慰さめたとしたら、例えオモニム(真のお母様)がそのために勝利したとしても、何の価値もないのである。オモニム(真のお母様)自ら意味を悟って、自分自身の理解に基づいて、忍耐し勝利しなければならないのである。 先生は、今みなに明かしているこの程度にも、オモニム(真のお母様)に説明したことはないのである。そこに見られるのは、実に勝利的な信仰の表明以外の何ものでもない。倦むことのない献身と、先生への絶対的な信仰である。オモニム(真のお母様)も、洪ハルモニもそれに勝利してきた。 この天宙的勝利の後に、今先生はオモニム(真のお母様)として彼女にふさわしい栄光を与えることにした。洪ハルモニも生涯において、洪ハルモニにふさわしい正当な尊敬と栄光を受けるべきである。もしそれらを受けずして亡くなられるとすれば、子孫達にその結果が表われるのである。 だから原理的観点からみる時、先生はオモニム(真のお母様)達に対して前とは違った対し方をしているのである。それが復帰の過程であり、それはかくも難しく、大変なことなのである。いかに大変なことか、あなたたちにはとうてい理解してもらえないことだろう。 あなたたちにおいても心情がすべてを決定するが、先生御自身の摂理においても同じことなのである。先生の心情がひとたび正しく定められれば万事が速やかに出発し、うまく展開していく。 同様にあなたたちの心情が、ひとたび神と真の父母との関係において正しく定められたら、万事があなたの周りで速やかに動き始めるのである。あなたの心が決まるまでは何も起こらないのである。オモニム(真のお母様)と洪ハルモニは、最も光栄なる責任ある立場に選ばれたが、彼女たちは統一教会の最低基準で入教し、最低の基準からその路程を出発した。このことから学びうる教訓は、栄えある神の王座という祝福は、決して最も高い、栄光ある、聖なる所から与えられるのではなく、人間の悲惨さの最低の所から勝ち取っていかなければならないのだということである。 それでこそ初めてその祝福は、永遠なるものとなり、すべての人類を抱擁しうるものとなるのである。祝福は決して高い所から来るのではなく、最も低い所に下りてくるのである。そこには苦難がある。先生はいつか自分がいかに最低の、まさに地獄の土牢からその路程を出発したかということを、あえてはっきりと詳しく説明したいと思っている。そして同じ原理をオモニム(真のお母様)にも実践させるし、子供達にも実践させるつもりである。そしてあなたたちにとってもその原理は変わりはないのである。だからこそあなたたちを最低の所に追いやろうとするのである。 先生に不平を言いたい者もいるかもしれないが、もしオモニム(真のお母様)がその苦難に対して不平を言って、使命を果たすことを断念するような方で、「先生、あなたがどなたであろうとかまいません、私は行きます」と言ったとしたら、あるいは去らないまでも、たえず不平ばかり言っているとしたら、オモニム(真のお母様)は皆のオモニム(真のお母様)ではあり得ないことになる。それとまったく同様に、先生があなたたちをある立場におき、役割を与えた時、もしそれに対してあなたたちが不平を言い始めるや、その位置や立場を失い始めるのである。自己中心になって不平を言い始める時、結局すべてを失い始めるのである。実に無私こそが鍵である。 魚釣りの教え 最近こういう噂があちこちにある。すでに知っているように、六月に神学校は第一期の卒業生を送り出すが、彼らはすでに各州へ任命されている。ところが各州にいる責任者達は、「神学生達が州に来れば、先生は彼らをアベルの位置におくに違いない。私はほんの二、三ヵ月教会を維持してきただけで、新しい人が来て教会と責任者の位置を取り上げるのなら、どうして私はこんなに一生懸命働く必要があるだろうか。事実我々の運動のリ―ダ―の人事異動が六月にある、と通告されているのだから」と。 先生は、このことが州の責任者達の間に心理的パニック引き起こすことは明きらかだと思っていた。案の定それが各州の四月中の実績に明きらかに反映している。 なんと愚かな者達か。自分がそういう立場におかれたら、「こういう時にこそ自分の信仰と確信と責任感とを証して、自分の価値を示す絶好のチャンスなのだから、今までの二倍も三倍も働く時なのだ」というように考えるべきである。 報告を聞いて、先生は四月中に多くの教会員が教会を去ったことを知った。なぜ先生はあなたたちをベリ―タウンまで来させて魚釣り競争をさせたかというと、あなたたちが一ヵ月間に積み上げてきた心理的、心霊的なものの現われを一、二日間の釣りをすることによって直接見たかったのである。 魚釣りを通して、あなたたちがその中でどういう反応を示すかによって、あなたたちがどういう人間であるかを見ることができる。あの時も結局最後には先生だけが残った。先生がまず大貫に続けたいかどうか聞いてみると、彼は「先生、皆行ってしまいました。延期することは出来ないものでしょうか」と答えた。そして次にゲルハルト(註、先生のガ―ド)に「次はお前の番だ、水の中に入るのだ」と命ずると、彼は素直に従って入った。そして二回目には三時間以上も水中にいたのである。どんな天候であろうと先生はやり通されることを彼は知っていたからである。 先生は、三時間もかかって網を解いていた。網を水中に入れるのに普通は三十分しかかからないのに、その網はメチャメチャにもつれていて、解くのに三時間もかかったのである。「誰がこんなにもつれたままにしていたのだろう」と、いらいらしたほどである。 先生は昨日は二重の苦しみを味わった。トイレに行きたかったが、船に乗りっぱなしということになってしまったのである。何しろうまくいけば最低三十分で終わると思っていたのに、三時間以上もかかったのだから。かといって、トイレに行きたいから陸に上がろうとは言えない。そういうわけで内的にも肉体的にも実に苦しかった上、外的にもそんなにもつれた網をなおすのには、大変な作業をしなければならなかったのだから、本当に二重の苦しみだったのである。 昨日先生がそのように苦労し奮闘したからこそ、我々は今日大勝利を収めてたくさんの魚を獲り、勝利感を味わうことが出来たのである。勝利によって、皆のややこしい複雑な心のもつれも、一辺に吹き飛ばされてしまった。 今先生が、「もう一度やるか」と聞いたら、皆「はい、やります」と答えるに違いない。それこそが心情の復帰なのである。一日であなたたちの心はいったん最低の所に下りていって、新しい生命に復帰し、復活したのである。 こういう会議は本当に異例であるとわかっていたが、今回はいつもと変わった方向からもとうと思ったのである。もし我々が、ベルベディアで座って先生の話を聞くといったいつも通りの会議をもっていたら、先生が叱りつけたいようなことがあまりにも多くて、一日中叱り通しになるかもしれないとわかっていたし、ことに聖婚記念日も迫っている今、そういうふうにはしたくなかったのである。そこで、「異なった方向から教育しよう」と決意して、ベリ―タウンに魚釣りに来させたのである。「もっと現実的な実地の教育を」と思いついたのが、魚釣りの競争だったのである。 勝利した真のお母様 さて、あなたたちは今、オモニム(真のお母様)の初めての証しを聞いた。先生は今日初めて、オモニム(真のお母様)に証しするように言ったけれども、これはまったくめったにないことで、韓国でもかつてなされたことがない事である。あなたたちはオモニム(真のお母様)自身の証しと先生の解説を聞くという、稀有な貴重なる機会に与ったのである。この御言を正しく理解するなら、あなたたちを高める大きな霊的エネルギ―が得られることだろう。 原理に外れた例外はとることができないし、原理を侵す者を許すことのできない先生である。今日の証しを聞いても、先生が原理的に生きる人間かどうかよくわかっただろう。原理的に生きているからこそ、先生は今日、確信をもって天地の前にこれらを公言したのである。先生は原理を生活することによって勝利したのだから。 一九七六年以後、オモニム(真のお母様)は完成基準に達せられて、完全なる復活が与えられた。もちろん先生もである。しかしこの年に先生とオモニム(真のお母様)の完全なる復活がなされるまでは、先生もオモニム(真のお母様)も闘わなければならなかった。 そのため、七十七年、今年の御聖誕記念日、二月二十三日には、蕩減のすべてが払われて、真の父母が完成基準に達し、完全なる復活が与えられたということで、新しい時代の始まりが宣言されたのである。天の新しい紀元が始まったのである。 事実、二月二十三日は、先生とオモニム(真のお母様)にとって、非常に意義深い日で、統一教会において、過去のすべてが清算され、先生とオモニム(真のお母様)自身によってすべての基盤が決定されて、全面的な完全なる解放が宣言されうる基準にまで至ったのである。 今までオモニム(真のお母様)は、たった十ドルでも自由に使うことは許されず、必ず先生に尋ねて先生から貰うことになっていたが、これからはもうそうではない。オモニム(真のお母様)は、家庭の母として、教会の母として、天宙の母として堂々たる真の母として、より大きな責任を持つことになる。 そういうオモニム(真のお母様)において、何が特別に他の人と違った点かというと、まずオモニム(真のお母様)は生まれつき特別鋭い霊的直観を持っていて、また人物や事物に対する洞察力、観察力が非常に正確で、直観力も非常に鋭く明晰だから、オモニム(真のお母様)の心に反映したことは、常に真実であるという点である。それから先生に対する絶対的な忠誠心を持っていて、何と言われても、何を願われても、何でもしようということを深く決意しているという点である。それがオモニム(真のお母様)の信念でもあり、そういう信仰と信念があったからこそ、その苦難の年月にも、目的達成のための深い、実に信じられないほどの忍耐力をもって勝利してきたのである。 先生はオモニム(真のお母様)がある特別な性質を持っていることを深く感謝している。それはオモニム(真のお母様)が、いつも無私であり、自分の子供達ばかりでなく、あなたたち食口に対しても何でも与えようとするところである。持ち物の中で何か貴重に思う物があったら、彼女はいつも、誰かに与えたいと思い、何よりも与えることを楽しみとするという点である。 多くの世の人々は、「文夫人には多くの喜びがあり、宝石、衣服等たくさん持っているに違いない」と思うだろうが、事実はまったくそうではない。何でも自分が素晴らしいと思う物は、誰かに与えて喜ばせたいと思うから、ある日急に天候が変わる時など、先生と外出しなければならないのに、衣装入れの中にあまり衣服がなくて、その天候にふさわしい適当な衣装が見当たらなかったこともあった。もちろんそうでなければ先生自身の伝統をひきついでいくことは出来ないが、オモニム(真のお母様)は先生以上にそうだといってもいい位である。 いつもオモニム(真のお母様)は、先生の心を非常に正確に読んで、先生の期待したより遥かに多くをなしてくれた。そういうオモニム(真のお母様)に、先生は次の三点で特に感謝している。そしてそういう美しい性質をオモニム(真のお母様)に植えつけられた神に感謝している。 第一に、オモニム(真のお母様)は霊的に非常に繊細、敏感で、万事を霊的に明確に読むことができることである。第二に、先生に対する絶対的な忠誠と献身であり、どういう方向に先生が導いても、いつも喜んで従ってくれる。第三に、自分のすべての持ち物は、神と天宙のものであり、万物は天宙と享有されるべきものだから、どんな貴重なものでも、誰かに与えて誰かを喜ばせたいという無私な生活観を表明している点である。「これは私のもので、あれはあなたのものだ」という感覚は持っていないのである。 また神は、この家庭に多くの子女を恵まれたが、この子供達は、どの一人を見ても極めて優秀で、あらゆる面で素晴らしい成績を記録している。健康で、とても天的な子供達でもある。先生はこれらのことのすべてに限りなく感謝している。 無私の原理 レバレンド・ム―ンはすでに言及したように、国家という限界内に限られている国家的という域を越えて、天宙的な段階へ行こうとしている。もしあなたたちが自分自身のことばかり考えるなら、この運動の中で長続きしないだろう。 例えば、オモニム(真のお母様)がもし自己中心的な人で、彼女自身のことを考える人であったら、今日オモニム(真のお母様)の位置にいないはずである。だから我々の運動の中にもし自己中心的なリ―ダ―がいるとしたら、今荷物をまとめて出て行きなさい。たった今。そういう者にはここはどうせ長くはもたないからである。 先生はリ―ダ―達をそういう観点から見ることにしている。そういう観点から価値を計るのである。どれだけ『無私』であるかという、そのキイ・ポイントとなる基本原理に基づいて、人事するのである。先生は原理を教え、原理を生活し、原理を実践している。そして今日あなたたちは、先生が統一教会の指導者としてどのようにこの道を歩んでいるかを知った。オモニム(真のお母様)は、この点において今や勝利的な女性であるが、誰が、この完成した勝利的な女性を創ったのだろうか。それは実に先生である。だから、先生もまたその点において勝利的な先生なのである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.25
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「苦難と栄光の座 真のお母様自身の証し」 一九七七年五月三日ご聖婚記念日に、真のお母様が米国・ベルベディアでご自身の証をされました。(韓国語版『愛の世界』より翻訳転載) 主を迎える道 お父様はきょう、あなたがたに、私自身の証と、十八回目の聖婚記念日に当たっての感想を述べるようにと言われましたが、もしあなた方が三度の食事よりもっとその証を聞きたいというのであれば、一日中でも話してあげましょう。 先週の日曜日にベルベディアでお父様の説教を聞いた人は、真の父母をこの地上に迎えるために、何か特別な、天的、摂理的出来事が、ひそかに内的に起こったことを認識したことと思います。 当時韓国には、「聖書とイエス様を信じさえすれば天国に行ける」と単純に、かつ盲目的に信じ込んでいる、形式化したキリスト教団とは違った、特別な霊的教団が数多くありました。それらの教団は、再臨主を迎える道を準備し、主の花嫁を捜し出すために、神からの啓示を受けることを唯一の目的として存在していました。 そして、それらは私が生まれる前後の宗教的情況であり、私はそういう情況下に、ある特別な霊的な家庭の中に生まれました。 私は、神と絶えず親密な交わりをもち、主の再臨と新時代について、主が再臨する日に何が明かされるかということについて、啓示を受けていました。 私がきょう、当時のことを考え、悲しくなってしまうのは、母の属していたその教団が、言語を絶する、実に信じられないような、耐え難い苦難を通過しなければならなかった日々のことを思い出しているからです。 彼らは絶えず、神の啓示を受けてきました。そして、蕩減路程を通して主の道を直くするために、実に信じ難い、苦難の道を通過しなければならなかったのです。そして、その中の多くの人が、あまりにも不運な事情の中で過ごさなければならず、ある者は牢獄の中で死んでいきました。 彼らは天に選ばれ、召された人々として、献身的に神に侍り、「いつの日か、メシヤにまみえる」という唯一の希望にすべてを託して、あらゆる苦難を乗り越えていったのです。 彼らは再臨主を迎えるために、すべてのものを準備しました。例えば、スプーンから衣服に至るまで一切を準備したのです。神の子をメシヤとして送られる神ご自身の計画について、詳しく明かした啓示に従って準備しました。霊能者たちは、服のサイズに至るまで、非常に詳細に啓示を受けていたのです。 そのような言語を絶する苦難の中にあって、主の再臨を待っていた彼らは、不運にも、ついにその日を迎えることができず、一人、また一人と、死んでいったのです。その間、その使命は三代にわたって引き継がれ、それらの啓示の最後の頂点として、私が生まれたのです。 天のプロポーズ 私が生まれたころ、神がその御子を地上に送るためのご計画を明かした啓示を受ける使命を引き継いできた、最後の霊能者がいました。 その女性の霊能者は、私が六歳にもならない時に、「この方こそ、天の花嫁になられるでしょう」と、預言しました。その女性の霊能者は、その六歳にもならない幼い少女が、天の花嫁となるべく運命づけられているという啓示を絶えず受けていたのです。 当時の韓国の情勢はとても厳しく、事実上、どんな人も、神やキリストへの信仰をもち続けることは不可能でした。ご存じのように、当時、韓国は日本帝国主義の占領下にあったからです。 私はそのころ北韓にいたのですが、その地域もやはり日本帝国主義の支配下にあり、特に、日本総督府は教会活動を激しく迫害していました。したがって、だれであろうと、信仰をもち続けることは、事実上、不可能なことでした。 私は平安南道の安州で生まれました。そこは、韓国の三十八度線以北にあり、先生がお生まれになった定州のある平安北プク道からそれほど遠くない所で、お父様と誕生日を同じくして生まれたのです。しかし、私が北韓にいた間は、そのようなことを知る由もなく、もちろん、先生にお会いすることもありませんでした。 当時、神に予定され召命されたその教団は、主に北韓に広まっていましたが、その北韓の中心である平壌は、「新時代の聖都、エルサレムになるであろう」という予言や啓示が下りていました。とにかくその地域は、キリスト教の勢力が非常に強い所でした。 私は北韓では先生にお会いできず、北から南に渡ってきた後、ソウルで初めてお会いしました。それは私が十三歳の時で、ちょうど小学校を終えたばかりで、今の仁進と同い年でした。当時は、母と一緒に入教したばかりの時であり、それまで多くの苦難の道を歩んできたので、未来に対する確信をもつことができませんでした。特に、一九六〇年に何が起ころうとしているのか、知る由もありませんでした。 初めて先生にお会いした時、先生は、私をご覧になった瞬間、目を閉じて瞑想された後に、心の中でささやくように言われました。「名前は何というのかね?」と言われたので、「はい、私は韓鶴子と申します」と答えました。 すると、「ああ、神様、韓鶴子というこのように素晴らしい女性を、この韓国に送ってくださったのですね。感謝いたします」と言われました。先生はその瞬間、瞑想されて、ほとんど独り言のように言われたのですが、私にはそう聞こえました。 その時は、統一教会の教祖である先生が、私の将来に関して特別な啓示を受けておられるような感じを受け、少し不思議に思いました。 そのころ私は、韓国の北東部にある春川に住んでおり、先生はソウルの教会本部にいらっしゃったので、春川とソウルという距離をおいて遠く離れていました。私は先生にお会いした後、教会に通いながら、中学校を終え高校に進学しました。 きょうがその記念日ですが、聖婚式が挙行されたのは、一九六〇年四月十一日(陰暦の三月十六日)でした。その一か月前に、先生が夢で現れて、神からの特別な啓示を受けました。「その日が近づいたので準備をしなさい」という啓示を受けたのです。その時から、天の結婚の申し込み、というより、天の訓令が来ました。 訓令があった時は、私は完全に無私になりました。私にはその時、このような大きなことを判断することができる能力がなかったので、無私になる以外にありませんでした。 そして、祈らざるを得ませんでした。「今までも私はみ意のままに生きてまいりました。今、神のみ意が何であろうと、神の摂理の目的が何であろうと、私はあなたの僕として、どんなことでも、お命じになるままに従います」。啓示に対する私の気持ちを示しました。それは、私が十八歳の、初春二月ごろのことでした。 私は完全に無私になって準備をしていたので、その事情を分析したくありませんでした。神のみ意のままに、全面的に身を捧げることを、ひたすら願っていたのです。 当時の私は、おとなしいほうで、静けさと平安の中で読書や音楽を好む人として、学内でも知られていました。そして、かなり知的な女性としても知られていました。極端に感情的でもなく、極端に激しくもなく、常に理性的で、初めて会う人々には、むしろ、少し冷たい感じさえ与えていたでしょう。 私のそのころの生活は、ほとんど修道女のような生活でした。男性と行動を共にすることは一切避けていましたし、まるで温室の中に咲く一輪の花のごとくに、完全に外の環境から自分自身を隔離していたのです。 今となってはそれが、いつの日か主にまみえ、主の花嫁となる者としての、聖別のための天の準備であったということが分かりますが、当時の私は何も分かりませんでした。 そして、私の本来の性格も外向的ではなく、いつも控えめで、世の中から離れて、自分自身の世界を楽しむほうでした。ですから、男性たちに対しては、ほとんど完全に無視しているように行動し、周りにいる青年や男性たちを、私のほうから先に見たこともありませんでした。男性を見るだけでも、何か気恥ずかしく、純粋性を失ったように感じられたからです。 外からちょっと見る時には、お父様がどういう方なのか知っているので、皆さんは一様に、そして単純に、私がとても幸せで、あらゆる面で完全な方に違いない、と思うことでしょう。「あなたは、神がそのようにつくられ、もともと完全な姿でお生まれになったのだから、ご自身は何の努力をする必要もなく、ただ、その位置に選ばれた方だ」。そう思うかもしれません。 そして、「全天宙の母であり、お父様に出会い、幸せな家庭をもって、人生を楽しんでいる」というのが、私に対する人々の一般的な見方でしょう。 しかし、それに反して、お父様がその位置に立つために、苦難と十字架の道を歩まれる限り、私もまた当然、私として、信じられないような、耐え難く、負い難い十字架を与えられたのです。 もちろん、私も初めから完全な人間として出発したのではなく、完成まで到達しなければならないのです。その到達しなければならない基準は、あまりにも高かったので、時には、目標まで到達することが、本当に不可能にすら思えました。 その使命を果たし、神の期待にこたえるためには、非常に厳しい試練と苦難と、絶対的な信仰が必要でした。私はそのような立場にあったのです。 過ぎし日のこのような事情と、自分が歩んできた路程について思い出す時、私は耐えることができず、涙が流れます。なぜならば、これらについて語ろうとすると、苦難と試練の記憶のすべてが、生々しくよみがえってくるのです。私にはそれを語ることがとてもつらいことなのです。今朝、私が悲しそうに見えるかもしれませんが、それはそのためなのです。 私が歩んできた道は、考えただけでも、耐え難い苦難の連続でした。神は、選ばれたお父様を試練されたように、私にも何度も試練を与えられました。そして、サタンもまた、先生とイエス様を試練したように、やはり私を試練したのです。 メシヤが通過されたのと同じような過酷で厳しい試練を、このか弱い女性が通過したというのですから、とてもあなた方には信じられないことでしょう。 すべては、歴史の秘密の一章の中に隠されてきました。皆さんは原理を知っているので、蕩減の関係から見る時、私が聖婚記念日を迎えた今日に至るまで、いかに困難な道を歩んできたかを、想像することができるでしょう。 一九六〇年に聖婚式が行われ、私は今、天宙的使命を担っておられる偉大な先生と結婚した女性であるわけですが、お父様のその天宙的使命をかいま見たならば、常人には、そのような使命を果たすということを考えることすら、不可能なことです。 私は、温室の中の一輪の花のごとく成長してきました。平和な雰囲気の温室で摘まれ、砂漠に持って来られた花のように、自分自身、感じていました。砂漠のようなところ、それが私がいた環境でした。至るところで海が荒れ狂っているようなものでした。 私の周囲は、一寸先を見ることができないほどに、多くの誘惑と試練と、さまざまな苦難が渦巻く、厳しい、現実的、または霊的情況であったのです。私はまるで、荒海に浮かぶ小さな帆掛け舟のようなものでした。 一方でまた、その当時は、私のうえに訪れた神の恵みを最も感じた時でもありました。 私が苦痛のただ中にある時にも、神はご自身を現して、啓示を与え、導いてくださいました。そのような直接的な導きのない時も、私を愛し守ろうとする、周りの人々を通して、絶えざる導きと啓示を、毎日与えてくださいました。 ですから、そのころは、かくも厳しい試練と忍耐と困難の時であったにもかかわらず、同時に、この時こそ最も美しく、神の恵みに満ちあふれた、まさに神が共にいまし給うことを実感することができた時でもありました。 こうして完成に向かって苦悶してきた成長期間が終わり、今、天が願われる基準に達した私がそのころを振り返ってみる時、その苦難に満ちた記憶のすべては、喜びに変わりました。 私はお父様といつでも、深く語り合い、交流することができます。言い換えれば、お父様と私の間には、尽きない話題と限りない理解があり、無限に、信頼に満たされた会話があります。 お父様とそれほど多く話さなくても、互いの事情を深く理解し合うことができるのです。なぜなら、お父様の通過してこられた事情と、私の歩んできた道は、神秘的なまでに、あまりにも似ていたからです。お父様とは、共通の一つの目的を深く理解することができるのです。 不屈の信仰ですべてを耐え忍び、あらゆる困難と闘い、完成基準に到達して、もはやサタンが一切侵入することのできない基準まで歩んできたという勝利感があります。お父様と私が互いに見つめ合う時、互いに感ずる勝利感によって、私は限りなく慰められ、平安を得ることができるのです。 地獄を天国に変えて 最後に、皆さんに一言語っておきたいことがあります。 私は、自分自身の体験を通して、神について、神がいかにしてそのみ業をなされるかについて、多くのことを知りました。 私の人生において、まさに天国と地獄をすべて通過してきましたが、そのどちらも、神が期待される完全な成熟した人格を形成するために必要なものであったということを知るようになりました。 もし私が、天国の喜ばしいことだけを味わってきたとすれば、天国の生活をそれほど深く味わい、感謝することができなかったことでしょう。私は、地獄の最低の底までも通過して、その苦い味も味わったのです。 「これ以上、こんなに難しい道を行き続ける力は、私にはありません。この道を歩み続けることは、絶対に不可能です。神よ7 なぜ私に、このような道を行けと言われるのですか?」と問うたことも、数えきれないほどありました。 私に必要だったのは、まさに疲れることのない不屈の信仰と決意と忍耐であり、それが今日の私をつくり上げたと言えるでしょう。 もう一つ言っておきたいことは、皆さんは、天国に行く道において、天国のような面だけを期待してはならないということです。地獄のような面も当然、予期しなければなりません。地獄の底の監獄を通過することも当然、予期しなければならないのです。 そして、それこそが、神の恵みを感じることができる最も貴い部分であるとも言うことができるのです。それを通過することによって、皆さんはより堅固に立ち、強くなることができ、円満で総合的な人格、神的人格を成熟させることができ、天国をより深く感謝することもできるのです。 そのような体験のすべてが、いつの日か、皆さんの誇りとなることでしょう。勝利と忍耐の記録こそが、いつの日か、皆さんの誇りとなるのです。 この二、三日、先生は皆さんに魚釣りの競争をさせられましたが、その時皆さんは、ふと心の中で、「なぜ先生は、こんな無意味なことを私たちにさせるのだろうか? こんな悪天候の時に、水の中に入ろうとする者が、どこにいるのか? そんなことはする必要がないし、川がこんなに深いのだから、死んでしまうかもしれない」と思ったことでしょう。 だれしも、ほんの一瞬、ふとこういう思いがよぎったに違いありません。「なぜ、お父様は、何か狂ったように、こんなことをされるのか? なぜ、このようなことをしなければならないか?」。しかし、皆さんはその時に、「私はそんなことしなくていいでしょう。私にはできません」とは言わないでください。 このような瞬間こそ、皆さんが性急に判断してはならない時なのです。このような時であればあるほど、その試練を通過し乗り越えることによって、喜びが来ることでしょう。 なぜ、お父様は、皆さんを泥の積もった川の中に入らせたのでしょうか? そのような霊的試練がある時こそ、どんな人にでも、正常な人はだれでも、自然な本能的な思いとして、そのような思いが心の中をよぎるものです。その時に、いかにしてその思いを克服するか、それを喜びに転換することができるか、それが問題なのです。 私の半生のすべては、毎日毎日が、まさに、皆さんが経験した魚釣り競争に例えることができるのです。 私が言っておきたいことは、以上です。 ですから、皆さんは、いつも忍耐強く、不屈の精神で活動してくださればと思います。何事も、性急に判断したり、考えたり、すぐに反発したりしてはいけません。そうすれば、どんな厳しい試練も、喜びに変わることでしょう。それこそが、いつの日にか、誇りになるのです。 私が今朝、流した涙には、二つの意味があります。一つは悲しみの涙ですが、それは単純に悲しみの涙ではなく、喜びの涙であるということも知っていただければと思います。 勝利したその喜び、そして、このようにお父様と共にいることのできる喜びの涙であるということを…。実際、そのような二重の意味をもった涙でした。 そして、これからは、ただ喜びの涙だけを流したいと思います。 ですから、どうかこれからは、私の過去のことは尋ねないでください。ただ勝利的な未来の大いなる理想についてのみ語り合いましょう。このことを皆さんにお願いしたいと思います。 未来に来るべき偉大な日のために、何度でも喜びの涙を流しながら喜びましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.25
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「創立以前の内的教会史」1977年5月1日ニューヨーク・ベルベディア 復帰路程の三段階 原理的観点から見て、神の摂理路程は三段階に分けられます。神自身を中心とした摂理、天使界を中心とした摂理、そして人間を中心とした摂理です。 まず旧約時代は、神が直接働き給うた期間であり、未来の摂理基台を造成する準備をするために、神御自身自ら先頭に立って、自ら模範を示しながら導いてこられました。次の新約時代は、天使を中心とした摂理時代であり、天使界の働きに相当する霊的摂理として、霊的救いのみを成就する時です。そして最後の成約再臨時代は、実体人間の摂理です。そして人類歴史の終末期において、これらの神の摂理全体を代表する国、すなわち歴史の主要なる局面のすべてを縦的に取り戻す、一なる実体国家が現れなければなりません。 ここでアブラハムの供え物について見てみますと、彼は、祭壇上に鳩と羊と雌牛の三種の供え物を捧げました。ところがその時、鳩と羊は一対でしたが、雌牛だけは単独で捧げられたのです。それは摂理歴史において、一対の鳩で象徴される蘇生期と、一対の羊で象徴される長成期は成就しましたが、一頭の雌牛で象徴される完成期だけは、まだ成就しないことを意味するというわけです。そしてそのいまだ成らざる人類史の最後の章を成就するために、韓国が神によって備えられました。ですからこの国において、アブラハムの供え物のすべてが、横的に、実体的に現れなければなりません。 またこの国において、旧約時代を代表する神のみ業と、新約時代を代表するイエス様と聖霊の役事と、成約時代を代表する再臨の主のみ業が現されなければならないのです。それらのすべての摂理の基台が、この地上のどこかに実体的に立てられなければならないからです。 女性の道 神の最終目的は、一人の完成されたアダムの創造でありますが、そのためには、エバが見いだされずしては、アダムは生まれ出てきませんし、エバを通してのみ、アダムも完成することができるのです。言い換えればアダムは、神によって送られた中心人物ではありますが、アダム一人だけでは全責任分担を全うすることはできません。エデンの園における人間堕落の動機については、全面的にエバに責任があるのですから、復帰においても、堕落の蕩減をするエバが現れて、その責任を果たさなければ、アダムの完成の道がないというわけです。 しかしまた、そのエバもまた、アダムなしには完成する道がなく、エバが完成するためには、まずアダムを生み出し、そのアダムから創造されなければなりません。結局、まずアダムが、この地上に生まれ出てこなければならないことになりますが、そのことに対しては、直接責任があるのは神でもイエス様でもなくて、その責任はエバにあるのです。エデンの園でも、エバがアダムを破滅させたのですから、アダムを育て、生み直す責任はエバにあるというわけです。 二〇〇〇年前のイエス様の時には、洗礼ヨハネがそのイエス様の相対の使命をもっていて、彼の使命が完遂されることによってイエス様がメシヤとして来るようになっていました。同様に再臨主の時には、エバ(女性の代表者)が洗礼ヨハネの役割を果たさなければなりません。しかも二〇〇〇年前には国家基準においてでしたが、再臨時代においては天宙的基準においてその使命を果たさなければなりません。 復帰摂理は、神の王座という最高の立場から出発するのではなく、人間としてのあらゆる面で、最低の立場から出発しなければなりません。なぜなら、アダムにこそ全人類の復帰に対する全面的な責任があるのですから、アダムは、その路程を地獄の最低の所から出発して、あらゆる人間の立場をすべて体験しながら、神の王座に至るまで上がっていかなければならないのです。そしてそこでエバに会い、初めはそのエバに仕えて、自らをアダムとして完成させていかなければなりません。 女性のもち得る最も尊い名称は、「母」でありますが、アダムは、その尊い自分の母に仕えるごとく、エバに侍らなければならない期間があるのです。また女性のもう一つの名称は妻あるいは花嫁であり、第三には、母、妻という家庭内にとどまる存在に対して、外的にはすべての女性の立場と栄光のうち最も高いものである女王です。そしてもちろん、これらのすべてを総合した神の国の女王が、女性だというわけです。女性は最終的には、このように三つの局面をもっているのです。 女性なら誰でも、もし、「あなたは良き母になれると思いますか」と問われたら、女性なら当然のこととして普遍的に、「はい」と答えることでしょう。それは「良き妻になれると思いますか」と問われたときも同様で、普遍的に「はい」と答えるでしょう。事実、女性である限り誰でも普遍的に、母と妻の役割はうまく果たせますし、これらの名を得る資格があります。 しかし、「あなたは女王になれると思いますか」と問われた場合、現実には社会においてすべての女性が一国の女王になれるわけではありません。誰が女性に女王の名を与え、その資格を認めるのでしょうか、神様でしょうか、それともイエス様でしょうか。 原理的にも、エバは、アダムに会うまではその名を与えられないというのです。しかし歴史を通して、この地上に数知れない多くの男性がいましたが、そのすべてが堕落したアダムの立場でしたので、実際は神の側の女性にとって、一人も真の男性がいなかったというわけです。ですから女性は長い間その名を受けることができず、歴史を通して常に誤った扱いを受け、虐げられてきたのです。そして歴史を通して、悪なる人、悪なる家庭、悪なる社会、悪なる国家、そしてサタンから悪なる方向に利用されてきました。 女性解放史の原理的背景 それではいつ女性は解放の時を迎えるのでしょうか。キリスト教はこれを明らかに示しているのですが、すべての女性は一人の完成した男性を待ち望んでいて、その男性に会うまでは命によみがえることができないのです。ですから過去の全歴史を通じて、惨めな女性の歴史が続いてきました。 このように常に縛られてきた惨めな女性の立場に対して、一九一八年から一九八八年までの約七十年間は、多くの女性上位運動が起こり、女性の位置が向上してくる時で、男性を支配しようとする女性たちすら出てきます。最も典型的なウーマン・リブ運動の国はもちろんアメリカですが、今日のアメリカ社会でなら、ある意味ですべての女性が普遍的に、女王の役割を果たしているともいえます。この国では、女性たちが主人のごとく振る舞い、男性たちは小さくなってビクビクしていることが多いのです。 しかし本来の女性の立場はこういうものではなく、歴史的にも、聖書に書かれたヘブライ史を見てみると、女性の権利などというものはほとんど与えられていなかったことが分かります。そして神の摂理の中心的役割を果たしてきたのもすべて男性であるというように、聖書的概念によると、現代のかかる主管性転倒的状況は、正に異常な事態であるといえます。また聖書には女性は「ベールを被るべし」とありますが、それは女性は謙遜であるべしという意味であって、謙遜な立場で夫に会おうとする、ヘブライの女性の立場を表しています。 しかし、現代においてはどうかというと、ベールを被るどころか、自分の身に着けた衣服まで取ってしまう者まで現れてきました。先日先生は、ニューヨークの街で信じられないような光景を見ました。何人かの貧しそうなみすぼらしい男たちが、集まってピケを張り、デモンストレーションをしているのですが、そのプラカードには何と、「女性たちよ、我々を解放せよ」とあるのです。それは実にほかでもない、「男性解放運動」だったのです。 それにしても先生は、彼らが、原理を知らないがゆえにこういうことで時間を無駄にしていることを、残念に思わずにはいられませんでした。このようにこの世界に起こっている一時的、時代的な現象ですら、ただ漠然と起こっているのではなく、すべて背後には原理的な背景があるのです。 神様の女性観 では、女性が権利を主張して、女性上位運動を続けていく期間は、どうして七十年間なのでしょうか。それにこの八八年までの期間はどういう時かというと、人類史上でも最も危機的な時代であり、神の全復帰歴史を終結せんとしている終末期に当たります。七十年は完成を意味しますが、今や女性は、女性本来の立場を回復しつつあります。それは真の男性に会う準備をする七十年間であるともいえます。ですからアメリカにおいて、女性が能動的、主導的になることにも理由があるわけです。しかし、時が来れば女性は、本来の相対的、受動的立場に戻るべきであり、その時が既に来たのです。それにそうしなければ女性はすべての男性を失ってしまうことでしょう。女性は、女性らしいしとやかな人と思われたいでしょうか、それとも、勇敢で男のような性質の人と思われたいでしょうか。 また男性の方も、男らしい奥さんが欲しいものでしょうか。先生がアメリカで祝福をした時、ある驚くべき事実を発見しました。先生が西洋の男性たちに、どんな女性、どの国の女性と祝福されたいか、と尋ねたところ、何と九九パーセントの男性が、「東洋の女性がいい」と答えたのです。西洋の男性と東洋の女性の組み合わせはよいでしょうが、西洋の女性が東洋の男性を夫にもつ場合には、不利な条件があるかもしれません。第一に女性のほうが背が高いということです。一般的に女性の中には、背の高い男性を夫にもちたがる人が多いし、男性のほうは、自分より少し低めの背丈の人を妻にしたい人が多いといえるのです。 女性のほうがより低く見えるほうが、より自然であり、正常であるといえるでしょう。神は、女性が常に男性を見上げ、尊敬するように、概して女性を男性より低くつくられたのです。それは女性のためにそうされたのであり、もし女性のほうがより高かったら、歴史を通して女性は、もっとトラブルの多い悲惨な道を歩んだに違いありません。神はまた、子供を生むために強い土台が必要であり、ほとんど家の中に座っている立場にある女性に、安定した下半身を与えられましたし、男性は、常に立っていて、女性のために働き、走り回っているので、やせてたくましくつくられています。 神は、神御自身の概念、構想理想に従って創造されましたが、それによると、男性は主導的、能動的であり、常に働いて実績を得てくるべく造られているし、女性は常に消極的、受動的で、夫を待っているというように本来造られているというわけです。 神が本来女性に与えた立場に帰る時が来ました。ことにアメリカの女性はそうしなければなりません。アメリカ社会では、女性があまりに強すぎるので、本来女性にあまり主管されたくないようにできている男性は、女性と一緒にいたいと思わないものですから、結婚してもなかなか一体化しにくいのです。男性は結婚しても、ホテルかアパートの個室に住みたいという人もいます。それに女性は結婚すると、金や楽しみやすべてのものを男性から奪い、いざ離婚するとなると、男性に何百万ドルもの莫大な慰謝料を請求します。ですからアメリカの社会通念によると、男性は一回以上、二回も離婚すると、惨めにも貧しくなり、女性からすべてを奪い去られてしまう。しかし女性のほうは逆に、二回も離婚すれば、ますます金持ちになるということです。そしてそのことにも意外な原理的理由があるのです。 神は男性に、サタン世界のすべての富にあずかることを許されました。そして歴史上にサタンは、女性を利用してその男性のもつすべての富を奪い取ってきましたので、今日終末時代に、神がすべてのものをサタンから奪い返そうとする時にも、女性を用いるというわけです。そういう摂理的理由があるのです。 では、どこに真の母、妻、女王を見いだすことができるでしょうか。今のアメリカ社会のホームにおいては到底見いだせません。女性たちを真の妻、母たるべく再教育しなければここにはいないというわけです。 摂理の中の女性(一)神の花嫁 神は歴史を通して、一人の完全な理想の女性を探し求めてこられましたが、すべての女性の中で誰が、真の妻、真の母、真の天宙の女王に値するのでしょうか。ある意味ではすべての女性が、それらの範疇に属し得るそれらの候補者であるといえます。 女性が権利を主張して上位運動を起こし力を得てきたのは、終末期に神が、実体聖霊を選ぶ徴候だと考えられます。神は終わりの日には、最も典型的な真の妻、母を動員しようとしますが、彼らは自らをサタン世界のすべてから完全に分別して、神を中心とした典型的な妻、母、女王として神に来なければなりません。神は、そのように過去のすべての因縁を断ち切って、神に帰ることのできる勇気ある女性を探してこられたのです。そして神中心のある女性を選び出されました。そして神はその女性に命じられました。「あなた自身の今いる環境にありながら、サタン世界を完全に断ち切って勝利的な女性として立つために、神に対する絶対的な忠誠をもって真の女性としての使命を果たしなさい」と。 そしてその女性が、自らを完全に神の目的のために神の器として捧げ、神に服従せんと決意した時、サタン側に立つ夫が現れて、子供と一緒になって、「私のもとに帰ってきて忠実な妻として仕えないのなら、お前を殺さなければならない」と言って責め寄ってきたのです。子供も、帰ってこなくなったお母さんに、「どうしてお母さんは私たちを愛さなくなったのですか」と反抗するようになってくるし、周囲の人々、環境のすべてが、絶対的な信仰と忠誠を決意した彼女の道に激しく反対するという状況になってきました。 神はその女性が想像を絶する苦難に耐え抜いて、夫と子供との情的な因縁をはるかに超越した、そこまで絶対的に神を中心とした、信仰の極致にまで行くのを見届けなければならなかったのです。その女性がそのような蕩減や試練を通過していようとは、神ならぬ誰も知らなかったのですが、真のエバを復帰するためには、そのような人知れぬ試練の道を通過しなければならなかったのです。 この女性が真に神を中心として立つためには、神への忠誠のゆえに、夫と子供、全家族が、一度ならず二度、三度と、三回以上彼女を殺そうとする試練を通過しなければならないというのです。その女性は夫と子供の憎悪の対象となる心情的十字架を耐え忍び、ナイフで体を切られたりして迫害されながらも、その最高の迫害に勝利しない限り、絶対的神中心の男性の花嫁の立場に立つことはできないのです。 カトリック教会には二〇〇〇年来、尼僧と呼ばれる人たちがいますが、この尼僧とはどういう存在でしょうか。尼僧たちは、「自分はイエス様と結婚しました。イエス様が私の花婿であり、私の父でもあり、王でもあります」とイエス様を自分の夫、父、王の立場においています。ですから尼僧の生活は摂理的にいえば、いつの日か真の男性、すなわち真の夫、父、王に会う一日のための準備だといっていいでしょう。しかし神の最終的な目的は、女性をそういう立場にとどめておくことではなく、あくまでも女性が真の母、妻、女王になることでありますから、尼僧はそういう立場で、神中心の女性としての訓練をしている者であるといえます。 しかしながら、神に仕える女性に二つの型があって、一方は完全に絶対的に神に従い、想像を絶する迫害に耐えて、自分自身のいたその環境の中で勝利します。そしてもう一方は、自分自身を壁で囲い込んで完全にサタン世界から隔離しますが、そう苦痛もなく気持ちよく生活しているとしますと、前者のほうがより困難な道でありますし、神の同情は当然そのほうにあるに違いありません。 摂理の中の女性(二)霊的メシヤの花嫁 韓国に、神の摂理歴史において中心となる代表的な女性が現れなければなりません。「私の夫は神であり、イエス様です。そして神とイエス様と常に交流しています」という、選ばれた女性が現れなければならないのです。 そしてある女性が選ばれ、「あなたは真の妻であり、母であり、女王である」という啓示を絶えず神から受けていました。その女性は、普通の人が見ても美しくはなく、あまり苦労しましたので顔色も青ざめて栄養失調のように見えますし、常に山に祈りに出かけてむしろ惨めな者に見えました。しかし心の中ではいつも、自分はイエス様の母であり、妻であり、花嫁であるということを感じていました。そして彼女が、「メシヤの妻となるために準備しなさい」という啓示を受けるのです。ところが神が彼女に啓示を与える時に、そのメシヤなる人は、息子のようでもあり、夫のようでもあり、王のようでもあるというように、三つの立場をもつ者として啓示されました。 実際、メシヤが来られる時、メシヤたる者は王として現れるのではなく、人間の基準として最低の所から、最も惨めな僕の僕の立場で現れ、そこから出発します。メシヤはまず、「僕の僕となれ」という啓示を受けて、その人生を人類の僕の僕として出発するのです。またメシヤは、二つの面における完成を全うする使命をもっています。一つは霊界に対してであり、霊的な地獄から天の王座という最高の立場にまで霊的に上がっていくことによって、全霊界の解放者となるべき使命です。 ですから先生はまず霊的地獄からその路程を出発し、不敗不屈の霊的勝利者として天の王座にまで上がり、霊界において主管者であることを宣言し、それからまた実体として地上に下りてきて、実体的な地獄生活を出発し、同じ道をずーっとたどって頂点まで上がっていくのです。 実体的な摂理路程においては、メシヤは神によってではなく、エバによって祝福され、生み直されなければなりません。その備えられた女性を見いだしたなら、まずそのエバによって祝福されなければならないということです。ですからその女性が初めて主に会う時は、彼女に仕える僕の立場にあります。 人類の代表たるアダムでありながら、なぜ僕であるのかというと、エデンの園における堕落において、男性は女性を主管すべき立場であったにもかかわらず、女性に主管されてしまいました。ですからその主管性転倒を復帰するために、信じられないような仕え方でその女性に侍っていくのです。考え得る限りのことを、その女性の体を洗うことまでもして僕として侍らなければなりません。 その女性は自分の夫より、息子より先生を信頼しました。 歴史を生きるメシヤ そうするうちにこの女性は、「あなた(男性・僕の僕は天使界を意味する)はもう既に僕の道を卒業しました」という啓示を受けました。メシヤは僕の立場から出発しますが、僕の段階は旧約時代に当たります。そこから養子の基準、実子の基準と上がり、それから夫の段階へと進みます。 このようにある人がメシヤとして来た場合、その人自身の一生の間に、旧約から始まり新約、成約というように、全人類史を通過しなければならないのです。そしてその路程を通じて、メシヤにおいてあらゆる段階が全うされなければなりません。すなわち、僕の立場も、養子の立場も、実子の立場もすべて全うし、さらに夫の立場、父の立場、そして最後に王の立場まで全うして、それらの各段階で完成しなければならないのです。 一人の男性において、この全プロセスのすべてが通過されなければならないというわけです。しかもその過程においては、神が主管するのではなく、女性が主管していきます。そのために選ばれた女性は、メシヤを僕の段階から次第に最頂点にまで引き上げながら、自らも僕段階から、養子、実子段階と全歴史内容を横的に通過し、完成していかなければならないのです。 しかし彼女を非常に混乱させたことには、絶えず神の啓示が下りて、各段階を卒業したという告知がたった四十日間に立て続けにあったのです。どこにいても神の声が聞こえてきて、次々と前とは違ったことが啓示されました。まず、「彼はあなたの僕だから僕として彼を用いなさい」と言われたかと思うと、次の日には、「彼はあなたの息子だから息子として愛しなさい」と言われますし、その翌日には、「彼はあなたの夫だ」という具合なのです。そしてついには突如として、「彼はあなたの王であるから彼を王として(彼に)仕えよ」という啓示が来たのです。 メシヤが歴史路程の各段階を最高の立場で完成し、全歴史路程を横的に通過した時、初めてメシヤとして夫、王の位置に立つことになり、今度は女性のほうが、男性の前に僕の立場から完全に服従していかなければなりません。しかし彼女は、先生を王として侍ることを願わなかったのです。むしろまだ僕として使うことを願ったからです。それが原理を知らなかった彼女には最高の立場に思えたからです。 イエス様も初めは、洗礼ヨハネから祝福を受けて侍る立場でしたが、一度主管性転倒を復帰してその段階が終わると、完全に主体は逆転します。再臨主においても、僕の段階を完成して主管性転倒を復帰すると、完全に女性を主管し、命令する立場に立ちます。 これまでこの女性が与えた祝福は、すべて霊的なものでしたが、一度男性が王の立場に立つと、彼女は神の器として、僕の位置から出発し、養女、娘、妻、女王の立場と上がっていかなければなりません。そして女性のほうもすべての段階に勝利して、今度は男性がメシヤの立場において実体的祝福を与えることになります。この女性の場合も、一度主管性の転換がなされると、絶対的に服従する立場に立ち、そうしなければ彼女自身の責任分担を果たせないことになるわけですが、彼女にとって、それは容易なことだったでしょうか? 先生は原理を知っていますから、通過すべき路程はつぶさに知っていますし、今どこを通過しているかも分かりますが、この女性の方はただ啓示を受けただけで、盲目的にその啓示に従ってきただけであり、原理は全く知らなかったのです。何しろついこの前まで、「その男性は僕である」という啓示を受けていたのが、しばらくするとすぐ、「この男性はあなたの王である、彼に服従しなさい」というのですから、原理を知らない彼女の心はますます乱れ、今や完全に混乱してきました。 彼女はそれでも神への絶対的な忠誠を示して使命を果たすべきだったのですが、絶対服従ということは、その時の彼女にとって容易なことだったでしょうか。彼女はまるで神様から裏切られたかのように感じてしまったのです。今や神様は私をお見捨てになったのだ、とその女性はその場で気が狂ったようになってしまいました。「どうしたというのでしょうか、神様、あんなにも私を愛しておられたのに、今になってこんなにひどい扱いをなさるとは」と狂ったように先生の周りを回っては、「あなたはサタンだ、サタンに違いない、あなたを殺さなければならない」とサタン扱いし始めたのです。 しかし一度メシヤが主の立場に勝利している以上、その女性がどういう立場に立とうと、メシヤの勝利は不変であり、摂理は不変であります。もし彼女が悟って悔い改めないならば他の女性が代わって摂理されるだけです。 創立以前の内的摂理 これらのことは、外的な教会が創立されるまでの内的な経過として、外的な教会史の始まる背後に隠されていた象徴的、内的な摂理であり、肉身世界に現れるまでに、霊界を通じてなされたものです。 先生がひとたび、このような内的な勝利基準を立てると、今度は実体的に目に見える形で世界に現れることができます。そして実体的に僕の立場、養子、実子、夫、父、そして王の立場まで勝利していきます。主自身の肉的な一生の間に、六〇〇〇年の全縦的歴史が横的に蕩減されなければならないわけです。一九四七年に先生の公的伝道期間が始まる以前にこれまで述べた内的摂理の経過があったのです。 今はすべて実体的に現れてきましたから、あなた方も主が来られたことを知っています。それは、既成の常識的な思考法からは何と異なった、革命的な事実でありましょうか。 一九四七年から統一教会の公的な復帰が始まる一九五四年までの七年間は、統一教会が実に信じ難い苦難を通過した期間であり、この七年間に実体的な組織を発足するための実体的な条件を立てるために北韓共産陣営での苦役等、言語を絶するようなあらゆる苦難を通過したのです。それによってこの七年間にすべての基台が立てられて、一九五四年には正式に世界基督教統一神霊協会の創立に至りました。 今まで語った路程は、先生がたった一人で歩んだ寂しい孤独な道でした。共に行く友も、支える者も、理解する者もいない孤独な闘いを、先生は闘い抜いたのです。今まで共に歩んでも、本当に先生を理解できる者は誰もいませんでした。三十年前に韓国の古い食口たちに語ったことも、誰も本当には理解できませんでした。彼らは、知的には分かったけれども、心情的には分かっていなかったのです。そして三十年後の今になって、先生のところに来てこう言うのです。「先生が三十年前に言われたことが今分かりました」と。あなた方も同じことで、先生が今語っていることが、三十年後に実現されてその時理解される、ということも多いことでしょう。 今なお孤独な先生です。人間なら行きたいとは誰も思わない孤独の極限の道です。しかし神御自身がたった一人で孤独な方であることをよく知っているがゆえに、先生は子として責任をもってその使命を引き受けたのです。真の復帰の道は決して安易な道ではありません。それは実に困難な道であります。先生についてくることも困難なことです。 秘められた真の統一教会史 きょう、統一教会の創立二十四周年を迎えましたが、この二十四年間は教会の外的な歴史であり、協会創立の基台をつくろうとした創立以前の歴史こそ本当の統一教会の歴史です。そしてそれはわずかな人々のみが知っています。そして先生が真に信頼できるのは、そういう時代を共にしたこの人々だけです。 きょう語った「エバの道」も、外的歴史の背後に秘められた歴史であり、かつて語られたことのないことです。先生は僕、養子、実子、夫、父、王というすべての段階において、歴史上でその範疇に属したどの人より、すなわちどの僕、養子、夫、父より苦労して、それらの範疇に属するすべての者たちを復帰しなければなりません。そういう苦難の道を行くべく運命付けられている先生です。しかしこれらの蕩減時代、苦難の時代ももうすぐ過ぎ去るでしょう。長くて一九八一年までです。そしてついに神のみ旨は成就するに違いありません。 原理の力と復帰 原理が明かされるまでは、数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の真義について知る者はなく、霊的には暗闇に覆われているかのような世界でした。そして、その闇の中に昇った明るい太陽のごとくに現れた先生は、陽光が万物にくまなくさし通ってすべてを照らし出すごとく、すべての宇宙の原理を詳細に明かしました。今や万人が、真理の光に照らし出された神の真の像と、歴史の真像を知ることができます。 先生は、真理を理論的に解明し発表しただけでなく、真理に生きた人です。実人生における体験を通して宇宙の真理を知ることができました。そしていち早く、その原理を知ってここにいるあなた方は、いわば霊的エリートといえるかもしれませんが、事実は特別な啓示を受けたわけでもなく、人並み優れた高い良心基準をもっていたわけでもなく、別段エリートらしき何ものもない、たまたまそこに居合わせた見物人のような立場でありながら、どうして幸運にもここに来ることができたのでしょうか。それは原理自体の力によるのです。原理には、神の直接の啓示にはるかに勝って、人間を指導し造り変える偉大な力がありますから、原理を知ること自体が、啓示や高い良心基準の役割を果たしたのです。 しかしながら原理自体の力によって引き上げられて、知的に原理を理解してきた者が多いために、啓示を受けた人々が無条件に神に従っていくのに比べて、あなた方には何事につけ、あまりにも理屈で考えすぎる傾向があるようです。先生の指示に対しても無条件に反応するというより、「従うべきかどうか」と考えてしまうというのです。とにかく何のゆえにかたまたま、幸運にも先生と巡り会ったことによって、あなた方の上に大きな変化が起こり、あなた方は急に献身的な信仰生活を送るようになったわけですが、それも原理の力によって、あなた方の心の中に何か奇跡的な内的変化がもたらされたからこそ喜んで献身生活のできる人間に変えられたのだといえます。 復帰の業は困難です。それに比べると自分たちで自家用の飛行機を造ることでさえ簡単だといえるくらいです。他のどんなことも復帰の業の難しさに比べたら簡単なものです。復帰という仕事だけは文先生にさえ難題です。よくぞ神は、全人類の復帰の直接の責任をあなた方に与えられなかったと思います。神からそういう使命を与えられなかっただけでも、あなた方は本当に幸せです。そのあまりにも重い責任に耐えて、それを消化し得る人が、文先生以外にいるとは思えないからです。 あなた方が先生、マスター等どんな尊称で先生を呼ぼうと、生きている間には決して先生の真価は分からないでしょう。そして死後霊界に行って初めて、突如として自分がいかに先生にふさわしくない者であったかを悟らされるはずです。 歴史的失敗と清算 アダム、エバそしてカイン、アベルから始まった聖書史は、初めから失敗の記録であるといえます。そのあとに続くアブラハム、ノア、モーセ等の歴史上の預言者たちもすべて、歴史の上に失敗を残し、洗礼ヨハネも取り返しのつかない失敗をしました。そしてイエス様の使命でさえ、第一次摂理としては失敗だったというのですから聖書全巻を通じて失敗の記録だというわけです。 そしてレバレンド・ムーンの時が来た今、先生において過去の失敗のすべてが償われるべき時が来ました。今や過去に失敗した失敗のすべてを寄せ集めて蕩減し、清算し尽くすことによって、歴史の糸のもつれのすべてを解いて、再びより合わせて勝利へと結ぶ時なのです。 今、驚くべき奇跡の上に立って、一人の驚嘆すべき人物を見ているあなた方です。この一人の人において歴史上の失敗のすべてが清算され、正しく復帰されて、一つの統一されたみ業として帰結せんとしているのですから。こうして家庭基準から世界基準へと拡大する勝利の基台を築き上げ、先生自身としては、なすべき責任のすべてを果たし尽くして、いわばもう休んでもいい立場にあります。罪なき神の息子としての誇りをもって、誰に恥ずることなく霊界の王座に座しながら、「愛する父よ、私はついになしました」と言うこともできます。 先生は、盲目にして無知なる人間の行為の記録ともいうべき人類歴史の背後に、一つの公式とパターンのあることを悟り、その歴史の秘密のすべてを解明して歴史の法則と原理を見いだしたのです。 出会いは興亡の接点 先生と出会うということは実に難しいことです。その出会いにおいて誤れば大変なことになるからです。先生が直接伝道していた人々の中にも、正しく出会わなかったがゆえに、自らを滅ぼしていった人々がたくさんいました。 過去の歴史においても、主に正しく出会わなかった個人、家庭、氏族、国家は、最後には十字架に追われ滅亡していった事実を多く見ることができます。先生は最も重要な人物でありますが、それと同時にもし正しく出会わなければ最も難しい人物です。アメリカにとっても、もしあなた方アメリカ人が先生に正しく出会わないとすれば、先生があなた方の十字架になるかもしれません。世界もまた例外ではなく、正しく出会わなければ滅びていくほかありません。谷底へと転げゆく汽車のごとくに、下り坂をまっしぐらに駆け下りてきて、今にも谷底に転落せんとしていた人類史でしたが、先生はその滅びゆく個人、家庭、国家、世界と出会って、その滅亡を止めるために来たのです。 神のみ業は、常に最も衝撃的革命的な逆転の業ですが、統一教会のなせることも正にそれでした。そしてあなた方は今、そういう運動に参加しているわけですが、歴史の重荷を自分のものとして担い、下向する歴史の方向を逆転せしめる原動力となるのは自分たちだと考え、それだけではなく実際に自分の肩にその重みを「重い」と感じている者でない限り、参加しているつもりでも、見物人にすぎません。 また、ある一つの宗教運動が起こるためには、その道を直くするための多くの教団が立てられますが、この運動のためにも、旧約から新約、成約に至るまで、あらゆる段階の教団が立てられ、一なる最終的目的を求めて立てられたこれらの教団は、ある段階における、ある目的を達成しては、歴史の中に消えていきました。 そういう歴史的に積まれた基台の上に、韓国から現れた統一教会と文先生は、世界中に論議を巻き起こしましたが、その革命的性格からして、私たちの前には二つの運命が考えられます。私たちが滅びるか、世界が生きるかであり、二つに一つです。 七年路程と七千年歴史 「復帰」とは、正にすべての鍵となる言葉であり、それは実に、実に困難なる業です。そこにおいては、条件なしに段階を飛び越えたジャンプというものは許されず、厳密な公式に従って一歩一歩踏みしめながら、しかもその一歩一歩に全生命を込めて上がっていく以外にありません。その途上に、もし自分という意識のある者は、そこに立ち止まることも、前に進むこともできず、そこで消えていかざるを得ないのです。 聖書的史観によると、創造から再創造の完成までは、七〇〇〇年であると言われていますが、この全七〇〇〇年が、一人の人によって七年間の路程の中に実体化されました。そしてそのためには一人の人、文先生の四十年間の人生は、七〇〇〇年の負債を全部返し尽くさんがために歩み抜かれなければなりませんでした。もし原理というものを、先生がただ口で語って発表しただけだったとすれば、神も、サタンもそういう原理を原理として認めたはずがありません。 公式に従って具体的に負債を払いきらなければならないのですから、そのためには、先生が自分から戦いを挑み、その戦いに一つ一つ着実に勝利していく以外に道がなかったのです。サタンもそうして実証された原理に対しては、何も言う条件がありません。 こうして語る前にすべて具体的に生活され、既に実体化された原理ですから、この一人の人によって既に実体的に探しだ出れた復帰の道を、あなた方はただ一歩一歩歩んでいけばいいのです。いわば勝利の基盤の上に既にガソリンも入れられて走っている、経験ある運転手(先生)の車に、たまたま拾い上げられたヒッチハイカーのようなあなた方です。先生自身の目標は既に果たされたともいえる今、そういうあなた方はむしろ重荷になっているかもしれません。本当は先生を親のように呼ぶ資格もないのですから、親と呼ぶ前に息子、娘としてふさわしい成長をしてから来てほしいものです。 先生が、七〇〇〇年人類失敗史を七年間の路程で償えるように、七年間で七〇〇〇年分を歩み尽くせる道を示したのですから、つまりあなた方は、わずか七年間を歩むことによって全七〇〇〇年歴史を歩んだ立場に立てるというのですから、いわば誰でもが走ることのできる超高速道路が敷かれたようなものです。なすべきことは、ただこの七年路程を走り抜くのみです。しかしながら実際問題として、七年路程を全うするためには、カルバリの丘を十字架を担いでいかれたその瞬間のイエス様のごとくに、それくらい真剣に歩むことを決意すべきです。何しろ七年間に、僕の僕から出発して、僕、養子期を経て、実子期、夫婦期、父母期を通過して天宙の王に至るまで、あらゆる障害を乗り越えてその一つ一つに勝利を勝ち得なければならないのですから。またそのためにはこの地上で肉体をもって歩み得る期間というものが、いかに貴重であるかが分かります。 先生は実体基準で既に四十年間歩んで、その上で今、七年路程を歩むことを教えているのですから、あなた方にはわずか七年間でいいにもかかわらずこの上もっと易しい道を与えてほしいなどという者がいるとすれば、それこそ盗人根性にも等しいものです。 出発の原則 一九五四年五月一日、先生が教会を創立した時、小さな古ぼけたむさくるしい家、つまり初代の統一教会の前に、ささやかな看板を出しました。それは歴史上で最も小さな看板でありましたが、しかしその小さな町の、一番小さな看板に示された言葉というものは、他のどんなに大きな看板よりも、もっと大きな内容を意味していました。「世界基督教統一神霊協会」とあるのですから。 私たちの教会の出発はそういう所からでした。部屋はといえば、頭を壁に付けて横になると、足が向かいの壁につかえるくらい狭かったのです。しかも当時は、その粗末なみすぼらしい家屋でさえ、教会のものではなく借家でした。ここアメリカでは、全五十州に一つの実体的な基盤としてのセンターが既に設置されていますが、今あなた方がなさんとしている内容自体は、先生が二十四年前に歩んだ路程のそっくりそのままです。 五十州から来ている地区長たちを見てみると、教会員たちから、まるで僕から侍られるように侍られているようですが、もし初めから指導者が、「私は地区長であり、教会員に仕事を命令する立場である」と教会員に侍られることを願うようでは、そういう州や教会は決して成功しません。先生はそういう指導者の道を教えたことはありません。僕の立場から出発して、養子、息子、夫、妻と段階を踏んでいく原則の道をいかない限り、決して成功することはできないはずであり、そういう道を行くことなしには、今日の統一教会もあり得なかったことでしょう。 例えば、統一教会の女性ならばどういう所から出発すべきかというと、「私には男性を見る資格すらありません。どんな男性も私にはあまりにも立派過ぎてふさわしくありませんし、こんなに幼い自分ですからかえってその人の重荷になるだけです。また、路傍をさまよう乞食が自分の夫になるかもしれないと想像してもみましたが、外的な乞食はかえって内的には神の人かもしれないと思うと、なおもその乞食にすらふさわしくないことが分かりました。ですから自分の祝福のことなど考えないで、ひたすら神の目的のために献身させていただきたいのです」と先生もそうしたごとく、あなた方もこのように、僕の僕の立場、完全に自己を否定した立場から出発すべきです。 僕から王まで 僕から出発して養子、実子と上がっていくということは、主人がある僕に対して、「お前は本当にいい僕だから私の養子にしよう」というようなものであり、またその養子の中から、「お前は本当にいい養子だから私の実の息子にしよう」ということになったり、実子の中から、「お前は私の真の息子だから私が祝福してやろう」と、夫、妻の立場に立てたりするようなものですから、そういうことが簡単にたやすく起こり得ることでしょうか。具体的に「上がる」ということは簡単なことではありません。 そして、神があなた方を祝福するということは、そういうことであって、僕であった者が両親の立場にまで上がるというのですから、容易なことではないのです。そしてついに祝福されて子供を生むと、その子供は、原罪と関係のない神の血統圏に生まれて、直接神の国に入ることができるというのですが、しかしその子供の両親に、「私は完全に原罪から解放された」という確信なくして、どうして自分の子供を罪なき子女として生み出すことができるでしょうか。そして実際にそういう確信を心からの実感としてもつようになることは生易しいことではありません。 こうしてあなた方自身が、父母を経て天宙の王の位置にまで上がって霊界に行くと、全霊界の貴族、知者、聖人等すべての高貴なる人々が頭を下げてくるし、自分の先祖たちもまた、「我々の一族を天国に引き上げてくれる者がいる」と言って、集まってくるようになるのです。原理を知って主に出会ったあなた方は、真の先祖として、何と家系図の頂点に位置しているのです! 原理と祝福 先生は今五十六歳ですから、十六歳で使命に出発してから既に四十年を経過しました。その四十年間に先生は、あらゆる分野における路程を歩み尽くし、すべてを勝利的に完結して、その全路程を七年間で歩み得るものとして体系化しました。その四十年間というものは、思えばすべてが大いなる体験ばかりでありましたが、実に言うに言えないいばらの道の連続でもありました。こうして体系化された七年路程のうち、最初の三年間というものは、実際のところあなた方が自分自身の必要を満たすための歩みであると言ってもよい期間です。神のためでも先生のため、教会のためでもなく、自分自身の祝福の資格を得るための期間ともいえるからです。三年間、我を忘れて自分の祝福のことも忘れてひたすら歩んでいる時に、祝福が突如として来たというのが本当です。 先生自身の小羊の婚宴においても、ある日突如として、啓示に次ぐ啓示を受け始め、「我が息子よ時が来た、祭壇を備え献祭をささげよ」と告げられたのです。お母様にしても、先生の夫人になろうとは夢にだに思えない立場で、目立たない一教会員だった時、突如として小羊の婚宴の一日前に祝福を霊知したのです。 その日突然、「一人の男とあす結婚するのだ」と告知されたのです。それが原理の道です。ですから自分から意識的に、「私は祝福されるべきだ」とか、「自分は祝福に値する」という思考過程自体が、カイン的、サタン的思考法に近いといえます。厳密に見れば、祝福を受けるに値する者は一人としていません。このままで死んで霊界に行っても、完全には神の国に入れず、中間霊界の中継所にとどまって、天国への入り口のロビーあたりで再教育を受けながら、天国へ入れてもらえる日を待つほかありません。ですから不平を言うことなく原理の道を歩むことです。先生でも、もし「神よ、私にもっとたやすく歩める道をお与えください」などと不平を言ったとしたら、神は「お前は私の息子ではない」と直ちに他の人物を立てられたに違いありません。 大いなる特権 摂理歴史は人間堕落の所産であり、堕落のゆえにのみ摂理が必要となりました。これまで語ったことを通して、二十四年前の先生の心情をしのび、少しでも感じてほしいものです。当時それは、不可能に近いほど困難な道でした。また何と寂しい孤独な道だったことでしょうか。 当時先生は、頻繁に取り調べを受けながら、苦難の道を歩んでいました。先生の未来に果たすべき天宙的使命を知る者もなく、一人先生自身のみ、人知れず自分が何者であり、未来に何を成し、どこに行かんとしているかを知っていましたから、ひとたび天の前になした誓いと決意を不変のものとしながらここまで歩み続けてきました。多くの人々が、一度は先生を信じて従いながらも、結局自己中心的な人であった場合、この道を歩むことに疲れ果てて、耐えきれずにこの運動から去っていきました。み旨のために自分なりの人生というものを完全に断念し、自らの命を捨てることのできた者のみ、最後まで先生について歩むことができるのです。 先生が四十年間で歩んだ公式路程を七年間で歩むというのですから、その圧縮された七年間は急速に駆け足で過ぎ去ります。ですから一点の間違いもなく、絶対的基準で行くべきです。そしてこの期間において、個人のためだけでなく、家庭、氏族、国家、世界のために、心の張り裂けるような痛みと涙に満ちた体験をたくさんもつべきです。そのためには安易な道を願うのではなく、眠ることも忘れるほどみ旨に燃えた生活を送らなければなりません。 最低の所から出発して、毎日、前日より自分自身の心霊基準がより高められたことをはっきり自覚し得るくらい、確実に具体的に成長し、上がっていくべきです。そういう実感は、自分自身が感じるだけでなく、瞬間瞬間にあなた方の成長を待っている霊界がそのように命じ、感ずるものでもあります。今後、先生の教えがさらに綿密詳細になり、より分析、整理されて、直接的、字義的に表されてくる時、そこまで実体的に真理を知ることのできるあなた方は、何と大いなる時に、黄金のごとく貴重なる時に生きているあなた方でありましょうか。可能な限りの最短の時間圏内に、かくも膨大なる七〇〇〇年分の路程を踏破した条件をもつことができ、神の歴史に偉大なる貢献をなす人物となり得る立場が保証されている時が、正に今なのです。 今、私たちは、神の歴史の登場人物となり、創造者ともなって、神の歴史の最後の一章を書き下ろしてフィナーレを告げんとする、正に復帰歴史の頂点に生きているのです。そして生きている先生と共に働くことができるという偉大なる特権にあずかっているあなた方です。七六年、先生と共にワシントン大会のための歴史的一戦に参加し、その勝利にあずかったことも、今後入ってくる人々が決して得ることのできない特権でした。それは歴史上に一度だけあり、二度とないのですから。 七年路程の終末的意義 七年路程に対しては、自分自身が具体的に歩んで勝利すべきものとして、骨の髄まで実感しながら、神の前に、「これから出発する七年路程において二度とアダムとエバのごとくなることなく、アダムとエバの完成する道までも歩んで、七年以内に必ず終了します」と神と対決するような真剣なる祈りをもって決意すべきです。聖書にも、「七年間の艱難の時が来たらん」と書かれ、「その時には生き残る者は少ないであろう」とも預言されています。この言葉は成約の時にも実に真ではないでしょうか。なぜなら、事実、真に神を知り神への献身を決意した者のみ、七年路程を勝利的に通過して生き残ることができるのですから。 しかしあなたがかかる出発の決意をなして一つの方向を定めるや、まず環境からの反対や様々な障害、あらゆる苦難が一挙に襲いかかるような状況となり、サタンがあなたの行くべき道を破壊せんとしていることを知るでしょう。そして自分の一番大切にしているものが次々と、何も残るものがないくらいことごとく奪い去られ、一切の事情環境が正に最低の所まで追い詰められていくものです。神はあなた方を最低の所まで陥れることにより、僕の基準までいったん下らせるために、サタンを用いるからです。そこでその最低の事情環境を消化し主管していくことができなければ、そこを通過できないことになります。 死なんとする者は生き では、その最低の僕の立場から出発したとして、どうしたら養子や息子の立場に引き上げられ得るでしょうか。そのためには、僕のために自らの命を捧げて犠牲になることです。そうすることが結局は最も早道です。肉体をもった人生というものは、ふと一瞬たってはたちまちかき消えてしまう朝もやのごとく、束の間のはかないものなのですから、喜んで犠牲になろうではありませんか。 先生が歴史のすべての秘密を発見して、歴史というものを改めて見てみた時にも、「死なんとする者は生き、生きんとするものは死なん」と言われたイエス様のみ言を、己の骨髄にまで染みて痛感しました。一度ならず何度も何度も、自分の命を失うことが、勝利への唯一の道なのです。僕から父母に至るすべての段階において自分の命を捨てきって歩むことです。七年間ただ命を断念して、勝利的にこの路程を越えていった時、突如としてあなたの前に宇宙は一変して、宇宙の全生命が自分を守っていることを感知することができるでしょう。 ワシントン大会の時にも、その大使命を成就するために先生は、いつでも死ぬ覚悟がありましたし、無条件に全面的に命を投げ出し、完全に死にきってもいました。それほど、のるかそるかの絶対的に追い詰められた境地に立たなければ、イエス様、先生、そして神の事情を到底理解することはできません。一つの絶体絶命の限界状況に直面してみて初めて私たちは、自分がいかに哀れな足りない者であるか、自分というものが何者であるか、はっきりと知ることができます。 そのくらい真剣に歩むことによって日々自らを再発見しながら、一日一日を新しき日として、先生の基準を目指して日々発展していくというような私たちの日常生活であるべきです。外に吹きすさぶ嵐を乗り越える最善の秘訣も、自分自身を乞食をもうらやむような最低の位置におくことです。良い食事や十分な睡眠、快適な生活等はかえって重荷になるだけです。自分を僕をもうらやむような僕の僕の位置においてみて初めて己を知ることができ、知れば飛躍することができます。先生も三十五歳までは僕の僕たることに徹して、自分の服を買ったこともないし、整髪料等をつけたこともほとんどないくらいです。その上いつも四十五度以上は顔を上げずに下を向いて歩いていたほど、罪人の立場に自らをおいていました。一人の罪人になりきっていたのです。 また、自然が罪なき真の人間によって見られたいと願っていることを知りながらも、自らの摂理的使命を成し遂げるまでは、清き自然を見る資格も権利もないことを感じては、大自然の前から身を隠したくなるのでした。罪人となって歩む自分自身が、真に罪深き者として感じられるほど、そうなりきっていたからです。 聖人の道 この世界のすべてを知り、そのすべてを超え得た先生の心は、もはや何ものによっても動かされることはありません。巖のごとく固く立った先生です。自らの指を切って血で誓約を書き、先生の前に忠誠を示さんとした多くの女性たちもいました。宗教的試練を乗り越えるということは実にたやすい業ではありません。周囲に押し寄せてくるすべての誘惑を乗り越えて、基台を築いてきた創立に至るまでの苦難には、実に計り知れないものがあります。そして先生がすべての十字架を越えて勝利したその結実に、今あずかっている自分たちであり、神と先生の前に一言も言えないあなた方であることを知るなら、常に自らを謙虚な感謝に満ちた立場におくべきです。それは、あらゆる摂理的勝利を成した今もなお、先生が神の前にもち続けている姿勢でもあります。 この七年路程が、かかる苦難の結果としての恵みであることを知ったのですから、この期間をあらゆる体験をなす絶好の機会と思って、呪われ、嘲けられ、飢え、打たれ、迫害されるすべての体験を貴重なるものとしながら、「そういう体験があったからこそ、私は神と先生とイエス様の心情を知ることができました」というような歩みをなしたいものです。 先生のこの小さな手は、実に膨大なることを成し遂げてきた手です。そして、このような人知れぬ霊的開拓の道の上に、創立に至る教会の基盤が築かれてきたのですが、それは真にたやすい業ではなかったのです。あなた方もみ旨のための活動中に、人々から殴られたり、蹴られたり、顔に唾されたりしたことがあるかもしれませんが、そういう時こそこう考えるのです。“ああこれが、歴史上のすべての義人、聖人、神の人が歩んできた道だったのだ”と。 神様は泣いておられる しかし外にいる人々に唾をかけられたり、打たれたりしても、そういうことが苦しいことではありません。かつて共に食口として歩んだ人が、神を裏切って去っていく時、それ以上悲痛なることがあるでしょうか。そういう痛みまで体験して初めて、イエス様が外的な敵、すなわち具体的に十字架に釘づけた人々による外的迫害、裏切りだけでなく、ユダによる裏切りのごとく、最も痛い内部からの内的迫害を受けた方であることと、その痛みというものを少しでも理解することができるでしょう。 先生は共産陣営のみならず、自由主義の韓国においてさえ、刑務所生活を体験しました。西大門刑務所に行ったその日のことは、永遠に忘れることができないでしょう。その日、刑務所に引かれていく時、一人の教会から去ったかつての食口が先生に駆け寄ってきて、侮蔑に満ちた嘲笑を浮かべながら言ったのです。「あんたはまだそんな馬鹿なことをやっているのかい、俺のように早く卒業することだな」と……。先生は永遠にその男のことを忘れることはできません。一言も語らず黙然として彼の前を引かれていきましたが、心の中で神に向かって叫びました。「神よ、今こそあなたの義と、私のあなたに対する従順を証させ給え」と。 このようなことを一度ならず幾度となく味わってきたのですから、目を閉じて祈り始めると、いつも涙を止めることができずに痛哭する先生です。神のそういう悲しい内情がよく分かるからです。そして同じ事情を味わい、その心情を知ればこそ、そういう神の心情を誰よりも慰めることができるのです。親はもちろんのこと、妻も子供も分かってはくれない、一人として理解する者もない、そういう時こそ、孤独なる神の友となることができるのです。 一人の男がこんなにも弱くなり得るものか、と思ったこともありました。ある意味では同じ弱き一人の人間に変わりないのです。しかし自分をそんなにも頼りにしている神であることを知っていますから、そういう神の心情を思うと、いても立ってもいられなくなり神の願いを果たして神を慰めたいという思いにかられます。 「神よ、全能なるあなたは、その望むところの何事も成すことがおできになりますのに、御自分の子なるアダムとエバの罪のゆえに、御自身をそのような苦悩の中に陥れられました。苦しむべきいわれもないあなたが、かくも寄る辺なき身となられて、真に頼ることのできる子女を、そんなにも長い間ひたすら待ち続け、探し求めてこられました。私にはそういうあなたのお心がよく分かります」。 誰でも、先生の内面の世界をかいま見ることでもできたならば、ただ“わっ”と痛哭せずにおれないでしょう。特に、常に神に祈り、霊界を見たり啓示を受けたりしている霊通者たちは、みなこういうことを言ってきます。「文先生について祈る時は、いつも決まって神様からの答えは“涙”です」と。先生のことを祈ると神様は泣かれるというのです。寂しい一人の人、文先生を見つめる時、人知れずすすり泣いておられる神様なのです。 涙の基台 堕落による歴史の糸のもつれは、それを解いて再創造することなどとてもできそうには思えないほど複雑なものとなり、神でさえどこから手をつけて摂理するか戸惑うだろうと思えるほどです。しかし今、一人の孤独なる人が、歴史の背後にある秘密のすべてを見いだし、それを公式化し、体系化したのみならず、その原理を自ら生活しながらここまで運動を発展させてきたのですから、神としても注目せざるを得ないはずです。 ここまで来る道において、先生はいくら泣いても泣いても止めることができずに、いく日もいく日も泣き暮らしたことがありました。ある時はあまり泣いたので、目が熟しすぎのカボチャの中身のようにグチャグチャになってしまい、太陽の光も眼に染みて見ることができなくて、目をつぶって過ごしたことがありました。涙によって開拓されたこの教会の基台です。あなた方は何も知りません。第一先生は語らなかったのですから。なぜなら自分自身の歩んだかかる苦闘の四十年路程は、二度と誰にも味わってもらいたくありませんし、息子や娘たちにはできるだけ易しい道を残してあげたいのが、親としての先生の気持ちです。知ればあなた方もそういう道を行かなければならないのですから。 誰でも深い祈りや霊的な体験を通して、先生の語られざる体験の一部分でも霊的に知り得るならば、先生の通ってきた身もだえするような苦難の道を、一瞬でもかいま見ることができることでしょう。今あなた方は、この地上で受けるのが当然であるかのように祝福を受けていますが、それは今の時の時代的恵沢として、霊界における何千年、何万年分の内容を最短の期間で体験し得るからにほかなりません。 先生はモーセという人の立場にはいつも同情を禁じ得ないのですが、モーセが四十日四十夜の断食祈祷の末に十戒を受けて、自分の民のところに下りてきた時、彼らは何と金の小牛を造って偶像としてこれを拝し、その周りで騒ぎ戯れていたというのです。「よくもそんなことが……どうしてそんなにも神を裏切ることができるのか……」とそのあまりの心情的蹂躙に対して、憤激のあまりに石板を地にたたきつけて壊してしまったモーセでした。そういうモーセに対して先生が同情せずにいられないのは、それと全く同じような事情と心情を幾度となく味わってきたからです。山に行ったモーセは、民のために神の真理を勝ち得んとして、どんなに苦労したことでしょうか。 先生も生来、非常に強烈な火のごとき気性をもっていますから、そのような信じられないような裏切りを受けたりすると、そのあり得べからざる背信に対して、直ちに心情的に切って捨てて、顔を背けたくなってしまいます。それは先生にとって最も厳しい修練の一つでした。 先生は一つの固い信条をもっています。それは、「天宙主管の前に自己を主管せよ」ということであり、これは先生が自らの弱さを克服し、激情を制しようとした結果得た信念です。 心情の相続者 「真の息子、娘となりたければ、両親の精神を受け継がなければならない」とすれば、あなた方は先生の伝統と理念を受け継がなければならないわけです。そして真にそれを受け継いだ人であれば、伝道等の聖業に出かけていく時も、我知らず涙が流れてくるようになるものです。み旨の前に立つと、神の逼迫した悲劇的な内情が胸に迫ってくるようになるからです。そしてそういう人となり、そういう道を歩む時、その人やその教会は、必ずや神によって栄えていくに違いありません。いわれのない迫害を受ける時にも、呪うのではなく、逆に神に彼らの祝福を祈り求めるのです。そうすることによって、神の心情をより近く感じ、差し迫った神の事情をより切実に感ずることができるでしょう。そしてあなた方のなした行為のすべてが、それによって聖なるものとされるのです。 あなた方は、見知らぬ人に出会ったのに神か主に出会ったかのように、訳もなくその人を抱き締めて泣き出したことがあるでしょうか。先生の人生において、そういうことが何度も何度もありました。神の悲しい心情、親としての苦しみを味わい知らされた時には、木を抱き締めていつまでもいつまでも泣き続けたことが、幾度となくありました。そういう体験こそは、祈りよりはるかに貴いものなのです。そして自分がより惨めな立場にあるのを感ずる時こそ、神をより近く感じ得る瞬間ではないでしょうか。 先生は、伝道や前線の活動において体験する様々な人間関係を通してあなた方を訓練し、ある基準以上の人格を形成させんとしていますが、そうして先生が歩んできた人生のパターンを歩んで、先生のような人間となってもらいたいのです。 神を知る者の道 先生が生来の実力を伸ばして世俗的な分野に応用していったなら、偉大な実業家にでも、大政治家にでもなれるし、様々な分野で大いなる名声と尊敬を勝ち得る人物になれるでしょう。しかしそれだけの能力や実力をもっていながら、そういう方向には行かなかった先生です。そして、生涯において、先生より多く涙を流した者がいるでしょうか。苦難の道は避けられないものではなかったのですが、神のために、無条件に、涙の道を選びました。人々から尊敬と讃美を受けつつ歓迎される道もありました。しかし先生は、神御自身がそういう立場におられないことをよく知っていたのです。 では、先生は初めから何の個人的願望も、青年のもつ青空のごとき夢も希望も、もっていなかったかというと、そうではなく当然、大志を、夢を抱きながら、それらをすべて自ら捨てて、いつの日かこういうふうに、という希望の扉のすべてを、自らの手で閉じて、人生の最も悲惨なる道を選んだのです。ただ悲しい神の友になりたかったからです。あなた方もまた、ある意味では同様に苦難を負って歩んでいるわけですが、それは過去において先生が既に通過してきた道を引き継いでいるだけです。そして私たちがこのように自ら進んで苦難を引き継ぎ、それを負っていくのは、ただただ神を知ったがゆえであります。 私たちを非難し迫害する人々が言うごとく、私たちに何か間違っていること、罪深いことがあるとしたら、私たちには一つの罪があるといえるでしょう。それを罪と呼び得るなら、私たちが「神を知っている」という罪です。ただ神を知るがゆえに、私たちは迫害する者たちの非難の的となっているこれらのことのすべてを、なすべき使命として引き受けたのですから。 しかし過去において私たちが何か悪なることを世界にもたらしたでしょうか。神を知ることがいかにして罪となり得るのでしょうか。神を知らないことのゆえにこそ、かくも混乱していく世界であり、教会は崩壊し、共産主義はますますその勢力を伸ばしているのではないのでしょうか。神を知る者の道がいかに悲惨であろうと、神を知ることこそは我らの幸いであり、特権です。 真の後継者 賢い者はひとたび歩み始めた道を全うします。中途で終わる者にはいかなる勝利もなく、勝利は耐え忍んで最後まで全行程を走り抜く者の上にのみあります。先生も神の道を行きながら、常に第一の道のみを行こうとしてきました。み言に関しても、自分に従ってくるものたちのためにも、何度も何度もあり得る限りの慎重さをもって、正しいかどうかを吟味せんとしました。 実験室の研究者が、何か新しい発見をせんとする時に、その理論が本当に正しいかどうか絶対的に確実にしようとして、何度も何度もテストを重ねた末、それから世界に発表しようとするように、先生もすべてを絶対的に確実にするためには、自らの歩む全路程を通して、徹底的に実験し試験し尽くしました。それを通してこの世界のすべての真理を解明せんとしたのです。あなた方も既に神への誓約書に署名した兵士として、中途半端な道を行くことなく、最後までひたすら前進してほしいものです。そして「私は先生以上に行きたい、先生と競争して打ち負かしたい」とそういう人物の現れることを先生は待っています。 先生は何度も思ったことがあります。「私はまだ死ぬことができない」と。残念ながら自分が第一線をあとにする時、使命を託すべき後継者がまだいないということです。「この者に、自分の使命を残して行くことができる、死ぬことができる」という確信を先生に与えてくれる者はまだ一人もいないのです。「誰が、私が神を愛したほどに神を愛してくれるだろうか、私が死んだのちに誰が私の神を見てくれるだろうか。親孝行してくれるだろうか」とそれだけが心配なのです。誰か「私が神様を見ますから、先生は後ろに立って見ていてください」と言う人がいるとすれば、その人こそは歴史においても私たちの教会においても主流的人物となり、永遠に滅びることなく、その子孫はアブラハムの子孫のごとく栄えることでしょう。 先生は今、韓国式に数えて五十八歳ですから、七十歳までにあと十二年あります。そして二十二年たてば八十歳になることを考えると、自分が全面的に働くことができるのはあと十五年だと見ています。この十五年間に誰か後継者を見いださなければならないということです。長男の孝進さんとも真剣にそのことについて話し合ったことがあります。「お前は先生の息子として、自分がどんな道を歩み、どんな備えをなしておくべきか分かっているだろうね」と。その瞬間、いつも元気いっぱいな熱血家で行動的な孝進さんも、さすがに真剣そのものになりました。 このような破滅へと運命づけられているかのような世界をあとに残すのでなく、何としても復活していく世界を残したいと願っている先生ですから、生きているうちにこの運動の基盤を完成していくために、自分の生涯においてありとあらゆる苦難、頭の痛いこと、苦々しいこと、嵐のごとき非難、迫害等良くないことのすべてを一身に受けることを決意して、「どうか我にすべての重荷を負わしめ給え」と祈っている先生です。 そうすれば、あなた方の時代、あなた方を中心とした時代が来る時には、もはやそれらを過去のものとして、この運動は興隆していくことでしょう。あなた方も迫害の中にあって、「これ以上迫害されるのなら去ったほうがましだ」と考えるか、それとも「迫害が大きければ大きいほど、より大きな責任や使命をもつことであるし、より大きな挑戦をしてより大きな実績を上げ得るということだ、よし私が全部引き受けて処理しよう」と考えるか、いずれか二つの立場があります。 先生が二十四年前に統一教会を創立したように、あなた方も自分の任地であなた自身の運動を創始したのです。それぞれの地で新しい教会を創立し、その地のレバレンド・ムーンになろうではありませんか。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.24
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「歴史的父母の日」1977年4月18日ニューヨーク・マンハッタンセンター 喜びの宣言の日 きょう私たちは、十八回目の父母の日を祝っていますが、「真の父母の日」を祝賀している団体は、この世界中に私たちだけです。統一教会では、「父母の日」「子女の日」「万物の日」「神の日」を四大名節として重視し、天地の新生を記念するものとして祝っています。しかし本来、人間の堕落というものがなかったならば、これらの四つの祝いの日は別々ではなかったはずなのです。 人類始祖たるアダムとエバの二人だけは、この神の日、父母の日、子女の日、万物の日というべきものを祝ったでしょうが、その後孫は、こうしたすべての勝利の基台がつくられた一日だけを、合わせて祝えばよかったはずなのです。言い換えれば、アダム、エバの子孫たる私たちは、それらの四つの日の基台の上に生まれてくるべきものであったということなのです。しかしながら堕落によって、この地上にはそのうちどれも達成されなかったのであります。そのために神様にとっては、喜びの日が一日もなかったというのです。喜びがすべて失われてしまったために、祝うべき神の日も、父母の日も、子女の日も、万物の日もなかったというのです。そして万物も人間も、共に苦しみの中におかれるようになってしまいました。それでも何とか創造本然の世界を復帰せんと求めてきた歴史でしたが、今日まで復帰は成されないままにきたのです。 この世界には数多くの祝日や休日がありますが、それらは、サタン主権下にある堕落した人間が祝っているだけであって、神が祝うことができる祝日ではないことを知らなければなりません。例えばあなた方も、誕生日や結婚記念日を祝うでしょうが、それらは果たして堕落世界の水準を越えるものでしょうか。依然として堕落した水準にとどまっているのではないでしょうか。では、神と人類が共に祝うことのできる日とはどのような日のことをいうのでしょうか。それは決して、あなた方自身の誕生日や、結婚記念日や、あるいはあなたがたの国の独立記念日といったような日ではありません。 歴史を通して人類が待ち望んできたのは、神が喜びを宣布することのできる一日でありました。それが「神の日」であり、「父母の日」です。そしてこの日が神の喜びの日として宣布されれば、自動的に子女の喜びの日、万物の喜びの日も宣言されたでありましょう。しかしこれまでの歴史において、「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を祝う者は誰もいなかったというのです。しかし本来一年、三六五日の中で最も重要な日は、神をたたえ、神御自身もその喜びを宣言する日、すなわち「神の日」であるべきです。この世的にいえば、それは「王の王の日」とでもいうべき日なのであります。 そしてきょう、私たちは父母の日を祝っています。本来の私たちはそのような日を祝うに値しない者たちではありますが、ただ真の父母に出会ったということによってその恵みにあずかっているのです。この日は喜びの日ですが、しかし同時にまた、悲しむべき日でもあります。なぜなら、この日の意義を知って、この日を祝っているのが、私たちのようなほんのわずかな者たちでしかないからです。そしてまた私たちがこの日を祝っているこの環境が、依然として堕落した世界であることも悲しいことです。 愛の病気 人間が堕落したのち、堕落人間を創造本然の状態に復帰するために、神がどのような過程を通ってこられたかを考えてみましょう。堕落によって二つの結果がもたらされました。第一は、神の権威が失われたことであり、第二は、人類が本来あるべき位置と状態から離れて、地獄の状態に堕ちてしまったことです。 人間が堕落すると同時に、天使界も堕落してしまい、さらにまた、万物世界も苦しみの状態におかれるようになってしまいました。言い換えれば人間の堕落によって、すべてが病気の状態におかれるようになってしまったのです。病気になった者は、自分で自分を治すことはできず、医者がなければなりません。それは誰でしょうか。病気の状態にある人類を救う能力と意志をもっておられる方は、ただ神だけであります。 堕落して病気の状態にある人間が、本来の健康を回復するには、堕落したのと反対の経路を通らなければなりません。だから救いというのは、本来の位置と状態へ復帰することであり、神の立場からは人間を救うことですが、救われる人間の立場からは、創造本然の状態に復帰することになります。 もう一つの重要な原理は、堕落人間が復帰するためには蕩減を支払わなければならない、ということです。例えば、病気の人が病気を治してもらいに医者の所に行けば、苦い薬を飲まされたり、痛い注射をうたれたりします。たとえ嫌であっても、病気を治すためには我慢しなければなりません。本当に効く薬は、普通苦いものであって甘くはないものです。堕落人間は、病気にかかった患者のようなものなのですから、健康な状態に回復するためには、それなりの苦しい過程を経なければならないというのです。 堕落によって人間は、どのような病気になってしまったのでしょうか。堕落人間の病気とは、「愛の病気」です。すなわちサタンを中心とした愛によって、サタンの虜となり、サタンの血統を受け継ぐようになってしまったことが、堕落人間の病気なのです。言い換えれば、堕落の結果すべての人間は、サタンの血統をもった、サタンの子として生まれるようになってしまったということです。 自己中心という病源 では、この「愛の病気」は、どのようにして始まったのでしょうか。この病気の始まりは、そもそも自己中心の思いによってもたらされました。自己中心こそが堕落の動機となったのであります。自分を中心として考え、自分を中心として愛を求めようとしたことによって、堕落がもたらされたのです。 自己中心の愛が堕落をもたらしたのですから、復帰するためには、神を中心とした愛、すなわち自己中心でない愛を求めなければなりません。エデンの園においてアダムとエバと天使長が、自己中心ではなく、神を中心として愛し合ったならば、堕落はあり得なかったことでしょう。この地上で自己中心でない愛、神を中心とした愛をもって、互いに愛の関係を築いた人々が最後に行く所が天国です。これが神のみ言たる原理の基本の基本であります。 あなた方は自分を愛しているでしょうか。愛しているとしたら自分中心にでしょうか、神中心にでしょうか。一日二十四時間、あなた方は、神を中心として自分を愛していると言えるでしょうか。そう言えない者は、天国へは行けないかもしれません。そういう者は自分に対する束縛から自己を解放する必要があるのです。それは、あなた方が毎日行わなければならない熾烈な闘いであり、その闘いに勝利しない限り、天国に行くに値する人間にはなれないのです。 もし、あなた方が他人から打たれたら、その人を打ち返すというのが、人間の本性からいって当然のことに思えます。しかしそのような時にもあなた方は、我慢しなければなりません。弱いからではなく神の名において、神の子女たるにふさわしい者となるためには、我慢するほうが良いというのです。 イエス様は四六時中、神のことを考え、神を中心として生きた方です。だから他人からどのように攻撃されても、サタンに支配された堕落人間がするような仕方で、対応しようとはされなかったのです。イエス様が敵を讃美し、迫害する者のため祈った時、イエス様はサタンのすべての讒訴から解放され、神のみ座と直結することができました。そしてそこから救いのみ業を発揮することができたのです。 サタンはいつも、人間を自らのほうへ引きずり込むため、人間の中に鉤がないかと探しているのです。普通の人間は、至る所に讒訴条件があるので、サタンはたやすくそれを見つけることができます。しかしイエス様という人は、どこを探しても、サタンが引っ掛けることができる鉤をもっていない方でした。だからイエス様はサタンの讒訴から完全に自由となって、神と一体化することができたのです。イエス様がそのようにしてサタン世界を越えて、神と一つになったからこそ、神はイエス様を百パーセント用いることができたのです。 それゆえに神はサタンに対して、「サタンよ、お前は私の子イエスを十字架につけて殺したのだから、私は私でイエスを復活させるのだ」と堂々と主張することができました。かくして神は、サタンに対して何の遠慮もなく、自分の力を行使して、イエス様を復活させることができました。このようにイエス様の勝利によって、イエス様を通して新しい世界、新しい秩序、新しい生命が生まれるようになったのです。 だからこの原理によって考えるならば、人類の救いのためにメシヤが再び来られる時も、その方は、栄光の中に来られるのではなく、むしろ惨めな中においでになり、神がそうされたごとく、すべてを耐え忍ばれて、最後に勝利の栄光を実現されるに違いない、ということが分かるのです。だからそのように、忍耐の道、苦労の道を教える宗教は、どのようなものでもいずれはメシヤに到達するのです。 統一の本義 では、統一教会とは何でしょうか。「統一」という言葉は大きな言葉です。この言葉のもとに私たちはすべての宗教を一つにすることを願っています。すべての人々を神のもとに帰するために、私たちはすべてを許し合って一つにならなければなりません。それが「統一」という言葉の意味するところです。だから統一教会は、メシヤ的な道を歩まなければなりません。それは安易な道ではなく、苦労の道であり、惨めな道です。始めから終わりまで、人類の最も惨めな最低の状態を通過していく道です。言い換えれば、統一教会は真に「世界の宗教」としての責任を負って行かなければならないのです。 私たちが、今こうしてここにいるのは何のためでしょうか。それは統一教会のためではなく、世界、天宙のためです。統一教会は正に神と人類のためにのみ存在しているのです。私たちは神の直接の擁護者として、何よりもまず神のため、そして人類のためにある存在です。神がそのように考えておられる以上、私たちもそのように考えなければなりません。私たちは、今苦労と迫害の道を通過していますが、それは私たち自身と私たちの教会のためではなく、神と神のみ旨のために苦労しているのです。私たちがそのように考えない限り、決してサタン世界を乗り越えることはできません。 この世は、すべてが自己中心的にできています。だから、私たちがこのサタン世界から自らを解放するためには、百パーセント、絶対的に、この世とは異なった生活様式、すなわち、自己中心的な生活ではなく、神中心の生活をしなければなりません。そうすることによってのみ私たちは、このサタン世界から自らを解放することができるのです。 あなた方が伝道に出かける時、もし、「ああ疲れた。自分はどうもこの仕事には向いていないから、どこかで休んでいよう」などと考えたとしたら、それはとても神を中心とした考え方であるとはいえません。多くの人が、「統一教会のメンバーはよく働く」というかもしれませんが、神の立場からすれば、まだまだ決して十分とはいえません。たとえあなた方がこれまで忍耐して一生懸命頑張ってきたものとしても、ここで音をあげてしまって、“ああ、もう疲れた、もう自分の道を歩もう”と考えたり、さらには、神や統一教会のことを悪く考えるようになったりしたら、サタンはここぞとばかりにあなた方の中に鉤を見いだして、引っ掛け引きずり込もうとするでしょう。 だからもし、疲れ果てて、もう駄目だと思ったら、“神様、あなたは私よりも、もっと苦しんでおられます。主は私よりももっと苦しんでおられます。私が今このようにして、いるだけでも感謝であります。命ある限り、体の中の血が最後の一滴になるまで、私はあなたのために行きます”というように考えるのです。あなた方がこのように考えて感謝するならば、背後にいるサタンは、あなた方を捕らえる鉤を見つけることができず、あなた方も、イエス様と同じようにサタン圏を乗り越えて、神と完全に一つになることができるのです。 これが神の基本的な原理なのです。だから、苦労が多くなればなるほど、困難が多くなればなるほど、私たちがサタン圏から解放されて、神の主管圏に近づきつつあるしるしである、ということをはっきり知らなければなりません。 先生の十字架 今の期間、すなわち一九七六年から一九七七年六月までの期間は、このような意味で、サタン主管圏から私たちを解放する路程の最後の段階なのです。この期間は非常に重要な問題です。アメリカ議会のある消息筋によると、現在、統一教会に関する賛否両論の見解が、多くの人々から寄せられていて、国会議員たちは、そのことで、まるでウォーターゲート事件の時のように忙しくしているとのことです。 だから私たちは、正に世界的な問題になっているというわけです。今に全世界が、私たちに反対して立ち向かってくることでしょう。いわば私たちは今世界を双肩に担わなければならなくなるのです。だから時間がないのです。私たちの敵は世界的です。彼らは世界中で私たちに反対しているのみならず、時には非常に汚い手を使います。例えば彼らは、その勢力下にある者を、善良なる人間であるかのように装って統一教会に入会させ、そして統一教会の会員として、様々な問題を引き起こさせるのです。そのようにして統一教会の会員が問題を起こしたことにして、統一教会と、レバレンド・ムーンの評判を悪くしようとしているのです。かわいそうなのは先生です。統一教会の外から数々の攻撃を受けるのみならず、内部からも会員たちの行為によって、先生が恥ずかしい目に遭わされるのですから。 あなた方は、先生をどのように見ているのでしょうか。確固たる信念と、鉄の意志をもち、決して崩れない人間として見ているのでしょうか、それとも、臆病で、神経質で、弱い人間として見ているのでしょうか。先生は自分でも、単なる普通の人間とは思いません。先生は、ある意味では火のように激しい、極端な性格をもっていますが、それは正に神から授かったものです。しかしそれでいながら、あたかも骨のない人間のように、じっと打たれるままに我慢しているのです。 誰をも呪わず、誰にも復讐しようとはしません。なぜならそうすることが、神の願いであることを知っているからであり、ただ神のみ旨を成就することのみを考えているからです。イエス様は、十字架上の死に際して、なお敵を許し、彼らの祝福を祈りました。しかし、レバレンド・ムーンは、この地上において、生きてこの世から打たれ、迫害される苦しみを通して、敵を許し、この世と、この世の罪人を祝福するという条件を立てたいと願っているのです。 イエス様は、十字架について死することによって、サタン圏から自らを解放しましたが、先生はこの地上に生きている間に、それを完遂しようとしているのです。そこに大きな違いがあります。なぜ、そうしなければならないかというと、神は、この地上において勝利が実現されることを望んでおられるからです。全人類をサタン主管圏から解放することを使命としている先生は、したがって自ら先駆けて、この地上において勝利の基台を完成しなければならないのです。 新しい日、新しい歴史 そうしてそのための摂理の絶頂は、ワシントン大会の勝利によって乗り越えることができました。ワシントン大会の勝利ののち、今年の二月二十三日、御聖誕記念日に、先生は、天地を前にして特別なお祈りをして、この日から新しい日と新しい歴史が始まったことを宣言しました。正に新しい日と新しい歴史と言うのにふさわしい出発がなされたのです。 それからまた、きょうは、十八回目の「父母の日」です。人間は十八歳になればもう大人であり、アメリカでは州によっては、十八歳で選挙権が与えられるところもあります。厳密にいえば女性が先に成熟して、十八歳で大人になり、男性は二十一歳で大人になるのです。だから十八回目の「父母の日」から、二十一回目の「父母の日」までの三年間は、本当に多くのことが成される期間となります。 この期間は、私たちが統一教会の権威を復帰する期間となるでしょう。神は、何もレバレンド・ムーンと統一教会に対して、いつまでも、骨のない人間のように、打たれっぱなしで我慢していなさいと命令されているのではありません。条件が満ち、時が来れば、神は私たちに対して個人、家庭、社会、国家、世界のすべての基準において、神側の権威を宣言するように命じられるでしょう。これまでは私たちは堕落したサタン主管圏内において、忍耐してきました。しかし、いつの日か時が来れば、私たちの権威を宣言し、主張することができるようになることでしょう。 長い神の歴史において、神はそのみ旨を真に実現してくれる人間が現れる一日を、待ち望んできました。だからもし現実にそのような人間が現れ、神に代わってサタンに勝利し、神の勝利をこの地上で宣言する時が来たとしたら、それは神の歴史において最も偉大な、記念すべき時であるといえます。先生は既にそれに勝利しました。だから、たとえ今死んだとしても、天の前に堂々と勝利者として立ち、勝利者の栄光を受けることができるのです。 天の主権 しかしながら先生が確立した復帰の公式は、サタン世界が残っている限り、引き続き適用されなければなりません。先生がサタン世界に勝利し、これを乗り越えたと宣言する時、それは先生だけが乗り越えたことを意味するのではなく、全霊界もまた、サタン世界を乗り越えたことを意味するのです。 霊界は天使界に相当しますが、本来天使は、アダムの僕としてアダムに従うものとして造られたものです。だからアダムが行く所にはどこへでも、霊界がついてくるのです。この意味で先生は、今や全霊界を背後に従えているわけです。したがって神は、先生を中心として、この地上に新しい主権を宣言したことになり、これからはこの主権に反抗する者たちは、かえって損害を被るようになるのです。 アメリカは偉大なキリスト教国です。しかし、もし、アメリカが、この天の主権に反対するようなことがあれば、アメリカはその時から衰退せざるを得なくなることでしょう。これまで二〇〇〇年間発展してきたキリスト教が、一九六〇年ごろからこれまでの約二十年間に、著しく衰退してきた最も根本的な原因は、実にキリスト教が、この新しい天の真理と主権に反対するようになったからです。キリスト教がこれを改めない限り、今後キリスト教文化圏がますます衰退していくのは避けられない運命です。 だから結論としていうならば、もしキリスト教が、悔い改めて真理を受け入れるならば望みがありますが、そうでなければ、もはや希望がないのです。また、アメリカについても、もし悔い改めて真理を受け入れるならば希望があります。そうでなければ、今後ますます衰退していかざるを得ないことになるわけです。こういうことを聞くと、中にはそれはあまりに大言壮語である、と思う人がいるかもしれません。またこういう言い方を好まない人がいるかもしれませんが、こう言わざるを得ません。先生は真実をありのままに語っているにすぎないのですから。 七年路程 しかしながら、私たちは統一教会だけが栄えて、他の人々が滅んでいくことを願ってはいません。それは神のみ意ではないからです。神はあなた方に、この天の主管圏からこの世界に出ていって、そこに住む人々を救うために命を懸けて努力せよ、と命じておられるのです。だから先生もあなた方に、この世界に出ていって人々を救え、と命じざるを得ないのです。あなた方は、先生が歩んだと同じ路程を歩まなければなりません。先生は、この道を三十年以上歩んできましたが、あなた方もまた、安易な道ではなく、苦労の道を歩まなければならないのです。なぜなら、まだ蕩減条件を十分に立てていないからです。 ではその蕩減条件をを十分に立てているかどうかを証明するのは誰かというと、それはサタンなのです。ですから、サタン世界に出ていって、サタンから蕩減条件が十分であることを証明するサインをもらってきて、それを神様に見せるのです。サタンが認めてこそ初めて、神様も認めることができるのです。こういうことから神には何の力もないかのように見える時があるのです。神は、何よりも人間自身が努力して、サタンに勝利してくるのを待っておられるのです。 あなた方が先生についてきたいと思うなら、安易な道を選ぶべきでしょうか、それとも苦労の道を選ぶべきでしょうか。苦労して、神様と先生を愛するのと同じくらい、そしてサタンに認められるくらい、サタン世界を愛さなければならないのです。そのようにして初めて、神様からも神様を愛した、と認められるのです。しかしあなた方が、神様と先生以上に世界の人々を愛したとしても、神様も先生も決して不平は言いません。神様御自身がそうなるようにあなた方を導いておられるのですから。 私たちが神様の前に出るためには、二つのものが必要です。第一は、霊の子女であり霊の子女をもつことによって、あなた方は霊界を解放することができます。第二は肉の子女であり、肉の子女をもつことによって、地上界を解放することができるのです。この二つを得るために、あなた方もサタン世界に出て行って闘わなければなりません。ですから普通、統一教会に入ってから最初の三年間は、霊の子女を復帰するために邁進しなければならない時であり、祝福を受けてからの約三年間は、肉の子女を得るための準備をする期間となります。 ですから全部で七年間の路程を行かなければならないのです。天地創造のために七日間の路程があったのと同じ意味で、統一教会の食口は七年間の路程を行かなければなりません。三十六家庭であろうと、教会長であろうと、単なる会員でろうと、この原則には変わりありません。この路程を通過しない者は、先生に従う者としてふさわしくないのです。先生は今なお苦労の道を歩んでいるのです。 今日、先生ほど真剣に、神のみ旨を考え、それを実現しようと努力している宗教家がほかにいるでしょうか。神のためには何ものをも恐れず、すべてを懸けて、神のメッセージを宣べ伝えようとしている人。それがレバレンド・ムーンその人なのです。 今、この話を聞いているあなた方の中には、共産主義のスパイや、政府関係者や、マスコミ関係者がこっそり入り込んでいて、レバレンド・ムーンの話に何か問題となることがないかと聞き耳を立てているかもしれません。たとえ、そういう人がいたとしても、先生は何も遠慮することなく堂々と話します。もし言うべきことは言わなかったとしたら、神の命令に従っていることにはならないからです。 真の父母になるまで 世界を真に復活せしめる者は誰か。それはキリスト教でも、ローマ・カトリックでも、まして共産主義でもありません。それをなす力と確信をもっているのは、私たち統一教会をおいてほかにはありません。それは正に私たちの責任であります。私たちの決意なのです。 第十八回目の「父母の日」というこの意義ある日にあたって、私たちはいま一度、私たちの使命は何か、私たちは今どこに立っているかを深く認識しなければなりません。堕落によって人間は自己中心的になり、自己を中心として愛を求め、サタンの血統に生きるようになってしまったのですから、私たちがサタン圏から解放されるためには、まず私たち自身が、自己中心の人間から脱却しなければなりません。そうすることによって、私たちは善なる天使界に相当する立場に、立つことができるのです。 次に重要なのは愛によって霊の子女を生み殖やすことです。霊の子女を育て、一人前に完成させることによって、あなた方もまた、完成した立場に立つことができるのです。このような霊の子女を少なくとも三名立てたとき、それを基台としてあなた方は、自分自身の肉の子女を生み殖やすに値する者となれるのです。 神が、エデンの圏でアダムとエバを創造された時、神は一人で人間を創造されたのではなく、天使の助けをかりて、天使と共に人間を創造されました。同じように再創造である復帰の過程においても、私たちが自らを再創造するためには、神の助けと天使の助けを共に必要とします。そしてこれらの助けによって初めて私たちは、自分自身を、完成したアダムへと再創造することができるのです。そうしてのちに、自ら自身の子女を再創造することになります。 これらの過程を通過するには、七年間が必要です。それゆえに、あなた方が完成に至るためには、三段階を通過することになるのです。第一段階は、堕落したサタン世界から分別することによって、復帰された天使の位置に立ちます。第二は復帰されたアダム、エバの位置に立つ段階です。さらに第三は、子女を生むことによって父母の立場に立つ段階です。子女がなければ父母となることはできません。 私たち自身は、サタン世界の中に生まれてきたのですから、復帰されたとはいっても、完全にサタン世界から分別しているわけではありません。しかし、私たちの子女は、祝福によって神の血統の中に生まれてきますから、私たちもそれらの子女によって、より高い基準にまで高められるのです。ですからそれらの子女が成長し、結婚するまで、あなた方は本当に細心の注意と愛を注がなければなりません。 ではあなた方が、サタンの血統圏から神の血統圏へ入籍した、と認められるのはいつかというと、真の父母によって祝福される時です。この世に多くの結婚が行われていますが、それらはすべてサタン圏の中での結婚です。私たち統一教会が、真に誇り得るのは、私たちの結婚は神のみ名によってなされ、それを通して、神の血統圏に入籍したと認められる祝福であるということです。 私たちは祝福を通して、堕落と逆の経路をたどることにより復帰されるのです。先生はこの秘密を解明することによって、サタンの妨害を退けて堕落人間が神に帰る復帰の道を開拓したのです。こうしたすべての路程を開拓するためには、誰かが、人一倍苦労して、道を切り開かなければなりませんでした。先生はこの道を開拓して、復帰の公式を確立したのです。あとに続くあなた方はこの公式をよく理解して、それを応用して歩みさえすればいいのです。だから、復帰されるためには何が必要かというと、子女が必要なのです。サタン世界から最初に復帰されるときは一人ですが、完全に復帰された段階に到達するためには、子女をもたなければなりません。 最初に必要な子女は霊の子女です。あなた方は、霊の子女を基台として祝福を受け、肉の子女をもつことができるようになるのです。それらの子女がどんどん生み殖えることによって、あなた方を中心として、あなた方の家系が拡大していくことになるのです。すなわちあなた方自身がそれぞれの家系における真の父母の立場に立つのです。 先生の願いは、あなた方すべてが真の父母になってくれることです。これは単なる理論ではなく、先生自身が実際に歩んできた路程であり、この路程の公式が、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙へと拡大していくのです。 我らは正統中の正統 先生はこれら一つ一つの水準において、自ら勝利することによって、サタンからの解放を宣言してきました。個人の解放、家庭の解放、氏族の解放、民族の解放、世界の解放、天宙の解放、そしてさらには、「神の解放」を宣言したのです。これまで悲しんで来られた神が、先生によってついに解放されたのです。これこそ恐るべきことではないでしょうか。あなた方にはこの重大な意味が分かるでしょうか。 先生がこのようなことを言っているのをキリスト教の牧師が聞けば、きっと、“レバレンド・ムーンは異端だ”などと考えることでしょう。しかし、神の国から見て、どちらが正統で、どちらが異端でしょうか。レバレンド・ムーンの言うことこそ、「正統の中の正統」であることが、いずれ分かる時が来ることでしょう。 私たちは、復帰の聖業をすべて、霊界と地上界の両面においてなさなければなりません。地上でなすべきことをしないで、霊界へ行った場合には、霊界から地上に降りて来なければならなくなります。先生は、ここではっきりと宣言します。「統一教会の食口は、三人以上の子女をつくらなけば、祝福を受ける資格がありません」。イエス様は、霊の子女を基台にして祝福を受け、地上に真の父母として立つことが願いだったのです。しかし、イスラエル民族の反対により、その願いを果たすことができませんでした。 だからイエス様は、再び人間としてこの地上に再臨しなければならないのです。もしイエス様が、クリスチャンの多くが信じているように、雲に乗って天からやって来るようでは神の願いを果たすことはできません。それどころかキリスト教全体が、無力となって崩壊せざるを得なくなるでしょう。 人間始祖の堕落は、決して霊界において起こったのではなく、この地上においてなされたのですから、復帰も、正に、この地上においてなされなければならないのです。天国は、まずこの地上において実現されなければなりません。イエス様は、天国建設の鍵をこの地上に残して行かれました。だから、マタイ福音書一六章に、「地上でつなぐことは天でもつながれ、地上で解くことは天でも解かれる」と書かれているのです。この意味が分からなくては、聖書全体の意味を理解したことにはなりません。 私たち統一教会は誇り高き存在です。私たちは神のみ旨を成就し、天国をこの地上に建設するために、神によって直接選ばれて集まってきました。私たちの使命は、この地上からサタンを追い払い、天地に神の栄光と勝利を宣言することです。「復帰の公式とは何か」について、もう、よく分かったことと思います。しかし大事なことは、その公式に従って「歩む」ことであります。今日のクリスチャンたちはある意味でこの点をあまりにも安易に考えています。彼らはただイエス様を信じさえすれば、それで自動的に天国に行けるかのように考えていますが、それはあまりにも安易な考え方です。神のみ旨は、そのようなことでは決して成就するはずがありません。神の見地からすれば、そのような考え方こそ異端です。異端は統一教会ではありません。終末が近づくと、すべてのものが混乱し、真実が偽りのように、偽りが真実であるかのように見えてきます。そうしたことが、正に今日起こっているのです。 レバレンド・ムーンの統一教会は正しい真理を語り実践しています。それなのに外部の人々の多くは、先生が怪物か何かのように考え、マフィアよりも悪いと思っているのです。先生は科学も数学も勉強して知っていますし、科学的真理に基づかないでたらめなことをするような馬鹿ではありません。 誰よりも我を愛せよ では、なぜ世界が統一教会に対して反対するのでしょうか。答は簡単です。彼らは私たちを恐れているのです。ユダヤ教とカトリックは過去二〇〇〇年間争ってきました。カトリックとプロテスタントは過去四〇〇年間争ってきました。それなのに統一教会に対しては、ユダヤ教も、カトリックもプロテスタントも、一致して反対しています。これを見て一般の人々は、レバレンド・ムーン一人に対して、ユダヤ教と、カトリックと、プロテスタントが一緒になって反対するからには、彼は大した巨人に違いないと考えているのです。 また、このようにして、これまで相争ってきた、ユダヤ教と、カトリックと、プロテスタントが団結していることは、将来、神を中心として、これらの三つの宗教が団結する可能性があることを示しています。この点では喜ばしいことです。いずれにしろ、、レバレンド・ムーンと統一教会がなかったら、これら三つは団結することはあり得ないことでしょう。ここにも統一教会の役割があるといえます。 私たち統一教会の食口が伝道に行く目的は二つあります。一つは、言うまでもなく、霊の子女を獲得することであり、もう一つは統一教会の親戚を復帰することです。統一教会にとって、プロテスタントは最も近い親戚ですし、その次はカトリックまたユダヤ教も、他の二つよりは遠いけれども、やはり統一教会の親戚です。また、信仰をもたない人々といえども、私たちにとっては遠い親戚です。このような親戚の人々を復帰することが、統一教会の任務なのです。 あなた方が蕩減復帰の道を歩む中において、それはあくまで条件的なものであることを知らなければなりません。あなた方だけで蕩減条件のすべてを支払うことは不可能ですが、わずかな条件を立てることによって、復帰の道を飛躍的に進むことができるのです。ではどのような条件によって、それが可能となるのでしょうか。お金でしょうか、権力でしょうか、それとも知識でしょうか。永遠に変わらない条件とは何なのでしょうか。それは愛です。永遠の愛、これこそがそういう条件となるのです。 イエス様はメシヤとして、二つの使命をもってこの地に来られました。外的使命と内的使命です。外的使命とは、王の王としてこの地上を治めることであり、内的使命とは、父母として人類を愛することです。イエス様といえども、権力によって真の父母となることはできません。では何によるかというと、それは愛によるのです。いかなる愛か。サタン世界のすべての愛を合わせたよりも、もっと高く、深く、広い愛です。イエス様はそのような愛をもっておられました。だからこそ、イエス様は人々に対して、「我を愛せよ。あなた方は自分の王、自分の父母、夫、妻、子供、恋人を愛するよりも、もっと、私を愛さなければ私にふさわしくない」と宣言されたのです。 そのように、堂々と言うことができないようでは、メシヤとなる資格はありません。イエス様は真に、誰よりも大きな愛で人類を愛する方でありましたから、このように堂々と宣言されたのであり、その意味で、正にイエス様は、真実メシヤであられたのです。イエス様は、最高の愛で人類を愛する自信があったからこそ、そのように宣言されたのです。 愛の貿易 これはすなわち、当時の人々についていうならば、自分たちの王や家族以上の大きな愛でイエス様を愛したならば、彼らは、イエス様と共に天国を築くことができたはずでした。それと同じように、あなた方も、あなた方の父や母や兄弟や子供に対する以上に大きな愛で、主を愛するならば、あなた方は天国の市民になる資格ができるというのです。イエス様は、いわば愛の貿易のために地上に来られたようなものです。イエス様は、神の愛をもって来られたのですから、当時の人々は、彼らのもち得る最大の愛をイエス様に与えるべきでありました。人々にとって、これは決して損な取り引きではなかったはずです。なぜなら、イエス様を愛することによって、結局は、イエス様、さらには神の愛をも得ることができる立場にあったのですから。だからこそイエス様は「誰よりも我を愛せよ」と宣言されたのですが、当時の人々には、そのことの意味がよく分からなかったのです。そのために、イエス様は、あたかも大言壮語する者、神を冒涜する者のように思われ、ついには十字架にかけられるようになってしまったのです。 メシヤたる者の道は、実にいばらの道であります。神は、正に不可能なことをせよと命じられるのです。それをしなければならないのがメシヤの役割だというのです。あなた方の中で、メシヤになりたいと思う者がいるでしょうか。メシヤたる者は、神の命令によって、普通の人の目には気違いのように見えることさえもしなければならないのです。決して生易しい仕事ではありません。それをなし得る力は愛の力だけです。真の愛は時間、空間、そして歴史を超越するからです。 神は、愛を最高のものとして創造されましたから、真の愛は何ものにも支配されないのです。 あなた方の中にいる中年の女性はお分かりになることと思いますが、初恋というものは、いくつになってもきのうのことのように、甘い思い出として感じられるものです。だから今でも、もう一度初恋の味に浸りたい、という思いをもつことがあるはずです。愛は時空を超越します。もし、恋人が南極にいたとしても、遠く離れているからといってそれだけ愛が弱まるものでしょうか。愛は、時間、空間によって限定されるものではありません。真の愛は何ものによっても変えられないのです。神すらも真の愛を変えることはできないのです。真の愛は、始めから終わりまで不変なるものです。 例えばこの小さなハンカチが、ある愛する人の愛を象徴するものであるとしたら、その人にとってそのハンカチは、アメリカ大陸に勝る価値をもっていることでしょう。このように愛は、時空を超越するものであるがゆえに、愛のみが天国を復帰するための条件をつくることができるのです。 真の父母を求めた歴史 では真の愛、歴史的な愛を復帰するためには、神はどのような路程を経て働いてこられたのでしょうか。私たちはそれを知らなければなりません。人間の堕落によってすべてが、天使界も、万物すらも、創造本然の世界から堕落世界におかれるようになってしまいました。だから復帰とは、これらすべてを、神と一体化した状態に、もとがえすことでなければなりません。 本来人間は、神に最も近い存在として創造されたにもかかわらず、堕落によって神から最も遠く離れた存在となってしまいました。したがって堕落した人間は、何かを通してでなければ神に帰ることができないのです。 旧約時代には、万物が神と人間とをつなぐ仲介者となりました。人間は万物を供え者として捧げることによって、神につながろうとしたのです。このように旧約時代においては、人間は、万物を通して下僕の段階におかれていました。その後イエス様が神の子として来られ、下僕の立場にある人間を、神の子女の立場に復帰しようとされたのです。イエス様御自身は、神の子の立場から、人類の父母の立場に立つべき使命をもっておられました。だから聖書には、イエス様のことを「祭司長」とか、「神の子」とか書かれているのです。しかし、「真の父母」とは書かれていません。それはイエス様が、その段階まで到達することができなかったからです。イエス様の時こそ、人類が下僕の立場から、神の真の子女にまで一気に復帰される絶好の機会であったのですが、イスラエル民族の不信仰により、このみ旨は成就されなかったのです。そこでイエス様は、自らを供え者として捧げることにより、将来再臨されるための道を直くする条件を立てられたのです。これによって新約時代が始まりました。 その後の二〇〇〇年間は、十字架上に供え物となったイエス様をメシヤとして信じることによって、人類が神の養子の段階にまで復帰することができる期間となりました。さらにまた、この期間は、将来、来られる再臨主を迎えるための基台をつくる期間となったのです。再臨主は人類の父母となるべく来られて、人類は再臨のメシヤを通して、神の真の子女として復帰されるのです。 大いなる供え物の日 イエス様が来られた時、イエス様を迎える基台として準備されていたのは、内的にはユダヤ教、外的にはイスラエル国家でした。再臨主が来られた時には、内的にはキリスト教、外的には自由世界が再臨主を迎え、これを支える基台とならなければなりません。キリスト教と自由世界が再臨主を迎えて、これと一体化するならば、共産世界を含めて全世界が、神のもとに復帰されるのです。復帰の路程においては、必ずアベルとカインの間に抗争があり、アベルとカインが一体化したときに、復帰摂理が推進されるのです。 現在、統一教会とキリスト教、統一教会とアメリカ国家とが対立している関係にあります。もしこの三者、すなわち、統一教会とキリスト教とアメリカが一体化する道が見いだされるならば、世界の復帰は短期間になされ得るのです。しかしながら、現実には、キリスト教もアメリカも、私たちを歓迎するどころか、反対している現在です。もし、このまま反対し続けるならば、私たち統一教会は旧約時代、新約時代を蕩減復帰する基台を、自らの手によってつくらなければなりません。万物を復帰する時代に相当する旧約時代、子女を復帰する時代に相当する新約時代、父母を復帰する成約時代。この三つの縦的な蕩減復帰を今、統一教会は、横的に復帰する条件を立てつつあります。 第一に統一教会は、今や自らの土地、建物、さらに、多くの部門の経済力を有しています。第二に、私たちは数多くの青年たちを神の子女として復帰しつつあります。第三に、私たちの運動の中に、既に祝福された家庭がたくさんでき上がっています。 統一教会内において、万物と子女と父母という三つの要素が横的に展開されています。このように統一教会は、現代のこの時点において、旧約時代、新約時代、成約時代を象徴する、万物、子女、父母を一度に復帰する条件を立てつつあるのです。私たちは、これらを供え物として、神に捧げています。そして神がこれらを受け入れ、これに対して恵みを返してくださる時、天国がこの地上に実現されるのです。 一九七二年に先生が、アメリカに来てからこれまでの期間に、先生は世界的な規模で、これらの万物、子女、父母を神に捧げる条件を立てることに成功しました。なぜなら、ニューヨークは全世界を象徴する所だからです。このニューヨークにおいて、土地や建物等の経済基盤と人材を復帰し、神に捧げたことは、世界的に、万物と子女を捧げた条件となるからです。また、全世界を象徴する供え物を捧げる条件とするために、ニューヨークにおいて投入されたお金と人材は、全世界の兄弟姉妹たちの血と汗と涙の努力によってまかなわれました。 そして、この供え物の最大なるものが、ワシントン大会の勝利だったのです。一九七六年九月十八日は、復帰摂理において、正に全世界的な規模における「供え物の日」だったのです。ワシントン大会には、全世界の人類を象徴する、すべての人種が集まりました。そして、神がこの供え物を受け入れてくださるように心を合わせたのです。 このような意味でこの日は、復帰歴史上において、輝かしい勝利の日でした。全霊界が、勝利を宣言したのです。地上においても、神を愛するすべての人々が勝利を宣言し、祝うべきでありましたし、アメリカ自体が私たちと共に勝利を宣言し、祝うべきであったのです。しかし、アメリカはそれをなすことをしなかったのです。 どれほど真剣だったか ワシントン大会を決行しようとする過程において、様々な障害がありました。多くの人々が、「ワシントンでそのような騒ぎをするのは、ためにならないから取りやめてはどうか」と進言してきました。統一教会の幹部の中にさえ、「財政的にも技術的にも、困難が多いから、今ワシントン大会を行うことは不可能だ」と言う者がいました。 しかし先生は、断固として言いました。「これは先生の一生一代の勝負である。いかなる犠牲を払っても、成し遂げなければならない。私たちのもてるすべての力をこの勝利のために捧げなければならない。それは神のために捧げる供え物なのだ」と。 先生は、ワシントン大会は、レバレンド・ムーンのためのものではなく、神自体にとって、のるかそるかの大勝負であり、それだけに、先生以上に、神御自身が必死であることを知っていました。だから必ず神が働き、私たちはきっと成功するだろうということを知っていました。それが、その時の先生の確信となっていたのです。 一九七六年九月十八日、大会が始まる前の先生の気持ちは、正に死刑囚が死刑を執行される日のように真剣なものでした。その数日前から朝食と夕食とを取り違えるほどに時間の経過すらも分からないほど、必死だったのです。九月十八日の大会は、正に復帰摂理歴史上における最大の善悪闘争の時であり、統一教会の浮沈をかけた一大決戦でありました。これに勝利するためには、何としても神と霊界の協力が必要です。しかし神と霊界が働くためには、何よりも人間が命懸けで頑張らなければならないことを、誰よりもよく知っていましたから、先生はそれこそ真剣だったのです。 ワシントン大会に、多くの人々が集まり、雨も降らず、事故もなく、始めから終わりまで大会が見事に成功裏に行われたのは、正に神の力が働いたことによる以外の、何ものでもありません。人間の力だけでは不可能なことを、奇跡的に成し遂げたのですから、正に、神が働いたとしか言いようがないのです。 ワシントン大会の時、一人の男の子が迷子になって行方が分からなくなってしまいました。ラジオやテレビでもそのことが報じられました。しかしその子は、三日目に無事に発見されたのです。それを聞いて先生は、このことは、神から離れてしまった人類が、必ず神のもとに復帰されることを見事に象徴している、と思いました。人類の復帰は必ず成る、と先生は確信したのです。 このワシントン大会の成功は、実に大きな成果です。アメリカの歴史においても、一九七六年九月十八日は、レバレンド・ムーンが築いた最も意義ある日として記録されることでしょう。先生が太平洋を渡ってアメリカへやって来た時は、全く孤独でした。しかし先生は、神に対して深く祈り、必ず勝利すると誓いました。それから三年半後に、見事に、なすべき責任を果たしたのです。 ワシントン大会の勝利によって、その後一九七六年十月四日を「天の勝利の日」と宣言し、さらに一九七七年二月二十三日には「天地の勝利」を宣言することにより、霊界と地上界のすべてが許され、解放されることが宣言されました。こうして新しい時代が出発しました。新しい天の歴史が出発したのです。そういう理由により、きょうの第十八回目の「父母の日」は、極めて意義深い日となりました。 アメリカを救うもの 以上述べたことにより、統一教会が先生を中心として、何を成さんとしてきたかが、よく分かったことと思います。なぜ、私たちが経済力を必要とするのかが、今はよく分かったでしょう。経済は万物を象徴しますが、その経済力がこれまですべて、サタン圏の支配のもとにおかれてきたのです。私たちは、これを神のもとに取り戻さなければなりません。そのために先生は、この世のいかなる企業の経営者よりも努力してきました。先生は、自分のためではなく神のみ名のために、経済においてもこの世の誰よりも勝るものとなって、神のかたきを討ちたいのです。 先生は、あなた方、一人一人を心から愛しています。あなた方のすべてが、神の子女として力強く成長し、偉大な人物になってくれることを、切に願っています。キリスト教をはじめ、宗教が衰退しつつある今日、これらに代わって使命を果たすのは、あなた方において、ほかにはないのです。 先生は韓国人であり、アジア人です。そしてここは世界一豊かな国、アメリカです。しかし驚くべきことに、アメリカにおいて私たちの運動を、ここまで発展させていくために費やしたお金は、アメリカのお金ではありませんでした。韓国、日本等の兄弟たちが貧しい中を血と汗と涙を流して、アメリカのために捧げたお金を用いたのです。先生はアメリカが、神の国に非常に重要な国であることを知っています。だからこそ、アメリカを愛するために、自分の国やアジアを犠牲にしても、アメリカのために尽くしてきたのです。 それでは、アメリカの役割は何でしょうか。先生はアメリカに対しては、今までアメリカのために用いたお金を返せ、などと言うつもりは毛頭ありません。アメリカに対して願うことは、アメリカの富と人材を、真に世界のため、各地で苦しんでいる人々を救済するために用いてほしいということです。アメリカがこの使命を果たすならば、アメリカは永遠に祝福された、最も豊かな国として繁栄するでありましょう。 愛こそ鍵です。愛こそすべてのものを結びつける力です。私たちは、愛によって、すべてのものを神にもたらさなければならないのです。そうすれば神も、私たちに祝福を与えてくださるでしょう。それによって地上天国が出発することになるのです。 先生は、外部の人々が何と言おうと気にしませんでした。ただひたすら、使命を果たすことに努めてきました。アメリカに住む多くの人々が安楽な生活を楽しんでいる間も、私たち兄弟は清貧な生活を我慢してアメリカのために働いてきました。アメリカを救うために、何度も断食までしたのです。アメリカの若者の多くが、自己の快楽をのみ追い求めて、安易な生活をしている中を、先生は、あなた方に対して苦労の生活を強いてきました。先生は、アメリカのためには命さえも捧げる覚悟をしています。先生はかわいそうな人間です。ただひたすら神のために、このような道を歩まなければならないのです。神のおかげで今日のアメリカがあるのです。のみならずアメリカは、統一教会のあなた方のおかげでによって今日あることを許されているのです。 先生は、あなた方を心から愛しています。しかし、現在の状況のもとにおいては、あなた方に優しくすることはできないのです。それは今日の場合、あなた方に対する愛の表現とはならないのです。むしろ残酷なまでに厳しくむち打たねばならないのです。あなた方が苦労してつくるお金は、一ドルといえどもアメリカ全体の富の代表であり、あなた方が苦労して伝道してくる人々は、一人一人がアメリカ人全体の代表です。 先生は、このことを思うたびに神に対して、このように国を代表して神のために努力しているメンバー一人一人をどうか祝福してください、と祈らずにはいられない気持ちになります。あなた方の、もたらすお金の一つ一つに、あなた方の汗が込められており、あなた方が連れてくる一人一人に、あなた方の涙が込められていることを先生はよく知っています。それは、あなた方の血と涙と汗の苦労の結晶であることを。だからいかなるものよりも貴く、価値があるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.23
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「摂理的歴史の光の中にあって」1977年2月23日ニューヨーク・ワールド・ミッションセンター 人間としての誇り きょうは、皆様も御存じのように、私の誕生日です。私のきょうのメッセージは、「摂理的歴史の光の中にあって」です。 原理によって私たちは、アダムとエバの堕落が人類歴史の行く道を決定したことを知りました。堕落していなければ彼ら自身、全人類と宇宙を伴って完成したはずでした。アダムとエバの完成、そして地上における神のもとにある彼らの家庭の完成と繁殖は、神の最初の御計画でした。最初の国家ができ、それを繁殖し、ついには、すべての国家が神に仕える世界が築かれるはずでした。アダムの一族が唯一の民族、すなわちアダム民族となり、一つの国家、アダム国家ができ、そして全世界が、アダム民族によって満ちあふれる世界となるべきでした。さらに全宇宙の中心は、神でありアダムとエバとなる予定でした。 神は、宇宙のすべての生き物の中心なので、私たちの毎日の生活は、神を中心としております。すべての伝統的生活の方法も、神に根源を発するべきでした。全歴史、伝統、習慣は、神に端を発したものとなるはずでした。そしてそれらは、すべて神の愛を根底とし、神の愛につながったものとなるはずでした。完成された世界は、神の愛から離れることのできない世界となっていたことでしょう。どんなに神の愛から離れようと努力してみても、離れることのできない世界であったでしょう。 この地上において人間には、親から離れると寂しく、会いたいと願う傾向があり、特性があります。特に、幼ければ幼いほどそうです。二、三日も両親から離れていると、すぐに会いたくなります。この人間の性質は、人類の本性からきたものです。ですから、この切っても切れない関係は、維持できるのです。この関係が壊れたとき、人間は、神なくして孤独に耐えることができません。もし、人間に誇り得るものがあるとすれば、それは何でしょうか。完成された世界における人間としての最高の誇りは、神を自らの父親として所有することです。神が、自分の父であることを、皆さんは、知らないのですか。 次に最高の誇りであるのは、神の愛を所有することです。神の愛の独占権をもつことです。完成された世界において、三番目に誇り得ることは、神のもっているものを、すべて相続するということです。神のもっているものすべてが、私のものとなるのです。この世には、多くの社会的地位があり、多くの人が「私の父は、博士号をもっています」「私の父は、医者です」とか「私の父は、スウェーデン王朝の出身です」とか言って誇っております。しかし、考えてみてください。皆さんは、「私の父は、神です」と言えるのです。 多くの人々は、自分が有名人の息子であることを誇りにしていますが、しかし父親とは何の愛情の関係ももっていない人が多いのです。しかし皆さんが、神は私の父です、と言うことは、既に皆さんが、天の父と愛のきずなをもっているということなのです。 あなたが、天の父の子だとしましょう。するとすべての召使は、あなたがその家の主人になるということが分かります。もしあなたが、神の子であるとすれば、あなたがすべての創造物の主人となるであろうということを全天使たちは知っておりますから、彼らは、あなたを敬わなければなりません。神は、神自身を父とし、人類を息子とした歴史を予定しました。神の家庭からすべてを受け継いだ、父の家庭、息子の家庭、神の歴史と文化は、千年、万年とそれは続いたでしょう。それは神の最初の願いでした。人間の野心と希望は、どこに根源を発しているのでしょうか。 人間の最高の誇りとは何でしょうか。ここで私たちは、人間の第一番目の最高の願いは、神の息子、娘となることであるという結論に達します。第二には、神の愛を所有すること、そして第三には、神の国を相続し、神のもっているもののすべてを相続することです。人類にとって、これ以上大きな希望はありません。それでは、人類の希望と願いとは何でしょうか。第一に、神の息子、娘となること、第二には、神の愛を所有すること、第三に、この地上を受け継ぐことです。神の息子、娘となるには、どうすべきでしょうか。 善悪の判断 もし、堕落がなかったとしましょう。あなたが生まれる時、あなたは、どうして生まれてきたでしょう。自動的に、神の息子として生まれてきたことでしょう。それでは、堕落とは、何でしたか。それは、人間が、神から離れたことです。その堕落とは、いったい何でしょうか。その不倫な愛から、堕落した国家が始まりました。 神のもとにあって一つとなる代わりに、天使長は、神の立場に立って、アダムとエバを奪い取り、自分の僕として主管してしまいました。それ以来、全人類は、神の血統ではなく、サタン直接の血統を受け継いで生まれてきたのです。この堕落が現実となった今、私たちがいくら神を父と呼んでも、無意味なものとなってしまったのです。 この堕落世界では、利己主義と自己中心がすべての中心となっています。私たち人間は、すべてを無視し、神御自身までも無視しようとしています。なぜなら、私たちの主人は、神ではなくサタンだからです。サタンが、私たちの主人なのです。堕落ののち、人間の中に矛盾が生じてきました。家庭での闘争が、歴史上で繰り返されてきました。サタン文化の中にある堕落人間は、分裂と分離を繰り返して発展してきました。神の歴史は、統一と調和の歴史であり、サタンの歴史は、破壊と分裂の歴史であります。 しかしながら、堕落世界においても全人類は、元の中心である神に帰りたいという願いを内蔵しています。このために、人類は周囲のサタン的状況から、救われなければなりません。原点へ帰ろうとする人は、壮烈な闘いをしながら生きるでしょう。その人は、サタン世界の中にあって、厳しい闘いを通過しなければなりません。 人類歴史は、お互いを引っ張り合っている綱引きに描写されます。この闘争は、個人から始まり、家庭、国家へと拡大してきました。原点を見つける闘いが、人類歴史でした。人類の戦争歴史は、家庭、国家、世界に至るすべての段階においての善と悪との闘争歴史なのです。各家庭に各々の厳しい闘いがありますが、しかしどのような戦争であろうと、すべての段階において、神側の勝利者は、神の領域を拡大してきました。 戦争においては、多くの殺人と破壊がなされます。善悪の両方の側とも、破壊と混乱を免れません。どちらが善く、どちらが悪いかを、どう判断したらいいのでしょうか。悪の印は、攻撃することです。攻撃を仕掛けたほうが、悪となります。 教室の中で二人の男の子が、顔中血だらけにして、猛烈な喧嘩をしていました。先生のところへ行くと、まず先生は、「どちらが、最初に始めたのですか」と聞きます。教師は、大体いつでも攻撃する者より、攻撃された者の味方となります。そうですね。 例えば、ここに一つの学級があるとします。その中の一人の男の子はとても乱暴者でした。いつもクラスで問題を起こしていました。ある日彼は、とても静かにしていましたので、それを変えようと、誰かがいたずらを仕掛けました。その日彼は、どういうわけか、先生の同情を得ることができました。突然、誰かが彼を襲ったのです。彼が、どんなに乱暴者であろうと、その日彼は、同情を得ました。悪はいつもイニシアチブを取ります。最初に攻撃してきます。 しかし戦争歴史において、先生に攻撃してきた者は、最後には、滅んでいます。なぜなら、先生とか神は、敗北者の味方であり、攻撃された者の味方だからです。なぜでしょう。最初に攻撃してきた者はなぜ悪なのでしょうか。 歴史発展のパターン 人類の歴史を、考えてみてください。これは堕落の悪い部分です。神、アダムとエバは、外部から攻撃される立場でした。これは悪の本性です。攻撃者は、文句をつけて破壊します。攻撃者が損害を賠賞し、復旧させるだけでなく、多額の代価を払って罪の償いをしなければならないことは、宇宙の法則です。その法則を知っておられる神が、最初に攻撃の主導権を握ると思いますか。神は、攻撃することもなく、先導権を取ったこともありません。 そういう神にある人はこう言うでしょう。「神様、あなたは、攻撃しないなんて善良過ぎます。あなたに代わってが攻めましょう」。このような人は、神の民と言えますか。神の民は、決して先頭を切って攻撃することはありません。神の民はいつも攻撃されてきましたが、進み続け決してあきらめず、とどまらず、ゴールを目指して歩み続けています。 攻撃されながら、どうして勝利を治めることができるのでしょうか。攻撃者は、損害を賠償し罪を償うのが天宙の法則です。あなた方は、忍耐し、個人、家庭、世界のレベルに至るまで、生き延びていかなければなりません。生き残り、耐え忍び、敗北に打ち勝たねばなりません。そして最後に勝利し、悪側は、蕩減を払い罪を償わなければならないのです。たとえ全世界が、あなたを攻めようとも善なる目標をもって耐えていく限り最後には、生き残り勝利します。そして全宇宙が、あなたのものとなります。これ以上、広げようのないほどの天宙を所有します。サタンは、攻撃する者の王です。 それでは、神はどのようなお方でしょうか。神は、信頼の主であり頼みの綱です。分かりますか。攻撃者が、善を全滅させるなら神は、善側の人数と力を増し加えて、人類が勝利できるように導かれるでしょう。悪人が、善人を攻撃して倒してしまうと、神は、もう一人のもっと強い善人を立てて、悪を滅ぼそうとなさいます。その人が倒れれば、次の人を立てて、悪を滅ぼそうとなさいます。すべての段階の悪が、滅ぼされるでしょう。 神は、決してあきらめません。善と悪との激しい闘いで、善が打ち倒されたとします。しかしそれで終わりではありません。神は、決してあきらめないからです。善と悪との闘いは、そこで終わるのではありません。結局のところ神は、絶対的擁護者です。神が生きておられる限り、善が滅びることはありません。神の目から見れば、その闘いは、始まってさえいないのです。神は、いつも善悪の闘いを延長してきました。 神が、復帰歴史を延長してきたことを、原理は教えています。神には、それができるのです。ここに最終的な歴史の公式、パターンがあります。それはサタンは、いつも神側を攻めそして敗北しますが、神側は、いつも攻撃されながらも勝利するということです。歴史の中に、いくつかの例を見ることができます。第一次世界大戦を例にとりましょう。誰が最初に、この戦争を起こしたのでしょうか? ドイツです。ドイツは、この戦争で勝利しましたか? どうして、敗北したのでしょう。これが原理です。ドイツは、自分が敗北すると思いましたか? 勝つと思っていました。しかし、天の法則を破ることはできません。 それでは第二次世界大戦は、どこが勝利したでしょう。日本ですか? 日本は、戦争に負けると思っていましたか? 絶対に勝つと決めていましたね。だから戦争を起こしたのです。しかし勝ちましたか? 彼らも、天の法則を破ることはできませんでした。天の法則を犯したことは、最大の裁きとなったのです。 現在この世界には、民主主義側と共産主義側の二つの勢力が、対立しています。どちらが戦争屋で、どちらが主導権を握っていますか。それでは、原理と天の法則から見た場合、どちらが勝利者となるでしょう。共産側ですか? どれだけ、その勢力を拡大できるか興味深いところです。共産側は、世界の三分の二以上はできないということを知っておいてほしいと思います。 第一次、第二次世界大戦において、最初の三分の二は、攻撃側が勝利していました。彼らは、絶対に勝利しつつあると思っていました。第二次世界大戦を見てみましょう。ドイツは、フランスを占領し、さらにヨーロッパを占領し、日本は真珠湾と米軍基地を攻撃し、一時は太平洋全域を占拠しました。しかし、最後の三分の一をサタンは取ることができませんでした。どうしてでしょう。なぜなら、人類歴史において堕落は、三分の二の段階において生じました。ですからサタンは、完成期である残りの三分の一を奪うことはできないのです。これが全人類歴史の発展の公式です。 新しい宗教運動 歴史を通して、いつも同じ目的をもった、理解できない、おかしな団体が現れてきました。それは宗教団体です。神を目標とし、神と共にある宗教者は、人類歴史、国境、文化的背景を乗り越えることができます。そのような人々は、始末に困るのです。なぜなら普通の判断基準が彼らには、当てはまらないからです。 すべての政府が、そのような団体は取り扱いにくいといっています。何ものも、彼らを妨げることができず、死さえ恐れません。政府は、いつもその団体の勢力が大きくならないうちに、それを吸収しようとしますが、死さえ恐れない彼らの前には、到底、不可能なことなのです。 その団体が、目に見えるほど顕著になってくると、国家はそれを悪の勢力と見るようになります。なぜなら、既に国家の範囲を超える勢力となりつつあるからです。しかし宗教者には、敵はなくかえって敵のためにも門を開きます。政府は、そのことでいつも不安です。それで国家の主権者は、彼らは暴力的であり、秩序を乱す行為をするとか、宗教者に対して様々なうそをつくり上げて、迫害するのです。 宗教者は、典型的なケースで、いつも神の原理を使っています。四〇〇年間、ローマのクリスチャンは、武器ももたず、武装もせず、弾丸一つも発砲しませんでした。ローマ人は、あらゆる面において非常によく訓練されていました。ローマ帝国は、何度も何度もクリスチャンを迫害しました。クリスチャンは、そのむち打ちに耐え、多くの殉教者を出し、ついに四〇〇年後、ローマ帝国を降服させました。 考えてみてください。原理を知らなければ私たちは、全能の神がいるのだろうかと疑問がわいてきます。もし神がいるならば、どうして人類を苦しい目にあわせるのか。その答えとして多くの人々は、神は本当はいないのだと言います。どうして彼らは、そう言うのでしょうか。原理を知ると、あなたは神がどこに存在し、その位置はどんな位置であるか分かるので、事情が分かります。 原理の公式的観点から見ると、私たち自身で終末を知ることができます。世界の状勢を観察することによって、それは可能です。まず第一に、新しい宗教運動が起こり、世界全体がそれを禁止し破壊しようとするでしょう。それを見たら、終末だということです。 終末においては、高邁な目標をもった一つの団体が現れます。白人、黄色人、黒人を問わず、また多くの宗教団体が、反対し打ち壊そうとするでしょう。おもしろいですか。打たれる準備は、できていますか。どちらの側につきたいですか。 歴史は、でたらめに、気まぐれにつくられたのではありません。歴史は、原理によってつくられ、原理からそれることはありません。原理によって、あなた自身の位置をはっきり見てみると、高邁な理想を掲げた孤独な団体であることが分かるでしょう。そして世界は、死に至るまで打ち続けようとしています。そのような団体に属していることは、最高の名誉です。あなた方は、原理を知っており、神に対する全知識を得ています。 試練を受ける者 終末時代に、神が一人の使命者を遣わしたとします。その使命者は、この世界を復帰するための輝くたいまつとなれるような戦略を立てるでしょう。彼自身を隠すことなく、その姿を現して、人々に打たせるでしょう。世界は、彼を打つでしょう。それは彼の存在を全世界に知らせ、復帰するのに一番賢い、一番早い方法なのです。 それでは全世界をして私たちを打たせ、世界復帰のたいまつとするには、いったい、どうしたらよいでしょうか。世界中に知らせるにはどうすべきでしょうか。お金や権力を奪い取りますか。人々は、そんなことには気を留めません。しかし、自分の愛する者たちに接したら誰でも変わります。その愛する者たちとは誰のことでしょうか。そうです。あなた方のことです。妻であり、娘であり、息子たちです。それは、とても敏感なデリケートなところです。もし誰かが、その部分に触れたら、誰でも飛び上がってしまいます。 人類の全宗教史において、これまでかつて自分の子供たちを取り戻そうとする反対父母の運動を見たことがありませんでした。子供を必死になって捜している父母の組織ができたのは、歴史上初めてのことです。また、両親が自分の子供を誘拐するということも、これまでの歴史上起こったことがありません。普通、誘拐とは、親から子供を奪うのですが、今は親が自分の子供を誘拐しています。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。今私たちは、善と悪との最後の対決の時を迎えています。そして、その最後の闘いはもう行われております。 これは、私の考えですか、それとも神の考えですか? これは、神の原理であり、神の公式です。今でもユダヤ教は、私たちを反セム族だといって反対し、クリスチャンは、私たちをクリスチャンでないといって反対しています。 共産主義者は、私たちを好んでおりますか。アメリカ政府は、どうでしょうか。私のために、赤いじゅうたんを敷いて歓迎しますか。全世界は、今驚くべき混乱状態にあります。今世界には一二〇カ国に宣教師が行っております。このことが、全世界で、もっと騒ぎのもとになっています。 一般的に、統一教会は、孤独な団体であり、「出る釘は打たれる」といった状態です。国の指導者や他の宗教団体は、私たちをつぶそうとしています。それではレバレンド・ムーンは、どこへ行くのでしょうか。すべての者たちが反対している中にあって、レバレンド・ムーンは、夜も眠れません。人々は、どうしてレバレンド・ムーンはもっと外交的にやらないのかとか、ワシントン・ポストにもっといいように話をすればいいのに、とか言います。 私たちは、社交的にやりますか。それとも世界中を回って、真実だけを伝えましょうか。なぜ、なぜそうしなければならないのでしょうか。そうです。世界が、私たちに注目するように前進しましょう。そうすれば、一つの重要なポイントにぶつかります。それはレバレンド・ムーンは、どちら側の人物であるかということです。 あなた方は、レバレンド・ムーンを、神の代身者であると言いますが、この世の人々は、サタンの代身者であると言っています。レバレンド・ムーンが、神側であると言っているのは少数派であり、大多数の者がサタン側であると言っています。レバレンド・ムーンがどちら側の人間であるかを、どう判断しますか。私たちは、新しい民主的法則を知らなければなりません。つまり、「少数派プラス神イコール多数派」という法則です。 ですから歴史的公式によれば、レバレンド・ムーンと統一教会が双肩に担っているものは、歴史的使命であることが分かります。私たちは、神側の最高の理想を代表しているのであります。神が私たちの側についていてくださる限り、私たちは、多数派です。 私たちは、レバレンド・ムーンと統一教会の秘密を知らなければなりません。私は、迫害され続けましたが、決してあきらめませんでした。私は忍耐しながら、み旨を押し進めてきました。これが統一教会の歴史であり、今日の歴史です。 私の唯一の誇り 聖書に、最後まで耐え忍ぶ者は、勝利するとあります。私の歴史において、使命を遂行する時に、神から「私はあなたを知ってもいない」と言われた時がありました。あなたの責任分担においてさえも神が反対し、試練する時があります。その時じっと忍耐し、神の与えた試練に打ち勝つように努力しなければなりません。そうすれば神が降参して、「この人こそ、私のすべてを相続できる者である」と言うでしょう。 そして、神と私との間に契約が結ばれるのです。神は、「あなたこそ、私が人類歴史をかけて探してきた人である。私は今、その人に巡り会った」と言います。私は神に、「私は、永遠をかけてもあなたを探し求めたいと思っておりました。そして今、私はあなたが私の父、天にいます私の父であることを知りました」と言うでしょう。そして、両方の間で、誓約が交されるのです。それは、父と子の誓約です。 神は、そんなに簡単に「神の子」という称号を与えません。神の息子にふさわしく、人類歴史の勝利者でなければなりません。人類のすべての負債を復帰できる立場にいなければなりません。その人は、貴重なかけがえのない個人です。だからこそ神は、この一人の人物を探し出すのに、数千年の年月を費したのです。 レバレンド・ムーンの誇りは何でしょうか。私は、ただ一つを除いて、他に何も誇るものはありません。それはすなわち、「神は、私の父である」ということです。ですからレバレンド・ムーンは、神のすべての愛の受取人であり、神の愛の通る経路になったことを誇りに思っています。私は、神の愛を受ける神の国を相続することを誇りに思います。 エデンの園において、人間にとって、最初で最大の願いは、神の愛を受けるにふさわしい人物となることでした。彼らは、神の国の相続者となる予定でした。蕩減の法則と復帰路程を通して今、私は全世界に、神と人類の本来の願いは人間によって達成されたと高らかに宣言したいのです。 記念すべき一九七六年 さて、いつこの世は、あなた方を打ち倒しにやって来たのでしょうか。その記念すべき年は、一九七六年でした。神の全歴史は、二つの大きな出来事で頂点に達しました。それはヤンキー・スタジアム大会と、ワシントン大会です。ワシントン大会は、神における最高峰の勝利でした。一九七六年に私は、全世界に知れわたりました。 私たちが一九七六年に打ち立てた勝利は、人類歴史から忘れ去られることはありません。一九七六年、私は、歴史のたいまつとして、その姿を現しました。公生涯において私は、人々の前に立って訴えてきましたが、今その公的摂理は終わりました。レバレンド・ムーンは、敗北しまたか、それとも勝利しましたか。 この世は、レバレンド・ムーンが失敗することを待っています。しかし大会の結果は、どうでしたか? 成功でしたか、失敗でしたか? 敵は、どうしましたか? 敵側は私たちの成功を認めました。大統領も、反対する人々も花火大会のあることを知って、花火を見たでしょう。ワシントン大会は、人類の歴史に転換点をもたらしたということを覚えておいてほしいのです。 終末時代の現象 それまでは、レバレンド・ムーンは、無視され失敗する人だと思われていました。しかし世界が一斉に私を攻撃しましたが、私は負けませんでした。私は、負けないで歩み続けました。神の歴史の公式を知らなければ、それは奇妙に思われます。もし、神が、彼と共に働いているならば、彼は、どうして孤独であり、困難と苦悩を通過しなければいけないのでしょうか。もし、神が本当に怒って、その怒りを爆発させたらどうなるでしょう。神様が、何かをたたきつぶしたいと思えるでしょうか。もし、神が、愛する人間がニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストにひどく書かれたら、それらを、たたきつぶすことができますか。もし、神が本当に気違いのようになったら、そうすることができますか。アメリカで、あるいは、他の国においてどうでしょうか。 統一教会のメンバーは、必死に祈ります。「神様、どうか裁きを下して、ワシントン・ポストを、ニューヨーク・タイムズをたたいてください。ちょっとでもいいですからそうしてください」、また「どうか、ラビ・デイビス(ユダヤ教のリーダーで、先頭を切って統一教会に反対している)に、裁きを下してください」と。しかし神はそうできないことを知っていますね。敵を打ち砕くために、裁き主を遣わして、裁きを下すことはできません。それは、神の目的自体を壊してしまいます。 神は、この世にその人を打つことを許しています。彼らは、その行為によって、自らの祝福を失い、あきらめているのです。そしてその祝福は、レバレンド・ムーンに行くことになるのです。その行為は彼らにとって、自らの祝福を譲り渡す橋を築いていることになり、神から受ける祝福を自ら放棄していることになるのです。これは、終末時代の現象です。 レバレンド・ムーンを迫害すれば、彼らは、自らの祝福を、彼に譲り渡さなければならなくなります。それが大きな祝福となって、やって来るのです。ですから今、神のメッセージがよく分かります。どうして、統一教会のメンバーたちを苦しませ、「あなたが苦難を背負い他の人々には、安易な道を行かせなさい」と言うのか分かります。すべての苦難を引き受けようではありませんか。 恵みの橋渡し 今、私は、世界中の人々に、祝福を与える橋になりたいと思います。そして皆さんにもそのような橋になってほしいと思います。私は、世界中のすべての祝福に関与したいと思います。私は、あなたたちを、お父様と同じような苦労と苦難の道を行ってほしいと思います。なぜなら、私が祝福を受ける時、あなた方も共に受けることができるようにしたいからです。 皆さんは、世界中に神の愛を示していくことになるでしょう。あなた方が世界中で、神の祝福を宣べ伝えようとする時、人々は、これを神の祝福として受け取ることを拒むでしょう。するとその祝福は、あなたの内にとどまり、それを拒むことはできません。 あなた方は、虐待されたいですか。今まで私たちは、打たれ続けその迫害者を振り返って見ることもありませんでした。しかし今、彼らに顔を向け、祝福を与え、その祝福を、また、他の人々に分かち与えるように励まさなければならない時が来ました。統一教会が一度に迫害を受けなければ解放はありません。私は今、統一教会は、このレベルまで完遂したのだということを知ってほしいと思います。 私たちは、個人、家庭、国家、そして世界と、正確な神の予定に従って歩んできました。従わなければならない神の正確な予定があり、私は、そのごとくに歩んできました。 もし、アダムとエバが堕落していなければ、彼らは、個人、国家、世界のレベルにおいて、模範となっていたはずでした。アダムとエバは、完成されたもののすべての実体となるべきでした。堕落のゆえに、そのようなモデルを誰も見たことがありません。旧約時代の諸国家は、人類の敗北の歴史をつくり、この時代には、勝利はそれほど多くありません。 三つの時代、つまり旧約時代、新約時代、成約時代は、各々払うべき多くの蕩減がありましたが、私たちは、それをすべて払わなければなりませんでした。縦的歴史の失敗は、すべて完全に償ってから、横的勝利圏を拡大していかなければなりません。これが成されるまでは、勝利はおぼつかないものです。団結がないのですから、摂理的蕩減条件が地上において払えません。これまで、全霊界はバラバラでした。ユダヤ教はここ、キリスト教はあそこ、仏教はまた別の所、というように各々が違った場所に存在していました。 堕落がなければ、キリスト教、儒教などというものも、混乱もなかったでしょう。ただアダムイズム(アダム教)があり、ただ一組の真の父母がおり、みな、そこから生まれるはずでした。 復帰歴史の流れ 神は救い主を立てるまでに、何千年も働いてこられました。イスラエル民族、イスラエル国家も、一つの基台から出発しました。そして、その基台から、新しい摂理が始まるのです。復帰歴史を通して、一つのパターンが流れています。このパターンは、家庭、民族、国家、世界の段階においてもそれがあります。例えばヤコブ家庭は、家庭段階におけるそのパターンでした。しかしそのパターンは、たやすくやって来るものではありません。 ヤコブは、ハランに行って言い尽くせない苦労を、二十一年間しなければなりませんでした。そしてカナンへ帰ったのち、恵みを得たのです。さて次に、イスラエルという国を見てみましょう。選ばれた民は、エジプトへ行きそこで苦難に出会いました。しかしその後モーセに率いられてエジプトを出たのです。これがパターンが打ち立てれられる方法です。ヤコブは、家庭的段階の勝利者であり、モーセは民族的段階の勝利者です。 キリスト教を見てみましょう。ローマ帝国のもとにあって彼らは、四〇〇年間苦難を受けました。この苦難ののち、彼らは勝利したのです。出エジプトののちにユダヤ人は、イスラエル王朝を立てることができました。同じように、もしイエスが十字架にかかっていなければ、全アラブ地域も統一し、その時代に統一された神の国を建設していたはずです。 イエスは、象徴的にではなく、実体的に王の王であったのです。イエスがイスラエル国家を統一することができたら、アラブ世界を吸収するというのは、神の御計画でした。インド、中国、そしてローマ帝国がいかに強大であろうと、それらが統一した神の国に吸収されることは、大して問題ではなかったはずです。その時代に統一王国は、地上に建設される予定でした。キリスト教は違った形で発展する予定でした。もしイエスが十字架にかからなければ、それは違った方向へ行ったのです。つまりインド、中国、韓国を通過して、西洋世界へ行くはずでした。ところが、十字架のために、一八〇度方向を転換して、ローマ、イングランド、アメリカを回り東洋に戻ってきたのです。 今日のアメリカは、模範的キリスト教国家であり、全世界のキリスト教文化の結実でもあります。キリスト教国家のモデルとして今日のアメリカは、第二イスラエルの立場にあります。最初のイスラエルは、二〇〇〇年以上前のユダヤ国家でした。象徴的に、この第二イスラエルであるアメリカは、全世界の人々が国際的に集まって、統一された一つの国家となっています。今までの歴史の中で統一が見られなかったのは、神の愛がまだアメリカにおいては、最高に注がれていないからです。 心をつなぐ運動 ですから統一教会の運動は、心をつなぐアメリカの精神となるでしょう。このアメリカの地において、私たちは、すべての人種と人々の心を結び、調和よく統一する強力な接着剤となります。原理で分かるように、そのような状況をつくり出すためには、蕩減を払わなければなりません。アメリカは、今日の摂理において貴重な存在です。 しかし、メシヤ的使命はアジアにおいて花開くでしょう。なぜならアジアは宇宙の心のようなものだからです。神は、深い宗教的性質をもった単一国家を選ぶでしょう。このような人々は、アジアから選ばれるでしょう。 東洋と西洋において、相似するものがあります。例えば摂理において、日本のキリスト教はヨーロッパの英国のそれと同じ立場にあります。アジアにおける韓国は、ヨーロッパにおけるイタリアに相当します。 半島は、橋の役割を果たして大陸と島国を結ぶ理想的領域なのです。文化運動は、いつも半島から出発しました。ギリシャ半島から、強大な文化が発展しました。ローマの強大な文化も、イタリア半島において発展しました。半島は、二つの文化が生じ融合し、一つの統一された文化を形成する場所でもあります。終末においては、西洋文化と東洋文化が合併され、宇宙の中心を形づくる、統一文化が生み出されます。 いつの時代も、歴史上半島は、重要な役割を果たしてきました。戦争上、重要な役割を果たしたベトナムを見てみましょう。第二次世界大戦においては、マレーシアとシンガポールがそうでした。第二次世界大戦後に、韓国の解放がなされました。それまで韓国は、いつもどこかの国に併合されていました。 アジアには、アメリカが関係を断つことができない国が一つあります。アメリカはベトナムから撤退しました。現在新しい政府は、韓国からいかにしてアメリカ軍を撤退させることができるか、盛んに論じております。それはアメリカの将来にいい影響を与えません。摂理において、アメリカは、韓国とつながっていなければなりません。なぜなら大きな恵みは、アメリカと韓国が連結している中から生じてくるからです。その連結が切れてしまうとアメリカは、大変困ることになるでしょう。 第二次世界大戦では、連合軍が他の軍隊を、ことごとく打ち砕きました。これは、神のアメリカへの贈り物でした。神の法則によればアメリカは、すべての富と土地を所有してよいことになっていたのです。アメリカが、取り扱ってもよいことになっていたのです。特に、アメリカは、共産側にどんな領域も奪われてはならなかったのです。アメリカは、世界において神の位置を占めるために建国されました。国連においても神は、アメリカに、神に反する共産勢力を除いた国連をつくる主導権を握ってほしかったのです。しかし第二次世界大戦後アメリカは、世界的責任をとることを辞退し続け、共産勢力の侵入を許しました。共産勢力は、参加を許され、公的な場所で宣伝活動ができるようになりました。現在国連は、共産主義者の宣伝活動のための道具以外何ものでもありません。 多くのアメリカの若き青年たちの血と汗が、流されました。その血の代価と価値をどこに見いだすことができるでしょうか。アメリカはそれを敵の手に渡してしまいました。神の手にではありません。 アメリカは、神の目から見たら失敗したことになります。あなた方は、神の贈り物を収穫し、それをサタンの手へ渡してしまいました。どうしてそれが許されるのでしょうか。その贈り物を受け取った悪なる人々は、そこでとどまらないでしょう。国連の心臓部へ侵入し、今ではその息の根を止めようとしています。経済的衰退、政治的衰退、すべての分野においてアメリカは、衰退しつつあります。家庭や道徳においても、急速に衰退しております。アメリカは、世界の指導的福音国家でした。しかしこの二十、三十年にアメリカのキリスト教文化は、崩れつつあります。どうしてでしょうか。なぜならアメリカは、キリスト教国家としては失敗したからです。 一九六〇年に、国連事務総長であるダッグ・ハマーショルドが亡くなりました。若きケネディ大統領の暗殺事件もありました。自由諸国において今や、終焉の不吉な印が出ております。それ以来アメリカは、衰退の危機にさらされております。 ニクソンの事態とウォーター・ゲート事件は、アメリカを深い苦悩に陥れました。政府は変わりましたが、誰かが現れて、もっと強く訴えなければなりません。誰かがその流れを変えなければなりません。何が起こるか見てみましょう。宗教指導者として、ウォーター・ゲート事件の危機に臨んで、私は、アメリカの意識をキリスト教精神へ戻すことを望みました。私がそうしたのは、ウォーター・ゲート事件が、共産主義者にとってのみ、都合のよい事件であることを知っていたからです。共産主義勢力がはびこりつつあります。もしアメリカが、ウォーター・ゲート事件によって完全に麻痺させられていたら、共産学生が勢いよく社会に流れ込んだでしょう。 例えばコロンビア大学においては、白昼堂々と共産学生によるデモが行われており、看板を掲げ、ポスターを貼り、ビラをまき、盛んに宣伝活動をしていました。実際に、今回初めて、アメリカの大統領選挙に共産主義者が加わりました。彼らは、自分たちにとって都合のいい人を送り出そうと必死で努力したのです。実際、このニューヨーカー・ホテルのすぐ前でも、彼らはデモをしていました。 彼らはカーターのために、デモをしたのです。カーターのどこに興味をもったのでしょうか。カーター政権は用心深くあらねばなりません。それらのグループの配下には、アメリカ人でない団体があり、彼らはカーターを説得して、虎視眈々と彼らの利益となるような事態がくるようにねらっているからです。 人権問題は反共産主義から カーター政権における人権問題は大切です。しかし、いかに運用するかが問題です。北韓では、三〇〇万もの生命が、金日成によって絶滅させられました。中国では、毛主席が数千万の生命を奪い取りました。ニューヨーク・タイムズは、その当時、六十万の生命が消えていったと伝えております。いったい誰が、人の生命を犯しているのでしょうか。 今日、韓国問題が大きくなり、韓国に関係することはすべて試練に遭っております。朴大統領政権は、独裁だとか、厳戒過ぎるとか非難されていますが、十四年間の政権中、ただ二人しか死刑を執行しなかったのです。一人は、北韓で訓練と教育を受けたシグマン・リーというスパイであり、もう一人は、サンドォー・キムという暗黒街のボスでした。この二人の人物は、合法的に死刑の判決を下されたのです。 米国会議員の贈収賄問題が、人の話題に上っています。この事件は、アメリカ議会へ働きかけようとしている他の大きな国家のしていることと比べたら、本当に小さな問題なのです。イスラエル、英国、ギリシャ、ドイツ、日本のような友好国でも、何らかの形で国会に働きかけています。特に、共産主義者たちの働きは、ますます活発になりつつあります。 アメリカにおける韓国問題は、非常に大きくなり、この市は、韓国の工作員であふれているのではないかと考えている人も多いのです。実は、そんなことはありません。しかしソ連側は、現在、独自の組織KGBをもち、数千人の工作員が活躍しています。それは目に見える活動ですが、そのほかに数千人の学生の背後にあって、アメリカ社会のあらゆる問題や分野に浸透しつつある工作員がいるのです。 もし誰かが、人権について語りたいと思うならば、まずその人は、強烈な反共主義者にならなければなりません。なぜなら、歴史上、共産主義ほど人権を侵したものはないからです。共産主義は、人間の生命を否定しています。彼らにとって、人間の生命は、虫けらの生命と全く変わりありません。虫けらのように、何百万の人々が首を切られるのです。 人権も大切ですが、それ以上に大切なのは、共産国家のもとにある人々の生きる権利を保障することです。それが、私が、共産主義者の頑強な敵とし、先頭を切って闘っている理由なのです。私は、共産主義を人類の敵とし、神の敵として宣言しています。そこから、微動だにしないと決意しています。共産主義者は、レバレンド・ムーンが共産主義者にとって最も手強い敵であると知っています。今、人々は、共産主義者の作戦に乗せられて、全教会も政府の要人も、彼らと祝いの会などをしています。これは悲しい光景です。新聞は、レバレンド・ムーンとKCIAを結びつけようとしていますが、これは全く信じられないことです。 私の観点は、韓国、アメリカだけでなく、全世界に向けられております。いまだかつて、ヤンキー・スタジアムでレバレンド・ムーンが語ったようなことを、語り得ることのできる大統領は現れておりません。 真実の発言 レバレンド・ムーンは、そのスピーチの中でこう語りました。「この国には火事が起こっています。その火事を消すには、外部からの消防隊員が必要です。この国は病気にかかっています。医者が必要です。私はこの国に医者として、消防隊員としてやってまいりました」と。 ワシントン大会で、私は言いました。「あなたは、私に若き青年たちを与えてくださいました」と。レバレンド・ムーンは、世界へ出て世界を救うことのできるように、アメリカの青年を立派にしたいと思っています。どの宗教指導者も、このように大胆に語った人物はありませんでした。ただレバレンド・ムーンだけが、それをなしたのです。私にはそれを言うだけの理由がありました。 実際、レバレンド・ムーンは、アメリカから冷遇され、アメリカ国民は私に対して無知であり、ほとんど何も知りません。もし知っていれば、きっと、レバレンド・ムーンがアメリカになくてはならない、高邁な理想をもった協力者であることに気がつくでしょう。あなたたちも、このことに気がつくでしょう。あなたたちも、このことのために闘わなければなりません。 これが、神と、神の国に対する献身であり、忠誠であり、理解であり、自信なのです。誰もそれを奪い取ることはできません。誰もその思想を奪うことはできません。不可能です。原子爆弾であろうと、どんな武器をもってこようと、どんな軍隊の力でも奪い取ることのできないものなのです。あなた方に敵はいません。私は、政府を喜ばせ、政治家をうれしがらせるために来たのではありません。私は預言者であり、神のメッセンジャーであります。どんな場合でも、言わなければならないことは、訴えてきました。私は、ある意見が政府を怒らせたことを知っています。他の人は信頼できませんが、自分を頼りとしていけば良いのです。私たちは神によって定められた使命をもっています。自分のためではありません。私たちは、この国に影響を与えていかなければなりません。それが結局、神様が私たちに願っている道なのです。私は既に、その生命を韓国のために捧げました。自分の生命を投げ打っております。ですからアメリカも韓国も、この結びつきを断ち切ることができないのです。その関係が切れてしまうと、両国に悲劇が起こります。神はよく御存じです。 歴史の流れは自由主義へと向かっていますが、共産勢力もまだまだ強いのです。悲観的な状況にあります。ですから、神は、レバレンド・ムーンをアメリカへ送りました。「行ってアメリカをしっかりと神に向けさせなさい」とおっしゃったのです。神の代身として「アメリカとアジアとの関係を保ちながら、常に前進し、キリスト教世界を解放し、共産主義を解放しなさい」と。 レバレンド・ムーンが、次の目標を宣言したら、それは、実現可能なことであり、むなしい言葉ではありません。もし共産主義者が、私たちの目標を知ったら、恐らく笑うでしょう。しかし二十年前、雨が降れば漏るような、ほんの数人しか入れない小さな部屋で、私は世界の将来について、また、一二〇カ国の海外宣教について語りました。その当時は、到底考えられないことでした。 誰でも、それは気違い染みたことだと思ったものでした。しかし今日、二十年前の、あの小さな部屋と同じように、このニューヨーカー・ホテルで、共産主義とその国々を解放しようと話しているのです。他の人たちはきっと笑うでしょう。しかし、それは可能なことです。なぜなら、共産主義世界にあって、共産主義指導者の子供たちは、神側に立っているということです。彼らはレバレンド・ムーンの側なのです。霊界がそうしてくれます。霊界が彼らの前に現れ、彼らは自分の親に対して反対するようになるでしょう。それが神の摂理であり、もう既に神はその摂理を始められました。アメリカにおいても強烈な霊的啓示が、この国の議会の指導者たちの上に降りています。背後では、目に見えない驚くべき霊的現象が起こりつつあります。霊界の攻撃が始まりました。 すべてを経験 さて、二時間が過ぎましたね。みんなで私の誕生日を祝ってくれていますが、私はまだ朝食もとっていないのです。皆さんは、何と無慈悲な人たちなのでしょう。(笑い) 私が一人の人間として、歴史に成しましたことは、天と地の人間を代表しています。そして、神の名によって勝利を宣言しました。天と地の勝利者として立ち、歴史を通し誰も成し得なかったことを成したのです。どうして苦難を避けて通らないのでしょうか。なぜなら、原理を知っているからです。この地上の、他の誰よりも、最も多く苦しまなければならないことを知っているからです。数千年の歴史を通して、人間は、汚れた、犯してはならない罪を犯してきました。すべての罪を解放するために、私は、この罪深い世界のあらゆる職業を経験するという条件を立て、地の底まで降りていかなければなりませんでした。 私が経験しなかったことは軍隊生活だけです。それ以外に私が経験しなかったものは一つもありません。ある時は乞食として、寒空の下で夜を明かしました。労働者、農夫、波止場の人夫、スポーツマン、登山家、そして石炭を掘り出す抗夫などと、すべて味わったことのないものはありません。何のためでしょうか。それは、生存しているすべての人たちへ、その救いの糸を垂れてやり、その生活からはい上がることを願ったからです。ただ韓国民族によってのみ、苦難を受けたのではありません。今、私は西洋に来て白人から迫害を受けております。またあなた方は、私のためにお金を持ってきますか、それとも、私があなた方の資金をつくりましょうか。 私は、あなた方にも、またすべての人々にも親の立場で働きたいのです。世界でも親が子供にお金を持ってくることは、当然のことです。統一教会も同じです。私は、子供たちのために、もっと働いてお金を上げたいのです。例えば、小さな国は外国からの経済的、軍事的援助を仰ごうと努力しますが、私は、これと全く反対です。私は、どんなに貧しくとも、もっているもののすべて、エネルギー、情熱、心情、そして生命までをも、この国の上に注いでいます。それらのすべてを豊かに、アメリカの上に施したいのです。私の考えは、はっきりしています。外部の人が何と言おうと、変わりません。 世界の歴史的条件を分類するために私は、条件を立てたいと思います。世界中のすべての貧しく、寂しい人々のために、家を買いたいのです。黒人、白人、プエルトリコ人、アフリカ人、ヨーロッパ人、アメリカ人、すべての人のために買うのです。 私は人間です。しかも最も独特な人間になりたいのです。何でも成し遂げる人間、人間にできることは何でもやれる人間になりたいのです。私の姿かたちはどうですか。皆さんは好ましく思いますか。ここでは、普通男性はほっそりした腰をしていますが、私は、とても大きな体をしています。 高校生のころ、私は、岩のようなレスリングのチャンピオンでした。誰も勝てませんでした。そして話が上手で、書くこともうまく、芸術家で、一夜で一冊の本を書き上げたこともありました。ある時は、日曜学校で教えたりしました。私は、子供たちの間で特に人気があり、私の語る物語は、とてもおもしろく魅力的であり、その神を中心とした物語の展開は、聞いている全員が夢中になりました。私は表情が豊かで、顔の表情で多くを語りました。偉大な文学のほとんどを知っていたし、簡単にその内容を把握することができました。 北韓の牢獄の中でも、みんなが友達であり、後輩であり、仲間でした。彼らを理解できたのです。私と一緒にいたら、疲れや苦しみを忘れてしまい、まるで春を迎えているような気分にさせられました。農場や農家に行けば、すぐに農夫と友達になりました。それは私が農民の心をよく知っていたからです。ですから、農業をしている所へいったら、すぐにその家の主人となるのです。彼らは私を招待して、入って一緒に夕食を食べるよう自家製のじゃがいもを食べてくれ、と頼みます。しかし、私は何にもまして、女性の間で一番人気がありました。それが非難のもとにもなりました。 歴史に生命を 歴史において、歴史の主な流れである管が壊れてしまいました。人体の血管のように動脈はあったとしても、しかし静脈と細動脈が麻痺しているのです。 ですから私の使命とはその治療法をもたらすことです。川には、本流があり、支流がありますが、水が流れるように生命を取り戻させるのが、私です。私は、すべて造られたものは人間のために存在するという確信をもっています。「天の父よ私にはできません」とは到底言えません。私は、歴史上における最高の霊的指導者として、その位置を決定し、それをなしてきました。ですから実際に、すべての段階において私は、過去の偉大な霊的指導者のなしたすべての失敗を復帰しているのです。 霊界においては、循環作用がなく、すべてがふさがれていました。私は、その循環が円滑になり、霊界と地上界の両方に等しく公平に流れることを望みました。今はすべての障害物は取り去られ、一人の人間の体の循環作用のように、すべてが順調に流れるようになりました。 歴史において、また家庭的、民族的、国家的、世界的な段階において、支流がありました。しかし私は、その一番上から始め、すべての障害を取り除き、水が流れるようにしたのです。今まで全宗教は、独自の一つの流れをもっていました。ユダヤ教以外考えられないとか、キリスト教以外考えられないとか、仏教も他宗教もそうです。各々が傲慢であるために統一できないのです。 しかし誰かがその異なったすべての流れを一つにしなければなりません。そして統一する人は、そのすべてをよく知らなければなりません。仏教、儒教、その他を知らなければなりません。霊的には、私は既に統一したのです。それでその川は今、四つの方向へ向かって流れています。 この調和と美の世界は、地上界へ展開されようとしています。地上にも同じものをつくろうとしているのです。それが、この地上における使命のすべてなのです。霊界でなしたことを地上に展開し、地上と霊界が釣り合った相似形の一対となるようにするためです。どうして相似形でなければならないのでしょうか。今までは何の関係もありませんでした。ですから、このために私たちの心と体もまた、分離してしまったのです。 霊界を下ろしてこなければ、心と体を一つにする方法がありません。各段階において、異なった試練、苦難、困難があります。個人的、民族的、国家的、世界的に試練があります。そのために、私はいつも前進するように励ましているのです。それは、こんなに話しているように簡単だと思いますか? 話すことは簡単です。しかし、考えてみてください。私たちが生きている間になすことは、ほとんど不可能です。 しかし私たちは、勝利者にならなければなりません。世界に耐えられるだけの重みをつけなければなりません。もし霊界が襲ってきたとしても、それによく耐えなければなりません。そしてこの地上界があなたにのしかかってきても、自分自身の重さでそれに耐えなければなりません。 世界に耐える家庭基盤を イエス・キリストは、個人として霊界の重さに耐えました。すべての試練に耐えました。しかし、世界的試練に耐え得るだけの家庭を組織することができませんでした。また、三十六家庭の祝福の時は、外部からの迫害が激しく、穏やかに式典を催すことができなかったのです。非常な事態でしたので、私は、花嫁、花婿を、三つのグループに分けなればなりませんでした。最初は簡単に急いで、次は昼間に、そして最後は夜に行いました。 三十六家庭の祝福がある日、政府から取り調べを受けました。私は裁判所へ出かけ、証言し、帰ってきて、祝福をなしたのでした。このような白熱した闘いでした。私たちは立つ場所さえありませんでした。わずかな場所さえなかったのです。ですから、行動の一つ一つが、命を懸けた冒険でした。一九六〇年、私と三家庭がつくられ、真の家庭の基準が打ち立てられました。最初の祝福は、三十六家庭に与えられました。彼らは歴史的摂理において、全世界の家庭を代表しています。人類の先祖の立場となったのです。そして、その次に七十二家庭の祝福がありました。これは、世界的三十六家庭のカインとアベルを代表しています。そして一二〇家庭は、イエス様の十二弟子に相当し、世界的基盤における十二種族を代表する立場になります。その基台の上で、神は土地や地域の所有を主張できる基盤を打ち立てたのです。そこで聖地を決定しました。 次に四三〇家庭は、韓国全体を代表しています。韓国は、四三〇〇年以上の歴史をもっています。これは、エジプトを去ったイスラエル民族に匹敵するものです。彼らは、エジプトで四三〇年間苦しみました。そこから彼らは、カナンの地へ向かって旅を始めました。そのような旅をするためにも、天国は、世界的レベルで建設されなければなりません。ですから、四十三組のウエスタン・メンバーの祝福があったのです。これは、韓国における四三〇家庭に相当します。 この四三〇家庭と四十三家庭がつながれることによって、韓国の救いが世界の救いにつながるのです。 七十二年度からの講演 次の七七七の祝福は、全世界が祝福されるための基台をつくるためでした。そして、私が世界的使命を果たす時が来ました。それで一九七二年以降は、アメリカに来たのです。三年半の間に私は、神のメッセージを宣言しながら、西洋世界に基盤をつくったのです。それらはすべて、韓国へ帰る前の、マディソン大会において頂点に達しました。このキャンペーンは、巨大な主要八カ都市講演で始まり、ロサンゼルスにおいて、成功裏のうちに終わりました。この講演旅行で、私は名誉市民の称号と、多くの宣言文をもらいました。これまでどんな歴史上の人物も、こんなに多くもらったことはないでしょう。これは、アメリカが最初に私を受け入れたことを示しています。韓国は私を迫害しました。しかしアメリカが最初に私を受け入れたことによって復帰されました。九〇〇から一〇〇〇通ものこの国の市や町による宣言文を、私は受け取りました。それは世界的なものとなり、この勝利の基台の上に私は勝利者として帰ることができました。 世界へ出て、世界から受け入れられ、そして今、韓国へ帰る基準を得たのです。私が韓国へもっていくものは、指輪やお金ではありません。もっと大切なもの、それは、世界からの、若者たちの精神です。私が、西洋であるアメリカで築いた勝利の基台は、今、その勝利の果実をもたらそうとしています。すなわち、それは世界からの若者たちです。 そしてその基台に立って、自国へ戻るのです。どうして戻るのでしょうか? イエス・キリストは、二〇〇〇年前に、ピラトやカヤパや民衆の手によって、十字架につけられました。その悲しみと苦しみと嘆きを解放する基準をつくるために、私は韓国に帰らなければならなかったのです。 二〇〇〇年前のユダヤ教は、今日のキリスト教に相当します。また二〇〇〇年前のイエス様の使命は、今日の統一教会の使命に匹敵します。分かりますね。二〇〇〇年前、ローマ帝国、イスラエル国家、そしてユダヤ教団は団結して、イエス様を十字架にかけてしまいました。 天の父は現代に同じ状況をつくり出しました。この現代におけるローマ帝国の使命はアメリカであり、そのアメリカは最初の勝利をもたらしてくれ、キリスト教の果実である若き青年たちを集わせました。韓国へ帰ると、私に反対する代わりに私を歓迎しました。蕩減は晴らされたのです。二〇〇〇年前のユダヤ教はピラトと団結して、イエスに反対しました。しかし今回は、国は受け入れましたが、キリスト教会は反対しました。私は初めて釜山から出発し、主要都市を公的な場として認めて、韓国民に向かって講演をなしたのです。釜山、大邱\D00C\D00E11、大田、ソウル。市から市へと重ねてきました。そして、それは私たちの圧倒的勝利でした。人々はまるで雲の上に乗っているかのごとくに、ぞくぞくと会場へ集まってきました。会員を中へ入れることは、とても不可能でした。私の講演を聴こうと集まった何千という人が、外に立ち続けました。 韓国の帰国キャンペーンと、西洋における実体的勝利を結論づけるものとして、私は、世界救国大会を開きました。六十カ国の代表が参加しました。それは一二〇万もの参加があり、私たちは国から受け入れられたということを意味します。それによって、韓国の勝利を全世界に伝える一つの接点ができたのです。 喜びの年を迎える 一九七六年は、劇的な輝かしい勝利の年でした。ニューヨークにおけるヤンキー・スタジアムの勝利は、同じ年の九月十八日のワシントン大会へと発展し、その勝利は、神の摂理的勝利を最高頂へと引き上げました。ヤンキー大会とワシントン大会、特にワシントン大会は、一番歓迎されない状況の中で進められました。マスコミは冷たく、レバレンド・ムーンが何者であるかを調べ上げ、恐れを抱いていました。可能な限りの手段を使って、運動を食い止めようと努力しました。そのような不利の状況のもとに行われた大会は、そのことのゆえにかえって、より勝利に輝き、より価値あるものとなりました。 四十日間のワシントン大会キャンペーンは、イエス様の四十日復活路程に相当します。その四十日ののちに、イエス様は天国へ昇ることができました。同じように、レバレンド・ムーンも、ワシントン大会における四十日間の勝利をもって、この地上の実体的使命を成就しました。ワシントン大会は、人類の歴史、神の歴史において、最も意義深い出来事でした。 これにより、天のすべての区分が破られすべてが融合し、命の水が流れ出しました。すべての区分がなくなりました。霊界が開かれました。すべてが解かれ、命の水が全身に満ちあふれ、流れ出しました。霊界は解放されました。障壁は破壊され、境界線は取り除かれました。霊人たちは地上へ下り、伝道活動に参加し、協力するでしょう。たとえ、私が死んだとしてもそれは続けられます。私の使命は成就されました。神の神聖なる使命も完遂されました。その勝利を基台として、私は十月四日に天勝日を宣言しました。私は、歴史的闘いを勝利したのです。神の勝利のゆえに、これは天の喜びであり、地の喜びであります。疑う余地もありません。それは、私と霊の喜びであり、祝福家庭、統一教会のすべての家庭の喜びであります。 新暦二月二十日は、旧暦の一月三日でした。二月二十日までに、陰暦と太陽暦は完成したのです。喜びと勝利の年が公的に始まりました。七七七双、一八〇〇双の中に、信仰的であり従順でありながらも、相対者の不幸に見舞われた人たちを、私は知っています。幸福になれる立場にありながら、幸福になれない状況のもとにありました。ですから、神は、特別に、彼らを祝福したのです。 それは最も記念すべき祝福となりました。このニューヨーカー・ホテルで、二月二十日に行われました。私は、すべての人が、幸福になれるすべての条件を立てました。天が喜び、地が喜んでいます。神が喜び、全祝福家庭、統一教会の全食口が喜び、幸福になりました。すべての幸福と喜びが、すべての人へ分かち与えられました。三日後のきょう、陰暦の一九七七年の一月六日は私と妻の誕生日であり、また歴史的新紀元の年を発表した日として、全員でそれを祝いました。全宇宙も祝ってくれます。事実なのです。それは天宙的新紀元が始まるからです。きょう、妻は三十四歳を越えます。イエス様は、三十三歳以上行くことができませんでした。イエス様は、三十四歳の誕生日を神と共に祝いたかったのです。しかし、十字架のゆえにできませんでした。今年、妻は、三十四歳を越え、イエス様の三十三歳を越えていくことになります。ですから、そういう意味でも、きょうは最も記念すべき日なのです。 摂理的歴史の完成 これから、サタンは決して神の玉座に讒訴することができません。サタンの讒訴が、神の玉座に至ることを天が許しません。なぜでしょう。アダムとエバと天使長と共に宇宙がありました。これは神が予定した一つの統一された宇宙でした。その世界では、誰も讒訴することはなかったはずです。一人の体の中に、四つの体が存在し、敵対することはありませんでした。誰も敵ではありません。もし誰かが、その調和と統一を乱すならば、その人自身同時に崩れてしまうのです。それが原理です。 原理によって、この勝利的成就は、神を讒訴するサタンの道をふさぎました。サタンはもはや神を讒訴することはできませんでした。これは原理です。分かりますね。これを信じ、認め、百パーセント受け入れるなら、完全にサタンを屈服できます。 この歴史的瞬間に、私と妻と、神の名によって、サタンを屈服させる権威と特権をあなた方に授けます。あなた方はサタンを屈服させる力を得たのです。あなた方と統一教会のメンバーのために。(拍手)(全員起立) 私は、今、宣言します。きょうのメッセージの題のごとくに、摂理的歴史の光の中にあって成就されました。すべての蕩減条件は完遂されました。これからは、反対を受ければ受けるほど、私たちは勝利していくでしょう。損害、苦難、試練などの圧力、讒訴を受けることもなくなるでしょう。かえって、受けたと同じだけの恵みを与えられます。 これにより神の領域は拡大され、二〇〇〇年まで続きます。その年までには、私たちは実質的勝利を勝ち得なければなりません。苦労が積み上げられ、二〇〇〇年までには神の国が建設されるでしょう。このサタン世界は、もはやこれ以上発展することはありません。私たちは常に前進し発展している団体であり、力であり、運動です。サタン世界が私たちに向かって、銃弾を発するならば、かえってそのゆえに、退却せざるを得なくなるのです。二〇〇〇年までには、この地上に、神の国を完成させなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.23
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韓国・世界日報より:韓日海底トンネル論議、40年...止まらない"夢"한·일 해저터널 논의 40년… 멈추지 않는 ‘꿈’ - 세계일보 (segye.com)1981年、文鮮明総裁提唱して開始両国研究会発足...調査・工事進行歴代大統領も重要性を強調し実際の建設時、世界最長の海底トンネル便利・雇用など経済性は十分分析北東アジアの平和・繁栄なす踏み台韓日トンネルの歴史構想図。韓日トンネル想像図。日韓トンネル研究会提供人類は常に新しい道を開拓してきた。土地、海、空など、様々な経路で磨かれた道は交流と交易の場として活用されて文明の地平を広げてきた。シンロ(新路)への熱望は、自然政治とも接続される。国内では、韓国と日本を海底トンネルでつなぐ「韓日トンネル建設事業」が40年間続いてきた政界の宿願事業の一つである。過去4・7補欠選挙と来年の大統領選挙を契機に再び日韓トンネルの政界と学界の関心が高まっている。社団法人日韓トンネル研究会は、最近、韓日トンネルの40年の研究を様々な側面に分析し集大成した「ユーラシア新時代のための韓日トンネル」を出版した。海底トンネルプロジェクトが本格的に公論化したのは、1981年11月。当時、ソウルで開かれた国際科学統一会議で、世界平和統一家庭連合文鮮明総裁が「国際平和高速道路事業」を唱えてからであった。以後、韓国と日本にそれぞれ「韓日海底トンネル研究会」が発足し、関連する調査と工事が進められてきた。 1986年10月、日本では、第1次調査のための斜坑(斜坑)工事が着工を現われ、1988年慶南巨済一帯で掘削調査も行われた。まず予想されるトンネルのパスは、「釜山〜巨済島〜対馬島(対馬)〜イキ(壹岐)島〜唐津(唐津・九州北部佐賀県)」につながる対馬路線が有力であり、距離には路線に応じて、約209 ~231㎞に達する。実際の建設と、世界最長の海底トンネルが誕生する。韓日海底トンネル予想ルート。市場経済研究院提供日韓トンネル建設事業につきましては、これまで様々な見解が表出されてきた。韓日トンネルが北東アジアの「平和の道」になるのはもちろん、経済的な側面など、画期的な変化をもたらすの主要国間のSOC(社会間接資本)未来のプロジェクトとの評価だ。盧泰愚、金泳三、金大中、盧武鉉前大統領などは、日韓トンネルの重要性を強調してきた、歴代釜山市長も地域活性化のための常連解決策として、日韓トンネルを取り出した。日本経済の専門家であるシンジャンチョル崇実教授は「東北アジアが持っている地政学的特性を克服し、人的・物的交流がより自由されて距離及び空間的な限界を克服することは、地域レベルでの平和と繁栄を成し遂げる先決要因とすることができる」と評価した。相反する分析も出ている。韓日トンネルのコストが約100兆ウォンと推算される中で、2003年に韓国交通研究院は、韓日トンネルの妥当性調査をした結果、費用便益分析で基準値である1.0よりも低く、事業性が落ちると判断した。日韓トンネル研究会は、このような懸念について正面から反論する。市場経済研究院などの民間の研究団体では、多角的な研究の末路線の調整や工期短縮などにより、コストを削減し、直接便利だけでなく、間接的な便益をすべて考慮した場合、経済性が十分であると見たもの。また、海底トンネルの建設が26万人の雇用誘発効果を出すという分析も出した。日韓トンネル研究会/サンメディア/1万8000ウォン日韓トンネル研究会ソウイテク・イヨンフム共同代表は「英国とフランスも長い期間、多くの戦争をした敵対的国家であったがドーバー海峡を海底トンネルで接続する「英仏海底トンネル」(ユーロトンネル)を置くことにより、両国は国民的葛藤を克服して協力関係に発展していくことができ、欧州連合(EU)の統合にも寄与した」と書いた。続いて「韓日両国間の日韓トンネルが本格的に推進され、西海岸と中国の山東省を結ぶ韓中トンネルが開いた場合は、韓・中・日は経済共同体を成し、世界経済を牽引していく重要な役割をするものと期待している」と述べた。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.23
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「1800双祝福記念日に」1977年2月8日アメリカ本部にて 私たちの結婚の素晴らしさ 人間は何かことがある場合ずっと記憶に残るものであるが、一年二年と段々薄らいでいく。二年前の奨忠の大講堂で式を挙げた時についても唯もが想いだす一つのことは、とにかくものすごく寒かったということである。韓国服を着て寒い所でふるえている姿は本当に寒そうでみな忘れられないことだろう。一番最後に入った者はどんなに寒かっただろうか、そういう者たちは寒い所で結婚を願うより暖かい所で早く休んだ方が余程いい、とそう思ったかもしれない。 その後一年九ヵ月の間ずっと別居しながらしつも手紙を書いなり、いつ会うかと指折り数えて待っているその期間は、どんなことよりも忘れられないものである。しかし別れていることは大したことではなくかえってともに住むよりいいものである。 女性は女性なりに一つの世界を持っているし、男は男の別の世界を持っているから、それが一つになろうというのはなかなか簡単なものではない。結婚生活の経験のある者はそれがいかに難しいかということが分かるであろう。しかしあなたがたはそれに対する理論と夢を持っているのである。他の人たちと違う点の一つとして彼らに勝る理想を持っているのである。 つまり君たちには理想の結婚観があるが、そういうものがない世の人々は、この世の中が信じられないということをつくづく感ずることだろう。それ程この世の中の結婚は実に考えられない程保証がなく、長続きしないですぐ別れる。 たった一言で別れるようなことがいくらでもある。多くの言葉ではなくたったひと言が原因で。 夫婦が実際一緒に生活してみると互いに全く違った世界を見いだして、その二つの異なった者たちがともに住むということは事実難しいことである。事実誰が心を惹きつけてくれるかが、この世では難しい問題なのである。しかしわれわれは同じ目的、信仰理念を持っているから、間違えば先生とか神とか原理観とかそういうものが打ってくるのを感ずることができる。 あなたがたは先生がいることを本当に有難いと思っているだろうか。かえって先生がいるのは厄介と思ったかもしれないが、その厄介な先生が必要なのである。そういうふうに考えれば本当に感謝である。 あなたがたは千八百双であるが、祝福の同祝生というか同じ時に祝福された者たち同志の同情の世界というものは実に素晴らしいものである。あなたがたの知っている友達とか知り合いのあの男はどうだ、とか韓国ではどうだ、アメリカの兄弟はどういう生活をするとか考えてみた場合、自分がビリになった場合覚醒せざるを得ない。自分に立ち返って考えた場合、そのようにして覚醒するような立場は実に素晴らしい。もしまったく一人でいたら刺激がないが、沢山いたらもし自分が遅れていたら追いつかねばならない。こう考えてみた場合、この結婚は他のこの世の中で結婚するより実に素晴らしいものである。 結婚の秩序 あなあがたは口喧嘩でもやっただろうが、アメリカの女性は強くて女の方が負けないから大変であろう。アメリカの女性は男性と平等な立場で怒ったりするようだが、原理の世界ではそうではない。原理では主体が男性で相対が女性という観念がちゃんとはっきりきまっているから、女性が先に怒った場合は法的にかかる。 割合からみたら男より女性が怒る方が多く、三分の二は女性らしい。それはそのように原理によってみれば間違っている。エデンの園においてエバが強制的にアダムに引き寄って堕落したということを考えた場合、エバが反対の方に絶対服従という条件を立てねばならない。反対の方で責め寄るようでは原理的に許されないことでありまさに原理にあらざることである。 男があお向けになって空をあおいで見ているのに女性がすぐ下を向くような態度は別な行動と表現に変えていかなければならない。われわれはいつも統一原理的な女性であるように考えなければならないのである。 東洋の方は結婚すれば夫に服従するという規則がはっきりしているからその心配はない。だから一般のアメリカの男性は東洋の女性を慕うようになり、アメリカの女性はみな嫌になってくる。アメリカの女性が嫌いになればなる程日本の女性が好きになってくる。アメリカの男性は分からないから反対するのであって、先生がこういう主体対象の原理を持っていると知ったら先生に非常に賛同するであろう。 これから結婚しようとしている今のアメリカの青年たちに、彼らが結婚しようとしている女性が本当に従順で信用できる女、自分だけ愛して一生過ごすような女になると思うか、と聞いてみたらみな自信がないに違いない。 たった一つの言葉で口喧嘩しても、ああ彼女の、彼の背後には何があるのだろうか、といつも気になる。それは非常に悲惨なものである。そういう感情を持つようになってしまった場合には、その後の二人の関係というものはどういうふうな結果になっていくだろうか。そういう立場で子供を持った場合には、あの子供を生まなければよかったのに、と親としての無礼な心情、心理的な罪悪感はそれは許されないものである。 従順な子供に対して親としての立場を保つことができないということは大変なことである。それを思うと口喧嘩してもすぐなおることのできる統一教会の夫婦はとても幸福で、今日喧嘩しても明日また同じ仕事に出るとか、伝道に出るとか次の日はきれいに洗ってすませるから、祝福の理念というものは実に素晴らしいものである。 そしてあなたがた同志で問題があった場合は、友達同志でああいうことがあった、と言えばすぐその友達に忠告する。そういう男女が他のどこにあるだろうか。そう見れば実にわれわれは幸福である。そういうふうに考えなければいけない。そう考えないと幸福感を感じないのである。 東洋と西洋を結ぶ道 アメリカの男性が日本の女性と祝福された場合、あの女は強い女だから自分がその心の中に気ままに自由に入れないからといって、日本の女性よりアメリカの女性と結婚した方がよかったと内心考える時がある。そのように比較対照しがちなものであるが、自分の習慣性によってアメリカの女性がよかった、という考えがくるかもしれない。習慣性というものがあるからそういうように考える、という所が国際結婚の夫婦にとって難しい所である。 そう考えるとそういうことを理解できるような夫婦になるということは、人格的に立派な女性、立派な男性になることである。そういう結婚の場合最初の三年間は非常にぶつかる所が多いが、三年たてばいろいろな方面で美しい所を発見し始め、深い所の情で結ばれるそういう世界が生まれてくるのではないだろうか。またそういう夫婦から生まれてくる子供は非常に頭がいいし、天の恵みを大きく受けると思う。 西洋人と東洋人は愛し方なども違ってまったく反対であるから、そういうことを理解してコントロールすればうまく一体化できるのである。 夫婦は、結婚した場合自分の一生だけでなく先祖以来ずうっと後孫まで考えて結婚するというふうに考えていかねばならないのであるが、アメリカの男性と結婚した日本の女性の口から、「絶対国際結婚するものではない」と言うようなことが起こった場合は、アメリカに対しても世界に対しても大変なことで、アメリカは祝福の道が完全に塞がれてしまうのである。 アメリカ人はアメリカ人同志、東洋人は東洋人同志という結果になってしまえば、み旨は東洋的なものになってしまい、そうすれば西洋人は、いかにも霊界に不適になってしまうのである。 先生は三十六家庭から千八百双にまでもう既に八回にわたって祝福したが、八回で千八百双まで入って、これはもう随分西洋は東洋に負けている。にもかかわらずそういうふうな風潮になった場合、先祖に対してすまないし、現在未来に対して祝福の圏が完全に東洋に偏ってしまうのである。 あなたがたは地上でそういう環境を持ったら霊界に行っても理想の霊界には通じない。霊界に行っても霊界の白人同志で住みたい、といってニグロや東洋人が来たら逃げてしまうような霊界は決して理想の霊界ではない。 統一教会の今後の使命はなにかというと、世界を一つに作る、一つの統一親族圏を作ることであると考えれば、国際結婚はこれは奨励するどころではすまないのだから、国際結婚した家庭はとくに模範的な家庭を作らなければならない。 手紙作戦 (海外宣教の相対者の、手紙だけでは相対者をはっきり理解できずどういうことを書くべきか分からなくなるのですが、という質問に対して) 男性は手紙を書くのがそう好きではなくて、仕事に追われた時は妻とか自分の愛する者に、女性みたいにいちいち報告したりする気はしないものである。異なる様々な環境にある相対者から便りがないのは不安だろうが、手紙を出さないからひどく心情が遠くなるとは男性は思わないのである。そういう者もいるかもしれないが皆がそうではない。 だから女性の方から手紙を出す時には、相対者にとってあなたが先生みたいな立場に立って、仕事にもっと熱心に働きかけるようにして、もっと実績を上げるように励ますような方向に書くよう注意する必要がある。 たとえばアメリカの有名な景色のいい所を紹介しながら、アメリカで有名な本とか、アメリカ国内ではこういう思想をもっている、こういう国であるとか紹介したりして、高尚な作戦をしてやるのである。 アメリカの景色のいい所を紹介した本を送って、自分がこの本を読んだ時はこういうふうに感じました。とその内容を紹介して送った場合、相対者の方もその本を送ってもらって読んだら自分もそう感じたというふうにして、自分の相対者は高尚な理想の女性であり、自分が思いもしないようなものを持っているというふうに感じさせるようにするのである。 あの人は自分に対して心情がないから一カ月にたった一本しか手紙くれないのだろうというので、そういうことを書いて送ったりするようではいけない。 たとえ手紙を一度も書かなくても男を励まして、そんなにも日々宣教師の使命に追われて星を眺める意志もないような忙しさを想っております。手紙のないのはかえって自分の内心で感謝していますがしかしあなたもこういうふうに考えるでしょう、というふうに書いたり、ずうっと海の遠い所を眺めていてそこに希望の旦那さんがいたら素晴らしいと思うような、美しくほほえんだプロフィールの写真をとって送ったりして心情を誘動するのである。 手紙がこないといっては涙を流しながら、誰々の消息によるとこうだそうですが、というようなことを書いたりしないで、そのように日本の書物を送ってあげたり、素晴らしい夫婦関係の証しをもつ人のことを紹介したりして、やはりこの女性は何か自分と違う。自分だったらこうするにもかかわらず、彼女はこういうような高尚な心情でもって自分で努力していくし、自分の高い理想と心情をもってくる、と考えさせるようにしたら人は誰でも考えるものである。こういう所に深い面があるものである。そうすると自然と自分から、ああ便りもしないですみませんでした、と告白してくるような作戦をするのである。 互いに研究して 男一人を自分の理想相対としてかかえて一生を過ごすということは、天下をかかえて過ごすことよりも難しいことである。先生でも同じでお母様は今でも先生のことを研究される。 こういうセンスがあればああいうセンスがあるし、ここを押せばこういうふうになるし、ここを押せばこうなるし、というように研究していく所に、夫婦がともに心情の深い所の世界を探っていくことができるのである。 女性の方が一線を引いてしまって分からないでしょう。と決めつけてしまっていては発展も何もない。男もそうで男の世界は女には分からないだろう。それは男と女は百八十度違うのである。考え方も何もまるっきり違うし、同じ所を出ても方向はまるっきり違うのだから、いつもそれを認識して注意する必要がある。 それにまだ会っていない旦那さんに対して自分のことばかり考えてくれというような女性はまるで泥棒のようなものだと思う。 (他の海外宣教者の相対者の、十日に一度は手紙を書かないと天法にひっかかるそうですが、という質問に答えて) 天法にひっかからないように一生懸命書くのもいいが旦那さんの心にひっかからないように書く必要がある。相対者からは十日に一度どころか何カ月に一回しかこなくてもいい、自分の方だけそのようにやればよい。 男性は主体性の秘密を持たねばならないという原理的立場からも手紙を書いていちいち報告するのは好きでないものである。 天運を読む (姉妹の相対者の写真を見られて) 人には自分の運命の道がある。人には分からない運命の道があるのであり、例えば先生の人相を見ると世界的な仕事をやれる立派な人相を持っていると人はいう。あなたがたは知らないだろうけれど。 西洋文明はそういう易などの東洋文明をそう即座には分からないのだが、そういうものを知らないと世界情勢等の判断等にも困る。先生は世界の運勢ではなく、天運がどういうふうにくるか、という天の運勢を判断しているのである。一社会の問題ではない。一国の運命ではない。天運の流れを判定しようとしているのである。そういう話はあなたがたには理解できないであろう。 (アメリカの兄弟の、自分自身と妻の間にあまりに多くの共通点を見いだすので、恐らく天の父が二年前既に誰と結婚させる、と決定していたのではないかと思う、というのに対して) 実際地上に生きている誰も先生を正確な姿で見てはいない。少なくとも祝福の組み合わせをしている時は、他のいかなる時よりも神のみ業の最高潮である。与えてみなさい、あなたの生涯と子孫を。もし一個の人間の生命が全天宙よりもっと尊いということを知る時に、いかに重要であるか。 K君が結婚した時もその結婚生活は、まさに典型的で三年間は葛藤のみだった。しかし今はどうして表わしていいか分からない程感謝している。絶対的必然的に彼等は天の内情を今知ったからである。 先生は絶対確信がある いく組かの結婚は事情がとても難しく彼等も頑なだった。先生はそれがお好きでなくて、それらの結婚については満足できなかったし、その結果もよくなかった。しかしそうであっても先生は確信をもっている。真理に基づいているのだから。 たとえば先生の忠告にもかかわらず彼等が自分の意見を主張する時、先生はさらに希望を持って余計に祈ってみて組み合わせてみるが、通常それは役に立たないということが分かった。組み合わせに関して先生の考えは常に明確である。 あなたがた二人の間に仲が合わない者同志をどうして組んだのかと思うだろうが、それは立派な子供を生ませる天の計画があるのかもしれない。とんでもない男、とんでもない女があったにもかかわらず、その中からとんでもない素晴しい子供が生まれるかもしれないのである。 (ある典型的なカップルに) あなたは旦那さんを勇気づけて引っぱってくるのだ。そして常に彼を勇気づけ自信を与える。あなたは表面的で彼は内面的で、性格は実に反対である。女性の方は時代的な感覚に敏感な女で男はそういう方面では無感覚だ。 しかし一つ正しいことをやっていくという方面では、正義感においてはあなたよりずっと先に立っている。 そういう極端なものがあって生まれる所にそれは素晴らしい後孫が生まれる。間違ってはいない。あなたに好きな男性がいて結婚したら長くて半年といかない。あなたがたはそういう話を聞いたことはないだろうけれども。 三代をみる 霊界に行けば皆同じだと思うんだがそうではなく質が違う。霊界の先祖の天国の基準は皆違うのだからその反映としてみな千差万別である。先生がそういう方面に専門的に考えていったら君達の心が何を考えているかすっと分かる。 それを皆考えないで平々凡々な人間と同じように自分も考えて、そういう生活をしようとするのはいけない。先生はそういうような鋭いものを持っている。 そういう方面からみてあなたがたはまだまだ訓練されなければいけないし、まだまだ発展しなければいけない。先生は人相学を勉強しているのでなく、人相を観るよりもっと強い性相観をしているのである。功労の相は、人相よりもっと正確である。 先生は八歳の時から結婚の相手を組んであげるようなことをやってきた。先生がいいと言った組み合わせはみな実際いいし、悪いといった組み合わせは実際悪くなる。そういうふうに有名な先生である。先生はそういう組んであげた人たち皆の写真を持っている。だから先生の親戚は全部あの男は有名になると考えていた。 だから今年は旱魃になるとか雨が降るとか、かえっていい年になるとかみなわかる。今はそういうことは言えないから分かりながらわからないふりをしているのである。平凡な人間が一番安全で心に負担がない。あなたがたの誇りとすべきは、なにしろ世界的な代表的な結婚の仲介者として、世界的な記録を持った男により結婚したということである。多分、皆闘いがあるだろうが、その事情の中でどうしたらいいか、いかに改善すべきかが問題なのである。 結婚は三代を見て批判しないといけない。自分たち夫婦と子供と後孫と三代をみて、いいか悪いかを判断してみる。子供だけでなく孫までみなければいけない。三代みたらその家族が発展するか下がるかすぐわかる。三代である。 海外で家庭的勝利をなすには (世界宣教の相対者のもとに行く日本の姉妹の質問に答えて) 相対者と任地の食口たちと教会に通ってくる人たちとすべてうまくやって教会を発展させるためにはどうすればよいか、それは簡単である。 寝るのを食口より少なくし、食べるのを食口より悪いのを食べるし、着るものも食口より悪いものを着ればよい。 そして働くことにおいては先頭に立てばそれでいいのである。人より余計に活動し、余計悪いような立場に立てば、自然と逆のような立場に立ってくるもので、食口たちも、そういうような姿をみてみな変わってきて、自分たちが先頭に立ってやってくれるようになる。 だから責任者の奥さんとして、みなが働いているのに教会の中に坐っているのでなく、先頭を切ってみな押しやって忙しく働いていれば不平を言う者がいないから、皆とうまくやっていけるのである。 (お母さまも質問に答えて) 私が一番的確に表わせる言葉は、夫のように、ということです。言いかえれば、先生が何を言おうが何をしようが、夫に従うということですが、そうすれば主体者の完全な対象になるのであり、それがまさに秘訣なのですが、誰しもそれを実行するのは本当に難しいことだと知っていることです。 お母さまは先生に絶対に従おうとされるのである。そしてそうすれば夫の心は完全に相対の方に向けられ、彼の心は相対のものとなるのである。そうすることによって彼はまっすぐ相対の所に帰ってくるようになるし、そうでなければ帰ってくる者はいないのである。それがお母さまの秘訣中の秘訣であり、お母さまの秘密である。 (よき母になるためには、というアメリカの姉妹に答える) あなたがたはまずよき女性にならなければならない。それからよき母になる動機ができてくるのです。 子女には、女、お母さんが絶対影響するのである。父と母はまさに土地と種子のようなもので、父親は種子で母親は土地のようなものである。どんなに種子が素晴らしくても土がひどく貧しければ誰が結果に期待できるでしょうか。母は絶対必要である。 一番の家庭になろう 先生が、この機会に最後に言っておきたいことは、いつも次のことを認識し、意識してほしい、ということである。すなわち千八百双の中でどの位の位置に自分がランクされているかということです。一番目か二番目か三番目かということです。なぜなら天から見た場合一人とはみないで一双とみるのだから、天が祝福されるのだったら千八百双の中で一番の家庭をめざして祝福されることを考えなければならない。世界的になり、天宙的に考えなければならない。 一等になれる家庭にはそういう基準にあたる祝福を与え、立派な後孫を与え立派な先祖として立たせることを考えている。天は平面的個人的な一双との考えでは見ないのである。霊界では千八百双を代表して何番何番という順序的に考えているから、そういう天に向けて自分は何番目の家庭になるか、といつも考えなければならない。 そういうように天運から見られる恵みの分配を受けるということを考えなければならない。今から千八百双の伝統を立てられるその家庭が中心である。天はそれを見ているのである。 あなたがたは自分たちの祝福を千八百双のうちの一双というような考え方をするのだけれども、その一双はイエス様の一双と同じだというのである。自分たちがそういう歴史的使命を持っているのだ、ということをあなたがたは考えないだろうが、ようやく祝福されるに必要な三年が近づき、しかし他に何も大してしないで、何の功労もなくして祝福されたから、その位の価値にしか考えられないのである。 あなたがたは、自分たちの時代に真の父母にならねばならない。あなたがたを中心として真の先祖にならなければならない。そういう原理によれば喧嘩などというものは、絶対あなたがたの家庭にあってはならない。絶対に。 喧嘩などするような家庭では、子供を§孕はら§んではならない。独身でそのまま続けて、喧嘩しなくなるまで待つことである。そういう家庭は、だから霊界とこの地上と後孫と直線で三点を引きつないで、先祖もひっかかるし、現在のあなた方の氏族も未来の後孫も全部ひっかかってくる。そういうことをあなた方は知らないだろうが。 だから相対がなかった場合は祝福を受けることはできないことを思えば感謝しなければいけない。人類の歴史のヒモは、この引きこんだ祝福である。だから旦那さんが眼玉がなくても、鼻がなくてもそれが問題ではない。価値からみたら結果は問題ないのである。千八百双の中で何番目になるか、千八百双から脱落する者となるか、問題である。 祝福は国と国をつなぐ ではどのような基準に従って互いに順位をつけるかというと、日本社会の一人のメンバーとして参席したならばその国の運命のすべてがうまく連結されている。一旦死ねばただちに分かることである。 祝福には全体運命がかかっている。全体の運命が。 今先生がやっているのは、個人的なあなたがた個人個人単位の問題をやっているのではない。国家単位、世界単位の問題を扱っているのである。あなたがたの祝福も個人の祝福ではなく、国としてのものであり、国と国との連結のためである。 霊界統合、地上統合する、すなわち霊界と地上が分解されたのを統合するためにこういうことをやったのである。そのように祝福が立体性の内容を持っているということをあなたがたは分からないのである。霊界に行ったらその時分かる。われわれはサタンさえわれわれを審こうとするような難しい位置にあることが分かるのである。 血統を守る あなたがたが失敗したら救いがない。失敗したらそれ程低い霊界に落ちていって救いがない、祝福された家庭で自分たちが勝手に流れた者は完全に救いの道がないのである。われわれの世界ではそういう者は絶対に見られない。あなたがたが勝手に離れた場合、先祖が七十代までもひっかかるのである。 結婚は自分のためにしたらいけない。全体のための結婚である。だからあなたがた二人のうちで一人が犯した場合その一人は除外されて残った方はみな新しく今度祝福する。 原理的にそうなのである。アダムが堕落しなかった場合にはエバはいくらでも創られたし、エバが堕落しなかったらアダムはいくらでも創られたのである。 先生が聖進さんのお母さんと別れなければならなかったのもそうである。先生はなに一つ悪いことはなく、天に讒訴されることはなかった。 その間様々な迫害を受けながらもそれに対抗しないでそのままずっとその蕩減をして乗り越えてきた。原理はそうなっている。 エバがアダムを強制的に屈服させようというような非原理的なことをしたのだから、世界的な使命を持っている先生に対しても、サタンはそれと同じようなことをやるのである。先生はそれに絶対巻きこまれてはならない。巻きこまれないで屈服させなければならないのである。そうして自然屈服させるまで蕩減を越えていかねばならない。蕩減を越えた場合には反対の方向にやらねばならない。それを聞かなかった場合にはどうしようもないからそこまで待たなければならないのである。だからこの世の中で女に責められ迫害された男のうちで先生は代表的な男である。 先生は原理的にそういう条件を立たせたから、あなたがたも原理に違反した者は切ってしまって、いくらでも残った方を祝福する。しかしそういう者同志を再び祝福することはできない。 今から男女関係問題は生死の問題にかかわってくる。そういう境地におかれた場合、そういう気持ちの悪い女は、かえって死んだ方がいい、生命と代えるべきである。 歴史を通して血統を清めるために今まで戦って犠牲を払ってきたにもかかわらず、先生が地上に生まれてきて苦労して祝福した条件の立場に立ったのにそれを再び犯すというような罪は許されないことである。 だから女の貞操より男の貞操が必要とされる時代に入ってきたのである。エデンにおいてエバによってアダムが貞操を破られて天宙的な貞操の秩序を立たすべきアダムが、それを失ったのだから、そういう歴史を繰り返すようなことは許されない。それをあなたたちは今は分からないけれども霊界に行ったら分かるのである。 先生は遊びでこういうことをやるのではなく、霊界の方程式を解くためにやるのである。だから朝食を食べる時も昼食、夕食を食べる時も三食する時にいつも相対者のことを思ってともに食べるような気持ちで食べるとかしてみなければならない。今迄あなたたちはそういうふうにやってきただろうか。 今はそういうことは関係ないかもしれないけれども今後もし失敗したらその悲惨さはあなたたちには決して分からない。これは実に悲惨なものである。そのような大きな問題になるとは思わないで犯したとした場合には、その心理的にいかに悲惨で恐ろしいかは喩えようもないものである。創造のアダム・エバが堕落した地獄より以上の恐ろしい所である。あなたたちはそれが守れるだろうか。 今からは霊界で見るのは誰の血統が一番清い血統を維持するか、ということであり、今からその競争である。今から数千代をいかに純潔な血統を維持するかどうか、ということが今からの問題である。 それは肌の色が問題ではなく世界中、国をあげて競争したいものだ。だからあなたがたは千八百双のうちで何等になるか、というそういう観念を持たねばならない。神が願うならみなが一等になるという気持ちを持たなければならない。そのようにこの道を感謝しながら誠を尽くしながら行かなければならないのである。だから祝福家庭は大変な立場である。そういうことに自信がなかった場合はかえって祝福を受けなかった方がよい。 祝福家庭は天民である あなたがたはもうアメリカ人でもなければ日本人でも韓国人でもない。もう国家は既に超越しているのである。もしも先生が今死んでいったとするなら、世界はどういう伝統を受け継いだ者が支配するかというと、民族性を完全に超越し世界的な心情を持ったそういう立場に立ってそういう伝統を受け継いだ者でなければ世界を動かすことはできないのである。 あなたがたが伝道に行って国籍を聞かれたりしたらただちに「天国だ」と答えなさい。アメリカだとか日本だとかそういう観念が先に出たらいけない。アメリカは旅程であってあなた方はただアメリカを旅行しているだけなのだから。 子供にもそういう教育をしなければならないのであり、愛する子供を本当に教育するには自分が本当にそういう者にならなければならない。 今後祝福家庭はみな一つの組織にする。日本も韓国もアメリカもない。あなたがたは何も知らない。三十六家庭でさえ今から十六年前、いや十八年前結婚させてやる時、なぜああいうふうにやったかということを今になってやっと分かるようになっているのだから、あなたがたにはとてもそれは分からない。 分からない者が分からないままにこういう立場に立ってこういうように祝福されていけば、分かったという一つの世界にいくのだから恐ろしいものである。 こういうことにしてやるのは霊界の基準に相対的基準を合わせて、やるだけのことである。地上において統一教会が全身全霊をかけて一つになるのだから霊界は一つになっていく。だから先生は、宗教者としては近代にない飛躍的な位置に立つことになるのである。 あなたがたがこういう風にして組み合わせられることによってすべての霊界がみな奮起する。垣根がみな取りはずされてみな統合される。恐ろしいものである。何十万何億万の人々があなたたちのために一体化できる。何千倍何万倍になるか考えてみなさい。そして霊界の人数はどれくらいあるかを。 歴史のピーク、ワシントン大会 今度のワシントン大会はそういう意味において全世界を統一して、先生の家庭を初め、三十六家庭、七十二家庭、全祝福家庭、統一教会の全部が総攻撃したのだからこれにより霊界全部が連結する。そうして霊界と地上をつなぐそういうような条件でアメリカにいなくとも皆世界の食口は一つになっている。 だから先生は、宗教指導者としては近代にない最高の位置に飛躍するのであり、だからアメリカも韓国も日本も全世界が反対せざるをえないのである。 われわれが主体の位置に立ってどんどん反対すれば向こうは段々増えてくる。反対を受けていけば段々崩れていく。これまではいつもカイン・アベルの戦いでカインが先に立って上がりながらやってきたが、ワシントン大会の後、最高点を中心としてカインが先に立ってアベルと闘った場合、カインが勝利して同じ立場に立ってからこの絶頂点を越えた場合、誰が上に立つであろうか。アベルが上に立ってカインが落ちて反対になるのである。 今まではだからアベルが蕩減してきたのだけれど、将来はカインが蕩減しなければならなくなってくる。それを個人的から家庭的、氏族的、民族的、世界的から霊界までそういうように蕩減していくのである。 絶頂を越える今 だから今、世界的な善なる先祖の後孫とか世界の主権者、最高クラスの者の背後では霊界でそういう人たちの先祖が全部動員されて、自分の後孫を霊界伝道するのである。 サタンが今まで天に行こうとするのを迫害してきたと同じように、統一教会に行こうとするのを反対するサタンの方を逆に打つようになるのである。だから遠からずこの世界は統一世界になる。 ユダヤ民族がエジプトからカナンにわたる時、六十万移動したと同じように、われわれの統一教会も、その百倍の六千万人の食口がいたら世界はすぐ復帰される。霊界は総動員して押しかける。だから遠くない、遠くない。 二月十七日までが陰暦の十二月末でこの時期は、カインとアベルのアベルが経済的損害をしなければならない。そして様々な問題が一通りやってくる。蕩減原則は一寸も動かすことができないからである。 そこを乗り越えていけば段々蕩減条件も小さくなっていく。だからあなたたちが、こういう観点から祈る心情を持たねばならない。 アベルの権限が蕩減されて、アベルの権限を正したこの時代においては、アベルの方が蕩減するのでなくして、カインの方で蕩減させて、今までの何倍か弁償受けて、神に讒訴したサタンを追い出すような時期になってきたのではないだろうか。 全世界の善なる先祖をすべて動員して総動員するように祈らなければならない。 サタンがどんどん下がって、こちらは上がってまた、会うんだけれども、そういう時が今である。そういう傾向が今年と来年まで続くのではないか、と先生は思っている。心配する必要はない。統一教会はもう滅びない、そういう基盤を既に造ったのである。 一つに結ぶ世界の家庭 それで今から将来は家庭が中心である。将来統一教会の祝福家庭は、自分たちの国境を越えてどこの国へ行って泊っても、百二十日間は歓迎しなければならない。 将来は自分の家庭に、世界の食口たちが何人訪問してくるかが誇りである。将来本当にそうなる。自分の家を世界的に各国で祝福された食口たちの家庭が何人訪問してくれるか、その準備をしなければならない。もし訪問してくれなければその通りがかりの道の道端でいつも待ちながら、そういう標示をするのである。 そういうことから見ると、道端でも真心を尽くして侍ってあげて関係を持つようなそういうことの競争の世界になるのである。 そういう家庭は国家が保障するし、何人以上になった場合は国家で何倍の保障で報いてやるのである。 そういう時代に入っているのであるが、そういうことを話したら、みな頭のネジが反対に回されたようになって何もできなくなるから、先生はそういう話をしてあげるのである。 だから模範的夫婦になって伝統を正すには、あなたがたは先生に、あるいは統一教会の歴史に何か貢献しなければならないという重大な使命がある、ということをいつも忘れてはならないのである。だから何番目になるかということが問題なのである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.22
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「言葉と行動」1977年1月30日ベルベディア 神が語り行動する理由 今朝のメッセージの題は、「言葉と行動」です。日々の生活において、私たちの言葉はひじょうに大切です。私たちの言葉は、多くの重大なことをします。それらはインスピレーションを与えたり、幸福をもたらしたり、心痛を起こしたりするものです。一般に、人々はよく話せる人々を賞賛します。しかしながら私たちの生活の中で成功するためには、言葉だけでは充分ではありません。その言葉が行動によって支えられなければならないのです。 私たちは、人間生活における成功の秘訣を決定しなければなりません。言葉が多くの行動が少ないのと、言葉は少なくても行動が多いのとでは、どちらがよいでしょうか。人がもつ言葉と行動の組み合わせがその人の価値を決定し、その人の人柄と人格を明らかにするのです。その基準は、人間にとっても神にとっても同じです。 では、しばらく神について考えてみましょう。なぜなら神も語り、行動するからです。神は全能で遍在されますから、神にとっては、どんなことも不可能ではありません。では、なぜ神は、わざわざ話をするのでしょうか。全能なる創造者である神は、ご自分の行動を誰にも説明したり、弁解したりする必要がありません。それなのに、なぜ神は話す必要があるのでしょう。なぜ神は、わざわざそうするのでしょうか。地上であれが霊界であれ、私たちは、私たちの生活に幸福と喜びがあれば、笑い、踊り、そして歌います。しかし私たちは、自分たちだけで喜びや幸福を伝達できるものではありません。そのように、神がその喜びを表現するためには、神は何かを必要とするに違いありません。私たちは、神が話し、行動することを知っています。それは創造するためでしょうか。聖書によると神は、神の言葉によって世界を創造したと書いてあります。それは、神が山の頂山に登って遂造物が現われるように叫んだということでしょうか。本当に神は、物を創造することだけに関心があるのでしょうか。 創造には、なんらかの目的がなければなりません。神は創造することだけのために創造しているのではありません。神が話して行動する中心的な理由がなければなりませんが、それはなんでしょうか。神が世界の救済のために語り、行動することを知っています。しかし実は、世界の救いは神が本来意図したことではなかったのです。それは堕落の後に、はじめて必要となったのです。統一教会のメンバーたちに、ひとつ聞いてみましょう。あなた方はは、世界の復帰が必要であるこの緊急事態を、永遠に続かせたいと思いますか。それとも、復帰を終えて新しい夜明けを迎えたいと思いますか。神も新しい夜明けをみたいと願っています。神は確かに救いのみ業をなさっていますが、それが神の永遠の仕事ではありません。神はそれを早く終えたいと願っておられるのです。復帰は、創造の本来の考えが全うされていないために、今、必要とされていることなのです。 しかし神は、救いのみ業や創造以外にも、なお語り行動しています。それはなんでしょうか。それは愛です。真実の愛のためです。もしそうであるなら、真実の愛とはなんでしょうか。 調和と統一の世界 誰も真実の愛については、人間の言葉で説明することができません。真実の愛が来る時、私たちの骨と器官・五官は正にすべて微笑み、同じ瞬間にどっと笑いだすことでしょう。その時、の救いは神が本来意図したことではなかったのです。それは堕落の後に、はじめて必要となったのです。統一教会のメンバーたちに、ひとつ聞いてみましょう。あなた方は、世界の復帰が必要であるこの緊急事態を、永遠に続かせたいと思いますか。それとも、復帰を終えて新しい夜明けを迎えたいと思いますか。神も新しい夜明けを迎えたいと思いますか。神も新しい夜明けをみたいと願っています。神は確かに救いのみ業をなさ-ていますが、それが神の永遠の仕事ではありません。神はそれを早く終えたいと願っておられるのです。復帰は、創造の本来の考えが全うされていないために、今、必要とされていることなのです。 しかし神は、救いのみ業や創造以外にも、なお語り行動しています。それはなんでしょうか。それは愛、真実の愛のためです。もしそうであるなら、真実の愛とはなんでしょうか。 調和と統一の愛の世界 誰も真実の愛については、人間の言葉で説明することができません。真実の愛が来る時、私たちの骨と器官・五官は正にすべて微笑み、同じ瞬間にぞっと笑いだすことでしょう。その時、私たちの心はどうするでしょうか。私たちの体が微笑み、どっと喜んでいる間、私たちの心は石のように冷たくなっているこでしょうか。私たちが真実の愛と連絡をとる時、あらゆるものが反応します。そこには調和と統一された行動があります。私たちの心と体全体が、それに調和して反応します。これは永遠の、しかも遍的な原則です。 たとえば、多くの異なった種類のダンスがありますが、それらすべてについて言えることは、あなたの腕と足が動きだす前に、あなたの心が既に踊っているということです。なぜ私たちは踊るのでしょうか。それは、ダンスは真に愛の表現、喜びの表現だからです。天国の世界は音楽の世界、ダンスの世界、笑いの世界です。しばらく美しい歌について考えてみてください。「私は英雄(ヒーロー)だ」とか「私はヒロインだ」とかいう、自分を讃美した歌がたくさんあるでしょうか。そのような歌は、人々の心に訴えません。そのような歌は、たとえ短くても、人々を厭きさせてしまうでしょう。ですからそれらは、二回、十回、あるいは百回と繰り返すことができません。しかしあなたが愛の歌を時は、それを百回、千回と繰り返した後でも、なお新鮮さと興奮があるでしょう。愛の歌は、千年間繰り返されてもそうなのです。たとえ全宇宙が権力とお金と知識によって完全にぎゅうぎゅう詰めになったとしても、なお愛の歌のための余裕は残されているのです。 お金と権力と知識は永遠に存続しませんが、愛の歌は永遠の新鮮さと永遠の認識と永遠の喜びとを持っています。理想世界、特に完成された霊界は愛の世界です。愛は永久的に極点に達しています。その世界からは、音楽と歌とダンスと喜びの笑いが起こってきます。すべてのものは理想世界と天国の中心的な特質である、このひとつの真実の愛を中心としています。あなた方はこれに異議がありますか。それを願わない人が誰かいるでしょうか。誰もが理想的なものの方を向きます。理想世界は尊敬を得ようとして、「自分はヒーロだ」とか「ヒロインだ」とか言おうとする人は誰もいません。そのかわりに誰もが、愛の世界に溶け込んでお互いに調和した授受作用をもつことを願います。 「今の世界においては、お金がすべてである」という人々がたくさんいます。彼らは、お金が究極的な幸福をもたらしてくれると考えています。それで彼らは、お金持ちになって見せびらかしたい、マンションを持ちたい、すべてを持ちたいと願っています。彼らは富が人間生活の極致であると考えているのです。統一教会のメンバーは例外として、アメリカの女性はひじょうに金持ちの夫を持ちたいと思っています。そしてたぶん、彼女たちの次に高い目標は、ハーバードやエール大学で博士号を取得した、無限の知性をもった男性と結婚することです。あるいは彼女たちの目標は、それよりもずっと高いかもしれません。彼女たちは誰もが自分の所に来て尊敬を表明するようなファーストレディになって、世界の権勢を思うがままにしたいのでしょう。それはあなた方の目標ででもあるのでしょうか。しかしそれらは、朝の露のように消え去ってしまうことでしょう。 愛のある場所 愛の言葉について考えてみましょう。あなた方が自分の愛を言葉で表現するとき、あなた方はその説明をしたり、それに何かの条件をつけたりしますか。あなた方は、私はあなたがたくさんのお金を持っているから、あるいは、あなたが米国大統領だからあたたを愛する、と言うのでしょうか。あなた方は、説明を要するような愛と、あなた方の心に直接入ってきて、正に自分の骨の髄で感じるような種類の愛との、そのどちらを好みますか。私たちは、たくさんの種類の愛があることを悟らなければなりません。人を過らせるような愛、他人を利用しようとするような愛、他人を操るような愛など、ひじょうに多くの偽りの種類の愛があります。愛は非常に もし私たちが愛を分類するとしたならば、神を中心とした愛とサタンを中心とした愛との、おもに二種類に分けられます。それらの違いはなんでしょうか。まず第一に、神を中心とした愛には統一と調和があります。それがあるところでは言葉と行動、心と体とがすべて一つの共通のゴールを中心として統一されています。それらは一つの目的、一つの方向に向かって行動します。真実の愛は一つにさせる力であり、したがって心と体、男性と女性、家族同士、また友人同士を統一させる共通点があります。 それでは、統一の基準と公式はなんでしょうか。愛がその基準を決定します。愛は主体と対象が出合い、心と体が出合い、男性と女性が出合い、親と子が出会う共通の場所です。その中心点に神が住んでいます。なぜなら愛は実際、神のものであり、それはあなた方自身よりも高いところからやってくるからです。なぜ神は、その王座を、愛という格別な位置に置くのでしょうか。それは、神が対象を求めているからです。愛である神は、愛がご自分に応える共通の場所を探しています。 私たちは一般に、人体は神の宮であると言っていますが、聖なる宮とはなんでしょうか。それは生活のために働く場所という意味でしょうか。それは、工場、あるいは事務所のことでしょうか。あなた方は、聖なる宮について考えるとき、直ちに、平和と静けさをもっている、ある恒久的な休息所を思い浮かべます。愛の住む場所は、静かな場所でなくてはなりません。なぜなら、愛がなければ静けさも平和とないからです。もし私たちが神の宮であるならが、私たちは休息所、聖なる場所、神の愛の住む場所となるでしょう。これは私たちが、平和と平安とを回復することのできる唯一の方法です。 あなた方が神の愛をもつとき、自分自身の中で休むことができます。私たちは自分自身を聖なる神の宮として高め、永遠に平和と平安を回復できる神の住む場所となりたいと願っています。そのような人格をもった人々の世界を、私たちは心情の世界と呼んでいます。あなた方が神に対して、あなた方自身の聖なる場所に住んでくださいと招待するならば、神の愛は泉の水のように、どんなに多く使っても、新鮮に湧き続けるでしょう。そしてそれは淀むことも尽きることもないでしょう。そのような人に、あなた方はなりたいと思いませんか。 言葉と行動の統一 もしあなた方が神の宮となるならば、あなた方は悲しんで泣いている人々を慰めてあげることができるでしょう。もしあなた方が神の愛の完成品となりつつあるならば、あなた方は完成した人間になりつつあるのであり、あなた方の近くに来る人々は、その愛の春のような雰囲気の中で溶けてしまうことでしょう。すると、悲しみや辛苦、苦痛は不思議と溶け去ってしまうのです。そして神を中心とした愛だけが、体と心とを調和させることができるのです。たとえばどんな人間の努力をもっても、世界のどんな糊を使ったとしても、愛のようには、心と体を一緒にさせることができません。 統一教会では、私たちは互いを兄弟姉妹と呼んでいますが、どのようにして兄弟姉妹となるのでしょうか。一般に人々は、私たちが神のことばにより、統一原理を通して、兄弟姉妹になると言っています。でもあなた方は、統一原理それ自身だけど、すでに統一原理をもって生きている人格の、どちらを欲しますか。あなた方が本当に統一原理によって生き、完成させるならば、あなた方の人格は愛の心をもちます。 「言葉と行動」が、きょうの私の話題です。気高い人格の人間であるということは、その言葉と行動とが一つの共通の原理によって統一されており、話しと行動を完全に一致させて行うことを意味しています。私たちは話した通りに行動しない多くの人々を見ることができますが、しかしなががあなた方が、高貴な、あるいは神のような人をそのような観点からみた場合、彼らの言葉お行動が統一されているのことを見い出すしょう。たとえどのような角度からみようとも、あなた方はそこに、矛盾ではなく調和と統一とを見い出すことでしょう。では、あなた方はどうしてでしょうか。あなた方は完全に言葉と行動とにおいて一つとなっていますか。自分自身の妻に対して、自分の国に対して、また神に対して、自分の言葉が自分の行動と矛盾しないと主張できるならば、その人は本当に完成された人間です。 また私たちは、それらの言葉と行動が、何を中心としているかを考えなければなりません。ある人は、「自分の言葉と行動は、お金に関する限り、決して互いに矛盾することがない」と言うでしょう。ビジネスに関する所においては、彼らの言葉は黄金のようです。多くの学者たちは誇らしげに、「自分たちが宇宙の知識を追求している間は、その言葉と行動はまったく同じだ」と言うでしょう。地上の強力な支配者たちである大統領や王様、世界の帝王たちは、自分たちの言葉は法律であり、自分たちの言葉は行動を起こし、その結果、自分たちの言葉と行動の間は完全に一致している、と言うかもしれません。そのような基準で生きた人々は多くいます。しかし、人生の真の価値を考えてみるとき、私たちはそのような人々に、どのような評価を与えることができるでしょうか。 彼らの言葉と行動は、たしかに一体化しています。しかしそれはお金、権力、あるいは知識といった特定なものに強点を置いてのみです。それを神の観点からみると、彼らは神のことばの基準以下でしょうか。それとも基準以上でしょうか。これらの異なった基準は、単に仮説というのではなく、人間生活において現実的なことです。私たちはそれらを、どこででも、毎日目撃することができます。 では、あなた方の強調点はどちらですか。もしあなた方が言葉と行動の統一された人間になるとするならば、どのような強話点、あるいはどのような基盤の上で生きたいと思いますか。もし、あなた方の強調点と基盤が明確でなかったら、あなた方の方向は不安定であり、あなた方のコースはぐらぐらしたり邪魔されたりするかもしれません。 宇宙の中心である神の愛 いったい、どのような強調があなた方に、より高い価値をみたらしてくれるのでしょうか。誰であっても、人生の最高の方法である言葉と行動の最高の一致が、愛を強調することによって始まることを否定することはできません。このことを結論として、またしばらく考えてみましょう。誰かが、「何かがおかしい。私は完全に同意できない。私は革命を起こしたい。私は愛を壊してそれをつくり直したい」と言うことができるでしょうか。それは可能でしょうか。あるいは、愛というものは、この世で最も悪い人間がそれを革命することを考えることもできないようなものでしょうか。 愛は普遍的なものです。世の中のあらゆるものが、そのまわりに一致します。もしお金を強調するならば、人生のある部分だけを支配できます。また、知識や権力を強調するならば、それも、ある部分を統一させたり支配したりできます。しかし、普遍的な成功をおさめることはできません。自分を賢いと主張するン々がひじょうに多くいますが、神が知恵の王者です。もし神と知恵者が共に、あることについて深く考えたとしたら、彼らは同じ結論に到達するでしょう。人々がいかなる永続的で普遍的な統一と平和を得ようとしても、それは愛を中心としたものでしかありえません。愛を強調してのみ、人間の生活様式に高貴さをもたらすことができるし、それを崇高なものにすることができるのです。 神、または愛は、天国の中心ですが、私たちはそれから引き裂かれています。私たちは、天の中心が、愛を備えた神であると言わざるをえません。白人であろうと黒人・黄色人種であろうと、私たちのうちの誰も、それに反論することはできません。私たちは誰であれ、神と普遍的な愛を求め、憧れています。故に、神と愛は、ともに宇宙の中心です。それでは、宇宙的な人間となるためには中心をどこに立てるべきでしょうか。それは、自分の中心を、神と神の愛でつくるべきです。あなた方は、神と神の愛を備えた中心を既にそこに持っており、自分自身をその中心に受け入れられるようにしています。あなた方は、その中心の中にはいりつつあります。 神は静止してはいません。神は呼吸し、神は行動します。神は宇宙の中心であるために、神が呼吸するときには全宇宙が神と共に呼吸します。神の影響を受けないものは何ひとつありません。あなた方は「私は神の呼吸や神の影響力とは関係がない」と言うことができません。そう言うことは、「私は、神のことばや真理や愛とは関係がない」と言うのと同じことです。全宇宙の中で、神のことばや神の愛と関係がないと主張できるものは、何ひとつないのです。神の行動は、全宇宙的範囲をカバーする波のようなものです。誰もがそれを感ずることができます。あなた方が、その中心と自分自身との関係を確立したならば、神のあらゆる呼吸、あらゆる行動、微笑み、そして囁きが、自分のものになります。あなた方はそれらを聞き、それらを感ずるでしょう。 神の愛の領域 ですから宇宙的な愛の中心的位置に立っている神が、そのような関係をもつことのできる人々を探しているというのも、また論理的なことです。神は相対的な関係をもつために、ひとつの対象を求めています。どんなものでも、ただひとつの方向だけに向かうことはできません。呼吸自身をみても、吸入することと吐き出すことがあります。ただ空気を吸い込むだけというのではありません。もしそうするならば、風船や泡立つ飲料水のように爆発してしまうでしょう。したがって、全宇宙において神は、吸入し吐き出しながら、誰かと一緒に呼吸したいと願っているのです。 あなた方の手の使い方は良いですか、悪いですか。あなた方はそれを、良くも悪くもすることができます。あなた方が誰かの顔を叩く時、それは愛を表わしませんが、あなたが誰かを愛撫する時には、それは愛を表わします。愛か憎しみかの表現を代表するタッチの度合いがあります。愛の中心である神は、神と適当な対象とが共に呼吸しあい、完全に酔いしれ、完全に天に引き上げられるような授受を持ち得るような関係を求めています。 もしあなた方が、神の愛のそのような領域に入ると、自動的に呼吸することさえ違ってきます。呼吸自身が、吸入と吐き出すことが、神の愛の陶酔の一部となるのです。ある意味であなた方は、神の愛の酔っぱらいになるのです。いったんそのような雰囲気の中に自分が完全に溺れてしまうならば、あなたがすることは、たとえ何も考えないでやったとしても、すべてが自動的に神の愛の表現になるのです。笑いと呼吸、微笑みと踊り、跳びまわること。あなたがすることにはどんなことでも、すでに跳びまわることにはどんなことでも、すでに神の愛が浸透しているのです。その気持ちはあまりにも尊いので、あなた方は、いったんそのような神の愛を体験すると、それを世界のどんなものとも交換したくありません。あなた方はいつも笑いたくなり、あなた方の口を閉めるのには千年間もかかるでしょう。あなた方の踊りは永遠に続くでしょう。そこには遅屈というものがありません。 もし、そのような喜びの領域、そのような愛の領域が可能であるとするならば、あなた方はそれに触れるための手を伸ばしたいと思いませんか。いったんあなた方が完全にその中に引き寄せられ、完全に神の中心的な愛とひとつになるならば、あなた方がこの世に出てきて話をするとき、すべての表現が神の表現になります。そのような一体の世界から語る人は、世界中に神の愛をばらまきます。その人が行動するとき、その人の行動は愛の表現であり、それは神の愛の波を世界にもたらすのです。これらのことについて聞くだけでも、あなた方の徴笑みはだんだんひろくなっていきます。その世界は、絶対的に可能です。そのような生活様式は、絶対に可能です。 もし、そのような神の愛を知らず、また経験することも、それと一つになることもないならば、あなた方の言葉や行動はむずなしいものです。たとえあなた方がここに立って、「神の愛がこの世にきた」と宣言したとしても、まだこの世的な喜びや笑いにしがみついているならば、あなた方の言葉はなんの基盤も持っていません。それらの背後には、何ひとつ確固としたものがありません。 あなた方が神のおられる中心点から話すとき、その言葉はもはやあなた方から出ているのではなく、無限の貯蔵庫から出てきているのです。そのような特別の位置において、あなた方は恍惚の喜びで、また、完成という引き上げられた感覚で生活し、行動し、話しをするのです。あなた方がなすことは、どんなことでも、あなた方自身の行動やあなた方自身の言葉といったものがありません。すべてが神の愛の伝達者、あるいはかけ橋となります。いったんあなた方が神の愛を味わおうと、人間生活や人間関係はすべて喜びであり、刺激となります。呼吸で、吸収することと吐き出すことは共に意味があり、喜びの刺激を増大させます。そのようにいったんあなた方が神の愛の圏内に入ると、あなた方はそれだけ多くの変化に富んだ経験を得、それだけ多くの興奮を感じるのです。ダンスに変化と運動があれば、それだけ大きな興奮と喜びがつくりだされます。ダンスで動く腕ではなく、あなた方が表現せずにはいられない、ある感覚の表現なのです。このようなダイナミックで理想的な生活が、私たちの成就しなければならないものです。 生命の源による愛の生活 ここで私たちの考えを、しばらく宗教に集中してみましょう。宗教は、人間生活の中で神を探し求める一つの方法です。しかし実際、神が究極の目標でしょうか。そうではありません。私たちは、神の愛の圏内に入ろうとし、神の愛に陶酔したり、浸ろうとしています。それが宗教の目的です。それはスリルがあり、しかも悲しいことには、もし人間の堕落がなかったならば、私たちは宗教を必要としなかったであろうということです。本来ならば、私たちは中心的位置にあって生まれ、その中で成長し、永遠に天国で楽しむ生活をしていたことでしょう。 愛や人生には、説明を要せず、また学校で学ぶ必要もなくい多くの面があります。たとえば、あなた方は親と子の間の愛の理論を学ぶ必要がありますか。それは自然であり、それは自動的にあなたの一部となります。愛は空気のようなものです。一日二十四時間呼吸をするのに、どこに空気があるかを説明する必要はありません。人間は生まれながらにして、神の愛を呼吸するようになっていました。もし、あなた方が、呼吸する空気を得るためにどこかに行かなければならないとしたら、あなた方はすぐに困難に陥るでしょう。なぜなら、空気を求めて待つ、長い列ができるでしょうか。しかし空気はどこにでもあり、神の愛もまたどこにでもあります。もし私たちが堕落していなかったならば、それが私たちの環境になっていました。私たちは生まれながらにして神の愛を感じるはずでしたが、人間の堕落によってもたらされた多くの妨害のために、私たちはそれができません。しかしながら、この堕落がいったん取り去られれば、神の愛はあなたにとって自然なものとなります。私たち個人の中心は神の中心に置かれるべきであり、そのような共通の中心があるべきです。 根本的な話し方をすると、人々はなぜ生まれるのでしょうか。あなた方は力やお金や知識を完成させるためではなく、愛の完成のために生まれています。あなた方は愛のために、また、愛から生まれています。神は、愛をそのように偉大なものとしてつくったので、それが生命の源です。私たちは愛の結果であり、生命の結果ではありません。私たちは皆、私たちの両親同士の競争によってではなく、愛と美の中で生まれました。それが人間すべての生命の原因です。どんな誕生も、母親と父親が座ってお金を数えた結果ではありません。誰であっても、もっとも重要な科学的理論を論じた結果、生まれたのではありません。 愛から生命が現われ、あなた方が現われました。私たちは愛によって生まれ、私たちの目的も愛によって結果を生むことです。主体と対象の愛の一体は化は、生命を新しく発生させます。ですから子供がいない夫婦は、なんとなく不安定です。夫と妻が一つになっているとしても、子供がいなくては、彼らが一つであることを鮮やかに示すことのできる共通の業績がありません。たとえ夫と妻の間に多少の喧嘩があったとしても、彼らが自分たちの子供を見るとき、彼らの不和はたいてい解決されます。神が男性と女性を一緒に置かれたとき、彼らが家庭をつくりだすことが神の理想でした。神は、彼らの子供をみようとされました。 すべての人間の行動と私たちの愛の生活は、常に神の愛の中に沈められます。神の愛の雰囲気は、あらゆる生命を包含します。愛の約束は、この宇宙の最高の力です。アダムとエバが一つになるとき、その出来事は、実際、宇宙で最も重要な出来事です。神とすべての被造物とアダムとエバは、彼らのすべての注意力をそれに集中するでしょう。 永遠なる愛の天国 神は過去を代表し、アダムとエバは現在を代表し、彼らの子女は未来を代表します。過去と現在と未来は、すべて神の愛の包含する雰囲気の中で一体となります。あなた個人的位置は、過去と現在と未来の合成です。神があなたの創造に参加したので、過去があなたによって代表されます。そしてそこにはあなたの両親が関係しているので、現在がそこにあり、あなた自身は未来を代表します。愛を通して、一つの統一された位置がつくりだされ、彼らはその子に触って抱きしめたいのです。ここには不思議な力、つまり神の愛が働いています。その子供は親の愛の現われであるので、子供はその両親の愛に参加します。従らは皆、一つです。もちろん神の愛が環境をつくりだしたので、神もその位置に参加します。いったんあなた方全員が愛で一つになると、世の中のどんなものも、あなた方を別れさせることはできません。それが理想です。 いったん愛が神の愛の環境の中で花開くと、誰もがそこに永遠にとどまりたいと思います。誰もがそれを永遠のものにしたいと思います。あなた方は神が、「さて、もうしばらくしてそれを変えよう」と言うと思いますか。理想に対する神の考えによると、愛の関係は、永遠の基準で確立されています。だからこそ神は、男性と女性が愛しあうのを見、その愛が永遠に存続するのをみたいのを願われるのです。あなた方は、自分の両親の愛を永遠に続かせたいと思いますか。あなた方は、彼らがあなた方を十年間愛して、それからあなた方から離れるのを願いますか。それでもかまいませんか。私たちは、たとえそれが夫婦、親子、あるいは神と人間の愛であろうと、皆それが永遠であることをせつに願っています。 あなた方は、あなた方の両親の愛の代表であり、彼らの愛の実です。さらにあなた方は、神の愛の生きた見本です。神は暖かい愛のある所に住みます。それが天国です。この地上にいようと霊界にいようと、この一つの原則は変わりません。つまり天国の本質は、神の愛です。愛の繰り返しが歴史をつくる公式です。代々織りなされた真の愛の歴史があるのです。 統一原理において、私たちは天的四位基台に関心をもっています。四位基台は神を中心とした人間愛の、種々の面を表わしています。故に、いったん私たちがその天的四位基台をつくると、何ものもそれを粉砕することができません。 それでは天国はどこにあるのでしょうか。太平洋のかなたですか。いいえ、天国はあなた方のただ中、妻の心、夫の心、子供たちの心、祖父母の心の中にあります。天国はディズニーランドのようなものではありません。あなた方のいる所が神の住まわれる場所であり、あなた方の両親の住むところです。天国は、あなた方のただ中にあるのです。あらゆる愛は、あなた方のいる、正にそこに存在しています。いったん堕落の結果が一掃されると、あなた方はもはや、天国を追求する必要はなくなるでしょう。あなた方は天国で生まれ、そこで育ち、天国で完成し、極みに達するのです。 神と親の代表である「私」 「私」と言うことは、責任あることを意味しています。あなた方は「私は何も気にしない」と言うことができません。なぜなら「私」は親の代表であり神の愛の代表であるので、彼らが心配しているからです。あなた方の事情は単純ではありません。あなた方の事情は、ひじょうに天的な重荷です。今日の最も重要な新しい思想は、「私」を中心としています。多くの人々は、「私はどうなってもかまわない」とか、「どうしてあなたは私のことを心配するのか。私はあなたを必要としない。私は自分の好きなことはなんでもできる」と言います。そのような類いの「私」は、真実のものではありません。あなた方が理想に対する神の概念を理解するならば、あなた方はひじょうに責任のある「私」となります。 あなた方が「私」と言うとき、あなた方の親が自動的に関係し、神も関係します。あなた方の過去と現在と未来が「私」に関係します。そこで私たちは三つの誇りをもたなければなりません。第一に歴史、つまり私たちの過去における誇り。第二に、私たちの現在における誇り。そして最後に、私たちの未来における誇りです。 アメリカでは、特に骨董品に凝っている人々がいます。アメリカは僅か二百歳の若さであり、そんなに古くはないのですが、アメリカ人はそれでも過去について郷愁をもちます。彼らは骨董品を作りだそうとさえしています。彼らは、家を建てたり家具を造るための真新しい材木を使う場合、それを古く見せるように努力したりします。それをハンマーでへこませたり、ムラのあるペイントを使って、それをまいて染みをつくったりします。彼らはあちこちに穴をつくることさえして、それを百年もたったように見せるのです。 人々はどうして、そんな気違いじみたことをするのでしょうか。人々は歴史に自分自身を登録させたいのです。彼らは、より長く残りたいのです。骨董品は歴史からきているために、その価値が高いのです。もしあなた方が、自分の祖父の祖父の使った物を持っていた場合、あなた方は歴史に何かの個人的なつながりをもつことになります。どんなお金ででも、そのような価値を買うことはできません。この犠牲は、私たちの本性の願望を反映しています。 もしあなた方が自分を傷つけるならば、それは自分だけを傷つけているのではなく、両親の愛の実を傷つけているのであり、神の愛の現われを傷つけているのです。自分の子供が大きな苦痛を感じます。もし、あなた方が大きな喜びを感じるものをもっていれば、あなた方の親も、また神も、一緒に大きな喜びを得ることができます。そのように、あなた方の感情は、平行しているのです。 歴史の所産であるあなた方 アメリカでは、若い人々は自分の親について、あまり知りません。彼らは、「私の親は、私に生命を与えた。だから、それで彼らの任務は終わった。私は独立している。私は彼らとなんの関係もない」と言います。このことは、アメリカの文化が家族生活の美しさを失い、動物の国に近づきつつあることを示しています。このような考え方は神の宇宙的な原理に反しており、水素爆弾よりも危険です。アメリカの会社、特にアメリカの家族制度をみるとき、神はアメリカにあまり大きな希望をもっていません。アメリカは神の真理に至る最も大切な幹が失われているために、未来は暗く、不安定です。 女性の皆さんが鏡を見て、自分の最高の顔だちは自分の目だ、と確信したとしましょう。するとあなた方は、自分の目を愛し、「私は世界で最も美しい二つの輝く目をもっている」と言うでしょうが、その時あなたあなた方は、左の目を「自分の母の目」、右の目を「自分の父の目」と呼ぶべきです。そのようにあなた方は、自分の一部を、あなた方の「おかあさんのもの、おとうさんのもの」と言うようにしてください。自分を、自分の親の表現としてみつめることは、すばらしいことです。誰でもが自分自身が好きですが、あなた方はそれを自分のために好きになってはいけません。それをあなた方の親のためと神のために好きになりましょう。それが美です。するとあなた方は、あなた方の親を愛し、あなた方自身のおとうさんとおかあさんと神を、自分を愛し自分を好むのと同じぐらいに好むでしょう。 このような生活には、なんの利己主義もありません。たとえ自分を愛したとしても、それは利己的な愛ではありません。子供が学校で何か嬉しいことがあるとき、その親もひじょうに嬉しがります。そういった瞬間にあなた方は、「ああ、神様も嬉しいに違いない」と思ったことがありますか。あなた方が微笑んでいるとき、あなた方は「ああ、神様も微笑んでいらっしゃるに違いない」と考えますか。あなた方が誠に有頂天になって踊りまわっているときも、これはあなた方の喜びだけではないことを覚えておいてください。これはあなた方の親の喜びであるし、また、神の喜びででもあるのです。神は上の方で踊っているに違いありません。全宇宙も、あなた方のまわりで踊っていることでしょう。あなた方の喜びは宇宙全体にこだまし、波のように拡がるでしょう。 このことは、自然にもみられることです。春が到来すると、ベルベディアは大変美しい所となり、多くの小鳥たちが早朝さえずります。しかし彼らは、「チープ、チープ」、「チャープ、チャープ」、「トウィート、トウィート」と、皆違うようにさえずります。彼らはまもなく、ニューホープシンガーズ・インターナショナルとなるでしょう。 あなた方が喜びを表現するとき、それは別な人によって美しい生命のこだまとなり、全宇宙に波となって拡がるでしょう。その生命のこだま、歌や踊りのこだまは、自分のためだけのものではありません。あなた方が完全に、自分は親と神の代表であることに目覚めているならば、神があなた方の中に住んでおられるので、あなた方は神と親のために歌い踊っていることを感じるでしょう。そのようなとき、神が出て来て、「おい、黙れ。どうしてこんなに朝早く、おまえは私を起こすのか」と言うでしょうか。あなた方の親も「叫ぶのをやめなさい。来て食べなさい」と言うでしょうか。 あなた方は貴重な存在ですから、自分を賞賛していいのです。しかしそれは、自分のエゴや自分の権力を拡大するためではありません。あなた方は歴史の所産です。あなた方は、数千年の歴史と伝統の体化物です。神は、これらすべての業績の背後で働いてこられました。神があなた方の中に、神の住まいをつくったということを知ることは、すばらしい悟りです。その生活はすばらしく、理想的です。そして、その中心に立つ人は、人生のテストを通過してきたので、神の承諾を得ています。しかしひじょうに多くの場合、私たちはこういう人生のコースに失敗します。 神の息子・娘として あなた方はどこで生まれましたか。あなた方はどこから来ましたか。あなた方は、親の愛と神の愛から生まれましたね。それを忘れてはいけません。神の干渉があなた方の誕生に大きな役割を果たしており、あなた方はあなた方の親の愛の結果なのです。したがって、男性の世界はあなた方の父親の世界の拡張であり、女性の世界はあなた方の母親の世界の拡張なのです。あなた方が親をもつとき、あなた方は全宇宙を所有するのです。彼らは二人一緒になって男性の全世界と女性の全世界を代表し、二人一緒にあなた方の中に現われれました。ですからあなた方は宇宙の縮少体であり、中心です。あなた方が中心になっているので、あなた方の行動が正しければ、あなた方の行動はあなた方に大変な喜びをもたらし、あなた方の父母はあなた方の喜びを分かち合い、他の世界は彼らを通して、 孝行は宇宙において承認されていますから、誰であっても、親に忠実な孝行息子・娘を尊敬します。その心によって、あなた方は自分の両親が他の世界と関係するための触媒点、または中心点となります。あなた方の両親は、あなた方の誕生以来ずうっとあなた方のそばにおり、神も常に関与しています。これらの同じ天的四位基台は、社会、国家、世界へと繁殖するでしょう。それが、理想的な生活がこの地上で天国へと拡大していくことのできる方法です。 天的四位基台は、世界的および宇宙的スケールで人間生活のすべての愛情関係を代表しており、そしてまた、究極的にはこの地上での神の国を代表しています。それはあなた方も中心として小さな規模で始まり、あなた方の家庭、社会、国家、世界へと拡大します。ここで最も重要な要素が、あなた方の正す愛の質です。あなた方が第分の両親に対して利他的な愛を示すとき、あなた方は孝行息子となるでしょうし、あなた方が国家に対して利他的なな最も美しい愛を示すとき、あなた方は愛国者とみなされるでしょう。そしてまたあなた方が、この美しい愛を人類に対して示すとき、あなた方は聖人なる人と呼ばれることでしょう。 これらの愛の質は、同じ中心から出発しているので、同じものです。それらは別々の中心点をもっているのではありません。愛の中心的位置を所有する人々は、本当に神の息子・娘と呼ばれるのでしょう。国家的観点からみて、彼らは神の国で最も愛国的な人々であり、神の宇宙的観点からみると、彼らは最も聖人なる人々です。しかし彼らは、いつも神の息子・娘として出発します。 神の真理のすべての教えは、すべての人類が、たとえ堕落した世界においてさえも、神の息子・娘になりたいと願っているという、ひとつの単純な文章に要約することができます。私たちは、堕落した世界が、堕落した人類始祖から生じたことを知っています。堕落した世界を復帰するにに、誰かが宇宙に新しい共通の中心、つまり神の中心をもたらさねばなりません。故に、新しい、神を中心とした親が必要であり、真の父母という概念が生まれました。 聖書全体の教えは、「堕落した世界は、サタンによって偽りの親を通して生まれました。ゆえに神は人類歴史の新しい始点、つまり真の父母をたてる」という、ひとつの単純な真理を指し示しています。そのように、私たちは真のオリーブの木に接ぎ木されなければなりません。サタン世界を代表する野生のオリーブの木であったものから離れて、私たちは新しい生活と新しい歴史を始めるでしょう。その空極の目的はなんでしょうか。それは神の子女となることです。 けさの話題に戻りましょう。言葉はそれ自身のために存在するのではなく、行動もそれ自身のために起こるものでもありません。言葉と行動は、ある目的の役に立たなければなりません。話したり行動したりすることのできる資格はなんでしょう。あなた方は神の息子・娘として語らなければなりませんし、神の息子・娘としての資格をもつために、あなた方はどうあるべきでしょうか。あなた方は、自分が真の父母の、立場・労働・愛、さらに神の愛の現われであることを悟らなければなりません。そのように悟れば、あなた方は既に天国四位基台を成就したことになります。神は確実にあなた方とともにあり、真の父母も確実にあなた方とともにあります。彼らと一体となることによって、あなた方は四位基台を代表し、天地において神の息子・娘と宣言されることができるのです。 あなた方の心から、誰もその考えを取り去ることはできません。もし人々が、あなた方を打ちのめして投獄したとしても、彼らはあなた方の心から、あなた方が天の父と真の父母と一つであり、天的四位基台の代表であるという悟りを、取り去ることはできません。あなた方は、自分がどこで終わるだろうかと必配する必要もありません。もし、誰かがあなた方を地獄の土牢の中に突き落としたとしても、あなた方はいつまでもそのにいることはないでしょう。あなた方はスプリングボードに乗っているかのように、天国の最高の位置にまで飛びあがることでしょう。私たちの救いは保証されています。あなた方は心情的な男性・女性となって、これらのことを単に論理だけによって理解するのでははく、感覚と感情によって理解できるようにならなければなりません。 これらの感覚があなた方の骨に深く食い込んで、無意識的にでもそれらが常にあなた方の生活の一部となり、何ものもそれを変えることができないようにならはくてはなりません。 神の愛に根ざす建設の言葉 個人的にあなた方は、過去と現在と未来に関係しています。あなた方のおとうさんはすべての男性の世界を代表しているために、あなた方はそこに連結点をもちます。また、あなた方のおかあさんはあなた方に代表されているので、あなた方はあらゆる女性を愛することができます。さらにあなた方は、神の未来とあなた方の両親の未来を代表しているので、未来を愛することができます。 あなた方は、あらゆる方向からの普遍的な愛の現われです。空極的に私たちは皆、神の御座に行くことになっていますが、独りで行くのではありません。あなた方は真の父母と共に行くのです。そうすると、神は手を広げて、あなた方を迎えてくださるでしょう。あなた方が真の父母と共に神の御座に近づくということは、実際、あなた方が全宇宙と共に来ているということです。真の父はすべての男性世界を代表し、真の母はすべての女性世界を代表しますから、父母と一緒になって近づくということは宇宙的な存在として近づくということになるのです。したがって、あなた方は独りぼっちなのではありません。あなた方が彼らと一緒であるならば、あなた方は全世界と共に行くのです。もしあなた方が、父母と共に神の御座に向かいつつあるならばあなた方を拒むことができないでしょう。 それであなた方は、自分を包み、共に神の御座に行けるように、父と母をどのようにして自分のものにすることができるのでしょうか。それは、あなた方は自分を父の心情に受け入れられるようにすることによって、また、自分を母の心情に受け入れられるようにすることによって、彼らを自分のものとすることができるのです。単純な言い方をすれば、あなた方は敬虔な息子・娘にならなければ、必ずあなた方は、神の心をも動かすことができるでしょう。 これは永遠の公式です。理想強な人間、あるいは神の目からみて完成した人間とは、自分の父親を愛するようにすべての男性を愛し、自分の母親を愛するようにすべての女性を愛し、神が全人類を愛するようにすべての人類を愛する人です。別な言葉で言えば、この人は神の観点から世界を見おろすことができます。その人は真に完成した人間であり、神のどんなテストでも通過することができるのです。 その人は、天にある神の国へのフリーパスをもっています。たとえ神が特大のベッドで寝ていようとも、寝床にもぐり込んで神の邪魔をすることができ、それでも神はその人を受け入れられるのです。自分の言葉と行動を一つにさせるならば、あなた方は自分を完成させることができ、自動的に調和をもって生き、話し、行動することができるようになります。そのような人間は完成されており、それ以上、先のゴールはありません。 言葉というものは強力なものであり、それは世界を建設することも破壊することもできます。そうでしょう。あなた方の心が神の愛の中で確立されているならば、あなた方の話すどんな言葉も愛の表現となります。その言葉はひじょうに荒々しかったり、不親切に聞こえるかもしれませんが、それは神の愛から来ているため、それは常に建設し、破壊することはありません。言葉はまた、審判者でもあります。もし私が、ある明確な規準について語った場合、それらの言葉は審判所となります。もし、幸福そうな人が耳を傾けているとしたなら、その人は直ちに、ひじょうに深刻になるかもしれません。たぶんその人は私のもとに来て、「私はこういうことをしました。私をお許しいただけますか」と言うでしょう。すると単純な許しの言葉によって、すぐにその人の士気をあげることができるでしょう。 愛は大変強力であるため、あなた方が天的な愛に基づいているならば、あなた方の言葉も強力なものとなります。その言葉が愛に根ざしている限り、それは建設するだけで破壊することはありません。あなた方が本心から行動するとき、あなた方の行動は、宇宙から何かを取り去るのではなく、全宇宙を一層調和させることでしょう。 統一教会の香り 統一教会とは、どのよきな所でしょうか。統一教会の香りはどのようなものでしょうか。あなた方が魚市場に行くと魚の臭いがし、養豚場に行くと豚の臭いがしますね。それでは統一教会は、どうな匂いでしょうか。統一教会は、今朝あなた方が聞いたように、具体的な論理と哲学と確信をもっています。あなた方は神の息子・娘として語り、世界に出て行き、自分を神の代表として現わしています。ここに私たちは破壊的な力ではなく、建設的な力、宇宙を清掃する力として共に集っています。私たちは神の息子・娘という立場で、神の国の匂いと香りをもって、ここに集っています。もしあなた方が、その熱心さと悟りをもって行動しようと出て行くならば、あなた方はすばらしい結果をもたらすことができるでしょう。しかし、もしその基盤がぐらぐらしているならば、あなた方は何も建設できないでしょう。 実際は、あたた方の言葉もあなた方の行動も重要ではなく、あなた方のなんたるかが重要なのです。もしあなた方が、神の息子・娘として絶対的な確信と自覚をもっているならば、あなた方はしたい放題に出て行動することができ、あなた方がすることはすべて、神の神の愛の現われるとなることでしょう。単純に話せば、あなた方は自分のためではなく、あなた方の両親、真の父母、そして究極の親である神のために生きているのです。あなた方の本当の親は、全人類を包む神です。だからあなた方も人類は、全人類を包む神です。だからあなた方も人類のために生きなければならないのです。 私たちが世界の人類について話すとき、実際、私たちは兄弟姉妹について語っているのです。白人と黒人は一緒になって、最も胸がうち奮えるような美をつくります。たぜならその時私たちは、お互いの間で一層刺激を感ずるからです。白人が黒人を愛し、黒人が白人を愛する時は、自分が白人を愛し、黒人が黒人を愛するだけよりも、ずっと美しいのです。あなた方の言葉と行動が、あなた方自身の兄弟姉妹に対する愛の言葉であるならば、どんな方向に動いても、決してあなた方は妨げられることがありません。 あなた方がすることは、すべて神の愛という内奥の性質の表現であるため、あなた方は二十四時間話し続けることもできます。もし誰も聞こうとしないならば、床が聞き、空気が聞くでしょう。あらゆる自然が耳を傾けるでしょう。そのように、あなた方がすることはどんなことにも被造物が応えるでしょう。そのような世界が私たちの永遠の世界です。霊界はすでにその原理について生きています。私たちの究極の目的地は天国です。この地上において、私たちは自己を鍛練し、天国で拡大される私たちの人格をつくりだす機会をもっています。あなた方が神の愛の体現者となったとき、人々はあなた方がすることはどんなことでも受け入れ愛するでしょう。 愛の力で溶かされる心 ではしばらく、親の立場について考えてみてください。あなた方の親はどのように感じるでしょうか。彼らは、あなた方が自分たちを愛する以上にあなた方の兄弟姉妹を愛してほしいと願っています。なぜなら彼らは神を代表しているので、神がそほように感じておられるからです。親の心と神の益は共通なものがあります。この宇宙で最も偉大なものは親の愛です。この愛は最も清らかです。なぜならそれは絶対的に利他的であるからです。真の父は、多くの利益が自分に対してよりも自分の妻にくることを願います。彼は、自分の妻が名誉を受けて賞賛されたり、すばらしい贈り物をもらうとき、自分がそうされるときよりも、常に大きな喜びを感じるものなのです。 親の愛に近い愛は、どんなものでも高貴で聖なるものであり、愛が利他的であればあるほど、それは親の愛にそれだけ近いのです。宇宙全体は、その究極的な最高の形の愛に向かっています。なぜならそれが、正に神の愛だからです。神は完全に、神の子女のために存在します。愛の世界では誰でも、自分を最高位に引きあげようとする者は最も悪い点数をもらいます。愛の世界では、その基準は通用しないのです。 愛の世界では、犠牲が最高の価値です。神の心情に近い宗教は、いずれも犠牲的な献身的な精神を示しています。どんな親も、自分の子供にどれだけの愛を与えようかと計算したり、「私はあなたの大学の授業料を払うから、あなたは将来、私に大きな家を買わなければなりません」と言う親はおりません。むしろ、彼らはためらわずに与え、彼らの息子、あるいは娘が成長し、国家や世界のために、あるいは人類のために何か重要なことを成し遂げることに喜びを感じます。それは正に、神の気持ちと考えを反映していてしいます。 この道を侵す者は誰でも、神の世界では最も小さい者となり、それを強調する者は誰でも巨人となります。真の親はあなた方に、犠牲的な人間となるように教えるのでしょう。親は自分のことを忘れて他人のために犠牲になることを強調します。彼らは、「出かけて私があなたを愛したように世界を愛したように世界を愛しなさい」と言うでしょう。そのような人たちこそ真の親です。 この基準から統一教会を調べてみましょう。私たちは正しい軌道にいるでしょうか。それとも間違った軌道にいるでしょうか。私はあなた方に、きょう、そして毎日、二十四時間私を愛さねばならないと教えていますか。それとも私はあなた方に、まずあなたは出て行き、神と人類に仕えるために犠牲的に自分を捧げるべきであると教えているでしょうか。私たちがその原則に従って生活するとき、私たちは滅ぶように運命づけられているでしょうか。それとも成功するよう運命づけられているでしょうか。実際、これは天的征服の秘訣なのです。天国征服は、愛によって、愛の力で人々の心を溶かすことによって成し遂げられます。あなた方の親、人類、国家、神までも、彼らすべての心は愛の力によって溶かされるのです。あなた方は、神を征服し、あなた方に対して神が手も足も出ないようにすることができます。この愛が囁くだけで、ただ存在するだけで、神はそそにいたいと思うのです。ただ、あなた方は神に来るようお願いしてください。そうすれば、神はそこへダッシュして来るでしょう。この点において、あなた方はすでに、私を指揮しています。 奇蹟を起こす私たち このような観点からみるとき、使命が難しければ難しいほど良いのです。なぜなら、それは自分を試練し、神の目からみて私たちがどれ位の価値があるかを証明する、より良い機会を与えるものだからです。英雄は、緊急時や危機の時にだけ生まれてきます。一番の逆境の下で、私たちは自分が犠牲的であり、真に利他的であることを証明しできます。その精神を示すために私たちがこの地上に生きているのは、ある限られた期間だけです。永遠と比べれば、この地上での私たちの生活は閃光のようです。 私たちが肉体をもってこの地上にいる期間は、私たちの愛と私たちの霊とを完成させるための機会です。私たちは、私たちの中にある神の愛を示すために、肉体を必要とします。それが、私たちの肉体が重要だある理由です。そこには問題の世の中がありますが、それは良いことです。これは、原理を応用し、それを生活化するための機会です。これは行動が入り込む所です。 私は様々な問題を起こして世界的に有名になりましたが、それは良い意味においてです。私は毒を放出しているのではありません。むしろ、すでに多くの毒があるので、私がそれを中和することによって問題になっているのです。私は、サタンが六千年間撒き散らしてきた毒を中和する力をもってやって来た、最初の人間であると思います。こうすることによって、かえって私は問題を起こしているのです。外部の人々は、私が最悪の悪鬼だと考えているかもしれません。彼らには、そう考えさせておきましょう。しかし後で、彼らに私をみさせましょう。すると彼らは、私が初めの理解とはまったく違ったものであることを悟るでしょう。何かを復帰するには、通常、道路でUターンするように、一つの完全なサイクルをつくり、戻らなければなりません。しかし復帰をやめるために私たちは問題を起こして、その代わりに跳びまわってきました。私は、ずっと迂回して、行く時間を費やす余裕はないのです。 たとえ人々が私について否定的なイメージをもっめていても、それはかまいません。少なくとも彼らは、私を知っているからになるからです。すると彼らがしなければならないことは単純なひとっ飛びであり、私たちはそれを一夜にして起こすことができます。それは私たちが肉体をもっている間、この地上において可能なことなのです。いったんあなた方が肉体を脱ぎ、霊界にあげられると一インチの霊的進歩をなすために、あなた方は何百万年も必要となります。 私たちがここで霊と肉体とを一緒にもっている間は、私たちは奇蹟を起こすことができます。私たちの肉体は私たちの心を示すことができ、途方もない変化が起こり得るからです。しかしいったんあなた方が肉体を失い、霊だけになると、そのような機会はなくなります。そうなると、行動するためにあなた方は下りてきて、地上の誰かと一緒に働かなくてはなりません。現在、あなた方が自分自身の肉体でさえも、時々、自分の心にあまりよく反応しないとしたら、ましてや他人の肉体ではどうでしょうか。何事を成し遂げるにも大変ぎこちなく、はがゆいことでしょう。私たちが一度はっきりと神についての真理を知るなら、犠牲的な生活をすればするほど、私たち自身の業績のためには、それだけ良いことがわかるでしょう。 正しい動機と心を持った行動 心からの愛情なしに、兄弟姉妹にリップサービス(口先だけの好意)をしてはいけません。何かしようという深い動機がなければ、それをしてはいけません。誰かに感銘を与えるだけために何かをすることは、霊界では最悪の重荷となるでしょう。霊的法律は、真実味のない行動と言葉を復帰する手段を何も提供しません。単に統一教会のメンバーであるということだけが、天国にはいる保証とはなりません。それは、あなた方がどれだけ真理に生きているか次第です。どのようにしたら神の息子・娘になれるかをあなた方が知った今、あと残されたことは、正しい言葉を語り、正しい行動をするということだけです。 心から話し行動することは、ひじょうに大切です。そのようにすれば、あなた方がどこへ行こうと、あなた方は準備する必要さえありません。あなた方の言葉は準備され、行動も準備されています。あなた方が正しい動機と正しい心をもって出かけるとき、あなた方の行動は自動的に出るでしょう。あなた方が何をしようと、それが伝道であろうと、あなた方にはひとつの中心的なゴールがあります。それは、あなた方が神の敬虔な息子・娘になるために、それをするということです。あなた方は神の国で、真の愛国者になりたいと願っています。あなた方は神の目からみて、聖人や聖なる人になりたいと願っています。それは一つの中心的共通の原理によって、それらすべてを威厳をもって成し遂げることができるのです。 私は誇りをもって、あなた方を前線へ送り出します。私たちは前線で苦労しますが、そこにはなんの恥もありません。なぜなら私たちの目的は、フォード自動車会社やIBMやどんな一流会社で働くよりも、はるかに偉大なことだからです。これ以上に高貴な心も、これ以上に崇高な仕事もありません。このように生活することによって、私たちの親に対して、私たちの社会、国家、人類、そして神に対して、私たちの愛はより強くなり、また、神の目からみた私たちの霊的成熟度と業績も膨大なものとなるでしょう。私たちの動機は正しいのですから、なぜ私たちは恥じる必要があるでしょうか。 私たちはとんとん拍子に繁栄するでしょう。なぜならこれは神の真理であり、それは従うべき唯一の道だからです。利他的な行為は成功するようになっています。なぜなら、万人の内的本性は、そのような業績にあこがれているからです。結局それは、世界を勝ち取る唯一の方法です。それが、私が常に生きたいと願ってきた道であり、私が常に生きてきた道です。 韓国と日本で、私は幾度も時計を見ることさえしませんでした。たとえ朝の三時、四時であろうと、私の話に誰かが耳を傾けている限り、私は時刻に気づかずに教え続けました。各国の指導者たちがイーストガーデンにやって来て私に報告するとき、彼らはいつも私の話しや聞くことに情熱的ですが、十二時から一時頃になると、私は彼らの心がわかってきます。「なぜ先生はこように話しを続けられるのですか。なぜ私たちに、ベッドに行って休みなさいと言わないのですか」。しかし私は彼らに、私はあなた方の親として、いつも私の心の中心ひじょうな興奮を感じるので、どうしてもしをやめたくない、とは決して言いません。神もまた私と共に常に目を覚まし、情熱的で、神の子供たちがするあらゆる小さなことにも注意を払っていらっしゃるのです。 これは、私のあなた方に対する忠告です。あなた方の心が沈んでいるときは話してはいけません。また、あなた方の心が本当に感動していないときは行動してはいけません。私たちはこの世の中で、言うべきことと行うべきことをひじょうに多くもっているので、いったん私たちがその価値を知ると、私たちは自分の仕事に誠心誠意をもって身を投じることができるのです。 神とさえ競争できるあなた方 なぜ私たちは伝道に行かなくてはならないのでしょうか。もしあなた方が、ニューヨークの街頭から一人の人を連れてきて神を理解させることができれば、彼の先祖全員も引きあげられます。地上での行為によって、多くの魂が霊界で助けられるでしょう。あなた方が神の真理を分け与えるとき、あなた方は神の愛の仲保者となります。あなた方を通じて、ひじょうに多くの人々が真理を知ります。あなた方は彼らの永遠の生命を生き返らせることができるのです。あなた方は、神の愛を彼らに振り掛ける愛の仲保者です。あなた方の立場は、霊的母や父のように、絶対的にすばらしいものです。 あなた方は伝道の影響を知りまえんが、もしかするとあなた方は英国の人々全体に影響を及ぼし得る人を伝道するかもしれません。あるいは伝道された人が、それをするだけの実力がある重要でお金持ちの別な人を伝道するかもしれません。あるいは伝道された人が、それをするだけの実力がお金持ちの別な人を伝道するかもしれません。するとその人は、あなたの霊の孫となるでしょう。一人の人に真理を理解させることを通して、あなた方はその人の国全体、及びその人の霊界全体に影響を及ぼすのです。あなた方は、自分のうちに世界を動かすことのできる力をもっているのです。もしあなた方が一人の人を動かすならば、たぶんその人は多くの国々、あるいは大陸を動かすことができるかもしれません。真理によってあなた方は、その一人の婦人や男性を動かすことができるわけです。 たとえ話をしましょう。カーター大統領のおかあさんはホワイトハウスに行くことができますが、彼女はそこに行くだけのどういう権利をもっているのでしょうか。実際、彼女はホワイトハウスに行けます。なぜならそれは、彼女が大統領のおかあさんだからです。それと同じように、もし、あなた方の霊の子がある国の指導者になった場合、霊の親としてあなたは彼らに会う権利があるでしょうか。本当に現実的にこれらのことは可能です。しかし、あなた方が霊界に対して影響を与えて見えない道は、なお一層、意義あることです。たとえあなた方の霊の子が国家の指導者にならなくても、心配しないでください。その人は、その人の先祖を通して、霊界で大変重要な立場をもっているかもしれません。 外部には、神のために偉大な指導者になり、この世界を変革できそうな有能な人々が多くいます。そのような人に真理を伝えることによって、その人がもっているすべてのものである、教育、経験、そしてお金は、神様のために使われるでしょう。外部の多くの人々は、私が彼らの子供を盗んだと言って、私を大変非難しています。もちろん私はそのようなことをしたことはありませんが、どうして彼らばそう感じるかは理解できます。彼らはあなた方に食物や衣類、教育を与えてくれました。しかし、突然あなた方は私の弟子となり、今は、彼らが理解できないことに仕え、専念しているので、この世的な言い方をすれば、それらの親たちは自分の子供が盗まれたと考えてしまうのです。 しかし、あなた方は最高の目標と業績を遂行するためにここに来ています。あなた方は、真なる価値というものは見えないものであることを知っていますが、あなた方の親は、あなた方自身が一番価値あるものだと感じているのです。それで彼らはあなた方に希望を託していましたが、それが突然、彼らの基準からすると気違いじみたことをあなた方が始めてしまったのです。あなた方は、本当に革命家です。あなた方は初め、それぞれ個人的な目標や私的な野心をもっていましたが、統一原理を聞いたとき、一週間以内にあなた方の心の中に重要な革命が起きました。それがあなた方の生活の方向をまったく変えてしまったのです。 私は、あなた方がそんなにも自分を徹底的に変えてしまったことを、誇りに思ってほしいと思います。と同時に私は、あなた方に神の真理の力を称えてほしいと思います。このことはつまり、あなた方が伝道に出かけて行くとき、あなた方も他人の中に同じ革命を起こしことができるということを意味しています。あなた方はそれを誇りに思っていますか。各個人は全世界を代表していますが、あなた方はすごいスピードで、より良く変わることができるのです。あなた方はそれを自分の目でみてください。そして、あなた方の業績を誇りに思ってもいいのです。 あなた方は、神とさえ競争することができます。神は六千年間、人間を変革しようと努力してこられましたが、あまり多くのことを成し遂げることはできませんでした。しかしあなた方は、一週間以内で、人を変えてしまうことができるのです。それは興奮できる仕事ではないでしょうか。どうしてあなた方が宣教をやめることができるでしょう。どうしてあなた方の足も休むことができるでしょう。興奮させることが起こっているのです。どうして私たちはそれをやめられるでしょうか。 神のために行動と言葉を投資せよ 考えてください。あなた方はこの地上にいる間に、一千年の生命を変革することができるのです。もしあなた方が、一千人の霊的子女をもったならば、あなた方は世界で最も裕福な親となるでしょう。そして実際、あなた方は自分の国を建設するでしょう。するとあなた方は、世界中の子供たちを訪問するのに三年以上もかかるでしょう。あなた方は、あなた方の霊の子にとって、最も重要な人となるでしょう。あぜならあなた方は、彼に、この世で最も貴重なもの、つまり神の息子・娘になる希望を与えたからです。その人は完全にあなた方に負債を負っています。彼はあなた方を追い払うどころか、むしろあなた方を歓迎するでしょう。 今から十年ないし二十年たったら、すばらしい旅行が始まるでしょう。その時は、あなた方に「世界中のあなたの霊の子を訪問しなさい」と言うでしょう。ある人は訪問する人々を多く持っているでしょうし、また別な人は、自分の子供たちがどこにいるかさえもわからないでしょう。訪問する人が誰もいなくて、独りぼっちでいることを考えてみてください。世界の至る所に自分の霊の子を訪問する人は無限の喜びをもつでしょうし、なんの収穫ももたない人は、なおポツンと立っていることでしょう。 教育によって知識を得ることはひじょうに大切ですが、それよりもさらに大切なことは子供をもつことです。あなた方は伝道に出ていって、二十四時間ぶっ通しで倦むことなく語りますか。あなた方が神の子になる時、あなた方の話す言葉は神の言葉です。ですから、あなた方の言葉とあなた方の行動を最大限に投資しなさい。あなた方の体を怠けさせてはいけません。なぜなら、これは神があなた方に与えた唯一の機会だからです。自分を浪費させてはなりません。 もし、あなた方が自分のためだけに語り、自分だけのために生きたならば、なんの栄光があるでしょうか。しかしもし、あなた方が自分の体と自分の言葉を神のために投資したなら、あなた話すあらゆる言葉は、目的と結果をもって弾丸のように飛びます。無駄な言葉を話してはいけません。不平を並べないことです。不平不満はあなた方のエネルギーを浪費する言葉です。 もし、あなた方が自分の体を自分自身のために用いたならば、あなた方の働きは残りません。しかしもし、あなた方が自分を、他人のために伝道したり、生産的な物事に捧げるならば、あなた方の行動は残るでしょう。きょう、今まであなた方がどれだけ多くの無駄な言葉を語ってきたか、またその逆に、どけだけ多くの言葉を神のために生産的に語ってきたか、あなた方は分析してみてください。 さあ、前線の活動に出かけてください。あなた方の使命がなんであれ、そのために出かけてください。でもそれは消極的にではなく、喜んでしてください。まず自分の動機を集めることです。動機がなければ消極的パターンに陥るでしょうし、それはあなた方を益としないでしょう。またあなた方も楽しくはないでしょう。あなた方の言葉と行動は、神の記憶に記録されなければなりません。私はあなた方に、神が記憶することのできるようなことをしてほしいと思います。ボランティアを喜んでする人、あふれる情熱をもって喜んで参加する人となってください。 私はあなた方を学ばせることはできません。学ぶのはあなた方自身です。あなた方は、自分の天国のために、資格を得なくてはなりません。すでに道は開かれており、あらゆるものがあなた方を待っていますが、あなた方がそれを利用しないかぎり、それはあなた方のものにはなりません。神の息子・娘として、そのような言葉と行動に専心しようとする人は、どうぞ手をあげてください。どうもありがとう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.21
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「食口に対する本年のメッセージ」1977年1月1日ニューヨーカービルで 僕の僕からの出発 きょう神の日を迎えるために歴史は、様々な復帰過程をたどってきました。僕の僕の時代、僕の時代、養子の時代、実子の時代、親の時代と。そしてその後、神の日が設立されたのです。 私たちは神の日の意味を知っていますが、多くの人々は知りません。あなた方も知っているようにキリスト教は、神の養子の宗教です。堕落した人間を神の養子にまで引き上げる宗教です。ユダヤ教は、僕の宗教の立場にありました。そして宗教を持たない人々は、一番下った僕の立場にいます。ですから統一教会がきょう神の日を祝っているということは、革命的事業であり、革命的業績です。 それは私たちが、非宗教の僕の僕の時代、僕の時代、養子の時代を成就して、いま真の父母を中心とした実子の時代を迎えた、ということなのです。 原理で知っているように人類は、成長過程の第二段階である長成期で堕落しました。そしてその堕落は、エバもアダムも一人で堕落したのではなく、一緒に堕落してしまったのです。彼らは、夫婦の位置を探しながら一緒に堕落したのです。ですから逆の過程をたどる復帰過程において、堕落は夫婦の関係を通して復帰されなければなりません。 統一教会の歴史は、ある意味で全歴史の反映であります。もしキリスト教が、統一教会を最初から受けいれていたならば、復帰摂理は、養子の土台の上に立って一段階上に進み、実子と父母の時代を迎えていたはずです。しかし現実は、キリスト教の反対と迫害のために、これらの土台が崩れ先生と統一教会は、最低の位置から出発しなければなりませんでした。最低の位置、つまり人間として一番下った僕の僕の立場からこの開拓の道が出発したのでした。 先生は、僕の僕から出発して神の日まで登りつめ勝利した開拓者です。さらに先生は、ただ単に一人で戦ってこられた、というだけではないのです。後からすべての人類がついてこれるように、または同じ業績に達することができるように橋を残しながら歩んでこられたのです。 一九六〇年までの先生の険しい開拓の道は、想像を絶するものがありました。一九六〇年後は、御成婚式によってしっかりした基台が敷かれ、それによって真の子女が出現できる完全な基台が成立したのです。 二人のアダムの一体化 もし、人類始祖アダムとエバが堕落しなかったなら、本来彼らは神の目から見て、夫婦となる前に一人の個人として完成された神の真の子女となるべきだったのです。それが堕落行為によって人類は、神の子女の立場を失ってしまったのです。 救い主の使命は、失われてしまったアダムとエバの位置を完全に復帰された位置に復帰することです。イエス・キリストの時代にイエス様がアダムの立場でこられたことは、皆さんは統一原理によってよく知っています。 彼は、罪を知らない完成されたアダムとして生まれました。一方完全なアダムを支えるために、復帰されたアダムがおりました。それが洗礼ヨハネです。 洗礼ヨハネは、堕落した人間の代表として復帰されたアダムの立場にいました。彼は、堕落人間の観点から、アダムの完成を求めていました。ではイエス・キリストとはどんな方でしょう。彼は何の罪も堕落も知らないアダムの立場にいました。彼は、まったく聖別されているのです。ですから二人のアダムは、一つになること、まったく一体化することになっていました。一人は完成されたアダムに、もう一人は復帰されたアダムです。 なぜ完成されたアダムのイエス様と復帰された洗礼ヨハネの一体化が必要だったのでしょうか。この一体化によってすべての堕落人間が、イエス様の恩寵によって救われる位置に立つことができるのです。ヨハネが堕落人間の代表として、イエス様とまったく一体化することによって、ヨハネは、人類がその橋を渡れば完成できるような橋を築くことができたのでした。 父としてのイエス様 イエス様は神の血統として、神の直系の後取りとしてこられました。洗礼ヨハネと人類は、堕落した天使長の血統としてきました。洗礼ヨハネや堕落人間は、どんな努力をしたとしても養子の立場に立つことはできません。イエス様は神に属し、他の人々はサタンの親に属していました。ですから、神の養子として、神の側に復帰されなければなりません。養子にしかなれない人類は、生命の木、真のオリーブの木としてこられたイエス様に接ぎ木され真の生命を受ける、という最終段階の過程におります。この過程を通して人類は、神の直系の子女となることができるのです。 もし堕落行為がなかったなら、堕落人間もいなかったでしょう。すべての男女は神に属していることができました。堕落の血統もなかったでしょう。すべての男子と女子は神の息子娘となったでしょう。堕落のために異なる人種と血統が生まれました。 あなた方は、二千年前にイエス様が完成されたアダム、完成された父親の立場でこられたことを知らなければなりません。他の人々は、洗礼ヨハネを門徒として彼と一体化することによって、その門徒を通過し神の息子、娘として復帰される道があったのです。いいかえれば、イエス様と洗礼ヨハネが一体体化することによって長成期を勝利し、さらに進んでその時代に完成期を全うすることができたのです。 霊的宗教としてのキリスト教 長成期に堕落したために、多くのものが失われました。人類はすべてを失ったのです。「神の日」も「父母の日」などというものもありません。創造物は、すべて失われサタンの手中にあります。 聖書には、十二弟子、七十二門徒、百二十人門徒などがいたと書かれてあります。イエス様の弟子は、二千年前に長成期を越えて完成に至るはずでした。ご存知のようにイエス様お一人では、真の父母となることはできません。父母として立つ為には、二人の個人が必要です。私たちが「親」という時、当然として二人の人間のことをいっているのです。 ですからイエス様が、個人として成長し完成したならば、彼は次のレベルに進んで真の父母として立たなければなりません。彼は、はっきりと聖書の中でそういっております。 しかしイエス様が御自身を新郎として新婦を迎える準備をして、親として完成しようと次の段階に進もうとした時、十字架がきたのです。 イエス様は、親になる機会を与えられませんでした。真の親がいないのですから、本当の子女もいません。万物の復帰もできません。「父母の日」「子女の日」「万物の日」もありません。イエス様は、天国に一人で独身のまま、ある意味では天使の立場で昇天されたのです。ですからキリスト教は、霊的救いの完教であって、肉的救いはできませんでした。 洗礼ヨハネは彼自身の使命を全うしませんでした。十字架は、おもに洗礼ヨハネの失敗の故に起りました。イエス様は、霊的救いのみを成しとげることができました。そして肉的救いの可能性は、すべて失われました。 それからキリスト教の歴史は、霊的養子の宗教となりました。それ故に、ある意味でキリスト教は、ユダヤ教にさえ劣った立場にいます。少なくともユダヤ教は、肉的にも霊的にも僕の立場にいますが、キリスト教は、養子としてさえも肉的救いの方式を持たないからです。 民と領土を失った神 キリスト教は、霊的な養子のレベルまでの救いを成してきましたので、領土を持っていません。国もありません。少なくともイエス様の時代と旧約時代には、国がありました。神が、「これは私の国、私の民、私の領土」と宣言できる国と領土を持っていました。しかしイエス様の十字架以後、神がそう宣言できる国はありませんでした。本来なら、すべてを神に復帰しなければならないのです。 キリスト教が根をおろした所で何が起ったでしょうか。キリスト教は、苦難に会ってきました。殺害され苦しみ無数の殉教者を出しました。二千年間の歴史において、あらゆる苦難が降りかかってきました。しかし今日のキリスト教は、自分の立場がまったくわからずにいます。彼らは、ただイエス・キリストを信じ、ある日キリストが天に現われ、キリスト教徒は中空に引き上げられ、至福千年が始まると思っているのです。今日、世界を救い神のもとに復帰しなければならないメシヤも二千年前同じく世界を復帰するためにこられたメシヤも、二千年前同じく世界を復帰するためにこられたメシヤも、肉体を持った人として私たちの中に現われなければなりません。これは原理的に明らかです。 二千年前にこられたイエス様と末の世にきたるメシヤが、同一人物でありえるはずがない、ということは皆さんご承知の通りです。それは、エデンの園にいたアダムとそれから四千年後にこられたイエス・キリストとが同一人物でありえないのと同じことです。アダムの失敗を復帰するために、別の人であるイエス様がアダムの位置できました。同じように再臨のメシヤも、別の人が第三のアダムとしてこられるのです。 第三アダムの資格 では第三アダムの資格はなんでしょうか。まず第一に、彼はエデンの園のアダムの失敗を復帰することができなければなりません。すなわち第一のアダムの失敗は、第三アダムによって復帰されるのです。また二千年前アダムとしてこられたイエス様の使命を完遂完成させなければなりません。 またその第三のアダムは、どこからくるのでしょうか。彼は、霊界の王座にきちんと立っており、人々はその人の話を聞くのでしょうか。彼は、そんな風に権威ぶってふるまうべきなのでしょうか。彼は、アダムが罪を犯した所に降りてこなければなりません。復帰の業がなされる所にこなければならないのです。 メシヤは決して、雲に乗って栄光と力とを持って空中に現われるのではありません。またいくらかの人々を選び、空中で千年王国を出発するのでもありません。皆さんは、再臨の主がそのような超自然的な方法では現われない、ということを知っています。イエス・キリストは、そのような超自然的な方法では再臨しません。なぜなら神のみ旨は、地上にあるからです。 地上における神のみ旨は、成就されておりません。二千年前にイエス様が果そうとした使命は、成し遂られませんでした。イエス様の使命は、地上にみ旨を成し遂げることです。メシヤの使命は、現実的なものですので彼は人間としてこなければならないのです。 彼は、一番みじめな国にきて、人間の一番みじめな状態から出発しなければなりません。僕の僕から僕の立場、現実的にまとめあげて一歩一歩天国を建設していくのです。 神が立てている宗教圏 神は、メシヤ再臨のための滑走路として、今日のキリスト教を形成しました。もしキリスト教が、再臨の主を受けいれるとするならば、一体何が起るでしょうか。霊的業績が、肉的業績によって裏打ちされるのです。 メシヤは、なんのためにこられるのでしょうか。けっしてそうではありません。この世界には、あらゆる宗教があります。すべての宗教は、神が立てているのです。それは、メシヤ再臨のその一日を準備しているのです。メシヤを受け入れ、メシヤに会うことがキリスト教とすべての宗教の目標です。 堕落人間は、いくら天国へ行きたいと願っても、最後の一ペニーでも負債を神に帰さなければ、行く道がありません。 無になれ 私たち統一教会は、時々トラブルのないよう暮そうと思うことがあります。静かにおとなしく歩もうとしている人もいます。しかしそれは役に立ちません。通常に歩むならば、勝利していない重要な所を残すことになります。そしてサタンは、いつもそこに巣を作っているのです。 私たちの体には、たくさんのホックがついていて、サタンはいろいろな方法でそれをひっかけようとしています。ですから私たちの行く道は、苦しくとも神経を細かく使って行く道です。 しかしあなた方は「いやです。そんな苦労してまで行きたくありません。」というでしょう。しかしどんなに時間がかかっても、その極地まで行かなければ、あなた方は完成しないのです。もし神の方法に近道があるとするならば、あなた方が「先生、もっといい方法があります。」といいにくるのを待たずとも、ずっと以前に見つけていることでしょう。 しかしそのような便利な近道は、どこにもありません。神が「無になれ。」とおっしゃるのは、どこかの隅になにもしないで静かにしている、という意味ではありません。完全に無になれ、ということです。 たとえばある兄弟が、大切な人と会わなければならないのに、ぼろぼろのみすぼらしい作業服しかないとします。さてどうすればよいでしょうか。あなたは、切羽詰った状態にいます。しかし神のために、その人に伝道し獲得しなければなりません。 センターに素適なジャケットがありました。それで許可も受けず、それを着て外に出ました。神のために自分を立派に見せなければならない、とばかり思っているので、潜在的にも自分自身のことは、浮かんできません。自分の使命だけを、そしていかにしてその人物を獲得できるかだけを考えているのです。 このような行動は、神の目から見るならば罪ではありません。その兄弟の心の持ち方は、素晴らしいのです。あとでジャケットの持ち主が、誰かが自分のジャケットを着て出て行かれたことを知りました。しかし彼が神の人であれば「素晴しい、君が必要な時は、いつでもジャケットを着て下さい。これは神のジャケットです。神は、善のためにそれを使うようにといっています。」というでしょう。もし彼がそういったならば、彼は素晴らしい兄弟です。 ですから大切なことは、あなたがどう考えるかであり、心の状態です。実際に役に立つのは、牧師とかいう称号ではありません。誰でもメシヤに従って生きなければなりません。もし「メシヤよ、少しお待ち下さい。私は、病院に世話をしなければならない赤ん坊がいます。」というならば、それは役に立ちません。 先生の一番嫌いなことの一つは、それは古いメンバーたちがきて、「この子は、私の息子です。あなたの祝福に加えて結婚させて下さい。」ということです。これは、神の方法ではありません。彼らは、自分の息子、娘のことだけを考えています。神のみ旨のために汗を流し血を流している他の人たちのことを考えなさい。祝福に価するのは、彼らです。「彼らを祝福してください。」と願うなら神は、喜こんで歓迎するでしょう。 メシヤは、栄光の主として輝く天の雲に乗っておいでになるのではありません。そのような華々しいお姿でいらっしゃるのではありません。彼は、人としてきます。人々が彼をメシヤと気がつかなくとも、誠意を持って受け入れられなくとも、今日のキリスト教の土台がありばよいのです。 メシヤは、人としてきます。ですからアメリカ人としてくるか、ドイツとしてくるかわかりません。また哲学博士としてか、労働者としてくるか、盲目か跛としてくるかわかりません。人々は、まったく見当がつかないのです。 神は全能です。しかし魔術の神ではありません。神は原理の神であり、論理の神です。再臨主がこられた時、キリスト教徒はメシヤを最初に迎える人々であるべきです。メシヤを迎え入れた後、彼らはどこに行くのでしょうか。栄光とともに天に昇るのではありません。 メシヤの仕事 彼らは、地上で仕事を始めなければなりません。彼らは、家を掃除するのです。罪で汚された地上を、アジャックス(アメリカの洗済)のように働かなければなりません。アダムの罪を洗い流し、イエス様の使命を引き継ぎ、地上に天国を実現しなければなりません。これがキリスト教徒の使命です。ですからメシヤが再臨した時、すべての人は、結婚前のアダムとエバの位置に帰らなければなりません。皆、最初から人生をやりなおさなければなりません。実際、メシヤがこられて親が定まるまでは、私たちは親のいない孤児のようなものです。 ですから結婚した人も、結婚前のアダムとエバの位置に帰らなければなりません。聖書には乳飲み子を持つ女は不幸である、とあります。 では誰が最初に結婚すべきでしょうか。それは、親が先に結婚すべきです。親としてのメシヤが先に結婚し、そのあと子供としての人々が聖なる結婚をできるのです。 真の人間革命 「生命を失なおうとする者は、それを見い出すであろう。」というのは聖書で教えていることです。神のために死のうと決意した者は、残ります。自分の生命を救おうとする者は、破滅するでしょう。もしメシヤが栄光のうちにこられるのでしたら、このような原則は成り立ちません。しかし実際に、このマタイ伝のイエス様の教えは、もっとも賢明な教えです。なぜでしょうか、考えてみて下さい。 私たちは、サタンの血統から出てきました。新しい生命として新生するためには、古い自分を殺さなければなりません。そのためには、真の人間革命が必要です。あなた方も同じです。その過程を通らなければなりません。ですからあなた方が、自分自身のことを思うならば、まだ古い自分が生きていることになります。 あなた方は、まったく自分を無にし、自分を除去しなければなりません。キリスト教の単純な真理が、統一教会の真理です。 メシヤのために生命を失なおうとする者はそれを見い出すであろう。彼は、生命を見い出すためにそれを失いつつあるのです。だからといって、台所に行って首を切れ、というのではありません。生命さえも献げる覚悟をしている、ということです。 自分を殺せとか自分を除去せよというのは、首を切ってしまえ、というのではありません。あなたの中の罪を殺せということです。あなたの中の貪欲を殺せ、ということです。 あなた方は、どのようにして自分を除去しますか。何をとり除きますか。あなた方は、野心を持っていますね。皆、野心と貪欲を持っています。 「私は、あれを自分のものにしたい。」これは、サタンの鎖につながれています。ですからそれを引きちぎらなければなりません。エデンの園での間違った貪欲が、堕落を引き起しました。そうした領域から、自分を完全に隔離しなければなりません。 善に見えるもの、目で見て美しいものは、すべて神様のものであるということを生活の中で徹底しなければなりません。それは、私の物でなく神のものです。 最初の貪欲は、物質に対する貪欲であり、二番目は、愛に対する貪欲です。堕落とは、天使長とアダムとエバの間に起った不義の愛です。統一原理によれば、本当はすべてのものが神に属し、神がすべてのものの所有者です。すべてのものを神に帰し、神からまた、それを分けて与えてもらう生活をしましょう。 すべては、神からきます。愛は、神の陣地であり、その所有権は、神にあります。エデンの園で彼らは、神を除け者にして愛を自分たちのものにしなかったのです。これが堕落です。 第二に私たちは、神の人生を生きなければなりません。私の生命は、神のもとに生まれ、神から生まれなければなりません。あなた方も、また全人類も、もともと神のもとから生まれましたか。人間の魂は、神から生まれましたか、何から生まれましたか。そうです。私たちは、正直なところサタンから生まれました、というのが真実なのです。私たちは、サタンの血統から生まれました。 神の息子、娘として神の世界に復帰する三つの大きい法則は、エデンの園で行われた罪と不正を元返すことです。私たちの所有しているものを、すべて神の所有に返さなければなりません。あなたが自分のものとしたい愛を犠牲にしなさい。それは、あなたのものではありません。神のものです。愛するものをすべて神に返しなさい。その愛そのものを神に返しなさい。三番目に私の生命は、サタンから生まれましたから、それを取り除かなければなりません。 新しい生命の出発 私たちは、これをすべて根絶して、新しい生命を始めなければなりません。神に返さなければなりません。「神よ、どうぞ私の生命を始めて下さい。」神はどうなさるでしょうか。神は「わかった。だけど私は必要ありません。あなたは、いやな臭いがします。」といわれるでしょうか。神は、そういえないのです。神は、子供を抱きしめざるをえません。なぜなら原則的に、万物も人間も神によって創造され、しかも人間は、神の子女として創造されたからです。 神は、人間の堕落が完成期に起ったのではなく、未熟期の未完成期に起ったことを知っています。ですから神は、復帰が可能であり、ほこりを落すことができると思っています。それゆえにまた、人類は、復帰され完成することを期待できるのです。希望を持つことができるのです。 本当にあなたの所有物を、あなたの生命を、あなた自身を捨ることができるでしょうか。神のために自分を失なおうとする者は、神のものによって取り替えられるでしょう。 神は、あなたに神の物を与え、あなたと愛を共有し、あなたに新しい生命を与えるでしょう。これは、あなたにとって非常にプラスになることです。これに反対する人は、ちょうど古い汗臭いジャケットと新しい絹のタキシードとをとり代えるのを、いやがっている人と同じです。 私たちが、新しい生命ととり代えるというのは、このたとえと同じです。賢い人は、真理を知った時、どうするでしょうか。「いやです。私に触れないで下さい。私は、この汗臭いジャケットが必要なんです。」というでしょうか。そういう人はいないと思います。 賢い人とは、すべてを神に献げて神のもとに立ち帰る人のことです。実際、神のもとに裸で帰るのがいいのです。それは素晴らしいことです。神は、あなたを祝福して、必要なものをすべて与えて下さいます。私たちは、神に対して不平をいってはいけません。そうすれば神は、私たちを祝福して必要なものを、豊かに与えて下さるでしょう。 絶望の世界 この世の中では、どんなにお金持ちであっても、その富を保持できない、というのが通例です。遺産税があります。どんなに一生懸命働いても、あちこちの銀行に貯蓄しても、その人が死ねば、そのお金は彼の子供や彼の家族にいかず、政府のものになります。 この世では、愛がばらばらになっています。愛情については、大きな社会問題となっています。今日では人間の愛情問題は、動物の本能のようになっています。気高い、心情の深い昔のような美しい愛情は、めったに見られません。彼らは、出会い、契約によって別れます。また出会い別れ、と永遠性のない愛情関係をつづけています。 誰がこれをしているのでしょうか。神がこれをしているのでしょうか。ちがいます。神によって新しい人間関係をつくるために、そのような過程が必要なのです。 この世の中では、自分の生命に対する希望を失っています。多くの人が自殺し、なぜ生きなければならないんだろうと考え、生きているもっともな理由を探しています。あなた方の中に、人生について悩み、死のことを思った人もいると思います。 あなた方は、かろうじてそれから逃れました。統一原理によって神のみ旨を知り、人生の目的を知りました。それでもまだ、死にたい人がいますか。もういませんね。 今日人類は、すべてにおいてゆるんでしまっています。神を知らない世界には、良い現象がひとつもありません。なぜでしょう。そこには神の愛と永遠性と真実性がないからです。ただ何もわからず走っているだけです。 しかしそれは、ある意味では私たちもやらなければなりません。私たちは、無になって神に向って走らなければなりません。何年も以前に先生は、アメリカでは今に人々が裸になって町を走り出す。そしてそれは、世の終りの印だ、と予言したことがあります。私たちは、真理にもとづいて神に向って走らなければなりません。 この世の中では、今日、徹底的な露出がなされ、極端なことが起っています。私たちも天の側として、すべてを神に帰し、もっとも実際的なことをなしているのです。 やがて多くの人々が、真の価値を求めて統一教会の門をたたきにくる時がきます。その時には私たちは、ただ準備して待っていればいいのです。すべてのものを神に帰し、生命しか持っていなかったら、その生命を神にお献げしましょう。これが統一教会の運動です。 私たちは、それらをただ神に返すだけではありません。もっと劇的なものにします。私たちは、自分が今立っている所に帰ってくるのではありません。私たちは、人類のみじめなどん底に帰っていくのです。神も一緒にそこにできます。ですから劇的になるのです。そこで勝利すれば勝利されない所は、どこにもなくなります。 たとえサタンの世界に下りていっても、サタンは責める余地がありません。なぜなら私たちは、自分の我を捨て、人間の一番みじめなどん底に下りていくからです。 私たちは、毎日刺激的な歩みをしております。ある時はお金持の所へ、ある時は乞食の所へいきます。朝早くから夜遅くまで、神のみ旨のために走って働いています。しかし私たちは、一セントであっても自分のポケットに入れてはいけません。これは神の財産だからです。私たちには、微塵も我欲を持たないからです。私たちは、サタンの告発から解放されていることが、どんなに自由であるか、どんな重要なことか知っております。 あなた方が、このようなコンテストをしている間にも、あなた方は、この世の中から見放されつつあります。あなた方の両親は、「お前は気狂になったのですか。私は、お前を食べさせ着せてあげることができるのに。」というでしょう。恋人は、「ジョンはいい人だと思ったし、賢い人と思っていたのに、彼はバカだった。」というでしょう。私たちは、すべての人々を失ないつつあります。世は、あなた方を完全に見放しつつあります。 しかし私たちは、もう一歩行かなければなりません。「神よ、この世について思い煩らわないで下さい。私の両親についても、私の恋人についても。私の人生は、あなたのものです。いつでも準備はできています。ただ『私は、お前が必要だ。』という外電を打って下さい。」というならば、その人はジャンボ・ジェット機のように、サタンが告発する領域を越えてしまいます。サタンの力は、効力を発揮しません。 サタンとの訣別 あなた方は、何故こういうことをしているのですか。それはあなた方は、このサタンの影響力がいやになり、飽き飽きしているからです。 私たちは、この世の中から自分を隔離して、まったく別の歩みをしています。私たちの生活は、世の中でいえば乞食とかわりありません。水準の高い大学の文学修士号か哲学博士号を持っていても、それを誇ることはできません。「私は、哲学博士です。だからこうして下さい。」といっても通じません。 ハーバード大学のことをひとつも口にしないハーバード卒業生というのは、素晴らしいではありませんか。これは神の目から見て、とても美しいことです。神はそれを見て、目に涙をためておられます。私たち若者は、このような人生を通らなければなりません。 今朝あなた方は、完全に答がわかりました。毎日々々、朝から夜まで変りなく働き続けているのか、はっきりわかりました。そは、サタンの手かせ足かせから自由になろうと一生懸命働くのです。 皆さんは、サタンの束縛から逃れるため、何でもすると決意しました。これも貪欲であり、野心です。しかしこの野心は、私たちのものではありません。神の野心です。私たちは、神をもっともっと愛るために、その野心を持つのです。 私たちは、神をもっともっと劇的に愛したいし、私の生命を献げたい。本当のところ、愛と生命に対する欲望は、悪いものではありません。しかしそれがサタンのものになると、悪いものになります。しかしもし、あなたが神の側にいて、それが神の生命、神の愛であればあなたは、神からそれをもっと奪おうと貪欲になって、野心的になってもかまいません。 非難に耐える 外部の人々は、真実の世界については何も知りませんし、摂理も明らかにされていません。彼らは、私たちも異端であり、悪魔であるなどといっています。しかしそのように非難されても、いつも明記に価することが起っています。私たちの運動は、常に前進し盛んになっている、ということです。彼らは、自分たちが正統だ、といっていますが、その一方彼らは混乱し、いつも、神がだんだん小さくなるといっています。 人々は、沢私たちを批難し、悪魔とかいって呪います。しかし私たちは、彼らに憐みを持たねばなりません。なぜなら彼らは、私たちを非難することによって、自分たちの祝福を失い、その報いを受けなければなりません。非難をすればする程、その報いを受ける、というのは原理原則なのです。 実際、私たちを呪うことによって、彼らはその報いを受けているのです。私たちは、少数でしかも迫害されています。しかし私たちは、神学校や修道士、修道女の宿舎を手に入れました。彼らは、次から次へと神の館を手放しています。 歴史上における真の宗教は、いつも当時の宗教によって迫害されるのが通例です。そしてやがて栄えるようになります。これは例外のない法則です。私たちが、他の宗教によって迫害されているという事実は、私たちが真の宗教として前進していることの証拠ではないでしょうか。 うれしい神の日を祈ろう 三年前、先生がアメリカで初めて十字軍を始めた時、マスコミは全部冷笑的に記事を書きました。彼らは、今もそうしています。しかしそれから三年半、どうなったでしょうか。神学校とかニューヨーカービルとか、その他様々な建物が私たちのものになりました。一九六五年に、初めてアメリカにきた時、宿泊するセンターもありませんでした。しかし今は、私たちはニューヨーカー・ホテルにいます。今は、人員を部屋の数にまにあわせるのに一生懸命です。 今後、私たちは全国に神のための立派な館をつくらなければなりません。それは、どの建物よりも立派でなければならないのです。なぜなら二百年前、アメリカの建国者たちは、まず立派な神の館をつくったからです。そのためには、どんな努力もしましょう。 おもしろいことに、ニューヨークには二つの世界貿易センタービルとエンパイヤステートビルがあります。これは、アダム、エバ、天使長の象徴ではないでしょうか。本来これは、神のために動かなくてはなりません。国の指導者たちも、神の真理によって立たなくてはなりません。 この部屋には、「一九七七年、うれしい神の日おめでとう」という小さな看板がありますが、私たちは、まだ「うれしい神の日」を祝っているとはいえません。この世は、まだサタンの手中にあります。人々は、今だに苦しみもがいています。 もちろん私たちは、神の日を宣言しました。これは確かです。しかし私たちの目標は、「うれしい神の日」を祝うことです。それは、骨の折れる難しい仕事です。苦労の多い仕事です。この戦いに勝利する人間は、レバレンド・ムーンのように、根気強く確信に満ちて、どんな小さなことにでも熱心にまれる人でなければ、目標に到達することができないのです。観光を楽しむ通行人のような人は、目的地に行けません。 皆さんはどうですか。目標を達する確信がありますか。もし神が、裸になってニューヨークの街を行進しなさい、といったらどうですか。先生は、宣伝になるから行進した方がよい、と思います。見物しているから始めて下さい。 実際に私たちは、多くの衣服は必要ありません。人に不快を感じさせなければよいのです。 どこにでも真理を伝えよう もしメシヤが再臨されたら、彼は、すぐには彼の仕事をするのではありません。まず彼は、アダムの位置に下りていって、アダムの失敗の償いをします。償ったら、それを神の所へ行って、それでいいかどうかを神に聞きます。それでアダムの罪は、償われます。 それから彼は、イエス様の位置に行ってイエス様の位置をやり直します。そして神に許可を受けます。すべてが償われた時、初めて彼自身の使命を始めます。 私たちは、ユダヤ教のレベル、すなわち旧約時代のみ旨の基台をつくらなければなりません。ユダヤ教の使命を果ちなければなりません。それからキリスト教の使命も果さなければなりません。私たちは、そのために三十年間かかりました。 そして世界的基台を打ち立てるため、アメリカにきて一九七六年に、ヤンキー大会とワシントン大会の勝利を収めました。この霊的世界的勝利を土台として、地上天国を実現しなければならないのです。一九七七年元旦、新しい出発です。私たちは打ち立てられた基台を拡張していけばいいのです。 人間は神の真理、神のみ意によって感動するようになっています。種の要る所には、どこへでも行って、それを蒔かなければなりません。それが感謝されなくても、必要だと思われようとそうであるまいと、それをなさなければなりません。 今日私たちは、キリスト教の霊的基台の上に、肉的要素を加えています。養子の時代を通過しているのです。 今後の自由世界の命運は、私たち統一勇士の双肩にかかっています。レバレンド・ムーンは、奇妙なことをいう、と思われるでしょう。私たちは、自分の素手以外なにも持っていません。それなのに世界の命運について語っています。まったくナンセンスです。しかし必ずそうなるのです。なぜならば私たちは、神をつかんでいるからです。さらにすべての霊界が、団結して私たちを援助しているからです。 先生は、虚勢をはっているのでもなく、真実でないことを語ったりしているのではありません。これは公的な集会です。一つ一つの言葉が、天にも地にも正確に記録されていますから、真理を話さなければなりません。この宣言は、ここにいる皆さんだけに語っているのではなく、全世界の食口に伝えられ、知らなければならないのです。 さあ、私たちは、きょうから次から次へと人々に会いましょう。私たちは、団結して反対勢力や神を否定する考え方に勝利しましょう。そしてそこ勝利を、この一年間保ち続けるというのが、きょうの神の日における私たちの決意です。 二年間で神の働ける基台を 私たちは、神の弾丸になりましょう。霊的弾丸、心情的弾丸となっていきましょう。弾丸の性質は、元に戻ることもないし、春の道を散歩するようなこともありません。ひたすら目標に向って自らを爆発させ、標的を打ち砕くのです。聖書には、一粒の麦のたとえがあります。それと同じです。私の手が、体がばらばらになった時、多くの基台がたてられるのです。 今朝のメッセージの題目は「地上天国実現の理想家庭」でした。私たちは、理想の家庭、理想の世界、理想の天国を建設する群です。神の変らない願いは、必ず果され、神の悲しみの御心情は、解放されなければなりません。 実にイエス様は、この目的のためにこられたのです。そしてこの使命を果たせずに、苦い十字架を味あわれたのです。今や、統一教会以外に希望はありません。あなた方は、神の唯一の希望です。私たちは、貧弱な若者たちです。しかし私たちは、神が生きた神であることを知っています。神は生きた方ですから、私たちに力と知恵を与えてくれます。私たちを無敵にしてくれます。 きょうから一九七八年の十二月三十一日までに、七百三十日あります。秒読みが開始されました。これからの二年間、神が働ける基台をつくらなければ、自由世界の時代はなくなり、アメリカは衰え、人類に希望はなくなります。 ですから七百三十日間、ここにいる私たちは皆、一つになって弾丸となり、神のチャンピオンにならなければなりません。私たちは、本当に神から与えられた特別の使命を果しましょう。 きょうから私たちは、自らを神に献身して神のチャンピオンになり、二年間の開拓者となることを、もっとも厳粛に誓いましょう。 私たちは、闇の中にいるのではありません。真理を知り、目的を知り、作戦を知っています。あと為すべきことは、神と人類のために、一オンスのエネルギーも残さずに、自らのエネルギーを献げきることです。 一九七六年、一九七七年、一九七八年、私たちは、天宙的蕩減を払い、天宙的摂理をなしていきましょう。人類の何千年の積もりに積った負債を払っています。私たちは、これをこの三年の中に払ってしまわなければなりません。これが成されれば、神が私たちとともに住み、天国は生きた現実となるでしょう。 きょう、どんな困難が起ろうと、艱難がふりかかろうと、どんな障害があろうと、私たちは、それで身動きができなくなるのではなく、それを打ち破り、最後の勝利を獲ち取るまで前進することを、全能なる神に両手を上げて、一緒に誓い、お祈りしましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.20
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「地上天国と理想家庭」1977年1月1日ニューヨーカー・ビルで 蕩減路程から建設の時代へ 新しい年を迎えるにあたり、全世界の食口のみなさまに声明を送ります。 一九七六年と一九七七年とは、摂理的な意味ではっきりとした違いがあります。 一九七七年は、飛躍的な摂理の発展をなす年です。ここに集っている皆さんと全世界の統一教会の食口たちが、完全に一つになって後退することなく前進していくならば、民主世界の今後のすべての難問題が、自動的に解決されていく道が開かれるのです。さらに、いかに共産主義の脅威が大きいとしても、それさえも自動的に防ぐ道が生じえるのです。そう考えるのが、われわれの摂理観なのです。 一九七七年までの歴史は、蕩減復帰の歴史であったために、もし失敗するようなことがあれば元の地点にもどて、再びやり直さなければなりませんでした。このようにして縦的貫通作業をしてきたのでした。しかし一九七七年からは、神側の勝利圏が横的世代に展開されたために、われわれが立てた功績をサタンが奪っていくことのできない時代圏に入ったのです。 今までは、個人的蕩減路程、家庭的蕩減路程、氏族、民族、国家、世界的蕩減路程へといつも上っていっては落ち、上っていっては落ちてしまって、いかに苦労して国家基盤をつくりあげても、落ちてしまいました。落ちるとなるとすべての基盤が落ちてしまったのです。 しかし今は、世界的基準を中心とした蕩減条件を立て、もはやけっして崩れることのない勝利の基盤を築いたために、横的な連結をなすことができるのです。ですから個人的蕩減の実績を越えて家庭、氏族、民族へと拡大された神への忠誠を尽した実績は、今や天の圏内に残すことのできる時となったのです。そのことを、はっきりと知っておいてください。 さて、われわれはこのような時点に置かれていますので、ことしの年頭標語を「地上天国と理想家庭」とします。 各自が基盤成就を 今までの神様の願いは何であったかといいますと、堕落した世界からサタンの讒訴条件の一つもない一つの家庭をたずね求めることでした。それが復帰摂理歴史の中心的内容であったということをわれわれは良く知っています。 堕落することによって、どのような基準が生じたかというと、神の直接主管を受けるとのできる理想的家庭を見失う結果となってしまったのです。 ですから、サタンの讒訴条件がなく、神の直接の愛の圏内に入り、神と一つになることのできる完全に完成されたそのような家庭、言いかえるならば、理想的アダム、エバの完成基準を成就しなくてはならないのです。 これからは、この統一教会を中心に、神の直接的家庭圏内に入ることによって、サタンのいかなる反対があったとしても反対されればされる程、逆に天に利益をもたらし、天に復帰させることのできる反作用的作用を起こす時となったのです。 したがって、これからは反対すればする程、反対する側、すなわちサタン世界は崩れていき、反対される側においてわれわれは拡大していくことでしょう。 そこで問題となるのは、統一教会の当面の課題が何であるかということです。天国実現をなすためには、皆さんが理想的家庭基盤を各自が、あるいは各自の所属する部署において成就させることが必要です。そしてそのことのみが、分裂に分裂を重ねているサタン世界を吸収していくことのできる唯一の道なのです。 すると、皆さんはどのような生活をすべきでしょうか。 神の介在による因縁関係 堕落していない本然の世界は、神とアダムとエバが完全に一つになっているのです。真の父母を中心として、その父母と内的生活、環境的すべての生活が一致された生活圏をなしていなければ、神が主管できる真の家庭となることができないのです。 ですから、本来の神の創造理想をみるならば、いつまでも離別することなく、永遠に父母とともに生活する子女の立場を、自らがつくりあげる、一人びとりとならなければなりません。 皆さんと先生との間が、このような親子関係になるには、真なる子女の因縁をもつための努力が必要です。真の父母と真の子女としての成立がなければなりません。 真の父母と真の子女になるために頑張らなくてはならないのですが、皆さんと先生だけでは、いくら頑張ってみても駄目なのです。そこには神が介在しなければなりません。神が介在してこそ、成されるということを知らなくてはなりません。 先生の家庭に神様がともにおられると同時に、皆さんにも神様がともにいなくてはなりません。神様と一つに結ばれる働きがけをしてこそ、新しい神の家庭にふさわしい心情的体恤ができるのです。 それには、今、皆さんが感じていなくてはならないことは何でしょう。 自覚からの出発 それは、真の父母に対して、「なるほど、神が中心として定められた唯一なる父母である。」という考えが、自分の思いとして自動的に息吹いていなくてはならないということです。 春になれば陽射しを追って、生命がその方向に向って、新芽を出すように、自分の心にそのように芽生えるものを感じとれる皆さんとなってください。 そのような皆さんになるために、一番重要な問題は何でしょうか。それは、自分自らが自覚することです。「私は、間違いなく天の息子、娘である。」という自覚をしなければなりません。「私は間違いなく天の息子、娘である。サタン世界とは区別された、神様の息子、娘である。」と自覚しえる自己を発見するということが、第一問題です。 堕落とは何でしょうか。神様を前にしながら、神様の息子、娘という自覚ができなかったことです。ですから反対に、皆さんは「私は真の父母様と、神様の名により、真の父母様の息子、娘として生れた。」というそのような自覚をすればその場から、新しい天の心情的紐帯に結び接がれるでありましょう。 二番目の目題は何であるかというと、「私は間違いなく、永遠に神の国建設に従事し、天の忠臣たり得る国民である。」との自覚をしなければなりません。 三番目に、この世界の地球上にあるすべての万物は神の息子、娘としてのわれわれに賦与された、特権的賜物であるということを考えなくてはなりません。 堕落は、神の息子、娘としての自覚ができず、神の国の国民としての自覚ができず、神様の造られたすべての万物が、神からわれわれへの賜物として与えられているものと自覚ができなかったためにおきたのですから、このような自覚をすることによって、新しい次元での子女としての資格を持つことができるのです。 そうして、その圏内で、皆さんが心情的に体恤した新しい理想的個人完成から理想的完成が出発するのであって、それが成されない限り出発できる基盤が成立しないということを明確に知っておいてください。それだけでなくこのような統一教会のわれわれは、外的なサタン世界に残されている中間的立場の世界があることを知らなければなりません。そしてその世界から、われわれが影響を受けるのではなく、われわれがその世界にあらゆる影響を与えうるような立体的思想を持たなければなりません。 そういうわけで、サタン世界にいかなる良いものがあったとしても、それは神の世界の一番悪いものよりも、悪いということになるのです。サタン世界で、いかに良いとされていたものでも、次第にそれは破滅していくでありましょうし、神の世界で、いかに悪いとされていたものでも、それは次第に上昇して、神の国の勝利的基台となるでありましょう。 ですから皆さんは、サタン世界から影響を受けるのではなく、あらゆる面において影響を及ぼさなくてはなりません。 サタン世界を吸収する秘法 それには、サタン世界をわれわれの側に、っくりそのまま吸収することのできる、一つの秘法を知るべきです。 サタン世界は本然の世界とは完全に反対の状態になっているのです。われわれが、一つの全世界的に理想家庭を編成しようとするのに対し、サタン世界は全世界的に家庭を破滅させ、分散させる働きをしているのです。 サタン世界とは、どのような世界であるかというと、かりに、一家庭に八人の家族がいたとしても、おじいさん、おばあさんが別に住み、お父さん、お母さんが別に住み、息子、娘が別に住み、また、その子供たちまでも全員が別々に住もうとするのです。 神の世界はどうかというと、家族が八人いるならばその八人家族が全員一つになって住むのです。 そこで、おじいさんとおばあさんは、お父さんとお母さんに向って「このように生活するのですよ。」という模範を示し、理想的夫婦の姿を教育してあげるべきであり、また、お父さんとお母さんは、息子、娘に向って「私たちを手本にして生きていくように」と、教育をしなければならないのです。 そして、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、子女が完全に一体化したならば、蘇生、長成、完成と天地創造の原則となり得るのです。 するといちばん最初のアダム家庭とは、一体何でしょうか。 同じように考えるならば、神様がおじいさんです。アダムがお父さん、エバがお母さん、そしてアダムとエバの息子、娘が子女の立場です。そうして子女は父母と同じく結婚し、おじいさんおばあさんのように完成していくのです。結局同じことでしょう。 縦的関係と横的関係 ところで、アダムとエバの時においてのみ縦的関係になっているのです。繊的関係からなるおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんですが、次の息子、娘からは横的関係に広がっていくのです。縦、横の差異だけであって、形態は同じであるということです。 もし、アダムとエバが堕落しないで、完成してから家庭を持ったならば、アダム・エバの家庭が、天国の中心家庭でありました。 神様は霊であり無形の方でいらっしゃるので、形を見ることはできません。ですから、形を通して無形を表わそうとされ、形をもった人間をつくられたのです。それは、神の形象としての形でなければならなかったのです。その形はアダム・エバであり、神様はアダム・エバを通して御自分をあらわされようとしたのです。 そうしたら、アダムとエバと神様は一体であるので、アダムとエバの心と同じ心をもたれた方が神様であり、アダムとエバの心の座には、神様が主人として一つになっているのです。結局は神様が、内的な主人であり、内的アダムの立場となるべきお方であるということを知らなくてはなりません。 そのようにして神様とアダムが一つになり、エバと神様が一つになり、夫婦が一つになるならば、結局、内外の夫婦が一つになって愛する子女を生むことになるのです。ですからその子女は、直接神の血統として連結されるのです。そしてそれを結ぶのが愛なのです。 神様がなぜ天地万物を創造し、異性をつくられたのでしょうか。神御自身が愛を感じようとされたのであり、神御自身が愛そうとされたからです。そういう結論が生れてくるのです。 ですからわれわれにとって、神様が直接のお父様であります。そして、地上においては、アダム、エバを父母としともに生活し、霊界にいってからは、神様を父母としてともに生活するようになっていたのです。 すなわち、地上天国とは、真の父母と永遠に暮せる資格者が住む所であり、天上天国とは、父なる神とともに永遠に生活ができる資格者が住む所なのです。 真の父母の発見 それでは、ここにいる皆さんで天国に行きたくない人はいないでしょう。天国でくらしたくない人いますか。皆さんがみな天国に行って住みたいのでしたら、みんなで一緒に行きましょう。 それでは、地上に天国が実現するためにはどのようにして成されていくのでしょうか。それは、真なるアダムとエバの完成父母が現われずしては、不可能であるという理論が生じるのです。そのような意味から、今日の統一教会で「真の父母」という名詞を持ったということは、世界史的に驚くべき発見であるということを、皆さんは知らなければなりません。 本来、天国は神の名と真の父母様の名によって、この地上に実現することができるというのが原則です。したがって「真の父母」という原理的内容をもっている統一教会を中心として地上天国の実現というとが、理論的になりたつのです。 ですから地上天国は、実体としての真の父母様とともに生活することであり、天上天国は永遠なる神様を父母としてともに生活することである、と明確に知っておくべきである。 もしアダムとエバが堕落せずに家庭をつくり、子供を生んだとしたら、肉身の生活を終えるのはどちらが先ですか。父母たるアダム・エバが先ですか。子供が先ですか。父母が先です。 さあ、それでは、アダムとエバが天上天国に行ってどうなるかと言えば、神の御座に立ち神の位置に立つのです。彼らは主体的霊的主人公として現われることになるのです。ですから、霊界に行けば「天のお父さま」だけいらっしゃるのでなく「天のお母さま」もいらっしゃることになるのです。お父さんとお母さんがそろわずして一人で子女を生むことができるでしょうか。 さて、父母になっているアダムとエバの背後には、神様が分離されて現われておりながら、一つになっているのです。ということはお父さんを通してでも、お母さんを通してでも、神様に通じる道があるということなのです。そのように考えていくと天上天国の主人公が誰であるかといえば、実体をもって生活していた時の自分のお父さん、お母さんが永遠なる天国の王になるということになるはずだったのです。 統一教会と既成教会や他の一般宗教と違うことが何であるかわかりますか。それは統一教会に入ってから皆さんが霊的経験をする時に、必ず先生とお母様が一緒に現われて指導を受けることです。 先ほどもいいましたように無形なる神様は、有形なる形を通して実体を現わされます。それでは誰の肉身を通して御自身を現わされるでしょうか。 今まで皆さんが、伝道に行って失望した時、信仰問題で悩んだ時など、必ず先生とお母様が現われてその行く道を指示する、という霊的指導を受けていると思います。先生がアメリカにいても、韓国にいても世界中の統一教会の食口の前に現われているはずです。 それは誰がしているのでしょうか。神様御自身がされているのです。神様御自身が君臨されて、その働きをされているという驚くべき事実を、皆さんは知っているという報告を聞きます。きょうも、ある海外宣教師が病気になって動けなくて、伝道にもいけないでいる時に、突然、先生がまぼろしで現われて「私についてきなさい。私の言うとおりにしなさい」と言われて、そのとおりにしたら、体力が回復したというのです。 このようにして神様が先生の体を通して、前線で働いている皆さんに現われて、現実的サタン世界の舞台に君臨され活動できるようになるまで、どれほどの苦労があったでしょうか。そのことを皆さんは、知らなくてはなりません。数千年の歴史をかけて、宗教人たちと世界的な偉人たちの犠牲の代価が支払われているのです。さらに先生自身も、今日を迎えるまで神様への忠誠と、苦労しながら勝利の基盤を築きあげてきたのです。 国境を乗り越える霊的役事 このような活動の役事は、民族を超越し、国境を超越し、あらゆるものを超越して、いたる所で継続されております。共産世界ではどうでしょうか。同じです。神の御前で国境があると思いますか。 今日の統一教会が少数の群でしかない上に、反対されたりすると、孤独な思いになったりするかも知れませんが、皆さんの知らない間に、霊界が洪水のように押し寄せてきているのです。ナイアガラの滝のように、霊界が地上に降り注いでいます。水は少しでも低いところ、割れ目のあるところに押し寄せてきます。そして割れ目からの小さな流れがみつかり次第、音を立てながら洪水はそこを通って行くのです。 同じようにわれわれが、道案内できるようなわき道を小さく開けておけば、霊界が、その洪水と同じような働きをして、その場に満ち溢れていくのです。 考えてごらんなさい。神様は今日まで地上復帰を心配されてきたのです。神を信じるが故に霊界の聖人義人があらゆる犠牲になってきたのも、すべて地上天国完成を願ってのことです。ですから時が満ちた今、御業をなされるにあたり神様は、すべての霊人たちをひき連れてくるにちがいありません。 しかし善霊を地上に降臨させようと思っても世界の人々が互いに愛し合える道を織りなすことのできる条件が立っていけば、連れてくることができないのです。ですから今日の統一教会に、世界の人たちが愛し合える条件が立っているとしたならば歓声をあげながら喜んでくるでありましょう。 皆さん今までは霊界が働く時は、悪霊が、病気をもたらし恐怖や不安をもたらしたりしました。しかし善霊の働きは理由もなく、心地良いものです。 サタンいうものは、寒い部屋の中で身を堅くしていくようなものですが、これに対して、天の側は何もかもが解けていくようなものであって、堅くなるということはないのです。 善霊と悪霊の違い そのような善霊と悪霊の働きの違いを、皆さんは統一教会と教会外とで感じることができるのです。 統一教会に来すと、何となく心地良くて、自由にふるまうことができるのです。しかし自分の家に戻った時は、霊的に暗いものを感じたことがあるでしょう。自分の家であっても、そうなのです。愛する夫、妻までがみんな厭になるのです。そのように感じたことのある人、手をあげてごらんなさい。それを感じない人はひとりもいませんね。 アメリカの人々だけでなく世界の人々が、レバレンド・ムーンのやっている不可思議なやりかたというのは、一体なんだろうかといって、いくら研究してみても分らないというのです。 それはちょうどこういうことになるのです。原理の御言を聞いてしまうと、それはちょうど生命のあるダムのような大きな貯水池のようなものであって、皆さんが原理を学ぶと、ゴム管が口の中に入って、水が後から後から降り注がれるようなものです。そしてその味をしめるようなものです。そしてその味をしめると夢中になってしまうのです。いくら飲んでも尽きることのない生命の水が流れてくるから、身体はそこから離れようとしても、口を離すことができないのと同じです。 たとえば蜂と同じです。蜂が蜜房の中に入って、一生懸命おいしい蜜を舐めている時に、ピンセットのようなもので引っ張ってみなさい。この腰がずっと伸び切ってしまうまで、離れようとしないのです。そういう魅力が、ここ統一教会にあるのです。 それから皆さんは、夢とか祈祷の中で、誰しもが、先生に会うようになるのです。先生とお母様、どちらにも会って指示を受けるようになるのです。難しい問題で祈祷すれば、一生の間、生きてる限り、ともに生活しながら指導してくれるようなことが起るのです。 そのようなお父さんとお母さんであるならば、年を取ったお父さん、お母さんでも一緒に住みたいですか。それとも「ウァー。お父さんとお母さんは嫌いだ。」というのですか。 そのような愛を中心にもった自分自身になるならばそのような父母の子女であるという自覚を持つ時には、この宇宙を天国にすることができる子女となるのです。 これまでの世界の宗教の歴史においても、皆さんが今、味わっているような経験は、これまで何もなかったものであるし、今後もないでしょう。 誰にでも同じ愛の力 皆さん、蜂蜜は白人たちにだけ甘いのでしょうか。黒人たちにとっては、甘くないのでしょうか。どうなのですか。 それは不具者にとっても、無知な者にとっても甘く、すべての人にとってもみんな甘いのです。 それでは、神様はどうでしょうか。蜂蜜を好まれるでしょうか。(イエース)蜂蜜よりももっと美味しいものがあるとすれば、一体それはどういうものでしょうか。そんなものがあるでしょうか。(ラブ!)そのラブとは何ですか。愛を見ましたか。皆さんは見たのですか。 愛は、あったかといえば、無いようで無いのではない、というものですね。愛というのは、あるにはあるが、自分のものではないのです。また愛とは、誰のようかといえば、神様のようだといえるのです。 神様は無いようでないんですよ。また、無いようでいるんですね。いるように見えて反対にいなくなったり。それで愛の主人は、人間ではなくて神様であるということになるのです。 そういうわけで、神様を愛して、神様のようになろうとする人は、自動的に愛の引力を持つことができるのです。はたして、そうでしょうか。(イエス) そこでお母様には失礼ですが、ここにいる女性で先生のような男性と結婚したい人は、手をあげなさい、と言えば全女性が手をあげるに違いないのです。(イエス) 先生が、そういう女性にむかって、「出て行け!」と言っても、それでも皆、ついてくるでしょう。(イエス 笑い) だから統一教会は批難されるのです。そういうことのためにどういう事が起きるかというと、恋愛結婚した女性であっても、両親に一緒にさせてくれなければ死ぬといってやっと二人が一緒になったとしても、統一教会に一週間もいれば、みんな捨てて文先生の後についてくるようになるのです。驚くことに、それは何も若い夫婦の間に起っただけでなく、七十、八十のおばあさんにも起ったことです。(大笑) 同じですよ。蜂蜜はおばあさんにも甘いし、娘さんにも甘いのです。そこが同じだというのです。 同じように男性たちは、先生を親友にしようとするのです。全部が全部、先生を親友にしたいと思うのです。われわれは、そのような力で、知らないうちに育まれているのです。 神様に奉仕するだけの先生 一般の人々は、言論界でも、レバレント・ムーンは話が上手なのだとか、レバレント・ムーンはハンサムだからとか、また、レバレント・ムーンは手腕があり、レバレント・ムーンは誘惑する魔術的な何かを持っているとか、催眠術にかけるとか、ありとあらゆることを言っております。しかしそれは統一教会には愛の暖かさ、不思議な気高い力がわれわれを結びつけているということを分らないから、そう言うのですね。すべての人間と万物にとって、生命の源泉に行こうとするのは本性です。目に見えない神の愛と心情を表わすためチャンネルを合わして、先生が神の生命の力を伝えているので、すべての生きとし生けるものが、ひきつけられてくるのです。それは自然の力です。 われわれはそのような力によって結びつけられて一体となっているのです。他の世界には、そのように、人を結びつける力がありません。 さて、皆さん。このニューヨーカーホテルはわれわれの先生の家であると感じますか。考え方によって違ってくるのです。(マイホーム)。それは正しいのです。誰がそのように思わせたのですか。レバレント・ムーンがそのように思えと言ったから、思っているのですか。そうではなくて、皆さんの本心がそのように思うようにさせているのです。そしてその根には神様の力があるのです。レバレント・ムーンは単に神の力にチャンネルを合わして奉仕しているのにすぎません。 皆さんは、何の意味もなくレバレント・ムーンに対して慕っているのでしょうか。何のわけもなく、ただそう慕えるものではありません。それは神様がおられて、神様が良いからです。だから先生を良いと思うようになっているのです。良いものは良いものとして感じるようにつくられているから、自動的にそう思うのです。 春になればが咲くのと同じように、皆さんはパッと開いて香気を含むのです。まるで笑っているような感じにです。そういう力が、地球を通してはるか霊界にまで活動範囲を延ばしているのです。 時間と空間は、レバレント・ムーンが主管しているのではありません。神が主管しておられるのです。神は時間空間の制限を受けるでしょうか。(ノー) 皆さん、ですからこのような運動、このようなこのが地球を超越して繰り広げられるのは、人間によってでなく神様のみがなされるのです。サタンにでもできないことです。 神の国は理想家庭から それでは具体的には、どのように成されるものでしょうか。神の国は、家庭を中心として成されていくのです。神を中心とした家庭生活を体験することによって、天国は自動的にできあがっていくということを、皆さん知らなくてはなりません。 今年の年頭標語には「理想家庭」とありますが、天国を実現するためには、なんとかしてまず、理想家庭を実現させなければなりません。 皆さんは、一つの部屋におります。いろいろな人種がここに集っています。もし、ある人が、自分は白人だからといって黒人をいやがれば、神様に対して反対していることになるのです。神様は黒人側にも足場をつくり、この時間にも摂理しておられるのに、私は黒人が嫌だなどと言えば神の反対する反逆者になってしまうのです。 アフリカに伝道に行った宣教師たちに反対する人々多く、国家からも迫害されるのですが、そういう真っただ中においてでも、神様は啓示を通して、宣教師とアフリカの黒人と一つにならせるために一々直接働きかけているのです。このように霊界から神様が現れて、一つになるようにしているのに反対運動ができるというのでしょうか。 そのような神様の導きのおかげで黒人の食口たちが訪問して行くと、こぞって神様が来たかのように歓迎してくれているというのに、このニューヨークの真中で反対できるのでしょうか。何のお話か分りますか。(イエース) それは神様の怨讐です。そのような人はこの世界を復帰しようとされる神様の活動に対しての反逆者です。 そしてこのような心情的紐帯をどのようにして世界化させ、そして、どれだけ短い期日内になし得るかということが天国を地上に早く完成できるか、否かという問題と直結してくるのです。 神様はわれわれの父母であります。神様が、父母がそうするとを好まれているのに、それに反対できるか、というのです。 神の愛を世界的に展開するには そこで結局は、統一教会の中で心情的に感じる、先生と皆さんとの間の愛を、どのように展開させるかという問題が、この地上天国を実現させる鍵であるということを知らなくてはなりません。 そういう心をアフリカを越えて、アジアに、または、他のどの地にでも向けることができるならば、霊界に行ったアフリカ人、アジア人、全世界の人々の霊界の活動範囲に接して、自分が管理することのできる範囲が比例的に広がって行くのです。 理想家庭とはどういうものでしょうか。神様を中心にした永遠なる父母の愛があり、永遠なる夫婦の愛があり、永遠なる子女の愛がある家庭です。この三つの愛をもったのが理想家庭です。 ここで夫婦で愛し合っている人々がいたら、これから天国をつくるのにも、それと同じ愛し方をするのです。女性はみんなが自分の妻のような、そのような心をもって愛することができなければなりません。そして妻に対しては、女性を代表していると思ってあげなければなりません。 また、女性の皆さんもそうです。自分の夫は、全男性を代表していると考えなければなりません。 霊界にいって見ると、父母の愛をもって愛することのできる心をもった人がおり、その次には、夫と妻が愛し合える心、その次には、兄弟同志で愛し合えるという心をもった人がいるのです。これらの心をもった人は、いつでも、東の方に行こうと思えば行けますし、行ったり来たりしようと思えば、いつでもできますし次には、周囲をも、思うままに廻ることができますし、上に行こうと思えば行けるように、上下、左右、四方八方の全般的な運動を可能にし、立体的に接触するという問題が可能であります。 父母と子女の間は縦的な愛であり、その次、夫婦同志は、横的な愛であり、子女の愛は、周囲の愛です。兄弟の愛も周囲愛です。 これらの愛を完全に体恤したならば、霊界に行っても、自由にどこにでも行けて、そこの人々と交流することができるのです。 地上生活での愛の体験が霊界での基準 それで、地上世界で体恤した愛の基準が、霊界へ行っての原則的な基盤になるのです。永遠なる理想世界がそのようになっているからです。 世間でも、両親のいない人とか、夫か妻をなくした人はかわいそうだ、といわれています。あるいは兄弟がいない人はかわいそうだ、といわれています。 それはなぜかといえば、それらの人との交流がなく、開かれないからです。ですから霊界に行ってもそういう人は、誰とでも交流ができず、調子を合わせることができないから、不幸だということができるのです。 すべての人がそうです。おじいさん、おばあさんをはじめ、家庭全部がそろっている人は、ひねくれていないのです。どことなく素直で自由な行動を自然にふるまえるのです。 そうでないと、どことなくひねくれてしまうのです。なぜかわかりませんが、欠陥があるのです。 こうして考えてみる時、理想家庭から地上天国が繰りひろげられるとするならば、皆さんは理想家庭をつくりあげるべきでしょうか。つくるべきでないのでしょうか。(つくるべきです。) ですから皆さんは、おじいさん、おばあさんの愛をたくさん受けて、おじいさん、おばあさんを愛することのできる心をもたなければなりません。 そのような心をもつならば、今までにそういうものを感じなかった人でも霊界に行ったときに年老いた人々に会っても、自然に情が移っていくようになるのです。自分のおじいさんとおばあさんのように感じられるのです。家に帰った時、おじいさんとおばあさんの手伝いをしてあげたように、助けてあげなければなりません。 お父さんとお母さんの年代の人々に対しては、お父さんとお母さんの愛を受けて、お父さんが好きになり、お母さんを好きになるならば、お父さんとお母さんの年代の人々には、お父さんとお母さんのような、そういう接し方ができるのです。 また、その次には、自分の同僚間において、年齢の似かよった男女間においてでも、互いに助け合い、互に尽し合ったのと同じく、社会に出てから男女が出会った場合でも、恋とか愛とかいうのではなくして、同僚間において愛し合ったそのような心を感じなければならないのです。 今日の堕落した世界における、男女関係のいざこざにあるような、そんな考えをしてはならないのです。 天国はどういうものかというと、そのようにおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、次には兄弟が愛し合うその愛を、横的に世界化して展開させ、展開したそのような組織世界が地上天国であるということになるのです。 そのようなわけで今年の年頭標語を「地上天国と理想家庭」というタイトルにしたのは、皆さんが地上天国を現実的に建設すべき時が到来し、理想家庭の愛を横的に実現することのできるこの時を乗り越えていかなくてはならないということで定めました。それで神様をおじいさんとおばあさんの立場にし、その次には、真の父母様がいるのです。皆さんは、アダムとエバの直系の子女の立場に立っているのですから、堕落してから人々が大勢ふえたにしても、エデンの園で神様とアダムの家庭に生まれたそのような本然の形態を備えたという条件を立てることにより、皆さんは天国へ入ることができるという、結論がでてくるのです。 世界に対する愛の手本を われわれは、全世界をまとめてそのように神様を中心としたアダム家庭の世界にしていこうというのです。 そうしたら、サタンは讒訴しようとしても讒訴することができないのです。 原理的にみる時、神様と一つになったアダムとエバが、完全に一つになり、その息子、娘として生まれた子女をサタンが讒訴できるでしょうか。できません。 全世界の人々を前にして、CBSとか、宇宙中継をなして、世界むけの放送を継続的に七年間続けたら、完全に戻ってくるに違いありません。 すべての人々は、真実を知ったならば、統一教会に加入するなと言っても、必ず加入するということになります。知らないからそうしないだけです。 皆さん、今やここに永遠なる世界があります。皆さんが先生を愛するように、神を愛し現想的な家庭の建設に努力しましょう。また、可哀そうな人に出逢った時には、神様が、救ってくれることを願っている人と考えて、神を愛するのと同じく接してあげるのです。 さあ、この世界をわれわれの手で素晴らしい地にかえましょう。いたるところに神の国の線を引いていくのです。そうすることによって、それに比例して御国が生じるのです。 多くの人を愛した人は、神様から多く愛されます。そういう人ほど水は自由で流れがよく、やがて静かで大きな川となっていくのです。木でいうならば、大きな枝に値します。統一教会の女性の皆さん、お姑さんやお舅さんと一緒に住みますか。それとも別々に住みますか。(一緒に) 今の社会は、みんな別れて住んでいます。それがよくないことなのです。そこからすべてが悪くなるのです。だから家庭に愛がないのです。 家庭に愛がないから、おばあさんの愛、お母さんの愛、おじいさんとおとうさんの愛、孫の愛がないから、仕方なく人々は家を出て、風呂敷包みをもってさまようということになるのです。 それでは皆さん、これからはお姑さんと住みますか。(イエース) 誰に尽くすようにしてあげるのですか。神にしてあげるように尽くすのです。 さあ、これを両親が知ったら何と言うでしょうか。おじいさん、おばあさんはどんなに喜ぶでしょうか。養老院に行ったりして、死ぬのを待ちながら、月を見ながら過し、太陽を見ながら過ごしている人々にとってはどれ程心情にくこたえるでしょうか。 アメリカの社会では、自分の息子、娘の家に黙って行くと、娘が愚知をこぼすということです。「私は小さい時から、訪ねる前に電話をしてから行くように躾けられました」というふうに。 神がアダム家庭を訪れる時に、電話で約束してから行かれるのでしょうか。そういう家庭はこわさなくてはなりません。それはサタンが入っているのです。 また息子、娘が、お父さんとお母さんの寝台に入って、一緒に休むことがなぜいけないのでしょうか。 子供と両親が別々に、とこういう寝方をするから狂ってしまうのです。皆さんはそうしてはいけませんよ。両親の寝室で子供たちを育てるのです。子供がふえていったならば、一人は逆さに寝かし、一人は抱いてねればいいのです。子供の方も一人で寝るよりはその方がいいといいます。たとえどうされてもですよ。 それが自分勝手になってしまっているのです。神様はみんなをどこに送ると思いますか。息子を別々に、そして姑を別に、舅が別に、孫も別に、そのように送られたでしょうか。そうではありません。みんな、一ヵ所に一緒にいるように送られたのです。 愛の訓練をすること アダムの家庭で何か良いことが起きた場合、神様にとって嬉しい事があって、エバだけがそのことを知ったら、エバ一人が喜んでいったのではなく、アダムを呼びに行き、自分の息子、娘を呼びに行って、一緒に喜んだでしょう。エバ一人だけが喜んだからと言って、神様が喜ばれるでしょうか。 全部が一つです。良くても一つであり、食べても一つ、笑っても一つ、みんなが一つになって一緒です。 おじいさんも一人だけでは笑って喜ばないでしょう。 ですから人間に対して境界線を引いて生きている人は、自己の周囲にサタンの鉄網を張って生きている人になるのです。そういう事になるのです。サタンの鎖です。それは取り払わなければならないのです。 こういう観点から一九七七年からは、そのための運動をしなければなりません。 ですから女性の皆さんの中で、おばあさんのいない人は、おばあさんを一人連れて来て、一緒に暮らしましょうと言って、迎えなくてはならないのです。 その次にはお母さんと一緒に、お母さんがいなければ、お母さんのような年頃の人を探してきて、一緒に生活して愛の訓練をしなければならないというのです。 そしてお姉さんを好きになれない人がいるらば、お姉さんのような人を探して、好きになれる努力をしなければなりません。妹とか弟を嫌いな人がいるならば、妹とか弟のような人を探して、好きになれる努力をするのです。 女性で夫を嫌う人がいるならば、夫を好きになれる訓練をしなければなりません。男性が女性を嫌ったならば、それを訓練しなければなりません。 そのように、家庭における理想的家庭形態のすべての心情的体験をしなければ、天上世界で自由に誰とでも交流できる人になれないので、不可避的に、このような訓練をしなければならないのを知ってください。 どうですか。年をとったおじいさん、おばあさんが嫌いな人、手をあげて見て下さい。いないのですか。それでは、好きな人、手をあげて見て下さい。あげてない人が多いですね。皆さんに約五百歳にもなったおばあさん、おじいさんを預けたらどうしますか。それでもいいですか。(イエース) 年を取った人程、もっともっと好きにならなければならないのです。この世界で一番年を取っている御方は誰かというと神様です。 そうですよ。神様を愛する人は、その神様よりも年下の人を、より以上に愛さなければなりません。 そういうわけで、神様の主義は大家族主義です。 人種を超えた愛 その神様の家庭は、日本人もアメリカ人も一緒になれるのです。「アメリカ人は一緒でいいけれども、日本人は嫌だ!」なんていったら、そのような白人の家に日本人が行くようになります。そして嫌う人が、追い出されるのです。そうしてこそ、理想的ではないでしょうか。 理想的とは何でしょう。理想的とは、赤なら赤ばかりが一ヵ所に集っているのが理想的と言えるのでしょうか。赤も白も色とりどりに入り混じっているのが、理想的であると言えます。どうですか。(イエース) 絵を画く時に、白い色だけが必要でしょうか。白人たちが、白い色だけを好みますか。(ノー)みんな必要なのです。黒もともに必要なのです。 黒もそうです。黒い馬と黄色い馬が別々になっておたがいに「ねね!黒い馬は黒い馬同志で、黄色い馬は黄色い馬同志になろう」とこう言うでしょうか。(ノー)(笑い) 犬もそうでしょう。黒い犬、黄色い犬、白い犬と、黒い犬は黒い犬の方に行きなさいと言うでしょうか。(笑い) ところがどうでしょう。人間は何故そうではないのですか。一体何が間違ったと言うのでしょう。ですから造りかえなければならないのです。レバレンド・ムーンが現れて、これはこのように造くりかえるから、と言えば、神様は、良くやってくれと言われて喜ばれるでしょうか。それは駄目だと言われるでしょうか。(喜ばれます) ですから皆さん、今年は、どれほど神のような心情を持って、父母の伝統を受け継ぎ、人類を愛する家庭的心情の因縁を拡大すべきかに、力を注がなければなりません。 それで結婚していない皆さんは、理想家庭をつくる計画を立て、訓練すべきでありますし、結婚している人々は、自分の家庭の形態を拡大させ、全世界に適応することができる働きをしてこそ、ここに地上天国は実現されるということを、はっきりと知っておくべきです。 地上天国と理想家庭は、切り離すことができません。こういうことになるのです。 今年はこの年頭標語のように、理想家庭を中心とした天国を実現しなければなりません。これが皆さんのモットーでありますからこれを日常生活の基準にして頑張って下さい。 皆さんに、神様の祝福がありますように願うものです。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.20
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「子女の日のみことば」1976年11月22日ベルベディアにて 堕落圏より養子圏へ きょうは一九六一年から数えて十六回目の子女の日でありますが、統一教会では、この日を重要な行事の一つとして定めております。 本来は人類の祖先のアダムとエバが、み旨の中において堕落せずに完成していしたとするならば、子女の日とか神の日とか万物の日とかこういった日は、一日で終わるのであります。 被造世界の全宇宙は、神を中心とした真に幸福な日として、愛の設定の日が始まったのであります。神が喜び祝うその日をすべての天使世界と被造万物は、昆虫や微生物に至るまで讃美し祝うようになったはずであります。その日は喜びの出発であり、幸福の出発であり、愛を中心とした出発であります。しかしアダム・エバの堕落によってこれが反対になってしまったのであります。全部が転覆してしまったのであります。神が喜びうる日はなくなってしまったのであります。子女達が喜びうる日もなくなったのであります。さらに動物は人間のために創られたものでありますから、主人がそのようになったので万物までが嘆息せざるをえない圏内に入らなければならなかったのであります。それが堕落圏内であります。 栄光と喜びの王を中心とした王族の出発がなされなければならなったのが、反対に悲しみの王であるサタンを中心として、サタンの王族が出発したのであります。 神の本来の創造理想が、善の王国を中心としたこのような創造理想であったために、絶対なる神は理想を実現する立場にあるので、堕落した人間を再創造するため再び救援する摂理を始められたのであります。そしてこれを復帰するためには、僕の僕から僕、養子の時代を経て、子女の時代、父母の時代まで復帰してこなければならないのであります。 いくら人間が本来神の子女であるからとしても、すぐには神の子女に戻れないのであります。すでに血統的にサタンの血統を受け継いで生れたのであるから、この血統を交差せずしては、到底神の子女として帰る道がないのであります。 本来皆さんが堕落せずに生れたならば、神の直系の子女なのであります。それにもかかわらず実際はサタンの直系の子女として生れたので、血統が違っているのであります。それが神の前に子女として帰っていくには、そのまま帰っていくことはできなません。養子という立場にしか戻ることはできません。そして養子は血統が違うのであります。 養子になるには では養子になるにはどうすればよいでしょうか。養子というのは何でありましょうか。まず養子は僕より勝れなければなりません。神側の僕よりも勝れた立場にならなければなりません。サタン側からみればサタンが悪なる世界の主でありますが、サタンよりも勝れなければないのであります。 なぜかといえばサタンは本来天使長であります。天使長は僕であるので僕より勝れなければ養子になれないというのが、原理なのであります。 そしてこのサタン世界は私の手でもって征服するという心を持たねばなりません。そうせずしては養子になることができません。歴史始まって以来もし神を慰める道があるとすれば誰よりも慰めることのできる、誰よりも慰める代表者が出てきてこそ、初めて養子の出発ができるのであります。 そのうな歴史を標準として、悠久な縦的歴史時代を経て一つの民族を動員して、このような養子圏を作るために、神が苦労されなければならない、という結論が出てくるのであります。 そのような観点からみる時、養子が出てくる目的は何でしょうか。それは神を父母として侍る相続圏を受け継ぐためのものであります。では本来神の息子がいるにもかかわらず、なぜ養子を立てるのでしょうか。息子がいないから養子が必要であって、息子がいれば養子は必要ないのは当然のことであります。したがって養子を立てる目的はどこにあるかといえば、真なる息子を立てることにあるのであります。 それでは息子に対してどのような養子でなければならないのであろうか。私が神の相続圏を受けたとしても、その相続圏は私のものでははく、神の本来の息子の前に引き継ぐことのできる相続権である、という思想をもった養子を作らなければならないのであります。 だから養子というのは、これから来るべき子女のために、自分の生命のすべてを犠牲にしても神の本心から願われる子女が生れることを願い、自分は真の子女のために準備されている、とう心を常にもたなければなりません。養子としての名を立てずしては、子女と関係をもつことができません。堕落することによって天使長より一段階高い中間的段階として出生したのが養子であることを、皆さんは念頭におかなければなりません。 養子の使命 このような意味で神は旧約時代にこうした原則的な標準に合わせるために、特定な民族としてイスラエル民族を選んだのであります。僕の僕、いいかえれば天使長が失敗した基準を中心として、神側の天使長の使命を成した群とそのような宗教がなかったので、そのような民族と宗教の代表として立ったのが、キリスト教民族の中にメシヤを送るために、四千年間メシヤ思想を中心として教育してきたのであります。 そして神側の天使長の使命をもったキリスト教民族を完全に一つにして、天使圏のすべてを相続し、養子的立場から息子として返すことのできる一人の特別の人物を準備しなければならなかったのであります。 その養子はどういう人かといえば、結婚した人であってはならないのであります。なぜならば神の直系の子女が結婚できなかったので、結婚することができないのであります。 このような原則があるので今日までカトリックでは、修道士とか修道女とか神父が、みな独身生活をしてきたのであります。そして独身生活する意味は、そのような養子圏基盤が残っている故であるということを、今日彼ら自身も知らずにいるのであります。 養子になったために結婚してはならない、という意味が分ったでしょう。なぜか、神の真なる子女が結婚していないからでありました。 ではユダヤ教においてそのうな代表者は誰なのか。それが洗礼ヨハネなのであります。三十年間イナゴと野蜜を食べながら貞節を守ってきた洗礼ヨハネの立場は、これからこられる神の息子であるメシヤのために、全キリスト教の国とキリスト教の民族を収拾して、神と真なる息子の前に捧げるべき代表的使命を担っている、という存在であるということを、その時のキリスト教の国とユダヤ教は、夢にも思わなかったのであります。 この洗礼ヨハネは、キリスト教民族とユダヤ教を代表して、全体を糾合してメシヤの前に導いていくべき責任がありました。 そのためにユダヤ教の祭司長が、みな洗礼ヨハネの神の如く侍らなければ救援することができないのであります。救援の道はそれしかないのであります。そして洗礼ヨハネがすべてをとり戻して、イエスが神の愛する息子であり、神から約束された息子であることを証しするその時には、全部がイエスの主義に一つのなるのであります。 キリスト教民族は民族全体がユダヤ教で一つになっている国で、国自体が教会のようなものであります。その指導者である祭司達が、洗礼ヨハネが独身者で家庭基盤がないからといって、彼に対して「私が伝統を築いたのだから私の話を聞け。」といったら滅びてしまうのであります。同じように洗礼ヨハネと一つになっていたユダヤ教とキリスト教民族であっても、イエスが独身者だからといって「あなたは基盤がないではないか、我々の基盤をあげるから私のいうことを聞け。」というような原則はなりたたないのであります。 今日キリスト教において再臨主がこられるとしたら、「私がカトリックの教皇である、再臨主がひとりでこられたらその独身の人は信ずることができない。われわれの枢機卿が全部調査してから信ずる」などというやり方は通らないのであります。このように教皇がサインしてからメシヤがくるのでしょうか。神がサインしたからメシヤがくるのであります。 養子と実子の違い 洗礼ヨハネが養子であることが明確に分りましたね、では神の息子になろうとすればどうすればよいのでしょうか。神の息子と養子とはどのように違うのでしょうか。それが問題なのであります。目が四つあるのでしょうか、鼻が二つなのでしょうか、耳がひっくり返っているのでしょうか。何か異なる所があるのでしょうか。目も二つでありますしみな同じであります。何をもって真の息子がくることができるのでしょうか。それが問題であります。 養子はサタン世界の血統を受け継いできたが、真の息子は神の血統を受け継いでこなければならない、という点が違うのであります。そう考えれば、原理にあてはまるのであります。 腹の中に赤ちゃんをもつ時、サタンは「これは私の血統を受け継いだ息子であるから私がひっぱっていく。」というのであります。妊娠した時からサタンが私の息子であると主張できない、そのような血筋を清めた立場において生まれずしては、神の息子とはなりえないのであります。 あなたたちはどうでしょうか。血筋が違うのであります。 宗教の使命 聖書にはオリーブの木の比喩が沢山ありますが、あなたたちは偽りのオリーブの木であり、これからこられる新しい息子は真のオリーブの木であることを知っております。 堕落したのちに生まれたすべては偽りのオリーブの木でり、これは本来サタンが作ったものであります。 それで神はどうするかといえば、サタンの偽りのオリーブの木の畑をもっては自由にすることができないから、神が自由にできるオリーブの畑を作るのであります。これが宗教であります。サタンの偽りのオリーブの木の畑は、神様は自由にすることができません。神が自由に木を切りたかったら切り、抜きたかったら抜く、そのような畑が必要なのであります。このような事情のある歴史だから神が神が自由にできる偽りのオリーブの畑を拡大させて、世界的な宗教圏へと動かしていく時がきたのであります。 イエス様が来られる時と、再臨の主が来られる時こそ、そのような時であります。そしてここに真のオリーブの木が出てくる日には、偽りのオリーブの木を全部切り捨ててそして真のオリーブの木に接ぎ木するのであります。すなわちこれを復帰しようとするのであります。 それで堕落した歴史時代であるがそれを通して、本来の神の子女としての世界を成していこうとするのが、救援摂理なのであります。 このように接ぎ木しておけばどうなるでしょうか。偽りのオリーブの木になるでしょうか、真のオリーブの木になるでしょうか。接ぎ木することによって真のオリーブの木、すなわち神の子になることができるのであります。 宗教をなぜ立てるのか、ということを明確に知らなければなりません。宗教がなぜ出てきたかを知らずに歩んではなりません。 現在世界は、宗教圏文化世界とその他の世界、そのように二つに分けることができます。終わりの日が近づいてきたときのであります。子女の日を迎えて知るべきことは、神の真の子女がこの地上にこられたかどうか、イエス様が真の神の息子か、偽りのものか、ということであります。キリスト教の牧師達も、なぜイエスがメシヤであるかそれを証しすることはできないのであります。 たしかにイエス様は外的に見ると、釈迦より孔子よりも劣るのであります。しかしメシヤとして何が異なるかといえば、天の血統が違うのであります。それを明らかに知らなければなりません。 それが分ればまちがいなくイエス様は孔子より偉いし、釈迦やマホメットは天の血統を受け継いでこなかったのでありますから、釈迦よりマホメットより偉いのであります。 エバの復帰 そういうことについて少し話しをしてみましょう。堕落した子女がどのように生まれてきたのでしょうか。 人類始祖アダムとエバからであります。 皆さんご承知のように、蕩減復帰するためには、その時失ったその形通りを再現せずしては、復帰できないことが鉄則なのであります。 ここにおいてエが堕落する時、サタンを中心として一つになったのでありますが、それではエバはどのような立場に立っているのでありましょうか。夫を否定した立場に立ったのであります。女性たちは注意しなければなりません。だから戻っていくにはアダムが先に戻っていくわけにはいかないのであります。堕落する時のエバの立場を蕩減復帰するには、サタン世界における父や夫の立場に反対する女でなければ、戻ってくることはできないのであります。 このような公式を中心としてみる時、本来宗教は新婦の宗教なのであります。だから女性が宗教生活をすると男性は常に反対するのであります。 神を求めていく女性においては、常にサタンが反対し男性が反対するようになっているのであります。なぜかといえば蕩減復帰するためであります。 リベカの立場 それでは神のみ旨において神はいつ、みんなバラバラに別れてしまったのを復帰するのであろうか。それはアダム・エバから二千年すぎたイサクの時代がきて、エサウとヤコブの母リベカを中心として成されたのであります。 ヤコブの母が夫やエサウに対して許すことのできないことをしたのであります。リベカの立場は何の立場だったのでしょうか。エバの身がわりをしたのであります。堕落した世界のエバの立場を代理したのであります。そうせずしては蕩減復帰されないからであります。 神側に戻すために、サタン側を代表した父の立場に立たされたのがイサクであり、息子の立場に立たされたのがエサウであります。 それはなぜかといえば、父子の関係は縦的だからであります。神を中心としてみる時神とアダムの関係も縦的であります。 そのような関係においてエバが父なる神を裏切り、息子を裏切ったように、サタン世界においても、父を裏切り息子を裏切りることによって復帰していくということは、原則にあてはまるのであります。 原理からいえば長男はサタン側であり、次男は神側でありますが、本来はカインとアベルにおいてこれを復帰しようとしたのであります。弟が兄の立場に上がり、兄が弟の立場に下りてこなければならないのであまます。なぜかといえば神のみ旨の中において、本来の長男が神の息子であり、サタンの息子ではないのであります。だからそれを転換しなければならないのであます。 ヤコブの祝福 長子がカインに奪われてサタン世界を成したので、新しい世界をもたらすメシヤは神側よ血統を受け継いだ二番目の息子の立場でこられる、という結論がでてくるのであります。 そのように聖書の中において、二番目の息子を祝福する理由がここにあるのであります。エジプトにおいても長子を打ったのであり、次子は神がとることができたのであります。ですからイサクがエサウとヤコブを祝福する時も、手を交差して祝福したのであります。 リベカはエバの失敗を蕩減復帰しなければならなかったので、夫と息子の立場にあるエサウをだまさなければならない、という結論になるのであます。 堕落する時は反対だったのであります。神をだまし息子もだましたが、今度は神のため父なるサタンをだまして、反対にならなければならないのであります。 このようにしてエサウとヤコブの二人の息子を中心として転換するのであります。弟が祝福を奪って兄が弟になるのであります。 聖書をみると、リベカの腹中において戦ったとあるが、リベカが子を生む時神の前にお祈りすると、神は「あなたの腹中には二つの国があるであろう。兄は弟に侍るであろう。」と言われたのであます。それと同じようにここにおいて交差されるのであります。一つの腹中において戦っている六であります。 腹中で兄弟同志戦うのであります。カインとアベルは生まれてかやら兄弟同志戦ったのでありますが、エサウとヤコブは腹中で、生まれる前にすでに戦っていたのであります。 リベカとヤコブを見れば、二人で企てた詐欺師たちであります。しかしそのようなことをせずしては、神側に帰る道がなかったのであります。 それによってヤコブが、初めてこの地上の神の土台を作ることのできる出発者になるのであります。 リベカと別れてヤコブは、ハランの地にきて二十一年間働くのであります。一方イサクとリベカが生活しているのでありますが、リベカは何をすべきかといえばイサクとエサウのヤコブに対する反感や嫉妬の感情を、リベカがすべてとりもって復帰しなければならないのであます。 このため神のみ旨からみる時、エサウの長子の祝福をヤコブに返さなければならない、ということが、理論的に成立するのであります。 リベカは夫をだまし、息子のエサウをだましてヤコブを神側に立てたのであまますが、これが将来において神側の男性を育てることになるのであります。ここにおいてはじめてカインとアベルの歴史が完全に始まるのであます。アダム時代のカイン、アベル型の長子と次子の区別がなくなりはじめるのであります。なぜかといえば堕落したのを蕩減したからであります。 蕩減してからイスラエルという選民圏が始まるのであます。祝福を奪ってこられたのであります。 聖書の中の話しは、このような背景を中心としてヤコブを祝福する、というこの原理を知らずしては解くことができないのであります。 レアとラケル サタン世界であるハランの地においてヤコブは、二十一年回十回もだまされ利用されながら新しい家庭を築いたのであります。 皆さんもよく知っているように、ヤコブは七年間一生懸命に働いたのちに、レアと結婚させられたのであります。なぜかといえばおじもサタン側でありますから、サタン側においてもヤコブが自分の好きな妻を娶るようになれば、サタン世界の血統が完全にふさがれてしまうので、そこでいかにして神側の血統にサタン側の血統を入れさせるか、ということをサタンは思うのであります。 それで結局ラバンは、レアをラケルの代わりにヤコブと結ばせるのであります。 レアと結婚してしまえば、サタンの願いどおりになってしまい大変なことになるのであります。 それでさらに七年間もっと苦労して働き、レアを代えてラケルを本来の中益位置に立てるのであります。 イスラエルの十二支派が、後日二支派と十二支派の南ユダと北イスラエルに分れる遠因が、この二人の母親にあるのであります。 その後ヤコブが歩まなければならい道は、本郷の母をたずね、父子兄弟間におこったあらゆる問題を解決しなければならないのであります。もしそれを成さなければ、戦いは再び始まり子孫の代まで続いていくのであります。 このようにして個人的な対決の時代から、家庭的な対決の時代が始まるのであります。 神側はヤコブを中心として家庭が霊肉一つになり、一方サタン側ではエサウを中心として家庭が一つになっているのであります。 天使に勝利したヤコブ それでは神の息子ヤコブを誰が先に試してみたかといえば、サタンが先にやったのであります。 それで堕落した天使を代表した天使を送って、天使よりも勝れなければならないのであります。天使を代理として遣してヤコブを打つのであります。それがヤボク川における角力であります。私は二十一年間の受難の道を受けたのだから、私の行く道をふさぐこの天使にも勝つのだ。」ということをヤコブは知っていたのです。 ラバンのところにおいて十度だまされながら神は私を祝福したのだから、それに対して君がいくら反対したとしても私に屈服させられるであろう。」というような信念を植えつけるために、十度も神は修練したのであります。言いかえれば神が保護したのでありました。「天使よ、神が私と共にいるのだから、君は私に負けるのである。」 こうしてヤコブは歴史始まって以来、人間として天使と戦って勝利した最初の祖先になったのであります。 腰のつがいがはずれながらも勝ったのであります。死んでも離さないと知ったので天使が祝福したのであります。 これによってヤコブは霊界を支配することのできる人になり、霊的天使世界の天使が堕落してサタンになったのであるから、サタン世界を屈服させうる根拠をここに立てたのであります。 このように勝利して、勝利したという意味のイスラエルという名をもらったのであります。 それでヤコブが行く道において、霊界は常に協助するのであります。 ヤコブの家庭的勝利 それからそそにおいて天使に勝ったので、次はエサウに出会うのであります。霊的天使に勝利したので、神に安心して肉的エサウに出会わせるのです。サタンは全面的に手を出せないのであります。サタンはエサウにであります。サタンはエサウに対して干渉できないというのであります。 そしてヤコブは何をするかといえば、今まで自分がハランにおいて研究したように、二十一年働いて得たすべての財産を、兄さんのものであります、といってエサウにすべて与えるのであります。 エサウは、二十一年間自分の長子の特権を奪ったことに対する恨みで、ヤコブを打ち殺そうとしていたが、外的にすべてをくれるのでそこに感動したのであります。 それからみるとエサウは現実主義者なのであります。神であろうが何であろうが、将来の神のみ業などどうでもいいのであります。 現実主義者でありますから今お腹が一杯になればいいのであります。こうしてエサウは帰ってくる弟を歓迎したのであります。ここで世界が転換したのであります。 このように二人が一つになると、母と父は長子をだましたといって怨讐になっていたが、息子と息子が互いに喜んでいるので父も母も喜ぶようになるのであります。そうしてみんなが喜ぶようになるのであります。 このようにヤコブを中心として家庭が一つになるのであります。 そのようなことはユダ教の人も知らず、キリスト教の牧師たちも知りません。しかし君たちは知っているのであります。 では知っている人が勝利するでしょうか、知らない人が勝利するでしょうか。 このことからも神は知っている統一教会と共におられることが分るのであります。 こうして家庭的イスラエル圏が始まるのであります。ヤコブは、成長して約四十才になって兄から長子の嗣業を復帰したのであります。 タマルの腹中転換 ここにおいて本来は赤ちゃんの時から出発しなければなりませんでしたが、四十才になるまでそれがなされなかったので、四十才から母の腹中までの距離が残っているのであります。 そのためにこの間にサタンがいつでも入り込めるのであります。どういうことかといえば、イスラエルの国の歴史の背後においても、未来に行く道においても、常にサタンが侵入することができるということであります。 ですからイスラエルの家庭は、その侵入を防がなければならない責任があるのであります。 そこでヤコブの息子ユダを中心として、再び腹中において両側に分けて交差する戦いをしなければならないのであります。 聖書を見るとユダ支派を通してメシヤが来る、と書いてあるが、なぜユダの支派を通さなければならはいかということは、今日まで分らなかったのであります。 それを説明しましょう。 それはユダ支派を通してこのブランクの過程を清算した、という事実があるためであります。ユダの家庭において、リベカの家庭のエサウとヤコブの戦いを再びしなければならないのであります。 ユダの嫁の中にタマルという人がいるが、マタイの福音書にこのタマルが出てくるのであります。 本当におもしろいことにはタマルはしゅうとのユダと夫をだまさねばなりません。 タマルは自分の夫が死んだので、本来イスラエルの伝統からいえばその弟をもらわなければならないが、その弟が嫌だといったので打たれて死んでしまったのであります。そして三番目の息子が生きていたがまだ子供なので血統を引き継ぐことができない。しかしタマルは自分の血統において神の血統が結晶されるのを願っていたのでありました。自分がどうにかしてヤコブの血統を保とうとするが、若すぎる三番目の息子ではそれは不可能であります。そこでしゅうとを欺して関係を結んで、その血統を残そうと努力する女なのであります。 タマルは娼婦に仮装して、しゅうとが畑仕事をしている道端に行って誘惑して、関係を結び妊娠するのであります。 とても不思議なことが多いのが聖書なのです。世の人達はこれをどうして信じることができるでしょうか。レバレント・ムーンが出てきたからこれらのことがみな解決できるのであます。 結局タマルは誰を欺したかといえば、息子としゅうとをだました、というこの公式が、エバとまったく同じなのであります。 結局リベカはヤコブを生んでからヤコブを大きく育てて神側に戻したのであますが、タマルはどうしたかといいますと、息子を腹中において神側に復帰したのであります。 それを知らなければなりません。カインとアベルのような立場を、腹中において転換したのであます。腹中においてこれを転換しておけば、サタンは腹中の子には讒訴することができないのであります。そうすふことによって宇宙が転換するのであます。 タマルの腹中において二人の子供が戦う時、神に「私の腹中で二人の子供が戦っています。」と言いますと、その時神はリベカに言われたのと同じことを言われたのであります。 「腹の中には二つの国があって、兄は弟に侍るであろう。」とまったく同じ返事をされたのであます。 この時長男が先に生まれようとして、手が先にてきたので、産婆が緋の糸を結んだのであます。それは将来共産党が出てくることを象徴するのであります。 そのうに長男のゼラが先に出ようとしたのですが、それを押しのけてペレツが出てきたのであます。 こうすることによって腹中で戦ってすべてを清算したために、これからこの伝統的な思想を受け継ぐイスラエルの女性中において、腹中にいる赤ちゃんに対してサタンが讒訴できないという決定的基盤を整えたのであます。 国を求める二千年間 腹中においてこのような伝統を受け継ぎ、ユダ支派を通して伝統を受け継いで出てくる子女は、腹中からサタンが讒訴する条件が一つもないのであります。 このようにユダ支派を通してメシヤがくることができる歴史的伝統の偉業を、私たちは明らかにすることができるのであます。 ですからユダ支派からメシヤが出てきた、すなわち神の子女が生まれたとてもサタンが讒訴でないという基盤、すなわち神の血統からメシヤが生まれることができる伝統的基盤が整えられた、という理論が成り立つのであます。 それが神にとってどれほど嬉しいことであろうか。それでの女性たちが様々な苦労をしたのであすが、その時で神の血統を受け継ぐことができなかったのであります。 その時腹中きおいて交差したので、ここから二千年間をすぎたのちにイエスが来ることができるのであます。 ユダ支派の血統について、メシヤが誕生するまでなぜ二千年間必要であったかといえば、サタン世界が国家的基盤を整えているのに、イスラエル氏族が国家形態をもっていなかった故に、サタン世界の国家に対しる神の世界の国家がなければ、カインとアベルの関係を蕩減することができなかったのであります。 それで国家形成期間として、二千年間待たねばならないという結果になるのであります。それで二千年後に初めて歴史を転換させるための準備をしなければなりません。その時がすなわちメシヤがこられる時なのであります。 問題はエバがやったことを家庭を経て国家的世界的にしなければならないのであます。 家庭的に勝利したのでありますから、氏族的にヤコブ、ユダ、タマルの三代を経て勝利した基盤をなした歴史を転換して、国家的な基準にしなければなりません。 そのためには世界的相対を前にして国家的な転換運動をなし、国家を打ち砕かなければなりません。 マリヤの立場と使命 そしてその仕事を誰が責任をもななければならないかといえば、女性が責任をもたなければならないのであります。 それは誰かといえばマリヤであります。同じ原則によって父と夫をだまさなければなりません。そしてマヒヤの夫は誰か、ヨセフであります。サタンが父の立場、ヨセフが夫の立場であります。その父と夫を欺さなければならないのであります。なぜなというとエバが堕落した時、アダムは自分の婚約した夫だったのであります。それと同じ立場に立たせるのであります。だから、ヨセフもそれとまったく同じ婚約した立場であました。 エデンの園においてエバをサタンが奪っていったから、サタン側にいるそのエバを神が奪ってこなければなりません。 マリヤをみる時、夫であるヨセフを中心として関係がなされてならないのに、他の人の子を妊んだとすれば父母が歓迎したでしょうか。二人とも歓迎しないのであります。 しかしマリヤら、自分はタマルやリベカのように神から祝福を受けたのだから、自分の腹中から生まれる子供は神による子である、と信じていたのであります。 さらにマリヤは、将来イスラエル民族にメシヤが送られる、という一つに希望的な祝福が成されることをよく知っていたのであります。 マリヤは使命を果たすためには父母も夫も問題でなくみ旨に従う、そのような妻であったことを知らなければならないのであります。 このようにしてサタンからまったく讒訴されない神の息子が、初めてマリヤを通して生まれ、その歴史的な因縁を蕩減して生まれた人がイエス様であります。 このようにイエス様のみが神の息子のなることができる、という結論になるのであります。神の愛を一身に受けられる最初の息子であります。十字架と神のみ旨 こうして歴史的に最初に緊張した祝福の場面が展開することによって、イスラエル民族の生きるべき道を開いた、世界を復帰する一人の主人公がこられたのでありましたが、しかしイスラエル民族はこの主人公を殺してしまったのであります。 こように歴史的な過程を通して、摂理的蕩減期間をへて、歴史的な基盤の上にイエス様を送ったにもかかわらず、十字架で死ぬために送られた、というような思想が、今統一教会に反対しているのであります。 神が最も衝撃を受け悲しまれる十字架という言葉を、十字架が救援の動機になったといっているとはありうべからざることであります。 十字架につけられたその瞬間は、神にとっては言うに言えない瞬間でありました。イエス様は神に、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれたが、その時神は答えなかったのであります。 神は言いたかったのであります。「私はあなたが死ぬことを願ってはいなかった。」と。 このようにして歴史的に深刻な決定的秘密を、レバレント・ムーンが、キリスト教世界に、宗教世界に明らかにしました。 マリヤはイエス様を生んだのち、ヨセフと生活してはならなかったのであります。そういうことを宗教家達は知らないのであります。そしてカトリックでは、マリヤを聖母だと言っているのであります。 ヨセフと生活していたマリヤを宗教家たちは、そうしてはならなかったのだ、というようにみることができないのであります。原理原則を知って初めて彼らの誤った観念を正すことができるのであります。 きょうこの話を聞いた人は、神のみ旨はそのようになっていたのかと驚くことでありましょう。旧約以後のユダヤ教もこのみ旨を受け入れなければなりませんし、キリスト教も更めて教理を修正しなければならないということは、原理的、理論的原則が明らかにするのであます。 キリスト教の霊的基盤の上に 歴史過程において神が生きておられ、このように摂理され、神のみ旨を立てる歴史的な事実があったにもかかわらず、今までそれを知らずして、神のみ旨を放棄してきたのであります。 これらのことを知って、神が歴史過程に生きていることを知らなければなりません。このような迫害の歴史を経てキリスト教は霊的国家基盤を整え、更に霊的世界基盤を整えてきたのであります。 それゆえに本来ならば、霊的のみならず霊肉を中心として、アダム、エバの根本的な復帰完成をしなければならないにもかかわらず、霊的な立場において、イエスは夫であり、聖霊は新婦であるというように、霊的父母の基盤を中心として導いてきたのが、今のキリスト教なのであります。 だから、キリスト教は霊的基盤のみでありますから、この現在世界を捨てなければならないのであります。 統一教会はどうか、われわれは霊肉両面において復帰するのであります。今までの話のごとく、統一教会は、世界的キリスト教の基盤を中心として整えてきた霊的な基盤の上に、肉的基盤を組み立てて合わせる仕事をしなければなりません。 そのようにしてアダム、エバが失なった神の日、父母の日、子女の日、万物の日を、今日統一教会は歴史的過程を通して、父母の日、子女の日、万物の日、神の日と再びとり戻すようになったのであります。 この驚くべき歴史的事実が始まっているということを、他の誰も知らずにいるのであります。 子女の使命 今日韓国の国家的基盤を中心として、アジアを通して、世界的中心がここアメリカにきているのであります。アメリカにおけるレバレント・ムーンが問題であります。私がアメリカに来て失敗したのか、成功したのか。すでに判定戦は終わったのであります。アメリカの宗教界においていくら勝れている人でも、レバレント・ムーンの所にきて学ばなければなりません。真理を学ばなければならないのであります。 このように神が歴史の中におり、時代の中におるということを、若者たちに教えれば、若者たちは教会を離れたりするでしょうか。決して離れることはないでしょう。 それではどうしてイエスのみがメシヤであるということになるかといえば、イエスのみが血統的に根本において清められてきたのでありますから、お釈迦様もできず、孔子もできず、マホメットも成しえなかったことを成しえたのであります。 ゆえにただイエスを通してのみ天国に行く、という堂々たる結論が出てくるのであります。これは誰も否定することができない結論であります。 以上で統一教会の位置と使命が分ったと思います。 今後統一教会の道は神のみ旨を大きく果たしていくであましょう。 きょう、子女の日でありますが、これからは先生が子女の栄光をもつことができるよう皆さんがやってほしい、皆さんが子女の権威をもって、堂々たる子女になってほしいのであります。統一教会の道であることを知って、子女の名でもって頑張ってくれることを願うのであります。 新しいピリグリム・ファーザーズ 二百年アメリカの歴史が斜陽化するこのごろにあたって、三百年に向う明日のアメリカのために、われわれは養子の時代を過ぎて子女の権限をもって世界にはばたいていくことが、今後統一教会の道であることを知らなければなりません。 今はそのような時代であり、皆さんの時代であります。 新しい歴史時代のわれわれは、新しい歴史を担おうとしてここにきたのであります。 新しく二次的に集められてきたピルグリム・ファーザーズのようなものであります。 新しいアメリカはわれわれの手の中にある、という信念をもたなければなりません。その信念をもっていれば、必ずやアメリカは救われるのであります。そのためにはキリスト教と一つにならなければならないのであります。キリスト教は、われわれと一ちになるようになっているのであります。行くべき道がないから必然的に一つになるようになっているのであります。 そのような意味において、きょうこの子女の日、新たなる進軍を誓う勇士とならねばなりません。 イエス様に負けず、先生に負けない皆さんになることを願っております。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.19
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「救援の公式と伝統」1976年10月10日ベルベディアで 堕落によって失ったもの 皆さんがよく知っているように救いの摂理は、復帰の摂理であります。また復帰されるためには、堕落のない堕落以前の本来の姿に戻らなければならないということも、よく知っております。人間の堕落によって人間の本来の姿からはずれてしまう結果となったために、すべての堕落した人間は、創造本然の状態に戻らなければならなくなったのであります。 では、堕落によって何を失ったのでありましょうか。第一に人間は、信仰を失ったのであります。われわれは、神のみことばから離れてしまったために、みことばと一体化できなくなってしまったのであります。すなわち神のみことばを失ってしまったのであります。それ故われわれは、みことばの主体から離れてしまい、主体と対象との間に一体化がなくなってしまったのであります。 アダムとエバは、天宙の主人公となるべきはずなのに、その位置を放棄してしまい、サタンが天宙の主人公の位置を奪ってしまったのであります。神の創造の本来の願いは、天使界を含めた万物すべてに対して、主管性を発揮することでありました。しかし、人間の堕落によってサタンが支配者となり、人間をも主管するようになってしまったのであます。 人間は、神に対して真の愛を捧げるべきでありました。そして神と一体化すべきでありましたが、堕落によってサタンと愛の授受作用し一体化してしまったのであります。故に堕落以後人間は、サタンと一体化し神の血統の代りに、サタンの血統となってしまったのであります。 人間がサタン天使長に主管されるという原理はありません。あるいは人間の主管がサタンに与えられるということはありません。そのようなことは、本来の創造原理にはないことであります。人間が、神の言葉でなくしてサタンの言葉に従い、サタンと一体化しサタンの奴隷になるということは、神の本来の世界にはなかったことであります。 神の創造本然の世界では、人間が神の言葉に従順となり、神の言葉を受け神の心情と神の人格と一体化するということが原理でありました。人間が神の真理と愛と人格と一体化したら、サタンの言葉と愛と人格と一体化するということは、なかったはずであります。したがって堕落人間にとっての希望は、神のみことばと人格と愛を復帰することであります。 この世では多くの人々がお金とか知識とか権力を求めています。そしてそういうものが影響力があるものとなっております。しかし神の目から見れば、これらのものは取るに足にないものであります。すべての堕落人間は、神のみことばと人格と愛の三つの要素を追求するように連命づけられております。 しかしこれらの三つの要素を確保するためには、人間は神を確保しなければなりません。そうすれば神の中にそれらのものを見い出すことができます。 公的な人間とは 今日、歴史の交差点において、われわれは神がもっとも公的な御方であるということを知らなければなりません。 では公的な人間とは、どのような人間でありましょうか。公的な心を持った人間とは、どのような人間でしょうか。公的な心を持った人間は、主体の位置を占めております。では主体とは何か。それは、常に対象の為に存在するものであります。対象の為に奉仕し、益となるために自己を与えるのが主体であります。主体の位置が定まらなければ、他の何ものも位置が定まりません。主体は錨のようなものであります。それは、すべて周囲のものの位置を定めます。主体の位置が定まれば、所有の観念ができ、主人として現われてするようになるのであります。 たとえば一つの王国を考えてみましょう。そこには王様がいます。王様は、主体の位置を決定し、それによって自動的に対象の位置を決定したします。さらに国民の性格や風習や慣習が定まるのであります。 次に主体の役割は、何でしょうか。主体はつねに責任ある位置にありますので、主体はつねに責任を引き受けるのであります。 たとえばわが統一教会におきましても、教会の主体となるためには、その人は責任がなければなりません。教会のすべての責任を引き受けなければなりません。だから皆さんがたは、毎日いろんなことを行い苦労し経験しておりますが、すべての責任は、実際的にはレバレント・ムーンの責任になるのであります。 たとえ皆さんがたが、困難に出会ってもまたは、批判されるようなことをしても、いつも私が批難されることになるのであります。 それはなぜか。レバレント・ムーンが主体の位置にあるからであります。同じように宗教者の誰かが、何か悪いことをしたり無責任なことをしたら、結局は人から神様の責任とみなされることになるのであります。それは神様がすべての宗教者の主体であるからであります。 人間を判断する基準 いま全世界がわれわれに注目しております。とくにレバレント・ムーンが何を話すか、何をするのか注目しております。私が自己中心的なことをしていないのか、自己の利益のために説数をしていないのか。あるいは本当に公的なことをしているのか。それをはっきり見極めて判断しようとしております。 彼らは、第一になぜ私がいろいろなことをしているのか、第二にどのような目的を持っているのか、第三にどのような活動、行動をしようとしているのかなどを見極めようとしています。とくに彼らは、レバレント・ムーンがどんな生活をしようとしているかを見つめております。私が私的な人間であるか、メンバーのために自らを与えようとしているかを注意深く見つめております。 世間一般におきましても、ある人を見つめる時、その人が自らの言葉と行動が一致しているかどうかを判断します。そしてその人が言行一致の人であったなら、自動的にその人は、主体としての位置、すなわち責任ある位置を与えられるのであります。 昔から人々は、指導者を選ぶ際に公的な心を持った人を求めたのであります。それが神様の性質であり方式であるからです。このような公的な心を持った人は、神に似た神の似姿であるから、人々はその人を尊敬し、その人に従おうとしたのであります。 友達の中に二種類の友達があります。善と悪の友達です。悪の友達は、単に自分の友達を利用して自分の利益を計ろうとします。反対に友達のために自らを犠牲にし奉仕する友達は、真の善の友達であります。 この善意の基準は、ただ友人関係にあてはまるのではありません。親子関係、隣人関係、その他すべての人間関係にあてはまるのです。 皆さんを判断する場合、皆さんがどれだけ神に近い人であるかどうか、すなわち自己中心的な利他中心であるかによって決定します。 われわれ統一教会のメンバーが、言行一致の人物か、統一教会の利己的な利益のために存在しているのか、奉仕するグループをみて判断いたします。 国を判断する基準 国を判断するのも同じ公式であります。たとえばアメリカが良い国であるかどうかの判断は、アメリカがどれぐらい公的かどうかによってなされます。もしアメリカの国と国民が、自国のために外国とつきあい、搾取しようとしたら、アメリカは悪い国と思われます。アメリカのキリスト教は、アメリカだけの宗教ではありません。それは神の宗教であります。全人類のための宗教です。 キリスト教は、神に即した宗教であるが故に、神はキリスト教の故にアメリカの国を祝福したのであります。いいかえればアメリカが神の祝福を受けたのは、信仰のおかげであり、神に基いたからであります。さらにそれは、アメリカに対するだけの祝福ではありません。全世界に対するものなのです。 このように見てくると、一つの公式、基準というものは、個人からすべて天宙にいたるまであてはまるのであります。 歴史的に人類は、三つの要素を追求するようになっています。一つは、真理もしくは真理の言葉であり、第二は、真の人間、国民であり、第三に、真の愛であります。 人類歴史は、今日まで聖人といわれる人々の言葉を受け入れ、言葉に従うことによって進歩してきました。では果して聖人とは、どのような人々でありましょうか。それは、神を中心とした人々でありました。そしてすべての平民は、それら神を中心とした神の言葉を語る神の代表である聖人の助けを求めないとしたら、神のもとに復帰される道がないのであります。 歴史上において、または現代において人間を二つの種類に分類することができます。それは、聖人と偉人であります。偉大な人はたくさん居りますが、聖人はたくさんいません。 偉人と聖人の違い では偉人と聖人は、どう違うのでありましょうか。 聖人とはまず神を中心とした人であります。偉大な人というと、いろいろな種類の人が居りますが、彼らは必ずしも神を中心とした人々ではありません。 アメリカの歴史を例にとりますと、そこには何人もの偉大な人がいました。ジョージ・ワシントンもエイブラハム・リンカーンも偉大な人でありました。では、なぜそれらの人々を聖人と呼ばないのでしょうか。たしかに彼らは、神に対する信仰は人に劣らず持っていました。彼らの祈りや言葉をみると、彼らは熱心に神に祈り、スピーチの証しも神に対する信仰に満ちています。しかし彼らの中心的テーマは、アメリカという一国であったのであります。つまり彼らの中心的問題は、人類ではなかったのであます。 全世界の救いのために祈ったのではありませんでした。彼らは、神を中心とした国とか神の国といったことは考えませんでした。全能なる神の代表としての国をつくろうとは、考えなかったのであります。 たしかにそれらの人々も、神から選ばれたことには違いありません。ワシントンもリンカーンも、とくに神が選んだのであります。しかし神が彼らを選んだのは、アメリカの独立の為とか、ある特定の限られた使命のために選んだのでありまして、全世界の救いという最高の使命者、すなわち救い主として選んだのではありませんでした。 神の召命には、いろいろの程度があります。神は、ある特定の使命のために、その程度のちがい国々か時代のちがいによって、様々な召命をなさいます。その程度のちがいが神に対する近さを決定するのです。 たとえばアメリカ建国にあたって、ジョージ・ワシントンは、国民の英雄でありました。しかしイギリス帝国の側からすれば彼は、反乱軍の主謀者であり裏切り者でありました。 つまりある人物が、英雄であるかどうかの判断基準は、普遍的に世界的にあてはまるものではなかったのであります。韓国の歴史においても同じことがあります。一五九二年に日本軍が韓国に上陸し侵略しようとした時、李靈臣将軍は、日本の艦隊を撃滅しました。彼はたしかに、韓国の歴史上の偉大な英雄となりました。しかし日本側からみれば、けっして彼は良い人ではなかったのであります。彼は、日本の兵隊を多数殺害し日本の船を沈めた人物であったのです。 では聖人は何か。聖人の範疇は何か。それは、神と完全に一つになり一体化した人間であります。その人は、神の似姿であり神の代表としての役割、使命を果そうとする人間であります。 その目的は、全世界の復帰であり人類の願いであります。さらに神の側に属する善なる人だけというこではなく、神に反逆して罪を犯す悪の人々にも救いの手をさしのべて、それらの人々を神の前につれ帰る役割を果そうとして努力する人間であります。いいかえれば聖人とは、いかなる人をも敵としない人物であります。また敵とすることができない人物であります。 堕落による怨讐関係 堕落した人間の中には、そのような聖人を見い出すことはできません。なぜならば、そもそも最初からアダムとエバがお互いに怨讐となってしまったからであります。堕落の行為によって彼らは、互いに怨讐となってしまったのであります。アダムとエバは、こういい合ったにちがいありません。 アダムは「エバ、あなたが私を堕落するように仕向けたんではないか」というし、エバは「いやアダム、あなたこそ私の主体の位置にあったのですから、あなたこそ私を主管して導いて罪を犯さないようにすべきであったのでしょう。それは、あなたの責任なんですよ。」といったにちがいありません。 サタンもまた人間の怨讐関係にありますので、人間が「サタンよ、お前のせいで我々が惨めな立場になったのだ。」といったら、サタンは「いや、そうではない。あなた方人間が役割を果せず失敗したので、私まで犠牲になったのだ」といいます。そしてまたわれわれ人間は、神様すらも批判します。「神様、もしあなたが全知全能の神様であったら、なぜ私達を惨めな立場においてしまったのですか。」 こうして人間の堕落以後、神と人間、人間と人間、人間と天使のすべての関係が怨讐になってしまったのであります。したがって国家間の関係も怨讐関係、搾取関係に堕いったのであります。いかに相手を利用するか、いかにして自分を益するかを考えてつき合うようになるのであります。 心の中に敵を持つな では、皆さんはどうですか。たとえ反対する敵があったとしても、心の中に敵のある者は、それは天国の神様のもとに行く資格はありません。神の天国は、敵を持った人々の場所ではありません。 ニューヨーク・タイム紙やワシントン・ポスト紙は、われわれに対して批判的な記事を連日載せました。われわれからいえばこれらの新聞は、憎らしくて破り捨てたいほどですが、私はこの十二日間祈りつづけました。そして広告を載せるようにしたのです。憎らしいはずのワシントン・ポストにお金を出して広告に出し、友好的につきあい愛そうとしたのです。そうすれば心ある人、正しい考えをする人々は考えるに違いありません。レバレント・ムーンは、普通の人間ではない、常識をのり越えた思想を持ち、崇高なる考えの持主だと感ずるようになるのであります。 第二世代による復帰摂理 だからわれわれが、一歩上に立った崇高なる戦略を、あるいは公式を追求していくならば、われわれの第一の世代の次元においては、われわれは犠牲となるかもしれないけれども、しかし常に神は、第二代の世代、第二代の二世の世代を通して働くのであります。 例えばワシントンポストの例えをとって言えば、ワシントンポストのオーナー、あるいは編集長とかあるいは社長とか、そういう人々は我々の敵のままでいるかも知れませんが、しかし神は常に彼らの子供を通して働くのであります。だからいずれ時が来れば彼らの子供たちが大きくなって彼らの自らの親たちに反抗するようになります。これが神の原理であり復帰の公式なのであります。 神は常に第二の世代を通して働かれます。第一世代であったアダムとエバは堕落してしまいました。希望がないところまで落ち込んでしまいましたが、しかし神は第二の世代たちアベルとカインを通して復帰のみ業を進められたのであります。この公式が歴史を通して働いてきたのであります。歴史上、神様のために本当に神を信じて神に従って、人々は時には犠牲となり、あるいは迫害を受けあるいは殺されてきました。けれども、彼らは第二の世代においては勝利者となったのであります。彼らは常に次の世代において、征服者となったのであります。 逆境を益とする心 われわれは生活においてひとつの重要な考え方を常に持っていかねばなりません。まず第一に、われわれは、いかなる批判を受けようとも、その批判が高くれきぜんとして立っていかなければならないということであります。その批判によって影響されてはいけません。それが第一の重要なことであります。いかなる批判によっても意気消沈したり、あるいは、傷ついたり、あるいは、やる気をなくしたりしてはいけません。そういった状況からは超越しなければなりませんし、影響されてはなりません。 第二に皆さん方は、あらゆる批判を受けたとしても逆に皆さんの為の刺激として利用しなければなりません。彼らと皆さんをさらに飛躍せしめる跳躍台とする為の刺激としなさい。いいかえればあらゆるその否定的なるあるいは反対的なる、その批判というものをそういう逆境を、より積極的なよりプラスとなる目的に向かって利用しなければなりません。 なによりも強い公的心 だから結論としていうならば、われわれは、自らの為でなくして自己中心でない目的の為に、公的な神を中心とした目的のために前進しているのであります。それに対して目的の為にそれらの批判する人々は自己中心的な自分中心のそういった動機にもとづいて否定的なる批判をわれわれに与えてくるのでありますから、だから彼らはいかにわれわれに対して悪くあり、あるいはいかに優勢であるかのように見えたとしても、われわれの神に対する献身、そして利己的でない目的は必ず彼らのいかなるものよりも、より強いはずであります。 彼らのいかなる否定的な批判的な面よりもまさっているはずであります。だからこれが勝つということ必ず勝利するということ、これがわれわれの標準とならなければなりません。 これはレバレント・ムーンのこれまでの生活を通しての基本的な生活の原則でありました。レバレント・ムーンがこのアメリカにやって来ました時に、彼らはレバレント・ムーンを心よく扱いませんでした。それどころか彼らに対してレバレント・ムーンに対して意地悪をし、そして非常に辛辣でありました。しかし彼らは不公平なる批判をすればする程、レバレント・ムーンは決してそれによってくじけることはありません。レバレント・ムーンもあるいは教会の幹部たちも決してそれによってくじけることはありません。それどころかそれによって一層決意し一層われわれは、大義のために献身してきたのであります。 これがわれわれのこれまでの通ってきた道であります。こうしていかなる逆境の中にあってレバレント・ムーンは前進しマジソンスケアガーデンを行い、さらにヤンキースタジアムのキャンペーン、そしてますます激しく反対の声が強くなる中で、台風のように強くなる中でワシントンモニュメントの大会まで突き進んできたのであります。 絶対に勝ちえる生活原理 こういうことでこの原則に従って、神はレバレント・ムーンに味方せざるを得なかったのであります。味方せざるを得ません。この原理原則の公式からいってもこれは絶対に正しいことであり、絶対にそれが最後の勝利を勝ち得る原則なのであります。 われわれはただ単なる原理を持っているだけであります。われわれに反対する人々、それがどんなに反対し、どんなにわれわれを打ちこわそうと破滅させようとしても、われわれは絶対に勝ち得る公式は何か。それは反対する人たちが食べる時に私は食べない。彼らが眠る時に私は眠らない。彼らが遊ぶ時に私は働く。これがわれわれの決意であり、そして彼らのいかなる反対の活動もわれわれの一層の前進のための刺激として、そして、常に高く目標を揚げていく、これがわれわれの原理原則なのであります。 さらにまたわれわれが成していることは、統一教会のためでは絶対にありません。われわれは何も統一教会のために献身しているのではありません。われわれは神の大義のために、全人類のために、そして我々の後孫のその幸福のためにこういうことを行っているのであります。確かにこれまで、反対がたくさんありました。彼らは必死となって反対しました。レバレント・ムーンを何とかしてやっつけてやろう。失敗させてやろうと彼らは必死となってやってきました。そして悪意のあるキャンペーンを彼らは行ってきました。 W大会は神と歴史を代表する しかしどのような悪なる逆境の中にありましてもどのような烈しい反対の中にありましても、われわれは、今や大勝利を達成したのでありました。ワシントンモニュメントの大会は決してレバレント・ムーンの為の大会とかあるいは統一教会の為の大会ではありません。それは歴史的な大会であり過去と現在と未来を現す歴史的な大会であります。これはまさに神の大会であります。この大会は神を代表、歴史を代表するものであります。 だからわれわれは、目標を高く揚げ最高の目標を揚げ、最高の記録を最高の基準を越えて、そして過去において現在、将来においてもこれを匹敵できないようなそういう最高の目標と、最高の基準と最高の記録を達成しなければならなかったのであります。これがわれわれの基準でありました。 ワシントンの地域を良く知っている人であればワシントンについて知っている人は、本当にその大会の結果はとても信じられなかったのであります。彼らはその大会にレバレント・ムーンがあれ程の人々を集めたということ、そしてとくにあれだけ多くの有色の人々、人種が集まったということがまず第一の疑問でありました。 そしてああいう、黒人とかそう言った人々が、集まった時には、いつも麻薬の問題とか、あるいは、不良が多いですから、物が盗まれたとか、あるいは喧嘩したとかそういった事件が起こるにちがいないのですが、その日はすべて平穏でありましたし、黒人はその日は最大の偉大な市民でありました。いかなる力をレバレント・ムーンは持っているのだろうかと人々は信じられないくらいに驚いたのであります。 皆様御承知のようにわれわれは神の原理を知っているのであります。ワシントン大会において何も奇蹟であったのではありません。奇蹟ではありません。魔法ではありません。魔法使いでも何でもありません。それはただ単に神の原理原則の現れであったのであります。だからわれわれはこの同じ原理を今後も持ち続ける限りわれわれの生涯において、われわれはあらゆる時にいつでも等しく勝利を勝ち得ることができるはずであります。 神の願いは何か 皆様、神様についてどう思いますか、神様は聖人を求めていますか、あるいは家族を求めますか、あるいは聖人の国を求めますか、どのような範囲の何を求めて何を期待していると思いますか。当然のことながら最も簡単な答えですが、神様は聖なる国を求めているのであります。 だから統一教会の目標は何か。われわれは神の最も重要なみ旨を達成しようとしております。神が最も愛するのは何か、神の最も望むものは、聖なる国であります。だからわれわれはこの地上に聖なる国家を打ち立てようとしているのであります。その聖なる国家こそ地上における神の国として知られているものであります。それは当然なことであります。そうでしょう。(イエス)。 もしここに初めて来てレバレント・ムーンの話を聞く人がいるとしたら、彼らはレバレント・ムーンが気狂いにちがいないと思うかも知れません。レバレント・ムーンの目標は普通の人の夢を超えている。普通の人の想像を超えている、どうしてそのようなことができるかと思うかも知れません。われわれ統一教会は、その目標に向かって努力しています。実際にわれわれはその目標に向かって行動していますか。(イエス) 何故われわれはそのような位置にあるのか、それは神様がわれわれの絶対的な意味において神様はわれわれにとって絶対的な御方であり絶対的なる目標を持った御方であるからであります。 さらにそれ以上に最も重要なことがあります。それは、われわれの目標は神を中心としていますが、それはただ単にひとつの国のみではないということであります。ひとつの救いとか、ひとつの社会でなくしてわれわれの目標は全世界、全人類、全宇宙を神のもとに帰すことであります。 だから統一教会の特色は第一に絶対的に神を中心としているということ。それから第二にそれが唯一の宇宙の天宙的な目標であること。第三にわれわれの理念は神を中心とした理念であるということであります。レバレント・ムーンが作った言葉でありますが、ゴッドイズム、神中心主義が我々の理念であります。 われわれの目標はさらに全霊界すらも解放するということであります。普通の人は地獄へ行けとか、地獄へ行く運命にあるとか、そういうことをいいますが、われわれはそうではなくして地獄を解放するのであります。それがわれわれの責任というのであります。 そして統一教会の特徴は、敵を認めないということであります。われわれにとって敵なるものは存在しないのであります。レバレント・ムーンにとって敵なる者は存在しません。 神様はこう考えるのであります。もしレバレント・ムーンが神を愛する人間ならばむしろこのようにどんないかなる逆境、迫害の中にあってもこの世に出ていって、最も厳しい困難な中においても彼は、信仰を絶対に守りそして前進し偉大な勝利を勝ち得るであろうと、神はそれを知っているのであります。これによって本当に彼が神をあらわすものであるということの証明となる、という具合に神様は考えるのであります。 ではこれからどういう事なると思いますか。実際にこういう事を通していって最後にはどういう結果になるでしょうか。それはそのようなはっきりとした道を通って行くことによって、本当に神様は、このサタン世界からの祝福を神の世界に移し変えることができるのであります。本当にこのみ旨に従事することによって、サタンすらも攻撃することを通して成長し、恵みを受け継ぐのであります。これが神様の公式であり原理であります。 つまり、一方に善があり、一方に悪があるとしたならば、悪が善を攻撃します。その場合には善は何も打たれる理由がありませんから、その悪たるものは蕩減を払わなければなりません。そして善が栄えることになる。これが不変なる法則であります。だから例えば、悪なる人間が善なる神の側の人間を攻撃するとしたら、神は常にその子女達をして、その子女達に恵みを与えることができるのです。それはある意味では、我々からの復讐ということにもなります。 神の奴隷 もし皆さんの中で両親がレバレント・ムーンに反対している人がいたら手を上げて下さい。おそらくそういうところでは、家庭に何か問題があるはずです。今はあまり手を上げた人がたくさんいないので、それは良いことでありますが、それなら、なぜ親が反対しているのにここにいるのですか。なぜ毎週日躍日にここへ来るのですか。なぜ統一教会のために一生懸命働くのですか。 レバレント・ムーンは、はっきりとした目的をもっています。皆さん方はそういう意味において利口なわけです。反対する皆さんの両親は、本当にレバレント・ムーンに悪意をもっているのですけれども、そして追い出そうとしているのです。それは、あまりにも皆さん方がレバレント・ムーンを愛し、従うからです。彼等は何とか皆さんの心を勝ち得ようとします。しかし彼等はある意味で自己中心的であります。 それに対してレバレント・ムーンは皆さんを訓練し、そして聖なる人間にしようとしているのであります。本当に天地が認めうる聖なる人にしようとしているのであります。だからどんなに反対しても、反対する人達は衰退することになります。だから皆さんはこの道を歩もうとするのでしょう。 この道には広く深いものが待っています。多くの親たちはレバレント・ムーンを批判し、レバレント・ムーンに反対します。彼等は自分達の子供が奪われ、奴隷のようにされていると思っています。しかし皆さんに聞きたいのですが、私が皆さんに私の奴隷にならなければならないと言ったことがありますか。皆さん方はそのような奴隷になろうとしているのですか。皆さんはそれほどおろかなはずはありません。 確かにある意味では、レバレント・ムーンは皆さんを奴隷のようにしているかもしれません。しかしそれは何もレバレント・ムーンのためではありません。それはこの国のためであり、世界のためであり、神様のためであります。我々はそういう意味では、神の奴隷となるべきであります。 仕える者が真の子女である 実際聖人になる道は神様のために自分を否定して、自己中心的でなく、奴隷の如く神様のために尽くす道こそが聖人になる道なのであります。実際聖なる人とは神の最良の奴隷であるといってよいでしょう。例えばリンカーンはどうだったでしょうか。彼は、彼の国アメリカにおいて最高の奴隷でした。国のために本当に犠牲になった人であります。 それはいかなる種類の奴隷であるか、もっとも良い奴隷とは、実際にもっとも仕える者であります。彼等は主人のために生き、主人のために死にました。しかし重要なことは主人が一体誰であるかということです。例えばここに一人の主人の息子としもべがいるとしましょう。その息子は非常に悪い手におえない人間で、しもべは仕えるのが義務ですから、それでもその息子に仕えていったなら、主人は決してそのしもべを罰することなく、かえって息子の方を罰することでしょう。そして、その息子を戒めてしもべを救おうとするでしょう。そしてその息子を追い出し、代りにそのしもべが主人から愛され、後を継ぐということになります。 選民はイスラエルでありました。彼等は神のしもべとして選ばれたのであります。統一教会の我々は神のしもべとして選ばれたのであります。ではレバレント・ムーンは何か、ある意味では最もみじめな神のしもべであります。 先生も仕えるために来た 多くの人はレバレント・ムーンは幸せなやつだ。彼は何でも持っている。高価な生活をして、素晴らしい大きな家に住んでいる。だから幸せなやつだ、と思うかもしれません。しかし、実際に彼を知っている人は彼に同情せざるを得ません。なぜならば、彼こそ最もみじめで最も悲惨な方法で、神にこきつかわれている神のしもべだからであります。 もし皆さんの親たちが何も知らずに反対するのであれば、本当のことを知らせて教育しなければなりません。また、彼等の反対が自己を中心としたものであれば、それはどんなことをしても神様の目から見て正しい人ではありません。イエス様は言われました。「自分はこの世の人から奉仕されるためにきたのではなく、かえって仕えるためにきたのである」と。レバレント・ムーンも同じであります。レバレント・ムーンは、いつも誰よりも一生懸命に働いています。誰よりも自分にきびしく烈しくムチを打っています。もし他の人より良い物を食べるとするならば、心の中では、他のメンバーは同じ食事をしていないということについて、本当に申しわけないと思っているのです。 考えてみなさい。統一教会は始めからそうなのであります。そこを我々は少しづつ築いていったのです。誰がこのようなものを作りましたか。実際神様はレバレント・ムーンを見つめる時に、その心は痛むのです。なぜならばこのレバレント・ムーンはあまりにもみじめだから、神様はこのレバレント・ムーンに同情せざるを得ないのです。ある意味では本当にみじめな立場に置かれているのです。 先生は、皆さんに聖なる人になってほしいと思っています。全ての人間が聖人になれるのです。聖人とは何か、それは神に対して絶対的な信仰をもっている人であります。それが第一の条件であります。我々は神の目的を我が目的としなければなりません。神の目的は世界を救うことです。だから我々の目的も世界を救うことであります。これが我々の目的であります。 成功と繁栄は神の公式から 確かに我々は神の前にいる敵を知らなければなりません。皆さん方は敵がいますか?いるでしょう。(ノーノーノー)自分の教会、ニューヨークのどこの教会でも、いつも皆さん方は、その教会長や上に立つ者を批判して、自分の教会長はこうだとか、あるいは愛が無いとか、あるいは態度が悪いとか、何とか言って、いつも不平を言うではありませんか。これがまさに天使長がエデンの園において、神の息子、娘を奪ったその原因です。 いつも不平を言い批判している人はルーシェルのいとこです。このことを覚えていなければなりません。忘れてはいけません。今の話しを聞くまではおそらく心の中で、誰かきらいな者がいたでしょう。ああ、彼はきらいだ、あいつはいやだと。ところが今の話しを聞いて、ああ、これはいけないんだな、と心から悔い改めますね。 よろしい、それで正道に行きましょう。それでは皆さん、敵をもっているの、いないの、(笑い)今笑っている人はサタンの攻撃に苦しむよ、今はっきりわかりましたね、レバレント・ムーンはその全生涯を通して人から批難され、あるいは誤解され、攻撃されてきたけれども、しかしこのような大きな事をなしてきました。これがまさに生きた証拠であります。神の力のみがこのような成功をもたらすことができるのであります。他に何もありません。まさに神の力によってこのように成功することができたのです。皆さんはこの事を認識しなければなりません。 神の公式を実行することによって、先生は成功して、繁栄してきました。だから皆さんも同じ公式を歩むことによって、生涯の生活において、同じように勝利することができるのです。だからわかりましたか。本当にこの事がわかる時に反対や迫害があってもかまいませんか。(かまいません)。 み旨のチャンピオン だから我々は角力のチャンピオン、ボクシングのチャンピオンのようなものであります。我々は、今、リングの上に立っています。そしてその回りには多くの観衆が見ています。もしこのリングで負けたなら、我々は第二の位置に甘んじなければなりません。第二の位置とは負けた者の位置です。勝利者のみがナンバーワンになることができます。これが我々の立つべき位置なのです。 レスリングやボクシングにおいて、普通はそのリングにおいて二人のチャンピオンが戦うとすると、普通は一方が殴ってノックアウトした時に勝ちになります。これが普通の勝ち方です。しかしもう一つ尋常でない勝ち方があります。それは本当のチャンピオンは「さあ打て、多いに打て」と、それでいて、チャンピオンは打たれながらも堂々と岩のように立っていて、決して身動きしない。倒れない、そしてついには打つ方が疲れてしまって倒れてしまう。こういうノックアウトの仕方があり、最も普通で無い勝ち方である。レバレント・ムーンはそのように考えてなっているのです。 レバレント・ムーンは、過去三十年間このリングに立ってきました。その間あらゆる種類の人間が彼を打撃し打ち負かそうとしてきました。いつもそうでした。彼等は皆、レバレント・ムーンをノックアウトしようとやってきました。三十前間です、それから既成のキリスト教会もレバレント・ムーンを異端だとか、何だとか呼んで、そして何とか引きずり落し、倒そうとやってきました。けれどもレバレント・ムーンは決して倒れない、倒れるどころか増々強く大きくなっていく、ついには既成教会の方がまいってしまう、これが現状であります。 神の忠実な青年たち だから今では先生はとても気もちのよい話しを聞いています。今まで迫害し、反対してきた政府の高官たちが本当に倒そうとしてきたが、今では、「やっぱりレバレント・ムーンはたいしたやつだ、英雄だ、偉大な実に偉大な男だ、巨人だ、本当の英雄だ」と言っています。あるいはキリスト教の反対してきた人たちや牧師たちも今では「やあ、彼は天才だ。本当にそれは認めなければならない。彼はまさに神の人だ。偉大な作戦を持っているし、頭もいい、まさに天才だよ、彼のやり方は天から、神からきているに違いない」と、こういうようになっているのです。 そしてレバレント・ムーンがアメリカに来てからも、アメリカ中が、白人が、西洋のダブルシメントの人たちが何とかレバレント・ムーンを攻撃し、やっつけようとしましたが、今や彼は無視できない存在となってきました。 多くの人達がレバレント・ムーンを倒そうとやってきましたが、今では彼は負けない。倒されないと認めざるを得なくなったのです。だから彼等はレバレント・ムーンを攻撃しているけれども、しかし実際に目の前でレバレント・ムーンに付き従ってくる多くの若者達を見て、一体これほど忠実な青年たちが、アメリカのどこを見ても、アメリカの歴史においてもいなかったこのような青年達がどこからきたのかと不思議でならないのです。いったいレバレント・ムーンの力はどこからくるのかと。 彼等は、レバレント・ムーンに従ってくる青年達は全てレバレント・ムーンに忠実だから、ひとたびレバレント・ムーンが彼等に何かせよと悪いことでも言えば、あるいは人を殺すのではないかと、そんな具合に恐れているのです。しかし彼等が知らないのは、レバレント・ムーンが神の人であるということです。レバレント・ムーンは神を中心とした義なることをやっていることを知らない。だから先生は皆さんに人を殺せとか、悪いことをせよとか言いませんし、できません。 逆境における勝利 レバレント・ムーンに反対する人達は、彼らが自ら戦いに出てこないということを知っています。自分たちのレベルまではさがってこないということを知っています。レバレント・ムーンは最高レベルにおいて戦っている。しかし彼等のレベルにおいて戦っているのではないから、彼等は、レバレント・ムーンは大酒飲みとか、あるいは悪いことをしようとしているとか、何だかんだと反対します。あらゆる角度から反対しようとします。共産主義者すらも反対するようになっているし、マスコミも反対します。あれほど悪らつに反対しています。これが今までに我々が経験してきたことです。 最も重要なことは、最も美しい、且つ勝利のための秘訣であります。つまりそれは逆境において勝利することであります。いかなる困難な状況においても、いかなる否定的な環境においても決して信仰を失うことなく、決してビジョンを失わず、常に神の位置に自らを置きなさい。歴史を通して一番反対されたのは誰ですか、神様です。実際神様こそ一番反対されてきた方なのです。だから皆さんも神の立場に身を置いて、神が耐え忍ばれたと同じように、皆さんもまた、耐え忍ばなければなりません。歴史を通して、神様は、この世界を救おうという目的を決して忘れたことはありませんでした。だから皆さんも、一瞬たりともこの世界を救済しなければならないという使命を忘れてはなりません。 統一教会の目的 神は、サタンを中心として、堕落をもたらしたものである、ということをよく知っています。しかしそれでも神様は、サタンとともに働くこともあるのです。神はサタンを罰して、ただちに地獄に突き落すなどということは、なされませんでした。それと同じように、現在多くの人たちがわれわれに対して悪意をもって敵対しておりますが、しかし皆さんは彼らを許してやり、彼らとともに働き、彼らの心を獲えるようにしなければならないのです。 皆さんは、自らを神の立場に置きなさい。皆さんが原理原則に従って生活したならば、決してサタンは讒訴することはできないのです。なぜなら、サタンが唯一讒訴することができない存在は、神様だけだから、皆さんが神のごとくになるならば、そこには何ら讒訴する条件がないのです。それゆえに神は、今まで何千年もの間、ずっと忍耐してこられたのです。 神が今もっとも願われることは、聖なる者の出現であります。これまでの歴史というものは、神の願いとする者の出現がなかったための、延長された歴史でありました。ですからわれわれは、今からでも聖なる者となるための、努力をしなくてはなりません。そうすることによって神の復帰摂理が、より促進されるのです。 歴史の転換を成す者 今日統一教会がこの歴史の交差点にあらわれたということは、重要な意味をもつものであります。そしてわれわれは、今までの歴史において誰一人として思いもおよばなかった宇宙の救済、神の悲しみを解放する、という偉大な目標を宣言いたしました。全人類の救済と神の完全なる一体化、ということを堂々と主張しているのです。 われわれは新しい時代に生きています。そして統一教会は、歴史の転換を成しつつあるのです。われわれは、この新しい時代の先がけにおいて、中心的推進力となって活動しているのであります。 歴史に現われた聖人の中で、一体誰が一番偉大であったでしょうか。私は世界のあらゆる宗教の聖者たちを心から尊敬しています。仏教、儒教、イスラム教、その他多くの指導者たちを心から尊敬しています。それではこれらのすべての宗教の中で、世界の救いという目標を明確にもっていたのは、誰だったでしょうか。この世界を救わんがために、生命までも捨てていったのは誰であったでしょう。このように考えてみた時に、神のみ旨を成就するためにすべてを犠牲にして、神のみ旨をわが思いとしてすべてを捧げた人は、イエス・キリストただ一人であったということを知るのであります。彼こそもっとも偉大であり聖なる人でありました。彼の教えのすべては、単なるひとつの考えというものではなくして、霊界においては厳然たる事実そのものであるということを、私は知っております。 神の希望の群れ それではわれわれ統一教会の目的は何でしょうか。その革命の目標は何か、まさにイエス様と同じであります。さらにわれわれはイエス様以上の目的を達成しようという者たちであります。また、われわれの使命は、イエス様以上の一層困難な使命であります。しかしわれわれは、それを成そうというのです。二千年前に来られたイエス様は、その生涯においてまさしく世界救済を成そうとされたのですが、しかしわれわれの知る多くの理由によって、その目標を達成することができませんでした。しかしイエス様は、必ず再び来て世を救うと宣言せられたのです。今やまさにその時であり、み旨を成就する時であります。そしてわれわれの生きているうちに達成することが、一人びとりの使命であります。もしわれわれが生きている期間に、このみ旨を成就することができたならば、まさにそれはイエス様以上のことを成すことになるのです。 今、霊界においてイエス様は、今朝のこの説教を注意深く聞いておられます。ではイエス様はこの説教を聞いて「何、君たちが私よりも偉大な者になるって」といって腹をたてているでしょうか、あるいは「その通りである、まさに私が二千年前に成そうとしたことはそれであ、私はこのことを聞いて本当にうれしい。私に代わってその使命を果す者が現われて、その目標を達成することができるのを、この目で見ることができるのがうれしい」と言って喜ぶでしょうか。答は皆さん自身がよく知っています。では神様はどうでしょうか、神は一人子イエスを冒涜されたと言って統一教会を責めるでしょうか、とんでもありません。異端というのは、実は神の原理原則にはずれたことをする者たちをいうのです。 今日のキリスト教会は、あらゆる教派、宗派に別れており、誰もが皆、自分の教派が一番偉く、自分が偉大であると思っています。このようにキリスト教が四百にも五百にも別れて、互いに対立しあっているのを見て、果してイエス様はどのように思うでしょうか。「ああ、私にはたくさんの訪れる家があってとても嬉しい、今日はこの宗派に、明日はあの宗派に行ってやう、私にはたいへん多くの希望があって実に楽しい」といって、イエス様は喜ばれるでしょうか。あるいはこの現状を見てイエス様は心を痛められるでしょうか。神様の心も、イエス様の心もともに、悲しい思いに満たされているに違いありません。 アメリカが摂理の中心 キリスト教がこのように別れてしまっている中に、統一教会なるものが燎原の火のごとく現われて、この世界とキリスト教会を、統一しようというのです。こういう姿を見た時に、神様も、またイエス様も気分はつらつとしたものであるに違いありません。この統一教会において、自分はメソジストだとか、あるいはプロテスタントだとか、カソリックだとか言っている人がいるでしょうか。われわれは統一教会員なのです。自分はローマンカソリックだなどと言っている人が皆さんの中にいますか。(ノー) ここにはいろいろな宗教の代表が集っています。あらゆる宗派の人たちが一緒になって座っています。もし神様が合理的な神様であり、イエス様が常識的な理性をもった御方であられるなら、今こうして、あらゆる宗派、人種、あらゆる言葉をもった人たちが、すべてひとつのイデオロギーを中心として、ひとつの理念のもとに団結し、幸せに調和されている姿を見たら、これは大きな希望と思うに違いありません。だから世間の人たちが何と言おうとも、われわれの理念はその結果によって、さらに勝っていると言えるのであります。われわれはよりよい生活を知っています。そして真に神の原則に、より近い存在であります。 教多い宗教の中で、キリスト教がその中心であるのは、すべての聖人の中でアメリが一番偉大であるからです。神がキリストにおいて、その姿を現わしているからです。さらに今日、神は最後の救いの摂理を実現させるために、キリスト教にもとづいた国家を必要として、アメリカを選ばれたのであります。アメリカはまさにそのために選ばれたのです。しかしながら、現在アメリカは、神から与えられた祝福と遺産を急速に失いつつあるのです。そしてその祝福をいたるところで、広がりつつある共産主義に奪われているのであります。 ニクソン政権の時、レバレント・ムーンは彼のやり方を批判した一人であります。彼は外交政策において、共産圏に対して中国に行ったり、緊張緩和ということで妥協策を講じたり、軟弱なところがありました。そういった点をレバレント・ムーンは批判したのであります。しかしそれでもレバレント・ムーンは、大統領を支持し支えようとしたのです。なぜならアメリカの大統領が弱くなって、国民に支援されなくなれば、ますます共産主義が拡大し、その結果がいかに恐しいかということを知っていたからです。 アメリカの危機 ウォーターゲートの危機的な期間において、レバレント・ムーンは、アメリカがキリスト教の精神でもって団結しなければならないという声明を発表しました。キリストの精神は三つの言葉で言い表せます。すなわち、許せ、愛せ、団結せよ、ということであります。実際ニクソン大統領を批難したワシントンポストの記者たちを始め、反対運動の先頭に立った人たちの中で、果して聖書がいうように、最初の石を投げることができるような、罪の無い人はいたでしょうか。神の目から見て、純粋に罪の無い人はいたでしょうか。アメリカ人はよく言います。基本的な法律は憲法である、と。しかしアメリカは、その憲法に根ざしているという国益の名のもとに、これまで数多くの悪らつなことを行ってきました。例えばCIAのさまざまな悪行が暴露されているし、国益のために外国の元首に毒をもったなどとか、さまざまなことが言われています。このようなことはアメリカのためだからといって、憲法で許されるでしょうか。否、神の目から見た場合に決して許されることではありません。 もしアメリカがその権力を世界のために、神のみ旨のために使うならば、それは正義となるでしょう。しかし、もしアメリカが国益のためにそのようなことをしたなら、それは善なることとはいえません。ウォーターゲート事件の時に、大統領を批難した人たちも、もしそれが世界のために、神の正義のために批難したのであれば、それはもちろん正義となるのであります。しかし反対に、彼らの動機が義でないものであったならばどうでしょうか。 だからウォーターゲート事件の時にレバレント・ムーンが声明を発表したのは、世界に対する心配があったからなのです。それは世界が共産主義によって受ける脅威を心配したからです。神の目から見て、このことが最も重要なことでありました。だからアメリカの大統領は無傷のままにおかなければなりませんでした。 ニクソン大統領は強いリーダーシップと、指導性をもっていましたから、彼であるならば、ベトナムやアジアにおける破滅状態を避けることができたでありましょう。しかし、ウォーターゲート事件の後には、大統領の力が弱まり、皆がお互いを批難しあうようになり、新聞がきわめて強い力をもつようになってきました。このようなきわめて最悪な状態に、アメリカ全体がなってきたのであります。 世界を動かすマスコミの力 今朝はこの部屋に、かつてワシントンポストで働いていた、われわれの親友、強力な味方がレバレント・ムーンの話を聞きに来て下さっています。このような方々は、現在マスコミに起こっている、さまざまな問題に対して非常に心配しておられます。例えば日本における大新聞のほとんどが、ますます左傾化し、共産主義の方向に向って活動しているといったことについてです。実際彼らが行っていることは、次第次第に日本を破滅させるような方向に導いているのです。 こういったことがなぜ起こるのかといえば、共産主義の勢力が労働組合という形を通して新聞の会社に入り、ストライキなどによって作業を中断させて、彼らの要求をつきつけてくるからなのです。経営者の方も新聞を発行して利益を上げなければなりませんから、少しづつ彼らの要求に屈服して行かざるをえなくなっているのです。そうしていよいよ、共産主義者の都合のよいような記事を書くようになって、会社での重要な彼割りを奪っていくようになるのです。こうして、ついには国さえも売ってしまうことになるのです。労働運動が極端になってきて、今では彼らの道具となっているのです。あらゆる所において、ヨーロッパにおいて、イギリス、日本、アメリカにおいて、彼らは賃金を要求するとともに、産業界を麻痺させようとしています。これが、レバレント・ムーンにとってもっとも頭の痛いところであります。 彼らは目に見えない形において労働組合に浸透し、左翼勢力を拡大し共産党の道具としつつあるのです。しかし国民の多くはこのことに気づいてはいません。なぜなら、彼らの手口は巧妙で少しづつ浸透してくるからであります。それはまさにガン細胞が肉体を蝕む時と同じようにです。 勝共は自由世界唯一の希望 共産主義者たちは、レバレント・ムーンが彼らにとって最大の障壁であることを、充分に知っています。だから彼らは韓国に対し警告しています。レバレント・ムーンはあなたたちの背後にいるトのようなものである。このままにしておいたなら、必ずや政府にとって脅威となるでしょう。こういう具合にレバレント・ムーンと政府とを引き離そうとしているのであります。皆さんもいろいろと聞いているでしょうが、レバレント・ムーンはKCIAと結託して国を動かそうとしているとか、さまざまなうわさが流れています。しかし皆さんはそんなことにまどわされてはなりません。 皆さんは、なぜ彼らがそのように攻撃するのか知っているはずです。それは彼らの戦略であり、何とかレバレント・ムーンの戦力を弱めようという、彼らの戦術なのです。実際レバレント・ムーンは徹底した反共主義者であり、反共のみならず勝共を主張しているのであります。韓国において勝共連合をつくり、過去十年間に二千万人の人々に勝共教育をしてきました。これはすべてレバレント・ムーンの考えに従って行ってきたことです。さらに日本においては、今や勝共連合は自由主義を主張する人たちにとって、唯一の希望となっているのであります。彼ら各界の指導者たちは異口同音に、勝共連合こそが日本の希望であると言っているのです。さらに彼らはわれわれの助けを求めているのです。それは一体誰がそうしたかといえば、すべてレバレント・ムーンが始めたのです。 レバレント・ムーンは以前に、日本の勝共連合に対してこのように言いました。「共産主義者たちとテレビで公開討論会を行ないなさい。」と。そしてラジオ・テレビの全マスコミを通じて、公衆の前で討論会をするように言いました。共産党の理論とわれわれの理論と、一体どちらが正しいのか討論しようではないか、と呼びかけました。それに対して共産党はわれわれの申し出を断り、さらに全国に通知を送って、勝共連合とは絶対に討論をしてはならない、と指令を出したぐらいです。彼らはこのことによって、実質的に敗北を認めたのです。だから、むしろ彼らの方がレバレント・ムーンの恐しさを知っているのです。逆に自由世界の人たちの方がレバレント・ムーンの力を知らず、かえって敵意をもちます。これは何とも皮肉なことという以外にありません。だから彼らは何も知らず共産党の道具になっているのです。 愛のみが平和をもたらす もしこの運動がレバレント・ムーンのために、自分たちだけのためにやっているとしたなら、絶対に長続きするはずがありません。しかしわれわれの運動の背後には、神の原理原則があり、大義があるので長く続くのであります。そしてわれわれは、神の義と歴史の責任において運動しているのであります。ですからわれわれの運動は決して滅びることなく、世界と歴史において永遠に記録されることでしょう。この影響において、世界と歴史の流れを変えるのです。人類歴史はまさに神の真理と義とを求める方向をとっています真理とはみ言です。人々は何が真なる言葉であるか、個人にとって、世界にとって何がよりよい言葉であるか求めています。真理とは現在においても過去、未来においても真実なるものでなければなりません。そのような永遠の真理は、有限なる人間から出るものではなく、永遠なる存在、すなわち神から出るものであります。共産主義者の真理とする、弁証法的唯物論は、決して真理ではありません。それは人間のつくり出したものだからです。 神のみ言によれば、すべての存在は、主体と対象の授受作用において、永遠に発展、繁栄するといわれています。しかし唯物弁証法においては、対立と闘争によって繁栄るというのです。まさに共産主義の理論は、サタンからきたのだということを知ることができます。また自由世界では、すべてがオープンに開かれていますが、共産主義の世界では、一切が秘密のうちに行われています。われわれは昼間に会議を開きますが、彼らは夜中に行います。彼らは神はいないとか、霊界などはありえないと言っていますが、ただ無知というほかはありません。 彼らは無限なる宇宙のことについて何も知りません。また霊界と地上界という相対的世界があるということを知らないのです。人間も二元的存在であり、霊と肉体とによって成り立っております。人間は宇宙の本質であり、原因であります。人間の中に宇宙の原因を見ることができます。自分自身を見てごらんなさい。心と身体が互いに正しく授受することによって、健康がもたらされることが分かります。そしてその心が完全な主体となって、身体が対象となるとき、真の幸福を得ることができるのです。 社会の幸せは、共産主義者が言うように、外的なものから生れるのではなく、より内的なものから生ずるのです。そしてその心と体が、神によって造られたものであるなら、神を除外して、真の幸福を考えることはできません。人間は泣いたり笑ったりしますが、その原因は何でしょうか。それは心によって起こります。ですから真理も心が求めるようなものを探さなければなりません。では、心は一体何を求めているのでしょうか。そは愛であり、統一、団結をもたらすものであります。 歴史が願った神の愛 共産主義の世界では、心もまた、身体の機能によってつくりだされていると説明しますが、心の中心となる愛も肉体によって変化、発展するでしょうか。二千年前に生きていた人たちの愛と、現在生きている人たちの愛とは違うものでしょうか。また過去に生きた人たちの愛というものは、現在の人間にとっては理解できないものでしょうか。いいえ、人間は永遠なる真理を求めるのです。永遠に変ることのない、個人において、家庭、国家、世界において変ることのない真理を求めているのであります。 人間が救われるためには、真なる言葉が必要だということを、神様は知っておられるので、歴史を通して宗教なるものによって、真なる言葉を与えようとしてきました。そしてすべての宗教には、世の終りの時に神の真理と真理を語る人が現われて、世を救うという教えが伝わっているのです。 その真なる人は、真の愛を与える人であり、その愛は神を中心としたものです。神を中心とした世界的理念が必要であり、神による統一世界をきたらせなければなりません。過去のすべての宗教者と真理を求める人たちが、その理念において統一されるのであります。これまで科学と形而上学の世界とは、バラバラでありましたが、神がすべての原因である以上、これらのものも統一されなけばなりません。さらに世界の宗教と諸科学とが、完全に統一されなければなりません。 では、いかなる理念が、その統一をなしとげることができるでしょうか。それは神を中心とした“ゴッドイズム”以外ないのであります。 レバレント・ムーンは確かに宗教者であります。宗教者であるのに世界中の科学者に対して、ワシントンに集って、科学の統一に関する会議を開くようにと言っているのです。なぜそのようなことをするのでしょうか。それは神の世界においては、すべては統一されなければならないからです。宗教も科学、哲学、すべてが統一されなければなりません。 私はときどき、統一教会に対して否定的な記事を書く人たちに対して、憐みを感ずることがあります。なぜなら、彼らは統一教会の本質を知らずしていろいろなことを書いているからです。私は宗教のみならず、哲学、心理学、あらゆる分野において、それが何であるかを知っています。それにもかかわらず、なぜ宗教を専門の道としたかといえば、それは宗教が何よりも高い次元において、人々に対し影響のある言葉を与えるからであります。 統一原理の学問的認識 考えてごらんなさい。アメリカという国にはすべての学問、芸術、宗教の優れたものが集っています。そのアメリカにやってきてレバレント・ムーンは、神の教育をしようというのですから、これは決してなまやさしいものではありません。しかし私は、すべてにまさる理念を知っています。そしてそれは、すべての人が必要としているものであります。しかし彼らが傲慢になって、み言を学ぼうとしないので、その二世たる皆さんに祝福が与えられるのであります。実際われわれは、民主主義の理理念をのりこえて、神の理念を見い出さなければなりません。また共産主義者たちよりも優れた理念を見い出さなければならないのであります。この統一教会の理念は、そのすべての問題を解決しうる鍵を握っているのです。皆さんはまだ若く、純真ですから、この統一原理の深い内容は理解しきれないかもしれませんが、多くの著名な学者たちが、その分野において何十年も研究をしてきた人たちが、この統一原理を研究してみて、その革命的理念に呆然としているこであります。真にその価値を知ってわくわくしながら、生涯の道において探究しようという人たちが現われているのであります。 統一科学者会議には、多くのバックグランドをもった人たちがたくさんいます。その人たちに対して私は、ああしなさいとか、こうしてくれとか言わないで、自分このやり方で好きなようにこの原理を研究してみて下さい、といって、彼らにすべてをまかせてみましたところ、一年たってみて彼らは、レバレント・ムーンの偉大さと人格の豊かさに驚いてしまっているのです。その中にはカソリックの神学者も、プロテスタント、ユダヤ教のラビもいますが、彼らは皆、一つになって統一原理を研究しています。 私は彼らに対して、どのように研究してもくれてもかまわないと言いましたが、一年たって彼らは、今では統一原理なしで学問するということは、考えられないと言っているのです。なぜなら統一原理は宇宙の問題、人生の問題を根本的に扱っているからであります。統一原理なしには神学を統一することはできないということを、はっきりと知ったのです。彼らは今でも、それはもう一生懸命に研究をしています。今から十年たったらどうでしょうか、彼らはこの理念の偉大さをはっきりと悟ることでしょう。神学界では、実にこのようなことが起りつつあるのです。 人類歴史は、これまで真理を求めてきましたけれども、ようやくにして、その本質が神によらなければならないということに気づいてきたのです。神による絶対的な真理が現われた時には、それによって、あたかも朝日がのぼる時のごとく、すべての問題が解決されるようになるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.18
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[21.09.19] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2021/09/19 に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.18
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第3回神統一韓国平和フォーラム(2021.9.17)天一国9年 天暦8月11日(2021.9.17)孝情文和苑 文和ホール & tv.peacelink.live2021/09/17 09:00に公開予定です。16日18時時点でPeaceLinkホームページを確認しましたところ、韓国語のみの配信で日本語通訳の映像は無いようです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.15
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「伝道と世界的使命」1976年10月5日ベルベディアにて 霊的援助を受けるには このようにして伝道の班編成を組みましたから、後は、思いの限りを尽して伝道して下さい。それで伝道には何が一番重要かというと、霊的力が問題である。すなわち霊界がいかに協助するか、ということが重要になってきます。それが伝道実績に直接関係するのです。 では、霊界が援助するような班編成になるにはどうするかというと、一つになる完全に一つになることですね。そして班長がいいという考えよりも、自分がその天の前にいい人になって、班長をも引っぱればよいのです。一つの家庭を考えてみた場合にも、すべての家庭の親がみんな立派なのではありません。 もし親より子供の方が良い家庭があった場合、その子供を中心として固まって、親を押し上げればよいのです。反対になにか批判を始めたら、その家庭は完全に崩れてしまう。「無能な者に協助するな」とか、そんなこという者自体が一番悪い。そういう者こそサタンの要因です。ぶつぶついう人より以上に、自分ながらの実績をたたせるのが大切なことです。 もし、班の中にぶつぶつ不平をいう人がいたら、それはサタンの要素だから、これは摂理的な破壊基盤となって、すべてが横倒れ共倒れになってしまう。そのことをしっかり認識したなら、班長と班員が完全に一つになる以外に道はありません。 研究しあって、調和すること それから個人伝道、個人実績を強調するのはもちろんですが、班全体の成績向上を考えなければなりません。自分はいくらよくても、班全体がよくなければ、やはり自分の責任である、という考え方からすれば団体行動をする場合、班全体のことを考えるのは当然であります。 自分はよくやったとして、自分の班を自分より以上の班につくり上げるにはどうするか、夜になって、みんなできないながらも一生懸命やって帰ってきたら、紙でもって説明したり話し方を説明したり、こうしたから成績がよかった、というようにみんなに教えてやるのです。 それからみんなをまとめ、指導する班長はその班員の中の優秀な者がいた場合には、その人を一番の自分の相対者として考えるのです。そう思ってその優秀な者を中にして、自分もみんなと一つになって、すべてのことを相談しながら、みんなも早くそれに調和していく。そういう作戦を立てれば、自然的にその班の基準は高まるのです。 一週間、甲が成績がよかったらそれにみんながまとまる。次の週は乙が優秀だったら、今度は乙を中心にまとまる。こうして六人の班だったら六人全部が勝利したら、六人の方法をみんなが互いに研究して、自分のものにして運動すれば、完全に一つになるのです。こうして結局は、実績をいかにして高めるかということが大切なのです。 日本人が心を尽くして講義すること それから神山君、このメンバーでもってアメリカ人を伝道してくるんだから、アフターケアーするメンバーも必要だよ。アメリカ人を選んでね。伝道班が伝道する。街頭とか訪問とか電話で連絡して教会に連れてくる。その背後の組織を組まなければならない。全体的に循環できるよう、円満に動くように組んでね。 それから来教者には、早く講義をするように。汗を流しながら、涙ながらに一杯にしながらね。講義するのが一番問題です。西君と沢田君ね。講義をしながら、いかに感動〆起させるか。日本人でありながら、アメリカ人に講義することは、実にいいことです。 自分は日本人だけど、日本とアメリカとの関係は、今から三十年前は敵国でありましたが、その敵国アメリカの将来がこういうふうに心配ですから、自分なりに英語もできないのに、涙ながらに英語を勉強しました。足りないながらもこういうむつかしい話もできるようになりました。だからどうか、聞いて下さい。そうして情的に係って相手の心情を開くようにして訴えるのです。真実の道を知らなくては、アメリカの将来は行く所がないから、我々はすべてを犠牲にして為しているのです。と訴えるのです。とくに日本人は、小さいからいいのです。小柄ながらも生命をかけ、一生懸命励むのですよ(はい)。 そうして連れられてきた人々にいかに原理を伝え、食口化していくか。講義する者は責任が重いです。一人を連れてくるのがいかにむつかしいか。その一人のために、何人にも会って、何べんも同じ言葉をポロポロ涙ながらも語り、そしてみじめな思いを経験しながら、やっと一人とめぐり逢えるのです。 祈りの心情を講義に表わして そしてつれてきた以上は、全体の責任を自分の両肩にかからせて、頼むような心情でもって自分に託したのだから、これを完全に消化して、館に入る時より出る時には、伝道した食口たちに喜ばれるような結果を多くしなければなりません。 だから祈らなければなりません。祈りの中で涙を流して、生命の救いをいかに灯すか、自分の一言で左右を決定する分水嶺に立たされるのであるから真剣に祈らなければなりません。審判でなく救わなければならないのです。心情的なそういう講義をしたら必ず反応します。講義の内容を祈りながら覚え、検討しながら、御恵の中にうたれた心情をもって壇に上るのです。祈った心情圏を再び表わしながら、講義しなければなりません。本当はもっと講義する人がいたらいいのです。 そして表裏一体、左右前後一体となって動かなければ、いい結果ができません。だからこの期間は、いくら気持ちの悪い癪にさわることがあっても、日本人として争ったりけんかしてはいけません。もう帰ることが決定したのですから、その日まで笑いつつ歩んで下さい。 日本語で一生(一所)懸命といいますね。一瞬々々に生命をかける、一生懸命といいますね。 命考えて命をはること、一つの生命を懸命にかかげた命令、一生を捧げてかけた命令、任という意味でしょう。そういう立派な言葉を知っているのだから、それが成し得て外的に一生懸命が通じるようにして下さい。 内的にでたらめで外的に一生懸命、そういう原理はありません。原因がすばらしくて結果が悪くなる。そうですね。(はい)え、原因が素晴らしいから結果が、(すばらしい)私が間違って話した時は、正しく答えて下さい(笑い)。 すべては動機が問題です。それがぶつかりあって一つになった場合には、何事も砕けてしまいます。動機がなければ何もできません。私がみ旨を歩むのも、心情的に揺がない原動力を持っているのです。これを果たさなければならない、という精神的強い動機の前には、それに逆らうすべては無関係です。もし関係したら相手が崩れてしまいます。 いろいろなことを考えてはいけません。日本に帰ったらどうかとか。残る人は、一度日本に帰って、日本という名目をかかげて来たのだから、励まなければなりません。班長と班員が一つになるのです。どのくらい一つになるか。神様とイエス様が一つになる以上になれば、霊界は百パーセント協助します。わかりましたか。わかりましたね。 もし霊界が協助したら不思議なことが、たくさん起ります。街頭でも何もしなくても、通りがかりの人がみて、パンフレット一枚下さい、こういう現象が起るのです。さあ、霊界が援助するには、どうならなければならないか。神様とイエス様が一つになったように、もう一つになりましたね。班長と班員が一つになれば間違いありません。 神様とイエス様が一つになったように、私とみんなが一つになったか、班長はそれを反省しながら、与えられた使命を絶対に果たす責任感をもって、一つになること。そういうように内的結合を大切にしましょう。 笑顔で迎える訓練 次は最初が重要です。毎日の生活で朝起きる時に、いろんなことがあっても、時計がリンリンと鳴って目をあける時、必ず笑うんですよ。今までそれもしなかったのですか。昨日はいくら気持ちの悪いことがあっても、惨めなことがあっても、次の朝起きる時は、必ず笑いながら起きる。宗教生活には欠かせない行為です。 それが習慣になれば、実にいい顔立ちになります。しぶい顔が途端に美男子の顔になります。(笑い)鏡をみながら訓練するのです。それから、御飯を食べる時も大切な時です。笑いながら食べる。食事しなかったら笑わなくてもいいですけど、食べるのだったら朝飯食べる時、あーありがたい、と思って笑うのです。 そうすると神様は喜びの主体だから、そして神様に属する万物と一つになって喜ぶ。そう考えて食べる食事もよく消化しますよ。みなさんは食事は三回しますね。必ず三回しますね。朝と昼と夕と、三回笑って朝起きる時も笑う。環境すべてがそうなります。 喜ぶ人を神は喜ぶ そういう習慣にすれば、その人は顔をみれば自然と深い考え、喜び溢れる印象の人になります。寝る時もそうです。その日にどんなにつらいことがあっても、しかし寝る時は笑いながら、神様いい夢を見せて下さい。望みつつ床につくのです。そしたら必ず見せてくれます。次の日為すべきことを教えてくれるのです。 そういう喜びの生活をしていけば、神様は喜ぶ人を喜ぶし、万物を喜ぶ人を喜ぶのだから、その人は必ずよい方向に向って行きます。それが原理の観点でしょう。今まであなた方やってきましたか。今からでも始めましょう。 朝起きて笑う。花が咲き香りを吹きかけるようにしながら。家庭もそうです。そういうお父さん、お母さんだったら、子供たちにとって、教育にとって一番いいことです。仕事で人に会う時でもそうです。いい印象を与えるのです。伝道しているのにしぶい顔をしたらできませんよ。何か内心から素晴しいことが溢るような円満な顔をして、今に希望を持って、未来に希望を持って伝道するのです。 それはみんな、するのです。三角や四角の人でも、それはそれなりの美があるのですよ。(笑い)。わかりましたね。自分の中に笑いに逆うものがあったら、それはサタンの好む要素だ、サタンの餌よさようなら、そういう生活をしましょう。わかりましたね。 率直になって学べ きょうは頑張ったけど少し様子がおかしかった、基準が下がったとしたら、明日は一歩でも上げる。毎日の生活の中で平均化した自分の心情の安定基準をはっきりさせて、それが少しでも傾いた場合には全体に影響します。しかしその傾いたり下ったりした基準を自分ながら整備し、反省し明日のために祈るようにしてマイナスを迎えるところに発展は続くのです。 明日はきょうより一つよくなろう。きょうは自分の方法がまずかった、話し方が下手だった身ぶりや表情がまずかった、また原理研究がたりなかった、人生に対する経験や見方が少なかった、相手が好奇心にかられるような魅力的な印象を持たなかったといろいろ自分で批判しながら、毎日を迎えるのです。最初のうちは伝道できなくとも、二日目も伝道できなくても、一週間やればできるのです。一週間できなかったら、もっと自分を批判し、よい人の方法をみながら、情報を聞きながら、三人位聞いて自分ながら固めて、その通りやるのです。だから人に習っていく方法が一番利口な方法です。 人々に習っていく。私もそうです。原理の奥を探す時、自分で自然界のすべてをつぶさに観察していく。そうすると普遍的な総合的な性質とか法則があるのですね。そうした結果の存在の中に全体的総合性の多いもの、それが宇宙原理に近いのです。根源たる神様の性質に近いといえる。これは理論的なことです。そういうふうにして、環境から情報を集めて、自分の目的に向って消化していくことは、発展の早い道です。 私は今でもそうです。私自分の主観自信は、誰も否定できないと思っているし、誰も真似のできないことをした、と思っているけど、今でもいいものがあったら、それを習って横取りして自分のものにしよう、と思っております。 それと同じように多くの人々のいいところを自分に早く引きつけて同化させる主体性を持ったとしたら、そこに多くの人を指導しうる能力が生まれる。それは理論的なことです。だからあなた方は、仕事をするという思いをしてはいけません。勉強する、勉強するのです。社会を研究する、人間を勉強する、経済を研究するのです。それは神様にすべてを捧げる心がなければできないことです。 勉強する努力するのが嫌いな人は、落第生です。そういう人は、みんなから嫌われるし、みんなから嫌われものを、神様が好むはずはありません。もし女性が素晴しかったら、男はみんな班長もその女性の講義を聞くのです。負けたからといって、ぶつぶつ不平をいう者は、消えなくてはならない。不平をいう資格もありません。 私は率直な男です。率直に話を聞きます。負けたとしたら、完全に頭を下げて、勝つに必要な準備をするのです。自分が主体的な準備をして勝った以上、それに文句をいう人は、どんどん退いていくのです。主体性もなく勝った時は、次は負けるのです。 自分なりの主体性を持って、全体を見破る、観察するのです。班長だったら班長なりに、人のいい所をみんな収集して、情報を整理して、それを班全員に教えながら刺激してやる。みんながお互い同士負けないよう方法をとれば、班全体が班長を中心に一致化し、どんどん発展していくのです。わかりましたね。 美しい動機は美しい結果を 第一は何か。一つになること、一つになることです。それから、動機をつくること、美しい動機をつくらなくては、美しい結果は生れてきません。そういうふうにして、まあ三週間活動して、三週間以内ですね。十一月八日まで、千八百双が家庭を持って交代するのだから、時間がありません。その期間内に数名を伝道しなければいけないという緊迫した状勢ですから、最後を飾ってほしいと思います。 あなたがたが天の伝統を立たせてくれたら、「日本人たちは素晴らしい、言葉も通じない体も小さい人数も少ない。しかし誰にも負けない伝統を立てました。」とアメリカの食口たちにいうことができます。そうすれば私の八十一年、八十年代までの計画は成してあまりあるようになるのです。こういう刺激的な伝統基準は、相当大きな影響を生みだすのではないかと思います。 最近アメリカに来て、アメリカの食口に刺激を与えた。帰る時にもう一歩刺激を与えていく。アメリカに来た動機が素晴らしかった以上は、結果も素晴しく帰っていかなければならないのが、東洋を代表した日本ではないでしょうか。韓国も含めて、統一食口を中心にした東洋を代表してきた以上は、西洋人に何かを確実に投入して、原動力を残していかなければ、これは天にすまない、東洋に希望を持てない、こうなってしまうのです。 だから私は、本当にあなた方にすまないと思うのですが、今朝早く為さなければならないと強く感じましたので、来てもらったのです。今ここに、アメリカに重大な伝統を残していこう、御名に誓って決意しますか。(します)。ありがとう。では西君と沢田君は、二人一つになって、神山君は毎日指導監督して私に報告して下さい。 準備されているキリスト教 さて、ここにいる世界の食口たちも、日本の食口がこうして班編成して、新しい次元の基台に入るんだから、それに相応した活動を各自がしてほしいと思います。そしてこれからもう少し、あなた方に話しをしておきましょう。 神の摂理から見ると、統一教会は神の摂理の最後の使命を果す立場に置かれています。とするならば、今日キリスト教界が、あらゆる宗教が準備されているにもかかわらず、彼らと決裂しているということは、これは悲惨なものであります。 その宗教団体が、統一教会と一つになったとしたら、我々はもう伝道しなくともいいのです。しかし現実は一つにならないばかりでなく、反対しているのです。こういう環境を見られる神様の立場を考えたら、神様はいかばかり悲惨なお方であるか、ということを我々は考えなければなりません。 結局、カイン・アベルの復帰摂理を、歴史において完全に収拾しなければならなかったにもかかわらず、それを果せずして、世の末の最後に来られる御方、結論の基準である御方に対して試練を与える、ということを今まで人々は解らなかったのです。 神様は今まで、キリスト教とか、あるいは、多くの宗教を信頼しながら摂理を推し進めてきたにもかかわらず、次の段階のメシヤがこられて、その基準を引き継ぐために準備したにもかかわらず、それを知らないで、そういうふうに反対された時の神様は、今までの基台に完全に逆う立場に立つその現象を見る神様は、いかに悲惨であろうか。我々は考えなければなりません。 蕩減期間内の使命 神様の方から見た場合、今までキリスト教とか、その教団を中心に世界的基盤の祝福を準備してきました。それがみんな反対するのだから、その祝福はどこへいくか。今の統一教会は、個人的基盤であり、家庭的基盤であります。だから神様が準備した世界的基盤の祝福を授ける所がないのです。もし反対したら、その祝福を他にまわさなければならないのです。 神の摂理に反対する結果になった中心宗教を崩すにしても、それは原理的期間があるのです。新しい中心に神の摂理を移すにしても、何年間以内にという原理的蕩減期間があるのです。その期間内に移されない場合には、みんな崩れてサタンの方に引っぱられてしまうのです。 キリスト教の二千年歴史の祝福は、御旨に逆うようになって、プロテスタント運動を中心として、二百年の祝福としてみんなまとめてアメリカを祝福しました。アメリカが祝福された基台のキリスト教会とアメリカ国家という基台が、もし統一教会に反対する立場になった場合、これは二十年以内に収めなければ、みんな流されてしまいます。 二百年間を二年間には蕩減できないから、二十年以内です。二十年以内に収拾しなければなりません。その期間内に世界的な基準に相応する我々の基盤を、いかに位置づけて、それに崩されないように引き継ぐか、というのが今まで私が苦労した課題です。 摂理圏に立つ統一教会 だから新しい摂理圏における統一教会のメンバーが、今考えなければならないのは、誰もがキリスト教界からざん訴さるような者がおっては、絶対にいけません。全体的完全には世界的にならなくとも、条件的にでもいいからもがきつつ、世界的基準を引き継ぐ基盤をつくらなければならないのです。そうしなければ、今までの二千年、二百年の摂理圏をそのまま保つことができないのです。神の祝福は、我々にまわらざるを得ない世界の現状なのです。 だから今後三年間、いわゆる第三次七年路程の終る時、いろいろな面で国の基準を凌駕して、堂々と立たねば大変なことになります。国家と世界にあるすべての内容を準備して、それを受け継げる体制を整えておかなくては、民主主義圏に与えられた神の摂理は、祝福はすべて流されてしまうのです。 今日のそういう環境、そういう現状を眺める神は、いかばかり胸がつぶれるような思いを持たれる悲惨な神様の前に、その摂理を背負わなければならない御方と人々のつらい立場を考えて、我々は一つにならなければならない。“私”一人は個人ではないのです。今日までの祝福基盤を受け継ぐ主人にならなければならない一人ひとりであります。 世界的基盤の造成 しかしその主人公たるべき者が、まだその基準をなしていないとしたらどうであろうか。世界は完全に滅亡状態です。そうすれば、また神様は悲惨であります。私自体もこれらの内容を果たさなければならない使命の立場にあります。その心はどんなものであろう、考えなければなりません。 今日の世界状勢をみると、共産主義は南米、ヨーロッパすべてを浸しています。こういう結果をきたらしたのは、誰の責任か。もちろん今日までのキリスト教の責任でありますが、結局この時代の一代において使命を持っておる統一教会の責任だ、ということを心から理解しなければなりません。もう幸いとか苦しいとか弁明の余地は、我々にはないのです。 そして私たちはどんなに反対されても、その反対するキリスト教界を神に祈らなければならないのです。これは誰が間違っているのではない、こうして攻撃をしても憎らしいからするのではなく、神を愛るからそういう立場に立っているのでから、どうか延長して頂きたい。そう思って神様に祈るのです。怨讐視して一線を画するような思いはいけません。イエス様が十字架につけられた時祈った立場は、こういう内容があるな、と初めて御心情を理解できるのですね。 そういう原理的期間内にそれを収めなければならない、という使命があるから今まで八十年代八十一年まで、その基準を何とか受け継がなければならないと思いますので、我々の足りない現実の環境であるけれど、死力を尽して押し立てても、そこまで到達するようにしなければならない天的立場を、あなた方は理解してほしいのです。 キリスト教会としても、言論界としても、学問としても、その他あらゆる事業を社会的、国家的基準をつくらなければならないのです。国家的、世界的な働きのできる人にならなくてはならないのです。この限られた期間内に。そうしなければ世界は滅亡に向うのです。 行く所のない私たち ですから統一教会は、大変な運命にかかっています。神が摂理の前に統一教会を立たせようとするにもかかわらず、統一教会が世界的な基準に立てなかったとするなら、共産主義は、全世界をおびやかしてしまう。そしたら、宗教は阿片といい、神様はいないと訴える共産主義の世界になったら、宗教はいっぺんに滅亡する、統一教会は最初に抹殺されてしまいます。そうなったら、あなた方はどこに行きますか、私はどこに住めますか。今日の情勢から見ると、うなるのが自然的結論となるのが現状であります。 神がこの世界の主人にならなければなりません。そして神の命を受けて世界を受け継がなければならない私たちが、もし共産主義者によって悲惨な運命をたどるとしたら、神様が実に可哀そうであります。 それから怨讐の世界になる、神様に反対するサタンが世界を握る。神の摂理から考えた場合、統一教会は最後の宗教です。それが破壊されたとしたら、宗教の世界はどうなるでしょうか。良心家たちはどうなるでしょうか。 だから真剣になって生き残る道を命がけで造らなければならないのが我々の使命であり、命を犠牲にしてもこの基準を残してもらいたいのが、先生とあなた方と統一教会の使命であり、神の願いであります。 それをこのような少数の人間でアメリカで活動し動かすことは、実に惨めで可哀そうな立場であります。しかしそうだからといって、私たちは後退することはできません。死んでもできないのです。 神の期待を震える思いで 私は、いま十字架を背負うてゴルゴダの山上に向うような思いでもって、一人でも行くと決意しています。死んでもやらなければなりません。我々がより団結して、八十一年まで何とかして基盤をつくったら、世界は完全に神の側にまわる。日本の兄弟たち、考えてごらんなさい。八十一年まで数万人を伝道しなければならないとしたら、今年は数人を配置しなければならない。その上、あなた方がすべて日本に帰るとしたら、もっと辛い立場になってしまう。そう考えたら、あなた方の使命と責任がいかに重大であるか、真剣に覚悟しなければなりません。 もしアメリカが、世界の摂理圏に立たないで、共産主義に奪われたとしたら、三分の二はみんな抹殺されてしまうでしょう。毛沢東は、三十年間に何千万何億の生命を奪っただろうか。歴史的にこういうことを犯してきた共産主義が、アメリカにも行うということは当然のことです。今では北韓には、キリスト教が一人もいません。今でももし見つかったとしたら、即刻銃殺です。 このことからしても、神が我々に期待する心情は、震えるような思いで眺めているということをいつも考えなければなりません。私自身もそうです。いかにしてこれを引きつけるか、そのこと以外には何も考えられません。 進む以外に希望はない こういう天的心情を理解して、今度地方に帰ったら、あなた方自身も震えるような思いを持って、八十年代までの第三次七年路程の基準をなんとかして築きあげなければ、たとえ完全でなくとも、条件だけでも立たせなければならない統一教会の死んでも果たさなければならない使命であることをはっきり知って戦うことを願います。 もしある期間内にその基準を果たすことができなかったら、その時になって不平をいっても、恨みごとをいってもどうしようもありません。言う立場も聞く環境ももうないのです。だからそれをさけるためにも、今はそれ以上悲惨な立場であったとしても、感謝しながら進んでいく所に希望があるのです。それ以外には希望がない、ということをはっきりいっておきます。 こうして一つになっていけば、神様は私たちの生命をかけた誠意を知って摂理することができるのです。辛いとか、無理だとか不平をいう余裕もないのです。私自身もそうです。今朝は三時前から起きて、計画を立てたり、組織したりしてきました。寝る前から頭が痛くても我慢し、いろいろなことを思い思って気を張りつめています。そうかといって、頭の痛いことを誰にも話せないし、そういう素振りもできません。 使命によって生きている我々 使命によって生まれ、使命によって生きている以上は、体が痛いとか病気とか間違いとかいうことは、休むための条件にもなりません。 あなた方にも苦労をせるのは、すまないと思っています。しかし今のすまないことより、その時になってすまない立場になった場合を考えると、それが恐しいのです。 今回のワシントン大会もそうです。もしこれが失敗したらどうなるだろうか、大きな問題が起きるのです。だから私にはその日のくるのがうれしいのではなくて、非常に恐ろしいことでした。 ですからあなた方がそういう心情を持って一つになってゆけば、八十一年までは何とかして勝利の基台がつくられるのではないか、やっとできるのではないかと思います。そしてできれば一年でも前に、それを越えるような基準をつくったとするならば、それは世界に偉大な貢献をすることになるのです。その前に何とか犠牲を払っても、いかなる悲惨なことを見ても、それを進めて、そこまで到達させたいのが私の思いですので、あなた方が私の身代りとなって働いてほしいのです。 摂理上最後の戦い その時峠を越えた場合、共産主義はもう下降しています。世界で私たちに反対するものはなくなっています。今の困難なこの世界と時代に、我々の何年間の活動によって新しい方向性と新しい理想圏が生まれる、という偉大な奇跡がいるのです。歴史的緊急事態に歴史的使命感にうたれる著者にならなければなりません。 今度が最後です。復帰摂理歴史上の宗教活動において、これが最後の戦いで最後の戦いです。今日の世界情勢をみてもそうなっています。今は世界的主人がいません。個人においても自分の主人を失い、家庭にも社会にも主人がいません。いかなる国にも世界にも、主人を見失っているのです。その主人公を我我がとり戻さないかぎり、神の摂理は完成しないのです。 だから励んでほしい、あとわずかの後に迎えるその日まで、辛くても、辛棒して後退せず歩んで勝利の旗を揚げて神に凱旋歌をあげるのが我々の使命であります。数は少なくとも、しぶいみにくい顔をするのではなくして、喜びと希望でもってこらえながらも、笑顔で勇みつつ、苦しみをし忍んでその目的に前進する姿は、神、天地ともに頼りとする者と思いまして、またそれが、神と歴史と、私とあなた方の願いと思いまして活動して下さいますように。では祈りましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.15
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天の父母様聖会 FFWPU(韓国)ホームページ > ニュースシンクタンク2022希望前進大会開催平和がこれまで以上に切実なこの時、韓半島の平和統一と世界平和のために前・現職大統領が出た。天宙平和連合(以下UPF)と世界平和統一家庭連合(以下家庭連合)は、共同主催で、9月12日(日)午前9時からコロナ19社会的距離を置く防疫指針を遵守し、非対面方式のオンラインで世界194カ国200万人余りが参加した中で「THINK TANK2022希望の前進大会」を「新統一韓国のための連帯と韓半島の平和サミット組織委員会発足」というテーマで国際的参加者たちのために12の言語に同時通訳して開催した。真のお母様は特別演説で「平和を念願するTHINK TANK 2022に参加した最高の上7人の基調講演を意味深く感謝の心で聞いた 」としながら、「この時代が望む世界の平和と神K TANK 2022、アジア・太平洋事務局の看板を掲げることになった」と所感で、「今韓半島の統一を行わ朝鮮半島から始めた神太平洋文明圏の文化がアジア大陸を介して世界中に広げ共生・共栄・共義のの真の愛の動き、真の家庭運動に拡散して、人類のすべてが天の父母様を祀る天宙大家族がなろう」と平和のビジョンを提示した。最初の基調講演者となったドナルド・トランプ元米大統領は、「大統領在任中の誇り高い仕事は、南北の明るい未来への貢献であり」、 「2018年、米国の大統領として、我々は初めて北朝鮮の指導者と会談し、「朝鮮半島の完全な非核化」という大きな目標に合意し、2019年にDMZで金正恩議長と会談し、北朝鮮の土壌を踏む最初の米国大統領となった」と述べ、米国とその同盟国が市民を守るために努力したことを強調した。「4年前、私はソウルを訪れ、大韓民国議会で演説する名誉を持ち、 半世紀の間に、韓国は戦争で荒廃した土地を先進国として確立し、米国の友人と同盟国としての偉大な民主主義の発展は、より良い未来と平和を達成するために努力するすべての人にとって希望の理由と証拠です」と、彼は付け加えました。THINK TANK 2022希望の前進大会」は、ユン・ヨンホ家庭連合、世界本部長の司会で9.11テロ20周忌を迎え、全体黙祷で始まり韓国・米国・日本のプロテスタント・カトリック・イスラム・ヒンズー教・仏教・儒教・道教・神道・家庭連合終端指導者の平和を祈り式、平和の歌提唱、オ・セフンソウル特別市長・パク・ヒョンジュン、釜山広域市長・イ・ヨンソプ光州広域市長・ヤンスンジョ忠清南道知事・イシジョン忠清北道知事・ソンハジン全羅北道知事・イ・チョルウ慶尚北道知事・ジャンヒョングク京畿道議会議長・グァクドヨウン江原道議会議長の基調講演とお祝いのメッセージは、国楽人ナムサンイルの平和公演が続いた。そしてドナルド・トランプ(Donald Trump)元米大統領・安倍晋三(安倍晋三)元日本首相・ホセ・マヌエル・バローゾ(Jose Manuel Barroso)前EU執行委員長・グロリア・アロヨ(Gloria Arroyo)元フィリピン大統領・デベゴーダ(Deve Gowda )前のインド首相・表示社及ば(NatašaMićić)前、セルビア大統領・アンソニーカルモナ(Anthony Carmona)前トリニダードトバゴ大統領の基調講演、リトルエンジェルスの平和公演、創設者真の父母様の特別講演、韓半島の平和SUMMIT組織委員会の発足式順で開催された。第二基調講演に出た安倍晋三元首相は「世界人権宣言でも見られるように家庭は、社会の自然基礎的集団単位として普遍的な価値を持っているのでUPF平和のビジョンに家の価値を強調する点を高く評価する」と、「自由と民主主義の価値を共有する日本、アメリカ、台湾、韓国などの国の団結と台湾海峡の平和と安定の維持、そして朝鮮半島の平和統一を実現する行わためには多大な情熱を持つ人々によるリーダーシップが必要にTHINK TANK 2022希望前進大会が大きな力を与えると確信している」と強調しており、続いてホセ・マヌエル・バローゾ前EU執行委員長は「欧州連合は、韓半島の平和構築のプロセスを着実に支持しており、「韓半島の平和統一」テーマでTHINK TANK 2022が公式に発足し、全世界の韓半島専門家が集まって解決策を見つける第7回希望の前進大会こそ希望の肯定的な兆候である」と伝えた。また、グロリア・アロヨ元フィリピン大統領は「大韓民国がすべての難関を打開することができる希望の模範となって「人類が一緒に夢を見たら、平和繁栄は必ず行われ」は、教訓を世界に知らせることを望む」とし、デベゴーダ前のインド首相は「政府・企業・学術・メディア・宗教・市民社会など、さまざまな分野の専門指導者顧問団で構成されTHINK TANK 2022の積極的な支持を表する」と演説した。この日THINK TANK2022イベントの行われた韓半島の平和SUMMIT組織委員会の発足式は、THINK TANK2022アジア太平洋事務局発足、MOU締結と巻ス脚(Khuon Sudary)、カンボジア国会副議長の祝辞、アジア・太平洋事務局機関名掲示式、フン・センカンボジア首相の基調講演、フン・セン首相に組織委員会の共同委員長のメダル授与、決議文奉呈とバッジ授与、韓半島の平和SUMMIT組織委員会出征のタジン、Peace Road2021、世界縦走完了式は、私たちの願いは統一合唱で実施された。フン・センカンボジア首相は基調演説で「アフガニスタンで米軍が撤退してタリバンが首都カブールを掌握したことは、1975年に武装団体クメール・ルージュが、カンボジアのプノンペンを占領した暗鬱な記憶を思い出させる」とし、「アフガニスタンの教訓を通じて平和実現は、紛争国の利害関係者にのみ達成されることがあり、国家的所有者の意識」が中枢になる」とし、「カンボジアに本部を置く、アジアビジョン研究所(AVI)がTHINK TANK2022アジア太平洋事務局の役割を引き受けることになって誇りに思っており、詳細な研究を通じて、危機解決と平和構築活動を促進してほしい」と頼んだ。今年5月9日に発足し加え、よく生きる共生の経済、加えて参加している公営の政治、加えて実践する倫理のボールのを持って、各分野を一緒に政策を提案するTHINK TANK 2022は韓国1,011人、世界1,011人が一緒に計2,022人で構成された。 「THINK TANK 2022」委員長は、潘基文前国連事務総長が務めている。 THINK TANK 2022フォーラムも9月18日から10回に渡って行われる。 1回は外交分野で、「北朝鮮の非核化と韓半島の統一は、世界平和の近道」をテーマに、韓国と米国ワシントンDC、そして東京をオンラインで接続して非対面三中継方式で行われ、朝鮮半島の恒久的な平和を実現方案を模索するために、世界的な国内外の専門家が基調講演やテーマの議論と質疑応答を行う。 THINK TANK 2022フォーラムは、外交、政治、国防安全保障、食料安全保障、経済、ワクチン安全保障、文化/スポーツ、学術、プレス、宗教分野で進行される。THINK TANK2022で提示された主なアジェンダは、嶺南圏(10月17日)、京畿・江原圏(11月7日)、忠清(11月14日)、湖南省・済州圏(11月21日)、ソウル・仁川圏(11月28日)の5つの地域に拡散して、新統一韓国定着のための地域のオンライン希望前進大会を開催する。続いて、文鮮明・韓鶴子総裁と金日成主席の訪朝平和会談30周年を記念して「韓半島の平和SUMMIT」が今年の冬に開催される予定であり、来年2月の100万救国救世世界大会に帰結されて韓半島の平和と共同繁栄の具体的なポリシーの議論と実践方策として、新統一韓国のビジョンと理想を提示しようとする。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.14
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「天勝日のみことば」1976年10月4日ベルベディアにて 天地の解放 皆さんのの顔を見るとうれしくて満足です。なぜかというと顔がほのかに紅くて若い顔立ちであるからです。皆さんの顔には希望があ明日があり新しい歴史が期待している事実があることを知らなければなりません。皆さんの顔と両手には、世界の方向が左右されるという驚くべき事実があることを悟らなければなりません。 きょうは一九七六年十月四日であります。ワシントン大会は九月十八日終ったのです。皆さんの活動というのはきょうで終わることになっているのです。きょうは何の日かといいますと、きょうはとっても良い日なのであります。九という数はサタン世界の数をいうのであり、十数というのは神を象徴する神側に入る数であり、はじめにかえっていく帰一数であることを皆さんは知っているでしょう。四数というのは、四位基台になっている数であり、これが歴史発展において四数を基盤にして四十数、四百年というように蕩減条件に必要な数として続いてきたということを知らなければなりません。四数というのは地の数であり、神と地が合うことのできる数なのであります。その為にきょう、十月四日というのは、先生においても忘れることのできない解放の日であることを知らなければなりません。 そして十月四日というのは、私が韓国の西大門の刑務所から出てきた日でもあるのです。アメリカに入ってきてきょう、勝利をおさめる日まで、また解放を記念する日としてきょうの意義深い日を持つことができるのことは、二つの解放を祝賀する日であるということを感謝するものであります。 第一は神様の前に感謝し皆様の前に感謝するのであります。それできょうはワシントンの勝利を祝賀すると同時に、全体の内容が膨大な方向を持つ天的な意味を持っている為に、きょうこの日を我々統一教会の歴史を通して守るべき記念の日として定めるのであります。神側的ローマとイスラエル きょう、神が勝利したという意味で、天勝日として決めました。なぜ、この日がこのような日であるかという事をこれからお話しいたします。 蕩減歴史は歴史過程において失敗したことを再び再現させて蕩減するのであります。神の摂理において最も悲惨なことは、アダム・エバの堕落であり、二番目に悲惨だったのは、イエス様の基盤を中心として、世界的基盤を越えることができなかったことです。 世界的基盤であるキリスト教の上にアメリカは、アメリカの国を中心としてイエス様時代を再現する運動を始めなければなりません。 そのためにその様な歴史的な版図を神側において作らなければなりません。サタン側において作られればまた殺されるから、神側の版図をそのような系体として作らなければなりません。アメリカという国は世界的主導的国家であると同時に、昔、イスラエルの国の前にローマと同じような立場に立っているのであります。 ローマがキリスト教の伝統を受け継いで、キリスト化したために、その延長的な世界的キリスト教圏に立っているローマ、その形が今のアメリカであることを皆さんは知らなければなりません。 ローマの前におけるイスラエルの国は互いに相剋的になったならば問題がおこるから、神側的ローマの形と、神側的イスラエル形がアメリカと韓国なのであります。性格が異なってくるのであります。 昔、ローマの時代においては、抑制するような主体的立っていたのがローマでした。今のアメリカは神側に立っている為、イスラエルのような韓国を救ってあげるという立場に立っているのです。なぜアメリカは韓国を投げ捨てることができないのでしょうか。韓国を投げ捨ててしまえば全部逃げてしまうのです。 キリスオ教と同じ立場 そのために、イエス様が失敗したのを全て取り戻して勝利したという条件を立てなければならないのが、統一教会であることを知らなければならないのであります。キリスト教を中心とした韓国が、キリスト教主権国家としての独立をしたその時から、韓国が統一教会と一つになったならば直ちにアメリカと連結されるのであります。 イエス様がしなければならなかったこ事は、国家の立場を越えて国家の祭物のような祭壇をこえて、世界的祭物のようなローマの国と世界的な天使長のようなローマ国民をこえなければならなかったと同じように、韓国においても統一教会は、韓国の国民をこえ、アメリカの国とアメリカの国民をこえて行かなければならないのであります。そうすることによってイスラエルほ国が失敗したのを復帰するのであります。 ローマ形世界形をこえていかなければいけないキリスト教統一教会と一つになったならば直ちにこえていくことができと同じ様に。そうであったのですがキリスト教が反対してしまったのであります。イスラエルの国がイエスの死後みんなバラバラになったと同じ様に、このみ旨を受け入れることができなかったキリスト教は、全部バラバラになりはじめるのです。 そのように歴史は発展してくるのであります。それで先生は韓国において何をしたかといえば、イエス様が三十三年間において成しえなかった事を蕩減復帰しなければならなかったし、三十三年間において成せなかったことを、世界の舞台において蕩減復帰する歴史を、統一教会をかけてやっているこ事を皆さんは知らなければなりません。 結局、先生は三十代に世界的舞台をなせなかったのですが、それを再び繰り返すのであります。それで、一九四五年韓国は独立してから一九七八年までが三十三年の期間であります。イエス様が生きてやった三十三年間の仕事の形を世界的基準を中心として再蕩減する時であることを知らなければなりません。イエス様が三十代において出発したと同じように、今日先生は三年半を中心として、アメリカにおいて活動していることが、イエスの公的三年路程を再蕩減する世界的な基盤と同等であることを皆は知らなければなりません。 このようにして全ての蕩減条件を韓国において、韓国の民が反対したことを乗り越えて一九七五年を中心として、韓国の国家的基準を越えて一九七五年から七六、七七のこの三年路程にあわせて世界的アメリカ、ローマ形のような国を蕩減していこうとするのがだ今の戦いなのであります。 七四年のマジソン・スクエア・ガーデンの大会は、霊的世界的基盤キリスト教であるアメリカにおいて霊的勝利の基盤を整えて、国際機動隊を一九七五年に韓国に入れることによって、霊肉を中心とした国家的基準に、その勝利圏を連結させる基盤となったのであります。 霊的この世界が肉的国家基盤を連結せずしては世界的国家基盤を形成できないゆえに、韓国において国家的基盤を霊肉ともに整えたとしても世界的な霊的キリスト教圏をここにおいて吸収する基盤をつくらなければならないのであり、それを通してのみ始めて肉的世界基盤を整えることができるのです。そのような戦いが今の戦いなのです。何の話かわかりますか。 このようにして、韓国において勝利した霊肉の中心をもって、世界的実体的戦いであるアメリカを中心としたヤンキースタジアムとワシントンの戦いが、その戦いの中心部なのであります。その戦いにいどむのは、私がいどむのであります。アメリカが黙っているのに私が戦いをいどむのであります。反対なのであります。イエス様の時と反対なのであります。アメリカが大さわぎをするし、アメリカと韓国が一つになってレバレント・ムーンを追い出そうとアメリカが反対するし韓国と一つになって、レバレント・ムーンを追放しよう、また反対しようとするのであります。 イエス様の立場と同じように ヤンキーは二度目のことですからイエス様が心霊復活したのと同じであり、霊肉が一つになりうるこのような一体的復活圏における戦いと同じでありますから、ヤンキー大会においては打ち殺そうとして血を流すか、何かの事が起ると先生は思っていたのであります。また、そうならなければならないのであります。 結局、レバレント・ムーンが、死んでから復活するのであります。その為に、雨、嵐が吹きまくり大会をするどころではなくなりました。反対する人たちは喜び、ヤァー、レバレント・ムーンが今や、滅びたと喜んでいたのでした。 その日、悪いことをしようとする人が、嵐の為に帰ってしまった人が多いのであります。まことに蕩減復帰というのは、どうすることもできないのであります。そうしたら神山君とかいろいろと入って来て泣いたり、全ての人が絶望したのであります。そうしながら外においてはどういうことが起るかというと、ザ・ゴーワールドブラスバンドが始まって、歌を歌いはじめて聴衆が一つになったのであります。これが素晴しいことなのであります。 それは何かといえば、イエス様が公判の場に立った時、来ていた聴衆達が全部一つになっていたのと同じなのであります。 イエス様が三時間ほど暗闇の中に立ったのと同じように、先生も同じ三時間、暗闇に立たなければならなかったのであります。先生も苦悩の中にたたなければならないのでありますそのようにして結局、イエス死後、全て天変地異がおきて死んだにもかかわらず、天の奇跡がおこって天気になり、大会は運ばれて、聴衆を迎え入れることができたのです。内的に外的にそのような環境をへて、暗闇から復活圏を整えて勝利の楯を立てたのであります。 イエス様の勝利とワシントン大会 こうすることによって私たちは心において百%勝利しなければならないのに半分しか勝利していません。このようにしてヤンキーからワシントンまでのイエスの二千年を蕩減するのです。このような世界舞台を通るのと同じように、半分の勝利をもってワシントンで完全な勝利を成していくのです。 ワシントンにおいて霊肉を中心として一挙にやってしまうの.です。皆さん、イエス様が十字架を負う時、アリマタヤの黒人が協助するようになるのです。 本当に不思議です。全く合致するんですよ。このように一つになってレバレント・ムーンは死ななかったのです。滅びることを願い、失敗することを願い、西洋人、アメリカの国民全てが反対し、失敗することを願ったのであります。このようにして完全にアベルとアベル圏統一教会、カイン圏この外部世界が一つになって、私達の統一教会の条件をのみこんでくれたし、四十日間、協助してくれたのであります。 私達が一挙に勝利したら全く反対になってしまいました。ワシントン市全てが花火で輝き、どうする事もできず反対する事もできなくなるのであります。このような現象が起るようになるのであります。このようにしてワシントン大会においては有名になりました。 ワシントン大会の前後を通して、清掃作業をし、ポスターをはがしましたが、アメリカの国においてかつてない素晴らしい団体であり、素晴らしい行動でありました。統一教会という団体は、アメリカの二百年の歴史課程において見出すことのできなかった団体であり二百年歴史がここにおいて誰も成し得なかった事をやったという結論が出るのであります。 それより、もっと問題は何かといえば、白人、黒人、黄色人種が集まれば争いが始まるはずなのに、このような人々が一つになってレバレント・ムーンはあゝ素晴らしいという事はアメリカの歴史にない事であります。 今後の灰史においてもありえないのであります。そうすることによって最終的な結論として、統一教会には世界にないスーパー的な力があるという結論になるのです。それは何をいうかといいますと、歴史的に霊界から見れば、東洋、西洋、黒人、白人全て善なる霊達は一つになって統一教会のレバレント・ムーンを後援しているということであります。 また地上において黒人、白人、黄色人、みな一つになって全部レバレント・ムーンを支持するのであります。このようになるとや地上協助、天上協助が完結されるようになるのであります。世界的霊界協助の出発 今後において私達が戦っていかなければならないのは、アジアにおける共産圏なのであります。最も主導的な責任者が毛沢東であります。その次が北韓における金日成であります。それは国家的代表、かつ共産圏世界的代表として黄色人種の魁首になっております。このような立場に立っている毛沢東が、私が世界的基盤を踏み上ったその瞬間、地の中におちこんでしまったのであります。 ワシントンポストの全面記事がこのレバレント・ムーンの記事であり、毛沢東は十八ページの上に少し載っているだけです。その結果どうなるかといえば、統一教会は、ほっておけない存在であります。恐いといえが恐い団体であります。 このような観点からみる時、ワシントンの集会は世界史的な意義において、レバレント・ムーンの位置、統一教会の位置をゆるぎないものにさせ、霊肉界において世界史的なローマに入ってイエスが宣布式を行ったと同じものにさせたのです。 こうなることによって、どんな事が始まったかといえば結局は、イエス様の恨みをといたということになるのです。そうすることによって神様の恨みをとくことができるのであります。そして全ての聖賢達と義なる人たちの、イエスを殺し、メシヤを殺した為に地上で解けなかった恨みを全く解くのであります。先生が一代において念願である恨みを全部解きました。霊界の恨みと地上の恨みを解いてあげる条件があるため、勝利したということは、あらゆる条件を解いてあげると同時に、そこに関係する全てを指導しうるという結論ができるのであります。 今まで霊界には国がないし、西洋だとかそのような国はありません。しかし仏教を信じていた人は仏教の前に、儒教を信じていた人は儒教のまえに、マホメットを信じていた人はマホメット圏内に入り、このようなあらゆる宗教界と連結されているのであります。そのために、世界的メシヤがくるまで、自分のグループのため準備をして今まで導いてきているのであります。 堕落した時の神の恨みと、先生の今までの恨みを全て霊肉界において解くことができる以前はそれを解くことができません。その為にワシントン大会で勝利することによってそのような恨みを解くことができたのであります。それで霊界が統一されるのであります。霊界は今や一つの組織体なのであります。そして地上もそれに従って相対的に一つになった世界になったということは原理であります。 それでどういうことが起るかといえば、神、アダム、エバ、先生を中心として、皆さんを中心として今ここに天使長圏が始まったのであります。それをみると天使世界に該当するのであり、アダムの世界に該当するのであり、全ての世界に該当するのです。 それはどのような基準まであがるのかといえば、国家的、世界的基盤まであがるのです。 息子をおいて最高の位置において到達したのであります。そうすることによって今、サタンは結局、神、アダム、エバ、天使長が一つになることを攻撃できないという結論になるのであります。もし打つ日には損害賠償を払わなければならないのです。そのために打つなら、全てを奪い返してくるのです。昔は、神様のところまで上ってきたのですが、これからは逆に、転換されるのであります。 そうすることによってこれからどうするかといえば、霊界は完全に我々と一つになりました。私達がここにおいて、はっきり知らなければならないのは、統一教会が行くべき姿勢をはっきり正さなければなければなりません。 最後の大会 どのようにしていけばいいのでしょうか。サタンの讒訴条件にかからない様にいかなければならないのです。そのためにワシントン大会に皆さんが活動し、神の目的のために勝利を目指して働いた以上の基準をもっていく日においては、常に神は味方なのです。そのように動く時、神は協助し、それ以上動けば常に神は味方するのです。それ以下になる時にはサタンが黙っていると思いますか。弱くなったりバイキンが入ってくるのと同じであります。そのために今日ここに天勝日とともに皆さんが知らなければならないことは、統一教会の勝利の伝統基盤が何であるかといえば、ワシントン大会に参席して活動していた以上の誠意と熱意を持って耐える時、天は常に共にあるのです。勝利は常に我々のものであるという結論を出すことになるのです。 それでは皆さん、この祝賀会に参席して、この祝賀する姿勢を整える事ができるでしょうか、できないでしょうか。整えることのできる資格があるでしょうか。それ以上、私が活動するであろうし、前進するという決意を持たなければこの祝賀会に参席する資格がないという事を知らなければなりません。これから私が前進する道においての目標は何かといえば、共産圏に行って、世界的な大会をする日が残されているのです。これから民主世界のアメリカが反対しても、どのような国が反対しても関心をもつ必要はありません。 それは既にうしろにおいて反対する者はみな過ぎ去ることになっているのです。前ではなく後でヤァーヤァー言うような人達は、結局私たちについてくるようになるのです。前においては行かないという人は結局は私たちについてくるようになるのです。前においては行かないという人は結局は私についてくるのです。 そのために、そのような次元を越えなければなりません。そして我々の行くべき道は、共産党を追いこえていく道なのです。 これからでは共産党ではレバレント・ムーンを殺せというようにレバレント・ムーンとのそのような戦いが残っているのです。民主世界が反対したのと同じ様に北朝鮮において、レバレント・ムーンを撃ち殺せといってアメリカの国務省に韓国のレバレント・ムーンを追い出せと悪宣伝をしているのす。そしてキリスト教も反対し、アメリカも反対し、民主世界が全て反対するようになるのであります。共産党と真正面とむかって戦う人はいないのであります。 アメリカもキリスト教も後退するし、ユダヤ教も後退し全てが後退していきますが、統一教会のレバレント・ムーンだけが一人で耐えようとすることにみんな拍手をするのです。顔では反対するのであるが、手は叩いているのであります。そうなると思いますか。そうじゃなうと思いますか。間違いなくそうなります。 キリスト教・アメリカの最後の出逢い 世界共産党が最も憎むレバレント・ムーンでありまた統一教会なのであります。世界的なキリスト教と世界的アメリカとかち合うようになったのであります。天の原理の法度に従って、原理の法度をたずさえて行くのです。目的が、彼らを滅ぼす為ではなく救ってあげる為です。我々に武器があるとすればそれは何であるかといえば、霊界の動員です。 皆さん、エジプトにおいて長子を殺したが次子は殺さなかったと同じように、二番目のものは神のものであるから、これは復帰摂理の中においてアメリカ的立場にいるのです。共産勢力の中に、共産世界の中にアメリカ的立場にいるのが二世、息子、若い層であるために、若い層は神がつかむ事のできることを知らなければなりません。 ムーン民族も荒野において第一世は全部滅びてしまいましたが二世達がカナンを復帰したのと同じ様に、ソビエトにいる一世達は、滅びるとしてもソビエトの二世達は、天国側に来るという論理が成立するのです。同じ原理なのです。私達が正面衝突すゝ比例によって、我々を迫害すればする程、神はその息子達を中心として、霊界で共産党最高党員の息子達が夢に見て、父がやることを見て、神がいないはずがないと父と争うようになるのです。 ここに新聞記者が来ていれば笑うでしょう。夢のような話だと思うかもしれませんけれども事実を記しているのです。霊界を知らないからそう思うだけなのです。このような事実を知っている為に、私が共産党に対して全面的に存在するという信念を持つのです。私がもし倒れて死ねば、モスクワの広場において共産党達の後孫達が自らの手で私の銅像を立てるでしょう。 このような信念がある私は、論理的な体制を整えて全世界、全霊界、全共産世界に施風する事のできる人は、レバレント・ムーンしかいないことを知らなければなりません。 今までレバレント・ムーンがやるといってできなかったことはありません。やると言って成せせなかったことはありません。私が三年半前ここに来て、こういうことを成すであろうと言った時、誰が信じたでしょうか。その時来た時よりも今から行くのがもっとたやすいのです。 今や民主世界を越えて共産主義に行く最後的な世界的なキリスト教に出会う時において私たちが後退すべきか、前進すべきか結論を出さなければならない場が、この場なのです。 そうすることによってどんなことが起きるかといえば、キリスト教・アメリカが一つになれずしては父母を捜し求めることができないという事実を知ったために、今日の民主世界において統一世界と民主世界が一つになれば、民主世界に父母が登場することができ、全世界の共産党と民主世界が一つになれば、キリスト教・アメリカ圏において一つになる日、父母が登場しうる一つの国になるという結論が出るのです。そうすることによって、三次七年路程、八一年まで熾烈な戦いがあるのです。皆さんが信じて絶対的な天の信念を持って進めば短縮させることもできるのであります。 二世達の活動 皆さんのこの国がレバレント・ムーンを協助するようになれば期間以内において、全て成されるのであります。 反対するにおいて二世達は神の側でありますから一世が反対しても若い二世達が、統一教会へ来ますかといえば、二世達は神の側でありますから入って来ざるをえません。 それを知らずして反対する人達が、言論界達も父母の達の話もきかず言うこともきかないし、先生の話、大統領の話も聞かないし若者が全部行ってただ働きをして逃げることもしないでやっていると反対しているのは天的に考えないからです。結婚しなかった人、手を上げてみなさい。殆んど八十パーセントぐらいでしょう。そのためなぜこのよ様な現象がおこるかといいますと神様が成すのであります。 反対しながら荒野において鷹の餌食になったようにみんな共産党の銃剣のもとに倒れるでしょう。反対することによってみな自分達の息子達を贈り物として捧げるのです。本当に反対する価値があるのです。それを知っているため、私がアメリカにおいて肝っ玉が大きいのです。ニューヨークタイムズ、サタンの息子、娘達が原理のみ言を聞かなかったために黙っているし、ワシントンポスト、サタンの息子、娘達が原理のみ言を聞かなくて黙っていますが知るようになったならば黙ってはいないでしょう。 私が戦う必要はありません。自分の息子と親が戦うようになるのです。これらを知っている為に、もっとよい道を知っている為に、迫害を受けながらも慌てないのです。そうしながら、後退するのではなく発展して行くのであります。これは宇宙の復帰の公式にそって、不可避な結論である為に、私が滅びることなく反対を受けながらも耐えて、世に出てきたのです。 人本主義の限界 ここに反対する人が来たならば、レバレント・ムーンの論理が整然としてあるし、堂々たる論理をもっているが故に、反対すればする程、もっと喜び、もっと発展するという事をもう一度考えてみなさい。この原則は、共産主義においても、同様なのです。 世界的な問題がおきてそれ以上発展することができなくなれば我々の側になってしまうのであります。そのために我々は生活の中において神を発見し、社会の中において発見し、世界において神を発見することができるのです。 神がいないということは言えなくなるのです。さあ、それから行くのか、行かないのか、それではどの基準以上すると言ったか、私達がこれぐらいの、これっぽっちの基準でもって共産党にむかえば、鼻笑いされてしまうのです。 彼等は、いくら力があるとしても人本主義思想を持って、人本主義思想を根拠とした物質的起源に執着しているにすぎません。全体のための神を中心としたみえない世界に我々は、見えない無限なる世界に執着されるのであります。 さあ、皆さん、霊界には国境がないことを知らなければなりません。ソビエトを攻撃するのに中国人も、アフリカの人もどの国の人もみんな、攻撃することができるのです。 あなた達、先生を夢の中か、うつつの中、祈祷の中で会った人は、手を上げてみなさい。百パーセントであります。こういうことは誰が知ることができまでしょうか。いくら研究しても知ることはできません。霊界が世界的にやると思うのにできないはずはありません。あなた達、レバレント・ムーンを悪い悪いと思うがそう変ってしまったのに、良い良いという人が変ったら、どれ程、変るでしょうか。 霊的世界が問題になってきます。すなわち、理論的になるということを、知ることができるのです。この地球は、神の主管圏に入るのであり、神の主管圏の為に戦っているのです。我々の前に平素な世界になる時が間違いなく来るのです。他に行く道があるならば私がまっ先に行きましたよ。他に行く道がないからこの道を行っているのです。あんた達より頭は悪くないのです。関心を持って勉強しよう だから皆さんそう思って、皆さんが知ってその原理の内容を持って信じてもあまりあるのであり、体験を通しても信仰生活の中においての体験からも信じてもあまりあることですから、疑わずにまっすぐ進みなさい。 三年半前に私が単身来て、こういうことをやると言った時、他の事を考える余念がありませんでした。今は、アメリカの人で知らない人は、ないでしょう。私は、なおさら知らずにいられない事は、白人ならともかくとして、黄色人種、レバレント・ムーンであるからより知られるのです。それほど騒ぎ、それほど国家的に騒いでいるのに知らない、という人がいるならばその人は寄生虫にすぎないのです。アメリカにおいてアメリカを憂える国民ではありません。 あなた達、レバレント・ムーンを知っているのですか。どれくらいレバレント・ムーンを知っているのですか。だから世の人はいうまでもありません,。だから、これを少し強化すればいいのです。 先生によく質問する人がよく勉強するのです。無関心な人が関心をもてば、もっと勉強するようになるのです。だから、アメリカの国民がどうなるのか関心が多いのです。 私がこのアメリカの社会において、一つも悪いことがないと人々は知る様になった時、またアメリカを救うた為に、このような思想の体系の上においてやらざるを得なかったということを知るようになったら、そしてアメリカ国民が来るようになれば、アメリカの国民が頭を下げるでしょう。そうなるのです。 これから反対するそれらの後孫達に宣言しますすが、皆さんの息子、娘達がこれから二十年後に、自分の親達が、統一教会のこのみ旨を知った後に親達が反対したという事を知るながばだ親の墓を堀りおこしてしまいたい気持になるということを知らなければなりません。そのような内容を持った真理であることを知らなければなりません。あなた達が私の話を聞くのは、このように、理論的に体系づけられた真理があるから、悪口を言われながらもここに座っているのでしょう。 これから残っている大会にむかってアメリカが世界の為に責任果せなかったために、責任果たす為に若者を集め、そこでは、アメリカの若者を先頭に立てていくの.す。そうすることによって民主世界が再び活きかえるという原理観があるため、今後皆さんはアメリカの若者の復帰にあらゆる誠意を尽すことを願うのであります。 私が死ねば神様が代わる 皆様は、ヨーロッパから来た弟達なのであります。旧約を救わなければなりません。キリスト教といえば旧約と新教の関係である旧約の国家としてヨーロッパが、今は全部共産主義にのみこまれてしまったわけですが、これを救わなければならないのです。そのようにしキリスト教を一つにさせなければなりません。ユダヤ教とキリスト教と我々統一教会が一つになれば問題はない、問題ないと思いますか、自信ありますか。 アメリカにおいてキリストを信じない人いますか。共産党が奪っていったものとかサタンが奪っていったものを取り返さなければなりません。戦わずして麻葉でもって全部滅ぶようにしてしまいました。それを私がなくならせるのです。君達もそうだったんでしょう。麻薬を飲んでいた人達、手を上げてみなさい。マリファナを飲んではいけない、煙草、酒、フリーセックスなどはいけないというから、サタン側においては、大騒ぎになっています。 アメリカ国民達が、私を表彰することはできなくても反対するとは何事でしょうか。それは全て神様の命令なの.す。レバレント・ムーンの命令ではありません。人類の公的による命令によって、その次、レバレント・ムーンの命令によって出戦するのです。 共産党の銃剣が自分の胸にさしせまってくることを考えた事がありますか。死を覚悟していく道にのです。既に神様に預けたものですから、死ぬ時においても、私が血を流して死んだならば、神様はアァー、レバレント・ムーンよ、あなたがみ旨を成せずして死んだのか、私が代わりにやってあげましょう、と言って神様が出てくるようになるのです。イエスひとり死んだのち神様が代りに責ったために、キリスト教がそれほどの歴史環境においてさえも発展したことを皆さんは知らなければなりません。それと同じなのです。 それでは神の永遠なる無窮なる伝統を築きうる中心の楯を持って死ぬ、ということを知らなければなりません。そのような思想が歴史を通して若者の胸に刻みこまれるのです。 統一教会の歴史において、殉教の祖先のなることを考えてみなさい。一つの家庭ならば自分の家において一人の人が現われるのを願い娘がいればそのような娘になることが最高の希望であるのです。父母の心としては。これをれを考える時、我々はこれからワシントン大会において動いた以上の信念をもって、神の前線に向って総進軍すべきでしょう。そうできますか。私が目をつぶっていますから、そうできる人は手を上げてみなさい。それでは一場面は終りました。 父母としての橋わたし役 じゃ最後にひとことだけ話しましょう。皆さん、アダム・エバが堕落することによって霊界と肉界は完全に分かれるようになりました。歴史的な善なる霊達が今、霊界にい行っているが、地上に反ようとしても来る事ができません。この圏内は、サタン圏なの.す。空中圏をもっているのです。それはなぜかといえば、アダムは父であり、父が責任を果せなかった故にこのような環境をつくってしまった故に、父的な橋をかけてこれを連結させなければ、霊界と肉界は、一つになることはできないのであります。 だから堕落した人間を復帰するにおいて、アベルというのは何かといえば、父を代理した子供達なのであります。そのようにして、個人から家庭、民族、国家、世界に至るアダム圏を作ろうとするのであります。その為に四千年間準備してきた・ムーンの歴史はいつも失敗したので連絡することができず、常に崩れてしまったのであります。そのために、これに対して父的な責任を持って来られ、これを連結させるべき使命がありましたがそれが即ちメシヤ、イエスでありました。 死んだためにこれが霊的になったのですが、霊的だけというのは本来の創造の姿ではありません。 そのために再びこられて、霊肉を合わせて道を開いておかなければなりません。これが父的な責任なのであります。個人的アダム、家庭、民族、社会、国家、世界的アダムが皆、失敗したことを、全て連結させて父としての橋をかける仕事をしなければなりません。 旧約時代から新約時代ユダヤ教からキリスト教が過ちをおこしたすべてを再び直していかなければなりません。これの橋わたしをしなければなりません。二千年の歴史を統一教会の我々は短時間において橋わたしをしなければなりません。先生は今日まで父母として成しえなかった事を、人類の父母になりえなかぱたことをすべて成す為に働いております。 そしてこれが世界基準まで、今度のワシントン大会まで完全に成遂げたのです。 個人の失敗、家庭、社会、民族、国家、世界の失敗したすべてを初めて改めたのです。それで民主世界の人達は誰でもいける道をすべてつないでおきました。 霊界協助による統一 本来、アダムが完成すれば、神が臨在しようとしたと同じ様に、子女が完成すれば、神の国が臨在すると同じ様にやその後は父が臨在するようになるのです。それで何がおこるかといえば、皆さんの先祖達が皆さんを自由に訪ねてくるようになる道が生ずるのであぎます。すべて祖先達が訪ねてくるようになるでしょう。 霊界が願っているのは、それであります。昼間訪ねてきて役事をするでしょう。統一教会は、急進的に世界へと、世界的に歴史にない発展を成遂げるでしょう。統一教会に行かなかったら、こいつ行け!というふうにしておいたてるのです。その為に、霊界の皆さんの祖先達と善なる霊達が、どれほど喜ぶでしょうか。これがワシントン大会において初めて可能になってくるのです。 これからは、一つの村において、何人かづつそのような現象があらわれます。これが統一教一つの国になり、三つの国だけになれば、世界が一つになるのです。それで、どの祖先達が善なる霊を沢山持っているか、今、大騒ぎです。ある国の大統領が善なる沢山持っていると、その国がすべて統一教会の門を叩いて入って来るよ様になるのです。 イエスと釈迦と孔子と孟子を全部動員してこのようなことをする時が来たのです。そのような宗主達が父の立場であるから、すべての霊界はそのような役事が始まるのです。このように、漠然と道のある世界が今日、皆さんにレバレント・ムーンを通して理論的基盤のもとに、論理的な前提に合致しうる、一体化しうる結論を出すということは、偉大な事実であることを知らなければなりません。 そのようなレバレント・ムーンに会えたのは、幸せなことか、そうでないか、どれほど幸福でしょうか。娘がお嫁にいかないで一生をひとりで生きたとしても、独身男性が結婚しないで一生、ひとりで暮らしたとしても、それ以上に感謝することができますか。 怨讐を越える祈りを これから皆さん、祈祷し、先生とみ言とともに天勝日の記念日である十月四日とともに、善なる霊は私の言う通りに、この地上にある悪なる後孫達を罪からはらいのけて、善なる地上世界をめざして、神の国へと導き給えと命令すれば、その命令が可能な時代になってくるのであります。なぜそうなのでしょうか。我々はアダム時代圏内に住んでいるのであり、霊界は、天使世界圏内に住んでいる為、アダムのために、天使が協助すべき原理原則があるから、そうせざるをえないのであります。 皆さんは私に反対する人を首をしめてつれていって下さいという祈祷はしないで下さい。かわいそうな人を助けてあげるという祈祷をしなければなりません。みんなの幸福を祈ってあげなければなりません。なぜかといえば、カイン・アベルと一つになる立場を私がいつももとうとしますから、そのような立場をとらなければなりません。滅びないからです。ニューヨーク・タイムズと、ワシントンポストは私にとっては恩讐ですが、新聞にも出すものがあれば、ニューヨーク・タイムズ、ワシントンポストに出すのです。 私はいつも完成した息子である、という自覚を持たなければなりません。(拍手)わかりますか。 我々には恩讐があってはなりません。悪口を言われながらも、深く昼寝をする事ができるのです。神様がすべて成さしめ給うのです。これから先生が祈るのは何であるかといいますと、これからはこういうことを祈ることができるのです。 今までに共産党に虐殺されたかわいそうな霊達を、あるいは悪人の前に犠牲になった善人達あるいは暴君に虐殺された善なる国民達を、あなた達の恨みを晴らすためにや今や地球上にそのような人達がいればだそこに行って恨みを晴らせ、という祈祷をするのです。 なぜそうなのでしょうか。善なる側の被害を汚してはいけないためにです。皆さんはそのように祈ることはできません。先生は祈ることができるのです。皆さんは、個人、家庭、社会にみんな復帰できなかったから。 そのために、祖先達が再臨することを信じて、神様がともにいることを信じて悪いことはしないようにしなさい。 一つ知らなければいけないことは、強く、大胆で、ある時は協助するが、皆さんが堕ちてしまった時においては、皆さんも滅びるし、祖先も滅びるのです。そうしたら皆さんの後孫が代価を払わなければなりません。 これからは私達の前には可能あるのみであります。ワシントン大会の基準以上で、前進する日においては、全霊界を動員するようになり、いくらでも善なる霊界を動員してもひっかかることがなく、発展し、皆さんの功績は、天国に輝くでしょう。それを知って総進軍しなければなりません。そのような道が開かれるのは今日の七時から八時の式を通して初めて成されるのであります。だから、十月四日は、何の日を言ったかというと、天勝日であります。 それを覚えておかなければなりません。ですから落胆せず、強く雄々しく前進することを再びおねがい申し上げ、皆さんの前に幸福が訪れることをお祈りいたひます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.13
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「ワシントン大会後の我々の使命」1976年9月20日ベルベディアにて 三年半の戦い 今朝は、みんな飛んでいるような気持ちだろうと思います。重荷を脱ぎ捨ててね。みんな雲の上にいるような気分でしょう。どうですか。飛んでいるのはいいけれども、着陸する時は気をつけなければいけませんよ。また歩かなければならないから。 ワシントン大会の勝利に対して、まずもって、天の父、全能なる神に心から感謝しましょう。私は、あなたたちに対して、この大会を大成功に終らせたことを心から感謝しましょう。私は、あなたたちに対して、この大会を大成功に終らせたことを心からお祝いを言います。一番初めに、天のお父様に感謝し、その次にあなたたちに、そして三番目には、大会に出席した人たちに感謝します。 ワシントン大会を成功裡に勝利して、私はここに一九七二年以来果してきた自分の使命が、ワシントン大会の勝利をもって、本質的な目標を終えたことを宣言します。(歓声)。私は、この歴史をふりかえる時に、それは三年半程前、ちょうど、一九七二年十二月十八日でしたけれども、最初に到着した時のことを思い出します。ワシントンに着いた時には、誰も私のこの計画を知る者はいませんでした。 しかし、私の心は、神が与える大きな計画、命令、指示で心を震わせていました。その時私は、すでにアメリカでの三年半の戦い方についての、完全な計画ができあがっていました。その戦い方は、二千年前イエス様がローマで成し遂げられなかったことを、当時のローマに匹適するアメリカで、私が実現しようということであります。そういうことを考える時、このワシントンの勝利は、まさに歴史的な記念すべきものであります。 アメリカのマスコミ、各メディア、また心の狭い人々は、最初私たちの運動に反対し、迫害し、怒り、あらゆる手段をもって、私たちの運動を妨害してきました。しかし、このような反対勢力の中にあって、私たちの運動が前進し、このような大勝利を得たのは、天の父、生ける神が常に私たちとともにおられたことを、はっきりと示すものであります。 はじめ、ワシントンで私は、全米の食口を集めたのですが、何人きたと思いますか。たったの七十二名でした。そのアメリカ各地から集った七十二名に私は、全米各州に講演会に行くということと、IOWCの運動を始めるということ、マディソン大会、ヤンキー大会、ワシントン大会を行う、ということなど全ての計画を話しました。が、この計画を発表した時は、唯一人としてこれを信じることができませんでした。 最初、統一教会の食口が信じられなかったのです。教会員が信じられないことが、どうして一般のアメリカ人に信じられましょうか。ですから、その当時のアメリカの市民にとっては、私はアジアから来た、おかしな人物で、アメリカで何かしようとしているけれども、ふり向きもされない黄色人の一人にすぎなかったのです。そんな価値などない人だと思っていたからです。 その時、彼らは平面的にしか見ることができなかったのです。しかし、私の見方はもっと大きい立体的な見方でした。私自身は垂直的、立体的な見方をしていました。私だけが、今までずうっと、この平面的な見方でなく、垂直的、立体的な見方に確信を持っていました。時には、平面的にはとても惨めな、どうしようもない状態の時もありました。そんな時でも、いつでも私は立体的見方をしていました。それでもこの確信は、外圧によって損われることはありませんでした。永遠に変わらない立体的な戦い方は、決してくずされたり、離脱したり、迫害とか、外圧によって変えられるものではありません。 このように立体的観点から私たちの運動は始められました。ですから私たちは、最初基盤というものを持っていませんでした。それで基盤造りが、私たちの仕事であったのです。私たちが一歩上るごとに、攻撃とか迫害が増しました。しかし、これは避けられないことでした。しかし、私はいかに迫害や攻撃が激しくとも、けっして外圧に屈しなかったのです。それはもう言うに言われない物語り、あるいは隠れた戦いが、私には沢山あったのです。この立体的戦法を強く、堅固に守る戦いが私のアメリカでの三年半の政策でありました。ですから、アメリカに着いた時からワシントン大会に至るまで、私はすさまじい戦い、対立があることを知っていたのです。七二年七三年をへて七四年に私は、マディソン大会を行いましたが、この大会の勝利は最初の基盤となり、アメリカ人の目を開かせることとなりました。これで初めてアメリカ人は目を開き、R・ムーンの力を知ったのです。 その一日前、九月十七日にルドルフ・アストリアホテルで晩餐会があった時に、CBSのマイク・ウォレスがやってきて、私にインタビューをしました。「あなたは、マディソン大会が勝利すると思いますか。」私は直ちに「もちろん、百パーセント勝利の確信がある。」と答えました。その時、その記者は信じられなかったと思います。しかし翌日、それがまさに本当だということが証明されました。 大半の新聞とか雑誌、マスコミはいろいろな分析や予測をするこですが、ニューヨーク・タイムスその他の新聞は、R・ムーンはマディソン・スクェア・ガーデンを一杯にすることはできないであろうと予測していました。そして、そのことを正式に発表していましたが、私のコンピューターは違っておりました。私のコンピューターは、必ず一杯それ以上になると言っておりました。神のコンピューターは、彼らのよりは、ずうっと良くできているのです。 それ以来、人々はR・ムーンを「巨人」または「驚異」「恐ろしい人物」と言うようになりました。そして、マスコミは強烈な総攻撃を加えてくるようになりました。ウォーターゲートのあと、私たちは方針として「許せ、愛せが団結せよ」ということを宣言しました。その時、まさにR・ムーンに対する反対は最高潮に達しました。そして都合のいいように事実をゆがめて、R・ムーンを攻撃しました。 ヤンキー大会からワシントン大会の勝利へ 私は、たった三年間でアメリカだけでなく、全自由世界において、知られなければならない、そういう責任があったのです。ですから、一九七六年、この戦いはまさに、神とサタンの最高の戦いとして、キャンペーンをはり、出発したわけであります。 私たちはヤンキー大会を歴史的に勝利するために、同じこの部屋で、何度も誓いました。しかし、残念ながら予期しない雨でした。それ以来メンバーの一人ひとりは、何かしら心悲しいような、心を破られるような気持ちの中にあったのです。しかし、私自身は、違って感じたのです。天の父は偉大な戦略家だから、もっと大きい長期的な戦略をもっているに違いない、ワシントン大会の勝利を目ざしておられる天の父は、全てのことに対して、全く違った見方をしておられるに違いないと感じていました。 考えてみなさい。私たちが本当に素晴らしい勝利をヤンキー大会でしたとすれば、それ以来九月十八日のワシントン大会に対して、どのように感じたでしょうか。言葉に表わさなくても傲慢になったり、安心したり、油断したりするのではないでしょうか。それでワシントンは、ニューヨークよりも小さいのだから、ピーナッツだから必ず勝利できる、と油断したに違いありません。それが人間の性質というものです。もし、そういうことがあったとしたら、どうでしょう。今のような喜ばしい、この素晴らしい解放感、勝利感というものを味わえなかったでしょう。 統一教会の誰もが、世界中の食口がヤンキー大会の状態に、ひどく心を痛ませたのです。ですから、ワシントン大会の真の勝利を目ざして、皆んな自分を捨てたのです。まさに、統一教会にとっても、試練の時でした。みんな神を疑って、「本当に神様は私たちの味方だろうか。そうしたら、どうしてこんなことが起ったのだろう」とか、「天の父は、私たちを疑わせるようなことはなさらない」とか思ったのです。それがここ数カ月の私たちの試練でした。 ここに集っている指導者たちも、そのように感じていたに違いありません。しかし、もう一度チャンスを下さい。ワシントン大会では必ず完全に勝利しますからと、統一教会の全ての食口が決意したに違いありません。ですからヤンキー大会が終ったその時から、四十日間、ワシントン大会のために全力投球したのです。評価をしたり、分析したり、そんな猶予もなく、弾丸のように突進したのです。 次第に指導者たちもまとまってきました。先生と一体化して、ヤンキー大会のどういうところが悪かったのかと分析して、それから私の指示で、もっと人との接触を深めること、心と心のふれあい、心情的なつながりを強調するようになりました。そうして、バスを利用する、バスで沢山動員できるかが、ワシントン大会の勝利の鍵であるという結論になったのです。 私はこう思いました。まさに、これはワシントンD・Cにおける宗教的な大会であるから、過去のあらゆる伝道集会の記録を破らなければならないと。これが私のはじめからの決意でした。私は、ワシントン大会がいかに恐しいものであるかということを、はじめから知っていました。もし成功しなかったら、その結果というものは、まさに恐るべきものであるということを良く知っていました。もし私たちがこのワシントン大会で失敗したら、多くの人々が結論として、統一教会に神はいないと言うであろうし、それに対していいわけがきかなくなってしまったでしょう。私たちを批判する者は「それ見てみろ、R・ムーンは神とともにあると言ったけれども、全ての事実、状況から見て、神様がR・ムーンとともにいないということを示しているではないか」と言うでしょう。このことに対して、私達は何も答えることができなくなってしまったでしょう。 もし、そういうことが起ったとすれば、統一教会の霊的状況に対しても、世界中のメンバーに対しても深刻な影響を与えていたでしょう。その重荷を取り除くべきものは、何もなくなっていたでしょう。どんな力も、私たち統一教会のメンバーの霊的な重荷を取り除くことができなくなってしまったでしょう。それは、本当に深刻なことです。そういう失敗があったら、私がこれから成そうとしていた戦いの方向性が失われてしまい、私の考え通りできなくなってしまったでしょう。そのことをはじめから良く知っておりました。それこそ、惨めな立場に、R・ムーンが立たなければならないということを誰よりも良く知っていました。 統一教会の運命は、まさにワシントン大会にかかっていました。私たちは、新しい希望をもって飛び上がろうとしていたけれども、もし失敗したら、まさしく地獄の真只中に落ち込んでしまうような惨めな立場になっていたでしょう。そうなることは間違いないことでした。 もし白人が答えなかったら、黒人でもかまいません。黒人が選ばれた者であるかも知れません。黒人を動員しようとそう思いました。イエス様の時に、カルバリ山に十字架を背負っていった最後の人は、黒人でした。だから、歴史的に言っても、黒人は最も重要な役割を、最後の摂理の段階において果す運命を持っていることを知っておりました。私は啓示によって知っていました。ある意味ではワシントン大会は、イエス様の予言が今の時代にあって成就されたと言っても良いでしょう。だから私は、これから統一教会の運動において、黒人、黒人社会が最も重要な役割を果すだろうと思っています。 このようにワシントン大会は、無条件の勝利、大勝利であることを宣言します。これは神の勝利であり、摂理の勝利であり、歴史的な事実であり、天宙の否定できない事実です。私もまた、羽のように軽く飛んでいるような気分です。今までは、非常に重荷を持っていたけれども、ワシントン大会勝利の後は、解放されて、自由な人間となり、自由に歩くことができ、天地においても誇りを持って、上を見つめ、下を見つめ、自由な人間として、本当に軽い気持ちで、もともとの計画、戦いを堂々と進めることができます。(拍手)。 各自が第二のR・ムーンに ワシントン大会は、私たち統一教会の勝利となりました。それは記録されるべき事実であり、真理であります。問題はこれから、何をするかということです。これが最も重大な問題です。ワシントン大会が今までの目標でしたが、大会の勝利の後に、どういう方向に向って動いていくべきか、ということがこの会議の目的です。 まず、第一に決めましょう。退却すべきか、さらに前進していくべきか。(前進!)。ではどうやって。前進するにはいくつの動き方がありますが、平面的にか、四十五度の角度でか、それとも九十度で上に向っていくのですか? どれが良いですか。(九十度!)。それは、平面的でなく、上を見なくてはいけないということを意味するのですね。私たちは上を見なければなりません。 二本の足でしっかりと、地面に立たなければならないということです。そうしなければ、上を見ても倒れてしまいます。二本の足をしっかりと地面につけて、ゆるがない基盤をつくっていなければ、ちょっと力を後から入ると、すぐ倒れてしまうでしょう。普通の人であったら、ちょっとした力では倒れないでしょうけれども、上ばかり向いている人は、ちょっとした力でも倒れてしまいます。 だから私たちは、ただ単に上だけを見ているだけでなく、下も見なければいけません。自分の上と下を同時に見なければなりません。しっかりと地面に足を二本立てて、それから上を見なければならないということを、私は言いたいのです。ただ単に上を見るだけではだめです。身体をふらふらさせてはいけません。岩の如く、銅像の如くに、しっかりと立ちなさい。そして、それから動きなさい。もし、力がどっちからか来たら、それに影響されますか。(いいえ)では、どんな顔をするんですか。見せてごらんなさい。疲れきったような顔をするのかな、それとも確信に満ちた力強い顔をしますか。(力強い顔をします!)。はい、結構です。 今日から、私は一つの政策をだします。百パーセント、皆を信頼しましょう。(拍手)。皆さんは、今まで私が働きに働いてきたことを見てきたでしょう。私が一つのことに組みついたら、最後にはそれを成し遂げることを知ったでしょう。だから、これからはどういうことを成すにしても、皆さん方は百パーセント一体化しなければなりません。そうすれば、成し遂げられることを知っているのですから。 ちょっと難しい質問ですが、皆さんは私よりも良い立場ですか、悪い立場ですか。私は皆さんの方が先生より、良い、素晴らしい立場だと思います。皆さんは、アメリカで不便もなく、英語もうまく話せるし、多分アメリカの食物もおいしく食べられるし、顔つきも、平均的な白人でもあるし、若いし、その点においては私よりも優っているのです。皆さん方は、まさにアメリカの青年の模範で、良い模範です。 あらゆる点において、皆さんは先生よりも優っているのです。皆さんは私より背は高いではないですか(笑い)。あなた方の目は深いし、大きいのです。だから、あなたたちは私より多くの優った資格、素質というものを持っています。そうでしょう。(はい)。 皆さんは、ここ三年間で成してきたことを見てきたでしょう。実際、その目で見てきたでしょう。皆さんは素晴らしい立場にいるのです。私の場合は、信仰しかありません。自分しかいません。いわゆる模範とすべき例がありません。しかし、皆さんはその従うべき生きた模範があります。それだけでも、私より優った立場にあります。そうでしょう。(は!)。 だから私は、皆さんが本当に強い確信をもって、私が見せてあげたんだから、同じようにすれば、一生懸命やれば、必ず勝利できるという確信をもってほしいと、そのように思っています。そういう組織、団体は必ず発展します。そうして衰退することはありません。だから皆さん、大志をもって、確信をもって、働いてもらいたいと思います。私は、何も模範にできるものはないけれども、私が生きた手本を示したから、私以上のことができるということを確信をもってほしいのです。 このワシントン大会の勝利の後、私は一つの重要なことを決意しました。如何にして、皆さん方に、力と確信を持たせるかということに対してです。私がお手本を示したから、自分は先生が成した以上にできるという確信をいかに持たせるか、これが問題だということを結論として感じていました。今朝、この大会の勝利の後は、バラ色の輝やかしいことばかり言ってくれると思ったでしょう。天気もいいし、何か楽しいことがあるのではないかと思ったでしょう。しかし、そうはいきません……。それで構わないでしょう。(はい!)。本当に、私より良くあろうとする意欲がありますか。(はい!)。できますか。(はい)。三分の一しか返事していませんが、三分の二はどうしたんですか。 考えてみなさい。私は三年半前にアメリカに来ました。この短い三年半の期間内に、この勝利を成し遂げました。この部屋にいる一人ひとりが、もう一人のR・サンミョン・ムーンになろうという決意をするならば、同じ三年半以内に、サンミョン・ムーンが、世界中に何千何万といたら、この国は、世界は粉粉に砕くことができるのではないだろうか! 本当にそう思わないでしょうか。(拍手)。 今までとは違った人間に 自分の顔を良く見てみなさい。自分の顔は小さい、しかし心は先生よりも大きいと。自分の心は先生よりも大きくしようと。自分の目は奥で輝いているように深い、しかし、自分の目を先生のように鋭く、そしてつき出すような、人を射るような、そういう具合いにしてみなさい。自分の目を私の目のようにしたら、私のように前向きに考えて、そうして前進することができるでしょう。自分の鼻は先生のよりも大きいけれど、たたいて、先生の鼻と同じぐらいの大きさにつぶしておこう。先生のように一生懸命働いてね。それを考えてごらんなさい。どこもかしこも、手も足も先生とくらべてね。そういった態度をもって頑張るならば、まさに神様が私とともに働いて下さる以上に、皆様とともに働いて下さるでしょう。それは何と素晴らしいことでしょう。天のお父様がともにいて、教え、指示して下さる、それは本当に素晴らしいことです。 ですから今朝は、私は先生以上にするという、先生に負けない、そして先生以上の記録をなしてみせるという、そういうことを決意する時です。そういう決意をもち、確信をもっていたら、何も九十度上を見なくても良いのです。神様がともにいて下さるので、全て現実を見れば良いのです。現実を見て、現実に直面するのです。そうでしょう。できますか。(はい)。 これからは、今までと違った人間になりなさい。歩く時でも普通通り歩くのではなくて、一インチ力強く歩きなさい。それから一秒でも早く到着するぐらいに歩きなさい。敏速に行動するのです。過去においては、いろいろ他のことをやったり、見たり、時間を過してしまいましたけれども、今日からは、早くスパークして、時間を節約しわ多くのことをしなさい。しかしトイレは短くね(笑い)。本を読む時でも、新聞とか手紙を書くとか、そういった時にももっと早く読み、内容を早く掴みなさい。そういった過去の記録を破るような、新記録をつくりなさい。 また、髪を短くして、髪が伸びるのを遅くしなさい。爪でさえ短く切りなさい。そして指を見てごらんなさい。統一教会の女性で、今まで爪を長くして、磨いていた者は自分の指よりも短く切ってしまいなさい。これからはやることは普通の人とは反対にするのです。今朝からは、もう別の人間です。天の方向に向って、神様に向って直進する最短距離をいくような気持でやりなさい。呼吸も普通の呼吸ではなく、特別の呼吸、吸う時、吐く時神の心情をもって呼吸するのです。異った意味をもってやるべきです。もう体操をする時間がないかも知れません。が眠っている時に体操して、時間を節約しなさい。(笑い)。 ジャングルとか山とか、誰も行ったことのないような所がありますが、そういう所へも出かけて行くという決意が必要です。そうすれば全く違った人間になることができます。そして考え方においても、態度においても、異った人間になることができます。そうして誰に言われなくても、一人で垂直的、立体的に前進することができるのです。それは、間違っていますか。(本当です)。世界の統一は大きなことです。しかし、小さいことでも、決意しそれを積み上げていけば、大きなことを成すことができます。 会議よの時は、最後まで残って戸締りをして帰りなさい。会議が始まるとしたら、最初に来てその準備をしなさい。会議が九時から始まるとしたら、八時に来るようにするんですね。そうして、その一時間で新しいことを計画することができるでしょう。また、もし九時から始まるのに六時に来たとすると、私たちの生活には予期しない事が起りがちですが、天の父は突然、今朝会議は九時に始まるが、六時に来た者に、大いなる恵みを与えようと言われるかも知れません。その人は三時間、先を越すことができるでしょう。その人は時にかなった人です。 たとえば会議が、今朝九時から始まると決っていたとしても、もしきのうの朝九時にきたとしたら、その人は二十四時間、新しいものを作る時間があることになります。二十四時間早くきたということは、気違いのように見えるかも知れません。そして、なぜ一日も早くきたのかと批判されるかも知れません。この二十四時間にいろいろ誤解されたり、罪人のような思いをするかも知れません。気違いだと思われる度合が多ければ多い程、神からはより大きな恵みを受けることができます。それは神様のはからいです。神様というお方は、非常識な、異常な、普通ではない角度から見られるのです。 過去において、愛国者だとか、聖人とか、偉大な人とかいう歴史的なことをした人は、みんな気が狂ったような人たちでした。どの位気違いじみていたかというと、自分の選んだことは、生命がけで守り、けっして離しませんでした。それで、結局彼の人生は意味のあるものとなったのです。 キリスト教、リスト教徒自身、この二千年間まさに、みんな気違いのようでした。彼らは何のしるしもないのに、イエス・キリストの再臨を二千年間も待ち望んでいました。そういう意味では、キリスト教徒は二千年の気違いと言ってもいい位です。しかし、大切なことは、他の人や、回の人々がどういうふうに見るかということではなくて、天がどのように見られるかということです。どんなに気違いと思われようとも、何という信仰か、それは良くやった、それは献身だ、努力だと、天の父が心を動かし、天の父が感動するならば、予期しない、素晴らしいことが起るかも知れません。 私たちも皆、気が違っているような人間です。ワシントン大会そのものが、気違いじみたことでした。この大会の後にも、野球とか宗教的な集会とかロックフェスティバルとかあるかも知れません。普通の人々は、そのような行事が終ったらすぐ、そのまま帰ってしまうでしょう。そして二、三日はそこら中、汚なく散らかっているのです。しかし、統一教会のメンバーは違います。私たちは、寝ずにワシントンの会場を清掃して、ポスターをはがして壁をきれいにしました。これはまさに、私たちは気違いじみたことをしたのです。 統一教会のメンバーには、いつも気違いのようにやるという競争があるのです。もし、皆さんが、会場掃除、ポスターをはがして、そしてもし、ある人が他の人より以上に夜遅くまで残って掃除したとしたら、その人はもっと気違いと思われるでしょう。しかし、どの人が勝利したかと言えば、その人ではないでしょうか。人々はこう言うでしょう。また別の日が……。明日やればいいじゃないかなんて、そんなに気違いみたいでなくていいじゃないか、と。しかし、私たちはそうは考えないのです。私たちにはもう明日はないのです。明日では遅すぎるのです。そういう態度で、きょうのことは、きょうやるという態度をもってやるのです。 きょうから、新しい人間になろうと決意した人、手を挙げて見せて下さい。少なくても心の中では、きょうからは何か新しく、気違いに思われる位に、自分だけが秘密としておいていいような、そのようなことを何かしようと、そういう決意をしてほしいと思います。きょうからは違うんだという決意でやってほしいと思います。わかりましたか。(はい!) なぜ私たちはそうすべきなのでしょうか。今日、こういうことを話す理由は、これまで私たちがうけた祝福というものは、これから受ける祝福に比べれば、小さいものです。ピーナッツのようなものです。だから、こういうことを言う理由は、本当にこれからくる素晴らしい祝福を受けるに値いするような、そのような準備をしてほしいからです。わかりましたか。(はい)。 あなた方の生活の仕方、食べ方、顔の洗い方、あらゆる生活の様式が違ったものでなければなりません。どの位違うべきか、ちょっと分析してみましょう。ある一人の人が結婚するとすれば、その人の生活の仕方が変わるでしょう。独身の男性はあんまり構いません……。食物も中途半端、顔を洗うのも中途半端、皿も洗わない、それでも構わないでしょう。しかし、もし奥さんがくれば、それに注目しなければならないし、彼女からきらわれることがないように、ものの言い方にしても、生活の仕方を変えなければならないでしょう。それと同じです。 先生が言おうとしていることは、つまり皆さん方は、それ以上に違った者とならなければなりません。つまり、独身者が結婚した時に変わらなければならないということは、これから私がいなくても良い、皆さん自身が一緒に団結して、そしてこれまで以上の業績を達成すべきであるということです。だから、成長した息子が結婚した時に、いろいろお父さんにこうして下さいとか、お金を下さいだとか、あの人がいじわるするんです、何とかして下さいなどと言ったりはしないでしょう。そういう人はけっして孝行息子ではありません。息子は独立して、そして父親以上に役割を果す、それをうまくやる、それが孝行息子というものです。 統一教会においても、同じことが言えます。私の言うことを聞いていますか。私が好きですか。(はい)。ちょっと気分が悪いや。これからは、もう私を愛さなくてもいいです。私以上に、天の父の愛に相応わしい人になってほしいのです。それから私を愛しなさい。そうしたら私も受け入れましょう。私は皆さんを愛しません。嫌いです。それでもいいですか。(はい)。もし皆さんが本当に神を中心とした人間になるならば、神は皆さんとともにいて下さるでしょう。そして、それから私のところにきて、私を愛するならば、その愛は受け取られ、価値あるものとなるでしょう。それまでは、誰も愛するに値しません。 私たちはこれから違った新しい次元に、違った段階に、運動に、新しい展開に入るでしょう。だから、きょうから是非とも覚えてほしいことは、私の代理と、天のお父様の代理となるような、そのような者になってほしいということです。 個人の戦いの時 私たちはワシントン大会に勝利しました。しかし、傲慢になってはいけません。傲慢になったり、油断したり、それは一番悪いことです。思い上ってはいけません。警告しておきます。これまで皆で一緒に働いてきました。集団で頑張ってきました。しかし、これからは各自一人ひとりの戦いになります。一人ひとりがいかに価値あるかということを示す時です。そういった戦いがこれから待っています。この集団としてのキャンペーンにおいては大勝利をしました。しかし、皆さん自身が一人ひとり個人として勝利したということを示さなければ、この集団が行った全体としての勝利は無駄になってしまうのでしょう。そのような時代がきています。 集団的、統一キャンペーンの時代は終りました。集団、統一したクルセードは終りました。これからは個人的なクルセード、個人的な業績、個人的な競争、個人の神における価値が問題になってきます。ワシントンは一つの市でしたが、つの市とか、一つの州が問題ではなくして、世界的なレベルにおいて、あなたがたは、これから世界的な宇宙的な戦いにおけるチャンピオンになるべく覚悟しなければなりません。 天においては、祝福というものはすべて荷造りされています。祝福はもう船積みされています。それを如何に分配するかという時代となっています。今、その時代がこようとしています。それは私が分配するのではありません。皆さん自身が分配を与えられるに価する者となって、天から分配されなければなりません。では自分自身、誓える者、必ず天の息子、娘だと言える者、手を挙げなさい。天の息子、娘だとそう確信のある人、手を挙げてみて下さい。手と心が同じことを言っているか、どうかを反省しなさい。皆、神の息子、娘なら世界的なスケールの子ですか。(天宙的な息子です)。では、R・ムーンは神の息子ですか。この世的な目から見れば、まさに悪魔、サタンの子のようにいわれています。しかし、私は悪いこと、サタンのすることは、けっしていないし、サタンの好きなものは嫌いだし、百パーセント完全に異質だからです。考え方においても、心においても。 さらに私は「論議の的となっても恐れない」と新聞のインタビューで言ってあります。いかに世界中で、アメリカのみならず、世界中で論議の的となってもかまいません。天宙的、霊界、地上界においても、もだえ苦しんでいる人すらも耳を傾けて、R・ムーンが大きな、ひっくり返すような物事を企てたので、地上が混乱しているということを……。それでも私は絶対話すのはやめません。それぐらいの議論の多い人間になりなさい。 もし、地獄すらもそういった方向に動くならば、天国だったら、霊界のあらゆるところら、誰ともなく、R・ムーンのことを話すようになります。 もし、地獄すらそういった方向に動くならば、天国だったら、霊界のあらゆるところから、誰ともなく、R・ムーンのことを話すようになります。そうすれば、R・ムーンはいたるところにいることになるでしょう。昨日、韓国の指導者の一人の文社長が世界を巡ってきて話すところによると、自分がムーンだと紹介する度に、みんながちょっとおかしい顔をして、あなたはR・ムーンと関係があるんですか、といつも聞かれたということです。それで、文社長はその度に、とても誇りに思ったそうです。(拍手)。 迫害をのりこえて R・ムーンは世界中に知られています。それはギャングとしてですか、銀行強盗として知られているのですか。R・ムーンが有名なのは、スキャンダルとしてですか。青年を誘惑するということで有名なのですか。そういう非難を受けたことがあります。統一教会のベリータウンとか修練所に来るとか、R・ムーンは大きな注射器を持ってきて、ジンセン、ジュースを注射して洗脳すると、そう言って批判する人がいます。(笑い)。人参ジュースで改宗させるというのです。 皆は笑ったね。私たちは真実を知っています。真理を得た私たちは、神が私たちを変えたと知っています。神がともにあるということを知っている私たちは、こういうことを言われると、笑うことができるのです。だから、外で本当のことを知らない人、ラジオ、新聞とかで仕事をしている人の話しは、秋の葉っぱのようです。時がくれば、冬がくれば落ちてしまうのです。そんなものは長続きしません。時がくれば、そんなことは消えてしまします。それから、R・ムーンを批判して、私たちの運動が政治的なものだと言って批判している人々がいますが、そう言わせておいたらいいです。私たちは笑って済ませることができます。私たちは権力とかを求めているのではありません。私たちのクルセードは教育的なものであり、一人ひとりとお話しして、神を中心とした人間に変えていくための教育です。皆さんは、私に天宙的、世界的な霊的指導者となってほしいと思いますか。(はい)。そうでしょう。一国の指導者になるよりも、教育の方が影響を与えることができるのです。神を中心とした世界をもたらすための指導者をつくることが、R・ムーンの仕事です。 それから人々はR・ムーンは青年をつれてきて、奴隷のようにしていると批判しています。あなたがたを奴隷にしましたか。皆にとって辛い仕事かも知れません。皆さんはそれを一生懸命やっています。それは奴隷というのではありません。自分自身の心から喜んで、決意してやっているのです。R・ムーンが誰よりも働いているのを知っており、また韓国、日本、世界の指導者たちがアメリカにきて、一生懸命働いているのも知っているので、皆さんは、それを知った時、良心的な人たちが、神を知った愛国的青年として、どうして一生懸命、働かないでいられるでしょうか。それが彼らの動機です。自分から進んで努力しているのであって、強制的にクルセードに入れられたり、奴隷のようにつかわれているのではありません。 アメリカの国民は確かに一生懸命働いています。彼らは、アメリカ人としての権威、威厳というものを、こわされたくないので、自分たちの良心を傷つけたくないので、一生懸命働くのです。私たちの運動は、実に心から喜んで行っている運動です。それは間違いないことです。だから、私たちはこの国を救うために、アメリカの国民の権威とプライドのために働いているチャンピオンなのです。私たちは何も恥じることはありません。日本人は十五時間働きます。アメリカ人がアメリカのために、世界のために十六時間働くのです。働いて、何が悪いのでしょうか。日本人が十五時間働いているのをみて、アメリカ人は十二時間でいいと、そうすると、日本人によって、アメリカ人は奴隷化されてしまうでしょう。アメリカ国民は“いや、私たちはそんなことはできない。私たちは強い国である。献身的な、プライドの高い国である。私たちは決して負けない”と考える、それが普通です。多くの人々は奴隷にしていると批判していますが、それは根拠こないことです。 R・ムーンは何もお金に興味があるのではありません。皆さんを通して、お金をもうけて、韓国に持って帰ろうとか、安楽な生活をしようとか、そんなことではありません。私は自分自身をアメリカのために献げているのです。アメリカ自身は、天の法則によって私以上に働かなければいけない立場です。人々が何と言おうとも、R・ムーンがアメリカにきたのは、青年を教えて、皆さんのようにアメリカの青年が心を献げ、そうしてこの国の将来を救うことのできる指導者をつくるために、教育するためにきたのです。私のこの国に対する貢献は計り知れないものです。 神の子として誇りをもって 皆さん方の大部分がアメリカの二十代の青年です。私が二十代だった時には、何もありませんでした。全く一握りの何ものも持ちませんでした。そこから基台を造ってきました。そういう基台の上で、皆は全てを与えられているのです。だから、私以上のことができないはずがあるでしょうか。あらゆる確証をもち、あらゆる物質をもち、あらゆる経験が例として与えられているでしょう。 私は誰より以上に自分自身を、ここ三年間奴隷のごとく酷使してきました。考える以上、自分自身を奴隷化してきたのです。しかし、神の中にあって、自分自身を決して、奴隷とは思いませんでした。天国のチャンピオンであり、開拓者であると思ってきました。私は刑務所で鎖につながれて苦しんだし、霊界において沢山の、何千、何百の奴隷が鎖につながれて死ぬど苦しんでいるのを見てきました。外的にみるならば、私はまさに奴隷でした。共産主義者の強制収容所でもそうでした。しかし、今や、奴隷としてではなくて、神の子としてその奴隷以上の惨めな立場を自ら進んで担ったのです。重要なことは、歴史が明らかにするでしょう。 アフリカの奴隷を打ったとしても結果は小さいのです。しかし、神の息子を打ち、神の息子を奴隷としたならば、その結果は非常に大きいのです。その審きは大きく、歴史はけっして許さないでしょう。だから神の息子であり、神の娘であるということを、まずわかって、実際あなたたちがするのは、奴隷のような仕事ですが、としても落胆することはありません。それは、もっとも高潔な、神聖な仕事です。自分の心の中に誇りをもって頑張るべきです。かつて多くの人々は、意味のないことに苦しんできました。多くの奴隷が苦しみながら意味なく死んでいきました。 かし皆さんはそうではありません。もし、皆さんが神の子としての誇りをもち、神の心の中で、そして訓練の中で苦しむとしたら、その苦しみは意味のあるものとなります。だから、あらゆる苦しみを受けたとしても、それは価値があるのです。条件ともなるし、伝統をつくることになります。そして永遠の歴史において、神の国を築くための苦しみとして残るでしょう。そして一つ苦しむことは、神に対する条件となり、皆さんは誉め称えられ、まさに、一つひとつが神の前で誇りとして記憶されるでしょう。 奴隷として苦しんだならば、御旨ではありません。その苦しみは深刻であればあるほど、大きな栄光を約束するものです。どちらの役割を皆さんはとりますか。私たちは奴隷として苦しみますか、神の子として苦しみますか。私はこれまでずうっと苦しんできました。皆さん方が、それを見て私のところにきて、「私達が先生の重荷を担います。どうか先生、少し休んで下さい。」と言った時に、神様すらも私に対して「息子よ、今まで充分にやってきたんだし、おまえに代わるものが沢山いるから、少しリラックスして休んだらどうか」と言われるかも知れません。その時にR・ムーンは「お父様!それはできません。いかに天のお父様が休めと言われても、私はこれからもっともっと一生懸命頑張ります」と言うでしょう。たとえ、それによって天から批判されても、それに対して皆さんは批判しますか。それとも尊敬できますか。 私は五十七才になっています。七十才位までしか働けません。「あと十三年間は休んで天国に行こう」とは考えません。私はこの十三年間、働いてもっと苦しんで、もっと困難な目にあっても、それ以上のもっとすばらしい影響を天地にもたらすために頑張ります。私はさらに、天のお父様はこういうでしょう「さあ、ここに祝福があるから、それを受けて楽しみなさい」と。それに対して「お父様、この祝福は統一教会に与えて下さい。青年に与えて下さい」と答えたら、天のお父様はどう思われるでしょうか。「お前みたいに呪われた者は、だめだ」と言うでしょうか。それは天のお父様の心を感動させるに違いありません。 祝福は無限であり、そして十年、百年、百万年と永遠のものとして、天の父が与えて下さるものです。私たちは、全てに対し、私たちの運動に対して、そして人類に対してR・ムーンの口を通して語られるでしょう。そうすると、どちらが私にとって望ましいものですか。「先生、死ぬまで一生懸命働いて下さい」と言いますか(いいえ)。それでは皆さんはどう言うのですか。私は決して引退しません。皆さんとしてできることは、私の仕事を全部ひきうけて、私を完全に何もできないようにする、それが皆さんがやることです。 R・ムーンはもし皆さんから何もできないように妨げられたとしたら、野球のバットをもって、あっちへ行けと、皆さんを打つかも知れません。そうしたら皆は、血が出て、骨が折れたりします。その時に天に対して、皆さんの足を傷つけたと言って訴えますか。裁判所に告訴しますか。どうしますか。骨が折れたとしてもやあありがとう、感謝してもっと一生懸命、神様のために働きます、と言いますか。そういう光景を考えてみなさい。 その時、神様もこの息子は大したものであると、神様も降参するでしょう。そういうことが、まさに神様を降参させる唯一の道です。そして神様は「サタンよ来い」とサタンを呼んで「この男を「この男を見てみろこの男を助ける値うちがあるか、イエスかノウか」と質問すると、サタンですら何も述べることができないで「はい神様、そのとおりでございます」と認めざるを得ないでしょう。サタンすらも「私は降参しました。彼に対しては全く降参です」と、そう言うでしょう。そのような人間にこそ、永遠に神の息子としての権能が与えられ、サタンすらもそれを証しし、認め宣言するでしょう。このように考えます。 神を感動させる私達に そういう意味で、きょうから新しい日を出発するのです。人間はいつかは死ななければなりません。一度は死ななければなりません。神様は、まさにスーパー人間ですから、情もあり、ちょうど皆さんの情のように働いているのです。だから、皆さん本当に孝行息子として、娘としての行いをすれば、天のお父様のその心をとりこにすることができます。それが天の父の心をとらえる唯一の方法です。そうして皆さんの心に神をもつことができるのです。 二千年前のイエス・キリストの死は神の心を動かし、イエス様は神への忠誠を身をもって表わしたので、神はイエス様を復活させて、キリスト教を始めたのであります。それと同じことがあなたにも起るでしょう。だから、決して不平を言ってはいけません。誰も批判してはいけません。復讐しようとしてはいけません。神様が良く知っていて下さいます。サタンも良く知っています。死ぬ時、あなた方は、神とサタンの、まさにその真ん中に立ちます。そして、自分自身の行為によって、どちらに行くべきかが決まるでしょう。 だからサタンを屈服させるためには、絶対的なる、中心の心を神の子として持たなければなりません。そうすれば、まさに神側に立つことによって、サタンを粉砕することができるし、サタンはこの地上に足場をなくしてしまうでしょう。昨日と今日は違います。私たちは新しい人間です。違った人間です。自分を与え、み旨のため、神の子の名において自らを献げましょう。そうすることは大きな遺産であり、大いなる伝統です。素晴らしい贈物を残すことになるでしょう。そうして、あなたたちの行為は覚えられて、永遠のものとなることでしょう。 私は自分の経験から、もっとも重要なことを一つ教えておきましょう。私が本当に誤解され、弁解も、全くできず、弁護も全くない時に、私は静に神に味方し、絶対的に神に忠なる立場に立っていました。皆さんも分かるように、このようにして、神様は私と共にいらしたのです。私にも突然死ぬ日が来るのです。しかし、私は別の世界で考え続け、働き続けるので、死などはありません。だから私は、自分をのろったり、批判したり、怒ったりしても、世間の人に弁解したり、弁護したりしようとは思いません。むしろ、迫害をもっともっと受けて、伝統と条件を残していこうと思います。そして、私が死んだ後はが何百万、何千万という霊界、地上界の人たちが、R・ムーンの保証人、成した行為の証しをするようにさせましょう。 私の行為は、歴史においては唯一瞬の出来事ですけれども、永遠の立場から見た場合には、永遠に輝き続けるのです。私が霊界に帰る時、私は道を開くことができます。地上で苦労している者たちを助けることができるのです。そういう立場に立つのです。また霊界では、神の名によって苦労した者たち、そういう人たちは、霊界でも中心的な立場にいるのですが、とりわけ歴史上の苦労した聖人たちと一緒にいて、彼らをまとめ、ひきあげ、この世界の苦労の解放を早めるのです。何のことかわかりますか。これは天の戦略の一つです。 私はどんなに苦労が絶えなくても、もっと苦労しようと思います。もっと誤解され、もっと非難されようとも、それに一言も文句も言わず、全てを受け、たずさえて霊界に行こうと思います。そして引き続いて伝統をたてていきましょう。そうすれば、いずれは私たちのやっていること、私たちの真理は勝利を治めるようになるのです。私は分っているのです。だから、私は霊界にいても、地上にいても働き続けます。 迫害の嵐を消化して 私が生きている間に、統一をなし遂げるかどうかというのは、小さな問題です。仕事は続くのです。そして私は霊界にいようが、地上にいようが、その中心となっているのです。私の思想、計画、伝統、心情は間違いなく、統一の世界を目ざしているのです。私が死んで霊界に行ったとしても、いつでもあなた方に現われてあげましょう。同じように、同じ伝統をもって、この地上に完全な神の国を造るまで。これが私のやっている、一番重要な作戦です。 私がやっているのは、十年先のためではありません、永遠を基準として作戦を立てているのです。私が地上にいようが、霊界にいようが、そのようなことが問題ではありません。あなたたちには見えないかも知れませんが、私は霊界の組織、システム、ようすを熟知しています。あなたたちの目前には、もう新しい天地が開かれようとしています。私はその時間表をはっきりと知っています。新しい世界、新しい生活が必ず開かれます。 最高気圧と最低気圧があって、その差が大きければ大きいほど、ぶつかった時は衝撃が大きいのです。その衝撃は大きい方がいいですか、小さい方がいいですか、今、歴史的台風が統一教会の目前で大きくなっています。最高気圧と最低気圧がぶつかり、まさに爆発しようというのです。これは統一教会にとって新しい道の出発点となります。考えてみなさい、そう思いませんか。私はその時を知っています。そんなに遠いことではありません。 霊界はまさに近づいています。私はあなたたちのために、霊界にはっきりとした宣言を下さなければなりません。あなた方や、この運動に正しい方向性を与えておかなければなりません。マスコミは統一教会に対して、どう言うでしょうか。彼らももはや、私たちを傷つけるようなことは言わなくなるでしょう。誰も私たちに手をつけることができなくなります。R・ムーンがアメリカ人や他の人々からひどい仕打ちや、迫害や、激怒した態度を見せつけられることがなくなれば、それは統一教会への祝福を意味することを知ってほしいのです。 キリスト教史は二千年間を通じて、迫害の雨が降りに降ったが、私は生きている間に、この二千年分の迫害、想像もつかない迫害を一に受けて、それを消化してしまったのです。だから、二、三年もたたないうちに全てが清算され、条件が満されます。だから、早く将来のために蕩減を払ってしまいなさい。統一教会の将来はバラ色で増々発展します。わかりますか。確信がありますか。先生はこの二、三年のうちに、この歴史に考えられない業績を残そうとしているのです。 人々は「R・ムーンはどうして、もう少しゆっくりと、時間をかけて、外交的に、スマートに自分を良く見せてやらないんですか」と言うでしょう。人々は何も知らないからそう言うのです。それは神が進めるやり方ではなくして、サタンです。サタンは私にそうしてほしいと願っているのです。わかりますか(はい)。あなたたちの将来はバラ色です。何でもできるのです。あなたたちは先生のように、三年も共産主義の刑務所に入って、拷問を受ることはないでしょう。あなたたちはやるべきことをやれば良いのです。 私は良く考えます。ワシントン・ポストがR・ムーンはワシントン大会で五万人を動員したと書きましたが、よし、五万人でも良い、嘘を書くなら、いっそうもっとひどい嘘を書いても良い、私は五千人と書いても、ちっとも驚かない結構だと考えました。真実が私たちとともにあるからです。やがて真実が現われてくるからです。私はドラマチックなのが好きです。時が来ます。私たちには記録、映画があります。ビデオテープがあります。そのフィルムは歴史のどんなフィルムよりも多く上映されるに違いありません。(拍手)。 テレビショウで、アナウンサーが「さあ、今から五千人のワシントン大会に集った人々を見ましょう。(笑い)と言って、カメラが東から西、縦横にうつし出します。全くドラマチックです。あれだけの人数が、ワシントン・ポストでは五千人だと。私たちは実際にそれで楽しくなってしまいますね。意気消沈してはいけません。ドラマチックにならなければなりません。私はたった五百人といわれてもいいと思います。私はサタンは利口だと思いますよ。あまりドラマチックにさせなかったからね。適当なところで勝利させています。私たちの真理は永遠です。 考えてみなさい。私たちがこれからつくろうとする映画、ビデオテープ、これらは歴史でいかなる力を持つでしょうか。あなたたちが考だに及ばないあらゆる武器よりも、原子爆弾も及ばない強力な力です。説明は不要です。だからワシントン・ポストや、ワシントン・スターのことでがっかりする必要はありません。彼らをかわいそうに思いなさい。先生はこう思いました。何で五百人としなかったのだろう。五千人は多いじゃないかと。 今朝、朴普煕が部屋に飛び込んできて「先生、良い知らせ、があります。ワシントン・ポストやニューヨークタイムスに匹敵する韓国の東亜日報が『R・ムーンのワシントン大会は大成功で、少くとも二十万から三十万の人々が集った』と書いています」と言ってきました。(歓声)。私はそのニュースよりも朴総裁の大げさな、うれしそうな顔をみて、その方を笑ってしまいました。 いかなる勝利を捧げるか 今や、東洋と西洋の戦いです。これはR・ムーンのいるおかげでこうなったのです。R・ムーンのいるおかげで、白人と黒人が争いをするようになりました。誰がこれを調停しますか。白人が、黒人が、誰もこの争いを和解させることはできません。しかし、たった一人、和解させることができ、平和をもたらし、東洋と西洋の文化を統一させることのできる人間がいます。それがR・サンミョン・ムーンです。(歓声)。 この点において、疑いなくワシントン大会は勝利でした。ワシントン・ポストを始め、マスコミは全く故意の陰謀を企だてて、攻撃をしました。まさに殺人のような攻撃をしかけてきました。それで全ての東洋人は、R・ムーンのためにワシントンポストを反対にやっつけました。傲慢な白人は「ふん!私たちは行かないよ」と言い、そして黒人は「よし、一番前に陣取ろう。おれたちはチャンピオンだ」と言い、スペイン人やプエルトルコ人は「R・ムーンはおれたちのヒーローだ」と言いました。このようにR・ムーンのために様々な人種の間に対立が起りました。黒人の指導者、アメリカ政府の役人も、このことを知るでしょう。 この予想もしない対立のことを、私はずうっと前から、警告していたでしょう(はい)。当然私は白人を拒否するようなことはしません。実際私が来た時、白人をもてなしました。人口からいっても多い白人に期待をかけてきました。しかし、接待は失敗したようです。私はもうかまいません。仕返しもしません。私に代わって誰かがやるでしょう。統一教会の者がやるのではありません。神がやるのです。天に神に反対する者は、神の中にいることはできません。これが天法です。このように歴史が動いているのです。 さあ結論に入りましょう。私は何をしようとしているのでしょう。忘れてはいけません。今日、この時をして個人的な目標をたてるのです。私はこうしますという目標、それを立てるのです。私の生きている間は、これを成し遂げるという目標を持つのです。自分を賭けて、勝利を先生に捧げようというように。今日、自分で自分のキャンペーンをはり、自分のワシントン大会を開く決意をしなさい。 私の伝統からみると、皆さんは私の足跡です。皆さんはその伝統をひきつぐように、どんどん先に行って、先生を越えていくのです。自分は前線のチャンピオンだ、前線の兵隊だと、そして各自の勝利を捧げていく……とこう決意すべきです。勝利の年は一九八〇年です。どのような勝利を自分は、その年に捧げるか、第三次七年路程が終るその時に統一教会は、全く無敵の基盤の上に立っています。今、それに向って歩いているのです。もう一歩一歩歩く必要はありません。飛びなさい。ジャンプして進みなさい。これからはそういう時です。 だから今日からは、皆は神の代身者、私の代身者です。あなたたちの名前は、サンミョン・ムーンです。一人ひとりがもう一人のサンミョン・ムーンとなるのです。そのようにその威厳において、自信と責任をもって勝利に向っていけば、どのような辛いことに出会おうとも、その道が、ふさがれることはありません。そのように生活するのです。 白人の血も、黒人の血も、黄色人の血も、血はみんな同じです。それと同じように統一教会の者たちの心も皆同じです。同じ血が流れているのです。白人も黒人も黄色人も。統一教会の血が、天の血が流れているのです。先生と先生の血と皆さんの血は同じですか、違いますか。同じです。考えてみなさい。天の父はどんな他の人々よりも、皆さんが素晴らしい天の息子、娘になってほしいと願っています。 先生が若い時、三十年位前にはこんな勝利を得て、歓喜することはできませんでした。このようなことは一度もありませんでした。あなたたちはそれを得て、若くして天の父を慰めることができるのです。ここにはアメリカの指導者のみならず、ヨーロッパ、そして日本の指導者たち、韓国の指導者たちも集ってきています。これは世界的な集会です。これは私からの重要な伝言です。私達は全て、世界的レベルで変わらなければなりません。私達は新しい人間となり、そして新しい出発をしなければなりません。 ワシントン大会の勝利の上に更に前進を 私のワシントン大会での一番大切なテーマは宗教の統一でした。中心宗教、ユダヤ教、キリスト教、統一教会の統一、これが一つにならなければなりません。世界の統一の前に宗教の統一がなされなければなりません。ユダヤ教とキリスト教の一体化、これは誰がなすのでしょう。事実、先生はワシントン大会で、私たちがやりますと宣言しました。歴史では、カイムとアベルの溝、この溝を誰がうめ、一体化させるのですか。多くの血がこのために流されてきました。誰がやるのでしょうか。誰でもありません。私たちです。世界的な、歴史的なインとアベルを一つにするのです。 皆さんはもう良く知っていることですが、ワシントン大会で私は言いました。歴史上の中心宗教の基盤であるイスラエルとアメリカと韓国は、共産主義世界やまた世論から迫害をうけるようになっているのです。国連においてさえも、反対され、追いやられ、横ヤリを入れられています。これは全て、天的理由からそうなっているのです。だから、この三ヵ国は一体化し、総力を結集するのです。そうすれば、多くの希望をもつことができるのです。そうでなければ、その反対です。三つの宗教が一つになり、互いに理解し合う、そうしたら世界を救う力が生まれてきます。どうですか、生まれますか。(生まれます)。 もし、そのような時がこなければ、ユダヤ教、キリスト教、統一教会が今まで準備してきた祝福すべてが、共産主義世界にいってしまいます。それが運命です。そう思いませんか。だから、そのような、悲惨な非劇的な運命をさけるために、イスラエルとアメリカと韓国は、すなわち三つの宗教は、一体化しなければなりません。そのために私たちは神の共通の原則を表明しなくてはいけません。それは自己否定です。完全な自己否定、奉仕、自己犠牲的公的精神です。 そうして、アフリカのような貧しい国の一人ひとりに、神の国を造ってやるのです。できますか(はい)。その前に私はあなたたちのために、神の国を造ってやりたいと思っています。私の生きている間に、皆に、白人にも黒人にも黄色人にも、何千何万も家を建ててやりたいと思っています。そのかわりに、何千何万とアフリカ人にアメリカ人にと、あなたたちが家を買ってあげなさい。誰がそれをやりますか。真理を知っている人がやれば良いのです。 復帰の歴史は、迫害と抑圧の歴史でした。では誰がその重荷を担うのですか。それは知っている者が解放をもたらすことができるのです。そういう者が重荷を担うべきです。それが神の摂理、神様のやり方です。統一教会がもっと大きくって、力も大きくなったら先生はどこへそれを動員しましょうか。それは私たちだけの利己的な栄誉のためでなく、神にとどくような、ために生きるその目的に使うのです。 もし、アメリカ政府が、私の忠告を受け入れ、原理に従うなら、七年以内に世界は全く違ったものとなります。可能だと思いますか。しかし、彼らはまだ知りません。だから私たちは開拓しなければなりません。私たちは教え、教育しなければなりません。できるだけ早く。私はアメリカ大会で、今まで大衆に話したこともないような内容、原理を話しました。何を宣言したのでしょうか。それは最後の宣言です。 アメリカ大会が勝利的に行われたということは、歴史が新しい段階に入ったことを意味し、それを宣言したのです。今からは、あなたたちは、私の代身、もう一人のサンミョン・ムーンになって、そのことを強く自覚してほしいと思います。神が世界を勝利されたのです。今から、自分の生命をかけて、ますます前進し、最後の目標に向って先頭をきってほしいと思います。神があなたたちを祝福れますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.13
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「アメリカと神のみ旨」1976年9月18日「ゴッド・ブレス・アメリカ(ワシントン大会)」フェスティバルにおける講演より 分裂の中にある世界 尊敬すべきアメリカ市民並びに世界の代表の皆さま。 私は、皆さまがワシントン・モニュメントでの大会にお集り下さいましたことに対し、衷心から感謝申し上げます。今晩、私たちは神のみ名において、アメリカ建国二百年を祝っております。きょうは皆さまと私にとって、歴史的な瞬間であります。 今晩、私は「アメリカと神のみ旨」というテーマでお話したいと思います。 神は永遠、不変、唯一、絶対であります。もし、これらが神の属性であるとすれば、神の天地創造の目的も永遠、不変、唯一、絶対のものでなければなりません。はじめ、神の理想は統一と調和に満ちた一つの世界を創ることでありました。 しかしながら、今日われわれの世界には、統一も調和もありません。そのかわりにあるのは、分裂と不調和、混乱と混沌であります。われわれ個人においては、心と体が分裂しており、またわれわれの家庭、民族、国家、および世界そのものもバラバラに分かれております。この現実は、神の本来の意図とは完全に相反するものであります。明らかに何かが根本的に狂っているからです。 宗教はそれを明確に説明しています。それによると、この世界的な分裂はわれわれの始祖たちの神に対する反逆、つまり人間の堕落の結果であるということです。 神は堕落した人間を救うために、メシア(救世主)を送られました。メシアの目的は人間を堕落以前の正しい状態に復帰させることでありました。したがって「救い」は「復帰」と同じことであります。 人間の堕落によって、この堕落した世界が生まれました。人間は神に反逆したのです。これにより人間は、サタン(悪魔)に騙(だま)され、ほん弄される立場に陥りました。やがて人間はサタンと一体となり、神の性質と愛のかわりに、サタンの性質と情念のトリコになり果てました。 われわれが創造本然の人間に立ち返るためには、堕落の経路を逆にたどって行かなければなりません。そのために、今度はわれわれが失ったその神のみ言(ことば)に聞き従い、サタンと自己とを引き離して神に帰らなければなりません。このようにしてわれわれは、神の性質と神の愛を受け入れることができるのです。 神は最高に自己がなく、最高に公的な心を持っておられます。これに反しサタンは、絶望的なほど自己中心的で、自己自身のためだけにすべてを利用する存在です。神が人間を復帰する「公式」は、われわれが神のかたちに似ることです。つまりこれは、われわれが神のように完全に利己心をなくして公的な心を持った者になることを意味しています。 われわれは隣人のために、自分自身を犠牲にすることができるものとならねばなりません。そのようなエゴのない、公的な心を持った人は、神のかたちを宿した者となり、繁栄するでしょう。利己的で、自己中心的な人は、神と人に敵対するがゆえに衰退することは明らかです。これが神の法則です。 人類の歴史は、闘争の歴史であり、戦争の歴史でありました。それはあたかも人間存在をかけた、神とサタンの綱引きのようなものです。善なるものと悪なるものが、人間をそれぞれの側に勝ち取ろうとして戦ってきたのです。 人類歴史は人間始祖の堕落で始まったために、悪が善に先行することになりました。したがって歴史上、悪の側に立ったものは、つねに侵略的、攻撃的立場をとってきました。しかし、神は善そのものであるために、最後には善の側が絶対に勝利を得るのです。善の側はこれまでつねに“負け犬”とされてきました。しかし最終的には、勝利者であり、つねにその勝利圏は広がってゆきます。 例をあげれば第一次世界大戦や第二次世界大戦においても、悪の側が最初に、攻撃をしかけてきました。しかし、彼らは敗北の道をたどったのです。今日、第三次世界大戦についても、非常に多くのことがいわれていますが、悪の側を代表した共産主義国家群によって、自由世界への挑戦がなされ、争いが全世界の各地で頻発しています。しかし、神の「公式」からすれば、究極の勝利が善の側にあることは確実です。 中心的宗教と国家 神の復帰のみ業について、もう一つの「公式」があります。神は、堕落した人間を復帰するためにメシアを送られるのですが、その前に神はいつも、中心的宗教と選ばれた国家を準備して、メシアを迎える基盤を整えられるということです。この「公式」によれば、神は最初の中心的宗教としてユダヤ教をたて、イスラエル民族を最初に選ばれたのです。この基盤の上に、神はイエス・キリストをメシアとして送られたのです。イエスの願いは、選ばれた国家と宗教がイエスとともに地上に「神の国」を建て、世界と人類を神のもとへ復帰することでした。神はこの目的のために、四千年もの歳月をかけてユダヤ教を準備し、イスラエル民族を訓練してこられたのです。もし、彼らがイエス・キリストをメシアとして受け入れていたなら、そして彼とともに犠牲精神を発揮して働いていたならば、イエスはイスラエルで成功していたばかりでなく、アラブ、アジア全域を統一することに成功していたでしょう。さらに東洋と西洋を一つにすることにも成功していたはずです。 しかし、イスラエル民族とユダヤ民族は、彼らの使命について完全には理解できませんでした。イエスは、メシアとして受け入れられなかったばかりか、最後には、十字架にかけられて殺されてしまったのです。 このようにして「神の国」の建設は未完成のままに地上に残されました。しかし、他界したイエスは霊的救いの道を開き、キリスト教徒が第二イスラエルとして、霊的な立場で使命達成に出発したのです。初期のクリスチャンたちは迫害を受けながらも、ローマに進軍して行きました。その迫害は四百年間も続き、非常に多くの殉教の血が流されました。メシアのために神が準備した四千年間を償うために、このような犠牲が必要だったのです。しかし、クリスチャンはついに、ローマで勝利を収め、キリスト教はその国教となったのです。このようにして、ローマは第二イスラエルの立場をとるようになり、神の祝福を受けるようになるのです。 失敗したローマと英国 神は、ローマ法王とローマが完全に一つになり、統一した世界を設してイスラエルが成就しえずに残した仕事を果たしてほしい、と願ったのです。しかし韓国法王もまた、その使命の重要さを理解できず、たびたび自己の栄光のために権力を濫用したのです。悪弊と腐敗が教会の中にはびこり、神のみ意(こころ)から遠く離れてしまいました。法王の権威は地に堕ち、この反動でヒューマニズムが台頭してきたのです。 そして、一方では、プロテスタントが、腐敗した教会の改革を叫んで出現してきました。しかし、その強い叫びにもかかわらず、法王とローマの権力者たちは、改革者への弾圧を強化しました。この期間にイギリス国王のヘンリー八世は、ローマ・カトリックに反対し、英国議会を通して新しい法律を制定し、新しくイギリス国教を定めたのです。 これは英国がヨーロッパのプロテスタント運動に加わり、神のみ旨に加わる絶好の機会でした。そして「太陽が沈むことのない国」といわれたほど、大英帝国は世界で最大の国家になりました。しかしこれはただ英国のための特別な祝福ではなく、「神の国」を実現するための神の祝福だったのです。もし英国がこのような神のみ意を理解していたなら、英国はピューリタンとプロテスタントの運動を支持して、神から与えられた世界復帰の運動に取り組んでいったことでしょう。そして英国はすべての国境を越えて、神の統一国家を実際的に創っていたはずです。 しかし英国はピューリタンを迫害し冷遇したのです。迫害された人びとは、「希望の地」を見つけなければなりませんでした。彼らは迫害という共通の運命によって結ばれ、国境を越えてその迫害からのがれるために、新世界にやってきたのです。これがアメリカ大陸でした。ここで彼らは、独立したプロテスタントの国家を創ったのです。これがアメリカ誕生の摂理的背景です。 今日、アメリカとキリスト教はともに、神の世界復帰の聖なる使命を果たさなければなりません。アメリカは、西洋と東洋、そして中東の文化を統一しなければなりません。そして大統一文化を創造しなければなりません。それは最終的に、地上に「神の国」を建設することになるのです。 苦悩かかえる米国 ユダヤ教は神が最初に選んだ中心的宗教でした。キリスト教は第二番目のものです。そして神の摂理における最後の段階を完成するために、新しい啓示として出現した統一教会は、第三番目のものです。これらの中心的宗教は現在のアメリカにおいて一つにならなければなりません。そして世界の宗教を一つにしなければなりません。 旧約聖書を中心としたユダヤ教は、神の最初のみ業でした。それは長男の立場です。そして神の新しい啓示、成約のみ言を実現すべき統一教会は、三男の立場です。これらの三つの宗教は、神の摂理から見れば三人の兄弟なのです。それゆえ、これらの宗教が基盤となっている三つの国ぐに、すなわちイスラエル、アメリカ、韓国は兄弟国家にならなければなりません。なぜなら、これらの国ぐには、神の側を代表とした共通の運命をもっているからです。 サタン側を代表する共産圏は、これらの国ぐにを国連で孤立させ、その存在を破壊しようとしています。それゆえ、これらの三つの国ぐには手を取り合って、国連の本来の目的と機能が完全に果たせるよう努力し合わなければなりません。 これらの国家は、内的には世界の宗教の統一、外的には世界の国家の統一のために貢献しなければなりません。神のもとにある統一世界(ワン・ワールド・アンダー・ゴッド)こそ不変で永遠の、そして絶対的な神の願いです。しかしこの目的を実現するために、まず、宗教の統一が最も重要な課題です。もしすべての人びとが一つの神を父として礼拝し、一人のメシアを受け入れ、「神中心主義」と、絶対的に神を中心とした生活を支持するなら、神はそれらの人びとと共に住まわれるでしょう。それこそが「神の国」を実現するために最も重要なことです。 アメリカ合衆国は人種や国境を超えて、すでに統一世界のモデルになっています。神がアメリカの上にふり注いでいる無数の祝福は、アメリカだけのものではなく、世界の人びとのためだということを知らなければなりません。世界のキリスト教の中で、アメリカはキリスト教を指導する立場として神の選んだ国家としてその使命を果たさなければなりません。 ローマも英国も神の願いを果たすことができませんでした。さて、アメリカは、どうでしょうか。アメリカは同じ過ちを繰り返さないよう、世界のために犠牲になり、神のもとの「統一世界」のために働くように、神はレバレント・ムーンをこの国に呼び神の新しい啓示を発表させたのです。そしてとくに神はアメリカの青年たちを指導し、私の後につづく明日の指導者をつくるため、私をここに送られたのです。 今日アメリカは、人種問題、青少年の犯罪、道徳心の欠如など、多くの問題に苦しめられています。キリスト教は衰退しつつあり、反対に「共産主義」が興りつつあります。「共産主義」の脅威は、今ではいたるところで見られるようになりました。これらすべての問題の中で、とくに唯物論を唱える「共産主義」は悪なるものです。これはアメリカだけの問題ではありません。これはすべての人にかかわる問題です。そしてこれはすべての宗教人の問題であり、これは神ご自身の問題であるのです。 紳士、淑女の皆さん。人類歴史の交叉点に立つわれわれは、神の声に耳を傾けなければなりません。神はアメリカを二百年間にわたって準備し訓練してこられました。今こそ目覚める時がやってきたのです。アメリカは今日、宇宙的責任を果たさなければなりません。アメリカは「神中心主義」によって共産主義世界を解放しなければなりません。そして最後には、地上に「神の国」を創らなければなりません。明日ではもはや遅すぎるのです。 約束と決意の時に 私はアメリカを尊敬するだけではなく、真にこの国を愛しております。私はアメリカを偉大な国として、神の摂理の中心国家として尊敬しております。アメリカはいま第三世紀の出発点に立っているのです。アメリカはもう神を悲しませてはなりません。きょう、われわれは、全能の神に誓いましょう。「われわれは神のみ意を果たします」と。「われわれはけっして再び神を苦労させません」と。 きょう、この聖なる地で、共に集い、地上に「神の国」の礎石を築きましょう。神の共働者として、共に進んで行きましょう。 一つになることを切に願ってきた愛する皆さま!ここはそれを約束する場所です。今は決心の時です。この聖なる時に、天と地とすべての人類の前に、もし皆さまが喜んで汗と血と、そして神の声に応える真実の生活を捧げる決心をするなら、われわれはそれらを短期間で成し遂げることができるのです。われわれは地上に、今この所から「神の国」をわれわれ自身の手で創ることができるのです。 神の祝福が皆さまと皆さまの家庭にともにありますように、そして、アメリカ合衆国の上にも。 どうもありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.11
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Web説教「太くて切れることのない絆~真の父母~」【世界平和統一家庭連合】家庭連合WEB教会 礼拝説教チャンネル登録者数 6740人家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「太くて切れることのない絆~真の父母~」説教者:柴沼邦彦神様が願っておられたのは、完成したアダムとエバが家庭を持ち、夫婦となった姿を見ることで幸福を感じることでした。人間始であるアダムは独り子、エバは独り娘として生まれました。そして、神様との間でみ言を成就することによって、神様との絆をもって真の夫婦となることを願われたのです。しかし、堕落によりそれがなされませんでした。今回は、本然のアダムとエバの位置を取り戻すための歩みと、真の父母様の中に現わされる神様の願った真の夫婦としての絆を学んでみたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 文鮮明先生御言選集 19830521 - 本源の自己本源の自己1983年5月21日ベルベディアにて(英語訳) 先生の留守中、皆さんどうでしたか。先生がいない間、どのような気持ちでしたか。皆さんはアメリカにとって先生が必要であると思いましたか。(はい!) 先生がいなくて寂しい、と皆さんが感じたとすれば、この宇宙の中で人間にとってなくてはならないより大きな存在は何でしょうか。その存在がはっきりとはわからないとしても、その存在が無いとすれば、人間は何か寂しさを感じるものです。歴史は長く、永遠ぜあるのに対して、人生は短く限りがあるがゆえに、人間は何か「お父さん!」と呼ぶことのできる永遠なる存在にあこがれるという事実を否定することはできません。そのような意味で根源的な存在という問題が我々にとっての問題となるのです。 皆さんが「自分は誰々ば好きだ」という場合に、その人が好きになったのは、一番最初からですか、それとも何かの過程で好きになったのでしょうか。それはもちろん後者の場合が多いですね。統一教会やレバレンド・ムーンに関しても、いろいろなうわさがあります。そうした他人が言っていることだけを聞いなのでは、統一教会やレバレンド・ムーンに対して、良いイメージをもつのは難しいものです。したがって、人々が我々を好きになることを可能にするような何らかの媒介体がなければなりません。そのような媒介体となるのが原理です。統一原理の内容を学ぶことを通して、人々は我々統一教会を通して、皆さんの心が次第にレバレンド・ムーンを愛するように作り変えられていくのです。 では、そのように作り変えるのは原理でしょうか、教会でしょうか、それともレバレンド・ムーン自身でしょうか。もしレバレンド・ムーンがどこかへ行って、いなくなってしまったら、もうそれで終わりとなってしまうのでしょうか。(いいえ!)たとえレバレンド・ムーンが霊界へ行ってしまったとしても、愛の絆は消えることなく残るはずです。もし皆さんがレバレンド・ムーンを非常に愛しているとしたら、皆さんはその愛の気持ちを、皆さんの家族や兄弟や社会や国家や世界の人々にも持って欲しいと願うことでしょう。そのような気持ちにさせるのはレバレンド・ムーンでしょうか、統一教会でしょうか、それとも原理でしょうか。それはむしろ、宇宙の本来の流れとも言うべきものによって、そのようにさせられるのです。そのような宇宙の本流によって、すべての人々が時と場所を問わず、また霊界においてさえも、お互いに愛の気持ちで連結されるようになります。では、そのような流れの源泉はどこにあるのでしょうか。(神様です)。それを神様と呼ぼうが、幸福の源と呼ぼうが、名前は何でも構いません。では神様はどのような方でしょうか。神様は泉のような存在です。神様は恐ろしい方でしょうか、それともやさしい方でしょうか。ご自分の気持ちを表す時に発する最初の言葉はどんな言葉でしょうか。もし皆さんが神様の立場にいたとしたらどうですか。もちろん最初から目は二つあったことでしょう。その当時、鏡はなかったとしても、目が二つあり、鼻が一つ、口の上にのっていることはわかったはずです。なぜそのような構造になっているのかな、などと考えたかもしれませんね。 女性を例にとってみましょう。まず小さい頃から、男と女の身体の構造が違っていることに気付いたはずです。また、空腹を感じたり、のどの渇きを感じたことでしょうし、周囲を見渡して山川草木や動物などを見て、不思議に思ったことでしょう。しかし、もしそのような自然もなく、全く一人だったとしたらどんなにか寂しく感じたことでしょう。実際に動物を見てみると、みんながそれぞれ二匹ずつペアになって生きているのを見て、自分だけがたった一人でいるのを寂しく思ったに違いありません。また、他の動物たちには親がいて、親子で住んでいるのに、自分だけはお父さんもお母さんもなくたった一人なので、その意味でも寂しく感じたに違いありません。また寂しい気持ちだけでなく、自分にはどうして家族がいないのだろう、家族がいたらいいのに、と思ったことでしょう。だから人間は孤独から出発した、と結論することができますね。我々のような人間であれば、そのように感じたと言えるかもしれませんが、しかし根源的な存在である神様におかれては、結果的な存在である人間とは異なっていることを知らねばなりません。 神様は人間に似た存在でしょうか。それとも動物に似た怪物のような存在でしょうか。神様は全能なのだから、非常に力が強いに違いありませんね。(笑い) 皆さんは、神様は人間により似ておられる存在であると思いますか。(はい!) 人間といっても、男と女の二種類がありますよ。神様はそのどちらの方により似ておられると思いますか。(男です!) 女たちはそれに同意していませんよ。(笑い) 神様は男と女の両方を兼ねた存在です。だから、男であると同時に女である、とも言えるわけです。(拍手) 男と女はそれぞれ互いに反対の方向を指向する性質があります。だからこそお互いに相手を求め、一体となりたいと思うのです。男と女をそれぞれプラスとマイナスとすれば、神様と人間の関係もプラスとマイナスの相対関係にあります。神様は人間を必要とし、人間は神様を必要とします。男と女が完成して完全な一体化を成すならば、その姿は神に似て、神の完全な対象となることができます。もし神様には口があるのに、人間には口がないとしたら、その人間は神様に対して、口をくださいと願ったことでしょう。同じように、男は神様が女与えたものを、また女は神様が男に与えたものを、それぞれ自分にはないがゆえに、所有したいと願ったに違いありません。また神様が宇宙万物のすべてのものを所有しているのを見たら、それを少しでも自分にください、と願ったことでしょう。目に見えるものだけでなく、目に見えない愛や理想や真理なども、神様が人間に分け与えてくださるようにと願ったことでしょう。人間がそうしたものを必要としていることを、神様は知らなかったと思いますか。 人間は欲張りです。神様が多く持っているものがあれば、人間は多くを必要とするし、神様が少ししか持っていない場合でも、人間は多くを要求します。(笑い) 神様は頭が悪くないから、そんなことはよくわかります。(笑い) いずれにしても、神様だけでは満足できないし、人間だけでも満足することはできません。それで神様は人間を創造し、男と女が愛を通して一体になることによって神様と似るものとなるようにされたのです。この世の人々においても、男と女が愛し合うのは、部分的には原理に適っているわけです。神様には男性性相と女性性相の両方がありますが、それは一時的なものですか、永遠的なものですか。(永遠です)。統一原理によれば「神は二性性相の主体格与えたものを、また女は神様が男に与えたものを、それぞれ自分にはないがゆえに、所有したいと願ったに違いありません。また神法が宇宙万物のすべてを所有しているのを見たら、それを少しでも自分にください、と願ったことでしょう。目に見えるものだけでなく、目に見えない愛や理想や真理なども、神様が人間に分け与えてくださるようにと願ったことでしょう。人間がそうしたものを必要としていることを、神様は知らなかったと思いますか。 人間は欲張りです。神様が多くもっているものがあれば、人間は多くを要求するし、神様が少ししか持っていない場合でも、人間は多くを要求します。(笑い) 神様は頭が悪くないから、そんなことは良くわかります。(笑い) いずれにしても、神様だけでは満足できないし、人間だけでも満足することはできません。それで神様は人間を創造し、男と女が愛を通して一体になることによって神様と似るものとなるようにされたのです。この世の人々においても、男と女が愛し合うのは、部分的には原理に適っているわけです。神様には男性性相と女性性相の両方がありますが、それは一時的なものですか。(永遠です)。統一原理によれば「神は二性性相の主体格としておれらる」と言いますが、どうして神様は主体の立場におられるのでしょうか。なぜ、対象格位にはおられないのでしょうか。それは、神様が自らを主体格位においたのではなく、人間の方で、自らを神様の対象の位置にあるとし、神様を主体の位置において仰ぎ見るようになったからです。 ところで、男と女とがそれぞれプラスとマイナスの立場から、お互いに近づいて接触するとどうなりますか。愛の火花が出ますね。(笑い) その火花はとても明るいので、回りにい者もみんな引き寄せられて、そこに加わりたいと思うようになります。人間だけでなく、万物も集まってきます。このように愛によって一体化すれば、すべてを自分のものとすることができるがゆえに、男は女と、女は男と完全に一体化したいと願うのです。このような真理を知れば、誰も自分の配偶者別れようなどとは考えなくなりまることでしょう。 夫婦の絆を強めるものは、お金ですか、それとも社会的地位ですか。(愛です!) そうです。夫婦間には『愛のホック(留めかぎ)』があるからです。それを見つめる神様は寂しいですか、それとも幸せですか。(幸せです)。『愛のホック』で堅く結ばれた夫婦を自分の対象としてもつときに、神様は幸福感に浸ることができます。男と女が完全に一体化し、絶対者たる神様の絶対的な対象となるとき、人間も神様もともに幸福になります。これまでの人間は、すでにそのような立場を確立したと言えますか。(いいえ)。皆さんはどうですか。(いいえ)。だから、これまで神様は寂しい思いをしてこられたということを、はっきりと知らなければなりません。誰のためにか? 一人の男と一人の女のために神様は寂しい思いをしてこられたのです。祝福家庭はこのことを知らねばなりません。祝福の目的は何ですか。祝福を受けることによって、何を達成することが要求されているのですか。寂しい神様の心情を解放することです。それがなされる日には、宇宙のすべての問題が問題ではなくなります。 きょう、最初に先生は皆さんに、先生の留守中に寂しいかどうかと尋ねましたが、本当に寂しいと感じた人は手を挙げなさい。なぜそのように感じたのでしょうか。それは皆さんが人間として本来願うような状態ではない状態に置かれていたからです。男と女が完成して一つとなるときに、父母と連結することのできる特定の位置にありたいと願う心情をもつのが、人間本来の姿です。それが先に述べた『本流』というものです。だからそれに至る時までは、人間は原理でいう間接主管圏を各自が通過しなければなりません。その期間においては、男も女もその心を自己の完成の方向に向けて歩まなければなりません。目も鼻も口も腕も身体全体がその心に一至するように一体とならねばなりません。 愛はすべてを一つとする力を持っています。真の愛のあるところへは、いかなる犠牲を払ってもついて行こうとするが、人間の本性です。ひとたび真の愛と連結されるならば、人間はもはや再びそこから離れたいとは思わなくなります。その状態においては、恥ずかしいとか、体裁が悪いなどという思いはありません。一二〇修練生の中に、二人の韓国人のメンバーがいます。彼らは年もとっており、この世での社会的地位も高い立場にありながら、修練のプログラムの中で、若いメンバーと全く同じ活動を激しくしても不思議なことに恥ずかしいという気持ちにはならなかった、と言っていました。そのような状態こそ、真の愛の中にある幸福の状態だと我々は呼ぶのです。夫婦が永遠の真の愛で結ばれているならば、一方が死んだとしても悲しむことはありません。真の愛はすべてを主管し、超越することができます。なぜか? それは人間を永遠なる神様と共にある状態にしてくれるからです。 このような原理を知らないから、皆さんの中には、自分はこんなに美人であるのに、なぜこんなにみにくい人と祝福されたのだろう、と思って悩んだり、不満をもったりする人が出てくるのです。(笑い) そのような人は、祝福の価値の全体を理解せずに、ほんの一部だけを見て不平を言っている人です。祝福を受けたことを新たな出発点として、自己の完成に向かって生きるのが、その人の務めです。不平を言うならば、神様の対象たるマイナスではなくなってしまいます。不平を言わずに、自己の最善を尽くして努力する時に、神様が真の愛の状態へと導いてくださるのです。神様はすべてをご存じです。だから皆さんは知らなくても、神様は皆さんの足りないところを知って補ってくださろうとするのです。わかりますか。(はい!) 不平を言う者はすべて、統一教会から追い出さなければなりません。(笑い) それに同意する人は手を挙げなさい。どうもありがとう。(笑い) この宇宙において、人間は真の愛を中心として他人のために生きるのが、人間としての道です。夫婦においても、この原則に従って生きるならば、どこへ行こうともスムーズにやっていくことができます。真の愛を中心として奉仕生活をするならば、神様に出会うようになりますが、自己の欲望のために自己中心の生き方をするならば、サタンが挨拶に来ることになります。天国と地獄の違いはそこにあるのです。わかりますか。(はい)。だから統一教会においては、各自が真の愛を中心として生きるマラソン・レースをしているようなものです。これが蕩減復帰の路程であると同時に、天国への道なのです。それは単純ですが重要なことです。皆さんは毎日の生活において、自分が正しい道を歩んでいるかを常に反省しなければなりません。エデンの園においてアダムとエバは、神様を父母として愛し、侍る生活をして、それが永遠の習慣となるように確立しなければならなかったはずです。そのような習慣ができできてしまえば、今度はそのような習慣を守らなくては生きられないようになります。皆さんはチーズやバターが好きでしょう。チーズは変なにおいがしますね。(笑い) しかし皆さんの口は、そのようなチーズを好むように習慣づけられているので、チーズがないと寂しい思いがするのです。同じように、目も何か特定のものを見ることが習慣化し、耳も何か特定のものを聞くことに慣れるようになると、それらがない場合に何となく不足を感じるようになるのです。ある意味で人間はそのような習慣のとりことなってしまうわけです。そうすると、そのような習慣をなくすことは、非常に困難になります。しかし、自己中心的な習慣はなんとしてでも変えなければ、天国へ行くことはできません。 皆さんの中で、天国へ行きたい人は手を挙げなさい。先生が行くな、と言っても行きたいと思うでしょう。(はい)。どんなに困難であっても、本当に天国へ行きたいと思いますか。(はい!) 自己中心的な習慣をなくす最善の方法は、利他主義に徹した最も困難な道を歩むことです。困難な道であるほど、効果があります。だから、統一教会の信仰生活において強調することは、自己中心的なことをすべて否定して、本然の真の愛を中心としてために生きるということなのです。それが天国へ行くための唯一の方法です。アダム・エバが堕落せずに本然の位置を確立したならば、神様を中心として真の愛に満たされた家庭を完成し、それが拡大して、地上天国をつくり、更に霊界においても永遠の天国を実現することになったはずです。しかし現実には、堕落によってそれが実現せず、現在のような堕落世界をつくってしまったのですから、これを変えるためには、我々はこの世の習慣を否定して、蕩減復帰の道を歩まなければなりません。 最近、皆さんもようやく、先生の話す言語である韓国語を学ぶようになり、聖歌なども韓国語で歌うことも多くなっているようですが、何のためにそうしているのですか。神様がアダム・エバに対して話しかけた時は、何語で話したと思いますか。それが何であれが愛を中心とした言語であったことは間違いありません。そしてその言語に基づいた愛の伝統が、家庭から全世界へと拡大していったことでしょう。堕落世界を復帰する路程においては、真の父母が話す言葉が本然の言語として、真の愛と伝統を伝えることになります。霊界においては、真の父母が話す言葉が本然の言語として、真の愛と伝統を伝えることになります。霊界においては、人間が思うことがそのまま相手に伝わるという意味では、言語はあまり必要ではありませんが、しかしそれでも、天国の公用語としては、真の父母の話す言語が用いられるでしょう。もし、皆さんが先生の話す言葉を通訳をつけずに理解することができたら、その意味を明確に理解することができ、心情的にもより近く感ずることができるでしょう。将来、皆さんが先生の言葉を勉強するのに、英語のテキストを研究するつもりですか、それとも韓国語のテキストを研究するつもりですか。すべては本然の愛の言葉から出発します。 皆さんの多くは、アメリカ式のやり方が最善だと思っているかもしれません。ではレバレンド・ムーンのやり方は韓国式なのですか、もしそうなら、韓国人はもっと早くレバレンド・ムーンのやり方を受け入れたはずですが、今なお反対している人がいるのをみれば、先生のやり方は韓国式であるとは言えません。合同結婚式は韓国式のやり方ですか。(いいえ)。かつては敵国であった国のメンバーや、白人と黒人、日本人とアフリカ人などが互いに結婚するのは韓国式ですか。(いいえ)。これは天国式のやり方以外の何ものでもありません。先生はアメリカ式のやり方を知らないのではありません。その長所も欠点もよく知っています。アメリカ式とは一言で言えば、個人主義に基づいたやり方であると言えます。笑い方を例にとってみても、自己を主張することが中心となっています。このやり方は人間にとっては良いかもしれませんが、堕落人間を復帰して一つにしていくためには、最適とはいえません。 この目的を達成するために他によい方法があれば、先生はその道を採択せざるを得ません。先生は皆さんよりも頭は悪くありません。(笑い) その頭でいろいろと考え、いろいろな方様を研究した上でやっているのですから、皆さんも先生のやり方に従わざるを得ません。神様においても、人願を幸福にし、自分も幸せになるために、持てる最善のものを人間に与えようとされるはずです。同じように先生も皆さんにとって最も良い方向に事が運ぶように、指導してきたつもりです。皆さんも先生に従うことによって、本然の愛と生命につながると信じるからこそ、先生の教えを学ぼうとしているはずです。しかし勉強するだけでは十分ではありません。試験を受けてそれに合格しなければなりません。合格すれば自信をもって歩むことができます。だから先生は皆さんに、いろいろな試練を与えるのです。 我々は奇蹟によって目的を達成するのではありません。一歩一歩と努力しながら発展していくのです。なぜ我々はこのようなことをするのでしょうか。それは我々が根源なる神様と一つになるためです。もしこの地上で成功しなければ、霊界へ行ってからも継続しなければなりません。だから皆さんは、先生が近くにいようといまいと、この道を歩むことを決意しなければなりません。先生が皆さんに対していろいろと指示したり、励ましたり、あるいは叱ったりすることのできる時に生きている皆さんは、ありがたいと思わなければなりません。先生はいつまでも永遠にこの地上に生きているわけではありません。先生と同じ時と場所にいて、直接指示の受けることのできる皆さんは幸運です。先生が霊界へ行ってしまった後で、もし皆さんがなすべきことをしないで霊界に行ったならば、霊界の中のどこへ行くことになると思いますか。地上においては肉体をもっているおかげで、比較的容易に先生に相対することができますが、霊界ちおいては、先生からはるかにかけ離れたところに位置している場合には、それが極めて難しくなってしまいます。だから皆さんはこの地上にいる間に、試験に合格しなければなりません。さもないとまた、再び初めから試験を受け直さなければならなくなります。 きょう皆さんは久し振りに先生の言葉を聞きましたが、今一度、本然の人間として生きるために、過去のこの世的な習慣を断ち切って、先生から与えられる困難な任務をも果たしていくことを、決意しなければなりません。今ちょうど午前八時です。八数は再出発数です。この時に、今一度新たな決意をもって再出発をすることを誓う人は、手を挙げなさい。どうもありがとう。(拍手)
2021.09.11
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「神とアメリカと我々の方向」1976年7月4日ベルベディアにて 二〇〇年と二〇年 皆様方もご存知のとおり、きょうは、アメリカ建国二〇〇年記念日であります。 私の知るところでは、我々統一教会の歴史におきまして、アメリカ建国二〇〇年を祝うのは、今度が最初でありまた最後であります。アメリカの今日までの歴史は、神のアメリカに対する祝福とアメリカを通しての世界に対する祝福の歴史でありました。 したがって、この歴史は、アメリカが六〇〇〇年を蕩減する期間でありました。神の復帰摂理の上において、アメリカの三〇〇年目に入るとただちに、我我統一教会の食口が神の復帰の残された意義と重大さを蕩減復帰する責任があることを私たちは、よく知っております。そして同時に、私たちは、アメリカが三〇〇年目に入って、上り坂にあるのではなくして、下り坂にあり、退廃し、腐敗しつつあることは確かであることを知っています。 神は、アメリカが衰退しつつあるのを放っておいたり、衰退するのを見るのをがまんすることはできないのです。それ故に、アメリカを救い、世界を救うために、統一教会というグループを三世紀目にあたって建てられたのです。 きょうは、アメリカ建国二〇〇年の記念日であるばかりでなく、統一教会の歴史におきましてから二〇年前、不名誉で屈辱的な日でありました。二〇年前のきょう(七月四日)統一教会にとって、不名誉で屈辱的なことがありました。そして、これは、その不名誉と屈辱を耐え忍び、ある期間を蕩減することによって、それをこの国の建国二〇〇年に二〇〇年祭に結合したのです。 これには摂理上の重大な意義があり、我々にはこれから果たさなければならない重大な使命があるのです。統一原理によれば、我々が二〇年間の困難を忍んできたことと、アメリカが二〇〇年を神の復帰摂理の歴史に足跡を記してきたことは、一致点がありますが、ご存知の通り、十月十四日は私が、解放された日であります。十月までは私たちは、神の復帰摂理の歴史全体を蕩減復帰するために自分が果せるどのような蕩減をもなしてゆかなければなりません。 私は、あなた方に、きょう我々がこのように集まったことは、意義あることになるのであろうことを知ってもらいたいと思います。 あなた方もご存知のように数多くの式典が行なわれようとしています。その中の一つの大きな式典は、ここで行なわれ、ワシントンでは、もう一つの大会があり、フィラデルフィアでも行なわれようとしています。その他の所でも行なわれようとしています。 外的大会と内的大会 しかし、我々の活動におきましては、我々の大会の意義は、四数をすることにあると感ずるのです。ここにおいて、我々の二〇〇年記念祭と他の式典とは、神の目から見ればどれが最も意義ある大会でしょうか。私たちは自分たちが正しい方法によって祝うことによって、過去のあやまりを蕩減復帰して将来のための基礎が築かれるのです。 他のすべての祝典は、外的なものですが、我々は内的に祝うのです。そして私の喜ばしく思うのは、建国二〇〇年の祝典が、偶然に日曜日にあたるということです。統一教会の二〇数と建国二〇〇年の一致があり、日曜日と内外が給合されているのです。さきほども述べましたように、ワシントン、ニューヨーク、フィラデルフィアにおいて外的な祝典がなされますが私たちは、同じ日、ワシントンで内的な祝典を行ないます。 内的なものが中心でありますから、ワシントンで私たちの行なおうとする大会が神の目から見るならば最も意義あるものであり、もし私たちがこの立場から出発して、神の歴史を給合し完了する方向に向かって上っていくならば、この祝典が人類歴史において最も意義のあるものになるでしょう。これは単に導入部分にすぎませんので、これから本題に入っていきましょう。(笑い) すでに導入部分に二十三分間経ましたね。しかし、私がすでに語ったことが、きょうの話しの本題になります。 ニューヨークの大会はきょうの何時に始まるか知っていますか。八時に始まり、本格的な話は十時になります。ですから私たちが最初に、アメリカ建国二〇〇年を祝うことになります。したがって、誰も、きょうの朝までこのような大会は、アメリカ二〇〇年の歴史にもなかったことです。もし、眠ってしまっては、それを祝う資格はありません。一夜、眠らずにすごさなくては、二〇〇年、二〇〇年この神の意義ある日を迎えることはできませんよ。だから眠ってしまってはだめですね、わかりましたか。 神が建国したアメリカ きょうの話は、神の御旨の方向、アメリカの方向と我々の方向です。私たちは、アメリカの歴史の意味をいろいろな方向から見ることがきますが、アメリカの歴史は、神の摂理としか考えざるをえません。神がこの国を建て、神が祝福したのです。神の目にもアメリカの人の目にも世界の人々の目にも、アメリカの歴史は、神の摂理と結びつけて考えるほどに意義深いものです。 キリスト教なしにはこの国は、生まれませんでした。アメリカは、ヨーロッパの国々を含めて世界中からきた世界中の民族によって構成された国です。過去の歴史では、すべてのヨーロッパの国々は敵対関係にありました。 その敵対関係にあったイギリス、オランダ、イタリア、フランス、ドイツ、スカンジナヴィア諸国の人々が、続々と海を渡ってまで、新大陸で調和のとれた一つの国家を形成したことは神秘的であり、謎めいたことです。 しかし、移民の主要な流れ、すなわち、あなたがたの先祖の中には、ヨーロッパという旧世界において、宗教の分野で迫害されカトリックの国々から宗教の自由を求めて、この新大陸において、プロテスタント信仰の自由を得たのです。 彼らは、神の名において自分たちの政府や国民によって迫害され、旧大陸からのがれて新大陸に渡ってきました。彼らは、宗教の名において、教会の名において、やってきました、彼らは一つの共通点があったのです。彼らは自分の国では、カトリックに迫害され宗教の自由を求めてきたのです。 それ故に、彼らは、共通点があるのです。このような方法においてのみアメリカという秩序ある調和のとれた国家を建てることができたのです。あなたがたのピルグリム・ファーザーズやピューリタンは、新しい宗教秩序や教会法律までもをイングランドで建設しようとしたのです。 宗教の自由と新しい教会を求めて それ故、彼らは宗教の自由を求めてきたのです。イングランドからやってきてどうして母国イギリスと戦うことができたのでしょうか。それは、彼らが、宗教の世界において迫害されたために、憤がいして、旧い勢力に対して統一して戦かったのです。 彼らは自分たちの(祖国)旧世界を否定しなければならなかったのです。というのは、彼らの願ったことは、プロテスタンティズムかアメリカという国を建てるようにということであり、この意味において、旧世界に対して戦うために一体化したのです。ご存知の通りジョージ・ワシントンは、神の前にひざまずいて祈りました。彼らの人々の心の中には、迫害する勢力に対して戦かい、プロテスタントの新しい国を建設しなければならないという根深い考えがあったのです。それ故に、彼らは、神の名において、神の国、将来における神の国を建てることを願ったのです。 その当時の軍隊はいろいろな国籍の人々からなっているのです。独立軍は、世界中の国々の人々から構成されており、その当軍隊の志気をあげて勝利に導びくための、彼らの共通した考えは、この新大陸において、神の国となるべき国を建て神の名において建てるというものでなければなりませんでした。 その当時の将軍は、イギリスの為とかイタリアの為とかオランダの為とかブラジルの為とか、特定の国の為に戦うのだということはできませんでした。しかし、神の名において新大陸に教会を建てるというのが、戦いの原動力であったのです。それは私たちのスローガンでもありますね。 神の御旨と教会の建設の理想がなくして彼らは、それらの勢力に対して戦い勝利することはできず、アメリカという国を建てることはできなかったのです。すべての旧世界の国々を否定し、旧世界と戦わなければならず、彼らの目標や目的が、旧世界の旧制度に勝さったものとするためにアメリカという国を建てるということでなくてはなりませんでした。彼らの考えたことは、神のもとにおける新しい国であり新しい教会でありました。 神様主義は国境と宗派を乗り越えるもの 彼らが主張し、彼らがつくらなければならなかったのは、国境を越え旧世界の社会秩序を越えた神の名における新しい教会であり、神の名における新しい国家でありました。 彼らは、新しい教会新しい国家を建てるという考えによって動かされました。その思想は、他ならぬ神様主義でありました。その思想によって独立が可能でありました。 独立戦争において、勝利をもたらしたのは、このような思想でありました。私達は、神様主義といいましたが神様は、特定の宗派、キリスト教さえをも中心としているのではありません。神様は、メソジスト派フレスビテリアン派その他キリスト教の宗派を中心にしているのでもありません。 では、神様主義とは何でしょうか。神様主義というのは、諸宗派キリスト教の宗派を乗り越えたものです。神様主義、神の思想というのは国境を越え、人種の差を乗り越えているのです。 それでは、神様が諸宗派間の争いを考えたのでしょうか、それは、宗派の教えであり、(人種差別主義であり)神様主義ではありません。神様は、全世界を救い、すべての民族が一体となることを見ることもできません。この国の建国精神を見る時に、それが国境を越えたものであることがわかります。しかし、今だに諸宗派間の壁を取り除くことはできないのです。 この国にはメソジスト派とか長老派とか教多くの宗派が存在しています。この点においてアメリカ史上、私たちの義務、使命はこの大陸に神の名のもとに一体化し神の国を建設できるように諸宗派間、諸民族間、諸国家間の壁を打ち破ることであります。 御旨と人間の意志とのへだたり それでは、諸宗派間の壁を打ち破ることと、諸民族間の壁を打ち破るのはどちらが先ですか。(国家間の壁を取り除くことによって動機づけられています。国家間の壁を取り除いた後、私たちの仕事は、諸宗派間の壁を取り去ることにあります。 もし、私たちが諸宗派間の壁を取り去ってしまえば、国家間や民族間の壁を取り去ることは容易であります。アメリカ史上初めにメソジスト派、長老派などキリスト教諸派の国会議員がその当時諸宗派間の壁を打ち破って統一国家を築くために一体化していたならば、統一をなすことはもっともっと容易であったでありましょう。この国の建国精神は、神のもとにおける一つの国家ということでありましたが、それは弱められこの社会から根こそぎにされて、忘れられようとしています。 あなたがたの先祖がこの国を建てた理由は、宗教の自由を得るためであり、すべてのことが神の名において、教会の名においてなされるためでありましたが、このような事はこの国の政府においては見られなくなりました。 彼らは、神の名においてではなく、国民の名において、アメリカの名において語っています。それ故、神の御旨とこの国の意志にはギャップがあるのです。この国を建てた神の御旨と国民の意志の間には、大きなへだたりがあります。したがって、もしこのような状態がそのままつづくならば、この国は、必ずや滅びる運命にあります。 ここアメリカ建国二〇〇年祭で、この偉大な国の第三世紀目を迎えて社会の内部をながめてみると、将来における希望と光よりも、暗黒と絶望が広がっています。よくご存知だと思いますが、フィラデルフィアにおいて、ワシントンにおいてさえも、共産党の式典である。いわゆる人民の二〇〇年式典が行なわれようとしています。 これは何でしょうか。共産党のアメリカ建国二〇〇年祭は、神考えたことでしょうか、あなたがたは、世界中の国々から船がやって来たり、三〇トンの花火を打ち上げたりする光景を目にするでしょうか。これらは、本当の意味で神の名においてなされるのでしょうか。それともそうでないでしょうか。 あなたがたも知らず、この国の国民も知らずに、三〇トンの花火のための材料は中共の毛沢東から送られて来たのです。 神の立場から見るならば、神は二〇〇年前に、神の摂理の四〇〇〇年歴史を蕩減復帰するために建てた、アメリカがこのようなことになることを願われたと思いますか。このようなことをごらんになろうことを望まれたと思いますか、神は、この式典が神の名において、おこなわれ、この国の過去の歴史を神の名において完結して、この国が新しい世紀、第三世紀を願っています。 二〇〇年歴史の完結のために神の名においてすべての国家の壁のほか宗教や教派の壁を乗り越えて始めることを望まれるでしょう。神は、どうか私達を神のもとに帰して下さいという叫び声を聞き、神の名において二〇〇年式典が行なわれることを望まれています。 神は、この国からそのような叫び声が起こることを望まれているのです。私は二〇〇〇年歴史を蕩減復帰するためにこの国を立てられた、神の蕩減の重大さを知っており、この国の二〇〇年祭の重大さを完結するために、六月一日と九月十八日の間にこの国の二〇〇年式典の日を祝いたいと思うのです。 私たちは、ほかにも式典が行なわれることを知っていますが、私たちは神の御旨にかなうように行ないたいと思います。それ故、私たちの式典が内的な意味において、最も重要だということになります。わかりますね。(はい) 数は少いけれども私ちは、ここにおいて、国家の諸民族の壁を乗り越え、宗教や宗教の壁を乗り越えての二〇〇年祭を祝うのです。そうですね(はい)。 私たちの見方によれば、アメリカ史は、神の御旨と一体とならなければならず、私たちはアメリカ史を完結してこの国の二〇〇年祭を神の名において祝わなければなりません。ワシントン、フィラデルフィア、そして、ニューヨークでの祝典は、たとえ忘れさられても、私たちが、ここで開く祝典の意義をけっして忘れてはなりません。 私たちは、この国が神の御旨に一体化するために、三世紀に入って神が神の復帰摂理を完結することを望み、私たちはいかなる犠牲を払っても、この国を建国精神に立ちもどらせなければなりません。 衰え行くアメリカ もし、この国の人々が衰退の道をたどるとすれば、神は地獄に向っていることになります。しかし、私たちは、この国を建国精神に立ちもどらせ、永遠の繁栄をすることができる本来の道にもどさなければなりません。わかりますか(はい)。 あなたがたは、神がこの国を去りつつあり、神がこの国の教会を去りつつあるということを知らなければなりません。なぜあなたがたから神が去りつつあるのでしょうか。それは神の御旨とアメリカ国民との間に、さらには、神の御旨とアメリカの教会との間においてさえ一体化したことがないためです。寝てもさめても、あなたがたの先祖は、この国を建てるにあたって神の御旨が実現化されることを考えていました。 ですから少なくとも、ここアメリカに建国精神に立ち帰るように働きかけるグループが立ち上らなくてはなりません。そして彼らは、寝てもさめても、先祖の建国精神を相続して、神の御旨がこの国においてなされるように、考えなくてはなりません。 さもなければ、この国は、滅亡する運命にあるのです。その他にいく道はないのです。ごらんのように、この国の国民や、この国の政府と神の御旨の間にはギャップがあります。 そして、アメリカの政府や世界中の国々の政府は、異なった目的や異なった目標において異なった利益を持っています。神がこの国を建てたのは、教会や宗教の自由のためである、この国を通して、他の国を救うということでありました。しかし、神がこの国を中心とするこの二つの目的はともに消滅してしまいました。 アメリカは、今や教会と世界を失ないつつあります。それは神の御旨ではありません。今から、アメリカは神の御旨において教会を救い他の国を救えるような国にならなければなりません。 今そのような状態になっているでしょうか(いいえ)。第二次世界大戦が勝利に終わった時、神は、アメリカが神の御旨において世界を指導することを願われたのです。しかし、この国の人々はその点においても誤まりを犯したのです。 それ故に、この国の人々は教会を失ない始め、教会の基礎を失い、神のもとにおける世界国家を失なったのです。それ故、あなたがたは危機に直面しているのです。反対に世界の国々が「ゴーホーム、ヤンキーズ」といって、アメリカを追い払っているのです。そのような迫害や拒否に会っているのです。それを知っていますか。 責任をとるのは誰か 宗教と政府との間にはへだたりがあるのです。あなたがたの政府はあなたがたの国(あなたがたの国民は)どうですか。上り坂にありますか、それとも、下り坂でしょうか。もしアメリカ政府、アメリカの教会さえもが責任を取ることができないならば、誰かが責任を取らなければなりません。誰がしますか。あなたがたにできますか。どのようにすれば責任を果たすことができるでしょうか。 神が私たちの側にいらっしゃっています。ですから私たちが神の名のもとにおいて、私たちが国家の壁や宗教の壁を乗り越えようとする時、私たちは、私たちの仕事を果たすことができます。この国の建国精神に立って、国家間の壁や宗教間の壁を乗り越えて、もし私たちがそれを再生させて、この点から出発して、神のもとにおける一つの国民ではなく、神のもとにおける一つの世界を作らんとしてこの国の第三世紀目に入るならば、もし私たちがそれらの問題を解決しようとするならば、神が私たちとともにあり、私たちの目標を達成することができるのです。 この建国二〇〇年の記念日にあたって、このアメリカは、一つの国家の基準を乗り越えて神のもとにおける世界というスローガンを声たかく掲げて、神の御旗をかけなければなりません。そうでなければこの国は滅びつつあります。 誰がその仕事を果たしますか。アメリカ政府に期待できますか、(いいえ)、アメリカの教会がそれをなすと期待できますか、誰がそれをしますか、(私たちです)あなたがたにそれができますか。 アメリカ政府とアメリカの全国民は、私たちを迫害しようとしています。それでもなしていくことができますか(はい)。 神のもとに帰るということが唯一の方法です。それが神の御旨だからです。神の目から見るらば、メソジスト派も長老派も洗礼派も、その他の宗教もありません。 神の唯一の御旨はそれらの諸宗派が一体化することであります。神様主義だけが適用されるのです。神様主義とは何ですか。それは世界を救うということです。世界を救うためには、必要であれば、私たちは、このアメリカという国家を否定し、アメリカの国民や教会さえも否定しなければなりません。国家を救い、世界を救うためには、私たちは、統一教会の食口は、私たちの教会と教会のメンバーさえも否定しなければなりません。 教会の食口には、アメリカの国民の代表し、教会は、アメリカの教会を代表しています。したがって、私たちは、両方とも否定しなければなりません、それができますか(はい)。 私たちの準備 統一教会においては、韓国人もアメリカ人も日本人もヨーロッパ人もありません。ただ神のもとにおける民だけであります。キリスト教の宗派も、他の宗派もありません。民族もありません。私達は、神の子であります。そのようにできますか(はい)。この世においては、この二〇〇年を祝うために人々は気狂いのようにおどったり歌ったりしていますが、私たちは、この国を救うために、もっと困難な道を通過しなければなりません。その準備ができていますか(はい)。 あなたがたの体は小さいけれども、もし、この国において神の御旨をなすために、この偉大な目的のために自らを献げるならば、手を上げてみなさい、ありがとう。レバレンド・ムーンは、アメリカの教会、アメリカの政府やアメリカの国民に迫害されていますが、神の目から見るならば、どちらが正しいでしょうか。 あなたがたは、本当にそう思っているのでしょうか、それとも私があなたがたにイエースと言わせようと脅迫しているのでしょうか。本当に神が私を支えていると思いますか(は)。もし、あなたがたが本気でイエースといったならば、迫害し屈辱を与えんとする嵐や台風があなたがたを襲ってきたとしても、あなたがたは完全に一体化しなければなりません。いいですね(はい)。 ここに、私たちは黒人、白人、黄色人の間に強力な一体化を成して、国家の間を乗り越える世界中のどのような力も、私たちの一体化を崩すことができないようにしなければなりません。たとえ、彼らが私たちを打ち負かそうとしても、彼らが粉みじんとなるでしょう。しかしそれは私たち自身の力ではありません。そうですね。(はい)もし、全世界が私たちを打ち負かそうとしても、私たちは、それに耐え忍び私たちの目標を果たすことができるのです。たとえば壁の上にくぎが立っているとします。私たちは、壁をたたこうとします。くぎは私たちの力によって、飛び出てしまいます。それは、私たちがくぎによって突きぬけられるためではありませんね。(はい) もし、巨大な力があなたがたにおそいかかってきた時に、あなたがたは、くぎの役割を果たし、その固まりを突きぬけることができますか。(はい) 私はすでにその準備ができています。たとえ、全アメリカが私におそいかかり、全世界が私を拒否したとしても、私は生き残ります。 神の声に敏感であれ 人類の歴史は、真夜中暗やみを通過していますが、たそがれ来るときには、人々は、レバレンド・ムーンの成したことを神の御旨において正しいことと悟るでありましょう。あなたがたは強く勇気を持たなければなりません。全イスラエルが荒野で死につつある時、モーセが年を取りすぎて死ななければならなかったため神は、ヨシュアとカレブを召命なさいました。 そして、その時神は、彼らに強く雄々しくあれと語りかけられました。シナイの荒野で当時、イスラエル民族はなくなりました。しかし、私たちは、第二イスラエルにならなければなりません。そして私たちはすべての力が私たちを拒絶せんとしており、再び荒野の中に立たなければなりません。 今、アメリカのすべての人々は危機に直面した第二イスラエルです。その中から、ヨシュアやカレブのような人々の群れを(神は)召命し、これらの人々に対してヨシュアやカレブに対したのと同じように強く雄々しくあるようにと叫びかけ、はげまされるのです。その声が聞こえますか。カナンという新天地を目の前にしながら第一イスラエルは滅亡せざるを得ませんでした。 この世界の腐敗と危機の中にあっても私たちは、ヨシュアやカレブのような役割を果たしながら神の民として立ち上がっています。そして私たちは、強く雄々しくあれという神の声に対して敏感で注意深くなくてはなりません。あなたがたにはそれだけの強さと勇気がありますか(はい)。 私は、あなたがたが神の意図にかなうことを願っています。全世界が神の御旨にかなっていない時、神のアメリカに対する希望が果たされていない時には、アメリカ国民は神を絶望し暗やみの中に追いやっているのです。 しかし、ここに神の視点において立ち上がったグループがあり、神が私たちのグループに希望をたくして、私たちは神の復帰摂理の過去の歴史を結合して、アメリカのこの第三世紀と世界の未来を、神の御旨にかなうようにしなければならず、それをできるのは私たちのグループしかいのです。 それを実現するために私たちのグループに希望をたくされているのです。人々が絶望し、神に対して感謝の心がないのに対して、私たちは、自分たちが与えられた使命に対して、神に感謝しなければなりません。 反対があったら神に近づく あなたがたの両親は、あなたのしていることに反対しています。すべての教会が私たちに反対していますそれについて私は次のように考えるのです。反対や迫害には意義があります。あなたがたの両親からなされている反対や迫害においては、あなたがたは、真の父母とより一体化するように動機づけられています。もし、あなたの国と人々が私たちの運動に対して反対するならば、あなたがたは、国家以上に、そして既成教会以上に強くなるように立ち上り、試みられなければなりません。 反対は必ずしも悪いものではありません。私たちがそれによって成長すればいいのです。したがって、私たちはそれに対して感謝しなければなりません。そうすれば私たちは最も強いグループとなり、神がともにいて、よりよい自分をつくることができるのです。 私たちは、自分たちが最も困難な時代に生きているということを悟らなければなりません。そして、国家が私たちの運動に対して反対することによって、神は、国家に対する祝福を私たちに相続させようとしているのです。 教会が私たちの運動に対して反対することによって、その祝福が与えられ、どのようなグループでも私たちに反対すれば、それらの祝福が私たちに与えられるのである。迫害されればされるほど祝福がそれだけ与えられるのです。従って、伝道や経済活動において一生懸命努力しなくてはなりません。そして人の言うことを聞くときには、その人が教会のメンバーになるように愛のこもった目でながめなくてはなりません。 人々は私たちが気が狂っていると思うでしょう。しかし(このようにして)私たちは気が狂っているのではありません。もし私たちが気が狂っているのであれば、私たちは、神の御旨のために気が狂っているのであります。 私たちがたとえ正気でなかったとしても、神の御旨のためであれば、神にとがめられることも罰せられることもありません。そのように気が狂ったとしても、神は、私たちと一体化するために私たちを選ばれたのです。私はそれを確信しています。(拍手) 九月十八日にすべてが一体となること この国の建国二〇〇年を祝うならば、私たちは、この日を神の御旨を相続し、この国と世界が神の御旨を成しとげるように、内的な意味において祝うようにしなければなりません。私ちは、この世における世俗的なことに対して、つんぼで、盲目でなければなりません。私たちの心の中の望みは、この貴重で偉大な日において、神の御旨をなすことであります。この祝典をすぎると私たちに残されたのは、ワシントン大会です。そして、この大会がこの国を世界においてアメリカ建国二〇〇年祭を終結することになります。 私は、統一教会が、神の前において、それが受け入れられ、この国と世界の人々によって受け入れられ、歓迎され、人類の歴史においてこのようにして、忘れられるということはないと思うものです。 私の望みと希望は、それが神とこの国の人々とレバレンド・ムーンとそのグループが、一体となって九月十八日を祝うということであります。これが私の願いであります。レバレンド・ムーンがたとえいなくとも、神の望みと願いは、アメリカ政府とアメリカ大統領自身が第三世紀目にあたり、この国と世界を救うという決意をなして建国二〇〇年を祝うということでありましたが、しかし、これが成されそうもないため、神は、それを成し遂げるために私を立てられたのです。 神の本来の御旨は、この日を神を中心として、この国の政府と、国民と大統領と教会が一体となって祝うということでありました。しかし、実際はそのようになっていないので、神は、私を立たせました。私は、建国二〇〇年祝典をそのように勝利したいと望んでいます。 あなたがたは、世界の中の数多い教会と、神の御旨を代表しているということを悟らなければなりません。そしてそのような責任と新しい決意を持って、この日を祝うものと思います。 あなたがたは、世界と栄光とか比べて、たとえられるのではありません。しかしもしあなたがたが、神の御旨とこの国と世界をこの祝典に代表しているというあなたがたの責任を悟るならば、あなたがたは、全世界の誰よりも重大であります。私は、あなたがたに、この貴重な祝典の日に、自分の存在の重大さを悟ってほしいのです、この祝典の偉大な日に私は、あなたがた自分をささげることを願うものであります。 神の権威において、あなたがたは、生きた供え物として自分を犠牲にささげるようにしなければなりません。このようにしてあなたがたは神の御旨において世界を代表することができるのです、このようになすことを願うものです。このようになすことによって、神が私たちと共にあり、この日を祝うことができるのです。そして、神の願われる勝利は私たちの力によって成されるのです。 その勝利は、ワシントン・モニュメントのもとで成されます。そして、私たちは、自分の努力を九月十八日に集中しなければなりません。忘れずに、私たちは、ワシントン・モニュメントをめざして前進しなければなりません。これこそ神の御旨の方向であり、アメリカの方向であり、きょうの朝の題目であります。私は、どのような犠牲を払っても、前進し、目標に到達したいと思います。もし心がまえできているなら、神の前に手を上げて誓いましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.10
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神統一韓国のためのTHINK TANK 2022 希望前進大会神統一韓国のためのTHINK TANK 2022 希望前進大会2021年9月12日 午前 9時清心平和ワールドセンター tv.peacelink.live当初12日09:30開始予定が09:00に変更となっているようですのでご注意ください。多くの関心をもって視聴をお願いします。なお、このYouTube映像を見逃した場合、録画映像として残らない可能性もあります。極力生中継での視聴をお勧めします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ THINK TANK 2022 希望前進大会 2021_09_12シンクタンク2022尹煐鎬 世界本部本部長日韓米三か国宗団代表者らによる平和のための「合水式」韓国指導者らのメッセージドナルド・トランプ 第45代アメリカ合衆国大統領韓鶴子総裁のメッセージサムデク・フン・セン カンボジア王国首相大韓民国 清心平和ワールドセンター 生中継 12ヶ国語に同時通訳194ヶ国 200万名以上直接参加各国の国営放送などを通し、5億名以上視聴UPF 創設 文鮮明 総裁 9周忌記念
2021.09.09
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「六・十三 日本の兄弟に対するみ言」1976年6月13日ベルベディアにて 膨大な国、アメリカ ここに集っているのは、日本の兄弟姉妹ばかりですが、ある者はアメリカに来てから四年、あるいは二年、一年といろいろだと思いますがこれからアメリカで何をしますか。自分のために活動するんじゃありませんね。アメリカのために活動するのです。アメリカは実に広大な大陸です。最初アメリカに来て、いろいろと思うけれども、一年、二年、三年、四年、五年とたつうちに、アメリカは大きいなあ、と思うようになってきます。これは膨大な国です。日本は、北海道から九州まで二時間半で飛びますね。時差は一分もありません。しかし、アメリカは西から東まで飛ぶと三時間ですよ。これは膨大な国です。 それから、世界を動かすだけの底力を持っています。経済力から料学力、政治力から。それはソ連も恐れています。甘くみることなく、アメリカがどういう国かということによって、ソ連の政策が左右されるんですね。日本もそうだけれども、全世界がそうなっていますね。こう考えてみると、アメリカはともかく巨大な国です。 この巨大な国に来て、小さな日本人がアメリカに影響を及ぼすということ、これは実にすばらしいことです。これはあり得ない事件だと思うんですね。アメリカの歴史にも、日本の歴史にあって、そういうことがあっただろうか。そう考えた場合、新しい事件がアジア、あるいはアメリカをかけて起っているのです。その事件の主役は誰かと言うと、我々です。文先生と日本の食口と。そうでしょう(拍手)韓国は文先生一人であるけれども、日本はあなた達である。映画の主役を演じているんですね。それが失敗作になるか、成功作になるかは撮影の内容と結果によって、決定するんです。 そう考えてみた場合、我々の内容というものは、元々から歴史にない、最高の、すびらしい内容をもっていることがわかります。顔はみすぼらしい形、姿、格好だけれども、歴史的な過去を持っているのです。 私たちは過去の日本人あるいは過去のアジア人、過去アメリカを訪問したどのような人々にもない伝統、内容を持っているのです。ですからいかに演技をするかということ、即ちいかにアメリカに影響を与えるかというのが、私達の立場です。 アメリカ五十州を考えてみた場合、これは日本の何倍ですか。二十六倍、約三十倍です。日本はカルフォルニア州の七分の一だね。こう考えてみた場合、小さい日本人が大きなアメリカに来て、大股で足音をたてながら影響を及ぼすということは、アメリカの歴史において、初めての事件です。そうでしょう。 内容のある実体に こと動きは、出発はサンフランシスコからで、ニューヨークまできました。そしてそれで終ったと思ったら、そうじゃないんですね。これは各州を中心として円を描いて、このように動いていかなければなりません。それを誰がやるの。アメリカ人がやるの(日本人)。足が二本だから日本人ですね(笑い)。その足は小さく踏むか、大きく踏むか、弱く踏むか、そういう問題が今残っているんですね。大きく、小さく。強く、弱く。どちらですか(強く、大きく)。 身体は小さいんだけれども、大きいことを考えているから、大きい人でも主管することができるんです。そうでしょう。大きなことをやる人は、小さい人でも、大きくやらない大きい人を、いつも主管することができるんですね。だからアメリカ人のできないことをやった場合には、アメリカの統一教会は、まさに小さき日本人に頭を下げるようになるのです。そうでしょう。 君達、良くカイン、アベルの公式を適用するでしょう。ちょっとまずい場合「カインはアベルの言うことを良く聞け」というふうに。それは言葉だけじゃいけませんよ。内容をかねて備えていかなければいけません。内容を持っているか、どうか、それをみてみないとわかりません。ある時間を通してみなければわかりません。だから主体的アベルの立場に立つには、実体的な内容を持たなければなりません。それが今、私達に残された第一の任務です。わかりましたか。すばらしい内容の実体圏を、自分自体がいかに持つかということは、それは自分の務力如何によって左右するのですね。その内容を持つことを願うか、持たないことを願うか。もう聞く必要ありませんね。持つべきです。女も男も。みんなそれを願っているのです。 では、どういうことをやりますか。やるんだったら、すばらしいことをやる。では、すばらしいとはどういうことでしょうか。アメリカが滅びていう場合に、アメリカを救う。それ以上に、すばらしいことはありません。アメリカが栄えている時に、アメリカを滅ぼすことが、すばらしいことなの。滅びるアメリカを救うのがすばらしいの。どっちですか。滅びるようになった大物を、小さい日本人が救ってあげることがどれ程、すばらしいことでしょう。そういう自信、みんなありますか(はい)。 そう考えてみた時に、あなた達は、日本的でなく、日本民族的でなく、超アジア的心情圏を持ち、アジア人に影響するとともに、アメリカ人に影響を及ぼしていくならば大変なことです。偉大なことです。先生と会ってから、そのような立場に立ったんだけれども、先生のためにでなく、世界のために、このようなことがやれるようになったということは、神様のみ旨のためにそうなったのですが、実に偉大なことです。そう思うでしょう。 神が選んだ日本 そのためには、どんなことをしなければいけませんか。ヤンキースタジアムの大会ならワシントン大会まで、日本人がアメリカのために、このように、かけて、すばらしいことをやったということは、歴史に残るのです。それが必要なのです。 神様の摂理からみた場合、日本はなぜ百二十年という短い期間で、アジアの主体的国家になったか。それは神様のみ旨を果すためです。西洋はキリスト教文化であるが、摂理観からみて、もしも西洋人がその使命を果せなかったら、東洋のある一角の国が、世界的な影響基盤を持って、再臨の時の準備をしなければなりません。そういう意味において、日本というアジアの島国をたたせて、そうして神が祝福したのです。それによってある意味においては、アジア人の権威をもり上げることもできるし、東洋人に対しての西洋人の過去を反省するように歴史に教育をしています。西洋人を刺激させ、教育すると同時に、日本人自体も教育するようにしたのです。帝国主義ではなく、アジアを救ってやるという主義を持っていたとするならば、日本は負けても、あのようにアジアにおいて孤立する立場に立たなかったでしょう。 人を準備し、ある平均的な基盤を準備し、そしてともに未来を眺めるような立場に立たせて、それを引き継いでいくのが摂理の準備です。 だから統一教会は、いやでも先頭に立たなければなりません。日本人は持にね。わかりましたね(はい)。かわいそうですね(いいえ)。かわいそうでしょう。家において問題の全ての責任を誰が持つのでしょうか。お父さんがもちますね。だけれども、心情の基台、心情問題はお母さんが責任を持つんですね。そうでしょう。 神の心情の世界、神の理想の世界はどこから出発するでしょうか。家庭を中心にして、家庭を基準にして、家庭基準、心情圏を世界化したのが、地上天国の理想圏であります。そう考えた場合、それは誰に責任がありますか。それは母親です。だから日本の女性の立場はかわいそうですね。かわいそうでしょう。日本の女性達、日本人もかわいそうですね(いいえ)。住む家じゃないんですよ(笑い)。かわいそうだね。 しかしかわいそうであるという言葉を受ける立場は、神様が離しません。その場合は、かわいそうではありませんね。女性は弱いけれども、神様が守る女性は強いのです。強い男性が弱い女性に打たれて倒れるのです。モーセが持っていた杖は何でもないものだけれども、それは神様の身代りになって、紅海を分けてあまりあるというのです。だから誰に握られるかです。サタンに握られているのです。神様に握られているのですか。まさしくそれが問題であるというのです。 その棒は小さくても、でこぼこでもいい、かえって、その方が打つ時、たたく時はもっと効果があるというのです。たたく時は、顔や姿はどうでもいいのです。男性みたいな女性でもいい、それでも良いのです。女性みたいな男性でもいい、それでも良いのです。神様に握られ、守られた場合、かわいそうだけれども、かわいそうじゃないのです。アメリカよ、打つなら打て、世界よ打つなら打て。私達はまさしく、神様に握られているのです。ワシントン、リンカーン・メモリアルをなしとげれば、ふき飛んでしまう。そういう思いでやらなければなりません。間違いなく、あなた達は神様の立場に立っています。神様に握られています。神様も人間と協助した条件を満たさなければなりません。問題はあなた達が神様に握られているか、どうかです。そうなっていますか(はい)。 神と人類と後孫のため アメリカで活動するのは、アメリカのためではなく、世界のためです。世界のためだけでなく、神様のためです。そして神様のためばかりでなく、私達の後孫のためです。自分のためじゃないんですよ。後孫のためです。だから礎をおいた場合、千万年の建築として残されるために、一寸、一毫の差位が、くるいがあってもいけません。百パーセント水平にして、垂直にして礎をおかなければなりません。だからそこには何回も手を加えて、手をつけて、その基準を狙って進む以外に道がありません。 百人が百パーセント大丈夫と言っても安心できません。何回も何回も試して、これで間違いないと、何回も試して、最高の基準においてパスしたという、そういう基準が必要です。それが勝敗の絶対圏を決めることではないかと、そう思います。わかりましたか(はい)。 たとえどんなことがあっても勝利の一日を迎えて、万民に讃えられる私達のその原理を望みながら、神、六千年間、その五%圏を、地上の人間が果し得なかったので、その個人において、家庭において、民族において、国家において、世界基準においてなす者がいなかったので、このような惨めな歴史を反復して、きたのです。このような歴史にしてきたことを思った時に、それは神を信じ、神の心情を知る私達としては、たまりきれない、そういう悔しさを持たなければなりません。 そのような意味において、ワシントン大会は、私達の生涯をかけて、日本歴史をかけて、韓国歴史、東洋歴史をかけて、最後の攻撃をするのです。 そうするには、アメリカの食口に負けてはいけません。白人の食口に負けてはいけません。彼らに良き影響を与える、そのような立場に立たなければなりません。それができなければ、白人の住む、ニューヨーカーホテルに入って、寝てはいけません。街頭の道端に寝る、そういう思いでもって、私達は歯をくいしばって、勝利をなす、主体的責任を果さなければ、ここまで来た、私達の希望のその決心を実らすことができません。わかりましたか。 アメリカの文化生活を習いに来たのではありません。アメリカの食口に、伝統を、影響を植えつけに来たのであって、この群は何かを習うために来たのではありません。とにかく言葉は通じないんですけれども、その信念と心情においては、堂々たる権威を持って、今からワシントン大会に向っていくような心情的体制を整えなければなりません。わかりましたね(はい)。いかなる苦労をしても、はやる使命感を持ってね。 ワシントン大会を終えたら、もうやることはありません。それが勝利的に、ああ気持ちがいいんですね。きょうの天気のように晴れ晴れしていて、このように、すばらしい気持ちだというふうになった場合には、もうることはないんですよ。何をやりますか、その時は。仕方がないから、家に帰って、夫婦ともに、子供をうんで幸福にくらしましょう。 考えてみましょう。アメリカ人の百万長者がいても、それは人間としての権威ある生き方とは思いません。日本から来た統一教会の祝福家庭のメンバーが、何年間かこのアメリカの地で活動してきて、もしも小さな家に住んでいたとしても、その百万長者は、この小さな日本人に、日本人全体にひっかかるんです。そのようにアメリカで日本人が彼らにより奉仕して、親の心情でもって、かわいそうな人々を、日本からアメリカからみんなつれてきて、このように生きるのが人間の道であると教えたならば、その日本人はどうなるでしょうか。 考えてみましょう。そういうことをなすことによって、昔アジアで憎まれた日本人が、アジアにあって、憧れの日本人となって、その時には、アジア人も文先生に対して感じるし、日本人も、日本列島のことですから、文先生ありがうございます、と言うでしょう。 神が願うワシントン大会 日本人返事を良くするんですね。会えば、朝におはようございます。夕方はこんばんわと言うんですけれども、どうも心情はどうかというと、朝にはこんばんわ、夕方におはようございますと、そうではありませんか。みなさんは、強いはがねになって、アメリカ大陸をアジアにひっぱるようにしなさい。 ですから、私達の伝統的思想を誰も切ることはできません。いくら自由主義、個人主義と言っても切ることができません。だから、ワシントン、ニューヨーク、あらゆる都市にそのような基台を残して、私達は帰らなければなりません。ここにずっと住みたいですか(住みたいです)。先生が帰りたいとするならば、先生とグッド・バイをするんですね。アメリカが勝利した場合、誰がアジアを救うのですか。私達が救わなければ、アジアの将来がありません。 アメリカに対しても、このままでいったらアメリカは滅びる。地獄になりますよ。私は医者として、アメリカを直す医者として来ました。火事であったら、消防隊長として来ました。こう言ったら問題です。ああ、実にあの文という男は、自信満々である。自分が医者だってと。そうです。アメリカは気分が悪いかも知れません。そして反対する。しかしアメリカが正義に立ってではなく、自分の欲望のためであってはいけません。 あなた達もそうですよ。いくら日本人であっても、いくら先生であっても、国がちがっても、正義のためにやるのならば、その人の言うことを聞かなければなりません。それが正当な正義の道です。先生はそう思います。それは議論の余地がありません。 私達は日本のために、あるいは韓国のために、アメリカのために、世界のために、天のみ旨のために、立った以上は強く行くのです。犠牲を払って、何十倍、何百倍の効果を得るのであれば、それはどんなに厳しい道であっても、断行するところに、それは世界的指導者としての使命と、覚悟があります。このように先生は思いますが、それに疑問があるの、反問がありますか(ありません)。 そうした場合、ワシントン大会は、日本人ばかりじゃありません。アメリカ人ばかりでもありません。これは世界のため、世界のためばかりではありません。永遠の神のためにです。それ本当ですか。先生がそう言われたから、先生を信じているから、先生を頼りとしているから、仕方なしに信じてやろうと、そうではありませんか(いいえ)。先生前から同じことをくり返して語っている。もう知っている、聞きづらいなあと、思ったら、先生気分が悪いですよ。 何かをしなければいけません。何かを残さなければなりません。先生もそうだし、あなた達もそうです。先生も今からですよ。先生もアメリカに遊びに来たんじゃありませんよ。それは、先生、百日近い期間ずっと考えているんですよ。一心不乱、一生懸命、実にいい言葉ですね。日本人は小さいんですが、実にいい言葉を発見しましたね。一心不乱、あなた達、この言葉、好きですか。(はい)。一生懸命、一生をかけて、又生命をかけているんですね。実にすばらしいですね。 まあ、そのようにやって、何を残してくかです。文先生、アメリカの何年間の期間に何を残していくのですか。加重な、加重なこういう活動をやっていながら、それを果すのは大変です。 短期間に、歴史にないような、このようなアメリカのように世界の希望の地にあって、問題の男として失敗のないように、勝利の名札をつけるように頑張らなければなりません。たとえお金がなくても前に進まねばなりません。だから、問題になることを恐れてはいけません。しかし伝統に立たなければ大変です。伝統に立って問題をおこした場合には、みんな後始末は天が責任をもってくれるんです。それを信じますか(はい)。そういうことがあるんですね。そういうことが沢山あるんです。 神の心情をたずねる海 先生はワシントン大会にむけて全ての精神を打ち込むような、そういうことを考えなければなりません。山に行った場合は、木はみんなちがうし、考えてみた場合、この木はこうだし、あの木はああだしと。だから何もないところ、それで先生は海を選びました。先生は海に喜んで行くのではありません。辛いよ、疲れますよ。車に乗ったら、いつの間にか、グウーグウー寝てしまいます。何のためにそんなことをしますか。冷房装置のついているりっぱな部屋で、ぐっすり、寝たら良いのに。先生は海に行って魚を商売するんですか(笑い)。 何のためにやるのでしょうか。海という水しかない、青い水しかない。そこで、そうして、たった一人ぽっち、一日も二日も三日もすわっているのです。わかりました。それがいいのです。ずっと考える、その時間がいいのです。人達はそれがわかりません。だから一番早く四時に出るのです。一般に魚をとるという思いでもって、九時か十時頃がいいのに、なぜ先生四時に行くんでしょう、と町の人達は思って、レバレント・ムーンは馬鹿じゃないかと思っているんですね。 朝早く、四時半に出ます。星を見ながら考えます。冷い風に吹かれながら、一瞬の心情圏を探る、そういう境地が実にすばらしく、慰めであるのです。だからそこに行くのです。一週間、一カ所に座っていてでも、朝太陽がかんかん照っていても、汗流しながら……。それが一つの道であり、修養なんですね。祈りの時間なんですね。その味が、その時間が尊いから、往復二時間、三時間費すのだけれども、計算早く、分析的な頭をもっている先生だけれども、海にくのです。 そこでずっと世の中のことを考える。サタンの世界をずっと見る。そして希望をもつのです。一日、二日、三日、……二十一日、二十一日間、かまいませんでした。段々疲れて、早く時間よ進め、とそういう必情圏が心要だからそうするのです。だから運転手は、先生毎日海に行って、好きなんでるねと、とんでもありません。海が好きどころではありません。毎日こうしていたら、腰は痛くなるし、もう痛くないところはありませんよ。しかし、こういうような心情を神に向けて、天とのアンテナですが、それは清いアンテナにならなければならないので、それによって統一教会のメンバーは、その恵みによって、心情の育みによって、どこかで熱心にみ旨に励んでいると。 この瞬間に先生はあなた達に、心情的な負債を感じないんですよ。ごはんを食べる時には、ああ、食口達もごはんを食でている。良いものを食べたら、すまないと思います。しかし、ある時がきたら、私以上に食べさせてあげよう、私以上に幸福な基準に立たせる時がくるであろうと、それを願いつつ、今、こういう辛抱をしていく。そういうことを考えるのです。 韓国にいた時はね、先生は毎日清平に行っていたんです。片道二時間かかるんです。往復四時間かかるんですがね。そこに行って三十分でもいいから、その心情圏を得るのです。しんみりした自然を見る時に、神に誓った、誓った心情をいつも自分に感じていく、そういうことをするには他の所ではできません。 願いにすぐ応える訓練 それと同じように、もしも先生が活動するとすれば、朝早くからするんですよ。誰かがいても、いなくても、やりますよ。統一教会の文先生が街頭に出て、伝道するようになっているんですか。だから心を尽くしてやるのです。真心を尽くしてやるのです。わかりましたか(はい)。一心不乱、一生懸命、国を越えて、何ものかを残していかなければなりません。わかりましたか(はい)。 何ものかを残していかなければなりません。先生は船に乗って、魚をつる時には、それで誕生ですから、それをつりましょう。そしてそれを、ずっと研究するんですね。こういう時には、こういうふうにかむんですね。ですからサタンの世界の中から清いものをつる、そういう思いでやっているんですね。だから一心不乱、どこに行っても、心情一致して、何をやっても、その基準に動機と結果を、結論をたてて、神に帰結させるんですね。そうしたら、そのことをみんな天のものとして、神は覚えているんですね。わかりましたか(はい)。 それで、アメリカ人の地区長とか、みんな先生が一緒に海に行こうというと逃げてしまうのですよ。君達もそうでしょう。神山も。船で、海に行こうというと、みんな逃げてしまうのです。用事がありますから、とか、船酔いするのでとか。先生でも疲れますよ。だから先生こそ、男だよ。ある時には、夜明けと同時に、おい行こうと言っても、みんな疲れて行きません、と。大貫だけだ。今度神学校に行くんだけれども、又大貫つれていこう。みんなはずれてしまったけれども、大貫だけは船につれていこうと思うのです。君達はどうですか(行きたいです)。朝食をしながら、又みんな行こうと言うと、みんな逃げてしまうんです。すぐ行こうと。どのような立場に立っていても、神の願いにすぐ応じられる、これは一つの神の訓練、教育ですよ。このように考えるのですね。これは自分にとって、実にすばらしい何ものかを得る時間なんですね。 一心不乱の精神でもって、一生懸命やるのです。その道をたてていくという精神は実に、尊くすばらしいのです。わかりましたか(はい)。そういうわけで、将来、船をゆずってやりますよ。波が立っても、そういう精神で、世のために貫かなければなりません。そういう精神でもって。だから先生は船を譲ってやろうと思っているんですよ。 今アメリカ人で、そういう精神を持っている者は一人もいません。日本人はどうかな。大貫は今までやってきたんだけれども、どうですか。何日間も。この前怪我をしてから、船というものが、イヤになったんじゃないかと思うんですが、どうですか。嫌なことでも、そういう一心不乱、一生懸命にみ旨にプラスになることならば、私達は辛くても、その道を選ばなければなりません。どうですか。選びますか(選びます)。 永遠に残る勝利を では、ワシントンに行くのは、あなた達、望みの道ですか(はい)。たやすい道ですか(いいえ)。きつい道ですよ。きつい道だから、私が必要なんですね。これ復帰の道は、誰も責任をもてないから、私のような人が必要なんですね。そのように考えるのですね。誰もが嫌がるので、私が選ばれていると、こう考えるというのです。こう思うと全てが解決します。私も知っているし、神様も知っているので、そのように選んだに違いありません。私でなければなりません。わかりましたか(はい)。 そういう思いでもって、自分がいなければワシントン大会ができないと、そういう思いでもってね。わかりましたか(はい)。女性は、自分がいなければ、ワシントン大会は成功しない、私がいるからこそ、成功できるのだと、そういう思いでやるのですね。気持ちがいいですか、悪いですか(気持ちがいいです)気持ちがいいでしょう。アメリカでは、第二次大戦に勝利したのは、参戦した兵士がみんな、自分がいたからだと思っているんですよ。 ワシントン大会も、自分がやらなければ成功しない、という思いでやって欲しいと思います。ワシントン人に絶対影響を及ぼすような、そういう活動をやってほしいと思うのが、先生の頼みであります。何を残したいですか。何かにおいて、自分でなければ絶対できないという伝統を残していってほしいと思います。この大会に、そのような伝統を残したならば、はるばる太平洋を越えて、ワシントンの地にやってきた、神の本来の願いにかなうというのです。日本の摂理の立場が、アメリカの地においてかなえるという、そのような伝統を残したならば、はるばる太平洋を越えて、アメリカの地にやってきた、神の本来の願いにかなうというのです。日本の摂理の立場が、アメリカの地においてかなえるという、そのような結果になるというのです。わかりましたか。(はい)。 そういう思いでもって、今度のワシントン大会には、走って、走って、倒れるまでやりながら、何か自分に記憶を残すような、そのような活動をやってほしいと思います。わかりましたか。そのようにしたら、日本人はまぐろの刺身を非常に喜こぶんですね。先生は七月に、ボストンに行って、魚つりに行くんですよ。そして魚をつって、食べましょう。 ワシントン大会に向けて、これは勝利の旗をたてて、天に讃えながら、喜ぶそういう姿を見たいと、先生、そう思うんですよ。みんなそういう心情でもって、神山の、その今までの重荷におわれている、心情的抱束を、みんな解放してやれる、そういう先頭をきるために立つあなた達にならなければなりません。そうでしょう。随分苦労したんだからね。そのように努力してほしいのです。わかりましたか。(はい)。 かわいそうな群れですよ。必ずやらなければなりません。そうしたら、アメリカの食口達は、あなた達に負けないために、またやるでしょう。その精神的基台をワシントンに、総集中することによって、この大会は希望をもつことができますね。そう考えますよ。わかりましたか(はい)。まあ、そうしたら、みんな別れましょうね。 何かワシントン大会に残さなければなりません。あなた達も知っているように、ワシントンはアメリカの首都ですね。何かを残すために、君達今から出動しなければなりません。わかりましたね(はい)。天命をかけて、私達は、今から誓って出動します。どうですか。一生懸命やって下さい。では祈祷しましょう。 天のお父様、私達の立っておる所は、厳しい天命につながる現実の場であることを、良く知っております。日本の地から、アメリカの地までおくられたのも、神でございます。摂理のために、私達は呼ばれ、摂理のために私達は、ここまで送られてきました。 短い統一教会の歴史をふり返ってみた時に、日本の地において、追いに追われて、迫害の道を残してきた者でございます。これは神のみ旨を知ったそのことによって、こういうふうになったのでございます。また文先生に会ったことによって、こういう結果になりました。善をなし得る神様は、善の動機であり、善の過程であり、善の結果であるということを、はっきり知っているのであります。こういう運命の立場におち込ませたのも、神様御自体であるということを、はっきり思いまする時に、善なることをなし得る神様は、善の過程、善の目的まで、私達を導いて下さるという間違いのない信念をかかえて、今までここに立ったものでございます。 現実の私達をながめている神様、明日の勝利の一日を約束にかけて、希望にかけて、私達に忠実に、忠告をなさなければならない深刻なる神の姿をみあげなければなりません。その深刻なる神の姿を見る時に、私達自体も深刻なる決意を固めて、天の望みにかなえる自分自身をいかに、また何ものかを残す現実の課題が残っているのであります。 今、ワシントン大会で統一教会としてなさなければならない摂理的使命があるということを良く良く知っております。ひいては、私達摂理の六千年の運命をかけて、そして勝敗を満たさなければならない、深刻な戦いでございます。そればかりか、アメリカの二百年の運命を、三百年の三世紀にむけて、上昇する、その神の摂理圏の心情圏に抱かれるか否かの境目になっているこほ国を、神のみ旨の中に抱かれるようにすることによって、自由世界が救われるという重大な任務がかけられているということを思います。 そのような自覚と刺激を与えるのは、私達でなければならないと思います時に、現実の重大さを、何よりも、切々と感じる者でございます。どうか、その時に立って、弱き者にならないようにして、その立場に立って、確固たる信念をもって、神の勝利をもち得るように、そして神の勝利圏を迎えさせるような、そのような天的将軍になるように、神、力をつけて、加えて下さるように切に思うものでございます。 今日、この時間を、私達にさずけて下さいましたことを実に感謝申し上げます。数多くのアメリカを訪問するいかなる日本人より、いかなるアジア人とも、私達はちがう者でございます。私達はアメリカのために、アメリカのためばかりでなくて、世界、神の摂理のために、この国に何かをうえ込んで、それを伝統基準として、飛躍的アメリカの主体性をかかえることによりまして、自由世界が、今後に乗り越えるそういう道を残すための、そういう戦いを現実圏に果している自分達ということを、はっきりみつめるものでございますから、どうか信頼を重ねて、私達を信じて下さることをお願い申し上げます。 勝利の前に何があるかということを、はっきりわかっています。ワシントン大会、五十万の勝利の道を、私達は、自信的信念でもって、果し得てあまりある者の中心の者として、神にたたえ、愛される者として、恥ずかしくない、その実績を神にちかう者でございます。どうかこの場において、ワシントンに向けて、前進することを誓いました。その誓いを神受け入れまして、勝利の基台を上に立たせるように、神励ましを加えて、私達に惨めさをのりこえて、神の勝利の一点に集中させて下さるようにお願いするものでございます。 勝利の一日を、神の前に捧げることができますように、喜びの者になるように、神、導いて下さるように、むち打って下さるように切にお願いしつつ、今日の一日が、神の恵の日になりますように、祝福して下さいませ。全ての祈りを真の父母の御名を通して、お祈り申し上げました。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.09
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「神を感動させる歩みを」1976年6月3日ニューヨーカー・ホテル 大ホールにて 病めるアメリカ 今日このホールでお話しするのは、先生はじめてですね。早速みんなでお掃除をして、きれいにすることにしましょう。どれ程人間が手を加えるか、また費用をかけるか、また飾りつけ、装飾するかによってその部屋の美しさが決まってきます。 それは人間も同じです。ある人に主人がいて、その人の為にどれだけ手をかけ、めんどうをみるかです。またその人の為にどれだけ投資するか、学校に行かせてあげるとかで、お金をかけるかです。また人格の美しさを備えなければなりません。 一国の成り立ちも同じであり、世界の成り立ちも同じです。神の天地創造も同じです。神が万物を創られたのは、結局は神の真心のこもった手入れがなされたことであり、また万物はそれ自体で経済的基盤となるし、それがまた美しく美化されて芸術となる、それが創造なのです。 さて、そうですから今、皆さんがアメリカでみ旨を励むということは、このようなことなのです。今アメリカには癩病患者のような青年が多くいるんです。そのように癩病患者のような若者が、アメリカの青年です。アメリカの家庭に住む青年でありますけれども、その家庭に主人がいなければ、手を加えて、めんどうをみてあげることができません。主人がいなくて、アメリカの国自体が手入れすることのできない、主人のいない、実に悲惨な人々となってしまったのです。 さあ、それではどのような人が、その若者の醜いあばたを手入れして美して直してくれるのでしょうか。今までは責任をもって直してくれる人がなく、また直してあげたくてもできない、何かがないとこういう状態だったのです。 さあ、そのような人達にいかにお金をかけて、いくら投資したとしても、それがうまくいくでしょうか。それが直せると思えないために投資する人もいないのです。即ち癩病患者のような青年達が、人間社会における理想的な群になるなど、希望すら持つことができないという意味なのです。だから絶望です。こうなるのです。 そのような青年達をもったアメリカです。そうであるとするならば、そのアメリカという国の将来は絶望的であり、この国は必ず退化するというとは、目に見えたことであります。そうは思いませんか。 さあ、それではこのようなアメリカに対して誰が責任を持つのでしょうか。それは統一教会がその責任を持たなければなりません。統一教会がその責任を負うというです。皆さんも青年ですけれども、退廃的になってしまった青年達を慰め、とりなし、なだめなければなりません。主人としての道を歩むことのできる青年となって、この癩病患者のような青年達のために、常に手を加えて、手をかしてあげ、投資をして、その人格に美を加えてあげる作業をするのです。統一教会がそのようにするとすれば、この統一教会こそ、絶対に青年達に要なものであり、アメリカに要なものとなるのです。 今はこう醜いけれども、手入れをして、次に来る時には、これが実に美しい美人のようになるとするならば、ああなんと素晴らしいと、人々は見るのです。結果だけを見たら、ああなんと素晴らしいと、簡単に言ってしまいますけれども、その素晴らしい背後には、良くなる為の努力と、多くの資本と、また多くの芸術的価値が投入されているということは間違いのないことです。 それは何でもそうです。このホールを手入れをするとすれば、その基準がどれ程なくてはならないでしょうか。その時にそれに込めた真心、手を加えた量、お金、美的センス、これらが比較の基準になって、世界的遺産あるいは永遠の遺産として残るのです。そしてそれは誰が創ったのだろうか。その創った人がそのように美しい芸術的作品と共に、いつまでも並行して、その名が高まり、本当に残ることなのです。 それで統一教会を見ると、皆さんに、これはだめ、これは良い、このように良くなるように、また美しくなるためには、そのままおいては駄目、全部みんな駄目になれば削ってしまい、できあがらない部分は補充して、美しくする。そのような指導者が必要なのです。顔を、頭をどようにするとか、目はどのようにしなければならないとか。最近はアイ・シャードなんかして、それがどうであるとか、それは全体に似合うとか、洋服はどのように着て、このカラーシャツがいいか。悪いかとか、その全部をみんな干渉しなければならないんですよ。干渉を。 だから、芸術的ということは全ての比較の主人になることができるということです。基準になって、そこに比較があって、最高の何かが成されなければならないということです。 道を歩くにしてもそうです。いろいろな歩き方があります。こうして見ても、どこにも手を加えなくても良いとされる時は、それは関心がいくものです。これは仲々良いじゃないかと。だから美ということは、そこにどれ程手入れがされているか。そして手入れをしようと思えば、お金もかけなければなりませんね。そうすることによって、それがどれ程の重味のある価値をもってくるか。 芸術的かどうかということにおいては、人間も同じであるというのです。主人のような立場に立って干渉して、こうしなさい、ああしなさいと言ってくれる人が必要なのです。 先生のこのようなお話を聞いて、ああ、いい生活をしなくちゃ、いい生活を。自分だけがいい生活をしなければと。皆さん、そういうことでは芸術分野において、マスターピースという、その傑作品は絶対に生まれることはできませんよ。だから、本当に芸術的な主人がいて、夜昼見て、また見て、下から見上げ、横から、上から見て、四方をめぐらして、こうして、こうすれば良い、とする時、そしてそれが、全ての比較の中心基準となることができた時、それこそマスターピースとして、永遠に残されることになるのです。 先生は多くの若い人とか、多くの人を指導したために、人を一目見ると分かるんだよ。目を開けるのもいろいろです。ある人は瞬きさせるのに、力を入れる人もいれば、ある人はこのようにとか、いろいろとあるのです。千万種もあるんですよ。 ために生きる 皆さんの顔で、一番重要なのは目です。口です。くのはこの二つしかありません。それは千態万象に、全部を左右するということを知らなければなりません。その次に動くのは手足です。この手がそうです。だから目と口と手をうまく使うならば、その人は人格者であると、私はこう考えるのです。皆さん、これは何を言っているかわかりますか。 目を開けた時、どう見るか。これを考えなければなりません。お話をする時、どこから始めるか。自分がスタートしなくてはならない基準がこれであり、自分が手を中心として仕事をする時には、どう動くべきであり、良いか、悪いか、全部がみんな、自分の原則的基準を中心にして、全てを調整できることを知らなければなりません。 その次には、内的な面では心も同じです。心も動くのです。全ての外的目とか、口とか、この手の全ては誰がコントロールするのでしょうか。私の心がするのですね。 そういう意味で、皆さん俳優ではないけれども、自分の身体の管理に対して、自の対人関係に対して、社会の一員として、如何なるその標準基準の前に、何%の合格者になるかということを、その鑑定をすることができなければなません。 以前、先生は皆さんにお話しをしましたけれども「ニューヨークを教育しよう」こういう計画をたてました。それは主人として、手入れをしよう、ということです。教育するのは簡単ですか。(ノー)。一番むずかしいのが教育です。それで、父母は子女をどのように教育すべきであろうか。先生は生徒(弟子)をどう教育すべきなのか。これが大きな問題です。 同じように、神は人間をどう教育するでしょうか。神が宗教というものをつくられたのは、教育機関ではないでしょうか。聖書とは何でしょう。聖書は本ですよ。一般の人達からみると、小言の本です。良くみて見るとなになにしてはいけないという言葉が多いでしょう。して良いという言葉が多いだろうか(爆笑)(先生も声をたてて笑われる)。全てを止めて、一つだけしなさい。一つだけ。だから好きになる人がいないね。宗教はみんな嫌だとね。 しかし人々は、それが絶対にそうしなければならない、一つの中心であるということが考えられないんです。(テープ交換) さて皆さん、それでは聖書がしてはならないということをして、神の教育機関を閉鎖することができるでしょうか。できませんね。ではそう考える時、聖書全体で、そのしてはならないということを、どのように乗り越えていくことができるのでしょうか。それを私達は考えざるを得ないのです。そういう事を考える時、総括的な問題点は、自分のための利益で生きることよりも、人のため、全体の利益のために生きること、それを完全にすれば、そのしてはならないということを、乗り越えることができるということを知らなくてはなりません。 それをこのように考えてみたらわかるでしょう。ある嫁が、家法が厳しくて、嫁としての生活が厳しかったとしても、それは自分のために生きようとするから家法がむずかしく感じられるのであって、人のために生きようとするならば、全部通過できるのです。またアメリカは法が多いですね。アメリカに法がいくら多いといっても、その法にひっかかるというのは、自分を中心にして、自分のためにとなった時は、全部これにひっかかるのですが、自分の全てを犠牲にして、全体のためにするというならば、法は一つも触れることができないのです。 神の前にも同じです。神の法がいかに多いといえども、自分の全てを捨てて、犠牲にして、全体のためにするならば、ひっかかりません。 さあ皆さん、今レバレント・ムーンに対して、全米中が反対し、騒いだとしても、百年間騒いだとしても、結局レバレント・ムーンが、自分のために生きるか、全体のために生きるかという問題をもって、全てが解決するというのです。 アメリカに責任を持とう こう考える時に、傑作品というのは、自分の思うままにしたならば生まれて来ないというんです。これです。これは自分が好むから傑作品だなんて、こういうことは絶対にありません。全部に好かれるのが、傑作品です。皆さんそう思いますか。人間の人格の傑作品が何であるかと言う時、その顔とか、その格好とか、洋服とかを誰もがみんな好きになれるようになった時であるというのです。 おじいさんにも好かれるし、おばあさんにも好かれるし、子供達にも好かれ、男も青年も好きだという。黒人達からも好かれ、白人達からも好かれ、黄色人種達もみんな好きである。悪人達も、地獄に行っているサタンまでも、みんながあのようになりたいと羨ましく思うのです。理想的存在と、理想的価値というのは、私のためではなく、全体のために生きることによって決定するという結論が、至極科学的な結論として出てきます。 先生は、本当にいろいろ考えたのです。このような間の、多くのタイプはどこからでてくるのだろうかとか、理想的タイプとは、天地が好む人とはどこから生じるのだろうかということを考えた時、天を見上げるところから生じるという結論が、でるようになったのです。 皆さん、イエス様とか、釈迦とか、孔子とか聖人達は皆、人のために生きようとしたのです。死ぬのも自分のために死んでいないのです。人のために死のうとしたのです。皆さんもそうなれますか。普通の人は、誰のために生きますか。自分のために生きています。死ぬ時も、自分のため死ぬんです。しかし理想的タイプの人とは、人のために生き、人のために死ぬ、こういう人のことです。 このように考える時に、今日、このアメリカにおいて、皆さんの責任が重いということを知らなければなりません。私達がしなければならないことは何でしょうか。ためにすることも、その国のためにならなければならないし、部落ならば部落、州ならば州、どこへ行っても、世界のどこに行っても、そうすることのできる人間にならなければなりません。そのような人を、全世界どこにおいても、嫌だという人はおりません。そうですから、天国のどこに行っても歓迎をうけるに違いありません。 水のようにです。水のように全部浸透してしまってなくなるのです。しかし、無くなるけれども浸透しなければならないのです。だからこそ、この全ての万物達は、全部が水を恋しく思い、好かれるというんです。そのために、水が生命の源泉となることが出来たということを、このような事から、神は原理を通しても、そのようになっていることを、私達は観察することができると、こうなるのです。 水が浸透していくとなれば、汚いものが洗われないでしょうか。次から次と洗われていくのです。水があるために、どれ程の自然界に、千態万象の変化と調和があることでしょうか。このことは、全てに通じるのです。そうでしょう。 さあ、それでは皆さんは、どれ程アメリカ全域に、水のように浸透しており、またどの位自分の本質と分散させて、人々のために生きることのできる人になり得ているでしょうか。それは何かというと、大衆が好むことのできる人にならなければならない問題が、問題となるのです。 再び会う喜び さあ、それでは先生のような人は何でしょうか。宗教も指導するけれども、各他各方面に関心をもって考えるという人間です。宗教的指導者とは、多くの人々と交流をもつことでしょう。それはまた内外ともに疲労の多いことなのです。自分自身はきついけれども、その反面、全体の環境は全部が全部、私と関係を結んでいく為に、その環境は全部が共に残ることができるということです。 お話しというのは、本当におもしろいでしょう。朝、先生は何を話そうかと思って、天井を見たんですよ。それで素晴らしい話しができるんですね。分かりましたか。それでここの壇上に立って、それを教育の材料として使う時に、この部屋は「ウァー、嬉しい」とこうなるのです。(拍手)(先生も笑われる)きれいに仕上って、喜んで自慢するんですよ「ああ、私はこんなに立派になりました」このようになると、今度は環境も、皆さんも先生もみんな一つになってしまうんですよ。 人は会うのが良いでしょうか、別れるのがいいでしょうか(ミート!)。会うことだけが良いのではなく、別れも良いということを知らなければなりません。私達二人が会って、このままでいたならば、これ以上発見ができなくて、これ以上にもっと大きなものが出てこないとしましょう。 また仲が悪いと言って、互いにあなたと私は別れましょうと、そうして又会った時には、今まで問題が数多くあったとしても、今一度それを解決しようとしていけるとすれば、そのような立場で離別するということは、とても偉大なことです。 さて、今皆さんと私の間に、惜別という願わないものが横たわっています(ノー)。あなたたちは行かねばなりませんよ。それを望まない人、手を挙げてごらんなさい。今度の別れは、単なる別れではなく、何かをもって再び会うことのできる、その希望を抱いていく、そのような惜別なのです。 皆さん、その希望ある所に行く道には、笑いながら、踊りながら、その希望が達成されるでしょうか。(ノー) そこにおける懐しさは、理想的追慕です。だから、いずれにしても、もう発たなければなりません。希望をもった闘いのために、より悲しむことのできる私と、ならなければならないという信念を持たなければなりません。仕事を終えて、再び会える時には、何かがあって、再会の喜びがなければならないのです。 そのように再び会って、喜び、その次に何をするかというと、お互いに過ぎ去った日のお話しをしていて、相手の経験を自分のものにするのです。夜を明かしても良いし、何時までも、何時まででも良いのです。私が涙を流す時、その話に耳を傾けて泣くのであり、その人も喜んで下さる。離れていたけれども、このようにな時、永遠の相対的存在となることが出来るのです。そこに幸福があるのです。 皆さん、涙を流させるそういうお話しというのは、ごはんを沢山食べて、遊んで踊りを踊って、涙を流すようになりますか。そうではありませんね。お互いに涙を流し合い、又喜び合う時に、永遠の心情の絆が結び合うのです。そのような状態は最高の幸福です。そういう立場に近い人々を、人間はいつも懐しみ、共に過すことを望むのです。父母がそうであり、妻子がそうであり、このような家庭が、必情の基点となる家庭です。このような結論になるのです。 味ある人間に 皆さんが何さを見物に行くとか、登山をするとか、あるいは遊園地に行くとかいう時に、どんな場所を深しますか。平地だけ。険しい形をした山を探すでしょう。(イエス)。千態万象、奇怪な形をした山、変わった部分が多ければ多い程、目を楽しませてくれるということですね。それはなぜでしょう。それは平地よりも、多くの複雑な、苦労の年輪が多く刻まれているからです。ですからそれを私達は愛する、尊敬するというのです。それは天地の道理です。 ちょうど人間も同じだというんですね。皆さん、大学を出て、就職して一生を生きた人、何も話すことがないんだね。五分間で終わってしまいますね。そういう生き方を願う人、手をあげてごらんなさい。 ところが、統一教会に入りますと、大学の博士が街頭に出たり、頭を下げたり、何と素晴らしいことでしょうか。本当に多種多様です。先生を見てごらんなさい。監獄に行って、今入ったとしても、その罪人達、死刊囚達とすぐ友達になるんですよ。冗談も言って。どこへ行ってもそうです。力仕事の現場に行ってもそうです。 さあ、それではみんな、この次に結婚する時に、単調な夫を選びますか。先生のように多様で、おもしろ味のある夫を選びますか。それでは、統一教会は単調な統一教会となるべきでしょうか。多様な統一教会となるべきでしょうか。先生が話すのを、じっと見ていると、次第に静かに座って、影のように祈祷する先生。そのように見える時もありますが、また闘士のように見える時もあって、もう多様ですよ。ですから、先生の人格は重要だというのです。良くわかりますか。 昔、先生は中学校時代、学生時代、青年時代は主日学校の先生として有名だったんです。お話しも上手で、子供達が止めどもなく流しながら聞きました。腰の曲ったおばあさん達も、自分のおじいさんよりもおもしろくお話しをするので、自分達の所にいて下さいと言うんです。若い君達もそうでしょう。 あなた達のことは、良く知りつくしているんですよ。 味というのは平凡ではないんです。調味料は平凡なものですか。しょっぱい味、苦い味、甘い味、どういうのがいいですか。こんなにも複雑多様な調味料が良いでしょう。さあ、そうなるためには何もしないでそうなりますか。何もしないではそのようにならないんです。訓練が必要です。訓練が。 今日皆さんと私の別れとなりますが、それは、平凡な人になるためのものではなくて、多様な人、味のない食物ではなく、調味料を加えた食物となるように、人格者となるように、それを願っての別れであると思う時、とても悲しいけれども、味の良いものが私達の目前に現われるということを思う時、その惜別は希望の惜別になるという言葉が成り立ちます。 そしてある時はしょっぱい味に。それだけでは嫌である時は酸っぱい味に。ある時は苦い味に。それだけでも嫌なので、甘い味に。甘い味はみんな大好きでしょう。調味料のないものなんて、それはいつも食べる事はできません。調味料で味つけした食物は、いつでも食べることができるというのです。生命の根源になることはできるけれども、甘い味はいつでも食べることはできても、生命の根源となることはできないという結論がでてくるのです。 調味料を作らなくてはなりません。食べても、食べてもおいしいし、昼食べてもおいしいし、冬も、夏も、四季いつ食べてもおいしいという。苦い味も知り、酸っぱい味も知り、しょっぱい味も、全部総合的に知っていくのです。 君達はどちらがいいの。のあるのがいいんですか、無い方がいいんですか。そうです。神様も同じなんです。神様もおもしろい人を好むんです。無愛想で一般的な人を好むでしょうか。さあ、それでは別れるということはいいものですか、悪いものですか。多様な内容をもって再会することを考えれば、良いものですね。 皆さん、好きな人と手を取りあえば、廻るでしょう。それはなぜ廻るのでしょう。それは最高の喜びです。衝突しなくていいというんですね。 突き出ていれば、ひっかかる所があって、穴があいてしまいますね。そうなってはいけませんよ。それではどのような人になりますか。目もまん丸く、口もこの様に、全部原形です。丸く、丸く、いいですね。転がっていく時、コロコロ転がっていきますか。ゴツン、ゴツンとぶつかりますか。みなさんは、今どれ位そのようになっていますか。自分の内面を照らしてみて、どうなっていますか。 今、みんなで川辺に行って、小石をそこで捨おうとする時、白くて丸いのがいいですか。それとも思いのままになっているものが良いですか。白くて、まん丸い玉のようになっているのが良いでしょう。 小石を見てみましょう。まだらなもの、真黒なもの、白いものといろいろありますけれども、まだらであっても、自分勝手になっていなくて、丸くなっているならば、いつか神様は全部、神様の財布に拾いあげて下さるのです。そうです。ここでもひっかからず、あそこでもひっかからず、どこから見ても丸いのです。このようにみんな訓練をうけるのです。 皆さんはどのようなものになりますか。このようなものになりますか。(黒板に書いていろいろ説明する)、先生は皆さんをいろいろなことを通して訓練しているのです。こんなにも多様な訓練が他にあるでしょうか。こんなにも多くの人々と出会い、その中でだまされてしまうこともあり、またかえってその人私に魅力を感じるということもあります。とにかく全てが訓練です。 神の訓練を この世の人達はお金をもうけて、自分だけのために考えて使うのです。それは何と単調なことでしょうか。自分が良ければ、いいと考えます。けれども私達がお金を見る時、神様のために、教会のためにと思います。もうけたお金を神様のため、教会のために使えば、神が喜び、教会が喜び、兄姉がどれ程に喜ぶでしょうか。素晴らしいことですね。 ですから、もうければもうける程価値があり、もっと範囲を拡大していくということです。個人の商売は疲れますけれども、これはというと、やればやるだけおもしろ味があり、自分にとっても多くの得るべきものがあり、いろいろな意味で、多方面に多くの財産を持つことができるのです。 神様を愛して、先生を喜こばせ慰めたいという心情をいつも心にもちつつ歩むのです。またそこに全ての私達の喜びの源泉があるのです。自分のために金もうけをすれば、もうける程、心配になるのです。けれども私達は違うのです。自分のためにもうけるのは、お金もうけをして何をするのかという結論がでますが、人のためにもうけるのは、お金をどんなに使っても足りなくて、大変です。ですから、いつもいつも、もうけても又、もうけなければなりませんし、又もうける事その価値が、おもしろ味のある、多様な価値、多様な趣味をそこに発見するのです。 お金は外的です。物質的ですね。この次は何ですか。人間、人間を伝道することです。これは精神的な内容ですけれども、商売と同じです。そうですから、そうですから、皆さんがこのように訓練を受けるということは、非常に価値のあることであり、多種な人間に、また重みのある人間になれるということです。ですから私達はこのような訓練をうけて備えざるを得ないのです。 第二の故郷を 皆さん、別れて再び会う時に、成功して帰ってくる人は歓迎されるのであり、失敗して帰ってくる人には、全部みんな知らん顔をするのです。ではその成功とは簡単なものでしょうか。涙の境界線をつかまえて、生死の境界線にふれるところに、成功が繰り広げられるのです。それではその境界線はどこでしょうか。それは完全に百パーセント自己を投入することです。 さあ、皆さん、そのような目的のために出発する自信がありますか。(あります)。では一時別れておいて、又会う日を約束しましょう。八月二十五日に又会いましょう。その時、沢山の人をつれてきますか。多くの人々を伝道しましょうね。 世界一周したい人、手をあげて(誰かが手をあげる)。それを私は願いませんよ。世界、国家のために仕事をしに行くのだという人を先生は好きだね。そういう人は手をあげて。世の人々は見物に行こうとするけれども、私達は、行って死のうと、そうするというのですね。見物の好きな人は、行って道を歩いてきますが、そこに行って仕事をし、根をおろそうとすれば主人になりま。世界を見物する人は、世食界の主人となることはできませんけれども、世界のために仕事をするという時は、主人となれるのです。そこに、私による、私の故郷をつくるのです。理想的故郷がつくりあげられるのです。 自分が真心をこめて、そのような第二の故郷をつくりますと、そしてその努力した量が多ければ多い程、自分が生まれた故郷を離れてでも、そこに行って死にたいと思い、住みたくなるのが人生であるというのです。そうでしょう。ここにも私の故郷があり、あそこにも私の故郷があり、そこに行けば、多くの人々に歓迎される。それは幸福な人であるというのです。先生はアメリカに行っても故郷があり、家があり、みんなもいて、歓迎してくれますね。英国に行っても、ドイツに行っても、どこに行ってもみんなそうなんですね。それは幸福です。それは多くの曲析を知っていたから、そうだというのです。先生は皆さんにも、そのような人になって欲しいと思いますが、皆さんそう願いますか。(イエス) レッツ・ゴー・オーバー 別れは淋しいけれども、またその惜別の背後には、皆さんが行かなければならない道があり、それは涙の道であり、悲惨のそれであり、もの悲しく、誰しもが見るに耐えかねない道が残されているでしょう。しかしそれを恐れず、願って乗り越えていく闘士として、そのような皆さんと、又再びお会いする時は、以前にも増して幸福な喜びの世界に住むことでしょう。これは間違いのない真理です。 己れの苦労が、この顔に笑いがなくとも、十年後の成功を持って会う。愛する人々と会える時(父母、兄弟、親戚)、十年の苦労で尽くしたこれを忘れて、それが十年の勝利という喜びとなれば、十年のシワが多ければ多い程、かえってそれが喜びの象徴として現われるのです。 皆さん先生を見てごらんなさい。今度ヤンキー大会をやって、この次はワシントン大会をやるんだね。それはする必要のないものですよ。どれ程の苦労が、また心配があることでしょう。それは大きな心配なんですよ。 今、ワシントンといえば人口はどれ位かというと、八十万とすれば、周辺をあわせて百二十万です。ところがワシントン大会には五十万を集めようとしているんです。気が確かなのかね。(笑い)できますか。常識では考えられません。これを勝利するためには、どれ程血と汗を流し、どれ程死ぬ思いの苦労をし、最善を尽くしたという、いろいろな苦労をみんななして、パッション的成功をなしうるのです。それは考えられないことですよ。いくら考えてもわかりません。 このワシントン広場を眺めるアメリカの人々は、この広場を見るとともにレバレント・ムーンのことを考えずにはいられないのです。そうであるために、早く、早く、良くても悪くても、アメリカの人々の耳に、レバレント・ムーンの名前を、どこに行っても、レバレント・ムーン、月をみてもムーンであるからレバレント・ムーンのことを考えざるを得ないのです。とにかく、そうして噂されなければなりません。 その記録を残すことが、千年歴史においても、さけることのできない成功になったとするならば、二千年、レバレント・ムーンは言わずとも偉大な追慕の対象として、このアメリカ歴史に記されるのです。そうすると神様は、レバレント・ムーンは私の息子だと千年歴史において自慢し、万年歴史において自慢するのです。さあ、アメリカにおいて、言論機関に問題となり、このニューヨークでの歩みを通して、レバレント・ムーンを見ますよ。 三年前に素手で来て、誰が三年間の間にあのニューヨーカーホテルを買うだろうか。どうしたにせよ、買ったんです。だから話題の対象にならざるを得ないのです。お嬢さん達、お嫁にいく時は、先生のような夫を選ぶのではありませんよ。どうですか。先生のような男性を選びたいの。夜、眠ることもできませんよ。それでもいいですか。夫の行く所には協助して、ついて行って、ついて行く時は、いつでも喜んで、準備してあげ、こうすることができなければなりませんが、それはむづかしいことですよ。それでもそういう夫がいいですか(笑い)。 もっとお話ししたいのですが、時間が過ぎていきますので、この位にしましょう。ああ、別れるのが嫌で、もうしばらくいたくなるんですよ。行きたくないというんです。行きたくないのはどうしますか。早く追い出さなければなりませんね。(笑い) 今皆さん、悲しい事があるだろうし、迫害があるだろう。でもヤンキー・スタジアムで贈られた、レッツ・ゴー・オーバーという標語をいつも思い出して、それを克服しましょう。そうする時に喜びが来るということは間違いありませんから、希望をもって乗り越えてくれることを願って、またワシントンで会いましょう。 さあ、そうするためには、この惜別は喜ぶべきこととして、理想を描く人達が行かなくてはならない当然の道です。(朴先生のお祈り。その後、再び話される) 貴重な青春時代を神に 今度、修練会をうけた人達立ってみてくれませんか。ベリー・タウンで。君達、その間相当苦労したことに対して、感謝しています。その間、多くの気苦労をして、沢山いろいろなことを学んだことでしょう。 先生も、それ以上にいろいろやり、そのような仕事もみんなでしてきたんですよ。アメリカは宗教の自由があるけれども、先生は迫害される環境にいながら、そのような仕事をしてきたのであり、ここは迫害といえばそうですが、迫害ではないんです。いつも生活は監獄に入るか、どうかという境界線で、この境界線で生きてきました。 先生は悪人でないし、悪い事をしてではなくてそうであるので、天が保護してくれるのです。天が保護して下さり、逆に私に反対していた個人、教会が滅びていくのを見ました。滅びるように反対された統一教会・文先生という人は栄えて、発展してきたのです。 孤独で、やるせなく、困難な立場で、一番孤独な立場にいらっしゃるのが、神様であるために、私達の味方であり、協助して下さるということを知らなければなりません。 神の復帰の使命のために、セールスをしたりしていますが、それは復帰の使命であり、そのような立場を考える時、神の心情を学ぶことができます。それは神の心情を体恤することのできる、良き教育の場であると考えられます。雨が降って、疲れて、その仕事を自分がしたくない時に、その仕事を自分のためにではなくて、天の為に、人類のためにしたので、より価値あることとなるということを皆さんは知らなければなりません。 疲れても、自分のためにしたものは、残るものはないけれども、人のためにして、自分が疲れたとしても、それを克服して、こうする事によって、歴史に残ることができるのです。このように、自己の仕事を尊く考える事ができなければなりません。皆さんの後孫に、このような贈物を沢山残してあげるならば、皆さんの後孫は、この国の主人になるでしょう。それは間違いなくそうです。 ですから、皆さん、貴重な花のような青春、情熱に燃える青春時代に、全ての欲望を全部もえつくせる所に燃え、それを全部掃き捨てて、この大道を歩むということは、困難でありますけれども、より価値ある道であるということを考えなければなりません。 神を感動させる青時に 今大きな戦いが繰り広げられてきました。今は修練生ですけれども、これからは統一教会の中枢要員とならなければなりません。このような、実に偉大なアメリカと世界的な文明をかけて戦うのです。戦う場を守るのに重要な一分野が、経済分野であります。ですから、これは皆さんに浸透していますが、このように意義があるのです。 統一教会は、いくらにもなりませんよ。昔の友達と会うと、ああこいつは狂ったんだなあと笑うでしょう。しかし、私達の歩みはどれ程偉大かわかりません。友達は下っていくけれども、私は上っていくのです。見てごらんなさい。先生は罪のない身体に手錠をかけられ、刑務所に行くところを、人々はあれ、あれと指をさしましたけれども……。皆さん十年後を見てみなさい。そのような悲惨な道を行く路程に、私は悲惨な矢を投げた人が。しかし、私は成功するでしょう。それを良き教育の材料として、未だ胸の中に残されているという事実を知らなければなりません。今もそのような事実が多いということです。 ですから、自分が疲れていても、孤独であっても、それを克服していかなければなりません。男の行く道は、成功しなければなりません。そのような事はあるはずなんです。沢山ぶつかって、それを克服していきながら、広く、大きく希望を持つ生活をすれば、偉大な明日の実績がアメリカに残るでしょう。 皆さんは億万長者になって、アメリカの財閥になって、このようなことをしないで協助できたら、どれ程良いかと思うかも知れません。しかし、私はそれを願いません。君達の手で、真心をこめられたもので、涙が染み込んでおり、汗がにじんでいなければなりませんよ。(拍手) ありがたいですね。ワシントン大会も行いますよ。皆さんは偉大な青年です。先生の心が感動させられるから、神様の心も感動させられていることでしょう。ですから皆さんは偉大な青年であるということです。ですから、皆さんはそのことを良く自覚して、これからの何カ月間を力を尽くして、経済的基盤の確立のため、協助して下さる皆さんとなって下さる事を、心からお願いしなければなりません。それから修練所に戻って、勉強しましょうね。君達の失った時間は、偉大なものを発見する期間であると、そう考えるのですよ。周藤!周藤!そういうふうにやるんですよ。(ハイ、分かりました)。 組織的な活動を それから、パイオニアの兄弟姉妹達、これから移動していって、全体の総合的な活動をしなければならないために、全体のパイオニアを集めることができませんから、あるいは半分に分けるかも知れません。今まで、個々活動した為に、個別的な活動の指示をしましたけれども。そこで州の代表となることのできる人々を選定して、今まで築いたこの基盤を、代表が管理する事のできるように維持していって、ワシントン大会が終るまで、これを引っ張っていかなければならないという先生の考えです。 そして、パイオニアの地域は、新しく移ってきても、管理がスムーズにできるように作らなければなりません。そして今までそこにいた兄弟も、ある程度までは協助することのできる基盤も必要であるとみています。それで誰がそこに行くかという事を、神山!指示して、行かなくても良いという人々は、ここからワシントン大会に出発しなければなりませんね。(打ち合わせ) それでは、これは私が責任を持ちましょう。先生が指名した者は、責任をもつことにして。(打ち合わせ)それでは、州代表者と、副代表者を任命しようと思います。私の考えでは(朴先生が、州の責任者ですよね)。臨時責任者ですよ。 これから神山が名前を呼ぶから、先生が呼んだものと思って、先生の命令と思って、そのように責任をおうということを良く知って、選ばれた責任者に対して、パイオニア達は全部、その指揮下に入っていって、以後の指示をうけて、この州の全体の成功のために、総活動をしてくれることを願います。 パイオニア達に対しても、全国に散っているパイオニアの中からも、ワシントン周辺に選ぶ人々もいます。パイオニアの素任者として選ばれた人達は、今までの活動の根拠を失わないように。この人達が戻るまで、それをこの責任者達は維持しながら、継続していって、その活動実績を失なわないようにしなければなりませんね。今月中に、ワシントン周辺に半分を選ばなければなりませんね。 さあ、さっき少し話しましたけれども、ワシントン大会に、どれ程集める事ができるでしょうか。ワシントン大会に向けて、今度はバス作戦にしましょう。万に該当する人々を、バスで運んで来なければならないですね。そうするには、バス一台に五十名乗るとして、七千台のバスを動員しなければならないということになりますね。可能ですか。 お金でいうならば、ニューョークででもすることになるけれども、七百ドルづつ七倍にすると、四百九十万ドルのお金になるということです。ですから、これからは組織的な活動をしなければなりません。今まで活動していたパイオニア達の、優秀な人達を全部、ワシントン周辺に投入しなければならないという結論になります。 バス作戦 今度、カナダから、八百名を連れてきたんですよ。バスで八百名を(大拍手歓声)。このように例をあげてみると、皆さんが国境を越えて来るということは、とても難しいことですよ。ビザの手続きとか、旅券の手続きがどれ程大変だったでしょう。考えてみるんですよ。 そしてアメリカ国内では、言うならばシカゴを中心にして、東部をみんなで全部遊覧する事ができるんですよ。各州の責任者達、その経費、州が責任負わなくては。本部に支払うお金ありますか。(ハーイ) さあ、それでは人事配置ですね。ワシントンを多くして、次第に西部に行くに従って少なくなるように配置するんです。そういう結論がでてくるんです。 それで、バスを大量に動員して。それで外部から来る人が五十万ですから、押すな、押すなと、こうなるんですよ。私達は宣伝して、さあカナダからバスが五百台来る。ニューヨークからバスが三千台来る、といういう噂を全部がみんな、TVを通して、このワシントンの人々に宣伝して御覧なさい。私は口を開いて、塞がらないよ。その位素晴らしいと言えば素晴らしいし、力がいるといえば力がいり、素晴らしいから力が入るというんです。ですから、そういうことを中心に、自分は何台にしようかと、各自、自分の心の中に、欲の多い人は多く、欲のない人はしなくてもいいんですよ(笑い)、決意しましょうね。そして表彰式を行いやしょう。先生が表彰しやしょう。それで一番の人には、先生が立派なベンツを買ってやりましょう。それは、ワシントン・モニメントと共に永遠なる宝物となるんですよ。神山!それをやるんですよ。 それは、女性が獲得するようになるでしょうか、男性でしょうか。女性でも良いし、男性でもいいんですよ。美人でも、そうでなくても、それは関係ないんです。白人、黄色人、黒人、関係ありません。これは統一教会の歴史に残るでしょう。そしてその人が活動したその証しが出ることによって、統一教会の生きた歴史を千秋万代に残さなければなりません。先生はそのように考えます。 永遠のあかしを 今度、日本の食口が一人死にましたけれども、御両親に、本当に、私は済まないと思います。全く、全両親の前に、本当に済まないことを……。これは久保木会長に謝り、日本の食口に謝って、その墓地に訪問するようにと願います。 その全ての事柄を、これから統一教会の使徒行伝のような、歴史的証しとなりますので、その家庭は、これから歴史的な追慕の対象となり、彼の行跡は千秋万代にわたり、若い胸に火をつけるでしょう。(拍手)。そして情熱をもって、御旨のために投入して、歴史を再創造するその基礎が、ここに培われるという、驚くべき、充実した歩みを、ここになすことができるというのです。 今度の大会は皆さん闘いましたけれども、アメリカの栄えある伝統を継いで、新しい三世紀にワン・ワールド・アンダー・ゴッドという、この偉大な使命をもって、建設していかなければならない責任があるのです。そのために、日本人も入って、白人も黒人も、全部がみんな入って、総民族的に、一つの御旨の前に、偉大な群が現われる事を願うでしょう。そういう事を知って、私達は偉大な、この宿命的な神の御旨と、人類の願望を解決できる一つの責任を持った勇士、烈女であるという自負心を持って、良く戦わなければなりません。 ワシントン大会、たやすいことではありません。そういうことを考えて、皆さん、各自が今から別れる際に、そのような各自の計画を中心にして戦いましょう。ワシントン大会は後にも、先にもない最後の大会です。ワシントン大会をした後は、先生は関与する必要もないんですね。どこをどうしようか。やる所がないんです。だから最後です。 さあ、このように偉大な仕事が、皆さんやれるのですね。その偉大な功績をもって、千秋万代の皆さんの後孫達が自慢する事ができるのです。それを考えてごらんなさい。そういう事を知って、人事配置をする事を、まかせましたので、そうする事を願います。さあお客様と約束をした時間が近づいたので、皆さんの健闘を祈りながら、先生は出発します。良く戦って、また喜びをもって会いましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.07
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「祝賀パーティーにおけるみ言」1976年6月2日ベルベディアにて万物の日 きょうは話すことが多いのですが、時間の関係で、時間を節約しなければならないし、一つ心配なことは、皆さんはゆうべ睡眠をとっていないのですから、先生の話よりも、横になった方がいいのではないでしょうか。(ノウ) では、今から話すことにしましょう。皆さんは、きょうがどういう日であるかを知っています。万物の日といえば、五月二十八日の日が、そうでありました。しかし熾烈な活動の中にあって、その日を記念するということは難しく、きょうに延期させ、このヤンキースタジアム勝利祝賀パーティと共に挙行するものであります。 このような場に、初めて来られた方もいるでしょうが、年次的に行われる都度に、行事の内容は説明しておりますので、簡単に要約した後、ヤンキー大会勝利のパーティに対する内容にふれたいと思います。 この世では、この「世界の日」や、「万物の日」というものを知りません。世界には数多くの民族が住み、数多くの国がありますけれども、また行われる記念や祝賀のための日も数多いのですが、このような日を迎えて祝う群れは、この統一教会以外にはないのです。その内面的意義が世界史的であり、宇宙史的であることに対して、私達は少なからず、□持と自負心を持たなくてはなりません。 今年で十六回目の万物の日です。人類が堕落せず、本来の神の御旨がなっていたならば、この世界は今日のような、悲惨な世界にはなっていないのです。人間は、自由と幸福を求めて生きるものです。自由と幸福というものは、今日の人々が語ったり、世間で見受けるような自由や幸福ではありません。永遠に不変なる神を中心とした自由であり、愛であり、幸福が、本来のものであることを、私達は知らなければなりません。 堕落をしなかったならば、本来の愛の主人、幸福の主人、自由の主人の中心は神であるのです。したがって、神と共に愛し、神を中心にして自由であり、神を中心にして幸福であるのが、本来の間でありました。ところが堕落することによって、神を中心にたてなければならない、本来の愛、本来の幸福、本来の理想をなすことができなかったのです。それをなすことができず、人間は堕落してしまったのです。 堕落とは、落ちたということなのです。自由ということを考えてみると、自由とは原理を離れてはあり得ないので、自由の観念は、神あってこそ、成立するものです。それを知らずして、人間だけの自由、あるいは愛、あるいは幸福の追求が、堕落した圏内での人間であることを、私達は知っています。 皆さん、愛いうものを分析してみましょう。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛など、どのいずれもが、神から出発したものでなければなりません。しかし、堕落によって、本来の愛の結実を見ることはできませんでした。落ちた立場から、本来の形態とは逆の立場の愛を中心にした、人間からの出発がなされたのです。 永遠の愛 愛の本質は、永遠を追求するものであります。永遠を中心とした、永遠なる幸福を追求しているものです。しかしながら、今日の人間世界には、永遠なる基準を捜すことができません。夫婦の愛、子女の愛などと言ってはいますが、永遠なる基準において一致されていません。したがって、どのような愛を求めたといっても、束の間の一時的なものに終って、永遠なる基準に到達することができないのです。 人間はいつの時も、愛の道を探し求めてきました。幸福の基準をも定めようとしました。にも拘わらず、それが真と、永遠の幸福であり、愛であると主張される歴史的な証しは一つもありません。 そこで、今日神が摂理される目的は、何であるかを今一度考えておきましょう。非原理的な立場での自由と、幸福と、理想、愛をとり除いてしまい、本然の神を中心としてなされるべき基準を、如何に再度、結実させるかという、この復帰摂理が、即ち神の人間救済のための摂理の中心理想なのです。そのような観点から、神を中心とした人間始祖が、完全に一つとなったならば、この万物も、この宇宙も完全に一つとなって、完全に統一されたでありましょう。それは神を中心とした愛をもってなそうとしたのです。 救援摂理、救援とは何でしょうか。元に戻すことであります。病気になった人を、元の健康体に戻すことを、救援というのです。それと同じく、神の本来の理想的御旨を中心にかかげて、病気になり、故障したものを、本来の基準に帰すのが、救援摂理で、原理で言う復帰摂理であります。 かといって、神の愛が変わったわけではありません。神は永遠に中心とされているために、永遠なる愛の主体であります。変わったのは、人間の方です。この愛の位置を、個人的に開拓して、僕の立場から養子の立場に、養子の立場から息子の立場に、そして父母の立場に至るまでの、再復帰のために、神は歴史を通して、摂理してこられました。宗教がおきたのは何故でしょうか。理想の神の愛の世界に導くための、訓練道場として、人間の本然の位置に到達せしめるべく、その一段階、一段階を上らせていく使命を、世界的宗教は分担し会ったのでした。 人間始祖が堕落せず、神の愛と一つになったならば、そこに永遠なる幸福の基点は定められたはずでした。これを再び定め直すには、それを決定づける中心思想をもった、中心存在が必要であります。それが即ちメシヤであり、メシヤはその使命を果たすために来られます。 堕落したために、神の摂理を中心とした、神の喜びの日を持つことができませんでした。人間の堕落のために、これらの万物も、神の物として、愛される圏内に入れなくなったのです。もし、これらのものを、元通りにしない時には、この世界は生きる道をなくしてしまうのです。それは神の愛を捜し求める道がないという結論です。 それで、今日統一教会が記念日とする父母の日、子女の日、万物の日、神の日、この四大名節は、別々にあるべきでなく、一日とされるべきなのであります。アダムとエバが家庭をなして、神の愛を中心とした祝福を受け、神の愛を中心とした血統的直系子女圏内に、入籍するその時間が、これら全ての完成となるのです。その完成は、個人的なものでなく、宇宙的で、世界的なものです。 ロマ書八章の中には、人間が堕落することによって、神の嘆きが始まり、その次には、人間の嘆きと万物の嘆きが生じたことが記してあります。なぜ嘆かなければならなかったのでしょうか。もはや、神は愛を授ける子女をなくし、人間を愛してくれる父母をなくし、万物を愛してくれるべき主人をなくしたからです。 そこで、今日の人間が果たすべき使命について、考えてみましょう。人間を中心とした社会、国家、世界に対してです。この嘆息圏をとり除くことが、人間の使命であるということを、全世界の人々は知らないのです。人類が知らなければ、いずれかの宗教団体が、このような使命を背負って、道を切り開かねばならないのです。その使命を果たすのが、他でもない統一教会であることを、皆さんが良く知っているということです。 神に会う道 さて皆さん、男性と女性に対して、一言言いましょう。それは創造本然の男女ですが。男性は堕落以前のアダムにもどり、女性はエバにもどって、堕落とは関係のない愛をもつことのできる基準を、各自がたてるのです。それが、個性完成の基準につながることを、私達は知っております。今の私達には、そのような位置に到達せしめる環境ができあがっていないのです。 それで皆さんの背後に、世界がかかっております。民族がかかっております。氏族がかかっております。家族がかかっております。皆さんの生活的な事情がかかっているのです。こういう状態に置かれている私達の取るべき道は、何でありましょうか。それは真の愛を求める道であります。そのためには、偽りの愛でもってつくられた環境を押しのけた勝利が必要です。堕落圏を越えない限り、本来の基準に達することができないというのが、堕落人間の行くべき道に対する原理的観念です。 堕落したこの世の中で、真の神を求めようとするならば、堕落圏内にある環境の中では、如何なる条件があったにせよ、自己を肯定してはなりません。その肯定の場では、真なる神に会うことができないからです。完全否定してこそ「真」が生まれるのです。少しでも肯定するならば「真」を見いだすことはできません。これが真の宗教としての基準でもあります。さて、個人における自己否定はできますか。それは仲々できるものではないのです。それを否定するのです。自分の家庭を否定しなければなりません。社会が否定されなければならないし、国家が否定されなければならないのです。 その「否定」であることを、何を以って知ることができるのでしょうか。また何を以って認定を受けるのでしょうか。それは個人的攻撃を受けるようになり、家庭的な攻撃を受けるようになり、氏族からも攻撃され、民族からも、国家から、世界から攻撃をうけるようになり認定されるのです。全宇宙が攻撃してくるかもしれません。それを突き破って進まなければなりません。 真なる宗教を通して、愛の世界をたずねようとする人にとっては、この地上で、愛していたもの、一番重要視していたものが、自分自身を打つ、十字架の対象となることを知って下さい。そのために、二千年前にイエス様も、爆弾的な宣言をしたのです。「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこ娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」とこのように。「地上に平和をもたらすために、わたしが来たと思うな。平和ではなく、剣を投げ込むために来たのである」と。 迫害をのりこえて 聖書には二律背反した言葉が多くでていますが、このように二律背反した宣言をせざるを得なかったことに対して、今日の諸宗教は、何も気付いておりません。その根本を堀り出そうなどとは、考えてもいないのです。さて、このような観点から、宗教が真に行くべき道が何であるかを知ったならば、今日、世界の宗教を信じる団体、または人々のなかで、そのような道を主張するものがあるならば、それこそ神が願われた真なる宗教であるという結論が下せるのです。 この世界をみてみましょう。そのような宗教は、現世において、ただ一つ、統一教会以外にないのです。これは当然なことです。それで皆さん、皆さんはこの世の如何なる男性よりも、神側に立った男性であるということです。それは絶対的に神の御前に近いのです。世界の全ての男性と比較されたとしても、頭角を表わすことのできる自信を持って下さい。女性も同じです。皆さん、そうでしょう。(イエス)公認されるためには、個人的に迫害され、家庭的にも迫害され、全民族からも迫害され、世界的にも、共産党からも、全てからの迫害を受けなければなりません。 それは何年間でしょうか。何年間、それを克服すれば良いのでしょうか。四十年、四十年期間を越えて行かなければなりません。それは、先生をしていうならば、三三年目になります。三三年目! さあ、これからは世界各国から迫害されるでしょう。全世界が、レバレント・ムーンを攻撃するために、ニューヨークタイムズが色々と書きたてたり、ワシントン、ボストンなどの全紙が騒ぎ出して、レバレント・ムーン追放と叫んだりしています。このようなことを神は知っているのです。神は生きておられるのです。背後の力が如何に大きいと言っても、神以上の背後力はないのです。 皆さん、統一教会の皆さん、花のような青春期を迎えてる皆さんの顔は、まるで紅い桃のようで、希望に満ちております。一人ひとりが美男子であり、美女であります。希望の相手を選んで結婚する時期でもあります。ところが、統一教会に入って、先生の話しを聞いてみると、それどころではないのですね。これからも、七、八年以上しごかなくてはならないからには、考えものですね。だから、きょうでも遅くはありません。それを願わない人は、風呂敷包みをもって帰っても良いのですよ。(ノウ) 皆さんも知っている通り、父兄達が立ち上り、ヘルメット姿で拉致事件だと騒ぎました。しかし、もし神のみ旨を愛するなら、連れ戻されることの一、二回がたとえ百回に及んだとしても、皆さんは、ここに帰ってくるでしょう。最高に反対された時には、父兄に連れていかれたという報告が、毎日のように入って来ました。毎日のように。もしあなたがたの両親が皆、連れて帰るなら、それでも良いでしょう。そうして、みんなが連れ帰されたとしても無くなったはずの、その統一教会から皆さんを訪ねて行こうではありませんか。 皆さん、一度連れ戻されてみたいですか。そのようなことがあっても、お父さん、お母さんを拉致してはいけません。たとえ、国全体が刑務所になったとしても、また世界がそうであっても、私達は勝たなければなりません。皆さんも知っていることですが、私は韓国でも、与野党から攻められました。新聞でも、たたかれたのです今にでも押しつぶされてしまったと思ったでしょうがどうでしょうか。死んで、影すらも見えなくなると思っていたにもかかわらず、私はアメリカの全地をかけ廻っているではないですか。 日本に行けば、日本でも大騒ぎします。私が行くところは、天下が騒然とします。その騒ぎがあってこそ、普通の人達と同じにならないでいられるのです。騒がれるから違うのです。もし、神が世の中を見下ろされて、希望をもつとするならば、その騒ぎを起される人に望みをかけるでしょう。 一カ所で平安に住むだけでなく、また愛とか幸福とか、善なる生活とかを論じたり、生命がけで実践したり、あちらこちら、このように一廻りしてみると、これもまた素晴らしいということが分かるのです。そういう訳で、どんなに反対されても、ビクともしないのです。 子を訓練する虎 私達には新しい目的があります。新しい主体としての神がおられます。新しい愛の思想を学びました。愛を中心とした自由と、愛を中心とした幸福、愛を中心とした一つの世界が成就されることを知ったのです。そして、神の愛を受けることのできる息子、娘になれるならば、どんなに良いでしょうか。 では、その神とは一体何ですか。何をもって神と言うのでしょうか。神とは何ですか。神は私達の父です。すると神様のものは、その息子のものであります。私のものです。神のものは、私のものであります。この世界は誰のものですか。このアメリカ大陸はアメリカ国家のものではありません。アメリカの主人は誰でしょうか。神です。アメリカの人々が、国を知っても、神を知ることができないならば、神からみると、これはドロボーと同じです。 私達が主人の息子になったのであれば、堂々とこれを是正してゆき、場を整備して、神の国として、お返しする責任を果たした後、主人としての権威をもつことができます。皆さんは、神の息子、娘になっていますか。(イエス)それは何を証拠にして信じれば良いのでしょうか。 では、世界は誰のものでしょうか。神のものですか。世界が神のものであるならば、世界も私のものであります。この万物も神のものであるならば、それは私のものでもあります。では、世界を廻るには、私がふさわしいでしょうか。墓場に行く日の近い、年寄りを候補者に立てるのが適当ではありません。だからこそ、私の行く所に、青年が必要なってくるのです。花のような青春時代の青々とした青年達のみがふさわしいのです。(イエス) 神が生きているとすれば、世界中の誰にそれを委ねるでしょうか。一番若くて、しっかりした人間を選びたいのであって、残りかすのような、ヒッピーのようなものは、全部ゴミ箱に入れてしまえば良いのです。そのような人々は願いたくないのです。ゴミ箱は、家造りが、全部終った後に、取り出して見れば良いのです。皆さんは若者でしょうか。(イエス)立派な人でしょうか。(イエス)アメリカには自分以上に立派な人がいないと言える位にならなければなりません。それが出来ない人は、ここに入ってきても、もたないのです。 ライオンはその子を、ライオンに育てる責任があります。虎は虎の子が生まれれば、虎に育てる責任があります。(テープ交換)レバレント・ムーンは虎にたとえることができます。私が虎であるとすれば、皆さんを虎の子として育てなければならないと思っています。 アメリカは何故私に反対するのでしょうか。アメリカのどこに行ってでもです。日本も同じです。世界もそうです。前は韓国の政府から反対され、今はアメリカの共産党が私を追放しようとしています。それはなぜでしょうか。それは恐いからではないかと思います。私はそう思います。 私は全人類のために、生命を投げる覚悟をしてきた人間です。刑務所には何度も往き来しました。その訓練は三十年間もしてきたので、まるで隣の家に行って来るようなものです。反対されれば、反対される程、私は若人達の教育に励むのです。子を育てるのです。(拍手)皆さん、世の中に向ってこう叫びましょう「私は神の息子だ」。皆さんは考えるのです「私は神の息子である」と。女性も「私は神の娘である」と。 神を解放する子女 今から何年前になるでしょうか。約二十年前、北韓から南下する時、私の手には何も持っておりませんでした。立派なものではありませんでした。しかし二十年後には、必ずやこの手でもって、アメリカを救い、世界を救うであろうと、今日の私を知っておりました。当時は誰もそれを信じてくれなかったのです。私の心に国があり、私の心に世界があり、私の心に神がおられるのです。 その国は、不正の国でなく正義の国であり、その世界は、不正の世界でなく正義の世界であり、神は全能なる神であります。今日、この世界に多くの人がありますけれども、永遠、または正義の国として見ることはできません。この世界が、永遠に残ることのできる正義の世界として、みることはできません。この世界が信じている宗教の神は、正義の神としてみることができません。私の心と私の手にある神と、国と世界は永遠なるものです。 私は思うのです。このレバレント・ムーンの手が届くところ、物が必要であれば、物をつくり出すのです。人が必要となれば、人をつくりあげるのです。団体が必要であれば、団体をつくるのです。そのような自負心をもっています。真に生き残り、発展できるかどうか、という力の比較において、凌駕できる主体とならなければならないのです。主体に、主体にならなければなりません。 スポーツの世界でみるならば、ボクシングの選手になるためには、全部の相手を倒して、はじめてチャンピオンになれるのです。このハンマーでいうならば、ハンマーの頭の部分になりたいだろうか。柄の部分になりたいだろうか。(ヘッド)何故でしょうか。いつも打たれるのは頭であるのに。ゴツンゴツンなぐられてもいいのですか。(イエス)なぜそうでしょうか。それはそうすることによって、幸福の種が広がっていくからです。これを持って、悪いものを打ちましょう。私達が死ねば、天国に行くのです。神の愛、より高い愛の圏内に抱かれることのできる世界に向かっていくのです。死ぬ事、先生のような人は、死ぬことに対して、既に清算ずみなんです。私が死んだら、皆さんはどこに行くのですか。私が死んだら、そのまま後退するのでしょうか。先生の身代りになって、死の峠を乗り越えていくのでしょうか。それとも……。何の利益になるのでしょうか。こんなことをして。世界をよみがえらせ、ひいては神の怨みを解いて、神を解放できることを知らなければなりません。神の監獄に、愛の監獄に囚われているようなものです。 ここまで考えてくると、レバレント・ムーンの言っていることは、本当かうそかわかりませんが、かっこうのいい話ですね。神が愛の監獄に囚われているとすると、この監獄を誰がぶちこわすのでしょうか。息子、息子、娘以外にはありません。真の息子、娘以外には解放することができないのを、知らなくてはなりません。神はアダムとエバによって、囚われの身となったので、アダムとエバ以上の息子、娘が現われて来ない限り、神の解放ができないのです。それは愛による解放です。わかりましたか。(イエス) 神と人類を解放する結婚 こうしていくと、時間がドンドン過ぎてしまいます。困ったね。さあ、結論を出しましょう。統一教会の男性と女性は、昔堕落したアダムとエバとは違う自分でなければなりません。アダムとエバは過ちを犯した結果、世界の全てをサタン圏内にしてしまったけれども、私達は、サタン圏内をけとばして、勝利した一つの基準以外は、私は悪なる者とは相対せず、善なる神と相対するのであると、主張することができなければなりません。 そうして、神の愛をもった息子、娘として夫婦になった後の私達は、他の人々とは違った生活をするという、そのような家庭的理念をもっているのであり、社会的理念があり、国家的、世界的理念が備えられなければならないのです。すると、結婚は父母が決めた結婚がいいだろうか、自分達で決める結婚がいいのでしょうか。(父母)なぜですか。愛は自分達のものではないからです。愛はどこから来るかと言えば、神から父母を通して来るのです。ですから真なる家庭の伝統も神から父母を通して、受けつがなければなりません。 家庭の夫婦、父母を基準として、その生活と愛と全体を受け継ぐのであるから、父母を通さなければなりません。したがって自由結婚は成立しないという結論になるのです。わかりましたか。(イエス)皆さんは、結婚する時はどのようにしたいのですか。自由結婚をしたければ、きょうでも行って、自由ですよ。好きなように離婚して、好きなようにフリーセックスして。(ノウ)それではどうしますか。合同結婚式ですか。問題が多くて、騒々しくて、悪口をあびる合同結婚式をやるのですか。(イエス)だから、あなた達は気違いだと言われるのです。皆さんが何もしないで、じっとしていれば、私は悪口を聞かなくてもすむのに。皆さんが、そうするから私は悪口を言われるんですよ。仕方がありません。(笑い) さあ、それから統一教会の信者達は、結婚するとしたら、白人は白人同志で、黒人は黒人同志で、黄色人種は黄色人同志ですると、こうなっているんですか。(ノウ)国際結婚ですか。さ(イエス)みんな私よりも立派ですよ。本当にそう思いますか。さあ、そうすると神が本来願われていた、神を中心とした愛の世界、このような原則的基準を、探し求めていく事実を私達は知っているために、世間では何を言おうとも、自分が結婚するのは、自分のためにするのではなく、人類を解放するために結婚するという結論になるのです。 さあ、どうしますか。これは、神の愛を受けることによって、神が少しも余されることなく満ち給うことができるように、夫婦が愛し合うことによって、神の直系の愛が注がれた夫婦からは、世界を支配することのできる息子、娘が生まれるのです。真の夫婦の愛から生まれるのだから、真の息子、娘が生まれるのです。さあ、皆さん、そのような息子、娘を生んでみたいと思いますか(イエス)そうすれば、世界を支配することができます。 真の愛の味 統一教会で祝福された息子、娘は頭がいいのです。どこに行っても、学校でも一番です。(拍手)このように結婚観は違い、社会観が違い、国家観が違うのです。このように全部が違う観とは、一体何観でしょうね。統一教会レバレント・ムーン観ですか。それは神の観です。神の観、神観です。(イエス)みてごらんなさい。レバレント・ムーンも五十歳を過ぎています。いずれは死んで行かなければなりません。しかし、私の語る言葉は、神の観であり、神の思想であるために、永遠に残るでしょう。(拍手) そのために、この世の中は、真を考える次代の後孫が残され、人間が残されているのだから、発展する以外何もないのです。何故でしょう。背後に神がいらして、調整されているからです。根が生きているからです。いかに土が落されていたとしても、春になれば、一度にその根に該当することのできる幹が伸び始め、枝が出て、葉がつき、実を結ぶのと同じであるために、この世の中は、世界は、征服して余りあることでしょう。 それで、統一教会の信者達は神の如く、人類を救おうとするのであり、神の如く、万物を創った主人となって、万物を愛する人間にならなければなりません。神は嘆いたことがありました。神が嘆いたのは、人間を愛せなくなったからです。万物も嘆きました。万物が嘆いたのは、主人たる人の愛をうけなくなったからです。この三段階をうち砕いて、神が愛することのできる息子になり、万物を愛する主人となることによって、結び合っている三大嘆息圏を、一斉に清算してしまおうとするのが、統一教会の正常的路程です。このようにして、皆さんの体と心に残されている嘆息圏をうち砕いた後に、何を与えれば良いのでしょうか。真の愛の味であり、真の愛の道であります。 神と共に、宇宙的愛の感情を体恤することのできる圏内に、導いていくのが、統一教会の使命です。そのために、レバレント・ムーンがアメリカにやってきたのは事実です。しかし、よりによって、皆さんが私の話を聞かなければならないのはなぜでしょうか。世界には、レバレント・ムーン以上に有名な教授がおり、博士もおります。立派な宗教指導者がいないでしょうか。大統領がいないでしょうか。アメリカの国民と言えば、その国民姿勢からしても、世界的に最も指導的な皆さんです。そういう皆さんが、人の話を必要とするでありましょうか。この韓国人のレバレント・ムーンのお話など聞くに及ばないのです。それを皆さんは、なぜ聞くのでしょうか。愛の味を知ったのです。真の愛ですね。(イエス) その愛の味とは、どこで味わうのでしょうか。居心地のよい、このようなビルディングの奥まった部屋で、最高に接待されながら、おいしいものを食べ、素適な布団に寝て、酒に酔うところに、愛があるのではないのです。死が行き来する場において、サタンと接見する、その悲惨なところから、より高い愛が体験されるものと考えるために、統一教会は、自ら悲惨な所を志願していく道であることを、明確に知っておかなければなりません。 皆さん、神がいらっしゃるのであれば、神の真の愛はどこにあるのでしょうか。このアメリカの白亜館でしょうか。そこはアメリカ国民の慕うところであり、往き来するところです。しかし、白亜館ではないのです。悲惨な所、それは売春の巣窟であり、人間地獄の底辺に、神は不幸を取り除くための苦労をされているのです。 さあ、それで「レバレント・ムーンは何故働かないのか、働かないで、立派な家で生活しているじゃないか」というのが、今アメリカの人達から受けている攻撃なんですね。皆さんもそう思いませんか。(ノウ)どうしてですか。皆さんゆうべは寝ていないのでしょう。私は寝たんですよ。それでもいいのですか。又皆さんは一部屋に五人とか三人で生活していますが私は立派な家に住んでいると言われているんですよ。 皆さんは、自由という思想を中心にした教育を受けてきたアメリカの国民です。このような者達を全部一つの目的に進ませようではありませんか。そして苦い味を甘くかえさせるのが、やさしいでしょうか。それとも売る方が簡単でしょうか。商売をしながら夜明かしして働く方が簡単か、仕事をそのようにせざるを得ないと、そのようにするのが簡単でしょうか。どちらがやさしいと思うか、考えてみなさい。アメリカにそのようなことをやる人がいないために、私はここに来て、拾い乞食の役割をするようになったのです。 世界中にそういうことをする人が、一人もいないために、私が統一教会の基準となっているのです。世界が恐れる人間になったんですよ。 伝統的思想 今度、なぐられて死んだ人がいます。その人は、死ぬ時に、「統一教会の先生のいうとおりにしたお陰で、ニューヨークの路上で殺された」と言ったでしょうか。そういう恨みを、そういう見方をしている人は、一人もいないと思います。(イエス)統一教会の信者であるならば、より永く生きながらえて、み旨のために大きく働けなかったことの許しをこう祈りを神に捧げながら、死んでいくはずです。それが統一教会の青年達のあり方であると思います。広い意味で、皆さんもそう思いますか。(イエス) 私がこの道を歩んできて、過去には迫害をうけ、監獄に入れられて、血を吐くなど、ありとあらゆる試練をうけましたが「神よ、私を助けて下さい。私にこういうことはできません」などとは、一度も祈ったことがありません。これが先生のもっている思想です。(拍手)皆さん、それが私達統一教会の伝統です。私達が学んだ神は、愛する息子が苦労するのを知っているために、迫害を受ける時には、事実、神も共に受けておられるということです。ところが、その息子が「お父様、私はなぐられました。くやしくてたまりません」などと言うべきではありませんね。この世を救おうとされている神に対して、そのようなことは許せません。「私は生きております。まだ死なずに、私は生きておりますから、どうか心配しないで下さい」とこういかなくてはなりません。 愛する息子、娘の苦労する姿を見たいと思う父母がいるでしょうか。真の師が、その弟子達に苦労させようとは考えるはずがありません。苦労させるならば、その息子の将来を思って、立派な息子になることを願い、その弟子が立派な弟子とならしめるために、苦労させるようなことがあっても、それを利用するための苦労をさせる人は、真の父母でもなければ、師でもありません。 皆さん、信仰生活の中で、神秘的なこと、霊的なこと、神がいることを生活圏の中で体験しているでしょうか。霊的に、祈りの中で、あるいは夢の中で、先生と常に会って指導を受ける人は手をあげてみて下さい。見てみなさい、百パーセントです。それは私達のみが持っている力であり、私達のみが持っている誇りであり、そしてまた私達のみが持っている宝でもあります。 今までの宗教は、体験的なそういう過程を持たないために、定めがきかず、いつの間にか俗化してしまったのです。統一教会の信者達は、後に立っている神を知っているために、どのような風波と洪水が押し寄せてきても、これを押し分けて進むであろうし、死ぬようなことがあっても、明日に向かっての希望を遺言にして死ねる、そのような男性であり、女性であります。これは実に驚くべきことです。 神をも感動させた歌声 皆さん、今、幸福ですか。(イエス)昨日は全部雨にぬれたままで、夜通し大変でしたね。昨日雨が降ったのは良かったですか、悪かったですか。(ベリーグッド)なぜでしょうか。私は良かったと思っているんですよ。 私は雨が降り出したという報告を聞いても、少しも驚かなかったのです。「神様!御安心下さい」と言って、神を慰めたのですよ。「万一、大会がでなくなれば、ボールルームに於て、もう一度大会のやり直しをします」と言ったのです。「お父様、外的な環境の悪条件にあって、たとえ全員が打ちのめされたとしても、理想と結果に向かって、私はやってみせます」。そうすること三時間、じっとそのままでしたよ。考えてごらんなさい。人間が希望を捨てたら、もうだめなんですよ。何もやれなくなってしまいます。 世界のために尽くし、神のものを解放させ、天下を胸に抱こうというのに、皆さん、どうです。涙を流した人、それ以上の道があるのです。それ以上の道があることを、皆さんは知らなければならないのです。私は涙も何も流しませんでしたよ。皆さんは、泣きながら、「オーマイサンシャイン」を歌ったりして、こういう歌声を聞く時に、神様も感動せざるを得なかったのです。(拍手)https://youtu.be/fQXlglbh3V8?t=328 「ああ、雨が降らなければ、どんなに良かったか」とまだスッキリしない人がありますか。それでは、もしも、もう一度一週間以内に、ヤンキー大会をしましょうと言ったらどうしますか。やりますか。やりませんか。果して満員できるかどうか問題です。自信ありますか。自信のある人、手をあげてごらんなさい。だから、もう仕方がありません、やる必要がないのですよ(笑いと拍手) さあ、今日は万物の日ですね。ここに来られているお客様達は、万物の日が、何なのか分からないと思いますが。誰かが、皆さんを訪ねてきて、いろいろ言ったり、また連れていこうとしたりしたら、皆さんはどうしますか。考えてごらんなさい。平和賞をうけた人とか、ビリーグラハムのような人が、十人、百人来たとしても、皆さんを連れて行くことは出来ません。何故でしょう。それは思想があるからです。 皆さん、お金が必要でしょう。(ノウ)知っているんだね。(笑い)神様とともにいるならば、お金もあるし、権力もあるし、何でもあるということを。レバレント・ムーンは今は、何も持っていませんよ。財布の中にお金が入っているかな。財布もありませんよ。(笑い) 先生は三年間に、アメリカに何千万ドルの財産をつくり、全アメリカを騒がせ、レバレント・ムーン、ゴー・ホームと言わせる位に話題をひきおこしているんですね。それは三年間でなしたことです。このように驚くべき仕事を成し遂げている事実は、私がやっているのではありません。分かりますか(イエス) 私にお金が必要ならば、お金を、私は何でも神様と相談しながらやるのです。人が必要ならば、人の用意ができるように、神様が工作して下さるのです。私は元々目立つことは好きではありません。だら有名になることをとても嫌いました。妨害が多いし、それは仕事に支障が多いのです。ニューヨークではどこに行っても、食堂に行っても、大学の講堂に行っても、レバレント・ムーンと言って知らない人はいないんですよ。(笑い) だから、私はニューヨークに住みたくないんですよ。明日にでも他の国に行ってしまいたいと思うのです。(ノウ)とにかく私がいなくても、皆さんは私の責任を引受けてくれますね。(イエス)ワシントン大会が終ってから、私はアメリカの十年後を預言します。こうこうなるであろうと。そして十年たって、私の言うとおりになるかどうか。その時は、アメリカ人達が入れかわり、立ちかわり訪ねてくるのです。 私は韓国にいた時、韓国の将来がどのようになるかを知っておりました。今から数十年前、十八才の時からです。準備されたそれらの事が、私のいうとおりになっていったのです。日本の今の状態も十年前に預言しました。そのとおりになっていったのです。日本の今の状態も十年前に預言しました。そのとおりになっています。 皆さん、イエスを裏切ったイスラエル民族は、歴史の中で、二千年間国のない民族として遊離し、どの国に行っても踏みにじられ、剣で突き刺されたり悲惨な歴史を背負ってきたのです。あの第二次大戦では、アウシュビッツでは六百万人のユダヤ人が虐殺されたのです。それは、イエス様と一つになれなかった故であったということを知ったならば、それと同じく、キリスト教が、今日神のみ旨で一つになれないとするならば、共産世界になって、六億または六千万とかが虐殺されるのです。 これを誰が責任を持つのでしょうか。それを知っておかなければなりません。そしてアメリカの指導者の人達に、そのことを伝えなければなりません。教会の責任者とか、誰でもにその事を伝えなければなりません。神側から見る時に、そういう時が今後必ずくるというならば、これは誰の責任になるのでしょうか。レバレント・ムーンは責任を負わなければならないのです。私の手で防がなければなりません。 心を一つにして 皆さん、昨日雨が降ったとき、雨の止むのを待つ、皆さんのその心情、暖かく、涙ぐましい、その切なさを感じた時、ありがたく思ったのです。近のみ旨を成すために、神御自身からするならば、人類を救うために、如何なる瞬間においても、忘れることのできないという、それ以上の心情をもって、人類の後を追っていらっしゃるということを、私達はここで気付かなければなりません。 そういう立場で、アメリカで批難をうけても、一九七八年を越せばいいのです。アメリカに今までは、レイバーユニオンというのがあって、国家に協助してきたけれども、これからは左翼の思想をもって、八十パーセントが裏切っていくんですよ。労働組合が、アメリカの政府についていくと思いますか。この共産党のスパイが、そこの要職に何人かが入って、一つになって動き始めると、これは完全に左翼系の方に一遍に向かってしまうのです。 このようなことを考える時、レバレント・ムーンは、この国にとっては絶対的に必要であり、私がいなくてはならないということを私自身が良く知っているけれども、信じてくれないために、一つは、皆さんを何とか説き状せて、これを信じせしめる責任を立て、この責任を負わせるために、あなた達を召命したということを知らなければなりません。 皆さん、ここでヒッピーだった人たち、手をあげてみなさい。ウーン、全部じゃありませんか。九十パーセントだね。こういうことも知らないで、反対父母の会の父母達が反対するんですね。これは共産党が操作しているんです。皆さん、そうなんですよ。だから皆さん、私達は休む時間がないのです。時間がありません。先生はそういう気持ちをもって、生きているのです。一瞬間といえども、一秒間でも、その思いをもって「お父様、どうしましょうか。私には手がなく、足がありません」と。 反対されることに対して、反揆したり、ケンカをしたりしている時間がないのです。ケンカをしている時間がないのです。そうして七八年まで、神側を結束させて、アメリカの指導層の基盤を作り、アメリカ以外国々に影響を及ばさせるのです。そして軍隊を強化しなければなりません。あなた達、それができますか。(イエス) 十年後にアメリカが滅びるとするならば、十年間辛抱しなければなりません。万一、それを知った人がやらなければ、その責任は追求されるのです。それは神様の前で「レバレント・ムーン、責任をもてるか」と言われれば「私が責任を負います。神様!これは私がしなければなりません」。神様が助けて下さるんです。だから問題を起こすことができるのです。 そういうことで、きょう、万物の日を迎えたのですが、より本質的な愛をもって、万物を愛する時、万物はついて廻るのです。(テープ交換)きょう、意義ある万物の日を迎えるにあたり、私達は心を一つにして団結しなければなりません。 今や、私達は本来の神と人間と万物の愛の関係を知っているのです。堕落により切断された、それらの愛の関係と、嘆息圏をとり除き、新しき愛の系統と伝統をたてるその責任を果たすべく、個人が必要であり、一つの家庭、団体、民族、国家、世界にまで発展していこうとするのが、我々統一教会の使命であることを知らなければなりません。 このような内容を確認して、決意して、日々努力するならば、きょこのように万物の日を祝った意義があると思っております。きのうのみなさんは、打撃をうけて、暗い感じで疲れていましたけれども、このように決意して、またこの時間が整理をする時としましょう。(拍手)もうお話してから、二時間すぎてしまいました。そろそろ終りにしなければなりません。 きょうは何ですか。祝賀の日ですね。ヤンキー大会の大勝利の祝賀をするんですね。ヤンキー大会は勝利しましたか、しませんでしたか。神様もきのうは、知らず知らずのうちに涙を流したはずですよ。神様が涙を流すのを見ることができませんけれども、皆さんを通して、心の中で涙を流したことでしょう。君達に同情して、それで神様はきのうよりも、もっと希望にふくらんだその心情をもって出発するきょうは、もっと大きい祝福が準備されていることでしょう。それは当然のことですよ。(拍手) 大きな希望をもって、目を大きく開けて、活動も大々的にやって、今度はニューヨークではなくて、ワシントン、ロスアンゼルス、シカゴでもどこでも私達のいくところでは、旋風をまきおこすのです。(拍手)ワシントン大会を勝利して、大いに祝いましょう。私は、神様が本当にレバレント・ムーンを愛しておられると思っているんですよ。 そして今は、もうワシントン大会五十万名を、どのように集結させるか、それを考えているんです。さあ、ワシントンには八十万人が住んでいます。全体で百二十万人なのに、五十万はむずかしいことです。不可能なことです。そうしようとするならば、どうしますか。せいぜい、どんなにやったとしても、十五万から二十万満たしたならば良い方です。そうしたら、三十万人は自動車で運ばなければなりませんし、飛行機、汽車、自転車で運ばなければなりません。(拍手) そういうことを相当、先生考えましたよ。そして、それを誰がするのでしょうか。神が、私達がやらなければならないでしょう。さあ、そのような深刻な仕事を誰が責任もつのでしょうか。ヤンキースタジアムは五千名だけ集ってもいいというのです。ワシントンです。ワシントンは五十万です。集められますか。(イエス)その秘訣は何でしょうか。神様がその秘訣を教えて下さったんです。 神様は偉大なる神様ですね。雨が降って、ただ雨にぬれて、みんな逃げていくかと思っていたのにユーアヽマイシャインと歌いはじめたんですね。口は歌っているけれども、涙がでて、雨水、涙混って……。雨よやめ、声をだして叫びたい気持ちだったけれども、声をださないだけでした。(笑い)その思いで、みんな完全に統一しましたね。統一です。これを見た時に、神様は「ヤー、私の作戦がよくも見事に的中した」と。(拍手) さあ、それで今度は、もっと大きな贈物を間違いなく下さいますよ。それを間違いなく受けとれますね。受けとることのできる教育の材料を、私達はきのう学びました。それは、雨が降らないように願ったその心を持って、これから、この二カ月間を完走しましょう。間違いありませんね。二十分の間で、そのような教育をすることのできる能力を、神様は持っているのですね。私は「ああ、私の愛する神よ「と感謝祈祷しました。 雨よ降らないでくれという、必情をもって、世の中を愛することができるような場所が、神の心情の場です。分かりますか。神の心情がわかりましたか。(イエス)この数千名が、このような心になったというのは偉大なる賜物です。偉大なる贈物をうけたのですよ。皆さん、その時の心を持って、一生を何かの仕事をする時には、きっと大成功することでしょう。神が協助して下さるのです。 そういうことで、神は統一教会を愛されて、この贈物をニューヨーク市の批判をする人々に与えるよりも、統一教会に与えるべく、そのような時間を下さったのです。本当に感謝です。そういう意味で、今日は大勝利、祝福という言葉がふさわしいのです。 混乱と試練の峠を越えて 次に、一昨日、三日前に語ったように、この三日間は、イエスが十字架上でなくなられて、地獄に行って伝道する三日間に該当する期間です。するとイエス様が十字架でなくなられたのは、霊と肉が別々になったことなのです。半分がみ旨成就して、半分がみ旨成就していないために、このような結果が、この私達の集会にもあり得るという予感があったのです。それで心には「何事かあるであろう」と。その時には、イエス様が祈祷されたと同じく「父よ、父よ、どうして私をお見捨てになったのですか」と祈られる時も、そのイエス様を見捨てず、共に一つになって行くことのできる動きが展開されたのです。 まさにその時、全てが散り、全てが去って、私達は団結して「お父様」と叫び、お父様と一つになれる良いチャンスになったと、先生はみるのです。イエス様が十字架でなくなられた時には、三日間の暗闇があったのですが、統一教会は三分、三十分にならないうちに光明な陽の光が照らしだしたのです。それ希望です。そういうことで、統一教会は混乱と試練の一峠を越えて、勝利の光輝くワシントン大会に向って前進するのです。ワシントン大会は、間違いなく勝利するのです。(拍手) 皆さんが、原理を中心にしてみる時に、縦的な歴史を、横的に展開させて蕩減復帰するという、その原理が公式的に、今度の集会を通して、世界があるいは宇宙的摂理、歴史的摂理、全ての、全体の思いが一致した内外の条件を備えて、私達が会ったという事実は、驚くべき「福」をもたらせる、一つの条件となったということを知らなければなりません。 それから、第三番目に、皆さんの父兄が七百名近く来ており、なおのこと韓国の僑胞達が来ているということです。これは歴史的にみると、カインとアベルがピッタリと同じ立場であるということです。批判的であり、不平をもち、自分の目でもって全部見てきたけれども、この時間だけは一つになりました。これは驚くべき事実です。(拍手)歴史はカイン、アベルの戦いに分立され、これが一つにならなかった事実を、ここでカインとアベルが、内的外的に一つになったということは、世界的勝利であったということを知らなければなりません。 さあ、これを見る時に、韓国は、国が一つになる立場を代表し、君達は家庭が一つになれる代表となったため、これさえ一つになれば、世界を動かすことのできる起源がここで成立しました。世界が新しく出発することができるのです。そうしてこそ原理にかなうのです。 ここに僑胞の皆様方が来ておられますが、壇上から失礼しますが、みんな兄弟のようであるし、家族のようですので、私はお話をします。何のために、このヤンキー大会を、複雑なこういう時に、バンケットをしたり、ヤンキー大会をしたり、ワシントン大会、シカゴとか、ロスアンゼルスとかそういう活動をするのでしょうか。それは韓国の体面をたてるためです。 これを成すことによって、今まで、大韓民国がこのレバレント・ムーンに反対しました。わかりもしないで反対したということを、ここで一つの教訓とするために、そうしたのです。今度は、それが的中したというのです。(僑胞の方方拍手) ワシントン大会勝利をめざして さあ、このようにみ旨を中心に見た時に、アメリカに影響を与えるワシントン大会が私達の前で門を開くことができ、また、イエス様が十字架上でなくなることにより、地上にやり残したみ旨、家庭的分裂全ての分裂を、統一する機運がここから生じ、結合させることができるのです。この事実は偉大な賜物であり、その勝利を大々的に宣布できるということを知っております。それがワシントン大会です。これを合格すれば良いのです。ワシントン市民が、この大会で、韓国僑胞がレバレント・ムーンを思う以上の心情を抱き、また父兄達が一つになって同情したより以上の心情を抱くようにするにはどうするか、その問題が、ワシントン大会を大勝利に導くか否かの、決定的鍵になります。(拍手) 皆さんが雨に打たれ、バンドは演奏できず、そうしたと同じく、ワシントンでもそうするのです。その心情をもって、一つの心を始めから終りまで、もって歩むのです。そうすれば間違いなく、天の祝福を、私達が代表してうけるでしょう。(拍手)そういうことで、悪口を言われても、打たれても、そのままやるのです。そのような心で二十四時間歩む時、ワシントンには大旋風がまきおこるでしょう。このような大会勝利のために、今、私達は新たに決意を固めてワシントンに向かって総進軍するのです。アーメン。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.07
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「新しい宇宙的な春は永遠に繁栄する」1976年4月18日復活祭に 文明の春夏秋冬 春がきた。植物も草も木も昆虫も鳥も動物も春を歓迎している。春がくると何が起こるだろうか。自然においては、あらゆるものが躍動するだろう。春は愛の季節である。鳥は早朝の愛の歌をさえずっている。神もまた、愛の歌、春の歌を歌うことができる春を探し求めている。生命と繁栄のしるしが自然にある。すべてのものがメロディーの中にある。創造主と被造物は同一である。従って、神もまた春のために歌う用意をしている。神は春の歌を歌う位置にあるだろうか。 一日は四つの季節に分けることができる。朝は春を表現し、昼は夏を、夕方は秋を、夜は冬を表現してる。人類の歴史も、また同じ季節的な道をたどっている。人類の歴史は、人間の堕落に起因する悲しみの春から出発した。ついで、エジプトや中国の熱帯文明を伴った、悲しみの夏へと移行した。次に、文明は米国や日本等の国々が栄え、亜熱帯領域へと移動した。これらの近代の文明は、人間の歴史の秋に相当する。秋は収穫の季節である。 寒い季節――文明の冬が近づきつつある。それは、ソ連を中心とする共産主義の脅威である。寒い文明のなかで生き残ることのできるのは、生命の力を内部に宿し、種としての生命の源をもっているものだけである。我々は根をもたねばならぬ。それは神である。根をもった人間は、寒い文明を生き残ことができる。エネルギーをもっている種子は生き残る。種子はそれ自身のなかに、根と枝をもっている。この胚芽は生命の小宇宙である。 冬に成長しつづける常緑の小枝 もしあなたがたが、季節的歴史の計画を本当に理解するならば、冬がその終りでないことを期待しなくてはならない。新しい春がくるだろう。神は歴史の方向を知っているので、春のための人々を準備するため、先駆者を世界に送るだろう。神は長時間にわたって、樹を育てつづけている。 宗教は麻痺状態の崩壊と、破滅の方に向っている。それは、あらかじめ定められた目的に添うものではない。民主主義の危機は、キリスト教の危機によって代表されている。神は常緑の木を望んでいる。神は根である。しかし、今日の宗教の幹は麻痺している。新しい生命のしるしが、そこから生じなければならない。あらゆる寒い天候にもかかわらず、新しいしるしがなければならない。 もし新しい春が宇宙的レベルに達した時、誰がそれを歓迎するであろうか。それはひからびた枝や幹ではなく、その小さな生命のしるしであり、その小さな小枝である。根から生じた小さな枝は常緑であり、冬の間でも成長しつづける。枝は小さいけれども、神なる根に結合してる。 神は宇宙的な春の用意をしようと試みられている。春のために王子と王女を育てている。春が生命をもってくる準備ができた時、神は腐った枝や幹を切り離してしまう。そして根によってもたらされる、全てのエネルギーは常緑の枝に費される。切断は全ての水準、例えば家庭、民族、国家で起こる。しかし一方、この枝は全てのレベルに調和している。統一教会はまだ小さな枝のようであるが、しかし家庭的なレベルより国家的レベルへ成長してきている。今や、それは世界的なレベルへと動きつつある。一度、我々が世界的なレベルを越えたならば、宇宙的春が待機しているのがわかる。春がきた時、雰囲気が自動的に変化するだろう。寒いシベリアの気候にも死にたえるだろう。 今日、共産主義はそれ自身に、大きな亀裂がある。初期の理想的な国際的共産主義はすでに崩壊して、国粋主義となっている。サタンの樹もまた成長している。しかし、その葉は落ちつつあり、その枝は倒れつつある。共産主義の黄金時代は終った。 転機はいつ起こるであろうか。年は一九七六年で、日は六月一日である。一度、我々がヤンキースタジアムできわだった記録を成するならば、自由世界は宇宙的な春に入って、繁栄のための努力をするであろう。我々は、世界中の尊敬と信頼をうけるであろう。神は非常に強力なので、すぐに偉大な樹をもってくるだろう。この常緑樹は、シベリヤの風で固くされているので、春がきたとき早く成長する。我々が自由世界に春をもたらす時、その同じ春が共産主義の冷い文明に、暖かい気候を与えるだろう。 私達をかえた神秘的な力 どこを見ても世界は希望をもっていない。しかし、種子が新しい生命を与えるという希望がある。あなたがたは、冷い気候により固くされている。しかし、内側に燃えている火――生命のしるしがある。春の温度は殻をやぶることができる。その結果、常緑樹は新しい葉を出すだろう。 神が望んでこられた文明は、まだ花咲いていない。御存知のように、神は歴史の喜びを充分に味わっていない。更に、過去の宗教を中心にした過去の文明は、国の限界を越えることができなかった。従って、新しい常緑樹は国際的水準ではじまらなければならない。また、過去の宗教は皮膚の色の障害をのりこえることができなかった。しかし、神は色盲であることを、我々は知っている。 共産主義は唯物論を越えることができなかった。他方、宗教は精神界に中心をおき、物質界にあまり価値をおいていなかった。それらは、両方共一方的であった。しかし、統一教会は、今宇宙を掌握している。いかに我々がはるかに異っているか、考えてみよう。他の者は、その恵みを受けとるために、神を礼拝する。我々は神を自由にしようとしているのである。これが真理であるということを知ったなら、これ以上良い、これ以上高い、そしてこれ以上偉大なものは他にない。 あなた方は、古い自我と比較すると、精神的にも道徳的にも、新しい人間である。あなたの顔は変わらないが、その思想や心は変化してしまっている。それは見ることができないが、あなたの思想を拡げた、その神秘的な力は破壊することができない。あなたがたは、非常に満ちあふれた男性と女性になっている。我々は完全性に関する公式をもっている。あなたがたは、その公式を応用し、拡張さえすれば良い。二十年前、教会の構成員は個人的な水準で働いていた。今や、教会の活動は同じであり、公式も同じである。しかし、領域が拡大してきた。 永遠に繁栄する宇宙的春の文明 アメリカ人は誇り高き人間である。しかし、今やこれらの誇り高きアメリカ人は失われた。彼らは無目的である。もしアメリカ人が新しい希望をみいだすなら、残りの世界は従うことができる。 ヤンキー・スタジアムは巨大な岩を、巨大な湖に落したようなものである。大きな衝撃が中央でできると、波はふちに向って動く。我々の衝撃は、全世界で感じられるであろう。共産国世界でも同様である。神は、その波が動くかどうかをみて、我々を試している。だから三月には、我々に反対する否定的な嵐があった。神は、フランスの爆弾事件のような否定的事件を、たえるに充分強いかどうかをみようと望んでおられる。私は、あなたがたが胆力をもつことを望む。 私は百二十カ国に使節団を派遣した時、私は彼らに「あなたがたは天の種である。あなたがたは拡がらなければならない。そして、繁栄しなければならない。その種子は根を成長させる。そして、根は大地を貫き、そして成長する。彼らは胆力と確信をもっている」と言った。 神は秘かに、宇宙的な春を用意している。その為に、冷い気候からとび出た、一つのグループを用意している。そのグループは生き残ることができるし、新しい文明を世界にもたらすことができる。古代や亜熱帯や共産主義の文明は、判決を下されている。新しい宇宙的な春の文明がきて、永遠に繁栄するであろう。 我々は冬の間、悩んできた。しかし、時がきた。今や春が我々の上に、ほほえみかけている。一九八一年までには、宇宙的な夏がくるだろう。我々が宇宙的な夏に入っていく時、すべての自然は、常緑樹でおおわれるだろう。あなたがたは、その宇宙的な春の歓迎者となることを望,でいますか。 あなたがたの笑いは非常に大きいので、歴史に前例のない喜びを含んでいる。あなたがたは、世界の端から端まで笑うので、神も大笑いをするでしょう。その時、神と人間はお互いにだきしめ合うだろう。太陽の下の全てのものは、春の歌を歌う。自然も、草も、樹々も、昆虫も、鳥も。 春は愛を携えて 春は、愛が私達を訪れることを意味している。何如愛の力が不滅のであろうか。なぜなら、それは二つのものを一つにする。愛は生命をうみだす。愛の力は非常に強く、かつ熱いので、宇宙をとかすことができる。その愛の力は、地球に花咲く春をもたらすだろう。 国や、皮膚の色の境界を越えて、我々は愛の神が主管しておられる。宇宙的な春を迎えるために前進するであろう。宇宙的な春は必ずくる。我々は、その春の先駆者として、神に選ばれたのである。我々は、ヤンキー・スタジアムに向って、春を宣言するために行進する。どんなに喜ばしいことであろう。 ニューヨークは絶望の市である。我々はニューヨークに復活をもたらさなくてはならない。我々は春のための雰囲気を創造する。ヤンキー・スタジアムは、全宇宙に対する春の歓迎宴となるだろう。我々は、最もきわだった春のための歓迎宴をもつことができるだろうか。春はすべての場所を訪れる。あなたがたは、ニューヨークの夫々の通りや、夫々の家を訪問しなくてはいけない。我々はあらゆる場所に、夫々の細道、夫々の街角で、春のしるしを示さなければならない。あなたがたの手をあげなさい。本当に春の先ぶれになることを望んでいる人々よ!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.06
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「生命がけの祝福」(アメリカで家庭を持つ七七七双へ)1976年4月17日ベルベディア 五年間に何をなしたか 七〇年から五年間の期間も過ぎ去ったね。名前だけの妻、名前だけのだんなさんをかかえながらやってきた君たちの姿は、いかに惨めであろうかと。それを考えると先生は罪を犯したという思いがするんだね。 何の為に五年というような一番大事な青春の時期を費してしまったか。何のためか?(み旨のためです)み旨のため?本当かい。(ハイ)その間に何人伝道したか。五年間に何人伝道した?み旨のために尽したというその実績の基準の条件はいったい何だ。本当にだんなさんを愛する。それをさておいて天のみ旨を愛しすすむ、本当に一心に活動したとするならば、その実績は果して満たせるようなものかどうか。そう思ってみた場合に、まあ、五年間に何の実績を持つや。 女の子たちは、先生に追いつめられて、アメリカを相当、見物したろうね。ほうぼう駆けまわり、この世界の中心国家であるアメリカの全州をたいがいまわわったろうね。アメリカはどういう国であるか。みんなわかるだろう。それで五年間に何を残したか。それが問題だよ。伝道、伝道、伝道。一人が毎月一人ずつ蕩減せよ。五年間だったら六〇名だね。その六〇名が五年間のうちに、またう人ずつ伝道したら何百人になったろう。本当に生命がけて七四年までに日本において、最底、五万人の要員を備えなければならなかった。そうすれば日本作戦は問題じゃない。先生は何回も言った。 そして緊急な日本の状態はあとにして、アメリカに出て来て活動して、生命が飛ぶようにね。そういう息がつまるような思いで、本当にみ旨をやったとするならば、今、あんた達の立っているその基準で立つことができるか。実に及ばない。そう思わないの?先生自体もそう思う。 迫害されたんだけど、今この六〇近いこの年齢になって、何を働きかけたのか、恥ずかしくてならない。そういうことを先生はいつも思っている。あんた達はどうだ。まずもってすまないんだね。 天宙復帰問題じゃない。よく日本の若者たつは言ったね。でかい声で言ったんだよ。しかし、そう簡単でないというんだね。簡単でないから自分達が必要である。簡単なことだったらみんながやるんだ。みんながやれば、君たちを必要としないよ。簡単でないから、文先生が必要だよ。簡単でないから統一教会が必要であり、君たちが必要である。簡単でないのに、本当に必要であったかそう思った場合に、これは反省すべきものだ。 まず祝福家庭は、そう思わなきゃいかん。それなのにもかかわらず、家庭をもつようになる。家庭は恐ろしいものだよ。家庭は、イエス様が持たないその家庭自身より以上の基準であって、主体性をもつようなその基準がね、イエス様の家庭でなければならない。イエス様もなしえなかったその基準自分の平面的生涯圏において、迎えられるということは、恐ろしいものだ。全キリスト教を犠牲にしてもそれは得られない。そういうような恐ろしいものだ。 君たちは、自分の妻とか、夫に対して、ああ二人だけで会った場合、気持が悪いとか、なんとか言えるそういう立場ではありませんよ。神自体が今まで、数十万年の歴史を通して、神の願うその祝福の家庭を選んだ。神から見た場合に、恐ろしいことだ。君たちはそんなこと考えないだろう。先生だに四〇年の生涯を迫害に、全てに犠牲をかけて四〇年間の、苦労したあげくに得た家庭の基準なんだよ。その背後には、獄中の生活、拷問の迫害の道、国が排斥するという、誰一人も同情しない、たった一人ぽっちの姿でもって、乗り越えてきた凄まじいその苦しい内容が潜んでいるということだ。簡単ではありませんよ。だからイエス様は死んだ。ユダヤ教が、イスラエル民族が滅びても成し得なかったそういう基準が、家庭基準だというんだね。それ考えたことがあるの。 相対者の顔がよくないから、自分は簡単に切ってしまうような、そういうものではありません。恐ろしいものだ。日本一国を献祭に捧げて、火あぶりしてそれを捧げても、日本民族が願ってそうやっても得られるものではありません。君たちは福は簡単だと思うの。先生は実に恐ろしいものと思うよ。 生命がけの祝福 六〇年代、祝福する聖婚式の時は生命がけで、やったものだよ。神が反対し、教会が反対し、統一教会の十二弟子が反対したのと、まるっきり同じ基台が完全にそろわなければ、復帰する力が立たない。そういう悲惨な立場だ。だから腹を決めて、生命をかけて、結婚というどころではありませんよ。自分の生涯をかけて、生命を捧げる。相対者の為に生命をかけていく。そういうような精神でもって、六〇年代の聖婚式をなしたよ。だから先生から見た場合には、お母様は一八歳だよ。何も知らない。自分が四〇になった男がなぜ、そういう結婚をするや。みんな捨てて、とんでもない方向を求めながら今までずっとお母様を教育してきた。今でもそうだよ。誤まった場合は許さない。それは先生がひっかかりをもちません。一人のだんなさんになるのはむつかしい。一番むずかしい。それは男の権威がある。 お母様は、先生を実に尊敬しているよ。それはもう苦労させたから。実にお母さんはよく知っているよ。それは先生が誰よりもよく祈りもするしね。だからある理想的女性のだんなさんになることは一番むずかしいい。むずかしいものだよ。天下を、そういう力でもって一本でこれを追いかければ、これは簡単なものだけどね。愛情でもって自然屈服して、永遠の理想のだんなさんの基準をもちかかえるということは、一番むずかしいものだよ。 それと反対に、女というものは、エデンの園において、歴史の伝統を犯した、そういうような本人であったことを忘れてはならない。。だから、女はいつも過去の歴史をよければいいししなければならない。それが統一教会の正常の女としての立場だよ。男を見る場合には、批判して見るよりも尊敬して見なければならないのが、過去の灰史の汚点を残した後孫としての女として立つべき位置、使命であると思うんだよ。 そう見た場合に、神の前に五年という期間に実績もなければ、それにまだ男としても、女としても備わっていないよね。みんな統一教会に入む前の男、何も変わっていない。そういう性格からして見た場合、神の心情圏にこれを比べてみた場合に、何も変わっていないそのものが、こういうような時期に立って、それがそのまま、その価値を認めさせるということはいかに恥しいことか。考えてみなきゃならん。 だから祝福家庭、恐ろしいよ。恐ろしいものだよ。祝福家庭。イエス様が血を流し汗を流しながら、迫害のその犠牲になった全たを総合しても得られなかっあ、その復活的理想の家庭として立ったのが、祝福家庭だと思った時、今のキリスト教をやっも得られない。そういうような恵みだったということを深く思わなければならない。 親になる難しさ だからこれは、一身を天に捧げたという思いを持たなければなない。それ捧げる道はいったいどこや。まずって天に捧げる前に、男だったら女に捧げ塀!異論ない。それは二人の男と女がひとつになって、それから世界に捧げ!世界をかかえてこそ、イエス様の勝利圏を乗り越えることができるんだから、その時はじめて神にむかうことができるというのが、それが摂理観だ。そうだろう。イエス様の今までの希望だから。そういう基準から見た場合に、今、我々という立場は、話にならないね。男として生まれたのは、それは女のために生まれたのだ。本当はね。女は自分の存在のはじめは女からはじまったわけではない。女のためじゃない。男のためだ。その男、女は何の為に生まれた。自分のために生まれてきていないよ。宇宙のためだ。宇宙は何で生まれた。神様で生まれた。結局は、神様のためだ。それが人生の行くべき主流だ。その目で見る時には自分を見るのじゃない。男自体は、社会に出た場合には、こういう顔をするんだけど家庭にいた場合は、こういう格好をする。もしも、子供を生んだ場合には女が先生であり、子供が先生だよ。 真の子供のお父さんになるのはむずかしい。だから先生は今はずっと、忙しいからね、今年から、七四年過ぎたからね、時間があれば毎日子供のいる所にいって、キスしたり祈ったりしたよ。そういう路程は続けて来たよ。人並の親みたいに時間をとって、いろいろ周囲の世話してやれる時間はない。しかし親としてはそれはやむを得ない。万民の、君たちの永遠の四位基台の為に、世界の君たちの行く追害の道を、今だにこれを崩すために戦っておるから。そういう意味で今までずっとやってきているんだよ。 だから親はむずかしい。親というのは恐ろしい名前だよ。人の真の親になるという道が今から始まるのだよ。そういうような親になる前に、本当になくてはならない夫婦になる。いくらニューヨークの人、たくさんの人があっても結局、帰れば自分のだんなさん、自分の奥さんに全ての心情をふっかけながら、ニューヨークを得たより以上、天下をより得た以上、神に感謝する以外の道にはね、幸福な道はありませんよ。わかりました?そういう家庭をつくらなきゃならない。だから先生だってそうだよ。先生の子供たちがね、もう、自分の父母がけんかをしたことを見たことがない。先生は、それはお母様に話しかける時にも、子供がいる時には、平然な形で。いくら怒った立場でも怒った親の顔を顔を見せた場合には恥ずかしい。子供が入ってくる前に、何もないような、そういうような訓練もした。だから全世界で一番誇るべき親だ。子供の前に親は大きなこぶしを振りまわす。これではの前に立てません。わかりました? 人の奥さんになると一番むずかしい。よければいいしというその過去を背負う女はね。歴史を、考えてみた場合には今のところはこれは従順で、男に対して神様以上信じるような心情でなければならない。その心情を固めて伝統として残さなければ将来、その家は希望はありませんよ。心情圏を犯した者は誰だ。女だろ。復帰心情において戦闘基盤をつくるのは女でなければならない。そういうような家庭を今から準備しなけりゃならない。 二人共に心情基準が一致し、神の願うような相対完成基準だね。祝福というのは完成だ。神の心情が永遠に、二人の中にとどまる。天下に何ものが変わるといっても、そのものは変わりません。だから時が経てば経つ程、それは根がおりて不動なその実体として、花が咲き、実が実る。わかりました。 ではそういう自信がなかった場合には、修業だ、修業。愛とか何とかそういうこと考えるな。そういう基準にならないで子供を生んだ場合にはどうなるんだ。これは四位基台の乗直線にはなりませんよ。これはね、長さがそれみんな横になているよ。横になった場合にはどうする。真剣なものだよ。愛するとしても、もしも子供をはらんだ場合にはどうするゝ恥ずかしいことだよ。人の妻、人のだんなさんになるのは一番難しい。一時会って別れるのだったら、どうでもいいんだけれど、これは真剣である。真剣で生命をかけなければ、これは通じません。率直、実直な生活をする。 人間は霊力を持っているから堕落するといけません。すぐわかっちゃう。統一教会は霊的な啓示者がおるからみんなだんなさんが何をやるかわかるよ。きょうは何をやったか、だんなさんが、思いきり道々考えるまにみんなわかっちゃうんだよ。これはもう来るんだよ。家におる妻はわかるよ。これはだんなさんもそうだ。そういう神が同情すべき家庭にする。わかりましたね。 アメリカを救う それでは今から問題は何かというと、今までアメリカは天使長国家だよ。日本の女性はエバ国家だね。だからアメリカにおいて教育する。天使長国家を教育する。正しく教育する。そういう意味において犠牲になる。犠牲にならなきゃならない。原理の立場はそうだよ。それで日本なら来たのは女が多いだろ。だから女がアメリカにいて貢献した。先生は男だろ。先生は男であるし、日本の国はエバ国であるし、アダム、エバがひとつになってやってきた。という立場だよ。今だんなさんが来た。だんなさんは何かというと天使長の立場だ。摂理観から見た場合には、どこまでも女が主体者にならなければ君たちの伝統がアメリカの地にいて、伝統が平等基にまで上がるには女が主体者だ。わかりました?男、いやでもしかたないよ。そういうような立場を、条件を立たせても行かなければならない。三ヵ月間ぐらいね。 三年間先頭きってアメリカにおいて活動してきた全ての伝統を受け継ぐには、来ただけで、来た即日に、うけつげられるの。何も内容を知らないで。それは全部受け継げない。それは、女が全てをやっても感謝していく。全てをやってやってやっても、もっとやりたい。自分は苦労したにもかかわらず、もっと自分の全てを捧げて打ち込んで、だんなさまにやりたいという思いがするような基準においてこそ、ひとつになる道があるんであってそれ以外にはありません。 女の子たちをアメリカ食口は知っているよ。ああ、誰々さんのだんなさんが来た。どういう顔をしただんなさんか、みんな関心をもって見てるよ。ああ、ああいう男か。女よりいいなあ。まわりはみんな評価しているよ。心はどうだろう。あの女の子は心は良かったのにゝああ、だんなさんもそうかあ。そうでなかったらかわいそうに。いろいろ考える。望遠で穏れて見ながら。ある者は日記に書いてチェックする者もいる。どうなのか、きのうの表状はどうだと、日記に書く者があるんだよ。君たちに報告しないかもしれないが、先生は聞いているよ。自分なりに、ああいうような顔をした男はああだろう。女一生は不幸だね。そんなこと考えるよ。 伝統の中心基準 統一教会の伝統の中心基準は何かというと祝福家庭。その礎は誰が置くや。君たちが置くというんだね。大変なことになる。君たち何十人を犠牲にしても、アメリカに伝統、家庭基準を立てゝ置かなければならない。先生の使命である。天が願う基準である。これを忘れてはいけません。ここにおいて、けんかして噂された場合には首をかけて死んだ方がいいよ。そういう自信がなかった場合には、ただちに帰れ! 先生を中心としてアメリカ伝統基準をいかにつくるかということだね。そうするとアメリカでは、いろんな家庭がみんな破れかぶれに破れている。ここにおいて正しい標準伝統を立たさなければならない。 先生がおる間はいいんだけれど、二代、三代の時はとんでもないことになる。あんたちが伝統をつくった場合には、ああ、日本人と韓国人、東洋人がこういう伝統だから、それでアメリカに来てこういうことやったのか。ああみんな日本に本当に行ってみないと、韓国に行ってみないと、アジアに行ってみないとわからない。行ってみたいなあ、そういうような神秘有な標準基準を残さなければならないのが、今我々に現実に残された使命なんだよ。わかりました。(ハイ) アメリカに来て伝統ということを忘れないでね。やってもらいたいんだよ。 夜も遅くなって話しかけて、なんとかやって遅くなることもあるだろう。それかと言って、もう遅く起きてすまないような格好しないで、ちゃんと早く起きてみんなに模範を示すんだよ。わかったね。 それからそういう風にやっていくというこを見た場合には、女の子はだんなさんを先生みたいに敬いながら尊敬していく。今からは先生を頼るんじゃないよ。自分のだんなさんを頼りとして先生より以上、天下を治める、そういうような主体的な家庭をつくって、自分を中心として、新しい氏族の先祖だ。いかに天の祝福に立つか、恐ろしいものだよ。 それから、ひとつ先生があなた達に言うのは、先生はずっと今まで子供に対してね、こういう所は補われて生まれてきたらいいなあと、まあ祈りはしないんだけど、心でこう思っておれば、その通り生まれるんだよ。実に不思議だ。それ見て自分の家庭が将来どうなるか。自分の子供たちが生まれるのに平生からずっと見た場合には、自分の家庭がどうなるかすぐわかっちゃう。それは親の心情いかんでによって子供は生まれる。君たちの顔は何でもない。みっともない。みんなとんでもない顔をしておるんだけどね。純粋な本心をもって、神が記憶されるようにたたえるような本性をもって、純粋な心情でひとつになって、神のみ旨にかなう、そういう父母になり、そういう家庭をつくるという思いをもっていきながら、二人共に進んで行く時、りっぱな子が生まれるよ。君たちの運勢の運によって生まれるんじゃなくて、先生を中心とした統一教会の公運によって生まれているんだよ。わかりました? 特にあなたたちは、アメリカでズーと活動したんだから、みんな霊界が、日本の先祖たちが君達を先頭と思うよ。日本で死んでいった日本人の霊人たちはね、、今、君たつを世界的な先頭に立っていると思う。だから君たちは、これは模範的西洋の霊人たちがね、それは尊敬すべきものであるというように認めるように、西洋・東洋の運勢を兼ねた子供が生まれる。天才的な子供が生まれるんだよ。天才だよ。 権進様 先生の一番ちっちゃい子供の権進ね。権進。彼はもう実にすばらしい。一歳にもならないで韓国につれていったのに、二四時間音楽を聞く。音楽をね。一人でずっと歩きながらも音楽の音が聞こえた場合にはね、んんんーんをやるね。(笑)それから、みんな拍子を合わせる。おもしろいことは、手を上げてねお父さんバンザイするんだね。そう見れば、ヤンキースタジアムの大会は大勝利すると先生は考えているよ。子供は霊界に反映されて直告するんだね。みんな子供通して啓示するようなことが起こってくるんだよ。 だから妻を通しても、それが起こってくるんだよ。顔色を見ればすぐわかる。何でもないのに、すっと起こった、その最初の印象。基準があるんだよ。自分たちに見る基準があるんだよ。気持がいいかか悪いかね。それは本人により環境的な気持に追われて。天気がすばらしい場合はみんな気持がいいだろう。曇る時にはね、自然とそれ沈む。そういう表情になると同じように。ずっと見ればそういう所にみんな教えてくれるんだよ。 だから生活環境圏内において一番近い者を通してみんな自分に教えてくれる。子供を通して。それから妻を通してね。それから家族を通して。だからみんな家族は連帯運命を持っている。統一教会のメンバーは先生を中心としてみんな教えてくれるよ。皆の報告をちゃんと聞けば、やっていることみんな出てくる。韓国の内容みんなわかっている。何やっているかね。だから世界は広いとしても、統一教会の運勢は先生と共にずっとつながっている。 先生自体がが、すっと目がさめてくる時の印象、最初の印象。何げなしに印象が入るんだね。子供が泣いたとかね。鳥が鳴いたとか。みんなそれ関連性をもっている。だからそういう生活はね、なぜかというと、人間は象徴的に形状的に実体的に、そういうようか観念でもって関係的に生まれている。関係的にやっていくようになっている。そういう霊的感覚、だからいつも、そういうように主体相対関係を天と共に運命を固めていくということは実にそれは必要だよ。そうするには、生活の態度をどういう風にすればいいか。自分を中心としてはみんな反発する。プラスだプラスになっている。道の前にマイナスとなって神とひとつになってプラスになれる。プラスの基台を自分はつくらないで、プラスのなった場合には反発する。みんなはね返ってしまう。だからどういう生活態度をするか。家庭全ては自分が責任をもつ。だから朝なんか、子供が学校へ行くまでにみんなかかえてね、ほほをつけて可愛がってやる。そういう生活の教育が必要である。そうすれば、その子供の感じいかんによって、その一日がわかるんだよ。すぐ影響する。そういう生活態度をいつも考えなければならない。 だから八時から一二時までだんなさんが外に出て活動するというと、何事かわかるよ。いつも自分の注意すべき考えを、すぐ自分のだんなさんに向けてずっとやって行けばわかる。何げなしに、何事をやるのにも気持がいい。 だから神様に対してもそうだよ。国家的に悲しいことが、そして天ということになれば範囲が広くなる。国家的悪いこととか悲しいこととか嬉しいこととか。そりゃずっと感じる。 相対を研究する 神の心情圏はやっぱり愛を知る。親の愛とか、父母の愛とか、夫婦の愛とか、子供に対する愛情や心情の基準を通じないと、それはもう感じない。そういうことから見た場合には、結婚というものは恐ろしいものだというんだよ。だから朝に夕に標準時計を合わせなければならない。こういう気持でおるかね。それをみんなコントロールしなきゃいかん。それはもう専門的研究をしなきゃならん。事あるときにね。彼女の性格、彼女の体質はどうかすぐわかっちゃうよ。だからいくら秘密を言われてもわかるよ。そこまでくなってしまう。家庭に入る時はどういうような心情でいるか。すぐわかるんだよ。 それから妻を中心として研究していくんだよ。それを考えれば闘ったり、口げんかをしたり、そういうこと自体あった場合には、一〇年間の心情圏が飛んでしまう。一番恐ろしいものだ。言葉一つまちがえば、先生は七ケ月間も苦労したことがある。言葉は恐ろしいものだ。だからいいかげんに遊び言葉も言われないんだね。そういう真剣なものだよ。そういうような心情圏を今からつくらはければならない。完成というものは心情圏につながるものだよ。心情圏に立つものである。言葉ひとつでもって、一生が行ったり来たりする。無責任に吐き出した言葉ひとつでもって一生涯を誤ってしまう。いくらでもかるよ。男が一言、こういった場合には女に永遠に忘れないトゲとして打ち込まれるよ。ああ、あの男はあんなことを言ったと。そういいやすいんだよ。だから尊いものは尊く扱わなければならないゝいいかげんじゃない。 そういう面でアメリカの伝統を立たすように努力してもらいたい。わかりましたね。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.06
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[21.09.05] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2021/09/05 09:40に公開予定予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 今日の「平和ヌリ」映像最後のお知らせでもありましたが、36家庭のイ・ジェソク(第13〜16代の韓国宗教協議会長・世界平和統一家庭連合会長)氏 が5日朝、聖和されたとのことです。謹んで哀悼の意を表します。【訃報】イ・ジェソク前韓国宗教協議会長聖和▲이재석(제13∼16대 한국종교협의회장·전 세계평화통일가정연합 협회장)씨 성화, 강정원(전 한국종교여성협의회장)씨 남편상, 이진영씨 부친상 = 5일 오전 9시40분 서울아산병원 발인 7일 오전 5시40분 (02)3010-2000
2021.09.05
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PeaceTVホームページ からです。http://www.ipeacetv.com/vod/edition_view.asp?mId=B10&sId=302&page=1また、「文鮮明天地人真の父母天宙聖和9周年記念」の9月度の主要行事日程は以下です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.05
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「統一式のみことば」1976年1月31日韓国・ソウル本部教会 歴史的な年 皆様がよく知っているように一九七六年というのは歴史的な年である。昨年のヨイド大会は国家的に、統一教会が霊的国家的基盤を整え、実体的国家基準を立てる年であった。それは何かというと、イエス様が十字架上で亡くなったことによって、ユダヤ国家とユダヤ教が一つになることができなかった、これを蕩減復帰する、歴史的な期間である。当時、ユダヤ教徒と政府が一つになってイエス様を追い込んだ。 昨年、どのようなことが起きたかというと、統一教会と政府が一つになって既成教会を追い込んだのである。逆になってしまった。そして、六十カ国の統一教会の食口たちが来たということは、世界の数多くの国家を代表して、横的な国家の立場から見ると、民主世界は霊的なキリスト教の使命であり、霊的な世界基盤を中心としたその土台の上におくためで、(それで)国際機動隊(IOWC)を編成したのである。 だから、西欧の人たちがここに来たという事実は、霊的な西欧世界の、キリスト教全体の勝利的基盤を持ち込むことによって、アジア諸国に来ていた数多くの霊人たち、あるいはキリスト教で犠牲になった数多くの霊人たちが、今まで一つになろうとしても一つになり得なかったことを、私たちがあのような行事をすることによって、アジアと西欧文化圏がここで一つになり得る、契機となったのである。それが一つになることによって、今までアジア地域で自分の国の主権のために忠誠を尽くしてきたすべての善なる霊人たちと、今まで西欧社会の文化圏を中心として善なることを行ったすべての霊人たちに、接触し得る時が生まれたのである。 韓国という国は、世界を代表した歴史的蕩減条件を立てた国であるために、全世界を代表する一つの統一的な教えを立てておかなければならない。韓国が、霊でもって一つになるという事実は、これは西欧の文明圏とアジア文明圏が一つになると同時に、キリスト教と、今日の統一教会が一つになることである。言い換えれば、キリスト教世界にある霊的世界の土台が、今日韓国の統一教会を中心として、霊的基準を中心として世界まで連結させなければならないし、その霊的基準を中心として世界に連結された、この世界のキリスト教におけるすべての恵みを再び持ち込んで韓国で肉的基盤を連結させなければ、肉的に世界へ行く道がないのである。 そのようなことを決定する大会がヨイド大会である。これは歴史的な行事であった。やって来た人々は自分たちの力でやって来たのではない。すべての霊界が動員されて、自分も知らずにやって来たのである。こうすることによって、韓国の歴史にない記録を作り出した。また世界の集会の歴史にない、記録を出したのである。このような事実は、国家を中心として、一つの基本に沿って超えていく時を意味している。そのため、その条件をもって私が米国に行って、三年目に入って、今年、非常に言論界が攻撃してきた。しかし、四月までには峠を越えるということを私は知っていたため、四月からは我々のほうが攻勢をとるのである。また有り難いことには、共産党たちの、「レバレンド・ムーンは洗脳している」という非難がすべて却下されたということである。 その事実が法廷で問題となって、みな、刑を受けるようになり、向こうが完全に追われるようになったのである。米国の全言論界は、ニクソンの時から反対してきたし、「幹部たちが来て、アメリカ全体を追いまくる」と言って追い出そうとする。そこには狡{こう}猾{かつ}なものがある。 自分たちが今まで西欧文明を中心として、四〇〇年の歴史的伝統を立てて豊かに生活しているのにとんでもない人が現れて、若い人たちを集めていると訴えているのである。私たちから見ればそれは犠牲であるが、彼らから見れば訴え出る内容に見えるのである。しかし私たち食口の考えは、自分一人犠牲にして世界を生かすのが目的である。この世の人たちが見れば、自分自身の生活のためにでも八時間忠実に働いたりすれば、その人を褒めたりするが、私たちがこの世の人たちと同じようにしていたら、どうして国を救うことができようか。「それ以上やらなければならない」というのが理論的に成り立つのである。 自分のために八時間働き得るそのような人たちよりも、私たちは他人のためにそれ以上しなければならない。人のために、世界のために、それ以上やらねばならないのである。これが我々の観点である。このような観点を彼らは理解できない。それゆえ、朝早く起きて、夜十二時、一時に帰ってくる。このようなことは、米国の社会から見れば、それこそ酷使である。これらのことを彼らは想像することができない。いくら研究しても研究しきれない。調べても分からない。(彼らは)共産党がアメリカを手に入れるために、レバレンド・ムーンを立てて、協助するのだと思っていた。それで、CIAを立てていくら調べても分からない。レバレンド・ムーンが勝共活動をしていなかったら大変なことになったであろう。勝共活動をして、韓国とアジアにおいて反共主義者としては第一人者である、という烙印が押されているため、それを無視することはできない。 このように、今までに、私の所に夜来て、写真を撮っていったり、あらゆることをしてきたのである。ある時は尋ねて来て、捕まえようとしたこともあった。これはFBIの人々の仕業である。 この前、金公使の所にCIAの責任者が尋ねて来て、聞いたことがあるそうだ。「本当にレバレンド・ムーンは、どういう人か分かりませんね。お金を使っているのを見ると、韓国政府がお金をくれる以外は、お金がどこから出るか分からない。共産党であるはずがないから、あなた方政府しか道がないのに不思議でならない。これはどうなっていることか」。その時、金公使の答えが非常に傑作だったのである。さあ! 聞いてみなさい。 「韓国大使館の費用が年間三〇〇万ドルである。これはあなたたちがよく知っている。しかしレバレンド・ムーンが使っているお金は、一年に何千万ドルである。そうだとしたらどのような主権国家が、自分の公式的な大使館をさておいて、個人を立ててその相手国を料理するために何十倍、何百倍の金を支援するか、そのような国があるだろうか」と。そう言ったら、「あ! 分かりました」と。 それゆえ、私に対して、非常な関心をもっているのである。だからあらゆることを問題視して、条件さえあれば引っ掛けようとするのであるが、思想的に見ても共産党でないし、宗教の立場からもキリスト教の立場で、私が指導的な立場であるし、いかなる条件にも引っ掛けようとしてもできないのである。 ヤンキー大会 これはみな、神が時を合わせるための摂理である。これは、世界的な中心国家がアメリカであるために、霊的なキリスト教文化圏にいるにはいるけれど、我々が昨年三年路程において勝利の基盤を収め、霊的基盤のキリスト教と統一教会が連結された。このようなことを成したために、霊的な土台は、民主世界やキリスト教がどれほど騒いでも、主権は我々が握っているのである。その基盤の上に、韓国においての国家的基準、霊肉を中心とした実体的基準を立てたのが、三年路程における米国全土においての摂理であり、このような基準を立てるべく、七六年、七七年、七八年四月まで、私たちが四月から始めてその時までに、米国は必ず先生を中心として大混乱の渦の中に入る。そして問題は二年目から峠を下るようになることである。イエス様が十字架にかかるようになったのは、二年目の時から食い違って、逆になってしまったためである。しかし今日、(私たちは)二年から反対になって、さかのぼっていくのである。そのために七五年から七七年まで、この三年期間は何かというと、霊的な勝利の基盤の上に、世界的勝利の基準の上に、肉的な勝利の基盤を連結させる時なのである。それはヨイド大会において、霊肉を中心とした国家基準の勝利の条件を立てたためである。それゆえに可能なのである。 私たちをいくら打ってきても、勝利できないというような、原理的な絶対なる権限を私は知っているため、気を大きくもって闘っているのである。それでヤンキー・スタジアムを中心として、大きな闘いが始まるのである。 統一の群れは全部出てくる。中にはいろいろな人もいるでしょう。その過程の中においては、ワシントン大会まで、それがマジソン大会を中心として第二次戦であり、この基準さえ越えれば、次のワシントン大会が終わる日には歴史的な転換点になるのである。 今、みな敵は落胆していて、「レバレンド・ムーンは何者か」とか言っている。自分たちが不利な立場に追われることが確かであるから、テロしようとするのである。パリの統一教会をテロしたのと同じように。そのような現象が、アメリカにおいても起こり得るのである。ベルベディアを爆撃するといって、消防署や警察を動員して、相談したりした。パリでのあの事件は、既成教会と共産党が野合してやったということを、ニューヨーク・タイムズが正式に報道したので、今は、共産党が背後にいるということを私たちが白昼に宣伝しても、アメリカの国民は反対できなくなってきた。 このような有利な条件を中心として越えていくのである。そしてこの統一式を越えておけば、これからは個人より家庭より氏族、民族、国家、世界まで一つの統一の境界線(個人、家庭、氏族、民族、国家)が始まる。分かりましたか? 今までそのような式は、なかったのです。全部がさかのぼっていく式はしたが、個人的に横的に、統一戦線を中心として、一つの分水嶺をつくる式はなかったのです。このような歴史的転換式を一九七六年に、統一教会が国家的蕩減の峠を越えて、世界的な恵みをかき集めて、することができたということは、これから統一教会は、永遠に勝利し得る決定的な次元へと越えていくということを、皆さんは知らなければなりません。 新しい時代 年頭の辞において、思想を統一しなければならないと発表した。このようなことを土台として、教授アカデミーから、韓国の著名な人たちは、統一教会の統一思想が偉大であるということを、今や分かるようになってきた。そのため、思想武装をする教育を、内務部と情報部でやっていたが、結局は、彼らが一つとなって、私たちに依頼してきているのである。 その成果が、教育を受けた九八パーセントが「この教育は挙国的な国民教育として展開しなければならない」と、このように見るとき、間違いなくこの国は、新しい思想を中心として武装しなければならないし、新しい次元を結成することのできる基盤をつくっていかなければならない、という結論になり、すべてが内外共に一致してくるのである。 このような時であることを、皆さんは知ってください。これから何が始まるかというと、私たちの教会自体が、先生の家庭を中心として見ても、最後に行く道は原理の道しかない。今までは複雑な道を歩んできたが、原則的な基準を中心として、収拾していかなければならない。それで、今度は崔元福先生は連れてこなかった。今度からは、できるだけ家庭を中心として収拾する時である。内的、外的、家庭において、いろんな問題がある。子供たちを中心としていろんな教育問題等を解決しなければならない。今までは前線で闘ってきたが、これからは母が前線に立たなければならない時である。そして内外共に秩序をつけなければならない。今までは秩序を整えることができなかったのである。今までは場を定めることができなかった。なぜ、場を定めることができなかったのか? いくら一個人が場を定めたとしても、堕落しなかったアダムの場というのは、世界史的な場である。 国家を越えて、この中に世界的基盤を定めることのできる蕩減条件を立てずには、個人の場を定めることができない。それが原理なのである。そのために、その意味からして、ただ場を定めようとしてもできない。世界史的な蕩減条件を立てなければならないために、そのような行事を今までやってきたのである。今ではその条件を立てたために、個人から場を定め始められ、家庭も位置づけられ、氏族を中心とし、民族を中心とし、世界を中心として位置づけられる段階へと行かなければならないのである。 統一式 統一というのは何か、これまではカインがアベルを打ってきた。悪が善を攻撃してきたのであるが、今からはそのような時は去っていくのである。善が悪を打つが、悪は善を打つことはできない。これの交換する歴史的な日が、今日であることを皆さんは知らなければならない。それでこの式を統一式というのである。分かりましたか? (はい)。 統一教会の食口は、これからは、心と体を中心として見る時、いつも公的な思想の前においては、心の基準の前に、体は完全に一つにならなければならない。これが問題である。それがなされていないのである。心で願うその目的を中心として、体はいつも動揺することなく、一つにならなければならない。いかに難しい環境だとしても、その難しい環境を中心としての目標は、心と体を中心とした目標と変わりがない。先生はいくら悲惨な立場におかれたとしても、その悲惨な立場を克服して成してきたし、そのような思想をもって成してきたのである。そこには少しの動揺もなかった。 それと同じく、皆様は、心を中心として神のみ旨、神の摂理世界、神の創造理想、そういったことを中心として、体はどんな犠牲を払ったとしても、一致化させるのに、喜んで甘受できるこのような人にならなければいけない。ここには讒訴はない。これに反する時、必ず病気になるか蕩減を受けるようになる。だから心を中心として体が一つにならなければならない。そのようにして一つになった男性と女性が家庭を中心として、家庭を中心とするというのは、男性女性が愛するのもその愛は創造理想を中心として愛さなければならない。男性(夫)を愛するとか、女性(妻)を愛するとかという愛は、どこに帰結されなければならないかといえば、自分たちだけの愛で帰結されるのではなく、創造理想の愛を中心として一つにならなければならない。 創造理想の愛とは、神を中心とした愛なのである。これと一つにならなければならない。このようにして夫婦が一つになって、創造理想の愛をもって愛さなければならない。縦的愛の圏内に立体的な、横的な愛の圏内に縦的な愛が成立して、それで初めて真なる父母の立場が形成される。それから子女は分立しても分立し得ない立場に立つ。分立しては必ず、彼ら自らが蕩減を受けるようになる。そのために、父母を中心として必ず子女が一つにならなければならない。子女を中心としてカイン、アベルのように、兄はカイン的立場で弟を打ってきたのである。 神を中心として、父母を中心として父母の前に孝行する、み旨の前に兄弟は一つになり得る教育をし、見本とならなければならない。そうするためには、父母たちが教育しなければならない。今まで子女たちは、学校で教育したのだけれども、これからは父母が教育しなければならない。父と母が一つとなって見本を見せることによって、子供たちは兄弟間においてもその見本にならって、男性はこう生きなければならないという、女性はこのように大切にしなければならないという、そのような伝統を立てて、新しい家庭をつくらなければならない。 そのような家庭を中心として、すべての周り近所の見本になるし、自分の親戚全体の見本になる。そうすることによって一つの統一圏が始まるのである。なぜこうなるかといえば、内容を追求するようになれば、統一教会を信じ、神の創造理想的愛を中心として生活し、家庭をつくるからである。このようになれば、自然に近所の人々がその家に集まり、相談に来るようになり、そして親戚全体も何か事があれば、すべて相談しに集まってくるようになる。すべてが一つになる。 私たちはこのごろ超教派運動をしているが、牧師が原理の話を聞いて、自分も知らずに、心の中のすべてをほどくようになる。それと同じように、自然に一つの愛の圏が始まれば、自分のすべてが順応し、自分のすべてが順応化しようと思えば、自分のすべてをほどいておかなければならない。ほどいておくことによって一つになり得るので、我れ知らず、すべてを明らかにするのである。それは家庭を中心としてその周り近所、親戚たちが一つになり得ることができ、彼らの秘密を全部聞いて、それを解いてあげるのである。秘密を知って、秘密を中心として彼らを善の方向に指導する時、信頼されるようになる。 このようにして、氏族、民族が一つになり得るのである。金さんだったら、金氏の氏族が一つになって金氏の氏族が良くなるというのは、民族が良くなることである。数多くの民族が一つにならなければならない。その民族というのは何かというと、横的な国であるから主権を代身する。必ず祖国的決着点をつくらなければならない。氏族と民族の祖国的決着点が何かといえば、主権なのである。これは神の身代わりを形成する。これは必ず神を代表した主権を中心として、一つの、神の国となる国を形成しなければならないのである。それがアダム、エバの行く道であった。堕落して世界的な蕩減を残してきたので、仕方なく、世界のある国が再び蕩減して結実させなければならない。私たちが蕩減の道を行くのに副作用が多く、ここに蕩減の行事が始まるのである。 国家が息子の立場において一つになり得るそういう国家が始まるとしたらどうなるかといえば、国家の蕩減を全部受けるようになるのである。さらに北韓、共産主義というのが出てきたために、今韓国において二つの国が完全に一つになって、イスラエルの国家形態をもったとするならば、世界的な国家を支配することができる。なぜならば、共産主義の一線にいる国家、額を合わせて戦っている国家において、ここで共産主義を凌{りよ}駕{が}し得る主義が出たならば、それは世界的なものである。そのために、共産主義の嫌いな民主世界は、どんな国であろうともこの主義を、この国の思想を全部見習わなければならない。共産主義に対する一つの防波堤になっているからである。そうすることによって、サタンに対してまでも、「君(共産主義者)によって道を備えるのに助けになったので、許してあげよう」という条件が成立するのである。 全民族、全人類、全主義を越えて、人類を救援しようとする神の国の摂理をうかがうことができる。統一教会だとして、私たちが勝共活動をしないで、統一教会のことばかりやれば何の問題もない。反共という理論をもって出てきたが、国家が共産党の脅威を受けているので、私たちが主導的な基盤を整えて行けば、国家と一つになることができるし、一方では共産主義が私たちに対して攻撃する。 勝利の時 打ち倒したいのは政府ではなく、私なのである。こうなることによって国民は自然に結束されてくるのであり、主権も一つになるこの段階に入ってくるのである。私が、今年の四月まで一回り(韓国、日本、アメリカ)する時には、必ずアジア圏内までも拡大できる、良い時代になってくる。どんなことが起こるか見てみなくては。摂理的観点から見ると、四月までが一つの峠なのである。一次年度(機動隊の活動)は四月まで、我々の第二次の機動隊の活動は四月からである。一年が過ぎたら国家にもアジアにも変動が起こる。 このような時代に、神の前に有終の美をなし、治めるために、このような式がどれほど重要であるかを知らなければならない。三十六家庭から、七十二家庭、一二〇家庭、これが一つのチームである。分家をおくことはできない。三十六家庭は歴史の歴代祖先をいい、そして七十二家庭は子供たち、息子、娘をいうのである。そして一二〇家庭は何かといえば、世界の国家、カイン圏をいい、十二支派をいうのである。世界的分派である。そうなると祖先とカイン、アベルが一つになり十二支派が一つになるのである。これが復帰歴史である。復帰歴史がどこにあるかといえば、父母が一つになってカイン、アベルの悪い息子たちを、本来の神の息子として娘として一つにならしめ、七十二家庭は三十六家庭のカイン、アベルの型である。だから一つにならなければならない。そうなったとしても、家庭が一つになったのであって、家庭が一つになったとしても世界的横的基盤がないのである。十二支派のようなものを世界へと広めたものが一二〇門徒なのである。七十二門徒、一二〇門徒、これは世界的な拡大型である。その基準を蕩減するのである。きょうはここに三十六家庭も七十二家庭も来ているが、三十六家庭は祖先であり七十二家庭はカイン、アベルの型であり、これが闘ったためにみ旨が一つにならなかった。だからこれが一つにならなければならない。七十二家庭は三十六家庭と一つにならなければならない。カイン、アベルの型である。祖先を中心としてカイン、アベルが一つになることは十二支派が一つになることである。 イエスを中心として見ても七十二門徒が一つになり、イエスを中心として蕩減復帰して、十二支派の中で代表を立てて、そこで祖先を立て、七十二門徒、一二〇門徒を中心として初めて一つの条件を立てて越えていく。これができずして失敗したのである。蕩減条件においてこの三段階をつくって越えていくことができるのである。そのために、きょうここに一二〇家庭が出席するようになったのである。そして韓国において九カ地区はそれは世界の代表である。 この地の代表である地区長たちは族長を代表したのである。九カ地区というのは国であり、国と世界の代表、この地の代表であり、地区長というのは族長のようなものであり、そのためにこのような一つの形態が、この場、韓国の一角ベランダでの式であり、韓国の本部の二階でする式であるが、その意味は世界的な式である。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界まで境界線がある。 今まで家庭だとしても境界線が見えなかったが、これからは直線上になされなければならない。それが直線上になされる時、私たちは勝利的になるであろう。そのような意義をもった式であり、統一教会において最も貴重な式なのである。 このたび、本当は孝進様と誉進様を連れて式をしようとしたが、学校があって仕方なく、権進様とやって来た。 子女様の運勢 孝進というのは、孝行することによって祝福家庭が勝利するのである。興進の「興」はさかえ、顕進の「顕」はあらわれるという意味である。祝福を受けて初めてあらわれるという。国進様はどこで現れるかといえば国に現れる。国進様はそのような責任がある。権進様は国に現れて権勢をもたらし、統一教会の権進様は、権勢をもたらしてくれる。 そのために生まれてからみな、それぞれ違うのである。生まれて十七日ぶりに笑ったりして、みんな他の人と違う。抱くようになれば、普通の子供たちは喜ぶが絶対にそうしない。抱き始めたらずーっと抱かねばならない。すべてが違う。それが非常に不思議である。そのように賢い。そのように統一教会は権進様と共に押し進めていくのである。摂理史的なことが名前と共に一致するために、その名前が権進というのであり、権進様が米国で出生されたから米国を代表するのであり、アメリカの市民権をもっているために、アメリカを代表した立場であり、これが全部韓国に連結されるのである。それでこのたび権進様を連れてきたのである。 そして、家庭において、社会、国において一つになり得る、一致し得る、統一の群れであり、統一の国と統一の世界と一つの目的を中心として、変わりない皆さんにならなくては、これからは蕩減を受けるであろう。 皆さんが蕩減を受けるには三段階がある。物質的に苦しいとか、子供が病気をするとか、あるいは自分が病気になるとか、これが蕩減法である。旧約時代は供え物で蕩減をした。新約時代においては子女でもって蕩減した。息子、娘、子女を通して蕩減したし、成約時代においては父母を通して蕩減した。そのような現象からである。だから皆さんの体を打ったり物質的な苦労を受けたりする。家庭をみ旨に合わさなければならない、そうでなければ、子供たちが蕩減するのである。それでも聞かない時には打ってくる。その時、悔い改めなかったら、打たれるのである。蘇生、長成、完成級において悔い改めないで打たれたら、それは最後である。蕩減法がこのようになっている。 それを知って、皆さんは心と体が一つになって、家庭が一つになり、教会、国、世界が一つになり、個人を犠牲にしても家庭が一つになることが天倫である。善なる道理が行く道である。家庭を犠牲にしても親戚を救おうとすれば、親戚を救う道に行かなければならない。今までと違うのである。 国家を犠牲にしても自分がよければいいし、親戚を犠牲にしても自分がよければいいし、妻を犠牲にしても夫がよければいいし、そういうこととは全く反対なのである。私を犠牲にしても夫を生かさなければならないし、家庭のために夫婦が犠牲になり、私たちは氏族のために犠牲になり、氏族は民族のために、民族は国家、国家は世界のために犠牲になる。そのために、韓国がこれから神の国の祝福を受ける国になるには、世界の国家の息子の立場に立って世界のために犠牲になる伝統を立てるようにする。そうなれば永遠に滅びないのである。今までとは全く反対である。今、すべての国家は、自分の国を中心として、アメリカであろうがあらゆる国を利用しているのである。今までと反対でしょう? これから神の国は反対なのである。いかなる国が犠牲になった以上に、世界の幸福のために神の国のために、どんな反対があったとしても神が願う世界のためには、その国を犠牲にさせる。世界国家のために犠牲にすることによって、結局指導的国家にしようというのである。それでもって歴史的な伝統と業績を残す。どのような実績を残すかといえば、犠牲精神による実績のみが、今日堕落した世界においては、よき実績だけが残るのである。 そうじゃないか? そうでしょう。そのような人々が聖人であり、そのような人々が歴史的人物、中心として、功労者として残されてきたのである。そのための犠牲というのは、そこには一理がある。必ず、犠牲になることによって人のために与えるということは何かといえば、再創造するのに神様自体を消耗させる、そのような立場と一致するのである。私を投入するということは、第二の自分をつくるためのものであり、神様が自分を投入して再創造したと同じように、再創造の歴史が復帰路程において蕩減されるのである。蕩減は再創造の力を投入するところにおいてのみ、始まる。再創造の歴史が始まるには、やむを得ないという結論である。結論は理論的に出る。先生自身もそうなのである。 犠牲の道は公式路程 韓国の統一教会の文先生が来ると、韓国のお金をかき集めて、韓国を犠牲にさせてアメリカに持っていく。アメリカはお金持ちで豊かな国であるけれども、韓国と日本を犠牲にしてアメリカを救うというのは、再創造の歴史である。そしてすべてを投入するのである。真に私がすべてを投入したのである。神がアダム、エバを創造してすべてを投入したのであり、そこには天使長も投入したのであり、万物も投入し、自分の精神すべてを投入したのである。全体を投入するのが再創造である。 そのために韓国が、神の前に全体を投入して、行く道を開くのである。そのような国は決して滅びないであろう。必ず味方する国があって、韓国が祝福を受け、栄えるようになるため、その国が行く道をみんなついてくるようになる。そのために復帰の道、統一の原則は蕩減路程においてのみあるのである。自分を犠牲せずしてはなされないのである。そうするためには心と体を中心として、たとえ体を中心として心が犠牲になったとしても、いかにしてでも心と一つにさせる努力をしなければならない。体に苦痛があったとしても、心を慰めながら苦難を乗り越えて、行かなければならないのである。その公式と原理は一致するのである。個人、家庭を中心として氏族、民族、国家、世界、また霊界と地上世界もやはり同じである。この道を行くための公式的な路程が原理である。個人は家庭のため、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界のために、世界は天と地のために、天と地は神のために、そうすることによって神が精誠を尽くした実を収めることができる。これが理論的になっている。そのため、神の道はこのようである。それでは、主人は誰になるか、種を蒔{ま}いて収穫する人が主人になる。主人は一人である。霊界がそれと同じである。秋に、豊年になって収める時喜ぶのは種を蒔いた人である。天倫がこうなっている。そうするためには精誠をもって蒔き、精誠をもって収めなければならない。 これが一つの完成を成す土台となる。これが原理である。創造理想というのは、神が真心で植えた理想を真心で収めなければならない。それが創造の理想、原理である。世界的に収める。それが創造理想完成である。 皆さんが統一というのは、皆さん自身がその分野まで自分自身がやっているかを自ら問う必要がある。自分自身がよく知っている。知らないといったらうそになる。自分が本物であるかどうか知っている。知っているために発展するのである。知らなかったら発展することができない。良心がすべてを知っている。今、自分たちの夫婦が本当に原理の立場に立てっている夫婦なのかどうか、夫も知っているし、妻も知っている。また父母が子女に責任を追求する時、原理的に主管しているかどうかをみな知っている。そして、その家庭が氏族を代表して責任を果たしているかどうかみな知っている。知っているがゆえに実践することができる。実践することによって神の恵みを受けることができると、みんな教えてくれるのと同じである。教えてあげたにもかかわらず実践できなかったら責任を追求される。それが天法である。良心というのがあって皆さんが知らないという時には、霊界において教えてくれるのである。 努力すれば発展 このような過程を経て、家庭、教会、国、世界、霊界が一つになるこのような道が、今まで開かれなかったのである。個人がいくら完成しても、家庭がいくら完成しても、世界の基準が開かれるまでは保留される。それが霊界の立場である。その家庭がいくら忠誠を尽くし、精誠を尽くしたとしても氏族、民族、国家を通して世界史的な立場において道が開かなかったため、個人の完成した立場において、その道は保留されたのである。霊界において理想的生活ができないというのはそのためである。理想的生活ができないという結論が、そこから出るのである。 今日の歴史において、統一教会に入って我々のこの神を通して、個人から家庭から氏族、民族、国家、世界に行ける道を開いておいたために、皆さんが努力さえすれば飛躍的な発展をなせる時である。何の話か分かりましたか。 全部がよくしなければ、いくら忠誠を尽くしたとしても、何カ年、何万年忠誠を尽くして待ったとしてもこの道が残っているために、避けて行こうとしても行けない。歴史は蕩減路程が残されており、自分の一生、七十、八十年においてこれをどうすることもできないのである。それが霊界に行って、後輩に再び再臨して再蕩減しなければならない。そのためにこれからどんなことが起こるかといえば、すべての善なる霊が昼夜、自分たちの後孫を追い立てる時が来る。そういうような結論が出る。そうでしょう。霊界においては黙っていないのである。 霊界自体が変わる時には、自分たちの後孫たちを追い立てるとき、後孫たちが統一教会に来ない時には病をしたり、このごろアメリカにおいてもそのような現象が起こってきているのである。団体が追われるようになる。心霊的業をなして先祖たちが教えてくれる。このようなことが起きるのである。先祖たちが総動員して、あらゆることをして追い立てる。そのような時である。そのために論山ハルモニが祖先の解放をするのであり、祖先が行ける道を開いておくのである。祖先の道を開いておかないと。万代の祖先の解怨をしてあげて、このような式典をすることによって、この式典などを通してその土台を整えるというそのような意味があるのである。これから祖先たちが再臨する道を開いてくれるのである。そのようなおばあさんを通して業を成すのである。何の話か分かりますか。幹部たちは理解できないでやるが、祖先を解放するのである。昨年の五月一日を期して、総解怨式をやり、サタンまでも解怨した。あなたたちも全部飛躍しなさい。 原理で収拾 今年に入ってこのような式をするということは、歴史的な事件である。これから仏教だったら仏教も、全部飛躍する時が時た。摂理の中にあった宗教が追われるようになるのである。そのような時なのである。これからは、霊的な原理を知らずしては、霊界の混乱を収拾する道がない。そのような時が来る。霊的な世界と接近する時である。そのために皆さんが統一される直接的な期間に立たなければ、霊界が打つ。今からはどのようなことが起きるかといえば、善なる霊界は善なる天使長圏であり、アダム圏が生じ堕落して後孫のアダム圏が生じ、たのである。このように、神と天使長とアダムが一つになったことになる。そのためにサタン世界がないのと等しいのである。 エデンの園では元来、神とアダムとは統一された世界であった。これは何のことかといえば、善なる霊界と統一教会と一つになったのである。一つになったというのは、神様と天使長とアダムと一つになったのと同じである。ほかのは自滅しないために服従しなければならない。カイン世界だからである。カインが屈服することによって生きることができるのである。そのような時が来たのである。個人から、家庭から、世界まで全部神と天と結びつく条件を立てておいたために、事実上、飛躍的に統一教会が発展する条件を立てることになった。神の世界がそのような方向と一致することができることを私たちは知る。そのようなことを皆さんが知って生活する時、その生活も、個人の自分たちの生活ではなく、必ず、世界のために国家のために、一銭でも献金して努力しなければならない。こうなるのである。特に三十六家庭は、公職にいる人たちは、絶対に私的な生活をしてはいけない。お金を使う時も私的に使ってはならない。公的な神のみ旨に使うのであれば神に引っかからないが、私的なことに使えば、蕩減を受けるようになるのである。 統一の原則 この原則を皆さんが知って、韓国の三十六家庭から七十二家庭、一二〇家庭は一つにならなければならない。七十二家庭が三十六家庭を評したり、七十二家庭がどうだとか、一二〇家庭が何だとか言ってはならない。いくら七十二家庭がよくやったとしても、三十六家庭に対してよくやった基準を見なかったら、その人たちを表彰することができない。褒めることができない。いくら一二〇家庭がよくしたとしても、七十二家庭に対してよくやった基準を見なかったら、それを祝福することができない。それが統一の原則である。そのために三つが一つにならなければならない。 三十六家庭は人類歴史の、堕落した人類の先祖たちの復活であり、七十二家庭はその先祖たちの子女たちが復活したものであり、そして一二〇家庭は、世界の人たちが復活したものである。だからこれが一つになれば、結局は家庭と子女と世界が一つになるのである。そのために一二〇家庭まで責任をもつのである。こうなるのである。分かりましたか? だからこれからの思考方式がそうなる。一つの世界を中心として、世界を救うためには国を、国を救うためには私の一族、文氏の氏族を動員して韓国の民族を救わなければならないし、また私の家庭を中心として見る時、氏族を救わなければならない。そこから、氏族的メシヤという言葉が出る。氏族的なメシヤになるためには民族的メシヤを整えなければならないし、民族的メシヤ圏に代わり得る時、国家圏に上っていくことができる。氏族的な基準が始まれば、民族的基準と連結され得る原則を整えて、民族的な基準に上っていく。蕩減復帰路程がそうである。そのために主体と対象が一つになってこそ神が臨むことができる。そうでしょう。 主体と対象が一つになるには必ず中心が立たなければならない。必ず神が臨在されるのである。主体と対象が受けて授けるところにおいては必ず中心がなければならない。そこに神が臨在される。主体と対象が授受すればそこに運動をなし、運動するところには一つの中心点、永遠に一つの所にある、中心点を求めるのである。主体と対象が完全に一つになって受け授けなければ、神の前に相対的な条件を立てることができない。それでは神と関係がないのである。 夫婦が一つになるというのは神を中心として、また、父母と子供が一つになるというのも神を中心として、父子の因縁を結ぶのであり、そのような観点から見ると、皆さんは漠然とした生活をしているのである。実質的な生活をしなければならない。実質的な生活の中においてそのような関係を結ぶ心の姿勢を、そのような生活的姿勢をつくって、結実的な何かを成していかなければならない。これが献金の制度である。今までは十一条であったがこれからは七条になる。 こういうものを中心として、原理と一致した生活をしなければならないのである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.04
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「歴史の転換点」1975年12月1日ベルベディア 人間の責任 ある個人、ある国家、そして今の巨大なる世界を見ても、ある時をおいて、転換時期がある。復帰摂理は、宇宙歴史の失敗を再び、三たびと繰り返してきた。本来なら、復帰摂理というのはあってはならないのだけれど、堕落――その一事によって、起源が生じたのである。失った本来の立場をもとがえすにおいて、神様とサタンと人間、この三者が絡み合いながら、転換点をもって歴史をなしてきたということを、我々は復帰摂理を通して学んできた。ここにおいて問題は、この転換点を、神様が起こすか、サタンが起こすか、あるいは人間が起こすかということである。 今日までの既成宗教、既成信仰者においては、人間が、この悪なる世界を転換させていく中心的責任があることを知らなかったし、考えもしなかった。神様が成したいと思えばすべてが成就する、そのように信じてきた。神様がやりたいと思えばサタンも反対しない、そう思ってきたのである。 我々統一教会においては、人間こそが、すべての責任をもたなければならないという。サタンを追放せずしては、真の新しい転換期を迎えることはできないというのである。ここにおいて、必ず、人間が主導的立場に立たなければならない。 結局、神側においては善なる人々を中心として、これをもとがえそうとするし、サタン側においても悪なる人々を中心として、もとがえすことに反対する、こういう反復を繰り返して歴史は発展してきたのである。 ヤコブの勝利 今日、皆さんが知っているように、カインとアベルを中心として見るとき、カインはサタン側であり、アベルは神側であり、ここにおいて、必ず、互いに衝突が始まるようになるのである。神と神の内的な立場に立つ者と、サタン側は反対に外的な立場に立っている。この二つを克服していかなければならない。すなわち、カインとアベルはそのような闘いをしたのである。そしてその闘いは神側において勝利したのではなく、結局、サタン側において勝利したということである。もしこの時に、神側において勝利したなら、歴史は簡単に転換時期を迎えたであろう。 そのことはノアの時代も同じだったのである。内的な神様と外的なノアと、反対する外的なサタン側の社会と国家とサタンとが、互いに攻防戦を始めたのである。アブラハムの時代においても、結局はサタンが勝利した。歴史的転換においては、必ず、象徴、形象、実体、この三代条件を中心にして闘ってきたのである。我々がこれを歴史的立場において見る時、旧約、新約、成約、あるいは蘇生、長成、完成という、常に三段階をかけた問題を介入して闘いがなされるが、アブラハムの時において、象徴的祭物条件を立てて、一挙に、これらの問題をかけて転換しようとしたけれど、できなかったのである。ゆえに、イサクを通し、ヤコブを通し、このように三段階を経て、象徴、形象、実体の過程を経て、ここにおいて初めて、歴史的転換時点をつくり出すのである。歴史上において、神側の人間とサタン側の人間が闘って、いつ、一つの転換時期をつくったかという問題を見る時、それは実に、ヤコブの時だったのである。 勝利的伝統の確立 ヤコブを中心として、ヤコブが勝利することによって、その家庭が初めて、ヤコブを中心としてついていくことができたのである。では次に問題となるのは何か、新しい一つの伝統が始まって、必ず、いつも問題になることは何かというのである。 ヤコブが勝利した伝統的思想、伝統的信仰、伝統的その行動――これがヤコブの家庭がいつの時も立ててついていかなければならない、新しい伝統として残されるものである。ここから、新しい伝統は始まるのである。そうするために、ヤコブは、個人ではあるが、この個人というのは、個人としての立場での蕩減条件を立てるよりも、歴史的立場において蕩減条件を立てなければならなかったということを、皆さんは知らなければならない。そのようにしてヤコブが立てた歴史的転換点は、個人から家庭に引き継いで、民族の時代まで、ヤコブが勝利した伝統を引き継いでいかなければならない。これが原理で学んだヤコブ路程である。 そのヤコブとヤコブの家庭が行く道を、歴史時代を通して、民族的モーセの時代まで、イスラエルの民はその道を合わせて、その道についていかなければ、サタンに勝利したというその歴史的偉業を相続することができない。モーセの時代まで、それがどのように難しい路程であったとしても、この法は、エジプトにおいても他のどのような異邦の国に行ったとしても、守り通さなければならないものである。この法は、自分の国にだけ適用するものでなく、たとえどこに行ったとしても守らなければならないものであり、その上に、モーセ時代に入って民族的転換時代をつくらなければならない。 モーセとイスラエル サタンはいつも、一段階先に立っている。エジプトという異邦の国において、神と神の民は、サタンとサタンの民とサタンの国に対さなければならなかったのである。神に民族があれば、サタンは先立って既に国をもち、神が国をもてば世界をもつ、いつもこのように闘ってきたのである。 モーセはパロ宮中において、しかもパロ宮中の代表的な人であった。がしかし、彼はイスラエルの人である。その時にはエジプト人を代表するゆえにサタン側の人であった。それゆえにモーセはこれを飛び出して転換した。転換したその日から、モーセはイスラエルの民となり、神側の人となって、昔宮中にいたモーセ、サタン側にいたモーセではなくなったのである。そしてモーセ自身、神側の立場に立って、ちょうど、かつてヤコブが、神の前に選ばれて恵みを受けてハランに行って闘って、そしてその家庭を導いていける基盤を整えたのと同じように、モーセも、ミデアン荒野四十年の期間を通過して、初めて、自分の民族を導いていける基盤をもつことができたのである。こういうモーセとイスラエルの民が一つになって、パロ宮中と闘って、神側とサタン側と相闘ってこれを征圧し、そして出エジプトさせるのである。この時に、皆さんが原理で学んだように、ヤコブやモーセは転換時期においては、三日という三数をおいて転換の闘いをしたということを知らなければならない。 このような、様々の闘いを経て、イスラエル民族は出エジプトをして、再び、イスラエルに帰還するまで四十年間を要したのである。延長されて四十年間荒野生活を通過しなければならなかった。イスラエル民族の放浪の起源がそこから始まった。もし、一度にパッと入ったならば、民族的転換が完全になされないのである。これを幾度も繰り返すゲームを荒野においてなした。そのようなゲームを、なぜしなければならなかったのか。それはイスラエルの民族が、命を懸けて目標に向かって指向できなかったからである。すなわち、人間の考え、思い、サタン世界と通じ合うそういう思いをする人々のために、神のみを信じて指向することができなかった。 そのようにしてモーセを通して、出エジプトして、イスラエル民族がイスラエルに帰還して、次の国家時代のメシヤが来るまで、どの伝統を受け継がなければならないかといえば、エジプトの路程において勝利したモーセの伝統を受け継いで、これを守っていき、これに従っていかなければ、民族的勝利の基盤を受け継ぐことはできなかったのである。結局、モーセ以後のイスラエル民族は、民族的転換点を何でもってもたらすことができるかといえば、モーセが残した伝統を守ることによってもたらすことができる。その上に、メシヤ時代においては、イエス様が来られて国家的基準を中心として、世界に向かおうとされたのである。 歴史発展の公式 国家時代に入っては、国家的段階は民族的段階より一段上っている。国家の中には家庭と民族が含まれるのである。それゆえに国家時代に入っては、民族的時代を繰り返さなくてもいいし、家庭的時代を繰り返さなくていい。であるからイエス様がメシヤとしてこの地上に来て、国家的基準を勝利的に立てたとすれば、それはすなわち、民族的時代も家庭的時代も成し得ることができたのである。 民族的段階において、モーセならモーセ自身思わなければならないこと、成さなければならないことは何であったか? それは伝統的なヤコブの路程を、そのまま引き継がなければならないということである。これを知らなければならない。モーセ、その人はヤコブ以来、この歴史的発展過程の中において、すべてを代表してヤコブ以後に残されたその伝統を受け継いで、その伝統の上にモーセが立つというのである。例えば、発展する過程においては蘇生なくしては長成がないし、長成なくしては完成がない。そのためにヤコブの時代が蘇生だとすれば、その蘇生時代の基盤を土台にして、長成時代のモーセが出てくるようになる。それは何かといえば、縦的歴史的過程から見れば過去を受け継いで現在に立ったということである。そのようにして何をしようというのか、後退しようとするのか、前進しようとするのか? 前進しよう! というのであり、その前進しようというところから、過去、現在、未来という概念が生まれてくるのである。 イスラエルのヤコブの家庭を見ると、ヤコブ家庭は、ヤコブを中心として蘇生を経て長成してそれから民族に出発するのと同じなのである。そのような公式がある。過去、現在、未来の三段階の外形を整えて越えていくのである。モーセについていえば、モーセが立てられてそのまま条件なくして、「イスラエルに帰ろう」ということはできないのである。蕩減しなければならない。ヤコブ時代から今までの歴史過程において失敗していたすべてを再び、きれいに清算しておいて、サタンを除去する基盤を立てておいてこそ、モーセは初めて国家形成に向かっていくことができる。公式は同じである。 国家的転換点 それで次に、国家時代に入って何をなすべきか? 勝利したモーセの立場を、イエス様は行かなければならない。イエス様の土台は、民族的基盤が土台であるために、完全に勝利したモーセの立場をつないでおかなければ、イエス様は行くべき道がない。イエス様が立つ、そのイエス様の足台はサタンが侵入した条件のある、そういうような過去であってはならない。勝利した、きれいに漬算された足台であり、過去でなければならない。 イスラエルの国、モーセが導いたその民族が、そのようなイエス様の足台にならなければならないという話である。そういう結論が出てくる。それが民族まで到達して、結局は一つになって出発しなければならない。そのためにモーセ時代において失敗があったすべてをイエス様の時代において清算し、その漬算したのち、イエス様は民族的基盤を整えた上で国家的基盤にまで結びつけて、初めて世界に行くことができる。一次元高い世界へ行くことができるのである。 このように歴史的伝統を立てて転換点をつくるということができるという、この発展的な原則に従って見る時、イエス様は国家基盤を形成することができずして、すべてを失ってしまったのである。 神様を内的にして、外的なイエス様を中心として、外的にすべて成されたのが一つの国家形態をとって、サタン世界のローマと対抗しなければならなかった。その当時、もし、国家的な転換点をつくっておいたとすれば、イスラエルのような国は、この地上に永遠に残すことができたのである。そういう結論が出る。イエス様以後、信ずる人も信じない人もイエス様の本然の伝統をいつでも提示して、団結させて、国家的基盤をつくり上げることができるようになければならない。このように見る時、死んでからみ旨を成就し得る個人がどこにあり、家庭がどこにあり、民族がどこにあり、国家がどこにあるか? 結局、転換点と勝利の基点となるのは人間――実体としての人間なのである。イエス様が死ぬことによって、これがどのようになったのか、これがなくなったのか、残るようになったのか? 転換は地上において 今日、キリスト教徒たちは、イエス様だけを信ずればすべてが成るという。これはとんでもないことである。イエス様が死したことによって、キリスト教徒たちは地上に、過去、現在、未来の基盤を形成して立つことができる足台がない。個人的にもそうであり、民族的にもそうであり、国家的にもそうである。転換点はどこでなされなければならないかといえば、地上においてこそ、なされなければならない。地上が問題である。肉と霊をもった人間が堕落して落ちてしまったゆえに、肉と霊をもった人間が個人から家庭から、氏族、民族、国家、世界から戻ってこなければならない。イエス様が死ぬことによって、これがすべて、なくなってしまったのである。それでは過去がなく足台がない。したがってイエス様時代においては霊的基盤から、民族的に世界にまで行ける基準まで、再び、これをつくり直さなければならない。つくり直すにおいては、キリスト教が完全に霊肉を中心として実体を受け継いでつくり出す資格があるか。国家的転換点をつくって、世界へと前進しなければならない時が今であるにもかかわらず、イエス様が死ぬことによって、国家的段階から世界へと行く道が生まれなかったばかりか、再び、歴史的過程をつくり出す運動をしなければならない。 サタンが打ってきた歴史 キリスト教とは、イエス様の伝統を立てていくものである。イエス様はどうであったのか、イエス様は死ぬことによって霊的になったということ、これを知らなければならない。霊的というのは何であるか、地上において精神的にだけ侵されない、精神圏とでもいおうか、そういう内容である。ここにおいてキリスト教徒たちが知らなけばならないのは、イエス様の思想である。「我が神、我が神、出来ることならこの苦杯をとり除いてください。しかし私の願いでなく、あなたのみ旨のごとくなさしめてください」ゲッセマネの園で祈ったように、キリスト教徒全体が父にみ旨に帰することができる、そのような団結の運動をせずしては、本来の霊肉を中心とした実体世界へと向かう道を見いだすことができない、そういう結論が出るのである。 結局は、空中に浮いているのである。イスラエル民族は放浪したのか、それとも定着したのか? 実にイスラエル民族はモーセが立てておいた伝統的基盤まで打ち壊してしまった。いったい、メシヤは来たほうが良かったのか、来なかったほうが良かったのか。事実は、メシヤが来なかったよりも悪くなった立場になってしまったのである。 ここにおいてはキリスト教は国のない民であり、土地のない民である。そして家庭にあっては家長のない民である。誰でも来て侵すことができる。いつでも侵犯することができる。そのようにいつ侵犯されるとしても、神が個人的勝利、家庭的勝利、氏族的、民族的勝利の基盤を整えたその民族を保護すべき何の保証もない。いくら全能なる神としても、何の保護し得る土台もないのである。そのために宗教歴史上において、最も悲惨な歴史を残したのは、キリスト教歴史しかないという論理がここに立つのである。 それゆえにキリスト教は殉教の歴史となった。今日まで神様がいらっしゃるなら、なぜ個人的に民族的にこのように悲惨な道を行くのかは大きななぞであった。それは個人、家庭、氏族、民族、国家の基準がないために、サタンが常に実体を攻撃するのである。 再び来られるメシヤ さあ、それではイエス様は再び、来られるべきなのか、そうでないのか。絶対に再臨しなければならない。今日、クリスチャンは、「イエス様が来ても来なくてもいい、必要ない」と言う。“再臨の主は雲に乗って来てすべてを焼き滅ぼして、神様の、イエス様の思いどおりになる世界が広がる”と思っている。そういうことが起こり得るか? そのようなキリスト教は滅びてしまう。本気ではないのである。それは人類を復帰する摂理歴史とはあまりに離れすぎているため、そういう信仰をもってしては、原理を立て、道理を立てていくそのような再臨の主に、絶対会うことはできない。 再び来られる再臨の主は栄光の中に来られようか? サタン個人を、その家庭を民族を国家を一度に踏みにじることのできる、原理的権限があるかどうか? メシヤが国家的基台の上に立とうとすれば、民族的基準を受け継がなければならないし、民族の基準を受け継ぐためには、必ず、完全に清算された家庭的基準を受け継がなければならない。そのようにして初めて、国家基準において確実に向かって立つことができる。そういう基盤なくして、再臨の主が栄光の中に来られることはできない。甚だしい苦痛と悲惨の中に来るという言葉が成就されるのである。 今日、現時点においてキリスト教を見ると、雲が空を漂っているようである。風の吹くままに飛んでいく。現在、世界にキリスト教を国教としている国が多いが、伝統的な個人勝利、家庭勝利、氏族勝利、このような基盤を整えた上に立っているのではない。言い換えれば選民イスラエル圏になっていない。どこまでも霊的であり、実体はない。それが問題である。それでは再臨主が来て何をすべきか。イスラエルの国で失ってしまった個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的基準までいける実体の基盤を整えずしては、世界を救うことができない。そうせずして世界のキリスト教を収拾することができない。 神の基点となる国 ふわふわした霊的なものが、二〇〇〇年の間、どこへ定着しようか。イタリア民族はローマ法王庁に籍を治めるか、アングロサクソンだったら英国に定着しようか、そして今に至って、アメリカに定着することができると思うか。どこにも定着し得なかったものがアメリカにおいて成功すると思うか。 神様は基地をどこに置いたらいいのか。ローマにおいて失敗したし、英国において失敗し、このキリスト教国家であるアメリカにおいても様子が芳しくないから、神様は東洋においての最も小さい国に基地を置いたのである。神様はできるだけ簡単で容易な国を探すのである。そうでありながら長い歴史をもった国、その中においても単一なる民族の国、それはなぜかといえば、たやすいからである。中国のように七億もの人口があったら、それは難しい。ゆえに神様はやむを得ず、蕩減実体圏を再び形成されるのにおいては、簡単でたやすい民族であり、しかも長い歴史的な距離を中心として、四〇〇〇年以上の歴史をもつ、そういう国でなければならない。そういう国を我々は、世界中で探さなければならない。そういう国を探しているという結論は、私が神様であっても、皆さんが神様であっても同様である。 そういう意味からして、大国は不合格である。そうしたらアメリカはどうか。合格か不合格か? イスラエルの条件 イスラエルの国が今は二つに分かれているが、歴史上に単一民族として、最も小さい国としてイスラエル民族は復帰されているゆえに、他の国を侵略することができ得ようか。選民が自分を侵略することができるか。たとえ侵略を受けることはたびたびあっても、自分は侵略することができない。神様が許した戦いにおいて戦うことはできるが、侵略はできないのである。 メシヤが来るべき国は、第一に小さい国である。第二に四〇〇〇年以上の歴史をもたなければならない。第三に単一民族でなければならない。第四に国家という国自体は不安定な状態だとしても、国の形態をもっていなければならない。たとえ属国だとしても……。第五は侵略をしてはならない。小さければ小さいほどいい。第六番目には問題の国であること。その民は、また多くの問題をもたなければならない。なぜなら、蕩減をしなければならない民だからである。 歴史的過程において、このような名前をもった国は二つある。その一つはイスラエルとイスラエルの民である。放浪して国がないのである。それでもメシヤを迎えるためにあらゆる冷遇をされながらも、滅ばずして国ない国のままに維持してきたのがイスラエルである。そうでありながら、文化民族でなければならない。土人のように無知ではなく、優れていて世界文化史においても、問題となる民族でなければならない。そのように見る時、それはイスラエルと、東洋においては韓国なのである。 前に語ったように、文化は蕩減復帰歴史を中心として、西洋の文明はアジアに戻っていく時、韓国が帰着点になる。韓国は、そのような国なのである。西洋文明圏に隷属されてはならない。敵、サタン側の支配を受けてきたのである。なぜなら、イスラエル民族がローマの支配を受けたような、そういう形態をもたなければならない。とすれば、再び来られる主はどちらに来る可能性があるのか。一九四八年、イスラエルの国が独立したのだからそこに来たらいいではないだろうか。 韓国はいつ、独立したか、同じ一九四八年である。そして同じ時、イスラエルにはなかったけれど、韓国は支配を受け植民地化されていた日本から解放されたのである。それは摂理的に当てはまることである。霊的なイスラエル圏から受けたものを肉的イスラエル圏において、という、同じ基地で同じ年に独立したということは、理論的にも当てはまるのである。 イスラエル民族が、イエス様を殺害した罪で、二〇〇〇年間、世界の中に放浪していたのに独立できたということは、謝罪することができたということである。謝罪することができたゆえに、再び国を探し求めることができ、そして本然の位置に戻ってくることができたということである。それは、イエス様が再び来る時が来れば、必ず、イスラエルが回復されるという言葉が成就できたのである。逆にいえば、イエス様を殺害した罪を蕩減して、許しを受けることができるようになったために、再臨の主が来られるというのである。韓国は侵略したことのない国である。そのためにアジアのユダヤ人という名をもっているくらいである。 再臨主の行かれる道 再臨の主が韓国に来られれば、何をしようというのか。良い暮らしをするのか。それとも蕩減の道を備えなければならないのか。蕩減の道を行くとすれば、再臨の主はそれを喜んでいるのであろうか? 韓国に泣きながらカラシを食べる、という言葉があるけれど、そのように仕方なくやるのである。そうしなければ生きる道がないからやる。しなければ、死ぬ道しかないからである。 韓国に来るとすれば、かつてのユダヤ教と同じような立場に立つ、韓国のキリスト教が問題となる。ふわふわと浮いた霊的キリスト教が問題となるのである。とにかく、無条件に体のいくところに心がついていくだろう。キリスト教が統一教会を気に入らなくても、ついてくればいいのである。これからメシヤを迎える一つの集団があるとすれば、気持ちが悪くてもついていけばいいのである。そういう話が成立する。 そのような立場から見る時、韓国で新しく、神を中心とした世界史的使命を負う新興宗教が生まれたとしたら、その団体を通して再臨の主は現れるという、この理論は妥当である。このような結論は理論的である。それは何か? 統一教会である。その意味は一つになるということである。そして神霊が中心であり、世界を、キリスト教を一つにしようとするのである。それは何を意味するか? メシヤが来るということである。反対しないで全部受け入れたらどうなるか。七年の間に、この手続きは全部終わる。キリスト教は絶対に服従しなければならない。家庭の蕩減条件をつくり、氏族、民族、国家の蕩減条件をつくって、これを全部、一つにまとめておくのである。それが何年間でできるか。七年かかる。韓国の独立が解放後、三年目である一九四八年である。それから三年間において成されるのである。すなわち解放された一九四五年から七年目である、五二年までに成されるのである。 再創造の過程 一という字には七という字がついて歩く。神様は一週間で創造を成した。七日目は安息日で数には入らない。先生はこの期間何をしたか。監獄に入っていた。一九五一年に解放されるまで、監獄においては何をしたか? イエス様の時においては、イエス様が死の道に行く時、みな、逃げてしまったのであるが、先生においては、監獄にあって裏切って逃げるのではなく、監獄で信ずる十二弟子を探し求めなければならなかったのである。このような蕩減復帰路程が始まるのである。 そこから出発して、世界的カナン圏に向かって歩まなければならない。それが共産圏である。キリスト教は民主圏である。そのキリスト教が反対するということは、民主世界が反対するということである。そうすれば世界、どこへ行っても民主世界があり得ないことになる。すべては敵の国になり、それが共産圏であるから、それで共産圏内へ行ったのである。そしてそこへ行って、奪い返す。そこから再び、再創造が始まるのであり、先生を中心として、個人のヤコブの立場から出発して、家庭形成を目指すのである。 それが一九六〇年代である。韓国の解放後十四年である。イエス様が失敗したのを復帰しなければならないゆえに、七年を蘇生とすれば、さらに長成と二段階を経なければならなかった。ヤコブも一次、二次において、完全に家庭を探し求めることができ、十四年後に、彼の妻と彼の家族を求めた。そのために一九六〇年代において、神とサタンとの家庭の分立が始まるのである。 世界史的な使命を中心として、そのような家庭をつくって、先生が新しく祝福として何をつくるかといえば、新しいイスラエル圏の編成である。祝福家庭を中心として、第三イスラエルをつくるのである。一九六〇年から、我々は上っていくのである。そして、歴史過程のすべてを通っていく。家庭時代、氏族時代、民族時代を経て世界時代までゆくのである。家庭、氏族、民族、国家、世界、これに合わせていくのである。 祝福家庭の出現 統一教会は今まで、ヤコブの家庭を中心として、氏族、民族編成をしてきたのである。三十六家庭は三段階の十二双を代表するものである。三十六家庭のカイン、アベル、これを合わせたのが七十二家庭である。一つの復帰過程は三十六家庭の歴史であり、一つの家庭は三十六代が延長されたのであり、そこにおいてカイン、アベルが失敗したのに付け加えたのが、七十二家庭である。このように、元来失った歴史的家庭を探さなければならないし、そしてこれを復帰するのである。イエス様当時においてもイエス様に三弟子がいた、み旨を成したということは、その三弟子を祝福してあげることだったのである。そして十二祝福数を満たさなければならない。さらに、過去、現在、未来この三段階を経て、これを横的に延長させておいたのが三十六家庭である。蘇生、長成、完成を横的に延長させておいたのが、三十六家庭である。 アダムからノアまで十代、ノアからアブラハムまで十代であるけれど、この十数は十二数を表す。なぜかといえば、カイン、アベルの数、あるいはイサク、ヤコブの数を合わせるからである。十数は十二数に該当する。これがそれぞれ、蘇生、長成、完成を考えると、合わせて三十六。三十六家庭がここに、起因するのである。さらに三十六家庭のアベル、カインの形をとるから、七十二家庭になる。これが一つになるのである。 その次には、三十六は家庭の中心であり、七十二は氏族の中心であり、さらに一二〇数。これはイエス様が一二〇門徒を中心として世界路程を出発したと同じである。世界国家の代表である。これをイエス様は祝福して、団結して、ここにイスラエルの国を連結させなければならなかったけれど、それは全部、失ってしまった。ゆえに、先生はここを行く。イエス様が成し得なかったことを成すのである。もし、イエス様が、一二〇名門徒まで祝福してイスラエル国から歓迎されたとすれば、イエス様は殺されただろうか。そうではなかった。殺害されて、これをできなかったのだから、蕩減しなければならない。これを三年間で全部、成さなければならない。これはたやすいことか? 次に、四三〇家庭である。四数と三数は合わせて七数であり、また四数と三数はいつも、解放数に当たる。イスラエル民族は四三〇年ぶりに出エジプトしたのであり、韓国の歴史においても、四三〇〇になる年である。四三〇〇年ぶりに、イスラエルの国を探し求めたのである。だから四三〇年というのは、イスラエルの民族を探し求めた期間であり、四三〇〇年はイスラエルの国を探し求めた期間である。だから韓国に、どのような氏族、民族も全部含まれるのである。韓国内において、全民族が入ってくる道を開いておくためである。国家基準がこのようになって、ここに、西欧世界に四十三双の祝福をした。これは四三〇と相対的に合わせたのである。そして次には七七七双である。このようにして発展してきたのである。そこには十カ国以上が含まれ、そこには世界が入っていくのである。条件としても立てるのである。 結局、統一教会が新しい民族として、国家を形成していくのである。何の話か分かるの? (はい)。これが分からなかったら、これからの摂理がどうなっていくのか、分からなくなる。皆さんが伝統を受け継いで、それを守り、維持していかなければならないのに、それができるの? 知らずしてどうしてそれを守り、維持していくことができるの? 一八〇〇双の祝福 六〇年から今年まで、何をしたか。一八〇〇双の祝福をしたのである。本来は一九七四年にしなければいけなかった。しかし、摂理を一九六〇年四月から出発したゆえに、今年の四月までも十四圏内に数えることができる。十四年において成したのである。統一教会の第二次七年路程の終了路程として一八〇〇双を祝福するのは、全世界の者を中心として、完全に世界に向かう基盤を整えていくのである。 一八〇〇というのは何を意味するのか? 六数はサタン数であるが、その六数に、六数に、六数をプラスした十八数、これを象徴する。これはサタン世界を制圧するという意味である。完全に制圧する。最初の六はサタン側の蘇生、次の六はサタン側の長成、最後はサタン側の完成を意味する。ここにおいて世界的基盤を我々が整えたことになるので、これから、国家を中心として我々の思うとおりに動かすことができ、世界を思うままに動かせる時代へと入っていくのである。 まず六月、ヨイドの大会を中心として、韓国においては二月から六カ月間の準備期間で大会をなし、韓国の全運勢を引っ繰り返した。既成教会も引っ繰り返さなければいけないし、韓国に我々全体が現れなければいけない。完全に先生がつかまなければならない。そうなるために、どのような現象が起こるか。 霊的キリスト教圏が世界分野において残っている。これを個人から家庭、民族、国家、世界基準まで韓国に連結させておいて、今日、世界的キリスト教国、アメリカという国に来た。これを霊的に連結させてこそ、肉的基準を中心として、世界へ行ける道が開かれるのである。ゆえに、七二年から三年路程で蕩減復帰して、アメリカの建設をなすのである。今まで、先生を中心として、霊的において氏族基準、民族基準まで上ってきたが、世界基準は、まず霊的を中心として始めて、国家を超えて外国に活動部隊を送り、七二年から三年路程を経て霊的基準を勝利的基準に結びつけた。この霊的世界基準を韓国に連結させておくことによって、韓国は世界的実体の中心として立ち得るのである。 国家基準を立てておいて、そして世界的国家基準を拡大するために、韓国においてはもう既になされたのであるから、これをなすための期間が三年路程である。前三年においてはキリスト教世界的基準を探し求めるのであり、霊的キリスト教を引き受けなければならない。そして、のちの三年は、霊的基盤の上に、実体的基盤の上に、国家を中心として動かさなければならないのである。これはイエス様を中心とした、世界的時代における肉的三年期間と同じである。それは何を基盤とするかといえば、ヨイドの大会である。既成教会も押さえてしまったし、国家もそうであり、ここにおいて霊肉を中心とした勝利的基盤を整えた、その基盤の上に、アメリカの世界的摂理三年の路程が始まるのである。 最高の転換点 一九七五年度から、世界史的第三次七年路程がなければならない。分かりますか? 世界的な、霊肉を中心とした歴史的転換点なのである。これを知らなければならない。一九七五年、七六年、七七年のこの三年間は、アメリカの運命が変わってくる時であり、世界の運命が分立される時である。 結局、先生は今まで、韓国にあって、イスラエルにおいて失ってしまったすべてを蕩減復帰して、国家基準を整えたものを、世界キリスト教圏内にあるこれを、霊肉を中心として完成させて、国家的形態をもった国家をつくってここに合わせ、世界の蕩減条件を立たせてきた。前三年の霊的基盤の上に、のちの三年は肉的基盤をつくくるのである。だから七七年から八一年までに、世界的問題を完全に蕩減して越えなければならない。七七年度の前三年を勝利して、八一年までにどこに行っても統一教会は反対されない圏をつくらなければならない。共産圏は反対するかもしれないが、自由圏ではどこでも歓迎されなければならない。それはアメリカにかかっているのである。 さあ、それでは今はどのような時であるか。歴史的転換点から見る時、イエス様時代の国家基盤を受け継いだのである。その土台の上に世界の基盤を受け継ぐ、この時であるということを知らなければならない。霊的だけではない、霊肉を中心としてである。ゆえにこの三年は国家基盤をつくるための闘いであり、先生においては、世界的基盤を整えるための、三年期間の運命が決定される時である。蕩減復帰原則においてである。そのために七五年、七六年、七七年は、それこそ歴史以来、最高なる転換点であることを知らなければならない。そこに今、我々は立っているのである。 天国実現の時 それではイエス様当時、イエス様とその弟子たちの行くべき正しい道は何であったか。国と世界のためには、イエス様と生死を共にしなければならないということである。それが結論である。我々三年間において、アメリカに影響を及ぼすことができるか。どうすればいいのか? だから神様は既成教会を容赦なくふるいにかけるのであり、そこにおいて統一教会が現れてくる。これを皆様は理論的に整理しなければならない。 我々は摂理的史観をはっきりともたなければならない。もちろん史観だけではいけない、現実がどうであるかを知らなければいけない。我々が、どこに位置しているか。過去、ヤコブは知らずして摂理してきた。モーセもイエス様も知らずして摂理してきたのである。そのために全部滅びたのである。しかし今の時は違う。すべて知ってなすのである。なぜ知らなければならないのか? 蘇生時代のアダム、イエス時代は長成時代であり、今は完成時代であるから知らなければならない。そのため、我々は神の事情を知るのである。 それゆえに私の基盤の上においては、国のために立ったのであり、その国は韓国である。それはアメリカではない。肉的実体を再び、探し求めずしては霊的基盤、キリスト教を吸収する道がないのである。時代をさかのぼってイエス様とその弟子たち、そして君たち、誰が最も歴史的時代に位置しているのか。イエス様当時において、民族、国家的時代であったが、我々は世界的時代に立っている。どれほど、偉大な時であるのか。皆さんはイエス様の弟子より高い位置にいる。理論的には、偉大であらざるを得ない立場にいることを知らなければならない。イエス様の弟子たちはみな、ローマにおいて首を絞められたとしても行くというのに、君たちがモスクワにおいて首を絞められたらどうなるの? イエス様の弟子たちよりも優れるか、劣るか? 民主世界が救われるのに、我々は何年やらなければならないか? 三年やらなければならないし、共産圏なら、できるだけ七年期間内になさなければならない。そうなれば、民主世界が戦わずしてそのまま越えていくことができる。それをなせず残したならば、戦いがあり、また戦いがあるのである。そうすれば、統一教会の食口として、血を流したとしても、勝利に向かって行かなければならない。そのために、この三次路程において、どうしても世界問題を解決しなければならない。これが眠ても覚めても先生が願うことであり、神が願うことであり、霊界のイエス様の願いであり、数多くの霊人たちも、「今日、ここまできたのだから、どうか、残りの一歩を勝利してほしい」と言うのである。これを我々は霊界に対して祈るのであり、霊界が我々に祈ることである。 昔、霊界は協助しなかったけれど、今は協助するようになっている。道だけ開けておけばすべてがなされる。そのためにどれほど、天国が近づいてきたことか! 七年残っている。その事実を知っているの? ヤンキー・スタジアム ではこの戦いは、どこから転換させるかというと、マジソン・スクェア・ガーデンにおいては、霊的には事実上、転換したのである。そして今は、外的な国、国民が問題なのである。長成がいつかといえば、ヤンキー・スタジアムである。世界的勝敗はどこにかかっているか、次のヤンキー・スタジアムである。第二の立場がかかっている。過去から見れば現在の立場に当たるのである。神の国を転換させる第二番目の時代である。カイン、アベルの時代に、二番目の息子であるアベルを中心として、神の転換がなされたのである。家庭的に見れば、ノアを中心として、天と地が分かれたのである。二番目が問題である。アブラハム、イサク、ヤコブを見る時、イサク実体をおいて、死ぬか生きるかの闘いがあったのである。全歴史において見る時、二番目のアダムであるイエス様を中心として、世界が回るか否かが問題であった。そのため長成は、縦的に見れば真ん中であり、横的に見てもそうである。そして今日、世界的舞台において転換点の鍵を握るのが、ヤンキー・スタジアムである。事実、世界史的な問題がかかっているのである。 すべてをかけて成そう 数字的に七数で見れば、七数は蘇生、十四数は長成、二十一数は完成になる。ゆえに、二十一万集まることができれば勝利である。そうするとアメリカを持ち上げておくのと、同じことになる。そのため我々は、全体をかけ、命を懸けて、全財産をかけてやらなければならない。ヤンキー・スタジアムに向かわなければならない。神の国を皆さんは思うのではなく、体で感じなさい。もし、ヤンキー・スタジアムに集まったら、神はとても痛快だろう。イエス様もそうであり、先生もそうである。全霊界が感謝するだろう。そして世代が変わってくるだろう。反対する群れは縮まってしまうだろう。夢のような話であり、なぞのような話である。 先生は、このように深刻な立場に立っていることを、知らなければならない。これまで基盤を積んできて、初めて世界基盤の霊的勝利の上に立って、肉的基盤を見つめているのである。ここで勝利するなら、三年以内に、八〇年までに間違いなく死守するようになるのである。これをいかにして共産圏まで適用させていくか。我々は闘わずして、全世界は解決されたと、堂々と神に向かって証{あかし}することができるのである。ヤンキー・スタジアム大会を二十万人以上勝利することができれば、ワシントン大会で六十万、七十万以上、勝利することができる。「レバレンド・ムーン支持」と六十万が言えば、新しいイスラエル圏の出発が始まるのである。世界的カナン復帰のため、国家復帰のためイスラエルが出エジプトしたと同じように、全世界に向かって、新しいイスラエル圏の出現の時が始まるのである。 霊界を総動員して 三年間は世界的基盤をつくる時である。蕩減復帰は三年間やるのである。既に韓国においては一二〇万を勝利した。皆さんがイエス様のような心情、先生のような心情と一つになって頑張れば、霊界が全体動員されて勝利できる。何となくヤンキー・スタジアムに行きたくなる。ヤンキー・スタジアムを思うだけでうれしいし、皆さんを見ればついていきたくなる、そのように心に働きかけてくるのである。だから、転換をするには最大にしなければならない。それは前にもあとにもない最後の闘いなのである。神様が深刻であり、イエス様が深刻であり、先生が深刻であり、イエス様の霊界が深刻であり、そして統一教会の皆さんが深刻になっているのである。そうなると霊界がついて歩きながら業をなす。理輸的にそうである。キリスト教を信じて霊界に行った人々が、協助する。これからはキリスト教が反対する時は長く続かない。ヤンキー大会が終わって勝利すれば反対することもなくなり、何となく統一教会に来たくなり、吸収されるのである。 ヤンキー・スタジアムの勝利は、長成を越えていくため、堕落圏を越えていくことになるのである。それが何かといえば、世界的神の権威が立つようになるので、サタンは行く所がなくなってしまう。そのために反対することができなくなる。ヤンキー・スタジアムにおいて結論が出るのである。皆さんはヤンキー・スタジアムの大会が早くきたらいいと思うか、遅くきたらいいと思うか? 先生は恐ろしい。もし、失敗する日はどうなるか、その点が一番、深刻なのである。それを知らなければならない。どのようにしても、いかにしても、これをなさなければならない。ヤンキーを勝利すれば、長成期を越えたことになるのである。 アメリカの歴史は二〇〇年になる。これはユダヤ教で失敗した四〇〇〇年を、ローマ四〇〇年で蕩減復帰したように、キリスト教で失敗した二〇〇〇年を二〇〇年で蕩減して、霊的、実体的に収納しなければならない。これを収拾解決して、天的に収められるかどうかということが、二〇〇年蕩減期間と一致されるのである。イエス様の霊肉を中心とした、このような蕩減期間が二〇〇年であったということ、これは神が数理的摂理をしているのであることを、知るのである。 これでヤンキースタジアム大会のタイトルは、「アメリカ建国二〇〇年、神よアメリカに祝福あれ」という。天国へと越えていくということである。そのようにして第二番目の峠を越えていくのである。君たち、寝る時、手も足もヤンキー・スタジアムに向けて、押し込む気持ちで寝なさい。そのように思っていればなるものである。 そのように皆さんが成功を収めていけば、皆さんは上に上がっていくのである。イエス様も頭を下げる。神様もそうであるし霊界もそうである。 先生は深刻である きょう、十二月一日、先生は非常に深刻な話をした。きょう先生が語ったことを、これからの四十日、ないし三十日で準備していけば成功するだろう。 先生が思うに、大会の日は五月二十七日がいいと思う。今月十二月から五月まで、六カ月ある。そのうち一カ月が三十一日の月が三回ある(十二月、一月、三月)から、五月二十七日であるからこの三数をプラスして、完全なる六カ月になるのである。五月二十七日は歴史的転換点になるのである。皆さん一人一人が、六〇〇〇年の歴史を集結して、神様の歴史自体において、聖人先人たちが信じていた、あるいはすべての我々の先祖たちが信じていた復活体となって、イエス様以上に精誠を尽くす時なのである。摂理歴史において間違いなく、あとにも先にもない歴史の最頂点に立ってあらゆる力を尽くして、私が神様の前に立って「君はそれ以上できなかったのか」と聞かれた時、「自己のでき得る最大の基準までやりました」と言えるようになれば、皆さんも先生も、責任を免れるのである。これをもし、知って、あらゆる精誠を尽くさないとするなら、億千万代の恨みとなるのである。皆さんと先生が一つになって、二十四時間、サタンも休まないし神様も休まない、我々も休まない。そのような思いをもって、これからの六カ月、最後の地獄のような期間であり、再び、あってはならない期間であり、思うだけでも身震いするような期間を、皆さんは真剣に越えなければならない。 そういう思いでもって、あらゆる精誠を尽くして神の前に誓い、きょうから六カ月、総動員していこう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.04
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THINK TANK 2022希望前進大会プロモーションビデオ희망전진대회 [Rally of Hope]チャンネル登録者数 8940人THINK TANK 2022希望前進大会2021.9.12 9:30 AM大韓民国、清心平和ワールドセンター生中継 tv.peacelink.live一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.04
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第2回神統一韓国平和フォーラム(2021.9.3)2021/09/03 09:00に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.02
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「み旨成就の場所と群れ」1975年11月2日ベリータウン修練所にて み旨は創造理想完成 何ヵ所をまわって、きのうの夜帰ってきました。今朝はその間、ずうっとまわりながら話した内容を選んで、しばらくの時間話してみます。「み旨成就の場所と群れ」という題です。 私達が今住んでいる世界は、本来神が理想とされた世界でない事を、皆さんは良く知っております。神のみ旨と言えば、何でしょうか。数多くの完教は、人間の意志に従うのではなく、神のみ旨を求めて出発しているのを私達はよく知っております。その神のみ旨が何であるかという問題についてみる時、これが確実ではなくては、み旨成就の道を探す事はできません。私達は、み旨が成される場所、み旨でない世界にいるために、み旨でないものとみ旨のものとを明確に区別しなければなりません。 神のみ旨は何であるかと言うと、神の創造理想は何であるか。創造には、万物の創造と人間の創造があるのを、私達は知っています。結局は人間の始祖アダムとエバを中心にして万物を、私達は知っています。結局は私達統一教会はこの基準を四位基台の完成として定義を下しております。結局、神のみ旨は創造理想を完成する事であり、創造理想を完成する事が何であるかを具体的に言うならば、四位基台を完成することです。では、四位基台が何であるかというと、完成したアダムと、完成したエバが神の愛の中で祝福を受け、神の愛の中で祝福を受けてから、神の願う息子、娘となると同時に神の願う夫婦となって、次には神が願われる家庭をつくる為には、子女がいなくてはいけないために、子女を完成させることである。 これを結論的に言うならば、創造理想世界は神の愛を中にして神と息子、娘が一つになり、その次にはアダムとエバが父母になって、神の愛を中心に子女と一つになった、愛の一つの理想的家庭です。 そのために、創造理想世界は何が必要ですか。第一に神です。神がいてその次には、、人間を中心とした真の父母が現われて、真の息子、娘がいなくてはなやません。 エデンの園から追放 それでは、私達が創造理想世界に入るためには、創造理想のその内容を中心とする愛を、全部取り返さなくては入る事ができないのです。このような結論になるんです。そうなるには、神を中心にして神の愛によって、私が生れ変わらなくてはならないし、神の愛によって個性完成をして、神の愛を中心として夫婦となって、神の愛によって息子、娘を持たなけれだならません。 このような基準を中心にして、私達この地上に住んでいる人々を見る時、神の理想の下で生まれた息子、娘がいるでしょうか。皆さん、どこで生まれましたか。神から生まれましたか。何によってですか。神の愛を受けながら育ちましたか。君達。次には神の愛によって、この地上の人間達が結婚するようになったのですしょうか。そして、その夫婦が息子、娘生んだならば、神の愛をもぴって愛し育てるでしょうか。 さて、今、私達この地上に住む人間は、神の創造理想世界から追放された人々です。エデンの園から追放されたという事です。それで追い出されたのだから理想的な園でなくして、理想外の世界に追放されました。それでサタンを中心とする人格がつくられ、サタンを中心として私達が生れ、サタンを中心として育ち、サタンを中心として夫婦が結婚し、サタンを中心として国家と世界をつくりあげて、神の理想的み旨とは関係のない群れとなってしまったのです。 そのためにはこの地上は、サタン的愛を中心として生きているのです。サタンは本来出発する時自己を中心として、神に逆らおうと自己中心となって全てを出発したために、全て、生れたのも自分のために生れたと考え、愛も自分のために、、家庭も自分のために、息子、娘も自分のために、全部がみんなこのような堕落の結果の世界に落ちた事を、私達は知っているのです。 今、そうでしょうか。違うでしょうか。勉強しても自分、自分。全てのどれをみても、全部がみんな自己中心です。だから堕落した結果の世界は自己中心の世界です。サタンがそうであったし、エバがそうであって、自分の目が開かれてくる事を願うと、神に対して全てがそうなりました。だから結局は、人間世界は斗争が起ってくるのです。殺戮戦が起きるのです。自分が一番になりたくて、一番の人がいればこれを打倒してしまって、一番になろうとするのです。 互いにそのような歴史過程にいる個人と家庭と氏族と民族と国家なども、結局はサタン世界にいるのを私達は否定する事ができません。 神の愛により一つに もし堕落しないで、理想世界ができていたならば、どこででも神の愛を受けられたのです。どこででも神の愛。神を中心として神の愛。自分を次にして、それを主体にして、自分は対象である。自分が一番になるのでなく、神が神が一番になられるのです。神の愛!によって、神の愛を受ける事で全てが解決されるのです。 それで神の愛を中心にして、神の対象となって一つになる事です。一つになる事です。一つに。愛でもって一つになる事です。一つになった後は神のものが私のものであり、神の権利も私のものであり、神のものは私のものとなるのです。全てが皆。さあ、こうしてみると、結局は神を主体にして神と一つになり、一つになるならば自のものです。それは同じことです。サタン世界では、神のものも自分のものにしてしまい、自分のものであると主張しますが、ここでは神を主体にして、その次に神の愛を受けたために自分のものであると言います。 本来の創造というのは、一なる神が主体としておわして、その主体の前に対象をたてるためのものが創造の目的であったのです。原則であったのです。これは互いが高くなるためのものでなく、互いが一つとなるのが創造の理想なのです。たしかにそうです。神のみ旨は、神の理想は一つになるためのものです。知っておくんですよ。神を中心として、愛を中心として一つになる事が創造理想世界のその骨子です。それが堕落してしまった。堕落した世界は幸福なき不幸の、死の世界であるために、この世界を脱け出て私達は再び帰って行こう!という事です。 人間の責任 さて、今までの既成教会は神は救ってくれると、こう言ってきたんです。救いの神が中心となって、神が救ってくれると考えたんです。全てをみんな神の前に持っていったんです。今までの宗教者達はみんなそうでした。ところが知ってみると、それは間違っていたというのです。 落ちたのは誰ですか。神が落ちたんじゃないんですよ。それでは誰ですか。誰が落ちた人であり、誰が昇っていくべきですか。それは堕落した人が昇っていくべきです。そういう立場から統一原理が提示しているのは、救いの道は道であるけれども、その救いは復帰の道です。帰っていく道です。人間が落ちてしまったのだから、人間が帰っていかなくてはなりません。神の救いの網が下されたとしても、自分が掴まなければなりません。自分が上ろうとしなくてはならないのです。上ろうとしない人は、神も与えることができません。神もどうする事もできないのです。 既成教会で信じているのは救援してくれる神ですが、私達が信じるものは、救いは自分を救うこと。神を中心として自分を救うその道が復帰の道です。これを確実に知っておかなくてはなりません。神がいかに救援摂理をしたとしても、人間が協助しなければなりません。神が全ての事に、手を差し出して引き入れればいいのではないかと、こう信じているんですよ。既成教会は。それはできないんです。 では、私達息子、娘が罪を犯したのを、父母がその責任を負う事ができるでしょうか。できません。もし代りに責任を負う事ができるとすると、神の息子、娘達が罪を犯して地獄に行くならば、神も地獄にいっていなければならないという話になってしまうんです。そうする事ができますか。そのような原則、そのような創造原理はないのです。だから、罪を犯した人間が行って、監獄に行って罪を脱ぐにも、それは罪を犯した人が脱ぐべきです。脱がすためには協助してやる事ができるのです。 エデン復帰は神の許しから 世間でもそうじゃありませんか。監獄に座っている人達が、罪に対して深く悔い改めて自ら悟って、昔よりももっと良くなると減刑があるんです。エデンに帰る事ができるのはそれです。そう、そこに許しがあるんです。 さて、罪を犯したのだが、それよりももっと悪くなるとするならば、、許す事ができるでしょうか。そういうこを許したならば、それは何にもならないのです。それはサタンです。許しというのは、どのような時にあるかと思いますか。より良くなる事ができるという時にだけあるのです。例えば、子供達がいけない事をした時に、父母が「いけないことをしてはいけません。」と叱りますね「お母さん、ごめんなさい、もう悪いことはしません。これからは良い事をします」という時に許しますね。こういう事なんです。 今日、数多くの宗教人達が特にキリスト教人達は、神は愛なる方で、無条件の愛の方であると言います。そんなでたらめな、根拠のない話しがどこにありますか。その話はあっていますか。もしそうならば、世界の人々を全部許してあげて、全部をみんな天国に行かせればいいのに、何故いかせないんですか。許しというのは、より良くなり得るところでののみ成立されるのです。これを知らなかったんですね。 だから、より良くなる事のできるところでのみ、天の御国への望みが続けられるのです。こういう結論がでるというんです。そう、より良くなれる時にのみ、個人から家庭に上り、家庭から氏族、国家、世界に行ける、天の御国に行くことができるのです。こういう話しは、今日の社会にも通じるんです。このような事は簡単な問題ですけれども、考えることもしないで、知らないでいるんです。さあ、皆さん、朝早く、夜明けから何をしに来たんですか。来る前より悪くなるために来たんですか。良くなる為に来たんですか。一段一段階段を上る様に、良くなっていくんですよ。 こうして、全て分析的な理論を通して、それが当然な理論形態を経てから、神のみ旨を求めていく事のできる宗教になる事ができるというのです。私達は、理論的な理論を通して、それが当然な理論形態を経てから、神のみ旨を求めていく事のできる宗教になる事ができるというのです。私達は、理論的宗教を言ってきたのです。 さて、それでは自分が世界的に大きく、世界的に大きく、世界を全部良くするという時にはどうなるでしょうか。堕落した時より良くなるとすれば、少々の罪等は、そのまま許されるのです。神に許して下さいと言わなくても、そのままみんな許しを受けることができるというのです。 皆さん、針先ぐらいの罪をもって「ああ神様!私を許して下さい」このようにするだけでいいのかな。私は少しは罪がありますけれども、こういう原則を知るならば、世界のためにより善になる、良い行いをするとするならば、大したことのない罪は許されるんです。このような論理がたつようになります。そんな事ってあるのかな。こういう事を知るようになれば、見てごらん、もう大丈夫だ、しめたものだ。 神の喜びの善の対象 それでは、今この世界で神が一番好まれる事は何でしょうか。考えてごらんなさい。それじゃ、結論を下しましょう。神が好まれるものは何ですか。それはアメリカを一番好きになるのか。喧嘩をして一番に好かれるのか。全体が一つになってこそ一番好かれるのか。聞いてごらんなさい。一番好きになるためには、それ位いに国民が完全にならなくてはならないのであり、大統領と完全に一つになることです。自分が正しい立場に立っていけば好きになられる他ないのです。 それと同じであるというのです。神が何を一番好まれるのでしょうか。それでは神が一番喜ばれるのは何でしょうか何かな。おいしいものを食べることですか。お金の包みを持っていく事ですか。権力ですか。世の中を牛耳る権力ですか。知識ですか。知識でしょうか。お金も神がいくらでも作るのであり、権力も神が全部持っているのであり、知識も全部持っているのですよ。全てのものを全部もっているのです。神はお一人で喜ばれるのですか。そうすれば、神は狂ったのです。さあ、神は何を一番好まれるでしょうか。何を一番喜ばれるのでしょうか。神が完全であるのと同じく、完全なる対象を求める事です。対象を求めることであるというのです。 喜びとか、幸福とか、愛という言葉ではなく、相対的関係から言うものです。一人で「ハッピー」と言いますか。「ああ、ハッピー」そうですか。喜ぶことができますか。それはできないんです。それはみんな相対者が現われてこそ、これが全部一度に、みんな成就されるのです。一度にです。いくら神といえども相対なくしては駄目であるという結論がでるんです。 それじゃ相対はどこにいるのですか。最近、このアメリカをみてみると、犬でしょうか(爆笑)。この宇宙の中いくら神の相対となれるものを探してみても、人間以外にあり得るでしょうか。人間以外はいないです。 人間です。人間といえば、男と女がいます。私達は神に帰りましょうと言いますが、自分だけが先に行くんだと、こうなったらどうなるでしょうか。そうであるために、知恵の神はそうせずに、お前達二人共に一つになりましょう。こういう結論になるのです。結婚は何故するのでしょうか。神を共に同的に持つために結婚するようになったといえるのです。こういう話しになるのです。一諸に暮す、さあ、こう話すと素適でしょう。 さあ、皆さん神の対象になる事ができますか。私の口がこんなに大きくて、鼻がこんなに大きく、目がこんなになって、醜い容姿であっても、神は私を対象とせざるを得ないというのです。神はそうなんですよ。万が一駄目であったら、私が醜いという事が理由で対象として下さらなかったたら、神に攻撃しなさい。創造原理で、主体があなたであり、私が対象であるのに、原則がそうなっているのに、いやになる訳があるでしょうかと。神がどうする事もできないのです。 さあ、私が韓国にいた時のお話をしましょう。韓国のおばあさんなんですが、しわくちゃで、見るだけでも気分が悪くなる、そういうおばあさんがいるのです。でもこのおばあさんは、先生をとても好きなのです。朝に食事をする前に、一度先生に会わないことには駄目なんですね。そのおばあさんが、先生がどこへ行っても、夜明けに来てあいさつをして、昼ごはんの時も来てあいさつをするし、夕食の時にも来てあいさつをするし、さあ、こういう事で「えい!少しじっとしていなさい。」そういう毎に「先生は私が嫌いでそうしているのではなく、私が好きでそうなさのだ」とそう言うんですね(爆笑)。 しかし、何度かそうしたら、そのおばあさんは、神の前に三日間談判祈祷したのです。「本当に先生は私が嫌いでそう言ったのでしょうか。」と。神にそうなのか談判したんです。そうしたら神は「こうしなさい」と教えて下さったというのです。「これこれ!お前、先生のところへ行って、このような答えをしなさい」と。どんな答えかと言うと、「顔立ちが良くても神の形状、悪くても神の形状であるから、神の形状を愛するのが先生の義務であるために、お前を愛さないはずはありません」と(爆笑)。こういうお話しがあるというのです。 私達の全ては神の像 特に若い女性の一部の人々は、鏡を見ながら「どうして私はこんなに醜いのかしら」と嘆きます。そのような女性が沢山います。しかし、そう考えることは罪です。そのように考えるべきではありません。たとえあなた達が醜かったとしても、それは神からきたものです。あなた達は、神の性相の醜い部分を受け継いでいるのであり、それは神自身の顔の表われに他なりません。故に神はあなた達を愛さなければなりません。 あなた達は自然の美を求めておりますが、自然の美を鑑賞する時に、それは決してワシントンの記念碑のように、単に四角い直線的なものを求めているのではありません。自然の美というのは、すべての醜さを含んだすべての形の結合したものであります。 神は、この世界に美しい人々のみが住むことを願ったのではなくいろいろな人々が一緒になって住むことを願ったのであります。光の中を歩めば影ができます。そのように光と影があった時に、全体的な美がつくりだされます。神の美とというのは、高いもの低いもの、巾の広いもの狭いものなど変化に富んだものであります。いいかえれば、美人はすべての徳を兼ね備えることができないということです。美があれば、その反面何か欠けた部分があり、醜さのかげには、また美しい部分もひそんでいるのです。そのようにお互いに補い合うことにより全体を形づくっているのです。 神は私達の主体であり、私達は神の最も尊厳なる対象であります。故にあなた達は、神の像の如くつくられた愛の対象であります。あなた達の手をごらんなさい。それは誰の手だと思われますか。「神はどのようなお方ですか」と聞かれたら「私のような方です」と答えなければなりませんん では神はいくつの目を持っていますか。二つです。神がもし目をもっているとすれば、ただ一方のみを見つめますか、それとも笑ったりして、目ですべての動作を表わしますか。神がもし口を持っていたとすれば、神は笑うでしょう。あなた達の体のすべての部分は、神の像の如く造られたものです。あなた達はそれを愛さなければなりません。この世のすべての人々な、神に似ているその度合いが異なります。ある人々は七十パーセント似ており、ある人々は五十パーセント、ある人々は三十パーセント似ております。心も体も含めてです。私達は神の如く造られておりますが、兄弟姉妹の中により神に似た人がいるということを知るべきです。 目と口と手を守りなさい 体のどの部分をあなた達は最も愛しますか。女性は顔を最も愛するように思われます。それで化粧をしたりして、顔を美しく見せようとします。女性は目と口を最も愛しているように思われます。それで目と口をたえず手入れします。次に女性は爪を愛するように思われます。爪を非常に念入りに手入れします。何故女性はこの三つを最も貴重なものであると考えているからです。だからサタンは女性を誘惑しようとする時にどこを狙うでしょうか。あなた達が最も貴重と思うものを狙います。サタンはまず始めにに抜き取ろうとしました。それから口を盗もうとしました。目と口を得た後はゆっくりと手をさし出しあなたの手を握ろうとしました。サタンは非常に賢いのです。だからあな達は、目と口と手とこの用い方に注意せねばなりません。この三つはたなた達を信仰的にもし、不信仰にも陥らせることができます。 もしあなたが目の使い方を誤れば、例えばその目を誘惑している男の人に向けるならば、あなたはサタンとなるのです。あなたは口を誤った目的のために用い、男の人を誘惑しようとして不信仰な言葉を語るならば、口もサタンのものとなってしまいます。もしあたた達が、それらの三ふがサタンのためではなく神のために使われるのだという確信をと信仰をもっていれば、アイシャドウをしても、口紅をぬっても、マニキュアをしても一向にかまいません。しかしもし確信がなければ、それをすべきではありりません。 神の愛に酔う 私達は神の対象であるという結論に達します。私達は神を主体として、神を所有する権利をもっています。神は私を愛し、私に喜びを感じ、私から幸福を得るでしょう。これが神の立場であるとしか考えられません。あなながひとりで神を所有しきったと感じた時、あなたは神の対象となり、愛と幸福と喜びにおいて神を占領することができます。私達は何と幸福なのでしょうか。 では堕落した人間の願いは何でしょうか。それは本来の人間、本来の創造理想の世界に復帰することであります。あなた達は神の愛を体験していますか。神の愛はどんな味ですか。もしも神の愛が体のある部分にくれば、あたなの目も鼻も耳も口も、すべての器官がその方向に向くでしょう。そうすればあたなは完全に神の愛によって酔ってしまうでしょう。あなな達のうち何人かは、酒の味を知っていることと思います。先生は酒の味を知りませんが、あなた達がどんなに酒で酔ったとしても、神の愛に酔うことに比べれば、それは比べものになりません。この世には沢山の麻薬患者がいます。例え彼らがある種の快感をもっているとしても、それは神の愛とは比べものになりません。 この世界での男性と女性における愛は、より程度の低い愛であり、本来の人間の享受すべき愛ではありません。それは天使長級の愛であります。そのような天使長級の愛ですから、私達はその愛のために死にそうだと言います。あたな達が神の真の愛を受けやそれを味わうならば、なおさらそうなるにちがいありません。二十四時間、一瞬一瞬、すべての思いが神に向くにちがいありません。そのようつ愛を感じることができますか。 あたな達が日々神に近づくならば、神はあなた達から遠ざかることはありません。神もあなた達に近づいてくれます。真実、恋人同志が近づきあう時、お互いに相手をしりぞけはしません。お互いに近づきあうでしょう。神の愛も同様です。もし私達が神の愛を知れば、それはどの位幸福か、誰も想像することができません。 だからいったん神の愛と一つになれば、例えあなた自身が神の愛を断ち切ろうとしても、それをする力がありません。神も人間の愛から自分自身を断ち切ろることができません。故にそれは永遠に続きます。何ものもそれを断ち切ることができません。神でさえそうすることができないのか、とあなた達は疑うかもしれません。親の愛というものを考えてごらんなさい。生まれたばかりの子供をもつ、若い夫婦がいたとします。子供は不幸にも生まれてすぐ死んだものとします。しかしその両親でさえ、子供が一度も親の愛に反応を示さなかったとしても、多くの悲しみを味わい、涙を流し、それも一日だけでなく、何年も何年も忘れることができません。 そのような種類の愛は一体どこからくるのでしょう。それらすべては根源からくるのです。神はその根源であまます。神は御自身を人間との愛から切り離すことができません。故に神がいかに全能であったとしても、愛から切り離すことができません。故にいかに神が全能であったとしても、愛の前には屈伏せざるを得ません。神よりも強いものがありますか。そうです。一つだけあります。それは真実の愛です。 復帰は真の愛により あなた達は、何を一番大切にしますか。それは愛です。生命以上に愛を大切にします。それは神にとっても同様です。神も自分の生命以上に愛を大切にします。故に神を占領する秘訣はただ一つあります。それは神の愛を用いることです。今日の主題は前にも語ったように「み旨成就の場所と群れ」ですが、神の意志のあるところには真の愛がある。これがポイントです。 真愛を与えるためには、神の真の人間を見い出さなければなりません。故に神の真の人間と神の愛を授受することのできる成就の日をみることでした。故に原理が私達が四位基台をなす時に、神のみ旨が成就きると教えていることは、歴史的な発見であります。四位基台中には、男と女、親と子等のすべての愛の人間関係を見い出すことができます。神は父母の愛や夫婦の愛、子女の愛とこの三つの愛を感知しようとされました。人間社会においてこの三つの愛があり、私達は神の愛を中心とする愛の世界に生きているのです。 一つの円は理想世界を代表し、もう一つの円は堕落世界を代表しています。(図を説明しながら)愛はどちらの世界にも存在しています。しかし一方の愛はねたみ、自己中心、貧欲などの堕落世界の愛であり、他方は対象に対する与える愛であります。神は愛の完成を願い、その対象から愛を受けることを願ったのであります。だからあなな達はまず第一に対象を愛し、尊敬しなければ神の理想は実現されません。理想世界では対象者が重要となり、堕落世界では自己が重要となるのです。それ故に堕落世界から理想の世界に戻るためには、まず第一にあなたの対象者、又は主体者を愛し、尊敬していかなければなりません。 前にも語ったように、もし復帰の過程が再創造の過程であるとするならば、再創造の過程も創造原理にそって行わなければなやません。故に復帰路程において自分を神の立場において対象を復帰し、対象を無条件に愛し仕えていなければなりません。そうすることによってあなたは主体の位置にたつことができ、対象者はあなたの伴侶となるでしょう。そうすることによって最高の偽りのない愛を与えることができます。そうすればそうするほど二人は一つとなります。これが私達が日常なしていることであり、伝道の目的であります。 創造理想と復帰摂理 神のみ旨について語る時、それには二つの意味があります。一つは創造の本来のみ旨、即ち創造理想であり、他の一つは、堕落世界が本来の世界に復帰しなければならないという復帰のみ旨であります。故に後者は人間が堕落した後生じたものであり、それが復帰摂理であります。復帰摂理は再創造摂理でありますが、それは人間の堕落以前には必要ではありませんでした。人間が堕落した後始めて復帰路程が必要となったのです。 キリスト教の今までの教えでは、それら全てを一つの神のみ旨であると考えています。人間が堕落するのも、人間を救う神のみ旨であるを考えています。人間が堕落するのも、人間を救うのも神のみ旨であると。しかしそれは真実ではありません。それは本来の神の意図ではありません。又キリスト教の今までの教えは、救い主としてのイエス・キリストは創造以前から存在したと教えていますが、それは真理ではありません。そのこと、人間の堕落すら神の意図であったという結論に達することを意味します。言いかえれば、神は始めから人間の堕落を意図したということになります。救いとか救い主ということは、初めの神のみ心ではありませんでした。神が最初に予定したのは、はじめから理想世界を実現することでありました。人間が堕落したことによってのみ、救い主が必要なり、地獄というものが現実となったのです。 中心的宗教は神のみ旨を明示 故にこの復帰を中心として、すべての努力が東西南北四つの異なった方向からなさなければなりません。すべてのエネルギーが復帰というその使命を中心として費されなければなりません。どのような手段によってかといえば、それを宗教を通じて実現されるでしょう。今まで宗教はその教えを盲目的に信じなさいと教えてきました。そして又より高度な教えを中心として、人間は堕落性を取り除かなければならないと教えてきました。人間の堕落は、人間が神に対する絶対的な従順と忠実さを失った時に生じたのです。故に本来の世界に復帰するために、私達が示さなければならないものは、絶対的忠誠、奉仕であります。だから従順は宗教の世界においては、大きな美徳であります。 沢山の宗教がありますが、その中には中心的な役割を果す一つの宗教と、他の間接的な役割を果す宗教とがあります。全ての宗教は異った使命をもっていますが、その宗教がある段階まできた時は、最終的には中心的な宗教と一つになることができるように方向を正さねばなりません。偉大な歴史学者、アーノルド・トインビー博士によると、最初は二十一の文化圏がありましたが、それらが段々と隔合しあって、四つの大きな宗教を中心とする文化圏を移行してきました。高度な宗教は、より低い次元の宗教を吸収する力をもっています。 では神はそのような多くの宗教を最後の時に、彼らがお互いに対立するために作ったのでしょうか。それとも彼らが一つの大きな目標にむかって、お互いに一つになるように作ったのでしょうか。究極的には、統一ということが、神にとって最も大切な言葉となってきます。そのために統一協会というものがあり、それが私達が今ここに集っている理由です。 それでは私達は、異ったイデオロギーを中心として統一されるべきでしょうか、それとも、神のみ旨を中心として統一されるべきでしょうか、どちらでしょうか(神のみ旨!)神のみ旨を中心として一つになるためにには、私達はまず神のみ旨が何であるかを、はっきりと知らねばなりません。いいかえれば、他の宗教を統一することのできる究極的な宗教は、神のみ旨をはっきりと人類に示すことのできる、究極的な真理、絶対的な真理をもった宗教でなければなりません。 しかしながら、今までの全世界の宗教の歴史を通じて、統一協会のように数学的な方式で、神のみ旨が何であるか、神の創造理想が何であるか、人間の堕落とは何であったかを、正確に示すことのできる宗教は他にありませんでした。私にとってだ統一協会は真理を持っており、全ての宗教を統一する力をもっています。それを信じますか(はい)。統一することを願いますか(はい)。本当にそうしたいと願いますか(はい)。 イエス様ですから、そうすることができませんでした。神ですら六千年間、そうすることができませんでした。しかしあなた達は、それができますか(はい)。何によってできますか。それは真理によってです。私達が知っている原理によってです。故に聖書は「真理はあなた方に自由を得させるであろう」と教えています。 神の真の息子 今まで私達は、まだこの段階で戦ってきました。(図を説明しながら)私達はまだ理想の世界に到達していません。ではいつ到達することができるでしょうか。神の創造理想が実現された時、私達はすでに天国の入口に来ているのです。神の世界、理想の世界に住む人々は神の息子、娘でなければなりません。だからサタン世界に住んでいる人々は、神の息子、神の娘として自分自身を移行させなければなりません。 サタン世界の人々は、どういう人々でしょうか。それは堕落した人々であります。彼らは神の人でしょうか。サタンの人でしょうか。(サタンの人です)サタンの人は、自らを神の世界に移行させる力がありません。 私達が毎日やっていることは、神の人に移行できる候補者を集めているのです。宗教にくる人々というのは、神の息子、娘になるための候補者の群のようなものです。私達が理想世界に行くためには、私達はまだこの段階を越えねばなりません。(図を説明しながら)。そしてこれは、養子の領域であります。養子とは究極的には父の養子となること、即ち息子となるための候補者であることを意味します。しかし養子は、まだ父の血統を受け継いだ立場ではありません。神にとって、千万人の養子と、一人の血統を受けついだ真の息子とどちらが尊いですか。その答えは御存知のことと思います。 本来の理想世界において、神は万物に対する相続権を、自分の息子に与えようとされました。神はそれを、養子に与えるために創造されたのではありませんでした。だからあなた達が、養子としての資格を与えられる宗教の領域にいたとしても、あなた達は真の息子を必要としています。真の息子が来なければなりらせん。神は養子から息子へと、人々を移行させることのできる一人の真の息子を送らねばなりません。では、その人はいつ来るのでしょうか。その人は誰なのでしょうか。それがメシヤであります。 とりなしをなすメシヤ では何故メシヤは来るのでしょうか。メシヤの使命とは何でしょうか。メシヤは人々を復帰するため、言いかえれば人々に絶対的な忠誠を尽させ、メシヤと一つにならせるために来られのです。それからメシヤは神に「これらの人々は私と完全に一つになっています。あなたが、私を中心として復帰したこれらの人々に私と同じ資格を与えてくれませんか」と言うでしょう。メシヤは又「お父様、これらの人々はメシヤの為の真の家庭基台、メシヤの為の真の社会的な基台、メシヤの為の真の国家的基台、メシヤの為の世界的基台をつくりました。彼らはとても貴重な存在です。だから、あなたが私のために意図した全ての愛を、彼らに与えて下さい。この日のために、多くの人が犠牲になってきました。この日のために、多くの人々が血と汗と涙を流し、真剣に働いてきました。ですから、どうぞこれらの人々を承認して下さい」と言うでしょう。これがメシヤの口実です。そして天の父は「息子よ、もしあなたがそれを本当に願うなら、私はそれをこれらの人々に与えましょう」と答えるでしょう。 それが宗教の役割であり、究極的な宗教の目的であります。言いかえれば、宗教の役割とは、メシヤが神に嘆願することができるよう、メシヤが働くことのできる基台を準備することであります。ですから宗教および教会は、メシヤのための家庭的基台、メシヤのための民族的基台、メシヤのための国家的基台、メシヤのための世界的基台を準備しなければなりません。それが宗教の役割です。 私達は救いの摂理というものを、はっきりと知りました。では救いの摂理は、どの段階まで救うことを目的とするでしょうか。それは部分的や救いではなく、全世界を救うことです。言いかえれば、全ての人類は、本来神の子供であることを願われているのです。神は彼らを、永遠の地獄に投げ込むことはできませんん。神は全ての人を救おうとされています。だから神のみ旨は、全ての人類が完全に救われることです。それが神の究極的な目的です。 では結論を急ぎましょう。それでは真の宗教とは、どのようなものでしょうか。真の宗教は、全人類を救うという資格と目標をもたねばなりません。それは誰のためですか。神のためです。それからメシヤのために、全世界を一つにするためです。真の宗教は神とメシヤのために、全世界を救うという目標をもたねばなりません。神のみ旨は、全世界を復帰することであります。メシヤはその目的を完成するために、地上に神の代理として来られます。 私達は宗教の目的を知っています。宗教は世界のために存在しています。世界は舞台であり、宗教はそれをメシヤのために整えなくてはなりません。メシヤはこの世界を受け入れ、人々に神の息子、娘となる資格を与えられます。それはメシヤの役割であり、養子の役割ではありません。何故なら天国は神の息子、娘が住むところでありわ養子の住むところではありません。故にこの堕落した人間を救い、彼らに神の息子、娘となる資格を与えるために、メシヤは必然的に来なければなりません。 神の御計画 神の復帰摂理を成就させるためにこの百二十年間日本は神から繁栄の力を与えられてきたのです。そのために日本はアジア全体に勢力を持つようになりました。それはこの百二十年間に成就されたのです。神はあらゆる角度から復帰させようとされておられるのです。あなた達はついて来ますか。(はい)。韓半島は、イタリア半島に相当します。韓国の問題は中東の問題であり、ヨーロッパの問題でもあるのです。ですから韓国の問題は、いわば世界的現象の中心点なのです。キリスト教はアジアに興って、西へと広がったのですから、一循して再びアジアに戻ります。従って霊的に言えば、究極的にはイエスの霊肉完成はアジアで成就されるのです。それが韓国で成就されるというわけです。このようにして、神の統一世界は必ず実現されるのです。統一教会はあなた達のの国アメリカと、そして世界を解放するのです。それが神の遠大な御計画なのです。。わかりました。(はい)。 アメリカに対する神の願い 世界的摂理において、自由世界と共産世界の挾間で、二つに分裂した国があります。一つは韓国であり、もう一つはドイツです。もしアメリカが先頭に立って摂理を実行しようとすれば、共産主義世界の分裂は可能です。一九五三年、その年、もしもアメリカがダグラス=マッカーサー将軍の政策に従ったならば、世界は変わっていたでしょう。しかし彼は四月に解任されてしまいました。もし彼が解任されていなかったら、九月までには、その重大な問題は解決されていたでしょう。アメリカはここで失敗してしまったのです。この点が理解できますか(はい)。 ですから私達がやり直さなければならないのです。私達が復帰しなければならないのです。アメリカは必ずなし遂げなければならないからです。もし、また失敗するようなことになれば大変です。東洋文化の代表であり、アジアの究極の目的地である韓国に関わってきます。そうしたらもうチャンスはありません。もう二度とチャンスはないのです。わかりますか。(はい)。ここは重大ですよ。 すでにヨーロッパは台無しになってしまいます。共産化されてしまうのです。アジアの諸国も同様です。わかりますか(はい)。その他の地域も共産化されてしまって、共産国家が全世界を襲覇ってしまうのです。そうすればアメリカは生き残れますか(いいえ)。キッシンジャー国務長官が、如何に東奔西走したところで無為に帰してしまうでしょう。アメリカが自らの使命を果せずに、摂理が失敗してしまったら、何も残らなくなってしまいます。 現在でも、キッシンジャー長官が駆け巡れば巡る程、アメリカの傷は大きくなるばかりというようになっています。パリ平和会議、南北ベトナム和平会議などでキッシンジャー長官は非常に忙しかった。しかし結果はどうだったでしょう。ベトナム陥落、中国やソ連を中心とする地域で、もっと陥落が続いています。増々ダメージが大きくなっています。この点が理解できますか。(はい)共産主義から免がれ、生き残る道は唯一つ、メシヤの基台をうち立てることです。 キッシンジャー長官は言うでしょう。「私はイデオロギーにはとらわれません。実利的な話をしようではありませんか。友人になりましょう」こんなことを言うかもしれません。イデオロギーにはとらわれません。ということは共産主義がアメリカに入ってきても、歓迎しますということに他ならないのです。この国で君達は何をしてもいいよ、ということなのです。そんなことはアメリカにとって良いことでしょうか。(いいえ)。これこそ共産主義にとぴて、絶好の機会ではありませんん問題は重大です。病気に例えれば重態です。 自由世界と共産世界の対決 自由世界と共産世界での究極的な衝突は、ドイツでは起らないでしょう。ドイツが他の衛生国と結びついているからです。そうしますと、サタンが最も野望を抱く所は、アメリカがアジアと結びついている、接点であるところの韓国ということになります。従って、サタンは韓国に全勢力を集中させようとします。ここが韓半島ですね(黒板に地図を書かれて)。そしてここがソビエト・ロシア、ここが共産中国、そして海を越えてここが日本、そしてここにアメリカの力が加って、支える格好になっています。四列強が一つの小さな国を囲んでいます。ドイツはそうではあまらせんんまさに自由世界と共産世界の対決が韓国に持ち込まれようとしているのです。もし共産中国が韓半島全体を支配するようになれば、日本にも勢力を及ぼし、全アジアを掌握するようになるのです。ですから韓半島を誰が治めるかということは、アジア統治の鍵なのです。これは真実ですか(はい)。 神の子への奉仕 しかし、アメリカはどうかというと、第二次大戦後、日本に勢力を及ぼす立場を退き、日本に統治をまかせました。韓国でも同じです。何故アメリカは、全アジアに影響を及ぼせなかったのでしょう。そうです。ある意味ではそれだけの政治力がなかったのです。アメリカは愚かな道を選んでしまった。とさえいえます。アメリカにとって、アジアを失うことは自分自身を失うことなのです。神はアメリカにそんなことを望んでいるでしょうか。 実際、第二次世界大戦後、アメリカは韓国、日本、中国、マレーシア、東南アジアそしてインドも支配するチャンスがあったのです。しかし現在その多くは、共産中国の手中にあります。アメリカは、アジアから退却しなければならないでしょうか。神は全世界を、復帰しようとされておられるのです。アメリカは他の地域から徹退して、このアメリカ大陸でサタン勢力と対決しなければならないのでしょうか。アメリカが生き残る道は唯一つです。それは、アメリカがメシヤにつかえ、神の子への奉仕をすることです。それが将来、アメリカが生き残る唯一の方法です。 アメリカは、かつ韓国を防衛ラインに入れておりませんでした。アメリカの防衛ラインは、日本、台湾、フィリピン、オーストラリアを結ぶものでした。そのため、中国と北韓は、そのアメリカの政策を感じとり、韓国へ武力侵入してきて、六・二五動乱が起ったのでした。当時のトルーマン大統領は韓国の解放のために、国連軍としてアメリカ軍を送ったのでした。これは、正しい判断だした。多くのアメリカの勇士の血が、韓半島で流されました。 ですから、フォード大統領も韓国の解放のために、韓国の勇士と共に血を流すことは、神の御意にかなった条件となるのです。たとえ、アメリカがかつて失敗したとしても、勇気ある行動をとれば、それが行動となって蕩減することができるのです。そこで、韓国の自由のために語り、韓国と相対しようとしたすべての人は、韓国で亡くなった勇士と相対するこのができるのです。神中心に考えると、全て自由圏の人々は、血で結ばれた兄弟なのです。それこそ尊い結びつきなのです。 韓国は神の最前線でもあり、サタンの最前線でもあるのです。それは世界の運命を握っているのです。ですから非常に重要な一点なのです。わかりますか(はい)。また韓国から退却しようとしているのです。そして、以前のように、アラスカ、日本、台湾、フィリピン、オーストラリアという防衛ラインを引こうとしているのです。その防衛ラインには韓国が入っていないのです。 しかし、神はそのようなことを決して許されるはずではありませんんたとえ、ベトナムやカンボジアが、天的に見て犠牲になったとしても、韓国は、神が決して手離すわけにはゆかない一点なのです。たとえ、ベトナムやカンボジアが陥落したために、防衛ラインを変更せざるを得なかったとしても、許されざることなのです。ベトナムやカンボジアが陥落したことを心苦しく思っているとしても、韓国を失う苦しみには及びません。そんなことになれば、アメリカは世界からの信頼を完全に失ってしまいます。それは真実ですか(はい)。韓国のその重要性を、アメリカはまだほんのわずかしか理解していないのです。 霊的イスラエルの復帰 それでは、世界がこのような方向に動いているならば、統一教会は何をしたらよいでしょうか。もし国家が体を失い、霊的にのみ救われているとしたら、再臨主は国を霊肉共に救わなければならないのです。さもなければ、完全な復帰にはならなかのです。従って韓国はイエスの体の位置にあるのです。もし韓国が重態になれば、アメリカも同様にならざるを得ないのです。 統一原理によれば、天使長がエバとアダムを堕落させたのです。良い天使長つまり、アメリカは摂理上、エバ国とアダム国を復帰させなければならないのです。良いアダムとエバと天使長が一体となれば、世界の希望は絶対に崩壊することはありませんんわかりますか(はい)。 統一教会が韓国に興った時、すべての既成教会は統一教会を押しつぶそうとしました。それは、ユダヤ人がイエスを抹殺しようとしたのと同じことなのです。しかし、そのような環境の中で、統一教会は生き残り、成長を逐げたのです。そして、条件を立てたのでした。国家基準で勝利したのです。それが一九七二年のことです。そして、その先生はアメリカに渡りました。それは、韓国での勝利をアメリカにもたらすためでした。アメリカをその勝利圏に接がせるためだったのです。 ですから、これは、霊的イスラエルを復帰する位置に当たるのです。二千年前には霊的に、イスラエル人を復活させることができなかったのです。先生は、霊的な祝福が与えられた、アメリカのキリスト教会に統一や調和がもたらされるまで、三年間耐え忍びました。実際、あなた達も見たり聞いたりして知っているように、三年間でアメリカ中でレバレント・ムーンを大歓迎するようになったのです。多くの牛師達が歓迎しました。それでアメリカの教会を霊的に接ぐことに成功したのです。 蕩減復帰今度は、この勝利の基準に立って、物的勝利を西洋や東洋の他の諸国に結びつけなければなりません。それがIOWCの摂理なのです。アメリカの物的な勝利圏を韓国と日本に結びつけるのです。アメリカでの物的勝利をアジアにもたらすということです。わかりますか(はい)。アメリカがアジアから徹退して条件を立てるよう、象徴的にIOWCをアメリカから韓国や日本に送っているのです。 そうすることによって、霊的世界に革命が起こったのです。西洋の精神が東洋に、東洋の精神が西洋に入り込んで、二つの精神世界で混乱が起こりました。しかし、レバレント・ムーンは東洋から西洋に霊的祝福をもたらし、西洋から東洋に、キリスト教の肉の糧をもたらすことによって条件を立てたのです。即ち、その二つの世界が、精神的にも肉的にも一体となり対峙していたものが調和したのです。 その基台が成就されるや否や、如何なる迫害にあっても、統一教会の運動はもはや、その基台の上にあって、確固たる発展をするのみなんです。それは開かれた道であり、東奔西走融通のきく道なのです。韓国政府や、韓国の人々は統一教会がどんな組織なのかを知って、既成教会の反対意見を取り上げなかったのです。 これはイエスが二千年前に、イスラエルで直面したのとは反対の状況なのです。二千年前には、統治者は、ユダヤ人達と一緒になって、イエスを十字架にかけてしまいました。しかし、現在、韓国の政府と国民が統一教会に賛同し、一緒になって既成教会に反対に反対する立場に立っているのです。 その勝利した基台の上で、国家的路程が統一教会によって実行されなければなりません。韓国の解放のための世界大会(六十ヵ国からの代表が参加し、百二十万人をヨイド島に集めた)によって、壮大な運動が今や開始されたのです。これによって、統一が崩されない外的条件が立てられました。 今度は私達は韓国での勝利圏を、全世界に拡大しなければなりません。私達は同一の宗教の場に、百二十万人を集めるという、歴史上前例のない記録をうち立てたのです。宗教の集会としても新記録です。これは、統一世界の宣言です。そうなれば、これらの勝利を一体とすることは可能です。アメリカ、日本、韓国が一体となれば良いのです。即ち、アメリカの国民、日本の国民、韓国の国民が一体となれば、全世界にまで勝利圏を拡げることができるのです。 交差の時 ですから、私達は霊的に勝利したのです。霊的基台は造成されたのです。これから私達がしなければならないことは、その勝利圏を物質世界に拡大させるのとなのです。韓国とアメリカで、霊的勝利が成就されたので、これから三年間は今度は、肉的勝利を目指さなければなりません。これから三年間アメリカでなさなければならないのです。アメリカが一体となれば、その三年路程は、勝利されます。そうすれば、全世界は必ずやすばらしい希望の日を迎えることができるのです。 現在共産主義が、どんなに大きな勢力をもっているように見えても、私達が勝利すげれば、それは衰えてゆかざるを得ないのです。(黒板に書かれながら)一九四五年、アメリカは聖なる神の国の兵士として、世界を征服する位置にあったのです。しかしアメリカが摂理に失敗したために、三十年が過ぎたのです。 一九七五年から一九七八年までの三年間は、イエスの公生涯に相当するのです。彼は三十三才まで生きました。一九七八年はイエス三十三歳の時に相当します。これは世界的路程です。わかりますね(はい)。数理的にそういうことなのです。アメリカは建国二百年を迎えます。この時が交差なのです。 一九七七年には共産主義国は六十周年を祝います。(黒板に書かれながら)。共産主義はこの六十年間に拡大を続け、地球の半分程を占めるのに至りました。しかし、この時からそれは衰えてゆくのです。私達が責任分担を果せば、共産主義は自動的に衰えてゆくのです。六はサタン数です。ですから、サタンは六数で頂点に達するのです。もし私達の側で責任分担を果せばサタンを引きずりおろしてしまうのです。あなた達もそう考えますか(はい)。 北韓の首相、金日成はまもなく六十歳になります。彼はその時祝福されるでしょう。そして衰えてゆくのです。何故からば彼はサタン的蘇生、サタン的長成、サタン的完成をきちんと通ってきているからです。サタンにとって「優等生」なのです。(笑い)。彼はサタン的イエスの位置にいるのです。彼は三十三歳の時に権力を握りました。イエス・キリストが十字架にかけられたと同じ年齢の時にです。金日成は今年六十三歳です。ですからこれから三年は本当に対決の時なのです。それは最後の勝利に導く闘いなのです。これがこの三年の意味なのです。わかりましたか(はい)。金日成はサタン的イエスであり、彼は「アボジ」(お父様)と呼ばれているのです。 もし私達が神の国を成就すれば、神の側が栄え、私達が神の国を成就することに失敗すれば、サタン側が勝利するのです。間違っていますか。そんなことはありませんね。これは決定的なことなのです。不可避的な結論なのです。韓国の意味がわかったと思います。 韓国には「パンムンジョン」という独得の言葉があります。神の側とサタン側で互いに訴え合うのです。それは霊的な場で行われ、そして、その結果が物理的にも現象化するのです。霊的に神とサタンが衝突しているのが、物質界として現実として現出するのです。それをパンムンジョンと呼びます。非常に神秘的ですけれども、意味深長な言葉ですね。その地に神が臨輸し給うことがわかりますね(はい)。 神の三つの悩み 統一教会が勝利すれば、北韓も東ドイツも解放することができるのです。そうすれば全世界を合性一体化された神の国とすることができるのです。その時までには、優秀な人間をも統一しなければならないので、統一科学者会議が備えられているのです。今月もそれが開かれるのです。わかぱていますね(はい)。成就させるつもりがありますか(はい)。どんなに犠牲があってもやりますか(はい) 神には頭痛の種が三つあります。衰えつつある教会を誰が救えるだろうか。誰がイデオロギーの問題を解決できるだろうか。誰が共産主義を克服できるだろうか。この三つの悩みなのです。神はそういう人を捜しておられたのです。そしてレバレント・ムーンを選び給うたのです。統一原理は、キリスト教の全ての疑問を解決し、統一できるものです。それに、統一原理は共産主義を克服できるのです。私達が勝共理論を提示すれば、共産主義を克服できます。私達はそういうパワーなのです。私達は新しい哲学を持っています。それは新しい哲学思潮なのです。それは世界の全てのイデオロギーを超越した哲学的パワーなのです。 そうしてみると、神はレバレント・ムーンがグランドチャンピオンであると考えざるを得なかったのです。あなた達もそう思いますか(はい)。あなた達はそう認めているけれども、そのグランド・チャンピオンについてゆきたいと思いますか。そのチャンピオンと一緒に闘う宗教、イデオロギーなど全ての分野において、あなた達もチャンピオンになれるのです。あなた達もチャンピオンになりたいと思いますか。 結局、もしアメリカが摂理に失敗したなら、誰が神の恩恵や使命を引き継いで成就させるのでしょう。それは、アジアから来た新しい宗教理念によって継承されるのです。そして新しい血統の者達が世界の救いを志すのですぐ 一つの世界 私達は国家の連帯を切望しています。国家の分裂は願っていません。今日、世界に連帯がありますか。私達の王国はどこですか。私達の故郷はどこですか。世界が私達の故郷なのです。私達はどういう者達なのでしょうか。私達は独立の民なのです。どの一つの国にも属さない、独立の民なのです。 私達は、ジョージ・ワシントンの下で闘った植民地の兵士と同じ立場なのです。彼らは自分達がイギリスに比べたら、全く力がない兵士と考えていました。でも、彼らは勝利をおさめたのです。全く同じように、私達は強大なイギリスのようなサタン勢力と闘う兵士なのです。神が私達とともにいまし給う時、私達は普遍的に(全ての民族、全ての国民、すべての良心的な人々において)勝利することができるのです。そう思いますか。白人においてもですか。黄色人種においてもですか。インディアンにおいてもですか。全ての人間においてですか。 そでは私達は何を復帰するのでしょう。世界を復帰したらどうするのですか。私達自身の勝利を喜ぶのですか。私達は神の世界的勝利をも喜ぶのですね。私達は金銭のことなど考えません。それでは神はどうなさるでしょう。神はこう言われるでしょう。「さあ来なさいこちらへ来なさい」それからまたこうもおっしゃるでしょう「私は全てを、お前にあげよう。お前も私に全てを捧げるだろう。そうすれば、私はお前と共にいる」と。 以後一切宗教は必要ないのです。一般の宗教は神の頭痛の種なのです。それらは必要ないからです。それから国境についても同じです。日本でもビザが必要ですし、アメリカでもビザが必要、他の国でもそうです。神はこうおっしゃるでしょう「国境など必要ない。ビザもいらない」。その時には、神は孤独の神だと思いますか。それともそうではなくて幸福だと思いますか。(幸福の神だと思います)。 神が日本に行くのに、ビザが必要だとしたらどうでしょう。神がどんなに多くの人を愛しても、ビザがなければ会うこともできなければ、そこへ行くこともできません。神はビザの制度を望まれると思いますか(いいえ)。神は「よその国」へ移住するなどということを好まれません。私も好きではありません。渡り鳥が国境を越える時に「はいビザです」などと言いますか。蝶がビザを見せたり、持ち運んだりしますか(笑い)。昆虫はどうですか。それなのに、何故人間だけがビザを見せなければはらないのでしょう。誰がビザの制度があった方が良いと思う人がいますか(良いとは思いません)。そういうのが理想世界なのです。それが私達の世界なのです。 み旨をなす我々 そこで一つの公式が成り立ちます。レバレント・ムーンに反対する人の上からは、神の祝福が去っていき、レバレント・ムーンに帰されてしまうのです。ですからレバレント・ムーンに反対する既成教会や共産主義の世界からは、神の祝福が去ってしまいます。もしアメリカが、レバレント・ムーンに反対すれば、神の祝福は去ってしまいます。 レバレント・ムーンは、どうしなければならないでしょう。どんなイデオロギーを持った人でも、祝福を分かち与えなければならないのです。そして、一つの神の国での喜びを、共に享受するようにしなければならやないのです。レバレント・ムーンの仕事は、本当に忙しいものです。というのは、既成教会にも、アメリカにも、共産主義世界にも神の恵みを与えるのに、みんな無駄になることが多いからです。ですから神もレバレント・ムーンも、何も持っていないのです。でもそれで結構なのです。神の子達に会うために、世界中を渡り歩いて、日々楽しく過すのに、荷物を持ち歩く必要がなくて済むからです。夢のような話でしょう(笑い)。 レバレント・ムーンは、これからずっとアメリカに滞ると思いますか。(いいえ)。百二十ヵ国の伝道のことを、考えてごらんなさい。どの国からも「何故レバレント・ムーンは、アメリカばかりにいらっしゃるのですか。私の国に三ヵ月間いらして下さい」というように言ってくるでしでょう。そうすれば「いいでしょう。三ヵ月間あななの国へ行って生活しましょう」と答あるでしょう。百二十ヵ国に三ヵ月づつ滞在しますと、三六十ヵ月ですね。そうすると、全部の国をひとまわりするのに、三十年かかることになります。レバレント・ムーンがアメリカを去る時は、若くてたくましい姿なのに、帰ってくる時には老人になってしまうわけです。(年をとったまねをされる)(笑い)。ですから、レバレント・ムーンは神と共に世界をまわり歩くことしかできないのです。それでも良いですか(はい)。レバレント・ムーンが行く所には国があり、人々がいて、家庭らあり、子供達がいるのです。そうですか(はい)。神におかれても同じです。神の行かれる所には家庭があり、子供達がいるのです。神の国のことは、念願には入れておりませんんなぜなら、神の国一つしかないからです。本当ですか(はい)。 もし神がいまして、御意を成就したいと願われるとするならば、神はチャンピオンを見つけたいと願われるでしょう。一体誰が、その摂理を成し遂げることげできるでしでう。それは統一教会だけなのです。それが神が見出された答えなのです。そうですか(はい)。あなた達は、その恩恵を受ける準備がしてありますか(はい)。あなた達の心の準備によって、それが成就されるのです。使命を果たすために、例え統一世界全体が、神のために犠牲になっても、それでも成し遂げましょう(はい)。先生に賛成してくれますね(はい)。ありがとう。ではお祈りしましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.02
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「神の悲しみと人間の無知」1975年10月14日(解放記念日)ベルベディアにて いつも見張られていた 今日、突然ここに呼ばれたので、どうして呼ばれたのか、わからない人もいるでしょう。あなた方の多くは「先生は、何回牢屋に入ったのか」と不思議に思う人もいるでしょう。私が最初に牢屋に入ったのは、二十三歳の時で、二十四歳で出ました。それは一九四七年、北韓でのことでした。今日は、二回目の時の解放記念日です。今は、統一教会も創られて、み旨を成していますが、私が牢屋に入った頃は多くの困難がありました。そのことを思う時、私のために神御自身が、どんなに悲しい思いをされたことでしょうか。 自分自身が、どんなに悲しい思いをされたことでしょうか。 自分の過去を振り返った時、全てが夢のようです。日本にいる時には、日本の政府から、北韓では共産党から、韓国では既成教会から迫害されました。 五十歳も後半になりますが、今までずっと見張られてきましたし、人を傷つけたわけでもありません。ただ、いつも普通の人とは違うことをしてきました。それで人の目を引きつけて、そのために迫害されたのです。どこでも、私の行くところには、人が集まってきました。 十五歳の時に、日曜学校で教えました。先重は、物語りを創るのがとても上手で、子供達を喜ばせたものでした。夜明かしして、村の子供達に語りあかして、その子供達が心配して連れてきたこともありました。それを機に、あまり語らないでおこうと思いました。私が教会の運動を始めた頃は、あまり話さないでいました。 神の愛を受けるほど美しく見える 若い時は、髪の毛を乱し、汚い服を着て、頭を下げて歩きました。誘惑が多かったので、それをさけるためだったのです。堕落の原因を知りながら、多くの誘惑に会いました。人間の堕落論にあるように、神の愛を受ければ受けるほど、美しくみえるものです。そんなにハンサムでもないのに。(笑い) 男性諸君に言う、気をつけなければなりません。私がいない時、掃除をしてくれる女性もいました。お金が必要な時、お金を置いてくれたりもしました。手紙が置いてあったりもしました。そのため、自分を醜くみせるように努力したのです。このような状態でした。が多くの人々は、私の悪口を言い、雑誌では、私が四度を結婚したと書いてあります。そんなことなかったのに。 神に感謝すべきことはに、妻は、そのような女性ではありませんでした。妻は私と十八歳の時に、結婚しました。若い純粋な妻を、先生は自分の基準にまで持ち上げようと努力しました。妻は東洋の美人です。妻を育てるのに、むずかしいエピソードが沢山ありました。皆さんは、そのことを知りません。しかしながら、全ては神が私と共にいて、働き導いて下さったことを知っています。 いつも困難の中で神を見つけた。 過去のことを考えると、不思議です。東京の大学で学んでいた時、親友も、私の大好きな姉も、私の大事にしていた犬も、気違いのように愛した馬も死んでしまったのです。どうしてそのようなことが起ったのでしょう。深く考えた時、神は私の大事なものを犠牲にするようにしたのでしょう。深く考えた時、神は、私の大事なものを犠牲にするようにしたのです。最初の妻も、私を非常に愛していました。今でも彼女は、レバレント・ムーンのような立派な男はいないと信じています。いまだに再婚せずに、一人でいます。私は、いつも犠牲を払わされてきました。困難においやられ、いつもその中で、神をみつけました。私は、彼女の気持ちが良くわかりました。 もちろん、その頃は一握りの食口でしたが、私の行くところには、どこにでもついて来て、感動しながら、私の話を聞いていました。悪い噂が広がるので、彼女達を追い払ったことがあります。しかし、どこかに隠れていて、夜になると柵を越えて話を聞きに来ました。西洋の女性は outgoing だと言いますが、韓国の女性達に比べたら、温和で、静かです。彼女達の夫が、私を迫害してきました。妻と結婚してから、そのような女性関係の噂はなくなりました。しかし、今は、親から子供をとられたと非難されています。もう一段残っています。親をとっていったと、子供達が反対してくる時がくるでしょう。人類の為の蕩減の道を行かねばならないのです。 私のやっていることを、統一教会の食口はわかっても、外部の人はわからない。しかし私は、人類を愛するから喜んで行きます。反対する人は、嫉妬しているのです。食口が、親や親戚を愛する以上に、私を愛するためです。誰かが死ねば、私が殺したと言い、私がそうしたと言う。 既成教会と統一教会、二つのグループがあります。どちらが貞節ですか(統一教会!)。世界中の統一教会は同じです。どうして既成教会が反対するのか、良くわかります。なぜなら、若い人が多く彼等の教会から去り、統一教会に来るし、国会議員の子供達も、親の言うことを聞かないのに、レバレント・ムーンの言うことを聞いて、道徳的になっていくので、嫉妬して反対しているのです。既成教会には、多くの会員がいます。いつもは全然一つになっていないのに、統一教会に対しては、団結して反対しています。そして、統一教会の青年達を、知れば知る程羨ましいと思うのです。 私は、皆さんが正しいことなら、私の言うことを何でも行うということを知っています。黙ってそれを聞き流しながら、「ただみ旨に邁進せよ」と教えています。どんなに怒りをもっても、それをじっと、こらえていかねばならないのです。先生が、もし宗教の道に来なければ、あらゆる可能な道で、才能を発揮しただろうと思います。しかし先生は宗教的指導者になりました。 いつも神と共にいる確信 私が牢獄から解放されてきた時、食口がみんな集まって、裁判にかけて、悪と戦おうと話し合っていました。また、先日のラリーの時にも、既成教会が団結して、ひどい噂をたてていました。それで、食口達の一部が、新聞に声明文を書いて、裁判にかけようと話していました。幸いにも、ストップしましたが、やらせていたら、ひどい状態になっていたことでしょう。アメリカでも裁判にもち込もうとしていますが、それを、そっとさせています。時々、田舎の方では、何が起っているか知らないで、そのまま、裁判にもっていっている場合もあります。もし、裁判にもっていく私達の動きが、相手を負かすというのではなく、誤解をはっきりさせるためというものであるならば、黙認しています。 食口を両親の目には、悪い待遇を受けているようにみえるのか、時々誤解されています。もし、あなた達がヒッピーになって、家を去れば、取り戻そうとして、必死にはならないでしょう。なぜなら、家に連れ戻すには悪すぎるから。しかし、教会に来て、良くなったので、両親は懐しくなって、取り戻そうとするのです。これが、子供を取り戻すのに、一番好い時機だとみています。 私が、アメリカで牢獄に入らないと、誰が言えましょうか。私は入ってもいい、恐れはしません。どこに行っても、その場に天国をつくります。どこに行っても、平安です。私は、アメリカ人の誰よりも、神に最も近いという自信があります。それは、神が知っておられるから、それだけで充分です。 アメリカに強い意志力を ヨーロッパでも、もっと長くいて欲しいと止められましたが、私は、どうしてもアメリカで、この記念日を皆と共に、もちたかったのです。そして、アメリカの食口に、強い意志力を、うえつける為に、皆と共に、この集りを持ちたかったのです。しかし、飛行機が遅れてしまいました。先生は、あまりにも人に知られているので、列をくずして、列の真中に入り込むわけにもいかず、静かに順番がまわってくるのを待っていました。 今日のタイトルは、「神の悲しみと、人間の無知」です。神の無知が、摂理を遅らせたということは、歴史上ありませんでした。その代り、人間の無知が、摂理を遅らせてきたのです。人間は、二人の主人につかえてきました。サタンの主管下にあったため、それを逃れるのは、非常にむずかしかったのです。サタンが、個人、家庭、氏族、世界まで拡大しているので、人がそれを切って宗教生活に入るのは、非常にむずかしかったのです。歴史がそれを証明しています。 共産主義は中心を失っている 今日まで、宗教家は世界の生活に絶望して、物質生活を捨て、宗教生活に入ってきました。神の戦術は「やりなさい。何でもやりたいことをやりなさい。しかし、罪を犯せば、蕩減の道を行かねばなりません。」という態度だったのです。悪人は土地を取り上げ、サタン側に拡大してきました。しかし、最後には良心が、そのようなことは悪いことだ、それは、止めなければならないと教えます。 人は良心をもって、平和と幸福を求めてきました。そして、共産主義がそれを利用してのびてきました。彼らは、神を信じません。それは、中心を失っています。共産主義の間で、戦いを絶えずくり返してきました。恐怖の中に生き、反逆者をみつければ、親子でも殺し合い、敗者が立ちあがり、勝者を負かす。そのような戦いが、続いてきました。スターリン、フルシチョフが死んだ時、写真が焼かれたりしました。内部争いを、権力と位置のため続けるならば、最後には、全世界を失ってしまうでしょう。 ソビエトと中共の間には、既に亀裂が生じています。共産主義国家の間に、力のバランスがあり、それが、くずれ始めると、必ず戦いがおこります。そして、その戦いには、終りがありません。戦い合だている間は、平和がこないことを良く知っています。どちらかが、率先してやめなければ終りはありません。 神は平和と保護と幸福の神である 悪が立ち上がり、土地を取りあって戦い、絶望の中に人がいる時、終末の時がきたと知らねばなりません。神は正義の側になければなりません。神は、平和と保護と幸福の神です。だから、そのような神を探しなさい。共産主義者が、平和と保護と幸福という言葉を使う前に、あなたなりに神に求めて、つかまなければなりません。神をつかむ時、そおっと、赤とんぼをつかむようにするか。子供の時、先生は神をつかむのに、必死で真剣でした。ある時、突然イエス様現われて、能力を与えたと思いますか。子供の時、私は高次元の頭の良い子供でした。神と中心者が、良い将来をつくるだろうと思っていました。 神が、天宙をつくられました。神以外に天宙を知らないのです。神は、風に耳をかたむけていると思いました。風が、中心者でした。風と静けさの間には、何かつながりがあるはん、その沈黙の時、神は何を考えておられるのだろうと考えました。静けさが、世界中で最も平安な場所と時でした。神は、風と平隠の中におられます。神は、暖から寒まで、全てにおられます。小鳥のさえずりも、神が聞いておられると思いました。悲しい時、うれしい時、何か求めている時、小鳥がさえずると思いました。神が悲しそうに思え、幸福そうに歌う時、神がうれしそうに思いました。そうして神の心情を探っていきました。 共に行動する群を、沢山みました。アリの群もそうです。一つになっていることを感知しなさい。それを感じられない時は、何かがおかしいのです。雨がどしゃぶりの時、神が何かを意味して、そうしていると考えなさい。雨、風の声に耳を傾け、その秘密と神秘を知ろうとしなさい。どこにいても、何を見ても、神のものと思えば、全てが神秘で不思議に思うでしょう。聖地の岩をみると、その岩が何か神に語っています。感傷が聞こえてきます。 神が全ての問題の解決の鍵である 一つのものに全精神を集中させれば、自然が海が語りかけていることを知るでしょう。肉が心と戦っている時、もっと心の方に、あなたが耳を傾ければ、良心の声がどちらか聞こえてくるでしょう。そのように、神をみつけるのです。そのようなことに集中して、黙想する時、風が吹けばや神秘的な音楽を聞き、陽がのぼり、小鳥がさえずる時、何かすばらしいことがありそうな気がします。それが、神の創造の心情でした。 自分が、気が違ったのじゃないかと思って、その場を歩き出して、また、もどって来ると、不思議な世界に入っていきました。それは、サタンのものではありません。サタン世界は恐怖であるが、神の世界は、神秘で何かに酔ったみたいに好い気持ちです。もし、それが嵩じてくると、神と対話できないだろうかと、願うようになります。平和と愛との境地にくると、神と出会い、そこに神の声さえ聞こえてくるようになります。耳が開ききって、鋭く、神経が動くようになります。 ある方角を歩きながら、無意識に方角を変えて、ある人にぶつかる時があります。その人に、神が会えると言っているのです。その人は、自分が初めて会った人でも、長いこと会いたいと思っていた人のようゝ、その人の前に、おじぎをしています。その人は「何故、おじぎをするのですか」と驚きます。「私は、何度もあなたを幻にみて、何度も会っていました。昨夜も、あなたを幻にみました」と。そのようなことを通して、神が、私を導いていることを知りまします。私ではなく、神が会いたかった人だと知りました。そのようなことが、何度もありました。しかし、このようなことを言うと、みんなは、影響されて洗脳されたと、まな、私をせめるでしょう。(ノウ!)神が、世界の問題の全ての解決の鍵です。 善いことがある時には、必ず誘惑があります。長い時間すわっていると、足が痛くなります。足が痛い、先生、早く終わらないかなあと思いながらがまんしている、と最後には頭の先まで麻痺してくる時があります。サタンが、誘惑するのです。しかし、ある一点を越えらば、頭がすっきりして、目がパッチリ開いて、良くわかるようになります。このようなことは、私の妻にも話したことがありません。 私はいつも自然を愛しました。牢獄にいる時も、しらみを腋の下から二匹みつけて、それをかわいがり、それを愛することに、没頭しました。愛する対象がなかったので、ものすごく愛しました。絶対に殺しませんでした。それをみて、みんな私のことを気違いだと思いました。何故、牢獄の話をしているかと言うと、最も困難な時、神をみつけるということを、教えたいからです。 沢山の人の中にいて、幸福なのは普通です。沢山の人が去っていき、一人になってしまった時、自分が間違っているのかと思う時、困難にぶつかって、みんなそれをこえられず去って行くのです。その時、神にただ聞いていくのです。神をみつけられずに去っていった人が、みつけられなかったのだから、その人が行かなかった道を行かねばなりません。誰も行けなかった拷問のような道をいけば、神に出会うのです。原理をみつけるまでは、暗の中を誰も知らない苦労の道を通ってきました。神は普通の人と比べて、このところまできたら、おまえを認めると言われました。この蕩減の道を行った時、神は最高の恵みを下さいました。 もし、今まで言われてきた噂をみんなが全部知ったら、教会を去る人が沢山でてくるでしょう。私は止めません。そういう人は行けばいいのです。神が人を探してきた路程を思うと、今の何十万倍もむずかしかった、そのことを思う時、祈ることすら辛いことがあります。 全霊界がベルベディアに集まっている 今日のタイトルは「神の悲しみと人間の無知」です。人間の無知の故に、どれ程神が悲しみを重ねてきたことでしょうか。親なる神でありました。神がアダムを期待して創ったのに、み旨を成せず失敗して、ノア、アブラハム、モーセ、洗礼ヨハネも失敗してきました。何千年も、神はアダムを待ち続けてきました。 神秘な経験が沢山あります。岩の上で黙想していた時、去ろうとしたら、岩のさびしさが伝わってきました。そして、去るに去れず、ずっとひとり座り続けていたことがありました。それは一つの岩では、もはやなかったのです。そのような個人的経験なくして、統一教会とレバレント・ムーンを裁く資格がありません。四~五ヵ月で、教会の深さはわかりません。もし裁けば、それは無知から裁くのです。もしそうすれば、子孫にまで負債として残り、後孫まで蕩減をさせられます。 私達は、小さな土くれで、川をころがりながら、どこへ行くとも知らない自分です。そして、統一教会にやっと出会う者もあれば、そのまま出会わずに、消えてします者もある。もし、ここであなた達がおちれば、全祖先も消えていってしまいます。知ると知らざるとにかかわらず、全霊界が、このベルベディアに集まっています。道を通る人が、ベルベディアの門にさわれば、入って来ざるを得ないようになっています。来ない人は、霊界に行ってわかるでしょう。このようなことを語っている理由は何かと言うと、私がここで語っていても、私のことを、余り深く知らない人もいます。そして、彼は長時間話す、とそれだけでみているからです。あなた達は、泥木が流れているようなものです。先生は、それが川に入って、きれいな水になるように教えているのです。 無知になるな 女性は将来、どんな人と祝福されるかわからない。人は真実について話していますが、真実はみつけにくいのです。出会う人、見るもの、どこに行っても、そこは、あなたがそうしなければならなくて、やっているのです。そのように考えなければ、真理を見失うでしょう。どこに行こうとも、あなたのしていることで、何かを得ているはずです。 最初、原理を聞いた時、当座はすばらしい真理をみつけた、私は何と幸せな者だろう。価値ある者だろうと思いますが、二、三日たっていくうちに、うす暗くなって、段々希望のない暗を感じてしまう人がいます。どんな人に会おうとも、どんな環境であろうとも、誰かが私を見守ってくれる。私はここに何か見つけるためにいると、朝を出発し、夜を終えれば、一日は成功に終ります。イースト・ガーデンを出発する時、自然に挨拶して出て行くのです。一日が成功に終われば、歌を口ずさみながら、自然に挨拶して、成功的感情で帰ってくるのです。そうでない時は、ひざまずいて、悔い改めるのです。 毎日が蕩減の生活です。それを戦い勝っていかねば、基台ができません。あなた達のいる位置は、あなたの生涯の、最前線地帯です。 私が牢獄にいた時、一人の人が、夢で先生に会う、と知らされていました。しかし、先生に出会った瞬間、それがわかりました。それ故に、その人は天のみ旨をなせずに、獄中で死にました。同じようなことが、あなたにおこらないとも限りません。夢で教えられているにもかかわらず、それを忘れ、現実的な判断基準でみてしまう。 今はどのような時か、何をなすべきかを、自ら天に祈って探し求め、私とともに神のみ旨をなしましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.09.02
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