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「祝福家庭子女修練会でのみ言葉」(中編)1984年7月10日ベルベディア 一九八四年六月二十日から七月十日まで、ベルベディアにおいて、先生の子女様たちと在米祝福家庭の二世たちの第一次二十一日修練会が行なわれ、その最終日七月十日に語られたものです。 イエス様の本来の位置 そのように二つの宗教が一つになって、招請しなければなりません。招請をするのですが、イエス様は妻がいましたか? 我々の王宮で祭司長から新婦を選ぶのです。互いが新婦を迎えるように、国家行事として迎え入れることができるようにしなければならなかったのです。 イエス様がその時、夫人を僕から迎えるようになっていましたか? イスラエルが上手にやって、ユダヤ教が上手にやったならば、ローマ皇帝の娘を侍らせるようになっていました。 その時、ローマ皇帝であるシーザーが岳父(がくふ)として侍るならば、岳父が心を奪われるでしょう? どのように考えますか? イエス様がシーザーを岳父としてローマ皇帝と同じその位置に立ったとすれば、右の頬を打たれれば、左の頬をも打たれようと、そんな承諾をしたでしょうか? それはどれだけ悲惨なことでしょうか? 天国の王権を持って来たにもかかわらず、凄惨(せいさん)なるその身の上がどれだけ言うことに事欠いて、そんな言葉を言わなければならなかったかというのです。カイン・アベルを再び探して、アベルの位置を引き受けざるを得ない悲惨な事情をかかえながら、歴史を戻って、さかのぼって行かずしては、生き残ることができません。生き残ろうとするから、そのような悲惨な路程を行ったのです。 このような罪を君たちは知らなければなりません。そのようなイエスを今まで分かってあげられず、信じもせず、自分の父母以上に侍ることのできなかった罪を許してもらわなければなりません。君たちの父母は、全部皆偽りの父母です。天理を探して来る本然の父母を失った悲しみを知らなかったというのです。 今は、来(きた)る本然の父母の前に精誠を尽くし、侍ることのできるそのような準備のために、君たちが生れた家庭からイエス様を信じ、イエス様を我々の父母よりもっと愛さなければならないというこの原理が、このみ言葉を聞いて分かったでしょう。イエスが何か分かりましたか?原理が出て来たから、理論的にはっきりと分かるでしょう。千年、万年座っていて、祭物として捧げれば、神様がこれらのことを教えてくれそうですか? 神様が一番悩むのがこの問題なのです。霊界を見れば、なぜこのように悲惨で、皆が謀略をなし、中傷するのか? 神様がいるのになぜこのように放っておくのか? それは人間の責任分担です。人間の責任分担に属することだということを知っているので、それを解明することによって、歴史のすべての秘密が解かれたのです。 当時、イエスを中心として七年以内にローマ帝国とアラブ圏が完全に一つになるようになっていたのです。七年以内には、アジア政教圏を中心として、外交基盤を中心として完全に一つになるはずでした。また、霊通者たちは、仏教圏、儒教圏で皆分かっていたのです。高次元の位置で門が開かれるようになっていたのです。 それでローマを吸収して、ローマ圏とアジア圏を一つに造って、カインとアベルを一つに造って、そこで公認された位置に立って、万王の座で、天上の王権を地上に移して、永遠不変の王権の基盤を中心として、その直系の子々孫々を中心として、この伝統文化は天国に直結されたのです。その時は、いかなるサタンの反対もなく、法をよく守って、父母を愛し、家庭にあって父母の愛を受け、兄弟の愛を受け、死ぬ時にお母さん、お父さんが自分の息子のために、また、その兄弟が「立派な兄弟だった。息子だった。」と自慢することができなければなりません。そうすれば、「天国に行くな。」と言っても行くようになります。 天国に行くと信じていた人間がどうなったのかという事実も、堕落の報いのやるせなさだということを知らなければならないというのです。 「解放」後の摂理 先生が個人の蕩減路程をどのようにしたか分かりますか? 先生が僕の僕の役をして、キリスト教を中心として、「解放」(注・第二次大戦終了)直後に国と一つになって、イスラエルの国でできなかった国家基準を中心として蕩減復帰した基準で、完全に国家とキリスト教が一つになったならば、世界は七年以内に復帰することができる、そんな能力のある先生でした。そんな先生が複雑な家庭の背後を残して、歴史のやるせないすべてのものを経て来たというのです。そのように再蕩減しようとするから、いかほど複雑なことでしょうか? 旧約時代は、祖父母の時代。新約時代は壮年の時代。今の成約時代は若者の時代です。若者の時代に、全部キリスト教文化圏を中心として、韓国の解放以後に五千年歴史の悲運を過ごした歴史的な惨事の犠牲の功を集めて、韓国の民に初めて神様が祝福して、先生を送って、世界史的な福を与えようとされたのです。キリスト教国家と李承晩大統領が一つになって、その時先生の側は青少年です。十代、二十代の若者に私が介入するようになったのです。おばあさんが何の関係があり、おじいさんたちが何の関係がありますか? その時、二十代の青少年たちを伝道して教育したならば、どれだけ世界を指導できる要員を作り出したか分かりません。 それで先生は、梨花女子大学と延世大学の学生を伝道して、国家を代表した李承晩を中心として、ホッジ大将と争って南韓に分立された政府を立てようとしましたが、だめになったのです。李承晩もホッジと争って、韓民族が願う南韓政府を立てて、共産世界に行かないように防御しながら態勢をとったのと同じく、西洋の宣教師を増やして、金活蘭(キムフアルラン)と白楽俊(パクラクチユン)が一つになって完全にキリスト教界が統一教会を迎えたならば、この世は、皆終わるんです。その時、李承晩を通して先生がアメリカに行けば、国を中心として世界をいくらでもリードすることができたのです。 四十年蕩減の路程 そのようなすべてのことがだめになったので、四十年間峠に戻って行って、個人としてやるせない蕩減の路程を行くのです。家庭的なカイン、氏族的なカイン、民族的なカイン、国家的なカイン、世界的なカインを屈服させる闘いの路程を、一生涯にわたって主権と闘い、日本の国と闘い、北韓の金日成と闘い、大韓民国と闘い、今はアメリカと闘いながら、迫害を受けながらそれを乗り越えて出て来るのです。今は、韓国も日本もその次元を過ぎました。アメリカも戻って行かざるを得ないのです。 法務省でレバレンド・ムーンを陰謀したという者が現われ出るのです。国民自体が政府を信じなくなるというのです。既成教会と完全に一つになり、民主主義が民と一つになったでしょう? 分かりますか? これがふただけ開ける日には、つまり、今やアメリカのキリスト教界だけ完全に一つになる日には、建国思想で見るようになる時、将来キリスト教が統合された背景をもって選出されない人は、アメリカを指導する大統領になれません。 アベルの位置で教えながら、国家的次元において宗教はアベルであり、国家をカインの位置に立て、絶対的に一つになして越えて行くのです。だから、そのような闘いをしようとするから、いかに迫害をたくさん受けたことでしょう。なぜそうなのかと言えば、蕩減復帰が必要であり、蕩減復帰というのは、責任分担だからです。イエスが責任分担を果たせなかった。父母として責任分担を果たせず行ったというのです。それでイスラエルの国の背景を中心として、それを蕩減しなければなりません。 そのために、昨年韓国で大会を行なって民と先生が一つになったのです。それは、イスラエルの国において、イエスを打つことによって国を失い、宗教を失ってしまったけれども、反対に私が打つことによって国を捜し、統一教会を立て、七百万勝共会員を確保したのです。その代わり、その期間に興進が死ぬようになったのです。二番目の息子であるイエス様が死んだのと同じく、実体のキリスト教のすべての過ちを蕩減復帰するために、興進が死ぬようになったというのです。そのようなすべての複雑な蕩減路程を経て来たのです。 なぜ、このようなことをしなければならないのでしょうか? 責任分担ゆえです。責任分担を完成した人が一人もいないから、知っている私がしなければなりません。だから本来我々の父母が私に否定されるのではなく、我々の一族が私に否定されるのではありません。キリスト教が大韓民国を中心として、建国と時を合わせて受け入れたならば、兄弟たちがなぜ迫害を受けるのですか? 文氏氏族がだれよりも歓迎されたのです。分かりますか? キリスト教が反対することによって、国とキリスト教が合わさるから、三次七年路程を中心として、再び捜す役を先生がしなければならないでしょう? 個人的な闘い、家庭的な闘いをして、家庭を全部呼び出して、それで君たちの親も家庭から飛び出して来たのでしょう? 先生に熱中したんだね。恋愛して死のう生きようと言うより、もっと熱中したというのです。それゆえに従って来たのです。天の愛がそうなんだよ。つむじ風が吹いて、父母が皆、浮わついたんです。 だから、冬にたたかれて、追い出されて行く所がなく、先生を捜し回ったりしたのです。服を脱いで逃げ回り、頭を刈って、行く所がなくて夜に塀を飛び越えてくるから、何のうわさもたたなかったでしょうか? 君たち、祝福を受けた子供たちは何も知らないよ。 今日、なぜこのような話をするのかと言えば、責任分担ゆえに皆解け出るのです。分かりますか? 責任分担。これは蕩減しなければなりません。それは、個人蕩減、家庭蕩減、氏族蕩減、民族蕩減、国家蕩減、八段階の蕩減路程、これをするために必ず家を出なければなりません。自分の家ではできないのです。アベルがカインを屈服させて、そのカインは、サタン世界でサタンの傀首(かいしゆ)を捜して行かなければなりません。 御旨のための結婚 私は八歳の時から、もう人々の写真を見て結婚させ始めたのです。その時、先生はとても英明だったから、「あの乞食が今来て行ったのだが、彼はだれよりも良心的でかわいそうな人だから、(追いかけて)行って問うてみなさい。」と人に勧めてみると、実際に合っているというような役事がたくさんありました。それで、先生の両親もどうすることもできませんでした。先生が十歳の時のことです。遠に親戚のお姉さんがお嫁に行くようになったので、先生が「私が悪いと感じたら、実際悪いよ、この二人が結婚すれば死ぬだろう。」と言うと、(本当に)死んでしまいました。先生が二人を見て「悪いだろう。」と言えば、本当に悪くなるのです。「私が組み合わせてあげれば、間違いなくその二人は良くなり、別の方法で自分なりにやると良くない」と先生が言うと、実際にその通りになるのです。そのような経歴があるので、先生は世界的な仲人(なこうど)になったのでしょう。これを「職業的仲人」(☆☆)と言うの? 何のことか分かりますか? 君たちの目は、先生の目よりも小さい。君たちは平たいものしか見えないんだね。しかし先生は、そのような目があるので、原理の世界を求めたのです。先生が悪いと考えたことは(事実)悪の実を結びます。自分たちがどれだけ「良い。」と言ったとしても見ていてごらん。三十六家庭の中で、私が「良くない。」と言えば、その家庭にどれほど多くの禍(わざわい)がもたらされたことでしょう。君たち、自分なりに結婚してみようと思うなら、ひとつやってごらん。きっと良くないというのです。みんな良くないだろう? その時になって後悔したとしてもどうにもなりません。 このように白く、か弱いお母様を先生は良く選んだと思う? それとも選び損ねたと思う?(「良く選びました。」)四十過ぎた男が、十七歳の乙女を連れて妻に定めたというのは、泥棒のようだろう? 狂った奴だよね。なぜそうなのか? それは御旨のためです。 王権復帰のためには、天法からみれば、その女の何歳かが問題ではありません。この世がそれを許すでしょうか? 神様が保護され、愛されたゆえに、お母様一人でそのすべての御苦労を越えて十分になし得たのです。あなたがしなければなりません。私の家庭は悲惨であったとしても、歴史が分かれて後代に血を流し得る道であるゆえに、子供を産まなければならないのです。摂理のために、人類歴史をかけて闘って来たのです。 先生は結婚してから三年後になって初めて一緒に住んだのです。なぜかといえば、カインの女性たちを全部整地して、これが八十代から七十代、六十代、五十代、四十代、三十代、二十代、十代まで、「お母様が良い。」と言うことのできる環境を作ってこそ、そこに初めて位置を確保することができるからです。それが原理が行く道だからです。 氏族を信仰の子女に 君たちも将来祝福を受けようとするならば、イエス様を中心とした三弟子と同様に、信仰の三人の息子・娘が必要です。先生が必要としたから、君たちもそうではないかというのです。 今、国家基準ができなければ、救いができないでしょう。先生が今、このようにして国家基準を皆越えているので、君たちも家庭基準を皆越えたでしょう? 大韓民国が国家的次元で統一教会を受け入れることのできる段階に入って来たので、君たちはもっぱらそのまま、そのとおりに、大韓民国の誰々、(というように、自分の)親戚を選んで立てるというのです。分かりますか? 我々の親戚、兄弟たちを選んで立てれば、信仰の息子・娘の代わりにすることのできる段階に入ってきたのです。 ところで、その信仰の息子・娘は、君たちのために生命を捧げることができ、君たちの息子・娘のために生命を捧げることができなければなりません。そのような愛を、どのようにして入れることができますか? 君たちが入れることができますか? それは、原理を通して入れることができるのです。分かりますか? 将来、それが伝統として立つのです。だから、一族が族長を中心として全部、そのようにして連結されるのです。統一教会は宗教の立場でも、一族の者はカインの立場で、国家と同様に外的世界と連結されて一つにならなければなりません。 今は、氏族問題であれば問題ないのです。君たちは、そのような基盤があるからといって、一族で条件物を捜して立てることのできる環境が必要ないのではありません。この世の国が全部復帰されて、サタンが反対しうる痕跡がなくなる時まで続けるのです。そう、君たちは、今、「私」を中心として生きてはいけないというのです。責任分担をよく分からなければなりません。今まで、キリスト教が大韓民国の建国と共に先生と一つになっていたならば、私が四十代にさえなれば、世界をリードすることができたというのです。 四十年を完全に失ってしまって、戻って来て、今まで私が冷遇につぐ冷遇を受けて、この世に「文先生が良い。」と言った人が、どこに一人でもいましたか? 全部皆「はなはだしい悪人。」と言っていたのです。ごみ箱のように悪口を全部私が受けてきたでしょう? カインが全部そのようにつくったのです。「あの弟は、詐欺師で。何で……」と。だから、カインの言葉を聞くようになったのでしょう? カインは主人であるから、私は静かにしているのでしょう?だから、四十年間カインの悪口を全部ひっかぶって出て来たのです。 カイン・アベルの主流思想 先生は越権行為をしないのです。原理原則を中心として怒るのでしょう? それを知らなければなりません。地で打たれれば天で打たれ、地で解けば天で解くことを。 それで君たちの父母たちは、先生が一番恐ろしい人だと分かっているでしょう? この世で先生のように恐ろしい人がどこにいますか? 知れば知るほどもっと恐ろしい。君たち、原理を見ると、先生が苦労した? 苦労しなかった? (「しました。」)じっと座って責任分担は何々と皆分かったみたいだろう? (「いいえ。」)君たちは先生がどれだけ身もだえしたかを知らなければならないのです。うつぶせになって祈祷すれば、十七時間、十二時間、七時間は、普通でした。それで、君たちは幸運にありつけるんでしょう? 本を作っておくから、公式は知らなくても落第はしないでしょう? 恵みを受けたのですね。その代わり、そのような苦労したすべての人たちを尊敬することを知らなければなりません。 さあ、今日の話は何でしたか? 責任分担。責任分担は蕩減して何を覆(おお)っておくためのものですか? 主流思想。カイン・アベルの主流思想を立てるためのものです。それで、カイン・アベルを育てて、お母さん、お父さんまで立てるためのものです。父母を失ってしまい、息子を失ってしまった神様はエデンの園を失ってしまったというんです。父母を失ってしまい、息子を失ってしまったので、息子を捜してこそ父母を捜せるのです。分かりますか? これが復帰歴史です。そう、息子をつくるために宗教をつくってきたというんです。 天側の人と息子側の人は、十名息子がいたとしても、主流になることができる息子は長子の位置のみです。長子になろうとするならば、一番の息子、そのサタンと闘って勝たなければなりません。分かりますか? 天側の人が主流になろうとするならば、サタンが長子ですから、長子と闘って、勝って引き継いで来てこそ、長子の主流圏が立つので、秩序が立つというのです。 それでアベルは、長子であるカインを屈服させてこなければならないというのです。力で?(「愛で。」)愛で。体と心で痛みを感じなければならず、私の体と私の心が死の峠に行かなければなりません。自分が愛する妻を奪って行き、母を慕って行き、娘を奪って行き、祖母を奪って行った怨讐です。天国の王宮では、王孫がアダムなのに、アダムのおばあさんを強奪し、アダムの娘を強奪し、アダムの妻を強奪したのと同じ役を歴史的になして来たというのです。善なる人をそのように強奪して、そのように血をたくさん流してきたのです。 そのような伝統的な意味では、カインは怨讐だというのです。そうであるので、私の体で防ぎ、痛みを耐え、心で怨讐を愛さなければなりません。そうでなくては、サタンは屈服しないというのです。そのような心を持った本人がいるのだから何も言うことはできないでしょう。それは正しい話です。私はそのような人です。彼を愛したから、その法に反駁(はんぱく)するどんな言葉もないのです。また、天道から見るときに神様がいるので、神様の愛には、そのような人がいません。そう、「私はあなたの前には弁明する言葉がありません。」そう言って、サタンが屈服すると言うんです。体でそれを感じなければなりません。(カインは)私のお母さんを殺した怨讐たち、私のおばあさんを殺した怨讐です。私の娘を強奪して、自分の嫁を強奪して殺した奴で、彼の後継者です。 罪人中の罪人 本然の父母を捜すために、本然の新郎と本然の家庭を捜すために、この道を耐えて行かねばなりません。本然の家庭があり得ず、本然の父母があり得ず、本然の理想の国があり得ないから、その理想を眺めながら耐えて出て行くというのです。それで、黙って屈服させなければなりません。 最初は泣いたり叫んだりするのを「こいつ、なぜ泣くんだ。」と言うけれども、一度やって二度やって、十度やってみると、泣く弟をたたきながらも一緒に泣くようになるというのです。反対になるのです。それでも恨みは残るが、その次には恨ますに、「あー、私は悪い人なのだ。」と率直に告白すると言うのです。告白した時から振り返るんだよ。何の話か分かりますか?蕩減路程では、告白を受けなければなりません。カインが「私は、お前にすべてを相続する。私のすべてのものを皆お前にやる。」と告白しなければ回復する道がないのです。 先生はそのような道を歩いてきました。僕の僕の役。天を思い通りに眺めて生きた人に見えますか? いつでも罪人中の罪人です。この世の罪を皆背負って行く身の上です。そうでなくては、カインを屈服させる道がありません。しかし、この世の罪を犯して行く囚人中の最高の囚人の役割を、皆さんはしなければならないのです。 ところで、彼らのお兄さんになる人がいないのです。お兄さんがいないとするならば、どうしますか? 今は親不孝な子供を見て、刀を振り上げることのできないのが父母の心であることを知らなければなりません。その父母を愛する子供として、刀を振り上げることができないというのです。 この神様が父母の側に立たなければならないのです。それを知らなければなりません。個人的にそのようであったし、家庭的にそのような怨讐です。氏族、民族、国家、世界的にそのような怨讐です。 愛のパイプの連結 祈りは心で祈るのです。神様から始めて、父母様から始めて、神様の愛が今から祝福家庭へ降りてゆく原理を知ったので、そのような祈祷をするのです。君たちは修練期間、何の祈祷をするのかと言えば、神様の本然の愛を中心として天宙が和動し、連結されることを祈祷しなさい。神様と真の父母様を中心とした真なる子女の伝統が連結されて、祝福家庭が連結の中心になる時は、愛の貯水池のパイプに連結されるのです。そして統一教会から今、全世界のキリスト教から、全世界の宗教へと愛のパイプが連結されたのです。それだけ私が宗教のために働いたのです。そうだから、彼らが皆、私を尊敬するようになったのです。自分の宗団より立派に考えるのです。心が良いというのです。「我々の義の中心はあの方なんだなあ!」心がしきりにそうだと言うのです。時が過ぎれば過ぎるほどそのようになるのです。それで、愛の道がずうっと伸びて行くことを祈祷するような時になったのです。 私に反対し、統一教会に反対していた者たちの息子・娘の学費を私が送ってあげたのです。自分の友達が送ってくれたと思っているんですね。飢えた時は米を送ってあげました。それを知るようになる時は皆屈服するのです。怨讐が飢えているのを見て、福を送ってあげ、考えてあげ、歓待する人はいないのですね。むしろ誤ったのだから、その罰を受けなければならないだろうと言うのです。「うまくやったもんだ。当たり前だろう。何だい!」しかし、彼らは皆兄弟たちなのだから、そう言ってはならないと言うのです。 神様が父母なので、今、死刑囚になって刑場に出て行く息子を思う時、許すことのできる法があるならば、何の役割をしてでも許してあげようとするのです。国法をなくしてしまうことができるならば、国法をなくしてしまってでも許してあげたいのが父母の心だというのです。そのような天の心を皆さんは知らなければなりません。 全世界の為に働く そのように見ると結論は、私に「死ね」と言って追い出したけれど、追い出した側の人が出てきてみると皆死ぬのです。私が生きることができないように彼らは振る舞ったが、私は生き残り、彼らは皆亡びてしまいました。そうしながら、打たれて奪ってきたのです。分かりますか? そのような観点からみると、第一次世界大戦も初めに打った側が最終的には負けたのです。打たれた側が勝ったのです。 第二次世界大戦も初めに打った方が負けたのです。そうでしょう? 第三次世界大戦も今この時はソ連が打っています。民主世界である我々が全体の前に最後の場で、世界的に打たれているのです。 歴史以来、私以上に打たれた人はいないのです。悪口を私以上に言われた人がどこにいるでしょうか。世界中の国家を合わせてみても、レバレンド・ムーンを知らない人がどこにいますか? あのアフリカに行っても、レバレンド・ムーンを皆知っています。「悪い国はアメリカだ。白人たちだ。」とね。「罪のないレバレンド・ムーンを陰謀と謀略で中傷して、善なる人をつかまえて殺そうとする。」と言うのです。インディアンのときと同じく、それがこの世に完全に皆現れたのです。仕方なしに、福を皆渡してあげざるを得ないんです。環境的に追い詰められるから、こんな責任分担を置いてこんな闘いをして来たのです。 先生がそのような福を先生の息子・娘に与えることはできません。そんな福を誰に与えますか? 世界に与えるようにして、その次に祝福家庭が受けて、その次に息子・娘が受けるのです。これが復帰歴史なのです。何の話か分かりますか? 統一教会は何の為に働かなければならないのかと言えば、統一教会の為ではなく、世界の為に働かなければなりません。世界の前に福を分けてあげねばなりません。今まで仕事をしてきたのを見なさい。しかし、彼らが受け入れないから、今、福は誰が持って行ったのかと言えば、祝福を受けた統一教会の食口たちが、祝福家庭が持って行ったのです。それを皆渡してあげて、その与えた祝福を感謝しながら世界の人たちが受けて、その福を統一教会の食口たちに譲るようになる時に、統一教会の食口たちは、それを先生の息子・娘たちに譲らなければなりません。このようになっています。家庭も世界的でなければならないというのです。 一昨年を中心として、八千双の祝福を世界的基準においてなしました。エデンの園の理想的家庭祝福圏を世界的に迎えたのです。多くの民族すべてに分けてあげるためです。全部皆、分けてあげて、彼らが全部受けて、それから、我々祝福家庭の前に回してあげるのです。為にしてあげるのだよ。ああ、アベルはあの昔の上流階級の人たちのようなものだね。分かりますか?それで一つになるのです。一つになるところには先生の息子・娘が立つのです。こうして統一教会とサタン世界と、カイン・アベルが一つになったその基盤の上に先生の息子・娘が立つことによって、息子・娘を中心として、カイン・アベルの基準がなくなるのです。カイン・アベルの基準がない本然の世界を目指す闘いが、その基準を越えて立った位置で初めて、世界的な位置を確保するようになるのです。 祝福家庭の生きる道 それで、この基準を越えて行く時が今の時です。分かりますか? だから、先生の息子・娘を私が愛してはいけないというのです。その代わりに、自分の子供たちを犠牲にさせながら、あなたたちを自分の息子よりも愛して、先生が持っているすべての貴い福を自分の家庭に連結するのではなく、万民に分けてあげ、祝福家庭に分けてあげました。その伝統を受け継いで、今はその何倍をも、先生の息子・娘に回してあげる責任があると感じなければならないのが、祝福家庭がもつべき先生の息子・娘を中心とした思想観念です。君たちも異議はないでしょう?君たちにとっても、今は主張があり得ないのです。無条件に先生の息子・娘を中心として一つにならなければなりません。そうしてこそ、カイン・アベルが一つになるのです。 これが祝福家庭の生きるべき道です。祝福家庭は、今まで世界の為に開拓路程の先頭に立って苦労をしてきたでしょう? その代わり、息子・娘たちはそのような苦労はしなかったでしょう?蕩減路程をさせませんでした。してはいけないというのです。ここには、カイン・アベルがありません。本然の息子・娘を立てなければならないので、カイン・アベルの蕩減路程は、祝福家庭と祝福家庭の息子・娘を中心として、世界の家庭と世界の息子・娘を中心として一つになることにより成立するのです。一つになったその基盤の上に、私の息子・娘と一つになることによって、先生がその上に立つのですが、先生としては、蕩減路程がありません。カイン・アベルに分別する必要がないので、長子孝進を今度の修練生の代表に立てたのです。それを分からなければなりません。 先生が監獄へ行くようになったのは、世界が過ち、国が過ち、キリスト教が過ち、三十六家庭が過ち、統一教会も全部が誤ったからだというのです。そのため、統一教会が全部苦労して、全部の災いを受けながら、試練が延長されてきました。 しかし、今世界的途上で越えていく時になったというのです。先生の裁判を中心として、法廷闘争で私を引っかけて引っ張って行こうとするこの時になったので、孝進を責任者に立てて、さっと位置を確保するんです。今がそのような重要な歴史的修練会であるということを知らなければなりません。それゆえに、今、アメリカに住みながら参席できなかった者は、千年、万年かかっても後悔するというのです。今回が第一次です。 先生の家庭では、正常な位置でカイン・アベルの闘争がありません。それで、今までこのような準備をならしておいて、世界史的な民主世界を中心として越えて行くのです。そうして、先生を中心に、カイン圏であるアメリカさえ開ければ、長子圏は父母をもった息子である長子を打てません。父母をもった長子を打っては、雷が落ちるというのです。今まで父母がいなかったので、長子圏が思いのままに取り扱っても、どうすることもできませんでした。しかし、今は父母をもったアベル圏が立つことを通して、長子を打っては、父母がそれを条件にして長子圏を打つことができ、長子圏がめちゃくちゃに雷に打たれるというのです。だから、長子圏が打つことができず、屈服するようになるというのです。 それゆえに、共産世界も今は、そのような世界を越えて行くようになっています。世界が皆、原理的になっているのです。君たちもこれをわかったら世界情勢がはっきりとし、今後、世界がどのようになるのか、はっきり見えるのです。学校の勉強がどれだけ易しくなるか分かりません。はっきりと分かりますか?(「はい。」) 驚くべき祝福の恩恵 さあ、それだから責任分担を誰が皆、蕩減役事をしたのですか?(「先生です。」)お金で返すことができますか? 君、家を売って、国を売って返すことができますか? 何を売って?言葉がないんです。君たち二十代は絶対服従です。エデンの園でアダム・エバがお尻を振って堕落したのです。自分を主張したというのです。だから、二十代は絶対服従なんです。父母の言葉を聞かなければ亡ぶのです。 これをサタンが知っているので、アメリカが知っているので、今日、サタンが若者たちに自分たちの父母を、第一世の旧時代・前時代の人々であると思わせて、父母の言葉を聞かせないようにして、全部追い出す役をするのです。アメリカが皆、反対しているというのです。サタンは賢いよ。サタンはこの世の物情をよく知っています。しかし、サタンが打つ前に先生が皆、取り除いたから、ヒッピー、ヒッピーと皆やってみたって、どういうこともないのです。 その次には独身生活をしようという運動がおこりました。つまり、同性愛です。「人権は法で制定せよ。」と言って、アメリカにその風が吹くようになったから亡びるようになったのです。共産党が全部浸透して、人本主義思想が全部ひきずって越えて行くようになったから、私がブレーキをかけて、闘いのるつぼの中で、乞食たちの親分になって、問題を提示する男になったのです。宗教者を中心として、今、大きな闘いが起こりつつあります。だから、君たちがこのようなことを知るようになる時、祝福家庭というものが、どれだけ驚くべき内容かという事実を知らなければなりません。 祝福家庭がどれだけ重要なのか。イエス様も成し得なかったその位置。二千年間、死でもってキリスト教が世界版図にまで拡大していくために、いかほど犠牲の代価を支払ったことか。ローマ帝国の四百年迫害時代を経て、今までキリスト教が発展するために、血を撒(ま)かなかった所がどこにあるのか。どの国に行っても血を撒きながら、これほど犠牲になっても祝福の場をもてなかったのでしょう? 先生を通して、君たちの父母が祝福を受けたということが、どれだけ途方もない位置であるのか。お金でもって替えることができますか? 君たちが千年感謝して、一万年踊りを踊っても及ばない恩恵を受けているということを知らなければなりません。 家庭的愛の拡大 蕩減は先生がして、福はだれが受けたの? 父母は子供の為にするのです。父母が苦労して、子供たちが恵みを受けるのです。その代わり、君たちもそのような恵みを与えることのできる父母にならなければなりません。そうしようとするならば、その伝統、その思想を受け継がなければならないのです。おばあさん・おじいさんが我々にこんな伝統を見せてくれたのにもかかわらず、父母がそのような伝統を残してやることができなければだめです。 今後、君たちは後孫の前に讒訴されるような父母になってはいけません。君たちも結婚するでしょう。それはなぜですか? 神様の愛を知るためにです。父母に侍ってみて、父母の愛を知ることができるように、夫の愛を知ろうとするならば、夫に侍ってみなければならないし、子供の愛を知ろうとするならば、子供に侍ってみなければならないのです。為にすることができなければなりません。そうしてこそ神様の愛の為にすることができるのです。教材として必要なのです。子供がなくては未完成のままであり、神様の愛を知ることができません。神様がどれだけ子供を愛したか分からないというのです。夫になってみなければ妻が分かりませんし、妻になってみなければ夫が分からないのです。父母になってみなければ、父母の愛が分からないというのです。皆、それを年代、年代で知る整種にするための教材としてくださったのです。 君たちは、息子・娘がなければ、真なる父母になれません。そのように、本然の原則規範に合格し得る一等品になるためには、父母が必要であり、妻が必要であり、子供が必要であり、そうしてこそ、神様の愛を体恤することができる一等品になれるのです。この宇宙が印を押してくれてこそ、天国に自然に入るのです。それを受けられなければ天国に入れません。この世のおばあさん・おじいさんを自分のおばあさん・おじいさん以上に愛するんだよ。このような伝統を知らなければなりません。自分の父母と同じ年齢の父母がいるならば、自分の父母よりももっと愛さなければなりません。カインの父母だけれども、歴史の伝統の中にあってのカインの父母として愛するのです。その次に同じ年齢の息子・娘には、自分の息子・娘以上に愛する心を持つようになれば、それは世界と連結されるのです。 氏族の為に成し、さらに氏族よりも民族の為に犠牲になりなさいという原則です。国家を犠牲にして世界の為にしなさいという原則がそこから出てきます。その苦労することが全部出てくるというのです。個人は家庭の為に、家庭は氏族の為に、氏族は民族の為に、民族は国家の為に、国家は世界の為にすることができてこそ、世界は天地の為にすることができ、天地は神様の為にすることができるという愛的因縁が、そのような関係からすべて実を結ぶのです。家庭を中心とした愛の体験を、そこからそれ以上に拡大しようというのです。 そのためには、自分の家庭を氏族の為に犠牲にしなければなりません。もっと大きな愛は、国家の為に犠牲にすることです。一層大きな愛の条件だけ立てるようになれば、どの段階にあっても、その段階的犠牲の上になされた愛の理想圏と連結されうるので、全部を実際にはできなかったとしても、それと同じ愛を全環境においてなした合格者として天上世界に行けるのです。あの世に入る時、囲いの中で愛し、郡(あるいは州) の中で愛したけれども、その郡を愛した人が、世界と国家を愛し、天と地を愛したそのような人たちと一緒に同じ恵みの座に同席できるのです。また、そのような位置に立つようになれば、もちろん愛するでしょう? それをはっきり知らなければなりません。 自分の夫と同じ年齢の男を見れば、自分の夫以上に尊敬し、以後、国家的基準で協力して、皆御旨を成すことのできる忠臣たちになるのです。家庭ではできなかったけれども、社会に出てゆけば、もっと立派な人になって帰ってくるのです。これが父母の願うことなのです。そのような思想を連結させなければなりません。なぜかと言えば、我々統一教会の思想が、個人は家庭の為に犠牲にならなければならず、為に生き、愛でもって生きなければならないからです。家庭は氏族の為に、更に大きいものの為に尽くす、このような御旨があるので、カイン的全体代表、世界を代表する心をもって、為にする心があれば、その一つの心を家庭に連結することによって、そこから父母がそのようになり、祖父母・息子・娘がそのようになる時には、いかなる天上世界にも、どのような忠臣たちの座にも、ためらわずに行くことができるというのです。そのように生きるのが天上天国であります。カイン・アベルの原理主管圏はその時もあったでしょう? 原理主管圏は永遠に残っています。責任分担でこれを越えなければならないのです。 世話になってはいけない 我々が天国に入ってからも責任分担圏があるので、もっと愛するという基準を中心として、カインである兄をもっと愛するのです。もっと目上の人の為にするというのです。自分の家庭を離れて、大きい国のアメリカの民をもっと愛さなければなりません。家庭を犠牲にしてアメリカの為にしなければなりません。このように生きることのできる普遍化された世界が、地上天国という所なのです。そのように生きている人たちは、例えば、小学校を卒業した人が中学校に入れば、そのまま引き継いで勉強するのに支障なく、皆順調に通ずるのと同じく、霊界に入れば、霊界の法がそのようになっているのです。そのような思想的訓練を地上でしない時は全部追い出されるのです。拍子が合わないのです。呼吸が合わないのです。君がキムチを食べて、味噌煮を食べて、辛子味噌を食べてこそおいしいのと同じく、そのように習慣になってこそ、霊界に行って拍子が合うのです。そのような習慣の生活を地上でしなければなりません。 それゆえ、生きている間に絶対世話になってはいけません。世話になっては天国に行けないのです。生まれた目的が何かと言えば、この宇宙の前に自分以上の優れた種をまいて、実を取り入れなければならないというのです。だから、正常な種は、自分よりも小さく作るという法はありません。つまり、世話になってはいけないということです。自分の父母からも世話になってはいけません。それでも世話になった場合は、それを息子・娘の前に更に多く返したらよいのです。父母の前に返せなかったものを、息子・娘の前に何倍にもして返さなければならないというのです。息子・娘がいないならば、それを町内の、息子・娘と同じような人たちに返さなければなりません。実地生活で世話になっていった人たちは天国に入れないのです。自分の為になし、世話になって行った人は、天国に行けないのです。それは僕にしかなれないんですね。主人になれません。主人の息子・娘にはなれません。 世話にならないためには、私の食べる物があれば道端で御飯を炊いて、篭(かご)に入れて行って、通り過ぎる人に「どうか召し上がって行ってください。」と言うのです。今にそのような風潮の時代が来ます。分かりますか? 家を建てておいて息子・娘を愛することのできない人は、その代わりに他の人を愛して住むようになる時がくるというのです。そのようにできる環境が展開するから、どれだけか良い世の中になることでしょう。自分のためにあるものを他に与えよう、為にしよう、残して行こうとね。だから、昼に果たせなかったら夜にでもなさなければならないと言うのです。眠ることができません。その国はどれだけ素敵でしょうか? これがどこに連結されるかと言えば、責任分担です。我々が皆復帰された世界にも責任分担はあります。だから父母様のみ言葉には絶対服従です。神様のみ言葉に服従できなかったのだから、全部服従しなければならないでしょう? 君たちも、お父さん・お母さんの言葉をよく聞かなければならない。今から、地上でよく両親の情を受け継いでおいてこそ、次に霊界に行っても知った立場に立てるのでしょう? 先生のみ言葉を聞いてそのようにしてこそ、知って振る舞えるというのです。 徹底した原則の適用 先生は自分の子供の為に今まで教育できませんでした。カインを愛さずしては教育できないのです。三十六家庭を私は偶像のように崇拝しました。食物がなければ食べさせてあげて、服がなければ着せてあげたのです。私は無理して生きながらでも、このように為にしてあげたのです。なぜ? 世界の人たちの為にすることができないから、三十六家庭を代表に立てたというのです。それを当たり前にしてもらっていると考えられると困ります。 そこで、何をしなければならないのかと言えば、先生の息子・娘に対して、先生が君たちの為にした以上に為にしなければならないということを知らなければならないと言うのです。分かりましたか? 私一人、孝進の為にすることよりも、全世界の人たちが孝進の為にできる時を願うのです。その時になれば、孝進はお父様が分かって痛哭するだろう? 痛哭するんだよ。このようなお父様だったのかと、今や目から涙がぽろぽろと落ちるのです。お父様も神様の心情を思って泣いたことがありますが、それでこそ正常な人です。それでこそ、今従って来る人たちは黙って静かに窺(うかが)い見て、全部従って来るのです。何のことか分かるでしょう? きょう語った責任分担が重要なのです。 今まで孝進にもこのような話をできなかったのです。先生の息子たちが、「ああ、我々に対してできない話を今、修練会でするんだ。」と、修練会を通じてその話を聞いてから後に、先生に問うてくれば、先生が息子たちに話してやるのが原理なのです。原理がそうなっているのでサタンは、「あなたはカイン側を愛さないじゃないか。」と言えないというのです。 カイン・アベルの原則で、一歩も失敗せずに世界まで出て来ながら、そのように自分の息子・娘に対しても、自分の妻にまでも徹底するのです。それはサタンにとっては死ぬような思いだというのです。少しいい加減にして、ちょっとした隙でもあれば、サタンは穴でも開けるのです。サタンは、「あなたとあなたの息子が私を愛さなければ、天国に入れません。神様の息子として、真の父母が私を愛し、神様、あなたが私を愛してくれたという条件を立てられなくては天国に入れません。」と神様に対して言うのです。 (先生の行く道には)許しがないでしょう? だから、サタンが去っていくというのです。先生は既にそれらを皆なしているのです。個人的になしたし、家庭、氏族とやってきました。それを主流思想として、今までずっと統一教会を立ててきたことを知らなければなりません。 だから、君たちは何も考えずに、どこからスタートしなければならないのですか? 今から僕の僕、僕、養子、庶子、直系の子女、その次に父母を通じて復帰して行くのです。万物復帰をなぜするのか? それは、僕の生活もしてみるためです。私がそのようにしてきたのです。どれだけ自分が「再臨主、再臨主」と言ってもだめです。 再臨主の資格 再臨主になるためには、このような過程を経なければならないのです。世界的な宗教代表者から、「あなたはアベルです。世界的なアベルです。」と、そんな祝福を受けなければなりません。分かりますか? それによって世界的なアベルの位置、メシヤの後継者の位置に入るのです。 そうしようとするならば、そのような団体に会って、あるだけの精誠を尽くして、夜でも昼でもその方の前に覚えられて、その方がすべての福を渡してあげて惜しくないという心をもったその心の基盤の上に、天が同じく祝福を与えなければなりません。それで、世界的な祝福を受けなければならないというのです。 その次には、メシヤとして祝福を受けなければなりません。そのメシヤをだれが祝福しなければならないかと言えば、息子がメシヤを祝福できません。だれがするのか? 母しかいないのです。メシヤを生むのはお母さんしかいないし、神様しかないのです。メシヤは女を通して生まれなければならないのだから、お母さんと神様しかいないというのです。祝福してくれる人は天使でもないし、その他のだれでもありません。 それで、「私は神様の夫人だ。」という者が現れてこなければなりません。そんなお母さんが出て来て、「この人こそ自分が侍ることができるメシヤだ。」と宣布、証言しなければなりません。そのような証言を得るためには、絶対服従しなければなりません。福を受けるためには、僕の僕の役をしなければならないのです。それでお母さんだと言っているその人に骨の髄から情が入って、その女性が自分の息子・娘を皆捨てて、自分の夫も全部捨てて、私に従うことができなければならないのです。そうすれば、ただ一人しかいない息子のように思って育てながら、「大きくなれば一国の大統領になる。」と祝福してくれるのです。その次に、世界祝福してくれて、「世界の大統領になり、その次に世界の王になる。」と言うのです。「あなたは再臨主になる。」と祝福してくれるその時までは、その女性に絶対に服従しなければなりません。 しかし、その位置になってからは、そのお母さんがその息子の前に絶対服従しなければならない時が来ます。主管性転倒です。その方をすべての息子・娘のだれよりも愛して、完全にひっくり返るのです。そうして、そのおばあさんは四十日以内に、「あの方が、ああだったとは……。」と言って、その息子の前に絶対服従するのです。この世の王より恐ろしくなるのです。そのような闘いを経て、基盤を磨(みが)くのです。 先生は、そのおばあさんの頭巾(ずきん)まで皆洗ってあげ、お風呂に入りたいと言えば、湯を沸かしてあげました。息子のまね、僕のまねをしなければならないのです。十里(注・韓国の十里は日本の一里に相当する)の道、百里の道も「行って来い。」と言われれば、行って来る。「今日は他の所に出て行って寝よ。」と言われれば、そのように眠る。異議がないのです。 それで、良いところ悪いところすべてのものを合格させなければなりません。分かりましたか? まず、悪いところで合格すると、良いところは合格し易いのです。「一番嫌いなこと、人にさせられない役を私一人にさせてください!」と言って、それで祝福を復帰しなければなりません。神様がアダム・エバに与えた「生育し、繁殖し、地に満ちよ。」という祝福を復帰しなければなりません。「あなただけが世界的なアベルです。」と言われるような祝福を受けなければなりません。それで、ソロモン王(としての)祝福を受けなければならないのです。 そこで合格した後には、「あなたこそ、絶対にこの団体の長、全体の代表者に立ててもあまりある。」と言われることのできる、当代で何よりも愛されることのできる位置に立てられなければならないのです。そのように、神様が「エホバの夫人である。」と言う、そのような人を捜して立てなければなりません。捜して立ててからは、そこに行って赤ん坊の中でも一番愛される、この世にも一人しかいない玉のような男の子、後日は、王様以上に愛することのできる玉のような男の子だと思って、彼が私を愛さならなければならないのです。そのようにするためには精誠を尽くすのです。何の話か分かりますか? たとえ体が十個のかけらになつてもできないようなことをしなければならないのです。 それゆえ、「自分の息子を捨て、自分の妻や夫を捨てて、家庭を去れ。」と言えば、去ることのできるような位置まで出て行かなければなりません。そのような位置でお母さんに侍るのですから、そのお母さんの前に別の人はありえないのです。 こうして、歴史上に初めて男性として、天と地、サタンと神様との二つの闘いの分かれ道で、この闘いをひっくり返して、天の権限、男性の権限を堂々と回復し、ここで基盤を磨いていくのです。しかし、世界全体のカイン・アベルを捜していく道を知らないからその女は自分の息子・娘が一番であると考えるでしょう? しかし、神様はそのように見ないのです。この道を知るためには、あなたが私に問うてみなければなりません。 その次には、そのお母さんの息子・娘たちが、そのお母さんに従った信仰者たちが、私を同じように信じ侍ることができなければならないのです。そうして、十二弟子、七十人門徒、百二十人門徒の基準を、すべて一族を中心として、彼らが異議なく、反対なく、「そうだ!」と言うことができるようにつくらなければなりません。そのお母さんがそうすることによって、統一教会をそのような位置で育て、教会を中心として行かなければならないのです。 祝福のための基盤 先生は食口たちを育てるためには、昼よ夜も眠らないのです。七年間その役をしてきました。そのお母さんが愛する以上に、眠ること、食べること、すべてのものを犠牲にして彼らの為になして来たのです。そうしてみると、全部が、「我々が百回死に千回死んでも、あなたはその位置に昇って行かなければなりません。」と言うようになるのです。そのようにして築いた基台の上に、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭…と、祝福が展開されるようになるのです。 統一教会に対して、父母が反対し、子供が反対し、国が反対し、サタン世界にいるすべてのものが、一途に血の泡を吹いて反対するのです。死をかけて反対してくるのです。イエスが死の場に出て行くとき、イエスの弟子は皆逃げていってしまったけれども、統一教会の人たちはそれを蕩減復帰して、一緒に死の場に出て行かなければなりません。逃げて行ってはいけないというのです。だから、その道はどれほど悲惨だったかということを知らなければなりません。死の境地を踏み越えて立ったという条件を立てながら、統一教会は基盤を作ってきました。それで、先生の資格と合わせて、皆さんの基盤ができて来たのです。分かりますか? 君たちの父母たちは、皆蕩減復帰という理論的な過程を経て来たのです。祝福を受けるためには、国家的基準のイエス様が、責任分担を果たせなかったすべてのことを蕩減しなければなりません。 そういう理由から、世界的な活動を展開していくために、一九五七年から国家的次元で全部動員するようになるのです。麦飯が何だ! ユダヤの国に来られたイエス様を、ユダヤ教が受け入れられなかった立場を、我々統一教会は、たとえ飢えて、犬の飯を食べながらでも、越えて行かなければならなかったので、君たちの父母は君たちを、まるで捨てるようにしてでも出かけたのです。 貴い息子・娘は、国の為に祭物として捧げなければならないでしょう? 君たちの父母は、国の為に、子供まで合わせて祭物として捧げなければならない立場です。しかし、祭物に捧げるのではなくて、孤児院に預けてでも生きておれば、戻って来た時には捜すこともできるから、まだ幸福だと考えて、君たちの父母たちは歩んで来たということを知らなければなりません。分かりますか? 捨てたのではありません。憎くてそうしたのではなく、そうしなければ、天国に行く道が生じ得ないから、そのような血のにじむ闘争の過程を経ざるを得なかったのです。 そして、既成教会の基盤がないから、その代わりに国家・民族の前に、国家が反対しても闘って押し出して行くことのできる基盤を造るために、三千万国民の前に、全部公開祝福したのです。もし国が、祝福に万一反対したならば、大変なことになっていたのてす。今は、祝福が世界的に公認されました。日本であれ、世界であれ、皆公認したのです。 今では、統一教会の魅力が何かと言えば、若い男性が、「統一教会の家庭は、全部永遠を基準にしている。今の世の中は、家庭が皆壊れていくのに、統一教会に入れば全部そうではない。」と言って、皆集まって来ていることです。 中心が方向を決定 背の低い人が背の高い女性を娶ってみれば、恨みがほぐされるでしょう。痩せっぽちが太った男に嫁いだら、その恨みはほぐれるでしょう。また、東と西とは反対で、中心があるから東西が合うのでしょう! 中心がなければ、永遠に合うことができません。中心は先生なの?(「はい。」)先生を中心にして東と西が合うし、東西南北も合うのです。中心がなくなると、すべて永遠に合うことができません。「私は合いません。」と言うのはだめです。分かりますか? 東西が中心を決定するの? 中心が東西を決定するの? 原理的に見たらどうなの?(「中心」)中心ゆえに東西南北が決定され、三百六十度が生ずるのです。中心を保護するために正義をはっきり悟らなければなりません。中心は一つしかありません。それを知らなければなりません。私が決定するのです。 エデンの園において中心はだれですか? それは神様です。その時、エバが誤って片目になったら、一体どうなったでしょう。もし、刺されて目が潰(つぶ)れたら、不具になったでしょうか、それとも、ならなかったでしょうか? 神様の保護のお陰でそうはならないと考えたら間違いです。自分自身の手で刺しても目は不具になるのです。その時、「本来の創造理想からすれば、二つの目がなければならないのに、片目になってしまったので、再び創造してください。」と、神様に言えますか? その片目が妹です。そうではありませんか? いやが応でも姉が一緒に暮らしながら、妹の道案内をしてあげるのが姉の責任分担でしょう? それはまた、夫の責任分担でしょう? そうではありませんか? 君たち! 浮わついていないと思う女性たち、手を上げてごらんなさい。アメリカの女性たちは浮わついていないのですか? 女性崇拝の風潮。車に乗ったら男性がドアを開けてやらなければならない。しかし、それは七十年代までの歴史です。真の母に侍るための訓練です。一時的であって、それは一方通行で通り過ぎるものです。第一次大戦以後、七十年を経っていなくて、歴史が分からなくてそうしているのでしょう? 神様がすべて知っていらっしゃるのに。女性は夫の為になし、その次には、子供の為、父母の為、国の為、世界の為、人類の為にするのです。 人類の為ならば、世界の為なのです。国の為ならば、人類の為になるのと同じなのです。だから、先生もその原則を知っているので、その道を今まで歩いて来たのです。自分の一族をすべて捨てて、家庭をすべて犠牲にして来たのです。 すべてに責任分担が 皆さんは、自分の責任分担が重要だということを知らなければなりません。神は「取って食べるな」と言われました。それを守るべき人間の責任分担があったのです。昼であろうと夜であろうと、人に会う時ごとに、責任分担だけを覚えていたら堕落しなかったのです。 学生は学生として、責任分担を果たさなければならいでしょう。その学校から指定されたことはすべて学生の責任分担です。学生は試験勉強をよくしなければなりません。それが責任分担です。 統一教会では、伝道や渉外をよくすることが責任分担です。すべてその責任分担を果たすために、一つの目的観念に徹して行動して、それに合格してこそ、その資格者として決定されるのが、この世のすべての制度というものです。分かりますか? それは万法に通じるものです。あらゆる制度に通じるものです。 小学校の生徒にも責任分担があるの、ないの?(「あります。」)中学校、高等学校は?(「あります。」)では、大学は?(「あります。」)では、博士コースは?(「あります。」)夫婦同士は?(「あります。」)子供と父母の関係では?(「あります。」)家庭における祖父母、父母との関係では?(「あります。」)責任分担はすべてにあるのです。自分勝手にしたら自分の立場がありません。宇宙が追い出すというのです。 責任分担はどこへ行っても付いて回ります。御飯を食べて、片付けるのも責任です。責任分担を多く作れる人が偉大だというのです。統一教会の先生が、責任分担の分量をたくさん作ったでしょう? すべて全体に役立てる原則法をたてて、守らなければなりません。そこには異議がありません。なんだかんだと自分勝手に行動したら、絶対追い出されてしまいます。アダム・エバが責任分担を守らずに行動して追い出されたの? 追い出されなかったの? (「追い出されました。」)今後、先生の時代において法を定めることは、責任分担の延長、拡大であり、その法に絶対、順応しなければならないことを知らなければなりません。 責任分担。教会の規則等も全部そうです。礼拝もきちんとその時間の前に来なければなりません。私が立てば、大衆全体に影響が及ぶというのです。それが責任分担と言うものです。代表者になろうとすれば、先生もそうなのです。 先生は昔、御飯を食べずに働いていても、学校が始まるちょうど五分前には着いていたのです。小学校へ通る時、二十里の道を学校まで歩いて通いました。小学校の時の二十里がどの位になるか分かるの? 八キロメートルを毎日歩いて通ったというのです。友達を待って峠で私が休んでいる時、友達はまだ道の半分位しか来ていないのです。私は本当に道を速く歩くのです。八キロメートルを四十五分くらいで行くのです。だから、後から付いて来るのが忙しい。それで、逸話が多く有名だったのです。親から「学校へ行きなさい。」と言われなくても、全部自分で準備したのです。学校の校長先生の所へ行って、いろいろな話をまとめてくることも私がすべて交渉するし、結婚の仲人もしました。全部開拓です。創造するというのです。 だから君たちも、すべての制度が、全部責任分担の管下に所属されていることを知らなければなりません。統一教会は法を守らなければならないというのです。君たちも朝、敬礼式には皆起きるの?(「はい。」)家でしない人は手を上げて。すべて責任分担です。それを一つもできなかったら、君たちの一生の問題が左右されてしまうというのです。 毎日の責任分担、一年の責任分担、永遠の責任分担がありますが、一時間責任分担もあるというのです。それは、友達同士の約束においても、すべてそのような生活をするのです。それで、先生が話して約束を守れなければ、それ以上の恥ずかしさを感ずることはないというのです。時間を守らない人は本当に嫌な人だというのですね。法というのは、責任分担の関連性を中心にして作られるものです。そうしなければ、破壊が起こり、制度に混乱が生じます。それゆえ、それは絶対守らなければなりません。 学生はそのように時間をよく守り、学校に出るのが責任分担です。責任分担。これができなくなったら学校に不合格になるのです。いくら種が良いと言っても、主人が最適な時期に、しっかり責任分担を持って播かなければ芽は出ないでしょう? 時が過ぎたら、どんなによく芽が出ても使えません。同じことなのです。時に対する責任がどこにでもあるというのです。 万物復帰はなぜするのか? 統一教会の食口たちには、蕩減の責任分担があることを知っているでしょう? 蕩減路程。万物復帰はなぜするの? 罪悪の世界にいる人間も復帰しなければならないけれど、万物も天の前へ返さなければなりません。私を再創造するという人間の責任分担があるために、神様の所有物が必要であり、そのために万物を復帰しなければならないのです。堕落した人間を再創造するためには、神様は、神様の所管内にある万物が必要だと言うのです。つまり、私を再創造することができる、神様だけが所有することのできる万物がなければなりません。ところが堕落したために、すべてサタンの万物になってしまいました。だから、万物を神様の前に返してから、その万物を通じて、初めて私を再創造することができるというのです。そういう物質を神様の前に捧げることにより、私を再創造した条件を立ててくれるというのです。そのための万物はどこからくるか? すべての家、すべての人々の所へ訪ねて行って、一つ一つ精誠を尽くして、すべてを分配してもらうのです。それが何で表示されるかと言うと、お金で表示されるというのです。それを絶対に自分が所有してはいけない。それは、完全に天へ返さなければいけません。一文も自分が手をつけてはいけないというのです。先生はそのような蕩減条件を立てておいたというのです。 世の中の万物条件を全部捜して立てておいてから、神様の前に三年半の間、心と体で精誠を尽くさなければなりません。そこではあらゆる冷遇を受け、涙も流し、あらゆることをするのです。逃げ出したいときも我慢し、あらゆることを全部受け入れなければなりません。唾を吐きかけられ、足を蹴られても、そこに精誠を尽くし、その場で天の心情を中心にして、君たちが受け入れれば、その家が祝福されるというのです。その家が、万物を感謝する心で提供するとしたら、祝福されるというのです。神様が干渉することができる圏内に入るというのです。何人かが神様の干渉することができる圏内に入ってくると、地上が清くなるというのです。君たちを再創造することができる物質的な起源が何もないので、このようにして神様の前に捧げて、私を再創造することができるアダム・エバの地を造らなければなりません。そのような物質的な条件を立てるために、万物復帰をするというのです。 伝道はなぜするのか? その次には三年半位、何をするか? サタン世界においては、すべてがサタンから冷遇を受け、サタンが勝手に振る舞うようになっています。サタンの一線へ行って反対を受けても、誰にも負けず後退しないで、そこに踏み止まってすべてのサタンと正面衝突しながらもすべてを押し出すのです。その間脅迫、恐喝があるし、統一食口たちが反対を受けるというのです。国が反対し、一日に何回か通る人々が唾を吐き、行く時石を投げ、何か持って行ってしまうし、そのような過程を経なければなりません。分かりますか? 蕩減復帰です。先生に反対しても、後退しないで進むのです。あなたたちは精誠の何十倍を尽くさなければなりません。サタンが主張することができる以上の心情を持って精誠を尽くしなさい。血涙を絞っても、精誠を尽くすその精誠が天にしみ通って、すべての霊界が感動し、地上にいる人間がその精誠の前に膝を曲げることができたなら、そのとき天の所有権になります。そのために精誠を尽くすというのです。分かりますか? 私は清平に行けるのであれば毎日行くつもりです。なぜそうするの?世界の聖地のためにそうするのです。だから、天が祝福せざるをえません。サタンは讒訴することができないというのです。今、アメリカで私を追い出そうとあらゆることを試みたが、私を追い出すときには、アメリカ自体に穴があくというのです。先生がこんな基盤を全部立てておいたのだから追い出されることはないのです。 伝道はなぜするのでしょうか? サタンの侵犯を受けたから、物質で再創造された私は、サタンの権限を奪って神様を愛し、神様の法を守って、世界の人類を私が主人として訪ねようとする心を持ち、天下が反対しても前進するというような信念を抱いて押し通さなければならないというのです。そのような抱負を養わなければなりません。それで信仰の息子・娘たちを捜して立てなければなりません。天使長を捜すというのです。アダムには、三人の天使長がいたけれども、すべて失ったでしょう。これらを復帰しなければなりません。サタンの息子・娘、天使長の息子・娘の代わりに、信仰の息子・娘たちを立てるということは、エデンの園の三天使たちを立てることと同じだというのです。カイン復帰三時代(旧約・新約・成約)の全部を復帰することなのです。男が来て自分の娘を誘ったりしたら、いろいろ村から気ぜわしい噂が立つ。そうでしょう? 先生は一人を伝道するために、反対されている婦人の家で一年六カ月ぐらい暮らしたことがあります。そうしたらすっかり良くなりました。そこに、何の問題があるの? 冷遇が何の問題になるでしょうか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.30
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「祝福家庭子女修練会でのみ言葉」1984年7月10日ベルベディア 一九八四年六月二十日から七月十日まで、ベルベディアにおいて、先生の子女様たちと在米祝福家庭の二世たちの第一次二十一日修練会が行なわれ、その最終日七月十日に語られたものです。 人間の責任分担 イエス様以後キリスト教全体を見ても、先生が来る時まで、霊界では家庭がありませんでした。家庭がないから、もちろん氏族もなく、その国もありません。その国というのは、神様が理想とされるその国しかないでしょう? その国は、真なる理想として残されなければならないのに、神様が悲しまれる国として、悲惨なる実情が霊界自体に展開されるしかなく、地上にそのような結果世界が広がるしかないこの事実が悲惨だというのです。霊界と肉界の、このような悲惨なる状況をだれが造り出したのか? サタンとなった天使長がこのような問題を起こしたのです。 それでは、なぜ天使長を除けないのか? この問題は、今まで神学者たちと数多くの霊界に通ずる人たちにとって謎でした。サタンがいることは分かるが、全知全能なる神様の前で、すべて知っているというサタンをなぜ除けないのか? いつの時でも神側に行こうとするならば必ずサタンが妨害するのに、それをなぜ天が干渉できず、神様が制裁できないのか? 霊界に通じても、そのような問題が分からなかったのです。それで、サタンによってそのようになった悲惨なる事実を全部、霊界がなぜこのようになり、地上がなぜこのようになったのかを解(と)かなければなりません。神様が知っているからといって、それを神様が教えてやることができない。なぜならば、(人間には)責任分担というものがあるからです。 では、責任分担を責任負うことのできる方はだれか? それが、本来堕落せずに成さねばならなかったアダム・エバ、真の父母にならなければならないアダム・エバだったというのです。それは、父母だけが責任を負うことのできる責任分担であるのです。父母が責任分担を果たせなかったそのような結果の世界において、だれに責任分担を教えることができるでしょうか? 父母にも教えることができない、神様が教えることができないというのです。それがひっかかっているというのです。今日、我々の原理で言う責任分担という言葉が出て来なかったならば、歴史を解く道がありません。 世間を見ても、悪い人がより良い生活をしており、善なる人が滅びて行く場合が多いというのです。そのようなすべての歴史をだれがこのように造ったのか? それは、責任分担を果たせなかったからで、責任分担を成して行くとき、サタンが反対することによってこれを蕩減して解決しなければなりません。 蕩減というのは、個人の蕩減だけではなく、歴史性を帯びています。氏族、民族、国家、世界史的なこのような蕩減内容が、全部責任分担を中心として連なっているというのです。個人蕩減の責任分担、家庭蕩減の責任分担、全部そのようになっているのです。 ところで、今まで国家から見ても、すべての宗教から見てもこれらが一つになっていません。国家は国家なりに怨讐になっており、宗教は宗教なりに怨讐になっています。それで、世界史的な蕩減問題を、条件にひっかかっている責任分担を全うすることによって、蕩減復帰し、連結させなければ世界性がありません。どの民族を中心としても世界を連結させることができず、どんな国を中心としても世界を連結させることができず、どんな宗教を中心としても、キリスト教ならばキリスト教を中心として世界を連結させることができないというのです。宗派であるならば宗派を中心として連結させることができないのです。 選民イスラエルの使命 このように見るとき、神様が何を考えるようになるでしょうか? 責任分担を完遂しなければなりません。一人の個人を立てて、氏族編成と合わせて、その氏族編成が一つの世界的宗教を背景として、その氏族編成を基本として世界国家というものを統合して、同じ位置で連結させることのできる背景をならしておかなければなりません。それが、ユダヤ教の歴史です。イスラエルというのです。イスラエルを選民に立てて蕩減復帰するのですが、蕩減復帰というのは、カインにイスラエルが勝つことであり、これが何かといえば、ヤボクの渡しでヤコブが天使を屈服させたことです。そのことが聖書に出ていますが、それがなぜイスラエルになったのか今まで分からなかったというのです。相撲を取ったことがなぜイスラエルになったのか、分からなかったというのです。それは蕩減復帰を知らなかったからです。 それゆえに、イスラエル民族を中心として、一つの宗教、つまり、神様を信奉することのできる氏族とユダヤ教を立てておいて、またその次には、一つの国を代表することのできるイスラエを立てておいたのです。 それゆえに、歴史過程で責任分担を果たせないときには、蕩減で異邦の国に引きずられて行って、十二支派が南北に分かれて、全部蕩減して出てくるというのです。その蕩減の内容を、今まで知らなかったでしょう。それによってイスラエルは、イエス様が来る時まで、より一層国家的宗教を置いて、世界を代表する国家と世界を代表する宗教の統一背景を持たなければならなかったというのです。 そのような蕩減の内容を支払って、国家とか、国家的宗教の基準の前にサタンが反対できない基準を作って、そこでメシヤを迎えなければなりません。世界的宗教と世界的国家を代表する国家同士が完全に一つになったならば、そこにメシヤが来て、世界的宗教圏を中心として、世界的国家形態を収拾していくというのです。それゆえに、ローマという大帝国を中心として、宗教をローマ帝国以上の宗教に発展させなければならなかったのです。 ところで、その時、自然神を崇めてそうしたというのです。そのような環境よりも唯一神を崇めなければならなかったし、徹底した世界的宗教観を中心として、世界国家観をあのローマのように拡大して行きながら、アラブ圏を中心として、中東からアジアを連結させて、一つの文化圏を形成しようとしたのです。そうしながら、メシヤを中心とした世界的宗教と世界的国家の背景を一致化させて、そこでサタンが反対することのできる道を完全に塞いでしまわなければならなかったのです。 蕩減条件が個人の責任分担を中心として引っ掛かっており、家庭の責任分担、氏族、民族、国家の責任分担を完遂した後に、そのような国家基準を中心として、ユダヤ教を中心として、ユダヤの宗教国家を中心として完全に蕩減過程を経て、サタンを分別させた上に、完全なメシヤを迎えなければならなかったのです。 ところが、メシヤが来るのにユダヤの国は、信じていなかったのです。それで分かれた、一つになれなかったというのですね。その時、蕩減路程というものは、知らなかったけれども、歴史的なすべての過程を一時に通過する立場がユダヤ教とユダヤの国に残っており、必ず蕩減の道においては、カインはアベルに反対するようになっているため、ユダヤの国の立場がユダヤ教に反対するようになったのです。 しかし、ユダヤ教自体を見るとき、ユダヤの国の王になるためには、ユダヤ教の祝福を受けるようになっていたのです。今、アメリカの大統領になるためには、牧師が主礼となって任命式をするのと同じですね。それゆえに、下では反対しても、頂上に上がって行けば、もてなしを受けるようになっています。王もそれによって、下ではどれだけ反対されても、頂上に上がって行けば行くほど反対するのは弱くなるというのです。 それで何が問題になるかと言えば、個人の信仰を徹底しなければならないのです。個人の信仰と国家観を徹底して、その宗教を絶対に信じてその国家を絶対に信じたならば、蕩減があってもそれは無難に越えて行けます。蕩減が成立しないというのです。 世界を代表する民族が自分の民族を中心としたがゆえに、いつも蕩減を得たのです。なぜそうなのかと言えば、サタンは自分を中心として、自分の欲心を中心として出発したので、欲心を中心とした道には、責任分担を全うする道がないというのです。それだから、自分を主とする個人や宗団には、これは、サタンが蕩減も適用しないというのです。自分を越えて、自分を犠牲にして宗団を信じて、国のために出て行く人に限っては、サタンが反対するというのです。だからと言って、そうでない道を行って死ぬならば、全部サタン側となり、天側になることができないというのですね。そのような道を行かなければなりません。 父母が立つ基盤 それで、神様が選民イスラエルを選んで、メシヤであるイエス様を送ってくださったが、メシヤとはどんなお方なのか? ユダヤの国を中心として、ユダヤの宗教が一つになった基盤の上でカイン・アベルが一つにならなければならない。カイン・アベルが一つにならなくては、父母の立つ場がないというのです。父母はどこに立つのか? 父母が来たとしても、カイン・アベルが一つにならなくては父母が立つ場がありません。 それでは、カイン・アベルが一つになれなかった責任を、父母が来てからどのようにするのか? 父母がそれを代わって造ってやらなければならないというのです。なぜそうなのかと言えば、カイン・アベルの問題は、父母が責任を果たせなかったために生じたのだから、カイン・アベルが父母であるメシヤが来るのを願って、カイン・アベルを国家的次元、国家的宗教の次元で準備してメシヤが来たにもかかわらず、天のものとして奉ることができないときは、そのメシヤが責任を負わなければなりません。 カイン・アベルはなぜ生じたのかと言えば、堕落ゆえに生じたので、メシヤ、すなわち父母ゆえに生じたので、父母が選び出してこれを一つに作ることのできる基盤、国家的基盤、国と宗教が一つになることのできる基盤を父母が作ってやって、その勝利基盤の上にこれを手本に見せてやって、カイン・アベルが今や「分かりました。」と言うとき、越えて行くことができるというのです。そうでなければ、父母までも立つ位置がありません。 それで、イエス様すらも死んで行かざるを得なかったのです。イエス様は神様の息子として来られたので、死ぬ必要がありませんでした。それなのになぜ死んだのか? カイン・アベルが一つにならなかったので、その問題で死んだというのです。 我々の原理では、堕落したアダム・エバをだれを通して救うかと言えば、アベルを通して救うのです。そして、アベルが御旨を完成するために、カインを通さなければならないようになっています。それが原理の骨子なのです。 それだから、イスラエルの国とユダヤ宗教の基準がどれだけ国家的基準になったとしても、その宗教と国が一つにならなくては、来られる父母に侍ることができません。国家的次元でこのように見るとき、その宗教を中心とした政治体制は心情政治です。民主主義的な政治ではないということを知らなければなりません。 アダム・エバの位置 アダム・エバを中心として、すべての世界が一つに連結されるようになっているので、その体制は、死んであの世に行くようになれば、アダム・エバが神様の形状として残っているというのです。神様が別にいるのではありません。神様がアダム・エバを造った目的がどこにあるのでしょうか? 我々人間は、形状を持っており、体を持っていますが、無形の神様は、体がなく、体を着なくては地上でも霊界でも留まることができないのですね。それで、どれだけ神様がおられたとしても、人間の父母として現れるためには、体を着なければならないが、それがだれだったかと言えば、堕落しなかったアダム・エバで、その体を着て現れるというのです。 アダム・エバはだれなのか? 人類の始祖であると同時に、天地を主宰する神様になります。実体を持った神様として、永遠なる無形世界に、神様に代わって形状を着て現れ、神様の位置で、父母の位置で世界を統治することのできる責任がアダム・エバにあったのです。何の話か分かりますか? それでは、アダム・エバをなぜ造ったのか? 実体世界を造った以上、実体世界の中心がアダム・エバだったので、アダム・エバの形状を通して霊界と肉界を連結させるための御旨でアダム・エバが造られたのです。 では、霊界と肉界の連結は何を中心としているのか? 霊界の代表は神様であり、地上の代表はアダム・エバです。それで、アダムは地上で生きなければなりません。生きるとき、その持っている形態は、地上の国の王です。永遠なる王。永遠なる王権を持って現れたのです。 エバはだれかと言えば、王妃でしょう? 永遠なる王妃権を代表した王妃として登場したのでしょう? その永遠なる王権を代表したその夫婦が、そのまま霊界に行って神様の代身者になります。 それでは、天では、無形の神様一人おられて何をするのでしょうか? 見えない神様であっては、何もならないのです。我々人間の父母になろうとするならば、体をもって感ずることのできる体を着なければならないので、やむを得ずアダム・エバを二重的存在に造らざるを得なかったということを知らなければなりません。 なぜ、二重構造に造らざるを得なかったか? 無形の神様がアダムと全く同じになろうとするから、アダムの心と体が一生を通して成長して、あの世に行く時までに神様と一つになったという基準にならなくては、あの世に現れる神様の形状が一つになることができません。二重構造に造った理由も、神様の実体であるアダム・エバ、すなわち、実体である王権を持った父母と無形の父母である神様が一体になって、永遠なる天上世界に体を着た王権を宣言することにあったのです。 それでは、アダムをなぜ造ったのでしょうか? 神様が体を着るために造ったのです。だから、神様もアダム・エバと連結されなくては、この世と関係を結ぶ道がないというのです。アダム・エバと関係を結んでこそ、アダム・エバも当然関係を結ぶことができるのでしょう?そうでしょう? 神様がなぜ人を造ったのか? 同じ父母の位置に立つためです。体を着るためです。同じ父母として内外です。外的な神様は、アダム・エバであり、内的な神様は、心と同じだというのです。体(からだ)的な神様がアダム・エバであり、心(こころ)的な神様が神様です。父母様なのです。 本来、父母というのは、一人の御方です。御一人だから、その御一人が入ってきて、おられることのできるアダム・エバ、男性・女性の二性性相を持った分性的聖殿と同じくしておいて、神様がそこに入って行くのです。神様が入って行って作用してこそ、この二人が、アダム・エバが理想的作用をすることができます。神様が作用できなくては、神様の御旨であろうと何であろうと何も分かりません。そうでなくては、神様が人間と関係を結ぶことができる基盤がありません。 ところで、その本来の基盤が壊れたために、神様が人間との関係を結ぶということはあり得ないという結論が出て来ました。だから、人間がどれだけ地に多くとも、神様と関係ない人になったというのです。本来、神様と関係を結ぶよう、創造理想として立てたのにもかかわらず、それが実践されなかったので、再び再創造の歴史を成さなければなりません。復帰という再創造過程を経て、これを引きちぎって出て来るのです。アダムの小型、アダム個人型、アダム個人の少年時代…。アダムを捜して出て来なければならないのですが、しかしその基盤がもう既に世界的舞台なので、アダム一人を捜して立てたと言って出ることができるでしょうか? 本来、アダムの堕落がなかったならば、「この世の人」は、全部アダムの統治圏内になければならなかったのです。世界は全部アダムの下(もと)になければならないのですが、アダムという小さい赤ん坊のアダムを捜して立てたとしても、世界は既に堕落した人間たちが、家庭から氏族、民族、国家を全部造ってしまっていました。 その造られた国家自体は、原理の中で見るとどのようになっていますか? アダムの息子になるのです。堕落したばかりに、これが問題なのです。だから、個人の少年と同じアダムを造って立てたとしても、その少年を世界の頂点に持って行って置くことができるかというのです。 これは何かと言えば、先ほど言った蕩減路程に個人の責任分担が残っているということなのですね。アダム・エバであるならば、二十一年間神様だけ絶対に信じて、事故さえ起こさなかったならば、個人の責任分担、家庭の責任分担、氏族、民族、国家、世界、天宙の責任分担が一度に連結されるのです。分かりますか? 一度に連結されるのに、堕落ゆえにこれが少年アダム・エバを捜して立てたとしても、既にカイン世界が生じていたので、世界に責任を負うことができる位置に立てることができません。カイン世界は、サタンと完全に一つになっているので、神側に反対するようになっているというのです。 アベル的主流の確立 それで、アダムの小型のように育てて出て来たのがアベルです。カイン・アベルの天側の人。神様の人ではありません。天側の人と神様の人は違うのです。天側と言うようになれば、東西南北、各方向になるのです。天側の人と言うようになれば、高い位置の人もいるし、低い位置の人もいるし、中間の人もいるし、東の方の人もいるし、西の方の人もいるし、南の方の人もいるし、北の方の人もいます。すべては神側です。それだから、世界の舞台を中心として天側のアベルを育ててくるというのです。分かりますか?(「はい。」) そうして、天側のアベルを育てて出て来るのですが、アベル側の中心主流を決定せずしては、収拾する道がないというのです。だから、アベルのような少年が、天側に東西南北を中心として四人がいるとしましょう。四人がいたとしても、それぞれが人ごとにばらばらではだめです。そこで主流は、こうでなければならないというような主流がなければなりません。アベル側を中心とした主流は、どのようにしなければならないのか? カインを屈服させなければなりません。カインを屈服させるならば、主流は確立されるでしょう。 それで、カイン・アベルの問題を中心として、ヤコブとエサウを中心として、ぴったりそのような立場になるのです。そうして、ヤコブが二十一年間、異邦の国に行って住むというのです。サタン側に行って闘わなければなりません。サタン側に行って訓練を受け、サタン側を詳しく知らなければなりません。サタン世界を知らなくては、絶対復帰できません。カインがどうなのか、よく知らなければなりません。 それで、ヤコブは自分の伯父であるラバンの家に行って何回も騙された。それは完全に詐欺でしょう? 伯父をして詐欺をさせる、嘘を言わせるのです。妹のラケルを嫁にやると言って七年間仕事をさせて、姉をやってしまった。レアをやったのです。あとの七年間で、こちら側は、公的利益を取って出て行くのですが、あちら側は、私的利益を取るのですね。いつも、私的利益を取る者の前には公的利益を取る者はやられてしまうというのです。 それで、主流になるためには、どのようにしなければならないのか? カインを屈服させて勝利したという覇権を持たなくては、主流になることができないというのです。それでは、カインをどのように屈服させますか? 握りこぶしで屈服させるのですか? 愛? 何の愛?天の本質的愛! サタンは天に対する反対的愛を通じて後に出て行ったので、今日、天を中心とする本質的愛を持った弟の位置から復帰しなければなりません。天的愛の本質を持った弟と、サタン側の愛の本質を持ったカインとは完全に違うのです。しかし、本物はどれか分からないほど光らないのです。金を見ると、本物と偽物があれば、偽物がピカピカしてもっとよく見えるでしょう? しかし、それを熔鉱炉に入れ、打って内のものが外に出てくるようにして、外のものを中に入れてみれば、偽物は光が違ってきます。本物は、打てば打つほど、叩けば叩くほど、内のものがもっと良いというのです。分かりますか? 同じように、神様の本質的愛を中心とするアベルと、サタンの本質的愛をもった堕落体のカインとは、本質的に違うというのです。反対側、サタン側の愛の本質は、全部宇宙を嫌い、環境を嫌い、空気やこのすべてのものを嫌います。しかし、本質的愛を中心として歓迎するときは、本質的愛が迫害を受ければ受けるほど、その周囲のすべての力は合わさるのです。 この宇宙の力が合わさればどんな位置に行くのかと言えば、我々の周囲の良心的な人が付くのです。そのまま一つになりません。カインは、十二回以上殺そうとします。それでも、それを忍んで越えて行かねばなりません。それで、ヤボク川で天使と相撲を取ったのが、霊界のサタンをなくすことだったのです。天使長をなくすことだったのです。 「アダムはお前に負けたけれど、私、アベルは、お前に負けない。天使であろうと何であろうと、一回戦ってみよう。」このような戦いです。もものつがいがはずれても離さない。サタンは、自分が戻って行かねばならない時があるので、祝福をせざるを得なかったのです。天の祝福を全部与えて行くのです。そのように、ぞっとするほどに恐ろしい蕩減路程を経るのです。 カイン屈服の道 しかし、一個人や個人の兄弟を中心とした蕩減路程がそれだけで終わるのではありません。個人の責任分担を完遂したならば、その次には、家庭の責任分担が残っているというのです。アダムの時は、個人の責任分担です。家庭の責任分担、氏族、民族、国家、世界、天宙の責任分担を一度に皆、戻って行ってなすのです。これは、世界、東西南北全部反対して来るので、これを一日の内にすることができますか? だから、個人が闘って勝利して、家庭的基盤を固め、そして氏族的基盤を固めて行かなければなりません。このようなわけで、イスラエル民族はいつも追われるのです。一つの場所に定着していては、祝福を受けることができません。それで、ユダヤ人は遊牧民になったのです。一地方に入って基盤を造って住むと、必ずそこで人の気嫌を伺って生きなければなりませんでした。今まで、人の気嫌を伺う役をして来たというのです。それゆえに、イエス様もこの地上に来られて「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」と言われたでしょう? 自分も同じように叩いてはアベルの位置を占めることができないというのです。カインを屈服させる道がないというのです。これが今まで宗教が行く道で一番理解できない道でした。 宗教人たちは、なぜ家を出なければならず、なぜ犠牲にならなければならないのか? なぜ苦行をしなければならないのか? この問題を、今まで宗教を信ずる人自体も解決できずにいました。責任分担という言葉が出て来なかったならば、解決する道がありません。アダム・エバが堕落せずに神様の懐の内にだけ生きたならば、二十一年間に天宙の勝利的覇権者として登場するようになるのに、堕落することによって逆になってしまった。だから怨讐たちが全部四方に現れて、覇権者が現れようとすると、切ってしまおうとする。なぜか? サタンの部下になったからです。 アベルが出て来てカインを屈服させた日には、天国がまわってくることのできる世界が生ずるので、サタンとしてはこれが生命線です。神様のすべての所有権を完全に奪われて、この責任分担という基盤を完成するようになればだめだと考えて、サタンは食い下がるというのです。神側の人の中で何が必要なのか? 互いに中心にならなければならないのです。主流になるためには、カイン・アベルの代表的な立場で、霊界と肉界を代表して、霊界のサタンを屈服させなければなりません。地上のサタンである長子を屈服させずには、主流の道を行くことができません。このような責任分担を担って宗教界を代表したのが、イスラエルのユダヤ民族、選民だったのです。選民が何かといえば、主流的なアベルの位置を選択した民族のことです。 神様の作戦 ところで、イエス様が来る時までイスラエル民族は、自分も知らずに犠牲になってきました。ひたすら打たれながらも対抗せずに、無条件に犠牲になりました。こうなると、何が起こるかと言えば、サタンが先頭に立って迫害するのを、その後(うしろ)にいて良心的な人たちがぶらぶらしながら見ているので、その人たちが全部押し寄せて来るのです。群れを成して集まるようになっているのです。善なる人を犠牲にさせて、周辺の良心的な人たちを動員させて、ここに囲いをつくる役をするのです。 それで、個人的にアベル圏を成し遂げさせるために、個人的カインの前に犠牲になることによって、個人を中心とするアベル形態の良心的な人たちを糾合していく。良心的な人は、歴史時代の宗教人として落伍者であり、無能力な人たちです。こぶしを振り回せず、詐欺をできず、他人の物をゆすることもできないから無能力者でしょう? どこに行っても、ひたすら他人の僕の生活をして、全部奪われても何も言えず、そのまま追い払われて出て来るから、無能力者でしょう? そのような人たちが宗教を信ずるということがなぜ生じて来るのか? サタン世界の悪党たち、非良心的な人たちが全部嫌っても、仕方なく、その国の民として逃げることもできず、その環境を離れることができないから、くっついて生きなからでも忍ぶのです。その時は、中間でふらふらしているけれども、しかし、昼にはアベルが迫害されるのを見たので、夜には集まって来て慰めてあげる。分かりますか? そのようなことが起こります。一人を犠牲にし、十二人以上を糾合させる運動をするのです。 それで神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦です。宗教人は知恵があるので、打たれながらも、無くなり去ってしまうようであるが、自然的勝利圏を獲得して出て来るのです。なぜか? 良心・本然の世界があるので、いったん決めて死の場に行けば、皆一緒に死のうとします。皆一緒に死のうとすることによってアベル圏を勝利すれば、神様がいつでもその基準で、アベルを探して立てることができ、それでアベル個人型を拡大させていきます。しかし、これに最も反対する人が自分の兄弟や自分に最も近い人です。そのように役事するのです。兄に反対させて、父母にさせて、夫にさせて、妻にさせて役事するのです。分かりますか? カインのタイプを知らなくてはなりません。カインは、遠い所にいるのではなく、最も近い所の父母がカインにならなければ、お兄さんがなり、お兄さんがならなければ、弟、妹がなります。夫がなるか妻がなるか。そうでなければ息子がなるかです。それで、イエス様がこのように言ったでしょう。「私よりも父または母を愛する者は、私にふさわしくない。私よりも、息子・娘を愛する者は私にふさわしくない」と。 アベルの行く道 アベルの道を行こうとするならば、このようにすべてが反対する道を行かねばなりません。彼らが反対するとしても、忍んで耐えなければならず、彼らを愛してはなりません。愛はすでにカイン側に染まったので、愛してはいけません。イエスは世界的な息子なのだからイエスを愛さなければならないでしょう? イエスのために自分の愛する妻を捨てることができ、愛する夫を捨てることかでき、愛する息子・娘・父母を捨てることができなければなりません。自分の最も大切だと思うものを否定することができなければなりません。 そのために、アベルになろうとする人は、自分を完全に否定する位置から出発しなければなりません。堕落した世界に自分がいるということは、その父母がサタン側にいるのですから、サタン側の息子・娘の立場にあるということになるのです。それで、自分を認めるようになればサタン側になります。それだから、原理で責任分担ということを知らなかったとするならば大変なことなのです。責任分担を中心として、これがひっくり返って、代わらなければならない蕩減路程を行っている事実を知らなければ、宗教世界が解けません。地上で解かなければ、霊界に行っても解く道がない。全部結ばれているというのですね。君たちが知っている責任分担の道を行くということが、どれだけ歴史的な福音であるかを知らなければなりません。 また蕩減復帰がなければアベル圏を探すことができないし、アベル圏を探すことができなければ、父母が出て来る道がなく、父母を探すことができなければ、神様の理想世界を探す道がありません。そうであるから、すべての人間は、個人的責任分担、家庭的責任分担、氏族の責任分担、民族の責任分担、国家の責任分担、世界の責任分担がひっかかっており、これを解決できなければ、霊界、永遠なる世界までも天国と地獄が分かれるようになり、そこでも責任分担を果たさなければなりません。地上の天国、天上の天国下で神様が統治すべきであった本然の人間自体が堕落することによって、神はそれを成すことができなくなりました。しかし、堕落した人間といえども、アダム・エバの息子・娘に違いないのですから、これをそのまま、抹殺することができません。それで、復帰ということをしなければならないのです。 今、考古学では、人間の歴史を八十五万年から百五十万年だと言っていますが、この内容を知らなければ、百万年の歴史も知ることができません。これを解くために自然神を崇めるようにし、太陽神を崇めるようにし、人を崇めるようにしたのです。太陽神、自然神崇拝時代、人間神崇拝時代があり、人間神崇拝時代は、ローマ文化圏を形成したのです。ギリシャ文化圏は全部人間神を崇拝しました。何々の神というのは、力を象徴する人だとか全部人の関係だというのです。これが全部、訓練なのです。それで宗教界に入って来て、特定のタイプを中心として、神様の代身崇拝時代に入って行くのが世界的宗教時代です。 サタンの罠 責任分担と蕩減復帰は絶対必要だということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」)個人の責任分担圏が世界的にまだ覆われなかったし、ユダヤ教とキリスト教があっても覆われなかった。だれかがこれを覆うとするならば、メシヤを中心として、父母様を中心として、カインとアベルが一つになることによって、サタンを分別したという世界的な人物が出て来ない限り、難しいというのです。まだ、個人の責任分担、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の責任分担圏を整えることが一つも解決されていなかったというのです。分かりますか? これを解決するためにメシヤが来なければなりません。それはアダム・エバが分からないため、責任分担を教えてやることができないのです。いかにアベルに知恵があると言っても、神様は教えてあげることができないのです。それは、アベルの責任分担ではありません。本来の責任分担というものは父母にあります。 だから、責任分担を完遂し、これを解く方がだれかと言えば、父母の位置に立つ方だというのです。父母が来なければならないというのです。父母の資格で世界史を代表して、責任分担の問題に責任を負って解決なさろうとして来られる方がメシヤ、救世主だというのです。救世主は何で救うのか? 責任分担で救うのです。サタンは、責任分担で首に食い下がって来ますが、責任分担を完遂しようとするならば、私の怨讐までも愛さなければなりません。サタンも愛さなければなりません。さもないとサタンはなぜそうなのかと食い下がるというのです。 「神様! 私は堕落したものの、本然の位置は天使長ではありませんか? 天使長である私を、アダムを造る以前には愛さなかったですか? 神様は、正当な神様ですし、本来の永遠なる神様なのだから、変わることがあってはならないではありませんか? 私は堕落して変わったものの、あなたは変わることができますか? だから、あなたが変わらない愛を私にくださったという条件を立てることができなければ、アダムを探して行く道がありません。またそうでなければ、あなたが私に勝つ道はありません。」というのです。これは、蕩減、責任分担を意味するものです。 だから、責任分担を確実に知らなければなりません。責任分担にかかっています。「あなたがアダム・エバを中心として責任を果たす時までは、私が彼を愛するのと同じく、あなたは私を愛することができますか? 責任分担を完遂したメシヤを探すためには、私を愛したという条件を立てなくては、探す道がありません」。その愛はいかほどか? 本然の天使長の位置にいたからこの世の人よりも、堕落した世界の人よりもっと強い愛だというのです。 「すべての万物を創造した時、あなたは、私と共に相談して造ったではありませんか? アダム・エバを創造することによって御旨をなそうとするならば、私もアダム・エバと同じ位置で、愛に同席すべきです。その階級においては、私が彼等に侍り奉る僕の位置にいましたが、それは単なる主従関係に止まるのではないですか? だから、あなたが私を彼等と平等の愛の圏内で愛されるということは、間違っていなかったのではないですか?」とサタンが食い下がります。「神様が個人的アベル圏を越えて行こうとするならば、それは、アベル圏を立て、カイン圏を立てて、メシヤを育(はぐく)み出す道だから、その道にあっては、私を愛したという条件を立てることがなくしては、出て行く道がありません!」これが問題だというのです。何のゆえか? 責任分担のゆえに…。これが、今までサタンの罠だったのです。数多くの宗教人を殺したのです。どれほど血を流させ、犠牲になったか測り知れないというのです。 無私の立場 責任分担の路程で自分だけを考える時は、皆、失敗するのです。だから、反復しながら限りなく亡びの歴史として延長されて来たこの世において、神様が立ち塞がって選民圏を立てたというこの驚くべき事実を知らなければなりません。責任分担を完遂できるアベル主流圏を造らなければなりません。アベルを立てて何をするって? 責任分担を完遂するのです。 そのためには、死ぬような場所であっても、「私」を意識してはいけないというのです。死ぬとしても、自分を意識してはいけません。エデンの園でサタンが自分を殺すということを考えてごらんなさい。君たちがエデンの園で責任分担を完遂する位置で、サタンが私を殺そうとする。神様が知っている。然るに意識しないことがてきますか? 死の前でイエス様も恐れたというのです。十字架を前に置いて、「父よ、できることでしたらこの杯(さかずき)を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の思いのままにではなく、父の御心のままになさってください!」これがひっかかったというのです。それは何か? 私の思い、父の御心、二つの思いではないか。これが間違ったというのです。今度の裁判問題で先生を御覧なさい。御旨が願うなら死の道も行きます。異議がない。イエス様のような言葉を言いません。見ている人たちが「先生は、蕩減条件も皆立てたのに、何がどうして?」と話が多いんです。サタンが首を打つとしても、「ああ、お父様、私を通じてお父様の仇を打ってくださいませ」。そうすればこそ、これを越えて行けるでしょう。理論的にそのようになっている。こうしてその主流が確定される時は、その主流の命令に絶対服従しなければならないと言うのです。分かりますか? (「はい。」) 復帰摂理の複雑な背景 個人的責任分担を完成してカインを屈服させた人たちは、殺されながらも、血を流しながらも行くのを見たので、自分たちも異議がないというのです。どんな悪口を言っても、異議がないという話なのです。私が個人で蕩減を受けることのできる恵みを一つだけ持ったとしても、それは私のような人が千万人死んでも、成し遂げることができない恵みだということを知らなければなりません。 それで、イスラエル民族は、イスラエルのその個人を中心として、カイン・アベルを中心として、闘いをしました。エサウが殺そうとしたでしょう? それで自分が二十一年間に得たすべての財物を、僕であろうと羊であろうと財産全部を捧げたでしょう? 「殺してもいいし、殴ってもいいが、あなたの前に長子権を受けた祝福だけは奪わないでくれ。」と言ったでしょう? 長子権を受けなければならないというのです。カインが長子権をもってこの世を蹂躙しているというのです。父母の代わりに、長子は弟を支配できる権限が原理的には付与されているのです。だから次子の位置にいてはだめです。長子権を復帰しなければなりません。それで、彼のお母さんが手伝って蕩減復帰するために、彼のお父さんに嘘を言ったのでしょう? 天使長が嘘で騙されたのですね。聖書を見る時、なぜそうなったのかを理解できないのです。蕩減復帰を知らなくては聖書を理解できません。 「ヨブ記のように、自分の娘が酒を飲んで、それで一体何が聖書なのか。」と言うかも知れませんが、蕩減復帰というのは、サタン側で行なうすべてのことを反対にしてて引っ張ってくるためのものです。このような道でも神様の為に行くときは、そのまま信仰で越えて行くことができる道が、いくらでもあると言うのです。たとえ殺人強盗であるとしても、愛国の為に敵陣に入って行って功を立てるとき、殺人強盗たちも恵みを受けて、福地圏内の祝福を受けて生きることができる民になり得るのと同じ位置に立つというのです。 この地には妾の子が多く、ありとあらゆる立場の子がいますが、蕩減復帰の背後はいかばかり複雑でしょうか? それだから、事実、祝福を受けて生まれた君たちを私が売ってしまうこともできるというのです。一人売って、ソ連の国を救うことができるなら売るでしょう? 不満はないですか? (「はい。」)この世には、そのようなことが数えきれないくらいあります。タマルが祝福を受けたのは何でしたか? 自分の舅(しゅうと)の懐に入って行くのです。それも騙して娼婦の服を着て、血統を残すためにそんなことをしました。その血統を通じてイエス様が誕生できたのです。それを誰が分かりますか? その当時は、すぐに石に打たれて死ぬようになっていました。君たちには、それが分かりません。タマルは死を覚悟していたのです。 自分中心の思いで、よこしまで怪しい行動をしたとしたら、全部ひっかかります。そのように厳格なのです。百ならば百、千ならば千、全部法にひっかかるようになっています。このような内容を原理で解明しない限り、全部亡びるようになっているというのです。だから、歴史時代に、いかほど多くの宗教人たちが犠牲になったことでしょう。犠牲になったその歩みは、全部皆、異端として烙印を押され、歴史はすべて流れてしまいました。そうして神様の復帰摂理は、少しずつ、もっと難しくなったという事実を知らなければなりません。 ここで、鄭壽源(ジヨンスウウオン)のおばあさんの証を聞いたことがあるでしょうが、金聖道(キムスンドウ)おばあさんは、先生が出て来たから、今、孫娘が立って証することも可能となったのでしょう? 先生が出て来なかったならば、よこしまで怪しい宗教詐欺師でしかなかったのです。それが主様のためにすることなのかどうか、どうして分かりますか! 全部、先生が出て来たから、そういうおばあさんたちも歴史的な人物になったのです。今も霊界には、怪しげなことが多くあります。永遠の巻き物を解かなくては、霊界のすべての難しい問題を、地上の難しい問題を地上で解く道がありません。 愛の成熟期 この責任分担を徹底して分かっていなければならないのに、それをくだらないことだと思っていたでしょう? これを知らなければ歴史を解くことができません。責任分担をなぜ与えてくださったのですか。神様! 取って食べるなと言うのです。責任分担を与えられなければ思春期がなくなり、原理主管圏というものがなくなってしまうのです。思春期という愛の成熟期間があって、互いに相対性を知って、引力関係と同じように活動することのできる資格が出て来なければならないでしょう? 責任分担をなぜ与えられたのですか? これは成熟期間である思春期を与えるためです。生まれながらに、赤ん坊の時から結婚が何か分かりますか? それで仕方なく成熟期間を置いて待たなければならないのです。女の人が四肢五体が皆成熟して、男の人も皆成熟するようになれば、自分が相対を取ることができます。 アダム・エバが同じ園で、二人だけ住んでいるのにどこに行くでしょう! その時は、アダムがエバの手に触ってみれば、ふっくらとしているでしょう。エバは、アダムの手に触れてみると、とても硬くて気持がよい。よくできているのだね。その時は「愛するな」と言っても愛するようになっています。愛を教えるといって何を教えるのですか? その時まで待てば良かったのです。その時まで行けずに、成熟できない時に壊れたから問題なのでしょう。その実が熟していない栗のいがのように、形は同じようだけど、むいてみると実がない。種を構える所がないというのです。本質的な愛との因縁! 本質的な木全体との因縁を結ぶことができなかったので讒訴されたというのです。 なぜ、責任分担期間を与えたのでしょうか? それは成熟するようにするためです。愛の力というのは、男女が一つに合わさるようになれば、もっと大きくなると言ったでしょう。成熟した愛の力をもって、夫婦が合わされば、女も男も大きくなっていきます。二人が合わさるようになれば、二人共皆大きくなっていきます。大きくなることによって、もっと大きい主体と対象の道を探して、最高の本然の種の実の位置に到達するために、全部探して行くようになっています。花の香りのよいその時がよいのではなくて、実を結ばなければなりません。 責任分担を完成したか? 今日、アメリカの若い子供たちを見ると、思春期に浮わついたまま生きて、実もなく死んでしまう。これは天道の背道者です。この宇宙の原則に反する悪人たちであり、大破壊主義者です。統一教会の食口はどうか? 世界を治めるために天の祝福を受けて、神様が双手(そうしゅ)をあげて祝福した貴童子が生まれるのに、産児制限をして首を切ったとするならば、これは人類に貢献することのできる天道の道を破壊してしまうのだから、そのお母さんはあの世に行って代が途切れてしまうというのです。分かりますか? (「はい。」) お母様がもし産児制限をしたらどうなったでしょうか? 天上、地上に統一理念を立てるための、神様の祝福の恩恵圏を破壊させた罪を負わなければなりません。それで仕方なくお母様も病弱でしたが、多くの息子・娘を産んだのでしょう? お母様は弱いけれども息子・娘は丈夫です。父母はそのように行くのです。父母は子供たちに食べさせ、子供たちを生かさなければなりませんが、どれほどか疲れることでしょう。しかし、疲れを耐えて、あるだけの精誠を尽くすときは、天の息子・娘が疲れを避けることができるように、天運が助けてくれて、我々にすべてを集めて来る。食べることを心配する必要がないと言うのです。だからと言って君たち、ひっきりなしに産みなさいという話ではありません。 責任分担! 御飯を食べたいのなら責任分担を完成した口でもって食べなさい。完成した位置で、手が御飯を持っていってやらなければならないでしょう? また、目は美男子のようだったら、さっと見ても思い出に残り、気になってまた見たくなります。「その目! 君、責任分担を完成したのか? この目よ、サタンの目」と自分に言い聞かせるのです。それを考えてみましたか? 原理的に見る時に、ああ、私が首飾りをする場合、責任分担を完成した首に掛けたのかどうか、と考えてみなければなりません。それだから、掛けるときは仕方なく、責任分担を完成できなかったけれども、許しを請いながら掛けるのです。私が活動するのに支障があるが、上の人が変に見るから、仕方なく首に掛けるときは、神様もどうすることもできなくて、「そうしなさい。」と言います。 私は今まで指輪を一度もはめなかったし、時計はそこにあるものをつけて、先生はこのようにして生きるのです。先生は、世界、天宙の責任分担を完成したのかと問うてみます。統一教会の食口たちは、個人の責任分担から成さなければならないし、ある人は、三十六家庭ならば、家庭を中心とした責任分担があるし、先生は天宙を中心とした責任分担を完成しなければなりません。 無情な蕩減の道 大韓民国が問題ではありません。世界が問題でありません。私が行かなければならない責任分担を完成しなければならないということは、だれも分からないのです。しかし、先生が「だめだ!」と、思いきって一言(ひとこと)言うならば異議がない。恐ろしいよ。 だから、私的なことがあってはならないというのです。責任分担を完成した後に、その時になって、国家に対する自由を得るようになるのです。その時になって監獄に行くことは眼中にありません。どのように天運の道を立てるのか? どのようにアメリカとこの自由世界を回すのか? これが問題なのです。自分が監獄に行くことが問題ではありません。この十字架の道を良く過ぎ行かなければなりません。そうでなくては、主流の位置に行くことができないからです。 自分の息子を従えて、自分の妻を従えて一番良いという座に座れば、御旨はずっと後の方へ行く。だから、先生の生活は悲惨な生活なのです。私の家庭を愛することを知らないのではないし、私の子供たちを可愛がることを知らないのではありませんが、今まで過ごして来たその姿を見るならば三十六家庭の人たちを連れて、五十が過ぎ、六十に近くなっているのに、あの人たちのゆえに時間を皆奪われるんでしょう? それで先生の子供たちは不平を言わないでしょうか? 御飯を食べる時も同じ席で食べることもできないし、「お父さん、私ここで一緒に御飯食べるよ。」と、今までそうしてみることができなかったのです。しかし、その子供たちは、お父さんの保護圏にいるのです。静かに従順でさえあれば、天倫の位置で、自然に原理のみ言葉を知って、分別がつくようになれば、自分が皆分かるようになるのです。 しかし、世界は先生の側にありません。カイン側を中心としているこれらを、私の側に造らなければ、自分の息子・娘に十字架が行きます。蕩減復帰路程を経なければ、息子・娘たちが責任分担を負わなければならないというのです。だから、千年を一日のごとくに「歳月よ、行け。」と言いながら、無法に膝まづいて世界の尖端を行って、世界を懸けて闘って行かなければならないと言うのです。 それで個人の蕩減路程、家庭、氏族、民族、国家、世界の蕩減路程まで越えなければならない。監獄を前にして闘うのです。 人間復帰歴史に生命をかけて、死ななければ生きようと、マラソンをして来たイエスも、チャンピオンのメシヤとして来ましたが失敗しました。神様の息子・救世主として来ましたが、失敗したチャンピオンの道でした。何万年ぐらい走ったのか? 百万年以上人間たちは走ったけれども、ゴールインした人は一人もいません。すべてサタンの罠に陥ってきました。神様にどれだけ能力があったとしても、蕩減復帰、責任分担を解明できないときは、サタンが億千万年、「私の世だ。」と言って勝手にもて遊びました。しかし、先生の時代に来て責任分担を明らかにしたから解け出るのです。分かりますか? (「はい。」)責任分担を成すという、サタンと逆の蕩減復帰を成して行くのです。 父母に会うために では、蕩減復帰をどのようにするのでしょうか? アベルを探すためには、カインを探さなければなりません。兄弟がお母さんの懐で二つの乳を飲みながら、「私のは、乳がよく出るが、弟のは乳が出ない。」とからかったり、足げにするようなことではいけません。弟が代わって兄のを飲んでも、双子の赤ん坊のように静かにいなければなりません。ペレヅとゼラは、互いに「自分が先に出てくるんだ。」と言って争ったでしょう? それではいけないというのです。兄が弟に、「お前、兄の位置に出て行きなさい。」と言わなければなりません。父母を迎えるために、父母を探すために、それを教えて知ることができるというのです。 なぜ、そうでなければならないのでしょうか? 我々は、今まで父母のいない孤児として育ったので、自分を中心として生きてきました。しかし、今や父母に会うことのできる道があるならば、私が何であろうとも、その位置を捨てて、弟の位置に千回座るとしても、父母に会うことのできる道がここから出て来るので、長子の位置だけでなく、アベルの位置まで全部譲ることができるのです。私の福をすべて捨ててでも、私の生命よりも父母を探すことが貴いので、長子の位置も放棄することができるというのです。この貴い父母に会うことのできる道がここにあるゆえに、私のできないことがありません。これこそ、父母ゆえになしうることなのです。 世界統一圏の実現 それと同じ関係を、国家を代表する宗教と国家の間でつくるのです。互いが互いのためにする位置で、大祭司長の言葉を中心として一つになるためには、すなわち来られるメシヤのために、また父母に侍るためには、「我が国には準備が不足だから、あなた方教会が国のために準備して下さい。」と言わなければなりません。 こうしたならば、イエスは来て、個人の蕩減路程、家庭の蕩減路程、氏族、民族、国家基準を完全に七年路程で果たさなければなりません。それで、神様を中心としてカイン・アベルが一つとなり、個人、家庭が一つになり、氏族が一つになり、民族が一つになり、国家が一つになるならば、一体サタンが侵犯するでしょうか? 原理的に侵犯できなくなっているのです。ローマ帝国から押し出されるとしても、イエスは亡びません。その当時、ローマは政治的には疲弊した状態でした。それで仏教圏をつくって、中国では儒教文化圏を中心として、昔の中東の中間に通ずるようになっていたのです。 こうして、大ローマ帝国が太陽神を崇拝することに反対するようになれば、自然にイエスを中心として、アラブ圏統一を中心として統一されるようになっていました。そうならなかったために、「十二支派が祝福を受けた土地だ。」と言って争いになるのです。世界が分かれて、アラブ圏紛争、南北紛争、南米紛争、中米紛争、皆紛争ばかりです。共産世界と民主世界の紛争、サタン世界と神様の世界の紛争。これは、なぜかと言えば、アベル圏が設定されていないゆえに、アベルとカイン圏が一つになった基盤ができていないために、そうなるというのです。 それで先生が今何をするのかと言えば、民主世界と共産世界の二つを一つにつくらなければなりません。それで、世界頂上会談を早く設け、そこに加わらざるを得ない基盤をつくって、ゴールインに追い込もうと、今準備して出て行くのです。これが一つになれば、世界統一圏が自然に現れます。 民主世界でカイン・アベル圏が完全に一つになった位置に立つようになれば、そこに世界を代表することのできる分立が起こって、一つの本然の理想体制であり、創造理想である天国の本宮(ほんぐう)を引き継ぐことができ、地上世界の億千万年の主権を引き継ぐことのできる基盤が立つ。その上で、それが逆に世界に合わせることのできる形として越えて行くというのです。 それで祝福を受けた君たち、この位置は易しいですか? 四千年間イスラエル民族を立てて、メシヤを送る約束をして、メシヤが来てなしたことは何でしょうか? 新婦を探して新婦祝福を受けなければならなかったのです。そうすれば、だれが祝福してやらなければならないのか? 神様は祝福してあげることができません。カイン・アベルが蕩減の責任分担圏を成して、基準ができる時まで、父母は国家的基台ができずにいたというのです。だから、国家的生活圏を成すことができず、愛することができなかったというのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.29
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異邦人サマリア人氏の11月22日記事「日本人による世界人のための家庭教会 基元節奉献はお父様の生涯のすべてだった (fc2.com)」からです。記事冒頭では「天地人真の父母様天宙聖婚60周年記念特別集会 真の父母様のみ言 (2020.5.8)」の映像を挙げてはその一部を引用されてのお母様批判をされていました。映像の右上からは「PeaceTV/LIVE」が映し出されていますから、生中継映像の録画ということになります。しかしながら、実際のお母様み言は約23分のもので、映像はPeaceTVホームページからも視聴できるものでした。https://www.ipeacetv.com/vod/vod_view.asp?vId=11603&page=1下部には文字化されたものもありました。以下がそれです。「天の父母様聖会」の出発天地人真の父母様天宙聖婚60周年記念特別集会 み言天一国8年天暦4月16日(2020.5.8) 9:00HJ天宙天寶修錬苑大聖殿 会えて嬉しいです。3ヶ月ぶりですね。5月といえば一番美しい季節。希望の季節だと言います。数日前に私が天正宮(博物館)の庭でつつじ畑を散策していた時ですが、いつ来たのか蜂や蝶たちが踊って熱心に仕事をしている場面を見ました。その時私は、創造主・天の父母様を思いました。真の父母様の人類救援のマラソンと天一国基元節宣布 その方には夢があり、天地万物を創造されて、このような美しい季節を人間のために つくってくださいました。しかし、人間始祖の堕落によって、天の父母様が天宙の主人であられるのに、その主人の役割をできませんでした。ご自身があまりにも長い6000年の期間を、自身のみ旨を知り得る人間を尋ね求められ、忍耐して待って来られました。特に今回のコロナの事態によって全世界の国々が国境封鎖をして、あらゆる面で一つになれないように自国を中心とした道に進んでいます。人間の努力と力ではこれ以上一つになれず、平和の世界が来ることができないということを見せてくれました。皆さんはどのように感じましたか? 1960年は、天の父母様が待ちに待った地上の摂理を出発できる年です。1960年3月16日、この日は天の父母様が真の父母と一つになる日にならなければなりませんでした。しかし歴史を通して見る時に、救援摂理、蕩減復帰摂理は多くの過ちによって遅れてきました。特に再臨のメシヤという方、その方の責任はキリスト教基盤を通して完成できなければなりませんでしたが、そのようにできないまま1960年、真の父母は世界に向けてマラソンを始めました。世界を抱くために絶え間なく努力し、到底話すことのできない、言語に絶する血の涙の流れる死闘でした。 54年間マラソンは続きましたが、2013年1月13日、基元節に天一国元年を宣布しました。そして3年間は真のお父様のため、天の父母様の前に、矜恤と赦しと愛を切に求めました。真のお父様の使命は地上で完成をしなければなりません。地上が先です。しかしそうなることができなかったのです。それで私は3年の侍墓精誠を捧げると話しました。3年後に、真のお父様にこのように話しました。「天の父母様の前に頌栄の対象として自由になってください。地上は私が責任を果たします。」 地上が重要なのです。皆さんがきょう,私とともに息をして存在しているこの瞬間が、どれだけ重要なのか分かりません。今回のコロナの事態で皆さんは距離を置くことと多くの分別をしたことでしょう。皆さんの今の人生が、永遠なる天上の天一国の民として資格があるかを検討し、努力して反省し、悔い改めなければなりません。そして責任を完成すると誓う皆さんになることを願います。そのようにしますか?天一国安着と愛の実践 摂理を知っている私としては、一刻の余裕もありませんでした。皆さんは感じ、見たことでしょう。ただ天の父母様だけが私の側にあられました。私が「7ヶ国復帰をしなければならない」と話した時、皆信じませんでした。私が「アフリカに行かなければならない、セネガルに行かなければならない」と話した時、全員が反対しました。しかし結果と結論はどうなりましたか? 勝利しました。勝利した土台の上で私は2020年、天一国安着を宣布しました。天一国安着です。定着ではなく安着です。宣布をしたならば、宣布として終わってはいけません。それで私はこのコロナの期間中、55日間深い精誠の祈祷を捧げました。天はこれ以上待てないということです。地上に私がいる間に、天の父母様に万民とともに栄華をもって侍って生きる生涯を見せてあげなければならないのに、遅らせることができないというのが結論です。 天の父母様が夢見て来られたその愛の実践場は、天上ではなく地上です。見えない霊としておられる天の父母様が、見える完成した人間と一つになった真の父母の位置で、天の父母様として人類を抱いて愛し育てたかったのです。その夢を実践しなければなりません。これ以上天を待たせてはいけません。これ以上、人類が苦痛を受けて悟れる時間、長く見るべき時間は、私たちにはありません。 そうであれば、私がすべきことは天の父母様に侍り暮らすべき天一国の民が、どのようにして侍り暮らさなければならないかを見せてあげなければならないのです。それで真のお父様の聖和後に私が天苑宮をつくると話した時、その準備がすぐに実施できませんでした。この世的な、人間的な、さまざまな障害物が多くありました。しかしいま決めました。2023年にこの美しい季節に天苑宮、特に天の父母様に侍ることのできる聖殿である『天一聖殿(천일성전)』を奉献して差し上げようと思います。 昔、真のお父様がこのようなみ言を語られたことを皆さんは憶えているでしょう。「これからこのみ旨を知った世界の全ての人々が、いっぺんにどっと押し寄せて、釜山の沖合に遊覧船が絶え間なく連なるようになるでしょう。」これは言葉だけになってはいけません。実体的に成されなければなりません。そうであれば見せてあげられるものがなければなりません。それで私は拍車をかけます。 この国の民が念願する南北統一に対して、私はずいぶん前から話しました。人間の頭と人間の努力ではいけないというのです。天の父母様に侍る位置にならなければなりません。この国が神韓国にならなければならないということです。それで拍車をかけるために5つの地区に分けました。少しでも多くの効果をおさめるためにそのようにしました。今回、国会議員選挙に皆さんは実力発揮をしましたか? この国は天の父母様がいらっしゃらなければならない国です。ところでみ旨を知らない政治家と、み旨を知らない民が、天の摂理の妨害となってはいけないのです。ですから皆さんが教育をしなさいというのです。摂理の真実の歴史を知らせてあげなさいということです。天の父母様聖会のもと、地上天国を実践しましょう 幸いにも私の自叙伝が出ました。これを読む人たちの心がどのように変化しているか、皆さんはご存じですか? 私は皆さんから感想文をもらいましたが、平和大使や一般市民たちからも、もらいました。一人でも、この地に住んでいる民が、天の父母様を知らないということがあってはいけません。真の父母が分からなくてはいけないのです。 ですから私は政界、宗教界、財界、思想界、言うまでもなくすべての人たちが一つの旗の下に集まることのできる『天の父母様聖会』として発表します。英語で言えば 'Heavenly Parent Holy Community’です。天の父母様の大きな傘の下、今まで私たちがして来たすべてのNGO、天宙平和連合、家庭連合、女性連合など、すべてのものが入って120%天の父母様を証さなければなりません。 私は今まで選り分けられた摂理の真実を話すと言いました。天の父母様には天の父だけいらっしゃるのではなく、天の母もいらっしゃいます。この名称は天の母が中心になって世界人類を抱いて生んでくれるという意味があります。そのような大きな傘です。皆さんは立ち上がり、興奮して踊らなければなりません。いつ私たちにこのような日が来たのか! これから私が地上にいる間に、あらゆるものをすべて整理整頓するでしょう。天の父母様が私とともにいらっしゃるので、喜びと頌栄をお返して、毎日毎日「天の父母様、きょうはどこどこの何という国が父母様をお迎えして侍ると決心しました。」このような報告を捧げなければなりません。少なくとも私が地上にいる間に、10年になるか20年になるか分かりませんが、77億人類の中の3分の1でも天の父母様を知って侍ることのできる地上天国(実現)を実践しなければなりません。 皆さん一人が100人、また100人が1000人と相対することのできる実力を持って努力すれば可能になります。皆さんが進むことのできるすべてのものを私はつくってあげました。一日を千年のごとく生活しなければならない立場で、本当に多くのことができるようになります。それで私は世界本部を強化します。これからすべての指示を、世界本部を通して行います。今までもそのようにしてきましたが、国家を相手にしてもそのようにします。それで世界本部の本部長として尹煐鎬を任命します。今まで皆さんが多くを理解できずに口うるさくしていたことも知っています。しかし信じられないことを話した時に信じた人です。皆さんは全員違うと言いましたが、彼は信じました。 天一国は、一つになった天の国です。私が1960年、真のお父様と聖婚した時、天が私に啓示を下さいました。「これからすべての民は天一の民になるでしょう。」金氏、李氏、朴氏など、すべて天一の民です。「どうすれば天一国に相応しい人として暮らすことができるか」が問題ですが、そのような人の名前が、天に残される名前です。このことがどれ程とてつもない祝福であり、また恐れなければならない名前であるかを皆さんは分からなければなりません。 今まで54年間摂理をして来たものは、基元節を迎えるための準備でした。ところで基元節からは新しく進まなければなりません。新歴史、新時代です。人間として一番重要に考えなければならないものは、子供であれば父母なのです。父母の聖婚記念日です。この日だけが永遠に人類の前に伝わっていくのです。 摂理の完成は春に出発します。春の季節から出発して完成しなければなりません。それで真の父母の日の行事3月16日、天の父母の日の行事も3月16日にしなければなりません。天の父母様は春に出発されました。冬の間にすべて準備されて、春に花を咲かせて希望の芽を息吹かせようとされたのです。ですから人類の前に、天の前に最高の日は3月16日なのです。今後の行事はこれからずっとそうしていくでしょう。嬉しいですか?感謝しますか?愛しています。<引用終わり>LIVEとPeaceTV映像ではお母様のメッセージが少し違っているようです。PeaceTV映像は編集されて公開されたのでしょう。また、異邦人サマリア人氏の引用もLIVEの翻訳者と合致したものではありませんでしたが。だからといって、どれかが間違っているというものではありません。5分20秒〜引用開始2013年1月13日、基元節のゴールは誰がしましたか? 真の母だけがゴールしました。それで私は天一国を宣布しました。天一国元年を宣布しました。そして3年間はお父様のために、天の父母の前に哀れみと赦し、愛を求めました。真の父の生涯は地上において完成しなければなりませんでした。地上がまず先なのです。そのようにできなかったと言うのです。引用終了お母様が口頭で語られたメッセージでしたが、その真意を求めていく必要があるということです。お母様はマラソンを例に挙げておられました。1960年の聖婚式から出発したマラソンでしたが、お父様とお母様のどちらが先にゴールするか、といった競争(争い)だったでしょうか?これに関しては、サマリア人氏も「否」と応えるでしょう。真の父母様は「二人三脚」で出発され、そこに36家庭、72家庭、124家庭、430家庭……と「祝福家庭」がそのマラソンに加わって同じゴールを目指してきました。そして、その全祝福家庭がゴール(天一国へ入籍)すべく準備をして来られたのが真の父母様であられ、その時が基元節でした。ところが、2012年9月2日のお父様聖和です。全世界が涙で覆われました。その中でも最も涙されたのはお母様であったでしょう。ところが、サマリア人氏の捉え方は何なのでしょうか?実際のところ、オモニの口から「霊界のお父様と地上のお母様は一つ」と指導されたことは一度もありません。このメッセージが首尾一貫したオモニのお考えであり、基元節を奉献できなかったアボジは既に「過去の人」なのです。お母様が指導されていないからといって、お父様はどう教えられていたいうのでしょうか?!遺言書だとも語られた「八大教材教本・天聖経」にはそのことが記されていたでしょう。「堕落がなかったなら天国は、ひとり子、ひとり娘が神様の愛を中心として神様の家庭をつくり、神様の愛で暮らしてから、引っ越していく所です」。また、「ある夫人を見れば、その夫人の心の中に亡くなった夫の姿が見える」、というのもありました。サマリア人氏は、それをも信じられなくなった「共産主義」のお仲間入りをされているのですか。父母様の息子・娘であれば、お二人が地獄へ行かれることを望みますか?サマリア人氏ほかは、お父様とお母様は一体化していない、といっては今日のお母様を批判・否定しています。となれば、お父様は何処へ行かれたことになりますか。イエス様と同じ「楽園」。2000年前の洗礼ヨハネについてイエス様が語られた言葉があります。「よく言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」(マタイ伝11章11節)。それを失敗者・お父様にも当てはめれば自ずと答えが出てくるはずです。サマリア人氏の次についてです。「お父様にできなかった仕事をお母様一人でやり遂げた」とは、摂理を知らない人から見たら美しい家族愛に見えるかもしれません。しかし基元節関連のみ言葉を少し参照するだけで、「お母様一人でやり遂げた」が全くの的外れであることが分かります。基元節の意義は幾つかありますが、最大の目的は完成期の聖婚式を挙行する点にありました。真の父母の聖婚式は蘇生期(1960年)、長成期(2003年)、完成期(2013年)の三段階で完成することを繰り返し語られました。私からは、原理講論>キリスト論>重生論 からの次はブログ記事でも何度か紹介していました。 このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。もちろん、お父様の聖和は必然的であったというものではありませんが、預言めいた一文として永く私たちが読んできたものです。この地上ではお母様が天一国の門を開門されました。これもまた、天一国は地上だけのものでしょうか? という話です。霊界では孝進様、興進様ほかが天一国創建のための準備をされておられました。だからといって霊界の開門は、やはり、真の父母様でなければ出来ませんでした。 お母様の彫像を強調しては批判されていますが、中央の「天勝殿」はどうなのでしょうか?『TWJ』2010.10月号、P.12からです。 父母様は霊界に行くときも一緒に行かなければなりません。私が年上で、百歳を超えるようになれば、お母様も連れて行くかもしれません。地獄と天国、門の敷居が二つあります。二つある門の敷居が一つ残りますが、そのときは、地獄はなくなって、天国になるとき、門の敷居と直線上になります。あそこでこのようにすっと出てくれば、横的になります。ここが九十角度。四掛ける九は三百六十度にならなければなりません。それを合わせれば、七百二十度。八掛ける九は七十二。言ってみなさい。(「八、九、七十二」)四、九。言ってみなさい。(「四、九」)四、九、三十六です。ハ、九は七十二であり、四、九は三十六です。二倍です。 いくら女性が強いといっても、男性にはかないません。ハ、九、七十二であり、四、九、三十六です。半分なので、男tは二倍です。二つの門の敷居を頭に描いてみてください。人間始祖の堕落によって地上と天上の敷居が二つに分かれていました。ところが、それがちょうど90度になれば、二つあった敷居が重なって一つになるというものです。基元節、その二つが一つにならなかったでしょうか? なったでしょうか?地上の「天勝殿」ですが、天上でも同じ「天勝殿」重なってあるのではないかと思います。であれば、天上ではお父様の彫像がある可能性も否定は出来ません。目に見えるものが全てではないでしょうから。そして、基元節における三度目の聖婚式については、サマリア人氏にはすでに『TWJ』2013.天暦2月号P.11の記載文でもってして「挙行」されていたことの証拠として知らせていました。「トゥデイズ・ワールド・ジャパン」2013.4(天暦2月号)のP.11をお読みください。----->引用開始「天地人真の父母様天一国即位式」では、天地人真の父母様の完成的聖婚式であり、戴冠式が挙行されるとともに、天一国が満天下に宣布され、続く「天一国基元節入籍祝福式」では、全祝福家庭が天一国に入籍する入籍祝福式を受けました。-----<終わりサマリア人氏の以下は根拠を失くしてしまいました。この日が聖婚式ではなかったことは、先月除幕された石像にも表現されています。オモニにとって基元節は女王として戴冠される日であり、アボジと完成期の聖婚をなさる日ではなかったのです。「お父様は聖和されたのだから仕方ないじゃないか、イエス様が十字架につかれたように、この犠牲によってお母様お一人でも二人のように勝利されたのでしょう」と反論される方もいるかもしれません。ところがアボジの膨大なみ言葉をどれだけ探しても、「万一私が聖和したら、お母様が一人で基元節を捧げる」という預言はないのです。どれだけアベル的な解釈であろうと、預言にないことは単なる個人の願望です。神の摂理とはサタンとの条件闘争であり、解釈を「アベル的に盛った」ところでご褒美のように実現するのではありません。生前のアボジをずっと見てきた祝福家庭に、再度問い掛けたいのです。基元節奉献は、アボジの生涯のすべてではなかったでしょうか。真の家庭の中枢からどれだけ遠い平信徒であろうと、この問い掛けには同意して頂けると思います。しかしながら殆どの祝福家庭は、基元節を大切だと感じながらも具体的に何が起きる日かということを知りませんでした。本来の基元節の根幹には、完成期の聖婚式と三大王権が実現するはずでした。三大王権とはすなわち、祖父母、父母、子女の三世代が神様を中心に一つになることです。当日式典にお孫様の姿がなかった訳ではありませんが、男の子女様があらかた不在という状況は、「一つになる」とは真逆でした。このような神聖な式典にあって、「我こそは後継者だ!」と自負してはその真の父母様を見失っている子女様はその場には相応しいとは思えません。冒頭に戻ります。天一国入籍のために玉璽まで準備された真の父母様でしたが、真の父母様以外に誰がその入籍資格を有したでしょうか?この地上でゴールしたのはお母様だけでした。そして、不忠・不幸の息子・娘に代わって3年の侍墓精誠(罪なきイエス様のような十字架)をされては、私たち人類に救いの手を差し伸べられているのが、正に、お母様であられます。3年後に、真のお父様にこのように話しました。「天の父母様の前に頌栄の対象として自由になってください。地上は私が責任を果たします。」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.29
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[21.11.28] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ映像は09:40から配信予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.28
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「本然のみ旨の道」1984年7月8日ベルベディアにて きょうの題目は本然のみ旨の道です。“本然のみ旨の道”、人間誰しも本性をもっていることは、御存じのとおりです。その本性は自分自身を越えて、世界と連結され、宇宙と連結されていなければなりません。そして過去、現在、未来へと連結されます。その本性は、歴史性を超越し、宇宙を超越しなければなりません。皆さんの心も歴史を通して自分が一番になろうと欲しています。また、この宇宙より大きいことを願っています。これは過去、現在、未来に、人間が存在する限り、本性がそのように作用するためです。 ではこの本性の根源はどこにあるのでしょうか? 本性の根源を考えるとき、今日の自然科学者たちは自然に生じたといいます。本性を中心として考えてみた場合、人間の価値とは何であり、また真なる人とはどのような人かといえば、それは真なる本性と一つになった人のことをいうのです。では、誤った人とはどのような人かといえば、真なる本性に違反する人のことです。 ゆえに善悪に対する問題は、真なる本性を中心として本性の道を歩むときに、真なる善となり、それに違反するときに悪となるのです。このような観点から見るとき、本性はどこから来たのでしょう? 誰のものなのでしょう? どこから来て、誰のものなのか? これが問題なのです。「それは父母を通して来た」と皆さんは言うでしょう。しかし、具体的に考えてみるとき、父母を通し、祖父母を通して、もっとさかのぼって行けば、人間の最初の先祖にまで行きます。そしてまたこの本性は、永遠に自分の後孫にまで引き継がれていくのです。私たちはこの世においては百年ぐらいしか生き続けないでしょう。しかし本性は自分が死んで霊界に行ってからでも、この地上の子孫の中に受け継がれていくであろうと思います。 自分が死んで霊界に行けば、この本性は地上に残されるでしょうか、それとも消滅してしまうでしょうか。それ(本性)はどこに行こうとも残るものです。決して消えてしまうものではありません。本性は自分が生まれる前からあったわけですし、また自分が生存しなくなってから以後も人間の本性は存在し続けるということになります。 ではその本性はどこから来たのでしょうか? これは存在が先か意識(概念)が先かという哲学上の問題となります。これによって、世界観が異なってくるのです。今日の唯物論者は物質が意識を規定するといっていますが、物質がすべての莫大な意識観念世界を包括しているのかといえば、決してそうではありません。この莫大な意識は、物質に先立つと考えればそれは事実です。何の話か分かりますか? 例えば種を例にしますと、種には二つの部分があり、その二つの部分は一つの皮をかぶっています。よく考えてみなさい。すべての種はこのようになっています。種の中に小さな胚珠があって、これが主体的な立場です。受精した最初の段階においては、父親と母親の愛の結合の中から生命というものが生まれるわけです。そしてそこにはプラスとマイナスが表されています。宇宙の自然の特質がすべて種の中に、木は木なりに入っています。松の木であれば、松の木のすべての本質的な要素が入っています。愛であれば愛のすべてが入っています。(黒板を使いながら説明) 単細胞一つの中にも、精子とか卵子とか生命のすべてが入っています。それは物質で言えば極めて小さなものですが、その小さな中には、(黒板を使いながら)このような莫大なる自分という根源が入っているのです。 ではなぜ、物質という一つの単細胞の中に、このような莫大なるものが内在することができるでしょうか。自分という生命体を包括することのできる、そのような余裕ある質量をもっているというのでしょうか。だからそこには必ず物質の中心に何らかの無形のものがあるというのです。自分自身が生まれることのできるある本質の要素が集約的に入っていて、物質としての一つの単細胞が両親の愛によって結ばれるのです。 では私という存在は、自分が生まれる前から存在していたのでしょうか、既にそこに存在していたものが自分の中に現れてきたのでしょうか? 物質が先か、概念が先か、。これが問題なのです。単細胞としての私自体が生まれるのに、その単細胞内に私という本性の写真、はっきりはしないがすべての計画が入っていなければならないのです。それで、私という一つの本性の意識の核というものがあって、そこにすべてが含まれている力の源泉があるために、物質を相対としてプラスとマイナスを引き入れて大きくなっていく、これが私たち人間の成長であるとみるのです。食事をして物質的栄養を吸収し、大きくなっていくのです。コンピューターのすべての計画が組まれてこそ機能するように、私たち人間自体の写真が映されて入っているのです。 そのような人間の本性自体がこの宇宙と歴史を超越しているとしたら、そのような私というものが生まれてくるためには、物質自体の観念ではあり得ません。これはあくまでも父母という特性の核が合わさって、物質的単位を吸収して、それ自体を形成していくとみなければなりません。それゆえ、意識が先であって、物質が先でないという結論が出るのです。 (黒板に書かれる)これは東洋人の目ですね。西洋人の目は大きいのです。(笑い) 皆さんにとって、意識が先か物質が先か、これが問題です。目の先祖がいるとしましょう。 (黒板に書かれる) 目にも動物の目とか、いろいろな目があるでしょう。そして、目の先祖がいるはずです。では、この目が生まれてくるときに、“私はこのように生まれたい”という思いがあるでしょうか、ないでしょうか。目にそのような考えをもつことができるでしょうか、できないでしょうか。目は“私は回らなければならないし、目は白と黒と真黒というように三段階になっていなければならないし、まつげがなければならないし、ぬれてパチパチしていなければならない”などと、思うでしょうか、思わないでしょうか。そう思ったでしょうか、思わなかったでしょうか。○○さん答えてみなさい。(思わなかったです)。目自体に、物質自体に思いというのはあり得ません。 ではなぜこのようになるのでしょうか? 「目はこのようでなければならない、という計画があったのでこうなった」と言えば、それは理論的です。目というのはこうなければならないという意識があって、それに従って物質的構成形態があると見なければなりません。目とは意識と物質を兼ねているものを言うのであって、意識と物資を別にして目と言うことはできません。ですから精神があるところに物質は従っていくのです。これを知らなければなりません。ここで精神というのは、意識という意味です。今日これを分けて考えるところに問題が起こるのです。唯心史観とか唯物史観とかになってくるのです。二つが合わさり一つとなって、人間の理想世界をつくらなければならないということを考えなかったのです。これを分けて論議する世界は、いくら理想的だとしても真なる理想世界ではありません。一つの世界となることはできません。 目自体は考えもなく、何も知りませんでした。物質自体は何も知りません、しかし意識は知っていたのです。ではどのように知っていたのでしょうか? この目自体が回らなければならないということです。では誰が回るようにしたのでしょうか? 次に目は、太陽の光を見るために生まれてきたので、太陽があるということを知っていたのです。目自体、物質自体は知ることができるでしょうか。物質世界は太陽があるかないか分かるのでしょうか。目は太陽があることを知っていましたか、知りませんでしたか。霊的な意識を兼ねた目は、既に知っていたのです。太陽があることを知っていたのです。では物質より先に知ったのですか、物質より後ですか? (先です)。物質がか先ではありません。すべての存在が動くのは、物質が先ではなく意識が先であることをはっきり、理論的に完全に解決しなければなりません。 このように、共産主義の唯物論者たちはでたらめなのです。根本を完全に破壊しなければなりません。意識と物質を分けてはなりません。一つにならなければなりません。自分自身というのも、そのような二つが結合して調和をもって出来ています。目は太陽があることを知っていたでしょう。だからそのように考えるのです。それは意識が先に知ったのであって、物質が先に知ったのではありません。何か異議がありますか? (ありません)。 次に目は、ほこりがあることを知っていました。物質である目自体が知ることができますか。意識がそれを知っていたのです。どれほど苦労したでしょう。この物質はどこから出てきたのですか? この皮膚のどこから出てきたのですか? なぜ真っ黒なのですか? 考えてみなさい。それはどこから来たのでしょうか。物質がそのように出てきたという、でたらめな話がどこにありますか。(目は意識によって)太陽があることを知ったし、この地上にある空間があって、空気が流動することによりほこりがあることを知ったのです。 次は何かといえば、ここに水を注いでくれるものがあります。(黒板に書かれる)この涙腺が出来上がるまで、どれほど難しいことだったか考えてみなさい。これは既に輻射熱によって蒸発するということを知っていたので、蒸発したら大変だからと、いつも湿らすようにしてあるのです。目はなぜパチパチするかというと、水に湿すためです。じっと何もしないで動かなかったらどうでしょう。考えてみなさい。なぜパチパチするのか。(笑い) このようなことを共産主義者に聞いてみなさい。意識が先か、物質が先か? 皆さんはどう思いますか? (意識が先です)。この目一つも、すべての宇宙的な知識を背景として生まれてきたのです。それではどのようにして太陽を知り、いかに空気があるのかを知り、いかにして水が熱によって蒸発することを知ったのでしょうか。この宇宙的な莫大な知識を基盤として出発したという事実を否定することはできません。今日の科学者たちは、このようなことを知る術がないので、漠然と「宇宙は力によって生じたのである」と言っていますが、その力は盲目的な力ですか、(目的をもつ)具体的な力ですか? 存在しているもののすべての構成は科学的に出来ています。公式で測定できるようになっています。具体的になっているのです。物理学は公理だとか公式が多いでしょう。公式を通して測定していくのです。では力はどこから来るのでしょうか? ここで力が先か作用が先かという問題が生じます。作用して力が生じ、力が作用をするようになっているとしたら、作用が先ですか、力が先ですか? どちらが先ですか? (力です)。 私は、レバレンド・ムーンという力の母体となっていますが、すべての器官、四肢はどのように作用しているでしょうか。では、電気においては力が先でしょうか、作用が先でしょうか。電気の作用によって電気の力が生じてくるのでしょうか。電気の力によって作用が生じてくるのでしょうか。電気が生じる時はプラスとマイナスが結合しなければなりません。プラスとマイナスが結合するのに作用が必要でしょうか? もしこれがなかったらプラスとマイナスが結合できず、力が出てこないのです。では作用が先ですか、力が先ですか? 力がある以前に作用がなければならないのです。作用するところに力が生ずるのです。これは深刻な問題です。この問題は根本的問題です。 それでは、作用はどのようにするのでしょうか。作用がある以前に何があるのでしょうか。ここで言えることは主体と対象との関係、プラスとマイナスとの関係でなければ、作用もなく力もないということです。分かりますか? この宇宙をどのように見れば良いかといえば、力はただ漠然とあるのではなく、宇宙が作用することによって力が生じ、宇宙が作用するためには相対的概念がなければなりません。 だから力より先に作用、作用より先に主体と対象の概念があるのです。今日、これを中心として物質と精神、プラスとマイナス、主体と対象の概念から作用が始まるのです。これを知らなければなりません。宇宙は精神と物質の相対的関係において授受作用し、万物が展開していくのです。何の話か分かりますか? 宇宙が生まれる時には、そのような概念から大きな精神と物質が和合した時、主体と対象の作用によって生まれたのです。創造というのはこれを具体化して展開したものです。意識と物質が相対的関係を成し、一つとなって宇宙の出発となったのです。出発がそうであるから結果的な人間もそうなのです。分かりますか? 精密なコンピューターになるためには、意識が精密でなければならないし、最も精密でさらに最も大きくなければなりません。世界貿易センターがどれほど巨大か、あのようなものを一つつくっておけばすべてを知ることができます。天や地のすべてを測ることができるのです。人間の意識はどれほど大きいか考えてみなさい。 小さな物質にそれほど莫大な意識が入っているということは神秘なのです。神秘的な主体、対象の関係をもっている頭脳です。先ほど種の例で説明したように、その小さな種の中に巨大な多くの情報が含まれているのです。人間についても同じことがいえます。父親の精子と母親の卵子とが一体化して新しい生命が生まれます。ではそれがどのようにして、何によって結ばれるのでしょうか? 力によって結ばれるのですか? 知識によって結ばれるのですか? 権力によってですか? 何によって結ばれ何によって作用するのですか? うん? 何によって? (愛によってです)。 では最初に神様が精神的なものを占め、この世の物質が連結するために、神様は何をもってなしたでしょうか。どのような力をもって調和しようとしたでしょうか。これが問題です。力でもってですか。知識でもってですか。愛という概念をもってですか。神様は愛という概念をもって宇宙形成の軌道を置いたのです。礎石を置いたのです。分かりますか? 有史以来、人間はなぜ宇宙を越えても愛を必要とするのでしょうか? 人間は、昼であれ夜であれ、いかなる所に行っても、若い時も老いた時も、死んだ後も常に愛の観念を離れることはできないような存在物なのですが、なぜそうなのでしょうか? それは根本がそうだから仕方がないのです。今でも愛のみが創造の能力を行使することができるのであって、愛がなければこれを行使することはできないのです。何の話か分かりますか? そのような愛の原動力を中心として全部が出来ているのです。 では、神様は人間をなぜ創造したのでしょうか? 今日の宗教人たちも神様が人間をなぜ創造したのか、それについてはっきり知りません。神様はいたずら半分に創ったのでしょうか? そうではありません。自分の実体完成のため、愛の理想実現のために創ったのです。愛という意識を中心として、愛の相対を展開しておいたのです。その対象が男と女になったのです。電気にも、ここにプラスの電気があればマイナスの電気が接するようになり、マイナスの電気があればプラスの電気が接するようになるのです。 ここに大きなプラスがあります。それはもちろん主体であり、マイナスの対象を求めます。ここに磁石があるとします。プラスはマイナスにすぐにくっつきます。プラスにはそれなりの特質、つまりマイナスの特質があります。もしプラスとマイナスが全く別物であるとするならば決してくっつくことはないのです。けれどもプラスの中にも何らかのマイナス的要素があるために、プラスとマイナスはいつでも容易にくっつくようになります。マイナスもその中にプラスの要素があるので、プラスと結合することができるのです。この二つの性質が相互作用します。そして、相互作用からプラスとマイナスが一体化します。巨大なプラスがあって巨大なマイナスがあり、それが一体化すれば更に大きなものに一体化しようとします。その巨大なものは更に同じような大きさのものと相互作用し、連鎖反応のように更に大きなものと一体化していこうとするようになるのです。進化は、このような過程を経てするのであって、ただ進化することはできません。作用をいかにするかが問題なのです。これが分からないのです。作用を知らないのです。ただ単に進化したというのではなく、必ず主体と対象との関係が連結しなければなりません。そうしなければ作用という基盤の上に力が生じないのです。すべての作用は愛という概念に従うようになるのです。何の話か分かりますか? この世界には元素があります。今は百十以上の元素があるでしょう。そしてそれ自体はどうなっているのかといえば、プラス、マイナスを中心として作用しているのです。その元素はある特定のものでなければ反応しません。プラスとマイナスにどんな力を加えても反応しません。特定の元素が来れば、直ちに反応します。研究室の化学者が一つの元素と他の元素とを合併しようとして、力や圧力をかけても一体化しません。その元素を宇宙の法則に従って、正しい主体と対象の関係に組み合わせたとき、その元素同士が一体化するのです。この話は何かといえば、いくら進化しようとしても、主体と対象の相対基準が合わなければ大きなものは出てこないというのが鉄則であるというのです。分かりますか? 宇宙は愛という概念、主体と対象が通ずることのできる概念を中心として連結されているのです。では愛を中心としてなぜ連結しなければならないのでしょうか。なぜ愛を中心として一つになろうとするのでしょうか? それは愛と一つとなって、主体と対象関係の因縁を経ずには、より大きなものと相関関係を結ぶことができないためであり、愛は大きなものに向かっていくようになっているからです。 愛自体も作用して、プラス、マイナスが作用すれば消粍するようになっているのです。すべて入力よりも出力が小さいのです。なぜ愛を必要とするのでしょうか? それは愛のみが大きくなることができるからです。そのようになっているのです。二人が愛すれば小さくなるのではなく、二人が合わさって大きくなるのです。分かりますか? きょう、商売をして、一円でも損害があるとしたら私は絶対に出掛けないでしょう。商売は一円でも利益を得るために行くのです。毎日行けば行くほど一円ずつたまるので、毎日続けることのできる力が出るのです。分かりますか? 何の話か。愛のみが宇宙を動かし、愛のみが発展することのできる力として余裕に満ちて、超宇宙的作用として射つことができるのです。このように考えてみるとき、大宇宙の中に巨大なプラスがあります。このプラスがこのようになっています。(黒板を使用)ここに巨大な宇宙があり、そこに巨大なプラスがあるとすると、どんなに小さな存在であったとしても、我々はこの大きなプラスと一体化したいと願います。どんなに小さなものであったとしてもより大きなプラスにつながりたいと願います。それによって段々に大きなプラスとなっていきます。この巨大なプラスは非常に複雑なものであったとしても、我々はこの主体なるプラスの対象となりたいと願います。それによってその存在自身がより大きなものへと発展していくことができるからです。人間が自分の能力を越えて、更に大きな巨大な理想に達しようとするのは、その法則のゆえです。自分がどのように小さくても、宇宙は巨大なのです。それは宇宙のプラスなる主体が巨大であるからです。それゆえにその巨大な理想に達しようとして人間が努力するのです。そのように人間は創られているのです。 このように考えると、この宇宙は神様とか被造世界とかいうのでなく、全部が一つのボールの中に入ったようなものです。そうでしょう。ではこのボールは何で織ってあるのかといえば、これが愛というものです。分かりますか。そのような人は永遠に生きます。宗教的観念を離れて、外的理論的体制であっても、完全に理解することができるのです。 家庭が愛でもって一つになるときには、家庭は大きくなるのです。氏族が愛を中心として本然の愛と一つになるときには、国のために大きくなるのです。国の愛を中心として一つとなるときは、世界に向かって大きくなるのです。世界を中心として本然の愛をもつときにも宇宙に向かって大きくなるのであり、宇宙の愛を中心として一つとなるときには神様と一つになるのです。このような結論が出るのです。愛のみが可能なのです。 きょうの題目は『本然のみ旨の道』ですが、本性の愛が個人に現れるときには、本性の家庭が歓迎し、本性の氏族が歓迎し、本性の民族、国家、世界、宇宙、神様が歓迎するのです。これを知らなければなりません。いくらアメリカがレバレンド・ムーンに反対するとしても、オリジナル・マンであればアメリカは歓迎するのです。分かりますか? 本性というのは共通のものです。連合的で統一的です。これからこのような概念を中心として、統一教会は愛の道を行くように強調するのです。個人を中心とした愛ばかりでなく、家庭のためになろうとし、氏族のためになろうとするのです。より大きなものに連結される愛の道を行こうとするのが今日の統一の道なのです。それが世界統一です。宇宙が統一されるそのような道を教えるのが統一教会の道、統一の道なのです。分かりましたか? この世界が、堕落していない本然の世界であれば、統一教会を全面的に反対しないで歓迎するはずですが、サタン世界に落ちてしまったので再創造しようとするのです。だから全部が反対します。再創造というのは、反対の力を凌駕して、それ自体を構成することのできる力の余裕を配置することができなければ、再創造はなされません。今まで否定される反対の力を除去するために蕩減の道が必要であると統一教会はいうのです。堕落したからです。皆さん何の話か分かりますか? 再創造というのは、徳文氏が「修理しようとしたら、新しく作るよりももっと費用がかかる」と言った言葉と同じです。だから新しく作るよりもっとかかるので、それ以上必要とするものを蕩減という条件で払わなければなりません。蕩減という概念が分かりましたか? 蕩減がなぜ必要なのか分かりましたか。蕩減というのは再創造のために必要なものです。私たちは再創造のために蕩減が必要です。分かりますか? その概念を 皆さんも蕩減しようとしますか?(はい)。なぜ? それは再創造されて、本然の人となるためです。復帰です。本然の人になってこそ本然のみ旨の道を行くことができるのです。では皆さんは本然の人間ですか? 堕落した人間ですね。だから蕩減を通じて再創造するのです。祝福の子女たちもなぜ蕩減の道を行くのか分かりましたか?(はい)。皆さんがいくら祝福の子女だとしても、この世がそうでなく、この世を救うためには、イエス様であっても十字架にかかり、いくら神のひとり子として本然の息子として生まれたとしても、世界を救うためには蕩減の道を行かなければなりませんでした。この世がそうでないので、人も使命を反対するから、イエス様自身も行かざるを得なかったのです。責任があるのです。 先生はあなたちになぜ苦労させるのか。蕩減の路程を行かせるためです。先生自身も一生、蕩減のコースを積み重ねていくのです。嫌々行くのではなく、志願して行くのです。志願して行かなければなりません。これを知らなければなりません。嫌々行くのではありません。監獄にも願って行くのです。蕩減のためにはそうしなければならないのです。無理に行けば蕩減になりません。はっきり分かりますか。あなたたちも万物復帰をしましたね。これからが始まりです。これからは逆を向いて歩きなさいと言うかもしれません。この世が悪だからです。この世が逆になっているからです。(笑い) 悪なる人々と同じことをしてはいけないのです。私たちは反対に行かなければ善に行くことができないのです。これも理論的ですね。 きょう、良い話を聞きましたね。春になると木々が花を咲かせます。花を咲かせて何をするかといえば、飛び交うチョウやハチを迎え入れます。それが愛です。そしてすべてが愛を謳うのです。木の葉はなぜ出てきますか。枝はなぜ大きくなりますか。私たちの間で愛をささやくためにです。木がただ大きくなりますか。愛さなくとも大きくなりますか。同じですよ。私たち人間同士も植物の世界もそのような作用をするのです。なぜ木は大きくなるのかというと、長い間生きて、更に長く生きる要素をもった実がなるためです。植物の世界においても愛の関係が成立するのです。それは私たちの教材となるためです。人間にとっては小学校の教材となります。花はすぐに咲くのではありません。三年、四年、七年、みんな異なります。草は一年草のものもありますが、その他のものはみんな長くかかります。これらの現実的な自然界を見るときに、先生のこの理論的な話の意味が分かるでしょう。 力は主体、対象の愛の関係を中心として動く連結的な関係をもっているので、植物世界でもそのような作用をするのです。鉱物の世界も同様です。鉱物世界もこのように金脈が出来、銀脈が出来、銅脈が出来るのです。なぜ出来るかといえばそのような作用をするからです。すべてそのような作用を行っているのです。では動物世界はどうでしょう? 動物世界は雄、雌ですか、それとも両性の区別なく混ざっていますか。小さな昆虫を見てみると、雄、雌の区別があります。その器官に卵を産み繁殖するすべてがあって、卵をたくさん産むのです。かげろうのようなものは八年間待って空中で交尾して、一日で死んでしまいます。 サーモン(鮭)は、一度愛して死んでしまうのです。人間だけが愛を続けることのできる特権的存在なのです。そして一人一人の人間は宇宙の愛を連結するための展示品なのです。博物館なのです。人間は王です。このように人間が宇宙的な本然の人となって、天と地が一つとなるそのような代表的な立場で愛するとき、この全宇宙は「ハッハッハッ」とみんな喜ぶのです。宇宙における神様の概念を知らなくても、これらを見ればすべてが相対的関係においてこうなっているので、(本然の人間の中に)宇宙が入ってくるのです。 では、幸福な人とはどんな人なのでしょうか? 幸福とは何か。幸福とは何ですか? 今や幸福の定義を下す段階に来ています。幸福とは無限なる愛を与えることができ、いかなるところにおいても無限なる愛を受けることができる立場をいうのです。そして幸福な宇宙をつくることができるのです。分かりますか、幸福な人とはどんな人か分かりますか? それは宇宙を代表した父母をもった人であり、宇宙を代表した夫や妻をもった人であり、宇宙を代表した息子や娘をもった人です。統一教会でいう四位基台を成した人です。何と素晴らしいことでしょう。一言で四位基台ということは簡単なことのようですが、それはこのような根本問題を解いて出した結論なのです。では、皆さんは幸福な人ですか?(はい)。先生が皆さんをなぜ祝福したのかといえば、このような幸福な父母をつくり、みんなこのような幸福なカップルにし、これから皆さんを中心として幸福な息子、娘をもつためです。先生は反対を受けながら、世界に問題を起こしながらも、この基盤をつくるために、このような仕事をしてきたのです。先生は良いことをしたと思いますか? それとも悪いことをやったのですか?(良いことをなさいました)。 自分だけのためであってはならないのです。お互いがためになろうとするところに価値があるのです。自分を保護し、自分のみがより大きくなろうとすれば価値はありません。そういうものを個人主義思想というのです。自分が全くなくなってしまえば、宇宙はより大きなものを保つようになります。(黒板を使って説明) 自分がなくなってみると、このように大きなものとなります。空気でいえば、低気圧があるときには高気圧が入ってきます。だから私たちが自らを犠牲にすれば、より高いものより大きなものが空白を満たしてくれるようになります。 このような時にはプラスとマイナスが一つとなって、より大きなプラスとマイナスとなります。(祝福家庭の三人の子女の名前を呼ばれながら)犠牲にならなければなりません。先生の子女たちも同じです。犠牲がなければ大きくなる道がないのです。これが宇宙が立てた天理です。法度です。いくら偉くともこれを守らなければなりません。人の心の問題、愛の問題、相対の問題を勝手にはできません。先生が原理講義をすれば創造原理は何カ月やっても足りません。 皆さんは共産主義者になりたいですか?(なりたくありません)。皆さんは唯心論者になりたいですか、それとも統一主義者になりたいですか?(統一主義者です)。私たちは統一主義者であることを誇りにしなければなりません。私たちはいかに生きるべきであるか分かりましたか? これが原則です。個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は天地のために、天地は神様のために生きるのです。(黒板を使用される)これを見て何を感じますか? 何かの周りがあれば、そこには必ず中心があります。これは間違いないことです。中心が必要です。堕落した世界とは何ですか? 個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の(中心が)すべて落ちてしまったのです。世界もヒットラーの世界、ムッソリーニの世界、スターリンの世界、共産主義世界、アメリカ式民主主義世界、これらはみんな自分が一番偉いと言って騒いでいます。中心がみな異なっているのです。 この宇宙、天宙の中にこの世界は入るのです。このようにして一つに固めたら球形になるでしょうか。皆さんはどのように思いますか。皆さんは宇宙の中心と関係を結ぶべきでしょうか、どうでしょうか。皆さんの中心に宇宙の中心が入ることを願いますか、入らないことを願いますか。個人の中心の長さはこれくらいしかありません。ここに天宙が入ることができますか、このように小さな所に。それに対して天宙の中心は、こんなに大きいのです。皆さんたちの中にこの世界が入るべきですか、あなたがこの世界の中に入るべきですか。それは世界が私の中に入らなければならないでしょう。(笑い) そう思えば大変なことになります。それ自体が爆発します。ではどうすればいいでしょうか?(他の中心に属するようになります)。 この大宇宙、神の愛の圏内に、大世界の愛、大国家の愛、民族、氏族、家庭、個人全部の愛が一つの中心に合わさるようになるとき、これは完全に球形になります。ではそのような九段階の大きなものをどのようにするのが理想かというと、それは一つの世界にすることです。一つから分かれてしまったのでこれを再び縫い合わせて、再創造しようとするのです。この大きな九つの宇宙を本然の形に再創造しようとしているのです。(黒板を使いながら説明)これを見える世界と見えない世界とに分けておけば、この見えない世界の円形がこのようになっているし、(黒板を使って説明)見える世界はこのようになっています。私たちはどこにいるのでしょうか? 私たちはどこまで行かなければならないかといえば、完成までです。人間の完成までです。それまで「もっとやりなさい」と言います。良心的にいくらやったとしても、「もっと、もっと」と言います。 このように個人の中心は出発したのですが、「あなたはもっと上がりなさい。上がって、中心を高くしなさい。家庭の中心に上がりなさい」と言って、家庭の中心に相応しい大きさになるのです。しかしそこで満足しないで「もっと上がりなさい」と言って、どんどん大きくなるのです。このようにして、ここまで来て(黒板に示しながら)どうなるかといえばすべてが入るのです。これが入らなければなりません(黒板に次々と示す)。 霊界では、神様は個人的に下りてきてこのようになり、家庭はこのようになり、中心はこのようになり、半形が始まるのです。(黒板の図で示す)そしてこのようになって二つが一つの円形を成すのです。相対的になっているのです。分かりますか? 言い換えれば、意識と実体が、主体と相対がプラスされたので、これが完全に一つとなれば一つの球形が成されるのです。 皆さんはなぜ世界的なのかといえば、ここまで上がっていかなければならない運命があり、そうすることによって、この全体の完成を成すために「上がりなさい。大きくなりなさい。世界的になりなさい」「私が最高だ。私が最高だ」と心が叫ぶからです。 もしアダムとエバが堕落しなかったなら、プラスとマイナスが自然に合わさって、ここに宇宙が入り、アダムとエバの愛に、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界が一度に入っていくのです。そして神様はそこに下りてくるようになります。神様はこの理想世界の主人となるのです。 しかしアダムとエバが堕落したので、今日、このように積み上げる蕩減の段階を経て、次々と上がっていくのです。今がなぜ終末かといえば、プラスの民主世界とマイナスの共産世界が一つとならなければならないのですが、一つにならないで闘っているからです。これを一つにするために、統一教会が世界的な基準でもって、アメリカを中心として、キリスト教と一つになる運動を今行っているのです。分かりますか? 皆さんには世界も天地も関係がなかったのです。ただアメリカや、自分たちだけしかなかったのです。黒人もアジアも必要なかったのです。白人だけで大宇宙を求めて行こうとするから、一番遅くなるのです。 本然のみ旨とは霊界と肉界が完全に一つとなることです。何を通してかというと、愛を通してです。み旨を通して理想を達成するためには、私たちは愛の道をもって蕩減の路程を行かなければなりません。再創造の過程を経なければなりません。愛を中心として、中心と一つとなる道を行くのが本然のみ旨の道なのです。愛でなければなりません。民主主義でもできないし、共産主義でもできません。今や世界的に統一教会が現れる時になったのです。学者たちも(統一教会を)研究して発表する段階に入ったし、国家的次元で公開され、発表される段階に入ったのです。共産世界と民主世界が対峙しているこの時代は統一教会のみが世界を一つにすることができ、理想を実現する内容をもっているのです。これが愛を中心とするみ旨です。 地上において成すことが天においても成されるように、地上において解かなければ天においても解かれないというのです。ですからこの地上において完成しなければなりません。ここを愛で(黒板を示しながら)連結させなければなりません。自分を中心とするのでなく、相手を中心として他のために行く道が必要なのです。このようになれば神の国が成るのです。神の国と神の世界が一つとなるのです。横的にもこの愛がなければなりません。個人は家庭を、家庭は氏族を、氏族は民族を、民族は国家を、これらを横的に実践していかなければなりません。このようにすることにより自動的に上に行くようになります。 横的に努力してこのように行けば、縦的な愛は原則的になるのです。完全なマイナスが生まれれば自動的に完全なプラスが生じるのです。分かりますか? 完全なプラスが愛を中心として生じれば、それに対するマイナスは自然に生まれるのです。一生を愛を中心として生きれば、マイナスを備えた相対として生きることができるのです。そこに神様が臨在されるのです。神の愛が完全にある時には、すべてがそこに着くようになります。だから愛を中心としての再創造がなされるのです。そこで、愛が縦的であるとしたら、為にすることは横的なのです。これを知らなければなりません。為に生きる所には必ず愛が伴うのです。愛を立てようとすれば、必ず為に生きることが必要です。為に生きる道を行けば必ず愛が伴うのです。プラスの中にはマイナスがあり、マイナスの中には必ずプラスがあります。そのことを知らなければなりません。皆さんが自分のために生きるとき、大きく広くなれますか? 他の人のために生きるときに大きく広くなることができるでしょう。分かりますか? 為に生きる生活と愛する生活とは、相対的関係があります。 きょうの題目は本然のみ旨の道ですが、そのみ旨の道を行くためには、愛を中心とした為に生きる道を行かなければならないということです。これを観念的でなく、理論的な面において私たちは知ったのです。愛を中心として、為に生きる道、この原則に従って生きなければ私たちは神の願いに到達することができません。分かりますか、何の話か?(はい)。 共産主義に従って行くことはできないし、この世について行くこともできません。この世は逆になっているのですから、私たちは蕩減を払っていかなければなりません。蕩減を払うということは、自分が昔、新しい家を建てようとした時よりもっと苦労しなければならないのです。一生を掛けても、永遠を掛けても、これを成さなければ、本来の世界に行くことができないのです。今日私たちは地上の世界において、この蕩減の路程を短縮させなければなりません。 神様はそのために再臨主をこの地上に送られ、その公式を教えてくださいました。私たちは、この地上において短時間に蕩減することができるその公式を習うことによって、統一教会を信ずるようになるのであり、この道を行くようになるのです。分かりますか? そして私たちは死の前においても、それを克服し、サタン世界の死の反対があるとしても行くのです。避けてはなりません。再創造するためです。正面から挑戦していかなければなりません。アメリカでの法廷闘争に対しても、人々がいろいろと言っていますが、私は恐れません。あなたが勝つか私が勝つかという闘いは終わったのです。死の道においても私たちは泰然としています。分かりますか、何の話か。これは偉大なる思想です。 このような思想をムーニーたちがもっているので、サタンが困っているのです。 祝福の子女の二十一日修練会は明日、明後日で終わりですね。もう先生のみ言は分かりましたね。統一教会がどのようになっているのか分かったので、これからいかに生きるかも分かりましたね。愛することのできる父母、本性の愛で愛することのできる父母をもったことは、それは宇宙と代えることのできないことです。天と地も代えることができません。神の国と地上世界のいかなるものをもってでも代えることができません。また、本性の夫婦となって、本性の子女を愛することができるとしたら、これは何をもってでも代えることができません。これが中心です。核です。神と本性の夫婦と子女、これを何と代えることができますか? これを何と代えることができますか? 代えることはできません。 このように代えることのできない父母をもち、夫婦をもち、子女をもって本来愛することのできる人が最高に人間として成功した人であり、最高に幸福な人なのです。その家庭は幸福なる家庭であります。世界はその家庭を中心として度数を合わせ、天と地がその家庭を中心として度数を合わせるのです。先ほどの中心と同じです。一つの中心となり、天と地の統一の理想世界が完結されるのです。はっきり分かりましたね。分かりましたか?(はい!)。 もし皆さんを共産党が引っ張っていったらどうしますか。ムーニーの思想を捨てますか、どうしますか? 先生は今までそのような闘いをしてきているのです。日本の政権の時はそれと闘い、北韓に行ってからは、金日成の国家と闘ったのです。大韓民国とも闘ったのです。そして今は、アメリカの国と闘っているのです。今まではアメリカのキリスト教は統一教会を怨讐のように思ってきましたが、国が反対することによって今は一つとなってきたのです。そうでなければ二つとも滅びてしまいます。全部が先生を中心として一つになろうとしています。これは再創造の歴史の中でも驚くべきことなのです。宗教を中心としてイエス様がイスラエル国と一つとなることのできなかった蕩減復帰をするのです。 再創造の蕩減復帰をするのです。このような時代に入ってきているのです。このようにしてキリスト教と一つとなれば、アメリカは自然に従っていかざるを得ません。私が監獄に入っていればいるほどもっと早く一つになれるのです。監獄が問題ではありません。受難の道が問題ではありません。死の道が問題ではありません。分かりますか? 皆さんは大胆でなければなりません。父母のためにはいつでも犠牲になることができ、夫のため、妻のため、子女のために犠牲になることのできる人が偉大な人です。皆さんは神の愛をもった本然の家庭の一人として、行かなければなりません。はっきり分かりましたか。朝起きる時は、両親よりも早く起きなければならないでしょうか、遅く起きなければならないでしょうか? (早く起きなければなりません)。これでお母さんたちは、あなたたちに二十一日修練会をよく頑張ったと言うでしょう。そして女の子たち。あなたたちは自分のために生きるべきでしょうか、夫のために生きるべきでしょうか? 夫のために生きなければなりませんよ。また夫は妻に対して同様です。お互いが為に生きなければなりません。 このみ言を知ったので、今後もし一人になってもこのような信念をもって生きれば統一教会は滅びません。この世は既に滅びるようになっています。思想的にそうなっているのです。皆さんは先生のすべてのみ旨を受け継いでそのまま残さなければならないのです。先生が父母であるとすれば、皆さんはみんなアダムとエバの立場にいるのです。あなたたち息子、娘は父母がもっている伝統をよく守らなければ大変なことになります。分かりますか、何の話か? (はい)。先生を通して神様が守ろうとすることを、歴史以来初めて皆さんが神の相続を受け継いで、横的出発をするのです。先生を中心としてあなたたちとあなたたちの子女の代の三代を越えれば、国家形成をするのです。 先生はあちらに行ってもこちらに行っても迫害を受けているので、少し間違っても許される時があります。この世を救おうとすれば、一歩足を踏み入れなければなりません。だから許されるという融通性があるのですが、あなたたちにはそうではありません。何の話か分かりますか? あなたたち祝福を受けた家庭は許しを得ることができません。その場で首が飛んでしまうのですよ。分かりますか?(はい)。それであなたたちは両親たちより恐ろしい立場なのです。あなたたちには許しの道がありません。原則的な道を行くのです。父母の前で反対して、「私のために何をやってくれたのですか?」などと言えば天法に引っかかります。歴史的な遺物としての自体を感謝しなければなりません。分かりますか? 家庭は世界を縮小したのです。父は男を代表したのであり、母は女を代表して縮小したものです。その父母に反対したら、世界中どこへ行っても歓迎されることはありません。 先生の話を(通訳者を通すのでなく)知りたければ韓国語を勉強しなさい。それが蕩減です。(通訳者に通訳しないようにと指示される) 分かりましたか? 他に道がないのです。言葉は簡単です。しかし、どれほど複雑な内容で、哲学的で、今まで数多くの学者たちが犠牲になっても探し出すことのできない道であったのです。先生は苦労をし、先生は試みに試みて結論づけたのです。先生が実験してみたのです。 そこの娘、名前は何といいますか?(○○です)。それは道を示す名前です。どのような道かといえば、二とおりの道です。そしてこの娘は一番悪い道を行っています。父母が批判的であるからです。先生の話が何のことか分かったの?(はい)。他に行く道があると思うの。どのような男と祝福されてもよく従って行きますか? 答えてみなさい。(はい、従って行きます)。男たち、悪い思いをもったら絶対に良い相対を得られません。神は自分とよく似た相対を与えます。愛というのは宇宙を歓迎する道なのです。自分を中心として宇宙が歓迎されますか? 答えてみなさい。愛の道というのは宇宙を歓迎する道です。自分を中心として宇宙が歓迎されるの? そういう思いをもってはいけません。為に生きる道において、一人の男性が一人の女性と出会うことは、姿、形が問題ではないのです。 ○○、君は父親から祝福を受けるつもりか、先生から祝福を受けるつもりか?(先生です)。このような思想をもつ男子はどのようにすべきかといえば、寝ても覚めても努力しなければなりません。横になっても、立っていてもみ旨を考えなければなりません。(先生が通訳者の通訳をやめさせる)二世には通訳をしません。分かりますか? 韓国語が分からないといけません。 皆さんは頭の中で、共産主義も良いのでないかなどという考えをもってはいけません。それらは全部先生が研究しました。民主世界も今後どうなっていくか先生はみんな知っています。なぜ宇宙がこのようになっているのかも、なぜ人間が一生涯愛の道を求めていくのかも知っています。文学をみれば愛は永遠なるものといいますが、なぜそうなのかは分かりません。ただ漠然とそういっているのです。では、愛とは一体何でしょうか。それは宇宙の発展要素として作用しているものです。すべてはそれを求めていくのです。あなたたちは今度の修練会が終われば祝福が受けられると思っているかもしれませんが、そういう考えをもってはいけません。分かりますか? アメリカの人の世話にも日本人の世話になるのもいけません。あなたたちの力でやるのです。努力するあなたたちを見ながら、先生は苦労した甲斐を感じるでしょう。そうしますか?(はい)。ではそうすると誓う人は手を挙げてみなさい。はい、手を下ろしなさい。先生はきょうはよく話しました。第二世の大きい子たち、いろいろとサタン世界を見たり味わったりした者の後継者たち、先生の話を聞いてそのとおりに生きますか? どうしますか? 誓う人は手を挙げてください。 神の祝福が皆様と共にありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.27
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「真なる人生」1984年7月1日ベルベディアにて 皆さん、『真』という言葉は何ですか?それは丸いものですか。三角ですか。四角ですか。その定義は何ですか。真に対する定義は何を中心として決めるべきですか。これが問題です。 真なる人間というとき、真なる人間にも目が二つあり、鼻が一つあり、耳、口、体があるのです。真というのはある一定した場所に制限されるものですか、一定した場所を超越するものですか? (超越するものです。)どのようにして、何をもって、どうして超越しなければならないのですか。それは何かというと、すべてを代表して計ることのできる内容を備えなければならないことを、私たちは知ることができます。 数字であれば数字の公式をいい、物理であるならば公理と定義をいいます。定義も公理も同じであり、公式とは小さなものです。公式は単位をいいます。単位は簡単なものですが、公式的というのはすべての物を比較することのできる主体性をもつことによって、公式として単位として決定さ九ゝのです。それが間違うと、小さな机の上での計算は、莫大な宇宙には合わないのです。その計算尺などは十二段階とか十段階のものを使うのです。それは小さいけれども形態は合っていくのです。そうでなければかみ合わないのです。そうでなければかみ合やいのです。全体が合わなければ成立しないのです。全体の存在の成立が衰失してしまうのです。それは人間の世界でも同じです。 真なる人がなぜ生まれるのでしょうか?人間が生きていくためには、スケールのように力を連結させて世界へと拡大させていくのです。すべてが規格に合うようになって拡大していくのです。 そこで人間が生きていく上にも、そのような公式的な道がなければならないという結論が出ます。人間が腹中のなかから生まれるのも公式による、すべての自然の法度、理法によって生まれ、成長していくのも理法と共に成長し、生きていくのも理法と共に生きていくのです。この真なる理法を真理と言うのです。 腹中生活においてもそうであり、地上生活においてそうであり、霊界生活も法度に合うように生きていかなければなりません。そうでなければ問題が生じます。 ですから東洋人であって、西洋人であっても、黒人であっても、白人であったも腹中から生まれてくる公式的過程は同じでなければならないし、生きていく過程も同じでなければならないし、永遠の世界で生きる方法も同じでなければなりません。 ではここで、私たちに共通なるものを探してみるときに、西洋人の生き方と東洋人の生き方は異なっていることに気付きます。それが問題です。まず、御飯を食べることが異なりますね。西洋人はフォークとか道具を沢山使って食べるし、音を立てないで食べているが、東洋人、日本人は箸一つで食べてしまいます。(笑い) では、ここにおいて何が共通するでしょうか?それは食べて栄養を補充するということが共通します。 手で掴んで口の中に入れて噛んだとしても、噛むことにおいては同じです。では何が真理かというと、手で持って口の中に入れて噛むことであり食べることです。箸で食べようが、フォークで刺して食べようか、手で食べようか、口の中に入れて噛んで消化することが真理なのです。 子供は母親に食べさせてもらうのですが、誰が食べさせようともそれは関係ありません。口の中に入れること、噛んで消化させることには違いないからです。いくら口のところまで持ってきたとしても、口が開かないでじっとしていたらどうしますか。そこで真理は、正に歓迎を受けるわけです。手がいけば、口は自然に開きます。次に、口は物が入ると動き出します。 真理の前ではすべてが歩調を合わせて、互いが協力し合うのです。服を着る時は皆違うのを着るでしょう。何が真で公式なのでしょうか? 体を保護し、防禦するのです。体温を保護します。良い服を着ようか、悪い服を着ようか、それが問題ではありません。例え紙の服を着たとしても体を保護すれば服なのです このようにみる時、今日の人々はどんなに価値のないことでしょう。ただ良い服を着て、自慢したりするのです。服を着る目的は体温を保護することが真であれば、それ自体が良いとか、悪いとかよりも、保護することが重要なのであります。これが共通性です。 私たちの真なる目とは何か? 一点にフォカスを合わせて、はっきり見えるようにしなければならないのです。その一点は高すぎてもいけないし、常に均衡がとれていなければならないのです。それが一つの真理なのです。共通なる真理なのです。それで目には目医者、耳には耳の医者と、それぞれの医者がいるのです。その医者たちは、治療をするのに何を標準としてするかといえば、この原則線を中心としてするのです。それですべては、原則的な真理の基盤の上に立って、それらの連合されたものが、更により大きな原則に従って、だんだん拡大するようになっているのです。このようにして、宇宙構成の形態を考えることができないのです。 皆さんはどこも悪い所がなく、健康でここに来て座っています。そして先生の体の中で四百兆以上の活発な細胞を中心として、四肢百体の各分野は選択と除去、収拾と除去、このような闘いをしているのです。そしてそこに相克が起きると、“ああ! どこが悪いのだ。異常だ”ということになるのです。 そのようにすべてが自体で均衡をもって、完全な健康体を保っていくには、宇宙的な選択と、高底を調整する運動法則によって、定着された場においてなされるのです。この細胞の間を十キロメートル、百キロメートルと延長すれば、人間一人ではどのくらいに大きくなるでしょうか? そういうものが歩きながらバランスを取っているということは、どれほど神秘的なことでしょう。それらのすべては自分勝手な思いで動くことはあり得ないのです。 細胞において目があり、鼻があり、耳があり、各々あるのです。その細胞が人のようであるとしたらどうでしょうか? 細胞は探し易い所を求めて行くでしょうか。まず、三角地細胞は帯があるとしたら細胞はそれを登って行こうとするでしょうか。平地があるとしたらそちらに行くでしょうか? それは同じです。なぜかといえば、私たちに似ているからです。人に似たので同じなのです。。もし障害物があるとすれば、それを越えようとしますか、障害物のない楽な所に行こうとしますか。一つの細胞が一カ所に付いているとすれば、「私はこの場がとてもいい。これから動かなければいい」と言うだろうか。ここから始まって、全体を一回りして戻ってきてみたり、こちらから回ってみたり、あのように回ってみたりしたいと思いますか。それとも動かないでいたいでしょうか。一つのセンターを中心として、関係を結び通じ合いたいでしょうか。どちらですか? 最初ですか、あとの方ですか? (二番目です)。どうしてそうですか? それは、それぞれの細胞がちょうど皆さん一人一人のようだからです。そのようにすべての共通な理法もどのような道を行こうとするかと言えば、良い道を行こうとするのです。妨害されたり、制裁される道でなく、自分が行ける良い道を選ぶようになるということになります。では、いかにすればそのような自然で、より理想的な環境と関係を結ぶことができるかということが重要な問題です。 そこで何をしようとするのですか? 大きくなろうとするのですか、小さくなろうとするのですか? (大きくなろうとします)。皆さんのすべての活動は、大きくなるために運動するという結論が出ます。では、ゆっくりと大きくなるのがいいですか、速く大きくなるのがいいですか。ゆっくりですか、早くですか? (早くです)。 ではなぜ早く目的を達成したいと思うのですか、なぜですか? それは一回りするためです。こういうものが(黒板を使って説明)センターを中心として回るのです。一回りする時、これはどれほど骨の折れることでしょうか。速くなると加速度が加わって、周辺の妨害を除去することができるのです。それを知らなければなりません。 これが、速く回ることによって、自己操縦が可能で、自分の意のままにすべての環境を超越して越えていくことができるのです。それで私たちは速いのを願うのです。速ければ同じ道路を行くにしても、遠くまで行くことができるのです。なぜ、ゆっくり行くのが嫌ですか? それは自分が大きくなればなれないからであり、成長しないからです。速い方は早く障害のない境地に入るのです。そして一度入れば永遠に続くのです。 では一つの細胞が「ヨーイ、ドン!」で、“スーッ”と回り出す時を考えてみなさい。どれほど多くぶつかるかを。ある細胞がそうなのではなく、全細胞がそうなるとしたらどうなるでしょうか。大変なことになるでしょう。爆発してしまうでしょう。皆さんがじっとしていても、「ワーン」と耳にサイレンの音よりももっと大きく聞こえるでしょう。ですから公的理法は必ず必要であり、公的、秩序維持のための道がなければならないし、共通的な道がなければならないという言葉が成立するのです。分かりますか? ではあらゆるすべての細胞が、ある会議を行い「これはこのようにしなければならないし、あれはあのようにしなければならない」としても、会議の結果に従った公式過程の道を歩むためには、ここを通過して(黒板を指す)行っていいけれど、こちらに行ってはいけないというように、全部を構成しなければならないという結論が出ます。それで真なる真理、統一教会でいう『個性真理体』という論理が出るこです。これは特殊な用語です。個性真理体という言葉は、不思議に聞こえるけれど仕方がないのです。西洋の人たちには、このような説明をしなければ分からないでしょう。神学校を卒業して『P・H』という博士号をもっているロイド・イビーという兄弟がいますが、彼は哲学を勉強していますから、宇宙のことは何でも分かっているように思っているかもしれませんが、この個性真理体ということを本当に分かっているとは思えません。 ここで言おうとしていることは、どんな細胞でもも一定の個性をもっているということです。自分自身の目的とか、個性をもっているということです。西の方であれば西の方を中心として“私は西の細胞です”と主張するのです。東西南北があり、上下があるので、東にいるべき細胞が南に行ってはならないのです。それぞれの立場にいる細胞が南に行ってはならないのです。それぞれの立場にいる細胞にとっては、それぞれに方角が違い、違った目的をもっています。それはそれぞれの立?によって異なります。それぞれの細胞が、それぞれ従うべき法律、法則をもっています。もしそれに従わないなかったならば、破壊的な結果が生じます。そうでしょう?(はい)。 皆さんも、(前にいる郭先生の娘さんに)あなたの名前は何ですか? (全淑です)。郭錠換先生の三番目の娘ですが、それは間違いなく個性真理体です。母親の愛、父親の愛、皆同じです。私は兄弟たちとは関係ないとか、関係あるとか勝手にすることはできないのです。全淑はおとなしそうな顔形ですが、姉の立場、自分の立場、父、母の立場に立ちたいと言っても自由になれません。しかし心はそうではありませんね。そうでしょう? 関係を結びたいのです。 ここで問題が生じます。自分の思う通りにできないのです。これが問題です。どうですか? 修練生たちのためにこのような話をするのです。先生であっても、自分の思うがままにすれば、それは悪魔の典型であり、破壊の典型です。父も母も兄弟もそのように思って動けば、家庭が完全に破壊状態になってしまうのです。自卅を中心として来れば、すべてが「来るな」と防御します。皆さん方はこの四十億人類の中の一人ですか? それを否定した中での一人ですか? 四十億人類の上の一人ですか? では人類が全部自分を中心として生きていけますか、どうですか? だからお互いのための四十億人類の中の個人の立場であるという結論が出ます。 個人が合わさって家庭、家庭が数多くの家庭と合わさって氏族、氏族が合わさって民族、国家となり、世界に数多くの国々があるのです。そこです。そこで制限された環境の中に生きているのです。文化の背景が異なる環境に住んでいるのです。ですからここに共通なる真理の道を中心とし、一つに連結することのできる基準を通さなければ、関係を結ぶことのできる基準を通さなければ、関係を結ぶことができない世界である、という結論ができます。 人間は個人から出発して、どこへ行っても事故も衝突もなく、二十四時間、昼も夜も、あらゆるいろんな所で生活していますが、その目的や動機は何でしょうか。いったいどのような考えをもってそれぞれに生活をしているのか、それが問題なのです。個人個人の密集したところでも、ジャングルの中でも生き残ることができる、その秘密は何でしょうか? それは、個人個人の生活の様式が上がるか下がるか、あるいは謙孫になるか傲慢になるかに掛かっています。個人個人がお互いに争って、相手を打ち負かして進んでいくのか。前の者を押しのけて、あ互いに争って生きるそのような人間は周りの人から歓迎されるでしょうか? (いいえ)。では周りから受け入れられて歓迎される生き方とは何でしょうか。もし皆さんがいても自分自身の生き方でもって争っていたならば、それは大変なエネルギーを消耗しますから、疲れてしまい決して長続きはしません。しかし皆さんが環境と調和して、周りから受け入れられるような生き方をするならば繁栄し、更には勢力をもって継続していくことができます。 そこで、一つの必須の基本的な公式、あるいは原則的とは、自己中心的に生きることは常に抵抗に合うけれど、他のために生きる運動であれば歓迎されるということです。彼の為にいくという時には、すべてが門を開くのです。個人も門を開くし、家庭も門を開くし氏族も門を開き、民族も門を開き、世界も門を開き、歓迎するのです。 そういう道は何であるか、そのような道は何であるか、それを私たちは探さなければなりません。統一教会はこのような観点から“為に行く”のが原則であり、“為に生きるために生まれた”という天倫をもっているのです。為に生きる人であればあるほど、主体になるのです。中心になるのです。これを知らなければなりません。責任者となるのです。(黒板に書かれる) 静かに考えてみなさい。為に生きる人は、全淑の父母がいくら強くとも、父母の為に生き、尽くすのです。全淑がノックをしたら門を開き、「入って来なさい」と言います。そうですか、どうですか? また、皆さんが学校に行った場合に先生の為になることは、一生懸命に勉強をすることです。そうすればどんなに怖い先生であったとしても、ノックをした時に「どうぞ入ってください」と応えます。皆さんの兄弟、姉妹の誰もが、為に生きるという犠牲の道を行けば、愛でもって歓迎されるのです。そうですか?(はい)。友達同士であっても、為に生きる人は真夜中に訪ねて行ったとしても「どうぞ入ってください」と言われますか、自分だけのため訪ねて行って、盗みをしたりする人は門を防がれてしまうのです。 先生がアメリカに来て、「先生の為に行う」を言っていたならば、今ごろは法廷闘争に遭って、至る所で「来るな!」と門を固く閉められてしまうでしょう。しかし、今まで何も知らなかったので反対した人々も、今はすべてを開いているのです。皆さんが開いたのですか、自分たちで開いたのですが? (自分たちです)。なぜですか? それは、宇宙が発展し、和合することのできる宇宙の原則によってです。為に生きる原則において、アメリカの法務省、国務省、国家自体が迎え入れるのです。先生がこのまま進んでいく時、アメリカの政府も先生の側になり、この宇宙も先生を支援してくれるでしょう。 ではここで『真なる人生』を生きると言うことはどういうことを言うのか、一つの公理を立てようと思います。いかなる所にも通じる原則ですから、これは万苦不変であり、過去、現在、未来ですから、これは万苦不変であり、過去、現在、未来に共通したもので、“為に生きなさい”ということです。もしここに、孔子が現れ、イエス・キリストが現れ、釈迦、マホメット、聖者といわれる人々が現れ、神様が現れ、「あなたたちはどのように思いますか」と言った時、「はい、そのとおりです」と言うでしょうか、「いいえ」と言うでしょうか? (はいと言います)。人生を生きていくには、真なる姿で生きていくだた一つの法であるということを知らなければなりません。そこに真のルールがあるのです。そこである家庭において、“為に生きる”息子がいるとしたら、その息子が長く生きれば生きるほど、主体となるであろうし、長ければ長いほど中心に入っていくのであり、長ければ長いほど責任者となっていくのです。 皆さんの父や母が、どのようにして主体となり、中心となり、責任者になっているかということは、皆さんの父母が息子や娘の為、家庭の為よりも、全体の為に生きたのでそういう立場に立つことができたのです。これを知らなければなりません。愛国者も同様です。その国の民、国の主権者の為に生きた人なのです。一生の間、国の為に生命を尽くしてきた人は、歴史に残ることのできる愛国者として追慕されるのです。これはこの宇宙のすべて、世界のすべて、人生のすべての法に従って、不可避な結論であるので、そのようになるのです。 ですから聖人とはいかなる人であるかと言えば、全世界万人の為に生きる人であり、永遠に昼も夜も、為に生きようとする人であり、人間ばかりではなく自然と全宇宙の為にも生きる人が聖人なのです。そのことに異議がありますか? そのように定義を下したとしても誰も否定する人はいません。 ではこのような宇宙を創られた神様、このような法度を立てられた神様は、いかなるお方でありましょうか?この全宇宙のために“きょうも為に生きる”ということにおいて代表的立場に立っておられるお方が神様なのです。それゆえにそのお方に会うには、知識の王様であるからと言っても知識でもって会えないし、能力の王様であっても能力でもって会えないし、権力の王様、金の王様、物質すべてに対して王様であるからと言っても、それらをもっては会うことはできません。 では神様と会える人は誰でしょうか? お金持ちですか。権力者ですか。知識人ですか。神様にとって、それらの人々は必要ないのです。分かりますか? 統一教会の皆さんの中では、神学校を卒業したとしても、“為に生きる”と言うことは知らないで、「私は神学校を卒業したので、私は責任者になり、統一教会で上にならなければならない」と言うような主張をしてはなりません。まずは為に生きなければなりません。 真なる友達は為に生きる人であり、真なる先生も同様であり、真なる父母も同様であり、真なる主権者、王も同様であり、真なる兄弟も同様です。真なる社会も、国も、真なる地上天国、真なる天宙も同様です。それは間違っていますか? どうなの? (はい、正しいです)。それはしばらく考えてからの「はい」ですか、自然に「はい」と言えたのですか? (自然にです)。 皆さん! 食べ物が口に入れば自然に口は動き出し、食べ物が胃袋に入れば自動的に消化します。アメリカはいくら力があるとしても、アメリカの為に生きる人が来たら門を開けるし、アメリカの損になる人が来たら門を閉じます。自分の為にのみ生きる人は原則的に除去されます。家庭において自分の為に生きる女たちは、これからは悪党の鳩首の妻となるでしょう。そして踏みつけられて死ぬでしょう。 全部に真なるという言葉が付いているので、そのようなことを真なる道であると言うのです。(黒板に書かれる) 分かりますか。真なる人の道は為に生きる道です。先生もそのように生きていかなければなりませんし、お母様もその道を行かなければなりません。息子、娘たちもそのように生きていかなければなりません。ここでパスしなければ天国ではなく、地獄に行くのです。水平線以下に行くのです。 自分がお腹が空いて食べたとしても、商店に入って勝手に取って食べられるでしょうか。なぜそれがいけないのでしょうか。他の人たちはお腹が一杯で残りは捨ててしまったりするのに、一つぐらいは自分の思うままに食べてもいいのではないでしょうか。共産党はそれを主張するのです。なぜいけないのですか? それは私を中心として、自分だけを中心としているからです。 お腹が空いて食べたい時には、その店の人を通じて貰わなければなりません。私が主体で、その人がくれることによって食べられます。“あの人は私の為になる人であるから、私が上げることは良いことである”とそのように考えればそれは良いこととして成立するのです。 このような原則において法律であり、そのような原則と公式基盤のもとで法が制定されたのだということを知ったので、私たちは社会の公法と公理を遵守しなければなりません。その主人に対して、国というその主人に対して違法となれば、それは除去しなければなりません。 神の国に入ろうとする欲の多い人は、昼夜祈ってばかりいます。自分だけを中心として神様に福を与えて下さい。夜でも福、昼でも福を下さいと言います。福を与えたとしても自分の子供のことしか考えないし、自分の家庭だけが良くなることを祈ります。そういう人は祈祷すればするほど滅びなければなりません。罰を受けなければなりません。この宇宙全部から除去しなければなりません。そのような祈りをしてはいけません。すべてはっきりした基点を中心として区別しなければなりません。 皆さんは全体のために、可哀そうな国が袋くなるために、もしお金が必要であれば自分の力を尽くし、それでも足りない時に“神様助けてください”と祈ります。それは当然のことです。しかしそのような祈りを神様が聞き入れるでしょうか、どうでしょうか? 欲しいと言うので友達に上げた後に、「また下さい」「また下さい」と言うのと同じです。はっきり分かりましたか? 皆さんの中で“私は祝福を受けた家庭の子供である。統一教会は私を貴重に思わなければならない”と思う癖があれば滅びます。三十六家庭は、天と地を代表して立っていることを知らなければなりません。天と地を大事にしていかなければなりません。より大事にしていかなければなりません。先生の家庭は、先生自らが大事にするより以上に大切にしていかなければなりません。 三十六家庭は、先生が自分の子女までも投げ出してカインの子女を愛したのと同じように、自分たちの子供を愛する前に外に出かけていって、カイン世界の子供たちをまず愛さなければなりません。自分自身の子供たち以上に、カイン世界の子供たちを愛さなければならないというのが原則です。この原則に反するならば、三十六家庭であろうとも失敗します。どうですか。それは間違っていますか? (正しいです)。 だから祝福の子女である皆さん方が、本当に神様を中心としているならばやそのような生活をしなければよい祝福は訪れません。先生はそのような人たちをギャングと祝福するかもしれませんよ。(笑い) だからいつも自分に奉仕されたいと思う人たちには一番良い教訓がギャングと結婚させることです。そうすればギャングたちは銃を突きつけて「自分に従え」と言うことでしょう。(笑い) 先生が「為に生きなさい」と言うことは間違っていますか? それは統一教会の原理であって、一生と世界と関係のないものですか。先生が間違っていますか、皆さんが間違っていますか? (先生が正しいです)。いいえあなたたちが正しいです。あなたたちです。(先生が正しいです。先生です。先生です)。(笑い) そのような原則が成立します。皆さんは“為に生きなさい”というこの道を行かなければならないので、苦労しなければなりません。今回、孝進様が修練会を指導するという責任が与えられました。だから先生は非常に注目しています。孝進様が成功するためには、本当に自分を犠牲にして修練会のために尽くさねばなりません。そうすれば皆から尊敬されるでしょう。もしそうしなかったならば、彼は皆の信頼を勝ち得ることはできないでしょう。なぜならばこれが原則だからです。皆のために奉仕するときにその中心人物となり、尊敬されるというのが原理原則だからです。どうですか。正しいですか。間違っていますか? (正しいです)。 もし本当に他の人の為に生きたいと言う人がいるならば、そういう人たちにあらゆる責任分担を与えることができます。先生はそのような顕微鏡で朴晋煕や、他の人々がどんな人間であるかじっと見ています。彼は自己中心的な人間であるか、また他の人はどうかじっと観察しているのです。この人はどれくらい行ってからストップするか、あの人はどうかよく分かります。統一教会にはミスター・カクもいます。ある時先生はミスターパクとかミスターカクに気合いを入れてみました。皆さんは分からなくても、先生はすぐに分かりました。 先生の後継者としてとして誰に委かせるかという問題を中心としてみる時、どの相対を選ぶか、責任を誰に委かせるかということは原則通りにやるのです。 例えば先生の銀行口座には何もありません。朴晋煕氏や郭錠煥氏の銀行口座にはたくさんのお金があります。そこで先生は「朴晋煕、郭錠煥、お前の銀行口座を持って来るように」と言います。すると「はい」と言うのです。今回も朴晋煕氏に対して、「あなたの家を韓氏に明け渡しなさい」と言って、じっとその表情を見ます。(笑い) 自分の同志を自分の家以上に思わないものは落第生です。 先生は昔、韓国である弟子に家を交換してあげなさいと言った時、それに対しその人は嫌だと答えました。その答えを先生は忘れていません。アメリカ的な考え方からしたらそれは当然でしょうか。どちらかの方が人を助けることになりますか? 兄弟を自分の家以上に愛せない人と、家のようなものはどうなっても構わない人とどちらが神側に近い人ですか。もし神様が、「イーストガーデンを食口たちに分けてあげなさい」と言ったら、先生は直ちにそのようにします。それをもっていて何をするのですか。この非常時にそれで何をしますか。先生はこのような思考方式をもっています。ですから何も未練がありません。イースト・ガーデンを出ていったとしても未練はないのです。そのイーストガーデンを明け渡せば、これから大統領にもなれる人を育てる場所となるかも知れません。分かりますか? レバレント・ムーンは大統領になれる人を育てる気になっていません。そうでないからそうすることができません。この原則は万古不変の天理のなのです。 裁判においても、私はアメリカの法廷に出る必要もないのです。出なくてもいいのです。アメリカの将来のために。国民のためにこれからの使命を見つめたとき、すべての人々を覚醒しなければならない私の責任があるので、法廷を通して覚醒することを願って法廷に出たのです。それゆえにキリスト教が、レバレンド・ムーンと一つとなり、アメリカの国民と一つとなったのです。 レバレンド・ムーンに対してあまりひどい処置をしたことを皆は知っています。このたびの聴聞会の事件を皆知っています。先生がどれほどアメリカの為にやったかということが、具体的な数字としてお金で計算されて出ています。アメリカの為に、外国人としてどれほど迫害を受けながらやってきたことでしょうか。そういう事実は必ず歴史をおいて追慕されるでしょう。 最近先生は、この国会の聴問会の場を利用して、司法省がレバレンドムーンを起訴する際の起訴のメモというものが存在していたということを発表し、聴問会の議長に対してその文書を公表するように、そして世界の人々、アメリカの人々、また宗教界の人々が真実を知る権利があるのだから、その文書を公開するように求めました。 このような過程においても先生は、統一教会の人々や特に古い人たち、例えばドクター・キム等の世話になっていません。先生が彼らに世話になれば滅びるのです。それゆえに先生は主体となり、センターとなり、責任者となるのです。 この前修練を受けていた先生の息子たちは、「カインを愛しなさい。世界的カインを愛さなくては、自分たちを先生が愛することができないということがこの頃分かってきて、先生を理解するようになりました。本然の愛の基準で、息子娘の愛の基準を探し、本然の妻と本然の家庭と本然の国を愛するために、可哀そうであるけれども、先生は不可避的にいかなければ天国は実現されないのです。このような過程から見れば、先生が自分たちをどれほど愛そうとしたかという、その本心を知ることができます。 それはカインが「先生御自身の子女たちを愛してください。私を愛してくださらなくてもよいです」と言うまで続きます。先生が“為に生きなさい”と言うことを分からなかったら、今日レバレンド・ムーンはこの場にはなく、ずっと以前に消えてしまっていたでしょう。統一教会と言うものも消えていたでしょう。自分を監獄に入れた人たちのために祈り、拷問をした人たちのために涙を流して祈り、為に生きようとする道を行ったので、宇宙が協助して発展してきたのです。 先生を打つ者はみんな崩れ、そのような国はみんな滅びていくのです。どうしてそうなるかと言えば、宇宙がそうなっているからです。先生が監獄に行くようになれば、皆さんは先生以上に世界の為に生きなさい。そうすれば統一教会は私がいなくても滅びないでしょう。そうですか? どうですか? (そうです)。それはレバレンド・ムーンのためではありません。絶対に「はい」です。分かりますか、何の話か? (はい)。 この宇宙は原理原則のもとで運行しています。はっきり分かったでしょう。皆さんは主体になりたいですか、どうですか? 中心になりたいでしょう。中心に。珍文、あなたも中心になりたいでしょう。 この前修練会の時、よりも化粧をしたりして大騒ぎをしました。そのような女たちはつまみ出さなければなりません。本当に思慮深い男であれば、地味で化粧もしないで全体を一つにしようとして化粧する時間にも掃事をし、化粧する人のために、早くできるよう手助けしてあげたりする人が分かるのです。だから大きな人間は大木のようなものです。蟻とか蝉とかあらゆるものがそこに住み付いているのです。それをみんな抱擁できるような大きな人間にならなければなりません。時には小さな些細な小競り合いやいさかいがあるかもしれませんけれども、それを大きな木はみんな構わずに受け入れます。だから化粧にばかり興味をもっている子女たちは、恐らくマッティングがあるからと思っているのかもしれませんけれど、その場合に、私の相対者となる候補者は誰だろうと思って、統一原理の講議も聞かずにただそんなことばかり考えているのではありませんか? (笑い)先生には不思議にもすべてが聞こえてきますよ。また世界的に宣教に出ていますか、祈祷をしてみれば先生にはすべて分かります。それが先生の特別な認識能力なのです。それゆえに先生は皆さんの最も重要な祝福、結婚ということも正しく正確に行うことができるのです。皆さんはマッティングの時にも相手の顔しか見ません。奇麗かハンサムかしか見ません。けれども先生は全体を見ます。手を見ます。足を見ます。男性がハンサムなのは耳の形がいいのです。それから歩く姿を見ます。先生は着物の上からその人間をすべて見ることができます。そういう面ではレバレンド・ムーンが世界的チャンピオンでしょう。(はい)。世界的なチャンピオンから有名な人のサインを貰うことは易しいですか? これから皆がレバレンド・ムーンによって結婚した方がいいということになって、一人当り一万ドルでなく五万ドルを払ってもレバレンド・ムーンの所に行くというでしょう。だから私が食べていくだけのお金はどのようなことをしてでも得ることができます。本当にお金をつくろうと思えばいくらでも先生はやり方を知っています。だから先生はお金のことは心配しません。 先生は、皆さんを負債があるようなそういう人間ではなくて、人々に何かを与えることのできる人間に創り上げていきたいと願っています。それは何かと言えば為に生きることです。これが為に生きる人です。 では為に生きる目的は何でしょうか? 主体になってもそれだけでは満足しないのです。一つになる時は生命力が出てくるのです。そこには生命があり愛があります。分かりますか? では、夫が妻に「為に生きなさい」と言うときに、真なる愛が生まれるでしょうか。お互いに為に生きようとするとき真なる愛が生まれるでしょうか、どうでしょうか? これが基本原則です。父母が子供の為に生きるとき愛が生まれ、子供が父母の為に生きるとき愛が生まれます。このような関係においてのみ生命の永生があります。皆さんはどんどん大きくなっていくことでしょう。生命力が強いとどんどん成長します。それゆえに神様は宗教を通して“為に生きなさい”とか“犠牲になりなさいと言わわれるのです。 では天国はどのようになっていますか?天国とは地上で他人の為に生きた人たちが行くところです。統一教会は強力で力があります。生命が強いので力があります。一つ間違いのないことは統一教会の食口同士がお互いの為に生きていないことです。統一教会の先生と食口とはそうではないのです。先生は食口の為に生き食口は先生の為に生きています。 皆さんは先生がイースト・ガーデンで良い生活をしていると思うかもしれませんけれども、世俗的な観点からみれば惨みな生活をしています。心の字架を背負ってるのです。だからきょうのように雨の日はNFTの活動をしている食口たちが雨の中で苦しい思いをしているだろう。あるいは、共産圏の国で働いて牢屋に入っていたり、処刑されたりしている食口がいることを思うと、いつも心が苦しくなります。だから昼寝はできません。 先生は肉体をもってしてはすべての食口一人一人を取り扱うことができませんので、先生のところに来る食口をすべての食口の代表として、先生とお母様は色々と尽くして、服を買ってあげたり、もてなしたりするのです。そして為になろうとし、何かを与えようとするのです。先生とお母様はいつもすべての食口の為に、自分たちの子供たち以上に良いものを買ってあげようとしています。 それゆえ、宣教に行って殉教するようなことがあっても、イースト・ガーデンに向かって祈りながら死んでいくのであり、恨みながら死んでいく人はいないのです。先生に“為に生きる”という天理の原則があるので、それは継続されるのです。 彼らは統一教会の誇りであり、自分の先祖たちの誇りでり、霊界に行っているすべての人々の誇りであり、一族ばかりでなく一国の誇りなのであります。何の話か分かりますか? ですから、為に生きる道のみに生命力が伴うのです。生まれることにおいても、女は女の為に生まれたのではなく、男のために生まれたのです。そうではないでしょうか。だから私というのではなく、我というのです。結婚は誰がやりますか? 夫婦が(我々)がやるのであって、私がやるのではありません。 皆さんの思春期というのは、宇宙の原則の特定な期間での設定であって、皆さんが設定できるものではありません。結婚するということは、男も女もその相手に自分のすべてを捧げるのです。自分の体をきれいに保って、女は男のために捧げるのです。清く保ってよく管理して出合うのです。今日のように自分勝利にデートをしたり、フリーセックスをしたりすることは、滅びゆく悪魔の考えです。 父母の愛を受けようとしたら、父母が愛するすべてを愛してから愛を受けることができます。それを知らなければなりません。自分の家や家庭であれば、自分たちの父母が愛しているすべてを愛し、主人である父母の愛を受けようとしている全部を愛してから、父母の愛を受けなければなりません。そうしないでそのまま受けようとすればどうなるのでしょうか。父母が大事に思っているものを愛する気持ちがあったら、それを自分勝手に扱かったりするでしょうか。ある品物が元はここにあったのに、あちらに置いてあったとすれば、それを元の所に父母の代わりに移しておかなければなりません。父母が愛するすべてを愛してから、父母の愛を受けることができるのです。 それではなぜ十七歳から十八歳という思春期があるのでしょうか? それは父母が愛するすべてのものを愛するための訓練の期間であることを知らなければなりません。自分の両親が祖父母を愛するので、私も祖父母を愛さなければなりません。分かりますか? 次に親戚を愛するので、私も親戚を愛さなければなりません。次に父母は、子供たちを愛するので兄弟姉妹を愛するのです。そのようにして愛をもたなければなりません。では神様の愛を受けようとするには、どうすれば良いでしょうか。それは同じことです。同じ原則です。ただ広さが異なるだけです。 ある国に行って、その国の王様が愛する土地と民を愛すれば、その王様の友となることができるのです。分かりますか? 皇后となったならば、王様が愛するごとくにその国の民を愛すれば、王様が喜ぶことによって、その愛を受けることができます。それは夫婦の生活でも同じです。 妻が喜ぶ者を愛してから妻を愛することによって、その妻は自分を愛していることを知るのであって、その妻の喜ぶ者は何一つ愛さないで妻だけを愛するというのは話になりません。統一教会のお嬢さんたちを見ると、前線にいる人たちはだめです。「事業をやっているビジネスマンと結婚すれば、良いものを着て平安に生活できる」という考え方は、この原則に合いません。(黒板をたたく) 何の話が分かりますか? では、“本当に為に生きる”という価値の観点から見た場合、最も価値ある生き方をしている人は誰でしょうか? 統一教会のお嬢さんたちは伝道師の婦人にしなければなりません。この頃祝福家庭で生まれた男の子をじっと見ていると、お金をもうけることを考えていますね。お金をもうけようとする人は皆、伝道師にしなければなりません。 先生は皆さんの世話にはなりません。皆さんの世話にはなりたくありません。皆さんが良く勉強をして、専問家になったとしてもそれを頼りにするレバレンド・ムーンではありません。先生はすべてを作っておきます。すべてを作っておきます。ですから先生の世話のなる人の方が多いです。皆さんの世話になろうとは思いません。むしろ先生が願うことに対して実践する人を訓練しようと思います。より楽に暮そうとする人は地獄の近くまで下りて行こうとする人であり、より難しく暮そうとする人は天国の近くまで昇って行く人です。皆さんはどちらを選びますか、女性たちはどちらですか? 金元弼先生の娘ヨンスク、どうですか? 先生が一見したらすぐに分かります。先生はある意味で不思議な人です。どんなに先生の近くにいても、神様から遠い者の名前は先生は忘れてしまいます。毎日のように呼んでいたとしても忘れてしまいます。そして顔を見ても知らない人のようで、はっきりと焦点が合いません。先生は昔怖い人でした。怖かったのです。そのような何か不思議なものであったからこそ、今日まで来れたのです。一生の間、迫害を受け、このように続けてくることがどれほど難かしいことだったでしょうか。それは米国の大統領よりも、この世の誰よりも困難な道です。何の話か分かりますか? アメリカの責任者たちは先生に、「そうしてはなりません」と言います。「ここはアメリカですから、今までのアメリカのやり方があります。ですから東洋的なやり方はうまくいきません」と言います。しかし不思議なことに、神様がこのような方法でアメリカにおいてうまくやっているのです。そのお蔭で私たちはここにいます。したがってどれほど苦しかったでしょうか。ドクター・ダーストはどう思いますか? なぜ顔を赤くしますか? 互いに北極と南極が出会うことは難しいことです。皆さんを一つにすることはどれほど難かしいことでしょうか。先生はそのような立場において仕事をしているのです。しかしこの原理原則があるから可能なのです。二人、三人が一体化して道を整えておいた所は神様が行っても引っ掛かりませんが、自分たちを立てて自分たちの法道を作くればすべてに引っ掛かります。皆さんは神様がおられることを知っているでしょう? (はい)。神様に属するものは何ですか? この万物であり自然です。その次に人間です。では神様はこの自然の中でどれを残して、どれを除くのでしょうか? すべてが必要なのです。人の中でも誰を除き誰を残すかといえば、すべての人が神様は必要なのです。 神様も自然を見るとき、私は春だけが好きで夏や秋や冬は嫌だと言うことはできません。神様は「私は四季が始きです」と答えます。ですから夏が嫌いでも、夏が好きになれるように学ばなければならないし、冬と秋が好きになれるように学ばなければなりません。雪が降れば、世界的に積った雪を見て、神様が喜ぶ時、私も喜ばなければなりません。そうならなければなりません。自然を見る時、そのような心をもたなければなりません。また雪や嵐の時、早くそれが終われば良いなと思うのですが、神様は何かを表わそうとしているのです。 自然を愛なければなりませんが、人間の中でも五色の人種がいます。神様は白人だけを好みますか? 神様が白人だけを好むなら、白人は白い服だけ着なければなりません。どうして青とか黒の服を身に付けるのですか? すべてが矛盾しています。部屋に入れば赤、黄、青で飾ってあるし、なぜ黒いピアノがあるのですか。なぜ黒板があるのですか。白人は白色だけを使えと言ったらどうなるでしょうか? 死んでしまうでしょう。私は白人が嫌です! (笑い) 白人は夜もなくさなければなりません。夜は暗いからです。それが白人の優越主義ですか。その主義は滅びる主義です。それはどのくらい続くと思いますか? 冬がいくら長いとしても三カ月しか続きません。 先生はアメリカに来て、「神様は色盲である。白人の優越性などというものはなくさなければならない。すべては平等であるべきである」と宣言致しました。そのために白人たちは先生を好みませんでした。実際に、何も先生は白人以外の少数民族のために応援しているのではありませんけれど、今や黒人や黄色人の少数者たちの方が先生を支持しています。だから白人の皆さん、青い目をし全髪の人たちも注意しなければなりません。なぜならば、神様の目には何らえこひいきすべき人種はいないのです。 人種戦争が起きたら、有色人が総動員して白人を攻撃するということを皆さんは知っていますか? そうなれば白人は滅されて、取り除かれてしまう時が来ます。常に白人が支配すると思ったら間違いです。神様はそう思いません。自由世界において世界を愛する者、人類を愛するものに対して、神様の哲学を考えるのであって、白人を中心として、この世を白人が勝手に支配していけるとは考えていません。 神様の愛は、自分より人類を愛さなければならないし、過去と現在と未来の人類を愛さなければならないので、先生は地獄に行っている霊界までも解放しようとするのです。人はまず、真理の道を行かなければなりません。(黒板に書かれる)生命の道を行かなければなりません。愛の道を行かなければなりません。この三つがいかに偉大であるとしても、為に生きる基盤なしでは、すべては従ってきません。このように生活する人が自然に主体になります。主体というのは生命の力が強くなければなりません。そうでなければ主体になることができません。また主体とは何かと言えば、愛を代表する主体でなければ相対を引っぱっていくことができません。中心となるためには真理が真でなければなりません。中心となるためには力がなければなりません。中心となるためには愛がなければなりません。 そして責任者というのは、発展させた永遠へと導いていかなければなりません。真なる者でなければならないし、真なる生命と真なる愛の関係を結ばなければ責任者になれません。皆さんもそう思いませんか? このようなことを教えるためにはまず一度、他人の為に生きるということを教えるのが良いのです。皆さん方がこのような生き方をする時に、皆さんはプラスとマイナスと連結することができます。すなわち皆さんは調和のある人間、円満な人間となることができます。そして皆さん方が巨大なプラスとなり、他のマイナスと一体化することができます。そしてより大きマイナスとも一体化するようになります。だから為に生きることなくしては、絶対に球形になることができないのです。球状になることができません。分かりますか? どこに行っても、どこに行ってもそうです。父母も為に生き、子供も為に生き、祖父母も為に生きるのです。そうすることなくしては連結することはできません。このようになれば自然に大きくなります。吸収し、吸収され、このようになります。先生は話も良くでき、いつも話すことが好きですか、子供たちの話も良く聞きます。十回聞いても、またそれ以上聞いても、「もっと話しなさい」と言います。その語る時が異なるのです。環境が違うからです。 だから今まで、「私たちの先生は母親よりも良いし、祖母よりも良い」と言うのです。先生を他の人と比較することができないのです。そのようにして成長していくのです。呼吸することによって、語ることによって成長するのです。何万回もやるこので生命が維持されるのです。一日一回だけ深呼吸をすればいいのではないか、と言っても何回もやります。食事も一回だけではなく毎回続けて食べています。だから皆さんは本当に真に共感する耳をもって人の話を聞かなければなりません。 先生が韓国の影島という所で一番最初の教会を創って、ソウルにいたら「教会の落成式も全部終わったから先生来てください。来てください」と言うので行きました。行ってみると食口たちが大勢来ていましたが、そこに八十歳を越えるおばあさんが一人混じっていました。そして他の者たちが待ってきたにもかかわらず、その年取った婦人に一晩中話をしてあげました。どうなったでしょうか? 他の人々はなぜと思ったのです。その時、先生は全体を代表してその一人の老婦人と話をしたのです。 普通の教会の牧師なら、大学の教師とかそのような人と話をするのですが、先生はそれとは異なります。昨日来たドクター・チャーベスは、何年も前から先生に「公式的に自分を招待してください」と言ってきていました。しかし先生は知らぬふりをしていたのです。それで昨日、夜中の十二時になっていたのですか、一度来たかったら来なさいと電話をしたら、「どうか連れて行ってください」と言ったので連れて来たのです。そのような人もいるために、統一教会の群は自分勝手に来れるのです。なぜそうなのですか。ドクター・チャー・チャーベスは自分勝手に王様にも会えるし、大統領にも会っていた人で、この世、天地を自分のもののように思っている人ですが、統一教会においては一番低い所にいるのです。 また財務長官をしていたアンダーソン氏も三、四年前から会ってほしいと言っていたのですが、まだ会っていません。知らぬふりをしているのです。ドクター・ダーストに頼んでも会えないから、ドクター・郭とか、ドクター・朴の所に行って頼んでもきても今だ成功しません。このようにすることは良いことですか、悪いことです? しかし、統一教会の海外の宣教師たちが来たら、昼食を食べさせ、洋服を買ってあげたりします。神様が御覧になる時、レバレンド・ムーンは良くやっていると言うか? (良くやっていると言います)。これは正に聖書が言っていることです。「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイによる福音書第二三章十二節)ということです。これが聖書の教えです。だから真なる人が行くべき道はどうあるべきか分かりましたね。(はい)。すべての人は真理を願いますね。(はい)。生命というのは発展するものです。しかし愛がなければ統一できません。統一教会というのは愛に基いています。これを得なければ主体となることができないし、中心となることができません。真のある所は力が強いのです。強い力で愛は必ず一つとならなければなりません。 なぜ人々は主体になろうとするのでしょう。これを知らなければなりません。そこには真があり、生命力があり、愛の統一力があるからです。中心もそうなのです。このような原則を基盤として内在しているので、私たちは責任者になろうとし、主体になろうとするのです。これを全体に束ねることができ、これを全体に交流させる一つの道があるとしたら、それが為に生きる道であります。これを知らなければなりません。 小さな真理から大きな真理を求めていくのも為に生きる道であり、小さな生命から大きな愛から大きな愛にいくのも為に生きる道しかありません。小さな責任、小さな中心からより大きな中心、小さな主体から大きな主体へいくのも為に生きる道がなければ絶対にできません。皆さんがそれを実践してみれば分かることです。先生は人生を通してこのことを分析し、ずっと以前にこの結論に達しました。これは驚くべき真理です。 山登りに行くにも誰よりも先に行って、他の人か皆先に座っても、先生は周りを一まわりしてから座るのです。他の人よりも一つを余分にします。お腹が空いた時、美味しい食べ物を他の人はより沢山食べようとするけれど、先生は十分食べたいと思っても他の人よりも先に箸を置きます。刑務所においても先先生はそれを実践しました。統一教会の責神者として、先生は夜も誰よりも遅く眠ります。皆さんの方が先に眠りたがっているでしょう。先生は二階に上がって何かやっています。お母様が可哀そうですね。先に眠らなければならないし、先生がいない時に起きなければならないからです。しかし不平を言うことはできません。それを誇りにしなければなりません。自分の為に妻の為に不平を言ったら罰を受けます。だから先生は雨が降る日でも仕事をし、台風の日でも山に登ったりします。だから「台風の時なのに、山に登ってくるなんて気違いである」と人に言われたこともあります。それでも万物を祝福します。木や、森や、山や、鳥や、虫を祝福してあげます。何の話か分かりますか? 他の人は皆、渡れ切ってしまっても、私たちは行かなければならない。為に生きることとはどのようなことでしょうか? それはどれほど人生において余裕が必要なことでしょうか。疲れたとしてもその場においてもう一歩一歩踏み出すのです。 では皆さん、為に生きますか? そのようにしますか? そのように生きますか? (生きます)。するには一日でもしますか、生きるのは永遠です。やりますか? 生きますか? と尋ねられた時の答えは「生きます」です。 一つ話をしましょう。美しい女に醜い男を得ることが、この女にとってはより為になる道ではないでしょうか、どうですか? それが最も為になる道です。そのような醜い男性を宇宙の男性の代表として愛し尽くすなら、神はその夫婦を祝福し、その子孫から世界を指導する人が現れます。先生一人が生まれてくるまでに、先生の先祖たちの中で、最も醜い女性を誰よりも愛した人がいたかも知れないし、醜い男性を愛したという最も美人の先祖があったに違いありません。だからその家系の中の先祖たちの功績の報いとして先生が生まれたのです。先生は地上に現れた人間の中で最もユニークな、最も尋常でない人間であると思っています。 一つの例として、祝福の時、珍輝男の母親は教会に入って何カ月だったでしょうか、新しく入教したばかりだったのです。三年以上にならなければ祝福は受けられないのです。ところが、かつては原理は毎日教えていた講師の洪氏を突然呼んできて、あなたたちは私の話を聞いて結婚すれば良いことがあるだろう。どうしますか?」と言ったのです。彼は私の妻となる女性は三年以上の経歴のある立派な人をと思っていたのですが、先生の言葉に従ったのです。その結果、子供の一人は先生の娘の夫に、もう一人は先生の息子の妻となりました。先生の先生の予言は当たったでしょうか? (当りました)。これは想像することもできなかったことです。 先生は何家庭かの男性を見て、「あなたの子供はこのような子供を生むだろうから信じてやりなさい」と言いましたが、間違いなく先生の言う通りになりました。今や二人はどうなったかといえば、先生に感謝しています。自分たちの基準で、自分の良い妻とか夫はこうであるべきだというが、それはあなたたちの基準なのであって、どこに保証がありますか? もし先生の言う通りにやったらその子供たちがアメリカの大統領となり、世界の生かす大統領が出てくるようになるはずなのに、それを破壊してしまった時には、霊界が何と言うでしょうか、どれほど後悔するでしょうか、何の話か分かりますか。誰の為に結婚しますか? 女性たちは誰の為にしますか? 夫の為にします。女性が夫のためにすることは自分のためにすることです。そのためにするのです。夫はなぜ結婚するのですか? 妻のためにするのです。私が結婚しなかったら、その妻が滅びるので結婚するのです。私が結婚しなかったら夫が滅びるからです。だから今までは間違っていたのです。反対に考えていたのです。これから夫のために結婚し、妻のために結婚するのです。なぜ愛するのですか? 夫と後孫のために愛するのです。そのように愛することによってこそ、良い後孫が生まれます。夫のため、後孫のために愛するのが妻の愛であり、妻を愛し、後孫のために愛するのが夫の愛でなければなりません。 私が愛されるために結婚をすると言うのは間違いです。愛は授け受ける為にあるのです。女性たちはいつも愛そうとしないで、愛を受けようとするのです。分かりますか、何の話か。 女性の胸、乳房は自分の為ではなく、男性の為です。自分の為大きなお尻をしているのですか? 女性は容れ物のようなものです。受け皿のようなものです。自分の為にできたものは何一つとしてないのです。自分の物ではないのです。自分は両親のものでしょう。なぜ両親が生んでくれたかと言えば、愛で連結されているからです。愛を授け受けることによって、子女が生まれてくるのです。はっきり分かりましたね? 愛を受けようとして結婚するのではなく、愛そうとして結婚するのです。それを訓練するために父母を愛し、いたずらな弟や、意地悪な兄がいて、意地悪やいたずらをされながら、教育を受け学んでいくのです。男性というのは女性がもっていない性がもっていない性格をもっています。だからそれが魅惑的であるということになります。それで自分の家庭で訓練をするのです。両親から叱りを受け、兄弟たちに意地悪をされ、殴られながらでも愛そうとするのは、後で夫に侍るための訓練なのです。 朝早く起きて、何でもやらなければならないのです掃除もしなければなりません。意地悪な弟がいれば、“ああ! 私が意地悪な夫に出会っても捨てられないために神様が意地悪な弟を与えてくださったのである”と思って消化しなさい。そう思えばどれほど楽でしょうか。自分の部屋に入ってきて、引き出しの物をみんな取り出して混ぜられることも、これからそのような夫に出会った時に乗り起えるための訓練なのです。 女性はよく物を包んでおきます。先生もそうでしたよ姉が何人かいましたけれどその包みを全部ほどいてみなければ気がすまなかったのです。(笑) それはみんな訓練ですよ。夫が妻のヘソクリなど隠していたものを開けてしまっても、文句を言ってはいけません。それは夫の権利です。(笑い) アメリカでは夫が妻に乞い願うことがあります。「私はこれぐらいお金が必要だからどうかください」と。男性がそうあってはなりません。百ドルでも必要な時は一度に使ってしまいます。しかしいつでもそうであってはなりません。全部を妻に与えることもあります。それが男性の世界と備性の世界と異なる所です。 家庭は結婚をして立派な妻と夫を作り出すための訓練場であるので、両親は厳格でなければなりません。為に生きる女、為に生きる男でなければ結婚をするな! 何の話か分かりますか? (はい)。 孝進! これからは為に生きる女、為に生きる男を作らなければなりません。あなたも祝福を受ける前まで、どれほど飛び出したかったことか、知っていますよ。もし化粧する道具が障害になるなら、夜中に全部トイレに流しなさい。(笑い) そうすれば心が安らかになります。なぜ笑いますか? 今は修練途中だからそうしなければなりません。だから男性がするような運動もやらせたりしています。そのようにして男性らしい男性をつくるのです。そのような国民を沢山もっている国家は興え、その家庭は興えます。もしそのようにならないとしたら、先生は嘘つきで詐欺師です。万物復帰をしなさい。人類を愛する為に伝道をしなさい。このようなことを犠牲的にやりなさい。そのようにして十年二十年過ぎると、座っていて相手の欠点と長所を見ぬき、どうすれば良いかがすっかり分かります。 先生は自分で行います。外国に来て反対を受けながらも……。みなさん先生の思想に染まりましたか、どうですか? 男性たち答えてみてください。(はい)。 皆さんが外に出て歩いたとしても、統一教会の原理と学んだものを抜き去ることはできません。なぜかと言うと、統一教会の原理と学んだ基準と生活方式に染まっているのです。統一教会がそのように厳しかったので、単時間のうちに世界的に発展したのです。六カ月の内にすべての世論をひっくり返しました。どうですか、そうしましたか? (ひっくり返しました)。これまでは機関銃のような非難や迫害の嵐がありましたが、完全に変わりました。そこで早く成長し発展していくためには、徹底的に素早く行動しなければなりません。先生が黒板に書いたことは間違いないでしょう? (真理です)。 皆さんは主体となり中心となりたいでしょう。そのためにはどのようにしたらいいですか? (為に生きることです)。百人いて百点ですかここで更に為に生きる人がいて、百点をとなるとその人が全体となり中心となります。そのために他より一つだけ余分にするのです。すなわち普通の人が十やるところを十一やるのです。統一教会に千名いるとして、その千名が皆同じようにやっているのに一つだけ余分にやる人は千名の中心となり主体となるのです。簡単ですよ。先生もその原則の道を今歩んでいるのです。お母様はただ従っていればいいのです。先生はお母様の指導者です。 アメリカの大統領はアメリカの為にやっていますが、先生はそれ以上に一つ多くします。今のすべての指導者たちは、反共においてレバレンド・ムーンに劣っています。先生は共産主義問題において、理論おにおいていかなる指導者よりも優れているのです。宗教、真理、哲学、すべてにおいて。二千年の伝統あるキリスト教よりもレバレンド・ムーンが優れているのです。再臨主はこのようにして来られるのです。なぜかと言えば、それは今まで語ったような理由からです。 皆さんになぜかと言えば私は知りませんと言いますね。一番最後に必ず決定が下ります。アメリカの全宗教界が今度レバレンド・ムーンのことで完全に一つになりました。私は栄光を望みません。一つとなることを願っています。 ムーニーは彼らから好かれますね。なぜですか? 十年為に生き、十一年、十二年、十三年、一生の間為に生きる時主体となるのです。これは原理、理論から見てそうなのです。盲目的ではないのです。先生はどのように発展するか、どのように全盛していくかを知っています。この道においてのみ繁栄し、発展し、すべてが盛んになるのです。東西南北四方へ自由に行くことができ、この周辺を自由に上がったりできるそのような公式を求めるならば、それは“為に生きる”という公式の他にないのです。分かりますか? (はい)。 人間は何の為に生まれたのか? 答えは簡単なことです。生きている宇宙の原則に歩調を合わせる為に、男は女の為に、女は男の為に家庭家庭において父母は子女のために、家庭は氏族の為に、氏族は家庭の為に、国は国民のために、国民は国のために、神様は宇宙の為に、宇宙は神様の為に存在するのです。それがすべてです。そこには何の不平もありません。それが完全な円となります。では中心をつくるのに(黒板の図を差す) この中心にすべての力が交叉する時、中心が「私を大事にしなさい」と言う時、交流できますか? 「私を大事にしなさい」と言う中心についていくことができますか? 大変なことになります。中心は為にやらなければなりません。為にやることは何んであるかといえば、どんどん分けて与えるので、分け与える環境が低気圧のようになって、どんどん水が入ってくるし、空気がどんどん水が入ってくるし、空気がどんどん補給されるのです。決して真空にはなりません。与えれば与えるほど、また更に補って、自分の方にも与えられるというのが原理原則です。ちょうど高気圧が低気圧に、風が流れれば流れてしまった後、そこが真空になってしまうのではなくて、必ずまた低い方から空気がやってきます。そのようなものです。決して真空になるのではありません。ですから与えれば与えるほど、自分の方にも与えられるというような原理原則になっているのです。それが自然の原理原則なのです。分かりますか? だからそのことを知ったレバレンド・ムーンは世界の統一ということを旗印としてこと運動を始めたのです。分かりますか? これをはっきり知らなければなりません。(はい) 皆さんはなぜ生きているのでしょうか? それは他人のために生きているのです。何のために生き伸びれたか。それは他人のために生きたからです。そのような運命の中にいるということを知らなければなません。若い人たち、先生の言うことが完全に分かりましたか? (はい)皆さん方は親に対して感謝し、そしてまたその感謝に基づいた生活をしなければなりません。親に感謝し、夫に感謝し、妻に感謝し、子供に感謝しなければなりません。なぜならば、そのような生活をすることのできる道を与えられたのですから、不平を言ってはなりません。 先生が監獄に行く日も近づいてきました。先生がいる時よりもっと熱心に活動するならば、統一教会は滅びません。分かりましたか? 父と母が亡くなったと言って心配するな! 父と母が愛していたすべての遺物を私が両親以上に愛し努力すれば、その家は滅びないで発展します。だからあなたたちが先生がいる時以上に統一教会の責任を背負い、統一教会がこれまで以上に為に生きようとして努力すれば、絶対に滅びないでより発展するのです。 統一教会の信者の中で誰が責任者でしょうか? 為に生きる人が責任者です。三人、十人の中でお互に誰が優れているかと言うことよりも、お互いがより犠牲になろうとする人が責任者です。カイン、アベルにおいて、最も為に生きる人がアベルです。よく分かりましたか。若い人たち分かりますか? (はい)。その他の人たちはどうですか? (はい)。今まではそのように生きてきたけれど、これからは一心で先生に教わったこの道にいかなければならないと決心すべきですか、どうですか? (はい、決心すべきです)。どうして「はい」ですか? それは真なる生活こそ繁栄をもたらすからです。 祝福家庭の子女たちでそうすると言う人は手を挙げて誓ってみてください。ヨンスク、あなたは学校をやめなさいと言えば止められますか? (はい、やめます)。では他の人たちも先生の話を聞きましたので、これからも決して失望を与えることなく完全な段階に至るまで生の指示に従い、生き方に従いますと誓う人は「はい」と誓ってください。(はい先生、はい先生)。 神様の祝福がありますように……。ありがとう。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.27
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[21.11.27] (JP) 第2回中国世界会議 2021年中国平和賞授賞式2021/11/27 10:00に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.25
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【関連記事】「米国における文師裁判とダンベリー収監--過去記事整理 | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」上院司法委員会憲法小委員会主催 「宗教の自由が世界存続の鍵」 文鮮明師の声明1984年6月26日アメリカ合衆国議会上院公聴会室にて アメリカ議会上院での宗教の自由をめぐる公聴会に招待を受け、心からの感謝の意を表明します。また同時にハッチ委員長に対し、私の最高裁上告を支持していただいたことにつきましても、心からの感謝を表明したいと思います。アメリカ憲法に定められた個人の権利を守るという委員長の高貴な行為は、数知れないアメリカ国民から、今後も永く称賛を受けることになると思います。 私の裁判について最高裁が上告を棄却して以来、宗教界の中から極めて強い抗議が示されています。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など千人を超す聖職者たちが、宗教の自由の名のもとで私と共に一週間入獄するとの決意を表明しています。それは私を深く感動させました。私はそうした宗教の自由のチャンピオンたちに改めて感謝するとともに、このような証言の機会を極めて歴史的なことと感じています。私は単にアメリカ議会に向けて話しているのではなく、神の前で、歴史に向けて話しているのです。 アメリカと宗教の自由 神はアメリカを愛しています。アメリカの偉大さは、その豊かな資源によるものではなく、非常な繁栄によるものでもありません。その偉大さは、アメリカの建国精神によるものです。それは「すべての人に自由と正義を保証した神のもとにある国家」の精神なのです。しかし、神の意思は単に神のもとにある一国家ではなく、神のもとにある一つの世界です。白人、黒人、黄色人種も、すべて兄弟姉妹であり、一つの家族であり、我々はすべて神の子供なのです。我々が神を父と見るとき、この理想が現実となります。 しかし、神は宗教の自由がなければ、その理想を成就することができません。ピルグリム・ファーザーズ(清教徒たち)は、宗教の自由がなければ全く自由がないことと同じと考えていました。彼らは礼拝の自由を確保するために命懸けで闘ったのです。 今日、礼拝の自由は危機に瀕しています。今日のアメリカでは無神論と宗教的不寛容という闇の霊が見受けられるようになりました。そして今、我々を難民として受け入れる別の“新世界”はないのです。我々はアメリカに宗教の自由を回復する以外に、行くべき道がありません。もしそうしなければ、アメリカは滅び世界も滅ぶことになるでしょう。 アメリカでの私の使命 一九七一年、神は私をアメリカに呼ばれ、キリスト教の復興と建国精神の回復のために、運動を起こすよう求められました。神は私を医者や消防士の役割を果たすためアメリカに呼ばれました。劇的な精神的覚醒を求められたのです。全世界が生き残れるかどうかは、アメリカがその責任を全うするかどうかにかけられています。アメリカは自由の最後の砦です。 この十二年間、私は身も心もすべて捧げてアメリカのために尽くしてきました。こうした使命を完遂する過程で、私は各方面で論議の対象となり、一部の人々から快く思われない人物となりました。そして、迫害されるようになったのです。しかし、私は決して迫害を受けた最初の宗教指導者ではありません。多くのユダヤ教、キリスト教会の指導者たちも、迫害の道を通ってきています。今日、私も同じ伝統に従うことを名誉と感じています。 私は、神の希望は世界の自由であると信じています。そして今日、その自由の最大の脅威は独裁主義であり、中でも共産主義です。これは組織的に宗教の自由に反対します。共産主義は、これまで一億五千万以上の人々を殺害しています。その多くは宗教人でした。私も共産主義者の収容所で、ほとんど死の寸前までいきました。今日の世界で、共産主義は非人間性の最たるものです。 この十年間、自由が後退しています。一九七五年、自由は東南アジアから後退しました。数百万の人々が消されてしまったのです。アフリカやラテンアメリカの各国が、次々に共産化されています。これまでに十五億人が、共産主義の暴虐の虜となっています。そして現在では、アメリカの裏庭である中央アメリカが戦闘の前線になっているのです。私は、自由の敵はその最終目標であるアメリカを征服しない限り、進軍をやめないと思います。 私はレーガン氏を支持しましたが、それは彼が大統領として共産主義の拡張を停止させ、アメリカを神と建国精神に立ち戻らせることを期待したからでした。しかし、宗教界から強い支持を受けて当選したレーガン氏のもとで、アメリカがこれまでにないほど教会活動への介入を行っているのは残念です。実際、宗教の自由は壊滅的な打撃を受けています。 アメリカでの十二年間 この十二年間、私はアメリカのために、なし得るすべてのことを果たしてきました。私が抱き続けてきたただ一つの目的は、アメリカの道徳心を強化し、神の意思を果たす能力を拡大することでした。 国際宗教財団(IRF)や新超教派研究協会(New ERA)、あるいは神観会議(GC)などを通して、私は宗教各派の神学者たちを招き、神と各宗教のより良い理解を果たそうとしてきました。また、私は神の意思を学術界にもたらすために働いてきました。国際文化財団(ICF)は科学と絶対的価値について年次会議を主催し、学者たちは世界平和教授アカデミー(PWPA)、パラゴン・ハウス出版、ワシントン研究所などに集まっています。 文化表現の分野では、神への崇敬のテーマを強化しようと努力しました。例えば、映画「仁川」の中で、神と人間性に献身した偉大なアメリカ人、マッカーサー元帥の歴史的重要性を描こうとしたのです。アメリカの青少年にとって、彼のような英雄はかけがえのない人物です。また宗教的理想は、人間性への奉仕として表現されなければなりません。ですから、私は教会と社会活動のための全国協議会(NCCSA)を推進し、さらに国際救援友好財団(IRFF)やボランティア事業を進めてきました。 世界の人々を独裁主義から解放するため、私は国際勝共連合(IFVOC)を設立し、さらに大学に原理研究会(CARP)をつくりました。またカウサ・インターナショナルを設立したのです。そして、マスメディアの責任基準を設定するため、私は世界メディア協会(WMA)を設立し、ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ社をつくりました。同社はいくつかの日刊紙を発行しており、その一つがワシントン・タイムズ紙です。同紙は首都におけるもう一つの見解を表現するため発刊されているもので、同紙だけで一億ドル(約二百三十億円)以上の出費となっています。 このようなプロジェクトは莫大な財源が必要とされ、同時に教会員の心からの犠牲と重労働によって支えられるものです。これまで数億ドルの資産がアメリカに注ぎ込まれてきましたが、それはひとえに、アメリカが世界の運命を決定するという理由からです。こうした献金は主として海外から送られています。統一運動においては、アメリカは資金源ではなくその受領者です。私は、もしアメリカが失われればすべてが失われるとの固い確信を抱いて行動してきました。神が信頼できる国は、アメリカをおいて他にありません。もし以上のような私の仕事の全体像を理解されれば、私が二万五千ドルの税金をアメリカ政府から逃れようとするためアメリカにやって来たなどといったことが、いったい信じられるでしょうか。 政府権力の乱用 今回の裁判は、最初から税金問題ではなかったのです。これは政府による宗教への内政干渉です。政府が統一教会を選んだのは、統一教会ならだれも助けにやって来ないだろうと考えたからです。しかし、それは誤算でした。アメリカ宗教界は、一人が脅迫されれば全員が脅迫されたと受け取り、全員が安全でなければだれ一人も安全ではないと見るのです。政府がその権力を乱用すれば、その影響は極めて重大です。イエス・キリストを十字架につけたのはローマ帝国であり、“魔女”を焼き殺し、カトリック教徒を迫害し、ユダヤ人を嫌い、黒人を長く奴隷にしていたのはアメリカです。モルモン教創始者のジョセフ・スミスを投獄し、暴徒に殺させたのもそうです。アメリカは、私を見つけ出し、その過程で国民の宗教の自由を侵害しています。我々はこうした動きを、ここで停止させなければなりません。もしそうしなければ、次はだれの番になるでしょうか。 神の摂理から見ると、この法廷闘争はアメリカの宗教の自由の立て直しの機会となっています。私が有罪となったのは、宗教上の信念と活動による以外の何ものでもありません。私は、(文鮮明という)私であるがゆえに罰せられるのです。これはアメリカの良心にショックを与え、覚醒させることになりました。多くの宗教指導者および信者たちが怒りで立ち上がっています。彼らは抗議の意を表明しています。最も重要なことは、彼らが団結していることです。団結は、アメリカの生存を保証するものです。 最大の対決 今日の世界で最大の対決は、アメリカ対ソ連ではなく、また資本主義対社会主義、あるいは民主主義対共産主義でもありません。最大の対決は、神への信仰対神の否定です。無神論を基礎にする共産世界は、人類の夢の実現に失敗しています。一方、自由世界は物質的になって神を忘れ、世界の深刻な危機に直面し無力です。世界は混乱によって混沌としています。ここに神を中心とした新しい世界観が現れなければなりません。私はその世界観を、神の愛の心情を基盤にして教えています。それを「Goddism」(神主義)と呼んでいます。これが世界の新しい解決方法となることを、私は宣言します。 神主義は、すべての宗教家および良心家を一つにします。この世界観は、敵国同士にも統一をもたらすでしょう。これは人間精神の真の自由をもたらすものであり、この理想は地上天国実現に向けて我々を導くものです。また、この世界観は高次元の思想体系であり、多くの人々を個人的神体験に導いています。こうした効果は絶大なものがあり、一部から“洗脳”などと非難されるほどです。これがメディアなどから誤解されてきた理由です。私を敵の頭目と見る共産主義者たちは、こうした誤解を利用し、私を破壊しようと試みています。 こうした困難にもかかわらず、私は今日、こうしてアメリカの宗教の自由の保護のために働けることを名誉に思います。もし、私がアメリカ国民に対し、迫りくる危機を警告するビーコン(信号)の役目を果たせるなら、私の犠牲は大きな目的にかなったものとなるでしょう。 今日の問題は、アメリカと自由世界が生き残れるかどうかという問題です。そのために私は喜んで侮辱を受け、どこへでも出かけ、いかなる労働もいとわず、いかなる十字架をも耐え忍んでいるのです。そしてもしアメリカと世界が生き残り、神の意思を行える保証があるならば、私は喜んで私の生命を捧げる意志があります。 アメリカに祝福あれ 今日、私はいかなる人にも憎悪を抱いてはいません。イエス・キリストは十字架につける人々を許し、十字架上で祈った伝統を示しています。私もその伝統を支持し、ずっと以前に私を非難する人々を許しています。私はアメリカ政府に対し、何の敵意も抱いていません。私はアメリカのために祈っています。そして人類史上最も深刻なこの時代に、神が私を使い、宗教の自由の闘いとアメリカの精神的覚醒を促していることを神に感謝しています。 ハッチ委員長、再びこのような機会を感謝し、次の言葉で締めくくりたいと思います。 アメリカに神の祝福がありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.25
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私のアメーバ・ブログ記事「Re:韓鶴子女史にとって聖進様の存在は何を意味するのか | peaceのブログ (ameblo.jp)」、「「有志の会」ブログ、異邦人サマリヤ人氏のコメントに応えて | peaceのブログ (ameblo.jp)」の再掲載です。◆アメーバ・ブログ記事(その1)「Re:韓鶴子女史にとって聖進様の存在は何を意味するのか | peaceのブログ (ameblo.jp)」韓鶴子女史にとって聖進様の存在は何を意味するのか | ONE TRUTH 有志の会ブログ (align-with-god.org)5月3日 AM02:00、コメント欄へ投稿---------- --------- アブラハム家庭の話があるではありませんか?!アブラハムの象徴献祭の失敗によって、イサク、ヤコブの代で勝利しましたが、その三代でありながらアブラハム一代で勝利したとみなされています。個体は違ったとしても同じみ旨を中心としてみれば(母親)一代と考えられないでしょうか?!2008年4月6日ハワイ・キングガーデンでの「カインアベル儀式」でのお父様のみ言からです(『ファミリー』2008.7月号、P.12)----->引用開始 エバを中心として、母を中心として、カインとアベルが争ったのです。カインとアベルが争い、夫のアダムを家庭の外に追い出してしまいました。夫がいません。天使の血統になっています。エデンの園で分かれて殺したもの、そのままです。お互いが、しっかりしなければなりません。母(エバ)が生んだ息子、娘は本来の息子、娘ではありません。母(真の母)を通して再び生まれなければなりません。 統一家も、そのようになっているというのです。聖進の母親が先生に反対することによって母が変わったので、息子も分かれたのです。カインとアベルになったものをすべて一つにしなければなりません。母が一つにならなければならないのです。-----<引用終わりこれを前後しては、同年3月17日に孝進様が聖和されていましたが「(三代の)母を中心として、この地でお母様が生んだ孝進を送ることによって、孝進が中心となって、興進と孝進の二人が一つになることによって霊界が統一される」(同P.13)と霊界での一体化を宣布されたなか、この地上でも統一家の兄弟姉妹がそうなることを願われての儀式であったと思います。散らされた血統をイエス様がニコデモに語られていたように、聖進様ほか子女様方や祝福家庭も真のお母様を中心として「もう一度生まれなければ」天国へ入れない、ということなのでしょう。※ エッ!!「完成期の聖婚式は未だに挙行されていません。」?永遠絶対の天の父母様が基元節に定められた「結婚式」ですよ。その神様の永遠絶対性を否定されますか。亨進会長(当時)がその結婚式を早めて行おうとしたのですが、それを激しく叱責されたほどに、お父様も神様との約束である「基元節」の時を重要視されていたでしょう。永遠絶対の天の父母様(神様)と真の父母様が約束されて【予定】されたものでした。したがって、お父様が聖和されたとしても「神様とお母様の結婚式」が成された事実は否定することは出来ません。原理講論>キリスト論>重生論 にも次のようなことが書かれています。このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。お父様聖和後、本来ならば子女様が成すべき侍墓生活3年でしたが、不忠不孝の子女様や私たちに代わってされたのはお母様でした。悔い改めをしなければならないのは私たちですが、地において役事される実体聖霊であるお母様までも貶めようとする行為、果たして、許されることでしょうか?私たちの信仰の起点は1960年の「子羊の婚宴」によってこの地に初めて【誕生した】真の父母様です。イエス様のような「独生子」でもなければ、寡婦の「独生女」でもありません。重生論に記された「原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨」された『真の父母様』です。原理講論・総序に書かれていることをもう一度想起してみてください。人類歴史が闘争に明け暮れしてきたのは、真に「神様」を知ることがなかったからです。したがって、新しい真理はその神様を提示しては、その闘争に終止符を打とうとするものです。ところが、同じ原理講論を巡っての混乱は見苦しいに尽きませんか。その総序にもハッキリと記されたものがあります(以下)。…(略)…善の本体はすなわち神であられるがゆえに、この真理によって到達する世界は、あくまでも神を父母として侍り、人々がお互いに兄弟愛に固く結ばれて生きる、そのような世界でなければならないのである。…(略)…「ONE TRUTH」を掲げられる「有志の会」ですが、その真理の行きつくところが「神を父母として侍る【地上天国】となっていますか?原理を離れては別の(非)原理を語ってはおられないでしょうか!「天の父母様」であられる神様を否定するような共産主義思想から一刻も離れられては、一体となられた真の父母様の懐へ帰られることをお勧めします。天の父母様の日、真の父母の日、御聖婚記念61周年おめでとうございます。◆アメーバ・ブログ記事(その2)「「有志の会」ブログ、異邦人サマリヤ人氏のコメントに応えて | peaceのブログ (ameblo.jp)」GoodSamaritan · 2021年5月4日 10:11 PM 巡回いつもご苦労さまです。tomyさんとはいつも論点が空回りして噛み合いませんので、例によって論点を整理します。イエスかノーでお答えください。・韓鶴子女史は「聖進を我が子のように愛せよ」と言う約束に従ったのか。・基元説で完成期の聖婚式がなされる「神の予定」があったが、韓鶴子女史はそれを実現する責任を果たしたのか。2つとも原理講論予定論の問題です。人間が責任分担を果たさなければ神の予定は延長されます。 以下、私tomy4509からの応答:----- ----- ----- ----- GoodSamaritan さん へ・韓鶴子女史は「聖進を我が子のように愛せよ」と言う約束に従ったのか。Yes!誰彼の隔たりなく愛しておられるのが「平和の母」です。13人の子女様を出産されましたが、お父様と共に世界を飛び回られたお母様です。お父様がそうであったように、聖進様や真の子女様以上にカインの子女である私たちをより愛してこられた、というのがもっと正しいでしょう。・基元説で完成期の聖婚式がなされる「神の予定」があったが、韓鶴子女史はそれを実現する責任を果たしたのか。No!「基元説」はサンク同様に「有志の会」も「基元節」を認めていないということですか?「基元節」であれば「Yes!」です。異邦人サマリヤ人氏には過去記事で既に回答していたはずですが?お父様のみ言からは、基元節が第3番目の聖婚式であり、祝福家庭も3番目の祝福式に同参することを語られていました。お母様は基元節を前に、既に基元節のために準備されていた(悔い改めて新しく出発するための)「聖酒」を全祝福家庭は飲んで基元節に参加するよう指示されました。サマリヤ人氏もまた、それを飲んで祝福式会場に直接参加されたとのことでした。「トゥデイズ・ワールド・ジャパン」2013.4(天暦2月号)のP.11をお読みください。----->引用開始「天地人真の父母様天一国即位式」では、天地人真の父母様の完成的聖婚式であり、戴冠式が挙行されるとともに、天一国が満天下に宣布され、続く「天一国基元節入籍祝福式」では、全祝福家庭が天一国に入籍する入籍祝福式を受けました。-----<終わりサマリヤ人氏はこの時の第3番目の「聖婚式」があったかどうかで道を反れて行かれたとのことでしたが、引用文に記された如く基元節における「聖婚式」は挙行されていました。あとはご自身の良心に従って「有志の会」に留まってお母様や家庭連合の批判を続けられるかどうか、これから先の意思表示を明確にしていただくことは出来ないでしょうか?もちろん、「沈黙」の選択肢もありますが。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.24
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「異邦人サマリア人(UCI)は「共産主義?!」」の続きです。異邦人サマリア人(UCI)の方の記事『二つの石像は「全然あり」と思われた方へ』、に限らずUCI(FPA)の方々からは霊界の存在について感じることが出来ません。韓鶴子総裁を批判される理由のその一つが聖和された文鮮明総裁と一体となっていない、というものでした。また、文総裁(夫)を忘れてしまっておられるとも。果たして、それは真実を語っているのでしょうか?私がキリスト教に関心を持ち始めたのは高校3年生の時でした。弟が無線に関心もあってか海外の日本語のラジオ放送(オーストラリア)を聞いたりする中、韓国からのキリスト教放送の存在を知りました。また、市立図書館に『ご自由にお持ちください』として手にしたのが小冊子「ヨハネ福音書」だったと思います。当時、部活は軟式テニスで1年生のときからの私のパートナーが教会に下宿していたことは知っていましたので、その(普通の)教会へは一度だけ寝坊した彼を呼びに行った記憶しかありません。さて、ヨハネ福音書1章を見てみましょう。洗礼ヨハネがイエス様を証しした時のこと、そして、イエス様の元に集まってきた弟子たちについて書かれていました。ヨハネによる福音書/ 01章 43節~ その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。イエス様とナタナエルが出会ったときも実のならない「いちじくの木」が出てきます。イエス様は彼と出会って、それを前に「(彼が)いちじくの木の下にいるのを見た」と語っただけで、彼はその真意を悟ったのでした。ナタナエルはイエス様と同じガリラヤ出身(ヨハネによる福音書/ 21章 02節)でした。旧約聖書にはガリラヤから王が出るとの預言もあり、イザヤ書/ 09章 01節しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。「(ガリラヤの)ナザレから、なんのよいものが出ようか」と言いつつも彼は熱心にそれを信じていた一人でした。そのように、何時いちじくの木の実がなるかを見ていた彼の心を見られたのであり、それを言い当てたイエス様がその人だと信じたのでした。異邦人サマリア人さんは前回も書きました(こちら)が、どちらの「いちじくの木」の下にいるというのでしょうか?「独りで生きていく女」をメシアと信じる方に、問い掛けたいことがあります。そもそもあなたはどのような経緯で信仰を持ち、なぜ祝福を受けたのでしょうか。アボジの教えでは天国とは夫婦二人で入るところであり、子どもと孫の三世代が一緒にいることも条件でした。独生女がそれほど素晴らしいとしても、夫の遺言を軽視すれば息子の怒りを買うのは当然ではないでしょうか。「独生女」--「独りで生きていく女」をメシアと信じる方」と書かれるサマリア人さんからは、霊界におられるお父様を感じることが出来ません。「独生子」--「独りで生きていく(神の独り)息子」--イエス様を信じているクリスチャンをもバカにされているようです。サマリア人さん、「夫の遺言」とは何ですか?三男さん・顕進氏を後継者に立てることですか?そういった遺言はどこにあるというのですか。天一国は夫婦二人で入るところというのであれば、現在は天上のお父様と地上のお母様ですが、その父母様が一体でないと語るサマリア人さん(UCI)ほかの皆様、ハッキリ言わせていただくなら分派「郭グループ」ですが、もしも、ではなく間違いなくいずれは霊界に旅立たたれる日が訪れます。父母様が一体であるか? ないか? その時になってその事実を確かめられますか。でも、死んでからでは遅い、のではないでしょうか?!2013年2月からの成長期間(準備期間)を経て2020年2月、「天一国安着」が宣布されました。お母様の世界巡回による「天一国7ヶ国復帰」はもちろんですが、私たちが最も「天一国安着」で注目しなければならないことは「天地人父母宣布」で語られていた天の父母様からの三代が確立(お父様の遺言)したということです。孝進様家庭のお孫さん「信出様と信興様」の祝福式はその決定的なものでした。誤解がないように付け加えておきますが、最初から長男の孝進様家庭が選定されていたわけではなかったと思います。三男さん家庭や七男さん家庭にもそのチャンスは同等にあったのではないかというのが、お母様の語られる成長期間(準備期間)の意味ということです。家庭連合にはこの三代の祝福家庭勝利の基台があって天一国の門が開門されています。それを皆さんは信じますか?近く実を実らす「いちじくの木」と、根まで枯れる「いちじくの木」があります。どちらの木の下に御自身が立っているかもう一度考えてみてください(祈ってみてください)。サンクチュア教会には、また別の枯れる「(ヨナ書の)とうごまの木」があります。最後に、遂に独生女の口から、「聖霊を汚す者は赦されることがない」という脅迫の聖句まで語られたそうですが、私は全く恐ろしくありません。聖霊とは主を証することが役目であり、栄光を自分に帰した瞬間から、聖霊ではなくなるからです。「私は聖霊だ、聖霊は素晴らしい、聖霊を汚す者は赦されることがない」という脅迫に怯えて伝道されたとしても、天国建設の戦力にはなれません。これはお母様が語られたものではなく、イエス様が語られたものでした。クリスチャンの方々もまた、イエス様のこの聖句に耳を傾けてくださるようお願いします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.23
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異邦人サマリア人(UCI)の方の記事『二つの石像は「全然あり」と思われた方へ』、に限らずUCI(FPA)の方々からは霊界の存在について感じることが出来ません。韓鶴子総裁を批判される理由のその一つが聖和された文鮮明総裁と一体となっていない、というものでした。また、文総裁(夫)を忘れてしまっておられるとも。果たして、それは真実を語っているのでしょうか?文総裁聖和後、3年の侍墓(シミョ)生活をされたのはどなたでしたでしょうか?息子(特には、長子)が3年間仕事も辞めて墓の近くの仮屋で生前には孝行できなかったことを悔い改めつつ寝食をともにするものです。三男さんや七男さんがそれをされたでしょうか。「長子だ」「後継者だ」「相続者だ」と騒ぐだけで実がない(いちじくの)木です。マタイによる福音書/ 21章 19節~そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。弟子たちはこれを見て、驚いて言った、「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。またその一方でイエス様は、別の個所で「いちじくの木」についてこのようにも語られていました。マタイによる福音書/ 24章 32節~いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。……だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。……だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。さて、異邦人サマリア人さんからですが、信出様と信興様という直系子女の擁立に成功したことで、「顯進様、國進様、亨進様の排除」を完璧にやり遂げたのです。この状況で私が何を叫んでも、「お母様の素晴らしさを理解できない残念な人たち」という色眼鏡でしか見られないことが良く分かりました。これについては過去1985年8月16日のお父様のみ言でケリがついています。さようなら!一勝日(1985年8月16日)第二番目:既に独生女は、「霊界のお父様と一体」という権威付けを必要とはしていません。「再臨主の妻」という権威付けが不要になったということは、遺言である八大教材教本も存在意義がないのです。膨大なアボジのみ言葉など訓読することなく、父母経や平和の母、単純明快な独生女のメッセージを訓読すれば良いのですから。お母様に「独生女の権威」を与えられたのはお父様です。お父様から元祖「独生女」が出発しています。また、八大教材教本ですが、それにも「独生女(日本語訳では「ひとり娘」)」の記述があります。一人娘(独生女)について(その2・捕捉)――天聖経(黒表紙・韓国語)から天聖経(黒表紙)韓国語版のP.177の記載文(以下)。三番目:教理研究院の懸念を他所に、食口はみ言葉との整合性に無頓着でした。「お父様が原罪あり、お母様が原罪なし、別にそれで良いんじゃない?」「お母様はお父様とは『違ったかたち』で、神の栄光を示しておられるのだ!」というアベル的な発想転換ができるからこそ、数十年この道に残ることができたのでしょう。教理研究院からの回答の一つは再臨主は行かれたように来られる――〝罪人の立場〟で逝かれたイエスがあります。イエス様が十字架に架かられたとき、肉身はサタンが奪っていきました。その肉身を取り返さなければならなかったのではないですか。四番目:ユンヨンホのように生前のアボジへの未練を断ち切った幹部だけが、用いられたのです。「お父様とお母様の、お前はどちらを選ぶのだ?」と問い詰められて、「もちろんお母様です!」と即答できる者だけが。そこで「お父様と一体になられたお母様です!」などと逃げ道を探した瞬間に、下心を見抜かれて地雷を踏むのです。「独りで生きていく女」をメシアと信じる方に、問い掛けたいことがあります。そもそもあなたはどのような経緯で信仰を持ち、なぜ祝福を受けたのでしょうか。アボジの教えでは天国とは夫婦二人で入るところであり、子どもと孫の三世代が一緒にいることも条件でした。独生女がそれほど素晴らしいとしても、夫の遺言を軽視すれば息子の怒りを買うのは当然ではないでしょうか「いちじくの木」の譬えがその回答です。最近の記事「天一国摂理史--「天地人父母宣布」(2003年10月25日) 」もお読みください。夫婦二人というのであれば「真の父母様」の一体化についてとやかく言われる筋合いもありません。子供(夫婦)、孫も祝福を受けてでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.23
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「万物の日」1984年5月31日ワールド・ミッションセンターにて 小宇宙としての人間 統一教会では、父母の日、子女の日、万物の日、神の日など四大名節を記念して祝っています。その他にどのような日がありますか? 御聖誕記念日、天勝日、愛勝日、愛天日などが統一教会においては忘れてはならない記念日なのです。 きょうは何の日ですか?(「万物の日です。」)そういう言葉は少しおかしいと思いませんか? 本来、堕落がなかったなら、父母の日だけですべてが終わるはずでした。皆さんが原理で学んで知っている通り、アダム・エバが結婚式を行う日、原理結果主管圏と直接主管圏が完全に連結され、完成を見るようになっていました。そのような日が完成されていたとしたら、愛天日とか、愛勝日とか、天勝日とか、万物の日とか、子女の日とかは、一度に完成するようになっていたのです。 堕落した歴史世界にも父母はいました。しかし、その父母はいかなる父母であったか? 神と切り離された堕落した父母でした。子女の日もありますね。皆さんの子供たちの誕生日がそうです。万物自体も私たちが生まれる前からあったのです。万物が万物自体として権利をもったそのような万物の日がありました。そのすべての存在が、本来の主人である創造主、神様との関係を結んで、その愛による主管を受けていたとしたら、このような加重された蕩減復帰という現状世界、悪の世界は存在しえなかったのです。 ところで、なぜ神様が天と地を創造されたのでしょうか? これが問題です。これは哲学においても問題視され、多くの宗教においても、数多くの人々が考えてきました。 この宇宙とか人間をじっと見ていると、それらの主人は一体誰なのかを考えるのです。皆さんが天文界を見るとき、たとえば銀河系のように一千億もの星が入っている膨大な宇宙がひとりでに生まれてきたというならば、それほど気違いじみた話はないのです。地球のような星が一千億箇入っているというのは想像することすらできません。しかも、それは静止してはいないで運動していますから、お互いにぶつかり合って、すべてが目茶苦茶になってしまうはずなのに、それがひとりでに生まれてきたというなら、なぜ交通事故が起らないのでしょう。 人間の体は細胞だけでも数百兆の細胞からなっていると言われています。今、その細胞の一つを太陽系の大きさに拡大させて、その原子、分子間の距離を太陽系と比例的な距離にして、人間一人を数百兆の細胞に分ければどうなるかを考えてみなさい。一人が動くということは、どれほど荘厳なことでしょうか。(笑い)人間を構成する細胞の原子、分子の間の距離関係は太陽と地球ほども離れているので、ぎっしり詰っているように見える人体も実は空っぽのようになります。 男女が一体化する中心点 そう考えてみると、私の中心はどこになりますか? 一体中心があるのかどうか、そして私の主人は誰で、どこにいるのか、これが問題です。皆さん一人一人がこのように膨大な存在なのです。男と女を二人合わせるとそれは更に大変なものです。 男一人で二人の役割をすればいいのに、女がなぜ創造されたのですか? 一人の人間の右手は男子で左手は女子というように、一つの体に共存していたならば、どれほど平和で、喧嘩もなく、良かったことでしょう。いくら嫌がったとしても、喧嘩をして二度と見たくなくても自然に和合するのです。何かを食べる時でも、西洋においては右手はナイフ、左手はフォークを持たなければなりませんね。(笑い) このように思うとき、主人は誰で、私の中心はどこかというのが一番の問題なのです。それを一度考えてみましょう。人間の中心はどこですか?(「神様です。」)神様を除いては? 話はまだ神様にまで至っていません。男子の中心がどこで、女子の中心はどこですか? 頭、胴体、体の中でどこでしょうか?(様々な答え)「頭」と言う人もいますが、頭だけあれば人間になりますか? 肉身を中心として見れば頭が中心と言えますが、人間は肉身の他に霊があります。その霊の中心はどこなのですか?(「マインド、ハート…」)そのハートはどこにありますか? 東洋の人たちは「精神は胸にある」と言います。良心と言えば頭にあるのではなく、胸にあると考えるのです。なぜかと言えば、心臓は生命活動の源泉ですから、すべての生命の源である心臓に近い胸にあると考えるのです。 では、心と体、つまり精神と肉身がどこを中心として一つになるのでしょう。頭のてっぺんから足の先まで何百兆もの細胞がありますが、それらをつなぎ合わせ、調和させるものがあるはずです。完全に一つになることのできるその中心は何ですか? これが一番の問題です。それは男子において重要な所であり、女子において重要な所です。それがどこですか? では、男子と女子が異なるものは何ですか?(先生が黒板に凸凹の図を書かれる。ざわめきと笑い)自然にお話をするのに、それをおかしく思う人は堕落した人なのです。私たちの霊と肉が百パーセント通ずることのできるその中心が男子の重要な部分であり、女子の重要な所なのです。これは俗ぽい話ではありません。そのために人間は思春期という一時期があって、肉的にも成熟し、霊的にも成熟して、愛という道を求めていく時、この体と霊と良心、すべてが百パーセント満たされるのです。 男性と女性は、陽性と陰性が完全に一体化できるように神は男女をこのように造られたのです。男女の愛はすべての事情を乗り越えてその一致点を求めます。愛はすべてを貫き通し、愛が貫き通せないものは何もありません。東洋では男性は実であり、女性は器で、男性は神(天)を象徴し、女性は地を象徴し、男女の合一によって天と地が一体化すると言われています。また男女は、前後、左右、上下関係を表わします。 低いものは高い所を願い、高いものは低い所を願います。それぞれが高くなることも、また低くなることも難しいことです。それで、この二つが合一して水平線を願うのです。それには中心が必要です。人もそうなっています。男も女もそのように二つの相対部分をつけているようになっているのです。あなたたちは高い所ばかり好きですか? 低い所は嫌いですか? 水平が必要ではないですか? 人間は高いピークと低い点の調和点を求めるのです。海に行くと、水平線が二つの世界を分けています。水平線を中心にして下に魚が住んでおり、上に動物が棲息しているのです。動物は空気を呼吸し、魚は水中で生活しています。潮の満ち干も、月の満ち欠けに従って、満ち潮の時と引き潮の時があり、月も一月一回満月になり、女性の生理もそのようになっています。これは自然の理です。遊園地でも上がったり、下ったり回転したりするジェットコースターのようなものを好みます。それは宇宙がそのように動いているのに、自分だけがじっとしていてはつまらないので、宇宙に歩調を合わせるからです。 男性が男性と踊り回っているより、男性と女性との方が自然です。なぜそうなのですか? それは簡単です。神により宇宙がそう造られているからです。それが宇宙の法則であり、すべてが宇宙の動きに動じ静ずることを願うようになっているのです。二人の男性が横になって、二人で話しているのを見ると、人はささやいていると言うよりは喧嘩していると思うでしょう。しかし、男性と女性が話し合っているのは美しく見えます。 現代における同性愛は非常に不自然です。それがなぜ悪いのですか? 宇宙や自然がそうなっていないからです。宇宙にはプラスとマイナスの調和によって成り立つという一定の法則があります。プラスとプラスが引き合うということは決してありません。プラスはマイナスとのみ引き合うようにできているのです。神が陽子に他の陽子と一体化せよと言ったとしてもそれはできない相談です。プラスとプラスが引き合っても相互の利益にはなりません。 力では一つになれない 皆さんはきょうなぜ、ワールド・ミッション・センターに来ましたか? こんなに忙しいのに、あなたたちは損をするために来たのですか、利益を得るために来たのですか?(「利益を得るためです。」)きょうここに来て、もし先生の叱りを受けて帰るならば、「損をしたな、来なくてもよかったのに」と思うでしょう。あなたたち一面においては商売人の心情をもって来ているのでしょう?(「いいえ」。) あなたがたはなぜ食物を食べますか?(「うれしいから!」と一人が答え、皆笑い)ではあなたたちが「うれしい」と言う時、食べられる側のお米とか、魚とか、野菜が共に「うれしい」と言いますか? あなたたちがうれしくても、その食物はうれしいでしょうか? ここに歴史的な問題があります。これを知らなかったら上下関係の調和とか、強者と弱者の調和を見い出す道がないのです。言わば弁証法的根拠がここにあります。ヘーゲルのような人はここに歴史的な上下闘争概念があると見ているのです。 これが解決できなければ、上下関係の構造をもったいかなる組織体も、そこに平和とか理想を見い出すことはできません。強者は弱者を無視し食いつぶそうとするのです。虐待し、勝手に扱ってしまいます。力ですべて治めようとするのです。 では、力にはどのような力がありますか? これが問題です。力について話してみましょう。今の社会では何が力になりますか? 真実の力、知識の力、財力、権威の力。権力をもって治めるのですか? それがどれほど続きますか? または知識をもってですか? ここにおられる博士の皆様、自分が専門分野の単語を一つ余分に知っているからと言って、「自分が他の人より優れている」というのはとんでもないことです。その単語一つがどれほど貴いものでしょうか? 人は自分の方がお金を持っているし、良い服を着ていると言って、あるいはダイヤモンドがどうだとか、イヤリングがどうだ、ネクタイがどうだとか言って誇りとしているのです。 現代の人々の中で権力に売られていく人がどれほど多いことでしょうか。あなた方は大統領になりたいでしょう?(「もちろんです。」、様々な答え)世界的な大学者になりたいでしょう? ヒットラーのように力による世界の独裁支配ができたらどれほど素晴らしいことでしょう。(「いいえ、素晴らしくありません。」)アメリカ社会は、今は資本主義体制下なのでお金があれば、それがすべてだというような考え方なのです。 それで、男性も女性もこの問題に引っかかっているのです。男は権力を好むし、女はお金を好むとしたら、その二人は一つになることができますか?(「いいえ。」)また、女には知識があり、男にはお金があると言った場合、一つになることができますか?(「いいえ。」) ですから、権力がある人と、お金がある人とは本当に一つになることができません。お金がある人と、知識のある人とは、お互いに利用しようとしても一つになることができません。そのように考えてみるとき、お金を誇り、権力を誇り、知識を誇りとする特権的な権威意識を主張する世界では、家庭的平和の基地はないのです。そうしたもので一つになったとしても、それはあくまでも外的な一致にすぎず、根本的基地に到達することはできないのです。対外的な、私が必要とする力の条件が問題ではなく、対内的な、男性・女性が本質的に一つとなりうる内容が何であるかということの方がもっと重要なのです。 主体・対象の法則 では、心と体がどこで一つにならなければならないのでしょうか? 秩序に従って精神的な霊的基準が主体になり、体が相対となって二つが一つとなった基盤の上に、男性と女性が一つとなることのできる道を探さなければなりません。二人が一つになることによって、対象も主体になり、主体も対象になることができ、相互に益をもたらすようになります。 それで、一つとなった男性と女性は素晴らしいのです。二人が目を上げてみると、目から雷が出るのです。耳も、女性の声だけでなく男性の声が一緒になって、素晴らしい和音として聞こえるのです。動物を見ても雄はどれほど美しいでしょう。だから雌が付いていくのです。(笑い)比較してみると、自分ひとりでいるよりは、その方がもっと似合うし、すべては良く見えます。相手に色々触れてみれば違っているけれども、それがいいのです。(笑い)男性は筋肉質ですが、女性はとても柔らかいです。皆さん、シャフトが回る場合にも、鉛のような物が心棒を包んでいるのです。うまく和合されていて調和があります。 男性でも女性でも、心が主体で体が対象となっています。心は常に主張し、心が決心するのであって、体が決心するのではありません。霊が主体で体が対象であるという秩序を正さなければなりません。決心は心でなされるのであって、心が勝つことによって、心と体が一つとなって和合することができるのです。 では、女性と男性とではどちらが主体ですか?(「男性です。」)なぜ男性が主体ですか? アメリカの女性たちは、そういう考え方は嫌いでしょう? 道を歩く時も、女性の後を男性が従って行くのがいいか、男性の後を女性が付いて行く方がいいか、どちらが理想的ですか?(「男の後を女が。」)男が一歩を踏み出せば、女は自然に付いて来るようになっています。男が止まったらいけないのです。男の方が歩幅が大きいから、自然に男が先になって女が付いて行くようになっているのです。(男たち歓声) 男が女に寄りかかっている姿がいいですか? 男は中心であり柱であるから、女が男に寄りかかった方がいいのです。男はいくら小さくとも、女に寄りかかって「愛しています」と言うのではなく、自分に女が寄りかかって「愛しています」と言った時、「ハッハッハッ」と言えるのです。それが自然の法則です。女性はあくまでも女性で、男性になることはできません。このようなことをアメリカの人々は知らないでいるのです。私たちムーニーのアメリカ女性たちはどうですか?(「違います。」)心の中では嫌で仕方がないけれど、レバレンド・ムーンが言うので口では仕方がなく「違う」と言っていますね。(笑い) 先ほども言いましたけれども、自分自体の中心は良心が主体で、体が相対なのです。ですから、人間は心が命ずるままに行動し、従わなければなりません。主体となろうとすれば、四方を治めなければならないので、寛容で、より関係する範囲が広くなければなりません。このように考えて体と心を比較するとき、どちらがより公的で幅広く、環境的範囲が広いでしょうか? 体と心とどちらが広いか? それは言うまでもなく心です。だから主体なのです。心が主体で体は対象ですから、体が従っていかなければなりません。わかりましたか? このようになっている心と体が一つとなって、成熟して、愛を中心として探し求めていかなければならないのが結婚なのです。 愛が留まる所 このような原理から見るとき、原理結果主管圏というものを造らざるをえません。人間には成長期間が必要であるから、このような言葉が成立するのです。それで成熟するまで待つのです。男性と女性が、それぞれ心と体が百パーセント作用することのできる種を植え、種を残すためには、全細胞がすべての根に連結することのできる時がなければなりません。それが愛というものです。 皆さん、文学というのはどこから始まりますか? 思春期を除いて文学が成り立ちますか? 児童文学というのは、男性だけでも女性だけでもできません。子供を中心として男性、女性を包含して書くようになっているのです。愛を中心として書くのです。そうでなかったら、文学は成立しないのです。 また、そこには詩も生まれます。女性が詩を作るとき、「自分の唇は朝顔のようであり、自分の目は鳩の目のようであり、私の鼻は美しい山の峰のようである」などと自分の顔について書いたりしますか? そうではなく、相手に対して“あなたは何々のようである”というように書くのです。 愛というのはどれほど素晴らしいものでしょうか? 真の愛をもった男女なら、砂漠にいたとしても、そこに黄金の宮殿に勝るものが出現するのです。黄金の宮殿の中で愛をささやくよりも、砂漠の中で二人が愛をささやく方が素晴らしいのです。たとえ、砂の嵐が吹いていたとしても、そこには花が咲き、素晴らしい香りがするのです。歌を歌い、そこにあるすべてを友として、歩調を合わせることのできる力が愛だけにあるのです。それは真理であり、実に素晴らしいことです。 女性たちは男性を絶対に必要としますか?(「はい。」)男性たちはどうですか? 男性たちは絶対に女性を必要としますか?(「はい。」)それは何のためですか?(「愛のためです。」) では男の愛の象徴が何で、女の愛の象徴は何ですか? それは愛を中心として、完全に心と体が一つになることのできる所です。男性は女性に必要なものを持っているし、女性は男性に必要なものをもっています。それは男性が持っていても、男性のためのものではないのです。女性がもっていても、女性のためのものではありません。それはお互いに異なる性のために存在しており、男女が愛を表現するために用いられるのです。 生まれるのも自分のために生まれたのではなく、相対のために生まれたのです。これをはっきり知らなければなりません。なぜ、レバレンド・ムーンはこうしたことを強調するのでしょうか? 人間は真実を忘却したため、真実を明らかにしなければ、真実の結果が出ないので、止むを得ずこのことを強調するのです。 では、女性を分析してみましょう。女性が顔を美しくするのは、自分が見て喜ぶためでしょうか? いいえ、それは夫のためです。女性たちは、なぜ、美しい色の服を好むのですか? 女性がそのようにきれいに着飾るのは、自分のためですか? 胸が豊かにふくらんでいるのもお尻が大きいのも、自分自身のためですか?(「いいえ。」)それは女性自身のためでなく、子供のためにあるのです。自分自身のためにできているものは何一つありません。目は人を見るためのものですし、耳は人の言葉を聞くためにあります。すべてがそうなのです。自分のためのものはなにもありません。生まれることからして、自分のために生まれたのではありません。 男性も同じです。肩幅が広いのは、自分の肩を素晴らしくみせるためと思うかもしれませんが、男性は働き、重い物を持ち上げるというように主に男性が仕事をするため、それで肩の力が強くなければならないからなのです。(拍手)面白い男よりも、素晴らしい男にならなければなりません。面白い男は女みたいで、ひそひそ行動します。素晴らしい男性は、大胆に行動します。あなたたちは面白い男性が好きですか、素晴らしい男性が好きですか? 時には打ち、時には涙をふいてあげることのできる男、それは素晴らしいことです。これがいやだという女性は、その深い愛の味を知りません。あの底の底の愛を知らないのです。 一つ聞いてみましょう。多様な愛が好きですか、単純な愛が好きですか? 女性たちどうですか? 多様であるから「好き、好き、好き」と言うのです。三六五日いつも晴れた日ばかりあればいいですか? 時には嵐が吹いたり、雷も鳴ったりする方が素晴らしいのです。そのように考える時、生活を共にしていく中には、戦争もあり喧嘩もありますが、それを愛で消化することができれば、すべてが素晴らしい要素となります。 宇宙力は何を求めているか 統一教会の女性たちは、男性が主体で女性は対象であることを知らなければなりません。そして、男性と女性が二人合わさって、新たなプラス、あるいは新たなマイナスとならなければなりません。男性と女性がこのようにして一つとなれば、さらに大きなプラスとなるのです。そうなれば、宇宙の神に対して、愛の関係を結ぶことのできる相対となることができます。それを知らなければなりません。主体と対象の関係が成立しないところには、愛は訪れてこないのです。 では、先ほども言った宇宙の中心、人間の中心は何かということです。人間の中心は何でなければならないでしょうか?(「愛です。」)愛の中でも、真実の愛でなければなりません。 それでは、この宇宙のすべての作用における中心は何でしょうか? もし、この宇宙が話をするとしたら、何を願うでしょうか?「ああ! 私は権力が欲しい、お金が必要である」とか、「知識が必要だ」などと言うでしょうか? 宇宙は何を求めているかと言えば、それは美しく調和した力なのです。その調和の力というのは、主体と対象の概念なのです。主体と対象が授受し、一体となり調和することによって、さらに大きな主体に連結され、一層大きな宇宙へと連結されていくのです。「宇宙よ! あなたを調和させる力は何の力ですか?」と聞けば、宇宙は「愛の力しかない」と答えるのです。愛です。他の何物でもありません。だから、調和の力それ自体も愛の力を願うという結論を出すことができるでしょう。 見える宇宙(有形世界)にとって何が必要かというと、それは見えない宇宙(無形世界)なのです。そうでなくては、宇宙が正常な活動をなし、軌道に従う、一つの統率された計画的な存在圏をもつことはできません。人は見えない精神が肉体を全部コントロールして、その管理体制のもとに存在性を継続しているように、宇宙もそのような見えない内的主体と一体となっているのです。これは自分を見てもわかることです。 それで、目に見えない宇宙的力の背後の内的精神的存在を指して、私たちは、“神”というのであります。そこから人間が出発したのです。私たちは目に見えない精神を受け、目に見える宇宙を受けて、その結実的存在として生まれたのです。それが人間です。神は人間を天と地のように、内外的存在として造り、これを愛でもって抱き、一つにしようと願われました。一つにするには、お金でも権力でもなく、知識でもありません。だから、この宇宙を愛のために造ったのであるという結論が出るのです。 真の愛が出発する基準 サタンはこれを知っていました。男性と女性の愛だけを奪えば、天と地のすべてがここに付いて来て、それが自分のものになると考えたのです。本来、私たちはその愛と一体となった立場において、神様の所有とならなければなりません。また、人間の所有となるにも、それは愛を中心とした基盤の上で決定されなければならないのに、それが成されていないのです。では本来の主人は誰でしょう? 主体なる神様と、相対なる人間なのです。 今日、世界の人々は世界を自分のものにしようとしています。自分のものとしてから何をするのかを解っていないのに、とにかく自分の世界にしようとするのです。神様に帰ることを知らないのです。自分自身が、宇宙的、世界的な愛を所有して、神様と愛を中心として結ばれる時、この宇宙と人間に対する神様の所有権が一度に決定されるようになっているのです。創造主なる神様は、今まで自分が造られた世界に対して、愛の理想を成就して、御自身の愛を中心として所有権を決定しようとされました。しかし、サタンにすべてを奪われてしまったので、これを再びもと返す道を探して来られたのが人類歴史の道であり、宗教の道だったのです。人類歴史の中で、メシヤが神の愛を中心とした、真の所有権をもってこの地上に来るという思想がメシヤ思想であり、真の父母の思想なのです。そこで問題となるのは、この世において真の愛をいかにして発見することができるかということです。何が真の愛ですか?(「神の愛です。」)では神の愛とは何ですか?(「不変なる愛です。」)言葉で言うことはできたとしても、それをどこで見い出すことができますか? 真の父母の愛とは何ですか?(「神の愛です。」)その基点はどこですか? 真の愛を見い出すことのできる一つの基点がなければそれを見つけ出す道がないのです。真の愛が出発する基準は何でしょうか? 神様は父で、アダム・エバは子女で、父子の関係になっています。それを知らなければなりません。つまり父母の愛と子女の愛が宇宙の根本なのです。 本然の理想的主体思想 では、堕落した世界において、子供が父母をより愛しますか? それとも、父母が子供をより愛しますか?(「父母です。」)父母の愛は永遠を中心としたものであり、不変で唯一のものであることを知らなければなりません。そうでなければ、子供たちが父母を好きであるはずがないのです。このことをしっかりと学んで、子供たちも父母に似なければならないのです。毎日のように変わる父母は、子供から蔑視されます。アメリカの家庭は毎日のように変わりますね。そうすると、神の愛、本然の愛とは一体何なのでしょう? 父母は子供のために死ぬことができ、生命を捧げることができます。自分の生命を越えて愛するのです。宇宙の根源は、まさに子供のために生命をも捧げようとする親の愛なのです。 本来、この宇宙は生命のために造られたのではなく、愛のために造られたのです。愛が先ですから、愛に符合することのできる生命であって、生命に符合する愛ではないのです。 真の愛は生命を犠牲にして愛することのできる愛であり、宇宙と通ずることのできる愛なのです。家庭において、子供のためにその生命を捧げることのできる父母であるときには、その父母は、この宇宙において二人とない真の父母であることがわかります。真の父母とは、子供のために自分の生命を犠牲にしてでも、愛の道を行こうとする人であることを知らなければなりません。私は若い時も、年をとっても、死ぬ時でもこの心は変わりません。永遠なのです。 では真の愛をもった真の神様とはどのような方でしょうか? 人類の先祖が神様であるならば、私たち子供のために自分の生命までも犠牲にしようとする方が真の神様なのです。 サタンとは何か? 自分のために愛の道をすべて破綻させる存在です。自分のために他を犠牲にするのです。ここにおいて二つの世界は完全に分かれます。愛を本質として宇宙が創造され、すべての生成物は愛の理想を中心として存在するようになっているのですから、その愛がどのようなものであるかということを、はっきり知らなければなりません。自分の存在を犠牲にしてでも愛の道を立てようとする、それが宇宙の本然の理想的主体思想なのです。 真なる家庭 では、真なる子供というのは何でしょうか? 変わることなく、父母のために自分の生命を捧げて、犠牲の道を自ら進んで行き、愛を自ら進んで行う、それが真なる子供なのです。 真なる夫婦も同様です。夫は妻のために、妻は夫のために生命を捧げることのできる夫婦は、永遠に神様の愛の圏内に留まることができます。またそれは、神様の所有物として抱かれ、保護される夫婦なのです。そこには堕落ということはありえないのです。言葉や説明の必要もありません。宇宙が何であるかを説明したり、神様が何かを言葉で教えたりするといった必要もないのです。夫と妻の間で、「私はあなたをもっと愛します」などという言葉は必要ありません。本心でわかるのが自然の理法なのです。説明がなくても、目を見てわかるし、鼻を見て、口を見てわかるし、触ってみて、皮膚で感じてわかるのです。眠っているときの寝息を聞くだけでもわかります。 皆さんの中で、鼾(いびき)をかく人をいやがる人がいるでしょう? それはいけません。夫を愛し、妻を愛するあまり、泥棒から私を守るために、寝ながらも声を出してくれているのだと、愛の心で聞けば、それがどれほど有難く、懐かしいことでしょうか? サイレンの音よりも立派なものです。(笑い)鼾をかく夫によって、妻たちが保護を受けた歴史的事実が多くあるだろうと、万事をそのように思うのです。 愛する妻の持ってきてくれた食事が、パンと安っぽいチーズ、バター一片しかなくても、それを持ってきてくれる妻の愛の心はどれほど尊いことでしょう。心のパンを食べると思わなくてはなりません。精誠と愛の心がこもっている、愛のエッセンスが入っている、それを食べるのです。そのように思って生活する男は生涯、健康で病気になることはないでしょう。愛にはすべてが屈服します。だから、病原菌からも保護されるようになっているのです。また貧しいと思って悲しんだり、みすぼらしい姿であると思って悲しまないで下さい。夫は自分のみすぼらしい姿を知らないわけではないのに、やむなくそのような姿をしていると知って、妻が心の中ですまないと思えば、そこにはさらに深い愛が美しい珠玉のように連なっているのです。ダイヤよりも、腕輪よりももっと貴重なものが連なっているのです。そこにはどれほど深く、素晴らしく装飾された、理想的な世界が造られているかを考えてごらんなさい。そういう真の愛の関係に満ちた真の家庭は、間違いなく、神様の愛の懐に深く直進していくことができるのです。 愛国者とは、自国の人々を自分の家族より一層愛した人のことです。私の一族が国のために犠牲になることができれば、それは愛国家庭であると言えます。このような家庭は、神の国の宮殿に入って、万民の前に栄光の冠を受けられる家庭となるのです。 家庭から国家へ、国家から世界へ、世界から宇宙へとより大きな世界と相対を成して、より大きなもののために犠牲になることによって、最後に神様に到達するまでいくのが、愛の哲学を中心とした人生行路なのです。先生はこのような愛を教え、実践しています。真の父母と一体化して、真の親の愛を実践することが、あなた方に今願われることです。それぞれが所属している国や世界に対して、真の親の愛を示すことが我々の使命なのです。これはどれほど素晴らしいことでしょう。 愛の伝統 今日のアメリカにおける法廷闘争の問題を中心としてみる時、レバレンド・ムーンはいかなる道を選ぶべきでしょうか? レバレンド・ムーンに属するすべての統一教会の信者たちは一つとなって、真なる愛の道をいかなければならないのです。この悪なる怨讐世界に対して、変わらない父母の心情をもち、彼らのために生命を捧げて、犠牲となる道を自ら進んでいくというのが、このような愛観から出る結論なのです。アメリカ政府が誤り、自由世界が誤ったとしても、その責任はすべて父母が負うという思想、これが神様の思想です。完全なる主体が立てば、そこに完全な相対が現れるようになるのが原理です。ゆえにキリスト教会という相対圏は自然に統合されるような現象が起きてくるのです。そうした事実を皆さんは昨日(五月三十日)のニュースを聞いて知っていると思います。 それで統一教会とキリスト教が完全に一つとなり、完全に主体となった時には、自由世界は自ずから対象として生み出されて来るようになるというのが、神様の宇宙原則に基づいた見方なのです。 二千年前、イエス様は十字架上で、敵のためにとりなしの祈りを捧げられました。今になって、あなた方はイエス様がなぜあのように祈られたかわかるでしょう。イエス様は真なる愛の父母の伝統を立てるべき立場にいたからです。 第二次大戦直後、キリスト教文化圏を中心として、全世界が統一されるチャンスがありました。その時に、神様の愛と一つとなって、真の父母の愛の伝統をもって世界を収拾していたら、今日、世界は統一できていたでしょう。しかし、当時そのような愛の伝統はなかったので、愛の伝統を引き継がせるために、先生は解放後に出発したのです。クリスチャンたちが真の愛の伝統を受け入れて実践していれば、天国はずっと以前に造られていたに違いありません。しかし、彼らが反対して失敗したので、先生は統一教会を創立し、すべての基台を蕩減復帰してきたのです。 統一教会のムーニーは、このような真の父母の思想をもたなければなりません。世界のために、五色の人種が一つとなるのです。今日、世界的な頂上に立って、レバレンド・ムーンは次のような考えをもっています。「怨讐がいかに悪なるものであるとしても、私は伝統的な愛をもって、世界を愛して越えて行く。個人の幸福よりも全体のために、犠牲の道を自ら進んで行く」と。そこには天下のすべてが頭を下げるでしょう。そうして、統一教会とキリスト教会が一つとなり、自由世界が神の方へ立ち返ってゆくのです。今こそ真の愛の力を示さなければなりません。さらに多くの困難に直面するほど、さらに多くの迫害を受けるほど、先生は親の愛を実証するでしょう。サタンは悪を実行した後、初めて悔い改めるのです。悔い改めなかったら退かなければなりません。このようにみると、愛が一番の中心なのです。わかりますか? 被造世界は愛の博物館 万物はまだ、真の所有者、主管者を知りません。所有者がいないのです。万物は愛を中心とした所有観念でつながれたことがないということを知らなければなりません。すべての元素から、鉱物、植物、動物、人間に到るまで、「君は誰に所有されたいか? 力と知恵と能力のある人に主管されたいか、それとも愛をもった人に主管されたいか?」と尋ねたら、何と答えるでしょうか? すべてが愛の主人を求めるのです。 その愛の伝統とはいかなるものでしょうか? 愛の相対圏に対して、自分を完全に犠牲にして投入し、再創造の力を補給してあげ、育てて成長させてあげる立場にいるのが父母なのです。育てて成長させ、保護してあげなければなりません。万物は、神様と真の父母の愛が現れるその時のために完全に準備が整っています。 環境を整えてくれるすべての音とか、美的な感覚に訴えるものなどもみな、万物の愛のための象徴的標示として現れているのです。小さな昆虫も花も皆、愛を伝達するために存在しています。愛をもってそれらに臨むなら、すべての花は、あなたの愛に答えてくれるでしょう。被造世界は愛の博物館なのです。皆さんは神様に、「あなたは、これらすべてのものを私のために造ってくださいました。愛の博物館の中に私を造ってくださったことを、心から感謝します」と祈ってみたことがありますか? 夏、暑い日に、セミがペアで歩調を合わせて鳴くとき、それは人間のために愛の歌を歌っているのです。その声を聞いて、雄、雌が互いに探し求めていけるのです。夏の明るい月夜に、昆虫たちのそのオーケストラがどれほど素晴らしいかをよく聞いてみなさい。あるものはソプラノ、あるものはアルト、メゾソプラノなど、皆調和されています。それは、すべて愛の歌なのです。昆虫たちは、じっとしてではなく、触れ合ったりしながら歌います。砂の上のアリたちもすべてペアで働くのです。人間にとって、宇宙全体が生きた教科書です。 あなたたちはサーモン(鮭)という魚を知っているでしょう? それは、自分の故郷を目指して復帰の路程を行くのです。サーモンは、一度産まれた自分の本然の家を覚えていて、一万数千マイル海洋を回って、四年ぶりに夫婦でもとの川に帰って来て、そこで卵を産みます。そして自分たちを産んでくれた父母の伝統を再現して、夫婦が一緒に死にます。雄は雌が卵を産むのを待って、一緒に死ぬのです。だから先生はサーモンをSalvation Moonie fish(救いのムーニー魚)あるいは restoration fish(復帰魚)と名付けました。 愛のための犠牲 「神様の本質的愛をもって、分子世界や鉱物世界から、この宇宙全体に到るまでを、私は愛して生きている」と言う、そのような幸福なる男性、幸福なる女性はどれほど偉大であるかを考えてみなさい。微小な分子世界から、大宇宙の世界まで愛する男性、女性となったなら、そのような主人となったなら、どれほど素晴らしいことでしょうか? そのような人が山の頂上に行くとしたら、すべての万物が付いてくるようになるでしょう。「おお! 動物たち! 万物たち! あなたはどこへ行きたいのか?」と聞いたら、「私を食べて下さい。あなたの愛する口に入りたい」と言うのです。さらに高い愛の所へ行きたい。それが愛の持っている特権なのです。その時、すべての万物は、「私のような低級な生命の細胞であったものが、高次元的な神様の子女の生命細胞となって、神様の愛を受けることのできる先端に立つことができる」といってその驚くべき価値を讃えるのです。 愛は百パーセントその元素、要素に作用することのできる能力があるので、万物の生命、細胞が人の生命細胞に接するとき、万物は神の愛を実践する細胞になることができるという驚くべきことのために万物はそのことを願うのです。そのために、人間もさらに高い愛、神様の愛のために犠牲となっていかなければなりません。また神様も愛のために、犠牲の道を訪ねていくことを原則としているのです。これが宇宙の天理です。「あなたは私を取って食べようとあなたの自由にして下さい。あなたの手となり、あなたの足となり、あなたの体の一部となることができるのなら、愛の理論が可能であるので、愛のために私の生命を捧げます」それは当然な理論です。そのような愛観をもって、「私は全体のために生まれた」と言える時には、世界すべての難問題を解決し、超越した立場に立つ自分となれるのです。 それで、レバレンド・ムーンは統一教会の責任者でありますが、皆さんを世界のために犠牲にしようとしているのです。普通の人はそうすることができますか?(拍手)私たちが主張するこの理想的主流思想が、どれほど素晴らしいものかを知らなければなりません。 このような愛の理念を中心として、現在の状態の中で、皆様がいかなる道をいかなければならないかということを、今回の万物の日を通して、はっきり知らなければなりません。今日の記念の日がどれほど意義深い日であるかを知らなければなりません。 恥ずかしくない愛の主人に レバレンド・ムーンはアメリカの歴史において恥ずかしいレバレンド・ムーンとなってはならないのです。アメリカの国民の前に、過去の人類の前に、恥ずかしいレバレンド・ムーンとなってはならないし、これからの未来の後孫たちの前に恥ずかしいレバレンド・ムーンとなってはなりません。過去の地球上に生きていたすべての先祖たちの前に、恥ずかしい者となってはならないし、神様の前に恥ずかしい者となってはならないのです。そのためには、たった一つ、この道しかないので、このような道を自ら進んでいくのです。それで今日、このようなお話をするのです。これをはっきり知らなければなりません。 宇宙は伝統的愛に付いて、自然に回るようになっています。自然に従っていくのです。だから孤独ではありません。私はこの宇宙と共にいるし、人類と共にいるし、統一教会と共にいるし、キリスト教と共にいると思っています。このことをよく知って、これからは天と地が見つめる中において、あらゆる環境の諸条件を愛で包摂することのできる姿勢、伝統を受け継いでいかなければなりません。アメリカの国民が先生を思い、自由世界が先生を思い、神様が思うように、愛の版図を拡めていくことにあらゆる精誠を尽くさなければなりません,これを宣言できますか? 先生は間違いのない道を行きますから、あなたたちも間違いのない道を歩んでくれることをお願いします。(「はい。」) 今日、この日を迎え、そのような男とそのような女になると決心した意味から、立って宣誓いたしましょう。「神様が私たちの愛の主人となられたと同じように、私たちはこれから万宇宙を所有するのに恥ずかしくない愛の主人となる」という決心をしなければなりません。(「Yes Father」と三回叫ぶ)神様の祝福がありますように。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.23
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ウェブセミナーの案内・UPF &UTS - 「信仰、異宗教と平和の探求:ムニブ・ユナン司教との会話」UPF-INTERNATIONALホームページからのお知らせです。2021年11月22日(月)AM10:00 EST(New York)--日本時間:11月23日AM00:00--からZOOMにて、ムニブ・ユナン司教を交えてのウェブセミナーが開催される予定です。ZOOMに参加希望の方はこちらの下部「REGISTRATION」からZOOM登録してください。ウェビナー登録 - Zoom▲ムニブ・A・ユナンムニブ・A・ユナン司教は、宗教間の対話と和解が人間の平和の基盤であると信じて、生涯を宗教の調和に捧げてきた先駆者です。1950年にエルサレムでパレスチナ難民として生まれたユナン司教は、1976年にルーテル派の司祭に任命されてから40年以上にわたって宗教的調和の道を歩んできました。特に、 2010年から2017年までルーテル世界連盟の議長として、さまざまな信仰を持つ宗教指導者の幅広いネットワークを構築してきました。<主な業績>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.22
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神統一韓国「シンクタンク2022フォーラム」オン・オフライン盛況가평서 ‘싱크탱크 2022 포럼’ 온·오프라인 성황 열려 - 세계일보 (segye.com)20日、京畿道加平郡清心平和ワールドセンターで神統一韓国「シンクタンク2022フォーラム」がオン・オフライン1万人余りが参加した中で盛況のうちに開かれた。この日、フォーラムは朝鮮半島の平和統一実現のための対内外的平和談論を形成し、統一意志を集めるための場として設けられた。 また、今年は文鮮明総裁が金日成主席と単独会談を持ってから30年になる年という意味を加えた。フォーラムはシン・ヨンイルKBS前アナウンサーの司会でユン・ヨンホフォーラム推進委員長の歓迎辞、ジム・ロジャース・ロジャース・ホールディングス会長基調演説、各界専門家と対談・討論、キム・ヨンチョル元統一部長官総評、祝賀公演などで順に行われた。フォーラムには韓半島平和統一念願する世界的投資専門家のジム・ロジャース・ロジャース・ホールディングス会長をはじめとする韓国と米国、日本など政治、経済、学界指導者が共にした。ジム・ロジャース会長は、南北関係の進展などで南北分断の象徴であるDMZ(非武装地帯)が開かれれば、朝鮮半島が変化のハブになり、「世界で最も注目される地域になるだろう」と強調した。彼は朝鮮半島についてこのような楽観的な見通しをしながら「韓国は資本と技術の条件が優れている。ここに北朝鮮は労働力と天然資源が豊富だ」とし「南北のこの二つの条件が加わると驚くほど」と話した。ユン・ヨンホフォーラム推進委員長は祝辞を通じて「3番目に開かれる今回のフォーラムでは世界3大投資家の一人であるジム・ロジャース会長を迎え、神統一韓国で経済の役割と統一韓国が志向する経済体制を提示することができてとても嬉しい」 「世界的に有名な投資家ロジャース会長を中心に、神統一韓国の経済的テーマを検討する貴重な談論の場になるだろう」と説明した。ユン委員長はこの日、フォーラムで世界平和統一家庭連合韓鶴子総裁が造成した500億ウォンの基金を通じて、神統一韓国のための経済人連合が発足すると明らかにして大きな関心を受けた。シンクタンク2022推進委は去る9月から10回開催予定で専門家フォーラムを推進してきている。今回のフォーラムは朝鮮半島の恒久的平和実現を模索するために韓国と米国ワシントン、日本東京で三元中継方式で開かれた。フォーラムでは「神統一韓国への道、韓日海底トンネル」、DMZ-韓半島世界変化のハブ、国際的連帯を通じた朝鮮半島平和システム構築」などをテーマに国内外の専門家が参加して基調演説と熱い討論が続いた。また、フォーラムの途中と末尾のバリトン、キム・ドンギュとゴアラ、キム・ドクスのサムルノリ牌の興奮したお祝い公演やパフォーマンスでパネルなどの講演者たちに大きな拍手喝采を受けた。世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ(2021.11.21)での説教冒頭でも、神統一韓国「シンクタンク2022フォーラム」に参加したジム・ロジャース会長についての話題がありました。https://youtu.be/tU0A2iOKvZ4?t=2817一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.21
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今日のみ言葉から: 私が興南にいた時、神と霊界と先生が合わさって、監獄の教会と監獄の食口をつくったのと同じように、今回も同じことであると思います。監獄(霊界)の食口とすべての世界が統一教会の先生の後につくと思うのです。地上の地獄が従うと見るのです。このような条件を立てたので、監獄(霊界)生活をする必要がない時代が来るのです。なぜかといえば、サタンが蕩減条件を提示する何もないからです。すべての境界線を越えた基準をつくったのです。先生がもし監獄(霊界)に入るならば、アメリカが騒ぐでしょうし、全世界が騒ぐでしょう。命令すれば何でもできるのです。何の話か分かりますか。 皆さんは自信がありますか?(はい!)。これから先生(お母様)の旗の下で世界的に動くようになるのです。アメリカも収拾することができないし、共産主義も収拾することができません。ただレバレンド・ムーン(お母様)のみが収拾することができるのです。では皆さん、先生が監獄(霊界)に行けば皆さんも監獄(霊界)に行きたいですか?(はい)。その心があれば何でもできます。だからこれからこのような決心をもって前進しなければなりません。そして神の、天の権威を失わず、天の子女の信義をもって前進すべきです。そういうことができますか?(はい!)。「真の愛を中心とした本然のエデン」1984年5月27日 皆さんがエデンの園と言ったとき、聖書に出てくる善悪の実の問題を中心として、そこに神様と人間と天使たちがいるという場面を私たちは思い起こします。 “善悪の実を取って食べるな”という神様の啓示は、今日の一般のキリスト教において言われている善悪の実ではなく、愛の問題を中心として言われたみ言であるということを私たちは知っています。皆さんも御存じのように、神様のみ旨は創造理想を実現することでありました。ではその創造理想は何かといえば、それは四位基台の完成です。四位基台とはもちろん、神、父母、子女をいうのであります。では四位基台の中心は何でしょうか。その中心は神様でもなく、アダム、エバでもなく、子女でもないのです。真の愛のみが中心となることができるのです。 では愛の出発はどこでしょうか。誰がその愛を考えたのでしょうか。それが問題です。愛の出発は誰なのか。これは神様が愛の理想を中心として出発したということに異議はありません。アダムでもなくエバでもなかったのです。すべての被造世界をつくられた主体なる神様がおられるとしたら、神様がその中心の愛を考えたのでしょう。 皆さんの目にも、右の目、左の目にフォーカスがあります。三点を連結できるものがあります。そのポイントに合わせれば見ることができるのであって、このポイントが少しでも違ったら狂ってくるのです。では、スタートしてから、動く主体としての神様の愛はどこへ行くでしょうか? 神様が中心となって、来なさいと言うのであります。それは神様がじっとしているのでなく、神様も動くのです。神様は万能ですが、それでも何か願いごとがあるのでしょうか。願っている何かがあるのでしょうか。もし願うことがなかったなら、ストップしてしまうのです。そうではないでしょうか? 願うことがなかったなら無の状態で停止してしまうのです。すべての存在は停止してはなりません。停止していればそれは退化していくのです。このように見る時、神様においては全知全能であるからお金が必要でもなく、知識が必要でもなく、権力が必要でもないのです。しかし何も望まないとすれば、それはストップしたことになってしまいます。そこで神様が必要とするものは何かといえば、愛なのです。神様も愛が必要なのです。神様が希望するものがあるとしたら、その希望を中心としてすべてを活用したいと思うでしょう。お金も活用したいし、知識を活用するとしたらそれはいいですが……。それで神様にお聞きします。あなたが必要なものは何ですか。知識ですか? 「さあ」。権力ですか? 「さあ」。ではお金が必要ですか? 「さあ」。では何が必要ですか? それは最も貴重なもので一つしかないのです。その一つしかないものは何かといえば、真の愛なのです。では神様、真の愛が必要ですか? 「そうだ」。(笑い) それしかないのです。 お金とか知識はすぐに作ることができます。しかし愛は直ちに作ることができません。愛は探し求めていかなければなりません。愛には行くべき道があります。分かりますか? 愛は他とは異なります。それは未来や希望を表します。そうですか? (はい)。 したがって神様はじっとしていることができずに、そこに向かって行かなければなりません。動かなければならないのです。愛を創造するためには、未来の過程を残しておいて、自分の全体を統合した内容を整えて作用することのできる時間的、距離的内容が必要です。分かりますか、何の話か。更に愛を探し求めたならば、そこで終わってしまってはなりません。より大きく、更に大きいものを神様は必要とされるのです。愛は神様が探し求めていく永遠なるものです。皆さんはどちらが好きですか。最初は小さくても、だんだん大きくなって永遠に発展していくものが好きですか、それとも最初は大きくてだんだん小さくなっていくものが好きですか? (笑い) それで神様も真の愛がこれぐらいのボールだとしたら、(先生が手で表現される)このボールがだんだん大きくなっていくのを好むのであります。そういう話ですよ。このようにして(黒板を使用)、この中に必要なものは全部あるというように、限界にまで大きくなって、作用することを神様も願っておられるでしょう。そしてここにいる者たちが(黒板を使う)そのような愛の理想に向かっていくときに、すべてがこれに調子を合わせながら、呼吸を共にするのがいいでしょうか。それとも反対したらいいでしょうか。それは真なる愛にすべてをゆだね呼吸するようになるのです。何の話か分かりますか。それですべては、真の愛に歩調を合わせ存在しなければならないということになります。 アダムは男子であり、英語からの内容を見るととても面白いんだね。(黒板を使う) (笑いと拍手) 女には woman のwo(ウ)というのが付いています。それで英語の言葉において男と女とどちらが先でしょうか。言葉から見ても明らかなように、男が先であり女が後からで、男が上であり女が下で、男がプラスであり女がマイナスで、男が主体であり女が対象であります。 しかし位置を反対にし、自然を反対にするということは、「オー! 私は太陽も必要ないし、空気も必要ないし、水も必要ない」という言葉と同じなのです。男と女を運動させるものは何か。女の力ですか、男の力ですか。女の知識ですか、男の知識ですか。女の持っているお金ですか、男の持っているお金ですか。どうですか? (真の愛です)。 では、このようなことから見て、愛とお金とは交換できますか? (いいえ)。今日、米国の女性たちはお金のためによく結婚しているでしょう。そういう女性は本当の女性ですか。偽りの女性ですか。また、知識を中心としている人もいますね。州知事であるから結婚するとか、何々大学を卒業したので結婚するとか……。どうですか? (事実です)。 女性は何のために生まれてきたのかといえば、お金のために生まれてきたのでもなく、知識や権力のために生まれてきたのでもありません。男性一人を探し求めるために生まれたのです。では男性は何のために生まれてきたのですか? 愛のためです。それは正しい話ですか? (はい)。 先ほど言ったように、愛の伝統を中心としてすべては作用するのです。鉱物世界においてもプラスとマイナスになって、すべてが相対的になっています。それは動物界においても、また昆虫においてすらも同じことです。すべてが作用するので、歌わないで舞わないものはないのです。すべてが芸術的です。昆虫も歌を歌うでしょう。鳥や動物すべてが歌います。人間も同様です。このようにすべてが和合するのです。それは主体、対象の関係を中心としてです。同じです。そうしながら大きくなっていくのです。だからすべてはこのような主体、対象から出来ていて、それが各段階を通って発展しています。ある意味ではダーウィンの言う進化論が当てはまっているような、そういう具合に進化し発展しています。しかし進化論というのは、そのままが真実なのではありません。より小さな段階からより価値のある段階へ発展しているのが、進化の本当の意味なのです。そして小さなものはより大きなものに対して自らを与えます。それによって小さなものがより大きなものと同じ段階へと発展し、同じ価値をもったことになるのです。このような内容をもっているのが、宇宙の発展であり、法則なのです。だから小さなものは将来に希望をもっており、より大きなもののために、自らが対象となって、より大きな主体のために役に立つという、そういう希望をもっています。それは小さなものがより大きなものに対して、自らを対象となして価値を与え、そしてより大きなものと価値を同じくするという、宇宙の方向なのです。だからそれは愛の表れであり、小さなものが更に大きなものへと愛を示すことになるのです。このようにすべての中に愛の動きがあるということが言えます。 世界に一人しかいないというくらい、誰からも羨しがられるような高い所にいる女性に対しても、愛を中心として私の下に来なさいと言ったら、「はい」と言うのです。そうでしょう。愛のみが極大になることも極小になることもできるのです。どんなに傲慢な女性も、(愛を中心として)下がれと言ったら下がらざるを得ないのです。主体が下に下がって行こうとすれば、対象である女性も下がって行こうとします。そのようなことができるのは愛の力しかありません。どうですか? (はい、そのとおりです)。 このように愛は非常に巨大なものであり、大きなものでありますから、神御自身も一つの場所に留まることはできません。神様が堂々と一番頂上に構えているとしたらどうしますか? 小さな谷間には行くことができないのです。しかし愛をもっていれば行くことができます。 このように主体が何をしようとも、対象である女性はありのままにそれに応じていくというのが本来の女性の在り方です。愛があれば子供を抱きしめて、どのような汚いものをも飲み込むことができます。(笑い) このように見ると、愛は何と巨大で素晴らしい不思議な力をもっているのでしょう。どうですか? それで愛が好きなのです。どうですか? 間違ってるの? 合ってるの? (合っています)。 愛の中に神様が入るでしょうか? 神様の中に愛が入るでしょうか? どうなの? (神様が愛の中に入ります)。神様はどちらが好きでしょうか? (神様が愛の中に入る方です)。どうして、どうしてなの? 神様の希望は大きくならなければならないので、神様はもっと愛を希望しておられるのです。そのために、神様は愛の中に入らなければならないのです。それで理論にも合うのです。何の話か分かるの? 神様も希望として願う愛なので、神様よりも愛の方が大きいのです。私が愛を懐かしく思う時には愛を引き寄せ、愛が成就すれば私の方が引っ張られて行き、このようにして求心運動で回るのです。 それでは自然はどうなっているでしょうか。夏になれば虫とか昆虫が集い会い、小鳥たちが鳴く時、すべてが愛を歌っているのだということを知らなければなりません。このような時、「ハハアー、宇宙はこのようになっているのか」このような宇宙的神様に、人間は歩調を合わせなければなりません。(どんどんどんと叩く音) そしたら神様は何と言われるでしょうか。「うるさい!」と言うでしょうか。座っておられた神様も、立って一緒にリズムを合わせるのです。(拍手) 分かりますか? 神様はそのように思って万物を創造されたので、私もそのように考えるのです。 本来、アダムとエバが手を取り合って通り過ぎると、宇宙はそれに歩調を合わせ、喜び反応し、神様もそれに対してすべての主体的作用を起こします。どんなに素晴らしいことでしょう。それは何か、昔話とか伝説のような話ではなく、今日、私たちの生活圏内における、感情の世界と連結する本然の世界であるというのです。直接的に今日の私たちの生活環境と接することができるのです。愛は退化しません。千年万年も続いている父母の愛、先祖たちの愛の原則は変わってはならないのです。そして万物間の境界線も非常に厳格な(愛の原則がある)のです。このように厳格なので、決してダーウィンの言うような進化論は当てはまりません。ダーウィンは、宇宙の本質を見抜くことができなかった無知で異常なる人間であったと言わざるを得ません。主体と対象の出会いということは、本当に厳格なものなのです。 ダーウィンのような人は狂人なのです。彼によるなら、人間は昆虫とでも相対になることができるということになるのです。人間は人間とのみ相対を結ぶべきであって、人間と猿とでは結べません。もしそうなったならば、どのような子供が生まれるのでしょう。(笑い) このように厳格なものがいかにして関連しているというのか、ダーウィンの論理で説明されていません。 では人間が愛し合うことについて、今日の米国式の愛が本来の人間のもつべき理想的な愛でしょうか? 自分勝手に一夜の外出をして、自分勝手に愛するそのような愛なのですか。自分たちが勝手にすることのできる愛なのですか?(いいえ)。なぜいいえですか? 私たちの先祖を見ても、アダムとエバは何人もいたのですか? それとも一人でしたか? (一人ずつです)。絶対的に一人ずつです。今日のアメリカの男女のような愛ではなかったのです。 そこで私たち統一教会は、絶対なる基準に合わせていくのです。なぜそうしなければならないのでしょうか。なぜですか? 神様が一つの方向をもって創造されたので、アダムとエバも一つの方向をもって生まれたのであり、神様の願う方向に生きるべきであります。人間は生まれた時は小さく、成長するにつれてだんだんと大きくなっていきますが、人間の方向性は全然変わりません。例えば鼻は、小さい時も、大きくなってからも常に下を向いています。(笑い) 一つの方向しかないのです。二つの方向はありません。それはいいことですか? 悪いことですか? いくつもあったらいいのに、なぜ一つしかないのですか? それは真の愛をつくるためです。真の愛というのは三つの存在、神様とアダムとエバのいる所に存在します。だからその方向に向かって行かなければ、真の愛に出会うことはできないのです。 また、神様は二性性相の存在であり、その二性性相は立体的になっています。それに対して人間の二性性相(アダム・エバ)は横的になっています。(黒板を使いながら説明) それで、人間の男性と女性が出会う時に、そこに愛の火花が飛び交うのです。火花が飛び交う地点は真の愛の地点です。愛がスパークするのです。スパークすればアダム、エバばかりでなく神様も接触するようになるのです。そうするためにはどこに行かなければならないかといえば、この三点です。 電気のマイナスが生ずれば、プラスが必要であるということは考える必要もないのです。完全にマイナスになれば、プラスが訪ねてくるようになっているのです。宇宙はそのようになっています。それが自然です。なぜ女は男を探し求め、男は女を探し求めるかといえば、二人が合わされば(神の前に)プラスとして現れるようになっているからです。それで神様と火花を散らすのです。全宇宙が轟きをもって火花を散らすのです。(笑い) そのような時にすべてのものが完遂します。 皆さんが愛する時においてのみ、男性と女性の細胞は一〇〇パーセント作用するということを知らなければなりません。そのように愛し合う時に作用の力が働いて、愛を通じてその男性(父親)の細胞、女性(母親)の細胞を超越したあなたたちが生まれるのです。分かりますか。愛を通してすべてを得るのです。その細胞が眠っているとしたら選ぶことができますか。愛の力は闇も克服するし、死をも克服することができるのです。分かりましたね。 それでは、皆さんは夫を必要とし妻を必要としますか? どうですか? 結婚式を宇宙に発表するのはなぜかといえば、神様が臨在し、愛が訪れてくるようになるからです。何の話か分かりますか? それは(黒板を使いながら)プラスの要素とマイナスの要素との間に授受関係が結ばれるからです。天と地に通ずる男性の愛の心、女性の愛の心がこのような場において一つとなることによって、天と地が一つとなった愛の巣、夫婦生活の場となるのです。そこに神様が臨むようになります。このような愛を中心としてみるときに、女性は、宇宙とも、神様とも交換することのできない価値のある夫が横にいることを知らなければなりません。これだけは永遠に残るものなのです。それはなぜかというと、(男性は)神様の代身であるからです。何の話か分かるの? 男性も同じです。女性は神様の相対的な性相を受けたお母様の代身であり、換えることのできない価値があるのです。それが一つとなって(黒板を使用)本来はここから生命が生まれてくるのです。これが真の愛を中心とした本然のエデンの園の人であります。このようになった時、その子女は自分の子女ではなく、神様の子女となるのです。それが本来の子女なのです。これが原則です。 堕落とは何かというと、真の愛と反対の方向に行って、男性と女性がサタンを中心として出会ったのです。これまで地上には何十億という人間が生まれてきましたけれども、そのような創造本然の本質をもった子供はこれまで生まれて来たでしようか。誰もいません。誰も、そのような子供を生んだと言う者もいませんし、またそれを探そうともしませんでした。なぜこのことをはっきり知っておかなければならないかといえば、堕落した私たちの生命は神様と関係がないからです。ですから私たちは、本然の姿と反対の立場に来ている自分自身を発見しなければなりません。そして本然の世界に戻って行くためには、いかなる冒険をしてでもという決意をしなければならないのです。これをはっきり知らなければなりません。何の話か分かりますか。これは間違いのない事実です。この事実を正さなければ、永遠に神様との関係を結ぶことができないのです。これがはっきりしなければ、堕落人間にとって宗教が絶対に必要であるということと、今日メシヤが絶対に必要であることと、真の父母が絶対に必要であることが分からないのです。 今日、統一教会では真の父母という言葉を使っていますが、この真の父母という観念はどれほど偉大なことでしょうか。偽りの父母から生まれたので、真の父母が現れて再び新生しなければ、創造本然の世界に戻って行くことができないというのが結論です。そこで、メシヤの使命とは何かといえば、メシヤは新郎であるからプラスであり、マイナスとしての新婦を探さなければなりません。このような内容があるために宗教の中においても新郎を探し新婦の基盤を整えてきた宗教が、理想世界へと連結することができるという結論になります。 有史以来、人間として完全な真の新郎の立場で来られるのがメシヤであります。メシヤは真の愛を示すために来られるのですから、真の新郎という概念が宗教にあれば、その宗教がこれから神様のみ旨を成就することができ、世界を一つにすることができるということは理論的です。 それでは、メシヤが新郎でメシヤの相対は新婦ですが、メシヤが来られる時、相対的立場であるイスラエルの国だとか、数多くの宗教者たちはどのようになるかといえば、地上の国家的次元においてマイナスの立場が完成されれば、主体(プラス)となる新郎が現れるのです。 ユダヤ教を立てて、イスラエルの国を導き、国家的次元において新郎のための基盤をつくることがユダヤ教の歴史であったのです。ですから、旧約世界においては神のみ言のみを信じなさいと言うのです。新郎のためには生命までもすべて捧げなさい、あなたたちは零となりなさいと教えてきたのです。そしてイスラエル民族とユダヤ教は一つとなって新郎を迎えるべきでした。しかし、イエス様は来られた時に「あなたが探していた新郎として私が現れました。私を新郎として迎え入れなければなりません」と言えますか。それは言えません。なぜかというと、愛の起源は堕落した世界の新婦につながっているのではなく、ただ新郎のみに真の愛の線でつながれているので、真の愛のつながりをもとうとすれば、新郎は新婦の復帰のために最低の所に行って、公認されなければなりません。 それでは、新婦はメシヤが現れた時、どのようにすべきでしょうか。新婦はメシヤに対して、自分の生命、その他すべてのものよりも貴く思い、犠牲になっても不平を言うことなく、イエス様が自由にみ旨ができるような立場に立たせなければならないのです。サタン側に立ってはいけないのです。新婦に対して「私に従って来なさい」と言ったらそれに従い、ある人の家に行って、「あれをしなさい、これをしなさい」と試練しても、不平を言わずに従うことによって個人路程を通過することができるのです。そして個人から家庭、氏族、民族、国家路程を通過して、すべての試験をパスしてこそ初めて世のすべての伝統と神の国の伝統を受け継いだことになり、国家基準にまで上がって、相対となることのできる特権を与えられ、相対的な特権の時代に入っていくのです。そして次に、世界的な基準にまで引き上がっていくためには、すべてのイスラエル民族がメシヤに順応し、学ばなければなりません。「私は私なりにやりますから、あなたはあなたなりにやってください」と言ったらいけないのです。そうすることはできません。どうですか。その話は正しいですか、間違っていますか?(正しいです)。 イスラエルという国とユダヤ教が新婦の代表として立ったならば、彼を中心にすべてのイスラエルは七年であろうが何年であろうが、その道に従い学ばなければならないのです。自分を主張して「私は知りません」と言う時には、誰であろうとサタン圏内に入ってしまうのです。サタンは、これは私のものであると言うのです。それは正しい話ですか、間違った話ですか? 誰か国境を好きな人がいますか? (いません)。大きな国であっても、小さな国であっても、国境を好きな人はいません。しかし現実は仕方がないのですね。 では、新郎の国と新婦の国とが異なっているとしましょう。新郎の国の法律と新婦の国の法律とが違うときは、新郎の国の法律を学ばなければなりません。それと同じように、新郎たるメシヤが来られる天の世界においては、その法律は極めて厳格に守られなければならないのです。今、黒板に書きましたが、これが新郎の国であり、こちらが新婦の国であり、そこに国境線があります。そしてこの国境線を通してお互いが出会うのです。これはちょうどワシントン・D・Cのようなものです。はっきりとした国境線がまっすぐに出来ています。(笑い) その国境線を越えて来る人に対して、「あなた方は自分の国でやっていたように、自分の好きなように振る舞ってもいいのです」と言うでしょうか。そうは言えません。またこちらから境界線を越えて向こう側に行く場合にも、自分の国でやっていたとおりにして、相手の国の法律を守らないで勝手にすることはできません。ワシントン・D・Cという場所についても、そこにはそれなりの法律があるわけで、その法律を守っていかなければなりません。 それと同じように、イエス様も天の国から来られたお方ですから、新婦としてのイスラエル民族を天の国に入るに相応しいように教育しようとなされたのです。しかしイスラエル民族はサタンに支配されていたため、“我々はもうここまで来たのだから、これ以上厳格な法律を守らなくても、ここらで妥協すればいいじゃないか”と思ったかもしれません。しかし神様は「神の法律は厳格に守らなければならない」と言って、決して妥協はしませんでした。「もうここまで来たのだから、もう一歩、もうしばらく我慢してでも天の国に入って法律を守れるように、そういう訓練と準備をしなさい」と神様は言ったことでしょう。 それで真の愛を経た真の父母の愛の圏を通過しなかった新婦であるイスラエル民族とイスラエルの国は、新婦自体としては生むことができないので、新郎を探し求めて一つとならなければなりませんでした。探し求めていって、真の愛を基にして一つとなったという決定を受けなければなりません。そして新郎と一つになり、再びサタンの支配しているイスラエルに戻っていき、サタン世界を完全に復帰してから、また新郎であるメシヤのところへ帰って来なければならないのです。自分の国へ行って復帰するということは、民族の宗教や教会を完全に一体化させて、一つにして、そして再び新郎であるメシヤにつなげるようにするということなのです。なぜそうしなければならないかというと、神様を中心とした真の愛はアダムとしてのメシヤを通してのみ表れるからです。 したがって、真の愛が新郎を通して新婦に完全に接ぎ木されたならば、今度は国家と宗教と教会をすべてメシヤに接ぎ木しなければならないのです。(黒板で説明) メシヤが来たならば、新婦がここに来て接ぎ木され、一つとなったという公認を受けてから、教会と国を一つにして、初めて真なる愛が連結された一つの国の圏をつくることができるのです。 これがなぜそれほど重要であるかといえば、本来の愛というものは生まれる時、父親の方が種であって、母親を通して生まれてくるのです。父親は種で、母親が畑です。真なる愛を中心として、そのような過程を経て生まれるのが本然の状態なのです。しかし、そのような状態で生まれることができなかったので、接ぎ木されなければならないのです。愛する条件を中心として接ぎ木されるためには、新婦となって、愛に絶対服従しなければなりません。この世で愛する以上の愛をもってメシヤに対さなければ、父との因縁を結ぶことができません。これが原則です。父親との因縁を結ぶことができないのです。それでイエス様は、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイによる福音書第一〇章三七節)と言われたのです。 またイエス様は、あなたたちの家族は怨讐であるとも言われました。妻が夫よりもイエス様を愛するので夫は反対し、夫が妻よりもイエス様を愛するので妻が反対し、自分の両親よりもイエス様を愛するので父母が反対したのです。そしてまた、イエス様がメシヤであるかどうか、どうしても分かりませんでした。同じ男でもぼさぼさ頭の独り者なのです。そして大工の息子が何でメシヤなのかと思ったのです。妻が、人が変わったように早朝に出掛けたり、夜遅く帰って来たりすることに対して、なぜそのようなことをしなければならないかと思ったのです。 イスラエルの教会も、イスラエルの宗教も、ユダヤ教もすべてが父としてのメシヤの中に入っている種子のような立場に入らなければならないのです。愛をもって入らなければならないのです。サタン世界で愛することのできた条件よりも、もっと愛することのできる条件をもって入らなければならないのです。堕落によるサタン世界の愛の(黒板を使う)それ以上に昇ることによって、神の直接主管圏内に入って行くのです。より愛することのできる愛のみが、メシヤと一つとなることのできる道であり、これ以外にはないのです。訪ね求めて一体化したという条件は、愛でのみ果たすことができるので、メシヤを愛することによって、父の中にある、堕落しないで生まれることのできる種子の立場を経たという条件を立てることができるのです。 そのようにしてメシヤの相対の立場に立って、お互いが人類を代表して愛しながら生きる基盤をつくることによって生まれてくることができるのです。もちろん、生まれ変わるためには母親がいなくてはなりません。新婦を通して母親に……。 それは七年かかります。七年で果たせなければ二十一年かかります。イエス様を中心とした摂理は失敗してしまったので、イエス様が成せなかったことを統一教会が世界的な次元で果たすのです。統一教会において、先生を中心としてそのようなことが始まるのです。統一教会に入会したすべての男性も女性も、妻や家や子供を全部捨てて先生に侍ってきたのです。これは女だけでなく男もそうでした。 父の中の種のようになって、母親を通して、七年過程を経なければなりません。皆さんは知らないでしょうが、先生の子女たちを中心に統一教会を一つにして『再生式』を行いました。先生の子女が一人生まれ、二人生まれ、三人生まれるそのたびに、世界的な舞台へと拡大させて、再び生まれた(新生)という条件を立てるのです。すべてを拡大し、環境的に拡大させていくのです。分かりますか。私の家庭から三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭と世界的な家庭と連結させなければならないのです。先生と先生の子女たちと韓国の統一教会を中心として、これらのことを果たしてきたのです。先生はこのような役事をしてからアメリカに来たのです。 世界的な運勢をすべて率いて、キリスト教を探すためにアメリカに来ました。また、韓国において樹立したすべての霊的基盤をもって、アメリカにキリスト教を中心として、実体的国家基準に連結しようとしてきました。そして実体的な国家基準に連結したのが、昨年の韓国での大会であります。興進様がすべての蕩減条件を背負って行かれたので、歴史的な蕩減が始まるのです。それで霊界をすべて統一し、天使長の息子、娘の立場にある地上のサタン世界に対しても霊界から統一圏をなして、今日連結されているのです。そうするために、父母がそのように抱き愛したという条件を立てたのです。先生が『愛勝日』を定めたわけは、興進様が霊界を中心として霊界の地獄撤廃運動に勝利したからです。そこで先生は地上界の地獄を撤廃するのです。私が監獄に行くとしても、監獄を監獄とは思いません。分かりますか? 興進様が霊界に行かれることによって地獄の門が開放されたのです。サタンは法廷闘争を通じて統一教会を引っ張り出そうとしたのですが、先生は地獄を解放するために監獄に入っていくのです。それ自体も天国の延長として見ています。そのような条件の下で、父母の愛を中心として神様とサタンの前に“間違いありません”という轄を打ったのが『愛天日』です。愛天日とは、神様の愛を中心として主管することのできる時代へと越えていくということです。地上の地獄を撤廃したので、監獄までも撤廃することができるのです。(拍手) このような意味において、皆さんの『一情会』祈祷会をつくりました。一情会とはどういう意味かといえば、今話したとおり、心情圏を連結することのできる世界的時代へと入ったので、いかなるものよりも父母を中心に、愛する心情をもって一つとなるための運動であり、宣誓する時間が一情祈祷会であり、それが一情会運動の意味であり内容なのです。そのようにして、すべての人々が精誠を尽くし、神様と父母様と一つになるための運動なのです。分かりましたか。このような舞台が(黒板を使う)世界的に天と地に延長されるのです。それは愛のみが可能です。イエス様が十字架を越えていくのと同じように越えていくのです。分かりますか。先生には死とか三日路程とかはないのです。(拍手) 先生は誰よりも愛する心をもって、お母様のお腹を通して三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、八〇〇〇家庭を経て、個人から世界の頂上にまで来たので、一情会という精神を通してこのような条件を立てることによって、ここに神様が主管することのできる『愛天日』を設定することができたのです。分かりましたか。 先生を通して、三十六家庭とか七十二家庭が生まれました。皆さんもその過程を通して今は先生と共に世界的な家庭に生まれたのです。サタンと闘って、サタンを全部分別して勝利してきたので、皆さんも同じなのです。先生を中心として、先生が歩んできたその歩みを通して世界的頂上にまで来たのです。皆さんが八〇〇〇双であれば、一八〇〇双、七七七双、四三〇双すべてが皆さんの先祖であります。家庭の木に生まれた一つの新しい枝として、世界的な形態をもった統一教会の一本の木のようになるのです。分かりますか。 我々はこの家庭の木のそれぞれの枝です。この枝が全部集まって一つの大きな家庭をつくっていくのです。我々は自分を個人として見るのではありません。個人は天国においては存在しません。天国における単位は家庭です。だからその家庭という幹から出発し、そして大きな木となっていくのです。我々はどの枝に属しているのかを知らなければなりません。我々は今完全になろうとする途中であります。過程であります。今が最も良い時です。今は皆さんが一つになって、それぞれが使命を果たすために共に働くことができます。今まで、三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭のすべての家庭が先生と一つとなっていなければならなかったのに、一つとなることができず多くの問題が起こったのです。皆さんは“祝福家庭も大したことはないな”と思っているでしょう。皆さんは今回の六〇〇〇双とか、二〇〇〇双とか、八〇〇〇双はその上に一八〇〇双、七七七双、四三〇双があるということを考えていないからです。皆が離れているのです。一つの木のように考えていないのです。そのため一つになることができなかったのですが、先生の今度の事件を中心として、これが一つの契機となったのです。この事件を通じて、三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、八〇〇〇家庭が責任を果たし、一つになることができる良いチャンスです。分かりますか。私たちは多くの過ちを犯しました。多くを誤ったのです。一つになっていなかったのです。ですから一つになることができるのが今なのです。先生が監獄に行くということを条件として、皆さんが蕩減条件を立てることによって、一つとなることのできる良いチャンスなのです。分かりますか。そのために全員で祈るのです。 もし皆さん一人一人が、これから刑務所に行って先生の三倍も長く服役しなければならないとしても、“私は行きます”と言える心情になっていますか。神様の愛が逆に皆さんの家庭を通して、八〇〇〇家庭、一八〇〇家庭、七七七家庭、四三〇家庭と、このように逆に父母のところに通じる道が全部開かれているのです。それは父母からこのように出て行く道に通じ、一情会を通して統一的心情圏が始まったのです。 このような基盤が立った今、神様が主管されるのです。そして愛が主管するという轄を打ったのです。それが『愛天日』です。神様を中心として、神様の愛と父母様の愛を中心として完全に一つとなった後には、サタンも支配することはできないのです。神様のみが主管することのできる時代へと越えていくのです。それで愛天日を定めたのです。分かりましたか。 アダムとエバは長成期完成級で堕落しました。(黒板を使って説明)それゆえ、完成期に達するまで七年過程で行けるようになっていたのに、キリスト教が反対したので四十年過程を経て復帰してこなければならなかったのです。七年過程はサタン主管圏内となってしまいました。堕落によって、原理結果主管圏が全部サタン圏内に入っていったのです。そこで誰がこの過程を復帰するかといえば、もしキリスト教が受け入れたとしたら一挙にできたはずでした。しかし、三次七年路程を中心として四十年かかって復帰しなければなりませんでした。 今は国家を代表し、世界を代表し、父母様の家庭を中心として、世界的蕩減条件が果たされ、世界的な版図が作られました。今や、統一教会の信者たちは全世界に広がっていても、心情圏はこの基準で全部一つとなっているのです。今まで神様の直接主管圏と、地上の間接主管圏が分かれていたのですが、このようにして完全に神様の愛の圏内において統治される時代へと越えてきました。世界的な基盤の上で、直接主管圏と間接主管圏が真の父母によって完全に連結されたのです。 今度のこの事件によって、先生が十字架を背負うのですが、これを機として、一つとなることができなかった皆さんが全部連合され、統一教会とキリスト教が連合されるのです。キリスト教が連合されれば、アメリカも連合するという条件が立つのです。このようにして世界へ行く道を開くための驚くべき時代が、今度の法廷闘争として現れたのです。これからは私たちが団結して、団結して進む時、国も回るし、アメリカの国民(自由世界の国民)も、回るようになります。私たちが一つとなって進んでいく時、世界が完全に回り、回転するのです。何の話か分かりますか?(はい)。 したがって今度の期間は、統一教会が新たに復興することのできる期間であり、新生することのできる期間であります。お互いが悔い改めて、心情的に連合して再出発する時期であるために、先生をはじめとしてすべての家庭と統一教会全体が一つに固く結ばれて、すべてこのことにおいて私たちの前には敵対する者はいないという『愛天日』を定めたのであります。これから神様の愛が支配するという信念をもって行くのです。 それが一つのエデンの園の原理なのです。一つの愛がそうなるのです。真の父母の愛の圏を世界的舞台へ連結したので、サタンが支配することはできないのです。もし支配した時には自分たちが何十倍、何百倍の損害を支払わなければなりません。完全に一つとなって、先生が指し示すことを完全に信じていく時、すべてが解かれていくのです。何の話か分かりますか。強く雄々しくあれ! その日時も不思議です。六月はサタンの六数であり、十八日というのは三掛ける六で六数の三倍です。数字もちょうどそのとおりになっています。サタンのすべての要求を清算するのです。すべて清算するのです。しかし先生はそのために自分が監獄に行くとは思いません。地獄解放に行くのだと思います。その世界に父母の愛を分け与えるためにい行くのです。分かりますか。 今や潮の流れが変わりつつあります。これまでアベルの位置にいるものが犠牲となりましたが、これから変わっていくのです。蕩減させるのです。そのような自信をもたなければなりません。分かりましたか。 本然のエデンは真の愛の原則を中心とした世界でしたが、今日、現実世界においてはすべてが欺かれている事実を知らなければなりません。統一教会が誤り、アメリカが誤り、共産主義者たちが誤ったことのすべてを、この期間に本然の世界における真の愛の状態と形態を立てて越えていくのだということを知らなければなりません。 一年六カ月の三倍は何カ月になりますか? 五十四カ月ですね。三年半です。私たちがこれから四年半だけ推し進めていけば、世界は完全に変わります。一九八八年までです。これは韓国の解放後の四十三年目に当たります。 イスラエル民族も四三〇年かかってエジプトを出てきたのです。今や世界的なエジプトを出発する新しい時代が訪れました。三年後です。それでこの闘いを糾合しようとするのです。我々統一教会においてはアメリカ人も、ドイツ人も、黒人も、白人も皆一つであります。完全に一つなのです。真なる愛を中心として世界人が一つになるのです。一九八八年、アメリカの次の大統領の時代になると、統一教会は世界的になります。間違いなく世界的になります。そのころになると、多くの国々に先生を迎え入れようとする運動が始まります。多くの国々で先生を連れて行こうとする競争が始まるでしょう。分かりますか。一九八八年を越えれば私たちの願う国が成されるのです。(拍手、歓声) このことを理解して、皆さんも熱心に頑張ってください。なぜこのような話をするかといえば、真の愛、真なる愛がなければならないからです。先生には敵がありません。先生は敵を抱きかかえて、敵が先生を愛するようになるまで放しません。(笑い) 何の話か分かりますか?(はい)。サタンは人間を支配する権利がないことを知っています。それで私とは何かというと、父母様から生まれ、三十六家庭を通して生まれ、七十二家庭を通して生まれ、一二四家庭を通して生まれ、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、八〇〇〇家庭を通して私が生まれたのだということを知らなければなりません。今や、世界的な頂上において生まれたのですから、私たちには敵がありません。サタンは私たちに屈服し、後退するしかありません。 先日、愛天のローソクを受けた家庭は手を挙げなさい。これは、夫と妻が完全に一つとなった基準で受けるのです。相対者と真の父母と神様と一つとなった基準であります。この夫が永遠なる夫であり、この妻が永遠なる妻であると思う人でなければローソクを受けることはできません。それを知らなければなりません。はっきり知らなければなりません。何の話か分かりますか。このローソクを持っている家庭は一つの道しか行くことができません。愛の道一つしかないのです。 先生は真の愛をもって神様について行くようになっているし、皆さんは真の愛をもって真の父母と神様に従って行くようになっているのです。それが先生と皆さんの異なる点です。だから先生の話を絶対視して歩まなければなりません。異議はありませんね。だから過去のすべてをきれいに整理するのです。 今、この世のために先生と皆さんが十字架を背負う時代に入ったのです。イエス様が十字架を負って引かれいく時、「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい」(ルカによる福音書第二三章二八節)と言いましたが、今はそれと同じです。私はあなたたちの代わりに蕩減条件を払うから私のために心配するのではなく、あなたたちは完全に一つにならなければなりません。完全に一つとなることが重要です。そうなればすべてが解決すると思います。 そのような統一的雰囲気は、すべてのものを溶かします。原理の見解は本然の見解であり、真の愛、神と父母の愛がすべてを支配します。その世界にはサタンはいません。先生について来ますか?(はい!)。サタンはそこにはいません。すなわち、反する者はそこに存在しないのです。すべてのものは真の愛の中心に敬礼します。たとえサタンの力がどんなに強くとも、そこでは活動できないということです。したがって愛天日を中心とした愛天のローソクを中心として、統一心情圏と完全に一つとなりなさい。そうすればすべてが整理されるのです。それゆえ、先日三年をかけて、ありったけの力を尽くして先生の監獄生活以上に決意して行こうとみんなで決意しましたが、きょうまた「決意しなさい」と言ったら、再び決意しますか。そこに連合し、一つになるように、神様までもこの場に臨まれるように誓ってください。そしてこれからは神様の世であることを宣誓してくれることを願います。分かりましたか?(はい)。皆さん、宣誓しますか。(はい)。誓う人は手を挙げてください。神様もやはりここに同参されるのです。では祈りましょう。そのような内容のお祈りを致しましょう。 祈祷 愛するお父様! 歴史的に息詰まるほどの最後の峠を越えるこの時代の上に、お父様が祝福してください。今、愛勝日を定めた後に愛天日を定め、一情会を定め、心情的統一圏を立てて統一教会と、韓国と、アメリカと、全世界が誤ったことを今度のこの期間を通して悔い改め、このような悲報を聞くこの瞬間から、すべての統一教会の信者は身悶えしながら、父母様のためならいかなることでも成すことを決意し、深い底から完全に心情を一つにすることのできる良い時を迎えたことを、この期間にすべてをお父様の前に全宇宙の前に重ねて発表いたします。愛天日が生まれ、一情会が生まれたので、先日の集まりの中で、すべてをお父様とお母様と子女たちを中心として、祝福家庭と統一教会全体が宣誓いたしました。もし失敗があるとしても、その失敗は神様と父母様には及ばないと宣誓いたしました。きょうは、統一教会全体と世界全体をかけて宣誓すると同時に、神様までも宣誓する瞬間ですので、手を挙げてこれから愛天日を中心とした天上世界と地上世界に、神様の名で私が主管する世界であることを宣布しますのでお受けくださることを切にお願い申し上げます。こうすることによって、統一家族が行き、統一教会が行くすべての世界に万事が一致するように……。直接指導することのできる時代となってきますので、悪の版図を退け、善の版図が朝の太陽のように高く輝くことのできる時代へと越えて行くように……。万万歳の恵みと愛のみ手が共にあらんことを願いながら、真の父母のみ名を通してお祈り致します。アーメン、アーメン、アーメン。---------- ---------- 皆さんは信じて行かなければなりません。すべてが解決されることを信じるのです。皆さんは本然の愛の世界の人であるというのです。皆さん方すべての家庭が本然のアダムであり、エバです。神様と共に生きています。すべての世界は私の足の下にあるのです。だから堕落以前のアダムとエバが創造本然の世界を見たように、皆さん方もこの世界を見なければなりません。そのために先生は今朝このような話をしたのです。皆さんはこれから不平を言ってはなりません。先生は興進様が亡くなる時、涙を流さなかったのです。死ぬ直前に天と地を統一させる統一式を行ったのです。そのような問題を中心として、一歩前進したのであって後退していません。 今度の事件をこの世的に見れば、葬式を出す家のように悲しみに満ちた事件でしょうが、先生の場合は一つも悲しまないのです。一歩前進し、一情会を設定し、愛天日を設定したという驚くべき事実があります。これは困難なことを前進的な基盤に消化させ、それを活用するのです。それが先生の思想なのです。そしてまた、今までそのように歩んでまいりました。分かりますか。 私が興南にいた時、神と霊界と先生が合わさって、監獄の教会と監獄の食口をつくったのと同じように、今回も同じことであると思います。監獄の食口とすべての世界が統一教会の先生の後につくと思うのです。地上の地獄が従うと見るのです。このような条件を立てたので、監獄生活をする必要がない時代が来るのです。なぜかといえば、サタンが蕩減条件を提示する何もないからです。すべての境界線を越えた基準をつくったのです。先生がもし監獄に入るならば、アメリカが騒ぐでしょうし、全世界が騒ぐでしょう。命令すれば何でもできるのです。何の話か分かりますか。 皆さんは自信がありますか?(はい!)。これから先生の旗の下で世界的に動くようになるのです。アメリカも収拾することができないし、共産主義も収拾することができません。ただレバレンド・ムーンのみが収拾することができるのです。では皆さん、先生が監獄に行けば皆さんも監獄に行きたいですか?(はい)。その心があれば何でもできます。だからこれからこのような決心をもって前進しなければなりません。そして神の、天の権威を失わず、天の子女の信義をもって前進すべきです。そういうことができますか?(はい!)。 神が共にあらんことを。アーメン。(拍手、歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.21
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[21.11.21] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2021/11/21 09:40から公開予定予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.20
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「Re[16]:シムソン氏の「お笑い芸人」-- 偽バトン引き継ぐサンク | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」から:1984年5月はといえば、お父様のダンベリー収監が決定されたときでもあり「愛天日」宣布の時に「愛天燭」を父母様が作られ伝授された。また、一情祈祷会と一情基金もこの時からだった。以下は「愛天燭」伝授のときのお父様の祈祷: 「愛天燭」は祝福家庭のみが灯すことができる特別なろうそくであった。「愛天日」1984年5月20日ベルベディアにて 『愛天日』とは愛を中心として神がすべてを主管する日です。今まで神様は、愛を中心としてこの世を主管することができなかったのです。私たちは愛によって堕落したということを原理を通して学びました。だから愛というのが宇宙の中心であり、また宇宙の中心である神様が相対となるように創った被造世界も、愛の理想を母体としたものです。もし堕落ということがなかったならば、神様が愛を中心としてすべてを主管するようになっていたのです。したがって愛の因縁の中で、神様が愛を中心として、愛のために創った被造世界ですから、その愛が完成する日には、すべてが完成されたのです。 皆さんが創造の段階を見ても分かるように、鉱物世界、植物世界、動物世界へとすべての万物世界が創られているのです。自然と言えば、それは鉱物、植物、動物世界、または天と地、宇宙全体のことです。ではこの宇宙、自然とは何かと言うと、愛で連結されている一つの博物館であり、一つの教科書なのです。そこには昆虫のような生命の短いものだとか、一年間あるいは、数年間生きて死ぬものなどがあります。このような動物世界、昆虫世界、生物世界にも言葉があり歌があります。私たちには分からないが、彼らには言葉があるのです。(笑い) 男子はワンワンと言い、女子はエンエンと言うのですが、そこには調和がありますね。つまり、男子は全体に影響を及ぼし主管する立場であり、女子は一つの目標を指向するそういう面があります。また、肉体においても男子が大きいのは、影響を及ぼすことができるためです。そのために男子は肩幅が広いのです。女子は地を表します。だから地に向かって定着することができるために女子は大きなお尻をしているのです。こういったことから考えてみるとき、どちらが主体でどちらが対象かと言えば、大きいものが主体となっており、小さいものが相対となる論理を否定することはできません。また皮膚を見ても男子はでこぼこで筋肉的ですが、女子の皮膚はすべすべしています。女子はでこぼこではいけませんし、男子が顔を滑らかにするためにいくらクリームを塗っても、ひげが生えてきますからとても滑らかにはなりません。 このようにすべてが相対的なのです。一方が上がったら一方は下がり、一方がでこぼこであれば一方は丸味を帯びているのです。すべてが相対的です。男子と女子の主体対象の観念を中心としてそうなっているのです。また鉱物世界においても、私たち人間には見ることができないが、鉱物自体は自分の相対をみな知るようになっているのです。では鉱物世界においても歌があるでしょうか? ないでしょうか? (はい、あります)。 今日の科学者は宇宙がエネルギーから出来ていると言いますけれど、エネルギーが最初ですか? アクションが最初ですか? (アクションです)。どうしてアクションですか? 鶏が先ですか? 卵が先ですか? (笑い) 今日このような問題に対して、哲学的見解において意識が先か存在が先かということで、民主世界と共産世界、唯心世界と唯物世界に分かれるのです。意識というその存在も必ず作用を通じた相対的関係なくしては成り立ちません。意識というその存在は必ずある作用を経て、意識という力の存在を構成することができるのです。このように見るとき、エネルギーからなっているこの世界は、ある力から出発しているのです。電気的なエネルギーはその一つの例ですけれども、その力は何らかの行動がなければ結果をもたらすことはできません。その主体と対象の間において授受する作用からなっているからです。 それではエネルギーが先か、アクションが先か我々は決めなければなりません。どうでしょうか? (アクションです)。先生はエネルギーが先に来ると思いますよ。(アクションです)。(先生、笑われる) ではそれをいかにして知ることができますか? 例えば電気の場合、プラスとマイナスの作用によって電気が発生しますか? その作用がなくても電気が発生しますか? 雷と稲光がする時に力が出来ますね。電気の作用が続けて維持されることによって、電気の力となるのです。それではどちらが先ですか? エネルギーが先ですか? アクションが先ですか? (アクションです)。これは多分ですか? ねばならないですか? べきであるですか? どうですか? (もちろんです)。アクションだけをやっているとすれば、それは狂人です。アクションはただやるのですか? (いいえ)。アクションがあるとしたら、アクションよりも先に何かがなければなりません。アクションが先か、それともアクションの前にある何かが先かということを考えてみるとき、アクションというのは独りでに成されるというのではありません。主体と対象の関係が成立しないときには、アクションというそのような作用、アクションという言葉は成立しないのです。 「レバレンド・ムーン、その主張は間違っています。アクションと言えばただアクションであって、アクションより先に何かがあるというよりも、アクションがある先にもアクションなのであって、アクションがある前に主体と対象というものはありません!」と、共産主義者はこの点を一番恐ろしく思っているのです。主体、対象の概念をもち出せば、唯物思想や進化論はみな壊れてしまうからです。彼らの弁証法的闘争によって作用が起こり、闘争によって発展がなされるという論理が根本的に崩れてしまうのです。堕落した結果、歴史過程においては適応するが、自然の世界には適応しないのです。ですからより発展するためには、主体と対象が作用しなくてはなりません。すべてがより価値あるものに向かって相対的関係をもとうとしています。ですから宇宙は連続的段階の因縁をもつようになっているのです。 では皆さん、すべての鉱物世界やすべての動物世界はこのような相対的関係の作用を行って、いったい何を成そうとしているのでしょうか? 答えはより大きなものに接するためです。それはその場だけで大きいのではなく、宇宙と連結されたものであり、全体と連結することのできるものです。これはこの宇宙を連結させる回路のようなものです。すべてがこの宇宙の至る所に共通して通ずることのできるものです。それは極めて小さくても、その回路と連結すれば極めて大きくなることができる、何かがなければならないのです。それが一度に動きだす時に、最小から最大のものまでが振動するようなもので、宇宙の一つの片隅から何らかの喜びが起こったときに、それが振動して宇宙全体にこだまとなって広がるようなものです。それはどれほど良いでしょうか。 このように見ていくと、宇宙の中には一つの核を中心として、すべてにプラスとマイナスがあって、小さなプラスとマイナスが一つとなって、より大きなプラスとマイナスと一つとなり、その大きなプラスとマイナスの形態で連結されたものが一つの宇宙なのです。例えばここに中心のプラスの大きなものがあれば(黒板を使いながら説明)、中間にはまた中間のプラスとマイナスがあり、これが一つとなって連結されるのです。そのすべては中心のプラスに到達しなければなりません。そのような作用が何かと言うと、一つのユニバーサルな電気的力、エレクトリックパワーと言ってもいいものです。それは知識の力ですか? (いいえ)。お金の力ですか? (いいえ)。権威ですか? (いいえ)。では、このように宇宙が喜んで笑えるようなエレクトリックパワーのようなものは何でしょうか? (愛です)。ロブスターですか。ラブですか。愛はまっすぐな愛ですか。それとも波のような愛ですか。リズムをもったサインカーブのようなウエーブがどうしてあるかと言えば、そうすることによって味があり、刺激があるからです。まっすぐな愛は一度過ぎてしまえば刺激を感じません。そこにリズムがあり、動きがあるときに全体が喜び興奮し、刺激を感じます。そのためにこのような愛の理想によって、すべての世界がリズムと動きのような概念からなっているのです。高低が和合し、長短が和合しなければならないし、すべてが相対的に連結し得るという概念を見いだすことができます。 例えば人の顔を見てみますと、鼻は高く、目は引っ込んでいます。どうしてこのようになっているのでしょうか。平面的であれば顔を洗うにも、ひげを剃るにも簡単でしょう。(笑い) 人間は相対を愛して喜ぶため、いろんな形を授受し得る万物像として創られたのです。ですから、宇宙には一人という概念はあり得ないのです。本来の宇宙、世界において、私という概念をなくしてしまいなさい。これ(私)が怨讐なのです。私という概念は堕落の贈り物なのです。つまり私たちという場合、神に属し本然に属するのですが、私というのは破壊であり、私一人というのはあり得ないのです。男子がいくら立派だとしても、一人でいれば滅びてしまうのです。相対がいなければ滅びてしまいます。また女性もいくら美人だとしても、一人では滅びてしまうのです。気持ちがいいですか。なぜ男子が生まれたかと言えば、自分のために生まれたのではなく相対のためです。女子は女子のために生まれたのでなく男子のためです。存在の起源は自分を中心として出発したのではなく、相対を中心として出発しているのです。 皆さんは、男であるとか、女であるということがどうして分かりますか? 男も女も目は二つだし、鼻は一つだし、口は一つです。そういう意味では、同じようなものです。同じものをもっています。しかし肉体において、一つだけ男性と女性が違うものがあります。その器官、その特別の部分が女性を女性とし、男性を男性とする最も貴重なものです。それゆえに女は女であり、男は男であり得るのです。それは女にとって最も大切な所です。その場所の特別の機能というものは何でしょうか。その機能の目的は何ですか? それは愛を連結させてくれる、主要な愛のパイプラインのようなものです。 愛を中心として神様が目を大きく開けて、訪ねて行くことのできる愛の至聖所はどこでしょうか。 至聖所はどこですか? それが分からないとしたら小学校にも入れないですよ。(笑い) さあどこですか? 愛の主人である神様が見る至聖所はどこですか? あなたたちの目ですか? 口ですか? 手ですか? どこですか? 探してみなさい。どこですか? (ある人が「パイプライン」と答える)(皆笑い) そうです。そうですよ。笑いごとではありません。笑い話ではありません。女性であっても、男性であっても一生離れては生きられないのです。(笑い) では神様は愛の主人としていつ訪ねて来るのでしょうか? 女性だけいる時だけでしょうか? 男性だけいる時だけでしょうか? (二人でいる時です)。この原則において、プラスとマイナスが更に大きくなることのできる最高の場所が、この世の被造世界と神様と関係をもつことができるのです。神様がその場所に訪ねて来るということは間違いありません。抽象的に見てもそのような結論が出ます。 では、被造世界において誰が一番多くプラスとマイナスの場を占めているのでしょうか? 猿ですか? 鶏ですか? 犬ですか? 鳥ですか? それともキリギリスですか? (人間です)。被造世界においてアンテナが高ければ高いほど、プラスに近づくことができるのです。では被造世界の中で最も高いアンテナは何でしょうか。それは木ですか? そうではありません。最も敏感で、最も高いアンテナは人間です。天と地を通じ、最も高く、またそれ自体が四方へと動くことのできる代表者は人間以外にはおりません。皆さんはどちらが高いと思いますか。人間ですか? 木ですか? (人間です)。人の心はどれほど高いですか。神様も心の果てまで訪ねて行こうとされるのです。しかし神様は、女性だけを訪ねて来ることはできません。女性と男性が一つとなって、それが一つの形態を成したその所に神様は訪ねて来られるのです。 男と女はこのようについて歩くでしょう。だから風が吹いても離れることはできません。風が吹けば吹くほどに良いと言うのです。理論的に適っていますか? それとも想像しているようですか? (理論的です)。理論的ですね。先生の原理講義は面白いでしょう。(はい)。人間は男であっても女であっても各々聖所をもっていますか? (はい)。その聖所をお金で買うことができますか? (いいえ)。堕落したこの世の人たちであっても、「愛は何よりも貴く、天と地を与えたとしても換えることができない」と言うのです。なぜですか? それは聖所であるからです。聖所とは何かと言えば、天とこの宇宙の中心と完全に統一され、一つとなり、理想とすべてを所有することのできる持権があるのです。 では生命と愛とどちらが貴いですか? それは人類歴史において今日まで整理されていないので、分かりませんでした。(愛です)。どうしてですか? 男性の生命であっても、女性の生命であっても、聖所に代わることはできません。生命は聖所と連結されていないのです。愛のみが聖所と連結するために、愛が生命よりも貴いのです。愛の前にはすべてが屈服します。なぜか? それは永遠なる中心であるからです。聖所にすべてが連結されるのであり、すべてを所有することのできる特権が聖所にあり、聖所のみが全体を代表し、全体を所有することができ、すべてを決定することのできる権限があるのです。 人間は何のために生きるのでしょうか? 御飯を食べるために生きるのですか? 生きるために生きるのですか? このような問題を考えてみるとき、御飯を食べるために生きるのでもなく、生きるために生きるのでもなく、愛のために生きるのです。そうですか? (はい)。この結論こそが最も良い結論です。これがナンバー・ワンの結論です。神様はそのように創造されましたし、そのように言われます。皆さん、異議がありますか? (ありません)。 私たちは今朝、最も基本的な多くの問題に対して答えを与えているのです。愛のためにこそ、私たちは生命をも投げ出すのです。夫は妻を守り、妻は夫を守り、生命を懸けてお互いを守ります。愛のために生命をも犠牲にするのです。だから聖なるという言葉は愛に結び付いています。愛のみが聖なるものを作り出すのです。例えば、純粋に自己犠牲的に自分の妻を愛することができる夫こそは聖なる夫であり、自分の親のために生命を犠牲にするようなそういう子供は、聖子であり、孝子と言います。また自分の国を愛するゆえに、自分の生命を犠牲にする人は、聖なる愛国者であると言われます。そしてまた、全人類のために生命を捧げる人を私たちは聖人と呼ぶのです。そして自分のすべての生涯を神のために捧げる覚悟のある人を聖なる神の子と言うのです。 このような結論はすべての動物の世界においても、鉱物の世界でもそのとおりです。霊界もそのとおりです。神様もすべての森羅万象を見て、“そうだ、そうだ”とうなずくのです。このような原則から創られたのであるから、全体は愛のためにあり、愛のゆえに動き、愛のゆえに歌い、愛のゆえに語り、愛のために食べ、愛のために踊り、すべてが芸術世界となるのです。人間がこの宇宙における神の愛の主要なパイプラインなのです。しかし、その主要なパイプラインが夜昼なくフリー・セックスをして回るとしたらどうなるでしょうか? 天と地が真っ暗になるでしょう。それで、「私はあの夫が嫌いだ」と言ったら一度に宇宙が壊れてしまうのです。女性がそう言うとき、その女性はこの世界を破壊させる魔物であり、男性がそうであれば世界を破壊させた悪魔です。離婚することができますか? (いいえ)。今のアメリカはどうですか? フリー・セックス、ホモ、レズ、これはとんでもないことなのです。サタンはこの宇宙を破壊させるため、このような危険なことをこのアメリカの天地に拡大させ、またこれを法的に保障しようとしているのです。 あらゆる愛は電気と電線のようなものです。電気は発電所から出発し、それが遠くまで電線を通って伝えられてきます。それと同じように、愛もその中心的な発電所から生じて、それが伝って来るのです。愛の電線は、中心的な存在である神様から人間の所に来るだけではなく、人間を通して更に動物界、植物界、鉱物界へと伝わっていきます。人間は全宇宙のための愛の媒介体なのです。ところが人間が、神様と万物世界との間の愛の媒介体の役割を破壊してしまっているのです。寒流魚は暖流に接する所で卵を産み、また、暖流魚は寒流に接した所で卵を産むようになっているのです。これが陰陽一致の和合なのです。それでみな移動するのです。それで渡り鳥は行ったり来たりするのです。分かりますか? (はい)。 ですから今日まで、白人と黒人がお互いに信頼をもてない堕落世界であったし、西洋と東洋もリズムをもたない堕落の世界でした。それは真なる愛を知らなかったので不可能なことでしたが、今や真の愛の内容を知って、すべてがリズム化され理想の世界へと展開されるのです。それでは理想世界とは何かと言えば、東洋人は西洋人の境界線を乗り越えて、西洋人は東洋人の境界線を乗り越えて子供を生むことであります。黒人と白人が結婚して子供を生む、これが理想世界なのです。そこで生まれた子供が、世界的な人物となるのです。そのような民族、そのような血族、そのような群が世界を主管することができるのであり、これが自然が願う理想世界なのです。そこで神様が御覧になって、真っ黒い目と青い目の二人が愛しているのと、真っ黒い目同士と、青い目同士が愛しているのと、どちらに関心をもつでしょうか? 私は知りません。皆さんがよく知っているはずです。(笑い) 先生に対する批判の一つは、レバレンド・ムーンは白色人種を破壊するのではないかということです。そしてムーニーたちはみな洗脳されたので気がおかしくなって、白人の男性たちは東洋の女性たちと結ばれても、それでいいと言って国中で愛に陥って喜んでいるというのです。しかし彼らが洗脳というのは本来の状態に戻ることです。どうですか? 今まで真っ黒い目と青い目は争ってきたのに、愛のためすべてが平和になることはどれほど偉大なことでしょうか。白人同士、黒人同士、黄色人同士が結婚するよりどれほどドラマチックで、どれほど神秘的でしょうか、皆さんどうですか? (面白いです)。なぜこのようにするかと言えば、根本的な世界革命を起こすためであります。 聖なる場所は威厳ある権威のある場所なのです。皆さんはもっと威厳をもって愛のことを語り、威厳をもった人生を送るべきです。皆さんは威厳をもって歩き、この聖なる場所からすべての醜いものをなくしていくのです。そういう誇りと威厳をもって生きなければなりません。いずれは、必ず聖なる男と聖なる女が聖なる場所を真に聖なるものとして、腕と腕、手と手をとって歩くそういう時が来ます。悪なる者は退け! 雑霊は退け! 夫婦が手と手を合わせ神を中心として愛する時、通り過ぎる多くの男女はあいさつをしなければなりません。万物もすべて頭を下げるのです。このような時代となるのです。天国というのはこのような愛を讃美する世界的環境をもった所なのです。皆さん! そのような価値をもった者全部が、神を嫌い堕落によって自らの価値を喪失したこの冤痛さ(悔しさ)を知らなければならないのです。それで女性も男性もその所を隠すのであり、その周囲を隠すのです。 鳩は何を象徴するかと言うと、愛を象徴します。その鳩が一つとなる時、「グッグッグッ」と呼び合います。鳩は愛の歌を歌うのです。それを知らなければなりません。そこに平和があります。それを区別しなければなりません。愛があって平和があるのです。愛を呼ぶ猫の鳴き声は気持ちが悪いのです。猫はどのように鳴きますか? (皆猫の鳴き声を出す) それ以上出すのですよ。(笑い) これが原則です。皆さんが笑うということは、そういう話が下品な話であると思うからでしょう。韓国語で言うと『□□□』(SSang So Ri)、それは堕落したゆえです。神様の愛とぴったり一致するものが、本然の理想家庭であったのです。神様は知らないはずがないのです。愛を知っているのにどうしてそれを知らないはずがありますか? 神様は愛を求めておられるのに知らないはずがないのです。こういう話をしているうちにもう一時間過ぎてしまいましたね。こういう話はもうやめてしまいましょうか? (いいえ)。一日中話してもいいですか? (はい)。 先生がこのように汗を流して熱心に話をして、何のためになりますか? しかしきょうはとても重要な日なのです。それでは話を整理してみましょうか。神様がなぜ万物を創造されたかと言うと、愛を探すためです。神様にお聞きするとき、この世の哲学者、神学者などが『神様はなぜ創造したか?』ということにおいては今までにあらゆる説を出しましたし、創造主が聖なる方であり、被造物はうんぬんと様々に言ってきました。しかし神様は、そういった解答については喜びませんでした。レバレンド・ムーンが現れて、「神様はこのようにして創造されたのでしょう」と言った時、神様は“そうだ、そうだ”と喜び、ほほえみました。(拍手) 皆さんの中で今朝鳥の声をまだ聞いていない人は手を挙げなさい。では、じっとして耳を澄ませて聞いてみなさい。鳥の声が聞こえるでしょう? (皆、静かにする) 聞こえるでしょう? それは愛のささやきを交しているのです。これらすべては教材なのです。それはまた、「私は父を愛し、母を愛します」という父母を讃美する歌でもあるのです。ですから、すべての万物は犬でも、猫でも、すべてがみなペアになっているように、私たちもあのような生活をしなければならないという教材なのです。カアカアカアと鳴く真っ黒でサタンの象徴のような醜いカラスも、このような愛をもっていることを思うと、カラスでさえも私たちに何かを教えてくれているということを感じるのです。鳥は飛ぶ時でも、雄は雌に自分の頭を向けて飛び立つのです。それらすべての研究を通して、万物は自分たち以上に人間が愛し合ってくれることを願う被造世界の理想であることを知ります。これら全宇宙は、すべてが愛を中心とした至聖所なのです。そのような結論になります。またそのような植物を食べるときには、愛の心をもって食べなければなりません。愛の心をもたないで食べるときには「私は死にます」「私は嫌です」と、拒むのです。それは人間にも同様です。愛のために生き、愛のために死ぬのです。これが道理なのです。分かりますか? このように見るとき、理想世界と関係のない全くでたらめな論理が世界を支配し、今日の科学者たち、知性人たちが受け入れている哲学(進化論)をなくさなければなりません。弱肉強食というのは話になりません。愛が中心なのです。分かりますか? 愛する妻のために死ぬ時が栄光であり、愛する子女のために、愛する国のために、愛する世界のために、より大きな愛のために死ぬのが生まれてきた誇りであり、価値ある生活であるということを皆さんは知らなければなりません。そして皆さんがそのような世界をもてば、自然はどれほど素晴らしいものか知れません。朝、目を覚ましてすぐに鳥の歌声を聞いて、自然を眺めると花が咲き、すべてが天宙に和動している事実を見る時、朝早く出掛けて行って、自然を通して遊びたい歌いたい本性の心が現れるのです。そのような愛をもつ人は蟻一匹までも愛することができるので、その庭の王子なのです。それゆえに愛をもっている人の家があるとしたら、その庭にはすべての昆虫、動物たちが集まることのできる道理がここにあります。 今日の米国の女性は、お金を儲けるために金持ちの所に嫁に行ってすぐ離婚する人が多いのです。これは滅びる女性です。お金をもらうために離婚する人は天罰を受けます。これらの人々を私たちの手で整備しなければならないのです。このような責任があるのです。愛を絶対視する人間のみを宇宙は歓迎するのです。分かりますか? レバレンド・ムーンは間違っていると言う人は手を挙げてみなさい。(……) 詩においても、愛は永遠なるもの、愛は強いもの、愛は驚くべきもの、愛は生命よりも高く、大きいもの、愛はすべてを失ったとしても大事なものとされています。愛についてはどんな形容詞を用いても十分ではありません。だから愛のみが絶対的な単位であり、また絶対的不変で、絶対的永遠であると言ってもおかしくありません。生命は素晴らしいとか、人生は永遠で不変なるものと言った場合には、それはふさわしくありません。歴史上の文学や詩の中で、最も重要な言葉は人生という言葉ですか。愛という言葉ですか。どちらですか? (愛です)。彼らは詩や文学において、お金を讃えたり権力を讃えたでしょうか? (いいえ)。それはどうしてですか? 簡単なことですが、なぜ愛をこのように讃えたかということを人々は知りませんでした。だから神様は人間の体の中でも聖なる場所を最も安全な深い所に置いたのです。傷を受けずによく保管するためです。だから女性は座るときにこのように座ったらいけないのです。(先生がしぐさで表す) すべての礼儀作法もそのような原則を中心として生じなければなりません。そうすることによって、それは千年も万年も続くのです。それに反したなら長く続くことはできません。ですから倫理を変えようとすれば、愛そのものを変えなければなりませんから、それは永遠ではないのです。愛を改めることができないので、それは永遠に続くのです。 私たち統一教会のメンバーは、一人でいても退屈することはありません。水が流れ、波が岸を打つのを見てもすべてが愛の前奏曲であり、一つの愛の芸術作品として感じるのですね。魚が泳ぐのを見ても、“魚も愛を求めているのだなあ”という具合に、愛に結び付けて考えるならば疲れを感じないのです。サーモン(鮭)などは驚くべき人間の教材です。一度愛して卵を産んで死ぬのです。愛のために死ぬのです。それは何と美しいことでしょう。神様はこのような世界を創ろうとしたのですが、堕落によって壊れてしまったのです。分かりましたか。道を歩く途中でも、鳥が「チュン」と鳴けばそれに合わせて歩くとしたら、何と素晴らしいでしょう。自然のリズムに合わせて生きることが大切です。インコという鳥も愛のシンボルです。そのインコがお互いにくちばしを付け合ったり、鳴いたりするのは、なぜかと言えば愛を表すためです。インコも愛を教えてくれる偉大な教師なのです。本当に夫と妻が愛し合っているならば、たまには喧嘩をしても構いません。なぜなら喧嘩をすることによって、更に次の愛を深めることになるからです。皆さんはそのような生活をしていますか? (はい)。これで男と女のそれぞれの価値が分かりましたね。何のために男と女がいるのか、分かりましたね。女性の皆さんの聖なる場所は自分のものですか? 男性のものですか? (男性のものです)。生まれた時から既に自分のものではないのです。自己中心というのはサタン的観念です。私を主張すればサタン世界であり、私たちを主張するのは、統一教会の世界です。そして神側なのです。一人で生活している人があれば自分を先に考える前に、自分の父母を考え、自分が良ければ良いほど父母を考えなければなりません。結婚したなら夫婦同士が共に考えなければなりません。 アメリカの家庭はどうでしょうか? アメリカは滅びの道にあります。では統一教会はどうですか? (栄える方向です)。皆さんはこのことをはっきり理解しなければなりません。このように神様を中心として、また人間を中心として、神様が愛を主管するそのような日が今までなかったのです。皆さんはどのような本を読みたいですか。理論的哲学の本を読みたいですか? それとも愛を讃美するような歌や詩を読みたいですか? (愛の歌を読みたいです)。なぜですか? それは愛は甘美なるものであるからです。分かりますか? きょうのこの説教は、必ずしもきょうの聖日のためだけのテーマではなくて、これは天宙のすべてが知るべきテーマであり、はっきりと知っておかなければならない重要なことなのです。 堕落とは何かと言うと、愛が侵犯されたことです。堕落ゆえに、神の国もこの世の万事も、愛のために準備したすべてが悲痛なる世界に化してしまって、真っ暗い夜になってしまったという結論です。天国に行けるチケットをもらわなければならなかったのに、地獄に行くチケットをもらってしまったのです。分かりますか? このことをはっきり知らなければなりません。愛をもって天国に行けるチケットが地獄行きに変化してしまったのが堕落です。すべての人々は悔い改めなければなりません。今になって知ったのですから、万物に対して恥ずかしいし、動物に対して恥ずかしいし、鉱物に対して恥ずかしい罪を犯したという過去を悔い改めなければなりません。このような恥を知らずに、今日のアメリカは自分たちはすべて繁栄していると考えていますけれども、それは誤りです。神様が御覧になるとき、アメリカは怒りを受ける立場なのです。アメリカの結果は、アメリカ一国のみに留まるものではなく、世界中に広がっています。アメリカの若い男と女が世界中の若い男と女を滅ぼしつつあるのです。皆さんは罪を悔い改めなければなりません。世界の前にひざまずいて悔い改め、恥じなければなりません。商人たちは世界中を回りながら浮気をしているのです。そのことで世界の女と男をどれほど蹂躙しているかという事実を知らなければなりません。ですからそれを知っているレバレンド・ムーンは、道徳革命を興す責任があります。ですから、この堕落しつつあるアメリカの流れを変えて引き上げようとして、アメリカにやって来たのです。それにもかかわらず、法廷問題で、高等法院がどうだとか、大法院がどうだとか言っているのです。アメリカを生かしているレバレンド・ムーンに対して、神様が送ってくださった特使に対して、このようにするアメリカは天罰を受けるでしょう。しかし、レバレンド・ムーンは神様に対して、「どうかアメリカを罰しないでください。神様どうかその怒りを抑えてください。そして裁きを与えるのをもう少し待ってください。このレバレンド・ムーンが今一度悔い改めて、アメリカを引き戻しますから」とアメリカのために祈っているのです。 今朝、『ニューヨーク・タイムズ』が先生の裁判問題に対して“アメリカが勝ったようであるが、実はレバレンド・ムーンに負けた”と、今まで私たちと怨讐であったニューヨーク・タイムズが発表したのです。朴先生、それを読んであげなさい。(以下、朴先生の説明)「このタイトルは“文氏の大勝利”というテーマで書かれています。これは何を意味するかと言えば、この裁判によってアメリカ政府はレバレンド・ムーンに勝利したと思っているかもしれないが、しかし実際には彼らは戦いに敗れてしまったのだということです」。(拍手) アメリカ政府がレバレンド・ムーンに敵対したとしても、アメリカの人々はレバレンド・ムーンを失いたくないという気持ちで、今後、レバレンド・ムーンを支持する動きとなって表れるでしょう。今朝の新聞の記事がこのことを象徴しているのです。したがって先生は、今なおアメリカに対して希望を抱いています。レバレンド・ムーンを迫害するアメリカ政府は変わっていきます。しかしレバレンド・ムーンがもたらしたアメリカの理想は引き続き残っていくでしょう。(拍手) これまでの話を通して、神の愛は本来アダムとエバを通して完成するように願われていたのが、アダムとエバの堕落が起こった時、すべての創造理想が挫折してしまい、すべての被造物がサタンの手中に陥ってしまったのです。神はすべてを失ったのです。皆さんは親の心が分かりますか? 愛する子供のために親が博物館を造って、子供が喜ぶ姿を見て共に喜びたかったのに、その子供が死んでしまった時には、その博物館を眺めて親は悲しむのです。かえって博物館がなかったならいいと思うほどになるのです。そればかりでなく、神様の愛の対象であったアダムが結婚しようとした対象が、愛そうとした対象が、すべてを捨てて去って行った時、相対のために造ったすべての世界がどれほど怨みの対象となったことでしょうか。神様は一挙にすべてを壊してしまうこともできるのです。神様自体絶望期だったのです。したがってこれを再び取り戻し、復帰して、再創造しなければならないのです。 では堕落がどこで起こったかと言えば、(黒板に書かれる)長成期完成級で起こりました。それゆえ長成期完成級がサタンに奪われてしまいました。人間は神の直接主管圏に入ることができず、すべてサタンの勢力のもとに置かれるようになってしまったのです。誰の所有になったのですか? (サタンです)。(黒板の図を示しながら説明) 私たちはこちらに行かなければならないのに、ここに来てしまったのです。人間は本来、神の直接主管圏内に入ることを目指していたのが、堕落によってサタンの主管圏に入ってしまいました。それでサタンの奴隷のような状態から出て来るためには、人間は何らかの証明書が必要です。堕落圏を越えることのできるパスポートが必要です。これが問題なのです。そのチケットをいかにしてもらうことができますか? 私たちは自分自身の力でもっては、このサタン圏内を脱出することはできません。神様が再び苦労されて私を選び出してくださる道しかないのです。自分ではできません。自分ではできないのです。 これはサタンを中心とした堕落した愛ですが、本性としての愛を中心として堕落したので、愛以上の力がないのです。サタンは九〇パーセントの力で人間をしっかり掴み込んでいるため、これを凌駕する力というのはないのです。では、サタン的愛に勝る百パーセント以上の力がどこにあるか? それはただ一つ、この宇宙全体の中で神様の愛しかありません。神様を中心とした本然の愛しかないのです。そしてサタンも堕落した天使長ですから、本然の愛の前では自然に支配を受けるのです。これが創造原理です。分かりましたか? このことをはっきり知らなければなりません。人間にとって唯一の希望は本然の愛です。それゆえ本然の愛を追求してきたのが宗教の道でした。ですから、本然の愛を求め、本然の理想世界を求め、それを再び取り戻そうとするのが宗教運動なのです。堕落した世界に宗教運動があったという事実は、神様が本然の愛の世界へと導くための方策でした。もし宗教運動が現れなかったら、神様がいないということになりますが、この事実を見て、正に神様がおられるという結論を下すことができます。 では堕落世界に住むすべての男子、女子たちは何を探しているのかと言えば、本然の愛を探し求めているのです。すべての家庭も本然の愛を求め、すべての国々も本然の国家を求め、また世界も本然の愛を中心とした、本然の愛の世界を探し求めているのです。そのような世界が理想世界であるということは間違いのないことです。理想世界がどんな世界であるか分かりましたか? この世の人々はまだ理想世界を知らないでいるのです。皆さんが理想世界は何かと問われたとき、理想世界は理想であると言うことだけでは十分ではありません。理想世界は本然の愛を中心とした世界であります。それが本然の世界であり、理想世界なのです。そして世界的に拡大されたのが地上天国なのです。神様はそこに臨在されるのです。皆さん、はっきり分かりましたね? (はい)。 皆さんは本然の人間ですか? 皆さんは天の本然の愛をもっていますか? (いいえ)。すべて違いますね。これが堕落なのです。それゆえすべての人間は探し求めていかなければなりません。百パーセントの力をもったその世界を通過しなければ生きる道がないのです。神様を探し求めなければならないし、宗教を中心とした愛の道を探し求めなければならないという結論が出るのです。本然の愛があればサタンに近づいて行くことができます。そこでサタンは屈服するか、それとも後退するか二つの道しかないのです。原理がそうなっているからです。宇宙の公約なのです。所有主は所有することのできる特権があります。これが原理原則の条約です。本然の愛は神様も主管することができ、サタンも主管することができるのです。それで神様は再び創造することができず、救わなければならないのです。堕落した世界はすべてが神様を探し求めるため、宗教を信じなければならないという結論ですが、今日のこの終末時代には宗教がなくなりサタン的全権時代へと化していくことを知っているので、神様がこのサタン的なものを壊して追い出して、この世界に神様の使命を中心として送った方がメシヤであることを知らなければなりません。 そこで、宗教の中でも中心宗教は、このような愛の原理を完全に備えて現れなければなりません。神を私たちの父であると言い、自分たちを子女と言い、信者たちを妻と言う家庭的理論をもった宗教でなければならないという結論が出ます。メシヤは本然の愛の家を作るために来られるのであり、その家庭が出来れば、国が出来るし世界が出来るのです。そのような基盤となる宗教が中心宗教であると見るのです。そのような観点から見るとき、キリスト教は神様を父とし、イエス様も「神は父であり、私はそのひとり子である」と言いました。これは驚くべき言葉なのです。このような原則において見るイエス様は、神様が送ってくださった原理を中心とした本然の愛をもった代表的男性であったと言うことができます。これは間違いないことです。そのためにキリスト教を中心として、神様を中心として世界化していくということは自然の理法なのです。神様が世界を救おうとするその版図を占領するのはこの道しかないのです。サタン世界の愛以上の愛で連結できる版図をもつためにも、キリスト教が世界的な宗教にならざるを得ないという理論的結論も出るのです。 このようなキリスト教であるのに、間違った神学によって大きな誤りを犯しています。ただ単に信仰をもっただけでは天国に入ることはできないのです。愛を実践しなければ天国に入れないのです。イエス様は死ぬために、十字架にかかるために来られたのではありません。その責任は使徒パウロにあり、使徒パウロの罪は大きいのです。ただ信じれば天国に行けるの? いいえ。愛の理論をもたなければ天国に行けません。堕落圏内を逃れることはできません。終末において神様は再臨主を送ってこの死亡圏を撤廃して、すべて奪ってくることを願っておられるのです。世界的な主管圏をもったキリスト教文化圏時代が訪れた時、福音が全世界の隅々まで伝えられ、イエス様が来られるのを待ちなさいというのが終末なのです。では、この世の人々は再臨主をどうやって知ることができるでしょうか? 神様と愛の関係、本然の愛と関係を結ぶ、このような内容をもって、教えてあげるのが再臨主です。そのような内容を教えることのできる人は歴史以来、全人類が反対し、世界のすべての宗教、主義思想が反対するたった一人の人であります。イエス様もそれを教えることができなかったのです。それを最後の日にはっきり教えてあげるのです。 それは、レバレンド・ムーンを通して本然の愛をもった神様を発見することができ、レバレンド・ムーンを通して本然の愛をもったアダム・エバを探し出すことができ、またレバレンド・ムーンを通して本然の神様の愛と本然のアダム、エバがもつべき家庭を探すならば、これで全部なのです。そうすることのできるレバレンド・ムーンならば、それは本物であり、そうでない時は価値がないのです。メシヤとは何であるかと言うと、真の父母のことです。真の父母は何をするかと言えば、神様が願っている神様を中心とする愛の家庭を創らなければなりません。それが真の父母のすべてです。そして九〇パーセントを百パーセントで愛することによって、サタンは自動的に後退し屈服するのです。(黒板を使用) それは理論的でしょう。(はい)。本来一九四五年にキリスト教文化圏世界が先生を支えたならば、先生の今日のような法廷問題ということはあり得なかったのです。その時は、アメリカを中心としてキリスト教が世界を支配し、歴史始まって以来キリスト教文化圏が世界を代表することのできる第二次世界大戦の直後だったのです。これは歴史上の千載一遇の好機でした。キリスト教が世界を支配することのできる時だったのです。 では、キリスト教思想から考えてみるとき、再臨のメシヤはいかなる時に来られるのかと言えば、キリスト教が世界を支配することができるそういう基盤をもった時です。分かりますか? (はい)。歴史上、そのような時が今まであったでしょうか。その時こそ、正に神が最終的な摂理のために働くことができる二千年のキリスト教の歴史において前にも後にもないチャンスだったのです。神様はその絶好のチャンスを知っておられ、この二十世紀のローマとしてアメリカをキリスト教国とし、世界にキリスト教の基盤を広めてこられたのです。そのためにアメリカがキリスト教文化圏を代表する中心国家として繁栄していったのです。この時、レバレンド・ムーンはイエス・キリストの使命にあり、キリスト教は二千年前のユダヤ教の立場にありました。そしてアメリカはローマの立場にあり、韓国はイスラエルの立場にありました。これらはすべて神側になっていたのです。一つの側に立っていたのです。神側にいたのです。イスラエルがローマの統治下にあったのと同じように韓国が直ちにアメリカの統治下に置かれるようになり、法的に軍政に入ったのです。李承晩大統領はキリスト教信者だったので、キリスト教を中心とした大統領の国家形態が始まったのです。そして蕩減の法則によって、個人から家庭、家庭から氏族、民族、国家、世界へと歩まねばならない路程が始まります。もしメシヤを認め一体化するならば、これらが一度に七年間ですべての路程が達成される、そういう状況にありました。先生が四十歳になる前に世界の復帰は終わっていたかもしれないのです。そうすれば、そのようなキリスト教を背景としてお母様が来られたでしょう。ある意味ではイギリスの女性の中から選ばれていたかもしれません。一度に成されるのです。 先生はどうすれば世界を早く復帰することができるかということだけを真剣に考えています。しかし、実際に先生および、その運動が韓国から受け入れられなかったために、再蕩減しなければならず、多くの問題が生じるようになりました。もし受け入れていたら、韓国における運動は世界的、宇宙的、天宙的な運動となっていたことでしょう。もし、英国の代表がお母様になっていたとしたら、アメリカはイギリスの言うことをよく聞くようになっています。アメリカはイギリスが生んだ息子のような立場です。自然にお母様に頭を下げ従ったことでしょう。どれほど早かったかしれません。 先生が今、多くの反対を受けているにもかかわらず、世界にこれほど基台をつくることができたのですから、もし先生が反対を受けないで、全面的に歓迎する世界の中では、七年間で基台をつくることができないでしょうか? 先生はそれを成す能力があると思いますか? もしその時、そのようになったならば共産主義は先生の手の中でなくなってしまうのです。先生によってなくなってしまうはずだったのに、このキリスト教が反対してサタンと一つになることによって、共産世界が拡大し、今や世界の三分の一を支配するようになってしまったのです。その時に先生がみ旨を成就していたならば、アメリカがローマの立場でしたから誰が反対したでしょう。誰も反対することはできません。ローマの頂上に立っているシーザーを誰が反対することができますか? 誰も反対する者はいなかったでしょう。そして彼らは国連を作りましたが、指導理念を与えることができませんでした。世界を指導すべきアメリカは責任を失ったことによって、共産主義者が支配する国連になった事実を知らなければなりません。すべてが、再びサタンに完全に奪われてしまったのです。アメリカ自体が奪われ、自由世界自体が奪われ、キリスト教会にまでも共産主義者が入ってきて支配することのできる、このような実情になってしまったのです。たった一つだけ統一教会だけには入ってこれないのです。 きょうは先生の公判から一週間目に当たる最初の聖日です。きょうのこの言葉はみな、CIAに報告されるでしょうが、よく聞いておきなさい。アメリカをいかに指導すべきであるか、それは神様の命令によるしかないのです。レーガン大統領、共和党だけではできません。レバレンド・ムーンに聞いてみなさい。アメリカを七年間だけゆだねてみなさい。世界をきれいに整理するでしょう。(拍手) 先生は監獄に行っていかなる苦痛を受けたとしても、この仕事を実践していくために組織編成をしました。私たちは神様が願われるアメリカと自由主義をリードすることのできる版図と組織を作らなければなりません。 第二次世界大戦直後にキリスト教を中心としての摂理が失敗したので、四十年の蕩減路程を経て、再び探し求めて今日を迎えたのです。この時こそ、キリスト教と一つにならなければ世界を救うことができないために、アメリカで法延闘争が起きた時に先生は韓国にいたのですが、わざわざアメリカに帰って来たのです。アメリカのキリスト教を救い出さなければならず、世界的キリスト教の中心であるこの国が世界を支配していた時の大きな基盤(本然の基盤)を立たせるために、先生がアメリカに戻って来たという事実を知らなければなりません。統一教会とキリスト教が一つにならなければなりません。もしキリスト教と一つになれなかったらアメリカを救う道がないし、自由世界を救うことができないし、神のみ旨を立てることができないのです。そうなればアメリカも失うし、自由世界も失うし、世界をみな失ってサタンに侵犯されてしまいます。 法廷闘争を中心として、先生は二千年前の失敗を蕩減復帰しなければなりませんでした。今回は弟子たちは誰も去る者はなく、キリスト教が先生と一体化し、そしていずれはローマ帝国なるアメリカ国民も先生と一体化するでしょう。このようにして先生は二千年前のイエス様当時の失敗を復帰することができるのです。韓国で生まれたレバレンド・ムーンが、アメリカにおいて統一教会を中心として自由世界のキリスト教を一つにするならば、韓国は自然に一つになるのです。一つになるようになっているのです。先ほどお話ししたとおり『ニューヨーク・タイムズ』の記事は歴史的な宣言であり、摂理史的な宣言に価する言葉なのです。(はい)。(拍手) そうすることによって韓国が一つとなるのです。韓国さえ一つになれば、アメリカも一つになる道ができるのです。分かりますか。それは今回の法廷事件のゆえです。先生が十字架を背負うのです。イエス様は十字架を背負うその瞬間に十二弟子を失い、ユダヤ教を失いイスラエルの国とローマを失ったのですが、先生が十字架に掛かるその瞬間に、統一教会は団結するのです。統一教会が世界的基盤を立てて、失ったキリスト教を探し出して立たせ、反対する韓国を立たせる基盤となり、日本と全アジアが連結されることによって、アメリカがついて来る基盤となるのです。これこそ歴史的な一つの転換期です。正に歴史的な蕩減を宣言することのできる深刻で深長な時間であることを皆さんは知らなければなりません。 したがって、四月末までに韓国では七百万会員を募るように宣言したのです。(拍手) これに相対して日本においても七五〇万会員、アメリカにおいてもこれから四千万会員を連結することができれば、三カ国は完全に一体化できるのです。韓国と日本とアメリカが一つとなれば、原理的には、アダム国家、エバ国家、天使長国家が一つになることであり、そこで世界は回転するようになっているのです。これは私たちの政治運動ではありません。既に宣布した七百万の会員は勝共要員なのです。統一教会はこの国アメリカを救うための救道の組織編成をするのです。昨日みな決意しましたか? (はい)。すべて組織編成は済みましたね。(はい)。皆さんそれではやりますか? どうしますか? (はいやります!)。では手を挙げてください。神様に感謝いたします。皆さんに神の祝福がありますように。(拍手) 先生は、蕩減復帰の原則において、二千年前に起こったことの蕩減復帰をしています。イエス様が国家的基準において十字架上で亡くなっていったのを、先生は世界的な基盤で世界を神側に引っ張って来ようとしているのです。今は正に愛を中心として世界を一つにすることのできる世界的基盤が展開する歴史的瞬間です。そこで神様を中心とした何かの日を定めざるを得ないという論理が成立するのです。 最後の段階は七年間で達成されることになっていましたが、(黒板を使いながら)キリスト教の反対によって、二十一年間に延長されました。そしてこの間に先生は世界的な基盤を築きました。今日、アメリカの裁判所が何と言おうと、最高裁が何と言おうと、歴史と国民が擁護するようになります。これが正に究極的な裁判所です。その究極的な裁判所である世界と世論の前で、先生の名前と無実が証明され、先生が正義であることが明らかにされるでしょう。そう思いませんか?(はい、思います)。歴史上において、多くの宗教者や聖人たちが生きて越えられなかった道を、先生は生きて歩み、走っているのです。今が気の詰まるほどの峠を越える瞬間であることを知らなければなりません。人間の堕落ゆえ、真の父母はこの完成基準の上に自らを打ち立てることができませんでした。それゆえに、真の父母はこの蘇生期の完成級において現れ、この完成級に至る期間を戦って切り開いてこなければならなかったのです。そこで個人蕩減、家庭蕩減、氏族蕩減、民族蕩減、国家蕩減、世界蕩減まで経なければなりませんでした。そして今はいかなる時かと言えば、真の父母様がこれらすべての世界蕩減路程を完全に越えて、直接的愛の圏を中心として、原理主管圏に世界全体と霊界全体を統合することができる時なのです。キリスト教が先生を信ずれば七年間でできたのに、不信したことによって、キリスト教二千年の歴史を二十年で蕩減復帰し、二百年のアメリカの歴史を二十年に短縮させて蕩減してくるのです。 一九七六年を中心として、最高にサタン勢力と対決しました。そういう意味でも一九七六年はレバレンド・ムーンが最も祝福を受けた年なのです。それでその時の勝利的基盤によって『天勝日』を宣布しました。それゆえカーター政権は、先生の勢力の拡大を恐れ取り調べを始めたのです。このような非法的な告訴は神様は聞き入れません。もし聞き入れた日には一挙に福を奪ってくることができるのです。一挙に先生が福を受けるのです。過去の歴史を思い出すときに、もしニクソン大統領が先生の話を聞いていればベトナムは失うことはありませんでした。また引退するときに先生に一言相談したならば、あのように追い出されずに済んだのです。 もはや、アメリカの体面は地に落ちました。アメリカの国民がニクソン大統領に反対し、レバレンド・ムーンに反対したことによって、ベトナムにおいて敗者としての歴史的汚点を残したのです。ニクソン大統領と共和党が一つとなって先生の話を聞いていたならば、あのようにはならなかったはずです。次にフォード大統領を経て、カーター政権を中心として闘いが始まるのです。しかし神を中心としたレバレンド・ムーンの絶対的な反対のゆえに、カーター大統領は落選し政治生命を失ったのです。またフレーザー下院議員に対する戦いにおいても先生は勝利しました。これまで左翼的なアメリカのリベラリズムの勢力がアメリカ政界に拡大していましたが、先生と皆さんの力によってチェックしたのです。そこで、リベラリズム的勢力は法廷闘争へと切り換えたのです。 しかし、先生はアメリカを愛しています。なぜかと言えば、カインを愛さなくては神の国に入ることができないからです。アメリカの過ちは先生が責任をもちます。このような式です。“神様! アメリカの過ちは私が責任をもちます。これからは私が生命を懸けて監獄から帰ってきて責任をもちます”、判決が下った瞬間先生はそのような祈祷をしました。今は強く雄々しくなければなりません。皆さんは泣いてはいけません。お母様と一つとなり、若い孝進様と一つとなり、若い息子娘たちと一つとなり、私の家庭と一つとならなければならないのです。家庭が一つとなることができないがゆえに、このような不祥事が起きたことを思う時、今こそ一つとならなければなりません。祝福家庭の十二家庭を中心として、全体が一つとなる宣言式をなし、統一的な宣言式をなし、昨夜この聖地において徹夜祈祷を行い、『一情会』を設立しました。世界的な地上天国になるまで、心の中で悔い改めなければならない歴史的過誤が残っているので、一情会を中心とした心情世界を祈祷を通じてこの世界に連結させていかないと、アメリカが滅びます。ですから心情世界の中に、一情会を作ったのです。アメリカの誤りは自由世界の誤りであり、そのことを誰もが責任をもって悔い改めるのです。それが一情会です。神様は第二次大戦直後のみ旨を今、アメリカを中心として摂理されています。世界すべての国家を救うまでこの一情の精神をもって、私たちはすべてを捧げてやっていくのです。 蕩減を払わなければならないという時代はもはや終わりました。これからは私たちが求めればすべてを主管することができるのです。新しい時代が訪れたのです。だから何の日を宣布しなければならないかと言えば、愛でもって神様が主管することのできる時代を宣布しなくてはなりません。サタンが主管していた世界を神の愛で主管するという、轄を打ち込まなければなりません。それは誰によってかと言えば、中心となる真の御父母様によってです。アダム、エバが堕落したため、堕落の愛によってすべてが反対の道へ行っていたのを、真の父母の愛を中心としてサタン主管圏から神様の主管圏へと引っ張って来るのです。その日を法廷宣言と共に決定することにしました。ちょうど良いチャンスなのです。イエス様は十字架上で死んで三日間どこに行ったかと言えば、地獄に行って来たのです。それはこのサタンの地獄世界に起こるすべての復活圏を立てなければならない責任を果たすためなのです。それと同じように先生もこの地上の地獄たる所に行き、そこで天の愛を打ち立て、それを復帰し復活するのです。イエス様は霊界の父母となるのですが、先生はこの地上の父母の権限をもって、神様の愛を中心として統治時代へと前進していくのです。 愛の宣布式をしなければなりません。皆さんは知らなかったでしょうが、既に天において一九八四年五月十六日零時五十四分に『愛天日』が宣布されたのです。それは最高裁の決定が下されて三日目に当たります。その三日間の苦しみの時を通過した後に、このように天の愛によって世界を主管するという日を宣言したのです。分かりましたか? これから私たちが苦難を受ければ受けるほど、神様が訪ねてくださるのです。そしてサタン世界が蕩減しなければならないのです。今まではサタンの愛の主管圏内に入っていたために、すべてのキリスト教と宗教者たちが、アベルとして蕩減してきましたが、これからはカインが蕩減する時代に入っていくのです。昔は苦労してもみな涙と共に流れていきましたが、これからの皆さんの苦労はすればするほど喜びとともに、歓喜とともに満ちあふれるのです。このことをはっきり知らなければなりません。これからは一生懸命に働けば働くほどプラスとなって蓄えられていくことになります。それゆえ、すべては皆さんにかかっています。今までの神側はそのような位置になかったのです。なぜかと言えば、サタンがすべてを奪ってしまっていたからです。しかし今からは、サタン世界から神側に転換してくるのです。 昨日も話したように、先生がキリスト教と統一教会との一体化をなさなければ、先生はみ旨を達成したとは思いません。そこでこの法廷闘争を通してキリスト教と統一教会が一つとなり、アメリカの国民と統一教会のメンバーが一つとなることができるのです。先生はアメリカをどのように思っているかと言えば、堕落以前の本然の人として取り扱い接しようと思っています。アメリカは敵ではなく本然の世界であると見るのであって、怨讐とは思わないのです。このように思う先生に反対すればするほど、逆に善なる人たちがどんどん祝福を受けるようになるのです。政府とは国民が国民のために選んだものであるので二番目です。政府自体が主体ではありません。国民が選んだのであるから政府も国民について来るようになっているのです。そのような観点から見て、アメリカはこれから神様の領土となるでしょう。決してサタンの領土にはなりません。(拍手) 先生はアメリカをこのように本然の愛をもって見ているのです。レバレンド・ムーンに反対したすべての人々も、“レバレンド・ムーンは罪なくて行かれた方であり、生きた聖人であり、人類歴史において讃美を受けるべき愛の聖者である”と讃える時が遠からず訪れるでしょう。そうなればすべては終わるのです。そうなれば四十日以内に四十億人類を教育できる時代が来るのです。宇宙時代が来るのです。分かりますか。驚くべき時代が訪れたのです。 このような世界を目の前にしている私たちは、忍耐心を強くもつことです。明日の勝利は神様が役事します。私たちは早く前進しなければなりません。一瞬とも遅れることはできません。遅れることはサタンが私たちの中に侵入することになります。私たちは四千万キリスト教信者を糾合しなければなりません。夜も昼もありません。かつて、ローマの四百年の迫害の時には、早朝に捕えられて殺される人がいましたし、眠る前に捕われていって死刑になる人がいました。しかし、自分の死も顧みないで神のために祈り、見事に殉教しました。そのような哀魂たちを思いながら、また歴史上のすべての曲折を考えながら、この国のために神様の解放のために走らなければなりません。 それではここで幾つかの質問をします。それはきょう宣布した『愛天日』にサタンが讒訴する条件をなくすためにです。まずお母様に対して、「お母様はみ旨に対して、完全にお父様と一つとなって生死を越えてでもやっていける自信がありますか?」(はい)。このことをお母様が完全に約束をしたので、もしお母様が失敗するようなことがあったとしても、サタンはもう讒訴することはできないのです。 次は、孝進様と上の姉と四家庭です。「あなた方は完全に父母様と一つとならなければなりません。もしあなた方が誤ってサタンの条件に引っ掛かるようなことになって、サタンがあなたを侵犯して悪い役事をしたとしても、父母様とみ旨の前には絶対に支障をきたさないことを誓いますか?」(はい)。今までにこのような宣誓をすることができなかったので、弟が責任もち、私が責任をもっていることを知らなければなりません。分かりますか。 次は、祝福家庭たちです。「三十六家庭を中心としたすべての祝福家庭は完全に父母様と一つとなり、子女様と一つとなることを宣誓しますか?」(はい)。今まで皆さんが問違った時には、父母が責任をもってきましたが、これからは父母は責任をもちません。分かりましたか? そういう意味で、きょうは真の父母の解放日です。父母が責任をもつ時代は終わったということです。今後皆さんがいかに間違ったとしても、神の国に、真の父母様の前に全世界の摂理の前に支障をきたしてはなりません。 今まで愛の中心である『愛天日』を定めることができなかったので、すべてを父母が、先祖のアダム、エバの立場において追求されてきましたが、きょうの『愛天日』を期してはそれを越えていくのです。今までアメリカの統一教会が過ちを犯したらすべてレバレンド・ムーンが悪いと言われましたが、これからは違います。これからは皆さんが責任をもたなければなりません。もし間違ったら皆さんが責任をもたなければなりません。これからは神様と真の父母の解放圏が始まるのです。 ここに全世界を代表して、一二〇カ国の宣教国の代表が集っているので質問します。「先生のみ言を中心として完全に一つとなって、愛の主管圏を越えていくことを誓いますか?」(イエス、ファーザー。イエス、ファーザー。イエス、ファーザー。アーメン)。皆さんは真の父母に自由を与えました。解放を与えました。(拍手) 先生はこれからは解放の場に行きます。歴史の転換の時代です。(拍手) それで一九八四年のきょう、先生は既に祈りの中で宣言しました。死の恐怖も愛でもって消化し、監獄の恐怖も愛でもって消化する、そのような宣言をしたのです。人類を中心として死を愛で消化し、今日の法廷闘争と地上の地獄を愛で消化するこのような式を先生は挙げました。『愛勝日』と『愛天日』を定めたという事実は真の父母がいなくては不可能なことです。真の父母が現れて、歴史上にこのようなことをすべてなして、後代の人々が行く道を高速道路のごとく作ってあげたという事実を、歴史をおいて永久に『愛天日』を誇りとし、『愛天日』を讃えつつ、記憶すべき日であることをこの時間宣言するのです。 親は息子を亡くした時ほど悲しいことはありません。しかし愛で越えたのです。すべてを愛でもって消化していく特権的な日を定めて、勝利の轄を打ったのです。愛のみがすべてを主管することができるのです。皆さん、これから転換が始まります。統一教会の喜びとなり、キリスト教の喜びとなり、自由世界に蘇生の光が差してくるのです。このような運動がこれから始まります。この誇り高き戦いと活動を展開していかなければなりません。既にイースト・ガーデンでは先生を中心として、また家庭を中心として『愛天日』を宣布しましたが、きょうこの時間に世界的に宣布します。今後私たちは百戦百勝するでしょう。蕩減時代は終わりました。これは世界の縮小であり、霊界縮小であり、神様の代わりにレバレンド・ムーンと一つになった場において、このような日を全宇宙の前に永遠なる歴史世界に宣布するという日であることを知らなければなりません。今や私たちは『祖国創建』という合言葉を中心として、前進することのできる時代に入ったのです。愛の地上天国を建設する時代へ進軍するのです。この時に進軍すれば愛国者の名を得て、神様の指示によって成すことができます。分かりますか? (はい)。皆さん立ってください。 互いに二人で手を重ね合って、お父様とお母様の代わりとして、父母様の愛の相続を受けるのと同じです。分かりますか? この世の中にはすべてのペアがいます。そのペアの中で愛が成立されるのです。それが正常です。相続権を中心として相続されるのです。愛の主管圏を宣布するのです。神様を中心としたペアにならなかったので、悪の主管圏に入ってしまったのでありますが、これからは神様を中心としてペアの世界化時代に入っていくのです。神様の愛の主管圏へ越えていくのです。分かりますか? ではお祈りしましょう。 愛するお父様。きょうは一九八四年五月二十日でありますが、この時間は一九八四年五月十六日の零時五十四分にイースト・ガーデンにて家庭的基準で宣布した『愛天日』を世界史的宣布の日に連結する日ですので、お父様がこの場に御臨在してください。 地上に真の父母がおられ、天の父母がここに臨み、霊界の興進様とイエス様を中心とした一二〇カ国家の統合的な環境的霊的世界すべてがここに臨み、地上の一二〇カ国の復活圏内の象徴的な実体がすべてここに臨んでおられるので、この場を期して、今まで悪なる愛によって神の主管権と所有権が奪われていたので、今、この世界史的な蕩減の頂上において、真の父母の愛と神の愛を中心として失われていた相続権を再び復帰すると同時に、愛の主管圏を立てることのできる『愛天日』を宣布するというこの莫大なる歴史的頂上に立っていますので、天、地、万宇宙が願っていた希願の日でありますので、一つの心、一つの志、一体の心情圏において、父母様の宣布されることを大いに歓迎しながら、お受けくださることをお願い申し上げます。 神様が共にいてくださり、父母様が共にいてくださり、父母様を中心として真の子女たち、祝福家庭が一体となり、神の国の愛の圏を中心としてこれから相続時代に向かって、前進することを宣布しますので、全天宙がこの時間を厳粛に受け止められることをお願いいたします。神の名と真の父母の名をもってここに『愛天日』を宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン。お父様、お母様、真の父母様、万歳。万歳。万歳。(拍手) 皆さん、これからは良い日が来るでしょう。だから今は汗を流さなければなりません。神様がすべて見ておられます。収穫期になったのです。『一情会』を知っているでしょう? 一情というのは全世界の間違ったことを私たちが代わりに贖罪して、すべての責任をもってあげ、そして『愛天日』を教えてあげるのです。興進様が行くことによって霊界の地獄の門が開かれたように、これから地上においては、地上の地獄の門が開かれるのです。すべての人々が神に直接通ずるようになるのです。霊的地獄世界と地上の地獄世界の監獄にまで通ずることができるようになったのです。 イエスが三日間地獄に行って門を開けたのと同じように、先生は三日間で地上地獄の門を開けたのです。分かりましたか? では朴普煕先生お祈りしてください。 (朴先生の祈祷) イエス様は十字架に掛かることによってすべてを失いましたが、きょうの『愛天日』の宣布によって、すべてが連結されます。これをはっきり知らなければなりません。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.20
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「創立三十周年記念日に際して」1984年5月1日 お祈り 愛する天のお父様。一九八四年五月一日、きょうは教会を創立してから三十周年の記念として、祝賀の日をもつようになったことを真実に感謝いたします。思えば今から三十余年前、複雑多難な復帰の摂理のみ旨を前に、世界史的な使命を促求された摂理の途上において『世界基督教統一神霊協会』という看板を掲げて、いつの間にか三十年という歳月が過ぎ去りました。 今こそ、歴史的な最後の頂上を越えて行かなければならない分水嶺の一つの頂上を目の前に直視しながら、最後の決断をなして天と地に勝利を宣布することのできる時代的な一時点に匹敵するこの時に、三十周年という日が、歴史的な観点からみてどれほど膨大であり、天の摂理的な記念日であるかを今一度心から思い、その期間、天がどれほど御苦労されたかという事実に対して、過去において私たちの先祖たちが犯した罪を回想しながら、また歴史的時代に生まれ合わせたすべての民たちが天の前に犯した過ちと、これからの後代、未来の後孫たちを見つめながら、今後もお父様の愛を通して許しを再び求めなければならないこの息子の姿をかわいそうに思って御覧ください。 この場に集っている子女たちは、世界各国から集ってきた後孫です。さらにこの国は、ヨーロッパのカトリック(旧教)が新教を迫害することによって、理想的国家の実現を求めて、大西洋を渡り、神の保護圏内で聖別されたアベル圏民族として新教を中心とする国家的理念を唱えるアメリカ合衆国であることを私たちは知っております。 このようにアベル的民族として立てられ、お父様の聖なるみ旨を世界史的な意味で一時に、国家と国家を蕩減し、勝利の天国にするために、カイン圏の国家を屈服することのできる一つのモデルケースとしてあなたが準備してきたのが摂理的アメリカの歴史でありましたが、アメリカ国民はこれを知らず、またアメリカ自体がそのみ旨の使命において担当すべき責任分担が何であるかを知らなかったため、アメリカが犯した歴史的な過誤がいかに大きかったことかを知っています。 キリスト教文化圏を中心として、全世界を神のみ旨の中において一つの胸に抱くことができた勝利の版図は、第二次大戦以後にアメリカが対処していた立場を考えてみると、その時天は拍車を合わせ、外的な世界の版図圏を整えた基盤のもとで、内的世界版図圏の基として出発させて、個人的な結束、家庭的な結束、氏族、民族、国家、世界的な結束を七年間に成すことでした。 キリスト教と自由世界が責任を果たせずして、お父様が準備しておられた完成期間を失ったその日から、神の祝福圏内に立つことのできる道を離脱して、神と背反し、あなたの版図の内的な中心である統一教会に反対することによって民主世界は悲惨なる歴史的罪を犯すことになり、サタンが支配する圏内に入ってしまったのです。これらのすべてを蕩減するためには、韓国における『六・二五動乱』という一つの祭物的な犠牲を通して、自由世界を代表した十六カ国のすべての若者たちが血を流し、共産世界の侵犯を防ぐための一つの橋頭堡的戦争があったことを摂理的な観点から再び思い起こします。 その時に血を流したすべての哀魂たちは、キリスト教を代表し、自由世界を代表して神の祭物的な立場に立っていたことを、霊界に行ってみて知り、地上の摂理の統一教会の発展を心から祈っております。また、霊界に行った数多くの歴代の聖賢、聖哲、すべての霊たちが地上に来て、すべての宗教を中心としたすべての信者たちに、今までの徹底したキリスト教を中心とした信仰者たちに協助し、心を一つにして摂理的な最終着的な目的のために邁進する統一教会の発展を精誠を込めて祈り、最後の頂上のその一時がこの世界に成されることを祈ってきたという事実を再び回想する時、先祖たちが霊的に祈願していたみ旨と、蕩減の歴史を知らない地上のすべてのキリスト教とこの自由世界の最後の運命を迎える現時点において、統一教会が初めて一つの正常的な立場において世界と人類が行くべき方向を提示し、暗夜の灯台のような一つの宗教的使命を担っていることを思う時、そればかりでなく自由世界の国々と世界のすべての民たちが行くべき最後の理想的ユートピアの世界である地上天国と実践要綱を提示することのできることは、人類の誇りであり、神様の摂理史的勝利の一つの表象であることを知っています。 このような歴史を残し、このような事実を収拾するため、長い三十余年の期間に残された悲しい事情も多く、天の悲しみと人間世界の曲折のその中において、真の父母の名をもってこの蕩減という悲しみの道を行かなければならなかった行路がどれほど険しかったかを今一度回想しながら、涙と感激の心をもたずにはいられないのが、現在の私の心情であります。 ここに参席したあなたの子女たちが、そのような心情とならなければならないこのような場であることをもう一度思いながら、きょうより三十年を越えた以後に、最後の頂上を中心としたイエス様の三年公生涯の闘いの歴史の路程が、統一教会の目の前に迫っていることを知っています。これを解放することのできる最後の前線の舞台に向かって勇進する統一の雄々しい群れとなることを許諾してくださることを、父よ懇切に願います。 統一教会においては、このようにして興進様を霊界に送りました。父母様の代わりに興進様が行くことによって、また彼の祝福によって、今日、五旬節という世界史的国家基準を中心とした一二〇カ国が初めて地上と霊界をつなぐことのできる新しい連結点をもって、国家的一つの父母を中心として、全世界の兄弟国家形態が今やこの中心に向かって糾合してくる歴史的版図と霊界の活動舞台が急進的に展開されてくるこの時であります。 今や統一教会と統一教会に属しているすべての食口たちは、一心一念一つとなって、内的外的に一つとなって、個人と家庭が一つとなり、家庭と氏族が一つとなり、氏族と民族が一つとなり、民族と国家が一つとなり、国家と世界が一つとなった心情的土台の上に、完全に真の父母と外的なすべての霊界を代表した興進様の一二〇カ国の復活的な五旬節国家形態に連結すべき最後の使命が残っているゆえ、統一教会の祝福を受け、民族を超越したすべての家庭は、国家と国家を代表したアベル的基準で国家的中心である真の父母様と一つとなることによって、外的な自分たちの国家基準に連結することのできる一つの祭壇的、アベル的使命を完結する最後の一戦が残っていることを私たちは知っております。 このような時点において、真の父母の名を通してすべての霊界に処している善なる主権者興進様を中心としてイエス様が一体となった基盤の上に、天の国の王権を成立させ、そうすることによって、国境とすべての民族を超越した善なる民族を糾合し、この王権基盤に連結させた霊的統一圏世界を整え、地上の統一圏、真の父母の主権圏を形成することのできる時代的使命が残っているゆえに、私たちは今年の標語の『祖国創建』という莫大な課題を中心として前進しているのであります。 三十周年のこの時間を期して、真の父母の名でもって、霊界と地上が神の権限を中心として霊界国の権限と地上国の権限が内的に結束して、天上世界と地上世界に内的な中心基盤を強固にし、外的に混乱した環境を整えて一つの方向に結束することのできる霊界と肉界の総動員命令を指示いたしますので、父母様の名と神様の意でこの日から実践挙行することができるように神様が祝福してください。 真の父母の名でこれを宣布しますので、この宣布するすべてが地上におけるだけでなく、天上宣布と同じように、悪なる霊が地上世界の地域ごとに独占しているすべてを撤収させ、神の善なる霊たちが、神の霊的王命に従って配置され、その悪なる支配圏を除去して善なる支配圏に戻すことによって、その圏内に住んでいるすべての良心的な人たちが、太陽が照らしてくるその所に向かって自分の方向を定め、また万物が方向を合わせるのと同じように、良心が太陽の本拠地に向かって自分も知らずに方向を合わせて、一つに結束する新しい歴史的時代に転換することのできるこの転換の日がきょうであることを知っておりますので、真の父母と神様の名でこのことを提示して勝利の天国へと進展、前進することができるように命令しますのでお受けください。また指示してくださることをお願い申し上げます。 きょうこの記念日を通じて、私たちが一心一体となって神の前にすべての忠誠を尽くすことを誓うこの場となり、霊界の働きにおいて常に主体的統一圏を備えなければならない統一教会と、今日すべての善なる後孫として生まれた良心的な人の心と体が懐かしくて一体となることのできる基盤を形成することができるように、先祖たちが協助支援することができるように、あらゆる方法で後援することのできる自由の雰囲気を許諾してくださることを懇切に乞い願います。きょう全体のすべてがなされ、天と地が喜びの日として記念することができるこの日とならしめ給え。すべての全体の指示においてお父様がお受けくださったことを感謝しながら、すべてを真の父母の名で祝願宣布いたします。アーメン。---------- ---------- ---------- きょうは三十周年記念日ですので、歴史的な摂理の過程をお話ししましょう。 皆さんが住んでいる外的世界を見るとき、世界的責任を担っている国、あるいは世界的使命を成す国はどのような国かというと、それは自由世界を代表したアメリカか、それともソ連であると私たちは考えます。そこで、人類歴史の終結のためにはアメリカとソ連が何らかの方法で一つにならなければなりません。一つの国、一つの世界にならなければなりません。それが私たちのターミナル・ポイントであると同時にターミナル・ホープなのです。 それでは、誰がこのような一つの世界をつくらなければならないのでしょうか? これが問題なのです。それは世界中の人々がつくらなければならないのです。しかし世界の人々はすべてが善い人と言えるでしょうか? そうではありません。善なる人と悪なる人の二つに分かれているのです。では善なる人と悪なる人の定義は何でしょうか? これが問題です。今日、私たちは最も基本的な現実について認識しなければなりません。歴史を通して常に真実であったことは、私たちが二つの世界に住んでいるということです。すなわち、一つは地上世界であり、一つは霊界です。私たちは宗教を信じないとしても、夢を通して、あるいは神秘的な事実を通して、霊界の存在を知っているのです。それゆえにこの地上の肉体をもった人々は、全霊界の善なる霊人、もしくは悪なる霊人によって影響を受けざるを得ないようになっています。ですから善なる人と悪なる人という概念の中には、善なる霊人の協助を受ける人と悪なる霊人の協助を受ける人との二種類の内容をもった人に分けられるという結論が出ます。 それでは、善なる霊人と悪なる霊人をどうして区別することができますか? 善なる人と悪なる人とはいったい何ですか? 皆さんが善い人と言う場合は、変化しない人のことです。一度約束したら必ず約束を守るし、原理原則的、順理法度に従って、変化しない道を行く人が善なる人です。そして悪なる人とは何かと言えば、順理法度がなく、朝、昼、夜、と一日に何度も変化する人です。このように大まかにみても、悪なる圏内と善なる圏内に分かれているのです。しかし私たちは本来、善であり得る土台があります。たとえ悪なる方向へ行く傾向があるとしても、本来は善なる人間であろうとする心をもっています。そのような変化しない土台があるのです。その性稟を良心というのです。ですから、良心に従って生きる人たちは善人であるということになります。 古代の東洋の哲学においては、“自分の良心に従って生きる人たちは善人である”と言われてきました。人生には横的な直線と立体的な直線の二つがあり、良心に従う人たちは、実際には立体的な直線に従って生きている人たちです。縦的な線に従って生きる人は、横にもまっすぐに生きることになります。縦と横に調和的に生きることによって、人間を完成させることになるのです。 それに人間のみが神の被造物の中で二本足でまっすぐに立って生きる唯一の存在となっているのです。なぜなら人間はそのような立体的な縦の直線に従って生きる、つまり良心に従って生きるようになっているからです。それゆえに人間はまっすぐに歩くようになっています。まっすぐに一つの道を歩むのが人間の本来の姿です。ですから、すべての人間は黒人であろうと、白人であろうと、黄色人種であろうと歩むべき道は一つしかないのです。それは縦的にも完全に一致し、横的にも完全に一致する道なのです。皆さんは一つとなることが理想なのですね。心と体が一つとなるためには(先生がしぐさで説明)このようにだんだん一つになるように育ててから、一つになれるのです。九十度、一八〇度、三六〇度を通じることなくしては、物も立つことができません。この『ニューヨーカー』も完全に水平的で垂直的です。そのような男子がいて理想的男性ビルディングを建てることができ、そのような女性が基盤になることによって理想的女性ビルディングを建てることができるということです。皆さん分かりますか? (はい)。高いビルディングとは何ですか? それは理想世界を意味するのです。アメリカは世界的な理想のビルディングを建てましたが、その地下室を見るとすべてがこうなって、こうなっているのです。(先生が手で示される) だから廃墟となってしまうのです。私たちは理想世界を論ずる前に、理想的な人の種をどこからもらってくるかという、人間の歴史において残された課題があることが今日まで分からなかったのです。私たちはどこからそのような男と女を得ることができますか? アメリカは種を必要としませんか? アメリカはそのような種をもっていますか? アメリカはそのような素晴らしい種をもっていますか? (いいえ)。なぜいいえですか? では、共産主義の世界はそのような種をもっていますか? これが世界の問題なのです。 人類始祖が堕落したので、地上にはこのような種がすべてなくなってしまったのです。それゆえ神はこの種を時になれば送ってあげると啓示しました。善なる霊人はそのような種を望んでいるのに、悪なる霊人が反対し、「ノー、ノー、私たちはそのような種は欲しくない」と言うのです。それで先ほど言ったように、善なる霊人と善なる人とは変わらない歴史性をもったものです。今日宝物が貴重であるというのは、ダイヤモンドが硬さにおいて変化しないことにあり、黄金時代の金は、その黄金の色において変化しないためです。真珠もまたその調和した色において変化しない特徴をもっているので宝として扱われるのです。その宝物を人間がなぜ好きかと言えば、変化しないことにおいて善なる側に立った物であるから好むという理論に通ずるのです。 このように人類の歴史においていかなる国が、いかなる思想が変わらなかったかという問題を中心としてみるとき、哲学も変わり、国家も滅亡したが、しかし宗教の歴史だけは変わらずにきたのです。これを知らなければなりません。それで歴史上に現れた聖人たちは、そのすべてが宗教的指導者であったというのが事実です。ですから人類は善なる側に行こうとする本心に従って彼らを追慕し、聖人として侍るのです。その侍られる人たちは、ますます宗教的指導者であらざるを得ないという結論です。皆さんもそう思いますか?(はい)。 サタンは国を占領し、悪なる国をつくっては滅ぼすのです。急に栄えては急に滅びるのです。サタンはこのようにするのです。そこで神様はこれをどのようにするかと言えば、善なる側が責任を果たすことができないことの蕩減条件として活用するのです。善なる国が堕落して、悪なる側に行こうとすれば、打って悔い改めさせて、また善なる側に戻るように、正しい道を行くように、今までの悪なる国々の興亡盛衰があったのです。 それではこれからの理想世界、ユートピアは毎日のように変わり、年ごとにも変わる世界でしょうか? それとも、永遠に変わらない平和の世界ですか? どちらですか? (永遠です!)。ではその永遠というのは白人中心としたものなのですか? (いいえ)。では先進国を中心としたものですか? (いいえ)。低開発国家にはこのようなものは必要ないでしょうか? (いいえ必要です)。誰もがみんな喜ぶのがこのような世界です。今までこの世界に生きている人たちが良いと言うことは何かというと、自分が良い服を着て、良い家に住み、自動車の良い物に乗って、人に羨ましく思われながら、飛行機を乗り回して便利な生活をすることが良いことだと思う悪い慣習性があるということを知らなければなりません。 では、そのユートピアは人間だけを中心としたユートピアですか、それとも神様を中心としたユートピアですか、また神様と人間が合わさって共同的目標が達成された立場におけるユートピアですか、どちらですか? 神様と人間のユートピアですか? 人間だけのユートピアですか? それとも神様のみのユートピアですか? (神様と人間です)。では、ユートピアは人間だけが宝として思う世界なのか、神様も宝として思う世界なのかと問われて、神様が宝として思わない世界であるならば、ユートピアは神様には永遠に必要ないのであります。神様に必要ないならばその場にサタンがいつでも入ってきて支配することができるのです。人類歴史の過程において善なる霊人、悪なる霊人がいて、お互いが人間を中心として戦っているのをみると、神様も人間が必要であり、サタンも人間が必要だということです。なぜ人が必要かと言えば、サタンは破壊的な世界をつくるため、神様は建設的なユートピア世界を再建していくための歴史的発展過程であるという結論が出るのです。 ではここに一つの例を出しましょう。善なる霊人というのはどういうことをするかと言えば、「この野郎め!」「何だ!」というようなことはしません。善なる霊人はどんなに反対する中においても耐え、どんどん入り込んでいくのです。(先生が笑いながら様子を示す) 耐えて、耐えて、誰が対抗してきても耐えて、更に本格的に熱心に活動するということによって、勝敗を決するという作戦がここから始まるのです。そうなると悪なる人はますます挑戦するのですが、善なる側は常に「静かにしなさい」「静かにしなさい」と言って耐えるのです。うるさくするのは悪です。悪なる側です。自分の夫に対して、妻が猫のように引っ裂いたり、かみついたとしても耐える人は良い夫です。犬のようにかみついたりしても、それに対して耐える夫は良い夫です。ブルドッグのようにかみついたりしても(笑い)、その時「マイ・ダーリン」と言えるそのような夫は良い夫ですね。(笑い) そうですか?(笑い) 歴史的にみても、引っ掻いたり、かみつかれたとしても、それに対し“耐えなさい、耐えなさい”という運動をしてくれるのが善なる神の側であり、善なる人たちでした。ですから宗教はいつも迫害を受けたのです。そして迫害を受けるたびごとに発展するのです。それは本当ですか、うそですか? (本当です)。歴史は人々の生活の延長であり、個人の性格を延長しているのです。 それでは善なる神はどこにいますか? エンパイア・ステート・ビルディングのこの狭い所にいますか? それとも大統領の官邸にいますか? 宗教の土台の上にあるかどうか、これが問題なのです。 きょうはレーガン大統領とローマ法王とがアンカレッジで会うそうですね。韓国に行く途上で会うということで、大騒ぎをしています。宗教の中においても一番の宗教は何かというと、迫害を受けながら、耐え忍んでいく宗教であるという結論が出るのです。それは正しいですか?(はい)。キリスト教を信ずる人の中でも、善い人と悪い人とに分かれるのです。どちらがより善い人であるかと言えば、厳しい迫害を受けながらも善を保護するために耐え忍ぶ人がより善なるクリスチャンであるというのです。これは正しいですか?(はい)。 私たちムーニーは一般的には善い人だと言われて、ムーニーであることを誇りにしていますが、その中においても善いムーニーと悪いムーニーに分かれます。皆さんは善いムーニーになりたいですか? それとも悪いムーニーになりたいですか? (善いムーニーです)。では金博士と、一二〇日修練生たちと、どちらが善いムーニーかと言った場合に、金博士ですか? それともアフリカから一二〇日修練会を受けに来た黒人のムーニーですか? それはより苦労し自ら進んでやっている方が善いムーニーなのです。同じようにそれはレバレンド・ムーンにも当てはまります。レバレンド・ムーンがより善い先生であるかどうかということは何で決まるかと言えば、統一教会のメンバーを働かせて、自分一人だけが楽に生きようとしたらそれは悪魔の使いです。しかし統一教会のメンバーよりももっと苦労しようとして先頭に立つ人ならば、神様の使いであり、神様が送ってくださった方であると思いなさい。 ですから統一教会の指導者は、レバレンド・ムーンの利他的な性質に従って、“為に生き、そして自ら苦労する”という伝統に生きる限り善であり、悪が侵入してくる余地がなくなります。だから先生はこれまでいつも忍耐してきました。先生にはユートピアたる天国を建設するという目標があるからです。このユートピアこそが先生の理想であり、終局目標です。それは変わらないものです。分かりましたか。世界的な峠を越えるためには自ら進んで冒険をするのです。 先生は昨日でこのアメリカの永住権を得て十一年目になります。アメリカに来てから十一年間先生はいろんな問題を起こしてきました。ある意味で戦ってきたということが言えます。その結果多くの反対を受けました。それはただ単にマスコミからだけではなく、アメリカ政府や、フレーザー委員会などの反対を受けました。そして今や裁判問題として反対されています。しかし先生は「アメリカよ、あなたは神に属する国となりなさい。さもなければアメリカのこれまで受けた祝福は取り上げられて国は破壊され、運勢が悪くなるでしょう。そのような破壊的、破滅とか悲惨なことを防ぐために私はアメリカに来たのです」ということをアメリカに言い続けてきました。 真実を語ることは常に辛いことです。耳に痛いことです。それゆえアメリカは、常にこれまで先生に対して辛く当たってきました。そしてアメリカの人たちはこのような先生の率直な警告や忠告を聞くときに、「レバレンド・ムーンよ、お前は何者か。我々は白人であり、お前は東洋から来た黄色人ではないか。我々はこの国の主人である。お前の言うことを聞く必要はない」などと言って反発します。しかし先生の警告は決して自分のためではなく、このアメリカのためなのです。これなくして、この国は衰退し滅ぶ虞があるからです。アメリカとしての責任を果たさなかったならば、この祝福は取り上げられてしまうでしょう。 この世で行うボクシングは十五回戦までありますが、先生はこれまでに三十回戦を戦ったのです。(先生の笑いと拍手) 今度のこの戦いが終わって先生が勝利者となるならば、世界のいかなる所へ行っても、もはや先生に挑戦する者はいなくなるでしょう。それはどういうことかといえば、神様が愛する息子が永遠に変わらない世界のチャンピオンとなることを望んでいるということです。それが神のチャンピオン・シップです。そうなるためには、先生は文字どおりこれまでにあらゆる人々から反対されました。ユダヤ教も反対し、キリスト教も反対し、アメリカも反対し、宣教師を送った一二〇から一三〇カ国のすべての国が反対したのです。それは人々だけではなく、サタンまでもが合わさって反対し、挑戦してきたのです。ですからこれから人類だけが手を上げるのではなく、サタンも手を上げるようになります。サタンの霊的な力とサタンの肉体的な力の両方が降参するのです。その時が今なのです。 もう一時間が過ぎましたね。きょうは話すことが多いのに時間がなくて困ります。これでやめましょうか? (いいえ)。 これまで先生が皆さんに話してきたことは、善と悪との明確な定義を知らなくてはならないということです。なぜこれが必要なのかと言うと、歴史の善悪に対する概念だとか、歴史発展においての善悪に対する概念が今までぼんやりしていたからです。これを明確にしなければ何の話をしても混乱が生じるのです。ですからまず、このことを話さなければなりませんでした。 かつて、先生が個人的基盤を整えるために出発した時でも、韓国家庭基盤のために蕩減復帰をするのではなく、既に目標は全世界を救うことでしたが、その世界という舞台をおいて、世界の中の韓国、韓国の中の家庭、その家庭の中心に立っている私という自主性をもって出発したのです。だから先生の闘いは常に世界的でありました。神のチャンピオンとして常に世界的なサタン勢力によって、反対も受けてきました。ただ単に家庭とか、国家とか、韓国とかいう、そういうレベルで反対を受けたのではなくて、宇宙的、普遍的、世界的レベルでの反対や迫害を受けてきたのです。先生の個人的な基盤における闘いであっても、それは天宙的な世界的な意味をもっていました。そして先生は個人の基盤における闘いを勝利して、次には家庭的基盤の摂理に入りましたけれども、決して単に家庭だけの闘いではありませんでした。サタンも世界的な天宙的な勢力を動員して、その家庭を粉砕しようとしてきました。このように先生は一歩一歩闘ってきたのです。 先ほど述べたように、人類は本来の理想世界のひな型となる公式、すなわちメシヤを求めてきました。つまりメシヤというのは、真の父母のことです。真の父母とは完全な人間であるということです。そのような内容をもったチャンピオンが現れたので、サタンはあらゆる方法で粉砕しようとするのです。分かりましたか? それで全世界から若い男女を集めて接ぎ木するのです。過去のものを切り捨てて、父の芽、母の芽の新芽を植えておくというのが祝福なのです。新しい木に接ぎ木されるためには、古い木はカットされなければなりません。そのために切り捨てられる時においては、“私の身が切られるのだ、私はもはや首を切られ死んだ”と言うことによって、初めて接ぎ木がなされるのです。それで約三年間接ぎ木しておけば、レバレンド・ムーンは私たちのカップルをよく結んでくださいましたと感謝するようになります。このようにして、世界のすべての国家を代表した若い青年たちを選んで接ぎ木して、その国に植えておくのです。 それでは、ムーニーの故郷はどこでしょうか? 故郷というのは、両親の住んでいる場所です。それは正しいですか? 間違いですか? 子女とは父母が食べる物を食べ、父母が着る物を着、父母が話す言葉を話さなければなりません。(拍手) 父母の言葉を話すことができない人は、「私はあなたの子です」と言うことはできません。このような話を聞くと、「オー!オー! これを見ろ! レバレンド・ムーンは独裁である。言葉までもなくし、文化も国も人種もなくし、大変だ!」とアメリカの人々が大騒ぎするのです。皆さんの両親は、皆さんがこのように座っているのを見ると「あれはレバレンド・ムーンが教えたものであって、アメリカの風習ではない。どこに椅子があるか。それはアメリカの習慣ではない」と言うのです。(笑い)我々は両方を使っています。時にはこのように座り、またこのように椅子にも座ります。昼も夜も働くことができるように両面性があるのです。それが本来の人間なのです。皆さんはそのように座っていることを好みますか?(はい)。 私は信じません。皆さんは英語を話しています。(笑い) 私は皆さんを信じません。先生は韓国語で話しています。それなのに皆さんの使う言葉は英語です。だから愛が分からないというのです。西洋人は父母の愛を知らないのです。野原で好き勝手に生きてきたようなものです。 皆さんは家庭の次に何がなければなりませんか? 皆さんには故国がありますか? (いいえ)。皆さんが霊界に行くと、まず「どこから来たのか?」と尋ねられるのです。宇宙を代表した地球星でありますから、アメリカとか韓国とか日本から来たということではなく、あなたの故国のことなのです。そうです、父母が生きておられた国が故国となります。人類は堕落したことによってすべてを失ったので、家庭を捜し、故郷を捜し、故国を捜して行くべきこの道を覚悟して、死んでからでも行かなければならないのです。そのような運命なのです。だから全世界の統一教会のメンバーにとって、どこが家庭であるかと言えば、イースト・ガーデンがホーム・ベースであります。全世界の統一教会はすべて、「イースト・ガーデン、イースト・ガーデン」と言うのです。アメリカの人たちはアメリカ的色眼鏡を掛けて、イースト・ガーデンを見てはいけません。 ですから本来の人類の原型ともいうべき男性と女性が地上に現れなければなりません。絶対的な垂直的線と水平的線が九十度に交わったそのような原型がこの地上に現れなければならないのです。その原型が真の父母なのです。神様は真の父母、真の男と女が現れたことを知っています。同時にサタンもまた、そのことを知っています。それゆえサタンは可能な限りのあらゆる勢力を動員して、真の父母が成功するのを妨害しようとしています。しかしそうなってはならないので、神様は保護するために宗教をつくってきました。そして本来はこのように、上の線と下の線の二つの線が(黒板を使って説明)平行に並んでいました。そして人間は下から上に向かって成長し完成するようになっていたのです。それが堕落前の状態です。しかし堕落によってこの上と下が引っ繰り返ってしまいました。その結果、下にあるべき悪の存在が上に来てしまい、上にあるべき善が下に来てしまいました。ですから復帰歴史においては、善の勢力がだんだんに下から上へ上昇し、悪は上から下へとさがってきました。善なるものが、上に昇っていく歴史過程における闘争路程に立っているのです。何の話か分かりますか? 個人交叉点、家庭交叉点、氏族交叉点、世界交叉点、これを合わせて取り返さなければならないということです。堕落による歴史的な怨恨の宿命が残っているということを知らなければなりません。これまでサタンが原理型に立ってきたので、いくら神様がいるとしてもこれに反抗することができないで、上の命令を受ける下の立場で圧力を受けてきたのです。 歴史上において、個人的交叉点に勝利した個人時代の勝利者として天と地を代表して現れたのが、イスラエルと呼ばれるようになったヤコブです。ヤコブがヤボク河で天使に勝利して故郷に帰り、十二人の子供の勝利した条件をもって十二氏族が生まれ、イスラエル民族が生まれたのです。暗のサタン世界において、この道についていけば神の勝利圏の保護を受ける(黒板の図を示す)神の国の主管圏です。これを順理的に、原理的にこのように回って(図を示しながら)発展することができるのです。 それで旧約時代においては、すべてが『やってはいけない』という教えなのです。それはサタンと反対側に立つために、サタンがたばこを吸えば、「たばこを吸うな」、酒を飲めば「酒を飲むな」と、すべてに「するな」と言ったのです。サタンが好むものは個人的圏が(図を示しながら説明)延長されるからです。既に皆さんも知っているとおり、ヤコブがラバンの大家族圏内に入って二十一年間僕として生活し、氏族の迫害を受け、それに耐え忍んで氏族の祝福を受けて、帰ってくる時、エサウが一つとなったことによってイスラエル氏族圏が形成されたのです。そうでなければエサウ民族圏の前にアベルが現れることができないのです。何の話か分かりますか? 対等なる神の民族圏をもって、対等なるサタン圏エサウの前に出て、どちらがより耐え忍んで勝利し、相手を愛するかという観点から、サタンと神様の所有権交叉が起きたという事実を知らなければなりません。 なぜそうしなければならないかと言うと、神様の世界では本来は長子が祝福を受けるようになっているのであって、次子が祝福を受けるようにはなっていないからです。次子の立場にいる長子を取り戻してこなければ、神の国の息子の立場に立つことができないのです。祝福を受けられる原理基準がないヤコブが、兄が狩りから帰ってきたときレンズ豆とあつものを与えて、長子権を買ったという事実は驚くべきことです。このようにしてヤコブは長子権と祝福を相続するという条件が出来たのです。 このことについては原理を通して既に皆さんは学んでいますから、詳しくは言いません。今日の重要な点は、神の祝福を受けるためには、長子権を相続しなければならないということです。 ヤコブの基台は家庭的な基盤でしたから、次にアベルの氏族が家庭圏を中心としてサタン世界に入っていかなければなりません。長子権がサタン世界にあるので、サタンの代表国であるエジプトに入って闘うのです。数多くのエジプト人の迫害を受けるのです。イスラエルは四百年間迫害を受けながら耐え忍んで、神のために出エジプトして、エジプトの国を屈服させてイスラエル民族が神の国を探すことのできる権限をもつために、荒野を経て行かなければなりませんでした。ここでは国を求めることが最高の希望であります。そこには息子、娘、夫、妻、の飢えや死が問題でなく、すべての六十万の人々が倒れたとしても、六十名だけでも残って国を求めるように、皆が死に直面しながらも激励しなければならなかったのです。それなのに混乱が起きて、すべてが倒れてしまったのです。 モーセが知恵深く、血気に走らなかったなら、一線で働いているエジプト人を殺しはしなかったでしょう。モーセが主権を相続されて王となったら、その後カインの国を復帰した基盤の上で、イスラエルの復帰も自動的になされたのです。モーセが血気に走って、エジプト人を殺すことによって、み旨が途絶されてしまった事実を知らなければなりません。 当時エジプトは中東地域全体に影響を及ぼすことのできる強国だったので、カナンの七族というのは問題ではなかったのです。すべてエジプトの王モーセの名で平定することができたのです。そのようにしてカナン福地にイスラエルの国家をつくって、祭司長が国家を中心としてモーセに侍ることができたなら、これが一つの統一された国家形態となって、カイン、アベル国家基準を中心とした基盤にメシヤが来られて父母の立場に立てば、ローマ帝国がすべてそこに入ることができたのです。 このように直行できたのに(図で説明)そうならずして、六十万のイスラエル民族は民族基盤を中心として、すべて国の圏内で迫害を受けることになるのです。本来ならば(モーセの失敗がなかったならば)これが一気にここに上がるのです。それでこの直線を中心として(図で説明)このように民族的に広まって、拡大されていくのです。これが善となり、これが悪となって、ここですべてがメシヤを中心として、真の父母を中心として、カナンの地から永遠に出発すべきであったのが神様の摂理観でした。 神様はユダヤの国に内的な宗教、ユダヤ教を与えてアベルの民とし、カイン的な立場においては国をつくりました。なぜかと言えば、異邦民族をアベル、カインとするには文化圏が異なり大変難しいのです。ですから一つの文化圏内にアベルとカインの形態をつくったのが、ユダヤ教とイスラエル民族であったということを知らなければなりません。 皆さんがここで知らなければならないことは、兄弟同士が戦う所にはいつもサタンが留まるので、真の父母や神様が臨むことができず、善なる霊も協助することができないということです。なぜなら、真の父母はカインとアベルが一つとなった基盤の上に復帰されるようになっているからです。この原則を中心として、個人的にその原則が適用されて勝利するようになるとき、カインはアベルに屈服しなければなりません。カインがアベルに屈服し、アベルが兄となり、カインが弟の立場に立って、アベルを兄として立てて、堕落しなかった本然の兄以上に従順にならなければ復帰することができないのです。これが原理です。 なぜそうしなければならないかと言うと、堕落していない本来の世界では、長子が祝福を受けるようになっているからです。次子としては祝福を受けることができないのです。ですからサタン世界に行って、サタンが長子としてこの世を支配してきたのでサタン世界と闘って勝利のチャンピオンの贈り物を持ってこなければ、兄の立場、アベルが兄の長子の立場に帰る道がないのです。このようにして不可避的に個人的なカイン、アベルの闘い、氏族、民族、国家、世界型カイン、アベルの闘いを展開しながら、行ったり来たりして、蕩減復帰の歴史を繰り返しているというこの過程を知る人がいなかったために、今まで数多くの宗教人や数多くの信仰者たちが犠牲となったのです。 それでは、長子屈服の秘法は何かというと、サタンが言うには、「神様も完全なる神様であるし、あなたが捜しておられるアダムとエバも完全なるアダムとエバであり、そのアダム、エバは、堕落していなかったら本然の天使長である私自身を愛するのが原理の基準である。私は堕落して悪くなってはいるが、あなたたちが善で正しい立場にいるならば、悪い私であっても愛したという条件を立てることなくしては、あなたがたは神様の役をすることはできない」。また「私が、神様の前で降参することがあるとしたら、それはあなたが送った人が私を愛し、神様と一緒になって私を愛する立場に立つことです。もし、そのように愛したという条件を立てなくては、長子の権利を次子がもっていく道はない」と。 だからイエス様は「敵を愛しなさい」と言ったのです。その敵というのは敵個人ではないのです。敵の家庭、敵の民族、敵の国家、敵の世界を愛することなくしては、敵の世界の長子権を取り戻すことができないのです。神様の復帰摂理の歴史的な路程をよく知っているサタンが主張していることを正しく理解しなければなりません。皆さんは個人基準の長子復帰をした後、家庭基準の長子復帰をするために、必ずサタンが家庭的に迫害し、殺そうとする一線に出て行って闘い、愛でもって屈服させて私たちの伝統のすべてを教えてあげて、自然なる心の感動と涙で悔い改め、「あなたのために生命を捧げて祭物となります」という宣誓をさせなくては、そのカイン世界の祝福圏を取り戻してくることができない事実を明確に知らなければなりません。 このような闘争的過程をよく知っておられる神様は、歴史上に宗教を立て、旧約時代にはイスラエル民族をして外的闘争国家基盤をなくするために、イスラエルの国がユダヤ教を中心として一つとなった立場においてメシヤを迎えるための基盤を、四千年間準備してきたことを知らなければなりません。ですからユダヤ教とイスラエル民族がメシヤと完全に一つとなって「私たちはあなたを愛する息子、娘です。どうかあなたは父母の道を自由に命じてください。あなたの教えは生命よりも大事で、国よりももっと貴いものです」というように、イスラエル民族がイエス様に従っていたならば、これは理想的な形となっていたでしょう。それが当時のイスラエル民族のなすべき道だったのです。それが原理です。 しかし実際にどうなったかといえば、イスラエル民族はイエス様に従順になることなく、イエス様に対して「あなたは何者だ。我々はモーセに従ってきた。あなたは悪鬼の頭にすぎない」と、イエス様を退け、拒否しました。つまりこのことはメシヤの子となるべきイスラエル民族が、親に従わなかったということです。そのような状況において、どうしてイスラエル民族を復帰することができましょうか。このようにして完全に選民イスラエルがサタンに奪われてしまったのです。それによる不可避的な結果として、イエス様が十字架にかかることになってしまったのです。 神様の本来の願いは、真の父母の(名)権威を通して、天上天国と地上天国が成立するはずでした。メシヤの名前だけでは地上天国と天上天国は生まれません。今日のキリスト教においてはその点がはっきりしていません。イエス様が神様の子であるということは知っています。しかしそれでいて、なぜイエス様は「自分はパラダイスに入るであろう」と言われ、「天国に入る」と言われなかったのでしょうか。パラダイスは天国に入るための待合室なのです。天国というのは真の父母としての完成と愛の基盤を通してのみなされるのです。霊界の王国を創建するのは真の父母の使命なのです。イエス様は真の父母になることができなかったのです。 今までの堕落した世界では、真の父母の愛を受けた者もなく、真の父母を見た人もなく、真の父母が現れた行跡もないのです。だから霊界にもそのような基盤がなかったのです。真の父母というのは縦的、横的に九十度に交叉する人類の原型です。原理基準にぴったり合うのです。それが公式なのです。右へ九十度の男性と左に九十度の女性が一体化して一八〇度となり、上下に一体化すれば三六〇度になるこのような存在です。また結婚した男女がプラスとマイナスの立場において一体化するときに、そこに子女が生まれて家庭基盤が出来ます。これが家族の原形です。この家庭の核を中心にすべてが集約されます。男の愛、女の愛、息子の愛、娘の愛、父母の愛、神様の愛がすべてこの核の中に入ってるのです。 この核の中で、神の愛と真の父母の愛を中心として、父母を愛し、夫を愛し、子女を愛せば誰もが天国なのです。男も女も地獄に行くことができないのです。子女を愛するようになっているし、夫を愛し、父母を愛するようになっているのです。教育も必要ないのです。自動的に天国の市民となることができます。このような核の家庭においては、兄弟同士の意見の違いとか対立があったとしても、けんかをした後にはもっと団結するのです。決して家庭は崩壊することはありません。 しかしこの世界は、真の父母がいないからお互いが争った後には分裂し崩壊してしまうのです。妻と夫と、父母と子女が縦的に横的に分かれてしまうのです。世界的にそのいい例がアメリカの家庭です。夫と妻の間にも親と子の間にも、一貫性がなくたやすく崩壊してしまいます。両親がすぐに離婚してしまったり、家庭が崩壊してしまいます。 皆さんは真の愛の定義を知らなければなりません。真の愛とは神の愛と真の父母が一つとなったものです。これが永遠に変わらないものです。なぜならば神が中心であり、真の父母が実体としているからです。それゆえに神なくしては真の愛はありません。ですから、神なくして真の愛を語ることはできません。真の父母がいなければ真の愛はありません。たとえ神がいたとしても、真の父母がいなければ真の愛となることはできません。真の愛というときには、神と真の父母の両方が一体化して両方の愛が一つとなったものでなければならないのです。それが真の愛です。そうですね。(アーメン)。アーメンというのはno a manという意味です。(笑い) では、地上天国を成そうとする人たちは何をしなければならないかというと、真の愛をもって祖父母と一つとなり、父母と一つとなり、夫と妻が一つとなり、三世代がいつも一つの圏内にいなければ、真の愛の圏はあり得ないのです。これが天の四位基台の公式です。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、それから子供たち。それぞれに男性と女性が神を中心として一つとなって基本的な公式をつくるのです。 皆さんは真の愛が必要ですか? (はい)。真の愛は誰のために必要ですか? (あなたのため)。いいえ違います。答えは、まず最初に真の男と真の女がいなければなりません。その次には真の父と真の母です。もし先生が甘いと言ったら、神様は苦いと答えるでしょうか? (いいえ)。真の男と真の女が愛する時に、その愛は甘いものです。その甘さは神様も味わいたいと願っておられます。神様が理想的に味わおうとする愛であることを知らなければなりません。 先生はもっと話をしたいのですが、時間がたつのが早くてもう二時間もたってしまいました。これで終わりにしますか? もっとやりますか? (はい!)。先生は汗をかいてしまいました。統一教会の三十周年記念日に先生が服を脱いだとしたら、これが伝統として残るためにどんなに汗をかいても服を着ているのです。皆さんがこういう日に服を脱ぐようなことがないようにする伝統を立てるためです。 皆さんは理想的な世界、ユートピアへ向かって進んでいます。しかし、その目標は、真の家庭のルートを通してのみ実現することができるということをはっきりと知らなければなりません。先生が、原理結果主管圏(間接主管圏)内と直接主管圏内を、また神様の愛と父母の愛を連結した基準があるので、今日その愛の橋を通してのみ霊界と肉界が行き来することができるのです。これを知らなければなりません。皆さんは既に原理的な観点を学んでいますが、神の直接主管圏と間接主管圏というのがあり、この離れている二つの部分をどのようにして一つにするか、これが問題なのです。 それは真の愛を通してのみなすことができます。アダムとエバが一体化する時に、横的に真の愛が表れます。「ああ、あなたは私のパートナーだ」とお互いが認め一体化するその時に、真の愛がそのアダム、エバのカップルを通して地上に表れます。そこでプラスの愛が、マイナスの立場の人間の愛の上に表れた後は、すべてが自動的に達成されます。なぜならば、真の愛によってすべてが復帰されるからです。すべてが解決され、世界的なユートピアが建設されるのです。そうですね?(はい、先生)。 人類にとって最大の喜びは、真の父母という言葉です。真の父母がいなければ真の愛を受けることもできず、したがって真の愛を味わうこともできません。それゆえ真の父母がこの堕落した人類に現れたということは、人類にとって最大の福音なのです。(拍手) それゆえに人類の歴史は善悪の交叉点を待ち望んできました。それを通過すれば悪が低下し、善が上昇してそして歴史が終結する、その時を人類は待ち望んできたのです。それでは、いかにすれば暗い世界が追い出されるかというと、アベル圏を拡大する以外には道がないのです。皆さんはこれを明確に知らなければなりません。歴史は常に長子の権限を奪うために、個人のレベル、家庭のレベル、氏族、民族、国家、世界のレベルで戦ってきましたが、準備された国家基盤を中心としてメシヤが来られて、カイン、アベル形態のすべての次元を一度に交叉する時がすなわち終わりの日です。 メシヤがユダヤの国に来たとき、ユダヤ教とユダヤの国が子女のように完全に絶対服従して、たとえ死の道であってもメシヤが東へ行けば東へ行き、西へ行けば西へ従って行くことができたなら、メシヤは死ぬ必要がなかったのです。イスラエル国とユダヤ教が一つとなり、アラブ圏である現在の中東圏が完全に一つとなることによって、インドの仏教文化圏と、アジアの儒教文化圏の連合運動が自動的に起こるようになっていたのです。宗教的カイン圏を吸収することによって、アジア圏全体が統一されて、ローマは自動的に崩壊するようになるのです。サタン世界のローマ圏よりも神側がより強く優秀であり、ローマを消化することは問題ではなかったのです。それがメシヤを送ってなそうとした神様のみ旨であり、世界の基盤を整えようとした神様の摂理であったのです。 これがどうなったかと言えば、反対されたためにローマに行ったのです。なぜローマに行ったのですか? すべてがサタン側に立って反対するので、神がイスラエル圏からアジア圏にまでも立てようとされた祝福権を全部サタンが讒訴し、そのすべてをローマに引っ張って行ったのです。それを取り戻すためにキリスト教信者たちは西へ西へと、死の蕩減の道を経て四百年間、あらゆる歴史的失敗を蕩減して、世界統一版図圏をつくっていったのです。それでローマを経て、英国を経て、アメリカを経てどこへ求めて行くのでしょうか? 本来はイエス様が来られ、アジア文化圏を一つにし、世界を一つにし、本然の世界をつくらなければならないので、西欧の文明はキリスト教文明によって二千年回りに回って、この太平洋とアメリカを中心としてアベル圏のメシヤ基盤を築くために、自由世界の名でもって、サタン世界のすべての条件をもったそのような立場の国家群と戦って勝利した戦争が第二次大戦であったのです。 それで第二次大戦以後には、キリスト教文化圏を中心に、その命令の前には全世界が従わなければならない統一的文化圏が初めて形成されたのです。そこで政治体制においては国連が生まれたのです。しかしまだ宗教の国連が出来ていません。宗教世界の国連がなければならないのです。その宗教の国連を中心として現在の国連が一つとならなければならないのに、宗教の国連が生まれてこなかったゆえに、現在の国連が共産党の基地となってしまったのです。それは使命を成すことができなかったからです。 そこで先生はアイゼンハワーに会って「あなたがこのような国連をつくって、この世界を指導する基盤としなければならない」と提案したのです。宗教の国連をつくらなければ共産党を防ぐ道はありません。 では話を第二次大戦直後に戻しましょう。第二次大戦直後に先生が現れたのですが、先生は結婚した人たちではなくて、堕落していないアダム、エバのような十代の立場を訪ねていく使命がありました。統一教会に若い人たちが入ってくるのはそういう原理原則によるのです。これが復帰の重要な概念です。 エジプトにおいて、神は、長子を全部殺しました。長子権を主張する者を全部奪ってしまいました。このようにして長子権がなくとも、長子権をもってくるのです。また四三〇年苦労し蕩減条件を立てて、すべての万物をエジプトから持ち出しました。しかし、もし神様がエジプトで長子を打つことをしなかったなら、イスラエル民族が荒野で死ぬことはなかったでしょう。サタンが「あなたが長子を打ったでしょう」と言って打ってきたので、長子の立場、第一先祖たちは荒野の途上でみな死んだのです。ですからカナン復帰ができたのは二世たちだったのです。そうですか?(はい)。このような原則によって歴史は動いているのです。人間は原則を知らないとしても、このような公式的条約によって動いているのです。 レバレンド・ムーンが現れることによって、このようなすべての秘密が世界に公開され、かつ実践し蕩減して、勝利の基盤の驚くべき立場に立っている統一教会であり、そしてこの驚くべき世界の転換点の頂上を越えることのできる日が三十周年のきょう、五月一日なのです。 ユダヤ教とイスラエル民族が一つになることができなかったゆえに、アジアを消化してローマを消化することができなかったのです。ですからそれを延長して霊的基盤を代置して、四千年蕩減期間をキリスト教史二千年を通して世界版図圏を拡大しつつ、ローマ圏を経てアジア圏形成に向かって進んでいるのです。西欧を通してアジアに帰ってくる歴史の過程が、二千年キリスト教文化圏であることを知らなければなりません。 では再臨の時代はいかなる時かと言うと、西欧文明とアジア文明が一つに連結する時なのです。イエス様はアジア文化圏を結成して、西欧文化圏を消化しようとしたのであって、西洋と東洋が再び出合う時が終末となるのです。そして今、このアメリカという国が世界的終末のローマを代表した立場に立っています。しかしそれはサタン側のローマではなく、神の側に立った天使長的ローマです。それが二千年前と異なる点です。それはイエス様と今まで犠牲となったキリスト教の蕩減条件の上に形成されたものです。 再臨のキリストという言葉の意味は何かと言いますと、それは真の父母が現れるということです。本来真の父母はどこから出発したのかと言うと、エデンの園のアダム、エバから始まったのです。それをイエス様を通して再現しようとしたのが失敗し、イエス様の代わりにこれをなすために来るのです。そのために今日の統一教会とキリスト教とは離れることができないのです。 イエス様が来られた時には、国家的次元において、ユダヤ教とイスラエル民族が一つになる基準が必要でした。それが失敗して死んでいったイエス様以後の二千年蕩減復帰の基盤の上に立っているこのキリスト教文化圏は今、世界的にカインとアベルが完全に一つとなった立場に立ったのです。世界が神様の統治圏内に完全に統一された時なのです。それですべての外的な国はアメリカと一つとなり、アメリカの文化圏がキリスト教文明圏と一つとなったということですから、アメリカとアメリカのキリスト教が、また、韓国と韓国のキリスト教とが一つとなってメシヤを迎えることができたならば、宗教はもちろん、大韓民国と世界的国家が完全に連結されて、世界の基盤の中心となって、(図で示す)すべてが一時に直線上で一挙になされるのです。 その時の李承晩大統領は、アメリカの教育を受けて、英語をよく話す人でした。その夫人もアメリカの女性でした。これは不思議なことです。正にキリスト教文化圏を中心とした主権の代表が現れる時なのです。またその時のアメリカの軍事政府の中心がハッチ将軍だったのです。この時、李博士がハッチ将軍の言うことを聞いていたなら大変なことになったのですが、李博士は自分の主張を通しました。これは素晴らしいことなのです。李博士がアジア文化圏の代表となって、西洋文化圏の代表であるアメリカのハッチ将軍に対して民族的自主性をもったのです。皆さんは西洋の歴史は知っていても、韓国の歴史は知らないでしょうから教えてあげましょう。 韓国動乱の時、北朝鮮の捕虜たちを釈放するということに対し、アメリカ政府の方針はすべて北へ送還するようにということでしたけれども、彼らは北へ帰ることを望まなかったので、アメリカが彼らを北へ送り返すとしたら、それは非人道的なこととして反対されていました。それで李承晩大統領はある晩、ひそかに捕虜収容所のドアを開けて、何万人もの北朝鮮の捕虜を釈放して自由を与えました。これはメシヤ的な考えに従った善い処置でした。 先生は当時、十代のクリスチャンたちを復帰しなければなりませんでした。そこで十代の若者の復帰のため、先生が訪ねていったのが梨花女子大学です。梨花大学は女性の学校で長女格であり、延世大学は男性の学校です。この梨花大学と延世大学の若い男と女が国家代表として復帰されたら、李承晩大統領を支えるのです。その次は、李承晩大統領が信念をもって神様のみ旨に立って世界の統一を主張し、そこで完全にアメリカと一つとなって世界へ延びていくことができたのです。それを知って、金博士はみ旨に反対したのです。金永雲ほか五人の課長たちが追放され、多くの学生たちが退学処分を受けたりしたのはみな、宣教師たちの名によってなされたのです。分かりますか? これが怨讐です。アメリカが怨讐になったのです。そのため神様の版図として立つべきキリスト教文化圏と、世界の版図圏をもったアメリカが、メシヤのために準備しなければならないにもかかわらず、反対したことによって先生は北韓へ行くしかなかったのです。共産世界を訪ねていって再び捜す条件を立てずしては、南韓に来ることができなくなったのです。 一九五四年南韓の地に来て、そこから統一教会の縦的版図基盤を整えて、初めて統一教会を中心として、キリスト教が失ったキリスト教国家、世界の自由国家統一圏を再び先生が二十代から六十代までの四十年間をかけて捜し求め、イエス様がなさなければならなかった新郎、新婦の聖礼式を中心として、世界に向かった家庭基盤を世界国家版図として拡大して、アメリカを代表としたキリスト教文化圏と対等になれる時代がきたのです。 アメリカの大統領、アメリカの国、アメリカの文化圏は、統一教会の基盤、統一教会の一員としての皆さんにかないません。このアメリカとキリスト教文化圏がすべて、アジアに帰らなければならないのに、帰ることができない立場にある以上、アメリカは腐敗するようになるのです。仕方のないことです。そこで先生がアメリカにやって来て、アジアに帰ることのできる道をつくってあげているのです。 二千年前にクリスチャンがローマに行って、そしてついにはローマを屈服させ連結させたのと同じようにするのです。このキリスト教文化が反対することによって、アメリカがローマのような立場に立ってはならないので先生は、先生の弟子であるアジア人の十二使徒をアメリカに連れてきて、神の主要な摂理をアメリカに連結させて、再びアジアに戻っていくのです。イエス様の時の文化圏の蕩減すべき使命をなしているのです。このことによって、皆さんは神の摂理に参加する資格があるのです。分かりましたか?(はい)。 皆さんの中で不平不満のある人はいませんか? 統一教会に入ったら、自分には個人的見解もあるのに、何も認めてくれないとか何とか言って、不平を言っている人がいるかもしれません。我々は今、現代の荒野路程にいるのです。イスラエルの四百年間の苦役の路程を、第二次世界大戦後の四十年間で蕩減復帰するのです。この荒野路程の最後の二年路程を勝利しなければ共産主義に滅ぼされてしまいます。四十年間で蕩減復帰するのです。そしてキリスト教文化圏、統一された文化圏、統一された自由世界圏に向かって前進し、私たちの祖国を創建しなければならないのです。 歴史上において、現代の世界情勢がこのように複雑に変化していくのは、六千年の蕩減復帰路程に合わせるための過程に突入しているからだという事実を知らなければなりません。それは誰を中心としてかと言うと、真の父母を中心としてです。エジプトでも滅びなかったし、ローマでも滅びなかったキリスト教文化圏が、なぜ第二次世界大戦後のこの時代になって滅びていくのでしょうか? それは最終的理念を中心として、すべての宗教が一体化しなければならないからです。 年取った人たちは、その時代で統一教会に反対しましたが、今の若い人たちは、このたびの興進様の昇和によって世界ペンテコステ時代に入ってきました。四十年前の韓国において、延世大学と梨花大学にペンテコステと言われるような現象が起こり、その時のその火は政府とキリスト教の反対によって妨げられましたが、ここに再び興進様の昇和によって統一のペンテコステが起こりつつあります。 興進様がなぜ霊界に行かなければならなかったかと言うと、それはキリスト教文化圏と、統一教会の歴史的な家庭と、統一教会の信者たちが先生と一つとなることができなかったすべての内容が汚点となっていたからです。先生がこれを蕩減しなくては行く道がないので、代わりに祭物として興進様を立てざるを得ませんでした。真の父母は犠牲となることはできないのです。それは皆さんも御承知のことと思います。真の父母は世界の中心であり、神様も真の父母を犠牲とすることはできません。 蕩減はアベルがするのであって、真の父母がするという法はないのです。仕方がなくアベルを代表した世界的な先生の二番目の息子の興進様が犠牲となったのです。先生の家庭もこのような原則に従っていかなければなりません。つまりカインの立場が孝進様であり、アベルの立場が興進様です。神はそのアベルの立場の興進様を供え物として受け入れられたのです。神様はすべての重荷をアベルである興進様に担わせられたのです。先生は興進様が霊界に行かなければならないことを知っていました。しかし、先生は決して涙を流しませんでした。そして興進様に対して、あなたが霊界に行くからには、すべての重荷を持って行ってほしいということで、統一式を行いました。興進様の体を前にしてユダヤ教とキリスト教と統一教が一体化し、韓国と日本とアメリカとドイツが一つになるように、と統一式を行ったのです。そこで「興進よ! あなた一人でこれらをみな担って行きなさい。縦的にはユダヤ教とキリスト教と統一教会が一つになることができなかったこと。横的にはユダヤ国とアメリカと韓国が一つにならなかったこと。そして摂理的にみたとき、韓国、日本、アメリカ、ドイツが一つとなることができず反対したので、これを蕩減しなければならないこと。このすべての献物としてあなたを捧げたのです。孝進様と私の家庭の統一圏を中心として行きなさい。これですべてが終わりました」と、そのような祈りをしたのです。 神様に代わり、真の父母に代わって、サタンとの一線において勝敗の決定するこの瞬間に宣布したのです。真の父母の愛をもって、真の父母の愛の圏で神の国の大使として送ったのです。このように深刻なる時、先生は興進様が死んでいくことを考える余地がありませんでした。いかにして神のみ旨を立てるかということだけでした。そして『祖国創建』という標語を立てることができたし、そのために『愛勝日』という日を宣布することができたのです。これ以後は、先生と(興進様が)完全に一つとなったので世界的復活圏、ペンテコステがなされるのです。世界一二〇カ国が復活して先生の家庭を中心として訪ねてくるのです。 二千年前イエス様が十字架で殺される時、イエス様を殺せば神様のみ旨はなくなってしまうとサタンは思ったのです。しかし神様はイエス様を復活させて、今日の霊的世界の版図を立てました。このような版図の基盤の上に復活されたイエス様は、霊界で一二〇名の門徒と共に一二〇カ国家に霊的キリスト教文化創建の基盤を整え始めたのです。それが根となりキリスト教が全世界に拡大されていったのです。それと同じようなことが今日繰り返されています。 皆さんも知っているとおり、昨年の末に先生は共産主義の前線に立たねばならないと思ったのです。その時、先生だけでなく、シカゴにおける科学者会議に参加した科学者たちに対しても韓国に来るようにと招待しました。そして、七十二カ国のPWPAの議長たちが全員信仰をもって韓国にやって来ました。誰もが不可能な時に神様は命令するのです。そして全員、宣誓文に署名しました。それはサタンにとってみれば大変なことです。それから興進様の事件が起こったのです。先生がもし天理の内容が分からなかったら、興進様は悲惨な犬死にになったことでしょう。二千年前イエス様が復活して新しい霊的基盤の版図をつくったのと同様に、今また(サタンは)二番目の息子興進様を打ってしまえば終わると思ったのですが、興進様は勝利して実体版図をつくったのです。 では、なぜ先生がこの興進様の犠牲を勝利へと導くことができたかというと、興進様は特別の人であり、先生の家庭に生まれ、真の父母の愛を地上において十分に味わった人だからです。これは霊界の誰もが味わったことのないものです。ですから興進様が霊界に行ったときには、霊界において真の父母の愛を実感として体恤した唯一の存在となったのです。 イエス様すらも真の父母の家庭と真の父母の愛は経験することができませんでした。そこでイエス様がカインとなり、興進様がアベルとなって、霊界の長子権復帰は完全に決定されたのです。何の話か分かりますか? 霊界において立場が定まることによって秩序が整うのです。イエス様は新婦を求めるのに二千年掛かったのですが、興進様は四十日以内にこれをなすのです。五旬節以内に祝福をしてあげることによって二千年間のキリスト教の蕩減の犠牲を払うことなく、直ちに地上世界と霊界が真の父母の圏内に入っていくのです。これを知らなければなりません。 興進様が霊界に行き、霊界の王様となった時に、すべての霊界にいる過去の王や女王や元首たちがすべて一体化しました。興進様はこれらの霊界の力を総動員して、地上に降りてきて働くことができるのです。二千年前には霊的母として聖霊が降臨し、一二〇名のイエス様の弟子たちが聖霊を受けて、世界的にキリスト教が拡大するきっかけとなりましたが、その版図を再び復活させて、国家的収穫圏をなし、イエス様とキリスト教が、真の父母の前に捧げることのできなかったキリスト教文化圏と民主世界の勝利圏と、統一教会と統一教会の世界的版図と霊界の勝利圏を真の父母に結束することによって、一つの統一された心情世界圏へと越えていくことができるのです。分かりますか? イエス様がなせなかった蕩減を、収穫を通して再蕩減するのです。霊界においては、一二〇カ国の霊的王権を中心として統一されるのです。そして地上に再臨するのです。一二〇カ国家、これは何かと言うと、イエス様の時代に洗礼ヨハネとユダヤ国家が一つとなった洗礼ヨハネ一二〇カ国家の形態から始まるのです。王権再臨なのです。(黒板の図を示しながら) ではどこに再臨するかといえば、自分たちの国です。一二〇カ国家がすべて協力して、中心となる真の父母の所にどんどん引っ張るのです。イエス様時代においてのサタン世界の文化圏、キリスト教文化圏を越えていくのです。 それで第三世界圏が統一教会を支持するのは、アメリカの中心的な白人世界は反対しても、黒人とスペイン系の人々がどんどんレバレンド・ムーンを支持するからなのです。また共産主義者が出てきて、白人たちのもっている財産を全部奪い、植民地も奪い、ヨーロッパも奪って、もはや行く所がなくなり、白人たちは「アジアの人を通して、私たちを救ってください。レバレンド・ムーンよ助けてください」と言うようになっていくのです。しかしそうなってはいけないので、韓国と日本とアメリカとドイツをアダム、エバ、アベル、カインの立場として、また怨讐の国家的代表として一つにすることによって、アメリカを再蕩減させて復帰しようとする闘いがこの三年路程であることを知らなければなりません。 収穫の時に怨讐の国々を先に刈り入れて、一つの家庭にしなければなりません。そのような家庭の夫婦同士が天国の伝統をつくらなければなりません。これは歴史上にかつてなかったことです。怨讐国家を一つとして神の伝統的基地とする闘いを、今、三年路程としてアメリカで展開しているのです。これがIOWCなのです。現代の荒野としての五十州を回るのです。 この時からアメリカの世論が変化してきています。今後、「レバレンド・ムーンは正にイエス様の言葉である『敵を愛せよ』ということを、真に実行した人である」と記録されることでしょう。その例として先生は法廷闘争をしながらも、『オー、仁川』を作ったり、『ワシントン・タイムズ』を作ったりしています。これはお金をもうけるためですか? 統一教会のためだけですか? (いいえ)。それはアメリカを救ってあげ、自由世界を防御するためです。これは誰もが知っていることです。(拍手) アメリカはレバレンド・ムーンに感謝しなければならない立場なのに、法廷闘争で挑戦しているのです。イエス様が三十年の生涯においてユダヤ教とイスラエル国を中心として、ローマとアジア文化圏を統一しようとした基盤を世界至る所に備えているので、統一教会は残されている共産圏だけを救済すれば、世界統一圏を相続できる時に向かって、今や息詰まるほどの闘いの分岐点に立っているという事実を知らなければなりません。 先生は本来ならば三十歳の時に韓国のキリスト教会を一つにすべきでありました。そして国家的な基盤をつくるはずでしたが、韓国のキリスト教会の反対のため、それが成し遂げられませんでした。しかし今日、統一教会は三十周年記念日を祝っています。つまり統一教会が三十歳になったのです。これから我々は世界的な基盤を築くでしょう。イエス様が国家的次元で十字架上で亡くなるとき、ユダヤ教とイスラエルの国が全部分かれてしまいました。それをキリスト教とアメリカが一つとなる最後の高峰を中心として、蕩減復帰しなければなりません。今日先生の裁判問題は(イエス様の)十字架を復帰するために必要な摂理であります。 イエス様を中心として左翼と右翼の強盗の闘いの歴史を、真の父母が世界的収穫期に現れることによって蕩減復帰するので、現代は世界的版図で右翼左翼が分かれて闘うのです。そして右の強盗を左の強盗が讒訴するのです。 イエス様が十字架にかかって死ぬようになったのでこのような世界になったのです。そして統一教会は今、イエス様の十字架の迫害を受けていますが、しかし一つとなった時には、カイン圏の共産主義の復帰は問題ではありません。民主世界と統一教会が一つとなったら共産世界は自動的に滅亡するのです。 右の強盗の立場で今、全米のキリスト教会が先生を支持しているのです。それで、既に五年前からキリスト教文化圏が必ず支持する時が来ることを知っていたので超教派運動を準備してきました。今や、超教派運動においても統一教会がなければキリスト教の生きるべき道がないので、統一教会に従って来ざるを得ない段階に入ってきました。ペンテコステによって、一二〇カ国家が真の父母様を中心としたこのアメリカに全部入ってくるのです。一二〇カ国家のアベル的人々がこのアメリカに集って一つとなる日に、世界は自動的に一つとなるのです。 カインとアベルの最終的闘いが終わり、アベルが兄の立場に立ち、カインが弟の立場に立って、一体化がなされるでしょう。それは真の父母を中心とした、真の父母に侍る兄弟愛としての一体化です。これらのことがすべて、今後の三カ年のうちに起こるでしょう。今後七年のうちにすべてが行われるでしょう。 それで一九九〇年までに韓国語を学ばなければなりません。エデンの園には通訳はいないのです。それはレバレンド・ムーンの考えでしょうか? それとも原理的な摂理観によるのでしょうか? (原理的摂理観です)。皆さんは韓国語を学ばなければなりません。誰もあなたの通訳となることはできません。皆さんは口にテープを貼ったように唖になりますか? ポール・ワーナー、どうですか? あなたはドイツ出身だからドイツ語の方が優秀だと思っているかもしれません。それとも先生の言うとおり韓国語を勉強しますか、どうですか? ポール! あなたは韓国語を勉強していますか? (はい)。先生は信じません! (一同笑い) なぜこのような話をするかと言えば、今日が三十周年という歴史的な意義をもった転換の時であるので、先生はメッセージを述べる前に祈ったのです。祈りの中で先生は天に対して、また天と地に対して、先生の自らの息子である興進様を送ったことを通して地上界と霊界が一体化することを宣言しました。サタンが強力な讒訴条件をもっていたがゆえに興進様は霊界に行かなければなりませんでした。しかしその結果霊界を一つにまとめ、今や一二〇カ国が霊界と一体化して、真の父母に近づきつつあります。霊界が自動的に地上界に協助しています。なぜならば、霊界が興進様を通して真の父母の愛と一体化したからです。これがペンテコステです。分かりますか? 興進様は昼夜休むことなく、世界を救う運動の先頭に立っているのです。ですから孝進様と統一教会の食口たちは熱心に興進様を助ける祈祷をしなければならないのです。分かりますか? (はい)。完全に一つとなって祈祷しなければなりません。私が興進様を助けてあげるのであって、興進様の世話になりたくないという考えで活動すれば、世界は瞬時に変わるのです。 このようにして三年路程を歩むことのできる恵沢を受けたことは、有史以来のいかなる祝福よりも貴い事実であることを知らなければなりません。 神を愛し、真の父母を愛しなさい。金博士もぶつぶつと小言を言ってはいけません。たとえキリスト教の長老教会の有名な人であっても、悪口を言われて足でけとばされても、「有り難うございます」と言えるようにならなければなりません。そうすることによってキリスト教が生きるのです。一人を代表として、蕩減するために太平洋の中に逆さに入れたい思いがします。鮫に一口で飲み込まれたとしても、「感謝します」と言える覚悟を誰か一人がしなければなりません。分かりますか? 先生は深刻なのです。 有史以来、この世においてレバレンド・ムーンがやっていることを誰がやれるでしょうか? 先生しかいません。先生しか今日を統一することはできないのです。多くの人々は一人の息子が交通事故で悲劇的に死んだとしてそれがなぜ重要なのか、と言うかもしれません。しかし本当のことを知らないからです。霊界を知らないからです。二千年前にイエス様が死んだことが、なぜそれほど重要だったのですか? それと同じことです。昨日先生はヨーロッパのメンバーから連絡を受けましたが、そこにおいて信じられないような現象が起こっていることを知りました。例えば聖フランシスが霊界から現れて、彼はこれまでイタリアで生まれ、イタリアで過ごし、イタリアで死んだのですが、霊界からイタリアへ降りて協助することができなかったのです。しかしこのたび、興進様が霊界に行って聖フランシスに対して、イタリアのホーム・チャーチをするようにという仕事を与えられ、喜んで地上に降りて来ているということです。またもう一人のキリスト教の篤信者が、この人はドイツの南部の人で、重労働のため死んでしまってドイツへ帰ることができなかったのですが、興進様から「お前はミュンヘンへ行ってホーム・チャーチの責任者となるように」と言われて、喜んで地上に降りて協助しているという報告を受けました。 興進様が霊界に来た時、初め興進様について何も分かりませんでした。何か東洋の青年が来たとしか思えませんでした。しかし驚いたことに、その青年の後からイエス様が付いて来て、その青年に従っているのです。そしてイエス様が振り返って、「私は古いキリストだけれども彼は若いキリストである」と言いました。 それでいよいよ洪水のような恵みの時代がきたのです。洪水のように勇気を出して、洪水のように走り、洪水のように闘いましょう。これがきょうの皆さんへのプレゼントです。何事も恐れてはなりません。私たちが行く道には神様が共におられ、興進様が勝利のくさびを打っているのです。 きょうからは、イエス様が反対されることなく、イスラエルとユダヤの国で歓迎された世界の版図圏に向かって、教会の年齢三十歳時代を迎えた勝利の旗を翻しつつ、勝利の時代へと越えていきましょう。(アーメン)。総進軍いたしましょう。(アーメン)。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.20
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「真の父母に侍ることの意味」1984年4月1日(父母の日) 皆さんは、このような手紙の内容を聞いて参考になると思いますが、霊界から示されたその内容がどれほど具体的なものであるかがわかったでしょう。皆さんは先生が今までなして来たことについて、先生の話を聞くことによって「そうなのだろう」と思ってきたでしょうが、霊界においては、すでにそれを知って、決定的なページをめくったその後を地上がついて行っているということを知らなければなりません。 本来、堕落していなかったならば、地上で先になされてから、それが霊界に反映されるのが本然の公式なのです。しかし、これが逆になってしまっているのです。では、この場がどれほど重要な場であるか? 皆さんは、この世で生活していた習慣とか風俗とか、自分が知っている今までの伝統的知識とかそういった基準や、観念を持って今までみ旨に接して来たということ自体、どれほど申し訳ないことであったかということをこのような場において感じなければなりません。歴史始まって以来数千年間、神様のみ旨と、それに応える人間との間には距離があったのです。 霊界に霊人となって行ったとしても、直接神様の前に出ることができないのであります。再び地上人を通して行かなければならないため、それがどれほど困難で、恨みであるかを皆さんは知らなければなりません。そのような霊人体が神の前に行くには、地上において真の父母に侍ることなくしては、神に侍ることができないということを霊人たちは知っています。そのような道を経なければならないことを考えるとき、この地上にその霊人たちが復活して、皆さんのような肉身を持った人となったなら、どれほど努力することでしょう。どれほど父母様と一つとなるために苦労するか、それを知らなければなりません。 その霊人が復活するために、父母様と一つになることができる道があるとしたら、いかなることをしてでも、冒険、冒険、冒険を経てでも自ら進んでその道を行こうとするでしょう。その霊人たちは、地上世界で父母に侍っている統一教会の信者はそのようにならなければならないと見るのです。 数千万回死んだとしても、自分という意識があってはならないのです。天のみ旨、自分が行かなければならないその目的のためには、自分の意志、自分の観念、自分の主観を持つことはできないのです。それが何の話かわかりますか? キリスト教は今日の再臨時代を迎えるまでにどれほど犠牲の代価を払ってきたことでしょう。 み旨を中心として見る時、統一教会の信者たちには、自分を中心とした考えを持つ者と、み旨を中心とした考えを持つ者との二つのタイプがあります。それは本来ありえないことです。それで(今の手紙で)神は統一教会においてこのような二つの種類の人間がいることを警告しているのであります。 これらを考えるとき、我々の立場がどれほど重大な立場であるかを皆さんは知らなければなりません。 サタン世界と神の世界が交叉する時 きょうは二十四周目の父母の日ですから、しばらくこのことについて話をしてみようと思います。回数としては二十五回、満二十四周期です。また今年の五月一日になれば、統一教会は創立三十周年を迎えることになります。 東洋には十二カ月、二十四の節気(注)があります。一カ月に二つの節気があって、一年に二十四節気があるということを西洋は知らないでしょう。それをみると、霊界も十二支派を中心として二十四数が重要です。これは十二数、二代に該当するのです。三段階の二段階目に該当するのです。年を基準とするならば節気は二次的段階なのです。一年には十二カ月があり、二十四節気があり、三百六十日(韓国では三百六十日、陽暦では三百六十五日)があるとみるのです。このように見ると、三十六数は三段階の完成数です。このことを復帰原理を通してみると、アダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭の三十六数もこのような内容に該当するのです。これはサタン世界で言えば、サタン数が六数で、四をかけると二十四、サタン世界の数を清算する、全体を総合した全体の理想数にもなるのです。 このような摂理史の観点から見るとき、現在はすべてのサタン世界と神の世界が最後に交叉する時期になっているといえるのです。このような峠を越えていく今、サタン世界を代表した共産世界、自由世界を代表した民主世界、統一教会に代表される神の世界が現在登場しているのです。民主世界はアベル世界。これは神側の天使長世界であり、共産世界は堕落した天使長世界であり、統一教会は父母の世界を表わすのです。何の話かわかりますか? カイン、アベルに分立されたこの基準を作らなければ、全世界を一つにすることのできる基盤、動機が設定されないために、自由世界、共産世界に分立されたのであり、そうしなければ結果が一つとなることはできないのです。 では、これまでの宗教の歴史において、宗教史を代表するユダヤ教からキリスト教、さらに統一教会までの歴史が何をなして来たかといえば、アベル世界の完成のためになして来たということを皆さんは知らなければなりません。そのアベルの世界とは、堕落していない天使長の世界のことです。そして外的世界、共産世界とは何か。今までのサタンの歴史・世界、宗教を代表した世界に反対したそのようなサタン世界、これがカインの世界であると同時に、堕落した天使世界が結実して共産世界にまで至ったのです。これが反対の立場となっているのです。 復帰路程の最終責任は“私”にある では、いかにして一つになるか? 頂上で一つとなることはできません。これが一つとなることのできる歴史性を持たなければならないのです。カイン側の個人から家庭、氏族、民族、国家、世界。この世界に対処するためにアベルが出て来て闘わなければなりません。アベルが出て、カイン世界に勝利して、長子権を復帰しなければ、前進する道がないのです。長子権を復帰しなければなりません。そうしなくては神の国の個人、家庭、氏族、民族、国家となることはできないのです。堕落したために、これを捜し求めて来なければならないのです。 では、いかにして捜し戻して来るかといえば、これはアダムが堕落する前の、神様が立てた原理原則を中心として捜し戻して来なければなりません。それには絶対的信仰と絶対的愛、絶対的責任を持たなければなりません。堕落が何であるかといえば、絶対的信仰がなかった、信ずることができなかったことです。責任分担を成せなかった、絶対的責任を果たせなかったのです。絶対的愛を持てなかったそれが堕落であります。堕落という結果になったのです。 それゆえ、復帰路程においては神が責任を持つのではありません。絶対に自分が責任を持たなければならないのです。そのような観点からは、祈りをもすることができないということを皆さんは知らなければなりません。祈りをするのは天使の協助を受けるためであって、神の協助を受けるための祈りはできないのです。今までの祈りのすべては、天使たちの協助を受けるための祈りをして来たという事実を知らなければなりません。 二重責任をもつイエス それで、イエスが霊界に行かれてどのようなことが起きたかといえば、神の息子の立場において天使長の仕事をしているということを知らなければなりません。イエスは神の息子の立場で来られたが、霊界に行って最高の天使長の仕事をしているので、地上のキリスト教徒たちは、イエスを中心として祈れば、祈りを通して、天使長格におられるイエスの協助を受けて、本然の息子の立場に出ることができるのです。そのような二重責任を持っている方がイエスであります。イエスは霊的基準において霊的救援をすることができますが、本来は息子の責任を持っていたため、天使長の立場にあっても息子の内容を持っているので、イエスと一つになることによって、祈ることによって、神に内的に通ずる道が開かれたのです。それ以前は、祈りは天使世界、各々善なる霊を中心としたもので、直接的に神と関係を結ぶことができなかったという事実を知らなければなりません。 それではキリスト教や宗教は何をなすべきでしょうか? 堕落した天使長であるサタンと、サタン世界の息子を消化して収拾するための運動が、宗教のなさなければならない責任であり、アベルが行くべき道であり、イエスがなさなければならない使命であるということを知らなければなりません。 それはどういうことかといえば、人間的観点から見るとき、蘇生的アダム時代、長成的アダム時代、完成的アダム時代に分けられるのです。蘇生的アダム時代とは何か? それは天使長(僕)であり、長成的アダム時代は養子であり、完成的アダム時代は実子であります。それでキリスト教の最後の日に誰が来るかといえば息子が来るのです。実子(メシヤ)が来るのです。神の息子が来ることによって何がなされるのでしょうか? 本然のアダム、エバを中心として、エデンの園でなさなければならない創造理想の実現がなされるのです。 では再臨主が来るとき、終末の世界はいかなる世界なのでしょうか? キリスト教を中心として再臨主が来るとしたら、キリスト教文化圏は世界を支配しなければなりません。サタン圏を完全に除去した立場に立つことのできる、特権的な時代にならなければならないということを、皆さんは原理観から知ることができます。 新しい統一文化圏世界 それがいつか? 歴史上、宗教文化圏を中心として世界を支配することのできるたった一回の統一圏時代がいつかといえば、第二次大戦直後であったのです。では統一教会はいつ現れたか? 一九四五年、解放直後にこのようなみ旨を中心として現れるようになったのです。 それで韓国で生まれた、今日レバレンド・ムーンを中心とした統一教会の運動が出発するときの基準は、世界を統合することのできるキリスト教文化圏を中心としなければならなかったのです。国家基準を越えていなければならないのです。その当時、韓国には主権がありませんでした。キリスト教文化圏を中心として米国が、アベル歴史であるキリスト教を中心とした霊的勝利圏の上に、養子基盤を受け継いだのです。この土台の上に世界的版図基盤を中心として、天使世界の完成と養子世界の完成がなされて、直系の子女を迎えることのできる世界文化圏時代に入って行くのです。縦的な歴史が横的に一つになることのできる時代です。これを統一しなければサタンの基点を除去することができません。 しかし、統一教会を中心としてキリスト教会が一つになることができなかった、そのことが世界のキリスト教文化圏、米国を初めとした第二次大戦の勝利国家全体が一つになることのできない動機となってしまったのです。キリスト教会が不信してサタン世界に行ってしまったので、これを再びサタン世界から取り戻して来なければなりませんが、誰がそれをやるのでしょうか? 取り戻して来る人がいないのです。 神が僕の世界を取り戻し、養子の世界を取り戻し、実子の世界を取り戻してきた縦的な歴史の上に、神の代身、真の父母の立場で来られる再臨主が天使世界の復帰、養子復帰、実子復帰の基盤を再びつくらなければならないというのです。今までの縦的な歴史を横的に、再び蕩減して立てなければならないのです。 このようにして、三次の七年路程は二千年のキリスト教歴史を蕩減するのであり、四十年期間は四千年を蕩減するのです。それはイスラエルという名前が生じた時からの全歴史であり、世界人類が含まれるのです。アラブ圏も入るし、世界全体が入るのです。反対するアラブ圏、全世界圏をここにおいて復活させなければならない運動として展開し、新しい統一文化圏の世界として発展させてこなければならないのです。 それで、四十年間において先生がやることは何かといえば、学者運動だとか、サミットクラブ、全宗教協議会、神様会議等々の運動をなしているのです。そうして今は何をしているかといえば、神主義という内容を中心として、世界の最高リーダーたちを結びつけようとしているのです。外的な面において世界的なトップ、宗教的な面において、今現在、原理を中心としてキリスト教なら、キリスト教を中心とした世界的な神学者糾合運動を内外共にやっているのです。 父母が干渉できる時代圏 今がどのような時かといえば、父母も復活できていないし、アベルも復活していない。アベルも勝利していないし、カインもアベルを殺すことができず勝利することができない。すべてが未勝利の段階で、世界的版図を三つのグループが眺めている、そのような時代であるということを知らなければなりません。 では神はどこにおられるのでしょうか。共産世界にはもちろんおられないし、民主世界にもいないし、どこにおられるか? これから現れる統一教会にしかおられないのです。自由世界(米国)に先生が来て、今十一年目になりますが、満十二年までにいかなることが起きるかといえば、キリスト教文化圏がこれまで失敗したことを、反対していたことを蕩減復帰することのできる時代に入って行くのです。 カインが打ち殺そうとしているさなかに、誰が仲裁に入ってくれるのか? エデンの園では仲裁に入ってくれる人がいなかった。アダム・エバも見ているだけで手をつける術がなかったのです。アダム・エバはどうしてそうだったのでしょうか? 責任分担を完成した立場に立っていなかったため干渉することができなかったのです。つまり人間が責任分担を果たしていない圏内に留まっていたから神も父母もどうすることもできないのです。どうしてこのようなお話をするかと言えば、今の時代がどういう時代であるかをはっきりと知らなければ、皆さんは復帰摂理がどのように進むかわからないからです。 しかし今は異なるのです。今の時はどうなっているか。父母様が蕩減復帰の路程を経てきておられるのです。サタン世界において、原理主管圏を中心とした、神の愛を中心とした心情の因縁を、蘇生、長成、完成圏まで連絡させて、世界的蕩減条件を立てられました。そのことによって、今やアベルを打つカインに対してアベルを保護してあげることもでき、これに対して干渉することのできる時代圏に入ってきたことを知らなければなりません。それは父母様によって蕩減が払われたからです。天使長圏、アベル圏、養子圏、実子圏のすべての蕩減内容を、世界的版図の家庭基盤を中心としてなしたのです。 サタン世界に家庭があるのと同様に、神の世界の天使長圏を中心として、養子圏、実子圏の家庭基盤が世界に設定されたのです。これはサタン世界にあるものを奪ってきて接木したのです。血統を転換して、この接木された世界の国家基準を代表することのできる群れが残るようになっているのです。 すべてが一つの運動圏へ このような統一教会に対し、共産党も反対し、ユダヤ教も反対し、キリスト教も反対し、全体が反対して完全にサタン側になってしまった中で、文先生は一人で七六年までこれらと闘ってきたのです。こうしながら共産党によって滅びると思っていたアベル圏のアメリカが、誰によって生き返るかといえば、統一教会の神主義、レバレンド・ムーンによって生き返る道しかありません。これがたった一つの道であるといえる世界的時点に至ったことを知らなければなりません。 法廷闘争というのは、イエスがユダヤにおいて十字架につけられたと同じように、民主世界において世界キリスト教文化圏が十字架につけられたのと同じです。イエスが十字架につけられた時は、ユダヤ教とローマが分裂し、弟子たちすべてを失ったのですが、この度の法廷闘争を中心としてすべてが一つに合わされるのです。反対をしていたすべてのキリスト教が一つとなり、全米国と民主世界が一つとなれる運動圏へと向かってくるのが、丁度この時点であることを知らなければなりません。 そして四十の団体が先生を支持する立場にあります。言論機関などすべてが、米国の政府も今や統一教会を必要とする段階に入ってきたのであります。一つになれる運勢に入ってきたのです。 では、私たち自体内でなさなければならないことは何であるかといえば、サタンは個人の根と国の根を持っているのです。個人と国が、サタンが相対する根拠地であることを知らなければなりません。今までサタン世界が神を攻撃することにおいて、反対することにおいて、いつも自分の利益、国家の利益を中心としてサタンはふるまってきたということを知らなければなりません。個人がサタン侵入の根拠地となっているし、国家が根拠となっているのです。その根拠をもって個人を怨讐視する運動、国を怨讐視する運動が、サタンの活用する方法なのであります。 四大怨讐が一つに それで、統一教会においてこの問題をいかに克服するかということが、これから世界へと向かって越えていかなければならない、この時代における最も重要な使命、責任なのであります。ここにおいて何を中心として収拾すべきでしょうか? 何を中心としてその一つの主体思想を立てるかということが問題なのです。 神を中心とした一つの国、神を中心とした一つの国に属する私、これを知らなければなりません。神を中心とした一つの国家に属する私という観念を持たなければなりません。それは何かといえば、私というのは神を代表した私であり、私というのは世界の国々を代表した私である、そのような私とならなければならないのです。そのような私の中には神が根底となっており、私の中には世界が根底となって、その上に立っている私なのです。これがはっきりわかりますか? このような伝統を立てるためにこの三年間を中心として、韓国人、日本人、アベル国家であるアメリカ人、カイン国家であるドイツ人を合わせて、すべてが一つにならなければなりません。ドイツ人とか、日本人とかいったものは何もないのです。神を中心として一つになりなさい。これらはそれぞれ怨讐同士であります。四大怨讐なのです。アダムとエバが怨讐で、アダムとアベルが怨讐で、アベルとカインが怨讐で、兄弟と父母が怨讐であったことのすべての根を根絶するための統合の起源をつくっておかずには、神の国へと越えて行くことができません。サタンが言うには、「地上において敵国がある限りそれはサタンのものである」と言うのです。「自分を中心とした人がいれば、これは私の人である」と言うのです。 では、このような国々は、誰によって一つとなれるのでしょうか。神と堕落していない真なる父母が設定されなければ一つにする道がないのです。何でもって? 神の愛と真の父母の愛でもって。皆さんは神の愛を誇り、真の父母の愛を、自分のもの、自分の国、世界の何よりも誇り讃えなければならないのです。この神の愛と父母の愛は一つのものです。直接主管圏というこの愛の名を中心として、家庭という土台の上に、一つとなりうる出発を地上で実現したのが統一教会であります。それは父母様が行かれる足台であり、橋であり、版図なのです。父母様の版図は神様の版図となります。天上の、神のすべてのみ旨が地上に再実現したのが今日の統一教会の運動です。地上天国理想を捜し求めて行くのです。これを支配することのできるサタンの力はありません。 今日この四大国家が米国を中心として皆一つとなっています。家庭という土台でもって日本人、ドイツ人、米国人がみな混ぜ合わさったのです。完全に一つとなりました。それで、今の時においては韓国人の幹部、日本人の幹部、ドイツ人の幹部、米国人の幹部は苦労をしなければなりません。自分を中心としたみ旨で一つとなるのではありません。このような運動を通して神主義を中心として、統一教会の運勢を中心として、世論と国家、民主世界の方向が統一教会の方向へだんだんと糾合されてくるのです。 実現化する天国理想 共産世界は世界的な版図をもって家庭的基盤を中心として、自分を中心として連結されたその基盤を誇っています。ところが、統一教会は世界的版図を持つ真の家庭を中心として、個人を中心とした世界的家庭の代表、世界的個人の代表の基準に連結された世界的版図を形成しています。そして、それが真であると主張できる原理的内容、真理的内容として提示することのできるものを整えているという事実は共産世界にとって驚くべきことなのです。 今や、統一教会を中心として個人的にも完成していくのです。この完成していく人格観というのは統一教会にしかありません。人々を見ても統一教会の人たちが一番です。社会が揺れ動いて家庭が多く破綻している中で、家庭的にみても世界第一なのです。また統一教会の氏族をみても、自分の氏族同士、民族同士のみでなく、他の氏族とも一つとなり、世界民族同士が一つとなっている。これも素晴らしいことです。彼らが主張するところの一つの理想的世界である統一世界もとても素晴らしい。あらゆるものと比較してみるとき、すべての点で優れています。こうしたことを提示できる版図をすでにもっているのが統一教会の立場です。 サタンがみても素晴らしい。世界的であります。黒人、白人の差別がなく、黄色人と白人が一つになっているのです。また国家的に見るとき、怨讐の国家同士が一つとなったそのような理想の立場に立ったのです。その理想がすばらしい。だから世界的理想をもっている共産主義や、民主世界が持っていない理想天国理念がぴったり合うのです。 今までは反対しても良いと思っていたが、これからは統一教会が一番であるというようになったらどうなるでしょうか。四月を中心としてこれが向かい合う時なのです。 先生のお話が正しいかどうか? それで共産主義が滅びるということは、共産主義を復活させなければならないということです。復活とは何かというと、父母が来られて父母が解放してあげることです。アベルを誰が解放してあげるか? アベルがカインに打ち殺されるその場を誰が守って解放してあげるか? 神と父母以外にはないのです。これを知らなければなりません。サタンと兄と天使が一つとなって殺そうとするのに、これを助けてあげられる人は、真の父母と神しか将来においてもいないということは、原理的観点から間違いのない結論なのです。神と真の父母だけをはっきりわかればすべて解放されるのです。生きることができるのです。あなた方が神と真の父母を見せてあげなければなりません。あなた方が神と真の父母を見せてあげる実体の証拠となれば、すべての解放がなされるのです。 それで、その人をつかまえさえすれば、真の父母をつかまえることができ、神をつかまえるようになり、本心は知っているのですべてが順調になっていきます。わかりますか、何の話か。これをはっきり知らなければなりません。どうしてこのような話をしているのかといえば、きょうがそのような転換の時期を考える一つの宣布の日であるからお話をするのであります。 霊界と肉界を連結した家庭基盤 それで、今回興進様が行くことによって、霊界がどうなったかといえば、地上と天上に分かれていたアベルとカインが双子のように一つに結ばれたのです。この一つとなった基盤の上に父母が現われるのです。これが原理観です。カイン・アベルが一つとなって接木する時代が来たことを知らなければなりません。 興進様は天使の立場ではなく、息子格アベルの立場なのです。その息子は真の父母の愛の土台のもとに、原理結果主管圏版図を越える蕩減条件を立てた基盤の上で行かれたのであります。この事実を知らなければなりません。 サタンが支配していた原理結果主管圏を、蕩減する条件を立て、勝利した基盤の上で直接主管圏と一つとなった立場において、霊界に行かれたのであります。そのために、堕落以後に天上世界に行った息子として、はじめて完成した資格を整えて行かれた条件を持っているのです。 本来、霊界に行ったすべての人々は、堕落していなかったなら、真の父母の心情圏を中心として、原理結果主管圏と直接主管圏が一つとなって、家庭的土台の上に、愛を中心とした主人とか実子の資格を持たなければ行くことができないようになっています。それが原理なのです。 イエス以後において、イエスや今までのキリスト教徒たちは、そのような立場を通過していないのでみな中間にいるのです。興進様が行くことによって、一つの接木できる中心が定まったのです。 そして、祝福をしてあげることによって、自分の相対が地上にいるため、生きていた時と同じ立場に立つことができるのです。わかりますか? 何の話か? それで、興進様の家庭を中心として、地上の家庭を訪問することのできる霊界の基盤が設定されるのであります。このことを知らなければなりません。霊界の基盤、これが重要なのです。興進様の家庭基盤を設定するということが最も重要なのです。 イエス当時において、たとえイエスが死んだとしても、このようなことをなすことができていたならば、今日キリスト教はこれほどまでに揺れなかったのです。しかし、それをなすことができませんでした。なぜかといえば、真の父母の心情圏によって、原理結果主管圏内におけるサタンを除去して、サタンに勝って、直接主管圏内に愛の土台をつくることができなかったからです。そのため、イエス自らがあの世にいって再臨しなければならないのです。興進様は再臨する必要がないのです。これを明らかにしなければなりません。どのように異なるかという問題です。 霊界の長子権をもつ興進様 興進様は霊界と肉界を中心として生きておられるのです。このことによって、いかなることが起こるかといえば、霊界と地上は双子のようですが、心情圏からみる時、父母が長子の立場であります。縦的にみれば、父母が初めであり、先がけているのです。興進様は二代目であります。下であります。反対なのです。 何が反対かといえば、神様が先生を中心として興進様を見る時は、先生が兄の立場におり興進様が弟であります。先生がカインの立場にいるし、興進様がアベルの立場にいるのです。これが霊界にいってどうなるかといえば、心情圏を中心として興進様が長子であり、兄の立場におり、その他のすべての霊人たちは弟の立場にいるのです。わかりますか? 心情圏を中心としてそうなるのです。これをはっきり知らなければなりません。 霊界からみれば、これが愛の圏を中心として、愛の最初の子であり、次は弟となるのです。霊界にいっている人たちが弟の立場になるのです。逆になります。それで長子権の心情圏が原則的立場になっていくのです。そういう結論が出るのです。わかりますか? これを原理講義する時よく話してあげなければなりません。 霊界にいっている霊人たちの前に、すべての善なる聖子たちの前に、イエス様の前でさえも、心情圏を中心として誰が長子となるかといえば、興進様が先に生まれた立場になるのです。心情圏を中心としては興進様が長子で、その次に生まれる人たちが次子であります。それで興進様の長子権を次子権に相続してあげることができるのです。サタンは相続させまいとしました。サタンは相続させないで、自分が奪おうとしたのですが、長子権を持つ興進様は、地上で受けた恵みをすべて相続してあげるのです。だから連結されるのです。 今までのサタン世界はすべてを相続させまいとしたが、興進様はどんどんと相続してあげるのです。それで、興進様が祝福を受けて夫婦をなしたこの基盤があるので、-あの世に行っている王たちや霊人たちは全部別々に分かれていたのですが-今や垣根が取れて、お互いが会って協力して、昔なしえなかった地上の願いをなすために、協助することのできる地上基盤を持つようになるのです。わかりますか? 何の話か? 心情を通してそうするのです。父母様の蕩減基盤があるので、父母様が蕩減した世界圏は、父母様の管理の下に入ってくるのです。だからその心情圏に連結された人たちは、父母様を中心とした興進様と一つになったその立場において、この地上に父母様が築いた主管圏内に同席することができるのであります。 地上界はすでに父母様の勝利したその主管圏内に入ってきています。なぜならば、父母の所有は子女が相続することができる天理があるためです。こうすることによって霊界と肉界が、内外共の双子が一つとなったのです。双子が一つとなりうる心情圏が設定されたのであります。 地上世界においては、先生を中心としてカイン・アベルが一つとなり、天上世界は興進様が長子(カイン)となって、あの世(の霊人たち)が次子となり、内外共に一つとなるのです。 今や父母様の名の下に興進様が行かれることによって、霊界において各々分かれていた善君、善王たちの王権相対圏が互いに連結されるのです。そうすることによって、善なる忠臣、個人ではなく家庭圏が連結され、氏族、民族、国家、全世界が統一圏へと連結されるのです。それが地上での摂理の拍車に合わせながら展開されていくのです。これを知らなければなりません。 統一圏時代の到来 霊界から見ると、神と興進様の家庭と自分たちであり、地上から見ると、神と父母様と直系子女、祝福家庭が連結されるのです。先生の子女たちの家庭で、今回の祝福があって四人の子女、四家庭が設定されました。東西南北を意味する四家庭を中心として、全世界の祝福家庭が完全に一つとならなければなりません。 興進様とイエス様が一つとなったのです。それはカイン・アベルの立場です。先生の子女の家庭とあなた方の家庭が完全に一つにならなければなりません。イエス様と興進様の家庭が完全に一つになるのと同じように、皆さんの家庭と先生の子女の家庭が完全に一つとならなければならないのです。 それで興進様は世界的基準であり、その興進様とイエス様が一つとなり、興進様の家庭とイエス様の家庭が一つとなるのと同じように、今日、先生の家庭と皆さんの家庭と一つとならなければなりません。イエス様がこのように一つとなることのできる日のために、キリスト教がどれほど犠牲を払い、その日を二千年間どれほど待ち望んできたかを先生はあまりにもよく知っているのです。 皆さんも統一教会を中心としてみる時に、先生の家庭を中心として、先生の子女の家庭、四方を中心として、皆さんの家庭が完全に一つとならなければなりません。この一つとなる基準が、今や一挙に世界的に展開される時が来たのです。こうなると霊界も一挙に連結されるのです。そうしたことが可能な、統一様式の統一圏時代が目の前に展開されてくるのを知らなければなりません。 ですから皆さんは、ドイツであるとか、どこの国であるとか、いかなる主義とか、そういうものはすべて捨てて、国という名はみな捨てて、考えることは神、真の父母、兄弟、一つの世界、それしかないのです。私たちの国、一つの国、一つの世界、天と地は一つの世界それだけです。 ではいかに生きるか? 個人は家庭、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は天と地、天と地は神のために、神の愛のためにわたしたちは死んでいくのです。 なぜそうなのか。そうでなければあの世に行って入籍することができないのです。あの世はそのような組織となっているので、あの世に行って入籍することができません。位置がないのです。堕落していなかったなら、本来はこのような人として行くのですが、それを再現してそのような本来の人とならなければ入ることができないのです。これが原理です。 真の遺物を残そう これから皆さんが家庭に残す遺物があるとしたら、例えば、神学大学で学長を長く勤めた場合、その学校のための学長であったか、世界のために学長をやったかが問題になるのです。単に学校のための骨董品を残してはならないのです。歴史に遺物をいかに残すかを知らなければなりません。博物館に入ることができるのはそのような人物なのです。学校の博物館には、学校のためにその学長がなした遺物を残すべきでなく、その学長が世界のためになした功績をその学校の博物館に入れてあげなければならないのです。 あなた方の家庭において、これから遺物を残すにあたり、子供たちを学校に通わせることを夫婦が自慢したりするのではありません。その家庭が国と世界のために成した何かを家庭の遺物として残さなければなりません。従って、宝というのは、自分を中心とした生き方からは生じてこないのです。それ以上の次元において得たものだけが宝となるのです。 先生の場合についてみると、先生は今米国に来て、統一教会を中心として闘っていますが、統一教会のため法廷闘争するのではありません。天と地のために、神のために世界のために闘っていることは確実なことなのです。この時に、怨讐国家米国を愛する立場に立って、米国を越えて、世界を生かすために、ワシントン・タイムズをつくり、「おお、仁川」をつくったのです。これは歴史的に否定することができません。 では、モスクワ大会は何でしょうか。ワシントン大会を終えて、モスクワ大会をなぜやるのでしょうか? それは世界のためなのです。このように迫害を受け、騒動を起こしながら六千双の結婚式は何のためでしょうか? 二千百双の結婚式を、反対を受けながら行なったのはなぜでしょうか。世界のためであり、天と地のための道であることを知らなければなりません。 あなた方が今まで、米国に来て苦労したり、世界的摂理をするのは、すべてあなたの家庭とあなたの国の博物館に残すことのできる遺物を持つためであるという、有難い事実を知らなければなりません。 このような仕事をしているのに、「ああ苦しい、先生、私たちをどうしてこのように苦労させるのですか?」それは父母様の命令を受けてやるのではなく、私自らが進んでやるのであると思わなければなりません。 今NCC-SAとか超教派運動とか、ICUS運動だとか、NEW ERA運動とか、すべてこの一時を中心として、総決算して、統合するための運動を皆さんが知らないうちにやってきたのです。異邦の宗教と異邦の国を生かすための運動を今もやっているのです。 父母の日の宣布式 それで、今や民主世界が「レバレンド・ムーンよ! 協助して下さい」という、そのようなラッパの音が聞こえてきているのです。レバレンド・ムーンのみ言葉、レバレンド・ムーンの思想でなければならない。レバレンド・ムーンが侍る神に侍らなければならないといった時代に移っていく転換の時期に来ているのです。 それで、父母とアベルが一つとなればカインは自然屈服するようになります。いくらサタンだとしてもサタンは原理を知っています。弟と父母が一つになる時には、兄であるカインは屈服しなければならないのです。父母の胸に抱かれているアベルをカインが殺害することはありえないのです。 父母が「カインよ、あなたは私が愛しているアベルを憎んでいるが、愛さなければならない」と言ったとき、カインが「はい」と約束すれば、その時から神の国がなされるのです。 それが天理であるために、サタンも原理の前では一言も言うことができないのです。そうなれば世界の問題はすべて終わるのです。父母が今日の民主世界を抱くようになる時に、共産世界は自然に屈服するようになっています。共産主義は教育しやすくなるのです。 この時は皆さんが全力を尽して、統一教会の真なる姿を見せてあげる時なのです。わかりますか? 真なる姿を見せてあげなければなりません。 ところで、木は何の木かといえば、神の創造理想として願っていた四位基台を完成した愛の木なのです。愛の木です。その一番頂上についている木の葉は、その根のために全面的にやる。根は全面的にその頂上の葉のためにやる。これが循環するようになる時には、この木は健全な木として無限に成長することができます。それは自然の理法と通ずるのです。 それで、このような歴史のすべてを総合的に蕩減して、新しい世界へと進出すべきです。「アーメン」といえる宣布式をする日がきょうの「父母の日」であることを知らなければなりません。 神の国の組織が完全に編成されたので、地上に協助できる基盤が立ちました。そのことにより、神の国のアダムが未完成時代に、天使世界がアダムを保護・指導していたのと同じように、霊界は皆さんを保護し、協助することのできる立場になったのです。それで皆さんが協助を受けることができるためには、神の愛と父母の愛と、父母様の子女の愛の基盤の上に自分たちが立っているという信仰、これ以外にありません。それが神の国創建のための独立軍なのであります。このことだけ思えばあとは簡単です。 私は仕事をする上で、それが誰であろうと、またいずれの国の人間であろうと関係ありません。このような思想が重要なのです。 そのために、言語も父母の言葉を習わなければなりません。言葉も話せるようにならなければなりません。あなた方が父母の言葉を話していないのを見れば、サタンが「あなたはドイツ人であり、米国人である」といえるそのような条件があることになります。だから、「私はこれからでも、一日に一単語、半単語でも九十年度まで間違いなく習います」ということが必要です。なぜなら、七千年間回りに回っている間に色が染まったので、七年期間をおいて蕩減して、父母の言葉に戻っていくためです。それで七年前に話をするのです。昨年も話しました。なぜなら、七千年の歴史を蕩減する立場において、七千年間色に染まったものを洗うためにも七年間が必要なのです。これを続けるならサタンは引っ張っていくことができません。あなた方は家で、身近な言葉や、重要な言葉からすべて父母の言葉を用いなければなりません。それをしなかったらあなた方にサタンがついてまわるのです。 こうなると霊界の霊人たちがすべて、皆さんの先祖たちも、皆さんの国の先祖たちもあなた方の後について協助するようになるのです。近い将来には伝道が必要ないのです。私は一つの父母、一つの夫婦、一つの家庭、一つの息子・娘。二つはありえないのです。 一つの世界の創建 祝福を受けてから美人がいるといって、自分の妻よりいいのであの人と私は結婚をやり直したい、こういうことは許すことのできないことです。 真の父母を通して相対を与えられたというこの事実は、地球のような黄金をもってでも代えることのできない価値があります。これを知らなければなりません。相対がいなければどうなるのか? 地獄です、地獄なのです。皆さん、相対がいなかったら天国に行けません。子女がいなかったら天国に行けません。真の父母の家庭と連結できません。 今、重要な話をしていることを知らなければなりません。わからなければなりません。霊界に行って「私は知りません」と言ったら、先生に責任があります。きょうはっきり知らなければなりません。天と地の秘密、地上の秘密をすべて語っているのです。歴史がいかに解かれていき、いかに回っていくか、いかなる時であるかをはっきり知る必要があるのです。 これから一つの国だけ、祖国だけ創建すればできるのです。四カ国だけが責任を全うすれば、すべてが終わるのです。伝道も何もやる必要がありません。岩を掘り、洞窟を掘り、鉄の門を百個ぐらい締めて中に入っていても、ダイナマイトを爆破させても会いたいと言って訪ねてくる時代が来るのです。 これから先生に会うのは、米国の大統領に会うよりもさらに難しい手続きを経なければ会えないような時が来ることを知らなければなりません。たとえ先生の側近であってもそうです。自分かってに入ることはできません。そのような法が待っていることを知らなければなりません。いつでも会えるのではありません。いくら慕わしく、懐しいイースト・ガーデンであるとしても、行くことができない時が来るのです。 それできょう祈りの中で、「神の命において天上統一、地上統一を中心とした統一教会の運勢圏を中心として、主流思想として、一つの世界の創建に向かって前進させたまえ」と宣布したのです。 神の国のために前進すべきである。このような信念を持って皆さんは、これから家庭基盤を中心として国を捜し出さなければならないし、世界を捜し出さなければなりません。国の基盤を促進させて世界へと、そういうことが遠からぬ将来なされると思うのです。 サタン歴史の終結 これからは百二十カ国にペンテコステがあります。二千年前、百二十門徒が聖霊で火を受けて大騒ぎしましたが、百二十国家がそのような時代に入っていくのです。 それで先生は、イエスの墓中三日間に該当する三年間、つまり八十五年度までの三年間は墓中過程を経るということを知らなければなりません。そのため現われてはいけないのです。イエスの時の墓中三日間と同じように、法廷闘争を中心として地上の地獄に入ってきて、地上の地獄の門を開ける闘いを今しているのです。それでこの期間が過ぎれば、復活時代が来て、統一教会はぱっと開き、至る所から「文先生が私の故郷に来られたらいい、私の村に来られればいい」という時代が遠からぬ将来に来るだろうとみるのが原理観なのです。これからは共産世界においても、二世たちが私たちの側になります。これを知らなければなりません。それでは結論に入りましょう。 きょうは父母の日ですが、父母として責任を果たすためにどれほど苦しく、難しかったかを知らなければなりません。キリスト教が責任を果たすことができなかったゆえに、今まで宗教歴史を編成しながら、神様が御苦労されたすべてを二十年で蕩減しました。そして四十年期間に世界カナン福地路程を整えて、一つの新しい敵のないカナン福地―カナン福地に向かうイスラエル民族の前にはカナン七族が待っていたのですが―そのような七族のいないカナン福地へと、歓迎の群れを前において前進することのできる時のために準備しなくてはなりません。そうしなければ天上天国世界と地上天国世界を迎えることができないという事実を皆さんは知らなければならないのです。それは容易なことでしょうか。 堕落することによって偽りの父母ができて、サタンを父母として対していたこの世界の上に、これを再び捜し出して、神の国の真の父母をつくるための受難の道というのは、神が役事されるよりもさらに難しい過程を経たということを皆さんは知らなければならないのです。父母がすべての責任をもって蕩減したのであります。 これからはカインがアベルを立てる世界史的な結実の時代、サタンの歴史が終結しようとする時代を迎えようとしています。このような時代に父母として登場して、自由世界のアベル圏の世界を解放し、共産圏世界のカインに忠告することのできる時代像として越えていく希望の時が、私たちの目前に連結されている事実を知らなければなりません。 韓国も、初めはレバレンド・ムーンの運動を根こそぎにしようとしましたが、今や「万策尽きた。我々にはもうどうしようもない」と言うような状態になりました。日本も、米国、西独も、さらに共産圏もそのようになっていくでしょう。そのようなすべての企みが終るのです。 共産党が今誰を一番恐ろしがりますか? レーガン大統領を恐れますか? 法王を恐れますか? レバレンド・ムーンであります。そうでしょう。このことを民主世界が早く知らなければなりません。早く知りさえすれば自然に回っていくのです。 これからは放送時代です。人工衛星によるテレビ放送で四十日、百二十日修練会をやればすべてが終るのです。かつてアームストロングがアポロ十一号に乗って月に行く時、全世界が注目した。その時と同じように人工衛星を通して百二十日修練会を行い、この四十億人類を教育すればすべては終りです。百二十日あればすべては終るのです。どう思いますか? そのような日が遠からず来るのであります。それで新聞社をつくり、人工衛星を使ってテレビ、ラジオすべてに通ずる準備を先生はしているのです。 氏族的先祖となるために 皆さん、先生が突然に「集まりなさい」と言う時に眠っていて、「統一教会に私は行けません」そう言って参席できない人は、いつか困る時があるのです。「三十六家庭はいついつまでに登録しなさい」と言った時、登録できなかったらとんでもないことになります。七十二家庭の登録、そのような時が来るかもしれません。そのために先生がどこに行ってどのようなお話をされるかを電話線を引いて聞かなければならないのです。 きょう、わずか一時間ないし二時間の間に、霊界の内容と地上の内容がどのようになっているかをすべて話しました。 それで、父母の日にあたって、統一教会の信者たちは、父母様の御苦労がどれほど多かったか、父母の心がどれほどの苦痛を受けられたかをわからなければならない時が来たのです。そうしなくては伝統を知ることができないのです。伝統を持つことができません。 これからは不平を言うことなく、自分たちの子供とか何とかでなく……。先生はすべてを捨てた人であります。あなた方もそのような決意をもって、その伝統を受け継ぐことのできる第二の後継者とならなければなりません。そのためには、このような道を共に歩んでいるし、歩まなければならないと誓える皆さんにならなければなりません。 これからは父母として、真の父母としてやるべき歴史的な蕩減をすべて経てきたこの伝統をあなた方が相続するのです。先生は世界的な先祖の立場で努力したのでありますが、あなた方はあなた方なりの氏族的先祖となるためにこの伝統を相続し、それなりの分野に該当する伝統を受け継ぐために、皆さん自身もそのような道を行かなければならないという事実を知らなければなりません。それはあなた方のためであり、あなた方の氏族のためなのです。 これからは十二支派が編成されていくでしょう。それでその伝統が必要なのです。自分のことを思う人たちは、ここから抜けていくのです。 悔い改めによる祈りを 統一教会において、なぜレバレンド・ムーンの子女は苦労をするのでしょうか。それは彼らが学校に行って、レバレンド・ムーンはこうだああだと言われ、指さされ、噂されることによって蕩減してくるのです。それを知らなければなりません。いくら統一教会のレバレンド・ムーンが反対されても、統一教会の先生が反対されている痛さと、父が反対されている痛さとは比較のしようがないのです。学校に行って、周囲にいる外国の子供たち、反対する子供たちからそのような父の噂を聞いて、隠れて涙を流さなければならない場面がいくらでもあったのです。 あなた方は先生の悪口を聞く時、どれほど痛さを感じ、涙を流した時が幾度あったか、反省しなければなりません。そのような意味からすると、子女たちの方が心情的な基準においては高い所にいたということを知って、もっと貴重に思わなければなりません。そのような苦難の中から、私はレバレンド・ムーンの子女でなかったらよかった、私は統一教会の家庭で生まれなかったら良かったと身悶えしながら失敗したとしても、その失敗は同情できる内容があると思うのです。 そのような先生の子女がいるとしたら、口でこうだああだと評するのでなく、皆さんが十字架を背負って、その受難、苦痛であった事実に同情の涙を流して、祈って、代わりに祭物となっても感謝する心を持たなければならないのです。あなた方が孝進であれば孝進のためにどれほどその痛さを感じて、身悶えしながら涙を流してきたかを反省し、悔い改めなければならないのです。皆さんがそれ以上の苦痛、それ以上の切実な立場にいない限り、皆さんは口をつむって、彼らが許される祈りを捧げるのが当然でありましょう。 それに先立って、真の父母として迫害を受けている先生の苦痛はどれほど耐え難いものであったか、それがわかりますか? なぜこのような話をするかといえば、父母様の心情圏がどれほど悲惨で、どれほど悲しい場面が多かったかということをあなた方が知らないだろうから、身近な例をあげるために孝進の話をしたのです。しかし、孝進の悲惨なるその悲惨さも、先生の生涯四十年にわたって受けてきた悲惨さと比較できるでしょうか。 公的な責任をもって身悶えする、そのような父母に侍る立場において、偽りを言ったり、利用をし、悪口を言う人たちが許される道がどこにあるでしょうか。では、先生が愚かな者だからこういうことをやっているのでしょうか。優秀であり、能力があり、全ての面において知恵があるために、そのような代表的な人であるために、世界で誇りうる内容を持っているレバレンド・ムーンであるにもかかわらず、全てを神が清算するために、世界に比較することのできないほどの悲哀に満ちた生活を送ってきたという事実を知らなければなりません。 あなた方はどうなのですか? 神が立てて誇ることのできないそのような人に対し、国や世界のために自分の一生を犠牲にし、祭物としてぼろぼろになって、蹴られ、踏みにじられ、あらゆる刑を受けながら今まで生きてきたし、これからもみ旨の道へ行こうとする先生の前に弁明する何もないのです。 先生がいなかったなら、この天と地に神の解怨成就、神の復帰完成、すべての世界のユートピア完成をいかに考えることができるでしょうか。不可能に等しいのです。サタン世界に占領された神の悲哀の事情を解放することのできる日を持つということは、夢にも想像することができません。これを実現してきたという事実をはっきり知ることによって、厳粛に尊敬し、厳粛に敬拝し、厳粛に順応するしかないということを知らなければなりません。 このような話をするのは、すべてを知って、祈りでもって悔い改めの条件を立てなさいという意味で、お話をしていることを知らなければなりません。そのような意味において、きょうのこの父母の日に、これから先生の話を聞いて、新しい次元において私全体の過去、現在を収拾し未来に祝福を受けることのできる可能性ある存在として出陣をなすと決意を固めれば、きょうこの日が意義ある祝賀式となることでしょう。 それでカレブとヨシュアがすべてにおいて、全権のモーゼの後継者となって責任を担ったように、あなた方も同じであります。神がカレブとヨシュアに対し勧告する言葉は「強く雄々しくあれ! 強く雄々しくあれ!」です。あなた方は恐れることはないのです。神が共になして下さいます。そのような人は神が共にいてくださるでしょう。アーメン。そうすれば勝利は皆様と共にあるでしょう。アーメン。そうすれば天の国と地上天国を相続することができるでしょう。アーメン。これで終わりです。そうするという人は手を上げて下さい。ありがとう。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.19
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「我々と善悪闘争史」1984年3月11日 宗教生活においての習わしは聖日礼拝、聖日の夕拝、水曜日の夕拝、金曜日の夜の集いです。一週間に一度集まるくらいは熱心でなければなりません。 私たちの統一教会は、継続的活動をしているので、アメリカでは水曜日に集まっていませんね?(朴先生、「はい」)。これからはそれを修正しなければなりません。いかなる宗教団体においても、集会を数多くする方がいいわけです。 きょうは、『我々と善悪闘争史』という題目でお話ししましょう。堕落した私たちの世界には二つの道がある、ということは原理を通してはっきり知っています。一つは善の道であり、今一つは悪の道です。では、もし堕落ということがなかったなら、この世界はいかなる世界になっていたのでしょうか。そのことを皆さんは明確に知らなければなりません。 善悪の定義は、『私』を中心としてなされます。皆さんが善悪を決定する中心になるということなのです。では善と悪はいかなることかと言うと、善は神と連結され、悪は神と反対存在であるサタンと連結されるのです。善の道は栄光の立場に連結され、悪の道は地獄に連結されるのです。 今日の社会においても同じようなことが言えます。善なる人は自然に高い所に上がって行き、悪なる人は自然に落ちて地獄に行くのです。善は上向きとなり、悪は下向きとなります。それは誰を中心としてなされるかと言うと、善悪はいつも『私』を中心として決定されるという事実を知らなければなりません。このようにみる時、皆さん一人一人は『私』を中心としているのです。性が異なり、性格が異なっていても決して自分を善と悪から切り離すことはできないのです。常にこの二つの言葉は皆さんの左右に付いているのです。善と悪が他にあるのではなく、『私』と直結されているのです。 最近の若者たちは、社会悪とか、ユートピアとか、善の世界が云々と言っていますが、それは他にあるのではなく自分の中にあるのです。自分から始まらなければならないのです。このような観点を忘れているのです。ですから、いくらPRで、「ユートピア、善の世界ができる」と言っても、今日の『私』がその世界と関係を結ぶことができなければ、それは私と何ら関係がないのです。 アメリカには、良い学校が多いけれども、その学校がいくら良いとしても、『私』がその学校と関係を結ぶことのできる学生とならなくては、私と何ら関係がないのです。したがって、すべてはあなたに結び付いています。皆さんが善悪のすべての決定の出発点であるわけです。一般の人が善悪について考える時、彼らは自分から離して考える傾向があります。しかし実際にはそれは正しくないのです。自分と関連のない善悪はないのです。 誰しも自我というものがあります。だからあなた自身の観点から考える場合に、自分の善はどこにあるのかということを考えなければなりません。それが問題です。善というのは自分と関係なく、そこらにころがっているのではありません。私と離れているのではなく、私と直結されているのです。悪についても同じです。私と連結されています。ですから私を中心として上がったり、下がったりします。 では自分自身の善をもつためにはいかにすればいいか、自分自身の悪を清算するにはどうすればいいかという問題が、今日皆さんの生活の当面の課題なのです。自分の中のどこに善悪の根拠があるのか、これが問題です。 堕落することによって人間は二つの面をもつようになりました。それは霊的な面と、肉的な面です。それは間違いありませんね?(はい)。 堕落しなかったら、人間は神を中心とした二つの性稟を表すはずだったのですが、堕落したことによって二種類の人間になってしまったのです。肉的なものは悪の基盤となり、霊的なものは善の基盤となってしまったことを知らなければなりません。したがって私の体はサタンの舞台となり、私の霊は神様の舞台となるのです。善悪の根拠地はどこにあるかと言うと、他にあるのではなく私自身にあるのです。地獄へ行くのも『私』にかかっているし、神の人になるのも『私』にかかっているのです。それゆえ神様もサタンも『私』を中心として闘っているのです。 パウロですら“わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう”と、嘆きつつ闘っているのです。 理想世界やユートピアを追求する人は必要ですが、その前に、私の体はそれに反対する要素で完全に占領されているので、自分自身に規律を与え、理想世界に至り得るような自分自身を備えることが、最も重要な問題なのです。これを解決しない限り、いくら「善なる世界だ」、「天国だ」と言っても、何ら皆さんとは関係がありません。 私の体は善なる舞台と悪なる舞台に引っ張られていますが、善なる舞台へ引っ張られた時は神様が役事し、悪なる舞台に引っ張られる時にはサタンが役事しています。何の話かわかりますか?(はい)。では善と悪は同居することができますか? それはできません! 私の体が悪の根拠地になっていて、心は神の根拠地になっているとしたら、どうすれば良いのでしょうか。それが問題なのです。善と悪とは共存することができないのです。もし共存すれば必ず闘争になります。そのような闘争の要素を私がもって天国に行ったら、闘争は決してなくなりません。もし天国に行けば直ちに「あなたには悪が介在している」と言われて、追放されるでしょう。それで今日、私たちは信仰生活を必要とするのです。 宗教の使命は、私の体の中で闘争するサタンの根拠地を清算することです。このことを知らなければなりません。今日、宗教を信じている人たちは、自分を覆い隠して、この世界の善を求め、悪を分別しようとしています。しかし、それは宗教の本来の目的から逸脱したことなのです。 今日、終末時代においては、民主世界は唯心世界、共産世界は唯物世界と、二つに分かれていますが、それらは闘争する大きなブロックとなっているのです。その原因は何かと言えば、人間個人によるものなのです。このことをよく知らなければなりません。『私』という種を植えておいて、それが実を結んだ結果なのです。今日の世界の人々は、共産世界と民主世界の問題は、アメリカとソ連がそれぞれに責任をもつべきだと考えていますが、それがいけないのです。それが問題ではありません。問題は私の個体にそのような要素をもっているという事実が、より恐ろしいことなのです。このことを明確に知らなければなりません。 では何が問題かと言えば、サタン世界において、私たちはいかにしたら悪を清算することができるかということなのです。これを大まかに言うならば、肉的なものにはサタンが相対するから、肉的な基準が要求するすべてを否定しなさい、という原則を立てざるを得ません。 きょうの題目は『善悪闘争史』ですが、善悪闘争はどこから始まったかと言うと、人間個人個人の中から始まったのです。これを清算していかなければなりません。それは、誰からやらなければならないかと言うと、自分自身からやるのです。家庭に勝たなければならないのではなく、『私』に勝たなければなりません。私が最初なのです。自分は国家的な基準で、世界的な基準で、あるいは霊界に行ってからの闘いに勝とうと思うのではなく、まずその闘いは、私自身から勝利しなければなりません。何の話かわかりますか?(はい)。皆さんもそう思いますか?(はい)。実感できますか?(はい)。 我々は本当に善と悪を明確に知っているでしょうか? 真理を知れば、真に解放されるので、善を追求する人は肉を打つのです。この闘いを続けるのです。 私たちの日常生活は、良いものがあれば先に良いものを食べようとします。それで、サタン側の悪い食べ物と神側の善なる食べ物と、どちらを先に食べるか、根本的にどちらに属するかを自分自身に聞くのです。食べるにおいても、私は善のために食べるのか、悪のために食べるのか、それが問題なのです。 食べ物というのは、この宇宙の共有物であり、共同価値をもったものなのです。その食べ物は“善い人々に食べられたい”と思っています。そして“善い人々の栄養素となり、善のために用いられたい”と願っています。しかし悪い人々が食べて、悪い人々の栄養素となるとしたら、その食べ物は喜ばないでしょう。着る服も同じです。「私は善なる人に着てもらいたい。悪なる人は嫌だ」と言うのです。問題は深刻です。日常のすべてがそうなのです。考えるのも、話をするのも、すべてが善と悪の二つに分かれているのです。だからすべては自分自身の中で決定されます。『私』がいかなる人間となるか、これが問題です。 ではサタンを防御しながら、善なる方へと行くことのできるのはいかなる道なのでしょうか? 宗教は善なる道へ行く方法を教えてくれます。宗教の教えは肉体が求めるものをすべて拒否するのです。すべてを否定するのです。自分を中心として高くなろうとすることを、みな拒否しなければなりません。そのために昔の修道士たちが苦行をしたのです。仏教においても同じように苦行をするのです。例えば、ある人が空腹となって、心を失い、“食べ物を得るためには何でもしよう。物を盗もうと構わない”と、そういう考えになるとします。その時、その人の中にある善なる心はその欲望に対して“否”と言います。食べ物を食べること自体は基本的に毎日必要なことです。しかし私たちはそれがいかに重要であるかということを知っていたとしても、根本的な基準に立ち戻って考えなければなりません。 その次は眠りです。眠りたい時は、自分の体面もなく眠りこけてしまうのです。イエス様がゲッセマネで祈る時、三弟子が眠ってしまったのと同じようなものです。自分たちの先生の体面も何も思わず、先生が死ぬようになっていても、それは自分とは全く関係なく、眠たくて仕方がなかったのです。しかしそのような場においても神の人であるならば、神の法律に従って生きなければなりません。 次は何かと言うと、情操的な愛の問題です。これをいかにコントロールするか? それが今日までの宗教界の重要な問題であり、肉体を制止する闘いでした。そのために自分自身を全面的に否定したのです。なぜそうしなければならなかったかと言えば、人間が堕落したという悲しい事実から出発したからです。皆さんは、『善悪闘争史』と言えば外部で起きていることと思いがちですが、皆さんの内部においてもこのような闘争史があるのです。どうですか? 皆さんも闘っていますか?(はい)。 それは、目や、耳や、鼻や、口や、自分自身の中における闘いなのです。ではこの闘争史において何を残していかなければならないかと言うと、善を残していかなければなりません。多くの人々がそんなことはどうでも良いと言っていますが、それは地獄へ至る道です。そのような人は粉々に破壊されてしまうのです。 戦争の中で最も恐ろしい戦争とは何であるかと言うと、『私』を中心として闘う戦争が歴史上最も恐ろしく、かつ永遠に続く戦争なのです。第二次世界大戦が問題ではありません。問題は永遠なる戦争の第一線の舞台に立っている『私』なのです。皆さんは善の世界と悪の世界を行ったり来たりしています。善の側から悪の世界へ行くのは簡単です。しかし、悪の側から善の世界へ行くことはどれほど難しいことか知れません。何倍も何十倍も難しいのです。堕落というのは落ちることです。落ちることは簡単です。しかし、上る時は何十倍も難しいのです。上る前に、落ちる力をすべて否定しなければ上ることはできません。そのためには落ちようとする力と闘って、それに勝利しなければなりません。 問題は何かと言えば、善なる所から下がっていくことのないように、善の側の力をいかに強くするかということです。それには自分自身が常に善を求める生活を習慣化しなければなりません。習慣というものは恐ろしいものです。皆さんはチーズとか、バターとか、ハンバーガーを食べる習慣があります。だから韓国に行った場合、御飯や、赤唐辛子味噌(コチジャン)、キムチなどを嫌がるのです。アメリカの海外宣教師は帰って来るや否や、マクドナルド・ハウスに行くのです。(笑い)外国に行って十年、二十年たってもその習慣は変わりません。理解できますか? ですから、私たちは善い生活を習慣化しなければなりません。ここで問題は、このようにすれば何の利益があるのかという損益関係の商売を実感するような生活環境をいかに探し求めるかが、重要なのです。 こちらに上がっていけば(黒板を使いながら)どうなるかと言えば、そこには愛の園、本質的な愛の世界が増えるようになります。こちら(黒板を示しながら)に下がれば嫉妬があり、どんどん分裂します。統一理想平和世界は、統一と融合なくしてはあり得ないのです。またユートピア的世界はすべて善なる世界であり、悪なる世界はあり得ないのです。これが結論です。 善なる世界、ユートピアは、神と人間が一体化したところから始まります。これが原則です。神様と善の人間はもちろん善の側です。では悪の世界とは何でしょうか? それはサタンと悪の人間です。サタンと悪の人間、神と善の人間との違いです。だから天国を造る上で、最も重要なことは、サタンと人間との協力関係を打破することです。サタンと人間はいつも皆さんを主管しようとします。それが皆さんの運命です。これが問題です。それは非常に重要な決定的な基準となります。 皆さんは神と善い『私』をもたなければなりません。皆さんはどちらに属していますか? 皆さんはどこに位置していますか? それは非常に深刻な問題です。そのような根本的なことを皆さん個人の基準において決めなければ、統一教会がどうだとか、神様がどうだとか、アメリカがどうだとか、世界がどうだとか何を話しても無駄です。まず神側に立ってから世界を語り、善なる人となってから、世界を論じなければなりません。 統一教会のメンバーは、一般の人々よりは善人だと言われていますが、一日の内で何時間善の側に生きているか、何時間悪の側に生きているか比較してみる時、善の側に立った生活は数時間しかなく、多くの時間を悪の側の生活をしている事実を知っています。自分自身に聞いてみなさい。何時間善の側に立っていますか? 皆さんはピストンのようなものです。善と悪を行ったり来たりしているのです。皆さんは善いピストンですか? 悪いピストンですか? これは深刻な問題です。笑いごとではありません。共産主義問題や、世界の問題よりも、『私』の問題がより大きな問題なのです。すべてこの世が悪く、自分は善くて、悪なることは自分と関係がないと思いがちですが、これはいけないことです。すべては『私』と直結されているのです。すべての悪の根拠地は『私』にあることを知らなければなりません。 私たちはこのような環境を総清算し、いかに収拾すれば良いでしょうか。結論として、私たちにわかりやすく、一言で内容を言うならば、いかに善なる側と連結し、悪なる側から逃避するかという問題が常に重要なのです。何の話かわかりますか? 私を主張する時にサタンが入って来るのであり、私を否定し全体を主張する時には神が入って来るのです。この観念を強くもたねばなりません。 皆さんは何かを人に貸す場合は公的であり、借りようとする場合は私的であるためにサタン的なのです。一生涯人に借りをつくらないという道を行かなければなりません。これが問題です。わかりますか? この一点で分かれてしまうのです。ある人が皆さんに十を与えたら、皆さんはその人に十一を与えなさい。もし百を与えられても、百一を返すならば(黒板を使う)、いつもこの線上にいるようになります。十を受けたのに九しか返さなかったら、借りを残したので(黒板を使う)既にこちらに下りているのです。ここで百を受けたのに、九十を返したら(黒板を使う)既にここに下っているのです。これは理論的ですか? 理論的ではないですか?(理論的です)。 それで統一教会は“為に生きなさい”と言うのです。ですから家に帰っても、親に借りをつくってはなりません。父と母の愛に対して、私はそれ以上返してあげるのです。アメリカの若者たちは自分は両親を愛そうと思わないで、“両親は自分を愛してくれない”とだけ考えています。両親が悪いということは、あなたたちも悪いということになります。両親は愛してくれなくとも、自分は両親を愛することが孝行の道です。悪い両親は皆、頭を下げるようになります。「私の息子が一番だ。あなたが一番だ」と言って、どんどん上ることができます。神がナンバー・ワンであるから神に近づいて行くのです。 この原則からみる時、イエス様の“汝の敵を愛せよ”という教えはどれほど素晴らしいことでしょうか。敵を完全に超えていくことができるのです。愛の前には、敵も頭を下げるのです。愛の負債を負った者は胸を張って歩けますか? お金において負債があってもそれに捉われるのですから、愛の負債を負ったら、どのようにして返せばよいでしょうか? 自分の生命を捧げてでも返さなければなりません。それは『私を主張する』ところに起こるでしょうか? 『為に生きる』ところに起こるでしょうか? どこに起こるでしょうか?(為に生きるところです)。これは間違いのないことです。このことを知らなければなりません。統一教会はこのような内容があるので一番恐ろしい戦争に勝利するために、決定的な原則を立てたのです。皆さんはこういうことを明確に知らなければなりません。何の話かわかりますか? もう、わかりましたね。 したがって、話をする時も、自分のためではなく全体のために話し、見るのも聞くのも全体のために見て聞くのです。なぜそうしなければならないかと言うと、サタンは『私』を中心として見ようとしているので、『私』が全体のために為す時、サタンは私を離れてしまうのです。 男女が結婚する時も、私は一番の美男子、一番の美女がいいと思うのです。そういう時は一番醜い相手になります。だから自分は美男美女よりも、最も醜い相手がいいと思えば、どれほど素晴らしい結果になることでしょうか。そこにはサタンは一歩も近づくことができないのです。そういう生活をする人は昼も夜も恐ろしいことはありません。夜はサタン(悪)が支配すると言いますが、悪なる世界も暗い所も怖くありません。そういう人は夜には灯台のように輝きます。生命の道を歩む人は、後ろに多くの人がついて来るのです。私たちは食事の時も、文を書いている時も、何をしていても、いつもすべてが善悪の闘争の中にいるのです。 アメリカは一時、レバレンド・ムーンのために大騒ぎしたことがありましたね。今も大騒ぎしていますが……。先生がアメリカに来たのは、金儲けをするためだったのでしょうか?(いいえ)。先生は歓迎されようとして来たのですか?(いいえ)。アメリカを讃美し、救うために来たのです。しかしアメリカは、私に激しく反対してます。先生はアメリカに対して借りはありません。奉仕することにおいても、愛することにおいても、先生は誰にも負債を負っていません。 先生はアメリカへ来て、滅びゆくこの国をいかにして救おうかと考え、『ワシントン・タイムズ』をつくりました。そして、いかにしてアメリカが共産主義によって支配されることを防ぐか、そのことを日夜考えました。共産主義との闘いを一人で背負ってきたのです。後になって、米国の人々はレバレンド・ムーンに負債を負っているということを知るようになってきました。そして少し謙遜になって、レバレンド・ムーンの話を聞こうとする姿勢を見せてきました。(拍手) 皆さんは一生の間で、どれほど負債を負ったか、貸しをしたか、それが霊界に行って評価されるのです。 統一教会は、アメリカ社会に対して善い影響を与えていますか? それとも悪い影響を与えていますか?(善い影響です)。今日、統一教会はどんどん発展しています。いくら悪口を言われ、いくら反対を受けたとしても、統一教会がどれほど素晴らしく発展してきているか皆さんは知っていますか? 皆さんは何年たっても変化がないので、いつも同じだと思っているかもしれませんが統一教会は発展しているのです。今では、アメリカの著名な人たちが先生を訪ねて来て、先生に指導を求めるようになってきたのです。(拍手)ですから自分自身との闘いは早く勝利して、国と世界のために闘うことのできる人を、神様は切に願っておられることを皆さんは知らなければなりません。 先生は居眠りをすることができません。先生は統一教会のメンバーに「眠りに勝利しなさい」と教えているのに、私が眠ってはいけないのです。その時間も私は仕事をするのです。負債を負わないためです。何の話かわかりますか? ですから統一教会のメンバーは死の立場においても先生を恨んだりすることができないのです。“先生、私は宣教の地において今死なんとしています”という、そのような場においても、先生には頭を下げて行こうとするのです。先生もそうです。“神様! どうして私にこのような苦労をさせるのですか”とは思いません。それは、神様の前に借りをつくろうとは思わないからです。かえって神様に負債を負わせようと思うのです。自分を最悪の環境に押し込んだとしても、“いかに神様に負債を負わせるか”考えるのです。そのために、神様と私の間に億千万ものサタンが介入しようとしても、そのような隙を与えることがなかったのです。 だから、「レバレンド・ムーンは悪い奴だ、悪い奴だ」と言って、引きずり下ろそうとしても、どんどん上がって行くのです。統一教会のレバレンド・ムーンは反対を受けながら、発展するのです。神様がいるとしたらどちらに味方するでしょうか? 悪口を言う人のためにもし奉仕しようとすれば、私たちは更に発展するのです。神様はそのような人の味方をするのです。 先生はこの世的感覚から言えば哀れな状態です。安楽に生活できないのです。先生はイーストガーデンの古いメンバーを連れて歩きましたが、誰も先生には屈服しています。なぜならば一生懸命努力するという競争において、誰も先生に勝ることはできないからです。だから、先生は誰にも負債を負っていません。先生はサタンが侵入できるような余地を少しでも残すことを望まないからです。先生は常に神の領域に生きるようにしています。 皆さんはベルベディアの聖日礼拝に来て、先生がいないと寂しいと思いますか?(はい)。皆さんはベルベディアに何かを受けるために来ますが、既に皆さんは先生にますます負債を負う何かを受けているのです。(笑い)自分たちが消化することのできる基準に応じて、受けるのです。それは他に分け与えなければなりません。枝に芽が出るのと同じように、先生が為したことを、皆さんもその分野に出て行ってそのとおりにするのです。皆さんが必要なので、皆さんに付いて歩き、皆さんが好きで、生命の要素が得られ、信仰の役事が普及されれば自然にそうなるのです。 皆さんは闘う時、敗者となりますか? 勝者となりますか?(勝者です)。“私は全生涯をこのように生きる”と明確に決意することです。そうしたら先生は皆さんを好きになるでしょう。 皆さんは悪い人でも善い人でも、若い人でも老いた人でも、すべて等しく愛さなければなりません。その人が好きか嫌いかを判断する前に、私がその人のために何を為したかを考えなさい。それは水のようなものです。水はいつも高い所から低い所に流れます。皆さんが自分を下の立場に置くならば、水は自動的に流れてきます。それが自然の法則です。また低気圧があれば自動的に気圧が流れてきます。だから皆さんは真空地帯、あるいは低い立場を作らなければなりません。先生はどこに行っても低気圧圏をつくるようになります。すると善なる霊が皆集まって来るのです。そこで善なる運動が始まるのです。 先生が行く所にはいつも何か重要なことが起こります。先生は何もしなくとも、人々が論争したり議論したり、善悪に分かれて大騒ぎするのです。このごろになって、ようやくレバレンド・ムーンが善人だということになってきたのです。(笑い)しかし前のレバレンド・ムーンと今のレバレンド・ムーンが異なっていますか?(いいえ)。アメリカがレバレンド・ムーンを支持するようになったということは、アメリカの生きる望みが濃くなってきたということなのです。これから多くの人が「レバレンド・ムーンは素晴らしい。レバレンド・ムーンの運動を一度知ってみたい」と言ってどんどん押し掛けて来るようになるでしょう。もしそのようになれば皆さんは二番目になってしまうでしょう。外部からは朝早く来て待っているので、皆さんはベルベディアに入る場所もなくなってしまうでしょう。 皆さんの中でベルベディアに来るのも、「きょうは先生が来られないので、私は行かない」と言ったら、それは誤ったことです。先生が来られればなお良く、先生が来られなくても「先生が来られた以上に神様に精誠を尽くし、神様にお会いしたい。(アーメン)(拍手)私は先生よりももっと早く来て、神様の前にいつでも準備する」というそのような心が必要です。神様はそのような人を必要とするのです。そうすることによって準備がなされるのです。皆さんがこのことが正しいと言うなら、これから発展して良い所に行く希望があるのです。 第二次世界大戦が問題ではなく、ソ連とアメリカの闘いが問題ではなく、『私』の中で永遠に続くであろうこの闘いを、いかに平和にしていくかが極めて重要なことです。これを成さなければ、平和な世界になるのでなく、みな地獄になってしまうのです。先生はこのことを知っているがゆえに、この道における第一の標語として『宇宙主管をする前に自己主管をしなさい』ということを掲げてきました。自分自身を主管できない人が、世界を主管することはできないということです。 先生は極端から極端まで主管することができます。普通の人だったらとても極まで達することはできないでしょう。先生は世界のためになることで、これよりも大切なものがあると思われる時は、直ちに方向を変えることができるのです。そのような生活をしてみると、統一教会が成立するようになり、神様が私と共におられ、歴史において私一人のために霊界にも問題が生じ、地上界にも問題が生ずるのです。今では南米の政治家はもちろん、アメリカのトップクラスの人たちが私を必要とするようなことが続いて起きています。どう思いますか?(素晴らしいことです)。(拍手) 自分が霊界に行く日が来た時、過去を振り返り、両親に負債があるかどうか考えます。先生は両親に借りをつくりました。しかしその負債を両親に返そうとはしませんでした。国と世界のために返そうとしたのです。それが両親の望むところでしたので、霊界において私を“誇ることのできる子供である”と讃美するのです。また先生は文家にも借りをつくりました。先生のために文家は多くの被害を受けました。蕩減条件を多く払いました。しかし先生はその負債を文家に返す代わりに、国と世界のために返そうと努力してきました。皆さんに代わって、先生の家族に代わって、人類と世界のために尽くしました。 先生が国家から、世界から、神様から『ムーン・ファミリー』として歓迎される時には、先生だけが受けるのではなく、ムーン・ファミリー全体が歓迎を受けるのです。 先生は韓国に対しても負債を負っています。韓国の人々は「なぜあなたは、アメリカばかりを大切にして韓国を大切にしないのですか」と、不平を言うかもしれません。しかし先生が韓国に代わって世界を愛し、この天と地のためにそうしていることを知らなければなりません。先生が世界と天と地から讃美を受ける時、韓国も讃美を受けるのです。その時になれば「レバレンド・ムーンよくやった」と感謝するようになるでしょう。わかりますか? 先生はまた統一教会のメンバーに負債があります。それは、皆さんが先生の前にすべてを捨てて献身しているからです。しかし先生は統一教会を代表して世界と天と地のために先頭に立って闘っています。したがって、統一教会のメンバーが過ちを犯せば、それは先生がすべて責任を負わなければなりません。アメリカにおいても、アフリカにおいても何か少しでも間違ったことをすれば、すべて先生に覆い被さってくるのです。皆さんを代表して先生が勝利し、世界が先生に順応するようになる時、統一教会全体が同時に勝利するのです。 先生がアメリカに来て、ある面では負債があるかもしれません。しかし、先生はアメリカを代表し、自由世界を代表して、共産主義と闘っています。先生がアメリカにおいて為したことに対して感謝する時に、全世界がアメリカを讃美するでしょう。こう思うのです。全世界と人類が先生に感謝する時に、その感謝は先生だけにではなく、アメリカにも向けられるのです。そのときにアメリカの人々はいかに先生の恩恵を受けていたかということを知るようになるでしょう。これは歴史の漸進的発展の道なのです。 また先生は霊界からも協助を受けています。霊界に対して負債を負っているのです。しかし先生は神様の心情を解放するために闘っています。神様が解放されるその日には、全霊界が先生に感謝するようになるでしょう。先生を通して霊界自体の勝利が輝くようになるのです。しかし先生が最初に、自分自身の中における善悪の闘いに勝利しなければ、あらゆる闘いにおいて前進することはできません。 先生が昨年の十二月に韓国へ行った時、韓国の人々が先生に対して「歴史的な英雄だ」とか「五千年史の偉人だ」とか言って先生を歓迎しましたが、自由世界においてもそう言われるようになるでしょう。(拍手) 「レバレンド・ムーンはどんなに迫害を受けても決して屈することなく、全人類のために全世界のために闘った。このような人は見たことがない」と言って先生を讃え感謝するようになる時が来るのです。 そして「彼こそ生きた聖人」であると言って讃える時が来るでしょう。 先生はどうしてこのような勝利ができたのでしょうか? それはいかなる思想によるものかと言うと、それは『為に生きる』この一言でしかありません。先生は誰に対しても負債を負わないようにしてきました。民族がわかってくれなかったら、涙を流しながらわかるまで福を祈ってあげるのです。そうすることによって、サタン圏を完全に主管することができるようになったのです。生命の道を行こうとする時は、不可避的にこのような道を行かざるを得ないのです。このことを明確に知らなければなりません。 先生は足を見ても、「足よ! 君はいつ国のために世界のために歩いたのか? 目よ、鼻よ、口よ、手よ、いつやったことがあるのか?」と問い質します。すると手は先生に対して「命令してください。何でもします」と答えます。私の口、私の精神すべてがそうなってこなければなりません。 最後は死です。もし死が戸口に来た時に皆さんはどうですか? 先生はその時も自分に何も負債はありません。先生にとって死は決して恐れるものではないのです。特に興進様が行かれた後、霊界は一層近くなりました。霊界と地上界の発展と跳躍は表現できないほどです。興進様も知らないで行ったのですが、行ってみて、先生の偉大さを知ったのです。先生はこのような内容を明らかに説いて、霊界と地上界を接近させ、統一的運勢を引っ張ってきているのです。(拍手) 神様御自身すら先生に感謝されるのです。「このように霊界も地上界も解放してくれる素晴らしい息子を自分はもっていたのだ」と感動しておられます。それらすべては『為に生きる』ということを原則にしてきたからです。どんなに困難で、希望もなく、突破できないように思われた時でも、この原則に従って対処した時にその困難を脱出することができ、希望をもつことができたのです。 先生は白人に対して大変厳しく言う時もあります。それはなぜかと言うと、そのままにしておけば、人類を滅ぼしてしまうことになるからです。アメリカが変われば全人類の希望となります。先生はアメリカを戒めたり、厳しいことを言ったりすることにおいて負債があります。しかし未来のアメリカを偉大にすることによって、その負債を返すことができます。 このごろの評判がそうです。裁判問題においても、言論界が、百人なら百人全員が同じ答えでレバレンド・ムーンを支持しているということは歴史的事件なのです。(拍手)それは決して先生が立派だからではなく、自分との闘いにおいて勝利しているからです。皆さんにもこれは重要な問題なのです。わかりますか?(はい)。皆さんはこれがぼやけています。明確になっていません。 これからはそのような自分とは縁を切らなければなりません。皆さんは事務をとっていても、話をしていても、いかなる所に行っても、常に善と悪を区別しなければなりません。どこに行ってもこの二つがあるのです。わかりますか? できるだけ汗を流してやりなさい。汗を流して、汗を流して……。 一番恐ろしい戦争は何ですか?(自分との闘いです)。この問題を解決しなければ、たとえ先生がいくら地上天国を建設しても皆さんとは関係がないのです。はっきりわかりましたね?(はい)。境界線をはっきりと引きました。先生はこのような観点からドクター・ダーストを見ています。(笑い)個人的レベルにおいて打って、また家庭的基準において打って、またアメリカ全体の代表として打ってテストします。だからと言って彼と争うのではありません。彼が我慢できなくなって“ワァー”と爆発したら先生はやめます。(笑い)そのようなことが東洋人にはできます。しかし西洋人にはできません。東洋にはそのような素晴らしさがあります。その次に先生の前に現れた時に、彼はどうしていいかわからなくなるのです。“先生はなぜ自分を怒らないのか”と不思議に思います。そこで先生は彼に微笑んで見せます。すると彼はますますどうしていいのかわからなくなってしまいます。このような原則で、どれほど余裕に溢れ、どれほど素晴らしい人間をつくるかということです。もうわかりましたね?(はい)。 闘争史の中心は『私』なのです。(黒板に書く)皆さんに一つ聞いてみましょう。敗者になりますか? 勝利者になりますか?(勝利者です)。誰のためですか? 誰のため? 私は全体の中心ですから、全体のために勝利するのです。その目標に向かって出発しなければなりません。(はい)。 皆さんはあらゆる面において善でなければなりません。本を読んでいても、文を書いていても、食べていてもみな善でなければなりません。たとえ美しい人と出会っても、問題を起こしてはなりません。わかりますか? 何の話かわかりますか? その時、彼女を讃美し、彼女のために思いやることこそ真の崇高さというものです。またアメリカでは女性たちが先生を見て泣いたりしますが、先生は何も考えません。 彼らの両親が愛した以上に彼らを愛し、姉、夫、妻よりももっと愛するそのような心をもてば、神様が共にいてくださるのです。そうだと思いませんか? 神様はそうですよ。皆さんはどんなに悔い改めなければならない人生であるかということを知って、力強く、逞しく、素晴らしく生きなければなりません。(はい)。そのように生きるという人は手を挙げてください。 皆様に神様の祝福がありますように……。(歓声、拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.18
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「霊界における王権の統一」 文興進様の御成婚の意義(御聖婚披露宴で)1984年2月20日アメリカ・マンハッタンセンターで 真の父母と王権 先ほど、朴氏が興進様の結婚式の意義について話をしましたが、簡略して二つだけをつけ加えておきます。 人類の歴史以来、このような結婚式は初めてであることを考えなければなりません。この世の観点から見ると、これは悲しみの一つの痕跡となりうることですが、摂理的観点から見れば天上世界と地上世界の総合のためには、このようなことがなくてはならないことを記憶に留めて下さることをお願いします。 すでに、みなさんはみ言葉を通して多くの内容を知っていますが、霊界は未だに神様を中心としてではなく、各々の善なる宗教団体を中心としたり、あるいは善なるグループ、特別な宗教などに分立されているという事実を知らなければなりません。それは何故かと言えば、地上の堕落圏、つまり原理主管圏(間接主管圏)がサタンの支配圏内にあるためです。創造原理から見た場合には、原理主管圏内でアダム・エバが成熟し、完成して神様の愛による祝福を受けるようになれば、原理圏による直接主管圏と連結されるはずでした。しかし、アダム・エバが未成年時代に原理主管圏は完全にサタン支配圏に入ってしまったということを知らなければなりません。 本来、堕落しないでアダム・エバが真の父母の立場に立ったならば、真の父母として、真なる夫と真なる妻の出発をすることができると同時に、真の家庭、真の氏族を形成し、そしてその氏族の長が真の父母であることを皆様は知らなければなりません。その次は真の民族、真の国家、真の世界、真の宇宙全体を、中心存在たる堕落しないアダム・エバを通して形成しなければならないし、それが創造理想である真の父母の立場であったということを知らなければなりません。 各段階において、真の父母に自動的に王権が認められるようになっておりました。それは、家庭の王であり、氏族の王であり、民族の王であり、世界の王であり、天宙の王であります。そして、それはひとつの統一された文化圏の下になされるのであります。二つの文化圏はありえないのです。 再臨主の使命 このようにみる時、堕落したこの悪なる世界が生じた以降に、メシヤという言葉が生まれたのです。メシヤという言葉は、真の父母の再現を言うのです。それで、今まで数多くの宗教集団が、それがいかなる宗教であるとしても再臨を言い、「再び来る」ことを言っているのはこのメシヤのみに焦点を合わせているからであるということを皆様は知らなければなりません。 イエス様はアダム堕落以後、聖書の歴史によれば四〇〇〇年ぶりに初めて神様の愛を受けることのできるメシヤとしてこの地に送られました。そして、彼によって、サタン世界において失ってしまったエバを取り戻さなければならなかったことを皆さんはすでに知っています。サタン世界からエバを取り戻すということは、安易なことでしょうか。それで、イエス様はエバを取り戻して父母の立場に立てば、家庭が成され、氏族の王となり、民族の王となり、世界の王となることができたのです。イエス様はそのような本来のアダムの理想を実現するために遣わされたのです。しかし、イエス様が殺されたという事実によって、このすべてが水泡に帰したことになるのです。 イエス様は地上に来られて、アダムの代りに地上に王権の基礎を築かなければならなかったのです。皆さんはこのことを信じますか?(「はい」)。イエス様がこの地上に来て、家庭的な王権から氏族的な王権、民族的な王権、国家的王権、それから世界的な王権を獲得しなければ、本来の神様の愛の直接圏内に連結されることができないのです。それが創造理想の基本的な観点なのです。キリスト教では、「再臨主がこられる、主様が再びこられなければならない」と言っていますが、それはこのような意味だったのです。 では、失われてしまったアダムの理想を再び回復するために来られたイエス様はこれを成し得ませんでした。その成し得なかったことを再び成すためには、このことを再び反復しなければならないのです。これが、来たるべき再臨主の使命であることをはっきりと知らなければなりません。 キリスト教文化圏とそれを主導していたアメリカが、第二次大戦以後、全世界をキリスト教文化圏にすることの可能な時がありました。その時に、もし統一教会が韓国の独立とともに、アメリカの保護と軍政のもとで、キリスト教文化圏に連結されるという御旨が成されていたとしたならば、統一教会の歴史のなかで、先生が六〇歳を超えてもなお、今日の先生の家庭におけるこのような悲惨な、蕩減の歴史をみるということはなかったのです。歴史的なメシヤ圏、メシヤ的伝統、王権的なメシヤの思想を完全に終結させ、今やひとつの世界が成される段階に入ったのではないかと先生はみるのです。 ちょうどイエス様がローマ統治下のユダヤにおいて、ユダヤ教の前に立っていたと同様に、米国統治下にある韓国において、キリスト教文化圏の前に立っていたのがレバレンド・ムーンであったのです。それは誰一人知らなかったことです。ローマと現在が異なるのは、現在はサタン側でなく、神側に立っているキリスト教文化圏であるという点です。イエス様の死によって、二〇〇〇年間苦労してきた功績の土台によってそのようになったのですが、それが先生とひとつになったならば、完全に一瀉千里で七年以内には収拾できるはずだったのです。(しかし、そうならなかったので)今まで四〇年の路程を回って、再びイスラエル民族がカナンの福地に入っていく、そのような運命圏を再び蕩減復帰してきているということを皆様は知らなければなりません。 先生の生活は、イエス様が霊的にしか果せず失敗したすべての内容を実体的に現実化すると同時に、それがアダムの創造当時に神様が立てた理想と一致することのできるものとして終結させなければならないという、二つの内容があることを皆様は知らなければなりません。 法廷闘争の意義 それで、統一教会を中心として、キリスト教と自由世界が反対したという事実によって、完全にサタン側に戻ってしまったのです。それで、統一教会を育てて、キリスト教に置きかえることのできる基準と、民主世界に置きかえることのできる基準と、共産世界を凌駕することのできる基準をつくって、今やちょうど統一された第二次大戦直後の現象と同じような世界的な情勢圏内に突入しているという事実を皆さんは知らなければなりません。 そして、アメリカと先生が対決しているのです。法廷闘争をしているのです。これが一審、二審における法廷闘争であり、今回の高裁を中心として、それはイエス様が霊的復活をしたのと同様に、主任判事は絶対的に私の方を支持し、反対する側に立った右の強盗、左の強盗は、サタン側において反対するようなことが起きてきたのです。しかし、大法院(最高裁)に上告される時は、キリスト教が右の強盗の立場に立って私を支持し始めてきました。そのことは、キリスト教が民主世界全体を代表して右の強盗を支持していることを意味するのです。そうすることによって、自由世界は先生の側に立ち、先生とひとつになり、共産世界は全面的に先生を否定するというような段階に今は入っているということを知らなければなりません。 しかし、イエス様の時のように私を十字架で殺すことはできないのです。私を監獄に入れれば、四十億の人類がひとつになってしまうのです。そのような結果となります。そのためにサタンはこれを躇し、アメリカもそうすることのできない法的基準に後退せざるを得ない段階に入っていくのです。それは何故でしょうか? 先生は世界的に信じられないような立派な基盤をつくったからです。 先生が監獄に入るようになれば、アカデミーの会長や団員を動員することができ、サミット・クラブとか、今までの多くの学者世界のグループを一日に十人、二十人動員して獄中を訪問させることのできる、このような基盤を整えたという事実は恐るべきことであります。有名な人々が一日に約二十名ずつ訪ねて来たとしても、合計すると一年に六〇〇〇人から七〇〇〇人になるでしょう。それはたやすいことなのです。彼らが先生に会いに来たとき、何故自分たちが訪れたか、その訳をアメリカの人々に告げるでしょう。また、毎日、マスコミの人々がインタビューをしに、牢獄にやってくることでしょう。先生は、この裁判を世界の人類がひとつになるための良いチャンスであるとみているために、「先生を獄中に送りなさい!」という考えをしているのです。 そして、この期間は、共産党が先生の生命を狙っている期間であることを知っているので、避難所としてこれ以上によい所がないと思っているのです。そこは、一層安全地帯なのです。 "統一式"の挙行 このようにみる時、今や世界的に峠を越えていく時を迎えているのです。そのために、今回の韓国での大会は、イエス様が国家と教会の基盤をイスラエル民族から失い、国の基盤を失った立場を蕩減する意味をもっていたのです。そして、七十二門徒がひとつになることができなかったので、イエス様が亡くなりました。それで、世界の七十二カ国のアカデミー議長団を中心として、韓国に連れていったので、韓国民族はどうすることもできず、反対することのできない状況に追いつめられてしまったのです。完全に協助するしかなかったのです。 この一連の大会(韓国での勝共大会)はメシヤを宣布することでした。つまり、民主世界であれ、共産世界であれ、全世界の人々にむかって「もし、あなたがたが希望をもち、生き残りたいなら、私の話す言葉に耳を傾けなければならない」というものでした。七十二カ国の議長団たちは、先生を証する人たちなのです。 アメリカは先生に反対しましたが、このように自由世界の指導者層と顧問の立場にいるすべての人々が一体となって、先生を支援しているという事実は、これは世界的な事件であります。その基盤の上に、サタンが今までこの原理主管圏内を支配していたすべての事実をくつがえしたのです。すなわち、今まで国と世界が行く道をサタンは国をもって阻止しようとし、世界でもって妨害しようとしたのを、開けてしまったのです。そこに何の侵害すべき余地もなかったのです。それでサタンは永遠にこの地球上において、真の父母と統一教会にこの御旨を引き渡さざるを得なくなってきたのです。 サタンは次のように言うのです。「自由世界を復帰し、キリスト教を復帰したいと思うなら、蕩減しなければなりません。過去において、韓国の民が、キリスト教が、また統一教会を信じていた人たちが外部に出ていって反対し、今現在、三十六家庭や、また統一教会の中心家庭たる父母様の家庭の子女たちに一体化がありません。これらすべての代価をどう支払うのですか?」と。 特に、韓国の大会に対しては、それを成しうるとはだれ一人として信じませんでした。全部が反対したのです。ただ一人、先生しかそれを信じていなかったのです。不信の代価は蕩減の提示であることを原理が教えてくれているではありませんか。 それで、この原理を知っている先生は、興進がすぐ霊界に行くことを知って“統一式”をしたのです。ユダヤ教とキリスト教と統一教会がひとつとなり、その次は日本とアメリカとドイツと韓国がひとつとなり、民主世界と共産世界がひとつとなり、父母がひとつとなり、家庭がひとつとなり、三十六家庭、七十二家庭、祝福家庭がひとつとなり、統一教会がひとつとなり、キリスト教がひとつとなり、民主世界がひとつとなり、天と地がひとつとなる“統一式”を挙行したことを皆さんは知らなければなりません。これをなさなかったならば、今日、このような聖婚式をおこなうことができないのであります。 サタンはこれを知らなかったのです。サタンは条件だけをかければ、すべての目的が成就できると思っていました。イエス様を殺しても、復活の能力で新しい道を開拓していった時と同じように、実はこのことを知らなかったのです。 (興進が)霊界に行く前日、“統一式”を終えてからすぐに、先生は次のような祈りを捧げました。 「あなたは地上から離れるとしても、地上にいるのと同じように、あなたの養子を選んであげて、息子としての班列にともに参加させてあげよう」と祈りで約束をしたのです。そのようにしようとしたら、地上において祝福をしてあげなければ、不可能であります。その時の約束なのです。 霊界における興進様の位置 神様は地上を救うためにメシヤを送ったけれども、真の父母は霊界を救うために、つまり霊的世界を救うために、父母の代身として全権大使、愛の王子を送ったことを知らなければなりません。全権大使、すなわち真の父母の愛の特別大使なのです。何故でしょうか。それは先生が地上に愛の世界的基盤をつくったからです。イエス様もその段階に到達していません。神様は我が子として愛することのできる十代の若者たちを、歴史以来初めてもったということを皆様は知らなければなりません。十代の若者たちの王権をもったのです。結局はそうすることによって、神様は初めて愛することができるのです。愛することができるのです。神様が愛することができるということを知らなければなりません。また、先生はこの地上の基盤を中心として愛している、このことによって二つの世界が連結されるのです。 堕落世界は、堕落した愛の主管圏、つまりサタンが主管する原理結果主管圏内に陥ってしまったので、真の父母の愛というものは今までありませんでした。しかし、それが初めて霊界に出現したという恐るべき事実を知らなければなりません。 では、あの世に行ってどのようになるのでしょうか。興進様は韓国の人として生まれたので、韓国の先王たち(歴代の高徳な王)を中心とした実として現われるのです。王権の結実がつまり興進の位置なのです。そのような立場において、韓国の先生たちを中心としてみるときに、興進は年令は若くてもアベルの王であります。霊界はすべてを知っています。完全にわかるのです。完全にひとつとなるのです。霊界は何故興進の位置を正確に知っていたのでしょう。そのことは、霊界ではただちにひとつになれることを意味しているのです。もし、カインとアベルが一体化すれば、その上に父母が臨まれるのです。それで、父母なる神がここに運行することができるのです。神の運行圏が生ずるのです。だから、興進の王権と韓国のアベル的王権がひとつとなることによって、韓国を中心としたアベル的王権の主管圏が形成されるのです。その結合がなされた後、先王たちはアベル的王権の位置に立つようになるのです。わかりますか? 次に、アベル的国家圏内のすべての国々の王たちがアベル圏に立つのです。あなたたちは地上ではわかりませんが、霊界ではただちにひとつになることができるのです。それで、王権を中心に韓国を中心とした全一二〇カ国家が完全にひとつになることができるのです。 だから、その王の前にアベル的であった人々、たとえば今日、ユダヤ教を信じて霊界に行った人々とか、キリスト教を信じて行った人々は、すべて王権をメシヤとして侍るために存在していたのであって、彼を崇拝するすべての宗教界のアベル的タイプの人々は順々にひとつになっていくのです。 女王権を中心として何がおこるか ところが、ここにひとつの問題があります。この王権を立てるのに興進ひとりだけではいけないのです。ひとりだけではいけないのです。女王権をいかに探すかが問題となるのです。このようなことを何故するのかはっきり知らなければなりません。このような王権を結合しようとしたら、地上世界の相対を決定してあげることによって、この女王権が霊界において連結されるのです。女王権を中心として何が起こるかというと、女王が地上にいるために、自由に一二〇カ国の女王権の民を連れて地上に連結できる基盤ができるのです。神様の愛を中心として、霊界と肉界は統一されるのです。これを知らなければなりません。それで、この結婚によって興進は自由に地上に降りてこれるのです。だから、興進ひとりだけが来るのではなく、王権を統一したすべての王たちが、この地上に従ってくることができるのです。ですから、女王が必要であるために、このような聖婚式をおこなわなければならなかったことをはっきり知らなければなりません。このことを世の人々が聞くと、「レバレンド・ムーンは気狂いだ、狂った指導者だ」と言って、あらゆる反対をすることでしょう。 それは、本来なら先生が霊界にいってやるべきことですが、代わりに興進様を愛の代表として送ったのです。今日、五十日目になり、五旬節と同じであります。百二十名が(マルコの部屋に集まって)聖霊の降臨と共に火を受けて、キリスト教が世界的な闘いを出発したのと同じように、今日この日は薫淑嬢が結婚することによって、百二十カ国の王たちと国民が、この地上に来て復活して、世界的な歴史を展開することのできる運動として広がっていくのです。これが五旬節に相当する今日なのです。このことを皆さんは知らなければなりません。それで、霊界にいる百二十カ国の王権が地上に臨むことができるのです。このように極めて大きな二つの意味があるのです。百二十カ国家の中から一番先に神のもとに復帰された国がどこであったとしても、その国は、昔からの理想の発祥地となるのです。神はその基地から世界の復帰を始めることができるのです。 また、レバレンド・ムーンと統一思想という名が共産主義と民主世界を凌駕しているということは、言論人と知識人と学者たちは皆知っている事実なのです。 それで残りのこの三年間、八十年代を中心として、私たちが一致団結して世界到る所で強く、大胆に前進する時には、世界はだんだん私たちの前に入ってくるのです。今この時が越える時なのです。今の時、この二月が転換の月です。二日後は、私が北韓で監獄に入って三十七年目に当る日なのです。一九四八年に入ったので、三十七年目になるのです。これは先生の生涯の四十年間の地獄の生活に匹敵するのです。四十年間の地獄生活。 そのようにして、蕩減復帰の条件を立ててきた事実を皆さんが知って、近い将来に前進を誓う意味から、皆さんが新しく決心することのできる祝賀の日となるようにお願い致します。 真の愛のかけ橋 私たち祝福を受けた家庭は、薫淑様、興進の新婦になられるこの方が、一人で生きながらも、神のために忠誠を尽し、真の父母のために夫のために精誠を尽す孝女、孝婦の立場になる時、統一教会の信者たちは三年路程、七年路程に不平を言う条件がなくなるという事実を、皆さんがサタンの讒訴条件を免れる一つの基本的伝統が地上に生じたという事実を知らなければなりません。これが皆さんにとって一番嬉しいニュースであります。 あなたたちは地上に相対をもって不平を言うことができますか。サタンが讒訴できない基準を皆さんに贈り物として与えるのです。もし、あなたたちが薫淑様の精神と一体となるならば、あなたたちの家庭にはサタンが取ることのできる何の条件もなくなるでしょう。何の話かわかりますか。そのために祈りの中に、薫淑に代って生きているし、興進の代りに生きているというこの思想をもつ時には、サタンを除去することのできる偉大なことが起るのです。サタンはこれを考えることができなかったのです。 ここに来ている祝福家庭たちで、先生から三年路程の厳命が下されたにも拘らず、躊躇する人たち、その家庭の夫と妻は今夜から手を合わせて悔い改めて、明日から新しい道を出発して行かなければなりません。 重要なことの一つは地上に新婦がいなかったら、王権、女王権が成立されないということです。第二に、霊界の国の全ては天使世界のような立場にいるために、アダムの世界である地上を天使世界は保護育成する責任があるので、王権と女王権およびその民が来て、地上のサタン組織を全て奪って、相続して越えるのです。何故かと言えば、それは天使世界に匹敵する天使たちが、アダム・エバが堕落しないように、保護育成しなければならなかったという原理原則によって、初めてこの地上世界を処理することができるからなのです。神に侍る天使たちが、神に反対した天使を天から追放したのです。私たちが占領し、私たちがコントロールすることのできる、真の父母の愛を中心とした原理主管圏であると主張することのできる時代となったので、このことが可能なのです。結果主管圏であります。結果主管圏です。統一原理によってはっきりとわかりますか。(「はい」) 第三に、あなたたちに恵みを持ってくることのできる、一つの燈台ができたことを知らなければなりません。それで真の愛の橋となるのです。薫淑を中心として、興進を中心としてその間に橋がかけられたのです。真の愛のかけ橋。だからサタンは干渉できないのです。これは原理的観点です。 ここにいるのは統一教会のメンバーですから、これをはっきり知って帰らなければサタンの讒訴を受けるのです。そのために、もう遅い時間ですが、必要なことであるので、これが摂理史全体の概略において、現在がどういう立場であるかを明示したのです。この言葉をよく記憶して下さるようお願い致します。先生が生きていてそのことをコントロールすることができるので、驚くべき発展があるでしょう。 信念を持って前進しよう イエスを打つことによって、霊的復活圏が生じたのと同じように、興進を打つことによって、地上に愛の圏が移されるのです。興進を打ったのですが、その死によって愛の圏が新しい世界に連結されるのです。 先生がこのようなことを知らなかったら、世界がどうなったでしょうか。天と地がどうなったかを考えると、このような意味において神様は先生を愛さざるを得ないだろうと先生は思うのです。 あの世では、皆様が想像することもできないほどの祝賀宴が開かれている事実を皆様は知らなければなりません。だからその人たちが来て、先生を擁護しようとするのです。あなたたちはそれを知らないでしょう。彼らは、この影響と意義を知っています。彼らは先生を守るために、そしてあなた方に教えるために地上に降りて来ているのです。皆さん、はっきりわかりましたか? ここに初めて来た人たちは、どのような話か夢のようでよくわからないでしょう。皆さんは、はっきりわかりましたね。真の父母の家庭に対して、信念をもって前進すべきでありますし、勝利が待っています。アーメン。 皆さん、直接主管圏を知っているでしょう。あなたたちは、もちのようにぴったりとくっ付いたのです。はずすことができないのです。サタンははずすことができないのです。あなたたちが速く行けば行くほど、個人に一つの国がついて来るのです。一国がついて来るのです。ここにいる誰もが異なった国籍を持っています。それぞれの国を救ってあげたくないですか。(「救いたいです」) 興進様のように、神のために死ぬ覚悟をし、祭物となる覚悟をして、今夜死んだとしたら、霊界にいってまちがいなく、この言葉がその通りであることを知るでしょう。信じられなかったら死んでみなさい。(笑い) 理論的です。それは恐ろしいことです。このような恐るべき事実が理論に合致するのです。神様が私を保護するように、皆様をも共に保護することでしょう。これを信じて前進いたしましょう。アーメン、アーメン。もっと大きな声で、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン。(拍手しばらく続く) 次は何ですか、歌? 先生は今、非常に力強く話したので歌を歌うことができません。しかし、きょうは記念すべき日ですから、歌ってみましょう。何の歌を歌いましょうか、お母様一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.17
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以下は「第2回 THINK TANK 2022 フォーラム」の広報映像です。「第1回THINK TANK2022 FORUM(2021.10.16)| 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」(第一回目は日本からも知識人が参加)に続き「第2回 THINK TANK 2022 フォーラム」が2021.11.20(土曜)午前9時からオンラインで配信される予定です。映像はPeaceLinkTVを介して数ヶ国語で行われます。当日の映像はPeaceLinkTVホームページからご覧ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.17
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「指導者会議における説教の抜粋」1984年2月10日ベルベディアで 蕩減復帰の道 今年、あなた方は先生に対して不平を言うべきではありません。なぜなら、興進様が生前に御父母様に孝行できなかったことを申し訳なく思っており、統一教会の人たちが不平を言わず、自分の代わりに御父母様のために孝を尽してくれることを心の底から願っているからです。 興進様は今いったい何をしておられるか? 先生がこういう話をしている時、今霊界では全部それを聞いているのです。 私たち統一教会は、蕩減復帰の道を行く教会であるということを知っているでしょう。それはわかっていますか? (「はい」) 蕩減復帰と言いますが、蕩減ということを好む人がいますか? いると思いますか、いないと思いますか? どう思いますか? (「いないと思います。」)「いません」という言葉が正しいのです。それなのに、なぜやらなければならないのか? なぜ私たちは蕩減をしなければならないのか? それは堕落したためです。堕落したとしても、それはアダム・エバの時代のことであって私たちとは何の関係がありますか? では、なぜ蕩減するのでしょうか? それは人間の責任分担があるからです。この人間の責任分担という過程を越えなければ、人間の幸福と理想を完成することはできないのです。その責任分担、一つにはアダム・エバの未完成ということが、そこにひっかかっていると同時に、アダム・エバ家庭が未完成のままひっかかっています。そうしてアダム・エバ一族、一国家、後孫すべてが未完成圏内に留まっているのです。完成していない者は神様も主管することができません。原理で言う間接主管圏、この間接主管圏を人間が主管しなければならないのにもかかわらず、サタンが主管しているという事実を知らなければなりません。 個人はこの完成のためにサタンと闘わなければならないし、家庭がこの完成のために、サタンと闘わなければならないのです。本来、間接主管とは人が主管しなければならないにもかかわらず、サタンが主管したため、この間接主管圏回復運動をしなければならないのです。そうしなければ人間の責任分担圏を持つことはできません。何の話かわかりますか? サタンに奪われた間接主管圏 今まで宗教を立てて来た目的は、間接主管圏内にサタンが介入したそのすべてを除去させるためでした。本来人間は間接主管圏を自由に往来するようになっているにもかかわらず、サタンに占領されたので、これを再び取り戻そうとして、世界基盤を拡大してきたのが宗教なのです。すなわち間接主管圏を再び取り戻すための運動、それが今までの宗教の歴史でした。 宗教歴史の課題は、いかに再び間接主管圏を奪い返してくるかという問題なのです。この問題について考えてみるとき、サタンを後退させなければなりません。サタンを後退させることを今日、統一教会においては蕩減復帰というのであります。では、いかにしてサタンが間接主管圏を占領するようになったのか? それは愛をもってです。何の愛でありましょうか? 自分中心の思想に基づいて、偽りの愛を中心としてサタンが占領するようになったのです。このサタンを後退させるための方法としてはどのようにしたら良いのでしょうか? 自己否定し、神様を絶対的中心として神の愛を立てていくならば、サタンを屈服させ分立させていくことができる、それ以外に方法はないのです。これが個人の基盤から家庭基盤へと拡大し、民族基盤、国家基盤、世界基盤、全人類基盤にまで拡大していく以前においては、本然の間接主管圏を取り戻すことはできません。そういう結論が出るのです。何の話かわかりますか? 今日、堕落した世界において、あなた方は間接主管圏という原理基準を持っていないのです。だから自分勝手にするのです。いつ成長して上ってくることができますか? 間接主管圏を持っていないあなた方が、いかにして神様が直接主管することのできる直接主管の道へ入っていくことができますか? では、間接主管圏は誰が持っていますか? 神様が持っていらっしゃいますか? 誰が持っていますか? そうです、サタンです。それを私たちはどのようにして取り戻してくるのか? 言葉でできますか? 「サタンよ、原理を通してみると間接主管圏はあなたに奪われてしまったので、私に返して下さい。」 このように言葉で言ってできますか? 力でもってできますか? 蕩減復帰というのは、同じ内容を中心として、逆の路程を行くことによってなされます。では誰を中心としてですか? アダムは自分を中心として、エバも自分を中心として堕落したので、これからは神様を中心として行かなければなりません。そのような中心を持って自分を犠牲にするのです。神様の愛を中心として自分を犠牲にするしかないのです。百遍死んで生き返ったとしても、それを悔い改めて、訪ねて行かなければならないために、絶対に神様中心、絶対の犠牲をしながらでもその愛を求めて行かなければなりません。サタンもそれを知っています。神様もそれを知っています。しかし、人類は今までそのことを知らなかったのです。だから、人間はメシヤという方を通してはじめてこれを知り、サタンの秘密がわかるのです。メシヤは人間を子女のような立場において教えてあげ、その過程を通過させるために摂理されて来たのです。 アダム・イエス・再臨主 ところで、メシヤはどのような人でもいいというのではありません。人類の祖先たるアダム・エバが堕落したので、メシヤは人類の先祖の立場で来るのです。ですから、神様が愛することのできる第二のアダム格として現れなければなりません。つまり、メシヤは神様の側に立った第二アダムです。来て何をするかと言えば、この間接主管圏を自由にするのです。それは本来、アダムが持っていた権限なのです。 サタンを中心とした国家的基台の中で、個人を中心としてサタンと闘い、また家庭を中心として闘い、イスラエルの国家圏を中心として闘い、イスラエルの宗教とイスラエルの国を中心として、神側の国家的基準にまで導くために四千年かかったのです。それが聖書の歴史四千年であり、メシヤを送るための歴史だったのです。それでサタン主管圏内にあって、民族主管圏、間接主管圏の権限を再び取り戻すための国家基準を形成しようとして、イエスはユダヤ教のイスラエル国を訪ねて来たのです。 しかし、イエスが死んで霊界に行った後に出発したキリスト教をいくら熱心に信じたとしても、人間の世界は神の間接主管圏とはならないのです。だからイエスは再び地上に来なければなりません。再び来て、間接主管圏から世界的にサタンを完全に追放して、本来の堕落がなかったアダム圏間接主管圏、宇宙的代表基準を取り戻さなければならないのです。これが原理観です。 キリスト教の霊的基盤を中心として民族的な間接主管圏を実現して、世界的版図を備えてきたのがキリスト教文化圏でした。その基盤の上に第二次大戦直後、レバレンド・ムーンが現れて、アメリカを初めとして全世界を胸に抱いて、間接主管圏を相続して、サタン世界を追い出すのです。それによって、本来人間が堕落しないで求めるべき本性的間接主管圏が、世界の領域を占めることができるのです。 では、神様が再臨主を送るとしたらいつ送るでしょうか? この時しかないのです。この時がすなわち神様が再臨主を送ろうとする時なのです。ところで再臨主は何番目の息子だと言いましたか? (「三番目のアダムです。」) なぜ三番目のアダムなのですか? 神様を中心として真の父母の立場、つまり直接主管圏に連結させることのできる責任を果すべき当事者の立場であるから、再臨主は神様の側に立つことのできる先祖となるのです。しかし、間接主管圏を失ったために、これをサタン的主管圏から完全に取り戻して直接主管圏に連結させて、本然の神様が立てるべき真の父母の立場に立たねばなりません。それは本来アダムがなさなければならない責任分担でした。それをイエスがなそうとしてできなかったので、それを代わりに行うことによって第三のアダムという言葉が成立するのです。 真の父母の時代が到来することによって、堕落世界の間接主管圏を個人的立場においても、家庭的立場においても、氏族、民族、国家、世界の立場においても占領することのできる権限を備えたので、個人の前においても真の父母になり、家庭の前においても真の父母という言葉を使うことができ、氏族、民族、国家、世界の前に、民主世界の前に、共産世界の前に言うことができるのです。 では、真の父母という名前を持ったならば、どのようにならなければならないか? イエスが国と教会によって十字架にかけられたので、イエスが失敗したのを蕩減しなければなりません。イエスはアダムの立場を蕩減しなければならなかったのですが、それに失敗したので、イエスの立場を蕩減するということは、つまりアダムとイエスが失敗したことを蕩減しなければならないということになります。 国家的迫害 それで先生が第二次世界大戦直後に現れて、韓国を中心としてキリスト教と一つにならなければならなかったのです。当時は、韓国という国はさほど問題ではありませんでした。というのは、当時の韓国教会はアメリカの強力な影響下にあったからです。統一教会を迫害した一切の内容は、アメリカの宣教師が来ている学校から始まったということを知らなければなりません。つまり、アダムとエバのような立場にあった梨花女子大学とか延世大学によって迫害されたのです。これらはアメリカの宣教師の支配下にある学校だったのです。韓国の校長先生だけではなく、宣教師たちの煽動によって迫害されたという事実を知らなければなりません。何の話かわかりますか? それは全世界が統一教会に反対したということなのです。 そこで、国家的な段階まで受けて来た迫害に勝利することのできる基盤を整える闘いをしなければなりませんでした。それで、一九四五年から一九六〇年まで満十四年間を闘い続けてきたのです。八月十五日になると、満十五年になります。そのようにして越えて行かなければならないのです。そうして国家的な次元へと越えて行くのです。 イエスに反対していたユダヤ教、ユダヤ民族とローマ帝国のように、アメリカ全体が反対する中においても蕩減して行かなければなりませんでした。サタンは「あなたは間接主管圏を取り戻しに来たのか? あなたはキリスト教文化圏を信じて、キリスト教基盤を中心として韓国の独立を夢見て来たけれども、彼等が反対するのであなたには間接主管圏を取り戻していくことはできない」と言うのです。 だから、イエスの三年の公生涯の路程をそのまま蕩減して行かなければなりません。イエスの公生涯は正確に言えば二年八カ月です。「イエスは闘って私に負けたのであるが、あなたは闘って私に勝ってみなさい」とサタンは言うのです。それで牢屋の生活が始まるのです。もっと詳しく話すには時間がないし、限りがありません。 韓国動乱 韓国動乱というのは、共産主義という新しい怨讐が出て来て打ったことなのです。そして「これがどうして神が立てた国なのか? あなた方が願っていたメシヤと、中心となる宗教の群れは、すべて私の手中にある」とサタンは言うのです。それで、国の半分を切って分けてしまいました。韓国が残ってきたということは、神様がおられるが故にこのように守られてきたからです。 その時、アメリカはマッカーサーの勧告を聞くべきでした。-私は解放直後で牢屋から出てきたばかりの時でした。-アメリカがマッカーサーの忠告を受け入れていたならば、一九五一年の九月には戦争が終結するようになっていたのです。トルーマンというのは韓国語で「再び壊れてしまった」という意味になりますが、その時彼によって再び滅びたというのです。トルーマンによって韓国動乱は再び敗北に終ったのでした。マッカーサーの言うことを聞いていたならば、民主世界は芽生えたはずでした。トルーマンは自分の名誉などは問題にすべきではなかったのです。 金日成と中共は、ソビエトと結託して韓国を狙っていました。これは民主世界、神様とサタンの問題であったからです。わかりますか? その時、国連において大騒ぎをして、そして民主世界が協力して解放することによって、南を取り戻すことができたのです。 それで、霊的イエスが整えた世界的な基盤があり、勝利的な基盤があるために、半分残されたその地を中心として、再び四十年という、二十年という期間に、二千年の蕩減をなして、今まで八〇年度を中心として頂上にまで達してきたのです。 それで、サタンは「レバレンド・ムーン、あなたが韓国人であるならば、韓国を相手にして勝ってみなさい。間接主管圏を得るために闘って勝ってみなさい」と言うのです。「神様は六千年間、また、イエスが来て二千年間苦労して整えたけれども、なおあなたが間接主管圏を私から奪いたければ奪ってみなさい。それを二十年間でやってみなさい。六十数、六千年の蕩減をやってみなさい」とサタンは言うのです。キリスト教とアメリカ自体がサタン的に迫害して来ましたが、南韓の地を残して、国家的な次元を越えるための闘いをするのに十四年かかったのです。 間接主管圏回復のための闘い それで、六〇年代に初めて祝福家庭を中心として、真の父母の名の下に地上に着陸することができたのです。三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭……そして六〇〇〇双に至るまで、このような家庭を中心として、世界的に民族を編成しながら、国家、世界の蕩減路程を拡大させてきました。 そして、民主世界のアメリカにまで来て、四十年以内に再び戻らなければならないという復帰の役事を今まで行なってきたのです。そうしながら、父母の日を決定し、子女の日を決定し、万物の日を決定し、神の日を決定しました。その期間というのは、どのような期間でしょうか? それは直接主管圏内ですか? それとも、間接主管圏世界の基準を越えるための期間なのですか? サタン世界において、真の父母の名によって蕩減という路程を経て、間接主管圏を拡大させてきているのです。 一九八三年、八四年を中心として越えていくのです。これが、教会創立三十周年にあたっています。世界的な蕩減をして、三年間の一九八五年八月十五日までに、イエス様の七十二人の弟子と十二人の弟子が反対した立場を蕩減復帰しなければなりません。それをどこでなすかといえば、韓国の地において行うのです。 イエス様が十字架につけられたのは、七十二門徒が一つになることができなかったからです。それから、ユダヤ教が一つにならなかったからです。それで、先生はキリスト教会を代身した統一教会の基盤を中心として、今日まで自由世界のすべての国のカイン主権を中心とした人々と一つになることのできる基盤を整えてきました。その上で韓国に行って、歴史的イエスが国家基準において失敗したすべての蕩減をしなければならない。そのような膨大な期間なのです。 霊と肉を中心としてサタンは、個人的に打つのではなく、国家的に打つのです。それが、KAL機墜撃事件、ラングーン事件、北韓スパイ事件等でした。これによって、全大統領の現政権を倒そうとしていたのです。もし、全大統領が死ぬようなことになれば、国家と国民が混乱に陥り、国民がみんな完全に不信に陥るようになっていたでしょう。そして、自暴自棄となり、その機に乗じて北韓が侵入したことでしょう。だれかがアベルとなって国家を守らなければならないのです。 そのために、先生は年末を目前に控えて緊急に韓国に渡って、共産主義から防御する、“勝共”というタイトルのもとで、世界七十二カ国のアカデミー議長団を集めて、「国民勝共大会」を開催したのです。このとき、韓国の国民全体が一つとなって、レバレンド・ムーンを歓迎する歓声が韓半島に鳴り響いたという事実は、イエス時代において失敗したすべての内容を国家的な次元を越えて、世界的次元にまで連結させたことを意味します。再び解放して国家基準から世界へと間接主管圏を回復していく基盤を整えたのです。 それは、統一教会を中心としたアベル圏とカイン圏が一つになったということです。そのため、国家圏のサタンとすべてのカインは屈服せざるを得ないのです。国家的、世界的な蕩減を、カイン・アベルの蕩減をなす上において、そのカインが反対していては、目茶目茶になってしまうのです。ともかく、七十二カ国の議長団が来て座っているので、政府は反対することができませんでした。 愛勝日の原理的背景 サタンは常に、父親のレバレンド・ムーンを狙い、二代目である息子を狙ったのでした。そうでしょう。アベルを狙うでしょう。先生はこのことを知って、韓国におけるサタンとの決戦において、サタンに敗北という悲しみを味わわせました。条件が満ちているので、サタンは先生を打つことはできなかったのです。 韓国の民は息子と同じような立場です。カインの息子です。統一教会の息子は誰ですか? 世界の前に、先生の前においてはアベルは誰ですか? これは興進なのです。わかりますか? サタンはカインの息子を殺すことはできないのですが、アベルを打つことができる権限はあるのです。 このような意味で、興進様が行かれたということを先生は原理的な観点で説明することができるのです。それで、韓国の民七〇〇万を結束させることは問題ではありません。このような興進様の犠牲によって、韓国の国民は先生と一つとなることができるのです。 興進様が行かれたことによって、神の国の二世を動員することができる時代圏に入って来ました。先生は一世を動員することのできる基盤を整えたし、興進様をともに韓国の国民が国家基盤と世界へ連結することができる二世圏の祭物となったので、霊界の一世圏は先生を中心として、二世圏は興進様を通して解放運動と組織運動が起こって来るのです。 それで、霊界と肉界が一つとなってどこへ行けばよいか? それはカナンの福地です。霊界と肉界において間接主管圏、サタン世界に勝利の楔を打ち込んで、地上天国、直接主管圏内へ越えて行かなければならない、そのような時が来たので「愛勝日」という言葉が生まれたのです。“愛でもって勝利した”という意味です。間接主管圏内においてサタンに利用されたすべての讒訴圏を離れたので、間接主管圏は神様の愛と連結される時代に入ってきました。それで、「愛勝日」という言葉が生まれたのです。 直接主管圏というのは愛のことなのです。直接主管圏内にあるすべてが愛によって動くようになっています。それは神様の愛を中心とした圏を言うのです。今や、間接主管圏、地上世界と本来の愛の主管圏である直接主管圏が連結することができる時が訪れたので、「愛勝日」を宣布することができるのです。これは原理観に基づくものです。先生の作り話ではありません。 先生が韓国に帰って来たとき、サタンはレバレンド・ムーンに対して国家と世界を賭けて攻撃しようとしたのです。先生は、それに対して蕩減条件を立ててきました。それが、先程言った議長団のことです。それによって、サタンは大敗北を喫したのです。それで、韓国政府はどうすることもできませんでした。サタンはイエス様の死体とか、モーセの死体を巡って争ってきましたが、この興進様の死体を巡る争いにおいてもし、韓国政府が反対していたとすれば大変なことになったのです。 このことによって、原理数である二一〇の門戸が開かれました。この日は世界の昇和日です。イエス様が世界的舞台において昇天していく日であると見て、「昇和」というふうになったのです。ただ死んでいくのではなく、勝利の基盤の上で死んでいくのです。それで、神様が愛する息子として、真の父母様の息子として行かれました。神様が今まで味わってきたすべての悲しみと、イエス様が亡くなって行かれた過去のすべての恨みを清算し、世界のすべての人々がその息子を歓迎し、受け入れることによって、初めて愛することのできる因縁が、神様の前にできたのです。 今は最後の転換の時 それで興進様にこの四十日期間で相対を決定してあげなければならない天的な意義があるのです。何の話かわかりますか? きょうが、行ってから四十日目になるのです一月十二日から二月二十日までの四十日間です。それを誰が信ずるでしょうか? 気違いだと思うでしょう。あなたがたはこうやって聞いてみると、「アー」と思うでしょう。そのために「歴史が転換し、世界が回る」という言葉の意味が初めてわかってくるのです。 アンドロポフの死も、韓国の大統領が死なないで生命があるのも、皆摂理的な理由からです。 韓国のKAL事件、ラングーン事件の後、アメリカにおいて先生の名が急速に高まって来たのです。大きな波が寄せて来ました。そうでしょう。これは二月を中心としてすべて成されたのです。 また問題は起きて来るし、アメリカにおいても問題が生じてくるのです。共産党の指導者の中で、私のため最も頭を痛めたのはアンドロポフだったのです。私を殺すように指令を下したのは彼でした。 彼はKGB長官としてローマ法王、レーガン大統領、そしてレバレンド・ムーンの三人の暗殺を狙っていましたが、最大の問題はレバレンド・ムーンであったのです。 今日ローマ法王がレバレンド・ムーンを支持し、レーガン大統領が支持すれば、自由世界に解放が訪れ、自由時代へと転換していくのです。そうした時が来ています。今が転換の時期なのです。最後の時になっているのです。これからあなたがたが願っても、先生に自由に会えない日が来ます。各国の首相たちが先生を訪ねてくるようになるでしょう。 これからの世界がどうなり、どう変わるか? 先生はそのようなことがわかると思いますか、わからないと思いますか? 未来がどうなるかを考えるだろうか、考えないだろうか? こういう話は先生が勝手に作った話ですか、それとも原理的な観点に立った話ですか? (「原理観です」)。 先生はやむを得ずサタンに打たれることを通して、奪ってくるのです。あなたがたは蕩減の原理がわかっていません。個人的間接主管圏を拡大することによって家庭的間接主管圏に連結され、家庭的間接主管圏を拡大することによって氏族、民族、国家、世界、天宙の間接主管圏に連結されるのです。あなたがたも自らの五パーセントの責任において、蕩減という歴史的な苦しみを払って行かなければなりません。それには先生が言う通りにするほかないのです。 霊肉界自由往来の基盤 巨大なボーイング七四七の荷物室の中に一匹の蝿が入って、七四七が韓国に着陸するまでくっついて離れなかったら、その小さな蝿といえども韓国に到達することができます。あなたがたも先生と固くひとつになって結ばれているならば、先生のところへ行くことができるのです。 決して自分自身を愛するな。先生を絶対的に愛すれば同じことになります。先生においては神様を絶対的に愛するのです。いかなる立場になろうと、不平を言わないで感謝していくのです。あなたがたがそのようになれば、あなたがたの子供たちもそうなります。 あなたがたはアメリカ人であるから、アメリカの国民たちがついて来るようになります。間違いなくその時になれば、それがわかるのです。 それで皆さんがこの時代において、自分が蕩減できなかった分も興進様が蕩減したということを考えて、神様の前にお祈りすれば、恵みが近づきます。蕩減の恵沢を受けるのです。霊界はどのようになっているかといえば、本来の霊界に行こうと思えば、真の父母様の愛を通過して、初めて霊界に行って勝利することができるのです。真の父母様の愛を通過しない人は、霊界に行くことができないようになっています。 それは何かというと、直接主管圏内において神様の愛と真の父母様の愛を受けて合格することによって、初めて霊界に入ることができるのです。これが原理です。今まで霊界に行った人たちで、神様と真の父母様の直接主管、間接主管の愛を受けて、霊界に行った人は一人もいないのです。だから、真の父母は絶対必要です。これを通過しなければなりません。 真の父母の伝統というのは、神様の愛の圏を中心として、サタンの堕落の愛の圏をすべて吸収して、間接主管圏解放と共に直接主管圏、愛の世界の中心に接木することです。そういう仕事をするのが、真の父母なのです。 真の父母が世界的な掌握権を持つことのできるこの時代に、興進君が行くことによって、世界的基盤の上に立った真の父母の愛を受けた息子が、霊界に立ったことになります。わかりますか? 霊界はどうかといえば、興進様を中心にして、初めて地上において真の父母の愛を受けた代表的中心軸が立つので、霊界は興進様を愛することによって、父母様の愛と接触できる条件が整えられるのです。興進様を愛することによって、地上にいる真の父母の圏内に再臨することができるのです。真の父母の圏内に入ることができる、それが本来の堕落しなかった世界なのです。真の父母様の愛と関係を持ったならば、霊界と肉界を自由に往来できる因縁ができます。興進様が行くことによって、霊界に真の父母様の愛の基盤を接木してあげることになり、自由往来の基盤が成されるのです。これが原理の内容なのです。 最も身近なアベル ではどうなるかといえば、霊界にいる人も地上に来て生きることができるのです。だから私たちの興進は私たちの家に来て暮らすことができます。それで部屋をそのままにしておくのです。普通、人が死んだといえば、その所を嫌いますが、私たちの子供たちは、そこに争って泊まろうとするのです。それはより高い愛とより高い次元の保護を感じるからです。あなたがたのために祭物となった最も身近なアベルであり、そして弟なのです。 だから霊界から地上に来て何をするかといえば、善なる霊たちがいっぱいついてきて、キリスト教についていえば、イエス様が地上において、自由にキリスト教を動員して、直接的に霊界によって伝道されてくることになります。北韓がレバレンド・ムーンにどんどんついてくるようになり、共産世界が南の霊界に入ってきて、すべてが連結されるようになるのです。何故かというと、この地上はアダム圏であり、霊界は天使長圏です。天使長がアダムの理想圏を協助するようになっているのが原理だからです。降りてきて協助するようになっているのです。だからこれから霊的な現象が数多く起ります。統一教会において、熱心に働く人は興進様にたくさん会うようになるでしょう。 このようにして子女の時代において、興進様が世界的な基準において責任分担を果して、祭物的な使命を成就したのです。それは三十六家庭もできなかったし、七十二家庭もできなかったし、韓国、アメリカ、全世界がなしえなかったことです。何の話かわかりますか? こうすることによって、天と地がひとつになることができるという結論をえることができるのです。 天と地が一つになれば、サタンは追放されなければなりません。共産世界の退却はこれからのムーニーの動きいかんにかかっているのです。アメリカもこれを収拾する道がありません。だれもできないのです。だから米国は嫌であったとしてもレバレンド・ムーンの言うことを聞かなければならないのです。あなたがたはこれがはっきりわかるでしょう。 興進様を愛していますか? このような膨大な思想世界の混乱を、共産主義のこのように退廃した思想、この悪辣にまでなった唯物思想を、何により消化し、導くことができるかといえば、レバレンド・ムーンのこの思想を持たずしては不可能です。霊界を知らないこの人類の前に、霊界を明らかにしてあげるだけでなく、霊界を知らない共産主義にそれを明らかに知らせてあげる。これはレバレンド・ムーンしかいないのです。このことを世界がわかるようになれば、レバレンド・ムーンこそメシヤに違いないというようになるでしょう。 あなたがたはそれを目の前で見ながらこのように座っているのですか? 目の前に見て、事実だと知りながらこのように座っているのですか? (「外で何かします。」) ムーニーはあちらこちら回りながら、「ムーニーは偉大である」と、若い世代に早く伝えなければなりません。 皆様、興進様を愛していますか? (「はい。愛しています。」) 私よりもっと愛していますか? では、その愛する興進様がなしえなかったことを、私が生きている間に代わりに成して、その後に霊界に行って、興進様の前で報告する、そのような皆さんとなってほしいのです。 私があなたがたを愛する以上に、あなたたちは興進様を愛さなければなりません。彼は最も花盛りの青春時代に結婚することもなくこの世を去りました。私達が責任を成し得なかったためです。あなたがたがこの地上において、百遍、千遍死んだとしても、興進様に対して感謝する気持を持たなければなりません。 すべては永遠の愛のために 興進様は昇和されることによって、王の種のような立場で霊界に入って韓国の王たちの伝統を立て、それを世界の王たちと連結させ、それにより善なる王権の基盤を整えられるのです。それと同時に、霊界においては、その王に従って行った多くの忠臣たちが、王権に自動的に接木されて王権圏が形成されます。そして王権圏思想と愛権理想が一致することにより真の父母の理想があらわれ、すべての世界が一つになってゆくのです。 世界の王たちを連結して、一つになることによって、王様の前にいる万民の統一-霊界においてはバラバラになっていた-がなされるようになります。霊界においては、その王の忠臣たる者たちがいるので、その者たちが王と一つになることによって、この地上における王権の中心である父母様と統一教会の立場と同じになるのです。愛をもって一つとなるのです。自由世界においても愛をもって一つにします。だから一つの世界が間違いなく来るというのです。このようにみることが、原理に合う理論的な結論です。もし異った意見があったら話して下さい。とても明らかにされてきたでしょう?(「はい」) このように愛の橋が掛けられることになった、「愛勝日」というのはそれほど重要なのです。これからすべての祝賀の日を取り消してしまったとしても、愛勝日一つだけは残しておかなければなりません。子女の日も必要であり、万物の日も必要であり、父母の日も必要であり、神の日も必要ですが、「愛勝日」というのは、その中で最も重要な祝日になるのです。 この愛の橋がなければ、神の間接主管と神の直接主管をつなげることはできません。このようにみる時、あなたがたはどうですか? あなたがたはサタンの讒訴から離れていますか? (「いいえ」)だから全体が一つにならなければなりません。 それで、あなたがたが奥さんたちと別れているのは先生と一つになるためであり、子女たちと離れているのは、蕩減のためではなく愛のためであることを知らなければなりません。永遠の愛のためです。だから自分の子供よりも、妻よりも、自分よりも、国家よりも、世界よりも、もっと真の父母を愛したという条件を立てなければなりません。それがサタンを屈服させる道なのです。真の父母を愛したという条件を立てるのです。そうするとサタンはどうすることもできません。逃げてしまうでしょう。それができなかったならば間接主管圏を越えることはできないのです。脱け出すことはできないのです。 このようにみるとあなたたちのうちで、蕩減が必要ないと考えた人はどれぐらいの罪になるでしょうか? 最も深い罪なのです。今はっきりとわかりましたか? (「はい、わかりました。」) これをはっきり知らなければなりません。これが公式なのです。 正義のための最後の闘い 死ななければなりません。真の父母の主管の下で、国と世界のために死ぬ者となる、そうするとサタンはすべて退去してしまうのです。その村にそういう気持で入って行く時、サタンは攻撃しかけてきても、逃げてしまって、「私はあなたに負けた」というのです。間違いなく攻撃はしてきます。 だから韓国のリーダーたち、先生が「死になさい」というその言葉を有難く思うべきでしょうか、どう思ったら良いでしょうか? 自分の子供や妻を心配する必要はありません。先生はすべてそういう道を通ってきました。そのことによって、あなたがたは神様の愛の圏内、先生の保護の圏内にいるためそのような悲惨な立場を避けることができることを感謝しなければなりません。 日本人のメンバーも同じです。妻が恋しいとか、子供が恋しいとか、そういうのは駄目です。わかりましたか? (「はい」) アメリカの人達は「間接主管圏、蕩減なんか必要ない」と言っていますがそういう原理がありますか? どこにあるのか探してみなさい。ないのです。もしそういう原理があるなら、あなたがたが探す前に私が先に探したでしょう。しかし、ないのです。この道しかないのです。天国へ行くにはこの道を経ずして行けないのです。だからいくら既成教会を信じても、天国には行けません。天国に行く理論とは何でしょうか? サタンの反対する理論的な根拠が何かあるでしょうか? 間接主管圏は誰が考え出したのでしょうか? 神様が作ったのでしょうか? あなたがたの子供たちが祝福を受けて、世界が一つになる時までは間接主管圏の蕩減圏が残っています。それを知らなければなりません。何の話かわかりますか? 先生が心配する一つのことは、私が生きている間にモスクワ大会ができるかどうかということです。モスクワの国民にまでも、これを教えてあげて解放しなければならないのです。先生がいなくてこのようなことができると思いますか? その基盤はアメリカにしかありません。アメリカにしかないので、アメリカが必要なのです。あなたがたはアメリカにいるのですから、ありったけの力を出して、正義をなす最後の数歩であると思って、死を覚悟して走ってくれることを願っています。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.16
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【天福宮礼拝】朝鮮半島平和体制の構築のための提言 –チュ・ジンテ会長20211114一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.16
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「愛の経典」1984年2月5日 イエス様は「天国はあなた方の心の中にある」と言われました。つまり、天国がどこから出発するかと言えば、自分の心の中から出発するということです。今日の信仰者はすべて、天国に入ること、あるいは天国を建設することを願っています。つまり“私は天国人である”というのが、信仰者の願いなのです。そして私の中に天国があり、その私のゆえに天国を実現することが可能なのだと信じています。 では天国は何が本質となっているのか、これが問題であります。天国の本質は何かと言うと、それは愛なのです。そして愛の本質は何かと言うと、それは自分を中心としたものではなく、全体を中心としたものであり、全体が喜ぶことのできるものです。全体と因縁をもつことができるものです。 ではその愛の本質の中心は誰かと言うとき、「私の心の中に天国がある」と言った場合の、『私』が本質の中心になることはできません。人間はどこまでも結果的存在なのです。第一の存在ではなく、第二の存在なのです。ゆえにその本質の中心は、この宇宙を創造し、愛を立てたその中心的存在であるということになります。 ではその第一の存在というのは誰でしょうか? そのお方が神様なのです。一般に『神様』と言った場合は、空中にいて、自分とは関係のない方と思われているのですが、私と関係のない方ではなく、私の心深くに既に関係をもっているという観念をもたなければなりません。なぜそうなのかと言うと、人は誰もがより高い愛を追求し、愛の本質に属そうとする本性があるからです。磁石にプラスとマイナスがあり、互いが一つになり得る本質をもっているのと同じです。そこで、この本質的な神様の愛にいかにして私自身が和するかが問題です。 そのために皆さんは、神様が私の主体であるという観念をもたなければなりません。そして私はいつも対象であるという考えをもたなければなりません。神様は何の主体なのかと言うと、勉強するときの先生と弟子のようなものではなく、愛を中心とした主体なのです。そして主体と対象という内容からして、「神様は私の父であり、私は神様の息子である」と言えます。 本当に神様はあなたたちの父なのですか?(はい)。言葉では「はい」と言うけれど本当にそうですか?(はい!)。父親であれば、子女が生まれたら子女を愛し、育て、かわいがるのです。皆さんはそういうことを感じていましたか? 神様の愛は宇宙的な中心の愛なので、誰よりも身近な父の愛なのです。皆さんが毎朝顔を洗った後鏡を見るとき、自分の体を見ると同時に自分の霊人体を見ていると考えたことがありますか?(はい)。「ノー」と言ったらどうしますか? 問題は自分の顔や体から見る自分と、霊人体から見る自分が調和しているかどうかなのです。 ここにいる顔の奇麗なお嬢さんたちは、「私の顔はとても奇麗だから、男性たちが見て、うっとりするだろう」と考えるとしたら、それとともに「私の心、霊人体がどれほど美しいか。神様が私の霊人体を見てうっとりするだろう」と、思わなければなりません。(先生、笑いながら)男性がプロポーズする時のように、神様が、美しいあなたにプロポーズするのです。そういう自分になりましたか?(笑い) この世では、結婚して男性と女性が生活をすれば、女性は夫が自分を愛してくれることを好みます。あなたをとても愛してくれる夫がいるとしたら幸福でしょう。しかしそれは私の体を愛してくれているのですか、それとも私の霊人体を愛してくれているのですか? 原則的にみたとき、どちらが動機なのですか? 心ですか、体ですか?(心です)。 愛は、原因から始まるのが良いと思いますか、結果から始まるのが良いと思いますか?(原因からです)。なぜ原因からですか? 神様が愛の主体であると同時に、その愛は全体の中心であるから、全体の中心としての愛から始まらなければならないのです。そしてその結果も愛なのですが、原因としての愛が先なのです。 神様がプラスで、私自身がマイナスであるとしますと、神様が主体であり私が対象です。それでここの間に原因と結果の授受の作用が起こります。原因から誘い掛けがあるとき、結果的な存在がそれにこたえます。だから実際に、愛の主体から出発した愛は対象に対して対応するという関係になっています。そして愛は心から出発しなければなりません。では誰の心からですか、誰の心ですか?(神様の心です)。神様の心から始まらなければなりませんか? あなたたちの心からですよ。あなたたちの心自体が神様の心と一つとなっていなければならないので、私の心から始まることが神様の心から始まることになるのです。 ではあなたたちの心はいかなる心ですか? いかなる種類の心かと言うと、全体のための心をもたずには、全体の中心からの愛を取ってくることはできないのです。これを知らなければなりません。 イエス様が、天国はどこにあるのかと問われた時、「天国はあなたの心の中にある」と言われたその心はどのような心なのでしょうか? その心は宇宙であり、私の心の中に入ってくることもできるのです。国が私の心の中に入ってきて、すべての人々も私の心の中に入ってきて、神様も私の心の中に入って、全体が私の心の中に入ってくる時、私の心は、国が中心になるでしょうか、世界が中心になるでしょうか、それとも神様が中心になるでしょうか? それは聞く必要もないことです。神様が中心となるのです。すべてをもってきて、神様を中心として侍るためです。神様を中心に誘致する心であることを、皆さんは知らなければなりません。 例えば、ここに何千億のお金があるとしましょう。すると心は「そんなにお金があれば慈善事業をやってみたら」と言うのです。その人が統一教会の信者であったら、すべての信徒にお金を分け与えたとしても、その時の心は「それで良い」とは絶対に言いません。今度は反対するアメリカの二億四千万の人たちにも分けてみましょう。そこで心は「よくやった」と言いますか? 世界中に四十億の人類がいるのにどうしますか? そのほかに霊界もあるのです。すべての霊界の霊人体に全部与えたとしても、心は寂しいのです。「もっとやらなくては」と思うのです。 では心はいつ「これで良し」と言うのでしょうか。それは宇宙の一番最初の中心から、最後の中心まですべてに与えて、宇宙の中心が「これ以上必要ありません」と満足する時、心も初めて満足するのです。 それでもお金が残っているとしますと、それも自分のものではなく、神様に、宇宙に預けて置きたいと言って、一銭もなくなった時、その人は悲惨になるでしょうか? どうなるのかと言えば、神様から宇宙的な愛が来るのです。すべてを全体のためにやって、更にやって、それ以上やることのできないところまで成したという時には、本質の愛が神様から宇宙からあなたを訪ねて来るのです。 心は、いくらたくさんのお金を持っても「もっともっとあればいい」と欲の心が起き、無限に必要とするのです。しかしお金とか黄金とか外的なもので心を満たすことはできません。あっても、あっても、更に願い、いつになっても満足する道がないのです。それほど大きな心はいつ満ちるのでしょうか? 何で満たすのでしょうか? その心は真の愛のみが満たすことができるのです。真の愛で心が満ちているときには、そこには宇宙も入っているし、神様も入ってきているし、すべてが入ってきて生きようとするのです。 あなたがたは真の愛の中で住みたいですか?(はい)。あなたの中には、目があり、鼻があり、細胞があり、すべてのものが入っているのです。ここに、顔も最高の世界一の美人で何一つ欲しいものもないほど魅力があり、ダイヤモンドも十二個ぐらい指にはめている人がいるとします。(笑い)そこに体中至る所にダイヤモンドをちりばめ、美しく着飾った女性が現れたとしたらどうでしょうか?(笑い) その時、彼女の心には何も着飾ってない時と同じぐらいの欲張りの心が起きます。女性が美しく着飾った時、他の女性に「あなたは美しい」と言われると、気持ちが良いですか、悪いですか? 女性がこのように着飾るのは、「あなたは美しい」と男性に言われたくて着飾ったでしょうか。それとも女性に言われたくて着飾ったでしょうか。どちらですか? 男性からですか、女性からですか?(男性です)。それではその男性はダイヤより貴重ですか、貴重ではないですか?(男性がもっと貴重です)。先生は男性ですので女性の皆さんが答えてみなさい。(笑い)男性の愛は真なる愛であるかどうかは知らないけれど、愛があると感じるので、女性はダイヤモンドよりも貴い愛をもった男性を否定することができないのです。 では愛はどのくらい貴いのでしょうか。「モースト」と言いますがこれぐらいのものに対してのこれぐらいは、これもモーストであります。どれぐらいですか? “オール・モースト”という言葉が必要です。(オ……ル・モースト)。(笑い) では男性のもっている愛は何の愛ですか? その愛はどこから来たのですか? 愛はどこから来ますか、愛の根源はどこですか?(神様の愛です)。神様の愛はいつ来ますか。 大きな心を満たすことのできる基盤ができれば、真の愛は訪ねてくるのです。一方男性の心に一杯に満ちる存在は何かと言うと、それは真の愛をもった女性であります。 真なる宇宙を抱くことのできるそのような心をもった、本質的な愛をもった女性がその心に入ってくる時に神様の心も満たされるのです。それでこそ理論的です。そのような原理原則がなかったら、どのようにして心が満ちるでしょうか? 神様の心がいつ満ちるのでしょう、それは昼ですか、夜ですか? あなたたちよりも心が大きいのにいつ満ちるのですか? 神様の心を満たすためには、宇宙を抱くことのできる心をもって、そのような男性と女性が一つとなった愛をもって、神様の心に飛び込んで行くのです。その時神様の心は満ちるのです。そうですか?(はい)。 そのような意味において、イエス様は「天国はあなたたちの心の中にある」と言ったのです。そのような心とそのような愛が一杯に満ちている内容を言われたのであり、またそうでなければならなかったということが、先生の話から結論づけられるのです。 また、イエス様は「わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」と言われました。あなたがたの中に神様がおられ、神様の中にあなたがたがいるという、この言葉をどのように理解しますか? 先生が説明したように、神様の心を一杯に満たすことができ、私たちの心を一杯に満たすことができ、男性の心も一杯に満たすことのできる真なる愛があるところに、神様の心はあるのです。わかりますか? 人の心はそのように巨大で、神様の心もそのように巨大で、女性の心もそのように大きいのですが、愛が入って満ちれば神様も入ることができ、すべてが入るようになるのです。それではそのような心をもった男性と女性が一つとなった愛の中に神様はいると思いますか、いないと思いますか? どちらですか?(います)。 人間の世界において誰もがそのように神様を愛することができ、誰もが一杯に満たすことのできる愛の道を与えるための存在は誰かと言えば、男性と女性であるという事実を知らなければなりません。 では神様はどこまで抱いてくださいますか。自分の好きな人だけを抱いて「この世において私は昼だけが好きで夜は嫌いだ。私は春が好きなので春だけを抱き、ほかは嫌いだ」と言うでしょうか? 神様は春も夏も秋も冬までも抱いてくださいます。良いのも抱いてくださいますが、悪いのも抱いてくださいます。 イエス様は「ローマ兵士を愛せよ」「汝の敵を許せ」と言われましたが、許してどうするのでしょうか? 彼らは頭を殴ったり、蹴ったり、殺そうとするのですが、真なる愛を味わえば溶けてしまうのです。それが秘訣です。何と素晴らしいことでしょう。どうですか、女性の皆さん。女性の皆さんは心が狭いのです。どうですか。わかりますか? 怨讐を抱いて神の愛を味わわせれば、すべて溶けてしまうのです。それでサタンも神様の愛の前では「ハハーッ」と言うのです。 真の愛の手段をもった神様はどれほど素晴らしいでしょうか。すべてのものがみな溶けてしまうのです。小さな女性であっても、その心が神様のように広い時、いくら大きな男性が来ても、真の愛で溶かしてしまうことができるという自信で「ホッホッホッホ」と笑うことは何と素晴らしいことでしょうか。わかりますか? とても重要な話ですよ。先生もこのようなことを思って世界を抱いてみようと思います。この尹博士をも抱いてみましょう。(笑い) その人が一度真の愛を味わうならば、もはやその人はそれに陶酔して逃れることはできません。ちょうど、蜜を吸う蜂のようなものです。蜂は蜜に吸い付いたらしっぽを引き抜かれても、また吸い付いて離さないのです。真の愛の力は蜂がしっぽを抜かれても吸い付いて離さないほど、それ以上に強いでしょう。どうでしょうか?(強いです)。 真の愛の圏は死亡圏を乗り越えることができるので、そのような力をもった神様は死の世界以上の永遠を主管することができるのです。皆さん、真の愛の海、真の愛の空というものを考えてごらんなさい。そこで二人で泳いで、夫が愛する妻に「本当にいとしい私の妻よ」と言ったらどんなに良いでしょう。それ以上素晴らしいことはありません。すべてが完全に満ちるのです。 考えてみなさい。神様がこの心をいつ満たしてくれるのですか? 神様がいつ満たしてくれるのですか。人間の本心は歴史始まって以来今日に至るまで満足したことがあるでしょうか。人類が研究すべきものです。物質では人間の本心を満たすことはできません。共産主義者がやって来て、唯物論や弁証法でもって、人間を満足させようとしても、とても人間の本心の欲望を満たすことはできません。 もし、世界的に有名な学者が集まって、セミナーを開くとします。そこで『いかにすれば人間を満足させることができるか』、『人間にとっての究極的な満足とは何か』という問題を討議すれば、いろんな答えが出るのですが、最後に、今まで迫害を受けてきたレバレンド・ムーンが現れて、このような答えを出したとしたら、みんな誰の話を受け入れると思いますか。それは間違いなくナンバー・ワンの解答になるでしょう。(はい)。神様がおられれば神様も、「ああ! レバレンド・ムーンは素晴らしい!」と言って喜ばれることでしょう。神様が「私は歴史的にこのような問題を解決する人には賞を与えようと思っていました。宇宙に準備した倉庫は、良いもので一杯になっているので、表彰とともに賞を与えよう」と言われる時、多くの人々が「私じゃだめですか」と言っていたとしても、「いや、彼(レバレンド・ムーン)こそが値する。アーメン」と言うのです。どうですか?(アーメン)。 原理は単純なのです。単純であるけれども実行することが難しいのです。レバレンド・ムーンはいつもこのように考えて実行してきました。そしてムーニーたちもレバレンド・ムーンの伝統に従って生きています。何と我々は素晴らしい存在でしょうか。ここに統一教会の信徒であること、ムーニーであることの誇りがあるのです。これは叫び出したいような衝動に駆られる喜びなのです。 今日の話は『愛の経典』です。皆さんはそのような男性と女性になっていますか?(はい)。このような心をもって皆さんが伝道に行って、街頭でいろいろな人々に出会い、白人、黄色人、黒人、すべての人々が皆さんを指して、「あのムーニーたちを見てみろ」と悪口を言ったりする時に、皆さんはどう感じますか。もし皆さんがこの世的な方法で対応しようとしたならば、絶望したり挫折感をもってしまい、とてもやっていけないし、生き残ることもできないでしょう。 皆さんが訪問伝道に行って、「このムーニー、お前はあの黄色人のレバレンド・ムーンに従っているのか、出て行け!」と言われたら(先生しぐさで表す-笑い)それはどれほど悲惨なことでしょう。皆さんはどう感じますか? 先生は宇宙を抱き抱えて、これからまだ大勢の人たちが私を反対してきても、その人たちを抱き抱えるのです。(先生しぐさで表す-笑い) ここに二つのタイプの人がいるとします。自分が好きな三人を抱く人と、自分を嫌って反対している三人を抱いて、真の愛をもって溶かす心をもつ人です。神様はどのような人を喜ぶでしょうか?(二番目です)。いいえ最初の人でしょう。(いいえ、二番目です)。先生は知りませんよ。(笑い)なぜそうですか、なぜ神様は二番目が好きですか? それは神様に二番目が似ているからです。神様はそうなのです。これまでどれくらい多くの人々が神様を蔑み馬鹿にしてきたでしょうか。神様に対して、神は死んだとか、神は無力だとか、神はもう年を取りすぎているとか、あるいは共産主義者が現れて神は存在しないなどと言うようになりました。どれほど神様は人間によって馬鹿にされてきたことでしょうか。それでも神様は人間を抱こうとしておられます。サタンも含めて抱き抱えようとしているのです。サタンはいつも神様に対し讒訴します。「神様、誰々はこうではないですか」と。神様はそのような方であり、我々のお父様なのに、あなたたちはそのお父様に似ていますか? そういうことを自分に質問してみるとき、どうですか? このことは考えるべき問題ですか? 考えなくともよい問題ですか?(考えるべきです)。私たちが父として侍る神様がそうして(抱いて)おられることを知らなかったのです。先生はそれを知ったので、反対するユダヤ教を抱き、キリスト教を抱き、アメリカを抱き、共産主義を抱き、真の愛ですべてを消化しようとして気が狂ったように生きているのです。(拍手)希望も愛も知らない地上の人間たちに対して、このような内容をもっているためにレバレンド・ムーンは、『真の父母』という言葉を付けるのにふさわしい理論的な根拠となるのではないでしょうか? 神様もそう思われるのです。先生はこれに対して生命を懸けているのです。 このようにみる時、皆さんは先生に対して今までを反省しなければなりません。わかりましたか? 今までの皆さんはそうなっていないので、これからはそうなるように努めなければならないことは言うまでもありません。 先生は多くの国々の人々、指導者たちと共に生きているのですが、本当に世界を抱き抱えようとする人間は誰だろうか。本当に責任をもってこの世の悪の問題を解決していく人間は誰だろうかと、先生は考えています。あるいは、彼らは批判的になってお互いに讒訴し合ってはいないだろうかとも考えます。先生は、神様のようにすべてを抱き抱えてくれる人間は神様の側にあり、お互いに批判し合ったり讒訴し合ったりする人間はサタン側にいると考えますが、先生の観察することは正しいですか、間違っていますか、どうですか?(正しいです)。それはただニューヨークだけで正しいことですか、それとも世界的ですか、それとも普遍的ですか?(普遍的に正しいです)。神のみ言は全世界、宇宙を支配する普遍的なものです。だから二人の人間が言い争っているとすれば、先生はそれを見て直ちにどちらが正しいかわかります。これは絶対的基準です。それで、イエス様はピラトの前で沈黙を守ったのです。なぜならばイエス様は敵の裁判所においてもすべてを抱き抱える存在であったからです。そのような生き方をイエス様はしたということを歴史が知っています。 このようにみる時、今日、共産世界のあらゆる悪なる組織が、レバレンド・ムーンに対して様々な工作を企てているのですが、最後にどの思想が勝利するでしょうか。レバレンド・ムーンは死んだとしても、レバレンド・ムーンが教えた思想は世界を支配するのです。レバレンド・ムーンが教えたそのみ言を通して、世界は啓発されるでしょう。どう思いますか?(はい、そう思います)。先生と皆さん方はそのように偉大なる道を歩んでいる事実を知らなければなりません。 皆さんが宇宙を抱き抱える時に、皆さんは自分自身を抱き抱えることになります。皆さんはどのような存在かと言うと、本質的には真の人間です。ですから自分の心にこう言います。「お前は神のような心をもって抱き抱えなければならない」と。そして心から真の愛を発する時に、心と体が完全に一体化して調和します。自分の体がやろうとするとおりではなく、心が願うとおりにすべてを消化することができるのです。真の愛は本然の心に通ずるので、心に絶対に服従する体を造るときに完全に統一されるのです。 本来の心はどこにあるかと言えば、自分を中心とするのではなく、宇宙を抱くためのものです。それが本来の心なのです。そのような心の土台の上に愛が訪れて、心を中心として私の体がコントロールされて、心と体が一致するのです。そこで、本来の心が体を抱き、行動をし、闘うのです。ですから迫害に耐える試練を受けているこのような過程において、私の体がその試練に打ち勝つためには、そこに訓練が必要なのです。あなたたちは体を通して心が闘っているのです。体は楽なことを好むものです。 ここにいる統一教会の女性の皆さん! 心が美しくなければ、体をいかに美しく着飾っても、それはサタンへの祭物であることを感じなければなりません。だから体を主管し、耳を主管し、口を主管し、匂いを主管し性的欲望を主管することを知らなければなりません。 怨讐は他の所にはありません。あなた自身が怨讐なのです。それはサタンよりも恐ろしく、サタンの領域よりも恐ろしい舞台であります。皆さんは悪い自分自身を抱きたくはないでしょう。善い自分自身を抱きなさい。そういう話ですよ。そのような男性となって、そのような女性を抱きなさい。そうして夫婦が家庭を抱き、世界を抱き、天と地を抱かなければなりません。そのような基盤なくしていくら言葉で「抱く」と言ってもだめなのです。 祝福を受けた家庭は手を挙げてみなさい。先生があなたたち夫婦に対して、「別居していても、世界、国、家庭を抱きなさい」と言った時、「私にはできません」と言って、それが通じますか。どうですか? 今まで結婚してお互いに抱き合うことは考えたかも知れませんが、その男性と女性が一つとなって、国や世界や人類を抱き抱えるということを考えたことがないでしょう。皆さんはそのようにしていて天国を造ることができますか? 二人が離れ離れになったとしても、この道は世界を抱き、世界を愛し、天と公義をもって生き、あなたたちが永遠に幸福な、愛の夫婦であると認定され、再び帰って来ることのできる最高の理想の道です。今、愛し合っている二人が別れて、世界を抱き込んで帰って来るのと、世界を抱くことなど投げ捨てて今だけがよいと言って抱き合っている二人と、どちらが良いですか?(一番目です)。 先生はそういうわけで皆さんを世界へ出すのですが、どうですか? 先生は間違ってますか? それともスマートで頭がいいですか? 気違いですか? 先生を批判する人たちの方が間違ってますか? ムーニーたちは先生を気違いだと思っているかも知れませんが、頭の良い学者や有名な教授たちは、レバレンド・ムーンは頭がいい天才だと考えているのですよ。どちらが正しいですか? 皆さんが正しいですか、教授たちが正しいですか?(教授たちです)。先生は皆さんを愛しています。大切にし、良くしてあげたいのですが、そのようにした後には負債を感じます。神様に対して済まないし、世界に対して済まないし、四方に引っ掛かることが多いのです。心がそれを正しいと感じないのです。祝福してあげたい心がなくなってきます。 自分の子女を置いて出て行くということは、その何百倍、何千倍の人類を救うということになり、また将来子女たちのためになるのです。どう思いますか。あなたたちは私に出会ったのが運が悪かったのです。(いいえ)。先生に出会わなかったら悪口を言われることもなくてよかったでしょう。自分勝手に何でも自分の思いどおりになるのではないですか。 とてもかわいそうですね。(先生、笑い)先生はよく知っていますよ。皆さんがどういう気持ちなのかもよくわかっています。それでも原理原則を押し付けなければなりません。それは先生にとっても苦痛です。皆さんどう思いますか? 先生がもっと寛大になっても、「皆さん方は十分に苦労したからもうこれで良い。好きなことをしても良い」と言うことができるでしょうか?(いいえ)。どうですか? 先生が妥協することなく原理を実行して、プッシュしてくれることを皆さんは望みますか?(はい!)。仕方がないのです。運命なのです。皆さんはムーニーとして生まれたので、ムーニーとして生きなければなりません。答えは簡単です。(笑いと拍手) 先生も同じですよ。それで国中が全部反対するのです。それが先生の宿命なのです。常に法廷です。法廷闘争です。アメリカでも、先生はこのようなことが起こるだろうということは知っていました。北韓においても、韓国においてもそうでしたから、アメリカにおいてもそのような裁判の運命があると先生は知っていました。だから先生の態度は、「来るなら来い。私は運命から逃れるつもりはない」と、抱き抱えていくのです。先生は常に将来に希望を抱き、すべてを抱き抱えて、このように生きてきたのです。 多くの人々は、統一教会は滅びると思い、先生についてきた人たちもみな、「先生は、監獄に入る」と言っては逃げてしまいました。しかし、逃げて行った人たちは今は惨めです。逃げなかった私たちが今こうしているのです。 神様はレバレンド・ムーンの味方をしてくれると思いますか? 皆さんがレバレンド・ムーンを愛する人たちを愛すれば、神様もレバレンド・ムーンを愛する人たちを愛するので、皆さんは神側に立つのです。そのように考えるのです。その考えは間違っていますか、正しいですか? 皆さんは世界を全部消化していくのです。世界が愛によって消化されるのです。それは正しいと思いますか、間違っていると思いますか?(正しいです)。なぜ正しいのですか。それは、自身の体験を通して正しいのです。 私たちの父母、兄弟、親戚、そして韓国の人たち、アジアの人たち、アメリカの人たち、いろんな教派の人たちからも、迫害され、反対されてきたレバレンド・ムーンが、今や韓国やアジアの人たちと、アメリカや西欧社会の人々が『希望の象徴』と呼ぶ結果になったのです。これは間違ってそうなったのですか、正しいからそうなったのですか?(拍手) 先生の歩んだ道は間違っていないのです。正しい道を歩んでいる事実を知らなければなりません。『愛の経典』とは、まず関係あるひな型を中心として、それを組み合わせるのです。皆さんはまず皆さんの家庭を抱かなければなりません。これが最初の段階です。家庭には誰と誰がいますか?(里板を使い)父母がいます。その上には祖父母がいます。その次はあなたたちの夫婦がいます。その次は子女です。いかなる家庭でもこのような形態をもっています。 ではここで、祖父母が神様の人であるかどうかという問題、また父母たちが神様の人であるかどうかという問題、子女が神様の人であるかどうかという問題、これらが問題です。家庭は宇宙の中心であり、それを展開すれば世界となります。このモデルはすべて同様です。ところが今日、統一教会が教えなければならないことは、家庭が宇宙の中心であるということです。何の話かわかりますか? 宇宙の中には何がありますか? 神様がおられ、霊界があり、地上界があり、それからすべての被造物があります。それと同じように私たちの家庭においても、そのようなものがあります。そしてこの家庭に、(黒板を使いながら)祖父母の家庭に、宇宙の愛が入ってきているかという、これが問題なのです。 心はみな同じ大きさです。東洋人も、西洋人も、黒人も、白人も、過去、現在、未来のすべての人々においてもみな同じです。器は同じです。そこに何を入れるかが問題です。最も大切なものを入れるかどうかが問題です。 皆さん! 神様はその器に何を入れることを願いますか。(真の愛です!)。それは祖父母も、父母も、夫婦も、子女も、みなが同じなのです。 皆さんに「天国はどこにあるか」と聞けば、何と答えますか?(様々な答え)答えは「天国は我々の家庭の中にある」ということです。それが男性、女性、父母、祖父母であっても、また、夫婦、子女であってもすべての人が願っている天国です。わかりますか。 あなたたちの中で父母が離婚したり、別居している人は手を挙げてみなさい。その中で、私は幸せだったと思う人は手を挙げなさい。では不幸であったと思う人は手を挙げなさい。これはたとえ千名であっても、一万名であっても同じ結論が出ます。また東洋人でも、西洋人でも、民主世界でも、共産世界でも、人が住む世界においては同様です。この原則が千年後には、変わって、変わって、今のような分裂した姿が良いと言うでしょうか?(いいえ)。どうしてですか? なぜですか? それは自然界を見ても「いいえ」と言わざるを得ないことです。 水の上に浮かんでいる二羽のあひるが一対となってグワー、グワー、グワーと鳴きながら、子供のあひるを連れて歩くのと、一羽だけで歩いているあひるがいるとします。皆さんは両親の後をついて行くのと、どちらがいいですか?(両親と共に行く方です)。たとえ一緒であっても、お母さんあひるが前に立って、子供たちがその間に入り、最後はお父さんあひるが守って行くのは良いですか、悪いですか?(良いです)。このような本質が変わるのでしょうか、変わらないでしょうか? 多くの人々を集めて、「あなたたちも変わるだろう」と言った時、いいえと言うでしょうか、どうでしょうか。答えは永遠に不変です。 このぐらい小さな(先生しぐさで表現)鳥でも、自分の子供は連れて歩くのです。小さな鳥であればあるほど注意深いのです。それは敵が多いからです。鷲は子供をおいてのんびりすることのできる性稟をもっています。その時のその鷲の子供たちは幸福でしょうか、不幸でしょうか? お父さん鷲とお母さん鷲が蛇を子供の口の中に入れても、「蛇は嫌だ」とは言いません。(先生しぐさで表現-笑い) 今日の人間世界においてはどうですか? 母親が子供の口に何か入れようとしても、子供は口なんか開きません。口を開くより、母親の指を咬もうとするでしょう。父親と母親が遊びに出掛ける時は、子供たちを柱に紐で結んで出掛けて行きます。どうですか? アメリカにはそのような父母が多いですね。子供たちを小鳥や昆虫以下に扱っているという事実です。 この世界には祖父母のような人たち、父母のような人たち、自分たち夫妻のような人たち、子女のような人たちの四種類の人々が住んでいます。それらの数多くの人たちを代表して、天国人となることのできる教育の教材としての『経典』が、私たちの家庭であるということを知らなければなりません。ではここで(黒板を使う)秩序を立てるとしたら、誰が立てたら良いでしょうか。それは、その家庭において功労が多く、その家庭をよく知っていて、すべての面で見本となる責任者です。これは、民主世界全体の原則です。 では誰が中心になりますか? 誰が中心になればいいですか?(様々な答え)『祖父母』(黒板に英語で書かれる)、これは間違っていますか?(正しいです)。どうして正しいですか?(様々な答え)全体をよく知っている祖父がその家での王様であります。それでその王様が息子に、「私はもう年を取ったので、これからあなたがやりなさい」と言った時、父親が「本当にそう願うならそう致します」と言って、初めてその家庭の中心は祖父から父親になるのです。その父親が、私に相続してくださった時に、私がなることができます。そのように、祖父が親に、親が私たちに、私たちが子供にと、これが伝統として残されるのです。 これが、宇宙を代表した家庭システムの原則とならなければなりません。これまでの世の中は堕落してきたので、神様は認めることができないのです。(黒板を使う)それで神様はこれを再び復帰するために、複雑な過程を通し経典を作ってきたのです。そして今日、神様を中心として、家庭のシステムを神様の名前で作る運動をしてきたのが、歴史上初めて現れた統一教会であったのです。 皆さん、祝福を受けた目的はどこにありますか? それはこの伝統を守るためです。今日、人類史上、真の父母という言葉が初めて出たのです。真の父母が現れないで、真の祖父母が現れることができますか。真の父母がいなかったら真の夫や真の妻が現れますか。真の子女も出てきません。そこで絶対に必要なのが真の父母なのです。 初めて真の父母が出てきたのですが、真の父母の家庭圏内では誰が主人ですか?(お父さんです)。ではそのお父さんは次にどうなりますか? おじいさんになります。その場合の中心は誰ですか。真の父がおじいさんになったとしても、依然として中心的存在です。そうでしょう。(はい)。このような家庭が世界に広まって、各国において六千双、六百万双、六千万双が結婚します。(拍手と歓声)そのときも、真の父母がこの地上に生きている限りにおいては、真の父母がおじいさん、おばあさんになったとしても、更に曽おじいさん、曽おばあさんになったとしても、依然として中心なのです。霊界に昇って行っても、曽、曽、曽、曽おじいさんとなっても、真の父母が宇宙霊界すべての中心であります。(はい!)。(歓声) 天国では誰が中心になりますか?(真の父母です)。これからは、この伝統を相続して、あなたたちが家の主人となりなさい。そういう相続を受けなければなりません。もう皆さんは相続を受けましたか?(はい!)。「いいえ」でしょう。真の父母のように天と地を抱き、愛してからでなくては相続できません。 皆さんの家庭をばらばらにして、世界を愛する訓練をさせるのは、これを相続するためです。これを相続させてあげるためです。そうでなければ中心となることはできません。間違っていますか?(正しいです)。相続を受けて中心とならなければ、天国、神の国に行けません。その相続を受けるにおいて、アメリカ人として相続を受けますか、日本人として相続を受けますか、それとも統一教会の人として相続を受けますか? 堕落以前の世界には、日本人とかアメリカ人とかがいましたか?(いいえ)。ただ真の父母となるべき一つの人種がいただけです。またその時は、いろいろな言葉の違いがありましたか? それとも真の父母が使う言葉を使ったでしょうか?(一つの言葉だけです)。 それでは混ぜ合わせて、接木するより仕方がありません。婿入りしたり、嫁入りしたりして接木するしかないのです。接木されて、嫁入りした後は舅と姑の使う言葉を習わなければなりません。婿入りしたとしても、その家のすべてを習わなければなりません。言葉が異なり行動が違ったり、また言葉の聞き取れない人に相続してあげることができるでしょうか。どうですか? 言葉が通じない人は相続を受けることができないという事実を知らなければなりません。そういう原理はありません。 そのことは一九九〇年までにやらなければなりません。その後、相続権を譲与します。その次は系譜が作られます。真の父母の系譜が生まれるのです。そうすることによって神の国に登録され、歴史に登録されるのです。 霊界に行っても真の父母、真の祖父母、真の曽祖父母が使う言葉を使うのです。「私はそれを知りません」と言っても通じません。わかりますか? 相続を受けることができません。皆さん深刻ですか?(はい)。皆さんは、東洋の人が外国語(英語)を習うのにどれほど苦労しているか、その時初めてわかるようになります。先生は六十歳以上になっても、今も英語を勉強しています。弁解はできません。統一教会の人たちは先生より若いのです。勉強しなければなりません。わかりますか。街を歩く時でも口の中で□□□(お父さん)と言い、トイレに行ってもどこに行っても勉強しなければなりません。これは原則なのです。 ですから原則的な言葉が必要なのです。異議ありませんか?(はい)。真の父母がおられたら、それは偉大なる栄光です。世界の言語が一遍に統一されるとすれば、それは偉大なることです。いかなる表彰を与えたらいいでしょう。有り難いことに韓国語は世界のいかなる国の言葉よりも、最も宗教的なのです。また韓国語には様々な音が含まれています。だから発音が難しいのです。日本語はとても及びません。"MacDonald"をマクドナルドと発音します。(爆笑)これを知らなければなりません。新しい文化圏です。レバレンド・ムーンが韓国人だからといっても、原則であれば仕方がないのです。 この前、「韓国語を習いなさい」と話しましたが、習っている者は手を挙げなさい。習ってない人はなぜですか? 皆さんは先生が話した時、すぐ笑えばいいのに通訳の話を通して笑っています。韓国語がわかったら、今日先生の話したことと、あなたたちが通訳を通して聞いたことと、二つを比べてみてどれほど違っているのかがわかります。 世界中のすべての人間を愛するということは、とても不可能なことです。ですから神様は、ここに経典を作って、皆さんが家庭の祖父母を愛すれば、霊界と地上の祖父母の代表として、全世界のすべての祖父母を愛したものとみなします。次に父母を経典における愛をすべて込めて愛したとしたら、全体を愛したということになります。また、男性として女性としてお互いに愛したとしたら、世界の男性と女性を代表的に抱き、愛したということになります。また子女を愛したら、世界の子女を縮小して愛したことにしてあげましょう。 だから、この家庭で訓練を受けるのです。訓練所なのです。共同経典による世界の人を愛する訓練所です。この訓練を受けた人が世界に出て、自分の祖父母の代わりに、この世界の祖父母を同じように愛することができますか? その時「はい」と言えば、それは世界の祖父母を愛したことになるのです。白人であれば、私は白人の祖父母は愛することができるが、黒人の祖父母は嫌だ、アジアの祖父母は嫌だ、愛することができないと言ったり、自分の祖父母のようにすてきな祖父母は愛せるが、あの未開なアフリカの祖父母は愛することができません、ではいけません。その祖父母を自分の祖父母のように愛さなければなりません。自分の祖父母のように愛さなければなりません。自分の家で祖父母を愛したのと同じくらいに愛さなければなりません。それが公式です。人類すべてが、この地上に生きている中に受ける訓練の公式であることを知らなければなりません。同様です。(黒板を使いながら) 皆さん方が夫婦で世界に出て行って、地上のすべての夫婦たちの前に、全世界の夫婦を代身した立場で、奉仕すること、それが家庭の中で学んだことを実践する最も良い方法なのです。あの女性は私の妻よりも美しいとか、あの男性は自分の夫よりも素晴らしいとか、そのような女性、男性を自分の妻としたい、夫としたいと思ったならば、それは失敗です。子供に対しても、自分の子供のように他の子供も愛さなければなりません。 そうしながら、先程言った世界を抱く、真の愛を示すという思想と連結された時、この世界に神様が臨在するようになるという結論を出したとしても、理論的に間違いがありません。わかりますか? この家庭において訓練を受けたことよりももっと愛することが原則ですか? もっと愛さない方が原則でしょうか?(もっと愛することです)。世界を救うためには、自分の家庭を犠牲にしてもやらなければなりません。 その時、祖父は「おお孫よ! 世界より私たちをもっと愛しなさい」と言えば、地獄に行くのです。「おお! あなたは、我が家庭で教育を受けた以上に世界を愛さなければなりませんよ」と言う時、そのまま天国に行けるのです。それは父母も同様です。父母を愛する以上に地上の人たちを愛し、夫を愛する以上に地上の人たちを愛し、妻を愛する以上に人類を愛しなさいと言うことによって、その夫も立派な夫になります。世界がそうなって、神様が臨在するのです。そう思いますか?(はい)。 先生の生涯は、このような使命を担って地上における仕事をしている過程です。皆さんも生命を賭けてこの仕事を成就しなければならないのです。先生自身も、子女たちもこの道を行くのです。祝福を受けた家庭も今までは自分たちの子供を愛してきました。先生は、これからはあなたたちの子女を送り出して、「皆さんが受けてきた以上の愛で愛しなさい」と教えてあげなければなりません。「いいえ」と言ったら駄目です。わかりましたか?(はい!)。 皆さん、統一教会の食口は六大州を通過しなければなりません。先生も、アメリカの人たちが反対しても愛するのです。あなたたちは知らないでしょうが、アメリカに対しては誰よりも涙を流し祈祷したのです。この国のために誰よりも心配しているという事実を先生は自信をもって言えます。 だからといって、あなたたちは先生に借りを返すというのではなく、あなたたちの国と世界に対して借りを返しなさい。父母は子供を愛する時、それを返してもらうために愛するのではありません。子供たちがより幸せになることを願う思いから愛するのです。未来の愛です。私があなたたちを愛したように私がいなくとも、あなたたちがあなたたちの子女たちを大切にし、私があなたの国を大切にしたように、あなたの子女たちがあなたたちの世界を大切にしなさい。それが先生の願いです。それは神様も同じです。今まで人類を無限に愛してきましたが、それを返してもらうよりも、その愛をレバレンド・ムーンが受け継いで、世界に連結し、後代に相続することを願うのと同じです。何の話かわかりますか?(はい)。 この伝統は、一国の文化や国境を越えて、天的に、後代の子孫に受け継がれていくべきものです。この相続権は永遠に続くでしょう。アメリカは、一家庭において四代の祖父母、父母、夫婦、子女に侍って訓練を受ける家庭をもっていないことが、実に残念なことです。しかしこれからはレバレンド・ムーンを中心として新しい伝統が始まるのです。先生がおじいさんの立場であるとしたら、あなたたちの家に電話をしなくとも行くことができる特権があるのです。(どうぞいつでも来てください)。あなたたちは時にはトイレで眠ってでも、祖父母、父母の部屋を大切にしなければなりません。 これからはそのような伝統を立てるので、先生の写真を皆さんの家において、祖父母のように大切にしなければなりません。食べものがあったら、自分が食べる前に祖父母に与えたい心が生じなければなりません。その次は妻に与えたい心、子女に与えたいという心があれば、その人はその家庭において歓迎されるのです。これを知らなければなりません。自分の家が貧しかったとしても他に分けてあげて、自分は水を飲んでも孝の道を行くという人が、これから家庭の相続を受けることができる人です。 先生の家には家訓があります。それは韓国の道(日本の県に当たる)を通過する人々に御飯を腹一杯食べさせなさい、決してお腹の空いたまま帰してはいけない、という家訓です。だから有名な家でした。すべての乞食も先生の家で御飯を食べました。そのようなことを行ったので先生のような人間が生まれて、世界を食べさせる運動をすることができるようになったのです。今、イースト・ガーデンでは、万国の人々が集まって来て食事をして行きますね。(先生、笑い)数多くの民族に食べさせていますが、先生の運命は悪くなりません。お金がなくなれば、また生じてきます。泉を掘るのと同じです。そのような人たちが住んでいる環境を先生は願っているのです。世界にそういう人たちがいないので、そのような性格と人格の人となるように教育しておいたのがムーニーなのです。あなたたちがそのようにするかしないか、先生は今それを見ているのです。 皆さん、自信をもって成すことができますか?(はい!)。このような愛に従い、私は間違いなくそのような人になると言う人は手を挙げてください。 皆さまに神様の祝福がありますように。(拍手と歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.15
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「愛よ永遠に」1984年1月22日 皆さんは愛が好きですか? (はい)。御飯を食べることよりも好きですか? (はい)。成功し、出世することよりもですか? (はい)。 神様は存在しておられます。ではその神様は、私とどういう関係があるのでしょうか。神様との関係は遠いように見えます。そして神様は全知全能であり、至る所に存在し、何でもすることができるお方であると皆さんは考えるでしょう。しかしそれだけでは、自分とそんなに近い関係であるとは感じられないでしょう。神様は全能であって何でもすることができ、また全知であるから私について何でも知っておられ、私に対して何でもすることができ、私を完全にコントロールすることができるとすれば、“もう自分の中には何らの秘密の余地がない”とそう考えるかもしれませんね。ではそのような神様がなぜ私に必要なのでしょうか。そういう神様が私と近づくことのできる一つの内容があるとしたら、それは真の愛です。皆さんはどう思いますか? (偉大です)。偉大であるよりも親わしい関係です。 皆さんには両親がいますね。その父母は「何をしてはいけません」とか、「遊んでばかりいないで勉強をしなさい! 御飯を食べなさい! 眠りなさい! 起きなさい!」といつも言うのですね。その時、父母がいなかったらいいなと思うのですね。特にアメリカの子供たちはそう思う人が多いのです。やりなさいと言うことよりやるなと言うことの方が多いからです。(笑い) しかしそこに一つ含まれているものは、子供を愛しているという事実です。子供は愛されているという事実を知るようになるとき、叱られ打たれたとしても「ママ」と言い、泣きながらもついて行くのです。何のためですか? そこに愛があるからです。 皆さんの中で学校が好きな人は手を挙げてみなさい。勉強することが好きな人は手を挙げてみなさい。(ノー。イエス)。(さまざまな答え)「イエス」ではなく、みんな「ノー」でしょう。「ノー」と言うのがもっとノーマルですよ。先生が子供たちに勉強しなさい、勉強しなさいと厳しくするのは先生の愛、師弟の愛なのです。そういう愛が国と連結されるのです。学校は第二の世界、国家へと連結され、更に大きな世界、霊界へと連結できる出発となるのです。このように師弟間の愛があるために、いかに困難な環境でもすべて消化することができるのです。学校に行って勉強をするのは先生の愛を受けるという、そのような内容があるのです。それは国家と通じることができ、世界と通じることのできる橋のようなものです。先生の愛と自己の出世しようという動機が、成績と思想の因縁で連結された結果、国と世界へ通じることのできる道となるのです。学校の先生たちが推薦(サイン)する道を経なくては、国と通じる道はないのです。いかに父母が「私の息子、娘が素晴らしい」と言って推薦したとしてもそれは通じません。分かりますか。なぜそうしなければならないかといえば、社会の愛の公約の法度を通じなければ、国を愛する道がないのです。学校は社会に出ていく最初の過程なのです。学校を愛し、学校で愛されることが、この国とこの世界で愛され愛することのできる基礎となるのです。学校にはこのような世界に連結される愛を中心とした生徒同士の愛や、先生と生徒間の師弟の愛があると思うとき、家庭で味わうことのできない愛があるのです。そのように考えるとき、どれほど学校が身近になることでしょう。勉強するのも愛をその心に植えるためであり、勉強をさせるのも心に愛を与えるためです。それはどんなに美しいことでしょうか。そのような学校がアメリカにありますか? (はい! たった一つベルベディアにあります)。 では次に、どうなるべきかというと、国に忠誠を尽くす人にならなければなりません。そうでしょう。いくら子女を愛したとしても、父母を愛する孝子であるとしても、私には国は必要ありませんと言えますか。そして皆さんは、国家的であれば国の大統領と近づきになろうとするでしょう。そういう考えは起きませんか? そこで国の主権者の深い愛の世界に入り込むために、自分の職場で国のために忠誠を尽くすのです。それは並大抵の苦労ではありません。大きな国を抱き、愛することができなければならないのです。このような愛で国を愛することによって、大統領もサインをすることができる国民になれるのです。そうしなくては、その国を代表して世界に行く人となることができません。世界へ行くのに誰の推薦状が必要かといえば、学校の先生の推薦状だけでは駄目なのです。大統領の書いた推薦状がなければならないのです。分かりますか。そのうち世界は一つの世界になります。いずれ世界の大統領が出現するでしょう。それはもう誰しも考えていることであります。一つの世界の主権者が生まれてくるのです。そしてすべての人々は、世界の大統領に愛されることによって、またその愛で大統領の愛するすべてを愛する人となることによって、大統領から身元保証のサインを得ることができるのです。そういう人を聖人と呼ぶのです。皆さんは聖人が好きですか? (はい)。(皆さんが)上に上がっていくためには、そのようにして行くのです。 きょうは、『愛よ永遠に』という題目ですが、人間の世界を超越して神様がおられるかどうかは漠然としていて、誰もこれを知らなかったのです。世界がどのようになっているか分からなかったのです。ですから神様がおられるかどうかも分かりませんでした。しかし、これが最も人間世界において重要な課題なのです。哲学や宗教が人生の問題を解決する重要なキーポイントとなってきたのです。神様が間違いなくおられると確認した卒業証をもっていたとしたら、今日、この世にある数百、数千の大学の卒業証よりも貴いものです。百の博士学位よりも貴いものです。皆さんが御飯を食べること、服を着ること、妻子を愛すること、国を愛することが貴いと言っていますが、最も貴いものは神様がいるかどうか、これを知ることが一番貴いのです。そうだと思いますか、そうでないと思いますか? どうですか? (はい、そう思います)。 では、神様がいらっしゃることを知るための勉強をしようとしたら、月謝はどれぐらい支払ったらいいでしょうか。いくらぐらいですか。一億ドルでできますか? (いいえ)。では月謝を何で払ったらいいですか? (笑い) これは深刻な問題ですよ。笑いごとではありません。さあ、どれぐらい支払いますか。深刻な問題ですよ。いくらぐらい支払いますか? 例えばアメリカを売れば学ぶことができるとしたら、アメリカを売ってでも学ぶべきですか、どうですか? では世界を売ってならどうですか? 「天と地を売ってでも神様を知ることができるなら、探し求めていかなければならないと言っても異議なし」というのが結論ですね。これは正しいですか? (はい)。 では、統一教会のムーニーたちは神様がいらっしゃることを知っていますか。神様がいらっしゃることを学びましたか? (はい)。本当に神様を知っていますか? (はい)。どうして神様がいらっしゃることを知ることができますか? 「私は神様がいることを経験によって知ることができます」。そうですか? (はい)。自分の頭でも否定することができない、目も鼻も私の五官すべてが否定することのできない体験を通してですね。皆さんはそのようにして知ったのですか? (はい)。神様を知るための体験というのは、楽に眠り、楽に休み、楽に遊ぶことによって知ることができますか、それとも死ぬほどの苦難の中で体験によって知ることができるのですか? どちらですか。最初ですか、二番目ですか? (二番目です)。そうです。神に対する体験をするためには、一生涯、世界において、考えられる限界線以上の受難の道を克服することによってのみ可能です。この結論を受け入れられますか? (はい)。 では、皆さんは神体験をしたことがありますか? (はい)。あると言う人は手を挙げてみなさい。皆さんは神様を知って、次に何をしますか? (皆さんが)神様を知ることは、自分がお金がないときお金を下さいとか、自分に権力が必要だから権力を下さいとかを願うために必要なのでしょう。自分が出世するために神様が必要なのでしょう。(笑い) 権力をもって何をし、知識をもって何をしますか。その力をもって神様と対抗することができますか。その知識をもって神様と闘うことができますか。できません! 皆さんは従うことが好きですか? 誰しも従うことは好みませんね。神様はそれをよく知っていますよ。皆さんを見ると欲心で満ちています。どうですか? そうではないですか? いくら顔の醜い人でも欲心(望み)のない人はいないのです。神様以上に神様の頂点に行きたいのです。そうではないですか? 神様がそれを知らなかったでしょうか? 何をもって望みを主張しますか? お金ですか、力ですか、知識をもってですか? そうではなく、真の愛をもっていけば満足するのです。そういう頂点に到達するのです。これは事実ですか、偽りですか? 想像的でしょうか、推理的論理でしょうか、理論的結果でしょうか?(事実です)。そうですか? そうだろうと思いますか? 男子は答えないで女子が答えてみなさい。(はい)。「はい」と言う人は手を挙げてみなさい。では「いいえ」と言う人は手を挙げてみなさい。 神様が全知全能であるとしたら、人間を百パーセントコントロールすることを考えたでしょうか、考えなかったでしょうか? そしてそれをダイヤモンドや黄金をもってしようとしたでしょうか? (いいえ)。そうではなく、神様の愛が実際の黄金やダイヤモンドよりも良いというのが事実であり、価値があるのです。皆さんはその愛のために一度投身してみたいですか。投身してみたいの? 投身しようとするの? 投身したの? (既に投身しました)。ではどのような体験を得ましたか? 知識に対する体験や、金に対する体験よりも絶対的な愛に対する体験をしてこそ、万事に「オーケー」となるのです。このような観点から聖書を見るときに、神様の真の愛の真髄を中心として話されたイエス様の逆説的な話も完全に理論的な論理として展開されるのです。「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。」(マタイによる福音書第十章三十七節) 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネによる福音書第十五章十三節) 「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。」(ルカによる福音書第十七章三十三節)と言われたイエス様の話はこのような観点から出たのです。現実的な立場から見るときに、このような論理こそ、理論的論理となるのです。何の話か分かりますか? 皆さんは投資する自信がありますか? (はい)。投資する時は最も必要なものを投資しますか、それとも使い残りの必要ないものを投資しますか。最も必要なものを投資するという人は手を挙げてみなさい。何でもできますね。どんなこともできますね。そういう人は正常な人なのです。では何を投資しますか、何を投資しますか。私たちの教会を投資しますか。国を投資しますか。それは皆さんとは関係ありません。皆さんは皆さん自身を投資するのです。何を投資しますか? 片目取って目を投資するつもりですか。鉤でもって、目を取り出しても感謝できますか? (はい)。鼻も投資する自身がありますか? (はい)。これは言葉で簡単に言うべき問題ではありません。深刻な問題ですよ。痛いか、痛くないか。その耳を切ってみます。耳を切ろうとすれば皆痛いと言って引っ込めてしまいますね。このように整った顔の私が醜くなるのかと思えば、私は嫌だと思うでしょう。(笑い) それで醜くなっても「はい」と言えますか。では何を投資しますか? 神様があなたに投資してほしいと願うものは何ですか。神様は何を願っていらっしゃるでしょうか。神様は何を投資すれば、よくやったとおっしゃるでしょうか? (愛です)。誰の愛ですか? (私の愛です)。あなたの愛は真の愛なの、偽りのイミテーションの愛なの? (笑い) 神様は真なるお方なのに、偽りの愛を捧げますと言った時、神様の関心を得ることができるでしょうか。神様は「オー!」と言って、その投資を受け入れられるでしょうか? (いいえ)。 皆さんは真の愛を知らない立場で、今まで神様を愛し、投資したとしても神様におかれてはノーコメントです。皆さんは真なる愛に到達していますか、いませんか? (到達していません)。ではいつ到達しますか? (永遠にトライします)。それでは真の愛と何の関係がありますか。だから深刻ですよ。「愛よ永遠に」という言葉があるように、すべてを除去しても永遠に求めることのできるものは愛しかありません。 では、偽りの愛と真の愛とをどのようにして区別することができるでしょうか? これが問題です。公的であるか、私的であるかという問題を中心として、真なる愛であるか偽りの愛であるか区別されるのです。そこで神様は為に生きるという結論を出すのです。生命自体も、愛自体も為にするのです。愛は生命を越える力をもっています。生命と共に愛の力をもって来なければ宇宙は動きません。今日、理想世界を目指しても動かないのです。皆さん、結論づけておかなければなりません。定義を下しておかなければなりません。神様は歴史を通して数多い人類のために、御自身を犠牲にしながらもそのようなことをやっているので、真なる愛の主体であるという結論です。そこにのみ、そのような境地にのみ真なる愛があります。何の話か分かりますか。真なる愛は他のために生きることです。はっきり分かりましたか? 神様はそこにおいて活動するのです。他にいるのではありません。そこから個人的活動、家庭的活動、国家的活動があるのです。世界に向かう神の活動はそこにあるのです。二人がいれば、一人は神側でもう一人はサタン側というのがすぐに分かります。どちらが神側であるかといえば、より為に生きる方が神側で、そうでないのはサタン側です。分かりますか? それは絶対的な基準ではないけれど、そうしなければなりません。そこから次元の高い発展した歴史が始まるのです。二つの中の一つの側からです。 今まではこのはっきりした境界線を知らなかったのです。この世は境界線が分かりませんでした。知らなかったのです。神様とサタンが境界線を、限界線を中心として、あなたの側と私の側を分離しているのを知らなかったのです。もし、アメリカが独立戦争の時のように、また南北戦争の時のように二つの側に分かれて戦う時、神様はどちらの味方になるでしょうか? このアメリカは一つとなって世界のために闘わねばなりません。リンカーン大統領が主張したのはそのことです。白人が黒人を差別するような人種差別をしてはならないのです。それが真理なのです。 今まで民主主義が生かされてきたのは、全世界の人民を中心とする立場にいたためです。この公式を通して、もしアメリカとソ連が戦えばどちらが勝つでしょうか。ソ連は世界を目指して全体を動かそうとしているのに、アメリカはアメリカだけのためを思えば滅びるのです。ソ連にやられてしまうのです。だから、アメリカが滅びそうになったので、統一教会のような団体が生まれてアメリカを滅ぼさないために、世界のために生き、今後共産世界までも救わなければならないのです。そのためにこの運動を起こすのです。神様がおられるのでこの運動ができるのです。このような結論になります。このように見るとき、神様は統一教会の側に絶対にいなければならないという、公式的結論が出るのです。分かりますか? 何の話か。 我々は世界を導くために、神の名でもって一つの世界をつくることが必要であることを知っています。そのためには、私たちの統一教会をいつでも犠牲にすることができるのです。国があるとしたら国のために統一教会を犠牲にするという思想は、神様を永遠に迎え入れることのできる一つの理論的土台となっているのです。ここに立っているレバレンド・ムーンは、非常に孤独な人間であります。世界もみんな反対し、統一教会に入って立派だと言われる人も多くが落ちてしまったのです。たった一人でこの道を歩んできました。今になっては世界的な名声を得、世界的な基盤をもって、誰が見たとしても、国家の首相ですら“レバレンド・ムーンは成功した人である。あの人はこれから注目すべき人である。どれほど発展するだろうか”と思うようになったのです。このように皆が関心をもつことも神様が共にいてくださったので事実となったのです。アメリカの政府と闘い、法廷闘争をしながら、誰が神側にいるか、誰がもっと公的か、誰がもっと私的か。法廷闘争をしながらもそのように見ているのです。そして今でもアメリカという国を愛し、怨讐の国のために成しているのです。それは神様がレバレンド・ムーンの側であるという事実を知っているためです。レバレンド・ムーンのそのような理論は間違っていますか、正しいですか? (正しいです)。 皆さんはムーニーですね。レバレンド・ムーンは、皆さんを何をもって指導するかというと、無数の経験によってです。たくさんの経験をしたのです。神様が私と共におられることを体験したのです。この原則に従って行けば、世界は自動的に地上天国になるのです。自動的にですよ。誰かが「これをやりなさい、やりなさい」と言う必要もないのです。私たちムーニーは街角で指をさされながら活動をするのはなぜでしょうか? 真の愛の道を知るためにですか。真の愛をもった神様に出会うためにそのようなことをやるのだという、驚くべきことを先生は発見したのです。何の話か分かりますか? (はい)。それで先生は、一生の間迫害を受けながら、このような法廷闘争をしながら、今も前進しているのです。法廷闘争のことはそれほど考えていません。それよりも世界の問題を考えて進んでいくのです。神様はそのような人を好むことを私はよく知っています。これは最も重要なことです。私たちは何も持っていません。ある者は両親も、兄弟も、国も、すべてを失いました。なぜなら彼らは私たちに対抗してくるからです。その立場は最もみすぼらしいものです。誰もそのような立場を好みません。私を含めて神様も同じです。私はそれをよく知っています。しかし神様は先生の立場を取ってくださいました。それについて今話をしているのですよ。はっきり分かりましたね。私たちはこの点をはっきりしておかなければなりません。 私はいかに生きるべきや、いかなる基準に従って生きるべきや? これが問題です。自分が世界のためにいかになろうとも、いかなる犠牲を払っても、妻や家庭や最も価値あるものを犠牲にしたとしても、それでも自分のすべてのものを捧げて、神のために世界のために生きるということは何と素晴らしいことでしょうか。先生にとっても、神様にとっても、統一教会のメンバーは誰よりも愛する立場です。しかし世界のためにそれをも犠牲にしなければならないのが神様の立場であり、先生の立場です。そのような神様の本然の道、路程に従って歩んでいるのは先生だけです。皆さんはどうですか? 皆さんもそのような道を歩みますか? (はい)。なぜですか? それは誰しもが真の愛の中にありたいと願うからです。人のために生きた人は、永遠に忘れることはできません。永遠にこの愛は私から離れないでしょう。皆さん比較してごらんなさい。自分はいかなる人なのかを。自分は何パーセントの(為に生きる)人間であるかということをみんな知っていますか。皆さんは自分自身を知っていますか。何パーセントの者であるか知っていますか。先生が命令をする理由も正しく知っていますか。遊ぶようにし、休むようにし、楽にするようにすればいいのにと不平を言うこと自体が間違いです。どうしてそうなのですか、この時にどうして遊ぼうとするのですか。自分自身と闘わなければなりません。 皆さんは真の愛を必要とし、永遠であることを願います。先生は皆さんを愛するがゆえに、恐ろしい人間のようにもなるのです。先ほども言ったように、家庭の両親、学校の先生、国の大統領、世界の大統領のサインをもらうために、あらゆる困難なことに皆さんをすべてコントロールしているのです。そこには真なる愛が隠れているということを忘れてはなりません。その内容をもって先生は皆さんたちを必要としているのです。誰よりも先生が皆さんを愛しているのは、以上のような愛さなければならない内容があるから、そのように心配しているのです。皆さんの家で、両親が勉強をしなさいと言ったり、細かいことを言ったりする時は嫌でしょう。しかし会社には社長がいて、国には大統領がいます。そのような人のサインを受けなければならないのです。また先生のサインを受けなければならないのです。皆さんは死んでからも、この世でも真の父母のサインが必要です。どうですか皆さん? (必要です)。 今までに皆さんは、どれほど先生に対して不平を言いましたか? 十年間に、どれほど不平を言ったことか、ちょっと聞いてみましょう。先生がアメリカに来てから十年間、どれほど不平を言ったのですか? どれほど多く不平を言ったか率直に言ってください。どれほど不平を多く言いましたか? 不平を言わなかった人は手を挙げてみなさい。皆さんは首を切られ、足を逆にしたぐらいで不平を言うのですか。たくさん不平を言ってきたのです。どうせ傷ついた首であるから、いつ死んでもいいですと言えればすべては終わるのです。 だから興進様が行かれたのです。父母も同じです。私の首はまだ切られないので感謝であり、私の首がまだ切られず、いまだに生きているということに感謝しなければならないのです。自分の生命を捧げようとする人は息子の生命を捧げることも当然で、妻を捧げることも当然で、私の生命を捧げていないだけでも神に有り難く思わなければなりません。簡単ですよ。 死ということを考えてみたときに、大衆のため、全体のために死んだとしたら先生は泣いてあげられるけれど、私的に死んだら泣いてあげられません。人間は公的な涙を流して生きなければならないのです。特に先生は簡単ですよ。先生から全世界の統一教会をすべて切り捨ててしまっても、翌日から再出発できるのです。私が生きている限りに……。そうしたら神様が共に成してくださるのです。それが真のスタンダード(原則)ですよ。分かりますか? (はい)。「自分は統一教会のために一生懸命にやった」と言うことはやめなさい。先生が皆さんたちのために一生懸命にやったと言う時にどうすることもできません。生命までも捧げるのです。極めて簡単な原理です。皆さんもそのような概念をもっていますか? (はい)。ですから統一教会は偉大です。統一教会は偉大ですよ。 私たちの行く所は、どこへ行っても百点です。時間の差異や長短の差があるかもしれませんが、この原則は千年、万年、歴史上において常に勝利の黄金律であるということが先生が知っている真理のポイントであり、神様が知って立てている真理のポイントであることを皆さんも知らなければなりません。「愛よ永遠に」という言葉の意味が分かりましたか? (はい)。愛は誰のためですか? (神様のためです)。神様のためではありません。自分のためです。(人類のためです)。そうではありません。自分のためです。自分にとって、また神様と人類にとって、私自身の愛よ永遠であれということです。私たちがこの愛をマスターするならば、神様は私たちにとって最も近い存在となり、神様に背負われて生きることができるようになります。 神様は縦的な方で、私は横的です。この縦と横が通ずるとき、一つになります。そのような神様に対しての体験をもって生きる人は、どんな不幸な環境にあっても幸福な人です。どんな幸福な環境の中においてよりも立体的に幸福な人です。そのような人は、知識や力をもって世界を支配するというようなことはとてもできません。そんなことは自分にとって関心がなくなります。最も大切なものは愛の知識であり、愛の権能です。それが必要なのです。なぜかといえば、この世をコントロールしなければならないからです。何でコントロールするかといえば、愛でもってコントロールしなければならないのです。力も愛の力でもってコントロールするのです。真なる愛で支配すれば不平がありません。 皆さんの中で結婚している人たち。夫が自分を愛してくれる時、ただ弱く愛してくれる方がいいですか? それとも骨が折れるほどに強く愛された方がいいですか。特にアメリカの女性たちどうですか? (ノー)。強くですよ。あばら骨が飛び出るほどですか。(笑い) 愛でもってコントロールするほどいいのです。何の話か理解できますか? (はい)。 皆さんは真の愛に出会って、本当に強く抱き締められ、また強く打たれて惨めなくらいに愛されても、“それでも構わない。それくらい私は愛されたい”とそう思ったことはありますか。“もしそうなれば、どれほど幸せだろう”と考えたことがありますか。そういう女の人はどれほど幸せな人でしょう。もし皆さんが霊界に行くと、神様から「この小さなアメリカのムーニーよ、あなたは地上で何をしてきたのか」と聞かれます。それに対して、「私は大したことをやってきませんでした。ただ夫からとても愛されたので、とても幸せに感じ体が傷つくほどに愛されました」「ただ神様に感謝し万民に感謝します、と言いながら生きてきました」と答えれば、神様は「ほほう、そんなに愛されたのか」と言って喜ばれるのです。「あなたは小さいが素晴らしいアメリカの女だ」と神様はあなたに関心をもち始めることでしょう。そして「私は初めてそのように本当に愛された人間を見付けた」と言われるでしょう。 (笑い)。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。皆さんはどうですか。それは好きですか。嫌いですか? (好きです)。どうですか? 先生はそのような女性が好きですよ。皆さんはどうですか? (はい好きです)。(笑いと歓声) 先生もお母さんにそうしてあげたいのですが……。(笑い) 人は真の愛の主管を好みます。きょうは何カ月間も話をするほど話があるのに時間が過ぎてしまいました。皆さんもするべき仕事があります。もう二時間過ぎました。これからはマイクを装置して電話で説教する時が来ます。その時は英語で話をします。(笑い) そうすれば皆さんはわざわざこちらに来る必要がないでしょう。その方が効果的かもしれませんね。どうですか? (そのとおりです)。本当ですね。私たちはどうすれば神様を身近に感ずることができますか? 神様を私の家に迎え入れることができ、私の肉から、細胞から、心から離すことのできない愛の神様であるということを知る時、どれほど幸福でしょうか。神様はただ単にロゴス(全知全能)の神でなく、愛の神様なのです。だから人間は神様の完全なる対象であり、愛の対象なのです。主体が神様であるので私がいなければならないのです。神の愛の前には私が必要であるという特権、人間がもっているこの特権を誇らなければなりません。どれほど素晴らしいことでしょう。そのような人間はどれほど価値のある人か考えてみなさい。分かりますか? (はい)。皆さんは希望をもって更に神の真実なる愛の圏内で走り抜きましょう。どうですか。どれほど素晴らしい私たちでしょう! 正に「愛よ永遠に」です。そのような永遠の愛をもつことがいかに素晴らしいことでしょう! では真の愛の中で神様の真の対象となるように努力しますと決意する人は手を挙げてください。 神様の祝福が皆様と共にありますように。アーメン。(拍手、歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.14
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「愛勝日の必要性」1984年1月15日ニューヨーク ・ベルベディア 統一教会の活動は平面的な世界だけでなく、立体的な世界とも連結されていることは皆さんがよく知っているとおりです。 堕落ということは人間が本然の世界から落ちてしまったことであり、復帰ということは、この落ちた人間を再びたどっていって、落ちる以前の状態に連れ戻すことです。これが神様の摂理される歴史の主流です。ではなぜ人間は落ちたのでしょう? それはサタンの愛を通して、サタンの世界の血統的愛を通して落ちてしまったのです。では堕落の愛とは何でしょうか? これは行けば行くほどすべてが分裂してしまうことです。個人的愛に変化することです。世の終わりとはどのような時代かというと、堕落した血統の愛を中心として見るとき、全世界の人類が個人的な愛を絶対視する時代が世の終わりだという結論になるのです。国家に対する愛とか、民族への愛、家庭への愛等、すべてを否定して、自分を中心とした愛のみを中心として、人間の倫理や道徳観念はおろか、動物以下の愛の道を行く時代をいうのです。 このような傾向は、人間が十五、十六歳の時に堕落したので、十代にまでそのような濁った観念ができているのです。それが現世です。この青少年たちの乱れた愛を、父母も規制することができないし、社会も規制することができない段階に入ってきています。それが今の状態です。ではサタンがなぜ、人類をそのような破滅の状態に引っ張っていかなければならないのでしょうか? 問題はここにあります。 神様は愛を中心として復帰、救援摂理をしてこられました。サタンと反対の愛を糾合して、家庭の愛、氏族の愛、民族の愛と、すべてをたどっていくのです。だからサタンは自分の敗北を防ぐために、(仕方なしに)不可避的にこのような場に人間を連れていかざるを得ないのです。サタンが人類を堕落させた究極の怨恨目標は何かといえば、人類の愛を完全に壊すことです。では神様はどうかといえば、これを明るい本然の愛の世界へ引っ張って行かなければならない立場にあるのです。このように見る時に、サタンの堕落した病弊に染まっている代表的な国がアメリカなのです。どうして、キリスト教思想を中心としたアメリカが、このようになったのでしょうか? 「あなたの家の食口(家族)が怨讐である」と、キリスト教文化圏国家がこのようになることを免れない内容が聖書にあります。サタンが常にこのことを闘いの目標としているからです。 それでは、このような腐敗はいつ始まるのでしょうか? 腐敗のこのような現象はいかなるとき始まるかといえば、それは物質的な環境が楽で、奢侈に流れるとき、そのような傾向に陥りやすいのです。そのために第二次世界大戦以後の四十年間は、荒野時代として過ごし、完全な神の国を準備しなければならないのに、サタン世界では、荒野圏内において偶像を崇拝したのと同じように、愛の偶像、淫乱の偶像を完全に氾濫させてしまったのです。アメリカ自体に、世界を一つにするための世界カナン復帰の目的があり、なさなければならない第二次世界大戦以後の目標があったなら別ですが、それもなく、ただ「私たちの世である」と言って、思いっきり自分中心の生活をした結果、このような姿になったのです。 第二次世界大戦における勝利は世界的な勝利であるゆえ、この勝利を神に返すために「再臨主が来られる時が来た」と言って、栄光を天と共にたたえ、来たるべき再臨主のために国民が団結して、世界のキリスト教を統合するための運動をして、一つの理想世界へと展開する収拾策を講じなければならなかったのです。キリスト教がその勝利の栄光を天と共に、世界と共に延長させるための、メシヤのための準備をしなければならないのです。そして“神様の愛の加護があり、メシヤの愛が民主世界を代表したアメリカと自由世界の未来にあり、より偉大なる宇宙的な愛を受けるその日のために、苦労をしても前進すべきである”というような運動をしなければなりません。 アメリカの国民が、自分たち同士で愛するよりは、アメリカを愛し、世界を愛し、メシヤと神を愛すべきであるという運動をしなければなりません。終末こそ、再臨時代を強化しなければなりません。そうできたなら、今日のようなアメリカのこの悲惨な歴史は防げたことでしょう。しかし時既に遅く、アメリカの青少年の多くが、麻薬に冒され、すべてが堕落したサタンの愛によって完全に腐敗しているのです。そしてそれはアメリカだけではなく、アメリカを先頭にすべての自由世界に流行し、全世界を汚染しているのです。今日、アメリカの人々の中に世界を往来しながら、やることは何かといえば、各国の女性をみんな蹂躙し、このような腐敗を広めるものがいるのです。これを収拾できない限り、アメリカや世界は滅びざるを得ません。いや滅びるのです。 ソドムとゴモラが滅びたのも、その時の奢侈と不信と偽りの愛のためです。ローマが滅びたのも外部の勢力によってではなく、内的な勢力によって滅びたのです。ローマを支えていたのは愛でしたが、この愛が破れたのです。生命の力とは何かといえば愛の力です。民族と民族が互いに愛し合い、家庭が愛し合い、国と国とが愛する力なのです。 このように歴史的な観点から見るとき、米国も例外ではあり得ないのです。このような実状なのです。そこで神様はそのために何をなさるかというと、これらに対して新しい対策を立ててもとかえす運動をしなければなりません。このような人間の今までの未知であったすべての根本問題を中心として、サタンと神が怨讐となったのです。この根本問題を掘り起こさずには解決の方法がないのです。人間とサタンとの関係は、偽りの愛、サタン的な愛を中心として行われます。神様の愛はこれとは正反対です。それは真の愛、統一的な愛なのです。このように神様とサタンとは、愛を中心として戦ってきました。これまでは、この戦いにおいて神様のほうが負けてきたように見えます。負けたのと同じです。その結果サタンはますます傲慢になって神様に対して「私はこのような世界をつくってしまったのに、神様はいかにして復帰するというのですか。愛を中心としていかに復帰していくというのですか?」と言っています。 このように見るとき、人間が地上に生きている時にサタン的な自己中心の愛で生きるとしたら、霊界へ行ってから神様を愛することができるでしょうか。全体を愛することができるでしょうか。一方、国を愛し、民族を愛したすべての世界の歴史的人々は、一つの霊界に行ったのですが、すべての愛はあっても愛の歴史で連結できた道がないので、神様も全体も愛することができないのです。本来霊界は、本然の愛を中心として本然の家庭、本然の民族、本然の国家、本然の世界、本然の天宙を愛することのできる世界なのです。その愛に同和され、その本質に通ずることのできる、そのような雰囲気、環境になっているのであって、今日のように個人を中心とする、サタン世界の堕落した愛を中心として関係されているような雰囲気では絶対にありません。それで霊界は数多くの境界線ができてしまったのです。そして地上もまたすべてが分裂しているのです。民族と民族、男性と女性、すべてが好きなもの、愛するものから分かれているのです。 このような状況において、サタンは誇らしげに神様に言います。「神様、これらのものたちをみな統一することができますか。あなたが数千年間指導してきたユダヤ教とか、キリスト教とか、すべてがめちゃくちゃになっています。そこが共産党の温床になっています。どうしますか?」と主張するのです。また、「今日の教会は、社交的にならなければならないといってダンスをしたり、男性と女性が踊ったりしています。そんな所にいかにして神様が来られますか。あなたに関係はありますか? 関係ないですか? 世の中に、また全宇宙にあなたのみ旨を立てることのできる宗教者が誰であり、キリスト教信者が誰であり、何宗教、何宗教、本当の宗教といえるそのような本質的な道を歩む人はいったい誰ですか」と言い、「ハッハッハッハッ」と笑うのです。「あなたが送るといったメシヤはどの人であり、どのようにして来るのですか? 本質的な愛をもってこの世界を一つとし、国を一つとし、天と地を一つにすることのできるそのような人がメシヤですが、その人にそのようなことができますか。神様、あなたにさえできないのに、やることができるのですか?」と言うのです。 ではこのような観点から見るとき、これから来たるべきメシヤがもって来なければならない宗教と、神様が立てるべき宗教とは、何の宗教でなければならないかといえば、愛を中心として、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙を統一しようとする強力な力をもった宗教でなければならないという結論が出るのです。サタンも「それが、メシヤが来なければならない目的であり、神様がメシヤを送る目的ではありませんか」と言うのです。彼はメシヤがやらなければならないことをよく知っているのです。 皆さんは統一教会の何ですか、何をする群れですか? (それぞれの答え) 答えは確かです。皆さん、神とメシヤのために愛の伝統を立てることのできる一つの群れが統一教会なのです。どうですか? 自分は統一教会の信者であるという人は手を挙げてみましょう。では、統一教会で何をするかといえば、生死を顧みないで愛の伝統を立てなければなりません。すべてを犠牲にしてでも国のために、世界のために、自分のもっている生命を犠牲にしてまでも、本然の、神が願いメシヤが願う愛の伝統を立てなければならないのが統一教会のメンバーの重要な骨子であることを知らなければなりません。 ボクシングの訓練所に行けば、サンドバッグを打って練習するのと同じように、この天井ではなく、神の国の一番上から大きなサンドバッグをつるしておいて打つのです。その時、サンドバッグが言うことには、「この世のチャンピオンは私を打ったが、私がここにつながれて以来一番上まで打つ者はいない。どうか一度打ってみなさい。一度打ってみなさい」と、それを願うのです。(笑い) 力いっぱいに打ってみなさい。遠くに打ち飛ばしてしまうのです。その時、サンドバッグが「ああ降参!」と言います。神の国から地上までそのようなサンドバッグがつり下ろされているが、真のチャンピオンが出ることを神様は願っています。それは間違いなくメシヤです。 しかし、今までこの愛のサンドバッグを誰一人として打った者はいないのです。堕落した人類の中で、打った人も、触ってみた人もいないのです。それはそのはずです。サタン世界はサタンが血統を通じて人類を主管しているので、この圏内には神様のサンドバックがあり得ないのです。この圏外に、すなわちサタン圏を越えたところにあるのです。一度も触れられることもなく、サンドバッグはそのままにあるのです。では何で打つかといえば愛の棒で打たなければなりません。家庭を愛し、国家を愛し、世界を愛し、そのような男性と女性が一つとなって打たなければなりません。皆さんの夫婦同士はどうですか。どうですか? (笑い) どうですか? 皆さんは境界線も越えないで、サンドバッグが自分に訪ねてきてください、私がいる所へ訪ねてきてください、私を訪ねてきてくださいと言うのに、これを越えようという考えはもてないのですか。 ではそれを天からもってくるのに、誰が引っ張ってきてくれるのですか? 天使が引っ張ってくれるのでもなく、神様が引っ張ってきてくれるのでもないのです。それはできないことです。原則にないのだから……。ではどうするのですか。仕方がないので、サンドバッグのある所に行かなければなりません。そこで「あなたは私が好きです。私が好きです」と言っていいでしょうか。私を愛していますか。愛していませんか? サタンが父母を連れて歩き、兄弟を連れて歩き、昔の初恋の人を連れて歩いて、あなたのしっぽを捕まえようとしています。 私の背後にはサタンの紐が一つも付いていないという人は手を挙げてみなさい。(笑い) 一人もいませんね。(笑い) 大きなことは言えませんね。そのようなことでは自分に対して誇りをもって、人に話すことがどうしてできるでしょうか。何の話か分かりますか? 皆さんが禿頭であろうと何であろうと、それが問題ではありません。たとえ博士号をもっていたとしてもこのような意味においては何よりも大きな価値があることにはなりません。サタンの紐を切り捨てるために、皆さんは大変な努力をしなければなりません。そして、サタン主管圏の境界線を乗り越えて、新しい神の主管圏に入らなければならないのです。どう思いますか。そのようにすべきだと思いますか? (はい!)。 それまでは、男性と女性はコンクリートをしなければなりません。セメント・コンクリートをするのです。神の国ではいかに強いセメント・コンクリートでも溶けてしまうのです。(笑い) 分かりましたか。統一教会は何をする群れであるかということを知らなければなりません。 サタンの秘密、サタンの愛を個人的に打ち、家庭的に打ち、国家的に打ち、世界的に打つ鍵をもっている群れが統一教会の真のメンバーなのです。このようにサタンの世界で勝利し、神の愛に勝利するのです。私がこのように一度打ったら「なぜ先生は私を打つのですか?」と言うでしょう。なぜ打つのでしょうか? (笑い) そのように知らないから逸れるのです。理由を知ったあとで怒らなければならないのに、理由も分からずに怒ったら、すべてが終わってしまうのです。それはサタン世界の影響なのです。そのような意味からも皆さんに衝撃を与えなければなりません。サタン世界のこのような苦しさ、困難を克服することのできる衝撃を与えなければなりません。ではどのようにして衝撃を与えるかといえば、個人の愛を否定し、家庭の愛も否定し、国家すべての愛を否定することです。完全否定です。完全否定です。それでも否定しないのでサタン世界全体を打つのです。反対の否定式です。それで先生が皆さんを打つのです。「お父さん、お母さん、アメリカの皆さん私を助けてください。死にそうなのです」と言うのですか。それとも「神様私を助けてください。メシヤよ、私を助けてください」と、どちらを言うのですか。あなたたちはどちらですか。(あとのほうです)。本当にそうですか? (はい)。 今日、世界でこのようなみ旨をもって、宗教というタイトルをもって世界的に闘っている一人の人がいます。その人がレバレンド・ムーンです。これは認めなければなりません。(拍手) しかし個人、家庭、国家、全世界、最近は共産党までもがレバレンド・ムーンのすべてがめちゃくちゃになることを願っているのです。 そこでレバレンド・ムーンが一つ行ったことは、愛のサンドバッグを捕まえてあちらの側から境界線にまで引っ張ってくるのです。(笑い) それで、若者たちが統一教会の話だけ聞いて、これをつかめば全部くっ付いてくるのです。先生がサンドバッグを引っ張る力と自分の父母が引っ張る力とどちらが強いかといえば、こちらが強いのです。このサンドバックを引っ張れば、全部がいくらでも引っ張られてくるのです。あのサタン世界の真ん中から、すっと引っ張られてくるのです。そうしたら愛はどこにでも行くことができるのです。それで初めにレバレンド・ムーンがサンドバッグを抱いて、家庭的には反対にこれぐらい動かしたのです。その次には国をこのぐらい動かしたのです。そして世界から霊界まで全部動かしてここまで来たのです。反対されてここまで来たのです。家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的に勝利して、ここまで来たのです。それで次に何をするのですか。皆さんの祝福は何ですか。白人なら白人同士が結婚することですか? (いいえ)。 南極は北極に向かっていかなければなりません。磁力線のような愛の力が授受するのです。それでこの磁力線はどこに入っていくかといえば、南極の中に入って回転するのです。二つになって回転するのです。ここに感応電極があって、電気がこのように通ずるのです。愛の自転圏内にすべてが含まれるのです。どこにでも通じるのです。どこにでも通じるのです。通じない所がないのです。 では神様の愛とは何かというと、北極の愛です。人間の社会の愛は南極の愛です。このようになればいいのです。それで磁場が両極を結ぶのです。(黒板に書かれる)このようになれば自然に回転するようになるのです。皆さんが地球を見る時、経度があるようなものです。本質的には神様の愛を中心として宇宙がすべて和合するようになっているのであって、サタンを中心として和合するようになっていません。サタンの愛は冬のようなものであるのに対して神の愛は春のようなものです。春が来ると、人々は気持ち良くなって重い服を脱ぐようになります。しかし、冬の間は寒さから身を守るために厚着をして「チャック」を閉めるのです。(笑い) だから神の愛を受けることはできないのです。今日、このように冷酷な、雪、寒風の吹きつける北氷洋のようなこの地球上に、初めて神の国の春が訪れてきたのが、統一教会運動なのです。皆さんのお母さんたちは、「ああ、家にいなさい」と言い、皆さんたちは「私は家は嫌です。私は教会に行きます」と言います。 神様から見るとき、皆さんは正常で健全で幸福な人ですが、サタンから見ると、気が狂っているように見えるのです。では、皆さんは神とサタンのどちら側にいるのですか? (神様の側です)。神様の側に立っていると言っていますが、まだ完全に神様の人とはなっていませんよ。(笑い) 国境に垣があるとするならば、片足が境界線に少しでも引っかかっていたら神側であります。(笑い) 皆さんは境界線から足が越えていますか。あちら側ですか。こちら側ですか? (境界線の内です)。(笑い) もし皆さんが今なおサタン的な愛や、入教前の恋人に対して未練をもっているとしたら、皆さんの片足はまだサタン側に立っているということになります。(先生が手で表現される)そうなのですか? (いいえ)。また「教会の活動は嫌いだ!」と不平を言っている人はこうなるのです。(先生がしぐさで示す) I don't like that kind of central figure.ハッハッハッ How can I say that Abel special man is central figure. こっちに動いたり、あっちに動いたりするのです。(先生が行動で示す) 率直に言いなさい。私は忙しいのです。「愛勝日」の必要性をいつ話しますか。もう一時間もたったのですよ。 きょうから、日記を書く時、自分がどちらの側にいたか記録しなさい。一〇〇パーセント神側に越えることを目標として日記を書きなさい。きょうは七〇パーセントだとか、八〇パーセントだとか、一〇〇パーセントになるようにするのです。自分が越えたのは何パーセントであるか、皆さんは自分でよく知っているはずです。既に説明を聞いたので、もう問うてみる必要はありません。皆さんはみんな良心をもっているのですからすべて知っているのです。すべて知っているのです。すべて知っているのです。まだ「私は分かりません」と言う人は手を挙げてみなさい。たとえ堕落世界に長く生きていたとしても、各自が自己の中に神の側に立ちたいという要素をもっています。それがあるからこそ各自が自分の中の指針に従って神のもとに帰ることができるのです。 皆さんは神とサタンのどちら側にいたいですか? (神側です)。ではどのようにして行くのですか。神側に行くためには、サタン世界に勝利して行かなくてはなりません。そのまま行くのではなく勝ってから行くのです。どんなに神の側に行きたいと思っても、サタン世界と戦って勝利しなければなりません。皆さんはもう勝利しましたか? 勝ったのですか、負けたのですか? (はい、勝ちました)。ではどのようにして勝利したのか私に話してください。どのようにして勝ったのですか。 ワシントン・レッドスキンズがスーパーボール(アメリカン・フットボールの最強チームを決める決勝戦)のチャンピオンになる時、彼らがどうやってその出場権を獲得したと思いますか。一つ一つの試合を勝ち抜いていかなければ、スーパーボールに出場する資格を得ることはできません。それは容易なことですか? (いいえ)。それは最も難しいことであり、苦しいことでもあります。多くの人々は、「この世は楽しく生きたら良いのに、この人生は短いのに、おいしいものを食べて、良い暮らしをして、美人でなくても、食べて眠って、生きていけば良いのではないですか」「時には盗みもしたりして」と言います。犠牲的な生き方をするという統一教会の教えは間違っているのでしょうか。統一教会の何が悪いのですか? (いいえ、正しいです)。ではそのために勝利して行かなければなりません。 先生は全世界に対して闘ってきました。個人的な代表が来て私を攻撃する時は、それと対決し、家庭を代表して来たらまたそれと対決し、氏族の代表、国家の代表、すべてと対決するのです。先生は今、「最後のサタン世界よ出て来い」と宣言しています。 それで、統一教会は今どこまで来たのですか。どこまで来ましたか。先生は民主世界のアメリカで闘い、共産世界のモスクワで闘うのです。同様に数多くの宗教団体、ユダヤ教信者、キリスト教徒、すべてが敵対しています。しかしいかなる者も先生から愛のサンドバッグを奪って行くことはできないのです。先生がこのサンドバッグを打てば、それは三六〇度回転します。愛は無制限圏であります。愛の感性を妨げる力はありません。モスクワまで一回転するのです。先生はどこまで来たのですか、今から始めるのですか、もう最後まで来たのですか? (最後です)。 先生はこれまで、五色の異なる人種を祝福しました。祝福は皆さんの一番重要な問題であり、国家にも両親にも任すことはできないのに、皆さんはその権利をレバレンド・ムーンに与えてしまいました。それはどうしてですか。皆さんはそうすることによって、自分を神の愛に結びつけることができるからです。皆さんは神の愛の圏内に飛躍して行くことができるのです。愛の紐につながることが、飛行機よりも何よりも速いのです。分かりましたか。皆さんが霊界に旅行するとしたら、速度は地上界と同じでしょうか。違うでしょうか? (違います)。それはどうしてですか。地上界における愛の実績、すなわち愛の記録によって非常に異なっているのです。 皆さんは霊界で先生と一緒に旅行したいですか? (はい)。ではどうしたらそのようになれると思いますか。そのためには、皆さんは神様の心情圏と一つになった先生の心情と一致する基準を相続しなければなりません。この無限なる宇宙が神様の愛に完全に一致した時、一瞬で到達できるのです。それは何の力でかといいますと愛の力です。神様が宇宙を創造する時にすべて愛の力でもってやったからです。この愛の力で人類を越え、天宙を越えることができるのです。この本質の愛の世界を追究して行くのが統一教会の道であり、神様がこの終末に全世界の人々に与えてくださった最も重要なる贈り物なのです。皆さんはこのことを知らなければなりません。そのため先生は今まで法廷闘争をしてきたのです。北の金日成共産政権、また南の韓国は、李承晩政権をはじめ、先生に対決してきました。米国でも政府が問題になっています。サタン世界では、モスクワのクレムリンです。先生のことをよく知っているのは、自由世界と共産世界のどちらだと思いますか? (共産世界です)。 自由世界のアメリカでは、もう先生を否定する道がなくなりました。最近では、言論界においても先生を支持するようになり、反対していたキリスト教も今や、自分たちの自由も脅威を受けていることを認識して、レバレンド・ムーンの味方をすると声明しています。また著名な学者、哲学者、神学者等すべての学者は共通して、アメリカが将来へのビジョンを失ってしまっていることを嘆いています。アメリカは物質的には豊かですが、精神的には貧困です。今やこの国は草一本もない砂漠のようなものです。ところがこのような砂漠の真ん中に木陰や水や草を見つけることのできるオアシスがあるのです。それが統一教会であり、ムーニーたちなのです。(拍手) ある人々は、「それはレバレンド・ムーンだけの見解にすぎない」と言うかもしれませんが、皆さんは先生の意見に同意しますか? (はい)。霊的に飢え渇いた人々が来た時に、皆さんには与えるべき水や食物がありますか? (はい)。それとも皆さん自身が霊的に飢えていて何も与えることができない状態ですか? (いいえ)。泉の水は地中からわき出るだけの力があります。皆さんもそんな力強い泉の水となっていますか? (はい)。時には大きな岩をも押しのけて出て来なければなりません。泉の水は決して止まりません。いつも地下から表面に出て来ます。味も良く、いくら飲んでも飽きないような水だからこそ人々に生命を与えることができるのです。 皆さんは先生の話を聞きにベルベディアに来るのが好きですか? (はい)。なぜですか。もし先生がいない場合はどうですか? (様々な答え)(笑い) 皆さんが自分自身の泉をもっている限りは問題ではありません。皆さん一人一人が自分にも、また他の人々にも力を与えることのできるような十分な泉の水をもった人間とならなければなりません。先生はどこに行っても人々がついてきます。それは、先生の中の泉を、くみ取ろうとしているようなものです。(笑い) このように、地上で試練することによって、サタン世界から境界線を越えて神側に行くのです。これはどれほど難しいことか知れません。第二次大戦において、ドイツ、イタリア、日本の三国と戦って、連合国側では何百万名もの人々が死にました。ましてや、堕落した人間を救うことはどれほど難しいことか、皆さんはどうですか? 世界の堕落圏を越えることは第二次大戦よりも簡単だと思いますか? (いいえ)。このサタン圏に対する最終的な戦争での我々の最高司令官は神御自身であることを知らなければなりません。 このサタン圏を越えるためには、今日のキリスト教がその責任を果たさなければなりません。キリスト教が完全に一つになってメシヤを迎えて、生死を越え一つになれば一度に勝利できるのです。しかしながら既成のキリスト教は、神のみ旨に反対するようになってしまいました。今でも多くの人々が統一教会に反対しています。そのため先生はキリスト教の助けを借りずに、自分自身の基盤をつくったのです。個人的な勝利、家庭的な勝利、氏族的な勝利、民族、国家、世界的な勝利圏を準備してきたのです。今やアメリカは諸問題を解決するための自信もなければ方法ももっていません。同様に、共産世界のほうも行き詰まっています。「国を救い、世界を救おう」と言う自信のある団体はアメリカに一つもなく、共産世界にもありません。数多くの宗教団体があっても、指導的な役割を果たす自信をもった者は一人もありません。しかしたった一つ腐敗し滅びゆく米国に、「我々しか米国を救い、共産世界を救い、全世界を救い、神様のみ旨を成就することができない」と主張する群れがあります。皮肉なことに、それは非難され、迫害されているムーニーの団体です。 皆さんは、レバレンド・ムーンは能力があると思いますか。それとも無能だと思いますか。(能力があります)。何の能力ですか。マラソンの走者ですか、ボクシングのチャンピオンですか。先生には二つの特長があります。一つは先生が神と世界を代表して、この世界に現れたということであり、もう一つは、先生はサタンすらも愛し、彼を解放してやることができるということです。サタン圏内では、「怨讐を愛する」という言葉すらありません。そのようなことができるのは神の愛の主管圏においてだけです。韓国も先生の怨讐であり、日本も怨讐であり、アメリカも怨讐であり、ソ連も怨讐でした。しかし、先生は彼らに対しては愛の態度をもって報いました。アメリカを救い、日本を救うために膨大な仕事をしていることを皆さんは知っていますね。アメリカでは、先生は大きな投資をして「仁川」の映画を製作しました。これは映画史上にない記録です。アメリカの人々に、特に青年たちに、国を愛し、神を愛することを教育するためにこの映画を製作したのです。アメリカは世界に対して負債をもっています。先生はアメリカの若者が人間の屑になっていくのを防ぎたいと思ってこの映画を作ったのです。 また、先生はアメリカの首府であるワシントンが、「ワシントン・ポスト紙」だけに独占されているのは良くないので、ワシントンのためになるようにと、「ワシントン・タイムズ紙」を創設しました。これは、お金をもうけるためつくったのではありません。米国のために、さらに多くの投資をなさなければなりません。世界中の人々は米国でお金を得ようとしますが、逆に我々は必要な時はいつでも犠牲的になすべきことはします。先生はそのように考えて実行してきました。皆さんもそのような若者ですか? (はい)。それならば、世界に出て行ってどんな人間をも救い上げて、彼らを生命のもとに連れ戻さねばなりません。彼らを今のような死人同様の生活のままにしておいてはなりません。 米大統領一人が誤ったら、米国が滅びるという結論に到達しました。先生の目標は神の世界を確立することです。ですからこのような問題で、生死の境を彷徨している米国を心配しないわけにはいきません。レバレンド・ムーンほどこのことを心配している者はいないのです。皆さんは、ただじっと座って何か良いことが起こるのを待っているのですか? (いいえ)。仕事に取りかからねばなりません。皆さんは、エゼキエル書にいうような「死の谷間の骸骨」のような存在ですか、それとも、筋骨たくましく神の戦いを闘う存在ですか? (後者です)。ただ単に口で言うだけでなく、実行によって、何ができるかを先生に見せなさい。 皆さんも自分だけの力では誰もサタン圏を脱け出ることはできません。だから人類を導いてくれるチャンピオンが必要です。チャンピオンを立てて、応援し、(拍手をしながら話される)そして他の人々は一体化して従っていけば良いのです。祝福家庭の皆さんはどうですか。どちら側にいますか。堕落圏ですか、それとも神の主管圏ですか。皆さんはまだ完全に堕落圏から出てはいません。なぜなら、国をもっていないからです。我々には教会とその法律がありますが、国家の法律はありません。それゆえに、先生は今年の標語として、「祖国創建」を宣言したのです。 先生一人を中心として見るとき、キリスト教が本来先生を受け入れることが神様のみ旨でありました。ユダヤ教とキリスト教の六〇〇〇年の摂理の目的は、先生を受け入れるための基台の準備でした。第二次大戦後、アメリカは世界を指導することのできる立場にありました。韓国はアメリカと完全に一体化していました。このような状況で、先生の二十代、三十代の若い時にキリスト教が反対しないで受け入れていたらどうなったでしょう。どうなったでしょう。その時に、「祖国創建」は成就されていたであろうと思いませんか? (はい、思います)。しかし、いくつかの大学を中心とする既成キリスト教会が、神のみ旨に反対したのです。神様は先生にキリスト教界が完全な接ぎ木をされることを願っていたのです。一度に世界的に接ぎ木できる道を整え、国までも合わせて接ぎ木しようとされたのですが、彼らが拒否したために、彼らは一番最後になったのです。 それで先生はどこに行ったかといえば、先生は北韓の共産党の監獄に入ったのです。そこではみんなが死んでいきました。先生はイエス様の二年八カ月の路程を蕩減するために死なないで、獄中で霊界からの協助を得て、失った十二弟子を捜しておかなければなりませんでした。このようにして初めて、サタン世界から自由世界、神の世界へ到達することができたのです。出獄して初めて、サタンに奪われた自由世界の祖国を創建するための地を探すことができるのです。監獄に入って、失ったものをみなサタンから勝利して取り戻して来るのです。 十二月号の『TODAY'S WORLD』の本に朴正華氏の証が載っているでしょう。それを読みましたか? 先生は彼を背負って六〇〇マイルの道を歩きました。すべての人々が自分自身が生き延びることさえ難しかった時に、先生はそのように彼を背負って歩むことによって、神の愛は利他的なものであることを示したのです。一九四五年ころも、多くの人々が先生を非難し、捕まえて殺そうとさえもしました。しかしその怨讐が飢えていた時、先生は食べ物を買ってあげたり、子供たちの学費も出してあげたりしたのです。彼らは誰がそのようにしてくれたかも知りません。でも先生は自分は飢えながらも、そうすることによって民族を越えて、そのように世界的になったのです。このように、キリスト教が反対してしまったために、完全にサタン世界が変化してキリスト教が共産党の温床になってしまったのです。 その結果、失ったキリスト教文化圏を統一文化圏で対処して、本来ならば神様を中心としてのさらに高い次元の基準をもつことのできるこの統一教会が、今、キリスト教と民主世界のレベルを越える段階にきているのです。しかしサタンも、そうやすやすと自分の支配圏を譲歩しようとはしませんでした。そのため多くの犠牲者を出してしまいました。皆さんも知らないうちに多くの犠牲者を出したことは事実であります。既成キリスト教会に対し統一教会はアベルの立場なので、統一教会が打たれなければならないのです。世界的にも打たれなければなりません。それは、今まで宗教的次元で、国家的次元で反対を受けてきたのですが、今や世界的次元に上がってきたからです。 民主世界も共産世界も滅びていくのに対して、統一教会は新しい光を得て、勝共運動や、人類の名における全世界の統一運動を盛んにし、そして統一主義、あるいは神主義が世界的問題となってくるのです。すべてが再び入れ替わるのです。一三〇余カ国の国家と、統一教会が連結され、世界的潮流が変わったために昨年の一九八三年にこれらが韓国と連結されたのです。レバレンド・ムーンはアベルの立場であり、韓国の国民はカインの立場です。韓国のキリスト教と韓国政府は先生に反対しましたが、韓国という国が先生を歓迎するようになるならば、以前反対した人々も、先生を受け入れることになるのです。 アメリカでの法廷闘争も今年ですべて終わります。今年は大変重要な年で、韓国問題、アメリカ問題、ソ連問題が今年から来年までにはっきりしてきます。またアメリカにおいて、レバレンド・ムーンの正しさが認められるようになれば、世界的に雪崩のごとく、人々が賛成するようになるでしょう。特に若者たちは、レバレンド・ムーンと統一教会の良さに対して最も目覚める人々です。それは第一に、皆さんたちムーニーが非常に国を愛する群れであること、第二に、皆さんが共産主義に反対する群れであること、第三に、皆さんが将来に対して楽観的な希望を抱き、必ず理想世界が来ることを確信していること、これらのことを彼らが理解するようになるからです。若者たちが願うのはこの道しかありません。 このような愛国主義を広めるために、IOWC(国際機動隊)が各地を訪問していますが、市長や知事などに会見するのもそのためです。これらの指導者に影響されるのでなく、我々のほうが彼らに影響を与えなければなりません。学者たちもムーニーによって影響されつつあります。レバレンド・ムーンとその運動は過去十年間にわたって、常にマスコミその他から攻撃されてきたにもかかわらず、生き延びてきました。環境に対しての強い忍耐力があるからです。 思慮分別のあるアメリカ人は、いずれは我々のほうにやって来て指導を求めるようになるであろう、と先生は思っていました。今や多くの人々が先生の所に来つつあります。しかし有名な人に仕事をさせることはあっても、いくら会いたいといってきても先生と会うことは難しいのです。ワシントン・タイムズの編集長も、先生に会ったのは八カ月目でした。しかし、皆さんはこのように毎週日曜日に先生に会って先生の話を聞く機会をもてるのは、皆さんにそれだけ価値があるからではなく、毎週話をすることは先生の摂理的な務めだからです。何の話か分かりますか? (はい)。 我々はこのくらい上がってきました。(先生しぐさで示す) これからさらに越えて発展します。この時の運勢の先頭に立つのは韓国です。韓国は世界中で共産主義に対峙している第一の地です。「板門店」とは「板の門」という意味で「金門店」の代身です。(黒板に書かれる)板門店は民主世界と共産世界が合うということであり、金門店は天国世界と地上天国が合うということです。板門店では、偽りでだまそうとし合いますが、金門店はお互いが譲り合おうとするのです。何の話か分かりますか? このような「門」をもっている国は韓国しかないのです。東ドイツと西ドイツは自由に行き来しています。「金日成」という名前は、「金と太陽が成就する」という意味です。北韓の人々は彼を「お父さん」と呼んでいます。 これに対して先生の名前「文鮮明」を漢字で書けば、「文」は真理で、「鮮」は明確で、「明」は照らすです。(黒板に書かれる)「鮮」は魚と羊で、「明」は日と月です。すべてが象徴的なのです。日と月が合わさって明るい光を放つということで「父」というのです。このように一つの国が南北に分かれ、それぞれに「お父さん」と呼ばれる人物がいるような国はほかにありません。人間は二人の父親をもつことができると思いますか? (いいえ)。本当の父は一人しかいません。先生は金日成を恐れていると思いますか。それとも金日成のほうが先生を恐れていると思いますか? (金日成です)。どうしてですか。金日成が先生を恐れているのは本心において、自分の支配は偽りに基づいていることを知っているからです。それが明らかにされる日には、完全に負けてしまうからです。先生が偽りを暴露するので、先生を嫌い統一教会を恐れるのです。 民主世界においては、一番憎んでいたレバレンド・ムーンを一番好きになりますが、共産世界では一番憎むようになります。そのような転換期が来ていることを知らなければなりません。アメリカの人々が、「アメリカの政治家や他の権力者は信用できなくても、レバレンド・ムーンだけは信用できる」と言う日が来るでしょう。この国の大統領も任期は四年か八年ですが、レバレンド・ムーンと結ぶならば、永遠に保証される天国へ向かうことができると知っているのです。(拍手) そのためにアメリカのどんな人でも、レバレンド・ムーンに対して、いかなるアメリカ人よりも尊敬せざるを得ない、という結論になるのは当然であります。それは偉大なことであります。 人々はより高い価値を求めて、従来の考え方を変えつつあります。レバレンド・ムーンの教えは、この国の指導者、国会議員たちをより良い指導者にすることができるでしょうか? (はい)。いずれは、大統領に立候補する人がレバレンド・ムーンの支持を求めるようになる時が来るでしょう。 If time will not come, I'll make it.(歓声と拍手) 先生はこのような観点で見ています。 先生はこれまで何年にもわたって、学界の人々を通して、学者や指導者がこの国を将来のために正しい方向に導くように働きかけてきました。 このような先生の話を聞いた皆さんは、早く仕事に出かけたいという気になりましたか? (はい)。今日ここに座っている皆さんの中で、賢明な人は、“先生がアメリカを全部復帰したのちには、モスクワに行くだろうから、今のうちに私はモスクワに行って向こうで準備して待っていよう”と考えているかもしれません。しかしモスクワでは先生のことを、「お父様」と呼んではいけません。「ミスター・ムーン」です。(笑い) 皆さんは先ほど頭が良いと言ったのですから、どんなに頭が良いのか見せてください。(笑い) 誰かがスマートであると言ったでしょう、(笑い) どうですか? 皆さんスマートですか? (はい)。女性たちはどうですか、将来上院議員の夫人や副大統領の夫人になりたいですか。どうなるか分かりませんよ。今、皆さんの夫たちを育てていますから、どんなことでも可能性があります。先生は皆さんに最善の訓練を与えるために、アメリカについて正確に勉強しているのです。時間がたつのが速いですね。さあ、もう二時間ほどになるでしょう。時計よどうしてどんどん進むのか。(笑い) もうここらでやめましょうか? (いいえ)。 もし自由世界とキリスト教がレバレンド・ムーンに反対したら、どのような蕩減を払わなければならなくなるでしょうか。その蕩減条件はどこで誰が立てなければなりませんか。アメリカですか、キリスト教ですか。誰がそれを蕩減すれば良いのですか。レバレンド・ムーンを拒絶したことによって引き起こした負債に対して誰が責任をもたなければなりませんか。それは統一教会です。統一教会は彼らに対してアベルの立場にあるからです。ではアベルの立場は何番目ですか。三番目ですか、一番目ですか? (第二番目です)。 統一教会においては、第二番目の立場にいる者がいつも犠牲的な立場で蕩減しなければならないのです。統一教会と先生の家庭が合わさって蕩減しているのを知らなければなりません。二番目が問題なのです。十三年前に、統一教会の三十六家庭の中の二番目の劉孝元協会長が病院で死んだのです。国家的次元においての三年路程を三十六家庭が蕩減しなければならない一番難しい闘いの最中のことでした。また、先生の息子の中で二番目の喜進様が、一九七〇年に伝道に行く途中で事故に遭ったのです。また、お母様が生んだ子供の中で二番目の恵進様が一九六四年に亡くなりました。その次に、二男である興進様です。このような一連の出来事は二番目がすべて蕩減したという、原理的な事実です。このような蕩減を払うことなくしては、復帰していくことができないということを知らなければなりません。理屈ではなく事実がそうなっているのです。原理は作り上げたというものではなく、歴史を導いてきた真の原則なのです。 今回、韓国での勝共大会のために、先生は七十二カ国の学界の指導者を招待しました。世界平和教授協議会の七十二人の議長団はイエス様の七十二人の弟子を代表するものでした。彼らは最高の知識人たちであります。国家の首班までも指示することのできる、その国においては最高の立場にある彼らを、「韓国に来てください」と要請しました。何のためなのか理由は説明しませんでした。そこで彼らは何のためか分からないままに、とにかく行けば何だか分かるだろうと考えて、信仰をもってやって来たのです。 シカゴで開催された「科学の統一に関する国際会議」に参加した彼らは、十一月二十九日にシカゴを発って帰途に就きました。先生は十二月三日韓国に向けて出発したのですが、その時空港で指示したのです。それを聞いた時、それらの学者のうち三分の一はまだ自分の国へ到着してもいませんでしたが、先生が北韓の獄中で十二弟子を見つけたのと同じように、信仰をもって韓国まで先生を慕って来た忠実な学者たちでした。 韓国に来てから何をしたかといえば、共産主義を防御する世界的な宣言をしたのです。彼らがソウルの金浦空港へ着いた時、何のために自分はここに来たのか知らなかったのです。レバレンド・ムーンが、「来なさい」と言ったので来たのであって、何も知らなかったのです。そのような旅行がありますか? (笑い) 学者にとって十二月は一番忙しい時です。しかし彼らはやって来ました。それは特別の人から来るようにと言われたことがその動機となったのです。 十二月は誰にとっても忙しく、慌ただしい時です。韓国において、このような大会が十二月に開かれるというようなことは、これまで一度もなかったことです。韓国の政府も信じないし、ここにいる統一教会の幹部たちでさえ、「大会はいけません」とみな反対したのです。できると言ったのはたった一人、先生しかいなかったのです。統一信者が先生に対して信仰を保ち得なかったのです。韓国の幹部たちは、なぜ十二月に大会を開催すべきでないかを、あれこれと説明しましたが、先生はそれをすべて一蹴しました。先生は小さなノートを取り出して見せ、「この大会は神からの命令だとここに書いてある。だから必ず成功する」と言いました。 今回の韓国における勝共大会は、歴史的かつ世界的なものです。これによって共産主義に対する全く新しい方向性が与えられることになったからです。韓国の既成教会は、レバレンド・ムーンが勝共大会を開催するということを聞いた時、統一教会に反対していた彼らは困ってしまいました。もし反対すれば、人々から「共産主義に賛成するのか」と言われるので、今回ばかりは、レバレンド・ムーンのすることに反対できませんでした。韓国政府も、この十二月に大会をするなんて大きな誤りだ、大きな体育館を借りたところで、半分はガラ空きになるだろう、一万五〇〇〇名が集まる広場で、一五〇〇名か二〇〇〇名くらいしか集まらなくて、レバレンド・ムーンが面目を失うだろう、と考えていたのでした。しかし大会が予想外に成功したのでショックを受けてしまいました。北韓の金日成政権を倒して、南北を統一することができるのは、統一教会とレバレンド・ムーンだけだと国民は知っていましたが、それを示すことになりました。 光州は、勝共大会の開かれた最後の八番目の都市です。これがサタンにとっては、先生を攻撃する最後のチャンスです。サタンは何とかして先生が韓国で成功するのを阻止しようと必死でしたが、既に先生は、勝利を確保するすべての条件を立ててしまっていました。 先生が韓国にいる間、日本とアメリカは韓国の動静に注目していました。このように、サタンの勢力が先生を攻撃する余地は全くなかったのですが、先生の子女たちは、統一教会の基準にあります。サタンの攻撃に興進様が相手になったのです。それをはっきり知らなければなりません。すべての大会が成功裏に終えようとする時でした。先生がちょうど講演の壇上に立つ時間だったのです。光州は、共産主義の地下組織が多く潜伏して、彼らに有利でした。当日、大会は十一時開会なのに、十時に会場の体育館は完全に超満員になってしまいました。共産主義者たちが入って来て活動する時間もなく、活動することもできないほどにいっぱいになってしまったのです。身動きもできないほどでした。工作隊員はあまり早く会場に到着して、人目につくようなことはしません。そこで開会の間際に会場に来たところが、光州の大会会場はもう既に超満員でした。そのようなことが自然に、先生を防御できる良い環境となったのです。 そこで、サタンは仕方なく先生の一番愛する息子を選んだのです。先生の生涯を通して、犠牲になったのはいつも二番目の息子や娘でした。二〇〇〇年前、イエス様が十字架で亡くなりましたが、復活によって新しい霊界の城門が開きました。同様に、神は生命を捧げた興進様を復活させるでしょう。 皆さんは興進様が行くことによって、これからどのようなことが起こるかということを知っていなければなりません。 今大会で重要なことは、地上の真の父母を中心として国家的運勢、すなわちイエス様が国家基準において勝利できる基盤を韓国の地で、先生の時代になしたということです。国家的次元で大会をする時に、先生夫妻はいつもそろって壇上に上がりまりした。 さらにまた、この大会の準備を東洋と西洋のメンバーが一つとなってやったのです。大会参加者も、七十二カ国の代表を含め、国際的でありました。この大会は完全に大勝利を得たのです。 先生の時代において今はどういう時かというと、国家的基準を七十二カ国合わせることのできる、イエス様の時代に成し得なかったことを成したのです。それは何を意味するかといえば、世界的勝利に向けて進むことができるのです。一九八三年十二月十八日は意義ある歴史的な日となりました。先生は皆さんに、十二月十八日がどのような日であるか祈祷して、答えを先生に報告しなさいと指示したことがありますね。それはどういうことか分かりますか。 十二月十八日は、先生がこの地上において忘れることのできない日なのです。人間世界の先生に対する背信を中心としても忘れることのできない日です。先生が監獄から出てきて、第二の出発基地に向かった時、信じていたすべての人々から背信された忘れることのできない日です。しかし、今は、世界の代表たちが私を信じて、すべての国民が歓迎する中で、統一教会が一つとなって、また勝共連合やあらゆる環境のすべての人たちも完全に一つとなって、この大会を支援して、共産主義に対する闘いに献身することを先生夫妻の前に誓ったのです。これはちょうど、二〇〇〇年前にイエス様が弟子たちと共にローマへ行き、「世界のために神のみ旨に従いなさい」と宣布したことに匹敵するものです。 先生はこれまでアメリカで迫害を受けながらもこのような基盤をつくったので、「レバレンド・ムーンは言ったことは必ず実行する人だ」という評判になっています。法廷闘争をしながらもこれだけのことをやっているので、アメリカでは勝手に先生に対して手を出すことができないのです。先生が、「韓国に行って勝共大会を開催したい」と通知したところ、すぐに許可してくれました。このことは、ちょうどイエス様がローマの元老院に行って、元老院の支援を受けて全世界にキリスト教文化圏を宣布したことに匹敵する内容で、「私は地上天国を建設します」と宣言したのに対し、元老たちが「もちろん、どうぞそのお仕事を進めてください」と答えたようなものです。先生は十日間で完全に国民を覚醒させました。韓国政府のある人々は、先生の成功を認めるのに気が進まないようでしたが、下級の官僚たちはすべて先生の味方でした。「レバレンド・ムーンがどこへ行っても絶対に警察の車でエスコートするな」と通達を出したのですが、各地の警察署長は争って、最善の警備員を派遣してきました。(歓声―拍手) このような先生の成功を見て、サタンはどのように感じたか想像してみなさい。今や、はっきりと統一教会の時代に入ったのです。六〇〇〇年間サタンが今まで民主世界とすべての世界を食い荒して、九〇年代になれば全世界が思いのままにできると思っていたのに、これは何事かというのです。 レバレンド・ムーンはこの大会で、韓国の人々の中に信頼を獲得しました。それまで韓国国民はKAL機撃墜事件や、ラングーンでの閣僚爆殺事件によって、意気消沈してどうしていいか分からずにいたのが、レバレンド・ムーンによって希望と目標を与えられ、元気を回復したのです。ソ連と北韓は主体と対象の関係にあり、KAL機の撃墜事件は主体であるソ連によって引き起こされました。このようにして二つの国が打って来たのですが、レバレンド・ムーンが現れて十日間で国民の停滞したムードを変え、最高潮に引き上げてしまいました。また、グレナダもアメリカの救出作戦によって、共産陣営は西半球でも後退を余儀なくされました。一九八三年の十二月は、これまでの歴史上かつてなく白熱した重要な月となったのです。 一九八三年は、一九四五年から一九八五年までの四十年荒野路程の最後の三年間の最初の年ですので、それが終わる時に抵抗を受けるようになっているのです。昨年の私たちの標語は、「家庭教会は我々の定着地」と言いました。それで今年は、「祖国創建」というみ言が出たのです。これは歴史的な転換点だとは思いませんか? (はい、思います)。イエス様が十字架につけられた時、左右に二人の強盗がいました。それは何を意味するかというと、民主世界と共産世界です。(黒板に書かれる)そうでしょう。共産主義者は神様がいないと反対し、こちらは神様はいると言うのです。 興進様の事故が起こった時、その車にはほかに祝福の子女が二人乗っていましたが、二人は生き返ったのです。これはとても良いことであると思います。今回、その事故の現場に行ってみましたが、(黒板を使いながら説明)車道がこのようになっていて、相手の車がこのように、州道第九号線を走って来ました。その時、車は氷の固まりを避けようとして、ブレーキを踏んだところが、車は反転してセンターラインを越えてしまいました。そこへ興進様の車が突っ込んで行ったのです。普通このような場合には、運転手は無意識のうちに自分の身を守ろうとしてハンドルを切ります。しかし、興進様はあえてハンドルを右に切ったのです。どうして興進様は自分から突っ込んでしまったのか、これが問題なのです。道がこうなっているのです。(黒板を使いながら説明)こちらからトラックが道をこのようにふさいだのです。この辺りから来て……。それで興進様が乗った車はどうなったかといえば、運転台がここで、左側にあるのです。興進様はここに乗っていたのですが、こちらを打った場合、死ななかったのです。それなのに、どうしてかこちらをこのように打ったため、ここが壊れたのです。(先生、しぐさで示す)運転をすれば自然にこちらに行くのにどうして反対側に行ったのか、これが問題なのです。 興進様は、コーナーに突っ込んだのです。それで助かった二人は、「自分たちを意識して、車をそちらに回した」と言うのです。その話を聞いて、どれほど有り難かったか分かりません。このように興進様が他の二人を助けるために、自らを犠牲にしたということは、世界のために自らを捧げたことを象徴するものです。興進様はそのように犠牲になる可能性を決して恐れませんでした。むしろ自ら、それを志願したのです。イエス様の時は、十字架につけられた三人はみな、死んでしまいましたが、興進様の時は、興進様だけが他を助けるために犠牲となり、二人が生き残ることにより、民主世界と共産世界の道が開かれるのです。 興進様は、珍福、珍吉の二人を父親のような思いで常に愛していました。父親がいないので、いつも彼らの家に行って過ごしていたのです。その二人を息子のごとく保護する思いでそのようにしたのだと思います。分かりますか? そのために自由世界と共産世界の蕩減条件を立てることのできる道が開かれたのです。興進様はこの両世界が将来一体化するようになるために、自らを国家的蕩減基盤に立てて犠牲としたのです。事故は自由世界であるアメリカで起こりましたが、身体は韓国に帰ったのであります。祖国に帰ったのです。このようにして興進様の身体は西洋世界と東洋世界に連結しているのです。彼は世界のために死に、国家的基盤である韓国へ帰りました。勝利的な国家基盤の上で生き、そして死んだがゆえに、興進様は今後、霊界と地上界を自由に往復することができます。 二〇〇〇年前、真の父母がいなかったために、イエス様は民族的基盤をつくることができませんでした。しかし、興進様には既に国家的基盤をつくった真の父母がいましたから、それを相続することができます。そしてイエス様御自身も興進様によって、地上の国を訪ねてくることのできる基盤が連結されたのです。このことの意味は、イエス様と二人の強盗が死から復活することができ地上に再臨できる基盤が連結されたということです。これまでに劉協会長ほか、古い幹部や、多くの食口たち、またその子供たちが死んだのは教会基準の犠牲であって、国家的基準で世界を蕩減するレベルにはならなかったのです。しかし、今回の興進様によって、初めて国家基準の犠牲となりました。ですから、興進様は霊界において最高司令官となり、地上世界との間を自由に行き来することができるのです。それで、先生は興進様の死ぬ前に、「養子を探してあげる」と約束したのです。したがって、祝福を受けることができるのです。 また、興進様は統一教会に対するすべての責めを負って犠牲になったのです。これによって、他の者がそれらの責めから解放されました。その恩恵は、我々統一教会の者ばかりでなく、自由世界と共産世界の人々にも及びます。ですからすべての人々は興進様を愛さなければなりません。自分の生命を犠牲にして愛というタイトルを全世界の人々に残したので、皆さんも世界を愛することができるのです。 興進様は先生の身代わりとなって行きましたので、皆さんが興進様を愛するその愛は、先生に対する愛となって表さなければなりません。分かりますか? 今まで霊界は、真の父母に連絡する道がありませんでしたが、興進様が霊界の代表となられたので、今や、興進様を愛するすべての霊界が直接に先生に連結することができます。また興進様は、統一教会のために行かれましたので、統一教会にも連結することができます。 興進様は命を懸けて、自分の仲間を愛するという模範を示しました。また、自分の父が世界のために生き続けることができるようにと願って行きました。霊界にいる人々は、興進様を愛することによって、地上にいる真の父母と連結することができます。ですから、彼が霊界へ行ったことは、霊界にとっては大きな喜びです。彼が霊界のメシヤとしてやって来たからです。興進様は、統一教会のための殉教の模範を示しました。それゆえ、統一教会のメンバーは、興進様をますます愛するでしょう。彼は霊界と地上界の両方から愛されるのです。 では真の父母はどうすれば良いのか、これが問題なのです。神の愛を歓迎し、地上の愛を歓迎する意味において、自分の息子を祭物として捧げたことを栄光と思い、誇りと思わなければなりません。 神様はアダムとエバが十代で堕落してしまったために、今まで、霊界においても一人の青少年も真に愛する機会をもつことができませんでした。しかし、今や、清い未婚の息子が霊界に行きましたので、復帰のために苦労してこられた神様が、純潔な子供を愛することができるようになったと、思うのです。それで先生が祈る時、「私が十代の少年だった時に、神様の前に基盤を整え得ず韓国を十分に愛せなかったことを申し訳なく思います。今、ようやく世界的な基盤を整え、国家基盤を蕩減した上でこのアベルを私の代身として、栄光を受けてください。私の時に栄光を受けられなかったのを蕩減してください」と祈ったのです。しかし、今や、自分の息子を犠牲として捧げたことによって、先生は韓国と世界に対して責任を果たしました。過去にできなかったことを今や興進様を通じて神様に受けてもらうことができたのです。 先生の二番目の息子としての興進様は死にましたが、先生は死なずに地上世界と霊界において愛の復活圏を成就します。死を通して興進様は霊界へ行きましたが、先生は死を通して霊界をつかみ、地上界もつかんで、愛の復活圏を設定します。もはや死は何の力ももたなくなりました。死亡圏と分かれるのです。ですから葬式も悲しみで行ってはなりません。それで興進様が地上から(黒板を使い説明)ここを通る時に、先生は特別な霊界と肉界とを中心とした式を行いました。その過程の話は複雑ですが、すべての蕩減条件を成して、「愛勝日」という日を宣布するために、死体を前にして、神様の愛のために闘いをしたのであります。これは何の話かというと、母や父が、死んだ我が子を思うよりは、神様の愛をもっと思って、死亡圏に勝つことのできる時であるというものです。 先生はあくまで神の摂理を中心として考え、行動します。それで病院で「統一式」を行いました。そして、この愛の勝利のゆえに、真の父母は本当に誇らしく思っていること、また、全霊界と地上界がそのために真の父母をたたえるであろうことを、神様に誓いました。この時、神様が見ても誇れる父母となり、霊界の先祖たちや、天使世界や聖徒、聖人すべてが誇ることができ、また地上世界の人々も、「なるほど、死亡圏を除去することのできる愛の権限をもっている方に間違いない」と、頭を下げることのできる勝利をしたのです。「愛勝日」とは、興進様の犠牲によって、真の父母が新しい基準に到達し、今後、その基準の上に前進して行くことを宣言した日です。分かりましたか? それゆえ、先生は、お母様に対して、「涙を見せてはいけない。今は涙を流す時ではない。神様と人類にとって栄光の時なのだから……。私的な場所では母親として涙を流しても構わないが、特に葬儀の時間は、公的場であるから涙を見せないように……」と言ったのです。そのような時間があったことを知っていなければなりません。それゆえ、民族的、世界的な新しい愛の方向を立てることができたので、「愛勝日」という日を宣布したのです。 一九八四年一月三日、午前四時に、先生は「愛勝日」を宣布しました。この時間の表す数は、一月三日の四時ですから、一プラス三プラス四で、再出発を表す八数になるからです。このことによって、地上において愛の連合戦線が始まるために、霊界においても愛の連合戦線が開始され、興進様には新しい使命が与えられました。それは、真の自由人として、霊界と地上界を自由に往復することができ、霊界と地上界の若者を導いて愛の力によって清めることです。 イースト・ガーデンの興進様の部屋は、そのままにしてありますが、おもしろいことに兄弟たちがみなそこに行って眠るというのです。あの部屋には何か引きつけられる力があります。このように興進様が若い人々を引きつける力をもっていることが、既に示されています。 先生は今回、新しい運動として民主世界の若者が先生の写真を携帯する運動を始めました。すべての青少年が先生の写真をもつ運動に参加すれば、霊界が完全に変わります。共産世界の青少年も、我知らず先輩や両親に反対して、新しい理想を探してさまようようになります。そのうち善なる霊が協助してくるようになるのです。このように先生の写真をもつことによって、その人の背後に善なる霊たちが再臨して協助することができるようになるのです。しかし、そのような恵みを受けるためには一つの条件があります。一定期間を、献身的に活動をしなければなりません。そうすれば何か良い恵みが与えられます。 この「愛勝日」の期間は、死んだ息子を側において、結婚式をする時以上の喜びの心情をもって神様を愛するという、心情圏を勝利せずしては越えることができないのです。それで先生は、興進様の葬儀の間は一滴の涙も流しませんでした。そして、朴先生が来て昇和式の報告をした時、初めて父親として泣きました。息子のために涙を流しました。公的な人は、自分に対しても厳格でなければなりません。先生は、お母様にこう話しました。「あの木の頂の芽は、一番高いところにあるので風が吹けば、一番多く、最も危険に揺れ動いています。しかしそんな中でも育っていかなければなりません。そのためには中心がなければなりません。台風がきても、根は深く張っていなければ芽は育ちません。私たちが神様の愛を必要とするのではなく、神様の愛により芽である子供たちが育たなければなりません」と。何の話か分かりますか? (はい)。 今回の出来事によって、飛躍するのです。そのようにして偉大な世界統一教会に成長するのです。我々がこれから行く世界は、真の父母の大勝利の橋頭堡を中心として、最高の最大の条件を立てる時代なのです。皆さんが自らの命よりも、もっと先生を愛する限り、もはやサタンはどこからも侵犯できないのです。それは興進様が皆さんの代身となって行かれたからです。ですから、何よりも真の父母を愛することによって、皆さんはサタンに打ち勝つことができるのです。今までの愛はサタンが支配するものでありましたが、これから神様が愛を主管するのです。「愛勝日」はそれほど偉大な日なのです。分かりますか。分かりますか? 先生の話は一度聞いただけではよく分からないでしょう。録音されていると思いますので、二度三度と聞くようにすれば良いのです。 先生がそのようにして神様と一つになって「愛勝日」を宣布したという事実を皆さんは知っていなければなりません。皆さんの活動に反比例して、今後サタン世界は急速に崩れるでしょう。皆さんは今の三年間をみ旨のために夜昼なく走らなければなりません。死にそうになったら、“私は三年後に復活する”と考えなさい。イエス様は一人で復活したのですが、私たちは“三年後には国家的に復活する”と考えなさい。イエス様は三日間で個体復活を成したのですが、私たちは三年間で国家復活をさせるのです。何の話か分かりますね。私たちはその日に向かって進み大勝利を獲得するのです。アーメン。(アーメン)。 誰しもいつかは肉体が死にます。しかし皆さんはサタン圏内で死ぬのではなく、神の圏内で死ぬことになるのです。ですからこれからの葬式などすべての式は根本的にサタン世界と異なるのです。先生は葬式と埋葬の新しい伝統を樹立しました。もう皆さんは、この「愛勝日」がどれほど必要であるかを知りましたね。分かりましたか? (はい)。 興進様は夜昼休みなく皆さんの側にいて、アメリカの若者たちと共産世界の若者たちと、すべての霊界の先祖と子孫たちと共に活動します。皆さんは興進様に負けないように決意しなければなりません。できますか? (はい!)。やるという者は手を挙げなさい。(全員、手を挙げる) 興進様が皆さんに礼を言うでしょう。霊界も皆さんと共にいるのです。これで「愛勝日」の必要性が完全に分かりましたね。 この「愛勝日」を宣布したことによって、イエス様もこの勝利の一時に同参する時代となりました。それで全キリスト教会の反対もなくなったのです。既にそのような基盤を整えたのです。それで、神学者と教授たちを組織し、次には牧師たちを中心として既成教会です。昔は、どこへ行っても嫌われたが、どういうわけか好きになるのです。彼らは先生につながっていれば気持ちが良いのを発見するのです。国際機動隊メンバーも既成教会に入って行くのが今まで嫌であったのが良くなるというのです。それでトレーラー・ハウスを出てどこに行って眠りますか? 路上ではなく既成教会に入って眠るのです。入って行くのです。「愛勝日」によって、カインがアベルを愛で歓迎する時になったのです。昔は愛すれば蕩減を受けなければならなかったのですが、今は愛すれば福を受けるのです。 昔はカインがアベルを愛したら、サタンに殺されたり、苦労が多かったのですが、今や、そのような時は去ってしまったのです。神様が福を与える時が訪れたのです。もはやサタンは私たちの進む道に反対の旗を持って立つことができない時を迎えたのです。外的にもアメリカも全世界もそうなってきました。分かりますか? 春が来たのです。統一教会の春が来たのです。 欧米では春になると、ピクニックに行ったり、楽しみを求めますが、私たちは春は種を蒔かなければなりません。分かりますか。サタン世界は遊びに出歩きますが、私たちは種を蒔くのです。心の種、愛の種を蒔くのです。このように、この三年間は、夜も昼も休みなく努力しなければなりません。皆さんもそうすることを決意しますか? (はい)。 どうもありがとう。(拍手―歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.13
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[21.11.14] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリPEACELINK TV (https://tv.peacelink.live/)から14日 AM9:45 配信予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.13
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FAMILY FORUM.JPホームページからの情報です。第7回神統一韓国平和フォーラム10 月24 日に行われた「文鮮明天地人真の父母聖和9 周年記念天一国祝勝会」を通して、真のお母様は2022 年、天一国10 年神統一韓国安着のために全世界・大陸が力を合わせ、目標達成に向かって全力投球して進んで行かなければならないとおっしゃられました。そのために、来年2 月までの6 月間の期間を延長して、聖和9周年行事の期間として設定してくださいました。第7回神統一韓国平和フォーラムが2021 年11 月12 日(金)9:00~15:30の予定で開かれます。このフォーラムは日本の主管で行われます。PeaceLink(https://tv.peacelink.live/)で視聴できます。---------------実際の映像は第一部 9:30 ~ 2:53:00第二部 3:50:00 ~ 5:11:00第三部 5:20:00 ~ 最後まで一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.11
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「四十年摂理路程と「愛勝日」の宣布」 --文興進様の昇和の意義--1984年1月3日ベルヴェディア カイン・アベルがひとつになれる文化圏 あなたたちは、ここアメリカに長い間いながらも、お母様の話を聞くのは初めてですね。(「はい」)。それは、歴史的な出来事です。皆様が知っているように、一九八三年を中心に先生は全世界に全体動員を命令しました。それで、三月に先生はIOWCを結成して今、全国的な活動を推進しています。 第二次大戦以後、韓国で先生がこの道を出発した四〇年摂理期間において、一九八三年から一九八五年までの最後の三年間の最初の年が一九八三年でありました。「この三年期間において世界は転換しなければならない」というのが摂理観であります。では、何を中心として転換するのか? イエス様はこの地上において、今から二〇〇〇年前にローマ帝国を中心とした世界的版図において、歴史的な転換点をつくらなければならなかったのです。国家的基盤を中心として、その次は世界と連結されて転換しなければならないということは、イエス時代も今の時代も同様であります。国家的基盤を中心として転換するのです。ユダヤ教とユダヤの国を中心としてローマを転換させるべきでした。しかし、それが失敗してしまったのです。 それで、韓国の摂理からみるとき、解放された第二次大戦直後に先生は公的路程を出発していました。その時、既成教会が受け入れて一体となっていたなら、既にその時から、アメリカと勝利した自由世界を中心として、信じられないような世界的規模の摂理が台頭し始めていたはずであり、キリスト教最高の文明圏を中心として、今日世界の頂上へと直ちに上がることができたのです。 そのようになったならば、アメリカのキリスト教が直ちに連結され、ローマ帝国が太陽神、自然神を信じていたそのような時代と異なり、これはキリスト教文化、即ち共同文化体制となるので、国家的統一にただちに連結されるはずでありました。 では、キリスト教は何かといえば、東洋の韓国に入ってきているが、キリスト教文化圏は東洋と西洋とアメリカと完全に連結されているのです。このように連結されているものはひとつしかないのです。しかし、キリスト教文化圏には東洋の思想を吸収する道がないのであり、東洋の思想ではキリスト教文化圏を吸収する道がないのです。統一思想を中心として、統一教会の原理を中心として、はじめてこれがただちに連結されるのです。 これをひとつのカイン・アベルとしてみるならば、その時、西欧社会においては、キリスト教文化圏はアベル的立場において東洋を救ってあげなければならなかったのです。ここにカイン・アベルがひとつになれる文化圏、東洋・西洋の文化圏をひとつに連結させなければならない天的意義があるのです。それがなされていたならば、今日統一教会は四〇年の受難の道、四〇年という期間が必要なく、その時から勝利的に七年間経過すれば、キリスト教文化圏を消化することができたのであります。今日のいわゆる統一教会の迫害とか“ムーニー”とかさまざまな歴史の曲折を残すこともなかったでしょう。 このようにみるとき、こうした立場から生まれた先生一人を中心として、神様はどんなことがあってもこれをなしてほしいと願われるし、サタンはどんなことがあってもこれを破ろうとするこの二つの岐路に立っているのです。では、先生の側に立つことのできる人たちはどのような人たちなのか? それはアベルと天使長です。天使長圏というのは霊界全体、アベル圏としてはキリスト教文化圏であります。 そこで、キリスト教はどうだったかと言えば、神の摂理的意味を知らずに右往左往していたのです。では、霊界から命令をしてやるべきか? キリスト教自体、アベル自体がカイン圏を収拾すべき責任があります。そのような立場からすると、韓国を中心としてみるときにはそれが可能であります。アベルが韓国、つまり東洋を代表したカイン圏をコントロールするのです。 一九四五年当時、アメリカを中心としたキリスト教文化圏が、韓民族に大きな影響力をもっていました。形状的蘇生段階において、カインとアベルが民族的レベルでひとつになっていました。外的意味では、米国キリスト教を代表していた米軍がアベルの立場で、カインの立場にあった韓国を治めようとしていたのです。だから、形態からみた国家的な基準においては、カインとアベルがひとつであります。しかし、内的、宗教的な面からみれば誰がカインであるかといえば、キリスト教がカインであり、統一教会がアベルの位置にあります。これがひとつにならなければなりませんでした。ですから、キリスト教が統一教会を受け入れさえすれば、すべてが動き出すはずだったのです。キリスト教が統一教会を支持するようになれば、これは完全にひとつになるのです。わかりました? 監獄からの出発 ところが、キリスト教が統一教会に反対したのです。先生に反対したのです。反対した立場から完全にサタンの立場に立ったのです。キリスト教が統一教会に反対した時、初めは韓国政府は統一教会の側に立っていたのであります。しかし、当時サタン的になってしまっていたキリスト教会の悪らつな先生への攻撃により、統一教会反対にまわってしまったのです。それは何故かといえば、韓国政府はキリスト教会の強い影響下にあったからです。このようになることによって、共産主義が完全に浸透し、完全に定着するようになって、世界的なサタンが奮起するようになったのです。 それは国内の内的キリスト教文化圏もそうであり、外的にもそうであるので、完全にサタン圏内に入ってしまいました。こうしてあらゆるものが、先生に反対するようになったのです。キリスト教が怨讐となり、キリスト教サタン圏と共産圏サタン圏がひとつになって、それにさらにユダヤ教、全宗教を動員して打とうとし、全人類を動員して打つし、全共産主義を動員して先生一人を亡き者にしようとするのであります。それで、先生は行くところがなかったのです。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるのに、しかし、人の子には枕するところがない」と聖書に言われたその道を行くのです。 先生は本来苦難を受けるために生まれてきたのではなく、高貴な立場で生まれた人なのです。本来、歴史的な基盤が先生のために整えられていたはずなのに、それが全部破られたので、それがくずれるようになったときには、その基盤を代わりにつくることなしには生きる道がないのです。キリスト教の目的は再臨主が立つ基盤をつくることにあるにもかかわらず、キリスト教が先生に反対したので、再臨主が立つ基盤がすべてくずれてしまったのです。そのため先生は一から建て直しを始めなければならなかったのです。先生はサタン世界の絶頂にまで追いやられました。誰も味方する者もなく、立つべき地もなく、自らの基台を最低の状態から再建しなければならなかったのです。それで、先生は国を捨てて、キリスト教と血みどろな闘いをし、解放後のすべてを捨てて北韓の共産世界に入っていったのであります。監獄に入って、イエスの公生涯と同じ二年八カ月を過ごしました。その獄中でイエスが失った弟子たちを探し求めてもどってこなければならなかったのです。逆の道をたどってくるのであります。 イエスが果たせなかったことを世界的な基準に連結させて、イエス様とまったく同じ立場に立つのです。その二年八カ月の苦役の後、国連軍により解放されました。これは意味のあることで、全世界が蕩減を払い先生を守護したということになるのです。 国家的迫害を越えて 解放後、先生は南に行き、二年八カ月の蕩減路程で造った基台の上に、新しい運動、統一教会を出発するのであります。キリスト教が出発するのではありません。先生が蕩減条件を立てた瞬間から、新しいキリスト教文化圏として、キリスト教が失敗した立場を更新するための基盤造成のために出発したのが統一教会であります。十二弟子を訪ねて行って蕩減することによって、初めて南の地に入ることができ、それで神の前に弟子たちを探し出すことができるのです。イエス当時においては、獄中に向かう途中、使徒たちは皆逃げてしまったのに、先生は獄中において弟子を探したのです。逃げ散っていくのではなく、逆に最も危険な状況下で先生の所に集ってきたのです。 その時、西側世界を代表する十六カ国の国連軍が協助したので、国連軍が払った犠牲ゆえに、今日アベルの位置を得、西欧文明がアベルの立場になったのです。それで、韓国と、北韓にいた先生のために血を流したという条件のゆえに、西欧文明と自由世界は真の父母の救いを受けることができるようになりました。国連の理想は何かといえば、世界をひとつにするという神の理想に通じます。こうして、生死の境ともいうべき最低の状況から出発した先生の苦難の路程が始まったのです。それで、この過程においては個人として、サタンと神との死ぬか生きるかの闘い、また家庭を中心として死ぬか生きるかの闘い、また種族を中心とした死ぬか生きるかの闘いにおいて、世界的にこのような生死をかけた闘いをしてきたのであります。 それで、いつもその国の主権者が我々の運動を妨害しようとして、先生は常にそれらと直面してきたのです。彼らはどんな小さな条件でもそれを利用して、先生を投獄しようとしました。そのため監獄にも入りました。機会さえあれば、獄殺までもしようとしたのです。それは北韓の続きのようでした。主権者のだれもが先生の運動に反対し、つぶそうとしました。 七〇年代に入ると神の摂理は民族的基準、国家的基準となっているので先生は絶対的愛国の位置にあって、政府に最後のメッセージを送りました。しかし、拒否しました。それを受け入れていれば完全にひとつになることができたのです。それで先生はアメリカに渡ったのです。 その当時、ニクソン大統領は地に落ちていました。先生の話を聞いてニクソン大統領が追放されなかったなら、統一教会を中心としてニクソン政府、アメリカ、韓国と一連の連結をすることができ、西欧文明と国家的基準において完全にひとつとなることができたのです。しかし、ニクソンは先生を利用するだけ利用して放り出してしまおうとしたのです。先生を個人的に見たため、韓国人で何でもない一人の宣教師と思って、天命をもってきたということを知らなかったのです。そのとき、先生の話を聞いていたならば、ウォーターゲートは勝利し、そこから先生を中心として新しい連帯による新しい時代が始まるはずでした。 その次にフォードが現れましたが、彼は力量不足でした。その次の政権はカーターで、彼は闘いを挑んできました。カーターは就任するや否や先生に宣戦布告をしたのです。ここから悲惨な四年間が始まり、先生は最初から彼の行政に反対しました。先生はカーターが共産世界の道具として選ばれていたことを知っていました。彼は共産主義という神を否定する力に仕えていました。彼の任期中、マスコミ全体が先生は市民の敵であると宣伝し続けたのです。そうなると、全世界の言論界、宗教界、アメリカ全体がひとつとなってレバレンド・ムーンを打ってくるのです。先生はカーターの目標が先生をアメリカから追放し、アメリカでの影響力を消去することであることを知っていました。あって無き者にしようとしたのであります。 彼の後にくる大統領がレーガンであるとは誰も夢にも思いませんでした。神のみ心を知って、彼の地すべり的な勝利を予言したのは先生だけだったのです。今、レーガン政権を中心としてアメリカをもと返す運動をしています。先生がそうしようとしたら、神様もそうするしかないのです。 統一主義の時代 このようにみるとき、レバレンド・ムーンには、キリスト教文化圏が失ったものを探し出すことと、サタン圏内で反対しているアメリカを再び探して立てなければならないという二つの使命があります。あなたたちもそれを協助しなければなりません。まず、何をなすべきかというと、米国国家、キリスト教国家を再び復活させることです。そうすることによって、キリスト教文化圏が滅びないのであります。それからアメリカが滅びない、この二つのことをやっているのです。しかし、裁判問題を通してすべて亡きものにしようとしています。 目標は、新しいキリスト教の復興と新しい国家的蘇生であり、生き残ることのできる道なのです。その基準が第二次大戦以後に行くべき道であり、世界へ行くことのできる神の道でした。 その内容を提示したのが、先生がアメリカで行くところの歴史的路程であり、今のこの闘いであります。 そして、統一主義と神主義のみがアメリカの行くべき唯一の方向であり、それなしにアメリカには何の方向性も展望もありません。先生がカウサ運動を始めた時、人々はそれがアメリカの蘇生にあまりにも有効であることを目の当たりにしました。全世界の既成キリスト教も、統一教会に代わることができないということを人々がはっきりと知るようになる時が近づいていることをみなさんは知らなければなりません。また、全世界の思想、共産思想、民主思想をはるかに上回るものが統一思想です。このような判決が出れば、すべてが新たになってくるのです。 今まで人々は、この統一主義が果たしてそんなに大きくなるものかどうか興味津々でみていました。彼らは先生の思想を笑い草にし、我々の運動が続かないと思っていました。ところがどうでしょうか。これらのことが広まって、アメリカにおいても国家や教会の死活問題に影響力をもつことのできるような人々がカウサ運動に命がけで取り組む段階に至っているのです。今はよく考えてみると、アメリカにおいては宗教を収拾する道がなく、民主世界をも収拾することができません。経済でもっても収拾できないし、軍隊をもっても収拾できず、アメリカを生かす道がないのです。 今はそのような立場にいるので、共産主義は解答をもっていると言いながら、アメリカを引っ掛けようとしています。それで、先進国に住んでいる西欧の人々には共産世界の思想と経済を消化する道は絶対にありません。そのことが完全に明らかになって判定が下される時代がくるのです。さらにソ連や中共自体の内部をみたら、どうすることもできない混乱状態にあります。深刻な経済問題をかかえており、自由世界を消化する力はありません。地下の情報からすると二年ももたないようです。そのなかにおいて、お互いが争っているとすればなおめちゃくちゃになります。 ところが、ムーニーたちはその後で腕を組んで見ているのです。先生は「よし、裁判問題ゴー、何がおこるか見ていなさい」と言っています。今、世論が変わりつつあります。ワシントン・ポスト紙までも、レバレンド・ムーンもそんなに悪い訳ではないなどと書き出しています。ムーニーは完全に地にたたきつけられてなくなってしまったと思っていました。ムーニーはここにいるのにあまりにも大きいので、よく見えないのです。その地から信じ難い成長を遂げて、葉や幹がこんどはすべてをとり囲み始め、今や先生の影響は至る所に及んでいます。それで、世界的に連合を造って連結させなければなりません。統一教会の時代が来たことを知らなければなりません。 一人で荒野に立つ先生 そうすると韓国も、全世界に連結させている勝共、統一主義、神主義を中心にする以外に国際的につながる道はありません。今や、最後の三年期間に、韓国の地で自由世界を再創造するのです。このために、今回の韓国での勝共大会があったのです。解放後に国連がありながら、キリスト教文化圏、全自由世界を連結させえなかったことを、再度四〇年目を迎えるこの時に、統一主義を中心に世界をひとつに結んでいこうとすることなのです。わかりますか? こうして第二次大戦直後に、再臨主がこの地上にきて、神様の御旨が正常な道を行くはずであったその時代が再び訪れるのです。ひとつにさせるのにおいて、何が一番必要であるかといえば、経済力をもってしてもできないし、科学力、技術力をもってしてもできません。国際共産主義の脅威のもと、自由世界の共通の利益である勝共という唯ひとつの道を通してのみ可能なのです。それで、米国を連結し、日本を連結し、世界を連結するために韓国において、「勝共決起大会」を行なったのです。国民も国家も行く方向を知らないでいます。今回、先生は行くべき道を完全に提示しました。国民と国家に希望と方向を提示しました。先生は方向と希望をもって、国民と国家が行くべき道を提示したのであります。 それで、国民全体が「レバレンド・ムーンが帰ってくる」と言ったら、政府は勝共大会をしないように反対したのですが、完全に満場となりました。韓国政府は半分だけ協助したのです。レバレンド・ムーンと統一教会に反対したら大変なことであり、また一方、キリスト教があるので、どうすることもできず、その間に立って右往左往していたのです。 政府はこのような時には、統一教会を受け入れるべきだったのです。そうであったなら、今回の蕩減条件は必要なかったのです。 韓国自体は四〇年前、即ち解放以後にキリスト教文化圏に組みこまれました。そして、今回は西欧社会、つまりキリスト教文化圏と統一文化圏がひとつになったのであります。そこから世界へ行くことができ、生きる道が生ずるのです。 それで一九八三年に、一九八三、一九八四、一九八五年の三年を残した一年目に勝共決起大会を行なったのです。これを一年目になさなければなりません。二年目はいつもサタンの攻撃を受けるのです。アベルもそうであり、ノアの息子ハムもそうであり、イサクも、イエスもそうであり、二番目がいつもサタンの侵入を受けるのです。それゆえ、八四年度、二年目になると困るのです。いかなる冒険をしたとしても、行なわなければならなかったのです。一年目に決定的に基盤を固めておかなければなりません。二年目では考えられないほどの統一教会への迫害が来るのです。それで、生命をかけて行なう以外に道はありませんでしたから、先生は神を信じて、誰もが「やってみろ、やってみろ、成功するはずがない」と関心さえもたずに嘲笑するなかで行なったのです。 このような意味で、二週間以内に全国的に行なおうとしたのです。我々に体育館等大きな会場の使用を許可したのは、その体育館を満たそうとしても、一年間かかっても満場にすることはできないと思って、失敗するのを見て笑おうとしたからです。今回の大会においては、私だけが勝利すると確信していたのであって、ほかには誰ひとりいませんでした。何度も間違いなく勝利すると言ったのです。疑い方があまりにもひどいので、私は出発する前から「大勝利をする」と手帳に書きました。それは条件付きでありました。信じなかったからです。 大韓民国が信じ、統一教会が信じ、幹部が信じて勝利したならば、これは一大勝利としてすべての道が一度に開かれるのです。先生をみれば、全員が先生を疑って、先生を守る盾とはなっていなかったので、一人だけで荒野に立っていました。だから危険なのです。そこで、先生が指示をし、このような危険を防御する対策を立てました。サタンはすべての不信仰の条件を取って攻撃しようとしたけれども、光州の場合は十一時に始まるはずだったのに、十時半には完全に満場になってしまいました。そのため、集まった人々が会場内に入ることができなくて外に溢れ、悪党たちも入る余地がなかったのです。そのような大会でありました。 サタンはレバレンド・ムーンを攻撃することができなかったので、仕方なしに二番目の息子を打ったのです。何の話かわかりますか? そのため今回の事件があったのです。私はこの大会を終えずには帰ることができなかったため、お母さんは帰ると言ったのですが、「帰ってはならない」と言って引き留めました。そして、リトル・エンジェルス学校での最後の大会が終わるや否や、空港へ向かったのです。 「七十二使徒国家が完全にひとつになる」 それで、その間何をしたかというと、世界の碩学たち、民主世界を代表した七十二カ国の教授たちを呼んだのです。シカゴの科学者大会が終わって、まだ自分たちの家に到着もしていないのに、その内容を説明もしないで、「韓国に行きなさい」と方向を変えたのです。教授にとってクリスマス、年末のその時期は一年間で時間をとるのが一番難しい時です。それらを完全にさておいて神の命令に順応したということは、これは歴史的な事実です。サタンが讒訴することのできない事実です。それは何を意味するかといえば、先生を中心として世界の碩学者たち、知性人たち、その国が、完全にひとつとなったということであります。 民主世界圏は、統一教会の国家基盤の拡張と共に、世界に民主世界の運勢圏ができて、韓国で完全に接ぎ木されたのです。七十二使徒国家が完全にひとつとなったのであります。だから結局は解放以後に韓国が新しく独立国として出発したように、新しく出発することのできる国家基準が立ったのです。キリスト教文化圏と自由世界のすべての運勢圏を合わせて、七十二カ国の人たちが先生を証すのであって、自分たちの自慢はひとつもなかったのです。そして十二月十八日付で、この学者たちが宣誓決意文を出したのです。宣誓決意文を中心として全部がひとつとなって、主にあって「世界をひとつにしよう」と私たちの誓いの五番を決意し宣誓したのであります。 興進様の死はすべてをひとつにした では、世界がひとつになったでしょうか? なってないでしょうか? (「なりました」)。失われたキリスト教文化圏が、統一教会によって実現されたでしょうか? どうでしょうか? (「実現されました」)四十年前に失ったものを完全に復帰しなければなりません。それが、このような基準においてなされたために、今年の標語を「祖国創建」としたのであります。 あなたたちは、今まで話を聞いてそれが蕩減復帰を中心として四十年前を蕩減したことに間違いないと思いますか? 間違っているでしょうか? (「間違いありません」) 今や、この民主世界も、キリスト教世界も、共産世界も、すべてが大転換期に入って来たのです。サタンが反対し、政府が反対し、既成教会が反対し、キリスト教が不信し、統一教会が不信し、幹部が不信し、すべてが不信したのを、どこにいって痛哭するのでしょうか。先生が生命をかけてやる以外にありませんでした。先生が亡くなれば大変なことです。しかし、先生だけは信仰をもって出て行き、勝利しました。 統一教会の息子、先生の二番目の息子は世界的であります。先生の家庭において生きておられるイエス様と同じ立場なのです。だから、二番目の興進を打ったのです。この興進が亡くなることによって、どうなったかといえば、父と母をひとつにし、父母と統一教会の幹部たちをひとつにし、兄弟たちをひとつにし、統一教会をひとつにし、キリスト教をひとつにし、西欧社会をひとつにすることの条件となったのです。 病院にいる時、カトリック教会の神父も来て慰めてくれたし、すべての宗教、教授たちが皆この期間を中心として、哀悼の涙を流し、すべてがひとつになったのです。今、「神様会議」に参加している哲学者、神学者らもすべて興進を哀悼したのです。しかし、その犠牲が必要であっただろうか? どうだろうか? 仕方がなく祭物としてこのようなことが起きたのです。 すべてのものがサタンの讒訴によって分裂してしまうしかなかったのが、祭物を中心として再びひとつの方向に、涙と共に連結されたという、このような事実があることを知らなければなりません。だから、先生はできる限り涙を流さなかったのです。私は涙を流さなかったのです。 今この時は興進がこの地上に来て、歴史的な深刻な峠を越える時間なのであります。 偉大なる勝利 一九八三年、私たちは信じられないほどの犠牲により、歴史的な蕩減を支払いました。そして、一九八四年は二年目ですが、これからは希望的な時代が訪れるのであります。一体となって越えることが、統一教会に希望をもたらすことになるのです。そのために、興進様の死は他のいかなる死よりも偉大なものであります。イエス様は、ユダヤ人の激しい迫害のために死んだが、興進様は、すべてをひとつにするために亡くなったからです。 今年は、統一教会が創立から三十年になる年です。一九五四年から一九八四年、ちょうど三十年になります。これから二年八カ月ほど残っているこの間に、勝敗を決めなければなりません。 先生は、あなたたちが知らない蕩減復帰の深刻な歴史を、あなたたちが知らないうちに耐え忍び、そして、曲折の峠を亡びないで生きている先生であることを、皆さんは知らなければなりません。私が、お母様の言う通りに、“行かないで下さい”ということばに従って、韓国に行かなかったらどうなったでしょうか? 興進様は生きたかも知れないが、世界は一切の希望を失っていたことでしょう。先生も死に、一般の統一教会の信者たちも、これから先、共産党にやられる危険性があったということを知らなければなりません。そのために、先生は自由世界を代表し、すべての家庭、国家を代表し、そして、死を覚悟して立ったのです。 皆さんはこの話を聞いて、興進様が亡くなられたことが、このように価値があると思いますか? 価値がないと思いますか? (「あります」)では、価値がはっきりわかった者は手を上げてみなさい。あなたたちは、興進様の死の価値を確実に知らなければなりません。私たちの興進様は、亡くなる時まで完全な信仰を持って、偉大なる勝利を残していかれたのです。それゆえ彼が成せなかったことを私たちが成さなければなりません。あなたたちは、それを宣誓するのです。あなたたちは、一九八四年の神の日に、神と真の父母の前に決意したのですが、今、このことをはっきりと知り、そして、神の前にもう一度誓わなければなりません。(「アーメン、アーメン、アーメン」)このような歴史的意味を、あなたたちは、先生の話を聞いてはじめて知ったでしょう。もし、このことを知らなかったら、歴史的な謎として、いつまでも批評することができます。“先生の息子はなぜ死んだの?”とか、“神様のお仕事をしているのに、神様は保護しなかったではないか”とか、さまざまな曲折が世界に広まり、「神様は先生の家庭を保護しない」と決めつけ、統一教会の歴史において悲惨な記録として、人々はさまざまにいうのであります。だから、はっきりわからなければなりません。(「はい」)。それで、この話を聞いたあなたたちは幸いですよ。 神の国の総司令官として 興進様は亡くなったが、霊界に行ったのです。イエス様はこの地上に来られて霊界に行かれたのですが、真の父母とか、真の家庭、そして氏族、民族、国家を得ることなしに行かれたのです。だから、イエス様は行かれてから再び地上に来なければならなかったのです。そして、行く時、彼に従っていた数多くの人々が縦的に血を流していかなければならなかったのであります。しかし、今回興進様が行かれるにおいては、世界的な基盤を連結させ、国家的な基盤を連結させ、真の父母を中心として、地上に確かな基盤を整えて行かれたので、霊界に行かれても自由に地上に来ることができるのです。わかりますか? 霊界と地上界を自由に行き来することができるのです。イエス様は行かれてからすぐには来られなかったのです。興進様は、歴史以来の若い二世の霊たちを皆引き連れて全世界の至る所におりてくることができるのであります。 カナン復帰は二世たちがやったでしょう。それゆえ興進様や二世の霊たちもカナン復帰をするのであります。二世の霊たちを引き連れてくるので、一世の霊たちも自然についてくるようになるのです。民主世界の若者たち、ティーン・エイジャーたちは皆サタンによって犯されています。フリーセックスとか、ドラッグで病身になっているのです。しかし、この霊たちが協助することにより、統一教会に入る刷新運動が本格的に始まるのです。 それで、興進様はカナン復帰の先頭に立ったヨシュアとカレブのような使命を成すのであります。サタンは奪っていって自分は勝利したと言うが、神様はこのような復活の役事でもって、興進様を神の国の総司令官とされるのであります。天使長がアダムとエバと完全に一体となっていればサタンの侵入を受けなかったように、統一教会の皆さんの実体が霊界とひとつになり、興進様と完全にひとつとなれば、ちょうど天使長がアダムとひとつになったのと同じ結果になるのです。そうなると霊界が協助するようになります。今や全霊界が開いて新しい道が開かれたのです。 皆様も世界中の統一教会のメンバーも懇切に祈り、どうか興進様を“生かしてほしい”と願ったのでありますが、興進様が生きるかわりに統一教会はどうなり、世界はどうなり、先生はどうなるか、はっきり意味を知らなければなりません。私たちは、興進様の霊の中に生まれ変わらなければなりません。何の話かわかりますか? (「はい」)一人がそのようにして霊界に行くことによって、何千万の人たちが復活することができるので、興進様は、霊界において栄光の立場に立たざるを得ないのであります。 今日出発する前に、私たちはそのような心を持たなければなりません。米国から次は、韓国に連結されなければなりません。西欧社会の心も完全に興進様が持っていかれて、韓国と連結させるのです。縦的に横的に一つに調和させるのであります。今までの歴史時代にない神の国へと道が開かれたのであります。それだから泣いてはいけません。喜びの心で未来の希望の日を待って下さい。「私たちが実践して、あなた様が生きておられる以上の何百倍も解放の日の到来を短縮いたします」。このような心のみが、興進様を見送る者としての心持ちでなければなりません。 だから、これは歴史的な転換式であるということをあなたたちは実感できますか? (「はい」)。 今年の神の日にこういうようにして、憂鬱な悲しい顔をして大変だと言っていた人々が先生のお話をわずか一時間ほど聞いたら、みんな復活したのです。あなたたち、復活しました? どうですか? (「復活しました」)\D006「ああ事実を知ってみると、そうだったのか」ということがわかるでしょう。では、アメリカもこれからIOWCをつくって世界をまわってみましょう。アーメンですか? (「はい」)「アーメン」というのは、腹の底からですか? (「はい」)これからは死んでも死にがいがあるでしょう。(「はい」)何も惜しいことがないのです。先生のお話が事実であるならば死んでも惜しいことはありません。 先生は首を差し出してから長いのです。(先生の)個人時代においても世界的に殺そうとしたり、家庭時代においても世界的に殺そうとしたり、種族時代においても殺そうとし、民族時代においても殺そうとし、世界時代においても殺そうとしたのであります。今我々は自由世界においてナショナルレベルからワールドレベルへ上がっていくのです。アメリカに対して私たちが主体であります。ローマに対してイスラエルの主体がイエスでした。そうですか? どうですか?(「そうです」) 私たちは、「ひとつの言語と、ひとつの文化と…」という私たちの誓いの第五番目の宣誓が絶対必要であることを知らなければなりません。アーメン。(拍手) 愛勝日の宣布 今日は歴史的な日であります。皆さんは「天勝日」を知っているでしょう。八年目に愛の道に立つのです。一九七六年十月四日に「天勝日」、それから八年目で「愛勝日」が定められたのです。今まで“神様の勝利した日”はもっていましたが、“神の愛を中心として勝利した日”はもっていませんでした。愛勝日をもってはじめて間接主管圏内に入っていくことができるのです。わかりますか?(「はい」) 間接主管圏を越えて神の直接主管圏内においてはすべての主管は愛の基盤の上になされるのです。 今までは何かといえば、サタンの死亡圏が愛の領域を支配してきたし、愛の領域を蹂躙してきたのであります。(黒板に書かれる) そのために、愛をかけて、皆地獄に行くのです。フリー・セックスなどは(黒板を指しながら)ここに引っかかるのです。 しかし、この日から、愛が死亡圏を主管するのです。世界の人々は天国へと入っていきます。どれほど大きな転換式なのかわかりますか? 歴史時代に一度しかない転換式なのです。皆さんがこの時間に参席して、このお話を聞くということは驚くべき事実であります。 興進様は天の人として死亡圏を勝利したという条件を立てなければなりませんでした。 父母様が一番悲しい立場、一番悲しむ立場であるのに、体をまともにしていられないほどの立場であるのに、条件を立ててその死を越えることにより神の愛、本性の愛というより強い力に到達することによってこの世が逆転するのです。父と母が生命圏を中心として死亡圏を突破しても残るという、そのような条件を立てるのであります。 サタン世界の数多くの愛をも顧みないで神の愛にひたることのできるそのような式がなければなりません。これが今朝午前四時、先生とお母様が特別に行った儀式なのです。わかりましたか? それで一九八四年一月三日を「愛勝日」として決めたのです。 興進様も今や愛の圏内で死んだ息子として送るのであります。わかりますか? 昔、イスラエルの人々は、みな麻で死体をくるみ、イエス様の死体もそうしたでしょう。それを越えるのです。サタンが死亡圏から生きたものとして認めざるを得ない条件をもった愛の圏内の死体として、解放された霊として送るのであります。 イエス様も死体をめぐって争いがあったでしょう。興進様の場合はそういうことはありません。完全に神の圏内にいるのです。死を征服した人となるのです。わかりますか? だから、イエス・キリストが願っていた以上の、霊界と肉界に対する充分な負債が払われたと感ずるときがきたので、すべての世界史的蕩減路程が終わったことを決めて、「愛勝日」を宣布することができるという驚くべき事実を知らなければなりません。だから、この日を思う時は、興進様の精神を忘れてはなりません。わかりました? では次のことを指示します。 「祖国創建」の方案祖国創建は次のような思想をもってやらなければなりません。第一に、家庭における孝子の思想。(家庭的段階)① 父母との一体化 孝子の思想は何であるかといえば、父母とひとつになるための思想です。誰を中心としてひとつになるか? それは父母を中心としてひとつになるのです。② 父母と子女の一体化 これが孝子思想です。③ 兄弟との一体化④ 全家族の一体化 全家族といえば、義理の親族や従兄弟も含みます。⑤ 愛と責任的中心者 見せてあげるのです。愛と責任はこのようにしなければならないし、父母を愛する愛はこのようにし、父母を敬うことはこうすることであると見せてあげるのです。⑥ 歴史的最高の実行者 これから私たちが祖国創建するのにいかなる思いをもってやるかといえば、今まで歴史時代の数多くの人々が国を独立させるためになくなっております。父母のために犠牲となり、家庭のために犠牲となった人々、歴史時代におけるそれらの人々以下であってはなりません。それ以上に上がって行かなければなりません。わかりますか? だから、父母に対しては異義がありません。このようにして孝子という名をもつことによって、忠臣の立場に行くことができるのです。孝子の名をもたずしては忠臣の立場にいくことができません。人は孝子という過程をパスしなくては神の国へ行く資格がないのです。アメリカはそうでないでしょう。この世では、父母に不孝しても、愛国者として生命をかければ愛国者になりますが、神の国はそうなっていないのです。家庭で孝道をしなかったらそのような国家的基準を満たすことはできません。それが、この世とは異なる点です。今や私たちは国を創建しなければなりません。神の国を創建するために、このような過程を経なければなりません。そのために今これらのことを話したのであります。第二に忠臣の思想(国家的段階)① 国の父母と一体化 国の主権者は国の父母であります。わかりますか? その国の王はその国の何ですか? 国の父母です。今日の民主世界の国の父母は四年ごとに変わりますが、それはいいことですか? それで神の国となれますか? (笑い)どうですか? 本来は、神様を中心としてひとつとなった真の父母が家庭を成し、大きくなって国の主人となり、世界の主人となり、天と地の主人とならなければならないのです。そのようにみれば父母はただひと方なのに、孝子とならずして神の国に行くことができますか? 国を経ずしては世界に行くことができますか? 世界的になれないのに神の国に行くことができますか? それは確かでしょう? これは、この世ではそうなっていないけれど、神の国においてはそうなっているのです。「祖国創建」という言葉はそのような国を中心として使うのであります。これは原理に合いますか? (「合います」)それで、忠臣思想が一致されたなら、国の父母との一体化がなされます。② 国の父母と子女の一体化③ 国の兄弟との一体化④ 全家庭の一体化(ここでの家庭は国の家家をいいます。)⑤ 愛国思想の確立化⑥ 歴史的最高の実践者 だから、中心がひとつに合っていれば、⑤、⑥番は同じなのです。第三に聖人の思想。(世界的段階)① 世界のために一身奉献 国のために自分個人を完全に捧げること② 世界のために一家奉献 父がやっていたことを自分がやる。それを今、私たちがしようとしています。聖なる子女たちがやるのです。これまでの聖人は神様の家庭をもてなかったのです。それで、統一教会は家庭全体が出動して伝道するのです。先生はあなたたちを聖人以上にしようとするからです。そうしなくてはおかしくなります。最後の立場はホーリー・サン(聖子)であります。③ 世界のために一国奉献 大統領になっても一国を一度に捧げなければなりません。自己の国、自己の民族を犠牲にしても、世界を救い、神様を救わなければなりません。家庭の主人、父は家庭を国のために捧げなければなりません。そうしなくては、国を相続することができません。その家庭が受けることができません。わかりますか? 霊界の組織がそうなっています。すべてがその思想で連結されており、それ以外は、行くことも通ずることもできません。④ 宇宙、天宙のために世界全体の奉献 宇宙献祭。再臨主が来られたとしても、再臨主が「私に世界を出しなさい」とは言えません。地獄の解放と霊界の解放のために世界を捧げることができなければなりません。⑤ 神のために全天宙の奉献 天と地を神のために、神様の愛のために捧げることです。それで、再臨主自体が天宙を捧げると一人になってしまうのではありません。再臨主がこられて、天宙までも奉献したとしても、再臨主一人だけが残るのではありません。再臨主自らも、神様の愛のために、自身までも祭物として捧げなければなりません。“愛の生けにえ”となるのです。私の愛までもそうするから神様の愛が返ってくるのです。⑥ 愛の献祭第四に聖子の思想 地上と霊界とに通ずることのできる人とならなければ聖子になれません。聖子というのは神様の愛をもって愛そうとするのであって、愛を受けようとはしないのです。天と地に通ずることのできる愛を捧げることができて、聖子になれるのです。その後は何も必要ありません。ひとつとなったときには、奉献等必要はありません。完全に和合するのであります。①神に対して一身奉献 (神様の愛のために)② 神の愛に対して一家庭奉献 再臨主も何もないのです。再臨主自体が、聖子自体が自分の家庭も惜しくないのです。その国があればその国は勿論、その世界も勿論、自分が主管するという観念(見方)がないのです。そして、その天宙も、その次は愛の化身となるのです。自分が神様の愛に対して、愛を中心として神様が喜ばれるといつでも犠牲となれるし、何千年も何万年も犠牲になることができます。一度だけではなく何度でも続けて犠牲になれるのです。愛の祭物として、化身となっているのです。何千年、何万年祭物、愛の化身祭物となっているのです。 神の愛の細胞が一つの体に四〇〇億兆あるとしたら、四〇〇億兆の愛の主体の前に、私は四〇〇億兆の犠牲的対象となっている。何の話かわかりますか? 愛の化身祭物。そうなれば、あの世に行って私たちは有形無形の体、神様のようになれるのです。そのような国に行けばいいでしょう。自分を考える国ではないのです。自分を愛するということは絶対ありません。そこには関係がありません。わかりますか? そのような思想をもって、そのような国をつくろう。そのような国をつくるために私たちは働くのです。今年初めて、そのホーム・ランド(神の祖国)を創建しに行くのです。それを知らなければなりません。 あなたたちは孝子になりたいですか? (「はい」)何のために? 何故? 愛国者になるために。何故、愛国者になりたいのですか? 聖人になるために。何故、聖人になりたいですか? 聖子になるために。何故、なりたいですか? 神と兄弟となるために。それ以上はありません。それは何か? 愛の化身です。 形がなくとも、すべてが神様と通ずることができるようにならなければなりません。自分が神様になるのです。そのようになると、皆さんにできないことがないのです。一〇万、一〇〇万、一億の人たちも一瞬にしてバンケット(饗宴)をすることができるのです。皆さんがそのような能力で大会をするとき、神様の弟となったと思い、それはどれほど栄光なことでしょうか。 神様は縦の枝であり、私たちは横の枝であります。それが兄弟なのであります。木で言うなら、神様が縦の幹で、私たちは横の枝です。(黒板を使いながら説明) 何の話かわかりますか。花がここで咲くでしょう。神様も花が咲きますから、神様は枝が必要です。花の香りがみな愛であります。愛は枝に咲くのであって、芽には咲きません。だから神様は私たちが必要であり、私たちは神様に侍ることができるのです。 あなたたち、何故宗教を信じますか? 神様になるために宗教を信ずることを知らなければなりません。家庭において神様になれるその修練場が孝子の道であり、国の次元での修練場が愛国者たちの道であり、世界の次元で神様になるための修練場が聖人の道であり、天と地における神の修練場がホーリー・サン(聖子)の道であります。だから、神様が主体となっておりてこられて愛して下さるのです。わかりますか? 同じ現象です。そのような国をどう思いますか。そういう国、そういう世界に行きたいですか? (「はい」) ですから、口を勝手に開いてはいけません。自分のために開いてはなりません。見るのも自分のためではなく、人のために見るようになっています。口が自分のためにできたのですか? 自分のためでなく、他のためです。目が自分のためにできたのですか? 他のためにできたのです。自分のものではありません。だから、自己中心と個人主義の観点から、自分自身を実現しようとするすべての考え方は神の主義に反します。 自分が生まれて孝子の道、忠臣の道、聖人の道、聖子の道を行くのは何かというと、愛の道を残しておくためです。だから、愛国者が別にいるのではなく、自分が愛国者になり、聖人が別にいるのではなく、自分が聖人となるのであり、その次にホーリー・サンがいるとしたら、それは自分がなり、神様が別にいるのではなく、自分が神様になるのです。 愛は父母の愛から、私たち人間は父母の愛から生まれてくるでしょう。それが家庭において、また父母の愛を中心として、国の愛を中心として大きくなっていくだけです。(黒板を使いながら)すべてこの愛の部分(黒板を示しながら)は同じなのです。 生まれるとき、あなたたちは父と母の愛の中から生まれたでしょう。そのために、国を愛さなければならないし、その地方の木々のひとつひとつを愛さなければなりません。それはすべて国の父母の相対であります。わかりますか? (「はい」)このような愛の思想をもっていかなければ、祖国創建はできないのです。祖国創建とは関係がなくなります。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.11
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「祖国創建」1984年1月1日 午前零時先生のお祈り 愛するお父様! 一九八三年をただいま送り、一九八四年の新しい年を迎えました。この年に、天の祝福がこの地に臨むことをお願い致します。 新しい年を受け継ぐこの歴史的、天宙的な因縁が、この瞬間に天から地を通って、すべての統一教会の群れを中心として、すべての宗教と人類に神の恵みとして連結できるように許諾してください。そして、あなた様が中心となった一つの心情を中心として、一つの家庭、一つの氏族、一つの民族、一つの国家、一つの世界へと延びていくようにしてください。 お父様! 今この時間、民主世界も共産世界も、最後の頂上に立って、自分の位置を取ることができず、お互いが混乱状態に陥っています。民主世界を代表したアメリカがそうであり、共産世界を代表したソ連がそうであります。民主世界内において、あなたが立てようとされるアダム国家、エバ国家、アベル国家、カイン国家を中心としてみる時、これらすべての国家の事情も、今日頂上に処しています。民主世界を代表したアメリカと、共産世界を代表したソ連が処している立場とつり合っている時点に立っております。この時代における世界のすべての成約聖徒を中心として、米国のみ旨と日本のみ旨と韓国のみ旨を連結させて、新しい反共という体制を強化させ(韓国の)世界的な新しい基点を整え、新しい世界へと飛躍することのできる、基台を作ってくださった神様の恵みの前に感謝致します。 これから統一教会が動くことによって、世界の運命が左右されるという事実を知っておりますゆえ、行く道を祝福され、万福がのぞみ、六千年間積もり積もった恨みを解き、歴史をくつがえしながら、勝利してきた今日までを讃美することのできる条件を立てて、讃美することができるように許諾してくださることを切にお願い致します。 ユダヤ教を通し、キリスト教を通し、統一教会にまで、堕落した摂理歴史に手を広げ、どれほどの受難の道を歩んできたことでしょうか。多くの蕩減をはらってきた数多くの人たちが、神のみ旨に従いながら、知らない中において生命まで捧げて、血みどろな歴史を残しておりますので、このすべての血の功労が今日結実して統一教会を中心としての世界的な解恨を成すことのできる時点と、転換点を迎えることのできる一九八四年を迎えましたので、お父様、今や天の全権を現してください。今まで踏まれた者たちが自らの姿勢をみて天を敬い、追われる者たちが自ら権威を整え天を讃美することのできる日が訪れてきたことを知っております。統一の群れは今まで歴史時代において追われる者たちでありました。数多くの国家の前に、数多くの民族の前に、数多くの家庭と個人の前に、今まで追われてきましたが、今や夕陽の道は過ぎ、朝の光明が統一教会を中心として昇るようになり、世界が今や統一教会の光を見つめる時が来ましたので、新しい世界の光明を迎える八四年になることができますように、許諾してくださることを切にお願い致します。 追われていた者たちが自ら襟を正し、時に対して自らお父様の前に感謝する時代が訪れて来ましたので、迎え入れることができるようにしてくださいますよう切にお願い致します。 このような時点において、一つの祭物の中心となった息子を通して、勝利の天国を成すことのできる一つの契機となさしめてくださることを切にお願い致します。そうすることによってすべての宗教が一つとなり、すべての国が一つとなり、神様を中心とした心情圏に一致することができるよう全体、全権、全能を通したお父様の役事が天から地へと臨むことを切にお願い致します。 これからは、統一教会を中心として、国を代表し、強く大担にならなければならない時になりました。決断をし、正義の一つの画期的な道を開かなければならない最後の時となってくるので、このような問題を中心として、自ら強い体制をもって、天に向かってカナン復帰をしなければならない真っ直ぐの道を前進することのできる統一の群れとなることができますよう、許諾してくださることを切にお願い致します。 今年のすべてのことを新たに祝福し、この年が勝利の年となることができますよう、許諾してくださいまして、法廷問題を中心としたサタンと神の闘いから、すべてが新しい帰結を成すことによって、お父様の前に祝賀を帰す一九八四年となることができますよう許諾してください。そしてまた、協会の創設から三十年を迎える年でもありますので、三十数を中心として勝利の国家の出発をイエス時代の三年公生涯のような期間に成すことができますように、祝福してくださいますことを、切にお願い致します。 ここに集まって祈っているすべての子女たちが一律にその心の決意を新たにすることができますようにしてください。また、新しい世界の創建のために、天の国の兵隊として出兵を誓うことのできる、各自の内的決意、外的決意を誓うことのできるこの時間となることができますように切にお願い致します。 昨年一年間のすべての悲しかった事実、未完成であったことが、今年一年においては勝利の結果として集め、お父様の前に納めることのできるこの一年となることができますように、許諾してください。 今年こそ、すべての決定的な一つの画期的な道を開いて、天の転換点であり、世界と宇宙の転換点となることができますように、今年を勝利の年として、勝利の年として、勝利の年として、導いてくださいますように切にお願い申し上げます。 すべての恵みと愛が、新しい元旦の光明と共に万国に拡大されていくことを切に切にお願い申し上げながら、すべての祈りを真の父母の名によって祝願致します。アーメン。アーメン。アーメン。---------- これから少しお話しましょうか? まず標語を書きましょう。(黒板に書かれる) 祖国創建。(拍手) 新年を迎えて、皆さんがより多くの恵みを受けることを再三お願い致します。 今年は皆さんが新しい角度の努力を多くしなければならない時であると思います。今のこの時は新しい転換の時機です。米国を中心として連結されているこの自由世界も、新しい面へと転換しなければならない時点を迎えております。勿論国家もそうですが、国家の内的、精神的な支柱となってきた宗教も新しい転換をしなければならない時代が来たのです。では宗教および自由世界、特に米国はどこに向かっているのでしょうか。 民主主義世界が理想であると思ってついて来たのですが、今やこれをもっては行き詰まって来ています。宗教も同じように絶対的な信仰を中心としてきたのですが、行こうとしても行くことができず、また戻ろうとしても戻ることもできないで、自ら混乱した立場に処するようになってきたのです。このようにみる時、宗教が民主世界に従っていかなければならないか、民主世界が宗教の世界に従っていくか、それとも一つとなっていくか、これが問題なのです。 宗教を中心として(考えてみると)、宗教が路地に入ってしまったので、(民主世界は)どちらに行けば良いかということになります。たとえ宗教が行き詰まっているとしても、民主世界が宗教を引っ張って行くことができれば別なのですが、そうも言えないのです。 米国の国民はキリスト教国民であり、米国は民主主義の代表国家なのです。しかし米国人一人一人をみる時、その一人一人がどこに立っているかということを聞かれると、わからないと答えるのです。民主主義にも立っていないし、キリスト教にも立っていないし、今後どこに行くべきかもわからないのです。これは青少年だけではなく、壮年もそうであり、老年も同様なのです。これが問題です。本来なら、老いた人たちがいて、伝統を残して、民主主義はこうであり、キリスト教はこうであり、宗教、思想とはこうであるのでと、今後の世界が行くべき未来像を紹介するのに、(その)余裕もなく、残されているもの(伝統)がないのです。基台を残しておく舞台がないのです。 このような実情の中において神様がいるとしたら、あるいは国を愛する人、真に国を愛し、神のみ旨とか、人類を思う人がいるとしたら、神様と人が別々になることはできない時、だという結論を下さなければならない段階に入ってきているのです。またもし何らかの解決の道があるとしたら、宗教もそれを願うでしょうし、今日の米国の国民全体が願うでしょうし、勿論志をもっている愛国者たちは特にそう願うことでしょう。 このような実情の中でも、共産主義は世界的な独裁体制の全体主義国家ではあるが、それでも世界に向かって進んでおり、提示しており、このようなことをみる時、思想的な主張においては、共産主義にも魅惑を感じざるを得ないのです。そして彼らが操縦することによって、米国や全世界が右往左往するのをみる時、若者たちがあの(共産主義)世界は素敵だと感じる時代なのです。共産主義は、民主主義を制御し、またキリスト教を制御して、ユートピアの世界に入って行くというのですが、米国や民主世界は、それができないのです。そのため民主世界は危機一発の直前にきてしまっているということを知らなければなりません。 次に、この共産世界をみると、共産世界は今まで、先頭に立って来たが、ソ連自体内においては、奇異なる現象が起きているのです。彼らが主張するユートピアは神のない中で、人間を中心として、物質を中心としたユートピアが実現できるというのですが。 神様が存在するとしたら、この共産世界をそのままにしておくことはできないのです。では神様が共産主義世界を滅ぼそうとしたらどうするでしょうか。自由世界が強くなって、すべての(世界)を指導する勢力基盤をもっていれば良いのですが、今はその勢力の基盤が奪われてしまっているのです。そこでもし神様が民主世界におられるとしたら、民主世界に新しい運動を準備せざるを得ないのです。では神様が滅びてゆく民主世界を防御するために、何を中心にして行うかということが問題なのです。どのような人を中心として、新しくこれを再建し、再度出発する準備をするでしょうか。 この民主世界で神の前に再度選ばれることのできる方はいかなる方であるかといえば、それはお金を持った人たちでしょうか。(いいえ)。お金を持った人ではありません。お金持ちは、お金をもって民主主義を興し、民主主義をこのように滅びるようにしてしまったのです。では権力をもった人でしょうか。そうでもありません。では現代の学者たちでしょうか。(いいえ)。彼らは皆神を見失い、宗教を滅ぼしたのです。その結果、米国はどのようになったかといえば、個人主義の国となってしまったのです。個人主義になったのです。神様が願っておられるのは何かといえば、この反対の立場において再び準備することのできる群れを動員せざるを得ないという結論に到達致します。 個人主義の米国ばかりではなく、世界のために、天と地のために、そのような人がいれば、神様は(その人を)選ぶでしょう。その次にはお金のために売られていく人ではなく、また権力も蹴飛ばして、すべてを否定して正義に立脚して新しい世界を作り、世界を新しく再建しようという思想に燃える若者を要求することでしょう。この米国の若者たちは、ヒッピーやイッピーやそのような種類の人になったので、彼らには神様がいないのです。それに反して、この反対の立場において“神様が絶対にいる。世界を一つにしなければならない。民主世界以上にならなければならない”という群れが出なければなりません。その群れは、ムーニー以外にはありません。(拍手) このムーニーは、ただそのまま座っているのではなく、民主世界の腐敗したものをすべて打ち砕いて清算し、すべてを革新するために、ひたすら全国を飛び回って、一つにしようとするのです。それを神様がご覧になる時、気持ちが良いでしょうか。どうでしょうか。(良いです)。サタン世界においては怨讐であった人たちがムーニーの若者となって一つになり、世界を救おうとして一つに団結しているのを見る時、神様は気持ちが良いでしょうか、悪い気持ちでしょうか。(良いです)。あなた方が神様になって考えてみなさい。気持ちが良いですか。悪いですか。麻薬を飲むことを神様は好むでしょうか。(いいえ)。ムーニーはどう思いますか。良いですか。悪いですか。またフリー・セックスはどうですか。(悪いです)。 この世の人たちは自分の悪口を言われると死ぬほど厭がるのに、私たちは自分の悪口を言われるのは普通で、他の人のために悪口を言われたとしても普通です。悪口を言われることよりも世界を救うことがなお忙しいのです。世界に向かって行こうとするのです。 ではムーニーは、種類が米国人種、韓国人種、日本人種、ドイツ人種、世界のそれぞれの人々の種類が、異なっていますか。(はい、いいえ)。皆さんは同じムーニーですね。(はい)。白人も黄色人も黒人も同じムーニーなのです。(はい)。ここに短い紐があってそれをつないでいく時、黄色いムーニーと白いムーニーを結び、白いムーニーと黒いムーニーをつなぐ時、白いムーニーが思うのに、黄色いムーニーは少しいいが、黒いムーニーは厭だ、私は白いムーニー同士でつながればいい、そう言いますか? 白いムーニーは白いもの同士をつなごうとするし、黄色いムーニーは黄色い同士で、黒いムーニーは黒い同士でつなごうとする習慣があり得るのですか。(はい、いいえ)。どちらですか。では神様が見た場合に、ムーニーが三つつながっている、それを見て気持ちが良いですか、悪いですか? (良いです)。 このような論理的結論によって、レバレンド・ムーンは仕方なく混ぜ合わせて、つながなくてはならない、と命令せざるを得ないのです。 ではこの紐をつなぐのに、神様はどのような紐を一番好むでしょうか。ロープを好むでしょうか。それとも鎖を好むでしょうか。お金の紐を好むでしょうか。権力の紐でしょうか。愛の紐を好むでしょう。これが問題なのです。(愛のロープです)。それは何かと言えば、そこには自分たちで勝手に結婚するのではなく、黄色人たち同志ではなく、白人たちも自分たち同志ではなく、色とりどりに結婚しなければなりません。これで愛のロープが素晴らしいということになります。 では、なぜそうしなければならないかと言えば一つの種子となるためです。色とりどりだとしても一種子にならなければなりません。米国はそうでしょう。白人の中からも黒人が出るし黄色人種も出るし、先祖にそのような人がいれば遺伝法則によって生ずることもあります。しかし自由世界、民主世界の人たちはこのようなロープが神様の愛のロープだと思えば、そのような道に行こうとするはずですが、民主世界の白人たちはどうですか? 先進国家の白人たち。ムーニー以外の白人たちはどうですか。(逆らっています)。逆らったらどうなるのですか。逆らう人たちは滅びなければなりません。そのため白人の世界は、それ自体今滅びつつある世界ですから、子供を生み殖やさないで、だんだんちぢんでしまっているのです。我々はどうですか。ムーニーが双子を生む時、一人は黒人で一人は黄色人を生めばいいですね。その白人の女性はどれほど素晴らしいことでしょう。三人種が一度に一つになったら、それはどれほど素晴らしいことでしょうか! 神様がみた時、「あの気違い女はやってはならないことをやった」と言いますか? 白人の女性が黒人と黄色人を生んで、ひざの上でお乳を飲ませるのを神様が見た時、「この女め、滅んでしまえ」と言いますか。「ああ立派だ。感謝する」と言うでしょうか。(笑い) 皆さん(たとえば)黄色い花に黄色い蝶だけが飛んで来たら面白くないでしょう。白い蝶も黒い蝶も飛んで来ることが素晴らしいことです。どうですか。それが自然の美というものです。先生はそう思いますよ。皆さんはどうですか。 では共産世界はどうでしょうか。共産世界はそういう面においては民主世界よりはいいのです。共産世界においては、労働者、農民が解放主権といって、悲惨な人たちを英雄視するのをみると、民主世界とは方向が異なるのです。そのため、もし神様がいるとしたら、民主世界が滅びるとしても共産世界を残すでしょう。それが問題なのです。そして(共産世界の方が)、民主世界よりも秀れているのです。それなのに「神がいない」と言うのが問題なのです。ですから神様が共産世界から何を奪ってくるかといえば、共産主義の理論を奪ってくるのではなくむしろその反対の理論を指示しなければならないし、共産党に対しては、二世たちを奪ってくればいいのです。二世です。それで、共産党の一番骨髄の者たちの子女が自分たちの父親がやっていることが間違っていて、自分が主張している共産主義が間違っているというような反対の運動と共に、新しい民主世界での新しい世界主義が起こりそれが世界共産主義よりも秀れた主義であれば、直ちに飛び込んでいくというそのような運動が自然に起こってくるのです。民主世界も、(青年たちが)家庭を飛び出してしまっているが、共産世界も(青年たちが)家庭を飛び出してしまうのです。しかし民主世界において家庭を飛び出しても、それは神様を求めてでありますが、共産世界では家庭を飛び出しても神様を求める道がないのです。(それゆえ)世界のそのような若者たちが集って、世界を一つにし、平和な世界をつくる運動があるとしたら、ガソリンに火がついたように広がることでしょう。たとえ自由世界の中で人々が反対したとしても、理想を求める青年たちはその運動に引きつけられてゆくでしょうし、共産世界においても、その体制を支える人々がたとえ反対しても、理想を追求する青年たちは引きつけられてゆくでしょう。このようにして、自由、共産のどちら側においても理想を求める青年たちは、その運動に加わるようになるのです。そのような運動こそ統一運動です。統一運動は共産主義の青年たちにも影響を与えつつあります。 このように民主主義のムーニーという群れが出て来て、共産党を打つのです。(彼らは)自分の父母が間違っていると言って打ちたいのですが、(ムーニーが)代わりに打ってくれるので、二世たちは、統一教会とムーニズムが何であるかを研究せざるを得なくなるのです。自分たちの主義よりも悪ければなげすててしまうのですが、知ってみて、さらに素晴らしいと思った時には飛びついてくるのです。現在のソ連においては、米国と同じように政治的路線において混乱が起きているのです。道徳的混乱ではなく、政治的混乱が起きているのです。ですから、このムーニーが世界的な運動として登場する時には、自由世界の若者たちが再度糾合するであろうし、共産世界の若者たちも糾合することのできる可能性が濃いのです。そしてその可能性は絶対的なのです。 では、ムーニーは何をすべきでしょうか。ムーニーはレバレンド・ムーンのみ旨を成そうとするのですか。神様のみ旨を成そうとするのですか。(神様のみ旨です)。では、レバレンド・ムーンは何をする人ですか。(レバレンド・ムーンも)神のみ旨を成就しようとしているのです。では皆さんはどうですか。(同じです)。ですから先生が機関車であればあなた方は車輛です。共同運命なのです。共同運命なのです。(機関車)がトンネルの中に入って行くのに、「ああ煙が入ってくるから、私は行きたくない」とか、橋を渡らなければならないのに、今にも崩れてしまうかも知れないような橋を渡っていくのが当然であるのに「嫌だ」と言ってストップすることができますか。 田舎の人たちもどうですか。シュッ、シュッ、ポッポ、と音が鳴ると、それを見て喜びますか。そうでないことを願うのです。小さいシュッ、ポッポ、を喜びます。ムーニーは音が大きいです。シュッシュッ、ポッポ。ここからここまで行こうと言った時には異議はないのですが、回ろうとしたら、「私はこの方向に行きます」ということはいけないのです。北極を回って行こうとしたら回って、回って、回って行くのです。そこでは機関車と車輛があるとしたら「私は行きたくない」と言う車輛になりますか。それとも惰力でもって押し出す車輛になりたいですか。(後者です)。それはどうもありがとう。(笑い) では我々はワシントンを出発してから、シュッシュッ、ポッポ、どこへ行きますか。(モスクワです)。そうです。(先生が黒板に“Must go”と書かれる)。(拍手) 我々がモスコーに行って、若者たちが今まで共産治下で呻吟し、苦痛を受けている人たちを解放してあげたらどれほど素晴らしいでしょうか。どうでしょうか? その考えは良い考えですか、悪い考えですか? (良い考えです)。先生は知りませんよ。(笑い) 皆さんが良く知っているはずです。 では、(皆さんは)何をしようというのでしょうか。米国の人だけを解放しようとするのですか。白人だけ解放しようとするのですか、黒人だけ解放しようとするのですか。それとも世界万民を解放しようとするのですか。(すべての人々です)。ではすべての人を解放して何をするのですか。民主世界の国民にするのですか。何をしますか? 神様の民をつくるのです。神様の民です。 神様の民とは、民主世界を勝利し、共産世界を勝利して、二つが一つとなって、神様のみを絶対視する立場に立ち、神様の愛と連結された神様の子女となった民のことです。神様はそうおっしゃるのです。(拍手) 私たちの行くべき終着点はどこでしょうか。その終着点はワシントンでもなく、モスクワでもなく、神の国なのです。では神の国とはどのような所でしょうか。(素敵な所です)。素敵な所であることは誰でも知っています。どのような意味で素敵な所なのでしょうか。(理想的な所だからです)。素敵な理想的な所ですか? (笑い) 答えは簡単です。神の国とは、神様の強力な愛が占めている地です。(拍手) そのような素晴らしい所であるために、我々がそこに行って着陸しようとすれば、靴も真の愛の靴にならなければならないし、衣服も真の愛の衣服にならなければならないし、体もそうでなければならないし、すべてが真でなければならないのです。 そこで生きる人を、神様は「目を見ても美しいし、口も鼻もみな美しいし、白髪一つ見ても美しい」と言うのです。(笑い) (拍手) このようにして、私たちが行くべき最後の目的地はどこであるかを知りました。真の愛が定着することのできる所です。わかりましたね。 米国の人たちの終着地は米国ですか。(いいえ)。ではきょう先生が話したそのような地が、堕落したこの地球上に一度たりともあったと思いますか。そのような地が一度でも歴史上において生じたと思いますか? (いいえ)。ですからこの現実は)、民主世界の人を克服し、共産世界の人を克服し、越えて行かなければならないのです。そのような主義、主張をもっている群れが、そのような運動をしている団体が、世界中においてムーニーを除いて他にありますか。(ありません)。ではムーニーが一番好きですか。(はい)。一番好きなのにどうして(みんなが)騒ぐのですか? ムーニーの鑑定者は地上にはいません。地上のどの人を見ても、鑑定する能力はありません。どれほど複雑で、どれほど細密か、鑑定できないのです。ただ一人だけ神様のみが鑑定できるのです。神様が眼鏡をかけてこの地上を見るとしたら、ムーニーしか見えないのであって、その他は何も見えないのです。偽のムーニーではなく、真のムーニーです。では皆さんは真のムーニーですか?どうですか? (はい)。ムーニーになろうとしているのでしょう。(笑い) なぜ笑うのですか。自信がないということですか。それではレバレント・ムーンは、偽のムーニーですか。真のムーニーですか。(真のムーニーです)。(拍手と笑い) 皆さん、真のムーニーというのは何かというと強力な磁石です。ですから真のムーニーが北極に行くと、偽のムーニーは南極に来るのです。それで先生が真の磁石であるとしたら、ムーニーたちは真の磁石になるために先生を好きでなければならないという結論が出るのです。(ご自分を指しながら)ここに引っ着きたいですか。ここですか。正面に目があって、ここに着きたいですか。どこに着きたいですか。 ムーニーは先生に対して、このように着いている者もいるし、(ご自分の体を指しながら)顔はあちらに行って、尾だけが着いたり、尾が足についたり、ある者はこちらに着いた者もいるし、さまざまに着いているのです。(笑い) 一番恐ろしいのは正面に着くことです。そういう人は多くはいません。どこに着いたら良いでしょうか。(正面です)。わかっていますね。それは容易なことではありません。今、大体左に着いているのか、右に着いているのか、それさえもわからないのです。それで尾だけを着けておいて、自分勝手にやっているのです。(しかし)自分勝手になるはずがないのです。樹に例えて言うならば、根であるとしたら幹に着いて、枝に着いて、葉に着いていかなければならないのに、それが反対に嫌だと言って、枝は枝を嫌って、幹は幹で嫌がってはどうにもなりません。(皆さんは)前に立つことができなければ、後ろから真っ直ぐに着いて来なさい。正面に着けば抱いてでも行けるのですが、これは難しいことです。(先生がその様子を示す)。逆に行ったとしても正しく行けるのです。(先生の笑い) そうなっているのです。 ですから、生きている間にそこへ行くパスポートを貰わなければなりません。神様の地に行くことのできる資格者のパスポートをいかに貰うか。これが重要な問題なのです。試験があるので勉強をしなければなりません。(私は)パスポートはいらないので、卒業証書をください。そういう法はありません。仕方がなく国境を越える時には、絶対に必要なものなので貰わずにはいられません。いかなる難しいことでもしなければなりません。 それで(皆さんは)何をしようとするのですか。神様に対する愛を中心として、神様を受け入れることのできる、神様を中心として一つとなることのできる子女をつくり、子女となることです。 いよいよ本当に最後の日が来ました。民主世界も最後の日であり、共産世界も最後の日ですが、統一教会ではこれからが出発なのです。(拍手) 裁判問題、その他多くの問題がありますが、今がその頂上です。一足踏み越えることができれば、すべてを越えて行くことができます。裁判問題にはユダヤ教も入るし、キリスト教も入るし、民主世界も入るし、共産党すべてが合同してこの問題にかかわるのです。それでムーニーを打つのですが、ムーニーは死なないで、益々大きくなるのです。今や米国の国民もよく見てみると、レバレンド・ムーンが良いし“レバレンド・ムーンのようになりたいな”と思い、私たちが悪かったと感ずるようになってきたのです。それで『ナショナル・レビュー』が先生を支持し、極左翼と言われる『ワシントン・ポスト』も支持しているのです。中間層は言うまでもありません。(拍手と歓声) その中間でじっと見てみると、こちらでもあちらでもレバレンド・ムーンが偉いと言うのです。その中間にいるのが米国の国民なのです。 昔は、ムーニーと言えば、(先生しぐさで表現される) (笑い) しかし、変化してきたのです。見上げてみなければならないのに、良いところは良いのですが。(先生しぐさで表現される) (笑い) そうだと思いますか。そうでないと思いますか。どうでしょうか?(はい)。(今は)世界的な転換が成されています。ムーニーが転換するということは、レバレンド・ムーンが米国でそのように変わるということは、世界的な転換点を言うのです。世界的です。米国的ではなく、一国家的ではなく世界的なのです。わかりますか。今がそのような時なのです。 民主世界のアダム国家・エバ国家・アベル国家・カイン国家は、韓国と日本と米国とドイツが同様なのです。(そこでは)現在全く同じような現象が起きています。韓国もムーニーを打とうとし、日本もムーニーを好まないし、米国も好まないし、ドイツも好まないのですが、今回、韓国においても、日本においても、米国においても、ドイツにおいてもムーニーが一度にワッ!と驚く時に入ってきているのです。 一九八四年、統一教会の創立三十周年が真にこの時なのです。イエス様は三十歳の時に家庭的出発をしましたが、私たちは家庭ではなく、民族的出発を中心として国家に向かうのです。そのようにして三十歳の年に団体基準を中心とするようになったのです。そのような民族的基準を中心として、国家に向かうことのできる世界的な時代に入ってきたということを知らなければなりません。 統一教会においては、五色の人種が(神を中心として)一つの民族となることができたのです。(拍手) 神を中心として皆さんの思いも異なるし、感じることがすべて異なるのに、これまでの歴史上、全く新しい時代を画するものです。皆さんはバターやチーズが好きでしたが、コチジャンやドエンジャンを好むようになるでしょう。そのように異なってきたのです。異なるのです。 米国教会は椅子ではなく、なぜ床の上に座っているのですか。皆さんの椅子はどこにありますか。これは明らかにアメリカ式のやり方ではありません。では何ですか? 東洋式でもありません。神の人種の様式です。神の人種は何をすべきですか。神の人種とは神の国のためにあります。神の国をもつことによって、神の世界をもつことができるのです。神の国がなければなりません。では神の国は二つですか。一つですか。(絶対に一つです)。皆さんはまだ自分の国に対する誇りを持っていますね。英国の者、ドイツの者、日本の者、そのような複雑な観念があるでしょう。あなたたちが皆統一教会の群れであれば、英国人であり、ドイツ人であり、日本人であり、私は一等国民として、先進国民としてといった考えをもってはなりません。(拍手) では皆さんはどうしますか? 統一人種を通して天国に行きますか、統一国家を通して天国に行きますか。それとも何を通して天国へ行こうとするのですか? (世界です)。欲張りですね。世界に行く前に国がなければならないし、国がある前に民族がなければならないのです。民族がなければならないのです。今は(一つの)人種になっていないので、国家をもっていません。では、この国とは世界万民共同の理想の国であるために、国境を超越し、民族を超越し、人種を超越して糾合された一つの国であり、神様が願う地上の天国なのです。 ですからこれからは、国を創建するのです。万民が一つの国を通して一つの世界、それから一つの天宙を創りましょう。それが私たちの行くべき道です。 私たちの行くべき道は遠いのです。国もないし、世界もないし、天宙もないのです。そこへ行かなければなりません。国がなければ悲惨です。ベトナムの難民の『ボート・ピープル』を知っているでしょう。定着(するところ)がないのです。ムーニーはどこに定着すべきですか? 昨年は定着でありました。(年頭標語)は『ホーム・チャーチは私たちの定着地』でした。それはどこですか。どこですか。モスクワに行って定着すれば、一番頂上になるので、モスクワを定着地にしようと思います。そのためには、世界的な問題をすべて克服しなければならないというのです。そのためにはまた世界の問題をすべて消化しなければなりません。 祖国創建の「創建」という言葉は、創って建てることです。それなのにじっとしていてできるでしょうか。そのために、これからは皆さんの横的基台を強化しなければなりません。横的基台が一つにならなければなりません。そうしながら天国へ出発するために、四大怨讐国家が一つにならなければなりません。アダム国家とエバ国家も怨讐国家であり、アベルとカインも怨讐であり、父と子も全部怨讐なのです。この怨讐たちが一つにならなければなりません。それでは何が一つにしますか。それは神様の愛以外にありません。それでは、如何にしてそのような怨讐が一つになれるのでしょうか。それぞれの怨讐が行くべき所は祖国であり、祖国が必要であります。 ではこの祖国はどこになれば良いでしょうか。米国人は米国になれば良いと思うし、イスラエル人はイスラエル、日本人は日本になれば良いと言います。世界の数百か国家が自分の国を中心としたら良いと思うでしょう。どうしたら良いでしょうか。それは誰が決定すれば良いのでしょうか。民主主義式で選定する方法と、指名式で選出する方法とあります。どうしたら良いでしょうか。誰が選出したら良いですか。(神様です)。神様が決定するとしたら、神様自体を選挙をして推薦することができますか。できませんか。(できません)。 では、来たるべき再臨主がおられたらどうでしょうか。自由世界が再臨主を選択したので、あなたの愛する息子として受け取ってくださいと言ったら受けるでしょうか。受けないでしょうか。神様は指名的であるでしょうか。どうでしょうか。このようにみる時、統一教会で言う真の父母という言葉は何ですか。それは神様の愛が初めて人間の中に定着した基点です。これを知らなければなりません。 それでは、真の父母がレバレント・ムーンであるとしたら、レバレント・ムーンが米国に来てから真の父母になったのですか。それともいつ真の父母となったのでしょうか。どこで? (韓国です)。何? 韓国を誰がわかってくれるのですか。わかってくれても、わかってくれなくとも、砂漠であろうとも樹の枝であろうとも岩であろうとも、神様の初めての愛が注がれて、定着した所が世界中において一番貴いのです。 米国において一番重要な都市はどこですか。米国という名をもったこの国が一番重要視しているのは、都市の中でどの都市なのですか。(さまざまな答え) どこですか? (プリマスです)。プリマスは(ピルグリム・ファーザーたちが)上陸した場所でありますが、アメリカの主権が初めて定着したところで、どこですか? (フィラデルフィアです)。そうフィラデルフィアです。フィラデルフィアのどこですか。(インデペンデント・ホールです)。インデペデント・ホールですか。そこには何がかかっていますか。(鐘です)。何の鐘ですか。(自由の鐘です)。その自由の鐘は壊れてみすぼらしかったのです。(笑い) しかしいくら壊れたとしても、その家がいくらみすぼらしくともそれがセンターです。それでこの地において、サタンと神様が激しく争奪戦をしているのです。 この世界で神とサタンとの闘いが最も劇的に示されているのは、分断国家です。韓国は南北に、ドイツは東西に分断されています。(先生が黒板に書かれる)共産主義問題は、南北の韓国が統一することと、東独西独が統一されればすべて解決されます。そうですかどうですか。(はい、そうです)。ところが(ここで)一番問題が難しいことは、共産国家の最も大きいソ連、中共が(黒板をさしながら)韓国を東独よりも西独よりも問題にしていることです。そして日本を中心として、太平洋を中心として米国を打とうとするのです。それで今回韓国に行って急遽南北を統一することのできる基地をつくりました。このようにして、米国と日本と全世界の運勢を引きよせて、韓国に結んでおいたのです。(拍手) そして今回本当に面白いことには、イスラエルの上層階級の人が先生の所に来て、国家を動かすことのできる仕事を頼みました。米国の今後将来の運命をかけた運動をやっているそのような人たちが先生と一つとなって世界の問題を解決しようとする、そのような基盤ができあがったのであり、その基盤の上に韓国があるのです。(それが)第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルです。(拍手) そうしながら全世界の知識人、全世界七十二カ国のアカデミーの碩学たちを集めて、世界の運勢を接ぎ木するのです。昔、『六・二五動乱』においては、十六国家と国連が韓国の独立のために戦いましたが、独立をさせることができませんでした。これからは、全世界の自由世界の人々が一つになって、独立成就に総結集して、これを協助せざるを得ない世界的な時代へと入ってくるのです。韓国に行って七十二カ国が反共という命題の前に宣誓決意文を成したことは、歴史的な事件なのです。(拍手) 今度韓国(政府)がびっくりしたことは、約二週間内に講演を全部終えたことです。そして国民が完全に一つの所へ流れるようになったことです。 今回、本当に不思議なことといえば、光州の最後の日、丁度その時間に、興進様の事故が起きたのです。韓国政府が一番嫌っている光州、その光州が先生の講演を一番歓迎したのです。約五千名が外で零下十度にもなるのに、講演を聞いていました。サタンの入る少しのすきまもなかったのです。サタンは光州で攻撃することのできる基盤を完全に失ったので、アベル的基準に立っている興進様を打つほかなかったのです。 地下活動の共産党たちが暴力事件を起こしてでも、どんなことがあっても、レバレンド・ムーンをやっつけてしまおうという計画があったのです。先生のために祈っていた霊能者たちは皆、「光州では気をつけなければなりません。光州へは行かない方がよいです」と警告をしていたのです。しかし先生はあえて光州へ行き、そこで大勝利を収めました。このためサタンは先生を打つことはできなかったのです。そこで、先生の身代わりとして興進様を打ったのです。興進様は先生の家庭において、次男としてのアベルの立場にありました。実際、興進様はとても従順で素直で親孝行で、いつも親を慰めてくれる模範的な子供で、「皆は光州のため集中祈祷をしなさい」と指示をしました。これからはこのように父母の前に一番孝行をし、このようにして父母を迎えなければなりません。 イスラエル民族は、祭物を中心として国家の危機や、受難において、神様と一つになるための象徴としての祭物を捧げたのです。今朝先生が、何の式を行ったかといえば、統一教会の父母が一つになり、兄弟が一つになり、統一教会が一つになり、第一、第二、第三イスラエルが一つになり、次にはアダム国家、エバ国家、アベル国家、カイン国家、世界全体が一つとなる宣誓式をしたのです。ですから今のこの時、(私たちは)そのような境地にいることを知らなければなりません。 現在、興進様は生死の境にあります。しかし先生の心は落ち着いています。生きるにしろ死ぬにしろ、どちらにしても神のみ旨が成るようにとのみを願います。神の前に最も貴重な供え物を献げることによって全人類の統一がもたらされるでしょう。私はお母さんにこういう話をしたのです。もし興進様が死んだとしても、祭物としての統一教会がその恵みは恵みとし、世界は新しい世代に転換することを宣布しました。(興進様は)神様を愛し、先生を非常に愛していたのです。そのような心をもって、これからは皆さんが生命を覚悟して、天の祭物的なこのような価値を残し、万民の前に恵みを残していこうとするこの祭物的な思想を受けつぐものになれば、興進様のこのような思想を通して天の前に行くことができます。 これから皆さんが興進様の成すことのできなかった生涯のみ旨を代わりにやり、(興進様が)見ることのできなかった世界の祖国創建を皆さんが代わりの世代に創建しようとする実力をもって一つとなればすべての統一教会の運勢は世界的に拡張されることでしょう。彼が願うことは『祖国創建』でした。この標語を心に秘めて、(興進様は)行ったのです。 今年の標語は興進様の身代わりに、興進様の生命の代わりに皆さんの前に伝受された使命的な標語であることを知らなければなりません。 イエス様が一人十字架上で死なれたことによって、全人類の救いの道が開かれました。同じように興進様の犠牲によって、その精神は皆さんの胸の中で生き、これから神の国を実現するために、世界を復帰するために、力強い脈搏となることができるなら、それ以上価値あることはないと思うのです。これを通して彼は感謝するでしょうし、これによって我々統一教会にはプラスになるのです。もし、興進様が死んだら祖国の地に葬られるでしょう。このようにしてすべてが転換点なのです。そう思って今年は全体がこのような思想的概念のもとで、総進軍することを決意すべきです。アーメン、と言わなければなりません。(アーメン)。 この祖国創建のために、歴史上、サタン世界において、愛国者たちの歴史のそれ以上の歴史を残して行かなければならないという事実を再び記憶してください。 これから、韓国においては七百万会員を集めています。祖国創建のために韓国の地に帰った皆さんは、世界基盤を拡大して勢力の切衛を取らなければならず、これを全世界的にやらなければなりません。今回、教授たちが、私たちの誓いの五番に宣誓してくださいました。皆さんもそれ以上の精神で、一つの国のために前進しなければなりません。(そして)これから七年間に、皆さんは韓国語を習わなければなりません。何の話かわかりますか?(はい)。韓国語がわからないと困ります。今まで先生がお話した『み言集』が三百巻ぐらい出版されるでしょう。先生はそれを圧縮して「百二十巻に縮小しなさい」と言いました。皆さんはそれをどの国の言語で読みたいですか。それとも読みたくないですか。私たちの統一教会で生きている間、これを数回読んでみなければならないでしょう。今までに三巻まで出ていますが、今年中に四巻、五巻と、できるだけ多く出します。全世界の統一教会の信者たちはすべて、この本が出たら買って読まなければなりません。 これから先生が霊界に行って、百年、何百年とたつとこの世にこれ以上貴重な本がないでしょう。今日から会議をする時には、そこですべて配当することのできる数をそろえて分けてあげます。また、今年は韓国語を教える先生を配置しなければなりません。(拍手) これが原語であります。原語が読めなければ、霊界に行って恥になるので、確実に先生が教えなければならない責任があるのです。韓国語というのは非常に優秀な言語です。韓国の人たちは英語を話してても発音が良いでしょう。発音できないものがないほどです。そして宗教的にもとても次元が高いのです。頭が良いのも言語のためです。ここに世界的に堂々と打ち立てることのできる内容があります。 では、先生が真の父母であれば、先生に会って英語で話した方が良いでしょうか。それとも韓国語で話すべきでしょうか。(韓国語です)。原理的にみると、人類はサタンによって父母から引き離されてしまったので、再び帰ってきたならば、これ(原語)から学ばなければなりません。一つの母国語を取り戻さなければならないし、一つの文化を創建しなければなりません。今日の世界は一つの文化ですか?(さまざまです)。それを一つにすることのできる思想体系をもち、内容をもって、それを完成させることを願っているのが神様のみ旨であることは間違いのないことです。わかりましたか。このようなすべてをこれからスタートするために、祖国創建と、祖国文化創建の先頭に立つ独立軍となろうとする者、独立軍になろうと宣誓する者は立ってください。私たちは“宣誓、決意”致します。(拍手)(万歳と拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.10
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天一国摂理史--「天勝日」(1976.10.4) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)文鮮明先生御言選集 19831004「天勝日」1983年10月4日ベルベディア 天勝日の意味を考えたことがありますか。天勝日とは何の日でしょうか。そのような試験問題を出せば、統一教会の皆さんは落第するでしょう。それを知っているのはここにいる先生しかありません。(だから)話を聞いてみなさい。(笑い) 神様の創造理想というのは、神様の摂理であります。これは最初から、そのゴール(目標)はみ旨の完成であります。そのゴールの指向する目的は、神様から始まって神様にもどるものでしょうか。それとも、神様から始まって被造物を通して神様にもどって来るのでしょうか。どちらですか?(二番目です)。 天というのは元来、天一人だけをおいていう言葉ではありません。相対と共に一つになった概念が設定されているという事実を知らなければなりません。天というのは、漢字で二人の人という意味です。おもしろいでしょう(はい)。私たち東洋の先祖は、字を書くにおいてもすべて啓示によって書いたものが多いのですが、(米国の)皆さんはわかりませんね。目という字は一つではなく、二つを合わせてできています。鼻という字にも目が二つあります。口というのは一つであるが、唇は二つあります。手といえば、手は二本あるということです。足も同様です。 では天といえばすべてを含むことができます。そのように思いますか。人々は死ねばみな天に行きます。無限に大きいその世界には、男性だけが行くのではなく男性と女性で行くのです。このようにみるとき、その男性と女性はいかなる関係にあるのでしょうか。これは一つであります。二人でありますが、全宇宙を代表した二人であります。これは東洋思想です。レバレンド・ムーンが初めて、このような考えをもつようになったのです。それで結局天というのは、二人を入れておけばすべてが満ちてしまうことになります。しかし、それでは万物が讒訴することになります。「この宇宙はすべてがおのおの、個体となっているのに、なぜ二人の人間だけを重要視して、代表として立てたのですか」。これが宇宙の不平であります。「神様はおかしい。人間だけを良いように造って、我々はどうしてこのように造られたのですか」と万物が讒訴します。それに対して、「あなたたちは人間を造るために、みな一緒にして一つの形を造るための標本であった」と神は答えられるのです。このようなすべての部分を内的に外的に連結させて、偉大なる人間というものを造ったのです。 それでは、万物たちが「自分一人はどうでもいいのではないか」と言ったら、神様は何と言うでしょうか。「あなたたち(万物)はわからないかも知れないが、人間にはすべてが含まれているのです」と答えられるでしょう。すべての万物が、「私は信じることができませんから、その証拠を見せてください」と言ったら、どのように証拠を見せればよいでしょうか。その時には、このような機会にエンタテーメント(和動会)をして、「鳥の舞を踊ってみましょう。あなたたち(万物)がやるすべてを、人間がやることができるかどうか見てください」と。才能があったらやってみなさい。人間はすべての万物がもっている振舞をすべて真似ることができます。何でも(万物と)同じようにすることができるのです。 動作はできました。それは認めます。その次は歌を歌ってみなさい。鶯なら鶯の声を、雉子なら雉子の声を、牛であれば牛の声を、羊なら羊の声を「ウメー、ウメー……」。(笑い) あらゆる声を人間だけは真似ることができます。友達になることができるのです。手も(動物の)手でやることはすべてやり、足も(動物の)足でやることはすべてできます。それで万物に、「あなたたちの特性のそれぞれの形を取ってきて、ここに付けたのです」と言えば、その時になって万物たちは、「あ、その通りだ」と言います。(笑い) わかりましたか。それで統一教会の原理は、人間は宇宙の縮小体であると言っています。皆さんはその言葉が何であるかわからなかったでしょう。 それで二人を合わせたのを、天国と言うのです。天と地のすべての理想を完成した二人を合わせたのが天国であるという概念を見出すことができます。その二人というのは、男性同士の二人、女性同士の二人でしょうか。(男性と女性の二人です)。神様もそう思っておられます。そのために皆さんが答える時に、二人と言えばこれは男性と女性をいうのであって、男性だけ、女性だけをいうのではないことがわかります。そうですね。(はい)。 天国というのは何を言うのでしょうか。それはプラスの人間(”+MAN”)とマイナスの人間(”-MAN”)なのです。ではこのプラスの人間とは何でしょうか。それがわからなければ天を知ることができません。考えてみなさい。(さまざまな答え) これでは原理講義を新たにしなければなりませんね。これまでの問題が間違っていたのです。プラスの人間は誰かというと、それは根本である神なのであります。皆さんは神様という観念を誤ってもっていたのです。本来完成された立場に立っているのが神様です。わかりますか。こうなると神様が身近になりますね。皆さんは今までこれを知らなかったゆえに、神様は遠くに離れているという概念をもっていました。それゆえ、今まで歴史を誤ったのです。 (黒板で)統一教会においては、神はプラスの性禀があり、マイナスの性禀があります。このプラスの部分が男性であり、マイナスの部分が女性なのです。正しいですか、どうですか。それで統一教会の原理は偉大なのです。このように帰納的論理の追求によって、このすべての根本を解くことのできる内容が入っています。統一教会の二性性相というのは、驚くべき真理であることを知らなければなりません。 神様は本然のプラスの人間(”ORIGINAL”+”MAN”)です。人間は本然のプラスの人間の相対であるので、本然のマイナスの人間(”ORIGINAL”-”MAN”)です。このようになることが人間の理想です。本然のマイナスの人間というのは完全な人間のことであります。完全な人間には男性と女性がいます。完全なる男性と完全なる女性が会ってからどうするのですか。(真の父母になります)。真の父母となって何をするのですか、これが問題です。真の父母はマイナスを完成した人であるから、真のプラスの人間(神)と一つになります。ではどのようにして一つになるのですか。それは電気の力のようにです。電気というのは、プラスとマイナスが一つになれば力が通じるのです。直ちに稲光が起きます。 男性と女性が火花を散らすのは何ですか。(真の愛です)。男性と女性が思春期になれば、火花を散らす機会があります。それは電気が通じるようにです。この神様は欲張りです。愛を勝手にするようにはしておきませんでした。(笑い) 男性と女性が二人で会えば、いつでも互いに愛しても良いではないか。どうしてそれがいけないのか、これが問題です。神様は愛の重要な原因であり、愛は人から始まるのではなく、本然の人間から始まるということは理論的であります。そこで「取って食べるな」と言う警告は偉大な警告であり、感謝すべき警告であり、人間にとって永久に希望的な警告であったことを知らなければなりません。神様が「取って食べるな」と言ったので、私たちはそれを食べないでおきましょう。これが完全なマイナスとなったときには、神様は自動的にプラスの愛で訪ねて来られるようになっています。これは被造世界の作用現象です。 それで統一教会では、皆さんは勝手に結婚してはいけません。これを知っているがゆえに、若い男女は互いに触れてはいけません。なぜなら、本然の愛があなたがたを待っているからです。(拍手) 米国では青年男女が、フリー・セックスと言って犬畜生のように愛しますが、これはサタンがこの世において、(愛を)完全に破壊させるためのものであるということを、私たちは原理を通して確実に知っています。だから我々はそのようなことはしないのであります。本来、神という概念をもつことのできる最高の万物の中心体であるのが人間です。(ですからその愛は)この人間がもつことのできる愛ではないという事実を、はっきりと知ることができます。わかりましたか。(はい)。 神様は誰ですか。(本然のプラスの人間です)。そうです。本然のプラスの人間(神)は、すべての性稟を含んでいます。(-テープ聞き取り不能-)これをはっきり知らなければなりません。それで、この原理さえわかれば、世界のこの門を開くその人がレバレンド・ムーンであることがわかれば、世界の人類はレバレンド・ムーンが逃げないように、ずっとついて回るでしょう。では、米国の州の責任者たち、機動隊はレバレンド・ムーンについて行くべきですか。(はい)。 レバレンド・ムーンはいつも厳しいことばかりを言って、賞めることがありません。しかし、ついて来るなと言っても、どんどんついて来ます。皆さんがついて来るのを見ると、背後にサタンもついて来ます。(笑い) 皆さんはサタンを追い払うことができませんが、先生は「この野郎め!」と言って追い払うことができます。(笑い) この道は最も厳しい道です。それで皆さんは難しい道と易しい道があると、どちらに行くべきかと二つの心をもちます。それをそのままにしておいて良いのですか。(笑い) 約婚のカップルは二人でひそひそと「あなたは私の話を聞いてください。君は僕の話を聞いてください」と、先生の話を後にするようになると滅びるのです。二人とも滅びてしまいます。どうですか? 真の愛の世界に到達できますか、できませんか。(できません)。ではどちらが正しい道ですか。(先生の道です)。先生がいくら悪口を言っても、怖くとも先生の論理においてこの正しい本然の神の愛の道へ行かなければなりません。 ここの州の責任者たち、先生の話を聞いたにもかかわらず先生を除け者にして、自分たちで良いようにやるのは強盗であり、サタンの道に通じることを知らなければなりません。米国教会の隅々に、あるいは地域ごとに、神を悲しませる事実が残っています。(これを)一日も早く一掃しなければなりません。先生がプラスを代表した神の代身としてみ旨を発表したら、先生に問うてやれば良いのです。堕落した時、天使長がひそひそと言い寄って来ても従わないで「神様、あの天使長たちがこういうことを言っていますが、やりましょうか。どうしましょうか」と神様に問うたならば、堕落はなかったはずです。そのような事実は、直ちに先生に報告して是正しなければなりません。 統一教会において、中心人物と言いますが、最大の中心人物は誰でしょうか。(先生です)。いいや、ドクター・ダーストでしょう。(いいえ先生です)。もしも責任者たちが先生の指示に従わなかったならば、そのような責任者は追い出さなければなりません。原理的観点からそのようにするのです。サタンを分立し、サタンを追放することは先生の責任です。甘い中心者と厳しい中心者のどちらが偉大ですか。堕落する時において、神様は厳しい中心でしたが、サタンは甘い中心であったのです。最も最も易い易い道を取ってください。これは惨めなものです。これがはサタンの観であります。今日復帰路程において、統一教会の全国の責任者、あるいは風習や環境もみんな引っかかるので、これを激滅していかなければならないので、先生はやっているのです。 このような観においてみると、終結の世界において困難な道を行こうとする人は神側で、易しい道を行こうとする人はサタンの側になります。神様はこのような観をもって統一教会を導かれるのです、先生は困難な道を行くことに決定し、出発し、その道を続けて行く人であることを自らテストするのです。ドクター・ダースト、今の先生の話は正しいですか。(正しいです)。今までの考えの中で是正すべき点が多いですか、少ないですか。(あまり多くありません)。一つでもあったらいけないのです。一つでも先生が命令したら絶対に服従しようとするその心(が必要です)。神様がみ旨を立てられる時にレバレンド・ムーンが、「あまり多くありません」と言えば、サタンは間違いなくレバレンド・ムーンも引っぱって行くのです。わかりましたか。天国の道も一歩間違えれば地獄なのです。 責任者を信じるな! レバレンド・ムーンも信じるな! どういう時にどのようになるかわかりません。先生もお母様が、「ああ、今日は疲れてどうすることもできません」と言う時は、「行かなければなりません」と言うのです。自分を愛の世界へと導くためであります。これは重要なことなのです。そのために、この眼鏡をかけてみれば、この世の中がすっかり変わります。誰それが何をしているか。この人は点数をつければ『何点だ』と、点数が出ます。 米国の食口たちは、「今までは米国の天気はとても良かった。しかし、とんでもない韓国、日本、ドイツの群が来て雲がかかってしまった。ああ! 我々はこの空は嫌いだ」と言っていますね。今までのように米国式の晴れた日が続けば、この地は砂漠になってしまいます。滅びてしまいます。砂漠が良いですか。(いいえ)。これをはっきり知らなければなりません。これを知らずに天勝日の話を聞く資格はありません。先生が言うことは正しいですか。皆さんのために、枯れて死んでしまうこの地に雨を降らせるためです。米国の心霊世界に雨を降らせるためのものです。外の米国の人々はなぜムーニーは雲を呼んだのか。なぜ彼らは困難なことばかりするのかと不思議に思います。しかしそうすることによって、私たちは誇り高いムーニーとなることを知っています。ムーニーの道が唯一の勝利の道です。わかりましたか。困難な道を行きますか、易しい道を行きますか。(困難な道です)。ではこれからは私が心配しなくてもいいですか。(はい)。それでは、米国にいる必要はありません。早く終えてどこかに行かなければなりません。先生には時間がありません。 米国のリーダーとなって長くなった人たちの話を重要視してもいいけれど、先生の公的な話と異なるように思う時は注意しなければなりません。なぜそうですか。本然のプラスに入って行くためです。今のこの世において、真の父母の道を行かれるのは先生しかありません。私たちはどんどん登って行かなければなりません。じっとしていると先生はそのままにして置きません。先生の話を全部聞いて助けてあげたいと思えば、早く登って来なさいと言うのです。更に復活されたいという心がなければ、次々と登って行くことはできません。不平をもっては登って行くことはできないのです。きょうこの話を、耳があり目があって聞き、見た人たちがはっきり知ることができれば、米国の教会は正常な方向に向かって行くことでしょう。(これは)ドクター・ダーストや米国の責任者がいくら一つになっても、絶対にできないことです。やってみなさい。 (黒板で)ここに行く道は地上においては一つしかありません。個人としてついて行く道、家庭として、氏族として、民族、国家、世界としてついて行く道は全部真の父母が造ります。そのために先生は一生をかけて受難の道を歩んでいることを知らなければなりません。皆さんはそのような父母の前で、平安に生活しようと言うのですか。今日この話を聞いて行動を開始しても、ドクター・ダーストは文句を言わないでしょう。先生の命令に向かって、直ちに出かけ行ってもです。 その次に、韓国のメンバー、日本のメンバー、州の責任者、あるいは機動隊の責任者が先生の指示と異なる点があったら、その内容を指摘して、どこへでも移動しても構わないことをこの時間に指示します。「この機動隊の責任者が先生の命令を行わないので、この責任者の下にいたくありません。私は先生の命令を先行する人について行きます」と言って、荷物を持って、移動しても構いません。このことを全国の統一教会、全世界の統一教会に指令いたします。だからそのような部署を造っておきます。イーストガーデンの責任者に電話一本すればできます。ベルベディアにいるキムという女性に電話一本すれば良いのです。キム・田村、手を挙げなさい。あなたは電話を受けたら、「わかりました」と言って名前と所属を書いて本部に提出し、すぐ先生にそれを報告しなさい。そしてまた、「先生が教えてくださった原理がこうなっているのに、先生はどうしてそのようにしないのですか」と言われて、先生が間違っていたら、先生も荷物をまとめて出て行きます。そして神様に、「神様、私は出て行きます」と言います。(爆笑) ドクター・ダーストだけにそうするのではなく、韓国のリーダー、州の責任者、機動隊も同様です。先生までも手伝っているのですから何も寂しく思うことはありません。私たちの唯一の希望は真の愛に到達することです。それはどうですか。(素晴らしいです)。そこに到達すると、すべてが完成されます。その時、神様ばかりではなく、神様の愛が私のものになります。先生は、責任者を苦しめる人です。 先生の英語がわかりますか。年老いた人が言葉を学ぶのと、若い人が言葉を学ぶのとはどちらが早いですか。(若者です)。多くの異なった国はそれぞれに異なった言語をもっています。これはこの世界を救うにあたって最も(障害)となっています。誰がこの問題を解決するのでしょうか。この一つの歴史的問題を解決しただけでも、私たちは大変偉大な人となります。いかに困難があっても一つの世界を造る、それがムーニズムです。ムーニーは何と偉大でしょうか。先生が英語で話すので楽しいでしょう。(はい)。しかし先生にとって英語は最も困難な言葉です。 韓国語を学べば、地上界、霊界の明確な概念をもつことができます。韓国語は二十四文字からなっていて科学的です。三十分もあれば全部わかります。一つないのは「”th”」の発音ですが、その他はほとんどあります。皆さんからみても、韓国人は英語がとても上手でしょう。(はい)。日本に行けば日本語も上手です。中国に行けば中国語も上手に話します。神様もこの世界の言語の中で、自分と愛し合い、深い内容の心情を表すことのできる言語ということを考えれば、先生が思うには――私が韓国人であるからではなく――韓国語を除くことはできないと思うのです。それを習いたいですか。(はい)。これから米国においても、どんどん韓国人が問題となるでしょう。日本の人たちよりも、更によく指摘するでしょう。日本人は一筋に熱心に働きますが、韓国人は革命的な道を行きます。 (黒板で)私たちの目的はどこにあるでしょうか。『私の誓い』では何を誇ると言っていますか。神を中心とした、一つの主権、一つの民、一つの国土、一つの言語と文化を誇るのです。皆さんは一つの文化をもっていますか。(いいえ)。 アダムの文化の中心は何でしょうか。(真の愛です)。真の愛は一つです。二つではありません。その真の愛の文化から真の言語を使用します。それでは真のアダムは誰ですか。(真の父母です)。真の父母は誰ですか。大統領ですか。(いいえ、先生です)。 レバレンド・ムーンが真の父母であると、どうしてわかりますか。それは霊界を通じなければよくわかりません。霊界を通過すればよくわかります。真の父母は、レバレンド・ムーンから来たのではなく、天から来たのです。神様を知らない人は、真の父母を知りません。神を知らない人は、霊界がどうなっているかをわかりません。だから皆さんはわからないのであります。(それで)学んでいるのです。霊界を学んでから何をするのかといえば、真の父母を知り、神を知るようになります。(皆さんは)学習所の単位を取り始めたのです。その単位を取るために学んでいます。 統一教会は宇宙の大学です。そこで教えてくれる教授、先生の話に絶対に順応しなければなりません。反対しては、単位を取ることができません。わかりましたか。簡単です。このような宇宙的システムになっている統一教会には、幼稚園、小学校、高校、大学と、いろいろな段階があります。そのような訓練を受け、学ぶ過程を経る所が統一教会です。それで、学校の学科を忠実にして、単位を取らなければなりません。「夫のために、あるいは妻のために、もろもろの事情で単位が取れませんでした」と言っても、認められません。既成教会とは異なるのです。 レバレンド・ムーンを通して、天国に行くことのできるパスポートを受けることは容易なことではありません。天国の小学校コースに行きたいですか、博士コースに行きたいですか。(博士コースです)。(それは)この道しかありません。食べたいものも食べず、着たいものも着ず、見たいものも見ずに耐えて行くのです。先生は一生を懸けて、そのパスポートの内容を通過するために、今でもこうしているのです。この中に、(自分は)州の責任者になったので(と思っている人がいたら)、とんでもないことです。君はどれくらい先生を知っていますか。皆さん、学者たちが研究室に集まって、レバレンド・ムーンを研究するようになったらどうしますか。これをはっきり知らなければなりません。皆さんは霊界に行って、「先生、どうしてはっきり教えてくれなかったのですか」と言うことはできません。(先生は)全部教えました。わかりましたね。(はい)。 だから、男性と女性が完全に一つになる、夫婦が一つになるということは、本然のプラスの人間(神)に帰っていくための過程であり、それが祝福家庭の立場であることを知らなければなりません。(神の許可なしに)愛の関係を結んではなりません。兄弟のように思うのです。夫婦は、この地上の愛するどの兄弟以上の立場において、互いが尊敬し、為になることができる過程を経なければなりません。だから、ここにいれば自然に神様が訪ねて来られます。そして(それは)、本然のプラスの人間と本然のマイナスの人間がぶつかり合う愛、稲光のような愛、理想的な愛です。その時、宇宙のすべてが笑います。自分たちの主体が来たからです。今まではそのようなことがありませんでした。わかりましたか。 今日は何の話ですか。(天勝日です)。天勝日の話であるのに、すべての説明をしています。では米国全体が統一教会に全員荷担したということが、それが天勝日でしょうか。先生はそうは思いません。全世界が「統一教会、歓迎」と言う日が天勝日でしょうか。(いいえ)。では天勝日とは何の日ですか。本然のプラスの人間と本然のマイナスの人間が一つになる。その時が天勝日です。では、何人でやればいいですか。(二人です)。その二人とは男性と女性ですね。その二人が神と一つになるのです。愛の根源と一つになることです。ところが、肉体的な愛ではいけません。兄弟として、本然の子女の愛を受けずしては、本然の妻として愛することができません。これが原理です。わかりますか。そのように行く道なのです。 それで統一教会員は、婚約してからもばらばらに離れているのです。「ああ、会いたい」と言って電話するとしても、それは、夫、妻にするのではなくて、兄に、妹に電話するのです。約婚中においては、本然の女性は妹であり、本然の男性は兄です。私たちは真の兄妹の段階を通過しなければなりません。それで統一教会員は、兄妹期としての約婚段階を経るのです。結婚式をやったとしても、ある期間は真の男性、女性となって、真の夫、妻となる準備をします。そうせずしては、真の子女の前では、恥ずかしいのです。婚約段階のアダムとエバが堕落したので、皆さんは真の男性と女性として、一つになって真の父母の相続権を受けるために、真の本然のプラスの人間の前に一つにならなければならないということは極めて妥当な論理です。わかりますか。(はい)。 では、先生はどうなのでしょうか。先生が真っ先にこの道を行かなければなりません。それで全サタンは、先生がこの道を歩むならばすべて崩れてしまうので、霊界のサタンと地上にいるサタンの後孫が完全に一つとなって真の父母がこの道を行けないように妨げるのです。先生が真の父母の道を行かなければならないゆえに、天と地においてサタンと対決して行きます。この天勝日とは何かというと、すべての天と地が総動員して、先生とお母様をなくそうとした時、すべてを動員して反対した時なのです。 サタンはどこから反対したかといえば、家庭から反対したのです。皆さんの家庭が「怨讐」と言ったでしょう。家庭から反対するのです。この家庭が完全に一つにならなければ、一人でも反対したら土台になりません。それでここで闘って、次へ行かなければなりません。そしてこれを拡大させて発展して、これが行くべき道なのです。このようにして世界的な蕩減路程を経て行きます。それはサタンも知っているし、神様も御存じです。 それで、宗教を通して来られる主様は、これを一度に合わせるために、ユダヤ教、キリスト教を通して宗教を世界化させるための運動をするのです。イエス様の時、ユダヤ教が信じたならば、直ちに一つになったでしょう。その時にアラブ圏は統一されたはずです。歴史は因果関係によって、アラブ圏がイスラエルのために追求されるのです。これをすべて、先生が中間において教えています。それで先生は、神様会議、ユースセミナーのようなものをやっています。そのような世界的な問題、宗教界の連合問題、国家の連合問題、これを成すために、頑張っているのです。 キリスト教がカイン、アベルの意味を知ったなら、第二次大戦以後には、全世界は米国を中心とした統一圏が始まったでしょう。全世界的版図をもっている宗教が世界的版図を強化することができる一時が、第二次大戦直後の米国を中心としたキリスト教文化圏を全世界へ誇っていた時です。しかし、米国はそれを成さなかったのです。キリスト教もそれができませんでした。それゆえに、今日、共産党が打つのです。米国を打つのであります。神様もそのようにされます。その反面新しい統一教会は、共産主義を凌駕する思想をもって、ムーニーというレッテルを掲げて米国の地に上陸しました。それは滅びゆく米国から離れてゆく神様を保護するためです。その戦いをしているのが今日のムーニーの運動であることを、米国の国民に宣布致します。 共産主義が世界を一つにしようとしています。神様のみ旨は世界を一つにすることです。再臨主もキリスト教文化圏を中心として、世界を一つにしようとすることを(サタンは)知っているゆえに強制的にでも、いかなる脅威を与えても自分が先に一つにしようとする運動が共産主義運動です。(そこで)それを知らない人たちの中で、一人で戦っているのがレバレンド・ムーンです。 しかし米国が反対し、完全にサタン側に入ってしまいました。全世界がサタン側になってレバレンド・ムーンに反対するのです。六千年間基盤を整えていた米国が、解放後三十年もならない短期間において、これほどまでも崩れるとは誰が知り得たでしょうか。二千年の迫害のもとで発展してきたキリスト教が、何ゆえにこの二、三十年間において、これほどまでにその文化が堕ちるのかを考えてみなさい。その間、統一教会を反対した動機(があること)を知らなければならないし、蕩減復帰法則によってこのような道を経なければなりません。 (黒板で)ここで霊肉一体となって、キリスト教文化圏を一つにしなければなりません。レバレンド・ムーンが孤独単身でもって、このような理想を再現することをやっているのです。現在は霊的のみの、このような文化ですが、これは偽物のようです。全部が反対するので、レバレンド・ムーンはこのような霊肉の実体を造り、キリスト教文化圏が成したのを再び形成しなければなりません。それで、失敗していった米国とキリスト教文化圏以上の世界的兄弟主義と、一つの世界を成すための理念を中心として、国もなく彷徨しながら世界的民族糾合運動をしているのです。個人が反対し、家庭が反対し、氏族、民族、全世界が反対する中で、レバレンド・ムーンは一人でこのようなことをやってきました。 ここで失敗したことを、再び来られる主様がおられるとしたら、そのお方はこの歴史的なものをすべて蕩減せずしては帰る道がありません。蕩減復帰しなければなりません。蕩減しなければ本然の位置に帰ることができません。それが堕落世界の鉄則です。わかりましたか。統一教会では「蕩減」という言葉は生死を決定します。蕩減という概念は天の扉を開ける鍵のようなものです。先生もこの蕩減を避けることができません。「蕩減」ということを知ったがために、世界が歓迎しないときには、世界的な蕩減の峠を越えなければならない事実を知った人だからです。しかし、もしキリスト教が受け入れれば、先生は蕩減が必要なかったのです。それで先生は超教派運動をしたのです。怨讐を愛しなさいと言うのです。帰って行く道がないためです。 真の父母が全世界の暴風雨の中で、米国とサタン側になっているキリスト教と共産主義と、地上のあらゆる国々全体が反対するそのような一時を迎えて、滅びないで、追い出されないで上昇することのできる一時がなければなりません。それが、一九七六年を中心とした米国におけるマディソン大会、ヤンキー大会、ワシントン大会だったのです。この時に百二十七カ国の全世界が、レバレンド・ムーンを追い出そうとしました。全世界がムーニーに反対でした。宗教指導者として歴史時代にこのような数多くの宗教、数多くの国々、数多くの人たちが合わさって、共同目標として攻撃した人は、レバレンド・ムーンただ一人です。サタンは個人が勝利しても構わないと思っています。家庭が勝利しても構わないと思っています。世界的な反対時代において、君(先生)が生き残るか見てみよう。その時を見てみましょうと待っているのです。その時に戦いが始まるのです。 お母様はわかりませんでしたが、夫に絶対に服従しなければなりません。エバは知ってから堕落したのではなく、知らずに堕落したので、困難であっても行かなければなりません。そのようになっています。この期間に反対したことがあったら、お母様でも悔い改めなければなりません。いかなる困難な中においても、夫が行く道は理想的愛の伝統を尋ねて行く道(こと)であり、神様の胸に帰って行く道であるから、夫に対して絶対の信仰が必要です。いくら間違っていると言う人があっても信じないで、私の夫は神が願う道を歩んでいると弁明し、サタン世界に誇れるくらいの胆っ玉をもって行かなければなりません。それがお母様の立場でした。今になって言うのですが、価値が認められる時までは、先生がお母様を立ててお母様と共に迫害を受けながら、人類の苦難の道において戦って勝利したという勝利の覇権を握る時までは行かなければなりません。それが米国におけるお母様が行くべき道であったのです。その時までは自分勝手にどこかへ行くことはできません。 (そして勝利して)この地に足を降ろして、その時から米国の社会において、レバレンド・ムーンはただの人ではないと知って、三年半のうちに如何にしてこのようにできたのかと、研究の対象になり始めました。今まで私がやってきたことに対して目を丸くして注視しながら、レバレンド・ムーンは偉大な人であると言って、レバレンド(敬称)とまでつけるようになりました。その時からベルベディアや、イースト・ガーデンに先生は足を降ろし始めたのです。それ以前には、先生は家を持ちませんでした。これから押し寄せる試練を前にして家を買ったとすれば、愚かな人であります。 (アメリカは)法廷時代において、どうしても先生を監獄に入れようとしています。しかし、監獄に入れられても、私はすでに勝利しています。もし入れられたら英雄になっていたことでしょう。摂理的にすべてが終わったのです。ニクソン大統領が先生の話を聞いていたら、米国における迫害はなかったでしょう。その時レバレンド・ムーンと相談していたなら、今日ベトナムにおいて惨敗した米国にならなかったし、共産主義が自由にふるまったとしても(どうすることもできない)弱い米国であると思われるほど悲惨にはならなかったでしょう。今度のKAL事件(大韓航空機撃墜事件)においてもレバレンド・ムーンと相談していたら、共産圏をギャフンといわせる基盤を(造ることができたのですが、それを)蹴飛ばしてしまったことを先生は痛嘆せざるを得ません。しかし、大韓航空機の大きな犠牲の供え物によって、韓、日、米の三国が連結されるようになったのです。 レバレンド・ムーンと如何に一つになるかに米国の運命がかかっています。そのために、ワシントン・タイムズを造り、血みどろの準備をしているという事実を、神様が御存じですが、この世の人たちは知りません。今になってレバレンド・ムーンをわかり始めました。先生が死ぬ前に、十字架にかかる前に、米国の国民が先生をわかり始めたのです。先生が黙っていても、レバレンド・ムーンが勝利できるようにすることが、最後に与えられた米国の任務であると思います。そうでなくて先生が監獄に入る日には一年半で出獄して、米国をさよならしなければなりません。その時はムーニーも米国を見捨てるかも知れません。そうなると米国は悲惨な国になるでしょう。そうならないように米国の責任者は全力を尽くしなさい。これは米国に対する恐喝でもなく、うっぷん晴らしでもありません。これは原理からみた、今後の米国が行くべき道であるから、そう言うのです。わかりましたね。 先生は(米国で)離れるという言葉をよく言います。それでその前に、八五年まで総動員して、米国がレバレンド・ムーンを誤って判決を下したらこれを否定させる新しい勢力が加増されれば、米国は生きる道があると思うのです。それで韓国から、日本から、ドイツから、この雰囲気をつくるのに、三年半という期間を中心として動員したという動機をはっきり知らなければなりません。イエス様の十字架の三日路程を終えるような過程が、三年路程として現れたのです。これを生きて越えるか、死んで越えるか(これが問題です)。米国の全域にいる統一教会のメンバーがすべて、イエス様が死んだ時と同じようにこの三年間監獄に行き受難の道を行こうと、地獄に行くという生活をすれば逃れることができます。復活して残ることができるのです。 そのような意味において、レバレンド・ムーンは共産主義を防御できる、たった一つの希望です。米国のドラグ問題、青少年問題、教会の没落の再復興、これからの難問題を防衛することのできるたった一人の人がレバレンド・ムーンであることを、米国の人はわかり始めたのであります。イエス様が死んだ後に、イエス様は神の人であり、神が送ってくださった方であることを知ったイスラエル民族は暗たんたるものでした。しかし、先生が死ぬ前に、米国の国民がこれを知ったということは、暗い心に一筋のローソクの光が注いでいるようなものです。米国の重要な人たちは知っていると思いますが、国民がこれを知って責任を遂行し、内外の基盤をもってこの難局を越えることのできる道をつくることは、米国における偉大な喜びであり、偉大な福音です。この事実を知らなければなりません。この時しかありません。この重要な時機が今であります。 そのようにして何をしようとするのでしょうか。米国を訪れた時、米国の文化圏が先生とお母様を追い出そうとしましたが、キリスト教国である米国で今や歓迎することのできる喊声が上がることによって、新しい時代に連結されることは原理的に明らかなことです。これは蕩減復帰なのです。そうすることによってキリスト教圏が恨みを解き、歴史の恨みを解き、この地からカナン福地の基盤を出発することができるために、三年(路程)のタイトルを掲げたということをはっきり知らなければなりません。歴史家はこの話を忘れないことでしょう。わかりますか。だからやりますか。やりたかったらやるし、やりたくなかったら止めなさい。南米の多くの指導者たちが、「米国で迫害を受けないで、私の国へ来てください」と言っています。三年路程というのは偉大なものであります。カナンの地を復帰し、イスラエル天国を復帰し、キリスト教理想を実現させる一つの天の運命的過程を行くべき厳粛な過程において、全体動員しなければカナン福地まで行けません。これを妨げる人は後代において、天国に行って自分たちの先祖たちまでも引っ掛かることを知らなければなりません。モーゼの言うことを聞かない父母や子女は滅びるのです。 一九四五年から一九八五年までの四十年過程における三年路程です。一九四五年、第二次世界大戦後の四十年間は世界のすべての人々は困難な状態にありました。ここですべてが終結される中において、世界を収拾することできる思想統一がなされてこそ、中心思想となるのです。カナンの世界を越えるのです。民主世界や共産世界を越えることのできる深刻な時期であります。 ここにいるオーストラリアのピータも、自分の国にいたいことを先生はよく知っています。ヨーロッパの責任者たちも自分の国にいたいことを先生はよく知っています。連れて来て出動させ(るのは)、その道が恵みを受ける道であることを知らなければなりません。ヨーロッパの責任者の中で、先生の命令を受けたのに帰ってしまった人がいるということは、恥ずかしいことであります。後代の歴史の批判を受けるでしょう。早く強制的にでも連れて来て仕事をするようにしなさい。先生は責任を持ちません。皆さんの責任です。このような状態において、本部が重要ですか、新聞社が、ニューズ・ワールドが重要ですか。それはすべて通り過ぎることです。今や父母様が自由世界において歓迎を受ける、米国の地においてキリスト教文化圏から歓迎を受けるかという場に参席(同参)して行くことが、どれほど重要であるかを考えてみなさい。もしこれを知って参席できない人は、後孫後代に怨恨となる人であります。地団太踏んで痛哭する日が来るでしょう。これは脅迫ではなく、原理観であります。わかりましたか。 それで今日、十月四日は、一九七六年を中心として初めて、押し寄せる迫害と戦って勝利のくさびを打った日なのです。くさびを打ち付ける日なのです。父母が反対する世界に着陸して、土台を築くことによって、従っていたあなたがた子女たちが足を降ろすことの時代が近づくことを知らなければなりません。家庭から世界へ足を降ろすために、今年の標語は『家庭教会は我々の定着地』でしたね。だから父母様が定着のために戦っておられるので、皆さんも世界的な戦いをしなければなりません。わかりましたか。(はい)昔は防御戦でしたが、(これからは)攻撃しなければなりません。これが三年をかけて、歴史的なすべての解決策をかけて一度戦ったなら可能なのです。一度にやってしまうのです。 それで、愛の基盤のエデンの園が世界の基準においてサタン圏に侵入されたのを、本然のプラスの人間といえば神様ですが、この本然のプラスの人間と本然の男女が一つとなって、サタンが反対する渦中において定着するその日が天勝日であります。神様は地上において昔は縦的に活動したのですが、(今は)横的な活動ができるのです。皆さんは先生の言う通りに実践すれば、霊界から先生の教えを啓示を通して受けることができます。昔は祈らなければならなかったが、生活することによって祈る以上の世界に入っていくのです。では天国はどこにあるのですか、地上にあるのです。天の人はこの世界の迫害を凌駕する基盤を造るようになります。皆さんも天国を好む(と思いますが)、数十ヵ国の民族が入っているここ(米国)において、すべての迫害に勝利した者として三年間なして行きましょう。 ドクター・ダーストも先生がこのようなみ旨をもってやっていることを考えていなかったでしょう。ノーアがいるでしょう。先生は君をボストンに任命したのに、いつここに来たのですか。誰が来なさいと言ったのですか。先生は日本人を連れて来て、あなたたちを食べさせなければならないのですか! 私はこの国を救うため連れて来たのです。はっきり知らなければなりません。モーゼが失敗したのは、族長たちのためでありました。皆さんは族長と同じであります。声が枯れるほどに警告し、力を尽くして引っぱって行かなければなりません。死が解除される所まで引っぱって行かなければなりません。今は深刻な時なのです。 本然のプラスである神と本然のマイナスであるカップルが完全に一つになって、神様がこの地上に愛することのできる愛の圏内に参席(同参)することのできる一時を、有史以来初めて立てることができた日が天勝日なのです。わかりましたか。(はい)。そのためにこの三年路程は先生が一生を懸けて戦ってきた勝利に、皆さんも参席(同参)させてあげるための特赦の三年路程であることを知らなければなりまそん。全世界に広げて戦っていましたが、一カ所に集中させて、勝利するのです。 米国国民と、米政府には言いましたが、CIAに報告して、聞きたかったら聞くし、聞きたくなかったらやめなさいと宣布します。今後の米国が行く道は、米国の指導者たちも知りません。神のみ旨を知りません。レバレント・ムーンの話を聞くことによって生きることができ、共産主義に勝つことができ、この国の疲幣と滅びゆくキリスト教を再復興させて世界を一つにすることができるのであって、他の道がないことを宣布するのであります。聞いても聞かなくても、宣布するのです。そうだと思いますか。皆さんの賢い頭で考えてみなさい。どのようにして(先生の話を聞くことによって、生きることが)わかりますか。どのようにして信じますか。今まで教えて来た中で、やると言ったことは、先生はすべて成してきたので(信じることができます)。米国の国民は、レバレント・ムーンは再臨主と言っても、可能性があると言っています。 では、三年路程において、皆さんは今までのようにぶらぶらと過ごしますか。力一杯に行きますか。(力一杯に行きます)。他に行く道はありません。行かないわけにはいきません。永遠をかけて行くのです。時を失えば、永遠に何千万代かかっても行けません。先生が行くカナン復帰の道に行かなければなりません。このような時に逸話を残さなければなりません。皆さんの家庭がもつことのできる逸話を残すのです。このことは先生との公約となることでしょう。このように自信満々に話す人もいないでしょう。これからどうなるかも知れないのに……。 一九七六年以上の迫害時代があるだろうか。考えてみなさい。米国が滅び、自由世界が滅ぶような時には、ムーニーたちにはそれ以上の迫害時代があります。共産党によって首を切られます。皆さんと先生が刑場に行って、首を切られるでしょう。米国を守り貫いた時には、共産党は先生の手によって単時間に打ち砕くことができます。戦うこともしないで打ち砕くことができるのです。青少年問題も、ドラッグ問題も問題ありません。だから先生の話を聞いてみなさい。このような時代に生まれたことを誇りと思いますか、悲惨と思いますか。(誇りです)。悲惨ですよ。(誇りです)。悲惨です。(誇りです)。ではやってみなさい。ライナー・ビンセント、先生が呼んだのは良かったですか、悪かったですか。(良かったです)。仕方なく来たんだろう。(大変幸せです)。(笑い、拍手) このような摂理的観をもって皆さんを呼んだのです。 皆さんは天勝日が何であるかということも知らないのです。ドクター・ダーストに聞いてみると、わからないことが幾つもあります。先生が原理を中心として質問すれば、三回ぐらい問うたならば、わからないとみな手を挙げるでしょう。原理講義を細密にやると複雑になります。蕩減路程を知らずに行く方がむしろ良い(かもしれません)。皆さんは先生のような頭をもっていません。(笑い) 先生の頭は大きいのです。(笑い) 皆さんは夫婦で蕩減路程を行こうとすれば、理想的夫婦となって定着地(を得るには)、天勝日を得て行かなければなりません。そうしなければ、サタンが先生を自由に連れて歩いたように、皆さんの夫婦を自由に連れて歩くことができることを知らなければなりません。それを願いますか。そのようにならないために、決定的な国家的基盤を整えるためにこのようにしなければならないことが、極めてありがたいことであることを知らなければなりません。(先生が定着するということは、絶えず米国に住むことではありません)。先生が、南米に行ったとしても、これからどこに行って住んだとしてもみ旨を成すことのできる基盤ができていることです。お母様と共に洞穴に行って住んだとしても。(笑い) 天国は私たち夫婦から始まります。皆さんがいなくとも始まるのです。わかりましたか。(拍手) 三年路程を勝利しなければなりません。(そうしなければ)私たちの後孫もありません。先生が死んだら大変です。(我々は)とんでもない時代に生きているのです。わかりましたか。今日の天勝日を皆さんの天勝日として、相続(伝受)することを約束します。(それが)結論であります。三年路程を通して私たちは私たちの天勝日を確立しなければなりません。米国の地においてこれを成せば、統一教会には迫害もありません。苦労もありません。悪口もないのです。米国一つで勝利すれば、共産党は問題ありません。米国が耳を傾けなければ、皆さんを訓練します。共産党に打ち勝つ訓練をしなければなりません。どうですか。(感謝です)。三年路程が終わって先生が(米国に)いれば修練します。ロッキー山脈に集めて修練をするでしょう。他の人に頼まないで、全部先生が教育しましょう。米国を理想の国にいかにするかの修練です。相続(伝受)したいですか。(はい)。 先生がマディソン大会、ヤンキー大会、ワシントン大会で模範を示してやったように、皆さんの州に行ってやりなさい。先生が許可します。そうしたら間違いなく成されます。それを皆さんができなければ機動隊を造って、そのような場に押し出します。それなのにこれは何ですか。これからはやりますか、どうですか。やる人は手を挙げてみなさい。ドクター・ダーストどうですか。(はい、やります)。先生がどれほど強烈な話をしたとしても中間で批判したり、分析したりしてはいけません。あなたは文学博士という味を出さないでください。文学の味というのは、鶯の声が好きで、花が咲く甘い世界を好むのです。そのような性格をもっては、天国に行くには難しいのです。州の責任者たち、それでは、ドクター・ダーストについて行きますか。レバレンド・ムーンについて行きますか。(先生です)。先生は米国人ではありませんよ。(真の人(トルーマン)です)。先生は米国の大統領のトルーマンは好きではありません。(笑い) わかりましたか。それで先生がここで指示する(以外)会議をできないようにします。先生が指示しないのはただの集まりです。中間会議だとか、ミスター・パク、州責任者たちを連れて会議をするな、という命令です。先生の本意にプラスさせる会議は許すが、これを弱化させる会議に参加させるなら、ドクター・ダーストは「あなたは、間違っている」と攻撃を受けなければなりません。わかりますか。そうする人は手を挙げてみなさい。(はい)。ドクター・ダースト、そのような会議をして、攻撃を受けたら感謝して、「ありがとう」と言わなければなりません。本部のメンバーたちとドクター・ダーストが会議をやってみなさい。集まって先生の話に減速させることをやってはいけません。わかりましたか。(はい)。(こうすることで)自分自身を保護できることをはっきり知ってください。これを間違えば、地獄に行きます。間違いなく地獄に行くのです。それはサタン側でありカイン側でありカインであります。アベルではありません。はっきり知らなければなりません。 皆さんが州において自信がなかったら、責任を負うことができなかったら、先生がすべてやります。先生の話がはっきりわかったので、みんながそのようにやることを信じてもいいでしょう。(はい)。中心人物が何であるかわかりましたね。中心人物の王様は神様で、その王子はレバレンド・ムーンであり、その下の者たちは地方の責任者です。僕です。その友達とか、僕の関係にあるものを、王様や王子よりもより信じたということは全く間の抜けたことであります。そのようなことで統一教会が栄えるでしょうか。今はもうはっきりとわかりましたね。今まで皆さんは手を挙げても偽りを言ってきました。きょうは間違いなく実践するという人だけ立ちなさい。そうでない人は座っていなさい。では座りなさい。 今までは、サタンがこうしていたので(ジェスチャーで)天勝日にも、天悪日にもなりました。これからは天勝日のみになると間違いなく決心して素晴らしく走ってみようと思う者は、それこそ気分よく万歳を叫べば、きょうの祝賀の日は堂々たる価値があると思います。天勝日を記念して、喜ばしい心、歓迎する心、勝利を誓う心で万歳を三唱しましょう。(万歳! 万歳! 万歳!) 今、先生が教えるべきことは全部教えました。これからは先生がどこに行っても探さないようにしなさい。皆さん自身でやりなさい。これからは聖日の日にも、先生が現れない日があるでしょう。どこに行く時も皆さんに連絡しません。三年間は皆さんも重要ですが、先生が一番危険な時です。怨讐たちが先生の生命を狙っています。神様は知っておられます。皆さんはわからないと思いますが、そのような報告を受けています。自由に公席にでることのできない時代に入りました。だからといっていつも現れないのではありません。祈ってみて、良ければ現れ、良くなければ現れません。先生がいるけれどいないと思って、(先生がいる時)以上教えられたことを実践するという心をもって、サタン世界の先鋒に立つことをお願い致します。先生が先鋒に立てない事情があるので、その時には自分が先鋒に立つのだと思ってください。(はい)。 最善を尽くすように、韓国と日本の責任者を先生の代わりに投入するのです。皆さんが三年間において行くべき道は、先生が教えた期間があるので、彼らが指導しても余りあると思います。日本食口たちが責任できなければ、難かしければ、韓国の責任者を先生のように思って、日本の責任者と一つになって三年路程を無事に越えることを願います。最善を尽くすよう願います。わかりましたか。(はい)。 神様の祝福がありますように。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.10
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님과 함께 (With You, あなたと一緒に) by Hyun Jin Moon一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.09
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「オーシャン・チャーチ」1983年8月28日ベルベディアにて きょう、本当はどこかに行く予定でしたが、こちらに来てしまいました。(拍手) 先生が行くところはどこでも問題になりますが、それは良いことですか、悪いことですか。(良いことです)。今年の夏、皆さんが御存じのグロスターとかプロビンスタウン地域でのオーシャン・チャーチを中心とする活動も、国家的な問題になっています。それについてお話してみましょう。 宗教といえば、山とは関係がありましたが、海とは関係がありませんでした。イエス様は山で祈り、モーセもシナイ山に登り、仏教の釈迦においても山に行って修業しました。このように山はいつも一つの修道の基盤となっていたのです。もちろん統一教会もそのような過程を経てきました。ところが(今日)統一教会は他の教会と異なって、オーシャン・チャーチ(海洋教会)というのを始めたのであります。 どうしてこのようなことを始めたのでしょうか。地球の三分の二は水であります。陸地に生きる生物と、海に生きる生物との量を比較してみると、人類は四十億ほどですが、海の魚は種類も多く数百億と生きています。そして海というのは、太平洋の水が大西洋に行き、そのように五大洋が互いに連結されているのです。陸地も連結されていますが、その連結の意味が違います。海は平面的な連結ではなく、円形的に連結されているのです。海洋の動きは生動しながら、一つの動きをもちつつ、すべて連結されているという結論になります。このようにみるとき、地球が生きていると言えるとしたら何をもって言えるかといえば、もちろん地球には陸地もありますが、海の水があるから生きているということができるのです。皆さんが海を見ると、海は単調にみえるかもしれません。青く水平線になっているだけです。しかし、その内容はどれほど複雑か知れません。そして資源的に言っても、陸地よりも豊富です。ですから、創造主がいるとしたら、海と陸地のどちらに関心をもつかと言えば、海に関心をもつことでしょう。そこには無尽蔵の宝物があり得るのです。ダイヤモンドや、人間が好むあらゆる宝物がそこに沈んでいるのです。 このように貴い海を主管しようとしたら何が必要でしょうか。アメリカ開拓時代をみても、西部の鉱山は冒険的であり、勇猛な人たちがそれを所有することができました。そのごとく、宝物を探し出すことは容易なことではなく、幾度となく冒険をしなくては所有することができません。 今まで、船が行き来きする航路のための戦いはありましたが、海の中のもので所有をめぐる闘いはありませんでした。ところが、今の時代になって二百海里を重要視するのは、魚が重要な問題となっているからです。魚が必要になって二百海里が設けられましたが、もし地下にある資源が必要であるとしたら、欲をもった人間たちは、何百海里、何千海里を設けようとするでしょう。 そこで海の主人という問題について考えてみましょう。地球に大変動が起きれば、海の中に陸地が生じ、陸地が海になることもあり得ます。太平洋の中にアメリカより大きな陸地が現れたら、その陸地は誰のものかと問題になるでしょう。そのようなことがないとは言えません。いつそのようなことが起こるかわかりません。海底に火山脈がないわけではありません。そうなると二百海里だけが私のものであると主張する人がいなくなります。間違いなくそのような時が来ます。海をめぐる戦いの時が来るでしょう。そこで、この海を所有することのできる人は勇猛で、開拓的精神をもった人でなければなりません。海のために戦うことのできる群でなければなりません。 皆さんは海は危険だと思うでしょう。特に女性たちは海が嫌いです。男性でも、真面目で一つしか見つめない男性は海が嫌いです。ここで、神様は、この海の主人はどういう人がなるべきだと思われるでしょうか。もちろん、個人的に勇猛な人が必要です。しかし、問題はそのような一人だけではなく、そのような人たちが一つの団体を成し、国家を越え、世界を越えて集まるとしたら、そのような人たちこそ海の主人として神は認めるでしょう。海を愛する人たちであると認められるでしょう。そういう人たちは間違いなく、未来の海の主人になり得る候補者であるとみるのです。海をめぐる戦いの時代が間違いなく来ます。だからアメリカの代表、日本の代表、いろいろと国民を代表したあらゆる勇猛な人たちの中で、オーシャン・チャーチを組織しなければならないと考える人がいなければならないと思うのです。国家を超越した世界的立場において(そうしなければなりません)。そうだと思いませんか。そこには、アメリカ人、日本人、ドイツ人、ソ連人とみな入るのです。このように海を愛する人たち、勇敢なる人たちが、海に対する規約を作り処理をするようにならなければなりません。 レバレンド・ムーンを中心とした統一教会は世界的です。西欧の人たちは、「レバレンド・ムーンは韓国人であるが、韓国だけのために働くのではなく、世界のために働くという観念を強くもっている」と言います。それで多くの迫害を陸地でも海でも受けながら、大胆に勇敢に世界的な一つの協会の構成をしています。そして、宗教を背景にしたこのような体制で、海洋教会(オーシャン・チャーチ)というタイトルを掲げたのは恐ろしい宣言です。オーシャン・チャーチは海でただ訓練をするだけではありません。創造主の本意に合致することのできるよう、海を管理し、海を愛し、海を中心として、世界を結束させることのできる一つの舞台にしようとするのです。 海と陸地の境界線は海岸線です。海は陸地を連結しなければならないし、陸地は海を連結しなければなりません。このような二つの目的が重なる境界線とは海岸線しかありません。陸地も必要であり、海も必要な事があるとき、どこが一番必要な所であるかというと、海岸線であります。これから海岸線がいかなる土地よりも高くなる時が来ます。このようにみるのです。これまで人は休養に行く時は、山に、あるいは平地を訪ねて行きました。しかし最近、海に休養に行く人たちがふえています。なぜ海に行くのでしょうか。日焼けするためですか。日焼けならここでもできます。(笑い) なぜ行くのか、と尋ねられても答えることができません。ただ(何となく)行くのです。水が好きで、砂が好きで行くというよりも、海は多様であるからです。 海が静まった時はとても神秘的です。魅惑的な神秘の女王のごとく、美女のごとく、すべての人々を引きつける力があります。土色に見えたかと思うと、他の色に変わります。実に千態万象です。そこに風がそよぐと、その波の美しさは何とも言えません。いくら舞妓がうまく舞うと言っても、それにはとても及ばないほどに、大洋全体が舞うのです。ダンサーが踊るステージはそれは狭いものです。しかし、海は無限なのです。海のステージは何と広いことでしょう! そこにかもめが飛んでいることを想像してください。舞い降りるもの、舞い上がるものがあります。そしてそのかもめの鳴く声も、すべて美しさで飾られます。また鯨のようなものが、高く跳び上がります。バチャンという音と共にその色が金色に光る。それを見ると変化無常です。 そのように美女のごとき舞妓のごとき面があるかと思えば、一度怒り出すと広野から突進するライオンよりも、トラよりも恐ろしい。何十メートルの波がどっと押し寄せることを考えてみてください。そのような時にはかもめが鳴くことなど問題にもなりません。いくら歌が上手で、喜劇の俳優だとしてもその雄壮なる気勢の前ではどうすることもできません。その威勢は堂々たるものです。静かな時にはハイスピードで突進してきた船も、ここでは力を発揮できません。波に乗って、波がやろうとする通りにやるしかありません。自然の力の偉大さを知ります。ですから、海を愛する人は傲慢になることができません。傲慢ではあり得ません。それほどに偉大なのです。 海の中にあらゆる色の魚族が、黄金色、金色、青色など、ない色がないほどいろいろな色の魚族が住んでいます。陸地も美しいですが、緑があり、花があり、蝶があると言った程度です。美しい鳥と言っても単調です。花には動きがありません。しかし海はとても美しいのです。そこでは豪華絢爛たる色とりどりの魚族たちが、舞いを踊りながら活動しています。神様も海では無限に楽しむことができ、退屈しません。神様は陸地より、海にもっと関心をもっておられるに違いありません。また神は未来の理想家であられます。今まで現れた歴史時代の地球に成されたことに関心をもつよりは、現れていない海の世界に関心をもたれるでしょう。未来の観をもっておられる神が、海に関心をもつであろうことは必然的なのです。未来を思う人も同様です。海を考える人は未来像を描く人、憧憬する人であるということになります。 海は歴史時代にどれほど多くの貢献をしたことでしょうか。昔の人は大きな河を渡るために船を考え出しました。小さな船とか、カヌーのようなものを、これは大変なことです。海を渡るために船を造るということは、次元の異なる文化の紀元を創ることであります。このようにして大きな河を渡る時はどうしたら良いかと考え、小さな船で渡って平安な世界を探求しました。エジプトとかローマは地中海をいかに渡ろうかと考えたのです。昔、河を渡ることができるということをプラスする人々は、この河を渡ることのできない人たちを支配してきました。イギリスが海洋国家として、十六世紀前後のビクトリア朝の時代に、海洋政策を中心として世界制覇した時代も、その意味において重要です。 地中海のみでなく大西洋を渡り、大西洋ばかりでなくそれ以上の海を渡る。ここにおいて世界を制覇することができるのです。アメリカも太平洋を渡ることによって、近代の世界を世話することのできる文化国として登場しました。それで、五大洋を舞台として夢をもって、平安の世界を望みとして行く、そのような基盤をもったとしたら、世界を世話することができます。文化発展の歴史を通して、そのような結論を出すことができます。 大西洋を渡ったピューリタンは、自分の個人の実力ではなく、神を信じる宗教の偉大な力をもって、アメリカを目ざしたという事実を我々は知っています。宗教がなかったら、大西洋を渡ることはできなかったでしょう。そのピューリタンの宗教はキリスト教でしたが、統一教会はキリスト教以上の強力な内容をもった宗教なのです。 さあ! 五大洋に行く船に乗りましょう。(先生の笑い) それでカヌーより少し大きなワン・ホープを造りました。これに乗って五大洋に向けて行きましょう。理想郷を求めて、神を愛し、信仰をもって前進しましょう。海へ行きますか。(はい)。皆さんはそれが良いですか。(はい)。先生は嫌です。(笑い) 本当ですか。(はい)。先生は嫌です。(笑い) それでは先生は行かなくても、皆さんは行くことができるということですね。(はい)。ワン・ホープカヌーが、ワン・ホープシップ(大きな船)に変わるでしょう。 しかし、それはとても危険の多いことです。皆さんの思いの及ぶことができないほど、危険が連続的に起こる事実を知ってください。それでもそれらを一切問題にしないで、大胆で勇敢に死を覚悟しなければならないという結論になります。結論は簡単です。死を覚悟すればいいのです。レバレンド・ムーンは統一教会の人たちが、生命をかけてこの海を理想に向かって前進することのできる、勇猛な群となってほしいという思いをもっています。皆さんはどうですか。 この世の人たちは皆さんを何と言いますか。ムーニーと言っていますね。ムーニーというのは、ムーン・ピープルという意味で、ムーン・ピープルというのはレバレンド・ムーンに属する人という意味ですね。(はい)。皆さんもそう思いますか。(はい!) 今朝の先生の話を聞いたから、はいと言うのですか、それとも以前からそう思っていたので、はいと言うのですか。(以前からです)。それでは先生が海に二カ月や三カ月も行っているのに、一度も(海に)現れないのはどういうことですか。それは関心があるということですか、ないということですか。「そうしたかったのですが、先生が承認してくれなかったからです」そうだったでしょう。それは事実でしょう。(先生の笑い) 勇猛な男性の背後には勇猛な女性がいます。これは正しい話ですか、間違った話ですか。(正しい話です)。それでは、ムーニーの男性が勇猛であれば、勇猛なムーニーの女性が背後にいるはずです。ムーニーの女性たちはどうですか。(はいそうです)。大洋を渡る途中、夫が病気になって寝込んでしまったとします。それでも船を止めようとしないで、その運転台でハンドルを握って、ブー、ブーと作動する女性はどれほど勇敢でしょうか。そうなれば、今まで固い男の手でさわられていた運転台は、今や柔らかい香水の匂いのする手で運転されるので幸福を感じるでしょう。(笑い) そんなものです。片方が悪いと、片方が良いのです。先生の話は面白いですか。(はい)。続けますか。(お願いします)。女性の皆さん、夫が倒れても、大きな波が押し寄せて来ても、勇敢に行くことができますか。(はい)。そうすると今まで台風が吹いていた海が、申し訳なくて、あなたのスカートの下で休まなければならないと、静まってしまうことでしょう。とても詩的でしょう。どうですか。真の文学というのは、このような所にあります。このように先生が、海に関するお話をすれば、とてもたくさんありますよ。 鳥よ! 君は飛んで行かないでそこに留りなさいと言えば、そこに留ります。また飛び立ちなさいと言えば、飛んで行くのです。鳥さん、あなたが私を嫌いで飛んで行くならば、私は(どこまでも)ついて行きましょう。泳いで行くことができなければ船を造って行く、船でだめなら飛行機でついて行くでしょう。そこには文化の発展的要素がいくらでもあります。あなたが飛んで行くならば、カヌーを造り、船を造り、飛行機を造ってついて行くでしょう。それは本当によく調和できる考えです。そのようにみると、海というのは本当に神秘で、無限なる宝庫の内容をもっていることを知ることができます。 皆さん、エンパイヤ・ステート・ビルディングの百二十階で、大きなロマンをもって(会う)約束の時間をもったら、どれほど素晴らしいでしょうか。大変ロマンチックです。誰も見ることも、考えることもしないそのような場所において、王様と女王様のように会うのです。 さあ! 私たちは大洋を経て、南極にも行ったとします。南極には可愛いペンギンがいます。夫は雄のペンギンを見て、妻は雌のペンギンを見て、ペンギンのごときキスをしたらどれほど幸せでしょうか。とても詩的です。(先生の笑い) それは海を渡ることを考える人のみが可能です。海を渡ることのできない人は、考えることさえできません。高次元的な夢の実現と想像の世界を描くことは、冒険的過程を経てこそ可能であると言えます。 先生はこの間二度ほどアラスカに行って来ました。氷山の中にあるアラスカが連想されます。そこには白鯨が連想され、無尽蔵な魚族が住んでいます。どれほど多くの夢があるか知れません。行ってみるとアシカ(シーライオン)に出会ったのです。孤島で、オン、オン、オンとそのほえる声で天地が震えるようでした。雄だけがいて、オンオンとほえたらバランスがとれません。雄も雌も共にいてほえるので調和が成されます。そうですね。鯨もおひょう(ハリバ)もいます。皆さんはおひょうというのを知っていますか。おひょうは三百パウンドぐらいあって、先生のような人が二、三人後ろに立っても隠れてしまうほど大きいのです。ちょうど巨大なひらめのようで、平らな魚です。 神様は思われることでしょう。「私がこのように貴く、大きなものを取って食べることを願って海に造ったのに、この愚かな者たちよ! それを見ることもせず、関心をさえもたないとは……」と。それを活用できる心をもった勇猛な人を神様は好むでしょう。その勇猛な人たちがこれらを所有することができるでしょう。それは当然な話です。 今度、アメリカの女性があのようであれば良いと感じたことがありました。その話を聞きたいですか? 聞いたならば皆さんは困惑するかもしれません。それでも構いませんか、それとも、レバレンド・ムーンは説教の時にいつもアメリカの女性を苦しませると言いますか。(いいえ)。 今度行った所は熊や、狼、狐等が住む所で、人が住む所ではありません。そこに八年間住んできたという夫婦に出会いました。先生はとても関心がありました。なぜここに住むのかと尋ねてみると、そこは自由天地だからだそうです。話をしてみると、とても自由天地です。ニューヨークだとしたら、目をつぶったまま一時間ぐらい歩いていたら、そこら中で非難を受けます。そこでは千年が過ぎても非難する人はいません。アラスカはアメリカに属する一つの州ですが、このような所には規制がありません。自分自身が法であります。ニューヨークのように多くの人が集まって住んでいる所では、あれはしてはいけない、魚もこれ以上は捕ってはいけない、鳥はどうで、うさぎは捕るな。何をしてはいけない、いけない、いけないずくめです。しかし、そこはとても自由です。 ところでその妻は、アメリカの女性だからとても大きいと思っていたのですが、そうではなかったのです。大変小さく、ほっそりしていました。しかし、根性はとても大きいのでした。彼女は海に出れば海を征服することができ、山に行けば狼、熊等も自分の手で思いのままにコントロールすることができるというのです。それは西部を開拓していたアメリカ女性の標本ではないでしょうか。 そこで彼女がどのようにして夫に出会ったのか聞いてみました。彼女は行かない所がないほど、世界を回って、立派だという人にたくさん会いました(が、それほど心を引かれませんでした)。ところがここアラスカに来てみると豊かな自然の魅惑と、自然を治め、海を治めるそのたくましい魚夫に魅力を感じたというのです。心のままに表現し思うことをそのまま行動する、それは社交性があって二重三重に変わる文化人より、どれほど素晴らしいか知れないというのです。彼女はレストランに勤めていましたが、その純朴な魚夫に魅力を感じ、彼とは年が三十も離れているのですが、結婚したということです。彼は、お茶とかコーヒーを作ってあげると心の純朴さと同時に、心で感じたそのままに、直線的に動くタイプだったのです。また、とても孤独だったのです。それで人に出会えば自分の親せき、父母、兄弟に会った以上に喜ぶ姿をみるときに、これこそ深い人間世界の貴い姿であるということを感じることができたと言うのです。 (彼は実際先生に)自分が知っている一番良い所、一番誇らしい所を案内してくれると言ったのです。そこにはありとあらゆる魚がいます。普通の人ならば、そんなに魚が多い所は教えてくれないのです。そして「もっと大きい魚を捕っていきなさい」と言いました。魚の腹を切ってとり出すのに本当に喜びでもってやってくれました。統一教会の皆さんでも、それほどにできる人が千人中一人もいないのではないかと思います。やることができないでしょう。魚はとても臭います。 そこに深い、次元の異なる人間の交流があります。このようにして(その日は)魚をたくさん捕りました。夕方帰って来て謝礼をしようとしました。ところが絶対に受け取らないのです。いやだというのに、三人を動員して納得して受け取ってもらいました。すまないという気持ちで受け取るのを見る時、それはとても美しいものでした。アメリカで本当の人間に会ったのです。(拍手) そのような深い世界が思い出されると、エスキモーのように本当に人がなつかしくて海をながめながら、誰かが来ることを願うそのような人がいるならば、もう一度訪ねてみたいと思ったのです。どれほど喜ぶか知れません。先生はアラスカにまた行かなければなりません。どのような魚が住んでいるか調べるのです。 皆さんは先生が好きですか。(はい)。皆さんもアラスカが好きですか。(はい)。台風が吹いて来る時も、船に乗って出かけることができますか。先生が出かけて行くのに、私は止めますと言いませんか。(笑い) その時「先生、私が行って来ますから、先生はここでお待ちください」と言うことができますか。(はい)。 こういうこともあり得ます。妻が待っていることを知りながらも、捕えてみると魚が小さくて夫としての面目がたちません。そこでもっと大きい魚を捕まえて、妻を喜ばそうとして、夕方になり夜遅くなるということはいくらでもあることです。それでも小さな魚しか捕れずに帰ったら、妻が怒って、「今何時だと思っているのですか」と不平を言い始めます。その時の夫の気持ちはどうでしょうか。大変惨めになります。ところが、小さな魚を取り出したとしても、「あら、今日は大きな魚を捕りましたね。うれしいでしょう」。そのように言ってくれれば、その妻に対して母親よりも、女王よりも良いと感じるのです。これは先生も体験した事実です。(笑い) そのように、普通の世界では結ぶことのできない、そのような因縁をこの世界では美しいものとして結ぶことのできる、詩的な内容がいくらでもあります。それで、海を知らない人たちは、幸福の分野が制限されているという結論になります。創造主がいれば、陸地を知り海をよく知って、陸地の美しさを考え海の神秘性を考えながら、賛美することを好む創造主であって、一面だけ創造したのではそれほど喜びがないであろうということは、極めて理論的な話です。 魚はぬるぬるしています。それは、魚が川を上る時は、常に水の流れにさからって泳がなければならないからです。魚はなぜなまぐさい臭いがするのでしょうか。(笑い) その臭いは魚の一番好きな臭いでしょう。それをそのように感じることができないのは、それほど嗅覚が発達していないということです。先ほどのおひょう(ハリバ)の雄と雌は互いに相手を臭いと言うでしょうか。その臭いによって同じ種類同士で愛することができるのです。魚たちは臭いをかいで、自分の群を探す習性があります。これが臭いの一つの(役目でしょう)。そのように群をなすことによって、保護を受けることのできる環境が自然に形成されます。そのように造られているのです。ここに創造主の無限なる調和が潜んでいます。 鮭は卵を生んでは死ぬのです。卵を生むために雄と雌とが一つとなって生きるのをみると、死ぬ日を知っているような人間の夫婦が愛する以上の愛ではありませんか。雌は卵を生もうと土を掘り、雄は敵から保護してあげます。それこそ理想カップルです。そこで卵を生んで雄と雌は死ぬのです。色が変色しながら死んでいく姿を見るとき、先生は大変ショックを受けました。このようにして子供のために死ぬのです。 では創造主は、どうしてそのように造られたのでしょうか。子供がいかに重要であるか、愛が重要であるかを(教えるためです)。愛が最高のものであり、子供が最高のものであるということを見せてあげる一つの標本として、サーモン(鮭)を造られたであろうという理論は極めて妥当なものです。生命を捨てても、その愛と子のためには行かなければなりません。このようにみるときに、アメリカで互いに愛し合っている若いカップルをそのサーモンと比べれば千万里の距離があるでしょう。ここでサーモン(鮭)はムーニーの魚にしなければならないと思ったのです。 私は今までマッチ・メーカー(結婚の世話人)をたくさんしてきましたが、その人たちがサーモンのようになって、自分の愛のために、自分の後孫のために死ぬサーモン以上の人を造って神の国に送ったとします。そうすれば神様は私に対して、「レバレンド・ムーンよ! なぜこのようにサーモン以上の人を造ってここに送ったのか」と言うでしょうか。それとも賞を与えるでしょうか。(賞を与えられます)。(黒板で)サーモン(SALMON)にOを加えれば、サーモンではなくサームーン(SALMOON)です。(笑い) ここでSALMOONのSALはSALVATION(救い)のSALで、SALMOONのMOONはMOONIE COUPLEのMOONです。ですからSALMOONはSALVATION MOONIE COUPLE(救いのムーニー・カップル)です。(拍手) 皆さんは鮭を食べる時、(自分は)サームーンであると思いなさい。それで鮭に「君はサーモンでいたいか、サームーンになりたいとか」と聞けば、サームーンになりたいと言うでしょう。 先生もたくさんのことを学び、たくさんのことを考え、深刻になりました。数多くの魚(鮭)が川一杯にずらっと行列をつくって上って行くのは、信じられないでしょうが、愛を中心として子供のために死ぬために行くのです。そこに不平なく、自然の道理に順応して、自分の死において厳かに行くのは、尊敬に値する事実であります。先生はいまだに、統一教会においてサーモン教育をやっていなかったのです。サーモン教育をしなければなりません。 人類がそうなったら、神様はこの地上に来ざるを得ません。人間たちが神様必要ないとしても、神様は人間の世界において、千年王国の理想をもって住まわれるでしょう。そこで、海においても、陸地においても、人間一人を教育するためにこのように造ってあると思うとき、創造主のありがたさを実感することができます。 結論づけましょう。なぜオーシャン・チャーチを造ったのか。オーシャン・チャーチの仕事をなぜするかと言うと、それは神様の創造の深いみ旨を知って、そのように創造するのにどれほど苦労するかを知って、神様の友達の立場に立つためです。それは驚くべきことです。創造主の創造されていた役事に参画(同参)し、友人のような立場にでることができるのです。 オーシャン・チャーチは統一教会にあったほうが良いですか。(はい)。本当ですか。(はい)。では皆さんも海に住みたいと思いますか。(はい)。女性は海に関心がない人が多いのですが、それでは統一教会の正当な信者になることができません。女性たちは全員オーシャン・チャーチの訓練を受けなければなりません。どうですか。皆さんが嫌だと言うならやめましょう。どうしますか?「はい」と言う人たちは手を挙げてみなさい。あ! 大変ありがとうございます。(先生が英語で)私も皆さんの意見に従います。ここでオーシャン修練を正式にしなければならないという結論が、皆さんの賛同で、出たのであります。正式な統一教会の人たちに対しては、一週間ないし二週間、訓練することをこの時間に宣布いたします。(拍手) (先生が)統一教会の女性に道端で会って、「君、魚釣りに行こう」と言ったら、「わかりました」と言ってさっと出かけるとします。私たちはどこの港にも船がありますから、(すぐに行けます)。先生と一緒に釣りに行けたらどれくらい素敵でしょうか。「よく訓練を受けたのですね。良い釣り場に案内しなさい」「はい」と言ってブンとエンジンをかけて操縦します。それはどうですか。ここで写真を撮ったら、霊界においても撮られます。そのような歴史をもって霊界に行って、「私は先生に侍って釣りに行ったことがあります」と言えば、これは歴史的な事件です。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。そのような意味において私たちは、多様な趣味をもたなくてはなりません。 先生は統一教会の女性の誰が、第一代のトローリング船のキャプテンになるかみています。私たちの船はとても良い船です。飛行機のように、ボタン一つを押せば舵を取ったりする必要のない船を造るのです。魚を捕るのもボタン一つ押せば、引き上げることのできる船です。それで今、私たちは電子工学研究所を造って、海にある多くの障害物を避けることを研究しています。これは女性のキャプテンを造るために必要です。だから、女性を憎むレバレンド・ムーンではなく、女性のためのレバレンド・ムーンであることを知ってください。では女性の中でキャプテンになってみたい人は手を挙げてください。(はい)。ありがとう。アメリカの女性はとても立派だと思います。 さあ! このようなトレーニング・コースをオーシャン・チャーチの責任者は、これから計画しなければなりません。大貫わかりましたか。先生は魚の臭いがします。今も魚の臭いがするので昼でも蚊に刺されるのです。アラスカに行って釣りをしてみたいですか。(はい)。南の海に行って釣りをしてみたいですか。(はい)。では先生について行きたいですか、先生を案内して行きたいですか。(案内したいです)。ありがとう。(笑い) 私は今まで人を指導してきましたが、人について行ったことがありません。今回、皆さんについて行くことができれば、どれほど幸福でしょうか。そう思って練習してください。男性は言うまでもありません。(笑い) では時間になりました。お祈りしましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.09
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ニューヨークタイムズ「寿司アメリカに知らせたのは韓国人」… 文鮮明統一教総裁「照明」 - peace2のブログ (muragon.com)文鮮明先生御言選集 19830819 - 「父母の伝統基準の相続」1983年8月19日一九八三年八月十九日アメリカ・ボストン(プロビンスタウンの宿舎にて) 七月から九月にかけて、アメリ・ボストン沖で“ツナ修練会”(マグロ釣りを通じての訓練)が行われ、日本からも幹部たちが数組に分かれて参加しました。朝三時半起床、毎日の睡眠時間が約二時間というハードスケジュールの中で先生は連日深夜に亘り、参加者に対してみ言葉を語って下さいました。以下のみ言葉は八月十九日にプロビンスタウンの宿舎にて語られた内容の抜粋です。 習慣性を越えよ アメリカに来て九ケ月になる中国人のメンバーがいるが、今でも、東洋人としての心を持っていて、いかなることにおいても白人に負けるようなことがない。働くことにおいても、忍耐することにおいても、決して負けない。今統一教会で活動をしているが、話をしてみると、今でも、その本性が残っている。かつて自分が攻められ、苦労してきて、そこに反発したその心が習慣性になっているというんだね。統一教会の信仰生活は、その習慣性を越えて、より以上の習慣性を作るべきなのに、その基準を凌駕していくことができていない。それは非常に難しい。それには、故意に反対の方向をとっていくという方法を十年以上続けないと、そういう境地を凌駕することは難しいのではないかと思うんだね。 この道を行く場合、霊界に行って、日本人同志が集まるとまずいよ。(笑い)それでは、君たちはどうする。山に登るとき、皆それぞれ山の頂上に登ることが目的であって、日本人が先頭に立って、それを追いかけて行くというふうにはなっていない。 雲でいえば、水蒸気は一体どこから来たか?一ケ所から来た水蒸気ではない。世界の五大洋から蒸発して昇ってきた水蒸気である。それが低気圧とか、高気圧によっ流動して集まってくるんだね。その雲が「君は太平洋の水蒸気、君は大西洋の水蒸気」。そう言ったらどうなるか。そうではありません。どこから来たものであろうと、一つになって白い雲を作って、現実の目的のためにみんな同化されて、雨を降らせるようにならなければ自然現象の全てが狂ってしまうというんだね。 だから、そもそも国家観念というものを持ったことが、人類歴史にとって非常な仇となっている。国家観念は敵だという考え方がいままで分からなかった。国自身が、神の理想世界まで行くには非常に怨讐だ。韓国において、先生がいままで生涯を通して迫害を受けてきたのも、みんな国というカテゴリーを中心として、その法的基準に合うもの以外は総て排斥し、切ってしまうというような立場に立っていたからである。 ある部落に、とんでもない一人の男が大声をあげて、自由自在に行動して、裸で小便をしながら街を走り回っていたとしたら、放っておかれないよね。だから、それは環境的にいろいろ制約をうけざるを得ない。日本においての統一教会問題も同じである。家庭問題とかいろいろ人格を曝(さら)すような、そういう結果になって、日本は反対せざるを得ない。 統一教会はそういうことをして一体何をするのか?長い期間活動を見てくれば、ああ、彼らは自分たち一身のためにやっているのではない。国のためにああいうことをやっているし、世界のためにやっているということが分かって、「ああなるほど」というようになり、期間の経過によってそれは実績になる。自分の目的より以上の高い目的のためにやっているということを認めるようになれば、その認めた比率によって、頭が下がっていく。そういう意味では、統一教会はその活動の実体が分かり出したその時には、もう恐ろしいほどに、驚くべきほどに公的内容を徹底しておるんだね。だから、完全に屈服せざるを得ない。 君たちは統一教会に入って、神様とか信仰とか霊界というものを知り、それを現実の生活圏内でいろいろ体恤して、もはや否定できない立場に立っているということは偉大である。そのこと自体、生涯における重大な革命的変革であるということを君たちは知らない。実際に天地がひっくり返ったような基盤に立っているから、それがいかに価値あることかということを考えられないんだね。何年か、習慣的にこういうふうな生活をしてきているから、そのことがいかに価値ある内容であり、何か歴史的であり、革命的であり、奇跡的な大問題になり得る可能性があるというふうに考えない。この基準を立てるために、神が今まで摂理してきた。この基準を立てるために宗教活動を存続しながら、犠牲の道を払ってきた。それを考えようとしない。 そういう立場において、自分の柩をいかに構えるかということは重大な問題である。そう簡単な問題ではありません。いくら自分が理想を整えたとしても、目的、本質に適うようなところを持っていないということを考えれば、自分自身、歴史的な使命感でもっと謙遜な立場に立たなければいけない。ところが、そのように思わないでいつもすぐふり返る。自分を中心として一周するんだね。過去はどうだった。自分の環境はどうだつたと友達のことや、家族のことをいろいろ考えてみて、一周してくる。お嫁に行った女性が結婚した後に、昔、自分と付き合った因縁のことを考えてまた戻ってくるというような立場である。 これらは、すべて神に対して逆らうことになり、無礼になる。堕落しなければそういう観念はわれわれになかったはずだから、それを越えなければならない。 アメリカ個人主義の弊害 アメリカをみれば、個人主義の国である。この個人主義は総ての拒否につながるんだね。なぜ拒否するようになるかというと、自分の心のとおりやろうとすれば、環境を総て否定しなければならない。しかし否定した環境内容によって、肯定的な主体性の立場をとることはできない。だから、自分が中心的な立場をもって環境を否定したとすれば、それはいいのだけれど、否定した環境に対し、その中心の立場として、何ら肯定し得る主体性をもつことはできない。環境は否定したのだけれども、主体性を持つ自分の足場がない。だから、虚無主義に陥るというような結果になる。そのことは神とはまるっきり反対である。神の世界とは何の関係もない。 そういうことを考えてみた場合に、アメリカには是非とも統一教会が入って行かなければならない。しかし、統一教会が入っていっても、よほどの苦労をしなければ定着することはできないし、伝統的な主流の道を行くことはできません。 信仰生活において、個人生活に信仰が干渉するな、という話があるが、信仰においてプライベートとかパブリックとかいう話は成り立ちません。自分個人のことには関係するな、そうした話は絶対信仰生活には成り立ちません。信仰という主体性が、絶対主体によって成り立つと考えれば、それは絶対干渉するようになっている。自分の個人生活に干渉するなという話自体が存在しません。だから、自分の個人生活に関与するなといった考えを持っているこのアメリカの現実の生活環境は、信仰生活からみて逆の起点である。それは、神も自分の願いに合わなかった場合、すぐ、「神は神で、私は私だ」と考える。これでは“関係”という観念を継続することができない。その個人主義は、誰を中心としての個人主義かといえば、家庭を中心として、男を中心として、あるいは自分の妻を中心としての個人主義でもない。何を中心としての個人主義か。それを考えてみた場合に、自分自体を中心としての個人主義である。アメリカは金を中心としての個人主義だね。それから、生活を中心としての個人主義だね。それから、心情を中心とした情的基準においてもそうだ。それは動物の生活とそっくり同じである。 この上に(何かを示されながら)これ以上をカバーし得る利益をもってきてくれるものを公的とするならば、もしもあるものがその基準をもたなかったとしたら、その公的なものは、われわれとは関係がありません。だから、世界なり、国なり、家族なり、みんなこれがあって、自分にプラスになることができない。それが実用主義の弊害だ。そういう悪い結果を生みだした。そんな信仰生活はまるっきり反対だね。 だから、今から先生は自由主義と正面衝突しなければならない。自由主義は個人主義に通ずる。個人主義は、これは虚無主義に通ずる。そうなった場合には、何の希望もない。ヒッピー、イッピーである。自分にとって良ければ何でもいい。利益があれば、どこででも何でもやる。伝統的歴史とか、人類関係とか考えないんだね。目玉が目玉なりに自由主義の立場をとった場合、どうなる?左の目がそうしたら、どうなるんだ?それ自体が矛盾である。自由というものは、結局、存在原則を重要視する存在のための自由であって、存在基台を主管する自由ではない。そうしたら、宇宙の根本が狂ってくる。 それ故、アメリカに行って、そこで何も見習う必要がありません。普通、五年から十年アメリカに住んだ場合には、だれでもアメリカナイズされてしまう。しかし統一教会は、レバレンド・ムーンは、十年たってもアメリカナイズされることなくレバレンド・ムーン化されている。 そのようなアメリカに対し、その伝統的な個人主義は、もはやいかに将来性がないかということを今から見せてあけなければならない。こうした個人主義の結果、アメリカにおける分割的な学問方法、科学の分析方法というものは、自分なりの方法を尊重していくということがもう哲学的法則になっている。しかし統一教会はそうではない。一つを試みた場合にはそれを参考にして、二つ目にはさらに良くし、三つ目にはもって良くしていくことにつながっていかなければならない。だから、摂理からみても、西洋は消化される。真の父母によってアメリカは消化される。そのように考えれば、それは重大問題である。 八四年は、これ以上の非常時はない。全権与党、一本きりで進んできた共産党が全権ではなくなってきており、野党に攻撃されるような現実がある。もう、共産党の峠を越えれば、世界を貫く日は近い。共産党を消化してしまえば、その次は統一世界である。その時、どういうふうにして統一世界を建設するか?もし、日本人がやるとしたら、どのようにして建設するか? 「統一教会はどうでも、日本人だけでできる?」それはできません。アメリカ自体が、ピューリタンによってできた。世界のいかなる民族にも、いかなる教団にも通じる先人的な思想であるキリスト教団をアメリカの地に布設した。そのキリスト教の精神によって、アメリカはこういうふうに世界を指導し得るようになった。 それと同じように、アングロサクソン民族が世界をこのように指導するようになったのは、民族がやったのではなく、キリスト教を通してやった。それと同じく、日本人が最後の世界を動かすためにどうするか。日本人がやる?そうはいきません。統一教会を通してやるというんだね。統一教会を通してやる。それは日本人ばかりではいけない。世界万民が統一教会を通して世界を消化していく。そこにおいては、横的前後左右の関係において、すべて同じだというんだね。それで、差別状態を作った場合には、それをいかに解決するかということは、歴史的な重大問題である。その問題を解決する一番現実的な方法は、西洋人が東洋人を願って結婚する。上流社会の者が下流社会の者を願って結婚するようになることである。今までそれが問題だった。ところが今度、西洋の白人達が日本の女性と国際結婚した。アメリカの国民性からみた場合に、アメリカ人が日本の女性をもらったから、「あー、これは皆、将来は日本の統一教会になるんだ」とそう思ったら分間違いだ。アメリカ人が日本の女性と結婚したのは、日本女性がアジアを代表する立場で結婚した。だから、その日本人たる奥さんの態度は、「自分は日本人ではない。アジア人である」とこう考えなくてはいけない。 そう考えるならば、韓国の人も、中国の人もアジア人は、日本人と同じように考えなくてはならないような立場に立っている。それが難しい。しかし、今からそれをしないと大変だ。そうしないと先生は日本人を立たせて、歴史において失敗した、と結論づけるというような恐ろしい未来が待っていることになる。 実績を見せた後に命令 ここに韓国の幹部たちが来ているが、三十六家庭は自分達が偉いと思うか。そうではない。人類を代表して選抜された三十六家庭が偉いのであって、三十六家庭の者が偉いのではありません。三十六家庭の者は、三十六家庭を尊重しながら生きていかなければならない。統一教会をメンバーが侍っていくと同じように、三十六家庭はこういうものだとして、自分達が侍っていかなければならない。自分という観念を前に立たせる者は落第生である。先生は三十六家庭に、そういう大きいことを言う権限を与えていない。三十六家庭はそういう権限をふるうのではない。上の者になった場合には、下の者のために生き、模範を示した後にそのように言うのならいい。ところが、何も模範を示さないで、三十六家庭の看板を振り回すような、そんなバカなことはない。アメリカの食口にも皆にも、先生は自ら模範を示して、そのことが伝統であるということを皆が知った段階に入ってから命令する。そうでなければ、先生自体も行く道がない。メシヤは、全人類を救うために来られるのであって、救うために来た本然の使命は、救うことがてきるような実績を見せてあげることでなければならない。そういうふうにして、先生が天の伝統を立て、模範を示したにも拘らず、その命令を果たさない場合には、初めて攻撃することができる。しかし、実績を見せることもしないで、攻撃だけしたとすれば、それは先生の方が間違っていることになる。 三十六家庭の者たちが模範を示しても尚、メンバーが命令に従わない場合は、先生がいつもずーっと後ろに立っていて、統一教会全体を監視する。そうすれば、横を向く者はみんな、先生が後ろに立っているから、自分が“いいな”と思って勝手にやった場合には、みんなやられてしまう。それ、何の話か分かりましたか?(ハイ) 神の理想とする家庭基盤 世の中から共産主義がなくなって、統一世界が来る。そうした時代が目の前に迫っている。その場合、日本人を前面に立たせて活動する。統一教会は、伝統を重視する。伝統を正した上で教育する。教育をした上に実践をやる。だから、伝統基準を立てよ! 伝統は木の枝が集約する姿と似ている。中心の穂先に対しては皆歩調を合わせる。それに違反する枝はない。東西南北に広がっている数億数万でも、それは皆穂先の位置を含んでいるというんだね。中心に対して逆らうような、「こうやればいいなあ」ということはありません。 その、宇宙の穂先は何かというと、それは真実な、神からの直接の愛の心情、それが宇宙人間の穂先であるというんだね。それは歴史、人生、人間、総ての存在の穂先になっている。その穂先を中心として、自分はどういうような相対圏にあるか、それを相対位置に決めて授受作用をしながら、共存体制として発展させるんだね。 それで、人間は生まれる時、愛を中心として生まれたし、愛を受け、愛の生活をしながら愛の世界へ移動していく。だから、純情とか真実とかいうものは、神とともに通ずる内容を言っている。それは永遠性とか、絶対性という観念をもっているから、真実というものは、背後の因縁において必ず神と関係をもっているというんだね。そうしたなかでも、神は心情を中心として、霊界からみた場合には逆になっている。神様は根で、われわれはずーっと穂先になっている。君たちにおいては父母の愛が穂先になっており、それから夫婦の愛がそれに繋がり、子供の愛する愛がそれに繋がる。それが、神の理想の家庭基盤であって、それを中心として一つの穂先の関係がずーっと繋がって大きくなっていく。 だから、君たちには父母が必要であり、夫婦(相対)が必要であり、子供が絶対必要になってくる。皆、本質の家庭と比較しながら、それに歩調を合わせていくのである。 だから、メシヤを中心として、真の父母を中心としての家庭というものは、一つの人類歴史上新しい家庭を保証する穂先になっている。その穂先を中心にして祝福家庭は、東西南北の枝としてずーっと伸びていかなければならない。そのために、統一教会は皆、先生の家庭を中心にして連なるようになっている。その先生の家庭は、霊界から、見えない神様から見える世界の穂先になっているというんだね。根元になって、こんなに小さいのが、だんだん大きくなっていく。 霊界は神の愛を味わうところ 霊界に行ってもそうだよ。霊界に行って何をして生きるや?食べなくとも生き、何もしなくても何でもできるようになるのに、何を中心として生きるや?歌を歌ってばかりもいられないし、遊びばかりもできないし、何をしながら生きるや?それは、神の愛を吟味しながら生きる。夜は夜なりに神の愛を吟味する。それは愛自体が違うのではなく、愛のカラーが違う。 そういうことを考えた?霊界に行って何をして生きるや?日本人を訪問しながら生きる?歴史上の有名人を訪問する?霊界は空間や思考を超越した世界だから、千年、万年がちょうど今だよ。何千年の先祖が現在坐っている。見たかったら、一瞬で会うことができる。会った後に何をするや?「私は統一教会に来てこういうことをやった。祝福を受けてこういう奥さんをもらった。子供が〇〇人生まれた」。それはみんな他の人もやっていることだから何の意味もない。向こうへ行って、博士号をとるための勉強も必要ありません。 競争も必要ありません。何するや?そこは緻密な活動とともに、面白い理想の循環生活、循環世界になっている。それで何をするや? 霊界の全部が一つの機械と同じと考えればいい。人間の細胞も皆機械の付属品だね。人間の体も機械と同じだね。これらの神経系と血管系があらゆる作用と連関して皆、動いているだろう。それは生命という組織体で動いている。その生命は何に向って進んでいるか? 生命自体に向けて進むのではありません。神の愛の中核の根元を目指して、その愛の枝を生やすために、生命は努力するというんだね。そう考えてみた場合に、私の生命はどこへ行くや?神の愛を吟味しながら東西南北を回り、神の愛を讃美しながら語り合い、神の愛に抱かれつつ幸福を感じるというんだね。そうでなければ、永遠に生きても大変である。そうだろう?それは地獄である。神の愛に接しつつ、神の愛に触れながら感謝していく。細胞自体が、霊的生命自体が激動する喜びを感じながら生きていくところが、われわれの永遠の世界である。 そうなれば、君たちの愛する奥さんは必要だろうね。「あんた!」とひとことを言っても、そこでは「あんた」という単に言葉だけの「あんた」ではありません。それは、情的に誰も干渉できない絶対因縁の何か力を持っている。「あんた!」と呼びかけた場合、「あなた」という言葉のなかには深い愛の糸が結ばれているのである。 だから、一年も、二年も、三年も、十年も、そのような心情で生活していく、その愛の心情の夫婦の因縁でもって子供を産み、感謝するようになる。二人がともに、愛の世界のために働く。その効果も出てくれば、「あゝ、自分の家庭は幸いである。」と思うようになる。その生活がそのまま延長する。その時、一つの葉のような立場でもって愛の家庭を築くのであるけれど、自分は宇宙の大樹、何の樹の一つの葉であったかということが分かるようになる。 自分は今まで、一つの葉のために生きてきたんだけれど、枝のために生きることは分からなかった。茎のために生きることは分からなかった。根元のために生きることは分からなかった。しかし今、それが分かった。今は、葉のために生きるのではなく、枝と茎と根元のために生きるような、全体が喜ぶ方法と歩調を合わせるのが、今からの私の生活である。それが霊界なのである。分かりました? そういう訓練を、四方八方、相手を感化させる生活を今からしないと、あの世界の雰囲気に合わず、霊界に行って自由活動圏を相続することができません。だから、統一教会はあの世界に歩調と周波を合わせるために今、地上でこういうふうな生活をやっていこうとしているのである。 周波が同じでなかったら大変だろう? 霊界が六〇周波になっているのに、地上で二〇周波だったらそれは破格で、じゃまになるんだね。それは、みんなとり残される。それは地獄に行くというんだね。そのため、統一教会は、周波を合わせる地上の生活を今やっていこうとしており、そこに愛を中心にした統一世界が、地上はもちろん、霊界までも可能であるという結論がでる。分かりました? 日本人の周波ではいけない。統一教会の本来の周波の基準に合わせて、統一教会の理想とする人格を早く築かなければならない。その人格化が成された場合には、同僚同志はみんな一つになっていく。人類全体が同僚です。日本人だけが同僚ではありません。 日本人のところへ行けば、偏狭な民族性に陥る危険性がある。統一教会をみても、先生がここにいるのに、自分たちは隅っこでこそこそしている者もいる。それは落第である。子供というものは、お父さん、お母さんがいる時に、お父さんお母さんを中心として一つにならなければいけないのに、結婚もしていないような子供たちが「お父さん、お母さんはどうでもいい」と、後ろで自分たち同志でこそこそする。そうはいきません。これは、重要なことである。 日本式ではいけない 今、先生は日本の伝統をそのままアメリカへ引っ越していくことにした。それは、日本人の伝統ではありません。それは天来の伝統をアメリカに敷設するために引っ越して行くのである。分かりました?こういう問題を中心として、先生が怒鳴りつけなければならないことが、今から沢山おこるだろう。 統一教会を通して世界を消化するというよりは、父母様を通して世界を消化するという方がいいよね。父母様が消化しようとするその根本は、神様を通して世界を消化しようとするということである。日本人はみんな日本の風呂敷を持っている。世界へ出て行っても、ちゃーんと日本の風呂敷で包んで帰って来るんだね。日本式の風呂敷ではいけない。統一教会の風呂敷だ。それはもう五色人種が、これを一つの束に包んで、これを広げれば五色になるんだね。日本人が包んだ場合には、日本人一色。広げた場合には、日本人一色。それでは絶対、世界を消化できません。分かりました? だから君たちがアメリカに来た場合、日本語を語れる人を探して回るのではありません。それよりは、自分が日本人であることを横において、日本語を知らないふりをして、アメリカ人を探し、黒人を探して回る方が、正当な御旨に立ち易いのではないかと思う。先生もアメリカに来て、韓国僑胞を伝道して回るよりも、アメリカ人を伝道した。先生は韓国で、七〇年までは先生の親戚が来るのを拒否して、三十六家庭の者たちを集めた。そのため先生は名前を変えた。昔は“文龍明”という名だった。その名前は親戚がみんな知っているので、“文鮮明”という名前に変えた。その名前は友達も知らなければ親戚も知らなかった。そのようにしてまで親戚が訪ねて来ることを拒否して、先生は三十六家庭の者を、親戚より以上愛した。何のために!それは三十六家庭の者のためではない。三十六家庭と統一教会のためである。伝統はそこにある。 日本の国だったら、総理大臣の籍は永遠に残るよね。統一教会の三十六家庭は、今から国家基準に上がるそのときまでに天的条件にパスしなかった場合にはみんな隔離する。世界的に拡散するかも知れない。個人の名分で振る舞う者は、三十六家を汚す者である。先生はそう思う。 統一教会の文先生は今、一人で全面的に振る舞うことをしないで、力ない者のように、無力の男のように引っ込んでいる。しかし、教会の権限がハードになり、危うくなる場合には、生命を賭けて堂々と権限を持って弁解に立つ。それをはっきりと分からないといけないよ。君たちは、日本人とか日本という観念を超越して、神の観念に結合されなければなりません。 このようにみるとき、たとえば、日本人と韓国人と西洋人がいた場合には、日本人を先に立てるとよくない。それは、不平を言う者が生じて来る。かんこ地 人が不平を言うし、アメリカ人が不平を言うよ。日本人同志が不平を言う。不平を言われないように環境を治めることが教会の目的である。そのためには、日本人を先に、韓国人とかアメリカ人を尊重しながら、みんなが認めた基準において、最後に自分の“格”を正していかなければならない。そうすれば問題はありません。先生だにそういうふうにしてアメリカに来て築き上げて、ここまでまた上がってきた。韓国でもそうだった。 どうだ君たち、英語を使って、白人と交わりながら、自分の兄さんのように、自分の弟のようにいかにもっていくか。自分の兄さんのように、弟のようにして、家父の伝統とか、天の先祖の伝統を教えてやるのに、夜を通しながらやるんだ。言葉が通じなかったら、手真似、足真似しながら教えるところに、世界の新しい氏族伝統、民族伝統が築かれる。 夜も昼も使命に生きる 先生は不思議な人間だよ。眠い時に、先生はいつも重要な話をするんだよ。先生でも眠い。しかし、眠りたい時に教育しないと、教育する時間がない。君たちが眠いからと言って、十日間ずーっと眠ってしまったら、先生から話を聞くこともなく、顔を見ることもなくて、それでいいの? 君たちをよんだ主人として、その使命を果すために先生はこういうことをやっている。ためになることを話して、いいものを食べさせて、主人としてのやるべきことはみんなやった。そういうふうにしたのに、不平を言う者があれば、不平を言う者が打たれるんだよ。逆に先生がそれをしないと先生自体がやられます。だから先生が生き残る道を立てるためにも、こういうことをやっているんだね。 ここに来てあなたたちは、日本人の一人ではなく、日本を代表して来たと思いなさい。あなたたちの背後には数千名の食口たちがつながっている。彼らはいかに先生に会いたいか。そういうメンバーの思いの先端に君たち立っていることを考えると、いくら疲れていても眠ったら恥ずかしい。全体を代表した覚悟としては落第である。先生自体も使命を果たすためにやっている。疲れているのは先生も同じだ。君たちよりも、もっと疲れるよ。年齢からいえば君たちの二倍に近いだろうね。しかも君たちは一回来て帰れば終るんだね。 このようにして毎夜、先生と一緒に坐って、いろいろ話したり聞いたりすれば、それだけ自分の知らないうちに、霊的に近くなる。先生は気分が進まないときでもそれをしなければならない。それが先生の本職だから。それは、女王蜂がいやいやながらでも卵を産まなければならないのと同じである。毎日、何百個、何千個産まなければならない。大変なことだ。蜂の群れがいなくなっても、夜でも昼でも、一人ぽっちで産み続けなければならない。先生と同じである。いやでも一生涯こうしてきた。このような生活が霊的にもいいんだよ。君たちが先生の側にいれば、君たちは見えないけれども、君たちの先祖の霊界がここに並ぶ。「あー、えらいことだ。自分の何千代の後孫が先生の話を聞きに来ているのに、目をつぶって居眠りをしておる。」この瞬間、先祖が見えないのであれば、打ってでも聞かせたい。そういう立場である。先生はそのように敏感なんだ。この場がどういう場であるかを知っている。だから、君たちはいくら疲れがあるといっても抗議することができない。 韓国人は特殊な民族だね。だから、韓国という小さい国は、五千年の歴史を持って、こういうアジアの巨大国家圏にあって、今でも国を存続している。それで、アメリカにおいても、世界においても、家族をつれて国境を二つ、三つくらい越えるのは普通である。それから、情報分析においては韓国人は天才的な頭脳を持っている。また、韓国は特に気候がいい。世界一だ。そういうなかで、先生みたいな男も生まれて来た。日本の歌手のなかには、韓国人も多いだろう。 先生は韓国人でもない。先生は突飛な男である。先生が「やれ!」と言えば、霊界が援助するということを君たち知っているの?「やるな!」と言ったことをやった場合には逆のことが起こる。足場が抜けるというんだね。わかりました? 先生がこういう方向でやれと指示した場合には、その方向に従ってやらないで、自分の勝手なことをやれば霊界が援助しません。それをやる統一教会の文先生は、死んでもその権限を持って地上世界を感化する。 先生が生きている時語った総ての言葉が、今後の君たちの生活における生涯の提言になる。歴史の重要なポイントはいつか、その基準は?食口は誰も知らない。平々凡々と考えている時にすべてが過ぎて行くんだね。それを分かる者は偉大な者である。先生はそれをキャッチするのに天才的な頭を持っている。だから、今までこういうような戦いをして生き残っている。今がどういう時であるかということがすぐ分かる。だから、それなりの姿勢を正して、それなりの歩調を合わせながら、そこに相対基台をいかに造るか考える。これは原理原則だね。そうやっていけば、その仕事は失敗しない。 先生が法廷闘争で横に引き、前に引き、後に引きながら鰻(うなぎ)の尻尾みたいに隙間があれば、たとえ首は取れても、半分に切れても、体が抜けた場合にはそれでもいいというんだね。目玉が一つになってもいいというんだね。そういう思いでやらなければアメリカを消化できません。それだから、君たちが先生に付き合った場合には、先生の面(つら)はかんばしくないんだけど、気前のいい所もあるし、徳もあるし、いろいろ刺激するところも多いだろう。これでおしまいと思ったところが、まだやれるね。十年間位先生とともにずーっと不平を言わないで付いて回った場合には、それだけで発展するはずなのに、韓国の偉い先生方は、付いて来るのはもう卒業したと言って、先生が来いと言えば、みんないやがる。「自分は好きでない。関係ない。自分の運命と先生の運命とは違う。」というように考えれば滅びる。先生が行くという気配があった場合には、先に行って進んで準備をしておくという考えを持つ者は生き残ると思うんだよ。わかりました? 君たちはこういうことをやることによって、韓国人、日本人といった歴史的背景とか、文化的伝統がみんな破れてしまうよ。わかりました?先生は間違いなく韓国人だね。君たちは間違いなく日本人だね。アメリカにおる者は間違いなくアメリカ人である。しかし、先生にあってはみんなが破格された日本人、破格された韓国人、破格されたアメリカ人になってしまう。その破格が合格になるよ。破格しないと、絶対合格できません。だからこういう時間が必要である。日本人を叱ったり、韓国人を叱ったり、アメリカ人を叱ったりして、それでも黙っているのを見て、そこに先生によって皆一つになったという証拠ができる。 日本人、韓国人、アメリカ人を一袋、一篭の中に入れて、足が上にあがって頭が下にさがっても仕方がないじゃないの。ともにそうなった場合には、君も仕方がないし、我も仕方がない。しかし共に篭の中にあるから、それがいいというんだね。篭は海の上に行ったら、先生がちゃーんと神様とともに持っている。それがいいというんだよ。 それで、正式に坐ってみて、「あ、篭だから出なければならない。」と言うね?篭を潰して戦わなければならないのではなくして、「あー、篭の縁(ふち)から出なければならない。正常になって出なければならない。」と言う者は一人、二人と出してやる。神の救いの方法がそうである。 真の親孝行 君たちはツナ(マグロ)を捕らなければならない。捕れなかったら駄目だ。しかしツナを捕る時間よりも、先生が話される時間がもっと素晴らしい。夕方が来るのを待つように心がけなければならない。そうだろう? それなのに、夕方待つどころか眠っておる。それでどうするんだ?「また先生が来て話をするのだろうか、今晩はちょっと寝たいのにね」。(笑い)卵を抱える親鳥は、いつ孵化するか分からないから自分の寝る時になっても大変だよ。夜に孵(かえ)るか、昼に孵るか分からないから、昼も夜も眠られないというんだね。それは卵が偉いか、親鳥が偉いか、どちらなの? 寝られないのが偉いか、寝るのが偉いか。どっちが偉いの?寝られない方が偉いよ。そしてちゃーんと孵って雛(ひよこ)として生まれた場合には、また寝られない。それは偉いことだね。先生もそのタイプである。何でこんなこと一人で語って、一人で笑って…。蛇の殻抜きと同じように、異常タイプを行うことによって、殻が抜け出すのである。 統一教会も先生がいなかったらもうお終いよね。君たちも、韓国に先生がいなかったら、韓国に行っても行ったという思いが一つもしないだろう。親がいるところであれば、通りがかりの病院であっても、その病院を訪問して行くのが親孝行の息子である。初め、子供が訪ねて行ったが親がそこにいなくて淋しく帰って行ったとすれば、今度は逆に親が子供を尋ねて来る。それが親孝行だ。だから故郷を愛するということは、何の儲けもなくても故郷のために犠牲になりながら、苦労をすることである。そうすれば故郷の人たちが、その人の家、その人自身を訪問して慰める。その道は同じである。 どうだ。先生がアメリカに来てから、君たちはアメリカのことばかり考えていたね。韓国にちょっと行って、かつて先生が過ごした所を訪ねて、その場所を慰めてあげたらどうかと思うね。先生が住んでいた庭に行って、夜を明かしながら慰めたら、そこの木々が「有り難うございます」と言うよね。姿はどうでもいい。その心持ちが偉い。すると庭の総てのものが、その人を慕うような心を持つようになるのである。 国を越えて新しい決意を とにかく先生はここまでやってきた。十年間先生はよくも一人でやってきたよね。君たちもずっと苦労したんだけど、今からアメリカを巡ってくれば、「先生は偉いなあ」と考えるよ。ニューホープに坐って、淋しい格好をして、何を考えているか分からない先生の姿をみれば、そんなに偉いとは思わないよね。「ツナを待つ先生のみすぼらしさ、夕焼けに染まった風の中で、ツナを待つ淋しい姿…。」そうなんだけど、それはそれなりに偉いところがある。 「神様、ツナにニューホープの針をかませて下さい。」そういう祈りは絶対できません。死んでもできない。それは子供がするのであって、大人がそういう祈りをしたら無礼だというんだね。それよりも、「かわいそうな日本のメンバーの船に行って噛んでくれればいいな。」と先生は願う。 君たちが日本に帰って後も、先生はこの仕事が完成するまで、どこかで続けるであろう。それを忘れてはならない。君たちが帰れば、現場は君たちの目前には見えないけれど、先生は北の海か、南の海かどこかで続けるであろう。成功の基準まで引っ張って行こうとする先生の働きはやまない。 そういうふうにすることに対して、神はずーっとその後を見学して回るんだね。「やはり、どんなに考えてみても、レバレンド・ムーンのような男はいない。この男はまだやろうとするんだから、今からはこれまでの何倍もまとめて援助してやろう。」神がそう言っても、サタンは讒訴することができません。神はこれまで払われてきた犠牲の基盤を見て、その犠牲の何倍もの実績を与えようとされる。そういう考えだね。自分のためでなく、アメリカを救うためにやった本心は、着手したその一日から、それは絶対なくなりません。 先生にならって、真似なりでもするんだね。先生がずーっと韓国に閉じこもっていたら、君たちここでツナとか、ワンホープとか、大西洋の水の色を見たことがあったであろうか?なかったであろうか?(なかったです。)なかっただろうね。今回、なぜ先生は君たちをここに呼んだか?それは国を越えて新しい決意を固める必要があるからだ。日本的な思考方式を切り替えて、世界的な思考方式を充電させなければ、日本は今後世界に向けて発展するのに、神が援助することができない。わかりました?だから、日本の領土が世界の領土になったというんだね。新しい領土に行く主人は、そこの原住民に対して、日本人より愛する思いを持たなければ、その主人は殺されて帰される。本国人より以上愛すれば、その主人は永遠にその国において愛され、王宮を残すようになるであろう。それとそっくり同じである。 今から飛躍的発展のとき 先生は韓国人をイーストガーデンに正式に呼んで待遇したことはない。アメリカには多くの韓国人がいるけれども、彼らは不平を言っていた。「文先生は韓国人を度外視して、アメリカ人にばかり真心を尽くす」と。しかし、不平を言う者はなっていない!それはアメリカを愛するためであると言うんだね。何とか後世に、伝統として、共に生きられるような、神の願うような民族を考えるから先生はこういうことをやるのである。 先生はもう六十四歳だ。六十四歳といえばもう“停年”という名がつくようになって腰が曲がり、肩がこって大変だというようになるんだけれど、先生は反対のことを今から始めようとしている。今から、もっと無理をする。無理をしても倒れることができない。統一教会は、先生がいなかったら大変だろうね。君たちは先生がいなかったら自分がやると、そういうふうに思わなければならない。そういう教育を先生はやっているんだよ。先生は摂理だから、こういうふうに毎日やるんだけれどね。お母さんが、先生の健康を気使って心配していることを先生自体も知っている。しかし、先生は今までもう死ぬようなところを何度を通過してきた。そのたびに、いろいろそういうところで祝福を与えてくれた神様がいらっしゃるということを知っているから、先生は最後まで行くんだよ。倒れるまで行くという決心がかえって健康になる。先生は、もう体の調子が悪い場合は、かえって無理をする。今では先生は一生涯、世の中のあらゆる幸福を得て生きられるのに、何のために裸で荒野の先頭に立って、踏みにじられ、さらされながらこういうことをやるのか?今まで、先生は十年間、こういうふうにして、無の段階からこれだけの基盤を造った。今、有のところから始めて、今後十年間やった場合にはどうなるか。そういうふうに考えてみよ。今から先生の言う通りやった場合には、どんなに飛躍的な発展の足場が造られるかということは間違いない。そういうふうな希望を持って、前進に前進を重ねて落胆しないでゆくことをお願いする。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.09
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「使命と祈祷」1983年6月12日ワールド・ミッション・センターにて 「皆さんに使命がありますか」と聞かれたら、どのように答えますか。(はい、あります)。それはどのような使命ですか。一人を救う使命ですか、十人を救う使命ですか、百人を救う使命ですか、それとも、国を救う使命ですか、世界を救う使命ですか。(世界を救う使命です)。言葉で言うことは容易いのです。世界と言うことは容易いけれど、世界は一度に連結されるでしょうか。世界的使命をすることのできる基盤がありますか。(はい、真の父母です)。皆さんは真の父母を知っていますか、何をしているか知っていますか。そのような問題を考える時、皆さん自身が、自分はいかなる責任を、いかなる使命を成しているかを自分自身で確実に決定しなければなりません。 欲心が先行してはいけません。皆さんが山に行って野草を取るとき、私は良い草だけを取ろうと探しまわっても良い草に出合わなければ、空で帰って来るようになります。(しかし)良い草でもいいけれど、良くないものから着実に取ろうとする人は帰って来た時には、良い草をも取って来ることができます。(このように)欲心が先行すると何もなく空で帰って来るようになることがいくらでもあります。(欲心のない人は取ってきたものを)A、B、Cに分類するとしたら、悪いものはCに入れ、良いものはAに入れ着実に取ることができます。このような人が勝つのです。その話は正しいと思いますか、それを考えてみなさい。 では私はどのような使命をもっているのか、自分自身に問うてみなさい。これは深刻な問題です。公式の席上で語るのは、大体の平均的なことを語りますが、特定の自分個体を中心としては語れません。 例を一つ挙げてみます。産業部門の技術問題をみるとき、先生が機械工業に着手する際には世界の頂上に(最高水準に)上るという考えをもってやりましたが、(それは)思いだけではできません。そうなるためには三十五、六年という歳月を過ごしました。そして今になって、世界的な技術世界へと連結することのできる段階に上ってきました。そうするには一番底から、最高の思想をもって、一つ二つと橋を架けて上って行きます。その間において、見物人のように御飯を食べて、眠って、やりたいことをやって、他の人がやるようにやっては不可能です。それは思想的姿勢がなっていません。そうするためには精誠を尽くさなければなりません。夜が明けると、早朝に工場に行きたくて待っています。昼食の時間だからといって、昼食を取るというふうに時間に合わせてやるということはできません。どんどん大きくならなければなりません。大きくなるためには力を加えなければなりません。それを適当に仕方なくやるとしたら、やってもやらなくても同じことです。(それでは)絶対にできません。流されてしまいます。 更に、これが世界的に大きくなると同時に、人を育成しなければなりません。それにはお金を持って行って使えば良いと思うでしょうが、お金がどこにありますか。お金を儲けながら、成長させていかなければなりません。 今日においては、機械工場はなくてはならない、今後の世界において必要な一つの品目となっていますが、その渦中においては多くの人々は支援しないで、先生に不平を言いました。機械をやって何をするのですか、工場をやって何をするのですか、先生はああだ、こうだ! お金があれば全部投資してしまう、とどれほど不平を多く言ったことでしょうか。 ドイツが工業界では世界一であると言いますが、先生がゆすってみると何でもありませんでした。有名な工場は私がみんな細密に調べました。レバレンド・ムーンが浸透すると言って大騒ぎをしています。しかしドイツに住んでいるメンバーは知らないでいます。先生がなぜそのようにして、ドイツが騒ぐのか、ドイツの食口たちは知りません。先生が何をしているかわかりますか? (いいえ)。先ほど真の父母が何とか言いましたね。真の父母が何をしているか知っていますか。わからないではありませんか。そんなでたらめな答えはしないでください。 皆さんが知っているのは、自分自身でしかないのです。そうです。それでは、あなたは本当に自分を知っていますかと問われたら、自分もわかりません。自分は仕方のない人です。こうなったり、ああにもなったりするのです。ある時にはみ旨に対して一生懸命になりますが、時には一生懸命にやっても自分だけの損であると思うのです。そうではないですか? そうなると自分で自分がわからなくなります。自信がなくなります。どうですか。(はい)。そこで問題となるのが使命という言葉(です)。どのような使命か、私(の使命)はいかなる種類であるかと常に考えなければなりません。(たとえば、私の使命がスパイであれば、)私はスパイだ、スパイという使命がある、そのような考えが必要です。 皆さんみ旨のために生命を懸ける人は手を挙げなさいと言ったら、ワー! と言って手を挙げるでしょう。そうしようとするならば、あなたの一日ぐらい犠牲にしてみなさい。しかし一日ぐらいでは私は嫌いです。朝はそう思っても夕にはそれが変わっています。では皆さん、私はみ旨のために死ぬと言った場合、誰かが殺すので死にますか、自分自ら進んで死にますか、どちらですか。(自ら進んでです)。答えは正しいですね。では皆さん、み旨のために死ぬと言ったら、死んでみなさい。一日死んだと思ってみなさい。それは嫌ですか。そうだとしたらすべて偽りです。すべて不可能です。一カ月死ぬようなことをやってみなさい。どうですか。それも嫌ですか。(先生の笑い) 一年ぐらい死んだと思って、一年ぐらい死ぬようなことをやってみなさい。 み旨のために死ぬということはいかなる話でしょうか。一生を通して死ぬようなことをやっても死ななかった場合、更に死ぬようなことを一生やりながら死んでいく。み旨のために死ぬということは、その道しかありません。一年やって死ななかったら、一年の十倍ぐらいやりながら死ぬ。しかし十倍やっても死ななかったら、二十倍ぐらいやります。三十倍ぐらいやって死のう。何十倍もやりましょう。どうですか。いかにしてみ旨のために死にますか。なぜみ旨のために死ぬのでしょうか。み旨のために福を受けないで、なぜ犠牲の道を行かなければならないのでしょうか。なぜですか。それは使命のゆえです。使命のゆえなのです。 その使命とは何でしょうか。それは人類の解放と神を解放することです。それを知らなければなりません。だからこれは死を覚悟しても、十回死んだとしても不可能に近いことです。それで当然、死を覚悟しなければ成すことができないゆえに、私たちは生命を捨てることを覚悟するのです。こうなると、ああそうなのか(とわかります)。 み旨を成さずに死ぬのであれば、後継者に遺言として残さなければなりません。後継者の息子、娘を育ててでも成さなければなりません。結婚して後継者をつくり、このような後継者を多くもてばもつほど、この仕事は可能になります。自分以上に受難の道を甘受して、生命を懸けて(行く)。世界の人々がそのようにすることができれば、この人類は解放されます。世界の人類が解放されれば、神様が解放されるのです。 先生の立場で言えば、先生は六十歳を過ぎたので、少しは休まなければならないでしょうか。六十歳を越えても更に成さなければなりません。もっとやらなければならないのです。米国、自由世界を終えて、モスクワを解放しようということを発表することは、行けば行くほど安易になろうとするのですか。それとも、行けば行くほど難しい方を取ろうとするのでしょうか。どちらでしょうか。死ぬような立場になっても、私が一生の間準備したその日が、来るべき日が当然来たかと思うのであって、「私は生きたいのです。神様、どうか私を助けてください」という考えはもちません。 その後はどうなるのでしょうか。この使命が真に人類のためになり、神を解放することのできる道であったという(ことを知る)そういう良心的な人を私は後継者として必ず残し、その後継者を育てなければなりません。モスクワにおいても後継者を育てておいて行かなければなりません。そのような責任をもった、使命を担ったそのような人が必要ですか。それとも、適当に自分の利益を目標としていく責任者が必要ですか。さあ! 皆さんは二つの種類の中でどちらを取りますか。一番目ですか、二番目ですか。(一番目です)。どうしてですか。それはより価値のある道だからです。 ここに年齢の多い人たちもいますね。古い人たちは、若い時よりももっと苦労しようと先頭に立って走りますか。それとも、落ち着いて人を使っていたいのであって先頭で走るのは嫌ですか。どちらですか。ここに座っているムーニーたち、どうですか。ムーニーの生活をしながら、使命として思って(行けば)、人類を解放する時まで、これを成さなければならないと、昼も夜も行っても行ってもまた行っても(なお走りたいと思うでしょう)。また神様が苦労している時、こうしたらいけないと思うと疲れたという思いはありません。 このようにみる時に、皆さんはどの立場にいますか。皆さんは自分を召命を受けた人であると思いますか。(はい)。では、皆さんはレバレンド・ムーンという人を考えてみる時、永遠に裏切る(やぶる)ことができますか。(いいえ)。ではレバレンド・ムーンと皆さんは関係があると思いますか。(はい)。それでは皆さんは、先生にただついて行こうとしますか、協助しながら行こうとしますか。(二番目です)。二番目ですか。(はい)。では協助しながらついて来るという話ですか。(はい)。 どうしてですか。本来私が願っていた道を先生が行かれるので、私の心に合うので、と思わなければなりません。元来自分が願っていることを先生が成しておられるので、自分は何もしないで(すでに)このくらいできているので、これを手伝って自分のゴールを早く完成させるために行くと思わなければなりません。私が知ってみると「世界を解放し、神を解放するには、レバレンド・ムーン、あなたがやっておられることが一番早い道です。それは私が願っていたことでもあるので私は協助して、あなたが死んだとしても私はそれ以上走ります」と言わなければなりません。「先生が年老いて死ねば、私がその仕事を十倍以上努力して世界の前に継承(引受)するために、すべての責任を再びもつために、私は出かけます。そのことに責任をもつことができ、そのことを継承するために、先生の言うことをよく聞き、先生の仕事を協助するために、私は統一の群になったのであります」と言わなければなりません。 それは先生が早く亡くなればいいという話ではありません。これから働くことができるために、先生がもっているすべての秘訣を私は前もって学んでおかなければならないというのです。未来にやる計画などもみんな自分が知っておいて未来を継承するために働く、そうすると、先生はそれを気持ち悪いとは言いません。そのような人を願うのであります。そのために先生がどこに行っても、探さなければなりません。どのようなお話をされるのか、きょうはどのような命令をされるのかと探さなければなりません。「先生は(自分で)言われた通りの基盤を造られたので、私は(先生の)言われる通りに実践してみよう」、そうしたら成すことができます。 ではお聞きしますが、皆さんは使命をもっていますか。(はい)。それはどのような使命ですか。(神と人類を解放することです)。何と偉大な使命でしょうか。いかにしてそれを達成することができますか。それは容易ですか、困難なことですか。(大変困難です)。それでは首を懸けなければなりません。そのような価値があります。皆さんは生命を懸けますか。(はい)。ではレバレンド・ムーンはどうでしょうか、生命を懸けるでしょうか。(懸けます)。米国がこのように反対するのに、なぜこのように長くいるのでしょうか。なぜ早く逃げ出さないのでしょうか。法廷闘争をしながら監獄に入ることを思いながらも……。米国の人、その市民であっても逃げ出す人がいます。それなのになぜこの地を訪ねて来てやっているのでしょうか。なぜそうしなければならないのでしょうか。生命を懸けているのでしょうか。それは世界を解放するには、この米国の責任が大きいからです。(皆さんは)それを知っていますか。皆さん米国の青年は、先生は米国が住み良いから来ていると思うかもしれません。(しかし)それは世界を解放するために不可避なことだからです。なぜモスクワに行くと言うのですか、なぜ共産党と戦うのですか。世界を神側に解放するには不可避なことだからです。それゆえに世界を解放しようとしたら、世界で一番難しいことに責任をもとうとするのです。(それで)反共活動をしたりするのです。 それでは、レバレンド・ムーンの言われる言葉通りに成せば、人類が解放されると思いますか。皆さんがみたところでは、レバレンド・ムーンがしようとする通りにやれば真に人類が解放され、神が解放されるでしょうか。どうですか、その可能性はありますか。(はい)。私はそう思いませんよ。(そうです)。私はそう思いませんよ。(そうです)。 毎日の生活において、食事をする時も、トイレへ行く時も、何のためにそうするかと言えば、それは使命を果たすためにそうするのだと自問自答してみることが大切です。タバコを吸うことで人類を解放することはできません。酒を飲むことで人類を解放することはできません。若者たちはデートやフリー・セックスをしたり、ホモやレスビアン等をしていますが、(我々には)何の関係もありません。私たちにはやるべきことが多いのです。そのために眠る時間を切り詰めても、やらなければなりません。先生もきょう三回話をします。それはなぜそうするのでしょうか。使命だからです。先生の話を聞いて自分もそうなろうと決心する人が一人でもいれば、そこで人類を解放する運動が継続されるのです。疲れていて、この頃は先生は足が痛いのです。このようにすることは遊び半分ではなく決死的です。それを知らなければなりません。 神様はいかなる人を助けるでしょうか。眠っている人を助けますか、レバレンド・ムーンを助けるでしょうか。平安に眠っている人、この米国の人、西欧文明圏、この文明国家は全部奪われてしまうと考えなければなりません。(それでも)眠るのですか。フリー・セックスですか。デートですか。全部奪われてしまいます。 このようにみると、世界は間違いなくレバレンド・ムーンが主張する世界になるでしょう。いくら反対しても反対するものはすべて流れてしまい、間違いなく先生の願う世界になるでしょう。どうですか。(そうです)。それで、レバレンド・ムーンが死ぬ時に、「私の生涯を通して神様が私を助けてくださったのはこのような道を来たからであるので、私が死んだとしてもこの道に従って来る後代の人々を通してでも世界は私のみ旨通り、私の願い通りになるでしょう」と言うことができるのです。それで皆さんに対しても常に苦労をし、犠牲をして教えるのであって、休んで遊びながら教えているのではありません。先生がそのように来てみると神様が先生と共にしてくださることを知ったので、誰よりも貴い神様を紹介するため、不可避的にそのような教育をせざるを得ないのであり、そのような命令をせざるを得ないのです。これは正当な結論です。 どうですか。皆さんに夫がいればそのような夫に、子女がいればそのような子女に(その使命を)相続したいでしょう。それが良心の道というものです。皆さんはどう思いますか。それは正しいと思いますか。(はい)。確実に正しいのです。先生は間違ってはおりません。 皆さんは、これからいかなる使命を成していくのでしょうか。一人の人を中心として世界のように戦わなければなりません。あなた一人を救うことによって、私が世界を救うことのできる道が開かれるという思想が必要です。(今から十年ではなく)今この時間にやりなさい。時計が(正確に)進むように、使命と確実に連結され、前進的に連結を成していかなければなりません。 統一教会に入教して十年、あるいは二十年の歳月を過ごした人もいるでしょう。その人たちに「あなたの使命は何ですか」と再び尋ねてみなさい。十年、二十年とたつと、世界と人類が神様に帰るのではなく、自分の家庭の妻や子供に帰りやすいのです。そのために使命の前には、妻と子女をいかにすべきかをはっきり決めておかなければなりません。統一教会の夫になった人、妻になった人は、私はこのような使命を協助するために登場した妻であり、夫であるという観念をもたなければなりません。そのために、「あなたは死ぬとしても神様と人類の解放のために死ななければなりません」と言って忠告するその妻や夫は、天と地の前に忠臣であることを知らなければなりません。これから父や母になろうとする皆さん、妻や夫になろうとする皆さん、どうですか。 (皆さんは)どこに行って死ぬのですか。死ぬ時の遺言として、「妻よ! 私の歩んだこの道は間違いない道であり、子女よ! 私が歩んだこの道は間違いない、この道を歩まなければならない」と言った時、(子女が)涙を流しながら、「父と母が行く道は正義の道であり、万民が慕える道です。当然そのようにします」と言える基盤を残していかなければなりません。妻としてそのような夫をもち、そのような子女をもつとしたら、それは偉大な妻であり、母であることを知らなければなりません。 このようにみるとき、私たち家庭の使命は何とすべきかと言うと、レバレンド・ムーンが教えてくださったのが一番良いのであり、神様と人類が願う最高の使命ではないでしょうか。そこで聖日は、既成教会は安息日といって休むのですが、統一教会の信者は安息日であっても仕事をするのです。なぜかと言うと、神と人類の解放のためです。このようなとき神様は、「私は人類の解放を願わない。安息日を守りなさい」と言うでしょうか。それとも「あなたは正しい」と言うでしょうか。神様に尋ねてみても、神を解放し人類を解放すると言って、千回万回安息日を守れないとしても、それが一番であると言うのであって、「ああ、ともかく安息日を守らなければならない」と言うでしょうか。 この時間が終わったら先生は釣に出かけます。それは何の釣かと言うと、人類を釣るのです。このようにするのは人類に属する海の人たちを解放するために、先生はやらざるを得ません。(彼らに)会って話をするようなことがあれば、先生は彼らを教えなければなりません。米国でツナ(鮪)のチャンピオンはレバレンド・ムーンであると言われています。知っていますか。(拍手) 一生というのはどれほど短いことでしょうか。一生の短い期間に、工場に行って、工場長を中心として職工たちをみんな指導するのです。神様はそのようなレバレンド・ムーンを嫌いだと言うでしょうか。先生が道端で死んだとしても、そこはこれから聖地となるでしょう。(そのような)自信のある生活をしています。皆さんも先生のために生命を懸けて従って来たいと決意するのも、そのような良心の世界に基盤があるためです。 さあ! ではなぜ女性として生まれたのでしょうか。使命のためです。人類を救い、神様を救う使命のために女性として生まれたのです。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。私はどうしてこんなにも美しい女性として生まれたのでしょうか。それは神様と人類を救う使命のためです。それではこのような美人が世界を救うための早道として、人種差別が激しい時において、黒人の醜い男性と結婚することを使命とする、これはどれほど素晴らしいことでしょうか。(もしそうするなら)あなたがたは、何と素晴らしい、美しい女性であろうかと先生は思います。それが使命の道というものです。それはどうですか。成せないことがありません。 そのような意味において、今回も日本の女性と黒人とが多く結ばれました。日本女性たちはみな、「先生」と言って訪ねて来て、一生のうちに先生から祝福を受けたいと集って来ました。その純潔な心を知らないはずがありません。夫においては、誰よりも美男子をもらいたい気持ちをどうして知らないことがありましょうか。しかし、使命感からみたならば、こちらがより美男子と思う時、アフリカの男性と結婚させても先生は苛責を受けません。誇りと思っています。結婚は自分の思い通りにするのではなく、使命のゆえにするのです。幸福に生き、使命に従って生きる時、あなたはその国の歴史的な女王になると思うのです。結婚を中心としてみたら、歴史に残るでしょう。 それでは、レバレンド・ムーンのその思いが間違っていますか。改めなければなりませんか。人類より呪われる思想でしょうか、歓迎される思想でしょうか。どちらですか。伝統的な白人は言ってみなさい。伝統的な黒人はどうですか。(偉大な思想です)。偉大というのは白人よりも黒人の方が偉大ということですね。(笑い) これから後代の人々が後々までも記憶することのできる道、賛美することのできる道、その道を訪ねて行こうとするのが、悪口を言われ、追われるレバレンド・ムーンです。この時代には追われる身であるけれど、後代の時代にはそのような時代が来るであろうと、それを望みながら歩むその歩みはどれほど価値があるでしょうか。 今、先生が生きている間に(もかかわらず)、五色の人種で先生のために涙を流した人が、歴史以来一番多いのではないかと思います。ムーニーたちは世界各地において迫害を受ける時、悔しい時、涙が流れ、私たちの先生はどれほど涙を流したことでしょう(と思うのです)。その時の思いが、このようなことが、宗教においては、神と人類の解放という偉大なる使命のために永遠に勝利できるという自信をもって再び出発を誓える力が、そこに連結されるのです。統一教会に入って涙を流した人は手を挙げてみてください。その度毎に先生を思い出したことでしょう。(そして)私たちの先生はもっと苦労されたことでしょうと思うのです。そのように涙を流すとしても、更に行くというように、世界の五色の人種をこのように感動させたのは歴史以来レバレンド・ムーンが初めであり終わりでありましょう。イエス様や数多くの宗教者たちは、死んだ後にやったのでありますが、生きながらえてやったのはレバレンド・ムーンが初めてです。 先生が地上に住んでいなくなっても、皆さんの心の中に、人類解放と神の解放に対しては生き動くことでしょう。それはなぜでしょうか。人類が必要としているからです。神様が必要とするからです。神様は人類が、人類は神様が必要であるために、(互いに)必要な道(こと)を行くために生動しながら、この世界が神様が解放の場に至るまで、摂理は間違いなく続くのであります。どうですか、それは必要だと思いますか。死ぬ時に子女の手を握り、神様と人類の解放を願うその母の貴い姿に、神様は涙しながら訪ねられるでしょう。自分の夫の手を握り、子女の手を握り、「み旨を相続してください」と遺言を残す、(最後の)時間にそのような言葉を言う女性はいかに貴い存在でしょうか。どうかして、そのような場において遺言をすることのできる妻となり、母親としたいと思うのです。男性であれば、そのような夫、父親にしたいのです。私たちはそのような使命をもっています。 ある者は、自分は何とかして専門分野で成功したいと言います。成功して何をするのでしょうか。自分の御飯をよく食べて、飯の消化工場の役割をして死んでいくのです。そのように生きれば皆さんの墓には誰も訪ねないけれど、使命に生きれば皆さんの墓には花が咲くでしょう。先生が亡くなった後には、先生の墓には来るなと言っても訪ねて来るでしょう。どうですか。それが勝利の道です。 このように考える時、一般の人からはムーニーたちは悪口を言われ、悪者と思われていますが、素晴らしい使命をもっていることは間違いない事実です。それは間違いないですか。それとも、間違いですか。(間違いありません)。「(しかし)それは先生が行く道であって、私には必要ありません。話は正しいけれど、私は嫌です」(と言いますか)、どちらですか。実践しながら進みますか? 見物人になりますか? それとも、止めますか? (実践しながら進みます)。そうしますか。(はい)。そうやりたいと思う人は手を挙げてください。ある程度やったら、そのぐらいの使命と召命を受けることができるでしょうか。できません。すべてを清算してやって、一度やってみるに値しますか。(はい、値します)。 皆さん、レバレンド・ムーンは有名な人ですか、有名ではありませんか。(有名な人です)。どれほど有名かと言えば、有名な教授たちが会ってくださいと言っても会いません。この頃は、かって長官を務めた人たちが、世界的な仕事をしながら、レバレンド・ムーンに会いたいと言っても会いません。だんだん有名になるでしょう。あなたがたムーニーが(先生を)必要とする以上に、世界をいかに救い、助け、責任をもとうとする人たちは、間違いなくレバレンド・ムーンを訪ねて来るようになっています。そして霊界に行った昔の有名な聖人たちはレバレンド・ムーンが生きているうちに一度会ってみたいと思うでしょうか。どうですか。(会ってみたいと思います)。そのように有名なのです。それなのにムーニー自身は(先生を)どれくらい知っていますか。昨日も話をし、今朝も話をし眠ることもできないようにするレバレンド・ムーン(とだけ知っているのではありませんか)。 皆さんが知っているレバレンド・ムーンと、この世が知っているレバレンド・ムーンと(を比べると)、皆さんがもっと価値があるように思わなければならないのに、この世の方がもっと価値があると思っています。逆になっています。皮肉なことです。この世では自分の父が大統領だとしても(その息子は)無礼なのです。自分の父が大統領であっても、その国の長官よりも貴く思わないで、長官の方が父よりも貴いと思うのです。学校に行けば文教部の長官の方が。(笑い) それは知らないからです。皆さんは先生をどれほど貴く思いますか。いつでも先生に会えると思っているかもしれませんが、これからはいつでも会うことはできません。外に世界の大統領がずらっと集っているとしたら皆さんを追い出して、世界の大統領を入れて話をし、会ってあげるべきでしょうか。どうですか。人類を解放するために、大統領の方々を内に入れ、あなたがたを外に出すという待遇を受けたとしても当然なことと思い、神の国に行って僕になったとしても当然のことと思わなければなりません。先生は死んであの世に行っても、神の国の解放のため、ムーニーたちを僕にしようとします。どうですか。不平を言いませんか。(言いません)。 問題は大きいのです。このようにみるとき、レバレンド・ムーンがもっている思想は素晴らしいですか、どうですか。(偉大な思想です)。数多くの良心的な人々が先生の思想を喜びますか。どうでしょうか。(喜びます)。神様はどうでしょうか。(喜びます)。それならすべてです。では皆さんは今まで自分たちが考えていたものをすべて捨てて、このような考えのみで満ちたとしても後悔ありませんか。どうですか。(ありません)。ではこの時間にそうしますか。(はい)。とても簡単ですね。それをやっても寂しくありませんか。未練が残りませんか? それをやりますか。(はい、やります)。はいと言う人手を挙げてみなさい。おお! ありがとう。 それでは、昨日遠くから自分の相対者がそばに来て座っています。その人が自分の手をつかむ時、ピシャッとはねのければいいですか。それとも、そのままにしていたらいいですか。(一番目です)。そうすると泣くかもしれません。千里万里の道を来たのにこの米国の女よ! と言われたらその方がいいのです。先生はそのような道を取ってきました。先生は正しかったでしょうか、問違っていたでしょうか。(正しいです)。 皆さんは頭をきれいに掃除して人類解放と神の解放のために前進すると言いましたね。では皆さんはこれから眼鏡をつくってかけなさい。かけたくなくてもかけたと思いなさい。私の目は人類解放の眼鏡と、神様解放の眼鏡を通して見るのです。私の耳は、人類解放の言葉と神様解放の言葉を一番喜びます。それ以外のものは聞きたくありません。耳にもそのようなものを入れなさい。そして口に対しても、「口よ! あなたは食べることが好きですが、なぜ食べるのですか」と言うと、「人類の解放のため」(と答えます)。中国料理を食べる時には、十倍働くために食べるのです。どうですか。(先生の笑い) 鼻も神と人類解放のためのにおいをかぐためにあるのです。良い着物を着るのも、人類を神を、より解放するためです。それで手は柔らかいものを触るのを好みますが、それとは反対に岩を触ったりするのです。それは容易なことですか。難しいことですか。(難しいことです)。それで今晩、皆さんに『使命と祈祷』という話をするのです。 この目は劇場に行こうとばかりして、良いものばかりを見ようとするのでだめです。この目が怨讐です。この怨讐を防御することを知らなければなりません。自分のそばにいる夫と、通り過ぎていくハンサムな男性を比較して、あの男性と一緒ならいいと思うのです。この目が怨讐です。このサタンを取り除いてしまわなければなりません。また耳は、甘い話を(好みます)。「まあ、人類の解放、神の解放とか言わないで、(そうしている間に)一生に一度の青春は過ぎてしまうから、良いものを食べ、良い物を着て、一時生きたらどうですか。気持ちもいいではないですか。私があなたの願うことは何でもやってあげるから、どうですか」と言われるとその気になってしまいます。耳が怨讐です。怨讐が出入りすることのできる通路なのです。それからこの口は食べたいと言います。米国の女性は機関銃のように不平を言います。これが怨讐です。 それから鼻が怨讐です。次には手が怨讐です。それから男性と女性の異なるもの、それが怨讐です。そこにブレーキをかけなければなりません。それは容易ではありません。どんな偉大な男性だとしても、美人に誘惑されるのです。いくら美人だとしても、美男子に誘惑されるのです。それはどこからであるかと言えば、目、鼻、口、耳、接触、感覚(からであり)、これらがすべて影響を与えます。では怨讐がどれくらいいますか。それは、五感、七感です。(五感のほかに)心があり、男と女の異なった部分があります。七大怨讐です。これは恐ろしい怨讐です。サタンは耳を取って食べようと待ち構えており、目を狙っており、すべてを狙っているのです。(サタンは)それはあなたの一生のうちにおいて、永遠に征服することができない、と言っています。 では怨讐は自分の外部にあるのでしょうか、内部にあるのでしょうか。(内部です)。それはあなた自身です。自分自身の中にいます。自分自身を防御できない人は、いつ敵に引っ張られて行くかわかりません。いかなる所に現れるかわかりません。苦労し、ムーニーとして迫害を受け泣いている時に現れるかもしれません。自分で自信がなくて、人類と神様を解放するということは愚かなものです。 タバコやドラッグ、酒などを飲んだり、雑談をしたりしていると問題はいつも付いて回るでしょう。それを分別するのは難しいので、「神様、私を助けてください。人類を解放し、神様を解放する私を助けてください」と祈るのです。米国の若者たちは結婚前に経験しているので、男性が弱いのです。わかっていますか。女性はどうですか。東洋の女性は服を脱ぐことがどれほど難しいかわかりません。それで東洋はみんな覆い隠すのですが、米国ではすべてを露わすのです。(笑い) そしてよくウインクするし、よく笑います。(爆笑) 東洋の女性は米国に来てはよく騙されます。「あら! 私のことが好きではないのかしら」と。それほど違います。米国の女性は自分の体をよく取り締まらなければなりません。わかりますか、何の話か。自分を守らなければなりません。その中でも、やはりムーニーは少し良い方でしょう。怨讐は他にあるのではありません。 先生の場合にはそのような思いがなかったと思いますか。先生は生まれながら、すべてをコントロールできたのでしょうか。(いいえ)。更に積極的なのです。人類を愛するにおいても敏感です。しかし、自信がなかったら、天の公的責任を負えないと思います。自分の目よりも、口よりも、耳よりも、自分の感情よりも敗けるそのような人に、神様が人類を預けて、どうして神様が解放され得るでしょうか。 何の話かわかりますか。だから逆に考えるのです。反対であります。西洋に来たら西洋のロック音楽を好まないで東洋音楽を聞き、東洋に行ったら西洋の音楽を聞きます。 女性たち、男性が誘惑しても落ちないという自信がありますか。(はい)。自信をもつことはできません。心ではそうしようと思わなくても、足はそちらに動くのです。それで境界線まで来ると、「ああ! わからない」と言います。そのために自分を発見しなければなりません。 先生がこのみ旨を出発するにあたって、どれほど多く考えたことでしょう。西洋の女性、日本の女性、韓国の女性、世界中の邪な女性たちが私を誘惑しようとして来るに違いない。そのように思ったでしょうか。思わなかったでしょうか。それらをすべてコントロール(主管)できない人であるなら、神様を解放し、人類を解放するということは全くナンセンスになってしまいます。それで祈祷するのです。それを知っています。 先生の目を鏡に映して見る時、自分の目が罪を犯さないように、自分の目に対して厳しく言い聞かせました。自分の鼻に対しても、鼻が高い高慢な人間にならないように厳しく戒めました。また、口に対しても、「三十歳になるまで十分に食べることができなかったでしょう」と言うと、口は「ええ、あの頃は本当に耐え難かったです」と答えます。先生の耳もこれまで数多くの非難や迫害の声を聞いてきましたが、そのことについて慰めると、「それでもあなたの耳であることができて一番幸せです」と答えてくれます。先生の手もこれまで困難なことばかりしてきましたが、それでも「自分は一番幸せな手です」と答えてくれます。このように身体のすべての部分が、「今こそ私の主人に出会いました。私の本当の主人はあなたです」と言っています。皆さん、そのような主人になっていますか。(いいえ)。真の部分になっていますか。(いいえ)。 だから皆さんは祈らなければなりません。使命がすべてだからです。それ以上に重要なものはありません。そして、使命を遂行する上で真の障害となるものは、外からの迫害ではなく、自分の内部にあるのです。あなたが本当に自分自身に厳しくすれば、この世はあなたがたを迫害しなくなるでしょう。内的に自身を防御できれば、外的な迫害、中傷は問題ではありません。だから、重要なのは自分自身の内部です。難しくて苦痛な時は静かな密室に入って祈りなさい。それで答えが来なかったら、更に深く、より深刻に祈りなさい。より時間を投入してやるのです。先生はその道を行くために、十二時間以上祈ることは普通でした。米国の祈祷のやり方は五分です。大洋の深い、何千フィートの深い所を訪ねて行くと思わなければなりません。どれほど克服し、忍耐しなければならないかわかりません。祈る人は失敗がありません。自分でみんな知っているのです。祈りの味を知れば、食事する時より面白く、どのような趣味よりも面白いのです。そうなると環境のすべてが整頓されてくるのです。善いこと悪いこと、即座にわかってきます。 今日ムーニーたちは祈祷をしていません。食べ物、眠り、その他の誘惑を克服して、人類の解放と神の解放のために、どれほどたくさんの祈りをしなければならないかわかりません。人類歴史において誰よりも最高の深刻な立場において祈らなければなりません。このようにいかに困難であっても、私の祈りの力を通して、この道を貫き通すという決心をしなければなりません。二十四時間、常に祈らなければなりません。そうすると神が共にいてくださいます。皆さんも自分を思ってくれる人の所へ訪ねて行くでしょう。そうでしょう。神様もそうなのです。 召命と使命と祈祷を考えなければなりません。そうすると、正しいことと間違ったことがすぐにわかるようになります。神様が自分と共に生きておられることを直接感じることができるのです。そうすることによって、人類を解放することができ、神を解放することができるのです。(そうしなければ、)皆さんが荷物となります。神の荷物になっている、そういう人は解放体になれません。そういう者がやるのはナンセンスです。神の世話にならず、人類の世話にならない自分になってこそ、このことを成すことができます。それで使命と祈祷の話をしました。どこに行っても一人でいる時は、常に祈らなければなりません。思いを集中させて(祈るのです)。そしてその目を通して見れば、伝道する人であるかどうか、すぐわかります。神は共にいてくださるのです。それをはっきり知ならなければなりません。 人類と神様の荷物になる人が神を解放することはできず、人類を解放することができないことは真理です。統一教会の世話になっている人が、人類を解放することができますか。米国の荷物になっている人が、神様と人類を解放することができますか。人類と神様を協助することができ、協助しようとする立場に立たずしては、(人類と神を)解放することはできません。私は今統一教会を信じて生きているのではありません。人類と神様の解放を信じて生きています。私は統一教会を助け、米国を助け、世界を助けることはあっても、米国や世界の世話にはなりません。考えの根本が皆さんとは異なるのです。 この前幹部の食口が、「ああ! 先生は私をわかってくれないで」とか何とか言っていました。あなたが出発したのは人類と神様の解放のためであるのに、先生が機嫌を合わせたり(ということは)、とんでもないことです。先生は人類の解放、神様の解放ができない時は、みんな蹴飛ばしてでも行く心をもたなければならないのです。いくら投げ出されてもその道しかありません。それではレバレンド・ムーンが助けてあげると思いますか。無慈悲に助けてあげません。相手にしません。先生のやる責任を果たします。無慈悲にやります。それが問題ではなく、私が神様を解放するために行くのが問題です。神様は数十年前に成してほしいと願っておられるのに、このように待たせて、と言われることもあるでしょう。 重要な問題は祈祷をしなければなりません。神様が私に頼まなければならない。人類が私に頼まなければならない。そうすることのできる考えが必要です。だから、今までもっていた観念を整理していかなければなりません。このニューヨークに来る時、私が協助してもらうために来るのか、協助するために来るのでしょうか。ここに万物の日に来る時、世話になろうという思いで来てはいけません。私がここに来る時は、来る前よりも何倍も(ここが)良くなる努力をするために来るのです。いつかは必ずお返しします。間違いなく返すのです。責任をもって行動しなさい。そうすることによって、神様はその人をどんどん協助してくれるのです。 レバレンド・ムーンが行く所はどこでも騒ぎがあります。騒ぎがあるくらい実績がいいのです。騒ぎより実績が大きいので神様は喜びます。行く所どころにうわさになりますが、その問題となる結果が悪くなく、神様の前に利益となり、人類の前に利益となるので、神様は喜ぶのです。昨夜先生は、オーシャン・チャーチのメンバーに、「私はあなたがたが憎い」と言いましたが、そうすることによって人類の前に、神様の前に良いことであれば、「憎い」という言葉は良く使ったことになります。皆さんが喜ばなくても人類が喜び、神様が喜ぶからです。どうですか。わかっていますね。だから不平は言えません。 頭となって世話になるな! 先生は米国の世話になりましたか、皆さんが先生の世話になりましたか。(米国が先生の世話になっています)。そのために不平を言う素質を多くもっているあなたがたは黙っているのです。(先生の笑い) 言うことがなくてじっとしています。皆さんが考えているよりは先生のやり方が一番良いでしょう。(はい)。それでは使命と祈祷です。「人類の解放と神様の解放のために私は出動いたします」、すべてはこれを聞いたでしょう。では約束したので、これからはそのように行きますか、どうですか。(行きます)。 先生が監督し訪ねて行って慰めてあげなければ、あなたの夫がわかってくれなければやらない、中心者がわかってくれるのでやる、それではいけません。これからは決意して使命を中心として、無限なる祈祷と共に独立心を中心として、自分がどこに行ったとしても助けてあげることのできる人(資格者)のみが、人類を救い、神様を解放することができるのです。そうでなければ偽りです。その道を一生の間走った後には、ポケットには何もなく、ハンカチ一枚なくて、穴のあいた服を着て歩いたとしても、皆さんの背後には数多くの人たちがついて歩くでしょう。見物するものができたと言って神様もついて来ることができます。これは先生の哲学です。 モスクワ大会に行くべきですか、どうですか。(行くべきです)。その後は何ですか。地獄です。地獄の解放です。それなくしては神様の解放はありません。それは素晴らしいことですか。(はい)。それは素晴らしければ、素晴らしいほど難しいのです。どれほど忍耐し、どれほど耐えなければならないかわかりません。今朝、そのような決心をして出発します。これに対してアーメンですか。アーメンではありませんか。(アーメン)。 ヨーロッパから来た責任者どうですか。ピーター・コック、何がそんなに深刻ですか。そのような思いをしないでください。すべてを神様に預けなさい。自分だけがやらなければならないということはありません。すべて神様が責任をもって処理してくださるので、自分はやるだけのことで終わるのです。行く時においては、途中で一度まわる時も必要です。そのままにして良くないことがわかれば、それをきれいに止めてしまわなければなりません。 先生も米国をいつ発つかわかりません。今夜荷物を準備して明朝にも発ってしまいます。常に準備しています。ここにおいてのすべてを捨ててもいいのです。この場を捨てて行かなければなりません。自分のみ旨通りに行って死ぬのではなく、神様のみ旨についていって捨てていく方がいいのです。それまでは精誠を尽くすのみです。それで人類の前に、神様の前に、国の前に、このような解放のみ旨をもっている私としては、恥ずかしくありません。簡単なことです。複雑ではありません。複雑な考えはしないのです。私はこのために生まれた、これをやることが使命であり、私の運命であると思うのです。わかりましたか、簡単に考えなければなりません。複雑に思えば精誠が通じません。第一は人類を解放することであり、第二には神様を解放することです。皆さんはそれが可能です。そう決意する人は手を挙げてください。(はい!) 神の祝福がありますように。(拍手) 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.09
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「私を中心とした父母と子女と万物世界」1983年6月5日ニューヨーク・ベルベディア この世の中には多くの人が住んでいますが、その中の一人が私です。今生きている地上の人たちは、いかなる関係にあるでしょうか。多くの国がありますが、各々の国は一つになることができません。そして、国の各々の民族、数多くの氏族、家庭も一つになることができません。また、皆さん自身を見たときに、家族を見ても、体を中心として見ても、一つになることができません。このような実情をもっているのが世界の現実です。私たちがいかなる所に行ったとしても、あまりによく見ることは、一つになることができないということです。不信の環境があまりに強いことを感じて生きています。そのような激動する中に、自分という存在が立っているのです。 しかし、私たちの本然の心は、このような社会、このような環境を願わないで平和で統一された何かを追求しているということは、否定できない事実です。このことが事実であれば、その事実の定着地、あるいは目的地はどこでしようか。自分自身を見ても心と体が闘っている、これを見るときにこの宇宙において、信じることのできる、あるいは頼ることのできるところがあるでしようか。今、私たちが頼りとしている世界、国家、社会、家庭、また父母、妻子とありますが、この自分自身において頼りとすることのできる何ものもないことを発見するのです。心と体が分立しているので、自分自身においても頼りとすることができません。 したがって、今自分が生きている世界が問題ではありません。国家も、社会も、家庭も、夫も妻も問題ではありません。結局のところ、自分自身がいかなる統一的基盤を整えるかということが、極めて重要な問題です。自分が平和なる統一世界を願うなら、自分自身から統一し、自分自身が一つになったところにおいて求めなければ、統一的な世界と関係を結ぶということは、理論的な矛盾なのです。 では世界の願うところは何でしようか。不信に満ちた嘆きの世界であり、統一されていないこの世界は、一つになることのできるところを、願うに違いありません。国も同様であり、また、私たちにおいても。一つになることができるところがどこかを求めています。このように、世界と国々が、統一された中心、その一点を探し求めていると見るときに、その全体が探し求めている中心ポイントは、結局私という人に帰着されるのです。真なる人に帰着されます。すべてが一つから出発して完全に統一された基盤なしでは、全体統一形成は不可能です。それが不可能であるとすれば、理想だとか、善だとか、すべてがおしまいになってしまいます。結局私というものを拡大させたのが宇宙なのです。 皆さんは距離を計る尺度を知っていますね。もし一センチメートルだとしたら、そのオリジナルモデル(原型)があって、それは絶対的です。それと比較して同じであれば、みな正しいのです。原型に合わせてみて、合わなければ不合格なのです。一センチメートルは十ミリメートルですが、一ミリメートルは絶対的な尺度と見ることができます。それを十倍すれば一センチメートル、一〇〇倍すれば十センチメートル、このようになります。そうすることによって互いが連結され、いかなる所においても共通であり、統一的内容をもつことができます。 人間の世界には、そのような尺度がないのでしょうか。人間世界が統一されようとすれば、そのような原則的基準において、心と体が闘わずに一つになったその型が、必ずこうでなければならないという型があるはずです。このように思ってみれば、自分自身を管理することは、たやすいことでしょうか? (いいえ)。心はこちらに、体はあちらに行くのです。東京に、「人心朝夕変あり、山川古今なり」という格言があります。皆さんはどうですか。朝夕変わるのにいつ統一されますか。歴史上に有名な聖人たちを考えてみてください。イエス様はどうであったでしょうか。釈迦や孔子はどうであったのでしょうか。私たちは、心と体が一時間に数百回も変わりますが、それらの聖人というのは、一つの場において変わることのない人たちです。 (しかし、聖人たちといえども)まっすぐ立っていることはなく、ゆらゆら揺れたことでしょう。イエス様はそんなことはなかったでしょうか。ちょっと聞いてみましょう。(笑い) イエス様は男性でしょうか、女性でしょうか? (男性です)。男性が女性を見たら、女性と考えないでしょうか。間違いなく女性と思うでしょう。すると、自然の理法からプラスとマイナスがあれば、自然に引力関係になります。そうなったでしょうか。イエス様はそれを感じたと思いますか、感じなかったと思いますか? (感じたと思います)。だからイエス様も立ってはいましたが、ゆらゆらと揺れたことになります。手も同じであったと思いますが、しかし足は離れませんでした。足が離れれば倒れてしまいます。普通の人ならば、手よりも足が先に動くのですが、イエス様は手は動いたとしても、足は動かなかったのです。私たちはいくら偉いといっても、イエス様以上にはなれません。イエス様がそうであるといって、いつまでもそうなのではありません。倒れそうになっても、これはいけないと言ってすべて切ってしまい、心と体が一つになることのできる位置を得なければなりません。 男性は男性として、どこで電気がスパークされなければならないかといえば、宇宙の宮殿においてスパークされなければなりません。そのような場においてこそ、男性と女性は出会うことができます。なぜかといえば、最も貴いことであるので、最も貴い場でなされなければなりません。だから今日のアメリカ式のように、男性と女性が会うことはできません。先生が話した方とアメリカ式と、どちらが良いでしょうか? (先生のほうです)。しかし、それは大変難しいことです。アメリカ式のほうが、どれほどたやすいことでしょうか。ちょっとかわいい女性がいれば、勝手にキスをします。(笑い) 何百万、何億とキスはありますが、本当のキスは何でしようか。先ほど一ミリメートルとか尺度の話をしましたが、ミリメートル的キス(標準化されたキス)はどのようなものでしょうか。(笑い) それは必要ですか? (必要です)。義人、聖人が願うのは、尺度化(標準化)された型における中でキスし、愛そうとすることであり、そうする人は正しいという結論になります。今日、堕落した人、この地上に生きる人たちは、そういうことを考えることすらしなかったのです。しかし、義なる人、新しい何かを願う人、理想を見つめて生きる人であるならば、こうなるしかないという結論になります。もしも自分自体が、これを地上においてなすことができるかといえば、これは不可能なことです。 神がいるとするならば、このような内容を解決してくれる希望的宣言だとか、または、そのような宣言をすることのできる人を送ってくれなければなりません。神がいるとすれば、私たち人間の前に予告するであろう内容が何かといえば、宗教でいうメシヤ精神です。そうだとしたら、これは正しいのです。そのような思想を歴史を通して今までもち続けてきたのであれば、神がいるということを、私たちはここにおいて、理論的結論として出すことができるのです。分かりましたか? メシヤが男性であれば、男性のモデル(原型)です。彼を中心として、女性はモデル的(原型的)な女性につくって、愛し合うのは、モデル的な愛をつくるためです。その責任者はメシヤです。だから遠い話ではありません。男性と女性が一つになって完全に愛するとき、それは神様のモデル(原型)と同じであるべきでしょうか、異なるべきでしょうか。(同じであるべきです)。同じであれば、それは愛を中心とした宇宙のモデル(原型)になる、このような結論になります。 神が私たちに対して、男性女性がそれぞれに対して何を願うかといえば、神様も私たち人間に対して愛を求めるであろうし、男性も女性の前に、女性も男性の前に愛を求めるのです。その愛が異なるものではなく一つであるならば、それは宇宙の中心にならざるを得ません。宇宙の原則的なミリメートルのような標準的型になります。それが真の愛です。真の愛は人間同士の愛ではなく、宇宙を代表することができるために、神も(その)愛に入れたくなくても、入れざるを得ないのです。 女性の中で結婚している人は手を挙げてください。結婚していない女性も手を挙げてください。「私は真の女性の愛をもっているので、すべての真の男性は私のもとへ来なさい」。(笑い) 女性の皆さん、(このように言える)自信がありますか。なぜないのですか? こんなに大勢いるのに一人もいないのですか。男性はどうですか。問題は簡単です。この世の中の男性で、数学、哲学、宗教などをやるのをすべて投げ捨てても、真の愛をもって生きることができる、神様と共に生きることができる人であればいいという、一つの結論的なことをいうことができます。真の愛をもって、神を中心として生きる夫婦であれば最高です。そうなると男性が生きる世界のどこにでも行くことができ、女性が生きる世界のどこにでも行くことができ、神様が住んでいる世界のどこにでも行くことができます。このように見るとき、聖人たちを考えながら行動するのもいいですが、一つの(真の愛をもって生きればいいという)結論がここにあります。簡単ですね。そう思いますか。 レバレンド・ムーンが、けさここにおいて結論を出したことに対して、神様に尋ねてみたとき、神様は「あなたの話は正しい」、男性に尋ねてみても、女性に尋ねてみても、「あなたの話は正しい」、三者がみな正しいと言うでしょうか? (はい)。(拍手) 高貴な人はなぜ必要ですか? 高貴な夫婦のためです。高貴な夫婦になってどうするかといえば、高貴な神の愛を成し遂げるためです。では高貴な神の愛を成して何をするかといえば、宇宙をすべて所有し、中心として公布するためです。(黒板で)ここではすべてがこれを通じます。すべてをコントロールするのです。これがなぜ中心となるか、それはすべてが私のものになるためです。ではこの中心は、お金であるべきでしょうか。権力であるべきでしょうか、愛であるべきでしょうか? (愛です)。この地上を見るときに、愛を売って知識を買う人がどれほど多いでしょうか。愛を売って金を求める人、愛を売って権力を買う人がどのくらい多くいることでしょうか? それらはみな偽りです。皆さんはどうですか? (違います)。 それでは、宗教を売って、宇宙を売って、神の愛を買うとしたらどうですか。そのようにすることは悪いことですか? 宗教がいくら利用し、世界がいくら利用し、利用されても、神の愛をなすことができるのであれば、それは善いという話です。何の話かといえば、そのような宗教があるとしたならば、その宗教は宗教よりも愛を強調し、世界よりも愛を強調する、そのような宗教であるという結論が出ます。このようなことを教えてくれる宗教がなぜ必要でしょうか。それは宗教は元来神を中心としたものであり、神の愛を論議します。したがって、宗教以外には、神の愛といったより大きな愛を教えてくれるものがありません。それで宗教がなくてはならないために、統一教会がつくられたのも、その意味における(神の愛をなすための)方便です。どうですか? (そうです)。 宗教における統一教会のその原則は、何でなければならないでしょうか。男性と女性を完全に愛で一つにし、神が定着することのできる内容があれば、ここで統一ということ(概念)が可能なのです。中心において主管することのできる理想的内容があるがために、可能となります。それで何を売っても、何を犠牲にしても。統一教会の人たちは行かなければなりません。それがどんなに困難な道であろうとも、たとえ死ぬようなことがあるとしても、私たちは行かなければなりません。イエス様も最初は、この世においてこのように歩むと定めておいたのです。宇宙がどうなるかと考えるとき、この結論が最高の理想郷に行ける道であります。なぜ、男性は女性を探し求めるかといえば、それは神の愛を求めるためです。目的は女性でもなく、男性でもありません。家庭でも、国家でも、世界でもありません。神の愛に到達するために、私はそうするという結論をしっかりと理論的に整理しなければなりません。 今まで皆さんは、そのように決定してやってきましたか、み旨がそうであるから(といって決意もなしに)そのままきたのですか。皆さんの心と体が、今まで一度も崩れずに、完全に一つになりましたか。心と体が完全に一つになれずに、そのような愛をすることができません。そうなりましたか? (いいえ)。心と体が一つにならなければなりません。この心と体を一つにすることのできるものは愛のみです。愛のみが可能なのです。いつそのようになるかといえば、愛することを知り始めた時です。愛の道を訪ね求めて行くときには、心と体は一つになることができます。その愛は本然の愛です。 それはいつかといえば、思春期においてです。愛を求めているときは、心と体、すなわち心の目と体の目が一つになるのです。それほど強いのです。父母の話も聞かず、勝手に回っていきます。目もそうであり、鼻もそうです。愛の鼻はもっと、普通ではかぐことのできない嫌いなものも、好きになります。また、心と体が一つになったなら、味も、何でも良く感じます。聞くことにおいても、夜明けまで聞いても良いのです。触覚も同様です。それは愛のみが永遠であるためです。その話は、正しいと思いますか? (はい)。思春期になると目がおかしくなります。(笑い) なぜか分かりませんが、みんな良く見えてくるのです。服も着飾るし、(ジェスチャーを交えて)とにかく好きでたまらないのです。愛というのは、消化することのできない骨までも消化し、また汚いものもおいしく食べられ、すべてを消化してしまいます。愛は神秘なのです。心と体が均衡になり、一つになって、二人が一つになって、ここで愛という銃を撃ちます。(笑い) もう一時間たちましたね。もうやめましょうか。これだけでも偉大な成果があります。やめましょう? (いいえ)。(笑い) そのような愛を願う人は手を挙げてみてください。本当の愛をもって、醜い男を見るときに、美男子に見えると思いますか? (はい)。そうです。愛は素晴らしい力をもっていると私は思います。 思春期において、初愛において結ばれた男女は、永遠に忘れることができません。美人とか、不美人とか、そういうことは見えません。初愛を捨てる人は神の前に行くことができません。この地上において天国に行ける人は、初愛を中心として生き、初愛によってすべてをあきらめ、初愛のゆえに生き死ぬという人です。そのために初愛を良くしなければなりません。レバレンド・ムーンが今まで善男善女ということで結んであげたのは、これを成すためです。統一教会の信者たちは、国境を越え、人種を超越して合同結婚式をし、世界から騒がれる狂った人々です。その気違いは何のためかといえば、本然の愛のためです。 このような観点において、皆さんは一度反省してみなさい。自分はどれほど不完全な人でしょうか。どれほどよこしまな心と体をもっているかを反省してみなければなりません。自分の体を偽り、心を偽り、全体を偽っているよこしまな自分自身ではありませんか。このような自分自身を発見して、「ああ! 神様、私を愛でもって救ってください」と言う前に、皆さんは自分自身を否定し、是正することが先決であることを知らなければなりません。心と体を一つにしなければなりません。 体が行く道を中心として、心が一つにされるべきですか、心が行く道を中心として体を一つにさせるべきでしょうか。(心を中心として)変わることがあっても、心のほうがよりましだからです。心を中心としてこの体――鼻、目、口などすべて――を一つにしていかなければなりません。理想的な男性に会うためです。理想的な男性に会って何をするのでしょうか。理想の神に会うのです。それから理想的愛を探し求めます。不可避的にそこに行かざるを得ません。すべてをみな捨てて、この道を決定し、決定的な判断を下さなければならないことを、はっきりと知らなければなりません。どうですか? (そうです)。レバレンド・ムーンがそのように言うから、そうやるべきなのですか。レバレンド・ムーンが言わなくても、本来の心がそうなのですか。どちらですか? (本来の心です)。 なぜ心と体が一つになれなかったのでしょうか、これが問題です。神がいるならば、なぜ心と体が一つになるように造られなかったのでしょうか。私という人間は愛が何であり、男性と女性が何であるかを、知らないで生まれてきました。男性として生まれ、女性として生まれたならば、(互いに探し求める)そのような可能性の道を行くのは事実であります。しかし、そのように行く道が愛の道であるならば、なぜ、元来一つになることのできる基盤をもたないままに生まれたのでしょうか。神がいるなら、なぜそれができなかったのでしょうか。これが問題です。絶対的な神がそのような愛を必要としているのであれば、女性を造った時に、その女性をして理想的に造ることができなかったのでしょうか。そこで、正常なる男性と女性の立場に至らなかった、正常なる神様の所へいまだ至っていなかった、という論理が成り立ちます。思春期まで行ける一時を願ってきたのに、その所まで行くことができずに、事故を起こしてしまったという話であれば、分かるというのです。 それではなぜ、その時まで待たなければならなかったのでしょうか。愛において成熟する思春期までの期間があるためです。それでこの期間までには、いかなる過重的要求があるとしても、私たちは理解できます。このために、成熟する前に愛によって故障となり、神も離れ、男性も女性も嫌だと言って離れる立場に立ったならば、大きな問題です。そのような一時があったとしたら、すべてが説明可能となります。もしそれがなかったならば、この宇宙は神もなく、永遠でもなくなります。愛の事故が起きた、これ以外にはありません。そのために神が問題となり、人間が、歴史が問題となりました。宇宙の大事件として、ショック(衝撃)を与えることができるのは、愛の事故しかありません。 それで神様は、「取って食べるな」と言われました。この言葉はある過程的な内容を中心とした愛の警告であるとするならば、それは愛の思春期という成長期間があるためであって、永遠にではありません。なぜ「善悪の果を取って食べるな」と言われたのでしょうか。それは何かといえば、人間と神との基を整えるための動機の内容があるために、問題視したのです。そうでなければ問題視する必要はありません。このように見たときに、今日何も知らない人たちにとって堕落という言葉は、偉大なる福音です。この世界を眺めるにおいて、このような苦痛の時代の中においては、(かえって)堕落という言葉は偉大な福音なのです。 善悪の木の実は(文字どおりの)実ではあり得ません。億千万人類が呻吟し、このような破綻の場で争うこととなるそのような木の実であるならば、神はなぜ、そのようなものを造ったのでしょうか。レバレンド・ムーンのみが、これは愛の内容を中心とした、そのような木の実であったという宣言をしました。結果として現れている事実が何よりもその理論に近いのです。そこで愛には善の愛と悪の愛が生じました。その結果次のように分かれます。成熟した人は真の愛を知る人であり、堕落した人は真の愛を知らない人です。神の愛に生きる人は真の愛を知る人であり、サタンの世界の地獄に生きる人は真の愛を知らない人です。 それでは、神が認める愛はどのようなものでしょうか。アダムとエバが十六歳から十八歳になり、目が勝手に動いて、お互いに見つめ合って、「私が求めていた人はあなただったのです」と言うことのできる段階にならなくてはなりません。その時は思春期で、心と体が一つになったのです。目を見つめると神秘的な目であり、鼻をつければ電気が通ずる、このようになって男性、女性が心と体が一つになったときに初めて、花が完全に咲き開いて香ります。その香りは宇宙の香りであるので、宇宙の万物がくんくんと香りをかぎ、良い気持ちになっています。そのとき神はどうでしょうか。神もこれは不思議だと我知らず、(愛の)銃に撃たれたようになります。神は、「ああ、彼らは引力で私を引っ張ろうとしている」と言い、また「私の創造は最後に愛によって活性化された、私は移動するとしよう」と言うでしょう。その時に神は降りて来て、アダムとエバの周辺に共にいるようになり、結婚の世話人になります。そして彼らが一緒になった時、愛の爆発が起こります。それは男性、女性、神と三者による爆発です。 純潔な男性と女性が神を中心として一つになり最初の愛を完成すると、それは宇宙の核になります。そしてすべてを愛で主管し本来の軌道に入るはずだったのに、脱線してしまったのです。脱線しなければ素晴らしく展開したはずです。この核はあまりにも強力に引き付ける力があるために、神様も首を縛られたようになって、これを離れることができません。体は離れても足は地面に付いています。男性も女性も離れることはできません。だからここから生まれる子供たちも、みな紐を持って、引っ付き引っ付きして世界となったのです。そして家庭、氏族、民族、世界となっていきます。この宇宙世界は何と素晴らしいことでしょう。そこは大変神秘的な所です。これが地上天国です、真実の世界です。皆さんはどう思いますか。(拍手) レバレンド・ムーンは空想家ですか? (いいえ)。 先生が初めて、恨みは愛からであったということを、このような歴史的背景を通して理論的体系において宣言しました。それは否定できない事実です。それが分かったならば、それを一つ一つ解くことは容易なことでしょうか。すべてが反対になり、分かれてしまっています。この理論が正しいならば、いくら世界の人が多くいたとしても、ばらばらに分かれ分立された人間像が発見されるはずです。そしてこの現世が(理論に)合っているという事実を否定することができません。したがって、堕落によってできた世界であるということは、正当な結論です。(黒板を使用して)ここからみな分かれたので、神もなく、父母もなく、男も女も世界もない混乱状態が起こるということは理論になかった現象です。ここでは自分自身でもっては、絶対に一つになることができません。希望がありません。人々は方向を探しますが、全くその方向が分からず、光も見えません。それで、これらのすべては今や神を求めるのです。 しかし、「神はいない、神は死んだ」と言っています。それはすべての終わりを意味し、人間の滅亡を意味します。希望とか、理想とか、ユートピアとか、何もありません。それは人間たちがつくり出したものです。いかにしても(真理は)分かりません。個人を見ても、家庭を通じてみても、世界を通じてみても分かりません。有名な学者、聖人君子たちもみなこの中で(図を示して)見つめているので分からないのです。神様(の立場)に来てみて、初めて分かります。聖賢たちもここに行ったり、来たりしてやめたので、世界がどのようになっているか知ることができませんでした。 このような実情を見るとき、(図で説明)このようになっているために、愛のため、真の愛を求めてこの世界圏を克服しなければなりません。そのような宣言が必要です。本然の愛はこの世の愛よりも次元が高いのです。そこで「誰よりも私を愛せよ、この世のすべてを捨てても私を愛せよ」と言える男性がいたとしたら、その人は偉大な聖人です。それは何の話かといえば、堕落した世の愛の圏を超越することのできる、愛の圏をつくるということなのです。 神様はどうでしょうか。このように堕落した世界にあっては、神様もこのような人を願うことでしょう。このような世界に生まれたとしても、真正なる心の要求から、「私はこのような愛を求めて行きます」と言う時、神様は黙っているでしょうか。それにこたえなかったならば、神様に責任があります。なぜならば神が人間を造ったからであり、神が造ったからこうなったのではないですかと言われれば、神はどうすることもできません。私はここで生きているけれど、「あなたが願う理想的愛の圏に行きたい」として、行こうとするのに歓迎してくれないならば、神はいないに等しく、否定されざるを得ません。神は必ず答えなければなりません。「あなたの答えは正しい、あなたを待っている」と。 数多くの聖人の中においてイエス・キリストのみが、人格的神として、神を父として宣布しました。イエスは万民の愛を中心とした先導者であり、救世主であらざるを得ません。もしそのような人が誕生したとしたら血統的に愛はどうなっているのでしょうか。イエス様でもサタンが離れてくれません。神とは一つになることができても、サタンは離れてくれません。なぜかというと、愛は本来の創造の原則において、主管することのできる権限があるからです。サタンは非合法的な愛ではあっても、アダムとエバを愛したに違いありません。「私はアダムとエバを愛したので主管することができる。だから、それ以上私を愛さずしては、連れて行くことはできません」と言うでしょう。だからサタンの血統を取り除いて生まれなければ、問題が残ります。 イエス様(の家系)においても、カインとアベルに分立し血統的な浄化運動をしたという歴史的内容が、聖書に記録されています。ヨセフの血統を見ると、ずっとめかけの血統です。そのような複雑な問題をみな解決して、これらをすべて脱ぎ捨てなければなりません。そして、「神様、私はこれらのすべてを脱ぎ捨ててきました。今や、あなたの前に立つことのできる息子であり、あなたが探し求めていらっしゃる本然の愛を立てることのできる男性です」と言えるようにならなければなりません。どれほど膨大(な内容)でしょうか。今日統一教会において一つ一つを知って、一つの完全な体系に基づいて勝利的に現実問題に理論立てたということは、驚異的であります。そして、ここに来て座ることは、天下においても最も価値があり、名誉あることとして、誇りと思わなければなりません。そのために今日堕落圏にある皆さんは、堕落した国と世界全体を否定して、それ以上愛する愛をもって愛さなければなりません。しかし、そうだと決意しても、そのとおりにやることはできません。なぜならば、サタンを中心としているからです。 アベルは神の息子であり、神の息子は本来アダムとエバが行かなければならなかった天国に(行くに)は、天使長を愛し、天使長の種族たち(カイン氏族)を愛して行かなければなりません。それが原則です。誰よりもサタンを愛したという条件を立てなければなりません。そこで必要なのがメシヤです。私たちにメシヤを送ってくださいということになります。メシヤは堕落圏とは関係ありません。本然の愛の主体型として来られる方です。エデンの園における神の息子、娘には堕落圏がなかったように、本然の子女として生まれたのです。 宗教の歴史の中でこのような歴史をもっているのは、ユダヤ教です。ユダヤ教を中心としたメシヤ思想があるということは、神がいらっしゃるということです。神を中心としたメシヤと一つになることのできる民族として、世界において準備されたのがユダヤ民族でありました。このような世界の上に一人の方を誕生させるために、ユダヤの国を選び、選民として立てたのです。そして一つになったならば、愛をもってローマを消化します。イエス様はメシヤとして来られて何をするかというと、愛でユダヤ教を消化しなければなりません。 メシヤは男性であります。それでアダムにかたどってエバを造ります。メシヤは堕落した世界に来てエバを探さなければなりません。サタンが奪っていったからです。そのために新郎を迎えるまで、女性たちは歴史時代においていつも苦痛を受け、蕩減の道を歩むようになります。そして真なるメシヤと一つになって、永遠に変わることのない男性に出会って、絶対的な本然の愛の中で、爆発的な愛をこの地上に再現させて、ここで夫婦の因縁を結ばなければなりません。その中心は神の愛です。このようなこと(道)が、どこでなされるのでしょうか。国を治めることのできる宮殿において、あるいはユダヤ教の大祭司の家庭でなされなければなりませんでした。ところが、祭司長たちがメシヤを追い出したのです。 (黒板を使用して)これがなくなったので、メシヤは死んでしまいました。そこでこのような歴史を経て再び来なければなりません。これは非常に論理的なことです。それで再びこのような歴史をつくるために、世界的なキリスト教をつくってメシヤは再び来られるのです。どこに来るかといえば、キリスト教にです。そのキリスト教を代表する世界的中心国家がアメリカです。第二次世界大戦直後において、そのアメリカの権限が歴史上に一度しかない最大の期でした。しかし、その期を失ってしまったのです。(もしそうでなければ)共産主義をみな除去することができたのです。 この時がメシヤが来られる時でした。終わりの日、サタン世界の終わりの日だったのです。そしてそれは、統一教会から始まりました。ローマは太陽神を信じ、怨讐の立場にあったときに、イエス様を殺しましたが、蕩減路程においてこのローマと同じ立場に立っているのが、キリスト教文明圏の中心国家であるアメリカです。そしてローマとイスラエルの関係を蕩減しなければならないのが、アメリカと韓国の関係です。統一教会はこのような使命を中心として出発しましたが、キリスト教において歓迎を受けることができませんでした。もし受け入れていたならば、私たちはずっと以前に共産世界を克服していたことでしょう。しかし、受け入れられなくて、メシヤはモーセの四十年荒野生活のように荒野に追い出されました。そして四十年間で再びキリスト教文化圏(に相当する基盤)をつくるのです。アメリカとキリスト教が反対したのを蕩減復帰しなければなりません。蕩減するということは、愛するということです。統一教会の信者はキリストを、これまでイエス様が愛された以上、数多くの人たちが愛する以上に愛さなければなりません。それが認められる日、この国は生きるのです。 これからの三年間、アメリカの言論界や自由世界の言論界は統一教会に反対する気力がなくなるでしよう。それよりもこの世界に希望がなく、この世界が滅びていき、手がつけられなくなります。統一教会よりも、さらに悪いものを見ることになります。ムーニーが一番悪いと思っていたのに、自分の子女のことを心配して、自分の子女たちの生きている社会、自分たちが生きている国家、世界を見ると、かえってムーニーの思想がはるかに優れており、この世はめちゃくちゃになっています。 私たちは世界主義が必要です。神様も世界主義であるに違いありません。統一教会は共産党よりも、キリスト教よりも世界主義であることを、一度に理解させなければなりません。それは共産主義も恐れるものであり、それを打破し、新しい世界をつくり出すことのできるものであることを。共産党よりはレバレンド・ムーンがましである。そうなれば、共産党を捨ててレバレンド・ムーンを取るでしょう。(拍手) アメリカの青年たちはどこか行く道がありますか。フリー・セックス、ヒッピー、ストリーキング、レズ、ホモ、やるだけやってみたのです。ところがムーニーはレズも知らず、ホモも、ドラッグも知りません。たった一つだけ知っています。東洋の女性とアメリカの青年が一つになっても互いに喜んで、苦労してもそれでも希望をもっています。どこに行っても苦労を喜ぶということです。背が高くすてきなアメリカの男性女性同士が、周りで見てもうらやましいほどの人たち同士が結ばれても、(すぐに)争い離婚したりします。ムーニーたちは完全に離婚しても余りあるほどの二人であるのにもかかわらず、喜んで生活します。これはいったいどうしたことでしょうか。不思議なことです。姑を愛し家族たちを訪ね回りながら、一つになろうと苦労しながらも、よく耐えて喜んでいます。だから彼らは現代の青年と比べ、統一教会のカップルを最も不思議だと思うでしょう。しかし、最も不思議なお方は神様です。(拍手) アメリカは行く道がありません。間違いなく統一教会のレバレンド・ムーンがよく、ムーニーが素晴らしいといううわさがこだまのように全国に広がるようになると、その時は私が逃げ回らなければなりません。我々の父母は良くなくて(先生に反対しましたが)、我々はそうではありません、と言うでしょう。(拍手) 「(モーセの)荒野時代の四十年間において、先祖たちは神を裏切ったが、その後孫を連れてカナンの地へ入ったではありませんか。このように草創期から四十年ぶりに会ったのですから、レバレンド・ムーンは私たち後孫を引き連れて行く責任があるではありませんか」そのように讒訴されれば、レバレンド・ムーンはどうすることもできません。そのような時代が来るのです。 だから、どうせやるのならば、皆さんは初めから歓迎し前もって自分たちの責任を果たし、これらの人たちを救えという宣布がされるのです。統一教会が黙っていれば、彼らの後孫が訪ねて来て、「あなたよりも私のほうが優れているし、国が私の味方であり、世界が私の味方です。皆さんは何をしてきたのですか」と言われます。「ムーニーは大変小さい。しかし私たちには国があり、世界があります。皆さんには何がありますか」と言われたら何と答えますか。神はどちらを準備しましたか。小さなムーニーですか、大きなアメリカの若者ですか? (ムーニーです)。クリスチャンは国をもち、世界をもっています。しかし、私たちは指導権を失ってはいけません。 三年間動員すべきですか? (はい)。皆さんは伝道が嫌いだと言うけれど、問題ありません。ハーバード大学出身、エール大学出身、博士、学士たちが押し寄せて来て、自分たちが先頭に立とうとする日が遠からず来るでしょう。ドクター・ダースト教会長も復興会で回り、言論人たちとミーティングをすると、彼らが非常に親切であるので、どうしてこのようになったのか、と驚いています。昔は黒い色メガネを掛けて見ていた人たちが、今はそれを外してしまっているのです。どちらが良いか、悪いかが分かるのです。 生きた魚は清い水の流れに沿って生きるのが原則です。腐った中においても良心があり、真を求める人は、清い流れを訪ねて来ます。そうだとしたら、アメリカの志のある若者たちは、ここに来ざるを得ません。ここに来て問題になれば、一度に巻き込まれます。その時が来ると思いますか? (はい)。その時、立派であるという彼らに、「未来の世界に対して自信がありますか、生きていくことに、妻を愛し、父母としての自信がありますか、兄弟を愛する自信がありますか、自信のある人は手を挙げてください」と言うと、彼らも自信のないことが分かるでしょう。ではムーニーはどうでしょうか。自分自身に対して、家族、民族、世界、未来、神に対して自信がありますか? (はい)。我々はすべてに対して自信をもっています。(拍手) 先生はそのような時を見計らって、時を合わせてやっています。私たちはライフルを撃っているのではなく、機関銃を撃っているのです。それはどうですか。何と興奮させる内容でしょうか。そう思いますか? (はい)。私もそう思います。(笑い) 世界がだんだん近づいてくるでしょう。 神がキリスト教文化圏をして世界が動かせるよう計らった三年間がありました。それは一九四五年から一九四八年までの三年間です。しかし、この三年期間を失ってしまいました。韓国は一九四八年に独立しました。その時に、韓国と共に統一教会も独立させてくださったのです。ユダヤ教も一九四八年に独立しました。その時から数多くの国々が独立し兄弟国となっています。真の父母が弱者となり、敗戦国が強者となりました。最近はどうですか。ドイツと日本が、イギリスとアメリカを屈服させることのできる段階に入ってきています。そう思いませんか。アメリカだけのために、ヨーロッパだけのためにと考えるときには、下がっていくようになります。ドイツは一九八〇年まで、日本は一九七八年まで、自分の国のみを中心としたら下がっていくのです。自分のためにという国はみな下がっていきました。しかし、ムーニーは世界のためであるから下がりません。(拍手) 私たちの目標は理想世界を求め、それは霊界にまで行くのです。それで霊界のためにやるので、早く早く地上を処理するために、霊界は私たちを助けその道を教えてくれます。 今までレバレンド・ムーンは、宇宙世界の代わりの立場に立ってキリスト教文化圏を凌駕し、共産世界を追い出すことをしてきました。自由世界は共産世界に浸透され倒れそうになっているので、仕方なくレバレンド・ムーンを前に立たせるのです。(拍手) 彼らは嫌であっても、生きるためには仕方ありません。最初はこちらから来ました。(ジェスチャーを交え)そして回り始めます。(笑い、拍手) 夢のような話ですが、これは理論的です。ここに座っていることを誇りとしなければなりません。レバレンド・ムーンにおいて共産世界が終われば、すべてが終わります。世界を見てみると、統一教会が一番優秀であることは、既に決定しています。統一教会はこの世で最も恐ろしい団体です。(拍手) そして、サタン世界が震え上がる時、神は喜ぶのです。(拍手) 一世は(反対、賛成)と二通りいますが、二世たちは、共産党の二世たちも私たちを好きになります。そのようになりますよ。最後の勝者は誰でしょうか。共産主義者ですか? (いいえ)。最も嫌われているムーニーが勝利を得るでしょう。そうですか? (そうです)。(拍手) そうなると私は考えています。そうならなければ、私がそのようにつくりましょう。いかにして? それは神の名のもとに。(拍手) このようにしてすべてを取り戻し、その次には天使を愛するのです。アダムとエバは万物を愛してから、天使を愛することができませんでした。本然の天使を愛することができなかったのです。 誰が先に愛さなければならないかといえば、天使長がアダムとエバを愛して堕落させましたが、(本来)アダムとエバが天使を愛さなければならない立場です。この天使長の息子が誰でしょうか。アダムとエバがその後孫です。堕落した天使長がサタンとなりました。だから後孫がアダムとエバです。そこから探し出して、天の国の天使長にしなければなりません。 (黒板使用)これが三年半、これが三年半、合わせて七年です。これが統一教会の七年路程です。ですから本来は七年以前に結婚することはできません。祝福を受けるには、三年間伝道して三人の信仰の子女が必要ですが、そのように祝福を受けてもさらに三年間待たなければなりません。婚約は許可するのです。そうしながら何をするのでしょうか。ここでは万物と天使世界、本然の世界を愛し、神を愛さなければなりません。これを整えずに、神の愛を受けることができません。これが公式です。このようにして初めて、神を愛することができます。万物を取り戻し、天使長を探し出して愛することのできたのちに初めて、神を愛することができるのです。今日統一教会はこの公式どおりに歩んでいます。 万物の条件がなければ、自分を再創造することができません。伝道し三人の信仰の子女がなければ、自分が天使長を愛したという条件を絶対立てることができません。これが堕落しなかった状態です。万物を愛し天使長を愛し自由自在に接して、神に接することができる、そのような場が必要です。だから男性も女性も三人の家族をつくるのです。アダムが八人の家族を通じて落ちてしまったので、八人の家族をつくらなければなりません。男性と女性が三名ずつ伝道すると、自分たちを含めて八人になります。このような条件を立て、三人という条件が成立することによって、初めてここで、神を中心として上がっていくことができます。 上がり始めたといっても、それはサタン圏内から外に出られません。そのままでは家庭から、氏族、民族、国家、世界まで出て行く道が分かりません。これは誰がやるかといえば、メシヤが来てやります。家庭を中心として接ぎ木しながら、この世界へと貫いていきます。これが三次七年路程になっています。 レバレンド・ムーンが世界的に一九七六年を中心として世界的な迫害を受けながら貫いていきます。共産党、キリスト教、ユダヤ教、すべての世界が反対します。それで何で勝利するかといえば、愛しかありません。反対する人たちを愛で救ってあげる、それしかありません。このアメリカは怨讐の立場に立っていますが、「オー! 仁川」を作ってアメリカに愛国精神を植え付けようとし、ワシントン・タイムズを作ってアメリカを救おうとしています。これを見れば、レバレンド・ムーンが怨讐を愛したという結論になります。怨讐の世界的代表国家から、一つになってこのようなことを成しています。そうしながらより世界的な怨讐を愛します。このように貫いてきました。それでレバレンド・ムーンに従ってきた者はみな、(黒板で)ここを出たのです。 ところで、ただ越えて行くのではありません。自分だけ行くことはできません。自分が神の国へ行く前に、このカインの世界、国家、家庭、これらのカインを連れて行かなければなりません。本来カインは兄です。双子の兄なのです。生まれる時には、兄が先に生まれてから、自分が生まれるようになっています。それでカインは先に生まれさせなければなりません。信仰の三子女が完全に一つになって愛してこそ、初めてアダム、エバが生まれることができます。堕落とは、この三人が一つになることができず、逆に支配したことなので、反対に三人が一つになって、アダムをアベルを崇拝しなければなりません。 ムーニーの世界(Moonie World)は男性と女性(Man, Woman)という意味です。人間の世界は男性と女性ですから、ムーニーの世界です。英語は便利ですね。人間から始まって人間で終わるのです。アダムとエバから始まったので、アダムとエバで終わります。このように言うと耳によく入るでしょう。TM, TW, TG(黒板に)TMはTrue Man(真の男性)、はTrue Woman(真の女性)、TGはTrue God(真の神)です。今まで神は(TM, TWを)探してこられました。真の神、真の男性、真の女性は何をするのですか? (真の愛です)。真の愛はどこにおいてするかといえば、「家庭において」、これが統一理念です。これについて話そうとすれば、十時間ほどかかるので、ここで結論づけようと思います。 皆さんが必要なのは何でしょうか。それは本来の状態です。そこには神がおり、アダムとエバがおり、すべてがありました。これらを連結させるものは愛でなければなりません。では私を中心として真の愛をしようとするとき、何が必要でしょうか。そこには三つが必要です。男性であれば、女性が必要であり、女性であれば男性が必要です。アメリカの皆さんは男性、女性を探すために、命懸けで探したのですか。それともただ、自分勝手に探しましたか。じっとしていたらやって来た人を、たまたま相手にしたというのではありませんか? 皆さんはアメリカという国をもっています。しかし問題なのはこちらの中心が、この神ではなく異なった神であるということです。そして、サタンの愛と連絡されています。それで蕩減していくということは、失った反対の道をたどっていくことなので、私たち統一教会は信仰の子女が必要です。少なくとも三人ですね。 アダムの家庭では八人の食口が堕落しました。その中でサタンを中心として三人の息子が落ちました。そのために三人の息子と三人の娘が必要であり、これ(三人の娘)は三人の息子を中心とした三人です。ここではサタンを中心として上っていかなければなりません。サタンの愛を中心として落ちたので、神の愛を中心として、ここから上がっていかなければなりません。そして何があるかといえば、万物があります。 堕落してすべてを失ってしまいました。そこで万物の条件も立てなければなりません。統一教会が万物の条件を立てるのは再創造するためです。サタン世界になってしまったので、神の側には何もありません。神側に何もなくては、アダムとエバを再創造することができません。神はアダムとエバを先に創造しましたか、万物を先に創造しましたか? (万物です)。では万物をサタン世界に行って、取り戻してこなければなりません。世界代表を中心とした所に行って、世界代表した精髄を取ってこなければなりません。そこにおいては、すべての国が反対します。そのようにサタンが反対する中において、仕方なく探してきました。 本来、すべての万物の所有は、真なる愛をもつ人がするのが原則です。「君(サタン)は真の愛をすることができなかったけれど、私は真なる愛をしたので、このものを私に渡してくれなければならない」と言うときには、サタンも仕方ありません。サタン世界の所有として愛する以上の愛する心で愛さなければなりません。それで十一条、サタン世界でも十一条の代わりに(税を収めています)。三掛ける三は九で、これが三段階(黒板使用)、十数は神側に入り十一条に対するものを取り戻してこなければなりません。その意味において、サタン世界から取り戻してこなければなりません。人類を愛し、世界を愛し、神を愛するにおいて、君(サタン)よりは優れているという立場に立って、取り戻してこなければなりません。精誠を尽くしてそうするのです。それは万物において、条件を立ててやったことであって、全体ではありません。全体の核心、種を取り戻してこなければなりません。条件というのは種です。それを取り戻してから、初めて自分自身が再創造されるのです。自分を通して再創造するにおいて、万物が必要です。万物を愛するうちに、万物を愛する本然の私になります。 レバレンド・ムーンがこのような世界の人々を連れていく時、ただ連れていくことができないので、ここで蕩減条件を立てなければなりません。レバレンド・ムーンは堕落世界を出て、再びその世界に入らなければなりません。そしてここで中心にならなければなりません。何をもって中心になるかといえば、皆さんの三六〇軒ホーム・チャーチを基盤として、それが拡大されるその圏内に中心を求めなければなりません。皆さんが先生に従って、これから世界的に代わりに出て闘って、再び入ることのできるのがホーム・チャーチです。ホーム・チャーチで四方を経ていくときには、四方にそびゆる基盤になります。レバレンド・ムーンは迫害を通してやってきましたが、皆さんは歓迎を受けるでしょう。そのような時が来ます。三年路程だけ終われば、すべてが終わってしまいます。そう思いますか? (はい)。三年以前にホーム・チャーチ分配を受けて、出て行かなければなりません。 機動隊の活動をしても、ホーム・チャーチはなければなりません。それは根拠地であり、基地なのです。機動隊は出かけていって戦います。それは戦争する時、統一教会が勝ったという基準をつくろうとするのです。勝ったということは、すべてのうわさが良いということになることです。それによってホーム・チャーチを早くつくろうとするのです。何の話か分かりますか。だからホーム・チャーチがなければ、天国は成せません。先生が六十年間やったことを、皆さんは七年でやるのです。一九八八年まで行けば、アメリカはみな摂理圏内に、ホーム・チャーチ圏内に入ってくるでしょう。良いというイメージが必要です。 信仰の三子女が必要なのは、三大天使長と、アダムの三子女の基準と、サタン世界の兄のカインを探し求めるためです。また、旧約、新約、成約の時代(を完結することになります)。旧約時代は民族、新約時代は国家、成約時代は世界時代です。モーセは六十万大衆を連れてカナン復帰、イエス様は国家から天宙へカナン復帰、統一教会は世界から天宙へカナン復帰、最終的カナン復帰です。このような意味において、三段階に広がっていかなければなりません。そしてアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と、三代の神で表示されます。(そして父母は)第一アダム、第二アダム、第三アダムです。これらの者は、三人の信仰の子女として復帰される三天使長によって表されます。それゆえに三人の子女がなくてはなりません。絶対に結婚することも、生活することもできません。それでイエス様も三人の弟子を必要としました。分かりましたか? 統一教会においても、三家庭があったでしょう。それを知らなければなりません。それから十二名です。この十二名でもって初めて四方が整い、私が中心に入ることができます。イエス様も十二弟子の家庭をつくっておいてから、イエス様の家庭が保護されるのです。十二家庭はイエス様も同様です。信仰の子女がどれほど重要であるか、分かりましたか? 三つのカインを求めなければ、自分が天国に行くことはできません。 旧約時代にアベルとして生まれてみると、既に旧約時代の(カインの)世界があり、新約時代にアベルとして生まれてみると、新約時代の(カイン)の世界があり、成約時代にアベルとして生まれてみると、成約時代の(カインの)世界があります。三段階カイン、アベルが旧約、新約、成約をみな連結させるためです。それぞれの代表者として立てて、それが一つになることによって、このカイン世界が初めて方向を変えて順応する道が始まります。 このような基準をなしていくのです。ここで復帰するにおいては、失った方向と反対の方向に、父母から、子女から、家庭から、氏族から、民族から、国家から、世界に、七段階になっています。このような全体が環境的に成された型が何かといえば、これがユダヤ教のイスラエル国家圏です。これは世界に対しての国家圏です。この中心からは自由に出入りできる圏、これがユダヤ教文化圏でした。メシヤはこの中心であるので、自由に出入りできます。そうだとすれば、七年以内にすべてできてしまいます。このようにして国家が形成されるとしたら、ローマは自然になくなっていきます。ローマは自然に腐敗して滅びていきます。これが成されなかったので、再臨時代にきてキリスト教文化圏が一つの世界的文化圏をつくります。そしてキリスト教はみんなメシヤを願っているので、メシヤは自由に出入りできます。同様に七年以内に世界が完全に一つになります。 一九四五年に七年をプラスすると一九五二年、この時には完全に成されたのです。キリスト教文化圏が反対することによって、メシヤはほかの所に出ていったのです。そして再び堕落したと同じように反対の方向に行ったので、再び解いていくのです。 これがレバレンド・ムーンを中心として見ると、ここには個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の形として今まで基盤を築いてきました。今やユダヤ教やキリスト教と比較して統一教会は劣ることがありません。それで私たちはユダヤ教に勝つことができる人にならなければなりません。ユダヤ教を消化する群れです。次には、キリスト教の実を結ばせることができます。私たちはアメリカに勝つことかできます。サタンにも勝つことができます。このような基盤をつくりました。キリスト教がアメリカを中心として反対したので、キリスト教の代わりにこれを再び救ってあげようとするのが、この三年路程です。結局、キリスト教は反対したけれど、再び迎え入れる立場において、反対していたカインを愛でもって救ってあげるのです。 これが一つになる日には、モスクワです。それでアメリカや、アメリカの教会や、自由世界が、レバレンド・ムーンに反対しては神の前に立つことができないと言って、レバレンド・ムーンと一つになる日には、自由世界と共産世界を救うことができるということが言えます。すべての世界がレバレンド・ムーンを中心として、自分の国を救おうという運動を展開させていくでしょう。南米がそういう結果になっています。アジアも共産世界から生き残るためには、レバレンド・ムーンが必要です。アメリカがレバレンド・ムーンが必要だというときには、世界が生きるのです。 このようなすべての歴史の背後に隠され入り乱れたことを解くことのできる人は、いくら研究しても考えても、私しかいないと思うのです。いくら研究し調べてみてもいないのです。(拍手) レバレンド・ムーンが「そうだ」と言い、皆さんが「そうだ」と言い、神様が「そうだ」と言えば、それですべてが終わるのです。(笑い) すべての人に真の父母が必要です。(黒板で)これは全く逆に上がっていきます。一番最初には兄弟が上り、次には男性と女性を中心として、次は神が上っていきます。歴史時代において父母に出会うという事実は大変なことです。父母を失った孤児たちであるから、一つになることができないのです。どこに行っても一つになることができません。本然の父母の愛からすべてが始まって、父母と一つになって、神と一つになって、そこから生まれることによって子女となります。祝福を受けた皆さんと私は、このような立場に立っているのです。皆さんは父母と子女と万物世界の中心の位置にあります。男性と女性は各自が中心にならなければなりません。いくら父母があるとしても、父母と一つになるにおいては、皆さんが中心です。息子がいくら理想的な息子であるとしても、み旨と一つになる自分が問題です。自分自身が自分の怨讐なのです。心と体が一つになれなかったことが怨讐なのです。この心と体が一つになるにおいて、真なる夫の愛、真なる妻の愛、真なる神の愛があります。真なる神に侍ってから、真なる息子を愛する父母とならなければなりません。そうすることによって家庭が成されるのです。 心と体が一つになるところに真なる愛が臨み真なる愛がなされ、夫婦の中で一つになって行くところに神の真なる愛が臨んで一つになってから、子女を生まなければなりません。自分の夫よりも、神様を重要視し、自分の妻よりも神様を重要視する、そのような人にならなけばなりません。皆さんの子供の時代にはそれは必要ではありません。それは父母たちがそうするからです。真の父母を自分の夫よりも、妻よりも愛する立場をとってから、夫を愛し子供を愛するのが原理です。 それで、この三天使に当たる信仰の子女が、皆さんの子供を愛することができ、教育することのできる立場に立たなければなりません。この三子女は養子であって血統が異なるので、神の国に入ることができません。皆さんの子女を命懸けで絶対的に信任し、命までも捧げるほどに愛したという立場に立たなければなりません。そして皆さんの子女が、「あの三天使をして私と共に生きるようにしてください」と言うことによって、この三天使が神の国に入ることができます。このようにして、この信仰の三子女は神の国を相続する権限が与えられます。 私たち統一教会の家庭からいえば、この三家庭全体が先生の子女たちをあまりに愛したので、先生の子女たちが、「三家庭も祝福を受けるように、神の国に共に連れていって住みます」と言うようになって、神の国に入るのです。そのように先生の子女たちが愛して、祝福してあげてくださいと言うことによって、特権を与えられるのです。このような伝統が立つために、このような原則があるために、ここから、ここで始まる伝統的、歴史的なことは変えることができません。いかなる強者が現れたとしても、奪っていくことはできません。何の話か分かりますか。 これから皆さんの祝福家庭も同様です。皆さんの子女が信仰の子女に対してそのようにしなければならないし、信仰の子女と一つになった皆さんの家庭が先生の子女たちとそうしなければなりません。そうすれば、世界の人がいくら多くとも、全部がこの家庭の中心、血統についていこうとするようになります。だから統一教会の信者は家庭をもって、自分勝手にあちこちと行ったりすることはできません。ある一カ所についていきながら生きるのです。そのためにこれからの世界は、四十億、何千億の人類が生きるとしても、その中心圏において子女が一つとなっていこうとする世界、互いが「為に生きる」そのような世界になるでしょう。 皆さんは今は教会の祝福を受けましたが、国の祝福、世界の祝福をすべて終えてから、その次にはそうすることができる(完全に自由にすることができる)時代に入ります。しかし、中心においては、先生の家庭においては神に対する伝統を受け継ぐ後孫、中心家庭――直系を受け継ぐ一中心があると思います。その中心一人だけいれば、その一人を中心として一つになることによって、すべてが上へと上っていくことができます。そうして先生はすべてのことを成したことになります。その時は中心を中心として先生の後孫たちも一つになります。(荒野)時代に皆さんが一つになるのと同じように、三代祝福圏を越えてそれが可能であって、それ以前においては絶対的に先生一代を中心としてそのような運動をしなければなりません。 このような問題を見るときに、すべての世界において、私自身はいかに重要であるか、私が問題なのです。皆さんが問題なのです。皆さんがよくしなければ後孫がどうなりますか。サタン世界に生きて祝福を受けた人、その人は自分自身が問題になります。皆さんの後孫はそれほど問題になりません。信仰の子女が極めて精誠を尽くして侍って一つになって、その中で育てば(後孫には)信仰の子女が必要ありません。はっきり分かりましたか。だから皆さんは絶対的に信仰の子女が必要です。分かりましたか? (はい)。信仰の子女のない人が生きようとするそれ自体どうでしょうか? すべてが明確でなければなりません。このように見るときに、信仰の三子女、先生においては三十六家庭を代表した三家庭が、家庭の責任を成すことにかかっています。 アダムとエバを天使長が教育すると同じように、先生の子女はこの三家庭と三十六家庭が教育するのが原則です。結婚する時までに、いかに神に侍るべきかをアダムとエバに誰が教育するかといえば、天使長がするのです。(では)父母はどこから要るか、神の愛の因縁はどこから要るといえば、成熟期において要るのが原則です。先生の子女も祝福を受けるためには、父母様を絶対的に信奉し、神を絶対的に信奉しながら、天使長に当たるこの三家庭三十六家庭の行動をよく引き受けて、成熟して結婚するまでには脱線してはならないのが原則です。先生の子供たちを見ても、原理的基準があります。 今は自分自身が問題です。サタン世界にいるゆえに、自分の夫以外、自分の妻以外、子女以外には天使長しかいません。他の考えをもってはいけません。祝福を受けた子女たちは、祝福を受けていない人とは絶対に結婚できません。それは地獄の中の地獄に行きます。祝福を受けた人が外に出て結婚した、そのような人は再蕩減しなければなりません。あの世に行ってもそれが分別されます。祝福を受けて不正をすれば、サタンよりも悪いのです。サタンが讒訴します。これは直接主管圏に入って堕落したことになります。皆さんは知らないだけで、天理の法度は定立されています。だからよく知らなけばなりません。皆さんは、いかなる伝統を立てるかが重要です。このように(伝統を)立てておくことによって、そのまま父母の伝統を引き継ぐことができます。それで先生を中心とした三つの国家、三子女の代わりの三つの国を収拾していきます。アダム国家、エバ国家、カイン国家、アベル国家、先生を中心として三支派になります。そうすることによってすべて治められます。では信仰の子女が必要であることが分かりましたね? (はい)。 皆さんの受けた祝福は国の祝福ですか、統一教会の祝福ですか? (統一教会です)。これから国の祝福を受けるとき、皆さんが良心的に妻と夫と子供の報告を書いて、条件に合格して、再び(国家的)祝福を受けることができます。それに合格できなければ参加できません。それで特別な期間を設定してそれを許す期間があります。それは荒野時代を乗り越えるものです。分かりますか? 何も食べるものもなく、難しい立場に(立つけれど)、外勢の侵入を受ける原因が残っているので、そうしたのです。その次は世界時代において祝福を受けるとすれば、皆さんは身内(族属)となるでしょう。そこに合格して初めて、天国に入ることの入籍が始まります。何の話か分かりますか。その時までは、先生の家庭と完全に一つとならなければなりません。 その時が過ぎれば、先生の後継者が一人立ちます。世界が一つになり、先生の家族が一族になり、全部が一族圏にならなければなりません。そして先生の家庭においても、すべてを集めて会議をし、この原則に誰が一致したかを公的な会議によって決定します。より犠牲になり、より家族全体のためとなる人でなければなりません。それは、私たち統一教会の全体が知っており、統一教会の祝福を受けた全体が知っており、統一教会の先生の一族がみんな知っており、先生もお母様もみな知っているのです。その人が決定されたのちには世界は法的時代に入ります。天法、神の憲法時代に入っていくので、いくら神に近い人でも法にかかれば、法的処理として処罰を受けなければなりません。その法にかからない後継者を探して永遠に続くのです。分かりましたか? (はい)。 そのような歴史過程において、現在祝福を受けた家庭がどれほど恐ろしい立場にいるか、知らなければなりません。皆さんが問題です。皆さんは先生がいないとしたら、先生の子女を訪ねていくでしょう。間違いなくそうなります。多くの兄弟がいますがみんな知っているでしょう。皆さんは遠くに離れていても、先生の子女たちの性稟を研究して(みて)、一つになるようにしなければなりません。これで統一教会信者が、これからどうなるかということを大概話しました。祝福を受けた家庭の子女たちも父母と一つにならなければ、国の祝福と世界の祝福の場に出ることができません。滅びゆくアメリカにおいて、(この世の)動物のような者を訪ねていって(交ざろうとする傾向がありますが)、祝福の子女におけるこのような行動は許されません。分かりましたか? (はい)。大体これからどうなっていくか、分かりましたね? (はい)。 このような立場において、自分がいかに重要(な立場に立っている)でしょうか。自分を中心として、子女と万物と世界が私に祝福を(という立場ではありません)、祝福は皆さんが与えるようにしなければなりません。心と体が一つにならなければなりません。今日このような基準が立てられなかったならば、天国に入ることはできません。誰が命令したからではなく、志願して行くのです。機動隊生活は強制的にやるのではなく、志願してやらなければなりません。自分の妻や夫がいれば、「あなたはどうしてそのままいるのですか、早く出なさい」と言わなければなりません。イスラエル民族が四十年荒野時代において、子供たちはみな子供の責任をもつ部署に預けて、移動する際には、子供の責任をもつ部署が子供を連れて行くことになっているのであって、自分たちが抱いていたらみんな落伍してしまいます。皆さんも落伍者になり、子供も落伍者になります。夫を愛し、神を愛し、国を愛さなければなりません。私たちは統一教会よりも統一教国を愛さなければなりません。分かりましたか? (はい)。このような分かれ目を決定する自分にならなければなりませ。心と体が一つにならなければなりません。先生もお母様に対して考えるとき、心と体が一つになって愛するか、と常に反問するのです。他のことは考えません。お母様もそうであるはずです。 それでどこに行くべきでしょうか。カナンの地に行くのは難しいけれども、ついて行かなければなりません。離れたならば、いつ見失ってしまうか分かりません。方向も分からなくなります。方向は先生が知っているのであって、お母様は知りません。お母様も先生のあとにぴったりと、ついて歩かなければなりません。「きょうは子女たちを思って子供たちを市場に連れて行くので、先生一人で行ってください。(あるいは)どこに行くにも一人で行って来ます」と思ったら大変なことです。荒野時代にあるゆえに子供たちもみな、「父はどこに行ったのか」と他のことは思わないで、どこへ行くにもついて行くという考えをもっていかなければ大変です。 考えてみなさい。父母は皆さんの指図で行動するようになってはいません。むしろ、皆さんが父母を見失いはしないか、聞いたお話が実現できなかったらどうしようと、心配して夜を明かしながら待たなければなりません。もし、先生が船でハワイに行くときには、ついて行かなければなりません。国がない時には仕方がありません。寝ても覚めても、先生は神の国が指標です。そこにおいて民とならなければ、神の国に入ることができません。その国に倒れて死ねば、その国(霊界)に行って待たなければなりません。 どこの国が先に、国民全体が一つとなって「レバレンド・ムーン、私たちの国を救ってください。早く来てください」と言い、神の国を引き受ける段階に入るでしょうか。そのような国が、一つ、二つ、三つ、四つとなれば、世界は一つになるでしょう。そのような時が来るでしょうか? (はい)。朴普煕氏が南米の大統領に会うと、「レバレンド・ムーンに私たちの国に来ていただけますか」と聞かれます。皆さんに対して説教する時代は過ぎていきます。先生はいつかアメリカを離れなければなりません。アメリカが先生を迎え入れない限り、他の国に行ってやらなければなりません。アメリカのほかにも国は多いのです。カインは準備しています。 それで、先生は三年間でアメリカを祝福を受ける国にしようと動員しました。そこに後悔しないで、自由世界に被害を与えないように、どうせ始めたのだから、最後までやって決定しようとするのです。(先生がアメリカにいる間)他の国はどれほど悩み苦しんでいるか知ってください。それは私の便利な国を探して行くのではありません。世界万民にとって便利な国を探そうとするので、このようにしているのです。国の中心として、皆さんの家庭はこのように行かなければなりません。先生の家庭のように行かなければなりません。先生の家庭は子女たちも犠牲になっています。皆さんの家庭もそのように行かなければなりません。 祝福を受けた家庭は手を挙げてみてください。皆さんそのように行きますか? (はい)。 神様の祝福がありますように。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.09
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「本源の自己」1983年5月21日ベルベディアにて(英語訳) 先生の留守中、皆さんどうでしたか。先生がいない間、どのような気持ちでしたか。皆さんはアメリカにとって先生が必要であると思いましたか。(はい!) 先生がいなくて寂しい、と皆さんが感じたとすれば、この宇宙の中で人間にとってなくてはならないより大きな存在は何でしょうか。その存在がはっきりとはわからないとしても、その存在が無いとすれば、人間は何か寂しさを感じるものです。歴史は長く、永遠ぜあるのに対して、人生は短く限りがあるがゆえに、人間は何か「お父さん!」と呼ぶことのできる永遠なる存在にあこがれるという事実を否定することはできません。そのような意味で根源的な存在という問題が我々にとっての問題となるのです。 皆さんが「自分は誰々ば好きだ」という場合に、その人が好きになったのは、一番最初からですか、それとも何かの過程で好きになったのでしょうか。それはもちろん後者の場合が多いですね。統一教会やレバレンド・ムーンに関しても、いろいろなうわさがあります。そうした他人が言っていることだけを聞いなのでは、統一教会やレバレンド・ムーンに対して、良いイメージをもつのは難しいものです。したがって、人々が我々を好きになることを可能にするような何らかの媒介体がなければなりません。そのような媒介体となるのが原理です。統一原理の内容を学ぶことを通して、人々は我々統一教会を通して、皆さんの心が次第にレバレンド・ムーンを愛するように作り変えられていくのです。 では、そのように作り変えるのは原理でしょうか、教会でしょうか、それともレバレンド・ムーン自身でしょうか。もしレバレンド・ムーンがどこかへ行って、いなくなってしまったら、もうそれで終わりとなってしまうのでしょうか。(いいえ!)たとえレバレンド・ムーンが霊界へ行ってしまったとしても、愛の絆は消えることなく残るはずです。もし皆さんがレバレンド・ムーンを非常に愛しているとしたら、皆さんはその愛の気持ちを、皆さんの家族や兄弟や社会や国家や世界の人々にも持って欲しいと願うことでしょう。そのような気持ちにさせるのはレバレンド・ムーンでしょうか、統一教会でしょうか、それとも原理でしょうか。それはむしろ、宇宙の本来の流れとも言うべきものによって、そのようにさせられるのです。そのような宇宙の本流によって、すべての人々が時と場所を問わず、また霊界においてさえも、お互いに愛の気持ちで連結されるようになります。では、そのような流れの源泉はどこにあるのでしょうか。(神様です)。それを神様と呼ぼうが、幸福の源と呼ぼうが、名前は何でも構いません。では神様はどのような方でしょうか。神様は泉のような存在です。神様は恐ろしい方でしょうか、それともやさしい方でしょうか。ご自分の気持ちを表す時に発する最初の言葉はどんな言葉でしょうか。もし皆さんが神様の立場にいたとしたらどうですか。もちろん最初から目は二つあったことでしょう。その当時、鏡はなかったとしても、目が二つあり、鼻が一つ、口の上にのっていることはわかったはずです。なぜそのような構造になっているのかな、などと考えたかもしれませんね。 女性を例にとってみましょう。まず小さい頃から、男と女の身体の構造が違っていることに気付いたはずです。また、空腹を感じたり、のどの渇きを感じたことでしょうし、周囲を見渡して山川草木や動物などを見て、不思議に思ったことでしょう。しかし、もしそのような自然もなく、全く一人だったとしたらどんなにか寂しく感じたことでしょう。実際に動物を見てみると、みんながそれぞれ二匹ずつペアになって生きているのを見て、自分だけがたった一人でいるのを寂しく思ったに違いありません。また、他の動物たちには親がいて、親子で住んでいるのに、自分だけはお父さんもお母さんもなくたった一人なので、その意味でも寂しく感じたに違いありません。また寂しい気持ちだけでなく、自分にはどうして家族がいないのだろう、家族がいたらいいのに、と思ったことでしょう。だから人間は孤独から出発した、と結論することができますね。我々のような人間であれば、そのように感じたと言えるかもしれませんが、しかし根源的な存在である神様におかれては、結果的な存在である人間とは異なっていることを知らねばなりません。 神様は人間に似た存在でしょうか。それとも動物に似た怪物のような存在でしょうか。神様は全能なのだから、非常に力が強いに違いありませんね。(笑い) 皆さんは、神様は人間により似ておられる存在であると思いますか。(はい!) 人間といっても、男と女の二種類がありますよ。神様はそのどちらの方により似ておられると思いますか。(男です!) 女たちはそれに同意していませんよ。(笑い) 神様は男と女の両方を兼ねた存在です。だから、男であると同時に女である、とも言えるわけです。(拍手) 男と女はそれぞれ互いに反対の方向を指向する性質があります。だからこそお互いに相手を求め、一体となりたいと思うのです。男と女をそれぞれプラスとマイナスとすれば、神様と人間の関係もプラスとマイナスの相対関係にあります。神様は人間を必要とし、人間は神様を必要とします。男と女が完成して完全な一体化を成すならば、その姿は神に似て、神の完全な対象となることができます。もし神様には口があるのに、人間には口がないとしたら、その人間は神様に対して、口をくださいと願ったことでしょう。同じように、男は神様が女与えたものを、また女は神様が男に与えたものを、それぞれ自分にはないがゆえに、所有したいと願ったに違いありません。また神様が宇宙万物のすべてのものを所有しているのを見たら、それを少しでも自分にください、と願ったことでしょう。目に見えるものだけでなく、目に見えない愛や理想や真理なども、神様が人間に分け与えてくださるようにと願ったことでしょう。人間がそうしたものを必要としていることを、神様は知らなかったと思いますか。 人間は欲張りです。神様が多く持っているものがあれば、人間は多くを必要とするし、神様が少ししか持っていない場合でも、人間は多くを要求します。(笑い) 神様は頭が悪くないから、そんなことはよくわかります。(笑い) いずれにしても、神様だけでは満足できないし、人間だけでも満足することはできません。それで神様は人間を創造し、男と女が愛を通して一体になることによって神様と似るものとなるようにされたのです。この世の人々においても、男と女が愛し合うのは、部分的には原理に適っているわけです。神様には男性性相と女性性相の両方がありますが、それは一時的なものですか、永遠的なものですか。(永遠です)。統一原理によれば「神は二性性相の主体格与えたものを、また女は神様が男に与えたものを、それぞれ自分にはないがゆえに、所有したいと願ったに違いありません。また神法が宇宙万物のすべてを所有しているのを見たら、それを少しでも自分にください、と願ったことでしょう。目に見えるものだけでなく、目に見えない愛や理想や真理なども、神様が人間に分け与えてくださるようにと願ったことでしょう。人間がそうしたものを必要としていることを、神様は知らなかったと思いますか。 人間は欲張りです。神様が多くもっているものがあれば、人間は多くを要求するし、神様が少ししか持っていない場合でも、人間は多くを要求します。(笑い) 神様は頭が悪くないから、そんなことは良くわかります。(笑い) いずれにしても、神様だけでは満足できないし、人間だけでも満足することはできません。それで神様は人間を創造し、男と女が愛を通して一体になることによって神様と似るものとなるようにされたのです。この世の人々においても、男と女が愛し合うのは、部分的には原理に適っているわけです。神様には男性性相と女性性相の両方がありますが、それは一時的なものですか。(永遠です)。統一原理によれば「神は二性性相の主体格としておれらる」と言いますが、どうして神様は主体の立場におられるのでしょうか。なぜ、対象格位にはおられないのでしょうか。それは、神様が自らを主体格位においたのではなく、人間の方で、自らを神様の対象の位置にあるとし、神様を主体の位置において仰ぎ見るようになったからです。 ところで、男と女とがそれぞれプラスとマイナスの立場から、お互いに近づいて接触するとどうなりますか。愛の火花が出ますね。(笑い) その火花はとても明るいので、回りにい者もみんな引き寄せられて、そこに加わりたいと思うようになります。人間だけでなく、万物も集まってきます。このように愛によって一体化すれば、すべてを自分のものとすることができるがゆえに、男は女と、女は男と完全に一体化したいと願うのです。このような真理を知れば、誰も自分の配偶者別れようなどとは考えなくなりまることでしょう。 夫婦の絆を強めるものは、お金ですか、それとも社会的地位ですか。(愛です!) そうです。夫婦間には『愛のホック(留めかぎ)』があるからです。それを見つめる神様は寂しいですか、それとも幸せですか。(幸せです)。『愛のホック』で堅く結ばれた夫婦を自分の対象としてもつときに、神様は幸福感に浸ることができます。男と女が完全に一体化し、絶対者たる神様の絶対的な対象となるとき、人間も神様もともに幸福になります。これまでの人間は、すでにそのような立場を確立したと言えますか。(いいえ)。皆さんはどうですか。(いいえ)。だから、これまで神様は寂しい思いをしてこられたということを、はっきりと知らなければなりません。誰のためにか? 一人の男と一人の女のために神様は寂しい思いをしてこられたのです。祝福家庭はこのことを知らねばなりません。祝福の目的は何ですか。祝福を受けることによって、何を達成することが要求されているのですか。寂しい神様の心情を解放することです。それがなされる日には、宇宙のすべての問題が問題ではなくなります。 きょう、最初に先生は皆さんに、先生の留守中に寂しいかどうかと尋ねましたが、本当に寂しいと感じた人は手を挙げなさい。なぜそのように感じたのでしょうか。それは皆さんが人間として本来願うような状態ではない状態に置かれていたからです。男と女が完成して一つとなるときに、父母と連結することのできる特定の位置にありたいと願う心情をもつのが、人間本来の姿です。それが先に述べた『本流』というものです。だからそれに至る時までは、人間は原理でいう間接主管圏を各自が通過しなければなりません。その期間においては、男も女もその心を自己の完成の方向に向けて歩まなければなりません。目も鼻も口も腕も身体全体がその心に一至するように一体とならねばなりません。 愛はすべてを一つとする力を持っています。真の愛のあるところへは、いかなる犠牲を払ってもついて行こうとするが、人間の本性です。ひとたび真の愛と連結されるならば、人間はもはや再びそこから離れたいとは思わなくなります。その状態においては、恥ずかしいとか、体裁が悪いなどという思いはありません。一二〇修練生の中に、二人の韓国人のメンバーがいます。彼らは年もとっており、この世での社会的地位も高い立場にありながら、修練のプログラムの中で、若いメンバーと全く同じ活動を激しくしても不思議なことに恥ずかしいという気持ちにはならなかった、と言っていました。そのような状態こそ、真の愛の中にある幸福の状態だと我々は呼ぶのです。夫婦が永遠の真の愛で結ばれているならば、一方が死んだとしても悲しむことはありません。真の愛はすべてを主管し、超越することができます。なぜか? それは人間を永遠なる神様と共にある状態にしてくれるからです。 このような原理を知らないから、皆さんの中には、自分はこんなに美人であるのに、なぜこんなにみにくい人と祝福されたのだろう、と思って悩んだり、不満をもったりする人が出てくるのです。(笑い) そのような人は、祝福の価値の全体を理解せずに、ほんの一部だけを見て不平を言っている人です。祝福を受けたことを新たな出発点として、自己の完成に向かって生きるのが、その人の務めです。不平を言うならば、神様の対象たるマイナスではなくなってしまいます。不平を言わずに、自己の最善を尽くして努力する時に、神様が真の愛の状態へと導いてくださるのです。神様はすべてをご存じです。だから皆さんは知らなくても、神様は皆さんの足りないところを知って補ってくださろうとするのです。わかりますか。(はい!) 不平を言う者はすべて、統一教会から追い出さなければなりません。(笑い) それに同意する人は手を挙げなさい。どうもありがとう。(笑い) この宇宙において、人間は真の愛を中心として他人のために生きるのが、人間としての道です。夫婦においても、この原則に従って生きるならば、どこへ行こうともスムーズにやっていくことができます。真の愛を中心として奉仕生活をするならば、神様に出会うようになりますが、自己の欲望のために自己中心の生き方をするならば、サタンが挨拶に来ることになります。天国と地獄の違いはそこにあるのです。わかりますか。(はい)。だから統一教会においては、各自が真の愛を中心として生きるマラソン・レースをしているようなものです。これが蕩減復帰の路程であると同時に、天国への道なのです。それは単純ですが重要なことです。皆さんは毎日の生活において、自分が正しい道を歩んでいるかを常に反省しなければなりません。エデンの園においてアダムとエバは、神様を父母として愛し、侍る生活をして、それが永遠の習慣となるように確立しなければならなかったはずです。そのような習慣ができできてしまえば、今度はそのような習慣を守らなくては生きられないようになります。皆さんはチーズやバターが好きでしょう。チーズは変なにおいがしますね。(笑い) しかし皆さんの口は、そのようなチーズを好むように習慣づけられているので、チーズがないと寂しい思いがするのです。同じように、目も何か特定のものを見ることが習慣化し、耳も何か特定のものを聞くことに慣れるようになると、それらがない場合に何となく不足を感じるようになるのです。ある意味で人間はそのような習慣のとりことなってしまうわけです。そうすると、そのような習慣をなくすことは、非常に困難になります。しかし、自己中心的な習慣はなんとしてでも変えなければ、天国へ行くことはできません。 皆さんの中で、天国へ行きたい人は手を挙げなさい。先生が行くな、と言っても行きたいと思うでしょう。(はい)。どんなに困難であっても、本当に天国へ行きたいと思いますか。(はい!) 自己中心的な習慣をなくす最善の方法は、利他主義に徹した最も困難な道を歩むことです。困難な道であるほど、効果があります。だから、統一教会の信仰生活において強調することは、自己中心的なことをすべて否定して、本然の真の愛を中心としてために生きるということなのです。それが天国へ行くための唯一の方法です。アダム・エバが堕落せずに本然の位置を確立したならば、神様を中心として真の愛に満たされた家庭を完成し、それが拡大して、地上天国をつくり、更に霊界においても永遠の天国を実現することになったはずです。しかし現実には、堕落によってそれが実現せず、現在のような堕落世界をつくってしまったのですから、これを変えるためには、我々はこの世の習慣を否定して、蕩減復帰の道を歩まなければなりません。 最近、皆さんもようやく、先生の話す言語である韓国語を学ぶようになり、聖歌なども韓国語で歌うことも多くなっているようですが、何のためにそうしているのですか。神様がアダム・エバに対して話しかけた時は、何語で話したと思いますか。それが何であれが愛を中心とした言語であったことは間違いありません。そしてその言語に基づいた愛の伝統が、家庭から全世界へと拡大していったことでしょう。堕落世界を復帰する路程においては、真の父母が話す言葉が本然の言語として、真の愛と伝統を伝えることになります。霊界においては、真の父母が話す言葉が本然の言語として、真の愛と伝統を伝えることになります。霊界においては、人間が思うことがそのまま相手に伝わるという意味では、言語はあまり必要ではありませんが、しかしそれでも、天国の公用語としては、真の父母の話す言語が用いられるでしょう。もし、皆さんが先生の話す言葉を通訳をつけずに理解することができたら、その意味を明確に理解することができ、心情的にもより近く感ずることができるでしょう。将来、皆さんが先生の言葉を勉強するのに、英語のテキストを研究するつもりですか、それとも韓国語のテキストを研究するつもりですか。すべては本然の愛の言葉から出発します。 皆さんの多くは、アメリカ式のやり方が最善だと思っているかもしれません。ではレバレンド・ムーンのやり方は韓国式なのですか、もしそうなら、韓国人はもっと早くレバレンド・ムーンのやり方を受け入れたはずですが、今なお反対している人がいるのをみれば、先生のやり方は韓国式であるとは言えません。合同結婚式は韓国式のやり方ですか。(いいえ)。かつては敵国であった国のメンバーや、白人と黒人、日本人とアフリカ人などが互いに結婚するのは韓国式ですか。(いいえ)。これは天国式のやり方以外の何ものでもありません。先生はアメリカ式のやり方を知らないのではありません。その長所も欠点もよく知っています。アメリカ式とは一言で言えば、個人主義に基づいたやり方であると言えます。笑い方を例にとってみても、自己を主張することが中心となっています。このやり方は人間にとっては良いかもしれませんが、堕落人間を復帰して一つにしていくためには、最適とはいえません。 この目的を達成するために他によい方法があれば、先生はその道を採択せざるを得ません。先生は皆さんよりも頭は悪くありません。(笑い) その頭でいろいろと考え、いろいろな方様を研究した上でやっているのですから、皆さんも先生のやり方に従わざるを得ません。神様においても、人願を幸福にし、自分も幸せになるために、持てる最善のものを人間に与えようとされるはずです。同じように先生も皆さんにとって最も良い方向に事が運ぶように、指導してきたつもりです。皆さんも先生に従うことによって、本然の愛と生命につながると信じるからこそ、先生の教えを学ぼうとしているはずです。しかし勉強するだけでは十分ではありません。試験を受けてそれに合格しなければなりません。合格すれば自信をもって歩むことができます。だから先生は皆さんに、いろいろな試練を与えるのです。 我々は奇蹟によって目的を達成するのではありません。一歩一歩と努力しながら発展していくのです。なぜ我々はこのようなことをするのでしょうか。それは我々が根源なる神様と一つになるためです。もしこの地上で成功しなければ、霊界へ行ってからも継続しなければなりません。だから皆さんは、先生が近くにいようといまいと、この道を歩むことを決意しなければなりません。先生が皆さんに対していろいろと指示したり、励ましたり、あるいは叱ったりすることのできる時に生きている皆さんは、ありがたいと思わなければなりません。先生はいつまでも永遠にこの地上に生きているわけではありません。先生と同じ時と場所にいて、直接指示の受けることのできる皆さんは幸運です。先生が霊界へ行ってしまった後で、もし皆さんがなすべきことをしないで霊界に行ったならば、霊界の中のどこへ行くことになると思いますか。地上においては肉体をもっているおかげで、比較的容易に先生に相対することができますが、霊界ちおいては、先生からはるかにかけ離れたところに位置している場合には、それが極めて難しくなってしまいます。だから皆さんはこの地上にいる間に、試験に合格しなければなりません。さもないとまた、再び初めから試験を受け直さなければならなくなります。 きょう皆さんは久し振りに先生の言葉を聞きましたが、今一度、本然の人間として生きるために、過去のこの世的な習慣を断ち切って、先生から与えられる困難な任務をも果たしていくことを、決意しなければなりません。今ちょうど午前八時です。八数は再出発数です。この時に、今一度新たな決意をもって再出発をすることを誓う人は、手を挙げなさい。どうもありがとう。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.08
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「信仰の三子女と本然の家庭基盤」1983年5月13日韓国・済州島 宗教生活の本質 今、先生があなたたちに一番心配するのは、宗教という観念が薄らいでいくことです。それは恐ろしい。非常に心配している。現実的生活が増えてくると、そういう傾向になりやすい。本来、先生があなたたちとこういう集会を行うときでも、ちゃんと祈って、讃美歌を歌ってやるほうがいいんだね。しかし、環境が違うからこうしているが、何か会議に入るときも、(いきなり始めては)いけないよ。いつも正式な教会儀式が必要である。分かりました? 外的な活動だけに力を注いでいけば宗教観念が薄らいでいく。それは大変なことである。そうなれば、霊界の援助圏が完全に切られるというんだね。霊界が我々と関係なくなってしまう。だから、いつでも霊界を引っ掛けて、人間が集まらなければなりません。それは創造の原理なんだね。霊界と地上界は親子関係になっている。それをはっきりしておかなければなりません。 先生自体もそうだよ。こういう生活をしていても、必ず静かな所へ行って整備しておく。そういうふうにして二十四時間いつでも、本心のコースに自分なりに帰ることのできるような訓練が必要だというんだね。釣りをしていても、大きな魚を獲った場合には、「君偉いよ、魚の歴史のうちで、先生に獲られた最初の魚だろう」と、天的に捧げられた第一の捧げ物として捧げる。そういうふうに考えて、式をしてやるんだよ。先生が山で猪を捕った時なども、ちゃんと条件を立たせておる。それは宗教生活の本質である。今はサタンと闘っている時だよ。一線に立って闘った環境に触れた場合には、みんな心情的原因を正して、整備しておかなければなりません。それはいつでも必要だ。先生だにそうやっているのに、あなたたちは毎日、それを考えなくてはいけないよ。そうでないと、習慣性がついてしまったら大変なことになる。「宗教なんかもう入りたくない。あの団体なんかもう入りたくない」と、皆さんは人々から言われないようにしなさい。自分一人で、ちゃんと祈る時間を設けて、整備して、元に返す訓練が心要だよ。分りました? なぜかというと、我々が堕落したということは間違いない。理論からいっても、宗教上から見ても絶対に間違いないからである。 ヘーゲル弁証法は間違っている。ヘーゲルは弁証法における「闘争」という観念をどこから引き出してきたのか。人間の心の中に深く入ってみれば、良心と肉心は闘っている。そこで闘争観念が元々からあるというように考えられてきたのである。だから、神が創造した世界そのものに闘争があると曲解されてきた。それは堕落観念が分からなかったからで、根本的問題である。 人間の本心を深く探ってみれば、人間は相反する二つの性質でもって対立しているというように考えられてきた。ですから、そういう二つの要素が組み合わされた人間の、良心的な基準と肉心的な基準に対応しながら、歴史が発展してきたという観念がすぐ生まれるのです。それゆえ、ヘーゲルにおいては「堕落観念」を生み出すことができなかった。これは、根本的問題である。堕落した結果としての人間自体を分析してみれぱ、相反する二大性質で結合している。それが、そもそも神の創造の原則だと思うから、宇宙はそうなったとする根本的原論を立てるようになった。 そういうふうに考えてみた場合、今の共産主義思想は現在のすべての事象を弁証法理論による歴史的発展の中で主張する。現実の一切を上部構造と下部構造に分立させ、論争、対決の相対圏を立たせて解決し、発展させようという戦闘的な理論を引き出している。発展するには、以前のものを破壊しなくてはならないという理論が必要になってくる。そもそも、ヘーゲルの弁証法は、その基準を堕落しなかった人間の立場から考えた。しかし、事実はそうではない。堕落した人間であったから、良心と肉心の対立、闘争が始まったのである。もともと、人間の中には矛盾した性質はなかった。 そういう面から見た場合に、我々は、本源の基準に一致する現実的な運動というものが絶対必要である。ヘーゲルは、「生活の場」が矛盾をはらんでいると見た。それが平常なものであって、宗教は異常なものだと思うようになったのである。そうではありません。ヘーゲルの考えは間違っている。堕落した結果の人間を中心として、堕落前の本然の人間の出発基準において考えた点が間違っていたのである。 我々がここで強調しなければならないことは、堕落観念を早く宣布することである。我々人間自体の中で、良心と肉心とが相争って闘っている。その二つの力の拡大が、世界の分立体として、民主主義世界と共産主義世界、唯心、唯物の世界として現れている。その結実として収穫期に向かって進んでいるのが、末世紀(終末時代)の時代思潮の現象である。はっきりしているんだよ。 堕落観念を忘れるな ここで、我々統一思想はどうするか。出発点が間違っているから、我々は一次元高い本源の元に帰らなければならない。一次元高い本源の元という人間は何か。これは良心と肉身が闘っている人間ではなくして、良心と肉心が一致している人間である。絶対一致、永遠一致という基準において霊界は地上と一体となる。もともと原則の立場から見れば、人間は霊肉一体基準において、神の心情圏を中心に立つようになっているんだよ。その心情基準が中心になった場合には、良心と肉心は絶対に分けることができません。 だから、堕落観念をいつももたなければなりません。分かりました? それをもたないと、とんでもないことになる。それが失われて、習慣性になると、恐ろしいことになる。神も霊界も関係をもつことができなくなる。我々は心情世界とは何ら関係ないことになります。分かりました? (はい)。 だから、我々は、堕落圏にいるという自覚をいつでももたなければなりません。食事をするときもその観念を忘れてはいけません。何をするときも、その観念を忘れてはなりません。いつかは整理しなければならない渦中にある。時が来たら、間違いなく整理する。個人からはっきりと整理するし、家庭、氏族、国家、世界に至るまで整理する。この整理の徹底化した伝統基盤を各自が確立しなければ大変なことになります。 この世の中の生活は、堕落圏だから、神様に通ずる生活ではありません。この世界の八〇パーセント以上がサタン世界に彩られているというんだね。これを否認して、肯定の立場に立ち帰るには、嫌々ながらも、習慣性に自分なりに気づかなければ崩壊に遭うというんだね、分かりました? この世の中では、子女関係、親子関係、国家関係がみんな堕落結果の基準を中心としてつながってきている。子供がいるとしても、みんな堕落の血統をそのまま認定した子女関係、家庭関係、氏族、民族、国家関係である。ここに、新しく我々が持ち出すのが“霊の子”という問題です。 三人の霊の子は絶対必要である 霊の子とはいったい何か。これは失われた三人の天使長を意味する。アダム、エバが、三人の天使長の共同圏、協助圏に立てなかったから人間は堕落した。それを蕩減しなければならない。だから、三人の霊の子は三人の天使長に当たる。それらが一つになって、アダムに対して命を捧げるような立場に立たなければなりません。 あなたたちは霊の子に対して、アダムの立場、エバの立場に当たる。そうなった場合、三人の天使長の代わりに立った霊の子は、その霊の親に対して、命を捧げても何の未練もないような心情圏をつくらなければなりません。教育して、そのような関係をつくらなければなりません。そして、アダムの立場から見た場合、自分自体が結婚するのを遠慮しなければならなかったのが、天使長の立場だね。三人の天使長がつくられた目的は、アダム、エバを教育して、家庭をもつことのできる心情圏確立の日まで遠慮せざるを得ない立場であったのに、逆に問題を起こしてしまった。そのことが堕落でした。 ですから心情圏の復帰は、三人の天使長自体が一体となって、あなたたちのために命を捧げても、天の法に違反しないというような決定的な三人の天使長をあなたたちがもった立場に立つことによってなされる。そうして初めて、アダムが三人の天使長を一致させ得なかったその基準を蕩減復帰した立場に立つ。分かりましたか? (はい)。 それで、イエス様の三人の弟子も、イエス様のために死ななければならない。イエス様は親である。本当は、天使長には子供はないんだね。堕落して、天使長系の子供の立場に立ったのであって、切って離すことはできません。だから、それを結びつけながら、元のほうに帰るために天はそれを認定せざるを得ないんだね。それが、アベルの道である。まず、三人の天使長が一体化した基準であなたたちの一切の祝福を援助し、準備してくれなければなりません。だから、統一教会は三人の霊の子がなければ生活することができません。分かりました? 三人の霊の子がいなければ、三人の天使長が完全に援助した基準に立てないから、その基準は、そのまま堕落圏内にある。サタンはいつでも引っ張っていく。 だから、三年間、霊の子が絶対的に一体化した基盤の上で、すべてを犠牲にしながら祝福の一日を待つような環境で、三人の天使長はアダムとエバに侍らなければなりません。それを通過したのちに神の認定を受けて、神の心情圏を共にしながら、アダムは三人の天使長に対し、「どうぞ、成熟いたしましたから、相対者と祝福を受けさせてください」と言う。これが統一教会の原則である。だから、三人の霊の子女がいなければ祝福できないということは、理論的であり、原則的である。絶対できない。それをもたないで結婚した者は、堕落圏内にとどまる。 今はいい時にきた。あなたたちは、万物を与えてでも伝道する時にきたよ。ヤコブがエサウを屈服させる時、金を与え、万物を与え、すべてを捧げて屈服させたように、我々は物を使って、平面的に天に屈服させることができるようになった。だから、我々は万物に恵まれる。統一教会は世界一、万物の祝福を受けるようになるだろう。分かりました? ただ、日本一になるかもしれない、と思うのでは霊界は援助しません。このような徹底した理論を確信して、実践すれば世界一になる。理論が間違っていなければ、いかなる反対を受けても必ず世界一になる。先生がなすことは原理基準以外ありません。だから、霊の子は絶対に必要か、必要でないか? (必要です)。 将来、反対がなくなった時には、自分のおじいさんが孫になるし、お父さんが子供になるし、それから子供が親になる。「天地開闢」という言葉があるんだね。まるっきり反対になる。まるっきり主人が違うというんだね。向こうに引っ張っていたサタンは、永遠に惜別して、神に向かって回れ右して天国に入る。そうするには、蕩減条件という反対のコースを正して、サタンの防備をして、君はこうだからここには入れないという、絶対的、理論的壁をつくらないと、サタンを後退させる何の力もありません。これが復帰の真理だというんだね。 だから、三人の霊の子がなければ、祝福もできなければ生活もできません。今はそれが逆になっておる。条件なくして生活している者もいるだろう! 早く正していかなければならない。それを七年間でやる。我々は結婚したのちに、夫婦共に三人の天使長が援助したがるようにならなくてはなりません。自分個人のためには、三人の天使長、霊の子が援助したんだけれども、家庭、夫婦を援助したことはありません。その援助の基台をなすために、三年間という期間が必要である。分かりました? 家庭編成のための七年期間 そういうふうにして、夫婦が一つになって、霊の子が各々三人で、合計八人になる。そうして、天使長の立場の者たちが、親に対して、共に完全に一つになったという条件が満たされることによって、そこから新しく、伝統的なアダムの直系として、そのアダム家庭の八人兄弟(食口)が家族として復帰される。 共々に、霊の子供をもっている男、女が組み合わされて、夫婦が相互に愛して一つになったという基準に立ち、そうして命を捧げても天に逆らうような精神を、我々の中に見いだすことができないというような立場に立って、初めて生活圏に入り、三人の天使長圏が三人の養子圏に入るんだね。 堕落したアダム家庭の八人は、サタンの実子圏に立って落ちていったね。ただし、「実子」といっても血統が違う。違うものが神の直系に入ることはできません。それは養子圏に立つ以外に道がないというんだね。養子圏に立つ子供は親と一つになって、(再び)落ちていくのではなくて、長成期完成基準から七年間上がっていかなくてはならない。あなたたちは完成基準にはまだ上がっていないだろう。神の直接主管圏内に上がるには、完成基準を乗り越えなければならない。それは原理の教えだよ。今はまだそうなっていない。それをまとめたのが長成期完成基準だ。アダム家庭は、ここから落ちていったんだけれど、ここを中心として七年間上がっていく。それは家庭編成のための七年間である。 どういうふうにして養子になる? 夫婦アダム、エバと絶対的に一つになり、原理的にも逆らうことなく、アダム、エバのためにすべての存在価値を向けてきたという基準が立つことによって、養子圏になる。そして、アダム、エバの堕落前の夫婦圏が保たれる。分かりました? アダム家庭の堕落のために、世界の一切が堕落してしまったのだから、霊の父母と一つになって、世界の復帰を目標として上がっていく家庭でなくてはならない。堕落は八人の家族を中心として、サタンによって無原理圏に落ちていったね。その反対の方向に、親と霊の子が一つになって、上がっていくことによって、堕落の天使長の子孫と、養子圏の天使長の基準に分かれる。一方は上がるし、他方は下がる、その境目になっているというんだね。 だから、この八人が完全に一つにならなければならないという原則なのである。分かりました? そして下がるのではなくして、世界復帰のために犠牲の道を行かなければならない。サタンは周囲を犠牲にさせる道を行きながら落ちていった。我々は自分自身を犠牲にさせながら、世を救うためにやっていく。サタンは世を滅ぼすために、自分を中心にさせながら堕落していったんだから、我々は自分自身を犠牲にさせながら反対に、この世の中を救っていく。理論的だね。分かりました? (はい)。この原則はもう揺るがせない。上がっていく八人の家庭編成圏において、堕落世界の家庭と、復帰された親の家庭とに分かれる。 再臨を待つ心情で霊の親の実子に侍りなさい そういうふうにして、この霊の子は何を待つか。霊の親の実子が生まれるのを、歴史において、再臨の救い主が来られるように思わなければならない。分かりました? だから、この霊の子はいろいろと何も思う必要はないというんだね。ただ一つ願うべきことは、その霊の親の実子が生まれるのを待ち望まなければならない。胎中にいる時から実子を敬わなければならない。天使長は、アダム、エバに対しそれを貴く思い、相談し、援助するように造られたと同じように、腹中にはらむその時から愛し、自分の命よりも貴く思うような基準において、生まれる日を指折り数えて待つ、何よりも高い希望をもって待たなければならない。 そして、生まれた場合には自分の財産をすべて捧げ尽くさなければ、天使長基準の所有権を復帰する道が生まれてきません。それで、イエス様がお生まれになった時、東方の三博士たちがなぜ訪ねてきたか。それは、世界的な基準を連結させる蕩減条件として、霊的に高い水準の者が訪ねて、捧げ物を捧げるためである。彼らは、どこかに世界の救い主が来られることを、親がはらむ以前から待っていた者である。その誕生を知れば、すべてを捧げて、すべての冒険を乗り越えてでも自分たちは侍りに行くというようになっていた。イエス様の前に現れたこの東方の三博士は原理的である。 イエス様が三人の弟子を連れながら、死んでも生きても歩んでいかなければならなかったのも、「霊的子女」という原則があるからである。その原則を我々は今まで、はっきりと理解できなかったから、サタンがこの世界を蹂躙して、自分の気ままに、すべてを卑しくしてしまった。そういうふうにして、アダム、エバを愛さなかった天使長、アダム、エバがはらむ、その子供を愛さなかった天使長がサタンであるというんだね。 天使長圏をもとがえすには、霊の親であるアダム、エバを愛するとともに、おなかにはらむ子供を愛した基準を通して、その子供が生まれ、さらに、その子供たちが結婚する日まで責任をもたなければならない。それが、原理原則の道だね。これを先生の家庭で見れば、先生の子供を、先生が干渉して育てるようになってはいない。三家庭が責任を果たさなければならなかった。 霊の親の中にはらんだ子供が、宇宙と取り替えることのできないほどの喜びと希望でもって生まれた場合には、自分のすべての成功をなし得た喜びでもって迎え、その子供を結婚させて、定着させることによって、天使長がアダムと、カイン、アベルを愛し得なかったすべてをなし得た基準において、サタンは完成基準を中心として完全に分別される。そうしなければ、サタンを回れ右させる道はない。あなたたちはいつも蕩減復帰と言うんだけれど、いつ蕩減復帰したか。それは、家庭を中心としたこういう徹底した内容でもって、分別させる原理があるから可能なのである。だから、霊の子は絶対必要だ。分かりました? そのために、先生は生涯をかけている。そういう伝統的精神を国家伝統基準として、国を越えて世界各国に植えつけながら、六十数年の生涯をかけて闘っておる。それが第三次七年路程であったというんだね。分かりました? 六〇〇〇双の祝福を終えた今、もうサタンは世界的に反対することができない。だから、霊的に見れば各国の先祖はみんな大変だったろうね。 祝福によって、“あわよくば、結婚して家庭をもって、幸福をむさぼれる”と思う者もいるかもしれないが、この道において、そういうことはできません! 歴史において、サタンが残した悲哀に満ちたいろいろな闘いの悪辣な基台、伝統が残っている。民族差別運動とか、家庭紛争とか、親子分裂とか、破壊運動とかいったすべての過去の災禍を、我々自身において消化して、新しい伝統を自分によって、アフリカの地に、世界の地に立てなければならないのが、日本のエバ国家としての使命です。それは先生の話ではありません。原理観がそうなっている。 それは、男性ではできません。だから、女性の国が必要である。それで、あなたたちが現在の摂理を担当しているからといって、あなたたちが偉いのではありません。霊界が援助しているからといって傲慢になるのではなく、感謝しなければならない。我々は、エバ国家的蕩減条件を素直な童女のような姿でなしていきましょう。 だから、我々の行く道において、迫害やいかなる困難があっても、あなたたちがそういう伝統的精神をもっていけば、国が反対したとしても、国自体が二つに分かれてしまう。共産党も分かれてしまう。すべてが分かれてしまう。それは、神が直接に働きかけるから、カイン、アベルにすぐに分かれてしまう。先生を中心として、アメリカも二つに分かれているよ。世界も二つに分かれている。レバレンド・ムーンの側とその反対の側とに、必ず二つに分かれる。それは日がたつにつれて、サタンのほうは下がっていくし、神のほうは発展する。 今は所有観念を捨てなさい それで霊の子が必要であるということがはっきりと分かりましたね。(はい)。それは、アダム家庭の堕落天使長を中心として、堕落して、落ちていった基準を、養子圏の家庭を中心として、実子の子供と共に侍り、一体となって完成基準、つまり天の直接主管圏に向けて、七年間を通過して越えることができる。その間はあなたたちは働かなくてはならない。しかし、その基準を越えたとしても、その霊の子の連結体、すなわち、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の復帰はアダム、エバの使命だというんだね。それと同じように、祝福家庭の各家庭自体が世界を復帰しなければならない使命をもっているというんだね。分かりました? だから、その家庭が世界復帰するまで、犠牲にならなければなりません。それを先生が身代わりになって、世界的、全体蕩減の代表的基盤として、家族、氏族、民族、国家、世界へと順繰り大きくしたのが第三次七年路程である。 だから、あなたたちは、霊の子と同じだから、養子圏として、一致して真の父母に侍ることによって、それが世界的基準に発展するまで、その精神でもって一貫して進み、世界が反対しない基準になれば、世界完成圏を越えることができる。だから、その時まであなたたちは家庭安着できない。世界の荒野路程をさまよう環境を乗り越えることはできません。カナンの地に定着する、つまり、自分の国をもって定着する時期にまだなっていないというんだね。分かりました? だから、日本のあなたたちも、家庭定着するとしても、それは永遠の定着ではありません。それで、今は、自分の所有物をもってはいけないようになっている。 世の中のあらゆる物は、自分の所有物になる前に、まずもって、神の所有権の認定を受けなければなりません。それから、真の父母の所有物になる。神の物から、真の父母に相続されたあとに、真の父母によってあなたたちの相続物が始まるのである。国家以上の基準から、そういうような整備の基準がまだなされていない。統一勇士は今、国を求めてさまよっているというんだね。それを果たさないと、あなたたちの分配地、所有権は生まれてきません。それをイスラエル民族に例えれば、カナン復帰基盤をもたなければ、十二支派に対して土地分配とかいったものはなされません。今までの蕩減復帰圏内では、アベルを犠牲にしてカインが発展してきたけれど、今はカインが犠牲になってアベル圏を確立するためにやる。つまり、カイン圏がアベル圏を援助する立場に立っている。時が違うというんだね。分かりました? だから、韓国の古い兄弟、家族に対しては、世界の家族として、みんなが支えなければならない。そうすることによって、古い家族は先生を支えるようになる。あなたたちは、ちょうどイスラエル民族がモーセに侍ったのと同じように、直接、先生の家庭に侍るのではありません。原則からいえば、韓国の古い家庭たちを押し立てて、先生に侍るようにするのが原理の道である。だから、世界すべてのものが今その伝統をつくるために、三十六家庭をアメリカに派遣している。今から、アメリカに新しい天の伝統をつくるんだね。日本はもう、そういう伝統はつくらなくていい。だからといって、先生がいない韓国は、自分たちとは関係がないといったら大間違いである。先生がいる時以上に一つにならなければなりません。分かりました? 日本民族が、アダム、エバみたいに一つにならなければ、神の願う国は生まれてきません。 ホーム・チャーチと天国への入籍 だから、霊の子は絶対に必要である。霊の子を中心とするその父母たる祝福家庭は、それは五パーセントではあるんだけれど、各自において世界的蕩減基準を立てていかなくてはならない。先生の立場からいえば、先生はもうずうっと根から幹を中心として、穂先までつないだところの生きた木になっている。だから、今苗が生えだしたらすぐに大きくなるようになっているんだね。 それで、枝の方向には同じ木が横になっているんだけれど、それらをみな一つの根から、幹から、穂先につなぐような組織体制が必要である。それを我々は、「ホーム・チャーチ」(家庭教会)というんだね。だから、家庭教会がなければ、その元の木とつながることはできません。元の木とつながることができないものは、天国とつながることはできません。だから、家庭教会がなくては、天国に入ることができないという結論になる。分かりました? 先生は生涯かけて、世界的蕩減条件を立たせた。先生が九五パーセントを払ったので、あとはあなたたちが五パーセントの蕩減条件を立てることによって、親子関係が決定されるというんだね。そこに初めて、入籍という問題が出てくる。あなたたち、いつかは入籍しないといけないだろう。天国への入籍は、霊界に行ってからやるのではありません。地上の完全なるアダム一族において、天国の入籍は決定されるべきである。その入籍の基盤はまだまだできていません。だから、一国を中心として早く入籍の基盤を世界的に準備しなければなりません。早くつくらなければ、世界は滅亡してしまう。分かりました? あなたたちは入籍しているの? (やっていません)。今から、先生ははっきりした天の憲法をつくらなければならない。そういったたくさんの問題が残っている。だから、世界のために先生はいかに内的に焦っているか。一日も、一瞬も休む暇がありません。 また、トンネルを掘るのは何のためかというと、日本の運命が永遠につながる道だというんだね。そうでなければ、日本は島国を免れる道はありません。日本を半島とつなげた場合には、大陸と一つになって、いわばアジア結婚式が可能になるんだね。アジア圏の父母を中心として、アジアの三人の天使長が兄弟のようになって、新しい西洋文明圏とつなぐ。東洋が夫になり、西洋が妻になって、世界的な八人アダム圏が自由自在につくられる。そうして、地上の世界最上級に立つアダム理想郷と、天の心情を一致させる道がそこにおいて終わるというんだね。分かりました? 今日、東洋文明を中心として、西洋文明がよくも慕ってくるようになってきているね。 西洋の三国が一つになって、西洋の三人の兄弟の立場に立ち、その兄弟の親の立場に立つことによって、八人の世界的家庭の親になった場合には、それは再臨の理想の決定基盤になる。地上におけるすべてのことは終わって、そのまま天国に直通する。それは、理想の地上天国に展開していく。分かりました? 必ずそうなっていくんだよ。だから、我々はすべてを犠牲にさせても、この道を行かなければなりません。国とか民族とか、そういう感情をもっていては何もできません。分かりました? 漠然とではなく、はっきりと知らなければなりません。サタンと真正面からぶつかって、勝利した実績をもって、これを神様に捧げる。あなたたちは、いつサタンと別れを告げたか? 理想家庭編成のために、すべての面で、いつ区別をつけたか? 今まで、霊の子をそんなに貴重に思わなかったね。ですから、今後は霊の子を自分の子供より以上に愛してあげなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.08
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「復帰摂理の回顧」一九八三年五月一日韓国・第三十回協会創立記念礼拝にて 地方におられる皆様、あるいは新しく教会に入って来られた食口の皆様、先生が初めて会う方が大勢おられますね。この中で先生を初めて見る人は一度手を挙けてみてください。 きょうは[復帰摂理を回顧する」という題でお話し申し上げます。 我々はよく、神のみ旨、神の摂理、あるいは救援のみ旨について話します。しかしその神のみ旨、救援の摂理のみ旨が何であるのかと、問い質すと、これぞという結論を下すのはなかなか難しいのでありますが、これに対して我々統一教会は次のように結論をiしております。神のみ旨は、神の創造理想を完成することである。簡単でしょう?神のみ旨というのは、神がこの宇宙を創造する時に抱かれたその理想、すなわち創造のプログラムを完成させることであります。 それでは、この神のみ旨の完成された中で、一系の中心は何であるかというと、もちろん、万物の創造という内容もあるのですか、この万物の中心たる人間を中心とした理想の完成ということであります。そしてここで人間と言えば、神が一番初めに創造された我々の始祖アダムとエバのことであり、その始祖を中心として神の創造理想を実現させることが、神のみ旨の完成であります。では、この始祖を通した神の理想が何であったかと言うと、それは理想的男子と理想的女子が、理想的な家庭を成すところにあります。ところで、家庭を成すにあたってその中心は何であるかとみるときに、その中心は男子でもなければ女子でもありません。家庭というのは、結局は父母を中心とした子女からなっています。また、夫婦といえば、男子と女子からなっていますが、その結ぱれた、中心はいったい何であるのでしょうか。それは神の愛です。したがって神のみ旨は、神の愛の夫婦、神の愛の家庭完成という結論になります。 ところで、ここで神の愛と人間の愛は何が違うのでしょうか。普通の愛と神の愛、真の愛と偽りの愛、これらはどのように違うのでしょうか。これは、ハッキリと返答するにはなかなか難しい問題です。ここで皆さんがハッキリ言えることは、神の愛というのは、真の愛というのは、永遠に一緒にいたとしてもなお一緒にいたいという愛です。そうならばいいでしょう。永遠に一緒にいても、一緒に住んでも、一諸に見ても、一緒に話をしても、一緒に感じても、一緒に聞いたとしても、なおそのようにしていたいという愛だというのです。 では神が、なぜ神の理想として人間を必要とするのでしょうか。それは神の愛を完成するためであります。人間同士が互いに見合って永遠に喜ぴ合うことはもちろんですけれど、神が永遠に喜ぶことができるような対象者として人間が必要なのです。アダムとエバを神が創造なさったその口から、永遠無窮に見て、また見てもなお見ていたい、共にいてまたいても、なおいたい、共に住んでまた住んでもなお共に住んでいたい、そうすることができる対象をもつことが神の創造の理想であります。今日のキリスト教徒たちに神様にとって何が必要かといえば、彼等は神様に必要なものはありませんというでしょう。我々人間が必要とする知識を取り上げてみてみると、神は知識の王様でいらっしゃいます。この宇宙は秩序を通した法によって運動しています。それは、すべて相対の因縁を備えながら、互いに連関性をもって運営しています。どんな偉大な科学者であっても、その科学者の知っている知識というものは、極めて小さいものにすぎません。深い所に前進すればするほど、そこに無窮なる法を中心とした原理原則的作用が継続しているという事実をじっと見るときに、このすべてのものが、漠然と自然にできたものとは考えることができません。この宇宙のすべてのものが、全体の目的に一致することのできる方向性を備えているという事実を考えるときに、そして、そこは無限に膨大であり、また無限に微妙な法則の世界であるということを考えるときに、このような宇宙を創造された神は知恵の王であられ、知識の王でいらっしゃるということができます。神は全知全能なお方であられるゆえに、知識に全能でいらっしゃいます。だからその神 様の前に知識は必要ではありません。また、その神様においては、全権の神様でいらっしゃいます。全知全能なる神様はすべてを知り、不可能ということがありません。そのお方が成そうとすれば何でも成し遂げることができるために、そのような神においては、今日の人間たちが必要とする権力も必要ではありません。ひいては、我々人間たちが必要とする経済問題においても、経済問題といえば、大韓民国はもちろん、アメリカ自体でも、ソ連においても今後行かんとする方面に引っ張っていくその原動力となっているのが、その経済力、すなわちお金です。そしてそれは、今日我々人間の生活上不可欠の条件となっていますが、神様にとってはお金は必要ありません。このように我々人間が、我々の現象世界の発展の土台の外的要件として必要とするすべての権力とか、知識とか、あるいはお金というものは、神様には必要ではありません。 それでは神が必要としておられるものは何かといえば、それは人間でありますが、神はその人間の顔を見て喜ぶのではありません。目がきれいだから好きだというのでもありません。何も美人が美しいのではありません。そのようにその人の顔かたちの善し悪しによって喜ぶのではありません。その人の中に、神が永遠に喜ぶことのできる真なる愛の対象的な価値をもっていることが重要なのであります。そしてこの価値が顕現する日、この価値が成長する日、神は初めて笑うことができるのであり、共に和動してくれる相対を初めて見付けたことになります。話をしても、一人でするのではなく相対的関係をもって話すことができるということなのです。そのような相対は、我々の人間始祖アダムとエバがなるべきでありました。そのように愛の対象として人間を造られたというのならば、その愛の対象とはどんな位置なのでしょうか。愛の対象というとき、絶対主体である神が主体だというのです。その神が絶対的価値を得るためには、絶対対象を備えなくてはなりません。それを人間を通して取りもどそうと願っておられるのです。すべてのものが必要なのではないけれども、絶対的愛、不変の愛を要求するとすれば、神の絶対的不変の愛の前において、絶対的対象の相対圈を備えなければならないのです。愛の対象とはこのような驚くべき価値をもっているのです。 そうであるならば、神と人間との関係において、神の新しい愛を中心として一番近い場所、一番高く価値ある場所を言葉で表すとすれば、なんという言葉になるでしょうか。主体と対象関係は、それが出発、初めとなることはできません。主体と対象はある期間を住んでから、愛というのであって、この場合、神の愛は出発と同時に顕れるのではなく、男子と女子との愛のように成熟したときに、思春期に入って顕れてきます。それが夫婦の愛です。このように夫婦の愛というのはその中間に始まるのです。そうするとその創造の初めから出発し得るその愛の相対は誰であるかというときに、それは言葉を偕りて表現すれば、お父さんと息子の関係、それは父子の関係です。では、父子の関係とは、愛を中心としてどのような関係を結ぶのでしょうか。それは父母の愛が原因であるとすれば、その息子というのは愛の実であり、結実であります。そしてその結実と原因とが別々に離れた所から出発するのではなく、結実として原因と一つの場所から出発するのが、私という存在であります。父母の愛を原因として、父母が現在の愛するその場所に結果として登場するのが私だというのです。それだから私は、父母の血縁的な愛の出発の根源に同席した者であり、父母の愛の結実として同席した者であります。だからこれは、原因と結果が一つの所から出発したということによって、原因的父母の愛と、自分の生命的愛の根源は同じであるということができます。そのような意味で愛を中心として父子一身という言葉が可能になるようになるのです。父子の愛ということを除いては、一身という言葉が、一体という言葉があり得ないのです。私はそのように愛の本 質として生まれたものであるから、胎内に宿ったその瞬間から、父母の関心と愛のすべてが集中するようになっています。なぜそうなのかといえば、それは愛の結果であるためです。そして、愛で生まれ、愛を通して自分の生命に受け継いで、愛を受けながら育ち大きくなり、相対関係をもつようになったとき、相対を取り扱う上での愛が何であるかというと、父子の愛が縦的であれば、相対関係の愛は横的であります。そしてこれら縦横関係の理想的な愛の定着点が必要ということになります。それは父子の関係と夫婦の関係が一緒になるところです。ここにおいて神の理想実現がなるのです。 もう少し説明してみましょう。アダムとエバがまず、父子の関係を神との間でもち、その次にアダムとエバが成長して、横的基準を中心として、アダムが愛する神、エバが愛するその神を中心としながら、遠く離れていたのが次第に接近するようになるのです。そしてこれらが垂直線上に集まることのできるときに入ってゆくと、これらが次に接近するとともに相対的愛が接近するようになります。すると同時に神の愛もここに、接近して入ってくるというのです。このようにして、縦的な愛、理想的な愛を中心としながら、横的な面に接ぎ合わせることのできるこの基準が決定されるとき、これが宇宙の永遠なる愛の定着地であったということを我々は理論的推理から断定することができます。 神はどこにおられるでしょうか。「神よ、あなたはどこにおられるのですか?」と問うときに、今日のキリスト教徒は、それは神様の天の国の宝座におられますと答えることでしょう。また宝座に誰と共におられるかといえば、十二使徒、大使たちが、天国に入っていると答えるでしょう。しかし、いかにその限界にいたしても、そこに神様の愛が顕現されていないとしたならば、それは荒漠とした世界であります。もし、天の国に王宮があるとすれば、その王宮の編成はどのように繰り広げられるのでしょうか。それは、天の国に神ご自身、どのように人を造り、天使とかを造ったからといってなるのではありません。地上を通してなされるのです。愛の夫婦の因縁を通して神が定着することのできる愛の基地から、永遠なる天上世界の理想実現にまで関係が連結されているのです。したがって、その焦点は一つであり、天の国の焦点であると同時に地上における焦点にもなっています。この焦点が二つあることはできません。では、人間を通して神の理想的愛か実現するならば、その後の基準はどこにあるのでしょうか。天の国の宝座に人間が上がって行くのではなく、神様が訪ねてきて、息子の位置に一つとなって結実することのできるものを追求するために、この宇宙を造られたのであり、人間を造られたという事実を考えるときに、人間の価値こそ、このように神の愛を中心にして、驚くべき位置にあるという事実を、今日神に仕える人たちは知らないでいるのです, そうであるためにこのような愛が、今日堕落した世界にどのようなものとして残っているかとみるときに、神の世界に似た本然の基準を受け継ぐことのできた父母の愛の圏内に、このような影だけでも残っているのをみることができます。そこで父母たちは、子女を一年、二年、十年、百年、万年だけ見たいというのではなく、永遠に愛したいという心を注いであまりあるのです。それはどこから出てくるのでしょうか。それは父母が自分の家庭的な何かの力を加えて発展したものではありません。宇宙本然の源泉から湧き上がってくるのであり、それを純粋に受け継いだ、たった一つの場があるからであります。その場が何かというと父母が子女を愛する場であります。堕落したといってもそのような微かな道が残っているのです。ここで統一教会の人は真の父母の理想を語るのですが、その真の父母とはどういう父母なのでしょうか。それは自分の息子を永遠に至るまで、愛することに終わりのないものであります。真の父母がそのようであるとすれば、真なる子女とはどのような子女でしょうか。それは真なる父母の愛の前に永遠無窮に、父母を愛してもなお愛が満ちあふれることのできる愛の心をもった子女であります。そのような子女が真なる孝子の名に値します。わかりますか。では、真なる妻とは何ですか、真なる夫とは何でしょうか。アダムとエバ自体が、いつの日にか成熟すれば、これが第三者を介在しないで永遠に互いに愛の対象として愛し合うことができるようになります。そしてその初めての愛とともに、その初めての愛に年を重ねれば重ねるほど、そこにプラスされ、家庭的愛の拡大、氏族的愛の拡大を重ねてゆくことのできる永遠なる愛の対象的実体者として結び合うときにそのような夫婦は、真の夫婦であります。このような真の夫婦は神の愛に参同することができます。 今日、学校問題が至急なる社会問題になっており、アメリカでも日本でも全世界的に問題になっています,先生というのは、父母の身代わりとなって子女を教育するときには、永遠なる愛をもって教育しなければなりません。その学級で自分が教える子女に対しては、一生の間忘れることのできないほどの愛の因縁を結ぶために努力しなければなりません。それゆえ、自分にあるすべての知識を愛と共に連結させて教える先生は、真の先生です。今日のように、生活の方便に月給を受けるために教えてあげるのではありません。愛のゆえに自分は、生活は苦しいながらも教えなければならないとして、昼も夜も訪ねて行って、自分にある知識を愛でもって永遠に伝授してあげたいそのような先生こそ真の先生であります。このようにみるときに愛国者とは、どのような人が愛国者でしょうか。自分の国が自分を良くしてくれれば愛するし、自分の国が自分を良くしてくれなければ愛さないというのは愛国者とはいえません。国はどうであろうとも、国のために永遠に働くことのできる愛の心をもって民族に対し、主権者が間違っていたならば教えて、正しく導こうとすることのできる永遠なる国のためとなる愛の心をもったその人は、真なる愛国者です。したがって、そのような愛の心をもった君主がいたとすれば、その君主は真なる君主であります。 聖人の中の聖人は誰かといえば、知識の王権をもって現れたお方でもなく、知恵の王権をもって現れたお方でもありません,永遠なる本質的な神の愛をもって現れて、人類を救うその道があるとしたら、自分の一生はもちろんのこと、自分の一族とか自分のすべてのものを、国家までも犠牲にして人類を愛するその心に変わりがないという人であります。永遠と連結させることのできるこのような愛の心を内包し、その道をもがきながらも開拓しようとする人が、聖人中の真なる聖人です。聖人であれば皆が聖人であるのではないのです。 それで、イエス様は神の愛を体恤してから、神の愛する男性、女性を中心として、家庭を越え、国家を越え、限界を越えていこうとされました。永遠なる愛の一つの波紋のように。静かな波の中に波紋が広がって行くように、愛の神の波紋がこの家庭を越え、国家と世界に波及してゆくことのできるような世界が、神が理想とした愛の立場であるに違いないという概念を、ここで結論づけることができます。それで神がこの世界を見るときに、この世界は堕落した財界であります。堕落した世界は何かというと怨讐という概念が介在するところです。では、怨讐という概念が介在するこの地上に、神の永遠なる愛の基を構えようとするために、怨讐を打倒してしまえ! 除去してしまえ! と、このような論法を立てたとすれば、今の歴史時代に人類が残ったでありましょうか。悪い者たちは全部除去してしまうとすれば、それは愛の本質に違反するものです。愛はすべてを消化することができるものです。たとえサタン、魔鬼といえども、完全なる愛の前には消化されるようになっているのです。どんなに不良者のような不孝の息子でも、夫婦の愛の本質的な愛に接するときには、悔い改める道があるのであり、その息子も消化することができるのです。同じく怨讐対怨讐であっても、怨讐が本質的愛を消化することができるのではなくて、本質的な愛が怨讐までも消化する能力をもっているのです。神はそれを自負するのです。そうであるために、歴史時代に宗教を通して、神は自分は愛であるというこのような標語を立ててこられました。その愛はどのような愛かというと、それは永遠の愛です。その愛の前には、すべてのものが消化されてしまうのです。『サタンよ、ありったけの力を尽くしてみろ、試験するならしてみろ』という話です。サタンは、あなたの愛の本賢がどんなに偉大であっても、我々のような悪魔のようなものは消化することができまいとみるのですが、そうではありません。神様はそれまでも消化することができるのです。 このような対峙した歴史路程が堕落以後、私の家庭と、氏族、世界に全歴史の舞台に繰り広げられてきました。そこでは悪がいつも先に動員し、悪が優勢の座を占めてきました。善はいつも保守的であり、悪は攻撃的であります。それを知らなければなりません。そこでこの歴史は悪なる人たちがいい暮らしをするとしてもそれは愛をもってするのではありません。悪なる要素をもって、人を支配し、人の犠牲のお蔭で自分だけいい暮らしをするのです。このような世界は神の前に、神の愛の本質の世界に八つことができないのです。それはこれらを消化した場所でなければなりません。そうであるために宗教指導者は、たとえばイエス様のようなお方は、自己において何の罪のないことを自認するイエスを十字架に釘打たんとするその暴悪なローマ兵士の前に「彼らは自分が行うことがわからないのですから、ああお父様、彼らの罪をお許しください」 その言葉はとこから出てきたものでしょうか。これは知識から出たものでしょうか、権力から出たものでしょうか、金から出たものでしょうか。それはお父様の本質的愛から湧き出たということを知らなければなりません。 それで今日、み旨の解釈、あるいは救援摂理の解釈、このようなタイトルをもって話すにおいて、み旨の完成を願っていた神の時代は堕落によってどこかへ消え去ったのであります。天地万物を創造された所望の神の座には根本的な破綻を来したという事実を、今日の宗者指導者たちは考えもしないというのです。神が計画しておられたプログラムが完全に打倒されたのです、蹂躙されたというのです。それによって何か破綻したかというと永遠なる愛の理想対象圏が破綻されているということを知ることができるのに、数多くの宗教人たちは知ろうともしないのです。そういう状態に陥っているこの地上の人種、堕落した世界の人種であるのですが、純粋なる献身的愛をされる神の前に、理想的対象としていたアダムとエバが堕落して落ちていったときに、神の心情はうれしかったでしょうか。それはあり得ない話です。どれほど悲しかったでしょうか。人間の誰よりも、誰よりも悲しかったはずであり、至極、至極、悲痛であったに違いありません。その内容が深くて、その内容が価値的な内容をもてぱもつほど、悲惨中の悲惨だというのです。そのような神の失ったその息子たちを再び取りもどすために、孤独の直をなお越えて行かれるというのです。 今、このような神をみるときに、悲運に包まれた神であり、悲痛な心情を抱いて前進の行歩を辿らざるを得ない神であられます。そのような神様の立場において、訪ねて行くとすれば何を訪ねて行くのでしょうか。神の家庭や神の国を訪ねるという話ではないのです。神の世界、神の天国を早く行って取りもどすことではないのです。それは、私の息子はどこに行ったのかということであります。私の息子、初めて生まれた愛の対象を訪ねて行くのです。そしてその息子を探した後に、娘であります。これが神の救援摂理、復帰史であります。今日、宗教世界に再臨思想、メシヤ思想がありますが、いったいメシヤというのは何でしょうか。その宗派のメシヤを中心として教えることではないのです。里には里長がおり、面には面長、郡には郡守、道には道知事がいるのと同じく、大韓民国には大韓民国大統領がいるのと同じように、これらを連結させて国家基準を越え世界基準にこれをつないで一つの世界になし、一つの永遠なる愛の基の土台が、このすべての人類を超越して定着することのできる基準を地上に望まれる神であるために、本来アダムとエバの二人だけがいた理想の場に人を、定着地を探そうとされる神であるために、神にとっては、失った国や世界ばかりではなく、一人の息子を探すことが問題であります。 そこで、この国を探すために協助する宗教、主の宗教の代表である。ユダヤ教からキリスト教、キリスト教から統一教会の時代まで、人類歴史の上に連綿と歴史的内容をもち続けてきたこれら宗教の本質は何かというと、それは永遠の愛、これでなければなりません。真理の人が必要とされるその真理自体は何であるかというと、それは真なる道理です。真なる道理をもって、真なる道理に向かうことのできる人が必要であります。真なる真理が必要ですか? 真理が、真理が必要だというのです。真理の実体は何でしょうか。その真なる真理を求めるのは、真なる真理の実体となろうとするのは、その真理が追求する理想的要素、真なる永遠の愛を必要とするためであります。真なる真理を完成した人に出会うことによって、愛の橋が出来上がるために、その真なる人を探しているのです。歴史の中に人間たちが苦しみながら求めるその姿は、神様と同じなのであります。神の姿は真なる真理を求められる神であるのですが、その真理はどこにあるのでしょうか。いや! 真理はみなもっているのです。それを知らなくてはなりません。人間が真理と一体となればどうでしょうか。それは一つとなることによって、真の愛が宿るようになれるのです。 真なる人を探してから、何をするのでしょうか。その女子の真なる人、男子の真なる人に会って何をするのでしょうか。その真なる人を売るのでしょうか。売るにしても男子だけ、あるいは女子だけ売ったとしても売れる所はありません。そうではないですか。神様からみればね。この世的な表現をしていますが、神が真なる男子と真なる女子を売る場合、何と引き替えに売るのでしょうか。それは男子よりももっと良い、女子よりももっと良いものがあるとすれば、神は売るに違いありません。ではそれは何でしょうか。売られていくアダムにとっても良いし、売られていくエバにでもありますが、人間はいったい何か最高なのでしょうか。目が二つあるから最高なのでしょうか。においの嗅ぎ方がうまくて最高なのでしょうか。犬の方がにおいを嗅ぐのはよほど上手です。目にしても人間は一方しか見られませんが、あの蝿のようなものは複眼になっていて、四方を見ることができるのです。どうして目を自慢することができるでしょうか。鼻を自慢することができますか? 耳を自慢することができますか?人間は話をするからといって、人だけが話をすると思いますか? 鳥だって話をしているのですよ。見えない会話をすることができるのです。なぜ人が貴いのですか? 立って歩けるから、それは熊の子だって立って歩くことができるのです。人が秀れているものは何でしょうか。それは、神と愛し合うことのできる資格があることです。「あなたは私かいなければ神となることはできません。あなたは私の父であり、私はあなたの息子である」と、主張することのできる愛の包みをもったということなのです。 さあ、ところが皆さん、この人間が堕落することによって、神は悲惨な神となってしまいました。その悲惨な神が今日誰を訪ねてくるかというと、真なる息子を訪ねてくるのです。神が純情な愛を与えたい、その深い中に、いまだ純情を注ぐことのできなかった初愛を受けることのできるこの地上の男性はいったい誰でしょうか。そのような男性がいないために、その男性を造って、再び探し出して立てなければならなくなったのです。昔、幕らしたことがある死んだ我が息子、その息子よりも立派ですべての面において備わっている、そのような息子を再び探さなくてはならなくなったのです。そして彼を探すためには、(先に)サタン世界が奪っていったために、これを全部修繕し、故障しているならば直し、片輪になったならぱそれを全部皆完全に造って、アダムよりももっと立派な本然の息子の姿となって、神が自分の純心情の愛を、初愛を注ぎ込むことができるようにしなければなりません。神は今、そのような働きをしておられるのです。永遠に、善悪の果を取って食べると死ぬというような、そのような予告と警告を必要としない完成した立場において、あなただけの愛が必要でありますということができる、絶対であるということができるものとするためです。 皆さんは、堕落する前の本来のみ旨の前にある、所望の神の立場のみではなく、絶望の神の立場に立つようになったそれ以後の神のご苦労を知らなけれぱなりません。そうするならば、その目には雨が降る! 自然の雨が降っても、春夏秋冬、四季にすべての高気圧、低気圧がこうなって雨が降るだろう、そういう考えをする余地がないのです。雪が降ろうと、雨が降ろうと、季節が変わろうとも、神の心の中にはこの愛の一片丹心が、永遠に向かって変わることができないのであり、いかなる迫害の環境、曲折にぶつかったとしてもその曲折を越えて、その本然の愛の力をもって動かなくてはならない神の内的ご苦労がどれだけ大きかったかということを、考えている人が誰もいません。 さあ、そうであるから宗教とは何か、たとえていうならば、それは大きい石の山から、片寄らないで完全に丸い美しい、神の中にそっくり入っていくことができる愛の対象の息子、その石を一つ探すというのです。その石は純金よりも高く良く、ダイヤモンドより、真珠よりもはるかに良いもので、『お前こそ私が永遠に愛する』というものです。永遠に変わることなく、私がお前の話を千年、万年しても離れたくない、それほど愛することができる息子です。それで皆さんは、鼻と額と目をよくあてて、□をぴたりとつけながら千年万年暮らそう、千年万年暮らしてみても、また千年万年暮らしたい。また早く行って暮らしたい、そんなにも厭にならない息子をもったことがありますか? 霊界に行ったならば、そのように毎日、寝ることもせず、休むこともしません。御飯も食べる必要はありません。御飯も食べることもありますが、御飯を食べるとすれば、数十万、数百万を一遍に食べるのです。それこそ王宮の中の最高の王宮、舞踏場が現れて、食べたいものが泰山のようにあるのです。本当にそのようになればいいでしょう? あれあれ、真昼間に、文某という人が嘘を言って詐欺師だ。そのように思いますか。私はあなた方よりも足りなくてそう言っていると思いますか? さあ霊界に行って寝るのでしょうか、食べるものが心配でしょうか。着る衣服も、「私はきょうはダイヤモンドの服を一度着てみよう」と言えば、ダイヤモンドの服を着るのです。祝福を受けた皆さん、君たちも考えてみましょう、夫と向き合って千年万年暮らしたいですか。ここで自分の心がどうであるのか、しかめっ面をするのか、千年万年暮らしたいのかを考えなくてはならない問題だというのです。反省しなければなりません。互いの本心に湧き出る愛の芽がどこに出て来るのかが問題です。そのような神の本物の息子、娘になれば幸福でしょうか、不幸でしょうか?「それ幸福だ」と言葉だけがそういうのであって、それでは知るはずがないではないですか。その場に立たなくてはわからないのですよ。 さあ、このように見るときに、今日数多くの宗教人たちが神に対して祈祷していますが、こういうことを知っている私は、やたらに祈祷をすることができないのです。「ああ、私は監獄に捕えられています。神様、私は死にそうです。死刑にされないように私を助けてください」。私はそういう祈祷をすることができません。監獄に入ったならば、□を閉じてじっとしていれば良いのです。祈祷するにも神に申し訳なくて、祈祷しない沢にもいかないので、祈祷するとすれば、国と世界のために、あなたの所願の国と世界を探し求めていく、愛の足場を築いていくために私を利用して、ことを神は願うのであります,そのような観点で皆さんは祈祷をしなければなりません。 それで、私、統一教会の文某という人は統一教会の先生であるのですが、私はこれくらい基盤を造るまで千遍万遍も、受難の道を歩いてきました。何も私はここで、この場で自慢しようとは思っていません。外部で私をみる場合には、文某という人は同情される場にはありません。よい位置だというのです。しかし、内部では私と一つになって、私を同情しなくてはなりません。今度来ても、死ねとだけ言うのであって、遊んで休めという話はしないのです。苦労させるというのです。これから、神の家庭(テープ聞き取り不能) 神が願う国、理想の国であります。第三次は世界であります。第四次は、地獄の解放。第五次は神を解放しなくてはなりません。神様を解放しなくてはならないのに、神様に福をくださいというのは、まことに恥ずかしいことであります。そういう宗教は終わりの日には滅びる無力な宗教として、あってもなくてもいいというのです。神のその心情的愛を中心としたそのような所望の基準の前に、理想的基準の前に刻まれた結果のこの世界歴史であったというのであれば、その歴史世界においては必ず、このような自己中心とした何かを待ち焦がれるすべての群は退いて行くのです。当然のことだというのです。 全部皆、個人主義に、いったいキリスト教がどうしてこのようになってしまったのでしょうか。キリスト教は家庭主義よりも氏族主義であり、民族主義であるのに、これが全部皆壊れていくのです。家庭が全部壊れていき、国がどこにあるのかというのです。社会がどこにあるというのですか。全部皆めちゃくちゃになっているというのです。それでこのレバレンド・ムーンという人は今まで何をしてきたのでしょうか。神が慕っている本性の男性が行く道を私が行ってみようとして歩いてきました。それは神が創進理想で送られた本然の男性の仕事を、愛の相対として備えることのできる不変の愛の基を探していく一つの姿であります。ここに千万事の受難が訪れ、曲折の事情が絡み合うことがあっても、ここに対して引っ張られていくのではなく、これを踏んで、無慈悲で無情な歩みであっても行かなくてはならないと盟誓して出て、歩んで来たのであります。父母の道も克服しなければなりません。妻子が反対するこの道を行くならば、それを消化するための愛でそれを克服して、努力しなければならないのです。世界的主義時代において家庭的主義を主張したとしても、その家庭的主義は世界主義に向かうことができないのです。世界的主義時代において、これに向かうことができるのは国家的主義です。天宙的主義時代においては国家的主義は相対する必要もありません。世界主義なのです。このような論法(理)によって統一教会は進んできたのであります。 統一教会はいったい何をするものでしょうか? 神が願う一人の男性、一人の女性として考えてみましょう,この男性と女性は何の愛を中心に結ぱれるかといえば、それは神の本質的愛によってです。アダムを創造し、その創造理想として本質的愛の一つの個体完成を顕われた、その期待に一致することのできる自らの姿を達成しなければならないのであります,そうするためには、サタン世界のすべての問題にぶつかって克服しなければなりません,個人にぶつかり、家庭にぶつかり、悪なる家庭にぶつかり、悪なる氏族、悪なる国家にぶつかって、その迫害を受けなければならないというのです。民族、国家、世界の迫害も受けなければならないのです。更に、世界の迫害だけではなく霊界のすべての地獄や、すべての悪霊たちが総攻撃する迫害を受けながら、それを打倒してしまって生き残らなくてはなりません。その方法手段は何でもって! それは神の本質的愛でもってするのです。こうすることのできる歴史路程の上に、どのような努力をしても克服して進むことのできる勝利のこのような愛でなくては、神の解放にまでいくことができないとみるのです。そうであるために統一教会の文某は、何年受難の直を歩くのか、それは果てしないというのです。 一つの次元の周期をどのように取るのかというと、これは四十年を取っているのです,なぜそうかというと、それは複雑な原理解説をするようになりますが、イスラエル民族が荒野四十年、モーセの祈祷四十年、イエスの断食四十日、このようになぜ四十を守らなければならないのでしょうか。それは摂理歴史が結ぱれたのを解くためなのです,個人から、家庭、氏族、民族、国家、世界を結んだのであるから、それで世界的四十年が繰り広げられるのです。レバレンド・ムーンという人は、あらゆるすべてのものを皆、通過しなければなりません。この世のすべてを。ここに立っている文某は成功しました。みんな本当に良かったというのです。この世の中で険しく思う何もありません。命令すればどんな困難なことでも進んでいく人々が大勢います。しようとすればできないものがありません。この基盤を築いたから良いのです。その良いという言葉は簡単な話ではないのですよ。 今日、祝賀の日に、きれいな服を着て、まじめに、美しくいい身装をしています。私は皆さんのように、そのような考えをもたず、そのように服を自分勝手に着ることができない人です。私は三十歳までお腹がすかない時がありませんでした。御飯がなくてそうするのではありません、自ら進んで。服がなくてそうしたのではないのです、自ら進んで。食べるものがあれば可哀そうな人に分けてあげるために。善るものがあれば、可哀そうな人に分けて与えなくてはならないからでありまし た。私は、あの黒石洞からソウル駅まで来るときには、切符を買わないで歩いて通いました。その時、電車賃が十銭でした。どこか行くのに電車でなく、歩いて行きながら十銭を小遣いとして持っていて、地上に積善を求める扶助なのであります。 今はこれは少ないけれども、このお金が千万倍に増えて、乞食のような民族が解放の一日をもたらすことができるようにつくることを、祈祷しながらそうしたのです。呻吟するサタンの中に包囲されているこのはかない民族の事情を知っています。全民族の受難の歴史に血柱があり、血の汗が流れている自分の民族を知り、自分の親戚を知り、自分の父母を知らなくてはなりません。そうしながら日本に行きながら、下関までオーバーを被って何時間痛哭したかしれません。それは今も忘れることができません。 その時、日本に行く、日本の婦人、韓国の人が常時行くことができる、踏み台にして行くことができる踏石が必要であれば、その踏石を、愛の情熱で燃える心情が溶けて流れる涙の跡を通じなくてはならないということを私は知ったために、私が行く道は踏石に向けて祈祷するのです。世界の生活苦にあえぐ人間相を知るために、労働もしてみたのであり、農夫労働もしてみたし、あらゆることをやってきました。息子がなくなってから、六千年恨みを抱いて、あなたの心情の前に、その何かしこりが残っているならば、この息子一人を打つことによって、千万遍殴って解くことのできるその心があるならば解いてください。そのような道を探してきました。 そうしながら、二十代を越えて三十代、二十代の全部が終わる前に、三十になる前に私はこのような情熱に燃えたる本然のアダムの姿を代身することのできる一つの愛の本然の道を、それにさ迷う気違いにならなくてはなりませんでした。だから男子として受けることのできる受難の道を皆受けたのです。それで、私と相対することのできるものも、そのような相対的道を経なければならないとそうみているのです。 この二人の男子、女子はこの世の受難歴史の中で、あらゆる苦難を皆通過することのでき、事情を皆解くことのできる内容をもつことのできる愛の本質をもたずしては、この歴史に宿した癌をほぐすことはできません。それを皆出してしまうことですね、統一教会の人たちは先生をみて厭なものが一つもないのです。何となくいいのです。そうするよりほかにありません。蜂蜜入りの水と、砂糖水と砂糖きびの水、この三つの水をして指で味をみるときは、砂糖きびの水、また次は砂糖水、蜂蜜水とどれを飲みますか? 舌を持った動物ならば、蜂蜜水がおいしいんですよ。 統一教会を出発するのが、どれほど歴史的な話でしょうか。私はありとあらゆる、皆ぼろの風呂敷包みを被せられましたよ。それで、民族反逆者、それから国際共産党、それから色魔、それから真っ裸になって踊る群、詐欺師、それから、最後には暴力団の徒党、それから金日成、スターリン、ヒットラーよりもっと恐ろしい独裁者だと、この世の最たる名前は皆、次々に被せてくれました。構いません、もっと被せなさい。神様が、一番悪いという言葉は皆私に被せました。それでも、そういう名前を被って私か首を折らないで、今まで足を折らないで頑張って立っていて、汗を流し、立って死にそうになって、立ったままで頑張りながら、(その汚名を被ったまま)死ぬという法(こと)があるでしょうか。だから神は同情して仕方なく、帽子を脱がせて寝かせて死なせてくれようとするのです。何の話かわかりますか。そのように考える人なのです。大韓民国が虐待することがあっても、いったい私を歓迎しましたか。私は国を売り、悪いことをする人ではありません。国を指導し得る内容があるのです。アメリカを動かしてゆくことのできる力があります。 また、反対があったとしても正面から蹴っ飛ばしてしまう人なのです。大胆といえば大胆な人なのです。私は大学総長だとか、社会的地位があるからという人がいるかもしれないけれど、しかし、総長だからといってその人を特別視する人ではありません。先生は、数百名、数千名の総長候補をつくる実力を もっています。大統領だからといって会えないでしょうか。ある南米の大統領候補者たちが来て、私に会いたいといっても会ってあげませんでした。このように先生は相手の立場に左右される先生ではありません。 さあこのような話をなぜするのでしょうか。悲惨な神を知らなくてはならないから、神に従う聖人の道を行く人は、悲惨に死んでいきました。イエス様がそうであったし、すべての聖人たちで、歴史路程の上でその時代に歓迎された人はいないのです。百年、千年の歴史の後に、墓に白骨としてすべて朽ち果て灰となった後に、歴史路程に追慕の対象となったのが今までの聖人だったのです。 ところで、聖人たちの目的がどこにあるのでしょうか。一代で成功することのできる聖人はどこにいるのでしょうか。新しい歴史時代に、死んだ後に、その死体を掘って、探して行く聖人は必要ないのです。この悪なる世界の聖人、悪なる世界を救うことのできる聖人でなければならないことを知らなければなりません。その聖人の代表者が、再臨思想によって来られるメシヤであるということを私たちはハッキリと知ったのです。メシヤは、この世界を救うことができるというのは、悲惨な罪悪の地に入って行って、それを撃破してしまい、それを正すことのできる聖人。神の一番頭痛の種であるすべての問題を独り責任をもって解放し、堂々とこの社会の悪なるものを排斥することのできる聖人。 このような聖人でなければならないということを八ッキリ知らなければなりません。イエス様もその道を行くことができずに死んでしまいました。聖人たちは誰もが皆、同じでした。しかし、私、文某という人は、一生が追われる、捕われる場にあったとしても、私一生ですべてのことを収拾してみせましょう。天の前に、鉄石のような決意をもっている私なのです。 一月一日、その日はその年を祝賀しなければならない日です。しかし、涙を流しながら今年も、再びこの道を行かなければなりません。そのように、大韓民国が私を嫌ったのです。三千万同胞だちは、文某氏を知ってみると、「我々が間違っていた」と言いました。日本もそうでした。そうであるために、今では私を無視することのできない段階に入ってきました。アメリカも私を無視することのできない段階に入ってきたのです。その次は、この青少年の淪落の問題です。サタンのこの溜め桶を被ってしまって全部皆肥やしの臭いをしているのを、全部皆洗ってあげて白い衣を着せて天国の宮中に入って行ける教育をして、正しい人としてあげているのです。新しい木に接いでlテープ聞き取り不能l そのような男性を代身することができる一つの条件、女性を代身しても同じです。世界の若者たちを集めて新しい家庭編成をしているのが、統一教会の合同結婚式であります。その民族を初めとして行かなくてはならないそのような宿命的路程が決定しているその中に、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、そして必ず世界を救って、天上世界に行くのです。天を全部皆率いて、霊界にまで率いて行って神が解放される所まで行かなければなりません。広大でとてつもない使命が我々の前に来て、自分を呼んでいるという事実を忘却してはならないということを知らなくてはならないのです。そうせずしては神がこの世界に臨まれることができません。「おい、レバレンドームーンの行く所に、私がついて行くよ」「どうぞ、おいでください」。この基台を造らなくてはならないのであり、我々の教会をこのように造らなくてはなりません。神が行くのは、本質的愛に和することのできるその中であります。そこで超民族的な永遠なる愛を土台として、その愛の因縁を中心にして五色人種を合わせて一つになる運動が合同結婚式であります。 六千双というその群たちが、理由なしにここに来てこういうことをしたのではありません。世界を眺める絶望状態にあるその若者がいるとすれば、剣を差してこの時間において要件を解決し、これを発表する責任が(先生に)あるとみるのです。その群がここに飛んで来ることは容易なことでしょうか。私がお金を払ってあげてたのではなく、かえって反対です。それでは何か恋しくて訪ねてくるのでしょうか。本然の愛を願うがためです。神がそれほどまでに願われた本然の愛、本質的愛のために行くには、愛の男性と本質的愛の女性を中心として、本質的家庭形成から、氏族形成、民族形成、国家形成を経て世界に行かなければならないのです。この本質的愛の主体であられる神を解放することのできるその日まで、永遠に我々の使命の自覚をして集まったとてつもない群であったことを、大韓民国も知りませんでした。それで六千双は八十四力国から集まって来て、またもどって行くのです。喧嘩もせず、自慢もしないのです。今日、近所の婚礼でさえ話が広がって祝い事に騒ぎが起きるのですが、五色の者たちが、色とりどりの者たちが、集まりながらも、それほどきれいに事を済ませて行ったという事実はあり得ないことです。これは文某がよくやったからではありません、神がなされたのです。これは韓国文化史に、見逃すことのできない歴史的事件であったことを誰も否定することができません。否定する日には、世界人類の讒訴を受けるようになるでしょう。 それをするのはどうしてかというと、神が願う本然の理想的男性が恋しくてするのです。神の復帰摂理歴史を回顧する場合において語る、六千年時代において、今日までの八十五万年の歴史において、一人の男性を探すことができなかったというのです。一人の男性を探して、「お前は骨の中の骨であり、肉の中の肉である」といって、「お前と私は一つである」ということができる愛の旗印の前に結束し得る父子の関係をもつことができなかったというのです。「私の愛よ、私の愛よ」ということのできる相対をもつことができなかったのです。 皆さん、体験してみて、父母となって、その愛かどのような愛であるか説明しなくてもわかるでしょう。堕落した世界の鈍くしなびた我々の心でさえそうであったならば、本質的世界の本然の、それ自体の純粋な神の心の中の傷はどれほど大きかったでしょうか。偉大なる神として、体を起こして(堂々と)進んで行く余地のない事情をもって歩まれた神なのです。千万事情の曲折と、千万事情の悲惨なる運命に追われることがあっても、神が耐えている限り、我々はついて行かざるを得ないのです。そのような道を取ることが、逆説的な立場であるけれども(テープ聞き取り不能)的立場で(神が)消化歓迎してくれるということです。それがあるべき宗教の道であると私は確信します。皆さん、我々の噂は蔓延しました。レバレンド・ムーンのような人は、この世の枠ではかることのできない人だとそう言いました。そういうときに皆さんは、先生と言って、|テープ聞き取り不能| その者の主張は本物であります。その主張していた私自身が行く道は、その主張自体に場を確立したばかりでなく、それ自体の確立をするとともに、家庭が確定、自体の家庭が、未来の家庭が確定するのであり、未来の国家と、未来の世界と未来の天宙と未来の神の場を確定することであることを忘却してはならないというのです。そうであるから私は今日まで、息子を勉強させ、妻を生活させるとか、そのような家庭生活は考えもしませんでした。それはみんな自然にしてくれるようになっているのです。皆さんは、何を食べて何を着るかを心配しています。雀がどのように生きているのか、雀が、すべてのものが、私的なものを願うのは、皆異邦の人も願うのです。あなた方は先に、その国とその義のために。その国とその義とは何ですか。その国は愛の国であり、その義は生きているすべての義の過程、義を失ったために墮落したというのです。 私は今まで百二十の国に人を遣わして、私がすることのできることをその国のためにしてきたのです。見てごらんなさい。一生がそうでありませんか。日本から迫害され、その次には北の金日成に迫害されそれと戦い、その次は李承晩に迫害され戦いました。韓国の人たちに、私が何か間違ったことをしていますか。自分の家に行って御飯をくれと言いましたか? 強盗をしでかしたのでしょうか。その次はアメリカです。私はアメリカの方向を正すために戦いました。レーガンのためにも応援しました。しかし、アメリカの行く道が険しくなったために、ワシントンタイムズを作って世界を救うための仕事をしているのです。そうすると大韓民国の人たちは、そういうお金を韓国に使ったならば、どれほど愛国者と言われるでしょうか。しかし神のみ旨は韓国だけではないのです。世界共産主義と向かいあって防衛できるのはアメリカ以外にないというのです。韓国が南北統一して、金日成を包囲してしまったということになれば、どのように中共を消化するのかということを考えなければなりません。 不肖レバレンド・ムーンは、アメリカと日本を結んで、その背後において八十年代、九十年代とそういう働きをしながら、これを防衛できる防衛線を張ってきました。愛する神の前に、その息子として、悲しみを抱えたその父母の盾となって、「我々の父母は身に遣る悲しみを抱えているけれど、自分はもっと悲しい立場に立って、これを防御してみせる」と言い、事実そうすることができる一人の息子が、歴史上にレバレンド・ムーンしかありません。神が、「レバレンド・ムーンという人がいた、天心が探している息子だ」と、本当の息子だと呼んでサインするときこそ間違いない息子となるのです。「私はあなたの息子と呼ばれるのが厭です」と言っても、お前でなくてはならないと呼んで、称賛して愛さずにはいられない息子になるのです。三十代まで一人の男が民族が反対し、世界が反対するそのような焦点の立場に立つことによって、天をつかまえて天を慰労すると、身を震わせることのできる一人の男にならなくてはならないと決意したのです。財界万民が反対する、天を反対するその場において、私を訓練される神であることを知るときに、最後に残り得る息子になってみよう。その心でなくてはなりません。青春時代よ早く行け! 早く行け。四十の峠を早く越えよう! この峠を早く越えよう! 八十の峠が訪れてくる日には、勝敗を決定した日を、世界と共に迎えなければならない神の願いがあることを私は知っているために忙しいのです。 今日、協会創立三十回を迎えるこの日において、昔、麦御飯もなくて食べられないで、寒い部屋で震えていたその日が忘れられません。かえってその日が天から近かった、そのようにしていても近かったのです。そのときは国を憂え、世界を憂えたのです。すべてのものが大きくなり、すべての基盤が拡大するにつれて、私という人がどのようにしているのかを知るでしょう。金を持っていようが、それは流れて行くものです。死んだときには、みんな置いて行くのです。私と相対的な夫婦、夫婦の愛、家庭の愛を中心として、その愛を拡大して世界のため、人類を愛し世界を愛すれば、それが最後に残るその国の自由圏決定の道なのです。それは共通しています。それでいつ国を考えながら、夜を明かし苦労をしたことがありますか。いつ世界の問題を身を震わせながら考えてみたことがありますか。人類の運命を誰かが解決しなければならないと憂慮の下に、先生が岐路に立って総責任をもって戦いをしてきました。どのようにみても、神の前には、レバレンド・ムーンという人がどうしてもそのような責任を負っているようです。 今はもう、アメリカではとても有名ですよ。統一教会といってもわかりませんが、レバレンド・ムーンと言えばわかります。悪い意味での今までのイメージから、その名前が一夜にして良い名前に変わったならばどうでしょうか。生きておられる神は必ずそうされる日を準備しておられることを私は知っています。歴史時代に、統一教会の夜明けの日が近づいています。共産党が私を暗殺するための計画を至る所でやっていることを知っています。|テープ聞き取り不能― 復帰摂理歴史の前線に訪ねて来る真なる息子がいる。今までの垢がついた、傷を受け悲痛な腫物をもった神の胸の中に、きれいに広げてあげて、あまりあるほどの純然たる愛が滝の水のように流れる私を抱いて、すべてを皆忘れるのです。かえって堕落があったことによって、幸福に暮らす神様ということができる、そのような場はないだろうかと、尋ねるのです。わかりました? これが協会三十周年、どんなに五十周年であっても、天下が歓迎する何かがなくてはなりません。そうすることのできる息子をもったという天の誇り得る数が千、千万にあふれるときには、そのような群たちが追求するその、三十年、あるいは五十年のその日は、讃揚すべき日であります。ここに数千名が集まってこのような祝賀の日をしたとしても、この中に一人もいない! レバレンド・ムーン以外にはいないというときには、その場は悲惨な場であることを知らなくてはなりません。 使命を果たし得なかった祖先は蹴ってしまって、それ以上の場で神を慰労し得るそのような男性を神は探しておられます。またそのような女性を探しておられます。そのような男女が一つになって純情なる愛の圏内に地上に永遠の夫婦として立つことができます。これを土台にしてキリスト教では新郎新婦となって、婚姻の祝宴の日といっているのです。したがってその日の決定は宇宙史的なことであり、そのことを確実に決定した日は、神が喜ぶことのできる日であり、アダムとエバが喜ぶことのできる世界を悲惨な歴史の中で、継ぎはぎしながらこれを探すという神の救援の摂理の中で再現したその舞台が、祝宴の婚姻の席であったということを確実に知らなければなりません。女子たちはむろん、その場に参席することのできる自分になったでありましょうか。そうすることのできる男性と女性が出会い家庭基盤をもった神を絶対視して、純情の愛で、その人を中心として一つにな`ることによって、永遠不変の基地として残ることのできる純情の愛の基地を備えることのできる一つの礎石が、その愛の礎石が私によって置かれるというこのような基盤の下に誓約されてから、結婚式をしたのが合同結婚式であります。だから合同結婚式をしたという事実は大変な事実なのです。だから我々は行かなければなりません、慕う気持ちをもって年を取れば取るほど、躁急感を感じながら、あの山を越え、大海を越えて世界が一つにならなければならないのに、その世界を誰が連絡させるのでしょうか。 そのような家庭同士が連合して、その家庭が神の愛に和することのできる家庭の因縁であり、氏族と民族と国家を超越してから一つの兄弟となり、神を父母と呼ぶことのできる氏族はどこにあり、国はどこにあるでしょうか。神が個人のお父様となり、家庭のお父様になるだけではなく、氏族のお父様であり、国のお父様にもならなければなりません。そのような神になるというその事実を我々は知っているのであります。単一民族主義時代は過ぎて、世界の終わりが近づいている今、体制を備えなくては世界的大共産主義の膨張に対して誰も足場を防ぐことができない時代になったために、ヨーロッパのEC圏ができたことを知っていますか? アジアはAC圏の編成を急がなくてはならない時が来ているのです。 技術力も必要であり経済力も必要であるけれど神の愛に立脚した人こそ、過去、現在、未来の歴史の人たちの誰もが願うのであります。それで統一教会は神様主義を揚げてきているのです。レバレンド・ムーンは今まで、アメリカに行って、いる間に本当はアメリカ人が歓迎しなければならないのに、韓国の伝道者、韓国のビジネスマン、韓国の実業家といって非難されました。私が彼らより劣っているからこの事をしていると思っているのですか。神の願いあればこそ、共産主義以上、神がそれ以上サタン世界にある彼らを神側に救ってあげようと思うからこそやっているのです。世界の人類が、共産主義という暴力によって世界を支配するそのような論理体制で世界を一つに造るよりも、神を愛する法道において、愛を中心として統一することのできる思想を神は願っておられます。技術力において世界的なドイツを凌駕することができるのであります。また、経済力ではアメリカを凌駕する経済力を神も願うに相違ありません。レバレンド・ムーンはこのような考えをもっているのです。統一教会は、思想的世界においてすでに、チャンピオンになったという事実を知らなくてはなりません。すでに戦いは皆通過しました。共産主義も、民主主義も皆通過しました。これから大韓民国が科学技術の分野において私を心配する日には世界に入って行く道があるとみています。だからといって何も、協助を願っているのではありません。経済分野においても、神の願う愛の思想を中心として、超民族的超国家的な愛を中心とした世界を創ろうというのです。万民が解放を得る日、神が解放を迎える日の近いことを知っているために、共存共栄共益世界を築き、そ の解放を迎えるために新しい家族が神の前に前進するのです。戦うのです。統一教会の行く道は確実なのです。 このような話を聞いてみて、皆さんはどこに行くのですか。家へ行くのですか。皆さん個人主義、その欲心にとらわれて倒れるのですか。私にはできません、過ぎた戦いがあまりにも悲惨であったので、過ぎた歴史はあまりにも悲惨でした。もどるにももどることができません。私はそのような道を歩いてきました。追われる身の立場を誰よりもよく知っているのが、レバレンド・ムーンです。今度、ある国の大統領候補者が来て、私に言うには「共産主義に追われるこの悲惨な自分の胸中はあなた以外知ってくれる人がないので私は訪ねてきました」。私にそのような話をしました。「そうかもっともな話だ。追われる身の立場はよくわかるとも、私が力が及ぶまで……」先生が歩んできた歴史時代において、六十の今まで太陽がありませんでした。朝に光明な陽光は天地万物が皆そこに向けて歓迎しますが、そのような世界を眺める私は、自由のない哀れな身でありました。環境を備えなければ、どこにも行くことができません。悪がどれほどひどいかを皆さんは知ってはいません。私はそのような悪いものに鞭打たれ外に捨てられました。先生の闘争歴史であります。レバレンド・ムーンの闘争歴史は悲惨でありますが、神の闘争歴史はそれ以上悲惨であることを皆さんは知らなければなりません。 ここで、今後統一教会は第三世界時代で難所に入って行くとみるのです。私がドイツに手を付けたところ、ドイツが大きくひっくり返ってしまいました。今アメリカが大騒ぎです。思想界にこの新聞が出たと共産党が大変だとばかり騒いでいます。このように世界を激動させてどうするというのでしょう。それは、私は世界を押し上げながら神の前に走って行くのです。 皆さん、妄想的な過去に考えていたキリスト教的なそのような信仰は、我々が改め、立て直さなくてはなりません。観念的信仰観、それ自体の居所を確実に知ることのできないそのような信仰姿勢は、放棄してしまわなくてはなりません。神は生きておられるのです。私と神とは霊的力において通じることのできる位置に立だなくてはならないのです。先生の生活の舞台において、彼と共に同じ心情的体恤圏内をもって戦っていかなければ、皆さんは敗者になるものとみているのです。その場は容易なものではありません。神を信じ万難を克服していくことのできる道、そうでなければ先生の行く道をその通りに従って行くか、その道以外にはないというのです。わかりましたか。今回帰って来てから、三年をかけて、総動員をしました。神の座を定めることのできる家庭、先生は今そのような家庭を中心として、氏族、民族、国家編成し世界に、天宙にまで解放圏をもって神を心おきなくこの地球星にお迎えして、定座していただくために、親しく万民を冶め、「私の愛する息子、娘を、アダムとエバ時代に愛することができなかっだけれど、今は、愛してあまりあるので、私の喜びは今、千年万年、永遠無窮に継続されるでありましょう、アーメン」ということのできる神、そのような新しい神として迎えることができるように、我々は準備をしなければならないのであり、そのような神を迎えて、地上で共に生活していかなくては天上世界天国には入って行く道がないというのです。これを確実に知らなくてはなりません。わかりますか。(はい)。 それは皆さん個人から批判し侮い改めなければなりません。昔、私が歩んできた道は、先生の生活は、金があるといってその金を私が包んでおきたくない、よく使って働く人です。借金を、百倍、千倍しても、家庭を全部捨てても、み旨一つのためにやってきました。お母様も自分の家に行くと、赤ちゃんをたくさん生んだので病気がちで、ああ、骨の節々が痛いと言っています。痛むものは痛いままにしておいてでも、行くべき道は忙しいのです。 「出なさい」と言うときは出なければなりません。悲痛でしかありません。だからこそ、世界の地を復帰することができるのです。私はお母様にそのような話はしていません。また、先生の息子たちは何も知らない息子たちです。しかし時が来たならば、私が一つ一つ教えてあげて、場を定めてあげようとは考えたことがありません。カインを愛し、完全に世界的基準で愛さなければ、アベルを愛することのできない歴史の悲運を、あまりにもよく知っているからです。 私のお父さん、お母さんの前に、お話を一度もしたことがないのですよ。原理の話を言うことができなかったのです。愛するお姉さん、妹、兄弟がいても、私はこのような使命をもっていると、話もできなかったのです。お母さんは息子が監獄に入ったといって、千里の道も厭わずに、月ごとに「こがし」を作って通われたお母さんです。目の前に現れたお母さんが涙を流せば―テ|プ聞き取り不能|のような号令をした息子です。 私が行く道はあなたが永遠に天の愛の中に、感謝、讃揚することのできる天の国を探して行かなければならないのであり、世界解放のその日のために行く道であります。その膝とその肩は、千遍万遍十字架の荷を引いていかなくてはならない運命の道であると。あなたの息子とだけ思えば滅びる。そうした後から、持って来た『こがし』とか『服』とかを全部皆人に振る舞ったのです。それは嘘ではありませんよ。三十回を迎えて、これでもうレバレンド・ムーンは歴史上から消えません。あの南米をみるならば、南米のすべての為政者たちが私を追慕しているのです。アフリカでもそういう話があります。ソ連とアメリカが核兵器を中心にして戦争するのを仲直りさせようとしている人です。そのような基盤を造っています。万年を克服した、千尋の事情の曲折を克服する仕事を仕上げるために、基礎作業は皆終わらせました。 今私が死んでも、統一教会、文某は後には天が認定するでありましよう。サタンまで認定することができるという事実を知っています。さあこのような背後の事情がどれほど複雑であるかを知って、皆さんも残る民族のため、南北の統一とアジアの統合のため、世界統一のため行かなくてはなりません。また、英雄のように、ゲリラ戦をする群と同じように、この立場に立ちながら共産党以上の実力をもって、万難環境を克服し、打開していくのに先導的責任を果たすだけでなく、実績をもって見せてあげる教材をもった皆さんとなることをお願いします。今日、三十回を迎えた歴史的摂理路程の回顧においての最も重要なことは、教材を造らなければならないということです。わかりましたか。回顧録の中に、私の歴史は千万年死なずに生き残ることのできる教材であった!こうすることのできる道を行くため、教理を確かめることが今日、三十回協会創立記念において、これが意義のある日なのです。 そうすることを決意する人、両手を挙げて天の前に誓う人、立ってください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.07
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[21.11.07] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2021/11/07 09:30に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.06
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「全体蕩減」1983年4月3日韓国・ニュー・ソラクホテル 愛なくしてはすべての存在の価値がない きょうは、全体蕩減という内容を話しましょう。全体蕩減といったら、宗教全般に限って、それから歴史全般に限るし、そうなれば人類全般に限っての話。それに人間世界ばかりではなくして、霊界も含めるという内容になるんです。 神の御理想といえば、理想世界は簡単だった。それはアダム、エバと、それから神様と、天使世界、この四つが一つになったら、すべてが完成すべき世界であった。神がいるからすべての理想があり、神の理想を引き継いだ真の父母がいたんだから、そこではすべてが相続されるようになる。それが一つの基点となって、横的に全体化された宇宙になるはずだったというんだね。その中心は何か? 神の愛。神にも必要なのが愛であり、人間にも必要なのが愛であり、天使世界も愛を中心としてすべてがつながるようになっている。神の愛がもしも中心になった場合には、その出発点も、もともと理想の出発であり、行く方向も理想の方向であり、その決着点の世界、終着点も一つであった。そうなれば、神と人とそれから天使世界、これは一つの世界になったはずである。そうなったとするなら、神の愛を中心として完成された場合にはすべてに通ずるというような、そういう内容の理想世界だから、一点からすべてに通ずるという立場であるから、すべてが分かる。 だから、人間の完成は何によってなされるかというと、知識でもなければ、それはこの世の権力とか金でもなく、愛であるというんだね、愛。その愛は今までの俗化した堕落世界の愛ではなくして、本来の愛であり、それによってすべてが完成される。我々は感覚、すなわち視覚などのいろいろな五感をもっている。その五感のすべては、愛の完成基準から出発すべきである。五感というのは、完成された愛を中心として始められる。それは耳とか、鼻とか、口とか、手とか触覚すべてが、愛を中心として完成化される。だから、そういうような愛を中心とした五感が一つになって、すべての相対世界を感ずるというその立場は、理想の立場である。それは一言で表現すれば、酔う立場である。すべてに酔ったような、愛によってすべての相対世界に同和されて、自分自体がその環境に酔ってしまうような、そういうような境地である。その境地では、自分一人ではないんだね。自分一人ではない。永遠に続くすべて、同化するそのすべての存在が違うんだね。存在が違うというのは相対のもろもろが違うし、そのもろもろが違う相対者に対して、いわゆる触覚というか、感じ方が違う、そういうような世界だというんだね。 そう見れば、拡大すれば無限に拡大し、縮小すれば自分の一点にすべてが固まるようなそういう力をもつのが真の愛だね。天的愛だというんだね。だから、愛の目を通して見れば、小さくても大きくてもそれは一つだというんだね。小さければ価値を縮めたものであり、大きいものは拡大したものである。こういうような愛の世界を創造したかったのが神の御理想であった。神はその愛を中心として昼も夜もいつもすべてを主管できる立場である。時間を越えて、空間を越えてそれを主管し得るその基準が愛であるから、神自体も宇宙を主管するにはこの愛が絶対必要である。こう考えれば、愛なくしてはすべての存在の価値がない、そういう結論になる。 堕落の結果、主体が二つになった こういうような理想が堕落によって失われた。何によって堕落したか? それは愛によって堕落した。愛の基点はどこかといえば、目でもなければ口でもない。男女共に、夫婦共に愛し合う、そういうような愛の器官を中心として堕落してしまった。こういうような結果になったことを考えてみた場合に、すべてがやられてしまった。だから、愛の結合点であるその基準は、感覚のすべてを総合した部所だというんだね。そういうような基準がやられてしまったことにより、人間夫婦が全宇宙に被害を被らせてきた。 こういうような結果になってしまったから、今後、再創造、あるいは再びもとがえさなければならない。もとがえすには、堕落した結果どうなったかというと、主人が二つになってしまった。主体が二つになってしまった。もしも主体が一つだったら、復帰とか、もとがえすのに問題はありません。帰るのに何の問題もありません。しかし主人が二つになった。言い換えれば、マイナスは一つなのに、プラスが二つになった。主体が二つになった。これが問題である。一つだけなら問題ではないのに、二つだから問題である。真なる主体である神様に対しては、すべて万物は、自動的にはまるようになっている。矛盾とか衝突する何ものもない。しかし、ここが反対の方向のプラスになっている。神と反発しながら、別のプラスの立場になったから、堕落の結果、それは元のプラスに立つよりは、愛を中心として反対のほうに立ち寄る力が強くなってくる。そういうふうにして、反対の力が強くなったということは、それは外的力と内的力とが分かれるということである。だから、サタンは外的力を中心として愛の世界を結ぶようになっている。神は内的力を中心として結ぶようになっているんだね。だから、一つのものと対応するのに、二つの主体者が立つような立場になった結果、サタンは外的主体者になったし、神様は内的主体者になった。 そうすると、内外共にプラスになっているから反発作用をいつもきたす。それが堕落人間の肉心と良心の争いである。生涯共に一体、融合すべき両者が一体にならずして、反発する二つの体があるみたいに、方向を別にしながらそれに引きずられている人間である。あるときには外的なほうに、あるいは内的なほうに行ったり、そういうような方向を失った人間になってしまった。人間がそういうふうになったから、すべてがそういうような基準に引っ張られる。だから、アダムもそういうアダム、エバもそういうエバ。それから、そこで生まれる子供たちは、皆そういうような子供たちになって生まれてくる。十人おれば十人それぞれの方向が一致しないというんだね。バラバラになってしまう。こういうような結果の世界、(すなわち)堕落世界になってしまった。 なぜサタンを否定するのか こう見れば、神の本来の理想とした世界はいずこより求めるべきか。これを整理して元の方向を立たせなければならない。それはそう簡単ではない。これを整理するというのは、それはアダムだったらアダム自体を否定しなければならない。エバだったらエバ。十人の家族がいた場合に、家族十人全体が肯定の立場で一つになっても、完全なものは生まれてこないというんだね。だから十人家族があっても十人全体を否定する。神は最初に、堕落した人間世界に否定を求めざるを得ないというんだね。理想を先に求めるよりは、これは否定を求める。すべての否定。肯定という条件はない。これが神の立場である。 そうすると、否定するその順序はどうか。外的なほうから。堕落した現状から見れば外的な世界がある。そして国があるんだね。それから民族、氏族がある。それから家庭がある。それから夫婦、男女関係すべてが……。その外的な、外から否定してくる。結局、最後にはどこまでくるかというと、自分の体と自分の良心まで自分自体を否定する。ここまで追求せざるを得ない。自己否定から全般に否定するような結果になったのは、堕落した世界だからである。神の願いを求めるには、必ず肯定の一点をこの地上に求めるには、完全に否定しなければならない。その基準によって新しい作用を成したのちに、新しい出発点がなされるというのは理論的である。 それで、統一教会でいっている蕩減、蕩減復帰はなぜ必要か。いったい、何のために蕩減が必要か、それが問題だよ。これをはっきり知らなければならない。なぜ蕩減が必要か。蕩減しなくてもいいじゃないか。統一教会のメンバーが個人蕩減、家庭蕩減、氏族、民族、国家蕩減といっても、それをはっきり知っている者はいない。なぜそんなことをしなければならないか。それは全般にわたってなぜ蕩減が必要かという問題は重大だね。 神が新しく出発するには、すべてを清算しなければならない。サタンがない、他のプラスがない、神は絶対的主体、ただ一人であるべきなのに、相対的な立場に立った悪のプラスがある。それを除去してしまったその基準にいかなければ、神の出発点を新たに立たせることはできない。だから、人間自体の否定は問題ないんだね。人間自体の否定は問題ないけれど、人間を主管するサタン自体の否定が問題である。だから、人間否定、人間自体を完全に否定したのちに、その次にはサタン自体が完全に否定されたその基準を立たせなければ、結局、主体者がまだ二つ残っている結果になるんだね。そうだろう。人間は否定してもサタンは残っている。そうすると、神の前、宇宙の前に偽りの愛を中心とした別の主体者が残っていることになるんだから、この主体者が、二つの基準が残っていたとするならば、完成される出発点はできない。だから人間否定はもちろん、その次は堕落の神、悪魔が残っている。サタンが残っている。サタン否定をいかにするか。これが神の立場からしても、人間の立場からしても、新しく出発点を地上に立たせるには絶対必要な要件である。分かりました? 何否定? 人間否定とそれから悪魔の否定。偽りの神の否定をなさなければならない。そういう否定圏に立って初めて神自体が主体の独自圏に立つことができる。主体は一つである。みんな否定されて、なくなった条件圏に立ったから、その条件圏上に初めて神が主体として、愛をもった主体として立つその足場が生じてくる。分かりました? それで、これをいかに立たせるか、それが問題だね。その基準はみんな堕落圏の二大主体、二重の主体が立っているその世界に立っているから、これは個人的にそういう立場、それから家庭的にそういう立場が残っているんだね。それから氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に、天宙的に残っているというような理論的な結論だね。分かりました? 絶対否定条件 アダムは一人が堕落したけれども、それは全体の中心だから、そういうような結果から追求して新たにこれを整備していくには、一遍にパアッとできない。一つ一つ復帰していかなければ。それは個人のそういう環境、家庭の環境、氏族の環境、民族の環境、それから国家の環境、世界、天宙まで拡大しているというんだね。そうなれば個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様の八段階。理想世界を求める人間としては、これを解決しなければ、もともと愛の主体である神様に自由自在に会える道を得ることはできない。どこかふさがった場合には、その基準以下には通ずるんだけれど、それ以上の理想世界ができません。それ以上の理想世界に通じないというのは、絶対なる神と一つになる道を完全に得ることはできないということなんだね。こういうような段階を経た場合には、蘇生圏、長成圏の霊界まで勝利した霊人たちは援助し、その霊人たちは通ずることができるであろうけれども、本来の神様と通ずることは難しい。だから、これをいかに拡大して、個人から神様へ直通し得る環境拡大をするかということは、神なりの心配である。神自体としての悩みである。堕落した圏内にある人間自体としての悩みであるというんだね。この二大悩みは、誰によってふさがれているかというと、堕落したその人間によってふさがれている。堕落した人間は天使長によってやられているから、これを整備しなければならない。整備するには、肯定圏では絶対できない。分かりました? 否定! そうなると蕩減復帰というのは何か。絶対唯一の主体を願う者は絶対否定を通過しなければならない。絶対主体を願う、唯一の主体を願う者は、この環境に広がっているすべてのものに対して、絶対否定という条件を満たさなければならない。それ分かりました? 絶対否定。そうすると、蕩減復帰はいかなる場所で決めるか。絶対肯定の条件が少しでも残ったらいけない。絶対否定条件の立場で、絶対否定の条件によって蕩減条件が立てられる。そうすると、そういうような基準が個人的、家庭的、氏族的という八段階で満たされれば、人類歴史の理想郷につながる。その段階ごとに、必ずそういう過程を通過しなければ、神と通ずる理想郷を結ぶことはできない。 理想完成基準を求めて こういうようなその実情の堕落圏の世界を眺める神様としては、これをいかにして復帰するかというと、全体復帰よりも、まず一つのモデルを造る。だから、大量生産する時、型を造るんだね。型を造ってそれを当てはめるようにして造る。個人だったら個人の型を造ればいい。そうすれば個人の型に当てはめるように造ることを考える。家庭だったら家庭のその型を造る。氏族だったら氏族、民族だったら民族、国家だったら国家、こういうようなことを考えなければならない。そういう結論になるんだね。そうすると、その型を造らなければならない。それで歴史を通して完全に個人の型を造るには、それは創造原理によって蘇生、長成、完成という三段階を通過しなければならない。環境を迎えて相対基準を結んで愛というように……。すなわち環境があれば必ず相対。相対圏の中心が人間である。人間の中心が愛というようになっている。そういうような段階になっているから、人間自体、個人の蕩減をする。個人の基準を立たせるにはそう簡単でない。周囲から、個人の周囲をね。 だから、こういうことを考えてみた場合に、歴史上今までなぜ、愛なる神様は宗教世界に女が参席することを許さなかったか? 今まで男ばかりだね。男を中心として摂理したんであって、女は例外ものとした。それはなぜか? 個人が完成するそのモデルを造るにしても、アダムモデルを先に造ったのちに、それからエバモデルというふうになっているというんだね。それはモデル自体が人間一人ではいけない。神様が、霊界がここに加入して万物界と共につながらせて、心情的内容を中心として元を造ったんだから、神様が心情の中心であり、霊界の中心である。神様が中心になって初めて万物圏のすべてを消化し得る人間の立場に立つんだね。そうなるには、人間自体が神様のためには完全に吸収される。何も残すものなくして完全吸収される。残るものがあったらいけない。完全吸収されるような立場、それが宗教人の行く生活の態度だ。完全吸収だから、そこには自分の意志とか自分の意見を介入してはいけない。絶対的に神の意志どおり。私は存在しても存在しないような完全否定圏内。完全否定圏内ばかりではなくして、我自体は完全否定の上に完全吸収、完全に吸い込まれる。 神様に対し、プラスの自分の主体性を主張すればこれは反発する。すぐサタンのものになるんだね。反発する主体がサタンだから、自分が反発するような逆の主張をもつというのは反対する主体圏に立った結果になるから、サタンのものになる。だから、神の理想圏につながらせることは絶対できない。ここにおいて、宗教世界には絶対服従ということが出てくる。これをヨーロッパのメンバーたちは、はっきり知らなければならない。分かりました? なぜ絶対服従を要求するかというんだね。自分を考え、自分の何かを考えて持ち出すというと、第二の主体性が生じてきたような立場に立つ。第二の主体性はサタンであり、それはサタン圏に属するから、サタンのものになってしまう。だから、これによって完全否定圏を主張する。その基盤において、自分の何かがあった場合には、それはサタンの条件物になる。こういうような闘いを堕落した人間世界を中心として、神とサタンは分け合い、清算し合うそのことをせざるを得ない。人間が存在する目的もサタン(天使長)が存在する目的も、もともとは理想完成のためというんだね。サタンもそれを知っている。 神が我々を造られたのも、もともとはすべてが理想完成の基準において造られた。それを知っている。だから、サタン自体それを否定しない。そこで、理想基準を完成し得るこういう条件だった場合には、それは神に属する。理想基準に即さないものはサタンに属する。不完成だね。不完成品はサタンに属するし、完成品は神に属すべきである。しかし、完成品を造り出すのはそう簡単ではない。絶対否定と絶対無の境地。自分の主張をした場合にはできない。 まあ、こういう観点から見た場合には、こういう世界の今の現状から見て、こういう思想をいかなる世界で求めることができるか。そう見れば、自由という表題のもとに立っている西洋思想ではこれはなかなか難しい。自由観念においては、最後には自分一人が残るんだね。親、夫婦共に住むというと、旦那さんの自由、奥さんの自由、二つの自由の主張が、四人になった場合に四人の主張、十人になったら十人の主張圏を求めてくる。そうなった場合には最後には別々、孤立化、みんな別れてしまう。そこには家庭もなければ、父母もなければ、国家もなければ世界もない。みんな孤立して、最後には落胆して、我すべて持ちたがる本性の願いはあるんだけれども、現実にすべてを失っているような、それは落胆の絶頂に達する。それは自己否定を神のみ旨に立って否定するのではなくして、自分個人の満足、個人理想を求めるその目的が不可能だから、自己否定してしまう。それは自己放棄をしてしまうような結果にならざるを得ない。それが今の自由世界、アメリカだ。 こういう世界ではこういう完成基準、神が願うこういう基準を求めることはできない。そう見れば、西洋思想よりは東洋思想においてそういうことが可能である。父母に絶対! 父母に絶対に服従するとともに、自分の兄さんに服従する。その服従するその観念を拡大して、それは族長だとか、あるいは氏族だったら氏族長、民族長とか、国家の代表とか、そういうふうにつなげて、完全な服従体系をもったそういう基盤を得なければならない。得なければ神の願う家庭より氏族、民族、国家、世界圏は生まれてこない。分かりました? これを、はっきりしなければならない。 迫害を通して神自体が否定圏をつくる それで、神様はいかにしてそういう環境をつくっていくか。自分なりにそういう環境をつくれと言ってもつくれないよ。「宗教を信ずる者たちが自分自体で否定せよ! 自分が否定圏をつくれ」と。それはつくれない。自分で否定圏をつくることができないから、相対関係において否定される基準をつくればいいんだね。立場が同じだよ。誰かに否定されるような立場に追い込まれればいい。何の話か分かった? 自分自体が否定圏をつくることができないから、神様自体が否定圏をつくってやる。それみんな逆に打つんだ、みんな。これが迫害の動機である。分かった? 何の話か。だから、神様を信じ、宗教を信ずるというと、みんな一番近い者が、親とか愛すべきもの自体が反対する。それは何を意味するかというと、結局はサタン自体が第二の主体圏に立って第一の主体を打ったことになる。だから、不正の者が聖なる者を打った場合には弁償しなければならない。この弁償の道をたどって宗教の発展がなされる。何の話か分かったの? だから、なぜ迫害させるのか? 神様は宗教圏内において自己否定圏を個人より家庭、氏族、民族、国家、世界圏まで拡大しなければならない。自分自体がそれをやることはできないんだね。やれない。否定するとしても人間自体が否定の限界も分からない。“このぐらいでいいだろう”と思うんだね。それは蕩減復帰において個人否定基準が“これだったら、もう個人肯定完成、蕩減完成しただろう”と考える。それではいけない。世界的な蕩減のその個人蕩減基準に向けて、否定基盤をつくらなければならない。それは人間自体も知らないんだね。しかし、サタンと神様は知っている。分かりました? それで人間肯定否定基準においては、その限界を人間自体は分からないから、それの分かるサタン自体がその人間を、世界的な個人否定基準に向けて、これをぶっかけてくる。だから、今まで歴史過程において、迫害を受ける時に宗教は発展した、というような結論を出した。それはなぜかと。なぜか分からないが、そうなっているというんだね。それはこの意味だ。はっきりしたね。自己否定を自体ができないからサタン自体にそれを否定させることによってそれで屈服し、それに勝利し得た場合には否定圏勝利基準に立つのだから、その者は別の主体の相対圏に立つことができる。分かりました? だから、絶対主体なる神の前に絶対否定の迫害の結果において、神の相対圏に立つんだから、神は干渉することができる。だから、迫害の絶頂点をつなげながら宗教は発展してきているという理由はここにある。はっきりしました? だから、こういう一点から見た場合に、世界的に宗教を通して完成したがる者は、この世の中を否定して、山に行って祈ったり修行して完成する道が生まれてくるかというと、そうではありません。世界のまっただ中に立って、神と反対の立場に立っているサタンのすべての迫害のまっただ中にあって、神と一つになって完全に突き進み、攻撃する中で成し得る。その中でへこんでしまうものはなくなるよ。浮かんでくるものだけが成し得る。だから、今まで歴史を通して神様はたくさんの人を使っては、捨てた。未練なく捨てた。これらの人を中心として摂理してきた。何十年、何百年経てそれを摂理してきたんだけれど、それが最後になって迫害圏に立つ。 そこで、個人的に勝利した場合、個人圏の発展の段階までは残るんだね。それが家庭迫害圏を乗り越えなければ、その時にはやられる。やられて新しいものを取り継いで摂理していく。そこではもうやられてしまうんだね。そこには同情も何もない。サタンがペチャンコにしてしまう。神様は手を打つことができない。それを神様は放棄してしまわざるを得ないのが、今までの無慈悲なる宗教の歴史路程である。 こう見れば、大概、君たちなりにも蕩減復帰はどういうふうにやるべきかが分かる。自分一人で否定できない。だから、迫害を通して否定された条件圏に立たせて、神様と共に相対圏を拡大していっているのが、宗教を中心とする摂理の行くべき道である。分かりました? だから、迫害は絶対必要じゃない? (必要です)。絶対必要。迫害過程を通過せずしては、神に帰る道はない。みんなそうである。仏教にしても、儒教、キリスト教にしても、ああいうような過程を通過したんだから、世界的発展の時代を迎えるようになってくるんだね。このことを宗教は分からない。この基準を今まで分からなかった。なぜ、宗教は苦行しなければならないのか、迫害を受けなければならなかったのかということが分からなかった。その基準のポイントを、君たち分かったね。(はい)。 そうなると、今先生の言う全体完成は、全体蕩減なくしては成せないということは理論的である。全体を完成に引っ張っていくには、全体的蕩減過程を通過せざるを得ないということが、これは宗教歴史において、絶対不可欠になっている。だから、宗教を信じて自分は祝福される、この世の中において幸福に生きるということは、そもそも間違った思想である。 メシヤとは何か 宗教圏内には、再臨思想がある。再臨思想、つまりメシヤ思想が残っている。メシヤたる者はいったい何者なのか。神様の一番愛する者がメシヤだ。では、どういう立場が神の一番愛する立場か。神様から送られるメシヤを神様は愛するのに、いかなる位置において、いかなる立場において愛すべきか。神様の前に立つ者はいろいろいる。国を代表した者もいるだろう。あるいは社会を代表した者、あるいは団体を代表した者、いろいろな代表の男がいる。メシヤたる者はいったい、神の前にどういう男か。神もそういう者が必要だね。しかし、メシヤたる者はいかなる者か。メシヤは、ただ一つ、神の内心にあったその愛があるとすれば、その愛の全体が集結したその愛、方向を固め、出発点を同じくして、一致した方向のその愛を、総合された愛を受ける最初の者である。その者とは何か。神の前に初めて生まれた長男。長男だね。分かりました? メシヤとは何かというと、神の愛の前に初めて生まれた、神の愛の前に立った、初めて神の長男としての愛を受けるそういう立場に立った者がメシヤだ。だから、イエス様もそういうことを言ったんだね。イエス様はひとり子、一人息子である。ひとり子、息子であるというのは、全体の愛を受けることである。始めから終わりまでね。神が絶対なる主体となれば、(メシヤは)男として、絶対なる主体圏に立つ者だ。それはどんな立場か。親子の関係だ。親子の関係。分かりました? だから神の全体の愛を、個人に向ける愛、それから家族に向ける愛、氏族、民族、国家、世界に向ける愛。神の長男の子供として、すべての圏を超越したその基準において、代表的な愛を受ける資格をもって来られる者が何? (メシヤ)。だから、神の子供。神の愛する子供が生まれてきた。 しかし、愛する子供一人で何になるか。子供自体は、その相対者を得なければならない。相対者をどこから得るか。天上から得るんじゃない。堕落の結果地上で失ったんだから、地上で再創造しなければならない。それで地上において宗教は何をやったかというと、天がプラスと言えば、地はマイナス。だから、天に向けてメシヤを願う。愛の主体者を願うところは神様ではなくして、この地球だね、人間世界だね。主体の愛を願うんだ。その思想がメシヤ思想だ。 メシヤを迎えるために、世界版図を拡大して、個人の環境を超えて、氏族の環境を超えて、国家環境、世界圏につながるようなそういう基台を拡大しよう。拡大して、世界全体がその主体の神の愛の男の前に一つになる。何も反対する者がない。絶対服従する。自分自体はもう存在しない。ただメシヤのために存在するというようなそういう雰囲気を世界的に準備しようとするのが、旧約時代、新約時代の使命だ。こうなれば、簡単になるんだね。旧約時代、新約時代の使命は何かというと、地上にその相対者を求めてくる。そのメシヤの前にエバをつくる。絶対服従するエバ圏の拡大を成し得て、その反対する者のない立場で、愛の主体にその一点で結ばれれば、自動的に全体が結ばれる。そのような環境、世界的環境をつくろうとするのが、旧約時代の使命であり、それから新約時代の使命であった。そうなると、今のキリスト教、ユダヤ教はメシヤに完全に服従すべきである。 しかし、今まで、信仰してきたクリスチャン、信仰してきたユダヤ教の人たちは、メシヤが来た場合には、すべてを捧げる、完全に服従するというような信仰観念をもつべきなのに、今のクリスチャンはどうだ? 今のユダヤ教はどうだ? 神の願う伝統精神から見た場合に、これは一八〇度違う。まるっきり反対だね。地上に来られるメシヤはともかく、神の摂理の勝利圏はともかく、自分が地上において成功すればいいと、こういうような考えをもつ宗教は、最後になれば神にやられる。最後になった場合には、この地上に影も形もなくなるように打ってしまわなければならないのが神の立場である。 だから、そういうキリスト教や宗教は、末の時期になったら完全にやられる。天の鉄槌に打たれる。理論的だね。こういうような、その末の時期に、世界のクリスチャンは、「ああ、メシヤ、主様……」と再臨を願う。その願う内容を分析してみると、「ああ、自分が救われたい」。神の勝利圏については何も思わない。自分が天国に行きたい。自分の家族が救われたい。自分の国。自分の国以上、それは限界である。みんな国を越えて世界の果てまで、霊界まで拡大すべきなのにその限界を縮小して、自分自身、自分の国以上拡大できない。これは、サタンの作戦においては成功した作戦だ。この基準が残っている以上は、神の世界は生まれてきません。分かりました? 統一教会運動の目指すもの そうすると地上に新しくこの環境を真っ二つに打ち分ける、そういう運動をなさなければならない。全部否定! 万民、宗教人が願うのは世界復帰だ。世界完成の神のみ旨を完成して、世界の果て、天宙まで拡大する。そういう理想の宗教が地上に現れるべきである。現れなかったら、神様のみ旨を果たすことができない。神様がいないことになる。神様がいた場合には、そういう運動が生まれてくるし、神様がいてみ旨を果たそうとすれば、そういうような環境を地上につくらなければならない。だから、必ずそういう運動を母体とした新しい宗教が生まれてこなければならないという結論は、理論的である。 その運動は、いかなるものか。それが、まさしく統一教会です。分かりました? 統一教会運動。統一教会運動とはいったい何か。今、先生が言ったような内容に合格すべき内容をもたなければならない。まずもって、自己否定を個人から世界まで拡大する。もしも、ある人が自分で、「自分は世界万民の前に、自己をすべての段階において否定した。認めよ!」と言ったとしても、それを認めることができるか? 絶対認めることができない。メシヤが来た場合に、もしもキリスト教が完全服従して、完全に一体になったとすれば、それでおしまいだよ。 メシヤが来た場合、「私がメシヤだ」と言えば、「ああ、そうですか」と言ってみんな従わなければならない。しかし、それができない。だから神様は今まで、数十万年の歴史を延長してこざるを得ない。これを知らなければならない。こういう内容になっていることを誰が分かるか。神様がいて、迫害すること自体これは矛盾している。愛する者に対して、神はローマでの四〇〇年間、キリスト教徒をなぜ迫害させたか。原則から見た場合、世界の果てまで通ずる基準が現れるまで迫害は続く。だから四〇〇年間で世界的になった。はっきりするだろう? (はい)。それで、キリスト教基盤を中心として、統一教会の先生が地上に現れたのは第二次大戦後だね。これを話せばずっと長くなるよ。 先生が願っていたのは何か。こういうような天的摂理の全体観を中心として立つ時、キリスト教はメシヤの話を聞かなければならない。「それを聞くか否かにキリスト教の生死がかかっている」ということを誰が信じるか。それは、まさしくそうだね。信ずれば生きるし、信ずるには自己否定しなければならない。自分の歴史を、自分の家庭を、自分の信仰基準を、すべてを否定するような基準に立って認めることができる。しかし、今まで信じてきた聖書観の眼鏡で見た場合には、再臨はこうだというその眼鏡に合うようなメシヤだったらいいんだけど、その眼鏡には合わないや。(笑い) 自分たちの年齢からくる欲望とか自己成功ばかりを願っている。そういう個人主義的な眼鏡をかけて見ているから分からない。メシヤは天宙主義である。天宙主義だから、自分のはかりで知ることができない。あんまりでかいからね。言っていることは、耳で聞こえるんだけれど、内容は分からない。それは二十年、三十年先、永遠のことを言っている。自動的に距離がある。それは理解できない。そういうようになれば、結局、再臨の主が来られても、再び反対せざるを得ない。再び反対した場合は、これはすぐサタン圏に回る。神の永遠なる愛の実体、平面的地上の主体者として生まれるのがメシヤであり、それを否定するのはサタンだ。別のプラスの立場に立った者だから、すぐ、サタン圏に回る。分かりました? 即時にサタン圏だ。いくら(規模が)でかくても即時にサタン圏だ。 メシヤのための基台をつくるべき者が、即座に銃をメシヤに向けて、サタンの軍の先頭になっている。銃を天の方に向けている。それで、こういう歴史的伝統の内容を抱えている人間社会にメシヤが来られた場合には、必ず歓迎よりは迫害に追われやすいというのが、堕落した歴史世界の歴史観を通して見た結論である。分かりました? キリスト自体を否定するようになる。特に第二次大戦後において、アメリカ国家を中心とした全世界のキリスト教文化圏が最大の勝利をした。この歴史以来、宗教圏に世界を完全に譲った時代はたった一回だけあった。それが第二次世界大戦後である。そうだろう? アメリカを中心として、ソビエトだけ少し残して、それ以外のもの全部が民主主義圏内に、キリスト教文化圏内に完全に入った。その主体なるアメリカ自体が、メシヤに完全に服従したとするならば、世界はどうなったか。神様の世界に自動的になるべきだったんだね。それが、そうならなかった場合にはどうなるか。それが、そうならなかった場合には、再びサタン世界に帰って、その神の摂理の中心者に対して、それは総攻撃する結果になる。それが、この世の中のサタン世界の伝統的歴史観である。それで今まで先生は、何をやってきたか? 蕩減復帰完成 天から見た場合、天に対して先生は、果たしてどういう使命を果たすべきか。一方から見れば迫害ばかりだ。それは、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、すべてから反対された迫害の道である。それをたどってきた。そのものは歴史にない。そういうような人がいたとするならば、それは今の時における先生しかない。それをみんなは認めるだろう? 宗教史上、一番最大の迫害を受けた者は誰か? (先生)。統一教会のメンバーだから答えるんではなくして、みんな教会に来ていない人も、レバレンド・ムーンであるに違いないとね。アメリカの主権者たちに聞いてもそうだろう。共産主義者に聞いてもそうだろう。仏教、キリスト教、すべての宗教、存在するすべての者に聞けば、「世界歴史上において、宗教指導者として、個人から世界的に一代において迫害された、そういう宗教指導者は誰か」と言えば、レバレンド・ムーンをさておいてはいない。第一の者はレバレンド・ムーンだ。分かりました? それは何年間? 六十年間? 集中的には四十年間の蕩減の道を行くだろう。原理原則を中心として考えればこういうふうに予想されるんだね。 もしも、このサタン世界、外的世界、すなわち、世界から、国家から、民族、氏族から、全部総合して反対される中で迫害されるその者が神を持ち出した場合には、これは歴史的問題の男となるんだね。分かりました? こういう原則から見た場合に、こういうような立場に立った男がいたとするならば、その男がサタンとか、世界とか、神とか主張しながら自分のためでなく、世界と神のために生きるというような立場で、犠牲の道を教えて引っ張っていくような立場に立ったとするならば、これはまさしく神のみ旨にかなう摂理の路程、蕩減の路程を担当した者に違いない。そういう結論が下されるんだね。 そうして、歴史上そういうような立場に立った先生自体は何を考えてきたか。個人蕩減完成。蕩減完成もなしには、個人完成という話はない。サタン世界においては、個人完成ということを成り立たせることはできない。成り立たせた場合には、サタンの世界の終わりだということになってしまう。だから、ここにおいて、それは決算するとか、清算したその内容の観念が必要だというんだ。ここにおいて、完成は蕩減完成というその観念がはっきり植え付けられるんだね。完成は自動完成じゃない。何の完成? 蕩減完成。分かりました? だから、堕落世界の人間において人格完成をなすということはあり得ない。 どういうふうにすれば、自己完成がなされるかというと、蕩減完成をなすと言えばなされる。蕩減を入れない者には、絶対、完成の道はない。それは、内から見れば個人完成をいうんだけど、神様から見た場合には、それを復帰というんだね。蕩減完成したその基準を復帰完成というんだね。だから、復帰は蕩減を通してなされる。だから蕩減復帰だよ。そうだろう? 蕩減復帰完成をなすことだ。だから蕩減復帰は、もう、これは離すことができない。復帰するには? (蕩減)。蕩減して何するか? (復帰)。一つの形容詞になるね。蕩減、形容した場合は復帰が目的。復帰が形容詞になれば蕩減が目的である。分かりました? 蕩減復帰を嫌がる統一教会のメンバーは、統一教会にいたとしてもサタンの王者である。君たちどうだ? 今までどうだ? 歴史過程をずっと通過しながら先生についてきてみると、「先生、何だ。昔も復帰、復帰、蕩減復帰、蕩減復帰。何年続くのか。もう何年もなぜ続くのか。十年も、二十年も……。二十年にもなった場合は、二十年延長だ。また、四十年になれば、また、二十年延長だ。そういうふうなやり方が文先生のやり方じゃないか」。それはそうだよ。(笑い) 完成圏を一遍にやらなければ三回延ばすよ。それ原理観じゃないの。七年でやらなければ二十一年になる。二十一年を九段階に分けてやる。なぜ分けるか。一回でやって負けた場合、みんな失ってしまうんだから、一段階、一段階成して、つなげてやった場合に失わない。それを総合して、結合して、各段階基準に勝利したものを合併して一とおり越えれば、蘇生圏を越えることができる。そういう作戦をやっているんだから、見てみればみんなめちゃくちゃのようだけれど、神の摂理は収拾の目的に向かっている。 サタンは知恵がある。サタンは頭がいいよね。利口だから、先生のやる方法をまねて自分は中心に立つ。そういう者、たくさんいるんだね。自分の欲望を中心としてやる。それは宗教の中で最悪の者だ。その目的は何のため? 自分のために。名目は日本とか神とかそういうんだけれど、自分のためである。先生がみんな出発点になっているのに、それを全部さておいて自分のものにする。他人の金を持ってきて自分のものに使うのは泥棒だね。強制的に何の許可も得ずして自分のものだと片っ端から主張するのは強盗である。そういう人を見てみなさい。自分の内部でやられてしまうだろう。これをはっきりさせるんだね。分かりました? 蕩減復帰、復帰完成。復帰のための蕩減だ。復帰蕩減。完成を中心として、復帰蕩減して完成する。蕩減されたのちに復帰する。復帰されて、完成の道を行く。同じことだよ。だから蕩減復帰は一つと思えばいい。 年取った者、統一教会にいる古いメンバーは、みんなどうだ。別の主体者をもっていないか、どうだ? 先生はいつでも公的に話して、責任者を公的にたたくんだよ。「おい、ああでかい体して、みっともない格好して、何ブラブラしている!」蕩減復帰だ。そういう腹(別の主体性)をもっていたら、引っかかるからね。公的に先生が代表して、世界的に代表して攻撃した場合、絶対服従すれば越える。そうすれば間違いなく出る。出た場合には、先生は黙って見ている。先生がけっとばせば最高だよ。大概整理できたね? 蕩減復帰。蕩減は何のためだ? 完成のためだ。何の完成? 自己完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家、世界完成、天宙完成のために。天宙完成は何のため? 神の解放だ。神の解放をするためだ。目的は神の解放である。そこまで我々は願っている。分かりましたね。(はい)。 神の道を行くべき者の伝統的な道 先生は、それが分かったんだから、文句なしに、雪が降っても、風が吹いても、季節が変わっても、春が去っても、その季節を忘れて、一心不乱、蕩減復帰の道をむさぼりつつ、開拓していった道が先生の生涯の道である。だから、その生涯を総合して一言で表現すれば、それは悲惨な惨めな生涯だ。誰も同情しないその過去を残している。しかし、神はそれだけは知っている。先生について天に向けて祈ってみた場合には、泣かせる以外にないというんだね。何度も泣かせる。先生はどういうお方かと聞いてみれば、泣かせてくれる。目から、鼻から、口から、涙が、鼻水が、よだれが流れる。三つのその水が流れてくるような痛みを、心中の痛みを感ずるような中を……。それはなぜか。もともと先生はそういう立場に立つべき男じゃないというんだね。キリスト教文化圏が歓迎すれば、七年以内に、先生は三十代に世界を統率すべき能力をもっていた。真理をもっていた。その理論をもっていた。今教えるこの理論は今始まったんじゃない。ちゃんとその元を明らかにして、先生はこの道を出たんであって、今そういう基盤を果たして、自分の一生かけて成し得たんだから、これを教えてやるというんだね。空論じゃない。成し得たんだから、教えてやる。成しえない前には話せない。話した場合には、サタンの世界にあなたたち引っ張られていく。 こう見れば日本のメンバー、反省してみましょう。この一点から見て皆今まで、ずーっと先生に従ってやってきた。十年、二十年の月日が流れた。その過程において、自分を反省してみた場合に、先生は世界に向けての蕩減の基準を、蕩減の峠を、絶頂を、ヒマラヤよりも高い、歴史にない、誰も越えたことのないこの絶頂を越えるために、よじ登って行く。現実において、日本から世界にロープをかけて上がっている。そこで、全部が苦労しながら足場を求め、爪を石に突き込めて、そして、できれば先生と共に縄を引っ張って、その縄を緩めてやるべきなのに、逆に引っ張ったことがないか? 自分を中心としてブツブツ不平を言ったり、批判してどうだこうだ、韓国の先生だからそうだとか何とかいろいろ言う。もしも先生が韓国のことだけを考えたら、どうなっただろう。先生はもう霊界に連れていかれただろう。そういう者は世の中においても無用な者である。蕩減復帰、世界復帰、拡大整理したのちに再び帰ってきて、自分の子供とか、自分の家庭とか、自分の国を考えるようになるのが摂理観から見た神の道を行くべき者の本来の伝統的道なのに、自分を中心として、自分の家庭とか、自分の国とか考える。それを考えるようになった場合には、みんな世界はペチャンコになる。それを考えてみた場合、自分はどういう自分であったか、自分のことをよく知っている。自分で説明しなくてもいいよ。 自分は果たして、神の前に面目を立たせる自分であったか。復帰の世界的開拓の道を先生が先頭きっているのに、自分はどういう基準において先生に向かい合ってきたか。冷静に批判して、今日の位置をはっきりさせないと、あすの勝利の基準は、はっきりした勝利は迎えられません。国家的側面から見た場合に、日本の国がアダム国家に対応するエバ国家の位置にあったとするならば、先生に一瞬の疑い、一瞬のその悩み、一瞬の苦労をかけてはいけないという観念をもたなければならない。堕落したエバによって、歴史的伝統が犯されたことを考えれば、その生涯の全体をかけて、世界を代表して、心情に一点でも傷をつけるような、そういう思いを残させるようなことをしてはいけないという立場に立つのが、エバ国日本の立場である。分かりました? (はい)。不平を言うな。そういう意味だ。文句言うな。完全否定。伝道してみ旨の最前線に立て。 この原則があるから、今の一時において、完成できなかったとしても、未来においては完成できる。理論的保証をすることができる。そう考えてみた場合、君たちどうだ。歴史を延長して完成するのがいいか。先生が生きている時代に完成するほうがいいか。(今です)。そのためには、死に物狂いで力をつけて、それはやらなければならない。今日までの歴史過程において生まれてきた宗教を信ずる者たちは、現代に生まれ変わろうと思ってもできないし、この一時は他のいかなる時代とも、取り換えることのできない価値ある時代だとして霊界で侍っている、臨んでいるということを考えてみた場合、我々はこの時世に、この地上に先生から、正面的にこういう話をされ、教育されながら、成して行くという素晴らしさに対して感謝しなければならない。分かりました? (はい)。それははっきりしている。 世界的迫害の絶頂期を越えて 全世界的に最後の絶頂期は、一九七六年だね。ワシントン大会を中心として、絶頂だ。先生は、それを知っているから、七五年に全世界に宣教師を送った。宣教師を一人送ったら、みんな関心をもたないよ。日本人だったら、東洋ばかりになるんだね。アメリカだったら、西洋ばかりになる。だから、全世界を代表するようにした。東洋人と、それからヨーロッパを代表したドイツ人と、それから南北アメリカを代表したアメリカ人。それが世界的である。それから韓国の文先生。三人は、レバレンド・ムーンを中心として出てきたんだから、日本人もみんなムーニー、ムーニーと言われるんだね。イギリス人、アメリカ人もムーニー、ムーニー。ドイツ人もムーニー、ムーニー。こうだろう? みんな相対圏だ。 君たちだけだったら、ばらばらになってみんな喧嘩をやっているよ。日本は、「日本人が先に祝福を受けた。自分が最初であって、自分がアベルだ」。アメリカは、「文化的に見たら、アメリカが世界の民主主義を指導する国だから、自分が第一だ」。ドイツは、「そんな馬鹿な、ゲルマン民族は頭がいい、組織的で分析的で、理論的だ」。自分がみんな第一だ。第一の者が集まる。それはみんな主体だ。主体。ここにおいて、主体無の政策。主体性観念無。無観念政策。そうすれば、神は必ず援助する。そうはっきり言ったよ。「君たち三人が一つになれば、絶対的に神は援助する。発展する。もしも、闘った場合は、絶対発展しない」。そのとおりになってるよ。巡回師の報告を聞けば間違いない。原理原則は間違いない。それで、みんなずっと世界に散らばって、一三〇カ国に拡大したんだから、みんな、もうアメリカで闘うし、世界でもどこでも闘う。世界全体が傘{かさ}みたいに広がっている。 そこで、レバレンド・ムーン追放、地球上追放運動だよ。それで、ワシントンの大会前に追放しようとした。そう簡単にいきません。闘って、大勝利を得た。こういう闘い。まあそう見れば、文先生を中心として歴史的迫害の最高の絶頂期の一九七六年に結局、新しい時代を迎えるというのは理論的である。保証があるんだね。それで、一九七七年二月二十三日を中心として、新しい紀元が始まるということを発表しただろう? 一九七七年二月二十三日、先生の誕生日を中心としてね。 なぜ、そういうことが言えるかというと、これはレバレンド・ムーンがその世界的迫害の絶頂期において自分の苦難の苦しみによって回り道しながら、天のために、世界のために前進に前進する。だから共産主義世界は分裂。日本は、そこから五年以内にもう世界的になった。そこから上がった。エバを高らかに上げた場合には、アダムはエバのあとをのこのこついていっても、同じく救うことはできない? (できます)。できる。日本を立たせて。だから神様は利口である。 エバ国日本の位置と使命 目を見張って、四方全体、日本全国を回って、ああ、任すべき者がないかと見れば、これ任すべき者がいる。見てみれば、それはみすぼらしい、これはもう、日本人として無用な屑{くず}みたいな者がいるんだね。それがムーニーだ、ムーニー。しかし付き合ってみれば正直であり、その内容を見れば、国のため、世界のためには、すべてを捧げ、自分は協力して金なんかいらないと。あの人は尊いなと。それは摂理的にそうなったから、日本は責任をもてばいい。日本はエバだから、エバは乳を飲ませなければならない。飲ませるのに堕落したエバはその乳を一番最初に誰に飲ませたの? (カイン)。カイン。それから? (アベル)。アベル。女(娘のこと)はもういてもいなくても、それは勘定に入れないんだよ。今までは女は存在する者だけど、存在しない扱いをされても不平を言うことができない。 だから、その乳を誰に飲ませたかというと、カインに飲ませたし、それから誰に飲ませた? (アベル)。アベルに飲ませた。飲ませて育てた者が二人喧嘩し合う。それはもともと喧嘩し合う要素があるからだ。だから、蕩減復帰において、もともとそういう要素をもっていない双子という立場に彼らは復帰できないのだから、腹の中からヤコブとエサウとは、闘うんだね。だから、母の腹に再び入れて、再びもとがえさねばならない。だから妊娠を通して、双子がはらまれても腹中で闘わない子供にならなければならない。共に抱き合う。そういうようにして生んだときに、乳を飲まそうとしたら先に飛んで行くんじゃない。君、先に行け、君、先に行け。二人で、それを抱えて乗った場合にはけっとばすのではない。それは交代を一日に何十回しても、もう不平を言わないで愛し合う、そういう子供を生まないと、そうならないと、旦那さんのところへ行くことができないんだね。それが母の運命、エバの運命である。 だから、このエバ国家を立たせて世界的なでかいカインを立たせる。カインとしては話を聞かない。アベルとしてもでかいアベル。話をよく聞くアベルではない。話を聞かないアベルを先生が探してみれば、日本人内のカイン、アベルは話をあまりによく聞く。それで、世界的蕩減の条件として見る場合には、カインとして一番話を聞かない者、それが日本人の前にはドイツ人だ。ドイツ人は昔、主体だった。兄さんが対象になれといえば嫌がるよね。嫌がる者のナンバー・ワンがドイツ人。それからアベルとしては一番問題のある男、自由、自由だという。神を呼ぶけれど、ブランコみたいに主張がない。行ったり来たりする。それが何かというと世界的代表のアメリカだ。その双子の立場に立つドイツ人とアメリカ人が、共に親しいとしたらそれは駄目だ。みんな怨讐。全部が怨讐。母と子供も怨讐、子供同士怨讐。性格的にもそうであり、歴史的にも、そういう内容を抱えたものでなければならない。そう見た場合にはアメリカとドイツはぴったり合う。原理的にぴったり合うんだね。みんな怨讐、怨讐。 それからもうアダム国家、エバ国家、天使長国家、みんな怨讐になる。みんな一つになるときに崩れてしまったんだから、再びそれを再編成するには、同じような立場に立ってやり直す。アダム国家の韓国とエバ国家の日本は怨讐だ。日本とそれからアメリカと怨讐。アメリカとドイツと怨讐。みんな怨讐。怨讐の者たちを集めて、愛によって生命力を中心として母の乳を飲みながらアメリカ人、ドイツ人、一つになれ! アメリカ人、ドイツ人、日本人、三人が一つにならないとアダムのところに帰ることはできない。死んでも帰ることはできません。これ原理観だ。蕩減復帰によるとそうなっている。堕落によって、神様とアダム、エバが怨讐圏に立った。すべてが怨讐だね。アダム、エバ怨讐。それから、カイン、アベル怨讐、父母、子、みんな怨讐。バラバラの怨讐圏のその種子を植えたその者が末になった場合には、そういうふうに結実する。そうなるとどうなるかというと、サタン世界のアダム国家、サタン世界のエバ国家、サタン世界の天使長国家、こういうような結果になる。それに反して、天的アダム国家、天的エバ国家、天的天使長国家、こういうふうに二つに分かれて戦ったのが、第二次世界大戦である。枢軸国家とそれから連合国家だね。それが世界的である。 戦争は誰が先に始めたかというと、世界的なサタン側である枢軸国家が始めた。サタン的エバ国家である日本が、韓国を中心として東洋を占領。大東亜共栄圏は、神の理想を先取って、その理想を実現しようと思って出たものだね。天照大神の女の神。八百萬之神、多神教国家が日本である。それに反して、イギリスはエバ国家だね。天を中心として来る再臨の主、アダムを中心としてエバ国家。それからアメリカはエバの子供であるというんだね。アメリカはイギリスから生まれてきたというんだ。これはいつもくっついて回る。 フォークランドのアルゼンチンとの戦いにおいて、アメリカとイギリスはいつまでもくっついていては世界は滅ぶ。分かれていかなければならない。それで天の基準を中心としたアダム国家として将来立って行かなければならない。アベルは、堕落する前の復帰されたアダムだろう、アベルはね。それが目的だよ。そのアダムの前に復帰されたエバ国家がイギリスで、復帰された天使長がフランスである。これに対し、サタン世界のアダム国家ドイツとエバ国家日本と天使長国家イタリア、これらが三つずつ組んで、神を中心として、サタンを中心としてそれぞれ四位基台という基準において、世界的に分裂して衝突したのが、第二次大戦である。その戦いは天下分け目の、地球分け目の戦いだ。それで天のほうが勝利したんだから、サタン世界のすべてを天のほうに返す。それで、サタン側の世界的な最後の舞台としての共産主義がずっとそれは共に存在していた。 その共産主義とは何か。再臨の主のもってこられる理想を先取って出発した。神の側が、もしも失敗した場合に備え、サタンが既に準備してあるのが共産主義である。スターリンのやっているのをみるとまさしくそうだね。全世界を一つにする。しかし共産主義は、マルクス、レーニン、スターリン、マレンコフ、ブルガーニン、フルシチョフ、ブレジネフ、それからアンドロポフで八代目、だからもう終わりである。今からはもう下る一方だ。再臨の主が精神的全世界統合理想をもってくるのに対し、その反対の肉的基準において、世界統合理想をもったのが共産主義である。だから、共産主義は唯物論であり、再臨主は唯物・唯心論を世界的に統合して出る。 だからキリスト教が神の前に再臨の主を中心として一つになったとするならば、良心とメシヤを中心として、心的基準と肉的基準を一致させた場合には、原理原則においてサタンの存在すべき基台がなくなってしまう。そうだろう? 神様が主体圏と相対圏を管轄し得るような基準に立ったんだから、サタンの管轄すべき相対、世界圏はない。だから、共産主義はそこできれいに流れてしまう。民主主義世界が再臨のメシヤに侍ったとするならば、一九四五年から七年後に世界は平和郷に移るべきなのにもかかわらず、それが一つになれず反対したんだから、完全にサタンの先頭に立って神を攻撃するような立場に立った。そのために、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的基準において、共産主義、民主主義、キリスト教、ユダヤ教、仏教、それらすべてが総合して反対した。それから、今アメリカ対文先生の裁判の闘いだね。分かりました? 原告は誰かというと原告はアメリカだ。アメリカは自由世界全体を代表して、レバレンド・ムーンは一人。誰が勝つか。最後の絶頂に立って、それは勝敗を決する一騎打ちのそういう境地に立ったのが今の期間である。 摂理的四大国家 きょう四月三日は、原理的に見た場合には、四数は地上平面数だね。三数は、蘇生、長成、完成の垂直線で三段階だね。四月三日というのは素晴らしいというんだね。それから、一九八三年は(一、九、八、三合わせて)二十一数。三月一日を中心として、全世界の統一教会、キリスト教信者、宗教全体をみ旨のために動員すべしとしたのが三月一日である。それが何かというと二十一数と四数、それから三数と四数、合わせて七数が結合するきょうではないかというんだね。だから、この日において、全体的蕩減、全体完成の話をせざるを得ないという結論になっている。もうすべてがきれいになったら、おしまいである。これを教えた以上はもう行きたかったら行くし、行きたくなかったら行かなくてもいい。先生には責任はない。 こう見れば第二次大戦を中心として、先生が出動する、先生の出動の足場はどこか。韓国のキリスト教? それはアメリカを中心としている。アメリカは宗教改革の時に旧教からみんな追われて逃げてきた。宗教世界で、それはみんなアベルたちだ。旧教を中心として反対される時期に、ヨーロッパ全体から引き抜いて集めたのがアメリカの国である。それはキリスト教内で見た場合にはアベル。アベルたちを集めて新教国家、独立国家をつくったのが二〇〇年前。それが今、先生の願う一九八五年まで、アメリカの独立の日から、二一〇年になる。一七七六年からして、一九八五年はちょうど、二一〇年に当たる年になる。それで四十代の大統領レーガンを中心として決戦を果たすべしとなっている。みんな原理的である。日本では明治維新一二〇年に当たるんだね。みんな、その基準を中心として集中している。こういうような歴史的世界を前にして、先生自体が摂理観的に、こういうふうに新しい出動命令をするというのは、世界の絶頂圏で新しい何か、破壊でないとすれば結束の運動に違いないんだね。そういう時期に入ってきた。破壊の運動ではなくて結束である。 二つの意味がある。それは統一教会のやっている破壊の運動ではなくて統一の運動だ。統一の運動ね。だから、ここにおいて民族統一はもちろん、人種統一、宗教統一、西洋、東洋統一を果たさなければならない。それを今、成しているのが、現実の場である。それが統一教会だね。分かりました? こう見れば、歴史もこの基準に集中しているんだね。日本歴史も、アメリカ歴史も、西洋歴史もみんなそこに集中している。それから、韓国から見てもそうだよ。韓国から見て、今年、四三一八年。十八と言えば、サタン六数の完成数になる。六数完成、それは、いつでも二十一数、十八数以降に登場するんだね。まあ、そういう意義があるんだね。こう見れば、すべて歴史がそうだ。摂理観がそうだ。摂理の中心国家の歴史も、みんなこういう悲願を中心として最後の結末をつけるように歴史は発展してきたということを考えてみた場合に、神様は科学者で数理的な方である。だから、蕩減復帰は数理的条件を条件として復帰していく。そうだろう? 期間とそれから人と条件物。 だから今、我々統一教会から見た場合には、四十年の期間内に、条件物は三大祭物だね。先生から見た場合には、アダム国家、エバ国家、天使長国家。先生を抜いて見た場合には、エバ国家、カイン国家、アベル国家。それが、条件物を中心として期間を中心として、アダムという存在がアベルの存在だよ。世界全体を代表すべきアベルの基準、それは、メシヤの立場であるんだね。だから、こう見た場合に、四十年前の立場に復帰される今においては、我々は聖なる捧げ物を、世界的に総合した世界的な者たちを神の前に捧げなければならない。そうしてサタンと神と、それから祭司長であるメシヤと談判して、サタン世界からすべての世界を勝利のサインをして、戻してこなければならない。サインを誰がするか。勝利のサインを誰がする? 神様がするんじゃない。メシヤがするんじゃない。サタンがする。 だから、今どういう時期かというとすべての国家を代表して、四大国を選出した。韓国はアダム国家であり、エバ国家は日本である。なぜか。キリスト教文化圏が反対したからである。反対しなかった場合には、イギリスがエバ国家であった。第二次大戦において、アダム国家はアメリカで、エバ国家はイギリスであり、天使長国家はフランスであった。しかし、神側のキリスト教文化圏が反対した。だから、サタンが頭を持ったんだから、しっぽを天が取らなければならない。それは何かというとキリスト教文化圏をサタンが握ったんだから、天は反対の一番しっぽから。しっぽがどれかというと(第二次大戦におけるサタン側の)アダムであるドイツだよ。それからエバ(日本)だよ。それから天使長国家。そういうふうになっている。 それから、韓国自体はキリスト教文化圏が反対したんだから、逆の立場において反対の立場をとるようになったことによって、先生の故郷である北がやられる。頭がやられる。しかし、しっぽが残っているというんだね。分かりました? それが南韓である。サタンは今誰を握っているか? アダムの頭と天使長のしっぽを握っているんだね。それが北韓と東ドイツだ。韓国は北と南。ドイツは、西ドイツ、東ドイツ。これは、それぞれ垂直と平面。サタンは北韓とそれからドイツの東部、ベルリンを中心として握っている。だから、韓国で共産主義問題を解決すれば、ドイツは自動的に消化する。こうなれば共産主義は自動的に地球上から後退し始めるんだね。分かりました? それから、金日成は北のほうで親というんだね。「自分が父だ」。南のほうの統一教会では、「真の父母だ!」。どっちが父だ。真の父が二人になってきた。主体者が二つになってきた。これをどういうふうに消化していくか。世界万民が蕩減条件を立たせればいい。世界のために犠牲になれば自動的に一つになる。世界万民が先生と一つになって犠牲的立場に立てば、自動的に解決する。共産主義も自動的に消化する。そうなれば、その世界はもうおしまいだ。 こうなってみれば、今アメリカも末にきている。イギリスもドイツもみんな末にきている。どうにもならない。もう仏教圏、イスラム圏、キリスト教圏、みんな末になっている。民主主義も末、家庭も末、国も末、みんなめちゃくちゃになって何が何だか分からなくなってきた。愛の秩序が乱れて世界が破壊状態になったんだから、ここから新しい愛の秩序を立てなければならない。蕩減復帰条件を立たせて天に忠を尽くし、天地共につなぐ。真なる愛の中心圏を立たせることによって、一つから二つ、二つから三つと秩序を拡大して秩序が世界化された場合は、そこから新しい地上天国実現が完成される。そうなってしまうんだね。それで今統一教会は、このすべての難しいサタンの迫害圏を満たした基準から、それを総合して結合し得る核心国家を選ぶ。それを見れば、サタンが一番愛する国だ。 今の世界情勢から見れば、韓国はアジア情勢において一番重要な位置にある。そうだろう? 日本はアジアにおいて、アジアの海洋国としては、それは一番重要な立場にある。太平洋を中心として、海と関係をもって、海の権限をもった者は日本を願うんだね。なぜかというと、日本を中心に大陸につなぐには島国を中間に置かなければならない。だから西洋文明は東洋に向けて入るというんだね。西洋文明は太平洋を通して入る。そうなった場合には、西欧文明は日本を必要とする。だから今まで日本を必要とするように、日本がお世話になったり負債をしてはいけない。天的摂理にかなわないというんだね。世界からやって来るその者たちを、ちゃんと基盤をつくって教育する。何かやりながらなだめながら教育するような立場にならなければならない。 それで、日本は緊急に、三十年間、四十年間の期間に世界的物的祝福がなされたね。それはどこに行くためだ。日本にとどまらず大陸に行くためである。島はエバ国、女と同じである。大陸を慕っている。大陸に行くのに、どこを通って行くかというと、韓半島を通って行くようになっている。こういう現実だから、韓半島を通って行くのに船で行くのは大変だ。陸続きに早くしなければならない。それがトンネル問題、ハイウェイ問題に通じてくるんだね。 だから韓国において、いよいよ先生がもっともっと必要になってきた。統一教会が必要になってきたし、世界外交問題にしてもね、国内問題にしても統一教会がいよいよ重要になってきた。おもしろいもんだ。 男性理想完成基盤の復帰 こう見た場合にすべてを統合して、今そういう基準から見た場合に、蕩減復帰しなければ完成はなされない。全体完成というものは、全体蕩減基準において生まれるんだから、ここにおいて我々はどういう結論を出すべきか。蕩減は反対の者たちと組み合うんだね。分かりました? 反対の者。だから、怨讐の者たちを組み合わせて、血を流すようにして捧げ物を捧げた場合に、神様がそれを受ければ、宗教自体が終わるんだね。何の話か分かった? 今まで神の愛されるものを祭壇に捧げたけれど、今の時期には、怨讐のその主体の一番愛するものをもってきて、蕩減させて、壇上に捧げて、神様がそれを受け取ったとするならば宗教圏が過ぎてしまう。宗教はいらない。宗教は分別のためだろう? 分別時期がなくなってしまうんだね。だから祭物は、平面の存在すべてをどこからもってきても、神に捧げた場合に、神が受けるという結論になるというんだね。何の話かわかった? そういうようなことを世界的になさなければならないから、統一教会の文先生は何をやるか。怨讐を愛して、そこから出発せざるを得ない。それが原理だ。天国は、天の基盤というものは、サタンの本郷の地のまっただ中から出発しなければならない。そうするには、サタンが一番愛するものから反対される立場でやられながら、愛の心情をもって、一番端から、ずっと自然屈服させていくんだね。正しい基準を打った場合には、損害賠償をしなければならない。それは宇宙の原則である。賠償基盤を通して蕩減復帰していく。そうするには、サタンが打つと同じく打った場合には賠償がなくなってしまうんだね。打たれる時に、素直に打たれ、打たれて復帰してくる。こういうことをしながら、外からずっと復帰しながら、サタンの内部の一番重要なものを復帰する。そうなると、植えたものは、それは収穫するんだよ。種を植えれば、必ずそのとおりの立場において収穫される。悪いものは悪い倉庫に、良いものは良い倉庫に分けるのが主人の使命である。この地上に二つの種を植えた。悪い種と良い種を植えたんだね。だから、良い種は天の倉庫に、悪い種はその火のやぶに入れて燃やしてしまうんだ。だから今の時はどういう時期か、収穫の時である。 サタン世界の収穫を見た場合に、みんなバラバラだね。限界の立場に立っている。だから、みんな一つにする。赤も白もニグロも、四{シ}グロも八{ヤ}グロもみんな一つにする。そういう運動をやっているのが統一教会だよ。それから、この世界は個人主義の世界である。家庭も、親も、夫婦も、子供も、兄弟も、氏族、民族、みんなバラバラになっている。しかし、統一教会はもう世界から、国家を越えて、氏族を越えて、家庭を越えて、みんな一つだ。反対のことをやっているんだね。 それで結婚にしても、昔は同族の中でやってきた。しかし、我々は世界の果てからみんな世界から来た。日本人が夢にも思わなかった韓国人と結婚するしね。それから、黒人と結婚するとは夢にも思わなかった。夢にも思わなかったことを平気でやるようになってきたね。誰によって? 神様によって。そういうふうにして何をするのか? みんな一つになるためである。なぜ一緒にしたがるのか。それは、サタン世界は分裂して破壊して滅亡の世界に引っ張られていくが、その分裂するさなかで統合して神の世界に引き入れるためである。 この過程において、誰が蕩減するのか。蕩減の責任は誰がやるか。統一教会、その主流にいる者たちがそれをやる。その主流の長であるレバレンド・ムーンが、代表的に世界に向けてこういう蕩減路程を歩む。個人的蕩減をするには、男を代表した蕩減だよ。そうなれば、女性たる者、すべて、もう悪{あく}辣{らつ}な女性もたくさんいるだろう? そういう女性までも自分の奥さんに迎え入れたいような、そういう心情の運動を起こさねばならない。何の話か分かった? そういう環境から、これを蕩減復帰しないと、これは個人としての男の理想完成基盤は生まれてこない。だから、老いた女、若き女、霊界にいる昔の何千年も前の女たち、地上に生まれ、その目を開けて、ああ男だと認識できる四、五歳の女の子供、すべての女性たる者から慕われ、愛されてこんな男を旦{だん}那{な}さんにすればよかったなあ、と思われるようにならなければ、個人の人格、男完成基盤は生まれてきません。こういうことは初めて聞くんだね。それ、日本のあなたたちも、そうだろう? みんな日本の女性たち、結婚するまで、先生をみんな慕っていたよ。そうだろう? 霊界が、霊的にそういうように見せるよ。ずっと、二人共に手をつないで、散歩しているのを見せるんだよ。みんな経験あるだろうね。それは、なぜかというと、一人の男が三大愛を総合しなければならない。お母さんの愛、それから妻の愛、姉さんの愛の三大愛。それを、堕落したアダム一人の結果によって失った。だから、三大愛の分別期間がなされてきた。これを統合しなければならない。アダムを主体として、個人完成、世界的な、歴史的なその蕩減条件を立てる。あらゆる層の女性たちが、誰もが慕わざるを得ない、慕うような環境に立たなければ、サタンを分離できない。いよいよそうなったという場合に勝利するには、あらゆる女性を正しく導くそういう方向をとらなければならない。何の話か分かった? それはもう公娼街の女性にも正しい道を教えてやる。慕っていくように教える。真なる男として迎えるようにする。そういう環境を経て誘惑のまっただ中に入ることだ。それは、引き罠だね。しかし、引き罠に引っかかるのでなくして、その引き罠を抜いて解いてしまって勝利をなさなければならない。何の話か分かった? いくら美人であっても、その女性が誘惑したといっても、個人の欲望のためにその道をたどっていくことはできないというんだね。正義の道を立たせるためには、善なる教育からしていかなければならない。そういうふうにして、サタンのすべての雑多な男女関係に、引っ掛けていって、堕{お}ちるようなことをしてはいけない。そういう伝統的な基盤を立たせなければならない。そうしないというと、個人完成、男性基盤が地上に生まれてこない。 エバの再創造と家庭安息基盤の確立 そういう個人完成した場合は、次に何をするか。エバを再創造しなければならない。エバはアダムを型どって造ったんだからね。神はアダムを造って、アダムを標本としてエバを造った。それは何を意味するかというと、再創造原理において、アダムはアダムの責任を果たせないで、エバを堕落させたんだから、アダムは再び、エバを創造しなければならない。もう体は造っているんだね。サタンがもっている。それをサタンから取ってこなければならない。そういうような地上基盤を天は準備するんだね。それで、二十歳以下じゃないといけない。だから、その年齢の何も知らないお母様を連れてきた。それは再創造だ。「君は絶対服従」。七年間の期間、それは、七〇〇〇年の歴史の蕩減復帰だ。七年の期間、服従しなければならない。あらゆる面において、どんな場においても、その旦那さんに服従しなければならない。 こういうような過程を通じて、父母の日を決定して、子女の日を決定し、万物の日を決定して、神の日まで行くにはこれだけの内的問題、いろいろな問題を蕩減復帰して、御父母様自体がすべてに讒訴圏を乗り越えて得た勝利の条件を満たさなければ、神の日を決定することはできない。神の日は完成したアダム、エバの出発基準を意味するんだね。そこから一九六八年から、その基準によって統一教会は何をしたかというと、先生が家庭を中心として出発するんだから、その時、祝福家庭、一二〇家庭までを全部、全国的三年間迫害の道へ追い出した。蕩減生活である。その三年蕩減の基盤を中心として、先生はアメリカへ大移動するんだね。民族的家庭基盤を完成した基盤の上に、歴史をつなげて、世界の中心地であるアメリカに向かう。それは七〇年を中心に、そういう意味で、三年間の家庭出動を命令した。それは国家的家庭蕩減だ。いろいろなことがある。子供をそれはもう孤児院に入れたり、ある時には自分の親戚に子供を夜に預けたままみ旨の道を行く。 人類の過去の歴史にあったすべての女性が、その親が、子供に対してやったと同じようなことを、この期間に家庭を中心としてやらなければならない。それで、先生はいろいろ迫害された。統一教会の家庭自体からもそうだ。「祝福家庭が生活できる基盤づくりをしたのに、やっと何とかして仮小屋を一つ造って、鍋{なべ}とか匙{さじ}とか箸{はし}とか、家具なんか、みすぼらしい物だけれどちゃんとそろえたのに、先生はそれをまた、みんなけとばして、ぺちゃんこにして、なぜまた追い出すのか」。いろいろ不平を言う者もあったんだね。それでも「おい、行け!」。それはなぜ? 家庭完成基盤を得るには原則がある。氏族的蕩減をなさなければ、家庭安息基盤は生まれてきません。個人完成安息基盤を得るには、家庭安息基盤において勝利蕩減をしなければならない。蕩減復帰して勝利した基盤を得なければ、個人安息基盤は生まれてきません。それは鉄則である。分かりました? アメリカ、韓国の救いのために それで家庭蕩減のその三年が終わり、先生はその基盤を中心として世界へつなげたのが七七七双。世界につなげて。その後に、世界の新しい主体圏に向けて、アメリカという地に飛ぶことができた。その背後をサタンはよく知っている。韓国のその空港からもう三カ国を通して、日本を通して、カナダを通して三カ国、四位基台をつくった。韓国、日本、カナダ、アメリカ、四カ国だよ。みんな原理的だよ。 それで、着いたのが一九七一年十二月十八日だね。ちょうど、リトル・エンジェルスがカーネギーホールで公演する、その時だった。まあ、そういうふうにして、アメリカに大移動した。その時は誰も知らない。先生がアメリカに行くことは、先生と神様以外には分からない。金協会長も知らなかった。その時の先生の説教をずっと読んでみると、みんな、その内容を言っているよね。そういうふうにして三年半以内にアメリカにおいて、イエス様の苦労の道を蕩減復帰しなければならない。 アメリカに行って何をしたかというと、キリスト教圏を中心として、大々的復興会をした。その時は、七四年の時には大歓迎を受けた。その時の先生は、いろいろな賞状をもらった。一二〇〇枚もの賞状をもらったんだね。市民権を得たり、いろいろの名前をもらって大歓迎を受けたよ。その時大歓迎を受けたというのは、韓国においてキリスト教が反対したんだけれど、世界の全体的キリスト教はアメリカだね。だから、アメリカを中心として歓迎される基盤をつくれば、韓国から反対されたキリスト教の過ちを復帰することができる。それで一九七四年の十一月二十四日までの全国的大復興会の時に、アメリカの教会すべてが歓迎した。勝利の歓迎を得てそのあとに何をした? それ以降に、七五年四月一日を中心として、IOWCを引き連れて西欧文明のキリスト教文化圏を韓国にぶっつけた。韓国に西欧的なキリスト教、西欧キリスト教中心の二世が来た。それで、釜山から統一教会の機動隊を中心として回った。 二〇〇〇年前、ローマとイスラエルとユダヤ教と組んで、イエス様を殺し反対しただろう? 今は反対にアメリカと韓国と組んで、それはイエス様と一つになるように統一教会と一つになるんだね。韓国でそれを蕩減復帰だ。それで、釜山、大邱、大田、それからソウル。四段階目に完全に勝利した。どこまで行ったかというと、ヨイドのその大会まで、一二〇万の大会まで拡大して勝利した。それで、そういうような基盤をつくってアメリカで実践部隊と共に七六年のヤンキー・スタジアム大会とか、ワシントン大会で実践だ。こっちは質が違う。アメリカは先生の話聞け! それは、先生の話を聞けというんだね。それは、大会の内容がそうだ。アメリカは火事になったんだから、火事になった場合には外から消防車を呼ぶ。アメリカを救うには外から来た者が救ってあげなければならない。それがレバレンド・ムーンである。 病気になった時には、医者を外から呼ばなければならない。それは何かというと、アメリカの病気を治すには、統一教会、レバレンド・ムーンしかいない。そういうことを、みんな正面きって言うものだから、これはもうしゃくにさわるどころではない。腹がむくれて仕方がないね。それで上から下まで総動員して、レバレンド・ムーンに対して総攻撃時代に入った。それでフレーザー委員会が旗揚げした。共産党とフレーザー委員会を中心として、七七年から本格的に闘争時代に入るんだね。その時に、朴普煕氏が先頭に立って闘った。朴さんの立場は、天使長の立場と同じである。天使長の闘いだ。なぜ天使長かというと朴さんは既成家庭だよ。(三十六家庭のうちの)アダム家庭、最初の家庭だからね。それは、アメリカを中心として誰かが勝利しなければならない。聴聞会は、もう闘争だね。フレーザーに対し真正面から攻撃する。今までの歴史において、そういう抗議をされたことがない。 カーターと正面衝突した。それはもうカーター就任中の四年間。説教は毎日カーター攻撃だ。「民主世界を売る者である。共産主義のその手先だ」と。だから、カーター時代はもう大変だった。先生に対して、「政治的だ、怨讐だ」と言って、世界の大使館に統一教会のメンバーが通行できないように封鎖していた。それを日本もまねた。ドイツもみんなまねた。しかし、もうすぐ三年以降にみんな解放されると思うよね。それ解放しなければならない。 思想においても、統一教会は完全に優位な立場に立っている。それは大学教授らの知識階級は先生を支持している。大学界において学生活動を中心として共産主義運動は、いよいよ大混乱に陥っている。それで、法廷闘争しながら言論界動員。それから経済問題。それから、司法協会。いろいろ最高基準の結束基準を成し終えて、今度帰った。 今は世界的出エジプト路程の三年期間 だから、この前も言ったように投げ網をずーっと投げて数千匹の魚にかぶせて、紐{ひも}を伸ばしておいて、時が来た場合には、ああ、春だ、時になった。いよいよ必要となった場合には、巻く。ウィンチで巻けばいい。神様がね。それで、引っ張る紐は何かというと、統一教会の思想である。統一思想のその縄に引きずられて巻かれていく。そうしたら、その中の魚はみんなどこの懐に行く。神様のところへ行く。すべてが神様のところに。だから、こういうようなまっただ中において、最後の決断をなして出動命令をなす時が来なければならない。それが今の時期である。もう過ぎている。三月一日、そういう命令を出してアメリカにおいて全員動員した。それはカナン復帰において、カナンの地を前にし、三年をあとにして訓練する時期である。 エジプト時代において、三日を中心として、我々の神に侍るように期間をパロに願ったと同じような自由期間三年。そこではもう死に物狂いに活動しなければならない。自由期間三日と同じようにね。そういう神に忠誠する三日を願ったと同じように、その期間に当たるその三年が今からの三年期間である。分かりました? その荒野において、六十万人の一世はみんな、それは鷹の餌{えさ}になって死んで行ったんだけど、後世、二世は、カナンに入った。今も、アメリカの地とか、日本の地とかの第一世は統一教会にみんな反対した。しかし、二世は分からないね。 我々は二世を生育して二世を整備する。今、三年の荒野の中にある。廃{すた}れたその立場に飢え死ぬような境地に追われていても、そこにおいて国を愛し、祖国を愛する熱情によって、すべての環境を克服する熱情と信念と出動の訓練をするのが今の三年間であるというんだね。分かりました? その訓練をなさなければカナンの七部族を解放できない。だから今からそれを訓練しなければ、その共産主義を壊滅させることはできない。荒野の果てに立っておる我々統一の信徒は、決意を固めて天の心情を中心として、天の心情の兜{かぶと}をかぶれ。いかなる時でも、征服しなければならない。実戦場に向かう勇士をつくらなければならないのがこの三年間の使命である。分かりました? だから、世界の果てのどこでも、二十四時間どこに行っても、勝利の旗を揚げよ。町は町、市は市、郡は郡、村は村で、いずれの津々浦々の一軒の家だに残さずして、そこにおいて勝利の優勝者たる、優勝兵たる使命を果たさなければ、天意にかなうイスラエルの全体的使命を果たし得なかったことになる。この期間に、「統一教会は荒野の道を越えてカナンに行く群れである。統一教会をリードするレバレンド・ムーンはこの時代のモーセと同じである」ということを早く、はっきりと、絶対に宣布、通告しなければならない。分かりました? この期間が三年の期間であって、そういうふうにして反対するすべてを踏み越えて、我々は神と世界のためにすべてを捧げる。我々は国があっても国がない。家庭があっても家庭がない。すべてを神の一念に任せてその声に従う。神とその理想の世界万民の愛の世界のためにすべてを捧げて、絶対服従圏でもって捧げて一体化して、超国家的、超民族的に、そのエリコ城に向けて直進して行かなければならない期間がこの三年間であるということが分かりました? 何ら躊{ちゆう}躇{ちよ}することを許さない。すべてを投入する。力があれば、力を投入せい。すべてあるだけの尊いものすべてを天意に任せて投入する。そればかりでなく、命と共に神の愛の心情をそこに打ち込んで、すべが砕けてなくなっても愛の心情は永遠に残るという信念でもって進んでいかなければならない。こういうような歴史的、最終着点に立っていることを各人が知らなければならない。その場にあって我々は敗北者になってはならない。敗北者は悲惨である。勝利者にならなければならない。超民族的、西洋、東洋の統一教会のメンバーは氏族を超えて、国を超えてその一点に花を咲かせる。火をつける。そして一緒に爆発する。爆発すれば心情世界に新しく生まれてそこで再復活する。神様も復活する。神の解放圏がそこにおいて生まれる。こういうような偉大な蕩減復帰基盤を目前にして、前進する今の我々の隊列であることをはっきり知らなければならない。 こう見た場合には宗教全体もそうだ。今年になったら、神様会議が三年目である。「ゴッド・コンファレンス」。それで、今年も全宗教を動員してその中核のメンバー、若い者をずっと結束する。そういう「ワールド・ユース・フォー・ゴッド・セミナー」をやっている。世界を含んでいる。宗教界を超え、人種を超えて、結婚を中心として組んでいる。それから知識を超えて組んでいる。あらゆる方面を組んでいる。だから、今から世界の知識者は考えている。「世界的に考え、世界的に活動する歴史的人間を数えてみれば、それはレバレンド・ムーンしかいない」というように、知識階級の人たちがもう、そういうふうに認定するようになった。 だから、世界的問題はレバレンド・ムーンがやらなければならないという基準にまでなっている。今度この三年間で我々がその使命を果たす。天が支持する勝利の基盤をつくった場合には、完全にマスコミが新しく我々について書き始める。そう見るよ。その時は、日本で反対されるムーニーの、蕩減復帰条件を必要とする迫害の時代は、我々の目前から永遠に消えていくだろう。行く先々に歓迎の歓声が天を衝{つ}くほどに、それはとどろきあふれるであろう。 そうなれば、我々はもう伝統をつくったね。伝統的家庭基盤をつくった。世界宣教師を中心として伝統的教会をつくっている。そして思想の目標は統一の世界、一つの国を慕っている。「私の誓い」と同じようにその国は一つの主権であり、一つの国民であり、一つの国土であり、一つの文化である。一つのその真の父母を中心とした血統でつながっている。心情圏によって犯すことのできないそういうような理想的な後継者になるというような誓いをすべて成し得る。聖書の、「怨讐を愛せ」というすべてが成し得る。聖書で教えたイエス様のその教えについて、一般のクリスチャンは、怨讐は個人と思ったのに、そうではない。統一教会は怨讐国家とか世界とか、国家を中心として愛する。怨讐国家圏に天国出発基準の目標をおいている。怨讐国家の中心点に天国の出発点をおかなければ、伝統的基盤をつくって出発をなさなければ地上天国は生まれてこない。こういうふうにして伝統を立てたならば、いかなる歴史が続いてもこれ以上の思想、これ以上の消化する主義は生まれてきません。最後だね。四大怨讐国家による世界的基盤を中心とした、勝利的天の伝統の基盤の上に天国を出発せしめる。それをなし得た場合には、そこから地上天国は始まる。分かりました? それで今、この三年間は全体蕩減。もし三年でできなければさらに三年、我々は延長できる特権をもっている。六年間。三年間に全体蕩減。蕩減して何をするか。復帰。復帰は何の復帰か。完成。個人復帰は、アダム個人完成は、家庭完成の基であり、氏族、民族、国家、世界の完成の基であるんだね。そういう基盤がなされる。それで、先生が全体的蕩減条件を立てて、サタンから勝利的基盤を得て、それを縮小して、君たち万民ともどもが、それを成し得るような環境的勝利圏を授けるためのものがホーム・チャーチである。それは、カナンの福地を復帰した時の遺産を譲与する基盤である。分かりました? なぜ怨讐を愛するか 今、我々のカナンの復帰はどこか。地球上。地球上がカナンの地である。地球上全体にもう既に勝利の条件を得て、ホーム・チャーチ基盤拡大は国境を超えて、主義主張を超えて果たしつつある。今、共産圏でもやっている。それが広がって共につなぐ時には、天国になる。だから、ホーム・チャーチはカナン復帰し、それは土地分配されたと同じような所有物になる。所有地、自分に属する所有地になる。堕落しなかった人間は宇宙を所有する権限がある。ホーム・チャーチは宇宙を所有する条件物である。分かりました? 万物とそれから人々、それから父母、それから神様。だから、ホーム・チャーチを通さずしては、真の父母と天の神様と一体化する平面基準を果たし得ないから、その基盤を通過しない者は天国に行かれない。行くようになっていない。だから、天国はホーム・チャーチを通して行くようになる。ホーム・チャーチをもたない者は天国に行かれない。それは原理的だ。それは何の異論もない。こういうような、全体的、総合の蕩減の内容を原理を中心として、勝利的な基盤を成し得てホーム・チャーチをレバレンド・ムーンが八〇年代に発表したということは、これは福音の中でも人類の福音である。 この中から地上天国、この中から神の解放、この中からすべての理想国家、すべての理想天国が生まれてくる。我々が直接、平面的生活圏内にこれを受け継ぐようになったということは、これ以上の福音はないというんだね。それなのに、そんな貴重なものを神から授けられたにもかかわらず、そこに行ってもみないね。毎日毎日、何十回、何百回そこへ行って走り回って、疲れて死んでしまっても感謝すべきなのに、いつになっても一回も行かない。その分配した所をもたない者もいる。それをしないというと、カイン的氏族を得なければ、アベル的氏族は復帰できない。分かりました? アベル的自分の家族を復帰するには、カインを先に復帰しないといけない。これが宗教世界の一番難しい点だ。それを今まで分からなかった。先生が生まれてきてみんな教えているのであって、今まで誰も分からなかった。なぜ怨讐を愛するか問題だ。なぜ神様は、それを残して今まで闘ってきているのか。サタンなんか一遍に切ってしまえばいいのに、全知全能の神がなぜそのままおいておくのか。宗教、哲学が質問する重大な問題だ。なぜか? なぜ? 分からないんだね。あなたたちはそれをはっきり分からなければならない。 サタンは今何をねらっているか? 神様をちゃーんとねらっている。「神様が神様になるためには、永遠なるその理想の基準を永遠に保つお方でなければなりません」。それを神様に言ったら神様は、「それはそうだよ」と言うんだよ。サタンは言うよ。「神様、わしをそもそも天使長として立たせた時には、一時的に愛するために立たせたか、永遠の愛のために立たせたか」。神様困るよ。どう答える? (永遠に愛するためです)。一時的に愛するためにやったとしたら一時的神様だ。永遠に愛するという基準をもたなければ、サタンの前に神様の権限を押し出すことができない。だから、神様が神様になるには、サタンがいかなる世界をかけて反対しても神は神でなければならない。神様が愛した条件基盤を強要した場合には落第だ。大変なことだね。「わし(サタン)は堕落して、こういう悪い者になったんだけれど、君(神)は、善なる者は変わったりするような、わしに似たような方法をとることはできないじゃないの。わしは喧嘩好きになっても、君は喧嘩好きになったらいけないじゃないの。ぶたれても黙っていなければならないじゃないの」と言うんだよ。無抵抗主義だね。 それはなぜか。世界に天国理想、悲願の世界を果たすまで、いかにつらい立場においても天使を愛すべきなのが、神の理想ではありませんか。神は、サタン圏内において暴れ回るといっても、罰するとか切ってしまうことはできません。どこにおいても愛したという基準を立て、サタン自体が、「ああ、実に神様は神様である。参りました」と告白しない以上は、神様は権限を振るうことができない。それが問題だ。分かりました? その問題で神様は紐{ひも}で縛られている。どうにもならない。だから、天国に行くには、サタンが試験してみる。神みたいに神の子たる者は天国に行くようになっているから、神様がそういうような立場に立って、サタンを愛によって屈服させていかなければならない基準をとっているとするならば、神の子供としては、その道を行くのが正義の道であり、伝統的親から受け継いだ子供の行く道である。ちゃんと理論的である。 だから天国に入りたい者は、みんな神様の位置と同じような立場に立って、サタンを愛した条件の権限をもたなければなりません。愛はどのくらいか。世界的に迫害されても、世界的な怨讐圏に立っても、愛するという条件を満たさなければならない。そのことは神も引っかかっているし、神の子供になろうとする宗教界のすべての者が引っかかっているというんだね。これは大変だ。内容は簡単だけれど、神様とサタンの戦いの、天下分け目の境界線になっているということは誰も知らなかった。この峠を越えるのに、神が敵を敵として、怨讐を怨讐として、それに復讐するという思想をもったとすれば、絶対にこの峠を越えることはできない。そういう観点から、神はどういう作戦をしたかというと、「怨讐を愛せ、怨讐を愛せ」。説明は通じなくても、説明はしなくても、結論として言うのは、「怨讐を愛せ」ということである。 だから、イエス様が神の愛をもった神の相対者、第一の子供として生まれた以上は、サタンの前に立って、自分を殺そうとする怨讐に対して祈ったということは偉大なことだ。偉大だ、それをしたんだから。イエス様は死んでも、怨讐に対して敵{てき}愾{がい}心をもったら摂理は逆転する。愛の主張でもって乗り越えたんだから、サタンはそこから屈服する。神の子供になり得る資格が立つ。サインするんだね。神の前にあって、「おお、サタン。わしは神の子供に違いないだろう?」「はい、はい、よろしゅうございます」「わしみたいについて来る者は、今から神様の愛の相対圏を拡大する。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界圏を拡大するのに意見はないだろう?」「はい、それは原理的だから仕方ありません」。 こういうような契約の条件に従って、キリスト教文化圏を中心として摂理を進めてきた。犠牲の道、殉教のそういう境地、血だらけの境地において神を愛する主張をする運動。それは家庭運動、社会運動、国家、世界運動。反対した国家を愛するキリスト教の愛によって、その反対したローマ帝国が屈服される。カインが屈服する。そういうふうにして世界的な宗教になった。分かりました? 総進軍の三年間 君たち、それを考えなければならない。それで先生から見れば、日本民族は怨讐だった。殺害したり、いろいろなことをしてたね。「あいつ」と言ってね。もう怨讐だったんだ。しかし敗戦後には先生は日本人を愛した。追われている敵をね。分かりました? それで、今、日本の若者がなぜ、文先生に永遠の命を懸けてやるのか? 因果原則によって報いなければならない。国を超えて神の心情的み意に従って、世界に向けて、国家的怨讐を愛して、愛して生きる道に導くような心情的基盤を植えたんだから。それはもう、かかわった警察などは先生の話次第ではみんな銃殺なのに、しかし、荷物を造って帰した。今の日本のあなたたちは、それはもう捕囚だね。自分も知らないで、それは天に従っている。それから、イギリスはキリスト教文化圏であった。日本をさておいて、神様が他の国を選んだらどうか。しかし、一番悪いその怨讐国家を中心として統一教会は出発した。分かりましたか? それは原理に合うだろう? また、日本人が怨讐であるアメリカを救うために、アメリカを救うために血と汗と涙をすべてを投入する。これは偉大なことだよ。これは、世界的サタンを屈服するその道を拓{ひら}こうとする。その前にサタン自体が道を分ける。その運動をやっているんだね。だから、三十七年前に怨讐であったアメリカに対し、日本の若者がアメリカの地に行って命を懸けて死ぬ者がある。怨讐国家を救って天の国につなごうという運動を、今なしている。これは素晴らしい。これは歴史にないことである。それは何のためか? アメリカのためではない。世界のためである。世界のため。アメリカ人が今やっているのは、アメリカの伝統的基準をそのまま受け継いで働くことではない。この前、あのアメリカの責任者にはっきり言った。「アメリカ人は今、慣習的なその観念をみんなもっている。自由主義で教育された自動的な伝統習慣をもって、この世界的活動するのは駄目だ」と。「自分の環境を犠牲にして世界のためにやれ」と。「自分の環境を全部超越したときに、世界伝統を立たせられるということを考えれば、君たちも怨讐(日本)以上に働かなければならない。恥ずかしいことである。怨讐(日本)がアメリカのためにやっているのに、それを受け継ぐその国の者はそれ以上働く。日本に負けるな」。 「ヨーロッパでアメリカ人と祝福受けたメンバー全部来い」。アメリカの運命は世界に通ずる。ドイツもそうだよ。ドイツ人を連れてきてアメリカを救え。アメリカは今単なるアメリカではない。世界民主主義圏を代表した、新しい文化につなぐ未来の統一教会の旗に立つべきアメリカ作戦のために世界動員をなしている。分かりました? 日本はみんな野原になっても、アメリカが生き残れば日本はたちまち生きる。神を知る者は何でもできる。だから今まで、ずっと十年間、みんなアメリカに投入だね。韓国のものをアメリカを助けるためにもっていく。この作戦を見てみた場合に、原理にふさわしいことを先生はなしてきたことになる。そう認めるの? (はい)。異論はないだろう? そういうふうにして迫害を受けながら、統一教会は発展してきた。 四大国家。だからエバ国家は、カインとアベルに伝統的精神を受け継がせたのちにアダム国家に入る。絶対服従なるアメリカ人とドイツ人を教育してから、そこから韓国の地に入る。それは原理観だよ。それを成し得なかった場合には、絶対帰ってこられません。 エバ国家だから、ソビエトと中共がねらってとんでもないことになる。こういう観点から見た場合、韓国のその防衛問題は、日本の運命をかけた防衛問題である。摂理的観点から結論づけることができる。分かりました? だからそれを結合させるトンネルを掘らなければならない。早く……。日本の総力一億二〇〇〇万の総力を固めて。こういうような重大時期に入ってる。分かりましたね。 今先生のやってるのは、最後の最後の終着点だ。歴史において、蕩減条件として四大国家を集めて、一つにまとめて祭壇に上げて蕩減復帰するというような歴史的意味をもったものはなかったね。これが始めであり、終わりである。はっきりしただろう。これを勝利した場合には天国は出発する。三年間こういうふうに一体化して、太鼓をたたいて、ラッパを吹けば我々に反対するものはないんだね。もう、レバレンド・ムーンをアメリカで支持する運動が起こっている。南米は完全に、「レバレンド・ムーンは歓迎」。こう言っている。それはもう、アフリカもそうだね。アジアもそう、アジア人もね。アメリカにおける日本人もね、「レバレンド・ムーン。レバレンド・ムーン」。東洋人はみんな気持ち悪くなって、「文先生、文先生」。中国人もみんなそうだ。だから反対されたマイノリティ(少数者)が完全に一つになって、今のマジョリティ(多数者)がマイノリティになってしまう。だから何十年の迫害の怨み、それを怨讐として復讐のためにそれをみんな消耗するんじゃなくして、敵を救うために消耗する。素晴らしい神の愛なる思想だね。我々はこういう思想で行くという決意を固めなければならないこの瞬間である。どうだ? これを成せばここにおいて完全蕩減を成し得たんだから、完全蕩減は完全復帰に通ずる。完全復帰は何に通ずる? 完全完成に通ずるのが原理的、原則的な理論である。 きょうのタイトルは何だったかね? (全体蕩減)。全体蕩減、全体蕩減は何を目標としているかというと、全体復帰完成のためである。それが理論的すべてだ。分かりました? 全体的蕩減。四大国家を蕩減した場合、これが神様にみんないいものを捧げるよ。みんなこれ四カ国がもってる。韓国は何をもってる? (精神)。宝の思想をもってるし、日本は美。それからアメリカは力。ドイツは技術、頭。世界をみんな統合して余りあるものをもっている。全体として見れば、そこにはいろいろ入っている。女も男もみんな。個人蕩減、家庭、氏族、民族、国家蕩減まできて、こういう世界蕩減基準をサタン世界の本拠地(四カ国)であるここから、新しい天国の伝統的その出発点をなせば、そこから地上天国はもう理論的に可能である。どうだ? (そうです)。 こういう立場で見ても、四大国家群の怨讐国家が集まって、そのまっただ中に、その国の中に天の国の伝統的中心点を立たせて出発する。まあ、こうなれば地上天国は遠くない。地上天国は間近に来たということがはっきり分かるだろう? それで全体蕩減、全体蕩減は全体何だ? (完成)。分かりました? (はい)。では今度帰れば、もうヨーロッパも、四{シ}グロも、八{ヤ}グロも、ニグロも、もう何もない。全部が一つになって、総進軍、死にながらも感謝しなければならない。だから今度、日本に帰るメンバーはアメリカの三倍以上の活動が必要である。(はい)。道端にみんなもう倒れても、枯れた木みたいに倒れても不平言うことができない。その精神で、三年間はもう断食しながら一日一食でもやっていくよね。 それはもう歴史的だね。そういうふうにして帰れば、間違いなく三年間は、もう獄中に追われた者と同じく、もう忍び忍んでたまりきれずして、もう口開けて気違いみたいに、三年はもう津々浦々まで、どこまでも声を出して回るとかしてね。それはもう信じてもいい、信じなくてもいいというんだね。声だけ聞けばそれで完成される。分かりました? (はい)。だからラジオ放送、それを考えている。アメリカを中心として、いかにラジオ放送で世界的放送をしようかと。人工衛星を使って一週間やったら完全に終わるんだね。統一教会の使命も三年もいりません。一週間たったら世界すべてが通ずる。かえって田舎の者がラジオなんかもう、テレビなんかよく見るよね。(笑い) そういうふうにして、三年間においてエジプトにいるイスラエル民族にいかに伝えるか、もしもそのイスラエルが山の奥に行っていたとしてもそれを通達しないと、その祭司長が引っかかる。共産党までも、ちょっと考え直さなければならないというように騒ぎを起こさせなければならない。分かりました? 日本では三年間どんなことをやっても、日本の津々浦々に、日本人たる者にみんな通報しなければ管轄の責任者たちは霊界で引っかかるよ。これは注意としての話ではない。本当にそうなる。事を成した場合には、君たちは七十代から一二〇代の先祖を動員する。解放することができる。もしもそれが可能だったとするならば、霊界は自動的に地上を援助するんだからね。七十弟子、一二〇門徒圏を地上圏内に、自分の氏族を中心として自動的に編成可能であるというんだね。偉大なものだ。 だから、君たちがここに入ったのは、君たちが立派な顔をしているから入ったのではない。先祖のため、君たちの先祖のために入ったんだ。何千代のその先祖がみんな犠牲的、奉仕的に神様の声に従うような一念のもとにおいて善なることを成し得て、その先祖たちの善なる、善すべてを集めて、その功労の結実体として統一教会に入っている。だから君たちが先生の時代に集まって、そうして会ってから、その命令に従わずして落第生になったらどうなるか? 霊界へ行ってみな。これは先祖たちはみんな怒るよ。「この野郎」。大変なことになる。君、統一教会に君のために入ったと思うな。背後の先祖の功労によって入教させたのに何で落第したのか。我々がもし霊界へ行ったら、それはその最初の目的を成し得た者として侍られるべきなのに何だ。霊界へ行って立つ所がないよ。君たちが偉いからではない。先生がこんな、そういう歴史的使命を果たすために来たと考えているとするならば、神は相対圏を自動的に準備するようになっている。環境を創造して、相対自体創造するのは創造原理じゃないの。だから先生は来る前にみんな霊界で準備して、その相対者として会うようにして、みんな集まって来たのに、自分の一瞬のその安楽をむさぼるようなそういう態度は許されない。 だから、今までの観念を早く全体にきれいにして、きょう先生に会って得た基準によって、全部を固めて打ち込んで乗り越えなければならないというような決意を固める。分かりました? (はい)。今度から昔みたいな活動をしたらいけない。奥さんも先頭に出せ。子供もみな。君たちそうだろう。自分の子供を先に愛することはできません。それはサタンの讒訴条件から見た場合に、神のその子供になるには、サタン圏を全部愛した条件を達成した証明書を持って自分の家に帰って、自分の子供から、自分の家族から、自分の氏族、民族、国家を愛するようになっている。 だから、先生がそうだ。今の今まで先生の生活はそうだ。原理どおりに生活をしている。先生の子供、みんな放りっぱなしているよ。イースト・ガーデンにいても、毎日先生が教育するのではない。アダムの教育は誰がするのか。天使長がやる。神様がその使命をやるのではない。先生の子供を誰が教育するのか。三十六家庭が教育しなければならない。その伝統的教育姿勢をつくるべき基盤が統一教会にない。だから先生の子供たちに対して、みんな三十六家庭の祝福家庭において不平を言う者がいれば大変だ。誰がそれをなだめて、平らげてやるか。それまで先生がしなければならない。だから先生がそれをする。蕩減復帰、個人的カインを愛さないと家庭的カインを愛する基盤をもつことはできない。家庭的カインを愛する基盤をもった者は、氏族的カインを愛さなければ、家庭的カイン圏を復帰できない。 氏族的カイン圏を復帰するには、民族的カインを愛した基盤でなければならない。これは復帰の原則だよ。民族は国家、国家は世界、だから世界のためにいつも先生は全部を犠牲にしている。先生は生涯かけたすべて、統一教会の精髄をみんな打ち込んで、世界復帰のためにアメリカに向けて、今やってるんだね。それは、子供も家庭も国も統一教会もそういうふうにして世界蕩減条件を立たせたのちに、帰ってきて初めてカインを愛したより以上愛する伝統を立たせることによって、愛された者がついてきて、それを愛することによって、平面的基準において本当の天的アベル家庭とカイン的家庭が愛に結ばれる。カインとアベルと先生の子供をつなぐことによって、蘇生、長成、完成基盤によって、一つの中核を中心として世界の母体伝統が築かれる。それは原理観だよ。 君たちは君たちの子供を愛することはできません。日本人を愛して先生の子供を愛したのちに、日本人が認め、先生の子供が認めたのちに自分の子供を愛するようになってる。こう考えてみると三十六家庭みんな引っかかっている。蕩減は先生の家庭が受けるというんだね。責任者でなければ蕩減できない。先生の子供に何かあってもみんな蕩減条件。先生は何とも言わない。「なぜ、そのようなことをやる!」と言って打ったら三十六家庭みんな打たなければならない。切ってしまったら、みんな切ってしまわなければならない。自然屈服を願いつつ、愛でもって消化運動を目指していく。分かりました? だからそれには、統一教会全体の運命がかかっている。批判するとか、そういう立場ではない。サタンはそれをねらって攻撃してくる。攻撃の前に愛の心情圏をもって防備して、サタン自体もひざまずく一日を願って国家基準を超えた場合はすべてがOKだ。分かるだろう。国家基準を終えればすべてがもうおしまいである。それで法的時代が来る。天的憲法時代が来るよ。今度、先生がアメリカを立つ時、ある有名な憲法学者を呼んで宇宙憲法草案を指示してきた。そう見れば、もうすぐ門前に来ている。総合的なこのバックグラウンドのその全体的理論的な観点から見て、自分の立っているところがいかに貴重なる立場かということをはっきりわきまえて、自分の今の姿を正して、方法をわきまえるべきなのが、今の瞬間の期間であることを、分かりました? (はい)。今から三年路程においては、そんな歴史的な過ちを再び繰り返さないように各自注意して前進すべきことを先生は頼む! (はい)。そう決意する者は両手を挙げて天に誓いましょう。(はい)。じゃあ祈祷しましょう。 祈祷 天にいます尊きお父様。長い歴史を通してのあなたの恨みの道を解放するために数多くの宗教を立たせて、数多くの指導者を犠牲にしながら、一日の勝利の的に向けて進められてきた歴史的なる課題を考えるときに、いかなる犠牲を払い、いかなる犠牲者を出したかということを思いますとき、天に向けて申し訳なく感ずるものでございます。どうか新しい時代を迎えるように神様が準備なさいまして、統一教会をこの地上に誕生させ、先生をこの地上に来たらせて、こういう膨大な内容を瞬間の期間に解読なさしめ、理解し得るような立場に立たせた偉大なこの場を我々は両腕を挙げて神に感謝するものでございます。神のみ旨のために誓い誓って、いかなる戦場でも命を懸けて進むことを決意しました。どうかこの決意を喜ばしい心でもってお受けくださることを切にお願いするものでございます。ここに国を超越して各国の代表の者たちが集まりました。この集会のすべてを神が管轄してください。天の愛を中心として一体化させ、神が怨讐を自動的に屈服させてその圏を拡大してきたその内容もはっきり分かりましたから、今いかなる環境におきましても、その伝統のみ旨に逆らうような行動をなさないという誓いをいたしましたことを感謝するとともに、今後ともいかなる迫害の内に立ちましても、突進して余りあるような各自になるように一層励ましてくださることを切にお願い申し上げます。残りの時間を守って未来の生涯とともに、未来の国家、世界の運勢を神のみ旨に引きつけるまで我々は前進に前進を続けることを誓いましたから、み旨にかなえ得る方向をもっていかれるように指導してくださらんことを切にお願いしつつ、すべての祈りを真の父母のみ名を通してあなたのみ前にお捧げ申し上げました。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.06
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孝情祭2021 ~ひろげよう!愛の波紋~孝情祭2021 ~ひろげよう!愛の波紋~2021.11.6, 14:00~【視聴者クイズ】https://forms.gle/qTfhbw2BEDniH3J38【ご視聴アンケート】 https://forms.gle/Te2HjL8LNiSMVChf8【タイムテーブル】オープニング 14:00~孝情祭2021開幕!各地区の代表会場とも中継で繋がります孝情リレー動画・ダンス演舞/北愛知 14:10~百合の花で全国を繋ぐ孝情リレー動画や孝情ダンス演舞を披露孝情スピーチ①/小川けい子さん 14:20~祝福家庭に向き合い、実践してこられた内容を伝えます孝情文和芸術祭 作品紹介 14:30~「孝情」をテーマにした作文・絵画・動画コンクールの作品紹介神大阪孝情ダンス/東大阪 14:40~一人から多数へ、波紋のように広がる孝情や愛を表現全国孝情クイズ選手権 ―クイズ!孝情郎― 14:50~様々な分野のクイズに地区代表者たちが挑む!ミュージカル風劇「恩愛」/南千葉 15:20~一人の少女が祝福家庭となるまでをミュージカル風の劇で表現孝情スピーチ②/金妍娥さん 15:35~韓日家庭として三世4人を育ててこられた内容を伝えます聖決式 15:40~私たちの誇りとは何か?純潔と祝福を親子で決意する場孝情フォト紹介 16:10~孝情フォトコンテスト2021入賞作品と孝情エピソードをご紹介フィナーレ 16:20~孝情祭のテーマソングにのせて孝情フォトムービーをお届け※時間は目安です。また、スケジュール・内容は都合により変更となる場合がございます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.06
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「我々の基本姿勢」1983年3月13日ベルベディアにて どの国にも、その国の基本法として憲法というものがあり、すべての法律や制度は、その憲法に基づいてつくられています。また、どの家庭にも家法又は基本原則があって、お父さんやお母さんを中心にして、その基本原則に従って生活しています。また、鉱物、植物、動物の各界においても、すべてが一定の基本原則に従って存在しています。この宇宙を見ても、すべての天体が一定の基本法則に従って機能しています。我々の身体について見ても、それぞれの部分が一定の中心法則に従って機能しています。動物世界を見ても、物を食べる食べ方は大体同じようなものです。ある基本原則に従って食べているからです。国家を越えた世界全体も一定の基本原則に従って存在しています。宗教の世界においても、ある一定の基本姿勢に従って世界の宗教が存在しています。霊界の場合も同様に、一定の基本原則に従っています。このように存在するすべての物は、ある一定の法則に従って存在し、運動しています。そして、これらのすべての物は、主体と対象の関係において存在しています。このように主体、対象の授受作用を通して存在し、活動しているわけです。 このように見るときに、すべての物が二性性相をもって存在しているということができます。では、この二性性相はそのまま静止しているのでしょうか、それとも運動しているのでしょうか。(運動しています)。では、どうして運動し続けているのでしょうか。運動することは自分にとってプラスになりますか、それともマイナスになりますか。(プラスになります)。もし授受作用をすることによって何かが失われるとしたら、宇宙全体がいずれは消滅してしまうことでしょう。反対に、援受作用によって何かが得られるとすれば、最初はどんなに小さなものであっても、授受作用を通して少しずつ大きくなっていくことができます。しかし、皆さんの中には、授受作用によってすべてのものが得をし、損をするものが何もないのはおかしいのではないか、と考える人がいるかもしれません。確かに一部分だけを見ると、授受作用によって何かを失うこともあるわけです。たとえば、呼吸という授受作用においては、息を吸う時には、空気を自分の中に取り入れ、逆に息をはく時には、自分の中の空気を失います。しかし、この授受作用を通して、生命が維持されるというプラスがあるわけです。 すべての存在する物には、一定のリズムがあります。たとえば、人間の場合に、生まれてから幼年、少年、壮年となるにつれて体力が向上し、その後老年となるにつれて下降します。しかし霊的な面においては、そのリズムは必ずしも肉体のリズムとは一致しません。肉的に向上しているときには霊的には下降している場合があります。人間は自分が肉体的に強いと思っているときは、あまり神様を必要とは思いません。しかし、四十歳、五十歳と年をとるにつれて、肉体的には弱くなっていきますが、霊的にはより成熟していきます。これまで一般的に、宗教とは人間が年老いてから必要とするものである、と多くの人が考えてきました。人間は肉体的に若くて元気があるときは、身体の方が率先して働き、心はその後からついていくという状態ですが、肉体的に衰えてくるにつれて、精神的なものを求める心の方がイニシアチブを取るようになります。皆さんはどう思いますか。そのように考えますか。(はい)。だから、すべて存在する物にはそのような二面性があるということができます。 では、統一教会の場合はどうでしょうか。我々の宗教においては、若い人たちが積極的に精神的な価値を求めて、肉体的な快楽の追求を犠牲にしようとしています。我々はこれまでの傾向とは反対のことをしているのです。我々はむしろ若いときにこそ精神的な価値を主体とし、肉体的なものをそれに従属させようとしています。そうすることによって精神的価値を肉体的快楽の追求によって無にしてしまうことなく、貯金しておくことができます。それは我々の財産となるのです。この財産は誰も奪うことができません。これは誰の財産ですか。(私のです)。皆さんの物であると同時に宇宙のためです。 この世の多くの人々は、そのような生き方をしないので、生涯において何の価値も残さず、死ねばそれまでで、全く忘れ去られてしまいます。しかしながら、若いときに神様と人類のために生きた人は、大きな価値ある人生を生きたことになり、その価値は歴史的であり、全宇宙の価値として後世にまで輝くのです。自然界においてもリズムがあり、高揚期と下降期があります。電気の場合には、プラスとなったりマイナスとなったりし、あるいは点滅したりします。したがって合計すればゼロになります。人生においても同じように、本能に従って普通の生き方をしているならば、結局、その人生の価値はゼロとなって終わるのです。しかし、意志の力によって努力して生きるならば、特に若いときに肉体に主管されず、逆に肉体を主管することによって精神的な価値のために生きるならば、その人生はプラスの価値を残すことができるのです。わかりますか。 宇宙のリズムということから、我々はもう一つの教訓を学ぶことができます。リズムには必ず上昇と下降ということがありますが、我々の人生において重要な問題は、出発点をどこに置くかということです。上昇期の絶頂から出発するならば、あとはもう下降するしか道がありません。逆に最低の所から出発するならば、その後は上昇することができます。そういうわけで、宗教においては、人生の生き方として最低の基準から出発することを教えるのです。特に統一教会においてはそのことを強調します。統一教会は最低から出発しました。しかしその目標は他のいかなるものよりも高い所に置いてこれまで発展してきました。極と極とは相通じるのです。我々が最低のみじめな状態に身を置くならば、最高の天国が心の中に宿ってくるようになります。このようにして、最低の中で最高の目標を目指すことによってすべてを包含して上昇する力が得られるのです。上昇する過程においてそれを妨げようとする力(反対勢力)が働いてきます。しかし我々は、そのような圧力がかかればかかるほど更に力強く上昇することができます。自然界についても同じようなことが言えます。高気圧が低気圧の発達を阻止するために上から圧力を加えてきても、下まで下がってしまえば結局は再び上昇せざるを得ません。 逆に、もし統一教会が初めから有名となり、人々から讃えられるような名声を得るとしたら、その後はそうした名声が圧力となって下降せざるを得ない運命に陥ってしまいます。そうならないために、統一教会は常に最低の中に身を置くように、先生が率先して皆さんを困難な立場に引き落とすのです。特に、責任者に対して厳しいのが統一教会です。たとえば、統一神学校の神学生は統一教会のエリートと見なされていますが、先生は彼らが神学校を卒業した後、すぐに指導的な地位につけることはせず、むしろカープやオーシャン・チャーチの前線に送って厳しく訓練し、その後一定の期間が過ぎてから、地区長その他の指導的地位に任命するようにしています。ダースト教会長に対しても、先生はいつも情け容赦なく、大きなハンマーで釘を打つように厳しく指導します。(笑い) 皆さんはどう思いますか。先生が言っていることは、原理に適った正しいことですか。どうですか。(正しいです)。レバレンド・ムーンはうさぎの群れを追うライオンのようなものです。統一教会がどんなに有名になり、世界中で認められるようになっても、先生は皆さんを甘やかすようなことはせず、常に困難な立場に追い立てようとするでしょう。しかし先生は、自分だけ安楽な立場にいるようなことはしません。先生も皆さん以上に困難な立場に身を置くように、常に自らに対して厳しくしています。これが我々統一教会の基本姿勢なのです。このような基本姿勢を維持している限り、いかなる迫害や困難があっても、我々は常に前進することができます。なぜなら、このような姿勢で歩むならば、宇宙が我々の味方となり、その力が我々の背後で後押ししてくれるからです。だから我々はどこに出発点を置くべきですか。高い所ですか、低い所ですか。(低い所です)。最低の所です。しかしいつまでもそこに留まっていたいですか。(いいえ)。我々は最低の所から出発しつつ最高のものを目標にして前進します。個人から出発して家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙へと常に前進し、上昇するのです。 この世の若い人々は、ただ自分の人生をエンジョイするために飲み、食い、遊んで、その青春を過ごしてしまい、年老いてから苦労することになります。この法則を逃れることはできません。これに対して若いときに節制し、価値あることのために努力した人は、後になって恵まれた人生を過ごすことになります。レバレンド・ムーンがその良い例です。先生は若い頃、一つの目的のためにすべての努力をし、そのために苦労をしましたが、それらの努力のおかげで、今日のレバレンド・ムーンがあるのです。これまで大変な迫害を受けたこともありますが、その苦しみを発展のための跳躍台としてこれまでやってきました。このように自己を中心として自分のためにだけ生きる人は、困難に直面するとそれに負けてしまい、結局はみじめになるのです。これに対して高尚なる目的のために自己を犠牲にして生きる人は、困難に直面してもそれを土台として更に発展することができます。問題はいかなる目標をもち、いかに決意するか、ということです。いかなることが起ころうとも、自分は決してくじけないという決意が必要です。先生はそのような決意をして出発しました。皆さんの場合には、先生の場合ほど大きな波動や起伏はないかもしれませんが、しかしパターンは同じです。皆さんが海へ行ってその表面を見ると、海にはいつも波動があるのを見るでしょう。なぜ、海の表面は鏡のように静止してはいないのでしょうか。それは海の上を吹く風の強さが一定ではなく、常に変化しているからです。 これまで話したことからわかるように、宇宙には法則があり、それに基づいてすべての物が存在し、運動しているのです。そこで皆さんにとっての問題は、どこに出発点を置くかということです。肉的なものに重点を置いて出発するか、それとも霊的なものに重点を置いて出発するか、ということです。皆さんはどう思いますか。(霊的なものです)。霊的なものといっても、霊的に高いもののことですか、低いもののことですか。(高いものです)。皆さんはどこから出発するつもりですか。それは各自が自分で決めなければなりません。先生は皆さんに基本的な原理原則を教えます。しかしその通りに実行するか否かは皆さん次第です。 このアメリカにおいて、先生は多くの迫害を受けてきました。先生はアメリカの一般の人々から見れば批判したくなるようなことを多くしてきました。たとえば、祝福を与えて結婚式をしたにもかかわらずまだ結婚生活をしないでいる統一教会の青年たちを見て、アメリカ人は何を思うでしょうか。この自由の国アメリカにおいて、フリーセックスを初め、何でも自由にすることが許されるこの国において、何たることであるか、と思うに違いありません。しかし先生はこれに対して「非難したかったら、いつでも非難しなさい。しかしこの原則を曲げるわけにはいきません」と答えます。なぜなら、それは宇宙の基本原則にかかわることだからです。皆さんはどう思いますか。レバレンド・ムーンの頭は狂っていますか、それとも賢明ですか。(賢明です)。皆さんは、賢明でありたいと思いますか、それとも愚かでありたいと思いますか。(賢明でありたいです)。賢明でありたいということは、先生の言うことに従うということですね。(はい)。皆さんが望まないようなことを無理やりさせることもありますよ。それでもいいですか。(はい)。先生のやり方に従って実行することは良いことですか、それとも悪いことですか。(良いことです)。この世的に見れば、先生のやり方は最悪ですが、天的にみればそれは最善のことなのです。青年たちが自分の国の発展のために犠牲となっても、それを喜び、決して不平を言わないという伝統が立っている国は必ず栄えます。それは宇宙の基本原則に適っていますか、適っていませんか。(適っています)。 皆さんは原理講義の中で、「神は二性性相の存在である」ということを学ぶでしょう。それは簡単なことのように思われるかもしれませんが、その結論を得るために、先生は実に最低のところから出発し、すべての力を尽くして最高の神様の立場を知る所まで到達しなければならなかったのです。どのくらい高くまで来たか、といえば、この世の人々が、先生を恐れるまでになった、ということです。初めは、レバレンド・ムーンのことを大悪人だと思っていたのが、やがて、何か恐ろしい存在であるかのように思うようになり、今では、何か頼もしい存在であると思うようになりつつあります。それは、レバレンド・ムーンが共産主義に対して勇気をもって立ち向かう指導者であることがわかってきたからです。レバレンド・ムーンと共産主義、どちらが勝つでしょうか。より強くより速い方が相手を打ち負かすでしょう。勝ち残るためにも、より速く動かなければなりません。だから、先生は弾丸のように、稲妻のように速く動くのです。時に応じて、何らちゅうちょすることなく、行動するのはこのためです。このような戦術についてどう思いますか。良いですか、悪いですか。(良いです)。 去る三月一日に、先生は総動員の号令をかけました。この動員はゆっくりと行うべきですか、それともすばやく行うべきですか。(すばやくです)。自動車競走のレーサーは、横を振り返って周りの人がどうしているかを見る余裕がありますか。(ありません)。まっすぐにゴールめがけて突進しなければなりません。槍のように目標を目指して進まなければなりません。このように宇宙の基本原則という観点から見る時に、レバレンド・ムーンの戦術は間違っていますか。それとも正しいですか。(正しいです)。皆さんは、先生がこのような原則に従って統一教会を指導しているという事実を知らなければなりません。時には皆さんに対して、朝早く起きて朝食抜きで出発せよ、と命令する時があるかも知れません。そのような苦労をさせるのは、皆さんを上昇させるためです。この方式に対して不平をいう人はすでに下降線をたどっている人です。下降して行き着く先はどこですか、地獄です。統一教会に入ってきた後で、何かほかに良いものを求めて教会を去って行く人は、必ずいずれはみじめな立場にならざるを得ません。その意味で統一教会というところは恐ろしい所です。ここではどっちつかずの生ぬるい立場は許されません。これまで皆さんの中には、先生はなぜあのような気違いじみたことをするのかわからない、と思ってきた人もいることでしょう。しかし、今こそ、わかったことと思います。 先生が一定の公式に基づいて、指導者に対して厳しく指導することを示す一つの良い例は、故劉孝元協会長の場合です。故劉協会長は、統一教会の最も古いメンバーの一人であり、大きな権限を与えられていたにもかかわらず、先生は公の席上で、彼をこっぴどく批判したり、しかったりすることがしばしばありました。そのため、先生の部屋に入る前は、いつもまたしかられるのではないか、とびくびくしていたものでした。(笑い)。なぜ、先生がそのように取り扱ったかといえば、それは彼が統一教会の最高の幹部であったために、そのことを鼻にかけてごうまんになってもらいたくなかったからです。最高の地位にある人をそのように取り扱うことによって、他の食口たちに教訓を与えることができたわけです。学校の先生の場合においても、生徒に対して最も厳しい先生が最も良い先生なのです。神様と先生の関係についても、時として先生に対して無情なほど非常に厳しい神でもあります。先生にとっては、恐ろしい存在です。しかし、恐ろしいけれども、それ以上に先生を愛してくださる存在であることも知っています。そして救いがあります。しかし神様は先生に対してこれまでいつも厳しいことを要求してきました。「もう十分だから休んでよろしい」と言われたことは一度もありませんでした。神様においては地獄というものはありません。地獄のような苦しい場所に追いやられても、神様と共にあるならば、そのが天国となるからです。皆さんはどこから出発したいですか。高い所からですか、それとも低い所からですか。(低い所からです)。ほんとうにそうですか。ただ単に頭の中でそのように考えるだけでなく、ほんとうにそれを実践します、と言える人は手を挙げなさい。(はい)。それはすばらしいことです。 先生には絶対の自信があります。どんなに迫害されようと、地獄の苦しみを味わうような場に置かれようと、先生は絶対に負けることはありません。それは先生が宇宙の基本原則を知り、それに従って実践しているからです。皆さんにとってはどのような人が理想の夫ですか。妻のいうことは何でも聞くのが良い夫ですか。(いいえ)。それとも、一定の原則をわきまえて、時には妻に対しても厳しく、決して妥協しないような夫は悪い夫ですか。皆さんはどちらのタイプが好きですか。(後のタイプです)。ほんとうですか。(はい)。もし皆さんの夫が、「自分は機動隊の隊長に任命されたから、これから十年間は世界中を回らなければならない」といった場合、皆さんはそれを歓迎しますか、どうですか。歓迎するといえる女は手を挙げなさい。主人が出発してしまった後で、子供を抱えて、お金も食べ物もだんだんなくなってきた場合に、主人に対して『お金を送るか、早く帰ってきてください』と手紙を書くのと、『いや、子供や家のことは自分が責任を持ちますから、家のことは心配しないでください』と手紙を書くのとでは、どちらがムーニーの妻として立派な妻ですか。(後の方です)。 これと同じことが昔、先生の場合にもありました。先生はみ旨のために、妻子をおいて出かけなければならず、手紙を書くこともできませんでした。もしこのような中で、先生の妻が、「家のことは心配しないでみ旨のためにがんばってください」と言って励ましてくれたならば、どうなったことでしょうか。み旨は大きく進展していたことでしょう。統一教会は迫害を受けることなく、もっと早くその目標を達することができたでしょう。皆さんが統一教会に入教する以前に、皆さんの親たちが先に入教し、皆さんは祝福家庭の子女として生まれていたことでしょう。だから、皆さんは、自分の夫はレバレンド・ムーンの代身だと思わなければなりません。夫が神のみ旨のために出かける時には、家庭の心配をさせないで、励ましてあげなければなりません。皆さんは肉親が皆さんを誘拐してディプログラミングをするのではないか、と恐れているかもしれませんが、皆さんより先にディプログラムの標的にされたのはこのレバレンド・ムーンです。 先生の肉親は先生が何とかこの道を行くのを思いとどまらせようといろいろと手を尽くしました。これに対して先生は、「あと十年すれば自分の言うことが正しかったことがわかるでしょうし、あと二十年たてば、韓国の行くべき道に関して、自分の言うことが正しかったことがわかるでしょう。また、あと四十年たてば、世界が自分の言う通りになるでしょう」と主張して、絶対に妥協しませんでした。四十年といえば、一九四五年から一九八五年までの四十年期間は、世界が劇的に変動する期間です。また、一九六〇年から四十年すれば、世紀二〇〇〇年になります。かつてはキリスト教世界は繁栄していましたが、今日のキリスト教の現状はどうですか。先生は現実の状況について話しているのです。この現状を打開するために、今年一九八三年の三月一日に、我々は新しく進軍することを宣布しました。一九八三という数字を合計すると(一プラス九プラス八プラス三イコール二十一)で二十一数になります。この意味でも今年は重要な年です。また、三月一日は三プラス一イコール四で四数になります。本来、アダムは堕落しないで二十一数と四数を完成しなければなりませんでした。だから我々はこれを蕩減復帰するために、一九八三年三月一日を新しい出発の日と定めたのです。 すでに先生は、日本人の姉妹たちをすべて動員しました。では、アメリカの姉妹たちはどうすべきですか。このままで放っておいてよいでしょうか。(いいえ)。アメリカ人の夫たち、どうですか。日本の婦人たちは前線にあって毎日闘っていますよ。それなのに、アメリカの婦人たちは、夫の下にあって安楽な家庭生活をしていればそれでいいのですか。(いいえ)。アメリカの女性をまっ先に動員すべきですか、それとも後から動員すべきですか。(まっ先にです!)。では、なぜ先生はアメリカ人を最初に動員しなかったのでしょうか。それは先生がアメリカ人を良く知っているからです。もしアメリカ人を最初に動員したとしたら、信じられないくらいの動揺や反発があったことでしょう。「先生は我々に祝福を与えて結婚させてくれたはずなのに、今度は家庭を離れて前線に行けとは何たることですか」と不平を言ったに違いありません。しかし、だからこそ我々の人生はドラマチックなのです。皆さんは平凡な人生を望むのですか、それともエキサイティング(心おどらせるよう)な波乱万丈の人生を望むのですか。(エキサイティングな人生を望みます)。我々のような生き方をこの世の人々は理解できないでしょう。神のみ旨のために夫婦が別れ別れとなり、お互いに相手の成功を祈り合う、これは実にドラマチックなことです。この世の夫婦においては、一方が一晩でも家に帰って来なかったら、相手はもう離婚を考えて、荷作りを始めるというようなのに対して、統一教会の夫婦は、十年間帰って来なくても、夫(又は妻)を信じて、そのために祈りつつ待つのです。どちらがよりドラマチックであり、真に幸福な夫婦でしょうか。そのような決意をもっている我々においては、何も不可能なことはありません。皆さんは、ほんとうにそれでいいですか。(オーケー)。両手だけでなく、全身で「オーケー」と言っているのですか。(はい)。先生のなすことはすべてみ旨のためであり、皆さんを上昇させるためなのです。そう信じるならば、何事をもなす覚悟ができますね。(エィーメン)。「エィーメン」の反対は何ですか。(エィーウィメンです)。(笑い-拍手)それは歴史的な言葉です。(笑い)。 したがって、皆さんがこの原理原則に従って行動するならば、他人から何と言われようと、ほめられようと、けなされようと、心配する必要はありません。太陽が昇るのも、地球が回るのも、誰かにほめられるからではありません。宇宙の原則に従って動いているだけなのです。我々もこの意味で、太陽や地球のようなものです。被造世界を見てごらんなさい。鉱物は植物のために存在し、植物は動物のため、動物は人間のために存在しています。では人間は誰のために生きるべきですか。(神様のためです)。すべては神様から出発しています。神様は万物の第一原因なのです。だから、人間も神様を中心として、神様の下に帰るように生きるべきです。神様と人間はプラスとプラスですか、それともプラスとマイナスですか。(プラスとマイナスです)。神様と人間とが授受作用することは両者にとって益となりますか、損となりますか。(益となります)。両者が真の愛を中心として一体化するときに、より高く大きな発展がなされるのです。だから、愛は全宇宙を包含するということができます。 愛は最高から最低まですべてを包み込みます。宇宙の中心にある力は愛であり、愛の力を原動力として宇宙が運行しているということもできます。人間のみでなく、鉱物界、植物界、動物界のすべての存在が、神の愛にあずかろうとする目的をもって存在しているのです。この意味ですべての被造物は神様と結びついています。それを結びつけているのは何か、それは神の愛です。だから神様は愛によってすべて存在するものの中心に位置しておられるということができます。神の愛の本質は、与えることと受けることを願います。だから、すべて存在するものは主体と対象の立場で授受作用するようになっているのです。この法則には例外がありません。その授受作用の中心にあるのが神の愛なのです。神様が宇宙を創造されたのも神の真の愛を成就するためでした。神様をプラスとすれば、被造物はマイナスの立場にあります。したがって、被造物は神様と一体化するようになっているのです。そのために被造物は他の存在のために生きるように創造されています。その目的は、神の真の愛に到達することにあるのです。しかし被造物の中で神の愛と完全に授受することができるように創られているのは人間だけです。人間は霊界と地上界を媒介する唯一の存在です。だから人間にとって最も望ましい生き方は『為に生きる』ということになるのです。 今日、アメリカが衰退しつつある根本原因は、人々がこの基本原則に反した生き方をするようになったことにあります。『為に生きる』ことによって家庭や社会の調和と発展がなされているにもかかわらず、多くの人々は、自分のためにのみ生きるようになってしまいました。皆さんについてはどうですか。親の愛を受けたいと思いますか。親から愛されるためにはまず親を愛し、奉仕しなければなりません。国が戦争に巻き込まれた非常事態において、自分の夫だけは戦場に送られないようにするのが正しい生き方ですか。(いいえ)。国を守るというより高い目的のために夫を送り出すのが、妻としての務めであり、人間として正しい生き方になるのです。アメリカは世界のために奉仕しなければならないし、世界は神様のために奉仕しなければなりません。そうすることによって、今度は神の愛を自分のものにすることができるのです。わかりますか。生命は愛によって生まれます。だから、愛のために生命を捧げなければなりません。それが人生の根本法則なのです。 皆さんは人生において愛を受けたいと思いますね。愛を受けたいと思うならばまず愛を与えなければなりません。対象の立場にある存在は、まず主体の立場にいる存在のために生きる時に、愛を受けることができるのです。『為に生きる』というのが宇宙の根本原理、原則です。だから、統一教会の方式は『為に生きる』ことであることを皆さんははっきりと理解しなければなりません。 我々統一教会が成そうとしていることは、この世の人々が最も嫌う問題を解決することです。その一つの例が統一教会の合同結婚式です。これを通して白人と黒人、北と南、東洋と西洋の分裂という問題を解決しつつあります。これらの分裂と対立をもたらしたのはサタンです。だから我々は統一と調和をもたらそうとしているのです。我々はまた、サタンによって分裂させられた諸宗教の統一をもたらそうとしているのです。統一教会はすべて分裂しているものを愛と真理でもって融合するるつぼのようなものです。 統一教会は今日の世界が抱えている最も困難な問題を解決しようとしています。その第一は共産主義問題であり、第二は宗教の分裂と衰退の問題、第三は青少年の倫理道徳の退廃の問題、第四は家庭の崩壊の問題です。これらの問題を解決するためには、それらを消化し、融合しなければなりません。消化するためには、強じんな胃袋をもっていなければなりません。すなわち、統一教会は強くなければならないのです。我々統一教会は強力な原理と公式をもっています。それは人間の責任分担と蕩減復帰という原理です。この原理から、『為に生きる』という公式が導かれるのです。これに従えば、他人のために最も多くを与え、最も多く苦労する人が中心的な主流に属する人である、ということになります。では我々は何のために苦労するのでしょうか。宇宙に存在するものとしては、鉱物、植物、動物、人間、そして神様の世界があります。それぞれはより次元の高い存在のために奉仕するようになっています。人間は神様のために奉仕することによって神様から愛を受け、その愛を動物その他の万物に分け与えなければなりません。他のために多く奉仕するほど、より多くの愛を与えられます。このような原理原則によって宇宙は調和あるものとなっているのです。皆さんもそのように考えますか。(はい)。 では今まで話したことをまとめてみましょう。人間の身体の中には、鉱物、植物、動物すべての要素が含まれています。身体の構造は動物と似ていますが、しかし、人間だけは直立している動物です。だから、人間だけは霊界とつながっているのです。人間だけは霊人体をもって、永遠に生きるようになっています。それゆえに、人間は動物以上の存在であり、動物のようにただ肉的欲望の満足のみを求めて生きるものであってはならないはずです。もちろん、自己を愛することは悪いことではありません。自分の身体は鉱物界、植物界、動物界のすべてを包含する宇宙の縮小体であり、自分の身体を大事にすることは、宇宙全体を愛することになる、という意識をもって自愛するのは良いことです。ただ問題は、利己的な欲望から自分を愛することです。自己中心の愛は破壊的であり、他に害を与えるからです。自己中心の思いで自分の身体を愛しても、身体は喜ばないし、病気になることもあります。だから、重要なことは、自分を愛するのは、全宇宙を代表する縮小体としての自己を愛するのだ、という意識をもつことです。すなわち、自己の愛を全宇宙と関連づけて愛することです。この場合も、基本原則は『為に生きる』ということになるのです。 次に、男女間の愛について考えてみましょう。男は女を愛し、女は男を愛します。なぜお互いに愛するのでしょうか。それは愛によって全天宙が一つになることを意味するからです。神様を人間の身体にたとえるならば、一つの家庭は神様の身体の一つの細胞のようなものです。その中において、人間は神の愛の中心として自己と配偶者と子供を愛することによって神様と授受し、愛の一つの単位を完成することができます。その単位を拡大することによって、社会、国家、世界へと神の愛を中心として発展することができます。そうすれば、自動的に霊界においても、愛を中心として受け入れられるようになります。だから我々統一教会では、すべてを神様と人類のためになすことが重要であることを強調するのです。この地上に生きている間に、そのような生き方をしておかないと、霊界において真に自由に生きることはできません。死んで霊界に行ってからでは、この地上に降りてきて、他人の肉体を借りて、成長しなければならなくなります。自分の肉体でさえ、なかなか自分の思い通りにならないのに、他人の肉体を用いることは決して容易なことではありません。我々統一教会の生き方は、何よりもまず神様と人類を愛することです。自分のためだけに生きても、霊界においては何の財産にもなりません。だから、皆さんは、何をするにしても神様と人類のためになるようにしなければなりません。お金をもうけるのも、神様と人類のためにそうするのならば、大いに結構です。神様と人類のために自分を無にして生きるならば、神様がその空間を豊かに満たしてくださることでしょう。これが統一教会の生き方なのです。 先生は今まで一貫して、神様と人類のために生きてきました。そのため自分の家族を愛する時間はあまりもつことができませんでした。しかし、何よりも神様と人類を愛し、その愛を完遂した後に初めて、自分の家庭の下に帰ってくる、という決意でやってきました。皆さんも先生を模範として、そのように生きることを決意していただきたいのす。神様と人類をまず愛して生きることが結局は自分や家族の幸福につながる道を準備することになるのだということを確信することが必要です。聖書にも「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようか、と言って、思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六章)と書いてあります。ここには実に深い真理が美しい詩的な言葉で表現されています。だからまず、神の国と神の義を求めて生きるようにしなさい。そうすれば皆さんの中に神様が来て宿るようになるでしょう。その時、皆さんは本当に神の宮となることができるのです。人間としてそれはいかに光栄なことでしょうか。皆さんはそのような人間になりたいとは思いませんか。(思います)。また、そのような人間を生みたいとは思いませんか。(思います)。イエス様が「その日には、また、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」(ヨハネ一四章二〇節)と言われたのは、まさにこのような意味においてでした。このように、我々が原理を知って聖書を読む時に、そこには実に深い真理があることが実感できるのです。 皆さんの前には二つの道があります。非難され、迫害されるムーニーとして歩む道と、安易で快楽なこの世の人生を歩む道です。皆さんはどちらを選びますか。(ムーニーとしての道です!)。皆さんが本当にそのようなムーニーとしての道を歩むならば、神様は、「お前たちは私の誇るムーニーだ!」と言って皆さんを抱きしめることでしょう。皆さんはその地位を他の誰かと交換したいと思いますか。(いいえ)。この世界のいかなる価値をもってしても、それに代えることはできません。人間が死んで霊界に行ったときに、地上において神様と人類のために生きた人と、自分だけのために生きた人とでは、どちらが霊界でより歓迎されると思いますか。(神様と人類のために生きた人です)。霊界に行ってからでは遅いのです。皆さんはこの地上に生きている間に神様から愛される人間になっておかなければなりません。これまで先生はいかなる困難や迫害にもくじけずに一貫して闘ってきました。皆さんはこのようなレバレンド・ムーンに出会ったわけですが、良き人生の師に出会ったと思っていますか。(はい)。それならば、その教えをただ聞くだけでなく、実践しなければなりません。 我々の基本姿勢とは、自分を愛するにしても、それは神様と人類のため、他人を愛するにしても、神様と人類のために愛する、というように、常に天宙的な観点に立って、愛することです。本来、人間が堕落しなかったならば、そのようなことは何も努力しなくてもできることだったのですが、堕落してしまったために、それが非常に難しくなってしまったのです。しかし、その困難な障壁を乗り越えて、本然の理想を実現するためには、我々は蕩減の道を歩まなければなりません。我々の道においては、神様と人類のために最も多く苦労する人が称賛されます。そこにおいては年齢、性別、人種の違いは問題ではありません。そのような人間が集まった社会が地上天国になるのです。わかりますか。この考えに反対の人はいますか。いたら手を挙げなさい。 天国は戦争によって建設するものではなく、真理を伝播することによって建設するものです。それを実現するまでに長い時間をかけた方が良いと思いますか、短い時間で実現した方が良いと思いますか。(短い時間です)。それならば、皆さんはもっともっと一生懸命に働かなければなりません。皆さんは先生に従って行く覚悟がありますか。(はい)。今まで先生が話した基本姿勢の内容をはっきり知ってそれを実践し、その伝統を代々の子孫に伝えていかなければなりません。世間からいかに誤解され、迫害されるとしても、我々には最善のものがあります。我々の前進を止めることができるものは何もありません。釈迦や孔子やモーセやイエスといえども、すべての真理を知ることはできませんでした。しかし、我々は今日、彼らが知っていたよりも更に偉大な真理を知り、更に大いなる時に生きているのです。この真理を知って歩む皆さんは、過去のいかなる聖人に対しても恥じることなく、むしろ、大いに自分を誇ることができます。 その意味において、皆さんは彼らの兄さんや姉さんの立場にあるのです。皆さんが霊界に行って彼らに出会った時に、皆さんは堂々と胸を張って、「我々は地上に天国の愛の定着地を築いてきました」と宣言すれば、彼らは「アーメン」と答えるでしょう。そして全霊界が「ハレルヤ!」と皆さんを讃えることでしょう。この道を歩むことは先生と皆さんの宿命なのです。皆さんがこの世の人々を見るときに、彼らはディスコダンスやゲームなどあらゆる種類の享楽にふけり、人生を楽しんでいるように見えますが、そのような人々は先生とは何の関係もありません。彼らの目から見れば皆さんは最もみじめな存在です。しかし、必ずや、皆さんは自分が最も賢明な生き方をした人間であることを知る時が来るでしょう。皆さんはこの世と妥協してはなりません。きょう、先生が話した「我々の基本姿勢」という公式に従って、最後まで歩むことを決意する者は手を挙げなさい。どうもありがとう。 皆さんの上に神の祝福がありますように……。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.06
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「新しいみ旨の誕生」1983年2月18日(英語訳) この地上に存在するすべての物の中で、生まれた日がない物はありません。例えばこのマイクロフォンはどうでしょうか。「おまえには誕生日があるのか」と尋ねてみれば、そのマイクは「はい、あります」と答えるでしょう。ではここにいるミスター・パクはどうでしょうか。「はい、私にも誕生日があります」と彼は答えるでしょう。では、この建物には生まれた日がありますか。(はい)。 このように見る時に世界のすべてのものにはそれぞれの誕生日があるのです。先生の着ているこの背広はお母様がきょうの誕生日のプレゼントとして買ってくれたものです。(拍手) この背広に「お前には誕生日がありますか」と聞いてみれば、必ず「はい、あります」そして「自分の誕生日を忘れたことがありません」と答えることでしょう。ではこの背広の誕生日はいつでしょうか。誰かが布地を用意して形に合わせて切り始めた日でしょうか。それとも最終的に出来上がって最後のボタンをつけた目でしょうか。あるいは箱に入れられて工場から出荷された日でしょうか。それとも最終的に出来上がって最後のボタンをつけた日でしょうか。(ボタンをつけた日です)。先生の考えでは、誕生日というものの重要な要素は、全く新しい環境の中へ入っていくということです。だから背広の場合には、出来上がって箱に入れられ、工場の門から外へ出て行く日が誕生日になると思います。皆さんはどうでしょうか。異論があったら自由に言いなさい。(笑い) では、人間の場合はどうでしょうか。母の胎内から出る日が誕生日です。しかし別の見方からすれば、生命が胎内に宿ったその日が誕生日であるということもできます。一般的には、人間の誕生日とは、その日のことは、一つの世界から全く別の世界へと劇的に変化した日があり、その日が人間の誕生日として記憶されるのです。 ではアメリカという国についてはどうでしょうか。アメリカの誕生日というといつの日をいうのでしょうか。独立戦争でアメリカの植民地軍がイギリス軍の軍隊と戦った日をいうのですか。それとも、この戦いに勝って独立宣言に署名した日をいうのですか。どうですか。国の誕生日とは一つの新しい国家として正式に出発した日を言うのです。 では神様についてはどうですか。神様には誕生日があるのでしょうか。(はい)。神様の誕生日とはいつですか。今、皆さんの中で「神様の誕生日は毎日です」と言っている人がいましたが、それは非常にうまい答えです。毎日が神様の誕生日です。確かに毎日が神様の誕生日だというのは筋が通っています。神様は時間、空間を超越して存在しておられます。したがって神様は時間の概念を超越しておられるのです。それゆえ神様にあったは一日が千年のごとくであり、千年が一日のごとくであると言われているのです。だから、毎日毎日、各瞬間が神様の誕生日である、ということができます。 では、神様には一日の中で床につく時間とか、コーヒーブレイクの時間というものがあるのでしょうか。(笑い) また神様には、幼年時代、少年時代、壮年時代、老年時代、そして最後に死ぬ時などというものがあるのでしょうか。(いいえ)。だからもし神様に対して「神様、あなたの誕生日はいつですか」と尋ねるならば、神様としては「毎日が自分の誕生日です」としか答えようがないでしょう。(笑い) 神様が『毎日』という場合にそれは一年三百六十五日という根拠を超越しているわけです。 では神様はこれまでご自身の誕生日を祝われたことがあるでしょうか。あるいは今、誕生日を祝っておられるのでしょうか。あるいはもうすでに祝い終わってしまわれたのでしょうか。神様は今、どのような状態におられるのでしょうか。神様ご自身は、誰かが自分の誕生日を祝ってくれているのかどうか「自分は知らない」と答えられることでしょう。神様がご自身で自分の誕生日を祝うために、ケーキをつくり、ローソクに火をつけ、それを吹き消し、『誕生日おめでとう』の歌を「ハッピーバースディー、トゥーミー!」と自分に対して歌ったりするとしたら、どうでしょうか。(笑い) 「ハッピーバースディー、トゥーミー」と歌うのはおかしいですか。実際、「ハッピーバースディー、トゥーユー」と歌うのが正しい歌い方です。すなわち誕生日というものは、他人に祝ってもらうべきものなのです。そういうわけで、神様はこれまでご自身の誕生日を祝ったことはまだ一度もないのです。だから神様によって創造された被造物にとって、その最高の願いは神様の誕生日を祝うことであるはずでです。そう思いませんか。(はい)。 皆さんはそういうことを今まで考えたことがありますか。もし神様に対して「神様、あなたは誰かにあなたの誕生日を祝ってもらいたいとお思いになりませんか」と尋ねたとしたら神様は何とお答えになると思いますか。(はい、とお答えになります)。さらに神様の誕生日を祝うのが、たった一人とか、たった一つの家庭とかいうのではなく、国家全体、全世界、全人類が皆一緒になって祝うとしたら、神様はそれをお喜びにはなやないでしょう。どう思いますか、神様は人類全体がご自分の誕生日を祝ってくれるのを望んでおられるのでしょうか。それとも何人かと個人だけが祝ってくれるのを望まれるのでしょうか。(全人類が祝ってくれることを望んでおられます)。どうしてそうだとわかりますか。答えは簡単です。人間はだれでも多くの人が自分の誕生日を祝ってくれるのを喜ぶものです。先生もそのように感じます。だから神様もそのように願っておられるに違いありません。 聖書には、人間は神の似姿に創造された、と書いてあります。だから我々人間がそのように願うとしたら、神様も同じように願っておられるに違いありません。皆さんの誕生日をほんの少数の人たちだけが祝ってくれる場合と、全世界全人類が祝ってくれる場合とを考えた場合に、どちらがうれしいですか。きょうはこのレバレンド・ムーンの誕生日ですが、先生は東洋の韓国から来た人間であり、顔も色黒くハンサムでもないのに(笑い) 皆さんのように多くの人種の人間が各地から集ってこの日を祝っています。皆さんはなぜきょうここに来たのですか。レバレンド・ムーンの誕生日を祝うための五色人種が六大陸から集って来ているのを見て、神様はどう思われるでしょうか。うらやましくはないでしょうか。(いいえ!)。どうして神様はうらやましく思っていないとわかるのですか。神様が今日のお祝いを喜んでおられると皆さんはどうして言うことができるのですか。簡単にいえば、それはレバレンド・ムーンがこれまで神様の息子として生きてきたからです。だからきょうは神様にとって自分の愛する息子の誕生日なのでなのです。 神様を人間の親の立場に置いてみれがよくわかります。子供の誕生日よりも自分の誕生日の方をより盛大に祝いたいと思う親はいません。さらにこれまで地上に生まれた人間の中で、レバレンド・ムーンほど自分の誕生日よりも神様の誕生日を祝いたいと切に願ってきた人間はいません。(拍手) 神様は強い願望と欲心をもっておられる方です。神様はあらゆるものをまず、我がものとし、その後で他の者に分け与えたいと願う心をもっておられます。自分のものとするまでは、他に与えようと思われない方なのです。それはなぜでしょうか。それには理由があります。神様は愛の方です。だから愛する対象に対して、最善のものを与えたいと願われるのです。最善のものとするためには、まず、自分のものとして掌握しなければなりません。それゆえに神様はすべてのものをまず自分自身のものとしたいと願われるのです。だから神様が欲が深いというのは悪いことでしょうか、良いことでしょうか。(良いことです)。皆さんは欲張りですか。どうですか。(はい!)。自分のよととしてから、それをどうするのですか。(与えます)。誰に与えますか。(愛する者に与えます)。だからそういう意味において自分の愛する者に与えるため、まず、すべてを自分のものとして掌握したいと思う欲望は悪いものではありません。つまり、欲深いことは必ずしも悪ではないのです。 例えが、ここにいるミスター・パクはとても欲深い人間ですが、愛する人に与えるためにはなんでも自分のものにしたいという欲望をもつのだとしたら、神様もそういう人間を悪い奴だとはお思いになりません。だから欲深さは神様が人間に与えた性質なのです。 欲望も正しい目的のために用いるならばけっして悪いものではありません。ある意味で人間は欲張りですが、我々はこの欲望をいかに善のために用いるべきかを知らなければなりません。我々は愛する人を必要としますね。(はい)。では愛する人とはどういう人のことですか。当然男性にとっては女性が、女性にとっては男性が愛する存在です。しかし一人の人間にとって、愛する人はたった一人だけいればそれで良いのでしょうか。(いいえ)。例えば、誕生日に自分の妻又は夫だけに祝ってもらえればそれで満足ですか。それとも、大勢の人々に祝ってもらうことを望みますか。(大勢の人です)。すなわち、我々は愛する人としてできるだけ多くの人間を持ちたいと願っていることになるわけです。だからといって一人の男性が多くの妻をもち、一人の女性が多くの夫をもつべきだということになりますか。(いいえ)。アメリカではそういうことも良いかも知れません。(いいえ!!)。ではなぜ男性は一人の女性だけを妻とし、女性は一人の男性を夫とすべきなのでしょうか。 それは、電流が流れて電灯がともるためには、一対のプラスとマイナスが必要なのと同じです。一つのプラスにとって一つのマイナスだけが必要であり、一つのマイナスにとっては一つのプラスだけが必要なのであってそれ以上は必要ないのです。夫妻もこのようなものです。夫と妻はそれぞれが一人だけいれば必要十分なのであって、それ以上いてはかえって都合が悪くなるのです。夫妻は電線でいえば幹線のようなものです。ここから多くの支線が出ていきます。それが子供にあたります。 先生の家庭には十三人の子供がいます。それでもまだ少ない数です。もし子供が百人いたとしたらどうでしょうか。(笑い) 子供が多いほど祝福が大きいことを示しています。親にとって自分の誕生日を祝ってくれる子供が十三人いるのと、たった一人しかいないのとではどちらがうれしいですか。子供が一人しかいなかったら親は寂しい感じがすることでしょう。皆さんは賑やかな食卓を囲みたいですか。それとも寂しい食卓を囲みたいですか。(賑かな方です)。それは勿論です。しかし親にとって、十三人の子供を育てるのは安易なことですか。(いいえ)。子供の多い親はバケーションを楽しむ余裕があると思いますか。(いいえ)。十三人も子供がいる親は夜も毎日決まった時間に床に就くことができると思いますか。(いいえ)。 食卓の時、ステーキ一つ食べるにしても十三人もの子供のいる親は、自分の口へ入れる前に、十三人の口のことを心配しなければなりません。親は夜も満足に寝れません。それはまさに大変な苦労です。多くの子供を育てるためには一生懸命働かねばなりません。女の子供が多い場合には、母親は自分の子供を育てるためには一生懸命働かねばなりません。女の子供が多い場合には、母親は自分の着物を娘たちにとられてしまって、自分は下着一枚になってしまいます。(笑い) 父親は自分の着物をみんな息子たちに取られてしまって、パンツ一枚になってしまいます。(笑い) 子供が外出した後、パンツ一枚の父親と下着一枚の母親が家に残っている光景は惨めな姿でしょうか。幸福な姿でしょうか。(幸福な光景です)。(笑い) 本当に幸福な姿ですか。(はい)。(笑い) 信じられません!!(笑い) では、娘の一人が帰って来て、母親が下着一枚になっているのも見て「まあ、お母さん可哀そうに……」と言って、自分の着物をみんな母親に与えて、自分は下着だけになり、母親はそのような孝行娘に感謝して互いに抱き合う姿は、惨めた光景ですか、幸せな光景ですか。(幸せな光景です)。皆さんはそういうことを経験したいとは思いませんか。(思います!)。皆さんは勇気がありますね。ではまず、子供を十三人つくることからやってみなさい。(笑い) 今話したような人生における感動的な体験はすべて、まず「自分の愛する者にすべてを与えたい」という心情から出発するものです。そのような精神の表れが人間を幸せにしてくれるのです。真の愛、真に犠牲的な愛はいかに気高いものでしょうか。それそこがすべてを調和あるものとし、一体化し、刺激的喜びを与えてくれるのです。○○は、きょうのような先生の誕生日に際して、先生の子供たちが「お父さんの誕生日は我々だけでお祝いさせてください。他の者は誰も参加させないでください」と言ったとしたら、それは正しい態度でしょうか。(いいえ)。もし、子供たちが真に父親を愛する子供たちだったとしたら、近所の人たちがお祝いに来たいと言えば、「どうぞお祝いにおいでください」と言うでしょうし、また国中の人々がお祝いに来たいと言えば、「どうぞお祝いにおいでください」と言うでしょう。また、全世界の人々がお祝いするのを喜ぶことでしょう。そして自分たちは後ろの方にいて、他の人々を先に立たせてお祝いするとしたら、ほれはいかに感動的な光景となることでしょうか。 また親は自分の誕生日を祝うために、全世界から人々が集って来た盛大な祝賀会の席上、自分の子供たちがいないのを見て不審に思って探してみると、人々の背後で満足して参加しているのを見つけて、感心し、その子件たちを呼んで自分の席の近くに座らせ、親子共々喜び合うそのような光景を見て皆がなお一層喜んで祝賀するという、そういう光景は感動的なものとは思いませんか。(はい)。それは親にとって自分の誕生日のお祝い以上の大きな喜びであるに違いありません。 親の心情とは、愛する者にすべてを与えたいという心です。自分を愛してくれる者が多ければ多いほどそれを喜び、もっともっと多くを与えたいと思うのが親の心情です。 国についても同じことがいえます。アメリカの独立記念日には、アメリカは大統領を中心として祝賀しますが、その席に閣僚たちが皆集って大統領と共に心を一つにして祝賀し、また国務長官は、全世界の大使や節使を招待し、それらの人々を自分より大統領に近い席に座らせて、自分は末席に座って外国の代表たちが喜ぶのを見て喜び、ともに国の誕生日を祝うようにするとしたら、大変美しい感動的な光景になることでしょう。 そこで、もし、神様の誕生日を祝賀する日があったとしても、レバレンド・ムーンが真に神様の愛する息子であるとしたら、今言ったことと同じようなことを願わないでしょうか。先生はそういうことを考えます。すなわち、先生は全人類が神様の誕生日を祝いに来ることを願い、その際、息子である自分はうしろに座って、人々が皆共に神様の誕生日を祝賀する光景を見て喜びたい、そのように思います。 しかしその時、神様は「自分の愛する息子はどこにいるか」と、レバレンド・ムーンを探し、うしろの方にいるのを見つけると、自分の近くに来るように呼ぶことでしょう。神様のみでなくそこに参席しているすべての人々が、レバレンド・ムーンに対して、隅の方にいないで神様の側に座ってくださいということでしょう。その時こそ神様は全天宙をレバレンド・ムーンに相続させることができ、そのようにしても誰もそれに反対する人はいないでしょう。それは、誰もがこの人こそ真に神様をもっとも愛する人間であることを認めたことになるからです。だからその人こそ、神様の財産を受け継ぐにふさわしい人であると誰もが納得し、神様に対して「どうかこの人に相続させてあげてください」と、お願いすることになるのです。わかりますか。(はい)。 そのような祝賀会が開かれるとしたら、いかに素晴らしいことでしょうか。(拍手) 神様はこのような神様の誕生日の祝賀会が開かれることを待ち望んでおられます。神様はその祝賀会が天宙的規模で祝われることを願っておられます。天宙的規模というのは、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙のすべてがその祝賀に参加するということです。そこでもし、神様に対して「神様、あなたはあなたの誕生日を祝うのと、あなたの国の誕生日を祝うのとどちらがより重要ですか」と尋ねてみるならば、神様はなんと答えられるでしょうか。皆さんにとって、皆さん個人の誕生日の方が重要ですか、それとも、皆さんの家庭の誕生日の方がより重要ですか。神様の心を誰よりもよく知っているレバレンド・ムーンとしては、自分の誕生日を祝うことよりも神の国の誕生日を祝うことをなによりも願い、その実現のためにあらゆる努力をしようとするでしょう。神様はどちらをより喜ばれるでしょうか。ご自分の誕生日ですか、それとも神の国の誕生日ですか。(神の国の誕生日です)。そのとおり。神様は、神の国の誕生日を祝うことを切に願っておられるのです。それは論理的な結論です。すなわち、神様はなによりもまず、神の国の誕生日を祝うことを願われ、その次にご自身の誕生日を祝うことを願っておられるのです。 神様は地上天国というみ旨が成ることを願っておられるのです。誰からそのみ旨を成し遂げてくれるとを切に願っておられるのです。そして地上天国の誕生とともに、神様ご自身の誕生日をも祝賀したいと願っておられるのです。地上天国は神様の愛によって支配され、またそれを通して神様に栄光を帰します。それは最も劇的な光景です。 では、ここにいる女性たちに尋ねてみます。皆さんは普通のアメリカの女性として、なにが一番好きですか。お金ですか? すべての問題はお金で解決することができるかもしれませんよ。(笑い) お金があればダイヤモンドをや宝石を置うことができます。どうですか。女性は身体のいたるところに飾りを付けたいと願っています。だから一生懸命に働いてお金をつくり、装飾品で身を飾りたいと願うのが多くの女性です。女性は愛をかち取るためにはあらゆることをしたいという欲望をもっています。 家庭の主婦にも二通りのタイプがあります。一つのタイプは、夫が生計を支えるために一生懸命に働いているのに、それに満足せず「なぜ自分の夫は自分になにも買ってくれないのだろうせめて誕生日ぐらいデパートに連れて行って何か買ってくれないかしら」と思うようなタイプです。もう一つのタイプは夫が妻の誕生日に何かプレゼントを買って来ると、「そんなことしなくても良いのに、あなたにはもっと大事なことがあるはずです。私のために頭を使う必要はありません」というタイプです。どちらがより理想的なタイプですか。(二番目です)。その通りです。(笑い) アメリカの主婦は、夫とは別の預金口座をもっていることを先生は知っています。そして夫の預金よりも自分の預金が多くなると非常に喜びます。(笑い) 正直に言いなさい。アメリカの女性はそのように考えていますね。(はい)。(笑い) 夫は一生懸命に働いてお金を儲け、それを妻の預金口座に入れてやります。家庭の本当の主人はどちらですか。夫ですか、妻ですか。理想的な妻とはどんな女性か皆さんは知っていますね。欲が深いのは構いません。レバレンド・ムーンは一番欲ばりです。先生の願いは神の国の実現のために全世界を神の手中に帰すことです。自分や自分の子供のためにそれを願うのではありません。神の国のためにそれを願うのです。そして先生はすべての人々と共に神の国で神様の誕生日を祝いたいと切に願っています。(拍手) ムーニーたちは、ちょうど猟犬のようなものです。主人に忠実に従って、主人が撃ったキジの後を追いかけてそれを口にくわえて帰って来て、主人に差し出し主人が喜ぶのを見て満足します。主人はそのような忠実な猟犬を愛して、獲物の分けまえを与えます。ムーニーの人生は、天の猟犬の人生です。主人のためにあらゆる所を走り回り、ある時は、いやな目に会いながらも天国実現という一つの目的のために働く人々です。いかに美しく素晴らしい人生でしょうか。(拍手) きょう我々は真の父母の誕生日を祝うためにここに集まっています。きょうの話の題目は『新しいみ旨の誕生』です。我々はいまだ最もドラマチックな神様の誕生日を祝ったことがありません。我々はそのような神様の誕生日を現実のものとするために献身している最初の人間たちです。我々はその目的のために前進しているのです。神様がご自身の誕生日を祝うことよりも、神の国を実現し神の国の誕生日を祝うことを願っておられること、それが神のみ旨であることを我々は知っています。だから我々は神の国を地上に実現するためのチャンピオンとして、全く犠牲的に無私の精神で前進しているのです。なんと美しいことでしょうか。 我々は神様の誕生日を祝賀するという究極の目標に向かって前進するのです。そのためには、まず神の国を地上に実現しなければなりません。神様のためにそのような目標を達成しようとしている点において、我々はこの地上で最も崇高な聖なる人間です。だから我々の目標は、神様の誕生日を祝賀することです。(アーメン)。勝利の日まで休まず絶えず我々は前進しましょう。 きょう我々は、心の中で新しい決意をしなければなりません。すなわち、新しいみ旨の誕生のために前進することを決意しなければなりません。その日が来ることを願い、必ずそれを実現することを誓いましょう。(アーメン)。皆さんの中で自分は必ずそのような目標達成のために前進するチャンピオンになりますと誓う人は手を挙げなさい。(はい!!)。 皆さんの上に神様の祝福がありますように……。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.04
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「家庭教会は我々の定着地」1983年1月1日午前零時 祈祷 愛するお父さま、今まさに一九八二年が過ぎ、新しい一九八三年の元旦を迎え、新しい八三年の一年を受け継ぐ始めの瞬間に立っています。この時間を迎えて新しい年を計画しようとしている全世界のすべての民の心の方向を、あなたの経綸のみ旨と一致することができるように収拾してください。その中には数多くの宗教人たちがおりますが、彼らが一つになって天倫のみ旨に従うことによって、順応の道理を立たせることができるように、この時間から記憶してくださることをお願い致します。 特に全世界に広がっている統一の群れは摂理の最終的目標に向かって前進しております。彼らは受難と苦しみの中で八二年を送り、新しい八三年が希望の年になってくれることを両手を合わせて祈っております。このあわれなる統一の群れをこの時間記憶してくださいますようお願い申し上げます。彼らの心と体が一つになって歴史を代身して忠誠の道理を果たし、天の国の建国の勇士として、あなたの心情の奥深くに忘れることのできない群れとなると同時に、あなたの愛を注ぐにふさわしい息子、娘であると称することのできる群れとしてください。そして新しい歴史的発展の時まで率いてくださいますようお願い致します。 受難が多かった八二年を回顧する彼らは心の中に涙ぐましい心情をもって今日、この父母様がおられるアメリカのニューヨークに向かって心を合わせ両手を合掌し、お父様の前に祈っております。その厳粛な祈りの場において新しく勝利を再決意して八二年を越えて八三年を迎えたその心を、お父様、よろこびをもってごらんください。新しい年が勝利の年となって、お父様の前に彼らが感謝を捧げることのできる一年になるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い致します。 今や新しく世界のすべての人類を代表した統一教会の全食口たちは一つの心情と一つの目的のもとに、八三年はより忠孝の道理を多くたてようと新しい決意をしております。人類救援成就のために隊列をなして前進する勇士となって、明日と今日の保証を受けることのできる勝利の後継者となり、あなたの心の中で忘れることのできない群れとなることをこの時間お父様の前に決意いたしますのでお受けください。 お父様は数多くの事情を持たれながら復帰の歴史を通して人類を探して来られました。悲しかった人類始祖の誤ったその日からお父様は独り淋しく人類を探そうとなさる悲しみと苦痛の道を歩まれ、人類の背後で苦労の道をたどられながら歴史的蕩減の路程を経て来られたことを知っております。そのようなお父様の事情を知った統一の群が、歴史を通して先祖たちが自分たちの誤りを悔い改めることができなかったことを今一度回想して、厳粛に現世の人類を代表して天の前に悔い改めることを決意し、宣誓する群となることをお許しください。 この群は、あなたと共に行く道に悲しみが同伴することを知りながらも逼{ひつ}迫{ぱく}の道、追われる道、流浪の道を介意せずに歩んでまいりました。あなたに従って来た歴史過程においてアブラハムがそうでしたし、イスラエル民族を導いたモーセもそうでした。またイエス様はこの地上にみ旨をなすためにローマ帝国を屈服させ勝利の天国を迎えなくてはなりませんでしたが、選民的国家イスラエルを失ったために国を後において全世界に受難の道をキリスト教という名の下に出発しなければなりませんでした。このような歴史的な事情を今一度回顧してみるときに、その目的を二千年のキリスト教歴史に延長しながら、四千年の歴史を再び収拾して来たキリスト教の受難の道は血と汗と涙に濡れていたという事実を知るものでございます。 このような孤独な道、悲しみの道、時には死の場にありながらもあなたと共に歩み祈祷したすべての群を眺めるお父様の切ない心情を今一度回顧するものでございます。そして今日、この世界的歴史的時代を迎えて再び統一教会が同じような道を歩んでおります。 キリスト教が責任を果たした勝利の世界的圏内において、悲しみの道ではなく栄光の道として天に仕え、個人はもちろんのこと家庭、氏族、民族、国家、世界が定着した場において天の所願の主権を中心にして、栄光と勝利をお父様の前に讃揚でもってお帰ししなければなりませんでした。しかし、キリスト教がその責任を果たせなかったために、今日そのキリスト教文化圏の前に、あなたのみ旨の中に立てられた統一教会の食口が受難の道を歩んでおりますが、このような歴史的蕩減という悲しみの峠道を再び歩ませなければならなかったお父様の事情を思うものでございます。 個人から逼迫をもって追われ、家庭から逼迫をもって追われ、氏族、民族、国家はもちろんのこと世界から追われて来ました。さらに自由世界の中心であるアメリカにおいて、天のみ旨のために仕えたこの群が天に従って来たすべての宗教人たちの前に排斥されて来ました。しかし、そのような歩みの中にあって、今日このような基盤にまで開拓することができましたが、そこには数多くの犠牲と涙の跡があり、その背後にはそれより以上のあなたの悲しみの歴史が隠されていたという事実を知るものでございます。 お父様、今この場において、自由世界に勝利の一日をもって出で立った統一教会が絶望して倒れるそのような教会になるのではなく、前進と飛躍を決意して新しい時代圏内の上に新しい定着地を持つことのできる勝利の基盤と世界的旗手としての使命を担ってみせるという自信を持つことのできる基盤を備えてくださったあなたの恩賜を感謝申し上げます。 ニューヨークの中心にあるこの殿堂を中心にした統一教会は今まであらゆる人々の嘲弄と批判の対象となってきましたが、新年を迎えた今から、このところに集まったあなたの子女たちが一心同体となって天の権威と天の体面と善の主権を立てるための天の国の独立軍の勇士として参戦する権威と、凛{りん}々{りん}としてサタン世界に誇ることのできる姿勢を持つことをお許しくださいますようお願い申し上げます。 夕陽を迎え、夜道に向かって行く統一教会ではなく、子正(午前零時)を過ぎて夜明けの光明の太陽に向かって、この未明の夜明けの瞬間に処している統一教会の上にあなたが希望をお持ちください。 一九八三年は、天をこの地上に定着させるために、全てのことを権威と勝利の防{ぼう}牌{はい}(盾)でもって防御しながら天の国の利益を追求して、あなたの勝利の権限を造成するという決意を新年の年初にすることができますようにお願い致します。 さらに韓国、日本、アメリカ、ドイツを連結する摂理的代表国家の上にあなたのよりいっそうの導きのみ手を差しのべてください。今や、この国々においては反旗を掲げていたすべての群を弱化させることのできる時が来ました。ですから攻められていた善なる側の人々が向上することのできる八三年になるようにお願い申し上げます。 すべての霊界が地上の国家を代表した統一教会の群と一つになり、先祖たちと、後孫たちが一体化して世界の勝利圏を確約することのできる八三年となることをお許しください。反対していたすべての悪の勢力圏を制圧し、勝利に向かって飛躍的に発展することができるよう新年の初めから霊界を出動させ、命令することをお許しください。 この場所に、地の勝利の一日を待ち望んでいた数多くの宗教人、数多くの義人の霊たちが同伴し、直系を通して解怨され、後孫たちが統一の旗印の前に集合することのできる勝利圏、地上の理想圏をつくることができるようにすることを、お許しください。 大韓民国、日本、アメリカ、ドイツ、その他一二七カ国のあなたの愛する食口たちの涙の跡を残しながらの祈祷、この場に向かって泣きたいすべての訴えと祈祷が今、この世界の上に新しい歴史的な一つの勝利的蕩減の条件を立たせ、民族動員と人類動員を直接指揮することのできる一つの土台となるようお願い申し上げます。 今年の新しい目標は「家庭教会は我々の定着地」という標題を基点にして、自信満々と出発し歩むことですが、新年に際して天自らこの出発を命令して下さることをお願い申し上げます。この天が宣布された命令の下に数多くの道人たちと数多くの宗主たちを動員して、彼らをして教権を一つにして、お父様のみ言を胸に抱いて前進することができる新年としてくださいますことを、お願い申し上げます。 勝利の一日と善の主権を求めて勝利の地上天国に直行することができるように命令を下してください。命令されたことが新年の初めのこの瞬間から地上に成就することをお許しくださると信じますので、どうかそのことが宣布されますようにお願い致します。許されためぐみを感謝しながらすべてのみ旨を真の父母様の御名によって祝願いたします。 アーメン----- 今日、数多くの宗教人たちは神を栄光の宝座に座している全知全能のお方として、また絶対的な権限を持ったお方であると考えています。ですから神は苦痛とか悲しみとかいったものとは無関係の方であるとみるのです。しかし、そのように考えながらもキリスト教では神を「天のお父様」と呼んでいます。しかし、これは二律背反しているのです。なぜなら、父であれば子供の苦しみや悲しみを共にするからです。もしキリスト教のとっている立場が神の立場と同じであるならばキリスト教はいつまでも存続するでしょう。しかし、それが神の立場に反するとすれば、終わりの日には消えてしまうでしょう。このような結論を下すことができるのです。 宗教の歴史をさかのぼってみると、宗教の歴史は悲惨な歴史であり、殉教の歴史であり、迫害の歴史であったことがわかります。それでは宗教は誰の願いとしてそのような迫害の道を行くとみるのでしょうか。宗教を信ずる人たちは誰でも神の願う道としてみるのです。 宗教は迫害がある時代には発展しました。それは、人々が迫害の過程で天のために祈祷するとき天はいつでも共にいてくださったからです。そして、そのような迫害の過程を通じて彼らの願いのすべては成し遂げられていったのです。しかし、宗教が一度確立し、自分のものを誇ることのできる世界的版図を持ち、楽になり迫害がなくなると自然に天はそこから離れてしまうのです。このように迫害があるときに宗教が発展してきたとすれば、その迫害はどういう意味をもっていたかということが問題になります。 いつまでも神の側に立てられた宗教は個人的な迫害時代を越えて来ましたが、ここで問題になるのはその個人に対する迫害が単に個人的な段階でのものなのか、それともアメリカの二億四千万を代表した個人に対するものなのか、あるいは四十億の人類全体を代表した個人に対するものなのかということです。神がその迫害を人間に願うとすれば、単に四十億分の一、あるいはアメリカの二億四千万分の一の人間として迫害されることを願うのではなく、アメリカの二億四千万を代表し、世界の人々を代表して迫害されることを願うのです。それは、その個人が迫害に打ち勝つことによってアメリカと世界に勝ったと同じ立場に立たせるためなのです。この世界が善なる世界ではなく悪なる世界であるとみる限り、この世界に勝つための迫害の過程があり、これを越えなければならないのです。そのために神は、このような個人に対する迫害を許さざるを得ないのです。 それでは悪なる世界とはどんな世界でしょうか。それはサタンが主管する世界です。そして神とサタンとは正反対なのです。サタンは自分の世界から神が一人でも奪っていって天の国をつくることを願いません。サタンがなぜそれに反対するのでしょうか。神が一人、二人とサタン世界から抜いて天の国をつくろうとしているのを知っているからです。このために世界を支配しているサタンと個人的に戦って勝利しなければ天の側に戻って行くことができないのです。それは聖書でいっているように、人間が堕落したためです。堕落しなかったならば神の愛の中にあったものが堕落することによってサタンのものになってしまったからです。 堕落とは人間でいえば病気になったことであり、機械でいえば故障したことです。神はどうにかして病気を治そうとしますがサタンはどうにかして故障を修理させないようにするのです。一度病気になって、その病気が完全に治った人がいた場合、その人はどんなに菌がある場所に行ったとしても再び病気にはかかりません。アメリカに行こうと、韓国に行こうと、日本に行こうと、たとえソ連に行ったとしても病気にかからないのです。このようにみるとき、個人に対するサタンの迫害もこれと同じように世界的なものでなければならないのです。そして、神は世界的、あるいは歴史的に人類を凌駕することのできる個人的迫害圏を勝利した代表者と共にいるのです。 それでは迫害はどのように展開されるのでしょうか。堕落した世界においては堕落した世界全体がその個人に対して迫害しますが、それは人を通してなされるのです。サタンはサタン世界の中で一番勢力があり、権勢があり、お金があり、その他、一番重要なものを全体動員して迫害するに違いありません。そして、サタン世界においてこのような基盤を持っているのは主権国家なのです。このようなことから歴史上において宗教を全体的に迫害して来たのは主権国家であり、それが宗教の歴史であったと私たちは考えるのです。 それでは神は一人の人が個人的に世界迫害圏を勝利した場合、それをそのままにしておかれるのでしょうか。そうではありません。神は戦って勝利した人の個人的勝利の伝統の上に、それを受け継いで家庭を勝利させ、その家庭的勝利の上に氏族、民族、国家、世界的勝利へと発展させる路程を行かせようとするのです。そのために真に神側の世界的チャンピオンになるための道を行こうとする人は地域を回り移動しながらその環境圏内で迫害されて行かなければならないのです。これは極めて理論的なことです。 このようにみるとき世界の終末にはどのようなことが起こるかといいますと、世界の半分以上が神側になり、これに対して他の半分が神はいないといって神を否定し反対する側になります。このように世界が必ず二つに分かれるとみるのです。現在の民主世界と共産世界がまさにそれではないでしょうか。 キリスト教の歴史をみた場合、新教の背景には旧教があり、旧教の背景にはユダヤ教があります。ユダヤ教は国家的迫害圏を担当し、キリスト教は世界的迫害圏を担当しました。そして今日、統一教会が宇宙的迫害圏を担当しているのです。それは統一教会がそうであるというのではなく、そのような歴史の過程を誰かが経なければならないということです。過去の歴史をみると、ユダヤ教は四千年間中東地域を中心にした隣邦国家の迫害の対象となり、いつも迫害されて来ました。そのことは旧約聖書にも書かれています。次の時代を担ったキリスト教は世界的時代であったために、当時の世界を支配していたローマ帝国によって迫害をされたのです。当時、世界はヨーロッパ地域に限られていたので東洋の文明国インドとか中国はまだその出来事に気付いていませんでした。それでは今日の統一教会はどうでしょうか。東洋はもちろん西洋も含めた全体、地球上のすべての人類から迫害されているのです。迫害の歴史を通してこれをみたとき、統一教会は世界史的な内容を充分に備えているということができます。(拍手)キリスト教の歴史の流れでいえば、キリスト教がユダヤ教の主流の中の主流の内容をもっていたように、今日統一教会がキリスト教の主流の主流になっているということを私たちは知らなくてはなりません。 それではその主流の中心は何でしょうか。それはメシヤです。当時、ユダヤ教はメシヤが来ると言っていましたが、キリスト教ではメシヤが来たと宣言しました。それでは今日の統一教会は何と言っているのでしょうか。キリスト教の主流としての思想の中心は再臨思想です。そしてキリスト教では再臨主が来ると言って待っています。しかし統一教会では再臨主が来たと言っているのです。迫害ということからみた場合、統一教会ではいつメシヤが現れると言っているでしょうか。迫害の前でしょうか、真只中でしょうか、それとも後でしょうか。(前です。真只中です)。前とか真只中であるとすれば、メシヤ自身が迫害に会うということになりますが、そうでしょうか。ですからメシヤは迫害に勝利した、まさにその時に現れなければならないのです。このような原則になっているとすればユダヤ教やキリスト教を信ずる人たちが世界的迫害を受けていないのにメシヤに会いたいというとすれば、これが本当の信仰でしょうか。どうでしょうか。(いいえ、正しくありません)。 迫害の歴史を見るとき、神がメシヤを送る場合、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的迫害を通過した勝利の基盤の上に、そのような安全地帯に送るというのが間違いのない確実な結論になるのです。何の話かわかりますか。(はい)。ですから終末には統一教会のように世界的迫害を通過する宗教、また、このことを主張する一つの宗教が現れて来なければならないのです。そうでなければメシヤが顕現することができないのです。 私たちムーニーは迫害が好きですか。(きらいです)。同じことを神に質問したとすれば、神も迫害を好きでないと答えるでしょう。ですから先生も好きではありません。それが人間の本性なのです。ではどうして迫害されなくてはならないのでしょうか。それは、そのようにすることによって世界を救うためです。それでは、どうして迫害の過程を通じないと救われないのでしょうか。人間が病気になったために、仕方のないことなのです。そして、病気は治さなければならないのです。 神が病気の子供を見て「おー、おー、病気になってよかったね、私はとても気分がいい」と言うでしょうか。どうでしょうか。(言いません)。人類の始祖であるアダムとエバは神の僕ですか。それとも息子、娘ですか。(子供です)。今日のアメリカにおいて多くの父母たちが自分の子供を自分勝手に取り扱っていますが、それが真の父母といえるでしょうか。神と人間との関係はどのような関係でしょうか。(真の親子です)。それでは真の父母は自分の子供が病気で倒れて苦しんでいるのを見て子供よりももっと胸が痛むでしょうか。それともただ哀れむだけでしょうか。痛がっている子供は何も知らずにただ「ワーワー」と泣いて、痛いのを呻{しん}吟{ぎん}するだけですが、何の病気かもわからずに「ウーン、ウーン」と子供が泣くときの父母の心はどうでしょうか。それは痛がる子供よりも、もっと辛いものなのです。 今日、既成教会で信じられているように神は全知全能であって栄光の宝座に座っていて、自分の息子、娘が死んで行くのに、その宝座で「さあ、こちらに上がって来なさい。私は座を立つことができないのだから」と言うのでしょうか。それとも宝座を捨てて降りて行く神でしょうか。どちらでしょうか。(子供のところに下りて来ます)。それでは神を王座に座しているとみるキリスト教の信仰は正しいでしょうか。間違っているでしょうか。(間違っています)。キリスト教もユダヤ教も神をそのように考えていますが統一教会では神は宝座に座する栄光の全知全能の、ただそれだけの神とは考えません。すべてのものを捨てて子供の所へ飛び降りて来て泣き叫んで大騒ぎする神だとみるのです。そこが他と違うのです。 神が天の国、霊界を支配しているとすれば、天の国の王座を離れて地上を総動員して仕事をするために飛び降りて行くとき、すべての霊界にいる人々が「神様だけ行ってください。私たちはここにそのままいますから」と言うでしょうか。それとも「一緒に飛び降りて行こう」と言うでしょうか。(一緒に行きます)。そのようにみる統一教会の信仰は正しいでしょうか。また一般の、今までの既成教会の現実とくらべたときどちらが正しいでしょうか。統一教会の皆さんは迫害されたとき悲しく思いますか。悲しく思いませんか。どうでしょうか。人々から「あなたはどこの教会に行っているのですか」と聞かれたとき、「統一教会に行っています」とはっきりと答えることができますか。それとも、そのように言わずにただ「教会に行っています」と答えるのですか。人々から何度もその名前を聞かれて、初めて「超教派教会に通っています」と答えるのですか。(いいえ、ちがいます)。(笑い)なぜ笑うのですか。そのように答えた覚えがあるからですか。(違います)。 皆さんは迫害がきらいでしょう。(きらいではありません)。先生がこのような話をする前まではいやだと思っていたのでしょう。それが事実であって弁解することはできません。迫害はいやだけれども、その意味を知ってみると、迫害を受けてそれに勝利しなければメシヤと共に神側に戻ることができないということがわかるのです。そのことを知った皆さんは人々の前で「私はムーニーです。私を迫害してください」と言うことができますか。(はいできます)。本当にそうしますか。(はいします)。 私たちは個人的迫害、家庭的迫害、氏族的迫害、民族的迫害、国家的迫害、世界的迫害を通過しなければなりませんが、全体的世界的迫害を天的立場で一度だけ通過したとすれば、すべてのものをみな通過したと同じ立場に立つことができるのです。このようにみるとき、今統一教会が世界的迫害時代に生きているということは誇りうる立場にあるということではないでしょうか。はたして、レバレンド・ムーンは頭の悪い人でしょうか。よい人でしょうか。(よい人です)。それでは一体、一生の間、迫害を受けてきたレバレンド・ムーンとはどんな人なのでしょうか。レバレンド・ムーンは韓国で迫害され、日本でも迫害され、その後アメリカに渡り、アメリカでも「何をしに来たのか」と言われて迫害されました。それにもかかわらず次には「モスクワ大会をする」と言っています。これは大変なことです。それでもレバレンド・ムーンは賢いのでしょうか。(賢いです)。本当に賢いのですか。(賢いです)。皆さんには降参しました。(拍手)どうです先生が降参して気分がよいですか。(はい、よいです)。ヤコブは天使と戦って勝利することによりイスラエルという名前をいただきましたが、先生は皆さんに何という名前をあげましょうか。先生は皆さんに、はっきりと「私は降参した」と言いましょう。(拍手) きょうの題目は「定着地」です。神もメシヤも地上に定着しなければなりません。しかし、今日、メシヤの家庭と氏族と民族と国家が定着することのできる地がどこにあるでしょうか。神は宗教の基盤を通して定着地を尋ねて来ましたが、今までの神の摂理の中にはそれが無かったのです。メシヤが来た場合、メシヤ個人の次にはメシヤの家庭、メシヤの国、メシヤの世界が来なければならないのです。 レバレンド・ムーンは一九七六年に世界から迫害されました。共産世界、民主世界、五色人種のすべてから迫害されました。アメリカにおいても宗教という宗教と共産党が一つになって殺そうとしました。そしてありとあらゆることをしてきました。反対しない人は一人もいないほどでした。人々はレバレンド・ムーンが偽者だと思っていました。ところが、本当に偽者であれば神が罰を与えるはずですが、偽者のように見えたものが次第に栄えて行き世界的段階にまでなったのです。そして今ではアメリカのすべての人々がレバレンド・ムーンの世話になる段階にまでなって来ているのです。宗教の歴史が同様であったように統一教会は十年の迫害の過程において世界的基盤を築いて来ました。このような事実をみたとき、神が世界的な基盤を築くことのできる内容を持っている統一教会の背後にあって多くの協助をして来たということを否定することはできません。このことから迫害はサタンがして祝福は神が与えてきたということがわかります。このような観点でみるとき、統一教会は世界的宗教になることのできる十分な内容を持っているということになるのです。 それではレバレンド・ムーンは怖い恐ろしい人ですか、それとも怖くない人ですか、悪い人ですか、善い人ですか、普通の人ですか、並外れた人ですか、一体どういう人でしょうか。(並外れた人です)。サタン世界からみれば歴史上で一番怖い人ですが、天の側においては歴史上で一番天を喜ばせる人なのです。ですからレバレンド・ムーンを好きな人たちは神と皆さん以外にはいないという結論になります。それでは世界に六億のクリスチャンがいますが、神は彼らを嫌いムーニーだけを好むのでしょうか。どう思いますか。(違います)。愛の神はその両方を愛しています。それでは神は人数の多い方を重要視するのでしょうか、それとも人数よりも真実さのほうをもっと重要視するのでしょうか。(真実な方です)。皆さんはよくわかっているのですね。 統一教会の信徒たちはどんなに非難されても、お父さんやお母さんに連れ戻されても、それをみな振りはらってレバレンド・ムーンについて来ます。白人世界のアメリカの賢明な青年たちがそのようにしているのです。彼らはたとえ全世界の人から反対され殺されそうになってもついて来るというのです。それは先生が真実な人であるのを知っているからです。 レバレンド・ムーンがアメリカに来たとき、ほとんどのアメリカ人は「アメリカはルツボであり、金でも銀でも石ころでも何でもみな溶かしてしまう。だから十年もすれば、ムーニーも同じようにアメリカナイズされてムーニズムは無くなってしまうだろう」と言いました。しかし十年過ぎてみるとアメリカナイズはしないで、全部みなムーンナイズしてしまいました。これは大変なことなのです。(歓声、拍手)今まで踊りを踊ったり、ダンスをしたり、椅子に座って生活していたアメリカの青年たちがムーンナイズして、床に座るようになったのです。そして今、皆さんは先生の話を聞くために先生よりも長い時間床に座っているのです。家に帰っても、お父さんやお母さんが「椅子に座りなさい」と言うのに皆さんは「椅子はいりません。私は床に座っていたほうが楽です」と言うのです。今、これが大きな問題になっているのです。(笑い) お金の使い方にしても、お父さんやお母さんは家のために使ったり、自分たちの世界一周旅行のために使いますが、皆さんは国や世界のためにお金を全部捧げてしまいます。ですから家の人たちからよく言われるはずがないのです。クリスマスになって人々が新しいきれいな服を着てパーティーに出るのに、皆さんはボロの仕事用の服を着てパーティーにではなくみ旨のために出かけて行くのです。(笑い)。 三十歳になっても皆さんはデイトすることを知りません。そのために親から「他の人たちはみな嫁に行くというのに、どうしてお前はデイトもしないのか」と聞かれますが、皆さんは「デイトをしなくても大丈夫です」と答えるのです。また「酒を飲んでもよい年令になったのに、なぜ飲まないのか」と聞かれます。しかし、皆さんの中にお嫁に行けない娘がどこにいるでしょうか。花婿になれない者がどこにいるでしょうか。一日に六千組、一万数千人が一度に花嫁や花婿になったのです。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。(拍手)これらのことを見たとき、サタン世界では、にっちもさっちも行かないことが神側からみればとても素晴らしいことになるのです。皆さんはサタン側の息子や娘ではなく神側の息子や娘になったのです。だから出来がよく素晴らしいのです。 サタン世界においては、何とかしてムーニーを捕らえて殺そうとします。レバレンド・ムーンに対してはヒットラーやムッソリーニ、そしてスターリンよりも、もっと恐ろしい独裁者、悪玉であり、人間を丸ごと飲み込んでしまう一番の悪党の頭だと言って大騒ぎしています。(笑い)ムッソリーニはそれでも月給を払って人に仕事させますが、レバレンド・ムーンは月給を払わずに奉仕させるので、これほど恐ろしい人間はいないというのです。(笑い)ですからやがて一年、二年、三年たてばデモが起こり、レバレンド・ムーンは追い出され、その運動は後退してしまうはずだと思われていたのですが、十年たっても、びくともせずに益々前進しているので、これは大変なことになったと思ったのです。そこで彼らはムーニーに対して「君たちは洗脳されているのだ」と言って首ねっこをつかんで何とかしようと騒いでいるのですが、どうすることもできずにいるのです。その結果、ついにサタンは「これは手に負えない完全に洗脳されている」と言ってあきらめたのです。(笑い) 次のようなこともありました。統一神学校の卒業生が他の有名大学の博士コースに進んだ時、担当教授が最初にしたことは、洗脳されていないかどうかを調べる視点検査でした。ところが結果は正常でした。(笑い)ムーニーは歌が歌えず、食事を座ってすることができず、何もかも全部できないと思っているのです。しかし、レバレンド・ムーンは、今では世界中の科学者や神学者、哲学者に知られていて、有名な学者で先生を知らない人はいません。みんな先生を高く評価して喜んでいるのです。今この時間に、かつて反対した神学者はもちろんのこと、すべての宗教界の有名な最高クラスの学者たちが、フロリダに集まって「ゴッド・コンファレンス」(神様会議)を開いています。その人たちは、かつてレバレンド・ムーンと言えば悪人であると思っていた人たちですが、今は尊敬の目で見ているのです。レバレンド・ムーンはアメリカで、十年間もたたかれて来ました。ニクソン大統領はたたかれて一年半もたたないで倒れてしまいましたが、レバレンド・ムーンはどんなに言論界から悪口を言われても、たたかれても依然として倒れずにいます。それどころか一九八二年のピープル・マガジンには八二年の話題の人として、二十五人の中に選ばれました。 レバレンド・ムーンは立派ですか、立派でないですか。(立派なハンサムな人です)。ハンサムですか。先生はハンサムという言葉は好きでありません。それよりも先生のことを「漁夫のようだ」と言ったほうがよいと思いますが、どうでしょうか。皆さん西洋人の目から見て東洋人が立派に見えますか。ハンサムに見えるというのは嘘ではないのですか。(いいえ美しいです)。外国人を見れば誰でもそのように思うのです。それにもかかわらず皆さんは先生が好きであることを先生もよく知っています。 では、どうして先生が素晴らしいとわかるのでしょうか。皆さんは祈祷や夢の中でたびたび先生に会うので、それがわかるのです。心の底から先生が好きでないならば、どうして統一教会のそれほどスマートでない先生が、霊的に皆さんを訪ねて夢の中に現れるのでしょうか。皆さんの中に、夢で先生に会ったことのある人は手を挙げてみてください。ほとんどの人が手を挙げましたね。それでは先生と同じようにキリスト教のすべての信徒にイエス様が現れて教えてくれるでしょうか。(いいえ)。なぜイエス様は現れないのでしょうか。それはイエス様を本当の意味において愛していないからではないでしょうか。これをみたとき、ムーニーはレバレンド・ムーンをイエス様より以上に愛しているという結論になります。 先生によって皆さんの精神が、これほどまでに東洋に引かれるようになったため、西洋の男性は東洋の女性と結婚したいと言っています。これは今までのアメリカ人には考えられないことです。将来の統一教会の家庭には面白いことが起きるでしょう。同じお母さんから黒い赤ちゃん、白い赤ちゃん、そして黄色い赤ちゃんが生まれるでしょう。それは先祖の血がみな混ざってしまっているからです。白人のお母さんが三人の子供に乳を飲ませて育てるときのことを考えてみましょう。そのお母さんを一番好きなのは黄色い赤ちゃんで、次が黒い赤ちゃん、そして白い赤ちゃんは、それほど好きでないという時に、そのお母さんがいくら白人が好きだからといって「黒人は向こうへ行きなさい。私の好きな白人はこっちへ来なさい」と赤ちゃんに対しても大人と同じように言うでしょうか。言わないのです。そして、お母さんの横に行っていつも寝るとしても、そのままにしておくべきであって、誰もそれを差別して引き離すべきではないのです。赤ちゃんを愛しているお母さんの目には、どの赤ちゃんもみな同じように見えるからです。このことを知らなければならないのです。 それでは神にとってはどうでしょうか。神が「白人は近くに来なさい。しかし黒人や黄色人種は向こうへ行きなさい」と言うでしょうか。もし肌の色によらないとすれば何によって神の近くに行く順序が決まるのでしょうか。(愛する度合によってです)。その答えは間違っていますね。(いいえ間違っていません)。間違っています。(正しいです)。そうです。皆さんの言うことが正しいのです。先生は今まで降参したことはありませんでしたが、真理によった場合にはしかたがありません。神も仕方なく降参するでしょう。 もし先生が東洋の女性であったら、どんなに素晴らしいでしょうか。そうであれば、白人の男性と結婚して白人の息子や娘を生むことができます。またその白人の氏族がアメリカに住んで、黒人の血統と結ばれたとすれば、黒人の子供を生むこともでき、黄色人種と結ばれたら、黄色人種も生まれてくるでしょう。私はそのように考えるのです。東洋の女性が白人と結ばれて、三人の子供を生んだとすれば、そのようなこともあるのです。愛には色がないのです。 今度の祝福では、アフリカの人と日本の人がたくさん祝福を受けました。このことによって日本人の両親がどれほど驚いたかわかりませんが、どんなに騒いだとしても、これは神を喜ばすことであり、人類が真の愛で結ばれる道を行くことなのです。ですから皆さんは何も恥ずかしがることはなく、堂々としなければならないと考えるのです。(拍手)日本においては「統一教会はこのような結婚式をよくやった、五色人種が統一するためにはこれでなければいけない」と新聞やテレビなど多くのマスコミに報道されました。そして、この報道を見た両親たちは「うちの息子、娘はほんとうによくやってくれた」と大喜びしました。良心からみても反対できないというのです。人種問題はこのようにして、解決することができるからです。また祝福を受けた本人たちも「ほんとうに祝福を受けるために韓国に行くことができてよかった」と言っているのです。ですから、今では日本の社会では、統一教会は合同結婚式をするものとみられています。また公的機関においても、誰が反対しようとも結婚式を受け入れようとしています。 今までのほとんどの噂はレバレンド・ムーンを悪人だと言っていましたが、レバレンド・ムーンが祝福というすばらしいことをしただけではなく、ワシントン・タイムズを設立したことによって言論界が大きく変わって来ました。以前には怨讐として、めちゃくちゃに打たれ反対されたのに今では同志としてみるようになりました。そればかりではなく、反対していた新聞社の先輩たちを受け入れて、ワシントン・タイムズで仕事をするようにしたのです。ですから遠からず歴史のある新聞社の先輩たちのすべてが、私たちと親しくしなければならなくなるでしょう。そして反対している言論界は後退しはじめるでしょう。 アメリカ政府が取り押さえて追放しようとしているのに、レバレンド・ムーンはアメリカを助け、救おうとしているのです。やがてこのことを世の中にすべての人々が、知るようになればレバレンド・ムーンは悪い人などとは、良心が痛んで言えなくなってしまうでしょう。以前には、高い地位の人たちが住んでいるワシントンの政府機関のビルディングの中で、回転椅子に座って自慢そうにしていた人たちが、今ではワシントン・タイムズのそのような事実を知って、みんなレバレンド・ムーンの所にアドバイスを受けに来るようになったのです。また反対していた人たちが「レバレンド・ムーンはほんとうに頭がよい、天才的な頭を持っている。どのようにして、このような時にワシントンタイムズをつくることができたのか」と言っています。また共和党全体が保守党代表新聞であると言って騒いでいますが、一方では「レバレンド・ムーンよくやってくれました」と言って拍手を送っているのです。(歓声、拍手)それはちょうど冬の間、砂糖水だけで育てられていた養蜂が春になって、おいしい花の蜜の味を知ったために砂糖水には振り向きもせず、ただ花の中に頭を押し込んで、いくら引き離そうとしても、ピンセットで引っ張っても、たとえ尻がちぎれても離れないのと同じで、他の新聞社にいた人たちがワシントン・タイムズのすばらしさを一度知ると、どんなことがあっても離れようとはしないのです。(笑い、歓声) 私たちはいろいろの悪口を言われていますが、この名節を迎えて誰よりも実のある幸福に満ちた生き方をしています。しかし、みなさんの親の多くは、それを知らずに夜も寝ることができず、クリスマスやお正月に帰ってこない自分の子供たちは、亡びてしまったのではないかと痛哭しているのです。このようなことを考えてみたことがありますか。 私たちのしていることはどれだけ大変なことでしょうか。 私たちは未来のアメリカと世界を自分の手で創建しようとしているのです。共産世界をこの世界からなくし、悪のすべてを取り除いてサタンの勢力をすべて清算しようとしているのです。そのような世界ができたらどんなに素晴らしいでしょうか。(拍手)そのために私たちは時間があればフランス語をはじめ、スペイン語、韓国語、日本語等、各国の言語を勉強しなくてはならないのです。アメリカにおいては青年たちが麻薬の犠牲になって死んでいますが、私たちは世界の新しい未来のために生きるのです。言語を勉強することによって、私たちはアフリカで一人になってもどこに行っても生きることができるのです。私たちは、それを仕方なく、いやいやするのではなく自主的に希望をもって進んでするのです。皆さんはそのようにしていますか。(はい)皆さんは何と素晴らしい人たちでしょうか。休む間もなく進んで行かなければならないムーニーは、なんとかわいそうな惨めな人たちでしょうか。しかしまた、サタン世界からみれば、なんと恐ろしい人たちでしょうか。 私たちの目の前には神が住む宮殿があります。そして、私たちはその天の国の市民となるために準備しているのです。市民としてふさわしい人格と所作と礼儀作法を学ぶために、私たちは信仰の道を行くのです。 レバレンド・ムーンが今まで成して来たことは何でしょうか。歴史上、数多くの宗教と教団があり、数多くの宗教人たちがいましたが、神の摂理の中にあって世界的な迫害の道を勝利した神が選び愛する希望的な個人が、どこにいたでしょうか。さらにそのような家庭、氏族、民族、国家、世界がどこにあったでしょうか。この神の所願を達成するためにレバレンド・ムーンは進軍しているのです。(拍手、歓声)それではそのような勝利は誰が「確かに勝利した」と保証するのでしょうか。それは私たちがサタン世界で勝利することによってサタンが保証するのです。そして、それを果たすことによってこの世界がよくなるのです。 サタンの保証書はちょうどブラックジャックのようなものです。ラスベガスに行って、トランプのブラックジャックをするときのことを考えてみましょう。ブラックジャックの親になった人は、まわりの人の顔を見ながら、ブラックジャックが出ないように願っていますが、出てしまった場合には、もうどうすることもできません。負けるほかはないのです。サタンのサインを受けるためには、サタンがありとあらゆる方法手段でする迫害の中にあっても、それ以上に神を愛さなければならないのです。どんなに迫害されても、それ以上に神をもっと愛するときには、サタンは尻尾をまいて「私はあなたにすべて降参しました」と言うでしょう。ブラックジャックが出たときというのは、サタンがこの人を降参させることは不可能だと認めたときです。レバレンド・ムーンはブラックジャックの出し方の秘訣を知っているのです。個人的ブラックジャックはもちろんのこと、家庭的ブラックジャック、氏族的ブラックジャック、民族的ブラックジャック、国家的ブラックジャック、世界的ブラックジャック、天宙的ブラックジャックへと版図が大きくなったとしても、愛を中心にした、その秘訣は同じなのです。 この夜半に、このようなことを教えているのを知って、サタン世界は「おー、レバレンド・ムーンそのようなことを言わないでほしい」と言って大騒ぎしています。(拍手、歓声)知ってみれば簡単な内容ですが、レバレンド・ムーンはこれを知ったために、一生の間、迫害されながらもすべてを捧げて歩んできたのです。あるときには母親が理解できず、息子や娘も理解できませんでしたが、それでも変わりなく歩んで来ました。たとえアメリカが反対しても、共産党が反対しても、その秘訣は同じことなのです。このことを知った人たちは「迫害は私が川を渡るための飛び石である。なんとありがたいことか」と言うのです。皆さんもそのように考えますか。(はい)。先生は迫害は好きではありませんが、皆さんは本当に迫害が好きですか。(はい)。それでは皆さんは先生よりも偉大だということになります。本当にそうです。もう皆さんには、はっきりとわかったと思います。 それでは、この前結婚したばかりの女性が男性に対して「あなたは十年、二十年もこの道を信じて来て、ようやく妻となる人を迎えたのだから、これ以上迫害されるために行く必要はないし、もう休んだらどうですか」と言ってよいでしょうか。また「将来、自分の息子、娘を食べさせるためには大学に行って博士になるための勉強をしなければならない」と言うのでしょうか。(いいえ)。(笑い)「いいえ」と言っていますが、よく考えてみてください。女性が夫となる人の服を引っぱって迫害するというのです。それがどういうことかわかりますか。まさにサタンの餌食になっているということです。 これに対して夫が「あなたの言っていることは正しい。そのとおりである」と言ったとすれば、サタンが手をたたいて踊りながら「これはしめたぞ」と言うのです。男性は、このような時に「サタンよ退け」と相手に向かって言わなければなりません。そのように言える男性は手を挙げてみてください。それでは女性の皆さんはどうですか。女性の半分しか手を挙げていませんが、それはそのように言えないということなのですね。(笑い)きょうは新しい年です。ですからこの時間に手を挙げたとすれば、神が一人一人に印をつけて三百六十五日間認めてくださるというのです。それなのに、どうして手を挙げないのですか。もう一度チャンスを与えましょう。きょうは新しい年です。手を挙げた人は、皆許してあげましょう。(笑い)もう一度手を挙げましょう。男女とも皆、挙げましょう。(笑い)どうもありがとうございました。(拍手)時間が終わりに近づいて来ました。もう二時間過ぎてしまいました。二時間過ぎても皆さんは先生に不平を言わないですか。元日に居ねむりをすれば罪になります。(笑い)先生は皆さんが居ねむりをしないようにワンマンショーをしながら話しているのです。 今年の標語は「家庭教会は我々の定着地」です。それでは「家庭教会」とは何でしょうか。ホーム・チャーチは統一教会の迫害の歴史を通してレバレンド・ムーンが歴史的個人蕩減の世界的基準、家庭基準、氏族基準、民族基準、国家基準、世界基準、天宙基準のすべての蕩減路程に勝利してチャンピオンとなったという決定が下された証明書として与えられたものです。(拍手)それは神とサタンの両方から与えられたものです。ホーム・チャーチによってはじめて皆さんはすべての蕩減条件を払うことができ、はじめて定着することができるのです。 アブラハムはカルデヤのウルから呼び出され、ヤコブはカナンからラバンの家に避難して行き、モーセはエジプトから呼び出され、キリスト教はイスラエルからローマに入って行きました。それと同じように、今日まで統一教会は故郷を捨ててジプシー生活をして来ました。ですから先生は故郷を離れ、祖国を離れて、荒野のような砂漠のようなアメリカの地で、世界的迫害を受けて来たのです。そして今はモスクワ大会を宣言して、モスクワに向かって前進する過程に入っているということを知らなければなりません。先生は共産主義に対する最前線の兵士であり、一人で共産主義と戦っているのです。 最初、皆さんたちにモスクワ大会の話をしたとき、これを聞いた皆さんは「レバレンド・ムーンは死んでしまう。なぜ死ぬようなことをするのだろうか」と心配しました。昨日の朝食の席で数人の責任者に約十分間、モスクワ大会をどのようにしてするのか、話しました。それを聞いた人たちは「それは問題ではありません」と言っていました。皆さんにも話して欲しいですか。(はい)。もしそれを聞けば「モスクワ大会は問題なくできるだろうから、もっと楽にして休もう」と言うでしょう。(いいえ休みません)。またこの話を共産党の人やスパイが知ったら、今から防御線を張って支障が多くなってしまいます。(笑い) ここで一つ皆さんに質問があります。もし、今先生が「モスクワに行きなさい」と言えば皆さんは行きますか。それが問題です。(行きます)。それではどのようにして行くのですか。宣教師として行くのですか。問題はそこにあるのです。今世界の共産国で統一教会の食口のいない国はありません。何年も一緒にいた、しっかりした一人のムーニーが、いつの間にかいなくなったことがありましたが、いなくなってどこに行ったかといいますと、共産国家に行き、伝道をしているのです。ある祝福家庭においては、夫が妻と別れて行きました。皆さんにはそのような生活ができますか。「祝福を受けたのだから、息子や娘を生んで楽しく生活しよう」という考えでは駄目なのです。皆さんにとって、使命が貴いですか、それとも生活が貴いですか。(使命です)。 先生は毎朝五時に祈祷に通っていますが、あるとき、お母様が身体が痛いと言って身動きもせずにぐったりとしていました。しかし、先生は厳しく「そのくらいならば歩くことくらいはできる」と言って、起き上がれないお母様を見て見ぬふりをして、苦しくても行かなければならないときがありました。またあるときは、お母様が「あなたは夫であるのに子供を十三人も生んだ妻のことをもっと考えてくれないのですか」と言いましたが、もしお母様が先生の話をよく聞いて、先生の事情をよく知っていれば、そのようなことは言わなかったと思います。 先生も足が痛かったり頭がとても痛いことがあります。しかし、そのようなときにはもっとそれ以上に無理をして頑張ります。その場で倒れて死んだとしても、それでもいいと思って無理をすると、いつのまにか治ってしまうのです。そのようなことがたくさんありました。夜おそくまで長い時間話をしていると、皆さんが「先生は年をとっているのでもう疲れたことでしょう」と言って同情してくれますが、自分たちのほうが疲れたので「先生もう寝る時間になりました。行ってお休みください」と言うのです。このようなときには、すかさず「腹黒い人め」と叫んでしまいます。(笑い)先生はそのような生き方をしているのです。皆さんが部屋から出ていった後は、その後かたづけをしたり、報告の手紙を読んだり、残った事務処理をしたりします。そしてそのまま椅子にもたれて寝てしまうこともあります。先生はどこででも寝ることができます。この場で寝ようと思えば、五分以内にいびきをかいて寝ることもできます。トイレで寝ることもできます。皆さんには先生が鉄のように頑強な人のように、特別に見えるかも知れませんが、そうではありません。 先日、ある子供が先生の所に来て「自分は小さい時、お父さんお母さんがあまりにも尊く立派に見えたので、そばに近寄り難く、そのため父母の愛を十分に受けられず、そのことが恨みとなっています」と言っていました。それに対して先生は「あなたがそのように思うのはもっともだと思う。しかし、私はあなた一人よりも、もっと人類のため神のために行かなければならなかったのです」と答えました。また病院に入院している食口が誰を信じて病気を治そうとしているか考えたこともあります。中には片輪になった人もいます。すべての面において神が保護してくれればと思いますが……先生としてはまだまだ行かなければならない道が残っているので会いに行くこともできないのです。このことを考えると、本当にすまないと思います。 このようにみるとき、レバレンド・ムーンには今まで定着地がなかったのです。ジプシーであり旅人であり、また避難民だったのです。ですから追い出されれば追われるままに出て行かなければなりませんし、それでも不平を言わずに走って行かなければならないのです。レバレンド・ムーンがそうなので、それに従うムーニーもそうなのです。それではムーニーと神とレバレンド・ムーンは、いつになったら定着することができるのでしょうか。それは深刻な問題なのです。 一九四五年から一九八五年まで統一教会は四十年荒野時代にあるということを知らなければなりません。それは幕屋時代なのです。これからは世界的カナンの地に入って定着して十二支派に土地を分割しなければならないのです。この四十年間において、すべての蕩減条件を立て、私たちが定着することのできるカナン復帰の基準を、国境を越え主義主張を越えて世界にまで広げなければならないのです。それをすることによって私たちの国の創建が始まるのです。この時が至って、レバレンド・ムーンが次第に有名になり、今までは暗黒の地にいましたが、暗闇から朝の太陽が光り輝き出るように、次第に現れ出すのです。 北米ではレバレンド・ムーンに反対していますが南米では支持しています。アメリカの新聞をみてみますと、新聞記者たちがレバレンド・ムーンのことを「問題になっている文師」とか「韓国の福音伝道者」、「実業家」、「韓国人ビジネスマン」とか、いろいろの書き方をしています。しかし南米においては「国際的に有名な文鮮明師」と書いています。これほど違うのです。アメリカでは「韓国人」と書くことによって、見下げようとしているのです。南米では先生を支持して「西洋が夜であるならば東洋は昼であり、西洋社会がレバレンド・ムーンに反対すれば東洋が歓迎するであろう」と言っています。 それでは世界で、どの人種が一番人口が多いでしょうか。(黄色人種です)。今日、西欧社会が日本のために大騒ぎになっています。西欧社会が下がり日本が上がっていっているのです。上にあったものも時がたとば下りて行くようになっているのです。これからはムーニーの迫害時代から歓迎時代に移って行くのです。神がいないとすればいざ知らず、神がいるとすればそのようにならなくてはならないのです。ムーニー迫害時代が四十年であれば、それに代わるムーニー歓迎時代は四十年でしょうか。それとも四百年、四千年、四万年でしょうか。あるいは四百万年でしょうか。ムーニー歓迎時代は永遠なのです。(拍手) たとえ教会に来て間もないとしても、先生が苦労して勝利したすべてのものを、元旦を迎えるにあたって、皆さんはそのまま受けることができるのです。それはちょうど、第二次大戦において、一番始めに参戦した勇士たちも、飛行機に乗って戦場に行く途中で、終戦になり戻って来た勇士も、どちらも参戦勇士には変わりがないのと同じことです。レバレンド・ムーンの名と共にムーニーが有名になったこのような時代に、すべての蕩減条件を立てて神に侍り、イエス様に侍り、真の父母に侍ることのできる地上の定着地としてのホーム・チャーチを世界のどこでも始めることができたという事実は、この上ない大きな天の許しと祝福であるということを知らなければなりません。 堕落することによって人類は神に対する愛を失い、真の父母に対する愛を失い、真の子女に対する愛を失いましたが、これを解決するために失われた本然のものを探さなくてはならないのです。ですから、第一に神を愛さなければなりません。そして、神を愛するということはホーム・チャーチを愛するということなのです。神を先に愛したという証明を受けた後に自分の息子、娘を愛することができるのです。これが原理なのです。また夫婦が愛しあった後に子女を愛することができるのです。(黒板書き)この四位基台が失われたことが堕落です。神の愛、真の父母への愛……これらが失われたのですから、これを探し出さなくてはならないのです。それをどこで探すのでしょうか。堕落によって汚された愛の園をどこで探すのでしょうか。それはホーム・チャーチ以外にはあり得ないということを知らなければなりません。たとえ三十六家庭の人であってもこの公式を通過しなければならないのです。そのために愛する妻を捨てなければなりませんし、生まれた息子、娘を愛するにしても、その前にホーム・チャーチをしなければならないのです。ホーム・チャーチで第一、第二、第三、第四と復帰の順序に従って、失ったものを探さなければならないのです。そこにおいてサタンの讒訴を受けるのではなく、歓迎を受けるようにするのです。世界を縮小したその圏内で神を愛し、真の父母を愛し、夫婦が愛し合い、子女を愛したということにおいて歓迎を受けなければ、天国に行くことができる資格を得られないのです。 そのためにホーム・チャーチは絶対に必要なのです。 今朝、朴先生が「先生、ホーム・チャーチには若い人がいなくて困りました。伝道をなんとかしなくてはなりません」と言いましたが、もしそのことがホーム・チャーチは必要でない、ということであれば問題です。先生は何か話したいことがあれば、正面からお話ししますが、今朝朴先生にお話ししようと思っていたところ朴先生が時間がなかったので、今、お話ししたいと思います。朴先生はワシントン・タイムズの社長になり、毎日のように飛行機に乗ってワシントンとニューヨークを往ったり来たりしていますが、そのような忙しい中にあっても、自分の名刺を用意しておけば若い人に会うたびごとに、名刺をあげて伝道することもできるのです。そして「私はワシントン・タイムズの社長ですが、あなたに私の会社を見学させてあげましょう」と言って、十回も往復してから、どこか一日を決めて集めるようにすれば、二十名は集まるでしょう。先生はこのように考えるのです。しかし、それをどうしてしないのでしょうか。 新聞記者たち数百名をかかえていながら、なぜその人たちに伝道させることができないのでしょうか。記者たちが若い伝道対象者をワシントン・タイムズに案内し、見学させてあげれば、伝道できるのにどうしてそれをしないのでしょうか。どこの責任者もみなそれをしないで、先生に、人が足りないから人をまわしてほしいと言っていますが、とんでもないことです。 遊んで食べて休んでからホーム・チャーチをするのでしょうか。もしホーム・チャーチができなかったら大変なことになります。これは生死の問題であり、永遠の問題がかかっているのです。神と真の父母様と共に自分の息子、娘、妻を連れてホーム・チャーチの三百六十軒を訪問するとき、二十四時間、家の門を開いて自分たちを歓迎し、自由に出入りすることができるようにしなければ天国に行くことができないのです。それを通じてこそ天国に行けるようになっているのです。それこそ神の永遠なる定着地となり、それを基地として国家へ、世界へ、そして天国にまでも、どこへでも行くことができるのです。また、ここを中心にして霊界に往ったり来たりするのです。それは神からみれば、海に浮かんでいる一艘の小舟が数千年間漂流を続けながら最後に舟をつけることのできる地上の基地を探すことができたということと同じ論理です。 皆さんがホーム・チャーチの話を聞くだけでやらずに死んだとすれば大変なことになります。霊人たちは地上の人たちを信じてホーム・チャーチの基盤が築かれるまでは何十年でも何百年でも何万年でも待たなければならないのです。霊界に行ってから天国に入ることはできないのです。原理がそのようになっているからです。世界に広がっている統一教会の信徒たちや祝福家庭は先生が家庭を連れて一日二十四時間のうち、いつ訪ねても歓迎するでしょうか。しないでしょうか。(いつでも歓迎します)。皆さんも同じように、皆さんの息子、娘を連れて行く時、二十四時間のいつでも門を開いて歓迎してくれるホーム・チャーチの基盤をつくらなければなりません。 統一教会のこの運動が世界的に公認されれば、モスクワ大会をすることは問題ありません。何の話かわかりますか。(はい)。先生は自由世界に対する責任を、みな果たしたので定着する時が来たのです。 今年、一九八三年は重要な年です。先生の裁判も終わるでしょう。そして全世界の人々が統一教会を新たに研究しようとして来るでしょう。すべての準備のもとに歴史的峠を越える時が来たのです。(拍手)このような時に、もし皆さんがその使命を果たそうとしなければ、世界の有名な学者たちや神学者たちを動員してするかもしれません。白人たちができなければアメリカに住んでいるアジアの少数の民族を動員してそれをするでしょう。アメリカには七十万人近い韓国人がいますが、今まで、アメリカのために使ってきたものを、この七十万人のために充当したとすれば完全に動員しても余りあるでしょう。そして、今は七十万人程度ですが三年後には百万人を超すでしょう。何の話かわかりますか。その人たちは皆レバレンド・ムーンを尊敬しているということを知らなければなりません。先生が訪ねて行けば数カ月以内に全部の人たちを糾合することができるのです。それでは皆さんがしますか。(はいします)。「私は新聞社に行っていて、特別であり、責任があって忙しい」と言うことはできません。たとえ、どんなに忙しいといっても食事する時間や寝る時間があるでしょう。 きょう新年を共に迎えた若い人たちがこのような新しい内容を知って、今年の目標に向かって、今年を決定的な年とするために戦うことを神の前に決意しなければならないのです。 昨年の年頭標語は「家庭教会勝利」でしたが、皆さんはどれだけ勝利しましたか。勝利すべきホーム・チャーチを、私の天国をどれだけ愛しましたか。その前の年は「家庭教会は私の天国」でしたが、皆さんは自分の天国建設をどれだけしましたか。結局、誰もできませんでした。今年こそは成し遂げなければなりません。そのために、先生はここにいるすべての責任者、祝福家庭全体を動員するようにしようと思います。韓国においては、先生がアメリカに来る時にそのようにしました。いずれ、日本もそのようにするでしょう。これができなかった場合には、皆さんの全員が永遠に流浪のジプシーの行脚の路程を歩み続けるでしょう。これができなければ定着地を定めることができないからです。そればかりか霊界に行っても皆さんは先生を訪ねることができないのです。 キリスト教において(天国を実現することができず)個人的楽園が生じたように、ホーム・チャーチができなければ家庭的天国ができずに家庭的楽園が生じるということを知らなければなりません。その家庭的楽園では、妻が夫に対して、あるいは夫が妻に対して「あなたはどうして私を引っ張っていかなかったのか」と言い、息子、娘が親に対して「どうして自分たちをたたいてでも引っ張って、天国に行けるようにすることができなかったのですか」と言って、夫が妻に、妻が夫に、そして息子や娘が親に向かって讒訴するでしょう。サタンが讒訴するのではなく、皆さんの夫、妻、息子、娘が讒訴しあう、そのような世界に留まるようになるでしょう。それがどれほど悲惨であるか知らなくてはなりません。先生はその悲惨さが、どれほどであるかをよく知っているので、そのような場を避けるために今まで無慈悲に子供を育て、無慈悲に妻に対して来ました。皆さんはこれらのことを知ってもなお妻にやさしく対し、子供を抱いて愛するのですか。 ホーム・チャーチは何よりも重要な、何よりも先にしなければならない急務であり、生きている間にしなければならないことなのです。レバレンド・ムーンも一生を捧げて、昼も夜も目が開きさえすればそのために生きて来たのです。 きょう、この新しい日に皆さんはこのことを知ったのですから、神を奉じ、真の父母を奉じて、真の夫婦として子供を愛することのできる定着地を求めて出発しようと決意しなければなりません。今までは何度も誓いながらその責任を果たしませんでしたが、今年こそは果たさなければなりません。自分は、今年こそは間違いなく果たすという人は手を挙げましょう。(アーメン)ありがとうございました。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.04
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「本然の血族」1982年12月1日ベルベディアにて 私たち人間はどこから来たか、その起源はどこか、これが私たちにとって重要な問題なのです。 すべてのことは私自身からはじまり、私自身は心と体の複合体になっているのです。更に、すべてのものは相対的になっていて右と左、上と下に分かれています。 皆さんは自分の顔を眺めて不思議に感じたことはありませんでしたか。もし顔の各部分が逆になっていたらどうでしょうか。もし目と口の位置が反対になっていたとしたらどうでしょうか。熱いスープを飲むため、スープが上がったり、下がったりするたびに目はどれほどこれを警戒することでしょうか。(笑い) 鼻にしても、これが反対になっていた場合のことを考えてみてください。もし、そうなっていたら大変なことだったでしょう。 目がどうしてこの部分にあるのでしょうか。それはいくら考えてもこの場所しかふさわしい所がないからです。もし、目が今の位置でなく、もっと上にあったらどうでしょうか。いったい目はどこを見るのでしょうか。いつも下を見ていなければなりません。また、もっと下にあったらどうでしょうか。いつも上を見ていなければなりません。このようにみたとき、目が中央にあるのは、まっすぐに見るためであることがわかります。そうすることによって私たちが立つ方向に対して九〇度の方角を見ることができるのです。 それでは皆さんが眠るとき、目の瞳は上にきているでしょうか。下にきているでしょうか。それとも右でしょうか。それは間違いなく(図を書いておられる)(笑い) これが上がっても、下がってもいけないのです。瞳は上下、左右に動きますが必ず目の中心を中心として動くのです。皆さんは、そのようなことを考えたこともないでしょう。 もしまゆ毛がないとしたらどうでしょうか。夏になって汗が流れたとき、どうなるでしょうか。また、まゆ毛がないとしたらどうでしょうか。汗が流れて、みな目の窪んだところに集まってしまいます。このようなことを思うと、皆さんは不思議に思えませんか。目は深く入り込んでいますがまゆ毛の所は高くなっています。それは目に汗が流れ込まないためなのです。このようにみるとき、なぜまゆ毛が別の所に生えないで、この場所に生えなければならないのかわかります。 皆さんは自分の顔を見るとき、何も考えずに見ていますが、よく考えながら見ると顔は多くの考え深い構想をもっていて、それが科学的に一つの原則に基づいて一つひとつの形をとっているということを知ることができます。もし目玉が回らなかったらどんなに大変でしょうか。皆さんが何かを見ようとすれば、体全体を動かさなければなりません。目玉が回らないといって目玉ではなく首が騒ぐでしょう。そうなった場合には皆さんは不便を感じることでしょう。皆さんは目を覚ましている間、目が休むことなく働いているということを一日の中で何回くらい考えますか。もし瞼が動かず、まばたきをしないとしたらどうでしょうか。目は赤くなり痛くなるでしょう。このようなことを考えると、目に対して、私たちはお日様と言わなければなりません。ですから、このように貴重な正常な目をもっているということは、どれほど誇らしいことでしょうか。 鼻はどうでしょうか。鼻はすべてのものを連結させています。鼻は下に降りてきて途中で止まり、その下には口の両側に続く線があります。なぜこのようになっているのでしょうか。雨が降り、顔に水が流れてきても、また汗が流れてきても口に入らず両側に流れ落ちるようになっているのです。それでは鼻の下の中央の線は何でしょうか。また口も少し出っ張るようになっていますがどうしてでしょうか。すべてのものが意味をもっているのです。 このような観点から見るとき、先生は人を見て、一目でその人がもっている線から、汗をたくさん流す仕事をする人かどうかを見分けることができます。人の目をみた場合、ある人は見上げるようにものを見ますが、またある人は見下げるように見ます。また歩く姿も人によっていろいろあります。口をみても、堅く結んでいる人もいれば少し開けている人などさまざまです。ですから皆さんは自分の顔を見るとき、自然な顔の形を考えなければなりません。それでは自然な顔とはどのような顔でしょうか。怒った顔でしょうか。眠った顔でしょうか。どのような顔がもっとも本然の顔でしょうか。本然の顔は生まれたての泣きじゃっくった赤ちゃんの顔かも知れません。 子供が、この世に生まれてくる時「オギャー、オギャー」と激しく泣きますが、なぜ泣くのでしょうか。「ハッ、ハッ、ハッ、……」と笑わないのでしょうか。(笑い) その呼吸をそれ自体がすべて吐き出す運動なのです。これは赤ちゃんにとって、それ以上の運動がないほど最高の運動なのです。その時、母親は赤ちゃんにとって、それ以上の運動がないほど最高の運動なのです。その時、母親は赤ちゃんに「十カ月間、足を縮めていたのですから足を伸ばしてどうぞ泣いてください」と言うのです。これはどれほど素晴らしいことでしょうか。赤ちゃんが丸く縮まっていなかったら呼吸をすることができないのです。丸く縮まっていたのを広げるので空気が入るようになるのです。皆さんはこの話が正しいと思いますか。医学書にはどのように書いてあるか知りませんが、これが自然的観点からみる原理なのです。ですから生まれる時、赤ちゃんが泣くのはそれこそ歓喜の叫びであり、生の爆発なのです。 人間が笑ったり、泣いたりするときは、体と心が一つになって運動しています。もし口だけ開けて「ハ、ハ、ハ……」と言えばおかしく感じますが、お腹から笑えば素晴らしく感じるのです。心と体が一つになって運動し、鼻も目も口もすべて動くようになるのです。笑う時に涙が出ますが、泣く時にも出ます。まったく反対であるにもかかわらず同じように涙が出ます。それでは笑うことと泣くことでは距離が遠いでしょうか、近いでしょうか。また、泣くことは良いことでしょうか、悪いことでしょうか。皆さんは泣く人が好きですか。笑う人が好きですか。ここにおいて一方は上向きであり、もう一方は下向きの涙でなのです。同じ涙であってもこのように分かれるのです。 皆さんはどのような顔が好きですか。(幸福そうな顔です)。それでは幸福な顔いうのはどのような顔でしょうか。そして幸福とは何でしょうか。すべてが円満でなければ幸福にはなりません。円満ということは円が満ちることで、宇宙は円を満たすためにすべてが動いているのです。そのためにすべてのものには円に似なければならないのです。人間の顔も、頭の骨も円形になっているのです。それでは、頭の丸い東洋人の方が、細長い西洋人よりも良いのでしょうか。しかし西洋人の顔は幅は狭いのですが、奥行きが長くなっていて、横から見ると長くなっているます。ですから、みな公平なのです。そのような観点から見るとき、前よりも後がもっとよく整っていなければなりません。側面から見て、上から見て、あらゆる面から見て美男とか美女とかが決まるのです。 口をみれば、その人が正しいことを言う人か、しゃべることによって失敗する人かがわかります。このように考えると、自分の自然なポーズというものがどれほど難しいかわかります。すべてが正しくなっていなければならないからです。歩くにしても自特でなければならないのです。中には、立って考えてように歩く人もいます。(先生のジェスチャー)(笑い) 自分自身を自然な形態に合わせることがどれほど難しく、自分がいかに不合格者に近いか考えなければなりません。このようなことを考えると神がいないとはいえません。そして、神はすべてのものを、勝手に造ったのではなく全部考えて造ったということがわかります。先生は皆さんを祝福するとき、このように観察するのです。人のあごは少し前に出っ張っていますが、なぜほこようになっているのでしょうか。それは鼻が下がってきたり、線が下がってきたりして、下がりっぱなりなのを調和させるためなのです。 またすべてのものが三段階になっています。目も口も鼻も鼻の穴もすべてが三段階になっています。顔の長い人は目がここにあり、鼻もそれに従って長くなっています(黒板書き)。もし鼻が短いとしたらどうでしょうか。このようにすべてのものが調和しているのです。それは科学的になっているのです。科学的というのは原因と結果が理論的に通じ合っているということです。 このようにみるとき、目の先祖はどこから来たのでしょうか。この宇宙の中で目が先に生じたのでしょうか。それとも環境が先に現じたのでしょうか。(環境です)。目は太陽が先にあることを知っていて、それに合わせて生まれたのです。ですから、目が先に生じたという人がいるとすれば、その人は間違っています。まつげについて考えてみましょう。まつげはなぜあるのでしょうか。それは、ほこりがあるので、それが目に入らないようにあるのです。それでは目が先に造られて、その後にほこりが造られたのでしょうか。もし、そうであるとすれば、ほこりを造らなければよかったと思うのですが、どうでしょうか。ですから間違いなく環境が先に造られたことがわかります。目は雨が降ることや汗が流れることを、太陽やほこりがあることを、そして目の表面の水分が蒸発してしまったら大変なので、水分が必要なことなどのすべてのことを知っていたのです。それでは目の祖先が生まれるとき、太陽があることや、目に水気が必要なこと、また雨が降ることやほこりがあることを知っていて、これを何とかしなければならないと考えてこのような目の形に生まれたのでしょうか。目の祖先は、そのようなことは何も知らなかったのです。それでは何も考えずにそのような形に生まれることができるのでしょうか。それはできません。誰かが、その形を構想しなければならないのです。それでは、それを考えた方は誰でしょうか。(神様です)。皆さんは、神を見たことがありますか。見えないのにどうして存在するというのですか。たとえ目に見えなくても、科学的には、目が存在する以前に、すべてのことを知っている認識的な何かがなければならないからです。 まゆ毛の毛はどこから集めてきたのでしょうか。目玉はどこから材料を集め、どこで造ったのでしょうか。これらをみんな宇宙の中からかき集めて造ろうとすれば、この宇宙を全部ひっくり返して探さなければならないでしょう。このように考えると、目の瞼ひとつの中にも宇宙学が入っているのです。目玉はなぜ左右上下に動くのでしょうか。ただ単に進化したというのでしょうか。もしそうであるとすれば、目を潰してしまったり、まゆ毛を全部取ってしまったり、いろいろの形に勝手になっていたりしても良いのではないでしょうか。たとえ進化したとしても、進化する方向と進化するように指示したのは誰でしょうか。このようにもるとき、意識が先でしょうか。存在が先でしょうか。意識が先であるとすればそれは有神論になります。果たしてどちらが先でしょうか。(意識です)。この世に目の医者が何人いると思いますか。どんなに多くの目の医者がいたとしても、完全な目はすべての医者の知識をはるかに越えたものなのです。本が何冊あれば、目に対するすべての知識を書くことができるでしょうか。そこには宇宙全体の学問がすべて連結されているのです。 鼻と目と耳と口はつながっていますか。(つながっています)。鼻をつまみ、口の中に空気をためて力を入れると、目が飛び出すように感じますし、耳が離れてしまうように感じます。ですからこれらは一つにつながっているのです。もし、目、鼻、耳、口、歯の各医者がおのおのの器官を合わせて本を書くとしたら何万冊ぐらいになるでしょうか。それを考えると自然にこよのような体の形になったといえるでしょうか。すべてのものが理論的に構成され、お互いに通じ合い調和することができるようになっています。それを進化によって、そのようになったとすれば、これほどのでたらめがどこにあるでしょうか。 私という一人の人間が生まれようとすれば、すべての、すべての植物と鉱物を吸収して援受作用し、すべての環境に通じることができるように、すべての宇宙学を決定してから誕生しなけれがならはいのです。このように宇宙学が先にあったのです。先生は宇宙学のことについてよくわかりませんが、自分が生まれたという事実からみているのです。人間の祖先は猿であると言いますが、皆さんはそれを聞いて気分が良いですか。(悪いです)。雄の猿が「私は雄の猿になろう」、あるいは雌の猿が「私は雌の猿になろう」と言って決めて、そのようになったのでしょうか。もし猿が全部雄の猿になろうとしたらどうなるでしょうか。どこの猿が背が低くて小さい雌の猿になりたいと思うでしょうか。それでは誰がそれを決定するのでしょうか。それさえも自分で決定できないのに、自然にこうなったのか、ああなったとか言うことはできません。 進化すると言う人もいますが、それでは進化の方向はどうなっているのでしょうか。逆方向になって猿からアメーバーになぜならないのでしょうか。その方向は誰が決定したのでしょうか。猿が「その方向は私が決定したのだ」と言うでしょうか。たとえ、アメーバーから進化するとしても、それがより高度のものになるための力を誰が加えたのでしょうか。それ自体が創造の力をもつことができるでしょうか。このよきにして、より深く考えを突っこんでいけば、共産主義者も今日の科学者もみんな答えることができなくなってしまいます。 なぜ、男性にはひげが出るのに、女性には出ないのでしょうか。それは男性のほうがたくさん汗をかくので、汗がみな集まってひげに沿って流れ、他に流れていかないようにするためです。このようにすべてのものが理に適っているのです。皆さんは意識が先か、存在が先かという問題に対して、はっきりとしなければなりません。どちらが先でしょうか。(意識です)。 先生の友達の中には共産主義者がたくさんいました。その人たちと議論するとき、先生は「猿が人間と争うことができますか。猿は人間に従順でなければなりませんが、あなたは猿から人間になったのですか」と質問します。皆さんは鏡で自分の顔を見るとき神秘に満ちた宮殿をもっていると思わなければなりやません。その価値はどれほど大きいことでしょうか。宇宙をもってしても交換することができないほど大きいのです。それでは何が人間の性質なのでしょうか。人間は意識をもち、そして考える能力をもっています。これが人間としての性質です。 今、人間の起源について話してきましたが、次に本然の人間、本然の血族とは何でしょうか。そして、本然の人間は誰に似ているのでしょうか。(神様です)。それは皆さんに似ているのです。すべての人間は顔に同ぴ数の器官をもっています。顔には目、鼻、口、耳しかありません。それでは顔に幾つの穴がありますか。(七つです)。七つの穴の七は三プラス四で、三は顔の正面にある目、鼻、口の三で、三段階になっています。そして四は耳で、耳は顔の側面にあり四方に通じるのです。このように三と四で七になっているのです。これで聖書で教えているように、七数、四数、三数が重要な理由です。更に三に四を掛けると十二数になり、ここから十二カ月や十二時間が出てくるのです。手の指でナンバーワンは、このようにして表しますが、この指は何ですか。(指で示す) この上に上がっている親指は神を象徴しています。赤ちゃんのとき、腹中で親指を出していますか、それとも内に入れていますか。(内に入れています)。なぜそうしているのでしょうか。それは神が宇宙の中心にあるからです。また親指を中心にしてみれば、残りの四つの指は十二の関節からできていて、十二数のサインでもあり、十二カ月、十二方向、十二時間の宇宙を表しています。 顔の中で一番神秘的な部分はどこでしょうか。それは目です。そして目は顔の中で神を象徴しています。それでは鼻と口はどうでしょうか。鼻はアダムとエバを象徴し、口は万物を象徴してす。口の中には三十二の歯がありますが、これは四と八を掛けたもので、全体の数を意味し、万物のすべてに適応することができることを意味しているのです。 口は言葉を話すことによって、万物の象徴でありながら、心と通じ合っています。口は食べることと話すことの二つの機能をもっていますが、多くの器官の中でこのような二つの機能をもっているのは口だけです。万物は口を介にして内的な霊的世界に通じるようになっているのです。ですから心の動きがそのまま口の動きとなって言葉として出てくるのです。その時、口の動きは完全に心と一致し調和しているのです。もし、心で思っていることと反対のことを口が、勝手に言い出したら大変なことになります。心では「イエス」というのに、体が「ノー、ノー」と言ったら、皆さんはどうですか。本来はこのように一つになっていなければならないのですが、今の皆さんはどうですか。心と体が一つになっていますか。これが問題なのです。 もし、一つになっていないとすれば、どうしてそのようになってしまったのでしょうか。心が意識属しますか。体が意識に属しますか。心はどこに属しますか、体はどこに属しますか。この疑問に対して二つの答えがぶつかり合っているのです。今日、民主世界と共産世界がなぜ争うのかというと、これが問題なのです。共産主義は存在が先だと言っていますが、民主世界の人たちはそれに対して、それが間違いだと説得ができずにいるのです。 私の心を中心にして心と体が一体となって動けば、私の心と宇宙の意識的な主体とは同族なのです。体と宇宙はこの同族なのです。これは真実です。それではこの二つが相衝しているのが原則なのでしょうか。和合しているのが原則なのでしょうか。本来、この二つは調和しているのが原則なのですが、現実には二つは分離し、相衝しているのです。それではなぜそのようになってしまったのでしょうか。この問題は、哲学においては解明できず、結論づけることができないのです。ただ宗教においてのみ、人間が堕落した結果であるという結論を出すことができるのです。では堕落とは何でしょうか。堕落とは機械でいえば故障したということです。人間は故障した状態で生まれて来たので、修理工場に行って修理しなければならないのです。このようにみたとき、神が存在するとすれば、神は人間の主人として、これではいけないと思って修理工場を作らなければならない思います。このような修理工場が宗教なのです。 修理工場にも初等のものから始まっていろいろの段階のものがありますが、統一教会はどのような修理工場でしょうか。(洗練されたものです)。最高に洗練された完成された修理工場が統一教会です。そして、その名のごとく、あらゆるものを修理する統一修理工場です。ですから、そこではどんなものでもすべて、カチャ、カチャ、と音を立てて動くようになるのです。この工場で合わせておけば、すべてのものはおのおのの立場で作動しながら一体となり、統一されるようになるのです。皆さんも知らず知らずのうちに、修理工場の工場長であるレバレンド・ムーンに修理されるために、蹴られても、叩かれても近くに来ようとするのです。(笑い、拍手) 皆さんはなぜ先生の近くに出て来ようとするのですか。最初に修理してほしいからではないのですか。(笑い) そのために、皆んな統一教会に来ようとしているのです。これは理論的なことです。 それでは修理工場において、それが高等な工場であればあるほどたくさん手を加えるでしょうか。さんの名前を呼ぶようにならなければならないのです。 夫と妻との関係で、もし妻が夫に対して大変悪く、かみつくような悪妻になったらどうでしょうか。そのようなときには、夫は愛によって妻を屈服させなければならないのです。その反対の場合も同様です。また、このことは息子や娘に対してもみな同じです。家庭の中にはこのように六つの立場があります。おじいさん、おばあさん、夫、妻、息子、娘の六つです。この六つを経て七数の完成がなされるのです。 六数のことをサタン数と言いますが、家庭の中にはサタンが相対するあらゆるものが入っているのです。そのことをイエス様は「そして、家の者が、その敵となるであろう」(マタイ福音書第一〇章三六節)と言われたのです。しかし、家庭が亡くなる時「私の家であなたが最高だった、あなたに恵みと祝福を与えたい、私のもっているものを全部あなたに与えたい」と、言われる人にならなければ完成した人になることはできないのです。ここような結論に抗議できる人がいますか。(いません)。果たして、神が「レバレンド・ムーン、あなたは間違っている」と言うでしょうか。 それでは神自体はどうでしょうか。完成した神も、全く同じような立場に立っています。人々が亡くなる時、「神様、私が今まで得て来たものはすべてあなたのものです。私の生命までも捧げます。私の唯一の希望はあなただけです。アーメン」と言うことによって、神としてのすべての権限をもつことができるのです。 誰かが、皆さんの所に来て、意地悪く辛くあたるとき、皆さんはその人たちを自分の家庭のおじいさん、おばあさん、難しい夫や妻、息子、娘と思って「すべてのことはおじいさんやあばあさんに対する権限、夫や妻に対する権限、息子、娘に対する権限のすべてを与えるためのよい機会です」と言って、神に感謝しなければならないのです。イエス様も聖人たちも、この道を行こうとしてきました。そしてレバレンド・ムーンもこの道を備こうとしているのです。お母様は、あまりにも親切で、優し過ぎるのでその代わりに、先生は米国の他の女性から酷い仕打ちを受けているのです。(笑い) 皆さんはどのような人になりたいですか。(完成した人です)。完成した母類の心は、宇宙の母親の心であり、完成した父親の心は、宇宙ね父親の心ですぐまさしく、それが完成した人なのです。そしてサタンからも、神からもそのような人になったと言われなければならないのです。 ニューズワールドの編集長の部屋には、毎日、いろいろな人が来て、編集長にかみつき、不満を言い、さまざまの要求をして彼を困らせますが、このような人に対しほ、どのように対すれば良いのでしょうか。彼は「良いものは良い、悪いものは悪い」と言って、良いものだけを相手にするのではなく、悪いものもすべて聞いてあげてそれを良く思い、いくら難しくても消化していかなければならないのです。それがニューズワールドの責任者としてふさわしい人のあり方なのです。このような観が立つのです。 ですから家庭は天国に入ることのできる人をつくるための訓練道場なのです。そして、この道場で訓練を受けて合格すれば、どの国のどの氏族に対しても合格してあまりある人になるのです。いったいどこに祖父母のように接する人を歓迎しない人がいるでしょうか。そして、家庭の延長線が天国なのです。 きょう皆さんは、このような訓練道場を通過して本然の完成した男性、女性となることができるということを知りました。それでは皆さんは先生の思想と皆さんが今までもっていた思想と、どちらの思想をもちたいですか。(先生の思想です)。もし本当にそのように思うのであれば皆さんは、この道を行くことを決定し、決意しなければなりません。それが本当のムーニーです。皆さんは決意しますか。(はい、します)。 ありがとうございました。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.03
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6000双国際合同祝福結婚式(1982.10.14、韓国)を前後してのみ言です。「歴史の目的に立つ祝福家庭」1982年10月15日ソウル蚕室体育館で 朝七時、蚕室体育館は祝福家庭でいっぱいになった。背広姿の先生、チマチョゴリ姿の御夫人が壇上にのぼられる。「今日は全祝福家庭の出発の日です」と言われ、三六家庭から各双ごとに呼びあげられて立ち、拍手の中でおじぎをした。最後に「六千双」の声がかかると、前日結婚したばかりの一万二千人が歓声をあげて波のように両手を振る光景に体育館はどよめいた。このみことばは、記念すべきその日、まず最初に日本語で語って下さった内容である。 家庭は摂理上の中心的使命を担当 摂理の全般的な内容を詰めれば、過去の摂理、現在の摂理、未来の摂理という結論になります。それで、ここに統一教会の全体の家庭が集まったんだから、家庭は摂理上の中心的使命を果たしておる、背負っておるというんだね。それで、家庭編成までの歴史、家庭編成した現在、未来というような内容になるわけですね。 家庭編成というものは――歴史を通して、真の父母でなければ家庭編成ができません。なぜかというと、エデンの園にいたアダムとエバは、それ自体が成長され、祝福された場合には、それは結局、理想的家庭になって、その家庭を中心として氏族、民族、国家、世界、というように拡大する。そうすればアダム、エバが地上で亡くなられても霊界を通して、結局永遠の中心の先祖になっている。だから霊界にゆけばアダム・エバの実相、その姿が神様の姿として全霊界を統治するとともに、地上界はその霊界の影響を受けて、その指導下に統治されるようになっていたというのが原理原則の内容です。 それで、地上に神様が臨在する最初の時が、アダム・エバを中心として祝福の時以降可能である理想的神様としての地上臨在は、アダム・エバ完成された家庭基盤の上に成立すべきなのが神の創造理想であった。だから堕落以後、歴史過程を通じて神が今まで摂理してきたその目的は、結局もとのアダム・エバの祝福家庭基盤を再建することであり、それが摂理全般的な内容である。だから、祝福というそれ自体をなすのも神様である。神様によって一つになったアダム・エバ家庭。それは、アダム・エバの内心に臨在される。そして、アダム自体はその体となり、一体化されたその基準は霊界の中心であるとともに地上の中心であった。それが結婚理想の出発点であったということを考えてみた場合に、この地上に“祝福”ということを考えてみれば、真の父母が生まれてこないと、つまりアダム・エバの完成基準を満たさないと、それは絶対に不可能である。 アダム・エバの完成家庭を満たしたその家庭に生まれて繁殖した子孫が横的に、自動的にそれを相続して、それをずーっと拡大してゆこうとするのが、いいかえれば、もともと人間が堕落しないでアダム・エバを中心としてなされるべきであった世界の編成というものを(堕落したのだから)再びそれに追いついて世界的に拡大するというのが、メシヤを通して果たそうとする神の摂理の目的である。創造の目的でなくして、摂理の目的になっているというんだね。 イスラエルの民族団結のために来られたイエス様 それで、イエス様は真の父母の立場に立って地上に来られたのである。メシヤという存在は、結局だれかというと、完成したアダムの立場に立つべき、真の父母の位置を完成するために来られたお方である。四〇〇〇年の堕落歴史を通してユダヤ選民圏を拡大して国という基盤をつくらせて、メシヤを送るというような約束のもとに、イスラエル民族を団結させる、その中心存在として送られたのがメシヤ、すなわちイエス様だったんだね。 イエス様が来られてやるべき仕事は何かというと、祝福基盤をつくって、それを真の父母の基準を中心としたその本来のアダム・エバを中心とした神の理想の基準を復帰して、その復帰の基盤をセンターとして横的に子孫を通じて家族、氏族、民族、国家編成をいっぺんに果たそうとしたのが、ユダヤ教を中心とした四〇〇〇年の歴史だった。 その時、ユダヤ民族はどういう立場にいなければならなかったかというと、再び生まれなければならない、つまり、その歴史過程を通してカイン・アベルの道を切り替えさせる立場にあった。弟が兄さんの立場に立ち、兄さんが弟の立場に立って自動的に一つにならなければならないような立場だった。それがなされなければ、メシヤ理想も完成されない。 ですから、そのようなカイン・アベルの過程はいつの時代でも残っている。国家的観点から見た場合に、ユダヤ教はアベルの立場であり、ユダヤの国はカインの立場である。そうすると、国自体、あるいはその国の王様だったら王様自体がね、アベルを中心としてもともと兄さんの立場にあるその国の王様が教会の代表であるユダヤ教の教師(祭司長)に絶対的に服従して、その祭司長を前に出して全権を譲ってそこに慕ってゆくような立場に立ったとすれば、メシヤが来られて自動的に一つになった。そのような基盤を神は四〇〇〇年間準備して、こられるメシヤのための安定圏をつくった。十字架につけられることによって、それが果たされなかったんだね。二〇〇〇年の歴史を中心としてそれを再び復帰しようというのがキリスト教会だ。 キリスト教会がユダヤ教と違うのは、ユダヤ教はメシヤが来た場合に国家的基準を持っていた。教会と国が一つになれば、それは霊肉ともに一体化して理想天国の国家基準を完成すべきなのに、イエス様が十字架につけられたため霊的基準しか完成されなかった。体はサタンに侵入されてしまった。それも復活後四十日、ペンテコステにおいて百二十人門徒の聖霊降臨とともに霊的に再出発するんだね。復活後四十日以降に霊的基盤を再び立たせて、地上に霊的イスラエル民族圏を拡大させておいたのがキリスト教だ。そのキリスト教を中心としてイエス様は再び来られる。天下を一つにし天下を地上天国をつくるのがその目的であるけれども、その目的の出発点は家庭を通さなければならない。 だから二〇〇〇年のキリスト教の基盤を中心とした再臨というような内容でもって二〇〇〇年間世界基盤を拡大した。イエス様の国家時代より再臨の時代は一段高い次元の世界圏を中心として出発すべき時代だから、霊的世界基盤を拡大した。 再臨期におけるアメリカと韓国の摂理的使命 キリスト教の全盛期は第二次世界大戦以後だった。アメリカを中心として全世界を支配すべき立場に立った時がまさしく第二次世界大戦直後であった。その時に統一教会は出発した。再臨の目的を果たすために統一教会は出発する。その時、全世界のキリスト教を中心として一つになってもしも出発したとするならば、霊的結合を先に世界的に備えて、それから肉的結合をなさなければならない。もしもキリスト教と統一教会が一つになったとするならば、霊的基準と肉的基準をともになすことができる。地上では人間をつくったときには、肉的基盤の上に霊的基盤をつくるようになっているのであって、天使長圏からみた場合には、霊的基準が初めにつくられたのだけれど、人間の基準においては天使長以降につくられた。そうなると原理原則の観点から見た場合に、肉的基盤がなければ霊的完成の出発が果たされない。それでキリスト教圏は霊的連結圏でありますから、それは今まで霊界の天使長世界の延長圏である。その中心者がイエス様。イエス様は今まで何をやってきたかというと霊肉世界の天使長の長である。全体を合併した天使長の使命を果たしながら再臨の時に肉体を持ったその親、すなわち完成すべきアダムが生まれてきた場合には、イエス様は霊的なアダムである。霊的天使長圏の霊的基盤に立っているから、その霊的基盤に立ったイエス様がその一九六〇年を中心として地上に初めてキリスト教と国とすべてが反対する。その時は韓国はキリスト教を中心とした政権時代だね。キリスト教と国、ちょうどユダヤの国と同じような立場でアメリカの統治下にある軍制政権時代だね。ローマに属するユダヤと同じように、韓国はユダヤ国と同じであり、キリスト教はユダヤ教と同じようなローマに属するアメリカの統治下に現代的、地上に蕩減圏を国家的基準を越えて世界的基準に再現させられたのがその当時の実相であった。 アメリカの宣教師を中心として韓国のキリスト教は一体化された。その国は、アメリカと結局韓国の国と通ずるようになる。結局、カイン・アベル圏からみた場合には、全体のキリスト教がつながっている。韓国の国を中心として自由世界をリードするアメリカ自体がつながっている。ここに、キリスト教が統一教会を歓迎したとするならば、すず七年間以内にすべてを果たすんだね。七年間以内にすべてを結ぶことができるぐ韓国のキリスト教が一つになった場合には自動的にアメリカのキリスト教が一つになるし、そうなった場合には(韓国が四八年に独立したんだから)自動的に国家と一つになって世界に発展していくんだね。 “祝福”の目的は新しい民族編成から国家編成に そのような原理的観点が果たされなくて迫害したんだから、迫害したすべてがサタンの方に回るんだね。そうなるとキリスト教は反対するし、韓国政府も反対するし、アメリカも反対する。結局、ローマとイスラエルとユダヤ教が反対したと同じようにアメリカと韓国とキリスト教が反対した結果になったんだから、みんな神に対して反対した結果になった。それを再び蕩減条件を立ててもり返すための二〇年間――それは一九六〇年から父母様を中心としての祝福以後二〇年間はイエス様から再臨主までの二〇〇〇年の歴史を蕩減するとともに、二〇〇〇年の歴史は、霊的二〇〇〇年の基台と肉的二〇〇〇年にあたる基盤まで連結させなければならない。だから、仕方なしにその使命はだれが果たすかというと、結局、アダムの使命である。真の父母の使命だ。真の父母の使命を完成して、世界的基盤の上に立たなければ「御旨の完成」ということができない。 それで二〇年間の三次七年路程を中心として六〇年から八一年までの二一年間を中心として、統一教会は戦いの道をたどってくる。それは、全面的戦いだ。戦いのその出発点では、政府とキリスト教が合併して、政府と合併して反対した。それに加えて共産党も入ってくるんだね。全世界の力をもった外的権限すべてが、統一教会と文先生を攻撃してきた。その中をくぐってその六〇年の一つの家庭から三六家庭、三六家庭を中心として七二家庭、一二四家庭、四三〇家庭を中心として国の基準を完全に蕩減する基盤をつくり、それが七七七家庭を中心として国家的基準から世界的につなげる神をつくって発展しているんだね。 それ以降、一八〇〇双、一六〇〇双、二〇七五双、六〇〇〇双というような世界的、超民族的新しい国家編成を目標として、世界の民族を集めて国を建てるためである。わかった?(ハイ)新しいイスラエルの国、新しいイスラエル教会-ユダヤ教会と同じように、新しい第三次イスラエル国家、新しい第三次ユダヤ教、キリスト教、ユダヤ教プラスキリスト教をプラスさせた宗教となるべきなのが韓国においての統一教会であった。わかりました?(ハイ)それで今までわれわれは世界の八〇余国の国々の人々を集めて何をやるかというと、われわれは民族をもっているんだね。もう一人でも民族だ。イスラエル荒野のイスラエル民族と同じようにわれわれ統一教会は世界の荒野の中でイスラエルの国に帰る、復帰の路程をたどっているのと同じだ。そこであなた達は追いに追われて、行く所を知らないんだね。そういう立場だ。ちょうどカナン復帰路程を世界的に求めて行くところである。イスラエルの六〇万は国家、民族をめざして、国の基盤とともに国家編成をみたしてカナン復帰を願ったと同じように、われわれ世界の祝福家庭は何かというと、氏族編成を終えて民族編成をなして国を建設するために、エジプトを立って荒野に出たイスラエル民族と同じようだ。そこにいろいろな迫害、試練に遭っている。 地球上荒野圏から世界的カナンへ アメリカを中心とする自由世界全体が反対する。そればかりでなく、共産主義、全世界が反対する。君たちここに来ている田全体が統一教会に反対しなかった国がないんだね。全体の世界国家からアベルを引き出すんだ。全世界の数多くの国々からアベル圏を引き出して、世界から引き出したものをそのアベルを中心として民族編成を越えて国家編成の道に立っているのが現在だね。だから日本においても統一教会が迫害されてもだれも同情する者がいないね。同情すべき内容なくして同情しないや。国家基準というものがないからわれわれはパスポートをもらうことができない。だから、パスポートのないものは世界に通ずるビザを得ることができないと同じように、どこに行ってもムーニーは今、追いに追われている。 だからあんた達はどこへ行くの、どこへ行けるの。(カナンです) カナンといっても、国は自の国ではありません。復帰の理想を求めて地上天国に帰らなければならない立場が、まさしくイスラエル民族が出エジプトしてそれから荒野路程をカナン復幡帰路程に立ったと同じである。自分の故郷に帰り、国に帰るのに、そこには三十一族というような怨讐が銃剣をかかえて狙っているんだね。あらゆる方面にこれを虐殺してしまう。それと同じように統一教会は荒野、地球星荒野の立場に立っている。地上でのカナン復帰の路程に立っている。指導者は、誰か。単に、レバレンド・ムーンしかいないね。レバレンド・ムーンはいわばモーセだね。モーセが反対されるのとちょうど同じ立場に、今先生が立っている。 君たちは、ムーニと言われるのを嫌ったり、誇り心を持たなかったり、みんな父母様をひっこませて……。それはだめ!正々堂々とでるんだ! カナン復帰路程完成を目指して それで、荒野地球上においてモーセを中心としてそれはアラブの荒野を越えてカナン復帰すると同じような運命に立っているのが、世界荒野地球上において世界地上天国に向けて移動しておる民族と同じようなものが統一教会。わかりました?そうなればあなたたちのとどまるところは日本人としても、日本ではない。それではアメリカがアメリカにとどまるところがない。結局、韓国自体もとどまるところがない。どこかの国が教会と完全に一つになって統一教会を迎えるようになったら、統一教会は大移動することができるんだね。それはブラジルとか大きな大陸だったらいいだろうね。南米でもアフリカでもどこでもいいや。われわれは移動の訓練だ。大移動の訓練だ。そうすると、モーセが手を挙げて方向を提示した場合には、そこには絶対服従しなくてもいい?(いいえ) 絶対服従しなければならない。世界の荒野の中に一人ぽっち、モーセは淋しいようだが何でもない。神様と一つなんだから何でもない。それと同じようにレバレンド・ムーンも何でもない。先生も目玉を二つもった、同じ五官をもった一人の男である。問題はその背後に神様がともにいらっしゃるかどうかであり、一人自体が問題ではありません。この地球上荒野圏に立った統一の群の前に世界的モーセみたいな立場に立っているのがまあレバレンド・ムーンではないか――先生はそう考えるよ。(拍手) われわれ第三次イスラエル選民圏に立っている統一の群は、方向を提示すれば、絶対的に服従して従うということが、イスラエル民族と違う。違わなければならない。昔は荒野に立ったイスラエル民族に神はマナとウズラをよこして食べさせた。今、統一教会は奇蹟でもって食べさせるよね。みんな奇蹟的だ。荒野に広がっている全世界の統一教会が前線に立って前進するものを食べさせなければならない。現代的摂理をなしている神様はウズラとマナは空から降らせず、実地的な生活圏内の実用物を通して、マナ・ウズラ以上の祝福をなされているのが、日本でやっている現在の活動だ。いつまでやるや? われわれ移動する共同運命圏に立っておる。第三次イスラエルの世界地球荒野圏に前進する路程が終ってカナン復帰路程を完成して定着する時まで続けなければならない。わかりました?(ハイ) それはどこの国がやり易いだろう。 国を代表した祝福家庭 韓国は今世界の二大主流の、一つはキリスト教文化圏と唯物思想圏、全体的歴史観的主流の立場からいえば、一つはヘブライズムの結実体の文化圏、いまひとつはヘレニズムの結実体の文化圏が世界的に衝突する一点の基準が韓国の三八度線である。三八度線は祭壇を二つに分けて血を流している。 そうみれば何としても韓国を中心としてこの移動する第三次イスラエル圏は、結局韓国を終着点として解決する方向にまとめざるを得ない。なぜなら韓国は世界的なすべて(の問題)を、二大主流を解決する基準になっているからです。そのためにこんどの結婚式も韓国に来てやった。これは世界的波紋をおこしているんだね。統一教会といえば六〇〇〇双(拍手)。どういうふうに結束したか。当事者もわからないうちにやった。そうなればこの世の中の君たち一人一人が今来た国の大統領になったとすれば、どうなる? 八五カ国の祝福された者がレバレンド・ムーンと同じように――レバレンド・ムーンは世界にむけてすべての基盤をつくるために戦ってきて、今蘇生級は完成ししたことになる――そういうことをさすとするならばどうなるであろう。 今祝福された君たちは国を代表しておる。 三〇〇〇双以上の祝福家庭が生まれたということは、日本はもう一躍復帰できるんだね。だからキミ子、ハヤシと二人で集まった感じでなく、日本を代表しておる。われわれ祝福家庭は、自分の氏族、全日本をだれが早く復帰するか、という競争圏に立っておる。みんな、ライバルだ。わかりました?(ハイ) われわれは神の派遣部隊 われわれの現在の立場は、地球荒野に立った第三次イスラエル民族であり、われわれが移動してゆかなければならないところはどこかというと、世界的カナン復帰の基盤である地上天国に帰らなければならない。一心不乱、夜に昼に一心不乱、寸時もあけることができない。一心を満たないからそこにはもう時空のすべてを超越しておる。寸時でも許さない。そういう信念に立って貫くこ御旨は一心どころではない。一食を捧げても果たすべきである。一民族を捧げても果たさなければ世界復帰の地上天国、カナンの地を見い出せないことを自覚した、その民族の大移動がなされた場合には、その民族は世界を治めるだろうというんだね。 こんど日本のメンバー達がみんな世界に出ていく。黒人、白人、黄色人と結婚して、みんな世界じゅうに分かれて出発していった。 それは何故かというと、モーセが荒野に引き出した民族をおいてシナイ山での四〇日間の祈祷中に反乱が起きた。それと同じように、カナン復帰路程の統一教会の未来において乱される一時期が来るに違いないというんだね。南北にせよ、北米にせよ、アフリカにせよ、中近東、六大州の人類の住むことのできるところは、いつか乱される時が来る。それは何かというと“愛”の問題だ。云いかえればフリー・セックスの問題だ。自分の肉体を中心としての満足だ。 日本の女性はね、自分の父母のために、夫のために生命を捧げる性格が濃厚だね。それと同じように先生を父母として今度祝福された旦邦さんを旦邦にして生命をかけて一心不乱、カナン復帰の伝統的精神を世界に築かなければならない。そういう使命を持って日本の女性がそういう立場に立ったということを光栄に思いまして、未来の世界において、歴史的に苦労した日本の女性が歴史的に解放の、祝福の旗手として世界万国におくられたそのこと自体を尊く思いながら、――単にお嫁に行くのではなく、カナン復帰の使命を果たすために。そうだろう、カナンに十二人のスパイが行った時にね、ラハブというその権威者が隠してあげた。それは祝福されたラハブでなくして天の娘として保護する、拡大するために行くんだという重大な使命を背負って行くという信念を持たねばならない。わかりました?(ハイ) 八十余国にいっぺんに派遣部隊を世界的に送ったことになるんだね。自分の旦邦さんを王様として、旦邦さんは国の中心者以上に尊いものである。自分はその国の女王以上尊い立場である。その権威と、その基盤を一心不乱、時間を惜しみつつ拡大しなければならないのが、祝福された新しい出発をなそうとするあなた達の立場である。わかりました?(ハイ) それをはっきりとしなければらない。 神に通ずる愛国の心情基盤 そうすると、今われわれはどういう時点にきているや。もう少したったら、アメリカも日本も韓国も統一教会を歓逆するであろう。もしも、これが全体的摂理となった場合、先生が命令すれば全世界は一つになる。そこで君たちはその国へ行って何をもとめるか。国民が求める前に天の心情と人間の心情を求める。これが中心である。愛国心において帰る。愛国心において代表でありながら、その愛国心は各国にちらばっていおる現代の国は神に通じていない。神に接触していない。神を中心として愛国者として第一になればそこから窓があく。日本においても統一教会は愛国者というだろう? 神の子供でありながらその国を愛する者が主人になる。愛される者は愛する者に従うということが存在の鉄則、創造理想の主流の道であった。だから、神を中心としてその後の如何なる歴史を通じても探し得られなかったたった一人の愛国者となったとするならば、そこから現代的天運、世界的運勢の統一圏はいっぺんに拡大するであろう。 今まで悪いといううわさがはびこってきたんだが、どうせ抜けてしまう。根がないんだ。いっぺんに抜けられる。しかし、愛国者であった、愛国したということは今日誰もぬくことができないという場合には、そこから国が起こる。簡単だよね。その国の過去・現在・未来において国民全体の心情の本質の根になれ!そうすればそこから芽が出てきて、そこにある大きな木になるんだね。今まで大きくなったその木がその根を中心として大きくなった場合には、その全体の木はその根によって大きくなったことになるね。 各国に行って伝統的愛国心より以上の天の神様の心情を中心として深い心情の根をおろす第一人の愛国者になれ!(ハイ)一心不乱、一生懸命、自分の生命をかけて愛国者の第一人の記載者になるとすれば、それは歴史的伝播基盤が決定する。アダムが神の心情に一貫した神に通ずる愛国の基盤を持たなかったから堕落したんだ。 神の心情に通ずる立場に立ってその国と地球をだれよりも愛するという立場に立ったとするならば、その立つところが堕落しなかった真の父母が立つべき位置だった。 その基準の伝統に立ち入ることができるから、その基盤からいくら国が反対し、いくら周囲が乱れておっても必ずその環境はおさまるよ。韓国人に追われ、韓国より迫害され、あらゆる政権に迫害されている先生は歴史にない愛の心情を注いできた。 統一教会を利用して勝つものは地上にありえない。それは天運の法則であるということがはっきりわかりました?(ハイ) 一人ぼっちであっても愛国者は国とともに行き、国とともに死に、国とともに生き、その国は乱された場合にも、乱されながら血を流してもそれらをこえていく。肉が飛ばされても、骨が残されていれば、肉と骨が一つになって残るというような思想を持っていく者が愛国者だ。この精神をいま、この世界において韓国人、レバレンド・ムーンと日本人のアダムとエバが世界の国を代表して一つになってこの心情を受けついだ場合にはアダム・エバの心情圏を世界に拡大することになるから、その一点をまとめてわれわれは奮起し、飛び出すための集会を持ったということを自覚しなければなりません。(拍手) 行こう!どこにむけて?地球の果てを逆にまわってもどってきて、神の前に勝利を讃美するために! 神様に誇れる子女の権限を回復したがために!万宙、すべての最高の頂上の、愛される子女となるがためにわれわれは行こう! アフリカに行って死ぬんじゃないよ。子供をたくさん産んで帰ってくる時にはね。カナン復帰六〇万ぐらいをつれてきた時に、神様は、「オー君の子孫全体をわしが祝福して愛してあげよう」となるよね。(拍手) こうやってみた場合には素晴しい。だから現在はカナン復帰、未来は天的心情圏を正すんだ。わかりましたね。(ハイ)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.03
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第39回神日本聖和祝祭が11月3日10時30分から開催されます。中継URLは以下のとおりです。
2021.11.03
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6000双国際合同祝福結婚式(1982.10.14、韓国)を前後してのみ言です。愛の安着点 聖酒式前のみことば1982年10月13日ソウル 蚕室体育館 いちばん大きな問題 いまの世の中の世界的問題、世界に重大な問題がひとつある。いちばん大きな問題がひとつあるとすればそれは何だろう。国家の問題、政治の問題、経済の問題と歴史上にいろいろな問題があるとしてもそのいちばんの問題、重大な問題でまた第一次的に解決すべき大きな問題が残っている。世界には…たとえば日本には何でもある。女もいれば男もいる。それから経済力とか政治力とか、文化力とかあらゆるものがある。ある者は金をもった者、権力をもった者、知識をもった者こういう人々がいる。人間の欲望で願う三大要件としては、金の問題、権力問題、知識問題がある。 今までの歴史上にあったこれらの問題よりもっと重要なものは何か、(愛の問題です)世界中でいちばん重要な問題でありながらまだ解決されていないもの、人類が宿望として願いながら解決すべき問題は何かというと、それは愛の問題である。その愛の問題は人類の問題であり、人間として生まれた以上は愛の問題がある。その愛の問題は人類ばかりではない。これは動物界、植物界すべての被造世界にわたるというんだね。今家で飼っている犬などをみても、主人の愛に従っている。愛する者に従う。お百姓さんにしても農作物は愛する農民の心によって支配される。愛という問題は重大な問題である。それは人類問題であり、それを拡大すれば宇宙問題である。 人間以外に神様がいるとするならば神様は何を問題とするか、神様には金の問題とか権力問題、知識問題は問題ではない。神様はすべての王様である。神様においても、けっきょく問題点があるとするならば愛という問題を中心として問題になっている。人間をなぜ創ったかというならばそれは愛の問題を完成するためである。人間ばかりではなくて、人間と神と神人共同理想完成のためにいちばん必要なのは、力でもなければ権力や金でもなければ知識でもない。それらは神にはすべて備わっている。しかし愛というものは神にも備わっていない。愛はどういうところに成立するか、相対圏、すなわち主体、客体圏が成立しないというと愛の完成ということは生まれてこない。 そういう意味においてなぜ天宙創造、なぜ人間を創造したかというと愛の理想の完成を目指して創った、という理論はもっともな理論である。統一教会は世の中で今までいろいろな迫害を受けてここまで上がってきたのだけれど、統一教会が願う中心的主流の行くべき道、その目的はいったい何か、真なる愛の道を行こう、真なる愛の世界を完成しようということである。そういうふうにして何をするか、神ともに神が願う理想圏を完成する。それが人間およびこの地上歴史の完成の目的でありすべてがそこに集結している。 み旨の完成は愛の理想完成 われわれ統一教会はみ旨という言葉を使うんだね。いったいみ旨とは何か、答えてみなさい。神学界のいろいろな有名な学者たちに「み旨とは何か」と聞けば皆答えはまちまちだ。百人集まれば百人全部違う。そんなみ旨ではない。絶対なる神のみ旨はひとつである。それなのにみんな神学者たちがいうのはいろいろで、千人集まったら千人の言うことが違うというのは、それはまだまだみ旨に徹するその道に入っていない、そういう内容になるんだね。み旨の完成はいったい何か、(愛の完成)けっきょくそれは創造理想の完成である。創造理想があるからね。み旨の目的は創造理想(の完成)である。 われわれ各人がここに来ているが、われわれはなぜ結婚するか、結婚の意義は何か。男、女同志生まれた理想を完成するためである。その理想は何か、結婚を通して愛を結ぶことだ。それは理論的である。だからみ旨を完成することは神の創造理想を完成することである。はっきりしている。創造理想の完成は何か、統一教会の言語を通して語れば四位基台完成である。では四位基台完成とは何か、それは愛を中心として神様と人間がひとつになることである。ひとつになるにはそれは縦的にばかりでなく横的に、横的にばかりでなく縦的に完成することである。それを統一教会は四位基台完成という標語で表わしているというんだね。み旨の完成は創造理想完成、創造理想完成は四位基台完成、四位基台完成は愛の理想完成、けっきょくみ旨の完成は愛の理想完成である。そうなるんだね。そうみればこの堕落以後の歴史の世界にはね、愛の理想完成という言葉もなかった。そういうような観念もなかった。主張もなかった。何かわからないが生まれてきてこのように万物の霊長として生きていくそれが人間だ。今までそういうふうに考えてきたね。それは人間ばかりで神様がいないとするならばその理論を認めることができる。しかし人間の本来の本源を探り探ってみれば人間は結果的存在である。結果は原因なくして生まれてこない。神の側から出発したとしても、その膨大なる進化過程において力の投入というものは何によって果たしたか。それ自体が力を創りながら外的のあらゆる元素を吸収するその能力をもっているかというとそうではない。より高い発展の動機になるには力の合成、力の結合というものが問題になる。そのより動機となる力の結合はどこからきたか。それには根本がなければならない。人間もそうだよ。君たち先祖から生まれてくる人間、君たち自体もね、大きな二十五歳ぐらいまで成長するまでにはその原因たるその愛、原因たる自分の核子があるんだよ。それを中心として、内的な核子が拡大されて外的な元素を吸収して、その核子の原因にふさわしい結果体として生まれたのが今結婚したいというここに現われた男、女たちであるんだね。それは間違いない。そうみれば人間は結果的存在だから原因たる神様を認めざるをえない。 神様を認めた場合には神様は原因の主体であり、われわれは結果的存在である。結果的存在であるとするならば、人間の願うすべての考えは自分個人の願うとおりに行くべき目的で動くのではない。必ず原因とつなぎ合う方向の道をそれは辿っていかなければならない。だから良心という作用は永遠万年の歴史を通過しても革命がない、変化しない。良心の方向ね、ある本の高い理想に到達しようとするそういう考えだ。そういうふうになっているんだね。これが堕落することによって現在の歴史の過程においては、父母に対しての真なる愛を中心とした定義がない。父母がなんだ、父母は父母であって何でもない。動物的に結合して自分を生んでくれた者が父母だ。それではいけないというんだね。 真なる親は何か。天が本の愛を中心として、主体たる神様がいたとするならば神様を中心としての人間が侍るべきその親ということだね。愛を通しての親の定義、それが成立していないからこの親たちの果たすべき宇宙に対しての使命――宇宙の初めの子供に対しての出発点から、家庭の出発、家庭を中心として国家、世界、宇宙まで連結させる道がない。愛の父母を知らない者が愛の父母の理想を知ることはできないね。みんなそういうふうになるよ。愛の子供の定義は何か、愛の夫婦の定義は何か、愛なる神様の定義は何か、すべて知らない。だからその家庭は皆バラバラになる。旦那さんも奥さんも親も子も皆バラバラになる。国家、世界全部バラバラになっている。それを結合するために神は働いてこられた。歴史過程においてそれを果たすために宗教というものを通して神は働いてこられた。 四位基台理想に基づく愛の革命 宗教において『神は愛なり』となぜそういうふうに言ったか、と聞けば「ああ神は愛なり」という。「なぜそうなのか」と聞けば「分からない」という。そうはいきません。それを明かすのが統一原理だ。なぜ「神が愛なり」か。その愛はどこに帰着しているか。その愛の帰着点はいったいどこか。神様の心の真ん中か、宇宙の真ん中か、男の心の真ん中か、女の心の真ん中か、その帰着する中心点はいったいどこか。それが漠然としている。そうすると女の愛の帰着点と男の愛の帰着点が違うね。男と女は性格が反対だ。女は小さいし男は大きいしね。だから愛の方向がいろいろな方向に相反する。そういう男女の関係において愛の帰着点の一致点はどこか。それには真の愛を中心としての帰着点を求めたらいいね。男、女の愛の帰着点がバラバラになっている。だからそういう人々が構成されれば、家庭、氏族になるし、大きくなれば民族、国家になるんだね。それを合わせたものが世界である。だから今の世界において真なる愛の帰着点がない。 堕落世界は何か、というと愛の帰着点を失った世界である。こういうふうになっている。分かりました? 統一教会の文先生はこれを歴史以来はじめて主張した。主張ではない、初めてこれを明らかにした。愛の帰着点はどこにもない、どこにあるか、われわれが統一思想で教える四位基台中心点である。 真なる愛の帰着点をもった男と真なる愛の帰着点をもった女、これが結合しないままの男女(関係)においては、各自が神に通じての方向をもっているんだね。それはまだ未完成である。それはひとつでしかない。種子を見た場合種子には必ずひとつの核があって核は必ず二つの部分から成っているんだね。その二つがおおわれてひとつの核になっている。それは宇宙全体を表示している。その中には胚芽がある。その胚芽から新しい生命の発生がある。このように見た場合それと同じように人間自体もそういうふうになっているんだね。男だけではいけないし女だけでもいけない。これをひとつに結合しなければならない。結合するのに内的において完全に一致する動機の力と、完全に外に逃げないように包んでくれる力、すなわち宇宙力と自分の主張力が反発するのではなくて、それが必ず共に結合しなければ、大と小が、小と大がひとつになる宇宙の創造原則が、和動原則が、作動原則が生まれてこない。 このようにみた場合、愛の帰着点、愛の完成点、神の願う愛の安着点、男女の願う安着点はいったいどこか。それが異なった場合には大変だ。出発点を得ることができない。それを統一教会ではよくもよくも四位基台理想でもって定義されているんだね。分かりました(はい)真の男の愛の安着点と女の愛の安着点が近寄ってひとつになったとするならば宇宙の根源の中心はそこに自動的に生まれてくる。男女関係の愛がひとつになると、宇宙の愛の完全なマイナス圏が生まれてくる。そのマイナス圏が生まれる前にプラス圏が生まれている。宇宙の原則だ。完全なるマイナスが現われてくれば完全なるプラスは自動的に生まれるようになっている。だから例えば男女関係においても安着点に向かって突進する。自分一人こういうように「男はつよい。女は何でもないからいらない」ということはできない。ともに安着点の方向は反対だね。男性は女性の方に、女性は男性の方に向かうんだね。それは速い、ジェット機でも追いつかないような速さでもって進むんだね。いちばん強い。それが思春期の男女関係の愛の力である。なぜそうなるのか、それの目的を知らなかった。われわれははっきり理論でもってわかりました。ところでなぜこういうような国際的な会合に八十五カ国の若者を連れてきて、こういうひとつの場において合同結婚式をなんでするや、それは問題だよ。神様の御名と神様の真なる愛の標題のもとにわれわれは集まった。目的は何かというと神様の理想完成の愛の安着点を求めてきた。素晴らしいよ。だから国を越える。だから大陸を横断しても、世界いずこを回ってもその安着点を求めていかなければならない。どうせ行くべき運命の帰着点になっているから。それが早い道だとするならば、神様が中心になり、真の父母が中心になり、そうして全世界の人々が各民族を超越して一挙に安着点をつくるということは、そしてわれわれの四位基台理想を成すということはこれは愛の革命として宇宙革命として、いちばん偉大な革命の一角を担って立ったということだ。(拍手)素晴らしいことだよね。 そのためにわれわれは国が反対し、家庭が反対し、父母が反対しても行かなければならない。なぜか、理想的愛の安着点を受けていかなければならない。人類宿願のその願いのもとに、神様の宿願の願いのもとに、歴史を通して人類が求めてきた目的点である。この一点が安着した場合には、個人も回れば旦那さんも奥さんも回る、夫婦も回れば子供も回るということになる。子供はこう回るんだよ。(親の回る方向に)今までの一般の世の中の子供は、親がこう回るのに反対方向に回るんだね。夫婦においても旦那さんがこう回るのに、「ああ、あなたがそう行くのだったらいきなさい。私はこういく」というわけだ。人間の最高の欲望の安着点は何かというと愛だよ。愛以外の偉大なものはない。分かりましたね。 家庭安着点は天宙に通ずる きみたち今度はじめて先生に会う者が大半だね。九〇パーセントぐらいがはじめて見るよね。韓国の者はみんな会っているんだけれどね。なぜ先生の顔も見なかったや。韓国人の先生だからね。それから日本民族は皆怨讐だよ。韓国を昔植民地として支配した、見下げた者だ。怨讐の反対は何だ、親讐? その怨讐も親讐も何を願わざるをえないか、愛の安着点である。だからその愛の安着点を握るには愛の怨讐を打っては絶対に到達しません。怨讐を消化し、愛したという基準でそれを抱擁しないというと安着点に行く道は絶対生まれてこない。だから宗教は、イエス様は言ったんだね。「怨讐を愛しなさい」と。そういうような逆説的なことはそれはみなそういう意味のことを言っている。その基準に到達するには、われわれはあまりにも不合格の素質をもっているね。あまりにも汚されている。それをわれわれは蕩減復帰する。個人蕩減復帰、家庭蕩減復帰、氏族、民族、国家蕩減復帰をして世界を一周して回ってこなければならない。 地球には見えない磁力線があり、それはふつう南北を往来している。それは小さい磁力線であるようでも、また近い所ではこういうふうに回っても、必ず極から極を狙って回る。これがなければ大きいものは生まれてこない。そういうようにして大きいもの(磁力線)は周囲を回る。中(中側の磁力線)もけっきょく極から極を狙って回る。それは何を意味するかと考えればね、中は小さい円、外はもっと大きい、その外はもう少し大きい、もう少し大きい…と外にいくほどより大きい円となる。そうすればセンターはどこか、センターは二つはありません。宇宙の垂直線、水平線をえがく九十角度、三百六十度の中心核というものはひとつしかない。宇宙の中心核はひとつ、それが何かというと愛の理想の安着点だ。とこうなれば「ははあ、世の中簡単だ。わが理想はここにある」そうするとこんなに大きい中心核の中心を中心として、円球のすべての距離の基本となるその中心点を通ずる点はどこや。その点は二つあります。九十度を接する円をみれば小さい。しかし小さいと無視したらたいへんだ。愛を中心として安着した円は、小さい円でもそれは宇宙全体を代表する。大きい円はその上にかぶさらなければならないね。そういう考えでもって統一教会はその中心を何におくかというと、家庭を中心として安着点をなそうとしているんだね。家庭愛は自分男、女同士の愛ではなくして、家庭自体を愛するためだけではなくて、宇宙愛に連結されるための基本的位置にあるということをわからなかったね。その愛を転化して四方八方に活用する、そういう世界は愛の世界であり、そういう世界を拡大したのが地上天国であり霊界の天国である。簡単だよね。そうみれば向かい合った男性、女性は怪物だね。この関係が間違った場合宇宙が破壊するんだ。愛の安着点がめちゃめちゃになる。日本人でいえばね、女はつきそいのもの、おまけの存在だ。それはだめだよ。そう考える日本の男性はだめだね。女はつきそいのものではない。堂々たる基本となる相対権限をもった、主体の前に客体の存在である。いくら主体が偉くても客体がいなければ主体の価値はゼロだね。日本の女の子はよく分かるね、男よりね。 今なぜ結婚してやるか。今まで結婚式をしてあげるのは牧師とか地方の有名人だったね。しかしレバレンド・ムーンは今はもう悪い意味において世界的に有名な人になったね。宗教指導者として一生涯にこれだけの世界的影響を及ぼした歴史的な宗教的指導者はいないんだね。(拍手) 統一教会では真の父母という。それでアメリカや日本の父母たちは「それが真の父母というのならうちは何だ。真の父母の反対は悪い父母だ。だから悪い父母という結論に立っているじゃないか、レバレンド・ムーンは父母たちを全面的に破壊する破壊分子だ」と反対する。それはどうでもいい。しかし君たちの今迄の観念においてはわれわれの主張するのは違う、見る観点が違う。おやじもおふくろさんも祖父母も新婚旅行の夫婦も三代通してのすべてが――孫と住むとかそういうことを思う前にもっと必要なものは何かというと愛の安着点である。世の中でいちばん重要なものがそれだよ。 世界でいちばん重要なものはなにか、愛の安着点である。その安着点を握れば国の安着点に通じ、世界安着点、宇宙安着点、神の霊界の安着点に通ずる。神様がいたとするならばこの安着点さえちゃんと握れば神様も握られたことになるね。われわれはこういう絶対権限の愛の理想基準を分かるんだから、国を越え大洋を越え、大陸を越えてこういうことが可能である。ということは一般の人はいくら研究しても分からない。 堕落するに宇宙的に堕落した。世界的に堕落した。国家的に堕落した。それは民族的、氏族的、家庭的、個人的にも堕落した。それを家庭を通過して連結させる。そういう意味においてレバレンド・ムーンという人はそれを連結する梯子を今まで造ってきた。 安着点に達した愛の力 大韓民国は国をもっており国軍をもっておりながら、この思想に侍ったとするならこういうような悲惨な国にならなかった。世界の母胎となる堂々と世界をリードし、世界に影響を及ぼすそういう偉大な民族になったはずなのに、国が反対し既成教会が反対した。反対する中において、反対の道をくぐって統一教会は国を越えていった。日本も反対するしアメリカも反対して法廷闘争をやっている、ドイツも反対する。今世の中で一番の問題はというと韓国が問題であり日本が問題であり、アメリカ、ドイツが問題である。この四カ国において統一教会を完成するようになれば世界は自動的にひとつになる時がくる。韓国と日本、アメリカ、ドイツ、それで先生は宣教師を送る時、日本とアメリカは怨讐、アメリカとドイツは怨讐、日本と統一教会の文先生は怨讐、怨讐四大圏、四大国家圏を代表したものを中心として「ひとつになれ」と言った。これが世界宣教師を送った標題だったね。君たちがひとつになれば完全に世界が動く。怨讐圏国家内に天の伝統的、愛の帰着点をおろした場合にはサタンの世界は自動的に崩壊する。偉大なことばだよ。これは文先生の話ではなく宇宙の法則だ。 今日なぜ集まったの、聖酒式、統一教会には特別の式が多いよね。聖酒式はいったい何や。愛の問題を汚してしまった。愛の問題、今もこの世の中をみた場合地獄だ。何を中心としてみた地獄か、愛を中心としてみた地獄だ。父母が子供を愛さない、愛のそこにおいての分裂。夫が奥さんにむけての、妻が夫に向けての愛の決裂、お嫁さんとお姑さんとの決裂。大変だよ。それからお嫁にいったその家の兄弟とも全部問題だ。愛を中心としての秩序がない。それを果たした場合には宇宙は理想的になる。簡単だね、理想的になるのは。 だから君たちが旦那さんを死んでも死んでも死んでも、上に死んで下に死んで、右に死んで左に死んで周囲どこへ行っても、死んでも死んでも愛する愛しかないというようであったら、どこにいってもパス。宇宙愛理想圏のパスポートは自動的に発行される。すばらしいね。そのパスポートを天国の門にサッと入れれば天国の門はジーッと全体が開く。行った天国は愛の足場になってしまう。恐ろしいことだよ。文先生は空想家でそういう言葉をつくって言うんではないよ。そうではない。つくって言えば本当のこととはいえないから問題にならない。つくったのではなくて原理を通しての結論を出しておくんだ。それは問題になる。あんたたち行き出したら自分も知らないで引っぱられて行くよ。ああ統一教会が反対する、ああ異端だ、サタンだと。サタンでもいい、異端でもいい、死んでもいい。死んでもいいといって死んでみればそれが本当のものだったというわけだ。分かりました?(はい)。 世界にはこういうような安着点を照らす梯子がなかった。それを先生は一生涯を通して日本の国と梯子を造った。愛の梯子を造ったよ。だからその国におる統一教会のメンバーは先生が行くといったら命がけで歓迎するようになっていません、いません!(います!)います(拍手)将来どの国の人でもいいからみんな入れるような万国に通ずるパスポートがあるとするならば、なんのパスポートがそういうのになるか考えてみなさい。金持ちのパスポートで通過するのだろうか。ノーベル賞を十二個ぐらいもらった学者だから、だからあなたの国のパスポートはいりません。それ通じる? 知識の王様だからといって通じる? 通じません。また私はアメリカ大統領だからといって通告しないでどこへでも行けますか、行けません。 しかし愛の理想の安着点が出したそのパスポートは宇宙のどこにも運べるようになっている。スッと出せばすべてが開かれる。その人が来た場合は国が栄えるし、国のためになる。自動的にそうなる。だから先生は言うんだ。万国のパスポートを撤廃する力は何か、愛の安着理想を拡大して世界的になった場合には、その時には間違いなくそうなる。それは理論的なの、嘘なの? レバレンド・ムーンがどうしてあのようにして全ての青年達を釣ってくるか、これは世界の謎の問題、宇宙が注視する謎の事件だ。別に何でもありません。愛を与えるからだ。人が二十四時間、一生涯口を開けて求めるのは愛である。愛の安着点に達した愛の糧である。 安着点を連結して天国実現 それでは聖酒式とはいったい何や。本来の真の父母と、本来の真の夫婦と真の兄弟、真の神と真の人間たち、壁なくして自由に愛の理想で結合すべきすべてのもの――神と人間、すべてのものの間に壁ができた。親と子の間に壁ができ、夫婦の間に壁ができた。動機を中心としてみた場合、堕落とは何か、愛を中心として嘘を言ったことだ。だからいちばん罪の大きいことは愛を中心として嘘をいうことだよ。奥さんが旦那さんにちょっと嘘を言うとしても大変なことだよ。愛を中心として嘘を言う、それが堕落、原罪に通ずる。 それから第二に、堕落とは偽りの不倫の愛の関係だ。それはいけない。不倫の愛、これが愛の理想を破壊し、人類歴史を破壊した動機だ。それから第三に、あの女を何とかしてみたい、あの男をなんとかしてみたい、そういう心もっておる者がいるだろう。あなたたち考えてみなさい。人間の本性にそういうのあるだろう。それは堕落の欲望だ。愛の強盗がサタンであった。だから偉い旦那さん、立派な奥さんは「私は罪を犯した歴史の罪人として何の相対者をもらう資格はありません。隅の隅に行って何でもいい」というんだね。そうなればそこからサタンの愛圏を越えることができる。 第四には殺す、殺人ということ。愛の反対の立場に立つ者を討った場合、西洋式においては相手を殺す決闘というね。カイン、アベルが決闘してみんなサタンの世界になった。 愛を中心としてこのような四大要件を消化していかなければ理想の愛の世界には行かれない。先生もそうだよ。しかしこの原則において先生はひっかからないんだよ。統一教会は反対されながらなぜ発展するや、統一教会は神様が援助するから。発展しなかった場合は神様はいないし人間の理想というものもないことになる。 こういうような罪悪の欲心があなたたちの心中にあるのをいかに抜き取るや。神様を愛し、世界を愛し、人類を愛し、自分の国を愛し、民族を愛し、氏族を愛し、自分の父母を愛していかなければならない。父母を愛する基準に到達した。最初の出発点は父母だ。父母を愛さなければならない。しかしその父母がいない。皆堕落した。だから世界的に天の御意によって世界の父母の代表的な立場に、摂理観の前に立たしているのがレバレンド・ムーンだということが今になってみんなよくわかるようになってきたね。ここで安着点を先生と共に世界に向けて、天宙に向けて出発するその一日からは方向が一定しておる。結婚するのは自分のためにするんじゃないよ! 神様のためにやるし、宇宙のためにやるし、人類のためにやる。それよりも愛の理想実現のための梯子をつくるためにやっておる、という偉大なことをわれわれは分からなければならない。自覚しなければならない、体恤しなければならないということを忘れてはいけません。(はい)そういうふうになるという者手を挙げて、そういうふうに間違いなくなりますという者手を挙げてみなさい。(はい) こういうようにあなたたちが安着点の家庭基準から氏族基準、氏族基準から国家基準、世界基準に通ずる道がある。それを通って夫婦共に行こうというのは大変なことだから、神様は代表的に先生を中心としてそういうことをやらしているね。民族を越えてアジアを越えて、世界を越えてモスクワまで行こうとさせている。 われわれはそういう安着点を世界に拡大しながら、大衆を結合し大移動させながら、地球の新しい真の愛の安着点を基地とした新しい愛の氏族編成を成しつつある。われわれは新しい愛の氏族編成とともに、愛の民族、愛の世界を編成するために、(こうみれば共産主義は経済的世界理想をいっている。しかし経済は変わるものだね)愛を中心として世界的革命を主張している。愛の革命だ。それは怨讐だといって鉄砲で、大砲で、日本刀でもって切ってしまうんではない、怨讐を消化していく。 だから神は核心とともにここから極の運動をしているんだね。それは内部の核心から外部周辺をずっと抱擁してその核心に帰る運動、地球磁石だね。地球は磁力線でもってその運動をやる、それと同じようにあなたたち夫婦の心情を通して世界心情を抱擁するようなものにならなければ神様の前に相対位置に立つことはできない。だからその相対位置に立つために男・女国家を越えて、民族やあらゆる複雑な文化の内容、すべてを越えて神の愛を中心として包括理想を知っているからこういうことができるんだね。そうなれば聖酒式は何か、あなたたちの心と良心が二つになっている。カイン、アベルになっておるよ。そして旦那さんとその奥さんが皆カイン、アベルになっている。人は神の方とサタンの方ね。これをいっぺんに条件的に平らげたものとして先生が橋をかけたね。だから、あなたたちの行く所には垣根がない。それを崩してしまう。個人から、家庭から、氏族から、民族から、国家から、世界から、天宙から、神様に通ずる八段階のあらゆる壁を崩した条件の上に立たす。それでそういうような愛の安着点に立っているんだったら、絶対無限なる愛の中心者である神の子供という信念に立ってこそ、出発点から一周して帰ることができるね。原因、結果すべてに通ずることである。何を中心としてか、愛を中心として。君たちの今まで考えた男女愛じゃないよ、男女愛もある、夫婦愛は悪いことではない。今までは男女愛は悪いこととした。これは本来は実に聖いものである。父母の愛は聖いものである。父母の愛は聖い、子供同士で愛する愛それは聖いものであるというんだね。 それをすべての壁を平らげたからサタン世界から解放される。すなわちサタン世界にいるのではなくサタン世界を超越する。そうするには最後には血統的問題まで引っかかってくる。それを切ってしまうその式が何式か、聖酒式だ。真の父母を通じ、真の兄弟、真の夫婦を通じ、真の人類を代表した男、女そして神に通ずるその基準を霊肉共に許可をしてやるのが聖酒式である。それをしないと結婚の途上に出ることはできません。分かりましたね。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.02
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