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:[22.01.02] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/01/02 09:45に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.31
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「祝福を受けた者達」1986年2月9日一九八六年二月九日 二月六日の早朝、ソウル本部教会・聖日礼拝の説似て、祝福を受けた者の位置を明示、その責任と使命について、原則的観点を示されました。 永遠の基準において測られる人間の生涯 きょうお話しする題目は、「祝福を受けた者達」です。 私達はこの世の中で暮らしているけれども、この世だけでなく、霊界があるということを知っております。また、この世と霊界は異なった世界でなくて、一つの世界として連結されなくてはならないということも知っております。では、我々はその中のどちらの世界に向かって生きているでしょうか。勿論、地上で肉身生活が終われば、永遠なる世界に向かって生きるのです。 世の中の一般の人々は、この世に生まれてから十代、二十代、三十代を越え、中年を過ぎてから壮年、老年へと時代を経ていくのです。青春時代を経て壮年時代に移り、やがて老年時代へと、時代の峠を越えながら、やがて落日の瞬間を迎えて生涯を閉じるのです。しかし、霊界があるという事実を知っている人々は、人間の一生というものは短いものであり、次に迎えるべき世界が永遠であることを知っています。それ故に、一生の期間というのは、永遠なる世界を迎えるための準備期間なのです。 では、何を準備するのでしょうか。学生を例にあげてみましょう。学生は一つの学期に、あるいは一つの学年ごとに、学校が制定したすべての学科、試験に合格点を取らなくてはなりません。そして、及第するためには、学校が定めた基準点で合格しなければなりません。一〇〇点満点をその基準とすれば、その基準にどれくらい到達したかによって、その学校の真なる認定を受ける基準となるのです。それで、合格点に満たない場合、そのパーセンテージが多ければ多いほど、それは学校で立てた価値基準から遠くなるわけです。つまり、ある標準の下で、すべての物事が測定されるというのです。 我々の一生も測定される時が来るのです。この肉身生活の期間は、学校が認める合格点を取るために勉強する準備された期間と同じようなものです。我々が人生の合格者となるか否かを問われるとき、準備された生存過程において、なさなくてはならない責任的位置での、その責任遂行の実績が追求されています。言い替えれば、そこには責任を追求する一定の基準の前に、どれほど一致するかというその基準値を中心にして、皆さんは毎日の生活と生涯の路程を歩んでいるのです。 世間一般の人々はそのようなことは考えません。生まれてから、ただ父母に仕え、家庭に生きることで、祖先から一般の人々が暮らしているように、この世のしきたりから外れないで生きているのです。その日常生活すべてが肉身生活を中心にした生活をしているために、肉身生活に必要なあらゆる物事を重視しているのです。どこに構えて住み、どのように食べ、どのように着ようかという、衣・食・住の問題の解決のために一生を費やしています。 そこには勿論、社会生活や人間関係において人倫道徳が形成され、発展してきた一面もありますが、そのような道徳の基準が民族間で異なり、国家間で異なり、また世界のすべての文化的背景の差によっても異なるため、それぞれの道徳基準とか、社会制度も全部異なってくるのです。 本然の人間としての生活基準 このような現状を歴史的に顧みるとき、人間の行くべき本然の基準と、今日の我々が住んでいる生活基準として立てるべきすべての道徳基準がいくつもの方向に分かれてしまって、一つに収拾されていません。それが問題です。それは、人間が生まれて、この世で歩むべき本来の行く道を、本然の世界の何たるかを知らなかったためであり、死んでから行くべき所がどこか、これが確実となっていなかったからです。そのために、一般の人々は霊界があるのかないのか、神がいるのかいないのか分からないのです。 しかし、我々統一教会の人々は霊界が確実にあるということを知っています。信じることを超えて、知っているのです。それはなぜかといえば、多くの体験を通して、否定しようにも否定することのできない歴史的事実があり、今日の現実的な事実があるからです。今日、統一教会がこれほどまでに世界的な基盤を形成するようになったのも、その背後、前後を見回すとき、そこには多くの体験過程を経てきているからです。「霊界は存在しない」と言うことのできない立場の人々が統一教会員です。 霊界の中心はどこでしょうか。自分が立つべき場所は、神を中心として構成された世界です。それは絶対的神であり、太初宇宙の起源となる方なのです。その方によらないものはありません。故に、その方の中にあるため、その中のすべてのものは、その方と共に感じ、その方と共に因縁を持って過ごしているのです。 皆さんの一人一人の体の中には四百億兆もの細胞があり、その細胞自体が五感や、頭脳などに直接働きかけて連結し合っているのです。それと同じく、太初に創造主を中心として連結されたすべての存在の中でも、特に人間は意識を持った存在として特別に創られています。 その意識があるから、更に次元の高い価値を追求することができ、一層高次元の感情を表現することができるのです。それは、人間から始まったものではありません。人間の根源から始まったために、人間過程を経てから、根源と通じることのできる結果の世界に生きている人生であると、このように見るのです。根源に通じる本然の生活をするには、本然的生活の基準を知らなければならないのです。 統一教会は、原理によって神の創造理想がどのようなものであり、本然の人間がどういうものであるかを知っています。即ち、本然の人間とは、神の愛を中心として一つになった人々のことです。本当に、アダム・エバが完全に一つとなって、縦横の愛の理想圏を完成させた、その基準の上に生命の根を植え付けるはずだったのです。我々はそのことを知っているのです。 皆さんの生命の根がどこにあるかというと、堕落していない善なる父母にあります。それは、どのような位置なのでしょうか。神は二性性相の主体であられるために、ご自身の二性性相を展開させ、神の形状として万物と人間とを造られたのです。被造物は、神の性相どおりに展開したものなのです。アダムは神の男性的性禀を展開したものであり、エバは神の女性的性禀を展開したものです。我々は一般的に、「天のお父様」とよんでいますが、それは1人のお方であるから、そのように言うのです。しかし、神様がお一人であるというその概念の中には、神なるお父様とお母様の概念が入っていなければなりません。 分性化された神の愛 すべての宇宙の理致(注・道理、ことわり)は、相対的関係を結ばなくては作用が起きません。作用がなければ、存在の気運となる力を造成することができないのです。アダムは何かというと、神の男性性禀を実体として展開した表示体であり、エバは何かというと、神の女性性禀を実体として展開した表示体を現している存在です。現れるときは実体として生まれたのです。現れる前に、現れようという動機があってから現れたのです。根である神を中心にして、これが分かれることによって、正分合作用するでしょう。分立されていたものが何を中心にして合一するのかといえば、男性・女性として、ある何かの作用が起きて合一するようになっているのではありません。愛を中心にして合一するようになっているというのです。 皆さんは息を吸っては吐き、吐いてはまた吸うでしょう。これも全部正分合作用をしているというのです。分かれた動機があれば、その動機に習って、作用を連続しながら、全体と合一するのです。道を歩いていたとしても同じです。最初に踏み出した一歩を動機として反復しながら、誰もが皆遠い道を行きます。我々の人生も、一日の生活もそうです。朝起きてから夜寝るまで、毎日同じ活動するすべてのことを反復しながら仕事を進めています。十年であれば十年を延長させてから一生の道を行くのです。 分立して展開したアダム・エバが何を中心にして合一するようになっていますか。また、何を中心として、そのように分立された二つの存在が近付くことのできる力の作用をするのですか。これは他でもなく、愛の力だというのです。愛とは、分立した性相、性禀が完全に調和、統一、和合するための力なのです。 アダムとエバが成熟すれば、これか成人の体となります。アダム・エバ自体が心と体、内外の二重構造になっており、これが成長するにつれ、内外共に一致した成人になるのです。このようにして一つになったその男性と女性は、独立した主体・対象の立場で、再び横的に一つになるのです。むろん、女性自体が内外に一つになり、男性自体も内外に一つになって、初めて男性と女性は愛によって一つになることができるのです。 それでは、体と心は何を以て一つになるのでしょうか。これが問題です。本来、我々が堕落しなかったならば、体と心は何で一つになっていたでしょうか。道義的な何かの観念ですか。それとも、他の何かの力ですか。我々の心と体も、本来は神を中心として分立されて一つになることのできるその動機が何でしたか。なぜ分立されたのか。これは、愛を具現化させ、愛を作用させるために分立されたというのです。一つの点に終着するのでなく、全体から歓迎を受けることのできる環境圏で、成長の環境圏で愛を表現するのです。 皆さんの心と体がいつ一つになるかが問題です。皆さんの心はいつも父母様のことを想っていますか。父母様の愛。その心が行く方向性が何かというのです。父母の愛、あるいは兄の愛、また国を思う愛、世界を愛する、天地を思う愛、それが前後・左右・上下の関係の愛を連結しようとするのです。 体と心を中心として考えてみると、体と心が一つとなったその位置というのは、北側にも南側に片寄った位置であはありません。東西南北の中心としての中央の位置に当たるのです。なぜ中央の地の近くに立とうとするのですか。中央の地というのは、縦的な宇宙の愛、縦的な神の愛と人間と関係を結ぶことのできる唯一の道であるというのです。 人間が完成すれば、人間と創造主との間に一つの中心的愛の道が敷かれます。中心的愛の道がなくてはならないというのです。人間を分性化させて造ったのも、神様がその姿形を見るために造ったものではないというのです。 神秘な愛の器官 神様がなぜ人を造られたのか、また神様にとって、人間がなぜ必要かということです。今日、既成教会では、「神様は創造主であられ、我々人間は被造物である。創造主は聖なるものであり、我々被造物は俗なるものである」と言っています。それは、霊界の事実と人間世界の事実がどのように関係しているかということを全然知らないためにそう言っているのです。 なぜ人間を造りましたか。神様も愛を求めるためには、一人ではできません。愛とは、必ず相対を通して成し、求めてくるようになっています。もちろん、それぞれが愛の本性と本質を持ってはいますが、その愛が愛として活動するためには、相対が現れなくてはなりません。プラスが作用するには、マイナスがなくてはならないようになっているのです。マイナスがなければ、それがどんなに頑張っても、プラスだけでは作用することができないのです。もし、マイナスが永遠に現れていなければ、プラスも無くなってしまうのです。 それ故に、愛というものは必ず相対を通してなされるのです。そのために、男性と女性のすべての性的器官も入れ替えてあります。主人が誰かというと、自分が主人ではありません。女性が持っている物は男性に必要となるものですから、男性が主人となることのできるものを女性が代表して持っているのです。男性が持っているものは、女性が必要とするものですから、男性が代表して持っていることになります。その中心、貴いものが何かという、愛なのです。その愛の器官を取り替えているというのです。男性達は、自分が男だからと言って威張って歩いているけれども、その男性としての重要な愛の器官が誰のものかといえば、男性自身のものではありません。簡単な問題です。これを人々が知らないというのです。 主人は誰かというと、それは男性ではありません。それを知らないために、男性は威張って歩き回っているのです。主人が別にいるのに、自分が主人であるかのがとく振る舞うことを許す今日の人倫道徳は、人間が行くべき本然の世界を破綻させる悪魔の行動として結実してしまったのです。 それで、男性と女性がなぜ結婚しなくてはならないのか。女性達のある者達同士はホモセクシャルだとか言って、女性達も一人暮らしをするようになり、多くの人々は動物的愛に溺れている有様です。「一体、愛には何の価値があるのか」と言って、彼らは愛の価値に対して没価値論を今主張しているのです。一時の享楽のための相手にどのような内的因縁が結べるでしょうか。「私とお前は永遠なる関係を結んだ」と言うことのできる内容がないのです。それは、知らないからそうしているのです。 人間は、相手の貴いものを預かっているために、相手が主人なのです。男性の貴い愛の器官は女性に預けてあり、女性の貴い愛の器官は男性に預けてあります。取り替えておいたというのです。そうではありませんか。よく考えてみなさい。どうですか、なぜ女は男を求めて行き、どうして男は女を探し求めて行かなくてはならないのか。自分の主人を求めて会うためです。これが会わなくてはならないというのです。合わなければ、天地の理致に符合することができません。この宇宙というのは、主体と対象が完全なプラスと完全なマイナスとなったとき、保護してくれるのです。これを侵犯した場合は即座に打たれてしまうのです。宇宙は自ら保護するようになっているのです。 完全なるプラスは完全なるマイナスを創造 ご存じのように、プラスとプラスでは反撥します。プラスとマイナスの場合はどうなりますか。「えい! お前達は絶対に和合してはいけない!」と誰かが厳しく命令したとしても、嘲笑してこう答えるのです。 「お前の話は、私の考える根本からみるとき、遠く離れています。私の考える根本とは、神様が言う根本です」。もしも、「プラスよ、マイナスよ、和合するな」と言う神様がいるとすれば、それは偽りの神様です。なぜならば、私達プラスとマイナスは、造られる前から神様の考えの中で既に和合していたからです。ところで、今言った偽りの神様がどんなに命令したとしても聞いてはならないのです。しかし、これを聞き入れてしまったために、サタン世界の思う壷にはまり、天地がみな分散してしまい、互いが怨讐と化してしまったというのです。 それ故に、完全なるプラスがあれば、完全なるマイナスが生じるようになっているのです。完全なるプラスがあるのに、完全なるマイナスがないからと言って、無くなることができません。すると、完全なるプラスの立場にいる神様自体が、マイナスがいなくなる時、無くなるという結論になります。完全なるプラスは、無くなる前に、完全なるマイナスを創造するのです。論法はそうならなければならないというのです。完全なるプラスは完全なるマイナスを創造するのです。 このような観点からみるときに、アダムの肋骨を抜いてエバを造ったというのは違うのです。エバあアダムの肋骨から出たのではありません。アダムが完全なプラスだとすれば、マイナスは、アダムを通して自然に生じるのです。これが天地人の理致にかなう道です。プラス・マイナスの原理をつくられた神様は、真の科学者です。神様は完全なる男性を造られるのですが、完全なる男性のために造ったのではありません。完全なるプラスは、完全なるプラスのために生じるのではありません。これは完全なるマイナスのために生じるのです。同じ理致です。男性がそのように生まれるのは誰のために? (大勢の返事。)女性!! 女性という動物は何か。女性は力もないし、体も小さい。男性より大きい女性が世の男に比較して何パーセントになるのかというのです。確かに、西洋の女性達は東洋の男性達より大きいのは事実です。それは話が違います。そのプラスに合致する西洋の女性と東洋の男性の出会いがた易いことか。それは遠い距離にあるものです。東洋の男性は東洋の女性に出会わなくてはならないようになっているのです。近い距離にあるプラスとマイナスが一つになるのです。 根源的な神様がなぜ人間を造ったのかということです。神様が絶対的な主体だとすれば、絶対的な何を造らなくてはなりませんか。完全なるプラスとしての絶対的主対であるとすれば、そのお方は完全なるマイナスを創造しなくてはならないとみるのです。それ故に、完全なるプラスは無くなるのではなく、完全なるマイナスを創造するのです。 完全なる調和への道 完全なる人格者には、じっとしていても、その環境からすべての良心的な人々が周辺に集まって来て、彼に似ようとするのと同じです。似ていくことによって、その主体者の前に対象圏が形成されるために、すべての存在物が動き出します。元素の世界の、すべての物質の世界が動くのです。それはなぜか。価値的により次元の高い所に上ろうとするからです。すべての人々も一段階上に上ろうとします。それは、今の自己よりも円満であり、一層理想的な自己になることを欲しているからです。 皆さん達、刺激的な映画が好きでしょう。面白くて仕方がない、刺激のある映画が好きに違いありません。面白い映画は、「見に行くな」と言っても、しきりに心が魅かれて見に行きたくなるものです。それが面白かったらどうしますか。すべてのものが集まるようになるというのです。そうではありませんか。刺激的なものにはすべてのものが集まって来るというのです。 このようにみるとき、宇宙の中心部にも、そのような刺激的な母体があるとすればどうなりますか。その母体の前に、すべての万物が集まるようになっているのです。人間も、もちろんそこに来るようになっています。そのために、すべての元素達も全部が、「ああ面白い!」と言うのです。刺激には、より高いものと合一しようとする力があるため、宇宙創造の形成が可能であったというのです。その高い所へと刺激されながら上る道が何の道かと考えてみれば、それが授け受けする調和の道です。即ち、刺激を通して授け受けすることのできる調和の道へと進んでいるのです。刺激を感じることのできる元素は、元素自体として、その運動をしています。刺激を感じることのできるそれらの力が結束して、共により高い次元へと上っていくのです。その刺激の全体を完全に調和させることのできる力とは一体何の力なのでしょうか。それは、神様までも酔って、神様の四肢をぐっと伸ばして、目も開けられないほどになって、神様をうっとりさせることのできる力なのです。そうすれば神様もうっとりすることを望まないでしょうか。 どうすればそれがかなえられるのか。我々は神様に似ているので、我々も酔うとぼんやりして、東西南北も分からないほど酔ってしまうのです。その味が何と言うのでしょうか。酔わせる味とでも言おうか、飲むと酔うようになっています。酔ったときの心地良さが欲しくて、世の人々は酒に酔おうとしています。しかし、酔うためにはまた酒を補給しなければなりません。それは自然的な補給ではありません。春夏秋冬の反復は自然的ですが、酒酔いの反復は自然的ではないのです。酒は人体の補給路を通して供給されるものですが、補給が断たれればそれっきりです。悲しくなるものです。悲しくなってから、その次に上る道がないというのです。しかし、自然の法則で補給されるこの春夏秋冬は切れることがありません。春が行ったとしてもまた巡って来ます。自然はそういうものです。 縦的神の愛と横的男女の愛 それで、若い人、あるいは我々の人生も同様です。愛の道は自然に訪れて来るものです。それを誰かが「来るな」と言っても来るし、「早く来い」と言っても早く来ません。待たなくてはならないのです。「あー、早く! 愛の道よ来い」と、どんなに大きな声で叫んだとしても、来ることができません。完全な愛の道というのは、自分の時になって訪れるのです。来ることは来ますが、自分の時を探して訪れるものです。「私が先に行く!」しかし、人間は時を知らず、時に合わせることを知らずに、でたらめに自分勝手に生きて、一時的な愛を楽しんでいるのです。これがいけないことです。 神様がアダム・エバに、「取って食べてはいけない」と警告したのは、この、時にかなった愛を射止めるためだったのです。その時が来て、アダムとエバが成熟すれば、愛の主体者である神様が縦的な頂点から降りて来られて、アダムとエバの横的主体の位置と、ご自分の縦的主体の位置を圧縮してから横的な位置に来て核を作るのです。そうすれば、アダムとエバはマイナスですから、プラスの核と一つになるのです。そうすると、この縦的な核となった神様の愛が、即刻ご自分の位置に向って上がって行くのです。閉じたものが開くと下りて来ます。上って来て下りて来るし、閉じたり広がったりする、この作用が繰り返されるのです。 神様はどのような愛し方をすると思いますか。皆さんもそうではありませんか。愛する人を抱いて、唇を固く閉じたままじっとキッスをしますか。(笑い声)それみなすり合わせて、ぐるぐる回ったりするようになっているのです。神様も同じです。神様がそのような縦的な愛の核になろうとして、丸くなるわけです。ああ、この横的なアダム・エバの愛が横から打ったので、(笑い声)打たれた愛の核はこのようにボールになるのです。ボールになったので、今度はアダム・エバが、「アイゴーッ」と、こうなるのです。(何かを“ボン”と叩かれる様子。)くっ付いたものを離そうとしても、離すことができないほど強く固まって、伸びたり縮んだり、上ったり下ったりしながら神様と共にいつまでもずーっと愛し合うのです。愛しては離れて、またぴったと一つになるのではないですか。これが運動の法則です。 皆さんは縦的な愛が必要ですか。(「はい!」)一体全体、縦的な愛とは何ですか。神様の愛です。皆さんがしっかりと平面的に愛の火を付けるならば、火は燃え上がるのです。そうすると、それは何千度にもなる核になり、その核の位置に神様が突進して下りて来るのです。神様は、何千度もの核の力に引っ張られた勢いで、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながらやって来ると、アダムとエバを抱いて、稲光を放ちながら、火の固まりとなって燃えながら後ろに退いてしまうのです。熱くなると、たまりきれなくなって爆発作用が起こるわけです。これは変なことではありません。 愛の水平線に立つ男女 皆さん、曇った日には、大地と見えない空気の世界が結婚するのを見るでしょう。約婚式をし、その次には結婚式をしてから、「やった! 良かった!」と言うでしょう。見ると、曇った日には黒い雲が下りて、それが皆調和するようになっているのです。すると、陰電気と陽電気が起きて互いに相手を求めようと、高い所へ、高い所へと上っていくのです。「えいー!」と言いながら、高い所で会うと雷を鳴らすのでしょう。雷が何かというと、陰電気と陽電気がキッスをする音です。(笑い声が立つ。)なぜ笑うのですか。キッスしたら稲光が走る。稲光は何ですか。愛をするその光だというのです。 同じことです。人間もそうだというのです。空気の世界でもそんなことをするのに、神様が宇宙のてっぺんで起こすプラスと、地上で人間が起こすマイナスも、全部焦点を目指してぴゅーと突進するのです。高い所と低い所は皆反対の位置にありますが、それが中央を中心として回らなくてはならないというのです。そのためには、中央に心棒が必要です。中心がなくてはならないのです。この中心は、水平線になっていなくてはならないのです。 これが同じ角度で均衡を保つことができる線が水平線です。愛の水平線に立っているのが男性と女性なのです。分かりますか?「ああ! 私の主人があそこにいた!」と言って、これが端と端から全部集まってくるのです。男という動物が女という動物に近付くとき、何でもじもじするのか分かりますか?(笑い。)ここにいるのは皆祝福を受けた者達でしょう。男性が女性を求めるとき、何を動かして探して行くのか分かるでしょう?そうして二人が一つになったとすれば、愛の種が宿るのです。愛の種が何ですか。愛してから生まれた、その副産物が何ですか。(……。)我々です。愛してできたごみの副産物でないのですよ。愛して生まれた副産物が私だというのです。自分。皆さんだというのです。 では、皆さんは何ですか。最近は、植物も細胞から出来るそうです。最近、私が済州島に行った時に、蘭が細胞で栽培されているのを見ました。試験管のようなガラスの器の中で栄養素を与えられると細胞が育つのです。小さなガラスの器一つで何千、何万という細胞が入っているとか言っています。実に、その一つ一つが蘭となって赤い花を咲かせるのです。この蘭の花が細胞から生まれてくるのです。 人間も、植物のように細胞から生まれるとすればどうなるでしょうか。何万人という人が一度に出て来るのです。それも悪くないでしょうに。そういう時代だというのです。人間を見ると、生まれた時から、顔に目、鼻、口、耳などが付いていて、顔を調和させています。なぜ調和するのか。それは生まれる前からその細胞の中に調和させる何かが入っているからです。それはどれほど神秘的なことか。誰がそのように造ったのか。それは自然にそうなったのでしょうか。また、目、鼻、口、耳などの位置はいつになっても変わらないし、在るべき所に在るのですね。 人の心に住まわれる神 祝福を受けた者達がその位置まで行こうとすれば、遠い旅路を歩かなければなりません。神様も愛が欲しいから、完全なプラスの愛でいらっしゃる神様が、完全なるマイナス的愛を自動的に創造法度に従って想像されたのです。そのために創造の原則を立てたのであり、この原則によって人間創造がなされたというのです。それ故に、プラス的神様が貴いと同時に、マイナス的神様は貴くありませんか、貴いですか。(「貴いです。」)貴いのです。神様はどんなに立派であったとしても、主体が持つべき最も貴い主人の位置を、神様の中に打ち込んだでしょうか、それとも対象の中に打ち込んだでしょうか。(「対象の中に!」)どうやって対象が神様の主人となれますか。 「この不敬な者達よ、何としたことを! そういう大それたことを言うのか!」と怒ったらどう答えますか。そこで、人間が「そうすることができます」と言うと、今度は神様が、「ああ、もっともだ」とうなずくのです。(笑い。) それは、何を見て知ることができますか。息子は父親に似るから、父親は息子に似るのでしょう。鶏卵は何に似ていますか。丸いけれども母鶏に似ているのです。その鶏卵の中には母鶏の子が入っています。同じです。父親に似たものが息子ですが、息子に似たものが反対に父親だというのです。「○○○さん、あなたは誰に似ていますか」、と聞かれると、たとえ年を取った人であっても、「誰に似てるかって?それはお父さんとお母さんに似ている」と答えるし、「お母さん、お父さんは誰に似ていますか」と聞かれると、「あ、何、お母さん、お父さんが誰に似ているかって? 私に似ているのさ」と答えるのです。同じ話だというのです。 だから、神様は誰に似ているかというと、私に似ているというのです。私は誰に似ていますか。神様に似ているし、神様は誰に似ていますか。(「私に似ています。」)私に似ているのです。同じことです。 だから神様が近いのです。既成教会の神様は遠い遠い所にいる神様ですが、統一教会の神様は?(「近いです。」)どれくらい近いのか。手が届くのか、届かないのか。手が届いて、神様のお尻までも触れることができるのです。(大笑い。)神様がこうしてしっかりと抱いてくれるとすれば、それはどれほど近いのか。その上、愛の言葉まで交わすことができるのですから、こうなると完全にお前も私もありません。黒いものも、赤いものも、黄色いものも、全部が混ざって白い色になるでしょう。白は無いことを証明するものです。万事が無い。白いものはすべてのことを新しく始めることのできる土台を意味するのです。紙が白ければそれは絵も画くことができ、泥棒も画くことができ、聖人も画くことができ、ありとあらゆるものを画くことがてきるのでしょう。私はそういう神様が好きです。私はそういう神様のことをよく知って、侍って生きているのです。 神様はどこにいますか。どこに行けば会うことができますか。精誠を込めて祈祷しながら、「神様!」と呼ぶと、神様があの天上から、「私はここにいる」と返事をしてくれます。祈る人の心を通して返事が返ってくるのです。自分の神様は自分の中にいるのだから、内なる人の口を通して語りかけるのです。もう一度「神様ーっ、神様」と言うと、今度は、「ここだ、ここにいるではないか」と心の内側でそう言ったのです。そして、「どこを探すのだ。そっちじゃない。待ってくれ」と言って、心に丸い穴を開けるのです。神様は、心の穴から手を伸ばして、「手を入れなさい。あなたの手が私に届くのだ」と教えてくださるでしょう。神様がどこにいるのかというと、他にいるのではなく、皆さんの心の中にいようとされるのです。 神と人とは絶対基準においてのみ接触 ところが、残念なことに、完全な愛を中心として神様と人間が会うことができなくなっているのです。愛を中心にして一つになるために造られた人間ではありますが、神様は人間世界と接触することができないということを皆さんは知らなくてはならないのです。 さて、皆さんの目は誰に似ていますか。お父さんでしょう。お父さんはそのお父さんに、そのお父さんはまたその上のお父さんに似ているのです。こうして遡ると、一番初めのお父さんに出会うでしょう。一番初めのお父さんは誰ですか。それが神様です。つまり、私は誰に似ているかというと、それは神様である一番最初のお父様、そのお方に似ているということになるのです。それは間違いのない事実です。 それで、神様も皆さんが食べている御飯を食べ、皆さんが飲んでいる水を飲みたくないでしょうか。(笑い。)断食のことを思い出してみなさい。それは非常に面白かったですか。統一教会に入ってからする一週間断食がどれほど楽しかったかと聞いているのです。一週間が終わる十二時十分前ぐらいになると、どれほど十二時の合図が待ち遠しいか。十二時を打つ音が聞こえると、それ以上嬉しい消息が外にないというのです。あと十分だ、あと五分だという時の心の切なさがどうであったのか。それ以上の場で神様に会うのです。それ以上の所に行ってからでないと神様に会うことができません。 御飯が欲しい以上に切ない基準にあるのが愛です。寝たい時であれば、寝たい時以上の位置というのが眠らない位置ですから、それ以上の位置に行ってこそ、神様がおられるのです。一番上にある位置、天に接触して初めて神様との関係を結ぶのです。衣食住を中心とした、今までの堕落した圏内では、神様との関係を結ぶことがてきないというのです。大体分かりましたね、きょう我々が知ったその神様はどのような神様であったか。我々が知った神様は人類の先祖です。それはどれほど幸福なことでしょうか。 皆さんは怖い時はどうなりますか。背筋がぞくっとして、髪の毛が逆立つでしょう。髪の毛がサッと上に立つでしょう。そういう恐ろしい思いをしたとき、愛に一度触れたなら、どうなりますか。それが下りて行くでしょうか、もっと上って行くでしょうか。もっと上って行かなくてはならないというのです。ぞくっとする思いを通り越した上に行ってから、充実した愛の喜びを味わうのです。だから上って行かなければなりません。そのような充実した愛の味、愛の充実感を感じてみましたか。 ダイナミックな宇宙生活 本来の祝福された人とは、どういう人達でしょうか。祝福を受けることのできる人とは、どういう人なのか。永遠なる神様の愛と永遠に一つになることのできる位置にいる人々が、祝福を受けることのできる人々なのです。その祝福を受けた人々の中で造られた、その愛を根として縦的愛と横的愛が一つになったのが、それが宇宙の核です。この宇宙の核の根、愛の核の根から今日の我々人間達が生まれるべきだつたのです。 すると、根は下りる時から喜んでいます。分かりますか? 皆さんの生命は、その愛の核の中に根を下ろす時から嬉しいのです。お母さん、お父さんのすべての細胞が愛で睦じく和合して一つになると、男子の体と心も一つになり、女子の体と心も一つになって男女が横的に一つになることができます。そこに、天地の中心にいる神様と一つになって愛の玉を造るのです。 このような作用が繰り返し、繰り返し連結されて、愛の玉が高く積み上げられていくと、積み上げられた愛の玉同士の間で、何回も押し合い、ぶつかり合う運動が起き、この運動で愛の玉の角が全部皆崩れてしまって、くるくる回るようになるというのです。丸く丸く運動をしなくてはなりません。それで、宇宙にあるすべての物は丸い物に似ているというのです。それはなぜか。愛を中心にして玉のように丸くなると、すべてのものが丸くなって動き出すのです。そのようにして愛が宇宙の中心核となれば、愛を欲するすべての元素世界が、また被造世界も玉のような愛を中心核に似て丸くなります。 王様蜂を知っていますか。蜜蜂を飼っている所に行くと、王様蜂を見ることができます。蜂の王様だけは雄でなくて、雌なのです。「男王蜂」と言えば良いのに、女王蜂だと言っています。蜂の世界だけは雌が王様となっています。女に生まれて悲しい人には、この女王蜂がせめてもの慰めです。また、働き蜂達はこの女王蜂が摂取する蜜を運ぶために一生懸命働くのですが、蜜を準備すれば横取りするのが雄蜂です。雄蜂は卵を生むわけでもないのに、蜜が食べたくって女王蜂に付きまとうのです。飼い主は蜜を取られないために、雄蜂の何匹かを残して、後は全部殺してしまいます。私は養蜂については良く分かるのです。日本では、要らなくなった雄蜂は水に全部捨ててしまいます。水に追いやられた蜂が入って来ないように、働き蜂が門前で追い払うのです。 それは訓練されているのです。統一教会も、そう訓練できたら本来に良いことでしょう。自分達同士で撃ち合って、自分達同士で処理するのです。女王蜂は昼夜回りながら、甘い蜜を食べたいだけ食べると、せっせと卵を生むのです。 それと同じく、神様と人類の先祖にあたる愛のかたまりが、女王蜂のような一つの核となっていたなら、宇宙がそこに付いて回るのです。これは物理学的に説明できるようになっています。その宇宙がどれだけ大きいのか。宇宙の勉強をしなくてはなりません。好きになった二人が千年万年走っても、ぶつからないように神様が準備をしたというのです。あっちにぶつかって落ち、こっちにぶつかって落ちて、後には無くなってしまったりすることがないように宇宙は広大です。「遠くまで上りたい!」と言うと、「じゃ、上るだけ上ってみなさい。落ちたければ落ちてみろ。お前一人が落ちると、宇宙のすべてが皆落ちてしまうぞ。おーい、気を付けて上れ。もう一つ上れ!」と神様が励ましてくれるのです。 それを想像してみなさい。どれほど素敵でしょうか。子供達がぶらんこに乗るとき、喜ぶでしょう。「わあーっ」と言って熱中するというのです。ぶらんこでさえそうであるのに、自分が宇宙を回るのを考えてごらんなさい。南極があり、北極があり、こちらには東極があり、西極がある。東西南北を飛行するとき、北極に行ってぶつかりそうになると、そうならないようにしてくれるのです。「危ない。直線コースで行くな! 東の方へ行け」と言うのです。そして、東の方に回転して、またぶつかるようになると、「南に行け!」という具合に保護してくれるというわけです。 そのようにして千年万年生きる宇宙生活は、どれほど素晴らしいことでしょうか。それこそ、千年万年生きる醍醐味があるというものです。このうっとうしい世の中で、それだけ生きたらどうなりますか。一生生きるだけでも、「苦しい、苦しい」と言って大騒ぎしているのに、千年万年苦しんで素晴らしいでしょうか。 本然の故郷に 皆さん、故郷に帰りたいですか。(「はい。」)皆さんのお父さんお母さんが生まれた故郷は第二の故郷です。それを知らなくてはなりません。第二の故郷に行きたいのなら、第一の故郷になぜ行きたくないのかというのです。第一の故郷に行きたくないのですか。(「行きたいです。」)第一の故郷も第二の故郷も行きたいというのですか。皆さんの欲望は大きいです。なぜ人間の欲望は大きいのか。宇宙が大きいからです。人間が偉大であるのは、愛を中心とする大きな宇宙の調和の法則に応じることができるからです。そして愛の理想世界をつくるのです。そのために、千年も万年も続く無限なる幸福圏に向かって愛の道を歩くのに、その愛の道が第一の故郷への道です。第一の故郷は一番大きいものです。一番大きいものから、お母さん、お父さんを通して一番小さい第二の故郷に生まれ、再び一番大きな第一の故郷に戻って行くのです。これが自然の理致だというのです。欲望が出るのは故郷に戻るためです。 欲望がそのように大きくなるのはどのようにしてか。運動すれば更にもっと大きくなるという法則があるからです。存在するものに中心があれば、大きくなってから小さくなることができ、小さくなったり大きくなったりすることができるのです。これは中央に運動の中心点がある証拠です。 高い所と低い所の中心は中央です。左右の中心に中央があり、前後の中心に中央があります。そうではありませんか。高いだけでは中心を立てることができません。人間が歩くとき、足を上げ、高くするだけでは歩くことができないでしょう。足を前に下ろすことで前進するのです。新しい方向に向かって、すべてのものがそのような運動をしているのではありませんか。人間の欲望は無限に大きくなろうとするのです。自分の心は無限に拡大しなくてはならない本性の因縁の力があるために、我々の心は無限に大きいものを抱こうとするのです。それが何かというと故郷です。本然の故郷です。第一の故郷です。第一の故郷を離れて、第二の故郷を回って、再び第一の故郷に戻るようになっているのです。無限に大きい第一の故郷へ。 第一の故郷では、すべてのものが含まれて暮らすのです。あなたも良いし、私よ良いと。私も良いし、あなたも良いという具合に、皆そうすることができるのです。逆に、私が悪ければ、あなたも悪い。あなたも悪いし、私も悪いという場合はどうなるか。宇宙が悪いというときは、愛の宇宙の核を連結して、宇宙の悲しみを動員することになり、莫大な被害を蒙ることになるというのです。 悲しみの中では何が一番悲しいのか、嬉しいことでは何が一番嬉しいのか、一番の喜びといえば何が一番の喜びか、そして、何が一番高い喜びであろうかと考えてみなさい。金を儲けることですか。金や財産を持っていたら大変です。夜眠れません。強盗に狙われるのではないかと思うと、心配で眠れないというのです。黄金財を得たなら、黄金財を保管する金庫が必要です。ところが、金庫にしまっても安心できないものです。できることなら、自分の体の中に保管したいと思わないでしょうか。誰も彼も心の中に。心の金庫の中に皆保管して置きたい。そうではありませんか。 女性がダイヤモンドを身に付けるのは、それが一番良いからです。一番良いものは誰もが欲しいのですね。千年たっても欲しいし、万年たっても欲しいのです。その誰もが欲しいものは、神様も目が飛び出るほど欲しいのです。神様も開けることのできない宝庫があるとすれば、それは何ですか。神様には無いものがないはずです。神様にお金がないでしょうか。ダイヤモンドがないでしょうか。金銀がないでしょうか。それは皆作ることができるものです。神様にも貴いし、すべてのものにとって貴いものは何か。すべてを捨ててしまっても、ご自分の内にしまって置きたいものが何か。神様でさえも心の宝庫にしっかりとしまっておきたいものが何でしょうか。 それは神様の愛です。愛しかないというのです。神様に会いたければ、どこへ訪ねて行くのか。愛の故郷、愛の家を訪ねて行かなければなりません。父母の愛が欲しかったら父母に会いに、父母様の愛が欲しかったら、本然の故郷を訪ねて行かなければならないのです。そうではありませんか。同じことです。 愛だけが平等なもの 一生の路程は、第二の故郷に生まれてから、どこへ行くかというと、第一の故郷を訪ねて行く道程なのです。第一の故郷は測り知れないほどの大きなプラスですから、私は大きなマイナスとなって帰ってから、天の門を開けるのです。 人間の欲望は誰が、何のために与えたものですか。泥棒をしなさいというのではありません。偉大な愛を包むために下さったというのです。分かりますか? 偉大な愛を包むための欲望は嫌いですか。(「はい。欲しいです。」)その欲心がどれほど甘くおいしくて、興味があるものなのか。味を知ればたまらないというようになります。 お婆さん達も笑っていますね。皮がみんな伸び切ってしまっているのに。悲しかったのでしょう。どれほど悲しいことがあって、あんなにしわくちゃになったのでしょうか。でも、愛の話をしたら、嬉しそうに笑っていますね。最近テレビで面白い番組がありますね。『花指輪』という番組です。ウンピル爺さんが七〇歳を越えたというのに、再婚すると言って喜んでいるのを見ると、(大笑い。)……それは実感が出ています。これも、天地が中心になるのです。お爺さんの威信も捨てて、老いぼれても天のてっぺんに上ろうとするんですね。 それで、人の欲心を圧縮させると飛び出そうとするのです。そうであるため、我々人間の圧縮した圧縮空気を爆発するようにしておいたのが愛だというのです。それで、愛に触れると、爆発して直線を走ろうとするのです。引力の関係で、地球には運動するものに直線運動するものはないというのです。ピィーッとなって、その次は「カーン! アイゴー」そのカーンという拍子に神様が飛び出て、その愛に神様がぶつかって行く。そして、空気で出来た愛をぴたっと受け止めるというのです。「アイゴー。大変なことになってしまった。」爆発すると地上に戻ってから、また同じことが繰り返されるのです。こうして結ばれる神様との愛が縦的な愛です。「アイゴー。」上ったり、下ったり、それがどれほど素晴らしいことか。そして、ふんわりふんわりと浮き上って、宇宙を思うがままに飛び回るのです。考えて良し、形も良し、形容しても良し、心で良し、御言として良ければそれで良いのです。良いものが何ですか。ダイヤモンドか、大韓民国の土地ですか、どれですか。皆さんの心は大韓民国の土地くらいのダイヤモンドが良いと思ったとしても、体の細胞は、骨であろうと、皮であろうと皆眠っています。体と心が離れてしまっているので、心が思っても体は眠っているのです。 ところが、愛の芽が開くとき、愛の機関銃がこういうふうに狙ってダダダダダッと撃つと、四百億兆の部屋(細胞の扉)が開いて、いっせいに目を醒ますのです。分かりますか? 愛の機関銃がどれほど素晴らしいのかというのです。これを撃ちまくると、宇宙が上を下への大騒ぎをしながら復活するというのです。これは話を聞いただけでも大したものでしょう。みんなでそのように素晴らしく生きよう。(とんとんと膝を叩かれる。大爆笑。)踊りを踊るとき、膝を曲げてこうするでしょう。その愛の踊りはトイレに座ってもできるというのです。(大笑い。)臭いが香ばしいというのです。臭いがするのに、なぜ臭いと思わないのか。その臭いは自分の中で、自分と一つであったから、私と一つであったのですから、臭いが厭でないというのです。臭くても愛がある。臭いがしても愛せるのです。 年取った人々が愛し合うのを見て、「何という不潔な者よ。お前達のような人間は早く死んでしまえ」そう言うのですか。愛ほ年寄りも酔わせるし、すべてを忘れさせてしまうというのです。年取ってからの愛というのは丸い愛でなく、平らな愛になるというのです。丸くなってから平らにならなければならないというのです。平らになってから丸くなるために、彼の国へ行くと拍子が合うというのです。皆平等にできています。愛だけが平等であり得ます。分かりますか? 平等という言葉自体も、愛を抜いてしまえば抜け殻同様です。愛を中心としなくては平等はありません。幸福というものが何かというと、愛の向こうの端です。幸福が何ですか。愛の後ろです。それも正しいのです。幸福が何か。愛の前方です。幸福が何か。愛のてっぺんです。幸福が何か。愛の端でしょう。合っているというのです。愛は一つであり、丸いために、端も後ろも前も皆愛だというのです。 愛を抜きにして幸福がありますか。どんなに美女であっても、一人座って鏡を見ながら、「アイゴー、私は幸福だ。私は何て美しいんだろう。鏡様、私を愛して。」そうするのですか。鏡様に向かって「私を愛してくれ」と言えば、それで鏡様が自分に唇を合わせますか。女性には平等的愛の内容を持った男性が現れたとき、調和が生じるのです。 ああ、私はなぜ生まれたのかと考えるとき、これは素晴らしく生きるために生まれたのだということが分かったのです。手に向かって、「手よ、手よ、音を出せ」と言って両手を合わせると、「音を出すな」と言っても音を出すでしょう。相対がなければ駄目だというのです。 死刑囚に似た堕落人間 それほど素晴らしい人間の本然の元の道があったのに、その元の道から我々は堕落したというのです。どれほど悲しいことか。愛の核の根には本然の愛があり、神様もそこにおり、我々の故郷もあるのです。すべてが愛で一つの根になっているのです。自分というのが、その本然の自分の根から生まれた自分となることができず、堕落したサタンの愛から生まれた自分となってしまったのです。何と悔しいことか。これが事実なのです。堕落した瞬間、「あっ! しまった。何ということをしてしまったのだろうか」と後悔してみても、もう遅いのです。 私は死刑囚達と一緒に暮らしてみましたが、死刑囚が一番恐れているのは何かというと、自分の名前を呼ばれることです。他の一般の囚人にとって一番嬉しいことは自分の名前を呼ばれることであり、死刑囚にとって一番恐ろしくて、一番厭なことは、名前を呼ばれることなのです。死刑囚は、自分が呼ばれた時を、この世の最期として考えるからです。しかし、一般の囚人が呼ばれるのは面会か、そうでなければ便りです。本当に、同じ場所にいるというのにです。 堕落とは何か、堕落した人間とはどういう人間ですか。堕落した人間とは死刑囚だというのです。神様に自分の名前を呼ばれたら地獄行きです。そうではありませんか。それで、宗教人達の目的は、死刑囚を呼んで求道の道に行かせるために、神様の代わりに囚人の名前を呼んであけることなのです。神様の代わりに囚人の名前を呼んであげる人達です。呼ばれた本人が、今一度本然の昔に帰りたいと希望すれば、蘇生する道があるというのです。自分を呼んでくれることでもって、天国に行くか、地獄に行くのかの道に立たされるのです。それは実感論ですよ。皆さんは監獄に行ったことがないから分からないでしょう。死刑囚は自分の人生を嘆き、罪を悔いながら、一日に何回も溜息をつくのです。その溜息がいつの間にか習慣化されてしまって、無意識のうちにも吐いているのです。 我々堕落した人間がそれと同じ立場なのです。神様が呼ぶ日には、地獄に行かなくてはなりません。しかし、宗教を信じる人は悔い改めて、天国に行くことができる道があることを知らなくてはなりません。もう五日の後には、私も満六十六歳になります。私の心は小さい時と少しも変わらないのに、いつの間に年を取ってしまったのでしょうか。幼い時に交流していたその心と、今日の私との距離はありません。心の世界は時間を超越するのです。愛の世界、愛の心もそうです。愛の衝動を受けた心には時間的距離がないから永遠と通じるのです。十年前のことがきょうのことであり、百年前のことがきょうのことです。 休みなく相対へ流れる愛 一番高い所に行くことのできる力があるとすれば、それは愛の力です。愛の力だけです。愛の力は自己の生命を捨ててまで自分を超越しようとするのです。それは、愛の力が自分に固着するのではなく、大宇宙に固着した作用をしようとするからです。 それ故に、我々の一生は多様的な生活をするのではなくて、一様的な生活をするというのです。一つになった生活です。一つの道に行くというのです。皆さん、そうですか。大韓民国の四千万国民が生きる道は全部同じですか。国に対する、愛国心への道が皆同じですか。違うのです。どれが本当の愛国への道なのか知らないのです。漠然としています。青年の行く道が何か。漠然としているのです。孝子の道が何か。漠然としているのです。自分の親に食べる物を与えることが親孝行だと思っているのです。喜びがなく、ただ食べ物を与えるだけで親孝行と言えますか。 骨の髄から湧き出る愛で行わない行動は、伝統的本物の道に連結することができません。ですから、愛のない孝子々道はないものと考えるわけです。国もそうです。国に対しても、自分の父母に対する孝子の道、あるいは妻子に対する家庭の道を越えて、国の為に尽くすのが忠義の道です。国に対する忠義の道を越えて、世界に向かう心を聖人の道というのです。聖人とは、世界を愛する、世界的な愛の持ち主です。その次は聖者の道があるというのです。聖者の道とはどういう道か。地上の人間世界だけでなく、見えない霊界の世界までも通じて伝統的忠孝の道を、全宇宙を代表して行くことが聖者の道です。聖人の道の愛を犠牲にして、理想の愛の道を立てようとするのが聖者の道です。イエス様はこの地に来てから聖者の道を歩まれたお方です。聖人の道を乗り越えて、怨讐までも愛することができたのです。それは次元が異なるのです。怨讐までも愛そうとしていたのでした。 なぜ怨讐を愛することができるのでしょうか。神様は無限なる愛の持ち主ですから、与えても与えても忘れてしまって、また与えようとするのです。どうしてでしょう。愛は私のためにあるのではなく、相手のためにあるからです。愛の主人は自分にあるのではなく、相対にあるために、与えようとするのが愛の本質だというのです。相手に流れて行こうとするのが愛の本質だというのです。それ故に、本然の愛は与えてもなおまた与えようとする愛なのです。分かりますか? これは理論に合った話です。悪魔的人間の愛は、与えて何倍も奪って来る愛です。今日、アメリカに行った人々には恋愛結婚が多いといいますが、女性の中には財産目当ての、断片的な結婚をする人がいるそうです。私がこういう話をすると、「レバレンド・ムーンは男性第一主義者であり、女性反対論者だ」と言われるかも知れません。女性反対論者だと言われても構わないというのです。 分かりますか? 本然の愛は休みなく相手の方へ流れようとするのです。低い次元から一段階上に上りながら、級で言えば一級です。どのようになるかというと、全部に与えながら次々と上って行くのです。ここまで来ると一四〇度になり、ここまで来ると九〇度になるのです。こうして、次から次へと上って行くのです。上って行くこの道はどれも垂直の系統を通じて上って行きます。 次はここを回ります。回ってからどうなるかというと、今度は与えた方が受けなければならないというのです。与えて一杯になったならば、与えた後は受けなければならないというのです。父母が子供に与えた後は、子供が父母の前に戻すことを孝道といいます。ここにいる若い娘さんや青年達。お母さん、お父さんから愛を受けましたか、受けていませんか。 一八〇度まで上って行ったなら、その次は誰の番かというのです。子供達が上がるのです。子女が成熟する時の線が水平線です。これが一八〇度ですの球形の一八〇度の位置です。こうなったら、その次は回さなくてはなりません。父母は、その息子と嫁を中心として二人が一つになるように愛の祝福をしてあげたくなるものです。全体を任せたくなるものです。そのことを通じて、ずーっと下に下りて行きます。孝道の道が別にあるのではありません。このようにして、子供が一杯になるまで受けた親の愛を、親に返していく道なのです。父母の愛が満ちたならば、その次には誰の順番ですか。これが、与えながらずーっと上って行ったなら、このてっぺんからは受けながら、こっちの方に下りて行くのです。受けながらこの頂点に上って行くと、与えられながら下りて行くのです。与えられていた方で返さなくてはならないというのです。皆同じ理致なのです。 二重の復帰 本来、皆さんは本然の父母、アダム・エバの愛を中心として、その本然の愛の核の根を受けて生まれるべきであったのに、堕落によって、堕落した血筋を通して植えておかれてしまったというのです。唖然とするのです。宇宙の根は愛の根です。堕落の天をもっては宇宙に通ずることができません。異常が生じて通じないのです。 また、堕落の根は移し替えたくても移し替えることができません。この宇宙はただ一つ、愛の根だけが中心となるようになっているのですが、偽りの悪魔はこの愛を完全に絶ち切ってしまったのです。それで、人間達がこちらに来て、再創造して接ぎ木される時も、根の基準は通じることができなかったというのです。それはどれほど悲惨なことでしょうか。 生まれるとき、愛の核の根から生まれなくてはならないのに、堕落することによって、偽りの愛の根から生まれてしまった人間であるために、再び戻って行くにはどうすればいいのかといえば、まず接ぎ木しなくてはならないのです。その次にはどうなりますか。接ぎ木だけでいいのですか。皆さん自体は接ぎ木したとしても、堕落した、昔の世界の根を持っています。渋柿の根です。接ぎ木するとき、甘柿の木の根に、渋柿の枝を接ぎ木しますか。それとも、渋柿の根に甘柿の枝を接ぎ木しますか。接ぎ木された皆さんの根の起源はどこですか。渋柿の木です。これを知らなくてはなりません。渋柿の根がまだ残っているのです。 本来の「祝福を受けた者達」とは、甘柿の根から生まれて祝福された者達を言うのに、今日の我々は渋柿の根に生まれ出て、これを切ってから接ぎ木された自分であるということを知らなくてはならないのです。 渋柿の根から生まれた人々が、本来の神の愛の核の根を中心にして生まれた人々の住む、愛の理想を達成した本然の天国に入って行くことができますか。深刻です。深刻だというのです。本然の世界に入って行くことができるかというのです。本然の世界に入って行けるようになっているかというのです。養子にしかなれない身分です。それを考えると、堕落した人間は、庶子でもいいからなりたいと願うのです。 私の小さい頃、まだ両班(ヤンバン)・サンノム(注・身分の高い人、家柄・身分の低い人、家柄)の差別が強かった時代、庶子の出生というのは実に悲惨でした。庶子として生まれた者は、奥の暗い部屋に閉じこもって、毎日のように人に会うのを避けて暮らしたのです。僕にもなれないし、主人にもなれない中途半端な人間なのです。その人生がどれほど辛い人生かというのです。そのように、庶子にもなれない堕落した自分自身であることを自覚しなければなりません。 では、どうすれば良いのか。本然の根の核を貰うのです。接ぎ木された枝に新しい芽が出たなら、昔の根は腐ってしまわなくてはなりません。二重に復帰するのです。堕落した愛で植え付けられた昔の渋柿の木が腐って、その実が落ちるようになるまでは、本然の愛の道を連結した位置に立つことができません。これを何代でしますか。数十代、数百代かかったとしても、それが清算される日を迎えなくてはなりません。霊界にいる先祖達を解放するにも、皆さんが代わって努力しなければならない事情が残されている事実を知らなくてはならないのです。これを一代で清算することができるとすれば、己の一生身を粉にしてでも、成さなくてはならないのであり、千回万回死んで成すことができるとすれば、生きることのできる道を行かなくてはならない立場が、堕落した後継者達の立場ではないかというのです。 血統転換した位置 イエス様はどういうお方ですか。父母が過ちを犯したために、その代身者として、天が新しく送ってくださった完成格のお父様なのです。完成という言葉は、ただアダムの骨格が大きくなったからといって完成ではありません。 聖書にあるように、母親のマリヤに向かって、「婦人よ、あなたは、私と、何の関わりがありますか。私の時はまだ来ていません」(ヨハネ福音書二章四節)と言ったことがあります。これは自分のことを口実にした言い方です。なぜそのような言い方をするのかというと、三十歳が過ぎてもマリヤはイエス様を結婚させていないのです。マリヤはイエス様に対する責任は果たさないで、親戚の婚姻の席では、ぶどう酒の補充をイエス様に命じているのです。(沈黙) この恨みが何ですか。年取ったチョンガーの恨みが何か。嫁を迎えていないのが恨みなのです。三十歳になるまで結婚していないイエス様は、年取ったチョンガーでしょうか。それとも若いチョンガーでしょうか。マリヤはそこまで考えることができなかったというのです。結婚するにしても、イエス様の結婚は簡単にできなかったのです。どのような結婚をしなくてはならないのか。妻になる人も、堕落した世界の根から生まれた女性しかいないのです。分かりますか。イエス様は、神様が血統を清めてから送ってくださったお方です。 血統を清めるためにどういうことをしましたか。まず、エサウとヤコブの双子の時代を経て、弟のヤコブを通して長子権を復帰させたのです。ユダの長男の嫁であるタマルの腹中では、ペレヅとゼラの双子が闘い、兄と弟が入れ替わって生まれるという血統転換が、タマルの子宮の中で行われたというのです。先に出た兄のゼラを押しのけて、弟のペレヅが先に生まれたのです。兄さんのゼラが先に出ようとして、産婆は赤い糸をその手に結んだというのですが、これを、以後の真なる世界の継承者として見るとき、共産主義及び共産党の抬頭を意味しているのです。赤い印の兄さんの押しのけて、弟ペレヅは長子として生まれました。長子権復帰ができなければ世界の統一ができません。その戦いを私が今やっているのです。これらのことは、皆神様が事前に啓示してくださったことです。 聖書は実に啓示的であり、また人類の歴史を語る上で、文化の世界からも、宗教史の世界からも抜くことのできない宝典です。この宝典は、こみ入った人類歴史の秘密がことごとく記されているのです。その一つ一つを解いていかなければなりません。聖書は、持てば良いというものではありません。啓示されていることばを解かなければならないのです。 その一つが血統転換です。マリヤの腹中から生まれたイエス様は、サタン世界の血統を転換させたのです。そうではありませんか。(「はい。」)イエス様は血統を転換した位置に立っていますが、イエス様の相対になることのできる新婦は血統転換の過程を通過していなかったのです。何の話か分かりますか? だから複雑なのです。平面的にみれば、お母さんが娘になり、娘がお母さんになるという。“入れ替え”がなされなくてはならないのです。女性の世界において反対の天地開闢が繰り広げられるのです。お母さんが娘になり、娘がお母さんにならなくてはならないのです。それは一人ではできません。神様とアダムが完全に一つになってから、これを協助せずしてはできないのです。そこに誰が協助するのかというと、マリヤが協助しなくてはならなかったのです。お母さんが娘になり、娘がお母さんにならなければなりませんでした。万古の伝統として知られることのできるお母さんとならなければならないのに、そのようになれなかったというのです。 マリヤを求める民族 皆さんはそういうことを知らないでしょう。先生が今日このような話をすることができるのは、それを皆正したから言えるのです。お母様をお迎えできたのも、それを正したからです。お母様を迎えることがた易いですか。私はなぜ四十歳を越えて、この年若いお母様をお迎えしたのですか。 お母様をお迎えすることを知った統一教会の女性達は、目を女王蜂の目のように大きくして、稲妻のような火花を散らしたのです。熱が上がって、「私がお母様になる」と言い出しました。お婆さんも、十二歳の乙女達もみんなが、「お母様になる」と言って大騒ぎをする始末でした。そういう所にお母様を連れて来たらどうなりますか。真っ裸にしかねない有様だったのです。それで、先生が知恵を使って、作戦をうまくしたので無難に突破できたのです。 イエス様の時はそうではなかったのです。結婚するには何から始めますか。結婚式の準備をすべきではなかったか。エデンの園のアダムとエバのように、裸のままで新郎・新婦の二人が結ばれるというのですか。準備ができなかったのです。歴史上のすべての讒訴条件を補償するための準備をすることができなかったというのです。 祭司長とけんかしてしまったのです。ユダヤ教は何を以て反対したのか。統一教会はどんなに悪口を言われたとしても、じっとするのです。四十年間悪口を言われっ放しでした。もし反撥したなら殴られます。何百回も殴り殺されることになるのです。大韓民国でもそうです。黙っていません。みんながみんな殴り殺そうとするのに、じっとしているのです。男としてどう反撃すべきか知らないのではありませんが、じっと耐えて知らぬ振りをしているのです。しかし、いざ避難すると私は山の頂上でちゃんと待つのです。そして、「お前達は今来たのか」と言います。その時が清算する時なのです。 イエス様は祝福を受けましたか。(「受けていません。」)誰のせいですか。誰のためですか。☆☆ ☆☆☆(こうしてだね)、☆☆ ☆☆☆(ああしてだね。)☆☆ ☆☆☆(そうしてだね……。)☆☆ ☆☆☆(本当だね……。)このように韓国人は「マリヤ、マリヤ」と言うのはなぜですか。それはお母さんを呼んでいる言葉なのです。「お母さん」と言う代わりに、「マリヤ」と呼んでいます。韓国人は、どんな話をするときでもすぐに「マリヤ」と言うのです。なぜそうなのか。それはキリストに関わりがあって、マリヤを求めているのです。 ザカリヤの家庭とヨセフの家庭 マリヤが責任を果たせず、ヨセフが責任を果たせなかったので、ザカリヤの家庭が責任を果たせなかったのです。洗礼ヨハネの家庭とヨセフの家庭が仲良く組んだなら、簡単に事は済んだのです。ヨセフはイエス様をお父さんとして迎え、ザカリヤは洗礼ヨハネをお父さんとして迎えれば良いのであり、ザカリヤの家庭に生まれた娘をお母さんとして迎えれば良かったのです。そうしなければならなかったというのです。それができていたなら、イエス様は間違いなく結婚したというのです。二代が協助しなければなりませんでした。この二代がカイン・アベルの関係にありました。この二代が転換しなくては、お母様を迎える道がなかったのです。そうではありませんか。善悪に分かれてしまって、位置が逆になったのですから、これを交替しなければなりません。上に立つべき者が下に立っているからです。善は下に立っていましたが、時が来たので上に行かなくてはならないし、上に立っていた悪は下がって行かなくてはならないのです。 この交差点で上下を転換させる歴史的責任がメシヤにあるために、メシヤは上下が交叉する時に来られるのです。それ故に、ヨセフの家庭とザカリヤの家庭が交叉しなくてはならなかったのです。また、ザカリヤの家庭とヨセフの家庭は、カインとアベルの関係にある親族として、この親族の立場が入れ替わらなくてはならなかったことは言うまでもありません。伝統的イスラエル歴史を見るとき、ザカリヤの家庭が上ですか、ヨセフの家庭が上ですか。ザカリヤは大祭司長ですが、ヨセフは大工であり、平民でした。平民が大祭司長を屈伏させなければならなかったのです。ザカリヤはヨセフの前に屈伏しなければならなかったのです。入れ替わって、祭司長であるザカリヤはイエス様の王宮を祭司長として迎えなければならなかったのです。そうすることのできる自分の甥です。洗礼ヨハネとイエス様はお母さん姉妹から生まれた従兄弟です。 そのようなことが可能ですか。それで殺されてしまったのです。そうならないように事を運ぶ責任がマリヤと洗礼ヨハネのお母さんにあったのですが、それを知らなかったというのです。かと言って、アダムが教えてあげるわけにはいかなかったのです。復帰路程では、自らが五パーセントの責任を果たさなくてはならないからです。女性が果たすべき責任を、マリヤと洗礼ヨハネのお母さんが果たせないまま、いつの間にかイエス様は三十歳にもなってしまったのです。 マリヤがイエス様を宿す時に、ザカリヤの家に行ったのでしょう。そうであるとすれば、イエス様が婚期を迎えた時、その親戚の家に訪ねて行って相談すべきではなかったのか。相談して、親戚結婚をすれば良かったのです。そうすれば、洗礼ヨハネがイエス様に侍ったことでしょう。家庭的にしなければならなかったというのです。それがどうしたことでしょう。ヨハネは放浪しながら洗礼を授けて歩いていました。「彼は必ず栄え、私は衰えるだろう」(ヨハネ福音書三章三十節)という、そんなやりとりは本来する必要がなかったはずです。 イエス様の怨恨 イエス様は、そのような事情を背景にして、紆余曲折を乗り越え、本然の基準に帰らなくてはならない祝福の基準をどれほど渇望したことでしょうか。イエス様が一代を懸けて欣慕していたその位置を、イエス様自身が求め得ることができなかったというのです。死んで二〇〇〇年、イエス様に従った数多くの聖徒達が捧げられた血の祭壇に、血の乾くことがないように祭壇が連結されてきたのです。今日、世界的なキリスト教版図を中心にして、再臨という一時を中心として来られるのですが、それは栄光の座から来ることができないのです。血の祭壇から始まらなくてはなりません。血を乾かすことのできる道から歩まなければ、祭壇の伝授がなされないというのです。イエス様の、その怨恨を知らなくてはなりません。地上に来られて、果たすべきことを果せなかったイエス様の恨みが残っているのです。 再臨時代においては、この怨恨が晴らされて、本然の愛に結ばれた祝福者達がいることのできるその位置は、どれほど得難いものであるかということを皆さんは知らなくてはなりません。先生がそうではありませんか。お母様をお迎えしたのは四十歳になってからです。祝福の位置に立つまでがどれほど困難であったか、また、どれほど待望したか分からないのです。だから貴いのです。どれほど貴いのか。祝福を受けた者達がどれほど貴いのか、皆さんは知りませんが、先生はよく知っています。 イエス様はそれを知っていたというのです。どれほど思い焦がれていたことでしょう。慕わしい思いで眺めるイエス様の視線を、お母さんが、ヨセフの一族が、どのように受けていたでしょうか。洗礼ヨハネの一族はどうであったのか。祝福を受けた者達がいる場所を恋しく思う、その心中をどれほど測り得たことでしょうか。 ご飯を食べても、それは忘れることができないものであり、一年が過ぎても忘れることができないものです。このような深い思いで憧憬し続けた祝福への夢が、三十余年の生涯と共に消えてしまったのです。その志を成し遂げることができずに、十字架の露となって消えて行った悲運のイエス様でした。胸の詰まる思いでした。 キリスト教徒の錯誤 それ故、神様の所願の御旨はどうなりましたか。創造の偉業の甲斐もなく、人間の堕落によって失われた理想世界を、堕落以後取り戻そうとした神の摂理が、また再び延長せざるを得ない悲運の歴史を天はもたれたのです。では、祝福を受けた者達を天はどれほど恋しく思ったか、考えてもみなさい。また、霊界に行った数多くの霊人達は四〇〇〇年間、メシヤ来臨の準備をしていたのであり、その期間に祝福された者が現れることをどれほど期待したことでしょうか。 祝福の歴史的瞬間が天上の神様と、霊界のすべての霊人達の恨みが地上で解放される時なのです。この地上で恨みが解かれるその時を期待していたのです。しかし、その時を再び手離してしまったのです。手離してしまった霊人達の悲しみと祭壇の悲しみはさて置いて、数千年間更に受け継がれることになった霊界の悲痛な事実がどれほど大きかったことでしょうか。 イエス様は地上における希望の基点でした。生きていたなら、たとえ年老いても負わされた責任を果たしたに違いありません。しかし、その責任を果たせずに三十三歳で死んで行かれたイエス様自身が神様の前に行けますか。天上世界のすべての霊人達を救い、地上世界の人間達を救うのが救世主の立場なのに、責任を果たさないイエス様が天国に入ることができますか。このような実に大変な事情をキリスト教徒達は想像すらできないというのです。自分達が主様と呼んで信奉するイエス様の、夢にも想像することのできない境地に立たされたその辛い事情を誰が知っているのでしょうか。知らない立場で祈祷しているのです。「イエス様が死んだ血の代価として我々が救われた」と言っているのです。 血の価! 血の代価! その血がどこから来たか知っていますか。血が先ですか、愛が先ですか。命が先ですか、愛が先ですか。肉の血筋を通した生命は延長されましたが、神の血統を通した理想的愛の道は未だ閉じられたままで、肉の血筋はサタンに支配された死亡の血筋なのです。いつかはこの血筋を取り替えて、神様の血筋として転換させなくてはなりません。イエス様の結婚式をしてあげなければならないということが分かりますか。霊界とこのすべての事実を知ってみるときに、キリスト教徒達はあまりにも没常識であり、それで良いのかというのです。 そこには一つの理由があるからです。あのパウロが大きな罪を犯したというのです。彼は、「信仰によって人は救われる」と言いましたが、人間は信じることによって生まれたのですか。 堕落とは何ですか。堕落したのは、愛によって堕落したのでしょう。偽りの愛で堕落したものを、信じることで救いを受けることができますか。サタンの愛を清算することができますか。サタンの愛を清算することができないのに、救われると思いますか。神様の血筋とサタンの血筋とに分かれてしまったのに、サタンの血筋の者達がただ信じるだけで天国に皆住むことができますか。 本然の創造理想では、神様の愛の根を中心にして、それが元となって収穫された実だけが、天国に獲入(とりい)れられるのです。それなのに、サタンの血筋の者が、信仰するだけでどうして天国に行くことができますか。そのような妄想的な、理論に符合しない信仰観に従って、世の終わりの時を待ち続けて来たというのです。何とあきれた話でしょう。それで、祈祷することは、「福を授け給え」と言うのです。サタン世界に根を張っていながら、「神様の愛と福は自分に下さい」と言っているのです。これは泥棒ではありませんか。そのような祈祷を聞くイエス様の心境がどれほど悲惨であり、神様の心境がどれほど切ないことでしょうか。 祝福の基盤 そのようなすべての事情が歴史の背後に隠されており、埋れて来たという事実を知ったレバレンド・ムーンという人が現れて、その根本を明かし、その根拠を解明しなくてはならないのです。こうした手続きの上に皆さんの祝福があるのです。どれほどか神様が願い、今まで数多くの霊人達が彼の国で憧れていた祝福を受けた者達がどういう者であるかを考えられるその長い間、霊界では、地球上に祝福が拡大することを願ってきたのです。祝福は、歴史の所願である解怨が成就することのできる基点であり、死亡時から方向も忘れて、根本から離脱した人類歴史の方向を定めて、本郷に帰ることのできる転換点にもなるのです。 祝福は、信じることでありません。新しい生命を植えることのできる愛の伝統がなくてはならないというのです。分かりましたか? サタン世界の愛を踏み付けて、天の世界の愛の伝統を継承する、本然の根に属することのできる因縁を持たなくてはならないのです。その因縁で皆さんが祝福を受けた位置は、イエス様が解怨される位置なのです。アダムの解怨もしてあげなくてはならないし、イエス様の解怨もしてあげなくてはなりません。そして、次は皆さん達が先生の解怨をしてくれなければなりません。 先生の解怨とは何ですか。先生は、この地上で苦労する先生ではありません。私の手足を見なさい。先生の手足が小さいと誰かが言っていましたが、仕事をしないで生きるように生まれているのです。仕事をするようになっていないのです。本来、この地上で苦労するために生まれた人ではありません。歴史上の終着点から、新天地に向かって前進する歓喜の旗手としての使命を持って生まれたのです。この世に一人の使命者を送るには、歴史的にどれほど多くの犠牲が払われたか知りません。使命を果たした勝利者の出現がどれほど待望されたことか。霊界では使命の重大な責任が全うされるよう、神様も霊人達も私を見守ってくれましたが、地上の世界は反対だったというのです。これは驚くべき事実です。 先生が四十歳になって、初めて祝福の基盤が出来上がったのです。それが、解放された一九四五年から十四年が過ぎた年です。十四年が過ぎるそれ以前には、場所を定めることができなかったのです。なぜならば、アダムが堕落したのが長成期完成級で、七と七の段階だったからです。十四はそこから来ている数字です。それで十四年たって、先生を中心にして皆さんを祝福してあげたのです。皆さんに、そのような祝福を受ける資格がありますか。神様の祝福を受ける人は、どのような位置に立った人ですか。神様の愛の根から生まれていなければならないのです。本然の父母から生まれて成熟したならば、その本然の父母から祝福を受けて、宇宙を相続する立場に立つのが祝福です。 皆さんはそういう位置に立ちましたか。統一教会にそのような基盤がありますか。祝福を受けた人達、手を挙げてみなさい! 皆さんが置かれている今の位置は、祝福を受けた者としての位置ではありません。祝福の本然の世界を求めて行くための条件基盤なのです。三十六家庭であろうと、何であろうと皆同じです。カインはどのように先生に付いて来るのですか。七十二家庭が先生に付いて来るには三十六家庭という基盤を通して付いて来るのです。次から次へとそうするのです。 祝福家庭という基盤が地上の基盤ですから、祝福の基盤を通らなくては先生には付いて来る道がありません。だから、後輩家庭が先輩家庭に頭を下げるのです。「死ね」と言えば、死ぬつもりで先輩の命令に服従して付いて来るのです。三十六家庭の者達が、先生の家庭がどうのこうのと評価することはできません。先生の家庭を評価することができるのは神様だけです。なぜか分かりますか。神様の家庭には、先生の家庭しかありません。本来の本然の世界には、三十六家庭のようなものもないのです。先生の直系に似ていますか。それが直系の息子・娘ですか。七十二家庭も、一二〇家庭もなかったのです。これは、この世を救うために作ったものなのです。 この世の人は、怨讐の血筋で生まれたために、養子の形態に従って、彼らの息子・娘達を迎え、先生の直系の息子・娘を結んであげて、それを基盤にして、残る者達を全部繋ぐのです。そうしなければ、皆さんの後孫が天の前に行くことができません。皆さん自身が天国に入る道がありません。原理がそうではありませんか。この世は、何事も皆原理が基点になっているのです。 皆さんは、祝福を受けた者達だと思っているのですか。本来の祝福を受けた者達ですか。違うのです。違うのです。カイン圏の長子権復帰されなければ私は苦労しません。お母様にも苦労させないし、私の息子・娘にも苦労させません。カインの長子権を復帰するために、先生の家庭が悲惨になってしまったのです。 このような話をなぜするかというと、時が来たからです。本然の祝福を受けた者達の願いは何ですか。歴史の背後で絡み合っているものを解き、根の痕跡を塞いでしまうのです。自分の過去の習慣性から来る意識までも忘れることのできるその位置を探すのはいつでしょうか。過去の意識を持っていては、彼の国へ行ってから全部再生工場に入れられ、保留期間に置かれてしまうのです。そのため、私も今までに苦労したすべてのことを忘れようとしているのです。 死んだ後、本然の道を進むべき祝福を受けた者達が、過去の意識を持ったままで本然の道を行くことができないのです。過去の意識が残っていれば、いまだサタン世界の因縁が切れていないことになります。それは、サタン世界の渦中に止まっているのであって、サタン圏を越えた、本来の世界圏に立っていないのです。みんな忘れてしまうのです。先生も、この道を行こうとしているのです。過去の意識を持って霊界に行ったとき、何事もなく通過できると思いますか。全部手帳に書かれているのです。もしも統一教会の祝福家庭の楽園が出来るとすれば、それこそ悲痛な出来事です。 祝福の価値 深刻ですよ。皆さんが祝福を受けたその日と、イエス様が祝福を受けたいと懇切に願っていたその日々を比べてみなさい。母親に「婦人よ、あなたは、私と、何の関わりがありますか。……」という、本当に脅迫めいた発言をしなければならないイエス様の心情圏と、皆さんか祝福を受けて祝宴を催した時の心情圏とを比べてみなさい。どれほど天地の差がありますか。皆さんは天国でなく、地獄に行く群れ達です。 天国に入る時は、天の本然の愛の衣服を着て入って行くのです。天国の愛の衣服を。自分が天国の服に合わせますか。それとも、天国が私に合わせて服を作りますか。そのような原則がありますか。学校の点数の付け方がどうなのか。一〇〇点を基準とするならば、「私に合わせた一〇〇点の基準で認定してください」と学生が言えますか。学生達の方が合わせなくてはならないのです。同じ理屈です。原理的伝統の祝福を受けた本然の者達が行く基準の中に、祝福を受けるという者達も、祝福を受けたという群れも、千年、万年、億万年かかったとしても合わせなければならいのです。 地上で合わせられなかったら、霊界に行っては、何億万年かかるかも知れません。その時、皆さんは親や子供達から皆讒訴されるのです。子供から、「あなたは、なぜ親としての蕩減を清算してくれなかったのですか。親としての罪を清算しないで、どうして私を生んだのですか」と言われるのです。 皆さんの欲望を民主主義式でかなえるとすれば、神様の方で行ったり来たりしながら皆さんに合わせなくてはならないことになります。天国の方が風呂敷を包んで皆さんの方に行ったり来たりするようになっているのですか。それとも、皆さんの方が天国に合わせて行ったり来たりするようになっていますか。皆さんが合わせなくてはならないのです。深刻です。 そういうことを考えるならば、皆さんはどれほど神様の助けを受けて、この祝福を受けた群れかというのです。霊界を動員して祝福を受けた者達です。イエス様が一生かかって期待して止まなかった祝福の位置に立った者達よ。それは、イエス様以後二〇〇〇年間この方、多くの人達が流し続けた血の犠牲の上で得た祝福の位置なのです。打たれても、また打たれずにおられない、その悲痛な歴史の非運を見詰めるイエス様が、それを越えて、昔自己が成すことのできなかったものを、世の終わりの日において、再び再臨して、成就して、捧げなければならない、その祝福の位置だったのです。神様を始め、全霊人、すべての道主(どうしゅ)、地上にいるすべての道人達が解怨される、悔い改めの位置なのです。 皆さんが祝福された背後に、父母様がどれほどの難関を乗り越えて勝ち得たものであるか、その価値が分かりますか? 想像以上のものです。祝福の価値は何千万円分のものか、「たとえ人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、何の得になろうか」とイエス様も言っているではありませんか。それが何ですか、今日の統一教会の者達は、本然の祝福基準と、そこに和合することのできる内容があるかというのです。ああ、この者達は皆中身の無いもみ殻です。中身が無いのに、大きいことを言うのは誰ですか。春になれば分かるのです。種をまいても発芽しないのです。彼の国へ行けば、実の無い殻の方へ押しやられるのです。これが一番恐ろしいことなのです。その恐ろしさを知って、先生はありとあらゆる手を尽くしているのです。この道は、生死を賭けた道です。監獄に入る時も、自ら進んで入って行きながら、死の道を行ったとしてもこれをなしたのに、「私に祝福を下さい」と言うのですか! イエス様の位置、氏族メシヤの位置での祝福 獄中生活をするには、家庭を犠牲にしなくてはできないのです。祝福の位置を得るために、なぜ私の息子・娘が犠牲になるのか。そういう罪はもっていないのです。嫁ぐ前の娘は自分の体に衣を巻き、肌を隠して操を守るように、私も若い時から自分の肌が見えないように服で隠し、男子としての貞操を守って生きたのです。ですから、やたらに外出もしませんでした。劇場の前を通っても、劇場には入ったことがありませんでした。その時の劇場は今も残っていますが、劇場に行くことなど考えもしなかったのです。バスはまた必ずその前で止まったのです。そのようなことを皆通過した後、この世を救うチャンピオンとなってからは、その中にいる彼らを救い出すために、劇場などにも出入りするようになったのです。 屁を出しながら知らぬ顔をする人間がいるでしょう。この統一教会の群れ達は、ちょうどそれと似た者です。この世の臭(くさ)い臭(にお)いがするままに天国に連れて行ったらどうなりますか。天国が臭くてどうしようもないでしょう。臭いまま行く道が祝福の天国へ行くことのできる道ですか。この者達を一箇所に集めて何とかしなければなりません。自分の母親、自分の父親、自分の夫、自分の詰、自分の息子・娘は重要視しながら、天国を造り上げる子供達は重要視していないのです。自分の家庭よりも、天国を願っているのかということなのです。 今は自分の子供、自分の妻・夫達を犠牲にして、天国の国民を編成する時なのです。それだどうしたというのです。どうなるか知っていますか。先生はあのように言っていますが、まさかそうなりはしないと思ったら見当違いです。本当か嘘かはいずれ分かるのです。分かった時はもう遅いのです。その時になって許しがあると思いますか。先生の話したことに許しがあると思いますか。霊界に入る時、許しがあるかないか、適当にやれば良いという者達、見ていなさい。その時が来てから引っ掛かるときは、泣いたり、わめいたりするというのです。 法があり、原則があります。それを基準にして善悪を判断するのです。それに引っ掛かった者には、前進中止を命じるようになるというのです。そういうことがあってはならないと、先生は一生の間監獄を求めたのです。もっと大きな監獄へと求めて行ったのです。個人路程の監獄を越えて氏族監獄へ、氏族監獄を越えて民族監獄へ、民族監獄を越えて国家監獄へ、国家監獄を越えて世界監獄へと上って行ったのです。それが私の一生です。獄中で、やるべきことは皆やったのです。サタン世界で、私の果たすべきことは皆果たしたのです。そのようにして探したものが皆さんなのですか。違うのです。私は間違いなく自分の行く道を皆拓き、自分の行く道を走って来たのであり、自分の果たすべき責任分担をも皆走りに走って来ましたが、皆さんはまだなのです。私と違うのです。 既成の祝福家庭達、覚醒しなくてはなりません。先生がいなかったら、本来既成祝福家庭はあり得ません。そういう原則がありますか。よその子供を連れて来て結婚させるとゐう原則がありますか。無い原則を立てたのです。イエス様が死んだために、メシヤが再臨するときは、イスラエルの直系の血筋を通しては来られなくなったからです。新しい別の血筋を通して来臨するようになったのです。 イエス様の肉体をどこで探しますか。イエス様の肉体を探す場所はサタン世界だというのです。皆さんは、イエス様の肉体の代身として探し出された立場に立っているのです。イエス様の代身者の立場ですから、祝福が可能であるというのです。 皆さんの祝福は、皆さんの位置で祝福を受けたのではなく、イエス様の位置で祝福を受けたのです。先生と父母様は、マリヤが果たせなかった責任を果たし、ヨセフの家庭、ザカリヤの家庭が果たすべき蕩減を代わりに蕩減し、皆さんをイエス様の立場に立てたのであり、イエス様の恨(ハン)を解いたのです。宗族編成は、個人、家庭、氏族の三段階を通過するのです。この恨、これを解かずしては、氏族、民族、国家、世界へと越えていくことができないのです。皆さんはどこから来て、どこへ行く者達ですか。真っ直ぐに行くのか、どちらに行くのかというと、イエス様の体の立場ですから、イエス様の体の位置で、父母様の前で祝福を受けるのです。分かりますか! (「はい!」) 私は氏族的メシヤの位置で祝福をしてあげるのです。イエス様が肉身を失って行ったのですから、その肉体を探さなくてはなりません。イエス御自身が探すことがてきないでしょう。このようにして、イエス様の相対を結婚させてあげることにより、皆さん達を結婚させてあげることができるのです。 しかし、その祝福はイエス様の霊的な援助に止まっているのです。実体的に祝福となるためには、統一教会の実体基準を通さなくてはなりません。そのために、イエス様が立てられなかった氏族基準の位置を立てるのです。氏族基準の位置は、ヨセフの家庭とザカリヤの家庭が和睦した位置です。この位置で先生の家庭と、祝福を受けたこのようなカイン圏の先輩の家庭の擁護を受けることによって、皆さん達を祝福してあげることができるのです。何の話か分かりますか? ホームチャーチによるカイン圏の復帰 それで、皆さんはホームチャーチをしなくてはならないのです。ホームチャーチ基盤はイエス様の氏族圏なのです。ヨセフ家庭とザカリヤ家庭のカイン・アベル圏を一つにすれば、民族編成圏に連結することができます。イエス様ができなかったものを、皆さんがホームチャーチを通して蕩減復帰するのです。ヨセフの家庭、ザカリヤの家庭の蕩減復帰をすれば、イエス様が願っていた神様の国へ行くことができるのです。ここに民族が連結されるのです。先生が皆さんを連れて、民族と世界の蕩減路程を連結させることができるのです。そうしなければ、皆さんが連結される道がないというのです。 先生の実体はイエス様の延長です。分かりますか? 皆さんはイエス様の延長された位置で、代身者として立たされたのですから、先生の世界的蕩減が延長した実体基盤を築くことによって、皆さんも子女の立場で先生の恩恵圏を相続して受けることができるのです。イエス様の位置で、イスラエルの国とイスラエルの王権を回復し、祝福圏が成就することによって、愛を中心にして相続するようになっているのです。分かりますか? (「はい。」) 天的な愛、本然の愛を中心にして相続が繰り広げられるのです。なぜ愛を探して行くかというと、愛を持たずしては、相続を受けることができないからです。神様の愛を根としなくては相続権が、所有権がないというのです。過去にあった所有権はサタンを中心としたものですから、これを否定して、天の国の所有権を取り返さなければならないのです。それには、ホームチャーチをしなければなりません。 ホームチャーチを通して、カイン圏を収拾しなければなりません。そうすることなく、皆さんの故郷に帰ることができないのです。金氏、朴氏、何氏であろうと皆そうです。カインの氏族圏が無ければ自分の家庭を救う道がありません。天の掟に引っ掛かるのです。なぜホームチャーチをしなければならないか分かりますか? イエス様の代身者として、イエス様の氏族基盤であるザカリヤの家庭と、ヨセフの家庭を一つにして、カイン・アベルの位置を転換させ、祝福の基盤を復帰するためです。これによってイエス様が果たせなかったことを蕩減復帰することになるのです。 皆さんの家庭は、血を流して死ぬようなことがあっても、ホームチャーチの三六〇軒を皆一つの家庭として連結させるのです。恐れをなして行かない時は、サタンが止めることになっているのであって、神様な止めるようになっていません。これを通して、民族圏、国家圏へと上って行くのです。それを通らないでは行くことができません。 楽に暮らしてみたければ暮らしてみなさい。祝福家庭の子女であっても、ホームチャーチをしない者の息子・娘は、年齢に達しても祝福をしてあげることができません。ホームチャーチが完成する時を待つより他ありません。年を取るまで完成しなければ、そのまま死ぬしかありません。死にたければ死ぬし、止めたければ止めるのです。従わない人は絶対に祝福を受けられると思ってはなりません。祝福対象者を呼んで約婚させるのもいつになるか分かりません。三十六家庭が先生の代わりに立って祝福を与えるようになるかも知れません。そうすれば、今回の祝福に入らなければ、もう私から祝福を受けることはできなくなります。恐らくないでしょう。 本然の祝福者となるために 自分勝手に御旨を否定して出て行った者達は、離教者の道を歩むことになるのです。祝福を受けたとしても、皆さんの祝福は条件祝福であるということを知らなくてはなりません。条件祝福者から本然の祝福者となるには、三代にわたる三回の祝福を受けなくてはなりません。祝福される位置はどういう位置ですか。サタンが反対する位置に祝福がありますか。君達は統一教会内で祝福を受けたのでしょう。国が祝福してくれたのではありません。今それを知らなくてはなりません。 教会の祝福と、国の祝福と、世界の祝福を受けなければならないのです。アダムとエバが受けるべき祝福の位置は、天と地の往来が自由にできる愛の軌道の上だったのです。皆さんの祝福は統一教会内だけの祝福でしょう? (「はい。」) 国の祝福の時には、今まで先生が指示したすべてのことが憲法となります。天の国の憲法と同じです。その憲法に合格しない者は、国の祝福圏内から脱落するのです。三十六家庭であろうが、誰であろうが皆脱落するのです。しっかりと覚えてください。 そこで考えるのですが、国家の祝福としては、大韓民国の国家祝福を受ければ良いのです。大韓民国の祝福を受ける際に、世界祝福を一緒に受けても良いのです。また、世界祝福を別に後から受けても構わないのです。三段階の祝福があるということを知らなくてはなりません。 このように残された祝福の道があるにもかかわらず、祝福の二世達に対して、「お前は勉強だけしろ!」と言っていた者がいます。そういう間違いがあるかないか、私は徹底して調べようと思います。私は、邪悪なことをする人に対しては徹底した人間であることを記憶してください。自分の好き勝手に相手を選んで結婚する者もです。そういう親から生まれた息子・娘達は全部垣根の外です。 それから、統一教会に入って来てから落ちて行った者達、または祝福を受けてから落ちて行った者達は別の囲いに入れなくてはなりません。島国に行って住むのです。陸地にいたとしても、陸地の中にある島のような所に島流しするのです。島にいたまま死ねば、霊界に行って島に住むことになるのです。嘘ではありません。そのような悲痛な運動から脱出しなければならない者達同士で結婚すればどうなるか。どれほど悲しまなくてはならないかということを知らなければなりません。それを知ったために、先生は自分の生涯を全部水泡に帰して、監獄巡りの一生を歩んで来たのです。生涯を皆捨てたのです。なぜかというと、本然の祝福を受けた者達の祝福の位置が欲しいからです。 先生にもその道が残されているのに、統一教会のこの奸臣達よ! 祝福を受けた身でありながら、天に背くとは何事か。それがどういうことになるのか知っていますか。堕落した位置は長成期の完成級の位置ですから、祝福を受けて堕落すれば、完成期の完成級で堕落したことになります。サタンが皆さんの主流です。サタンを解放して、皆さんを地獄に行かせなくてはならないというのです。それは父母様の体を脱ぐことになります。夫婦共に神様の体を脱ぐことになります。それを知らなければなりません。教会を離れたその者達が、教会に対して批判することのできる何の権利もありません。祝福家庭だからと言って、「アイゴー!教会で助けてください」と言える何の権限もありません。サタン世界の者達を面倒見たり、助けたりすることができますか。天が私を助けるのは、荷物を増やすことになるのです。その何十倍もサタンが喰い付いてぶら下がるというのです。助けを受ければ受けるほど、それが穴に押し込まれていくのです。這い上がろうとしても這い上がることができません。蕩減が次から次へと代を重ねて受け継がれるため、上へ上へと積み重なるからです。上がることができないというのです。 きょうの題目は何でしたか。「祝福を受けた者達」です。それを成さなければなりません。完全に解放を成し遂げてから、神様の愛の伝統に従って、愛の核の根から生まれた枝となって、そこから万国が連結することのできる、そのような祝福の位置に立つのです。その位置を、神様と、霊界にいる人類がどれほど切望したことでしょうか。地上に住む人々が、連綿と綴ってきた、このような悲哀に満ちた闘争史の中で、方向も知ることができず、世の人々は今なお混沌とした状態にあり、行くべき生命の道を見出せないでいるのです。そうしたこの世に未練があるでしょうか。皆さんの行くへき道が忙しいのです。何の話か分かりますか? これを忘れないようにしなくてはなりません。 新しい決意のもとに きょうのこの元旦は、八六年の初日です。この日に我々が行くべき「祝福を受けた者達の位置」に向かって前進することを決意するのです。祝福を受けた家庭、祝福を受けて住むことのできるその世界、その天国が我々の前途にあるのです。しかし、今はなんと遠い距離にあるかということが分かりますか? (「はい。」)分かりますか! (「はい。」)天国とどれほどかけ離れた自分であるか、恥ずかしいという事実を知らなくてはなりません。 皆さんは今、自分が何の服を着てこの座に参席しているのか知っていますか。それも知らない君達なのです。そういう自分が恥ずかしくありませんか。恥ずかしくても、今は行かなくてはならない宿命があるのです。行くまいとしても、行かずにはおれない宿命にあります。先生も宿命と思って一生を生きてきました。本来、苦労するためにこの地上に来たのではありませんが、行かなくてはならないために自分の宿命と思って生きて来ました。キリスト教が先生を迎えてくれていれば、私の一生も、この地上も、今日のようにはなっていないのです。四十年が終わった今では、そのキリスト教の勢力が弱体化してしまって、すべての面で統一教会に太刀打ちできないようになっています。衰退したキリスト教会は、統一教会に従わざるを得なくなるのです。このような転換を目前にしながら、統一教会の皆さんが許しを受けることのできない者であったとすればどうなるのか。 たとえイエス様が成すべき救いの御旨を代わりに成したとしても、そのイエス様の体は怨讐サタンに奪われて行ったのです。だから、皆さんの一身は愛の衣服を着た者として、涙でもって洗ってから清くしてもらったとしても、心は清くなれない自分であることを知らなくてはなりません。悲運の者であることを自覚しなくてはなりません。この悲運な事実を自覚しなければなりません。考えるだけでも身震いするのです。サタンの、その怨讐の血が流れている者達よ! あの、宇宙の大魔王に体を蹂躙された者達よ! 姦夫の血が己の欠陥に脈々と流れていることを知らなくてはならないのです。 本然の人間としての貴さはどこに消えたのか。人間は堕落したとはいえ、本性は失っていませんでした。本性ある限り、サタン世界は悲しみの世界です。サタンがどれほど本性の訴えを蹂躙してきたことでしょう。今日の皆さんが、そのような本性を蹂躙された歴史の後継者なのです。長い間苦痛を受けてきた、悲惨な姿を天の前に覆い隠せるとでも思いますか。恥ずかしい我が身であることすら自覚のないこの群れよ。軽挙妄動するこの群れが今日の統一教会の祝福を受けた者達ではないかというのです。この時間、警告しておきます。 私が監獄に入る時、無言で入って行ったのです。迫害を受けた時も、私は何も言わずに生きて来ました。控訴された時も彼らを許したのです。打たれても耐え、悔しくとも耐えて、ただ天を見上げるばかりでした。神様が悔しいことを分かってくれるのです。私の代わりに悲しむのです。天をお迎えして、父母の心情を慰労するため、息子の道理の道を案じながら、黙々と自責しながら行かなくてはならない道が、復帰の運命の途上にある私達の道であることを知らなくてはならないのです。 その曉に、本然の祝福を受けた者達がその価値と名分によって得るものは、自由と希望に満ちたものです。神様の愛と父母様の愛に結ばれて住む永遠なる天国の本部を定めて、全宇宙を統治することのできる永遠の宝座に座るのです。宝座は、己の一身をすべて捧げても座れるものではありません。行けども行けども宝座に着けない不足な皆さんです。不足を顧みながら、感謝して歩まなくてはならないのです。たとえその世界を追慕するだけでも、罪責感を感じなくてはならない。我々堕落した後継者であることを知らなくてはなりません。分かりますか? (「はい。」)きょう、この話を聞いた新年、皆さんは今までの統一教会での生活を一新しなければなりません。 条件的祝福家庭から、本然の祝福家庭へ これから、新しい世界がやって来ます。統一教会反対の時代が過ぎて行きます。そうすれば、どういうことが起こるでしょうか。若い統一教会の二世達、よく聞きなさい。キリスト教の二世達が入ってくるのです。そうなれば、誰がもっと熱心に励むと思いますか。自分が一番だと考えているこの者達でもとうてい及びません。天が認めないのです。神様は、この世界全体を救うために、ご自分の息子・娘を送られて、後に続く者として皆さんを祝福してくださったのです。それなのに、祝福を受けた者達が救いの先頭に立つのでなく、摂理の観覧客となって、摂理の部隊を眺めているとは何事ですか。全部が全部地獄へ逆さまに落ちて行く者達です。 分かりますか? 条件付きではなく、本物の祝福を受けた者達になろうという真剣な気持ちで、自分の整備をして進めて行かなくてはならない時点に置かれているのです。整備の仕事とは何ですか。それがホームチャーチ運動なのです。この運動をなおざりにして来たことを、涙を流して悔い改めなければなりません。それでも足りなければ、血を流してでも祭物となることによって、ここに住むすべての国民が生き残る道が開かれるのです。これを造るべき責任がホームチャーチの責任であり、この世に住む人々でないことを知って、いち早く準備して行くべき祝福家庭であるということを、皆さんは知らなければなりません。 私が願う祝福家庭は本然の祝福家庭です。本然でない祝福家庭が、現在の未完成状態にある祝福家庭なのです。これを「条件的祝福家庭」と言うのです。この両者を混合してはいけません。本然の祝福家庭の位置に進むための、条件的祝福を受けた者の道がどれほど険しく、どれほど難しいものであるかを、くれぐれも忘却してはいけません。分かりますか? (「はい。」) 新しい年を出発するにあたり、まずは自分の家庭から整備運動を急がなければなりません! 「そうする」と言う人は手を挙げてみなさい。 祈祷 流れ行く歳月の中にあって、長いサタンの世が始まり、今なお続く中で、人類はサタンの血を受けて増えてきました。ここにひれ伏す者達は同じ血を受けておりますが、二つに分かれた歴史の起源を因縁に持って生まれた、悔しい堕落の後孫であることを悟る私達自身であります。この後孫を救うために、天がどれほどのご苦労をされ、天の因縁をもったすべての聖人達を長い歴史上にどれほど犠牲にしたことでしょうか。悪なる群れ達の前で悲惨ないけにえとなった言葉なき犠牲者の墳墓の中に、神様の哀怨の数々がどれほど多かったかを考えるとき、彼らを復活させて、その恨みを解き、天上世界に勝利の覇権を賦与されることのできる、そのような時をどれほど心から期待されたでありましょうか。その日を迎えるために、この地上に本然の父母が生まれなければならないのであり、父母の血族に連結し、世界に広めて、その血筋を清めて、接ぎ木された者達が現れなくてはならないのであります。数代を経て、三代で成さなければ、七代をかけて成すようにしてください。 愛の伝統的起源は、神様の愛の核の根を植えることから始められるのでした。愛の幹が伸び、枝が育ち、愛の葉が育って、愛の実を結ぶべきこの基準を誰も達成てきなかった事実を、神様もご存じです。歴史上の聖人、先哲が、霊界に行った数多くの我々の先祖達が、すべての霊人達が、今までこの地上に住むすべての人々も、察することはできずとも、心の世界ではこの基準を追求したのでありますが、辛い苦労の人生の後は、苦労の人生航路に終わった後に歩んだ死亡の道であって、生命の道ではなかったのであります。 このような歴史的恨(ハン)を知って、この統一教会の群れ達は父母様を通して、祝福という、この上ない恩恵を受けましたが、この大いなる祝福に対して、自分なりの誤った判断をもって、自分を中心とした祝福として考えておりました。この容赦することのできない過去を、涙を流して深く悔い改めておりますので、どうぞお許しください。残された時間が少ないことを知って、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう肝に銘じさせてください。 夫婦がどのような位置に立つべきかを考えるときに、原理原則から遠い距離にある自分達であることを自責しながら、原則を天の代身に立てておき、それを崇拝しながらその標準の前に私が合格するよう、自分自らを整備して愛の完成への道を急がせてください。 訓練と準備をしなくてはならない厳粛な公式的法規の基準を知ったのでありますから、その前に順応し、その前に絶対的権限を立て、自分はいかなる犠牲を払ってもそこに一致することのできる道を越えながら、一段階、一段階上って、天上世界にまで行かなくてはならない運命の道が自分を招いていることを忘却してはなりません。 これまでに、多くの祝福家庭をここにお父様が立ててくださいましたが、彼らは悪がはびこる険悪なこの世から多くの痛手を負って、ここかしこに傷痕を残しております。全身ぼろをまとっておりますので、傷痕を覆うことができませんが、神様の御旨を知り、神様の本然の心情圏がどのようなものであるかを知ってからは、統一教会員はこの世の人々とたった一つ異なる点をもっているのです。お父様が願い、父母様が願う本然の心情圏に進む道を運命の道として受け入れることのできる一つの素質をもっているのであります。このことが統一教会の信者が一般の信仰者と異なる点であり、一般の人々と異なる点であり、大韓民国の国民と異なる点であります。これを誇り得る、これらの群れをどうぞお父様、哀れみをもって御覧くださいませ。 この祈りに先立ちまして、「貴き者」となるための訓示を与えましたが、今一度訓示の言葉と共に自らを整備し、明日への準備を急ぐことに不足のないよう、自己の全生涯を懸けて努力する群れとして、その家庭、その一族となることができるように激励、鞭達、指導してくださいますようお願い申し上げます。 彼の本然の世界に、あなたの純粋な愛の血縁を結ぶため、アダム・エバの本質的愛の美化と、その愛の価値の昇華を待って、神の縦的愛の核を、横的アダム・エバの愛に接触させるその一時を待ち望んで、ここに生命の起源とし、愛に始まって、愛に生まれ、変わることのない愛の生涯を経て、永遠なる愛の世界へ循環することのできる道を整えるための、お父様の本然の創造の偉業が、千万不幸にも、アダム・エバの堕落によってこのような悲痛なる歴史を残してしまいました。考えるだけでも、知るだけでも不忠であるほどの一大事件であったこの堕落の後裔であるということをお許しくださいませ。 この時間、原理を通して学んだ神の心情圏がどのようなものであるかを各自が知りましたので、これだけでも、あなたの前に誇り得る条件とさせてください。 今までの過ちをお許しくださり、きょうから新しく始まる画期的な家庭の一つの線を立ててください。三十八度線以南に住む我々は、サタン世界とは関係のない民であり、どのような困難に出会ったとしても、我々の夫婦だけは間違いなく天の側の家庭であり、たとえ、この肉体を失うことがあっても、名は失うことのないよう、万民の主体的主人としておられるそのお方を、私のお父さんとして侍ることのできる特権と権限を持って、あなたの前に帰ることに羞恥することなく、自信と信頼をもって、すべてを越え、克服することのできる統一の群れ達になれるよう許諾してください。 旧正月の元旦を迎えたこの朝、このように新たな目標を定めて、教会祝福を経て、国家祝福と世界祝福までも迎えて、万々歳の勝利の凱歌を上げるその日まで、すべてのことを忘れて、ひたすらに愛の昇華に勤めて、あなたの愛の光に照り輝く、燦然とした理想の姿になれるよう、お父様、お導きください。 あなたの本然の心情が、それが所願であることを知りましたので、その所願を統一教会の者達の心の中に深く納めて、その一念がお父様のための一念であり、その一念の中に永遠に湧き出るあなたを偲び、あなたを愛さずにはおられない、瀑布の水のような新しい愛の泉となって、自分の家庭を潤し、一族を潤し、民族を潤し、万民を潤しても余りある愛の生水を吹き出すよう祝福してください。 無知であった過去を清算し、完全なる位置に立って、明日の勝利の防牌(ぼうはい:楯)を掲げ、悪魔の世界の前に号令して、「退け」と命令することのできる天の王子・王女、特権的な権限を備えた勝利者として、千年万年をつつがなく暮らしながら、神様が愛する父母様と共に、千年万年侍って暮らすことができますように。更に、韓国民族が、残されている民族と共に、我々の父母様と共に千年万年暮らすことのできる、これらの者とならしめてくださることを、許諾してくださいますよう、懇切にお願い申し上げます。 この一年をお父様が導いてくださり、苦難に満ちたお父様の歩みが、どれほどお疲れになっているかを知りながらも、愛の心には疲れを疲れとして感じることのできないお父様の愛の心情を思いますとき、今一度これらの者を収拾して、あなたの愛の圏に導かれて、乾くことのない草園に安息することのできるねぐらを築いて、安息することのできる「祝福を受けた者達」になることができますように、守り、覆ってくださいますことを、再三再四お願い申し上げながら、すべての御言を真の父母様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン。(「アーメン。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.31
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「第三回 愛勝日」1986年1月3日韓国・本部教会で 一月三日午前九時、韓国ソウル本部教会の礼拝堂に文鮮明先生御夫妻をお迎えして、第三回愛勝日の記念礼拝が行われました。その際、祝福家庭の高校生以上の子女と、その両親たちの前で先生が語られた説教の内容です。 天の摂理としての愛勝日 皆さんが「愛勝日」というその言葉を理解してくださるようお願いします。この「愛勝日」が人類社会に、あるいは神の摂理史の上にどのように必要なのかと言えば、これが歴史性を持っているからです。一月三日という過ぎ去って行く一日を、我々が記念するために、このようにして立てたのではありません。「愛勝日」というその日は、摂理史上に必然的に現れなければならず、歴史的人間を救うための天の摂理であることを知らなければ、この重要な問題が解明されないのであります。 地上の人間がいくら努力をしても、また霊界でいかに天の摂理を推進させたとしても、人間が「愛勝日」という、地上と天上世界を連絡させることのできる、このような業をしなければ、人間世界の問題や霊界の問題、その摂理的全体の問題が解決されないのです。それで、このような問題はどこから由来するのかと言えば、これは堕落から由来しました。我々人類の始祖が堕落しなかったならば、今日まで統一教会が守って来た「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、「神の日」が別々にはならなかったのです。万一、我々人類の始祖が堕落せず、完成をしていたならば、完成したその位置で愛の理想が実現していたはずです。それは人間が愛を中心として完全に完成することであり、神もこの愛を中心として創造理想を完成するのです。 愛というものは、神御自身もお一人で体得することはできません。必ず相対的基盤がなくては愛を成就することができません。愛はどとから来るのかと言えば、自分から出てくるのではなくて、相対から刺激を受けて愛の因縁が実感されるのです。 それ故に、この宇宙も結局は人間のために創造されたのです。人間はなぜ創られたのかといえば、神の愛の理想のために、神の前にあって、一つの対象としての永遠なる実存者、永遠なる実体として、神の愛の理想を共に抱いて、人間と神が完成するようにお互いが必然的な存在として創られたのです。これは偶然ではなく、運命的な存在です。運命であるとするならば、何としてでも行かざるを得ません。何かの方法を通して、避けて行くことができるという道ではありません。これは必然的であり、行かなければならない道です。人間と神の関係を中心として、必然的に目的成就。運命的完成に向かうその中心が愛であるというのです。愛を通じて生きるようになるとき、人間の世界は幸福になり始めます。また、人間自身の完成や理想の実現は愛の基準を離れてはあり得なくなるのです。それ故に、万物界のすべての存在は愛を基盤として造られるのです。 創造されたすべての万物は何から始まるのか? それは神の愛の基盤を中心として始まったというのです。被造世界の中心である人間は、それ以上の愛を中心として出発したというのです。それで、愛から出発して、愛に完熟したその基準を通じなくては、愛を離れては生きることができません。愛を通して愛に完成させて、霊界に戻って行くようになっているのです。 人間の二重構造 この世のすべては循環、つまり、回って行くことによって発展するのが道理です。突出部において発展するのではなく、その中央部にも軸があるのです。そうであるから、歴史時代における同時性時代として、形態は小さいけれども、同じ模様で拡大される螺旋形的エネルギーでもって拡がっていくと考えてみたのです。回るには、必ず相対関係を通して愛の核を形成し、愛を中心として回って行くというのです。我々人間を見ると二重構造になっています。体があり心があるのですが、この体と心が愛を中心として、神と共に同行するのです。これが円満に授受作用をしなければ、その差異に該当する分だけ人間は苦労を避けることができません。 このように個体完成は、体と心が、本来神が創られた愛の基盤に根拠をおいて、愛の基盤で育って、完全に成熟した位置においてなされるのです。愛を中心として出発し、愛を中心として成熟して、愛の芽が吹くことによって、私自身に愛の一つの回路が成立するのです。その中に神の愛の因縁が臨まれるというのです。完成、即ち成熟しなければ種は実を結ぶ基盤を造成することができません。そのためにすべてのものがこのようになってい我々が植物世界を見るときも、植物は花が咲くとき必ず授け受けする循環運動をします。その中で、愛というものを母体にして生命が形成するということを、この実際の万物世界で見るようになります。それは皆このような過程を経てすべてのものが完成するようになり、愛を通して完成するのを見せてくれるようになるのです。 それと同じく、人間がどのように完成するかが大きな問題です。哲学で問題になり、宗教界でもそうです。今までの人間の歴史から見て、人間自体も発展して行くのです。根本は分からないけれども、現在の人間自体を見るときに今まで低い立場から高い立場に向かって行くのは間違いないために、過程的発展を強調する人もいます。それは原因がはっきりしていないからです。目的もはっきりしません。 我々人間の原因は愛から始まったというのです。それでは、目的はどこにあるのか? 愛から始まったのだから、愛の帰結点を成してこれを連結するようにするのです。出発が愛であったから目的も愛として到達しなければなりません。そうしながら、前後左右上下にわたって、愛を中心として交流することのできる私自身にならなければなりません。それは何かと言えば、愛が完全に核と一致する位置で立つようになれば、自分の体と心、四肢五体、心の五官とが和合することができて共鳴域に入って行きます。このとき初めて体と心を中心として成熟した人、堕落しない本来の人間、個人完成が出発するようになるのです。男であれ、女であれ同じです。このように二重構造になったのは、必ず主体と対象が完全に一つにならなければならないからです。 それでは堕落とは何でしょうか? ここで分かれてしまったのです。今日の我々統一教会で言うところのカイン・アベル、外的、内的問題が、愛を基本として一つにならなければならないのに、偽りの愛により堕落することによって、これが一つになるのではなく反発的作用を起こしたというのです。心がプラスになっていれば、体は一つになるために自然にマイナスの立場になって、授け受けしながら和合するのが純粋な過程だったのです。にも拘らず、堕落することによって、マイナスである体がプラスである心の前に自然に和合することのできる基準にならずに、もう一つのプラスの作用を起こす存在として発生したのです。これがサタンです。それで、サタンは外的である体をもって反発作用をして来ました。そこで体と心がぶつかり合うようになったのです。 このことをいかなる哲学者も、どのような宗教学者も知りませんでした。誰も神の深い心中を知らなかったので、これは今まで歴史の迷宮入りの問題として埋められていました。しかし、今日統一教会が出て来ることによってこれを掘り起こして、根本がどのようになっているのか知ることができるようになったという事実は、人類世界において何よりも幸いな、喜ばしい福音になるというのですね。 授受作用による天地の調和 本来は、我々が心を中心とし、愛を中心として成熟していたならば、自動的に和合するようになっていたのです。体が感ずることを心が感じ、心が感ずることを体が共に感ずるのです。共鳴だとか、音叉というのがあるでしょう? 音叉のような、同じ周波数をもったプラスの音波とマイナスの音波で、こちらが鳴戸とあちらは自然に共鳴するというのですね。共鳴するのは、完全にプラス、マイナスが相対的位置において同じ周波数になるからです。 それがどのような時に成されるのかといえば、思春期なのです。このような成熟期をもってこの世の道理を知るというのです。私一人はこの国の主人として、この宇宙の主体的位置にあり、すべての被造世界はまた別の相対的関係にあるために、相対として関係を結ぶことのできる愛の因縁が既に設定されているのです。人間は成長すればするほど万物を愛し、すべての動物を愛することのできる心をもつようになります。 子供たちをじっと見てみると、小犬とか虫だとか、鳥あるいは動物のような動くものを見て喜ぶのです。なぜそうなのか? 本来、人はそのようになっているのです。それは、どういうことかといえば、人間がすべての自然界とか地球の動きを見て興味を感じ、全部を友として、また別の相対として感じるのです。もちろん相対基準が異なるけれども、それを鑑賞することに、真の人間は本当のおもしろさを感じ、興味を覚えるのです。そこから自分自身の愛の素性を皆習うというのです。昆虫や動物たちを見れば、全部双を成しています。そういう姿を見るとき、この自然は何かと言えば、人間の愛の対象として、相対理想を教育して展開する交代博物館であるというのです。たとえば、鳥が歌う時は三度あって、一番目は空腹の時に歌う歌、その次に互いに愛する相手のために歌う歌、そして危険な時に歌う歌。それが皆違っているというのです。我々普通の人は分からないけれども、鳥の世界においては全部分かるというのです。それで、たいがいの生活は、何を中心として生きているのかと考えると、お腹が空くことなどは一回食べれば終わってしまうし、だからといって、毎日のように危険な所にいるわけでもないし、大部分が何を中心として歌を歌うのかと言えば、相対と授け受けする関係で歌が行ったり来たりするのです。 アンテナは電気がプラスマイナスの作用をするのですが、アンテナはどこを好むのか。高い所を好むのです。また、それは高い所だけを好みますか? 電気というものは、必ず一番深い所、マイナスが必要なのです。そう、アースです! アースをちゃんとして、深い地面の中に差し込んでおかなければもちろん作用が起こりません。高いアンテナに深いアースをするというわけです。こうしてこそ、すべての天地の調和がなります。そのような反応、作用がすべてに関係しています。その関係から授け受けすることができるのです。皆さんも霊的なアンテナを高く張っておけば、そのような周波、波長を授け受けするようになるというのです。 愛は変わることがない この世で一番深い谷間は何ですか? 太平洋の海がどんなに深くてもそれが一番深いのではありません。では、この世の一番深い谷間があるとしたらそれは何でしょうか? 高くなれる最高の頂上にあるものは何でしょうか? それが愛です。谷間の中で一番深い谷間は何を必要とするでしょうか? たとえその地が名山だとしても、これを持ちたいとは言いません。そういう言葉は成立しません。愛以外には必要でありません。愛の谷間は一番深いのです。 また、東の方へ行き、西の方へ行って、一番遠い所や、終わりの所を訪ねて行くのは何ですか? (「愛です。」)だから愛の海は終わりがなく、無限に大きいのです。そのような概念の中でこの宇宙を抱き、宇宙を一切合切(いっさいがっさい)入れるとき、その宇宙のすべての万物が「私は嫌だ」、「私はそこが嫌いだ」と言うかもしれません。しかし、このすべての物をつかんでポンと投げつけて、ガラガラ音を出しながらも、「私はうれしい」と言うことができるのが愛の海なのです。あなたたちにお母さんの愛が必要であり、お父さんの愛が必要であるというのです。そうですか、そうでないですか? (「そうです。」) それ故に、皆さんは、幼いときに愛の懐で抱かれて生きようとし、愛の母体の前に近く行こうとするのです。ですから、生まれるときは父母を離れて来れないのです。父母のいない孤児はかわいそうな人です。一番かわいそうです。なぜかわいそうなのですか? 御飯がなくてかわいそうなのですか? 孤児院には、自分が住んでいるより良い生活をする孤児院がいくらでもあるのです。けれども、孤児院を願わないのです。どれだけ良い服を着て、歌を毎日歌って、どれだけ踊りを踊ると言っても、喜々楽々の声が塀を越えて、町内に噂が広がったとしても、孤児院の子になりたいという子はいないのです。それは何を意味するのですか? 愛の対象として愛の胸に抱かれて、愛のいたわりの下で生きたいのが人間の本性であるということを知らなければなりません。 それ故に、愛には発展がないのです。愛には革命がありません。この歴史の過程にいくら制度の変化があっても、愛を革命することはできません。千年万年たっても、お母さんとお父さんの愛の関係、子女とお母さんの愛の関係は歴史過程によって変化することがありません。 人間が最も幸福な時 我々の生涯において希望的な時というのは、幼い時が希望的であり、その次に青少年の時が希望的です。二十代、三十代は花に例えるならば、花盛りの時であり、香りが漂い、正に花が咲いたように、青春時代が一番華やかな血気旺盛な時代だというのです。四十代を過ぎ、五十代、六十代になれば、だんだん萎んでいくのです。四十代、五十代には、枯れて行き、下っていくのです。そこに何の希望がありますか? 死ぬ日が近づいて来るのに、希望をどこで成すのかというのです。そういったことを考えてごらんなさい。 神が博物学者であり、全知全能であられるのに、人間が生きる上で、真に幸福であるということができるそのような時として、いつを選択することができるのか? 四十代、五十代を選ぶでしょうか? だんだん老い始めて、女性たちは五十代になれば、一回座ったならば、お尻が重くて立ち上がるのも嫌だというのです。そんな時、「ああ、幸福だなあ」と言えるようになっているだろうか? 神はそれを定めるのに、顔の色で見ますか? 何で見ますか? とても美しく、後ろ姿を見ても美しく、片方の眼で見ても美しく、華やかな時を中心として最大の幸福を本当に楽しむことができるように造るのです。そうではありませんか? それ故に、女性の幸福はどんな時なのか、男性の幸福はどんな時なのか? その問題だというのです。二人が互いに好きである時だというのです。そのような結論しか下すことができません。神は、人間が最大の幸福の時に「私は幸福だ。うれしい」と笑う顔をどんなに見たかったでしょう。先生が六十歳になって、あのようなおばあさんやおじいさんになって、「ひひひ……」(笑い)こうなったら気持ちがいいですか? 人間が生涯で最も幸福な時を、年齢的、生理的に見るとき、それは青春時代です。華やかであり、激しく、そして力に溢れているのです。幸福というのは、与えるときに与え、もらいたいときにもらい、春夏秋冬いつであっても、あるいは一日二十四時間を超越して思いのままに授け受けたり、笑うことができる環境だという結論を下すことができるのです。 それなら、その内容は何なのか。お金でもなく、権力でもありません。愛しかないのです。幸福というものは、本当に与えたいときに与え、受けたい時受けられることです。皆さんもそうではありませんか。不幸全というのは、与えたくとも与えることができないし、受けたくとも受けることができないことをいうのです。 すべてのものが、互いが授け受けながら協力しなければならないのですが、授け受けるには何を中心として授け受けるのが良いのかというのです。高にもの、低いもの、平べったいもの、どび出たもの、すべてのものが互いに授け受けし、この運動をしながら、それを幸福にできる原因的な物は何だろうか。 お金を中心として授け受けしてごらんなさい。お金がなくなれば与えられないというのです。だから違います。なくならずに永遠に与えることができ、受けることができるものが何なのかといえば、それは愛しかありません。愛はよいもの、苦痛なもの、それは色々な面をもっているというのです。愛を伴った悲しい表情は、世界で一番悲しいでしょう? 愛を伴った喜ばしい表情は、世界第一でしょう。全部がナンバーワンです。これが壊れる日には、天下が皆暗黒の世界になるのです。愛が崩れるならば、目も良く見えないのです。耳も良く聞こえないのです。匂いもすべてかすかになるのです。言葉もぼんやりして来るというのです。偉大な力の作用を備えたその基盤が愛です。 先生は意地悪いところもあるんですよ。少年時代、鳥を捕まえて、つがいが口を合わせないので、「口を合わせろ」と側に持っていってもこれが口を合わせません。どうやっても合わせないのですね。お前たち二羽が好きでありながら、口を合わせないのかというわけです。チッチッと鳴くので「一回歌を歌ってみろ」と言って、おいしい餌をやってみたり、寒いかと思って囲いをしてやってみたり、どれだけ色々なことをしても駄目なのです。 愛は自然に成されなければならないのです。分かりますか? 最高の自由の環境で授け受けようとするのが愛だというのです。先生はそういったことを全部実験してみたし、習ったのです。 例を一つ挙げましょうか? その季節になれば渡り鳥が飛んで来ます。ソウルに住む人は、渡り鳥を知らないですね。それは、情緒的な面において足りない人たちです。自然の交流、検流の心情を知らないのです。我々みたいな人は、田舎に住んだので、本当に経験が多いでしょう? 渡り鳥の季節になれば、渡り鳥にも小さい鳥、美しい鳥がいます。初めて見た鳥が一回パッと飛んで行くのを見たならば、次にこれをまた見ることができるのです。どのようにその鳥に会うのかといえば、その山の付近の一番澄んだ水、泉を捜さなければなりません。このようなことを皆、実験して経験したというのです。泉には、必ず小さい鳥たちが早朝に来て水を飲むのです。全部保護のためにでしょう? 行って待ってごらんなさい。一週間ほどすると、その山の麓(ふもと)の所で間違いなくその鳥に出会うというのです。鳥はつがいになって住むのを好みます。つがいになれば間違いなく子を産むのです。その次にはどこに行くのかと思って、そっと方向を定めて付いて行くのです。それでもとり逃すならば、またそのようにするのです。つがいで子を産めば、いかほどきれいだろうか。卵の色がどんな色だろうかと気になりますね。それで、時によっては一週間ぐらい見守っているのが普通なのです。 親鳥たちはよく見える所には巣を作りません。腐った木の穴みたいな所は、その穴を蛇が通るので、そのような危険な所には作らないのです。固い木に、その下に通ずることのできる穴を開けておくのです。博物学者ですよ。それを誰から皆学んだのでしょうか。穴を防いで巣を作って入り込んでいるのです。巣の出口も深く作らず、頭をさっと外して見て状況を見極めることができるようにするのです。 鳥たちの棲息のための保護的な感覚と知能は天才的です。誰が皆そのように造ってやっ進化の発展によってそのようになったと言うのですか? 狂った話です。その卵を私が孵化することができますか? 孵(かえ)せないのです。自分の母鳥、父鳥の温度に合わせることができないのです。 そのように子を捕まえて育てて見ようとすると、親鳥はいつの間にか来ているのです。匂いを嗅ぐみたいです。母鳥、父鳥のいないとき、子を捕まえて私の家に持って来るのですが、家に持って来るときは、親鳥がついて来ているのか、いないのかよく見るのです。会わないようにしてそっと持って来るのだけれども、いつの間にか来て、私さえ見れば、チッチ、チッチと鳴くのです。うれしくチッチッチッチッと鳴くのではありません。「おい、私の子供を返せ。この悪い奴め」と言うわけです。そのような世界なのです。それを詩に作れば、その詩一編がどれだけ素晴らしい文学になるかというのです。 心の持ち方に従って 文学的表現は必ず相対的興味を巧妙に表示します。そこに文学の趣があり、おもしろさがあるのです。価値があるというのです。唇を見て、「鳩のような唇だ」とか、「春の園の娘さんのように、冷たい風を受けて咲き出そうとするレンゲの花。美しい汝の唇よ!」と表現すれば、冷たい風が吹くので、まだ咲くのがとても恥ずかしいというわけです。自由に振る舞えないわけでしょう? 春風が吹くのに一人赤く咲くのです。天地の妙味がそこに隠されているのです。そのような表現を愛の世界は必要とするのです。 愛は、悲しいとするならば悲しいもの、うれしいならばうれしいというのです。解釈に従って天地が違ってくるのです。解釈の仕方にかかっているのです。そのような表現が絶対必要なのです。皆さんたち、この霊界の体験をして自然を眺めてみれば、自然がどれだけ華やかで美しいか知れません。全部、触れてみたくない物がありません。だからと言って、自然が変わってくるのではありません。私の心の持ち方、心の基盤が変わってくるのです。皆さんが色眼鏡をかけたその色が変わってくれば、天地のすべての模様が幻想的な色に変化していくのを見ることができるのです。そうすることによって、私の刺激的な色感に対して衝動を与えるのです。 それはなぜかと言えば、自分の心の持ちようによって天地の調和の幅が立体的になり、それが拡大されるからです。分かりますか? だからぶつぶつつぶやいて、がたがた言っ満がいっぱいに満ちたその眉間(みけん)の皺を見なさいというのです。最初に美しかった目もだんだん恐ろしくなって行くというのです。殺気が生ずるのです。その心の持ちようによって、その人は全部表現されるというのです。おとなしい娘さんでも、先生はちらっと見れば分かります。あの人は非常に意地悪い性質にできているから、死ぬか、やもめになるか、後妻になって喧嘩をするか、いずれにせよ問題になるというのです。 飛躍できる一つの道 それでは、私はなぜこのように生まれたのか? 不公平だと言う人がいますが、それは不公平ではありません。公平な世の中であるからそのようになったのです。なぜ公平なのか? 皆さんの父母、そして、その先祖に悪いことをしたり強盗をしたり、問題を起こし、破壊的な行動をした人たちがいて、それを全部埋めるために、皆さんが蕩減の一つの傑作品に、否、失敗作として生まれたのです。 それで皆さんたちはみんな異なっているのです。先生が見て結婚させてあげても、先生のもとにおいては死ぬはずがないのに夫が死ぬというのです。それは死ぬようになっています。もう既に死ぬはずなのに、それでも何年間か延長して生きてきたからありがたく思わなければなりません。本当です。それは皆平均をとるのです。平均を取って天地の調和の法度に律動の拍子を合わせるために、谷間に降りて行かなければならないのです。それなのに昇って行こうとするならば、天地が破壊されるというのです。下って行くのは、すべてを生かすためであり、そうしない家は亡びるのです。 それで、上って行くことのできる道を捜すために、道を教えてやるのが宗教です。下って行く道を潔(いさぎよ)く下って行って、未来の希望をすばらしくもたなければなりません。今まで堕落した世界で系代を続けて破綻を繰り返してきた歴史時代がありました。しかしここから飛躍できる一つの道を模索しなければならないために、神が未来の希望として、高い山峰に向うことのできる準備をさせたのが宗教だというのです。高次的な宗教は遥かに高いのです。世界的であります。終わりの日の世界を予告しなければなりません。 さあ、そこで、神が全知全能なる神であるならば、我々の人生において、生理的にも華やかであり得るその時に幸福を歌いながら生きることのできるように作ってよいものか、いけないものか? そうできないならば、神がいないとう結論が出て来るのです。 それ故に、神がおられる以上、人間世界に男女が華やかな年齢時代に幸福に浸ることのできる基台を準備したというのです。それが結婚という関門だったのです。仕方なく御飯を食べて生きるのと同じく、生きているすべての万物は、相対理想を経由しなければ存在価値がなくなります。 近頃の韓国社会において、例えば女子学生たちに「君、大学になぜ通うの?」と問うてみれば、「なぜ通うのか? いい夫を得ようと思って通うのでしょう?」と、それしか答がないというのです。大学院に行つて、博士になって、修士になって何をするの? 嫁に行く時間が遅くなって、結婚相手の選択の比率がだんだん低くなるだけです。そうして博士学位をとってみたら三十五歳です。三十五歳になって嫁に行けるの? 三十五歳になった独身者がいますか?仕方なく、他人が食べ残した屑でも拾って食べなければなりません。それも公平なのです。早くお嫁に行くのか、遅く行くのか。ぴたっと合わせてお嫁に行こう。これがいつかと言えば、一番華やかに香気が漂う時お嫁に行くことです。女性たち、それを測定できますか? 自分たちは知っているでしょう。自分の顔を見ると、今は桃の花のように美しいけれども、一年、二年過ぎれば膚がカサカサとなってくるのです。そして、臭いもするのです。臭いが出るようになれば、虫もつき始めるのです。心もそうだというのです。純情がみな逃げ去るというのです。自分の愛を中心として、愛に包囲されてジャンピングすることのできる時代を失ってみると、男性の顔がすてきだとか、まずいとか測定したり、大学を出たとかどうだとかということは、皆蹴っ飛ばしてしまって、そんなものは後に回してしまいます。そのような条件付きの愛は真実なる愛ではありません。学校であれどこであれ、男性であれ誰であれ、傷ついた顔であれ、その顔をじっと見ればその中で展示するものは四種類しかないというのです。顔は目、鼻、口、耳という四種類の展示場であって他の物はありません。皆同じなのです。それがどれだけ良くても、美しいものが何なのか? 瞬間だけ見れば、皆決定されているというのです。その後は考える隙がありますか? しかし、愛という翼がくっつくならば、条件ががらっと変わって来ます。目がなぜそのように出来ているのか、夜見る目も美しいし、昼見る目も美しいのです。逃げながら横の方に見るとしても、逃げて行くその目を見ながらクスクス笑うことができるのです。逃げていく中においてもです。 言葉は相対を讃美するために 神が数学者であるというならば数学者であり、すべての美術家であるというならば美術家であり、“美しい”と感じた時に幸福であり得るように、人間が互いにその愛を施し与えるのが、幸福の宮殿というその門を開いて入って行くこと、つまりそれが結婚というものなのです。 それ故に、男性は女性を追って、垣(かき)を越えて行くのです。女性が垣を越えて行くという話はないけれども、男性はすぐさま垣を越えて行くというのです。(笑い) それが悪いことではありません。真正なる心情からの愛だけを持って来るようになれば、女性もそれを願うのです。(笑い) 笑いながら目をどうしてこのようにすうっと下げるのですか? それが女性だよ。(笑い) 男性は笑いながら目を怒(いか)らすけれども、女性は笑いながらすうっと下げるのです。そのうちにあなたたちのお父さん、お母さんが笑う時見なさい。お父さんは笑いながら目がだんだん大きくなりますけれども、お母さんは笑いながらだんだん小さくなるのです。(笑い)それも皆相対的なのです。そのような夫婦が幸福だというのです。 ですから、皆さんが夫をもらうとき、夫の性格が荒々しい人であれば、そういう夫から愛を受けるときは、荒々しいその反対がよいのです。げんこつが行ったりする荒々しい夫の前で、消え去りそうに静かにして、東南の風が、四方の風が吹くとしても、まるでいないみたいにぐらつかないおとなしい態度が必要です。これは原理を知れば皆分かるのです。 神は芸術家であるので、間違いなく幸福ににりうる天門を人間に開いてくださるのですが、開かれた門の中に入って行くようになれば、入ってすぐにけんかをするのですか? 入ってすぐに花園が展開されるのですか? 付いて回りながら話を聞いてみると、「私はあなたの為に生まれました。私がこのように美しいのは、あなたの為であるのでしょう?」「私が生まれたのは、あなたが私を愛さなければいけないからで、このように生まれました」とささやく言葉は間違っています。二人が歩きながら話す言葉は全部相対を讃美するものであって、自分を愛するように催促するのではいけません。大きな声で、「あなたは私のために!」というような話ではありません。全部讃美しなければなりません。ささやく言葉は、自分のために言う言葉ではないのです。(大きな声で)「あなたは私を愛さ!」それはどれほどか聞きたくない言葉でしょう。ささやく言葉は布団の中に深く入って、(小さな声で)「あなたは私を愛しています。私はあなたを愛しています」という話がおもしろい話であって、(大きな声で)「あなたは私を愛さなければなりません! あははは…」(笑い)それ、通じますか?ささやく言葉にそういうのはありません。ですから、そのようなことをあらかじめこの世から学ばなければならないというのです。 鹿の王様 鹿は、どの山でも、王の鹿が雌を全部従えるのです。なぜ神は鹿を人間のように造らなかったのですか? 動物の世界では大きい動物は何を餌にしますか? うさぎの子供は小さいでしょう。虎はうさぎを一日に何匹捕えて食べたらお腹がふくれますか? 十匹捕えて食べるようになれば、それがどれだけ残忍なことかと思わなければなりません。食べてしまって、またどれだけ追いかけ回さなければなりませんか。それでも一度捕えてお腹いっぱいに食べて、「ああ、この園は私が住むに美しい」と言いうるためには、餌が大きくなければならないでしょう? 虎の餌として一番大きいものは何ですか。とにかく虎のお腹を満たすことのできるものは何ですか? うさぎの子は隠れて住むでしょう? 鹿は背がピョコンとして、角を持ってどこかを引けば入って行くようになっているのです。その代わりよく跳びます。急ぐとき、畝間(うねま)を十二畝間以上越えるのです。実によく走ります。けれども、鹿はまっすぐ走るのであって、向きを変えた後には走ることができないのです。走ってから倒れるというのです。後の脚が長いためにカーブを曲がったら間違いなく倒れるというのです。 そのときは、これを捕えて食べる動物を見れば、鹿の王が跳ぶというのです。跳べばすごいですよ。野鹿や鹿は、大きい山などを越えて行くとき、必ず後を振り返って見て行きます。ですから、虎みたいなのも、ぱっと陵曲線(りょうきょくせん)でひどい目に合わせて、さっと振り返って山の奥に入って行きます。鹿は直線に跳びますから、どこに行ったのか分かるわけです。ですから、引き返す道を虎が知っているわけでしょう? じっと身を伏せていて、「お前ここに来たな!」と捕えるのです。ですから、餌の中でも、もっぱら夜も昼も捕えて食べる餌が必要でないというのです。それ故、力が強くて、よく走ることのできるように種子改良をしなければならないというのです。 そのような意味で、西洋の世界は、決闘というのを鹿から習ったというのです。雄鹿は雌たちを後に置いて、二匹が立っているときは、力でもって生死を決めて闘って、一方が逃げて行けば、勝った鹿の後を待っている雌鹿が従って行くようになっているのです。一匹だけではなくて、そこに百匹いれば、百匹も従って行くのです。これは、優秀種を中心として子をたくさん繁殖し、また健康であって、餌として捕えられない鹿として選別されるのです。自然は皆そうです。これは、道理を考えるならば、そのすべてが矛盾してはいないというのです。 永遠の幸福へ至る門 幸福の門が開かれるときが、それが結婚だというのです。愛を感ずるようになるならば、勉強であれ何であれ、皆、「関心がある」と言いますか、「ない」と言いますか? なくなるのでしょう? それがからくり眼鏡です。だからといって、先生があのようにからくり眼鏡だと言うから、愛が本当のからくり眼鏡なのか、一回早く経験しようと思うならば、大変なことになるでしょう? それは、主人が門を開けるのです。愛の主人には革命がありません。さきほど、愛には革命があると言いましたか? 発展があると言いましたか? 弁証法的発展のことではありません。発展はありません。万古不変です。 こうして、皆さん自体の体と心が、愛が開くことのできるその時に近付いて来るならば、私自体が宇宙に共鳴するようになります。その時になれば、文学者になり、小説家になり、詩人になるのです。分かるでしょう? そうすれば、立体的な世界がすべて自分と関係を結びたくなるのです。 その時は、秋の風に落ちる落葉がカサコソ転がって行くのを見ても、「あはは」と笑うというのです。昔は蝉の幼虫を見ただけでも気持ちが悪かったのが、その時からは再び鑑賞するというのです。あれはまたどこに行くだろうかとじっと見ていると、ぴくっぴくっとうごめいて、鈍い動きで雌が雄の横に行って、見た目には互いに体を当てれば気持ち悪いけれども、すっと行って体を当てて、すっと頭を差し込んで、昼寝でもするというのです。それ、変でしょう?女はすまし屋さんで、どんなことにも怒るけれども、夫の前では、脇の下の前に頭を当てて眠るように、昼寝することが幸福だというのです。 図体(ずうたい)が馬か象みたいな醜男(ぶおとこ)であっても、出掛けて行って一番辛い仕事をして、昼食時帰って来て、少しだけでも自分の妻の膝を枕にして眠るその味というものは、形容することができないということを私は聞いたことがあるのです。それは自然のクッションだね。 女性たちはそのようなことを皆先生から聞きましたから、「ああそうなのか」と、疲れて帰って来た夫に夕食によくしてあげるよりも、言葉を一言、実に自分が最初に会って喜んでくれたそのときの表情、純粋な表情に本然の愛の姿、その声、それが懐かしいというのです。分かりますか? 最初にスタートした、最初に対していたその純粋な愛、それは初めから永遠であり、愛には革命が必要でないというのです。そこには色や、でこぼこしたものが必要ないというのです。虚飾も必要ないというのです。それ自体が保存を願うのです。離婚する前には、互いが「二人でなければ死のう、生きよう」と言っていた人たちがなぜ離婚をしますか? 違ったというのです。変わったのです。愛自体が変わったのではなくて、愛を守る人が変わったというのです。 なぜそうなのか? 神の心情的本質が永遠を中心として、幸福になれるようにすべての存在の起源を存続させたその存在は、永遠な幸福の過程を経て、永遠な幸福が神自体の愛の圏内に帰着し、戻って来て位置を確保するようにするのです。これが天地が願う理想的生存期間です。これは生活期間です。愛は平面的な愛だけでは成就しません。縦的な愛の因縁を結ぼうとするから、息子・娘を愛して、神の縦的な愛の因縁を中心として、四位基台の立体的な十二対象圏の愛の理想を完成するようになるのです。 愛の基盤 愛する二人が、あの高い金剛山(クムガンサン:注・韓半島で一番すばらしい景色をもった山で、現在北韓側に属している)。の断崖の頂上を目指して、滑りながら、ひたすら死にそうになりながら登って行って立つ時に、その頂上を占領した後の幸福感というものは、天下に比較するものがないというのです。 私が神に会って、どのような言葉を語って、神を慰めることができるかと考えてみたことがありますか? 神は餅が一番好きだから、餅を一臼作って切に祈祷しながら、「お餅を作って差し上げます。喜んで食べてくださればうれしいです」と言っても、それは通じません。餅であっても、愛のお皿に載せて捧げてくれることを願います。その餅が不完全であるとしても、愛のお皿だけ完全であるならばオーケーです。分かりますか? そのお皿が完全であり、本然の愛の基盤になっているとするならばすべてが成就します。この宇宙には、これを妨げる存在があり得ないというのです。 それで、愛のお皿と共に愛の底を願いながら届けられる贈物は、億千万の金をもらっても交換することができないというのです。愛する人の贈物は貴いものです。商売人同士、互いに利益のために持って来る贈物は賎しいものなのです。それを餌にして私を釣ろうとするのと同じです。 愛のない男が、ある娘を愛しているかのように偽装して現れ、わなにかけて行くならば、暴君よりももっと恐ろしい男だというのです。暴君は愛を奪いません。暴君は世界に隠れて愛を所有することはできるけれども、この愛の詐欺師は、心も体も細胞までも完全に破壊させるのです。理解できますか? ですから注意をしなさいというのです。その意味において、統一教会の二世、若い青年男女たちはこの世の人と比較するとき幸福な人たちです。 永遠に変わらないもの 愛には革命を変化もないのです。そのような純粋な愛、純粋な息子・娘にならなければならないというのです。変化するもの、変化する愛は貴いものがありません。ダイヤモンドは堅さにおいて変わらいので、それが宝物として取り扱われるのです。黄金は黄金が変わらないという特異な権威をもっているために、その色が変わらないことにおいて貴いのです。ダイヤモンドは、優雅な色をもってそれが変わらない故に貴いのです。人間が、なぜ変わらない特性をもった貴い宝物を中心としてこのように定めるのかといえば、それが宇宙のすべてを表現する方法であり、存在価値を比較することのできる比較の基準になっているからです。 それでは、この宇宙の全体を測定し、価値基準を比較することのできる一番最初の基準は何でしょうか。金になるだろうか、ダイヤモンドになるだろうか。変わらない愛、壊すことのできない愛です。それは壊れそうで壊すことができません。それは気ままにするようで、気ままにすることができません。そこに私が包括され、自分が測定されるのであって、私が測定することはできないのです。この宇宙の愛の原器が何であるかという問いに対して考えるときに、これは宇宙にあってどのような測定器の原器でもありません。変わらない本来の基準です。神も人間もその標準を変更させることができません。永遠不変でありながら、自体の内外にその宝物の価値をもって、地の果てであれ、地獄であれ、天上世界どこであれ、昼と夜を克服して、地獄を克服し、距離を克服し、時空を克服して、絶対的測定の基準になることができ、比較の基準になることができるものは何だろうか? 何かがなければならないのではありませんか? 皆さん! 地球もすべて緯度、経度において、零度という基準がなければならないのでしょう? イギリスのグリニッジ天文台を中心として零度になっているのです。どれだけ変わろうとしても変わらないのです。変わろうとするならば、世界に大きい歴史的事件が起こります。零度という法に従って、緯度・経度が九十度に交叉するというその基準がなければならないのではありませんか? それがなくてもよいとするならば、この秩序の世界が形成されないのです。人間が生ずる時も卵子、精子が結合する零基準から出発しますね。元素が化合する場合にもすべて比例的な結合をしますし、男女の数もほぼ同じ比率になっているのです。 それ故に、その基準が永遠の世界や霊界はもちろんのこと、宇宙万象の存在世界を測定することのできる、絶対的に一つしかない原器になるものは何であろうかというのです。根本問題です。それが愛だというのです。それは春夏秋冬の季節の変化に影響を受けませんし、受けてはなりません。 それでは、純情が根にピタッとくっ付いて、皆さんの心の包みが、季節のように変化することがあり得ない、愛の本性そのものになっていますか? 女性の心、何みたいって? (「葦です」)風が吹くようになれば、葦はザワザワと音を出すのです。他のものは音が出ないのに、葦は風変わりな音が出るのです。葦の繁った所に行って見なさい。ちょっとしただけで、「サササーッ、バサッー」。これがうるさいというのです。小さい風にも音が出るというのです。私自体としては変わらないことを願う素性をもっているのかというと、それが私の本質の中に深く潜んでいる愛の素性だというのです。分かりますか? それは間違いありません。 皆さん、「人心は朝夕不変であり、山川は古今全」という昔の言葉もありますけれども、朝夕変わる母の顔や愛を願いますか? 願わないでしょう? お母さんお父さんが君を背負い、あるいは抱いて行くとき、朝に夕に変わるお母さんお父さんの愛の表情を願いますか? どれだけ偉いお父さんでも、同じ表情で、純情があふれた愛の表情を願います。そこに変わることを願わないのです。なぜか。宇宙の、本来の一つの絶対的基準として定めた原器の標準器がそのような基準になっているために、そこに平行線を備えたレベルになってこそ存在するからなのです。平行線をなし、球をなすことによって位置が生じ、秩序が生ずるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.29
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2013年天暦1月13日に挙行された基元節でしたが、なおも自分なりの解釈やそれを完成させるのは自分らが支持する人物だと決めつけては、それを受け入れようとしないのがいわゆる「分派」の方々です。そのお一人が異邦人サマリア人氏です。基元節を完成させるのは顯進様 --日本人による世界人のための家庭教会 (fc2.com基元節奉献はお父様の生涯のすべてだったという記事で説明したように、アボジが計画したかたちの基元節は未だ奉献されていません。基元節が未完成だと結論する根拠は、4つあります。①完成期の聖婚式がなされなかった。②男の子女様が軒並み不在だった。③父母、子女、孫の三大王権が成立しなかった。④南北統一の実体的な基盤がなかった。自称ルポライタイーtomy4509からは「やはり、【異邦人】サマリア人氏! さらなる虚偽・欺瞞記事か?! | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」の記事にて家庭連合からの公式見解でもって4つの根拠を粉砕(否定)していました。ところが、なおもそれを受け入れようとはしません。その一方では、家庭連合に対して「リリコレ」とかの批判を目的とした「造語」まで取り出してきました。私は上記のような思考を、Political Correctness(政治的正しさ:ポリコレ)に擬えてReligious Correctness(宗教的正しさ:リリコレ)と名付けました。ポリコレがそうであるように、リリコレは誰も否定できない正論を突き付けます。しかしその実態は偽善であり、邪悪な真の狙いに気付かないまま、騙されてしまうのです(Dupes)。「家庭連合は偽善者だ」といっているようですが。「リリコレ」とは、かつては統一協会に対して「カルト」とかで批判されるべき法律的・科学的根拠が何一つない通俗用語(「俗語」。参考記事「偽善ブログ「火の粉を払え」に注意を!! | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」)というものもありましたが、そういった類のものでしょう。三男・顯進氏や七男・亨進氏こそが文総裁の後継者だと主張していますが、彼らもまた「誰も否定できない正論」というものも見当たらずの家庭連合への「ネガティブキャンペーン」に終始しています。さて、異邦人サマリア人氏からは、私や家庭連合に対しては「こうあってほしい願望」という言葉が目につきます。ところが私からは、顯進氏こそが家庭連合の後継者にふさわしいといった「こうあってほしい願望」を捨てきれずに「リリコレ」といった造語まで持ち出して来られたように感じます。もちろん、彼の「基元節奉献はお父様の生涯のすべてだった (fc2.com)」「基元節を完成させるのは顯進様 (fc2.com)」もまた、彼の願望からでしかありません。あたかも顯進氏へと移行していくための「交代式」であってほしい(「こうあってほしい願望」)が見え隠れしています。それが正論であるかのように装っての家庭連合への批判ですから、「ナニコレ」に認定されることはないでしょう。◆お父様が描いていた基元節とはどういうものであったというのでしょうか? もちろん、基元節は真の父母様の三度目の結婚式ではありましたが、同時に、神様と父母様の結婚式でもありました。基元節(2013.天暦01.13)における「神様の結婚式」とは? | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp アダムとエバの結婚式は神様の結婚式…… ですから、祝福家庭は神様の形状にならなければなりません。神様は父母なのですが、堕落以後、形状を持つことができませんでした。形状を持つはずが持てなかったのです。…… 横的な父母であるアダム・エバは神様の体であり、縱的な父母であられる神様が心なのです。神様は、アダム・エバの心なのです。ここで心と体が一つになって愛するとき、アダム・エバの結婚式は"体"的な父母の結婚式であると同時に、"心"的な神様の結婚式になるのです。 二つの世界の結婚式をすれば、息子・娘の結婚式になります。息子・娘の結婚式、横的な父母の結婚式、縦的な"心"的神様の結婚式になるのです。この三つをすべて祝福することのできる日を迎えることによって、神様が喜ばれ、アダム・エバが喜び、全体が喜びます。アーメン。そこから幸福になるのです。これに対しての言及がないサマリア人氏は、どれだけの知識を持っておられたかの疑問も湧いてきました。目に見えるものでしか受け入れられないとすれば「共産主義のお仲間入り」、彼が宣伝する「家庭平和協会(FPA)」もそういった団体ではないでしょうか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.29
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文鮮明師生涯路程シリーズ「イエス様との出会い」ナレーション版世界平和統一家庭連合公式チャンネルチャンネル登録者数 2.69万人家庭連合創始者・文鮮明師の生涯路程シリーズ「イエス様との出会い」のナレーション版です。文鮮明師が15歳の頃、家族に悲劇が起こりました。わずか1年間の間に5人の弟妹たちがこの世を去ってしまったのです。当時、日本の統治下におかれていたこと、世界で戦争が絶えることなく繰り広げられていたこともあり、なぜ善良な人を悲しみが襲うのか、苦悩は深まるばかりでした。苦悶した文鮮明師は、その答えを祈りの中に求めるようになります。夜を徹して祈りながら何度も何度も神様に尋ねると、復活節を迎える週の朝、ついにイエス様が現れてこう言われました。「苦しんでいる人類のゆえに神様は悲しんでいます 地上で天の使命を果たしなさい」文鮮明師は何度も断りましたが、「あなたしかいない」と言われるイエス様の言葉に心を動かされ、15歳で天の使命を受け入れました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.28
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「先生をどれくらい必要としているか」1986年1月2日韓国・漢南洞 先生の必要性の確立 本当に日本に先生が必要ですか? (「はい。」)日本のメンバーに、日本の統一教会に、あなたたちに必要ですか? (「はい。」)どのくらい必要かというのです。先生がどのくらい必要か、それを少し考えてみましょう。 あなたたちだけに必要か、それとも自分の家庭を合わせた大きさに比例するくらい必要か、それから一つの国家の県に匹敵するぐらいの必要性か? それとも日本の国を中心として比較できるような必要性か、それともアジア全体、世界全体、天宙全体か。必要とするその限界はどこか、一つ聞いてみましょう。これはもう、ごく簡単な質問に思ったら大間違いです。 一体先生がどのくらい自分に必要か? 重要な問題です。自分にどのくらい必要であり、日本でどのくらい必要であり、アジアにどのくらい必要であり、世界にどれくらい必要であり、後世に、霊界に行ってどれくらい必要か? それをみんな指図(さしず)して、こうこうこう、同じ条件になるから、個人的立場、あるいはどういう立場に立ったとしても家庭はこういうような利点があるから、こういうふうに家庭自体がその歩調を合わせて行く。 日本の国にはこういう必要性があるから、日本の国にまとめて、これはこういう教え、アジアはこう、世界にはこうこうと、理論的でなければならない。他の事は考えてはいけません。「自分は何かの技術を持っている」と、技術を専門的に考える人は、それ以上は先生を必要としない。問題はどこか、限界はどこか? それを各自、各限界において、その基準をちゃんとあらかじめ理論的に処理しておかなければ、あなたたちの行く道はムラが多い。下か時界たり上がったり、ジグザグに行ったり来たりするのです。 「統一教会の者は、皆今から自分の為に働け!」と言えばみんな喜ぶでしょう。「統一教会はいいけれども、自分を犠牲にして、他の事をやっているから嫌だ」とみんな言うのですね。なぜそれが嫌いかと言うと、それが分からないのです。自分の利益の基準は一体何を中心として言うか。自分という利益の基準は一体何か? 自分の衣・食・住ですか? 生活問題ですか? 生活問題を中心として見た場合、自分の生活問題、各家庭の生活問題、これはいつも人間を中心としては環境を持っているところです。いつも持つべきところです。 しかし、先生という人に会う事は、いつもできません。先生と会って、こういうような因縁で自分たちが関係を結んで働くようになったこと自体は、いつもはできません。これは歴史以前にもなかったし、今後以降の歴史にもない。人類歴史にたった一回しかない。先生が百歳生きれば、一世紀期間しかないという結論です。永遠の人類歴史過程に、百年未満のその期間だけが、そういうような期間であるということを考えてみなさい。 そういうような先生に向けて、自分の生活という関係、条件で比較すること自体が恥ずかしいどころではありません。自分の生活問題、自分の一家庭を中心として比較して、先生が必要だという観念を持つ事自体が恥ずかしいのです。 考えてみなさい。それは先生が、本当に歴史以来、人類を救う為の神創造以後の堕落世界に向けて、救いの御手を伸ばして以後、堕落限界圏で何回もしくじりを繰り返しながら、一心に神様に願い求めて、数千万年の歴史以来、一点がまとめられて表示された自分だと考えて見た場合に、そういうような事が事実だとあなたたちが信仰基準を立てたとするならば、自分を中心としてどれくらい必要か比較する事自体、家庭生活とか、子供とか、一家はどうだとか考える事自体が話にならない恥ずかしいことです。新しい八十六年を迎えて、我々の観点からもう一回、これを訂正しなくてはなりません。 「日本が救われるために先生が要る」それも恥ずかしい。天宙を救うための目的観念を持っているその主体者を中心として、日本ばかりを救うという思いは恥ずかしいことです。これは宇宙を侮辱する恥ずかしいことであります。 なぜこういうことを言うかというと、今まで先生は生涯を賭けて侮辱されて来ました。地獄の生涯を残しています。乞食のような立場で、救いのために苦労したその背後のことを考えてみた場合には、天的全般的な歴史を通して、摂理観の完成という一点を求めるために先生を送ったという基準から見た場合には恥ずかしい事です。今からそういう原則を早く立たせて、新しい方向に進んで行かなければいけない時代に入っているのです。 それで先生がどれくらい必要ですか? 日本全体をもってしても先生と代える事ができません。世界全体を捨てても、神様と代える事ができないというのです。そういう観念が徹底しないと、あなたたち日本人とか、韓国人とかが、いつも往来しながら、「韓国の地に観光しに来たねえ」と、こう言うというのです。先生がなしているその目標に一致する基準は、こういうような堕落圏の因縁で結ばれた関係に立って支配すべきではなく、その何十倍、何百倍です。堕落した宇宙の歴史の頂点に、それを担うような頂点を考えるべきであって、今まで我々が考えてきた、その起点自体が恥ずかしい事です。もう一度これを整理しておかなければなりません。 もしも、神様の方から見た場合に、「ああ、日本を救う為に先生が必要です」というような決意で努力すれば、一生懸命働くようになるね。天宙より以上の必要性です。同じ日本に要して一生懸命に働くとするならば、神様は誰を助けるんでしょう。答えてみなさい。誰を助けてやるでしょう? 日本の為に一生懸命働く者たちを助けるか? 天宙の為にという思想のもとに立って働く者たちを助けるか? あなたたちが神様だったら。(「はい。天宙。」) それだからと言って、日本を捨てるというのではありません。日本の地において効果的な、天が焦点をいつも合わせて向ける事のできる立場をとるにはいかにすべきかということは重大な問題です。自分自体がそういう自覚をして、先生の必要圏を確立させて立たなければ、天宙の核に立って神を動かす事ができません。これをはっきり我々は分からなければなりません。 家庭基盤造成のための十四年間 先生をどれくらい必要とするか? きょうあなたたちにはっきり言っておきます。日本の国をエバ国家に、先生が神に推薦して決定しました。キリスト教文化圏が果たすべきですから、イギリスがそういう立場に立った場合には、先生は苦労しませんよ。もう既にアメリカはイギリスの話を聞くようになっているというんです。キリスト教文化圏が反対したから、仕方なしに日本を立てました。それはサタン圏に立った枢軸国家圏です。雑多神は神側ではなくサタン圏です。 こういう事を考えて見た場合に、キリスト教が使命を果たせなかったために、先生が追われて、行く所を足止めされ、東から西に移動して橋を結びつけるべきだったが、東洋を通してしか道がないから日本を推薦しました。 それ故、ドイツを捨てる事ができません。イタリアも捨てる事ができません。先生は七カ国を祈祷しています。もしもキリスト教文化圏が立ったならば、その時もう既に、アメリカとイギリスとフランス、その三国は中心としてすべてが治まったはずです。 だから、そのようにして歴史は一周して、先生はアメリカを中心として、ずうっと今までキリスト教文化圏二つをまとめなければなりませんでした。これはカイン圏だから、統一教会を中心として、カイン・アベルが一つとならなければならない。二つが一つにならなければ、母を引き付ける事はできません。 今復帰路程においては、アメリカとキリスト教会とが、カイン・アベル蕩減基準の上に一つになって、父母様が立った場合にそれでおしまいです。それができなかったために、ずうっと荒野に追われて、先生自体一個人の立つ所を得るために、家庭を揃えるためには四十五年から六十年まで満十四年間かかりました。そうでしょう?蕩減復帰の家庭的、イエス様の第二番目の七年と同じです。四月を中心としてね。十四年間の、自分一人の勝利圏をもって、イエス様が追われて来た国内基 から迫害を受けながらも、家庭基盤を造れなかった事を蕩減しなければなりません。 それから、その家庭基盤は、国家基盤の影響のもので、統一教会みたいな精神でなければ韓国の国が成り立たないという伝統を敷くために、ずうっと統一教会が苦難の道を歩んで来ました。統一教会を苦労させて全国的に愛国運動を行いました。「絶対統一教会は必要だ。イスラエル民族のためにユダヤ教が絶対必要であったと同じように、韓国においては宗教たりものはいろいろあるとしても、統一教会以外にない」と言うような、内外共に認めるような活動をしなくてはなりません。それは、みんな蕩減復帰です。そのまま、ただできるのではありません。 だから、日本を引きつけたのは、七十年代からです。先生が七十年から七十一年、七十二年まで全祝福家庭を総動員しました。それは韓国において、家庭のためのアベル圏を立たせて家庭カイン圏を救出する作戦でした。その時に、祝福家庭の子供たちが犠牲になりました。それまで、何とかして基盤を作って、生活を盛り上げたものをみんな崩壊させて祝福されて生まれた子供たちを孤児院に入れたり、自分の親戚の家庭の向こう側に捨てて行ったり、いろいろな事をしました。 その時は韓国の政界、財界、指導者たちは、「そんな無慈悲な文先生、統一教会の指導者がああいう事をやるから駄目なんだ」と言うふうに陰口をたたかれるほどでした。しかし、三年後には国民全体が頭を下げました。家庭を犠牲にしながらも、国を救う愛国心の運動に全部が頭を下げました。 そういう基盤を作りながら、七十一年からアメリカ開拓の運動を始めました。七十二年を終えて七十三年まで、ずうっと家庭的国家的基準を連結させたのです。だから、七十年代から日本を連結させました。あなたたちは、ただもうすべてが成されると思ったら大間違いです。先生一人として、韓国の国民として立つには、イエス様と同じように、ユダヤ教とイスラエル民族が一致して一つにならなかったその基準を復帰するために、全国民が反対すると同じように、キリスト教が反対しました。当時キリスト教政権でしたが、政府と一つになって統一教会に反対する者たち全部の方向を正さなければなりませんでした。 迫害のまっ只中での聖婚式 そういう運動をずうっとやって来ながら、七十年代に入って初めて家庭的基盤を蕩減したのです。それから国家的家庭基盤蕩減条件を立てて、世界的家庭基盤を連結させる時が来たので、日本の影響圏を立たせました。だからみんな摂理的です。ただで上がって来たのではありません。十四年間の、六十年までの先生の迫害というものは、言うに言えないほどの悲惨なものでした。山に行っても、野原い行っても留まる所がない。イエス様が、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と言われた、それ以上の立場でした。 考えてみなさい。先生が大邱に行った場合には、警察を総動員して先生を探しに来る。一カ月に十三回も引っ越しています。そういう戦いをしながら個人的基盤を復帰しました。イエス様もそういう環境内で反対されたでしょう。ユダヤ教と国が反対しました。反対される内でもって、それを蕩減復帰しなければなりません。その時ちょうど、摂理的には国家全部が反対しました。 その時、余りにも迫害がひどく、統一教会を出た者たちがたまり切れなくて、自分の身を保護する環境作りを迫られたのです。それで、いろいろな者たちが、それもちょうだ十二人が会して、「統一教会はああだこうだ」と噂して、自分は統一教会に反対するとして告訴したのです。 そのため、先生はずうっと尋問を受けながら、六十年の聖婚式を行いました。聖婚式の前日は、十二人の連名をして反対する陳情書の内容の尋問、調査を終わって帰って来た日でした。イエス様自体も十二弟子が反対しました。みんな蕩減の道を通過しなくてはなりません。あなたたち、そういう話を初めて聞くでしょう? (「はい。」)それは韓国の人も分からない。 そういうふうにして、聖婚式をする時も問題でした。全部誰も分からない。それから、三十六家庭の聖婚式が段々問題になって来ました。夜明け方、昼、夕方、三回結婚式をやる。みんな外ではもう喧嘩でした。蕩減復帰において、家庭編成をする時、いろいろな複雑な内容を持っているのです。それを蕩減し得る内容の者たちも、みんな門を開いてあげないと、そういうような家庭が将来救われる道がありません。蕩減の道を開いていかなければならない。だから、いろいろな問題の家庭の背後を抱えながらそれを解決するのです。それでも社会はいろいろ反対して来るし、悪辣な悪宣伝をしたのです。 そして、七十年を中心として、七十二年までの三年間に統一教会の祝福家庭すべてを動員して越えて、全国家、全家庭が統一教会のような家庭にならなければならないと、また統一教会の家庭の伝統的精神をもって、国を救うためには自分の家庭を滅ぼしても国を守らなければならないというような、家庭的アベル圏を持たなければ、カイン圏の基準を引っ張ってくる事ができません。 先生の指揮の下で その基盤を作って、先生がいよいよ日本と接続させると共に、アメリカとの連結運動を始めたのです。七十一年を中心として、本格的に七十四年までずうっとアメリカ巡回講演をしながら、キリスト教会を連結させなければなりませんでした。韓国でキリスト教会が反対したのに、アメリカ自体は反対したことがなかったのです。だから、アメリカ自体で歓迎を受けて帰って来て、受け継いで来ないというと、アメリカに通じる道が生まれてきません。 そして、韓国の国をずうっと蕩減基準を立たせて、アメリカに連結させる時に、エバ国家日本を通じて行くのです。アダム国家基準を蕩減する時は、日本を蕩減したらまずいというのです。原理的ではありません。分かりました? (「ええ。」) だから、七十二年、家庭を動員すると共に、そういうような連結関係を組んで、先生がアメリカ向けの作戦をするとき、日本人を連れて行ってアメリカの国を救うのです。アメリカに行くにはエバがなければならなかったのです。本当はイギリスがエバです。イギリスが立った場合には、アメリカは自動的に立つべきなのに、イギリスの代わりに日本を選択したために、先生がアメリカへ行く時に、日本人を連れて行かなければならなかったのです。分かりました? (「はい。」) そういうふうにして、日本と韓国、アダムとエバが組んだ場合には、アベルは自動的に一つにならなければなりません。これは原理的です。父母様を抱えた、父母様に侍ったその弟の権限は、カインに向けて堂々たる態度をとることができる、摂理的に優位になる立場に立っているというのです。分かったね、何の話か? 今までは父母がいなかったのです。 韓半島と東西ドイツ そういう伝統的精神のもとで一つになって、アメリカへ行ってキリスト教会に影響を及ぼす。そうしながら、ヨーロッパを教化するのです。ヨーロッパから見て、神の前に日本がエバの方に選ばれた場合には、ドイツはアダムの方に選ばれた立場に立たなければなりません。だから、ドイツとイギリスとフランスを組まなければなりません。そういうふうになっているのです。 摂理的に日本をエバの国として立たせたことによって、最後にはドイツの問題が残ります。今アダムである韓国が南北に分かれました。本当はキリスト教文化圏が一つとなって、こうして分かれるべきではありません。 このように分かれて二つになったために、その代わり、神の方のエバ国家とアベル国家が、それは元の位置に立つ事はできない。日本をエバの代わりに立たせて、アメリカをアベルの立場に立たせる。カインの立場に立つのはこれはドイツなのです。 だから、韓国が南北に割れて、反対にドイツは共産主義を中心として東西に分かれている。それはなぜか?キリスト教のためです。第二次大戦後、アメリカとキリスト教が一つにならなかったために問題になって、このように分かれるようになったのです。韓国自体が世界的に問題になりました。アダム国家が半分に分かれ、サタン圏であるアダム国が東西二つに分かれたのです。 だから、今西ドイツは韓国と違う。東と西とが通じるのです。それはサタンに近い。韓国がそんな事をしたら駄目です。縦的南北が中心だね。サタンが今上になっている。これを自由にしては駄目です。自由にしたら再びサタンを引き入れる事になるから、これは絶対に自由にできません。でたらめに行ったり来たりできないように板門店で神はそれを制限しています。 しかし、今の北韓は南韓を飲みこもうと、自分の経済や国家の目的やその他を抱えています。それを中心として政治工作ばかりしています。それで、間諜(かんちょう)たちももう浸透しているのです。なぜかというと、南の方にもサタン圏があり、南の方にもカイン・アベルがあります。サタンに尻尾を振って付いて行くような者がいるから、そういうような基盤を中心としてやって行きながら、サタンの工作は、南のキリスト教の信仰をいかにして薄らげて行くかということを狙っています。だから今、韓国だけは、神がキリスト教の信仰運動を世界的に最高の位置に立たせて守っています。だから、今問題は、共産主義解決は韓半島と東西ドイツ、この二つを解決すれば世界はもう問題ありません。 家庭的カイン・アベル圏の蕩減 それで今先生は韓国を中心として、失った第二次世界大戦後のキリスト教と、キリスト教文化圏の民主主義を再び探し求めなければなりません。その国二つがエバを迎えて再臨主を迎えるべきことが原理なのに、反対されたためにそれができなかったんだから、韓国内でカイン・アベルを整理するのです。韓国内でカイン・アベルが生まれるべきではないけれど、反対したので、カイン・アベルと分けて、二つが一つになったという基盤を造らなければ、先生が足を下ろす事ができません。カイン・アベルが双子のように生まれたんだから、エバは何とかして、神の立場で双子が生まれたと同じような蕩減条件を復帰しなければならない立場にいます。 それで、韓国内において先生を中心として見れば、先生は親ではなくアベルの立場です。韓国の統一教会がカインの立場で一つになる。一つになって教育して、「あなたたちはこういうようなお母様を準備しなくてはならない」と教えてやって結婚しました。そうして祝福した後に、結局、祝福家庭と祝福しない家庭が、カイン・アベル家庭に分かれてしまう。カイン・アベル関係は、いつでも創造原理がそうなっています。人間構造は二重になっている。いつも内外的な位置は守られるというのです。 こういうふうにして、先生を中心として、韓国内で家庭的カイン・アベル圏を蕩減した条件を三年間立たせることによって、家庭基盤が作られた基準の上に、アメリカへ行く時には、それは世界に通ずるのです。イエス様の場合には、家庭的にローマへ大移動しなければなりませんでした。しかし、歓迎されるべき環境において移動すべきなのに、反対されて来たというのです。 エバの行くべき道 だから、それを開拓して行くには、韓国からエバ国家日本の国と、ヨーロッパの国と全部を一つにしなければなりません。ヨーロッパの国は、アベル圏であるアメリカに対して結局カイン圏です。だから、主なる国がイギリスとフランスとドイツ、イタリア、こういう国からまとめて、ずうっとアメリカへ投入して一つにさせる運動をするのです。 運動をするのに、先生の精神の伝統を誰が立てるか?アダムが結婚をした後に、子供を教育するのは母親の統命です。先生がアメリカに行った場合、日本人がお母様の立場であるから、アメリカ人はアベルです。ヨーロッパ全体から見た場合にはドイツはカインです。エバはその双子を一つにさせて、旦那さんの方に向けて、天に向けて返さなければ天に帰る道は生まれて来ません。それが復帰の道です。 だから、エバは死を迎えても、カイン・アベルを一つにさせなければ、エバが神に帰って行く道は生まれてきません。長男と次男は喧嘩をする立場ですが、エバがカイン・アベルを一つに結んで、この二人の子供たちを自分のおなかの中に再び入れて、怨讐同士のカイン・アベルが喧嘩をするべきところを、アベルが先に生まれたというように、アベルが長男として生まれなければなりません。 結局エバがなすべき事は、アメリカにおいてアベルの立場にあるアメリカ国民を中心として、ヨーロッパのドイツ人を連れて来て、完全に頭を下げるように教えてやらなければならないのです。それが日本国民が摂理的に任された使命です。 だから、アメリカに来て今苦労するヨーロッパ人を、アメリカ人が侍るようにするのは摂理にあった話です。しかし、アメリカのために苦労するために来たドイツ人は言葉も通じません。何も通じないヨーロッパ人たちをして、アメリカに絶対服従する方法をいかに教えるか? 日本人が先に立って、文句なしに奉仕しなさい。それが今まで先生がアメリカに来てやっている仕事です。その期間、日本は世界的経済国家になるのです。八十年代に向けて、日本は最高の経済国家圏として神は祝福をするというのです。 それで、母の立場だから、乳は誰が飲ますかというと、母が飲ませるのです。だから、アメリカの教会すべて、ヨーロッパの教会すべてまでも、母が血を売ってでも育ててやる新しい伝統が造られるのです。新しい天的伝統を造らなければならないのが日本の使命です。これは原理観です。間違いありません。それで日本人自体は、一身はさておいても子供に乳を持って来て飲ませるように働きかけなければなりません。 一銭でも節約して、乞食になってでも、アメリカとかヨーロッパを援助しなさいというのです。それはいつまでか? 子供が成長して一人前になって、「お母さん、どうぞ私が身代わりをしますから、そういう苦労はしなくてもよろしゅうございます」と言うまでです。 神の愛の国の伝統 本当は、先生は三年間延長させるようにしました。日本人は外国でも言葉が通じないから、二人が会うと隅の方で、「こそこそこそこそ」。三人いれば固まって、「こそこそ」。今までそういう事をしてきました。そんな事するからアメリカ人に嫌われるというのです。 それから集まれば、「おお、日本人でなければならない! 先生がエバ国家として立たせた。これはもう、子供国家には絶対服従しなさい」と反対の事を言っています。伝統を教えてやって、彼らが願って侍るべきなのに、来る途端に分かりもしないのに「えい、やれ!」と言う。これはもう反発されざるを得ません。これはみんな怨讐です。 日本と韓国、これはもう怨讐になっています。堕落したアダム・エバは怨讐になりました。それから父数々子供、アダム・エバとカイン・アベル自体も全部怨讐です。怨讐同士が集まって、神の愛の国の伝統を作り上げなくては、天国実現という本来の創造理想にあった、神中心とした愛の国の家庭の出発をなす事ができないから理論的です。これは原理であって、先生の作り話ではありません。蕩減復帰路程がはっきりしています。 先生がダンベリーに入ったのも何のためだったか?「ああ、白人種が使命を果たせなかったから、アメリカが悪かったから」、そうではありません。日本が使命を果たさなかったからです。先生はそこまで考えています。日本人がアメリカへ来て、使命を果たせなかったから。 たとえ蹴っとばされても、涙を汲みながら、「お母様、お母様!」と言って走って付いて来るような、心情圏を巻き込まなかったから、サタンは侵入するのです。分かりました? 子供は親に殴られても、泣きずりながらでも付いて来るのです。それから、殴られてもすぐ忘れてしまう。ところが皆心情圏どころではない。アメリカに一年ぐらいいた場合には、隅の方へこそこそこそ、皆逃げて回るんだからね。 エバという立場は、これは幅を広げて、抱き合って、涙を汲み上げながら愛でもって溶かす、そういう事をなすべきなのに溶かすどころではない。先生がいるからできるのであって、エバの使命を果たす事は絶対できません。先生がみんなカバーしているのです。たとえば、問題があった場合には、母が誤ったとしても、本来子供が孝行を尽くさなければならないという立場です。 アメリカ人のメンバーが誤っても、それに対して復讐とか、反発とかいうどころではない。子供の立場に立った場合には、それを認めて、親の痛いところを、怪我のところをカバーして自分が打たれなくてはなりません。不平を言うことはできません。そんな事を中心として基盤を造る。分かりました? (「はい。」)名前だけ威張っては駄目だと言うのです。 ぼろの着物を着ながら、腹が減って乳が出なくて、割れて血が流れるようになってでも、自分の乳を作って育てながら、親に対しては涙の孝行を尽くすような子供を作りあげるまでは、日本は逃げる事はできません。はっきり分かりました? (「はい。」)きょう先生がはっきり教えているのです。伝統を立たせて行かなければなりません。 すべてを捨てて全体動員 それで、先生が今までアメリカに渡ったのは、堕落のために蒔かれた種子が、怨讐国家を中心として、国家基準において実った、それを一つに全部まとめることによって、神の心情圏をして、アメリカ人がアメリカを愛する以上の御旨、ドイツ人を中心として、アメリカにおいてドイツを愛したより以上の心情圏をなすためです。日本人もそうです。そういう基準を敷いて、以上の新しい統一心情圏をなし得て、これが完全に一つになったところにおいて初めて、天国個人、天国家庭、天国氏族、天国民族、天国国家が生まれてきます。国家を代表して集めて、その伝統を立たせた場合には世界的になります。 それをなすまでの使命を先生は果たさなければなりません。それができなかったから、先生がアメリカに行ってダンベリーに入る事によって自分の国以上に、先生は誠を尽くして、涙を流して一つになり得る蕩減を成し得たということは偉大です。先生が蕩減しました。 それで今度は、出た直後から百二十日間、四カ月間に、すべてを蕩減した基準の心情圏てもって再び全国に焼き付けていくのが今の運動なのです。すべてを捨てて全体動員。今度動員しなかったら大変な事になります。 それで、アメリカでどういう運動をするかというと、既成教会とアメリカの民主主義の政権自体が、我々と一つの動きになってこなければならない。そうしないと、第二次世界大戦後に世界を動かすだけのキリスト教文化圏と民主主義圏が反対した基準を復帰できません。それを対外的に成した結果において先生は、今度帰ったのは勝利です。 堕落以降、アダム・エバ、カイン・アベルが全部怨讐圏です。そこから怨讐国家が生まれた。だから代表的な一つの国で統一心情圏を、心情的に一つに結合しなければならない。それから、キリスト教と統一教会がカイン・アベルの一体化した基盤の上に立ったので、韓国で第二次世界大戦直後にキリスト教が反対した基準を復帰したのだから、反対したキリスト教圏は救われるんだね。統一教会とキリスト教がカイン・アベルとして一つになって、それがアベル圏となり、国家の中心と一つになる場合にはそれでおしまいです。 そうした場合には、第二次世界大戦後、世界的なキリスト教文化圏と民主主義がカイン・アベル圏として、父母が立つべき基準を失ったのを、再び四十年後に求めて立つような、その基準が内的に立つのです。 だから、四大国家圏の怨讐を蒔いたその基準が、このアメリカの地を中心として、アダム・エバ、カイン・アベル圏が心情一致した世界的基準結束基盤において、サタンがキリスト教を通して讒訴した、反対したものが後退するのです。アメリカを中心として反対して後退した場合には、アメリカの指揮下にあるすべての西洋が包まれてしまうのです。アメリカが問題だね。 そういうような内外の蕩減条件を地に結束させる基盤を抱えて、新たにこれを韓国と結びつけなければなりません。韓国で一九七五年を中心として、国際機動隊を中心として、こういうふうに基盤を造って来たのも、世界に向けての国家的基準、霊肉共の国家的基準のためでした。世界基準においては、次々世界的勝利圏をつないだ場合には、今度先生が来た場合はこれはもう時が違います。「統一教会の先生、文総裁でなければ何もできない」。そうなってしまうのです。 中間圏がなくなってしまった だから八十五年と八十四年。四十年の峠を越えれば、これはもう既にカナンの地に入っています。入ったから国も反対しないし、アメリカも反対しないね。三十一の怨讐国家(ヨシュア記十二章九~二十四節参照)がないところに入ったと同じ基準です。だから旗を上げて、今はもう四方八方、我々が動く事に比例して、統一教会圏はどんどん拡大します。 今から三年間でアメリカとか、韓国とか、日本とか、勝敗をきれいにつけなければなりません。分かりました? (「はい。」)重要な期間です。ああ、先生一人でこういうふうにして、ここまで来たんだと考えてみなさい。それを誰かと相談しながら、誰かに任せてやることはできません。アダムの権限、アダムの主管圏を蹂躙された、それはアダムが蕩減復帰しなければなりません。だから、今はこういうような勝利圏の心情圏を作ったんだから、今から我々が結束させるものは我々のものです。世界的蕩減基準をもう終えているからサタン讒訴圏と関係ありません。 それでその間において、結果主管圏と直接主管圏の心情圏を復帰するために八十四年、八十五年、三年間、この期間を中心として、興進様の昇華式とか、先生がダンベリーへ行くこととかですべての蕩減を終えました。今までは、平面圏を中心としてサタン自体が結果主管圏に入って来たために、讒訴圏があったのです。しかし、今や結果主管圏も直接主管圏内に上がり、もうサタンが侵害する事ができません。この民主主義圏外はサタン圏です。共産主義は反対します。しかし、民主主義は、もう既に結果主管圏のラインが平面的に直接主管ラインに通ずるようになっているから、サタンの侵入圏がありません。だからサタン自体が讒訴する事ができません。讒訴した場合は即時にやられてしまいます。 直接主管圏に通じるようになったので、霊界の善霊たちが直接降りてきます。分かりました? この一線を中心として、直接行ったり来たりします。真の父母を中心として心情圏を造るのです。 きのう祈祷した通り、きのうからそういう運動が生まれてきます。興進様とイエス様はなぜ分身になったか?地上で生まれて来た者で、真の父母の心情と関係を持って生まれて来た者は一人もいません。イエス様自体にもないというのです。だから、地上に来るには、もともと真の心情圏を通過した者が地上に来る権限があるけれど、真の父母の心情圏を通して生まれた者でない者が地上に来られる道はありません。 それは何かというと、イエス様自体も真の父母の心情圏に通じていませんでした。だからこれを連結するために、真の父母から生まれた興進様を霊界に送るのです。それとカイン・アベル原理があるから、イエス様はカインであり、興進様はアベルであり一つです。横的に一つになる事によって、それが降臨するには、興進様の相対が地上になければなりません。相対圏を通過しないと天国運動ができません。イエス様は相対圏を通過していないから、楽園にしか行っていないというのです。天国に入る事ができません。原理がそうなっています。興進様も相対圏を造る事によって、天国に入り得る通路ができるのですね。 それで、結果主管圏が完全に蕩減されて、直接主管圏に一致された場合には、サタンの讒訴圏がなくなってしまいます。そうなって、心情基準を中心として興進様とイエス様を中心として、百二十国家の王権復帰目的でもって、今、その国の主権、大統領になっていたり、王様になっている人に霊界でみんな援助します。イエス様と一体化運動をするのです。 イエス様と興進様が一体化した、その基盤にあるキリスト教文化圏で死んでいった善なる忠臣とか、孝行なる者は、みんな地上の王権を中心として、貢献した霊人たちを連れて来て、現実の地上の国の王権を中心として援助します。演じよしてどこへ行くかというと、真の世界的王権の樹立のために、四方八方から援助させようとするのです。 今度先生が韓国に来て、国と世界をつなげる事によって平面的に真の父母と国と世界に通じるから、中間圏がなくなってしまいました。サタンが活動する道がありません。全面的霊界活動が公開されました。完全に道が開かれたのです。そるすると、善なる比例によって、中心圏を中心としてこういうような点でもって、人類はずうっと上がって行く事ができます。そういう運動が出来るようになります。 神の主権復帰のための前進 だから、今から統一教会のメンバーたちは新しい時代を迎えているというのです。故に、恐れるべきものはありません。サタン世界を恐れるな! 恐れないで押しつけた場合には、押すことができま野。堂々と押すのです。重要な事は、誰か外部の人と相談してやるのではありません。真の父母の命令一発、それでいいのです。分かりました? (「はい。」)だから、今からそういうような時代になります。霊界と近い、完全に平面的につながるようになったから、間接圏が統一教会を中心として霊界と完全に一つになって、神の主権復帰のために前進を命令しなければなりません。総進軍を命令しなくてはなりません こういう時代になるから、今からどういう現象が起こってくるかというと、統一教会に対して反対しようとすれば身が縮まるようになります。恐ろしく感じる。恐怖心にかられる。統一教会を考えてやると気持ちが良いし、反対しようとすれば、これはもう恐ろしくなってしまいます。それにも拘らず反対した場合には、他の人が来て第三者が打つのです。 韓国は今から、既成教会が反対した場合には、団体的に攻撃されます。攻撃される事が、自分たちが罪を犯した蕩減条件になるのです。善の主権のために悪の者たちを処理した結果において、これは誉められるのです。そういう時代に完全に入りました。 昔は、「統一教会は悪い! レバレンド・ムーンは悪い!」と言って、自分たちはみんなそれに歩調を合わせて反対する気持ちを持っていたんだけれど、今からは反対できません。だから、あなたたち強く出よ! あなたたち、強く打って行って場合には、何でも消化する事ができます。そういう自信を持ちなさい。分かりました?(「はい。」) それで、先生をどれくらい必要とするか? こういう蕩減の道を、あなたたちが国を立たせてやることができるの? 日本の国を立たせて、蕩減復帰の道を開拓する事ができますか? あなたたち家庭を立たせて蕩減復帰の道を解決する事ができるの? 世界をかけてできる?アジアをかけてできますか? この地球全体をかけてできる? 宇宙すべてをかかてできる? あなたたち、これをはっきり知らなければなりません。 こういうようなくどくどしい伝統的蕩減の道をなぜ先生が話したかというと、先生がどのくらい必要かというその必要性を言わないと分からないから言っているのです。「ああといに自分がいなければ!」馬鹿な事言ってはいけません。あなたたちが再臨の主をやってみなさい。やりたい者はみんなやってみなさい。私は見物しますから。世の中がどういうふうに展開して、その解決をいかにするのですか。 世界基準でつなぐ 先生がきのう、興進様の第二周年記念日に祈祷したのは、興進様を中心としてイエス様の心情に一致すると共に、今まで統一教会の幹部たちが霊界に行って、それをつなげてやれなかったからです。なぜつなげられなかったか? 国家基準においてはつなぐ事ができません。世界基準でつなげなければつなぐ事ができないのです。国家基準は、イスラエル圏は長成完成基準です。イエス様の立場は長成完成基準であったというのですね。それは国が完全に一つになる関係を経て、完成基準に上がる事であって、それで、今までいくら劉協会長が霊界に行っても、喜進様が霊界に行っても、先生の子供だにつなげることができませんでした。今は世界的蕩減を得た基準が立ったから、興進様を中心としてすべてをつなぐ事ができるのです。 それで、統一教会のメンバーたち、祝福三十六家庭が初めて霊界に行って、自分の席に着いて、正し組織体制を完全に始める事ができるのです。原理はそういうように厳格です。でたらめになっていません。先生がそれをしなかった場合には、劉協会長が霊界に行ったんだから、「あなたがみんな責任を持ってやりなさい!」、それはできません。世界蕩減基準を果たした後につなげなければ、サタン圏で讒訴圏を越えた条件を満たしていないから迫害を受けるのです。 そういう面から見た場合に、興進様も二年間苦労していますね。先生は援助祈祷する事はできません。それは原理に違反するのです。真の父母が堕落圏を蕩減し、永遠に委ね、神に祈るという原理がエデンの園になったの? ない! 自分の子供をかわいそうに思っても、先生として、子供のために「神様、援助してください」、そういう祈りはできません。 原理観に一致した使命を 先生がどれくらい必要? この宇宙、被造物を固めて火をつけて、それを捧げものとしても、先生のやっている蕩減復帰の道と代える事はできません。今まであなたたち、「蕩減復帰だ、蕩減復帰だ」と言いながら、蕩減復帰をして来なかった。分かりました? (「はい。」)日本のメンバーを最初に集めて、訓辞を政えなければなりません。はっきりと教えます。日本に帰ったら、過去のような乱れた思いでもって行ったり来たり、あるいは横を向いてはいけません。はっきり心に刻み込まなければなりません。分かりましたね。(「はい。」) 先生の名前を呼べる自分自体が、生涯をかけた以上の感謝の念を持たなければなりません。直接命令を受けて、自分が仕事を担当してやるということは、これはもう言うまでもなく、比べものにならないほどの感謝の一心であるというんです。身に余る感謝の念に満たされて走らなければなりません。今まで勝手な事をした者に対しても、「こういうことをしなければならない」と言って、先生は中間的に命令しませんでした。サタン的愛にお生が命令するのではありません。 しかし、今は命令する。命令が下りた場合には、成せなかった場合、命に代えても成Ⅲ泣ければなりません。真剣な問題です。過去みたいにでたらめに、「先生がこうやったらいいだろう」とか、「仕方なしに自分たちは付いて行かざるを得ない」、そいうう思いだったらいけません。世界は、そういう時代はもう過ぎています。大統領たちが列をなして並ぶ日がもう遠くありません。三年ですべての勝負を決めなければなりません。 こういう原理観に一致した、その使命を果たし得るような日本にしなければなりません。だから、アメリカ国民を教育するのも、日本人を通してやります。日本人はそういうのが徹底していますね。旦那さんの命令に絶対服従するのが日本の女性でしょう? 襖の横にちゃんとひざまずいて、「はい、ありがとうございます」と。みんなよく訓練されています。そういう伝統的精神をアメリカに吹き込まなければなりません。 アメリカに来ている韓国人たちで、南米に移民した者たちは、国境を七つも越えてみんなアメリカに入ってきます。日本人にそういう事を、たとえやれと教えても、そういう事はできません。韓国人を教えてやらなくてもみんなやるのです。(笑い)そんなに違います。だから、ああいう者たちにエバを中心にやれというそれ自体ができません。(笑い)島国だから、旦那さんに追われたら逃げる所がありません。そういうような日本が今繁栄しているのは、日本のためではありません。世界のためだ。これを日本人が知らないんだから、何とか方法を使って日本の滅亡を防衛したいのが先生の願いです。 今はアメリカが日本の経済の首を締めようと考えているでしょう? 貿易問題ね。「貿易戦争!」とね。首を締めるには何で締めるか? アメリカはもう戦争はしません。外的には紳士のように見えるけれども、内的にはこれはもう一匹狼のようです。それで、日本をやっつけるには、政治的力を利用して南アメリカの原料資源を防備すればいいのです。それから、アフリカから入って行く台湾海峡を防備すればいいのです。それは可能です。今日の国で造るものは、日本で自家用で解決できるものは一つもありません。全部が外国資源に依存しています。大変な事です。 大変な問題を解決するために、既に先生は八十一年に第十回科学者大会で国際ハイウェイ敷設計画をもう発表しています。その時ハイウェイを造るという発表をしなかった場合には、今頃発表してもどれくらい効果があるでしょうか? 宇宙圏において自分の位置を知らない者は滅んでしまいます。いくらでしゃばっても、分の位置を知らない者は、台風が吹き荒れて功労を失って滅んでしまうのです。 先生はちゃんと、それを知っているから、韓国はこれしか道がないと決定したその通りに行けば、解かれていくのです。アメリカをずうっと蕩減復帰した場合には、先生の思う通りになります。それは原理でしょう? その基盤を完全に造りました。 神様を解放する道 今からラッパを吹いて、先生が総進軍命令を下したと言う場合には、誰が反対しますか? レバレンド・ムーンはレバレンド・ムーンでない。神の子供だというんですね。あなたたちのできない事を可能にするのがレバレンド・ムーンの特徴ですね。 今、先生の成し得た基準というものは、世界的基準から見ても、こう眺めて見て、見下ろすことができません。今まで神の摂理路程で何万遍も反対したこの世のサタン自体が、「おお、大変なお方だ」と言うようになったのであって、サタン自体が見下げるような基準ではないというのです。神自体も誇るべき嶺を作っているということ、これを覚えなければなりません。分かりました?(「はい。」)こういう、神よりも必要な内容を解決した親主(おやぬし)であるというのです。だから、神の解放は神自体ではできません。先生以外には、神の解放される道はありません。神ができない事をやっているのです。だから、神がやっても解決できない事をやっているということは、それはどれくらい必要か? 絶対初めであり、絶対終わりであるというのです。分かりました? (「はい。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.28
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「天国創建の意義」1986年1月1日「神の日」午前十時ソウル本部教会にて 今、一九八六年が始まりました。きょうは神の日であると同時に、私たちにおいては新しい記念の日となります。そこで、今年の年頭標語は「天国創建」という内容て、神の日を記念すると同時に、皆様の前でしばらくお話ししようと思います。 先週(十二月二十九日)には、み言の題目が「神の摂理的総決算」という内容の話をしました。 この地上に、神の摂理が始まったのは、堕落したので摂理が始まったのです。その摂理は何の摂理かというと、救援摂理なのです。言い換えれば、失ったものを取り戻すことであり、これを統一教会の用語でいうならば、復帰摂理であり、再び探す、再び帰る摂理なのです。神のこれまでの摂理は、神の創造理想が実現されなかったために、神を中心とした生活的な舞台を備えることができず、その環境が展開されませんでした。それが今までの神の恨であり、人類の恨であり、万物の恨になっているのです。 ローマ人への手紙第八章を見ると「万物が嘆息している」と書かれています。この全宇宙被造世界は、被造世界ばかりでなく被造世界を創造した創造主までが、嘆息するようになったのです。それはなぜかというと、神の創造理想が実現されなかったからです。もし神の創造理想が実現されたならば、天国実現は自動的な道でありました。だれかが、天国をつくってくださいと言わなくとも、自動的に天国が実現され、その実現された天国の内容は、愛を中心として「為に生きる」、そのような世界でありました。それで天国が形成されるためには、必ず神が中心となって、堕落していない本然の真の父母がいなければなりません。真の父母というのは何かといえば、神の前に長子、長女となります。この長子、長女は原理においていっているように、造られるや否やすぐに、完成されるのではありません。幼い時から成長して完成時代まで、個体が完成するまで、成熟期まで待たなければならないのです。 最初は神の子女として創造されたアダム、エバは、神の保護圏内において幼い時から育って、成長するにつれて知能が発展してくるので、なぜ神がこの被造世界を創造されたかを知り、被造世界を通して教育されていくのです。被造世界が動いているのは、本来私たち人間の先祖となるべきアダムが、生活でき得るすべてを教えてくれる教材であったのです。一人の完成されたアダム、エバが、理想生活をするために通っていく標本であり、一つの博物館であったという事実を私たちは知らなければなりません。 被造世界の鉱物世界、植物世界、動物世界はカップルを成しており、鉱物世界のすべての原子運動を見るとそこには必ず相対関係を中心として授け受けしています。その関係から離れることのできない道理はここから始まるのです。このようなすべての運動は、植物世界も、動物世界もみんなそのように(カップルに)なっているのです。カップルを成して授け受ける環境から、発展的現象が展開されるようになっていたのです。それを見ながら成長するアダムとエバは知能が発展するにしたがって、神を中心として、神が父母であり、地上にいる子女が子息の立場になって一つの軸を成すのです。一つの軸となって円形、球形を形成するための理想を出発したのです。 それでアダムとエバは幼い時からだんだん自我をもつようになるにしたがって、男子は男子としてだんだん成長し、知能的基準が高まって、この世の真理を知るようになります。上下関係の垂直の前に、完全に九〇度、半分になれるその位置、中央線を中心としてアダム、エバの知能が発達して地上の事実を知るとともに、天上世界は天使長世界が常に(アダム、エバと)連絡しながら、霊界の事実をも知り、天の父母との関係まで全部、知能の発達とともに知るようになっていたのです。これが垂直を中心とした中央線に至るまでのその期間があったので、この期間においては神が直接このようにしなさい、あのようにしなさいとは言わないのです。万物をそのように創造したので、天使長の保護を受けながら成熟期までを待つ期間があったので、この時はこのような期間を通らなければならない、原理的にいえば結果主管圏ぜあります。すなわち自然の道理とともに、成熟するその法に従って、原理原則に従って自然的に保護するようになるのです。 だれが保護するかといえば、天使世界が保護して教育するようになっているのです。それで天使を僕として、アダム、エバが成長する過程で堕落したのです。このような過程、中央線にまで及ぶことのできる、この時までを、二十歳という距離をおいて成長しなければならないこの期間があるので、神は人間に警告せざるを得ないのです。「失敗するな! 失敗したらいけない」と。 今日、よく信じているキリスト教信者たちが、失敗とは何であるかといえば善悪の実を取って食べたことであると言います。それでは善悪の実とは何か? 果実であると言うのです。ところで、本然の人間においては、失敗することはできないのです。そのまま成長すれば自然に愛の関係を結べるように、既に教育を万物を通してやっているのです。昆虫の世界を見てもカップルをつくっているし、動物世界はもちろんであります。彼らが和動するにおいては、お互いが授け受け、お互いが相対のために生き、相対を呼び、相対を愛しながら生きていくその環境を見ているので、幼いアダムとエバは知能が発達するにしたがって、この世の道理を悟るようになります。そうすることによって成熟すればするほど、彼らの自覚は愛の知覚に接近していくのです。愛の知覚に接近していき、そして愛ということを知るようになればすべてが通じるのです。 地上世界の平面的な事実ばかりでなく、霊的な目までも開かれ、霊眼が開かれて、霊界の事実、立体的な世界までも知るようになるので、神とじかに接することのできる境地に至るのです。それゆえ、愛の知覚が発展すれば……。しかし、これを成す以前に堕落したのです。では堕落とは何かというと、不倫の血縁関係を結んだこと、これがこの宇宙を狂わせた根本原因となったのです。 もし堕落していなかったならどのようになるでしょうか。神は無形の神です。皆さんは霊界に行っても神は見えません。神の音声を聞くことができ、神がいることを知っていますが、私たちには見ることはできません。感じることはできますけれども、見ることはできません。このように無形の実体をもってしてはそれほど刺激的ではあり得ません。 それで人を造ったのは、より刺激を感じるためです。神様自身は何も不足なものがありませんが、ただ一つ必要なものが何かというと、愛のみが必要なのです。その愛をどのように探すか、神様一人ではその愛を成じることができないのです。愛を感じる素性を備えているにしても、一人では感じるようになっていないのです。愛はどこを通して感じることができますか? 相対を通して感じることができます。愛はどこを通してくるかといえば、相対を通してくるのです。これが原則であるから、神もその愛を必要とする立場に立って、そのために相対を必要とするので、相対的存在を造らざるを得なかったのです。その相対的存在として造ったのが、宇宙の中において何かというと人間なのです。 それで人間は二つの世界の媒介体です。縦的な立場に立って、実体世界と無形世界を連結させて一つに結合させるのです。そして、その結合させる力が何でしょうか。これが問題です。縦的世界は神が上になっているし、人間が下になっています。これが発展して中央線まで男性と女性が、男性と女性は中央線に向かう時に一番遠い距離を行くのです。四位基台から見れば、距離が同じです。この上の両辺と下の両辺の距離が同じです。その所が何かというと、男性と女性が成熟した所です。そこから平行に連結された直線を引くようになります。その直線を引くのにおいて、何をもって直線を書くかといえば父子の関係の愛の線を中心として垂直線を書き、平行線は主体と対象の関係、アダムとエバの愛の力を通して引くのです。このようにして、これらが結合することのできる焦点がどこかといえば、神と垂直線を中心として九〇度の角度でぴったり合わなければなりません。 その所に入ってもし二人が合ったならどのようなことか起きるかといえば、今日皆さんが天気が崩れる時に稲光と雷を見るのと同じです。この雷の音は何かといえば、陰電気、陽電気がぶつかるのです。合うのです。合う時において、その周辺の空気を押しのけて合うので、雷の音が聞こえるのです。そして光が出ます。天地のすべてをのみこんでも余りある光が出ます。それらのすべての自然の法則とは何でしょうか? 雨が降り、稲光が走り、雷が鳴るそれらは愛の象徴なのです。自然の愛です。陰電気と陽電気が合わさる愛なのです。見えないプラス(+)電気とマイナス(-)電気がぶつかることによって見える事実として現れて、この世のすべてを主管することのできる光の能力を発揮するようになります。愛が見えるでしょうか? 愛を見た人がいたでしょうか? 愛を感じることはあっても愛を見た人はいないのです。それは電気と同じです。電気と同じであるというのは、電気と同じような力の作用をするのです。 それで、男性と女性は、南北を軸とした父子の愛の前にこの軸は一つしかありません。軸が成長し始める時には、神が降りて来て、ここで一つになってはいけないのです。神は北極にいて、南極にいる人は全部探して上っていくのです。上っていくのにおいて、ここの成長にしたがってこの道に従って平行に上っていくのです。上っていけば神はそれに従って降りて来るのです。愛の心を中心として、いつも降りて来ることができるのです。それゆえ、アダムとエバの本来の愛の基は何かといえば、神を愛する愛なのです。神は父母であり、アダムとエバは子女であるために、子女の深い心の中に愛の線を引き始めたのはアダムとエバの愛ではありません。父母に対する愛です。神の心の中に愛の線を引き始めたのはアダムとエバの夫婦の愛ではなく、父母の子女に対する愛なのです。幼い子女のその本性の心に、愛が動くことのできる道ができたのは父母を愛する心からです。そうでないでしょうか。これが縦的な愛の心の基台の上に横的に東西に分けて、縦的な愛の標準の上に横的な愛の道を引かなければなりません。そうすることによって、縦的な神の愛が地上と連結すると同時に、このぶつかる中央線を中心として神の愛も東西南北三百〇度どこにでも通ずることができ、ここに子女たちの愛もこの場に来てどこにでも通ずることができ、男性の愛もここに来てどこにでも通ずることができ、女性の愛もここに来てどこにでも通ずることができるのです。 何の話か分かりますか? 中央との結合点というのは、すべての作用を総合して平均的に全体に連絡することのできる焦点なのです。それゆえ真なる愛は必ず一つの固定されたこのような中央佐を中心として拡散しなければならないのが原則です。これがもしこのようになっていたならば、神は垂直の愛を中心として人間とぴったり、一つの軸に固着されてしまうし、その次に東西に連結されれば、この相対的平行線が完全に九〇度の角度で中央線が決定されるのです。この中央線を神と人間始祖が始めたこの基準を、だれも、神自身もはずすことができないし、人間自身も離れようとしても離れることができないし、アダムとエバは新郎であり新婦であるこの平行線の基準を自分勝手に動かすことは絶対にできない、絶対的基盤となるのです。それでこの焦点を中心として神も人間に会おうとし、子女も神に会おうとする父子の相い合うその焦点、これが共通分母です。それから男性と女性が会うことのできる共通焦点が、この場に入って愛とぶつかるようになれば完全に球形を中心としてどこにでも通ずる道になるのです。それから、球形を中心として、ある一つの遠い所から与えたいと願う、授け受けることのできる所は、どの作用の力であっても、この中央線を通るようになっているのです。 皆さんは一番大きいものを願うでしょう。南北間の一番遠い所に通じることのできるのは垂直線です。東西間においてこの垂直線を中心として、一番遠い所に通じることができるのは九〇度の延長線です。そうですか、どうですか? これが一つの球形となった時には、球形上の動くすべての力の作用は全部この中心に通じることができるのです。何千、何万に分ける線を引くとしても、この中央点を通るようになります。この中央点は神の理想的な愛を出発することのできる相い合う点です。また、子女が理想的父母の愛に接触することのできる接触点であります。男性としての愛を中心として理想的に相い合う点です。そこに行くと神の愛、そこに行くと神の子女、そこに至ると神が立てようと願う夫、そこに至ると神が願う妻、すべてを理想的に描くことのできる一つの宮殿、愛の一つの帰着点、愛の一つの宮が設定されるのです。それを中心として、宇宙はすべて動くのです。 神が願っているので、このような話をしたら、他の話はできなくなりますね。きょうはっきり話をすることによつて、概念をつかむことができるのでこのような話をするのです。初めて来た人も知っておいたほうが良いでしょう。 今日までの人類歴史の中で、このような帰着点、一つの核となる愛の点が生じたかといえば、堕落したので生じませんでした。もしそのような帰着点が生じていたならば、私たち人間がどこに行ったとしても自然にそこを通ろうとするのです。直線であり、まっすぐで一番遠い道はその道なのです。ではまっすぐで遠い道を探していこうとするならその中央線を通過しなければなりません。それで人は大きなことを願うのです。高いのを願います。深いのを願います。最も深いもの、最も高いもの、それらの線は必ずこの一つの線、中央線を通過します。垂直線です。最も広く、高く、長いものは必ずこの一つの線を通過します。それで皆さんの心が、このような愛の力の作用を本性としているので、皆さんが願うものは最も高く、大きく、深く、最も良いものです。その最も良いものは何でしょうか。神が最も喜ぶものが愛なのです。分かりますか。 神は愛の一つの宮を造ってその中に安息されたいのです。今日までこの人間の世界において、だれもこれを知らなかったのです。今日のキリスト教思想は消極的な思想です。絶対的な神、創造主は尊い方、被造物は見にくいものと言っていますが、それは神の愛を知らなかったからです。 レバレンド・ムーンは一人でいるとしても、その心に愛と通じることのできる素性をもっています。一人でいていくら好きだと言って騒いだとしても、「あの人は気が狂った」と言われるでしょう。しかし、小さなハンカチ一枚を見ながら、これは本当に素晴らしいと喜んで舞ったりしたら、それを見てはだれも「気が狂った人」とは言いません。それは何を意味するかというと、相対的価値の絶対的な基準を認めなければならないということです。愛が染み込んだ穴のあいたハンカチ一枚でも、離れる時与えたとすれば、愛する相対はそれを一生かけて、目標として生きるのです。そういうことがあるでしょう。 愛で鍍金(めっき)したすべてのものは、永遠であることを願うのです。そうですか、そうでないでしょうか? (そうです)。それで神が絶対的であると同時に、その絶対者に相対が必要であります。いくら神であるとしても、相対がいなければ愛を探すことができません。愛をもっているとしても愛の刺激を受けることはできません。では愛はどこから来るかといえば、神自身から来るのではありません。すべて循環の法則によって、相対的極から愛を感じるようになります。それで地球においては、その表象として磁力線があります。南北に通じる力かあるのです。全宇宙は象徴的に、表象的にすべて見せてくれているのです。 大きいものを願う人に、本来の大きなものを願う心は何を根拠としているのかと問う時、「それは知りません、ただそうなのです」と言うでしょう。何を中心として高いものを願うのかという時、そのように言う人もいなければ、そういうことを考えてもいないのです。最も良いもの、それは何を中心としてか、最も良いものの中で、最も大きく良いものそれは何を中心としているのでしょうか? これは愛を基点としているのです。愛を基点とすることのできるこの共通の分母だけが通じれば延びていくのです。神がここにぴったり入るようになれば、自分がどこかに行きたかったなら、神の腰にしっかりしがみついて行くようになります。そうする時、神は“私の腰に何が付いているのか”というより、“なでてあげたい愛のこぶが付いている”と考えるのです。愛のこぶは一〇〇個、一〇〇〇個ついたとしても嫌な気はしません。それを知っていますか? それで、もしそうなったならどうなるかといえば、人間は脱線しようとしてもできなくなるのです。アダムとエバが他の所に行こうとしても行けないのです。この線に入って爆発されて、アダムとエバが神と愛でぶつかる稲光が発したならば、天地には堕落というものはあり得なかったのです。既に明るい光を感じ、霊と肉がそこにおいて既に一つになるのです。 人間は二重構造でできているのです。内的な人と、外的な人と。それは宇宙も同じです。内的な宇宙、外的な宇宙、それがいつ一つになるのか、一つになれる力は何でしょうか。他の力ではできません。いくら圧力で、コンプレッサーで押す力で一つになったとしても、また分かれてしまうのです。しかし、愛の力を中心として接触しておけば、これが離れようとすると、さらに強く付きます。もっと深く入って、反対側の極まで貫いて出ようとするのです。中央で接触したなら、お互いが向こうの極に貫いていきながら刺激し、ここに来てはあの極へ、このように行ったり来たりするのです。 完全なもの、良いもの、大きく貴いもの、そのすべては何を基点として連関されているかといえば、愛です。なぜその愛が貴いのでしょうか。愛を探し出せば、そこには神もかかっているのです。神も愛においては、いくら逃げようとしても逃げ逃げられません。「もしもし神様よ!」と愛がいくら神の悪口を言っても離れられません。このような観点で見るとき、人間はいかに永生するか? 神の絶対的な主体の前にあって、人間は絶対的な相対の立場に立てられました。その立てられたということを理論的にどう証明しますか。愛という概念は一人では見いだすことができません。相対圏で形成されるので、その愛を中心として見るとき、自分という相対的人間は神のように永生しなければならないのです。これは理論的です。何の理由もなしに永生しますか? 知らなければなりません。無知からは完成がありません。 今日、科学世界において、数学をコンピューターで計算すると誤差が生じるのです。皆さんは信仰生活において、コンピューターで計算したそれ以上の立場にいますか? それで終末に近づくとキリスト教はいくら努力しても滅びるのです。滅びるようになっています。先生が滅びよと言うより、神がそれをためらわず壊してしまうのです。 羅(ナ)長老、朴(パク)長老、福音教会、大言壮語するな! これから見てみなさい。門に入るとき、パスポートをもらわなければなりません。パスポートを受け取るだけではいけません。ビザも受け取らなければなりません。ビザをもらうには霊界の神がサインしなければなりません。 皆さん、長老教会といって総会長がパスポート……どこかの僑胞と同じです。大韓民国の国と同じです。アフリカの国と同じです。それをもってアメリカで通用しますか。ビザをもらわなければなりません。ビザを受け取ることのできる教団が必要です。そのビザをだれが与えるか。ペテロに天国の鍵を授けたことが何を意味するかといえば、ビザ券発行を許諾したことです。分かりますか。ペテロを批判したり、サインを逆さに書いたとかは問題でありません。ビザをもらわなければなりません。そのビザを発行する人が文先生であるとしたらどうしますか。ビザの発行はレバレンド・ムーンがやると言えば、既成教会は異端とか、そういうことはあり得ないとか言っておられるでしょうか。(拍手) ですから、先生に反対するすべての人は打たれるのです。悪が善を打ったときには壊れるものがなく、最後に善か打つときには存在すらなくなってしまうのです。壊れていません。それをだれが壊せますか。神が残すことができますか。神の愛を中心として相対圏を中心として打てば丸いのでどうなるか。丸いボールをけってみなさい。真ん中をければあちらのほうに行ってしまうのであり、壁の所に当たれば自分の額に当たってしまうのです。(笑い) 横をいくらけってもぐるぐる回って循環運動が始まるのです。ですから神を正面から打つことができますか。レバレンド・ムーンを正面から打つことができますか? 促進作用はできますが、破壊作用はできません。 このように言うと、自己宣伝することになるので、教授とか牧師とかやっていた人たちは気持ちが良くないでしょうが仕方がないことです。がつがつ食べていてはおなかを壊してしまいます。統一教会の文先生のように一つ一つ食べていかなければなりません。文先生は今までおなかを壊したといって大騒ぎしたことはありません。 天国は、愛を完成していない人は行けない所です。分かりますか? 神様もまだ天国にいません。理想としていた愛の天国を実現することができないでいるのです。なぜですか? 愛の対象者となれるはずのアダム、エバが堕落したので、その理想としていた本然の基準を再び探し立てることになります。そうすることによって愛を人間と共に結び、あなたは永遠なる私の相対であるから、永遠無窮まであなたと共に愛を中心として幸福であれ! 神がアーメンと言って天国の門を開く前には入れません。このような意味で統一教会においては、天国は空っぽであるといっています。これは理論的な結論です。しかし、それが間違っているとだれが言うことができますか。 それで神はアダムの愛を一〇〇パーセント感じ、エバの愛も一〇〇パーセント感じ、子女の愛も一〇〇パーセント感じ、また子女は父母の愛を一〇〇パーセント感じ、妻は夫の愛を神の愛のように一〇〇パーセント感じ、また夫も妻の愛を一〇〇パーセント感ずるのです。このようにして父母の愛一〇〇パーセント、子女の愛一〇〇パーセント、夫の愛一〇〇パーセント、兄弟の愛一〇〇パーセント、すべてを完全にパスした間完成者が地上にいると思いますか? どう思いますか? 問題は大きいのです。もし皆さんがそのような愛の合格者となって、それが種となって蒔かれたならば、その子女たちもそのような種とならなければならないのに、皆さんの子女たちが全部そのような子女を生み、そのような子女が数千万代になるはずなのに、今日この世に住んでいる人たちがみんなそういう人になっていますか。これはどうしてでしょうか。 取って食べるなというその期間、この中央線に至るまで、アダムは完全に成熟する時まで、エデンの園でエバはいつもアダムにいしめられたでしょう。エデンの園では喧嘩もしていけない、ということはなく、好きで喧嘩をし、嫌いで喧嘩をしていたでしょう。男性が力強い人であれば、(手を)少し付けるだけでも、「あ! あ! 痛い」と言うのです。(笑い) なぜ笑いますか。このように話をしていては時間が何時間あっても足りません。忙しい人は帰ってもいいです。「きょう一日(ついたち)だといって行ったら何時間も、説教は三十分でOKというこの時勢に、全世界の常識的な見解であるのに、何時間もやって、トイレにも行きたいし、お尻が痛くて大変だ」と言わないで、お帰りください。入ってきたい人がたくさんいますから、統一教会の群れで。 天国はどのような人が行くといいましたか。真なる神の愛を完全に受けて、「あっははは、私は幸福です」と、目も耳も話を陶酔の中で見聞きし、話をし、喜びの中で舞い得る、そのような愛に酔った、そのような人たちが死んでから行く所です。人間が生きるにはどのように生きるかといえば、愛のために生きるのです。神も愛のために生きておられるのに、人間が自分のために生きることができますか? 妖邪(注:よこしまであやしいこと)な者、霊界に行ってみなさい。先生の話が合っているかどうか。先生は霊界を一々ひっくり返して、見て、知って、分析、鑑定してから言う話です。「そうであるだろう」という話ではなく、「そうである」と言うのです。独断的な結論であると言ってもかまいません。最高の真理は独断性があります。原理原則に立脚して、原理原則は譲歩がないのです。決定的です。 皆さんの体と心が一つになったことがありますか。一体になっていますか、どうですか? それがいつ一体となるか、成熟して神の愛と核において爆発される時、その力によって、皆さんの体の細胞まで一つになるようになるのです。そこから生まれた子女たちは何の種になりますか。神とのすべての愛を中心として、その要素を完全にもった線上から生まれるのです。しかし、(堕落によって)愛を中心とした種を収穫することができなかったのです。収穫しようとしたのに、収穫する中において、生命がないのです。 皆さんの生命はどのように生じましたか。皆さん、自分を見るとき、自分という存在は父母の愛が同参(注:僧侶と信徒が法会に参列して、一緒に浄業を修めること)してできた者です。それが権威です。私はだれなのかというとき、私はどこから来たかというとき、人はどこから来たのかというとき、それは父と母の腹から生まれたのです。その腹からどのようにして生まれたのか? 父の愛と母の愛が同参する中で生まれたのです。同参してできた者なのです。父母の愛が同参してできた者です。父と母の愛が交わるその核の所から生じたのです。そうでないでしょうか? 自分を中心として父と母の愛が実を結んだのです。ですから自分というのは父の愛、母の愛が同参してできた者です。生命はここから注入されるのです。他の所から注入されるのではありません。どこから注入されますか? 愛からです。 では神の愛の核は、どこから人間との関係を結ぶのでしょうか。この中央線においてです。そこに至ることができず、愛の爆発ができていないので、神の核の愛が出発することができなかったのです。それで私たちの生命が永遠なる生命となれないのです。それで再注入されなければなりません。それでキリスト教においては新生をうんぬんするのです。門下生たちは何も知らないで新生を言っていますが、世界の有名な神学者たちを集めて、そして気合いを入れたのです。「自分たちが立派だと高ぶるな! 立派だと腹を突き出すな!」と。猛烈な闘いをして、仕方なく壊れるようになると、先生につかまっていれば壊れないので、あとをついて歩いています。あなた方よりももっとつきまとうのです。あなた方は何を知っていますか? 神の愛の実を、霊と肉が完全に愛の総合的結実として爆発できる核の種を、実を結ぶようにして収穫して、愛の種を収穫して、それが永遠に存在するために天の国の倉庫に入れるのです。天の国が何かというと、それを保管する倉庫なのです。統一教会のレバレンド・ムーンがいうには、天国は空っぽである。天国が空っぽであるというので、異端と言われます。異端と言うそういう者たち、行ってみなさい。険談(注:人のことを険しく語ること)を言うにもほどがあるでしょう。私文某(なにがし)という人は科学を勉強した人です。電気工学を勉強した人です。数学に天才的な頭脳をもった人です。盲目的なものは信じられない人です。だれも説得することのできない人です。漠然と皆さんをだまそうとしている詐欺師ではありません。実験をし、間違いないものとなっているので、どこにでも出すのです。世界が反対してみなさい。だれが壊れてしまうのか。真の打てば逆に壊れてしまうのです。真になる以前には、それほど壊れません。 見てみなさい、統一教会の文先生に反対していてすべて滅びました。二〇〇〇年間死の中においても発展してきたキリスト教が、なぜ解放後三十年にもならないうちに滅びるのか。四十年になれば手をつけることのできないほどに腐ってしまうのです。先生の力を借りなければ生きる道がありません。これを怨讐視するなら、一度に全部切ってしまえばいいのですが、父母が苦労された功を見るとき、十二人の息子の中で十一人の息子がヨセフを殺そうとしたのですが、父母が愛していたので怨讐を打つことができなかったのです。そのヨセフの歴史を知っているでしょう。ちょうどそれと同じです。 統一教会の文先生を殺そうとあらゆることをしましたけれども、先生は神がどんなに既成教会を育成し、人を犠牲にしてきたかという歴史的功を知っています。そして孝道の道を行かなければならない立場に立っているので、父母が亡くなったのちに処断するようなことはできないのです。亡くなるとき彼らを生かしてあげて、同じ父母の前に侍って還暦の祝いをしてあげようとするのです。神の誕生祝いをしたことがないですね。堕落した人間が神を中心として誕生祝いをしてさしあげられなかったのです。その誕生祝いはサタン中心にやったのです。堕落圏内ですから、その圏内に神は入ってくることができません。結婚したり、祝賀したりすることはすべて妖邪なことです。神を中心として結婚の祝いをしたことがありますか? 誕生祝いをしたことがありますか? できませんでした。 それは完成して愛の因縁が結集され、そこから新しい二世を中心として平面世界へと繁殖することができたならば、縦的、横的な愛の種を広めるのです。神の愛の軸から離れないように軸にひもを付けているので、故郷を懐かしく思うのです。故郷を懐かしく思うのは軸の関係を永遠に離れることができないからで、本性のゆえです。 このように考えるとき、天国はだれもが行ける所ではありません。イエス様も漠然と話したのでしょう。「天国はどこにありますか」と言った時、「あなたの心の中にある」と言いました。そのような話がとこにありますか。「心のどこですか、あなたの心のどこですか」。それは何の話かといえば、「あなたの心の中央地を占める愛の場にある」というのです。分かりますか? 愛の場です。人間は神が住むことのできる宮殿なのです。その家はどのような家かといえば、神の家です。人が造った家ではありません。神自身が造った宮です。なぜ造ったのか。愛の家であるからです。愛の家となるように造ったのです。それでは夫は妻をなぜ必要としますか? 愛の家がそこにあるからです。妻は夫をなぜ必要としますか? 愛の家がそこにあるからです。子女たちは父母をなぜ恋い慕うのか。なぜですか? そこに愛の家があるからです。父母はなぜ子女を愛らしく思いますか。そこには愛の家があるからです。完全なる愛の家があるからです。 このような中において、統一教会の原理は、この家庭を中心として四位基台に中央の線を立てたことは偉大な発見であり、偉大なる宣布なのです。イエスは子女としての愛は受けましたけれども、相対である新婦の愛をイエスは体験できましたか、できませんでしたか? イエスが花嫁を迎えたでしょうか、どうですか、神父の皆さん。今ローマ法王庁では大騒ぎになっています。約二十万が妻帯していない神父でなく、妻帯神父、結婚しているシスターなのです。世界的にそうですよ。それが今日の脅威なのです。これを解決するためには妻帯神父、結婚しているシスター教派をつくろう。そうするためには、統一教会の原理を受け入れてもいいというのです。それは秘密ではないのです。何の話か分かりますか? レバレンド・ムーンの尾にかかっているのです。神父の方々がみえていますね。それが偽りか調べてみなさい。それで、アメリカにおいて十万近い結婚した神父やシスターの脅威を受けても、贖罪の道がないのです。罪悪である。自分たちが法を守らないで結婚して、地獄に行くということから解かれないのです。しかし統一教会の原理を一度聞けば解放されるのです。ああ、これは素晴らしい。なるほどそうなのだ。(拍手) それで妻帯の神父、結婚したシスターたちが地獄の生活をしたのを解放してあげることは悪いことですか? 神に聞いてみると、文某という人は悪口を言われながらよくやったのだ、と。 また、先生が結婚をさせてあげたのですが、合同結婚式をやりましたが、それは良かったことですか。良くないことですか? (良いことです)。合同結婚式を受けた人は手を挙げてみなさい。この者たち。自分たちがあのような女の人はどうだとか、このような人がどうだとか言っていた泥棒のような、この男子の者たち。この狼のような男たち。それで生活してみるとどうですか? まあまあですか? いいですか? (いいです)。まあまあという者たちはネクタイを引っつかんでやらなければならないよ。いいですか、まあまあですか? (いいです)。先生の目から見るとまあまあだけれど、あなたたちの目で見ればいいでしょう。(笑い) 正月の一日から笑って過ごしましょう。もう一時になりましたね。きょうは天国建設についての話ですが、天国をどこから創建すべきか。そこには真なる神、愛を体験した神がいなければなりません。創造理想をモデルとして、対象的人間完成者を中心として、神も愛さざるを得ないように永遠の理想の愛に燃えなければなりません。このような話をするといって、何と下品な話かと思うかもしれません。しかし、これが下品な話ですか? あなたたちを生んだ父母がそのようにして生んだのです。堕落していない基準からいうとき、これは下品な話でなく、高く神聖なる話です。 愛の中央線において、「幸福である」と言える神となっていないのです。愛を中心として見るとき、神も未完成の立場にいるのです。神様までも未完成の立場にいるのです。ただ愛を中心とした場合に。この“ただ”という言葉がついているのを忘れて、神が未完成であるとは統一教会は異端である、神までが未完成であるとはとんでもない、と言うのです。愛を中心として完成の体験をした神の立場になっていないからです。神は目が酔うし、酒を飲んだようでしょう。先生は飲んだことがないのでどのように酔うのか知らないので、これから飲んでみようと思います。(笑い) この世において反対する群れがなくなれば飲んでみてもかまわないでしょう。(笑い) 目が酔い鼻がむずむずし、耳には鳥の声が聞けえるように甘く聞こえるでしょう。神も陶酔することのできる刺激的な愛が必要です。それで、愛は極と極であるので中央線上を行き来するし、爆発する所に入っていくのです。それで愛が爆発する力がどれほど大きいか分からないのです。ぶつかる力より、爆発する力がもっと強いので直ちに原点に戻ってくるのです。 皆さんも、真正なる愛の心をもって自分を助けてくれたことを知るとき、その良心的な人にものを再び返すとき、また、一〇〇ぐらいの価値のものを自分がもらったとき、その愛の心を知って、自分を愛してくれたことを知ったとき、一〇〇以上助けてあげたいですか? 九十だけ、十ぐらいを削って助けてあげたいですか? 一〇〇より何百倍助けてあげたいのです。そのような力というのは愛からです。愛は与えれば与えるほど大きくなるのです。愛は投入すればするほど大きくなります。力学関係においては、入力は出力より大きいのです。ただ愛の力は入力より出力が何倍も大きいのです。愛において、人間に衝撃さえ与えれば何倍にもなってくるのです。ですから、夫婦喧嘩の中で一番恐ろしい争いは愛を中心とする争いです。そうですか、そうではないですか。悪口の中でも一番激しいのは愛の争いを通して展開されるのです。それは正しいですか、間違いですか。正しいですよ。先生はこのようなことを考えていましたが、他の人に妖邪に文先生は監獄に入って、と言っていますが、先生は監獄に入って、一人でそのようなことを考えながら笑って過ごしていたのです。一生の間、追われながらも鼻歌を歌いながら過ごしたのです。鼻歌は得意ですよ。一度やってみましょうか。(はい)。 この愛を中心として、幸福であるといえる神となっていないのです。そうなるためには愛を中心として神までも自分のものであると主張することのできる人が来なければなりません。今やそのような男が来ました。イエスはゲッセマネで、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころままになさって下さい」(マタイ福音書二六章三九節)と言いました。愛を中心として、愛と一体化した立場においてはそのような論理が成生しますか。曲折した、積もり積もった使命が成し得ないからであります。愛と一体化した立場において、「私の思いのままと、みこころのまま」というのはあり得ません。聖書を見て一ページをも読み得ない理由をもって今日の政会では、聖書をただ読みなさい、祈祷しなさいというのです。祈祷するといってひざまずいて自分だけが恵みを受けようとする者たちは、ただ穴だけを掘っているのと同じです。一匹でいるトラがいくら千年、万年生きたとしてもトラの子は生まれてきません。雌がいる所に行かなければなりません。神もそうであり、人もそうです。相対的な立場に立っていないのに神をいくら叫んだとしても、神は現れることができないのです。祈祷はそのようなところにおいてするのです。私が祈祷しなくても神は知っています。私が願いさえすればすべて成してくださいます。 ある人が五年前から、その人のいる騎士協会の勲章を与えたいと言っていました。先生はそういうものを好む人ではありません。「この勲章は最高のものである。ヨーロッパ世界においては、資格をもつために互いが夜昼なしに私と交渉するほどのものである」と言うのです。神がそのような資格を受けていらっしゃらないのに、先生どうして受けることができますか? 先生がもしノーと言って彼の首が切られたらいけないと思って、また韓国人であれほどになっているのに首を切られたらかわいそうなので、仕方なく受けたのです。それできょう一日あいさつする、襲撃的にあいさつをすると言うのです。襲撃あいさつがどこにありますか。(笑い)そのようなことが起こるので先生は逃げるのです。 韓国に来て、このごろ「先生に会わせてほしい」と言う人がいます。いつから「先生」になったのですか? この人たちはいつ「先生」として知ったのですか? 先生は四十年前に、裸になって舞っている怪首とうわさで言われていたのに、そう言ったのはいつのことで、今は「先生」なのですか。同じ先生ですよ。その時はもっと元気があり、もっと美男子でありました。すべての面において百勝することができたその時は知らないでいて、今、年を取ってきたので、問題を複雑にして休むこともできないようにするのですか。これは率直な話です。率直な話でなくて、率直な交渉をいつやれますか。心の内をすべて表して、こぶしで一回やるのです。どうですか、悔しいですか、悔しくないですか? 人から殴られて悔しいですか、悔しくないですか。あ! これから始まりである。これから新しい時代である。それをしないで包み込んでおいては、それはできないというのです。それで老いた人でも間違っていたら責められるのです。(先生は)おじいさんや父母にまで訓戒した男なのに、だれを恐れましょうか。先生は神様までも教育しようとしているのに。(笑いと拍手) 先生がこういう話をすれば、神は、「私が創造する時、それは知らなかった。あなたの話を聞くと、なるほどあなたの言うとおりだ」と言うのです。神は年を取った数億万年間いろいろと経験を積んだ大蛇のようであり、その神がすぐに「そうだ」と応ずると思いますか? 先生がこれを知らないと死ぬ、と食いついていくので、「事実がそうであるから」「そうらしい」と答えるのです。「そうだ」と言わないで、「そうらしい」と言うのです。そのような大蛇のような神の機嫌を一つ一つ取って、秘密の袋を全部出させるのです。どこにはどのような秘密があるということをすべて調べ出したのです。それを愛の心で調べれば、壊さないで開いてくれるのです。他のものではできません。おじいさんの好きな孫が、おじいさんのちょんまげまでほどくのです。先生も、両親が亡くなって初めてほどくちょんまげを孫がほどいたとしても喜ぶのです。愛とはこのようなものです。何の話か分かりますか。夜疲れていても愛というものが来て触ったら、神経はそこに引っ張られていくのです。(笑い) なぜ笑いますか、事実がそうでしょう。なぜかといえば愛は実感的だからです。 創造主として神が被造世界を創造したのは、愛の博物館をつくっておくためです。それを教材として人間が完成し、雷が鳴る以上にこの天地をひっくり返すことができるほどの愛の騒乱の音を通して、この宇宙全天地が雷と稲光によって渾然一体化して踊りだすようにつくるはずでありましたが、そうはならなかったことが恨です。表現することは難しいのですが、成じだけは素晴らしいでしょう。そのような場において、私は天国に行くのです。天国に行った人がいますか。そこにサタンがいますか? 神の愛の所にサタンがいますか? あなたたちは結婚して、夫婦が楽しく生活している所に、もう一人の男やもう一人の女を願いますか? (願いません)。絶対的に願いますか、絶対的に願いませんか? (絶対的に願いません)。いかなる美人であっても、いくら信頼する人であっても同じです。疑夫症(注:夫を病的に疑う)の何百倍の力があってもびくともしないのです。 この世界は相対的なもの同士が運動するようになっています。そうしなから保護するのです。天国はそのように完成した愛を中心として、喜々楽々とする神が臨在される本然の園であり、本然の場であります。また、(天国は)人間の始祖が神の愛と同和して、衝撃的な愛を中心として光と音が共鳴できる音叉体です。ある周波が来たとき、これを鳴らせば鳴るのです。愛を中心として共鳴する音叉体となって心と体が完全に和し、男性と女性が完全に愛を通して和すれば回るようになります。転がろうとするのです。これは東西南北すべてに通じたということになるのです。東西に通じ、上下に通じ、前後に通じると幸福になるのです。なぜ踊りますか?「お! お! 我が愛よ!」と言って踊る時、腰が宙に浮きます。神の愛を中心として、アダムとエバの心も共鳴音叉であり、アダムとエバの中心として子女の心も共鳴音叉であります。そして子女を中心として考えるとき、すべてに通じているのです。それで家庭は天国の基地なのです。家庭において愛にパスすれば、神が神の立場に立ちます。神の愛にパスして、人間がこの宇宙を自分のものであるといえる特権をもつのです。このような皆さんの本心の世界を占領しようとする心はどこから来たのかといえば、ここから来たのです。天国は光です。堕落とはこの世界(しぐさで示される)。人間が九〇度の十字を中心とした距離が同じである九〇度圏を中心とした縦横の交差点を作れなかったのが堕落なのです。そこに上っていく途中で落ちたので、この道を再び永遠に探して復帰しなければなりません。救援というのは、病気の人が病気になる前の立場に返ることです。それでイエスはこの地上に宣布されました。「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」(ルカ福音書一四章二六節)と。あなたの父母や子女、価値のないものを私より愛していては私の弟子になることはできないし、子女になることをさておいては弟子にもなれないと言ったのです。なぜ弟子と言ったのでしょうか。そしてまた、「自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない」(同一四章二七節)と言いました。なぜ十字架を背負わなければならないのでしょうか。あきれた話です。神は自分だけを一番愛せよと言うのですか? ヨハネ福音書三章一六節に「神はひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」と書かれています。既成教会、監理教、天主教(カトリック)を愛すると言っていますか? はっきり知らなければなりません。最も重要な部分を取り除いておいて「神がこの世をこれほどに愛されて」と言っていますが、どこかの国のことではありません。「ひとり子を下さった」その独り子を犠牲にしても替えることのできないほど貴いものがこの世です。神の愛がそこを通らなければなりません。だれでも彼を信じなければ滅亡するのです。終末においては、その道を通らなければ天国へ行く道がないのです。 世界を愛さなければなりません。神を愛し、世界を愛さなければなりません。神が創造されたすべてのものは、父が人間のためによく生活できるように準備した家具なのです。生活必需品です。また情緒的な必須品です。蝶が飛び回り、色とりどりに双をなして飛び回っている彼らを考えてみなさい。蜂が飛び、香が漂い、鳥がさえずるということを考えてみなさい。愛を中心として連結されているのです。彼らなりに級は低いけれども、愛を中心としてすべて動いているのです。 皆さんが天国へ行くようになれば、自分の父母が必要ですか、どうですか? 堕落していなかったなら、天国へ行く時、自分の両親が先に行っているのがいいでしょうか、自分が先に行っているのがいいでしょうか? (両親です)。どのような父母ですか。神の愛の対象の立場に立って、神と同じように愛していった父母がいなければなりません。そういう父母をもっていますか。もっている人は手を挙げてみてください。博士たちも来ていますね。尹(ユン)博士も来ていますね。きょう、先生は特別に韓服を着ようとしたのですが、サタンが先にまねするのと同じように先に着たので、先生は着るのをやめましょう。 皆さんは、皆さんの父母が神の愛を受けて、対象的な立場において真なる愛の核をもった種として生んだ子女ですか? 不十分な立場において堕落したあとに生まれた子女ですか? 堕落したあとに生まれたのです。種がないのです。お盆になると栗は熟して、自然に聞いて落ちるのに、八月のお盆の前の栗は、外から見ると同じですが、熟して自然に開く栗ではなく、しおれて縮こんで落ちる栗なのです。形は同じですが、中味のない栗なのです。 神が地獄をつくったのではありません。地獄は堕落のゆえに生じたのです。中間霊界が堕落のゆえに生じたのです。ではここにおいて問題は天国創建(黒板に書かれる)ですが、天国をどのようにつくっていくのですか? 今日までの人類歴史を通して見るとき、神はこのような本然の原則的な愛の理想を成し、勝利的覇権者として合格した人々が、言い換えれば、神の愛のビザ、愛に合格したビザをもった人々がカーンと鳴らして入っていくのが天国です。しかし、そのようにして天国に入った男子がいましたか? イエス様はどこに行っておられるかといえば楽園です。楽園は天国の待合室です。なぜそうですか? 牧師や神父に聞いてみなさい。なぜそのようになったのですか? 楽園というのはどこですか? 全く分からないのです。それ以上聞くのは冒涜であり、信仰というのは知って信ずるというよりはただ信じることです。しかし、知ることができれば、知ってから信じなければならないでしょう。今日、二十一世紀の科学の先端知識を通じて、急変する社会的環境の中でそのような方式に従っていけますか? どのような方式ですか? だから信者を失って乞食になっていくのです。食べるものがなくなって、労働をしなければなりません。そうでないか見てみなさい。韓国も近いうちにそうなります。 ここで問題になるのは、天国創建をいかにするかということです。アダム、エバは家庭を中心として生まれましたが、真なる父母となっていなかったのです。アダムとエバは真なる父母になれなかったでしょう? 善悪の実を取って食べて堕落したのです。故障したのです。真の父母はどこにいますか? それは、神の心の中に、これから成熟することを期待されていた本然の堕落しないで成就すべきアダムとエバなのです。真の父母はどこに行ったのですか? 真の父母が現れていないのです。真の父母が現れていないので、真の子女はあり得ないし、真なる子女がいないのに天国に行こうとする者は泥棒です。その人は行ってから追い出されるのです。追放されてしまうのです。 それで人間がサタン世界で野生のオリーブの木となったので、神がサタン世界の畑に行って野生のオリーブ畑を管理していては、直ちに首を切られてしまうのです。追放されるのです。それでサタン世界において、これを分立するのです。分立するためのカイン、アベルの論理を皆さんは知っているでしょう。悪なる人の中でより善なる人、より善に近づくことのできる二人がいるとして、二人が闘うことになったら、どちらの人が神の側になりますか。より悪でない人が神側に立つのです。神側、善の側、悪の側という言葉を統一教会で言っています。いくら悪なる所、地獄の底に行ったとしても、より善なる、より悪でない人が神側です。その距離は遠いのですが、この闘いをするのです。伝統、文化の背景、習慣すべての風習が異なりますが、それらを中心としてより悪なる人、より善なる人となるのです。そうなるとき、自分自身においても、より善なるもの、より悪なるものと分かれるのです。 では、より善なるものは何かといえば良心であり、より悪なるものは体です。このように見ると個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に至るまでの、より善なる側とは、とにかく宗教圏に属した人が、宗教圏に属していない人々より神側に近いのです。このような結論が出ます。そのように連結されるのです。ですから世界は二つに分かれてしまうのです。それで善の側は、個人の立場から見るとき、より善なるものは何ですか? それは良心であり、より悪なるものが体です。これらが分かれてしまったのです。そこで皆さんはどこに立っているかといえば、地獄と天国の三十八度線にいるのです。 この間、板門店で条件つきで旗を一つずつ立てて、星をつけた将軍たちが体面かまわず、互いに少しでも高く掲げようとしていました。そのようにあなたたちの心と体は闘っています。心は神と神側の善なる霊が綱引きをし、体の側はサタンが綱引きをするのです。ところが習慣性は何を根拠として出発したかといえばサタンを中心として出発したのです。皆さんは神の血統を受け継がなければならなかったのですが、サタンの血統を受け継いだのです。サタンとは神の姦夫であります。ここに座っておられる幹部ではありません。(注:韓国語の姦夫(カンプ)は幹部と同じ発音)(笑い)妖邪な女三人が集えば、一番悪い姦というようになります。女たちは注意しなければなりません。女とは三人集まれば、一体化させる言葉ではなく、すべて分裂したもの代表なのです。 なぜそうなったかといえば、サタンの最もチャンピオンの立場に立っているのが女だからです。すみません、女の人たち。女の人たちは口を開けば、最初はいい話をしますが、最後には悪い話をするのです。最後には自分の夫がどのように浮気をしたとかの話までするのです。男は口が重くてベールで隠します。姦夫、サタンの血統を受け継いだのです。 神がもし完成した愛を必要とすれば、神は二性性相です。統一教会の原理の言葉である二性性相は理由もなく出てきたのではありませんよ。神が御覧になるとき、アダムとエバが九〇度の角度で二つに分かれているので、これを一つに合わせるとき、神は公平な神であるからアダムとエバの中央線において、不平を言うことができないように、これを一つにぴったりと合わせれば、お互いは自分のものであるというのです。 それで皆さんがもっている愛の器官は、皆さんのものではないのです。相対のものなのです。女性の愛はだれのためのものですか? 主人はだれですか? (男性です)。男性の愛の主人は受けてから使えば罪になりません。それだからといってサインをしなさいということではありませんよ。(笑い) 女性に強制してはなりません。 笑うこともだれのために笑うのですか? すべての五官は自分のためにあるのではありません。触るときでも、気持ちが良い悪いというのは、だれのために感じるのですか? あ! 美しいとかいうのは何のために感じるのですか? 相対がいなければ、すべての芸術的感情を感ずることはできません。それを一〇〇パーセント衝撃的に感じるのは、頂上の危なっかしいところについているもので、少し間違えば散り散りばらはらになってしまうのです。完全で絶対的な立場にぴったり連結するのです。愛のみがここまで支えることができます。愛で溶接さえすれば、根がなくなっても落ちないのです。風よ、吹きたかったら吹きなさい。あ! あ! 良い良い、天地が自分の目に入り、すべてが自分の視野の下で動くのです。スリルの連続です。映画を見たらスリルが少しなければなりませんね。人は人の首を切ったり、血を見ることによって喜ぶでしょう。それ以上のスリルは愛によるスリルしかないのです。次には、堕落したこの世界において、六〇パーセントにもならない創造の結果的な愛の作用の力だけでも、ああ! 死ぬほどである! とか言うほどに妖邪なものです。それを何の病気といいますか? 男性が女性に会いたくて仕方がない病気を何といいますか? 相思病(注:恋心にとらわれて生ずる病気)、漢字ではどう書くのですか? (相思病です)。その思はではないのですか。(注:韓国語では思(サ)と死(サ)の発音が同じ)相死病です。思うことによって死ぬ病気なのです。 この天地には、男性、女性にかかわらず、全部が三十八度線上に立っているのです。地獄の先端と天国の先端がここに連結されている両哨(りょうしょう)所なのです。両哨所に立っているのです。本当にそうであれば、三十八度線の南にいる人は、そこに地雷があろうと何があろうと目をつぶって走るでしょう。そうですか? そうではないでしょうか? それを知らないから、ここはとってもいい所だ、自然、天地であってだれもいないのだというのです。私しかいないのだ。そうしているうちに雷が落ちてしまうのです。そのような境界線、個人的境界線、家庭的境界線、家庭的地獄・天国、氏族的境界線、個人から家庭へ一段階上っていくでしょう。氏族は、それよりもう一段階上がっていくし、上へ上がっていくそれらの道が、すべてふさがれたのです。 堕落しないで成熟したならば、ずっとまっすぐに上がっていくはずでした。しかし、堕落によって個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的に分かれてしまったのです。その家庭自体内において二つに分かれるのです。主流、非主流、今日国家においても野党、与党と分かれ闘っているのです。では、これからの平和の基地をどこで築かなければならないでしょうか。その根本原因をいかに解決すべきでしょうか。 社会が悪いのでのようになったのですか? 皆さん自体において悪い人間像が植えられたのです。その結果が今日のこの世界となったので、皆さん自体の、心の中の闘いをもっている二人が会えば、いくつの闘いとなりますか。四つの闘いとなります。これがいつ一つになりますか。お金でもって? 四つになってお互いが妻の殺し合いをしたりします。また権力をもってですか? 自分の子女までも殺してですか? この世では権力を内種として子女を殺します。何でもって一つにするか、これが根本問題です。人々を拡大したのが人間世界であるので、この世界に四十億人類が住んでいるということは八十億がそれぞれついて回って闘いを挑む、堕落した世界となっているのです。ここに平和がありますか? いくらやってもできません。戻って根本問題を考えなければなりません。 では、完成した者は本来どのようにならなければならないのでしょうか。これは哲学において、宗教においても問題です。自分という人は完全に完成されているので天下に誇るとき、その誇るすべてにこだまのように反応するかといえば、どうですか? 大学の教授の皆さん、できますか? 既成教会の牧師、神父たち、できますか? 仕方なしに教壇に立っている人々、給料のために首をかけている人たち。天国がどこにありますか。 それで皆さんの闘いを平和的に収拾しなければなりません。皆さんの心と体が、神とサタンとの、善と悪の対決場となって熾烈な闘いが繰り広げられているのです。レバレンド・ムーンも「宇宙主管を願う前に自我主管せよ」というこの標語を前に身もだえしたのです。この習慣性をいかにするか。韓国人はコチジャンとかみそを食べなければなりません。これを克服することができますか? 昼働いて、夜眠らないでおられますか? 眠りと、飢えと、男性は女性を、女性は男性を克服しなければなりません。宇宙主管を願う前に自我主管しなければなりません。これを克服しないでは神を迎え入れることができません。離れるようになってしまうのです。 それで、このようにすべての霧に包まれた、障壁に囲まれた人間像をいかに解放することができますか? この霧を払いのける風を起こし、そして分けている壁を爆破しなければなりません。爆破をだれがしますか? 先生がやってあげれば自動的になりますが、サタンが築いたならサタンが崩さなければなりません。先生はそれができません。もし神が築いたなら悪らつな神、そういう神は人間に平和の理想を標的として立てることのできない神なのです。許すことができません。ではだれが築いたのですか? サタンが築いたのです。「サタンよ! お前の手で崩しなさい!」と言える人がいなければなりません。また、病気の人を医者の思いのままにはできません。その人に薬を与えることはできますが、治るには自分が治れるように根本土台に合わせていかなければなりません。そうでないでしょうか。 それで善圏、悪圏にいる人たちが天国へ行くか地獄へ行くかは、神が決めるのではありません。神が引っ張ってきてもサタンが直ちに讒訴するのです。サタンは、「あなたが主管することのできる人は、あなたが引っ張っていける人は愛の圏内で一つになれる人で、本来の基準において合格者としてみなすことができるが、不合格圏、堕落圏内にいる人は連れていくことはできません。それは私のものです。血統的にそうなっているのです」と言うのです。 パウロも苦悶しているのです。「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んているが、わたしの肢体には別の法律があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」(ローマ七章二二~二四節)。そうでないでしょうか。それは神が植えたのですか、サタンが植えたのですか? サタンです。サタンの血をもっているからです。姦夫のその血統を受けているので、 善と悪はいつでも自動的に分かれるのです。これを克服しなければなりません。 そのような歴史過程が残されているので、これを統一教会の歴史観で見ると、個人が完成していく歴史の面を全面的に展開しておいたのが人類歴史なのです。個人がこのような闘いの場から放たれるための歴史を、神は救援摂理を通してやっておられるのです。数多くの宗教を与え、「すべてにおいて現実を否定しなさい」と言うのです。なぜ否定させるのでしょうか。サタン側を否定すれば神側が近づくからです。宗教は否定をさせるのです。 犠牲、奉仕が好きな人がいますか? 先生は統一教会の責任者になっていますが、私は犠牲奉仕を願いません。しかし、仕方がなくするのです。学校に行って勉強が好きな人はいますか? ではなぜするのですか? 仕方なしにやっているのです。やらなければならないからです。死に目に遭いながらでもやらなければなりません。そうでなければ落伍者になるのです。上っていくのにサタンが先に上っていってしまうのです。 心と体のような闘いの形態が家庭においてもあります。家庭においてだれが相続を受けるかといえばより愛する人、全体をより愛する人が後継者となれるのです。これを知らなければなりません。 今日、キリスト教を信じている人々が犠牲と奉仕を行っています。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ福音書二二章三七節)と言われたことが、第一の戒めです。神をだれよりも愛さなければならないのです。「だれよりも愛せよ」という言葉は、自分の体を除外してでしょうか、自分の体を含めてでしょうか。それは(自分の体を含めてであり)自分が一番の根本となるのです。このことを皆さんは知らないでいるのです。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と言われますが、皆さんはそのように神を愛しましたか? なぜこのような話をされたのでしょうか。なぜ神は最初から、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くす人を創造しなかったのでしょうか。そのように創造しておかないで、そうしなさいと言っても、なれると思いますか? それは理論的に合わない話です。 本来は、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くすようになっていたのに、堕落したため、病気になって、故障してしまったのです。これを再び合格品とするためには、糊をつけて再び組み合わせなければなりません。そのためにも「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、主なるあなたの神を愛せよ」と、第一の戒めを言われたのです。 二番目の戒めは、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ福音書二二章三九節)ということです。神は全体を愛すので、皆さんが人類を自分の体のように愛すれば、神の子女となれるのです。そのように愛してきたでしょうか。そのようになっていなければ不合格品です。今、深刻なのです。信じて天国へ行くと言いますが、天国は遠い所にありますし、他の所に行ってしまうのです。そうなってはいけないのです。正門を通って直行しなければなりません。天国に入っていくことを教えてあげている所は、統一教会です。邪なる多くの教団があります。妖邪なジグザグな道を教えているのです。 皆さんは、全体を見なければなりません。(先生は)飛行機に乗って、山頂に上り、一番良い道を選んで、道を整えておくのです。ハイウェイを整えておくのです。そして降りてきて導こうとするのです。出発する道は険しいのです。ある人は、「あの道に行けば一番険しい道なのだ」と言うでしょうが、ついていってみなさい。一番近い道を行くでしょう。 神側とサタン側の境界線にだれがいますか。人間の終末時に、三十八度線を中心とした板門店では終末時代の金門店と同じように、天国に入っていく時、パスポートをもっている人がビザさえもらえば、どこにでも通ずることができます。天の天使たちは、大韓民国にも来ることができ、北韓に行くことができるでしょうか? サタンは来てはいけないと言うでしょうか。しかし、行っても追い出すことはできません。行くことができるのです。なぜかといえば、あなた方よりも北韓をより愛するからです。北韓の人々をあなた方が愛するより以上に愛するからです。南韓の人々はもちろん神側にいるので問題ではありません。両側に立って、より愛する人が国境を克服することができるという論理が成立するのです。分かりますか? このような基準を中心として、いかに越えていくかということが問題です。堕落によって、アダム、エバ、次にカイン、アベルの子女を失ったのです。子女級の救援摂理をしなければならないのです。カインがアベルを殺したのです。兄が弟を猜疑(さいぎ)したのが堕落の本性です。兄が弟を、自分より以上に愛したなら(兄は)神の人です。堕落して、ここに事故が起きたのです。 今日、統一教会の原理路程において、カイン、アベルの闘いをいかに克服するかという問題が介在されます。サタン側はカイン圏です。人間世界への適用がそうであります。男性も女性も同じように適用されます。二人が闘う時、より善なる人は神側に立つのであり、より悪なる人はサタン側に立つのです。じっとしているのに被害を与える人は、悪なる人です。ですから善なる側とサタン側の闘いの戦略を中心とした戦術は、打つことを通してサタンは滅びるのです。サタンは先に攻撃するのです。兄弟の中で、兄がじっとしている弟を先に打って泣かしておけば、父母が来て、だれの味方になるでしょうか。弟の味方になるでしょう。先に被害を与えた者は悪の側に立ちます。被害を受けた者は、味方ができて保護され、補償を受けるようになります。分かりますか? それで神の戦法とサタンの戦法はどのようになっているかといえば、サタンは打って失い、打って奪われてしまうのです。神側は打たれて取り戻すのです。これを知らなかったのです。 今日、人類歴史の中で宗教の歴史を見ると、宗教は迫害を受けた時には発展したのです。それはなぜでしょうか。サタン側が打つので、神側においては打たれて、損害賠償をもらうのです。十の価値の立場で打ったならば、数百倍の損害賠償を請求して、サタン世界を後退させるのです。このような闘いをするのです。統一教会はこれまで四十年間迫害を受けてきました。しかしこの作戦をしたのです。レバレンド・ムーンが行く所、至る所で打たれ、韓国全体が反対の運動をし、世界全体が反対する中において、監獄に入って打たれ、死の十字架の道を訪ねていくのです。そのように打たれ出てくる時には、三代の霊界の先祖から、父母、子女まで、三代圏を屈服できるのです。何の話か分かりますか。サタンは三度までも打つのです。打つことはできますが、殺すことはできません。一度打ったなら、三倍以上損害を被るのです。ですから、統一教会が迫害を受けながら発展したのは、このような神の戦略による戦術を直接遂行したからです。打たれて奪ってくる戦術を取ってきたのです。それゆえ、統一教会は発展してきたのです。 既成教会は、統一教会に反対して滅ぶのです。これは、二者が闘うのに、より外的なサタン側に立つからです。分かりますか? アメリカとキリスト教が先生に反対しました。ローマの四〇〇年の受難圏の中でも、カタコンベの墓をつくり神に保護され、世界的に発展したそのキリスト教が、なぜこの数十年のうちに滅びの寸前にいるのでしょうか。それは統一教会の文先生に反対したからです。この話をしたら、本当にそうかと言うのです。しかし、今日になってはこの話が本当だと分かってくるのです。疑わしければ、神に祈ってみなさい。偽りであるかどうかを。 今度、教授を集めますが、大韓民国は先生の話を聞かなければ滅びます。世界が先生の話を聞かなければ、滅びると言うのです。(今では教授たちは)「あの方は、今はあのような話をする資格をもっておられるのだ」と。レーガン大統領に対しても、一言言えるのです。レーガンよりも覇気ある男だからです。そういう意味では、李(イー)さんは騎士道の勲章をよく与えたといえるのです。 ここで一つの公式を発見するのです。天国創建をする公式が何であるか、これを知らなければなりません。カイン、アベルの兄弟が一つにならなければなりません。一つになれる基盤をつくらないうちには、天国に入ることはできません。天国はどこから来るのでしょうか。真なる父母の愛から来るのです。それゆえ、歴史を解くには、ぶちの種と真っ黒い種を蒔くのです。二つを蒔くのです。それゆえ終末において、蒔いたのと同じように収穫するのです。一つは、神がいないという、神を否定する種を蒔き、もう一つは、神を肯定する種を蒔いて、世界的に二つの実があるのです。その時が終末です。それが共産主義世界であり、民主主義世界なのです。分かりますか? では民主世界とは何でしょうか。キリスト教文化圏の世界であり、共産世界は何かといえば、無神論文化圏世界です。宗教がなく神に反対する世界です。これが闘っているのです。では統一教会とは何でしょうか。この闘いの中で民主世界をアベルとし、共産世界は外的であるのでカインとして、この二つを愛でもってつなぎ合わせて一つにするのです。兄弟が完全に一つにさえなれば、次に何が来るかといえば、母が来るのです。キリスト教において、イエス様が復活されて四十日後に、失った弟子たちと七十人の門徒と一二〇人の門徒が一つになることによって、カインとアベル圏が霊的ではあるが一つになることによって、母神である聖霊が臨まれるのです。新郎であるイエス様を夫として思慕する母神が臨まれ、縦的に一つとなって、父母の愛の力により、二人の子女が父母の腹中において、骨髄において、一つになったという衝撃を受けなければ、再び生き返る道がないのです。もっと詳しく、だれも反対することができないように話をすればいいのですが、時間がありません。原理を知っている人は分かるでしょう。 キリスト教では新生をいいますが、その新生とは何でしょうか。再び父母の腹中に入ることができないので、精神的な基準において、愛を中心として、間違って接ぎ木されていたものを真のオリーブの木と接ぎ木されるのです。それにより、真のオリーブの木の、体と心になったという行動を取り、その行動が出発から終わりまで神の愛の法度に和合することができる、そのような一生を歩んだ人以外には、天国に入ることはできません。それほど難しいことです。あなたたちのようにただ食べるための牧師であれば、先生は悪口を言われないでしょう。先生は賢い人です。頭も良い人です。他の人が十年間でやることを三年以内にやり遂げるのです。他の人が三年間なら、先生は三カ月以内にやるのです。手も器用ですし、敏感です。目で測定するのも早いです。厳徳文(オムドクムン)、来ていますか? (彼は)建築設計者として韓国でうわさになっていますが、先生が一目見て、「あれは何ミリメートル違っているよ」と言えば、「そういうことはありません」と答えるのです。では測ってみなさいと言って、測ると、違っているのです。測定するのも早いですよ。芸術的感覚も鋭いのです。ワシントン・タイムズのレイアウトを先生かこれまでコーチしたので、毎年の世界展示会において、三年間チャンピオンになりました。ですから、あなたたちが適当にしようとすることに先生は応じられません。いくら年老いた老人であっても通じません。では公式とは何でしょうか。個人的天国はどのようにつくるのですか。心と体が絶対的に一つにならなければなりません。一つになる前には、世界の金の塊をすべて与えられたとしても体の願うままにはできません。世界の大統領という地位をもってきても、「私は嫌だ、神様以外はすべて嫌だ、神の愛しか知らない」と言えるようにならなければなりません。分かりますか? 「統一教会の信者は苦労しているので、お金が必要でしょう? 約一〇〇〇億ぐらいもってきて、神様の愛とか何とか……」。それはできません。レバレンド・ムーンに、もしその気さえあれば、既に話にのっていたことでしょう。先生の父母が、「あなたの願うものなら何でもやってあげる」と言って止めなかったでしょうか。兄弟が止めなかったでしょうか。友達が止めなかったでしょうか。大韓民国も止めたでしょう。止めようとするので、けとばして出てきたのです。アメリカに来ても、止めるのにああてやるから、悪口を言われ、監獄にまで行ったのです。止める(内容の)ことこそ、やらなければならないことです。止めることよりも、やらなければならない価値を先生は知っているのです。それで闘ってきたのです。彼らが間違っているのです。先生が監獄から十三カ月を経て出る時、アメリカの司法省の長官と裁判長を打つのです。数百万ドルをかけても正面攻撃をするのです。それほどの位置にいても、罪を犯した者だから、仕方がないのです。天下の公判廷の前に事実が現れるのです。神の天倫の道理の前に、悪がどうであったかということが明らかにされるのです。そういう所に自分の看板をもって出てくるのですか。うるさかった者、におわせた者は地獄に行き、先生は元の場に上っていくのです。ですから皆さんもこの道を行かなければなりません。十字架の道を行かなければなりません。分かりますか? (はい)。自分自身が十字架を背負って、勝たなければなりません。ですから、体が好む道に行ってはいけません。 お昼、おなかがすいている時、友人と一緒にパンを買い、自分の手が他の人が食べる前に良いものを取ろうとすれば、心が「この三人の友が食べた一番あとの、残りを食べなければならない」と言うのです。いつもそういう立場です。愚か者の立場です。分かりますか? 愚か者の扱いを受けてもいいのです。統一教会の信者たちは会社にも多くいますが、ある社長は給料をいくらもらっているのに、私たち局長はどうだとかああだとか言っているのです。それで先生に一発やられて、口をつぐむようになりました。先生に、ああだこうだと言えるものではないのです。教域者たちは給料も三分の一ですと言いますが、給料をもらって教域長をやれば、それは偽り者です。砂をかじりながら世話をしてあげなければならないのが教域長です。先生が監獄に行ってくると、統一教会の者たちが教会を全部売り飛ばしていたので、仕方なく先生が全部買ったのです。このような基盤をつくったのです。この基盤を統一教会の信者がつくったのですか? だれがつくったのですか? (先生です)。皆さんよりも良い物を食べ、良い暮らしをしていたならこういうものをつくることができたでしょうか。 けさ着ていた洋服も、世界の有名な人々が来た折、お母様が洋服を作るように指示をした時に、一緒に作ったものです。その洋服屋の主人は私たちをよく知っているのです。先生も一着作るようにとのことで仮り縫いまでして持ってきたのです。お母様の作戦がいいですよ。子供たちのサイズを測らなければいけないと言うのです。それは、先生のも測らなければならないからで、なぜなら、先生がその服に入らないと思っているからです。しかしいけません。ネクタイも嫌がる人です。ネクタイも絞めればいいでしょう。毎日のように替えながら。しかし先生のゆえに死の道を行っている人々がいるのです。ソ連や、その衛星国家の監獄に入っている人たちがいます。統一教会の信者です。死刑宣告を受けて、死刑場に行く時間の報告を先生は受けているのです。お母様は知りません。だれも知らず、先生だけが知っているのです。十二時に先生の部屋に戻れば、彼らのために涙しながら祈祷してあげなければ、先生は偽りの指導者です。それを知らなければなりません。それで統一教会の信者は、宣教師として行き、死の場に処しても、今でも苦労しながら、帰ってきなさいと言っても、帰ってこないのです。なぜかといえば、神が役事してくださるからです。受けるべきことをすべて教えてくれるからです。自分の故郷に帰れば、そういうことはありません。なぜそのように教えるのでしょうか。先生のゆえです。あなたたちのためではありませんよ。主体が動機となっているからです。神が動機となって、人間に自らを投入されたのです。創造は自分の一〇〇パーセントを投入するのです。 今日、神のみ旨を中心として、このような死の谷を埋めるにおいて、自分のすべてを投入するのです。借金してでも投入するのです。借金をして、倒れるようになったのです。破れるようになったので、神が台風を呼び寄せて、借金を取りにきた人をみな去らすのです。そうでなければ素早く他の所から持ってきてくれる、そのような役事がいくらでも統一教会においてはあります。あなたたちは知らないでしょう。先生においてはそのような生々しい役事がいくらでもあります。それを語らないだけです。それを、あなたたちが信じないからです。イエス様が言ったように、地上のことを話しても信じなかった、そのような道を行ったのです。 四十余年を、世界の台風圏から追われ、死ねと迫害する怨讐たちが矢を向けてきたのですが、その矢が先生を避けて通ったのです。だれが避けるようにしたのでしょうか。先生ではなく、神が避けるようにしてくださったのです。「死ね」と言われている者が死なないで、むしろ殺そうとした者が倒れていくのです。金活蘭(キムフアルラン)とか朴(パク)マリヤの群れ、梨花大学を舞台として、非常に騒ぎ立てたのでした。これから梨花大学、延禧大学よりももっと大きい大学をつくります、と神に祈ったのです。それでアメリカにつくって、梨花大学、延禧大学を出た頭の良い人を、再び教育するのです。先生がやると言えばやりますよ。(はい)。 ハイウェイを八一年度に既に宣布しましたが、中共は絶対的にそれを必要とするのです。アメリカ、日本、中国に対応できなければ大韓民国の統一はあり得ません。先生は世界を占うことができる人です。個人の相を占いますが、国の相を占い、世界の相を占うことができるのです。 この者たち、自分たちは座っていて悪口を言ったり、非難をしてきたでしょう。非難され悪口を言われていた文某は、この国が摂理史の五〇〇〇年において、神が初めて着陸する地であることを知っているので、滅びたらいけないので、先生は骨が溶け、肉が砕けたとしてもこのことをやってきたのです。昼夜徹してやってきたのです。先生が統一産業を育てるのに三十年間、今に至るまで赤字になっています。ドイツをつかまなければなりません。中共を開いてあげなければ、日本も韓国も生きる道がありません。ですから日本の教授たちを、日本語を教える人、そして英語を教えられる人を派遣するようになっているのです。先生は中共を生かそうとするからであって、害を与えようとしてではありません。 公式を知らなければなりません。カイン・アベルの公式。カイン、アベルが一つにならなければ神が地上に兄弟の圏を立てることができないし、天国の門を開くことができません。父と母の愛を中心としてつくられる家庭を中心として、完成基盤を通じなければなりません。そのような家庭が天国に行ける本然の基準であるため、この本然の基準に当てはめる歴史が今までの人類歴史一五〇万年でした。聖書には六〇〇〇年となっていますが、それは聖書の歴史です。神が生きておられ、このような全宇宙の秘密と聖書に隠されたすべての道理を明らかにして、現実において、この否定することのできない歴史的事件が当てはまり、測定してみるとすべてが当てはまり、その公式がどこにおいても適応したので、今日の知識層において、変遷する世界において変わらない真理として受け入れられる時代へと越えていくのです。今日がそのような時なのです。ですから統一教会に反対してはいけないのです。そうしたなら失敗するのです。自然と、恐ろしくなってくるのです。これまではサタンが支配していたので、我知らずに反対したのです。これからは逆です。統一教会が朝になってきて、サタン世界が逆になっていきます。統一教会は午前に向いて、白昼の世界を迎えることでしょう。ここに来て、目を開けてみると、神がいらっしゃることを知りました。世界の万民が神の子女であり、万民が一つになることを知ったのです。ですから超氏族、超民族運動、超教派運動、統一運動が始まるのです。何によってそのようにできますか。力ではありません。本然の神の愛を中心として、私たちの心と体がそこに接ぎ木さえすれば、一気に一つになれるのです。ですから外れることはありません。生きて神の愛を体恤しなければならないのです。分かりますか? (はい)。 そうするための道が何でしょうか。皆さんの心が体を絶対的に支配しなければならないのです。これが第一の関門です。これが一つになれば、だれが訪れるかといえば、皆さん個人の立場においては父母が訪ねてくるのです。カイン、アベルのうちで兄が弟となり、弟が兄にならなければなりません。このような逆説的な基準を堕落した世界において探し出し、否定の道を通じて、逆説的な長子の基準を次子から復帰しなければなりません。そうしなくては、神の愛の発動ができないのです。サタンが人間の下であって、人間の上になることはできません。堕落したので、人間の上で神の代わりの役割をしたのをひっくり返すためには、人間が次子の立場で、サタンを長子の立場に立っているのを屈服しなければなりません。屈服させるには、こぶしを握って闘ってはなりません。より高い愛をもって、サタン世界の愛より高次元の愛があれば、自分も知らずに屈服するのです。ですからイエス様が聖書で、「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」(ルカ福音書一四章二六節)と言ったのです。統一教会を信じている人々は自分の家族が怨讐です。先生がその道を行ったのです。その道を行くためには、自分の家族、自分の国が怨讐です。一つの宗教圏を中心として、キリスト教と統一教会を見れば、統一教会はアベルの立場であり、キリスト教はカインの立場です。先に生まれたからです。天使長は、アダム、エバより先に造られたのてす。そしてサタンを中心としたエバの愛が先でした。ですから聖書の歴史は長子を憎むのです。なぜそうなのでしょうか? 堕落したからです。宇宙を主管するようになった動機が、堕落の愛を中心として、最初の愛によって成されたので、最初の愛の実である長子は神側に立つことができません。悪がより少ない次子を神の側に立てて、取り戻す運動をするのです。ですから歴史において、ヘブライズムとエレニズムを中心として神側とサタン側と闘って、歴史を大変動させたのです。それは、第一次世界大戦においてもそうであり、第二次大戦においてもそうでした。第三次戦争を中心として思想的時代にそのような闘いを今やっているのです。 では公式は何でしょうか? アベルが愛の心をもってカインを自然屈服するのです。強制的にするのではありません。既成教会が反対するからといって、手段、方法を使って、統一教会がお金でやったなら、み旨が成就されません。自然屈服です。自然屈服ですよ。何の力でやりますか? 愛の力をもってやります。愛を中心として長く行う人は主人になれるのです。愛はどのような能力をもっているのでしょうか。中央を占領する力をもっているのです。分かりますか? 真の愛は中央において定着します。それを知らなければなりません。それで神側の愛を中心として、サタン側の長子の愛を自然屈服させる次子の立場において、兄がその弟を行った罪があまり大きいので、父母の前に帰るためには、あなた(弟)が、私(兄)の前に立って帰ってくださいということが起こるのです。弟を通して父母の前に出ていけるのです。そうするために私(兄)のすべてをあなた(弟)に与えているのです。このようにして長子の権限をを奪うことをやるのです。 ヤコブとエサウの逸話がここから始まるのです。聖書の中で、次子が祝福を受けた理由はここにあるのです。ヤコブとエサウが腹中で闘っている時、リベカが祈ると、神が現れて、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(創世記二五章二三節)と言われたのです。なぜそうしなければならないのでしょうか? タマルがペレヅとゼラが産む時、同じようなことが起きたのです。なぜでしょうか? これは、カイン、アベルの公式が適応されたのです。天国を成すためには、完全なる神側の長子、次子を探す以前には父母を訪ねていく道がないのです。これが結論です。分かりますか? ですから、今日の終末においては、一つの世界に向かうので、長子圏である外的な共産世界と次子圏であるキリスト教文化圏が対峙して闘うのです。これらを一つにしなくては、来られる主は、父母の立場に立って、世界を天国化することができないのです。天国は兄弟同士ではつくれません。そのような原理がありますか? 天国はどこから始まるのですか? 神の愛を中心として、対象である完成した真なる父母の愛を中心として天国が始まり、その愛から枝となったものが子女であります。 今、復帰路程は逆になっているので、僕の僕から僕、養子、庶子、息子、エバ復帰、母の復帰時代を経て、父を復帰するのです。ですからキリスト教の総結実は何でしょうか? 新婦の立場において、母親の基準に合わせて、世界の兄弟を抱いていかなければなりません。 これが第二次大戦直後に起きたのです。戦勝国家がなぜ敗戦国家を独立させなければならないのですか? その時は既に兄弟国家時代になってくるのです。キリスト教文化圏が一つになり、この世界が一つに統一されたので、キリスト教がアベルの立場であり、キリスト教文化圏、この民主主義がカインの立場で一つになりさえすれば、その一つになった基準において父母を迎えて一つになったなら、父母から神と一つとなって、父母の愛の圏を中心として、子女が一つとなって、愛に連結され、神が願っておられた本然の理想的天国顕現が可能な基準を探せるのです。ですから天国は子女だけでは現れません。分かりますか? (はい)。アメリカとアメリカの民主主義と共産主義をもってしては、父母が顕現することはできません。これが一つになるときに父母が現れるのです。皆さんの心と体が、カイン、アベルの立場において完全に一つになれば、天の父母が皆さんに臨まれるのです。霊的に臨まれるのです。 このようにして、そのような男、そのような女が、カイン、アベルのような立場で初めて一つになるとき、家庭的天国が形成されるのです。これは公式ですよ。分かりますか? 公式を知らなければなりません。ですから、天上天国を言う前に、個人天国はどのようになっているのですか? 皆さんの心と体が完全に一つとなって、聖霊に満たされなければ天国に行けないという話は正しいのです。 聖霊は母神ですから、(聖霊を)受けて父を慕い、この地上において恋愛する以上に慕わなければ、聖霊を通した神の愛の因縁につながる自分とはならないのです。これをできない者たちが食事をしたり、家がどうだとか、勉強がどうだとか、それらは問題になりません。これを知らなければなりません。分かりますか? 長子権復帰基準を皆さん自体において、心がアベル的立場において、完全にアベルが体を自由に支配できる善圏を、完全に永遠に確保する基準がなければ天の父母と連結されません。これが個人天国の公式です。その公式を拡大し、そのように主体となった男性と、そのような相対とを、横的に平面的に見ると、先に生まれたのがアダムですか、エバですか? アダムはカイン的長子の立場です。あとから生まれたのがエバです。 エバがアダムを主管したのです。そうでしょう? 復帰しようとすれば、アダムを主管した基準を蕩減復帰しなければなりません。これをどのようにするかといえば、祝福を受けた家庭は、三年間、女性の言うことに絶対服従したでしょう? 先生がそのように教えたのでしょう? それはなぜかといえば、男性権を与えたら長子になり、先に生まれた長子権を行使すれば、サタン側になるからです。しかし、これは堕落圏を逃れる時までです。 しかし、きょうから時代が変わってくるのです。先生が何をしたかといえば、長子権復帰、個人的長子権復帰をし、世界舞台に出たのです。全世界の個人的反対、全世界の家庭的反対、全世界民族、国家、世界、全体がレバレンド・ムーンを攻撃するのです。しかし、先生が行ったことは、この原則を適応することです。長子圏全体を、次子圏の神側において何で克服するかといえば、闘いでするのではありません。愛で行います。怨讐を愛する愛です。ですからイエス様が十字架上において臨終するそのような過程で、ローマ兵は怨讐ではありますが、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ福音書二三章三四節)と言ったでしょう? 怨讐を愛さなければなりません。怨讐を愛さなくては、天国に入ることはできません。なぜでしょうか? 「完成したアダムは、堕落しなかったなら、私(サタン)を愛したはずです。私は堕落しましたが、神は原理的主人であり、原理的主人としての本然の基準を守るべきではないでしょうか? そうするためには、あなた(神)の子女が天国に行くためには、あなたと同じように私を愛したという条件を立てなければ、天国に入る資格をもてないのでしょう?」。 エデンの園に怨讐がいましたか? 「怨讐という感情は私(サタン)によるのですから、私の側でないでしょうか」、というように食いついてくるのです。それでこのような怨讐が、共産国家、世界国家、国家圏となっているのです。世界圏、国家圏、民族圏、氏族圏、家庭圏すべてにおいて障壁となっているのです。ですから、そのような舞台の前に、先生は一人で立って、全体国家、共産主義、民主主義のすべて、ユダヤ教、キリスト教のすべての前に立っています。それでダンベリーの刑務所に入られたのです。刑務所で成したことが何かといえば、アメリカを生かす基盤をつくったのです。六つの団体をつくったのです。その時、「ワシントン・タイムズ」もやったし法廷の期間にお金の支払を承認したのです。週間誌(インサイト)、月刊誌(ワールド・アンド・アイ)もアメリカを生かすために、自由世界やキリスト教を生かすためです。七〇〇〇人教育から、今は七万人のキリスト教を指導する牧師たちを教育しているのです。それで二十万、三十万人を教育しているのです。そして三十万セットのテープ、統一教会の統一原理のビデオを送ってあげたのです。これが問題となっているのです。彼らは頭がいいので、骨子を知ってみると、自分たちがでたらめであったことが暴露されるのです。だれに聞いても、みんなテープをもらったと言うし、友人に聞いても、みんなもらったと言います。「今あなたは何章を見たか?」「私は何章を見た、その感想はこうだ」と言うので、今問題が起きているのです。 今日、韓国にいる既成教会の牧師たちは、世界を知らないでいるのです。長老派教会の総会長が、ここに来る日は遠くないのです。このようにして、キリスト教文化圏が解放直後にレバレンド・ムーンを迎え入れて、世界に統一理念の神のみ旨を成就できなかったので、初めて四十年間荒野に追い出され、そこから地上に着陸して、再度キリスト教文化圏、キリスト教を生かす運動をやずているのです。このようにして統一教会がアベルで、既成教会がカインの立場で、既成教会自体が目覚めるのです。あ! あ! 私たちが知らなかったのだ! 知ってみると自分たちの弟なのです。自分たちが戻っていくには、弟を兄として侍らなければならないという教理的に知るようになるのです。ですから統一教会が先に行くようになります。あなたたちが長子権を復帰する代表者であることを知ったので、すべてにおいて、自分たちの教会もあなたたちが責任をもち、すべてにおいて自分たちの代身になってください、ということが起こるのです。これは、アメリカ一帯における所願なのです。このようにして統一教会とキリスト教が一つになって、アベル的な立場でアメリカ政府と一つになれば、自由世界圏に天の父母が登場するようになります。神の愛と父母の愛を連結して、父母が絶対愛するといって公認される一つのビザを受ければ、天国に入ることができる自由人となれるのです。 これらすべての蕩減条件を立てて、今日ここ韓国に来て、世界基準に接ぎ木するのです。先生が今度揺り動かすことによって、韓国で先生はだんだん上がってくるのです。「文総裁が最高だ」と。既成教会の牧師たち、監理教(カトリック)の牧師たちが反対したりしますが、彼ら(の教会)はみんな空っぽなのです。これから、反対すればするほど信者がみんな離れていくのです。今までは離れたり、出ることはできなかったのです。今までは統一教会に行くと、しかったり、騒いだりしていましたが、これからは、しかったり騒いだりしなくなります。騒ぎ立てると、サタン世界は、地上で騒ぎ立てた十倍、一〇〇倍の蕩減を、(神の)願うままに払わなければなりません。代価を払わなければなりません。ですから、サタン世界が早く崩れ、滅びることを知っているので、心が恐怖にかられ、反対することが恐ろしくなるのです。 昔、統一教会の信者は、「既成教会の反対する人をどのようにすれば救えるか」と、憎いけれども祈って、愛で抱いて消化しなければならないので、耐えました。しかし、これからはどのようになるのかといえば、神様がそれとは反対の作用をするのです。統一教会を憎む人たちがいれば、良心的な人士たちが、「君たち、なぜ反対するのか」と私たちの代わりに闘ってくれるのです。 ですから先生は恐ろしいものがありません。アメリカに行っても、共産党を恐れません。世界は、共産党を一番恐れています。モスクワのクレムリン宮殿、またKGB本部には、統一教会の調査局ができているという報告を、先生は受けて知っています。三大怨讐は、レーガン、ローマ法王庁の法王、レバレンド・ムーンで、レバレンド・ムーンが一番憎いのです。れ―願は、三年後には離れていくし、ローマ法王は、年を取って亡くなるだろうし、統一教会のレバレンド・ムーンは、年齢が七十歳に近いのですが、青年と相撲をしても勝つのです。(拍手)まだ死にそうもないし、に供ち(共産党)は真っ赤な赤をつくろうとしますが、(先生は)真っ白いものをつくるのです。異なるのです。これは骨だけが真っ白なのてはなく、血までが真っ白なのです。それで統一教会は白十字架を立てるのです。それで共産世界では暗殺の対象となっているのです。危険千万です。 命を懸けてこのようなことを成しているのです。これからCIAは、レバレンド・ムーンを保護しなければならないというのです。昔は憎くて殺そうとしたのに……。しかし、白人の中にはいまだ狡猾な群れがいます。実用主義者たちです。「自分たちは平等があるので、救世主とか宗教は必要ないのだ。イエスのような者がなぜ必要なのか?」と言う、このような群れが共む党と手を結んで、CIAの中にもいることを先生は知っています。彼らが共同作戦で先生を除去しようとすることを知っています。そのようなひやっとする際どい線、難しい道を走っているのです。しかし、神が守ってくださるのです。これから先生が亡くなることがあっても、先生の死を嘆いてはならないのです。すべてを成したのです。 先生のダンベリー以後に、アメリカ国民は、歴史が数千万年たっても、自分たちが行った罪ゆえに、白人社会はひざまずかなければなりません。アジア文明と西欧文明の交差点が、ダンベリーの出発と同時に始まったのです。 先生はどのような権限をもって帰ってきたのでしょうか。サタン世界を撃滅するためであります。このような立場にいるので、キリスト教文化圏を中心として、キリスト教とアメリカが一つとなって真の父母を迎え入れたならば、天下の統一が始まるはずでした。これを第二次大戦以後に、キリスト教文化圏を中心として、たった一度、歴史上に宗教文化圏が世界を支配することのできる神の最後のチャンスを、アメリカとキリスト教の過ちによって失ったのです。統一教会のレバレンド・ムーン一人を打とうとして、これほどまでに滅びてしまったのです。信じられないようでしたら、祈ってごらんなさい。 統一教会の若者たち、はっきり知らなければなりません。このように悔しい歴史的な恨みがあります。先生一人の恨が問題ではなく、神が神としての役割をすることができず、数多い事情を残した歴史過程であります。神の骨が溶けるほどの悲痛な涙と血を流した足跡が、この世界の地で喊声を上げているのです。解恨成就の使命が残っているのです。ですから、先生が今、このようにしているのです。 旧約時代に万物を犠牲にしたのは、神の子を取り戻すためであり、新約時代に子女を犠牲にしたのは、来られる主、父母を迎えるためであります。今日、統一教会で真の父母という名で呼ばれるレバレンド・ムーンが、この世界に来て、あらゆる艱難を受け、悪党の頭として取り扱われたのも、神の解放のためです。神を解放できなかった三つの条件があります。全人類が怨讐を愛したという印のあるパスポートを持つ日が、神の解放の日となるのです。怨讐を愛さなければなりません。それで、先生がアメリカに行ってやったことは何ですか。レバレンド・ムーンだけは、ダンベリーに入れられながらも、怨讐を生かすために苦心して闘うのです。自分の死を恐れることなく、再び死亡線か交差されるのです。先生は霊的に敏感で、人を見る目があります。それで陰謀を知っているので、その前にみんな会って、もみ消す手腕があったのです。六カ月間、眠りませんでした。それで神山が四カ月間、先生が眠っている時間、見守ったのです。それが終わるや否や、神は先生を保護すべき責任があるのです。予期しなかったアメリカ人を動員し、イタリア人を動員して、先生を見守るために夜眠らないようにすることが起こるのです。それはだれがそうしたのでしょうか。神が役事するのてす。そういう闘いをするのです。そうしながら恨みを晴らし、このアメリカが滅びることを呪うのではないのです。 ニカラグア問題を中心として、アメリカが滅びるか、レーガン行政が窮地に追い込められた時だったのです。朝食をとろうとすると、食べられないように騒ぐのです。分かってみれば、神がそうさせたのです。「あなたが手を使わなければ滅びるのです」と。それで、普煕朴(ポーヒパク)とアンバサダー韓(ハン)がお母様を通して、日曜日だったのですが(お金を)払ったのです。レーガンがヨーロッパへ行った時です。土曜日に、ここで緊急措置をして、「ワシントン・タイムズ」が扱ったので、七週のうちに一四〇〇万ドル、国会が大統領の威信を失ってしまったのを、先生がひっくり返して、二七〇〇万ドルを通過できるようにしたのです。「もしあなたたちが払わなければ、私が支払います。あなたたち国会上院議員が支払わなければ、私が現金で支払います」。泥を塗るようになったのです。このような闘いをしているのです。これは天地によく知られているにもかかわらず、新聞記事の一つさえ(紙面に)載っていなかったのです。レバレンド・ムーンのおかげでニカラグア問題が通過したということを、言論界の日刊紙では、一七〇〇もあるのに一言も書けなかったのです。ある田舎の新聞だけが、このことがあまりに重大なことなので、「アメリカの国会議員が三五六名いるのに、たった一人レバレンド・ムーンだけが五三〇億を使ってアメリカを救った」と評価しました。その一つしかありませんでした。 正義だと知りながら、正しいことに対して冷遇するのですか? 今になって、選挙においてレーガン大統領に八〇〇万以上投票させることができるのはレバレンド・ムーンの団体しかないと、それが分かって、共産党も知って、レーガンの顔が変わってくるのです。「世話になった恩人に対して目をそらしていたあなたの姿が、今やくそ犬ぐらいになってしまったのだ」。先生はレーガンに会えば、正面切ってそのことを言います。 先生はそういうことをやっていました。今も、ここに来る前日まで、昼夜徹して組織を強化しているのです。 組織の力、統一教会の組織の力。先生がここに来る前に、十二月二十八日にヒューストンで、ここに来ることを宣布し、これから先生が帰るので、ついてくるように通知して、連れてきたのです。蚕室体育館で十六日に大会を行うのですが、十二日に許可を得たのです。四日間にその準備をして広場を超満員にすることのできる組織力をもっているのです。(だれも)それほどまどては思っていなかったでしょうこれども。あなたたちもそれを知らないでしょう。韓国が生きるために、アメリカを動かさなければなりません。第八軍司令官が身じろぎもできない韓国ですが、その頂上をだれが抑えるでしようか? 牧師たちが抑えると思いますか? あなた方が抑えと思いますか? 神様がされるのです。神以外にはいません。 先生は、雨が降り、雪が降ることを知らず、夜を昼のように感じ、食事をすることも忘れてこのことを行ってきた人なのです。楽な生活ができたと思いますか? 神を知った罪のために、だれよりも悲痛な神を知ったがゆえに、私の一身が散り散りに引き裂かれることがあっても、この飛び散る細胞は、神の恨によって飛んでいく細胞であると叫べるなら、男として生まれた甲斐のある人生であると、死の道を探し回って行っているのです。行けば滅びる、この世から消えると思っていた。しかし、このようにやってきたのです。それで、皮肉を言われたり、呪われたり、あらゆることをされてきたのです。 私が数字的で打算的な考えをもっていたなら、この国には帰ってきません。呪ったりするでしょう。そして、滅びるのを私の目で見るのです。しかし、(この国は)神が探し求めておられる、歴史的な祭壇、祭物の国として育ててこられたことを知っています。苦労されてこられた神は父母様の立場です。父母の血と肉が染み込んだこの地であることを、先生は知っているので、孝子の道を行かなければならないのです。自分のみすぼらしい姿-春香伝の李道令が印篭(いんろう)をつけてこじきの姿になりました。未来において、正義を立てて天下を正しめるその心の前には、こじきの姿が問題ではありませんでした。ひと日を中心として、正義の天下を立てなければならず、それが希望であり所願でした。 この国に勝共連合をつくる時、呪い、嘲笑した人たちは、「レバレンド・ムーンは大統領になろうとして、ああいうことをやる」とか言ったのです。大統領は、それほど偉大なのでしょうか? アメリカの指導者を、自分の手でつくらなければならないという責任感をもってやっているのです。また、何のために中国なのでしょうか? 既に十年前から、獄中にいる時には三月から言い続けてきたのです。三月から今まで何カ月ですか? 三月から十二月まての八カ月目に夢のようなことが起きているのです。それが三十、四十年間の、ここにいる男の所願でありました。神は、先生が祈祷すれば、そのすべてを成就してくださるのです。南北統一をいかにするかという問題のみが残っていますが、神の願うとおりにやれば、短時間でできます。ですからここに来ている教区長たちは、一心に団結しなければなりません。 一番の問題は何かといえば、天国創建するためにはここにいる人たちが問題なのです。カイン・アベル個別的天国を完成しなければなりません。公式は同じです。家庭天国を完成しなければなりません。夫をカインとし、神側の長子とし、妻は神側の次子のように、(なぜなら)アダムを先に造ったでしょう? それが一つにならなければなりません。昔のアベルはカインを探すために犠牲になったけれども、私たち統一教会の女性たちは、男性を神側に立てるために犠牲にならなければなりません。祈祷をしながら。そして、カインとアベルが一つになるのです。家庭で夫婦が一つにならなければ、父母を迎える圏が生まれません。家庭天国が生じません。私たちの統一教会には、ホーム・チャーチというものがあります。このホーム・チャーチというのは、カインの氏族を一つにすることです。分かりますか? そのカインの氏族圏を一つにして、アベル氏族圏をつくらなければ、その基盤の上に、父母を迎える基盤が生じません。氏族的天国が現れません。父母を迎える基盤がつくれません。それがつくられれば、その時から民族に連結されるのです。氏族圏を中心として民族に連結されれば、民族を中心として国家は縦的になります。相対的です。国を中心として、主従関係にあります。 イエスがこれを成そうとしたのです。イスラエルのユダヤ教とユダヤの国を一つにして、ローマと直結しようとしたのです。ローマが主体国となって、ローマが中心として立って、イスラエルの国が中心の軸とならなければなりません。ローマは肉とならなければなりません。そうなれば、イエスを中心とした新郎、新婦となり、ローマのシーザーは万王の王であるイエスと、万王の王の妻、新婦、万王の皇后となれるのです。そのイエス家庭が生じて、血統的に神の愛を中心とした父母がいて、イエスの血統が生まれたなら、キリスト教はこのように四百余派にもたくさん生まれてこなかったのです。イエスの血族が全部ローマ法王庁を中心としていたなら、世界は既にそのまま統一されていたのです。神を中心として、すべては主体が対象のためという状況になったならば、世界は統一されるのです。しかし、それができなかったので、ローマ法王庁が腐敗することで、天下を一つにできる版図をすべて失ったのです。 それが新たに第二世、すなわちアベル圏、カトリックをカイン圏として、カトリックが反対するので二番目に出てきたプロテスタントを中心としてアベルの立場に立てて、太平洋を渡った所にアベルが集って結合され、プロテスタントの統一国家、アメリカをつくったのです。独立宣言でプロテスタント統一国家をつくったのです。アベルの独立国家です。これに対し、ヨーロッパは逆になっているのです。アメリカに従っているのです。アメリカが長子圏に立っているのです。それで、アメリカをして、全世界を統合し得る時代になってくるのです。 キリスト教がアベルの立場に立って、アメリカ自体がカインの立場で一つになったなら、来られる主を父母として迎え入れて、神の愛と父母の愛とカイン、アベルの愛を束ねて、和することができるのです。それが和すれば、国家を越え、文化を越え、血統を越えて、血族を越えて一つになれる神の愛の圏が形成されるのです。そうなれば、この世界を、既に統一世界に成し得たのです。このようにすることのできるみ旨を抱いているレバレンド・ムーンが韓国に生まれたのは、イエスがイスラエルの国に生まれたのとちょうど同じなのです。ローマの前にいる植民地と同じ立場です。これは神側のローマです。イエスが死んだので、神は終末に、イエスが来られる時にこのような内容を蕩減復帰しなければなりません。サタン圏内に入って神を打ったのを、すべて世界的に除去しなければなりません。除去し清算しなければ越えることはできません。 そのような立場に立った韓国が、アメリカの保護圏内で神の従属国、神のアベル圏であるアメリカを通して独立させ、保護圏内に立たせて、ここからキリスト教とレバレンド・ムーン、カイン、アベルが一つになって、直ちに大韓民国自体の国家的基準を立てることができ、先生と大韓民国が一つとなって、アメリカと連結されていたならば、七年以内に世界を収拾することは神のみ旨でありました。これがそれてしまうことによって、この短い四十年間に、それほどまでにも変動が激しく、それほど多くの国家と、数多くのキリスト教信者が惨状を被り、今は方向すら失って、位置までも喪失し、「神は死んだ」といえるほどの時代圏へ転落したのです。その悲惨な状況をだれが同情するでしょうか? 一人もいないのです。アメリカの牧師や指導者たちが、もっと憂慮するのではなく、ここから逃げ出すために、忙しく騒いでいるのです。たった一人レバレンド・ムーンだけが天の命令によって、アメリカの地で彼らと共に、昼夜もなく闘い、先生はのどが裂けんばかりに叫び、死を覚悟して闘ってきたので、彼らが目を覚し、今は分かるようになったのです。通り去る客であると思っていたが、実は神が送った全権大使であることを知るようになったのです。 それでこれから定着することのできる基地が、国家を越えて世界的に芽生えることのできるすべてを頂上にして、イエスが失ったことをダンベリーにおいて、すべて結束して蕩減して、勝利の盾をもってここに来て、きのうの式と、きょうの式をやることによって、いかなることが起こるかといえば、これからは霊界と肉界の統一圏が始まるのです。言い換えれば、四十年前にキリスト教文化圏を中心として、キリスト教とアメリカが一つになれる、その基準を失ったのを、四十年の受難の道を経て、再び贖罪され、アメリカのキリスト教会と統一教会が一つになれる世界史的な基盤を整えてきました。キリスト教とアメリカを中心として、キリスト教と統一教が一つになる立場を立てて、アメリカをカイン的立場において、すべての政治、経済分野において先頭圏を取り、越えていける条件を完全に掌握できる時代に入ってくるのです。分かりますか? (はい)。カイン、アベルの公式は同じです。天国は父母を迎えなければ行くことができません。統一教会はキリスト教と完全に一つになれば、父母を迎えることができます。 キリスト教の指導者たち、エルサレムの聖地に行こうとした人々がみんな、先生の故郷を訪ねていこうとするのです。分かりますか? 韓国の聖地、釜山の聖地よりも、北韓の故郷の地を訪ねていくのです。どんどん集まってくるのです。聖地が本来の聖地ではありません。北韓の地、先生の生まれた所が聖地なのです。北韓の地に行こうという世界からの喊声が東西南北に響き渡る時、金日成は後退です。後退しなかったなら、中共、アメリカ、日本を通して押し出すでしょう。あなた方は夢や妄想のように思うかもしれませんが、既に基盤を整えているのです。中共の政府がいくら嫌がっても、先生を受け入れなければ二十年、三十年の先進の科学技術を失うようになるのです。それらの基盤をすべて整えているのです。 先生は自分だけの利益を求めているのではありません。技術を提携していかなければなりません。先生を収監するような、そんなつまらないことをする時ではありません。世界最高の科学技術を平均化しなければならないと主張しているのです。先端技術であっても何であっても、すべての電子世界の秘密をもっているのです。 日本の電子世界において十大会社の頭になっている人たちも、私たちの指導を受けていることを知らないでしょう。二十五日の特別報告によると、世界にない特別な金属を発見したのです。コンピューターの歴史になかったものを作り出しました。そのような技術をもっています。 韓国の大手企業が先生の所に来て交渉するのですが、(民間)個人の団体には使いません。中共に使うでしょう。中共に注いで、万民に平均化して分け与える道を造ります。莫大な国土をもっている中共、人類の四分の一の人口をもっているその国で、今、アメリカで使っているほどのお金を三分の一だけでも中共に使えば、中共を完全に甦生させることができます。中共が先生を歓迎すれば、先生はアメリカに帰らなくてもいいのです。アメリカが先生の言うことに従わなければ、逆に足でけってしまいます。アジア人が先生の言うことに従います。イスラエルと中東は闘っていますが、先生が今、アカデミーを通して和解させているのです。 各国の大使館が成せないことを、嘲弄(ちょうろう)されながらやっているのです。今になってそのことが明らかになると、統一教会の文先生は偉い人だと言います。先生はそのような人々の称賛を受けたくありません。 このような莫大なことを一人で狂人のようになりながら、悪口を言われながらやってきたのです。これを成すことは易しいと思いますか。易しいですか、難しいですか? (難しいです)。そうです。どれほど難しいことでしょうか。 先生の目が睡眠不足で、開いていられないくらいの痛さを感じる時、「この目よ! 見なければならないのだ!」と、目と闘ってきたのです。おなかと背中が引っ付くほどになって、四肢が動かなくて倒れるほどの境地においても、「このおなかよ! 行くべき道を行かなければならない」と、言ってきたのです。 先生は神に保護され、一人で歴史にない激闘をしてきた男です。霊通する人はどんな人でも、文先生が本物か偽物かを祈祷してみると痛哭させられるのです。我知らず痛哭するのです。一日、二日痛哭させられるのです。文先生を知ろうとするなら、痛哭する心情をもたなければ知ることができません。だれかが先生に対して一言言うだけで、先生は血みどろな恨を解き、痛哭する事情をもっていることをだれが知っているのでしょうか。お母様も知らないのです。だれも知りません。ここに従っているこの偽物たち。だれが知ることができますか。だれも知りません。神様のことを知らなかったなら、先生はそれほどまで悪口は言われません。神様をだれよりもよく知っていたからです。先生だけを頼りにしている神様がどれほどかわいそうでしょうか。二〇〇〇年間の歴史を二十年間で蕩減復帰したのです。それは易しいことですか。言うこは易しいことです。 アメリカに来て先生は祈りました。アメリカ滅びるしかないでしょう。そうでなければ、別個に歩んでいたその歩みを変え、先生が救世主であるという喊声によって、泣きながら従ってくるようになることを知っています。 天国創建をするという今年の標語を立てましたが、これは不可能のようで、可能なことなのです。今、霊界におけるイエス様も、真の父母からの血統的立場で生まれていません。神様の愛を中心として父と母が神の愛を受けて復活された、そのような復活圏、その愛の実体をもった父母の愛から生まれていません。父親がだれなのか分からないのです。先生は詳細に知っています。いかにしてかといえば、イエス様、神様を通して知っています。神の恨みはだれが解きますか。神は解けません。神の恨みが積み重なるようにしたのは、だれですか。子女のゆえです。父親の胸に火をつけたのは子女です。その子女が死に向かっていますが、その子女が蘇生できるまでは、その恨みを解くことはできません。 今日、宗教指導者たちはひざまずいて恵みを得ようと祈祷しますが、先生は恵みを得ようとして祈祷したことはありません。先生は自分を祭物にするのです。 旧約時代には万物を犠牲にして神の人々を探し求めたのであり、新約時代には息子、娘を犠牲にして父母を探し求めたのであり、成約時代には父母の家庭を犠牲にして神を解放しようとするのです。 本然の父母をこの地に迎えて、その方と共に千年、万年侍って生きるようにするのです。韓国の民謡に「月よ、月よ、明るい月よ、李白が遊んでいた月よ、あそこの、あそこの、あの月の中に桂の木が入っているので、金のおので取り出し、銀のおので整えて、わらぶきの山間の家を建てて、両親も迎えて、千年万年生きていこう」という内容の歌があります。それはすべて韓民族の啓示的内容です。天の父母を迎えて千年万年生きたい。先生が韓民族を思い出すたびに、心に染みる、忘れることのできない歌なのです。韓民族においてはそうなのです。 同様に公式があります。皆さんだけでは天国をつくることができません。父母が臨まなければなりません。霊的な聖霊と共に一つになって、イエスの愛と共に和合できる胸に抱かれなければなりません。そうすることによって、神側の真のオリーブの木と野性のオリーブの木が接ぎ木できる可能性が生まれるのです。だからといって接ぎ木することはできません。霊的であるからです。再臨時代に真の父母が来て接ぎ木してくださるのです。 この時代に、皆さんが統一教会に入ってくる時、カイン、アベルの統一圏を備えなければ、ここに参席できません。分かりますか?(はい)。 それは天国建設の基本です。公式は同じです。妻を中心として見るとカイン、アベルの立場と同じであり、主従関係における神と息子の関係は絶対的です。父子の関係をだれが切ることができますか。夫婦の愛が一つになれば、その愛をだれが分けることができますか。だれも切ることはできません。神様も切ることはできません。永遠なるものです。カイン、アベルの関係と同じようにあなた方夫婦が一つになって、真の父母を父母として侍ることのできるような夫婦とならなければなりません。 神の愛と父母の愛が我々の家庭に臨まれ、その愛の圏内において子女が生まれるように愛していますか? 深刻な問題です。そうでなければ家庭天国が開門されないというのです。 家庭が復帰されるには、蘇生、長成、完成と通過するでしょう①。長成期の完成級で堕落したから②、ここからすべてペアを成して子女を繁殖してきたので、復帰基準もここに上がってこなければなりません。自分自身を引き上げて、残りの一段階の七年路程を歩まなければなりません。それゆえ終末になると大患難が起こるのです。七年間の大患難という話はそこから出てくるのです。だれもが行かなければなりません。ここにサタンが総結集するのです。ですから、賢明で立派なレバレンド・ムーンが世界的な迫害を受けているのです。 原理的に見る時、本来はこの位置において相対をもつのではありません。これを解かなければなりません。ここ③で相対をもてば、永遠に上がるようになるだけであって、下がることはないのです。ここから堕落してしまったからです。ここ④から落ちたのです。成熟期に落ちてしまったのです。今日の祝福の位置がここ④の所です。 皆さんがこの七年路程を世界的に越えていこうとすれば、世界的カイン家庭、個人の迫害、世界的な家庭の迫害、世界的氏族の迫害、世界的な民族、世界的な国家、世界的な世界迫害、そして霊界にいる地獄の悪霊すべてが結集して攻撃するのてす。霊界と肉界が一つとなって攻撃してくるのです。ここで闘ってここまで越えてこそ本来の人間がサタンの侵入を受けていない立場に立つのです。神の直接的愛の圏内で天国に入れる本然の基準が家庭基盤です。このように莫大なことが残されているのです。ですから、先生は六〇年代に家庭を祝福しておいて、復帰歴史を進めてきたのです。蕩減復帰の歴史を歩んでくるのです。 神の日を設定し、父母がこの地に現れなければならないし、真の父母の愛を中心とした父母は、神の真の愛を中心として本然の立場に立って、サタンが讒訴できない立場におられる父母の血族の身代わりの立場に立たなければなりません。そして次に、子女の日を設定するのです。真の父母と一つになれる子女の日です。完全に一つとなって、この過程においてサタン以上の愛の心を持っていれば、サタンがこの位置に上がってくることができません(図で説明)。八三年、八四年、八五年を中心として、四十年期間中に三年先んじて統一教会はあらかじめ犠牲となるのです。この期間に法廷闘争を行い、興進君が亡くなったのです。二年目に当たる八四年に興進君が亡くなったのです。興進君は二番目の息子です。統一教会でも、教会長三人のうち、二番目の教会長が客死したのです。喜進(ヒジン)君も二番目の息子でしょう。喜進君も客死したのです。お母さんは違いますが……。お母様の生んだ二番目の息子が客死したのです。分かりますか? なぜそうでなければならないのか? 二番目の娘が八日目に亡くなったのです。イエスが二番目として失敗したので、カインとアベルを中心として見る時、アベルが打たれてきたのです。いつもそうです。アブラハム、イサクにあって、イサクが祭物となったのです。二番目が問題です。アダム家庭、ノア家庭で二番目のノア家庭が洪水の審判を受けたのです。 あなたはアベルとして生まれてきましたが、真の父母の血統的因縁から、腹中から生まれたのですか? 霊界にはそういう人は一人もいません。霊界に行っている人の中で真の父母の血統を通して生まれた人は一人もいません。イエス自身もそうではないのです。ですから地上に橋を架けようとしても架ける術がないのです。地上で真の父母の愛によって生まれた興進君が行かれることによって、イエスと連結されるのです。 イギリスの聖公会の神父一団が霊界を通して啓示を受けました。イエス様が一人の東洋の青年を連れてきて、「この間までは私一人で教えていましたが、この興進君はまだ青年ですが、新しいキリスト、He is a new Christ, I am an old Christ」と言われるのです。なぜそうなのですか? 心情圏を中心として見る時、誰が兄であるかといえば、興進君が兄なのです。分かりますか? 霊界に先に行っているイエスが長子の立場ですが、その権限を次子に引き渡し、自ら次子の立場に立ったのです。真の父母の愛を中心とした本然の基準を通じなければ、天国に入っていける門に連結できないのです。そうしなければ楽園の門が、天国に通じる門が開かれないのです。それで四十日後に薫淑(フンスク)さんと結婚させ、地上で結婚式を行って、地上に往来できる立場に立って連結するのです。そうすることによって、地上の再臨がいつでもできるようになるのです。イエスが聖霊を中心として役事したのと同じです。地上で新婦のような立場を中心として、実体圏のキリスト教文化圏世界を成し得るのです。霊界において、イエス様、興進君を中心としてキリスト教と連結できる基盤ができているので、地上世界で、キリスト教と統一教との連合運動が起こるのです。分かりますか? 地上において解かれなければ霊界においても解かれないのです。だれが解くのでしょうか。先生がこのように話すからそのようになると思いますか? 霊界と肉界に橋を架けるために刑務所に入ったのです。それによって完全にキリスト教の門が開かれなければなりません。今までのすべての反対、国の反対が、獄中を中心として、レバレンド・ムーンを救う運動となって、全国的に展開し始めるのです。キリスト教が団結して、先生の味方となってくるのです。 イエスが直接来られて、自分の十二使徒をはじめ、北米においては聖人であると言われている群れを全部引き連れてきて、キリスト教の責任者たちを煽動し始めるのです。今では燎原の火のごとくに、教界をはじめ、地方の教会にまて全部カウサ運動が起きているのです。統一教会が展開しているのです。分かりますか? この基盤を、アメリカの共和党、民主党は防げることはできません。共和党、民主党は、神が保護する組織をもっていません。先生の組織は、この七一〇〇の日刊紙が選挙の時いくら破ろうとしても破れない、先生をアメリカの大統領にしても余りある支持力をもっています。レバレンド・ムーンが打たれてそのまま立ち去ると思いますか。朴普煕、何の話か分かりますか? (はい)。大胆でなければなりません。できなければ代理を立ててでもしなければならないのです。先生の言うことを聞かなければ滅びます。個人一人が滅びるのは問題ではありません。ですからすべてを解いてあげなければなりません。 今日、興進君。二周忌記念日ですが、これからキリスト教と一つになると祈ったのです。キリスト教文化圏にいた善王たち、善君たちを中心としてキリスト教信者は、ローマ法王時代に忠誠を尽くしましたが、それらを結束するのです。霊界に行っているすべての善君の王権を中心として、忠臣、烈女たちを地に引き連れてきて、真の父母王圏を中心とした理想圏上に全部入って、大統領であれ王であれ、レバレンド・ムーンのニュースを聞くのです。これからは良いニュースを聞くようになります。有名になります。悪い、という言葉すら出ません。良い、と言われるのです。霊界の先祖たちが来て教えてくれるのです。霊界にいる善なる先祖が地獄にまで入り込んで教育するのです。その門をダンベリーで先生が開いておいたのです。二月一日午前三時に、お母様はイースト・ガーデンで、先生は監獄の中で橋を架けたのです。談判して、地獄と天上のハイウェイを造ったのです。しかし、ハイウェイは開きましたが、入っていくには連がなければならないし、運転を学ばなければなりませんし、オイルを必要とします。それらを私たちはもっていません。先祖たちがもってくるのです。私たちの先祖が、車とオイルを集めて、道を教えて、霊界に引き上げるのです。こういう話をだれが信じられますか。信じられなかったら信じなくてもいいのです。事実ですよ。 先日霊通者が、「神の国の旗が一カ所に集まって方向を決定して動き出す。今年の二月からは地獄の門が開かれ、天国の門も開かれる」と発表しましたが、だれがそのように発表できるようにしたのか、その動機の起源者が分からないのです。古い時代、すなわち統一教会の迫害時代は過ぎ去り、解放のラッパの音が響き渡る時が来たと、今日先生が宣布することによって、天下がそのとおりになっていくのです。統一教会から霊界に行った劉(ユー)教会長、李起錫(イーキソク)、韓仁洙(ハンインスー)、朴鐘九(パクチョング)の三十六家庭の人たちが、今日祈ってあげることによって飛び回るでしょう。喜進君は三十八度線の金日成の悪の道を止めるようにするでしょうし、興進君がゴルバチョルや共産圏の二世を結集するのです。世界の二世たちは先生の側です。共産圏も民主世界に戻ってくるし、二世は統一教会へ来るようになるのです。原理がそうなっています。み旨がそうなのです。カナン復帰は二世が成したのと同じように、今日キリスト教文化圏を中心として二世たちが天国に入城しなければならないのです。成し得なかったことを蕩減復帰して、世界舞台を先生がすべて取り戻して、その権限を代行する位置において二世の祝福基盤をつくったので、アメリカの保守世界の若者たちは、先生が指導した旗の下に集ってくるのです。分かりますか? そこにはこぶしのきく者もいるし、天才的な才能があり、科学世界においての頂点の人たちを糾合しているのです。これからしようと思って話すのではなく、すべて終えてから話をしているのです。分かりますか? 終えてから話すのです。 思想的な基準における王子の立場と、科学技術においての王子の立場を占めるのです。経済と金融関係の立場において王子の立場です。言論機関における王子の立場を占めなければ、天下を収拾することができません。消化することができません。それらをすべてやっているのです。アメリカにおいて先生を無視することはできません。 アメリカの駐韓大使は今だれですか? (ウォーカーです)。長く勤めていますね。先生が秘密に人を送ったのに……。レバレンド・ムーンがかかしであるとでも思っているのですか。普煕分かりますか? (はい)。このような話、CIAが来て聞きなさい。これは事実であるから報告しなさい。偽りを言うレバレンド・ムーンと言ったが、アメリカをポケットに入れたり、出したりしたのです。これから見てみなさい。これからやることができるかどうか見てみなさい。 先生の手で天国創建を成すのです。開門を八六年から三年間て決定づけようとするのです。分かりますか? 韓国の大統領選挙、日本の首相、アメリカの大統領、ドイツの大統領も八八年に選挙があります。摂理的な四大国家がすべて、一九八八年に首がかかっているのです。共産圏に入る日には天下が両断されるのです。先生はそれが分かる人です。先生年体を砲弾として使い、あなた方の体を砲弾として使って防御しなければならない責任を感じています。分かりますか? (はい)。砲弾は一度撃つと戻ってくることができないものです。撃破するのです。砲弾になるという人は手を挙げてみなさい。 このような原則において民主世界とキリスト教が父母を迎え入れたならば、サタンはなくなるし、共産党は出てくることができないはずでありました。このように張り合っているこの世界において、キリスト教文化圏、アメリカ、キリスト教、統一教会が一つになれるこのような時代に、基盤がしっかりと整えば、共産世界は下がるべきでしょうか、上がるべきでしょうか? 地上に現れることはできません。責任を果たすことができなくて生じたのだから、責任を果たし、蕩減復帰をした日には下がらなければなりません。 韓国において共産党の手先となってやれるようにはなっていないのです。現政権を助けるためではなく、天倫を助け韓国に万年の時代をつくるためにこのようなことを成しているのです。四〇〇〇万の国民は先生の話を聞き、先生が成すことを後援すべきです。そうすれば生きるでしょう。キリスト教が反対すればどうなるか見てみましょう。反対しなさい。どのようになるか見てみましょう。 自分たちの威信をくそ犬のようににおわし、宮殿の王座に上ろうとするのですか。自分の恥を知らず、自分が神の代わりに審判するといってひざまずいているのですか。世界について知らない者たちに、先生が気合を入れなければなりません。力が足りなかったなら、それ以上の力をもって現れ、知識が足りなかったなら、それ以上の知識をもって現れるでしょう。手腕が必要であればそれ以上の手腕をもって現れるでしょう。滅ぼすためではなく救うためです。救ってあげようとするのです。サタンは鉄格子に入れられて死にそうになっているので、それを破って生かそうとするのです。そういうことをしているのです。気持ち悪くないでしょう。 民主世界と共産世界が倒れていく立場において、統一教会を中心として、カイン、アベル圏を中心として、これからは世界の指導的な主体の代表者がレバレンド・ムーンであるということは学界に知られていることです。韓国にいる田舎の人々は目が覚めますか? 天国創建をしようとするこの時において何をもって立ち向かいますか。何をもって盾にしますか。心を生かそうとすれば体を祭物としてささげなさい。父母のみ旨のためには子女を祭物としてささげなさい。父母が来られる道のために、子女を犠牲にして築いてきた新約の時代を忘れてはいけません。あなた方の物質をすべて犠牲にして国と世界を救わなければなりません。旧約時代には子女を生かすために、あなた方の子女を生かすためにあなた方の物を自分の物を絶対に考えないで、神の前に祭物としてささげなさい。逆なのです。私、統一教会のレバレンド・ムーンは父母の立場において私の子女と私の財産のすべてをささげているということを忘れてはなりません。何のためでしょうか。神の解放のためです。神を解放するためです。父母様を解放するためです。同じです。あなたのもっているすべての物、あなたの妻や子を、父母よりももっと愛する立場にあっては祭物になれません。愛の祭物をささげなければ父母に侍ることができないことは、厳然とした事実です。はっきり分かりましたか。どうですか? (分かりました)。そういう先生に対して「私の子供の学費を助けてください。貧しいから助けてください」と言えますか。あなた方よりもアフリカのことを考えている先生です。第三国において飢えで倒れている人々、その墓すら掘ることができず、積まれて腐敗していく事実を先生は感じているのです。 羊は祭物を意味します。自分を犠牲にするのです。イエスは小羊に比喩されたのです。統一教会もこの道を行かなければなりません。血を流しながらでも、物質を犠牲にしながら、子女をに犠牲にしながらも、体と心が公的な仕事のために眠ることができず、涙ぐみ、身もだえすれば滅びません。神の前にささげようとするこれらすべてを強盗が取ってしまうなら、千代万代サタン世界が崩れてしまうのです。 日本の統一教会も同様です。このような責任を果たさなければならないにもかかわらず、恐れて、この世と妥協してはならないのです。日本の統一教会も同じ公式に通じます。いかに環境が難しくとも恐れるな! 方針の目標に対して屈折するような、そういう者は天が援助しません。体が蕩減しなければなりません。恐ろしいことです。これで十分であるという思いをもってはいけません! やってもやっても足りないという心情をもっていれば、神の同情により発展の余地は存在するのです。分かりましたか? (はい)。はっきり分かりましたか。天国をいかにつくるか。このように旧約時代、新約時代、成約時代の蕩減は私の一身ですべて果たすという心をもてば、家庭天国は訪れてくるのです。国も同じです。国の主権者は真の父母の立場に立ち、民は子女の立場に立ち、私のすべての財産は万物の位置を中心として犠牲となって、自分のすべてをささげて、この国をあなた様のみ前におささげしますと、自分の民族のために祈るなら、その民族は滅びません。そこには天国が訪れるのです。分かりますか? アメリカの国民を中心としてアメリカの大統領を四年ごとに変えてはいけないのです。メシヤも選挙によって選ぶことができますか? (できません)。メシヤも選挙によって選べばどんなに良いでしょうか。そうであれば先生は選挙で落選すればいいと思います。統一教会の先生にならないで、しかし、霊界に行ってもこれを解かなければならないことを先生は知っているために、生きている間にいかなる犠牲、いかなることをやっても、(すべて)これを解く(目的の)ためにやっているのです。では文先生の位置を選挙によって、推薦して決まりますか? 神様を選挙によって選ぶことがてきますか? 民主主義は過程的な主義です。父母を迎え入れる時まで、善なる人がアベルになれないこの世であるので、元来は善なる人はアベルの立場であるのに、長子の位置に上がれないのです。神が民主主義によりアベル的な犠牲者を立てて、国であれば国の、地方であれば地方の、その団体の長を、カインの位置を、占領することのできる方便的政治体制が民主主義であります。分かりますか? (はい)。アベルが長子権を復帰したのにまだ民主主義ですか? その時は父母主義です。神主義です。 ですから、これからの統一教会の運動は、一つの主権が問題です。私の誓いの第一番がそうでしょう。私の誓いの(第五番の)一番目は何ですか? 「神を中心とした一つの主権」、一つの主権です。この世界に二人の主人はあり得ません。その主人はいかなる主人でなければならないでしょうか。お金をたくさん持っている主人ですか? 恐喝、脅迫なる独裁者の主人? それとも遊び人のような主人? いかなるチャンピオンですか? 愛のチャンピオンです。そのチャンピオンに一度でもなれれば、億千万代いかなる万物も替えることを願わないのです。太陽を取り替えることができますか? 太陽の代わりに偽りの太陽を造ることができますか? 生命の起源となり、宇宙の起源が神の愛にかかっているのです。「我々は神を中心とした一つの主権を誇り」、その主権はどれくらいのものですか? そこにおいて韓国は肯定されますか? 否定されますか? 答えてみなさい。(否定されます)。きれいに否定されますよ。 アメリカの大統領の位置が肯定されますか? (できません)。きれいに否定されます。ソ連のゴルバチョフ書記長が肯定されますか? できません。法王が全権をもって身代わることがてきますか? できません。法王庁も崩れます。それを知らなければなりません。ただ残れるのは、絶対的な愛の理想をもった、万国兄弟の心情圏をもった神主義のみが世界を統治するのであります。アーメン。(拍手) では第二番目は何ですか? 「我々は神を中心とした一つの民を誇り」になっていますが、民とは何ですか? 世界の万民が神の民なのです。白人のみが神の民ではありません。今日のムーニーだけが神の民ではありません。ムーニーを犠牲にして、黒人、白人を神の民にするための祭物にしようとするのです。それが有り難いことですか? 悪いことですか? (有り難いことです)。有り難いと言うのはいいが、自分たちがその立場になるのは嫌でしょう。 次に一つの何ですか? 「一つの国土を誇り」ですね。国家形成の三大要素の主権、民、国土がなければなりません。 次に何ですか? 「言語と文化を誇り」ですね。不倫の愛を中心として話し始めた言葉が何の話だったかといえば、堕落した言葉となったのです。神の愛を中心としてささやくべき言葉が祖国語とならなければならないのに、堕落することによって、サタンの国の言葉をもってささやいたのです。それを蕩減復帰するために私たちは、一つの言語と文化を創建しなければなりません。初愛を神を中心としてささやくことができなかったのです。真の父母のささやきを、この天地万物は聞きたがっているし、その音声圏内に住みたがっているのです。言語の混乱は、堕落することによって、サタンが障壁を造り上げて、人類を滅亡させるための方便的な歴史路程であったことを知っているので、統一教会では必ず言語の統一をしなければならない責任があるのです。それでリトルエンジェルス学校では、祝福家庭の子供たち、日本の子供、アメリカの子供、ヨーロッパの子供たちを勉強させているのです。リトルエンジェルス学校に留学するのです。大学も建てて勉強させるのです。 一九九〇年まで統一教会の若者たちはすべて韓国語を学びなさい。これからは、先生は世界大会の時には通訳を立てないで会議を執行する予定です。その会議(の話)を聞いて、韓国語で報告書を作成させてから出ていくようにするのです。それができない時には国家的威信が問題となります。 先生が公席に上がるたびに、原理的に解いて話をしたので、習わなかったら大変なことになりますよ。アメリカでは今勉強するのに大騒ぎです。 第四番目の私の誓いは何ですか? 「一つの言語」となっていますね。一つの言語とは愛の言葉を歴史上において、この宇宙の中で使うことができず、堕落した言葉を使うようになったこの悲しい事実。神の愛を中心として、アダムとエバがささやきながら千年万年住もうとしたのです。私たちの幸福の天国へと、本来の天国へと、直行いたしましょう。天地宇宙を抱いて愛の鼻歌を歌いながらささやかなければならない愛の天理が、堕落によってささやかれている悲痛なる事実を、神が聞きたいと願うでしょうか? これは宗教でなければ統一することはできません。アメリカ自体がいかに軍事力をもっていたとしてもできないことであり、ソ連自体がいくらソ連の言葉を習わそうとしてもできません。これはレバレンド・ムーンだけができることです。そうでしょう? (はい)。(拍手) それでなぜ四番目にこのことを入れたかということが重要です。言語を統一することが何よりも重要だからです。これまで、どれほど多くの犠牲があったことでしょう。韓国語一つで統一しておいたなら、どこに行っても韓国の群れはいいでしょう。韓国語を世界中で学ぶようになれば、次には第二の母国語を先生が選定します。韓国語を学んだのちには、スペイン語を第二の母国語にしたとするなら、学ばなければなりません。中国語を必要とすることもあります。東洋の三国を統一しようとすれば、世界の四分の一の人口をもつ中国を統一することが、また世界統一するにおいても最も便利です。なぜ便利かといえば、大国であり、インドから中東地域、イラン、イラク、莫大な国家の国境に接しているのです。その統一ができればどんなに素晴らしいことでしょうか? 何時になりましたか? 何時から始まりましたか? まだ三時三十分にしかなっていないですね。先生は十時三十分ぐらいから話し始めたのですよ。打って、ターゲットからそれてしまったので、十発打とうとしたのに七発しか当たっていなかったなら、十発にするために五発を打つことも、十発を余分に打つこともあり得るでしょう? (はい)。余裕がなければなりません。だからといって、割り引きは好まない人ですよ。復帰摂理路程、原理の路程に割り引きはありません。はっきり知らなければなりません。 次に第五番は何ですか? 「父母を中心とした子女」にならなければ天国に行けないのです。父母を中心とした子女になれなかったならば天国に入れません。今日人類において、統一教会の真の父母の言葉がどれほど貴いものであるのか知りません。堕落を認める時、これは公式化する、力のある言葉です。堕落した父母をもっているが、堕落していない善なる父母はどこに行ってもいません。神は死んだのでしょうか? 神は堕落した父母をもってこの天地万物の創造されたのでしょうか? どのように答えますか? 失われたので再び捜し、戻さなければなりません。ですから「父母を中心とした」何といいますか? 子女となったことを誇るのです。いくらカイン、アベルを捜し出して一つになったとしても、父母の子女であることの公認を受けなければ天国に入ることはできません。はっきりするでしょう。気をつけていなければなりません。父母がいなければなりません。その父母は神がなければなりません。それがサタン世界から讒訴されてはなりません。 今日の世界は、一九八六年から、少なくとも三分の二の圏がレバレンド・ムーンを支持するようになります。アメリカにおいてのアジア人は先生の側です。スペイン系も先生の側です。黒人は一〇〇パーセント先生の側です。この前、黒人の代表者が来ましたけれども、その人はいつ先生が呼んでも来るようになっていて、来なければ先生が気合いを入れてもいい立場なのです。白人を手中に入れれば余りあるほどです。三分の二以上になるのです。今度先生が世界的に旋風を巻き起こしたので、ローマ法王が、南米の自分のカトリックの政策方向を、八五年度に設定しなければならない時に、内容がなかったので、今回のAULA(ラテンアメリカ統一連合)組織活動を自分の政策方針の代わりに発表したのです。今回、彼らの幹部が集ったことを先生は知っています。この世界がどのように回っているかを知らなければなりません。 いくら法王だとしても、父母を迎え入れないなら天国へ行けますか? (いけません)。いかなる枢機卿であるとしても、真の父母の血肉と因縁を結ばなければ天国へ行けません。イエスの血統的因縁を換えておかなければ天国に行けません。それはだれを通してそのようなことをしますか? それは天地の歴史を通してもだれもいません。これからもいないし、あとにもいません。レバレンド・ムーン以外には絶対にいません。(拍手) それが可能的でなく、絶対的であり、決定的です。絶対に確定的です。それでどれほど神がやるせなく感じたか、三〇〇万のモスラムをレバレンド・ムーンの啓示を通して二年間訓練させ、そして今回(彼らは)宗教者会議に来て敬拝するのです。「あなた、先生が死ねと言えば死ねるか?」「それはもちろんのことです」。三〇〇万が問題ではありません。これから世界がいかに統一されるか、すべての原理を中心として見る時、宗教統一をいかにするか、それは霊界においてやるのであって、先生は静かにしているのです。座っていても、やらせてすべて統一するのです。 見てみなさい。アフリカにはどのような教会があるかといえば、Unification Church(統一教会)があります。なぜかといえば、(霊界から)「Unification Churchにせよ」と言われ、看板をそのようにして掛けたのです。そしてその牧師の名は別にあるのに、「これからあなたの名をレバレンド・ムーンと言いなさい、文鮮明と言いなさい」と言われ、「Rev. Sun Myung Moon」と看板に書かれているのです。(笑い)我知らずにそのようにするのです。この世に統一教会がないと思っていたし、レバレンド・ムーンがいないと思っていたが、レバレンド・ムーンがいて統一教会の魁首になっているとは、これは何事ですか? ここは母親なるレバレンド・ムーン、統一教会であり、彼らは子供のレバレンド・ムーン、統一教会です。(笑い)このように解釈できるのでしょう。東西南北、八方にすべて生まれてくるのです。これを見て、神様が先生を愛していると思いますか、思いませんか? (思います)。既成教会で考えれば、神は自分たちの神で、その神は賢い神なのに、レバレンド・ムーンに出会って(神は)気が狂ってきたのです。この者たちは頭があまりにもよく回って、それが何の意味かも分からないで、話を合わせることすら知らないのですね。何の話か分かりますか? (はい)。自分たちの神が最も賢いと思っていたが、その賢いという神が狂って先生が好きになったというのです。(笑い) 黄金の袋が先生の後ろに積まれてあって、「先生はいいから既成教会に持っていきなさい」と言います。既成教会の人々は、「あ! あ! 私もいりません。泥棒になりたくないから嫌です」「いやいや、それでもいいよ」という騒ぎが起きます。このような会話は、神が止めはしないのです。愛の冠をかぶって、神にこぶしを振り回しながら話しても、「ハッ! ハッ!」と笑うのです。先生はそういうことをよく知っており、このように話をしても讒訴条件に引っかからない自信があるから、このような話をするのです。牧師の身分でどうして神に対し、こぶしを振り回すことができますか。(笑い)あなたの思いのままになさい。愛の糸に結ばれている時は(たとえ)手紙一通であっても、国の姫であっても飛んで出てくるのです。そうでしょう。王子様も飛んで出てくるのです。そうでしょう? その国の女王様も飛んで出てきます。愛の糸には王様も飛んで出てきます。いかに法が厳しくとも、それを踏みきって飛んで出てくるのです。それで法を自由に飛び越える力をもっているものが愛の力です。分かりますか? (はい)。そのような愛においてのみ自由があります。「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネ福音書八章三二節)という聖句の中でのその真理は、愛の真理をいうのです。科学の原理、ピタゴラスの原理ではないのです。愛の原理からいう言葉です。分かりますか? はっきり分かりましたね。 天国を成そうとして、もし先生がアメリカを救おうとすれば、アメリカの大統領を一つの父母の位置に立てて、アメリカの民を子女の立場に立てて、アメリカのすべての物を万物の位置に立てて、旧約、新約、成約時代の三時代を経て万民救援の解放をし、神の解放のためささげてきたその歴史的なことを、再び繰り返すことのできるアメリカにつくり変えるなら、アメリカは世界を得るでしょう。神を得るでしょう。神は永遠性があると同時に、世界のすべての心を占領することができるという事実を知らないでいるのです。先生はそれを知っているので、それを成そうとするのです。分かりますか? (はい)。 天国をつくって、生活しない人は天国に行くことができません。先生が監獄に入って鉄の鎖につながれて生きるそのような立場に置かれても、私には拘束することのできない愛があるのです。先生が腰を曲げて眠れない立場にいる時に、夜起きれば手に輝きがあったのです。なぜでしょうか。神様が抱いておられることを知ったからです。闇の夜に光が輝くのでした。先生の呻吟する音、その泣き声を聞いて、監房において最も大切に思うはったい粉を、翌朝、みんなが先生の所にもってきてくれるのです。距離を越えてどこの監房の何号に、「あなたがこれ(はったい粉)をもっていかなければこの監房全体が平安でなく、あなたの家族が平安でないので持っていってさしあげなさい」。神は愛の神であります。そういう神を冷遇する背恩忘徳な統一教会の群れとなってはいけないのです。 あなたたちはこれまで自分勝手に生きてきたでしょう。先生はこの道のために罪人の中の罪人の姿で、負債をもった者の中で最も負債をもった者となったのは、悔しく冤痛(注:悔しくてたまらないこと)な神の事情を知っていたからです。万民が死の境地において呻吟し、メシヤが現れ救いを求めるその声を聞いているので、このような道を歩んでいることを忘れてはなりません。雨が降り、雪が降り、疲れきって倒れる場においても楽なベッドを求めることができず、歳月をつかまえて、床の上に座って痛哭したことがいくらでもあるのです。いくらでもあるのです。一生を通して孝行することのできることがあれば、先生はその道を選べばどれほど楽であったか。万世代に恨を抱いている、神のその恨を慰めることのできる道を先生が知ってからは、楽な日々を考えることができませんでした。我が統一教会や、先生の直系の子女たちも知らないのです。そういう話をしようとするのではありません。悲しみを残したくないのです。涙を残したくありません。解放のために、大胆な青年男女をつくりたいのです。希望に満ちあふれるあすが、目前にあることを見せてあげたいからです。それで自分の苦労の峠を越えては忘れ、こういうことを繰り返してこのような基盤をつくるために気が狂い、あちらこちらで悪口を言われ、追われながら回りに回って、今日ここ韓国に来て、滅びることなく、死ぬことなく、天下が見上げることのできるこの位置にまで来たことも、神の愛の功績によってであるので、神の前に感謝するのであって、レバレンド・ムーンに感謝する何物もありません。先生も今、歩まなければならないのです。分かりますか? (はい)。 子女を見るとかわいそうです。先生もそういう時がいくらでもありました。先生の手で両親に、ハンカチ一枚買ってさしあげることができなかったのです。先生は統一教会の人に家を買ってあげたり、服を買ってあげたり、あらゆることをしながらも、先生の兄や姉は、北韓で虐殺されたと思います。彼らのために先生は祈ることができませんでした。祈って霊界に尋ねれば分かるのですが、祈ったことはありません。先生は、任された責任を果たす以前においては、自分の一族を省みることのできない天理を抱き行く、忠孝の道理がそれであることを知ったからです。 今日、皆さんはこれを知りました。天国は皆さんの家庭から始まるのです。分かりますか? (はい)。国を天国にし、世界を天国にすることは、だれができますか? 距離があるのです。皆さんの家庭とこの世界とは遠いのです。それで先生が知っているので橋を架けたのです。その祝福を受けるためには、皆さんの氏族を中心として、一家を中心として先生が成したそれと同じように旧約時代、新約時代、成約時代の復活圏をつくって、一度に生きた祭物となって、神を愛したという公認を受け、人類を愛したという公認を受けてこそ神と真の父母は、天国に入るビザの発行が可能となるのです。そのビザのサインをだれが先にやるかといえば、神が先にやるのでなく、真の父母が先にやるのでなく、サタンが最初にしなければならないのです。サタンがですよ。サタンは検事です。サタンがサインをし、次に真の父母がサインをし、神がサインをしてこそ天国へ入れるのです。このような話は初めて聞くでしょう。イエスは弁護士の立場です。それでこのような蕩減条件を中心として、サタンの世界の愛以上に怨讐を愛さなければなりません。 それで先生は、アメリカのダンベリーにおいて、アメリカを愛したという世界史的な勝利の覇権を取ったのであります。そして怨讐国家、韓国と日本が怨讐であり、日本とアメリカが怨讐、アメリカとドイツが怨讐、このような怨讐国家を中心として結束して、怨讐国家を統一教会で集めるのです。自由世界の中でアメリカが怨讐の元凶なのに、この怨讐国家を救うためには、アメリカの国民が愛する以上にアメリカを愛し、ドイツにおいてはドイツの国民がドイツを愛する以上に愛し、日本国民が日本を愛する以上に怨讐の国に行って、その国民全体が国を愛する以上に愛したという条件を立てて、四大国が一つにならなければ地上に天国を(建設する)出帆はできません。それでその基盤をすべて築いて帰ってきたのですよ。分かりますか? (はい)。すべてつくって、すべて整えてです。ですから世界のすべてを受け継ぐために皆さんは、個人天国、家庭天国をいかにすればいいか分かったでしょう? (はい)。氏族の天国は分かったでしょう? カイン、アベルが一つにならなければなりません。そうするためには旧約時代、新約時代、成約時代に皆さんの物質を投入しながら、神が肥料として生きた祭物として血を流すようにしたのと同様に、受難を通して成そうとしたのと同じように、皆さんもそのような思想で一つにされなければなりません。個人もそうであり、家庭、氏族、民族、国家、世界が一つにされなければなりません。そうしなくては大韓民国においてそのような国家をつくるためには、皆さんが氏族に対してそうすることのできる確固たる運動をした実績を残さなければ、大韓民国の国家基盤、天国基盤が顕現することができないのです。そういう国家が韓国の国家を中心として怨讐世界の国家にこれを設定しなければ、世界の天国国家へと連結できる基盤が顕現しないのです。これは理論的です。ですから皆さんはこれから個人天国、氏族天国、民族天国、国家天国へと各国を中心として、各個人を中心として、このような目標に向かって前進するようになれば世界的天国理念は自動的に連結され、地上に天国が完成されるという論理的結論を出すことを知っていますので、きょうからそのことを急がなければなりません。三年以内には峠を越えなければならないと先生は考えていますよ。この期間にはいかなる犠牲をも省みることなく、前進一路を誓わなければなりません。分かりますか? (はい)。歓迎する人は手を挙げ、歓迎しない人は頭を下げなさい。ありがとうございます。 一九八六年を中心として、天国創建のための総進軍を、この時間、神の名と父母の名と皆さんの名と世界統一教会の名で宣布いたしますので、そのとおりになるように。アーメン。(アーメン)。お祈りしましょう。 流れる歴史路程に数多くの悲しみ、数多くの曲折の事情もありました。その中で流れ去っていったすべての先知先烈たちが血みどろな闘争の歴史、地上に血の深い溝を残した事実を知っておりますので、その恨に満ちた深い溝を埋めることができなかった歴史的な恨みに対して、今日真の父母を中心として連結されている子女たちがこのように決意を誓う中において、前進的な発展を中心として総進軍を誓うこの姿を見て、喜んで、期待していることを知りました。どうか霊界にいる数多くの霊たち、善なる先祖たちを動員され、後代にいる後孫たちと一致化させ、天上地上が一致化された中で、天国創建の一路の勝利のみが残されることをお父様の前にお願い申し上げます。 これから全世界に広まっている統一の群れ、特にイースト・ガーデンに残されている幼き子女たちと、アメリカと連結されているすべての統一の群れ、全世界に広まっている統一の群れ、今父母様がおられる所に向かって心を集めて、十年を祝賀記念しながら、神の願いの成就の一時が来ることを待ち焦がれているので、どうかここで伝えたみ言が伝わることができるように、早急に待っている彼らの心の前に、待ち焦がれるその心を越えて、愛の心に酣酔(かんすい)できる神の働きが共にあらんことを懇切にお願い申し上げます。 残りの闘いにおいて、砂漠、荒野を通り過ぎるにおいて、強く、大胆な神の正義部隊となって、カナン福地路程において、勝利的旗印のもとで、一方通行が可能である誇らしき天の正軍となれるように許諾してくださるように懇切にお願い申し上げます。 これかは始まる三六五日をあなたが見守り、保護してくださいまして、愛する中において脱落することなく、全部がお父様の誇り得る、褒められる息子、娘となれるように祝福してくださり、導いてください。許諾してくださった日の前に、責任を果たすことをより一層誓い、あなたの栄光の一日(の到来する期間)が短縮されることを祈りながら、このすべてを真の父母の名で宿願いたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.28
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「天国創建」1986年1月1日「神の日」午前零時 祈祷 愛するお父様。たった今、悲喜の双曲線を描いてきた一九八五年は過ぎ去りました。新しく迎える一九八六年、元旦のこの時間を迎えました。この時間を祝福してください。 お父様、きのうまでの神の復帰摂理の総決算のために、み言をこの本部教壇において宣布いたしました。旧約時代には万物を犠牲にして、子女たちが行くべき道を整えたのであり、新約時代には子女たちを犠牲にして父母様の行くべき道を整えたのであり、父母様と父母様の家庭を通して神様の解放のため、復帰の摂理を推進させてきた事実を通告いたしました。お父様、今や最後に越えなければならない責任分担完成を中心として、アダムが果たせなかった。相対的な立場においてはカイン、アベルの基準を清算し、血統的起源を転覆すると同時に、真の父母に侍り、天倫の愛の道理を受け継ぐべき縦的な基準を、世界史的な基盤において蕩減いたしました。そののちにおいて、神の愛と地上の愛、神が想像された間接主管圏と直接主管圏の愛の一体化圏を全世界的な基準において蕩減復帰したその基盤の上に、神の所願していたすべてを清算いたしました。新しい次元の一つの転換時点を迎えるようになった一九八五年代を過ごし、一九八六年から新しい歴史的な摂理にページが始まるこの瞬間を迎えました。 長かった第二次世界大戦以後の四十年間、キリスト教の使命を完結させ、世界の平和基準を探求してきたお父様の摂理の責任を、キリスト教を中心としたアメリカが果たすことができませんでした。それにらなり、その代表国である韓国を中心としてキリスト教と統一教が一つになることができず、それゆえに一つの国、この国を立てることができなかったのです。ゆえに神は孤独な立場に立って荒野路程に追い出され、彷徨する四十年路程を経てきました。個人的土台と家庭、氏族、民族、国家、世界すべての分野の反駁を受けながら、闘いの一路を開拓されたお父様の歴史的な苦労の行路の前に私たちは、この時間頭を下げてもう一度回想しなければなりません。そして人類がこれまで犯したすべての罪状を容納(注:人の言葉や行動を寛大に受け入れること)してくださることを心を一つにして、私たちがこの八六年元旦のこの朝にお父様の前に通告いたしますので、真の父母の名をもった息子、娘を中心として矜恤(きょうじゅつ)にみてくださり、容納してくださることを懇切にお願いいたします。そのようにしてこれらをアメリカの地において十三年という歳月を中心として、十三数の蕩減起源を解決するための多くの受難の道を経ながら、世界史的な、二十世紀史的な十字架の頂上に登ってイエス時代に恨として積っていたすべてを再蕩減する歴史を展開させて、世界史的な蕩減の勝利の起源を一つの画期的な線を書くようにしてくださったお父様の驚くべき摂理のみ旨の前に、私たちは心を尽くして、お父様の前に敬拝と感謝をささげるばかりです。 お父様、アメリカにおいて整えられた土台をこの韓国に連結させ、韓国の中心とした世界の国々が、今や平衡基準において統一圏を形成しなければならず、そのための新しい出発を予告するこの時間となりましたので、これから韓国にいる食口と共に心と心を合わせ、手に手を取り合ってこの時間、新たにお父様の前で決意いたします。私たちは、これから果たさなければならない天国創建という膨大な歴史的使命を堪當(たんとう)(注:仕事を十分になし得ること)しなければならないことを知っています。 過去の長かった受難の道を回想するごとに、訪れた自由な環境世界でありますが、私たちが走っていかなければならない責任が重大なゆえに、個人を始め、家庭、氏族、教会を治めながら、世界の限界線を越えるための最大の努力を傾注しなければなりません。真正なる意味における孝誠の道理と忠臣の道理を果たさなければならない膨大な時期が、私たちの前に到来していることを知っていますので、ここに集った群れは各自の心を一つにしなければなりません。個人においては神と連結するために、次子の立場にある良心を中心として長子の立場に立っている体と、これらが堕落によってカイン、アベルの歴史を経ながら蕩減復帰の恨をここに、この間隔の中心として闘争の歴史として展開されたことを思う時、今や良心の体を自然屈服させるための闘いの路程を、私たち個人において完結しなければなりません。 心が命ずるごとくに体が一つとなり、今までサタン側の長子的主管的立場にいた体が心に屈服しないゆえに、カインを屈服させるためにアベルの犠牲の代価があったのと同じように、カインがアベルの前に屈服しなければならない困難な道がこの心と体の間にまだ残されていることを思う時、これからは新しい歴史時代として展開されてきます。心を中心として体を強制的にも屈服させなければならない天的使命の時代が来つつありますので、これが一つにならなくては母親を中心として帰る道を見いだすことがてきない怨恨の歴史を知っています。 カイン、アベルが逆になっていたのを長子権復帰をして、双胎の立場で母親の胸中から再び生まれなければならない運命の道が復帰の道であることを知っているので、息子、娘が一つの母親の胸の中で愛されるその場において、初めてお父様を呼び復帰することができるというこの膨大な事実を私たちは知りました。これが、個人から家庭、社会、世界全体あるいは天宙歴史路程の上に、公式的な反復の歴史として展開される事実を私たちは知っているのです。これから個体において、心の長子を呼び起こして体の次子権を屈服することのできる自然なる本然の人間の形態を整えることによって、父母との愛と夫婦の愛が新たに出発することを知ったので、このような基準を立てるところにおいて天国が出発する事実を知りました。 このような個人と個人が再び相対圏を備えた相対的立場において、平面基準においては、これが主体、対象の関係がカイン、アベル圏と同じ立場でありました。それで長子権復帰の基準を実践しなければならない立場に立っているのが、アベル的立場の身代わりであるエバの立場であり、相対者、女性の立場であることを思う時、男性を中心として絶対屈服することによって平衡基準を一致化できることを今や、私たちの統一家の家庭の基準として宣布するこの時間となったことをはっきり知りました。 家庭の行くべき本然の基準――これからは男性を中心として女性たちが絶対に屈服して一つにならなければなりません。これによって、お父様のみ旨の前に本然の堕落したアダム、エバの恨を解き、主管性転倒のすべての内容に対して再び権威を立てて、神に侍ることのできる起源を私の家庭に探し立てなければなりません。その膨大な基準が残っていますので、それを立てずしては家庭の天国を形成することができないということを知っています。このような夫婦が一つになることによって、父母様を迎えることができ、四位基台完成圏を形成し得て、天国に入っていく創造的理想圏を私たちは知りました。 このような実践路程において、今まで祝福家庭が果たし得なかったことを、今まで八五年度までにすべて流してしまって、八六年度においては家庭の伝統とともに、家庭天国の形成のためには、絶対的基準において、夫婦が愛で一致され、その愛の一致は父母様を迎え入れなければならないというこの絶対の基準であることを知っています。父母様との愛の関係を結ばずには、その家庭が家庭天国を中心として本然の世界に入っていくことができない事実を知ったのです。このような公式的な路程の上に通告することのできる家庭的天国基盤を、神がこの時間命令するままに各自の家庭に形成することができるように許諾してください。 この勝利した家庭を中心として、四位基台を中心とした家庭が、これから家庭教会へと出発します。カイン圏家庭を形成した、その長子復帰カイン圏を成して、次子復帰基準において、神のみ旨の前に一つになる時に、長子と次子圏の氏族が一つになります。その基準の上に立てられた四位基台の私たち祝福を受けた者が、伝統を残して、四位基台の兄弟的心情圏を形成することによって、本然の氏族的な父母を迎え入れることのできる基準が連結されるのです。ここから、国家形成の基盤が横的に展開されることによって、このようにして国家天国が形成されることを知っています。国家天国が形成されれば、国家と世界を中心とした時から、横的な立場でなく縦的な立場で、国の中心とその民が一つになる立場に、父子の関係の因縁を結べば、それは天国と通ずることのできる因縁となります。 氏族復帰基準を中心として蕩減解怨が平面途上に、今日統一家に残っています。これを清算すべき家庭教会運動に私たちがこれから本格的な出発をしなければならない、新年のプログラムの前に恥ずかしくない個人と家庭となれるように許諾してくださることを懇切に願います。 そのようにして国家基準を成すとき、世界天国へと、世界天国を通して天宙天国へと神の解放と全体解放圏をこの地上に、天上世界に成し得ることによって、これから出発するすべての歴史が、一つの目的圏に連結されていることを知って、八六年度から本格的な新しい出発を決意し誓うこの時間となれるように、お父様、懇切にお願い申し上げます。 これから私たちの心を一つにし、歴史的摂理のすべてを洗い流し、新しく解放された姿となって、神と真の父母に侍界て、私たちにおいて整備しなければならない個人的、家庭的、氏族的な天国基盤を、いかなる困難があろうとも、これを清算しなくては、サタンの讒訴圏を逃れることができないことをはっきり知りました。この責任完遂のための路程の上に各自の五パーセントの世界史的な摂理が残されています。この責任を完遂するために、決意できる新しい八六年となれるよう許諾してくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 今、この真の父母の名をもって、ここに集まっている真なる子女たちと共に、ここに集まっている祝福家庭とその二世たちと共に、お父様の前に新たに宣誓いたしますので、新しく出発する八六年の前に恥ずかしくない責任完遂を成すことを宣誓しながら誓ますので、これを受けてくださることを懇切にお願い申し上げます。そのようにしてこの本部と共に、連結される韓国にある統一教会と韓国の国と、この国と連結されている日本とアメリカとドイツを中心とした一二〇国家ばかりでなく、興進君とイエス様と連結されている霊界のすべての、これまでに行っているすべての霊人たちを中心として、数多くの前後左右に連結される道主を中心とする多くの宗主、君主を中心とした忠臣烈女たちを連結させ、一つの所に束ねて、新しい方向へと一致化することのてきる天圏の伝統が始まる八六年となりますので、神よ、守ってくださいまして、このすべてをみ旨のまま経綸どおりに立ててくださることをお願い申し上げます。 許諾された使命の前に恥ずかしくない姿となれますよう心と体を一つにして、あるいは個人から夫婦から家庭から、あるいは氏族から全体を合わせて宣誓いたしますので、このすべてを喜んでお受けになって、今後において行くべき天国創建の使命を堪當し得ますよう祝福してください。すべてを真の父母の名を通して祝願し宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン。---------- ---------- ---------- 今年の年頭標語は「天国創建」です。今までは「祖国創建」でしたが、天国を創建するには公式があります。その公式は何かといえば、カイン、アベル問題です。歴史路程において、カイン、アベルの問題です。もし堕落になかったならば、アダム、エバが長子、長女となって本然の神の直系の子女となったはずでした。しかし、堕落することによって、長子の立場を奪われてしまったのです。アダムは長子の立場を奪われてしまったのです。これを復帰するためには、サタンが上にあり、神が下になり、次子を神が取って、長子の立場を復帰する歴史を展開してくるのです。これが個人から家庭、氏族、民庭、国家、世界に至るまで、長子権を復帰しようとすれば、そのままではできません。長子は兄でありますが、兄を次子にし、次子が兄にならなければなりません。そういう道理はありません。 堕落しないで長子が長子として生まれたならば、その父母の系統を受け継いで父母の代わりに次子を指導することができるのです。そのために長子の権限は、次子を支配することのできる立場です。それで今まで、堕落した後にサタンが長子を取ったので、次子を支配できる立場に立ってきたのです。それで、これを復帰するためには、強制的に復帰することはできないのです。愛をもって、その長子権を復帰するためには、サタンの愛以上の愛がなくては帰ってくる道がないのです。このことを知らなければなりません。サタン側の愛、堕落した愛、堕落した父母あるいは堕落した兄、彼らがもっている、堕落した世界がもっているすべての愛は、サタン圏に属した愛です。このサタンの愛というのは何かといえば、長子圏に属する愛なのです。 では、これまでこの世のすべての人々が属しているその愛、あるいは夫婦の愛、父母の愛、子女の愛とか、愛というすべての愛は長子圏、堕落圏に属した愛なのです。それでこの長子圏を越えるためには、次子の立場において、逆にこれを蕩減復帰しなければなりません。蕩減という言葉は、そのままに越えることはできません。サタンが必ず代価を払わなければなりません。代価を払わなければ越えることができません。蕩減するのに、何をもって蕩減するのでしょうか? 愛の犠牲、愛の心をもって血を流すところにまでいかなければなりません。それでこの前、話をしたように、旧約時代にはすべての万物が血を流し、神側の人々、神の愛する神の子と神の僕と神の養子とが行くこのとできる道を開いておくのです。これが旧約時代です。それで旧約時代はすべてが万物を犠牲にして神の人々を蕩減復帰するために血を流さないわけにはゆきません。血を流すにも、強制の血をもってではいけません。自ら進んで犠牲の血を流す、そのようなものでなければサタン世界の愛よりも優れたという愛の道を見いだすことができないのです。祭物というのは、そのような意味においてサタン側の所有物を神の側にもとがえす、一つの条件となるのです。 このような内容をなっていることを歴史路程においてはっきり分かりませんでした。しかし、そのような歴史を経てきたことを知ったので、人間世界では祭祀(さいし)をささげてきたのです。祭物の中には万物の祭物とか、ここには牛とかぶたとか、女性を殺して祭祀を行ったのであります。その祭祀を行うには、どのようにすれば良いかといえば、自分の生命の代わりにささげるのですが、それをささげることによって、自分自身を見いだし、本来の長子の立場を探し出すために、自分自身を犠牲にすることのできる愛の心をもたなければ帰っていく道がないのです。それで旧約時代は、神の人々を探し求めるために犠牲となってきたのです。愛の祭物として犠牲となるのです。自ら進んで犠牲になるこの立場に立てなければ、神へ帰っていく道がないのです。 新約時代はどのような時代かといえば、イエス様が神の息子として来られ、次にキリスト教信者が養子圏の立場で、キリスト教圏を中心として犠牲となってきたのです。キリスト教圏とは何でしょうか。新約時代は、神の子女、神の人々を犠牲にして何を復帰するための時代であったかといえば、父母様を復帰するのです。そのためにキリスト教は、兄弟であるカイン、アベルのうち長子がサタン側になったので、次子が長子の位置に世界的基準にまで上がっていくのです。そのような世界的使命をキリスト教が今まで歴史を代表してやってきました。それゆえ世界的な迫害を受けながら、キリスト教は今まで血を流しながら、愛をもって奉仕し犠牲になることによって、兄が愛する弟を打ったり、けったり虐待したりあらゆることをやってこれ以上やることができないという限界線に到達したとしても、弟は死ぬまで愛をもって兄に対するのです。ここから回っていくのです。 イエス様は十字架上で怨讐のために祈りました。今まで先に生まれた人々は長子です。長子権です。あとから生まれた次子の立場から長子権を蕩減復帰しようとするから、全世界の人々を愛したという条件を立てなければならないのです。そして血を流さなければ越えていく道がありません。このような意味から、祭物の代わりに十字架の道理が成立したということをキリスト教信者は知りません。なぜ十字架で亡くなったかという問題を知りません。 なぜ神の息子が来て祭物にならなければならないかという問題を皆さんは知りました。長子権におけるこのような膨大な誤謬を犯したこの基準を正さなければ、元の根が正されないのです。根が正されなければ過程も正されることができないし、結果も正される道理がないのです。根本を正しておかなければならないため、旧約時代には万物を犠牲にして神の人々を探してきたのであり、新約時代には人々を犠牲にして父母様を迎えるのです。 再臨主がだれかといえば、新郎が新婦を探してくるのですが、その新郎はだれでしょうか。本来堕落しないで私たち人類が神の愛と神の完全なる人、長子となって、長女であるエバと一つとなって初めて、愛を中心として子女を生んでいたならば、長子と次子の蕩減復帰はあり得なかったのであります。初めに生まれたのが神の長子であり、次に生まれた子もすべて神の子女となるのです。堕落したために、誤った血統を受け入れたのです。それで新約の時代は何かといえば、神の人々を犠牲にして父母が来られる時代なのです。 再臨時代というのは何ですか。新郎、新婦というのは何ですか。新郎、新婦は本然の父母を探すためのものです。父母を探すことによってカイン、アベルの兄弟が一つになるのです。また一つになるにはどこで一つになるのでしょうか。母の胎内で一つにならなければなりません。どこで逆転しなければならないのでしょうか。外で逆転すれば、それは根本的な逆転ではありません。胎内に入って胎内からこれを正さなければなりません。それで旧約の歴史の中でそのような役事を通してきたのです。カイン、アベルは兄弟各々成長して逆転したのであり、これをだんだん縮小してエサウとヤコブ時代においては双子です。双子をもって逆転するのであり、次にユダの時代になると、タマルを中心として腹中においてペレヅとゼラが闘うのです。このように闘うという逆転歴史がありました。このような歴史の起源を整えてきたその血統を通してイエスが生まれたのです。逆転させた勝利の土台の上にイエスが直系の血統を受け継いだのです。それを逆転させた起源は二〇〇〇年前であります。サタン世界は個人の基台ばかりではなく、国家基準となっていたので、個人基盤から国家が形成される時まで二〇〇〇年待ち、マリヤの時代になってイエスをみごもったのです。 イエスをみごもったという事実は初めて人間の世界に神の愛を腹中にはらんだということであり、その時サタンが讒訴することのできない長子権が初めて始まるのです。皆さん、イエスが救世主となり、救い主になる原因はここにあるのです。仏教の釈迦やその他の孔子やマホメットと違う点は何でしょうか。何が違うかというと、イエスはサタンが残していたこの土台を清算して、血統を初めから清めて長子権、讒訴圏を腹中において全部転換して生まれたのです。そのような伝統的立場に立ったので、人間の血肉をもって生まれましたが、初めて人類の歴史路程において腹中から神の長子の位置を取得したのです。それで聖書の中で独り子というのです。独り子という言葉がどのような意味であるかを知らなければなりません。数多くの人々が生まれましたが、人類歴史の中でたった一度イエス様のみがこのような血統を母の腹中から転換して、次子でありながら長子として生まれたのです。 皆さんはペレヅとタマルの歴史を知っているでしょう。創世記三八章を見ると、舅(ユダ)とタマルが関係をもって生まれるのです。なぜでしょうか。原理を知らなければ旧約時代はすべて妖邪(注:よこしまであやしいこと)になってしまいます。なぜそうであったかということを知らなかったのです。タマルの出産の時に兄が手を先に出したので産婆が緋の糸で結び、手を引っ込めると弟が追い抜いて出てきたので、これをペレヅという名にしたのです。兄があとに出て、弟が兄となったのです。 腹中から闘うということは、エサウとヤコブの時と全く同じなのです。腹中で二人の子が闘っているのでリベカが神様に、「こんなことでは、わたしはどうなるのでしょうか」(創世記二五章二二節)と尋ねてみると、神様は「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹か別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(同二三節)と言われるのです。なぜ大きな者が小さな者に侍らなければならないのでしょうか。なぜそうしなければならなかったかということを知らなかったのです。ですからこの根本を解かなければ帰っていく道を探し出すことができないのです。それで私たちの原理を知らなくてはならないのです。歴史路程の上において長子権復帰を果たさなければなりません。エサウとヤコブがリベカの胎中において、ペレヅとゼラがタマルの胎中において血統が清められ、長子権復帰が初めて果たされたのです。それから二〇〇〇年後のマリアの時代にイエスがユダヤ教の伝統に従い、サタンが既に国家基盤を中心としていたので、国家基盤を整えて生まれなければならなかったのです。 イスラエル教会とイスラエル国家は、アベルとカインと同じなのです。イスラエル国家は外的で教会は内的です。カイン、アベルと同じです。ではどちらが先かといえばイスラエル国家がカイン的で教会はアベル的ですから、アベル的教会の前にイスラエル国家が屈服しなければならないのです。そうすることによって長子権復帰が果たされるのです。イエスがいくら長子権をもってきたとしても個人的であり、あるいは家庭的な長子権をもっていたとしても教会と国家的長子権へと打って出ることができないのです。それでイスラエル教会を代表してイエスの前に連結するために洗礼ヨハネを立てたのです。洗礼ヨハネとの関係を見ると、イエスがアベルの立場で洗礼ヨハネはカインの立場です。洗礼ヨハネが自然にメシヤに侍り、絶対服従してイエスがアベルの立場でその教団的なイスラエルから長子権を取ったなら、この二つが一つになった基盤の上にだれが連結されるかといえば母親が連結されるのです。聖霊が役事するのです。神の力が役事するのです。聖霊の役事を通じずしては父親に出会う道がないのです。新郎に出会う道がないのです。 そして皆さんの心と体が一つとなるのです。体は何かというと先に造られましたので、サタン側です。神が造られる時に霊を先に造られたのではなく、体を先に造られたのです。先に造られたのが体であるから、すべてにおいて先に生まれるのは神の原則によって長子権であります。エジプトにおいてなぜ長子を打ったのでしょうか。聖書を見ると長子はみんな罰せられたのです。なぜ次子が恵みを受けるのでしょうか。今まではこの原則を知らなかったのです。この原則が公式となっているのです。それで体は長子権で先に生まれ、鼻に息を吹き入れたあと、生命となったと言われたのです。霊はあとなのです。それで神側はあとを取ったのです。サタンが愛によって堕落することによって長子権はサタンが取り、次子権は神が取って、だれが上に上がろうとするのかといえば、サタンの立場の長子が上にいるし、神がその下にいるのです。これを転換させなければなりません。全世界的に、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天と地においてまで転換させなければなりません。 そのような関係が全世界歴史を通してつづられてきたのに、これを正すことができなかったのです。しかしキリスト教は、その歴史においてローマ帝国からあらゆる迫害を受けながら、犠牲の血を流しながらも今日、世界の主流の宗教の立場に立っています。世界の父母さまが来られ、自由に長子権復帰を果たし、次子を自由に主管できる世界を形成するために、キリスト教文化圏は発展してきたのです。その時がいつかといえば、第二次世界大戦の時です。キリスト教とキリスト教文化圏を中心として長子権を結束し、次子たちであるキリスト教以外の宗教人や非宗教人たちを全部キリスト教文化圏に吸収することのできる時が、二第次世界大戦直後だったのです。その時、長子権と次子権が一つになればだれが来るかといえば、主様が来られるのです。父母が現れる時なのです。長子権と次子権が一つになれば母親を迎えることがてきるのです。言い換えれば、地上に最高の新婦が現れ、子女を治める立場に立てば主様が来るようになるのです。新郎であられる主が来られるのです。 それでは、堕落したアダムが復帰されるためにはどうしなければならないか。アダムはエバによって堕落したのです。エバが堕落させたのです。エバが動機となったのです。母が動機となったのです。今まで歴史時代において、なぜ女性たちがこれまで虐待を受けたかといえば、堕落のゆえです。これまで人類歴史、救援摂理歴史において、あらゆる犠牲を払ってきたのは女性たちです。男性によって犠牲となり、子女たちによって犠牲にされてきました。犠牲にされたとしてもその価値を認めてもらえないのです。流されてしまうのです。では女性は、どのような時に初めて解放されるかといえば、本然の新郎に出会って、本然の子女を抱いて、その本然の子女がサタン側と神側に分かれていない、神側の長子と神側の次子として抱く時です。神と夫の前に支配を受けるべきエバが逆に支配してしまったので、これを蕩減復帰しなければならないのです。絶対服従をする立場においてアダムを迎え入れなければなりません。夫を迎え入れないでは神の前に出られないのです。 キリスト教には、よく信じている人とあまり信じていない人、カイン、アベルがいるのです。これが完全に一つになって、そこに聖霊なる新婦を中心として全部が一つとなり、主が来られた時、絶対服従することのできる体制を準備してきたのです。それがキリスト教文化圏です。キリスト教を中心として見るとき、世界を一つにすることのできる時がいつかといえば、第二次世界大戦直後しかなかったのです。宗教文化圏を中心として一つに束ねて治癒することのできる時が歴史時代にたった一度あったのですが、それがいつであったかといえば第二次大戦直後だったのです。 キリスト教を中心として、アメリカの民松主義を中心として、その時に教会とアメリカが一つとなって父母として来られる再臨主を迎え入れたならば、アメリカと自由世界はこれほどまでに悲惨にはならなかったでしょう。しかしその責任を果たすことができなかったがゆえに、今日統一教会でいう、真の父母の因縁を結ぶことができなかったのです。カインとアベルを一つにしなければ父母の帰ってゆく道がないのです。それで第二次大戦直後に戦勝国家群がいやが応でも敗戦国を独立させなければならなかったのです。兄弟国家時代に入っていくのです。それらが一つになってこそ、父母様を迎え入れることができるのです。それで先進国が兄の立場で、敗戦国を思いのままに主管する立場ですが、拘束するのではなく解放してあげるのです。同じ立場に引き上げてあげるのです。これが歴史時代にない一つの顕著な事実として浮き彫りにされたのです。父母が来られる、天運の時が来るのでそのようになるのです。 第二次世界大戦後に、キリスト教とキリスト教の文明を中心としたアメリカが世界を一つにするには、カイン、アベルだけでは一つにすることはできません。父母を迎え入れて父母の家庭を作らなければなりません。父母の家庭から、父母と子女が願う国が生ずるのです。兄弟たちが願ったからといって家庭がつくられるのではありません。父母がいなくては家庭がつくられません。父母と子女が一つになったそのようなところから天国がつくられるのであって、兄弟が一つになっただけでは天国はつくられ得ないのです。 それでこのような摂理を御存じの神は、第二次大戦直後に世界を一つの文化圏、キリスト教文化圏にしたのです。キリスト教はアベルの立場であり、アメリカはカインの立場ですが、だれが支配しているかといえばキリスト教が支配しているのです。ですからアベル的立場がカインを支配する立場になったのです。それでだれを願うかといえば、主を願うのです。主を願うのですが、主はだれを訪ねてくるでしょうか。新婦を探してくるのです。それで新婦を準備して待たなければなりません。その新婦は母親です。それで長子権のアメリカと次子権のキリスト教が完全に一つとなって母親を迎え入れ、私の国に来てくださいというのです。自分たちが絶対に一つとなって、父母様を中心とした神の願う家庭さえできれば、氏族の編成は問題ないのです。そうではないでしょうか。神の願う氏族編成から、神が願う国家、数多くの国家、神の願う世界は自動的に、七年以内に編成されるのです。これを失ったのです。 韓国とアメリカは、イスラエルとローマと同じ立場です。ローマは当時太陽神に侍っていましたが、今のアメリカは神側に立っていて、サタン側ではありません。そして韓国がアメリカの保護を受ける立場において、自主独立するのです。立場がそうなのです。ローマはイスラエルのすべてを滅ぼそうとしましたが、アメリカは滅ぼすのではなく、神側の国としてイスラエルのような国を生かすのです。そのように、反対の時代を準備していたのです。そうすることによって、当時イエスができなかったことを蕩減復帰することのできる環境がつくられ、韓国が連結されるのです。 韓国において延禧大学と梨花大学事件がありました。それは二世を中心として連結していくのです。これを連結すれば、二世を中心として一世のキリスト教と二世が、主従の関係から見れば父子の関係となります。梨花大学と延禧大学を相対的に見るとき、横的関係です。この浜的関係がアダム、エバのようで、これが一つになれば、主従関係は父母たちを中心として一世と二世が自然に一つとなるのです。それは原理原則によってです。一世と二世たちが完全に一つになれば、カインは当然屈服するようになるのです。カインは屈服するようになります。神の保護圏内に入ってきているので、二世アベル圏が一つになる日には一世たちは自然に一つになるようになっていました。イスラエル民族においては第一世たちは荒野において死んでしまったのですが、韓国は神側の保護圏内にあるので、一世が死ぬのではなく二世と共にカナンの地に入っていくことができるのです。これは当然なことです。 しかし、そのような環境を中心として韓国で連結しようとしたすべてに対し、梨花大学と延禧大学の事件を中心としてキリスト教が完全に一つとなって統一教会に反対したのです。もし朴マリヤを中心とした李承晩(イスンマン)政権、金活蘭が一つになったなら、もちろん朴マリヤは一つとなり李博士とも親しい立場であったので自然に一つとなれるはずでした。そうであれば、アダム、エバ圏を中心として見ると、梨花大学と延禧大学が堕落しない若き男女のような立場になり、(統一教会と)キリスト教とは父子の因縁で一つとなり、家庭的な面において四位基台圏をつくるのと同じようになるのです。その中には個人の家庭もあり、氏族の家庭もあり、民族の編成が始まるのです。そのようにして李政権と完全に一つとなっていけばキリスト教を中心として国が一つとなるので、国家的基準において父母が立つことのできる場が設定されたはずなのです。分かりますか。 そうなれば韓国を中心として真の父母の理想は、確固たるものとして出発していたでしょう。国とキリスト教の背後にアメリカの国と宣教師がいるのです。国を代表してホッジ中将がいたり、教会を中心として宣教師たちがいたのです。この宣教師たちが反対することによってすべてが狂ったのです。これはイエス時代にユダヤ教が反対したのと同じです。こうなるとレバレンド・ムーンはとんでもない異端となって追放されるのです。荒野に追い出されるのです。それで四〇〇〇年間神が準備したものを、一日にしてすべて失ったのです。これを再び収拾していかなければなりません。 先生の責任はどうなったかといえば、キリスト教の責任とアメリカができなかった責任および韓国とキリスト教が果たし得なかった連帯的な責任が全部先生に背負わされたのです。韓国においては、国とキリスト教が国家的責任を担っているのです。仕方がなく世界的時代を迎えて、世界的基準においてキリスト教と、その国を収拾しなければならないのです。これが今まで先生がアメリカに行って十三年間闘ったことなのです。それで何をしたかといえば、それほどまでに反対していたキリスト教とアメリカを、ダンベリーの十字架を中心として一つにしたのです。蕩減しなければならなかったのです。二十世紀の十字架がダンベリーです。イエス様は十字架にかかることによって、全部を失ってしまったのですが、このアメリカとキリスト教は神側に立ったのです。サタン側の共産党と対比させてみると、それでもアメリカはアベル側です。神側です。キリスト教文化圏なのです。それが有利なのです。 それで私がアメリカに行ってやったことは何かというと、統一教会をアベルの立場に立て、キリスト教をカインの立場に立てて、統一教会がキリスト教の失敗したことを全部蕩減しなければならなかったのです。統一教会は定着してはいけないのです。ジプシーの群れなのです。四十年間定着して生きてきた人たちは、カナン福地に入ることができないのです。統一教会の食口の立場に立てないのです。何の話か分かりますか。定着して生きるようにはなっていないのです。定着して生きれば、みんなねじれてしまうようになっているのです。自分のために教会を信じ、統一教会は苦労が多いので出ていく人がいます。自分が豊かになってから教会を助ければいいと思って出ていくのですが、そうはいかないのです。思いどおりにならないのです。それは何を意味するかといえば、統一教会は荒野時代において四十年間にわたってカナン福地を再び探していかなければならず、エジプトに入って苦労する立場に入っていくのです。ですから行く所々がすべてエジプトです。私たちが異邦人としてその国に入り、私たちは次子であるので、その国の人たちはいくら私たちが神側であるとしても虐待し、殺そうとし、血を見ようとするのです。それを怨讐視しては帰ってくる道がないのです。かりますか。怨讐視しては帰ってくる道がないのですよ。 それで先生の、今までやったことは何かといえば、先生と先生の家庭を中心として犠牲となり、一〇〇の十字架を背負ってきたのです。何を解放するためでしょうか。先生の家庭と統一教会を中心として、神様まで解放しようとするのです。その解放圏が神を解放するためにはサタンがこの世界の端に残っていては神様が解放され得ないのです。サタンが今や完全に後退したといえる世界的版図を構築しなければ、神の解放圏を地上に発表できないのであります。分かりますか、これが原理ですよ。 では真の父母かこの地上に来て、真の父母と真の父母に従ってくるすべての統一教会の人々は何をするのでしょうか。地上にサタンが讒訴する権限を解消しなければならない歴史的使命があるのです。そのために先生はアメリカに渡りました。すると全世界ば反対するのです。反対されるのです。以前に話しましたが、先生が全世界を否定する以前に世界が先生を拒否するのです。迫害が悪いのではありません。しかし、拒否されるというのは先生が自然に拒否したという立場に立つのです。拒否されるのが嫌だといって、逃げてはならないのです。拒否する人を正面切って、訪ねていかなければならないのです。 訪ねていって、大胆でなければならないのです。訪ねていけば反対しますが、正面切っていけば行く道を開いてくれるのです。そういう闘いです。そうしながら統一教会は発展してきたのです。言うならば、神の戦法は打たれて奪ってくるし、サタンの戦法は打って失うのです。この世もそうでしょう。一家庭に兄弟と父母が一緒に住んでいて、父母がじっと見ているとき、いくら兄であっても、先に被害を与えた場合は、その弁償をしなければならないのです。サタンは先に込ったので悪なのです。先に込った者が悪者です。それで第一次大戦においても、先に打ったものが負け、第二次大戦においても先に打った者が負けたのです。第三次時代においても、思想戦において、共産党が無条件に打ってくるのです。偽りでもって、構わずに打ってくるのです。それゆえ、共産党は滅びるのです。統一教会の文先生は、無条件に打たれるのです。統一教会は、無条件に打たれるのです。国家も政府も打ってくるのです。それでも静かにしているのです。他の人なら闘いを挑むでしょう。だれが勝つかといえば、耐える者です。サタン世界では、だれが勝つかといえば耐える者です。だれが主人になれるかといえば、より忍耐する者が主人になれるのです。これが原則です。今まで皆さんはこれを知らなかったのです。 どのようにして耐えますか? 悔しくて悔しくて仕方がなくても耐えるのです。そうすればその悔しさ以上の恵みがあとから、そろりそろりとついてくるのです。このような闘いのために、アメリカに渡って、統一教会がキリスト教文化圏で反対され、キリスト教とアメリカが第二次大戦時代に失ったすべての世界を蕩減復帰して、キリスト教とアメリカ文化圏を再び探し立てなければ、世界を救う道がないのです。それで、先生はアメリカに渡る運命にあったのです。 韓国において、韓国とキリスト教が受け入れていたとしたならば、その時、キリスト教文化圏は七年以内に一つになれたはずです。統一教会の真理がどれほど素晴らしく、文先生がこのように素晴らしい方であるということがうわさになっていたならば、七年もかからないうちに完全に世界を一つにすることができたのです。それができなかったので、韓国が独立するまで三年半が過ぎました。一九四八年のことでした。そして、三年以内に十分にやられたのです。しかしそれができず、南北に分かれ、カイン、アベルに分かれたのです。それでアメリカと全世界か真っ二つに分かれてしまったのです。 世界的個人カイン、アベル、世界的家庭カイン、アベル、世界的氏族カイン、アベル、世界的民族カイン、アベル、世界的国家カイン、アベル、世界的カイン圏、アベル圏として分かれ、民主世界と共産世界になっのです。そして共産世界自体は一つになってきますが、民主世界は十二支派、十二弟子が闘ったのと同じように、キリスト教教派に分かれて、今日数百数千に分かれているのです。これを再び一つにしなければならないのです。先生はこれを今、一つにしているのです。ヨセフを他の十一名の兄弟が反対し、殺そうとしたのです。それを一つにすることができなければ、エジプトの父母を生かす道がなかったのです。それでいろいろな役事視Nこるのです。ちょうど先生はヨセフと同じです。エジプトに入ってすべての基盤を整えたヨセフのように、滅びようとする十一のキリスト教を生かしてあげるという責任を果たしているのです。それで十一人の兄弟が刃を懐に入れて闘うほどの怨讐であるにもかかわらず、父母を思って、父母を救うために涙をこらえて、神を解放するために、悲痛な場面を耐えて、血を見るような場面を愛で越えていくのです。そこに神の解放圏が展開され民主世界に、初めて神の降臨圏が展開されるのです。そして、その基盤をもって、韓国とキリスト教とが反対したことを蕩減復帰して、同じ水準に上げて接ぎ木するために先生は来たのです。分かりますか? (はい)。 今やアメリカやアメリカのキリスト教が先生に反対しようとしてもできません。反対すればするほど、どんどん失っていくのです。反対してみなさい。昔は反対すれば自分たちの側が一つになっていきました。これからは理由もなく反対すれば、今まで先生を憎んでいたのと同じように、先生に反対する人を憎むようになるのです。昔は先生を憎むために一つとなりました。今や先生を憎む人たちを憎むために一つになるのです。蕩減復帰ですよ。(拍手) これをはっきり知らなければなりませんよ。分かりましたか? イエス様は十字架ですべてを失いました。兄弟を失い、ザカリヤ家庭、自分の氏族を失いました。兄弟を失い、家庭、親戚を失い、氏族、教会、国を失い、世界、天と地、すべてを失いました。それとは全く反対に、ダンベリーの先生はすべてを取り戻さなければなりませんでした。全部を取り戻さなければなりませんでした。 問題のある家庭であるなら、その家庭から子女たちが分かれ、離れ離れになるのではなく、全部集まらなければなりません。統一教会の皆さんも、先生がダンベリーに入ってから悔い改めたでしょう。三十六家庭も目を赤くしながら祈祷したりしたのです。全部自分たちのせいで先生が入られたのだといって、事実そうでしょう。(はい)。 統一教会自体から見れば、先生一人の問題のよう見えますが、アベル圏が完全に一つになると同時に、カイン圏までもが先生の主管圏に入って、一つになるのです。そしてカインとアベルが一つになることによって、聖霊、母親が立つことができるのです。イエス様が復活したのちに、弟子たちが完全に一つになりました。一二〇名の門徒は世界の代表であり、七十人の門徒は国家の代表であります。そしてこれらが一つとなつたので、カイン、アベル圏、世界圏を一つにすることによってだれが来たかといえば、母親なる聖霊が来て連結することができたのです。さらに、カイン、アベルが一つになるためには、腹中に入れて、同じ愛の血と肉を同じ方法によって供給しなければならないのです。そうしなくては、そのお母さんの前に本来の長子、次子となれないのです。今までは長子がサタン側で次子が神側になっていましたが、血筋が異なるのです。血筋が同じでなければなりません。しかし同じ息子なのです。系譜は同じです。これをいかにして神の愛を中心として、神の愛と一つになった母の血と肉とを連結するか。これができなくては、真の子女となり得ないのです。ですからカイン、アベル圏が初めて七十人門徒、一二〇人門徒、これは後日一二〇国家の代表として立ち、これが一つになることによって、初めて女性神、聖霊が来て、新郎であるイエスと愛の因縁を結んで、世界は母親である聖霊を受けて、父親の愛の心を受けた子女たちを通して、再び出発するのです。再出発の歴史です。 それでアベル、カインは双子のような立場に立つのですが、昔は、長子がサタン側であったが、今度は次子が長子となって神側になり、以前のサタン側のカインが次子の立場に立って、長子となったアベルを兄のようにして、絶対に侍らなくてはなりません。この伝統は、だれが立てなければならないでしょうか? 母であるエバが立てなければなりません。分かりますか? そうしなくては帰ることができないのです。神の愛の因縁を、母親の腹中から、父と母が神の愛の因縁を結んで、それを通して血肉の因縁を連結したという条件が成立しなければ、神の国へ帰る道がないのです。このように複雑なのです。 今日のキリスト教信徒たちは、信ずれば天国に行くというのですが、それほど気が狂った、それほどの泥棒はいないのです。これらのすべての事実を知ってみると、地獄中の地獄に行かなければなりません。死んでごらんなさい。みな天国に行くのだと思っていたのですが、行ってみるとそうではないのです。 それでキリスト教の歴史において、聖霊が降臨してきたのです。母は地であり父は天であります。イエスは霊的救援しかできなかったので、新郎であるイエスは神の国に行き、母の神が来て、地上人は母のような地において、初めて霊界(イエス様)と一つにならなければなりません。 聖霊の感動を受けて、イエスが恋しくてならなくなります。新郎であるイエス様を聖霊を通すことによって、私たちの心は恋い焦がれるようになるのです。恋愛する以上に恋しくなるのです。霊的に目覚めて神の国を見ることができるように、霊界の目が開かれることによって、新生が始まるのです。救援というのは、それほど簡単にできると思いますか? 天国に行くすべての道理を経て成されるのです。極めて難しいのが復帰摂理なのです。 あなたたちははっきり知らなくてはなりません。統一教会の者たちよ、新年から先生が悪口を言うのは、あなた方が何も知らないでいるからなのです。自分を中心として、東西南北三六〇度圏内どこに行っても落第者であるからです。何の内容ももたない者たちが、自分は統一教会員であるとにおわせて騒いでいるのです。 先生が行く道に皆さんは従っていかなければなりません。天国に入っていく時、あなたはだれかと問われたら、ほかでもない統一教会の信者ですと答えます。では、統一教会の信者とは何ですか? 統一教会とは、真の父母を中心としたグループです。真の父母とは何でしょうか? (アダムとエバは)堕落して偽りの父母となりましたが、真の父母は正に真の父母です。では、どのように真の父母と因縁を結んでいるのでしょうか? 真の父母の血肉を受け継いでいますか? どのように答えますか? そこまでは知らないので、真の父母に聞いてみます? 先生よりあなたたちは先に死ぬような立場なのに、先生と共に死んで、一緒について入るのですか? とんでもないことです。それをはっきりと知らなければなりません。 アメリカに来て十三年。アメリカでは十三数が問題です。十三年間、十三カ月間でイエスの時失ったすべてを取り戻すのです。先生が韓国で失った、キリスト教とアメリカができなかったすべてをダンベリーに入って取り戻し、さらに、イエスが国家とすべてを失ったものを、すべて取り戻したのです。アメリカが反対しキリスト教が反対していましたが、結局はレバレンド・ムーンの背後につながってくるようになるのです。分かりますか? 世界、すべてが、共産党も反対していました。共産党と先生は闘って、先生は後ろ向きになりましたが、サタンは背を向ければ永久に離別となります。そこで先生が後ろ向きになればサタンは背を向けることはできません。先生が背を向けると、サタンはただ見ているだけしかありません。レバレンド・ムーンが後ろ向きになって、あなた方も後ろ向きに回れば、永久に離別です。ついてこれなくなるのです。しかし、反対していた立場が回れば、同じ方向になるのです。そうなればかえって反対することは押し出してあげることになります。やがてそのような時代が来ます。分かりますか? このような世界史的な時代が訪れるのです。 統一教会に反対できる時は越えていったのです。統一教会に殉教の歴史はあり得ないのです。それは先生一代で清算するのです。イエスが責任を果たすことができず、元老たちが責任を果たすことができなかったことを、生きている間に、世界宣教国で迫害とか血を流すべき歴史を先生一代ですべて清算するのです。キリスト教が血を流して世界を一つに束ねることができたのと同じく、統一教会自体が先生の生きているうちに、世界が反対しないで従ってくる基盤を整えました。それをダンベリーを中心としてやったのです。先生を一番悪い者、悪いと皆が言っていたのです。しかし分かってみるとそうではないのです。悪いのはアメリカの政府、先生に反対した共産主義者や実用主義者なのです。今やすべて正当化されるのです。 そのような中においてすべてが一つになる運動が始まるのです。キリスト教を中心とする世界的基盤において、世界的統一教会アベルと世界的キリスト教カインが一つになったので、すべて一つになれるのです。既成教会の牧師たちもみんなどこへ行くのですが? 既成教会の牧師たちは聖エルサレムに行くのではありません。既成教会の牧師たちは父母様の聖地に行きましょうとエルサレムに行こうとする足(の方向)を変えられ、韓国を訪ねてくるようになっているのです。今回ここに来る前にも、数百名が韓国に行くと言いましたが、やめなさいと先生が言ったので、第一次、第二次だけが自分たちで行ってきたのです。キリスト教は二番目です。常にサタンは二番目に入るのです。この二番目だけが一つになれば、三番目は闘わずしてそのまま越えていくことができるのです。それからは易しく解かれるのです。統一教会とキリスト教が一つとなって、アメリカが一つとなる日にはすべてが終わるのです。ですから、アメリカが一つにならざるを得ない基盤を急いで築かなければなりません。 アメリカの大統領は先生に学ばなければなりません。アメリカの大統領は、先生が支援する人にならなければ滅びます。(アーメン)。(拍手)ですから、そのような基盤をみんな作っておいたのです。どのように自分が逃れようとしても、先生が追う所に追われるようになっています。神が「東に行きなさい」と言えば、嫌であっても東へ行くのです(しぐさで示される)。そしてキリスト教文化圏を中心として、アメリカが一つになった時には、共産党はなくなるのです。そのようになれば、世界中の共産党は私の目の前からなくなっていくでしょう。分かりますか? キリスト教を中心として一つになったのちには、共産主義もレバレンド・ムーンによって滅びると思うのです。民主主義もレバレンド・ムーンでなければ救うことができません。既にうわさになっているし、世界はそのように思っているのです。韓国に住んでいるあなたたちだけが分からないことであって、田舎っぺは知らないが、都会の人はみんな知っていますよ。(笑い) 分かりましたか? 原理的観点において、このようなすべてを蕩減して、十二カ国以上の人々が先生をしっかりつかんでついてこなければならないのです。少なくとも二〇〇名以上の人がついてこなければならないのです。何百名来たのですか? このたび壇上にも七十二名のヘッド・テーブルを作り、十二人の代表に証をさせたのですよ。蕩減復帰したのです。世界的に宣布するのです。韓国は眠っているので、全国にいる勝共連合の幹部たちを呼んで、中央を揺ぶるのです。風が吹いたら眠っていた者たちは出てくるのですが、台風が吹いたらどうなるでしょう。 そういうことをやってきたので、総決算という言葉は、八五年の聖日の「神の摂理史的総決算」という話の中でしましたが、そうするためには、責任分担を中心とした血統の転換をしなければなりません。カイン、アベルは腹中に入って、血統転換をしなければなりません。そのためには、真の父母がいなくてはできません。真の父母がいなくて、兄弟同士だけで天国になりますか? 長子、次子を復帰したからといって、神の創造理想天国ができますか。父母がいなければできません。私一人、個人においても体と心が長子、次子でありましたが、今までは、悪なるサタン側の体が心を支配してきました。今までの人間において、なぜ心と体が闘ってきたのですか。堕落したからです。堕落していなかったなら、心の前に体は絶対服従するようになっていたのです。なぜかといえば、電気でいえば神は発電所であり、それに直結されているのが総電線で、電話機はみなその下にある電線につながっているのです。送電線の下にある電線は糸線のようなものです。堕落したので電線が闘いをしているようなものです。解決方法がないのです。それで父と母の闘い、どこにおいても闘いがあるのです。分かりましたか? 皆さん、心と体が一つにならなければ父母を迎え入れられません。それは天倫の前の詐欺師のようなものです。統一教会に来たのに、だれかを憎んで来るのは詐欺師です。妖邪な者です。統一教会に入って、父母の前に姿を現すことはできないのです。心が体を屈服できる堂々たる権威を備えてこそ、父母様に対して父母といえるのです。そうでなければ父母といえる資格がないのです。分かりますか。このような立場が完外した男性、女性であり、それを平面的に見ると主体と対象となるのです。男性を長子として見るなら、女性は次子です。二番目に生まれたでしょう。堕落することによってどのようになったかというと、二番目に造ったエバが先に造られたアダムを支配したのです。これはカイン、アベルとして見ても逆になっているのです。この時代に入ってからは、長子の立場にいる兄が次に造られたエバを、強制的にでも天倫の前に従っていけるようにしなければなりません。ですから、妻がみ旨の前に行かないといったら、無理にでも押し出しなさい。分かりましたか? その反対に女性が男性を打つというのはよくありません。統一教会の祝福を受けた家庭において、女性の前に三年間僕の立場をとったのは過去の時代であります。危険千万な過去の時代がありましたが、それはカイン、アベルを蕩減して、弟が兄を復帰する時であったのです。それを乗り越えた今からの時代には、絶対に男性は権限をもって女性を指導しなければならないのです。 先生はお母様の話を一〇〇パーセント聞いていてはすべてを奪われてしまいます。(笑い)お母様が先生の話を一〇〇パーセント聞けばいいのです。ある時は、年取った夫であっても、荷物を持ったりすることでお母様が十回ぐらい頼めば、一回ぐらいは聞いてあげなければなりません。聞いてあげなければならないとき、「ノー」と言えば問題が生ずるのです。仕方がなく先生の力に余ることでも、休むまいとするのです。それは疲れますが仕方がないことです。 最近風邪を一緒にひいたのですが、お母様はゴホン、ゴホンとせきをしていましたが、先生は風邪に負けないのです。この風邪よ! このようにして屈服しているのです。男性の権威があるのです。分かりましたか? 蕩減復帰、皆さんこれをはっきり知らなければなりません。先生が何をしているかをはっきり知らなければなりませんよ。第二次世界大戦直後の韓国において、世界版図の上で、真の父母の権限下において、真の父母に侍ることのできる兄弟を伴って、すなわち世界的兄であるアメリカと、世界的弟の立場であるアメリカのキリスト教が一つになれば、母の懐に抱かれていたでしょう。そのようになっていたならイギリスが母親になったのです。先生がイギリスの母親を連れてきたかもしれませんでした。なぜ笑うのですか? イギリスのお母さんはどんなにいいでしょう。(笑い) このように見るとアメリカはイギリスが生んだ国であり、息子の立場に立つことができれば、言うことを聞くようになっていたのです。自然に一つになるのです。しかし、そうならなかったので、そのすべてのことに対して先生の家庭に破綻が起きてきたのです。様々な問題が起こってくるのです。サタンがすべて奪っていったので、サタン側から国を立てなければ行く道がないのです。それでサタン側の代表エバ国は島国です。天照大神は女性神です。それで日本をエバ国家として立てたのです。アベルはアメリカ、カインはドイツです。日本とドイツは怨讐であり、アメリカとも怨讐です。日本とドイツはアメリカを救うために、一つとなって訓練を受けたのです。蕩減復帰原則にのっとって、容赦がないのです。そのようなことをすべてやって、今回帰ってきたのです。 一九八六年はどのような年でしょうか。祖国といえばどのような概念であるかといえば、この世的な概念があります。分かりますか? 祖国といえば自分の国という概念であって、そこには天国の概念がないのです。地上世界においてのアベル圏設定を急がなければなりません。それが祖国創建です。これからは何かというと、天国創建です。天国を造ろうとすればカインとアベルが一つにならなければなりません。地上の国と霊界の国とカイン、アベルが一つになった立場に立たなければ天国創建とならないのでこの話をしているのです。分かりますか? 皆さんは、これをはっきり知らなければなりませんよ。それで今年の標語は、「天国創建」です。カイン、アベル圏であるソ連とアメリカがなつになり、次には地獄と天国が一つになるのです。では地獄と天国がいつ一つになりますか? 昨年二月一日に、その門を開ける、開門する式を宣布したのです。お母様はイースト・ガーデンにいました。先生はダンベリーで、早朝三時に祈祷しながら、愛の道理を立てて橋を架けたのです。 八五年が終わり八六年が始まりましたが、先ほどの祈りによってどのようなことが始まるかといえば、世界が逆に回るようになっているのです。この世が逆に回るようになるのです。時計の針がこのように回って(しぐさで示される)一回りしたなら、これからは逆に回り始めるのです。これまで統一教会はこの世で踏みにじられてきましたが、今年からは、統一教会がこの世界に顕現する時となるのです。(拍手) それで今回のバンケットや蚕室体育館の大会等は、世界がそのように動いているという宣布式なのです。何の話か分かりますか? 日本、アメリカ、ヨーロッパ、全部が一つの方向に向かっていくのです。だれが英雄ですか? レバレンド・ムーンが英雄なのです。(拍手) 以前に、ソニー(会社)で、激動する二十世紀における人物を世界的に宣伝するため、投票を求めました。そして、レーニン、スターリン、ヒットラー、ムッソリーニ等、数十名を一部、二部の画報として冊子を作りましたが、第一部ナンバーワンはレバレンド・ムーンでした。(拍手) 共産主義よりも優れ、レーニン、スターリンよりも優れ、ヒットラー、ムッソリーニより、どこのだれよりも優れている文鮮明、勝共連合・共産主義に勝つ、と書いてありました。共産主義に勝てば、すべてが成就し得るのです。これで共産主義は終わりですね。そうではないでしょうか? そうしているのですよ。先生がそれを宣言しなさいと言いましたが、時が満ちたので、彼らがやっているのです。そして、アメリカにおいて有名な新聞社の記者たちが、八五年度における重大ニュースの中で、宗教界を代表した人はだれでしょうかという問いに対して、全員がレバレンド・ムーンと答えたのです。(拍手) 宗教界や、その他においても組織編成をなし、短時日内において世界のすべての大物で偉大な人たちを負かすことのできる人はだれでしょうか? レバレンド・ムーンです。(拍手) 見てみなさい。昨年の十二月には、天の願う方向に中共も動きつつあるということです。(拍手)それが何の話か分かりますか? 「現代」グループとか「大宇」グループとかが大きなことを言っていますが、彼らが中共に行ってやることができますか? ぴったり的を射なければなりません。そうする才能が必要です。三十年間精誠を尽くして宇宙船を造り、月に向けて発射し、月に着陸して戻ってきましたが、それよりももっと難しいのです。分かりますか?(韓国)統一産業を造る時、ここに座っている人の多くが反対しました。宗教指導者がなぜ工場を造ろうとするのですか。私たちは食べられない者に御飯を食べさせてくださればいいのに……。どれほど多く文句を言ったでしょうか。今まで赤字できたのです。そのまま放っておいたなら工場はつぶれていたでしょう。それを造らなかったなら、大韓民国の威信が地に落ちていたでしょう。 ドイツは滅びていくのにドイツの工場を買うとかいっていましたが、それは先生はすべてを知っていたからです。先生が言ったように八五年までに全部買っておいたので、ドイツの工場界においては仕方がなく、生きる道はレバレンド・ムーンについていくしかないので、そこへ行く門を知るようになるのです。その門を見ると、レバレンド・ムーンは門の外にいるのです。良い時代を迎えているのです。夢のような話ですよ。ここにいる者の中で、まともな精神をもって先生の話を信じていたものは手を迎げてみなさい。 四十年前に先生が一人で監獄に追われ、どこに行っても隠れる所もないほどに悲惨な立場に直面している時に、あなた方は大きなことを言っていましたが、今はどうですか。今になってみると、先生が話した何倍も成就しているのです。話したことが指の先ほどのことであるとすれば、成し得たことはこぶしより大きいのです。それが本来に成されたので、今や目を皿のようにして、欲心が現れ、欲心の魂となって騒いでいるのです。この者たち! 刃を取り出して打たなければなりません。分かりますか? 天国に行こうとすれば、何をしなければならないと言いましたか? 父母様を迎え入れるにはどうすると言いましたか? 本然の創造された心と体が一つとなって、心が長子となり、体が次子とならなければなりません。堕落というのは何かというと、体が長子となり、心が次子となったのです。心の中で神がいないと否定しますが、これを打ってでもやらなければなりません。統一教会に入教して、父母様と呼べるようになるには、心が兄となって体を支配することのできる権限を持って、本然の父母に対して呼べる本然の人とならなければなりません。分かりますか? (はい)。 その公式歴史を今、アメリカが歩んでいるのです。アメリカではレバレンド・ムーンは、現代史の中から抜くことはできないのです。他の人を抜いたとしても、レバレンド・ムーンは抜くことはできません。蕩減復帰の道を厳守したいのです。分かりますか? (はい)。間違いなく四十年失ったものを探してくるのです。四十年間前には、キリスト教とアメリカが一つになっていたのです。それが韓国を抱き、統一教会を抱いていたならば、世界は七年で終わるはずでした。このような問題を四十年かかって、ヤコブから再臨までの四〇〇〇年の再蕩減歴史を四十年で全部家庭圏から蕩減復帰して、千辛万苦して牢獄に入って一つにしてこなければならなかったのです。そのような使命、召命を受けたので、先生は命を懸けてその闘いをしてきたのです。 そのような歴史の前にあなた方が自分勝手に行動したので、あらゆることが起きたのです。これから先生は、そのような人たちは見ません。法で治めます。分かりますか? (はい)。そのような時代、そのような時となったので、八五年度に摂理史的総清算、総蕩減をして、神が地上に訪ねてこられることができるのです。レバレンド・ムーンを訪ねてこれるのです。レバレンド・ムーンという名が世界中に知れ渡ったり、レバレンド・ムーンに反対しない所には神が共に同行することができるのです。(拍手) まだ完全にできていないと思わないでください。世界人類が四十億いるとすれば、三分の二以上が先生を支持することのできる圏は既に越えているのです。それはどうしてかといえば、アジア人、黒人、スペイン系の人たちは全部先生の側です。分かりますか? アメリカが白人の代表として反対することによって、アメリカ側にいたインディアン系、スペイン系、黄色人は全部先生の後ろに集まるようになったのです。何の話か分かりますか。アジア人だけでも二十三億です。それでアメリカさえ立ちふさがらなければ、終わりです。今整備状態として進行していることを知らなければなりません。 そのような時期であるのでそのような人たちが方向を見いだして韓国に訪ね、全世界が韓国を訪ねてこようとします。だれが先に韓国に来ましたか。アジア人たちは近いので、アジア人たちが先に来ます。アジア人たちの間に道が開かれるので高速道路を造り中共と北韓を開いて日本との道を造ろうとするのです。ですからハイウェイを造りなさいと宣布したのです。先生はアジア人たちの来る道を造ろうと宣布して、今まで準備したのです。アジア人たちが先生を訪ねてくるためには道を整えてから来なさい。あなた方が先生に会うためには道を造ってから訪ねて来なさいというのです。分かりますか? (拍手) そのようになっているのです。今回も日本人が多く来たでしょう。まず日本人と次に中国人です。アメリカで使っていたお金を中国で使えば中国人たちは、朝夕に「シェー、シェー」と言うでしょう。アメリカ人たちは黄色人を、レバレンド・ムーンを横目でちらっと見るのです。 では先生はアメリカに行けばいいでしょうか。アジアにいればいいでしょうか。(アジアです)。一番高い頂上に上って天の国の橋を架けなければならないので、アメリカより高いならアメリカを捨てて中共に乗って上がっていくのです。そうではないでしょうか。なぜこのような話をするかといえば、歴史を蕩減するために、先生は天から選ばれた優れた人であるから四十年間一人で、このことを成し遂げたのです。優れていなかったらこういうことを成せたでしょうか。先生は選ばれた人であるからこのようなことができるのです。(拍手) 人々がどれほど反対したとしてもレバレンド・ムーンには勝てないのです。なぜかといえば神様が保護するからです。(拍手) 神様が先生を保護しているかどうかは、彼らは知らないのです。しかし先生は骨から肉から細胞からすべて知っているのです。だれがより知っているでしょうか。お母様がより知っているでしょうか。先生がより知っているでしょうか。先生がよりよく知っているのです。後退する立場においてでも後退しては大変なのです。そういうことを知っているので、滅びる所においても滅びません。サタンが銃の引き金を引こうとする時、その瞬間に先生は通り過ぎるのです。(拍手) どれほどあきれ、たまげるでしょうか。サタンの子女たちは行ったり来たりしますが、先生は一度にさっと通り過ぎるのです。再び現れないのです。それで才致(注:才知のすばわい働き、気転)をもって、今回も行事をする時、二週間のうちに稲光が走るように急にやってしまったのです。さっと過ぎてしまったのです。サタンがうろうろしているうちに、すべて終わったのです。稲光のように早くやってしまうことにおいてはチャンピオンです。よく訓練されているのです。生き残るためであるから、どれほどよく訓練されていることでしょう。(笑い) 生き残ることは易しいことですか。この世が総射撃をするのに、その中から生き残ろうとすれば、逃げる道は四方みなふさがれてないので、飛び上がるしかないのです。サタンは飛び上がるとは思っていなかったのです。飛び上がれば降りてくると思っていましたが、降りてきて自分の立っている真後ろに来るとは思っていなかったのです。(笑い) 先生がアメリカに行って闘うとき、彼らにやられて倒れ監獄に行っても敗者になるとしたなら、初めから行きもしません。だれを信じて行ったのでしょうか。(神様です)。いいえ、レバレンド・ムーン自身を信じていたのです。(拍手) レバレンド・ムーンは昼と夜をはっきり知っている人ですよ。皆さん、いつ真夜中になったか知っていますか。時計が鳴ることによって知るのであって、十二時一分前、二分前などはいつから新年であるかどうか、その境界線は分からないのです。鳴ったというので、みんながそのように思うのです。 先生は間違いないのです。それは生理的に知っているのです。眠っていながらでも知っているのです。どのようなことがこの世に起きているかを知っているのです。それで大きなことができるのです。分かりますか。事件の問題に対処していく時に、「それではいけない。そうしてはいけない。大変です。絶対駄目です」と幹部たちが先生に報告します。しかし、先生は、先生の行くままに行くのです。 堕落した世界に、真の父母が神と神の解放圏を築き上げる以前に、その時に真の父母の前に子女がいるでしょうか。神様が解放された、サタンに侵犯されていない解放圏のない所に子女が生まれたでしょうか。子女がいましたか、いなかったでしょうか? (いませんでした)。その時、先生がいましたか、いなかったでしょうか? (いませんでした)。もし先生がいたなら神であり、子女は絶対にいないのです。父がいるとしたら神様です。ですからここにいる。まだ生まれていない子女のような者に何を聞くというのですか。尹博士に相談しますか。李博士に相談しますか。ここにいる朴普煕(パクポーヒ)に、郭錠煥(カクチヨンフアン)に相談して神の国を造ろうと考えること自体どれほど気持ちの悪いことでしょうか。先生はそれほど愚かではありません。あなた方の世話になって、難しい問題を対処するのではありません。あなた方は生まれていない者のようであります。これからは天国を建設するまで、先生がだれかの話を聞いたら滅んでしまいます。 天国家庭の出発は真の父母から次に子女を立てて、これが連結されて始まるのです。すなわち真の父母に絶対服従するという原則において国家、世界へ出るようになっているのであって、子女たちが先に出るようになっていますか。 生まれた子女たち(真の子女)はよく知っておきなさい。これからあなたたちはお父さんが亡くなるようなことがあっても、お父さんがこれまで教えてあげたすべて、成したことを絶対視する伝統を守護する子女とならなければ、地上天国を造ったとしても自分たちの思いどおりにやったら滅びます。はっきり知らなければなりません。 み旨においては先生に進言するな! 事業においては先生は聞いたりしますが、事業もそうですよ。ほとんどを先生が決定します。先生は、滅びるようなものであるか、栄えるものであるか、話を聞いただけで分かるのです。時間の長短の差異はあるけれども、うまくいけば早く成功し、うまくいかなくとも滅びません。ですから先生がやったもので失敗したものはありません。 みんなが「統一産業はどうだ、文先生のやることはよくない、統一産業失敗」とか言っていましたが、何が失敗ですか。あなた方は一年、二年を見ていますが、先生は十年、二十年を見るのです。宇宙船が月に至るためには、月がまだ東にある内に北から西に向かって発射しなければなりません。月を見て発射するのではありません。 球形の一八〇度基準を越えるためには、半分戻らなければなりません。そこに行けるまであなた方のやる版図があるので勝手にやってみなさい。しかしこれを越えるこちらの方(しぐさで示される)にきてから、あなた方が手をつけたら、散り散りばらばらになるのです。同じ歴史です。今まで統一教会を勝手に打ったり、勝手にやってきましたが、これからの時代においては、先生が命令する時にはどのようなことでもやらなければなりません。先生は暴君ではありませんが、善なる目的を中心として、愛を中心として、論議するようになれば、死ぬ者が多いでしょう。 なぜ先生はこのような話をするのでしょうか。今までどれほど陰口を言われたかしれません。それはどれほど切なく、どれほど苦しかったでしょうか。イエス様も言われたようにあなた方が地上のことを信じないのにどうして神の国のことを信じられるかと言ったのと同じ心情でした。何の話か分かりますか? (はい)。それで一人でやってきたのです。従ってきながらも、後ろから足をけったり首をつかんだり、統一教会を信じて落ちていった者たちは、あらゆることをしたのです。やりたかったらやりなさいというのです。サタンが東西南北、四方八方からやったのに対し、先生が共産党のように復讐心をもってやったなら、死のなだれが起きてくるでしょう。先生の目を見なさい。きつい人です。先生がもし神様を知らなかったなら、暴君になれる素質が濃厚な人です。心が不義に対して耐えられないのです。そういう面で先生を寂しくさせてほしくないのです。今までやるせない思いにさせ、苦しい思いにさせた習慣が、これからの世界に残ってはいけません。今までと違わなければなりません。新しい決意をしなければなりません。それで一九八六年は天国建設をしなければなりません。今までの過ちすべてを整理しなければなりません。 そのように思って、一九八六年は新しい時代に入っていきます。分かりましたか? (はい)。年頭標語は「天国創建」です。天国を造らなければなりません。皆さんの個人天国、家庭天国……。お祈りしましょう。 愛するお父様。許諾された摂理のみ旨の前に恥ずかしい歴史を残し、自分自身の姿勢を立てることができない不忠、不幸の姿を今見つけ出して、すべてを蕩減させるために、良く、美しく、祭物化させる運動を自分の心と体を中心として展開し、自分の家庭の一員として展開することのできるようなことをこれからやらなければならないことを勧告いたしました。このようなことをこの尊師は歴史において範囲を世界の舞台にまで拡張するために、四十余年生涯をどれほど投入したかという事実を忘却してはならないので、このようなすべての冤痛(カンツウ)(注:悔しくてたまらないこと)なる事実が一つの価値ある基準として、価値ある人格者として、価値ある家庭として、価値ある氏族圏として、天の前にお返しすることのできる反作用的原因を獲得することができるように祝福してくださることを懇切にお願い申し上げます。八五年を忘れて新しく八六年を迎えましたので、これから新しい摂理史的出発を前にして勧告するすべてを銘心して恥ずかしくない過去の生涯を残して、お父様の前に褒められる祖国を造ることができるように引導してくださることをお願い申し上げます。 許諾されたその日とその時の前に恥ずかしくないように自ら誓いながら、自ら勧告しながら、前進、前進する統一の群れとなることを願い、この時間ここに座っている者はもちろんですが、連結されている全世界の同役者たちと、全世界を中心として地上世界と天上世界に因縁されるすべての霊人たちと、良心的な人士たちが一つの方向を備えて新しい天地運勢の方向に歩調を合わせるように、上下、霊界と肉界が協助してこのことを助けるようにお願いします。すべてがみ意のままに亨通(こうつう)(注:順調にいくこと)されますように、真の父母の名を通して宿願いたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.27
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「神の摂理的総決算」1985年12月29日韓国ソウル・本部教会にて 先生が行くべき終着点は神を解放することです アメリカの人々の誇りは、いかに偉いといわれる西洋人やアジア人でもアメリカに来た場合、五年間以内でアメリカナイズされるということです。すべてが日だまりの中に溶けて水となっていくのと同じです。しかしたった一人、レバレンド・ムーンは十年以上過ぎたとしても、アメリカナイズされないのです。反対を受けながらもアメリカナイズされず、ムーンナイズしていくので問題なのです。西洋の若者たちがアメリカに従っていくのではなく、統一教会のレバレンド・ムーンを中心として熱心に活躍しているという事実が、命令一つで東西南北に青年男女がどこにでも走ることのできる基盤をつくって、国境を超越しているという事実が恐ろしいというのです。 先生がアメリカにおいてこのような大きなことを広げておいたので、黒人が先生の側になり、スパニッシュが先生の側になり、ヨーロッパの偉いといわれる人たちが先生の側になるのです。先生は神の解放のためにこのことをしているのです。どんなに受難の道、迫害の道があるとしても、先生が行くべき終着点は神を解放することです。心情圏を形成するのです。怨讐を愛せずしては、怨讐を愛したという基準を、世界的基準を越えることができないというのです。それでは神の解放がなされないのです。なぜでしょうか。 神の娘・息子であった人間先祖が堕落しないで、神の愛の圏内において一つとなって愛の心情圏を成したならば、そこに宇宙と霊界が全部包囲されたのです。そのようにして愛を成さなければなりません。愛を受けて生きていくべきその原理があるのです。神がそのみ旨のままにできないことは、サタンに引っ掛かっているためです。天使長は神にこのように言うでしょう。「あなたはいかに原理基準がありますか? 愛というものを中心として、愛の因縁を通して宇宙を統率するようになっています。私は堕落の失敗を犯したのですが、愛の原理を通してこの基準の前に、血縁的因縁を結ぶすべての者を中心に宇宙の存在が動くようになっているではありませんか。神の血統を中心として完成しなければならなかったのですが、それが成されていません。愛を中心として完成できなくて私は堕落しましたけれども、原理型的立場は否定できません。これが問題です。今や、神の国に行ける人というのは公式に出ているではありませんか。それは神の息子・娘が、天使長を愛したという条件が完成せずしては行けないのです」。このようにサタンが神にかかってくるのです。これが神とサタン世界との間に絡み合ってきた人類歴史です。誰も知ることのできなかった秘密なのです。 また、サタンはこのようにも主張するのです。「天使長まで愛して行かなければならない所が天国だが、堕落することによって私を愛することのできる人が出てきませんでした。あなたは私を愛する立場で対してくれていますが、これからあなたの息子が天国に行くことのできるためには、あなたと同じような立場で私を愛したという条件を立てなければなりません。でなければ天国に行く人はいません」。何の話か分かりましたか。このようなサタンの恨みが神に懸かっているのです。ですから第二の父母として来られたイエス様は、十字架上においても、怨讐のローマ兵士に対して愛を施していったのです。ここにおいて分立が始まるようになっています。 怨讐を愛せずしては神の国に入れない 人類歴史路程で、愛を中心として怨讐を愛する群れがイエス様と一つとなったために、サタンが支配することのできる群れではなく、神の国へ行ける群れとなりました。また愛において、イエス様が霊肉を中心とした父母の立場で愛したのではありませんでした。十字架上で霊的基準だけを立てて行ったために、再び実体的な立場において怨讐国家を愛し、怨讐国家も救ってあげることのできる責任を担ってこの地上に来なければならないというのです。その責任を準備するために、世界の怨讐国家をして一つの世界圏をつくって来られる主を中心に、霊肉共に一つとなって怨讐国家までも消化させなければなりません。それでドイツ、日本、イタリアなどの三つの枢軸国家も全部救うための神のみ旨があったというのです。 その時、すべてその圏内に入ってきたなら問題がないのです。それを成し得なかったことによって、彼らがもっていたすべての領域を奪われてしまったのです。ドイツが侵略したすべての領域、イタリアが侵略したすべての領域、日本が侵略したすべての領域を共産党が占領してしまいました。責任を果たせなかったのです。また今日、反対に自由世界にまで侵略してきているのです。自由世界は力がなくて今や倒れるような立場です。それで先生がブレーキをかけるのです。レバレンド・ムーンは神のみ旨を知ったがために、怨讐国家を愛するのです。日本人を中心として大韓民国の国民以上の愛国者をつくろうとしたのです。 金日成は偽者であります。偽者は本物が出る前までは本物のふりをするのですが、本物が登場した世界においては本物のふりをすることはできません。天理が許しません。私が今度、帰ってきて整備しようとするのです。一掃しなければなりません。先生が撃つ銃弾とならなければなりません。銃弾は帰ってくることを知りません。そのような銃弾になるという人は手を挙げてみてください。 きょう、皆さんが覚悟をしてそのようになれなかったならば、新年を迎えることはできません。総決算をしなければなりません。金日成は意識革命、意識化運動を広げています。日本の朝総連、共産党のすべての長たちを動かすでしょう。共産党をして最後の発悪をするチャンスを与えてはなりません。もっと強い決心をしなければなりません。きょう皆さんはそれを考えなければならないのです。一〇〇年後に韓国が行くべき天倫を支えなければならない歴史的な使記があるのです。この責任を果たさない時は大韓民国が被害を受け、世界史的な汚点を残し、世界人類の行くべき方向が崩れてしまうのです。このような観点から旗を立てて立ったのであります。教授アカデミーを通して教授たちを総動員するようになっています。各大学をしてアカデミーを編成し、大学総長、理事長たちに方向を提示してあげなければなりません。 怨讐を愛せずしては神の国に入れません。神は常に解放できる立場にいますが、人間がその立場についてこれないため、神が個人的世界的な怨讐を愛したという同じような愛の心情をもつ者がいないので、個人的世界基盤をつくることができなかったのです。それをしなくては天国の門を開くことができません。解放されないのです。天国の門がなぜ空いアダムとエバが、サタンを父母と同じような立場で愛したという基盤を立てることができなかっだ堕落のゆえです。それでイエス様が来られ、新婦を選択して、その国の怨讐であるローマを愛し、打たれながらも教化させる運動をみてすべて復帰しなければなりませんでした。 統一教会が偉大なことは、統一思想をもって四十日もあれば世界を教化できます。言論界を通すのです。それが偉大なのです。方向が変わってきます。そうすることのできる世界観をもっている驚くべき事実を皆さんは知らなければなりません。その当時において、イエス様は世界観を話すことができませんでした。真の父母の伝統的思想に対しても、一言も話すことができず殺されました。私は話すことが多いのですが、あなた方にはそれを担当し切れないというのです。この世に来てこの世の話をしても信じることができないのに、どうしてあなた方が神の国のことを信じることができますか。 イエス様の基盤を整えることの難しさ 私はそのような内容をすべて知って、迫害の正面において挑戦しました。レバレンド・ムーンは戦略的手腕の次元が高いというのです。すべてを成してから発表するのです。その基盤を整えるために、どれほどの苦労があったのか知っていますか。イエス様の基盤を整えることがどれほど難しいことか知っていますか。死よりも難しい環境であったというのです。だから仕方なく死にました。先生が、今まで死ぬ以外に道のない運命に追われながら、死なずにそれを打開して、今日このような解放圏を迎えて、心情を中心とした統一的、歴史的な伝統行路を分別して話できる立場に立ったということは、どれほど驚くべきことであるかを知らなくてはなりません。 旧約時代にエリヤを中心として、南朝ユダと北朝イスラエルが、カイン・アベルのような立場で、一つになることができませんでした。それでエリヤが天から火を下し、八百余のバアル神を一時に燃やしてしまいました。それにもかかわらず北朝イスラエルの十支派が一つになることができず、エリヤを反対しました。神の生きて成される能力を見ながらも信じなかったのです。その後、逃げのびてひょうたんのつるの下で昼寝をしていたので、虫が食ってつるも枯れるようになったのです。「神も同情もしないでひょうたんのつるまでも切ってしまうとは」と言って、そこで嘆きながら、「自分の命をもっていってください」と抗議するのです。その時、「バアルに屈しない七〇〇〇の群れが残っている」と言って慰労しました。この世がすべて滅びたようですが、その中においても神が選んだ七〇〇〇の群れが残っているというのです。それを通告したのです。 新約時代は、まずイエス様が来られる前にエリヤが来るようになります。ところがユダヤ教会とユダヤの国が一つになることができませんでした。エリヤの代わりに洗礼ヨハネが来てカイン・アベル圏が一つになってこそ、神のみ旨が成されるのです。エリヤの代わりに来た洗礼ヨハネが、イエス様と一つにならなければなりませんでした。洗礼ヨハネは、カイン・アベル圏、ユダヤ教とユダヤの国を一つにする代表であったのにもかかわらず、洗礼ヨハネとイエス様が一つになれなかったのです。ユダヤの国は小さな国です。四時間もあれば一周することができます。復帰しやすい国です。それで小さな国を立てて摂理されたのです。教会を中心として洗礼ヨハネがイエス様と一つにならなければなりませんでした。 エリヤの時も、バアル神やアシラの木像を立てて思想的に動揺時代でした。ローマの末期において、ギリシャ思想、哲学、その思想的背景を中心としてイエス様が来るようになるのですが、すべてのものが複雑な時代です。バビロンにまで行ったり、雑神までも侍るなど複雑でした。これを再び収拾して教会と一つにし、イエス様を中心に一つになって、その上に父母を迎えることができたなら、国家的父母となることができ、次にイエス様の王権を立てることができたのです。そして国を建てたならば、その国を中心としてローマを包摂し、その時、中東の十二支派アラブ圏が完全に一つの国になったのです。今日このように怨讐となっている国々は、その時一つになれなかったことを再蕩減復帰するカイン・アベルの戦いをしているのです。これを今、レバレンド・ムーンが一つにすることをしているのです。国際会議、政治会談のようなものも先生が指示しなければならない段階に入ってきているのです。そのような複雑な内容、歴史的過去を清算しなくては現代のすべての問題は解かれないのです。 洗礼ヨハネを中心として、かつてバアルに屈しなかったのと同じような七〇〇〇の群れがあったなら、イエス様がなぜ死にますか? 七〇〇〇の群れをもったならば氏族編成が自由に成されたでありましょう。十二支派、七十門徒、一二〇門徒が問題ではありません。一つのイエス一族をつくって、新しい王権基盤まで連結することができるように、洗礼か一族を吸収したならば、また七〇〇〇の群れがあったなら、イエス様がなぜ死にますか? 誰もこの恨みを解くことができませんでした。 それで、終末のアメリカのダンベリーにいる時、旧約時代の解怨、新約時代の解怨をしなければならない立場であったがため、先生はアメリカの朝野の名士を中心としてこの七〇〇〇の群れを全部一つにしておかなければなりませんでした。それで、三十万人の教域者たちに五ポンドに該当するビデオテープと本を送ったのです。アメリカの牧師たちが統一教会の内容を知ってびっくりしたのです。「このような神学があるのだ」と。アメリカの神学校を先生がコントロールするのです。先生が方向を設定してあげるようになっています。夢のような話です。それは普通ではできることではありません。先生がどれほど苦労したか考えてみなさいというのです。昼も夜もなく苦労しました。皆さんは食事の時間になれば食べるのですが、先生はどれほど苦労したでしょうか。学界を収拾し、神学界を収拾しなければなりません。 一九七九年既にアメリカの各教派神学者たちが集まり、戦いは既に終わりました。統一神学でなければキリスト教の希望はないと宣布しました。そしてその神学者、教授たちが統一原理修練会に参加している状況です。初級派、中級派を中心として勉強しています。哲学者はもちろん、思想界も完全に主管しなければなりません。でなければ世界を救うことはできません。ただ座っていてはできません。先生は十余年間アメリカでそのような仕事をしてきました。雨が降っても雨が降っていることを忘れ、雪が降っても雪が降っていることを忘れ、朝も夕も忘れて生きてきました。皆さんはそれを知らなければなりません。でなければそれ以上の罪人はいません。天倫の恨みを背負って神の前に威信を立てることのできない自分を恥ずかしく思わなくてはなりません。それにもかかわらず平安に眠り、平安に休み、平安に遊ぶことができますか。皆さんの今日このような立場は、み旨のために生きてきた人たちの血の塔のような上に立っているという事実を知らなければなりません。 教会のすべての神学者たちをして、教界の指導者たちを包摂するそのような基盤を整えずしては、鼻の高いアメリカの牧師たちを自由に動かすことはできません。六十日以内に六カ月以内に七〇〇〇名の牧師たちを教育できなければ、先生は監獄から出ることができ厳粛な課題をもって身もだえする戦いをしてきたのです。これを先生が指導したとおり十二月末まで成し得たならば、八月までも待たずして私はダンベリーから出るようになっていたのです。 監獄にいながら七〇〇〇名を教育し、牧師たちが二次にわたって韓国を訪問しました。それはアメリカでできたことを韓国と連結させるためでした。私がお金を払ったのではなく、彼らが自ら旅費を出して韓国を訪ねてきたのです。すべての摂理的な蕩減論理によるのです。アメリカ教界において「韓国の地がエルサレムの聖地よりも、もっと尊い地である」と讃美することができなければなりません。聖地地域が変わっていくのです。変わらなければなりません。キリスト教文化圏が変わっていかなくてはなりません。 これからアメリカの牧師たちを連れてきて、統一教会の責任者にさせるのです。どうですか。そしてアメリカの教会は、韓国の食口を牧師にするようになります。そのようにすれば二つの国は滅びますか、栄えますか? (栄えます)。そのような時が来るでしょう。このたび、大統領をやったことのある人たちが韓国に来て、泣いて帰りながら再び韓国に来させてくださいと頼んだということを聞きました。 心情伝統文化の起源 今、アメリカにおける政界、財界、学界、言論界すべては、レバレンド・ムーンを無視してはなりません。基盤をすべて整えました。私は韓国に出入りする時に、空港において冷遇を受けたことを考えます。今も同じです。今後は先生の世話になることが明らかなのです。先生に従ってくることによってのみ生きる道があり、そうでなければ死の道は明らかです。そのようなことをしては恵みを受けることができますが、今やすべてが私に懸かっています。先生がその国に帆を下ろせば、その国が世界の中心国家となるのであります。日本のメンバーもみな韓国語を学んでいます。なぜかといえば、単一文化、アダム文化世界、真の父母文化世界をつくるためです。 人間始祖の堕落がなければその文化は二つになることはなく、その言語は二つになることはありません。最初の愛の言葉が、神と真の父母から始まった愛の伝統的言語です。その愛の言葉を最初に使える者は、真の父母を通した神様との心情的(紐帯感)に浸っていそれが心情伝統文化こ起源です。その他は堕落の産物であり、堕落によって因縁を結んだ言葉だから妖邪な言葉です。統一教会の信者はそれを知らなければなりません。これはサタン世界によって作られたためです。正に今このような運動が始まっているのです。 あるアメリカの食口が故郷に帰って、韓国の単語を使いながら韓国語で討論をしました。仏教を信じていた継母は、その人が韓国語を語るのを見てびっくりしたというのです。そのアメリカの食口は、誰の思想が入っていますか? (真の父母の思想です)。真の父母の思想ではなく、神様の思想です。神様が人間に初めて囁(ささや)いた愛の言葉が母国語です。愛の天国の母国語です。しかし妖邪な堕落の起源をもつ言葉はそのようになることはできません。真の父母が生まれたその国の言語が世界的言語とならなければならないということは、原理的基準において愛然なのです。異議はありません。 あなた方は韓国語を学びませんか? (学びます)。今までの韓国語は偽の韓国語です。心情が入っていない韓国語であるので、これからは心情の入っている言葉を使わなければなりません。もはや悪口を言うことはできません。「この野郎!」というような悪口はあり得ないのです。また勝手に手を出すこともできません。息子、娘は第二の神様です。また息子、娘は父母に対して反対することもできません。父母は第一の神様です。おじいさん、おばあさんはその上の神様です。その上の上の上が誰かといえば神様です。神は祖先でしょう。先生は皆さんに悪口を言いますが、それは神の愛を中心として言うのであります。先生はカイン・アベルもすべて包摂しました。分かりましたか。アメリカが韓国を中心としたならば、統一天国は成されていたでありましょう。 今や、世界を指導するためアメリカに行って、獄中を経て四十年後にカイン・アベル圏の七〇〇〇群をつくりました。先生はどこの州に行っても歓迎され、数百名が先生のために代わりに戦ってくれる垣根を作ったという驚くべき事実を知らなければなりません。 これをイエス様に比べるならば、イエス様が各地方に行く時には、地方のすべての地方の長たちが集まって、イエス様を反対する者から擁護することができるのです。今やアメリカには五十の州がありますが、州の法と中央政府の法が異なるのです。中央政府の法をもって、州法を勝手にはできません。州が決定すれば政府もそれを決定しなければなりません。ところがこれからアメリカのすべての州上議員議員たちは、統一教会の原理を中心としたレバレンド・ムーン思想でなければならないという一方通行圏が始まったことを、カナン復帰の方向が決まったモーセの六十大衆と同じように今日統一教会のレバレンド・を中心として、大衆の方向性を整える運動が始まっているという事実を知らなければなりません。(拍手) 韓国の鍾路(ジョンロ)の交差点より複雑です。暴走する者もいるし、交通整理もしなければならないし、その上に社長の役割までしなければならないのです。やる人がいないから仕方がなく先生はやるのです。このようにして教会を組織し、これからは牧師たちを全部統一思想を中心として組織編成をするでしょう。共産党の組織よりも、民主党の組織よりも、キリスト教四五〇〇万を組織しておけば大統領も先生が指示しないで、下の者が指令してなるのです。(拍手) それではなぜでしょうか。それは兄だからです。知ってみると一つの家族なのです。知人に悪口を言われ、知人に打たれ、そうすることによって価値があり、そうすることによりサタンが離れていくのです。 大韓民国は先生に対してどれほどツバを吐きかけ、多くの罪を犯し、そして今までにどんなにか指を差してきたことか。ところが、このごろになって「壇君以後五〇〇〇年の歴史以来の偉人が現れた」と言うのですが、それは既に四十年前からその準備万端は整っていました。その時に分かっていたならば、どんなだったでしょうか。それを思うと悔しいと言うのであります。四十年の歳月を過ごしてしまいました。この間に、どれほど民主世界が崩れ、キリスト教が崩れて、もはや誰の力でも救うことのできないこのような立場を、先生が救援しなければならない悲惨なる立場に立ったのです。それはどんなに悲惨なことでしょうか。 先生が神の愛を知らなかったならば復讐することもいいでしょう。先生はあらゆることをすべてやってきました。考えれば、非運の歴史でした。考えてみてください。どれほど凄まじかったかを。一人の友もいませんでした。私の父母を苦労させました。私の兄弟八人が私のために犠牲になりました。先生が出発当時反対されず、既成教会と韓国が歓迎していたならば、彼らは苦労したでしょうか。今は全部が共産党の前で虐殺されたと思っています。自分の父母、親族を犠牲にしながらも怨讐の子を救ってあげるために、全部犠牲にしながら今までこのようにやってきたのです。なぜですか。神の愛を考えたからです。このような伝統思想を今日の宗教人たちは知らなければなりません。天国に行こうとして、欲心を先に立てて、自分が良く生きようとするのではありません。そういう人はレバレに反対した世界を見なさいというのです。キリスト教が滅び、アメリカが滅び、世界が滅びるようになります。そのようになってはいけません。 アブラハムが祈祷したと同じような祈祷をしなければなりません。五十人からたった五人まで。このような戦いをしなくては世界を回ることができないという、歴史的なすべての事実を考えてみる時それはたやすいことでしょうか。一度に三万名を集めようとするために、七〇〇〇名が一人ずつ五人を連れてきても、三万五〇〇〇名です。それは簡単です。それは可能なことです。今や三十万名に全部本を配ってあげて、勉強させるのに二十四時間の戦いをしているのです。本を受けた人たちはお互いに確認しながら騒いでいるのです。神学者、同窓性たち、先輩、後輩など、みな統一教会の原理の本を勉強して大変なことです。「あなたはどこを読んだのか。どうだったの?」「どこを読んだ?」このように電話で話し合って、神学者たちの騒ぎが起きています。このようにして背景は全部統一教 統一教会のレバレンド・ムーンが問題を起こし、教界、政界、経済界全体に問題が始まっています。問題になって死んだと思っていた人が、また生き返り、さらに問題が問題となったのです。政府は目を丸くして今や、「追い出してはいけない」と言うのです。レバレンド・ムーンを追い出してもアメリカには何の関係もないと思っていたのに、生死を超越してアメリカと関係するのだということを知るようになりました。私が行くにも問題であり、帰ってくるにも問題なのです。しかし問題の起こるたびに落ちていくのではなく、大韓民国は上がっていくのです。先生はそれを知っているのです。 このようにして、アメリカにおいて今や滅びることのできない道を、イエス様は七〇〇〇の群れを迎えることができなかったのですが、統一教会のレバレンド・ムーンはアメリカで七〇〇〇の群れを得なければ大変なことになります。八月二十日の晩餐会の時、二十四名余が来て先生と握手しようと目を丸くして騒いでいました。それは何の運動ですか。死ぬ運動ですか、生きる運動ですか。それは生きるための運動です。爆発運動です。それでアメリカには先生のために死ぬ牧師たちが多いのです。 それを信じれますか。信じることができなければそのままにしておきなさい。それでも大丈夫です。アメリカで先生に会いたいという人たちが多いのですが、先生は会わないの統一教会の皆さんが先生に会うのはやさしいでしょう。世界の言論人が先生に会おうとして門前に来ても会わないのです。「これまで悪口を言ってきたのに今になって何を会いたいと言うのか」。 私がこういうことを言うことは誇りではありません。あなた方の調子に先生が合わせるのでなく、あなた方が先生の調子に合わせなければなりません。アメリカの政客の調子とも先生は合わせません。先生の調子に合わせなければなりません。このような局面を訪ねていっている先生についてくるために、皆さんの度胸と雅量の準備を急がなければならないのです。そのために、一九八五年度の最後の清算をするための話をするのです。八六年以後には「先生に対してああでもない、こうでもない」と言う話をしてはいけないというのです。 先生が仕事をするのは誰のためですか。それは皆さんのため、皆さんの子供のため、皆さんの氏族と民族と国のためにするのです。先発隊の姿勢が正しくなければ、後発隊は全部包囲され、滅びて死ぬのです。先発隊を正しい道へと、正しく育てなければならない責任があるためにこのような話をしていることを知らなければなりません。何の話か分かりますか? (はい)。 私はその年に使うそのお金を一度も触ってみることもできませんでした。それは銀行から銀行へ行ったり来たりするだけであって、先生は一度も見ることができなかったのです。アメリカに行って十数年間、妖邪なうわさの中で、多くのお金を用いましたが、それは先生のためではなく、自由世界と神様のためです。先生は今でもケチです。 新しい天地の第一歩 あと三日過ぎれば、一九八五年が過ぎていきます。先生が四十年蕩減を越えるためにどれほどまでに待ち焦がれていたかしれぬこの年は過ぎていくのです。先生が今考えることは、八・一五を過ぎても、果たすべき責任をすべて果たし得たといえる立場に先生が立てなかったならばどうなっただろうかということです。八・一五が過ぎて先生は出たのです。そして八月二十日に、すべての摂理的な総決算をつけて、解放圏の騎手となって、新し地の第一歩を踏み出すこの歩みには今や誰も妨げれる者はありません。 また統一教会の真の創始者として、歴史時代を経てくる統一教会の宣教事業においては、犠牲を願いませんでした。殉教者を願いませんでした。先生の一代において、このたびアメリカのダンベリーにいて勝利の旗を掲げることによって、統一教会宣教歴史に殉教の終着点がつけられたという事実は、宗主としての天に対する責任感からしても成さなければならなかったことであります。イエス様がローマの元老院で、勝利者として宣布することのできる基盤をもっていたならば、キリスト教は血を流す宗教にはならなかったでしょう。それを蕩減復帰しなければなりません。イエス様の恨みを解いてあげなければならないのです。 二十世紀のローマのような国、このアメリカの天地に行って、ローマの元老院ともいうような上院を通して、反対する環境の中でこれらを消化して勝利の旗を立てることにより、アメリカ全国民と世界のすべての宗主たちが讃美することのできる基盤を整えて、祖国に帰ってこなければならなかったのです。そのような歴史的な蕩減行事を、このたび韓国訪問によって始めたために、数多くの有名な人たちがついてくるのです。アメリカを代表し、世界各国を代表したすべての人々がついてきて世界的宣布する式は全部終結しました。(拍手) それは、私が監獄から出てきて、一二〇日目の十二月二十日以前に、全部清算しておかなければならないのです。 一二〇日期間にすべてを清算して、今や、のども嗄(か)れてしまいました。しかし、これが最後の週なので全部総決算しなければなりません。怨讐を愛することにおいても、四大怨讐国家が集まって、その怨讐国家主権に対して愛で犠牲する忠孝の道理を尽くしていた愛国精神以上の精神を、韓国と日本と、アメリカとドイツを中心とした全ヨーロッパが合わさった、このアメリカ解放運動の主動的役割は既に終えたのです。アメリカを中心としてみると、日本も怨讐であり、ドイツも怨讐です。第二次大戦の時、打った怨讐国家が滅びるのです。しかし、大義によって再び解放するための基台をつくらなければなりません。そのためレバレンド・ムーンを中心として、韓国、日本、アメリカだ一つとなって基盤を整えたのです。 神の前に、サタンが「神の息子、娘が天国へ行くためには自分を愛さずには行けない」と讒訴していましたが、今日この伝統的原理基準を、初めて歴史の終末時代に四大国家怨讐たちが愛したという条件の立場に立って、神の国家を地上に成就することのできる国家形成基盤を整えることができたという驚くべきこの事実によって、サタンは既にここから永遠の離別をしなければならないという天道の秘密があったことを確証しなければなりま(はい)。サタンが神の前に讒訴していた、その讒訴の条件は清算されたのです。あなたの息子と娘が自分を愛したので天国に行けるというのです。 すなわち堕落によって、これまでサタンは「人間を殺す」と言い神の前に反対してきたのですが、このサタン世界に初めてレバレンド・ムーンが現れて、神と同じ立場において怨讐を愛したという条件を残し、世界の頂上までも通過できる基盤をつくったという驚くべき事実によって、永遠に人間を讒訴していたサタンは既にここから後退せざるを得ない運命になっているというのです。 それによってどのようなことが起こるかといえば、善なる霊人たちが、霊界から地上に自由に降りてきて、後孫たちを教育します。地上にいる人はいかなる立場かというと、アダム、エバのような何も知らない立場に立っているために、霊界のすべての善なる霊たちは天使長の立場です。先に生まれた天使長世界はアダム、エバを育てて完成させなければならなかったのですが、堕落によってそれができませんでした。しかし、今や堕落させた元凶のサタンを分別させることによって、天上世界の天使世界が復帰され、地上世界に降りてきて、この地上にある人々を指導することのできる統一圏時代が形成されるのです。(拍手)夢のような話です。 それで先生は、このような愛を中心とした基準のもとで、すべての霊界の数多くの障壁、宗派の障壁、国家の障壁、怨讐の障壁をみな崩してしまうのです。このようにして、怨讐を愛する条件によって地上世界と連結させて、世界舞台への塞がれていた障壁がすべて崩れていくのです。 今日までの歴史の基台は、復讐と自己を中心とした論理の世界でした。しかし今やそれが反対になりました。全体を中心として、怨讐を愛する起源の地上世界に定着できる世界史的基盤が確定されたという驚くべき事実によって、摂理史的総決算の実を結ぶようになるのです。(拍手)それで今は、神の摂理史的総決算なのです。神の人間への摂理史を総決算するのです。神の摂理史を総決算することによって、神の解放が始まるのです。 人類と共に手を携さえて、神が皆さんの家系に君臨され、家庭を中心とした愛の歌を声高く歌える時代が来たのです。このような春の歌声が人類の希望であります。しかし堕落によってそのような本然の世界、本郷の世界、愛の理想の世界を失ったのです。本郷の父母はみな死んでしまったのだろうかと思っていたが、今や神が復活され、皆さんの先祖が全部復活し、天地のすべての人類が公義勝利の讃美を神に返すことのできる、そのような時代が訪れてきたのです。そのようにして、神が解放されるのです。神が解放されてこそ、真の父母が解放されるのです。真の父母が解放された後にのみ、初めてその後孫たちが解放されるのです。そのことをはっきりと知らなければなりません。歴史を見ると、旧約時代は神の人を探すための時代であり、新約時代は新約時代の父母に侍るための犠牲の時代であり、今の成約時代は真の父母を中心とした神に侍るための解放の時代なのです。そのために、今日統一教会は白の十字架を見せてくれるのです。これは父母が十字架を背負っていくというのです。長成期完成級で堕落したために、完成級に向かって上がっていかなければなりません。 三段階の一段階を残したこの圏内において、先生は二十年間でもって、蕩減の道を再び上がっていかなければなりませんでした。このために、我々の家庭においてこの間すべて二番目が被害を受けました。先生の家庭の喜人様も二番目の息子であり、また統一教会から見る時、劉協会長も三十六家庭の二番目であり、お母様により生まれた興進様も二番目の息子、恵進様も二番目の娘でした。全部二番目が蕩減したのです。これらのことを考えた時、今日二世を蕩減させなければならない時が来たのです。それで先生が帰ってきて話すことは、「学校が重要ではなく、学校を休んだとしても国と世界のために、二世たちが十字架を担って立たなければならない」と言うのです。それができなければ、皆さんが犠牲にならなければなりません。あなた方が祭物にならなければなりません。祭物として、今や天国建設においての先頭に立たなければならない時代が来たということを知らなければなりません。分かりますか二世たち?(はい)。 八六年からは本格的ホームチャーチの時代 祝福を受けた二世をもつ父母たちは気をつけなければなりません。皆さんが力が足りないといって先頭に立たなければ、二世を先頭に立てて荒野路程を行かなければなりません。カナンの地に二世たちが入っていった時、ヨルダン川から十二個の石を集めて、三日をて、それで塔を築いて入っていったのです。それと同じです。 これから皆さんも自体内においての支派編成をしなければなりません。支派編成に責任をもつことのできる指導者とならなければなりません。分かりますか? (はい)。そのために皆さんは氏族的メシヤとならなければなりません。皆さんはイエス様の恨みを解怨せずしては神の国へ入ることができません。イエス様はなぜ死んだのですか。それは氏族編成をすることができなかったためです。十二弟子と七十二名を探し立てることができなかったためです。それで私たちは七年の間に、月に一名ずつを伝道しなさいというのです。八十四数を満たすことができなければ、皆さんは氏族圏を越えて民族、国家、世界へと行ける摂理圏に接触することができません。 みんなこの条件に引っ掛かっているのです。それで、きょうは皆さんがそれを成すための総決算です。先生が全世界的なすべての蕩減基準を家庭的に立てたために、皆さんは先生が歩んだ長成、完成時代に行くその家庭的基準を総蕩減できる条件、それがホームチャーチなのです。三六〇民族。一二〇カ国家が三時代。旧約、新約、成約。それから三六〇度天地度数のすべての総括的なもの。陰暦でいえば三六〇日を示すのです。地球が太陽界の原力を中心としてこれを一周する三六〇です。これは全体を代表するものです。皆さんがホームチャーチの基盤のもとで、何をするかというと、氏族的に八十四名を中心とする基盤をこの全体の中に連結させなければなりません。そしてさらには、今の時代は一二四名まで連結させなければなりません。これらのあなた方の蕩減条件を整えてこそ、先生が代わりに条件を立てて世界的橋を架けたという、その橋となることができるのです。そのために八六年からは、本格的ホームチャーチ時代に入っているのです。今や既成教会が入ってくれば、ホームチャーチは約二万名だけを配置すれば終わるのです。これからサタンは、この世界に足を下ろす所もないのです。 原理を中心として、全部生活圏に入っていくのです。皆さんは東西南北どこに行っても、三六〇軒が夜でも昼でも、反対をせず自由に門を開くことができる基盤をつくらなければなりません。完全に一つにしなくてはなりません。夫婦がお互い愛し合うその場までも通過することができなければなりません。皆さん方夫婦が愛し合うその場に先生が行けば「先生少しお待ちください」。それではいけません。「門を開いて早く入ってきてください」。先生はそれぐらい身近なのです。本当ですか? (はい)。では先生があなた方夫婦が愛し合っている所に行ってもいいですか、霊的には目の前で見ているのです。神様は目の前で見ておられるのです。神様は御覧になっているのに、先生が見たらいけないのですか。神様の前ではそうしていながら、先生の前で何が恥ずかしいですか。何の話か分かりますか。 先生が一度行きます。祝福家庭が三六〇軒を勝利したならば、何日の何時に先生が行くと通告し、その時間に、先生が行き皆さんが恥ずかしくないなら、それを神様が御覧になり、「この者たちは立派だ」と言うのであって、「この者たち!」とは言いません。統一教会の私たちはそのようなる因縁を結んでいるのです。先生とは別れようとしても別れることができないでしょう。(はい)。死んでも神の愛の尾のパイプは付けて死ななければなりません。 愛の哲学は、統一教会の文先生を通して学ばなければなりません。それでは愛をどのようにしなければならないか。どれぐらい愛すればよいか。結婚した人は手を挙げてみなさい。しない者は耳を塞いでください。鳩がクークークーと言にながら喜び愛し合います。それよりも、百倍、千倍愛し合ってもいいと許可します。夫婦が野良仕事に出て、キスしてもいいです。それほど自由です。働いていて、キスして力が出ればキスしなさい。父母がいてもです。アメリカの人たちは祖父母の前でも姑の前でもします。それは外的には神の国の姿ですが、内容は俗なのです。しかし統一教会は内容も神の国、外的にも神の国です。 では尊い至聖所はどこにありますか? エルサレムの聖殿が至聖所ではありません。人間が立った、そこが至聖所です。神がつくられた愛が居することのできる所が最高の至聖所です。これを失ったことが、至聖所を失ったという人間の罪です。エバは何ですか、神様の夫人としてです。アダムは何ですか、神の実体です。神が造ったこの相対世界の主人となろうとすれば、体を成さなければなりません。なぜ人間を造ったのか。それは神が体を成すためにです。その体が誰ですか。アダムのかたちが神のかたちであり、エバのかたちが神の夫人のかたちです。そのようにして体を成さなければなりません。神の夫人となることができたのがエバでしたが、これまで女性はどれほど可哀そうだったことでしょうか。 女性の皆さんが生まれた本然の起源は、神の夫人です。神の息子の夫人であります。そらなければなりません。その愛は勝手にするのではありません。神を発見して、真の父母の愛の伝統を受け継いで、その愛の伝統を連結させるための夫婦です。それがなくしては愛の伝統が連結されません。そのために女性は、男性においての愛の最高の至聖所なのであります。至聖所は門の鍵をもつ大祭司長のほかには入っていくことができないのです。主人は一人です。誰も入って行くことはできないのです。 契約の箱はアダムとエバを象徴したものです。そこには二枚の石板が入っており、アロンの杖が入っています。この石板はアダム、エバを象徴したものです。火の柱、雲の柱。オリーブの木、生命の木。すべてがアダム、エバを象徴したものです。聖書はこのようになっています。 女性は神が訪ねてくることのできる至聖所の所有者です。実体の神が訪ねてくることのできる至聖所の所有者です。結婚も一度すれば永遠でなければなりません。愛の法を犯した人は神の怨讐、姦夫として扱われ、許すことができないのです。愛の法度を守らなかった人を許す法はないというのです。恐ろしいことです。今日のアメリカの若者たちがそうです。 サタンが天の尊いものを全部破壊させていきました。真の父母が生まれてこれを開ければその至聖所が開くはずであったが、サタンがその時を迎える以前に全部崩してしまったのです。先生はそれをぬい合わせ、修理すれば使えることを知ったために直してあげるのです。 まず神の国と神の義を求めなければなりません 全体復帰摂理の結果はどこに帰結するのか。摂理の総決算はどこかで世界的な蕩減復帰を完成することが必要です。そしてそれらはすべて皆さんの家庭に帰結します。皆さんの愛する夫や妻が神を呼ぶように、神が堕落した息子を探し求めたのと同じような切なる心情をもって神を探していた心のある、その場所なのです。イエス様が夫として新婦を尋ねながら二〇〇〇年間、また数多くの人類が犠牲の血の祭壇を越えて会えるその喜びの日を待ち焦がれたように、考えなければなりません。皆さんの家庭にはそのような道を経て縦的には旧約、新約、成約時代。万物の犠牲、息子・娘の犠牲、父母の犠牲を通して神の愛の解放圏を成し、横的には地上の家庭と私を解放させるために摂理をしてきたことは、すのためではなく皆さん自体に帰着するという事実を忘れてはなりません。皆さんがそのような愛の理想的家庭を中心として動く時、その家庭は神が擁護し、天地がついてくるのです。サタンが共にいるのではありません。その人々が食べていくことは問題になりません。聖書は言っています。「空の鳥を見るがよい。またくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる」と。皆さんは鳥よりも劣りますか、野に咲く草よりも劣りますか。あなた方は神の子女ではないのか。まず神の国と神の義を求めなければなりません。義というのは、羊の下に我と書くのです。羊は犠牲を象徴するのです。義を立てるためには自分を犠牲にしなければなりません。そうでなくては、義なる父母となることはできません。 羊を象徴としたのは、羊は主人が首をはねたとしても、噛み付くこともせず、死ぬとしても主人を足げにすることはしません。それでイエス様を子羊だというのです。地上にいる人間がその国を求める以前に、義を立てなければその国と関係を結ぶことはできません。これらのすべてがどこに帰結点を置くのかというと、皆さんの家庭です。その家庭は世界を代表した家庭であり、国家を代表した家庭であり、民族を代表した家庭であり、氏族を代表した家庭です。 その後、その家庭は食口を代表した家庭となり、その食口を代表した父母は、全体の中心の責任者になるのです。このようにして皆さんは家庭天国を成さなければならないことを確実に知らなければなりません。先生はそのように総決算し、すべての世界のカイン・アベル兄弟の怨讐関係を、血統的転換を通して復帰をしましたが、その総決算点は、自分が完成できる道に帰着するということを知らなければなりません。 神の救援摂理、摂理傑総決算はどこで始まるのかというと、世界を中心として全部自分にあるのです。自分がその終着点を立てなければなりません。旧約、新約時代を経て、イエス様が犠牲になり、キリスト教の殉教歴史が形成され、次には父母が来られて四十年間苦労して、これらのすべてを貫く国家解放、世界解放、すべての解放圏をつくったのです。そしてそれをどこに連結するかというと、皆さんの家庭につなぐのです。したがって皆さんの家庭はまず、旧約時代を代表した勝利的家庭にならなければなりません。皆さん自身が万物全体を犠牲にさせた旧約時代の祭物の前に恥ずかしくない生きた祭物の復活的実体とならなければなりません。 そして僕、養子、息子を犠牲にさせて父母を受け入れることのできる基盤を整えてきた新約時代のすべての先知、先烈たちが霊界に行っていますが、その霊人たちが見る時にも恥ずかしくないようにしなければなりません。彼らはイエス様のために死んでいった人が多いのです。 皆さんは死んでみましたか? 真の父母は世界解放のために、皆さんの生きる道を開いてあげるためにその一生を投げ出したのです。真の父母は皆さんよりも優れています。この世的に出世しようとすれば、誰にも負けない世界的な学者となったでありましょう。そのような頭と能力をもっている先生がその一生を一介の放浪者のように、ジプシーの先駆者のようにして働きながらこのようなことをしているのです。そのようなすべての犠牲は誰のためでしょうか。それは神の解放のためです。神を解放して何をするのですか。どこへ行くのですか。私たちが神に乗って神の国へ上がっいくのではなく、神に侍って家庭天国を成すためです。私たち祝福を受けた家庭というのは、神と真の父母、また旧約と新約の基盤上のすべての宗教人たちが犠牲となった祭物の上に立った結実であることを忘れてはなりません。 神の解放圏のため常に犠牲になる伝統 皆さんが植えたその木の芽は、このような伝統的、歴史的な実の内容を再現することができなければなりません。それで皆さん自身の万物を常に神に捧げることができ、皆さんの子女を常に神の国の犠牲の祭物として送ることができ、父母となった皆さん自身が神の解放圏のために常に犠牲になることができる伝統を、皆さんの日課の中に深く根を下ろさない限り、天国基地ができないという事実を確実に知らなくてはなりません。 これを忘れてはなりません。先生も今や、この蕩減歴史を回って家庭に帰らなければなりません。今まで先生は、家庭の父の役割を果たせませんでした。お父様も平安にしてあげられませんでしたし、子供たちに対してその責任も果たしていないのです。今や、統一教会の祝福家庭や皆さんに、先生が全部教えてあげたので、そのような課題の責任遂行をすることは重要です。相続したので、そのようにしなさいと言うのです。 ホームチャーチを中心として、皆さん自体の家庭と和合することのできる伝統をいかに残すかということです。今や地上天国を実現していく第二次摂理です。今は神の救援摂理ではなく神の創造理想実現です。救援摂理時代は過ぎ、創造理想時代へと越えていくので初めて摂理史的総決算を成し、怨讐を除去させ、神のみ言を中心として我々は幸福を歌うことのできる自由世界へと越えていくようになります。 八六年を期して、そのような世界へ進出しなければなりません。今や共産党も霊的に除去する時代に入ったので切り換えるのです。妖邪にデモをする者たちもそのままにしてはおきません。今や共産主義者たちは追いやってしまうのです。 皆さんの家庭が、皆さんの村が、また皆さんの国が全部責任をもたなければなりません。連帯責任を負わされたのです。分かりましたか。これからはやさしいことです。それはなぜかというと、(先生が)怨讐を愛し、責任分担も終わり、カイン・アベルも蕩減復帰したからです。これらは歴史の三大恨みでした。それを解くのは怨讐を愛するということと、責任分担をすることであります。皆さんが遂行するその責任分担はアダムとエバの責任分担です。祖先の責任分担です。もしアダムとエバが責任分担を成したならば、後孫たち皆さんは責任分担圏にいないのです。その次には統治、法的、家庭倫理時代へ入っていくのです。それは地上に真の父母がいるので即座に平面的にも教えてあげることができるのです。なぜならば、三六〇度をもっているからです。神が教えてあげることができなかったのは、中心が来る時まで待つためです。その間に問題が生じるためです。そのためホームチャーチをしなければなりません。ホームチャーチを経ずしては、皆さんは先生の世界史的なすべてのものを蕩減できる道の相続を受けたという条件を立てれる基盤がないのです。 ホームチャーチをしなさいと言うことは、三六〇軒が皆さんを歓迎するようになる時には、皆さんの同じ姓の人たちが復帰されるからです。カイン的氏族圏が復帰されたために、アベル的氏族圏は自然に復帰されます。今に統一教会の文先生が立てた国家基盤を中心として、大韓民国の文氏の宗中(一族)たち四〇〇名が、全部集まって「一度語ってください」と頼むそういう時が来ます。その時「先生の話が正しい」と言うでしょうか、どうですか。その時、「正しい」と答えればすべてが終わるのです。条件となるのです。そのような時代へ越えてひくのです。四十万から五十万になんなんとする文氏の氏族を、いちいち探し訪ねながらいつ話をしますか。 頂上を集めて「先生の言うとおりにしますか、どうしますか」と言って、ハンコだけを押せば成るのです。(拍手)今やこのように、民族を中心として、文氏族は自然に復帰されるのです。 皆さんがホームチャーチをするようになれば、彼らはカインの氏族ですから、彼らが立てば彼らが行って説明すればアベルの氏族たちは、ただそのまま「OK」になります。そのようにして復帰するのです。そのようになれば皆さんはイエス様の氏族復帰基盤を成し得なかったことを蕩減することによって、皆さんはイエス様以上の立場で国家と世界に連結できる恵沢圏が、父母様から伝授されるのです。 それで、皆さんが成さなければならないことは、イエス様を解怨をしてあげることです。イエス様の解怨成就をしてあげなければ天国に入れないのです。 先生はアダムの解怨成就、イエス様の解怨成就、神様の解怨成就をしなければなりません。 皆さんはイエス様の解怨成就です。イエス様は結婚することができなかったのですが、皆さんは結婚したのですからイエス様の立場に立とうとすれば、イエス様ができなかった氏族復帰基盤を完成しなければなりません。今は迫害の時代が過ぎ、歓迎される時代になったために、カイン圏、家庭復帰圏は一瞬にしてできます。三年もいりません。皆さんが数カ月だけ犠牲的に行えば、全部復帰することのできる時代に入っているのです。皆さんはすべての歴史的な解怨をしなければなりません。歴史的に見る時、皆さんはイエス様を殺した罪があります。それでイエス様の解怨成就を成さなければなりません。 その後においては、父母の解怨成就をしなければなりません。イエス様の解怨成就、父母の解怨成就をしようと思えば家庭復帰すなわち、ホームチャーチをしなければなりません。この二つは二重になっています。ホームチャーチをすることによって、イエス様の所願と父母の所願を果たすことができ、相続することができる世界へ入っていくのです。 先生が世界的基盤を整えたので、皆さんは家庭教会基盤さえ整えれば直ちに上がっていって、先生と同じような祝福圏内に同参できる権利をもつようになるのです。分かりましたか?(はい)。天国はホームチャーチを通して成されるのです。それは何を中心としてかというと、家庭を中心としてです。今日このような結果は回りに回ってどこまて来たのでしょうか? 皆さんの家庭を中心とした愛の圏内に帰着したのです。統一教会の夫婦同士がけんかをしてはいけません。どのような生活であっても家庭的模範とならなければなりません。子女たちが父母と神を愛して、自然に感動されついていかざるを得ないような、良心が楽しくてついていくことのできるような伝統を植え付けていかなければなりません。それで、二世たちが父母を連れて越えていく道が残っています。二世たちはホームチに協助したとしても蕩減をしないのです。父母が整えた基盤をそのまま経ていくのです。 神の新しい出発の種を蒔く運動 きょうの話の題目は何ですか? (神の摂理史的総決算です)。それは何を中心としてするのですか? 愛を中心そちた方向性を求めて、旧約、新約、成約時代。次には神を解放する解放時代へ越えていくのです。そうするためには、カイン、アベルを収拾せずしては父母が立つ立場はありません。 エバがカイン、アベルを分けてしまったのです。歴史的にエバが一つにしなければなりません。それで日本を立てているのです。日本が全部負わなければならないのです。 四大国家、アダム・エバが怨讐となり、父母と子女の間が怨讐となりました。家庭がバラバラに分かれてしまいました。今日アメリカのキリスト教文化圏がなぜこのようになったのか、神の罰であります。今日アメリカでは父母に追い出される子女、子女に追い出される父母、兄弟同士が分かれてバラバラになりました。 我々はそのような世界とは反対です。我々は別れていた父母、子女が一つになり、別れていた父母たちが一つになる運動が始まるのです。子女が全部統一教会に入って、分かれていた父母を連れ戻して再び一緒に住むことができるのです。不思議でしょう。子供たちが統一教会に入って、兄弟同士が入って、父母が別れたために入ってきた継母を追い出して、自分たちの父母を一緒にするのです。 その父は継母の所に行くことよりも、息子や娘の所に行くことがもっといいのです。それで息子娘の話を聞かざるを得なくなるのです。それが統一教会の新しい歴史です。悪なる世界の蒔いたごとくにすべてバラバラになったものを清算し、神の新しい出発の種を蒔く運動です。統一教会の、父母と子女が完全に一つとなって種となるのです。今やこれが現実的に表れて蒔かれ、現実的に具現されている驚くべき事実を私たちは知っております。 アメリカを中心とした戦いは終わったのです。共産世界と民主世界の戦いも終わったのです。さらにキリスト教と統一教会の怨讐関係もすべて終わったのです。アメリカのキリスト教と政府は今まで分かれていました。政府のすべての人本主義者たち、実用主義者たちは「メシヤは必要ない」と言ったのです。「人間は平等なのになぜメシヤが必要なのか、メシヤ自体も我々と同等であり、我々には必要ない」と言うのです。(彼らは)人本主義がすべてです。黄金万能主義なのです。それで神を追放し、メシヤ思想を追放しました。さらには人倫、道徳まで追放しながらサタン・悪魔が世界を全部染めてしまっているのです。 韓国の若者たちにも全部その色に染まっています。「アメリカのとおりにするな!」。アメリカは亡国になっているのです。アメリカはサタンの結実した舞台となりました。その風に乗って、愛の秩序を全部破綻させています。 しかし、今や統一教会のレバレンド・ムーンによって、きれいに整理されているのです。新しい倫理道徳、新しい秩序編成、新しい家庭編成がなされ、新しい世界観が、今芽生えているのです。そこで、腐ってしまった局面に種を蒔かなければなりません。アメリカが腐ったためにその腐った物を肥料として、そこに種を蒔くために、レバレンド・ムーンはアメリカに行って、今種蒔きをしているのです。そして今や腐ったものを生命の要素として、活力要素として変転させる生命の復活がなされているのです。真の光が、地上天国が実現されているのです。 そこに、神の解放が始まるのです。アダム・エバの解放、カイン・アベルの解放が始まらずしては、神が解放されません。神の解放圏が始まって国家基準に至り、世界的基準に韓国を接ぎ木するために今回帰国したのです。そして皆さんに今、何を教えてあげているのでしょうか。摂理上の総決算、勝利的基準を迎えることのできるように上がっていけと言うのです。 ですから皆さんは、過去の旧約時代から見ても恥ずかしくなく、先生が見ても恥ずかしくなく、さらには神が見ても恥ずかしくないというような皆さんにならなければなりません。そのようにして旧約時代が、新約時代が、成約時代の我々家庭を讃美し、神までも拍手を贈ることのできるような家庭にならなければなりません。 家庭、エデンの園において神が願い夢に見ていた家庭。その家庭を成すためには、皆さんのすべてがイエス様の解怨成就を成さなければなりません。イエス様の解怨成就を成さずしては、父母の解怨をすることはできません。そのために先生が行く道はイエス様の解怨でした。皆さんも同じように、イエス様の解怨成就をなさなければなりません。皆さんは氏族的基盤さえ整えればいいのです。父母が民族、国家、世界基盤を全部整えたために皆さんが解かなければならないことは一つです。氏族的基盤を中心とした八十四名を一つ得ることのできなかったイエス様の立場を復帰できるのです。(イエス様が)このような氏族的基盤をつくることができなかったために、これを蕩減復帰しようとして世界史的全体を代身する圧縮した祭物のような現実舞台がホームチャーチです。 皆さんの家庭はアベル家庭であり、ホームチャーチは神の国のカイン圏家庭です。それで皆さんの家庭を通してホームチャーチ圏を消化する時には、カイン、アベルが一つになるために、皆さんが父母の立場に立って、天国基盤を氏族的局面へとつなぐことができるのです。このことによって、摂理史のすべての総決算が始まるのです。その後は神と共に生きるのです。 宗教の目的は、神を愛しながら生きることです。先生も今まで一人で生きてきていても神と愛を中心として生きてきたために寂しくなかったのです。迫害がいかに荒々しくとも、その道を崩すことは何でもないと見たために、押し進めて押し進めてみると、事実どおりになってきたのです。十字架が大きければ大きいほど、愛も大きいというのです。それを知らなければなりません。八五年を過ぎて、八六年を新しく迎えるのですが、真の家庭を中心として、皆さんが至聖所のような家庭を整えることができるようにこの三日間を特別祈祷して新年を迎えることをお願い申し上げます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.27
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(TC-043-日本語) 孝情Today(2021, 10大ニュース)_第1532回修錬会HJ天宙天寶修錬苑一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.26
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「神様のみ旨と韓国」 (国際勝共安保決意大会)1985年12月16日ソウル・蚕室体育館 満場の国内外来賓、紳士淑女、および勝共同志の皆様。一年中で一番お忙しい時であるにもかかわらず、このように多くの方々が参席してくださったことに対して深く感謝を申し上げます。 今日、私がこの席を借りて皆様にお伝えしたいメッセージの題目について考えるとき、神がいないという共産主義に勝利するには、神に対する確信と体験上において勝利し得るのでありますから、そのような観点において題目を定めたのであります。それで「神様のみ旨と韓国」にしたのであります。韓国が神様の摂理の焦点になっているということと、今日の世界問題の解決の鍵が韓半島にあるということを明らかにしようとするのであります。 今日の世界情勢を眺める時、だれもが失望を感じざるを得ません。人類の切なる願いが自由と平和と安全であるにもかかわらず、世界的混乱は日ごとに悪化し、人類の将来は今や絶望状態に至りました。世界の指導者の絶えざる努力にもかかわらず、世界の問題はより複雑になり、より難しくなりつつあります。民主主義も共産主義も宗教も哲学も、世界の問題の解決において、全く無力であることが露呈されてしまいました。それは、神様のみ旨が分からないからなのです。人類歴史は神様の摂理歴史でありますから、これからは神様の摂理のみ旨が分からなくては世界問題の解決は不可能な段階に至ったのです。 神様は分断された韓半島に焦点を置いて世界を摂理しております。それゆえに、神様の摂理のみ旨を知るためには、韓半島の分断の意義を理解しなくてはなりません。 韓半島の休戦ラインは、共産独裁体制と自由民主体制が対立しており、悪側の左翼と善側の右翼が対立しており、唯物論と唯心論、無神論と有神論が衝突している対峙線であります。今日、世界を思想と体制の面から見たとき、アメリカとソ連を両極として民主陣営と共産陣営に分かれていることを我々は見るのです。ゆえに韓半島は世界の縮小型であり、世界は韓半島の拡大型であります。ここに神様の深い経綸(けいりん)の意義があるのです。それは縮小型である韓半島の統一をまず成し遂げ、同じ方式を拡大型である世界に適用して世界の思想的、体制的統一を達成しようとする摂理であります。 韓半島の休戦ラインのいま一つの摂理的意義は、旧約時代のヘブライズムの流れを引き継いだキリスト教文明と、ヘレニズムの流れを継承した共産主義文明がこの休戦ラインで対峙している事実であります。ヘブライズム文明とヘレニズム文明は、ローマにおいてイエス様によって統一される予定でしたが、イエス様の十字架刑によって統一の支点がなくなり、そのために平行線を描きつつ、時には一方が優勢に、時には他方が優勢になりながら、今日に至りました。そして、ヘブライズムの流れはキリスト教文明に連結し、ヘレニズム文明は共産主義文明に継がれて、今日休戦ラインを間において対峙しております。韓半島においてこの二つの流れの文明が統一されるのが神のみ旨であることを思えば、そういう点でも休戦ラインは摂理的な意義が大きいといわざるを得ません。 韓国は、地政学的に四大強国の中にあって不利な点もありますが、摂理の焦点が韓国であるために、韓半島の成功を世界に広めるには、強大国を通じれば速いという点において有利な立場にあるのです。それでは神様は韓半島の統一をどのように達成しようとされるのでしょうか。それは一人の摂理的中心を立てて、彼を通じて神の愛を実践せしめるように摂理するのであります。その愛は、自分の隣人や自分の国のためだけの愛ではありません。国家を超えて全世界までも愛し、ひいては世界的な怨讐までも愛する愛であります。敵のために祈り、敵のために必要であるならば命までもささげる愛が神様の愛であります。二〇〇〇年前にメシヤとして来られたイエス様が、正にその愛の主人公であったのです。イエス様は十字架にかけられてまでも怨讐を愛しました。 ここでしばらく、イエス様の十字架について触れてみます。皆様はイエス様と共に二人の強盗が十字架にかけられたことを御存じのことと思います。ところで、ここにも神様のみ旨があったのであります。右側の強盗はイエス様を証して善の側となったのであり、左側の強盗はイエス様を誹謗することによって悪の側になったのであります。特に右側の強盗は左側の強盗に対してイエス様を擁護し、左側の強盗を終わりまでいさめました。このようにして十字架は、神様とサタンの対決の決戦場にあり、すべての問題の解決の焦点になりました。道であり真理であり命であられるイエス様が、十字架にかけられ、その苦痛の中でも怨讐を愛しながら、両側に善と悪を各々携えたのは、非常に深い摂理の意義があるのです。そこには神の愛を中心にして、和解の原理、統一の原則が含まれているのであります。それは善の側と悪の側の対立をはじめ、すべての種類の対立、闘争、衝突は、犠牲的な愛によってのみ和解し、統一されることを見せているのであり、いかなる困難な状況下においても神の愛を実践できてこそ、罪人を悔い改めさせ得ることを見せているのであります。 そしてまた十字架を中心とした左右の強盗は、遠い歴史的終未的において現実的な善悪の対立として結実する、その種子の立場であることを理解しなければなりません。善の側の右翼と悪の側の左翼という名称が現世に現れたのも、イエス様の十字架に起因するのであります。今日の善の側の自由陣営と悪の側の共産陣営の出現は、既に二〇〇〇年前に十字架を中心として見せてくださったのであり、のみならずこの左右の強盗の対立は、その後の数多くの対立、闘争の原型となったのであります。今日の左翼と右翼という名前の歴史的起源は実に十字架の左右の側の強盗にあったのであります。そして特に右側の強盗は、命を懸けて左側の強盗に対抗しながらイエス様を証し、そのために死んで復活し、楽園に行きました。同じく今日、右側の強盗と同じ立場の右翼の代表であるアメリカが、左側の強盗に該当するソ連に対して、終わりまで強力な対決を堅持していったならば、ついに神の公認を受けて地上天国に入ることができることを見せているのです。 ところで十字架上の善の側と悪の側の対立として象徴される、現実のすべての対立と闘争の状況は、韓半島の現在の休戦ラインがそのまま集約的に表現しております。ゆえに南北が分断された休戦ラインは、世界の分断の摂理的な代贖のための民族的十字架であります。ここで韓国は十字架のイエス様に該当し、再臨の基地でもあります。神様は何故にこのような摂理をなさるのでしょうか。神様がこの民族に十字架を負わせたのは、この民族を召命するためであります。長い間、天を崇拝し道義精神と平和精神をもって長い試練にち勝った受難の民族であり、善の民族であるために、召命されるに至ったのであります。そして終末に、人類を救うための摂理史的な祭物になったのであります。 数千年間、苦難の歴史を通過してきた韓国は、最後に人類救済の祭物となって、分断という世界史的な十字架を負って、あらゆる試練に打ち勝っております。祭物として召命された民族であるために、摂理の焦点が韓国に置かれているのであります。これは韓民族として栄光の恩赦であると同時に、最も恐ろしい重荷であることを理解しなければなりません。祭物である民族としての責任を果たすとき、最も光栄ある祝福を受け、責任分担を果たせないとき、最も過酷な不幸に襲われるからであります。二〇〇〇年前のユダヤ民族は責任分担を果たせなくて、歴史を通じて大きな不運にさらされてきたことを我々は知っております。 民族に担わされた摂理史的な祭物の使命を果たすためには、愛の実践と同時に神の真理を知らなければなりません。イエス様は愛を中心とした実体としての自身を、道であり真理であり命であると言いました。イエス様は愛と真理の実体として十字架にかけられたのです。これは善の側と悪の側を和解させ怨讐を悔い改めさせるのに、愛とともに真理が必要であることを意味しているのであります。真理とは、世俗的な真理でなく神の愛のみ言をいいます。 神の真理は一定の摂理的人物を通じて、啓示として、地上に伝達されるのです。神の真理は絶対的真理であります。絶対的真理は万能な鍵と同じであって、この真理を適用するとき、いかなる難問題も解けるようになります。私は以前からの長い間の祈りと瞑想の生活を通じて、ついに実存する神様に出会い、この絶対的真理を受けて来ました。それは全宇宙と人生と歴史の背後に隠されたすべての秘密を明らかにした、驚くべき内容でありました。この内容を社会に適用すれば社会的問題が解かれ、これを世界に適用すれば世界的問題が解かれたのであります。のみならず、宗教の未解決の問題も解かれたのであります。特にこれを共産主義理論の批判に適用したとき、共産主義のすべての虚構が白日の下にさらされると同時に、共産主義に対する代案も立てられたのであります。これはいまだかつてなかった新しい人生観であり、新しい世界観であり、新しい宇宙観、新しい摂理観でしい歴史観であります。これはまたすべての宗教教理や哲学の特性を生かしながら全体を一つに包容する統合原理でもあります。私はこの思想を統一思想または神主義と名づけ、世界的に統一運動と勝共運動を展開していますが、この運動は現在、燎原(りょうげん)の火のごとく広がっています。 以上、すべての対立の和解と統一のためには神の愛の実践と神の真理が必要だということを明らかにしました。休戦ラインを境にして善の側と悪の側に分かれた韓民族は、善の側の真理でもって悪の側の思想の誤りを諭しながら、愛でもって抱いていくならば、統一は必ず遂げられるでありましょう。 ここで私は愛についてさらに説明することにいたします。愛とは相対があるところに成立します。愛は相対から来ますが、為になすところに真の愛が成立します。相対のない愛は存続することができません。自己の為にするのでなく、相対の為になすのが愛であります。すべての被造物は為にするよう想像され、為に存在します。人間のみならず、動物、植物、鉱物も為に存在します。原子の世界も為に存在し、日月星辰(せいしん)の運動もすべての為の運動であります。 人間の男性は肉身の構造から見て女性の為に存在し、女性もまた身体構造から見て男性の為に存在します。同様に、父母は子女の為に存在し、子女は父母の為に存在します。為の原則は学校、職場、国家においても同じであります。しかしその為の愛は国家の枠内でとどまってはいけません。国民は国境を超えて世界を愛し、さらに進んで世界的怨讐までも愛さなければなりません。 全宇宙のすべての個体は為に存在し運動しております。ゆえに為に生きる愛の道理は、天道であり天理であります。いくら困難な中にあっても愛の道理を実践すれば、宇宙的な力が彼を助けて彼は決して滅びることがなく、いくら快適な中で生活しても、この為の道理を守らなければ早晩、衰退するのです。逆天者は滅び順天者は存するという言葉は、この天理のことをいうのです。 民族的十字架を背負った韓民族は、統一の達成がいくら難しいとしても、真理の中心と一つになった中で、天道に逆らうことなく、為に生きる生活を、個人で家庭で社会で国家で営み、国際的に拡大していくならば、間違いなく韓半島の統一はもちろん、全世界の救済の道も速められるでありましょう。それは韓国に摂理の焦点を置いた摂理のみ旨と一致するからです。南北統一が速められるばかりでなく、この方式が一つの公式になって、全世界も同じ公式に従ってこの愛と真理の運動のもとに、世界のすべての難問題は解決し、初めて人類は長い間の不幸と混乱の悪夢から解放され、ここに永遠の幸福と平和が訪れてくるでありましょう。 歴史を通じてだまされてきた祖国は、神様に頼る以外に方法がありません。それで私と統一教会と勝共の同志たちは、その間、成国の地にて世界的勝利基台の造成に全力をささげてきたのであり、その固められた勝利の基盤を韓国に連結させて、韓国をして世界に跳躍させ得る契機となることを望んで、このたび訪韓いたしました。特に韓国の勝共の皆様、世界の勝共運動の先頭に立ってくださるようにお願いします。どうか連結された国際的基盤を強固にし、大韓民国と共に世界の手本となることを願ってやみません。 終わりに皆様の家庭と我らの祖国と世界に神様の祝福が共にありますように。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2021.12.26
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「世界のための祖国の行く道」 (文鮮明先生勝利帰国晩餐会)1985年12月11日ソウル・ヒルトンホテル 各界からお集まりの来賓の皆様、紳士、淑女の皆様。今夕、私をこのように盛大に歓迎し、真心から祝ってくださることに対し、心から感謝申し上げます。とりわけこの日のために、世界各地から万難を排して、私の帰国の道を輝かしいものとするために来席された、各国最高指導者の方々、ならびに著名な宗教界、学界、言論界、財界などの指導者の皆様に深い謝意を表します。 昨日の朝帰国し、慣れ親しんだ故国の山野と天を眺め、また今夕、皆様方の前に立つことになりました。今、私の心はいかなる時よりも感慨深いものがあります。 皆様方が、このように私を歓迎されるのは私個人に対してではなく、神のみ旨と公議のために徹して生きてきた私を歓迎されておられるのだと思います。思えば、今日この集まりは重映な歴史的事件です。私一人の進退に世界の関心が注がれ、世界の最高指導者たちが遠路はるばる韓国に来られ、私の帰国を祝うというこの事実が、どうして簡単なことであり得ましょうか。すべてが神のみ旨を中心に、一生涯を「為に生きてきた私の理想と実践を見守り、感動されたためではないかと思います。 宇宙の存在秩序の根本は「為に生きる」ことです。真の理想、真の愛、真の平和の世界は、神の創造理想であると同時に人間の願いです。それゆえに、理想の源、幸福と愛の源は、相手のために生きるところにあります。宇宙を見れば、いかなる存在物も自分だけのために存在するものは一つもありません。鉱物は動物界、植物界のために、鉱物界、植物界は動物界のために、またこれらすべての万物は人間のために存在しています。 では、人間はだれのために存在するのでしょうか。人間は神のために存在するのです。神はまた万物のために、すなわち、万物を存在たらしめ、発展・成長するようにされるのです。このように「為に生きる」ことが存在世界の基本秩序であるため、いかなるものも「為に生きる存在」として生まれたのであって、「自分だけのために」生まれたのではありません。男性が生まれたのは男性のためにでなく、女性のために生まれたのです。女性の場合も同様です。 夫婦の場合も、結婚して「私は生まれた時から、あなたのために。生きるのもあなたのため、死ぬのもあなたのために……」と言うようになれば、これを理想の夫婦、幸福な夫婦というのは、存在世界の基本秩序から見て、極めて当然のことだといえましょう。そこから真の愛が始まるのです。 このように真なるものは「為に生きる」ことに源を求めなければなりません。真の父母の愛も、真の親孝行も、真の夫婦の愛も、相手のために生きようとすることが基本です。この公式を適用すれば、真の父母は子供のために、真の孝行息子は父母のために、真の国民は国のために、真の主権者は国民のためにあるのであり、このすべてに真があり幸福が宿るようになります。宇宙の秩序はこのようになっており、神のいまし給う本然の世界、すなわち、天国や楽園は「為に生き、為に死んだ」真の人々が入っていく所です。すべての宗教が犠牲や奉仕を教え、「為に生きる」愛の実践を強調する理由はここにあります。為に生きようとすれば、そこが自然に中心となり、尊敬される場になるのです。例えば、兄弟の中で年端のいかない弟だとしても、家族のために生活すれば、その家では自然に愛の中心となり、家族の慈しみと羨望を独り占めにするようになります。 「為に生きる」生活は、個人的な基準で終わるのではありません。家族の一人一人が為に生きるとき初めて、家族の真の和合と幸福の理想が実現し、家庭天国が築かれるのです。さらに国家的基準で、全国民が為に生きるとこに国家天国が築かれ、世界的な基準で全人類が為に生きるとき、人類的な真の和合と幸福の理想が実現し、世界天国が築かれるのです。その目的が成就した世界とは「為に生きる」理想世界であり、結局、永遠、不変、絶対なる神を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹として為に生き、睦まじく生活する人類大家族の世界なのです。このような世界を築くために、神の摂理を全体的に指導する方を救世主、あるいはメシヤと呼びます。真の愛の回路がふさがったこの世で、「為に生きる」生活を通して手本となられるこの方は、人類理想の動機であり、目標です。 メシヤとして来られたイエス・キリストは、ユダヤ教とイスラエルを基盤に世界を救済するため、彼らが世界のために生きるよう目覚めさせようとされたのです。にもかかわらず、イエス・キリストは不信され、十字架にかけられるようになりました。イエス様のみ旨が「世界のためのユダヤ教」であり、「世界のためのイスラエル」であったにもかかわらず、彼らは「自分たちのための神」あるいは、「自分たちだけの救い」を求めたからです。 復活後のイエス・キリストは、キリスト教圏を世界的に拡大しながら、霊的に指導してこられました。アメリカは神のみ旨を中心に世界救済の旗手になるべく、世界的キリスト教の代表として選ばれた国です。アメリカの使命はキリスト教精神を通じて、神のみ旨を世界的に完結することです。アメリカに下された神の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、世界のための祝福であり、またアメリカだけのためのアメリカではなく、世界人類のためのアメリカでなければなりません。このような神の内情と、摂理の原則を知った私は、アメリカに行かざるを得ませんでした。そして過去十三年間、アメリカを目覚めさせるために気も狂わんばかりだったのです。 アメリカは第二次世界大戦以後、戦後処理にあたって、世界のために生きる使命を忘れたことがたくさんありました。世界を優先的に心配しなければならない神の期待に背き、アメリカだけのことを心配したとき、アメリカは多くの自由世界を失いました。アメリカがキリスト教精神に立つことができなかったとき、国内的にも多くの諸問題が生じたのです。人種問題、麻薬問題、青少年の淪落と家庭の破綻、暴力と犯罪、共産主義の浸透などがそれです。様々な原因が考えられますが、これらのすべてはつまるところ、アメリカの霊的、精神的枯渇によってもたらされたものです。 神はアメリカから世界を代表する「為に生きる個人」が現れることを期待され、世界を代表する「為に生きる家庭」が現れることを期待されます。また世界を代表する「為に生きる国家」になることを期待されるのです。ところがアメリカの現実はどうでしょうか。神は期待どおりの個人と家庭を探し出すことができず、アメリカという国も、信仰の基盤がことごとく揺れています。神は私に、その使命を全うするよう激励されました。 東洋の韓国からアメリカに渡った私が、神のみ言を中心に積極的にアメリカを覚醒させようとしたとき、何が起こったでしょうか。信仰的な基盤は既に崩壊し、人々は悔い改めて私についてくる代わりに、私を批判しました。アメリカでの反発と抵抗はどれほど激しかったことでしょうか。 私に対する神の召命は、準備された基盤を求めて、人々の覚醒を促すための教育をすることでした。それは失敗しても、放棄できるような性質のものではありません。過去十三年間、激しい迫害と冷遇の中で、私自身が、神が理想とされ、世界を代表する、為に生きる個人、家庭、氏族に代わらなければなりませんでした。そしてアメリカの若者の前に、私が手本となることにより、神のみ旨に沿った「為に生きる個人」として教育し、さらに世界を代表する「為に生きる家庭と氏族」を編成しました。アメリカと全キリスト教に代わって、世界のために生きることのできる新しい天民を育成する作業でした。 私は神のみ意に従って、寂しい道を為に生きながら開拓してきました。神の願いは、人々が神を漠然として信じることだけではありません。私は神のみ旨を自己の責任分担として実践し、成就することであると明確に認識し、そのために生涯をささげてきたのです。 過去十三年間、私は第一に、神を中心として思想の普遍化と教育のために、全世界の学者たちを動員して、たゆまず努力してきました。その結果、既に百余カ国に確固たる思想的に基盤を築きました。 第二に、地上天国の理想は霊的な要素だけでなく、技術と真の先端科学分野の発展が不可欠です。そのための投資と努力を続け、脅威的成果を収めることができました。 第三に、神のみ旨のための世界的経済基盤を確立し、各種の経済活動と未来の金融秩序のために、国際協力を模索し、研究を行っています。 第四に、正しい言論を通じて社会を善導するため、世界的な言論機関を育成してきました。このほかにも多方面で創造的な活動を積極的に展開していますが、これらのすべては神のみ旨を地上に実現するという課題と直接関係のあることです。 周知のように、私はアメリカで獄中の苦しみを体験したあと、この八月出獄しました。彼らは私を罪人に仕立て上げ、投獄しました。しかし、獄中での十三カ月間、私は徹底した祈りをささげながら、アメリカと世界の運命を一日たりとも心配しなかった日はありまアメリカの罪を許し、私の使命を全うさせてください、と祈りました。 そして、霊的、信仰的基盤を再び覚醒させるため、数多くの行事を指揮してきました。アメリカでキリスト教の基盤を中心とした奉仕活動を展開するため、大型トラックを二五〇台ほど購入して支援しました。また、ソ連帝国の崩壊を宣言する国際学術会議、宗教統合運動、週刊誌『インサイト』、月刊誌『ワールド・アンド・アイ』の創刊など、新たに数十ものプロジェクトを獄中で指示し、着手しました。 私は歴史的な反対を受ける場にあっても、投獄されるような中においても、神のみ旨を中心に、アメリカといかなる個人や団体、教団より以上に、アメリカを愛しました。 それだけでなく、天命を遂行する過程で、いかなる公人よりももっと驚くほどの血と涙を流し、祭物の道を個人的に、教団的に歩みました。それが骨身を刻む痛みであってもアメリカを生かし、世界のための道、と感謝しつつ克服しました。 天の召命を受けて立った私の道は、いばらの道でした。日帝時代、学生だった私は、独立運動のかどで投獄されましたし、北韓(北朝鮮)で宣教した時には思想犯として、ひそかに興南(フンナム)の監獄で死の峠を越えました。草創期の韓国では、異端としてひそかに西大門(シーデムン)刑務所で苦しみを味わいました。そして先回、アメリカでは人種偏見と宗教迫害のために獄中の苦しみを味わってきたのです。このように私の道は苦難の連続でした。しかし、私は死なずに生き残り、皆様の前に立っています。反対の嵐が巻き起ころうと、迫害の波がいかに強くとも、敗者にならず、「為に生きる」天道に従って勝利の条件を立たせて、このように帰ってきました。この勝利は私個人だけのものではなく、神と義の勝利なのです。 人々に理解されず、さらに迫害のまっただ中で、このような驚くべき基盤を打ち立てることは、果たして容易なことであったでしょうか。皆様方の前で、自分のことをこのように話すのは、私を誇るためではありません。一つ一つ私を導き、役事された、生ける神を証し、栄光を帰すためです。 人間の力だけでは想像もできない奇跡が、私たちの前で現実に展開しているこの瞬間、皆様方すべてが奇跡の目撃者になりました。歴史上、空前絶後の勇気を祝う世界的な式典に参席したこと自体が、永遠において誇りとなるでしょう。願わくば、今日この場が奇跡に驚嘆する場にとどまることなく、神の摂理的な意義を確認するとともに、奇跡の実体と確固なる因縁を結ぶことによって、皆様方の生涯の飛躍の契機となるようお願いします。これは個人のためにも、民族と国家のためにも、申し上げざるを得ません。韓民族と韓国が、私の歴史的な勝利の期待に背かなければ、韓国は正に世界に飛躍するようになるでしょう。 尊敬する皆様。神のみ旨を中心に見るとき、韓民族は神が選ばれた民族であり、それゆえに韓国は神の願われる「偉大な生活」の模範を示すべき摂理の中心です。歴史上の多くの事件と曲折が辛味合っている韓国は、ここに結集されている無数の摂理史の霊的条件と、歴史の功罪を清算しなければならない、摂理的使命があります。優れた天禀と文化をもった民族でありながらも、世界で比類なく苦難の道を歩んできたことも、このような点から理解されなければなりません。 我が民族の試練は自国だけのものではなく、摂理的なものであり、神は民族がこれを克服することを待ち焦がれています。世界史の総合的な遺産と呼ぶことのできる東と西、南と北の出合い、精神と物質、有神と無神の対決と混沌が集約された韓国で、渦が巻き起こるのは、ちょうど新しい時代をはらんだ母の産みの苦しみと同じです。韓民族の民族的・国家的な苦難は、神のみ旨と摂理を離れては解決できず、韓国独自ではなく、世界との関連のもとでのみ解決が可能なのです。韓民族は今や天のみ旨を悟り、神が世界の精神界を指導する目的をもって送られた方に従って、苦難を越えていかなければなりません。 私と統一教会の基盤は、徹底して神のみ旨のままに「為に生きながら」備えてきた基盤です。ユダヤ教とキリスト教の迫害を貫き、東と西の無理解を越えて勝利した基盤です。私の世界的な勝利の基盤の上で、韓民族と韓国が「世界のために」生活するようになれば、神がアメリカに与えた歴史的な祝福以上の祝福を韓国に下さることでしょう。このようになれば、韓国は苦難を克服するだけでなく、世界の前に真の愛と平和の中心となるでしょう。神が韓国を愛されるのは、韓国だけのためではありません。韓民族が世界のために生きるとき初めて、神の韓国に対する祝福が結実されるでしょう。 尊敬する内外の来賓の皆様。私がアメリカで法廷闘争を続けているとき、私の無罪と潔白を裁判所に嘆願し、声援してくださった各界の指導者の皆様方に、この場を借りて厚くお礼を申し上げます。神の祝福が皆様の家庭と私たちの祖国の上に永遠であることを願いながら、私の挨拶と致します。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.26
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「なぜ原理というのか」1985年12月8日アメリカ・ベルベディア 原理原則の道は踏んでいく道 皆さん、なぜ「原理」というのか、考えたことがありますか。この原理はいったいどういう原理なのでしょうか。これがはっきりしないと堕落人間の帰るべき復帰路程が分からないのです。内容がはっきりしなければ、復帰路程、摂理程路に対しての概念が不完全なのです。 「原理原則」の道は、踏んでいく道であって、飛び越えていく道ではありません。間違いなく、原則どおりに踏んでいく道なのです。その原理原則の道をおじいさんが踏んでいった場合には、自分も、孫も、何千万代の後孫までも、同じように踏んでいかなければなりません。そこには、プラスするとか、いい加減とかいうことはあり得ないのです。このように、原理の道は踏んでいく道です。それは神様も、先生も同じなのです。融通はありません。妥協がないのです。「絶対」に対して、それは絶対に相応する基準なのです。これがはっきりしないので、教会から離れたりすることになるのです。 では、神の摂理は何によってなされるかというと、原理によってなされるのです。原理過程を完成するために、摂理があるのです。これをはっきりさせなければなりません。先生は遠からずして韓国に帰るので、その前に、このことだけははっきり教えなければならないのです。 皆さんは、既に間接主管圏とはどういうものか知っていますね。原理結果主管圏とも言いますが、人間はこの過程を通過しなければならないのです。これは、神様が人間を創造した時の原則なのです。原理結果主管圏を通過して、直接主管圏に到達する過程は三段階になっており、人間でいえば二〇数になっています。神様はなぜこういう期間を許したのでしょうか。直接主管すればよいのに、なぜ間接主管にしたのかというと、それは人間の責任分担のためなのです。神様はなぜ人間の責任分担をつくったのかというと、人間が絶対なる神の創造物として存在するだけではなく、自分なりに創造主に該当すべき、比例すべき条件を立てるためです。本来、人間完成は、神の創造と自らの責任分担を合わせて完成するようになっているのです。それはなぜかというと、いかなる被造物にもない、人間としての特権であるといわれる権限を与えられているからです。この権限を確立しなければ、神様の前に立つ資格がないのです。ですから人間は、責任分担を果たして完成しなければなりません。 では、完成するためにはどうしたらよいのでしょうか。これが問題なのです。今日まで数多くの宗教人たちも、人間の完成を願ってきました。仏教では解脱という言葉を使っているのです。このように、人間はみんな完成を願っているのです。そうでしょう。皆さんがもし個人完成をいかにするかと聞かれた場合、何と答えますか。人間の個人完成は何かというと、直接主管に到達する以前に間接主管圏内においての責任分担を果たさなければ、その道は生まれてきません。いかに個人完成するか、これが問題なのです。神様は人間の個人完成のために、いかなる被造物にも与えられなかった特権を与えられているのです。それが「責任分担」なのです。ですから責任分担はとても重要なのです。 それでは「堕落」とは何でしょうか。堕落によって、個人完成が破壊されました。なぜ破壊されたのかというと、それは全部責任分担の問題にかかっているのです。人間が個人完成されなかったのは、責任分担を果たさなかったからです。責任分担を果たさずに行動して、堕落してしまったのです。その結果は、サタンに占領されてしまいました。ですから人間は責任分担を果たさない以上、サタン分立ができないのです。サタン分立は責任分担を果たすことから始まるのです。サタンは、人間が責任分担を果たせないようにしてしまいました。これが問題なのです。人類始祖は責任分担を果たさなかったために、個人完成を成せなかったのです。したがって、個人完成した男女となれず、理想相対完成ができなかったのです。 人間はなぜ個人完成を願うのかというと、それは相対理想を願うためなのです。個人完成した男女が一つになるのはなぜかというと、神様と一つになるためです。責任分担を果たして完成した男女が、真の愛を中心としての夫婦関係を結べば、神様と接続されるのです。ですから人間は、生まれながらにして個人完成を通して相対完成を目標とし、相対完成を通して理想家庭の完成を目標としているのです。これが原理の観なのです。 なぜ夫婦は愛を中心として、神様の愛と一つにならなければならないかというと、そこにおいて相続権が与えられるからです。それが宇宙相続です。そこにおいては、すべてのものが神様のものであり、私のものとなるのです。上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つとなり、愛を中心として、神様と人間が上になったり下になったりして、どこに行っても喜びが生じるのです。宇宙すべてのものが神様のものであると同時に、私のものとなるからです。そのような相続権決定の基準が立つと、所有権が成立するのです。しかし今日、この世の所有権は皆サタン世界に属しています。神の愛を基盤とした相続権がないのです。ですから、そういう観点から見た場合に、この宇宙、被造世界を、神様から相続し得た者は一人もいないのです。では、誰がこれを受け持っているかといえば、すべてサタンが握っているのです。原理的に人間の基準が立っていないので、とんでもない者が管理し主管する世界になってしまったのです。 神様は人間世界の代表として、アダムとエバを造られました。そして現在、アダムとエバの後孫として四十億の人々が世界に広がっています。しかし、それらの人々に、神様は自分の子女として相続させることができないのです。なぜならば、人間が責任分担を果たさず、個人完成基準も、真の愛の夫婦の基準も確立していないからです。真の夫婦の愛を中心として、神の愛と一体化したあとに初めて、すべてが相続されるのです。その時こそすべてのものは、神のものであると同時に人間のものであり、絶対的な真の愛によって神様にも相続され、人間にも相続されるのです。このように愛は偉大なのです。 間接主管圏と直接主管圏 神様に属さない限り、いかなる次元のものであっても、その所有権は決定されません。それは間接主管圏と直接主管圏が分かれてしまったからです。そこで、いつかそれを一つにできる基準を願ってきたのですが、その基準を願ってきたのですが、その基準がなくなってしまったために、神の所有権はもちろん、人間の所有権も決定されないのです。このようなとてつもない問題を、人間は起こしてしまったのです。 神様が創造されたすべてのものは、愛の相対圏を結んで、絶対なる神様のものとしての所有権を決定するとともに、人間の所有権決定もなされるべきだったのです。このような真なる縦的愛、横的愛の結束によってなされるべき基準が果たされなかったので、この宇宙に対して、神様も人間も所有権を持つことができなかったのです。これが神様の恨みでもあり、また人間の恨みなのです。神様はそのことを知っているのですが、人間には分からないのです。しかし、人間の本心はその方向を知っているので、平面的に三六〇度の方向性をもって行き来しながら、回転しているのです。 この世の中で、いったい誰がいかなる横的愛の相対基準を築き、直接に神の愛と結んで、神の相続権を決定し、人間の相続権の決定を成し得るかということが、神様の願いであるとともに、宇宙の願いなのです。創造主と全被造物の願いなのです。このように、誰がいかにして一つになれるか、というのです。そのような相続圏を共にする基盤こそが真の愛なのです。 では、神様は間接主管圏と直接主管圏をなぜ造られたのでしょうか。それは造らざるを得なかったからです。なぜかというと、人間は生まれると同時に自分の相対を知ることができないからです。十五、十六歳になるまで成長して、完成圏に近づくと、男性は今まで女性を妹だと思っていたのに、自分と相対関係を結ぶ人間なのだということが分かってくるのです。それはまた、女性も同様なのです。それは誰から習ったのかというと、神様は教えません。この世界の万物、自然界を見て知るようになったのです。ですから、万物すべてはペアになっています。昆虫、動物などが成長して、子供を生むその様子を見て、人間も男女の関係が分かるようになるのです。しかし、それは青春期にならなければ理解できません。ですから間接主管圏が必要なのです。成長して、愛が実るように相対的な関係を結べば、もはや離れることはできません。そうなると、神様がその中に入られるのです。 昔、先生はプラス電極とマイナス電極を近付けたことがあります。その時どこでスパークしたかというと、端のほうでしょうか、それとも真ん中でしょうか。愛の爆発点は真ん中です。そこからスパークするのです。このような愛の爆発点、神の愛の中心点はどこかといえば、二つのものが一つになった所です。神の性相は、プラスとマイナスの二性性相になっていますが、それが円形を描くようにして、プラスとマイナスでスパークするのです。これが天宙の法則であります。そして神のプラス、マイナスの二性性相すべてを抱えた所が中心点なのです。そこで初めて接触するのです。接触する中心基準が真の愛なのです。真の愛を中心として、宇宙が初めてスパークするのです。これが直接主管圏なのです。 神様の愛を中心として関係をもった場合は、誰も主管することができません。堕落した人間であっても、一度愛の関係を結んだ場合には永遠に忘れられない作用があるように、神様と直接接続した場合には、もはや離れることもできなければ、離れようとしてもしなくなるのです。そして、そこに定着し、愛の力で授受作用しながら回るようになるのです。すると、神様も自分のものであり、自分も神様のものとなるのです。上下、左右すべてが自分のものとなり、宇宙の所有権が決定されるのです。それが相続権です。分かりましたか。 皆さんは何の群れですか? (統一の群れです)。統一の群れという前に、堕落した群れの後孫なのです。そして、その群れはどこへ行くかというと、必ず地獄に行かなければならないのです。これは悲惨なことです。神様の王宮に住むべき人間が地獄に行くのですから、それは原理でなく、無原理圏であり、めちゃくちゃです。正に今のアメリカの学校など、規律もなければ伝統もありません。何でも自由だと、自分の勝手気ままに考え行動しているのです。そういう世界に皆さんは住んでいるのです。それを忘れてはなりません。自分の故郷も、祖父も、父も、親戚も、学校の先生も、友達も、皆そういう堕落の因縁の背後につながれているのです。そのような中で考え、生きているのです。恐ろしいことです。自分は良い家庭の中で育ったからと思っていい気になっていても、神様から見ればとんでもない存在です。そのような話しにもならない立場に立っている皆さんであるにもかかわらず、なぜそのように平気でいるのですか。 皆さんは何の群れかというと、サタン世界の群れなのです。これは切り捨てなければなりません。全部切り捨てるのです。ですから先生は、統一教会で聖塩を使っているのです。サタン世界とのすべての因縁を切って聖別しなければ、神様のもとへ帰る道がないのです。では、なぜ聖塩を使うと聖別できるのでしょうか。それが問題です。先生は原則を通し、愛の因縁を中心として、聖婚式の時に聖塩をつくったのです。真の愛の基盤を通して、真の夫婦の手を通して、サタン世界の因縁を断ち切る聖塩をつくったのです。それをしないと統一教会のすべてを火をつけて焼いてしまい、無にした結果の立場から再び造り上げなければ、何一つ食べることも、着ることも、住むこともできないのです。サタンの因縁圏、心情圏に生きることはできないのです。皆さんは聖塩をいい加減に考えているかもしれませんが、そのような深刻な意味があるのです。分かりましたか。 神様は間接主管圏をなぜ造られたのか、分かりましたね。なぜ造られたかというと、人間が思春期になるのを待つための期間なのです。間接主管圏、直接主管圏を分離して待たざるを得ないので、間接主管圏が生まれてきたのです。しかし、神様は無駄なことはされません。責任分担という期間を通過することは、人間特有の絶対なる神の相対権限を得るために重要なことなのです。だから人間は縦的基準を結んでからでなければ、決して横的基準を結んではなりません。 中心者はいつでも第一に垂直観念を持て 責任者や中心者と、普通の人間はどこが違うのかというと、中心者は物事をいつも垂直に考えなければなりません。いつでも第一に垂直観念を持たなければなりません。中心者という者は、常に九十度の軸受けのような立場に立つ者です。だから、そのような中心的な垂直観念を絶対視しなければなりません。そして中心者以外の者は、垂直観念を持たなくても平面的に中心者と横的関係を結んでいれば、それで生きられるのです。分かりましたか。 では統一教会の中心者はいったい誰でしょうか? (先生です)。中心者が二人いたら大変なことです。先生は、いつも神様との生活において垂直観念をもってします。どこに行っても先生は垂直観念を中心として生活しているのです。ですから、中心者は自分勝手に指導してはなりません。中心者と普通の人間の違いはそこにあるのです。中心者は垂直観念の軸を支える立場に立ち、それは絶対に一つであるがゆえ、神様が縦的に運行できるのです。ですから神様も、男女が垂直軸になるその支点に至るまで待たなければならないのです。そして男女が成長し青年期になって、それぞれに自分の相対者が誰か分かるようになると、神様は軸と同じ距離で下がってくるのです。そして、男女が一体となり、愛のすべての象徴、すべての神経が一体化し、すべての霊肉とも一体化するのです。では、肉体と霊人体がいつ一〇〇パーセントの共鳴体になるのかというと、成熟した愛のぶつかり合う時です。霊の細胞と肉体の細胞が完全に一つの共鳴体となった時に完成するのです。このように一体化するための力は、真の愛以外にはありません。愛が満ちる所から離れたくない、いつもそこにいたいと思うようにです。 このように、人間は愛によって生まれているのです。そして父母の愛の同参者が自分なのです。そういう因縁のゆえに、たとえ父母がけんかをしても子供のところで和解できるのです。このような法を中心として、その延長線上にすべての愛は円形の中心線を通り、すべての作用は愛のセンターを通りたいのです。宇宙の核心が神の愛ですから、そのセンターをみんな通るようになっているのです。ですから、宇宙的な愛は端と端をつなぐようになっているのです。男女は性格も皆極と極なのです。男性は動的であり女性は静的です。そのような極と極が回れば、愛の包括作用を起こし、神の愛と接続するのです。それで人間は最高を願うのです。男性としても、女性としても、世界一を願うのです。そして、授受作用はこういうふうに(先生がしぐさされる)八の字を描き、八の字は出発の文字なのです。ですから皆さんは、地球の果てまで行きたいと思うのです。動物は、そんなことを考えるものなど一匹もいません。なぜ人間だけがそうかといえば、地球の果てまで包むラインに通じているからです。この統一教会も、また世界に通じているのです。そこに、神の相続権という膨大なものがあるということを本心が知っているからです。 神の相続権をつなぐ本心の作用は偉大であり、永遠不朽です。しかし、堕落したために絶縁体がかぶせられて作用できないでいるのです。ですから、絶縁体を取り除けばいつでも二十四時間、三六五日活動しても、あまりあるものを有しているのです。ですから統一教会は世界的であり、男性も女性も二十四時間活動し、地球の果てから果てまで心情圏を築いていくのです。すべてが神の創造力を受けて、宇宙が回り、垂直線に通じる愛情圏を結んでいくのです。そうなればすべての宇宙を相続できるのです。それを知っている心は偉大なものです。ですから責任者は、いつも垂直観念を持っていなければなりません。 神様は愛の中心軸として創造したアダム、エバの成長をどれほど待っていたことか、考えてみてください。皆さんが中心者に絶対服従した場合には、その相対圏の一人として、中心者が大きくなるにしたがって皆さんも大きくなるなっているのです。ですから、統一教会の皆さんは絶対的に先生に従ってくればよいというのです。それなのに、自分なりの観測でもって勝手に動く人がいます。「神様、私だけを愛して!」という、そのような者を愛する神様ではありません。神様はサタン園内にいる者を愛することはできません。 このように見た場合、神様の愛を中心としての垂直の軸が確立されていないのです。この宇宙はまだ未完成なのです。それではどうすればよいかというと、堕落した人間を復帰しなければなりません。復帰するには再創造しなければなりません。それには原理を通さなければなりません。それが原理なのです。このように統一教会は理論的になっているのです。その中には、まだ皆さんに分からないこともたくさんあります。ですから、堕落した人間は悲惨です しかし神様は、そのような群れをも再び造り変えなければならないのです。そのためには、本来はサタンの干渉できるものは何もなかったのですから、そのようなサタンの干渉できないものを得なければなりません。それが統一教会の万物復帰なのです。サタン圏から聖別された自分の基準をつくり、それに接ぎ木して、再び造り変えられるための道を行くのです。 個人完成は愛からです。ですから、サタンのすべてを聖別しなければなりません。責任分担を果たせずしてサタンが侵入したのですから、再び造り変えられるためにはサタンを分立しなければなりません。サタンを分立するためには、サタンが一番嫌がる道を行かなければなりません。それには犠牲の道を行くことです。サタンは傲慢であり、犠牲になることをしません。もともと犠牲になるべきサタンが高慢な立場に立ち、神様に反発したことが堕落の動機だったのです。ですから、サタン分立をするには、私たちの先祖が行ってきたすべてのことに対して、全く反対の道を行かねばならないのです。 メシヤを迎えて接ぎ木されなければならない サタンは偽りを言って愛を蹂躙してきました。ですから世の中の男女も、偽りを言って愛を蹂躙しているのです。それがフリーセックスに現れています。フリーセックスは、神の摂理を完全に滅亡させようとするサタンの最後の作戦なのです。しかし、統一教会は滅亡する者たちを復活させる、再創造の道を行くのです。この世の中とはすべてに反対の道なのです。ですからサタンは、私たちが大きくなると自分の基台が崩されてしまうので、殺してしまおうとして迫害してくるのです。 最初の人間が責任分担を果たす過程において、サタンは存在しませんでした。ですから、サタンがいくら騒ぎ、何をやっても無視しなければなりません。サタンを分別して、責任分担圏をもと返した立場に立つには、サタンが讒訴できない道を行かなければなりません。アダム、エバは堕落することなく真の父母となるべきだったのです。アダム、エバは十六歳までこの道を行ったのですが、ここは(先生が黒板を使われる)行っていないのです。未踏になっているのです。行くべき路程が残っているにもかかわらず堕落してしまったがゆえに、それが分からなくなったのです。ですから来臨されるメシヤは、堕落前のアダム、エバが残した未解決の問題を解決しなければなりません。そして、サタンを分別し、この世界を神様に返すために、堕落した群れを自分の子供として接ぎ木するのです。そして堕落しなかった立場に立てて、結実した果物のように収穫して倉庫に入れるのです。それが天国です。 皆さんは堕落した者の後孫ですから、接ぎ木されなければ天国に入れません。これはキリスト教のみの特定な路程なのです。キリスト教以外の宗教にはそのような路程はありません。責任的立場や縦的観念を持たず、ただ横的観念で平和や慈善を追求すればいいと思っているのが普通の宗教なのです。キリスト教は中心宗教なので、責任があるのです。今までの横的、縦的観念を徹底し、神様を中心として、神様の子供、神様の家庭としての真の関係を獲得しなければならないのです。また、愛の問題を世界的に解決しなければなりません。でなければ、この世界は救われないのです。その主流の垂直軸の立場にあるのがこの統一教会なのです。理論的に見ても、この統一教会以外には道がないのです。 皆さんは、責任分担を果たさなければ個人完成の道がありません。これが原理です。もしも責任分担を果たそうとする時に、サタンに讒訴されるようでは責任完成圏に立ったアダム、エバの立場ではありません。責任観念の上に立つ者は堕落前のアダム、エバの立場と同様にサタンが讒訴できない者とならなければ、責任完成圏に立ったとはいえないのです。皆さんはそうなっていますか。ここには祝福を受けた者も数多くいるようですが、祝福はそんなめちゃくちゃなものではありません。責任分担が分からないで、蕩減復帰が分からないので皆さんはやみくもなのです。神様が人間を造られた時の原理は、原理結果主管圏と直接主管圏です。それから責任分担、個人完成、相対完成。これらはすべて創造原理に基づいているのです。神様と垂直の愛を結び、横的に愛を結ぶのも原理観なのです。それらが結ばれた場合には、宇宙を抱擁し、宇宙相続権が確立するのです。そこにはサタンもいなく、天使界すべてがひれ伏すという絶対的権限の場です。 皆さんの最後の目標は何かというと、真の相対を求めていくことです。これが原理から見た皆さんの最終的目標なのです。そして宇宙を相続することです。そのためには、真の相対を得なければ、神様に通じる道はありません。絶対的愛を持って、絶対的な男女にならなければなりません。それが原理なのです。いいかげんな者であってはなりません。すべてに真剣なのです。私たちの願いは宇宙を相続することです。そのために、横的な相対圏を結び、その中央で神様を迎えるのです。神の愛、縦横の愛の一体化を成し、宇宙すべてが関係をもつような中心、核、骨格として存在する所に行った場合、すべてを相続できるのです。男にとって女が必要であり、女にとって男が必要なのは、神様の愛を結んで宇宙を相続するためです。そして、そこにおいては、もはや霊界も地上も遮るものは何もありません。国境もなければ何もありません。すべてが自由な世界なのです。神の愛に結ばれた力は、宇宙を所有することができるのです。そして、常に創造力がそこにあって、すべてに万能となるのです。不可能はありません。直観と結果が一致する世界なのです。このような理想的永遠なる世界を築くことのできる基準を、私たちは地上で結んでいかなければならないのです。それが原理なのです。 間接主管、責任分担、個人完成、相対完成の原理なのです。愛を中心として完成するのが原理なのです。それを通して神様も懐に入って眠るというのです。皆さんの心がいったいどのくらい広いのか、知っていますか。神様が入っても、心の袋にはまだ欲望があるというのです。それほど大きいものなのです。何千万の願いがあったとしても、一番の希望は愛を自分のものにしてしまうことです。神様と私が一体になることです。もし、神様の愛に結ばれていなければ、皆さんは霊界に行っても神様を知ることはできません。 それで、第一は間接主管圏、第二は責任分担、第三は個性完成、第四は相対完成、第五は水平結合の愛です。それから宇宙相続。そして天国完成です。これが原理なのです。分かりましたか? (はい)。 「復帰原理」とは 「復帰原理」は何かというと、再び原理に合うように帰ることです。「堕落論」とは、原理に合うように、堕落しなかった立場に帰るための教えです。それで統一教会は、「原理」という言葉を使用するのです。 復帰原理は、ただ行くのではありません。このような条件に合うように行かなければならないのです。だらくによって破壊された愛情の世界をもと返すには、病気を治すように、まずその原因を知らなければなりません。ですから「堕落論」が必要なのです。堕落論を知らなければ、サタンの侵入が分からず、サタンが侵入してすべてを破壊していることが分からないのです。 本来人間は、個人完成したならば創造主と同じような価値に同参する権限に立つ、資格を与えられているのです。ですから、直接主管、間接主管を無駄にしてはなりません。個人完成の五パーセントを果たすのです。しかし人間は、その責任分担を果たせなかったのです。責任分担を果たして個人完成することが原理の道であり、すべては責任分担にかかっているのです。サタンもそこに引っ掛かってくるのです。 では、サタン圏はどうなっているかというと、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、宇宙と、八段階までになっているのです。その責任分担圏が完全に侵害されているので、それを切ってしまわなければなりません。そうしなければ宇宙完成、世界完成、国家、民族、氏族、家庭、個人完成が成されないのです。ですから、サタンを分別するためには蕩減しなければなりません。そのために、今までとは反対の道を行かなければなりません。完全にこの世界を否定しなければならないのです。 統一教会は今日まで迫害され、国に反対され罪人のように転々としながらも、万物復帰や伝道をしてきたのです。そういう体験の中で蕩減指摘田野です。そのようにして、サタン分別してどうするかというと、責任分担を全うして、この宇宙を、堕落前のアダム圏に復帰しなければなりません。そうでなければ、いくら個人完成してもサタンは家庭圏で待っているのです。さた、家庭完成したとしても氏族圏でサタンが待っているのです。同様に氏族、民族、国家、世界で勝利したとしても、サタンは宇宙圏で待っているというのです。ですから、いかに宇宙圏の責任分担圏をサタンから奪還して神様に返すかということが問題なのです。これは大変な問題なのです。 では、それを誰がするのでしょうか。真の父母となるべきアダムとエバが堕落して問題を引き起こしたのですから、真の父母として来られるメシヤが再び責任を持ってそれを成さなければならないのです。三番目に来られるメシヤは、人間の真の親であり、その方の周辺には、サタン圏は存在しません。ですから堕落圏に入って、アダムが失敗し、二番目のイエス様が失敗した、すべての失敗条件を解決しなければならないのです。それは決して簡単なものではありません。個人的、家庭的、氏族、民族、国家、世界、宇宙まで続くのです。そのために、死を覚悟して行かなければ解決の道がないのです。皆さんは真の父母を絶対視して責任分担を果たしていかなければ、サタン侵入圏をなくすことはできません。 この宇宙圏も、民主主義圏も、サタン圏の中にあるのです。すべてはサタンが握っているのです。今日まで地獄と天国はふさがっていたのですが、それを先生がダンベリーを通して解決して、天国と地獄の間にハイウェイを造ったのです。それが(一九八五年)二月一日午前三時だったのです。霊能者は、「おお! 天国と地獄のハイウェキができた」と、知っているのです。先生の家庭を通して皆さんが知らないうちに、直接主管圏と間接主管圏をつなぐ作戦をしてきたのです。霊界の興進(様)にその時の話を聞いてみてください。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、宇宙、すべて神様の宝座の前まで、サタン圏の下にあったのです。何千年間、いつでもサタンが讒訴してきたのです。本来の原理基準を通過し、堕落前のアダムの立場において天使長を愛した条件を立てなければ、完成した神様の子供となり得ないのです。アダムの立場において、サタンを堕落しなかった圏における天使長とするために、イエス様は十字架にかかりながらも、「怨讐を愛する」という条件を立てられたのです。 イエス様は十字架で亡くなられたことによってすべてを失いましたが、先生はそれらを皆捜し出して、またダンベリーに入ることによってすべてを蕩減復帰したのです。先生がダンベリーを出る前の八月十三日まで、孝進(様)が祝福家庭の二世を中心とした四十日修練会を開き、蕩減条件を立てました。カナンには二世圏入るようになっているので、祝福家庭の二世に運勢圏を結ばなければサタン圏の二世復帰ができないのです。ですから、先生を梯子にして、蕩減条件を成し得た基準を立てなければなりません。いかなる世界的苦労の道でも、そのような心情圏を体得するために行くのです。これから、アフリカでもどこへでも行かなければなりません。アフリカは環境が悪いので行かないなどと言い人は、サタンよりも悪い人です。完成基準に立った場合は、サタンも先生の話を聞くようになるのです。 すべてを越えて先生に従って行く道 さあ、蕩減は何のためにあるのかというと、サタンを分別して責任分担圏をもと返すためです。そのためには、まずサタンを分別しなければ、責任分担を果たす権限を取り戻せません。それができなかった場合には、完成基準に通じる道がなくなります。ですから地獄に行くことになってしまうのです。原理によって、知らないうちに皆さんの価値、人格、霊界のレベルが決まるのです。個人的にも、宇宙的にも、責任分担圏に侵入したサタンを分別する基準を立てるためには、統一教会の先頭に立つこの先生の教えどおりに行かなければなりません。何かを習おうとする者はまず最初に、先生のまねから始めます。それと同じです。 サタンは六〇〇〇年間も神様を讒訴してきました。皆さんは既に蕩減条件というものを知ったのですから、不平を言ってはなりません。蕩減心情圏においてどうなっているか分からないからです。このようなサタン分別するために、サタンに一線を引かなければなりません。蕩減しなければサタン分別はできないし、サタン分別をしなければ復帰する道はありません。ですから「蕩減復帰」とは、サタンを分別したあとでいうみ言なのです。サタンを分別して復帰する道が蕩減復帰なのです。これが分からなければ、先生の話は何も理解できません。 アダムは個性完成圏で堕落したのではありません。未完成圏なのです。宇宙的に侵入したサタン圏を整理しなければ、神様が間接的にも主管し得る圏に入ることはできません。これが原理なのです。まずもってサタンを分別しなければなりません。先生は皆さんが知らないうちに、みんな責任を果たしてきたのです。ですから、すべてを越えて先生に従ってくればいいのです。そうなれば、サタンも恥じて皆さんに付いてくることができないでしょう。そこはアダム、エバよりも偉い本然の世界なのです。蕩減復帰できる量が何百、何千倍にもなるのです。先生一人を打って、サタンは何千倍もの損害賠償を払ったのです。ですからアメリカの歴史を通して、自動的に実体復活圏がやってきたのです。分かりましたか。これが原理なのです。 復帰の道は再創造の道なのですが、何でもって再創造するかというと、それは創造原理によってです。間接主管圏、責任分担、個人完成、相対完成、水平結合愛、これを果たさなければ、相続権は与えられないのです。それを相続せずしては、地上天国も天上天国も所有することはできません。このことをはっきりと断言します。 この原理に照らして見た時に、皆さんは今どの位置にいますか? 間接主管圏のどこですか。アダム、エバが堕落した基準の上にいますか、下にいますか。よく観察してみてください。アダムは神様しか知りませんでした。皆さんはどうですか。日本の祖父母、父母、兄弟、親戚、まるでめちゃくちゃです。アダムは神様のみを慕っていけばよかったのです。そのあとに、直接主管圏で結婚して家庭ができ、やがて国ができる予定でした。しかし、直接主管圏に到達しないでできた国は何の国かというと、天国ではなく、サタン圏内の国なのです。そこでいくら人間が偉くても、みんなサタン圏内にあるのですから、その価値などもあってもないようなものです。 すべてをそのようなサタン世界で、サタンの血統、サタンの因縁を持って生まれたので、すべてを否認しなければなりません。それは実に悲惨な立場です。仏教であれば、出家という問題になるのです。すべてを否認して反対の道を行くのです。例えば、男が女になり女が男になるような道です。そういう道はたやすく行けると思いますか。決して簡単ではありません。そのような先生の歩んできた深い内容を知ってみれば、皆さんは立つこともできないような負債を負っている存在なのです。先生が今日までいかに苦労してきたことか、とても話することはできません。 先生が全部責任を持って、蕩減条件を立てて、万民を救うためにハイウェイを造ったのです。そして車を作る工場も造りました。あとは、皆さんが努力して、車を買って運転すればいいのです。ハイウェイを造るために谷底を埋めた時の苦労などは考えずに、皆さんはただ気持ち良く走ればいいのです。しかし、責任者たる者は、そういう神様の垂直圏の苦労を知らなければなりません。また、横的な社会の苦労を知らなければなりません。それが中心者の重い十字架なのです。分かりましたか! なぜ「原理」というのか、その意味が分かりましたか。 これからは創造原理に戻らなければならない 復帰は何によって成されるかというと、再創造であり、それは創造原理によって成されるのです。創造原理は原理原則になっており、それを中心として一致しなければなりません。これが原理です。これは、物理の原理ではありません。人間完成の原理であり、宇宙完成の原理なのです。いかなる原理よりも、一番偉大な原理なのです。神的原理なのです。 もし、誰かに「統一教会では、なぜ原理というのですか」と聞かれた場合には、はっきりと答えを示してあげなければなりません。サタンによって責任分担が侵され、血統的因縁を汚しました。歴史を通して、神様は直接主管することができず、この世界は散り散りになってきたのです。ですから、メシヤを迎えて接ぎ木をされて、この基準を取り戻さなければなりません。人間は努力し、宗教を信じていけば長成期完成級までは上がれます。しかしその上は未踏になっているのです。ですからメシヤによって接ぎ木されなければならないのです。 メシヤは、神様に直結する心情圏を持って来られなければなりません。そしてメシヤとして立つまでには、数多くのサタンの歴史的試験を経なければならないのです。 今後、先生は世界の話題になることでしょう。先生は有名になるでしょう。今回帰国するのは、キリスト教と世界全体の運勢を一つにまとめて韓国につなぐためです。韓国は錨なのです。これは重要な話なのです。皆さんは今、歴史に残る重要な話を聞いているのです。 なぜ原理というのか分かりましたね。復帰の道は再創造の路程なのです。ですから皆さんは、自分を再創造するために心と体を真の父母と一体化して歩まなければなりません。それを通して環境的世界が与えられるのです。今や統一教会は世界的に大きくなりました。先生はニューヨークでも、小さな部屋もないところから出発しました。しかし、皆さんは、どこへ行っても基盤があるのです。先祖が築いた基盤は後孫のためのものですから、その伝統を受け継ぐ者は先祖たちの遺産を相続する人です。それが原理観です。 なぜ原理というのか分かりましたか。神様は間接主管圏をなぜ造られたか分かりましたね。サタンはどこで引っ掛かっているのかというと、責任分担なのです。ですから、責任分担圏を中心としてサタン分立し、蕩減復帰していくのです。そこで、迫害を受けるのです。なぜ皆さんは迫害されるのかというと、否定しなければならないのに否定する方法が分からないからです。迫害されて、サタンに責められ否定されることで、自動的にサタンを切ったことになるのです。迫害を受けることは、こういう素晴らしい内容があるのです。打たれる代償として相続権を受けるのです。それは何十倍、何百倍にもなって返ってくるからです。それを知って先生が活動するので、サタンは困るのです。 レバレンド・ムーンは、生涯かけて世界が早く摂理に入るよう働いてきました。世界が先生を大きく迫害しないと四十年前の摂理の時代が訪れないからです。一九七五年に先生は宣教師を一二七カ国へ送りましたが、みんな世界的に迫害を受けました。しかし、反対した国は全部、先生に引っ掛かってしまったのです。そして、レバレンド・ムーンが解放された時、全世界が解放圏に入るのです。これで統一教会の殉教の歴史は終わるというのです。何千年も続いてきた迫害の道は終わるのです。 ダンベリー後、三年が過ぎれば、四十三年が過ぎれば迫害の道は完全に終わります。カナン復帰は自動的になされるのです。ですからそこに向かって先生は、あらゆる準備を整えて進軍していくのです。先生が造った基準は一国民だけのものではなく、世界万民のためのものです。この思想を仰いで来る者すべてが相続できるのです。このような神様の相続権を受けるためには、皆さんは絶対に一つにならなければなりません。真の父母の真の子女である子供たちに相続される原理だからです。そこにはもはやサタンが侵入するような余地はありません。これは空論ではありません。歴史の摂理観の骨髄なのです。分かりましたか。日本のメンバーたち! 原理の道は手軽く行ける道ではありません。同じように踏んでいく道です。これをはっきり知らなければなりません。いかに三十六家庭であっても天国には入れません。祝福家庭が自分勝手に離婚すれば大変なことになります。アダムとエバの愛は水平結合愛なのです。これは新しいみ言です。このように統一教会は、理論的にもはっきりしているのです。だから原理なのです。原理はどこに当てはめても一つです。それは千万もの比較対象主体なのです。万年の歴史を経ても変わりません。絶対的なのです。これにパスしたものは天国、パスしないものは地獄です。分かりましたか。 どこでサタンを分別するかということが分かりましたね。それは責任分担においてです。個人完成で分別するのではありません。個人完成前の責任分担でサタンを分別するのです。この責任分担を果たせなかったので問題になったのです。神様に絶対服従しなければならなかったのに、自分の考えで行動したところに問題が生じたのです。ですから、蕩減復帰は絶対に自分中心の考えでは成せません。神様のため、世界のため、人類のためにという公的な考え方をすることです。そしてサタンが嫌がる道を行くのです。サタンが嫌がる道とは、犠牲と奉仕の道、迫害の道なのです。先生が今日まで迫害の道をたどってきたのもそのためです。その間に、個人基準でのサタン分立、家庭基準でのサタン分立、氏族、民族、国家、世界基準でのサタン分立を終えました。ですから、これらを韓国に結んで、世界に連結するのです。今後、世界中の人々が先生の話を聴くために韓国に来るようになるでしょう。そうしなければ世界が滅びてしまうからです。今やそのような基準に立っているのです。 これから創造原理に戻らなければ、皆さんの帰る道はありません。この原則を中心としてサタン分別しなければならないのです。分かりましたね! サタンを分別しなければなりません。自分が天国に行けるかどうか、家庭が天国に行けるかどうか決定するのです。そのために、先生は生涯かけて苦労してきたのです。もしキリスト教が先生に従っていたならば、七年間ですべてを蕩減し統一できました。イスラエル、ヤコブから四〇〇〇年の基盤を七年間で蕩減すべきだったのに、今日四十年間かけて、二十年、二十年と再蕩減して、第二次大戦後のキリスト教文化圏と同じ基準に上がってきたのです。そしてアメリカでの迫害を受けながら、アメリカとキリスト教会が一つになって先生に侍るべきことの失敗を、蕩減して転換したのです。先生が果たすべき蕩減条件はこれで終わりました。これからアメリカは、牧師とキリスト教が結束すれば滅びません。 今日、韓国は南北に分断され、ドイツは東西に分断されています。この問題を解決しなければなりません。そういう時代になりました。ですから、皆さんに真の愛の香りがあれば、「ついて来るな」と言っても多くの人が皆さんに従ってくるのです。真の愛で愛すれば、本心が引かれるようになっているからです。先生はそういう思いでこのアメリカへ来たのです。そして十数年後の今日、今やアメリカが先生の話を聴きたいというようになりました。「もはやレバレンド・ムーンでなければ、このアメリカは救えない」といううわさが広まっています。 これから一二四日間は、先生が世界を駆け回る運動をしなければならない期間です。その期間に「ソ連滅亡宣言」「宗教議会宣言」など、すべてをまとめて神様につないでいくのです。分かりましたね。きょう先生が語ったこのみ言を、全国の食口に書物として伝えて残しなさい。皆さんも原理の道をはっきりと知って、サタンに讒訴されることのないような歩みをしてくださるよう願います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.25
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YOSHIKI、サンタ姿で圧巻のピアノ生演奏 X JAPANの名曲「Forever Love」披露映像のピアノは???「“YOSHIKIのピアノ”が1億円で発売! カワイが世界5台限定受注生産 - 価格.comマガジン (kakakumag.com)」【配送料無料 ※北海道・沖縄その他離島除く】【新品ピアノ】KAWAI(カワイ)CR40A【新品ピアノ】【新品グランドピアノ】【新品ピアノ】GP-168 CRYSTAL(クリスタル)【新品ピアノ】【新品グランドピアノ】【190530】【配送料無料 ※北海道・沖縄その他離島除く】【新品ピアノ】KAWAI(カワイ)GX7【新品ピアノ】【新品グランドピアノ】KAWAI(カワイ) GX-6 グランドピアノ 新品 メーカー直送 配送設置無料 納入調律1回無料 別売付属品プレゼント一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.24
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[21.12.26] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリPeacelinkTVホームページより、2021/12/26 09:30に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.24
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統一原理・復活論補助教材「霊人がよみがえる復活現象」世界平和統一家庭連合公式チャンネルチャンネル登録者数 2.68万人統一原理の第5章「復活論」の理解を深めるための補助教材です。統一原理では、人間が死んだあとに行く、死後の世界、霊界があると考えています。地上にいる人と、霊界にいった霊人とはどのような関りをもつのでしょうか。家庭連合で行われている統一原理の講座とあわせてご覧ください。【参考映像】シリーズ「ほぼ5分でわかる統一原理」より:●第85回 復活論(1)「復活とは?」「復活」とはどういうことなのでしょうか。文字どおり解釈すれば、「再び生きる」ということですが、では「再び生きる」とはどういう意味なのでしょうか。「死んだ人々がよみがえる」「死人を葬ることは、死人に任せておきなさい」「生きているというのは名だけで、実は死んでいる」など、聖書では、一般的な肉体の生死の概念とは違う生死の概念が使われています。それはいったいどのように理解すべき内容なのでしょうか。●第86回 復活論(2)「地上人の復活の方法とは?」復活とは、霊的に死んだ状態から霊的に生きた状態に戻っていくことです。それは人間が神の愛の主管圏に戻ることです。では、どのようにしたらサタンの主管圏にいる人間が神の愛の主管圏に戻れるのでしょうか。今回は、地上人の霊的生命はいかにして復活するのか、霊人体はいかにして成長するかについて、創造原理の観点から解説します。●第87回 復活論(3)「霊人の復活の方法とは?」地上人は、み言を信じ、実践することを通じて霊人体を復活させることができます。では、すでに肉身を失って霊人体のみとなった霊界の先祖たち、霊人たちはどのようにして復活するのでしょうか。今回は、霊人たちの再臨復活(再臨協助現象)、そして悪霊人の復活の方法について解説します。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.23
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「絶対的価値と新文化革命」 (第十四回「科学の統一に関する国際会議」)1985年11月29日米国・ヒューストン、テキサス 尊敬する議長、著名な教授、科学者諸兄、紳士、淑女の皆様。 ここヒューストンで、第十四回「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)を始めるにあたり、この会議ならびに「絶対的価値と新文化革命」と題する今会議のテーマに、深い関心と支持を寄せていただきましたことを感謝申し上げます。昨年ワシントンで開かれたICUSには、皆様と同席できませんでした。それだけに、けさこうして皆様方の前に立つことには、格別感慨深いものがあります。 周知のように、私は米国の刑務所で十三カ月間服役し、今年八月二十日に釈放されました。皆様が不当な待遇を受けた私の立場を気遣い、刑務所に私を訪れ、私にねぎらいの手紙を書かれたこと、そして、私のために当局に嘆願するにあたってひとかたならぬ御尽力を頂きましたことに、重ねて感謝申し上げる次第です。 私を犯罪人に仕立て上げ、収監することに熱心だった人々は、神が私を召命して成就しようとしたみ旨を阻止しようと、多額の資金と時間と労力を費やしたのです。しかし、このような反対にもかかわらず、統一運動は全世界に広がっています。私が収監されれば、統一教会の機能は麻痺するだろうとの予想に反して、牧師をはじめ、あらゆる人々から私たちは、前例のない理解と支援の表明を受けました。こうした経験を通して、私が再び学んだことは、勝利は、神を中心とした正義に対する迫害を通じてもたらされるということでした。このことは、私が常々主張していたことです。 牢獄での体験を通じて私は、世界が極めて危機的状況にあることを一層明確に認識しました。そして、全世界的に大いなる覚醒と新たな飛躍をなすことが、焦眉(しょうび)の急だと痛感したのです。かくして私は、新たな切迫感を抱き、私自身および統一運動を、いかなる犠牲を払おうとも、世界の平和と繁栄のためにささげていく決意を固めて出獄したのです。 今日の世界は、各所で目をみはるような科学の進歩、優れた技術、そして豊かな経済を享受しています。にもかかわらず、世界は様々な悲惨な状況を呈しています。国家間には絶えず緊張が存在し、戦争はやむことがありません。しかも、世界の大半の地域で貧困、文盲、病気、暴力と犯罪、麻薬と精神異常、社会的差別と不平等、家庭の崩壊、未成年の非行が蔓延し、地球の未来を希望なきものにしています。多くの指導者たち、とりわけ良心的で著名な学者の方々が、幸福な理想世界の実現を目指して献身してきたにもかかわらず、なぜ不安と苦悩は日ごとに増大しているのでしょうか。その原因は、心の渇きと、道徳的、精神的危機に求められるに違いありません。かつてないほどのめまぐるしく移り変わる現代社会には、伝統的な価値体系はもはやふさわしくありません。道徳や倫理は、十分な役割を果たさなくなっています。善の基準も失われています。 今やこれらの諸問題は、個人生活、社会レベルの双方で、自家撞着、闘争、そして不統一を引き起こしています。こうした中で私たちは、道徳的基準や永遠について語ることが果たしてできるでしょうか。このような現実の中で、もし神がいないとするなら私たちは、完全な理想や幸福の実現に期待をかけることは、全くできません。私たちは、世界は滅びていかざるを得ないと、結論づけるに至るでしょう。しかし、もし絶対者なる神がおられるなら、神はこの否定的な現状を、一つの基準に向けて飛躍させることにより、絶対的に肯定的なものに変える摂理をされる、と結論づけることができます。一つの基準とは、すなわち絶対的価値の基準であります。神は私たちの親であり、人類に対して、全き真の愛で接しておられます。これまでの神の摂理で、一見否定的な結果が出たとしても、その摂理の目的は、決して人類を滅ぼすことではありませんでした。それらは、劇的な飛躍のためのプロセスの一環にすぎなかったのです。すなわち、望ましくない結果は、新しく希望的なものへと引き継がれるためにあったのです。 歴史上、飛躍の瞬間は数限りなくありました。超越者なる神と霊交していた人々が、現実を完全に否定したあと、より良き未来に飛躍した例は、数多くあります。ありきたりの瞬間が飛躍のきっかけとなる可能性はありません。一見不合理に見える瞬間を前向きに消化することによって、開拓者たちは飛躍し、見事なものをつくり出すことができるのです。 十字架上でイエス・キリストが実践した、自分の敵を愛するということは、理解し難いことかもしれません。しかし、イエス・キリストは、世界から完全に否定された瞬間を、完全に前進的な飛躍の瞬間へと素早く変えようとされる神の摂理を、私たちに見せてくださったのです。その飛躍の結果、復活摂理の新たな一ページが開かれました。 統一教会は、迫害史の中で、世界的な記録保持者であると思います。しかし、そうした迫害は、統一教会にとって必ずしも悪いものではありませんでした。もし統一教会が、艱難(かんなん)にめげず、むしろ勢いをつけて飛躍してこれを克服し、神のみ意と一つになるなら、苦難それ自体は、絶対者を中心として永遠に生活するための準備となるでしょう。こうした観点に立てば、今日の世界の現状は、私たちを絶望に陥れるものではなく、むしろ、神が私たちに新たな世界へと飛躍するはずみを与えるものであることを知るべきです。 人類が科学を発展させようとしたもともとの動機は、世界の平和と繁栄を実現しようとする願望です。しかし、科学の専門分野で採られている方法は、当初の期待に沿ったものではありません。私たちが科学にもっぱら期待したのは、人類の幸福の実現でした。ところが科学は、主体たる人間の対象である物質的環境の発展にもっぱらかかわってきたのです。したがって、生活水準の向上を目指した科学的追求も、政治、経済の平等理論の適用も、人類の真の幸福を実現しなかったのです。それゆえに私たちは、科学者たちが目覚めて新たな使命を担うべきだと結論できるのです。 今日、人類が人間存在の深遠さんを顧み、絶対的理法を中心とした倫理基準を、新たに確立することが急務です。新しい倫理が私たちに求めているのは、自然を愛し、人間の尊厳性を再考し、すべての人類が愛し合い、そして愛の源泉としての神を探すことです。学者たちは、文化的、精神的革命を達成する使命を担うべきです。この革命は、外的、技術的革命にとどまらず、人間の完成や世界平和といった理想の実現を目指す革命なのです。 私は第一回ICUSが開催されるずっと以前に、科学者は善と希望に満ちた未来社会をくにあたって、決定的役割を果たすべきだと確信するに至りました。私が過去十四年間、ICUSを支援し、熱心に推進してきたのは、世界の諸問題を解決する資質を持ち合わせておられる学者の方々を、尊敬し、期待してきたからです。このような資質が、ICUSを通じて花開き、高められ、そして責任を担う学者たちが積極的に新文化革命の実現に貢献されるよう望むものです。 このICUSは、十四回目です。十四という数は、七の二倍です。統一神学によると、七数は三数と同様、完成を表す重要な数です。今日までICUSは、「科学的研究」と「絶対的価値の発見ならびに実現」を結びつけると明言してきました。さらにICUSは、知識の統合、すなわち、現実の理解に対する学際的、統合的アプローチに関心を寄せてきました。絶対的価値の基準は、絶対的愛の源である神から生まれます。絶対的価値の確立なくして、統合されたアプローチは不可能です。 今や多くの人々は、絶対的価値の必要性を認めるようになりました。ICUS計画委員会の議長ならびに委員の方々が、誤解を克服し、開拓者として、この新しい道を歩んでこられたことを感謝します。今後、ICUSは何を目指すべきでしょうか。私たちは、以前のように年次会議を開くだけで果たして満足できるでしょうか。この質問に対する私の回答の中心は、私が最近強調している「新文化革命」の推進です。人類は今や、悪によって、最も深刻かつ重大な挑戦を受けています。そのために、本来の理想と幸福を実現する基礎と可能性は、大変な危機にさらされています。 私たちはICUSファミリー(家族)として、新文化世界の創造という偉大な使命を積極的に担い、立ち上がるべきです。新文化世界の創造は、いかなる犠牲を払ってもなさなければなりません。絶対的価値の探求は、そのこと自体有意義ではあり得ません。といいますのは、真理は限りない方向をもっており、絶対的価値を中心とした理想世界は具体的に実現されなければならないからです。実現に至るためには、私たちは断固として行動し、現実に横たわる困難を克服することが肝要です。 今日、世界は変わらなければなりません。今や、学者たちは責任をもって最前線に立ち、神の真理と愛を中心とした新文化革命に向かって前進する時です。新文化革命とは、人間の全被造物に対する神の理想を追求するものです。この理想を実現するため、私たちは絶対的価値として、知識のみではなく、真の愛の実現に責任を果たすべきです。 人類は今や前進する時です。私たちは、現実に横たわる限界を完全に克服するような新次元の文化を創造することを要求されています。人間の本性にかけられた神の期待や、人類歴史の激動の背景にある神の摂理を無関係なものとみなし、人間の理性の力だけが個人や世界完成をもたらすことができるといった傲慢な確信が、いかに不正確であり、幻想であるかに私たちは目覚めなければなりません。人間の限界を謙虚に認め、神の摂理によりもたらされた歴史的勢いを見失うことなく、飛躍を通じて神と一つになる――こうした理想を成就すべきです。神の創造理想のすべては、人間にかけられていました。したがって神のあらゆる関心に人間がこたえることによって、創造理想が成就します。これは当然の結論です。 尊敬する学者の皆様。私は神のみ旨を成就するため、すなわち人間の責任分担を全うすることに、全生涯をかけてまいりました。開拓者として、最も危険な道も避けようとしたことはありません。例えば、既成のニュース・メディアに代わるものを提供しようと決心しました。私は、ニュース・メディアが正しい情報や間違った情報を大衆にどのように提供しているかを注意深く観察してきました。この経験から学んだことは、皆様方の多くも御存じのように、メディアの力は、もしそれが誤用されるなら、真実を破壊し、善の基盤を覆すこともできるというものです。そのため、私たちは数年間多大の犠牲を払って「ワシントン・タイムズ」を支援してきたのです。最近、ニュース週刊誌『インサイト』を発刊しました。さらに、十二月には、月刊誌『ワールド・アンド・アイ』を発刊する予定です。これらの計画は、真理や共通善といた価値に資する教育やマスコミュニケーションのために、既成のものに代わり得るメディアを提供することを目的としています。 私は皆様方が、あくなき真理探求に参加するとともに、『ワールド・アンド・アイ』誌への活発な寄稿を通じて、新文化革命の開拓者となるよう希望します。さらに、様々な特殊な科学分野のための辞書の発行を計画しています。これには、「世界平和教授アカデミー」(PWPA)の世界中の会員や「パラゴンハウス出版社」の協力を仰ごうと考えています。これらのすべては、百科事典の発行準備の一環になるでしょう。この百科事典は、絶対価値を指針として、人間の本来の姿を正しく洞察することに貢献し、同時に適切な教育資料になることでしょう。 尊敬する学者の皆様。矛盾する現在の世界に無関心を決め込み、代替案を提供することもなくして、どうして私たちは社会の責任と指導力を果たしたといえるでしょうか。私たちはこの貴重な時を逃すことなく基準を示さなければなりません。今の時は単なる偶然ではなく、神が歴史的に、全世界的に私たちに与えたものなのです。私たちは前進することによって自らが手本となり、不正と闘うようすべての人々を、しっかりと覚醒させなければなりません。飛躍には、危険な冒険が伴います。間違った基礎の上に冒険をすれば、より大きな困難を招くでしょう。しかし、真理あるところには、常に実践が伴うはずです。私たちは絶対的価値を実践するチャンピオンとなり、積極的に世界をリードしなければなりません。 この会議が、有益な結論に到達する自由な公開討論の場になるだけでなく、私たちが決意を固め、この病める世界から新文化世界を生み出すことのできる歴史的出来事となるよう希望します。この会議開催にあたり、準備委員会のメンバーの皆様の多大な努力に感謝します。 皆様と皆様方の御家族に、神の恵みがありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.23
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サマリア人氏記事「Q&A:顯進様を支持したまま家庭連合に残るのはありですか (fc2.com)」(2021-12-19)ですが、原理からいって「二人の主人に仕えることは出来ない」ということは理解されておられると思います。さて、以下についてです。「一介の食口が真の家庭問題に口を出すことはやめよう」「分派と言えども兄弟姉妹、差別せずに見守ってあげよう」というリリコレの副作用として、顯進様に対するネガティブ・キャンペーンも止まりました(Religious Correctness(リリコレ)で守りに入る家庭連合)。OneTruth有志の会の活動成果もあり、これまでサタン扱いされた顯進様の名誉も、少しは回復したのかもしれません。これまでブログ村であったことは、「顯進様に対するネガティブ・キャンペーン」ではなく、「サタン扱い」での「お母様・独生女」批判や守銭奴であるかのような「清平教」といった真のお母様や家庭連合に対しての反対キャンペーンでした。それが自称ルポライタイーtomy4509が2009年から見てきたカテゴリー「家庭連合(旧・統一教会)」の事実です。ネガティブキャンペーンなどといってはその根っこを掘り下げていけば、自らが「虚偽のストーリー」でもってのキャンペーンの自作自演劇というものでした。その中には、お父様み言の歪曲や改ざんといったものも多く見られ、家庭連合の教理研究院からの指摘(反論)もされていました。OneTruth有志の会の活動成果にしても、その実態を見ればこれまで顯進氏が文鮮明総裁(第三アダム)の後継者であるかのような代名詞「第四アダム」を掲げてきましたが、教理研究院との論戦の中で「顕進氏自身が第四アダムである」というみ言は存在しない(以下一部引用)ことを最終的に認めていました。真のお父様のみ言と異なる主張をする顯進様は、「第4アダム」ではない 教理研究院は、「真のお父様のみ言に基づいて『第4アダムは顯進様である』と語られた真のお父様のみ言は存在しないと指摘しました。それに対して、旧『顕進様を支持する有志の会』は、『確かに「第4次アダム」に関して言うなら、お父様が直接、公式的な場で「第4次アダムは顯進だ」と明言されたことはない』(参照:https://align-with-god.org/blog/archives/544)と述べ、お父様が直接明言された事実がないことを認めました」。サマリア人氏の記事、次に続く文は以下です。このような状況で敢えて、(私ことサマリア人は)FPAという別団体で独立する意義はあるのでしょうか。例えばこんな反論があります。顯進様が素晴らしいことは良く分かった(自画自賛?)。私もその活動は応援して行きたいと思う。ただ家庭連合を辞めてまで、FPAに入る意味が分からない。OneKoreaなどの平和運動を支持するだけではいけないのか。家庭連合に様々な問題があることは重々承知しているが、袂を分かってゼロからやり直すほどではない。お母様にいろいろ問題があるとしても、信出様・信興様の代には全てが収拾されていると確信している・・・(…(略)…)教団に問題が山積していたのだとしても、〇〇支持のような党派性を廃して、足元の家庭教会を頑張ろうと。ところがその後90年代以降のみ言葉を学んで、家庭連合の修復不可能な間違いを見つけてしまったのです。これまで繰り返しお伝えてしてきたように、アボジが計画されたかたちの基元節は未完成です(基元節奉献はお父様の生涯のすべてだった)。ところがオモニはその現実を認識されるどころか、「お父様ができなかったので真の母一人で捧げた」と、「失敗の取りなし」までする始末です。アボジとオモニの摂理観のズレは、「個性や捉え方の違い」で済まされるレベルではありません。アボジ聖和以降、オモニが訓読会をされないという致命的な事実に起因するのです。み言葉を訓読しないオモニが、「誰から教えられなくともみ旨を知っている」と自覚されることが、どれほど危険でしょうか。私は信仰者こそリアリストであるべきだと考え、根拠のない願望は失望とニヒリズムを招くだけだと警告してきました。アボジの遺言を大切に思い、基元節を完成させるためには、家庭連合に残ったままでは実現できないのです。この一文の裏返しは、家庭連合やお母様に様々な問題があるから顕進氏はFPA(家庭平和協会)を創設した、と言いたいのでしょう。これって、サマリア人氏による家庭連合やお母様へのネガティブキャンペーンということではないですか!!また、同時にサマリア人氏はブログ村カテゴリー「家庭連合」を離れて「家庭平和協会(FPA)」で頑張られることの意志表示をされたものと受け取れました。サマリア人氏の主張「基元節奉献はお父様の生涯のすべてだったという記事で説明したように、アボジが計画したかたちの基元節は未だ奉献されていません。」に対して4つの根拠を挙げていましたが、自称ルポライタイーtomy4509からは「やはり、【異邦人】サマリア人氏! さらなる虚偽・欺瞞記事か?! | 」にてそれらすべての事実無根のものであったと粉砕していました。「④南北統一の実体的な基盤がなかった。」にしてもその途上にあり、お母様は神統一韓国(南北統一)の準備を着々とされておられます。お母様と一緒に北韓へ行こうと決意されているのは、米国のポーラホワイト牧師に限ったことではありません。ポーラホワイト牧師のメッセージは36分(こちら)からですが、57分からの2・3分の映像(こちら)を確認してください。ポーラホワイト牧師:韓総裁が北韓へ行かれるなら…… | peaceのブログ (ameblo.jp)韓鶴子総裁は、2019年1月にはすでに北朝鮮からの招待状を受け取っておられました。ときを見てとのことでしたが、コロナ禍の影響もあるようです。ときは満ちて来つつあるのではないでしょうか?!このように誰の目でも確認することが出来る事実(証拠物)を提示してもそれを信じることが出来ない、受け入れられないというのであれば、残念ですが、サマリア人氏のカテゴリー「家庭平和協会」移動も致し方ないことと思います。カテゴリー「家庭平和協会(FPA)」で活躍を期待します。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ --
2021.12.22
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『対話と同盟「世界宗教議会」』1985年11月28日米国・マッカフィー、ニュージャージー 名誉ある議長、学者、世界中の宗教指導者、ならびに紳士、淑女の皆様。 私は、皆様が世界宗教議会に御出席くださいましたことを、心より歓迎いたします。私たちのこの集会は、普通のイベントではありません。宗教、文化、伝統そして国籍の異なる八十五カ国の人々が、心を開き、互いに調和し、人類の末来についての関心をもってここに集まったこと自体が、既に偉大な業績といえます。神もこの歴史的出来事を喜んでおられると確信いたします。 私たちは、異なった宗教的背景をもって、ここに集まってきております。人間存在という根本的問題に対する解答は、同一ではありません。人類の苦しみの原因に対する理解においては、同じ準拠体系の枠内では考えておりません。私たちの世界平和を求める方法は多様です。しかし、それでも私たちは、共通の立場をもっています。それは、私たちがみな、絶対者と私たちとの関係において、問題を解決しようとしているということです。 洋の東西、南北を問わず、罪と不信と混乱の中に生きている人々は、真実かつ永遠なる愛と、幸福と、平和を切望してきました。人々は悪なる欲望の誘惑に打ち勝ち、善なる欲望に従って、本心の喜ぶ幸福を得ようと、あらゆる努力をしてきました。歴史を通して人間の経験は、そのような理想の追求はほとんど成功しないと警告しておりますが、人々の本心は、容易にあきらめようとはしませんでした。すべての人間は、民族や伝統の相違にかかわりなく、この際極的目標を追求しています。 もし、私たち人間が、自らの努力ではその目的を達成することができないとしたならば、私たちは、人間を越えて存在する、永遠、真実、絶対なる存在に頼らざるを得ません。私たち人間は、自らが有限なる存在であるということを知っております。私たちは自分自身の運命を決定せることができないのですから、私たちが究極の力とみなす絶対者に、必ずや頼るようになるのです。真実の愛と平和と幸福を意図しておられる絶対者がいらっしゃるのですから、これらのことはすべて神と共にあってのみ、必ずや実現されるものと信じます。 私たちは、人類が探し求めている理想の根源であるこの絶対者について、もっと知るべきです。 私は、自分自身の霊的体験と絶対者との深い交わりを通して、霊界に精通し、神の意志と愛と心情を知りました。宗教は、単に真理や倫理的教えであるだけでなく、人々の、絶対的に信頼でき、また関係をもてるものを見いだそうとする、本心の衝動に中心をおくものです。真の宗教的直観は、絶対者、無限なる者に出会います。この直観によって、私たち一人一人への神の召命を聞くことができるのです。そのような、絶対者との本然的な交わりの状態は、どんな個々の宗教組織や形式さえも超越します。そのような状態においてのみ、人間は完成と幸福に到達するのです。この神と人間との関係は、唯一で普遍的です。超越者は唯一であり、神と関係を結ぶ人間の能力は普遍的なのですから、人間の究極の目的が二つ以上あるということはあり得ません。個人の目的は一つです。そのような理想的個人が形成する家庭の目的も一つです。理想国家や理想世界の目的も一つです。すべての道は、愛と幸福と平和に満ちた神の理想世界へ向かっています。 愛と幸福と平和の理想は、孤立した個人においては不可能です。それは他者との関係においてのみ得られるものです。絶対者でさえも、他との関係をもたずに理想を達成することはできません。神がお一人であれば、神はだれを愛されるのでしょう。神は御自身の理想をどこに見いだすことができるでしょうか。 こう考えてみると、私たちは神の創造の動機を理解することができます。神は御自身の理想を実現し、神の愛を成就するために、人間を創造されたのです。神は愛と幸福と平和の理想を、地上の人間生活においてのみ実現することができるのです。 この意味において、本然の人間はどんなに貴重でしょうか。人間は、神と同じレベルに立つものではありません。しかしながら、神と人間は、関係をもつこようになっており、究極的には、一つになるようになっています。すなわち、神と人間の関係は、親子の関係なのです。ちょうど神が永遠で絶対であられるように、人間もまた、神の子女として、絶対的かつ永遠なる価値をもった存在となるのです。 さらに、人間は、神の理想実現のための対象です。永遠かつ絶対なる神のみ旨は、神と人間が完全に一つになったところにおいて、完成するのです。ですから、人生の目的も、絶対かつ永遠であります。 神は、永遠、不変、絶対です。神の創造目的も、永遠、不変、絶対であり、それは、一つの目的で統一された、一つの理想世界を創造することでした。今日の罪と闘争と不信の世界は、人間が本然の道から堕落したために存在するようになりました。神は世界の宗教を通して、堕落した人間を本然の状態に復帰するために働いてこられたのです。堕落人間の救いは、メシヤによる、神の摂理によって完了するでしょう。 神の創造目的が絶対なのですから、神の復帰摂理の目的もまた、いかなる価を払ってでも達成されなければなりません。したがって、理想世界のメシヤ的希望は、単なる漠然とした夢ではなく、私たちの人生において確固とした現実となるべきです。同様に、すべての宗教の目的は、地上での日常生活において、神のみ旨を実現することにあります。全体摂理の目的のために神は、各時代と民族、環境に適した多くの宗教を通して、善の基台を広げてこられました。しかし、これらの諸宗教の究極的目的は、一途に、神のみ旨である、平和と幸福の理想世界を実現することであります。宗教は、個人の救いやそれぞれの宗派の繁栄に関心をもつ以上に、世界を救うための神のみ旨にもっと関心をもつべきです。私は今こそ、すべての宗教団体が、神の真なるみ旨を、もう一度一緒に探し求めるべき時であると思います。 私が知る限りにおいて、神は宗派心の強いお方ではありません。神は教義のささいな点にこだわっておられません。私たちは、教義や儀式に盲目的に固執することによって生じる神学的論争から、自らを即座に解放すべきです。そしてその代わりに、神との生きた交わりに焦点を当てるべきです。私は、早急に、宗教の雰囲気を浄化し、一つになる必要があると思います。そこでは、信者は生きた信仰をもち、すべての人が神と交わることができるのです。神の親なる心情と偉大な愛の中では、皮膚の色や国籍の相違による差別などは考えられないことです。国家間や文化的伝統の間には、洋の東西、南北間においても、障壁はあり得ないのです。今日、神は全人類を神の子女として抱き抱えようとされていま教間の対話と調和によって、私たちは神の創造目的であり、かつ人類の共通の理想である、平和な一つの理想世界を実現しなければなりません。 尊敬すべき世界宗教の代表者の皆様。今日の現実を正直に見てみますと、今や信じるだけではなく、行動する時代であるということが分かるようになります。価値体系の混乱、道徳的腐敗、麻薬の常用、テロリズム、人種差別、大量殺戮、戦争、富の不公平分配、人権無視、そして全体主義的共産主義などを含む深刻な問題が、なぜ私たちの社会に満ちているのでしょうか。これらの悪は、神との関係を否定する快楽主義、無神論的唯物主義そして世俗的ヒューマニズムから生じた当然の結果です。これらはすべて、現代の衰微する信仰と霊的枯渇の結果であります。 今日の世界の責任を、だれがとることができるでしょうか。軍人や政治家でしょうか。実業家、あるいは新技術をもった人々でしょうか。決してそうではありません。神は宗教指導者に、現代の予言者に、聖職者に、これらの問題を解決してほしいと願われているのです。 すべての宗教者たちは、現代の不安定な霊的基盤に対して責任を感じ、悔い改めるべきです。長い宗教の歴史において私たちは、生きた神を、説得力をもって証しておりません。私たちは愛の実践をなすにおいて、誠実ではありませんでした。私たちの過去の偽善ゆえに、無神論が横行するようになったのです。私たちは、これらのことすべてに対して、罪を深く感じるべきです。 今日、神は私たちを召命しておられます。深い自己反省の内的基盤に立って、すべての宗教者は、あらゆる悪の横行に対して挑戦し、神のみ旨が地上に実現されるように、創造的に働かなければなりません。生ける神は、単に経典の文脈や儀式の中においてのみ私たちと関係をもつことを願われているのではなく、神のみ旨を心に抱き、毎日の生活においてそれを実践している人々の心の中に住みたいと希望しておられます。 世界と人類の未来のために長く祈祷し熟考したのちに、私は神の熱烈な希望と聖霊の強い力が、全世界を覆い尽くしているのを感じるようになりました。今日、世界は一新されなければなりません。全世界の宗教指導者は共に集い、あらゆる宗教の清浄化運動を推進していくべきです。悔い改めと、もう一度新たな真の献身があるべきです。世界は、変わらなければなりません。新しい宗教改革があるべきです。「生きた信仰」、「実践的信仰」の旗が、世界の各地で振られなければなりません。すべての宗教は、世界を貧困と病気から解放するために、自己の利害を超えて働くべきです。愛の実践と、燃え上がる信仰の確信による私たちの証によって、無神論さえも、生きた神の真実を確信するでしょう。偉大なる調和と愛と同情をもたらす、宗教的かつ霊的革命を通してのみ私たちは、最終的に平和な理想世界を実現することでしょう。 尊敬すべき代表者の皆様。神の崇高な召命にこたえて、世界の宗教団体は、適意と誤解と無知の泥沼からはい上がるべきです。相互に尊敬と友情を抱いて、大規模な宗教共同体を創設すべきです。そして、共に私たちの宗教的意志を行動に現し、この地球上のあらゆる所で実践すべきです。 宗政は、来世のみを目指すものではありません。地上は神の創造物であり、神のみ旨が実現されるのは、この地上においてなのです。もし天上天国、または極楽(Sukhavati:サンスクリット語)が神の理想の場所であるならば、私たちはただ望んでいるだけではそこへ行くことができません。それよりも、私たちは、兄弟姉妹や万物のために生き、それらを愛し、大切にしなければなりません。理想を実現することができるのは、他者との関係においてのみなのです。 宗教は、一般的な社会倫理や社会の方針を超越したものですが、私たちは社会における宗教の機能を無視すべきではありません。宗教者は、現実の問題に関心をもち、神の意志を具体的解決に適用すべきです。さらに宗教は、霊的刷新を鼓舞し、政治、経済、社会政策、教育に責任をもっている人々に、高潔な価値観を与えるべきです。聖霊によって啓発された心によって、こうした人々は、各自の分野における問題を解決することができます。神は、宗教の真実を掲げ、それをそれぞれの社会状況に関連づけることのできるような、生きた霊性をもった宗教者を呼び求めておられます。真実や、神との生きた交わりを基台とした人々は、必ず他者に影響を与え、どこにおいても霊性の復興をもたらすことでしょう。真の宗教は、世俗世界の趨勢に従うことはなく、ただ、神のみ旨を中心として、たとえ反対や迫害を受けたとしてもそれに屈せず、世界を啓発し、世界の人々を指導しなければなりません。 宗教間の調和と統一および生きた信仰のための運動は、時には孤独な道を行くかもしれません。しかし、すぐにそれは、物事を歴史的かつ世界的見地から見ることのできる新鮮な心をもった多くの人々から、圧倒的支持を得るようになるでしょう。 私は、神の摂理の方向に従って、世界を改革し、地上に神の理想を実現するために、全精力を傾けてきました。まず第一に、統一教会の全勢力を動員して、宗教間の調和による世界平和のために働いてきました。私は、心より、皆様方の宗教もこの道において積極的に協力し参加してくださることを希望しておりますが、それは、私の努力を軽減したいからではなく、また統一教会の財源を惜しんでいるのでもありません。それは、すべての宗教的伝統から生じる霊的資源と創造性が、神の摂理の方向に一挙に動員されるのを、一日も早く見たいと希望するからです。この道は、世界平和の実現に通じているのです。 御存じかもしれませんが、世界宗教議会は歴史的意義のある企画です。世俗世界さえも国連等を通して調和を求めているのですから、宗教団体がお互いに争うべきでしょうか。私は長い期間、先輩宗教の指導者の方々が世界宗教議会を始められることを期待しておりました。長い期間待ったのちに、私はこの企画を起こしました。それは、どうしても始められるべきであると信じるからです。この議会それ自体が意味のある業績ですが、回を重ねることによって、議会がますます意義深いものとなることを希望します。 私は、この議会に三つの希望を抱いています世 まず第一に、世界の宗教伝統は、互いに尊敬し、少なくとも宗教間の対立や戦争を阻止するように機能すべきです。第二に、この議会が、できることなら宗教共同体となって、世界に奉仕するように望みます。また、宗教者が具体的行動をとるように呼びかけ、すべての人々が神を中心とした価値観によって生きるように奨励し、人々の心と魂の成長をはぐくむことに同意し、かつ決意してほしいと願うものです。第三に、この議会が、全宗教の主要な指導者が参加するような組織へと発展すべきであると信じます。この議会は、最高の価値と人生の目的を掲げ、すべての宗教者、すべての団体、すべての国家にそれを提議しなければなりません。絶対者との交わりとお互いへの愛によってのみ、個人、集団、国家は、地上天国を準備し、その一員となることができるのです。 私は、各宗教の代表者として皆様方一人一人が、輝かしい未来と新しい宗教改革の基台となり、世界を指導することのできる霊的統一を見いだされるよう希望します。論文提出や討論、総会、委員会、芸術公演、瞑想、祈祷において、どうぞ、お互いの信仰を尊重し精いっぱい全体の調和のために貢献してください。宗教の世界的、歴史的使命である地上における神のみ旨実現を達成するために、私たちは前進いたしましょう。 私は、企画と準備をしてくださった企画委員会の皆様の御努力と、議会の具体的諸事のために尽力してくださったスタッフの皆様の熱心な働きに対して感謝いたします。 神が、この歴史的議会と代表者の皆様一人一人を祝福してくださいますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2021.12.21
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丹心 ~文鮮明師の真実~ 3/3世界平和統一家庭連合の創始者、文鮮明師はなぜ迫害されたのか?「ために生きる」人生を貫いた文師、その真実に迫る渾身の一作!光言社提供(http://www.kogensha.jp)
2021.12.21
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「子女たちの行く道」(子女の日)1985年11月12日ワールド・ミッション・センターにて 世界で生きている人たちは、同じ人ですか、異なる人ですか? 答えてみなさい。なぜ答えませんか。(同じです。異なります。と様々な答え) 異なる人ですか? これは簡単な問いですが、答えるのは難しいです。 世界にいるすずめは、同じでしょうか、異なりますか? それでは、そのすずめの泣き声が、国によって、位置によって、環境によって違いますか、それとも同じでしょうか? (同じです)。牛……雄牛など、世界的に見ると色は違いますが、泣き声は同じでしょうか、異なるでしょうか? (同じです)。この人はここで、何をする人ですか? (朴先生を指して言われる) では、考える時や話をする時に通訳を立てて話すことを、本来、人は好みますか? 通訳を使わずに話すことを、本来、人は願うでしょうか? (通訳を立てないほうです)。では、先生がこの人を好きだからここに立てたのでしょうか、仕方なく立てたのでしょうか? (仕方がないからです)。ですから問題が多いのです。世界中の人々が、同じ言葉が使えれば、世界の戦争も、随分なくなったでしょうし、今、この社会の、複雑な面が、どれほど簡単担っていたでしょうか、ということを考えてみなさい。そうであるかどうかを。 人類の先祖が恐らく東西南北、四方にいたでしょうか? (ノー)。では一人でしょうか、二人でしょうか、三人でしょうか? (一組からです)。ではなぜ一組ですか? 見てみなさい。“一番良い”というのは絶対的です。“これしかない”というのは二人になり得ないのです。一人しかいないのです。人間がそうであるならば、もし宇宙を創造された神がいるとしたら、その絶対的な神が願う最も良いものは二つでしょうか、一つでしょうか? 同じです。それで、絶対的なお方がおられて、その方が一番に良いというものは一つしかあり得ないという結論になります。その絶対的な方が所有したいものがあるとしたら、それは何でしょうか。その方に必要なものは何でしょうか? 神様が一番に得たい、これしかない、私が願っていたものだと言えるものは、二つあり得ません。一つです。それが何ですか? それが何なの? (一人がトゥルー・ラブと答える)そうです。トゥルー・ラブなのです。トゥルー・ラブです。いつもの小さい人が答えましたか? トゥルー・ラブというのは、一人ではもつことができません。一人でいくら、ラブ、ラブ、ラブ、ラブと億万年言っても、一人ではラブをもつことはできません。では、神様が真なる愛を探そうとしたら、神様が考えられるその相対者は、どのようなものでしょうか。アメリカで一番有名な山は何という山ですか? (マッキンリー山です)。その山ですか。(ノー)。きれいな鳥、空を飛び回る、空気もきれいな。(ノー)。では? (トゥルー・マン、トゥルー・ウーマンです)。トゥルー・マンというのは、トルーマン、アメリカの大統領ですか? (笑い) ではトゥルー・マンというのは、どのような人がトゥルー・マンですか? トゥルー・ウーマンという人が、鼻の上に目がもう一つあったらどうでしょうか?(ノー)。肩が前後にあって、手が四つあるとしたらどれほど便利でしょうか。(先生笑われる)では、トゥルー・マンはだれに似ていますか? トゥルー・マンがだれに似ているかといえば、神が喜ばれるものであるので、神の喜ばれるようなものに似ているはずです。結論をそのように出します。神様が喜ばれるように似ているでしょう。 では、人に似ているはずですが、どの人に似ているでしょうか? マンといえば人間をいうので、男も女も入りますが、男に似ているでしょうか、女に似ているでしょうか? (様々な答え) それは人間の男にも似ているし、女にも似ているのです。ではこの二つの相対、男と女は同じですか、違いますか? (違います)。ではこの違う形の人たちが、方向をこのようにして(背と背を合わされる)、一人は東の端に、一人は西の端に行くようになっていますか?それとも端に立って、真ん中に向かって、お互いが進んで、会うようになっていますか?(二人が一つになるようになっています)。では、いつですか? それが一歳の時、子供たちが好き合って、男の子と女の子が一つになったといって、それができますか? いつ心と体が一つになって一体となることができますか、これが問題です。 男性と女性が神様に似ています。彼らはなぜお互いに愛そうとするのですか? なぜ一体になろうとするのですか? なぜ、男性と女性が一つになろうとするのですか? なぜ一つにならなければなりませんか? それが問題です。男性と女性が一つになろうとするのは、男性も神様の半分に似ているし、女性も神様の半分に似ているからです。神様の形状を完全に見いだすことができ、神様に会うことのできる場というのは、男性、女性が離れている所においては、絶対に見いだすことができません。男性と女性が一つとなるような場において愛を中心として一つになった姿を発見することができるのです。その時、神様が、右の目と左の目で見ると、フォーカスが合うのです。目も二つありますが、フォーカスが合って一つとして見えるのです。フォーカスが合わなければ見えないのです(しぐさで示される)。これは歴史上初めてのことであって、男性と女性のフォーカスがぴったり合うようになると、愛の目のフォーカスが開かれ、神様がここに来られて、真ん中に降りてこられるのです。神様が臨在されて、神が初めて、「これこそ最高のものだ」と言われるのです。 神様が抱かれる時、どのように抱かれるかといえば、男性はマイナス性相の側に抱かれなければならないし、女性はプラス性相の側に抱かれて、完全に一つになるのです。なぜ皆さんの心臓は左側にあるのでしょうか。医学博士、心臓学博士に問うてみる時、答える人がいないと思います。うん? 神が立っているとしたら、男性は左側に立ち、女性は右側に立つので、心臓と連結することは男性がやらなければならないので、それで左側にあると、原理的結論を下すことができます。 それで神が抱くなら、男性を左手で抱き、女性を右の手で抱きます。そうすることによって回っていくのです。プラス、マイナスがあって運動が始まるのです。それでこの宇宙が回るのです。それで回る時はどこからかというと、男性側から先に回るのであるから、女性はこのように回るのが(しぐさで示される)、自然にこのように回るのが原則です。 では、愛はだれのものでしょうか。神様のものであり、男性のものであり、女性のもの性と女性はなぜ愛さなければならないのでしょうか。平面的結合を絶対視するためであり、縦的結合を絶対視するためだからです。男性と女性は一つであるのに、神様の愛が、どきらに先に来るのでしょうか、これが問題です。男性に先に来れば「エン、エン、エン」と女性が不平を言い、女性に先に来ると「エン、エン、エン」と男性が不平を言います。神は公平にしようとするので、二人がぴったり一つになった時、臨まれるのです。そうすることによって、平和の、本来の、愛の理想がスタートできるという、理論的根拠を立てることができるのです。人間は永遠なる愛を必要としています。永遠なる愛の根源が神であるから、永遠なる愛の根源である神をどこに置くべきかというと、男性、女性の愛の間に置こうということは理論的です。男性側でもなく女性側でもなく、真ん中に置くのです。これはいいですね。これが最も公平です。理想的な公平な場です。それで永遠なる愛を核にし、男性と女性の愛が結合することのできるのが、創造理想の本来の先祖であります。そう言えばピンとくるでしょう。(イエス)。 最近、アメリカの有閑マダムたち、愛を求めて今晩は別の男、あすは他の男、どれほどいいでしょうか、喜び楽しんで。これこそが天国であると、快楽主義的なこの群れは、いかなる群れでしょうか。それが人間ですか? (ノー)。このように、原則を中心とした愛の倫理体制が形成されていないので、統一教会が新しい神の愛を中心とした倫理体制を立てたという事実は、驚くべきことなのです。これを知らなければなりません。分かりますか。(イエス)。これが偽りであるにしても、仮設的定義であるとしても、これはだれもが受け入れなければならない結論である。本当でない仮設的論理であるとしても、これを事実のものとして立てて生きるとしたら、この世が滅びてゆくことを防ぐ一つの道を見いだすことができると思うのです。これが事実であるとすればどれほどいいことでしょうか。愛は、真の愛はだれのものですか? 絶対的な神の愛が絶対的な男性、絶対的な女性を探し出して、絶対的な男性が絶対的な一つの愛を追求する時に、絶対的な神の愛を所有したという結論は、極めて理論的です。神様の絶対的愛をどこで探し出せるかという問題と、人間が絶対的な愛を探し出せるかという問題は、正にこの核を中心として結論が設定されるのです。 きょうは子女の日だといってみんなが集まりましたが、あなたはどこで生まれましたか?遊び半分の愛によって生まれましたか、深刻で宇宙を動員した真の愛によって生まれましたか? アメリカの女性たちは毎日のように別の男と取り換えたり、父も母も自分勝手に遊び回るその血統を受け継いで生まれた自分自身であると思う時、どれほど悲痛で、どれほど悔しいことであるかを考えてみたことがありますか。深刻な問題です。深刻な根本問題です。 言葉の中で、どの言葉が最も貴い言葉なのでしょうか。ある経済学博士であれば、新しい経済理論を中心として世界的な学者として行こうとすれば、そのような論文の内容の言葉が最も貴いと言うでしょう。この言葉を学ぶことによって、自分が経済的に豊かな者となり、良い生活ができると言えば、その言葉は耳にすぐ入るでしょう。 ムーニーたちは、「あなたはどこの大学の何の学科に入るか」と聞かれたなら、どのように答えますか? 「あ! あ! 私は愛の大学、愛の学科に行きたい」と、言える科学があるとしたらどれほどいいでしょうか。(イエス)。世界中にそのような学校、そのような学科がありますか? では統一教会の群れは何をする群れですか。この群れはこの世において疲れ果てて、愛が懐かしくて、懐かしくて仕方がなかった人たちが、統一教会には愛の大学の看板が、愛の学科の看板が掛かっているというので入ってみたというのです。これがムーニーなのです。ムーニーという言葉はいい言葉ですか、悪い言葉ですか? (いい言葉です)。皆さんは、愛の大学に入っていますか? (イエス)。愛の大学に入学することがやさしいと思うのは、とんでもないことです。とても難しいのでありますが、素晴らしい学科なのです。(イエス)。片足を切ったとしても、この学科を通過しなければなりません。片腕を切っても、この学科を通過しなければならないし、四肢を切って胴体だけの人になっても、真の愛の学科を卒業して喜ぶのです。(イエス)。今、愛の大学の総長様が出てきて、訓示する時間なのです。気持ちがいいですか、悪いですか? (いいです)。だからこの道は、絶対に妥協することができないのです。絶対的です。妥協することができません。 では、ドクター・ダーストがいくら優れているとしても先生は相談できません。アメリカの、いくら優れた人であっても妥協することができません。そのままです。原理の道を、一つ一つたどっていくしかありません。では妥協を願う者は手を挙げてみなさい。(先生の笑い) 先生は何度も何度もアメリカのリーダーたちが、「どうしてレバレンド・ムはアメリカ式が嫌いなのか、私たちは他の方法を望んでいるのに」と言うのを聞いています。どうしてそのように先生に対して不平不満を言うのですか。あなた方は今まで不平不満を言ってきました。それはいいことですか、悪いことですか? (悪いことです)。絶対的な愛を追求する私たちにおいては、異議がないのです。 真なる愛をもたない夫と妻が、「これは真なる愛ではないのだ、私たちの友達と相談しよう」と、夫の友に相談したりして(真の愛が)もてますか。二人だけで解決できますか、そこに第三者の介在を願いますか、願いませんか? アメリカの人たちは、「私たちは民主主義世界に住んでいるので、たくさん相談することはいいことだ」と言います。あなたたちは、そのような人たちですか。そのような状態ですか? (ノー)。絶対的です。絶対的ですよ。絶対的というのは、スタートも、過程も、結果も絶対的であるということを意味します。 レバレンド・ムーンが教えるのは、真の愛の、男性、女性の道なのです。真の家庭、国、世界が行く道は絶対的で、一つしかありません。二つではありません。それらを教本として、すべての人々が対することのできる所が、家庭なのです。家庭です。家庭の愛が完全であれば、国の愛の道、忠臣の愛の道、孝子の愛の道、忠男、忠女たちの愛の道、すべての聖人たちの愛の道へ行くし、どこにでも通ずる内容が含まれているのです。 絶対的な愛の木があります。その枝も絶対的であり、根も絶対的であり、新芽も絶対的です。ここにある栄養素は、間違いなくその根にまで通ずるのです。(黒板に書きながら説明)この根は、どこにも通じない所がないのです。あなたたちは一つの葉のように生まれているが、その愛がどのような愛の根から始まったか、神の絶対的な核を通じた愛の起源から生まれたか、そうでないかを考える時、これが大きな問題です。そうでないでしょうか。 ここから(図1を示されながら)西側に伸びたものは西洋人、白人で、東に伸びたものは黄色人種、南に伸びたのは黒人種であり、北に伸びたのはエスキモーなのです。 それらの人たちの頭とすべてのものが、どこに付いて生きているかといえば、家庭という所に頭を突っ込んで、心を突っ込んで、逆さに付いて生きているのです。エスキモー家庭においての夫婦が愛する方法、西側に行って白人たちの夫婦の愛し方、南のアフリカに行って夫婦が愛する方法、それぞれ異なるというのですか、同じなのですか、どちらですか? (同じです)。同じであることは結局のところ、すべての分母となるれ母体、共通分母が何でしょうか。(愛です)。愛ですが、男性と女性が愛を中心として共に生きていること、これが共通分母です。共通分母ですよ。同じなのです。それがうまくいっているかどうか、うまく生活をしているかどうかは千状万態です。うまくいっているという時には、その男性と女性の間に、他の男性、女性の関係が絶対的に関係ない時には、うまくいっているというし、男性と女性の関係が深くないほど、うまくいっていないといえるのです。これは絶対的に同じです。黒人であっても、白人であっても、黄色人種であっても、どのようなものでも、絶対的に同じなのです。 アメリカの娘たちはどうですか? (イエス)。どれほど難しいことですか、どれだけ不都合なのでしょう、絶対的に一人でいることは。毎夜「ハロー」と言って、「今晩君が欲しい」と言えば「OK」と言います。どれほど安易でしょう。どれほど都合がいいでしょうか。 では、統一教会の家庭生活がどれほど難しいか、一度、祝福を受ければ、絶対視するのです。どちらがいいですか。難しくとも、「私はレバレンド・ムーンが教えてくれる、統一教会が主張するその愛の道を行く」のですか、それとも適当に便利なアメリカ式の愛の道を行くか、どちらですか? (先生式です)。なぜ先生式ですか? なぜなら、神の愛を私が占領することができるからです。神を所有することができるからです。先生の方法が必要なのです。神を所有すれば、宇宙を自動的に所有することができるからです。真の愛を中心として、私たちは神をコントロールすることができます。これがどれほど幸福な道かを考えてごらんなさい。それで賢いレバレンド・ムーンも、一生をかけて、悪口を言われながらも、四十年間台風にぶつかりながら、このように進んできているのです。 では、お母様は、幸福な女性ですか、不幸な女性ですか? (幸福です)。では先生は? (幸福です)。なぜですか。神の愛を中心として、私たちが生きているから偉大であるというのです。トゥルー・ペアレンツというのが何であるかの、答えも出せます。このような神の愛を核として、アダムとエバが完全に一つとなったとき、神の愛を中心に、絶独一つになって出発できる最初の人間先祖となったのです。これがトゥルー・ペアレンツであったということは、確実な結論です。分かりますか? トゥルー・ペアレンツというものを知らなければ、トゥルー・チルドレンが出てくることができません。今やトゥルー・ペアレンツがはっきり分かりましたので、トゥルー・チャイルドがだれであるかが分かります。では、統一教会に集まったあなたたちはどのような子女ですか? あなたたちはだれですか。どのような子女ですか。「私は今、真の子女になりつつあります。真の子女になるために訪ねてきた者たちです」と答えなければなりません。では私たちは、堕落したので、他の父母から生まれたので、どのようにしたら真の父母の子午となれるでしょうか。いくら努力したとしても、いくら何かをやったとしても、ここで切って接ぎ木をしなければ、一つになれないという結論が出ます。接ぎ木しようとすれば、どうすればいいですか。枝を切ればいいですか、根を切ればいいでしょうか? (ルートです)。そうです。ルートを切らなければなりません。ルートがみんな野性のオリーブの木であるのに、真のオリーブの芽をどこから得てきますか? どこから探してくるのですか? それでトゥルー・ペアレンツが出てこなくては、真のオリーブの木がなくては、野生のオリーブの木には接ぎ木する道がないのです。メシヤというのは、真のオリーブの木、男性、女性理想を成し得るために来る人なのです。 神がいるとしたら、終わりの日にはどのようなことが起こるでしょうか。終わりの日が近づけば近づくほど、世界のすべてのものの根が、ぶつり、ぶつりと切られていくのです。その時が終末です。このような結論が出ます。神がいるとしたら、そのような歴史の終末に向かって(すべては)動いていると思うのです。切る時には、既に、その木を切ったあとに(接ぐ)真のオリーブの木の準備をしておいて、神様は切り始めるでしょう。世界的な基準で、世界を切り得る真のオリーブの木があるとしたら、世界を切って一斉に接ぎ木しようとするでしょう。このような結論か小水田事 では統一教会とは何か。真のオリーブの木です。統一教会が神の国をつくり、世界を動かすことのできる時には、また、私たちの言葉で言うならば、神の祖国創建という名をもって出てくる時には、民主世界も、共産世界も根が切れる時代、すべての教育、思想、全体の根が、揺れて倒れる時が来るという結論を出すことができます。それで民主世界も滅び、共産主義も滅び、アメリカの倫理もなくなり、キリスト教も滅び、“すべてが滅びる”という声が、“すべてが死ぬ”という声が、叫びが、天下に満ちたなら、“生きられる”という声が準備できているということを知らなければなりません。それで統一教会は、世界の滅びゆこうとするものを接ぎ木できるように相対的な準備をしなければならない、という結論が出ます。分かりましたか? (イエス)。 きょうは子女の日ですが、統一教会が祝賀する子女の日、子女たちが行く道はどのようなものですか。自分の枝から新芽をどんどん配ってあげて、四方、八方から切られて死にそうになっている所にいかに早く接ぎ木できるか、どれほどたくさんやるかという問題が、私たちに与えられた、世界史的な当面の課業なのです。枝の半分以上を切れば死にます。三分の一切れば生きるし、いくら真のオリーブの木でも、半分以上切ったなら死にます。葉が残ってこそ全部生きられるのです。ですから統一教会の群れよ、自分自身をアフリカに接ぎ木しなければならないし、南米に接ぎ木しなければならないし、北極に接ぎ木しなければならないし、世界どこに行っても接ぎ木しなければなりません。このようなことをしなければなりません。あなたたちは、“お! お! それは先生が後援してくれてこそできることだ”と思いますが、そうではありません。枝が自分の根を探し出して、接ぎ木することによって、自分も生きることができるのです。見てみなさい、世界至る所に、植えることのできる地、接ぎ木できる木はいくらでもあります。これが、統一教会において子女の日を記念(祝賀)する人たちの、行くべき道です。 それで、夫を愛する以上の愛をもって、新しい子を生むために、分かれてでも行くことができるのです。夫を愛する以上の愛をもって、南極に行き、アフリカの奥地に行って、自分の夫以上に愛する子女たちを育てるために、夫を離れ、妻を離れ、どこにでも行って、このことを幸福と希望として行けるそのような家庭が、統一家の家庭です。 真の父母であるとすれば、自分よりも子女をもっと愛し、世界へ伸びていくそのすべての後孫たちを、もっと愛するようにならなければなりません。老いた祖父が孫をとても愛することも、すべてそのような意味において一致するのです。それで、あなたたちから枝がどれくらい伸びたか、接ぎ木は三つ以上しなければ死にます。接ぎ木された枝が三つ以上なければ育つことができません。そして無数の枝として伸びていかなければなりません。分かりますか? 皆さんの家庭を中心として、世界の五色人種に、接ぎ木しなければならない責任が残っています。これが統一の子女たちを中心とした統一家の行く道なのです。 では、幹から流れる栄養素が、白人社会から白人社会にのみ行くとしたら大変なことになります。共通なのです。自分を引き寄せる枝がどんどん伸びたら、栄養素はそちらに行くようになります。それこそ公平です。神は枝が多い所へ栄養素を補給するので、愛の道はそちらに行くのです。けさもアジアの人たちと、日本人、韓国人、ヨーロッパ人、アメリカ人たちと行事を行いましたが、神様が御覧になる時、公平なる神はどこに行こうとするでしょうか。もっと伸びようとし、より伸びようとし、より枝を伸ばす所にエネルギーを与えていき、そちらへ方向が決定されていくでしょう。そこには異議がないのです。 では枝となって根をより伸ばそうとすれば、においのする所を探していかなければなりません。根が好むものは肥料です。これを知らなければなりません。反対です。枝と芽は良い所を求めていくが、根はきたない所を探していって、これらは共存するのです。これは事実です。 それで、この根を探してきて植えれば、枝が伸びてくるのです。そしてまた、枝を挿木(さしき)しても、根が生えてくるのです。不思議でしょう。それは何かというと、枝と根は極と極であるが、良い所に行く枝も、その枝の中にはあの伝と接することのできる要素をもっているし、悪い所に付いている根も、あの良い所に接することのできる枝の要素をもっているのです。 これから世界を支配できる民族はいかなる民族なのでしょうか。理想郷を追求することのできる、華麗で香りのする所を探すし、また、あのにおいがし、だれもが嫌がる所を訪ねていって、そこに自分の勢力圏を広めていける、このような民族は世界を支配するでしょう。今までの東西の文化の背景から見ると、西洋は枝に付いて花咲くそのような方向を取ってきました。東洋はにおいのする、だれにも知られずにうずもれて何千年間も根を差し込んだまま、死なずに生き残った根を保ちつつ、成長しているのと同じである、という例を挙げることができます。しかしこの二つの文化背景を考えてみるとき、どちらのほう希望的でしょうか。西洋人たちが中国とかアジア人のことを言うとき、何の表象になっているかといえば、きたないもの、旧態依然なものと言います。中国人は一番だと言っていますが、西洋人からすればこの中国人はそれほどきたなく、それほど旧態依然なものと映るのです。彼らは最高の枝の要素をいつも欽慕しているこの思想をもっているので、世界に残れる民族は、たとえ西洋人たちは通り過ぎていっても、世界に残れる東洋思想を基盤としたこのような国民たちが、世界の希望として伸びていくであろうという論理を探し出すことができます。 西洋人は何たというと華麗な枝のようです。これを差し込んでも根が出ないのです。根が出る要素をもっていないのです。東洋の人は、きたないが枝が出てくる要素を潜在しているので、生き残れるのです。見てみなさい。終末となって西洋人たちは滅びるようになったので東洋へ帰ろう、においのする所へ戻ろうとしています。ヒッピー、イッピーがどれほどにおいますか。今日西欧の人々は、日本に対して関心が高いのです。日本に対して関心が多いです。なぜでしょうか。なぜそうなのでしょうか。東洋に帰って一つになり、二つの性品を経て和合することのできる、授け受けることのできる、上ったり下ったりすることのできる要素をもてば、天地流動する大運勢圏に配置され得ます。全宇宙は滅びるしかないので、生き残れる本性の作用として東洋追求潮流が終末において西欧世界に訪れてきたことは、極めて幸いなことであると思わなければなりません。 先生が、日本人、東洋人の統一教会の群れに、「あなたたち、アメリカナイズされるな、アメリカがオリエンタルナイズされなければならない」と言うのです。(拍手)天地の運勢と生存の原則を中心として、流動するこの世界において残り得るためには、このような歴史観の背景を中心として、東洋、西洋の文化圏を見つめているのが、統一教会を指導しているレバレンド・ムーンなのです。レバレンド・ムーンがアメリカに来て、アメリカの社会において、教会の集会で、大衆が集まるとき椅子を一つも置かないで、「このように床の上に座るように訓練をさせたのが罪である、文化の逆賊である、ノーです」。文化の逆賊でなく天理の逆賊になることを恐れ、このようなことをしているのです。どこに従っていくのかといえば、天理についていくのです。(イエス)。先生は先を見通して、普遍的な道を、先に立って案内しているのです。では、どちらのほうが最後まで生き残れる? レバレンド・ムーンの教えと指導によって、最後まで生き残れるのです。 今日、先生は監獄から出てきて、初めてこのような話を公席(祝日)で話します。皆さんはこれから新しい時代に入ってくるので、昔のような態度を急変させ、きょう話した内容をはっきり知らなければなりません。自分たちが行く方向性において混乱を起こさせないためにこのような訓示をしていることを、はっきり、この教会長からすべての末端の食口たちまで、理論的に、肝に銘じさせるために話しているのです。(拍手) 神の愛を中心として、真の父母を動機として生まれた人たちは、また、生まれることを願っている人たちは、接ぎ木して愛の津液(樹液)を連結させ、愛の種を蒔くこの使命が、今日の統一教会の使命なのです。また、皆さんが行くべき使命なのです。(イエス)。それですべてが成し得るのです。ここで、絶対的な愛を中心として絶対的な男女が会って、文化創建をするのです。絶対的な文化創建は言語と、文字を通して行く道ですから、絶対的な一つの言葉と一つの文字を設定しなければならないという結論は、自動的な結論なのです。それで韓国語を学ばなければならないし、韓国の文字を学ばなければならないのです。その文化の創造は言葉と文字によって成されるのです。なぜかといえば、トゥルー・ペアレンツがコリアの地で生まれたので、トゥルー・ペアレンツの言葉と愛を中心として、神がトゥルー・ペアレンツとの愛を、有史以来初めて接ぎ木したのであります。神が愛を中心として言葉を始められた、最初の出発が、真の父母を中心とした愛の基盤の上でした。それは韓国語で通ずるしかなかったのです。その最初の起源が絶対的であるので、韓国語を学びなさいという原因がここにあるのです。また、韓国の言葉の代身である、文字を学ばなければなりません。神様が愛の言葉を、最初に語られたのが韓国の地であり、レバレンド・ムーン、トゥルー・ペアレンツから真の神の愛が生まれたので、その言葉が言葉の起源となるのです。英語でもなく、中国語でもないのです。それで統一教会の人たちは、これが愛の母国の言葉であり、愛の祖国の言葉であるために、愛の祖国を、母国を訪ねていかなければならない私たちは、この言葉と、この文字を学ばなければならないということは当然の道理です。 それで皆さん、西欧の男たちと女たちが、韓国人の妻、夫になろうとしますが、どうしてですか。神様が最初の愛の言葉を語られた起源が韓国語であったために、その本郷の地に近づくためにも、そのような思いをもつようになるのです。愛ゆえにそういう思いもあるのです。分かりますか? (イエス)。根です。最も中心の茎の根までその愛の津液(樹液)は通ずるのです。本性はそのように動くのです。私たちの本心は、常にすべてを知っています。分かりましたか?(イエス)。 私たちは先生を探し出し、出会ったので、統一教会ではでたらめに、適当に生きてはいけません。絶対的な決意と、絶対的な行動と、絶対的な覚悟をもって行かなければなりません。この運動に加担した権威を誇りにしなければなりません。神様は、愛のアメリカの密室に向かって探していくのです。どのいかなる恐ろしいものよりも、いかに興奮するものより、もっと深刻な道が愛のアメリカを探していく道なのです。たとえ一〇〇〇年で一歩を踏み出したとしても、行こうと願う愛の道が残っていることを知らなければなりません。私たちはその道を尋ねつつあるのです。行っているのです。それを探し求めているのです。先生も行っているし、あなたたちもみんな従ってきているのです。では自分勝手に行きますか、厳粛に行きますか?深刻に行かなければなりません。声を出して騒がしく行くのですか、それとも静かに行きますか? (静かにです)。だれにも知られないように、一人で行かなければなりません。だれの後援もなく、一人で行かなければなりません。本当にこのようにして愛を探すのに、いくら孤独であっても、いくら悲しくとも、いくら恥辱的であっても、それは問題であります。問題ではありません。分かりますか? (イエス)。アメリカ人はあまりに言葉が多すぎます。東洋人は言葉が少ないのです。深いのです。ですからあなたたちは先生に出会って、この両面の世界を知って、内容を理解して、新しく西欧社会に革命の旗を掲げたということの誇りを忘れないで、大胆に走っていかなければなりません。 祝福(結婚)生活が夫婦の出発です。彼らが地上において果たせなかったことを、霊界に行ってでも、二人で発展させなければならないのです。それを知らなければなりません。何の話か分かりますか? (イエス)。それで二人は愛の化身となり、神化できる道を願うのであります。すなわち愛の神化を、愛の化身体を願うのです。造作された物の形体の化身体を願うのではありません。これこそが絶対的です。これのみが絶対的です。これ絶対的ですよ。男性でも女性でもこの絶対的というのは異なりません。一本となって、これのみが絶対的です。神様もそこにかかわってくるのです。そのような絶対的主体、絶対的相対が絶対的に作用すれば、三つの宇宙が、世界が、なぜ動かないでしょうか。宇宙がすべてそれによって動かされるのです。それで、絶対的要素はトゥルー・ラブです。だからこの愛のみが、宇宙を動かすことができるのです。論理的な方法です。分かりますか? (イエス、ファーザー)。 先生は他のことを願いません。それ(トゥルー・ラブ)のみを見つめてアメリカを尾につけて、世界を尾につけて、生かしてあげる道、すなわちハイウェイを築いているのです。ラブ・ハイウェイを築いてみようとするのです。ラブ・ハイウェイを、ここから、小さな支流のような道をつくるのです。ちきなハイウェイに向かって、地上世界、天上世界への直行路をつくろうとするのです。それでこの路は、真の愛でなければできません。真の愛のハイウェイは、終着と出発が、地上と天上が同じ道幅で、築こうとするのです。地上天国達成したのちにその目的を成就することが可能なのです。ラブ・ハイウェイを標準として、すべての国々に、中間のハイウェイ、また中間のハイウェイ、枝のハイウェイ、枝のウェイ、その次は葉のウェイ。葉のハイウェイ、スモール葉のハイウェイ、(黒板で説明)このように上がっていくのです。だから言葉だけではなく、霊界と肉界とをつなぐことのできる基盤が、今度ダンベリーを通して、築き上げられたという結論が出ます。あなたたちはそのことを知らないでしょう。 それで、あなたたちはどこで乗らなければならないか。どこへ行けばいいか。皆さんはまず、糸状のハイウェイから始まって、しだいに大きな枝状ハイウェイに入り、最終的には神のハイウェイで合流し、神の心情圏へと全路程を進んでいくのです。 ドクター・ダーストといったら、アメリカのハイウェイ・ブランチの頭となっているが、ここに愛がなければ滅びます。次に、アメリカの州の責任者は中間のハイウェイなのに、これは愛を中心とした責任者であって、自分のビジネス、職権を中心とした責任ではいけないのです。このようにして、末端まで愛の道が通らなければなりません。愛の道が。 USAハイウェイのこのドクター・ダーストが、“アメリカの統一教会を自分の思うようにしたい”、これはとんでもないことです。メイン・ウェイに行ける方向に導いていかなければなりません。そうしなければ、これからアメリカのハイウェイの終わりまで来て、ここから天国に行けるハイウェイに入れないのです。入れないのです。 最高の根のハイウェイと、最高の天国の、神の王子の花(のようなもの)は、直線上に立たなければなりません。 (以下図で示されながら)①スタートすることのできる小さなものが、(図2で示される)ここでだんだん大きくなるのです。だんだん大きくなってくると、②いろいろと複雑な問題が多いのです。ここで合わさって入ってくるし、④そしてすべて消化し、ここでも合って入ってきて、消化し、ここでも合って、ここは③アメリカであり、これは③台湾だとしたら、台湾も消化しなければならないし、これが③日本であれば、日本も消化し、すべて消化しなければなりません。何で消化するか。愛のみでもって消化しなくては、この⑤ハイウェイ圏の中に入れません。目的が何かといえば、(図2で示される)ここでこれがこのようになって、これがすべて、ここに接続されなければなりません。全部がここに接続しなければなりません。アメリカというのはあり得ません。ここに(図2で示す)接ぎ木しなければなりません。ではアメリカがこれで(図2で示される)あるとしたら、これ⑥を主張する愛は、根が曲がってしまいます。直線ではありません。どこまでも神様は、⑦先生を中心としてスタートし、神の王子の所までいかなければなりません。 今先生はどうでしょうか。神の摂理が、アダム、エバ①まで上がっていくようになったが、ここで②堕落することによって(図3で示される)、③すべてがこのようにして世界に広まったのです。世界的に非常なる混乱が起きて、④全部が広まってしまったのです。数多くの、一二〇国家以上が全部、自分たちの根はどのようになったか知らずに、全部が国家をつくって、一二〇カ国家として世界に現れるのです。これ⑤を復帰摂理を通して、先生が来て、全部(図3で示される)ここからこれを逆につなげるのです。全部逆に、ここで(図3で示される)接ぎ木するのです。心情の根を、国とか、すべてをここ⑤に接ぎ木しなくては、ここ⑥でつないで(図3で示される)これを貫いていって、王宮にまで行けるハイウェイのメイン・ストリートでなければ、行く道がないのです。 ⑦個人時代から上って家庭へ発展するし、だんだんと世界時代を経て、茎⑧のほうへ上っていくのです。それでいくらアメリカであっても、世界であっても、このラインが、(図2で示される)ここから上っていくラインが、ここの⑨スタート点と一直線に立たなければ、サタン世界へと落ちてしまうのです。愛の道というのは、絶対的に一つであって、二つではありません。この道に合わせなければならないのです。世界が来て、ここで(図3で示される)⑩全部合わせるのです。 もし先生が神のみこころを知らずに、だれかの話を聞いたなら、地上天国、天上天国すべてがひっくり返ってしまうのです。動いたとしたら滅びてしまうのです。ここが連結された宇宙となった時には、サタンは自動的になくなってしまうのです。悪というのがあり得ないのです。それで、⑪ダンベリー監獄から出てきたのは、これを蕩減復帰して、これ⑤を連結させてここまできて、ここから⑩(図3で示される)天の玉座⑫へ行く直行の道からスタートできるのです。エデンの園で、本来の心、神の心情の道と、ここで連結することができて、玉座の道と連結できなければなりません。これが連結されなければなりません。 監獄が立ちふさがっているなら、それを貫いて越えていかなければなりません。レバレンド・ムーンが起訴されたといって避けて逃げてしまっていては、その道が崩れてしまうのです。サタンという怨讐が、そこに立ちふさがっているのです。それでイエス様も、十字架を御自分の思いのままではなく、「みこころのままになさしめ給え」と言ったのです。先生も、「韓国人のみ心ではなく、韓国の民のみ心でもなく、統一教会のみ心でもなく、あなたのみ旨の道、愛のみ旨の道を行なってください」と言ったのは同じです。神の愛がダンベリーの向こう側に行って、流れが変わるなら、その道を貫いていかなければなりません。 サタンを離そうとすれば、サタンは高められ、傲慢になり、良いものを願い、自慢を願うのであるから、悲惨で、困難な死の場は、サタンが嫌がるので離れていくのです。サタンは、不平、不満、猜疑(さいぎ)、しっとを好みます。それで先生がダンベリーに入って注意したことは、そこはアメリカと世界に不平を言うサタンのやからたちが集まっているので、先生は別人にならなければならないという心をもって、私の怨讐がアメリカでありますが、アメリカに不平を言ったり、だれかに対しても絶対に不平を言うのではなく、平を言うなら統一教会の信者たちに対して責任を果たせないことになるので、統一教会の祝福家庭に不平を言い、それは(内部だから)大丈夫です。常に先生はここにおいて、この愛の道(図3で示される)、いくら難しくともこの愛の道、より高まることのできるこの愛の道を願っているのです。 過去において、私たちの信仰の先祖たちの道がそうであったように、イエス様も生命の道を、死を覚悟して行ったのです。同じように、レバレンド・ムーンも命を懸けて行っているのです。なぜなら、愛の道を探すことは命以上の道であるからです。命の出発が愛からです。出発が愛であるから、その愛を探すためには、愛を命以上のものとしなければ、真なる愛の道を探していくことができないのです。尹博士、分かりますか? 死を選ぶか、愛の道を選ぶか、死を捨てて愛の道を選ぶのです。絶対的です。分かりますか? そういう人は、有史以来、先生しかいないのです。先生一人しかいないのです。イエス様もそういうことを語らなかったし、行動もできませんでした。先生がこのような内容をもって実践し、歴史時代を四十年間で、あらゆる恥辱と受難を受けながら、死の峠を越えながらでもこの道を捨てなかったのは、真の愛という絶対的な宝を知っていたからです。このようにやってくると、今や世界的に有名になり、世界の栄光を得てきました。サタン世界は先生の成功を願わないので、今まで「滅びる、滅びる」と言われながらきました。しかし今まできてみると、我知らずこのような、成功したという結論を、世界的につけることのできる版図が起きたのです。これは何がそのようにさせたかといえば、絶対的な愛の保護の力がレバレンド・ムーンを引っ張り、押したので、世界を動かすことのできる圏が、目前に訪れるようになったのです。これは理論的な結論です。そのように生涯を生きてきたし、青春時代をそのように生き、その目的のもとで生まれたのです。そのように生きた代表的な人が、そのような代表的な夫婦が、真の愛の、歴史上に初めて現れた夫婦ではないかということを、私たちは知ることができるのです。それでそのような方を、私たちは、真の父母であると言うのです。初めてだから。(拍手) では、その方を真の父母として侍り、このような活動を通して世界を、消化しようとする世界は、永遠なる真の愛を中心とした、ユートピア以上の理想の世界でありましょう。それが一時でなく、永遠なのです。 皆さんが愛の小川から、愛の大河へ、愛の海、愛の太平洋を経て、あの平安な世界へ行くことが、私たちが一生涯の路程なのです。それが人生です。それで愛から生まれ、愛の中で育ち、愛の中で生きながら、愛の目的地を求めていくことが人生でありました。どれほど幸福なことでしょう。分かりましたか? 「真理を知ると、真理があなたを自由にする」という聖書の話もありますが、私たちは真理として愛の本然がどうであったかということを知ったので、どのように行けばいいかを今は知ったのです。 私たち人間は、絶対に自由を求めています。愛の基準にパスする日には、神の国においても、どこにおいても絶対自由です。どこに行っても、永遠に絶対自由です。永遠に絶対自由の立場に立ったその人は、永遠なる幸福、どこでも絶対歓迎であり、絶対応報です。 ではきょう、この子女の日に、「自分も間違いなく、先生が行く所に、間違いなくついていきます」、そのように約束する人、手を挙げて誓いましょう。立ってください。間違いなく行くという人は両手を挙げて。「絶対に不平を言わないし、絶対に躊躇しないで行きます」。(イエス、ファーザー、イエス、ファーザー、イエス、ファーザー)。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.20
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丹心 ~文鮮明師の真実~ 2/3世界平和統一家庭連合の創始者、文鮮明師はなぜ迫害されたのか?「ために生きる」人生を貫いた文師、その真実に迫る渾身の一作!光言社提供(http://www.kogensha.jp)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
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天一国摂理史--「天勝日」(1976.10.4) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)「ベルベディア宣言(天勝日)」1985年10月4日ベルベディアにて ここに集った人たちは、全世界の中で統一教会の教会人です。統一という意味が何であるかといえば、英語ではそうでないが、アジアの漢字の意味からすると、教えてあげて、一つにして、導いていくという意味があります。では統一教会というとき、教とは何でしょうか? 教会というのは教える集いです。その教える集いが何を教えるかといえば、宗教を、教える集いです。では宗教という意味は何かというと、家でいえば居間になる教え。最も重要な、それがなかったら家が倒れてしまいます。そのような最も重要な教えなのです。根本になる教えなのです。では宗教の中で、統一教会といえばすべてが入ります。統一教会は最高の真理、最後の教えであり、これを中心として教育し、一つにする。一つにするのはなぜかといえば、正しく行くためであります。統一教会の意味がそうなっています。分かりますか? 何の話か? その内容だけ分かればすべてが分かるのです。では統一教会はそのような教えをもっているか。そうであれば、宗教の中で代表的なものであるといえるのですか? (イエス)。そのような責任を、使命をもって、人間ばかりでなく、神様と人間が一つとなって集まる所であることを知らなければなりません。では何がセンターなのか? 統一教会の教会人たちがセンターなのか? 神様がセンターなのか、これが問題です。(神様です)。それで、どこにおいても統一教会の人々のセンターは、神様です。 今日既成教会でいえば、イエス様がセンターであるか神様がセンターであるかというとき、既成教会においてそれははっきりしていません。神様もセンターであり、イエス様もセンターである。イエス様も、自分で来たのではなく、神様が送ったので来たのです。相対的です。相対的というのは、被造世界に、神様が絶対的であるとすれば相対的存在はあり得ないのです。これは造られた結果によって相対圏が生じたのであるから、相対的存在は被造世界の代表者であるということを私たちは知らなければなりません。 では、統一教会の信者たちはなぜ生きるか? どうして生きるか? このように問われたらどのように答えますか? 簡単ですよ。統一教会の使命を完遂するためです。その使命を完遂するためには神様を中心として、統一教会の使命を完遂するためです。そこには教育もあり、一つにしなければならないし、導かなければなりません。すべてが入るのです。そのような結論を出して、統一教会の眼鏡をかけて見ると、個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界、天的に完成した人がいるかということです。(ノー)。問題は大きい。個人で完成した人がいるかというとき、世界の人類中には数多くの英雄も、聖人たちもいたが、その聖人たちも完成したでしょうか、というとき、このような全般的な問題が再検討されなければなりません。 そのように見る時、神様が今まで数千年数多くの宗教をつくって働いてきたのに、一人も完成した人を見つけない神様であり、完成した家庭を、完成した氏族、民族、国家を見つけることができない、何も成就できない神になってしまったというのでしょうか? どのように答えますか? ある宗教指導者が言うのに、「私は完成した。レバレンド・ムーンと同じ段階だ」というとき、神様とレバレンド・ムーンは「ノー」と言うのです。そして直ちに「神が人間を造ったが、男だけ造りましたか女だけ造りましたか」と聞くと、彼も仕方なく、「男も女も造りました」と答えます。 では、神様がエデンの園に男を造り女を造ったが、「寂しいから友達になれ」と言って造ったのですか? 「なぜ造りましたか」と聞くと、困るのです。食べて、遊んで、眠って、踊ったり、そうするためでしょうか? (ノー)。男と女をなぜ造ったか、そういうことを問う必要がどこにありますか? 「結婚して一つとなって生きるように造ったのでしょう」と、間違いなく答えなければなりません。 ここで男はなぜ生まれ、女はなぜ生まれ、なぜ生まれたかは教育で、次に男と女が一つにならなければいけない、これは一体であり、その次に生きていくこと、これが導きです。このようなことが完成であれば、あなたは完成しましたかというとき困るのです。だからいくら立派な宗教家でも、自分の個人の完成をなしたと誇ることができないことを知るのです。この宇宙万物を見ても認めることができないのです。 もし宮殿に住んでいるのに、王だけ住んでいるのがいいですか? 王妃と家族と共に住んでいることがいいですか? (家族と共にです)。いくら王だけいるとしてもそれは悲惨なことです。寂しい王です。王妃がいないとしたら家族も成立しないのです。 では神様を中心として教育して、一つにして、導いて、何をしようとするのですか? 何をしようとするのですか? 神様が喜び、霊界が喜び、地上のすべての万物が喜び、すべての人間が喜ぶ世界をつくるためです。喜びの時、一人で歌ったり舞ったりしてそれが喜びですか?その喜びの時には、男と女が調和して喜びが出てくるのであって、一人では絶対に喜びという言葉は使えないのです。その喜びは永遠なものですか? 瞬間のものですか? (永遠なものです)。 では終末の時、神様とサタンがいるとしたら、神様は何をしようとする方であってサタンはどうしようとするものでしょうか? 神様は喜び合える世界をつくろうとすることであり、サタンは惨めな世界をつくろとするのです。では何が恥ずかしく、惨めなのでしょうか? では考えてごらんなさい。男と女が生きている世界に行って一人で生きること、男は男一人で、女は女一人で生きなければそれは恥ずかしいでしょうか、恥ずかしくないでしょうか? 朝食よ自分が作らなければならないし、すべて縫い物も自分がしなければならないし……。そこに喜びという言葉がありますか? 私は男だから朝昼晩の食事を作って生きることが喜びである。これは本当の喜びですか? (ノー)。このように見るとき、神様は終末が来る時、全世界の人々がお互いが和動し、男と女が和動し、家庭同士が和動し、民族同士、国家同士、すべてが和動することのできる喜びの世界をつくることを神様は願うでしょう。そうであるかどうか考えてみなさい。 ドクター・ダースト、なぜきょうはそこに行って座っているのですか? 時計が見えません。時間がたくさん過ぎたらいけないので時計を見ているんです。(笑い) このように話をしたら、本論に入れず、時間が過ぎてしまいそうです。 その間一年間旅をしてきたので、お父様がいない間に皆さんの中では、食べて、眠ってぼろの荷をいっぱい負って、自分勝手な生活をした者がいます。それでこれを整理しておかなければならないので、このような話をしているのです。 喜ぶ時、一人でやって喜びがありますか? 天下が共に和動するのが喜びですか? 「人の動作の中で一番美しい動作が何ですか」と聞いたら答えられないでしょう。答えてみなさい。(真の愛をする時です。ノー。ノー。ノー)。トゥルー・ラブは一人でやってトゥルー・ラブですか? トゥルー・ラブは関係を結んでから出てくるのであって、生きていく中においてトゥルー・ラブが何の関係がありますか? (男と女がいることです)。男と女がいれば生きていく中においての行動として、何が美しい行動ですか? そういうことも知らないのですね。そういうことも考えていないから、みな地獄に行かなければなりませんね。(笑い) 簡単なものですよ。教えてあげましょうか? 笑うことです。(笑い)。そうでないでしょうか? 答えが合っていると思いますか? (イエス)。それほど簡単なことを、このように大勢の人がいる中で答えられないのですか? それで先生はあなたたちに教えてあげるのです。教えてあげて一つにするのです。統一してそのように行かなければならない。それは知ったからです。笑うことが美しいから笑って生きよう。 だから統一教会において、なぜ神様が万物を造ったのか? 喜びのためです。これはぴったり当てはまるのです。笑うために、喜ぶために造ったということを、原理講義する時は、そういう話はしないのです。なぜ喜びということを使ったのかが問題です。それで統一教会では、なぜ万物を創造したか? 喜んだその基準が成されずには、理想が実現されないので、喜びという言葉を使ったのであります。ではスマイルは一人ではできないでしょう? ではサタンは何かといえばこれを破壊するためであり、神はこれをつくるためであるのに、あ! あ! 終末になれば分かった。終末になれば世界的に全体が一つとなって喜び合う時が来るのであり、もう一方では全体が男と女に分かれ全部を破壊する時が来る、それが終わりである。サタンの目的が成され、神様の目的が成されるその時が終末である。これを知らなければなりません。 では喜びがどこから始まるのか? 男から女から始まって、次には男と女だけではいけなく、子女たちを中心として氏族、民族、国家へと展開しなければなりません。今日では、男と女だけが必要であって、子女が、孫がなぜ必要であるかという人もいます。それは過去、現在、未来へと継続的に喜び合える、伝統の主流をつくっておくためです。過去、現在、未来がどこで一緒に連結されていますか? それは家庭です。家庭には祖父母、両親、自分の兄弟、過去、現在、未来がすべて連結されているのです。それがファミリーを標準として喜び得る伝統的基盤となるのです。それが公式です。その公式は過去において異なり、現在、未来において異なることはできません。永遠に同じ公式の中で喜び得る、伝統の基盤をもつのであります。それはどうして変わらないかといえば、全部センターを中心として見ると、上下、左右、前後がなくては理想的な世界であるといえるでしょうか? 理想というのは丸いのをいうのであって、平面的で線をいうのではありません。私は平面的な理想を愛します。そういう言葉がありますか? 私は円形な、宇宙的な理想が好きです。これが正しいでしょう。このように見る時、統一教会は過去、現在、未来を代表した喜び得る、前後において喜び、上下、左右が喜び得る伝統をどこに立てるかといえば、ファミリーに立てるのです。ファミリーしかいないので、そこに立てたということは驚くべき事実です。 神様が、アダム、エバあなたたち人間に、「あなたたちが私に誇れるものが何であるか」と聞かれたら誇れるものが何ですか? 神の前に誇れるものが何であるかと言われたらどう答えますか? (家庭の喜びです)。家庭の喜び、それがすべてです。ではどうしてですか? 上から下から喜べる人をもっています。左右から喜べる人がいます。前後においても喜べる人をもっています。そうして見ると、この宇宙が全部そこに連結されます。男の世界においても喜びがあり、女の世界にも喜びがあります。それを見るとき、終末というのは、このようなものが単位となっている事実を神様もサタンも知っているので、サタンは喜び得る公式を破壊させて世界を闇にしようとするのであり、神様はこの喜び得る公式をつくって世界を喜びに満ちるようにしようというのです。歴史の総結論が出されるのです。 どのような人たちがここに集っていますか? (ムーニーです)。ムーニーではありません。(笑い) アメリカの人たちが集まっています。(笑い) ムーニーの中でもアメリカのムーニーです。あなたはアメリカのムーニーで、私は韓国のムーニーです。(笑い)(ノー)。なぜ五色人種が早朝から集ってきて騒いでいますか? 眠ることもできないる時、アメリカの人たちは、「私たちは誇らしいアメリカの人である。権威もある」。(笑い)ではそのアメリカが、本物であるか偽物であるか調べてみましょう。 アメリカ人たちを家庭的公式に照し合わせてみるとき、アメリカ人たちは祖父母、両親が好きですか。好きでないですか? いわゆる老齢者といわれる人たちです。アメリカの人たちは老齢者をだれよりも好きです。これは事実です。(いいえ違います)。いや事実です。(違います)。そのようなアメリカ人です。(違います)。最初からアメリカは失格です。先生は真実を語っているから、アメリカから拒絶されるのです。アメリカが先生に耳を傾けようが、傾けまいが法則がそうなっているのです。 あなたたち答えてみなさい。特別なアメリカの女性たち。先ほど先生が言った喜びの目的に合格ですか、どうですか、答えてみなさい。(失格です)。そうです。アメリカの若い女性たちは、「私たちは年を取った両親はいらない。年を取った祖父母などいらない」と言います。失格です。サタンがそれを喜びます。サタンの目的です。終末において。なぜかといえばサタンはその基礎を破壊しようとするのです。それがサタンの目的です。だれがアメリカの家庭を打ったのですか? (サタンが打ちました)。それを知らなければなりません。「私たちは夫がいらない。私たちは妻がいらない」。それが喜びのシステムですか? (違います)。ではだれがそのシステムを作ったのですか。(サタンです)。ホモとかレスビアンとか、サタンの基です。それから、私たちは子供がいらないとか。いわゆる、世界をリードするというアメリカが罪を犯しているのです。この罪を改めさせるために、神が準備して、武器をもって出てきたのが統一教会です。神様もこのムーニーたちが、ホモとかレスビアンとか先祖を否定するとか精神を否定する者とか、これらすべてをサタンが装置したのであるが、そこにムーニーを入れて色が染まるか、食われるか、食うかを見ようとするのです。神は御覧になるのです。ムーニーが消化するか消化されるか、食うか、食われるかを見るのです。 アメリカが世界を滅びの道に導いたので、レバレンド・ムーンがアメリカ政府に対して闘うのです。神様を代表して闘うのです。監獄に入れてしまえばみんな散ってしまってなくなってしまうと思っていたのです。それは誤ったのです。このように見るとき、神の思いをもって全人類のためにやるのです。はっきり分かりましたか? (イエス)。 アメリカの家庭に入ると(先生しぐさで示される)双――たちは惨めです。惨めです。このようなことを知ると動物に対して恥ずかしいのです。鳥のオス、メスを見るのに恥ずかしく、小鳥に対しても恥ずかしく、昆虫でさえもオス、メスが一緒になっ喜び歌っているのに。そえろ見て人が、これらのものは全く私に似ているのだ。昆虫もそうでありすべての万物がそうである。花もそうであり、だから人間は万物の霊長である。何を中心としてかといえば、和動し喜ぶことにおいて、神の愛を中心としてです。 あなたたち、ムーニーたち、アメリカ式でアメリカのシステムで、アメリカの概念で語ったり、行動したりして、「私たちに従っていかなければ」と言えば、サタンがその群れなのです。それで統一教会のいい言葉である「蕩減復帰」するために、アメリカの若い家庭の前において、アメリカの人たちが一番憎いと思う人がだれでしょうか? 黒人のおじいさん、おばあさんと共に住むようにしなければなりません。そして黒人の夫、黒人の子女を見て喜ぶようにならなければなりません。そうなれば天下が早く天国になります。結論は簡単です。神様の天国を早くつくる秘訣は何かといえば、そういうものです。(拍手) あなたは黒人の青年なのに拍手していいのですか? (笑い) 「レバレンド・ムーンがアメリカに来て、アメリカのシステムを破壊する」と言うが、それでもいいのです。このようにするためです。神様がこれを願うのでそれをやるのです。それを宣言するのです。あなたたちはアメリカ人ですか? どこの人ですか? アメリカ人になりたいですか、神の国の人になりたいですか? (神の国の人です)。欲張りたちですね。私がこのように熱を込めて話をしても、パンの一切れでも持ってくる者がいないのに、私がここで何をしましょうか? 私のものをもって食べさせたりしているのに。(笑い) 私のポケットからみんな奪っていこうとばかり思っているのです。ここに教区長たちも来ていますが、来てからは先生の他の話には何の関心もないが、助けてあげるという話をすると、眠っていた者でも目を開けるのです。この泥棒者。(笑い) それは先生が教育を良くしたことでしょうか? 悪くしたことでしょうか? それは先生が教育を悪くしたことになります。だから再教育をしなければならないし、頭を逆さにして、手を足にし、足を手にすればいいのです(先生しぐさで示される)。だからドクター・ダーストをはじめとするアメリカの指導者たちは、「先生は私たちが嫌がることばかり語って命令するのでやりきれない」「あ! あ! オリエンタル・ファーザー」「私たちはそのようなオリエンタル・ファーザーは嫌いです」。(ノー、先生はユニバーサル・ファーザーです)。 先生が悪口を言われても言われなくともこのことをやればいいのでしょうか? どうでしょうか? 先生が来る日から悪口を言われたのに、また継続しなければならないでしょうか? それは教育が成されていないのにどうしましょうか? あなたたちが霊界に来る時には間違いなく、「お父様はどこですか? 地上界で真の父母と呼ばれたお方はどこですか」と探すでしょう。知っているといっても通じませんよ。 私の学校は、いい先生が大勢います。なぜいい先生であるかといえば、「授業中に笑ったり喜んだりして勉強をしなくともいいです。四十五分中十五分だけ勉強をし、あなたたちの自由にしなさい」と言う先生はどれほどいい先生でしょうか? 「だからその先生はいい先生である」と言ってもそれが通じますか? (ノー)。では、授業時間前に先に来て待っていて、先生にあいさつをするかどうかを見たり、朝の時一人でも間違った人がいれば一〇〇名でも何人でも全部を叱り、それで涙が出るほど叱り、勉強しなかったら気合いを入れたりします。どちらの先生がいい先生ですか? 先生はあとのような人をいい先生と思います。(正しいです)。それは過去においても現在においても未来においても正しいのです。永遠に正しいのです。 では、あなたたち考えてみなさい。神様はレバレンド・ムーンをどれほど訓練させたか知っていますか? レバレンド・ムーンをどれほど……。約束はいいようにしておいてすべて約束を果たすといわれ、反対に行くことによって約束が果たせるというのです。反対に打つのです。では今が分かったでしょう。あなたたちもアメリカを見るとき、一つとなった眼鏡で見なければなりません。既に、一時間はたちました。 では男はなぜ生まれ、女はなぜ生まれましたか? 喜ぶためです。祖父母はなぜ喜びますか? この宇宙の祖、祖、最も祖父母が神様なのです。この世界、未来の世界を一つにして全天地を一つにする最終的子孫が一番の願いです。最も古い先祖であり、最も新しい後孫です。それが未来の後孫です。これを連結しなければなりません。何で連結するかといえば、国ではない家庭システムです。アメリカの民であるといって、天国に行くのに加減してくれません。韓国人であるとして、後進国であるといって加減してくれません。この家庭システムを中心として神様のみ旨と共に、過去、現在、未来を連結することのできるモデル型だけを認めるのです。これが公式です。そのようにして結んだ実を貯蔵しておく倉庫が天国であります。そうすることによって一等品となります。 このようなメジャーで印をつけようとして、今まで人間の世界に生まれた人々を神が選ぼうとしても一人もいないので、すべて地獄行きなのです。地獄の底から、それでも虫がついたり、虫に食われてしまったりしていても、どこかに使う道があると思って集めておいたのが地獄です。それから楽園です。このような観点から統一教会では、「天国は空っぽである」と言うのである。それが本来の神様が喜ぶことのできる基盤の原則であり、伝統なのです。 夫を見て片目でにらんだら、片目のまま天国に行きます。両目でにらんだら、めしいとして天国に行き、耳で悪くしたならつんぼで天国に行き、口で悪を行ったらおしとして天国に行くのです。足で蹴ったなら足なえとして天国に行くのです。事実そうなのです。だますことのできない、事実として展開されるのです。このように見て、あの世に行って一番良い天国に行ける人がアメリカの女性であり、アメリカ人であると思っていたのに、一番低い天国に行くという結論が出たので、だから私たちはレバレンド・ムーンを憎むのであります。しかし仕方がないことです。 ムーニーが反対されても退くようにはなっていません。反対して退くようにやってみなさい。どのようになるか。だれが背後にいるでしょうか? 神がバックグランドにいます。このアメリカをつかまえて離さないのです。だれが勝つか見てみましょう。最初は「レバレンド・ムーン滅びろ! 滅びろ!」と言っていましたが今になっては、監獄に行って分以上の人々が、「レバレンド・ムーン勝て! 勝て!」と言っているのです。 アメリカ人はグレイ(gray)という言葉は英語ではありません。これはムーニーの言葉です。グレイというのはどちらでもいいのです。選挙する通りに、多くの人々が好む方輸に行こう。この世は速く変化するのでみんな乞食です。中心のないすべてが流されてしまうのです。これがグレイでないでしょうか? グレイはこちらも信ずることができないしあちらも信ずることができないのです。ムーニーは常に絶対的に一つの道に従います。どちらが好きですか。グレイですかグレイトですか? (グレイトです)。先生はグレイが好きです。(ノー)。先生はそれを知りませんでした。先生はグレイについて学びたいと思います。どれほど素晴らしいことでしょうか。(ノー)。 では、これからアメリカに対する整理を成す責任があります。このようなことをやっていて監獄に入ってきたが、死なずにまた出てきたのです。今は帰って来て、公式的な天勝日の記念のために、アメリカに対して言うべき言葉を、きれいに整理しておきました。きれいに整理しましたよ。きょうが満四十四になる日ですね。サタンがナンバー4を支配していたが、これを家庭基盤から整理しておかなければならないのです。そういう意味で朝、喜びの家庭のシステムについて話したのです。 あなたたちは思うのに、自分の祖父母、夫妻、子女は天国に案内する三天使の代表者なのです。それで両親は祖父母に学び、子女たちに学ぶのです。分かりますか? 夫に学び妻から学ぶのです。これが真の家庭システムです。結婚というのが何かというと、自分は男性について知らなかったのであるが男性について学ぶためであり、女性について学ぶためのものが結婚なのです。結婚というのは反対の側。反対の性に対して学ぶためのプログラムであって、その学校に入学することが、これが結婚なのです。それでグレードで一〇〇点を取ることによって、夫も好きになり妻も好きになるのです。一〇〇点を受けなければなりません。話をもって細密にしてあげればいいが時間がありません。どうすることもできないように話をしておけばいいのに時間がありません。 それで、子女を生むのは両親が子女のために世界を愛することを学ぶためです。世界と連結され、未来と連結された子女がいなければ未来と連結されません。未来の子女、世界に連結することのできる教育の資料として子女を与えたということを知らなければなりまそれから何かといえば、先祖を知らなければなりません。祖父母は霊界について学んだので、祖父母に孝行すれば霊界がそのシステムになっているのです。霊界に対する教育を受けるためです。それが何を中心としてかというと愛というタイトルのもとで、愛を中心として全部が連結されているのです。祖父母、夫妻、子女が愛を中心として全部が連結されているのです。この愛をもっては霊界の先祖、千万代の先祖の所まで行ってくることができるし、後孫も、愛のみが通ずる血管と同じような組織が、あの霊界の組織であり、宇宙の組織なのです。どれほど素晴らしいことでしょう愛の権威は? 愛の権威はどれほど素晴らしいことでしょう。素晴らしいことはライトでしょう。(ライト)。ライトの意味はマイトです。力です。すべてのものはこのような愛に服従したいのです。このような愛に従いたいのです。あなたたちはどうですか? 愛の僕となり愛の奴隷となるのが、最大の幸福であるという結論が出ました。祖父というのは何かというと、愛をもって、夫婦が喧嘩をしたら愛の心で、「もうやめなさい!」と言うし、子女たちや孫たちが喧嘩をしたら、「やめなさい!」と言うのです。愛でもって僕となるのです。そうそうあなたが偉い、あなたが高い、愛の僕を最大になした方がだれかといえば祖父です。夫も妻がガミガミ言うと、「まあ! まあ! やめなさい。私があなたの願うことは何でもやってあげましょう」と言うのです。 それで結論が何かといえば、宇宙において驚きであり、偉大で、最も権勢をもったものというのは何かといえば、愛の最も僕の道を行った人であるという結論が出ます。それが神の哲学なのです。それがレバレンド・ムーンの哲学であり、ムーニーの哲学です。 それゆえ、アメリカが先生を反対するけれど、監獄から出てきてこのアメリカをひっくり返して復讐、燃やしてしまいましたが、とにかくアメリカのあなたたちがよくやれるように、僕となってあげているのです。先生は法廷闘争をしながらワシントン・タイムズを始める時、その休憩室で、この朴普煕に、ワシントン・タイムズを創設する費用をサインした人であります。それが偉大なのです。それがグレイトなのです。アメリカにおいての雑誌『インサイト』というのも監獄で作ったのです。そして『ユー・アンド・アイ』も監獄で始めたのです。(拍手)この本をなぜ作ったかといえば、全世界が、この世は急変する世界であるが、ニュース報道というのも急変するのであるのに方向性がないのです。行ったり来たり、行けば行くほど混乱が生じてくるのです。なぜかといえば急変するからです。すべてが早いシステムで流れていくので、急変するので世界が行く方向性を失ってしまっているのです。これはアカデミー世界の学者たちを中心として、アカデミーを中心として行ける方向、いくら波が打ち寄せても崩れない堤防や、いくら風が吹いても揺れない泰山を作って置く物がないために、そのような教育雑誌でもリードしなければならないので、そのまましてしまうとサタン世界に渡ってしまうからです。それでPWPAという世界的組織をレバレンド・ムーンだけがもっているのです。 では、神様はどのようなお方なのか? 愛を中心として僕となりながら、人類を抱きこられる方なのです。神様が、人類が知らないので教えてあげるのです。人間が堕落したのでサタンがどんどん滅びるようにするので、新しい教育システムを作ってだれが教えるかといえば、神様御自身が教えるのであり、そこには神の愛を中心として教えてこなければならなかったという結論が出たのです。それがなぜ復帰摂理をしなければならなかったかという問題、なぜ神様が苦労しなければならなかったかという問題についてこれから語らざるを得ません。サタン世界を見ると、僕から庶子から養子から息子から夫から妻から父母から、全部がこのシステムが連結されていないのです。このシステムが連結していないのは何故かといえば、サタンの愛ゆえにシステムが連結されていないので、神様の愛を中心としてシステムを連結しなければならないという結論がはっきりします。これが神様がやらなければならないことです。 天勝日という言葉の、神が勝つという言葉が、どれほど難しい過程であるかを知らなければなりません。神が、霊界が、勝利するということは、その要素が、本源が何でなければならないかといえば、トゥルー・ラヴ、神の愛でなければならないのです。神様の愛がある所にはサタンの愛の世界は退かなければなりません。神様の愛を中心として成していないものはサタンが主管するようになっているし、神様の愛が基盤となる所は神様の主管となるのです。サタンが愛している所は既にサタンの主管していることなので、いかにして奪ってくるか、どのように復帰してくるかが問題です。 では、神を中心として連結する基準が全部分かれているので、神様は神様自身がこれをいかに教えるか、いかにするかという問題が宿題であった事実を知らなければなりません。分かりますか? では滅びの教材を私たちは歴史以来もっていますが、滅びないで栄える教材はなかったのです。それをだれが作ればいいでしょうか? この世を見てみると僕と僕、僕、養子、庶子、エバ、アダム、神、真の愛、八段階になエバも養女のエバ、養子のアダムというようになります。すべてが分かれているのです。すべてが怨讐となっているのです。これを教材として、歴史以来このようなシステムが、サタンが滅びるようにしたので、神様のみ旨があるとしたら、このシステムを連結するために、世界的な壁にぶつかるとしても貫いて出てこなければならないのです。この八段階の闘いをしなければなりません。(図1)。 では神様が復帰摂理をなぜされるかという問題、救援しなければならないので、詳しいことは皆さんは原理を通してよく知っています。皆さんにこの八段階の思想が入っていないのです。何を中心として復帰しているかといえば、神の愛を中心としてです。他のものではできません。お金でも、力も機能でも知識でもありません。ただ神様の愛、真実の愛しかないのです。それで信仰というのは何か?宗教は信仰であるが、信仰とは何ですか? (図2)。お金を中心とした信仰もあります。知識を中心としたり、力を中心としたものもあります。今日には国家、社会、世界とか文化あらゆる力があります。しかし神様が願う信仰とは、信者が多いのが目的ではありません。何を中心としているかといえば神様を中心として、すべてが何を中心として立っているかといえば、真の愛です。それがはっきりしていない宗教は流れてしまうのです。 では、この愛はどこに帰着すべきかというと、家庭という母体を中心として、先ほど原理原則を知ったので、家庭という母体を中心として教える宗教が、世界を指導する宗教となることを皆さんは知らなければなりません。それで、数多くの宗教があって、その宗教の経典の中で聖書が偉大なのは、神様は人類の父、人類の父母であると唱えて出てきたのが偉大なる事実なのです。これが原則です。それからイエスをひとり子として、最初の男、神様の、父の愛を、最初に受けれる息子であるということが偉大なことです。次に、キリスト教の思想が新婦なのです。イエス様は神の子として来たが、新郎として来たのであります。それで新婦が必要なのです。神の息子がいるので、神の娘が必要なのです。小羊の婚姻とは何ですか。それは神の新郎であり、新婦の結婚式です。新郎、新婦というのは結婚式の日、初めて神の愛の旗を掲げて出てくる日が小羊の婚姻であるのに、その婚姻の式がエデンの園においてなされるはずでありました。しかしそれが他の所にそれてしまったので、人類の終末において婚姻の席上を再び備えなければならないということは、すべ法にかなった話なのです。 それでキリスト教を中心として世界をリードすることのできる今日、アメリカという世界の主導国家、歴史上に初めてキリスト教文化圏を中心として、アメリカというこのアベル民族キリスト教選民圏を中心として、世界を統なして、神の前に一つのキリスト教文化圏として結び合えた時が、たった一度あったのであるが、それが第二次大戦直後のことでありました。第二次大戦直後だったのです。ではアメリカの使命は何かといえば、世界を救わなければならない責任があり、世界のキリスト教を中心としたアメリカは、歴史的に詰まって壁をつくっていたすべてを解かして、一つの世界的家庭を形成しなければならないということです。これをキリスト教を中心として、先生が、統一教会が、この基盤を通してレバレンド・ムーンが出発したならば、四十年前に既に共産主義はなくなり、退廃的な家庭システムと、今日の世界の淪落した堕落に満ちた、この世界像というのは現れなかったでしょう。ということははっきりしています。それを失ったので破綻が起こり、反対したのでサタン側になってしまったので、これを再び探して、四十年間あらゆる恥辱と苦難を受けながら、歴史時代に詰まっているすべてを、キリスト教で開いておいたのを、再び詰まったので、統一教会が歴史的な使命を担って、蕩減開拓の道を再び成して、アメリカを中心とした世界版図圏まで上がってこなければならない運命に処しているのが、レバレンド・ムーンの四十年間生涯路程であったことを知らなければなりません。 六〇〇〇年間を四十年間で成すのです(図3)。これを成し得ない日には、統一教会は問題が大きいのです。世界は行く道がなく、サタンが第二堕落圏を結んで、神と人間世界が連結できる道は永遠になくなってしまうのです。神がいないと判明が下され、そちらに引っ張られていってしまうのです。それから神は死に、共産主義の唯物主義が残って、ヒューマニズム、「私たちはメシヤが必要ない、人間は平等である。メシヤがなぜ必要か。それは階級的な概念からである」。すべてを完全に破壊した世界として暗黒天地が始まるのです。ヒューマニズムは、「私たちはメシヤが必要でない。すべての人間は平等である」と言うのです。それから非宗教的人道主義とは、「宗教とかシステムとか伝統など必要でない」。旧時代と新時代とを分立してすべてがフリーセックスだとか、ホモ、レスビアンとかが始まって、「それが良い、動物的である」と言うのです。サタンが自分の思いど界となったので、神様が立つ場所がないために、神様は永遠に、いつ神様が取り戻せるのでしょうか?そのため宗教崩れ、民主世界が滅びるようになり、家庭が腐敗し、二世たちがめちゃめちゃになってしまうのです。それで四〇〇〇年間を蕩減し、キリスト教文明圏を失ったので、再蕩減するために、統一教会は四十年間に八段階を越えなければなりません。民主主義基台の上に、世界的基盤を整えて上がってくるのです(黒板に書きながら)。それで神様が、聖書に現れた六〇〇〇年の歴史は何をしたかといえば、神様が何を教えてきたかといえば、僕の僕としての教材と、僕の道を行くことをして世界版図にまで導いてくる歴史が総合した、宗教の歴史なのです。 皆さんも原理を通して学びましたでしょう。旧約時代は僕の僕の時代として、僕の時代、養子の時代、キリスト教の神学時代を中心として、庶子のような立場を通して、統一教会の庶子の因縁を結んであげるのです。父母のどちらかが異なっているのです。統一教会が行くのが、ここから(黒板を指されながら)庶子からです。庶子が何であるかといえば、父親は同じであるが、母親が違うのです。片方が違うのです。堕落したのでそうなったのです。それで、今まで庶子と自分の直系の子女と、これが問題です。宗教におけるカイン、アベルのようなものです。細密にしようとしても原理を知っているので早く進みましょう。 旧約、新約を通して、神様のすべての愛を中心としてこのように、このような段階の事実をはっきり知らせてあげたのにもかかわらず、人間たちが長い六〇〇〇年を、連結してみることができ、測り得る概念をもつことができなかったのです。それでメシヤという代表を中心として、これを縮小させて、この概念をすべて闘って、勝って、勝利の盾をもっ(???)それでイエス様を中心として見ると、ゲッセマネの園で祈ったとき、「わたしの思いのままでなく、みこころのままになさってください」と祈ったのは、父を絶対的に愛する代表的でありました。それで六家庭とザカリヤの家庭が一つとなって結婚式さえ行ったならば、初めてカイン、アベルの問題をすべて解決して、国家的次元に行けるはずだったのにすべてが切れてしまったのです。崩れてしまったのです。それが再臨時代において世界的に見るとき、世界的に二つの家庭が何かというと、西欧社会とアジア社会、東洋社会、これが二人の兄弟なのです。双子なのです。地球上においての双子だったのです。それで逆に、東から西へ行くはずだったのに、西から逆に東へ、イエスが死んだので、霊的世界基準を中心として実体世界をつないで、アジアの文化圏と西欧の文化圏が結合したその基盤の上に、新しい西欧文明からアジアの本来出発すべきであった文明圏が始まるようになるのです。それで歴史はここにおいて転換するという事実を知らなければなりません。イエスが死ななかったなら、その時にイエスを中心として十二支派が一つになったなら、今のアラブ圏がその時に統一され、アラブ圏が統一されれば自然にローマ強国を対するようになるので、必ずアラブ圏自体は、インド文明圏と中国文明圏が連結されたそのような基準の上で、アラブ圏を中心として、中国の宗教、あるいはインド宗教の新しいもの、それをカイン、アベルを中心として世界的な文化圏を形成して、ローマを吸収することが本来のみ旨であったのに、これが逆にローマに入って、迫害の道を、逆の道を歩んで、蕩減の道を経て、今アメリカの文化まで来て、アジアに転ずるようになったのであるが、終末となったので、今西欧文明の若者たちはアジア文明にあこがれるのもそれはなぜかというと、摂理的意義から、このような転換において相合わなければならない時点を見つめる歴史的方向があるために、必須としてこのようにならなければならないのです。それで日本という国はどうしてあのようになっているかといえば、アジアの文明圏をもって連結されている島であるから、これがセンターとなっているので、ここに一つとなって、アジアへ連結されるこのような時代となっていくのです。日本が問題です。日本が問題です。 サタン世界は何かというと、サタンはアメリカと日本が一つになることに反対し、アジアへ連結されることも反対することもするので、サタンは経済問題これは外的でありますが、この経済問題を中心として、アメリカの法を中心として、日本とアメリカの経済政策を、アメリカが日本に対する経済政策、入ってこれないようにする経済政策を使っているのです。それで太平洋にあるすべての国々、日本と韓国、マレーシア、インド、台湾に全部アメリカがブレーキをかけようとしているのです。これが危機一髪なこの終末時代に、アメリカが大きな誤点を残す時点に入ってきているのです。 このように、誤ってアメリカを動かしているのは何かというと、共産主義的な思想をもった人たち、神がいないと言い、イエスが必要でないと言う人道主義者たち、非宗教的人道主義者たち、すべての倫理、道徳を否定する群れが、このアジアに対する経済をなしているのです。そのような意味において、そのような危機があるので、神様は既にこのアメリカの地にレバレンド・ムーンを送って、この危機な事態が神の(摂理の)前に現れているので、このようにレバレンド・ムーンを送って、旧約、新約聖書がすべて崩れてしまったのを再び再建しなければならないし、アメリカの家庭が破綻されているのを再建しなければならないし、アメリカの主権が神を中心とした愛を失ったので、これを回復するための使命に、影響を与えるために、神が送ってくださったことを先生はよく知っています。 それで私たちは、神の愛を植えてあげなければならないし、教会を再復興しなければならないし、家庭を再復興しなければならないという三大タイトルをもって現れたのであります。神はアジアと西欧文明を一つに結ぼうとするのに、サタンが立ちふさがって破綻しようとするので、レバレンド・ムーンがこれを中心として、アジアの文明の核をアメリカに持って来て、分立されたここで、基盤をつくって、再び接木しなければなりません。それで韓国と日本とアメリカを、今は、韓国と日本のみが共産圏内になっていないのです。ほとんどが共産圏の脅威を受けています。ただ韓国と日本だけが影響を受けていないので、韓国と日本と、アメリカを連結するための闘いをしている事実を知らなければなりません。それで、先生がいかにして中共を引き入れるか、中共が神の前に帰ることができるか? そのために、ハイウェイ・システムを宣布して祈祷してきたことが、今は帰りつつあるという事実は、希望の歴史の時代の門が開かれている事実を、皆さんは知らなければなりません。 アメリカは今何かというと、日本を牽制するというのは、何を通してかといえば、中共を通して、日本にブレーキをかけようとするのです。日本を妨害しようとします。日本によって中共が、産業とか経済問題が復興されるので、(アメリカは)はそれらのすべての設備を防ぐために、外交政策に反日政策を、決定的に持ち出してきているのです。 そして、ニカラグア問題を中心として問題がこうなるのは、ラテン文化圏とアングロサ化圏が完全に分立されて、キリスト文化圏と怨讐になれるような事態が起こるのです。南米において、アメリカのレーガン行政権と、それでニカラグア問題を中心として、監獄で、議会でサタンを全部切りました。レバレンド・ムーンが、命を懸けて闘ったという事実を知らなければなりません。それで一四〇〇万ドルをボイコットしたのを、七週以内に、レバレンド・ムーンをセンターとして、アメリカの世論とあらゆるところに打ち込みました。私が責任をもつと。(拍手) それはレバレンド・ムーンに一発やられたことになります。国会とか、統一教会と文先生がそれを助けたとしたら、アメリカの国会とか大統領、アメリカの国民の顔に泥を塗るようになります。それで仕方なしに、レバレンド・ムーンが憎くてやったというのです。レバレンド・ムーンが憎くてやったというのですよ。それはサタンも憎むし、非宗教的人導主義も嫌がるし、人道主義も憎むし、共産主義も憎む、すべてが憎むのがレバレンド・ムーンであります。間違いなく一四〇〇万ドルを、一週間以内に、自分の小切手で出すほどの力があることを知っているのです。 それが何日でしたか? 六月六日でした。ダンベリーの獄中で、特別の宣言のため先生は一晩中祈り、そしてお母様に、「ハン大使、郭先生、朴氏に九時に会いにくるように、会合をします」と電話をしました。先生はそこで強固たる決定をしました。そして宣言が発表されました。ですから決定日は六月五日で、発表は六月六日、世界に向けて発せられたのです。(拍手) アメリカの言論界が、どれほど悪らつであるか見なさい。このような歴史的な事件を、一つも報道しないで済ませてしまおうとしているのです。済まして過ぎることはできません。これは、私たちの統一教会の歴史に残るということを知らなければなりません。アメリカがここに失敗していたなら、投げ出され、共産党のえじきとなって、レーガンが追われる立場に立ったでしょう。このように、アメリカを神側に引き入れながら、キリスト教を引き上げて結ばなければなりません。これが何かというと、先生が出てくる日の八月二十日のバンケットだったのです。それで、背後の、政治の背後の人たちを、全部結んで、外的基盤と内的基盤を四十年前に、アメリカが世界を支配することのできる版図圏を、四十年後に、レバレンド・ムーン一人が千辛万苦して初めて地上の顕現基盤をつくって、これを連合させるのにおいて、名実共にこれが連合されたという事実を知らなければなりま(拍手) 霊的キリスト教の文化圏と、実体的文化圏の出発であるこの統一教会が、初めて出合って相合い、そのセンターに先生を中心として、真の父母を中心として、イエスを中心として失ったすべてを復帰することのできる、世界史的な基準が始まっているので、その時には、すべてを取り戻すのです。家庭から、すべての社会から、すべてがレバレンド・ムーンに集中する時代に入ってくるのです。それで、霊的世界キリスト教文化圏と、実体世界のキリスト教の代身としての、アベル的キリスト教文化圏である統一教会文化圏が合って、一つになるのです。これが一つになることによってのみ、霊肉が一つになるのです。それの基盤の上に、先生が立たなければなりません。アメリカと統一教会の基盤の上に、先生が立たなければなりません。 では、アメリカの大統領レーガンがいますが、彼が世界をいかに指導したらいいか分からないのです。どのようにすればいいか分からないのです。たった一人レバレンド・ムーンしかいないのです。(拍手) 先生に相談しないと滅びます。世界を滅ぼすようになるのです。このような時となっているので、歴史は既に、世界と、アジアの文明圏と西欧文明圏の思潮が、交差する時に入っているのです。西欧文明の主導圏時代は過ぎて、アジアの新しい神を中心とした、統一圏文化時代へと移っているのを、この世のだれも知らないのです。 それで、サタンが今までサタン世界として支配していたのを、神の世界として支配し始めるのです。アダムを失ったので、アダム国家型が世界に現れなければならないし、エバの世界型、カインの世界型、アベルの世界型国家を立てて、彼らはみんな怨讐であるが、怨讐たちは初めて先生を中心として、統一教会を中心として、キリスト教と一つとなって、伝統的文化基盤をねたにつくらなければ、統一文化圏の出発が不可能であり、神のみ旨である、地上天国出発が不可能である事実を、このムーニーたちははっきり知らなければなりません。アダム国家型が韓国であり、本来は来られる主の前において、英国がエバ国家となり、アダムは再臨主であり、アメリカが息子となってアベルとして、滅びたすべての自由世界、今まで怨讐であった日本、ドイツ、イタリア主(枢)軸国を中心と、これらがカイン圏を吸収して神の圏となり得たのであります。それを失って、再蕩減しなければそれが、キリスト教文化圏が反対することによってすべて失ってしまったので、再び来られる再臨主が設定して、アダム国家、エバ国家、天使長国家、カイン的天使長国家を立てて蕩減するのです。これが分かれてしまったので一つにならなければなりません。 フランスとイギリスを見ると、怨讐同士です。アメリカとフランスを見ると、昔はアングロサクソンと怨讐同士です。キリスト文化圏がそれらを一つにして導いてきたのです。キリスト教文化圏が反対したので、仕方がなく、これをサタン側から取り戻そうとするので、サタン側にいた代表の日本国家とドイツを立てて、アメリカがアベルの立場で、キリスト教文化圏を受け継いでいるのでアベルの立場に立てて、アダム、エバ、第二次大戦の後、各々の国々がみんな怨讐なのです。日本と韓国が怨讐であり、日本とアメリカ、アメリカとドイツ、これらの怨讐国家が一つになることによって、アダム時代に、堕落により、四つが怨讐として分立していたすべてを一つにすることによって、サタンがこの世界的基盤の上に立つことができないので、サタンは退くのです。どこでその基盤をつくるかといえば、世界の舞台である、アメリカでそれをしているのです。 それで韓国の責任者、日本の責任者、ヨーロッパの責任者、ドイツを中心としてヨーロッパの責任者をみんな連れてくるのです。そして一つにするのです。これらの四国が一つとなって一国とならなければなりません。それが、アメリカでの私たちの活動の基礎となります。だから韓国のリーダーがこのアメリカに来ます。アメリカ人たちは「私たちは韓国のリーダーは必要ありません」、これは正しいですか? 間違っていますか? (間違っています)。「私たちは日本のリーダーなんか必要でありません」、これは正しいですか? 間違いですか? (間違いです)。「私たちはヨーロッパ、ドイツのリーダーはいりません」、これは正しいですか? 間違っていますか? (間違っています)。私たちがいかなる困難にあっても、このアメリカに基台をつくらなければならないのです。もしこの基台がつくれなければ、私たちは進むことができません。どこへ進むことができないのですか? 地上天国です。これをはっきり知らなければなりません。 では、どこから天国は始まるのでしょうか? それは怨讐同士の四国が基台をつくるために、アメリカにやって来てから始まるのです。なぜかというと、堕落後アダム、エバ、カイン、アベルが分立して怨讐となりました。それが堕落の経路ですから、今回の復帰の道としては、その反対の経路をたどればいいのです。これらの怨讐の四国とは、アダム国家、エバ国家、神側の天使長国家、サタン側の天使長国家です。世界は分裂しています。韓国は縦的に二分されています。民主国家とそれに対抗する共産国家です。ドイツは横的に、東が共産主義国家、西が民主主義国家に分裂されました。これは大問題です。これらの二種類の国境。これらをどのように取り除くのか? どのようにこの問題を解決するか? 統一をしたあとに……。それが人類の課題です。神の使命でもあります。 今や統一教会は二つの異なった世界の状況、そしてイデオロギーを一つにしようとしています。一つは共産主義、もう一つは民主主義です。これら二つはイエスの十字架の時の左と右の強盗を代表しています。どうしてでしょうか? 左側と右側というのはここから始まったのです。この言葉の歴史的背景がありますが、だれもそれを知りません。イエスが十字架につけられた時の。その時、人類は右側の強盗側の人々と、悪い強盗側の人々に分かれました。そして右側はアベル側となり、左の強盗の側は神に背むきました。「我々は神を必要としない」、左の強盗は右の強盗に、イエスに、神に論争をしました。「我々は神を必要としない」、そのような世界ができました。しかしこの収穫の時、このような難しい状況をいかに解決していくか? それは唯一メシヤの出現によるのです。メシヤの使命はこのような難しい状況を解決していくでしょう。そしてそれこそが人類が生き残っていくための唯一の道なのです。失敗すれば全人類は破滅です。希望がありません。皆さんはこの点をはっきり知らなければなりません。分かりますか? (イエス)。 先生は英語が好きでありません。この集会で、先生は皆さんに命令します。韓国語を勉強しなさいと。(イエス)。それは人類の母国語です。本来神の創造した世界では言語は一つでした。ではだれがこのように分裂させたのでしょうか? サタンです。分かれていきましたが、今私たちはこれを統一しなければなりません。言葉を一つにすることが私たちの使命です。先生にとって英語を勉強するのはとても難しいことです。先生はもう六十五歳なのですよ。六十五歳にもなると毎日、毎日、すべてを忘れていくのです。(笑い) 一つずつ、頭の中から概念が消え去っていきます。例えば、先生が英語を勉強するためを読むと新しい単語が出てきます。すると辞書を使って意味を探します。そして、一度に十個単語を覚えるとして、単語に韓国語で訳をつけます。これが夕方だとすると、次の日の朝にはすべてを忘れてしまっています。(笑い)どれだけ一生懸命、新しい単語を勉強しようとしても、この頭の中には、それらの単語は二度と浮かんでこないのです。何度ぐらい繰り返さなければいけないでしょう? 二十回、三十回と繰り返さないと覚えられません。それほど先生にとっては難しくなっています。それでも先生は勉強を続けます。それは、堕落世界の人々を救うための、人類のためだからです。 皆さんは若者です。若い顔をしています。顔を見てごらんなさい。若すぎるくらい若いでしょう? (笑い) 一度読んだらすべて記憶してしまうでしょう。先生が皆さんのように若かったころは、一度読んだらそれでOKでした。先生は頭はさほど悪くはありませんでした。(笑い)先生は知っています。とても良い頭脳でした。とてもスマートなものでした。一度読んだら、テープレコーダーのようにすべて記憶できたのです。英語の本を読くと、新しい単語が十、百と出てきますが、韓国語で意味を書き覚えると、次の日でもはっきり覚えていました。すべて書き込んだことは、ノートの片隅に至るまで覚えているといったほど、良い頭脳をもっていました。しかし、年を取ってくると、それは簡単ではありません。ですから、一九九〇年までに皆さんは、韓国語を勉強しなければなりません。そうしなければ、私たちの世界会議に参加できなくなります。韓国に来ることもできなくなります。先生が許可しません。これは言語の問題です。人類が別々の言葉を使っていてどのようにして一つになれるでしょう。違った言葉を使うのを止めなければなりません。神がそのような分裂を望んでいないからです。理想を求める多くの人々もそれを望んでいません。もちろん先生も望んでいません。先生がそうなら、ムーニーたちも父の歩んだ路程に従いますね。皆さんは、先生に言い訳はできません。将来、韓国語を話せないムーニーは、リーダーの話すことが理解できなくなります。このことを知っておきましょう。先生がこの年になっても、英語を学ぶという伝統を築いたからには、皆さんは言い訳はできません。韓国語を学びなさい。やりますか、やりませんか? (はい、学びます)。ムーニーはよく知っています。ムーニーは全員スマートですから、皆さかっているでしょう? 先生の代に言語を統一しなければなりません。今、その伝統を築かなければ、他に時はありません。どれだけ今皆さんが惨めな状態かということを考えてごらんなさい。これはレバレンド・ムーンの見解ではありません。原理なのです。原理的見解です。はっきり分かりましたか? (イエス)。英語の説教の章が終わりました。英語は食事をする時の風味づけのような言葉です。先生がこの十から二十分の間英語で語ったのは、先生が作る霊的食事の味つけをしたのです。つまりホイップクリームとチェリーを上に載せたようなものです。 では今は何をやらなければならないか? これからは全体が一つとなって、このアメリカにおいて怨讐国家が一つになったので、私たち国を探さなければならないし、私たちの世界をつくらなければなりません。そのような最後の戦略が今度の活動であることを知らなければなりません。統一教会の意味は教育です。そして統一、そこから世界的基台へとリードするのです。そのために、このアメリカに全世界の人々が住んでいます。このアメリカを一つにしたら自動的に世界は一つになります。とっても簡単です。それで神様が愛する大統領を私たちはつくらなければなりませんし、神様が教育して、神が愛する上院、下院議員、州の責任者と州の上院、下院議員、すべての機関長を、神が愛する人が国を治めることによって、アメリカを選び立てたアメリカの独立精神、アメリカを探し立てた神のみ旨が立つことのできる可能性があるのです。あくまでも可能性です。 どのようにしたらいいか? キリスト教と統一教会が一つになればいいのです。そうすればすべては終わりです。韓国はそのような面において、七〇〇万勝共の組織を完了し、日本と、そのような意味においては、先生が、政府が誤ったことをやる時に攻撃すれば、これからブレーキをかけることができます。日本においてもブレーキをかけることができ、アメリカにおいても今ブレーキをかけているのです。ワシントンを通して大統領が誤ったことをすれば攻撃します。長官が誤ち、共産党の誤ち、非宗教的人道主義者たち、人道主義者たちを攻撃して、闘っているのです。それでランボー大統領でなく「ガンボー大統領」と言ったのです。国務省に行って取り消し中であり、人道主義的な立場で攻撃しているのです。 レバレンド・ムーンが賢いので、バランスを取るために、このように気が狂ったかのようなことをやっているのです。これは気が狂ったことです。統一教会でのやることは、気が狂ったことです。アメリカはバランスを失っつつあります。バランス・パワーだから、そのバランス・パワーを作っているのです。ブレーキの役割をしています。動かすことができないのです。動かす力が強いですか? ブレーキの力が強いですか? ブレーキの力がもっと強いです。アメリカの政府がいくらやっても駄目です。ムーニーたちを無くすことはできません。だからアメリカの政府が先生を除去しようとしましたが、できませんでした。今やアメリカの国民が先生の側です。(拍手) 有り難いことに、イエスの時は右の強盗と闘ったのであるが、キリスト教を中心としてサタン側と神側が一つになっていく様子が、レバレンド・ムーンを中心として、ワシントン・バンケットで起こったのであります。ジェリー・ファルウェルとドクター・ジョセフ・ラウリーです。歴史的なことが始まったのです。彼らは二人の強盗の立場です。統一教会とキリスト教会が一つになりました。これから統一教会とキリスト教会が一つになって、大統領とアメリカが一つになればすべてが終わりです。復帰がすべて終わるのです。もしそれが起こりそうもないなら私たちがそれを起こさせるでしょう。アーメン。(拍手) 獄中においても、キリスト教を連合させると同時に、既成政会を中心として、全国の牧師たちを中心として、六十万以上指導者をつくろうとしているのです。なぜなら、二十一万を中心として三位基台をつくれば六十三万になります。この教育をしているのです。これを中心とし、世界を指導する基盤が決定されるのです。 世界荒野時代においての今、カナン福地に、天国に入ることのできる、新しい国の創建のための旗手として登場するムーニーであることを知らなければなりません。モーセが四十年後にカナンに入っていったのと同じ状況です。私たちは世界的なカナンに入っていくのです。今は全イスラエル人たちを一体化されようとしているのと同じ状況です。初めてこのことを今回のリーダーたちに教えました。今は彼らは一つの方向に向かおうとしていますが、以前は彼らは方向性をもっていませんでした。先生が教えたのでリーダーたちはその方向を理解したのです。それで全員がついてこれるのです。そのような状況をこの国でつくろうとしています。このような活動が今や前進しようとしています。先生の言うことが分かりますか? (イエス)。ですからムーニーは全員動員です。家に残っていてはいけません。残っていては滅びます。家に残っている者は生き残れません。もし仕事をしないのなら全員がその人を讒訴します。「あなたは何もしない」「働いたらどうなの」「あなたが働かなかったので理想世界を守ることができなかった」。全員が、家に残っているムーニーにこのように讒訴します。もし彼らが讒訴しなかったら、先生がその人を迫害し讒訴します。今は恐ろしい時なのです。先生はどれほど恐ろしい時なのか知っています。あなたたちは知らないけれど。ですから先生が命令します。「すべてのムーニーたち、動員に参加しなさい」。全摂理的復帰歴史は、この時を待っていたのです。歴史は、先生の四十年間が終わる時を待っていたのです。先生の生涯を通して、この一瞬を待っていたのです。そして今やその最終段階に入っているのです。先生は動かないで、じっとしている者を見たくありません。先生はがっかりします。先生の言うことが分かりますか? (イエス)。家に残っている者は自動的に滅びます。これが神の摂理的見解です。分かりますか?(イエス)。「先生はっき分かりました」と言う者は手を挙げてごらんなさい。 それで今の時が最後の時なのです。本来は七年前にやるべきだったのが、今日のアメリカが反対したので、七年間蕩減して今になってきたのです。元来は一九七六年十月四日が天勝日になるはずであったが、満八年たって、復帰して、探したのです。再出発したのです。それげ統一教会が四十年前に、レバレンド・ムーンとキリスト教と民主世界が一つになるはずだったのに、統一教会が再蕩減して、統一教会がキリスト教の失敗を蕩減復帰して、レバレンド・ムーンと一つとなって世界的頂上である自由世界に来てキリスト教を連結させ、アメリカを連結させて、責任を成し得なかったことを蕩減復帰する基準で、新しいカナン出発を命令をする、これが獄中から、出獄から出発したという事実を知らなければなりません。ヨシュアとカレブを中心として、カナン福地するイスラエル二世たちを中心として、神が「強く雄々しくあれ」と言われたように、第二次的な再出発をするこの時代において強く雄々しくなければなりません。今有り難いことには、長子たちが死んでいくことがなく、長子と次子たちを中心として束ねて、次子を先に立て長子と共にカナン福地に、死なないで、闘わないで、歓迎される立場で出発できるという、驚くべき事実は、歴史的なすべてを蕩減したので、そのような結果がもたらされるのです。 今は、アメリカでの民主党と共産党についていっては、滅びるようになっているのです。滅びることを知っているのです。だから私たちは教育しなければなりません。今のこの運動が、教育するためのことです。神様の愛で教育するのです。既に教会の指導者たちを教育し、次に政界の指導者です。それで州の責任者たち、上院議員、下院議員を教育しようと計画しているのです。するなと言ってもやるのです。そして中央の連邦議会にいって、上院議員、下院議員の間に広がるでしょう。この話を聞いてレーガンが気がついて、FBI、CIAが悟って早く米国連邦議会でカウサ教育をすれば救われるでしょう。あなたたちがいくら何と言おうとも、これから彼らは、レバレンド・ムーンの話を聞くでしょう。(拍手) アメリカの人たちが他の国の言う話に耳を向けないで、アメリカの人たちが他の国の民、血族が異なり色が異なる民に関心をもたなければ滅びます。レバレンド・ムーンのみが、これらに関心をもつので四方八方の美人となっているのです。だから、アメリカ人は黒人の話を聞き、アジア人の話を聞き、スペイン人の話を聞き入れ、一つになれる場においてのみ、アメリカが立っておれるのです。最後には彼らが一つとなって追い出すでしょう。先生は明確に指示を与えています。皆さんが先生のやり方が好きでないなら、皆さんは滅びるでしょう。これから数年後を見てみなさい。レバレンド・ムーンは政治的発言をしてもいいのです。旧約聖書に、予言者は王に進言することができます。それが予言者の使命、旧約の予言者の使命でなかったでしょうか。人々が好もうが好むまいが、公然と宣言するのです。ですからあなたたちは、レバレンド・ムーンの話に耳を傾けなければなりません。そして統一教会の教育を受けなければなりません。もしそれを望まないなら、引き裂かれてしまいます。だれによって?神によってです。レバレンド・ムーンによってではありません。これをはっきり知らなければなりません。ムーニーたちはこのように、深刻な時代に生きています。先生が監獄から出て来てあなたたちにはっきり教えてあげて、確かなものにしなければならない責任があるので、歴史内容を中心として、はっき宣布するのであります。これが「ベルベディア宣言」となるでしょう。 それで、西洋、東洋の双子の文明を一つにすることをここでやっているのですが、それで、アジアは先生についてくるようになっているのです。日本とか、韓国とかアジアの人たちは、ここにおいて西洋の人たちを一つにしていけば、全部ついてくるようになっています。胎中にいる時(しぐさで示される)このように座って闘うか、このように闘っているか、このように向き合っているか? どのようにしているでしょうか? そういうことをよく考えてみたことがありますか? 母の子宮の中で、双子が、兄と弟が闘ってはいけません。だれが兄かということは歴史から見ても、五〇〇〇年の歴史をもっている韓国、東洋が兄であって、イスラエルまでも全部東洋でしょう? なぜかといえば、歴史においてすべての宗教は東洋から出てきたのです。仏教もヒンズー教もキリスト教も東洋ですよ。それを知らなければなりません。宗教はすべて東洋から出たのです。イエスはどちらですか? 西洋ですか? 東洋ですか? 小アジアでしょう。小アジアもアジアでしょう。(笑い) ギリシャまでアジア圏に入るのです。統一教会はどこから出ましたか? 東洋です。宗教を統一する運動ができる人も、アジアから出てこなければ偽物なのです。統一教会の概念は、真なるオリジナル概念です。ですから始まりは東洋からです。それが正しい結論です。西洋の人たちは先生に反対してごらんなさい。先生は一つ質問をしてみます。西洋の皆さんはそれを聞いて幸せですか? (ノー)。幸せですか?(ノー)。 神様は何かというと、木を植え育てた主人であるのに、猿の子たちがその木の上に登って、芸をしながら自分を誇っているのです。神様は笑っておられるのです。私が木を植えておいて、それが育ったので、その上に登って誇っているのであって、木がなかったら何もできないだろうに……というのと同じ状態です。自分たちがみんな成し得たと思うのです。 同じことが西洋人にもいえます。「これはすべて私たちの世界だから、私たちがすべて支配します」。しかし神は笑っています。「アッハッハッハー」。(テープ切り換え) 猿は、「我々は何と素晴らしいことか」「あなたにはそんなことができない」と言うのです。その時神は笑っています。「アッハッハッハー」。(笑い) 同じことがいえます。西洋人に対して。「私たちは偉大な人たちである」「私たちは猿のようである」「これたちの世界だ。私はこれらすべてをコントロールすることができる」。神はそれを見て、笑っておられるのです。「アッハッハッハッハー」。これが正に今、世界に起こっていることです。 世界には、一人ずつ人を撃っている者たちがいます。バン、バン、バン。それは良いことですか? それは共産主義者です。バン、バン、バン、バン、バン。彼らのあとから、ある者たちが来て、「そんなことをしてはいけません」と言います。これが統一教会です。同じ状況です。それと同じです。 あなたたちは死にたいですか? 死にたいの? 現在アメリカは、共産主義者たちによって撃たれています。彼らは武器を隠したハンターです。そして、いつもハンターたちは微笑を浮かべています。「戦争は良くありません」「争いはやめましょう」。戦争反対を装うのが共産主義者です。アメリカは共産主義者たちを歓迎して、「ようこそ私の家へ、どうぞ」「皆さんは何と素晴らしいことでしょう」「どうぞ、うちのベッドへ」といった具合いです。これがアメリカ式です。 では、今は分かりましたね。そういう時であるから、今までは天勝日が大切にされていませんでした。このアメリカにおいて、天勝日が今まで大切にされていなかったけれども、八年目を迎えて、この日となったのです。全部が集ったら支障をきたすので、代表の人たちが来るようにしました。九月三十日から、(十月)一日、二日、三日、四日になると腰が痛くなって大騒ぎです。初めは先生の話を聞いて喜んでいましたが、二日、三日たつと嫌気がして逃げようとするので、きのうお金を与えて、「外に行ってきなさい」と言ったら、大変喜んでいました。それを見て、先生は思い直したのです。“先生が、この人たちの教育を間違ったのだ”と。(笑い)だから再び教育が必要なのです。きょうは、新しい天勝日なので、新しい心をもって、新鮮な心をもたなければならないのに、あまり遊んで、寝不足のまま来た者は居眠りをするでしょう。それで汗をかきながら、強烈な説教をしなくてはならないのです。(はい、ありがとうございます)。(拍手) 六〇〇〇年間神様が見せてあげたことを、すべて忘れたので、仕方がなく、このような事態になってしまいました。四十年前にすべて成そうとしましたが、事態がこのようにな再び収拾しようと、一人の標本をもって、個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界完成の標本まで、ピラミッドのように標本をつくって、世界に見せてあげなければならないのです。そのようなプログラムを、四十年間に成してきたことを皆さんは知らなければなりません。旧約、新約のすべてのもの、ノア、アブラハム、ヤコブ、モーセ、洗礼ヨハネからイエスまでのすべての、歴史的な代表的なものを見せてあげたのですが、今は何も知らないのです。ですから、それを開拓したのは、彼らではなく、神様が直接なさったのです。神様が僕の僕として開拓し、僕、養子、庶子、エバの責任、アダム責任、これらの責任をすべて成してきたのです。これまでは六段階です(図4を示しながら)。今までは、世界的アベルの代わりに、責任を果たしてきているのです。キリスト教が息子の責任を果たせなかったので、アベル的世界代表の道を、(先生は)一人で開拓してきたのです。これをキリスト教が成し得ず、統一教が知らないので、先生が直接責任をもって、世界的に、歴史的に、アベルが失敗したことを全部集めて、アベルに対して、歴史的に、そのたびごとに闘ったサタンは生きているので、そのサタンが歴史を蕩減しようとするので、その時代時代に、歴史に勝ったその経歴をもって、サタンがこのように私の攻撃を受けなければならないのです。その攻撃は全部世界的です。個人的立場においても世界的であり、家庭、氏族、国家、このような闘いを今までやってきているのです。キリスト教が歓迎することができず、民主世界が反対するゆえに、統一教会は、世界史的に反対を受けざるを得ない、運命の道をたどってきているのです。 個人レベル、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙レベルにおいては、アベルの責任とは何か、このダンベリーに行って重要なことが何であるかといえば、地獄の門を開き、天上のハイウェイを造ることであります。それは何の話かというと、サタン世界が退くということです。 それで、私たちは(サタンに奪われた世界を)自分の手で取り戻さなければならないので、総動員して、収穫期においては、病気の人は除いても、父母、兄弟、子女まで出て、収穫しなければなりません。その運動をしているのです。この歴史的背景を、原理的観点において結論づけるとき、これは歴史上の最後の戦争をしているのです。最後の収穫をしているのです。 レバレンド・ムーンがなぜ必要かといえば、蕩減の道を越えていくからです。言い換えれば、伝統を立てるのです。この(図4を示しながら)すべてが分かれています。サタンが分けたのですが、先生が統一することのできる伝統を立ててきていることを、皆さんは知らなければなりません。先生についてきて、個人的に展開されれば、これが家庭的に展開され、家庭的に展開されれば氏族へ、という道が生じます。今はどこまで来ているかといえば、ここまで来ているのです(図で世界レベルを示される)。これがカイン、アベルを中心として、右のほうもこのキリスト教を中心としてアベルといえば、国がカインであり、サタン側も同じです。サタン側も二重になっています。それで統一教会は、アメリカにおいても、サタン世界においても、勢力をもたなければなりません。統一教会は、どこにもあります。共産諸国にも行っています。それを、いつそのようにつくったか、あなたたちは知りません。これから、言論界が知らない秘密的ニュースは、レバレンド・ムーンを通して、いくらでも入手することができます。ですから、言論界を強力にリードすることができます。分かりますか?(イエス)。 では、先生は何かというと、生きた歴史時代において、僕の僕、僕、養子……これらの道の手本となっているのです。どのようにして、一つになれるかを示すために、今までやってきたのです。先生に従ってきて、これをすべて行うことによって、最後には、神の愛の所まで行くのであって、ほかにありません。なぜかといえば、偽りの父母がこれ(障壁)をつくったので、真の父母が、これ(各段階)をすべて統一しなければなりません。あなたたちはこれまで、統一教会がやることに対して、ミスター・パクも知らなかったし、ミスター・カクも知らない中において、(統一教会は)このように展開してきているのです。ミスター・カクとか、彼らが統一教会を動かしているのではありません。あなたたちと同じ立場です。先生がミスター・パクとか、ミスター・カクとか、ドクター・ダーストの話を聞いて、相談しながらやっていれば、エデンの園において、アダム、エバが堕落する以前に、相談の相手がいたということになるのです。アダム、エバしかいないのです。二人しかいなかったのです。子女がいたでしょうか? ただ天使しかいなかったのです。ですから、真の父母は、だれとも相談することができません。分かりますか? アメリカのリーダーたちは、“先生が韓国や日本のリーダーたちといつも話をし、彼らの影響を受けている”と思っているかもしれません。そんなことは決してありません。先生が命令するのです。時々、ドクター・ダーストが先生の所に来て、「先生、アメリカ人たちはこのように考えています」と言いますが、「ここは、そのようなことを言う所ではありません。先生にはアメリカなど眼中にありません。神と摂理以外は眼中にないのです」と言うのです。考えてごらんなさい。アメリカがエデンの園ですか? (違います)。アメリカにありますか?(ノー)。ただ二人だけにあります。アダムとエバ、ほかにはだれもいません。たった一つのカップル、そこには他の人はいません。 もしレバレンド・ムーンの意に添わないことを言っているのなら、それは良くないことです。神はそれを望みません。縦的につながらなくなります。最初に縦の道をつくって、それから横の道をつくる。これが原理の道です。分かりますか? だから、西洋では(文字を)横に書きます。しかし東洋では縦に書きます。だから本を逆に読まなければなりません。反対です。おもしろいことに、ここでは腹ばいで眠る人が多いのですが、これは東洋においては反対です。そして呼ぶときも、韓国の人はこのようにするのに(しぐさで示される)、ここではこのようにします(しぐさで示される)。(笑い)言葉も、英語では、主語+動詞+目的語の順ですが、韓国語は、主語+目的語+動詞というように逆になっています。(笑い) それでまた、文字を書くのにおいて、こちらでは左手で書く人がたくさんいますけれど、韓国では病身(異常)です。結婚のとき、(男性が)左利きなら、(女性は)「嫁に行かない」と言うのです。また、東洋においては、食事をする時も、音も出しておいしそうに食べますが、ここでは音を立てないで食べるのです。それは、気持ちか悪いことです。盗んで食べるみたいで。(笑い) 人の物を陰で食べるみたいです。主人であれば音を出すでしょう。すべてが反対です。それは、だれがつくったのでしょうか? 西洋の人たちがつくったのではありません。 先ほど話したことに対して結論づけましょう。神様が願っておられた個人完成の人、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的に完成する人となって、喜び得る一つの世界的家庭基盤をつくらなければなりません。そのような基盤をつくる運動と、最終においてサタンを滅亡させる運動が、この世界の中から起こりました。それが統一教会なのです。それ神様の愛を中心としてです。この一番端にある愛を、レバレンド・ムーンが現れて、八段階に全部分かれてしまったものを、この愛を中心として、壁を崩してきたのです。(サタンは)偽りによる愛をもって、分裂しようとしますが、レバレンド・ムーンは、真の愛をもって、これらすべてのレベルを開拓して、最上級まで行って、地上界と霊界を含め、真の愛のレベルまで征服して、それから僕の僕、神様自身が僕の道を開拓するのです。僕の僕、僕、養子の道、養子がいかにすれば生きられるかという道、庶子がどのようにすれば生きれるかという道、女性がどのようにすれば、アダムがどのようにすれば、神様がどのようにすればいいか。神様は絶対的でありますから、神がもし人間を嫌いだと言ったら駄目なのです。ですから神を教育するのです。神様であっても、人間を愛さなければなりませんと、教育するのです。そこまでするのです。このようにして、レバレンド・ムーンがここまで来て、神の代わりに、実体でこれを成し得たのです(図4)。それが今までの四十年歴史なのです。 キリスト教と民主世界を代表する国、韓国のキリスト教と韓国が、今まで反対するのです。最後まで、四十年間反対するのです。サタンは先生と離れたらいけないのです。先生についてきながら、反対することによって、サタンも世界的レベルまで、レバレンド・ムーンに反対した条件となります。韓国で反対を受けた材料をもって、世界がレバレンド・ムーンを総攻撃したのが、一九七六年です。絶頂で、最高峰でありました。サタンが、韓国で個人的に反対していたすべての材料をもって、世界に使ったのであります。それで、アメリカがレバレンド・ムーンを打ち砕こうとしたのですが、それはすべて失敗に終わっています。今はどこまできたかといえば、最終的な、共産世界をいかに収拾するかという問題までです。それで、この日が来るまでに、共産党の滅亡の宣言までしました。学界において宣布し、会議を通して、共産党、ソ連の滅亡宣布をしたのです。(八五年)八月に、四十年目にやったのです。 今回、ベイルートで、ソ連(の大使館員)が歴史上(初めて)拉致され、二人が殺されたのです。また、西ドイツでソ連のスパイが暴露されました。これらは、先生が獄中から出て四十日間において起きたのですが、それは、民主世界が復活することのできる復活圏に入っていく兆候なのです。また、KGB暴露。英国の(KGBの)責任者が、ドイツ、ヨーロッパ、全世界で問題となったのです。アメリカのCIAによって、ここ(アメリカ)のKGBの組織までも、全部問題となっているのです。 レバレンド・ムーンは今、言論界が先生を攻撃したので、言論機関を通してすべての、共産党やアメリカの非宗教的人道主義、人道主義者たちを攻撃するのです。(拍手) 怨讐たちが一番憎んでいるのはレバレンド・ムーンです。先生を抹殺しなければならないので、監獄にまで行かせたが、国民までが従うようになったので、「大変だ」と言っています。いくらでもやってみなさい。彼らはきょうも、“レバレンド・ムーンが何の話をするのか?”と関心をもっているのです。 私たちの本部はどこにあるか? 彼らのはサタン世界にありますが、私たちの本部は天にあります。(イエス)。(拍手) いくらやっても、人類はレバレンド・ムーンに従っていきます。既に弱小民族たちは、レバレンド・ムーンの言うことは、すべて行うようになっています。(拍手) 見てごらんなさい。先生が南米に行くと、南米のすべての国家が連合して、「歓迎のデモをする」と言ったら、レバレンド・ムーンは、「それはいい気持ちだ」と言わないのです。先生はそれを願いません。ヨーロッパでも、フランスであればフランスを中心として、「レバレンド・ムーンのヨーロッパ歓迎デモをするから、レバレンド・ムーン参席してください。世界が驚くほどのデモをするから参加してください」と言っても、行きません。また、アメリカの国民が“Welcome Rev.Moon to our country”と言うとき、どうすればいいでしょうか? ほかの国には、“No, thank you”と言ったのに、「ノー」と言ったらいいか、「イエス」と言ったらいいでしょうか? そこには条件があります。韓国と日本を先頭にして、歓迎しなければならないのです。その時には、「イエス」と言うのです。歴史的に先生はこのことをやってきたのです。韓国と日本とアメリカを連結させようとして、今まで教えてきたのです。韓国は南韓だけではなく、北韓までも含む韓国です。アメリカが、それ(韓国と日本を先頭にして歓迎すること)に賛同すれば、先生は登場するでしょう。そこでも反対することもあるので、このムーニーたちを訓練するのです。アメリカ全体が嫌がっても、ムーニーたちだけが先生を歓迎しさえすれば、アメリカが滅びない基盤を残すことができるのです。先生はこのようなことをやっているのです。既に伝統が立てられたので、ムーニーたちはこの道を行っているのです。アメリカの国民がムーニーに従ってくることができ、アメリカが歓迎する時には、先生が「OK」と言うのです。それからドイツに行きます。そして、アメリカと日本とドイツの経済王国が一つになれば、地上天国をつくることがどれほどやさしいでしょうか? レバレンド・ムーンの頭はスマートです。(拍手) アメリカの大統領がいくらやった(反対した)としても、先生は近いうちに歓迎されるようになります。先生がそのようにさせるでしょう。見てごらんなさい。今既にやっているのです。だれかこの活動を否定できますか? (だれもいません)。だれもいません。知識人たちはそのことを、既に知っています。唯一の希望がレバレンド・ムーンであることを知っています。最高の人たちを統合することによってのみ、実現可能なのです。先生はもうその準備をしていますが、あなたたちはそれを知りません。先生が何をしているか、あなたたちは知りません。朴普煕もはっきり知りません。統一教会のどのリーダーも、先生の言っていることをはっきり知りません。しかし、先生は今、地上天国を築いているのです。政治状態、経済状況、科学世界、メディア世界、文化の世界の世界的基台など、先生は内的にも外的にも、基台を既に得ているのです。これだけの基台を短期間でつくり上げるのですから、先生がやかましく指導するのは当然の現象です。今は先生は、世界中でとても有名になりました。 今回の修練会では、このようなことをはっきり知ったのです。このようになっているので、原理的世界がどのようになるかを教育して、今回たくさん教えてあげたのです。彼らは初めて、先生が何をやっているかはっきり分かったのです。だから多くのアメリカのメディアはレバレンド・ムーンに対し、「彼は韓国の伝道師で、産業家で、ビジネスマンだ」と言っているのです。先生はメディアがそのように言うのを知っています。非難していることを先生は知っています。第二次大戦後、四十年間に地上で縦的に現れてきたのはだれでしょうか? だれがいったい縦的に従ってきているでしょうか。だれが縦的に従ってきていますか。それはムーニーだけです。今、統一教会が縦的に、南と北をつなぎます(図5)。そのあとで、この運動は大きな円となっていきます。そして横的に結ばれるのです。。今からは、地球全体に円ができ上がります。 この一点から始まって、自動的に神の愛を中心とした個人、神の愛を中心とした家庭、神の愛を中心とした民族、神の愛を中心とした国家、神の愛を中心とした世界、神の愛を中心とした天宙へと支える力が働くのです。この(中心)点を通過しない力は存在しません。(図6を示しながら)この点を通過しない力は存在しません。分かりますか? (イエス)。この点を通過してのみ、どの方向へも発展していくのです。(図で書きながら)この方向で進んでいけば、反対側に必ず到達することができるのです。これが原理的人間 真なる主体は、何をつくることができますか? (対象です)。主体と対象の統一が、中心点をつくることができます。中心点です。ですから三点が生まれます。(黒板を示しながら)左右、上下、前後です。そうすれば、愛を中心に永存するのです。これが原理的見解です。分かりますか? (イエス、ファーザー)。 皆さんは明確に分かりますか? この愛の三点を理解したのなら、自分に聞いてみなさい。自分が真の愛を中心として立っているかどうかを、自問してください。“私は真の愛を中心にして立っているのか?”。あなたの答えはどうですか? あなたの心は、それをよく知っています。皆さんの心が、皆さん自身が、真の愛を中心としているかを尋ねます。皆さんの答えはどうですか? (イエス)。違うでしょうか? 先生が今説教するまて武千一三日界たでしょう?先生が今話したから、分かったでしょう。あなた自身に聞いてみなさい。自分は、個人のレベルで真の愛、中心であるかどうかを。次の家庭のレベルはどうですか? 家庭レベルはどうですか、イエスですか、ノーですか。イエスですか、ノーですか? (ノーです)。これは父親の場合も母親の場合も同じ立場です。では、レバレンド・ムーンはどうでしょうか? もちろんイエスです。神が知っているし、宇宙全体が知っています。家庭レベルの上の、民族レベルはどうですか? 民族とは統一食口を意味します。イースト・ガーデンには、韓国人だけではなく、日本人や西洋人が家族のように共に住んでいます。そこにいる人々は、真の父母を中心として住んでいます。 先生はアメリカのために働いているのではありません。先生は今や、神の愛を中心として世界のために働いているのです。先生は今、そのように働いているのです。皆さんは蕩減を払いながら、分断されたレベルを連結していく必要があります。いつ連結したのです蕩減をいつ連結しましたか。(テープ切れる)いつですか。皆さんは個人的蕩減を払う時を知らないのです。皆さんはその位置を知らないのです。それなのに皆さんは連結できるのですか? いいえ、皆さんは神と連結できません。皆さんはそのような基台をもっていないからです。皆さんは、家庭、民族、国家、世界、天宙の基台をもっていないのです。皆さんは、いつこれらの基台を蕩減するのですか。そしていつこれらの基台を一つにするのですか。皆さんにはその基台がありません。先生だけがその基台をもっています。先生は全歴史段階の状況の蕩減復帰の教科書です。分かりますか? (イエス)。先生は何を蕩減復帰してきたのですか?(教科書です)。先生は、皆さんが世界的レベルに上がることを願っています。先生は、皆さんが外に出ていって活動するよう命令します。皆さんが活動することを通して、先生の目的が連結されるのです。先生の蕩減したすべての勝利を受け継いでほしいのです。分かりますか?(イエス)。皆さんに相談するのです。統一教会のメンバーが従う最後の時です。先生は全世界の統一食口に勝利者となってほしいし、すべての恵みを受け継いでほしいのです。活動しなければ、このような恵みを受けることができません。いくら讒訴されても、先生は知りません。先生はいつも指示を出しているのですから。これが最後のチャンスです。分かりますか?(イエス)。最後のチャンスです。ですから、先生は記録を作っているのです。八段階を蕩減した立場を勝利したのです。皆さんは、従わなければなりません。統一教会のメンバーの多くは、先生が絶対に必要であると考えます。どうしてですか。それは、先生がそのような宝と資産をもっているからです。(聞きとり不能)王国を統一するのです。明確な答えです。 それで、天勝日というのが何であるかをはっきり知らなければなりません。天勝日は、元来七七年度にやるべきであったのに、八年目である今日、アメリカを中心として四代、ニクソンを中心として、ニクソンが先生の話を聞いていたならこのようにはなっていなかったし、滅びることも追い出されることもなかったでしょう。 外的に先生は何一つもっていません。ただ一つの肉体をもっているにすぎません。しかし、内的にはすべてをもっています。先生がすべてをもっているので、アメリカや共産主義世界にとって問題なのです。では、分かったでしょう。(イエス)。今日このような勝利の結果を通して迎えたのが天勝日なので、皆さんがこの日を祝賀するためには、このような概念の教科書であるレバレンド・ムーンを、絶対に信じ、絶対に一つになる原則に立たなければ、この天勝日を祝賀できないことを、はっきり知らなければなりません。皆さんは天勝日が何であるかを知らないで参席しました。しかし、話を聞いてみると天勝日の意義が大きいことが分かりますね。分かりますね。ですから、その意義を本当に知ったので、分かったので、奮い立って、この摂理に望むという意識を皆さんはもたなければなりません。(イエス)。 今回先生がダンベリーから出てくることによって、全世界の統一教会の、迫害の峠を越えていくのです。イエス様が迫害の峠を、ローマの元老院に行って越えていたならば、キリスト教の四〇〇年間の迫害はなく、少なくとも二〇〇〇年の歴史はなくとも乗り越えていけるはずでした。しかしこれを成し得なかったので、血を流しながら、殉教の歴史をつづってきたことを知っているので、先生は、生きている間に清算すべき責任を担っているので、このような闘いをしているということを、皆さんは知らなければなりません。各宣教国で、血を流し、迫害を受ける峠を、すべて越えていったのです。これからは、統一教会の春が訪れてくるのです。統一教会の春が訪れるのですよ。 それで、これからは新しい種を蒔かなければなりません。何の種を蒔くかといえば、神の愛を中心とした種を、世界に蒔かなければなりません。それから、神の愛の種と、真の父母様の愛の種を蒔き、次には、神の血統と、真の父母の血統を連結しなければなりません。あなたたちはそれを知らないのです。どのようにして、そのような血統をつくっていくかが問題です。それは、真の父母によって与えられる“祝福システム”によるしかありません。分かりましたか? (イエス)。そうすれば私たちの血統は、この世界の他の人々の血統と違ったものになります。神の血統です。被造物は、神の愛を中心とした神の血統を受け継いでいます。堕落人間は、サタンの愛を中心としたサタンの血統を受け継いでいます。それゆえ堕落人間は、サタンの伝統的方式を受け継いでいるのです。正に正反対です。私たちは真の愛を中心とした神の血統を受け継がなければなりません。分かります? (イエス)。皆さんがこのような立場に立つならば、サタンは讒訴できません。サタンは侵入できません。明確でしょう? (イエス)。 真の愛を中心として、神と真の父母の血統を受け継ぐのです。血統、血統が問題です。皆さんの血液には、神と真の父母につながった真の愛が流れているのです。本当ですか? (イエス)。それは概念ではありません。現実なのです。そうですか? (イエス)。皆さんはいつも、神の愛を中心にして、真の愛の血統につながることを考えなさい。そして個人、家庭、民族、国家……とつないでいくことを考えなさい。 私たちが、今どのような立場にあるかをはっきりと知りましたね。今は世界的活動を通して、まず私たちが神の血統を相続するのです。その次に、世界を神の血統につなげることができるのです。これが原理的見解です。分かりますか? (イエス)。皆さんは、神の愛を中心として生活しているのですか? 皆さんは、天の血統なのですか? 抽象的なことではありません。皆さんが神の血統とつながっているかどうかは、サタンが証言するのです。だれが証言するのですか。神でも真の父母でもありません。サタンが証言するのです。全人類は、神の血統を相続しなければなりません。これが、世界の最終的目的です。現在、皆さんは、サタンの血統を受け継いでいます。どうやって、それを切り離すことができるのでしょうか。それには、まず皆さんは否定された立場に立たなければなりません。すべての財産を否定しなければなりません。すなわち、サタンの立場を否定しなければなりません。個人、家庭、民族、国家、世界、思想、概念、知識などすべてを否定しなければなりません。本然のエデンの園では、アダムとエバは、サタンの概念をもっていませんでした。ただ、神のみ知っていただけです。堕落したアダムとエバだけがいたのです。何ももっていませんでした。家庭の概念、愛の概念、力、知識、財産など、何一つもっていませんでした。ただ、神と神の愛だけを所有していたのです。しかし彼らは、完成期に到達する直前で、神の愛を失ってしまいました。ですから、皆さんは、堕落したアダムとエバの堕落性を受け継いでいるのです。皆さんは、利己主義です。「私はアメリカ人です。教会のメンバーです。特別な教会のメンバーです。宗教指導者です。学者の家系です」と言いますが、本然の世界において、神はそのような考えをもっていませんでした。どうやって、そのようなサタン的考えを切り離すことができるのでしょうか。まず最初に、私たちはすべてを否定しなければなりません。ですから、本当の宗教の道は否定の道です。仕える道であり、犠牲の道なのです。だれがそのような道を好むでしょうか。仕え、犠牲となることは、だれも好みません。先生も同じです。どうして、先生はこのように厳しく教えるのでしょうか。そうしなければ、皆さんが神の立場に到達できないからです。先生は、この世界と逆の方法を教えているのです。分かりますか? (イエス)。皆さんは、完全否定しなければなりません。先生は、完全否定しました、だれも否定の道を好みません。ですから、神が“否定のシステム”が皆さんに働くようにするのです。親、子供、国、全世界が皆さんに反対するのです。神が“反対の道”の状況を設けるのです。先生は、そのような立場に立つだけで、自動的に常に否定されました。それは恵みです。恵みであることを先生は知っています。迫害はそれほど悪いものではありません。堕落人間に、全人類に必要なのは、自己否定です。どうして、人類は自己否定を好まないのでしょうか。ですから、神が最終的に否定の基台をつくるのです。神が自動的に否定の立場に立たせるのです。分かりますか? (イエス)。世界的基台が、統一教会に反対するのです。統一教会のメンバーはみな、完全否定を望みません。韓国、日本、アメリカのリーダーも完全否定を好みません。しかし、神はそれを願いません。自動的に三角形の隅に押しやられ、そこで否定の立場に立たされます。そして、先生は闘って倒されて、隅の外のサタン世界に放り出されるのです。神がそのような摂理をされるのです。先生は迫害を歓迎します。世界的基台、アメリカ、自由世界の基台が先生に反対します。一九七六年には、全世界が、つまり共産世界が、ユダヤ人世界、非宗教的人道主義者、プラグマティズム、キリスト教世界、アメリカ政府、クレムリン、KGB、アメリカのCIA、FBIがすべて一つとなって統一教会に反対し、レバレンド・ムーンをコーナーに追い詰めました。ねずみの穴より小さい穴にレバレンド・ムーンを押し込めます。そしてその穴を通り抜けると永遠なる神の広場が開けるのです。それが地上天国です。そこから始まるのです。ですから、否定の立場に立つことは大きな恵みです。そうは思いませんか? (イエス)。ですから迫害も悪くないのです。ムーニーは迫害を歓迎するのです。これがムーニーらしいというのです。ムーニーはそのような現象が好きなたちムーニーは、何と素晴らしいことでしょう! 本当ですよ。何と私たちは素晴らしいことでしょう! どうしてでしょうか? ムーニーは迫害を受けたのち、この世のすべてを受け継ぐからです。何と素晴らしい恵みでしょうか! 全世界がこのような環境、状態になったあとは私たちはどうしたらよいでしょうか? 皆さんは、真の父母を中心として生きてきませんでした。世界的基台が必要なのです。限定された基台ではないのです。先生は世界を導いているのです。それが私たちの運動です。そして、いわゆる地上天国と呼ばれるものがそこに生まれ、世界を一大家族にしていくのです。アーメン。(アーメン)。神の愛を中心としてできるか、できないかが問題です。統一教会のメンバーは、それを成す力がありますか、ありませんか? (はい、あります)。ありますか、ありませんか? (はい、あります)。先生はそうは思いません。(いいえ、あります)。いいえ、ありません。(あります)。いいえ! 先生は何の力ももっていません。(そんなことありません、もっておられます)。皆さんやれますか? (イエス、ファーザー)。先生なし(except)でやれるでしょうか? (いいえ、駄目です)。先生をaccept(受け入れる)ですか、except(先生なしで)ですか? (acceptのほうです)。acceptですか? 英語が混乱してますね。(笑い)(accetpです)。acceptというのは素晴らしい言葉でしょう! 先生はexceptは嫌いです。(笑い) 神の愛と、真の父母の愛を中心として行くのが、唯一の方法です。そこから私たちの文化が始まり、召命と復活と新生が起こり、私たちの理想世界が築かれていくのです。皆さんはこの点をはっきり知らなければなりません。さあ今や、皆さんはよくりかりましたね。先生の説教を聞いたので、要点がよく分かったでしょう? (イエス)。皆さんがそのような立場に立って、初めて天勝日の会合に参加することができるのです。皆さんは既に知っています。考えてごらんなさい。皆さんは世界(的基台)につながっていますか? (イエス、フガーザー)。(サタン)世界につなか時界ているのですか、それとも、統一教会につながっているのですか? (世界です)。違います。統一教会のほうです。(笑い) 皆さんは、この点をよく知らなければなりません。私たちは統一教会につながっているのです。では統一教会の目的は何でしょうか? 世界的な基台と結合することです。これが私たちの使命です。今後は、世界中でムーニーを歓迎します。今までは全世界が反対してきました。というのは、神が、世界的な基台をつくるために、否定の立場を設けたのです。しかし今から時代歯まわったのです。世界は皆さんを迎え、ムーニーの名を中心として、すべてをつなぐことができるのです。今までは、皆さんの両親が反対してきました。しかし今後は、皆さんは、ムーニーの考えを中心として、再び両親、民族、国家へとつながっていくのです。神がそのような道を開いたのです。迫害はありません。容易な道です。神がこのような状況を作ったのです。神は歴史を通して、これほどまでに困難な道を歩んできました。どうやって、明確に知ることができるでしょうか。どうして私たちがこの活動を否定することができるでしょうか。今や皆さんは外に出ていき、世界的基台をつなぐのです。問題はありません。分かりますか? (イエス、ファーザー) このようにすることによって、行くべき道をはっきり知らなければなりません。もう十二時三十分になりますね。先生は既に四時間三十分話しました。天勝日のきょうを中心として、全アメリカと、全世界が新しい次元に突入することを願って、このような話をするのです。ですから、あなた方の父母、家庭、故郷は反対しませんよ。皆さんは故郷に帰って伝道することができます。あなた方の父母の反対しない基盤、故郷や、国の反対しない基盤を、先生がつくっておいたのです。それが、先生の使命と思うのです。これからあなた方は、歓迎を受けられる道を進んでいくのです。どれほどの栄光に浴するかを知って、力強く出かけていって、闘わなければなりません。 私たちは天の前に、きょう先生の話を聞いたとおりに実践しますと新たに誓い、出発しなければなりません。(間違いなく、先生がおっしゃったとおりに、私たちは出かけていって、闘って勝利いたします)。ありがとう、天勝日に神の恵みがありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.19
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丹心 ~文鮮明師の真実~ 1/3世界平和統一家庭連合の創始者、文鮮明師はなぜ迫害されたのか?「ために生きる」人生を貫いた文師、その真実に迫る渾身の一作!光言社提供(http://www.kogensha.jp)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.19
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:[21.12.19] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2021/12/19 09:30に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.18
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「全体動員」1985年8月29日アメリカ・マンハッタンセンターにて 私たちはここに、統一教会の食口として集まっています。では統一教会とは何でしょうか?統一教会は、宗教を中心とした新しい運動をする一つの集まりであることを私たちは知らなければなりません。では、すべての宗教を一つにするということを考えるとき、それは簡単なことかというと、極めて難しいことであることを私たちは知っています。しかし、これが神が願うみ旨、神のみ旨なのです。まず宗教を一つにしてから、この世に広がっている民主主義や共産主義を一つにしなければなりません。 このように見るとき、皆さんはアメリカ人で、ここはアメリカという国です。栄光なるアメリカという国です。このアメリカ一国を見ても、多様で内的に複雑性を帯びています。一つにするために、現在の位置から降りて一つにすることはやさしいのですが、現在の位置からより次元の高い立場に上がって一つにすることは大変困難なことです。 皆さんも御存じのように、ヨーロッパであるなら、ヨーロッパにもいろいろな国がありますが、その多くの国々は歴史的敵対国家として対立しており、それら対立国家を中心として見るとき、その国が現在の立場より高い次元で一つにするということは大変難しいことです。現在なお一つになることは難しいことなのです。このように見るとき、神様はいかなる次元におられるでしょうか。現在皆さんが考えているような次元でしょうか。その次元よりはるかに高いことを考えるとき、その差があまりにあるために問題が大きいのです。 では、現在の数多くの国々を背景にして、周囲思想に対峙されているこのような環境をそのままにしておき、そこから連結していくならばどれほどいいでしょうか。 アメリカはアメリカの国が第一であると誇り、民主主義は民主主義が第一であると言い、共産主義は自分たちが第一であると言い、ドイツならドイツが第一であると言って誇っています。どの国も、自分たちが低い立場だと言って、これから上がっていこうとすべてを開いているのでなく、堅く殻を閉じて自分たちを第一であると主張するとしたなら、これらの環境を一つにするということは極めて難しい問題です。不可能な課題であることを皆さんは認識することでしょう。 それを、人間だけでやるとしたならどうにかなるかもしれませんが、そこには目に見えない、皆さんの知らないサタンが作用しているのです。宗教を信じる人はこのサタンのことを知っています。個人が善い方向に行こうとすれば、サタンは全面的に反対するのです。このような観点に立つとき、神にはすべてを一つにしようとするみ旨があり、人間には自分たちなりの願いがあるのです。またサタンはサタンなりの意図があります。ですから、三者が自分なりの主張が出来ない一つのもの、自分なりの主張ができない道、そのようなものを模索しなければなりません。もともとこの三つは、神は神、人間は人間、サタンはサタンとして分立されて主張する存在であったのでしょうか。もしそうなら問題は大きいのです。ここにおいて善悪という言葉がどう使われるかというと、三つが共に一つの方向に行けば善で、この三つの中の人間が反対の方向に行けば悪となるのです。すなわち、神とサタンの中間に人間がいるので、右に行けば善になり、左に行けば悪となるのです。 では、皆さんが知っているように、サタンとは何かといえば天使長なのです。これも元来は神の創造物であり、人間も創造物です。そして、神のみ旨は神お一人で成せるものではなく、人間と共に成すのであり、サタンが願いを成すのも、人間と共に成すようになっています。今日の世界の状態は、エデンの園においてアダムとエバを造られた神と天使長の状態と同様な立場に立っているのです。神が「取って食べるな」と言われた意味は、「するな!」ということです。「するな!」と言われることをやれば亡びるのです。死ぬのです。ここから善悪の分立が始まったのです。(神が)「するな!」と言われることをすることは、サタンのすることであって、「しなさい」と言われることをすると神が喜びます。 統一教会の皆さんは知っていますが、人間が堕落したので、その堕落の血統的関係を中心として問題となってきたのです。それで、私たち人間もサタンも、本来の神側に戻りたいのです。 では、善悪に中心、一つの基準とは何でしょうか。それがいわゆる神のみ旨なのです。その神のみ旨を完成するのが人間です。ですから、神のみ旨を完成するものは誰でも完成人間となります。神のみ旨と完全に一体化した人は誰でも完成人間になれるのです。 それでは、今日の統一教会は何をする団体なのでしょうか。どのようにして宗教そして世界を統一することができるでしょうか。結局のところ、神のみ旨を中心として一つになるのです。統一教会の創始者がレバレンド・ムーンであっても、統一教会はレバレンド・ムーンの意図を中心として世界を一つにしようとするのではありません。あくまでもレバレンド・ムーンも、神のみ旨に従って一つにしようとしているということを、皆さんは知らなければなりません。ですから、レバレンド・ムーンもまた神のみ旨に従っているのです。 では、神のみ旨とは何でしょうか。何が神のみ旨ですかと、一般のキリスト教徒または宗教家たちに尋ねてみると、彼らは明確な考えをもっていません。けれども統一教会は、はっきりした結論をもっています。神のみ旨とは何か、それは創造理想を完成することです。では、創造理想とは何でしょうか。それは宇宙完成であると同時に、人間完成なのです。ということは根本的に、人間が完成する日には全宇宙も共に完成するようになります。そして創造理想を完成することに対し、統一教会で結論を出したのは、四位基台完成です。四位基台完成であると、はっきり結論づけます。神のみ旨、創造理想、四位基台。では四位基台とは何でしょうか。四位基台完成とは、神の愛を中心として心と体が血統的に一つとなって、夫婦となり、神の血統を受け継いで子女を生む、家庭的出発、家庭完成をいうのです。 このように見るとき、この宇宙を創造し、人間に対して創造理想を立て、四位基台完成という型を考えておられる神のみ前に、今日、アメリカのような国、ドイツのような国、ソ連のような主義やあらゆる混乱を生み出す概念があり得たでしょうか。また日本人、アメリカ人、韓国人、東陽や西洋等々があり得ますか。四位基台の型の中に入っていき、神に至ろうとする場合、神が宇宙全体をかけて考えておられる思いは、早くアダムが完成し、エバが完成してほしいということです。そして成長した二人に願うことは、早く責任分担過程を完成して、原理結果主管圏内から神の直接主管圏に入り、神と一つになることを願っているのです。 最近、統一教会の人でも、今日私たちがこのように自由主義の考え、自分の思い通りにできる社会のアメリカにおいて、なぜ責任分担が必要なのだろう、また四位基台がどうして必要なのだろうかと考える人がいます。 堕落していないエデンの園で神が願っていたことは、早く責任分担を果たしてほしいということで、早く責任分担を完成せよということは、この世を造って、アダム、エバを創造されて願った、最高の所望であったことを皆さんは知らなければなりません。ここにいる人たちの中にも、「責任分担はすべてやったではないか、まだやれと言うのですか」と言う人がいます。こういう姿を見るとき、これらの人たちがどうして神のみ旨を成就することができるでしょうか? 神のみ旨を成就しようとすればどれほど神の前に誓っても、あり得ない立場にいるという事実を自覚しなければなりません。先生の話は正しいですか、間違いですか。「レバレンド・ムーンの話は、私たちアメリカ人には合わない、私たち若者には合わない話だ」と言うのですか。 皆さんはどれほど責任分担に対して考えてみたことがありますか。ドクター・ダーストはどうですか。考えるべき問題です。それではレバレンド・ムーンは何をする人でしょうか。だれよりもこの責任分担を深刻に考えている人なのです。そしてこの責任分担に生死を懸けているのです。 では、神とサタンはどこから分かれたのでしょうか。人間が分かれるときは、神と分かれ、サタンと一つになることですが、どこから分かれたかを考えてみなさい。責任分担という課題を前にして、これを越えることもできず、立つこともできず。ここで落ちて分かれてしまったのです。責任分担を完成したならサタンが生じたでしょうか。サタンは人類の首のどこをつかんでいるのでしょうか。それは人間の責任分担という課題をかけて首をつかんでいるのです。皆さんが責任分担を果たせなければサタンは、「神のものではない私のものだ」と言うのです。そのとき神は、「そうではない」と言います。それは神もそうだ、サタンもそうだ、人間もそうだと言うのですが、人間のみがその契約の確かさを知らなかったのです。レバレンド・ムーンが出てきて初めて、人間のこれを明らかにしたのです。人間の責任分担を成就した人をサタンが主管できるかといったとき、サタンはノート言うのです。神が捨てることができるかといえば、これもノーです。それでは問題はどこにあるかといえば、すべては人間の責任分担にかかっているのです。人間の責任分担によるのです。これは、神のみ旨に期待がかけられるかどうかという決定的な問題なのです。サタンと隔離するか否かという決定的な関門です。 いくらドクター・ダーストがアメリカの責任者であるとしても、「ああ私はアメリカの責任者であるから、レバレンド・ムーンの指揮のもとで今までアメリカの教会長をし、アメリカの全域を回ってラジオ放送し、統一教会の宣伝をしてきた。私だけはレバレンド・ムーンに従ってきたし、レバレンド・ムーンが従っていく神のみ旨に沿った世界に行かなければならないし、神のそばまでいかねばなりません」と言う時、答えはノーです。どうしてノーですか。それを一〇〇〇年主張し、いくらアメリカの国が主張しても通りません。 皆さんが原理の勉強をするため修練もしましたが、責任分担がこのようにすべてにおいて鼻を針金で通すように貫かれているのです(先生がしぐさをされる)。レバレンド・ムーンは賢明は男です。レバレンド・ムーンは苦労してきました。なぜこのように一生の間、四十年間を、悪口を言われ、反対を受けたのでしょう。有史以来、それはレバレンド・ムーンしかいません。どれほど優れていて、哲学博士でどれほど有名であってもその人たちが考えたぐらいのことを、先生が考えなかったのでしょうか。その人たちは仕事達成のためより良い方法を探しています。しかし先生はそれ以上のことを模索できなかったのでしょうか。ではレバレンド・ムーンは苦労の道を行き、迫害を受け、生われることを好む人なのでしょうか?(ノー)。ではなぜこのように悪口を言われたりするのでしょうか。なぜこうしなければならないのでしょうか。それは、たった一つの道、それしかないためです。天と地において探しても一つしかないのです。父母が反対したとしても行かなければなりません。妻が反対したとしても行かなければなりません。子供が反対したとしても行かなければなりません。自分の氏族、民族、国家が反対したとしても行かなければなりません。世界が反対し、宇宙が反対したとしても行かなければなりません。生存するための運命の道なのです。これが間違いなくサタンと神との公約となっているために、この門を通過しなくては一つになれる道は絶対にありません。絶対にありません。 皆さん、頭を使ってみなさい。ここにいるいわゆる講師と言われる人たちは、今日一日の生活をいかにしていますか。皆さんは蕩減復帰を中心として命を懸けて闘争していると考えてみたことがあるでしょうか。アメリカにある原子爆弾、ソ連の原子爆弾が一度に地球に落ちて地球がなくなることがあるとしても、この責任分担法則は残っていることを知らなければなりません。最も恐ろしいことが何であるか、原子爆弾よりももっと恐ろしいことが何であるかといえば、責任分担を完遂できないということです。皆さんのアメリカが滅びるといって、親や妻子が一度に滅びるとして、それが恐ろしいのではないのです。 ではどうすればよいのでしょうか。責任分担を完成する前にアダムとエバに子供がいたでしょうか。家庭があったでしょうか。「ああ私はあなたが好きなのでキスをしましょう」と言ったでしょうか。そうすることができるでしょうか。そのことを知っておられるイエス様はどのようなことを言ったかといえば、「私に従ってくる者はあなたの十字架を背負って、妻子を捨ててついてきなさい」と言わざるを得ませんでした。あなたの家族、あなたの兄弟が問題です。実感できますか。皆さんはいつ、そういう立場に立ってみたことがあるでしょうか。いつ立ったことがありますか。人間が責任分担を見つめながら、責任分担を果たせなかった動機は何だったのでしょうか。何ができないようにしたのですか。何ですか。サタン的人。サタンの血統を受け継いで、サタンを中心として愛し、サタンの血筋を受け継ぎ、サタンの血統が植えられたのです。血統が堕落と連結されていなかったなら復帰は直ちになされます。堕落することによってどのようになったのでしょうか。堕落しても、神はそのみ旨を捨てることができず、み旨を成就しなければならなかったので、堕落したこの人間を救援、復帰しなければならないのです。そこに救援と復帰という言葉が生じたのです。 原則的に見るとき、堕落した人間は神の前に立つことができないのです。責任分担を果たしてから神の直接主管を受けるはずでしたが、これを果たせなかったので、堕落した人間は神が主管することができないのです。それが原理です。これが問題です。それではここにおいて救援摂理のみ旨に従っていく人間はどうしたらいいか。喜び幸福のまま行けばどれほどいいでしょうか。アメリカの若者の思考方法、特に女性たちの考え方を受け入れることができますか。けとばしてしまわなければなりません。ほうきで掃いてしまわなければなりません。本来の人間は神の血統を受けたアダム、エバに神が入って行って、神が直接一つとなって人類の子孫を育て、神の直系の血統をつくろうとしたのが創造原理です。そして、責任分担完遂に来るべきものが神の直系の血統の伝統であり、神との血統的一体、神の愛を中心として血統的一体圏が始まるのです。 それでは何によって一つになるのでしょうか。アダムとエバが何によって一つになり、四位基台が何によって一つになれるのでしょうか。何をもって一つになれるのでしょうか。それは神の愛を中心として、血統的に一つになるのです。そこに異議がありますか。あなたたち、賢明な人たち? 不平を言う者たち? 今日、悪魔の旗手となった統一教会の人が多いのです。では皆さんは責任分担を越えたという意識、そのような刺激を感じてみたことがありますか。責任分担を完遂しようと決意したことがありますか。もしないとすれば間接主管圏内にいるのですか、それとも直接主管圏内ですか。(間接主管圏です)。それは地獄ですよ。サタンが入っていく地獄です。はっきり分かりますか。ドクター・ダースト、分かりましたか。ただ回るだけではいけません。手続きをしておかなければなりません。医学博士になろうとするなら、また卒業しようとするなら、卒業できるすべてのことをなし、担当教授から証書にサインを受けなければなりません。 では、レバレンド・ムーンと統一教会が主張する、世界を一つにし、数多くの各宗教を一つにするという、その公式は何ですか。そう問われたならどのように答えますか。 今話した責任分担を完遂したのちに、神の愛を中心として血統を受け継いでいる人は「天国行」です。そうでなければ「地獄行」です。億千万年において、数億、数十億、永遠をかけて人間は責任を完遂していかなければなりません。地上において完遂できなければ霊界に行ってでも完遂しなければなりません。完遂しなければならないのです。 それで問題は何かといえば、本来の神の創造理想から見るとき、霊界に行って責任分担を完遂するのではなく、地上で完遂しなければならないのです。このように見るとき、キリストの牧師、司教、法王等はこのような原則を経てから牧師になり、法王、司教となったのでしょうか。答えはノーです。宗教指導者が、「神様! 私は宗教指導者として今まで神に侍り、イエス様を死ぬほど愛し、一生を独身で生きてきたのになぜ天国に行けないのですか」と言うとき、神は「レバレンド・ムーンにもう一度学びなさい」と言うのです。(拍手) それは歴史以来、天上天下が考えなかったし、人類歴史においてもだれも考えなかったし、地獄と天国が分かれてからこのような問題を持ち出して解いた人は、たった一人レバレンド・ムーンしかいないのです。 もし、自分の一生を通して責任分担を果たせなかったなら、死んでからどうすればいいのでしょうか。霊界に行って私たちの統一教会を頼って行きようと思うかもしれません。しかし、そうではありません。この世に再び帰ってこなければなりません。これが公式です。統一教会の親として、祝福を受けた子女を生み、責任分担の峠を越えることができずに霊界に行き、地獄に行くようになるときには、その子女たちが親に、「なぜ責任を果たせなかったのですか」と尋ねることでしょう。その時の悲惨さを何に比べることができるでしょう。妻もまた、「なんですか! 私の足をつかんででもその峠を越えればよかったのに! どうしてしなかったのですか」と言ってサタンとなるのです。分かりますか。その時の悲惨さを考えてみなさい。レバレンド・ムーンはそれをはっきり知ったので、地上において百回、千回死ぬようなことがあっても問題視しないで、行かざるを得ない道であることを知ったので、今まで世界を騒がせながら、法廷闘争を続けながらここまで来たのです。この巨大なアメリカをつかまえて、どんなことがあろうとも、レバレンド・ムーンは責任分担完遂という課題に固執しているのです。離すことができません。いくらやってもこれから離れさせることができません。いくら家庭を分けておいても、いくらやってもこれを離れさせることはできません。絶対的なのです。 皆さんはどうですか。統一教会やレバレンド・ムーンに従っていこうとする人たち、皆さんはどうですか。「責任分担は先生のものであって私たちとは何ら関係がありません。先生は苦労しても私たちと何の関係がありますか」と言えるでしょうか。「韓国人とか日本人とかが関係するのであって、このように豊かに生活して自由に住んでいる私たちアメリカには必要ありません」と言うのですか。「私たちは自由です」と言ったりします。では人間の責任分担も自由でしょうか。(いいえ)。神は、このためにどれほど深刻であったでしょうか。神が愛した先知(預言者)、先烈たちがどれほど多く死んでいったか、歴史上にどれほど多くの宗教を信じた人が犠牲となったか考えてみてください。それほどに深刻ですが、神はこれを教えてあげることができませんでした。教えたあげることができるでしょうか。もし教えてあげることができるなら、世界をこのようにはしなかったでしょう。そうすれば、サタンが讒訴するのです。「神様! あなたが立てた原理の責任分担圏内において、その圏内の人を中心として血統を連結しなければあなたが所有することができないのが原則であるのに、今日この地球上において私によって堕落して私の血統を受け継いだすべての人はその世界とは相反しているので、あなたが取れる人はいないではありませんか。すべては私の世界である」とサタンが言うとき、神は何も言うことがありません。 皆さん霊界に行って責任分担を果たせなかったことを知れば、どれほど茫然とすることでしょうか。また、地上で知って行わずに、果たしていかなかったその立場は、どれほど悲惨でしょうか。どうしますか。皆でたらめです。統一教会の信者たち、このようないい加減な者がどこにいますか。そういう内容を知っている先生が、そういう現状を知って、そういう者のために闘い、そういう者のために闘争して生涯をささげたレバレンド・ムーンが、何も知らないこれらの者に、相対すればいいでしょうか、相対しなくてもいいでしょうか? これを完成することができず、四十年間他の人たちは伝道に出ているのに、二人で喜び先生の命令にもかかわらず手に手を取り合って楽しく生きようと、二人でバスや電車や車に乗って出歩く夫婦を神が御覧になるとき、どれほど憎いことでしょう。先生はこの責任分担の眼鏡をかけて、神の愛を中心として、神の血統がその体に生きているかどうかを見ているのです。それを見つけようとしているのです。神の愛を中心とした神の血統が流れているかそれを探しているのです。神の血統になっているかを。皆さんは祝福がどれほど価値のあるものであるかを知らないのです。先生が知っている祝福がどれほど勝ちあるものであるかを考えてみなさい。皆さんが思っている祝福はそれほど価値がありません。 皆さんの中で祝福を受けた人は手を挙げてみなさい。これを一つのゲームと思いますか。統一教会のショーと思いますか。生きるか死ぬかです。生死が決定されることなのです。祝福ということは、神がレバレンド・ムーンの一生を売り(代価を払い)、皆さんが神の愛を根拠として血統が連結されるという宣誓のもとでやっているのです。皆さんの血に神の血が流れていることを実感しますか。それは責任分担を越えた立場です。簡単で、はっきりしていますね。 この責任分担がどのようになっているかといえば、アダム、エバが堕落することによって、個人、家庭の責任分担が残っていますし、そして氏族、民族、国家、世界、天宙、神の愛の圏へと、八段階の責任分担へと連結されるのです。これを果たすために、有史以来、数多くの宗教を立て、旧約時代、新約時代、成約時代の三段階を経て、六〇〇〇年の聖書の歴史を経て展開してきたのです。ここで先生が来て、バンケットの時に語ったように、サタンが野生のオリーブの畑を造り、野生のオリーブの木を植えたのを、メシヤが来られて、メシヤの血統を中心とした、それは責任分担を完成したメシヤ、完成したアダムの身代わりとして来られ、神の血統を連結するために、それら野生のオリーブの木を全部切って接ぎ木しなければならないという論理が成立するのです。 すなわち、メシヤという方はどのような方でしょうか。責任分担を完成した人であり、神を中心として、初めて愛の関係を中心として連結され、その神の血統圏をもってこられる方がメシヤなのです。血統圏です。それで、神を中心とした真の父母を中心として、神の愛を中心とした真の父母の伝統が歴史始まって以来初めて立ち、神の愛による血統圏を立てることによってできるのが、統一教会の文化圏であることを知らなければなりません。これから成される地上天国なのです。 ですからこれをはっきり知らないこの世でも、これから統一教会の原理を知るようになれば、この道を行かざるを得ないので、これ(間接主管圏)を越えて初めて一つの血族、一つの血族を中心として一つの国、地上天国が形成されるのです。分かりますか何の話か。それで、今日これらのすべてを先生は知っているので、個人蕩減圏、家庭蕩減圏、氏族蕩減圏において、カイン、アベルが責任を果たせなかったので、カイン、アベルが問題なのです。全部が四位基台を完成しなければなりません。サタン世界の四位基台をつくっているので、新しく探し出した四位基台をつくらなければなりません。ですからここでサタンと人間と神との最大の激戦が始まるでしょうし、最大の悲惨な対決が起こります。 統一教会の皆さんは、イエス様と統一教会は関係がないと思っていけません。イエスが十字架上で死ななかったなら、今回のレバレンド・ムーンの統一教会は出てくる必要がなかったのです。なぜならその時代に、統一教会の目的がそのまま形成されていただろうからです。今日キリスト教がそのようであったなら、共産圏を出したり、ローマと闘うのではなくローマを支配し、世界をずっと前に一つにできたことでしょう。 そして、皆さん全員が既に先生の話を聞いたように、第二次世界大戦直後において、キリスト教文化圏を中心としたアメリカが世界を統一し地球村を完全につくることができる時がありました。それで、六〇〇〇年歴史を通して成し得なかったことを、統一教会のレバレンド・ムーンは蕩減復帰の歴史路程を知っており、どのように行けばいいかを知っているので、それを二十年路程に当てはめたのです。どれほどか長い長い歴史を二十年という短い期間に当てはめたのです。それは原理を知ったからです。 先生の時代には、イエス様の蕩減をしなくては出発することができなかったのです。韓国において一九六〇年代までイエスが真の父母の立場に出ることができず、国家とすべての教会の反対によって死んだそのような立場から、再び死なずに復活して家庭をもって出発したのが一九六〇年から二十一年までの八一年でした。そこで国家が反対し教会が反対する中において先生は、統一教会を中心として新しい地上天国、世界の終着点を見つめながら理想をかけて、統一教会を中心としてキリスト教と韓国との対峙という形で闘ったのです。これは個人的対峙ではなく家庭的対峙です。それが六〇年代に入って、神の日、子女の日、万物の日、父母の日の四代名節をつくり、次には国家が反対する環境の中で、この国が生きるためにはレバレンド・ムーンと統一教会と共に動かなければならない、国を愛することにおいてはだれよりも統一教会であるという運動を、全家庭を中心に、四位基台家庭を各地方に送ったのです。家庭でなければ世界が形成されません。個人でもってはできません。それが一九六〇年から七二年までの十二年間です。このことを全部が動員して国家を探し、神側の蕩減条件を立てて引き入れてくるのです。七二年からアメリカに入国して十二年間に国家的蕩減復帰基準を立てたので、世界的次元において五色人種を動員して世界的家庭へと世界が生きることのできる新しい伝統を立てなければならない時が、正に今なのです。民主世界が生きることのできる伝統を立てなければならないし、民主世界の家庭が行く道をここで教えてあげるのです。 先生は、韓国においても先生を殺そうとしたので、あらゆる獄中生活をしましたが、アメリカでも同じです。生きるか死ぬかの分け目戦です。イエスは監獄に行くことによってすべてを失いましたが、先生がダンベリーに行くことによってすべてを取り戻したのです。そしてキリスト教文化圏が四十年前韓国解放直後に一つとなって立つはずであったのが、反対して立つことができなかったため、四十年後に蕩減復帰して、四十年を消耗して、第二次世界大戦直後にキリスト教文化圏が歓迎していたそのような基盤を、先生が監獄から出ることによって、整わなければなりません。 先生は個人を探し、家庭を探し、氏族を探し、民族を探し、国家を探し、世界的なすべての家庭に方向性を与えて、これを連れて帰らなければなりません。カイン、アベルの問題、統一教会がアベルであるとしたならキリスト教がカインであり、韓国がアベル国家であるとしたなら世界を代表したアメリカがカイン世界の代表国家となります。しかし今日までアメリカは摂理が分からず勝手にやってきたのです。しかしアメリカの国民は、先生が監獄に入ることによって完全に変わったのです。 有史以来世界的版図を中心として見るとき、アメリカが神側のアベルであるとすれば、ソ連はカイン側です。今やカインも力尽きてしまっているし、アベルも力尽きているのです。方向が定まらないのです。方向がありません。アメリカ自体を見るとアメリカ国家がカインとすると、教会がアベルです。ところが政府外ままで境界を自由にしようとしたのです。何の話か分かりますか。では今までどれほど難しい時かといえば、四十年後の今日においては全部が平面に立つのです。ソ連が悪魔の一番代表的カインだとしたなら、世界的代表のアベルはアメリカであり、またアメリカを中心として見ると、この民主世界がカイン圏に立つなら、教会、キリスト教がアベルであり、そして宗教的な面においては統一教会の前ではキリスト教がカインに立つなら、統一教会はアベルの立場なのです。また、統一教会自体で見ると、皆さんにもカイン、アベルがあるのです。人間の心と体が一つになることができず分かれてしまったので、これを横的に展開すれば、より大きな段階へと全部が連絡されなければなりません。カイン、アベルのようなものが全部連結されて、これを一つにしなければなりません。カインとアベルが一つにならなければ父母が復帰できません。原理がそうです。カインとアベルが一つにならなければ父母が救援を受ける道がないのです。 では第二次世界大戦直後はどうであったかといえば、すべてがキリスト教文化圏であり、キリスト教主体国家であるアメリカが立てられました。アメリカが世界一でした。それがその時の風潮でした。神がそのようにしたのです。そしてアメリカ国家とキリスト教を中心として見るとき、国家はカイン側であり、キリスト教はアベル側でした。その解放直後には、すべての人々が“私たちの勝利は神がもたらしてくれた”と思い、すべての教会が主体となっていったのです。「神よ! この世界を指導する神の人を送ってください」と、国家と教会が一つになって叫ばなければならなかったのです。その時にこそメシヤが来て、この世界を主導しなければならなかったのです。メシヤは父母なのです。真の父母です。このようになったなら世界は、その時に横的にすべて一つになるはずでした。 先生はその時まだ若かったのですが、原理を完璧に解明していたのです。今になって分かったのではありません。世界を一つにしても余りあるような原理をもっていたのです。父母と教会と国家と世界、キリスト教とアメリカを中心として完全に一つの世界へと向かえば、七年ですべてを成し得たのです。そのようになれば、共産党が出てこれたでしょうか。しかしアメリカが責任を果たすことができなかったので、今までアメリカがもっていたものをすべて共産党が出てきてすべてを奪っていったのです。サタンが出てきてすべてを奪っていくのです。 先生には真の父母としての使命があるので、第二次世界大戦直後に韓国を中心としてキリスト教と国家が一つになれなかったため、全世界が反対するようになったので自由世界が反対したし、キリスト教が反対することになって基盤を失って、サタン側が入ってきてすべてを奪われてしまったのです。韓国政府とキリスト教が一つとなれず、それで共産党が出てきて反対するので、神側のカイン、アベルが一つになれないで、四位基台をつくる基盤がないのですべてが崩れ、今やアメリカやキリスト教まで全部サタンの進入を受けて、サタンの蹴られるままになっているのです。世界の舞台は荒野のようになっています。それで一世は滅び、二世が天国に入るようになるのです。キリスト教がこれまで四十年過ぎたので、その一世たちはみな統一教会に反対した人たちです。二世を収拾して新しい天国へと、本来四十年前に神が約束した所に行かなければならないのです。そこでこの二世を連結しようとする場合どのようにすればいいか。それは先生が蕩減復帰しなければならないのです。二世のために個人、家庭、氏族、民族、国家を中心として、世界的なキリスト教と民主世界にドアを開けてあげなければならないのです。そのため先生がダンベリーに生きながら孝進君を中心として一次祝福家庭(子女)修練会をするようにし、二次修練会は八・一五の解放前までに終わるようにして、先生がダンベリーから出てくると同時に、一世と二世を連結するのです。 統一教会の皆さんと先生を見るとカイン、アベルと同じです。一つとなるのです。皆さんが先生を中心として兄さんのようにするのです。また統一教会の二世を中心として見れば皆さんがカインで、皆さんの子女がアベルとなるのです。では先生の家庭を中心として見るなら子女たちがアベルの立場であって、先生もカインの立場に立つのです。このようにしてアベルを立てなければならない時が来るのです。 先生がダンベリーから出てくることによってイエス様が復活したのと同じように二世を教育して、一世を引き連れていかなければなりません。孝進君がすべて責任をもてというのではありません。孝進君が、行く道を教えてあげて、再教育して連結して越えていくのです。先生は再臨したのと同じです。イエス再臨と同じようなことがこれから始まるのです。言い換えれば、モーセが失敗しないで二世を導く立場に先生が立ったのです。 先生が監獄に入る前には統一教会や全アメリカにおいては偶像崇拝とか、淫乱に陥ったり、混乱が起こってくるのです。それで統一教会も新しい次元に建って世界的な次元で先生を迎え、二世たちも新しい次元で先生を迎え、キリスト教もアメリカも新しい次元において先生を迎える運動が始まるのです。それで、アメリカのキリスト教が動き出したのも、すべて先生が監獄でやったことです。先生がそのようにつくったのです。蕩減条件を立てながら成したのです。そして三十万部の本とビデオを作ってアメリカのすべての牧師に送り、その中で七五〇〇名を教育しておいたのです。この基盤があるので、皆さんはこれから出かけていって七万の基地をつくればすべて終了するのです。それでどこに行けばいいのか。モーセの二世たちがモーセに従っていけば生きることができるのと同じく、全世界のキリスト教がレバレンド・ムーンに従っていけば生きることができるという方向性が決定されたのです。 これから統一教会の全祝福家庭は、一九七〇年から七二年までの三年間、国家的基準を蕩減復帰するとき家庭的伝統を世界へ連絡するために出動させたと同じく、これからの三年間は皆さんが世界的伝統を立てて神の国へ連絡するための、世界的家庭が大出動して蕩減復帰する期間です。 では先生の使命は何かといえば、個人の責任分担を家庭、氏族、民族、国家、世界的責任分担にまで拡大し、また蕩減復帰して、サタンの血統を否定して神の血統に連結することです。世界的すべての超民族基盤が、既に備えられている基台の上に立っていることを知らなければなりません。今までは長生期完成級までの期間があるので今まで来ましたが、これからは完成級へ越えていける準備をしなければならないのですが、皆さんはまだ蕩減条件を立てていないのです。そのためにまず個人の責任分担を中心としてサタンを完全に分立しなければなりません。サタンが完全に分立されていないのです。サタンを完全に分立しなくては個人責任分担圏も出てこないし、神側の愛を中心とした愛の圏も出てこないし、愛を中心とした神の血統圏、単一血統圏も出てこないのです。ですからこれを分立するのです。清算しておかなければなりません。サタン世界と。 今から三年間は何かといえば、先生の世界的なすべての責任分担と世界的な神の愛を中心とした血統圏をサタン世界と分立して、蕩減することによって分立してできたものを、皆さんが先生と共に行動することによって一気に越えていくのです。この世界も今まで行く方向がなく、ソ連にもその時になる前に先生が、「ソ連の滅亡と共産主義の滅亡」を四十年になる前に宣布するのです。解放後四十年が終わる前に、ソ連の滅亡と世界共産主義の滅亡を宣布したのです。そしてアメリカが滅びるということは先生が十二年前にここに来て言ったのです。では滅亡する中で滅亡しない群は何ですか。すなわち、神のみ旨に従っていく、その所、その人たち、その団体、その国は滅びません。また、神のみ旨の中に立っている人は責任分担完成のため、神の愛を中心として自分の血統が神の血統に連絡できている人でなくては地上天国で生きることができません。 皆さんはこれから責任分担をするため、サタン世界に行って全部屈服させるのです。皆さんの家庭、先生に属している世界家庭を中心として先生が世界的勝利の条件を立てたのですが、それを引き受けて三年間、このアメリカ全域において新しい家庭的伝統と新しい世界へ行く道を完全に示してあげ、教えてあげる責任があるのです。これから働く責任は皆さんの責任ですか、先生の責任ですか?(私たちの責任です)。皆さんであるというよりあなたたちの家庭です。祝福を受けた人は全体動員しなければなりません。動員しない人は先生と関係ありません。今二世がカナンの地に入るか否かという冒険があります。強く雄々しく前進すべき時です。 この国を動かそうとすればこの国の大統領をキリスト教代表として立てなければなりません。上院、下院議員たち、キリスト教の信者、神を愛し、神のためにやるこのような人たちとしてつくらなければなりません。それで世界的に影響を及ぼさなければなりません。今どうですか。リベラルという人たち、非宗教的人道主義者は宗教を抹殺しようとしています。キリスト教をなくそうとしています。神がいない共産主義、イエスがいないリベラリズム、倫理のない非宗教的人道主義者すべてが神の恩讐であり、レバレンド・ムーンの恩讐であります。神と真の父母と統一教会とキリスト教の恩讐なのです。それで宗教界を連合するための運動をしているのです。先生はダンベリーに入っている間、このような基盤をつくるのに全力を尽くしたのです。その基盤が出発していることを知らなければなりません。 皆さんが見て、キリスト教界、既成教界にそのような準備が成されていますか? (はい)。四十年前、先生が韓国で摂理を出発するときに梨花大学とか韓国キリスト教を中心として駆けめぐっていた恩賜が、そこで反対を受けて止まってしまったものが、四十年後に巡り巡って、今日まで再蕩減条件が成立されることにより、初めて訪れてくる神の歴史的恩賜の時代であることを皆さんは知らなければなりません。再蕩減の上に、先生の一生の間に四十年間を苦労してこれを再び回復した権限を打ち立てたので訪れる恩賜なのです。その時、アメリカと全世界のキリスト教を吹きまくる運勢が、これから皆さんの動きによってこれが再現されて、キリスト教と自由世界を吹きまくる恩賜として前進するのです。アーメンであります。このようにするために旗手とならなければなりません。実際にそのような時のように感じられますか?(はい)。 これからの三年間は妻子のことを考えたり、家を考えたりする時ではありません。神のみ旨、神のみ旨しかありません。私には子供がいません。自分の国がありません。皆さんは神のみ旨のため、世界のため、神の創造理想のため神が願う四位基台をこの地上につくり、反対のないこの世につくるための最後の戦いであることを思って前進しなければなりません。神のみ旨を中心とした四位基台を、サタンとこの世で一人でも反対する人がいないようなエデンの園での本然の四位基台のような場をつくらなければなりません。反対する人がいてはなりません。反対できないように全部吹きまくり入れるのです。何の話か分かりますか。この三年以内に八八年までに反対のない基盤をつくっておくのです。四大国家は摂理的四大国家です。その国家というのは、アダム、エバ、カイン、アベルの四位基台国家を代表したものです。今というこの時に、摂理的運命圏がかかっているのです。韓国はアダム国家、日本はエバ国家、アメリカはアベル天使長国家、ドイツはサタン側の天使長国家で、この四つが一つになるのです。それで皆さんも知っているように、ドイツが二つに分かれています。東西に分かれて半分は神側、半分はサタン側です。韓国も南北に分かれるのです。南北は縦的に分かれたのです。北には金日成を中心としてサタンの父母のような偽りの父母が、世界的版図を前に闘っているのです。ですから北韓を料理し、西ドイツは東ドイツを料理すれば世界の共産主義は滅びます。それほど遠くありません。共産主義、民主世界が問題ではないのです。それはだれが解決するのでしょうか。今の大統領が解決するのでしょうか。そうではなく神のみ旨を知っている人が、神が解決するのです。そういうことが目前にきています。目の前で見ます。では歴史的に私たち統一教会はこの神の祝福を世界のために受け入れますか、家庭的に全世界の家庭を代表し、蕩減がない立場で受け入れるようにしますか。しませんか?(受け入れます)。 それで責任分担完遂が、サタンのいないこの世界の讒訴圏のない統一教会の群が、神の血統が地上に定着して、今まではジプシーだったのですが、これから定着する地を探して出るのです。今まではどこへ行っても「ムーニー」と言って追い出しましたが、これからは「ムーニーようこそ」と歓迎されます。この三年間に変わっていくのです。そうなれば皆さんの子供たちは迫害のない立場、神のみ旨を成した父母の胸の中で、その父母に従っていけば自然にカナン復帰完成した地上天国で生きて、天国に行くことができるのです。 七〇〇〇名を動員すると言いましたが、韓国に七〇〇〇名動員するという話を既に聞いたことでしょう。アメリカの牧師たちをこの期間に、八月十五日までに七〇〇〇名以上を教育するのです。カウサという名でもって教育したので方向性がみな定まっています。このことを中心として、牧師が約七〇〇〇名韓国に行くとすれば、韓国はひっくり返るでしょう。 では私たちの作戦は七〇〇〇名から七万名を一つにする道をつくろうとするので、韓国に七万名の外国人が連絡されれば、世界的なすべての道が個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へと連結されるのです。しかしいまだこのアメリカが国家基準と連結されていないのです。連結しなければなりません。結局アメリカにおいて先生が韓国と日本とドイツを筆とにするのです。ヨーロッパ全体を合わせてこの三年間で連合戦線を組めば、この世界がどのように変わるか見てみなさい。それではどこに行くのでしょうか。アジアに行くのです。西欧文明圏がアジアに行くのです。太陽が東から西に行くようにです。一回りするのです。それでこの西欧文明とアジアの文明との潮流が今までと逆になり、西欧文明が上にあったのが反対に下になるのです。キリスト教文明圏が今までアベルを支配してきましたが、これからはアベルがキリスト教文明を支配するので、アジアにある統一教会を中心として日本と一つとなってアジア文明圏が上に立つことのできる段階に越えていくため、アメリカが今経済的に日本に追い抜かれそうになっているのです。そうしているのは神の摂理なのです。 エバが堕落することによってサタンの天使長に与えたものを神側の天使長であるアメリカがエバ復帰のため取り戻してあげているのです。正に蕩減復帰です。 これから統一教会の信者は、日本人、韓国人、ドイツ人、アメリカ人が一つのアパートで、このごろいうマンション形式のコンドミニアムを建てているのを見る時、私たちもあのように四位基台基盤をつくっていけばいいわけですが、サタン世界が先行しているのだと思うのです。これからは結婚後生活する人たちはそのように住むでしょう。子供たちもそうです。一つの屋根の下に生活するので、御飯も一緒に作ったりするのです。それをしなければなりません。新しい伝統をつくっておくのです。 皆さんが今まで生活してきたアメリカ式を全部崩さなければなりません。皆さんがそれによって一つの氏族と共に生きるのです。一つの国家と共に一つの世界と共に生活していかなければ天国に入ることができません。何の話か分かりますか。皆さんにはまだ伝統がないのです。そのため各国の外国食口と祝福を受けた国際結婚した人を、教会が尊敬しなければなりません。アメリカで白人崇拝主義がありますが、そういう主義は過ぎていくのです。統一教会でそのような考えをもっている人はサタンです。 このようなみ旨的な見地から見て、世界が目前に来ているので最後の立場において、アメリカにいる全祝福家庭、全世界の祝福家庭は総動員してこの闘いを展開せざるを得ません。これは神のみ旨に対する私たちの使命なのです。それで総進軍することを決意しなければなりません。 これからは皆さんがどれほど先生に動員を志願したとしても動員をさせない時が来るのです。今の統一教会の皆さんよりももっと統一教会の原理を研究して、レポートで発表して教えている人たちがいることを知らなければなりません。しかし、いくら彼らがそれほど一生懸命にやるとしても、蕩減条件を立てなければ天国へは行かれません。世界的サタンと闘い、自分自身が勝利しなければなりません。父母が勝ってあげてはできません。自分が勝たなければなりません。父母が勝てる道を教えてあげてそのようにすれば勝つようになっています。そうすることによってのみサタンが離れるのであって、そうでなければサタンは離れません。もし統一教会を全部が支持すればどうなるか。労働をしてでも蕩減条件を払わなければなりません。先生が命令をするのです。あなたこのようにしなさいと。それが蕩減条件です。これから統一教会が世界から歓迎されればいい気持ちになっているのではなく私たちはもっと頑張らなくてはなりません。皆さんの二世たちには責任分担が残っていますか?(イエス)。それは永遠にイエスです。その法度を外れれば、サタンの讒訴条件に引っかかるのです。その時には地獄に入っていくだけではなく、法度に処罰されるのです。そういう時が来ます。いつも蕩減法は残っているのです。しなければ責任分担が残されるのです。 だから私たちはこのような時代において、全体蕩減を、家庭を中心としなければならないのです。祝福家庭は先頭に立って、モーセの前で抗議し、ヨシュアとカレブに抗議するのではなく、常に支持、絶対歓迎する群となって、カナン福地がいくら死ぬほどの死境だとしても、かまわず前進する決意をするためにここに集まったのであり、また、それをしなければならない責任があるので新たに決意して、出戦しなければなりません。 先生が四十年苦労したことを皆さんに三年間で受け継がせるのです。神が六〇〇〇年間苦労したことを、四十年間レバレンド・ムーンが蕩減復帰して受け継がせるのです。 神を中心として見れば、真の父母の家庭、真の父母の子女たちと皆さんの家庭の子女たちが家庭的四位基台を編成すれば、すべてが成就されるのです。そこにサタンが入ることがで来ますか。原理的に、そこにサタンが入ることがで来ますか?(いいえ)。絶対的信仰と絶対的アダム、エバと絶対的家庭を中心として、絶対的神を中心として、絶対的血統が連結されているのです。それをサタンが讒訴することができますか。 これからは国境がなくならなければなりません。エデンの園に国境がありましたか。これからは国境を撤廃するでしょう。これからは一日生活圏に入ってくるのです。だれのために。天の子女のために、このように神が理想としたすべてを主管し、すべてを一つに束ねるように努力しなければならないのが私たちの責任です。家庭、家庭が先頭に立って、統一教会の家庭でない人たちに行く道を見せてあげるのです。それでこのような世界的時代を迎えて総動員するという人、立ってください。手を挙げてください。熱心にやらなければなりません。九月一日より全体動員しなければなりません。(イエス、イエス、イエス)。神の祝福がありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.18
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「祝福子女に語られたみ言葉」1985年8月23日イ―スト・ガ―デン(金曜日 午前八時)―朝の食卓で祝福家庭の子女たちに― 難しい仕事を避ける人になってはいけません。それを成してのみ大きくなれるのであります。良いことには必ず難しいことがあり。百を越えてこそ初めて百以上を受けることができるのであります。 現在の立場において発展しようとすれば現在のもの以上を投入して、以上の立場にいかなければなりません。困難さを正面で挑戦して、かき分けていかなければなりません。信仰生活も同じであり、世界の困難さを一人で引き受けて越えていくという信念でいかなければなりません。 我々教会は、他の教会と異なってこの全ての世界の問題、価値観の没落、共産主義、人文主義思想などを解決しながら進んできたのであります。当然あることを私が越えるというように考えなければなりません。入れる力と投入程度によって消化度も異なってくるし、達成率も異なってきます。努力しないで成功することは、本当ではありません。自分が血みどろの努力をして越えた時、それが喜びであります。人は常に闘争、挑戦をして越えていくのであります。 私が歴史を学ぶことも、それを学んで、それ以上の努力をして、元返しておくためであります。お父様も私たちのような年に、数多くの悲惨なる背景と闘争、挑戦の歴史がありました。表面に見える実績と功績は良いのでありますが、その背後の困難さと努力は甚だしかったのです。人は経験が多ければ、常に比較して選定することができます。思いだけあるといって結果となるのではなく、行動が結果を生み出します。勉強して、その勉強した以上実践を通して現さなければなりません。考えよりも行動(実践)が、行動より成功が重要であります。成功というのは、全ての面に於いて優れたことを言います。一つだけ特別に優れることではなく、どのような学科でも全般的に優秀なのであります。 全ての人々が全部、成功したがっていますが、成功する人は少ないのです。我々の考えが普通の人たちの考えと似通っているならば、普通の人以上にはなりません。普通の人しかなれません。目的が高ければ高いほど力も要ります。目的に比例する全ての逆境をかき分けて、その道に山があればトンネルを掘り、川があれば橋を架けなければならないので、簡単ではありません。平地だけ願ったとしても、平坦のみではありえないし、そのようであれば大きくはなれません。友だちであろうが、多くの人々を導いてこなければなりません。 経済力と全ての力を投入して大学を卒業した後には何をすべきか。家庭を持ったならば国を得る、国を立派にする家庭とならなければなりません。出世の舞台は家ではありません。社会に出ていってどのような影響を与えるかが問題であります。導いていくということは、下っていくことではなく、上っていくことなのであります。一段高く行くのであり、平地を行くのではなく、会社であれば会社という、所属している団体で困難を引き受ける人にならなければならないし、ただ回りの気配だけを伺いながら生きようとする人はそこに留まってしまいます。 立派な人になるためには、一生の間押し寄せてくる全ての骨のおれることに、勝たなければなりません。最も尊いことは、少しやって止めてしまうことではなく、最後までやることであります。十人が始めて一人しか残らないとしても、それを成し遂げるのであります。十人の友を皆捜し出すというような人にならなければなりません。十年をいく人ではなく、私は一生行くと言わなければなりません。有名な人は頭が良い人でもなく運が良い人でもなく、最後まで継続する人であります。先生はアメリカを回す最も早く良い道が監獄であること知ったので、環境自体は私を歓迎しなかったが、そのままに進んで行き、もっと進めば道が変わってきました。環境自体が悪い時は、その悪い環境が反対することは当然である故、原則である故、悪く思わないで下さい。反対を受けながらも、その誰も成すことのできない実績を持って進んでいく時、最高に反対していた人が返ることができます。 真言をすることができる人にならなければ成りません。一日二日良いといって、喜ばないで下さい。一日よりも一年が、一年よりも十年が、良い人にならなければなりません。言葉では容易ですが普通の生活では難しいのです。誰でも一日二日、一年程度は良くすることができますが、十年、二十年良くなるというのは難しいことであります。 決心をすれば、それに誰が早く着手したかが問題です。全てのことが入力よりも出力が小さいです。投入した分位出てくるのではなく、そこには必ず抵抗要素があるために、百を入れれば七十及至八十だけが出てきます。故に私が投入した分より、もっと出てくることを願えば矛盾出あります。継続的な力が必要であり、長期的な比率の長期的な投入が絶対必要であります。短期的であれば比率も低くなり、自然に消えてしまいます。 歴史は秤と同じように動きます。 先生は一生の間休まず、自らが成すことがあまりにも膨大であるために、時間が必要であり、それで寝る時間、食べる時間を犠牲にしながら、深刻に投入しました。困難さがあってこそ価値が賦与され輝かしくなります。白金は量よりも質において内面において、完全に一つとなって不変を見せます。何でも、変わらない人が尊いのであります。人においても言葉と行動が変われば使えません。自分がやったことに責任を持たなければならないでしょう。神様もそういう人が好きです。御自身が永遠絶対であられるために、自分を犠牲にさせながらまで、不変なのであります。先生も幼い時、人の前に出ることを嫌がりました。成すことが多いのにいちいち世話をやいてついて歩くかと思ったためであります。一生安楽な日がなかったのであります。いつもお金も思いのままに使わず、良い事、人のためになる立場においては大きく沢山使われ、御自分のためには人が理解できない程にお金を使われなかったのであります。 人と違った立場において、人と違った行動をするから、全てが注視する。全ての事に精誠を込めなければなりません。平安な環境を訪ねていってはいけません。いまやキリスト教文明であるカインが、東洋文明を代表したお父様の統一教を認識して従ってくる。これが偶然ではなくて、精誠を込めた中において天運がついて来るのであります。丁度うってみるとそれがアメンオサをうったことなのであります。(アメンオサというのは、国が秘密のうちに遣わして良き治めをしているかどうかを調べて歩く人のこと。密者)。無責任な中において得ようとする人、良くなろうとする人は泥棒ないし強盗であります。常に責任があります。孝進様もお父様が行かれた道以上の努力で行こうとする時、全ての天運と恵みがくるのであり、その場においてただ楽で良いことのみを願えば、統一教会を売る泥棒や強盗となります。私の父母が苦労した以上やってみようと思わなければなりません。 苦労しなければ他の立場において、多くの努力と苦労、精誠を込めた人が恵みを奪っていきます。私が停止しても天運は続けていくのであり、たゆまず継続してついて行って責任を果たさなければなりません。エジプトに来なさいということは、エジプトの理想が、その苦労以上あるという意味であるために、それを否定せず進んでいってこそ滅びないのであります。お父様が私達をもっと苦労させて下さろうとする。それを担当していこうとする決意のない人は見向きもしません。奨学金を与えながら、これからどれ程責任を果たすかどうか、果たして残るかを御覧になります。 始まった苦労が、皆三六〇度回っていく時まで他の次元に越えていく時まで継続されなければなりません。そうでなければ苦労したということをいうことができず、いままでの苦労が泡になります。孝進様もお父様が行かれた以上の道を自証して行く孝進になる時にのみ従いなさい。価値決定というのは成功した後において決定されるのではなく周囲において認められてこそ初めて、侍られる立場に入る時に現れるのであります。最後まで峠を越えてこそ価値認定を受けることができます。一生を通して、走らなければなりません。大学を卒業したとして、良い成績で卒業したとしても、それに比例する実績がなければなりません。(万人が認めることができる)。良いことを教えてあげたならば、試験をしてみなければなりません。まず、正しく決心をなす時までは開拓をしなければなりません。先生を人々が尊敬するのは、人々ができなかったことをやったためであります。お父様も三十八度線を越えながら、私が必ず共産主義を動かしてみようと、決心をしてこられました。変わらない人は歴史的な人物に成ります。簡単であります。今日をおいて喜ばず、明日のための所望をもつことのできる人になりなさい。我々は宇宙をおいているために、後孫に歴史に功績を残す人になってこそ、歴史が後孫がそれに従うのであります。 過程にある私(我)は、動機と結果が一つになった私とならなければなりません。 先生は運動も出来ないことはないし、何でも全力投入されます。一旦成したとすれば、それのために生まれた人のようです。そういう時、全ての考えを集中しながら、時間を短縮させます。(例え・ツナ釣り)。ただ魚を釣るという考えではなく、魚を相手に無限なる研究と全般的な考えをされます。何が好きか。エサも一番良いものをあげるなどなど……。 お父様と一つとなって、枝と幹とになろうとする統一教会の役軍をみつめておられます。ただ自分の他の考えを持って、ああでもない、こうでもないとついて行く人はただ流される人であります。言葉なくても、全体を主管する人になりなさい。誰かが知ってくれないといって寂しがらず、後孫と天の前に同々たる人にならなければなりません。神様と地が知ってくれます。平凡にいきるな! 子供を可愛いという母親は多いのでありますが、子供のためになろうという母親はおりません。可愛がることは動物もなします。しかし、精誠を捧げる父母とならなければなりません。無条件に愛することが、いいことではありません。子供は愛したことは全て忘れますが、精誠を込めたことだけが残るために忘れないのであります。我々(子供)は無関心であるが、父母は常に関心をおいてみつめます。統一教会も、統一教会が好きである人のみならず、為になる人になりなさい。 共産主義を収拾しなければならない責任が我々二世たちにあります。(お父様が霊界に行かれれば)人知れぬ涙を沢山流さなければなりません。いまは西洋文明と東洋文明の順位が交叉する時であるために、総動員であります。東洋文明が上に立つ時期であるために、統一教会の人々は、みな一線に追放させます。幹部からあの一番底に入れてみると、真実の如何が明らかになります。何故ならば、ただぼんやりとついて来て気配だけを伺って来る群れは皆落ちてしまうためです。もっと勉強しなければならないし、もっと苦労しなければなりません。 何故父母よりもっと苦労しなければならないか分りましたか。金持ちの家の子供たちが滅びる理由は、皆父母たちの恵みを享けて何にもしようとしないためであります。お父様はいまや世界の平均化のため、もっと良いものをつくるため後進国家に行かれます。万民が歓迎するとしても、お父様が良い暮しをすれば滅びるために、アメリカを離れようとします。もっと発展し、高くなるために自体内において、追い込むのであります。何故、宴会の家で最後は常に賞賛が行き交うことよりも、喧嘩が容易いかということは、これからもっとやってみようとするためであります。絶対に留まろうとなさらないでしょう。家に何か良いものができても保管して人に与えます。自分は常に着ていたもの、使っていたものを、着たり使ったりします。何故かと言えば、それが楽です。新しいものであれば、私は常にそこに合わせなければいけないから、服のために僕になるようであるから、嫌です。環境を追放させて、もっと良く、善なるように作らなければいけません。周囲を気にするような人になってはいけません。堂々と、いまから良くしなければいけません。修練会の時よりもっと深刻に臨みなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.17
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「蕩減による勝利的基台」1985年8月21日ベルベディアにて 先生は一生をいかに歩んできたかというと、復帰摂理を蕩減しながら勝利的基台をつくってきたということが、総結論なのです。アメリカに来た時、数人の随行員とだけで来ました。それから闘いを始めて、言論界や各界各層に働きかけ、そこで民族、国家、背後の全世界が合わさって問題が複雑になった一番のピークの時が一九七六年でありました。その闘いは、神(天)を代表し、サタン世界とぶつかって勝利の決着をつけなければなりません。終わりを告げなければなりません。司法省で起訴する前に、先生は国外に出ていました。司法省自体は、起訴したならレバレンド・ムーンはアメリカへ帰ってこないと思っていたのです。しかし、もしその時先生が帰ってこなかったなら先生に敗者の烙印が押され、良くない汚名を歴史に残して消えていかなければなりません。 先生の一生は蕩減ゆえにこれを決死的に解消してきたのですが、歴史的なすべての宗教指導者たちの事件はすべて法廷闘争なのです。常に監獄で、その国に命を懸けて闘ってはみんな死んでしまい、恨みを残したのが宗教の歴史路程でありました。レバレンド・ムーンが歴史的決着をつけるこのような闘いをする代表者であるとしたら、全世界、地球上に住んでいるあらゆる主義や民族や宗教とか全体が統合してレバレンド・ムーンを攻撃する、そのまっただ中に立って闘わなければなりません。 そこでは、先生は、キリスト教とその歴史を中心として聖人の名をもっている人々、それから他の宗教、義の道を中心として今まで血を流したすべての霊界の人々の恨みを解いていける旗手なのです。彼らの前で義のために堂々と勝利したといえる基盤をもたなければなりません。過去においては死んだ神の代行者たちや、犠牲となった人たちは、いつもカインによって、その時代の体制によって犠牲となったのです。そうした立場から見たとき、歴史的に世界の全人類から総動員でこのように反対された人がいるとしたら、それはレバレンド・ムーンであるということは子供でも知っています。先生は、そのような立場できたのです。米国といえば自由世界の先頭に立っているし、共産主義・ソ連までも意識するそういう国を中心として、一人で闘うのです。 皆さんはイエス様の十字架の路程をよく知っていると思いますが、サタンはありったけの力を合わせて打って、監獄に押し込んで殺して、知らないふりをすればすべてが終わると思ったのです。レバレンド・ムーンが監獄に入った時そう思ったのです。しかしイエス様を死の中から復活させた神様の能力を先生は知っており、このダンベリーを中心として神は統一教会を復活させたのです。(拍手) ハーフウェイ・ハウスの四十三日間においてこの復活圏をつくっておいたのです。これがみ旨です。 先生が出てくる日とともに、結局はイエス様が亡くなって四〇〇年間キリスト教がローマを支配していったその基準を、四十三日間で蕩減するのです。全体蕩減するのです。イエス様が亡くなってから四十日後に地上基盤が霊的に再び出発しましたが、先生は地上の実体基盤をもって出発したのです。それが違うのです。イエス時代は霊的出発と同時に迫害が加わってきましたが、先生が出発する時は迫害を整理して出るのです。迫害が終わるのです。(拍手) 摂理を蕩減法という復帰摂理観的な立場から見るとき、先生がなすべき責任は先生自身が果たさなければならないということです。ダンベリーに行ってなしたことがそれです。先生が条件を残して、摂理が成就できなかった場合、困るので、全部先生自身が清算し、その結果このようなことが生じたのです。そして既成教会、キリスト教を引き連れてきました。そのようになったのは皆さんが活動したからではないのです。それは時がそういう時だからです。ですからこれから皆さんがこういうことを知って先生が勝利した基盤を押し進めていけば、どんなに大きな世界であっても問題ではありません。 例を挙げるとワシントン・ポスト紙は先生を憎みましたが、大々的に今回新聞に出したのは自分たちの意志ではありません。そうした運勢があるからです。西欧社会のアメリカという風土の中においても、無視できない基盤を掌握した男として現れたためにそうせざるを得なかったのです。すべてには契機がなければなりません。このようになる前に先生が西欧社会でなしたことは、アメリカが滅びることを予告し、ソ連が滅びることを学界を通して宣言したということでした。これが八月十五日以前、十三日から(「ソ連共産主義は終わった」のジュネーブ会議)始まって共産世界に問題となったのです。(拍手) このように見る時、今アメリカを見渡してみても滅びゆくアメリカを生かすことのできる人がいないのです。学者たちも手を挙げ、宗教家も手を挙げ、全部が手を挙げているのに、アメリカを生かすと主張しているのは統一教会とレバレンド・ムーンだけです。そのことは、はっきりと表面化しているのです。教会の指導者たちはこれで終わりだと思っていましたが、今やアメリカの若者たちが希望に満ち統一教会とレバレンド・ムーンを知って生き返る道が生じたといって燃えているという事実は、全国的にそういうムードになってきたということは驚くべきことなのです。 最近では政治、経済、宗教の指導者や学者が統一教会のみが希望である、あの団体は今後可能性があると、既に内心ではそのように思っている事実があります。皆さんはよく知らないと思いますが先生はよく知っています。そして特異なことは、今までデモをしていた大学街の若者たちやリベラルだとか言って騒いでいた人たちの間に、このようなことをしているとアメリカが滅びると言って、自分たちが一つとなって新しく生きる道を模索しなければならないというブームが起きています。これからは統一教会について調べてみようというブームが起きてきます。二世たちがそうです。 なぜなら統一教会の若者たちを見ると希望に満ちているし、大胆で、女性だとしても一人で男性以上やるのを見ると希望をもつのです。賢明な人が街に出て迫害を受け、悪口を言われながらもそれでも絶えず働いて何をするかといえば、自分たちが良い暮らしをするためではなく、アメリカの知性人たちを目覚めさせるためであることを、知性人たちは分かり始めたのです。国の指導者たちも分かってきたし、また若者たちも分かり始めてきたのです。それは、国を生かし、知性人を教育するために、牧師たちをカウサ運動で教育してきたことがよく知られるようになったのです。 学界や宗教界の指導者から政界の未来を見つめるすべての人々が、西欧社会にレバレンド・ムーンしかいないと言われるような段階にまできているという事実を見る時、私たちのみが希望であると結論づける時となったのです。西欧社会ではレバレンド・ムーンの思想でなければならないということを知るようになったのです。それは先生が言う言葉ですか? 事実がそうなのですか? そういうことをだれがなしましたか? (先生です)。 金持ちの家の主人が祝宴を開き結婚式をする時、それはだれのためにやりますか。それは主人がいくら立派であるとしても、結婚式は新婦や新郎のためにあるのです。それはいかなる話かといえば西欧社会に神の祝宴が開かれるとき、レバレンド・ムーンが悪口を言われたりしてもその祝宴は結局だれのためにやったのでしょうか。だれがやらせたのですか? その時レバレンド・ムーンがいなかったら祝宴もめちゃめちゃになってしまいます。それではだれがやったかといえば神様がなし皆さんがなしましたが、しかし実際は祝宴の主人であるレバレンド・ムーンがなしたという結論がつけられなければなりません。ですから、だれがやったことになりますか。それを知らなければなりません。どのようにやったかといえば蕩減条件を立てなければすべて失敗します。蕩減条件は神が立てるのではありません。レバレンド・ムーンが立てたためにできたことを知らなければなりません。このように見る時、自由世界が頼るのは私たちしかないということが表に出てきたという結論なのです。 共産世界が既に統一教会に脅威を感じていることは共産世界の学者から為政者たちに及び、彼らは共産主義が滅びる段階に入ってきたので希望がないのです。そして、共産世界の二世たちは自由世界のアメリカを夢見、アメリカが良いと思って来ても失望するのです。それでも彼らがまだ生きているのはレバレンド・ムーンがいるためであると結論づけることができるでしょう。彼らにとって一番恐ろしいのがレバレンド・ムーンです。ところで、共産世界において共産党を一番嫌がっているのはその共産党幹部の息子、娘です。全部が偽りであると嫌っている群れですが、その幹部たちが私を一番嫌がるので、私に最も関心をもっているのは共産党幹部の息子、娘なのです。そうなっています。彼らにはたとえ旗手がいて指導しなくとも、自動的に西欧社会に来るようになれば、統一教会しか来る所がないのです。それを知らなければなりません。 このように見る時、今は統一教会が神主義を中心として共産主義に終わりを造げ、民主世界の混乱に神主義を主張しながら、これから始まるのではなく、すべての体制を整えて世界的基盤をもって出発できる時代が既に私たちの目前に近づいている事実を知らなければなりません。 このように考える時アメリカも先生に救ってほしいとすがってくるし、共産世界も私にすがってくるのです。それで先生 は逃げ出そうと思っています。(笑い) 今まで苦労してきたのにまた苦労しなければならなくなりますからね。右は右の強盗、左は左の強盗のようで、これらがすべて私にすがってきて助けてくださいというのですが、これらをどのように連れていくべきでしょうか。アメリカ一つを連れていこうとするのに二つが共に寄りすがってきた場合どうしたらいいでしょうか。さらにアフリカ地域も、中南米も私の国を生かしてください、ヨーロッパの貧しい国も自分の国を生かしてくださいというので、先生はどうしたらよいでしょうか。餅が一つしかないのに食べる人は数千名なのです。もう逃げるしかないのです。 神は“私の願う時が来た。私の息子は必ず喜んでやり遂げてくれるだろう”と考えられます。先生は喜んでというよりも、心配でいっぱいです。逃げ道はないだろうか。神に「逃げます」と告げても逃げることはできません。逃げないとするならば、その重荷でつぶれそうになります。どうしたらよいのでしょうか。実に問題が大きいのです。先生の立場は難しいのです。そこで先生は神に一つの要求をします。「私はキリスト教の反対の中にあっても第二次大戦後四十年かかってここまでやってきました」。幼い者たちを教育し、彼らを用いるようになるまで何十年もかかってきました。そういう説明をしながら「神様、どれくらいの時間を下さいますか」と聞くのです。そうすると神は「できるだけ短時間で、稲光のようになせ」と言われるでしょう。間違いなくそう言われるでしょう。先生は神の性格を知っていますから。しかしレバレンド・ムーンはいまだにそうすることのできる基台がないのです。どうしたらいいでしょうか。 そうした期間を四十年間で収拾してしまってはすべてが滅びます。四十年後にはどのようなことが起こるかといえば、ここに喜んで来ている人たちはみな死んでしまいます。今、乳を飲んでいる若い群れを待たなければなりません。しかしそれでは困るのです。問題は大きくなります。どうしたらよいのでしょうか。現に口を開いて話をすることができ、自分の主張が言えて闘える群れ、すなわち準備された群れが必要となっているのです。 世界の四十億人類を動かし、それを食べさせるには統一教会で間に合うでしょうか。一口ずつ一日三スプーンずつ口に入れるとしても、どれほど人が動員されなければならないでしょうか。 先生はこれから統一教会の上にいる人たちを全部下に降ろしてしまわなければならないと思います。上をそのようにすると皆さんはどうするでしょうか。先生が今まで蕩減復帰時代が終われば良い時代が来ると言われ迫害もなく良い時代が来るのは来るが、私たちの時代が来るのには来るが、寒くて行くことのできない道が出てきたのです。これをどうしますか。皆さんは今まで迫害がないことを願ってきました。迫害がないということは最終段階です。これからはムーニーと言って誇れる時が来るのです。(拍手) 誇ることはいいのですが、乞食のような群れを食べさせなければならないし、彼らを生かしてあげなければならないのにどうしますか。先ほど先生が言ったように逃げ出したいと言いましたが、ムーニーとか何とか言う前に皆さんは間違いなく逃げていたに違いないでしょう。そうなると神は「あなたは蕩減をすべて果たしたので休みなさい」と言うでしょう。神が先生に特別な景品券を発行するでしょう。これからレバレンド・ムーンはこの特別景品券をもってどこに行ってもいいし、自由に生きなさいと。そしてたとえ自由にしても罪にならないのです。すべてはOKです。何をしてもよろしいと言うのです。 一つ困ることは皆さんが一緒に出ようとすることです。ムーニーたちが共に出ようとするから大変です。ミルクを飲むような赤ちゃんはさておいても、成長した者たちまでがついていこうとすれば神は大きな棒でたたかなければなりません。そういう結論が出ます。これまで先生を苦労させたのに、まだ苦労させようとするのですか。私たちが自分なりに楽をしようとすれば、統一教会はここで滅びるのです。滅びます。間違いなく滅びます。 アメリカで一番高い山は何ですか。マッキンリー山です。西洋人はこれは高いと誇っていますが、高くなるためにはこのぐらいの根となる反対の山がこの中に入っているのです(図1で示す)。ですから高い所にあるものは、この深いところにあるものと垂直に運動をするのです。この運動は線でなされ、円運動になっていきます。(図2で示す)この下にアメリカが生きるし、世界のヒマラヤのような山でこのようにすれば世界がすべてその中に入ってきて生きるような道が生じます。 どうですか? ここまで聞いて力がみんな抜けましたか? (いいえ)。きのうバンケットに参加した人は気持ち良かったでしょう。(良かったです)。そこにいた牧師たちはレバレンド・ムーンに飽くし湯を求めてやって来たのです。(しぐさで示す)。統一教会の人たちが先生に握手を求めてきたことを見たことがありません。みんな固くなってしまいます。 統一教会の万物復帰をする伝統を立てていなかったら今日このように多くのアメリカの知性人を連れて来て教育することができたでしょうか。牧師たちがその教会員の働きぶりを見て、レバレンド・ムーンはどうしてあのように人々を指導できるのかと驚いています。これからは牧師たちを連れてきてやらせます。そうするつもりですよ。統一教会の人たちはだれでも万物復帰はよくできると聞いているので教えてくださいと言われた時、皆さんはどうするつもりですか。皆さんは牧師たちに教えてあげる権威をもたなければなりません。(はい)。先生は信じられませんよ。(いいえ)。ではこれから何カ月間かテストをやってみなければなりません。(はい)。その時、「私は子供がいるので万物復帰に出られません」、と言うのではないでしょうね。(いいえ)。先生はこれまで皆さんにどれほどだまされてきたことでしょうか。今回、一度テストしてパスさせます。 今までは出てきてから悔しかったことを全部蕩減したりしました。私が悔しく思っていることは、皆さんも悔しく思ったことと思います。それを蕩減するのです。先生が監獄に一年いる間どれほど苦労していたか知っていますか。皆さんは楽に眠り、楽に生活したかもしれませんが。その時でも先生は働き続けていました。それはアメリカを生かすことのできる伝統的基盤をつくっておかなければ、神のみ旨が滅びてしまうからです。そのことがどれほど申告なのか分かりません。共産世界においてもレバレンド・ムーンを知っています。自分たちの希望はレバレンド・ムーンに会うことである。共産世界もそのようなことを知っているのです。民主世界の指導者層も知っています。このように見ると世界の版図は私たちの目前に来ています。これを消化することのできる主体勢力が確立されていないとしたら、これ以上の嘆かわしいことはありません。 先生はそういう時が来るのでアメリカとか先進国家が全部先生を後援するとしても、先進国家がもっている力を先生一人の力ですべて準備するのです。これから科学技術世界においてもレバレンド・ムーンが問題の人物であることを皆さんは知らなければなりません。先生が命令さえすれば何でもつくることができます。皆さんは先生が何をしているか知らないと思います。 きのうのバンケットの主賓テーブルには著名な人々が席を並べました。彼らか先生に直接会うのは初めてです。しかしこのように身近かな所で会えるそういう基盤が一日二日でできるでしょうか。ですからこのような時になったので荷が重くなってきたし逃げ出したくなるのです。どうしたらよいのでしょうか。それには方法が一つあります。この蕩減の荷を一人一人に分け与えるのです。(はい)。では皆さんはその分けた塊の中で一番大きいものを持ちたいですか。それとも一番小さいものを持ちたいですか? (大きいものです)。 このようになるとどういう問題が起こるかといえば賢い日本は、「日本人は体が小さいので小さい荷を下さい」。(笑い) アメリカはどうでしょう。「アメリカ人は巨人のようであるから私たちは大きなものをもっていきましょう」と言います。イエスですか、それともノーですか? (イエス)。日本人は賢いのでこれを運んで他の人の倉庫に入れるのを嫌います。ですからこれを自分の倉庫に入れなければと思う時は、ありの群れのようにつかんで持っていくでしょう。どうなるでしょうか? (笑い) そうするはずです。どうしますか? 「私たちアメリカ人は高尚な人々であり、尊厳のある民族だからそんなことはしません。さあどうぞ持っていってください」と言いますか。皆さんの妻や家を取っていってしまいそうなのにどうしますか。今までは日本人が先頭に立ってやってきました。しかし今後は皆さんが先頭に立ってできますか? (はい)。そうするという人は立ってみてください。私が見ておきましょう。では座ってください。(笑い) 立っていなかった人はどのような人ですか? 皆さんはスパイなのですか。ひょっとしたらスパイかもしれませんね。(笑い) 先生が逃げたとしたらどうですか。逃げてもいいですか、逃げないほうがいいですか? いたほうがいいですか、それとも逃げたほうがいいでしょうか。どうでしょうか? では皆さんが責任を果たすというなら、私は背後でやるかやらないかを見ることにしましょう。 きょうから先生は服も簡単に着ているのです。(笑い) もし靴下を脱ぐことで世界の人々を救えるならそうします。ディスコ大会もします。(拍手) 日本ではあまりにも苦労させたので、ディスコをやる時は互いに触れ合ったりしないならやってみなさいと言ったのです。ただ単にいつのまにかディスコをやる国になってしまったらいけないのです。それはもちろん聖なるディスコです。アメリカではまだ行いません。日本ではあまりにも苦労したので、一度体を伸ばしたり、運動をやってみたのです。高くなったら低くなるのが原則でしょう。日本人と競争するようになる時、皆さんは勝ちたいですか、負けたいですか。日本人と闘いますか。それでは何をもってですか。それはみ旨の業績をどれだけ上げたかというコンテストですよ。 では先生が逃げなくてもいいと皆さんが言ったので先生がどこに行っても干渉してはなりません。(はい)。この闘いは何かといえば、今日まで先生が四十年間闘って勝利したものを三年半で皆さんに相続しようとするのです。しかし実際は三年半も残っていません。その間に皆さんに相続しようとするのです。この期間はカナン福地期間と同じように定着する期間です。私たちが定めている所期の目的を一九八八年までに達成したいとするならば、きのうも話したようにエジプトでの観念はすべて忘れて先生のみ言、モーセの話を絶対視して、命令に従っていく道を絶対視して、行動を絶対視することのみが残された唯一の道です。 このようになる時アメリカに新しいブームが起きて統一教会に人々が押し寄せてくるようになるでしょう。その押し寄せる人々の力に対し、例えばロープにしても二本では強くなく、三本四本と束ねれば、千、数千の力のものを引っ張ることができるのです。ですから三位基台の組織があるのです。このように今の摂理は二つではできません。三か四位基台を中心として押し込めれば全部入るので、家庭を中心とした四位基台出動時代が来るという話をしたのです。 回っていくのに、そこには千の枝、万の枝を入れられます。国も入れられるし世界も入れられるのです。それを引っ張っていきさえすれば神が直接引っ張っていくのです。これまでは統一教会は一人のジプシーでしたが、統一教会の家庭ジプシー団出動命令を出すのです。「レバレンド・ムーンが牢獄を出てきたから、これからは家庭までが出動するのだ、ほらみなさい」、と言いますが何年間だけを見てみなさい。そのようにして定着するようになれば世界を占領することのできる家庭として定着することのできる時になったことを知って、そこに準備しなければなりません。 これからの伝道は素晴らしいのです。昔は朝決心し祈祷して出かけ、きょうだけは失望しないで帰ってこようとしたのですが、ぼろぼろになって帰ってきました。しかしこれからはそうではありません。(拍手) このことを皆さんが相続するようになる時、蕩減歴史はこの地球上において解消されてしまうのです。その地域を私の手でかせいで、アメリカを私の手でかせいでこの国の行くべき道を示してあげるのです。先生はアメリカを発ちましょうか、見物するために残っていましょうか。地方の責任者が多いですが、今までのように先生助けてくださいと言うのは誤った話です。皆さんが先生を助けてくれなければなりません。何の話か分かりますか? (はい)。では先生を助けてくれますか? (はい)。では一カ月どれくらい助けたいですか? (完全にです)。深刻なのです。少なくとも皆さんは三六〇軒を回って彼らを伝道しなければなりません。そのために新たに全部が出動する時が来ます。総出動を決心しますか?(はい)。それをするという人は立ってください。神に感謝します。(拍手)間違いなくやらなければなりません。これで先生のお話は終わります。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.17
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二世が歌う「勝利の日まで」です。승리의날까지 勝利の日まで辛い時静かに歌っていた母の歌が···この歌が流れる度に決意のこもった表情で 一緒に歌っていた父の姿が…今なら分かるような気がします。힘이 드실 때 나지막이 부르시던 어머니의 노래가...이 노래가 흘러 나올 때마다 결의 찬 표정으로 따라 부르시던 아버지의 모습이...이제는 이해할 수 있을 것 같습니다.真の父母様と一つになろうとみ旨の前にすべてを捧げてきたお母さん、お父さんが歩んできたその道私たちもついて行きます참부모님과 하나되고자 뜻 앞에 모든 걸 바쳐오신어머니, 아버지께서 걸어오신 그 길.우리도 따라 걷겠습니다.· 제작 : 김은아(선학역편 2021년 하반기 인턴)· 노래, 연주 : 사도 히메카(선학역편2021년 하반기 인턴)愛唱歌「勝利の日まで (승리의 날까지) - YouTube」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.17
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1985年8月20日、文鮮明総裁がダンベリー監獄から完全出監された日です。「神のみ旨」1985年8月20日ワシントンD・C「神と自由」晩餐会にてショアハム・ホテル・リージェンシー広間 神と自由委員会の名誉議長と委員の皆様、国中からお集まりいただきました牧師の皆様、紳士淑女の皆様。 牢獄から出てまいりました私を、アメリカ合衆国の各地を代表し、また多くの宗派を代表してこのように盛大に歓迎していただきましたことを心から感謝するとともに、恐縮する次第です。私はまた、法廷闘争中、最高裁への法廷助言書の提出の際に、宗教の自由を守る会議と大会、祈祷会、同苦会、カウサ牧師同盟において、私を支援してくださった皆様に心からの感謝を申し上げたいと思います。また、私がダンベリーにいる間に、私のために祈ってくださり、多くの手紙を下さいましたことに感謝申し上げます。私は決してこのことを忘れないでしょう。 私は、人生において六回の投獄を経験しました。過去もそうでありましたが、今回の牢獄においても、神との感動的な体験がありました。私がそこにいたのは、私の個人的行為や過失によるものではありませんでしたが、私を迫害した人々を恨んだり憎んだりする思いをもったり、また私の無罪を申し立てることに牢獄での時間を費やしたのでもありません。私は、世界に対する神のみ旨を成就するためには、アメリカが何をなさなければならないかということを理解するため、祈りと瞑想に時間を捧げてきたのです。 私の全宣教生活と生涯の根底にある決意は、神の大きく長く続いた苦しみを取り去ることです。世の中が神の苦しみの心情に対して無知なるがゆえに、私の仕事と統一教会の仕事は長い間誤解され迫害されてきました。しかし、神のみ前に私の使命は切迫していることを知っていたので、一般大衆、キリスト教会、国家、あるいは全世界は言うに及ばず、私の家庭から理解されなくとも、これらの迫害は、私にとって大したものではありませんでした。 生涯を通して、私は深く神と交ってきました。数えきれない霊的体験を通じて、神の心情と神の愛を知るようになったのです。私は、いつもこのことを証してきました。私にとって神は、想像の圏内に存在するぼんやりとした神ではありません。神は生きておられ、私は、心情において神と直接に関係してきました。私は、身体の細胞一つ一つにおいて神を体験してきたのです。 私は、私と同様に神のみ旨の成就に携わってこられた牧師の皆様にあいさつ申し上げていることを承知しております。今日、ここに私を歓迎してくださることは、レバレンド・ムーンという人間に対する個人的歓迎ではなくして、私が人生を懸けてきた神のみ旨に対する誓約であるということを、私も皆様も知っております。神のみ旨を行うことは、私たちの共通かつ最大の関心であります。したがって、私は、神のみ旨に関してこれまで知り得たいくつかのことを、皆様と共に分かち合いたいと思います。 私たちの生ける人格的な神は、永遠、絶対そして不変です。したがって、神のみ旨も永遠、絶対そして不変です。神が人間を創造された時、神は目的と理想をもっておられたに違いありません。神の目的と理想は、神を全人類の親とする真の愛で結ばれた世界であります。神の真の愛のもとに、全人類は一つの調和した家族世界に住む兄弟姉妹となるでしょう。神の理想とは、神のもとにある一つの世界の創造ということになります。 愛の実体である神は、愛の目的のために森羅万象を創造されました。人は、自分一人で愛することはできません。愛するためには主体と対象が必要です。したがって、神が絶対的に必要なものは、神が愛することのできる対象です。神は愛を動機として、宇宙を創造されました。特に、神の似姿にかたどって創造された人間は、創世記一章二七節にあるように、目に見える実体的な神の愛の対象として創造されました。 全類にとって、神は永遠なる、目に見えない内的な親であり先祖です。完成したアダムとエバは、全人類にとって、永遠なる、目に見える外的な親であり先祖になるはずでした。 最高かつ最も神聖な愛は、永遠に神を中心として、主体と対象が愛を授受して一つになった時に生まれます。この真の愛において、おのずと完全な統一が生じ、全生命が相互に結ばれ、神の理想が実現されるのです。神の本然のみ旨は、神の愛する子女であるアダムとエバが、見えない創造主の目に見える生きた反映となり、永遠なる愛を所有して愛と生命の理想を完成させることでした。 創造主と被造物は、決して同等にはなれないと一般に思われています。もしそうであれば、愛の理想は神にとって決して可能なものとなり得ません。神の愛の理想は、神の子女であるアダムとエバを神の目に見える実体の対象とし、神と一つになることでした。正に、コリント人への第一の手紙三章一六節にあるように、神は人間の内に住みたいのです。 目に見えない神の愛の理想は、男性と女性(アダムとエバ)が本質において完成した時に実現されます。神を中心として、心と体の完全なる一体化を達成した時に、人間は人格を完成して、神の真の対象になるのです。これは、神の愛、神の理想、神の生命の永遠なる対象になることを意味します。 アダムとエバが、神の真の実体の子女としてこの理想を達成したなら、当然、彼らは子供を生み、理想家庭をつくり、ついにはその家庭が理想社会、国家、世界へと発展していったことでしょう。神の絶対的な愛に人間が完全にこたえた結果として、すべてのものが、生命の最高の喜びと幸福の極致を獲得し、最終的には天国を達成したことでしょう。 神は、まず地上に天国が実現されるようにとアダムとエバを地上に創造されました。理想的な人生を過ごした人々の魂は、地上生活ののちい、霊界の天国に行き、そこで永遠に住むようになったことでしょう。万物は、それぞれペアで創造されており、人間のために創造されています。このために、万物は愛の原則のもとに調和して住めるようになっています。人間から流れ出る神の愛によって、万物は神の生命と理想の実現に参加するのです。 アダムとエバが成長している時に、万物は彼らにとって愛の教科書以外の何物でもなく、無限なる種類の愛の現れを見せていました。神の男性と女性を象徴するアダムとエバは、神の愛の教科書、つまり自然界の生活を通して、だんだんと愛に目覚めていくようになっていました。彼らは完全に成熟して、結婚の理想を実現するはずでした。 それが、神の創造の究極の目的でした。神の愛は、神と人間の縦的愛の関係にだけ向けられたのではなく、縦的愛の完成後は、アダムとエバの横的愛の関係にも向けられていました。最初から見えない主体として存在している神は、神の愛に反応してくれる誰かを切望し、目に見える完成した神の対象である男性と女性に会うことを待っておられました。そのような愛があったなら、どんなに刺激的で満たされることでしょうか。そのような瞬間に、内的な親である神が、外的な親であるアダムとエバの内に住まわれ、彼らと完全に一つになるはずであったし、正にその瞬間に愛の理想が達成されたはずでした。アダムとエバは、目に見える世界の永遠なる親となったことでしょう。これによってアダムとエバは真の父母、全人類の最初の真の先祖になるはずだったのです。 この真の愛はあまりにも貴重なので、そのような愛を犯すことは、最大の犯罪であり宇宙的規模の犯罪であります。不道徳、若者の堕落、家庭の崩壊、近親相 姦、同性愛そして言語に絶する犯罪の数々、これが今日の世界の現状であり、それゆえに神は苦悶しておられます。創造理想は、気高く永遠なる愛を基台として完成した家庭を達成することですが、どうして今日の悲劇的現実が起きたのでしょうか。終末が近づくにつれて、人間堕落の罪が社会にはっきりと現れてきます。私たちは、蒔いたものを収穫しているのです。 私は、人間堕落の詳細を論ずる時間はありませんが、堕落の事実を発見するために何年間も苦悶したということを申し上げたいと思います。そして、堕落の原因は、人類始祖と天使長を巻き込んだ不道徳であったことを証言します。 統一原理によれば、サタンは概念的存在でもなけば仮想的実体でもありません。サタンは現実の存在であり、愛の理想を破壊して、人間の血統を神の主権から自分の主権に移した極悪人であります。イエス様御自身が、ヨハネによる福音書第八章で、悪魔が人類の先祖であるとはっきりおっしゃっています。悪魔、すなわちサタンは、神がアダムとエバによって実現しようとされていた愛の理想と、アダムとエバを神御自身の外的自己の位置にまで引き上げるはずであった愛とを破壊した、正に姦夫であります。このことは、皆様方には耳新しいことかもしれませんが、これが真実です。私が人生の根本問題に対する解答を探し求めていた時に、霊界において血みどろの闘いを通して発見したものであります。もし真剣に深く祈ってくださるならば、これらの解答を肯定なさるようになるでしょう。 それでは神は、サタンの罪を罰するのになぜそんなに長くかかったのでしょうか。サタンは神から愛の理想を盗み、偽りの親として、偽りの愛によって人類を所有し、神の位置を奪っています。ですから、神は人間の血統をサタンの主権から移行して、人間を再び自分のものであると主張することから始めなければならなかったのです。 堕落のために、神と人間との関係は切断され、真の愛を中心とした本然の授受作用による正しい人間関係も失われました。真の愛を土台にした人間同士の調和に満ちた統一も、生命の喜びも共に破壊され、個人は敵同士になりました。世界は、不信に満ちた地獄になったのです。 神の創造の御計画は、男性と女性を真のオリーブの木として創造し、地球を豊かな国にすることでした。堕落は、その代わりに人類始祖の血統をサタンが支配し、野生のオリーブの木からなる荒野を造ってしまいました。神は野生のオリーブの木を切って、真のオリーブの木であるキリストに接ぎ木したいと思っておられます。しかし、神は何らかの基台がなくては、サタンが所有している野生のオリーブの木を切って接ぎ木することができないのです。神が宗教を立てられた理由は、正に神が野生のオリーブの木を切って、真のオリーブの木に接ぎ木することのできる御自分の庭を造ることでした。宗教の基台の上で神はメシヤを送り、真の木であるメシヤを通じて人類を神に接ぎ木しようとされます。これがメシヤ思想の本質です。 この観点からだけでも、私たちは聖書の新生の教理を正しく理解することができます。神は、サタンの偽りの主権から人々を引っ張り出して、サタンの愛よりももっと強い愛によって人々に新生を与えます。すべての人々は偽りの愛の両親や先祖から生まれ、偽りの愛の血統に陥るのですから、すべての人々はもう一度生まれなければなりません。そして今度は、真の愛の両親や先祖から生まれ、真の愛の血統に入り、神の真の子女や民となるのです。イエス様の血と聖餐式は、両方とも人間をサタンの血統から神の血統に移行する過程を示しています。 すべての人々が再び生まれなければなりません。これはすべての堕落人間の運命です。これがたとえどんなに難しくとも、私たちはこの道を行かなければなりません。サタンの血統から神の血統に接ぎ木されて、新生することなしに救いはありません。私たちはサタンの血統に生まれていますので、新生の過程においては、完全な自己否定が要求されます。それは、進んで自分の財産、自分の伝統と文化、自分の世界観までも否定するということです。私たちがサタン圏内で既に所有しているものは、絶対に神に認められません。私たちは、再び生まれるために、それらを放棄しなければなりません。自分自身を真の木に接ぎ木するために、私たちはすべてを切断しなければならないのです。 真のオリーブの木として来られたイエス様は、御自身が真の親です。私たちに新生を与えてくださる真の親としてイエス様は来られるので、神のもとに帰るには、古い関係と愛着を切るようにと教えられました。マタイによる福音書一〇章三六節には、人の敵はその人の家族におり、自分の両親や家族がイエス様に従うのを邪魔すれば、彼らを切り捨てなければならないと、イエス様は戒められました。 親愛なる牧師の皆様、私たちの仕事は、神のみ旨を学び、それを実行することです。私たちは、神のみ手の中にある男性と女性にならなければなりません。私たちは、喜んで神の召命に応じられる者にならなければなりません。私たちは、決して、神に個人的な救いと自分の天国だけを求めてはなりません。メシヤの召命に応じ、メシヤとメシヤの大義のために生きかつ死ぬことは、真のクリスチャンとしての私たちの特権ではないでしょうか。 私たちの宗教、宗派は、全能なる神のみ旨のために存在しなければならないのであり、狭い考えを伝播するために存在しているのではありません。神は狭い考えの中には住むことができません。神は宗派心の強くない方なのです。神は宗派主義を越えて遠くを見られます。神は排他的教義の中に閉じ込められてもいません。というよりは、神は私たちすべての親であり、神の無限の愛は民族や皮膚の色を区別しません。神は民族主義や文化的伝統の壁を認めません。神は、今日全人類を抱き抱えるために精いっぱい尽くしておられるのです。 親愛なる牧師の皆様、宗教の自由の天国であるアメリカにおいて、レバレンド・ムーンの入獄の結果として、全国的な宗教の自由運動が燃え上がったのは単なる巡り合わせとお考えでしょうか。実は、これは偶然ではなく、舞台裏で神の摂理が働いているのです。自由世界の旗手として、共産主義の現実的脅威をあざ笑ってきたアメリカが、今、カウサ牧師連盟を通じて現在の脅威の深刻さに気づき始めているのも偶然の一致とお考えでしょうか。カウサ牧師連盟は、壁のない、本当の超教派の運動であり、この国で燎原の火のように広がっています。私たちは、これを単なる偶然と呼べるでしょうか。 アメリカは、神の霊と愛に基づいて建国された国家です。特に第二次世界大戦後は、世界の救いと自由を愛する人々の団結のために、神は、アメリカを国家群のリーダーとして育成されました。内的には、神はこの国を再臨のメシヤのために準備され、世界に責任をもつ国として準備されていました。 残念なことに、この国の歴史的な神のみ旨を無視し続けています。アメリカは、自国だけが世界であるかのように、偽るの慰めを楽しむことを好んで、世界的責任からはどんどんと退いています。この態度は、もちろん、アメリカ内外の問題を増大させるのみです。深刻な人種問題、社会的、倫理的そして道徳的価値の低下、宗教生活とキリスト教信仰の衰微、そして唯物主義と共産主義の台頭は、無視したからといって愛えるものではないでしょう。 神は、これらの問題のゆえにアメリカに来るようにと私を呼ばれました。キリスト教は苦悶して悔い改め、そして団結しなければなりません。私たち牧師も自分を振り返って悔い改めなければなりません。私たちは、イエス様が地上に来られて、世人(よびと)に悔い改めるように言われた時代を再び生きているのです。その呼び声が今、繰り返されています。神が私たちに授けてくださった世界的使命を私たちは成就しなければなりません。言うまでもなく、アメリカは変わらなければなりません。新しい宗教改革が起こらなければならないのです。キリスト教は宗派主義を越えて、より高い次元に上がらなければなりません。私たちはキリスト教の使命を悟り、深刻に考えて世界的スケールの超教派的文化的革命をリードしなければならないのです。 今晩のこの再会を記念して、私たちはキリスト教本来の道をたどる決意をしなければならないと思います。私たちは、再臨のメシヤを迎え、神のみ旨を成就する手伝いができるように、その道を前進しなければなりません。 神のあふれんばかりの祝福が、皆様と皆様方の家庭と、アメリカの全教会にありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 以下は、『ファミリー』(1985.10月号)P.35・36からです。※ 聖水伝授式は「二十日」ではなく「八月十六日」でした。ミスプリです。
2021.12.16
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[日本語]シンクタンク2022年宗教間フォーラム2021年12月18日土曜日の午前9時30分ーtv.peacelink.live一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.16
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異邦人サマリア人氏の11月22日記事「 基元節奉献はお父様の生涯のすべてだった (fc2.com)」に対した、私の11月29日記事「異邦人サマリア人氏へ--私たちに代わって十字架を負われた真のお母様 | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」で反論していました。さて、サマリア人氏の記事で一番の問題としていたのは、2013年天暦1月13日にあった基元節行事でお父様が「真の父母の聖婚式は蘇生期(1960年)、長成期(2003年)、完成期(2013年)の三段階で完成すること」を繰り返し語られましたが、その第3番目のそれであったかでしたが、定期刊行物「トゥデイズ・ワールド・ジャパン」2013.4(天暦2月号)のP.11にて、当時の家庭連合からの公式見解を発表していたということです。「トゥデイズ・ワールド・ジャパン」2013.4(天暦2月号)のP.11をお読みください。----->引用開始「天地人真の父母様天一国即位式」では、天地人真の父母様の完成的聖婚式であり、戴冠式が挙行されるとともに、天一国が満天下に宣布され、続く「天一国基元節入籍祝福式」では、全祝福家庭が天一国に入籍する入籍祝福式を受けました。-----<終わり以下フォト参照:私が提示した一文を拡大しましたので、間違いなく「完成的聖婚式」は挙行されたことを、異邦人サマリア人氏、改めての確認を願います。このように自称ルポライタイーtomy4509からの提示にも関わらず、サマリア人氏記事「 基元節を完成させるのは顯進様 (fc2.com)」(2021-12-08付)は欺瞞・虚偽としか言いようがありません。基元節奉献はお父様の生涯のすべてだったという記事で説明したように、アボジが計画したかたちの基元節は未だ奉献されていません。基元節が未完成だと結論する根拠は、4つあります。①完成期の聖婚式がなされなかった。②男の子女様が軒並み不在だった。③父母、子女、孫の三大王権が成立しなかった。④南北統一の実体的な基盤がなかった。顯進様は長孫として、基元節を完成させる責任があります(いま真の家庭の長孫は誰なのか)。これはかたちだけ儀式をすれば良いという話ではなく、①から④までの条件が満たされなければなりません。そして①はオモニとの、②は國進様・亨進様との和解が要求されます。お互いの責任分担が果たされない場合は、顯進様を一代目として全てを達成していくことになります。分裂が確定した状況では、独善的に聞こえることでしょう。そもそもここまで摂理が形骸化して、いまさら基元節とかどうでも良くなったと。サマリア人氏は当時オンラインで基元節に参加されながらも、「完成期の聖婚式」を認めようとはされない(①)のは何故でしょう?なおも叶わぬ夢、三男・文顕進氏が家庭連合の後継者になることを願ってのもので、「アボジが計画したかたちの基元節は未だ奉献されていません。」と、基元節そのものまでも否定する立場を表明していました。そこまでしても顕進氏でなければならない理由はどこにあるというのでしょうか? 私には疑問です。「基元節を完成するのは顕進様」でなければならない理由(基元節が未完成だと結論する根拠)として四つ挙げていました。①完成期の聖婚式がなされなかった。これは、家庭連合の公式見解を受け入れようとしない異邦人の考えです。2000年前の律法学者らと同じような過ちの繰り返しをされていないですか?②男の子女様が軒並み不在だった。これは本当ですか?「トゥデイズ・ワールド・ジャパン」2013.4(天暦2月号)のP.11(フォト)をもう一度ご覧ください。五男さん、七男さんの姿もありました。別フォトからは四男さんの姿も映し出されていました。いなかったのは、三男・顕進氏ということで「男の子女様が軒並み不在」は撃沈されました。③父母、子女、孫の三大王権が成立しなかった。これもほんとうですか?同じページ左下フォトです。長男・文孝進様の長男(長孫)が真のご家庭を代表して立派な勤めををされていました。したがって、③も撃沈です。参考記事:「文鮮明先生御言選集 19850816 - 「一勝日におけるみ言葉」--孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです | 」④南北統一の実体的な基盤がなかった。お父様聖和直後であり、お母様が子女様方に代わって3年間の侍墓生活を成されてのち、東奔西走されながらもその基盤を築いて来られました。自称ルポライタイーtomy4509が検証してみれば、異邦人サマリア人氏の「基元節を完成させるのは顯進様 (fc2.com)」は明らかな虚偽・欺瞞に満ちたものだということです。異邦人サマリア人氏は以下のようにも結論付けています私はこのような信仰観を持たれる方が長孫である限り、基元節は必ず成就すると期待しています。どのくらい時間が掛かるか、その場にオモニらが参席されるかどうかは、責任分担なのでどうすることもできませんが。神様が復帰摂理を諦めない以上、基元節は必ず誰かが完成させなければなりません。それがあまりに非現実的なので、誰もが枯れた骨のように(エゼキエル37章)諦観しているのではないでしょうか。基元説を完成させることができる人間は地上でただ一人、顯進様だけです。これから枯れた骨が生き返り、霊が吹き込まれる姿を目撃することになるでしょう。基元節における主人は「天の父母様(神様)」「真の父母様」であり、神様と真の父母様の結婚式でもありました。子女様がその結婚式の主礼を務めることなど出来なかったはずです。私からはサマリア人氏には「沈黙」の選択肢も挙げていました。しばらくはそうでしたが、それを続けることが出来なかったようです。だからといって、事実を書いているというものでもないことは今回のそれからもうかがい知ることが出来ました。「悔い改めよ。天一国は来たれり。」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.16
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「一勝日におけるみ言葉」1985年8月16日イースト・ガーデン過去記事(以下)に掲載済みです。お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その1) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その2) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その3) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その4) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その5) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.15
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THINK TANK 2022 INTERFAITH FORUM 広報映像THINK TANK 2022 INTERFAITH FORUM朝鮮半島平和のための宗教の役割2021年12月18日午前9時30分PeacelinkTV(tv.peacelink.live)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.14
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PeacelinkTVホームページからの【LIVE案内】です。第2回 天の父母様聖会 天寶家庭孝情証詞大祝祭天一国9年 天暦11月11日(2021.12.14)孝情文和苑 文和ホール & PeacelinkTV2021/12/14 09:30に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.13
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「真の父母の日」1985年4月7日ワールド・ミッション・センターにて 皆さんの若い姿を見ていると、とてもいい気分です。(拍手) きょうは、皆さんが知っているとおり、二十六回を迎える『父母の日』であります。周期からいえば、二十五周年になります。元来、『父母の日』は四月二十日なのですが、約二週間前のきょうを祝賀することになりました。 数多くの宗教団体がありますが、統一教会のような団体は一つしかないということを皆さんは知っていますね。それはなぜかといえば、宗教の理念、理想、その内容を見ても、統一教会はいかなる宗教よりも大きな内容をもっているし、その内容を実践していく歴史的過程や、すべてにおいても特殊なのです。またたどる歴史過程が複雑なのです。一般の人たちには理解することはできないのです。統一運動に参加せずしては、統一教会を理解することはできないのです。 この世界の人類を見ると、宗教を信じない人たちと宗教を信じる人たちの二種類があり、その中から統一教会を分立すると、三種類になります。宗教を信じている人の中でも統一教会は特殊なのです。それゆえ、統一教会における記念行事も異なるのであります。内容においても、他の人には分からない内容をもって動いています。一般のこの世にも、他の宗教にもない記念日を祝賀しているのです。 おおよそ一般の人々は、どのような特徴をもっているかといえば、自分一人が生きるのみであり、救援だとか霊界の問題は考えられず、人間として生まれても、この世を誰を中心として生きるのかといえば、自己を中心としてか、せいぜい自分の家庭、少し進んでも自分の国を中心としてのみ生きています。特別な人を除いては、すべて自分を中心として処理するのです。そのような生活をしているのです。 また、キリスト教とかその他の宗教を見ると、その宗教を中心とし、その宗教の地地域に属する、自己の教団、宗団の人々を中心とした救援を願うのです。これが一般宗教の立場です。その中には、キリスト教があり、仏教があり、イスラム教があり、ヒンズー教があり、いろんな宗教があります。 キリスト教の側を見ると、この宇宙を支配する神がおられるとしたら唯一神であるキリスト教側の神のみであり、イスラム教においてはイスラム教側の神のみであり、各宗派においても神を認める時には、それぞれの側における神としてのみ信じるのです。 では、統一教会というのはどのような宗教なのかというと、これらのすべての宗教が四方から(神を)探し求めて頂上に向かって登っていくので、これらのすべての中心となって、全世界の宗教を一つにするための神様を信じているのです。そこが異なるのです。それゆえ、すべての宗教の中心となるその神とは、一人のお方なのです。 この世の堕落した人間たちは、高い山があるとすればそれを中心として東西四方で連絡されているのです。しかし東西四方から登っていくのに、その方向が分からないのです。だんだん登って九合目あたりまで来れば、ここから(黒板を使用される)(図1で説明)すべてが見えるのです。そしてこの頂上のこのセンターを中心として全部が集まるのです。神様を中心として集まるのです。 それでは、そういう時が来る前にどんなことをしなければならないのかといえば、一つになる運動をしなければなりません。この場(図2で説明)に行ってからでは、混乱が生じて大変な事態になるのです。そこでは、宗教の歴史において私たちキリスト教が、私たちユダヤ教が一番上であるとそれぞれに思っているのです。神様か東西南北の顔をもっている一人の人間のようなお方であるとすれば、神様が上であれば自分がその下に立つのであり、神様がこのように平面に立つとすれば自分が一番前に立つのだと、お互いそうなりがちなのです。そういう時が来なければならないのです。早く来なければならないのです。なぜかというと、人間始祖が堕落して落ちたため、本然の峰に向かって登り、落ちる以前の神様の本然の理想郷を探し求めて、本然の形態に合った一体的現象に帰結しなければならないというのが理論的な結論となるのです。 それでこのような終末時代になる時、神様の救援摂理のみ旨は二つでしょうか、一つでしょうか? このような質問をした時に、二つだと答える人は偽りです。なぜかといえば、神様は絶対的なお方なのに、その絶対的なお方のみ旨や思想が二つであるはずがないからです。一つしかないのです。一つでなければならないのです。これは正しいですか?(はい)。今日の宗教人たちに対し、「神様のみ旨は幾つですか?」と尋ねると、“ハー?”とするだけです。そういうことを考えてもいないのです。 神様の目的は一つであるから一つのみ旨なのです。このように見る時、神様が人格的な神であるとすると、一つのみ旨を通じた理想があるのです。皆さんにも何か成そうとする効があれば、そこには必ず理想的な目的であるのです。目的というのは、現実を超越した境地と連絡されるのです。より高い所と連絡されるのです。これは一般の常識的な話です。 み旨と理想、み旨を通した理想の実現において、目的は一つですが、その目的が個人の目的、家庭、氏族、国家、世界の目的、宗教においてもイスラム教の目的、キリスト教の目的、仏教の目的、カトリックの目的など、すべてが異なるのです。そうでしょう? 神様が人格神であるとしたら、神様のみ旨を中心として、理想を実現するその道というのは、個人として歩む道も、家庭の行く道も、氏族の行く道も、民族の行く道も、国家の行く道も、世界の行く道も、神様のみ旨は一つであるにもかかわらず、(図3で説明)個人はこのように行き、家庭はこのように行き、国家はこのように行き、世界はこのように行き、天忠はこのように行き、それぞれがそのように行くのですか、それともこれらが直線で行くようになっているのですか? これが問題です。(一つの方向です)。 ですから、神様のみ旨に相対することのできる終末時代にあっては、個人が行くべき道だとか、家庭が行くべき道だとか、氏族が行くべき道だとか、民族が行くべき道だとか、国家が行くべき道だとか、世界が行くべき道などは一つのセンターを中心とするのであり、二つのセンターになることはできないのです。一つのセンターを中心として個人は小さくこのように、家庭はこのように、国家、世界、天宙、(図4を書かれながらの説明)このようにです。センターを中心として全部が連結されるのです。 神様を中心とする客体があるとすれば、その客体は神様を上に立たせて、その垂直下の線上に立つのです。そしてまた、人が平面上に立っているとすれば、必引本上に相対はいなければならないのです。では、この線上に神様と人間が立っていて、これが神様であるとすれば、人間はここに立たなければならないし、神様がここに立つとすれば人間はここに立つようになるのです。九〇度を描く三六〇度圏内において、このようなセンターを中心として立たなければならないのです。(図5をもって説明) 個人的相対として、四方が始まれば、個人的相対基準を中心として東西南北にこのような形が展開されます。これが個人でありますが、家庭であればこのように展開されます。(図6で説明)より大きくなります。神様が縦的、横的になれば主体圏は大きくなります。このようになる時には、この家庭基準も中心的に一つにならなければならないのです。 それで神様と一つになった家庭、氏族、民族、国家があるとすれば、次にそこに相対できる世界はこのように大きくならなければなりません。これは縦的にも横的にも同じ形態で大きくなります。では、これが平面でなく球形となる時、すべてがいっぱいになるので、センターが飛び上がって、どこに行けばいいのでしょうか?(図6で説明)これらが球形になり三六〇度このようになる時には、このセンターはどこへ行けばいいのでしょうか? それらは自分勝手に丸くなることを願うでしょうか、平べったくなることを願うでしょうか、長くなることを願うでしょうか? それが問題です。 皆さん、考えてみなさい。これらの型が三六〇度の球形となったとすれば、これをいっぱいに三六〇度を描いてみたら、このくねくねとした表面を通して、平面的に円形になるのです。では、ここから行った力がここに来て、次にどこにも行く所がなくて、仕方なくてあちらに回って戻ってくる道がなければならないのです。(図6で説明)行く時は平面で行っても、戻ってくる時には平面で戻ってくることはできません。直線上において戻ってこようとすれば、自然と反対に円形を描いてあちら側から回ってくるのが易しいのです。線の平面を行ったなら、平面上からそのまま戻ってくることはできないのです。戻ってこようとすれば自然と前進する力が円形を描いて運動するために、球形の形態が形成されるという結論がでます。ですからそれが一つだけで行くとか、二つが共に行くとか、(先生が両手でもって表現される)二つが分かれて行くとかして、このように(円を描いて)戻ってくる運動をするのです。地球も、磁力線がそのような動きをしているのです。それで最終的にすべてを一つにするのです。一つの円形運動として、これらが全部戻ることのできる道を訪ねていくという論理を立てることができるのです。それゆえ、すべて運動するものは円形に似なければならないというのが結論であり、この宇宙は運動しているので、円形の形態が形成されているという科学的な結論を出すことができるのです。 力の中でも直線の力は、一点に三六〇度全部が集まってくるのです。直線の力の運動はすべて同じですが、一番強い力は直線の力に通じるのです。このように見ると、神様も力をもっておられるとすれば、どのような力をもっていらっしゃるのでしょうか? み旨に対する力もあるし、理想に対する力もあるし、活動に対する力もありますが、すべての力の作用をなしておられるその中でも、最も強い力は何でしょうか?(愛の力です)。これが問題なのです。では、愛の力の次はどのような力があるでしょうか? 生命の力があります。生存の力をもって生きているのです。その次にはどのような力がありますか? 理想に対する力があります。豊かな生活を願い、より良いものを願うのです。では最高の理想は何でしょうか? 絶対の理想は何でしょうか? それは良くて、また良くて、最高に良いものです。最高に良くて、次に落ちて行くのではなく、永遠に良いものに向かって行くものです。このように見ると、神様は存在する力をもっていて、次に理想に対する力をもっていて、更には愛に対する力をもっておられるのです。この三つの力は、自分勝手に回転するのでしょうか? 力の中ですべての中心となり得る力は何でしょうか? (真の愛の力です)。真の愛の力とは何ですか? 先生は知りませんよ。(笑い) では、真の愛と偽りの愛とは何が異なりますか? 答えてみなさい。ドクター、あなたは博士の学位を四つももっている偉大な学者なのに……。では真の愛と普通の愛と何が違いますか? (笑い) 真の愛と普通の愛はどう違うのかと聞いているのに、「愛です」と答えてどうなりますか。どのように違うのか、違う内容を話しなさいと言うのに、「愛です」という答えは零点です。(笑い) ある男と女が熱烈な恋愛をして、「あなたなしでは生きていられない」と言って、結婚しようとする時、その愛が真の愛なのか、何の愛なのかということも分からないのです。これが重要です。では神様はどうなのでしょうか。神様は真の愛の定義について知っておられるのでしょうか、それとも知らないのでしょうか? (はい、知っておられます)。真の愛というのは、一人で喜び、一人で笑ったり、一人で何かすることでしょうか。それとも相対がいて、お互いが喜び合うのでしょうか? (相対がいる方です)。神様がどんなに絶対的であられるとしても、自分の絶対的愛の力を誇ったとしても一人でいてはその愛の力は成立しないのです。一人でいて、「私は絶対的力の中心にいることを楽しんでいる」と言って絶対的愛の力が成就しますか? 一人で、「ハッハッハー」と笑って踊り喜ぶとするならば、それはノーマルゴッドでしょうか、アブノーマルゴッドでしょうか、クレージーゴッドでしょうか? (アブノーマルゴッドです)。ノーマルとアブノーマルは相対する基準がいますが、これは相対がいないのでクレージーゴッドです。(笑い) では、あなたたちはクレージーゴッドの愛を願いますか? (いいえ)。ノーマルゴッドの絶対的な真の愛を願いますね。(はい)。ではあなたたちは絶対的な神様であり、真の愛の神様であり、ノーマルゴッドのもっておられる絶対的な愛、真の愛の前の何になればいいのですか?(相対です)。そうです。神様を主体とすれば、あなたたちは相対の立場が必要なのです。そこで問題があります。 先ほど話しましたように、真の愛の力、生存の力、理想の力という三つの力がありますが、これらは全部が合わさって、「ワッ」と一つに調和するのでしょうか? それとも別々に、愛の力がそちらに行くので理想の力はこちらにきて、存在の力はあちらに行くというように異なるのでしょうか? (一つです)。その一本は何を中心としてですか? (神様です)。神様も存在する力をもっているとすればそれは理想的なそんさ小 となり、アイディアにおいても、理想的なアイディアとなったそういう時は愛が中心となって連結されていなければなりません。それによってすべての力はそのような価値基準に達し得るということを知らなければなりません。 存在の力をもっている神様は、より理想的存在の力を願っておられるのです。理想の力においてもそうです。より理想的力を探して連結しなければならないのに、その理想的な力がどこから連結されるかということなのです。だから愛を中心としていれば、一人でいても喜びなのです。「私は愛を中心として存在し、幸せである」と言うのです。そのことが直ちに理解できなかったら、お互いに愛し合っている理想的な夫と妻が、一人は東、一人は西に分かれていても、二人が一つになる日を思う時、どこに行って、どんな仕事をしたとしても喜びであり、自分は幸せだと思う、そのようなものです。 ですから、どんな存在の力があったとしても、その力も共に永遠に存在したいといえる力が必要なのです。また、理想があるとしても、理想世界が実現されたそこに入って、理想はこうであると言って、そこで止まることなく永遠に理想的な幸せを追求することのできる永遠と結びつくそのような内容がなければなりません。では何が永遠と連結され、永遠なる幸福をもたらすことのできる内容となつているかというと、真なる愛のみが可能なのです。 人間に対して、「人間たちよ! あなたたちが願う最高の目的が何であり、永遠なる理想が何であり、永遠に住みたい所はどのような所なのか?」と尋ねられた時、永遠なる絶対的な真の愛の主体者の相対的な立場として、真なる愛と一つになって連結された存在と理想圏の世界が、私が訪ねていく最高に幸福な所であるという結論を私たちは下すことができます。 神様に対し「神様! あなたは永遠なる存在でありますが、その永遠なる存在としてどこで永遠に住まわれたいですか?」と言う時、それは言うまでもなく、「真なる愛の中である」という答えが出るのです。そのように神様がこの宇宙におられても、その神様お一人では成就することができないので、その相対を買ってくるか、造るかという結論に到達します。買ってくることができますか?(いいえ)。では、神様が二人いればいいではないですか。神様が二人いれば、どれほどいいでしょうか? しかし二人の神様がいるとすれば、それぞれプラスの中心であるので、一つとなることはできないのです。プラスの神様、自己主張される神様が二人いれば、そこには反発が起きます。しかし一方がプラスの神様、他方がマイナスの神様であれば可能です。そこで神様はマイナスゴッドを買ってこようとしても、買ってくる所がないのでやむを得ず、全知全能の神様はマイナスゴッドを造るのです。その能力があるでしょうか、ないでしょうか? どちらですか?(あります)。そこで神様はやむを得ず、マイナスゴッドに出会うために事を成したのがこの宇宙なのです。買ってくる所がないので、宇宙創造の役事となったのです。それでプラスゴッドとマイナスゴッドがどこで一つになるのか、それが問題です。どこで一つにならなければならないのですか? 「絶対的な神様の前に、あなたはプラスであり、私はマイナスなので一度闘ってみましょう。私はマイナスの中心であるあなたが好きになれないので、私が一度主体になりましょう」と、争い勝敗を決して、主体や中心を決めることができるでしょうか、それとも幼い時から自然に一つになる力の作用を人間世界に与えたのでしょうか? アメリカの女性たち、女性はプラスですか、マイナスですか? (マイナスです)。いやいや、アメリカの女性はプラスです。マイナスが男性です。(笑い) 絶対にマイナスが男性です。(ノー)。(笑い)アメリカの女性はこれから男性の前でプラスであると宣言するのです。アーメン。(笑い)なぜ笑いますか?なぜそう笑いますか? 間違いだからですか、正しいからですか、どうですか? 間違ったから笑ったのですか、正しいから笑ったのですか? 女性側に聞きます。間違いだから笑いましたか、正しいから笑いましたか? (間違っているからです)。では、男性側はどうですか?(間違っているからです)。アメリカにおける男性の権限を立ててあげようとするのです。アメリカにおいても男性がプラスです。私たちは力を回復しなければなりません。(拍手) 男性がマイナスですか、女性がマイナスですか? どちらですか? 男性ですね? (いいえ)。女性がマイナスですね。(はい)。(笑いと拍手) そうでなければいけません。どうしてかといえば、例えば平地に対して高い山はプラスですか、マイナスですか? 高い山がプラスで、平地がマイナスです。それはどうしてかといえば、それによってバランスが取れるのてす。バランスを取るのです。そうすることによって調和ができます。皆さん、シーソーを知っているでしょう。そこに調和があるのです。踊りを踊る時、両手が一度に上がり下がりするその調和はどれほど素晴らしいことでしょう。片方の手が上がる時、他の手は相対となるのです。これがこのようになれば、(先生がしぐさで示す)もう一方の手は相対を求めていきます。そのようになるのです。平面的律動、四五度の律動、垂直の律動、これらが相対的均衡になって調和が起こるのです。 女性はなぜ生まれたかというと、それは調和して一つになるためです。それを知らなければなりません。肉は柔らかく、骨は硬くなければなりません。 自然の理法から見る時に、調和の理想は何かというと、絶対的に柔かいものと絶対的に硬いものが調和して一つとなることです。そういう結論が出るのです。ですから男は骨のように硬くなければならないし、女は柔かくなければなりません。では、硬いものと柔らかいものが、ぶつかり合ってどうなりますか? ぶつかり合ったら、柔らかいものがすべてを包んであげるのです。では骨と肉でどちらが表に出ますか? 柔かいものですか、硬いものですか? どちらが外の皮になっていますか? 女性です。そのように外皮をかぶせたのですが、男性は喜ぶでしょうか、嫌がるでしょうか? そして動く時は硬いもの(男性)が動くのです。白頭山の頂上から太平洋まで、男性の活動舞台となるのです。その時にじっと男性にくっついて旅行するのがマイナスの女性なのです。 だから女性は、良い夫に出会うことによって出世するという公式が当てはまります。それは普遍的公式です。どのような人でもこの普遍的公式を変えることはできません。すべての人々はこの公式に従うようになっています。 では、先ほど話したように、神様は自分がプラスの神様としてマイナスの神様を買ってくることができなかったので、造ってみたマイナスの神様が人間だったのです。しかし何と欲の深い人間でしょう。神様までも治めようとするのですから。あなたたちもそのような欲心をもっているのですか? 女性にはそのような欲心はないでしょう? 男性にしかありませんね。どうですか? 違いますか、同じですか? (同じです)。 私たち人間は、神様の前において愛の理想を完成することのできるマイナスゴッド的な相対的な基準にいるので、ソフトラブフィールドをつくらなければなりません。ところで、神様の問題は何かというと、ソフトラブの主体と対象の神になろうとすれば、主体のプラスゴッドはどんな性格をもっているのかということです。それは、男性と女性が内と外になっている(図7で説明)そのような性格をもっているのです。だから、いつもソフトラブの主体と対象の神となるためには、どうなればいいかといえば、プラス、マイナスが一つになった立場で(図7で説明)これを合わせた性格でプラスとなって、次にこれを二つ合わせた形態で一つとならなければなりません。 それで、いくら男性が立派であっても女性を訪ねていき、女性がいくら美人であっても男性を訪ねていくその理由がどこにあるかというと、このことを知らなかったからなのです。それは神様の前に、絶対的、中心的ハードラブのプラスの前に、絶対的マイナスのソフトラブの対象となるための必然的既存として、男性と女性が一つとなりソフトラブフィールドをつくらなければ、神様と関係を結ぶことができないのです。男性と女性は異なるのですが、一つとならなければならないというこのような根本的結論が出るのです。 ある女性は、上から見ても、下から見ても、横から見ても、正面から見ても、昼見ても、夜見ても美人なのに、そのような美人が誰を訪ねていくのかというと、こちらから見てもあちらから見ても醜いし、殴ってけとばしたいけれども、男を訪ねていかなければならない運命におかれているのです。これを知らなければなりません。それは本当ですか? (本当です)。ノー、ノー、ノー。アメリカのある男性と女性は「ノー、ノー、ノー」と言っています。(笑い) ある男性と女性とはレズとゲイの人たちです。神様の理想的すべての原理的モデル型に不合格な者は地獄の底に落ちてしまうのです。これをはっきり知らなくてはなりません。 では、真なる愛をどこに行って探すのかといえば、男性や女性から探せるものではありません。それは横的な平面的な愛なのです。(図8で説明)男性と女性は東と西のようになり、垂直的な本然の骨的愛と連結しなければならないのです。そして私たちは神様の愛、プラスの愛を探して行くために男性を中心に一つにならなければならないのです。これがセンターであり、これが男性であり、これが女性であり、そして「ああ懐かしい」と、どこで出会うのですか?幼い時はその人が男性であることも知らず育つ中で、時には強い力で殴ったり、引っ張ったりするようなわがま放題な人であったのに、成長してみるとその人が私に絶対に必要な人なのです。誰も教えてくれないのに……。神様は天地創造において、愛の平面の線を書いておいて、垂直の線をもっていたのです。 ここで(図8で説明)男性が東だとすれば、女性は西であります。東西のどこに行って合わなければならないかというと、男性は「おい、おい、女よ、こちらに来なさい」。また女性は、「あなたこそこちらに来なさい。私は行きませんよ」と言い合って、それで不平となり喧嘩するのです。不平なく公平に出会うことのできる一つの所を設定しなければなりません。会ってからでは、「どうして今ごろ来たのか」などと、話が多くなるのです。このように離れていては、真の愛はどこで探し出すことができますか? お互いに真の愛を求めて少しずつ近づいてくるのです。「私は真の愛が欲しい、真の愛が欲しい」と言って、一つになって近づいてくるのです。 神様は、男性と女性をうまく引っ張って近づけて一体化させる、そういう作戦をしているのです。「もう一歩近づきなさい。もう少し近づきなさい。もう少し、もう少し」と言って、“ワーッ”と神様も一つになってしまうのです。そして二人がぶつかったら大変なことになるので、手を取ってあげなければならないのです。何でもってかといえば、真の愛で、「オー! オー!オー!」と言いながら手を取ってあげなければなりません。壊れたらいけないので、誰が来て手を取ってくれるのかというと、真の愛の中心的プラスゴッドが来て、手を取ってくれなければなりません。そしてそのソフトラブがぶつかってしまったら行く所がないので、神様を包んでしまうのです。その時、神様の真の愛の衝撃的な力が“ガン! ガン!”と発動するのです。それで神様も驚いて、倒れ、活動し始めるのです。その時、神様は、「ああ! 死にそうだ」「ああ! ハッハッハッ」と笑って、踊り出すのでしょうか、それとも逃げてしまうのでしょうか?(ノー)。では何をしたのでしょうか? 目は目なりに喜び、鼻は鼻なりに喜び、口は口なりに喜び、体全体で喜んで踊ったり、歌ったりするのです。それは自然的な結論です。 人間が神様に対して、「あなたがいくら絶対的能力があったとしても、愛の力を切り離すことのできる力が発動できますか。あなたにも不可能な限界があるということを知らねばなりません」と、人間が神様を教育することができるのです。何と素晴らしい人間でしょう!(笑い) そういう時、人間の言うことが正しいからといって、神様は寂しいなどと思いません。神様は愛があればそれでいいのです。(拍手) 私たちはここで結論づけることができます。神様が、「真なる愛においてのみ永遠に能力が発揮できることを私は知った。真なる愛のみがすべてである。私は初めて完成した神になった。アーメン」と答えるのです。 では、話を戻して、神様はそのような一日を体験したことがあるのでしょうか? 結論は、はっきりしています。人類の始祖として生まれたアダム、エバが堕落したので、神様の愛の理想は考えることすらできなくなったのです。成就はもとより、小学校、中学校、東等学校、大学の過程も通過していません。幼稚園以下で、ゼロなのです。そこでこの世はサタンの世界となってしまったのです。不条理な愛を通して、神様の願わざる破壊の道に結果づけてしまう現状となってしまったのです。しかし人間には、神様の愛に抱かれることの本然の理想が残っており、絶対的な神様も計画されたことを完成しなければ、神様の権威を回復することができないので、歴史を通して人間を本来の目的に向かわしめ、備えながら再創造のための神を収拾してこられたのです。あたかもそれは、ボロとなったものを洗って、縫い、それでも駄目なので、お粥のように溶かして、機械にかけて糸を織り直して、再び作る他なかったのです。そのような再生の工場が必要なのです。そこで、それぞれの宗教が、一人の人間の右足のように責任、左腕のような責任、額のような責任、目、鼻、耳のような責任を負い、歴史を通して永遠に向かって世界的に広めてきたのです。数多くの政治、風潮、思想は変わりましたが、宗教の歴史はすべての歴史を越えて変わらず今日まで続いてきました。そして更に永遠に再生工場を中心として、その部品を全部統合する一つの完成圏に向かって進展しているこの事実を知らなければなりません。 終わりの日には、それぞれ自体を強化するため、部品の工場はお互いが通じ合ってはならないので、全部を分立させたのであります。民族は民族で分かれ、宗教は宗教で分かれて、すべてが自分たちを第一主義として今まできたのですが、これから完成のためにすべての部品が一つの工場に集まってくるのです。そして足は足の部分にはめ込みます。そのために、足の右、左について知らなければなりません。それは誰が知っているのかといえば、神様のみが知っているのです。すべての人間構成の完成体はこうでなければならないし、また内的、外的に完成した人間はこうでなければならないとして、そして男性完成者、女性完成者として、神の愛を中心に完成することのできる結合体を造るその組立工場の全責任者として来られる方がメシヤなのです。これがメシヤ思想です。 アメリカにおいて、どうして今まで白人と黒人が一つになることができなかったかというと、それは白人が頂上に登り、黒人は一番底を行かなければならないというように考えられてきました。これが一つになると直線になるのですが、仕方なく白人と黒人を怨讐のように完全に分けておいたのです。彼らには一つになろうとしても、一つになる力がありませんでした。では、このように分かれていて、どこを中心として回るのでしょうか? これが問題です。それは平面線上です。水平線上です。高くなろうとしないで、低いと言って嘆かないで、この歴史時代に水平レベルがどこにあるのかを探さなければならない時となったのです。そこで、白人はどこに行かなければならないかといえば、この谷間を経て、第二の山、理想世界に行かなければなりません。堕落したために、ここを探して行かなければなりません。(図9で説明)黒人と白人はこのようになっているし、西洋と東洋はこのようになって、全部がこのようにぴったり合うのです。それでは、黒人たちがどこに行けばいいかというと、こちらに上がっていく第二の準備をしなければなりません。 白人たちは第二に向かって下っていく準備をすることによって、理想世界へと移っていけるという理論的根拠を知らなければなりません。上がっていく時、勝手な所から上がっていくのではなく、水平線から上がっていかなければなりません。ここから上がっていってはいけません。もしここから上がったなら、このようになります。(図9で説明)この線がこうなってはいけないのです。この水平線に対等することのできるところを中心として一つになって行かなければなりません。それを誰が定めるかといえば、神様なのです。水平線が連結されれば、垂直線の基準は自然に連結されるのです。この場に行かなければならないのです。 この場は、幼な子のようでなけれ到着することができないという聖書の言葉を知らなければなりません。聖書の、「幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」(マタイによる福音書第十八章三節)という言葉は何のことかといえば、水平線となり、黒人の子供と白人の子供が互いに遊び、両親が訪ねて来て分かれる時には、白人の子供は黒人の子供を見て泣き、黒人の子供は白人の子供を見て泣くそのような境地に入らなければなりません。これは子供の世界以外では見いだすことのできない世界であります。彼ら(白人と黒人)が好きになるには、どのようなところから好きになればいいかというと、母親の乳を右では白人の子供が、左では黒人の子供が喧嘩をしないでお互いが喜んで飲み合うというところから始まるのです。そのようなお腹から新生した子供のようにならなければ不可能なのです。そして次に何が必要かといえば、その本然の子供を生むことのできる本然の父母が必要だとすればその父母がどこにいるのか探さなければなりません。このことがメシヤは再臨する時に、父母として再臨するということなのです。父母として来られることにより、白人、黒人がこのような愛の乳を喧嘩しないで飲む中で一つとなって、本然の兄弟の愛を中心として出発し、展開していくことによりこの世界に、統一的理想の愛の天国が始まるという事実を知らなければなりません。 そして皆さんが大きくなって、統一教会の再生産工場でどのような乳を飲まなければならないかといえば、最終的には父母の愛の乳を飲むことによって、犬のような者が、熊のような者が、虎のような者が皆愛の王子、王女となるのです。そのためすべてが再生産工場に入るのです。 統一教会とはどのような所かといえば、ここにもあらゆる人々が集っていますが更にどんどん入れてあげて、あの工場から底の谷間に転げ落ちるほどに入れて、その結果が全部白いものとなって出てくるようになり、真の父母の愛の乳を飲むことによって、新しい神の息子、娘として生まれることができるのです。王子、王女として生まれることがてきるのです。(拍手) 神様が、「アダム、エバ、あなたたちは善悪の果を取って食べてはいけない! 待ちなさい。自由にしてはいけない。成熟した男性と女性が万物世界の主体であり、全宇宙の主体なのです。彼ら(万物)が愛する以上の愛の資格を備えなければ神様に対することはできないのです。成就する時まで、十七歳から十八歳の思春期になるまで待ちなさい。それを取って食べてはいけない」と命令したのは、愛の問題について言われたということを知らなければなりません。キリスト教でいう善悪の果を取って食べたため堕落したということは話にもなりません。皆さん考えてみなさい。本然のエデンの園には地獄はなく、すべてが神様の王子、王女であり、神様の血統を受け継いだ直系の子女であったのです。それが堕落したことによってサタンの血統を受け継いだので、イエス様も、まむしの子らよ!「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」(ヨハネによる福音書第八章四十四節)と、このことを指摘したのです。サタンの血が流れているのです。ですから、宗教の道を行こうとすれば自分を否定しなければならないし、受難の道を行かなければならないし、犠牲となり奉仕しなければならないし、血を流さなければ再び回復する道がないのです。そのため宗教は多くの血を流して、神様の伝統的な歴史を受け継いできているのです。キリスト教は殉教の鮮烈たちの血の伝統によって受け継がれてきたのです。ですから、この宗教でもって世界を収拾するより他はないという結論が出ます。 しかし今日、キリスト教が世界を救う神様のみ旨を完成できず、愛の主体である神様を解放することができないので、統一教会の信者たちが自ら十字架を背負い、人類の解放と神様の愛を中心とした解放運動を提示しているというのが、レバレンド・ムーンを中心とした統一教会の活動だということを知らなければなりません。私たちは人類を解放し、神様を解放しなければなりません。統一教会はこのような理論的思想をもっている驚くべき群れなのです。そしてこの驚くべき群れを指導しているレバレンド・ムーンであり、今日、アメリカの地にて十字架を自ら願って、ダンベリーの道を経ているのです。世界の監獄の代表であるダンベリーに入って、人類の解放と神様の解放のために決闘戦をしているのです。レバレンド・ムーンは極まで行ったのです。そして次にどこから戻ってくるのかというと、あちらを回って戻ってくるのです。戻ってくる時は一人で戻ってくることはできません。アベルとカインが怨讐となってしまったので、弟であるアベルは兄を救わなくては父母のいる所に行くことができないのです。今日の統一教会の運動は、この戦場における先生の闘いによって既成教会をカインとして、統一教会をアベルとし兄弟が一つになった基盤の上に、再び父母を探して行ける道であり、それに至るための運動が外的に繰り広げられた今の瞬間であるということを知らなければなりません。そしてどこに行かなければならないかというと、(図10で説明)アベルと共にこれが一つにならなければなりません。神様と天使長、カインとアベル、アダムとエバ、父と母、これが本来一つとならなければなりませんでした。しかし、神様と天使長が分かれてしまい、カインとアベルが分かれてしまい、アダムとエバが分かれて散り散りになってしまったのです。今このような歴史的終末となり、一つの世界が門の前まで訪れてきたので、家庭も壊われ、夫と妻の間も壊れて、男と女の威信も、また身の処し方も分からなくなり、すべてが怨讐となり、自分にとってこの世が怨讐であり、父母もなく、子供もなく、誰もなく、すべてが散り散りになるそのような時が来たのです。その時というのが、ちょうど今なのです。アメリカの実情がそうなのです。 それでアベルの実が民主世界となり、カインの実が共産世界となり、(図10で説明)二つが闘うのです。そして民主世界においてのアベルはキリスト教であり、カインは国家です。キリスト教と国家が、アベル、カインとして闘っているのです。政府はキリスト教をなくそうとするのです。そういう時が来たのです。それは最後の日、終わりの日なのです。 発展するためには、カイン、アベルが一つにならなければなりません。父母を探して行くことのできない個人的レベル、家庭的レベル、氏族、民族、国家、世界的レベルになっているために、すべてが二つに分かれているのです。終わりの日になると、この二つに分かれたすべてが一挙に平面上に撒かれるのです。民主主義も、共産主義も、キリスト教もすべてが堕落したその実として、色が染まってサタンの祭壇となり、地獄に行く段階となります。終わりの日には愛の秩序を完全に破壊してしまうのです。ですから、散り散りになってしまっているのです。このように愛の秩序が世界的に破壊されてしまう時が、終わりの日であることを知らなければなりません。そこで、このような状態をこのままにしておけないので、再び来られる主が個人のレベル、家庭レベル、氏族、民族、国家、世界レベルの段階的な闘いをなして、今や世界レベルへと越えて行ける基準を結ぶ時が来たのだという事実を知らなければなりません。 統一教会の男性として思うことは、神様はエデンの園においてアダム、プラスを造ったのですが、もし女性がいなかったとしたらどうでしょうか? それは天地の禍いとなり、天地は破綻をきたします。ですから男性の前に女性がいるということは、宇宙史的な奇蹟なのです。そのように思わなければいけません。 統一教会のメンバーが祝福を受ける時は、一人の男性として生まれたことを、この宇宙の男性を代表したプラスとして、宇宙の女性を代表したマイナスを神様の愛を極から極において探し得た奇蹟的歓喜を迎える瞬間を讃美すると同時に、神様の愛を歓喜して迎え入れることのできる基台を準備して前進するのが、統一教会の合同結婚式であることをはっきり知らなければなりません。 男性と女性が一つになる場面は、平面的な極において愛を探していくために衝撃的なスパークライトが必要なのです。スパークライトが白色であれば、色彩を加え、五色の輝かしい色を造らなければならないのです。そのライトは縦的な神様の愛が混ざることにより、虹のような理想的輝かしい世界に転換されるのです。(拍手) 人間は今まで愛の味が分からなかったのです。この宇宙全部を与えたとしても買うことができない、神様と換えることもできないそのような愛が、人間の理想的な夫婦の愛を土台として宇宙の根本の出動命令として出るべきだったのに、断絶されてしまったという悔しい事情を分からなかったのです。 今日反対され、迫害を受けているレバレンド・ムーンによって、この事実が理論的に明らかになりました。(先生は)実践力を通じた根処的基準を備えているのです。ですから統一教会の信者は強く大胆なのです。統一教会の真の愛を感じた人は、アメリカでも、西洋のどこに行っても、また東洋のどこに行ったとしても、どんなに貧しい所であっても神の愛に燃える光線を放射しながら運動するので、そこには必ず相対的世界としての再創造の歴史が始まる運動が展開されるのです。もしそこで人類を愛し、神様を愛し、創造された被造物を愛せなかった人は、真の愛を中心として、真に愛することのできない人は天国にも入ることができないのです。 本来は、堕落することなく成就していくのが、天国であるために、堕落後は天国の門は閉ざされたままなのです。イエス様は天国に入ることができず、楽園に入っているのですが、再び天国の門の前に来て天国に入って行かなければならないために、ペテロに天国の鍵を授けながら、「わたしは、あなたにかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(マタイによる福音書第十六章十九節)ということを結論づけて行かねばならなかったという悲しい事情を誰が知り得たでしょう? では真の愛はどこから始まらなければならないでしょうか? これが問題です。どこからですか? それは真の父母から始まるのです。聖書を見てください、聖書は何を教えていますか? 神様のみ旨を成就することのできるキーポイントを聖書六十六巻を通して、教えているということを明らかに結論づけることができます。神様の願われるキーポイントであり人間の願いのキーポイントである、愛の理想世界、天国への直行の道を教えているのです。そのキーポイントとは、神様がいても真の父母がいないので、真の父母を探し、平面的愛に、円形的な基準を結合することのできる新郎、新婦、プラス、マイナスが、本然の基準において一つになることにより、自然的な縦的愛に入って五色に輝く愛の色を宇宙に充満させて通過できる強力なる真の愛の基準を立てることが、神様のみ旨であります。キリスト教の伝統、宗教すべての伝統はこれであるということを、はっきりと教えてあげられる内容をもたなければなりません。 神様のみ旨を解決できないのが宗教の事実であり、このような内容がキリスト教にあるという事実は、全世界の宗教を中心とした神様の摂理の決定権がキリスト教にあるということであり、イエス様は新郎として新婦を訪ねて来られたというのが、ターミナルポイントとしての結論であるという事実を知らなければなりません。だから新郎、新婦として、聖書は結論づけられているのです。それはどういうことかといえば、復帰して本然の愛の園を訪ねていかなければならないということなのです。 聖書の創世記において、エデンの園にあった二本の木の生命の木と善悪知るの木は何かというと、神様が探さなければならない真なる男性と女性であります。真なる父と母を失ったので、真なる父と母を象徴した言葉なのです。すべてそのように教えたのです。また、イスラエル民族を荒野において導く時、昼は雲の柱で導き、夜は火の柱で導いてきたそのことは何を意味するかというと、終わりの日には男性を代表し女性を代表する父母が来て、イスラエル民族に侍られることを象徴的に見せてくれたものです。 火の柱と雲の柱の導きに従わなかった者はすべて滅亡しました。イスラエル民族が四十年間の荒野路程において方向をつかめずにいたので、滅亡することを心配された神様はモーセをシナイ山に呼んで、四十日断食の後に二つの石板が何であるかというと、アダムとエバ、真の父母を象徴していたということを知らなければなりません。そしてなぜ二つの石板を契約の箱の中に入れたのかといえば、契約の箱というのは神様のみ旨を終結することのできる中心本部であり、アダム、エバを象徴していたので、契約の箱の中に入れたのです。また、つえとマナは何かといえば、相対である万物の象徴です。それで人間と万物が一つにならなければならないのです。相対性を備えた相対として、もう一つの相対圏を形成して、人間と万物を一つにして神様の前に一致させるための相対的存在であるので、神様がそこに臨まれ、直接運行なされたという事実を知らなければなりません。すべてが新郎、新婦、真の父母の理想を中心として、物と統一された理念を中心として、契約の箱を中心として一致できなかったので全部が滅びでしまったのです。 四十年間かけたイスラエル民族のカナン復帰はメシヤに侍るためであり、地上天国の理念と神様の理想世界を実現するために来られたメシヤが真の父母であり、その真の父母に侍る道を見せてあげるのがカナン復帰の路程なのに、荒野において全部倒れてしまったのです。そしてまた、象徴的にメシヤの代わりに見せてあげたものが、契約の箱の中に入っている二つの石板であり、マナとうずらだったのです。これを絶対に信じることよって、来られるメシヤに絶対に侍って神の国の建国、創建を始めることのできる訓練をし、象徴的なメシヤとして立たせて訓練をしてきたのが幕屋理念だったのです。メシヤが来られて一つとなり、天国に入って愛の理想が一致でき、神様に侍って、真の父母を迎えて、このような伝統を後孫に接ぎ木する歴史となすために、オリーブの木に接ぎ木させて神の国の天国創建を計画していたことすべてが壊されてしまったのです。そこで二〇〇〇年のキリスト教の歴史を通して再び収拾してきたのですが、これは霊的圏でしかありません。国がないのです。かつてのイスラエル(民族)のように国がないのです。これは悲痛なことです。 もしここに、自分は偉いと誇る男性がいれば、神様の前に出て聞いてみなさい。「高ぶるな、あなたは罪悪の血縁から生れてきた滅亡する者の後継者てあることを忘れるな!」と宣言します。サタンとは何かといえば、神様の妻を奪っていった愛の怨讐なのです。許すことはできません。ですからこの堕落した世は、愛を奪われたため愛を奪い返すことから始まるのです。(サタンは)このごろはフリーセックスにより愛を破壊してしまったのです。このようにしておいて、「神よ! あなたの愛の理想を取り戻す、理想を成すことができますか?できないでしょう!」と言うのです。それでレバレンド・ムーンが出て来て、「このサタンめ!」と、愛を破壊したすべての悪党の後継者たち、サタンの直系者たちをここの再創造工場に入れるのです。入る時は黒い小麦として入り、そこで粉々になって白くなるのです。これが重要です。奇蹟なのです。高麗人参はこれと反対なのです。白い根から真っ黒いエキスとなるのです。そしてなぜ高麗人参が万病を治すことができるのかというと、反対の色をもって出てくるという絶対的な神秘性があるからです。 この世には多くの祝賀の日があり、記念日が多いのですが、堕落した人間として、私たちが記念しなければならない日は、私たちが探さなければならない日とは、理想的なその基点に出会わなければならない日であるという結論が出るのです。国を探すことよりも、世界を探すことよりも、何よりもその基点を探し出さなければ、すべてを探したとしても無駄だということを知らなければなりません。 すべての人は朝起きると外へ出かけていって、仕事をします。そして、“祝福に会いたいな、何か嬉しいことに会いたいな”と思っているのです。“きょうは何か良いことがあって幸せになりたいとか、きょうは良い思い出となってほしいものだとか、きょうはこの国の記念すべき日であり、毎日がそのようであってほしい”と思っているのです。しかし地上にはそういう日が、神様の本当に喜ぶべき記憶すべき日がありませんでした。神様には、神様御自身が喜ぶべき思い出となる日はなかったのです。だから真の人間に喜ぶべき日はありません。ですから、(神は)歴史を通してこのような問題を解決してくれる人に会いたいと思います。そういう人こそメシヤに違いありません。神様はもともとそういう人を望んで創造したのですが、堕落以後真の人間を得ることができませんでした。そこで神様は復帰の歴史を通して人間を再創造しようとしてこられたのです。分かりますか? (はい)。 先生はそのような本当の人間に会いたいと思います。神様もそのような本当の人間、本当の男、女に出会いたいと思っています。真の神の愛を中心として、神の愛と人間の愛を結びつける、それを達成してくれるそういう人を必要としています。そこから氏族、民族、国家、世界、霊界までも一体化させれるそういう人が必要です。神様はそういう人に出会いたいと願っておられます。神様は歴史を通してそのような人を求めてこられました。歴史の中で、どれほど神様がそのことを願ってこられたか、分かりますか? これまでに多くの宗教、科学がありましたが、誰もこのような神様の目的、願いを果たすことができませんでした。神様はこのような惨めな状態を通過してこられたのです。そして、このような惨めな所から神様はレバレンド・ムーンを呼び、立てられたのです。皆さんはそれを知らなければなりません。ですから、神様のこの復帰の道は、レバレンド・ムーンの復帰の道なのであります。だからレバレンド・ムーンはこの地上においてサタンと闘い、サタンを主管し、屈服させていかなければなりませんでした。それは何をもってなすのかというと、人間の力をもってなすのではありません。武器などによる力ではありません。真の愛の力によってです。そこでレバレンド・ムーンは真の愛を見つけようとしてきました。神様を解放するためにはこの愛の力がなければなりません。そのために霊界において、数多くの闘いをなし、様々の困難な峠を越えてきました。皆さんはそのようなことを理解しなければなりません。人間の個人的目的、家庭の目的を達成するため闘って、ここまでやってきました。次に私たちの求めるものは神の国なのです。分かりますか? (はい)。 この統一教会の背後で、いかに多くの汗と涙が流されたことか、それを知らなければなりません。いかに多くの涙があり、苦しみがあったのかを知らなければなりません。このように先生は血を流してまで、必死な闘いをサタンとなしてきました。個人のレベルにおいても、サタンは数多くの妨害をしてきましたが、先生はたった一人で闘ってきました。そして家庭、氏族、民族と闘ってきました。ひたすら神様の復帰を考えてやってきました。絶対にサタンに勝利し、サタンを分別させなければなりませんでした。そして闘いののちに統一原理を発見したのです。分かりますか? このように、いかに背後において多くの苦痛と悩みと闘いがあったかということを知らなければなりません。先生ですらも、今更にこの原理を発見するまでどれほど難しかったことか、と思うほどです。いかにこの世界を愛し、この目的のために努力してきたかということを、皆さんは知らなければなりません。先生の目的は、人間を真の男と女に引き上げることでした。このような中から前後左右を見極めるそのような人間を造ることのできる論理的原理である、統一原理を説いてきたのです。分かりますか?(はい)。 皆さんはこのような先生を誇りに思わなければなりません。皆さんは誰から学んだのですか、誰からですか? (先生からです)。いいえ、そうではありません。神様からです。神様から先生に伝えられました。多くの迫害がありましたが、それを通過してこのような神学的な教義を作り出してきたのです。皆さんはどれほど多くの夫妻を負っているか、またどれほど誇りに思うべきか知らねばなりません。このような貴重なものを皆さんは自主的に実際用いることができるのですから。 この先生がいかに貴重な存在であるか、それは宇宙であっても換えることはできません。なぜかというと、この現実の世に従っていただけでは神様の真の愛をもつことができないからです。分かりますか? 皆さん、あそこにいる女性たちはすべて祝福を受けているのです。このように私たちは大変貴重な賜物を、原理という形を通して与えられているのです。先生のこの教えを通して、このことがいかに貴重であるか教えられているのです。 皆さんはこの教理を重要視しなければなりません。その教理は実体であるレバレンド・ムーンがどれほど血と汗を流して、神様の協助を得てこのような頂上の場にまで来たかという事実を、もし私があなたたちの立場であれば歓喜どころか声を出し過ぎて倒れて気を失うまで喜んだことでしょう。み言を通して実体に出会い、実体に出会って次に何をするのかというと、神様の愛を訪ねていくのです。では女性たち、誰を通さなければならないのですか? (男性です。真の男です)。真の男を通して、真の父母にも出会えるのです。では、真の男が出会う真の父母のその価値は、個人的な真の父母、家庭的な真の父母に出会いたいですか? それとも氏族的、民族的、国家的、世界的真の父母に出会いたいですか? これが問題です。(宇宙的です)。それはどのようにしてですか? 何をもってですか? では、あなたたちは世界を愛し、宇宙を愛しましたか? 個人の真なる愛は、家庭の真の愛に包含されます。家庭の真の愛が生じれば、父母がいて子供たちを抱いて、子供たちそれぞれがみんなその圏内に入っていくのです。そのような道理を知らなければなりません。そして家庭の真の愛の圏は、氏族の真の愛の圏に含まれるのです。氏族の真の愛の圏というのは家庭の真の愛の圏を合わせて成すのですから、多くの家庭が合わさって氏族が形成されるのです。ですから氏族の愛の圏には多くの家庭が包含されるのです。また国の愛の圏内には氏族の愛の圏が包含され、国の愛の圏は世界の愛の圏内に包含されるのであり、世界の愛の圏はこの宇宙の愛に包含されるのです。 そこであなたたちが天国に入っていく時、「サタンよ! お前がいくら世の中で誇っていたとしても、私が得た日、私が喜ぶ勝利の日に追いつくことはできないだろう」と言えば、サタンは、「ヒーヒーヒー」と笑うのです。そしてサタンは、「堕落した世界の人々は祝うことのできる日々をもっているのに、今日神を愛すると言うあなたたちにとってのそういう日は何日かと聞いても、答えられないだろう」と言うのです。 サタンが、「あなたの誕生日はいつですか?」と問う時、「私の誕生日は何月何日です」と答えても、それは父母が私を生んでくれた日なのですが、それはサタンの圏内のものであり、「私の日である」とサタンは言うのです。そして更にサタンが言うには、「あなたは神の子であると言ったり、キリスト教の長老牧師であると言うが、あなたは真の父母をもっているのか? もし教会の信者たちが『ノー!』と言えば、お前は私のものである。私の所属からは離れられないのだ。いくら騒いでも末は地獄の倉庫の中に入る者たちだ」。更にサタンに、「お前はこの天地が自分のものであると言い、万物を自由に使うそういう日をもっているのか?」と聞かれても“ボヤー”としているのです。そしてサタンが、「私はそのような日を中心として、この世のすべての万物は私のものであり、捕らえて殺すこともでき、好き勝手にしたとしても何も言われないが、お前たちはそういう日をもっていないので、自由にできないのだ。万物に対しても、自由にできる日はないだろう?」と言ってきても、口をつぐんだまま、「ウーウーウー」としか言えないのです。 皆さんはそういう日をもっていますか? 今日のキリスト教会はそういう日をもっていますか? サタン世界に対し、「このサタン! 歴史を代表してサタンがもっていた路程をすべて破ってしまい、驕るサタンを否定することのできる以上の日を私はもっている」と宣布できるような日がないのです。更にサタンは、「私たちの国の建国の日を見てみなさい。この世界に数多くの国家が建国の日を誇っているのに、あなたたちには建国の日がないでしょう!」「神よどうですか、あなたの子女たちに建国の日がありますか?」と尋ねる時、神様は…(先生がしぐさで示す)……。 更にサタンは、「私は地獄を統治し、神のみ旨と理想を破綻させることのできる、私の喜びの日をもっているが、あなたは地獄を解放し『神の日』といって、神が喜んで讃美できるような宇宙的な日をもっているか、ないだろう!」と言うのです。それで「ヤー、ヤー、神を信じるという者たちよ! この世において神のみ旨を中心として成功したこととは何や、この社会で出世することぐらいなのだ! いくらやったとしても私の袋の範囲を出ることはできないのだ。ハハハハー!」と言うのです。更にまた、「いかによく信じる人といえども、もし首を切ると言われればみな逃げ出してしまうのだ。しかし、私のために命を捧げた忠臣、烈女たちが歴史上にどれほど多くいたことか知れない。それを神は知っているのか? 誰々が立派であるといっても、みな私の弟子であり、忠臣、烈女もすべて私の胸の中で死んでいったのだ。神は歴史に記録することのできる忠臣、烈女を迎え、表彰する日をもっているのか?」と問われても、答えは「ノー」なのです。 「アメリカの建国の理念は、キリスト教の新教の思想から始まったのだが、その建国理念は絶対的な神様の国を保証するもとで作られるものではない。これもやはり、私(サタン)の胸に抱かれ、今はフリーセックス、レズ、ホモセックス者たちは完全に、それから麻薬により精神病者、死亡の骸骨と化してしまったのだ。これでも神様のみ旨が成就したと言えるのか? このキリスト教!(ペッペッとつばを吐く音)」。 「歴史路程に数多くの闘争があり、数多くの戦争もあり、悪なる人と善なる人の闘争は、善なる人が勝ったようでも結局はみんな私に負けたのだ。キリスト教文化圏が、神がいないと言う共産圏内に完全に屑箱の中の屑のように捨てられる時代圏内に入ってしまっても何の変動もない、悲惨なる状態を見つめながら神よいいざまだ! あなたの天国とはこんなものか! ヒッヒッヒッヒ」「あなたは宇宙を統一し、すべてがあなたの愛の圏内にあり、地獄に行った人も、歴史上のすべての人も愛で一つにする統一圏理想天宙を形成することが目的なのに、それをどのように蕩減復帰するというのか? 何が復帰できるのか? フッフッフッ」とサタンは笑うのです。 審判の日とはいったい何でしょうか? それは神様とサタンが正面から出会って、「これが良く、あれは悪い、個人ではこういうのが良いし、家庭ではこういうのが良いし、国ではこういうのが良くて、ああいうのが悪く、世界ではこういうのが良くて、ああいうのが悪い天と地はこういうのが良くて、ああいうのが悪い」ということを判決するのが終わりの日であることを知らなければなりません。サタンが個人に対するブラックジャック・カードを出してきた時、神様が神側の真なる男のブラックジャック・カードを出せば、サタンはおびえて退くのです。 サタンは、「私の家には、このように私が立てた悪党の伝統的家庭がこんなに立派で、善を行おうとする家庭をみんな食い殺している一等家庭が数多くあるのです。あなたの家庭の中で、私の一等家庭を食い殺すことのできるような家庭はどこにありますか? 私には負けただろう神よ! ヒッヒッヒッヒ」「終りの日には、五色の人種がすべて怨讐となって喧嘩し、家庭内も喧嘩し、ばらばらになって壊れてしまうようにしてしまったこの天地において、神よ、あなたの統一理想世界創建という言葉はどこにありますか? ヒッヒッヒッヒ」と言うのです。そういう時にはどうすることもできないのです。 では、サタンは何かというと、自分が主張するブラックジャック・カードを出すことができるのです。神様はそのようなものを他の地上に押し出してしまうことのできる神側の代わりのものがあったほうがいいですか? ないほうがいいですか? (あるほうがいいです)。それは何かといえば、サタン世界のものではありません。サタンが、「私のものとは違う、このブラックジャックは違う、違う」と言うものです。神様が出すカードは世界を生かそうとするカードであり、サタンが出すカードは自分自身が生きようとするカードなのです。他の人を犠牲にするカードなのです。そこでサタンは気づいて、「ああ、私は堕落した怨讐なのだ。オー!」と膝を叩いて、頭を下げるのです。 ですから自分個人のためにやったことはサタンのブラックジャック・カードであり、自分の家庭だけのためにやったこともサタンのブラックジャック・カードであり、自分の民族だけのためにやることもサタンのブラックジャック・カードであり、自分の国だけのためにやることもサタンのブラックジャック・カードであり、神様とは何ら関係がないということを知らなければなりません。宗教も同じです。神様のブラックジャック・カードが、サタンのブラックジャック・カードを粉々に砕いてしまうのでしょうか、それともそのままなのでしょうか? このようにして神様とサタンは判断するのです。人類をかけて、天国、地獄全部をかけてブラックジャック・カードを出す戦争をするのです。神様がブラックジャック・カードを出してみると、サタンは個人において負けてしまい後退するので、家庭は神側についてくるようになります。家庭的に神のみ旨に従ってくるのです。そして更に次のブラックジャックをかけるのです。またサタンは負け、神様が氏族圏内にこれくらい進むのです(しぐさで示す)。そして神はまた出すのです。サタンはまた負けて、更に後退するのです。神は民族圏内、国家圏内、世界圏内に進すカードを取って、サタンを完全に負かすのです。 誰が先にカードを出すのか? それはサタンです。サタンが先にブラックジャック・カードを出すのです。神様はそれを見て、「そのカードは自分の家庭ばかりを思い、他の家庭を犠牲にしたカードであるので堕落したカードだ。私のカードは真なるカードであり、神のカードである。どちらが真なるカードなのか?」とサタンに尋ねるのです。サタンの答えは、「あなたが正しい」です。 皆さん、アメリカは神の国ですか、サタンの国ですか? (様々な答え)先生が皆さんに聞いているのです。どうですか? 皆さんは本当にアメリカ人ですか? 神様はすべての人類を創造されました。堕落した人間はそれを知りませんでした。この世界は堕落しているのです。では、この世界は神様の世界ですか、サタンの世界ですか? 今日、レバレンド・ムーンの恨みが何であり、人類の恨みが何であり、神様の恨みが何であり、すべての知性をもった、志をもった聖人、哲人たちの恨みが何であるのかといえば、神様と共に喜び得るすべての日々を失ってしまったことなのです。最初に何を失ったかといえば、『神の日』を失ったのです。神様に、「神の日はいつですか、神様自身の記念すべき日はいつなのですか?」と尋ねると、「ない」と答えられるのです。皆さんは神様に会っていないので分からないでしょう。「人類の祖先として誇り得る日がありましたか?」と尋ねても、(神様は)「ない」と答えられるのです。記念すべきその日は、サタンの侵入によって破滅の運命となり、悲痛なる歩みで失楽園を訪ねていかなければならない堕落の日となったのですが、(アダムとエバは)本然の父母の日を失った悲しみを知りませんでした。 では、真なる女はいるでしょうか? 真なる子女の誕生はなく、神様は真なる男、真なる女、真なる夫婦、真なる家庭、真なる氏族、真なる民族、真なる国家、真なる世界、真なる宇宙、真なる天宙をもつことができなかったのです。神様は真なる神様となることができず、悲哀の神様であり、堕落したことを復帰しなければならない悲しみの神様であることを知らなかったのです。 では、神様の愛の日をもてたぜしょうか? もつことはできませんでした。これは話にもならないことです。既成政会の人たちはそういう面から見ると、とんでもないことです。神様の愛の日はどこにありますか? 神様の愛する息子を十字架につけてしまったことが神の日なのですか? 本当に情けない話です。上も下もなくずんぐりむっくり(呆然と)になって信じれば良いと言うのですか? とんでもないことです。科学の世界では、知識の理論的結果を実験機関で実験を重ねて、百回行っても一度成功するかどうか分からないというのに、ずんぐりむっくり知らないで信じることで完成できますか。そのようなでたらめがどこにありますか! そういう人たちによって、先生は迫害を受けているのです。大学教授や博士たちを指導する責任者の先生に対し、幼稚園生にも該当しないような何も知らない者たちが迫害しているのです。先生は多くの神学博士に会いましたが、先生が三つくらい質問をしても誰一人答えられないのです。みんな先生に打ち負かされたのです。ですから先生を尊敬する哲学の博士たちが多いのです。世界のすべての学者たちが先生の指導のもとで動く時になったのです。白人であれ、何であれ先生の指導のもとで動くようになります。 では、統一教会とは何でしょうか? 神様の再創造工場から新しく造り出されたカードでは、神様の『個人の日』を出せばサタンは退くのです。『家庭の日』を出せばまた退き、『父母の日』を出せばまた退き、次に『子女の日』『万物の日』『神の日』『宇宙の日』を出せばサタンは退き全面後退となるのです。全面降伏するのです。 あなたたちは何のカードですか? 新しいカードですけれど、そこには番号がついていますね。万物復帰のカードが移動するときには、中心者が色を変え、文字を書き換えなければ、移動できないカードなのです。自分勝手に移動すればサタンのカードになってしまいます。ミスター・パクはどんなカードですか? (エース・カードです)。エース・カードは必要ないのです。エース・カードは、十という数字があってのちに必要となるカードです。先生が十の数字カードであり、いつもエース・カードをつかんでいるブラックジャック・カードだとすれば、どれほど気持ちの良いことでしょう。しかしその裏面を見ると、表面は同じように見えても裏面に愛の色が塗ってあるのです。それが違っているのです。サタンはそれを見て退くのです。 そこで、統一教会とは何かというと、『神の日』があるということを誇ります。そして、「このサタンめ! これを否定する日があったら出しなさい。お前の誇りとする日を決めなさい」と言っても、サタンはどうすることもできないのです。背後に真なる愛をかけて造られたブラックジャック・カードがあるので、サタンは相手にもなれず後退する他ないのです。ですから統一教会は、神様が誇れる日をもっているということを讃美すべきなのです。アーメン。「ア」とは「ナンバー・ワン」を意味し、「メン」とは「男」を意味するのです。(笑い) ナンバー・ワンの男です。 『神の日』というのは、神様お一人ではつくることはできません。真の父母という愛の基盤を通して出てくるのです。真の父母の日とカップルになって出てくるので、私たちは神の日とともに真の父母の日をもっていることを誇れるのです。統一教会のメンバーであるあなたたちは、そのような日をもっていますか? (イエス)。イエス? ノー?(イエス)。ノー! (イエス!)。ノー! (イエス、ファーザー!)。 皆さんはサタンがどんなに反対したとしても、決して後退しないという自信がありますか? そういうカードをもっていれば見せなさい。表面はサタンの人と変わりないようでも裏を見ると、全部ではないけれど愛のカラーが端についているのです。ですから、サタンは持っていくことができません。もしサタンが持っていけば、お腹が痛くなるか、頭が痛くなるか、手足が痛くなるとか、どこかに故障が生じるので、持っていくことができず投げ出してしまうのです。投げ出してしまえば、サタンは再び占領することができず、投げ出したその場から後退しなければなりません。 統一教会は、誇るべき『万物の日』『子女の日』『父母の日』『神の日』を立てたのですが、その中でも何が中心になっているかというと、真の父母の日と神様の愛の日を成すためにできているのです。統一教会において誇るべきものと、神様が誇るべきものと、人類が誇るべきものは今日集った真の父母の日であるということを忘れてはなりません。(拍手) それで神様の真の愛を中心とする真の父母の日をもったということは、神の日と直結される真の父母の日を中心にして、そこに子女の日が生まれ、万物の日が生まれ、真の家庭、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界、真の宇宙、真の天が連結されるのです。ですから、真の父母の日、真の神の日、真の子女の日、真の家庭の日、真の氏族の日、真の民族の日、真の国家の日、真の世界の日、それらの中であなたたちはどのレベルに属していますか。 サタンは、「私は悪い父母の日、悪いサタンの日、悪い万物の日、悪いすべての日をもっている」と言って誇るのです。そこで神様は、「ちょっとうるさいよ!」。(笑い)「出ていきなさい! 私の後ろに退け! レバレンド・ムーンのカードを見なさい」。それはどんなに素晴らしいことでしょう! どんなに素晴らしいことでしょう! アーメン。アーメンとはどんな意味ですか? (ナンバー・ワンの男性です)。 私たちの統一教会は、なぜ苦労させるかといえば、サタンが讒訴する審判の日に、サタンが学者のカードを取り出せば神側における学者の代表者カードを出し、サタンを退けなければなりません。サタンが事業家のカードを出してくれば、神側の事業家のカードを出して打ち砕かなければなりません。政治家のカードを出してくれば神側の政治家のカード、白軍のカードを出してくれば、神側の白軍のカード、どろぼうのカードを出してくれば、それには相対するものはありません。それは必要ありません。このように統一教会のすべては、神側のカードを造るためあらゆる仕事をするのです。レバレンド・ムーンがやらない仕事はありません。開拓をさせて、どこに行っても悪口を言われたり、喧嘩の仲裁をしたりして、サタン側で良いと言われるものが嫌いになるように苦労をさせる群が統一教会に集ってきたのです。それは何かというと、サタンと対決するカードの一枚一枚なのです。 もう何時間たちましたか? お母様に三十分間だけ話すようにという特命を受けました。もし四十分間話したら離婚するというのです。どうしましょうか? (笑い) そういう話はしなかったのですが、疲れているのでそういう心情です。通訳はいりません。「あ! あ!あ!」。これは秘密の話です。「あ! あ! あ!」。先生は声がかれました。先生に会うと楽しいですか? (はい!)。興奮しますか? (はい!)。では興奮したあと、何をしますか? 何をもって喜んでいるのですか? 本当にエキサイティングで、本当に楽しく、本当に素晴らしい、そうならなければなりません。 あなたたちは真の愛をもっていますか? (はい)。では見せてください。(笑い) 神様に、「あなたたちはレバレンド・ムーンによって教育されましたか?」と聞かれたら、あなたたちは何と答えますか? 「イエス」ですか「ノー」ですか? (イエス)。ではどうぞ真の愛を取り出してください。神様は、「あなたたちは真の愛をもっていますか?」と言われるのです。(はい、もっています)。では、真の愛とは何ですか? 真の愛というのは何ですか?神を中心とした、真の父母を中心とした、真の家庭を中心とした愛だと言いますけど、真の愛の内容は何ですか? 一般的な愛と、真の愛との違いは何ですか? (様々な答え) そういう答えでは三十点しかあげられません。先生が教えてあげますので、忘れてはいけません。兄弟同士が会う時、一時間だけでも良いし、十年間でも良いし、更にまた会いたいし、千年、万年間でも会いたいというのが真の愛の場であり、そのような愛の夫婦は百年間一緒に住んだとしても、万年も生きて一緒にいたいし、会ってもまた会いたいし、話してもまた話したいし、行くのもいつも一緒に行きたいし、来るのも一緒に、永遠に来たいというのです。そういう愛が真の愛なのです。簡単です。その愛の前には、地獄も退き、夜も昼になり、二十四時間、時間、空間を超越することのできる能力が生じるのです。それは非常に素晴らしいですね。 では、ミスター・パクあなたは真の愛をもっていますか? (先生が小さな声で語る。「イエス、ファーザー」とパク先生が小さな声で答える)ミスター・パク、ミセス・パクをそのように愛しますか? 五十歳になるまで、このように苦労しながら生きてきて、幸せな夫婦として生きてきましたが、更に千年も、万年も、もっと一緒に生きたいし、離れることもできないし、どこかに行って何か食べなさいと言われる時も共に食べたいし、殴られる時も共に殴られ、丸くなって転がり、一つの体のように住み、額も合わせる時も割れるほどに合わせたいという、そういうようにして生きていますか? 真なる父母は子供が病気になれば便の味をもみるのです。どんな汚いものでも乗り越える世界です。 では神様はどうでしょうか? 神様が人間を愛する時には、どのくらい愛するのでしょうか? 便の中でも愛するでしょうか? どうですか?(イエス)。これは深刻な話です。神様の至聖所はどこか、それが問題です。キリスト教の信者たちには大変なことです。神様の至聖所とは愛が留まる所です。地上世界において神様の愛の留まる所はどこかというと、男性と女性が一つになったところなのです。堕落以前の本然の世界においてはこれが至聖所であったのです。堕落したことによって、最も貴重な神の国の王子の系統を受け継ぐべきこの王宮の泉が、神の怨讐のサタンの血統を受け継ぐという驚くべき事実となったことを知らなければなりません。レバレンド・ムーンはこれをひっくり返して、神の国の至聖所を保って生きる男女の家庭をつくり、どこにおいても神様が共に住むことのできるその家庭、その国、その世界を夢みながら一生の間、四十年間を迫害を受けてきたのです。 雨の日には、罪人のように頭を下げて黙々と歩きながら嘆息し、真っ暗い夜になるとその中を、主人を失って死の道を求めて行く愛する妻の立場で歩き、夫の立場で歩き、息子の立場、父母の立場で歩むごとに、神様に、「私がいるので、あなたは心配するな! 私は生きていてあなたのような人を探し、あなたのような人に出会うことを願っていた。だから数年だけ耐え、数年だけ待ちなさい」と言われて、また歩み、更に歩んでいる内に青春のすべてを失ってしまったのです。花のような青春時代がみんな過ぎ去り、誇りと気魄の峠を越え六十歳の今となりましたが、今日世界の版図をこのように造ったのはレバレンド・ムーンの他に誰一人いないのです。失った愛の園を懐しく思い、気の狂った人のように事を成しながら、四方八方の道を歩き回った結果このようになったのです。 今日このように、監獄から出てきてこのような日を迎える時、私の怨讐はアメリカであり、自由世界であり、共産世界でありますが、これを愛し、更に愛さなくては取り戻すことができないのです。そのように愛さなくては行くことのできない道であることを知っているので、今日この時間、私はアメリカを愛し、アメリカ政府を許し、サタン世界の門を開いていく道をまた探して行かなければならないという運命が残っているのです。これが統一教会を指導しているレバレンド・ムーンであり、これが統一教会で教理として教える讃美すべき真の父母の行く道であることを、皆さんは知らなければなりません。 イエス様が十字架上で死んでしまったことによって、失った霊的救いを設定し、イエス様が体を失っていたという悲痛なる事実を、いったい誰が知り得たでしょう? また同時に、理想的な愛の巣である愛の家庭を求めて新婦を訪ねてきた夢は崩れてしまったのです。イスラエル民族が四〇〇〇年間というもの大変な受難の道を歩いてくる中で、神様はこのイスラエル民族を歴史的迫害の中で分別させ、四〇〇年前からメシヤを送ることを約束して預言者マラキを送って、民族編成から国家編成のできるユダヤ教と成し、そのユダヤの国をしてローマへと総進軍すべきそういうメシヤの夢を見ていたのです。そのメシヤが来たのに、彼を十字架で殺してしまったのです。悔しい神様のその事情は誰にも分からなかったのです。 その後キリスト教はローマに入り、霊的なイスラエルを造って、二〇〇〇年間死の道を、イエス様の十字架の血統的殉教の血を受け継いで、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界へと進んで、血の代価としてサタン世界との戦いに勝利することのできる基盤を第二次世界大戦まで備えてきたのです。そして、そのキリスト教文化圏を中心として、世界を復帰することのできる一時を神は許し、韓国においてレバレンド・ムーンを中心にキリスト教による国の建国と同時に世界に出発することを夢見たのですが、キリスト教が反対したことにより、国が反対したことによってそれらのすべてが崩れ、レバレンド・ムーンは荒野に追い出されてしまったのです。四十年間流浪しながら、新しい統一教会を既成のキリスト教よりも優秀な立場に、新しい版図をこの民主世界よりも優秀な立場に、また背後から見ている共産主義者よりも優秀なその立場に立てなければ本郷の道を行くことができないのです。三十八度線を越えて、故郷を失って離れていかなければならなかった私は個人として出発したのですが、再び取り戻す時には、宇宙、世界、国家、民族、氏族を取り戻すことのできる世界的運勢とともに三十八度線を越える日には我々の祖国の解放がなされることを夢にも忘れることなく、今まで闘ってきたこの事実を知らなければなりません。ですから、白人であれ、黒人であれこの祖国創建の標語のもとに、三年路程を中心とする決死の闘争の天地分け目の戦いが始まっている切羽詰まった時代であることを忘れてはいけません。 皆さんが知らなければならないことは、私がダンベリーに入ってから四十日目には獄中の門を開き、一般に公開し見学させる日となりました。その時に来た人たちの多くは先生を見たくて来ました。そして七十日目には、南、北韓の対話があり、北韓が南韓に対して万物を貢献するということが起こりました。更にこの間に中国が変わってしまったのです。全部が変わってしまったのです。一斉に宇宙的革命が起こっているという事実を知らなければなりません。(拍手) このようなことをアメリカの政府は恐れてはなりません。歓迎しなければなりません。しかしソ連は恐れなければなりません。ソ連はレバレンド・ムーンのために大変なのですね。ダンベリーに入る時には統一教会の指導者として、アメリカの歴史における逆賊のような立場で行きましたが、出る時には世界的英雄として出監するということを知らなければなりません。何の話か分かりますか? 先生は内的に闘っているのですから、あなたたちは外的戦いに負けてはなりません。先生は内的闘いの決判戦を展開しているのです。あなたちも外的戦いの決判戦を経て、内外の戦いの勝利の基準が一致する日には解放の旗を掲げ、万民のカナン福地に向かう入城の歓声が天地に鳴り響く日の来ることが、神様と先生の歴史観摂理であることをはっきり知らなければなりません。監獄というのは地獄と同じであり、先生がそこで内的な闘いの責任をもったのです。あなたたちは地上地獄のような外的世界で闘い、内外共に闘い、決判戦を勝利しなければならないのです。ミスター・パク、責任を果たさなければなりません!(はい!)。 先生が祖国創建の名のもとに真に迎えるその日を、天の前に祈りながら闘っていることを忘れてはなりません。先生はこの監獄にいる期間にも中国の摂理を進めていることを知らなければなりません。また、ソ連とその衛星国家の中で、監獄生活をしている多くの兄弟がいることを知らなければなりません。ですから私たちは不平を言うことができません。死ねば生きるのです。死ぬことこそ生きることであるという決意をしなければなりません。それは、真理の言葉に、“世界全体のため、神の国のために死なんとする時、神の国が誕生する”という原則のその道を私たちは行っているのです。『父母の日』に集った私たちは、ここにおいて五色人種を超越して、残された歴史の最後の激戦地に向かって直進することを決意すべきであります。アーメン。 民主世界のアメリカを正しめ、共産世界の共産主義者をつかんで押し出していくのです。これから、世界、宇宙の日を誇れる最後のブラックジャック・ゲームが残っているのです。神様が先生とあなたたちを用いてカードのゲームをしていることを忘れてはいけません。先生のカードが十であれば、あなたたちは、一、二、三、四、五、六、七、八、九なのです。先生と共にやるのです。だから兄弟が一つとなり、全体の五十二枚が愛で連結し、一つの目的に向かって動いていかなければなりません。(一番前にいる人に対して)あなたのカードは神様の手にありますか? (はい)。それでは神様がやるとおりに従っていけますか? 先生のカードに合わせるために従っていけますか? (はい)。一番強いカードにならなければ、七、八、九以上にならなければなりません。二、三、四、五、六は大嫌いです。ここに集っている人たち、何番目のカードですか? 二、三、四、五、六は嫌いです。少なくとも六数を越えなければなりません。六数はサタン数ですから、サタン側です。サタン世界と比較して、ムーニーは根本的に異なるものでなければなりません。ムーニーは異なっていなければなりません。あなたたちの目も、見る角度が異なります。だんだん上を見るのです。あなたたちが歩いている姿を見ると、走っても走っても忙しいし、仕事をしても忙しいですね。時間がもっと必要です。遊ぶ時間がないのです。それがサタン世界の人と異なるのです。 先生は何歳ですか? (六十五歳です)。いや、二十五歳です。それはなぜかというと、忙しいからです。年を取っていくことも考えることができないのです。足が痛くなっても、「この足よ! まだやるべきことがたくさんあるのだ。山を越え、海を渡らなければならないのだ。この足よ!」この体、この体は夜になると眠ろうとするのですが、「この体! 忙しいのです」。それでサタンが一番好むことは、みんながレバレンド・ムーンのようにすることであり、レバレンド・ムーンに従っていくことが一番の好みなのです。そうですね。(いいえ)。では正しい答えは何ですか? (サタンが一番嫌うことです)。 レバレンド・ムーンが監獄を訪ねて行きましたか? 監獄がレバレンド・ムーンを訪ねて来ましたか? レバレンド・ムーンが監獄を訪ねて行ったのです。アメリカのため先生は監獄に入っていったのです。アメリカに神の誇り得る愛国の伝統がないために、愛国の伝統を植えてあげるために先生はアメリカの監獄を訪ねていった歴史上にもない唯一の男であることを誇りに思っています。今のアメリカには愛国精神がないのです。神を愛する精神がないのです。この伝統を新しく植えてあげるために先生は行ったのです。ですから神様が共にあるレバレンド・ムーンの背後から、アメリカの愛国運動と神様の愛の運動が燃え始めるのです。 皆さんは真のアメリカ人ですか? 偽りのアメリカ人ですか? 何ですか? では、偽りのアメリカ人が多いでしょうか? 真のアメリカ人が多いでしょうか? 偽りのアメリカ人ですね。見てみなさい! アメリカの若者のほとんどが麻薬で毒された精神病者です。三分の二以上がすべて精神病者です。父母もなく、国もなく、世界もなく、自分の体の価値もなく、すべてが腐って死亡の地獄に入っているのです。誰もそれを救う人がいないのです。すべてが偽りのアメリカ人であり、真のアメリカ人がいないのです。みんな解毒の薬が必要なのです。解毒剤が必要です。解毒の注射をしなければならないのです。そこであなたたちムーニーは何をするのかといえば、そういう病者になるのです。 地獄に入っている、サタン世界に入っているそういう人たちに対し、「レバレンド・ムーンはいくら良く導く人だとしても、監獄に入っているあのような人たちにはどんな注射をしても治すことはできません」と讒訴するのです。そこで、「レバレンド・ムーンが行ってやってみなさい」との許可により、先生が監獄に入ったのです。そこで監獄の人たちを言葉なき中で教育したのてす。ですからレバレンド・ムーンは今、大変有名になっています。あなたたちは自由に行動することができるので、自由舞台においてアメリカを感動させなければならない責任が残っているのです。この両面の戦いに基盤と伝統を残さなければ戻ってくる道がないのです。先生がそのような道を行ったのです。これから皆さんがそういう戦いの決意をすべきこの日であります。意義深い父母の日の決意となると思うので、このように話をしました。(拍手) 皆、立ってください。この戦いに、内外共のこの戦いに敗者となることなく、勝者となるための参戦勇士となる意決する人は、この日、この意義ある父母の日に、両手を挙げて誓って総進軍いたしましょう。アーメン。 (私はヨシュアとカレブである。カナンの福地に向かう、自由世界を導いていく、ヨシュアとカレブの群れであることを決意し、前進いたします。アーメン、アーメン、アーメン)。-合唱三回- 皆さんの上に神様の祝福がありますように……。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.13
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20211205ポーラ・ホワイト牧師 神統一韓国のための救国救世祈祷会朝鮮半島の平和的統一願い宗教者が集結 – UPF-Japan (upf-jp.org)世界194カ国・100万人をオンラインで結ぶUPFなどが主催する「朝鮮半島の平和のための祈りの集い」が12月5日、韓国の清心平和ワールドセンターなどをメイン会場に、世界各国をオンラインで結んで開催されました。第二次世界大戦後、分断されたままの朝鮮半島に平和的統一を実現するために、トランプ前米国大統領のスピリチュアル・アドバイザーを務めたポーラ・ホワイト牧師(=上の写真右)をはじめとする宗教指導者が集い、癒しと再生をもたらす祈りの集いとして企画されました。世界194カ国から100万人以上が視聴参加しました。司会を務めた尹鍈鎬(ユン・ヨンホ)世界本部長は、UPFの文鮮明・韓鶴子総裁が電撃的な訪朝を果たし、金日成主席(当時)と会談(1991年12月6日)して今年で30周年になることを紹介。以後、UPFを中心に南北の平和的統一を実現するため、広範な活動に取り組んできたことに触れました。また、「南北の分断状況は人間中心の思想に基づいているためであり、解決への方策は神中心のアプローチを適用することである」との韓総裁(=上の写真中央)のメッセージを紹介し、この日参加した宗教指導者の役割を強調しました。続いて、諸宗教間の調和と平和への祈りを込めて「合水」の儀式(=写真左)が行われ、異なる宗教・宗派の指導者による祈りが行われました。会場の壇上では42人の宗教者が参加し、厳かな儀式となりました。歓迎のあいさつを行ったホワイト師は、ギリシャ語で「回復」を意味する「アポカタスタシス」という言葉を説明し、神の働きを表現しました。「私は、神がご自身の民を本来の意図に合わせて回復させ、再構成していると信じています」と述べたホワイト師はまた、今の時代を、ヨシュアが民衆を率いてエリコの城壁を囲むように行進した時に例えて、「宗教指導者たちが一致団結すれば、その祈りは大きな叫びとなって天に届き、私たちを分断する人工の壁は取り払われるでしょう」と訴えかけました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.12
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「世界を動かす人格」1985年2月25日イーストガーデンにて 本を送ることはいいですね。本は死にません。分かりますか? 人間は死ぬけれども、本は死にません。本はどこへでも行きます。だから皆さんは、約三十万の本とビデオテープをアメリカ中に配ったんだね。 それを見て、「何だこの不思議な君らの本は!」と言うのですが、それらはレバレンド・ムーンの本なのですね。また、「この奇妙なビデオテープは何か?」と言えば、それもレバレンド・ムーンのビデオテープだというんだね。牧師たちに聞いてごらんなさい、(本とビデオテープについて)知っているかどうか。答えは、みんな知っていると言うのです。結局、教会の指導者はすべて知ることになるでしょう。そういう状況なのですね。 そして彼らは、毎晩電話します。古い牧師たちが次々に電話し合って、十人、二十人と、牧師たち同士で、それ(本とビデオテープの内容)について話すことになります。また、一人の牧師が統一教会に来ると、“どんな牧師なのか”とチェックして、互いに連絡し合います。考えてみなさい。そういった牧師たちの中から一人でも原理を理解すれば、その牧師の教会の集会のすべてがついてくるようになるのです。ですからこの三十万の本とビデオテープを配ったのです。これから一〇〇万、一二〇万の人々が原理を知ることになるのです。それは恐ろしいような状況ですね。 どうですか? だから実際、先生は苦労をし、皆さんは楽しんでいるでしょう。このように見て、贈り物を受け取った牧師たちには、ショッキングなことなのです。特にこの贈り主が、ダンベリーに入っているレバレンド・ムーンだということに衝撃を受けるのです。統一教会の本部のニューヨークの四十三番街から、先生の名で送ったものとは次元が異なるのです。また、ムーニーの指導者である先生が監獄に入っていても、希望を失ってすべて崩れるのではなく、牧師たちの心をつかむために屈することなく、日夜前進している事実を見る時、強い衝撃を受けるのです。 牧師たちは、若い時代から今まで、既成教会の若者たちや自分たちが導いている人たちと比較してみて、ムーニーのような人を一人も見出すことができない時、問題は大きいのです。それにしても、共産主義が六〇年から七〇年の間に、全世界にこのような版図をもつようになったということも、本をもってなのです。マルクスの『資本論』というその一冊の本をもって成したのです。 先生がアメリカに来て今まで成してきたことの目的は、キリスト教を救うためでした。キリスト教の牧師を覚めさせ、アメリカを神の願う方向に行けるようにし、世界のキリスト教を連合して、世界の国々を神様のみ旨の中に導いていけるようにすることが神様のみ旨であるので、まずアメリカが神様の願われる方向に進むようにするため、アメリカの教会の牧師たちに神様のみ旨の方向をいかに示してあげるかということが、先生のアメリカに来た目的なのです。 荒野四十年路程を過ぎてからは、イスラエル民族の新しい地域への大移動とともに、定着しなければならない時が来ます。定着する時が来ます。では、私たちムーニーはどこへ言って定着すべきでしょうか? 神様の望みはそれはアメリカに定着して、新しいアメリカをつくり、理想的なアメリカにつくり変えることです。そのような神様の願いを知っていたので、先生はアメリカに来たのです。そのようなアメリカをつくるためには、共産主義に勝利しなければならないし、家庭の破壊を防ぐため青少年の倫理を確立しなければならないし、キリスト教の新しい再復興をしなければならないという、そのような論理があるのです。それを成さなくてはアメリカを生かす道がないと思うのです。それが成されれば、ここに新しいアメリカが定着するのです。そのような日が来れば、アメリカ全国民の歓迎を受け、すべて進行するというのが神様の考えであり、先生がここ(アメリカ)に来た目的でした。 ではアメリカとアジア、あるいはアメリカと先生、白人とレバレンド・ムーンとの関係はどのようになっているのでしょうか? レバレンド・ムーンは寒帯地方で育った松の木のようであり、アメリカの国民は熱帯地方で育った松の木のようなのです。よく見ると、南のほうでできた種は大したこともないのです。ですから種にはならないのです。アメリカを種に取ってはならないということです。それではどうすればいいのかといえば、接ぎ木をしなければなりません。首を切るのです。人々は、「オー、オー、松の木のなのになぜ切るのですか?」と騒ぐのですが、ムーニーたちは知っているのですね、それで(神様の願う)実が結ばれるのです。先生はそのように思って出発したのです。皆さんはキリギリスのように、踊るのが好きで、自分が食べたいものを食べようとし、楽しく生きようとするのですが、それはいけません。 皆さんはもう接ぎ木されましたか? 先生が今度監獄に入って有り難く思ったことは、アメリカのチーズやハンバーガーを本当にたくさん食べて、韓国のご飯はいくら食べたくとも食べずにいたので、今はご飯など全く全て忘れて、これ(ハンバーガーやチーズ)を食べて生きることができるようになりました。約七ヵ月間で先生がこのようになったので、今度は反対に皆さんを約七ヵ月間でハンバーガーやチーズを食べなくても生きていくことができ、キムチやコチジャンを食べて生きていけれるようにしなければなりません。先生はダンベリーでそういう哲学を知ったのです。 皆さんは先生を愛し、先生が好きですか? (はい)。では一つの家に住むようになった時、皆さんがハンバーガーを食べ、先生がコチジャンを食べてたら喧嘩をするようになります。そして食堂が二つなければならなくなるでしょう。しかし、私たちの食堂は一つだけです。今度先生が出た時、必ずそういう訓練をします。そう思っています。 ですから先生は、皆さんがこれから東洋式の御飯を中心として三食とも弁当で生きられるように、研究しています。「このようにしなさい」と言って、弁当だけを配ってあげればいいのです。食堂がいらないのです。これからは食堂がいらないのです。先生はダンベリーに行ってからは少食にしようと思っていました。そしてできるだけ少なく食べようとしました。しかし、東洋人は先生だけなので、“ああ、東洋の人は食事をあのぐらいしか食べないのか”という印象を与えたくなかったので、それでたくさん食べることにしたのです。一番たくさん食べることにしたのです。たとえ三分の一くらい残るとしても、たくさんもらってくるのです。そういうことをやっているのです。たくさん食べる西洋の人に負けたくありません。 それで残って捨てなければならない時、どう捨てれば良いのかも考えました。私たちの宣教師たちとか、外国に行っている私たちの兄弟たちが飢えていることを考えました。そして残って捨てる物はすべて、「世界の統一教会のかわいそうな食べられない人に分けて上げられるように運んでください」と言いながら捨てるのです。 食生活も六カ月ぐらいすると変わるのです。西洋食を食べると腰回りも細くなってきたようです。七カ月間に食事を取らなかったのは一度だけです。それは、本を読んでいて忘れてしまったためです。それからは、いつも食事時間に間に合うように食堂に来る人は誰かというと、それはレバレンド・ムーンだというのです。しかし先生と一緒にいるラリーは、今も朝の食事には行かないで眠っています。彼はパンを買っておいていつも食べています。先生はそうではありません。食事の時間に食べるのです。その他の時間に誰が物を持ってきてくれても、先生は食べません。あなたたちはどうですか? 先生は果実などがあっても食べません。それはなぜでしょうか? これから、アメリカ国民は、朝、昼、晩と食べるだけで十分です。その残りをもって世界を救うとすれば、数カ国が救えるのです。 先生が一番嫌いなことは、歩きながら食べることです。先生は健康面でも、自分の体を中心としてたくさんのテストをやってみました。その結果、食事は決められた時間に食べたほうがいいのです。できるだけ決められた時間に食べることです。 神山! 今でも運動をやっているの? 先生に教えられた運動を今でもやっているの? もう足の調子は良くなったの? (はい、治りました)。神山も、何もしなくとも足が痛くて大変でした。それで先生の運動を教えてあげたのです。皆さんにも教えてあげましょうか? (はい!)。どこにおいても、今このように座っていてもその運動はできるのです。 先ほども監獄での生活を話しましたが、先生は今回で五年近い監獄生活をしたことになります。監獄生活でほとんどが死んだ状態からでも、生き返ることができたのもこの運動法を研究したからです。それは呼吸運動と授受作用運動です。神経系統が動かないで詰まってしまうと病気になるので、これを開いてあげればいいのです。それで風邪をひいて鼻が詰まったりすると、瞬間の内に開けてあげるのです。トイレに行っても、どこに行ってもその運動をするのです。壁などに寄りかかって立っている時にも必ずその運動をするのです。こういう所でもすべて運動の道具とするのです。ダンベリーに一つの岩がありますが、そのでこぼこの岩の所に行って運動するのです。先生は年を取っていますが、歩く時はよく歩きます。早く歩きます。皆さんより早く歩くでしょう。そういうことからして、今後は革命しなければならないことが多いですね。 一日に小便は何回すればいいかということなど、考えたことがありますか? そういうことをすべて研究しなければなりません。三十代では何回だったのに、五十代では何回だとか、先生はそれを考えるのです。“今、何回なので、これからはどうなるのだろう”と。そして体が変化するのを見る時、“ああ! 何歳まで生きられる”と考えるのです。そして小便を我慢していたらどんな支障が起こるか? 回数が多くなったり、少なくなったりすることによって病気も異なってくるのです。皆さんはそれを知らなければなりません。少なくなったら補充するため水を少し多く飲むようにし、多くなったら水を少なく飲むようにし、回数のバランスをよく取るのです。このようなことは絶対に必要です。それらのことを中心として自分の体を考えなければなりません。アメリカの人たちはそういうことをあまり考えていません。 なぜこういう話をするのかといえば、食べ物も勝手に食べさえしなかったら、公式的に動くということです。すべてが公式的に動くのです。アメリカの人たちは、外から帰ってくると、勝手に冷蔵庫を開けて何でも食べたり飲んだりします。そのためにうまく新陳代謝ができないで、お腹を痛めたり、下痢をしたりします。このように、間食は健康上しないほうがいいということが分かります。 (ダンベリーでは)毎週火曜日はいくらでも買物をしてもいいという日で、オレンジ等、とても良い品を持ってきて売られます。みんなはそれを買って食べて先生にも持ってきてくれるのですが、先生は一つも食べません。歯を磨いたのでと言って食べません。今では慣例になって“先生は食べないのだ”と思って、彼らは「食べてください」とも言わず、自分たちだけで食べています。先生のオレンジを取り出して食べながらも、先生に与えようともしないのです。(笑い)こういう彼らも、これからムーニーとしての教育を受けて、ムーニーの指導者レバレンド・ムーンを見習うようになり、レバレンド・ムーンの生活方式を教えてあげる時が来るのです。レバレンド・ムーンが、体を管理する方法も教えてあげる時が来るのです。何の話か理解できますか? どこに行っても人は学べるし、それがこれから大きな仕事をするための材料を収集することになるのです。 また、監獄に行って過ごしてみると、アメリカの生活のすべてを知ることができます。詳細に知ることができます。なぜかといえば、食事を終えたあとは何もすることができないので不平しか言いません。自分たちの従兄弟(いとこ)や再従兄弟(はとこ)がどうであるとか、何々を食べるとか、全部話しているのです。だからアメリカの生活がどういうものか知ることができます。彼らは口を閉じて生活することができないのです。自由を望む人たちはじーっと口を閉じていられないのです。何とかして(思いを)解消しなければならないので、不平不満を言います。食事をしながらも、不平を言うので病気にもなりやすいのです。 たとえステーキを食べさせても、「何だこのステーキは! 私がかつて食べたものは、こうであった」と言って、一番良かった時のことを思うのです。全部が不平だらけです。だから事故が起きたりしやすいし、病気になりやすいのです。また、社会で飛び回って喧嘩ばかりしていた人は、体力があり余まってここでも喧嘩をするのです。それも周期があるだろうと思って統計を出すと、間違いなくその時になると喧嘩を始めるのです。(笑い) 本当に興味深いことばかりです。そういうのを見る時、先生がまだその世界の勉強は終わっていないため、神様がまだそこ(監獄)においておくのだと思うのです。そう思うことはとても良いことです。東洋では、ソ連の監獄まで先生はすべて知っているのに対して、アメリカの監獄は初めてでしたが、今では隅々まで知っています。USの監獄というのは、YOUR監獄です。このことを通してどれほど民族性が異なり、どれほど人が変わっていくか、またアメリカ人はこのように扱わなければならないということも隅々まで分かります。それを勉強しているのです。プールや、競技場でも負けると大変です。 ピンポンをする時でも、彼らは何とか勝とうとします。負けると悔しがって大変です。だから先生は、よく負けてあげるのです。そして、どんなに喜ぶかを見るのです。“きのう、先生が勝った時にはああだったのに、きょう先生が負けてやればどのように変わるだろうか”とその人を計ってみるのです。このように、学ぶことが多いのです。だから先生は監獄に行って、勉強をしているのです。今も、神様が御覧になって、アメリカ人を最も良い方向で指導するために、まだ先生を訓練していると思うのです。ですから先生が監獄から出てくる時には、いかにアメリカ人を指導すればよいかはっきり知っています。もっともっと皆さんをより良く指導することができるようになります。だから皆さんにとっては、先生はもっとも手強(てごわ)い相手になります。 今は、先生も有名人になりました。先生を好きな人が多くなりました。先生は監獄生活における専門家です。しかしそこにいる人たちは、監獄生活が初めてなので大騒ぎをするのです。ある意味で先生は、そこの人たちのカウンセリングや相談相手をします。だから先生のいる部屋もだんだん忙しくなってくるので大変です。先生は有名な人で恐ろしい人だと思っていたのに、先生と過ごしてみると味があるし、面白いのです。先生の味が分かってきたので、自分たちが困った時には先生の所に来てこそこそと報告をするのです。 また先生は一度約束すれば必ず実行する人間なので、どんなに近い人であっても、「私はあなたと何かする」という約束はせず、「多分何々」とか、「恐らく何々」とか言うのです。なぜなら、その人たちは統計的に見ても、社会に出ても三分の一は再び監獄に入ってくる人たちなのです。ラリーと一緒にいながらも、どんなによく話を聞いあげて約束をしそうであっても、先生は約束をしません。彼らは先生を好きなのですが、勝手にはできないのてす。先生は彼らから人生の哲学を学ばなければならないのです。 先生は昔、アメリカ人とはそれほど接することがなく、東洋の人たちに多く接してきたので、神様が先生に(アメリカ人を)学びなさいと言われているようです。だから今はアメリカ人を観る専門家になっているのです。すぐ、あの人はどんな人か分かるのです。だから皆さんが先生に出会ったことは幸せなことです。 これからは、世界を指導することのできる人が必要です。これからは宗教人が、国や世界を治めることのできる人格者をどのようにつくり出すかということが問題であります。今までのように、世界を動かしてきた人たちとは違うのです。千年、万年の歴史をかけて世界を動かすことのできる人格をどのようにしてつくるかということは、今までになかったことです。そのような、かつて歴史上にもなかった宗教人として、世界を指導することのできる指導者像とはどうあるべきか、というプログラムを編んでいるのです。今晩先生が少し遅れたのは、韓国で重要な仕事をしていた人が来たからです。先生はその人に、「あなたはこのようにしなければならない」と言って、印を押して帰しました。(先生は)ワシントンの有名な人であったとしてもそのようにします。世界中の傲慢な人たちのもとどりをつかんで、自由に動かし引っ張ったとしても、「ありがとうございます」と言われるようにならなければ、世界は動きません。 アメリカの指導者たちに、アメリカを正しく指導することのできる能力があったならば、アメリカはこのように滅びるような国にならなかったでしょう。統一教会は今まで、何度も滅びると言われてきましたが、滅びてはいません。それはレバレンド・ムーンに能力があったからであると思っています。 生きている物は大きくなるのが原則です。停止から後退が始まり、滅びに至るのです。だからレバレンド・ムーンは監獄においても前進するのです。先生にすべてを任せれば、全部半年でムーニーにすることができるでしょう。先生が皆さんくらい流暢に英語が話せれば全部ムーニーにすることができます。そのように思って、皆さんは皆さんたちの国を愛さなければなりません。国を愛するのです。何かをもって、国を愛していることを見せてあげなければなりません。そして国のために実績を上げることであります。言葉だけでは駄目です。実績が必要です。皆さんが人に誇ることのできる実績とは、この国が将来必要とする人を育成する中で誰よりも国を愛したという人になる、重要な責任をもっていることを知らなければなりません。 それではムーニーたちは誰を教育するのですか? それは牧師です。ではどのように教育するのですか? 牧師たちは話は上手にできます。しかし彼らにはできないことがあります。それは何かというと、喧嘩するのを止めることができないのです。また、牧師というのは一方通行なのです。しかしムーニーが行く道は四方通行です。なぜなら酒場にも、また娼婦のいる所にも、どんな所でも復帰のために行くのですね。そしていろいろ研究するのです。彼らの良くないところもみんな研究するのです。 ある国の大統領の夫人がもし娼婦出身であったとしても、大統領は夫人の話には絶対服従するものです。だからもし娼婦を指導することができれば、娼婦について研究した人は大統領夫人も指導することができるのです。「その世界の内容をよく知っています。あなたの苦労をよく知っています」と話をすることができるのです。また、「善なる心があってそれに神様が協助されたからこそ、多くの苦労が報われて大統領夫人になれたのですね」と褒めてあげるのです。 また、白人たちが結託して先生を罠に掛けようとした時もあります。先生はそれを知っていましたが、わざと愚か者のようにして乗り越えるのです。彼らは先生を罠に掛けたと思っているのですが、かえって先生の罠に掛かっているのです。先生は面白い人間です。味のある人間です。頭の働きも早いのです。「シャー」と言えば、「イランの王様です」と即座に答えてみせるのです。回転が早いのです。連想するのが早いのです。一言聞けば、次から次へと回転します。それは誰も競える者はいません。だからポスターの文章などは私に追いつくことができません。標語などにおいてもそうです。誰も先生に追いつけません。だから冗談を言ったりすると、みんなが転げ回るようになります。また、先生が人に会うのを見ると、単調でありながらも稲妻のようであります。(笑い) 皆さんはそういう教育を受けたくありませんか? (はい、受けたいです)。皆さんにそういうことをすべて教えると、逃げ出して詐欺師にでもなってしまうと困るので、これ以上話しません。(笑い) 先生は人を見れば、すぐにその人が分かるのです。話す方法が違うのですね。他の話をしているのですが、引き付けられるのですね。結局は、身動きもできないように、三角地帯に押し込んでしまうのです。 皆さんがもし先生のようであれば、アメリカを生かしても余りあるのです。そう思って、先生に出会ったことを感謝に思ってください。先生が監獄に行く時は、難しい場に行くのではなく監獄よりは良いでしょう? そういう話をすると深刻になるでしょう。深刻になります。今、深刻な立場に立っているアメリカを救うためには、それ以上深刻にならなければ、救うことはできないのが原理原則なのです。これは理論的なことです。それを知らなければなりません。それが天理です。先生がアメリカに来る時、アメリカを救おうとする時、“アメリカのあらゆる難しさ以上に深刻であるか、そのために自分以上に深刻な者はいないという自信があるか”と自問自答したのです。 だから統一教会のメンバーは、これから何か問題があったとしても、心理学者の意見を聞いたり、教育を受けたり、治療を受けに行くのは歓迎しません。神様を信じて祈祷しなさい。神様はすべてを解決してくださいます。先生が学んだことは、ある心理学者から学んだものではありません。霊界の体験を通して、霊的世界を知ってみると、すべてに通じるようになるのです。何の話か分かりますか? (はい)。 ですから皆さんは、どのような訓練が必要かといえば、極から極までの訓練です。ある人が腹を立てて襟をつかんだとしても、ゼロになって、「ワッハハハ」と笑えるなら、その人は恥ずかしくなりその場から退いていくのです。それで翌日に会っても、昨日のことはまるでなかったかのように、自然な態度で接してあげるのです。そうすれば、その人はどうしてよいか分からなくなります。そこで、「あなたがどんなに困難な道を行っているか私はよく知っています。あなたの心を私はよく知っています」という一言ですべてが終わります。そうすることのできない社会の中でそれができる人に出会ったなら、「この人こそ、この社会の最高の人である」とその人は言うのです。これは理論的です。 最近の話ですが、イーストガーデンのミーティングの時、ある人が突然に自分の感情を抑えることができずに、非常に野蛮な言葉遣いで先生に対して抗議してきました。しかし先生は、静かに悠然と落ち着いて、自然に笑いながらそれを受けてあげました。その時、先生は何事もなかったかのように彼に対し、少しも憤ったような対し方はしませんでした。それで彼は、そのことゆえに先生が一度も気を悪くしなかったのだと思いました。だからそのことを思うと、彼は二度とそういうことはできなくなったのです。それで先生は彼を神学校に行くようにして、将来弁護士になれる道も開いてあげているのです。何の話か分かりますか? そういう先生をアメリカの人たちは知りません。ドクター・ダーストもそういうことを学ばなければなりません。そういう面においても先生は優れた人です。 (かつて)先生にとって、どんな怨讐であっても、その人の子供たちが学費に困っている時、先生は人に知られないようにしながら学費を納めてあげました。しかしその人は何も知らないので、誰か自分の友人が払ってくれたものと思っていたのです。その時は誰がやったのか、誰にも分かりませんでした。十年後、その人が事実を知って、それまで家族全体で統一教会に反対してきたことを恥じ、悔い改めの祈祷をしたという話を聞きました。 だから先生は、皆さんをどのような人に教育しようかと考えています。こうして話をしながら、(皆さんを)全部見ておくのです。先生が一言語ったら、皆さんがどのように考えるのかを見ているのです。人を正しく導くことほど神様の前に貴いことはないのです。(先生が)愛国と言えば、それ以上の愛国はないのです。では、皆さんに一つ尋ねてみましょう。「先生に出会ってから、自分は変わったと思う人は手を挙げてみなさい」。(みんな手を挙げる)有り難いことです。しかし皆さん、そこで留まることなく、より高い所に進まなければなりません。 皆さんがこの世的に考える時、“先生はイーストガーデンの良い家にいて、良い車に乗って、この世を思うままにして、どれほど幸せな生活をしているだろう”と思うかもしれませんが、ダンベリーの一・五坪ほどの部屋の中でも、そこで生活している人以上の生活をしています。イーストガーデンで生活している以上のことをしているのです。皆さんはそれを知らないでしょう。 神様は、イーストガーデンで先生が祈祷し涙を流すことよりも、ダンベリーで涙を流すことのほうを何倍も何百倍も貴く思っておられることを私は知っているのです。神山が先生と一緒にダンベリーにいた時のことで今も忘れられないのは、先生が説教集を読みながら咽を詰まらせて泣いた時のことだそうです。神山にとってはそれは一生の宝であることでしょう。その時のことは今でも生々しく残っています。先生はそういうことが好きです。そのような神秘なる深い谷間に入って、渾然一体化して、自分も知らない感謝の境地をいつも懐かしく思う人間なのです。だから先生はソウルに行けばいつも清平(チョンピョン)に行くのです。昔、ジープに乗って行った時と、今リンカーンの車で行く時とでは心が違うのです。だからそのような体験をいつも懐かしく思うのです。監獄にいると自然がとても懐かしく思えます。だから自然が好きなのです。今ごろの夜の空を見ると、三日月とか銀河が見えます。そういうものから真に神秘なる境地に入るのです。そういう境地です。何の話か分かりますか? 人は良い物を食べ、良い所に住むことで幸福であるかのように思いがちですが、良い物を食べなくても、良い所に住まなくても幸福はありません。お母様に電話をする時も、ここから電話をするのと違って、監獄から電話をするその一瞬というのは神秘的なものです。それはそういう立場に立たなければ分かりません。いくら説明しても分かるものではありません。 また、“地下活動をしている食口たちと、ダンベリーのこの電話で、このような話ができればどうだろう”といろいろ考えるのです。更に、“この電話で神様と話をして、お母様と話す以上の深い心情を神様と通じ、神様の寂しい心情と連絡することのできる瞬間であったらどうだろう”と、いくらでも連想することができるのです。間違いなく、先生も痛哭すれば神様も痛哭するでしょう。 では、先生はどのように(神様を)慰めるのでしょうか? どのように慰めますか? 一言で何と言って慰めるのでしょうか? 深刻な問題です。だから皆さん、楽しい時にできた友達はみな散ってしまいますが、困難な時につくった友達は残るのです。これを知らなければなりません。先生が統一教会で一番最初に出会った人は困難な立場の中で育ててきた人です。一番困難な立場で育ててきたこと、それが貴いのです。そういう人は、パン一枚を得てもそれを自分で食べられず、「先生に差し上げたい」と言って、持ってきて、待ちに待っているのです。このような環境にまでこなければなりません。涙ぐみながら慰め合う、そういう立場での因縁がなければなりません。そういう友がなければなりません。 皆さんは牧師たちを中心として、そのような心情的関係を結ぶようにしなさい。ある牧師に一〇〇〇名の信者がいるとすれば、その一〇〇〇名の信者の中で最も牧師に忠誠を尽くして最も侍る人の三倍だけやってみなさい。そういうことを研究しなさい。先生はどの監獄においてもそのような友をもっていました。その人たちは、監獄から出ると自分の妻や、母親や、親戚などの所に留まらず、ただ挨拶だけして、先生に従って来たのです。皆さんの背後にそのような食口が何人いるのかが問題です。 先生はいつも五色の人種の皆さんの前で、このような話をするのですが、白人の目から涙を流すのも見たし、黄色人も、黒人も、すべての人種が涙を流すのを見てきました。しかし、その涙はどれほどもつのでしょうか? これが問題なのです。永遠を見つめて流した涙なら、永遠に保ちなさい。真に永遠に保ちなさい。先生はいつでも声を出して祈祷をする時には、涙なくしては祈祷のできない人間です。そのような境地を一生の間、いつも人に知られずに巡っているのです。 私たちの統一教会においては、信仰の道として三十歳前後まではできる限り皆さんを苦労させなければならないということが先生の神学、哲学です。なぜかというと、そうすることにより豊富な心情的基盤ができるし、そういう思春期を乗り越えることによって、豊かな情的な広い世界と深い理論をもつことができれば、一生の間に偉大な仕事を成すことができるのです。そうでなければ流されてしまいます。井戸を掘り、ダムを造り、山を崩す。そういうことをしなさい。どのような立場に立っても決して後退することなく、前進するのです。神様はそういう人が好きだということを先生はよく知っています。そのような立場で、その人を世界的に育て上げることを希望として導いておられることを先生はよく知っています。 先生が皆さんになぜこのような話をしているのかというと、皆さんがこれからの多くの試練の中でも、国を中心として成すべき多くのことを先生の代わりに成してほしいのです。“私も早く先生が経験されたその場に行かねばならない”という希望を与えるために、このような話をしたのです。そうすることにより先生が行く霊界に一緒に行けるのであって、そうでなければ(先生に)ついてこれません。分かりましたか? 皆さんはまだ自分を中心として訓練を受けて、行く道が遠いことを知って、一生懸命に頑張りなさい。(はい!)。 先生を見習って、このようなことを参考にしながら行けば、それ以上の先生の監獄の生活が偉大な生活であると思えるのです。 (ありがとうございます。先生!)-(三回合唱)-(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【ふるさと納税】不室屋・加賀麩詰合せ | 麩 お麩 お吸い物 吸い物 即席 加賀麩不室屋 石川県 金沢市 金沢 ご当地 お取り寄せ お取り寄せグルメ ご当地グルメ 取り寄せ グルメ 土産 お土産 ご当地おみやげ 食べ物 たべもの 食品 ふるさと 納税 支援 おすすめ【加賀麩不室屋】おもてなし20ヶ入 ギフト 北陸 石川 金沢銘店 麩 詰合せ
2021.12.12
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「父母様の誕生日」1985年2月25日ベルベディアにて -祈祷- きょう一九八五年陰暦一月六日、陽暦二月二十五日は、父母様の六十五歳、四十二歳を迎える誕生日です。この式典を、お父様が、私を霊界と地上た代表した立場においてくださいますことを、全世界を代表して集まった統一の群れを矜恤に思ってこの式典を受け入れてくださいますことを、今一度お願い申し上げます。 地上の万民に対して、望みは何かと尋ねたら、今までの歴史上の人々は、自分の志を成すことであり、自分の父母の意志を代身して成すことであり、歴史性をもった家庭においては家庭の意志を成し、民族であればその民族の伝統を立てることが願いでした。また国をもっていた皇族たちすへてに尋ねたら、その国をよく治めることであり、その国の民に尋ねたら、善王を擁して千年万年の平和な世界が自分の国を中心として成されることを願っているのが、すべてにおける答えであることを知っています。 しかしこれは、今まで堕落した人間世界の人々の答えであって、宗教人を通して神様が、あなたたちの望みは何かと尋ねられるとき、真に神を知り宗教を信ずる人であれば、個人の望みや、自分の家庭、一族、一国の望みが問題ではなく、天上地上を通しての大主帝であられる神様の所願成就の日であり、自分の希望の完成の日であると答えられることを、宗教を立ててこられた神様は願ってきたことをもう一度知るようになります。 このような観点から、神様が統一教会に対して、ここに集っている数多くの氏族を超越し、民族を超越したすべての人々に尋ね、あなたは今この所願を成すのにどれほど努力したのか。所願成就のために多くの人々が、知る中において知らない中において所望しながら死んでいきましたし、数多くの歴史的な苦役を受けながらも、神のみ旨が成就できることを、メシヤのみ旨が成されることを、自分たちの宗主のみ旨が成就できることを期待しましたが、それが成就できないまま、終わりのたまで、現世は民主と共産が戦い疲れ、もはや方向すら失って自暴するしかない立場の人間たちとなってしまいました。このような群れを眺める神様は、再び所望をもって尋ねることもできない実状をいかに御覧になっていることでしょう。キリスト教がそうであり、世界四大宗教もそうであろうし、それ以下のすべての宗教形態をもっていた群れ、更には良心的な群れも同じ実状圏におかれています。 神様が私たち人間に尋ねる時、神様の前で答えるべき人間自体の所願とは、神様のみ旨が中心となる真の父母の愛を懐かしく思い、あなたと共に侍ることである、と言う他ありません。真の父母を失ってしまった人間の恨みがどれほど大きかったかを神様は知っておられましたが、人間は知りませんでした。数多くの歴史を支配してきた人間の先祖たちに、歴史過程において真の父母を探さなければならないことを伝えた人はいませんでした。メシヤ、救世主、宗主の名で神のみ旨を見つめながら、漠然たるみ旨を見つめながら、個人完成の追求に汲々としていた宗教を見つめてこられたお父様の心がどれほど悲しく、どれほど苦しかったかを今一度回想いたします。 お父様、今日、第二次世界大戦以後、韓国国家解放後の四十年目を迎える年となりました。それとともに、神様が主人として全体的に責任をもちつつ全世界が一つの所に集って、所願を成そうとするそのような環境の韓国に、真の父母の名をもって神様が送ってくださる役事が始まったことは誰も知りませんでした。 お父様、統一教会が真の父母の歴史を受け継ぐことのできる群れとして構成されたものであるなら、今一度厳粛にお父様の前にひざまずいて、私の目が、私の顔が、私の姿が真の父母の前に出た時に、愛することのできる者となり、そればかりでなく愛を受けることのできる者となっているのかと考える時、躊躇する姿の自分であることを発見するとしたら、それはどれほど悲惨な自分であるかということを悟らなければならない時となりました。 お父様、ここに立っているこの息子は、天を見つめながら今まで探してまいりました。人に知られないあなたのみ旨を心配しながら今まで探してまいりました。私自らがお父様の前に責任を果たせなかったことを感じるごとに、真の父母に従ってくる統一教会の群れが自らの足りなさを感じるごとに、涙を禁ずることのできない悲しみの中に浸されたことを今一度回想いたします。今や、人間世界の所望と祈願が何であるか、あなたの所望と人間の所願の一致点が何であるのか私たちは知りました。真の父母を中心とした神の愛と一つになること、これが縦的に横的に一つになり、内外共に一つとなり、前後に一つとなり、四方に一つとなるこのような歴史的な全体の中心が、愛を中心として成されたという事実を知る時、この愛をもって東西四方を見つめ、愛をもって縦横に動くことのできることが私自身の志であり、和することのできる一身となっていないときには自らの不足を、今日再び清算することができるよう祝福してくださることを懇切にお願いいたします。 お父様、あなたと真の父母の使命を担ってきたイエス・キリスト、聖賢、賢哲たちが今までみ旨に従ってきて霊界に行ってみると、自分たちの歩んでいた道がどれほど誤っていたかを発見し、神の前に顔を上げることのできない恥ずかしい群像となっていることを私は知っております。このことを連想しながら、今統一教会を信じて統一教会に従っている群れの中で生きている間、自分たちが成したと言えるすべてをもっているとしても、成したことが真なる意味において、神様の愛と真の父母の愛に連結することのできる内的な因縁結成した立場において行動したかを、自ら誓わなければならない時となってきます。 お父様、これから統一教会の群れの前に、あなたが尋ねる時、統一教会の数多くの群れはあなたが探しておられる四位基台の中心となる真の父母をもったと、声高らかに誇り得るそういう姿にならなければならないことを、きょうもう一度闡明(せんめい)にしなければなりません。地上においてそのような闡明がない限り、天上世界に闡明することのできる道が生じ得ないということを知っています。その間ダンベリーにいながら、往来するあなたの息子、娘たちを通して、今の時がいかなる時であるか私たちは闡明しなければならないことを宣布してまいりました。既に始まっています。真の父母の愛が漂う家庭を中心として神が共に臨在される時には、天下は粛然と頭を下げて一つにならなければならないことが、本然の理想園においての創造を受けた者たちの処する立場であることを明らかに知っています。 これから全世界、天と地の前に、神が願う真の父母の名で宣布する日、そのみ旨に従って真の父母の血族の名で、家庭から氏族、民族、国家、世界に連結することのできる最後の判決をしなければならない厳粛な時点に近づいてきていることを私は知っています。今までダンベリーを訪問してきた多くの人たちにそれを宣布し、この時を中心として、父母様と一つになるための闘いを展開するように命令いたしました。 今や、私たちの心の中には他のものがあってはなりません。名前が違い、性が違い、国家が違い、人種が違うとしても私たちの目標は一つであります。父母様を愛すること、父母様の愛を受けること、その他には何もあり得ないという絶対的基準の上に、上下、縦横に連結しなければならない天意の要求に応ずるべき解決点が残っていることを知っているので、きょうこの祝賀の日を期して、神よ! あなたが解決する内的心情圏を、ここに立っている息子、娘を見て、真の父母の名を崇高にして、決定され、天上世界と地上世界に宣布する日としてくださいますよう、懇切にお願いいたします。 真の父母に侍る群れが、その顕現する姿は象徴的であれ、形象的であれ、その名のために讃揚し、その名を尊敬するすべての人々の上に、天上世界にいる祖先たちすべてを動員して、一つとなることができ、実体的世界史的な祖国創建の世界へと前進することを、この日この時間を通して宣布してください。 四十年前にあなたが願っていた韓国の立場が、再び統一教会を世界的キリスト教の基盤を代身して整えた土台の上に、キリスト教を引き入れてきた立場において復帰することのできる門前に到達いたしました。アメリカもそうであり、十二年前計画したすべてが再び露出されて、世界的な次元において結束し超国家的な人員を中心として、一つの世界の同胞として宣布しなければならない時が近づいてきていることを知っています。お父様、祝福してください。私たちの基盤がアメリカ全地に現れる時となりました。私がダンベリーに入って、出てくるその時には、新しい世界史的な霊界と肉界の解放の歓声が響きわたるように許諾してください。韓国の解放が成った時、私は万歳を叫ぶことができませんでした。お父様、これから神様の解放と、父母の解放と、人類の解放がなされ万歳を叫べる日が訪れるようになりましたので、あなたの栄光を讃揚する万民が結束し、万教が一つとなって、千年万年お父様を愛しながら讃揚し侍ることのできる群れの日として、早く展開できるように許諾してください。 私は真の父母の名がどれほど恐ろしいかよく知っております。平安な立場を求める人生の道を選ぶことなく、このみ旨の使命を完結するために今まで闘ってきました。過ぎ去った日を回想し、天上世界と地上世界の門を開き、父母が可哀想にも真の父母になり得なかったゆえに、人類の恨みと悲しみと、死の道の地獄に行って留まっているすべての霊人を真の父母の受難の道を通して、地獄の門を開き、天上の門を開き、人間の姿を整え、神の前に出ていくことのできる道を開いてくださいますように、お父様、祝福してください。背負うべき荷があれば私に背負わせ、万民の解放とあなた様の荷を解放して差し上げる、人間始祖の成すことのできなかった怨恨であることを知っているので、四十峠を越えるこの場においてすべての事情を通告いたします。 お父様、今まで踏みにじられた心を解き、それと同時にあなた様の解放の心をもって、今や愛する息子、娘を探し出したと言える誇りとともに、あの地獄にいる可哀想な霊人たちを救うことのできる道を祝福し、きょうを宣布の日として決めてくださることをお願いいたします。 お父様、カナン福地に向かわなければならない闘いの場が、熾烈なる闘いが私たちの目前に近づきました。強く大胆でなければならない統一教会の群れとなるようにしてください。牧師を訪ねていき、国を指導する指導者を訪ねていくのに躊躇することなく、私たちの視野に天下が懸かっていることを知り、前進に前進を誓うこの時間となりますように、真の父母の名で以上のことを申し上げ、天と地に宣布いたしますので、お父様を受けください。 きょうを一つの条件の記念の日として立ててくださることをお願いいたしながら、すべてを受け入れてくださったことを感謝しながら、真の父母の名で宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン。 みことば 皆さん、きょうは何をするために集まってきたのですか? (笑い) 先生はダンベリーで休んでいたのに、このように呼び出されたので仕方なく出てきました。(笑い)“きょうは天気が良かったらいいな”と思ったでしょう。“朝、風が強かったりしたらどうしよう”と心配した人もたくさんいると思いますが、きょうは本当に良い天気になったのでよかったです。天気が良いので、気持ちのいい話をしなければなりませんね。 先生のダンベリーの生活は、神山君を通してよく知っていると思います。聞かなかった人は手を挙げてみなさい。それほど多くありませんね。その人たちは関心がなくて参席しなかったのですか、それとも忙しすぎてでしょうか? (ボストンはまだです)。ボストンは一番最後にするようにしましたから。 私は本来自由な人です。自然が好きな人です。しかし自由にできない生活をたくさんしています。一生の間、自分の思いどおりに生きてきたかどうかと聞かれたならば、答えることが難しい困難な立場にいます。皆さんはどう思いますか? 先生はどのように生きてきたと思いますか? (神様のみ旨どおりです)。それでは、神のみ旨とはどのようなみ旨ですか? み旨とは神様の理想的なみ旨と、堕落したための救援の蕩減復帰のみ旨の二種であります。先生はどの道ですか? (二番目です)。そうです。あなた方はよく知っていますね。二番目です。では、その二番目の神のみ旨というのは、神に従って信仰生活をする人たちが自由にできる内容がこれっぽっちでもありますか? (ありません)。知っていますね。よく答えられました。 では、自由のない蕩減の道というのはいかなる道なのか。若い青年として、男子として、美男として生まれて、勝手に愛することのできる環境をもつことができますか、できませんか?(できません)。答えるのは易しいけれど、深刻な問題です。では愛する妻がいるとしたら、その妻を自由に連れてきて、生活することのできる道が蕩減復帰の道において可能なことですか、不可能ですか? それは私には分かりません。(笑い) また、夫が呼び、妻が呼んでいるからといって、今日のアメリカ式にすべてを投げ出して、「最高の妻だ」「最高の夫だ」と言って走っていくことができますか? (ノー!)。なぜ「ノー」ですか。問題は深刻ですよ。この地上の神様のみ旨を、これまで歴史上においての神様のみ旨を、堕落以前のみ旨と堕落以後の復帰のみ旨をはっきり知っている者が果たしているでしょうか? (誰もいません)。もうそういうみ旨を知った人が出てこないとしたら、神のみ旨を成すことができないという結論が出ます。これは理論的ですね。 では、昔アダムという人は堕落した後に、神様の蕩減のみ旨を完全に知っていたでしょうか? 歴史を一度、通して考えてみましょう。堕落してからのアダムはどうだったでしょうか? (分かりませんでした)。では、ノアはどうだったでしょうか? (分かりませんでした)。では、アブラハムはどうだったでしょうか? (分かりませんでした)。ヤコブはどうでしょうか? (分かりませんでした)。モーセはどうでしょうか? (分かりませんでした)。次は誰ですか? 洗礼ヨハネはどうでしょう? (分かりませんでした)。では誰が知っていたのでしょう。イエス様はどうだったのですか? (知っていました)。イエス様は知っていたのでしょうか、知らなかったのでしょうか? (知っていました)。ではなぜ話せなかったのでしょうか?(誰も聞こうとしませんでした)。誰も聞かなかったとしても、後代の人々はイエス様を信じるということを知っていたでしょう。その時にすべてを話しておいたなら、キリスト教が分かれたり、世界もこのようにはなっていなかったでしょう。キリスト教を信じるアメリカも今日のこのような国にはならなかったでしょう。ここで、知っていたのか、知らなかったのか、それをはっきりしておかなければなりません。知っていたのでしょうか、知らなかったのでしょうか? (様々な答え) それが問題です。知らなかったとしたら大きな問題です。知らなければ神様のみ旨を成すことができないでしょう。それでどうしてメシヤとなれますか。神様のみ旨を成就するために来られる方がメシヤなのに、神様のみ旨を知らなかったらどうしてみ旨を成就することができますか。すべてを設計し、すべてを計って、すべてがぴったり合うようにしても、度々失敗しやすいのに、知らずしてどうやってみ旨を成就しますか。 それで、歴史上に堕落前と堕落後の神様のみ旨を知る人が出てこなければ、今日の宗教の目的は成就することはできません。ここで一つの問題が生じます。それはイエス様が知っていたならば、話さなければならなかったのに、どうして後代のためキリスト教のために話すことができなかったのでしょうか? これが問題です。そうであれば、今日この滅びゆくアメリカの現況を見つめる時、私たちキリスト教信者はイエス様に、「あなたはいったい何ですか。メシヤだったのになぜ話をしなかったのですか」と論争し、責めてみたいような憤慨心が起こるでしょう。イエス様は何ですか? それが問題です。なぜ語ることができなかったのですか?(ある人が「イエス様には基台がなかったのです」と答える) それはどのような基台ですか?そういう基台も必要ですが、神様のみ旨を誰が先に成就するかということです。神様のみ旨を誰が先に成就しなければならないかといえば、神様が先に成さなければならないし、神様の一番愛を受けることのできる子女が成就しなければならないのです。 それでは、神様の何のためにエデンの園にアダムとエバを造ったのでしょうか? これが問題です。何のために造ったのでしょうか? それは神様のみ旨を成そうとして造ったのですが、そのみ旨をいつ成そうとしたのか、これが問題です。いつ成就しようとしたのか。昼、彼らが成長するためでしょうか。神様のみ旨というのはいったい何でしょうか? それは神様が喜ばれ、「ワッハッハッー、これで出来た」とおっしゃられるものです。それは何ですか? (夫と妻です)。夫と妻と言っても、それはどのような夫と妻ですか? (真の男、真の女です)。では真の男、真の女とはどういう人ですか? (完成された男女です)。そういう答えをいくら言っても、真の男、真の女とはどのような人なのか、それをはっきり知らなければなりません。 完成した人たちとはどのような人たちですか? (真の愛の人です)。真の愛は何のためですか? (様々な答えの中で「完全な子供のためです」という人がいる) ノー、ノー。完全なる子供というのは何ですか? (笑い) それを知らなければなりません。これが問題です。神様のみ旨を成すということはどういうことなのか。内外共に、縦的に、横的に、前後、左右、四方に完全に一つになることが神様のみ旨を成すことなのです。何でもってですか? (真の愛です)。真の愛は方法です。真の愛を通して一つにするのです。 では、どのように一つとなりますか? アダム、エバと一つになること。これも(朴先生と背中を合わせる)一つになることですよ。(笑い) どのように一つになるのですか? そこには一つになる伝統的内容すべてがなければなりません。神様が願われる一つになるということにおいては、下にも行くものが上に行ってもいけないし、上に行くものが下に行ってもいけないし、左に行くべきものが右に行ってもいけないし、右に行くべきものが左に行ってもいけないし、丸くなるべきものが平たくなってもいけないのです。そういうみ旨を願っておられる神様が、アダム、エバを造ってそのままにしておくわけにはいかないのです。法を定め、「早く大きくなりなさい」と、そうしたでしょうか、しなかったでしょうか? (そうしました)。それで、エデンの園にアダムとエバを置いて、取って食べてはならないという戒めを与えられたのです。だからアダムは生まれて地上でたくさんのことを学ばなければならなかったのです。アダムとエバが万物を主管しようとすれば、万物の性格をすべり知り、特性を知り、好きなこと嫌なことのすべてを知ってからでなければならないのです。 では、エデンの園には鳥がいたと思いますか、いなかったと思いますか? (はい、いたと思います)。ノー、ノー、ノー。先生はいなかったと思います。(いいえ、いたと思います)。絶対にですか?(はい)。(笑い) あなたたちは自信がありますね。先生がいくら「ノー」と言っても、先生の負けです。なぜですか? それは事実がそうなっているからです。みんな自信満々ですね。(笑い) ですから、真実は力です。そのとおりです。当たりましたね。 では、蝶はいたでしょうか、いなかったでしょうか? (いました)。蛇はいたでしょうか、いなかったでしょうか? (いました)。蟻はどうでしょうか? (いました)。では、あなたたちは何になりたいですか、何になりたいですか? 蟻ですか? (いいえ)。蝶ですか? (いいえ)。鳥ですか? (いいえ)。では何ですか? (神の真の息子です)。神の真の息子とは何ですか? それは人間なのです。人間になりたいのです。それはどんな人間かというと、真の人間ですね。(はい)。トルーマンです。トルーマンというアメリカの大統領ではありませんよ。(笑い) ハリー・トルーマンはいくらアメリカの大統領をやっていたとしても、真の人間ではありませんよ。彼は未完成の人間なのです。真の人下というのは、どういう人ですか? それが問題です。神様を中心として、愛を通して永遠に一つとなっている人が真の人間です。こういう結論が出ます。分かりましたか? (はい)。真の人間の定義が分かりましたか? (はい)。何と言いますか、言ってみてください。まず、神を中心として、次に真の愛を通して絶対的に一つとなったそのような人が真の人間です。簡単ですよ。(笑い) これが分からないという人は手を挙げてみなさい。小学校一年生でも分かりますね。分かった人は手を挙げてみなさい。(全員が手を挙げる) これからが問題です。あなたたちは真の人間になっていますか? (様々な答え) ここは、真の人間の集まりですか、それとも偽りの人間の集まりですか? (様々な答えの中に、「真の人間としてのトレーニングのためです」と答える人がいる) トレーニングだったら落第生です。百パーセント真の人間にならなければなりません。だから、きょう先生の話を聞かなければなりません。どれほど苦しくなるまで押し出したとしても、私を真の人間にしてくださいと願う者は手を挙げてみなさい。(はい!)。本当に欲張りですね。(笑い) 笑いごとではなく、深刻な問題です。皆さんが朝起きて、み旨のために家を出発する時、「きょう一日中神様の愛を中心として一つとなって帰ってこられるか」と問われて、皆さんはどのように考え、どのように答えられるかといえば、大変なことなのです。自信がありますか? (はい)。 自分自身という存在は、深刻な問題です。では、誰が真の人間にならなければならないか。誰がなるのかというと、私がならなければなりません。これが今日この人間世界において、私たちが堕落した人間として最も要求すべき一番重要なことです。これは歴史を通じて、自分の先祖から千年万年の後孫をして、伝統として残していかなければならないことです。こういう結論が出ます。あなたたちの先祖たちもそれを願ったでしょうか、願わなかったでしょうか?(はい、願いました)。では、あなたたちの後孫たちはどうでしょうか? (はい、願っています)。あなたたちの後孫はそうでないかもしれません。(願います)。それは深刻な問題ですよ。 では真の人間には死んでからなればいいのですか、生きてこの地上でならなければならないのですか? 霊界に行ってなるのですか、この地上でなるのですか?(この地上です)。そのとおりです。では、イエスは真の人間でしょうか、どんな人間でしょうか? (はい、真の人間です)。何を見てそういうことが分かりますか? (様々な答え) 真の人間であれば神の愛がなければなりません。その愛を中心として神様と一つになり、億千万人と一つになろうとする心がなければなりません。 イエス様がアダムの立場だとしたら、エバはいましたか? (いいえ)。神は真の人間を用意しましたが、それは彼自身のためでしたか、真のエバのためでしたか? (真のエバのためです)。だから男というのは女のために必要なのです。女に、「神の愛を中心として永遠に一つになることができる男です」と言われるのが真の人間です。簡単です。「あなたこそ私の理想の完全な男性です。あなたは決して変わらないでしょう」と言う時のその小さな女をよく見ると、その中に神の愛が潜んでいます。「あなたも私に負けないほどの愛があり、永遠に共に行くことができる」と男に言われる時、真の女となれるのです。神様を中心として男に、「真の女だ」と言われてこそ、地上での真の女の歴史が始まり、真の男の歴史が始まり、次に真の神のみ旨が成されるのです。簡単でしょう。 ではこれから、あなたたち自身を考えてみてください。あなたたちはここに何しに来ましたか。何をしに来たか? 先生はあなたたちとは関係がありません。あなたたちと関係がありませんよ。イエス様が自分の母親に対し、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネによる福音書第二章四節)と言われたように、あなたたちの父でもありません。何の関係がありますか? (ノー、ノー、ノー)。そういう先生は間違いでしょうか? (はい)。(笑い) では、イエス様は知っていたはずなのに、なぜ語ることができなかったのですか? なぜ語って、後代の人々に教えてあげなかったのですか? それは教えてあげたくとも、教えてあげる資料がなかったのでできなかったのです。資料がなくて、見せてあげるものがなかったのです。この答えはどうですか? 正解ですか? (はい)。そうです。真の愛で立てるべき伝統を、この地上に立てることができなかったのです。伝統を立てることができなかったのです。ですから、再び来なければなりません。再び来なければなりません。「しかり、わたしはすぐ来る」(ヨハネの黙示録第二十二章二〇節)と言われた事実から見て、イエス様は知っていたといえるのです。それで、再び来られる時には、誰を訪ねて来るかといえば、新婦を訪ねて来るというのです。子羊の婚姻の時、新郎として新婦を訪ねて来るということは、どれほどたくさん聞かされた話でしょうか。このような内容からも、イエス様はメシヤという資格を得られたとしても余りあります。それでイエス様が再び来られて何をしなければならないかというと、同様に神様のみ旨を成さなければなりません。真の人間となり、真の女を見いだし、神様の前において、「真の男、私の愛であります。真なる夫、私の愛です」と言える女を、また神様が御覧になり、「真の子女、私の愛の子女よ!」と言われれば終わりです。女が神様に、「真の男というのは、これがモデルであります」「私の愛を中心として一つとなっている真の男であり、モデルです」と言うようでなければなりません。男も同様です。 それでは、男と女がそのように愛していて、どのように一つになりますか、どのようにして一つになりますか? どのように一つになりますか? 神様の愛を真ん中に立てて、一つとなった完全なる女として、男を自分の理想相対であると思って燃える愛をもって神様の愛を抱いて、神様の愛を抱いて、男も神様の愛を抱いて、自分の愛を抱いて、二人で抱いているだけではどうすることもできないので、二人が一つになるのです。それで二人が一つとなってどうなりますか? 一体化する男と女の間で神様が、「私はつぶされる。助けて!」と言われる時にはこの地上がすべて浮き上がるのです。(笑い) それは偉大です。 なせ男と女が一つになるのか、それが問題です。白い柔らかい肌の美女二人が額を合わせて、「私はあなたが好きです」と言う場面を想像してみなさい。見られたものではありません。それを見る人がいたら、みんな向きを変えてしまうようになります。(笑い) 小さな手と体をもつ女が、同じように小さな女と愛し合うということは本当に気持ちが悪いものです。それはなぜかといえば、あたかも神様が人間の骨を皮膚のように柔らかく造った、骨のない人間同士が一つとなるようなもので、それは異常なことです。そういう男を願う女がいたら手を挙げてみなさい。(ノー、ノー、ノー)。(笑い) 女たちはそういう男が好きですか?(ノー、ノー)。ではどのような男が好きですか? アメリカの女性たちは、「ノー、ノー、女は骨のようで、男は肉のようでなければなりません」と主張します。(ノー)。(笑い)アメリカでは何が主体で何が対象か、何が中心であり、どこを経て行くべきなのか目茶目茶になっているので滅びます。 アメリカの統一教会の女の人、あなたたちはどうですか? 異なる女の人ですか? (はい)。男が主体ですか、女が主体ですか? (男です)。それなのに欲心の多いアメリカの女たちは男を連れて歩き、「こちらに来なさい」と自分の自由にし、自分が主体になろうとします。(笑い) この骨のない男たち! 女たちは気持ちがいいですか、悪いですか? 女たちが気持ちがいいとしたら、あなたの国は滅びます。サタンの祭物になってしまいます。男女の秩序を正さなければなりません。はっきりしなければなりません。アメリカの女たち、それを歓迎しますか? 誰の話も聞かず、自分勝手にしているアメリカの女たちを教育できる人はいくら探してみてもレバレンド・ムーンしかいません。それは認めるでしょう? (はい)。そのとおりです。だから先生の言うことを聞かざるを得ません。先生の言うことを聞かざるを得ないでしょう? この中で、祝福を受けた人は手を挙げてみなさい。誰が皆さんを祝福してくれましたか?(先生です)。それでは、天国は安い価ですか、高い価ですか? (高い印です)。どれくらい高いですか? それはこの全世界を得ても代えることができないほどです。先生は祝福をしてあげてから、憤慨する時があります。この者たち! なぜ祝福してあげたのでしょうか? 「善男善女となって、真の夫、真の妻となって一つとなり、神様と一つとなることのできる、不変なる永遠の神様の子女となりなさい」と言って、先生が祝福してあげることを知らなければなりません。なたたちは、「私はあのようなタイプの夫は嫌だ。あのようなタイプの女は嫌だ。私はこのような祝福を受けて嬉しくない」とか言います。しかし誰が決めるのですか? 神様ですか、先生ですか、誰が決めるのですか? 自分自身で決める群れが多いのです。 祝福するためにイエス様が、二〇〇〇年間殉教の血をつないできたという事実を知らなければなりません。どれほどの人々が犠牲になったことでしょう。どれほどの人が犠牲になって、このような場が探し出されたことでしょう。神様は有史以来そのような場を通して訪ねてくるのです。人類の歴史は一五〇万年とも言われますが、堕落の人間が生じてから今まで、神様が真なる男と真なる女の祝福の場を探し求めてこられたことを知らなければなりません。イエス様は弟子たちを祝福してあげたかったでしょうか、祝福してあげたくなかったでしょうか?(祝福してあげたかったです)。世界の宗教の歴史は、仏教、カトリック等においては結婚を奨励してきた例がありますか? 統一教会が有史以来、真の父母という看板をもち出して、世界中を騒がしつつも各種の人種を超越して結び、祝福をしてあげているということはどのようなことかというと、天地開闢(てんちかいびゃく)以来の歴史上に初めて行われることなのです。 なぜ『ユニフィケーション』ということを言ったのでしょうか? これは何を中心として言った言葉ですか? 神様の不変の愛を中心として、私たち人類の始祖アダム・エバが完全に真の夫、真の妻として一つになって、神様の愛を中心として永遠に縦的に一つとなり、横的にも一つとなったその基盤の上で出てきたのが『ユニフィケーション』という単語であります。では、ユニフィケーション・チャーチにおいては、レバレンド・ムーンとその妻を何といいますか?(トゥルーペアレントといいます)。トゥルーペアレントとは何ですか? それは先ほど話した内容です。み旨を成すのです。堕落世界において、神様の願いを解いてあげて、堕落以前の本然のみ旨に合わせるための事をする。これを完成してこそ真の父母の統命が終わるのです。堕落した意味を知らなければなりません。あなたたちはその意味を知りません。先生は今まであなたたちが信じられないようなことを成してきました。想像することもできないことを私たちの現実の舞台に適応させてきたのです。 このような天的な背後の因縁が確かなので、愛を中心とする力によってすべてが成就され、すべてが解かれていくのです。これを知らなければなりません。神様が共にいてくださるので出来るのです。先生が監獄に入っている七カ月間に、世界がどれほど変わったか知れません。先生は遊ぶために入ったのではありません。決判場で決判をつけるためです。神様が下にいたなら上に上がらなければならないし、サタンが上にいたなら下に下がらなければならないし、下にあった東洋文明が上になり、西洋文明が下がっていくのです。アメリカの国民がレバレンド・ムーンを監獄に入れて、もし出監してからレバレンド・ムーンの無罪が全天地に明らかになった時は、西欧社会は私にひざまずくようになります。入監時には、アメリカの邪魔者として、怨讐として、無用の者としての扱いを受け、統一教会の指導者として入りましたが、出監する時には、変わることでしょう。先生はそのことを知っています。その時になれば、先生がアメリカを打っても、アメリカはどうすることもできなく、なすがままになります。(拍手)今はそのような材料が必要です。そのような材料をつくらなければなりません。私はその材料を見せたいのです。そして、これをもって打つのです。直ちに決着がつきます。それはどれほど素晴らしいことなのでしょうか。皆さんもそう思いますか? (はい)。 一年前、六カ月前まで反対していのに、そのリーダーたちが来て頭を下げ、「私はあなたの命令どおりにいたします」と言う人にたくさん会いました。そこで、「あなたはこれをやるべきか、否か」と問い詰めました。皆さんには一〇〇〇年かかっても、そういう人たちを屈服させることはできません。偉大なことです。それでダンベリーに入って、牧師三十万人に本(※『御旨と世界』)とビデオテープのセットを作って配りました。この前それがほとんど終わったというので、私は嬉しく思います。これからは二十四時間の戦争が始まるのです。(拍手) 聖書を見ると、使徒パウロ等による聖書の歴史は監獄の中で書かれました。私はきょう帰ってきてお祈りをしました。真の父母の成すべきことは何かというと地上世界と天上世界の塞がれていた道を開き、ハイウェイを作っておかなければなりません。地獄から、ダンベリーから、霊界の地獄から天上世界にまでです。(※1985.02.01、「開天門の日」宣布) そこで皆さん考えてみなさい。イスラエル民族が荒野から出てきて、カナン七族を前にしてヨルダン河を渡る時、ヨシュアとカレブ等に四十日の偵察をさせました。その報告は十人が反対しましたが、彼等二人は追われる立場においてでも神様が生きておられることを知って、それを信じました。そこで主張した人はカナン福地に入り、反対した十人と第一世代の祖先は全部荒野で禿鷹の餌食(えじき)になってしまったのです。それを知らなければなりません。あなたたちも同じです。世界的カナン復帰は四十年荒野路程となり、最後に三年路程を定めました。この三年路程で決着をつけなければなりません。それで第二年目が危険で、一番難しかったのです。ですから一番難しいその時、興進様が行かれ、先生も監獄に入っていくのです。天と地の責任をもっている先生は深刻ですよ。興進様のことははサタンが来てやったことを知り、『統一式』を行い、『昇和式』を行ったのです。それで勝利した息子として、勝利の息子として昇和したので先生は涙を流しませんでした。夢のような話ですが、先生の祈ったことが事実として世界に展開されているのです。信じられないようなことが起こるのです。このごろでは世界中の統一教会のメンバーが知っています。それが一二〇カ国家を中心に狭まってきているのです。洪水が死亡の沼に四方から集まってきて、溢れ出る日には問題となります。それでアメリカの世論が大きく変わったでしょう。このように(先生が両手を挙げる)誇り高ぶっていた人々が、レバレンド・ムーンが新聞に出れば出るほど、どんどん手を下げて下がってきます。自分たちの先祖たちが下りてきて苦しくするのです。だからレバレンド・ムーンは恐しい存在なのです。罪を犯したならば震えるのは当然です。罪を犯した者はそうなのです。罪があるからそうなのです。私が監獄にいても、霊界が罰するのです。だからこういう時には、私たちムーニーはヨシュアとカレブのように、地上のいかなる所に向かっても大胆に出ていけるようにならなければなりません。“Be Bold and strong!”「大胆で強くあれ!」。(全員大声で三回繰り返す) 今までのアメリカの思考方法をもっていてはいけません。電話しなければならない、訪ねていかなければならないとか、あなたたちの両親が死んでいったり、妻子が死んでいくのにできますか? 三十万名の牧師たちに原理の本とビデオテープを送ったので、読まずにはいられなくなるでしょう。反対している人も良心が読まずにはいられなくなるのです。だんだんそうなってくるのです。牧師たちになぜそうしたのかといえば、イスラエル民族がカナン福地に入る時に、イスラエルの族長たちに通告するのです。カナン福地に出発する時、「イエス」と言って従えばいいのです。分かりますか? (はい)。細かく話すには時間がありません。なぜイエス様が知っていながらも、話すことができなかったかが分かったでしょう。 ではイエス様が、今まで摂理のみ旨を中心として語ってきた内容を、成したことなどを見て先生と比較した時、どちらが内容をもち、事を成してきましたか? (先生です)。イエス様は時に出会わなかったのです。レバレンド・ムーンは自分自身で時をつくって、その時に出会ったのでこれらのことを成すことができたのです。世界的な時なのです。その時というのは、神様のみ旨から見れば世界を救うことであり、世界を悪なるサタン世界から奪って、善主権の世界につくっていくことです。今日のキリスト教を立てて神様のみ旨を成就するために、世界を救わなければならない、神様が主導することのできる国家をして、世界を指導することができるようにならなければならないその境界線は、第二次世界大戦の直後のすべての環境を収拾された時であったのです。このことを皆さんは知らなければなりません。宗教史上においてキリスト教文化圏をに心として世界を指導することのできる最初の歴史的一時、それが第二次世界大戦直後だったのです。その時、韓国の教会にはアベル教会、カイン教会があったのです。地下に入った教会と神社参拝をした教会です。先生は地下に入った教会の指導者の一人でありました。もしその時に、数人が先生の言うことを聞き入れていたならば、世界は今日このようにはならなかったのです。 神様のみ旨というのは、カイン、アベルが一つとなることです。カイン、アベルが一つとなるためには、既成教会と統一教会が一つにならなければなりません。それはどこから始まったのかというと、アダム家庭から始まって分かれてきたのです。誰の過ちですか? それは父母の過ちです。ここで(黒板を使用される)(図を参考にしてください)アダムを中心として、カイン、アベルが一つとなってだんだん大きくなってくるのです。サタン世界は大きくなっています。それで第二次世界大戦の時、このように分かれて戦ったのです。それが聖書の黙示録に表れるハルマゲドンの戦いなのです。それで自由世界がその時に一つとなれば、そこには共産圏も全部入っていくのです。全部が神様の圏内にキリスト教文化圏に完全に一つになるのです。その時先生は二十代で仕事を始め、三十代を中心として世界的な仕事を果たさなければならないのです。 ここから(黒板を使用される)このアベルは、このカインを合わせて、そしてこれがアベルとなって、このアベルの前にカインとなって、それで大きくなってアベルとなりカインを合させて、ここでまたアベルとなって出てこなければならないのです。そこで全キリスト教が、世界的なキリスト教が、アメリカのキリスト教が統一教会を受け入れることによりすべてが終わったのです。一挙に七年路程でみな終わったのです。そうなれば共産党も出てくることができなかったのです。しかし、神霊なるカイン、アベルが合わなかったので、既成教会が反対したために今日このようなことが起きているのです。それで四十年荒野に出て再度出発して、荒野に散らは時界た人たちを集めると同じなのが統一教会のメンバーです。だからどこへ行っても、歓迎を受けるべきだった環境が変わってしまったので、追われるようになったのです。そこで仕方なく、荒野に出て一人、二人と選び出して、家庭、氏族、民族の蕩減条件を立ててきたのです。 それで三つの世界になります。民主世界と共産世界と統一世界です。それで全部が反対するのです。ちょうど世界的に、共産圏もレバレンド・ムーンが怨讐であるといい、アメリカもレバレンド・ムーンを怨讐であるというのです。そこで私たちは神主義という思想をもって出てくるのです。それはどういうものかといえば、理論的な思想ではなく、神様を中心とした愛の思想なのです。それで二つの世界が力でウンウンと押し寄せているのです。神様も愛の力でウンウンと押すのです。だからあなたたちは、神様が押し出すのに対して、それを受けとめる桟(骨組み)にならなければならないのです。押し寄せてきたらそれを押し返す桟になれますか。レバレンド・ムーンとムーニーたちがここに(図で説明)入ってきて、こちらが押し出しても、「あれ、あれ、あれ」と言う時代です。しかし中心は絶対に動かしてはなりません。中心を移したりしたら大変です。逃げ回ったり、避難しながらではいけないのです。中心は定着させなければなりません。 このような時なので、サタンはレバレンド・ムーンを獄に入れておけばすべてが終わると思っていたのです。根絶すると思っていたのです。本当にそのようになったのですか? (いいえ)。本当に取り除くことができましたか? (いいえ)。それでは押し出して、ここに空間地帯をつくったらいいですか、それとも私たち同士で押し合ったらいいでしょうか? (空間地帯をつくりながらです)。では、あなたたちが力を入れるべきですか、入れなくともいいですか? (入れるべきです)。汗を流しながら走ればいいでしょうか、寒いと言ってぶるぶると震えながら走ったらいいでしょうか? (汗を流しながらです)。私は足が痛いので、明日の朝は行きますが今夜は行きたくありませんと言って休むべきでしょうか、行くべきでしょうか?(行くべきです)。では、「ヨイショ」と言う時、手はどうすればいいでしょうか? (先生とです)。先生は一人でこの巨大なアメリカと闘ってきたのです。十年間迫害を受けながら、歴史にもない嘲弄を受けながら闘ってきたのです。そうでしょう? 監獄に入る時まで闘ったのです。そしてなお、監獄に入っても闘うのです。 四十年を経て、きょうは先生の誕生日を迎えたので、少し休まなければならないと思っています。開放以後今まで四十年間闘ってきたのです。これから休む時となるので、私の代身者を早く立てなければならないのです。モーセは荒野四十年路程を経て、カナンの福地を見つめながら、嘆息の中で死んでいきましたが、先生は四十年後の今日、共産世界と民主世界に警告しつつ、私に従ってきなさいと叫んでいるのです。(拍手) 先生がダンベリーにいる時、青年指導者が、先生の所に来て、「先生、五年くらい前からアメリカに不思議な兆候が起きています。アメリカの若い青少年、十八歳から二十五歳までの若い層が保守主義を好むようになりました。今までは共産主義の宣伝をし、ヒッピーやイッピーに走った者たちが、保守主義の先鋒に変わる不思議な傾向になったのです」と言うのです。このことは先生が既に話したことです。 そしてこれからは保守派の中で神側とサタン側、アベル側とカイン側に分けることを、先生はやっているのです。それを知らなければなりません。保守派の中でアベル側は何かといえば、キリスト教です。そこで、牧師たちを入れるのです。これから六ヵ月でクリスチャンのリーダーとなる牧師たち七〇〇〇名を育てておかなければなりません。それを中心として十名ずづを短時間で一つにするのです。直ちに七万名はできます。先生の言うとおりにすれば問題はないのです。三十五万名の五分の一を立てて、全部を引っ張っていくのです。指導者が全部立ったので、ラッパを吹けば全部がついてくるようになります。何の話かわかりますか? (はい)。だから私たちはやらねばなりません。先生がこの前出てきた時、「一人が一二〇名の牧師に接するように」と言いましたね。それで今回パリでカウサ大会を行い、署名をして宣布するのです。これは本来私のする仕事ではないのです。アメリカの政府がやるべき仕事なのです。しかしアメリカの政府ができないので私がするのです。自由世界ができないので仕方なく私がするのです。(拍手) これからアメリカの生きる道は、アベル圏キリスト教が一つになることであり、その次には軍隊においての国内を守る在郷軍人が一つにならなければなりません。共産主義と闘うには、キリスト教信者と在郷軍人しかありません。キリスト教信者はこのようにして、アベル、カインを一つにしなければなりません。アベルは、アメリカ内の牧師たちであり、カインはアメリカ内の在郷軍人であると思います。これが一つになればアメリカを自由にリードすることができるのです。 それでこれから義のために闘うことのできる志願兵を、天のための志願兵を募集しなければなりません。それはレバレンド・ムーンがやるのではなく、アメリカがやらなければならないのです。アメリカに引き渡すのです。アメリカが生き延びることによって自由世界が生きるのです。アメリカが神の前に責任を果たし、自由世界の主導国としての責任ある立場に立って、地上天国世界をつくらなければなりません。これを成すべきですか、どうですか? (成すべきです)。それは誰がやりますか? (私たちです)。あなたたちムーニーです。ムーニーは誰もが嫌っていますよ。どのようにしてそれをやりますか? それは簡単です。命を懸けるのです。先生はアメリカに来る時、そういう決意で来ました。先生は命を懸けて来ました。先生は法廷闘争もしなくてもよかったのですが、自ら進んで受けたのです。そして自ら進んで監獄に入ったのです。ですから先生を監獄に入れておけばおくほど、世界は益々先生の味方になります。私たちの側になります。尾につく人々がだんだん多くなっていきます。 先生はきょうの誕生日を、監獄から出てきて皆さんに話をしています。先生は人類と神様のために良いことをしていて監獄に入れられたということに誇りをもっています。あなたたちはどうですか? あなたたち、スモール・ムーニーはどうですか?(はい)。先生のようになることを歓迎しますか、それとも反対しますか? (歓迎します)。先生はすべて聞きましたよ。先生はそれを聞きました。(問題ありません)。先生はどれほど悪口を言われたことか知れません。アメリカを救ってあげようと義人の立場で訪ねてきたのに、罪人の姿にされてしまい、監獄に入らなければならない囚人となっている事実を知らなければなりません。しかし神様がダンベリーの彼方に四方の天国の門を開いて歓迎していることを知らなければなりません。神様は新しい作戦を計画しているのです。あなたたちは命を懸ける決意がありますか? (はい)。宣言文に「命を懸ける」という言葉を入れておきましょう。 あなたたち統一教会のメンバーは何度命を懸けましたか? 何度命を懸けて誓いましたか?誓う以上は、あなたたちは、「イエス」と言うだけではなく、成さなければなりません。 今年は全世界に対して宣言すべき年です。ですから先生はカウサ運動に対し、神主義に関するカウサ宣言をつくることを命令しました。ではここでカウサのテキストの結論部分の一部を読んでみましょう。 「カウサはその目標を隠しはしない。我々は共産主義の終焉を求める。我々は道徳的革命によって、自由世界の搾取をも終わらせることを求めるものである。我々はモスクワを解放するという目標を誇りをもって宣言する。神主義の行進の前に共産主義者を戦慄せしめよう。彼らには鎖のほか何も失うものはない。神と共に我々は勝ち得るべき世界がある。全世界の信仰者よ団結せよ」。(拍手) このカウサ宣言に、今回パリの会議に出席した人々が皆署名しました。そしてこの宣言文の最後に先生がつけ加えるようにとまとめた言葉があります。それは、「神の名において我々は命を懸けて、また我々の名誉に懸けてこの崇高なる目標を達成することを誓う」という文章です。そしてそれに署名をしたわけです。彼らは既に、彼らの命と名誉をこの目的のために誓約したのです。どうですか? 皆さんは命を懸けますか? (はい)。それはあなたたちが決定するのです。先生がやれと言ったからやるのではないのです。あなたたちが決定するのです。先生は自分の決定をしました。あなたたちは自分たちで決定するのです。(はい)。では、そうするという人は手を挙げてみなさい。だから、ここ(センター)(図で説明)から押し上げていかなければなりません。これからは、先生はアメリカに長くいられません。出監すれば帰っていくだろうということを皆さんは考えなければなりません。 このように決意したムーニー、数千、数万名がアメリカにいるということを考える時、先生はこれから帰って、韓国を救わなければなりません。韓国が難しい立場になってきます。先生は自分の国を捨て、自分の民を捨て、自分の故郷を捨ててカイン世界を掴んでいく道を教えるべき責任を果たしたので、これからは先生がいなくてもいいでしょう。先生は帰らなければならない責任を感じています。 モーセを失う時、寂しく思ったとしても、モーセはモーセの行くべき道があり、同じように先生は先生の道を行かなければなりません。この国がサタンに奪われないための基礎作業を終えて、先生は離れていく人なのです。六カ月間に七〇〇〇名を教育しなければなりません。それが先生の出獄する時であります。その時に世界的なインタビューをするでしょう。私たちなくしてはもはや世界が生きる道がないことを知ったでしょう? (はい)。 三年間機動隊(IOWC)を準備して、既成教会と出会うための訓練をなし、既成教会の牧師たちと一つとなることなど夢にも思っていなかったでしょう。更に裁判中にNCCSAをつくり、モービルホームをつくったりしたのもなぜか分からなかったでしょう。今でさえもあなたたちはそうです。あなたたちの知恵で計っては神様のみ旨は分かりません。 それでは、世界的にいかに結束していくか。アメリカがこのような方向に進んで、どのように結束したらいいかといえば、教授界と言論界を結束させるのです。これが世界を救う道だと思います。パラゴンハウスをやっているのもすべてその準備です。それで、ワシントン・タイムズそれ自体が教授を代弁する言論機関であり、青少年、大学生が支持する言論誌としてリードしていくことが教授の定められた方向なのです。これからそのような準備をしていくのです。それで文化革命を、新しいルネッサンスのような神様を中心とした文化革命を、世界的に展開しようと準備しているのです。あなたたちはそういうことを知らないでしょう。あなたたちは先生の言うとおり、牧師たちを訪ねて歩けばいいのですよ。牧師を訪ねて歩き、悪口を言われ、泣いたりしても、反対していた牧師が屈服する時は、つまらない牧師を立てた時より数倍痛快であることを知らなければなりません。それが面白いのです。 反対するアメリカを悔い改めさせよう! それが男の行く道であります。それを見て拍手するのが女の道です。勝利する時が拍手であって、負けた時は痛哭です。分かりましたか。では結論づけましょう。きょうは先生の誕生日です。いつまで語らせるつもりですか? 休んで遊ばなければならないのに…。(笑い)(拍手) 皆さんは命を懸けていくと誓いましたね。それは誰のためにですか? (神様です)。神と人類のためです。先生も同様です。ではどうしてそうなのですか? それはサタンが世界を支配しているからです。ノアもそのような覚悟をしていたのです。アブラハムも、息子イサクに刃を向けた時、既に死を覚悟していました。イサクもそのような立場において、“神のみ旨の前に祭物になってもいい”と思い反抗しなかったので、そのイサクはエサウとヤコブを通した民族的土台をつくるのに貢献し、父となった事実を知らなければなりません。その時イサクが反抗したとしたらどうなったのですか? アブラハムに、「羊を殺して祭物にすればいいのに、どうして私を殺そうとするのですか」と言ったならどうなったでしょう? そうなればアブラハム家庭は現れなかったのです。イスラエル選民の信仰の先祖とはなることができなかったのです。 皆さん、命を懸けますか? (はい)。ヤコブがハランに行って、十回もラバンに騙されても耐えて、愚か者のようにしながらも、命を懸けて祝福を受けようとしたのです。命懸けの道なのです。モーセも四十年間、エジプトを離れて命を懸けて闘ったのです。神様は命を懸けていく人たちを相手に役事なされるのです。洗礼ヨハネはどうですか? 洗礼ヨハネも正義のために命を懸けて闘ったでしょう。イエス様はどうでしたか? 命を懸けて闘ったのですか。どうですか? (はい、命を懸けて闘いました)。レバレンド・ムーンも同様です。それで神様が私と同居しながら助けてくださるのです。あらゆる死の境地にありながら、先生が死を覚悟しながらも死なずにいるので、感謝しながら行かなければならないのです。 監獄も今回が六回目です。五年近い歳月になります。行けば行くほどにどんどん大きな監獄になって、アメリカの監獄にまで来ました。先生は一九七六年にモスクワ宣言をした時、“死んだとしてもモスクワに行かなければならない”と思って宣言したのです。その時、みんな鼻で笑ったものです。あなたたちの同志であり、あなたちの愛する兄弟が、この地下活動をしていることを知らなければなりません。監獄に入っている人たちがいることを知らなければなりません。先生は涙を流しなかがら、“解放する時まで待ちなさい。強く大胆に行きなさい。あなたの墓を造って、先生が移葬して、先生が埋葬される所に埋葬してあげる”と祈りました。先生はそうします。そうします。 統一教会に遊びに来るのではありません。先生は悔しさからいえば誰よりも悔しい人であり、悪なる人になれば誰よりも悪なる人になれるのです。しかし神様の名でもってすべてを忘れて、すべてを消化するのです。中国の摂理は既に八年になります。八年目です。あなたたちがよい物を食べ、よく眠り、楽をしていた時に先生はそういうことをしたのです。このベルベディアの庭を歩きながら、先生が涙したことをこの自然は知っているはずです。何も知らないアメリカの若者たち、このアメリカの若者たちが直ちに行ける方向を掴んであげるために先生はこの国を離れず、監獄にまで入りながらこのようなことを成していることをあなたたちは知らなければなりません。 きょう、先生の誕生日を祝賀するために集った統一教会の群れの中に、このような心をもって世界の弱小民族国家を先生の代身として救ってあげるため、あらゆる風雪をも甘受していきたいという人が百名あるいは数百名出てくるとしたら、それ以上のよいことはありません。それによって自由世界が生きるのです。全世界が救われるのです。アメリカの若者たちがそうしなければ世界が生きることができません。神様はそういう方向性を求めているのです。だから先生はあなたたちが手を挙げて、「イエス、ファーザー」と誓うのを見たいのです。(イエス、ファーザー! イエス、ファーザー! イエス、ファーザー!)。 先生はすべてを教えました。すべて教えました。もし先生が死んだとしても地上に言い残すことばがあってはいけないので、神山君に四カ月間教育しました。すべて教えてあげました。 きょう、どのような祈祷をしたのかといえば、「天と地が一つとなり、地獄の門が開き、世界が交流することができ、神様がそれほど愛していたその愛を地上において愛する父母が間違ったので、このようになったので父母がすべてを蕩減して清算できるその道を備えさせてください」と通告の祈りをしました。 先生が正月に、「一二〇名の牧師を訪ねていって連絡しなさい」と言いましたが、これからは実質的に走らなければなりません。走らなければなりません。それをしなければなりません。分かりましたね? (はい)。皆さんがきょう先生の誕生日に、そのような決意をもってくれればそれ以上願うことはありません。もう先生は時間がありません。皆さんも知っていると思いますが、これから会議をしなければならないので、また会う日まで皆さんが先生がいる時以上の努力をしてくださることを願いながら、先生の話を終えようと思います。 神様は生きておられます。そして神様は私たちと共に生きようとなされています。みんなで三回唱和しましょう。(God is alive, He is dwelling with me.)(三回繰り返す) だから私たちはどんなことでもできます。(イエス、ファーザー! イエス、ファーザー! イエス、ファーザー!)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.12
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[21.12.12] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ12月12日09:30にライブ配信されます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.11
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「天上の皆様を忘れません」 詩人 李成萬世界平和統一家庭連合公式チャンネルチャンネル登録者数 2.67万人2021年11月3日に行われた第39回神日本聖和祝祭の式典の中で、李成萬副会長が全国の聖和者に為に詠われた献詩に映像を合わせて制作しました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.11
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天地人真の父母様招請 収穫感謝節特別晩餐 真の父母様のみ言 (2021.11.25)“天が私たちと共にあることを知って 堂々と進みなさい”収穫感謝祭(サンクス・ギビングデー)特別晩餐 真のお母様のみ言天一国 9年天暦 10月 21日(陽 2021.11.25)天正宮博物館3階宴会室晩餐は美味しかったですか。おそらく皆さんの中で、私の服装について不思議に思った人がいるでしょう。私は久しぶりに皆さんに会うことを思いタンスを開きました。今着ているこの服は古い服です。アメリカにいる時から着ていた服ですが、じっとしていてもきらきらと光ります。一生懸命に動けば、もっと燦爛と輝きます。この話をする理由は、私は皆さんに、見せてあげて、実感してもらいたかったからです。天の父母様は、天地創造の夢を地上で成したかったのです。私たち統一教会60年の歴史は、荒野路程でした。定着もできずに、安着することもできませんでした。しかし真の父母によって、基元節に新しい国、天一国が出発しました。そしてその天一国という国の中で、中心にいなければならない方は、もちろん天の父母様と真の父母様であり、真の子女、祝福家庭の皆さんです。今まで6000年間、堕落した人類としては、夢見ることもできませんでしたが、真の父母によって新しい時代、新しい歴史、天一国が開かれました。そして天一国の民の資格を備える祝福を受けました。まさに「天寶」です。先回私は、「勝利した天寶家庭は永遠に枯れない天寶の花」だと話しましたね? アジア太平洋文明圏時代に、天寶の強い主流に乗って、全世界の大陸と多くの国々に、数えきれないほど多くの天寶の花が咲き始めると話しました。そのような環境をつくっていくには、中心軸がなければなりません。真の父母を誕生させたこの国が目覚めなければなりません。起きなければならないのです。天の父母様に侍ることのできる国にならなければなりません。できること、しなければならないことを、表現できずに話せないというのでは、いけませんね? 環境をどのようにしてでもつくって、知らせなければならないでしょう。見せてあげなければならないでしょう。私は、堂々と真の父母を知らせなさいと話しました。特に、天一国9年を迎えて新しい7年路程を行くのに、過去、皆さんが考えて行動した、そのような姿勢ではいけません。私の歳がもう80歳になろうとしていますが、天の父母様の夢は、地上で真の父母と共に、子女を抱いて暮らしたいというのが願いであり、夢です。それを実現して差し上げることのできる環境を、独り娘・真の母がつくっていっています。もうすぐ2023年になれば、天苑宮、天一聖殿を天の父母様の前に奉献して差し上げます。このように天が私たちと共にあるこの時に、責任を持って働いている皆さんは何をためらうのですか? どうして躊躇しますか? 堂々と進みなさいというのです。皆さんが今、真の父母と、独り娘・真の母と一心一体になって進むようになるとき、皆さんが分からないような十倍百倍の奇蹟が起きるということを理解しなければなりません。黙ってじっとしていてはいけないというのです。じっとしていても、皆さんは世の中と違う祝福を受けた立場ではありますが、動けばどれほど燦爛とした光が出るでしょうか。いま新しい時代に新しい服を着て、誰も行くことのできなかった、天の父母様の到底言葉で言い表せないような、天宙的な力を皆さんは受けて、これから一心不乱に動く道しかありません。目標に向かって踏ん張り、上がっていかなければなりません。分かりますか? そのようにしますね? 私は皆さんを信じて、たくさん愛しています! 力を出してください!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.09
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「内的統一教会史」1985年1月4日ベルベディア 目標に向かう道 皆さんは統一教会の信者であるために、統一教会の歴史を知らなければならないのです。では、「統一教会」という教会の歴史をなぜ知らなければならないのでしょうか? 統一教会の目的を尋ねて行こうとすれば、つまり、目的を射ようとすれば、現在から射るのではなく、出発当初から直線に射てきたその道があるために、歴史を知らなければならないということです。それは何の話か分かりますか?(黒板に図Ⅰを書かれる。)ここ(A)からスタートして、直線として行かなければなりません。そして、この目的(B)に到達しなければならないのです。統一教会がこのように出発したとすれば、ここ(B)を標準としたのであって、こちら(C)を標準としたのではありません。 それで、皆さんが、「私が今正常な立場に立っているかどうか。」ということを確かめるためには、その出発点を知り、出発点と目標を繋ぐ直線上を中心として比較してみることによって可能となります。もし、あなたがこちらの方に来て、目的に向かって銃で撃つならば、ここ(E)から見れば、この直線(C)が延長線となるのです。ですから、この点(E)においていくら撃ったとしても、それは的外れになってしまうのです。それで、原点に戻って再び撃つしかないというのです。 ですから、神様がおられ、ある永遠な絶対的主人があって出発し、ある目標を定めたとすれば、その目標に向かう道というのは、ジグザグな道ではなく、まっすぐな道なのです。それは立派な結論なのであります。ここで神様も、「歴史をはっきりと知り、出発点をはっきり知って、目標を明確に見定めて行くその道は、永遠なる伝統として伝授させなさい。」というように結論づけたのです。その伝統というのは、どこにおいても通ずるのであります。 今日、地球上において長い伝統をもって歴史時代に残っている残体、あるいは国家は何かという問題を考えてみるとき、それはすなわち、宗教の歴史であり、ユダヤ教の歴史なのです。つまり、ユダヤのイスラエル民族なのです。それでは、それぞれの宗教団体の目的がすべて一致していたのでしょうか? 仏教、儒教、回教、そしてキリスト教も皆異なった道を辿ってきました。「自分たちの撃つ方向が正しい。」と言って大騒ぎをしてきたというのです。皆、それぞれ撃つ所が正常な立場において撃っていないということを、私たちは概括的に知ることができます。 では、この伝統に従ってこのような銃を撃つ場合、この目的に向かって撃つ人は誰だったのでしょうか? 神様ですか、人間ですか、それとも他の被造物でしょうか? もし神様だとしたら、神が撃つその道と、人間が撃つその道が異なるでしょうか、それとも同じでしょうか?(「同じです。」)神様は時空を超越して、距離感というものがありません。それならば、誰が問題かといえば、人間が問題なのです。今日の宗教はすべて、目的を探してさ迷ってきましたが、どの宗教も見いだすことができなかったのです。それで、中間から目的点を発見しようとする道と、もう一つは原点に戻ることによって、出発点を発見しようとする道と、どちらかにおいて見いだす道しか、人類が行く道がないという結論が出ます。 たとえば、一人の人間が鉄砲で弾を撃つとしたら、その弾は弾道に沿ってまっすぐに標的に届いて穴を開け、貫通しなければならないのに、ゴールの手前で落ちて留まってしまったとすれば、それは撃っても撃たなくても同じようなものです。ですから、その人は目的を達成していないわけです。そして、ずれた立場からいくら弾を撃って前へ進んで行っても、ゴールには到達しません。歴史を顧みるとき、個々人はそれぞれのゴールに到達しようと成功を求めて歩んできました。しかし、本当の意味で人生の目的を成功裏に達成した例を私たちは見ないのです。 原点からの再出発 私たちが目的を達成する道へと導かれる可能性がどこにあるかといえば、“前進”を主張するところにではなく、後退して原点を尋ねていくところにあるのです。歴史時代において今まで出世をしたという人々はすべてが「前進前進、上がっていこう上がっていこう。」と言ってきたのですが、「後ろに戻っていこう!下って行こう!」と叫んでいる団体があるとすれば、それこそが歴史問題全体を解決し、摂理の御旨を解決していく可能性のある団体であると言うことができます。 では、「統一教会とは何か?」と言うとき、もちろん、神様の御旨を達成しようとする教会ですが、何よりも、「原点に戻って再出発しなければならない!」と呼びかけている教会なのです。つまり、復帰のための教会が、統一教会なのです。本来は、神と人間が一体化していました。しかし、堕落によって、神と人間が分かれてしまいました。それはすべてが破壊されたことを意味するのです。ですから、堕落した立場においては、撃つこともできなくなりました。人間は今、狙いを定めることさえできないような位置に立っているのです。撃つことのできないその目標をいくら探したとしても無駄です。ですから、人間が神をここに捕まえて来て、再び人が立って、スタート点をもう一度測って撃つしか道がありません。そこで、統一教会というのは、この復帰の原点をはっきりと告知させる教会であり、目的を明確に定めて、撃つことのできるようにするところなのです。分かりますか? (先ほど先生は“直線”と言いましたが)では、この直線は何を通じて直線として描かれるのか、何をもって直線の道であると言えるのでしょうか? これが問題なのです。ここから(行けば)間違いなく、百パーセント正しいと言って連結され、正しい結論へと入っていくことのできる道というのは何であり、その道の質は何でできているのでしょうか? 歴史を指向する指向線、その本来の直線というのは、何でできているのでしょうか?(歴史において)様々な力を行使して撃っても、またお金をもって撃っても、知識をもって撃っても(正しい目標に)当てることができませんでした。それで、統一教会が人間に対して、「原点である出発点に戻りなさい。」と言っているということは、実に歴史的な宣言であり、世界史的な宣言であるということを知らなければなりません。 では、原点に立ち返って、そこで撃って来てようとするには、何をもって当てるのですか?原点から、弾が正しい道に沿ったものであれば、そして、その道が直線であれば、途中が見えなくても的に命中します。そして、最終的なゴール(的)に命中して突き抜けた弾は、何も替えることのできない、天宙的な価値をもつようになります。ここにおいて世界的なターゲットを狙って命中したときは、宇宙全体を含むようになります。目的を成就したということは、宇宙すべてを成就したということになります。こうすることのできる何かがあるから、神様と人間との間で総力を注いでピョンと撃つのです。(黒板に図Ⅱを書かれる。) 伝統の基準 神様に銃が必要なのですが、それがアダムとエバなのです。半分に割ってみると、右側がアダムで、左半分はエバで、これらを合わせて銃を作ってあるのです。それで、愛という銃弾をそこに入れて撃たなければなりません。神の弾丸とは、真の愛なのです。それを撃つのは誰でしょうか? アダムとエバでしょうか? (「いいえ。」)では、当てるその目的は、誰の目的ですか? (「神様の目的です。」)それは、神様のゴールにもなるし、アダム・エバのゴールにもなるし、また銃弾のゴールにもなるのです。それで、アダム・エバも不平を言うことができません。この三つが完全に一致しているのです。 正しい銃であるためには、左半分と右半分とが全く同じ条件を揃(そろ)えていなければなりません。つまり、同じ重さでなければ、操縦する点が傾いてしまいます。これと同じように、アダムとエバが、男と女が同じ比重になるためには、愛の気運が発することのできるように、測っておかなければなりません。そして、この銃でもって、原点からゴールの様々な部分に――個人的基準から始めて、家庭的段階、氏族、民族、国家、宇宙の段階へと――拡大しながら撃つことができるのです。ですから、このように正しい銃を使えば、正しい標的の中心を撃たざるを得ないので、どこに立とうとも、すべての弾は中心に命中するのです。 では、伝統というものは何でしょうか? それは誰かが過去においてそれが実際に役に立つ、あるいはうまくいくということを立証し、そのポイントを保存し、反復し、複写したものが伝統です。そして、ここでそれがうまくいくということが分かれば、それは永遠の基台として保存されるのです。例えば、弾を撃つ人が特定の位置に立つとします。そして左足を固定させます。この角度から右足を全く同じ位置に据えて撃つことが、中心に命中する鍵となります。しかし、我々人間が犯す頻繁な間違いは、不注意と、伝統に従わないということです。このような伝統が必要でないと言う人たちは、一般的に正しいと思われる道、個人の判断でもって、自分勝手にするようになるので、方向も何も分からず、中心に命中することができません。 ここにおいて、自由思想を持っているのと、伝統思想を持っているのと、私たちはどちらを選ばなければならないでしょうか?(「伝統です。」)それで、統一教会の思想は、「個人を犠牲にして、家庭の為に生きなさい。」ということです。つまり、「現在の段階で満足することなく、常に次の段階へ、より高い次元へと進みなさい。」と教えるのです。「どんな困難があったとしても、小さなものを犠牲にして、より大きなものに向かって、その伝統の基準を尋ねて行きなさい。」と。そういう道が、統一教会の文先生が教えてくれる道なのです。統一教会は「世界を抱いて行きなさい。神様とアダムの立場を中心とした愛を中心として、世界に向かって行きなさい。」と言うのです。世界に向かって行けば、その愛は直線上においてもどこにおいても力が入るようになるのであります。 サニー・シューティング ところで、統一教会における祝福とは何でしょうか? それは、目的に向かって撃つことのできる機関銃を作ることなのです。そして、統一教会における愛というのは、その銃弾を作ることなのです。その銃を持っていって、愛を中心として、神様が「準備できたので引きなさい。」と言えば、伝統の基準と神様の基準があるので、直ちに引くようになるのです。 このような点において、あらゆる批判的な立場、あるいは分析的な立場からみて、統一教会がうちたてた観というものは素晴らしいし、統一教会の復帰という主張は、あまりにも価値が大きく、生きるのにおいても、撃つにおいても「毎日どんな所に撃ったとしても、愛の銃弾を撃ちなさい。」と言うのです。では、どこで、どういう状態で撃つのでしょうか? それは様々な摩擦のおこる高気圧の圏内で撃つのではなく、真空状態で撃ちなさいと教えているのです。そうすれば、この愛の銃弾はまっすぐに、直線に進んでいきます。撃つや否や、時間と距離を超越して、ピタッと的に当たるのです。それが私たちの統一教会において、皆さんが一番嫌っている犠牲という道です。 ではなぜ、私がダンベリーを訪ねて行ったのでしょうか? 私が撃ちさえすれば、倒れない存在がないほどの銃弾を撃つためでした。それで、私がじーっと見ていると、私が撃つ目標は既に皆当たったので、他の目標がないかと捜しています。私がダンベリーに行く前に、そこが小高い丘にあればいいと願いました。それは、私が行って、愛の射撃をすることのできる基地としたかったからです。私が着いてみると、案の定、ダンベリーは小高い所で景色もいいところでした。 今まで私たちはムーニーでしたから、ムーンを撃ってきましたが、これからは、太陽を標的にして撃たなければならないので、サニー・ベイス(太陽の基地)を訪ねて行って撃たなければなりません。そうすると、最初の方向とは異なった方向になりますがこのような方向に狙いを定めるべきでしょうか。皆さんはまだ、月にめがけて撃っていますが、先生の目標は太陽になってしまいました。ムーニーが撃つ場所と、先生が撃つ場所が異なるのです。分かりましたか?(「はい。」)では、このサニー・シューティングをするために行くべきでしょうか、それとも行かないほうがいいでしょうか?(「行くべきです。」)皆さんもついて行くことができますか、できませんか?(「ついて行きます。」)しかし、先生のサインなしにそこに行けば、めちゃくちゃになってしまうのです。だから、先生はその道を一人で行かなければならないのです。 夫婦が完全に一つに さて、統一教会において主張するもう一つのターゲットが何かといえば、霊界なのです。月と太陽は、肉界と霊界に例えられます。皆さんは今まで肉界だけの目標を狙って撃ってきましたが、これからは霊界にターゲットを当てるようになります。それで、先生が出て来るようになる時には、統一教会は世界的な統一教会となることでしょう。歴史上において、見ることも考えることもできなかった、驚くべき変化がみられるでしょう。 皆さんは、自分自身が原点に戻って来ていますか? それとも後退しつつありますか? 自分と相対の二人が一つの銃ですが、その半分が壊れてしまっているのか、それとも、完全な銃となっていますか? もし、これが完全な銃となっていなければ、神様がいくら引き金を引いたとしても弾を発射することができません。ですから、自体の批判をしてみなければならないのです。 では男一人で撃つことができますか? それとも女一人で撃つことができますか? 神様が一人で撃つことがてきますか? それぞれが一人で撃つことができますか? ここで単純で基本的な質問を女性にしたとします。「あなたは主人を持っていますか?」これは第一の資格です。女性は喜んで「はい、私には夫がいます。」と答えるでしょう。更に、「それでは、申し分のない夫婦ですか?」と尋ねてみましょう。その時、「はい、そうです。」と答えることができなければなりません。それで二つの愛が完全に一つにならなければなりません。生産工場から出てくる、そのままの姿をした良い弾薬のような、そういう愛を二人が持っているかどうか、これが問題なのです。神様がごらんになった時、引き金を引くとすれば、「ババーン」と鳴って、天地が振動して、愛の銃弾がすっと飛び出すことができるかどうか。この時に嵐が来ることを望みますか?(「いいえ。」)嵐の中で狙いを定めて撃つことは困難です。ですから、風圧の殆どない真空に近い状態を望んでいます。 そういう環境はどういう所かといえば、完全に愛の銃弾が飛び出すとき、「バン」という音が出るように、サッと飛び出して砕かれてもいいというところにおいては、必ず間違いなく二人をくっつけてしまうのです。つまり、あなたとあなたの相対が完全に一体化していれば、たとえ縦断が壊れようとも構わない、的に命中しさえすれば構わないというような、献身的な態度をもっていればそれで十分です。一体、この世にそんな話はどこにありますか? これは、とても理論的な話です。皆、よく分かりました? いくら男性が自分のことを完全であると言っても、それは銃の半分にしかすぎないのです。半分の銃が完全な銃といえますか? 自分が半分ですから、たとえ個人には力がないとしても二人が一つとなって、真空状態を作っておいて引き金さえ引けば、ちょっと押し出しさえすれば、弾は目的に命中するのです。ただ動かしさえすれば、ピタッと当たるのです。それは、レバレンド・ムーンの知識でも、統一教会の知識でもなく、神様の知識なのです。こういうターゲットに当てたい人は手を挙げて下さい。(皆「はい。」と言って手を挙げる。) 愛の銃弾 では、その銃はいつ撃てばいいでしょうか? 若い時撃つべきでしょうか? 年老いてから撃てばいいでしょうか? それとも一番最初の夜に「パーン」と撃てばいいでしょうか? 年を取ってから撃った方がいいでしょうか?(「若い時です。」)では、何日間か練習してから撃つのと、二人が会うや否や撃つのと、どちらがいいでしょうか? 後者の方がずっといいでしょう。 では、神様はどうだったでしょうか? 二回ぐらい撃ってから的に当てたい神様ですか? それとも、数十回撃ってようやく当てたい神様ですか?(「一回目です。」)本当の愛の銃弾というのは、誘導弾のようであって、標的をどこまでも追い求め、そしてその弾が撃った本人に返ってくるような銃弾だったらどうでしょうか? それが神様の理想だったのです。もし、人間が堕落していなかったならば、アダムとエバはその婚姻の時に、即刻標的に命中したのです。そうすれば、伝統とか何とかを心配することもなかったのです。 しかし、堕落したので複雑な問題がからんできて、伝統というものが必要になりました。既成教会では「愛がすべてだ。」と言っています。しかし、愛ばかり唱えても何もなりません。銃を捜さなければならないのです。地球上では皆、愛の銃弾を願っていますが、愛の銃がありません。それで、歴史上において、メシヤを迎えて、メシヤを中心として新郎・新婦が出会って、新しく婚姻の祭をする、そういうアダム・エバの完成した核が現れれば、それが即ち、銃が現れてくることなのです。そして、メシヤ思想とは、真の父母の思想なのです。分かりましたか?「真の父母」というのは、つまり完全なショットガン(散弾銃)なのです。それで、男であろうが、女であろうが、仕方なく、それに見習って作らなければなりません。ですから統一教会では、神様の命令には絶対に服従して、死んでも生きるという覚悟をもって、御旨に向かわなければならないという結論が出るのです。 真実の愛 それで、統一教会の信者が愛でもって撃つには撃ちかすが、ある者は、家庭看板というターゲットに向かって撃ちましたが、そこには当たらないで、全部の弾がその周辺に当たっているのです。自分の複雑なすべてを乗り越えて撃ってみると、家庭看板に当たらないのです。先生がよく見てみると、そのターゲットのこちら側に当たっている、角度がどれくらい外れているかということを調べて、そこで、「もう一度、家庭を中心として、そして氏族のターゲットに向かって撃ちましょう。」と教えてあげるのです。「また角度が違った。」と言って、何度でも角度を合わせるのです。ここに当てどれくらい間違ったか、その調整を再びして、理想実現という目的に向かって撃つのです。すべての複雑な装置を止めて、銃の頭に当たるや否や、神様の胸の愛とピタッと接触することのできるところで、そこに合わせていけばどうなるでしょうか? 皆さんはミスをすることができますか?(「できません。」) それで、世界という、宇宙というターゲットを中心として、それを標準として、そこに皆立ち並んで合わせておけば、そこには何の基準もなく、ただ入っていくのです。ただ教えてあげさえすれば、合うようになっています。つまり、世界を越えて霊界は自然に行幸(ぎょうこう)することができるのです。これを越えてゆく時、何か杖をついたり、撃ったりするのではなく、ただ越えてゆける境界線の所まで行こうとするのが世界を射る目的なのです。 霊界は愛の空気でできているので、このように腹這(はらば)いになったとしても、全部神様の心に通ずることができます。どのように撃ったとしても、寝ていて投げさえすればそのまま狙いに当たるようになっているのです。 ところが、人間が堕落して今まで行く道がなかったので、真の父母が来られて、家庭的ターゲットに合わせることができ、氏族・民族・国家・世界・天宙にターゲットを合わせることのできるそのようなモデルを作りました。誰もが撃つことができるよう教えるために、これまで統一教会を前に立てて、銃の展示販売をするのです。それは、誰もが買うことはできないのです。事実がそうだとすれば、気分がどうですか? では、それを製作して売ってあげればいいでしょうか? 売らない方がいいでしょうか?(「売ってあげた方がいいです。」)その商売をなすことが、私たちが伝道することなのです。それは、神様が願っておられるからです。 そうしたら、そのパターンはどこで撃つかというと、皆自分たちの家で撃てばいいのです。世界が全部基盤を整えておけば、国家基盤も整えられ、民族基盤、氏族基盤、家庭基盤、個人基盤すべてが整えられていきます。家庭のターゲット、氏族のターゲット等、皆が合うようになっています。このセンターに立って一つ一つの的を撃ちさえすれば、みんなピタピタと当たるのです。それはどれほど嬉しいことでしょうか。撃ってみると天下のすべてのターゲットの看板が一度に当たるのです。本然の、そのような場を作るために、神様はこれまで御苦労してこられました。そして先生は、そのような場を作るために、このような仕事を続けてきているのです。それで、皆さんが先生に付いていかなければならないし、先生に見習わなければならないのです。 これは男で、これは女です。この男と女が寝台(ベッド)です。天と地を舞台にし、世界を舞台にして、そして国の頂上において、民族の上に、自分の家の一番頂上に横たわっているのです。宇宙が二つ合って、男性と女性の愛を通して一つになるための儀式をしているのです。何の話か分かりますか? この愛だけを取り出して、他の一切を皆投げ捨てて、ポケットの中に入れて歩けば、宇宙がそのポケットの後に付いて歩きます。ここにおいて、「真実の愛」のシグナルだけ送れば、宇宙がついて歩くようになるというのです。そのようにして生きている男性と女性は不幸でしょう? どのように不幸でしょうか。(「いいえ。」)では、「How wonderful true love is!」ですか?(先生笑われる。) 天宙的カナン復帰 この峠さえ越えれば、つまり、アメリカさえ越えれば、共産圏も倒れていくのです。もう、共産党も崩れ始めているのです。中国が今、どのようになっていますか? 中国がそのようになったということは、それ以下の世界のすべての中進国家は、完全に中国の後を付いていくということなのです。そうすると、ソビエトのすべての衛星国家は、全部崩れてしまうでしょう。 これから統一教会の時代が来ると思わなければなりません。私は、旧世界は嫌いです。私は新世界が好きです。(皆歓声と拍手)この「ダンベリー」というのは、韓国語で、“☆☆(塀の壁)”と言うことと通じます。ですから、この門だけを開く日には、この場が自由の出発点となるのです。まっしぐらに太陽に向かって、人工衛星に乗って、――そこにおいては、ショットガンではなく人工ミサイルなのです。そこで撃ちさえすれば無限なのです。これを越えさえすれば、無重力で飛んでいくでしょう。そのように思って先生も準備しますから、皆さんも、皆さんなりにこの世で早く準備してこの境界線まで早くなして、勝利しましょう。 かつて、イスラエル民族は国家的カナン復帰を願っていました。一方、私たち統一教会の群れは、イスラエル民族と同様、天宙のカナン福地を目指して行くのです。エジプトのような天地において、誰に通告しなければならないのでしょうか。イスラエルを相続することのできる群れ、それはキリスト教です。第二イスラエル圏のこのキリスト教全部に通告しなければならないのに、それができないので、牧師たちに通告するのです。牧師たちの前には、一万名でも、千名でも通告することができるので、私たちはかまわず越えていくことができるのです。牧師が約三十万位知るようになれば、エジプトにいる第二イスラエル民族は皆知るようになります。皆知るようになって、付いて行くようにならなければ、私たちは出て行くことができないのです。各教会の牧師一人に五百名ないし、六百名の人たちが繋がっているので、統一教会のメンバーが平均的に百二十名ずつ牧師に話しておけば、アメリカ全体に、エジプトにいるイスラエル民族全体に通告する使命が完了するようになります。そうしたら、皆さんと先生が出会って、間違いなく宇宙のカナン福地に入っていくのです。分かりますか?(「はい。」) だから、このたび通告を間違いなくやらなければなりません。そして、天と地を愛する心、国を愛し、民族を愛する心、氏族を愛する心、神を愛する心でもってすべてに通告しなさい。それでここにおいて真空状態、最高の犠牲、最高の精誠を通じた涙を流しながら、私たちはこの使命のために、アメリカ全域で活動しましょう。 今あまりにも重要な時ですから、ダンベリーにいる先生が来ることのできない立場から出て来て、皆様に通告することを知らなければならないのです。悪口を言われてもかまいません。カナン福地に入るかどうかが問題なのです。この民族を救うことが重要な課題なのです。 今度は私のために法を定めたのです。それは神様が私のためになさる役事です。このような期間にいるすべての人たちが恵沢を受けられるような法を作って出てきました。どれほど重要な時なのか分かりますか? 皆さんは自由の出発点において撃つことができるという驚くべき事実を知らなければなりません。 この原点に立って撃つことができるという驚くべき立場において、目的に向かって愛のトーチ(松明・たいまつ)を持って、カナンの福地に行ける立場にあることだけは間違いないことです。これまで時間を費やしてきたのは、皆さんがこれを持って出るためです。では煙が出るトーチを持って行きますか? それとも何も匂いがしないトーチを持って行きますか? それは、どれほど犠牲を払うかという問題によって決まるのです。純然たる愛においては、雑なる物は燃えることができませんが、雑なる物、ボロのような物が燃える時は、煙がたくさん出るのです。煙が出て、それが見えなくても、また匂いがしたとしても、それを持って行かなくてはなりません。(皆笑う)そして、そのトーチを牧師に手渡しておくのです。そこから火を燃やすと、これがカナンの福地です。エデン復帰なのであります。 神が統一教会を愛するとしたならば、「このアメリカ国民すべてに通告しなさい。」と言った方がいいでしょうか?「牧師だけに通告しなさい。」という使命を与えた方がいいでしょうか?一言だけ、更につけ加えておきます。「だから、牧師たちはこの話を皆に伝えておかなければなりません。」という結論をつけておきます。そういう観点から理解してくれる牧師を百二十名作っておかなければなりません。全アメリカに通告致します。 これさえ終われば、先生がダンベリーから戻って来る時、イエス様が十字架で亡くなられる時、「すべてが成就した。」と言われたごとくに、先生も、「すべてを成就した。」と言ってカナンの地へと入っていくでしょう。アーメン。アーメン。(皆笑う。) それが早く終われば終わるほど、私は早く出てくるでしょう。それが終わるまでは、神様も、レバレンド・ムーンもいくら忙しくても待つでしょう。ですから、私は監獄から出て行くことを願うよりも、それがいつ成るかを待っているのです。先生がダンベリーに行った唯一の目的は、このことのためでした。 イエス様当時においては、国と民族と氏族、自分の家族、そして自分の体、自分の弟子たちすべてを失ってしまいましたが、先生は、それに対して、すべてを取り戻したというのです。教会も取り戻したし、統一教会も取り戻したし、民主世界も取り戻したし、自分の家庭も取り戻したし、弟子たちすべてを取り戻して、その本然の国へと行幸するのです。だから、これをやるべきか、やらなくても良いか?(「やります。」)はっきりと分かりましたね。 私たちはこのことのために、今一度決意しなければなりません。立ってください。私はしばらくお祈りをします。皆さん、このことを約束する人は両手を挙げてください。 どのような内容で祈祷するかといえば、天と地と、この時間においてすべて指示する全霊界と、全肉界と、存在するすべての世界がこの言葉に共に賛同して、この両手を挙げたことを誓いとして受け入れて、全体が協力し、協助して一つの目的を達成していくために総動員されることを願うお祈りを致します。それで、全体を代身した愛のトーチを持って前進いたしましょう。アーメン。 祈祷 「愛するお父様。神様を中心とした全霊界はこの場を注目していることを知っております。地上におるすべての万象も、この場を注目していることを知っております。しかし、人間だけは、この地上に生きている人間だけは、混乱の中に浸されてさ迷っているのです。今やカナン福地に向けて、宇宙史的な勝利の一点へ向かって、越えなければならない時点が訪ねて来たことを知って、きょう再び戻って行かなければならないこの場所において、モーセがシナイ山に登って行くのと同じような立場において、イスラエル民族が団結して、神の喜ばしい便りの時を迎えることができるよう準備するようにすることを通告する厳粛な通告の時間となりました。既成教会全体に通告する時間的余裕がない関係で、キリスト教界を指導する、カイン的な立場に立っている第二イスラエル・牧者たちの前に通告すべき使命を受けて一二〇名にこれを通告して、彼らの口を通して、『自分の責任を果たします。』と言うことのできる、その言葉を聞くことのできる活動に向かって、各自が方向を求め、前進致しますので、これらすべての動きの上にお父様の勝利と、愛が久しくともにあらんことを。真の父母様が立てられたすべての伝統の基盤を相続するこの時間となって、必ずや勝利する群れとなることができるように、力と能力と熱意を更に増し加えてくださることを懇切にお願い申し上げます。これからまた行って、再び会えるその日が遠からず訪れることを願うことが、彼らの心であることを知っておりますから、あなたが霊界のすべての先祖たちを動員して、緻密に一人一人もれることなく活動を展開する出発の日として、策定してくださることをお願い申し上げます。すべてを受け入れてくださることを考えながら、真の父母の名で以って通告致しました。アーメン。アーメン。アーメン。」 解放前の状況 私がこれからしばらくの間話すことを通して、皆さんは統一教会の歴史をよく知らなければなりません。統一教会の歴史というのは、韓国の解放以後から始まったのではなく、既に解放以前から始まっていたのです。第二次大戦以前から始まっていました。その当時、日本統治時代の末期におけるキリスト教の事情がどうであり、どのような現象が起きていたかを知らなければなりません。熱心な教会の責任者たちは皆監獄に投獄されていた時で、彼らの多くは神社参拝を強要されて、獄中に入れられたり、殺されたりしていたのです。 そのような状況下において、一九四五年までには、韓国のすべての教域者:教職者、牧師)たちが、日本の国策によって、全部犠牲になるようになっていたのです。そういう環境の中で先生はどんな仕事をしていたのでしょう。韓国のキリスト教会において、終わりの日にはそのような状況が近づくと同時に、最後には解放が訪れるということを、霊界を通して全部知らされていました。そのため、山野に散らばって、隠れてお祈りをする群れがたくさんありました。 ところで、監獄に入っていた牧師たちは、解放後の使命や、キリスト教の将来の展望については知らなかったのです。しかし、先生はそれに対する展望をもっていました。キリスト教を一つにしなければならないということを、原理の内容により全部知っていたのです。 その当時は、キリスト教を熱心に信じている者たちにとって、死の道を行くか、それとも解放されて、世界的な歓喜を迎えることのできる新しい時代へと越えて行くか、その岐路の時代でありました。そのことを皆さんは知らなければなりません。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」の聖句通り、最後まで自らの命を覚悟して耐える者は、その時を迎えれば救われるのです。その時というのは、新しい時代が展開する時を意味します。つまり、韓国は絶対に亡びないで、数カ月後には解放されるということを、霊界に通ずる人々は皆知らされていました。ゲリラのように山や谷を越えて、村々を訪ねて何里も歩きながら、多くの神霊的な集団の人たちが交流していたのです。その神霊的なグループを連結させて、これからの新しい教会としての基盤を造り、解放直後には(その土台の上に)キリスト教を連合して新しい世界へと前進することのできるその夢をもった唯一人の者がいるとすれば、それがレバレンド・ムーンだったのです。 それで、そういう神霊的な集団には、メシヤを迎えるための準備をさせられていたグループが多かったのです。その中には、旧約時代を代表する男性集団があり、新約時代を代表する男性集団があり、また、旧約時代を代表する女性の集団があり、新約時代を代表する女性の集団がありました。そのように、(蕩減を果たしていくための)代表がなければならないというのです。先生は霊界をすべて見ることを通して、(今後韓国において)どのように摂理が展開されるかということをすべて知っていました。そして、驚くべきことが起こるのであります。 イエスの十字架の摂理において、十字架を良く越えた場合は光明の世界があり、良く担えないことによって越えられなければ闇の世界があるように、キリスト教が今回の十字架を背負って、信仰をもって神の為に死ぬことができれば、救いの道が開け、反対にこの峠を越えられなければ、失敗の道が待っていた訳です。そのような環境線上にあったのが、国家と世界を連結させるキリスト教を中心としてみた場合の、韓国の実情だったのです。それがどういうことかというと、イエス様が十字架で亡くなったと同じような状況が、世界的な舞台を中心として、縮小された表示体として存在していたのでありました。 ここにおいて、先生を中心としてみると、獄中に入っていたクリスチャンたちはアベルであり、投獄されていないクリスチャンたちはカインなのであります。この人たちは、内的には屈伏してはならないと思っているけれども、外的には頭を下げて権力と妥協しているカイン型クリスチャンでした。そして、特別の霊的啓示を受けている、天使長のような騒がしい神霊集団の群れがありました。彼らは何の原理ももっていませんでしたが、ただ霊界にだけ従っていました。これらすべては霊的現象なのです。 復帰の出発点 では、堕落は誰が先にしたかといえば、霊的天使長が先になしたのであって、これらカイン・アベルは知りませんでした。したがって、獄中・獄外のクリスチャンたちはいずれも再臨主が来たらどう対応するかということを知らなかったのです。神霊集団においては、再臨主を迎えるためにどのように準備すればいいかということを示して、(神は)全部準備させたのです。この形態からみれば、これが神様の管理圏に入った立場からこのようなことが起こるのです。キリスト教文化圏と神側でなければならないのです。ところが、サタンは、これまで(図Ⅲ)侵犯するのです。監獄までも全部侵入するのです。このように見て、ここが堕落した世界であるとすれば、これは堕落しなかった天使世界と同じです。つまり(堕落しなかった天使世界が)実体をもったキリスト教と一つになったのと同じです。 更に、ここにおいてもカインとアベルの型があります。(黒板を使いながら説明)これが堕落した圏内ですから、それで旧約時代の復帰団体と新約時代の復帰団体に分かれます。では、どちらがアベルかといえば、新約時代がアベルで、旧約時代がカインなのです。先生は復帰の使命をもって、これらをすべて収拾して行かなければなりませんでした。ではどこから出発しなければならないのでしょうか。監獄の中ではできなかったのです。先生がアベルとなり、これをカインとして出発したのです。(黒板を使いながら説明)これが解放される直前の状況でした。 復帰において明白なことは、男性のみでも成し得ず、女性のみでも成らないということです。主体と対象が必要です。だから、旧約時代のエデン復帰を担当する男性のグループがあると同時に、女性のグループが相対的に存在していました。また同様に、新約時代のエデン復帰を担当するグループも男性のグループと女性のグループとに分かれます。この四つの要素が一体化することによって回って行くのです。 では、先生はこのような環境の中において、どこからスタートをしなければならないのでしょうか? 原理を知っているあなたたち、どこからスタートしたらよいと思いますか? 男性・女性、そしてカイン・アベル、これをどのように組み合わせて行くべきでしょうか? 男性型のカイン・女性型のアベルでしょうか? 主は男性として来られますか? 女性として来られますか?(「男です。」)その「男」という方はイエスの立場であり、では洗礼ヨハネの集団はどのグループに相当しますか? 先生は男の立場です。では先生はこの神霊集団の中のカイン(旧約のエデン復帰グループ)から始めなければならないのか? それともアベル(新約のエデン復帰グループ)から連結して行かなければならないのでしょうか? どちらからですか? 先生自身がアベルの位置に立つのであれば、原理観からして、アベルはカインと一つにならなければ行く道がないということを明確に知らなければなりません。それで、このような集団を訪ねて行って、洗礼ヨハネから祝福を受けたと同じように、そのような祝福を受けなければ出発することができないのです。摂理的にこのようなグループを訪ねて行って、出会って、祝福を受けなければなりませんでした。 祝福というのは何の祝福かといえば、ソロモンの王権です。世界の基盤を相続することのできる祝福の基盤がなくては、地上天国、愛の理想世界を訪ねて行くことはできないのです。 ソロモンは何の王ですか?(「知恵の王です。」)では、イエスは何の王ですか?(「愛の王です。」)知恵はこの世界、つまり、外的なものを象徴し、愛は内的なものを象徴します。これらは相対的な関係であるから、ソロモンの王としての地上における祝福を、この世界へと連結することのできる、そのような基盤の上にしか愛は行くことができないのです。その基盤がなければ、愛の王権を立てることができません。 先生は原理を知っている立場において、洗礼ヨハネの立場の人が祝福を与えてから後に、ややもすると反対し、離れていくことがあり得るという事実をよく知っていたのです。それで、(事実、)その祝福を受けるために、そのグループを訪ねて行って、祝福を受けるや否や、神様は、「このカインに付いて行かないで、ここにいる先生に付いて行け。」と命令されたのです。そうすると、愛する弟子たちは皆先生に付いて行こうとするから、洗礼ヨハネの立場の人物はそれを防止しようとする現象が起こったのです。分かりますか? もし、ここにおいて、これが一つになるようになれば、このカイン・アベルは自然に一つになります。(そうすれば)自分たちが内的に成そうとすることが皆同じになってくるのです。そして、その頃みんな自然に通じ合っていたのです。そして全部がメシヤが人間として来られることを知っており、皆が迎えることができると思っていたので、皆が「解放、解放!」と唱えられたのです。 カイン・アベルの基台 それで、メシヤが来られて、ここで侍りさえすればカインとアベルが一つになることができたのです。十字架上のイエス様を例にとってみても、イエス様が親の立場であり、右側の強盗がアベルの立場、左側の強盗がカインの立場で双方が子供の立場です。この双方が戦うことによって、世界に右翼と左翼ができたのですから、双方が戦わないことを通して、互いに通じ合うことができるようになるのです。ここから、カイン・アベルの一体化が始まるのです。カイン・アベルを一つにしなければならなかったのです。 このように(カイン・アベルが一つに)なれば、先生はここに行っていながら、ここにすべての人々を送って通告をするのです。(図を指しながら説明)では、誰がリーダーかと言えば、洗礼ヨハネがリーダーです。 先生と洗礼ヨハネの立場の人物が一つになれば、男性側が全部統一されて、旧約時代・新約時代・成約時代の道がすべて連結されるのです。そうしたならば、今までの縦的な歴史を横的に立てて、完全に蕩減復帰勝利の基盤が立ったと見るのです。分かりますか? 原理的に分かるでしょう。縦的な宗教の歴史を横的に蕩減復帰した勝利の基盤の上に、覇権と王権をたてることのできる基準が生ずるのです。 この世界はサタン世界であります。日本が支配していました。またここは内的な神側の世界であります。(黒板を使いながら説明)それで、これを蕩減しなければならないのです。その時、これが一つになっていたならば、すべてが一つとなるのです。そうすれば、神様が歴史を通して捜し求めていたアダムの完成となるのです。次に宗教圏がアベルで、国家圏がカインです。しかし、アダム・エバが一体化してアダム完成したところにはカインはないでしょう。だから、こちらが内的でこれが外的になるのです。それを全部準備していたのです。 だから彼らも、メシヤが解放の後に来られるということを知っていましたし、女性たちはメシヤが解放後に来られれば共に生活しようと思って、準備をしていたのです。地上生活ができる準備をすべてしていたのです。一歳から死ぬ時までのものを、着物から靴から必要なすべてを準備したのです。それで、地上世界において、サタン側であるカイン圏と、神側の天使長圏のアベルが、アダムを中心として全部一つになる基盤が形成されておれば、アダムとエバの復帰の条件がすべて整うのであり、神側はこれを取ることができたのです。そして、摂理の第一段階が成就され、更に具体的な摂理が後に続くことが可能だったのです。 第二次世界大戦が終る前、神側の米・英・仏とサタン側の日・独・伊が国家圏として対立していました。このような中において、解放以前に先生は、このような御旨をいだいて、これを連絡・結成する運動をしていたのです。これは先生が初めて証することなのです。 それで先生は神霊的女性グループも訪ねて行ったのです。そこで、私に対して「文先生は神学校も出ていないし、宗教の研究もしていないのに、急に現われて、霊界の秘密を明らかにしているし、自分たちがどのようになっているかということを、啓示を受けて全部解明してくれる。すごい。」と言うのです。 このような立場において、これが円満に連絡されて、これが一つとなって、この集団を通して、先生が祝福を完成すれば、御旨が全部成就されるのです。(図を指しながら説明)先生がもし、このような立場に立ってこれを連結させなかったという時は、相対を見つけることができないのです。何の話か分かりますか? では、どうするのか? あのように基盤を作っておいたのをすべて崩してしまうか、全部放棄するか? これを放棄するようになれば、これも放棄しなければなりません。(図を使いながら説明)ここにおいて、問題が起きてくるのであります。それでは、ここで条件をかけようとすれば、行く道は世界と連結しなければなりません。キリスト教世界と連結しようと思えば、キリスト教世界と連結できなかったのです。条件的な霊的基準において、これを受け継ぐことのできる出発的な基準はここでしたが、世界的な基盤はここにおいてめちゃくちゃに分かれてしまったのです。世界的な境界線となっていて、こちらは別の世界なのであります。地下に入っていて、公開的ではありませんでした。 神様はどのように考えているかといえば、二つが一つになる道だけに連絡されれば、これをなすことができたのです。そうなれば、世界のキリスト教文化圏が、一度に世界に入って来るので、監獄に行った人々は全部解放されて出て来ることができたのでした。獄中にいた人たちが出て来て、戸が開くならば、こちらがアベルであるために、これがアベル圏を作って、これは自動的に連結できる準備が出来ていたのであります。そして、自動的に一つになるようになっていたのでした。そうすればこの圏内にはカインはなくなってしまうのです。そうすれば、即刻に世界のキリスト教文化圏に連結されるのです。何が連結されるかといえば、氏族が連結され、民族が連結され、国家が連結され、世界が連結されるのです。 そういう場においてキリスト教文化圏が解放されれば、アダム国家を捜し、エバ国家を捜し、天使長国家を捜してこれらを中心として収拾しなければなりません。アダムを代表した国家がアメリカとなり、エバ国家が英国となり、フランスが天使長国家となるのです。これらの国家が韓国を包含したアメリカと一つになることにより、世界の舞台の上において天使長圏のすべてを蕩減して行くのです。一度に世界的に成すのです。そうすればサタンの勢力が存在することはありませんでした。その時が、キリスト教がアメリカを中心として、歴史上において初めて、完全に世界的基台をつくる、そういう時だったのです。それが解放直後なのです。 解放直後の状況 一九四五年、解放のその日には、アメリカを中心として全世界を収拾することができるようになるのです。世界が連結することができるのです。そうであったならば、韓国が南北に分かれたでしょうか。民主主義世界と共産主義世界に分かれることもなかったはずです。そして、今日、自由世界は共産主義によって分裂させられることもなかったのです。分かりますか? 世界を神の圏内に治めることのできる期限がこの三年、一九四八年までの間だったのです。 もし、解放前にこのような基盤ができていたならば、獄中に入っていたすべての再建派は、先生と一体化したその基盤の上でそのままスタートすることができたのです。そのようになれば、既成教会全体に知られるようになって、連合軍(米・英・仏)を迎え入れることのできる基盤となったのでした。それは間違いのないことです。韓国の既成教会はこれしか道がありません。第二次大戦が終り、連合軍が入って来る時、誰が迎えることができるかと言えば、投獄された牧師・聖職者たちが連合軍を迎えるようになるのです。国連軍もここに歓迎されたでしょう。そうなれば、韓国は南北に分かれることなく、神霊的なこれらの人たちは連合軍を中心として、サタンが侵入することのできる余地がなかったはずです。 しかし、こうした状況がすべて壊れてしまったので、仕方なく、先生は残された基盤のなかから、わずかな条件を探し出して、それを立てて取り戻していこうとしたのです。このままでは、これらの集団が全部なくなってしまうので、先生は一人孤独な立場において、そこに多くの人々を送って、三回以上通告しました。「受け入れない場合は、あなたたちの国家と世界は破壊されて、今まであなたたちの立てた功績は天が収めてしまうだろう。」と通告したのです。そうしてすべてのことを成して、それを全部収めることができる基盤をすべて整えておいた上で、“解放”を願って待ったのです。 しかしもし、ここで成就できなかった場合には、ここでできる基盤を連結させようと考え、ある神霊集団を中心として成そうとしました。ここにおいて、アダムの立場にある先生は、旧約完成、新約完成を成して成約の出発を成し、次には旧約のエバ、新約のエバ、成約のエバが出発することのできる基盤の条件を立てるために、結婚が行なわれたのです。だから、ここにどれほど危険な負担をもって出発しなければならなかったか、ということを知らなければなりません。もし、この花嫁が先生を裏切れば、どうすればよいのでしょうか? では、その女性はどこを代表した人かといえば、この神霊集団の女性を代表した人なのです。その集団の責任者が最も愛した人を取り出したのです。その女性は獄中生活もし、あらゆる面で女性の代表者として蕩減を受けた方なのです。しかし、エバが知らないうちに堕落したのと同じように、自分の夫を通して復帰されていく事実を全然知らなかったのです。神の御旨を知らないのです。霊界との神霊的な接触はたびたびするのですが、これからメシヤがどのようになり、神様の天国がどのようになるかといったことに対して、その女性は知らなかったのです。分かりますか? だから、これからは女性はアダムの前に、夫の前に絶対服従しなければならないというのです。 このようにして、(韓国は)アメリカと連結することによって解放されたのです。では、このグループの人たちはどこに行ったのでしょう。(図をもって説明)彼らは、神霊集団の背景を中心として、自分たちのグループ、グループにみんな分立していき、連結すべき責任を果たすことができませんでした。これを合わせて連合軍が韓国に来た時、アベルの立場の集団がすべて散り散りばらばらになることによって、カインの立場の集団が登場して、連合軍を迎え入れたのです。ですから、カインの圏内は非常に大きくなり、アベルの圏はほんの一部となりました。そして、連合軍と一つになって統一教会に反対する群れはサタン側になったのです。 ここから、統一教会への迫害が始まり、反対が始まるのです。そこにサタンが付いて歩きながら反対するようになっていったのです。一九四八年までの三年間にその基盤を造ることができず、その女性自身も、先生と百パーセント一つになって、信じ、従って来ればよかったのですが、先生に反対する側に付いて行ったのでした。牢獄から解放されて出てきた牧師たちも、そちらの方に付いて行きました。そして、彼らは「再び来られる再臨主は、雲に乗って来るのであって、人の子として来るのではない。」と主張したのです。 一体、なぜそのようになったのでしょうか?監獄に入っていた牧師たちはすべて、再臨主が人として、肉体をもって来られるということは知らなかったのです。神霊集団の、責任を持っている数人しか、そのことを知らなかったので、これらの獄中のクリスチャンたちが監獄から出て来た時、みんな、「主は雲に乗って来られる。」と言ったため、神霊集団の人々も、みんなそこに引き込まれてしまったのです。彼らも、「解放後に主が来られる。」という啓示を受けていたのは事実でしたが、皆そのような過去に持っていた信仰観念を維持していくことができなかったのです。 だからといって、先生はその女性には復帰歴史のすべてを教えてあげることができなかったのです。すべてを教えてあげればそれを信じたでしょう。しかし、そうすることがまだ許されていない時代だったのです。ですから、彼女はただ先生の言うことを聞き、一体化しさえすれば、後々にはその真理を教えることができたはずでした。 しかしながら、(彼女は)彼女の母親や、獄中から出てきた牧師たちと共に、先生を異端視するようになったのです。それ以降、霊界から啓示を受けていた神霊集団の人たちは、全部先生の行く道を塞ぐ運動をするようになりました。それで、統一教会の先生の家庭はキリスト教によってめちゃくちゃになり、神霊的な路程の出発が破壊されてしまいました。ここから十四年間すべてが反対したので、レバレンド・ムーンは一人で、基盤を整えることができず、待ったのです。 監獄からの再出発 それで、解放後神霊集団をつくって、その霊的活動をするなかで、「エホバの夫人である。」と宣布する群れがいなければならず、また、そのような便りが北の方になければならないと思っていました。内的にはともかくとして、外的にでもそうしたアベル的集団がいなければならなかったのです。それで、「北韓にそのような信仰者の集団がある。」と言うので、先生は一九四六年に北韓に入りました。 そこで先生は、かつて「主がこのように来られる。」という啓示を受けていた神霊的な人々を集める運動を始めたのです。そのために、霊界ではとても忙しくなり、人々を送って先生のもとに集めようとする運動が始まったのです。それに対しどれほどの反対が起こったことでしょう。 その間、一九四八年九月九日に、北韓では共産党を中心とするサタンの主権が立てられたのです。そして、その年の八月十五日に韓国が樹立されました。このようにして、二つの政権が分立したので、それ以来世界は完全に二分するようになりました。それで、先生はサタン世界に行って再び条件を立てるのです。イエスは十字架で死んだ後に、失われたすべてを回復したのですが、先生は死ぬ前に監獄に行って、十二弟子を始め、すべてを取り戻して来なければなりません。だから、サタン世界に行って、そこから復帰歴史を成して行くのです。 このようにして、韓国の三十八度線を中心として北と南とに分かれることによって、共産世界と民主世界が分立されました。北韓においては、金日成がサタン側の再臨主の立場で“サタン側の父”として立ち、南においては、“神側の父”の形として来られるのです。そして、今までの基盤を再蕩減して、世界的な対立の中において収拾し、四十年期間を中心として、そのような環境を世界的に越えてゆく蕩減条件を立てなければ世界に行く道がないために、それを成してきたのが今までの統一教会の道であったのです。 それで、ここにおいて教会(創立)の条件として神の役事によって、復帰世界においても、外的な世界において、北韓の国の代表の中から神霊的、アベル的立場の人物を天が捜し出して、蕩減条件をなす人物として立て、各教派に連結させることによって、南の国家と連結することのできる出発が始まるのです。それが統一教会の歴史です。北韓においては、監獄に入れられて、南韓から再出発することのできる蕩減基準を満たすことによって、韓国における統一教会の新しい出発がなされたのです。 神の日を迎えるまで それで、解放後十四年になれば一九六〇年です。この十四年というのは先生において長成期完成級の基準でした。なぜ十四年後だったのでしょう。七年路程においての最初の七年は旧約時代に相当し、次の七年は新約時代に相当します。イエス様の新約時代に該当する長成期完成級を中心として、全国家と全体が反対する中で、失われたものを再蕩減して奪って来るのです。このようにしながら、各教派の神霊集団において蕩減条件を成す立場の人物を全部収拾して、条件だけ立てるのです。そして、統一教会において再度育てながら、新しい世界運勢圏へと基盤を形成して世界にまで行かなければなりません。こうして統一教会の世界的版図が成されるのです。 次に、二次にわたる七年路程において、韓国国家を代表して、イエス様が失った霊的・肉的基準を連結しなければならなかったのです。たたえ、その前日まで先生が監獄にいたとしてもいいのです。先生は、イエスの十二弟子の背信を蕩減復帰しなければなりませんでした。十二弟子が皆反対したそういう中において乗り越え、捜し出していくのです。そこにおいて、十二弟子を中心として、三十六家庭が編成されました。それによって、旧約時代、新約時代、成約時代の横的な条件が立ち、イエスが死なずして働くことのできる段階に入って行くのです。 それで、お母様を迎えて、初めて着陸の基盤が構築され、霊肉を中心とした国家に向かって前進が始まるのです。そうしながら、父母の日、子女の日、万物の日を形成し、神の日に向かって前進しつつ、祝福と連結させながら条件を成して来て、一九六八年に神の日を制定したのであります。ここから、(統一教会は)世界時代へと前進して行ったのです。 国家基盤から世界基盤へ そして一九七四年からは、一九六〇年プラス十四年ということで、国家基盤を中心として、霊肉実体を連結させて、世界的な時代へと越えていく、蘇生、長成の重要な時となるのです。当時、韓国におけるキリスト教は、霊的基盤しかなく、実体的な基盤はなかったのです。しかし、先生は韓国において蕩減条件を立てて、実体基盤を中心とした国家基準まで来るようにしたのです。そこで、ここに霊的世界基盤を連結しておかなければならないのです。キリスト教が反対したことによって、世界が反対したことになります。それで実体として、実際に実体基盤を韓国において造っておいたので、霊的基盤の世界基盤の中心地、アメリカにこれを連結させなければなりません。そのため、一九七四年を起点として、アメリカを中心に大復興会を催して、各キリスト教会において歓迎されるようになったのです。 霊的キリスト教が歓迎することによって、一九七一年十二月から一年間において全体の歓迎を受けたのです。レバレンド・ムーンが話す時は、千名以上集って来て、全体の歓迎を受けました。イエスがイスラエル民族の前に、国家的次元において失った肉的基盤を蕩減復帰するためには、このようにキリスト教の霊的世界的な基盤を、この韓国において形成された肉的国家基盤に接ぎ木することによって、世界的肉的基盤の形成に向かって出発しなければならなかったのです。これが原理なのです。 そうすることによって、韓国が国家的に、またキリスト教が反対することによって、世界的に引っかかっていたすべての内容を、アメリカにおいてことごとく歓迎されることによって解くと同時に、このアメリカの霊的世界基盤を韓国の実体基盤に接ぎ木することができるのです。 韓国は、七〇年代までに霊肉を中心とした国家基準まで蕩減復帰しました。その段階へと越えていったのです。そのために七〇年代を中心として、祝福家庭を全体動員して、国家全体へ向かって動員して、国家が反対するのにもかかわらず成したのです。これが三年路程の蕩減なのです。 このような基盤を整えたために、霊的基盤を中心として韓国は連結されたのですが、まだ、世界的な霊的基盤が整っていなかったのです。そこで、アメリカに来て歓迎を受けて、霊的基盤を連結させると同時に、国家基盤の上に実体的世界基盤を出発しなければならないのです。それはどういうことかといえば、国家的基盤における反対を世界的に蕩減復帰することなのです。そこで、一九七四年にアメリカで歓迎を受けることによって、ここから西欧社会の機動隊を中心として連結させて行くのです。 それで西欧社会に行って、ここで肉的蕩減条件を立てることのできる国家的次元に立って、世界に出ていくことのできる蕩減条件を立てなければなりません。一九七四年九月十八日、この時を中心として、先生がアメリカに来て、実体キリスト教文化圏である外的な政府を相手にして闘っていくようになるのです。 二千年前には、ユダヤ教とローマが一つとなって、イエス様を迫害して追い出してしまったのですが、現代においては、アメリカとイエス当時のユダヤ教の立場であるキリスト教が一つとなって、イエスの立場に立っている統一教会に反対したので、これを蕩減復帰しなければなりません。そこで、アメリカ政府とすべて連結されている韓国の政府と闘うようになったのです。 しかし、機動隊が行った時、韓国政府は私たちと一つとなって既成政会と闘いました。一九七五年六月七日、ヨイド広場における、世界的勝利の版図である六十二カ国と二百万の歓迎の群れを勝利の基盤として、アメリカに来て、実体世界基盤を蕩減復帰する路程を歩み始めたのであります。当時、キリスト教が反対したのですが、政府の後援の下で、完全に勝利の基盤を整えることができました。 そのようにして世界路程を出発して、ヤンキー大会とか、ワシントン大会を世界全体が反対する中で開いたのです。全体の反対をものともせずに、ワシントン大会による大勝利の段階へ入っていきました。その時が七六年です。 カナン福地に行く準備のための闘い 一九四五年から三年間摂理が延長されて、一九四八年に韓国政府が樹立されたので、一九八八年まで、この四十年間に三年を加えた四十三年間の期間において、すべてを蕩減しなければなりません。一九八八年までに、すべて決定づけなければならない闘いをしているのです。それで、解放後の四十三年間において神の国を捜し、国民を捜し、神の主権を捜さなければなりません。それに命を懸けて成していくのです。一九八五年は、国民に、カナン福地を目指して前進して行かなければならないことを通告する運動を始める年なのです。カナンの地に出ていかなければなりません。 一九八三年から三年間を中心として、カナン福地に行くための準備のためのこの闘いが、統一教会におけるすべての中心となるのです。アベルのすべての中心となるのです。イスラエル民族がカナン福地に向かう時に、エジプトにおいて出動命令を聞いて、皆が出て行きましたが、私たちの力では全体に通告することはできないので、既成教会の責任者たちと私たちとを連結していかなければなりません。 これを連結させるために、興進様が蕩減路程として昇和され、先生が蕩減を払いながら監獄の中で歩んでいるのです。既成教会と統一教会というカイン・アベルが、一つにならなければならないのに一体化できなかったので、これを蕩減復帰し、カイン・アベルを一つにしていくためには蕩減条件を立てなければなりません。そのために興進様の犠牲と、先生の投獄の路程が始まるのです。そうすることによって、キリスト教と一つになるのです。そうなれば宗教迫害ということはあり得ません。ばらばらになっているので、最後の日に、反対するものを解いてあげて、統一教会と一つになった群れとなって越えていくのです。数多くの宗派を立てて、復帰歴史をなしてきましたが、そのすべてが失敗したのを、先生一代において、統一教会を中心として蕩減復帰して、世界的に、名実共に蕩減歴史がこのように成されていったという事実を皆さんは聞いているでしょう。それらの結着をつけることのできる時を迎えたということは、どれほど摂理史的に意義があるかを皆さんは知らなければなりません。 今、先生が監獄の中において、行なっていることは何かといえば、宗教の連合をなしながら、これからのアメリカが一つの理想の道へと行くことのできる準備をしているのです。それにはカインとアベルが一つにならなければなりません。統一教会とキリスト教が一つになることによって、アメリカから世界の行く道が決まるのです。カインとアベルが一つにならなければ、次の次元へ越えていくことができません。だからこの期間がどういう期間かといえば、統一教会と既成教会のカイン・アベルを一つにするための条件を立てて越えていく期間なのです。これさえ越えていけば、神の国を捜すことのできる段階へと入っていくのです。 一九八八年になれば、キリスト教が一つとなって指名する国家的指導者が誕生し、その時にはカイン・アベルが一つとなって、世界の民主主義の問題を処理する時代へと越えていくのです。終りは告げられるのです。つまり、キリスト教がアベルとなり、政府全体がカインとなりますが、これが一つになるから、共産世界は存在できなくなります。共産世界は崩れてしまうのです。だから摂理史的に見るとき、今が最後の時である、ということを知らなければなりません。分かりますか。(「はい。」) それで先生は、この道を、愛を中心として犠牲になりながら行くのです。犠牲と愛、怨讐を愛し、怨讐のために犠牲になる精神で行くのです。日本人と韓国人が怨讐であり、日本人とアメリカ人が怨讐であり、アメリカ人とドイツ人、これらの怨讐が一つとなって、ここにおいて神の国の伝統の基盤を、愛の伝統を築かなければ、神の国は出発することができないということを知らなければなりません。そのために出発するこの国に対して、サタン世界が讒訴することも闘うこともできないのです。それはなぜかといえば、怨讐同士が一つになったからです。サタンというのは怨讐を作るのですが、ここにおいて怨讐をなくしていくのです。これが異なるのです。分かりますか(「はい。」)ここにおいて神の国の伝統を作っておけば、それで終わりなのです。これからは世界的レベルで、そのような基盤を整えなければ、理想天国理念が出動できないという事実を知らなければなりません。 これらの怨讐同士が集まって、アメリカを救ってあげるというのです。アメリカを救おうとしている私を牢屋に入れてしまったので、私が出獄する時、世界が歓迎する日には、神の国の出動が始まるのです。私が出獄しない間は、世界はまだそのままです。 統一教会は跳び上がっていくのです。キリスト教と一つになるその日が来れば、自動的に先生は出獄するでしょう。キリスト教のすべての牧師たちに通告することが延長すればするほど、先生は出て来ることができません。そのように思って、歴史的にこのように重要な時期に来ているので、皆さんの前に通告する重要な時間であることを知って、はっきり理解していただきたいのです。私たちはそれを成していきましょう。(「はい。」)では元気で。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.09
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「祖国創建と神の日」1985年1月1日神の日(第十八回) 午前九時ワールド ミッションセンターにて 今朝のメッセージのテーマは『祖国創建と神の日』です。皆さんが知っているように、きょうは正月でもあり、第十八回目の神の日でもあります。 皆さんは原理で学んだことと思いますが、人間の始祖が堕落しなかったならば、その時から『神の日』が始まって、『父母の日』『子女の日』『万物の日』という順番になっていたはずであります。しかし人間始祖が堕落したことによって、反対の復帰路程を経てきたのです。もしその時に、神の日や父母の日が始まっていたならば、アダムとエバの家庭自体が神の日の中心となり、その家庭が一つの氏族の中心であり、国の中心であり、世界の中心であり、天と地の中心であったということを皆さんは知らなければなりません。アダム家庭は天と地の上に立てられた家庭であり、一つの世界の上に立てられた家庭であり、理想的な家庭なので、アダムとエバが二人して歩くということは、全世界が従って歩くことであります。ではアダムとエバが歩く時、神様はどうでしょう。神様は、アダムとエバに「散歩に行くのか」と言うのでしょうか、どうでしょうか? 神様もアダムとエバと共に歩かれるのです。 皆さん、空気は見ることができませんが、すき間があればどこにでも入り込めるのです。空気は見えないからないのではありません。空気は有るのです。分析すると、あらゆる元素が入っているのです。しかし神は空気よりも、もっと見えないのです。そうでありながら空気以上に通じることができるのです。すき間があれば、すべてを満たすのです。このような力をもっていると思うのです。あなたたちが顕微鏡で見れば、細胞には穴がいっぱい空いています。たくさんの空間があるのです。細胞を何千万倍に拡大すれば宇宙のようになるでしょう。だから皆さんが歩く時には、全宇宙が歩いていると思わなければなりません。アダムとエバが歩く時、彼らが本当に一つとなって歩いているといえるのはいつでしょうか? それは、二人で歩きながら、「宇宙よ! 私を見なさい。一つとなって動いている。一つとなって歩いている」と言う時です。その時、宇宙の全部が注目するのであります。そして全宇宙は、「見てもよく、感じもよいので私について行きたい」と言うのです。被造物は彼らが一つとなって歩いているので何か幸せと喜びを感じます。彼らと共にあることが、宇宙の被造物にとってもうれしいのです。 ではいかなる時に二人が一つになることができるのでしょうか? (愛の力です)。そうです。しかし一つ抜けました。それは真の愛の力です。愛といったら、今日のアメリカの愛もあり、韓国の愛、日本の愛といろいろの種類があります。それは真ではありません。真の愛というのは、神様も“うんうん”と頷き、そして地獄にいる人たちも“うんうん”と頷き、すべての人々が頷くものです。何の力が二人を一つにすることができるかといえば、真の愛の力が一つにすることができるのです。「先生! それは間違っています」と言う人がいますか? (いいえ!)。目に、「あなたは何が一番好きですか」と聞いたら何と答えるでしょうか? 女性の目だったら、答えはダイヤモンドでしょう。しかしダイヤモンドがいくら素晴らしいといっても、真の愛より劣るのですね。直ちに百パーセント、右の目と左の目が一つになることができるのは真の愛しかないのです。また手がこのように離れていても、「手よ! 何が好きか」と問えば、「私はそれほど好きなものはありません」と答えるかもしれません。「では真の愛も嫌いか」と言えば、手は直ちに一つになります。(笑い) 目の焦点、手の焦点、鼻の焦点、耳の焦点、すべての思考の焦点、全宇宙の焦点がここにあるのです。全細胞が百パーセント動くことのできるのは、真の愛を中心とする時です。その時、全細胞の神経が百パーセント一つになるようになっているのです。 それで人間を見ると、心と体の二重になっています。考えも、高いもの低いものと二重になっています。しかし、どこかで一つとならなければなりません。神様はなぜアダムとエバが歩く時に、ついて歩かれるのでしょうか? 「神様いわく、私はお金が好きだ」。聖書にそのような話が書いてありますか? (いいえ)。(笑い) また、「知識が心要だ」「権力が必要だ」と書いてありますか? (いいえ)。神様にはすべてがあります。もしなければ、また作り出すし、いくら与えても永遠にあるのです。 皆さん、知識は何をするためにあるのですか? それは愛を誇るためです。では、力は何のためにあるのですか? それは愛を現すためです。お金があるのは、愛を分けるためです。そのため必要なのです。そして人の心と体は、愛の茅が出て一つとなれば、神がそこに臨在されます。では真の愛に聞いてみます。「真の愛様、あなたが神様を支配されますか。それとも神様の支配を受けますか」と。真の愛様が言うには、「神様も私の支配を受けるでしょう。ワッハハハ――」。(拍手と笑い) 既成教会の牧師が聞いたら、「何と神様を冒涜する言葉だろう、これはとても許されないことだ。異端だ!」と言うことでしょう。(笑い) しかし神様の観点から見たら、そのような牧師たちこそが愛の異端者です。ではレバレンド・ムーンは何でしょうか? 異端の反対は何ですか? 何と言いますか? 皆さん考えてみましょう。真実、本物です。だから先生は中心的な存在なのです。神様の観点から見れば、先生が主流です。(拍手と歓声) 真の愛に心が一つとなり体が一つとなって、真の愛の相対を訪ねて行く、その立場がどういうものであるか考えてみなさい。 あなたたちはパートナーが必要ですか? (はい)。事業をするにしてもパートナーが、話をするにしてもパートナーが、喧嘩をするにしてもパートナーが、すべてにパートナーが必要なのです。ところでその中でも最もよいパートナーは何かというと、真の愛のパートナーです。愛は段々段々と高く上っていきます。そしてまた、愛は低い段階にもあります。しかし最も理想的なパートナーとは、最も高い段階の愛と最も低い段階の愛です。これを一つにすることが最も理想です。一つとなって、愛をもって回ることが理想であります。(拍手と歓声) そうだとすれば、皆さん気持ちが良いですか、どうですか? 味が良いですか、悪いですか? (はい、良いです)。すべてが良いですか? (はい)。だから男は背が低く、女は背が高くなければなりませんね? (笑い) これはアメリカの女たちの考えです。(ノー)。(笑い) アメリカの女たちがレバレンド・ムーンを一番嫌うのは、女たちを対象の位置に置くからです。(笑い) だからアメリカの女たちが言うには、「神様が人間を創造した時に、神様は愛を中心として創ったので、先に女を創ることを考えて、女を創ったのである」と。(ノー)。先生は知りませんよ。(笑い) 背の高いアメリカの女たちが、更にハイヒールを履いて、そして身をかがめて小さな男にキスしている姿はあまりいいものではありませんね。理想的には小さな女が高いハイヒールを履いて、そして背伸びしながら背の高い男と抱き合う。これが理想的ですね。(はい)。(拍手) だから女性の皆さんが男性よりも背が高すぎる時は、愛の行動を示そうとするとちょっとおかしいわけです。女性は小さい方が可愛いのです。(笑い) アーメン。そうでしょう? (アーメン)。お正月にたくさん笑えば、一年十二カ月が良いという東洋の格言があるので、先生はこのような話をしているのです。 創造において、アダムとエバは宇宙を代表する小宇宙です。それに対して、宇宙を包み込む大宇宙があります。大宇宙の中には小宇宙も入っているのです。大宇宙の中心は神様です。だから小宇宙と大宇宙は同じような性質、神様と人間は同じような性質をもつべきです。そして一つになることができるのです。大宇宙と小宇宙は一重になっているのです。そこには神様と人間が一体となることができる中心があるはずです。それは何の柱でしょうか? (真の愛の柱です)。そうです。真の愛の柱しかありません。 こういう話をすれば、神様は「レバレンド・ムーン、どうしてそんな話をするのか。私の人格の冒涜だ」と、言われるでしょうか? (いいえ)。神様は不愉快な顔をしているでしょうか、それとも右の耳から左の耳まで口が張り裂けるように微笑んでおられるでしょうか? (はい、微笑んでいらっしゃいます)。口がどんどん横に広がっていけば、目は細くなってきます。(笑い) それで目をつむるようになります。(先生がしぐさで現す)(笑い) では、アダムがお出掛けになる時、後からついて来たエバは小さいので、アダムが歩くその影に入ります。それは何を意味するかというと、考える必要はないということです。従っていけばよいのです。男は考えながらゆっくり歩きますが、女は考えることをせずついて行かなければなりません。(笑い) きょうの話は聞いてみると、女を一番無視する話ですね。(問題ありません)。それは皆さんがムーニーの女だから問題がないのですよ。だから女は一つのことを知るべきです。つまり、二つを追うべきでなく、一つの目標に向かってただひた向きであるべきです。一つの方向とは何ですか? それは真の愛です。それが一番です。一番好きでなければなりません。それで万事がオーケーです。 だからアダムを追い求めるのは、義務であり喜びであり、使命なのです。どんなにひた向きになって求めてもいいのです。何のためですか? それは真の愛を成就するためです。では真の愛はどこから来ますか? それは相対から来るのです。自分から出てくるのではありません。愛は自分のものではありません。男も真の愛が必要なので、小さいながらも一生懸命についてくるエバを持ち上げて自分と同じ立場に置くのです。為に生きなければならないのです。相対から愛を見いだすのです。このような論理は神と人間との関係から見る時、神が創造主で人間は被造物ですが、神の愛は相対を通さなければ見いだすことができないのです。神様自身も相対を求めなければならないというこのような論理があるから、上下、左右、東西南北至る所においても、良いものとして結論づけられているのです。だからこれが理想の核心となることができるというのが理論的なのです。 神様はアダムとエバを愛のために創造されました。そして片方にアダムを、もう一方にエバを最も愛らしい存在として創られました。アダムが可愛らしいので抱き上げて歩き、エバも可愛いので抱き上げてどこへ行くのかといえば、地獄に連れて行くのですか? 神の国の宝座に連れて行くのですか? (天国です)。天国の宝座です。宝座に座っていたら、「アダム、エバよ、あちらのもっと下の方へ行け!」と追い出すでしょうか? (いいえ)。アダムは神様の右に、エバは左に座り、神様の周りを回るようになるでしょう。だからこのように立った時はアダムが後で、エバが前です。天地の調和がそうなっているのです。それでアダム・エバが成熟すれば、神様が臨まれます。神様を中心として二性性相を受けているので、一つとなり得る力は神様御自身の愛の力であり、アダムとエバを中心として神の男性性相が臨在して、一つとなるために女性性相をだんだん引っ張ってくることができるのです。 アダムが完全に成熟したら誰の手を握りたいと思うでしょうか。エバも成熟してみると、昔は兄さんだと思っていたアダムが、ちょっと違うのであります。アダムもエバも幼い時は、おもちゃを探しました。皆さんのこのごろのおもちゃはタンクとか、飛行機などですね。子供はそのようなおもちゃが好きだから、神様はおもちゃを創っておく必要があるんです。昆虫も神様が創っておいたおもちゃなのです。雄と雌がいて、(先生がしぐさされながら)雌を踏み付けようとすると、雌は雄の後ろに行って隠れるんです。(笑い) そこで、“ああ、困った時にはお互いで隠れたり、保護したりするようになっているのか”と学ぶのです。動物も同じです。鹿も猛獣に襲われた時に、相対同士拍車を合わせて飛ぶように走るのです。雄は前を、雌は後から、「どうか早く走ってください。私はついて行きますから……」と。それはどれほど素晴らしいことでしょう。また春になると、背を合わせて二匹が一緒に寝ようとしたり、角を合わせたりもします。じっと見るとき、それらのすべてから学ぶことができるのです。あら! 不思議だ、子を生んだ。(先生しぐさで……)乳を飲ませる。(笑い) 子供がお乳をホースに入れて奪っていっても喜んでいます。それはなぜでしょうか? 愛するからです。 このように、すべての自然に雷が鳴ったり、稲妻が走ったりするのも愛のためです。天地が愛をしている現象です。雷の音がどれほど大きくとも、神様と人間が愛する音というのは、その雷の音よりも大きいでしょう。宇宙のすべてが暗くなるのは、その後に明るくなることのできる動機となるためです。それはどれほど素晴らしいことでしょう。神様が愛する音は喜びに溢れています。鳩が愛し合う時、「グッグッグッ」と鳴きますが、もし神様の愛の音が聞こえたならば、一番大きな音でしょう。全神経細胞が一度に爆発して出る音は、どれほど大きいことでしょう。 皆さん、愛を教育するための宇宙の博物館があると考えてみましょう。そこにある、一つ一つの被造物はどれほど素晴らしいでしょうか? そのような愛の中に家庭が入って、永遠に生きたいと言うでしょうか? (はい)。その愛の中に、国も入って生きたいでしょうか? どうですか? (はい)。「この世界もそのような愛の中に入って永遠に生きたいです」。(はい)。「天と地もそのような愛の中に入って永遠に生きたいです」。(はい)。「神様御自身もそのような愛の中に入って生きたいです」。(はい)。それは何ですか? それが真の愛の博士です。真の父母です。(拍手と歓声) 愛の哲学を中心として、博士の論文をパスしたのです。今まで先生が話したことは、神様の愛を中心とした博士論文であります。神様の前に提出して、パスした論文であります。(拍手と歓声) これはどれほど素晴らしいことでしょうか。これに対して「ノー」と言う人は手を挙げてみなさい。この世で一番低い所はトイレでありますが、その一番汚い所でも、「あなたは真の愛が好きですか?」と言うと、「はい、そのとおりです」と答えるのです。そのようにすべてが昔から好きであり、嫌いだというものがないのです。しかし、一つだけ好きではないというものがいます。それがサタンなのです。皆さんは真の愛をよく知っていますか? 真の愛を思う人は宇宙側であり、神側であります。また、真の愛を訪ねていく人も宇宙側であり、神側であります。真の愛を中心として喧嘩をし、殴ったりしたとしても、それも神側です。 真夏に男の人たちが、一日中外で仕事をして、家に帰ってきて靴下を脱ぐと大変いい臭いがするでしょう。その足を妻に見せて、「お前! 臭いはするが、真の愛は好きだろう?」と聞けば、「そうです。言うまでもありません」と答え、「ハハハ」と笑います。真の愛の匂いの前には、他の匂いがどんなものであっても構いません。(笑い) この中で結婚している人は手を挙げてみなさい。妻は愛する夫の足の臭いが近づけば、“まあ!”と嫌がらないでしょうか? (笑い) 真の愛というのは不思議な力があります。それで好きなのです。神様もその不思議な味を味わっているのです。皆さんは不思議な味が好きですか? どうですか? (はい、好きです)。女の中には目をつぶって喜ぶ人もいますね。先生の話が正しいと認められますか? ここに座っているアメリカの女の人たちどうですか? (はい)。手を挙げてみなさい。男はどうですか? (はい)。(拍手と歓声) この天地が、そのようになっているということが分かりましたね。創造主である神様がこういうお方であるということが分かるようになりましたね。愛の風呂敷がどれほど大きいのかというと、神様、この宇宙を入れても余るほどに大きいのです。神様は電気や、光を創りました。非常に早い速度で創ったのですが、それは、神様よりも早いでしょうか? 神様の方がもっと早いでしょう。しかし、愛の圏は、どれほど速いスピードであったとしても事故にならないほど大きいのです。分かりますか? 何の話か。そのようになっているのです。それで神様も愛のロープのように回っています。いくら愛する人であっても回るようになっていて、直線にはなっていないのです。 真の愛をもった人は、宇宙を所有します。宇宙をもっている人は宇宙を主管していることになります。どうですか? 神様がどれほど大きいか分かりますか? 私がここに座って静かに考えれば、神様はそれを知って“すっ”と私の所に来るのです。それはどれほど幸福なことでしょうか。不幸なことでしょうか?(幸福です)。今日の地上生活は、このような愛を訓練させる広場に生きている人生なのです。そこで、統一教会においては、「世界のためになりたい」と言います。「世界のために犠牲になり、世界のためにすべてを捧げなさい」と言います。なぜですか? なぜそうしますか? それは、世界の人々、世界を復帰するため、世界的な愛を探すためです。 昨日もお話しいたしましたが、なぜレバレンド・ムーンはこの反対するアメリカに来て、資本を投じて、悪口を言われながら、このようにアメリカのために尽くしているのですか? それはすべてアメリカのためであり、世界のためなのです。先生は怨讐を愛するために完全に百パーセント丸くなっているのです。引っ込んだ所がないのです。陰の部分も、平たい部分も丸いのです。だからイエス様も怨讐を愛したと言うことができたのです。私が立っている所は、垂直に昇ることのできる道にも通じています。このように生きて、訓練がよくなされていれば、霊界に行っても永遠な丸となって、昼夜休みなく二十四時間、自由にこの全宇宙を管理しながら、旅行しながら、愛を中心として友達となって生きられるのです。それが本然の理想郷なのです。このような理想世界が堕落によって壊れて、神様の血統となるべきであったのがサタンの血統になってしまったので、この目はサタンの目となってしまい、この耳もサタンの耳となってしまいました。すべてのこの四肢は、サタンが好むものについて行くようになったのです。この全宇宙を捨てて、無限に縮小された自分個人を中心として硬く固まっているのが堕落なのです。自分自身のために生きるその目は、それは宇宙が嫌うのです。だからこの目、この四肢をみんな切り離してしまうのです。これが地獄の柱となったのです。愛の宇宙を立てる柱の代わりに、憎しみの柱、地獄を成す柱となっている事実を知らなければなりません。このように誤っているすべてを改めることはどれほど困難なことでしょうか。細胞を全部漂白剤で百パーセント漂白しておいたとしても、その根源が残っているので、また色が染まってしまうことと同じです。 ムーニーは、ここ(爪)に赤くマニキュアを塗ってはいませんね。それはサタンの血が通っているということです。私自身が美しくなければ偽りです。愛を復帰すれば美しく見えないものはありません。愛する母親の胸には汗の匂いがしても、たとえボロをまとっていたとしても、その懐に入って眠りたいのです。そのボロの服を見て、「お母さん、十年だけ待てば絹の服に代えてあげるから。全部香水で塗ってあげ、金で飾ってあげるから」と言うのです。そうして、愛が懐かしくて人類と共に宇宙と共に愛を謳い、愛を探し求めて狂っている方がいるとしたら、それは神様一人しかいないであろうという結論が出ます。 このような理想の一時に、喜びの拍車を合わせる理想的な愛をなくし、すべてが破壊と矛盾の環境を作ってしまったこのことを見る時、神様はどれほど悲痛でありましょうか。あなたたちがこの話を聞いた時、「それは事実ですか。私は今初めて知りました。私はそのお方の前に開拓をし、それを取り戻す橋となり、足台となって百回千回死んだとしても己を犠牲にしてこの復帰の道が進むなら私のすべてを捧げることを願い、いかなる犠牲をも感謝いたします」と言えるとすれば、神様はどうでしょうか。そして、「神様、あなたは全知全能のお方であられるのに、すべてが壊れてしまいました。私はあなたの側の天使の仕事を代身し、アダム、エバが完成するその立場を代身して、あなたが創造の能力を発揮することのできる第二の愛の道を作ったらどうでしょうか」と提案してはいかがでしょうか。何が心配なのですか? 天使が堕落したことで、「私は天使の百倍以上やります」と言う人がいたらどうなるでしょうか。天使より以上の愛の世界を成す対象となってあげようとして、「神様できますか? できませんか?」と尋ねたら、神様はどんな返事をなさるでしょうか。愛を成せなかったら「ノー」でありますが、愛を成し得たならば「ノー」ではありません。「自分の利益よりも次元の高い愛の理想世界を成してあげましょう」と言えば、神様は「ああ、それはいい!」とおっしゃるでしょう。「では、この世を全部壊してしまったらどうでしょうか?」と言えば、「それはいけません」と答えるでしょう。「私がこれまで以上に愛して、サタン世界をみんな引き込んでいきます」と言えば、神様は間違いなく「やりなさい」と言うはずであります。決して「やるな」とは言いません。神様はそういう道を通して、創造時の困難さ、それ以上の力で援助してくださるのです。神様がそれ(創造)以上にもっと大きな仕事をなされるという時、それ以上に大きな仕事とは何でしょうか? 神様が言うに、「私は喜びの中で天地万物を創造したが、あなたは悲痛な中で天地万物を再創造し、その中で創造したものがアダムとエバ以上になるならば私よりも偉大である」。そういう立場がレバレンド・ムーンです。先生はそういう考えをもっています。(拍手と歓声) 歓喜と栄光の立場で創造の喜びを見つけるのではなく、悲痛と絶望の中において喜びの世界を創造していくのです。これが統一教会の行く路程であります。(拍手) それで、レバレンド・ムーンは長い歴史を人類世界において堕落していない一人のアダムを探し出すために今まで役事してきたのであります。レバレンド・ムーンは今日どれほど失ったアダム、エバを取り戻したことでしょうか。何千、何万双とつくっています。(拍手) 神様はアダムとエバを祝福しようとしてこられましたが、レバレンド・ムーンは数万双を祝福いたしました。(拍手) 皆さんは、絶望の中で新しく創造した統一教会の群れなのです。正にモーセの時のようであります。これは堕落世界では考えることすらできないことです。分かりましたか?(はい)。 あなたたちは、この真の愛を復帰する運動に入籍しましたか。まだ入籍しようとする人ですか。どちらですか?(入籍した者です)。入籍しようとする人ですか?(入籍しました)。では入籍した人は手を挙げてみなさい。はい、下ろしていいです。では一つ聞いてみましょう。一九八五年になって、先生が監獄から出てきたので、“間違いなく「頑張りなさい!」と押し出すだろう”と思うことは当然です。(拍手) もし、先生が皆さんをあまりにもやさしく取り扱い、容易なことを言っているだけだとしたら、先生が監獄に押し込んだすべてのサタンたちがみなここについて来ます。しかし先生が今まで以上に強くプッシュすることによって、サタンが出てこなくなり、ここにいるサタンが楽な所を求めて、地獄の監獄の先生のそばに集ってくるでしょう。みんなここから出て、監獄に行きます。(拍手) 私たちはサタンと追っ掛けっこをしているのです。そして、サタンを監獄まで追い払っていこうとしているのです。どうですか、気持ちがいいですか?(いいです)。悪いでしょう?(いいえ、いいです)。どれくらいいいですか?(非常にいいです)。それならば、これで先生は今朝の仕事を終えたことになります。皆さん方が本当に一生懸命にプッシュして、ひた向きな心をもって献身するならば、もはやサタンは皆さんについて来ることはありません。サタンは行く所がありません。行く所がないので先生がいる刑務所に来るでしょう。そうなれば、先生は刑務所の中にいる囚人たちすべてを神の道に行くようにプッシュします。そして彼らが、今度は刑務所からサタンを追い払うようになるでしょう。そしたらサタンは宙に浮いてしまいます。(拍手) 先生は、きょうの説教は十一時までに終えなさいという特命を受けています。(ノー)。私もこれはどうすることもできません。嵐が来るという警報が出たのに、あなたたちは大の字になって眠っていれますか? 安易な生活、楽なことをしているわけにはいきません。きょうの話はみんな分かりましたね。神様のみ旨は再創造ということです。堕落した人間は、再創造して完成されなければなりません。これからは個人をそのような立場において創造しなければならないので、新たな家庭を創造しなければならないし、氏族を創造しなければならないし、民族を創造し、世界の人類を新しい種子として創らなければならないのです。今、世界で一番の問題は何かというと、五色人種を一つにすることができないということです。統一教会の文先生は五色の人種を一つに束ねなければなりません。何をもってですか? それは愛をもってです。真の愛という命題をもって、五色の人種を一つに束ねたというこの事実は、歴史上においてサタンも成すことができなかったし、神様も成すことができませんでした。ただレバレンド・ムーン一人なのです。(拍手と歓声) レバレンド・ムーンによって、「感謝です!」と言って結婚した人は手を挙げてみなさい。サタンがこれを見たらどうでしょう。驚くでしょうか、驚かないでしょうか? (驚きます)。大変なことになっています。サタンが言うには、「私が今まで、この世の壁という壁を、夫婦の間においても、国家間においても、白人、黒人、黄色人、五色人種すべてを、また動物にまでも壁を作っておいたのに、ムーニーというもぐらたちが来て、すべての壁に穴を開けたので全部開かれてしまった」と。天と地においても同様です。それは何をもってかというと、真の愛という鋸をもってです。そしてそっと抜け出したのです。それからその穴を全部愛の唾を付けて塞いでおいたのです。そこへサタンが入ったら、「ウワッ!」と言って逃げ出すようになっているのです。そしてサタンは行く所がなくなってしまいますが、ムーニーたちはイギリスであろうが、ドイツであろうが、どこにも行けるのです。もう境界線はありません。限界はありません。サタンは最終的に息切れをするのです。 レバレンド・ムーンは、アメリカの地獄に行ってもすべてに唾をつけて穴を開けるのです。その穴は一つだけではなく、二つ、三つとだんだん多くなっていくのです。一度に二人が出て行くことができないので、もっと速く大きく開けなさいと言って益々その真の愛の穴を大きく大きく掘ろうとしています。そしてその穴から出る時、男と女でとか、白人と白人でとか言いますか? 白人も黒人もありません。どんな風呂敷をかぶってでもその穴を抜け出さなければなりません。分かりますか? 目をつぶってついて行かなければなりません。その門は二人で出るようになっていて、それ以上は出られません。そうですか? アーメンですか?(アーメン)。アーメンということは、あ! オンマヤ(あ! お母さん)ということです。あ! オンマヤということは、私は愛が必要であるということです。 それで、いかなる国であっても、家庭が行く門は全部開いています。世界中いかなる国であろうとも、統一教会が通ることのできない壁はなく、家庭が通ることのできる穴をすべてに開きました。その穴はどこの誰が開けてくれたのかというと、本郷の親戚の氏族たちが来て開けてくれたのです。そして、どこへ行くのかといえば、本郷の地に行くのです。それで早く穴を抜け出さなければなりません。アメリカもその国の一つです。世界を支配するような国であってもプロセスは同じです。そこで私たちは、この国の中に大きな穴を掘って、人々を通過させるようにしなければなりません。統一教会のメンバーが一億あるいは、三から四億になったとしたらできないことはありません。そうなれば、各国の大統領は私がいるイースト・ガーデンにいるとしたら、そこに列をつくって並ぶことでしょう。私に会うためにです。そしてお金をどうするかといえば、世界のために使うのです。私のためには使いません。ムーニーのためには使いません。だから世界の人たちが我れ先に集ってくるのです。 祖国というのは、どんな国ですか? それは本然の愛を中心とした国なのです。これからは、韓国もレバレンド・ムーンの力を借りなければ難しくなります。日本もそうです。アメリカはこのような話は聞きたくないでしょう。私がまだ監獄から出ていないので、アメリカがそうであるように自由世界もそうでありましょう。歴史的に見て、過去の人も現在の人も未来の人も、みんなそうでありましょう。神様もそうでありましょう。しかし勝利は私たちのものです。愛でもって祖国を創建すれば、勝利は私たちのものです。愛を中心とした勝利です。その時に、神の日を中心とした目的が成就するのです。縦的にも勝利するのです。 皆さんたちムーニーは先生を愛していますね。(はい)。先生が監獄に行ったとしても変わりませんね! 真の家庭はムーニーへミルクを与える存在です。分かりますか?(拍手) だから誇りをもちなさい。皆さん方は新しい人種なのです。アメリカを天国にもたらそうとしている人たちなのです。なぜ祖国が必要かといえば、統一教会の信者は世界中を旅行することができますが、先生はどの国も自由に行ったり来たりすることができないのです。多くの人たちが先生の行く道を妨げようとしています。先生が来ることを望まない人たちがいるのです。しかし私たちが祖国をもつようになれば、レバレンド・ムーンは国家としての門を開くようになり、世界復帰をしなければなりません。だから祖国が必要なのです。しかしその国は愛が問題なのです。戦いでもって一つにするのではありません。それは、真の愛によって成すのです。霊的父母と肉的父母が一つになって、これが故郷となり、これが祖国となるのです。霊的父母と肉的父母が一つとなって世界に愛の柱を立てて、国を超えて世界を一つにしたのが私たちの理想世界なのです。分かりますか? 何の話か。(はい)。 では皆さんたちムーニーは先生が行く所について来ますか? (はい)。先生はそれほど長く生きないかもしれないのに……。だからあなたたちに国が必要なのです。何の話か分かりますか?(はい)。もし堕落がなかったならば、それは自然に成されたはずであったのですが、今日私たちは一つ一つの逆の道を通って取り戻してこなければなりません。中心として立てたキリスト教を四〇〇年間ローマが迫害して、行く道を妨げました。しかし今日の統一教会の行く道を世界のいかなる国も行く道を妨げることはできないでしょう。今日のアメリカは強力な国で世界中に影響を与えています。しかし『ヤンキー・ゴーホーム』という反米スローガンが各地で見られます。アメリカ人は嫌われるようになってきていますが、ムーニーはこれからいかなる時代でも『ムーニー・ゴーホーム』というスローガンはないでしょう。その代わり『ムーニー歓迎』と言われる時が来るのです。分かりますか?(はい)。どうぞ来てくださいと言われても、ムーニーはそんなに数多くいません。だから彼らの方が訪ねてくる時が来ます。皆さんに反対していた父母たちが、あなたたちの後にみんなついて来るようになりますよ。見てみなさい。ついて来るかどうか見てみなさい。「来てください。来てください」と言っても、皆さんが行かないので、自分たちが来るようになるのです。 先生がダンベリーに入った時は、統一教会の一指導者として入ったのですが、出る時には世界的人物として出ることになるでしょう。これは問違いありません。(拍手と歓声) その峠を越える途中で帰ってきて語っているのが、きょうのこの時間なのです。だからそれを分かって、これからあなたたちも先生以上に自分のダンベリーの峠を作って越えようとする心をもって進まなければなりません。今アメリカのダンベリーは私が作りました。愛の帆を付けて行くのです。私が行くすべての世界は、愛の領域となるでしょう。祖国愛の領域のために行くのです。先生はここにいても、思いはダンベリーのことでいっぱいです。既に穴を開けておいたのでアメリカの国民、アメリカの人々の良心が揺り動かされることになるでしょう。国ごとに伝道することになり、国ごとに次々と復帰されていくことになるでしょう。(拍手) だから先生は今朝の説教を『祖国創建と神の日』というテーマで話しました。最も意味のある内容です。私たちはこの神の日に、神の祖国創建を真の愛をもって成すというそのことを神の前に誓わなければなりません。どうですか?(はい)。私たちには二つの大きな壁があります。肉的な壁と霊的な壁があります。あなたたちは肉的な壁に穴を開けて越えなければならないし、先生は霊的な壁に穴を開けて越えなければならないのです。ダンベリーの内と外から穴を開けて、ダンベリーの峠を祖国創建のために越えましょう、というのが標語になります。この壁を崩して峠を越えれば、すべてが見えます。神の祖国という名が生まれます。 エデンの園で、心と体に分けられた壁が歴史を通して今日、この私たちの統一教会の前に来ています。この時、一度に内の壁と外の壁を突き崩すことをしなければならないのが現代の私たちの責任なのです。これをはっきり知らなければなりません。これを神の光の中で成さなければならないのです。肉的世界と霊的世界の二つを合わせて成していくのです。これをするのは力や、武力や、知識や、お金や、権力でもってやるのではなく、真の愛で成すのです。このような目標に向かって全世界の統一教会の群れは前進いたしましょう。アーメン、アーメン、アーメン。(拍手、歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.08
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「祖国創建1」1985年1月1日神の日 午前零時 祈祷 愛するお父様、ただ今一九八四年を送り、新しい一九八五年の元旦を迎えました。 このように流れる歴史の過程にあって、あなたの摂理の新しい一時として、必ずや私たちと共に勝敗を決しなければならない重大な歴史を織っていった昨年でもあり、今新しい年も訪れました。 お父様! ここには全世界と霊界が注目し、特に統一教会の群れが、新しい年の元旦を迎えるきょうこの時間に、心を一つにして、昨年の足りなさと、過去のすべての足りなかったことをまとめて清算し、新しく訪れる一年を中心として、新しい明日を準備することのできる深重な一時として束ね、お父様の前にお捧げする時となりましたので、ここに御臨在賜わって、あなたが所願なされる一切のみ旨の一つ一つを開いて、「責任をもて! 行け! 成せ!」と命令することのできる、新しい年となることができるように許諾してくださることを、お父様、懇切にお願いいたします。 数多くの歴史路程を通して誰もが成すことのできない中において、統一教会を準備され、すべての悲しみの歴史の事実を蕩減するために、数多くの歴史的先知、先烈たちの殉教の土台の上に、お父様は久しく忍耐されながら歴史を綴ってこられたその背後には、誰にも言えない悲しみの事情、悲痛なる事情、その内的秘められた事情を一人で抱いて、時代が早く過ぎ去ることを願い、訪れる歳月にあなたのみ旨が成されることを、どれほど焦る心でもって期待してきたかという事情をこの息子は知っております。 そのような摂理の途上において、選ばれた一つの群れがイスラエル民族でありました。そして世界の歴史的すべてを収拾するために、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的基盤を形成するために、四千年という期間、どれほど血と涙の流れる歴史を辿ってこられたかという事実を、私たちは知っております。その土台の上に、堕落の恨みをすべてぬぐい去るあなたの所願の一念は、一つの再創造理念を夢見ながら過ごしたメシヤの身であるイエス・キリストの生涯に、どれほど祈祷されたことかという事実を私たちはよく知っております。 イエス・キリストが来られて、イスラエル民族の前に、ユダヤ教の前に、誇らしき歴史的所望のメシヤとして現れることを願ったことにより、イエス・キリストはその教会の前にその民族の前に排斥を受け、再び歴史に恨みを残すことになった事実を私たちは知りました。キリスト教の歴史はそれゆえに、新しい歴史を受け継ぎ受難の道を行くと同時に、霊肉を分立して霊的地上天国に向かって前進しながら、数多くの殉教、先烈たちの血の痕跡を残してきたという莫大な事実を私たちは知っています。 このようにして二千年という長き歴史を経ながら、世界的な蕩減の内容を編みつつ世界的な基盤が拡大されるにつれ、第二次世界大戦の勝利の基盤をもって、キリスト教の主体国であるこのアメリカを中心として、一つの神のみ旨を完結するために、世界的全体的なる責任をすべて委ねたにもかかわらず、アメリカの教界とアメリカの国家が、神の摂理とみ旨を知らず、最後の日に開拓すべき使命がどれほど重大なことかも知らず、神のみ旨と一つになることができなかったがゆえに、今日統一教会がキリスト教と一つにならなければならないという、宿命的運命的な路程に立つようになりましたけれども、統一教会は統一教会、キリスト教会はキリスト教会に分立するようになった、悲しい歴史を私たちは知っております。 更に神様が願っておられた一時の解放とともに、七年路程を中心として、歴史を収拾し教界を収拾して、一つのみ旨の願う基盤を整えなければならない莫大な目標を成就することができないままに、歴史は再び逸れ始めました。それゆえ、今日まで統一教会は、受難の教会であり、追われる教会であり、迫害を受ける教会であり、人間として相対することのできない教会として、果てしない悲しみの道を四十年間辿ってきました。 個人の路程を経て、家庭的蕩減路程、氏族、民族、国家、世界的蕩減路程にまで、復帰してくるのにどれほど苦しかったことか、どれほど悲惨であったことか、そういう事実をあなたはよく御存じでいらっしゃいます。 そしてここに立っているこの息子をして、世界を収拾し、キリスト教を収拾し、再び宗教を収拾しなければならないという、天意と責任をよく知りながら、千辛萬苦の受難の道を、我が生涯の道として受け入れながら辿ってきた悲しみの日々もすべて過ぎ去りました。そのような過程において世界も変わり、歳月も過ぎ去る中、今日まで韓国において教会が迫害してきたすべてを蕩減するため、世界史的なキリスト教を連合できる一九七四年、七五年を中心として、神の摂理の土台を中心として、お父様のみ旨を中心とする新しい一九八五年を連結させ、実体的な世界の復帰路程にまで連結させるためには、どれほど苦労が多く、どれほどの苦痛があったことか再び回想いたします。 このアメリカの地を中心として、政府を中心として、世界を中心として、統一教会は教界を収拾しなければならない責任が残っているので、今日先頭に立って、すべての迫害を甘受し消化しながら、全世界的実体路程の蕩減を払うようにしたお父様。統一の群れの労苦とみすぼらしい小さな姿を見守り、希望を託されていたあなたがどれほど可哀そうであったかを、今一度考えながら、今までの千辛萬苦の受難の道を守ってくださったお父様の御苦労に、今一度感謝いたします。 お父様、一九八四年を中心として、一九八五年までには第二次大戦以後の四十年を中心としての残された三年路程で、新しい世界的カナン福地を宣布しなければならない歴史的な使命を前にして、全世界の統一教会の群れは、アメリカというこの地を中心として東奔西走し、独り寂しい道を走ってきたという事実をよく知っています。八四年は三次路程の二年路程であるために、いかなる犠牲の代価を払ってでも神のみ旨を終結させ、神が願う一つの拠点を作らなければならないことを知っていたので、韓国を中心とした歴史的蕩減と、世界が責任を果たし得なかったすべての蕩減と、キリスト教が責任を果たせなかったすべての蕩減を中心とした全体動員時代を備えるためのすべての歴史であったことを私たちは忘れることができません。 その間、お父様の前に愛する興進君を送り、今このダンベリーの受難の一つの道をあなたが私に任せることによって、このアメリカの教界が新しいみ旨に向かうことのできる場へと戻した事実を考える時、二千年の恨みを残しているイエス・キリストの恨みを解くと同時に、今日この地上に数多くの人類が行くべき道を失い、彷徨していた群れがキリスト教を中心として新しい光明の光を受けて、カインとアベルが世界的路程で一体となることのできる因縁を結べるようになった事実を思う時、蕩減を払うことによって探し出してくださったその代価としてのこの栄光を、私たちが感謝して八五年を迎えることができるよう容納してくださることを懇切にお願いいたします。 このように八四年を結んで、八五年を迎えましたので、この年においては総力を挙げて、未来のための最後の勝利の土台を広く開かなければならない使命が私にあることを思う時、厳粛にお父様の前に頭を下げて、この年をあなたの年として立ててくださいまして、この日から連結される摂理の日々が誇り得る日々としてなることを懇切に願う心であります。 韓国の幼い子息たち、日本の幼い子息たち、アメリカの幼い子息たち、また世界の至る所でこの日に祈祷している統一の群れを顧みてください。彼らの祈祷は、あなたのみ旨のための祈祷であり、恩師が勝利する一時を迎えるための祈祷であることを思う時、この年にあなたの所願するみ旨の成就が始まり、最初に幕を下ろすことでありましょうし、またあなたの勝利の旗が天地に向かって、ここを通して翻ることを確実に知っておりますので、一九八五年は勝利と誇りと栄光を讃えることができる年となることができますよう、お父様、懇切にお願いいたします。 この度、この時間を通して、新年を迎えることのできる特定の期間を私に許諾してくださったことを感謝します。このような時間は、今日の統一教会において、悲しいといえば悲しい時間でありますが、誇りと思えば誇らしい時間であります。父母様がすべてを蕩減して十字架を背負うことによって、イエス様が失ったすべてをもとがえすことのできる勝利の時となりました。イエス様は、十字架の道に行く時、ユダヤ教を失い、そればかりでなくキリスト教の理想の実体を失い、国も失い、弟子も失い、父母、親戚すべてを失ったまま、霊的世界を抱いてカルバリ山頂に向かって行ったイエス様の悲痛なる事情を、たった一人で十字架に行かれたイエス様のすべての恨みを、今日真の父母の名をもった統一教会のこの息子をして、ダンベリーというこのような現代的な十字架を背負う場所に出て行くことによって、失った息子を探すことができ、失われた弟子たちを探すことができ、失われた家庭を探し出すことができ、失われた教会を再建させることができ、散って行ったすべての群れを再び結びつけることができる驚くべき事実を目前に見つめる時、私たちは行く手に立ち塞がる困難が問題でなく、その結果がいかに神様の前に納められるかを心配するその心が、願っていたみ旨と一致する驚くべき事実を目撃する時、私たちはどんなにお父様の前に感謝したとしても、感謝しきれないものです。 私たち、何の功労のない者たちでありますが、神様のみが功を立て、神様のみが驚くべき偉大な方であると、讃美の標準となり得ることを考え、今日一九八四年のすべての恨みを清算し、八五年が新しく訪ねる喜びと栄光と勝利と讃美が全天地に満ち溢れる勝利の一年として、お父様の前に奉献いたします。悲しみの歴史を吹き飛ばして、勝利と栄光を讃美することのできる、お父様の驚くべき歓喜の年となりますように、許諾してくださることを懇切にお願いいたします。 今、このような最後における決断をしなければならない私たちの戦いが残されており、まだ仕事が残っておりますので、生死を構わずこの仕事を成就しなければならないこの息子の責任があると同時に、直接関係されている責任者たちが、仕事を分担して誠実に責任を遂行するかという問題において、歴史が左右される分かれ道となる重大な事実を目前に直視しながら、今日この時間に到達しましたので、お父様記憶してください。 新年の冒頭に私たちがお願いするすべての一切の心を御存じであるお父様、霊界において興進君と、イエス様と、数多くの聖徒たち、一二〇カ国の国王たちと、義人、忠臣たちを連合させて、実体地上世界の祖国創建の一つの目標に向かって働いているすべての霊も一致して、現代的世界的なこの舞台の上で、アメリカを中心として、最後の画期点を決定して越えていく新年となりますよう、許諾してくださることを懇切にお願いいたします。 すべての万物と、すべての歴史的な摂理のみ旨が一致し、神様の心情と、地上の父母様の心情が一致し、統一街のすべての群れの心が一致し、完全に勝利の基台としてお父様が受け入れ、その基台の上に勝利の旗を立てることのできる新しい年の元旦となることができるように許諾してくださることを懇切にお願いいたします。 残された日々が、お父様の誇りと讃美と喜びで綴られて、一九八五年が栄光の年として全世界に開かれるように、再三お願いいたしながら、すべての祈りを真の父母の御名でもって、あなたの前に奉献いたします。アーメン。アーメン。アーメン。----------- ----------- この間、皆さんが祈祷をたくさんされ、こうして帰ってきて、生き生きしている変わらないムーニーたちを見て、先生は嬉しいです。(拍手と歓声) 新しい何かをするとか、新しい道を開拓していくということは、たやすいことではありません。そこには茨の道もあり、石ころだらけの道もあり、あるいはダイナマイトを爆発させながら、破壊していかなければならないそのような道があることを考える時、誰も知らない復帰摂理の道を先生は出発して、きょうまでにこれほどの基盤を整えてきたという事実は驚くべきことであります。 皆さんは復帰歴史を学んだので知っていますが、今まで歴史上において、この世には多くの偉大な人々が出てきて、開拓を行いました。しかし、霊界の開拓というのは全く新しい開拓です。統一教会が行ってきた開拓は新しい開拓なのです。皆さんはこのことを知らなければなりません。それは一つの地域ではなく、地域を超越して世界的であると同時に、天宙史的な内容が伴っているのです。神様が貴い賞を与えようとなさるとき、その賞を与えるにおいては代価なしには与えてはくださらないということを皆さんは知らなければなりません。世界的な福、歴史的な福を得ようとすれば、この世界の最も難しい環境を開拓しなければならない、そういう面をもたなければなりません。この世界においても、霊界においてもそうであります。彼が賞を受ける代表者であるためには、この世界において最も難しい誰も行ったことのない道を行かなければならないし、霊界においても誰も行くことのできなかった道を行かなければならないというのが結論です。 ではこの世界において、最も難しいことは何かというと、それが監獄なのです。先生は日本の監獄についてもよく知っています。日本時代の監獄がいかなるものであったかを……。そして北韓、共産世界の監獄がいかなるものかもよく知っています。また韓国の監獄もよく知っています。そればかりでなく、ソ連の監獄がどうであるかも知っています。先生は監獄生活を卒業するために、もう一つ行かなければならない所がありました。それがアメリカの監獄です。このように経ていくのです。これまで多くの人々が絶望と落胆の中で監獄を経ていきましたけれども、ここに立っている先生は、監獄以後に訪れることに対して大きな関心をもっているのです。皆さんも蕩減復帰について習っているので、必ずこの峠を越えれば何が起こるか知っていますね。受けるその苦痛が問題ではなく、苦痛のあとに来る神の新しい歴史的賜物が何であるかということを常に考えるのです。先生はそのようにして今まで生きてきたのです。 一般の人たちは監獄に入ると、すべてに対して不平を言います。国に対して不平を言うし、御飯を食べても不平を言うし、すべてに不平を言っています。そしてその検事に対しても不平を言い、「滅びよ!」と悪口を言います。しかし蕩減復帰を知っている先生の生活は違います。これは蕩減の道なので、その後に訪れてくる神様の福を誰が守るかが重要なことなのです。 先生はこれまで、今回を含めて六回監獄に入りました。これからもソ連の監獄や中共の監獄が残っているのではないかと思っています。先生はそのような考えをすることがあります。そこで皆さんが必ずこのような過程で知っておかなければならないことは、その後に訪れてくる神様の福を受けることのできる、そしてそれを人類に手渡せる自らの準備をしなければならないのです。受けることのできる器をつくらなければならないのです。その福を受けるためにはどうすればよいですか? それにはすべてのサタン世界、地獄世界にいる人たちが頭を下げなければなりません。これが復帰の道であり、蕩減条件を払うことです。先生がダンベリーに行ったことは、統一教会の先生として行ったのではありません。世界を代表して行ったのです。地上世界と天上世界を代表してです。そこで神様はサタンに対して言うのです。「誰が正しいか。誰が最も勝利したか」と。 新しい舞台を回すには、高い所からでは回すことができないのです。下から押して回すのです。もし皆さんが高い場所にいれば、その場を転換することができません。皆さんは底にいて下の方にいて、その場を引き上げることができなければなりません。いつも下から上の方へ変えていく、それを通して完成されていくのです。では上がって行こうとするとき、いくら自分一人で頑張っても難しいのです。全体で押してあげなければなりません。すべてが私を押してくれるという環境をいかにつくるか、これが問題です。弁護士が問題でなく、判事が問題でなく、検事が問題でなく、アメリカ政府が問題でなく、これらの最低の所にいる人たちを引き上げることができるかということ、これが問題なのです。いかにして、このような最低の人たちから賛成され、支持されるような、そういう者となることができるか、それが問題です。それが蕩減を支払って復帰することのできる唯一の道です。それによって私たちは一八〇度の転換を成すことができるのです。 今度、レバレンド・ムーンがアメリカで監獄に入ったことによって、全世界で問題となったのです。アメリカ自体においても問題です。今まで先生が監獄に入った時には、誰も真実を知らずに、「あの人は悪い人である」とみんなが悪口を言ったのです。しかし今回は先生が監獄に入ってどうなりましたか。状況が一八〇度回転しました。彼らは本当の事実、真実というものを見るようになりました。彼らは先生に対して本当に目が開けたのです。そして今や、アメリカにおいて正しい物事を考える人たちは、レバレンド・ムーンを支持する側に立たなければならないようになっています。レバレンド・ムーンによって脱皮が始まるのです。私が脱皮させるのではなく、全部自分たちで脱皮するのです。外的世界がそうなり、また内的世界がそうなればレバレンド・ムーンは「自由天地」と言えるのです。そして、統一教会はもはや迫害を受けるようなことはなくなるのです。イエス様がローマに入ってこのようなことを成したならば、キリスト教は苦労の道を行かなくともよかったのです。これからはアメリカの大使館が私を歓迎する中において、私が巡回する時が来るかもしれません。不思議な話でしょう? この話が理解できますか? これと同じように、皆さんはこれからアメリカを救い世界を救わなければなりません。ではアメリカのどこを救うのですか? それは豊かで良い所を救うのではなく、貧しく悪い所を救わなければなりません。訪ねて行って蕩減してあげ、その後に訪れてくる福を私たちはどのようにして迎えるか、これを考えなければなりません。皆さんムーニーたちの中には、不平を言う人がいます。「私は何年度に入教してきたのに、また苦労をしなければならない、これはどうしたことだろう。もう嫌気がしてきた」等々と。またある人は結婚したが、このごろ子供が生まれないと言って心配したり、生活を心配したり、子供のことで心配したりで動けなくなっています。しかし先生は違います。誰かが先生を地獄へ入れたとすれば、地獄そのものが困ったことになります。なぜならばもう地獄は地獄であり得なくなるからです。(拍手) 先生はそういう具合に考えていますよ。なぜこのような話をするかといえば、皆さんの目を見ると、先生はダンベリーに行かれて何をなされたのだろうか。ダンベリーはどうだったのだろうかと、新年の『神の日』のみ言よりも気掛かりになっているので、先生は話すのです。(笑い) 皆さんは自分を自ら「ムーニー」と呼んでいます。というのは、皆さんの原型は先生であるからです。しかし先生は自分から来たわけでなくて、神様から来ているのです。ですから先生はいわば「ゴッドニー」と呼ぶことができますね。(拍手、歓声) なぜレバレンド・ムーンをそのように呼ぶかというと、神様のようであり、神様に似た人であるということです。分かりますか? 皆さんの中には統一教会の歴史を知らない人がとても多くいます。先生を知らない人が多くいます。特にアメリカの個人主義的な若者たちがそうです。先生は韓国でダンベリーに行ったのですか、アメリカでダンベリーに行ったのですか? (アメリカです)。それは行かないこともできたのでしょうか、行くしかなかったのでしょうか? この世の人々は不思議に思っています。"なぜレバレンド・ムーンはわざわざ監獄に行くようにしたのだろう、避けようと思えば避けられたのに”と不思議に思っています。 先生が監獄に行ったのはアメリカにいたためです。先生はアメリカを救うためにダンベリーに行ったのです。アメリカを救おうとするあなたたちのために行ったのです。アメリカの若者の中で、このアメリカを救おうとする人は、ムーニーの中に多いのです。先生はあなたたちの前に誰も占領することのできない思想を残すのです。私が必要であるからではなく、あなたたちが必要とするために、これを残さなければなりません。皆さんがこの精神でアメリカに責任をもち、アメリカの困難な中でも、追われても、正義の立場に立って堂々と、「私はアメリカのために監獄までも行くのである」と言う、そのような若者がアメリカにたくさんいるとしたら、このアメリカは滅びません。分かりましたね? (はい!)。 一九八四年までは困難な道を歩まなければなりませんでした。あなたたちの花のような青春、美しいお嬢さんも一度しかない青春を流してしまっていることを知っています。この歴史的な世界は、そのように青春を犠牲にしても世界を救おうとする若者を願っているのです。歴史を摂理される神様は、このような人たちを願っているのです。私も、私の青春をすべて捧げました。先生は若いころ、非常にハンサムでした。(笑い) 先生は多くの人たちのために、乞食すらも天国に入ることができる、飛躍することができるそのための基台となりたいと思ったのです。すべての人たちの足台となって、「飛べ。飛べ」と言うのです。それで私は今まで人前に出ることを好みませんでした。それなのに有名になってしまったのです。 一九八四年は、統一教会にとっては本当に難しい年であり、困難な年であり、苦しみ多い悲しい年でした。先生においては極めて忘れることのできない摂理史的に重要な年でした。もうじき興進君の行かれた日もやってきますね。先生は韓国を生かすためには、家庭をも犠牲にする覚悟をして出発した道でした。韓国の七百万の勝共会員、日本の勝共会員、アメリカの四千五百万と、世界に七千万会員ができるとなれば、サタンも黙っていられません。それで決着がつくのですから。また私が監獄に行けば、これで統一教会も終わりだと思ったかもしれません。しかし監獄に行ってから、先生は歴史上になかったたくさんの事を行いました。先生が監獄に行ったその日から、有名な牧師たちや教授たちが先を争って会いに来ました。それで先生は、「これをせよ!」と言います。このような人たちは、先生が外にいるときには誰も会いに行きたいと思わなかった人たちでしたが、今や監獄にいる先生に会いたいと思うようになってやって来たのです。これはみんな有名な人たちです。有名な教授や学者や、牧師や外交官です。それらの人々がやって来て、先生と一緒に座っている時に、先生はエネルギーを絞って強力にこれらの人々に注ぎ込みました。だからこれらの人たちは完全に否定することができず、完全に先生に圧倒されました。このような圧力が先生から出るために、彼らはもう何も先生に言うことがでませんでした。皆さん、そうでしょう。オリンピックのマラソン大会のようなものです。競技に優勝するまでは誰も振り向きもしません。しかし一度試合に勝てば、人々がすべて認めてくれるのです。この世の万事がみなそうなのです。 身近な例を一つお話しいたしましょう。ドクター・トライブという人を知っていますか? ハーバード大学の有名な法律学者です。彼は、自分はアメリカで一番偉いと思っていました。どこに行っても自分が頭であり、自分が語らなければならない、自分が中心だと思っていましたが、どうしてか先生の前に出れば、身動きができなくなるのだそうです。先生が「やりなさい」と言ったら、「はい」と言わざるを得ないというのです。彼は、「不思議なことだ」と言っています。先生は監獄のような所に行っても、そのようなことが可能なのです。分かりますか? あなたたちも同じですよ。あなたたちもアメリカを救わなければならない責任があります。一九八五年はすべてに挑戦しなければなりません。 高くジャンプするためには、高く飛躍するためにはまず小さく縮まなければなりません。跳躍するための準備をするために、ぐっと身をかがめなければなりません。それで先生は大きな歯車を回してジャンプする準備をしているのです。時が来れば、先生はジャンプします。高く舞い上がります。永遠なる勝利に向かう私となるのです。その時、皆さんは「もう私はジャンプしたくありません。私を助けてください」と言っても駄目です。皆さん自身もそこからジャンプする準備をしなければなりません。私がダンベリーに行くことによって、統一教会は歴史的な飛躍をすることでしょう。既に、反対していたキリスト教が完全に私たちの側となり、反対していたアメリカも黙して考えなければならない時が来たのです。先生は興南の監獄において、全然話しをしなかったのですが、私が監獄から出る時には、多くの人がついてきたのです。きょう、ここにも私についてきた人が数人いると思います。(拍手と歓声) では結論づけましょう! あなたたちはどこに行って開拓したいですか? 監獄に行って開拓しますか、それともこの自由のあるアメリカの地で開拓しますか? (監獄です)。監獄は私が行ってすべての責任をもちます。では、あなたたちはどこへ行きますか? (モスクワです)。そう、よくできました。モスクワです。マスト・ゴーがモスクワですね。私がアフリカの一カ所に行って、世界的名声を揚げるようになれば、そこは世界的に有名になります。これはどれほど素晴らしいことでしょうか。先生は韓国の谷間で苦労していた時にも、「私がアメリカで有名になれば、統一教会は希望がある」と叫び、希望をもっていました。そしてアメリカに来て有名になりました。アメリカに来て、今ダンベリーに行きながら「霊界に希望がある」「世界に希望がある」と言うので、ここで霊界が開かれるのです。だから先生に対して、あなたたちは不平を言うことができないのです。(はい)。数えてみましょう。み旨のためにもう何年生きたいですか? もう一年、もう二年、もう三年ですか。「これからは我が道を行こう!」、それではいけません。 きょう『祖国創建』ということをスローガンとして書きました。私たちには国がありません。私たちは今まで、国がない者であったから迫害を受けたのです。神様がサタンに迫害されてきたことは、このように国がなかったからです。神様が自らの祖国をこの地上にもたなかったということを理解してほしいのです。そのためにサタン側はいつも神様を讒訴しているのです。それはサタンがすべてのこの世の力をもっているからであります。神様が今なお苦しんでおられるのは、神様に祖国がないからです。だから、神様の祖国をいかに復帰してさし上げるか、それしかありません。そこで五色の人種を一つにして、合同結婚式を行い、一つの心情で一つの氏族、民族を編成するのです。合同結婚式はいつも多くの論議を呼んできましたけれども、それは神様の一つの人種をつくるためにそうしているのだ、ということを理解してほしいのです。それは簡単なことではありません。難しいことです。それは先生も知っています。特に神様は霊のお方ですから肉体をもっていません。そういう神様がこの地上の世界を動かすということは難しいことです。そういう意味において、先生に肉体があるということは神様よりも有利なのです。このために先生は、この使命を引き受けることを決意したのです。 今年の一九八五年は、先生がこの摂理の道を歩み始めてから四十年目です。今年は決定的年です。(拍手) だから本当の伝統を示すために私は監獄、サタン世界に入って闘っているのです。あなたたちはどうですか? アメリカのサタン世界を、アメリカの地獄をつかまえて闘わなければなりません。後退してはいけません。(はい、後退しません)。それが何の話か分かりますか? (はい)。 この時間、ダンベリーに行ってきた先生を迎えて、そのような決意をし、“いかなる事があるとしても私は先生に負けない”という決心で、この腐敗していくアメリカに責任をもつ皆さんとなってほしいのです。そうすればアメリカは復活するのです。(先生が黒板に「〇」を書かれる。そしてその横に「×」を書かれる)アメリカにはこのような穴があるが、これを塞げば滅びません。これを塞ぐことができないときには滅びます。そういうとき、これを塞ぐにはどのようなことをしなければならないのかというと、人を逆さにしてもぴったり塞ぐことができるならばそうしなければならないのです。そうしてでも塞がなければならないのです。そういう人になることはみんな嫌でしょう。「私は奇麗で豊かなアメリカに住みたいです」。(ノー)。ムーニーは全部がそういう人にならなければなりません。どうですか? やれますか? (はい)。私はそのようなムーニーになってみたいという人は手を挙げてみなさい。(はい!)。ありがとうございます。先生は監獄に十回行ったとしても感謝です。 今まで先生が監獄に入って、先生がいない時に自分勝手にしませんでしたか? 先生は監獄に行ってきました。先生の前で偽りはしませんね。(はい)。今回だけは信じてあげましょうか? (はい) 信じてくださいと言う人は手を挙げてください。ありがとう。ダンベリーはあなたたちが受け継ぐべき伝統です。このように生きれば絶対に滅びません。逃げていては滅びます。監獄に行くことによって、一番難しいことを成そうとするのです。一番難しいことは天国をつくることです。 私が最初に監獄に入っていく時、みんなが色眼鏡で見ていましたが、しかし今度先生が出てきた後、非常に寂しくなったことを知っています。だからダンベリーの人々は、先生を必要としています。行ってもいいでしょう? (いいえ)。 先生は明日の朝の午前九時から『神の日』のメッセージをします。 今晩は素晴らしいメッセージでしたね。(はい)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.08
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「興進様昇和一周年記念式に際して」1985年1月1日(正午)ワールド・ミッションセンターにて きょうこの時間は、興進君が昇和されてから一周年を迎えます。その祝賀のために私たちはこの場に集いました。まず皆さんは、この世的にみれば理解し難い内容がここに介在しているということを理解しなければなりません。霊界がどのように動き、どのように発展し、どのようにしてこの地上との関係を結んでいるかという、全般的な内容を知らなければこれ(昇和式)をはっきり理解することはできません。 霊界は、善なる霊界と悪なる霊界の二つに分けることができます。それは地上界の人々には分かりませんが、確かに実在する世界なのです。そして霊界では、善なる霊と悪なる霊が闘争しています。霊界においても闘争があるのです。善なる霊界は、悪なる霊を善導して善なる所に連れて行こうとするし、それに対してどんなことをしてでも悪なる霊が善なる所に行かないように妨ぐのが悪なる霊界なのです。また悪なる霊界はサタンを中心として連結され、今日の地球上の人間はその悪なる霊界の統治圏内に属していることを皆さんは知らなければなりません。そして先祖たちは、善なる霊としてあるいは悪なる霊として、全部霊界に行っているのですが、そこでは、善なる霊は堕落したこの地上世界において聖別されたという条件を立てたので善なる側に立っているのであって、神様から見ると完全なる善の立場に立ってはいないのであります。しかし善なる霊たちは、神様の本然の理想的善圏に向かって前進しようとしています。そして悪なる霊たちはそれを妨げているのです。悪なる霊界と悪なる地上の世界とは随時連絡し合っています。善なる霊とは、この悪なる世界において対立され、反対を受けながら生きていった霊であり、宗教を信じていった霊たちなのです。 では、イエス様はこの地上に来られて何を成されたかといえば、サタンを屈服させて、悪なる霊の代表を屈服することのできる道理と道を整えようとされました。ところがその道理を百パーセント整えなければならないのに、五十パーセントしか整えることができなかったので、「再び来なければならない」という言葉を残されたのです。 神様はこの堕落した世界を救援されるために、宗教を立ててこられましたが、この世はサタン世界の畑になってしまっています。聖書ではこれを野生のオリーブの木と呼んでいます。サタンが主管する野生のオリーブの畑なのです。神様が自由に主管することのできるオリーブ畑を作るのが宗教なのです。皆さんはこれを知らなければなりません。サタンが自分の意のままに管理し、神様は何一つ管理するものがないのです。だから宗教を通して神様が管理するオリーブの畑を作って、世界のサタン圏の悪なる野生のオリーブ畑を陵駕することのできる基盤を拡大するためのものが宗教文化圏なのです。 神様は今までサタンに創造世界を奪われた立場にいても、負けることはできないので、この世に真なるオーリブの木となる標本として送られたのがメシヤ思想なのです。メシヤは一人ではいけません。サタン世界が夫婦を中心として社会を成し、国家をつくったので、メシヤ一人では真のオリーブの木とはなり得ないのです。メシヤである真のオリーブの木と、メシヤの相対となる真のオリーブの木を中心としてこそ、真のオリーブの木となり得るのであり、実を結ぶことができるのです。それでイエス様はこの地上に来られて、新郎の立場で新婦を探し出し、真のオリーブ畑を作り、サタン世界の野生のオリーブを吸収し、消化することのできるようにみんな切り捨てて、真のオリーブに接ぎ木する運動を準備しなければならないので、神様が管理することのできる宗教圏を中心として、一斉に切って接ぎ木できる環境としてつくったのが選民イスラエル圏であり、ユダヤ教であったのです。 では、接ぎ木するためにはどこを切ればいいでしょうか? 首を切ればいいでしょうか? 足を切ればいいでしょうか? (それぞれに答える。中に、「根です」と答える人がいる)根を切れば枯れてしまうでしょう。人は首と根が逆になっています。精神が根となっているので逆になっているのです。だから首を切らなければなりません。イエス様の真のオリーブの木の芽を一本接ぎ木すれば、そこから真のオリーブの木となっていくのです。 本来人間は、堕落しなければ真のオリーブの木として生まれたはずなのに、野生のオリーブになってしまったのです。ですからこの野生のオリーブの木を接ぎ木して、真なるオリーブの木として実を結ぶようにするためのもとがえしの歴史が、救援の歴史であります。だから救援の歴史は復帰の歴史なのです。それで神様は、僕たちをして野生のオリーブの木をみんな切るのです。そしてその畑は、神様が管理する畑でなければなりません。サタンが管理する畑であったらとんでもないことです。それは何のためかといえば、接ぎ木されるためには必ず蕩減条件を立てなければならないし、その条件は個々人を通して立てられますが、個々人の蕩減条件は世界史的なのです。世界史的なのですよ! 一つ一つを切るのに、それほどまでの条件が必要なのです。ですから神様は、選民という畑を作って、イスラエルという大きな畑を作って、一度に切っても讒訴することのできない環境にして、メシヤを送って接ぎ木させて、メシヤの種子をつくろうとなされたのです。ですから、非宗教界から宗教界へと越えていく時には、血を流す戦いをするのであります。そこで、旧約時代は物を通した祭物時代であり、新約時代は息子を通した祭物時代であり、成約時代は愛を犠牲にする祭物時代であります。ですから成約時代は、父母が愛の十字架を背負って行くのです。そこには愛の問題を中心として、世界のすべてを整理して屈服させることのできる観がなければなりません。個人観から家庭観、民族観、国家観、世界観と、このように世界を指導して余りある観をもたなければならないのが、統一原理を通した愛の理想なのです。なぜそうしなければならないのですか。なぜですか? それはサタン世界の愛による種が蒔かれたので、それを神の世界の愛をもって蕩減しなければならないからです。 そこで今日、真の父母の愛の理想を中心とした蕩減基盤に新しく接ぎ木され、エデンの園において完成したアダムとエバのような結実をもたらす真のオリーブの木の立場に立っていくのが、統一教会の祝福の行事なのです。皆さんはこのことを知っていなければなりません。堕落したことによって、真の父母ではなく悪なる父母に、真の兄弟ではなく悪なる兄弟に、真の社会、真の民族、真の国家、真の世界ではなく、悪なる社会、悪なる民族、悪なる国家、悪なる世界になってしまったのです。ですから、メシヤが来られて成すべきことは、これと反対に真の父母となり、真の子女をつくり、真の民族、真の国家、真の世界をつくって、サタン世界を完全に消化するのです。その時、理想世界へと越えていけるのです。民主世界と共産世界は、イエス様を中心とした右の強盗と左の強盗のような立場であり、世界史的な実を結ぶため戦うのであります。これが最終戦であります。 統一教会では、真なる愛の関係といいますが、真なる関係を結ぶためには、サタン的な人と完全に因縁を切り、天的な人と結んだ因縁の内容から出発することが本来のみ旨であります。そのような関係が立たずしては、いつでもサタンが引っ張っていくのです。それでは、アダムの伝統的内容とは何でしょうか? それは神の愛を中心として、真の父母の文化を連結させることです。神様と真の父母を中心とした愛の文化圏であります。分かりますか? 神様の愛と真の父母の愛を中心とした文化なのです。その文化が理想的地上天国の文化であります。歴史を通して永遠不変に受け継ぐことのできる一つの文化圏とならなければならなかったのに、堕落によってすべてを失ってしまったので、これを再び復帰して取り戻していくのが救援歴史であります。 神様の愛を中心としては、全部が兄弟であるので、そこには黒人も白人もなく、過去の人も現代の人もないのです。だから霊界と意思が通じるのです。統一教会の信者たちを中心として、白人黒人をみんな愛で消化する立場になれなかったら、サタン圏内をまだ離れることができないということです。それはまだ真のオリーブの実ではなく、野生のオリーブのエキスを受けているので、その実は野生のオリーブの実です。このように見るとき、アメリカの文化は何ですか? それはサタンの文化ですか。それとも神様の文化ですか?(ノー)。そういう種を受けてはなりません。このような話は、アメリカ人の耳には聞きづらくとも仕方がないのです。耳が痛く、腹が痛く、胸が痛くなければなりません。こういう話をしていて監獄に入り、途中で出てきてもまた、このような話をします。先生の言うことはいつも同じです。(拍手、歓声) それでは、霊界の仕事というのは何でしょうか? それは地上を正す協助機構なのです。地獄の悪霊は、麻薬を飲めとか、フリーセックスや女同士のスワップなどをやれやれと言います。そして、それはとても興奮的でいいからと一度にみんな押し込んでしまうのです。また、愛というものはとてもいいものだ。愛の中にみんな入りなさいと言って、その中にみんなを入れるのです。この頃ではそれにも飽きてしまって、ホモセクシュアルとか、レスビアンとかいって騒いでいます。それらは滅びるのです。一世紀もせずに滅びてしまうのです。そういうことをやっていては滅びてしまうのです。今のアメリカの文化は何を根拠にしているかといえば、破壊的であり、滅亡するサタンの愛の文化圏に立っているのです。分かりましたか?(はい)。 私たち統一教会は、神の愛を中心として立っているために、サタンの文化とは反対です。神様の愛を中心とした文化なのです。そこではフリーセックス絶対反対、ホモセックス絶対反対、麻薬も絶対反対です。父母が父母としての役割をすることができないし、祖父母が祖父母としての役割を果たしていないし、兄も弟も各々の役割を果たすことができず、みんなが愛を中心としてめちゃめちゃになって滅亡するしかないソドム、ゴモラが今のアメリカなのです。また、親族間の愛がどれほど多いことでしょう。そういう者たちが、統一教会に対して異端だとか、社会を滅ぼすなどと言えるでしょうか。レバレンド・ムーンは、宗教の一番先端です。(拍手) サタンがどうすることもできないように一度に切ってしまうのです。そのように世界的サタンも讒訴できない秘法をもって現れたのがレバレンド・ムーンです。そしてどうしたのかといえば、霊界がサタン世界と神の世界の二つの群れになっているので、サタン世界の霊界から善なる霊界に早く行ける道があれば、地上は自然に早くなります。分かりますか? そこで霊界のサタン世界に行って、個人的に引き継ぐ方法、サタン家庭を引き継ぐ方法、サタン氏族を引き継ぐ方法、サタン国を引き継ぐ方法、サタン世界のすべてを、サタン霊界のすべてを引き継ぐ秘法をもっていればすべてが可能になるのです。何の話か分かりますか? 霊界にそういう時が訪れます。霊界にそういう時が訪れたならば地上にも反映されるので、すべての変化が速まり、究極的に世界に広がっていくのです。 昔は、ストリーキングとかいって裸になって走り、大騒ぎしましたが、それも過ぎて今はフリーセックスだとかいってますが、しかしこれも過ぎ去ってしまいます。ワイフスワップということも速く過ぎ去って、そしてこの頃ではどうなってきたかというと、年を取った人たちがフリーセックスだとか言っている間に、若者たち二世が、「私たちはそういうことは嫌だ。あなたたちがこのアメリカを滅ぼし、国を滅ぼすのだ。それはいけないことだ!」と立ち上がって、反旗を翻す運動が起きています。 サタン世界の愛は、愛すれば愛するほどに嫌気がしますが、神の愛は、愛すれば愛するほどに神秘的で陶酔するのです。これが異なる点です。サタン世界の若者たちは、死ぬほど愛しているといいながら結婚しても、一週間もたたないうちに離婚してしまうのです。ところが、ムーニーヤングのアメリカの人たちはどうかといえば、「私たちは違います。結婚も自分たちの勝手ではなく、レバレンド・ムーンがやってほしい。決めて頂きさえすれば感謝です」と言う群れになりました。これが希望なのです。(拍手)そして統一教会では、結婚した後も数年間を南北分かれて、会っても手を握ることもせず生活しているのです。しかし、この方がゆっくりと燃え、いったん燃え始めると永遠に消えません。これはどういうことかといえば、電気コンロはコイルがあって電気が(コイルの)原素に入って熱くなるのですが、私たちはこのようなコンロになるのであって、コンロの上に載せてある鍋ではありません。鍋のような愛とコンロのような愛は異なるのです。 私たちはだんだんと刺激的な、神秘的な愛の世界に向かっていきます。しかしサタン世界の愛は、刺激や神秘がだんだん狭まっていくのです。白人の統一教会の男性は、白人の美人の女性と結婚すると思っていたのに、白人の美男美女たちはアジアの人たちと結婚するというのだから、どれほど刺激的で、どれほど神秘的なことでしょうか。地の端から地の端まで、東から西の方へ、南から北の方へ行こうとするのが理想です。そこには神秘があります。だから面白いのです。サタン世界の愛は、大騒ぎをして消えてしまう愛ですが、神の愛は悪口を言われながら、殴られながら、異端視されながら発展するのです。(先生が、「ホッホッ。ハッハッ。ヒッヒッ」と笑い声をだんだん大きく表現なされる)そういう愛が神の愛です。 アメリカの教会の中で、椅子を使わない教会があるでしょうか? ここは愛の教会です。皆さんは自分を中心に東西南北に接したいのですね。(笑い)前を見ると黒人で、横を見ると黄色人で、後ろを見ると白人で、東西南北に五色の人たちが接し合っています。(笑い)だから愛の人種の教会なのです。そういう意味からすると、レバレンド・ムーンがこのように教育したことは良かったの、良くなかったの? どちらですか? (良かったです)。良くありません。(ノー、ノー、ノー)。私は知りませんよ。結論は分かりましたね。ではこれから、どのようにして霊界に橋を置いて、そのまま飛び越えるようにするかということのお話をしましょう。面白いでしょう? ここにいる文という人は韓国の人ですか、アメリカの人ですか? 西洋人ですか、東洋人ですか? (様々な答) 東洋人であり、韓国人です。しかし一つの特許権があります。すべての文明の発展の要素は特許権で連結しているのですが、その特許権はみんな異なっています。例えば服を作るにおいても各々異なるようにです。特許権さえもっていれば、そのような特許権が一つあれば、どこへ行っても仕事ができるというのがこの世の理法です。霊界にもそのような法があるということを知らなければなりません。その特許権は、白人にのみ通用し、黒人には通用しないとか、アジア人には通用しないなどというものであってはなりません。どこにおいても万事に通じるのです。分かりますか? 霊界における特許権をもらうため、苦労した宗教人は歴史上に数多くいましたが、先生はそのような宗教人たちの中でチャンピオンの特許権をもっている人かもしれませんよ。それを見せてほしいですか?(はい)。もしそれが偽りであったとしたらどうしますか? 先生のようにユダヤ人に似ている鼻の人は詐欺をする人が多いというのです。先生には詐欺性があるかもしれませんよ。先生が良いか悪いか、何を見れば分かるのかといえば、ここに集ってきている五色の人たちが離れ離れではなく一つとなってどんな所にでも上がっていこうとするので、これは良いことだといえるのです。そこで神様は、「レバレンド・ムーンよ、駄目だ駄目だ」と言われるでしょうか? 神様は、「良し」と言われるのです。だから先生のサインがなければなりません。レバレンド・ムーンには特別なものが神様から与えられているのです。何かがあるのです。 アメリカの多くの立派な大統領も、霊界に行っては今後サインが必要なのです。いかなる君主、いかなる聖者、いかなる宗主であろうと、サインの必要な時は、頭を下げてでも来ざるを得ません。博士号を得るためには、主任教授の小間使いもしたり、足で蹴られても、はい、ありがとうございますというほどでなければ、博士号は得ることができません。もし、ある人が私はあなたと比べて顔もよく、相撲も強く、走っても一番であるので、百点には一つだけ条件がないが博士号のサインをしてくださいと言ったとしても、それは通じません。どうですか? (はい、そうです)。 今日、このように激しく社会で噂されれば、みんな滅びてなくなってしまいますが、先生は堂々とダンベリーの監獄に入り、今またここに来て大言壮語しているのです。全部傍受され報告されることを知っていながらもです。分かりますか? 神様もレバレンド・ムーンのサインがしてあるかどうかによって決裁するでしょう。レバレンド・ムーンのサインがあれば「良し」、なければ「駄目」と言います。先生は言葉の上で特別の特許権をもっているのかもしれません。言葉で言うことは易しいですが、実際にそれを手に入れることがどれほど難しいか考えてみなさい。だから先生がこのような特許権をもっている限り、これから霊界は先生の手の中に入るだろうし、この霊界に入る肉界はどうせ一つの谷間に入らざるを得ないという結論が出ます。これは正しいでしょうか、間違いでしょうか。そこで共産主義者をコントロールするのです。世界が一番恐れるアメリカの政府と一人で闘うのです。この前の裁判の時、先生は、「私は有罪ではありません」と判事の前でも、誰の前でも言いました。神様の前でも「有罪ではありません」と。(拍手) きょうは興進君の昇和式一周年記念日なのです。先生はこのように莫大な霊界の内容を知っているために、何が良いか何が悪いかを分け、そして切るものを切り、結ぶものは結び、蕩減すべきことは蕩減させることのできる、このようなすべての専門家なのです。霊界のサタン圏にそれを成し、すべての霊界が一つ所に来るようになれば、地上の世界は自動的に回るのです。そこで、個人から家庭に移っていくとき、霊界と肉界の壁を整理してあげる責任があります。家庭と氏族、氏族と民族、民族と国家、国家と世界、世界と霊界が通じることのできるためにこの壁を整理してあげなければならないのが、レバレンド・ムーンの地上四十年の統一教会の運動だったのです。 先生の時代に至って、聖書のすべての内容がはっきりしてきます。聖書のどの部分が成就していくか、次に何章のどの部分が成就していくか、今がどういう時なのか知っています。少しだけではなく、全部成就するのです。何の話か分かりますか? 先生はそのような碁を打っているのです。碁の分からない人にはこれが分かりません。碁を打つのに、既に霊界は終わったのですが、地上の世界の国々へ移っていくとき、それが塞がれているので、祭物が必要なのです。興進様がその代わりの使命を果たしたのです。このように言えば何の話か分かるでしょう? イエス様が三十三歳で亡くなった時、イエス様の死によって、その以後の人たちは恵沢を受けたのですが、それ以前の人たちは恵沢を受けられないのです。イエス様は一人で亡くなったのです。そして楽園に入りましたが、天国には入っていないのです。これをどのようにして解放すればいいのか。このような複雑な内容は、昼の祈祷の内容を知れば大体分かりますね。もし知りたければ、先生の祈祷の内容を録音したテープを聞けば、どのような摂理でこのようになったのか分かります。大まかにいえば、国が入り全部が入るのです。そこには歴史のすべてが出てきます。復帰歴史が出てきます。国がどのように連結されているのか、みんな出てきます。イエス様が国とユダヤ教を一つにして、ローマと連結すべきだった責任が果たせなかったことを、今日地上で蕩減してあげなければなりません。解怨をしてあげなければなりません。それは先生の息子以外に成せる人がいないのです。興進様は、イエス様の霊的救援と実体救援歴史を受け継ぐと同時に、地上における未完成な部分を完成し、世界舞台へと連結する霊的基盤の門を開き、共に地上の開門が連結する中間の責任を成したのであります。 イエス様が、イギリスの教会の食口に何度も現れて、御自身は旧いメシヤであり、興進様は新しいメシヤであると言いましたね。不思議ですね。どうしてそうなのでしょうか。霊界の内容を知らない人は「気が狂ってしまった」と言うでしょうね。興進様の犠牲によって、霊界と肉界が連結され、キリスト教と統一教会との間に塞がっていた壁が崩れ、アメリカと共産世界の恨みとなっていたすべてを解く段階へと越えていくのです。あれほど反対していたアメリカのキリスト教が、この数カ月の内に統一教会を協助し、レバレンド・ムーンが監獄に入ったことに反対して、自分たちも監獄に共に入ると言うのです。そういう運動はなぜ起こると思いますか。これは人間の力では想像もできないことです。今まで、ムーニーを追い出すために足で蹴ったり、唾を吐いていた人たちが、今はそうではありませんね。(拍手) 一九八四年を中心として、興進様をこのように送り、最後に私がダンベリーに入ることによって、三十万のキリスト教の牧師に統一原理のビデオテープを渡してあげるのです。今までの莫大な原理のみ言の内容を圧縮させてあるのです。それで大騒ぎになっているでしょう。いくら反対していても、これからはレバレンド・ムーンの後についてくるのです。足で蹴とばしたとしてもついてくるのです。時代がそうなってきているのです。だから“レバレンド・ムーンという人は不思議な人間だ”という好奇心が非常に大きくなっています。レバレンド・ムーンとは誰ですか? どのような人ですか? 私は私です。(笑い) 私は私ということは真です。私は不思議な人ですね。(いいえ)。人々はレバレンド・ムーンの秘密が分からないのです。ですから不思議なんです。他の人々は、監獄に入るとなったら、泣いて大騒ぎするのに、先生は希望を抱いて監獄に入り、監獄の地獄の後には何が訪れるかという期待で、「ハッハッハー」と笑っています。だから不思議なのです。(拍手) 先生は監獄の門を開かなければならないのです。私が因縁を結んで、どの門も開けてあげるのです。私がこの場に来ている今も、ダンベリーの人々が、「先生、電話をしたいのですが、いいですか」と言ってきているのですが、勝手な電話はできません。私が、「電話してもいい」と言ったとき、電話できるのです。先生がダンベリーにいる時には電話をかける必要も感じなかったのですが、今はいくら電話して声が聞きたくても、それができないので、「どうか一日が早く過ぎ去るように……。早く日々よ過ぎ去れ!」と言っているのです。あなたたちは、「一日がもっとゆっくり過ぎるように」と言いますね。そして“一日がどうしてこんなに短いのか”と思うでしょうが、あそこの人たちは“どうして一日がこんなにも長いのだろう”と思っているのです。反対ですね。今まで一方は神側であり、もう一方はサタン側だったのですが、両方とも神側になったのですね。(拍手) アメリカは白人の社会であり、白人の教会が最も良く、白人の牧師が一番良いのであって、どうして韓国から来たレバレンド・ムーンに大騒ぎするのでしょうか? しかし、ムーニーたちは韓国のレバレンド・ムーンが好きなのですね。それが神様の力なのですよ。 今は、霊界が一つずつ越えていくので、地上も黙ってはいられないのです。私がダンベリーに入ったことによって、北韓と南韓との交流が始まり、共産世界の中から中国が飛び出してきたり、統一教会に反対していたキリスト教会が、統一教会の話が本当で自分たちが異端であったというような、今までと反対のことがいくらでも起きているのです。あのように中国が変わってきたということは、低開発国家の半分以上に色が染まりつつあるということです。そしてグアテマラでは、解放神学が良いといって大騒ぎしていましたが、今ではローマ法王も解放神学は異端であると言って解放神学を信奉する神父を首にする運動が起こってきているのです。ローマ教皇庁において、レバレンド・ムーンは異端であるというのに、その教皇庁を代表した学長が、レバレンド・ムーンに名誉博士号を授与したのです。これは何という変化でしょう。(拍手、歓声) これまで統一教会は、騒がしく悪口を言われ続けてきましたが、これからはレバレンド・ムーンの何が悪いかと攻撃していってもいい時代が来るのです。先生はラテン・アメリカ連合を提唱しました。私たちはアメリカを相対に立て、ラテン・アメリカ連合を成そうというのです。(拍手)これは世界的な出来事です。また先生は、世界の代表の六大宗教の責任者に対して、宗教のための共通する全世界的な聖書を作りましょうと提案しました。これは本当に素晴らしい構想です。(拍手、歓声) こんな話をどんどん続けていたら、皆さんが興奮して心臓が爆発するかもしれませんので止めておきます。(ノー!)。とにかく細かいことは分からなくても、先生は偉大ですね。それは間違いではありませんね? (はい、そうです)。(拍手) ドイツもレバレンド・ムーンに反対していましたが、今ではレバレンド・ムーンでなければどうにもならないと言っています。言論界も今や、レバレンド・ムーンでなければ……。というように変化してきました。アメリカの責任者たちは耳があれば聞き、思いがあれば考えてみなさい。もっと話しますか? (はい)。 このように聴衆の前で、これほど大胆に話をするレバレンド・ムーンを囚人たちは全く知りません。今の時代、私が監獄に入ることによって全体がよくなる場合は、私は監獄の道を行くのです。なぜかといえば、蕩減復帰原則によってです。サタンも先生の家庭からそれを願い、神様もそれを願われるので仕方がなかったのです。だから私の興進が行き、私も昨年監獄に入ったという条件を立てたのです。そして七月二十日、自らダンベリーに入りました。それほど蕩減が多かったのです。いくら周りを見ても、それを果たせる人がいなかったのです。サタンもそれを願い、神様もそれを願っていました。そういうことを知っている先生には、監獄はもはや監獄ではありません。成功の決判をする所なのです。こういう先生の話を聞くと、これから一九八五年は、希望に溢れる伝道の時代であるというのです。 昔はゴミのような、廃物のような、麻薬を飲み、人間の屑のような人たちを伝道してきましたが、これからは国を代表する一国の大統領になれるくらいの人たちを、神様が最も喜ばれる牧師たちを、牧師といっても値打ちのないような牧師ではなく、リーダークラスの牧師を伝道するのです。また、私たちはカイン・アベルの原則を知っているので、統一教会がアベルとしたら既成教会の牧師たちはカインの立場になるので、早く引き継がせなければならないのです。彼らは先生の前に付くのですか? あなたたちの後に付くのですか? 考えてみなさい。カインはアベルに従わなければなりません。(はい)。 では、アベルの中心は誰でしょう? それはレバレンド・ムーンです。カインは誰の後に従えばいいのですか? それはアベル的カインの後です。それは誰ですか。だから、あなたたちは牧師のリーダーを連れてこなければなりません。ミスター・パクは国の指導者を連れてくるのです。これは理論的なことです。 これからは国の指導者たちを接ぎ木するのです。そうなればその国は生きます。もし接ぎ木しなかったならば滅びます。この手を見てください。右の手はアベルで、左の手がカイン世界です。二つは合わされなければ生きられません。これから、このような意味で先生の号令を歓迎する人は手を挙げてみなさい。(はい!!)。(みんな手を挙げる)皆さんは間違いなく、手を挙げましたね。(はい)。 今年は少なくとも、一人が一二〇名の牧師をいかに連結するかということです。分かりますか? そうすれば、あなたたちはイエス様が一二〇名を一つにすることができなかったゆえに亡くなったその恨みの世界を越えて、地上天国と天上天国へすいすいと飛んで行くようになるでしょう。アーメン。 第二次世界大戦後の四十年目である今年だから、この年に四十年路程において決定したことを成さなければ、統一教会と今後の摂理歴史に莫大な支障をきたらすのです。イスラエルが一九四八年に独立して、韓国も一九四八年に独立したので、第一イスラエル圏と第三イスラエル圏が独立しました。それから四十年間に、世界復帰蕩減基盤を整えなければ、神の国のみ旨に影響するという事実をはっきりと知らなくてはなりません。そこで、アメリカの第二イスラエル圏において、キリスト教文化圏と一つとなり、神の国の新しいカナン福地に向かって越えていく時代に入ってきていることを皆さんは知らなければなりません。ですから三兄弟が一つとならなければなりません。第二番目のアメリカが中心となって直線上に立たなければ、世界は滅亡に向かって進む時が、遠からず訪れます。アジアにおいては、韓国がよく知恵を使って処理すれば、アジアは飛躍する時代圏に入っていくのです。それは誰も知らないことです。 自由世界を指導するこのアメリカの大統領も今後、ソ連と共産圏から落伍した国々をいかに収拾するかということには、何の方策ももち得ないのです。その時、レバレンド・ムーンに相談すれば、知恵を得るでしょう。これからはそのような危険な時代に入っていくので、今これを防ぐ万全の準備をレバレンド・ムーン一人でやっているのです。 既に皆さんにお話ししたように、一九八八年までに一二〇名以上の牧師たちを結束することができれば、私たちは世界に影響を与えて指導的立場になれるのです。その具体的な内容は、ここにいるリーダーたちにみんな話しました。分かりましたね。二五〇の基盤が五〇〇になり、五〇〇の基盤が一〇〇〇になり、一〇〇〇が二〇〇〇、二〇〇〇が四〇〇〇となる時、その時から攻勢的な戦略をもって、三万から三十万の基盤をつくって世界へ雄飛しなければならないというのが、今後の統一教会の道なのです。そのような契機をつくるために、私がダンベリーに行くことになったのです。それで、三十万本のビデオテープをアメリカ中の牧師に配ろうとしているのです。アメリカの教会の実情を私はよく知っています。いくら新約、旧約の聖書を読んでいても、この急変する世界情勢の前に現代のキリスト教を導く何の能力もないのです。ですから、この統一原理を知らなければなりません。私は出監すれば全国の牧師たちに会いに行きます。(拍手) 今、あなたたちは虐待され苦しいこともあるでしょうが、その時になれば分かります。それで先生は、これまで言論界の人たちに対して一度もインタビューに応じませんでした。その時になって、「レバレンド・ムーンがあなたとは知らなかった」と目を丸くすることでしょう。(拍手)その希望をもって、その日を迎えるために私たちは一二〇名の牧師を中心として、接ぎ木することを二十四時間、夜も昼もこの一路へ総尽力しなければなりません。妻であれ、夫であれ、祖父であれ年齢を越えて、すべてを越えて、環境を越えて生死の事を解決する原理をもって世界的問題を越えるのです。これからは蕩減路程は越えて行けるのです。あなたたちはこれからは苦労しません。一九八八年を過ぎれば、先生は荷物を持って故郷の北韓の地を訪ねて行こうと思います。いかにして北韓の地に行くか? それは易しいことだと思いますか? これまで私は難しいことを成し遂げてきました。夢のようなことを成してきました。そういう経歴をもっているのです。 皆、立ってください。きょう一日中お話をし、汗を流しましたので、ダンベリーに行く前に倒れるかもしれません。だから先生が気持ちよくなるように、「一二〇名は問題ありません。蕩減世界を越えて、艱難と試練のすべてを越えて自由の天国に向かっていくために一二〇名の牧師は問題ない!」と言う人は手を挙げてください。(イエス! イエス! イエス!)。 神様の祝福が皆様にありますように……。 (拍手、歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.08
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御父母様へ捧げる歌하늘이시여 참부모님이시여 그 멀었던 역사의 길 어찌이리 걸어 오셨소 그리 간절하여 마를 새 없었던 당신 얼굴의 그 눈물 단 한번도 닦아 주지 못했소神様、真の父母様、遠かった歴史の道を どのように 歩いてこられましたか切なる思いで、枯れなかったあなたのその涙一度も拭いたことがありません。이 세상에 빛을 주시어 우리를 밝혀 주셨던 당신의 사랑 당신의 그 축복 받았으니 난 이제는 그 뒤를 따라 그 사랑대로 살겠소 당신 얼굴에 환한 미소를 채워드리고 싶어요この世界に光を与えて私たちを照らしてくださったあなたの愛、あなたのその祝福を受けたから私はこれからは、その後を追い掛けて、その愛のままに生きます。あなたの顔に明るい笑顔を作りたいです그리 간절하여 마를 새 없었던 당신 얼굴의 그 눈물단 한번도 닦아 주지 못했소切なる思いで、枯れなかったあなたのその涙一度も拭いたことがありません。이 세상에 빛을 주시어 우리를 밝혀 주셨던 당신의 사랑 당신의 그 축복 받았으니 난 이제는 그 뒤를 따라 그 사랑대로 살겠소 당신 얼굴에 환한 미소를 채워드리고 싶어요この世界に光を与えて私たちを照らしてくださったあなたの愛、あなたのその祝福を受けたから私はこれからは、その後を追い掛けて、その愛のままに生きますあなたの顔に明るい笑顔を作りたいです슬픔 가득했던 당신의 나날 외로움 가득 안고 가야했던 날들 당신을 향한 변치 않는 맘과 이젠 기쁨으로 채워 드리리悲しみが溢れたあなたの日々寂しさを 抱いて 行かなければならなかった日々あなたの向かっている変わらない心とこれからは喜びを満たして差し上げます이 세상에 빛을 주시어 우리를 밝혀 주셨던 당신의 사랑 당신의 그 축복 받았으니 난 이제는 그 뒤를 따라 그 사랑대로 살겠소 당신 얼굴에 환한 미소를 채워드리고 싶어요나의 아버지 나의 어머니この世界に光を与えて私たちを照らしてくださったあなたの愛、あなたのその祝福を受けたから私はこれからは、その後を追い掛けて、その愛のままに生きますあなたの顔に明るい笑顔を作りたいです私のお父様、私のお母様https://www.youtube.com/watch?v=E_dU1...一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.07
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韓鶴子総裁のみ言、神統一韓国のための救国救世祈祷会にて。2021年12月5日 韓国にて世界の宗教指導者と共に。全てのプログラムはこちらですhttps://youtu.be/YIBvw5pegrU本当は完全な解決をなし得ない堕落した人間による解釈を全て諦めて、神様の完全な考えと心を学び実行すれば全て解決です。天からの聖霊の役事によるメッセージが尊いのです。同じ聖書から400の教派がでてきた事からもわかります、千年経っても統一はあり得ません。しかし神様の立場から見た解釈はたったの一つです。ここにしか統一はあり得ません。キリスト教のみならず全ての宗教は頂点にまで来ました、なぜなら真のお母様に出会ったからです。宗教の目的をある意味達成したのです。ですから今後は支流から本流に合流したのですから、聖霊の実体であられる天の独り娘、平和の母、真のお母様を通じて神様の願いと摂理を理解して全ての宗教が一つとなる時、真の平和が訪れます。その第一歩を開くのが神統一韓国です。皆さん最後の時が来ました!皆様は恵まれた方達です、平和の母に巡り会えたのですから。何故最後かと言うと、エバが最初に堕落したので最後を締めくくるのはエバ即ち天の独り娘でなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.06
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「一つになりましょう」1984年7月20日 -お祈り- 愛するお父様、きょう一九八四年七月二十日、午後六時四十四分、この時間を期してイーストガーデンを出発いたします。これから子女たちと共に全体を代身して、お父様の前に一つの十字架を背負って行きますので、お受け取りください。 長い摂理路程は、善なる人々が蕩減の道を歩んで、いつも打たれて奪ってくる作戦でありました。個人から始まって今日の世界に上ってくるまでに、アベルの役事を受け継いだ宗教界が数多くのカイン世界の主権者の前に打たれる毎に、悲惨なる立場で傷ついてきたのですが、その基盤を通して、蕩減の道を急がれて来られたことを知っています。 時代的分野においては、善なる一個人を立てて、個人的な一時が満つるまで待ちながら、多くの人々を代価として探し、家庭的な一つの限界線を中心として、長い歴史路程に善なる人々を犠牲にして、世界的舞台を一つの中心から四方に向かって広めてこられたことを知っています。氏族的な立場、民族的な立場を四方に向かって世界的に広めつつ、世界的な路線を神側が右の方向へ編成するにしたがって、サタン世界は左の方に立って、世界的に対決する時点にまできました。 人類創造以後、堕落したその日から数多くの事情を残して、犠牲の代価を払い、今日民主世界と共産世界が対峙するところまできましたので、民主世界のキリスト教を中心とした文化圏として、全世界が一つとなることのできるこの場をもって、真の父母様に侍ることによってアベル的なキリスト教文化圏が完全に一つとなり、カイン的長子権を支配して余りある基盤とならなければいけなかったのに、第二次世界大戦以後、これを成すことができなかったゆえに、世界をサタンの側に引き渡し、今日統一教会は受難の道を行き、一人で個人を探し求め、家庭を求め、氏族、民族、国家、世界的な舞台にまでいくのに四十年という道を歩んで、最後の絶頂に臨み、今やアメリカ全体の前にキリスト教を代身して立つことによって、神の時と時を合わせて長子権と、次子的な立場の今日の既成教会を吸収することのできる時代圏を整え、今こそ一つとなることによって、今まで反対していたアメリカが神側に抱かれることのできる、緊迫した転換式に向かって、真の父母の名をもったこの一人の息子はこれから受難の道を覚悟して行きますので、アメリカを守り、キリスト教を守り、自由世界を守り、さらには韓国と韓国の民族を統一教会を中心として守ってくださることをお願いいたします。 行く道が険しくともあなた様が生きておられることを知って、あなた様が導かれるこの道に従い、有終の美を修めるための最後の峠に向かって前進しますので、神様が悲しみをこらえつつこの道を耐えなければならない立場を容納(寛大に受け入れて)くださることを切にお願いいたします。 このような次第で、すべての責任をお母様を中心として、幼い十二子女と、孫たちをここに共に集わしめまして、お父様の前にお願い申し上げます。祝福を受けた四家庭を中心に聖進君もここに参加していることとして、内的、外的に一つとなるこのような因縁を立ててお父様が守ってくださることを切にお願い申し上げます。 これからはお母様を中心として、特に孝進君と誉進さんが一つとなり、父母様の苦労の道を代身する立場において十字架を背負って、お父様がすべてを勝利して出てこられる時まで、お父様の代役として受難の責任と重要な責任を負いますので、彼らを協助してくださいませ。また祝福を受けた三十六家庭を代表した朴普煕、郭錠煥、韓相吉、韓相国の四人を中心として、四子女の祝福家庭と十二子女の困難な時には、相談し、お祈りし、協助し合いますよう。ここにお父様の代わりに全体のみ旨を委ねてまいりますので、お父様守ってください。幼い者たちの力の足りない分はお父様の前にひざまずいて祈るしかないし、お母様が難しい立場になればやはりお父様の前にひざまずいて祈るしかありません。たった一つのこの道を残してまいりますので慰労してくださることを切にお願いいたします。 父親がいる時にはお母様も子女たちも無理を言うことができたのですが、父親がいない立場においてはお母様が悲しみの立場に立つことは当然ながら、子女たちの悲しみは推測しても余りありますので、お父様が代わりに慰労してくださり、抱いて守ってくださることを切にお願いいたします。 私がこの地を離れたとしても、私の家庭を中心として祝福家庭が完全に一つとなり、祝福家庭の子女たちが完全に一つとなり、これらがすべて一つとなることによって、期待されるキリスト教が一つとなることのできる運動を展開する動機となりますように。私の家庭によって、私の子女たちによって、祝福を受けた子女たちと統一教会によって、完全に神の恵みが臨むことができますように許諾してください。 特に興進君が悲しみながらも残された家庭を保護してくれることを思い、イエス様と全霊界もこの恨みを解くために総力的進軍をして全面的に協助しますので、全世界の七十億に近い人々と国家が啓蒙されることと思います。これから行うすべての行事がお父様の栄光のために成すことを、お父様知ってください。それは私、息子のためにやるのではなく、このキリスト教とアメリカと自由世界全体のために、天にいる霊人たちのためにやっていることとしてお受けくださって、彼らを祝福圏に加えることのできる恵沢的な時間がこのたびの監獄での生活となることができますよう、許諾してくださいますように切に願ってやみません。 私はいかなる場に行っても、お父様に侍って私に与えられた召命に恥じないような責任を果たしますので、天よ御心配なさらずに、より家庭を守り、教会を守り、キリスト教を守り、アメリカと自由世界を守って、共産世界にまで救いの道を開くことができますように。真の父母と真なるアベルが一つとなることによって、長子であるカイン圏が自然に屈服することのできるその日まで、歯を食いしばってでも耐えていかなければならない私の道ですので、その時までは、受難の道を感謝でもって消化しなければならない私たちの行く道でありますので、すべてをお父様の前に感謝し、きょう出発します。この身を受け、主管してくださいますことを切にお願いいたします。 これからは、ダンベリーという収容所に入っている百五十人の人々の心を感化してください。私が行くことによって、悪なる人たちが善人になるように許諾してください。名もなく服役している私の姿を見て、その心に感動を受けることができる、神の因縁が共にあらんことを。 興南の監獄で共におられたお父様が、この場においても共にいてくださることを信じています。興南の監獄は敵の国にありましたが、ここの監獄は神側の国にある監獄ですので、安心して行けることを感謝し、そこにおいてもあなた様の予定した人がいるとしたら伝道して、この国の、この世界の助けになることのできる一つの門を開くことのできる道となるように許諾してください。神様が残した領土でありますので、私はそれを管理し視察しようとして行きますので、行く道を祝福してくださることを切にお願いいたします。そして所長と職員全体が心を合わせて新しい霊的な雰囲気がそこに表れるように許諾してください。 過去の歴史において、看守の生活をしていたすべての善なる人々がここに再臨して、彼らの心を善にし、毎日の生活圏内に神様の香りが漂い、恵みの雰囲気がすべての環境を消化することができるように許諾してください。夢や啓示で示して、言葉なき中において神の心情の土台を広めることのできる美しい地域を心から成すことのできるように許諾してくださいますよう切に願ってやみません。 天全体の宝座を中心として、興進様とイエス様を中心とするすべての霊界が、すべての先祖たちが、この時間に頭を垂れて真の父母の行く道に向かって涙し、敬礼することを考えながら、地上においては私たちの統一群が心を合わせて、父母様の行く道を祝賀するこの場を父よ、祝福してください。心情的絆を強くし、今日の恵沢を、お父様が祝福したい心の場を、恵みとして与えてあげてくださることを切にお願いいたします。 今、すべてをお父様の前に感謝で受け入れ、これからのすべての環境が難しくとも消化し、吸収し、克服して行くことをお父様の前に宣誓し、盟誓しますので、お父様は御心配なさらず、むしろ私の代わりにお母様を保護し、子女たちを保護し、教会を保護し、キリスト教と自由世界を保護し、さらに大韓民国を記憶してくださることを切にお願いいたします。 いまだに残っている共産国家までの救道の十字架の道を見つめつつ、私の年齢が七十歳に近づくこの時代の早い時期に、あなたに有終の美を修めることのできる一つの契機であり、蕩減期間として受けて立つ私の心であります。これを矜恤{きようじゅ}(憐れみ恵むこと)に思ってくださいまして、万福をこの地球星に許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 きょう流す涙は、悲しみと失望をもたらす涙ではなく、希望と決意を新たにし、全天下に忠孝の道理を誓い、忠臣と聖神と聖子の立場を果たすことのできる涙となすことができるように許諾してくださることをお願いいたします。そのようにして、生涯において恥ずかしい涙を流すことのない誇らしい子女となることを宣誓いたしますので、矜恤にお受けくださることを切にお願い申し上げます。 この背後において、オリン・ハッチ上院議員が政府を代表して憲法小委員会委員長という重大な責任をもって、宗教自由の権限の門を開く闘いの旗を翻さなければならない責任がありますので、オリン議員をお父様が守って励まし、告訴の文書を取り質すことによって、この事件が今日の悪魔、共産主義の魔の手の理論によってなされたことを明らかにすることにより、今日のキリスト教文化圏が結集することのできる一つの契機となり、宗教人団結の総進軍の信号弾を全天宙に鳴り響かせることができますように、お父様お導きください。 統一教会のメンバーによる大きな声が聞こえる時、それはお父様の解放の歌を讃美する歌として万人の耳に響き、お父様の心に歓喜と歓声として聞こえ、すべての事が成就されますよう祝福してくださることを切にお願いいたします。 さらに幼い情進を始めとして、妍進、享進、栄進、善進、権進、国進、顕進、恩進、仁進、孝進、誉進、聖進を、また幼い孫たちの信貞、信君、信福、信淑、信美、信一を共々に保護してくださることを切にお願いいたします。再び会うことのできる時まで、彼らをあなたの愛で夜明け前の冷たい風を経て神の恵みを受けて朝の日ざしに光る露のように、お父様の誇りと栄光が芽生えることができるように祝福してくださることを願いながら、再び会う時までこの場で祈祷することもできない私に代わり、このみ旨が成就できるようにそのような祈祷をし、毎週の敬礼式に祝福を施し、祈願してくださることを再三お願い申し上げます。 私がいなくとも、ここに父母様と子女たちと祝福家庭が一つとなり、統一教会が一つとなり、既成教会が一つとなり、自由世界が一つとなるようにして、あなたのみ旨を成すことのできる父母の立場を探し求め、栄光で成就することのできるように心から深く誓いながら、力強く行路の歩みを踏み出してまいりますので、お父様が許諾してください。万万歳の恵みがあるよう。これらのすべてを真の父母の名をもってお祈りいたします。アーメン。---------- 先生の信仰はどこに行っても常に変わりません。(拍手と歓声) 信仰が変わらなかったということは心が変わっていないということです。(拍手) したがって先生が追求する世界、先生が考える世界も変わらないでしょう。私たちの生活は高い所に行っても低い所に行ってもどこに行っても同じ生活であるということを皆さんは知らなければなりません。 八時が過ぎましたね。時間が余りないので簡単に一言だけお話ししましょう。 神様のみ旨は一つにすることです。堕落ということがなかったなら、私たちの心と体が一つとなり、男性の心と体が一つとなり、女性の心と体が一つとなって、二人の心と体が一つになり家庭となっていたならば、そこに統一の世界が始まったことでしょう。 しかしながら今日の世界は一つとなってはいません。では世界とは何でしょうか? 世界は男性と女性を拡大したものです。では皆さんの心と体が今日までに一つとなったことがありますか? 男性に対して問うてみる時、誰も自信のある答えはできないでしょう。だからこの世界は神様の願わない世界であるということを、私たちは普遍的結論として出すことができるのです。この世界は堕落した世界なのです。ですから、一人たりともそのように一つとなった人がいないために、家庭はもちろん氏族、民族、国家、世界、天と地も完全なものとなってはいません。 もし一人の人間の心と体が完全に一つになれば、神様はその人に対する神様として現れたいと願うでしょう。私たちはこのように考えるのです。そのような男女が一つになる時、神様は主体としてその二人に対そうとされるでしょう。またある氏族が一つとなったならば、神様はその氏族の主体として立ちたいと願われることでしょう。全知全能なる神様なら、この地上に数億数千万の人間がいるとしても、その数億数千万の人々の前に、その主体として現れたいと願うでしょう。 そこには天と地の統一の国があるのであり、小さな国もあり、小さな州もあり、すべてがあるのです。そこで神様は、一つにした世界を旅行したいと思っているのでしょうか。それとも世界を一つにすることができず、一人だけで、あるいは家庭、氏族を伴って旅行をしたい神様なのでしょうか。これが問題です。一番目ですか? 二番目ですか? (一番目です)。よく分かりましたね。きっと今、神様はレバレンド・ムーンに対して、「あなたは私の心をよく知っているね」と言われることと思われます。 では、これから先生が行く道と、先生がやらなければならない仕事は何でしょうか? これが問題なのです。神様の最終目的である世界の人類を一つにする道を探していくことが、神様の愛する息子、娘の行くべき道であり、先生の使命なのです。もし堕落ということがなかったなら、人間が一つとなって神様に侍るようになっていたのです。このことをはっきり知らなければなりません。そうしたらそこから千万、億千万であったとしても一つになるようになっていたのです。 神様が家庭を造らなければならないし、国を成さなければらないし、世界を成さなければならないし、神の天と地を成さなければならないのと同じように、アダムとエバも堕落していなかったら、個人を完成しなければならないし、家庭を造らなければならないし、世界を成し、神の天と地を成さなければならないことを知っていたはずです。後孫たちもその道に向かって一つの世界を織りながら行くならば、その段階、段階において神様が最高の立場でありますし、アダムの氏族であれば、そのアダムの氏族は世界を代表した立場に立つのです。そのようにして全世界を旅行しながら、発展することができたのです。 しかし堕落によってすべてが分裂するようになってしまったので、歴史は再創造の歴史であり、復帰の歴史であるので、これを誰かが■って一つの世界圏をつくってくれることを願わなければならない神様の立場になってしまったということが悲痛なる事実なのです。この分裂した世界の中心は誰かと言えば、神様ではなくサタンなのです。ですから個人においても、心と体が反発し合っているのです。そしてこれまでの歴史において、このような罪の根を断ち切ることのできた人は一人もいませんでした。ですから、個人のみならず夫婦同士が分裂し、家庭、氏族、社会、国家間においても分裂し、黒人と白人も分裂し、東洋と西洋との対立といったような分裂が起こるようになってしまったわけです。 サタンの勢力は何かと言えば、分裂せる世界版図圏という勢力であり、その勢力権をもっている世界的チャンピオンがサタンなのです。これとは反対に神様の愛はどのようになっているかと言えば、サタンを追放することによって分裂を防ぎ、いくら分裂させようとしても一つになることのできる群を作らなければなりません。したがってこのように分裂した世界の中で、天と地全体が分裂しようとしても、それを統一する力をもった人がいるとしたら神様はどれほど喜ばれるでしょうか。 歴史的な偉人、聖賢たちとはいかなる人なのかと言えば、その社会において、あるいは国家とか、世界の環境が分裂しようとしても、絶対に分裂させず、堂々と生命を懸けてでも一つになる道を求めていった人たちのことなのであります。その人類の聖賢たちの中でも聖者として来られた方が、神のひとり子として来られたイエス様であったのです。イエス様はサタン世界において、彼を破滅させようとする敵も含めてサタン世界までも導いて一つにしようとしたのです。十字架を背負いながらもイエス様は、怨讐のローマとユダヤの国の分裂を防ぐために一つになることを願う心で祈っていたという事実を知らなければなりません。そのようにイエス様が十字架上において敵のために祈ったのも、統一的な理念をもっていたからそうすることができたのです。理解できますか? イエス様は十字架にかかる時は一人でした。その時はユダヤ教も失い、新しい理想的なキリスト教も失い、ローマも失い、世界も失ったのですが、今日のレバレンド・ムーンはどのような立場に立っているのでしょうか。レバレンド・ムーンがやることは何でしょうか。神様が願っておられることを知った今日の統一教会がやる仕事は何か。このことをはっきり知らなければなりません。 「ムーニー」と言って、あなたたちの父母がまず分裂させようとしたし、四方八方で騒動を起こし、ユダヤ教が分裂させようとし、キリスト教が分裂させようとし、共産党が分裂させようとし、アメリカ政府が分裂させようとしていましたが、今はどんなに打ったり、殴ったりあらゆることをしてきても、私たちを分裂させられないと見始めているのです。 統一者、unifierということはunited fireという意味です。(拍手、歓声) 他の人々はこの戦いを見ながら、レバレンド・ムーンはどうするか。レバレンド・ムーンの妻はどうするのか。ムーニーはどうするのか。私たちの一挙手一投足を見つめているのです。もはや統一教会はバラバラになってしまって、完全にやられてしまうだろう。もう万事休すだろうと彼らは考えているかもしれません。しかし統一教会は涙を流しながらも前進する気根をもっているので素晴らしいのです。ですからお母様も、もし涙を流したとしても、夫が行くからと言って失望する涙ではなく、決意する涙でなければなりません。失望でなく、希望と決意と未来の闘争のための奮起の涙として変えることができるのは、打たれて奪ってくる法則を守っていく道であり、そうしなければ次には打たれて恵みを受ける基台がなくなってしまうことを知らなければなりません。今は泣いたとしても、より大きなものを受けることのできる器となって雄々しく強くなりなさい。希望と所望をもちなさい。そうでなければこれから打たれて天が探してくださる恵みを受けることができず、こぼして失ってしまうことになります。 だから、たとえ全アメリカから反対されるとしてもレバレンド・ムーンは負けないでしょう。絶対に負けるはずがありません。レバレンド・ムーンはアメリカ以上の所望をもって、これから探してくださるアメリカまでも受けることのできる準備をしなければならないのです。 そして我々は昨日よりもきょう、きょうよりも明日が大きくなり、明日よりも一年後がより大きくなるでしょう。それで神様の願いである四十五億人類が一つとなることのできる道をつくることができるならば、その道を選ぼうとするのが先生の思想なのです。 大法院の決定が出た時、「神様!次は何を与えようとするのですか?」と先生は尋ねたのですが、大法院の決定の後にはキリスト教が統一教会に戻ってきたのです。今回のこの法廷闘争において、先生が監獄に行く道を通して、これから受け継ぐであろう大きな祝福とは何でしょうか? それは世界の人類が先生の胸に抱かれるようになることです。(歓声、拍手) 先生が行く道には、統一された家庭がついて来るし、民族がついて来るし、統一された国が従って来るし、統一された世界がついてくることを知っています。そしてこの峠を越えて会う時には、その場に統一された世界の群れが先生を待っているのです。先生の行くこの道というのは希望の道であります。そしてそこには、何十億という人がいるでしょう。また、神様と一つに連結できる道があるでしょう。私はそのために十字架の道を所望と歓喜の道として行こうとするのです。そのためにも、ここに集まった五色の人種の皆さんは一つとなって従わなければならないし、家庭をもった祝福家庭は、家庭的に一つとなって従って来なければならないし、あるいは、民族と国に責任をもった人であれば、その民族と国を一つと成して従って来なければならないし、世界の全統一教会の信者たちが一つとなって従って来なければなりません。 きょうこの日を通じて、統一教会は統一を成就する伝統が父母様より子女様へ、祝福家庭へ、既成教会へ、アメリカへ、世界へと連なる橋が連結されたことを知らなければなりません。この橋はだんだんと大きくなっていくでしょう。このように壮大な道を出発するこの日に、皆さんは涙で先生を送ってはいけません。涙を流したかったら十倍、百倍、先生以上にこの国と世界のために闘うための涙を流しなさい。 心が痛み悲しければ、先生が出てくる時、千人を一つにし、一万人を一つにして会うことのできる統一の役軍となることを、この時に神様が皆さんに期待している事実を忘れてはなりません。先生は統一教会とキリスト教会と世界が一つになることを信じて監獄に行きますが、先生は監獄の中で一つになることのできない群れたちを一つにするための運動のゆえに行くのだということを知らなければなりません。 だから皆さんは本当に一つにならなければなりません。皆さんが一つになれば地獄の門を開くことができるのです。イエス様が十字架にかかった後に、地獄に行って門を開いたのと同じように、先生は死なずに生きて門を開こうとする最後の峠を越えるのです。この門を開く時、そこには復活がありますし、五旬節がついてくるようになります。先生はこのように思っているのです。 先生が入監する時、神は死ぬのではありません。皆さんの働きいかんによって、復活の国と復活の世界が成立するのであり、個人でなく一二〇カ国が復活することのできる世界史的なペンテコステとなるでしょう。 先生は世界人類を統一する勇士として、先駆者として行きます。また天と地を代表して行きます。ですから皆さんは先生と歩調を合わせることのできる一人一人にならなければなりません。真の父母様の息子、娘であるならば、父母様が行かれる伝統の思想を受け継いで一つとならなければなりません。 これまでに先生が行った六千双の合同結婚式も、世界を一つとするという象徴なのです。すべてのいろいろな異なった文化、背景、人種、すべてを一つにする、それが先生の目的です。こうなると統一教会のメンバーは今、皆一つの心です。一つの心です。そしてその目的は、神様のみ旨を成就することであり、神様のみ旨は人類を統一して解放することです。簡単なことですね。私たちはそのために前進いたしましょう。受難の道はもちろんのこと、十字架を背負う道であるとしても、死が妨げる道であっても。もし、ぶつかって壊れる時には、神様が私たちを凱旋将軍として覚えてくださるのです。死の道であるとしても復帰のために行くのです。神様が『統一の勇士』としての碑を建ててくださるのです。分かりますか? その時は、直接神の国へ直行するのです。垂直なのです。どうですか? (はい)。ですから心配しないでください。イエス様も十字架にかかりながら、「私のために泣かないで、あなた方の子孫のために泣きなさい。イスラエルが一つとなることができなかったので未来の悲惨なるイスラエルとローマのために泣きなさい」と言われました。 きょう、イースト・ガーデンに集って先生の話を聞いている人は少ない数ですが、きょうこの日のために、世界中で涙をもって祈ってくれている多くの人たちがいることを知らなければなりません。先生がなぜ世界的な誰もできないことを成そうとして懸命に闘っているのかと言えば、全世界が先生の背後で団結し、世界の祝福を迎えることのできるその日が来ることを知っているからです。 これからは皆さんが外に出て世界に向かって叫べば必ず良心のある人たちの、その良心が呼び覚まされて、そしてすべての眠っていた人々が起き上がって、世界に向かって同じように叫び一つとなるでしょう。このようにして、より大きな統一の道を求めていく時に、必ず成功と繁栄と、勝利の道となるでしょう。ですから皆さんは絶対なる決意をもって、外において四方八方に手を広め、世界的な統一運勢圏の前に橋を架け、そこでセメントの役割をしようと努力しなさい。 世界を見てごらんなさい。私たちは決して一人ではありません。今では私たちを支持してくれる多くの友人や味方の団体がいます。偉大なるムーニーの主人を知ったので、ムーニーであることに自信をもたなければなりません。誇りをもたなければなりません。そして全世界の人たちを一つにするために、新たに立ち上がらなければならない時です。統一の時のために立ち上がって前進し、目標を達成しなければなりません。今や夜明けが来たのです。東の空に朝の太陽が昇ってくるのと同じように、統一の太陽が山を越え、個人、家庭、氏族、民族、世界を越えて、私たちを迎えてくれることを知って、前進、前進、前進いたしましょう。アーメン。 まず私たちは個人の太陽を昇らせ、次に家庭の太陽を昇らせ、氏族の太陽、国家の太陽、世界の太陽へと、更に大きな太陽を昇らせる朝を迎え入れなければなりません。休む間がありません。悲しむ間がありません。涙を流し絶望している間がありません。ただ所望のために前進するのみです。きょうを期して私たちは前進するのみです。それはなぜですか? 神様を解放するためにです。(はい!)。そこから全被造物を自由に主管することのできる時が来るために私たちはやっているのです。神様が自由であれば、そこから地上天国が成就できることを私は知っているために、その道を探し求めていくのです。 その間に私たちが精誠を尽くすことは無駄ではなく、すべてが実のある器となるのです。今まではただ器を準備するだけが、これからはその器に実質的なものを入れなければなりません。先生は前線に立つ兵士として、皆さんの先頭で、この器に実のあるものを入れるために闘っていく決意です。だから先生は皆さんの先頭に立っています。皆さんのためにも行かなければなりません。皆さんと先生の間には世界統一という課題が残っています。 地獄の世界の門を開くために私は行きます。後は皆さんにお任せします。(はい、先生!)。統一いたしましょう。統一いたしましょう。これが私たちの課題なのです。そのために私たちは前進しましょう。それを願う人は立ってください。そこに向かって前進いたしましょう。アーメン、アーメン、アーメン。(拍手) 皆さん、特に祝福を受けた家庭の責任は重要です。分かりますか。家庭をよくしなさいよ。皆さん方はこれから私の家庭と完全に一つとなってやらなければなりません。他の思いをもってはいけません。時間が近づいてきましたね。 皆さんが先生のいる所へ来て、面会したいという気持ちはよく分かりますが、先生の近くに誰もが来るということは支障が多いのです。それでミスター・キムを近くに置きますので、その指導を受けながらやってください。分かりましたか?(はい)。 先生は個人時代に監獄にも行きましたが、それは世界的家庭を探すためでした。また家庭時代にも監獄に行きましたが、それも世界のためでした。そして国家時代にも監獄に行きましたが、やはり世界のためでした。今は世界時代の監獄にも行くのですが、これは天と地のためです。ですから皆さんも個人的資格で訪ねて来ることはできません。イエス様も自分について来る者は十字架を背負ってきなさい、と言われました。今は世界的な十字架を背負って従ってこなければなりません。十字架を背負って、勝利して、その十字架を下ろしてから訪ねてこなければなりません。先生と一緒に十字架を背負いますか? 皆さんがその十字架を背負って勝利するならば、先生はそう長くなく自然に出てこれるようになります。このことをよく知らなければなりません。 先生に会いたければこのイースト・ガーデンに来て祈りなさい。それでもどうしても来たければ、近くに聖地を一カ所選びますので、そこへ来て先生のいる所を遠くから眺めて祈っていきなさい。分かりましたね。(はい、先生)。 先生に面会したい人は手を挙げてみなさい。では今、先生のことを思って一回目をつむって、開けて、それを千回やってみなさい。(笑い) これで千回の面会をしたことになります。先生はそれを面会に来てくれた以上のものとして受けます。(笑い) それでいいでしょう。先生は忙しいのですよ。 私たちは一つにならなければなりません。統一のために前進しなければなりません。三万カ所を中心として、一人が十人ずつの牧師とコンタクトし、三十万人の牧師を一つにする運動をするのです。皆さんは一年間で何人できますか? 多くはさておいて、まず五十名を一つにしてみなさい。既に先生は三万のビデオをつくって、それを牧師に配ってビデオで勉強するように指示しました。一組ずつ一週間のビデオ修練をするのです。その間皆さんは何人の牧師を一つにしますか? 外部の牧師ですらも一人が十名の牧師をつなごうとしているのですから皆さんは少なくとも百名、千名をつながなければなりませんから忙しくなります。そのような責任が残っているのです。責任を果たさなければなりません。(はい!)。 では万歳をしましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.05
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「未来の摂理のために備えよう」1984年7月19日ベルベディア 以下のみ言葉は、ダンベリー刑務所に行かれる前日、在米祝福家庭の二世たちをベルベディア修練所に呼び集めて語られた内容の要約です。 歴史発展の原則 人間は現在にのみ生きているのではありません。過去の先祖から生きて来たし、未来へも継続していかなければなりません。このような連なる人生にはいつも競争がついて来ます。次元の高い歴史発展のために不可欠な現象です。いつも挑戦を受けなければならないし、挑戦を克服できる過程を通過しなければ、歴史の発展は期待できないのが天理原則です。オリンピック大会を見ても、優勝し金メダルを取るためには、競技に参加し、実力を競う競争で勝たなければなりません。 このような観点から、先生は大きな志を抱いて、今まで実践して来る中で、すべての挑戦を克服し、発展させて来ました。今は世界的基盤がある程度整って来たと見ています。 人が生きて行く中で、自分の生活の場とか、基盤がない人ほど悲惨なことはありません。軍隊を例にあげれば、戦闘準備とか各種訓練など、すべての条件が整っていなければ、事ある時に悲惨な状況に置かれるようになります。非常時に備えた準備がないために、敵と戦って勝てる基盤がないのです。基盤を造るためには、長い期間の準備過程を通らなければなりません。同じように、人は一生を通じて目的とするところの世界のために準備しなければなりません。 統一教会がこれほどの基盤を築いた背後には、神様も準備された摂理的過程がなければなりません。神様は旧約時代を通じて、メシヤを送るために準備をして来られました。新約時代がなしたことは何でしょうか? 再臨主を迎えるための準備でした。旧約時代にあって、新約時代にあって“準備”と言うのは、旧時代の基盤の上から新しい次元に行ける基台を形成することです。 旧時代の基盤より、新しい基盤の次元が高くない時は、旧時代の歴史は新時代に移りません。これが歴史の順理です。このことは個人生活とか社会生活、そして国家が行く道のみならず、すべての歴史発展にも同じく適用されるのです。人生は準備しなければなりません。 人々は少年時代から青少年時代まで勉強をします。なぜ勉強しますか? 準備するためのものです。現代社会の基盤の上に、新しい基盤を形成することができる準備をするという事を知らなければなりません。 万一、その準備の内容が、歴史的な伝統を相続した現代社会の基盤より劣るときは、既成圏内に消化されてしまうのです。それは即ち、新しい歴史の発展を呼ぶことができないと言うのが理論的結論です。 未来のための準備 そのように見るとき、青少年時代は夢を持って、国家の全体的基盤を見ることができる目を持たなければなりません。経済、政治、教育、宗教、文化など全般的な分野にあって、理想的基準を持って、全力を出して努力しなければなりません。全般的な既成世代の基盤を凌駕するために、その基盤を越えることができる準備態勢が必要です。 そこで、統一教会はこれから世界に向かって行きますが、現時代、旧時代、これは民主時代と共産時代があり、あるいは大韓民国自体を見るとき、民主と共産の中で辛吟している旧時代の環境の中に、そのような基盤にあるのです。これが、どのように飛躍するか? 飛躍しなければならない問題は誰でも知っていますが、それを解決しようとすれば、とても難しいものです。もし、そのようにすれば、いかなる国民個人だけでもこのことを成し得ません。国家全体がこれを解決するためには精神的統一が必要です。そのためには国家、国策を立てて強調することは、国策、あるいは経済問題、政治の問題を選挙に際して政見発表するその内容も、政治の分野にあって新しい次元に行くことのできる、新しい基盤を造成することができる準備ができた内容なのです。これは、どの社会にもあてはまることです。 人々はよく、「成功したい。成功する。」と言います。成功するためにはどのようにしなければなりませんか? 旧時代の基盤の上に新しい基盤を造るためには、準備された内容を中心に、旧時代の基盤を消化できなければなりません。旧時代の基盤を越えることがてきなければならないということです。そうでなければ、歴史的な新しい基盤が設定されません。宿命的結論です。我々の人生とか、すべての国家が行く道も同じです。 軍隊であれば、軍隊としても徹底して訓練します。その訓練は、敵がいれば当然として、その敵を吸収し、越えることができる軍隊を作らなければなりません。そのために、情報とか、彼らが構成している環境基盤を吸収し、克服できる自制力を持たなければなりません。力の投入が必要でありますが、その自制力を持たなければならないという事実、つまり大半の社会における、そのような内容を知らなければなりません。 先生は、皆さんのような若い時代から壮大な摂理を準備して来ました。青少年時代に、神様と宇宙の根本に対する問題にぶつかったためです。神様の絶対的摂理によって生まれた創造的基盤が、なぜこのようになったのだろうか? 神様のためだろうか? 神様でもなく、人間でもなければ誰のためだろうか、サタンのためだろうか? それならば人間はなぜサタンを克服できないのだろうか? なぜ神様は、人間がサタンに備える準備をさせられなかったのだろうか? すべての環境条件を集め消化できる神様が、なぜサタンを防げなかったのだろうか? などの問題にぶつかるようになったのです。 これから統一世界に責任持たなければならない皆さんは、責任持てるだけの力を備えるよう準備しなければなりません。御旨を中心に準備すると言うことは、多方面で隙間なく準備しなければならないと言うことです。先生が宗教指導者として信仰分野だけ指導して来ていたならば、一教派の責任者となったかもしれませんが、今のように世界に影響を与えることができる立場に立てなかったと思います。私は多方面にかけて準備して来ました。統一教会は今、迫害を受ける難しい立場にありますが、未来のために準備しているのです。 先生は、世界の友邦国家群が戦うことを恐れる、二億四千万の人口を持つ、力の大国であるアメリカを相手に一人戦って来ました。アメリカの中で先生の友人として力になった人はいませんでした。このような事情をアメリカの食口たちは知らないでいます。 戦いに勝とうとするならば、盲目的ではなしえません。思想的準備をして、精神力で上回らなければなりません。努力することにおいては、アメリカ歴史上に功績をたてて来た伝統を越えなければなりません。従来の基盤を越えることができる主体性を確立するためには、多くの努力を必要とします。 闘争過程でどんな人が滅びますか? 吸収されるとか、消化される弱者が亡びるのです。ここには異議がありません。亡びないようにするならば、消化するとか吸収しなければなりません。そうしなければ残れません。敗者の辛い瞬間を迎えるしかありません。 既成基盤の消化・吸収 このような問題にぶつかってみるならば、現在受けている先生の問題が、これから世界的な波動を起こします。レバレンド・ムーン一人を中心に、四十億の人類はもちろん、全アメリカを中心にした自由世界が総動員……。では皆さんが準備したものは何ですか? 準備したものはありませんが、思想的な面で千年万年受難の道を克服できる自制力を育てなければなりません。自信を持って、難しくても貫き通す自分を作らなければなりません。どんな犠牲の代価を払っても消化しなければならないし、実践しなければならないのです。実践面では、宗教指導者は闘ってこなかったと言うことがてきます。二十四時間実践力を発揮しなければならないのです。 アメリカ人たちが(近世)四百年歴史において、一日に八時間努力し、現在の文明を作ったとしましょう。それを三倍努力する時には、百三十年あればできるのであり、この努力に倍、また努力すれば七十余年目に成し遂げることもできます。 準備できない人は流れる人生にすぎません。それで、私が皆さんを呼んで、「人生を準備しなさい。」と訓示するのです。皆さんが残りの基盤を吸収するためには、まずは、徹頭徹尾統一思想を武装しなければなりません。「後になれば、お前が後退するだろう。お前が敗れるだろう。」という信念を持たなければなりません。第二に、最善の努力をしなければなりません。第三に果敢に行動に移せる実践力がなければなりません。先生自身、このような人生観を持って来ました。統一教会はここが違うのです。 宗教界にあって、宗教基盤を中心に、キリスト教文化圏を吸収するためには、対社会の全般的分野を知って、キリスト教文化圏を包囲しなければなりません。 韓国も反対し、同じくアメリカも反対しましたが、アメリカはアメリカ自身のためのアメリカではありません。我々に対しては、今国家的に相対をしていますが、我々は世界的に相対し、包囲作戦を行っているのです。我々は、政治、経済、文化、特に言論界を中心に基盤を作りました。無いお金を捧げて、自分の生命に支障があっても準備しました。なさなければ、自体内で弱まって来ます。この法廷闘争は、七年調査して十年かかりました。統一教会自らが、すべてのものを消化できる基盤を作っていかなければなりません。 マジソン・スクェアーガーデンで、「希望の日」大講演会を開催した一九七四年と、アメリカ独立二百周年記念大会をヤンキー・スタジアムとワシントン・モニュメント広場で開催した一九七六年が摂理的な激戦期でした。成功的な集会にしようとすれば、多くの活動要員が必要でした。しかしその時、千八百双国際合同結婚式を行ってから、九十五カ国に宣教師を派遣しました。また、統一神学大学院を設立し、神学生を養成するようにしました。なぜだと思いますか? これは、世界的な統一の囲いを作らなければならなかったためであり、神学生を中心に、神学教授たちと対応するための準備作業でありました。 世界的な摂理を準備しながら、アメリカ自体内の基盤を作らなければならないのです。その間、宣教活動を始めとして、マスコミとか、産業界に至るまですべての分野で基盤を作って来ました。アメリカ内でどれほど統一教会を反対しても、今ではどうにもなりません。アメリカを消化して行ける基盤を作ったためです。今、現在、神学大学院卒業生を中心に、二百五十余都市で活動を展開できるのも、準備基盤があって初めて可能なことです。 皆さんも、学校の勉強でクラスメートを消化し、越えることができなければなりません。学校の先生まで消化できなければなりません。先生の教え以上まで探求し、質問して実力を備えることで、先生が一番愛する弟子とならなければなりません。 摂理的な世界問題を考えて見るとき、多方面で基盤を造らなければなりません。思想問題、宗教問題、経済問題、文化問題などにあって、国内の団体を越える基盤を作るためには、多方面で備わっている既成基盤を消化し、吸収しなければなりません。 自然系の構成要素である原子の運動は、より大きな次元に発展できれば、継続的な運動をしようとします。後退するとか、退化するような運動は止まってしまうのです。人間も同じであります。 既成の基盤の上に、新しい基盤を築き越える時は、もろもろの難しさがついて来ます。しかし、大きな発展をもたらす時は、この難しさは自然に消化されます。このような内容を知るために、韓国とか日本、欧州から若者たちが集まり、難しさを敢えて受けながら、すべての活動が展開しているのです。 人は、指導者となるには経済問題も処理できなければなりません。次は説得力がなければなりません。説得力を備えるには知らなければなりません。共産主義者を説得しようとすれば、共産主義を知らなければなりません。神学者を説得しようとすれば神学を知らなければなりません。皆さんが世界的指導者となるには、世界を、アメリカを、韓国を、すべて知らなければなりません。 小さな事が問題となるのではありません。哲学の根本は神が実在するかどうかという問題であり、神学生にとっても神が実在するかどうかという問題です。だから、神様と人間との関係、生命と永生に関する根本問題に対する確実な信念を持って、彼らとぶつからなければなりません。 自己確立のための準備を 先生は、青少年時代に韓国の八道江山(パルトガンサン:全国を意味する)をすべて回ってみました。韓国全土、どこも行かなかった所はありません。貧民村とか、乞食窟まで見て回りました。かわいそうなおじいさんとかおばあさんと事情を交わしあったり、自殺しようとする女性を捕まえて泣いても見ました。人々は春になれば、さえずる鳥と共に歌いますが、先生には歌う余裕がありませんでした。先生が抱いた悲壮な思いの前には、父母兄弟、誰も助けとなりませんでした。寂しさの日々でした。一生の間、そんな過程を過ごして来ました。 先生が監獄に行かなければ良いと思ってはいけません。私はアメリカの監獄を消化するのです。アメリカが消化できないと嫌っていた人たちを消化するのです。私が吸収するのです。 皆さんは、三十余年間に造って来た基盤の上で前進しなければなりません。痛哭しながらも、前進しなければなりません。神様の勝利の日が来る時まで、血の出るような努力を注がなければなりません。 あなたの前に、手足を釘打ち、胸に槍を突いたあの怨讐は、槍を持ってしては屈服させられないことを知っているために、精誠を尽くし、努力しながら、恥ずかしさを耐え忍び、若い青春を捨て、新しい基盤を持って準備しなければなりません。 私一人が一粒の種となって、土に蒔かれて五十余倍を収穫すると考える時、統一教会は明日を希望として迎えることができるのです。御飯を食べるとき、「御飯粒よ、摂理の主役となるため準備する私の力となってくれ。体内のすべての細胞に力を送ってくれ。」と言いながら食べなければなりません。 先生は皆さんのように良い服を着てみることができませんでした。ある面で、皆さんたちは、あまりにも無秩序に勝手に生きて来ました。だからと言って、私が生きて来たように生きなさいというのではありません。たやすくできることは、たやすく行くことが賢明なことです。しかし、先生の伝統だけは確実に知っておかなければなりません。 私はあらゆる闘争の歴史を経験して来る中で、どんな社会に行っても、そこで吸収されるかもしれないと思ったことはありません。後退するとか、消化されるとか、考えたことは一度もありません。学生時代は準備、先生は三十代まで準備、四十代まで実践。今まで時間を忙しく過ごして来ました。多方面に準備しなさい。 弱小民族がアメリカに移住して来れば、一年以内にアメリカ化すると言います。しかし、レバレンド・ムーンは正反対です。それで憎くて仕方ないのです。それでも、既に勝負は決定しています。全世界の知性人と良識ある人々は知っています。レバレンド・ムーンの思想がなければ共産主義を消化できないし、民主主義の道徳的混乱や、頽廃した倫理問題を清算できないという事実を知り始めました。 皆さんは、「私はお前を消化しなければならない。」と言わなければなりません。今できなくても、十年後でも再び戻って消化しなければなりません。外部から吹きつけて来る風が強ければ強いほど、自己確立のための準備に急がなければなりません。「十年後にお前は後退し、私は前進する。お前は吸収され、私は消化するのだ。」という信念を持って前進しなければならないのです。準備と基盤が必要であります。 今日、興進の死を見ても、先生はこの事件を消化しなければならないと強く決心しました。残っている十二人の子供が興進のように死の道を行ったとしても、死の勢力の前に、消化されないと言うのです。後退する者は亡びるのです。作戦上後退は可能かも知れませんが、それ以上問題を発展させてはいけません。女に消化される男は、そこから人生の坂道を下って行くのです。どんな権力を持った男も同じです。 私は、どこへ行っても法廷闘争が起きたし、監獄を相手にして来ました。男の行く道は、か弱い女の道とは違います。統一街の妻たちは、そんな夫を誇りに思える準備ができていなければなりません。お母様は、そんな面で準備ができています。 皆さんは統一世界にあって未来の主人です。過ぎ行く乞食とか流れ者は、基盤は必要ありません。皆さんは基盤を造らなければなりません。現在、各自の基盤を持ちましたか? 皆さんはまだ基盤がありません。私が作っておいた基盤しかありません。今からは、皆さんが自ら自身の基盤を作らなければなりません。実践時代を迎える準備をしなければなりません。軍事訓練をしないで戦争をすることができないことと同じことです。準備がない人は実践場で敗者となることが決まっているのと同じだからです。先生はどこに行くと言っても心配することはありません。皆さんの行く道は忙しいのです。先生が行く道を皆さんが早く継いで、新しい世界の基盤を作ることを願います。 実力がいくらあると言っても努力しなければなりません。努力をしても、基盤となるような努力をして建てなければ流れてしまいます。先生が努力することは、国家と世界が必要とする基盤に拡大するためのものです。 準備と基盤、実力と実績を持たなければなりません。どれほど実力があったとしても、実績がなければだめです。歴史上に残るのは、準備とか実力が残るのではありません。実践した実績だけが残るということを知らなければなりません。準備と基盤、実力と実績が必要であります。 先生が監獄を選ぶことも、一つの実績として残るでしょう。監獄で誰と会うか知れません。世界を生かす道がそこから開けるかも知れません。夢を持って行く道です。受ける試練を恐れないで、消化できる知恵と度胸を持った人は、絶対失敗者となりません。死んでも失敗者ではありません。皆さんも準備して基盤を持ち、実力を育て、実績を積まなければならないのです。 孝進、準備しなければならないだろう。お父さんの基盤はあっても、お前の基盤がなければならないんだよ。実力が必要だ。お父さんの実力ではだめなんだよ。そして、お前の実力基盤の上に実績が必要だ。ここに集まった人たちは、先生の実績の前に頭を下げるのであって、実力だけの前に頭を下げるのではないんだよ。これを確実に知って、孝進君がより次元高く、先生の願う以上になったら、私が監獄に行くことが、却って文氏門中にあって栄光として残って行くことと思うよ。 皆さんは、孝進君と一つになって、統一街の新しい基盤を拡大するための準備と、その基盤を作るための実力を育て、実績を積むことに総進撃することを誓いますか! 手を上げて約束しましょう。皆一つとなって、私が帰って来る時まで、誉められる皆さんとなることを願っています。 学生時代の思い出 学生時代の話を一つしましょう。先生は、学生時代に故郷を出て、ソウルで自炊をしました。ホーム・シックにかかり、初めての休みがとても待ちどおしくなりました。鳥のように飛んで行きたい気持ちが湧いても来ました。しかし、家には行きませんでした。私の行く道を作るためでした。自炊生活をしてみると、服を縫うことも覚え、家事もできないものがなくなりました。 当時、冬はとても寒かったです。井戸から水を汲む時は、桶に手がピタッとついてしまいます。かまどに火を燃さない小さなオンドル部屋で一冬を越えました。勉強し休もうとすると、あまりにも寒くて、電球を布団の中に入れてみたりもしました。神様のみ前に決意したことを、必ずや成し遂げるための準備過程であったために耐え忍んだのです。 皆さんのお父さんやお母さんは、御旨に従って来ながら、言うに言えないほどの多くの難しい生死を賭けた道を歩み、生き残ったのです。皆さんのおじいさん、おばあさんが反対する中で、お父さんとお母さんたちは先生が中心となって結婚式を挙げましたが、その背後の事情がどれほど悲惨であったか皆さんは分からないでしょう。 神様の復帰摂理は、カインとアベルを一つにする歴史です。今まで、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へとアベルの基盤が広がって、今日のカイン型の共産主義をアベル型の民主主義の世界に二分されています。今、父母の立場にいる先生を中心に、民主主義世界が共産世界を克服し、一つとなることが復帰の道です。このような創造理想の実現のため、統一教会を建て、キリスト教文化圏を中心に闘って来たのです。 イエス様は、カイン圏とアベル圏を一つに作ることができなかったために、神様のもとに帰れませんでした。楽園に止まって、この地上に、再び来なければならないのです。しかし今の時は、必ず御旨を成就しなければならない第三次摂理時代であるために、再臨役事をまた再び繰り返す事ができないのです。どのようにしても、一つにできるような基盤を作って、御旨を成就しなければなりません。 収穫の時機 このような面で、今回の不当な脱税の容疑事件は、キリスト教と一つになれる貴重な事件となりました。イエス様はピラト法廷に立つことですべての基盤を失ってしまいました。ユダヤ教とユダヤ国家はもちろんのこと、弟子たちさえも、ちりぢりになって逃げてしまいました。しかし、先生の立場はそうではありません。先生と生死を共にする十二弟子も、統一教徒たちもいます。大韓民国や大韓民国のキリスト教が先生に同情しています。アメリカ国民やキリスト教が先生を積極的に支持しています。日本の朝野が、アメリカの不当な処置に憤慨しています。自由世界が今、私の側になっています。 今、皆さんは、父母様の息子を中心に一つに集わなければなりません。 今の期間はモーセがシナイ山に登った時と同じ期間です。皆さんはどのようにしますか? ユダヤ民族は頽廃し、淫乱に陥って、偶像を作って祭りました。しかし先生はその間、愛天日を宣布し、愛天燭と興進燭を伝授し、一情会を作っておきました。これから、私がいなくても、神様の御旨を立てるため、世界各地で膝を曲げて折れるような指針を提示したのです。 五月十九日、世界の指導者たちを集めて、「第二のレバレンド・ムーンとなれ。」と言いましたし、アメリカ二百五十都市に要員たちを配置し、指示しました。私が死んだとしても、御旨は成し遂げられるのです。イエス様の蕩減復帰としての十二弟子はいないか? キリスト教の代わりとなる統一教会はいないか? 統一教会を中心にした世界理想圏がないか? ユダヤ教は反対したけれども、先生を支持するキリスト教がないか? 皆ここにあります。 今や、キリスト教の牧師たちが先生を支持して大騒ぎしています。これらのことを誰がしましたか? アベルがするのです。アベルがその責任を果たさなければなりません。私が今帰らなければならない立場です。私が勝利でもって帰るべき立場ですが、監獄に帰るということは一体何事ですか? これは、何十倍、何千倍もの賠償を払わなければならなくなります。 皆さんが知らなければならないことは、カイン・アベルの復帰を中心として考えてみるとき、統一教会とキリスト教会が、――統一教会自体がこれまでアベル的立場において、カイン復帰のために先頭に立ってきました。血みどろの闘いをするのです。もう今は牧師たちの収穫の時機となりました。躊躇しないで行かなければなりません。紅海が立ち塞がっていても、イスラエル民族は行かなければなりませんが、今一つの雲の柱が立っているのです。これからはキリスト教が行く道がありません。雲の柱が立っているので、その雲の柱を先生と共に登って行くようになっているのです。 これから皆さんは行くのです。そのような立場から見る時、今の時は何かと言えば、父母様を中心にして、カイン・アベルになるのです。統一教会がアベルで、既成教会がカインとなり(その上に)父母様がいますね。それで、既成教会からカイン・アベルは別れたのですが、キリスト教というものは、いいものも悪いものもあるために分けざるを得ないのです。 だから、父母様を中心にカイン・アベルとなっているのですよ。分かりましたか? 父母がいなくなるときには、カインがアベルを勝手にしてしまうのです。しかし、父母がいればそのようにはできません。時が来ました。それで、再臨主、主と言うのは、父母としてカイン・アベルの戦いを防ぎ、カイン種族を置いて、アベルを代りに立て、父母様の代を相続させるのです。分かりましたか? 何を言っているのか、救世主がなぜ来るのかを。カイン・アベルの立場では、父母がいなければ、カインの立場は、すべてを奪って弟を殺すこともでき、とんでもないことでもすべてすることができます。どうしようもないのです。 しかし、父母が現れるようになれば、父母の前では、アベルが訴えることができます。即座に訴えることができます。そこから、不服従といった形態が現れてくるのです。だから、先生を中心に、父母を中心にして、今はカイン・アベルが一つとなりますから、国家的カインたちは嫌がるのです。だから、先生を代りに打つのです。先生を打つのです。しかし亡びません。 最後の時 今まで、摂理的に長子権の戦いをしてきました。今は先生の息子・娘が長子となるのです。皆さんが孝進を孝進兄さんと呼ぶでしょう。なぜか分かりますか? 世界を代表する、家庭的長子権を持って来たためです。堕落した世界では、長子権がサタン側にありましたが、今は神側に長子権が立てられたのです。そのために統一教会が蘇生とすれば、祝福家庭が長成であり、父母様の家庭は完成の立場にあるのです。誰が中心であるかと言えば、父母様の家庭です。 人を中心にして見た場合、旧約時代は物質蕩減時代、新約時代は自己蕩減時代、今統一教会にあっては、物質蕩減時代を越え、興進蕩減も越えて、私は実体蕩減だけ残ったのです。私は実体蕩減を迎えたわけです。だから、法廷闘争の峠を乗り越えなければなりません。分かりましたか?(「はい。」) だから、我々は何をしなければならないか。これからの神様の御旨は何かと言えば、全部宗教統一ではなく、宗教一体であります。心情一体世界へ、一つの世界に入って行かなければなりません。 堕落が何かと言えば、サタンに長子権を奪われてしまったことです。今、父母様が現れて基盤を造ってくださったため、父母様を奉り、長子と次子が一つとなって生きていける生活基盤が準備されれば、原理的に見れば天国に入っていけるようになるのです。この時が、最後の時なのです。久保木会長も昨日来て、み言葉を聞くだけで、みんな宙に浮いてしまうというのです。なぜか分かりますか? 時が来たと言うのです。分かりましたか? そうであるため、皆さんは、このような時を知って、必要のない考えはしないで準備して行かなければならないのです。 そう。(二人を指しながら)どうかな? お嫁に行きたいですか? 御旨を選びますか? (「御旨を選びます。」)不平を選びますか? 敗者を選びますか?(「……。」) 「不平を言うと敗者になります。」と言わなければならないのですよ!「何も選びません。」と、そのように答えなければならないんですね。はっきりと分からなければなりませんよ。 先生の家庭、十二。ヤコブも十二人の息子、モーセも十二支派、お母様も十二人を産まなければ大変なことになるのです。それで、韓国の宮中には妾制度(大奥制度のようなもの)が生まれたのです。王宮法が出てきても、宮女が三千宮女とか、それは天が作ったのです。そうでなければ、終わりの世に合わせることができないために、そんな悲惨史が……。 孝子・聖子の道理 しかし、我々の時代は違うのです。これから兄さんであれば、基盤が出来上がって来て、自分の責任的王権を渡すことにおいて、天国に行っては、兄弟によって渡し受けるのです。だめな兄さんより、できた弟にさせることで世界が生きれば、できた弟を立てるのです。兄さんが反対してはならないのですよ。支持しなければなりません。サタン世界では吠え噛みつきました。カイン・アベル闘争史ではね。我々の時代はそれではいけません。今日我々の幹部たちの間で、「誰は誰々の組に」と言うが、そんなことではいけません。あの世に行けば、即刻引っ掛かってしまいます。その組と言う人は誰のためなのですか? 父母のためのものであり、世界のためのものなのに、それがなにが、組か! 分かりましたか? 皆さんは忠臣にならなければなりません。忠臣になるには、どのようにしなければなりませんか? 王様のために精誠を尽くす人が忠臣ではありません。王様のように国民に尽くすことを知っている人を忠臣と言うことを知らなければなりません。 孝子・孝女がどのような人ですか? 父母のみのため精誠を尽くす人ではなく、父母に尽くすごとく、兄弟のために精誠を尽くす人が孝者であると言うことを知らなければなりません。普通、知られている内容とは違います。 聖人は、世界人類のために犠牲となりながら一生を生きた人です。聖子はどんな人ですか?世界人類を神様のように尽くしながら生きた人を言います。聖子と聖人は違うのです。 孝進、仁進、真の孝子・孝女とは何ですか? 自分の母とか父に尽くすごとく、兄弟に尽くすことが、孝子や孝女です。分かりますか? また、真の忠臣はどんな人ですか? 国王に尽くすごとく、国民に尽くす人が真の忠臣であります。真の神様の息子・娘とは誰ですか? 神様が尽くされるように、万物と人間、神様に属したすべてのものに尽くそうとする人であり、それが聖子です。分かりますか? だから、私は聖子の道を行くのです。怨讐であるアメリカまでも愛します。そのために神様が見る時、「私の息子であるなあ。」と言えるのです。 私は韓国で生まれたが、韓国の息子でありません。どうしてか? 神様に尽くすように、人類のために尽くすからです。神様とは何でしょうか? 自分を忘れ、人類のために尽くされる方です。私は神様を忘れるほど、その息子・娘である人類のために尽くすから、孝子と言うのです。分かりますか? そのような定義をはっきりと知らなければなりません。そのような孝子の道で、孝子、忠臣から、聖人の道、聖子の道を求めなければなりません。はっきり分かりましたか? そうであるために、君たち、家庭食口たちの中には国の忠臣の立場に立って、国王の忠臣を志望する人もいるでしょう。そのような人は、元来、どんな人かと言えば、その人たちは国王にも尽くしましたが、自分全体にも尽くし、国民にも尽くした人です。ところが、奸臣のような者たちは、これまで全部すべて斬首刑を受けて来ました。全然伝統が違います。逆賊です。はっきりと知らなければなりません。 孝子の道理の道を通じて、忠臣の道理の道を通じて、聖子の道理の道を成し遂げれば、その国が地上天国です。このように生きたその国は、そのまま天国へ行くのです。そのように移して行くのが神様の創造理想です。 三時代の完成者 ところで、これまで父母がいなくて、アベルがいないために、カインをつかまえることができないために、メシヤが来ることができませんでした。それでこのすべてのもつれたものを先生一代ですべて解きましたよ。作られてきた六千年、キリスト教歴史、大韓民国の目茶目茶に、アメリカをすべてこのように、糞のように作ってしまったのです。サタンがみんなこのように作ってしまったのです。私一人追われながらも、しかし、これを再編成して、これほどまでに仕上げたのです。それで霊界でも泣くのです。神様も「私よりも偉大だ。」とおっしゃるのです。「私ができなかったことを短い一代で、これをみんな解き合わせてこの場まで来た。」と。祈ってみれば分かりますが、慟哭せずには紹介できない息子として生きて来た息子だと言うことを、神様は紹介されるのです。そのようなお父様が、私が監獄に行くことを知らないでしょうか? 検事の精神が狂ってなしたことが、どんなことになるか分からないのです。これから何が起こって来るか分からないのです。 君たち、統一街にあっての長子は誰でしょうか? 先生の息子・娘たちです。十二支派が長子です。君たちもみんな、十二支派に属するようになるのです。そうでなくてはならないでしょう? これが天理の、復帰の原則です。それで、誕生日にはみんな、統一教会では、年取った博士たちも子女様に敬礼を捧げない人はいないのです。 世界が、天が求める十二族長を迎えることができる道が必要です。お母様が立派なことは、二十数年の間に一人の身体で十四人を産んだことです。摂理歴史的にとても貴重で、立派なことです。子女たちの中で、男子である興進と、女子である恵進を供え物として送ることで、現在十二名の子女がいます。はっきりと分かりましたか? 先生はどういう方か? 旧約時代と新約時代、そして成約時代のすべての摂理的完成の道を行かなければなりません。一代に三時代を歩むのです。アダム、イエス、私自身の完成。旧約、新約、成約の完成をしなければなりません。だから、この世で、すべての波瀾曲折をみんな経験しながら生きて来たのです。 私はすべてを奪われました。奪われても、私はすべてを分け与えました。今私にお金があれば、全部すべて買ってあげようと大変です。サタンに奪われることはないのですが、分け与えるのです。これをはっきりと知らなければなりません。 本然の長子を中心に 皆さんは自分の子女を愛することはできません。先生を愛する時は、認められなければなりません。さらに、先生の息子・娘を愛して、認められることなくして、カインを愛する時、皆さんはカインです。天国を迎えれば、アベルが長子であるため、世のカインを愛した以上に愛さなければなりません。先生自身そうですから、聖進を愛せなかったのです。聖進はなぜそんなに苦労するのか? 私がサタン世界に出て来て、全部アベルの代りになって、カインを探し求める道であったために苦労するのですよ。私が監獄に行くと言いました。行くのです。原理の道はどうしようもないのです。私が原理を知らなければすでに亡んでいました。天が今までなぜ私について来ましたか? それで、これからは伝統があるために後代はついて来るのです。 君たちは、復帰の過程から見ればカインの立場であるが、天側の長子となりました。これから、先生が築いて来た福を誰が分けてくれるのですか? 先生が分けてあげるのではありません。先生の息子・娘が分け与えるのです。十二支派を通じて。私はセンターです。東側へも行けません。センターは中心であるために、十二支派を通じて天国の福を分け与えるのです。 これから君たち幹部たちは分からなければなりません。この統一教会の財産全部、誰が主管しますか? 絶対に勝手に主管できません! この原則があるために、先生が建てたものは君たちが処理するようになっていません。みんな良く分かりましたか? はっきりと!(「はい。」)なぜできない? 自分たちが処理するようになっていないのです。センターは先生なのだから、十二支派を中心に十二息子を中心に横的世界に連結されるのです。分かりましたか?(「はい。」) 横的に見れば、蘇生は統一教会、長成は祝福家庭、完成は父母様の家庭。子女を見た場合、統一教会の子女、祝福の子女、先生の子女。今、先生の時代は二世を探し求めることです。一世は荒野で鷹の餌になっても関係ないのですよ。私に一つも関係ありません。私が祝福というものを作って生かしてあげたのです。この法が原則です。 君たちは天国へ行きたいですか? (「はい。」)それならば、何にならないとだめですか? 神様の息子・娘とならないとだめです。それでは、神様の息子・娘にどうすればなれますか?今、我々がここで考える時、アベルとしてカインに勝ち、父母様の功績を受けなければなりません。父母様の功績を受けようとすれば、父母様の息子・娘と一つにならなければなりません。 カイン・アベルは、今まで正常ではありませんでした。それは息子の立場なのに、子女の立場なのに、父母様と一つとなるということは、何をすることなのか? 息子カインの立場から探し求めて来た統一教会は、息子長子と一つとならなければなりません。分かりましたか? 直接父母様と一つとなれません。分かりましたか? カインの立場からアベル、アベルから長子、先生の息子は長子です。先生の息子は堕落した息子ではありません。本然の天のみ前に完成されたカインの立場です。皆さんの息子・娘は、このように一つとなることで、アベルの立場の恵みを受け、天国に入って行くのです。堕落したものを蕩減して、堕落しなかったという条件を持つということです。分かりますか? はっきりと分かりますか? ですから、祝福家庭は自分の息子・娘を愛したことを悔い改めなければなりません。分かりますか? 見なさい! 自分の妻を、息子・娘を愛せないことが原理の道です。カインを探して、アベルを探した後に父母が出て来るのに、カインを愛さず、息子を愛せなかった立場において父母が愛することはできません。カインを愛する前には、夫婦生活もできないのですよ。みんな通過した後に話になるのです。悔い改めをして、秩序を正さなければなりません。だから、皆さんは今、長子を愛さなければなりません。息子よりも長子を愛さなければなりません。 堕落の復帰過程において、堕落した世界で、アベルが長子を復帰したと同じく、精誠を尽くした敬拝をしなければなりません。いくら長子を復帰したとしても、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、益々復帰するものが多くなるのに、一度に世界舞台にまで復帰された長子を持った私の栄光と私の誇りを何と比較しましょうか! おお! 神様、ありがとうございます。長子は誰に侍らなければなりませんか? 父母様に侍らなければなりません! だから、三十六家庭の子女たちは多いのです。 しかし、私が子女を愛せなくて、孝進、譽進にすまないと思っています。優しく抱いてあげられなかったのです。それは、皆さんが愛さなければならないのですよ。私はサタン世界を救い求め、皆さんは天使長の立場で、すべてを教えなければなりません。元来アダムは神様が教育するものではありません。三天使長が教育するのです。三十六家庭はそんな意味で、三時代の十二族長を代表とした立場で責任を持たなければなりません。復帰されたアベルの立場で、先生の息子を中心に、復帰圏-本然の長子を中心に、千年万年感謝の心で一つとなり、父母様に侍る伝統を立てなければならなかったのです。分かりましたか? 地上天国実現の公式 もう、はっきりと悟り、これからは長子と一つにならなければなりません。十二息子と一つとならなければなりません。皆さんは今から十二支派に属さなければなりません。先生の息子は、神様のみ前に完成された本然のカインの立場にあるため、祝福家庭の子女たちが先生の息子と一つとなることを通して、本然のアベルの立場に立つ恩恵圏に入って行きます。だから、祝福家庭は自分の子女より、長子である父母様の息子・娘を愛さなければなりません。 堕落した世界で、アベルがカインを復帰する精誠より何倍も尽くさなければなりません。統一街はこんな原則があるのです。父母に尽くすごとく兄弟に尽くし、国王に尽くすごとく国民に尽くし、聖子となるためには、神様に尽くすごとく世界に尽くさなければなりません。そうすれば、世界は私のものです。そんな息子・娘が、神様の息子・娘になるのです。聖子と聖君が別にあるのではありません。 譽進も分かるだろう? お前もこれからは、お父さんが愛する統一教会を愛して、世界を愛さなくてはならないんだよ。そして、お父さんがいなくても、弟たちを良く従えてお父さんに尽くすごとく弟たちに尽くし、兄弟たちのために祈る娘が孝女の道を行くことなのだよ。分かりますか? 皆、すべて、はっきりと定義を出さなければなりません。真の娘とか真の妻はどんな人ですか? 真の娘は簡単です。父母と兄弟を愛せば良いのです。しかし、嫁に行けば夫ができます。それで、夫が尽くす父母に、より一層尽くし、夫が愛する兄弟を、自分の夫以上に愛するという人が真の妻となるのです。そのような女性を烈女だというのです。そのように考えてみましたか! そうすれば、家庭倫理は自然に立ってくるのです。家庭倫理の拡大が、即ち世界の倫理でもあります。 年とったおじいさんやおばあさんを見た時は、自分の父母以上に愛さなければなりません。なぜ自分の父母以上に愛さなければなりませんか? 家庭を犠牲にしてでも国を探さなければならないためです。白人または黒人のおじいさんやおばあさんがいれば、自分の国のおじいさんやおばあさんより、もっと尽くさなければならないのです。それでこそ、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的にと基盤を広げて行けるのです。家庭が氏族圏内に行こうとすれば、吸収されなければなりません。氏族が家庭に吸収されて入って来ることはできないから、家庭が犠牲とならなければならないのです。すなわち吸収されようとするから、尽くさなければならないのです。 このような公式を皆さんは知らなければなりません。このような家庭公法が世界へ通じ、宇宙に通じるのです。このような夫婦観、子女観、兄弟観が、天上世界と地上世界を一致させる一番重要な鍵となるのです。皆さんがこのような倫理観をはっきりと悟って、人間の道理を自信を持って行えるように願っています。孝子の道理とか、忠臣の道理、そして、聖子の道理をすべて行えば、地上天国は自然に実現されるのです。 では皆さん、休みになれば、手綱がゆるんだ小馬となって、東西へ飛び出して行きますか?どこかに穴を掘って入って行ったとしても、人生を準備しますか? 基盤を造る機会を失ってはいけません。 神様は皆さんに大きな期待をかけていらっしゃいます。それできょう、皆さんを集めて訓示をするのです。とにかく、先生の代身者として生きて行ける準備をすることを願います。 皆さんが、この世の人に消化されるのではありません。だから、「友達がいない。」と言って、疎外感を持つことができません。自然が皆さんの友達です。太陽と月と星たちが友達です。飛び交う渡り鳥と話するのです。「お前は一年間準備して、大洋を越えて、国境を越えて、季節を探して来たんだなあ、やあ、立派だなあ! 私も人生を準備するぞ!」 全員が未来の摂理のため準備することを信じ、別れの挨拶をしましょう。孝進よ、お願いするぞ!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.04
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