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今回は原理講論の「アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理」に焦点を絞ってみようと思う。
アブラハムの「三種の象徴献祭」は失敗してしまったが、「イサク献祭」、そして、ヤコブの勝利によって、あたかも「アブラハム--イサク--ヤコブ」の三代が延長して一代でなされたと同じ立場に立たせたのであった〔原理講論P.442~(三)縦からなる横的な蕩減復帰〕。
聖書・原理講論では男性三代として書かれていたが、以下をもう一度振り返っていただきたい。
ノアの妻は名前すら出てこなかった。
ところが、アブラハム= サラ
、イサク= リベカ
、ヤコブ= レア・ラケルの二人
、いずれの奥さんも同じ血統圏にある。
つまりは当時、それぞれの相対者があらかじめ神様によって予定されていたのでは、といった推論が成り立つ。
もちろん、統一原理の「予定論」からも言えるように、「神の責任分担 + 人間の責任分担」が合わさってのこととなる。
アブラハムが「信仰の祖」といわれる所以は、決してアブラハム一人で成し得なかったことであり、そこには 妻サラの信仰
もあってのことだった。
同じく「アブラハム--イサク--ヤコブ」の三代は、女性の「サラ→リベカ→レア・ラケル」の三代を連ねる信仰・血統の勝利とも見ることが出来るのではなかろうか。
サラが信仰と天の血統をかけてエジプト王の前に出たこと、リベカも母子協助とはいえ夫イサクをだましてまでしてヤコブが祝福を受けるようにした。レア・ラケルも夫ヤコブを殺そうとするエサウの前に敬拝をしていった。
このように、男性の復帰摂理だけでなく、女性の復帰摂理もあって然るべきである。
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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