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9月30日、間もなく午後5時30分。予定どおりすべての作品が完成した。5月から始まり、忙しかった私の夏が今終わった、という感じだ。数日手元に置き、その後、パリ展と韓国大邱展のために画商に引き渡すことになる。 今夜はゆっくり休もう。休めばまた次の作品について考えが出て来るだろう。
Sep 30, 2015
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午前中に画商から10月末のパリと11月の韓国展のための作品の制作進捗状況を問う電話あり。ちょうど執筆に取りかかろうとしていたときだった。月末までには執筆を終わり、数日寝かせて様子を見、10月初めには完成するだろうと返答。 その返事どおり、午後6時30分にすべての描写を終了。以後2日間で部分部分の調整の手を入れることにする。 ところで昨夜は仲秋の名月。各地での観月の話題が新聞やTVに載っている。しかし、我が町ではあいにくの曇り空で、まったく観る事ができなかった。 そして今夜、地球と月とが最も接近するスーパームーン。普段の1.5倍の大きさの満月が観られるはず。-------で、夜8時、夜空を仰いだら、なんと意地悪な雲よ。月をちょうど隠しているのだ。雲に光の帯の縁取りができていた。 がっかりして家に引っ込んで家人に言うと、9時前に外出した家人が「今、見えている」と電話してきた。ベランダに出てみると、煌煌とした満月である。 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月 明恵上人
Sep 28, 2015
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金・土曜日と二日間、制作以外の仕事で忙しく動き回り、日記を書けなかった。 今日、日曜日、ようやく執筆に戻った。完成まで残りわずかなところまで来ている。が、絵具の乾燥度合いによってなかなか前進できない。ここは我慢のしどころと、逸る気持を抑えて筆を止める。午後3時。 制作のBGMに長時間ノータッチで聴けるようにYou Tubeで探し、いくつか試聴してから、カルテット・イタリアーノが演奏するベートーベンの作品18の弦楽四重奏曲(第1番から6番まである)をヘッドフォンで聴いていた。演奏時間は約2時間43分。これが現在の制作ペースに合っていて、なかなか激しい曲想ではあるものの邪魔にならない。 以前にも書いたことがあるが、私にとって制作のBGMは、無くてもよいのだが、長時間休み無しに執筆するときは在った方がよい。そして、選曲はなかなか微妙で、バッハやモーツァルトはほとんどダメ。ショパンなどあきあきして来る。リストは案外良くて、意外だったのはパガニーニがよい。リラクゼーション・ミュージックなどと選者が(勝手に)言っている曲集は、もう全然ダメ。邪魔になるばかりなのだ。 言うまでもないが、この評価はその曲の良し悪しではない。私はバッハも好きだしモーツァルトも好きだ。しかし、私の制作作業には合ない。モーツァルトはほとんど唯一『レクイエム』が、合う。 作曲者はBGMのために創っているわけではない。しかし、私にとって、合うとか合ないと峻別できるのは一体どういう理由によるのだろう。 たとえばモーツァルトを例にとれば(なにもモーツァルトばかりではないが)、「もうそのパッセージの繰り返しは飽きたよ!」という思いがでてくる。しかし、先に挙げたベートーベンの弦楽四重奏曲だって、似たような音列の繰り返しが長々とつづく。しかし私の制作に-----少なくとも現在執筆している作品の制作には、邪魔にならない。これは何故だろう? と、書きながら、今もベートーベンの作品18の弦楽四重奏曲を聴いているのである。
Sep 27, 2015
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制作は一部分に新たな手を加えただけで、乾燥待ち。濡れた状態のこの部分、少しでも誤って手を触れるなり、迂闊に何かが触れでもしたなら、ちょっと取り返しがきかない。精緻なニュアンスを作った部分なので、描き直す事ができないのだ。で、作業はひとまずここまでとした。 夕方から民生委員合唱団「かしの木」の練習。 来年2月24日(水)に開催される「第3回 東京都民生委員・児童委員合唱チャリティーコンサート」の出演が正式に通達された。 会場は「文京シビック大ホール」。開演12時。閉会16時。 出場合唱団を地区別に記すと------ 文京区、江東区、目黒区、世田谷区、中野区、杉並区、豊島区、板橋区、練馬区、足立区、葛飾区、江戸川区、立川市、昭島市、調布市、小金井市、小平市、日野市、東村山市、国分寺市、国立市(計21地区)。 都民のみなさん、どうぞお出かけ下さい。
Sep 24, 2015
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ラグビー日本チーム、スコットランドにまたしても敗れてしまった。前半に逆転してリードする場面もあったが、後半になって攻守が乱れた。スコットランドに5連続トライを許しては点差は縮め難かった。10−45。再び日本ラグビー史は書き換えられることはなかった。残念! 10月3日の対サモア、11日の対アメリカに期待しよう。頑張れ!
Sep 23, 2015
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今日も仕事場に籠って作品制作。裸婦像描きあがる。 このたびの作品は、この女性のほか、背景には何も描かれていない。つまり、その女性像に存在感を与えることができるかどうか、その一点に絵が成立するか否かが懸かっている。しかも、光と陰影との関係を、できるだけ最小限にとどめようとしている。私としてはかなり難しく微妙な課題を設定した。 もちろん、これまでの作品の積み重ねの上に、発展的に設定した課題だ。それはまた、技法と、何より私がそれを創り上げて研究してきた絵具の組成構造----それは鑑賞者には見えないことだが-----の披瀝である。まだまだ研究の余地があるのだけれど、とにかく作品として、目の肥えた観客が来訪するパリで発表してみようというわけだ。 というわけで、一日いっぱい仕事をした。ただいま21時55分。 じつは間もなくTV中継されるラグビーW杯第1次リーグB組、日本代表の第2戦が始まる。相手はスコットランド。過去の対戦成績は1勝7敗。最近の成績は2013年11月の対戦で、17ー42と、惨敗している。 勝てない相手なのか、それとも南アフリカを敗ったように再び歴史的勝利をものにすることができるのか。 さあ、TVの前に陣取ることにしよう。そのためにせっせと作品制作にいそしんだのだ。
Sep 23, 2015
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一日中、作品執筆。裸婦像、だいぶ出来上がってきた。 題名は『黒髪のイヴが行く(Eve of Black Hair Goes ; Eve de Cheveux d' un Noir Va)』にするつもり。 今月末には完成したい。 話を変えて、書いておきたいことがある。 ラグビーの国別代表選手の条件についてだ。 代表になるための条件は三つある。 その1は、その国の国籍をもっていること。その2は、両親のどちらかがその国の生れであること。その3は、その国に3年以上居住して他国の代表歴がないこと。ただし国籍は問わない。この三つの条件のうちいずれか一つを充たしていればよい。 私が注目するのは、三番目の条件だ。国別対抗戦のその国の代表選手の条件が、国粋主義に堕していないその度量の広さだ。こんなところに文化的な風穴が開いていたか、という思い。 たとえば、日本代表選手であるためには、必ずしも日本人である必要はなく、日本国籍でなくともよいのである。日本チームのなかに沢山の外国人選手がいる所以だ。なかには自由意志で日本国籍を取得した選手もいるようだ。すべて自発的な意思決定である。 なんと清々しい!
Sep 22, 2015
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敬老の日。町の自治会に祝ってもらった。そのほかは仕事部屋に籠って制作。 閑話休題。 昨日、TV録画しておいたラグビーW杯の日本チーム初戦を観た。優勝候補とされる南アフリカとの対戦。各メディアが報じているように、試合終了間際に日本チームの大逆転。直前の点数は、日本19ー32南ア。試合終了まで数十秒のところで南アにペナルティー。 日本はペナルティーゴールのキックを選んで3点を狙い同点にして試合終了にするか、それともスクラムを選びトライ(スクラムからボールを掻き出し相手陣インゴールの地面にボールを着ける)して5点を獲得するかの決断をせまられた。日本は非常な勇気でスクラムを選択。そしてトライ成功。見事、34ー32で逆転勝利した。 すごいゲームだった。なにしろラグビーW杯において日本は、7大会すべて1次リーグで敗退している。1勝1引分があるが、そのほかは全部負けている。その惨憺たる成績の日本が、よもや世界ランキング3位の、しかも過去2回優勝している南アフリカを敗るとは、おそらく世界の誰も予想していなかったに違いない。この勝利のニュースはたちまち驚きをもって世界中に伝わったようだ。(後記:英国での勝利予想オッズは、日本の勝利に対して1000倍だったそうだ。如何に人気がなかったかということだ。) ラグビーは、陣取り合戦である。技術はもちろんだが、フィジカルの強さは絶対的な必要条件だ。したがって、スクラムによって一歩も引かないばかりか、押し上げる力を見せつけた日本チームは、本当に力をつけたということだ。果敢なタックルとその成功も特筆しなければならない。すばらしい勝利! 23日の第2戦、スコットランドとの試合が楽しみになって来た。
Sep 21, 2015
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日本は、戦後70年間何があろうと営々と築きあげてきた平和主義と、世界に冠たる「平和憲法」を、幼児性格者の首相とその一党によって蹂躙され、民主主義国家としての枠組みが破壊された。いま、生活者の実感としてはピンとこない国民もいるかもしれない、この日本の姿の大転換は、後に世界を完全二極化しての一方に組することで、自ら敵を創出し、国民に実感としての大きな災いと不幸をもたらすであろう。 そんな国政の重大事のさなかではあるが、世界の核兵器削減をめざして活動する世界的な組織グローバル・ゼロから私にとどいたメールを紹介します。日本語訳の責任は私、山田維史にあります。 親愛なるタダミ イラン核協定はそれに署名した瞬間から危機に陥りました。 アメリカ合衆国国会の立法府議員たちは即座にこの歴史的外交成果を破壊しようとそそのかしにかかりました。 しかし今週、イラン協定はアメリカ合衆国上院において国会を通じてそれを整えるべく充分な支持を獲得しました。これは、あなた無しでは不可能だったでしょう。 ありがとうございます。 あなたのようなグローバル・ゼロ支持者たちは、実際にこの協定を成功に導くために前進しました。数千人のメムバーが写真請願書を提出し、またソーシャル・メディア上でこの協定について述べました。合衆国全土のヴォランティアが国会の自分たちのメムバーに個人的に請願書を届けました。メムバーは世界中の新聞の編集者に宛てて手紙を書き、送りつけました。あなたたち数千人がこの勝利を手中におさめるために行動をおこしました。 これは核兵器削減に向けての大きな勝利です。この協定はイランが核爆弾を入手することを止め、そして外交交渉がいかに核兵器拡散を予防するために---そして最終削減するために利用できるかについての一つの実例を示しました。 グローバル・ゼロのメムバーから全世界の草の根サポーターに感謝申上げます。イラン協定は運動の顕著な達成として歴史に記録され、また、世界を安全な場所にして行くでしょう。 この勝利はあなたのものです。あなたの行動のすべてに対しあなたに御礼申しあげます。 がんばりましょう。 ザ・グローバル・チーム 【原文】Dear Tadami,The Iran nuclear deal was in jeopardy from the moment it was signed.Legislators in the United States Congress immediately set to work trying to destroy this historic diplomatic achievement.But this week, the Iran deal earned enough support in the U.S. Senate to make it through Congress. This would not have been possible without you.Thank you.Global Zero supporters like you really stepped up to make this deal a success. Thousands of members submitted photo petitions and spoke up for the deal on social media. Volunteers all over the United States personally delivered petitions to their members of Congress. Members wrote letters to the editor and sent them to newspapers around the globe. Thousands of you took action to secure this victory.This is a huge win for the movement to eliminate nuclear weapons. The deal stops Iran from getting a nuclear bomb and sets an example of how diplomacy can be used to prevent the spread of nuclear weapons -- and ultimately eliminate them.And thanks to grassroots support from Global Zero members all around the world, the Iran deal will go down in history as a remarkable achievement for the movement -- and make the world a safer place.This victory is yours. Thank you for all that you do.Fight on,The Global Zero Team
Sep 20, 2015
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白地に黒く 日の丸染めて ああ醜しや 日本の政府
Sep 19, 2015
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いやはや、である。まるで20代か30代に戻ったようだ。昨日の朝5時から仕事をはじめて、その日は徹夜。まるまる1日過ぎて、なんと42時間ぶっつづけで仕事した。過密なスケジュールにさらに仕事がつっこまれて来る。錯綜するすべてのプロジェクトを私のところで何とか帳尻を合わせようとすると、ただ黙々とやりつづけて一つ一つ片付けて行くしかない。 さあ、少しでも眠ろう。目がアッチャコッチャになって来た。
Sep 16, 2015
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8月の初めに会津若松で開催された私の母校、会津高等学校1964年3月卒業の第16回生同窓会には、あいにく出席できなかったが、HPに諸兄から寄せられた消息が掲載された。卒業以来52年、それぞれの人生がそこはかとなく偲ばれる。 それにしても、入学から卒業までの3年間、クラスが変わらずに一緒だったN君の死去の知らせには驚いた。入学時のクラスの集合写真の中で、N君と私は隣あって写っている。---ご冥福を祈る。 私の知る限り、すでに死去した級友は他に3人。私の記憶の抽き出しを開ければ、彼らは一人一人その声とともにあまりにも鮮やかに甦って来る。このときばかりは、自分の視覚的記憶力を忌々しく思う。---「そして誰もいなくなった」と呟くのは、いったい誰だろう。 HPには同窓会に出席した諸君の写真も掲載されている。以前にも書いたことがあるが、これまで私は誰とも会ったことがないので、いくら私の記憶に頼っても18歳と70歳の隔たりは大きく、誰が誰やら分からない。私自身も昔の容貌をとどめてはいない。 同級生諸兄! 卒業時の私を思い出してくれたまえ。
Sep 15, 2015
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ここ10日間も作品制作の筆を執れなかった。期限までに遅れを挽回しなければならない。キャンヴァスに向かって筆を揮いするうちに、気がついたら眠っていたようだ。筆を握った手を膝において、目をつぶっていたのだ。びっくりした。昨日も朝5時半からある仕事を始め、終わったのが夜の8時。そんなスケジュールが10日間つづいていたので、元気元気といいながら疲れが溜っていたか。---ああ、執筆しながら睡魔に襲われるなんて、何十年ぶりだなー、と苦笑した。仕事部屋から出て、コーヒーを淹れながら、「絵を描きながら眠っていたよ」と、家人に言った。 20代末から30代初めの或る時期、私の日常は36時間ぶっつづけに仕事をして、その場にぶっ倒れて1時間ばかり寝て、また36時間仕事するという状態が半年ばかりつづいた。そうでもしなければ依頼された挿画の仕事が締め切りまでにこなせなかったからだ。が、さすがに36時間も執筆しつづけていると、言葉どうり眠りながら描いていて、当然の事、或る時、絵がめちゃくちゃになってしまった。それで、自分の限界を知った。限界に達したら眠ることにした。食事は握り飯。机の上に用意しておく。左手に握り飯、右手に筆、食っているときも執筆を休まない。締め切りに間に合わないと考えただけで、恥ずかしさがこみあげてきた。私の気性だ。今の年齢まで、締め切りに間に合わなかったことが2度あった。そのうちの1度は、締め切りの前夜に向いの家が火事になり、火の粉が飛んで我家にふりかかりはじめた。私は屋根にのぼって消火に追われた。さすがに原稿を描いているどころではなかった。 その当時、私はげっそり痩せこけて土気色の顔をしていた。足許がおぼつかなく、雲を踏んでいるようだった。---思い出すと懐かしい一頁だ。今日は、そんなことを思い出した。 コーヒーを飲んでから、再び執筆開始。
Sep 14, 2015
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朝から夜の9時まで多忙に駆けずりまわって、かくて今日も暮れぬ、である。 いろいろな人にお会いしたが、30代の若い方に「元気ですねー」と感心されたかと思えば、私より年輩の御婦人にも「なんてお元気なんでしょう」と言われた。自分のことで他との比較はわからない。返答しようもないのだけれど、「お互いに元気でいましょうね」と言ってきた。 日常的に色彩を扱い、色彩に敏感に反応するのは習い性だとしても、色の波長が生理に影響するという説はある。無頼で破滅型の絵描きはどうか知らないが、画家が長生きする実例はたくさんある。それに私の場合、ストレスが溜らないタイプだと自覚している。自分をそのように思うこと自体が、そもそもストレス発散方法かもしれない。そりゃあ、生きて行くうえでストレスがかからないことなど有り得ない。私はすぐに、「そんなこと、自分に大切な事か?」と自問して、パッと切り替える、あるいは捨ててしまって、大切なことを仕舞っておく記憶の抽き出しには入れないのだ。これが我ながら上手い。私の記憶はたくさんの抽き出しに、わりとキレイに仕分けされていて、ほしいときに取り出せるようになっている。子供の頃は、「水晶の結晶のようになりたい」と夢想したものだ。そうはならなかったが、想うことがいささかの訓練にはなったかもしれない。そしてストレス発散の方法ともなって行った。 他人の言う事などあまり聞いていない人がいるでしょう? あるいは右の耳から左の耳へ抜けていってしまう人。私の場合、まったく正反対。他人の言っていることを、ほとんど全神経を集中して、良く聞く。理解を徹底しようと意志する。そのために、問題の核心に向かって質問もする。そうして核心をとらえたら、団子のように丸めて、一つの抽き出しに放り込んでしまう。一丁あがり!---という具合に。其処に私の感情がまといつくことはない。 「元気」のコツって、もしかすると訓練かもしれないですね。
Sep 12, 2015
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5年に一度の国勢調査が始まった。前回、東京都をモデルケースとして施行されたインターネットによる回答方法が、今回から全国展開になった。私もインターネットを利用する。 さて、きょうは朝から何だかんだ大忙しだった。いま夜の8時半になるところ。外から帰って来て、暑さのなかを歩き回ったのでいささかぐったりして、冷茶で喉をうるおしている。なかなか作品制作の筆を進められない。---子供の頃は一日が長かったのに、今はたちまち過ぎてしまう。 民生委員合唱団〈かしの木〉で、武満徹作詞・作曲の『小さな空』を練習している。この歌は、青空や夕空や夜空を見ては、子供の頃にいたずらして叱られて泣いたことを思い出しているというもの。たぶん、歌う人の年齢によってその思い出し方がずいぶん違うにちがいない。 ---合唱団として練習するのは月に一度だけなので、各パートを覚えるために、朝、洗顔後に歌ってみたり、歩きながら小声で詞をくちずさんだり、とにかく自主練習に励んでいる。そんなわけで、子供の頃を思い出してみるのだが、「一日がたっぷり長かったなー」と、溜め息がでる。 街をせかせかと歩いていると、いろんな所で知り人に「お忙しそうですね」と声をかけられる。「はい、おかげで、元気です」と応えるが、内心、70歳になってまさかこんな目まぐるしい日々を送るとは思いもしなかった。 明日も同様のスケジュールだ。元気、元気! そう思おう。
Sep 11, 2015
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関東を襲った大雨は、大きな被害をもたらした。弟一家が警戒域に居住しているので、電話で安否を確認した。無事とのことで安心した。我家も何事も無し。
Sep 10, 2015
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九月九日、重陽の節句。菊の一枝を伐って備前の徳利にでも挿そうかという風流心は、二日つづきの激しい雨に、急流となって山を下っていった。台風18号の影響で、東京湾から都心を通って帯状に北上する豪雨の予想が出ている。 朝から市からの連絡メールがつづいて入っていた。小学校は、登校するや一斉下校が決定、あるいは休校の決定、市中を縦走する浅川の、その名にそむく増水注意報。土砂災害警報、等等。 昼過ぎ、ぱたりと雨が止み、青空さへ覗いて、カッと気温が上昇した。私は郵便局から出るところだったが、蒸し暑さにたちまち肌が汗ばんだ。 ところで冒頭に記した「重陽の節句」、菊の節句とも言うが、もう今では特別祝う人も少ないかもしれない。 元帝京大学図書館長の小野武雄氏編著『江戸の歳事風俗誌』によれば、前日の八日に菊に着せ綿をし、九月九日の重陽に夜露に湿ったその綿をとって顔を拭うと、老が去る、と言われ、いわゆる延年の祝だったと言う。また、九月九日に雨が降れば「禾収る(クワおさまる)」、つまり穀物の収穫が良いとされ、雨が降らなければその冬は晴の日が多いとされていた、とも書いている。 現代の今日、雨も雨、大雨で各地に被害が続出している。はたして今年は「禾収まる」のかどうか。 ついでに上田秋成の『雨月物語』巻之一の第二「菊花の約(ちぎり)」について。 日本文学史のなかで上古から連綿とつづくホモセクシャル文学の白眉のひとつ。知らない人はいないかもしれないが、現代語訳は読んだことがあっても、原文を読んだ人はそう多くはないのではないか。兄弟の契りを結んだ二人が、重陽の節句にふたたび会う約束をして別れる。その部分を、私が所蔵する大正6年刊行の「上田秋成全集」影印本より写してみよう。ただし正字体は新字体に改める。また句点を入れる。 「吾近江を遁来りしも、雲州の動静(やうす)を見んためなれば、一たび下向(くだ)りて、やがて帰来り、菽水(しゅくすい;山田ルビ)の奴(つぶね)に御恩(めぐみ)を返したてまつるべし、今のわかれを給へといふ、左門いふ、さあらば、兄長(このかみ)いつの時にか帰り給ふべき、赤穴いふ、月日は逝きやすし、おそくとも此秋は過さじ、左門云ふ、秋はいつの日を定めて待つべきや、ねがふは約し給へ、赤穴云ふ、重陽(ここぬか)の佳節をもて帰来る日とすべし、左門いふ、兄長必ず此日をあやまりたまふな、一枝の菊花に薄酒を備へて待ちたてまつらんと、互に情をつくして、赤穴は西に帰りけり、あら玉の月日はやく経ゆきて、下枝の茱萸色づき、垣根の野ら菊艶やかに、九月にもなりぬ、九日はいつもより蚤(はや;山田ルビ)く起出でて、草の屋の席をはらひ、黄菊白菊二枝三枝小瓶に挿し、嚢をかたぶけて酒飯の設をす-----」 けだし名文。ムダが一切無い。 さて、夜10時半を過ぎて、また大粒の雨が降って来た。今日はもう寝る。明日から、中断していたパリ展のための油彩画の制作を再開だ。
Sep 9, 2015
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きょうは朝6時から日が変わってただいま午前1時まで、ほとんど仕事場に閉じこもってコンピューターによる制作をしていた。ようやく印刷原稿としてすべて完成。新実徳英氏のライブ録音による室内楽曲集CDのためのデザイン一式である。 レーベル、インレイ、ブックレット表紙、たすき。レーベル以外のデザインは、5月中にほぼできあがっていた。しかし、権利関係のクレジットや、CD番号、国際規則のロゴ等等のデータがそろわず、仕事を中断していた。そのうち私のすでに決まっていた他の仕事のスケジュールとぶつかりだして、中断が3ヶ月の長きになってしまった。新実さんもヤキモキされていただろう。音楽出版社のディレクターはもちろんである。 とにかく終わった。いま、オリジナル音源をあらためて聴きなおしている。何度となく聴いてイメージをふくらませてきた、新実徳英渾身の曲集である。
Sep 8, 2015
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新調した眼鏡ができあがった。店から掛けて帰ってきたが、少し足許がふらついた。強度の遠近両用眼鏡なので、慣れるまでに時間がかかる。しかし、夜までには馴染んだ。 私の目はよほど矯正が難しいのか、これまでに幾度も作り替えてきたが、いずれもあまりしっくりした感じはしていなかった。このたびも、まあこんなものかという程度。つまり、感覚から多くのことを捨てている、と感じるのだ。中距離を捨て、近近距離を捨て、視野を捨て、---とにかくそれらから得るであろういろいろな感覚を捨てている。 私は絵描きとして、或る一面では、人には見えない(見ない、あるいは注意しない)ことを見ている。それでも、対象を注視しながらも見損なっている---眼鏡がとらえきれない---と感じる潜在的な思いがあるのである。捨てている「視覚の快」がある、と。 ところで、乱視って長年の間に直るものなのだろうか。 小学3年生の冬、学校の教室で休み時間に、級友が悪ふざけで耳覆いのついた防寒帽で私の頭を後ろから叩いた。顎紐が私の左目に入り、傷が付いた。それが因で乱視になった。私の眼鏡は近視乱視用で、成人後もずっとそれできた。 が、12,3年前に新調するとき眼科医で検眼してもらうと、乱視はいれなくてもよい、といわれた。このたびも、医師に乱視を告げたところ、入れなくてもよいと言ったのである。 つまり、子供のころに傷ついて視界が二重、三重、四重に見える状態だったのが、年齢を重ねるうちに傷が修復された、ということだろうか。 じつは私は医師のその意見にはあまり納得していない。乱視を入れずにつくった眼鏡は、微妙に左右の焦点深度に差があると感じるからだ。その差が像に滲みのような影をつくる。しかし、現在の光学技術では、あるかなきかの乱視の歪みを矯正できないということか。 たぶん私は、このわずかな感覚の不快を、墓場まで持ってゆかなければならないのであろう。 (追記) 大学時代、大学病院の眼科医にコンタクトレンズを勧められた。レンズと眼球の間に涙がたまって乱視を矯正する可能性がある、と。それで試験的に装着し、しばらく病院内で過ごしていたが、その苦痛たるやとても耐えられるものではなかった。涙が溜るどころか、滂沱と流れた。「涙で目が溶ける」という表現がある。まさにそんな感じだった。コンタクトレンズは諦めた。
Sep 7, 2015
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毎年9月初旬に、会津若松のEさんから見事な葡萄が送られてくる。もう7,8年になる。「葡萄園が閉園になるまで---」と、Eさんは言う。あつかましいが、そろそろ秋の気配が立つ頃になるとEさんを思い出しながら、私は心待ちにしている。今日、その葡萄が届いた。 葡萄をつくっているのは老夫婦だそうだ。荷箱を開けると、一房一房丁寧に着せ紙されて、それだけで丹精して葡萄を育てていることが良くわかる。 私は、自然を相手に理知のかぎりをつくす農業家を、最も尊敬している。その仕事は過酷で、その作物は人間の傲慢も気侭も受付けはしない。 先日、私は、知人の農業家から「研究しても研究しても、わからないことが出てくる」と、聞いたばかりだ。今年、玉葱に、タマネギバエが発生したのだそうだ。タマネギバエは、玉葱特有の匂いが誘因となり、根に卵を産みつける。親はそこには居ず、少し離れたところで卵の生育を見守っているのである。---そういう苦労の結果としての作物で、私は身を養っているのだと、つくづく思う。 さて、私はすぐにEさんに電話した。応対に出た華やいだ若い声に、私は一瞬「?」と間をおいて、「東京の山田です」と名のった。すると「山田クン!」と、一層華やいだ声が跳ねた。「あんまり若々しい声なので、娘さんかと思った!」「ありがと!」 と、しばらくぶりの長電話。 会津時代、私は男子校、Eさんは女子校。しかも私より2歳年長。私が高校3年のとき、町の劇団の役者同士として、舞台でラブシーンを演じた。このシーン、じつは台本に無い。スチール写真のためだけに演じた。しかし、以前、42年ぶりに会ったとき、Eさんも当時の演出家も、そのシーンが台本に無いシーンだったことを、完全に忘れていた。写真は必ずしも証拠にはならない。そして、ハハハ、人の記憶は、つまみ食いみたいなものなのだ。それを「記憶の島」という。 Eさん、いつも本当にありがとうございます。夕食後のデザートに、さっそく葡萄をいただきます。 山田維史《葡萄の食後》小さな日記より=1976年9月18日 蝋画Tadami Yamada “After Eating Grapes” On 18th Sep., 1976 in A Little Diary. Ink and pen on waxed paper.
Sep 6, 2015
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間の悪いとはこういうことだ。コンピューターのキーボードが調子悪くなって、仕事ができなくなってしまった。ネットで購入していては間に合わないので、急遽買いに出かけた。といっても、私はマックを使っているので、純正を扱っている店が非常に限られている。 ま、そんなわけで電車に飛び乗って店に行き、売り場に直行、「これ、ください」。ものの15分で店を出て、そのまま真っすぐ帰宅。 新しいキーボードを接続。すぐに9通の手紙を書いた。それから再び外出して仕事をすませ、帰宅してからその件に関してもう1通手紙を書いて投函。午後5時に、ひとつのプロジェクトを完全に終了した。 次のプロジェクトにとりかかる。
Sep 5, 2015
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天気のことなど書きたくはないけど、真夏へ逆戻りだ。東京は30℃を超えた。かと思うと、午後2時過ぎ、新宿では突然の雷と豪雨。30分つづいて、再び青空。TVの気象情報が伝えている。 ---と、他人事に言うのは、私の所はまったく「ピーカン」。昼に外出仕事から汗だくで帰宅。手にはドライアイスを入れた袋に大量のアイスクリームをぶらさげて! 家人が「一度にそんなに食べて大丈夫?」と言うので、三つだけ食べた。 さて、忙しいスケジュールをこなすため、朝5時半からコンピューターによる作品制作を開始。朝食を挟んで9時半までやり、9時45分に外出。上述のように昼に帰宅。帰宅と同時に民生委員として相談事が入り、関係機関に連絡し、今後のプランを打ち合わせて支援を依頼する。午後2時から6時まで、コンピューターで朝のつづき。完成。 思いのほか捗ったので、夕食後、女子バレー日本代表の、オリンピック出場権のかかったワールドカップ(W杯)大会最終ラウンド、対アルジェリア試合を観た。3−0のストレート勝ちして、通算成績7勝2敗。現在の上位は、1敗を守ってロシア、中国、セルビア。出場権キップはわずか2枚。日本は危ういところだが、明日の対アメリカ、明後日の対中国に勝って、さらに積み上げた得点によってわずかながら望みはある。女子バレー日本代表は、オリンピックのメダルから、34年間、遠ざかっているのだそうだ。
Sep 4, 2015
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きょうは午前中から夕方まで何やかやの外出仕事がかさなった。おまけに10月末までドドーッと新たなスケジュールが隙間無く詰め込まれた。ヒェー、である。どうやって動こうかと、自分を将棋の駒にイメージして、思案している。
Sep 3, 2015
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東京は午後になって久しぶりの青空、気温が一気に上昇し、10日ぶりの真夏日31℃を超えた。蒸し暑い。 制作は、裸婦の第一層の塗り。一日指触乾燥を待って、今後何層もの塗りを重ねながら、同時に、おおまかな描写から次第に細密描写へと作業をすすめる。この作業にほぼ20日間を要するだろう。
Sep 2, 2015
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驚いた。ニューヨークで開幕したテニスの全米オープン初日、錦織圭選手がペール選手(フランス)と対戦し、フルセット2−3(4―6、6―3、6―4、6―7、4―6)で、よもやの初戦敗退を喫した。ペール選手のなりふりかまわぬ戦術に嵌ったか? 第2セットめ、リターンしたペール選手のラケットが手からすっこ抜けてネット際まで吹っ飛んだ。見たことない光景。ペール選手はさかんに主審に何かを言う。どうやら代わりのラケットを持っていないと言っているらしい。解説の松岡修造氏によると、世界大会レベルの試合では、選手は10本前後の予備ラケットを持って登場するものだそうだ。何をまくしたてているのか分からないが、やがてコーチに指摘されて自分のバッグの中を覗いたペール選手、代わりのラケットを持って来ていた。観戦している方も呆れたが、錦織選手は集中をそがれてしまったかもしれない。第4セット、タイブレークをペール選手に獲られると、その後は、錦織圭選手の持ち味でもある頭脳プレーができなくなってしまった。 なんだかイヤな試合を見てしまった気分だ。しかし、それでも勝負は勝負。かえって錦織圭選手の次の試合に、私は興味津々である。 さて、私の作品制作。きのう買ったゴーグルを着け、グラインダーで地塗りしたキャンヴァスを磨ぎ出す。その後、下図を転写。 そこで作業をやめて、雨が小休止したのを見計らって、市から依頼されていた高齢者について、お元気かどうか会いにでかけた。
Sep 1, 2015
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