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Dec 31, 2015
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朝から御節料理を始めて、ただいま23時過ぎ、ようやくすべてを作り終わった。 栗きんとんや出汁巻き卵焼きなど、昔は自家製だったが、もう私ひとりで作るには体力的にも時間的にも限界。売っているもので間に合わせた。全部で12種の料理。 亡母の時代は、奇数の品数ということで、15種の料理を作った。が、若者がいない現在の我家では、もうあまり食べないのだ。それに正月料理は肥りやすい。 私は日々の食事を逐一記録して、栄養とカロリーを管理し、体重も63~65kgを維持するよう努めている。先日、従姉としばらくぶりに電話で話をしていたら、私の元気について、「やっぱり食べ物だわね、自分できっちり三食の料理しているもの、すごいわね」と言った。これについては健康検診のたびに主治医にも感心される。2月に検診を受けることになっている。正月中の自己管理が試される。 さて、弟夫婦がやはり明日やってくると電話して来た。子ども達は来ないそうだ。子どもと言っても、一番下が大学3年だから、もう「子ども」ではない。友人同士で大晦日を過ごした方が楽しいに決まっている。 さあ、もう寝よう。明日はロートルたち(こんな言葉ご存知ですか? 中国語で「老頭児」と書きます。私の父親世代はよく使ったものです。)だけの年越しパーティ。その準備もしなければならない。一年間、まことに多忙だった。多忙でいられることの嬉しさよ、だ。
Dec 30, 2015
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昼、午後12時ちょうどに新しいウォシュレットに交換する工事を始めた。さすがに手慣れたもので1時間程で完了。これで大晦日に弟達家族がやって来ても、とんでもないときに洪水になることはない。 弟達家族の来訪と言ったが、今年はやって来るのかどうか実はまだ連絡がない。恒例になっている来訪なので、連絡なしに来るのかもしれない。 彼らが帰るときに私が作った御節料理を持たせてやるのだが、夕方からその料理を始めた。今日は黒豆を煮、身欠鰊の昆布巻をつくり、松前漬をつくった。 同時に夕食もつくった。チリコンカンと数種の野菜のサラダ。簡単にできるものにした。 明日は忙しい。両親の時代からの、ということは私の幼少時代からずっと変わらない我家の定番の料理を他に4品。それとは別に大晦日のパーティ料理。すべて私が作る。人数分の正月用食器も出さなければならない。----なかなか大変である。
Dec 29, 2015
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いや~、どういうんでしょうね、ここに来て、エアコンデショナーが作動しなくなったり、トイレットのウォシュレットが作動しなくなったりで、次々にメーカーにメインテナンスを依頼。どうやら経年による故障とか。 エアコンデショナーの方はリモートコントローラーを新品に替えただけですんだが、ウォシュレットの方は、電子基盤がすでに製造を中止してしまったという。修理ではすまなく、全部最新の製品に交換する工事をすることになった。 これまでのものは、まったく使用出来ないというわけではない。しかし、コンセントを入れたままにしておくと、時々気まぐれに、思いもかけないときに勝手に水を吹き上げる。お尻をのっけているときならまだしも、気がついた時には辺りいちめん水びたしという事態が何度かあったのだ。夜中になんだか異様な音がするので、何事かと寝床から起き出して調べると、あらら、トイレットが水浸し。天井に向かってみごとな噴水だった。 工事は、年末の忙しさを分けて、明日午後一番にやってくれることになった。 いやはや、私も経年で、いつ使い物にならなくなるやも知れない。我が身に引き比べたことである。
Dec 28, 2015
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第37回皇后杯全日本女子サッカー決勝戦、「アルビレックス新潟レディース」対「INAC神戸レオネッサ」が、川崎市等々力陸上競技場で開催された。 INAC神戸レオネッサ所属の澤穂希選手の現役最後の試合。15歳から日本代表選手、24年間の選手生活、オリンピック4回、W杯6回出場、全205試合、83得点-----まさに日本女子サッカーを牽引してきた。 その決勝戦、攻守ゆずらぬ両者の闘いだったが、澤選手があげた1点が勝敗を決してINAC神戸が優勝した。澤穂希選手の有終の美。ここぞというときに、確実に物する('11年のW杯での対アメリカ試合の、あの魔術的なシュート・ゴールのように)、澤選手の凄さを見せつけた。 しかし、アルビレックス新潟レディースもみごとだった。その固い守備、最後まで攻めきるファイトが光った。それにもかかわらず、セット・プレーをまったくさせてもらえなかったのが痛い。ようやくその機会がおとずれたのは後半、アディッショナル・タイム2分の中の46分過ぎ。蹴り込んだボールはゴール前のディフェンスでファールを獲られ、INAC神戸のGK海堀がキック。そこで試合終了となった。 「INAC神戸レオネッサ」1 ー 0 「アルビレックス新潟レディース」
Dec 27, 2015
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クリスチャンでもない70歳の男には、もう日本式の宴会的なクリスマスはない。いかなる宗教であろうと、私個人は宗教行事は完全拒否である。宗教的戦争で地獄と化しているこの地球の片隅で、むしろたんなるパーティの方がよほどすっきりする。 今年購入しておきながら未だに全部読み切れていない本が随分ある。忙しかったこともあるが、読み始めたらあまりにも重要な記述が詰まっていて、文字どおり2,3行読んではすぐさま2度3度読み返し、なかなか前に進めない本もあった。 1行読んではもう一度読み返すというのは、その記述内容を私自身の経験知で翻訳できないかどうかを咄嗟に探っているわけで、これが私の読書法-----自分の血肉にできるものは血肉にしておこうという意思である。 地平が拓けると言うが、まさにそのような光明を発見出来ることがある。「10分間速読法」なんて、私には意味をなさない。それで何を読んでいるのだろう? たとえば文学作品ならば、ストーリーよりもたった1行が見事な場合だってある。それを見つけることができるだろうか。 ------まあ、ひとの事などどうでもよい。 と言う訳で、年末年始はたまった本を片付けようと思うのだが、2,3日後には御節料理作りを始めなければならないし、なかなか自分だけの時間が作れまシェ~ン!
Dec 25, 2015
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昨日は冬至。明けて今日はことのほか寒い一日だった。我が市の気温は最高7℃、最低4℃。この冬の最高気温が10度を下回ったのは初めてではないか? と言っても、私は寒さしのぎに少し多めに着込んで、雑用のため自転車で走りまわっていたので、帰宅すると肌は汗ばんでいた。このままでは風邪をひく。急いで身体を拭き、衣類を取り替えた。 途中でポツリポツリと雨が降りだし、降ったり止んだりしながら、今、午前0時を過ぎて本格的な雨音がし始めた。 年賀状に自筆の署名をしているが、それにはお構いなしに猫のリコが膝に飛び乗り、嬉しそうに喉を鳴らしている。猫達のために電気カーペットを敷いているのだが、そこに横たわるよりも私の膝の温もりが良いらしい。顔を埋めて、ときどき私の気を惹くように尻尾で膝を叩いているのだ。
Dec 23, 2015
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忙しい1年だったが、もう一息と、雑用をかたづけ(昨日やり残した伐採した庭木の結束等々)、そしてようやく年賀状にも着手。元旦配達に間に合うという25日投函をめざして-----。
Dec 21, 2015
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きのう無精をきめこんで止めた落ち葉掃き、きょうはやらずばと、昼食前にちょいとと思い始めたが、ついでに庭木の剪定もすることにした。 剪定というより伐採にちかい。というのは、枝が太く伸びに伸びて隣家の敷地を侵しはじめていた。昨年もおもいっきりバッサリと切ったのだが、それも1年間で新芽が1.5mほどに成長してしまった。切られれば切られるほど命惜しさに木はガンバルのだろうか。 夏は鬱蒼とした葉叢が日差しを遮って結構涼しかったが、冬になると太陽は低くく日差しも弱々しいので、庭が暗い感じになる。人間の-----いや、私の、まことに勝手で、樹木には申し訳ないが、かなりおもいっきり伐ってしまった。 枝伐り鋏を操ったり、鋸を引いたり。伐った枝を市の規定どおりの長さにしたり束ねたり。 昼食抜きでやって、腹がすいて我慢出来なくなり時計を見れば、3時。まだ切りそろえなければならないのを、今日はもう止めだと、半分残した。 大晦日まで10日。報道メディアの片隅に各地の名刹の煤払のことが報じられている。我家も遅ればせに1年の汚れ落しをしなければならない。
Dec 20, 2015
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凩(こがらし)の吹く寒い一日。街で顔見知りに出会うたびに「寒いですね~」と声をかけられた。我家の小庭の柿の木はすでにすっかり葉を落し、毎朝夕の落ち葉掃きが一段落したと思っていたら、今日は方々の家からの枯れ葉が舞い落ちて、このぶんだと明日もまた、と思い、無精をきめこんで掃除はしないことにした。 こんな日、高齢の方が寂しかったのか、話を聞いてほしいらしく、訪問して玄関先で20分ばかり暮しぶりの話を伺った。元気になってくれればそれでいい。玄関内の飾り棚の上に早くも正月迎えの飾り付けがされていた。「お早い準備ができましたね」と言うと、にっこりした。
Dec 19, 2015
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午後、民生・児童委員の今年をしめくくる総会に出席。これで私の公的な仕事は、残すところ2件。相手次第だが、月曜には終了するだろう。 自分で言うのもナンだが、活発によく仕事をした。心身共に極めて健康。しかしメインテナンスのために、明朝、主治医のクリニックで検診してもらおう。
Dec 18, 2015
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きょうは日野市民生委員合唱団「かしの木」の今年最後の練習日。チャリティーコンサート本番まで残り2回の練習しかない。先生の指導は仕上げに向けて細部への注意がいよいよ厳しい。私はそのようなダメ出しが素直に受け取れるタチなので、-----つまり、芸術的な仕上げに関する感性は、分野が違えども私にもあるわけで-----厳しければ厳しいほどありがたく、嬉しい。 それに、大ホールのお客さんを相手に歌えるなんて、こんな嬉しいことはない。50年以上、歌なんか歌ったことがなかったのに! カラオケ? 私にはまったく経験がない。そういう遊びをしたことがないのだ。いまどき珍しいくらいの男です。 都民のみなさん、私たちは東日本大震災の遺児と孤児たちを支援するためにコンサートを開催します。是非、ご来場ください。画像の上をクリックすると拡大画像になります
Dec 17, 2015
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エッ! サッカー女子日本代表 "なでしこジャパン" の澤穂希選手が現役引退!
Dec 16, 2015
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さきほどまでBS-TBSの「にっぽん歴史鑑定 忠臣蔵」を観ていた(22時~23時)。きょう12月14日(正確には元禄15年(1702年)15日未明)は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日である。番組は、人形浄瑠璃や講談、あるいは歌舞伎でおなじみの「忠臣蔵」----いわばフィクション-----と史実とを史料によって比較するというもの。 ❶ 大石内蔵助良雄がどういう人物であったか? ❷ 大石の祇園一力茶屋遊興は事実か? ❸ 垣見五郎兵衛を名のって江戸を目指した大石が東海道宿で本物の垣見五郎兵衛に出会ったのは事実か? ❹ 岡野金衛門が吉良邸の女中を恋人として吉良邸図面を入手したのは事実か? ❺ 赤埴源蔵の徳利の分かれは事実か? ❻ 討ち入り当日に大石が内匠頭未亡人に会い、秘かに四十七士の血判状を渡したのは事実か? 以上のことを検証していた。私は2、5以外は史実を知っていたが、しかし面白い番組だった。 私は、「忠臣蔵」に特に強い関心があったわけではない。それでも、高輪の泉岳寺を訪ねて小さな博物館を見ている。また、箱根の関所跡の博物館で、赤穂城に向かう受城正使の播磨龍野藩主・脇坂淡路守安照が関所を通過したことを記した帳簿も見ている。 あるいは、赤穂浪士大高源吾とは知らぬまま俳友であった宝井其角(きかく)は、討ち入りの日の夕刻、歳末の煤払用の煤竹売りに身をやつした源吾に両国橋で偶然出会い、その落ちぶれように隅田川の流れにたとえながら、「年の瀬や水の流れと人の身は」と一句。すると源吾(子葉という俳号を名のっていた)は、付け句「明日またるるその宝船」と詠んで別れる。宝井其角がこの子葉が赤穂四十七士の一人大高源吾だと知ったのは討ち入り後のことであった。-----前置が長くなったが、私はその宝井其角の供養塔にも詣でている。世田谷区北烏山の称往寺にそれはある。それと気づかないほどの小さな供養塔だ。 ちなみに、北烏山は寺町で、多くの寺院が隣り合って在るが、明暦の大火後に江戸市中の墓地がこの地に多く改葬されたのである。寺々を巡れば、浮世絵師喜多川歌麿の墓や、『江戸名所図絵』の作者長谷川雪旦の墓、『春色梅児誉美』の作者為永春水の墓、あるいは明治時代の生人形師の初代安本亀八の立派すぎるほど立派な墓に出会う。 「忠臣蔵」のなかで語られることはないが、吉良上野介義央(よしなか/よしひさ:後註)が討ち入りを警戒して、たびたび本所の屋敷から江戸城近くの米沢藩第四代藩主上杉綱憲(つなのり)邸を訪ねて滞在している。 上杉綱憲は実は吉良上野介の長子三郎で、三郎の母は米沢藩第二代藩主定勝の娘。定勝の継嗣・第三代藩主綱勝にとって吉良三郎は甥にあたる。 ではなぜ吉良上野介の長子・三郎が米沢藩第四代藩主となり綱憲を名のるようになったのか。第三代藩主綱勝が急死してしまったのだ。しかも綱勝には子がなかった。家督を継ぐ者を幕府に申請する間もなかったのである。上杉家は取潰しになること必定であった。 ------ここに登場するのが、会津松平藩祖の保科正之である。正之の長女・媛姫(はるひめ)は第三代藩主綱勝に嫁いで徳姫と名を変えていたが、子をもうけぬうちに事故で急死していた。そしてつづく綱勝の急死。名家上杉家を断絶から救ったのが保科正之だった。将軍家綱の絶大な信頼を得ていた正之は、綱勝が死ぬ前に甥である吉良三郎を養子縁組して上杉家の家督相続をするという遺言をしていた、としたのである。 幕末、戊辰戦争で会津藩が官軍に包囲されたとき、山形米沢藩が最後まで会津藩援護したのには上述のような160年ほど昔の恩義を感じてのことだった。 「忠臣蔵」から話が逸れてしまったが、吉良家と上杉家の関係を知っておくのはムダではあるまい。我が会津がおおきく関わっていた! 保科正之が死んだのが1672年。その丁度30年後の1702年に、赤穂浪士の吉良邸討ち入りであった。徳川時代の並みいる大名のなかで最高の頭脳と有徳を評価される保科正之だが、もし生きて浅野内匠頭刃傷事件が出(しゅったい)していたなら、どのように対処したであろう。 【註】吉良義央の読みは、明確には分からず、従来「よしなか」と読まれてきたが、現・愛知県吉良町の吉良家菩提寺古文書から「よしひさ」と読めることが分かり、近年になって「よしひさ」という読みが定着しつつある。
Dec 14, 2015
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バルセロナで開催のフィギュアスケートGPファイナル最終日。女子総合で宮原知子選手が2位の快挙。男子は羽生結弦選手が前人未到の世界記録・総合330.43で優勝、3連覇。宇野昌磨選手が3位。すばらしい! さて、作曲家の新実徳英氏からお葉書を頂戴した。先日の新曲・「弦楽四重奏第4番 野生へ」世界初演に触れつつ、すでに弦楽四重奏の5番を書く心づもりだとあった。新実さんの音楽的発展に常に瞠目し、啓発されている私としては、期待せずにはおれない。 葉書を拝見した後で、あらためて先月発売された『弦楽四重奏第2番 アスラ」のCDを聴いた。
Dec 13, 2015
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午前中、近くの児童館の年中行事である「もちつき」の手伝い。今年は8臼。子ども達も搗きたくて行列。3臼目から仕上げの前に一人3搗きずつ。小学3,4年の子は「一人でやります」と言う子もいるが、幼児はもちろん私らの介添えで。 蒸しあがった餅米を臼に入れる前に、御飯を二しゃもじ皿に取るので、私は何か祈りをこめた風習かしらと土地のベテランに訊けば、どうやら子どもの教育的な配慮とのこと。つまり、炊きあがった御飯を並んだ子ども達に一口ずつ食べさせて、その味や食感と搗き上がった餅のそれとを比較して感じ取らせているのだ、と。なるほど、なるほど。その配慮はすばらしい。 いつごろからかは知らないが、いまでは東京の子どもたちの家庭で餅搗きをしはしないだろう。スーパーマーケットなどでパックになった固餅を買っているにちがいない。搗きたての柔らかくて温かい餅は、まず、食べたことがないだろう。毎年、この行事に100人前後の子どもたちが餅搗きを体験したくて行列する。「来年はもっと上手になっているかもしれない」と、父親に言っている男の子もいた。----そうかそうか、そうなのか、児童館のこの年中行事は、そういうことか。私は今年で3回目になる手伝いをしながら、私自身の遙か昔の我家の餅搗きを思い出していた。そして8臼目の最後の仕上げの杵を取らしてもらった。「今生の最後の餅搗きになるかもしれませんから」と。相取(あいどり:この辺りでは「返し」と言っている)のベテランF夫人が、「そうですよー」と言った。
Dec 12, 2015
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昨夜から早朝にかけての大雨が止み、戸外に出ると日差しはないのにモワッとするような温気。冬にしては妙な温かさだった。 届け物を持って来たドライバーが、「猫ちゃんが寝ていますね。可愛いですね」と言って、チラと濡れ縁を見やった。フクがうずくまって雨上がりの庭をながめながらウトウトしていたのだ。「猫が好きなんですよ」と、ドライバーは私から受領書を受取りながら言い、「ありがとうございました」と去って行った。フクは、雨のため外に出られなかったので、雨が止むや、出してほしいとせがんでいたのだ。 今年の冬は天候不順と言っていいのか。出入りの商店が来年のカレンダーを持って来てくれたりすると、年末はすぐそこに迫っている。私は明日の朝、児童館の年中行事である「餅搗き」の手伝いに行く。子ども達が楽しみにしている行事だ。 夜、バルセロナで開幕したフィギュアースケート・グランプリ・ファイナルを観た。羽生結弦選手がショートプログラムでまたまた自身の持つ世界記録をうわまわる新記録110,95を出してトップに立った。素人目にも、音楽にピタリと合った流れるような演技で、美しかった。次のフリープログラムが一層楽しみだ。 このTV放送はライブではないので、編集編集でスポーツ競技の精悍さや臨場感が失われてしまった。グチャラグチャラとセンチメンタル、まったく余計な事をするTV局だ。
Dec 11, 2015
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小説家・野坂昭如氏が9日に亡くなった。享年85。 誤嚥性肺炎に因る心不全という。私は民生委員をしていて多くの高齢者に会うが、誤嚥性肺炎は注意を喚起する一事である。これから正月に向かって、餅による喉詰まり・誤嚥が心配される。 さて、それはともかくとして、野坂昭如氏の逝去を悼みます。 野坂氏といえば「火垂るの墓」や「アメリカひじき」が代表作として挙げられるだろう。が、私はあえてデビュー作「エロ事師たち」を挙げる。アンダー・グラウンド・カルチャーに視点をおき、市井の片隅で生きる男や女の悲哀と滑稽をあざやかに描き出した。ブルー・フィルムの制作者スブやん(たしかそんな名だった)の造形は、日本小説における文学的成果、と言っていいだろう。 私の所蔵するそれの書影を掲げようと本の山をほじくってみたが、残念ながら、さすがに50数年前の本を探し出せなかった。この作品は今村昌平監督によって「エロ事師たちより 人類学入門」として映画化され(1966年)、スブやんを小沢昭一氏が演じた。放浪芸研究家でもあった小沢氏の嵌り役、他に代わる俳優が思いつかない。 野坂昭如氏は、小説家として反戦的社会批評家として、ケンカを買って出ることができる人だったと、私はかってに思っている。亡くなったのが、まことに残念だ。
Dec 10, 2015
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録画しておいた小津安二郎監督「秋日和」デジタル修復版を観た(NHK・BSプレミアム)。 作品自体はこれまでに何度も観ていた。あらためて観ると、この作品が、原節子演じる寡婦になった三輪夫人をめぐっての、夫人の亡夫の旧友三人(佐分利信、中村伸郎、北竜二)のエロティックな暗喩の台詞にいささか驚いた。物語の内実はこうであったかと得心したのは、私自身が歳を重ねたせいだろう。青年時代には気がつかなかった。 もうひとつ。原節子さんの裸足の踵(かかと)からアキレス腱にかけてが、意外なほどガッシリしていたこと。私はブリジット・バルドーのアキレス腱が好きなのだが、原節子さんのアキレス腱は注目に値するな----と。
Dec 9, 2015
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きょうは日野市社会福祉協議会主催「歳末たすけあいバザー」の日。 私たち民生委員は売り子になって大活躍。お客として買い物してくれた大勢の市民のみなさんのおかげで、昨年を上回る売り上げがあり、大きな金額を寄付することができた。 昼過ぎ、お客が引いた間隙を縫って私も買い物。両手鍋、一木作り漆塗り四方盆菓子器、万能キッチン鋏、そして餅2kg。
Dec 6, 2015
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昨夜のコンサート、全音現代音楽シリーズ・その22『四人組とその仲間たち 室内楽コンサート』についての私感。 金子仁美氏作曲『《幻視/現視》弦楽四重奏のための;"In-Vision" pour quatuor à Cordes』に注目した。ただし曲名については疑問符をつけておく。とくに私は「視覚」の人間なので、純粋音楽に「視;Vision」とは、これ如何にと思わざるをえない。音楽家が内在的な音を言葉で表現する、その言葉がいまだ存在しないのかもしれない。私は、イメージ(影像)ではなく、その極めて繊細な在るか無きかの「音」だけを聴きとっていた。 演奏された五人の新曲のなかで、私は新実徳英氏の作品『弦楽四重奏曲第4番 ー 野生へ(A.E.51) ; String Quartet No.4・Toward the Savage(A.E.51)』に最も完成度の高さを感じた。 この私の感想が的を射ているとしたなら、他の金子氏以外の3人の作曲家たちには一つのエクスキューズ(弁解)を認めてもよいかもしれない。つまり、シリーズ22には「弦楽四重奏」を作曲することというテーマ、あるいは「枷」が最初から嵌められていたらしいからだ。 私は、作曲家が創作するにあたり、楽器編成をどのように決定するのかを知らない。創作に取りかかるときに、弦楽四重奏にしようとか、ピアノ三重奏にしようとか、ヴァイオリン二重奏にしようとか-----楽器編成を決めてからおもむろに作曲にとりかかるのか、それとも、内的に沸き上る音が自ずと楽器編成を決めてゆくのか。いずれにしろ、今回、優れた3人の作曲家諸氏に、私は失礼ながら習作以上のものを聴き取ることはできなかった。 新実徳英の作品はどうか? 私は、スケールの大きさをまず感じた。大きく腕をひろげて包み込み、そして何か対象にもぐりこみ、エネルギーを得て再び噴出する。何度も繰り返す。そのうちに歌がうまれる。口ずさむことができるメロディーがうまれる----たとえるなら、漆黒の闇が二つに割れてオーロラのような光の色彩がひろがってゆく。それが繰り返される。まぶしい光りではない。おだやかと言うのではないにしろ、星雲のようにひろがってゆく。そんな感じを私はもったのだ。「歌がうまれる」と書いたが、実際、口ずさめるメロディックな部分が出て来た。新実氏の器楽曲でこれはきわめてめずらしいことだ、と私の耳は感じたのだった。 さらに、「おやっ?」と瞠目したのは曲名だ。副題に「野生へ」とある。英語で「Toward the Savage」。これまで新実氏はラテン語を使用することが多かったが、それはともかくとして、実は私がたったいま校正をすませた荒俣宏著『アラマタ異界芸術記』の最終章、荒俣氏と私との対談のなかで「savage」について語っているのである。内容については本が発売されたら読んでいただきたいが(アッハッハ)、三者共通の関心を抱いている!-----と、驚いたのだ。新実氏の新曲が「弦楽四重奏4番」であることは前もって知っていたけれども、副題が「野生へ」であることは昨夜、会場でパンフレットを見るまで知らなかったのである。本が出たら新実氏に読んでいただこう。
Dec 5, 2015
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作曲家・新実徳英氏の新作の世界初演音楽会に行き、ただいま帰宅(23時20分)。感想は後ほど。
Dec 4, 2015
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昨日に引きつづき「歳末たすけあいバザー」の準備。 帰宅してから『アラマタ異界芸術記』の校正。責了にして編集者に返送。
Dec 3, 2015
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6日(日曜日)に開催される日野市社会福祉協議会主催の「歳末たすけあいバザー」の準備がはじまり、朝から午後3時まで寄贈された物品の仕分け作業。昨年に倍する寄贈があり、嬉しい悲鳴。みなさん当日はどうぞお出かけ下さい。良い品が驚くほど格安で入手できるでしょう。業者の方も歓迎します。たすけあいにご協力ください。 さて、帰宅すると角川書店からメールとゲラ刷り原稿が届いていた。 つい2日前、水木しげる先生を追悼しながら触れた、雑誌『怪』誌上での荒俣宏氏と私との対談を、荒俣氏がまとめられ、単行本『アラマタ異界芸術記(仮題)』として今月中に刊行されることになった。これは荒俣氏が同誌に6回にわたって「脳内異界探検」と題して連載したもので、私との対談はその最終6回目にあたる。単行本は、雑誌掲載時に省略した部分を大幅に復元した。荒俣氏は、第6章のタイトルを〈「他人に見せる夢」としての幻想アート〉としている。 楽しい対談・ディスカッションだったので、私自身、今月中の刊行が楽しみだ。さきほど再校を読み終えたところ。明日、もう1、2度目を通して私の校了としよう。
Dec 2, 2015
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2日からマイアミで開催されるアート・フェアに、画廊が私の作品を出展すると伝えてきた。この企画は私本人が知らなかったので、ちょっと驚いた。しかし、ありがたいことではある。 これで今年は4っつの国際アート・フェアに出品したことになる。いずれも新作を要望されたので、多忙なスケジュールで制作に追われた。残る1ヶ月も何かと忙しいが、過ぎてしまったことはもう遠い昔のことのようだ。人間てやつは、楽になるようにできている。
Dec 1, 2015
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