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東京薬科大学の東薬祭に行き、もう10数年来恒例となったセミナーに参加。第一部、分析化学教室・袴田秀樹教授による「体に脂肪がつきにくいあぶらの不思議」、および第二部、生命科学部脳神経機能学・宮川博義教授による「脳で世界を見ている」を聴講した。 袴田教授の講義は、中鎖脂肪酸トリグリセドリンの分子構造の説明から始めて、その電気化学的挙動について、そして中鎖脂肪酸がなぜ体につきにくい油なのかを解説。薬学における最新の研究の概要を説かれた。 私は、トリアシルグリセロールの吸収について中鎖脂肪酸(C8~C10)と長鎖脂肪酸(C12以上)の吸収過程の異なる二つを小腸の粘膜細胞が選別している、という話(その仕組は不明だという)、およびその二種がミトコンドリアに入って異なる過程を経てエネルギーを産生するという説明は、ことのほかおもしろかった。 宮川教授の講義は、画家である私にとって関心が深い視覚と脳について。 教授はまず錯視の例を示し、脳が世界を再構築していることを説かれ、2014年にノーベル医学・生理学賞(ジョン・オキーフ、メイ・ブリット・モザーとエドワード・I・モザー夫妻)の研究「脳は世界を再構築する際、空間と時間という形式を使う」ことについて解説。また、その際、世界をそのまま再構築しているわけではない、と。 そして、神経インパルスの問題、視覚伝導路の問題、1次視覚野ニューロンの応答の問題、グレイとシンガー両氏による同期によるバインディング(結合)問題、マカクサル視覚連合野のニューロンの光応答について、感覚内容・心象の脳内表現問題、個視・サッケード・個視微動について、海馬Place cell(場所細胞)とPlace fieldについて、場所細胞の位相先行について、嗅内皮質Grid cell(格子細胞)と視覚の経路について、そして、ないのに見える、という問題、すなわち、錯視(Scintillating illusion)・幻肢(ラマチャンドランの治療)・幻聴(統合失調症)・幻視(レビー小体型認知症)・カプクラ;替え玉(レビー小体型認知症)----の問題。 -----私は、現代の最先端医学・生理科学が哲学や心理学とフュージョン(融合)、あるいは相互にフィードバックしていると思った。 じつは講義後、私は、錯視・幻肢・幻聴・幻視・カプクラに関係するであろうと思われる実例を採集してもってい、私の観察から導き出したある事についてお尋ねしたかったのだが、前の質問者がずいぶん長く教授をつかまえて話をしていたので、私は質問を断念して帰って来たのだった。 セミナー開始時間より40分ほど早く大学に到着したので、これも例年のごとく、学生達の古書コーナーに行き、11冊購入した。それについてはまた後にしよう。
Oct 31, 2015
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私もときどきやってしまうが、コンピューターのキーボードのミスタッチ等で、漢字の間違いや訂正削除のし忘れだ。昔はほとんど見かけなかった報道メディアの文字校閲の洩れが、意外に目立つようになった。コンピューター入力の誤変換のためだろう。 TV関係者、特にゲスト発言者や芸能関係者の言葉の乱れは、もはや手のつけようがない。 料理人が物品に対して「何何してあげる」という言い方。「野菜は丁寧に切ってアゲル」「軽く塩を振ってアゲル」「あくをとってアゲル」----たぶん彼らは丁寧語だと思っているのだろう。あるいは会社組織や店名に対して「何何会社様」と言ったり、病院では「患者様」、あるいは「消費者様」「視聴者様」等々。これはたぶん「お客様」からの行き過ぎた転用だろう。いずれにしろ、肌を逆撫でされるような気持悪い言葉使いだ。 こういうバカな使い方をしも、「日本人の思いやり精神」と言いたがる風潮に包みこんでいるようで、もはや病膏肓の感がある。 なんでこんなことを書き始めたかというと、昨夜、たまたま歌番組のなかで越路吹雪さんの映像が出たのでそのまま見つづけていた。越路吹雪さんのうたったシャンソンを歌い継ぐというのである。宝塚歌劇の後輩にあたる歌手が、「ろくでなし」を歌った。その歌詞の字幕を見て、少し大げさながらガクゼンとしたのである。 岩谷時子さんの詞。その3番、「コーヒーがわいたら かげぐちを聞かれて」とあった。岩谷さんがこのように書いていられるのだろうか? 念のため越路さんのCDの歌詞カードを見てみた。「聞かれて」となっていた。 ???------しかし、ここは「かげぐちを利かれて」が正しい。「聞かれて」と「利かれて」では完全に主客が逆転する。 つまり、「ろくでなし」と、おかみさんたちに言われている私が、誰かのかげぐちを言ったのを、おかみさんたちに「キかれ」た。それが「聞かれた」。私がおかみさんたちにかげぐちを「キかれた」(言われた)のが、「利かれた」。 この歌詞のストーリーとしては当然後者である。「利かれた」でなければならない。 この「利(き)く」は、「言う」と同義で、たとえば「生意気な口を利(き)く」とか、今ではあまり言う人はいないかもしれないが「親にくちごたえを利(き)くな!」などという。他動詞としての字義である。これが自動詞となると、「目が利(き)く」とか「鼻が利(き)く」、あるいは「薬が利(き)く」と使う。 ついでながら、日本語のおもしろいところは、鼻をつかって香りを嗅ぐに、「香をキく」という。この「キく」は、「聴く」である。「聴香」という言葉がある。 岩谷さんの元詞が「聞かれて」と誤っているなら、TV局にとやかく言う筋合いでもない。岩谷さんに直してもらうよりほかない。 歌のなかの言葉の誤用は他にもあって、たとえば「松の木小唄」の一節、「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変わりはないじゃなし」というのが元詞。しかしこれでは雪に変わりが「ある」ことになってしまう。「雪に変わりはあるじゃなし」でなければならない。元詞は文法の二重否定で混乱してしまったのだ。 あるいは、小椋佳さんの「シクラメンのかほり」というタイトル。「薫り」の旧カナのつもりか、誰かの名前に捧げたとも聞いたおぼえがあるが、旧カナならば「かほり」ではなく「かをり」である。名前ならばいたしかたがないが、その場合詮索すれば「穂」が原意だろう。たしかに詞のなかに、シクラメンが君のようです、と言っている。しかしその人が「かほり」だとはどこにも言っていないので、小椋さんの独り合点。歌のタイトルとしてはシクラメンの「薫り」と結びついているはずで、どうしても旧カナにしたければ「かをり」である。それでもなお人名を主張するなら、私など、キャバレー「シクラメン」のホステス「かほり」ちゃんを連想してしまう。 上述の料理人たち(TV出演者の全員といってもよい)の「あげる」もキモチワルイが、関西芸人が出所なのか「滅茶苦茶」「滅茶滅茶」あるいはそれを端折って「メッチャ」という、その言葉の誤用はほんとうに気持悪い。 「滅茶苦茶」「滅茶滅茶」も、言葉自体はある。だが、それは度を越したことがらに対して「否定」的に使われるのが本筋。関西芸人たちは(その影響を受けた日本全国いたるところで)、まったく逆に賛嘆に等しい「肯定」的な修辞としている。「メッチャおもろい」とか「メッチャ美人だ」、「メチャメチャうまい(上手、美味)」、「メチャクチャ売れてる」等々。 昔の上方芸人、花菱アチャコさんは「メチャクチャでござります」と言って笑わせていた。アチャコさんは、正しく「否定」的修辞として使っていた。ということは、現在の関西芸人たちの使い方に対して、「関西弁」という擁護論はあてはまらないだろう。 同様に、彼らは「わらかす」とも言う。「笑わせる」という意味を言うらしい。これはもしかすると芝居小屋や寄席での観客を盛り上げるという意味の「わかせる」からの連想から出て来たのではあるまいか。 劇場が客の感興によって地鳴りのようにとよもす。それを「沸く」という。それができる役者や芸人を「わかせる」役者(芸人)だ、と言う。 ウッチャンナンチャンの内村さんが屢々「わらかす」と言う。その言葉の出所を聞いてみたい気がする。 フランスの「コメディー・フランセーズ」は、正しく美しいフランス語を継承することを主眼とする国立劇団である。このような正しく美しい日本語を心がける劇団もマスコミュニケーション・メディアも、日本にはない。NHKは、料理人のバカな言葉に注意を与えることもないらしい。日本語は「滅茶苦茶でござります」。 【追記】この日記を書いた後で、朝日新聞を見ると、天声人語」がコンピューターの誤変換のことを書いていて、おやおやと思った。
Oct 30, 2015
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フィレンツェ(フローレンス)のムゼオ・デッロペラ・デル・デュオモ(大聖堂美術館)に、広大な新美術館が付け加えられ、今日、2015年10月29日、一般に開館された ミケランジェロの「ピエタ」(バチカンのピエタとは別)や、ドナテッロの「アグダラのマリア」(木彫)や「ゲレミア」(大理石)、アルノルフォ・ディ・カンピアの「マドンナ」(大理石像だが目にガラスをはめ込んでいる)を所蔵する。中世からルネッサンス期に到るフィレンツェ彫刻の宝庫である。 The New Museo dell'Opera del Duomo
Oct 29, 2015
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4日前の土曜日、今年初めての灯油の巡回販売車の売り声が、住宅街をゆっくり流れて行った。「ああ、もう冬隣---」と思った。今日も同じ売り声が遠く近くに聞えていた。 先日、作曲家の新実徳英氏と電話で話していたら、12月に私の時間ができたときに会って一杯やりましょうと言うに、「忘年会を兼ねて」とおっしゃったので、なんと気の早いと思った。が、しかし、灯油売りの声を聞いてみると、確かに年の瀬も遠いとは言えないのだった。 それにしても多忙な一年だった。よく動き回った。先日金曜日、民生委員の地区会長が、「山田さんは元気だなー!」とおっしゃったが、事実そのとおりだ。 午前中のNHKBSプレミアム・アーカイブで永井荷風と谷崎潤一郎の食をめぐってのドキュメンタリーを放映していた。途中から見た。永井荷風の死んだ日、彼は行きつけの店で毎日のごとく「カツレツ丼」を食べ、帰宅してからそのまま倒れ込んで死んだ。店の人が「カツレツ丼」(その人は「カツ丼」とは言わずに、ただしく「カツレツ丼」と言った)を食べている荷風の呼吸がおかしかったと証言していたが、死因は胃潰瘍だった。TVは、誰が撮影したかは知らないが、「く」の字になって死んでいる荷風の写真を見せた。警察の現場写真であろうか。---語弊を承知であえて言うが、私は「永井荷風」の「いい写真」だと思った。 私は、20年くらい前になるが、自分の「死に顔」を描いてみたことがある。画家として死にたいのだが、唯一描けないのは自分の「死に顔」だ。それでいろいろ想像してみたわけだ。永井荷風の死の写真を見て、私の死の状況もおそらく似たようなことになりそうだ、と思った。それはもう間違いないだろう。胃潰瘍では死なないだろうが、----何を食って死のうか。今夜の夕食のように江戸前の握り鮨を食おうか。
Oct 28, 2015
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今日は午前9時から午後3時まで、近くの中学校の「合唱祭」に招かれて市の大ホールに出かけた。 我が市のすべての中学校(それとも全国の、であろうか?)が、教育の一環として、それぞれに同じような全校生合唱参加の催しをしている。私が出席した中学校は、「第32回合唱祭」とうたっているから、長い歴史がある。生徒達が実行委員会を組織して運営にあたる。私は今年初めて聴きに行った。 全校生が各学年毎に課題曲があり、各クラス毎に自由曲を歌って賞を競う。指揮者もピアノ伴奏もすべて生徒である。課題曲の指揮者と伴奏者、自由曲の指揮者と伴奏者と、各クラス4人が分担している。 今年の1年生の課題曲は『Let's search for tomorrow』(作詞:堀 徹、作曲:大澤 徹訓)。自由曲は、 1組が『変わらないもの』(作詞・作曲:山崎朋子)。 2組が『輝くために』(作詞・作曲:若松 歓)。 3組が『怪獣のバラード』(作詞:岡田冨美子、作曲:東海林修)。 2年生の課題曲は『時の旅人』(作詞:深田じゅんこ、作曲:橋本祥路)。自由曲は、 1組が『予感』(作詞:片岡輝、作曲:大熊崇子)、 2組が『空駆ける天馬』(作詞:館蓬莱、作曲:黒澤吉徳)。 3組が『ヒカリ』( 作詞:瀬戸 沙織、作曲:松下 耕)。 3年生の課題曲は『雲の指標』( 作詞:吉井 奈緒子、作曲:鹿谷 美緒子)。自由曲は、 1組が『名づけられた葉』( 作詞:新川和江、 作曲:飯沼信義)。 2組が『はじまり』( 作詞:工藤直子、作曲:木下牧子)。 3組が『青い鳥』( 作詞:安岡優、作曲:北山陽一)。 特別学級は、合奏『宝島』(作曲:和泉宏隆、編曲:真島俊夫)と合唱『大空讃歌』(作詞:桑原ほなみ、作曲:黒澤吉徳)を演奏。 曲はおおむね中学生向きに作詞作曲されたものだが、各クラスそれぞれに工夫してすばらしい歌声を聴かせてくれた。それにしても練習にどれくらいの時間を費やしているのだろう。一人一人得意不得意があるだろうし、歌いたい生徒もいれば歌いたくない生徒もいるだろう。ましてや難しい年頃だ。合唱は、助け合い、補い合い、不調和を調和に変えてゆく共同作業がなければできないことだ。しかも、「音楽」になるためには、内面のしなやかさが必要で、それが音符の羅列を超えて流れるメロディーとなりリズムとなる。全校生による「合唱祭」の教育的主眼はそこにあろう。 1年生は、特に男子生徒は初めて舞台に乗り、観客を前にして、いささかの照れくささもあろうか、少し口の開き方が小さい。変声期を過ぎて安定した声の生徒もいれば、まだ途上の生徒もいる。したがって、厳密に言えば、音程にやや不安が残る。だが、3年生はさすがで、力強さもハーモニーもすばらしい。言葉のもつイメージがはっきり伝わってきた。これは言葉のフレーズ毎の出だしの発音が明瞭だからである。たいしたものである。すばらしい。 さて、生徒達のコンクール曲が終わって、教諭たち全員も合唱した。これはお世辞にも上手とはいえず、まあ、ご愛嬌というところ。生徒達からひやかしの声がわきおこった。毎日忙しいうえに合唱の練習などしてはいられなかったであろう。生徒達が一斉に冷やかしの声をあげて、先生達は頭掻き掻きという感じ----それでいいのじゃないでしょうか。 最後は創部3年目という吹奏楽部が、『銀河鉄道999』と『踊るポンポコリン』を演奏。おおいに会場を盛り上げた。 生徒諸君、ありがとう。とても楽しかったです。
Oct 27, 2015
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午前中に画廊への作品引渡し第三弾を終了。なんだかドッと疲れが出て、椅子にかけたまま5分程うとうと眠った。 眠りながら次の作品のことを考えていた。想い描くイメージなのか夢なのか区別がつかないが、頭の上の空間に次から次へと映像が浮かんでは消えた。そういうとき、私の場合だが、同時に組成構造と技術的な段取りを考えている。つまり、浮かんで来る画像をキャンヴァスの上に実現する方法を、その画像と同時に考えている。ときどき画像だけ止まったままで、そのそばで技術的な方法論のほうディジタル時計のようにパタパタと変わって行く。半睡半醒状態なのだろうか---。しかし目覚めたとき、その映像や技術的問題はしっかり記憶されていて、後々、それをもとに本格的な作品構想に入るのである。もちろん、すっかり捨ててしまうこともあるが、別な構想を導き出すためのスプリングボードになっていることは確かだ。 いま、仕事場の一角がガランとしてしまい、ちょっと寂しい。
Oct 26, 2015
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日本の人の心が荒廃してきているなと、つくづく思った。 買い物に出かけ、街路をのんびり自転車で走っていた。とある集合住宅の下を通ったとき、たまたま他に通行人はいなかったが、いきなり頭から水をぶちまけられた。「わっ!」と声をあげて驚き、自転車を止め、水が降って来た方を見た。3階のベランダに残余の水がしたたり、しかしすでに人影はなかった。私はキャップを冠っていたのだが、キャップはもちろん、シャツもパンツも、大粒の水滴で滲みになっていた。臭いをかいでみた。薬品類ではなさそうだった。警察に届けるべきか迷ったが、急いでいたので濡れたまま買い物に行った。 最近の報道に、高層マンションが立ち並ぶ繁華な街路で、どうやらそのような高層な建物から故意に危険物を投げ落したと想われる事件が相次いだとあった。また年齢的にはすでに老境に入ろうというような男が、鉄道付近で故意に火災事件を起こしている。新幹線車内で故意に火災を発生させた事件もある。---子供のいたずらではない。分別あってしかるべき「おとな」のシワザなのである。 私は以前、2階からカラー・ボール(ぶつけると割れて色液が飛び散る)を投げつける事件が起きて、自治会で見回りをしたことがある。 「愉快犯」と一口に言うけれど、なにか日本の社会全体が陰湿になってきているような感じがする。潜伏していた病巣からジクジクと膿が出て来ているような---。「悪貨が良貨を駆逐する」というのは経済学の理論。だが、もっと広く社会的・政治的にも通じるのではあるまいか。つまり、日本人の人心荒廃は(たとえ一握りだとしても)、でたらめな政治、品性下劣な人間が権力を揮う糞溜のような日本の政治状況に因がある、それが鏡に映るように人の心に現われている、と---社会現象をすべからく分析し統合しての、広い視野に立った社会心理学は、日本ではほとんど発達をみないが---私は思う。
Oct 25, 2015
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土地の旧家のTさんから「庭に勝手に生る柿です」と、柿を頂戴した。「禅寺丸;ぜんじまる」という柿だそうで、小振りの甘柿である。 「禅寺丸」は植物学上の学名も「Zenjimaru」で、鎌倉時代の1214年に、現在の川崎市麻生区王禅寺の山中で偶然発見された、日本で最初の甘柿といわれている。昨年、川崎市で、この柿発見800年を記念したイヴェントが開催された。柿は現在では品種改良された交配種をふくめて1,000種におよぶそうだ。いまや外国語にもなっている日本特産の柿であるが、しかし、元来、ほとんどが渋柿である。我家の庭の柿も渋柿。そして私の青春の城下町会津若松を中心とする会津特産の不知身柿(みしらずがき)も渋柿で、柿農家はそれを大樽に詰めて焼酎で渋抜きをする。 禅寺丸の発見地・王禅寺は、我家の猫達の柿生の墓地の近くで、その地名が「柿生」というのはこの禅寺丸と無縁ではないようだ。私は猫達の墓参りに、自転車を駆って王禅寺から柿生へと行くのである。 Tさんから頂戴した禅寺丸は、ほんのり甘く、気分はなんとなく往古をしのぶ感じだった。私は初めてこの柿を食べたのである。旧家であるTさん宅の地に、いつ頃どのように辿り着いたかは知らぬが、混じりけのない原種を味わったような感慨を私はいだいた。
Oct 24, 2015
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朝、主治医のクリニックに行き、インフルエンザの予防注射をしてもらう。民生委員として多くの高齢者に会うので、私がインフルエンザに罹患していては話にならない。毎年10月末あるいは11月初めに、逸早く予防注射をしてもらっているのである。 午後は民生委員の地区定例会議に出席。11月と12月の活動スケジュールの詳細が決まった。 1月末の美術講話を依頼される。
Oct 23, 2015
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私がデザインを担当した、現代音楽の新実徳英氏の室内楽作品集CD(発売元:カメラータ・トウキョウ)が手元にとどいた。「弦楽四重奏曲第2番〈Asura〉」「ピアノ三重奏曲〈Lux Solemnis〉」「ソナタ~チェロとピアノの為に」を収録している。平成27年度文化庁芸術祭参加作品。 「弦楽四重奏曲第2番〈Asura〉」について、新実氏は次のように述べている。 「2011年3月11日、私はTVが伝える映像を見ながら『弦楽四重奏曲第2番』を書き続けた。恐怖・怒り・悲しみ、祈り、それらの全てが折り重なって曲に入り込んだ。音楽に何ができるのか、苦難に立ち向かえるのか、生きる希望を歌えるのか、そのような想いの中で「修羅の如く書き続ける」という言葉と出会った。私もまたそのようにあろう! 副題はAsura=阿修羅となった。」(CDの帯より)
Oct 22, 2015
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終日、作品制作。 夜、NHKBSプレミアムで「プロファイラー選」---「モーツァルト名曲秘話・天才少年と秘密の楽譜」を途中から観た。ピアニスト仲道郁代さんの実演をしながらのモーツァルトの長調と短調の問題、すなわち仲道さんによれば短調の悲しみのなかに長調がまぎれこみ希望が差して来るような部分、あるいは長調のなかに短調がまざって長調に愁が帯びて来る部分がある、という解説は大変おもしろかった。 私は民生委員合唱団で来年2月の東京都のチャリティー・コンサートに向けて練習をしている。曲のなかに、武満徹「小さな空」がある。メロディーは1,2度聴けば覚えられるほどの曲だが、この曲には混声合唱の非常に複雑なヴァージョンもあるが、私たちは2部合唱のヴァージョンを歌う。 そのいわゆる低音部に意表を衝かれるような一音が出現する。この一音がなかなかクセモノなのだ。 そこの部分を譜面で示してみよう。 「しかーられて泣いた」の「れ」の音だ。#が付いた「い」の音もなかなか難しい音だが、「れ」の微妙さに私は驚く。 武満さんの歌曲は、この例のように非常に微妙な1音が、曲想をぐっと深めている場合が少なくない。たとえば谷川俊太郎作詞の『死んだ男の残したものは』もその一例で、この曲では冒頭の「死んだ男の残した----」の「の」の音である。この「の」の音で、曲が一気に深く重い思想性を表現する。すごいものだ。 仲道郁代さんのモーツァルト解説を聞きながら、私は武満さんの歌曲について想いめぐらしていた。
Oct 21, 2015
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午前中、仕事で外出し、その帰りに猫達のための缶詰を買いに立ち寄った。店先のガーデニング・コーナーでオレガノの鉢を見つけ、2鉢買った。オレガノは、我家の常備ハーブのひとつ。トマトとの相性が良いので、トマトチャウダーやパスタのトマトソース、あるいはオムレツに使っている。開花期は夏なので、今から移植するのはどうなのだろう。しかし店頭販売してい、葉の活力も充分なので、楽しみながら育ててみよう。戸外で越冬する、と鉢に挿した札に書いてある。 さて、今しがたEメールを開くと、音楽CD出版社「カメラータ・トウキョウ」から、私がデザインを担当した新実徳英氏のCDが完成したという連絡が来ていた。新実さんの室内楽曲集で「弦楽四重奏曲第2番〈Asura〉」「ピアノ三重奏曲〈Lux Solemnis〉」「ソナタ~チェロとピアノの為に」をコンサート・ライヴ録音により収めている。今年度の文化庁主催・芸術祭参加作品である。まだ私の手元には届いていないが、いずれこのブログでご紹介しよう。
Oct 20, 2015
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忙しい1週間のはじまり。午前中に先日引き渡せなかった作品の引渡し終了。約束が果たせて、ほっとした。午後、次の作品にとりかかる。 防塵マスクとゴーグルをつけたまま、ちょっとベランダに出たら、ちょうど隣家の夫人が二階の窓から顔を出して、私の姿を見てびっくりしたようだ。 「どうしたんですか?」と言うので、作品を制作中だと応えると、「そうでしたの、びっくりしてしまいました。大作を制作なんですね」 家人にも見せたことがない制作をしている最中の姿(休憩中ではあったが)を、人に見られたのは初めてだ。二方は庭木が茂っていて目隠しになっているが、夫人の家からは我家のベランダが見える。まさか、ちょうど顔を出されるとは想いもしなかったから、ここ数日来の日差しに誘われてうっかり仕事場から出た。ボサボサ頭、絵具だらけの服、そして防塵マスクとゴーグルですっかり顔をおおっているのだから、そりゃあびっくりしただろう。ハハハ。
Oct 19, 2015
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今日はしばらくぶりで丸一日休養した。なーんにもせずに、ぼんやり過ごした。 夜、7時から9時までBSTVで、ザ・ピーナッツの音楽ドキュメンタリーを観た。彼女たちがデビューした年、私は14歳だった。それで思い出したことがある。 私は前年に親元を離れて会津若松の中学校に行っていた。ある日、父が訪ねて来た。勉強机の上のラジオからザ・ピーナッツのデビュー曲『可愛い花』が流れていた。「いい歌だね」と父が言った。そんなことを滅多に言わない父なので、記憶に残っている。 高校1年のとき、中学1年になった弟と彼の同級生が会津若松にやって来た。私と同居して1年間ばかり面倒を見ることになった。東宝映画『モスラ』を観たいというので、二人を連れて映画館に行った。ザ・ピーナッツが出演していた。インファント島で妖精のように、「モスラーや、モスラー、インガガッター(だったかな?)モスラー」と歌った。弟たちはその歌が気に入ったのか、「モスラーや、モスラー」と真似をしたものだ。
Oct 18, 2015
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午後、約束の作品をとりあえず1点だけ画商に引き渡した。残りは明後日に。 これらの作品は、月末にパリで開催される、有力画商によるアート・フェアのためのもの。 私はひきつづき11月の韓国アート・フェア出品作(すでに描き終わっている)の引渡し準備に取りかからなければならない。来週は他出のスケジュールが一日おきに入っていて、多忙な1週間になりそうだ。
Oct 17, 2015
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おっとっと、画商から作品はまだかと催促の電話。きのうブログに書いたとおり、完璧をめざして直しているうちに約束の期限が来てしまった。とりあえず1点だけ先に引き渡すことにし、あとは20日まで待ってもらうことにした。 じつは期限が気がかりで、こちらから電話をしようと思っていた矢先だった。きょうも午前中からガーガーやって、午後、2度洗い出しをして乾燥させていた。電話が来たとき、ちょうど乾燥したので最終作業に取りかかろうとしていたところだった。 午後5時から6時まで、最終作業をした。そのまま明日の午後2時くらいまで20時間ほど、空気を動かさないように部屋を閉め切って乾燥させる。 先に引渡しをする1点について、梱包をしなければならないが、緊張した作業の連続でいささか疲れた。梱包は明日の午前中にすることにする。 閑話休題 というわけで、夕食後、ぼんやりしていて、TVをつけたらNHKの「キッチンが行く」で会津をロケしていた。 最初の方は見なかったが、会津小菊南瓜を作っている長谷川純一さんの農場を訪ねているところだった。会津小菊南瓜は、幕末の会津戦争のときの籠城食となったそうで、長谷川さんはこの伝統野菜を絶やさぬように、会津農林高校の生徒諸君を指導しながら、なんとか作りつづけて来たのだという。 その長谷川さんが取材者2人を自宅に招き、大事そうに取り出して来て見せたのは『日本農書全集』の第19巻『会津農書』という書物。江戸時代の書物(その復刻本)だ。そこに栽培についてのすべてが書かれている、と。 私は「おっ!」と思い目をこらした。じつは、私は第20巻『会津歌農書・幕内農業記』を所持している。この書物は、ブログで知り合った釈迦楽氏が奉職する大学の図書館が放出した本で、私は釈迦楽氏を煩わせて入手したのだった。19巻も注文したのだがあいにく抽選に外れ、20巻だけが私の所蔵となった。 『会津農書』(1684年)と『会津歌農書』(1704年)の著者は同一人物で、佐瀬与次右衛門。『会津歌農書』は前著『会津農書』の内容を、覚え易いように5・7・5・7・7の短歌に詠んだものだ。また、『幕内農業記』の著者は、佐瀬与次右衛門の娘婿の林右衛門である。親子で会津農業の実務に関する至宝というべき書物を著した。 330年後の現在、会津小菊南瓜を作る長谷川氏は、その書物に教えられること多く、やはり「至宝」と言っておられたのを私は印象深く見たのだった。 そうそう、番組のなかで会津の「身欠鰊の山椒漬け」が出てきた。 8年前、会津若松を訪ねて、中学時代の恩師清水和彦先生宅で奥様の手料理の昼食を頂いたとき、その「身欠鰊の山椒漬け」を御馳走になった。帰京するとき、会津若松駅の売店で「身欠鰊の山椒漬け」をもとめ、土産に持ち帰った。----TVを見ながら、今は亡い清水先生のことと共に、懐かしく思い出したのだった。
Oct 16, 2015
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きのう給湯器修理のサーヴィスマンが来たとき、その車を門前に停めておいた。しばらくして警笛が鳴ったように思ったので、私がかわりに見に出たら、隣家の夫人が「車ではないですよ」と声をかけてくれた。サーヴィスマンが出入りするのを見ていたのだろう、「修理ですか?」と訊いた。私は「給湯器が故障してしまいまして」と言った。 後になって、隣家の夫人は我家から洩れ聞えた他の物音とサーヴィスマンの出入りとを結びつけて尋ねたにちがいない、と気がついた。 ここ3日ばかり、私は仕事場で電動サンダーを使用していた。午前中も午後も、ほぼ半日、ずっとその音を響かせていた。窓も扉も閉め切ってはいても、音は家から洩れていたのちがいない。それはたしかに大工仕事の音と同じだった。 じつは絵画作品の制作過程で電動サンダーを使っている。長らく研究してきた新しい技法を、昨年から実作にとりいれた。しかし、完璧なしあがりにするのはなかなか難しく、これで良しと思えるまで、気にくわないところを削っては塗り直し、塗っては削っている。防塵マスクをし、ゴーグルをつけ、捨てる寸前のボロ服を着て、ものものしい格好で、絵筆ではなく電動サンダーを握っているのである。 きょうも10時から作業を始め、荒砥が必要になって午後は東急ハンズに買いに出かけ、帰宅して夕方までガーガーやっていた。明日午前中に仕上砥をかけ、洗い出しをし、なんとしてでも最終作業に移りたい。気持は夜中もやりたいのだが、音が家から洩れているとなると、近所迷惑。ここは気持を抑えなければなるまい。
Oct 15, 2015
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シャワーを浴びていたら湯が急に水に変わった。驚いてリモコンパネルを見ると、ガスが消えて何やら数字が点滅している。一旦電源を切り、再び入れると燃焼が始まった。が、3秒程すると消えて、例の数字が点滅した。何度かやり直してみたが結果は同じ。 私は種火が消えるのではないかと思った。ためしにキッチンの湯栓をひねってみると、やはり同じように数秒で燃焼が消えた。我家の給湯器本体は浴室とキッチン用で、リモコンで操作する。したがって浴室の給湯が不可能になるとキッチンの給湯も同時に不可能になる。 ガス会社に連絡した。すると調べにやって来て、ガス機器に問題はないので、たぶん給湯器本体の故障だと思うと言う。種火式の給湯器ではなく、水圧によってコンピューターが作動して燃焼する仕組なのだそうだ。そして給湯器メーカーに電話してくれ、メーカーからサーヴィスマンが来た。 ICチップが取り付けられた20×40cmほどの基盤が誤作動し、その基盤を新しく取り替えなければならないという。給湯器の内部を初めて見せてもらったが、なかなか複雑で、しかし良くできているので感心した。風呂に入れない、キッチンのお湯が出ないでは困るので、すぐに新品に交換してもらうことにした。燃焼がストップして後に点滅した数字は、故障箇所を知らせているそうで、サーヴィスマンは新しい基盤を持参していた。費用は出張作業費を含めて29,000円。 あとはサーヴィスマンに託して私は家の中に引っ込んだ。そのサーヴィスマン、おもしろい人で、作業の手順などをひとりごとを言いながら仕事していた。その声が家の中にいても良く聞えるのだ。 「おや、カチカチ音がするぞ。そうか、わかった、これを交換だ。おっと、手袋を忘れた。取って来よう。よし、これでいい。ほらお湯が出ている。デフォルトに設定し直して、と----」等々。 私はひとり笑いながら聞いていた。 それからサーヴィスマンは浴室に入り、湯量や温度などの初期化をコンピューターが覚え込むまで、試験的に浴槽に湯を溜めつづけ見守っていた。私も並んで見守りながら、昨今の給湯器事情について話を聞いた。 修理が終わったサーヴィスマンの帰り際に、「早い対応、ありがとうございました」と言うと、「お湯がないとお困りでしょうから」と彼は言った。 私は、試験的に湯を溜めた風呂に入った。
Oct 14, 2015
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我家には4匹の姉妹猫がいる。5匹だったのが、昨年3月にマリが死んだ。みな親猫ヨモコの子で、マスクが17歳、リコ、フク、サチが16歳である。だんだん寒くなって来て、みな私に抱っこをせがむ。今もマスクが鳴いてせがんでいる。 子供のころからずっと動物と一緒に暮らして来た。最初は犬で、カピという名。昭和27,8年ごろNHKラジオが連続放送劇『家なき子』を放送していて、そこに登場した犬の名前から取った。長野県から福島県に移転するときに国鉄の不注意で八王子で檻を積み替えるときに檻の戸が開き、カピは逃走して行方知れずとなってしまった。カピとほぼ同時期に一緒に猫のチョマコも飼うようになったが、チョマコは福島に到着しその後10年間生きた。 現在の4匹の猫のご先祖は、クロという名で、1979年のある日、どこかで赤ん坊のような泣き声がするので、近所に赤ちゃんはいないはずだがと縁側の戸を開けてみると、庭木の茂みの下から3匹の生まれて1ヶ月ほどの子猫がよろめきながら出て来た。そのとき一番小さくて丈高い草につまづいて転びそうになったのがクロだった。この三匹にグレ、シロ、クロと名付けて、我家で飼うことにした。このクロが生んだミミ、ミミが生んだヨモコ、そして4匹のヨモコの子供達だ。 長年の間にこの猫達の死も看取ってきたわけだが、墓地は川崎市の柿生の里である。 そういう悲しみもさることながら、動物と暮らす楽しさはちょっと格別で、亡母が50日間という入院をして幻覚を見ることが起きたとき、そこに現われたのは我家の猫だった。家においてきた猫達が心配だったのだろう。「猫が市役所の前の樹の上で鳴いて呼んでいる」と言ったりしたものだ。退院すると幻覚は消え、在宅医療用のベッドから猫達の遊ぶのを眺めてなぐさめにしていた。猫の動きを目で追うことで、母の脳は活発に働いていたかもしれない。 ところで、みなさんご存知の画家に猫好きが意外に多いのだ。ちょっと名をあげてみましょうか。 ピカソ、マチス、ダリ、クレー、マン・レイ、ピエール・ボナール、レオナール・フージタ(藤田嗣治)、グスタフ・クリムト、ジョージア・オーキーフ、フリーダ・カーロ、ディエゴ・ジャコメッティ(彫刻家・デザイナー。彫刻家アルベルト・ジャコメッティの兄)、アンディ・ワーホル、そしてジャン・コクトーも。 藤田嗣治の自画像といえば、猫と一緒の作品を思い出される方も少なくはないはず。自画像以外でも、裸婦像の画面に猫達が跳梁跋扈していたりする。 抱っこをせがんでいたサチが、がまんできずに机に跳び乗り、私がまさに叩いているキーボードをまたいで、膝にのっかってきた。そして満足げに下から私の顔を見上げている。
Oct 13, 2015
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きのう電車に乗って買い物にでかけたのだが、その電車の中で私としては初めての経験をした。 私が乗り込んだとき、すでに先の駅から乗って来た女子高生の三人組が座っていた。混んではいなかったが、座席に空きはなく、私は吊り広告をながめながら立っていた。 2,3駅過ぎたころ、ふと気配がして、横を見ると、女子高生の一人が立って、私に「どうぞ」と席を示した。私は「ありがとうございます。でも、私はだいじょうぶですから、どうぞそのまま」と言った。女子高生はにっこりして、しかし坐らずに他の二人の友達の前に立っておしゃべりのつづきを始めた。で、私は後ろに立っていた婦人に「どうぞお坐りください」と言ったが、彼女は首を横に振った。 しばらく座席は空いたままだった。私は、女子高生の善意を無にしてはならないと思い、「それではせっかくですから坐らせていただきます。どうもありがとうございます」。立ってくれた人と横に坐っている人が「どうぞ」と応えた。 15分か20分か過ぎて、とある駅で彼女たちは降りて行った。立ってくれた彼女に、「どうも、ありがとう」と言うと、また「いいえ」と言って微笑んだ。 これだけのことである。 ごく日常の光景以外ではないのだが、何が私にとって初めての経験だったかと言うと、若い人に座席を譲られたことである。 私はこのブログでもしょっちゅう自分自身を「老人」と言って来た。若いつもりなどしたことは無い。老人を押し付けることもない。たぶん私の人間観に由来していると思うのだが、私はどんな小さな子供に対しても丁重である。---つまり、私自身は自らの老人をさらけだすことはしてこなかったつもりなのだが、しかし私は「老人」なのだった。そのことを女子高生の善意(マナー)が示してくれた。 そりゃそうだ、彼女達と私とでは少なくとも50歳以上の年齢差があるのだもの。たぶん彼女達の父親は、あるいは私の息子にもなろう年齢だ。---ハハハハ、私はなんとなく愉快になった。ありがとう、あの彼女達。その善意。
Oct 12, 2015
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日本時間12日早朝にキックオフしたラグビーW杯1次リーグB組、日本対アメリカの最終戦は、互いに攻守譲らぬすばらしい闘いだったが、日本代表はW杯で初めて3勝をあげた。日本28ー18アメリカ。 残念ながらベスト8には進めなかったが、その活躍に世界は瞠目し、一躍人気チームとなったようだ。五郎丸歩選手のキックするときの独特なルーティン・フォームは、開催地イギリスの子供達が真似しはじめているとか。日本の子供達もラグビーに注目し始めているのではないだろうか。 ラグビーは要するに陣取り合戦なのだが、ルールの細則がなかなか難しく、ルール・ブックで勉強しておかなければ一見しただけではとっつきづらい。私もすっかり分かっているとは言えない。しかし、まさに激闘ゲームに「ホーッ!」と思うような紳士性が確立していることに気づかされる。あるいは、激突して闘わなければ---しかもチームワークが確立していなければ---敵陣に到達出来ない仕組になっている。ボールのパスは前方に送ってはいけないというルールは、そのことを如実にしめしている。後方の味方にパスしながら、同時に攻撃ラインをあげてゆくのである。 とにもかくにも、このW杯イングランド大会での日本代表の3勝は、大きな進展となって、次回2019年ジャパン大会につながるにちがいない。 以下に健闘を讃えて代表の名前を記録しておこう。ラグビーW杯2015イングランド大会日本代表 【FW(フォワード)】 PR(プロップ);畠山健介、三上正貴、山下裕史、稲垣啓太。 HO(フッカー);木津武士、湯原祐希、堀江翔太。 LO(ロック);アイブス・ジャスティン、伊藤鐘史、大野均、トンプソン・ルーク、真壁伸弥。 FL/No8(フランカー/ナンバーエイト);マイケル・ブロードハースト、リーチ・マイケル(キャプテン)。 FL(フランカー);ツイ・ヘンドリック。 No8(ナンバーエイト);ホラニ・龍・コリニアシ、アマナキ・レレイ・マフィ。 【BK(バックス)】 SH(スクラムハーフ);日和佐篤、田中史朗。 SO(スタンドオフ);小野晃征。 SO/WTB(スタンドオフ/ウィング);廣瀬俊朗。 WTB(ウィング)福岡堅樹、藤田慶和、山田章仁。 WTB/CTB(ウィング/センター);カーン・ヘスケス。 SO/CTB(スタンドオフ/センター);立川理道。 CTB/SO(センター/スタンドオフ);田村優。 CTB(センター)クレイグ・ウィング、マレ・サウ。 FB/CTB(フルバック/センター);松島幸太朗。 FB(フルバック);五郎丸歩。 【スタッフ】エディ・ジョーンズ、スティーブ・ボーズウィック、リー・ジョーンズ、マルク・ダルマゾ、沢木敬介、ジョン・プライヤー、新田博昭、高澤祐治、井澤秀典、青野淳之介、佐藤義人、中島正太、大村武則、宮崎良平、佐藤秀典、福本美由紀、渡邉まゆ子。
Oct 12, 2015
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ラグビーW杯日本は1次リーグ敗退が決まってしまったが、12日午前3時過ぎ(日本時間)アメリカとの1戦がある。日本代表には3勝目をあげてほしい。さきほどTV録画の予約をセットした。きょうは忙しく動き回ったので、午前0時を回ってもう目が渋くなってきた。明日のスケジュールも何かと多忙。就寝することにしよう。
Oct 11, 2015
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サモア対スコットランドの試合は33−36でスコットランドが勝利。両者すばらしい闘いだった。スコットランドはB組2位でベスト8進出決定。日本は、残念ながら12日の対アメリカ戦をまたずに1次リーグ敗退が決まった。
Oct 10, 2015
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ラグビーW杯イングランド大会1次リーグB組、日本の最終戦となる米国戦が12日にある。決勝Tに進出できるのは各組2位まで。B組は南アフリカがすでに進出を決めている。残るは一枠。 この1次リーグで日本代表は、これまでの日本ラグビー史に新たな金字塔を打ち立てる快挙。しかし決勝Tに進出するためには、いま、他力本願状態だ。 すなわち日本時間22時に開始するスコットランド対サモア戦で、サモアが勝利すると望みをつなぐが、スコットランドが勝利すると、その時点で日本の1次リーグ敗退が決定する。 他国代表チームに勝ってくれとか負けてくれと願うのは、まったく情けないが、ここは日本代表にもう1ページ新たな歴史を刻んでほしい。今夜はスコットランド対サモアの試合を注視である。 【注】午後10時以前の記述に、うっかりしてサモアの対戦相手スコットランドをアメリカと書く誤りをしていました。訂正いたします。すでに600人以上のアクセスがありましたが、ごめんなさい。
Oct 10, 2015
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男子サッカーW杯2次予選、対シリアの試合は3-0で日本代表快勝。 以下に、試合経過。【日本先発メムバー】GK西川、FW岡崎、原口、本田、MF香川、山口、長谷部(キャプテン)、DF酒井(高)、吉田、槙野、長友。【前半】00:00 シリア日本陣に入ってルーズボールを日本キープ、敵陣に。04:35 原口ミドルシュート外れ。19:00 長友クロス、岡崎にミートせず。19:30 日本CK。20:00 シリアFK。クロスバー上。24:00 本田→岡崎 ジャストミートせず。25:00 長谷部倒されFK。原口直接シュート。相手に当たりこぼれ球を本田シュート。それる。[ウォーターブレイク]29:00 シリアのミドルシュートはずれ。31:00 本田CK。34:00 シリア、ミドルからパスでつなぎシュート。はずれ。38:00 香川ファーからゴール前の岡崎にパス、GKキャッチ。39:00 日本CK。ゴール前で吉田ヘッディング。クロスバー上。41:00 ミドルからシリア、日本陣に入りシュート。はずれ。42:00 本田→岡崎落すがシュートならず。43:00 シリアCK。 後半戦は以下につづく
Oct 9, 2015
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【後半】 04:50 シリアのミドルシュート。はずれ。 06:00 日本CK。ゴール前の本田、ヘッドで受けるがシュートならず。 08:00 長谷部→岡崎。シリアひっかけて日本PKを得る。 本田、冷静に左隅にシュート。ゴール! 先制の1点! 14:30 シリアCK。 16:00 香川→本田→岡崎、シリアGK阻止。 シリア選手交替。18 out。8 in。 20:25 原口 out。宇佐美 in。 21:00 香川CK→宇佐美→香川→岡崎、シリア、セーブ。 25:00 香川、狭い所を抜いて岡崎へ。岡崎シュート。ゴール! 2点目! 26:40 シリア選手交替。 27:00 シリア、ミドルシュート。はずれ。 28:00 シリアに対しイエローカード。 29:00 日本こまかいパスで本田→宇佐美シュート。GKキャッチ。 32:30 香川→本田シュート、はずれ。 33:00 香川 out。清武 in。(清武4ヶ月ぶりの招集)[ウォーターブレイク] 36:00 シリアの攻撃。 37:00 岡崎 out。武藤 in。 38:00 シリアFK。直接狙ったボールはポストに当り、こぼれてシリアはクロスで入れる。西川セーブ。 42:30 本田ミドルから敵陣に持ち込みすばやくヒールで→宇佐美シュート。ゴール! 3点目! 43:30 本田FK、シリア、デフェンス。 44:20 本田CK。 45:00 シリアにイエローカード。 47:50 武藤→清武オーバーヘッドシュート。はずれ。 試合終了 日本3ー0シリア
Oct 9, 2015
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サッカー男子W杯ロシア大会2次予選、日本代表はシリアと対戦。Eグループ現在首位のシリア、2位の日本。この試合で日本はシリアに勝たなければ自力で首位に立てない。日本代表にとって最大の山場。 結果から言ってしまおう。3-0で快勝である。 これで首位を奪還した。試合経過については明日記録することにしよう。
Oct 8, 2015
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ある出版社が40年以上前の刊本の著作権者を探していて、関係者に尋ね尋ねた末に、私と交流があったことを知って連絡があった。 そのやりとりについてはここに書く訳にいかないが、それがきっかけとなって、昨日から今日にかけて昔のことをいろいろ思い出していた。 私はイラストレーターとしてやっていけるかどうかもわからないまま、しかし仕事の依頼は次から次とあって、無我夢中で執筆していた頃だ。そんなときに仕事のうえで出会い、仕事をとおして交流があった大勢の方々は、みな私のその後の進み行きに忘れる事が出来ない思い出を残している。すでに鬼籍に入った方も少なくはない。某出版社が尋ねてきた著作者も、16年前に亡くなっている。 -----自分の仕事をやりながら、一日中、ふとした拍子にその顔が甦って、「ああ、こんなこともあった、あんなこともあった」と懐かしんだ。最後の電話となった声も、遠い彼方から聞えてきた。
Oct 6, 2015
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ぐっと冷え込んだ一日だった。10月下旬から11月並の気温だとか。 このところ毎日、朝となく昼となく、庭の柿の木の周辺に落ちる熟柿の始末が大変だ。ぐちゃぐちゃに飛び散ったものを、種も残らず探し出してかたづけている。見逃したために芽を出し、根を張られてはこまる。昔話「猿蟹合戦」に「早く芽を出せ柿の種」と言うが、柿は生命力が強く、親木のひこばえからどんどん芽を出す。油断して摘み取らないでいると、とんでもないところに2、30cmも育っていることがある。そこらじゅうに飛び散った種から、芽を出されて、我家の小庭が柿の木に占領されては大変だ。それでせっせと落ちた熟柿をかたづけている。 さて私は、作品を画廊に引き渡す前に、やっておかなければならない大仕事がある。3、4日かかるだろう。
Oct 5, 2015
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ラグビーW杯予選B組、日本第3戦、対サモアは、26-5で快勝。 この勝利によって、日本はB組3位に浮上した。しかし、準々決勝に進めるかどうかは、希望がないわけではないが、まだ崖っぷちだ。 現在1位の南アフリカと2位のスコットランドがそれぞれ次の対戦国に敗れ、日本は12日の対アメリカ戦に勝ち、且つ4トライ以上を決めてボーナス点をもらえれば、あるいは決勝Tに進むことができるだろう。しかし、南アとスコットランドが共に勝つと、その時点で、すなわち日本がアメリカと試合をする前に、日本の1次リーグ敗退がきまる。まさに崖っぷちに立っている。 今日の前半戦終了間際にすばらしいトライを決めた山田章仁選手が、後半戦でサモア選手の膝が頭を直撃し、脳しんとうで退場した。その回復も心配だが、とにかく選手たち全員が中9日で体力が回復して、アメリカに善戦することを期待しよう。
Oct 3, 2015
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午前中いっぱい小学校の運動会に招かれて見物。 近頃では住まいの近所に幼稚園などが開設されるのを、迷惑だと主張して、反対運動をする人たちがいるようだが、子供達の元気な声が町に聞えるのは、私は嬉しい。死んだ町のように年がら年中深閑とした町に住んで、何が楽しかろう。私が仕事場に籠って作品制作していると、土曜や日曜日など、子供達のボールを蹴る音や、かくれんぼうの声、何だか知らないが楽しそうな笑い声が聞えてきて、私はかえって心に何とも言えない静けさを感じる。 なぜいきなりこんなことを書いたかというと、来賓席に座らされて知り合いと小声で語る話のなかに、今の運動会と我々(老人)の子供時代の運動会の様変わりがついつい出て来る。たとえば、全校生を赤組と白組とに分けて競い合うのは同じでも、今は個人競技に「賞」が無い。運動能力に優れた児童と、そうでない児童の差が出ないようにという配慮らしい。 なるほどな、とは思う。が、ここで無菌培養された子供達が、間もなく競争社会に出てゆくのだから、果たして良い結果が得られるだろうか。少なくとも私がこれまで仕事の場で感じて来た事は、何もできないのに(未熟なのに、あるいは無知なのに)からっぽの自尊心だけが肥大してトラブルメーカーになっている例だ。しかも、悪いことに、「それが私の個性だ」などと主張してはばからない。 そんなのは個性ではない。無知、無教養、未熟、怠慢等々----そんなものはまったく個性ではない。言うならば、それは「幼稚」に過ぎない。 競争社会を否定する考えは存在するが、それはもっと高レベルの問題(それについて今議論する余裕はないが)で、生物は何者であろうとその生から競争を排除することはできない。いわんや我々人間をや。 また、時代の様変わりに戻ると、運動会場に万国旗のような装飾が一切無い。それに添う賑やかな音楽も無い。近所に今日一日の協力をもとめてはいるようだが、やはり騒音苦情がたちはだかっているようだ。たしかに、町は老人医療世帯が増加傾向にあり、静けさが求められているのかもしれない。しかしまた、教育教育と言うわりには、子供の学校環境に対して寛容ではなくなっているのではあるまいか。その方は私には醜いエゴイズムに映る。 競技種目が変わるのは当然だとしても、騎馬戦に女子軍があるのは昔との大きな違いだ。 男女差をできるだけ無くそうというのだろう。 世界の本物の軍隊が男性とまったく同等に女性を採用するような傾向にある。戦闘嗜好は男だけに限らないというわけだ。日本でもかつて「国防婦人会」なるものが、ヒステリックに国民を戦争に駆立てたものだ。いまでも戦争志向の旗降りをしている女性ジャーナリストがいるが、はたして彼女は軍隊に志願して飛び交うミサイルの戦場に身を置くことができるのかどうか。 まあ、それはともかく、戦闘好きな女性は少なくはないようだ。小学校の騎馬戦で済まなくなるかもしれない。 いろいろ気になることはあるのだが、運動会の子供達は元気いっぱい。笑顔があふれ、真剣な顔があり、1年生の可愛らしさがあり、5、6年生のたくましさと上級生としての自覚が端々に観られ、私はおしみない拍手を贈っていたのだった。
Oct 3, 2015
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昨日今日と仕事休みをして、ぼんやり過ごした。頭の片隅には次の作品についての霧に包まれたような曖昧な想いはあるが、あえて像をむすぼうとはしない。自ずと顕われるのを待っている。 ただ、描きかけの途中で別の作品にとりかかったため長らく放置していた作品があり、それを完成させなければ、と思いもする。つぎつぎに仕上げていかなければ、構想だけのものが沢山あるので、具現できずに終わってしまいかねない。それだけは避けなければ-----
Oct 2, 2015
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