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孫を連れて某子供玩具店トイザらスに行った際にワンちゃんのぬいぐるみを買ってあげた。孫のためにはどれだけ大金を使っても惜しくないってことで千円札1枚を出したら¥1しか返って来なかったという超高額のセレブ用ぬいぐるみである。 その後、そのワンちゃんのぬいぐるみはどうなったのか?ちゃんと可愛がってるのか?既に放置されてるのか?そうしたら今日、娘から写メールが届いた。 ↓おお~!可愛がってくれてるじゃあないか!なんかむっちゃ嬉しいんだよなあ。嬉しくって鳥肌立って涙出そうなぐらいジ~ンと来てさ、ああ、俺もヤキが回ったな、って感じだよ。自分の娘がぬいぐるみで遊んでるシーンを見てもまあ普通に微笑ましいな、って思ったぐらいで別に鳥肌立つほど感動はしなかったんだけど孫はやっぱ違うのかな?年食ったせいなのかな、空想が広がってさ、宇宙の中に生まれた人間っていう生命体がこうして数十年ずつの寿命を子供に孫に受け継いでいって数万年、数十万年という一瞬の間だけ繁栄して絶滅して、っていう壮大な生命の螺旋階段の一コマに立ち会った瞬間の写真、みたいなとてつもない奇跡の瞬間の写真みたいな気がしてさ、なんかすげえオーバーなんだけどそんな感じがしちゃって...。え?たかが1枚の写真じゃん、ってか?まあそりゃそうだけどさ、とにかく感動したんだよなあ。空想し過ぎかなあ、おかしいかな?この写真見た瞬間に涙が勝手に溢れそうになったんだわさ。(笑)
2014年10月30日
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男女5人で県内の低山ピクニックに行ってきた。砥神山(とがみやま)からは三河湾が見下ろせた。愛知県の三河湾は2つの半島に挟まっているのだがその両方の知多半島、渥美半島の遠望も良く湾内に浮かぶ島々やタンカーも良く見えた。抜群のロケーションでお弁当タイム。 森の中を歩くのは楽しいもので、キノコを発見したり乱舞するアサギマダラの群れを眺めたり大木を見上げたり鳥の声を聞いたり、のどかな時間を過ごした。獣道の中を歩いたりロープが張られた急斜面を降りたりすっかり子供の冒険隊気分で朝から夕暮れまで山の中にいた。三河湾に沈む夕陽は黄金色に輝いていてまるで太陽が2つあるみたいで眩しかった。こういう時を過ごすって本当に大切。
2014年10月29日
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今日は目が覚めたら昼の12時半。12時間も寝ていた。ネットの発送の仕事をしてからホームセンターに行って先月もらったバナナとプルメリアのために肥料を買った。苦土石灰、有機肥料、堆肥を買ったのだが、リンとかカリウムとか色んな成分の配合割合を見ながらの買い物であった。というのも日本熱帯果樹の会(だったかな?)のヒロシ氏から電話で「リンの割合は15~18%がベストで...」だとか「苦土石灰の苦土というのはマグネシウムの意味で光合成にはマグ...(後略)」「できればグルコサミン入りの苦土がいいのですが」などかなり本格的なアドバイスを受けていたからである。バナナもプルメリアも順調に生育が続いており、最近はパイナップルも育て始め、おまけに熱帯モノとは関係ないがスイートピーも育て始め、何だかどれもがとってもかわいいのである。ちなみにバナナとプルメリアの鉢は結構な重量があり、気温低下と共に2週間ほど前に2階の空いている部屋に取り込んだのだがその巨大な鉢を持ち上げようとした際に腰に激痛が走り3日ほどは寝る時に湿布を2枚貼って寝ていたことは秘密である。今では完治しているが腰が痛かった1週間ほどはカメラマンの仕事で前かがみになる度に息が止まりそうになり「アカン、誰かに代わってもらおうかな?夕方まで持たん」と何度か申し出ようと思ったが言い出すきっかけがなく、結局遂行できた。吐き気を催すほどの腰痛なんて生まれて初めて体験したわ。(苦笑)あれも思い込みというか考え方ひとつで、「適度な動きは腰に良いのだ」と自分に言い聞かせたり「この痛みは治ってる証拠だ。そうだ、痛む度にどんどん治ってるのだ」とか「念ずれば火もまた涼し、喝~!」なんてもう何がどうだかよく分からんがヤケクソというか自虐というかそんな感じで、気合いで治ったのであった。皆さんも腰痛にはくれぐれも気をつけて下さいネ。
2014年10月26日
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古びた絵はがきの写真のようにも見えれば写実的な絵画のようにも見えるバクタプルの街並み。ネパールの古い都のメインストリートと解説しなければリスボンの裏通りにも見えるしパリの路地裏にも見える。ともかくこれは今年の3月に撮った写真だけれどもどう見ても躍動感がなく時間が止まっているように見える。じっと見ていると眠ってしまいそうな写真である。実際、ネパールの田舎に行けば毎日がまどろみの中でただ通りに座っているだけで至福の時が流れるのだ。時計がない、風がない、けたたましい音がない。鳥も鳴かない。実際はその全てはあったかもしれないが気付かなかった。高所のために日本より幾分強い紫外線が道路を照らし背負っている荷物の存在も忘れ、泊まっている宿の場所も忘れ今の時代に生きていることも忘れて中世にタイムスリップする。ここには1泊しただけで翌日にはカトマンズに近い町に移動したがきっと1ヶ月もいたらもう抜け出れなくなっちゃうんだろうなあ。アジアの田舎ってそういう魔力が絶対にある。
2014年10月24日
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毎週水曜日はカメラマンの仕事が休みである。今日は孫を連れて家から数分のトイザらスに行ってご飯を食べる時に座るベビーチェアを買ってきた。どうやら「豆いす」という名前でも呼ぶらしい。当然座る時に「キュ~」と鳴るヤツでなければいけない。まあ¥999という普通のタイプを買ったのだがミッキーマウスとかアンパンマンの絵が描かれていると値段が¥1999とか¥2999に跳ね上がるのである。いわゆるキャラクター使用料ってやつだわな。ついでに別件の用事で隣接する大型電気店に行った。そこのデジカメコーナーを見て驚いた。光学50倍や60倍の高倍率ズームが発売されていてどれも新品で3万円台という値段合戦になっているではないか。このあたりのデジカメだと満月を写した場合画面からはみ出してしまうほどのズームだ。当然クレーターは簡単に写せるし、飛行機の窓も写せる。こりゃそのうち「光学100倍ズーム」も出るんだろうなあ。【送料無料】パナソニックLUMIX DMC-FZ70 [DMCFZ70]価格:30,780円(税込、送料込)【楽天ショップオブザイヤー受賞!】【送料無料!・代引き手数料無料!】〔お取り寄せ〕《新品...価格:34,800円(税込、送料込)
2014年10月22日
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実家のある碧南市のお祭りに行って来た。久し振りに大阪在住の姉一家に会った。姉はガン宣告をされて数年経つが未だに健在で自分の余命があるうちは両親に少しでも恩返しを、と機会あるごとに大阪から来てすぐトンボ帰りするのだった。僕の妹その3一家も来て、僕の娘夫婦+子供(つまり孫)も来てなかなか賑やかな故郷のお祭りとなった。実家の庭はきれいに刈り込みや剪定がしてあって座敷近くにあったザクロの古木は根元から切ってあった。さて、碧南市のお祭りはちょっと変わった風習があり神社の境内にやぐらを作って、上から紅白餅を投げるのだ。紅白餅の何割かには当たり餅が混じっており景品は50型TVやipadをはじめ洗剤やサランラップなど色々だ。厄年の男達は何十年もお金を積み立てて景品代にする。とにかくすごい量の紅白餅をばら撒くのだ。我が一族では僕の娘婿が毎回大活躍でみんなで下の写真ほどの餅を拾ったのだった。「厄祝」と書かれた紙が入っているのが「当たり」で紙の色によって景品が違うのである。餅投げが終わって景品を山分けして帰路についたのだった。
2014年10月19日
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コスモス畑の近くに季節外れのヒマワリ畑があってまもなく満開だ。この時期に咲くヒマワリは明るいイメージなど微塵もなく逆に憐れだ。夏の終わりに鳴く蝉の虚しさに似ている。先日死んだ愛犬ルティさんがお花畑を駆け回っている姿を想像する。コスモス畑の中から顔を出したり尻尾を見せたりして走っている。空を見上げてルティさんの姿に似たちぎれ雲を探す。別にひどく悲しいわけではないのだ。少しの空虚を感じているだけだ。秋の昼下がりの愚かな妄想。
2014年10月16日
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我が家には2匹の愛犬がいる。ルティさん12歳とルークさん6歳の親子だ。ルティさんは先月末に動物病院に連れて行ったら肝臓ガンに罹っており、脾臓にも転移していた。既に末期で年齢や体力、ガンも大きいため手術不可能、「好きなものを食べさせてあげて」という診断だった。日に日に弱っていくルティさんを見るのは辛いことで大好きだった物も何も食べなくなっていった。独身時にその動物病院で働いていた娘は毎日自宅に来て点滴での栄養補給をしたり身体を撫でたりして介護をしていた。昨日の夜、僕が寝る2時まではルティさんは寝息をたてていた。朝6時、妻が起きた時には眠るように息を引き取っていたという。苦しまずに大往生したと思ってあげたい。一番良いタイミングで辺りを汚しもせず旅立ったのだ。娘が泣きながらお風呂で身体を洗ってあげ、硬直し始めた筋肉をほぐし、ワセリンを塗って眼を閉じさせ動物火葬と供養をしてくれるお寺へ連れて行った。ルティさんは骨になってしまったけれどきっとどこかで生まれ変わって幸せになるだろう。花に囲まれ眠るようなルティさん。自宅で。家に来た頃のルティさん。仮装パーティで賞を獲った時のルティさん。梨の包み紙を被ってるルティさん。彼ほど幸せな人生(じゃなかった、犬生か?)を送った犬はいない。動物専門学校内で飼育犬として育てられ、僕の娘の担当犬となりその後は種犬として多くのメス犬とやりまくり(笑)引退後は娘が2年がかりの申請をして引き取ることになりぬくぬくと室内犬として優雅な余生を送ったのだ。最期は眠るように大往生。羨ましいばかりの一生であった。ルティさん、長い間ありがとう。俺達家族も幸せだったよ。しばしのお別れだ。また会おう。
2014年10月12日
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コスモスには青空が似合う。憂いがない。妖しさがない。そういう花はどうも苦手である。どう撮れば儚さを表現できるのか分からない。カメラマンをやっている会社の近くにコスモス畑があり昼休みの散歩と称してマイカメラを持って歩いて行った。広角でメリハリのない、赤やピンクが点々としているだけの陳腐なコスモス畑を写すだけしかできなかった。しばらく写真を撮った後、歩いて帰るのも面倒だなと思い、会社に戻る社員さんの車が通ったら乗せてもらおうと思いついた。「ほら、来た!」僕は親指を立ててヒッチハイクのポーズを取る。あ、違った!全然知らない一般の人の車だった...。(苦笑)その車の人は不審そうな顔をして通り過ぎて行った。ヒッチハイクの旅は何度もしたことがある。タイ、インドネシアでのちょいとしたヒッチハイクをはじめインド中央部からネパール国境までの長距離ハイクもした。しかし、そういえば日本でヒッチハイカーを乗せたことはあってもその逆に乗せてもらったことは高校時代の長野や山梨の旅以来、とんとご無沙汰しているなあ、と思い出した。それどころか【こんなふうに逃げられたこともあったなあ】(昔、雑誌にも載せたエッセイ ↑)ヒッチハイクは若い者の特権だと思う。若さゆえに許されるものがある。49歳のワシがヒッチハイクをしようものならホームレスがヒッチハイクの振りをして犯行に及ぶのでは?とかバス代すら持ってない哀れな中年男性、と思われるのが関の山である。
2014年10月10日
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多分今日のブログタイトルで最もカブるのが「皆既月食」。そんなワタクシも車で5分弱の丘の上に行って来た。カメラを構えた人がいっぱいなのだが、人間って不思議だ。普段は月なんて見ないのに、今日ばかりは雲を気にして「あ、隠れた」「おお、見えた」と歓声をあげている。愛知県地方は薄雲に覆われて時々見える程度。ファーストショットがラストショット。しばらくは薄雲の中に隠れ、再び見えるのは30分後ぐらいか。デジカメで1枚撮っただけであとは夜の散歩である。丘の上にある岡崎美術博物館の入り口の壁噴水。岩の壁に沿って水が流れていてライトアップされている。水面に映った光がゆらゆら照らされて幻想的。間接光ってのは素敵だね。月もまた間接光。
2014年10月08日
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3日続けてカメラマンの仕事が休みだったのでネット販売用の商品画像を撮ったり散歩に行ったりほとんど引き篭もりのような毎日を送っている。そうしたら先程、先日のブログに名前を出したチエちゃんからその日の夕焼けの写真が送られてきた。僕がチエちゃんのケータイで撮った写真である。ひぇ~、ブレてんじゃん。カメラマン失格だわ!早速「写真ありがとね」のメールを送ったら戻ってきた。どうやら彼女のケータイの設定はPCからの受信拒否らしい。ドコモのケータイってこういうのが多いね。(或いはただ単に俺からのメールのみ受信拒否とか(笑))ということでチエちゃん、業務連絡でした。木曜日の昼間に吸い込まれるような瞳を見に行きますね。
2014年10月07日
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先日、中国人の知人がこんなことを洩らした。「百均で6本100円で売ってるボールペン、すぐ書けなくなる」ああ、確かに。僕もそれには本当に辟易しているのである。カメラマンの仕事で、撮影が終わったらペンでチェックするがそういうボールペンを使っていると時間をロスするのだ。以前ブログにも書いたが「1日1500枚以上、1枚につき約20秒」でオートフォーカスながらも構図や逆光補正を半押し調整しながら延々と撮り続ける仕事にボールペンの不具合が生じるとたとえそれがほんの数秒のロスタイムだったとしても積もればかなりのロスになってしまうのである。この安物ボールペンは「当然」中国製である。それへの不満を中国人が口にするとは。(笑)ちなみに僕はその中国人の仕事ぶりには感嘆しているし人間的にも非常に魅力ある人として捉えている。そんじょそこらの日本人よりも日本人らしいぐらいだ。そういう親愛の念があるのでお互いにエスニック・ジョークも言う。今回はズバリと斬り込んだ。彼女の肩をポンと叩き、「そのボールペン、中国製だよ。もっと良い物作れよな」さて、今月20日に発売された雑誌「リバ」に載せたエッセイはボールペンではなく百均の洗濯ばさみについてである。皆さんにもきっと賛同していただけると思っている。 ⇒【洗濯ばさみ】
2014年10月05日
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数年に1度見られるかどうかの凄い夕焼けを見た。今日はカメラマンの仕事中に夕焼けタイムを迎えたのだがそのデジカメは業務写真専用なのでそれで撮ってもダメなのだ。今日撮った約1800枚の写真は事務所が保存管理して使用する。事務所のお姉ちゃん達も外に出てケータイで写していた。「なにコレ!」「ヤバい」「何かの前兆みたい」なんて言っていた。スタジオ内にいたチエちゃん(あ、実名書いちゃった)が「私は撮影中で外に出れないから、このケータイで撮ってきて」とピンクのかわいいケータイを僕に手渡した。しかしワタクシはケータイを持ってないゆえに操作方法が分からない。ここを押すだけ、って状態にしてくれたのでそのままパシャリ。チエちゃん、このブログ読んでたらその写真、俺のメアドに送ってくれ。(あ、メアド知らんか?)店をやっていた18年間は、夕焼けを見る機会は年8日だけの定休日か、バイトの子に店を任せて出かけた旅先でしか味わえなかった。今は夕焼けなんて毎日見れる。セントレアに着陸する飛行機の航跡の雲が何条にも重なって見えてそれがオレンジ色の空に金色に輝いて見えるのは本当に素晴らしい。今日みたいに凄い夕焼けが見れた時なんてとっても幸せで「今日はこれを見るためにここに来たんだ」と思う。道端に咲くコスモスの群れ、ねぐらの竹薮に入る前に集団で飛ぶムクドリ、空から落ちてくる雨という名の液体、そんなありきたりのものを見れるのは宇宙の中でもこの地球しかないのだ。奇跡の瞬間をいつも迎えているのにみんなそれに気付かない。麻痺している。「娑婆の空気はうめえなあ」だなんてドラマでよく聞くがそれに近い感情は確かに存在するのだ。あなたがそう思えば、それはその瞬間に自分のものとなる。 オマケ ⇒【7年前に山で見た夕焼け画像】
2014年10月04日
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孫を連れて公園に出かけた。観覧車やメリーゴーランドがある公園だけど孫は小さな滑り台や砂場で遊んでばかりで1回20円のガタゴト動く遊具に俺と1回乗っただけだった。あれ、センチメンタルだね。新幹線やパトカーやうさぎちゃんが2分ぐらい動いてさ。昭和の遊具だよ、懐かしいね。公園に漂う金木犀の匂いもなぜだか懐かしい感じ。孫が大きくなって、俺や俺の妻が死んだあとにこんな日もあったよ、と聞かされても記憶にないだろう。それでもいいのだ。俺達夫婦はまるで自己満足の世界に浸っていて回るメリーゴーランドに自分達の子供時代を重ね合わせて嬉しいのか哀しいのか、なぜだか泣けそうになるのだ。
2014年10月01日
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