全29件 (29件中 1-29件目)
1

ヨシタケシンスケ「ヨチヨチ父」(ポプラ社) このブログでゆかいな仲間と呼んでいる我が家で大きくなって遠くに行ってしまった人たちが、あちら、こちらで新しいゆかいな仲間と暮らしているわけですが、その一人、信州にいるカガクくんのところには新しいお姫さんたちが三人いて、信州とかには本屋さんもないだろうからと、時々、絵本を送ったりしているのですが、その絵本を探していて気になった名前がヨシタケシンスケでした。 イラストレイターというお仕事のようですが、絵本もたくさん書いていらっしゃるようで、あれこれ見つくろいながら気になったのがこの本です。 ヨシタケシンスケ「ヨチヨチ父」(ポプラ社)ですね。 で、送るはずの目的を忘れて買っちゃいました。赤ちゃんと暮らし始めたお父さんの哲学書でした。 どこが、どう哲学なのかということは、まあ、手に取ってもらうほかありませんが、間違いなく人間の始まりと出会う、もう、自分は人間だと思い込んでしまっている大人が、実に、ナイーブに揺さぶられている姿を笑いながら描いている「哲学書」ですね(笑)。 たとえば「相性問題」の章。1.2人目3人目のパパになってみて わかること。それは 何か気が合う 何か気が合わない やっぱり「相性」はあるんだなということみたいです。2.よくドラマなんかで 兄さんさえいれば オレは どうでも いいんだろ!? とか、 いつも妹ばかり かわいがられてたわ・・・ なんて話をききますが、3.親の立場になってみると、 ああ・・・ 相性も あったんだろうな・・・ いろいろ理解できてしまう、という 人生の奥深さ。4.兄弟を育てる上で、「同じように愛情をそそぐ」 のは大前提な訳ですが、何をもって 「同じよう」とみなすか。 最大の難問ですネ。 寝顔は 同じくらい かわいいんだ ケドね・・・。セリフだけ書き写しても、この本のよさはわかりませんね。ページを貼って見ますね。 こんな感じです。 ボクは4人のゆかいな仲間と暮らしました。「相性」ですか。深いですね・・・・ スラスラ読めそうですが、結構立ち止まりますね。で、同居人と会話です。「なあ、あなたねえ、自分の中から出てきた人たちに相性ってある。」「そりゃあ、あるかも。」「だれとだれはとかいえる。」「それはいえません。」 全部で55章とあとがきで130ページくらいの「絵本」でした。 なんとなくですが、おススメです(笑)。2026-no055-1270 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.31
コメント(1)

ギィ・ジル「海辺の恋」元町映画館 先日「オー・パン・クペ」という作品を見て、ウトウト気持のいい時間を過ごした監督の作品を、もう1本見ました。 ギィ・ジル監督の「海辺の恋」、カタカナでいうと「ラムール・ア・ラ・メール」です。 モノクロの画面とカラーの画面を交錯させて、登場人物の「現実」と「記憶の時間」を描こうという趣向がよく似ていますが、恋人を失った女性の1人称として展開していた「オー・パン・クペ」に対して、こちらではダニエルとジュヌビエーブという男と女について、なんというか、それぞれの1人称が交錯する!ところが、ちょっと複雑で、のんびりウトウトしてはいられない作品でした(笑)。 こちらの方が、20代半ばであるダニエル君の、まあ、そのお年頃に特有か?とも思われる「実存的不安」を描いていて「そういえば、あの頃、こういうのハヤリやったなあ…」と、老人はいたく納得したのですが1964年の作品だそうです。 まあ、そのあたりが、懐かしくて面白かったのですが、「あのころ見てたら、もう少しこたえたやろうな。」というのが正直な印象でした。 でも、印象的な映像の重ね合わせはこの監督の才能でしょうね。拍手!でしたよ。 もちろん、作られたときには見たことがない古い作品を見たときに起こることではあるのですが、それにしても、初めて見る映画で、「あの頃…」というような、個人的な感慨に浸るというのが、このところの傾向ではあるのですが、変は変ですね。 ただ、映画という表現がその時代の大衆的な傾向に対する批評性なしには成立しないものだということを気づかせてくれる面白さは、今、作られて公開されている作品を見るにあたっても、受け取り方のヒントのようなものを気づかせてくれます。まあ、だから面白いんですけどね。監督・脚本 ギイ・ジル撮影 ジャン=マルク・リペール編集 ナウン・セラ音楽 ジャン=ピエール・サロキャストダニエル・ムースマンジュヌビエーブ・テニエギイ・ジルジュリエット・グレコアラン・ドロンジャン=クロード・ブリアリジャン=ピエール・レオ1964年・73分・フランス原題「L'amour à la mer」2026・05・29・no100・元町映画館no371追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.30
コメント(1)

ギィ・ジル「オー・パン・クペ」元町映画館 なんの予備知識もなしで、まあ、元町映画館がやっているんだからという気分で見ました。1938年にアルジェリアで生まれて、90年代の中ごろ、57歳で世を去ったらしいギィ・ジルというフランスのヌーベルヴァーグ時代の監督の「オー・パン・クペ」という作品です。 スクリーンに映し出される主人公の女性ジャンヌとその恋人だった青年ジャンの、なんというか映像的美しさに唸りました。 映画としての筋書きの運びにつては「詩的」とか、「アートな」とかいうふうに批評されているようですが、モノクロ画面とカラー映像を組み合わせている「追憶」の描き方が、そういうイメージであることはその通りだったのですが、映像として映し出されていく人の姿の、ちょっと説明のつかない印象は、この監督の才能を物語っているのでしょうね。拍手! ただ、劇的な展開があるわけではありませんから、退屈は退屈でした。60歳の半ばから映画館を徘徊することを始めて、1000本くらいの作品に出会ってきましたが、初めてウトウトしました。まあ、そういう作品ですね。「ああ、あの人のあれは、ちょっと、寝たな。」 こうして、あてずっぽうに見続けていると、いろんな作品があるわけですが、気持ちよくウトウトできるというのもいいものですね。拍手! 監督・脚本 ギイ・ジル撮影 ジャン=マルク・リペール ウィリー・クラント編集 ジャン=ピエール・デフォッセ音楽 ジャン=ピエール・サロキャストマーシャ・メリル(ジャンヌ)パトリック・ジョアネ(ジャン))ジャン・ドワ・ベルナールピエール・フレデリック・ディティスリリ・ボンタン1967年・68分・フランス原題「Au pan coupé」2026・05・26・no098・元町映画館no370追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.28
コメント(1)

ケン・スコット「ママと神さまとシルヴィ・バルタン」キノシネマ神戸国際 題名に惹かれて見ました。ケン・スコット監督の「ママと神さまとシルヴィ・バルタン」という作品です。 題名のどこに惹かれたかって?もちろん、シルヴィ・バルタンです。50数年前に、初めてラジカセを手に入れて聞こえてきたのが彼女の歌でした。「あなたのとりこ」とかいう題だった気がしますが、歌詞とかわからないまま鼻歌で歌える歌の一つですね。 で、映画では、キリスト教か、イスラム教か、ユダヤ教か、そのあたりはわかりませんが、生れてきた子供に母親が祈る言葉に「ミチクパラ」(私をあなたに捧げる)とかいう言葉があるらしいのですが、これを「この子はほっておけない!」と思い込んだお母さんが、繰り返し念じて育て上げるお話です。 物語の家族はモロッコあたりから、フランスに移り住んでいるらしい人たちのようです。 まあ、最初は、生まれながらに障害がある末っ子の誕生ということで、繰り返しのミチクパラもほほえましいのですが、子どもが奇蹟的に障害を克服し、成人していく段になっても、子ども自身にとっても有難迷惑というか、「そこまでするか!」のレベルに突き進み、とどのつまりは、彼女自身の命が尽きるまで貫き通すというお話でした。 で、その七転八倒というか、ハチャメチャというかの展開に、テーマソングのように聞こえ続けているのがシルヴィ・バルタンの、多分、世界的なヒット曲「あなたのとりこ」とかなのでした。こういうことを言うと叱られるかもですけど、ミチクパラってくだいていえば「あなたのとりこ」でしょ。笑えましたね(笑)。 何で、このお話の展開にシルヴィ・バルタンが登場するわけ?というあたりは、このお話が、彼女の歌がヒットした時代に育って、今では60歳を越えているらしいロラン・ペレーズという作家の回想記を原作にしているらしくて、とどのつまりには、主人公たちがシルヴィ・バルタンに出会ってしまう。という実話をベースにしてはいるんですけれど、生涯、ミチクパラという呪文のマザコンを強いられて苦労したロラン君が、最後には「あなたのとりこ」に目覚めて本を書いてしまうという、まあ、母と息子にしか成り立たないんじゃなかなとボクは思うのですが、笑える「親子愛のドラマ」に仕上がっていて拍手!でした。 で、まあ、シルヴィ・バルタンという名前に引き寄せられて見たんですが、びっくり仰天でした。 なんと、今では、80歳を越えていらっしゃるはずの、あのシルヴィ・バルタンさんが登場なさって、唄までお歌いになっているんですね。ホント、50年前の面影のママでしたよ(ウソですけど(笑))。 まあ、お母さんの、あんまりな振舞いに辟易なさる向きもあるかもという作品でしたが、いつのまにか、親の世代が消えてしまった徘徊老人には、「こんな、オカン、結構いたよな・・・」という懐かしさを感じさせてくれる作品でした。拍手!監督・脚本 ケン・スコット製作 シドニー・デュマ ソフィー・テペール原作 ロラン・ペレーズ撮影 ギョーム・シフマン美術 リトン・デュピール=クレモン衣装 アン・ショット編集 ドリアン・リガール=アンスー イバン・ティボドー音楽 ニコラ・エレラキャストレイラ・ベクティ(エステル ママ)ジョナタン・コエン(ロラン 息子)ジョセフィーヌ・ジャピ(リジ― 妻)ジャンヌ・バリバール(フルーリー)リオネル・ドレー(マクロフ)ナイム・ナジミロ・マシャド=グラネールアンヌ・ル・ニシルビー・バルタン(本人役)シルビー・バルタン2025年・103分・PG12・フランス・カナダ合作原題「Ma mère, Dieu et Sylvie Vartan」2026・05・25・no096・キノシネマ神戸国際no64追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.27
コメント(1)

シャルレーヌ・ファビエ「OXANA 裸の革命家・オクサナ」シネリーブル神戸 最近、自分が世間に背を向けて生きているんだということを、つくづくと実感する事がふえました。まあ、あんまり未練もないのですが、映画と小説ぐらいしか世間を知る手立てがありません。このチラシもそうでした。オクサナ・シャチコ、誰やねん? まあ、そう思ってチラシ見ているとウクライナのフェミニストらしいと分かって、俄然、興味をひかれて見ました。 シャルレーヌ・ファビエというフランスの女性監督の「OXANA 裸の革命家・オクサナ」です。なんだか過激な写真のチラシですが、そのチラシから引用すると。私はアーティスト。私は活動家。私は過激派。私は革命家。私はオクサナ・シャチコ。 これが謳い文句です。こちらのチラシです。 なんだか、血にまみれている手に見えますが絵の具です。映画を見終えたボクの印象では私はアーティスト。私はオクサナ・シャチコ。 で、言い尽くせている印象でした。彼女が活動家であり、過激派であり、革命家であったことは事実ですが、彼女の真の姿は「本物のアーティスト」であり、その時、ウクライナにいた「オクサナ・シャチコ」という女性であり、人間であったということを納得させてくれた作品でした。拍手! 1987年生まれの彼女が、2018年、31歳の若さで自ら命を絶ち、この世を去るまでの姿をドラマ化した作品ですが、なんの予備知識もないボクは、映画の後半、自由を希求した彼女が、恐らく、政治的、社会的な「壁」にぶつかり苦悩をあらわにし始めたていく姿を見ながら、ようやくこの映画のというか、彼女の悲劇的結末を予感し始めるという、うっかりぶりで、情けないことおびただしいのですが、生き抜いてほしかった!ですね。 ウクライナは、今、プーチンとの戦争を闘っている国ですが、1990年代末からのかの国がプーチンのロシアの属国化し、旧ソビエトのKGBが大手を振って活動していた国家であったことや、経済格差の結果でしょうね、売春観光が売り物だった社会であったなんかについては、最近のツケヤイバで知っていましたが、その社会に生きていた彼女たちの「反売春」を叫ぶFEMANというようなフェミニズム運動が生まれていたことは知りませんでした。 シャルレーヌ・ファビエという監督がどういう人であるのかについても全く知りませんが、このフィルムを作ってくれたことに感謝ですね。拍手! 自由を求める人たちにとって、現代社会が、上っ面はどうであれ、抑圧的全体主義化していることを、オクサナ・シャチコというたぐいまれなアーティストの肖像を描くことでビビッドに訴えている製作者たちに拍手!でした。 先日見た「XiXi、i私は踊る」のXiXiさんの生きざまと共通する凄さを感じました。自由は遠いですね。監督・脚本 シャルレーヌ・ファビエ製作マルク=アントワーヌ・ロベール アリス・ジラール ジョナサン・ハルペリン ダニエル・クレスメリ脚本 ディアーヌ・ブラシュール アントワーヌ・ラコンブレス撮影 エリック・デュモン美術 フロリアン・サンソン衣装 ジュディット・ドゥ・リュズ編集 モニカ・コールマン音楽 デルフィーヌ・マロッセーナキャストアルビーナ・コルジ(オクサナ・シャチコ)マリア・コシュキナラダ・コロバイオクサナ・ジュダノワヨアン・ジメルノエ・アビタ2024年・103分・G・フランス・ウクライナ・ハンガリー合作原題「Oxana」2026・05・24・no095・シネリーブル神戸no382追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.26
コメント(1)

大塚信一「ポカポン」元町映画館 元町映画館でチラシを見て、何となく不安な気持ちになりました。見ようか、やめようか・・・ 1995年の神戸の地震の翌年、「少年A」という呼び名が固有名詞になる事件がありました。犯人の少年が逮捕された報道をどこで誰と見たかを覚えている事件ですね。 で、結局、見ました。大塚信一監督の「ポカポン」です。 あれこれ語り出す元気はありませんが、語り出せばいろいろな観点で「そうなのか、そんなふうに描くのか?ボクは、今一、納得がいかないけど!」 まあ、そういう作品でした。 見終えて、製作者の大塚信一監督、主人公の一人を演じた尾関伸次という俳優さんが、それぞれ1980年生まれだということを知って驚きました。あの時、中学生の起こした事件を、恐らく、少し年上の少年だった人たちが、28年後に映画にしているんですね。おそらく、あの時の驚きとかわからなさに、何らかの答えを与えようという試みなのでしょうね? で、自分の子供と同級生の少年の行動について、考えたくないこととして、ネットとかに蔓延しているらしい、興味本位の事後事象から、出来るだけ目を背けてきた老人が、意を決して見たのですが、やっぱり、よくわからない映画でした。 被害者の少女の母親役を山崎ハコが演じていたと知って、もう一度驚きました。 演じている人たちも、映画を作っている人たちも、決して話題狙いのスキャンダルメイカーの発想ではない、マジメな作品であることは認めますが、しんどさは解決しませんでした。監督・脚本 大塚信一撮影 永山正史音楽 新音楽制作工房 菊地成孔キャスト原田琥之佑(宮下健太)尾関伸次(大楠駿一)菜葉菜(宮下朝子)大角英夫(宮下祐二)川瀬陽太(松尾義男)山崎ハコ(豊島恵子)足立智充久田松真耶木村知貴牛丸亮松本太陽2025年・94分・G・日本2026・05・22・no094・元町映画館no368追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.25
コメント(1)

ウー・ファン「XiXi、私を踊る」元町映画館 予告でチラッと見て、チラシの写真とかも見て、何だかよくわからない雰囲気に、ちょっとビビって、でも、何となくよさそうな予感がして、別の邦画をパスしてこっちを見て正解!でした。ウー・ファンという台湾出身の若い女性監督のドキュメンタリィー「XiXi、私を踊る」です。 メッチャよかったですよ! 実は、この作品を見る前日「旅立ちのラストダンス」という香港の監督の映画を見たんです。これがとてもよくて、まあ、感想がまだ書けてはいないのですが、「これも、ダンスか?えっ、台湾映画?よし、見よう!」 まあ、そういう理由もあって見たんです。 見終えて、最初に浮かんだのは、これまた最近見たケン・ローチの新作で主人公が口にする「連帯」という言葉でした。この映画で、主人公のダンサーXiXiも、カメラを回しているウー・ファン監督も、もちろん「連帯」なんて言葉は口にしません。彼女たちが、繰り返し口にするのは「自由」という言葉です。 一見、わけのわからない創作ダンスを踊るXiXiが「昨日の踊りとはちがう今日の踊りを!」 まあ、そんなふうに言い切るのです。ビデオとか楽譜とかに記録して繰り返し再生できたり、あるいは、誰かが模倣できる状態を保存するのは「わたしが求めている自由とは違う」ということを言うシーンがあるのですが、「自由」とは日々新たに生まれてくる状態の中で形をとるものであって「これが私の自由です。」とかいって過去の形として差し出せるものではないということを口にする姿に打ちのめされました。 愛する家族とわかれ、ベルリンの路上で踊るXiXiの姿に、偶然、ウー・ファンという映画を撮りたい女性が出会ったらしいのですが、そのときウー・ファンが発見したのは「自由」ということの激しさのようなものだったんじゃないでしょうか。 結果的に、彼女もまた「自由」に取り憑かれることで、XiXiと自分自身の存在をいかに自由な存在としてフィルムに収めることができるか!ということを追求することでできあがった映画だと思いました。 ボクは、この映画が描いている、この二人のありさまこそ「連帯」と呼びたい、そういう作品でした。「ああ、こういう人が、この世界にはいるんだ!」 チラシとか、予告とか、まあ、例えば、ボクなんかいわれてもわからないコンテポラリー・ダンスとかのダンサーの話ということで、かなり抽象的なニュアンスなのですが、映画は、今、この時、「自由」を求めて連帯する二人の女性の姿をくっきりと描き出していて、さわやかでした。拍手! 実は、彼女たち二人が、ほとんど非常識と思われるような生き方で自由を追求する出発点には、まあ、見ていただかなくてはわからない経験と葛藤があります。映画は、そのあたりを、実にナイーブに描き出していて説得力がありました。拍手! XiXiと、彼女が家に残したお嬢ちゃんニナとの、たまの出会い、二人が歌って踊る様子は胸うちます。二ナちゃんの可愛らしいこと、サイコー!でしたよ。拍手!監督・製作・撮影 ウー・ファン製作 ベニス・デ・カストロ・アティエンザ ジョ・ソナ ハ・ヨンス撮影 ベニス・デ・カストロ・アティエンザ編集 アンナ・マグダレーナ・シュレンカー音楽 グレッチェン・ジュードキャストXiXi2024年・100分・台湾・フィリピン・韓国合作 原題「XiXi」2026・05・20・no093・元町映画館no367追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.24
コメント(1)

山下澄人「わたしハ強ク・歌ウ」(河出書房新社) 市民図書館の新入荷の棚で見つけました。10年ほど前に「しんせかい」(新潮文庫)という、まあ、実に読みづらい作品で芥川賞をとった山下澄人の最新作のようです。 「わたしハ強ク・歌ウ」(河出書房新社)です。2025年3月の新刊です。 起きたら寝る前に読んでまくらもとにおいていた本がなくなっていたからキティーを読んでいた。キティーというのは「アンネの日記」のほんとうの名前でアンネは日記にキティーという名前をつけていた。そういう名前の友だちがいたのでも、架空の誰かというわけでもなかった。日記が、キティーだった。本の名前はだからほんとうは「アンネの日記」じゃなくてキティー。それでもどうしても「アンネ」と「日記」と入れたいなら、アンネに日記を書かれたキティー。もしくは、アンネに日記を書かれた、とされている、キティー。(P5) こういう感じの書き出しですが、最初の1行目から、何だか変ですね。まあ、起き抜けに昨晩読んでいた本ではなくて、あの「アンネの日記」を読んでいる何者かが、その「アンネの日記」についての蘊蓄を語り始めているということのようです。 キティーに飽きてお腹がすいて寝る前に読んでいた本をもう一度探したけどやっぱりなくて、パンを焼いて蜂蜜を塗って食べていたらママが部屋から台所へ来た。おはよう。ママはほんとうは今よりずっと前に起きていて布団の中でノートを書いていた。わたしがノートを書くようになったのはママの真似で残念ながらアンネじゃなかったとネルは思い込んでいたけど、とママは書いていた。ぼくがネルにムェイドゥの残してしったキティーをすすめてからずっと読んでいたネルにあなたも書いてみたらとぼくがいったのだからぼくの真似というよりはネルはやっぱりキティーに影響されて書きはじめたというのが正確で、ぼくの真似というはネルの思い違いだった。(P15) 書き手は、「ノート」としてこの文章を書いているらしい「ぼく」らしいのですが「ネル」、「ムェイドゥ」、「ママ」、この後「パパ」も登場します。アンネはすでに話題になっていますが、ベケットとかゴーギャンとかニーチェとかという聞いたことのある名前や、例えば「モロイ」とか「ツラトゥストラ」いうような、彼らの作品世界もノートには出て来てなにがなんだかよくわからないことになっていきます。 100ページほど読みすすめて第6章、冒頭にあるのがこんな文章です。 海は水平線の向こうまで白波を立てていた。空は薄く白く、青かった。太陽はわたしの真上のすこしうしろの左にいて、影は短く右の下、ネルは浜に立ち、海にからだを向けていた。ママはガソリンをどこかで入れようと家を出るときから考えていたことをぼくは波打ち際で小さく上下していた赤白いポリタンクを見ても思い出せずにいた。波は引かずに小刻みに押されて寄せてだけ来ていたようにわたしには見えていた。南で大きな地震があったとき津波も来た。げんぱつが爆発した。ネルとぼくはずっとげんぱつが爆発するのをテレビで見ていた。とママは書いていたけどわたしはげんぱつが爆発したとき寝ていた。間もなく爆発するとタカタカちゃんがママに何度も電話をかけて来ていた。電話がつながったのは「キセキ的だ」ったらしい。テレビでは爆発するなんていってなかったのにタカタカちゃんのそういっていた。爆発したよと寝ていたネルは、ママに起こされた。爆発したのは「たてや」で肝心なところは問題ないとテレビの人がいったとぼくが説明したとわたしは書いていた。「めるとだうん」とタカタカちゃんがいっていたとママがいった。テレビではいってなかった。大変なことになったとわたしは思ったが何がどう大変なのかもちろんわからなかったし、わたしは何に対しても何もわかっていなかったし今もわからない。わからないままカンレキになった。その日からわたしはマスクをした。ママはしたりしなかったりした。マスクをしたわたしへ先生はなぜそんなものをしているのといった。わたしが「ほうしゃのう」と書くと先生は笑っていた。もし仮にそんなものがここらまで来ているとして、そんなペラペラなもので防げるはずがない。「それにだいたいそんなものは来ていない。」マスクはしどころがむずかしい。車に戻りエンジンをかけて、暑かったから冷房をつけた。(P102) この海辺はぼくがパパと北へ旅立った、その途上の風景です。だから、ぼくはこの文章の中にもいます。わからないままカンレキになった。 ぼくのことばです。なんですか、これは?還暦です。作者の山下澄人は1966年生まれですから2026年には還暦です。書き手は還暦のおじいさんですか?ぼくは、いわゆる、私小説的な作家自身かもとかも考えましたが、やはり、小説的造形の架空の存在であることは間違いないようです。 書き手が誰なのか? まあ、そのあたりから読み始めるボクのような読者には困惑の連鎖なのですが、小説的輪郭がぼんやり見え始めた気はしました。 で、ここから100ページ、12章に渡る作品を読み終えて、この書き手が何者なのか、結局わかりませんでした(笑)。 山下澄人の小説はいつもヘンテコなんですけど、しかし、困ったことに、この作品、読み終えさせる妙な力はあるのです。それから、書き写していると、案外、面白いのです。まあ、何も覚えていないのですけど。そういう、読書、一度どうですか? 2026-no052-1267 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.23
コメント(1)

アンセルム・チャン「旅立ちのラストダンス」シネリーブル神戸 予告を見ていて「道教」のお葬式のお話らしい。香港映画か。面白いかも。 まあ、そういう興味で見ました。 アンセルム・チャン監督の「旅立ちのラストダンス」です。 面白かったですね。イヤあ、役者はうまいし、お話も面白い、香港の葬式にも堪能しました(笑)。 結婚式場経営に失敗して、何はともあれ金が欲しいトウサン(ダヨ・ウォン)という中年男が「生きている人間相手に駄目だったんだから、死んだやつ相手に稼ぎな!」葬儀場の権利を譲ってもらった、引退する明さんから、まあ、冗談なのか本気なのかわからない言葉で励まされて、偽善的金儲けに邁進するのですが、だんだん、本気で、まともな葬儀屋さんになっていくんですね。 そのあほ男の成長(?)という展開を支えるのが、本気の道士さんである、まあ、仏教でいえばお坊さんですが、マン師匠(マイケル・ホイ)と、その家族の葛藤なんですね。 映画が葬儀屋のお話ということで、やたら人が死んでしまうので、この年になって見ていると、まるっきり他人事とも思えない面もあるのですが、一人、一人の死出の旅の世話をする、金儲け至上主義だったはずのトウサン君が、いつの間にか、金では説明できない、人の死について、ついでにいえば、残された人の生について、実にいいヤツへと歩き出していく姿を見て、やっぱり、泣けましたね。 というわけで、まずは、ダヨ・ウォンという役者に拍手!でした。 儀式の最後に舞を舞うマン師が、魂をあの世に導く道士であるなら、死化粧を施し、式場を整え、死体を焼くトウサンは残された人々のこころの世話をする、死者を送りながら、生きていることを喜び合う式場の支配人へと変貌していく姿にナルホドそうだよな、あんたホントはいいヤツやん!とか思って見ているのですが、まあ、登場する年寄りは明さん以外みんな死んじゃうんです。で、そのみんなを送ってきたマン道士の旅立ちがライマックスだったわけですね。送ってきた人をだれが送るのか?! 「ラストダンス」というこの映画題名の由来もそこにあります。 この映画の良かった理由の一つは親子、恋人、兄妹、知人との別れの葛藤を葬儀場という究極の現場を画きながら、それぞれの境遇を生きてきた人たちの愛の姿を率直というか、正直に描いてくれているところにありましたが、最後は旧弊な儀式を守り抜いてきた道士と新しい可能性を探る家族との別れ、いや、旅立ち、出発のダンスでした。 いやあ、上手いもんですねえ。なんと、まあ、葬儀場のお話で、人と人の出会いと別れ、世の中の移り変わりを見事に描いている物語の運び方のうまさに唸りました。拍手! ここからネタバレですが、女は穢れているとかいう因習的発言を繰り返していた頑固者の主人公のマン道士の旅立ちに踊るのが、父の仕事を尊敬し続けてきたにもかかわらず、女だからという理由で儀式からは遠ざけられてきた娘マンユッだったところがこの映画のクライマックスでした。彼女が、なんと、救急救命士という仕事している女性だということも、かなり大切な要素だと思いましたが、根底にある父と娘の愛!の素直な深さに胸うたれますね。 香港あたりの道教的な葬儀儀礼に残っている女性蔑視の因習を、明るく、感動的に越えようとする映画的意図も感じられて拍手!でした。監督・製作・脚本 アンセルム・チャン陳茂賢製作 ジェイソン・シウ チャン・シンヤン 製作総指揮 アルバート・ヤン ジェリー・リー カルビン・チョイ脚本 チェン・ワイケイ撮影 アンソニー・プン美術 イウ・ホンマン衣装 リー・ピククワン編集 ウィリアム・チャン カラン・パン音楽 ワンピン・チューキャストダヨ・ウォン(トウサン 葬儀屋)マイケル・ホイ(マン 道士)ミシェル・ワイ(マンユッ マンの娘)チュー・パクホン(パン マンの息子)キャサリン・チャウ(メイユッ トウサンの恋人)エレイン・チン(リン 食堂のオバサン)チョン・プイロサ・マリア・ベラスコレイチェル・リョンマイケル・ニンジョン・シュッィン2024年・140分・G・香港原題「破・地獄」英題「The Last Dance」2026・05・19・no092・シネリーブル神戸no381追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.22
コメント(1)

「母の日でーす!」 ベランダだより 2026年5月10日(日)ベランダあたり 10日もたっちゃんですけど5月10日(日)は「母の日」でした。 同居人のチッチキ夫人あてにあれこれ宅急便が届いて大喜びでした。 まず、東京からは花束とクッキー。「花束だけやと食べられへんやんと言いそうなのでクッキー付きね。」 はい、写真撮り忘れたクッキーは消費済みです(笑)。 信州からはリンゴ・ソーダと和菓子セット。 松山からはケーキとコーヒー。 遠くへ行ってしまったゆかいな仲間とその家族からのプレゼントです。「いいなあ、母の日はいろいろ届いて(笑)。」 とか何とか、楽しい一日でした。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.05.19
コメント(1)

ジン・イー「ボタニスト」シネリーブル神戸 じつはこの映画とは何の関係もないのですが、ちょうど読んでいる小説の中に植物に夢中になる少女が登場してきていて、これがいいんですよね。で、シネリーブルでこのチラシですからね。 というわけで見たのがジン・イーという中国の新彊ウイグル出身らしい監督の「ボタニスト」です。中国語の原題は「植物学家」だそうです。「植物学者」じゃなくて「植物学家」となるのが、ちょっと面白いですね。 まず、印象深いのは風景でした。新疆ウイグル自治区ってどこ? 中国の西の端、向こうがカザフスタン、ズーッと向こうまで高原が続いていて・・・。 ボクは、もう、20年ほども昔ですが内モンゴルの高原地帯に行ったことがあります。この映画の風景の東の果てですね。 で、この映画を見ていて、その時のズーッと向こうまで草原が続いている風景の中にポツン、ポツンと電柱が立っていて電線が糸のようにつながっていたことを思い出しました。 この映画にも、似たような電柱が出てきますが、違うんですね。この映画では、登場人物の一人が高原の草原に寝転がりながら、なんと、スマホを見るんです。現代映画なんです。 上に貼った写真はアルシンという主人公の少年とオニーチャンですが、オニーちゃんはこのシーンの直前スマホで話していたんですよね。「こんなところでスマホが!!!」 物語は集落の影さえ定かでない高原の村で、オばーちゃんと、北京から帰ってきたオニーチャンの三人で暮らしている13歳の少年アルシン君の、上海からやって来た漢民族の少女メイユーちゃんとか、ふたたび北京へ出ていってしまうオニーチャンとか、町に働きに行っている母親とか、高原でボクシングごっこをする友達たちとかとの出会いと別れの日常を、マジックリアリズというんでしょうか、ファンタジーというんでしょうか、夢と現実を交錯させるようにして描いています。 少年が集めているアザミやアカシアの葉っぱの押し花ノートの中にこそ、地の果てのような場所で暮らしている少年の夢のように美しい世界があるに違いないですね。 でも、この少年の夢のような世界の傍らのラジオからは工業的な躍進を伝えるニュースが繰り返され、北京の友達とスマホでおしゃべりする兄が立っているというシーンを重ねていくジン・イー監督の意図は何なのでしょうね。 内モンゴルの高原に立った時に世界の果てのような、その場所に感動してから20数年、今や、世界の果てなんて存在しないのかもしれませんね。 それが、一体どういうことなのか、監督が問いかけているのはそのあたりのように感じました。拍手! この監督が、今後、どんな作品を撮るのか興味深いですね。 余談ですが、最初に話題にした小説はリュドミラ・ウリツカヤ「クコツキイの症例(上・下)」(群像社)です。まあ、まだ、上巻の第1部の終りあたりをウロウロしているところですが、その登場人物の一人にトーマという「ボタニスト少女」がいるんです。 それぞれの物語が描いている時代も社会も違うのですが、この映画を見終えて思うに、アルシン少年とトーマちゃんにはなんとなく共通するものを感じるのですね。植物の生き方というか、自然性というか、現代社会に生きているボクたちが失いつつあるあっちの方にはまり込んでいく感受性といえばいいのでしょうか。 もっとも、採集に熱中するアルシン君に対してトーマちゃんは育てる少女、はい、空き缶の植木鉢で。そこは違うのですけどね。 小説の方の案内はその内ということで、今日はこれで終わりです。監督・脚本・編集 ジン・イー製作 シャン・ズオロン チー・アイ製作総指揮 モートン・シェン ジェンハオ・アンディ・アン撮影 リー・バノン美術 シュー・ヤオ衣装 リウ・リェン音楽 ペイマン・ヤズダニアンスペシャルサンクス ビー・ガン ウェン・ムーイェキャストイェスル・ジャセレ(アルシン 少年)レン・ズーハン(メイユー 少女)ヌルダオレト・ジャレン(兄)サルヘト・エラマザン(祖母)ソンハト・ジョマジャン(アマン)2025年・96分・G・中国原題「植物学家」・英題「The Botanist」2026・05・15・no091・シネリーブル神戸no380追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.18
コメント(1)

養老孟司「わからないので面白い」(中央公論新社) 久しぶりに養老孟司です。市民図書館の新入荷の棚にありました。2024年11月の新刊ですから、そんなに新しいわけではありません。 1996年から2007年に「中央公論」に連載された文章で、すでに中公文庫とかでまとめられたものを鵜飼哲夫さんがテーマを新たにして再編集された本のようです。 テーマは、目次になっているこれですね。目次Ⅰ 身体を考える……脳はそんなにエライのかⅡ 学びを考える……知識だけでは身につかないⅢ 個性を考える……オリジナリティーよりも大切なことⅣ 社会を考える……たった一人の戦争二十年後のQ&A 最後の「二十年後のQ&A」が、2024年現在のインタビューです。養老孟司さん、1937年生まれだそうですから、87歳のインタビューです。 で、読んでいて一番ショックだったのはこの一節。鵜飼 さすがに禁煙されたとか。養老 タバコはね。うちのがうるさくて、そっちの方が大変。吸おうとすると起こるんだもん(笑)。理論的には今さら禁煙したって、影響が出るのはかなり先で、歳のいった僕にはもう関係ないはずなんだけどね。まあ、タバコのことは思い出さないようにするしかない。(P194) 養老孟司の愛読者の方ならご存じだと思いますが、彼は重度の愛煙家で、世の禁煙マナーというか、やたら喫煙を禁止する風潮に対して、かなり反抗的な発言を書いてきていらっしゃったわけで、この年になってもバカ高いタバコがやめられないシマクマくんには「そうか、養老孟司センセーもたばこがやめられへんのんか、ふふふ。」の人だったのですからね。まあ、そういう雰囲気で読み終えました。 で、本書のタイトル「わからないので面白い」をめぐってのインタビューでの最後のやり取りがこうです。鵜飼 養老さんの本を読むと、「わからないからこそ、面白い」といった表現がよく出てきますね。今の時代は「わからない」ということに耐えられず、すぐに正解を求める風潮がありますが。養老 だって、「ああすれば、こうなる」ってすぐに答えがわかるようなことは面白くないでしょ。「わからない」からこそ自分で考える。誰でもそうでしょ。競馬とか、パチンコとか、賭け事もそう。結果が見えないから必死になる。それが面白いんだよ。(P212) ボクは、競馬にも、パチンコにも、まあ、賭け事一般には何の関心もない生活を50年送ってきましたが、小説とか、映画とかは、まあ、読んだり見たりすることがやめられなくて、それって「なんだかわけわかんないけど面白い」からなんでしょうかね。 いい年になっても、それがやめられないのは、「どうも、よくわからんな」とか考え始めてみると、若い方たちに評判のAIとかの答えって、あんまり役に立たないことに気づいちゃったからなんですよね。自分で考え続けるしかない。まあ、「面白い」っていうのは、そういうことなんでしょうね。 もちろん、本書にはテーマに沿って、おなじみの養老トークがさく裂しています。 で、ボクに面白かったのはこういう発言です。 学習とは文武両道である。両道とは二股を掛けているということで、それぞれべつにという意味ではない。脳でいうなら、知覚とは運動である。知覚から情報が入り、運動として出て行く。出て行くが、運動の結果は状況を変える。その状況の変化が知覚を通して脳に再入力される。こうして知覚から運動へ、運動から知覚へという、ループが回転する。そうしたループをさまざまに用意しモデル化すること、これが学習である。(P60) 乳幼児が自分の手をしげしげと眺めている。そうした光景は、人によって見覚えがあろう。その手を乳幼児はいろいろ動かす。その動きと、動きの感覚が、視覚に起こっている変化と連合する。こうして乳幼児は身体と視覚の関係を理解していく。最終的にそれが自己の認識につながっていくとしても、私は不思議とは思わない。(P61) バギーに載せた赤ん坊にスマホの映像を見せて、ご自分はご自分でスマホをのぞき込んでいらっしゃる若いお母さんを見かけることが、最近増えました。赤ちゃんが見ている世界もお母さんが覗いていらっしゃる世界も、養老先生がおっしゃっている「文武両道のループ」からは遠い感じですね。 どんな世の中になるのだろう? まあ、あの赤ん坊が大人になるころなんて、どうせ、この世にはいないんですから知ったことではありませんが、なんとも不気味ですね。そういう不安を感じたい方にはうってつけですよ(笑)。 2026-no053-1268 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.17
コメント(1)

ケン・ローチ「オールド・オーク」シネリーブル神戸 人が多いところを避けていた連休なのですが、辛抱たまらなくなって見ました。ケン・ローチの新作、「オールド・オーク」です。しみじみと胸うたれ、励まされました。 ケン・ローチ89歳だそうです。70歳を越えて、威張れるようなことは何一つしなかった人生とやらを振りかえりながら、認知の恐怖におびえている老人が、89歳の監督が、「もうこれで引退」とかおっしゃったらしい映画なのですが「しっかりしいや!」と両の肩を揺さぶられるような励ましを感じる作品でした。 イングランドの海が見える炭鉱の町にシリアからの難民が到着します。石炭が見捨てられ、それと一緒に働いている人も見捨てられたかのような廃坑の町です。すさんだ町の人たちのヘイトの嵐です。「なんで、そんなふうにいうの?」 もう、それを見ているだけで、怒りよりも涙がこぼれてしまうのですが、心ない若者にカメラを壊されてしまったヤラという女性に、謝っているTJと呼ばれているおっさんが出て来てホッとしました。 TJと呼ばれている、この中年男、さびれた町で「THE OLD OAK」という名のさびれたパブをやっているオヤジです。店の看板のKの文字がとれそうなのを舌打ちしながら、物干しざおかなんか持ちだして何とか修繕し、店を開けると、やってくるのは、難民とかが送り込まれてくることに不満タラタラの町のオヤジたちで、でも、黙って彼らにビールをついでいます。チラシではサラが傍に立っていますが、映画ではTJが一人で修繕していたと思います。 ボクたちの社会でも、大声で難民とか移民の人を悪くいう人がいます。三宮あたりの交差点でマイクを持ち出してがなっている人もいます。何とかやり過ごして通り過ぎようとする目の前で「そうだ、そうだ、難民なんか追い返せ!」とか、大声で叫ぶ人までいてギョッとすることもあった2026年の連休でした。「イヤなんです!そういうふうにいうのは!」 そういう人たちに遭遇して、ボクの中に湧いてくるのは、そういう感情というか、気分だけなのですが、映画のTJは、もう少し根性が備わっているようです。「連帯!」 カメラを壊されてしょげているヤラを炭鉱の労働者たちの昔の写真を飾っている奥の部屋に案内し、古いカメラとかを見せながら、恥ずかしそうに話しかけて、ボソボソ、よく聞こえないような声で、連帯ですよ、連帯! その「連帯」という言葉を目にした(だって字幕でしかわかりませんし)ボクの頭には、20代、学生だった頃から50年間、その言葉に憧れながら、結局、誰とも、その言葉を共有できなかった記憶がグルグルめぐりました。教員と生徒とか、親子とか、夫婦とか、友達とか、ちょっと違うんですよね「連帯」って。人というのは、それぞれ、一人で生きていくしかしようがないけど、何とか自分の足で立とうとしている人間同士をつなぐ言葉なんじゃないか まあ、そういう、そこはかとない夢のような思いがボクにはあるんですよね。その言葉を信じるときにだけ、信じているこっちが支えられる何かがあって、選挙で投票するとか、ボランティアで手伝うとか、寄付金を払うとかとは、ちょっと次元が違う言葉だと思い込んでいる老人を、心底揺さぶるその言葉をTJが口にしたんです。 89歳の老監督ケン・ローチが、炭鉱町のパブのオヤジにいわせた、その一言、もう、それだけで納得!でした。拍手! この映画を見た帰り道、なんだかわかったような気持ちが湧いてきました。 30数年務めた仕事をやめて、ヒマになったのをいいことに映画館に通い始めました。で、10年ほどたちました。 時々一緒に映画とか見る学生時代から50年来の友達がいます。勤め始めて30年以上映画なんて見なかったボクにケン・ローチを教えてくれたのも彼なのですが、その彼と話したことを思い出しました。「おまえ、なんで、そんなにむきにになって映画を見るの?」「いや、まあ、見ていてイヤになることがないからなあ。」「ブログとかに批評を書くというか、何か書きたいとか?」「いや、書きたいことが見つかるかなという期待はあるけど、それより、数をこなしてたら、なにかわかってくることがあるかなという感じ。」「うん、それはそうかも。質より量かもな。」 その時の会話の、ボクは、なんでこんなふうに映画館に通っているんだろうという疑問の答えのようなものが、今日、浮かんできた気がしたんですよね。 うまく言えないんですけど、映画の技法とか、撮影技術とか、今では、あんまり興味ないんです。そういうことは、まあ、もういいかなっていう感じです。ただ、ボクが70年生きていた社会ってどういう社会だったんだろう、今という時代をみなさんどう考えていらっしゃるのだろう、まあ、そんな疑問に、今、答えてくれる人はいるのかなという感じの疑問というか、興味があって・・・。「ああ、こんな人間に出会いたかったんや。こういう映画が見たかったんや!」 まあ、そういう答えですね。「あんたが見たいのはこんなんやろ!TJどう!」 そういう答えにどこかで出会えるんちゃうか。出会えたら自分が、その時、考えたり感じたりしていることがわかるときがあるんちゃうか。まあ、そういう期待ですね。ありました!拍手!監督 ケン・ローチ製作 レベッカ・オブライエン製作総指揮パスカル・コーシュトゥー グレゴワール・ソルワ バンサン・マラバル脚本 ポール・ラバーティ撮影 ロビー・ライアン美術 ファーガス・クレッグ衣装 ジョアンヌ・スレイター編集 ジョナサン・モリス音楽 ジョージ・フェントンキャスティング カーリーン・クロフォードキャストデイブ・ターナー(TJ・バランタイン)エブラ・マリ(ヤラ)クレア・ロッジャーソン(ローラ)トレバー・フォックス(チャーリー)クリス・マクグレイド2023年・113分・G・イギリス・フランス・ベルギー合作原題「The Old Oak」2026・05・03-no083・シネリーブル神戸no377追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.16
コメント(1)

ハイメ・パセナ2世「この場所」元町映画館 東日本大震災から10数年たった陸前高田という町を舞台にした映画らしいというという理由で見ました。 ハイメ・パセナ2世というフィリピンの監督によってつくられたらしい「この場所」という作品です。 ハイメ・パセナ2世という監督は「陸前高田アーティスト・イン・レジデンスプログラム」という企画にアーティストとして滞在したことをきっかけに、以後、10年以上にわたり、陸前高田市の地域の人と交流を深めて、この作品に至った方だそうです。 映画の筋書きよりもカット、カットで挿入される、例えば下に貼った「奇跡の一本松」や巨大な防潮堤をはじめとする陸前高田の風景や、伝承館の展示、震災の映像が印象に残った作品でした。 父親の葬儀で初めて出会う母違いの姉妹。父親が去ったフィリピンで暮らす姉のエラ、27歳、と、陸前高田で父親っ子として育った妹のレイナ、20歳の画学生の「父をめぐるこだわり」が、二人のこころのぶつかり合いとして描かれている物語でした。 姉妹を演じた二人の女優さんの素直で真剣そのものの演技には好感を持ちました。しかし、最初から最後まで、二人のこころの焦点にいるはずの父親像が浮かんでこない物語としての説得力には少々難があったと思います。 血の繋がりがあろうがなかろうが、震災の地、陸前高田の「この場所」で「わかり合えないと思っていた」 二人の異国そだちの女性が、新しい絆を見つける物語として描きたい製作者の気持ちには好感を持ちました。拍手! おそらく、震災からの復興、再生のプロジェクトとして被災地の人たちとフィリピンのアーティスト、映画関係者が協力してつくった合作作品としてこの作品が生まれたんだろうなという雰囲気が作品の至る所で感じられて、その作品がフィリピンでは高く評価されているらしいということをうれしく思いました。拍手!監督・脚本 ハイメ・パセナ2世撮影 ダン・ビレガス編集 マーヤ・イグナシオ音楽 レン・カルボ主題歌 まっと通訳 今井杉子キャストギャビー・パディラ(エラ)中野有紗(橋本レイナ)二階堂智(安倍左太)市川シェリル(マイタ)薬丸翔(西)片岡礼子(橋本あつ子)安藤ネリーサ金野政利森山茂雄村上新一2026年・86分・G・日本・フィリピン合作原題「This Place」2026・05・12・no090・元町映画館no366追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.15
コメント(1)

ジャファル・パナヒ「シンプル・アクシデント 偶然」シネリーブル神戸 神戸では連休の後半封切られてから大入りが続いている様子で、ビビって避けていましたが連休も終わって、週も変わったので大丈夫かな?と思って出かけましたが、ヤッパリ大入りでした。「えー、なんで、こんなに?」「パルムドールが効いているんですかね。」「パルムドールって?」「去年の、カンヌで。それにイランですし。」「ああ、そうなの・・・、そうか、そうやね。」 シネリーブルの受付にいらっしゃった、若い支配人さんとの会話ですが、それにしても何にも知らないのに、我ながら呆れますが、今日見たのは2025年のカンヌ映画祭のパルムドール作品、ジャファル・パナヒというイランの監督の「シンプル・アクシデント 偶然」でした。 映画の中でも、登場人物の話題として出て来て、ちょっと笑いましたが、久しぶりというか、ベケットの「ゴドーを待ちながら」というお芝居のパターンの映画でした。 ゴドー待ちのパターンっていうのは、まあ、要するに際限のない会話ですよね。 で、まあ、この映画の肝は、今、箱の中に閉じ込めている男をどうしたらいいのかという問いを5人がかりで議論するというところですね。 ワヒドさんという男性がかつてエグバルと名乗っていた刑務所の看守だか、取調官だかを偶然見つけて拉致するんですね。でも、困ったことに「かつて」のその時、反政府主義者として捕まって、ひどい目にあわされたワヒドさんは目隠しされていて、彼にひどい仕打ちをしたエグバルという男の「顔」を知らないんです。男がシリアとの戦争で片足を失っていたということと「声」しか知らないんです。 で、拉致したこの男がエグバルかどうか?もし、エグバルだったらどうするか?あるいは、エグバルじゃなかったらどうするか? 困ったワヒドさんは、取りあえず男を箱に詰めてバンに載せ、エグバルを知っていて、同じようにひどい目にあわされた人を探して映画が始まるんです。 カメラマンの女性シヴァ、花嫁姿のゴリとその彼氏のアリ、乱暴者のハミド、バンに乗り合わせる人はその五人。五人とも、逮捕されたときには目隠しをされていたので片足の男であるという情報以外には「声」だけなんです、知っているのは。「顔」を知らない。 で、延々と議論です。殺して土に埋めるか、思う存分殴るけるをするか、それをやっちゃあ、あいつらと同じだから放り出すか、予想通り結論は出ません。だって、ゴドー待ちなんですから。 で、なんと、ゴドーからなのか、ゴドーになのか電話がかかってくるんです。 拉致していた男には臨月の奥さんがいて、その奥さんが破水して気を失っているって、ゴドーならぬニルファーちゃんという少女、男の娘さんから箱の中の男に電話がかかってきて、それをとったワヒドさん始め、みなさん、てんやわんやの人助けで無事男子誕生。 議論どころじゃなくなっちゃったメンバーは解散、残されたワヒドさん、男を箱から出して、対決すると、なぜか開き直った男がエグバルだと自白します。 さて、どうするのか。放免しちゃうんですよね。そこが、まず、この映画の凄いところでしたね。結局、何にもおこらない??? 映画はラストを迎えます。で、そのラストがなんとも不気味なんです。 イランの映画です。イスラエルとアメリカが、今、戦争を仕掛けている国ですが、ジャファル・パナヒ監督は、どうも、ワヒドさんたちが反政府の罪で捕まった頃、映画を作ることを禁じられて国外に出た人らしいのです。で、今回の戦争に際して帰国なさったらしいのですが、その話を知ったボクには「ワヒドさんは私だ」 なんとなくそんな声が聞こえてきそうな気がしました。 国家権力や、その手先としてひどいことをしていて、権力自体が変わると知らん顔をして生き延びる人って、今がそうだという国もありますが、そういう時代のそういう国には、かならずいらっしゃるんですよね。ナチスにしろ、戦前の特高にしろ、KCIA、KGB、モサド、CIA・・・・。 共通するのは、なぜか「顔」がないんです。 足音だけはして、後ろから迫ってきて、反政府だの、反革命だの、アカだの、シロだのと好きなようにレッテルを貼って、道が暗かったからという理由で、偶然、通りかかった自動車にはねられて命を落としてしまう犬とか猫のように「人間」を扱う。体制が変わっても「顔」を知られていない特権で、やっていたことは雲散霧消してしまう。 今でも世界中で起こっていますよね。きっと。その時の、その場所で、爆弾が落ちてきたり、銃が撃たれたり、で、命を失う人がいるというのは偶然なんですかね。まあ、そういうことを考えてしまう作品でした。 監督・製作・脚本 ジャファル・パナヒ製作 フィリップ・マルタン撮影 アミン・ジャファリ編集 アミル・エトミナーンキャストワヒド・モバシェリ(ワヒド)マルヤム・アフシャリ(シヴァ)ハディス・パクバテン(花嫁ゴリ)マジッド・パナヒ(花婿アリ)モハマッド・アリ・エリヤスメール(ハミド)ジョルジェス・ハシェムザデー(サラル)エブラヒム・アジジ(エグバル)デルマズ・ナジャフィ(エグバルの娘ニルファー)アフサネ・ナジュムアバディ(エグバルの妻)2025年・103分・G・フランス・イラン・ルクセンブルク合作原題「Un simple accident」2026・05・11・no089・シネリーブル神戸no379追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.14
コメント(1)

ハ・ミョンミ「済州島四・三事件ハラン」元町映画館 どこの誰がつくった映画なのか、まったく知りませんでしたが、この題名を見てしまうと出かけないわけにはいきませんね。 韓国の女性監督ハ・ミョンミという方が撮った「済州島四・三事件ハラン」です。 ノーベル文学賞のハンガンの傑作「別れを告げない」(白水社)にも打ちのめされましたが、何とか涙なしに見終えたと思ったラストシーンで深々と打ちのめされました。 四・三事件については、韓国国内では、長い間タブー視されてきたらしいのですが、たとえば、ボクなんかは在日作家金石範の、多分、本国では出版もままならなかった作品「火山島」とか、詩人の金時鐘の発言、この映画の製作者でもあるらしいヤン・ヨンヒの「スープとイデオロギー」をはじめとする一連のドキュメンタリー作品を通して、事件の歴史的・政治的背景はもちろんですが、苛酷な現場を体験した人たちのそれからの人生までうかがい知ってきたわけですが、この映画のラストシーンの描き方を見て、監督ハ・ミョンミの事件に対する怒りと哀しみ、事実を埋もれさせない決意というか、覚悟というかに打ちのめされました。歴史に残る傑作!だと思いました。 映画は、オばーちゃんが銃殺され、そのフトコロで九死に一生をえた少女ヘセンちゃんが、一人で「山」に登り、奇跡的に再会できたお母さんアジンさんとの逃避行を描いた作品でした。 幼いヘセンちゃんのあどけない表情と、夫をはじめ、家族をすべて殺されながら、娘の未来に、女として、母としての夢を託しながら彷徨うアジンさんの必死な姿と眼差しが忘れられない映画でした。 真っ暗な洞窟を風だけを頼りに海に抜け出ていくシーン。美しい海が広がる絶壁に立ち、おびえる幼子に目隠しをして抱き抱え、海女である自分を信じ、海原に飛び込む壮絶なジャンプ。胸を打つ見ごたえのあるシーンの連続で目が離せません。「頼むから、二人を生き延びさせて!」 そんなふうに念じながら目を瞠る作品でした。ヘセンちゃんとアジンさんの二人に拍手! ずぶ濡れになったヘセンちゃんを助け起こし、火をおこし、サザエを拾ってきて食べさせるアジンさんの姿にホッとしたのもつかの間、スクリーンには二発の銃声がこだまし、画面は暗転しました。 声をあげて泣き叫びそうになるのを、何とかこらえて座り込みながらハ・ミョンミ監督の、この作品に対する叫びが聞こえてくるようで深く胸うたれました。 四三事件にハッピーエンドはないんです! 神戸は、戦後、済州島から渡ってこられた方がお住みになっている町です。この日の元町映画館はパイプ椅子が持ち出される状態の満員でした。事件から70年、そこで何があったのか、家族の歴史として胸に刻み込んでいらっしゃる方たちが集まっていらっしゃることに胸うたれずにはいられない映画体験でした。監督・脚本 ハ・ミョンミ製作 ヤン・ヨンヒ撮影 オム・ヘジョン美術 キム・ジンチョル編集 イ・ヨンジョン音楽 キム・ジヘキャストキム・ヒャンギ(アジン 母)キム・ミンチェ(ヘセン 娘)ソ・ヨンジュ2025年・119分・G・韓国英題「Hallan」2026・05・09・no087・元町映画館no364追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.13
コメント(1)

チェン・ユーシュン「霧のごとく」シネリーブル神戸 連休が終わって、なるべく人が少なそうな作品はと探して、1950年代の台湾が舞台か、これなら空いているだろう(笑) やって来てビックリ! 大入りでした。 チェン・ユーシュン監督の「霧のごとく」です。監督さんが、結構人気のある方のようですね。知りませんけど。 1950年代、戒厳令下の台湾 台湾って、中華民国ですけど、蒋介石が1949年だかに戒厳令を布告して以来、その、戒厳令が何年間解除されなかったか? そういう、歴史って、今の若い人たちってご存じなのですかね。韓国もそうなのですが、戦前、大日本帝国が占領統治した国々って、まあ、それぞれに事情は違うのですが、1945年以後、戒厳令とか、軍事独裁とか、戦争とか、大日本帝国による統治の時代に、勝るとも劣らない大変な国情の国が多いんですよね。 ボクは1954年生まれで、戦後民主主義が謳歌される時代に成長したわけで、隣国の事情について、ほとんど知らない恥ずかしい奴だったわけですが、特に、台湾の戦後事情に興味を持ったのはつい最近で、それまでは何も知りませんでした。 で、この映画です。笑わせてもらいながらも、打ちのめされましたね(笑)。 反政府思想を疑われ、逮捕、銃殺された兄の遺体を引き取るために嘉義という田舎の村から、たった一人で台北にやって来た少女阿月(アグエー)ちゃんの想像を絶する苦労体験と、偶然、彼女を助ける趙公道(ザオ・ゴンダオ)くんの七転八倒が、1950年代の台北というか、台湾社会を背景に、そこで生きている普通の人間たちのあからさまな悪意と素朴な善意を、なんと、「笑い」を基調にすることによって描きながら、殺された兄が夢みた生き方を「霧のごとく」という哀しい詩の言葉で見事にうったえてみせた人間ドラマの傑作でした。拍手! ここから、ラストのネタバレです。 何とか、ニーチャンのお骨を受け取った阿月(アグエー)ちゃんなのですが、その後、50年生きのびるのですね。 で、なんと、あの時、警察につかまってしまった公道君、無実の罪で25年も刑務所暮らしをした上で、時代が変わって釈放されるという、数奇とも、悲劇とも、とても笑ってはいえない生涯を生き延びていて、二人はなんと老人病院の待合室で・・・。 おばーちゃんになった阿月(アグエー)ちゃんに奇跡の再会をはたしたへらへら笑いの公道君ですが、ハッと思いだすんです。阿月(アグエー)ちゃんに、もう一度会うことが出来たら返してやらなければならないと、牢屋の中でも大切にしていた、オニーちゃんの形見の時計ですね。 診察室に消えた阿月(アグエー)ちゃんを指さして、看護婦さんに時計を手渡し、そっと消えていく公道君の姿に、見ているこっちは、やっぱり泣いちゃうんですよね。 そのシーンが、ほぼ、ラストですが、40年近く続いた戒厳令の時代を生きてきた台湾の人は、きっと涙されると思いますね。拍手! 実は、耳で聞いてわかっているわけではないのですが、この映画には二種類の中国語が使われているようです。国民党の公用語である北京語と広東語由来の台湾語ですね。 台湾の言語事情については、温又柔さんの「台湾生まれ日本語育ち」で少し知っていたので見ていて面白かったですね。そのあたりにもこの映画の台湾映画らしさがあって興味を深く見終えました。拍手!監督・脚本 チェン・ユーシュンキャストケイトリン・ファン(阿月)ウィル・オー(趙公道)9m88ツェン・ジンホリウ・グァンティンビビアン・ソン2025年・134分・G・台湾原題「大濛」・英題「A Foggy Tale」2026・05・08・no086・シネリーブル神戸no378追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.12
コメント(1)

セサル・ガリンド「今日からぼくが村の映画館」元町映画館 2026年の5月10日(日)です。連休明けの元町映画館が、朝一番に一週間だけしかやらないというので、いつもは出かけない日曜日の、それも午前10時に元町にやってきました。お目当てはセサル・ガリンドという、多分、ペルーの監督の「今日からぼくが村の映画館」です。 ようこそ、天空のスクリーンへ! はい、天空のスクリーンで踊るシストゥ少年、サイコー!でした(笑)。 アンデスに風が吹き、天空の雲が流れ、ケチュアの人たちのニュー・シネマ・パラダイスが始まりました。 ペルーとかアンデス山脈とかいわれても、そこがどのあたりかさえはっきりわからない、インカ帝国の在ったあたりかな?という、わかったようなわからないような、漠然とした気分で見ながら、スクリーンに広がる「風景」にも、シストゥ君たちがトラックで通う通学シーンにも、オンボロの学校のまじめな先生にも、ロバを連れて、いや、連れられてかな?延々と歩いて行く高原の麦畑シーンにも、ドンドン惹きこまれ行きました。すごいやん! 町にトラックでやって来て、荷台に積んだ映写機から民家の壁に直接映し出される映画館、映っているのはドラキュラ伯爵。なんとも言えない、映画のうれしさがあふれていました。まあ、村人総出で見物した映画がドラキュラだったこともあって、あれこれ批判も飛び出して、揉めちゃうんですが、その結果、「今日からぼくが村の映画館」になっていくわけです。 「ぼくの」じゃなくて、映画に魅入られてしまった「シストゥくんが」天空をスクリーンにした映画館になってしまうところが、アンデスの、ケチュアの人たちの、ニュー・シネマ・パラダイスの肝なのですが、この、じつに素朴な「物語」が田舎暮らしの映画少年の始まりの物語であったという結末にケチュア社会の時間の流れを感じさせる構成も悪くないですね。拍手! 作中に出てくるのが「キングコング」、「風と共に去りぬ」、「ドラキュラ」あたりで、1930年代の作品です。セリフは、多分、みんな英語です。というわけで、村の人たちには映画のことばがわからない。字幕は、多分、スペイン語で、学校に通っている子供たちが通訳するんですね。 この作品は2022年にケチュア語映画として初めて作られたようですが、そのあたりの、映画史的な意味も興味深い作品でした。拍手!監督・脚本 セサル・ガリンド脚本 アウグスト・カバ ガストン・ビスカラ撮影 フアン・ドゥラン編集 ロベルト・ベナビデス音楽 カリン・ジエリンスキキャストビクトル・アクリオ(シストゥ)エルメリンダ・ルハン(ママ・シモナ)メリーサ・アルバレス(ルシーチャ)アルデル・ヤウリカサ(フロレンシオ)ベルナルド・ロサードフアン・ウバルド・ウアマン2022年・88分・G・ペルー・ボリビア合作原題「Willaq Pirqa, el cine de mi pueblo」配給ブエナワイカ2026・05・10・no088・元町映画館no365追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.11
コメント(1)

「常世の舟を漕ぎて」(語り・緒方正人・辻信一編・ゆっくり小文庫・SOKEIパブリッシング) 高橋源一郎に惹かれて読み始めた「弱さの思想」→「雑の思想」→「あいだの思想」(それぞれ大月書店)という共同研究をというか、連続対談ですが、一緒に研究というか対談していらっしゃる辻信一という、「ナマケモノ倶楽部」とかの代表をなさっている文化人類学者を面白がるようになって半年ほどたちます。 で、その辻信一が緒方正人という方の聞き書きを本にしていることに気づいて仰天しました。「常世の舟を漕ぎて」(語り緒方正人・辻信一編・ゆっくり小文庫)というこの本です。 緒方正人さんてご存じでしょうか?1970年代から80年代にかけて闘われていた、いわゆる水俣病訴訟闘争で名をはせた若きリーダーでした。その彼が闘争の現場から身を引き、木造の小さな舟を漕いで水俣の海に漕ぎ出していく経緯を辻信一に語っているのがこの本でした。 冒頭に石牟礼道子さんのこんな文章がありました。 神話の海へ 石牟礼道子 それをいうとき正人さんは羞んだ様子になった。 「じつは木の舟ばつくりよるとですよ。村にはまだ内緒ですばってん。」 認定申請をとり下げて以来、なにか容易ならぬことがこの人の心に起きているのを感じていた。若い支援者が来て、 「正人さん、鯛網の仕かけの時にひっくり返ったそうですよ。見舞いに行ってみたら、手足を突っぱって痙攣して、じっさい見れば、恐ろしかですねえ」と言ったことがあった。 おだやかに目をしばたたいている表情を見て、起きあがれる方角を探し当てつつあるのだと思い、わたしは何かしらまぶしかった。 話を聞いているうちに驚くべきことを知った。もの心ついて以来、一度も木の帆かけ舟を見たことがないというのだ。今の舟はみなプラスチック製だそうである。してみれば沖に浮いているのはすべてプラスチック船だったのか。少しはプラスチック船があるかもしれないが、多くは木の舟だとばかり思いこんでいた。これはわたしには深い衝撃だった。そうか、日本はそうなってしまったのか。 リサイクルショップの店で度々見かける、職人たちの手道具の山が胸をよぎった。家電器具の間に山師さんの大鋸(おが)や手斧(ちょうな)、大工さんの鉋(かんな)や曲り尺、左官さんの鏝のいろいろ、鍛冶屋の大鋏、石工の鑿や玄能等が錆をふいて、かえりみる人もない。あの中に船大工の手斧もまざっていたかもしれない。 せきこんでたずねた。 「舟大工さんの、よう居んなさいましたねえ」 「はい、それが運よく見つかって。造船所の親方のおやじさんと、うちの信だおやじつきあいだった縁で、親方が舟大工さんば見つけてくれて。はじめ木の舟ちゅうことば言うた時、たまがらしたです。木の舟つくる者はおらんですし。話すうちわかってくれて、引き受けてもらいました。プラスチックはもとはチッソがつくり出したしなものですもん。海のゴミとおなじごたる気のして、舟もですね」 海の上の溶けないゴミとしての船、とは言っても、その船でなければ現実の漁は成り立たなくなっているのだろうが、強化プラスチック船よりも効率の低い木の舟を、わざわざつくるという気持ちは痛いほどわかった。木の舟に乗らなければ、たどりつけない所があるというわけだろう。「常世の舟、ち、書いてもらえんですか。」 ああそこへゆきたいのかと納得した。一族全て、死神たちの世界に引きずりこまれてきた人なのである。わたしは祈りをこめて書いたが、自信のない字になった。 本書の巻頭に石牟礼道子さんが寄せた「神話の海へ」と題された祝辞の冒頭です。 辻信一さんによる緒方正人さんの「聞き書き」、「常世の舟を漕ぎて」の初版が世に出たのは1995年くらいでしょうか、その後、増補を重ね、「熟成版」として完成したのが2020年のようです。 ボクは70年代に学生生活を送り、石牟礼道子の「苦海浄土」にゆさぶられたわけですが、緒方正人という方は、水俣病認定闘争史の文字通りリーダーであった方として、お名前だけは知っていました。 今回、この本と出会い、緒方正人さんという方が1953年生まれの方で、ご存命であることを知り嬉しく思いました。 二十代のボクが、遠くの星のように仰ぎ見ていた石牟礼道子さんが1927年生まれ、闘争のリーダーであった川本輝夫さんが1933年生まれ、お二人とも、もう、この世の方ではありませんが、ボクにとっては親の世代の方たちでした。「エッ?緒方正人さんてボクの一つ上?」 ボクが、この本を手に取って、最初に感じたのはそういう驚きでした。同じ50年を生きてきた人なのですね。 本書では緒方正人の50年が語られていました。そこで生まれ、そこで生きていくことを余儀なくされた人間のことばが、訥々と語られています。読みすすめながら、彼の「チッソは私であった」という、驚くべき発言の力が読んでいるボクを揺り動かす読書でした。鍵になるのは「常世の舟」という言葉です。石牟礼道子さんが「ああ、そこへゆきたいのか」と納得された舟の名前ですが、できれば、本書をお読みになって納得の意味を知っていただきたいですね。 本書は、何度かの増補の結果出来上がった本のようで、後半には、ここ10年の発言も収められています。たとえば、こんな感じです。 畏怖を取り戻す 水俣病で騒ぎになっているのと並行して、不知火海のちょうど向かい側にある御所浦島で、山を丸ごと削るような採石が進められてきた。それが今、その石を沖縄の辺野古の埋め立てのためにもっていく計画なんです。ここの他にも瀬戸内海、鹿児島、奄美など、あっちこっちからかき集めてくるらしい。だって十メートルぐらいも積み上げて、大型艦船が横づけするような基地を作る計画なんだから、石や土が莫大にいるわけですよ。 採石自体がもう大問題なんです。だって山の天辺まで削ろうっていうんだから。おまけに土砂をとったあとの四十メートルもの深い穴に、今度はどっかの毒性の強い残渣みたいなのをもってきて、二重に儲けようとしている。島の人たちはほとんどが反対で、立ち上がって声を出したんです。俺たちもこっち側で反対運動を起こした。 今のところ動きは止まっています。業者は改めて採石の許可申請を出しているんだけど、恐らくはこれ以上問題をこじらせんようにと、県が抑えているのかもしれない。 あそこはね、恐竜の化石が出るところなんですよ。俺は言うんですよ。「そげんことしたら、恐竜たちの逆鱗に触れるぞ」って。沖縄の辺野古の基地建設は、一見遠く離れていて自分たちとは関係ないように見えるけど、実はもうこうして、すぐ目と鼻の先で起きているわけです。 採石が始まったのは、俺が中学校に上がった頃だから、五十年近く経っている。ものすごくきれいな所だったんですよ。削る前は。キジが多くてね。よく漁の合間に浜に上がって昼飯食ったり、一休みしとったら、キジがすぐそばまで寄ってくる。民家がないせいか、あんまり警戒心ないんでしょう。 うちからも海の向こうに見える。外で喋ってると、天気がいい日にはダイナマイトの音がよく聞こえたりしよったもん。発破の音がして砂煙が上がるのが見える。以前、俺が苦しんでいる時には、心臓をえぐられるようで、もう一番それがきつかった。体が反応するんです。本当に肉体を削られるようで、こたえるんです。自分が苦しかったから、御所浦の人たちはなんであれをやめさせないんだろうか、といつも思っていた。 人間が、長いスパンで物事を考えきれなくなっているんだとつくづく思う。(P336) 目の前の海を眺めながら、人間はどこへ向かっているのか・・・ 多分、そういう問いの日々を生きていらっしゃる方のことばですね。 本書の最後にはこんなことばもあります。 神の体と書いて、「神体性」というのがあるとすると、人間がその神体性を失くしていってるんだろうなって思うんです。どんどん機械化されてきてしまった。情報とかに振り回されないようにした方がいい。一応耳には入れても、自分の判断や自分の感覚を大切にする。そうしないと、人間、オロオロしちゃうんです。「どこで誰が何を捕った」とか、「値段はいくらか」とかろ右往左往して。 機械や情報に頼る。そこで人の力が必要なくなったんですよ。体の力も、心の力も。手漕ぎの頃なんて漁師の体力はそら、ものすごかったですよ。うちの親父たちなんか。それに勘も精神力も我慢強さもすごかった。今の漁師の能力はおそらく昔の人たちの五分の一くらいしかないんじゃないかな。機械がひとつ壊れりゃ漁に出ないんだから。 霊性も神体性も失ってきた。それでも全部失くなったわけじゃない。ゼロになったわけじゃないとは思うんです。だから諦めずに、そこからまた少しずつやっていくしかないんです。(P340) 「神体性」なんて言い方が、少し理解できる年齢にボクもなったようです。ここから少しずつ考えることを続けていきたいと励まされる言葉でした。2026-no042-1257 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.11
コメント(1)

「パパラギ」(岡崎照男訳・立風書房) 今日の案内は「パパラギ」(立風書房)という本です。「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」と副題があります。 1920年だかにエーリッヒ・ショイルマンというドイツ人が出版した本だそうです。副題の様に、その時代、今から100年ほど前に、生れてはじめてヨーロッパ=パパラギたちの国を訪問したサモワの酋長が、サモワの人たち相手に演説した内容が書籍化されたということになっていますが、100年に渡る研究の結果、偽書だということが明らかになっている因縁付きの本です。 どうして、そんな怪しげな本を今? ボクも、そう思って読んだのですが、これが面白いんですよね。100年前の現代文明批判! ボクがこの本を知ったのはかなり以前なのですが、今回、市民図書館から借りだしてきたのは高橋源一郎と辻信一の対談集のどこかで紹介されていたからですね。実は、岡崎照男によるこの訳本が出たのは1980年ころで、その頃一度話題になった記憶はありました。「えっ?どうしたのこの本?家にあるんじゃないの?」 図書館から持ち帰った本を見たときのチッチキ夫人のことばですが、ボク自身も、何となく、そんな気がしていたのです。「うん、でも、どこに突っ込んでるかわからんし。」 というわけで読み始めました。 80年代に話題になったのは、高度経済成長に寄りかかっていく日本という社会について、「パパラギは日本人だ!」 まあ、そんな、振りかえりがリアルだったからですが、それから50年近く経って、徹底的な効率至上主義のコンピュータ社会の成立を目前にすると、ちょっと、シャレにならない迫力で迫ってくる、現代社会批判の書というふうに読めますね。 面白い文明観察の山なのですが、ボクが面白かったのはこういうところです。「精神」という言葉がパパラギの口にのぼるとき、彼らの目は大きく見開かれて、すわってしまう。 中略 考えること、考えたもの、思想、― これは考えたことの結果である― はパパラギをとりこにした。彼らはいわば、自分たちの思想に酔っぱらっているようなものだ。日が美しく輝けば、彼らはすぐに考える。「日は今、なんと美しく輝いていることか!」彼らは切れ目なく考える。「日はいま、なんと美しく輝いていることか」これはまちがいだ。大まちがいだ。馬鹿げている。なぜなら、日が照れば何も考えないのがずっといい。かしこいサモア人なら暖かい光の中で手足を伸ばし、何も考えない。頭だけでなく、手も足も、腿も、腹も、からだ全部で光を楽しむ。皮膚や手足に考えさる。頭とは方法は違うにしても、皮膚だって手足だって考えるのだ。(P108) あのですね、ボクなんて、こういう「考えることの病気」を目標に、自分でも、お仕事相手の学生さんたちにも、一生懸命説いてきていたパパラギだったんですよね。それが、全部、AIとかに任せられることになった今、「からだ全部で光を楽しむ」ことどころか、それ以前に、「考えるという病気」を、まず知らない、現代のパパラギたちはどうしたらいいんでしょうね。 まあ、そういう、ある意味、老人の繰り言にすぎない思いが浮かんでくるあたりに、この本の面白さがあるわけです。 お暇でしたら、100年前の文明批判一度お読みください。ギョッとするかもですよ(笑)。2026-no051-1266 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.10
コメント(1)

マイク・フラナガン「サンキュー、チャック」109シネマズ・ハット ボクとしては、実に珍しいことなのですが、この映画の原作者がスティーブン・キングだということに気付いて興味が湧いて見ました。 ホントいうと、スティーブン・キングという人の小説作品は苦手です。知り合いにファンがいて、読み終えると送ってきてくださることもあって、本棚にそろってはいるのですがほとんどん読んだことがありません。でも、「シャイニング」以来、映画化作品は、まあ、その時、その時、評判になったこともありますが、面白がって見ているんですよね。 で、今回はマイク・フラナガンという知らない監督の「サンキュー、チャック」でした。 連休中ということもあって、三宮のキノシネマはほぼ満員、そういうわけで109ハットです。空いてました(笑)。ホント、いい映画館です(笑)。 「The Life of Chuck」というのが原題で、原作もその題なのですが、邦題は「サンキュー、チャック」で、三章仕立ての構成でチャールズ・クランツという人物の39年間の人生を描いた作品でした。 チャックの生い立ちといい、ダンスのエピソードといい、チャックという男の描き方はとてもいい作品だと思いました。 「サンキュー、チャック」の看板が、なぜだか、街に溢れる終末世界が映画のはじまりとして描かれ、そこに至るお話がチャックの人生の時間を遡行して描かれていきます。 路上で大道芸の少女のドラムスに合わせて踊り出す会計士チャールズ・クランツのダンスなんて、何ともいえずいいシーンですし、チャックがダンスを覚える始まりである、台所でお祖母ちゃんと踊る少年チャックといい、ダンスクラブのシーンといい、とてもいいんです。 チャックの話とは別ですが、終末世界を彷徨う教員アンダーソンさんとフェリシアさんのカップルのありさまもとてもいい作品なのです。 でもね、原作が原作なのでしょうね、全三章をまとめる全体の論旨に、ちょっとカッコつけて言いますが「映画的説得力?」を感じないんですよね。 チャックの姿を見ていても、町中の「サンキューチャック」の看板に脅えるアンダーソンさんたちを見ていても、なんか、意味不明でしたね(笑)。 原作を読んだわけではありませんから、まあ、あてずっぽうなのですが、スティーブン・キングの意図はなんとなくわかるんですけど、映画は描き切れていない、まあ、そんな感じでした。 映画そのものは楽しかったので拍手!なのですが、????が正直な感想でした(笑)。 まあ、そういうわけで、不思議な印象で終わっちゃったんですけど、ある意味、とても現代的ともいえる気がしました。実社会の壊れ方に、作家は鋭い終末観を提出しているのですが、映画を作っている人たちに、たぶん、新しい指針がないんですよね。まあ、指針がないのは映画製作者たちだけではないんでしょうけど。 監督・脚本・製作・編集 マイク・フラナガン製作 トレバー・メイシー 原作 スティーブン・キング撮影 エベン・ボルター美術 スティーブ・アーノルド衣装 テリー・アンダーソン音楽 ザ・ニュートン・ブラザーズ音楽監修 ジャスティン・フォン・ウィンターフェルト振付 マンディ・ムーアキャストキウェテル・イジョフォー(マーティー・アンダーソン 教員)カレン・ギラン(フェリシア・ゴードン マーティーの元妻)トム・ヒドルストン(チャールズ・“チャック”・クランツ)ジェイコブ・トレンブレイ(チャールズ・“チャック”・クランツ青年)ベンジャミン・パジャック(チャールズ・“チャック”・クランツ少年)マーク・ハミル(アルビー・クランツ祖父)ミア・サラ(サラ・クランツ 祖母)ザ・ポケットクイーン(テイラー・フランク葬儀屋)ケイト・シーゲル(ミス・リチャーズ)カール・ランブリーコーディ・フラナガン2024年・111分・G・アメリカ原題「The Life of Chuck」2026・05・06・no085・109シネマズ・ハットno82追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.09
コメント(1)

ハロルド作石「THE BAND 4」(講談社) 「BECK」(講談社)ファンのトラキチ君のマンガ便です。ハロルド作石の「THE BAND」(講談社)、第4巻が届きました。 表紙のゆうへいくんが、なんか、だんだん男前になっていきますね。高校生のユウヘイクン、「ドラカリス」とかいうバンドのメンバーになって、活躍というか、いろいろな人と出会う展開です。ゆうへい君の親友マタローくんも、こちらはこちらで高校生の大会で頑張ってます。 ユウヘイクンといいマタロウくんといい、かわいいし、女の子も軽音楽部の部長さんとか、カスミンとか、こんなかわいい子ってホントにいるのかなあとか思っちゃうんですけど、今回はもう一人登場です。倉本燈真(とおま)くんですね。三重県かどっかの少年なんですけど、マタロー君が知り合いになる、どうも、天才少年ポイですね。 で、まあ、今回はマタロウ―くん、トオマ君に会うの巻でした。だんだん登場人物がそろってきたようですね。楽しみです(笑)。 2026-no048-1263 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.08
コメント(1)

小梅けいと「戦争は女の顔をしていない 6」(KADOKAWA) 2026年4月の終わりに届いたトラキチ君のマンガ便です。 小梅けいと「戦争は女の顔をしていない6」(KADOKAWA)です。もちろん原作はスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの同名の傑作です。 本書に収められているのは下に目次を貼りましたが、その5作です。中でも第三十二話のインタビューと、そのインタビューを終えて作家自身が語る第三十三話が白眉でした。 腰巻に引用されていますが、その前後を引用してみます。戦争はこれまでもそうだったようにこの先もずっと人間の本質に触れるもっとも主要なもののひとつなのかもしれない今もそうなのかもしれない何も変わっていない私は大きな物語を一人の人間の大きさで考えようとしている何かを理解するために ことばを見つけ出すためにけれどもこのそれほど大きくはないそして見直すのに便利だと思われた 一人の人間の心の中にさえ歴史を理解するよりはるかに わかりにくくはるかに 予測がつかいないものなのだというのも私が相手にしているのは生の涙生の気持ちだから人間の生きた顔にも話をしている時に心の痛みや恐怖の影がさす時には人間の苦悩がかすかにわかる程度に美しく見えたりまでするそういうとき私は 自分自身におびえてしまう道はただ一つ人間を愛すること愛をもって理解しようとすること スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチさんは1948年生まれ、77歳で御存命のようです。ベラルーシ共和国の方ですが、今はドイツにいらっしゃるようです。ベラルーシはロシアの属国のような状態らしくて、彼女の作品が発禁になってしまうような国のようです。 第二次世界大戦中の独ソ戦争に従軍したソビエトロシアの女性たちにインタビューした原作が発表されたのは1980年代ですが、その後、チェルノブイリの原発事故の被害者たちをインタビューした「チェルノブイリの祈り」(岩波現代文庫)も、事故の情報を統制しているらしいベラルーシでは読むことができないのかもしれません。日本では熊谷雄太によってマンガ化もされていて、誰でも読むことができます。 こちらの「戦争は女の顔をしていない」(岩波現代文庫)の方は、小梅けいとさんが、辛抱づよくマンガ化していらっしゃって、今、第6巻です。若い人たちに読まれたらいいなと思います。熊谷雄太「チェルノブイリの祈り」(白泉社)もですね。第三十二話 衛生指導員オリガ・ヤーコヴレヴナ・オメリチェンコの話第三十三話 オリガさんのインタビュー後第三十四話 地下活動家リュボーフィ・エドゥアルドヴナ・クレソワの話第三十五話 パルチザンの看護婦アントニーナ・アリベルトヴナ・ヴィジュトヴィチの話第三十六話 機関銃手アナスタシア・イワノーヴィナ・メドヴェドゥキナ二等兵、他、五人の話2026-no049-1264 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.07
コメント(1)

レイ・メンドーサ アレックス・ガーランド「ウォーフェア 戦地最前線」パルシネマ新公園 神戸では今年の1月ごろに公開されていたと思いますが、見損ねていました。で、パルシネマが、なんと、まあ、懐かしい「二百三高地」と2本立てでやっていたので駆け付けました。 見たのはレイ・メンドーサ、アレックス・ガーランド共同監督とかの「ウォーフェア 戦地最前線」です。 イラク侵攻の内幕を描いているんじゃないかという興味で見ました。もう、20年たちますが、中東地域に限らず、ベトナム戦争以来、アメリカの戦争のやり方は、ドレモコレモひどいと思います。で、その中でも、まあ、最悪の戦争の一つだと感じている作戦の一つがイラク戦争だったとボクは考えていますが、何はともあれ、その戦争の戦地=ウォーフェアでのありさまをどう映画化しているのかというのが出かけた理由でしたが、納得でした。 アルカイダ討伐を大義名分にして夜郎自大に登場したアメリカ軍の実態を、レイ・メンドーサという監督自身の実体験を下敷きにしているようですが、ドキュメンタリィーふうに追いながら、かなり正直に描いていて、戦場の悲惨の暴露、ひいては戦争そのものに対する批判を見ているこちらに、強く感じさせる作品になっていると思いました。 戦場では、「奴は敵だ!敵は殺せ!」という論旨以外行動指針はないというのが、ボクの戦争理解の原理というか、前提ですが、その最前線に投入された兵士たちが、敵も味方も、常識では想像できない恐怖と苦痛にさらされることは、たとえば、ニック・タースが「動くものはすべて殺せ」(みすず書房)で、ベトナム戦争を題材に、詳しく論じて書いていることですが、それが兵士たちに何をもたらすのか、この映画では負傷した兵士の救出がドラマを動かすのですが、その現場から帰ってくる、この兵士たちのPTSDを強くにおわす描写が随所にみられるところが現代の戦争映画だ!という印象を持ちました。 カッコよさなんて、かけらもないリアルがこの映画の良さだと思いました。拍手!監督・脚本 レイ・メンドーサ アレックス・ガーランド製作 アンドリュー・マクドナルド アロン・ライヒ マシュー・ペンリー=デイビー ピーター・ライス撮影 デビッド・J・トンプソン美術 マーク・ディグビー衣装 デビッド・クロスマン ニール・マーフィ編集 フィン・オーツキャストディファラオ・ウン=ア=タイ(レイ・メンドーサ 通信兵)ウィル・ポールター(エリック 小隊長)コズモ・ジャービス(エリオット 狙撃兵)キット・コナー(トミー 兵士)テイラー・ジョン・スミス(フランク 兵士)マイケル・ガンドルフィーニ(マクドナルド 兵士)ノア・センティネオ(ブライアン 兵士)ジョセフ・クイン(サム 兵士)チャールズ・メルトン(ジェイク 兵士)フィン・ベネットアダイン・ブラッドリーエバン・ホルツマンエンリケ・ザガハイダー・アリネイサン・アルタイ2025年・95分・PG12・アメリカ原題「Warfare」2026・05・02・no82・パルシネマ新公園no51追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.06
コメント(1)

レオス・カラックス「ポーラX」元町映画館 ここの所、レオス・カラックスというフランスの監督の鬼才ぶりに、翻弄されながら、なんとかついていってますが、今日は「ポーラX」という1999年の映画を見ました。 先週、元町映画館のオニーさんとこんなやり取りがありました。「来週から、カラックスが昼過ぎになるんやろ。気になってんねんけど。」「はい、ありがとうございます。でも、暗いですよあの映画。」「暗いって、画面がか?」「いや、とにかく全体が。」「どうせ、わけわからんのは一緒やろ?」「うーん、それは、人それぞれですけど、そうかも。」「まあ、とにかく見るわ。人はおらんやろ。」「はい。ザンネンですが。 まあ、そんな話で、他にはなんの予備知識もないまま見たのですが、やっぱり鬼才でした(笑)。 で、思いました。「これって、なんか、ネタがあるんちゃう?」 見ながら、そう思った理由は、主人公のピエール君が小説を書いている人らしくて、なにやら、まあ、30年近く昔の作品ではあるのですが、今どきはやりそうもない破滅型だったからですね。 帰って来て調べてみると、あの「白鯨」の作家メルビルの「ピエール」という小説が原作で、まあ、読んだことがありませんからわかりませんが、文学的だか、芸術的だかの、真実があるはずの「向こうの世界」を希求する主人公が、現実なのか幻想なのか見分けがつかない「愛」を求めて・・・。なぜならば、激動の最果てに達すると、人間の魂は溺れかけた人間そっくりだからだ。 ハーマン・メルビル「ピエール」 チラシに引用されている原作の一節ですね。 まあ、そういうわけで、だから、破滅しちゃうわけですけど、そんなふうに描いていくのが面白くてたまないらしいカラックスという人の思惑は浮かぶのですが、物語にはついていけないまま終わっちゃいました。 「暗い」とは思いませんでしたが、「鬼才のすることは、やっぱりわかりまへん!」でしたね。 プロットは、なかなかユニークで、シーン、シーンは映像も音響も印象的なのですが、「これがレオス・カラックス!」なのでしょうね。マイッタ! ところで、この映画の題名「ポーラX」っていうんですけど、登場人物はピエールとかイザベルとかいう名前で、ポーラとか出てきませんし、なんでポーラXとかなんですかね? わけわかんないですよね。 でも、まあ、久しぶりにカトリーヌ・ドヌーブさんの「へーっ!」と叫びそうになる入浴シーンとかも拝見しましたし、記憶には残りそうですね。まあ、そのあたり、とりあえず、拍手!でした。監督・脚本 レオス・カラックス製作 ブリュノ・ペズリー共同製作 カール・バウムガルトナー 堀越謙三 ルート・バルトブルガー原作 ハーマン・メルビル脚本 ジャン=ポール・ファルゴー ローラン・セドフスキー撮影 エリック・ゴーティエ美術 ロラン・アレール衣装 エステル・バルツ編集 ネリー・ケティエ音楽 スコット・ウォーカーキャストギヨーム・ドパルデュー(ピエール・バロンブルーズ 作家)カテリーナ・ゴルベワ (イザベル 謎の姉)カトリーヌ・ドヌーブ(母親マリー)デルフィーヌ・シュイヨー(リュシー 恋人)ペトルータ・カターナ(ペトルーツァ)ミハエラ・シラギ(ミハエラ)ローラン・リュカ(従兄ティボー)サミュエル・デュピュイ(イザベルの弟フレッド)パタシュー(編集者マルグリット)1999年・134分・フランス・ドイツ・日本・スイス合作原題「Pola X」2026・05・04・no084・元町映画館no363追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.05
コメント(1)

萱野孝幸「津田寛治に撮休はない」元町映画館 いよいよ連休に突入して、映画館も盛況です。でも、盛況な映画館が苦手な徘徊老人は困るんですよね(笑)。 で、人がいなさそうな映画を探してやってきたのが元町映画館、見たのが萱野孝幸という監督の「津田寛治に撮休はない」です。 津田寛治という俳優さんがお好きな方には面白い作品だと思います。でも、主演の俳優さんの顏と名前が一致しないボクのような半ボケにはどう面白がったらいいのか、どこが面白いのかわからない作品でした。 ボクは、ここ10年、ようやく映画館には復帰しましたが邦画をほとんど見ません。それから、テレビドラマというもの、朝ドラに始まって、大河ドラマとか、民放の連続テレビドラマというものを見ません。まあ、そういう理由もあってでしょうね、「ツダカン」とかいう呼び名を聞いても、「津田寛治」という名前を見ても、大体、この作品のチラシの写真を見てもですね、「誰、これ?どういう人?」だったんですけど、映画を見終えても、まあ、失礼も甚だしいいい方で申し訳ないのですが、やっぱり、「この俳優さん、どんな映画に出てはるの?」でした(__)。 映画は、実在の津田寛治という、多分、人気俳優さんをネタにして、どうしたら面白く描けるかに苦心した作品でしたし、津田寛治という俳優さんのマルチな演技ぶりも悪くはないのですが、「イヤ、ハヤ、ご苦労様でした!」 まあ、そういう感じでした。 映画そのものが、身内ウケというか、小手先という印象で、もの知らずなボンヤリ老人をギョッとさせる感じというか、ハミダシ感というかがないんですね。せっかく、名バイプレイヤーを主役にして「役者」を描いているんですからね・・・。 まあ、勝手なことを言っていますが、自分がぼんやりとしか映画を見ていないんだなあ・・・ということをつくづく思い知りました。そういう意味で、この作品は拍手!だったんです。 たとえば、この映画の津田寛治さんって、先日見た「ひとはなぜラブレターを書くのか」にも出ていらっしゃったらしいのですが、あの映画で、主人公の青年の可哀想な葬儀に押しかけて来た営団地下鉄の課長の顏なんてちゃんと見ていないんですよね。 まあ、そうはいっても、主役とかする人にまず気づけないんですから、そっちが先ですけどね(笑)。 監督・脚本・企画・編集 萱野孝幸プロデューサー・企画 中村祐美子撮影 宗大介キャスト津田寛治平澤由理一ノ瀬竜こばやし元樹篠田諒中村祐美子井口昇駒井蓮岩崎ひろみ渡辺哲板橋駿谷松林慎司佐藤五郎木村知貴荒木民雄小野塚老2025年・114分・G・日本2026・05・01・no081・元町映画館no362追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.04
コメント(1)

ヨシダ。「ディグイット 1・2」(講談社) 2026年4月のマンガ便に入ってました。「なに、これは?」「バレーボールマンガ。」 去年の夏ぐらいから「アフタヌーン」というマンガ雑誌に連載されていて、ナカナカ人気のスポーツ・マンガらしいです。ネタはバレーボールですね。 マンガ便のトラキチ君は中学生、高校生の頃バレーボールにハマっていて、そろそろ、不惑を過ぎるはずですが、最近、ふたたびバレー・ボール熱が再燃してきた様子で、昔の友達とチームを作って市民大会に出ていったり、中学生と一緒に練習したり、まあ、そういうわけで見つけたのかどうかわかりませんが、「オモロイで。」でした。 元全日本のエース・アタッカーを父に持つ獅子谷岳くんという中学生が主人公のようです。 で、第1巻は、同じクラブチーム居たノボル君の才能に感激したお父さんに見切りを付けられちゃう話なんですね。 もっとも、見切りをつけたのは岳君とお母さんの方だともいえる展開で、まあ、お母さんが、読んでいるこっちも、何だか好きになれそうにない、夫であり、息子の父親である元エース・アタッカーに三下り半突き付けて生まれ故郷の静岡に、息子を連れて帰ってしまうという始まりでした。 で、岳君が選ぶのがリベロというのが、まあ、実に分かりやすくていいところですね。 羽海野(うみの)高校という、静岡県の普通の学校の高校生になって、第2巻からは高校バレーのビルドゥングス・ロマンの始まりです。目標が全国優勝だったり世界一だったりで、尚且つ、父と息子という、まあ、ありがちといえばありがち、永遠といえば永遠の闘いの始まりですから、ここから先はかなり長そうです。 こちらが第2巻です。 バレー・ボールマンガなんて、50年前の「アタック・ナンバーワン」以来ですね。若い人はアニメで知っていらっしゃるかもですが、浦野 千賀子という方の作品で、「マーガレット」という少女漫画誌に連載されていたのを読んだのは小学生の頃です。 そういえば、この「ディグイット」という作品で不思議だったのは著者名です。「ヨシダ。」と書くらしいですが、奥付けには「Yoshidamaru」とありますから、「よしだまる」さんなんですかね。 というわけで、長い道のりの始まりのようです。2026-no050-1265 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.03
コメント(1)

高橋源一郎「ラジオの、光と闇―高橋源一郎の飛ぶ教室2」(岩波新書) 高橋源一郎にハマり続けていますが、今日の案内は「ラジオの、光と闇」(岩波新書)です。副題に「高橋源一郎の飛ぶ教室2」とあるように、彼がやっているらしいラジオ番組の、たぶん、前振りというか、オープニングのおしゃべりをエッセイ集としてまとめた本です。 知人にも、彼の番組のリスナーがいらっしゃるわけですが、ボクは一度も聴いたことがありません。ただ、このシリーズの1冊目、「高橋源一郎の飛ぶ教室」という岩波新書は読んだ記憶があります。基本、高橋源一郎による社会批評というか、時事ネタ発言のエッセイかなわけで、「読みやすい」ことと、紹介されている「書籍」や「映画」が、まあ、ボクにとっては、ほぼ、ハズレなしという印象で、「読書案内」本として重宝しています(笑)。 今回は、横浜まで往復する新幹線旅行の電車本として読み終えました。 いちばん下の叔父さんが亡くなって、葬儀に参列する旅行です。 こんばんは。高橋源一郎です。 先日、作家の大江健三郎さんが亡くなられました。大江さんは、みなさんもご存じのように、長い間、日本文学を代表する作家として活躍されてきました。八十八歳。老衰だったと伝えられています。 ぼくにもいくつかの追悼文の依頼がありましたが、思うところがあり、お断りしました。なので、ここでお話しすることが、大江さんへの追悼となります。 もの書きとして、人として、ぼくが深く影響を受けた人たちは四人います。詩人の吉本隆明、映画監督のジャン・リュック・ゴダール、批評家の江藤淳、作家の大江健三郎。この四人の生まれた年は順に、一九二四年、一九三〇年、一九三二年、一九三五年、そして父の生まれた年が一九二〇年。あるとき、ぼくは、彼らが、父を長男とする兄弟たち、ぼくにとっての叔父の年齢にあたることに気づきました。 ラジオのおしゃべりを想定すれば、ここまでがつかみです。 で、ぼくが思い浮かべたのは、自分の父親が一九二五年生まれだったことです。吉本隆明の一つ下です。上の引用に並んでいる四人のお名前は、高橋源一郎の三つ年下であるボクにとっても、10代後半からの、ほぼ、10年の間、圧倒的に影響を受けた人たちとしてドンぴしゃり! 鷲摑みです! 10代後半から漱石にかぶれた始めたボクが生まれて初めて読んだ文芸評論が、批評家江藤淳の「夏目漱石」(講談社文庫)で、その勢いで、彼の好敵手、吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」(角川文庫)に雪崩れ込み、文学・思想かぶれの、生意気、頭でっかち高校生活を送り、二十歳で大学生になるやいなや落第生へと落ちこぼれて言った理由が名画座のヌーベルバーグと「仁義なき戦い」の菅原文太でした。 江藤、吉本かぶれの、余波というか、当然の帰結というか、大学の広い図書館では、大江の発禁作「政治少年死す」が載っている雑誌「文学界」を見つけて喜ぶ生活でした。 今となっては、懐かしい記憶ですが、高橋源一郎が「もっとも影響を受けた四人」と、言い切ることばを反芻しながら、かえって、彼の世代とのギャップを痛感したりもするのでした。 で、高橋さんの、本論、「大江健三郎追悼」はこうです。 この番組で何度か「家の外に出て世界をさまよい、自由と知識を甥に教えるためにふらりと戻ってくる叔父さん」の話をしました。この四人は、ぼくにとって、世界の広さを教えてくれる叔父たちだったのです。最後の、いちばん下の叔父である大江さんが亡くなったと聞いた時、感じたのは、ついにだれもいなくなり、ひとりぼっちになってしまった、という大きな寂しさでした。彼がどんなにか自由で豊かであったかを伝えることができるのは、甥であるぼくの使命なのかもしれません。 大江さんの小説を読み始めたのは中学生になったばかりの頃。その頃、大江さんは眩しく光り輝く若い作家でした。大江さんは芸術家であるだけでははなく、社会の中で目覚ましいオピニオンリーダーでありえた時代のシンボルでした。大江健三郎のような小説家であること、それはなにかを書くことを目指す若者にとって一つの大きな目標だったのです。 六十年以上、大江さんの書く小説を読み続けてきました。そして、一つ気づいたことがあります。おそらく、大江さんにとって大切だったのは、現実の自分ではなく、小説の中に存在している自分だったと思います。どんな作品においても、そこには絶望的なほどの孤独、というか孤独な大江さんが呼吸していました。そして、同じように、孤独に絶望しているぼくたち読者に向かって「大丈夫。ぼくも孤独だから、でも大丈夫」とメッセージを送っていたのです。 さようなら、大江健三郎さん。長い間、ありがとうございました。それでは、夜開く学校、「飛ぶ教室」、始めましょう。(P119) ボクは、この本を、ぼくと同居人にとって、最後に一人残っていらっしゃった叔父さんとのお別れに向かう新幹線で読みました。それも、また、ドンぴしゃりでしたね。読みながら、高橋源一郎が大江健三郎の作品から「大丈夫。ぼくも孤独だから、でも大丈夫」というメッセージを受け取っていたことを知り、胸ふたがるおもいでした。 高橋源一郎の小説作品が、近代文学史や戦後文学史に対する茶化しのように、エンタメ化して読まれる傾向がありますが誤読ですね。彼は、ポップとかいう批評に耐えながら、現代社会を生んだ「近代」という時代と真正面から向かい合おうとしていると思います。まあ、そのあたりは、読み始めてしまった、たとえば、「DJヒロヒト」(新潮社)あたりの案内でということで、今日はここでお終いです。 2026-no039-1254 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.02
コメント(1)

石井裕也「人はなぜラブレターを書くのか」109シネマズ・ハット 勝手に贔屓している綾瀬はるかさんが主演だというので見ました。 石井裕也監督の「人はなぜラブレターを書くのか」です。 見る前に、ちょっと、気になっていたのは題名ですね。「何がいいたいの?」 見終えてわかりました。正しい題名は、「おばちゃんになったナズナは、今、なぜラブレターを書くのか?」ですね。 まあ、それ以上いうと、ただのネタバレオンパレードになってしまうのでいいません。 綾瀬はるかさんが、前を向て生きていきたい40代の、「妻」であり、「母」であり、「飯屋のおかみさん」である、実に、トッポイおばちゃんを、彼女らしく演じていらっしゃって、まあ、ストーリーがストーリーナだけに、繰り返し涙を拭きながら見させていただきました。拍手! この上の写真が、高校生の頃のナズナちゃんなのです。當真あみちゃんという方が演じていらっしゃるわけですが、綾瀬さんと全く似ていない所が笑えます(笑)。 でも、ナズナさんのお嬢さんである舞ちゃん役の西川愛莉ちゃんともども、よく頑張っていらっしゃいました。 後、妻夫木聡くんとか、佐藤浩市さんとか、原日出子さんとか、哀しいことに耐えながら暮らしていくオッサン、オバハンたちをめだたないシブイ芝居で演じていらっしゃってよかったですね。泣けましたよ。 学生時代のナズナちゃんが憧れる信介君の細田佳央太と、彼のボクサージムの親友というか、先輩である川島君を演じる菅田将暉君もよかったですね。監督・脚本・編集 石井裕也撮影 鎌苅洋一編集 早野亮音楽 岩代太郎主題歌 Official髭男dism協力 大橋ボクシングジムキャスト綾瀬はるか(寺田ナズナ)當真あみ(ナズナ・学生時代)西川愛莉(寺田舞 娘)妻夫木聡(寺田良一 夫)富田望生(ナズナの店の店員さん)細田佳央太(富久信介 憧れの君)原日出子(富久晴子 母)佐藤浩市(富久隆治 父)音尾琢真(大橋ジム会長)菅田将暉(川嶋勝重 ボクサー)笠原秀幸津田寛治2026年・122分・G・日本・東宝2026・04・28・no080・109シネマズ・ハットno81追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.01
コメント(1)
全29件 (29件中 1-29件目)
1

![]()
![]()