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3/20宮崎市阿波岐原にて保護された黒猫。症状からすると、AIDS末期だろうとの事でした。一週間、点滴だけで頑張って生き延びてきた「いのち」。いのちが繋がる事を、望み、願い、懸命にお世話下さってた職員さん達。必然的だったかもしれない…次は私達保護家が、この仔のいのちを繋いでいく番だと思った。保健所から、いのちのバトンを受け取った。ウィルス検査結果は、AIDSも白血病も陰性。口内炎だと思ってた炎症は、腐敗していたものでした。相当な痛みがあったとの事・・・それなのに、保健所でミャーミャーと優しい顔を向けてくれていた。とても危険な状態だったので、レスキュー後、真っ直ぐ緊急入院となり、胃に管を通し、首から流動食を流せるように手術をして頂いた。もう一つ、大きな手術をしなければいけなかったのですが、今、この状態では麻酔にすら耐えられないだろうと、体力が回復するまで、手術は延期となった。この仔は十分頑張った・・・頑張ってきた。それでも私は、どう声をかけて良いのか分からず、ただ「頑張ってね」という言葉しかかけられなかった。面会した10分後・・・「今しがた亡くなりました」と、病院から連絡を頂いた。最期に会えてよかった・・・やっと楽になれたんだ・・・ただそれだけでした。命名 ミミオ。亡くなって初めて保護家に来たミミオ。保護家の事も、スタッフの事も、何も何も・・・何もかもを知らずに逝ってしまった。それだけが残念ですが、保護家の仔として見送れた事が、本当に良かったと思えた。ミミオ 3/31 19:00永眠衰弱していた白キジの仔も、必ずレスキューする事を保健所と約束し、病院に入院する事が出来ました。血液検査の結果、原因は分かりませんでしたが、これから詳しく調べていくそうです。顎の骨と後ろ足も骨折していました。現在、入院中です。手術日は未定ですが、手術に耐えられるほどの体力が少しでもついてくれますように…お願い事ばかりで申し訳ございません・・・どうか皆様のご支援を、お力を貸して下さい・・・どうが、どうか、よろしくお願いします。 宮崎銀行 加納支店 普通口座 104601口座名義:動物たちの未来のために 代表 山下 由美 郵便貯金 17310-434961口座名義:イノチノハウスホゴヤ〒880-1222 宮崎県東諸県郡大字国富町八代北俣2581 山下 由美090-4484-5165 ↓会のHPはこちらからです↓http://xxinunekoxx.web.fc2.com/にほんブログ村FB FB開設してます。個人的な内容の記事も多々ありますが、 保護活動のリアルタイムな記事を載せています。★「いのちのはうす保護家mailお問い合わせ
2015年04月02日
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「奇跡の母子犬」の映画化のお話を頂いたのは、3年前。「素晴らしい映画に!ひまわりのメッセージがずっと世に残る映画に!」監督、プロデューサー、そんな思いで、沢山の時間をかけながら、「ひまわりと子犬の7日間」という映画が完成し、無事に公開を迎える事が出来ました。映画に携わった皆さんの「魂」が入った映画なんです!!「ひまわりと子犬の7日間」のモデル犬、ひまわりは、とても不思議な仔でした。たった一匹の野犬だった犬が、ここまで人の心を動かした事、それは、平松監督がおっしゃってた「愛情の連鎖」だと感じました。ひまわりが我が身を犠牲にしてまでも、子犬達を守ろうとした深い愛情…その愛情の深さは職員さんの心を動かし、そして…ひまわりと職員さんの愛が、日本中に連鎖すべく動き出したんです。ひまわり!貴女の「愛情の連鎖」が全国に届くんだよ?日本の動物愛護の世界が変われるかもしれないんだよ?一緒に歩んで行こうね…2011年11月~宮崎県で「ひまわりと子犬の7日間」撮影がスタートしました。中央保健所での撮影日、堺雅人さん、オードリー若林さんと記念撮影をするために、ひまわりが撮影現場まで来てくれました。実は、ひまわりは重い病にかかっており、末期だったんです。痛み止めを飲みながら、毎日毎日病気と闘っていた頃だったんです。ひまわりの病気を知っていた松竹のスタッフ皆さん、心痛めながら、色んな想いでひまわりと接して下さっていました。「ひまわり…来てくれてありがとう!必ず良い物を作るから…大ヒットを必ず報告するから… だから…どうか生きていて!」この時から、みんなの心が一つになっていたのだと感じました。宮崎での撮影も無事終わり、撮影隊皆さんが、ひまわりの無事を祈りながら東京へと戻られた1週間後…2011年11月27日。職員さんは、ひまわりを車に乗せて河川敷に向かいました。映画の舞台でも出てきた大淀川の河川敷です。ここは、職員さんとひまわりにとって特別な場所でした。「ひまわり、着いたよ」いつもなら、自分からサッと車を降りるのに…この日は、車内から景色を眺めていてなかなか降りてきません。周りの景色を、脳裏にしっかり焼き付けておきたいかのように…ようやく車を降りて、いつものように職員さんの横を歩き出しました。「ひまわり、帰ろうね」職員さんの横を歩きながら車に戻ろうとしたとき…ひまわりはバタッと倒れ、そのまま呼吸も止まりました。職員さんが、慌てて心肺蘇生をしたときひまわりは大きく息をしましたが…職員さんは…心肺蘇生の手を止めました。「…このまま逝かせてあげよう。 もう痛みから解放させてあげなければ…」ひまわりは、大好きな職員さんに抱かれながら、苦しまずに虹の橋を渡っていきました。2011年11月27日 ひまわり永眠。ひまわりが亡くなった大淀川の河川敷は…ひまわりと職員さんにとって、特別な場所でした。2008年3月11日、ひまわりが、管理所から卒業したこの日、ひまわりと職員さんが歩いた最初の場所だったんです。2011年11月27日の朝、2人は気付いていたんだと思います。この日が、お別れの日になるだろうという事を…最期の場所に選んだのが、最初に二人で歩いた思い出の場所だったんですね。まるで…宮崎での撮影を無事に見届けるまではと、最後の力を振り絞って、頑張って生きててくれたようなそんな気がしてなりません。東京のスタジオで撮影をしていた堺雅人さんやキャストの皆さんは、ひまわりが今しがた息を引き取ったと報告を受け、撮影の手を止め、全員で黙祷したそうです。撮影隊の皆さん、俳優さんの皆さんの気持ちが、更に強くひとつになりました。「貴女のメッセージを、必ず作品の中で伝えていきます」そうひまわりと約束を交わしたそうです。映画に携わった皆さんが、「魂」を込めて作り上げたのは、そういう強い思いがあったからです。映画をご覧になって下さった方なら、ご理解頂けるかと思いますが、だから…あのような素晴らしい作品になっているんです。これまでは、ひまわりが亡くなった事を隠してきました。映画に悪影響が出る事を懸念してではありません。私も含め、映画に携わった皆さんが、ひまわりから大きな使命を託されたと…ひまわりからのメッセージを大切に伝えていきたいと…ひまわりの「死」を受け流されなくない…そう考えた結果、プロデューサーと私の意思が相互し、「今」伝えるタイミングだったんです。ひまわりは…大きな使命を持って、この世に生を受けた仔だと思います。映画の試写会での舞台挨拶にて、職員さんが壇上で最後にこう言いました。「ひまわり、良かったね…ひまわり、ありがとう」ひまわりの死を知っていた皆が、その言葉に涙しました。私も壇上に居ながら、堪えきれなくなり後ろを向いて涙しました。私にとって、職員さんにとって、映画に携わった皆さんにとって、「ひまわりと子犬の7日間」は、ひまわりから渡された犬猫達の未来へのバトンなんです。私達みんな、同じ気持ちでそのバトンに手を伸ばし、迷うことなく、力強く、バトンを受け取りました。ひまわりの思い、ひまわりの願い、絶対無駄にはしない…映画に携わった全員…強く誓いました。「ひまわりと子犬の7日間」は、ひまわりの遺作ではありません。ひまわりが未来を変えるスタートの映画なんです。このブログを観ている皆さんにお願いがあります。シェア、ツイート、どんな形でも構いません。ひまわりが残してくれたこのお話を…この映画を…ひまわりの最期を…どうか、1人でも多くの方にお伝えください。↓ひまわりの歩んできた歴史です↓※「奇跡の母子犬動画」※「奇跡の母子犬」関連記事ひまわり…ありがとう…チャリティーショップ開設しました。チャリティーショップの売り上げの一部が、施設運営費、医療費になりますのでどうか、皆様のご協力をよろしくお願い致します。http://xxinunekoxx.cart.fc2.com/にほんブログ村
2013年03月18日
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18年間の歴史に幕を閉じます。取り急ぎご報告まで…理由等の詳細は、後日書きたいと思います。↓新しいブログ↓https://note.com/xxinunekoxx
2024年04月10日
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ひまわりが亡くなって、もう6年になりました。今日、11/27は、ひまわりの命日です。ひまわりの事は、下記の記事に書きましたが、映画モデル犬ひまわり永眠https://plaza.rakuten.co.jp/xinunekox/diary/201303180000/検索で辿り着くのでしょうか、この時の記事は、今でも多くの方が閲覧下さっています。ひまわりがきっかけで、「ひまわりの家」(3/31閉鎖)が出来ました。「ひまわりの家」で満足してはいけない…まだ終わってはいけない…次の道に進むべきか悩んでいたときに、背中を押してくれたのもひまわりでした。裸一貫となり、ゼロからの再出発「いのちのはうす保護家」電気も水もない、この更地での2年間の経験は、私にとって財産となりました。ひまわりが、命を懸けて守ろうとした「命」とは…?同じ母親として、自分に置き換えて考えようとしても、どうしても答えが出てきませんでした。嘘や綺麗事を書きたくなかったので、当時出版した本の中でも、こう書き記しました。同じ母親としてふと考えさせられました。「私は、他人の子でも同じように育てられるだろうか。深く愛せるだろうか」・・・・と。でも、今は違う!おこがましいかもしれないけど、ひまわりのあの時、命を懸けて守り抜こうとしたあの時の気持ちを、10年後にやっと、理解できるようになったのです。私は、心が壊れかけ、顔面麻痺になりましたが、この先の真実を伝える事は、もっと先だと思っていましたが…実は、顔面麻痺から復帰した数日後、過呼吸で倒れました。藤井副代表が、泣きながら私の口に酸素缶をあててくれました。「ゆみさん…ゆみさん…」何度も私の名前を呼びながら泣いていました…。酸素缶を持つ藤井副代表の手が震えていました。瞬時に、藤井副代表を不安にさせてはいけないと思い、「保護家に酸素缶があって良かったね。老犬ホスピスの犬達に命救われたわ~(笑)」私は、笑いました。気を失ったのか睡魔なのか分かりませんが、「大丈夫やからね、少し仮眠取るからね」藤井副代表にそう言った後の記憶はありませんでした。そのとき初めて気付きました。有志である藤井副代表の事を、私はこんなに大事に思ってたんだ…と、自分の本当の心を覗き見ることが出来ました。長い時間、今後の事を医師と話したのですが、「私が保護家を辞める時は、私が死ぬときなんです」という言葉が、私の口から出てきたときに、真っ先にひまわりの姿が目に浮かびました。保護家に居る子達は、私にとって我が子と同じ存在。藤井副代表はじめ、ここに集まる仲間達も、家族同然の大事な人たち。「母親とは何なのか、どうあるべきなのか…」10年前に出せなかった答えが、自分が倒れたとき、ハッキリと出せたのです。保護家の犬猫人間、命を懸けて守り抜きたい。そう思ったから、私は保護家に居ます。居続けます。ひまわりは、私にとって過去ではないと感じました。今も、私の人生の中で、多くの事を教えてくれる先生、大切な存在なんだと…。きっとまた、職員さんの元に帰ってくる…そんな気がしてなりません。いのちのはうす保護家」 http://pawstamp.com/hogoya/お問合せ先は、HP内の「お問合せフォーム」からお願いします。 皆様のご協力ご支援どうかよろしくお願い致します。 宮崎銀行 加納支店 普通口座 104601口座名義:動物たちの未来のために 代表 山下 由美 郵便貯金 17310-434961口座名義:イノチノハウスホゴヤ〒880-1222 宮崎県東諸県郡大字国富町八代北俣2581 山下 由美090-4484-5165
2017年11月27日
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2024/4/10ブログ移転しました。(旧)楽天ブログ → (新)noteブログ↓新しいブログ↓https://note.com/xxinunekoxx※2024/5/19noteブログ更新「看取りレスキュー最終話」
2024年05月19日
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2021年6月カラスに襲われ両手麻痺になった子猫が愛護センターに収容された。カラスのくちばしが深く突き刺さり、「頸椎損傷」になったとの事…前両手が完全に麻痺しているためトイレも垂れ流している状態との事。もしかしたら…リハビリで完治する可能性もある!完治しなかったら…?麻痺した状態でもこの子が楽しく生きれる方法を見つければ良いだけのこと!「かわいそう」という感情よりも私が、この子を連れて帰りたい!この子の未来を切り開きたい!…という感情の方が強かった。命名「ペーター」ペーターは、自分の意思でリハビリを頑張った。そして…30日後には、麻痺も完治して四本足で歩けるまでに回復した。麻痺が完治したペーター。譲渡に向けて動き出そうとしたちょうどその頃、ペーターの異変に気付いた。「ゴロゴロ」と喉を鳴らす音が「クルクル」鳩のような鳴き声になり、次第に「クルクル」と喉を鳴らした後嗚咽するようになっていた。大学病院での検査結果、「先天性咽頭麻痺」一生涯、ステロイドと抗生剤を飲み続けなければいけない。おそらく…長く生きることはできないだろう。そして…先天性の止血異常(血液凝固異常)…。出血したときに、血が止まらなくなる病気。ペーターの「譲渡」への道は完全に閉ざされてしまった…ペーターは生涯、この療養の家でその他大勢の1匹のまま終わるのだろうか…私は、ずっとずーっと、ペーターとの触れ合いを拒否してきた。だって…ペーターは、嬉しいときや心地良いとき「クルクル」と喉を鳴らして喜んでくれるが、喉が鳴る=呼吸困難=激しい嗚咽ペーターを喜ばせることは、ペーターを苦しめることになるから…ペーターがどんなに愛おしくても…いいえ、愛おしいからこそ愛でることから逃げてきた。愛おしい…という感情に蓋をすることが、ペーターを苦しめない最大の愛情表現だなんて…だけど…私がどんなに無視しても、ペーターは分かっていた。私から愛されてることを…だから、いつも私の目を見続け、目が合うだけで「クルクル」と苦しそうに喉を鳴らす。いっそのこと、私を嫌ってくれたら良いのに…そう思っていた。だって、嬉しくて喉を鳴らすことがなくなるから…~2023年1月15日~ペーターの容態が急変し、病院に緊急搬送したが…余命一ヶ月ペーターに残された時間はあまりにも短すぎた。なんで?なんでペーターが…?ペーターは、成長する毎に先天性咽頭麻痺で苦しんできた。もし、もしも、譲渡への道を諦めなかったら…?ペーターの病気を理解し、ペーターと一生涯向き合えるそんな飼い主さんを私が見つけていたら…?その他大勢の1匹ではなく、ペーターだけを愛してくれるそんな飼い主さんを私が見つけていたら…?ペーターにかかる喉のストレスを補えるほどの愛情を注げるくらいの力が私にあればペーターの免疫力が下がることなくまだ生きれたかもしれない…もしもあの時…そればかりを悔やんでもペーターの時間は戻ってこない。ペーターに残された短い時間を悔いのない時にしてあげなきゃ…1月22日トイレの段差を越えられなくなった。なのに…這ってでもトイレに向かうペーターペーター…もう良いんだよ?どこでおしっこしても良いんだよ?1月25日体を支える力が弱くなった。それなのに…皆と同じように皆と同じ場所でご飯を食べることを望むペーター。必死で体を支えながら自力で食事を摂ることを望んだ。ペーター…あんたは本当に強い子だよ!ペーターにたくさんの愛を注いであげて欲しい…と、ボランティアさん全員に声をかけた。皆が毎日のようにペーターに会いに来てくれた。1月26日体を支える力が完全に失われたが、ペーターは嬉しそうだった。毎日毎日、みんながペーターに会いに来てくれたから…どうか、どうか!残された時間全てペーターが幸せでありますように…1月29日ペーターは寝たきりになった。夜中~明け方まで何度も何度も眼振と激しい発作が続いた。夜明けと同時にペーターは昏睡状態に入った。ペーターの意識はもう無い。私の知っているペーターはもうどこにも居ない。でも、悲しいと思わなかった。安堵感しかなかった。だって、昏睡状態=苦しみからの解放…ペーターはもう苦しくないから。これ以上ペーターは苦しまないから。2月1日 AM3:00ペーターの呼吸が静かに止まり、ゆっくりゆっくり心音が止まった。良かった…穏やかな最期を迎えられて本当に良かった。ペーターの時間は1年8ヶ月で止まった。もっと、もっと、生きて欲しかった。あんなにリハビリ頑張った子なのにね…病気を抱えながらずっと頑張って生きてきた子なのにね…ただただ、悔しい。なんでペーターが死ななきゃいけなかったのか…って。ご支援ご協力をどうかよろしくお願い致します▼宮崎銀行 加納支店 普通口座0104601 動物たちの未来のために代表山下 由美▼郵便貯金 17310-434961 口座名義:イノチノハウスホゴヤ▼〒880-1222宮崎県東諸県郡大字国富町八代北俣2581いのちのはうす保護家090-4484-5165(9:30~22:00 担当フジイ)▼「いのちのはうす保護家」HPhttps://hogoya.com/▼「ハンデのある猫達の保護猫カフェ HOGOYA」HPhttp://hogoya.nyanta.jp/▼「いのちのはうす保護家」公式ブログhttp://hogoya.miyachan.cc/▼「いのちのはうす保護家」Facebookhttps://www.facebook.com/hogoya/▼保護猫カフェ「HOGOYA」Facebookhttps://www.facebook.com/xxhogoyaxx/▼山下由美代表Facebookhttps://www.facebook.com/yumi.yamashita.7564▼犬猫介護アドバイザー &犬猫看取りコミュニケーターInstagramhttps://www.instagram.com/xxhogoyaxx/▼保護猫カフェ「HOGOYA」Instagramhttps://www.instagram.com/nekocafehogoya/「犬猫保護施設・いのちのはうす保護家」YouTubeチャンネル登録よろしくお願いしますお問合せ先は、HP内の「お問合せフォーム」からお願いします。
2023年03月08日
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「たんぼ」にとって私は必要な存在だったのか自信がないのです…田んぼの真ん中で立ちすくむ1匹の黒い猫。発見した人は、不思議に思い歩み寄るが人形のように微動だにせず一切逃げようとしない黒い猫…「どうした?」そう声をかけながら黒い猫の体に触れた瞬間、崩れ落ちるように倒れて動かなくなった…と、発見した人が動物愛護センターに連絡を入れた。こうして…動物愛護センターに収容された黒い猫は、センター名「たんぼ」と呼ばれていた。捕獲されて一週間、食事を摂ることもできず点滴だけで命を繋いできたとのこと…瞳孔が開き、目は見えていない。頭が小刻みに揺れ、歩行もままならない…この日、緊急レスキューを決意。かかりつけの動物病院に走ったが…検査結果は、たんぼの生命力に賭ける…それだけしか残されてなかった。本来ならば自由にしてあげたかったけど、たんぼは猫シラミのためビニール袋で囲った狭い空間がたんぼの小さな世界だった。完全駆除まで一ヶ月かかるが、それまでたんぼは生きてるだろうか?生きれるのだろうか…?早くサークルから出してあげたい!サンルームでみんなと一緒にひなたぼっこさせてあげたい!たんぼは、目が見えない…嗅覚も失っていたが、聴覚を一生けんめい集中させ「今」を観察してるようにも思えた。たんぼは、おしゃべりな子だった。話しかければ必ず返事をしてくれる。会話の途中でも、相槌のように小さく声を出してくれる。だけど…たんぼにとっての私はどんな存在なのだろう?毎日毎日、2~3時間毎に口内に液体を流し込んでくる「手」飲み込む力がないため一度に摂れる量は限られていた。高栄養流動食わずか2ml…これを2~3時間置きにシリンジで強制的に流し込む。毎日毎日、体に針を刺してくる「手」1日一回、皮下点滴が必要だった。オムツ装着も、下半身の清拭も点眼や点鼻も、毛布交換もたんぼにとって私の「手」は嫌な感情しかなかったのかもしれない…たんぼから信頼されてるのか?必要とされてるのか?愛おしさが増していく程に心が一方通行のような気がして不安になっていった…「嫌なことばっかりしてごめんね」今思えば、たんぼに謝ってばかりいた。それだけ自信がなかったのだろうな…レスキュー10日目の夜、たんぼの呼吸が荒くなった。そんな状態なのに、声をかけるといつものように返事をしてくれる。どうしてこの子はこんなにも…長い不安な夜を乗り越え朝を迎え、呼吸も穏やかになりようやく眠りにつくたんぼ。3月18日 AM7:30穏やかそうに眠るたんぼを横に私も安心して眠りについたが…AM10:30目が覚めてたんぼの体に触れるとすでに息絶えていた…まるで、私が眠りにつくのを待っていたかのように私を避けるかのようにたんぼは、ひとり静かに逝ってしまった。たったひとりで逝かせてしまった。おそらくこれが、たんぼ本人が選んだ最期なのだろうたんぼが嫌いだった私の「手」…お花ひとつひとつにごめんねの思いを込めながらの最初で最期の贈り物わずか10日間しか一緒に居れなかったけど、自信がないんです…「ぼたん」の心の声に気付いてなかったんじゃないか…って。「看取り」しか残されてない子たちにどこまで手をかけるべきか?どこで見極めるのか?あらためて「たんぼ」から教えられたような気がします。ようやく「ごめんね」から「ありがとう」とお線香を焚けるようになりました。たんぼ…ありがとう!ご支援ご協力…お願い致します▼住信SBIネット銀行支店名:法人第一支店 支店番号:106口座番号:2383858口座名義:シヤ)イノチノハウスホゴヤ〒880-1222宮崎県東諸県郡大字国富町八代北俣2581いのちのはうす保護家090-4484-5165(9:30~22:00 担当フジイ)「いのちのはうす保護家」HPhttps://hogoya.com/ いのちのはうす保護家 山下由美代表 いのちのはうす保護家 山下由美代表「犬猫保護施設・いのちのはうす保護家」YouTubeチャンネル登録よろしくお願いします。
2024年04月02日
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2017年5月10日愛護センターには、臨月の子が居ました。いつ産まれてもおかしくない位の大きなお腹…安心して出産、授乳できるようにと、急いでレスキューしました。ハウンド系の、人間大好きな子。命名・バルーン5月17日 21:00バルーンのお産がはじまりました。逆子が多く、バルーンも苦しそう…何度も顔を見上げ、助けを求めて来てくれたので、身体をさすったり、声をかけ続けたり、逆子を引っ張り出したりと、お産をサポート。お産に時間がかかり過ぎたのかもしれません。最後の10匹目は、残念ながら死産でした。ごめんね…お産後、バルーンは落ち着きませんでした。私の顔を見ては何か訴えてくるのです。苛立ちのような悲しみのような、時に悲鳴のような声を出す事も…。あ…巣の移動だ!野生の犬は、お産時の血の匂いから外敵にみつからないよう、巣を移動すると聞いたことがあります。柵に囲まれた6畳くらいの小さな場所では、どこに移動したら分からず、困ってたんでしょうね…。で、こうしました。やっと安心できたようで、しばし子犬から離れて休憩中のバルーン。バルーン、とってもとっても疲れていました。お乳だけでは足りないので、人口授乳と並行しながら、バルーンと一緒に育ててきた9匹の子犬達…子犬達が一ヶ月過ぎた頃辺りから、バルーンから育児へのストレスを感じました。なので、バルーンが休憩できる場所を作りました。お母ちゃんも犬の子!お母ちゃんは神じゃない!頑張りすぎなくて良いんだよ…?ゆっくり休みながらで良いんだよ…?バルーン休憩所が完成して部屋を出る時・・・「ありがとう」確かにそう言って、私の手を引き寄せ舐めてくれたバルーン。バルーンの行動の意味が、あまりにハッキリ伝わりすぎて、驚いてスタッフと顔を見合わせた程でした。人間に近い…不思議なバルーン。その後、子犬達全員幸せへと旅立ち、子育てを終えたバルーンは、ようやく保護家の群れデビューです!物静かなバルーンですが、何か強いオーラがあるのでしょう…誰ひとりバルーンにマウントとる犬はいませんでした。このままリーダーにおさまるのかと思いきやバルーン本人が辞退したように見えました。ほんとに不思議な犬です…。その後、バルーンは良縁に恵まれ新しい飼い主さんのお家に行きました。詳しくは書けませんが…あれから4年の月日が流れ、バルーンはうちに帰ってきましたが、まさか…こんな形でバルーンと再会するなんて…バルーンはガリガリにやせ細り、重い心臓病を抱えていました。心雑音も日に日に強くなっていき呼吸が乱れることが多くなり腹水で大きく膨らんでいくお腹…腹水には大切な栄養素があり、腹水を抜くと、一気に衰弱し、死期が早まってしまう。投薬治療開始から半年後…バルーンに限界を感じました。これ以上頑張らせてはいけない!…と。投薬治療してどんなに頑張っても余命半年だと宣告を受けてたバルーン。もう充分、バルーンは頑張ったのだから!わずかに残された時間体を軽くして昔のように歩かせてあげたい…バルーンの残された最後の砦…最期の治療…腹水を全部抜いてもらいました。17キロのやせ細った体で、約8キロの腹水を抱えていたのです。50キロの人間が、15キロの水を抱えてるのと同じです。どんなに重かったろう…どんなに苦しかったろう…どんなに辛かったろう…バルーンの存在を公にしなかったのは色々な事情があっての事でした。この半年間、バルーンの存在を隠したままバルーンに最期を迎えさせて良いのか…自分自身と葛藤してきましたが、バルーンが頑張って生きている今を、バルーンの生き様を伝えようと覚悟を決めました。バルーンの最期はもう目の前まできてしまった。頑張って生きれても一ヶ月でしょう…残していこうと思う。バルーンの生き様を…「この子達を守れるのは法律ではない!結局、動物愛護法は守ってくれなかった!だから、法を犯してでも守らなきゃいけものが私にはあった!」
2022年06月05日
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「いのちのはうす保護家」で12年間、良縁を待ち続けた【のぶ代】という犬がいます。そんなのぶ代に…「血管肉腫」悪性癌がみつかりました。余命三ヶ月のぶ代に突き付けられた現実でした。のぶ代は、この12年間共に歩んできた仲間でもありました。~ そんなのぶ代の軌跡を書きます ~ 2010年8月23日動物保護管理所に、母子犬が収容されていた。母犬は言った。「人間なんて信用してないからっ!」「もちろん、あんたの事もね」母犬は、毅然とした態度を一度も崩さなかった。本来ならば、収容された犬は管理所の殺伐とした雰囲気に怯えたり、吠えたりすることが多々あるが、この母犬は、表情一つ変えることなくいつも冷静だった。おそらく…暗くて冷たい場所に慣れているのだろう管理所のような劣悪な環境で生きてきたのだろう私は…管理所に通った母犬のことをもっと知りたい!母犬と真剣に向き合いたい!そう思ったから。母犬の殺処分前日までレスキューを迷っていた。だけど…どうしても、どうしても、答えが出せなかった母犬の目に、譲渡の難しさを感じたから。母犬の譲渡は厳しいだろう…もし、譲渡がずっとずーっと決まらなかったら、私は、母犬の人生を一生背負っていけるのだろうか?母犬と出会った当時の私は、施設を起ち上げてまだ5ヶ月だった。水も電気もない掘っ立て小屋で、メンバーも二人しかいなかった。時間、お金、人手、全てが不足していたあの時代にこの母犬を一生涯抱えることに自信がなかった…「命を助ける」とは助けた命の責任をどこまで背負える覚悟があるか…だ。12年経った今でも、この理念は変わっていない。2010年9月1日母犬が殺処分される日…私は、管理所に向かっていた。「レスキューできる?できない?」答えなんて出ていなかった。でも!「生きて欲しい!」これが答えでも良いじゃないか!そう思ったんです。だって…管理所に通うたび、会えば会うほどに、母犬は、私の声に耳を傾けるようになっていった。母犬は、私のことを信じようとしてくれただから…2010年9月1日母犬と、母犬の子供たちと一緒に管理所の門を出た。そうして…いのちのはうす保護家第二期生!のぶ代の誕生だ!!無表情で感情を表に出さないのぶ代は、徐々に「自分」を出せるようになっていったのぶ代が、動物保護管理所で一生けんめい守った我が子達は、それぞれに譲渡が決まり、「いのちのはうす保護家」を次々と卒業していった。我が子達の旅立ちを見届けた後、のぶ代に避妊手術を受けさせたが…明らかに気持ちが落ちていた。「なぜ?…」疑問と怒りがのぶ代から伝わってきた。子供が産めない体になったことに気付いたのだろうか?いや、そんなことあるはずない。だけど、これだけは断言できる。子供を産んで育てることがのぶ代の「生きる意味」だったのだろう。子供を産んで育ててるときだけは、1人ぼっちじゃなかったのだろう…のぶ代を見てるとそう感じずにいられなかった。孤独の中で生きてきたであろうのぶ代…だけど、もう1人じゃない!たくさんの仲間がいるんだから!避妊手術をきっかけに一度は心を閉ざしたのぶ代だったが、犬たちの協力もあり、本来の明るい姿を見せてくれるようになった。心のケアも終わり、譲渡できるまでに来れたと譲渡会にも積極的に参加していくが、まったくもってお声がかからない…原因は分かっていた。のぶ代との信頼関係が築けば築くほど他の人間を拒絶するようになってたから…。お世話する人間が少人数だとたまにこういう現象が起きてしまう。当時は、私ともう一人のスタッフ二人だけだったから…~ 2012年1月 ~電気も水もない劣悪な環境にある「いのちのはうす保護家」は…犬猫を引き連れ新天地へと大移動!みんなと同様に、のぶ代も新しい環境に喜んでくれると思っていたが…敷地が広くなったことで、レスキュー頭数が増えたことにより、気持ちと力の弱いのぶ代の順位はどんどん下にスライドしていき、いわゆる「下位犬」となった。「下位犬」は、決して可哀想ではない。上位犬に従い、可愛がられることで我が身を守ってもらえるし、気負わずリラックスした日々を送れるのだから。だけど、のぶ代にはプライドがあった。「絶対に下位犬になりたくない!」「いつかリーダーになりたい!」心に抱きながら二年間、いのちのはうす保護家で過ごしてきたが…強者揃いの犬たちの中で、太刀打ちできないことをのぶ代自身、悟ったというのに…どうしてもプライドが邪魔してしまいギリギリのところまで来ないと服従することができなかった。四六時中群れを監視する余裕がないため、のぶ代を通称「弱組」の群れに移動するしかなかった。プライド高いのぶ代にとって老犬や子犬の「弱組」に入るということは屈辱的なことだろう…のぶ代のメンタルを心配していたが…「弱組」の犬たち皆、穏やかな子達ばかり。弱いけど強がっちゃう…そんなのぶ代のことを皆が優しく受け入れてくれた。紆余曲折あったが、二年間、弱組で過ごした後、「強組」へ返り咲いた。「強組」の中でも隅っこの二軍の定位置ではあるが、決して一軍の座を諦めてはいなかった。結果的に…のぶ代は二軍から抜け出せなかったが、「下位犬」としての幸せの意味をのぶ代は自分で見い出せた。プライドを捨てたのぶ代の勇気に拍手を贈った。もう、何も気負うことなく自分に正直に生きるのぶ代に譲渡への扉が開きますように…そう願う日々だったがなぜだろう…?譲渡の一歩手前まで話が進むのに、いつも候補に挙がるのに、最終的に、他の子に譲渡が決まる。「今日もまたダメだったね…」「次こそは頑張ろうね!」このセリフを何度口にしたことか…ご縁がないままのぶ代は年を取っていった。もう譲渡は無理だろう…それならば!「いのちのはうす保護家」を終の棲家にすれば良いだけだ!寝たきりになったら、ホスピス棟に移動して穏やかに余生を過ごせば良いだけだ!そう思ってた矢先…「血管肉腫」悪性癌がみつかった。余命三ヶ月のぶ代に突き付けられた現実だった。私は、自分でも驚くほどに冷静だった。現実を受け止められなかったのだと思う。12年間、一緒に生きてきたのぶ代だから、三ヶ月後にいなくなるなんて一ミリも実感がわかなかったが、日に日に弱ってくのぶ代を見て悲しい…というよりも、胸がえぐられるような悔しい気持になっていた。のぶ代自身の気持ちが落ちると、衰弱するスピードが加速してしまう…「少しでも長く生きて欲しい」とは言わないし、思わないけど、最後まで…最期の時までのぶ代らしく生きて欲しい!最後まで…最期の時まで自分の足で立ち、歩いて欲しい!「まだ自分で立てるやろ?」補助しながら立たせたり、活性をあげるためにいつも通り接していこうと決めた。最期の時までのぶ代らしく生きれるように…時間が経過し、今現在(8/4)余命二ヶ月になった。だけど、受け止め方を変えた。「もう二ヶ月しかない…」ではなく「まだ二ヶ月ある!」突然お別れするのではない!お別れする時間は、二ヶ月もある!体が動いて食欲があるうちに美味しいものいっぱい食べて、会いたい人に会っておこう!この二ヶ月を、楽しんで過ごそう!のぶ代に楽しんでもらおう!12年前、動物保護管理所でのぶ代と出会ったとき「譲渡は厳しい子」だと感じた。だから、ギリギリまでレスキューを迷った。予想通り、譲渡はできなかったけど、12年前の殺処分当日に答えが出せないまま車を走らせたこと、あんたをレスキューしたことを後悔したことなど一度もないからね!だから…最終章も、後悔のないお別れにしたい。~のぶ代へ~まわりを見て欲しい!12年前からのぶ代を支えてくれた支援者さんはたくさんいるんだよ?あんたを想ってくれてる人は全国にたくさんいるんだよ?だって…12年だもん!電気も水もない保護家から一緒に這い上がってきたんだから!あんたに本当の家族をみつけてあげれんかったけど、あんたを想ってくれてる人は全国にたくさんいるんだから自信をもって欲しい!自分は愛されてた…そう自信を持って生きて欲しい。最期の時までみんながついてるんだから…のぶ代にはもう二ヶ月しかありませんが、ご支援ご協力をどうかよろしくお願い致します▼宮崎銀行 加納支店 普通口座104601 動物たちの未来のために代表山下 由美▼郵便貯金 17310-434961 口座名義:イノチノハウスホゴヤ▼〒880-1222宮崎県東諸県郡大字国富町八代北俣2581いのちのはうす保護家090-4484-5165(9:30~22:00 担当フジイ)ご支援ご協力をどうかよろしくお願い致します▼宮崎銀行 加納支店 普通口座104601 動物たちの未来のために代表山下 由美▼郵便貯金 17310-434961 口座名義:イノチノハウスホゴヤ▼〒880-1222宮崎県東諸県郡大字国富町八代北俣2581いのちのはうす保護家090-4484-5165(9:30~22:00 担当フジイ)▼「いのちのはうす保護家」HPhttps://hogoya.com/▼「ハンデのある猫達の保護猫カフェ HOGOYA」HPhttp://hogoya.nyanta.jp/▼「いのちのはうす保護家」公式ブログhttp://hogoya.miyachan.cc/▼「いのちのはうす保護家」Facebookhttps://www.facebook.com/hogoya/▼保護猫カフェ「HOGOYA」Facebookhttps://www.facebook.com/xxhogoyaxx/▼山下由美代表Facebookhttps://www.facebook.com/yumi.yamashita.7564▼犬猫介護アドバイザー &犬猫看取りコミュニケーターInstagramhttps://www.instagram.com/xxhogoyaxx/▼保護猫カフェ「HOGOYA」Instagramhttps://www.instagram.com/nekocafehogoya/お問合せ先は、HP内の「お問合せフォーム」からお願いします。
2022年08月04日
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先月SNSで発信したものの…我ながら珍しく「怒り」の感情を抑えきれずにいた。平常心に戻れないうちは多頭飼育崩壊の発信を止めるべきだと自分にストップをかけた。「怒り」の感情が強すぎて、書いても書いても「怒り」の言葉しか綴れず、本当に伝えるべき文章が書けなくなっていた。時間の経過と共に、ようやく書ける日が来たけど…それでもお見苦しい文章が出てたら申し訳ございません。↓ ↓ ↓3月26日多頭崩壊現場へ足を踏み入れた。はじまりは5年前…猫好きの若い夫婦がペット禁止のアパートで雄一匹、雌二匹の子猫を飼いはじめたことで地獄が始まった。避妊去勢してない猫たちは、どんどん子猫を産んでいく。そして、産まれた子猫たちも兄妹や親子の近親交配で猫たちは増えていき・・・50匹になった時点で愛護センターに引取り依頼。50匹の命を奪う事なく、なんとか未来に繋げていけたら…と、愛護センターと愛護団体さんとタッグを組み、50匹を守る方向で動きだした。多頭崩壊の一室となったのは、外観も綺麗な2LDKマンション。夫婦2人で対応するからと約束したのに男は不在…逃げたのだろう。女は困り果てた演技をしてたが、心の中でヘラヘラしてるのが伝わった。「大丈夫よ。この人達が助けてくれるから」猫を抱っこしながら女は言った。その言葉を聞いた瞬間、私の何かが壊れてしまった。だけど、怒ってはいけない‼︎怒りの感情をぶつけるのは自己満足でしかない‼︎この女には何も伝わらないし、この子達を外に放たれたら最後だ‼︎だから…ニコニコしながら女を小馬鹿にする発言を繰り返した。感情が言葉になった。何を言ったかは伏せさせて下さい。みっともないから…。このとき、私には大事にしてたものがあった。「死」しか残されてない心穏との時間を大切にしてた。看取り期に入った老犬ラーちゃん。残り少ないであろう時間を大切にしていた。なんでいつも無責任な人間達は、平気な顔して私に助けてと言えるんだろ?なんで私から時間と心を平気で奪っていくんやろ?多頭崩壊の猫たち全員愛護センターに移動してきた。50匹の避妊去勢手術、ウィルス検査、ワクチン接種…愛護センターの獣医師さん達はどんなに大変だったろう…そして、これらの費用は全て宮崎市民の方々が納めた大切な「税金」。どれだけの人間に迷惑かけたかもあの夫婦には分からないのだろう。私達「いのちのはうす保護家」は、心身に障害のある子を優先してレスキューする施設。多頭崩壊の子達を保護するキャパがない事を愛護センターに伝え、愛護センターの譲渡室に空きがでるまでの一時預かり…という形での受け入れを決めた。預かりと並行しながら譲渡活動もする予定だったが…愛護センターでウィルス検査が始まると「エイズ」5匹。「白血病」2匹。エイズの子は、普通の子に比べると譲渡される確率は非常に低い。預かれる人も限られると思いエイズ5匹を預かることに決めた。白血病は感染力が強いため愛護センターは「預かり」を拒否。口には出さないが、「譲渡」か「殺処分」この二択しかないのだろう…白血病の子は「預かり」ではなく、「レスキュー」という形で受入れた。(白血病の子達のご報告は後日…)エイズ陽性5匹の預かりを受け入れたものの…いのちのはうす保護家には、5匹を保護できる部屋はない。苦渋の決断をするしかなかった。それは…保護猫カフェ「hogoya」営業停止いのちのはうす保護家の敷地内にある保護猫カフェ「hogoya」…受付をつぶしての保護。5匹を助けるには、これしか方法がなかった。保護猫カフェのご入店料が、医療費の一部にもなってたのに…私たち「いのちのはうす保護家」は、唯一の自走式収入源を失った。最悪な流れだ…勝手に決意した私が悪いんだけど、そんなバカな自分に腹が立つ。だけど、一番の犠牲者はこの子達‼︎約一ヶ月間、この狭いケージの中から出れなかったのだから…保護できる部屋がない…という私の勝手な都合で。この子達の尊厳を無視した保護環境…こんなの「保護」と言えない‼︎みんなで試行錯誤しながらこの子達に何が出来るのか?考え続けた結果…3畳の部屋を無理矢理空けた。陽が入らないようなボロボロの決して良い環境ではないけど…ようやく自由になれた‼︎この子達は、愛護センターから一時的に預かってる子でしかない。ここで新しい飼い主さんが決まれば、この子達は愛護センターに戻らなくて良い…なんとしてでも譲渡に繋げたいけど、エイズ陽性というだけで譲渡への道はとても険しい。こんなに人間を好きでいてくれる…飼い主から酷い扱いを受けながらも、飼い主から裏切られても、まだ好きでいてくれてる。うちではこの子達を幸せにしてあげれない。結局は「その他大勢の一匹」そんな生き方しかさせてあげれない。この子達と接する時間も限られる。この子達はそれを知ってるから部屋を出た瞬間、淋しそうな目でプラバン越しに訴えかける。「もう帰っちゃうの?」…って。胸が締め付けられ苦しいけど、この子達はもっともっと淋しさで苦しんでる。この子達が向ける淋しい目は、私たちの心を奮い立たせてくれた。この子達の良さを引き出し、譲渡活動に力を入れなきゃと思う。強く…強く、そう思えた。
2023年05月08日
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