ドン・愚利公の連れづれ草

ドン・愚利公の連れづれ草

Aug 15, 2009
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テーマ: 釣れ連れ草(432)
カテゴリ: 新聞を読んで
大学卒業と同時に渡伯した学友長友契蔵君の自分史「ブラジルに五十年」の紹介、第17回



No38「山下さんを訪問(下)」経済基盤築き好評価 (山下さんは宮日の誤植)



今年2月、研修生を連れてサンタ・マリア市の山本豊子さんを訪問した。山本さんは移民成功者の1人。山本邸は4階建てで、5つ星ホテルのようなたたずまい。どのようにしてこんな財産を築いたのか?

豊子さんの亡き夫山本重喜氏は宮崎市の出身で1957年(昭32)25歳のときに米作移民として渡伯。夫人となる豊子さんも同じ移民仲間であった。

移民受け入れの元駐日大使?の現地農場主が移民条件の約束を履行せず困窮ののどん底に。

住居は土間が1間きりの棟割長屋、トイレ浴室なし。稲刈りなどの労賃は約束の現金ではなく食料などの現物支給。現地までの旅費も支払ってくれなかった。

携行ドルは一人当たり50ドル、手持ちの現金も尽きて衣料品や日用品を売って食べた。

米作移民の窮状を知った海外移住協会連合会ブラジル代表が農場主に契約履行を求めて奔走。

これをサンパウロ新聞が取り上げ、農場から出るための旅費と借金の返済のために「33家族救済キャンペーン」を行い、合計10万クルゼイロスが集まった。

さらに、メソジスト協会がサンタ・マリア市に菜園を作るにあたり受け入れを決定。現地までの移動旅費は連邦政府移植民院が出すことになった。



その後順調に経営も伸びて、アパート経営にも進出し成功者のひとりとなった。還暦を迎えこれから2人で海外旅行を楽しもうというときに重喜氏に変調。肝臓がんと判明。94年2月に帰らぬ人となった。

その後、息子さんと娘さんは結婚、3人の孫にも恵まれた豊子さんは孫たちを連れて海外旅行を楽しんでおられる。

現在は、4階建てのビルの4階部分が自宅で、階下を12家族に賃貸ししている。

日本政府は、かつて困窮していた米作移民を快く受け入れてくれた当時のサンタ・マリア市長、困っていた日本人を無料で診察した医師に勲章を授与するとともに、2008年の日本移民100周年には市に医療機器を贈呈して日本移民への温情に報いた。






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Last updated  Aug 15, 2009 12:22:09 PM
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