ドン・愚利公の連れづれ草

ドン・愚利公の連れづれ草

Aug 11, 2015
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カテゴリ: 午後の出来事
現役時代に県立美術館建設の仕事でご一緒したN・Iさんの橋渡しで表記の取材を受けた。参考に見せてもらった宮崎日日新聞が発行する季刊「らぴあ」のVol.221掲載の「宮崎の建築:宮崎県総合文化公園・宮崎県立美術館」の続編として「県立図書館と県立芸術劇場」を取り上げるので資料を集めているが図書館に関する記録が少ない。で、知人のN・Iさんから小生の名を聞きだしたという経緯でご本人から電話があった。

それなら当時の関係者が思い出をつづった「舩塚ぎんなん」という記録誌が県立図書館にあるはずだから探してみて、と話したが、取材もしたいとおっしゃるので今日の16時から地区交流センターで取材を受けた。

「舩塚ぎんなん」は僕も持っているので探したが見つからず。仕方がないので設計者である株式会社安井建築設計事務所大阪事務所主任泉沢裕氏(故人)の追憶誌へ書いた僕の文章を参考に持参した。

川越さんが欲しかった記録はやはり図書館のデザインに関することのようであった。このことは前記の追憶誌にも書いているので目的は達せたのではないかと思う。

ところで探し探しても見つからなかった図書館建設の記録誌「図書館建設に情熱を注いだ男たちの思い出文集・舩塚ぎんなん」先ほどもしやと思って保存書類の山の中をひっくり返したら一番下に隠れていた。この中には設計者本人(故・泉沢氏)の「宮崎らしさを出してください」に設計に関するコンセプト等詳しく述べられている。
    右綴じで「舩塚ぎんなん」裏側左綴じで工事記録「Mirai」
  • 150811舩塚ぎんなん.jpg

僕が県立図書館建設担当を命じられたのは昭和60年4月1日だから丁度30年前ということになる。しかし、面白く、やりがいのある楽しい仕事だったので昨日のことのように記憶がよみがえる。設計の泉沢(いずさわ)さんとは肝胆相照らす仲となり図書館完成後も折に触れてお会いしていたのであるが僕が病を得て九死とまではいかないが六死に一生を得て県病院を退院して帰宅した夜に「いずさわさん亡くなりました」の電話が彼の友人から入って声が出ないくらいショックを受けた。あの2001.9.11から丁度一か月後のことだったので強く記憶に残った。





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Last updated  Aug 12, 2015 12:06:55 AM
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