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NHK BSで放映していた「趙姫」についてのメモです。趙姫 趙の都・邯鄲の生まれ、踊り子。呂不韋と恋人関係。 邯鄲に秦の皇子・子楚が来る。彼に取り入ろうとした呂不韋は、趙姫を差し出す。 BC260年 長平の戦い 秦、勝利。降伏した趙の兵、40万を生き埋めにする。 「長平の禍」。秦の六国に対する初めての勝利(恐怖心を与える目的)。 その4か月後、趙姫、子楚の子を出産(BC259年1月)。その後も秦は度々、趙に侵入。子楚は、秦に逃亡。趙姫と幼子は趙の人々から迫害を受ける。 BC250年、子楚、秦王となる(荘襄王)。趙姫と子は秦に脱出。 荘襄王死去、13歳で即位(秦王政) 趙姫・太后となる。呂不韋と「密通」。呂不韋、「仲父」と称する(王を導く)。 ☆2006年、趙姫の母,夏太后の墓発見される。神禾ゲン(土ヘンに原)(しんむげん)遺跡。十字のかたち(王族)。墓室は一つ(一人で埋葬されることを希望。それが実現している) 馬も六頭立て 「天子駕六」 秦は、女性が権力を握り、政治を行う環境にあった。 趙姫 自分が政治をとらねばならない。秦のことはよくわからない 呂不韋と頻繁にあっていた=後の世では「密通」 ☆1983年「張家山漢簡」(秦から漢の法令集) 夫が病死して、埋葬も終わっていないのに、棺の前で他の男と肉体関係を持った女。夫の母が訴えた。 (1)有罪 (2)ところが、上役がやってきて、「夫が生きていれば密通だが、死んでしまった後のことについては法には記してないので無罪」※罪刑法定主義 漢 「夫の死後、他の男と肉体関係を持ったら二千里の流刑」 清 「夫以外の男と関係を持つと、夫は妻を切り殺してよい」 秦の法律 夫が妻を殴った 夫は耳を切られるか、指を折られる。 漢の法律 夫は無罪 妻にとって夫は神に等しいから。 嫪アイの乱 呂不韋が趙姫に巨根の嫪アイを差し出す。趙姫、嫪アイにおぼれ、子をなした。趙姫は、その子を皇帝にしようとして政への反乱をたくらんだ。 ☆彗星が時々観測された(不吉)。人々が疑心暗鬼、自分も直接政治を握りたい。 政、先制攻撃。嫪アイは車裂き。呂不韋は追放。しかし服毒死。 嫪アイは、山陽と太原、呂不韋は洛陽に領地を持っていた。いずれも秦の国外。この二人を追い落とそう。罪を着せた? 趙姫は、幽閉 一年後に解放、宮廷へ。BC228年死去。1980年代、東陵発見。 母の死後、政は趙へと侵攻、邯鄲に赴き、母と自分に辛くあたった者を皆殺し。 政が、征服した国に直接足を運んで賞罰に関係したのはこの例のみ。 その後、16年で六国を滅ぼした。 BC210年、40歳で死去。BC206年、秦の滅亡 胡亥 父の後宮にいたもので、子どもがない女性を皆殺し。 宗族を殺し、社稷を破壊、律を焼いた 2014年発見の木簡に記載。 ↓ 大混乱 秦の滅亡 ※「秦」の特異性。教科書では「西方の後進地域」P82 西アジアとつながっている(宮崎市定) 兵馬俑のリアリズム。一代限り。法治主義。 「悪女」と判定されるのは中国史上では、呂后、武則天、西太后などか。評価の変化が、文書や遺骨の発掘を伴って行われているのが面白い。 ぼやぼやしておられない。
2017.03.31
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少し前から、BS朝の7時からの「キャッチ 世界のトップニュース」を録画して、見直すようにしています。今日は、「トランプ大統領が、「温暖化対策見直し」の大統領令にサインしたというニュースが報じられました。「国内のエネルギー生産を妨げるすべての環境規制、政策を見直す」という内容で、石炭火力の使用は勿論、オバマ政権では禁じられていた国有地での石炭採掘も認める方針です。カナダ・テキサスを結ぶパイプラインにもゴーサインを出し、先住民の間から反対の声が上がっています。 大統領は、地球温暖化と二酸化炭素排出の関連性を否定しています。 ただ、昨日の「キャッチ」では、「世界の気候」のコーナーで、北極の海氷面積が昨年は122万平方キロメートル(日本の面積の3倍)減少したこと、そのことによってアメリカを横断して吹く風の軌道が変化し、南部に寒冷な空気が流入し、周りの温暖な空気とぶつかって気候の変動(竜巻・雹など)が多発するという予測を立てていました。 トランプ政権の政策転換は、目に見える形でアメリカ国民自身に降りかかってきそうです。アメリカは、世界第二位の温室効果ガスの排出国なのですが(一位は中国)、国内産業の発展のために規制を取っ払う路線を選択したことになります。「アメリカ・ファースト」「アメリカを再び偉大な国にする」は、結果として、「持続可能な生産システム」と真っ向から対立することになるのですが、この政策に市場はどう反応するのか。私は株価は上昇し、ドル高を招来しそうな予感がします。市場は、この政策を「短期的利益のチャンス」と受け止めるだろうと思うからです。そして、ツケを払わされるのは、異常気象に翻弄される弱者になるでしょう。「資本主義は一定の規制を行わねば生き延びられない」と説いたのはケインズですが、その叡智は忘れられるのでしょうか? あと一つ、これは、29日付の「赤旗」報道ですが、トランプ政権が進めようとしている軍事費増大、外交費削減に対して、現役の軍高官が一様に反対しているという事です。 簡単に言えば「軍事力だけでは駄目だ」ということです。「ISに対する外国人戦闘員の流入阻止、資金源の遮断は国防総省以外が担当している」(ダンフォード統合参謀本部議長) 「今日の午後にでも、ISやボコ・ハラムを皆殺しにはできる、しかし、週末までに(殺されたメンバーの)補充は完了する。貧者が彼らに惹きつけられるのを防ぐには、教育、医療、生活を立て直す手段を提供することが必要だ」(ワルドハウザー・アフリカ軍司令官) これは、世界各地で「テロリストと戦っている」兵士たちの声、実感を反映したものでしょう。国防総省の予算が10%増、国務省、アメリカ国際開発局の予算の28、7%減を受けての発言です。 トランプ政権の現実からの遊離ぶりがうかがえます。
2017.03.29
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『兵士は戦場で何を見たのか』デイヴィッド・フィンケル 亜紀書房 第16歩兵連隊第2大隊が、イラクに投入され、そこで彼らが何を見たか、どんな経験をしたかを描いた作品。著者は、自己の意見を挟むことなく、淡々と兵士の体験と伝聞を記していく。 歩兵大隊は、ハンヴィーと呼ばれる装甲車両で移動する。ハンヴィーのドアの重量は180キロと記してある。一台15万ドル。この装甲車両を、道端のゴミの中に敷掛けてある即製爆弾(IED)が爆発して、鉄の円盤を飛ばし、貫通させる。乗員は重傷を負い、中にあった弾薬は熱せられて爆発する。重傷を負いながらもなんとか脱出できた乗員は、脱出できなかった仲間が焼き殺されるのを視なければならない。 周辺の住民は、おそらく誰が爆弾を仕掛け、どこで起爆装置を押したかを知っている。しかし、その事が米兵たちに知らされることはない。「正義のために」或いは「イラクの人たちをフセインの圧政から解放するために来た」と思っていた米兵たちは、イラクの人々が自分たちのことをどう見ているのかを体験を通して知ることになる。 戦争は殺し合いである。歩兵の場合、テロリストが潜んでいるとあたりをつけた家に突入する。場合によっては一人の男を捕えるために何人もの男たちや女たちを殺さねばならないこともある。そしてその現場を、まだ幼い少女に見られたりしたら・・。少女の視線は兵士から眠りを奪い、悪夢を見させる。タフだと思われていた兵士がPTSDを発症する。「PTSDなんて臆病者のかかるもんだ」という通念はそこで吹き飛んでしまう。 わずかながら米兵に協力する住民もいる。しかし、いったんその道に踏み込めば、毎日が死の危険と隣り合わせとなる。民兵につかまり、拷問されて殺されるという運命がいつ彼を襲うか知れたものではない。 明らかに異なるのは戦闘ヘリの乗員である。 彼は立ち上がって走り出した。「捕えた」と誰かが言った。そしてチマグの姿は新しく舞い上がった土埃の中に消えた。・・二機のアパッチヘリは旋回を続け、乗組員は話しつづけた。 「やったぞ、見えるか」片方が言った。 「了解。もう一度ターゲットを確認しようとしてるところだ」もう片方が言った。 「何人か横たわっているのが見える」 「了解。八人だ」 「間違いなく仕留めた」 「ああ、あの死んだ野郎たちを見ろよ」 「見事な射撃だった」 「ありがとう」(p144) ここで描かれているのは、ロイターのジャーナリストを敵と誤認してアパッチヘリから斉射を行ったシーンである。 地上を攻撃するときに、「ニンテンドーのゲームみたいだ」と喚いている兵士の言葉がテレビで紹介されたことがある。「人を殺している」という感覚はここにはない。 隊長のカウズラリッチは、帰国してのちに、負傷した部下たちを陸軍医療センターに訪ねる。 「最初にダンカン・クルックストンに会う事にした。保護衣を身につけ、保護ブーツを履き、保護手袋をはめて、19歳の兵士のところへ歩いて行った。左脚を失い、右脚を失い、右腕を失い、左の前腕を失い、両耳をなくし、鼻をなくし、まぶたをなくし、わずかに残ったところすべてに火傷を負った兵士のところへ」(p287)
2017.03.28
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4月からの担当科目が決まりました。現代社会(1年)、世界史(2年)、倫理(3年)、総合(「今を考える」2年)。週当たり10時間。のんびりしたいとも思いますが、生徒たちと一緒に学ぶ方がボケないでいいかもしれません。体調管理に気を付けてぼちぼちやりたいと思っています。 ホントに、最近は、「言葉」について考える機会が多くなっています。「言語は思考の形である」という事を私は師から教わりました。ツィッターを始めて以後、そのことをより痛感するようになりました。ブログ形式でも、考え方の異なる人と議論をすることは難しいのですが、ツィッターと言う更に字数制限の厳しいシロモノでは冷静な議論と言うのはほぼ困難です。 自分のことを棚に上げて言うようですが、論理の飛躍、詭弁、さらには論旨の捻じ曲げを体験すると、意見の異なる人たちとの議論には、「共通する言葉」のなさに驚かされます。差別意識むき出し、歴史的事実の捻じ曲げを見ると、呆然とします。 3月11日をめぐる状況についても、考えました。それは、他府県に移住をした児童に対する恐喝の顛末です。恐喝と言う表現はきついかもしれませんが、事実は「イジメ」の範疇を越えています。「補償金が出ているだろう」という脅し方の背後には、同じ言葉を使っている大人たちの姿が垣間見えます。突然の悲劇に見舞われた人たちに対して寄り添う気持ちを表明し、あるいは行動で示した人たちが多くいることは分かっています。しかし、悲劇に見舞われた人たちに対して心を寄せるのではなく、「補償金をもらっている」ことに対して妬みと嫉みとを口に出す人たちもまた数多くいるという日本の現実をどう考えればいいのか。そこに、私は「余裕のなさ」「自らの生活を支えるので手いっぱい」の人たちの姿を見てしまいます。生活保護を受けている人に対するバッシング、そしてそれを見聞きしているが為に生活保護を申請できないでいる多数の人たち。同じ構造です。「私がなぜこんな生活をしなければならないのか」という不満が、政治の歪みに対する怒りに向かわぬ場合、同じような境遇にあるのに自分より得をしている人たちがいるという歪んだ認識へとスライドしていきます。 格差の拡大、貧困は、人々から余裕を奪い、嫉妬の対象を広げます。 保護者の経済的基盤が子供の学歴を決定する社会がすでに始まっています。先日亡くなった三浦朱門は、小学校教育の目的の一つは、「早めに自分に見切りをつけさせる事」と語りました。「自分に見切りをつけた人間」は、「自己責任」と言う言葉を受け入れ、人権と言う言葉を自分とは無縁なものとし、低賃金に甘んじ、人の不幸に心を寄せる余裕を奪われます。 OECD諸国の中で最低ランクの教育予算、一方で、拡大するばかりの予算の無駄使い。 これを亡国の兆しと私は思います。 与党の政治家の法を無視した振る舞いが目に余ります。このまま推移すれば、青少年は、「高い地位に付きさえすれば法に縛られない「自由」が手に入る」と思うでしょう。憲法も、労働三法も、生存権も、自分の欲望の前には邪魔な存在でしかない、そう思うような青少年たちが育っていく国の姿を私は見たくありません。 仕方がないので、ゴマメの歯ぎしりを続けようと思っています。
2017.03.12
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