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さて、ノームの埋葬は、本質的に、眠りに入る瞬間だけにあてはまる。更に、物質的-感覚的世界を、補っているのは、ウンディーネ、つまり水の元素存在で、絶え間なく変容し続け、ノームが地と共に生きるように、水と共に生きる。 ウンディーネたちも(ウンディーネが植物の成長において、どんな役割を果たすかも学んだが)、ノームと同じように、補完存在として、低次よりも幾分高い段階にある生物、若干進化した土の体(物質体)を受け取った生物と関係する。 高等な魚類、或いは高等な両生類へと、後に成長する生物には、鱗(うろこ)のような、何らかの硬い甲殻が必要である。これらの生物には、外に硬い殻が必要で、この外側の支え、いわゆる外骨格を、昆虫のような生物に獲得させる力として存在するのが、ウンディーネの働きで、その力はウンディーネが宇宙から委ねられたものである。 ノームは、下等生物を、いわば霊的に支える。外から保護されるべき生物、例えば甲殻に覆われる必要のある生物を保護する覆いは、ウンディーネの働きによる。ウンディーネは人間の頭蓋冠のなかにあるものを、原始的な形で、幾分高等な生物に付与する。 ウンディーネは、これらの生物を、いわば(自らの)頭部にする。可視世界の背後に不可視の存在として存在する精霊全ては、宇宙存在の関連全体のなかで、大きな使命を持つ。唯物論的な科学では、これまで取り上げてきたような種類の事実解明には、全く無力であることがわかる。 唯物論的科学では、例えば、下等生物が棲息している環境の要素より、下等生物の骨格が硬いわけではないのに、その環境のなかを、スムーズに移動できる要因を解明できない。なぜなら、科学は、これまで説明してきたような、ノームの霊力による支援の存在を知らないからである。 (下等生物は、骨格よりも硬い環境を、壁抜けのように通過してしまうが、この現象を詳細に解明できない。唯一、量子力学の非常にミクロな世界でのトンネル効果として説明がつくだけである。 それでも、通過したかどうかに関しては、量子力学の世界では、粒子、例えば、電子は皆同じなので、どの電子が通過したかは、不明である。「双子の壁抜け」のトリックは科学では見破ることができない。 下等生物とは、粘菌のことだと思うが、ある霊能者によると、粘菌は、宇宙の生命体の神秘性を表しているという。宇宙の構造そのものだという。 南方熊楠は、粘菌の解明で有名だが、その霊能者によると、高度な知性を持った人だったらしい。恐らく、このシュタイナーの講義でいう、ノーム、つまり自然霊とコンタクトできた人なのだろう。 南方熊楠をウィキペディアで検索すると、肖像画が載っているが、オバマ大統領に良く似ている。少なくとも、芸人のノッチよりは似ている。 余談だが、その霊能者によると、オバマの前世は、熊楠ではないが、日本人であったことがあるそうで、咸臨丸に乗って米国に渡った人物ということである。そういえば、オバマが天皇陛下に深く頭を下げていたのは、もしかしたら、前世の記憶が一時的に蘇ったのかもしれない。) 他方、甲殻に覆われるという事実も、純粋に唯物論的な科学では、解明困難なものである。 その事実は、ウンディーネ自身が、下等動物になってしまうことに対して過敏になり、それを回避するうちに、鱗他の甲殻として、幾分高等な生物に被せて、自身から切り離していることに起因する。 ノームと同様にまた、現代人の通常の意識が、例えば、植物の葉や、幾分高等な生物を見るように、ウンディーネを見ることを妨害しているのは、肉体である。 しかし、人間が、夢をみない深い眠りに入るとき、霊能者の如く、インスピレーション(霊聴力)で見通すと、ノームたちが人間を埋葬し、隠した、アストラル的存在の海から、浮かび上がってくるのが、ウンディーネたちである。ウンディーネは、深い眠りのなかでインスピレーションにより霊視できる。 (シュタイナーは、人間の睡眠を3段階に分類している。1番目は、浅い夢をみる睡眠で、月紀意識と呼び、イマジネーションのノームの世界に相当する。2番目は、夢をみないやや深い睡眠で、太陽意識と呼び、インスピレーションのウンディーネの世界に相当する。そして、3番目は、意識すら感じられない深い睡眠で、土星意識と呼び、インティションのシルフの世界に相当する。 現代の睡眠学と対応させると、眼球の動きから意識を判断するレム-ノンレム睡眠では、月紀意識が、夢をみているレム睡眠に相当し、太陽意識が、ノンレム睡眠に相当するものと思われるが、あまりに大まか過ぎる。 脳波で分類する方法もあり、それだと、ノンレム睡眠は、脳波解析によりS1、S2、S3、S4の4段階にわかれる。S1とレム睡眠の脳波はよく似ているという。また、S3とS4も「徐波睡眠」だとか「深睡眠」とも呼ばれ、似ている。 シュタイナーの知見を当てはめるなら、脳波解析の方が妥当だろう。ノンレムのS1とレムが、月意識で、S2が太陽意識で、S3とS4が土星意識だろう。 では、ノンレムのS1とレムの違いは何かといえば、非常にオカルト的な話なのだが、ノンレムのS1の場合は、少し身体に触れるだけで、起きることから、自分の魂がまだ身体に宿っている段階で、レムの場合は、なかなか起きずに、無理に起こすと、夢をみていたと話すので、自分とは異なる魂がやってきて、身体をメンテしていると思えばよいと思われる。 つまり、シュタイナーオカルト説によれば、自分の魂は睡眠中に、霊界に行き、その代わりに、守護霊が、身体をメンテするという話があり、身体を調節しているのだろう。そのため、眼球が動くのだろう。 外界から刺激があると、守護霊が慌てて、本人の魂を呼びに行っているのかもしれない。それで起きるのが遅くなるし、霊界でみていた光景が記憶に残っているので、夢をみたとなるのだろう。オカルト話なので、信じるも信じないもあなた次第だが…。)
2010年04月28日
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宇宙の存在たちの関係は、非常に多様なので、下等生物たちとノームたちの間では、以前、反感という表現で特徴づけた感情が働いている。ノームたちは、この下等生物にはなりたくないからである。 ノームは下等生物たちの姿になることから、絶えず身を守りたがり、ノームたちは、以前描写したように、桁外れに賢く、知的な存在である。知覚と同時に知性が与えられ、実際、ノームの存在は、全てにおいて下等生物の世界とは対極をなす。 ノームは、以前特性を述べた植物の成長にとって重大な意味を持つ一方で、下等生物の世界に対しても実際、その不足分を補っている。ノームはいわば、下等生物の世界に、下等生物界が持たないものを付け加える。下等生物は曖昧なボンヤリとした意識をもつが、ノームたちは極めて鮮明な意識をもつ。 下等生物には骨格、いわゆる骨の土台がない。ノームたちは、重力を束ねるように、わずかな重力から体を形成する。従って、その体は、崩壊する危険や、実質を失う危険に常に曝されている。 ノームたちは、何度も繰り返し、重力から自らを作り出さねばならない。なぜなら、ノームたちは常に実質を失ってしまう危険に曝されているからである。 そのため、ノームたちは、自身の生存維持のために、周囲に生じる出来事に絶えず注意を払っている。地球上で、ノームほど注意深い存在はいない。ノームは全てに注意を怠らず、自らの命を救うために、あらゆる出来事を知り、理解に努めている。 ノームは常に覚醒していなければならず、人間が眠るように、もし、ノームが眠れば、忽ち、その眠気のために死んでしまう。 このようなノームの特性、つまり、絶えず注意を払う性質を、実際に、よく表している、ドイツの昔の諺がある。 「小鬼のように、注意深くせよ」である。 小鬼というのはノームのことである。つまり、気をつけるように警告するとき、「ノームのように注意深くしろ」、と言う。 ノームは本当に注意深い存在である。もし、ノームを、見本として全ての学生に見えるように学校のクラス(教室)の最前列に座らせることができたら、ノームは学生全員が見習うべき優秀な存在となる。 このような特性以外に、またノームたちは別の特性も持ち、実に克服しがたい、自由な衝動に満たされている。ノームたちは、いわばお互いあまり関わり合いを持たず、本質的に自分たちとは別の世界、周囲の世界だけに注意を払っている。 ノームは別のノームに対して、あまり興味を示さず、自分が生きる世界では、別のノーム以外の、ノームを取り巻く周辺全てに、特別に興味を持つ。 さて、肉体は本質的に、このような精霊を知覚する妨害になる。もはや肉体が、妨害しなくなった途端、自然のなかの他の存在たちが目に見えると同時に、精霊たちがいるのがわかる。そして、入眠時の夢を完全に意識的に体験できる段階まで進んだ秘儀参入者は、このノームたちをよく知る。 「ゲーテアヌム」誌の夢に関する記述(1)において、本質的に夢は、真実の姿で通常意識の前に現れてくることはなく、仮面をつけた状態で現れる、と述べた。従って、入眠時の夢も仮面をつけている。(1)「ゲーテアヌム」誌の夢に関する記述:ルドルフ・シュタイナー「魂生活について。I. 夢の薄闇のなかの魂の本質」参照。これは最初週刊「ゲーテアヌム」(1923年10月21日、第III巻、第11号)に掲載された。全集版では『現代文明の危機のさなかにおけるゲーテアヌム思想。1921年から1925年の論文集 GA36』349頁以下に所収。 通常意識での昼間の体験他から、直ぐに現代人は抜け出せない。例えば、追憶等の人生の記憶像、或いは、心臓がストーブ、肺が翼等にシンボル化されるような、臓器のシンボルや比喩から、現代人は抜け出せないが、これらシンボルや比喩が仮面である。 もし、仮面のない夢を見たなら、人間は、入眠するとき、実際に、真の夢の世界に入ってしまい、仮面をつけていない夢の存在たち、つまり、小鬼(グノーム)たちの群を見てしまい、自分に向かって小鬼たち(ノーム)がやってくるのに遭遇する。 (宇宙人「グレイ」による人体実験の目撃例、つまり都市伝説は、このノームとの遭遇のように思われる。) しかし、人間は通常意識のために、真の夢への遭遇を、準備無く知覚することを免れている。でなければ、怯えてしまうだろう。なぜなら、ノームのような存在が人間に向かってくるような姿は、その人のなかで働いている破壊力の、実際の模写だからである。 人間は、自らのなかで働く破壊力や絶えず行われる解体全てを、同時に、自らの本質として知覚する。そして、ノームたちが、準備も無く知覚されれば、文字通り、死のシンボルとなる。 (死神ともいえる。) ノームに関して、日常の知覚では、その存在らしきものを捉えることがなく、入眠するとき、ノームたちが自分に向かってきて、いわば自分を埋葬するようにみえる。なぜなら、入眠は、あちらのアストラル界では、入眠は、人間をいわば埋葬するように見えるからである。 従って、人間は、ノームを前にして途方もなく怯えることになるだろう。眠りに入るときに生じることは、あちらの世界から見れば、ノームたちによる一種の埋葬である。
2010年04月24日
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前回までは、現存していると思われる眼に見える感覚的な自然や出来事の別の面、つまり超感覚的で不可視な存在として付き従っている存在たち(精霊)について述べた。 古代の霊能的観照では、感覚的存在を見るのと同様に、現存する自然の背後にある、超感覚的世界の存在たちに対しても目を向けていた。 今日、人間の観照の前から、これらの存在たちは、いわば退いてしまった。とはいっても、このようなノーム、ウンディーネ、シルフ、火の精霊といった存在が、動物、植物、或いは物質-感覚的世界のように知覚できないのは、地球進化の現時点において、ひとえに人間がその魂的な本質を、物質体、エーテル体の援助なしには展開できないせいである。 (宇宙のなかで自らの立場を見いだすには、人間は、エーテル体や物質体を必要とし、つまり液体や固体を捉える感覚を必要とするので、逆にいえば、気体や熱を区別できない。気体や熱に対しては「あるか、ないか」しか区別できず、どういう特徴をもつのかは把握困難である。) 地球進化の現状況(段階)において、人間が魂を用いるには、エーテル体を、霊を用いるには、物質体を使うことを、余儀なくされている。 霊のための道具を提供する物質体や感覚器官では、物質世界の根底をなす存在たちとの結びつきを得ることはできない。人間のエーテル体も同様で、人間は自らを魂の存在として展開するためには、エーテル体を必要とする。 (霊を捉えるには4次元以上の感覚を必要とするようで、3次元の物質的感覚では捉えることができない。しかし、全てが捉えられないのではなく、3次元に移行した部分、つまり断片を捉えることはできる。 プラトンは、このような状態を、洞窟に入れられた人間として表現し、洞窟のなかからでも、外を捉えることを、イデア論により展開した。 低次元の領域から、高次元の領域を感覚的に捉えることを、オカルトでは、アセッション「次元上昇」と呼ぶようである。) そのため、本質的に、地上の環境の半分が人間の感覚から失われている。以前述べた、エレメンタル(元素霊)の存在たちが取り巻く環境全てが、人間の感覚から、失われている。 物質体、エーテル体では、その環境に近づくことはできない。このようなノーム、ウンディーネなどの存在を明白に理解すれば、現代人から、失われてしまった叡智に関する理念を獲得できる。 人間の目下には、下等生物の大群がいて、いわば柔軟な塊だけから成り、液体エレメント(元素霊)のなかで活動し、液体エレメント(元素霊)のなかで生き、その骨格、つまり内部の支えとなる器官は何も持たない生物たちである。 これらは、地球紀の後半になってから出現した生物で、最古の存在である人間が、古土星紀に、頭の構造に関連して行ったことを、進化した現在の地球で、今はじめて行っている。そのため、これらの下等生物は、骨格の土台となるべき硬化を、内部に形成するには至っていない。 (現在、下等生物が、行っている進化プロセスを、太古の人間が頭に関して行っていた。) さて、ノームたちは、宇宙において、骨格らしき器官(特に魚類)を備えている両生類や魚類までを上部として含む、この下等生物の世界に欠けているものを、いわば外的な、霊的方法で補う。従って、いわば、この下等生物の段階は、ノームが存在することで、ようやく1つの完成体となる。
2010年04月21日
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人間は、本質的に、意識下(潜在意識)において、花を咲かせ、芽吹く植物の背後に、何か特別な存在がいることを予感するので、植物が、秘密に満ちた存在に思える。勿論、この秘密は、蝶の鱗粉の驚くべき神秘的秘密が暴かれていないのと同様に、暴かれてはいない。 といっても、植物は、単なる物質的存在ではなく、植物の下方に、植物を力により押し上げ、宇宙の理念を直接理解し、知性を形成するノームの世界の驚くべき作用がある事実を知れば、植物が人間を魅了し、感動させる要素が、一層、驚異に満ちたものにみえる。 人間の知性は、いわば重力に屈しないように、例えば、人間が、頭の重さを感じずに、頭を持ち上げるのと同じように、ノームは、その光輝く聡明さにより、大地を克服し、植物を押し上げる。 ノームは(地)下で、生命を準備する。生命は化学機構により、活力をかき立てられなければ死滅してしまう。化学機構をもたらすのはウンディーネである。更に、光が浸透しなくてはならない。 霊視により、下から青黒い色調で、ノームから発して上へと弾みをつけられた重力が上昇してくるのが見える。更に植物を取り巻いて、飛び回り、葉のなかに暗示されるウンディーネの力が、植物の成長により、霊的実質を混合し、また分解する力として見える。 上からは、シルフという精霊により、植物のなかに光が刻印され、シルフは、可塑的な形態を作り出し、また理想化して下降し、大地の母胎に受け入れられる。 更にまた植物の周囲を火の精霊たちが飛び交い、小さな種子の粒の中に宇宙の熱を集め、種子の力と共に、地下のノームのところまで下ろされ、ノームは地下で火と生命から植物を誕生させることができる。 また、この事実から、大地の反発力、密度が、いかに根本的にノームやウンディーネの両生類や魚に対する反感に帰せられるかがわかる。土の密度が高いとき、この密度はノームとウンディーネの反感であり、それらの精霊たちは、反感により自らの姿を維持する。 光と熱が地面に下降するとき、同時に、共感の力の担い手であるシルフの愛の力が、大気中に運ばれるように現れ、また、火の精霊により、自らを下降させる傾向の供犠の力が現れる。 従って、次のような結論に到達できる。 「地の密度、地磁気、地の重力が、上方を目指し苦闘することで、下方を目指してくる愛-供犠の力と、大地の上方で一体化する。」 そして、このような事実により、下方へと流れ込む愛-供犠の力と、上方へと流れる密度や重力が混じり合って作用することで、共に作用し、両者が出会う地の上方で、宇宙の愛や宇宙の供犠や宇宙の重力や宇宙の磁力の共同作用の外(唯物)的な顕現である植物が生育する。 植物界に注目するとき、この事実は、なぜ植物が、人間を魅了し、高揚させ、楽しい気分にさせるかの重要な真実を教える。物質的感覚に、霊的な超感覚を付け加え、霊的に観ることができてはじめて、人間は植物界を見通せる。 これは同時にまた、唯物論的な植物学の大変な誤謬、あたかも地上の花で受精が起こっているかのような誤謬の修正をも可能にする。地上で起こるのは受精ではなく、大地の母胎のなかで行われる受精のために、予め準備が必要な男性的な天の種子が用意されるのである。
2010年04月20日
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植物の受精が地下で行われるような事実がわかり、ゲーテの覚え書きに遭遇するなら興味深い。ゲーテのその覚え書きのなかの、このような事実に再会できるからである。 ゲーテは、植物の上部での永遠の結婚(4)に関して、人々が語るのに対して、他のある植物学者と結びつけ、酷く腹を立てている。4)永遠の結婚:ゲーテ「進行。飛散、蒸発、滴化」参照。J. W. ゲーテ『自然科学的論文集』所収。このゲーテ『自然科学的論文集』5巻はキュルシュナーの「ドイツ国民文庫」においてシュタイナーにより編集され註釈された(1884-1897)。復刻版 ドルナハ1975 GA1 a-e 第1巻 163頁 「一面の草原が結婚だらけ」などと思われていることに対して、ゲーテは腹を立てた。ゲーテにとって、それは不自然なことに思われ、その思いは本能的に非常に確固とした感情であった。ただゲーテにはまだ、真相を知ることはできなかったが、本能的に非常に確固たる感情をもっていた。 ゲーテは、「花の上で受精が起こる」と言われるのが本能から理解できなかった。ただまだ、彼は、受精が地下で起こる事実や、大地が植物にとっての母胎である事実は知らなかった。 しかし、植物学者たちが唱える、受精の概念が花の上で起こるのではないことを、ゲーテは本能的に感じた。 さて、霊的認識から、植物の大地との密接な関係を理解できたが、また別の存在にも目を向ける必要がある。 植物の上部で、火の精霊が飛び交い、特に葯の花粉を媒介するとき、火の精霊たちは、シルフの感情よりも、熱情的な感情をもつ。シルフたちは鳥が飛び交うのを見ると、自らの自己、いわゆる自我を感じ取る。 火の精霊たちは、このような自我の感覚を、蝶や昆虫全般の世界に向かって、更に高めた。そして、火の精霊たちは、子房に熱の伝達を引き起こし、昆虫の後を追いかけるのを特別に好む。 理念的な形態と結びつくために、地中に入って行く、凝縮された熱をもたらすために、火の精霊たちは、蝶や昆虫の世界全般に対して、非常に親近感を持つ。火の精霊たちは、花から花へと飛び交う昆虫の後を追いかけるとき、実際、次のように感じる。 「花から花へと飛び交う昆虫たちは、どれも全く特殊なオーラをもち、昆虫だけの存在からでは、説明がつかない。」 特に、花から花へと飛び交い、一際、キラキラと不可思議な光を放ち、仄かに煌めく玉虫色のオーラを持つ蜂を、オーラに基づいて説明するのは極めて困難である。なぜか?というと、蜂という昆虫は、火の精霊に伴われているからである。 火の精霊たちは、蜂に非常に親近感を持ち、霊眼では、蜂がいると、本質的に、火の精霊がオーラのなかにいるのが見える。 蜂が植物から植物へ、樹から樹へと空中を飛ぶとき、蜂は、火の精霊から与えられたオーラと共に飛んでいる。火の精霊は、昆虫のなかに、自らの自我を感じるだけでなく、昆虫と完全に結びつこうとしている。 しかし、このような事実から、昆虫も、これまで述べてきた力や、微光を放ち、宇宙へと自身を示す力を獲得する。この事実により、昆虫たちは、自分に結びついている物質的実質を霊で完全に満たし、この霊に浸透された物質を宇宙空間へと放射させる力を得る。 しかし、第一に、熱が、炎のなかで光を輝かせるように、物質的受肉へと下降させるべく、人間を惹きつける微光を、昆虫たちが宇宙空間に放射するとき、地球の表面に昆虫たちがいて、その昆虫たちを、この行為へと燃え上がらせている、火の精霊たちが、宇宙に参入し、周囲を飛び交っている(下図の赤と黄)。 そしてまた、火の精霊たちは、火に浸透された実質を宇宙へと流入するように活動する一方で、また他方では凝縮された火や熱を、大地の内部に入り込ませ、シルフやウンディーネを通じて、地中に滴下させた霊的形態を、ノームに助けられて、呼び起こすように作用する。 これが植物の成長の霊的経過(プロセス)である。
2010年04月16日
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そして、植物が秋にかけて萎み、物質的素材が全て塵と化すと、植物のフォルム(設計図)は滴り落ち、シルフを通して、宇宙、つまり太陽が植物に与えた宇宙言語や、ウンディーネを通して、大気が植物に引き起こした宇宙言語を、いま、ノームが知覚するようになる。 従ってノームたちは、冬の間中ずっと、地下で、植物により、土壌のなかに滴り落ちる宇宙言語を知覚するのに忙しい。この知覚を通じて、ノームたちは、植物のフォルム(設計図)のなかの宇宙の理念を捉える。 この宇宙の理念は、シルフに助けられ、可塑的に形成され、精神(霊)-理念の形態をとって、土壌のなかに入っていく。 植物を単なる物質として観察するなら、この精神-理念の形態に関しては(3)全くの無知であることは言うまでもない。従って、唯物論的植物学に登場するのは、物質的な植物観察に関する大いなる誤謬、恐るべき誤謬に他ならない。この誤謬をざっと述べる。 3)この精神-理念の形態:シュタイナー『四つの神秘劇』(1910-1913GA14) 参照。第四の劇「魂の目覚め」第2景:ノームたちの合唱、シルフたちの合唱。 唯物論的科学が次のように記述するのをみかける。 「植物は、土壌に根付き、地上には、葉を広げ、最後に花を咲かせる。花のなかには、雄蕊(おしべ)、雌蕊の子房、そして一般的には、他に植物の葯(やく、ひぐさ)があり、雄蕊から花粉が、雌蕊の子房にもたらされ、受精(受粉)して新しい植物の種子ができる。」 以上のように記述されている。いわば雌蕊の子房を女性的存在とみなし、雄蕊からくる花粉を男性的存在とみなすような唯物論的見解にとどまる限り、異なった見方ができない。確かに、一見すると、このプロセスは受精のように見える。 ところが、このような見方は間違いで、受精一般、例えば植物の生殖を洞察するために、意識すべき存在は、第一に、植物のフォルム(設計図)である。 受精の本質とは、偉大な化学者ウンディーネやシルフが引き起こした言語から生じる理想的な植物のフォルム(設計図)が、地中に沈下し、ノームに維持されることにある。 この植物のフォルムは、地下にあり、ノームが見、観察した後、この植物のフォルムはノームにより、地中で大切に守られ、土が滴り落ちる宇宙言語の母胎となる。ここには唯物論的科学が記述する事実とは全く別の真実がある。 植物は、上部で、シルフの領域を通過した後、火の元素の精霊(サラマンダー)たちの領域へと至る。この火の精霊たちは、熱-空気を住処とし、地熱が最高度に上昇するような適当な状態になると、熱を集める。シルフが光を集めたように、火の精霊は熱を集め、植物の花のなかにもたらす。 植物のなかに、ウンディーネは化学エーテルの作用を、シルフは光エーテルの作用を、火の精霊(サラマンダー)は花の中に熱エーテルの作用をもたらす。そして、花粉は、熱を種子の中に運び、火の精霊に小さな空気の舟を提供する。 花糸の助けを借り、熱が集められ、花糸から子房のなかの種子へと運ばれる。この子房のなかに形成される全体が、宇宙から来る男性(オス性)的宇宙言語である。子房は女性(メス性)ではなく、(唯物的科学が述べているような)花粉の葯が男性というわけではない! (唯物的科学が述べているように)、そもそも、花のなかで受精が生じるのではなく、花では男性(オス性)的な種子が形成されるだけである。 真の受精という機能は、万有宇宙の熱から火の精霊たちにより、花のなかに宇宙的で男性的な種子として、取り出された存在であり、この男性(オス)的種子が、女性(メス)的な植物のフォルム、つまり、既に前もって、宇宙から形成された植物の理念として、土壌のなかに滴下し、ノ-ムにより土壌の中に安らいでいる宇宙言語と1つにされる。 植物にとっての大地は母であり、天は父である。 地上以外で生じる全て、つまり雌蕊は、植物の母胎ではない。植物の母性原理が雌蕊の子房のなかにあるなどと考えるのは、とんでもない誤謬である。 子房のなかにあるのは火の精霊に助けられ、宇宙から取り出された男性的言語に他ならず、母性とは、理想的形態として、植物の形成層が樹皮や木質部に向かって広がり、もたらされるフォルム(理念)である。 (地上において、一度現出された形態、つまりフォルムは、理念として、母性的に受け継がれる。) 従って、ノームの作用と火の精霊の作用との共同作業から生まれるものが受精である。根本的に言えば、ノームたちは植物の生殖の、いわゆる霊的な産婆である。受精は冬に地下で起こる。地中に種子がおくり込まれ、シルフやウンディーネの作用から、ノームが受け取った形態に遭遇するときである。ノームは、種子が受精できるように、種子に遭遇するまで、形態を運ぶ。 霊的存在、つまり、植物の成長に伴う、ノーム、ウンディーネ、シルフ、火の精霊(以前は、サラマンダーと呼ばれていた)が、いかに活動し、生きているかを知らないために、現代人は、植物界の受精という出来事に関する理解が非常に曖昧である。 つまり、大地以外の場所で起こる出来事は受精などではなく、植物界の母は大地、植物界の父は天である。これは全く文字通りの真実である。 そして、植物の受精は、火の精霊が、葯という空気の小舟に乗せて、子房のなかにもたらした宇宙の凝縮された熱を、ノームが火の精霊から受け取ることで起こる。従って、火の精霊は熱の担い手である。 植物の本質的な成長全体が、いかに起こるか、容易に理解できるだろう。まず下方(地中)で、火の精霊の援助によりもたらされた父性言語に、ノームが生命を与え、上方(地上)へと押し上げる。 従って、ノームは生命の担い手である。ノームたちは自身、その中で生きる生命エーテルを根に運ぶ。 更に植物のなかで、ウンディーネが化学エーテルを、シルフが光エーテルを、火の精霊が熱エーテルを養い、熱エーテルの果実が下方の生命と結びつく。 従って、植物の理解は、植物を取り巻いて飛び交い、活動し、生きる全ての存在との関連で、植物を観察するときにだけ可能となる。更に、植物における最重要なプロセスの正しい理解には、霊的参入を行って初めて到達できる。
2010年04月15日
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しかし、ウンディーネの夢による植物の成長と同じく、植物は更にまた上方の別の領域へと入っていく。ノームが水-土的要素のなかに、ウンディーネが水-空気的要素のなかに生きるように、今度は、植物は、空気-熱的要素のなかに生きる精霊たちの領域へと向かう。 空気-熱的要素のなかに生きる精霊は、古代の遺伝的霊視術が、シルフと名付けた存在たちである。気体のなかの熱要素に生きるシルフたちは、光が大気に浸透しているため、光へと進み、光と親和的になり、特に、大気圏内の精妙で、大きな運動の影響を受けやすい。 春もしくは秋に、飛翔しながら、空気の体を振動させ、運動し、大気の流れを引き起こす燕の群をみれば、この鳥に備わる、個々に運動する大気の流れが、シルフに聴き取られる事実がわかる。 シルフには、この空気の流れ(形状)から、宇宙の音楽が鳴り響いてくる。例えば、船につられてカモメが飛んでくるとき、カモメの飛翔により起こされた大気の流れのなかには、霊的な反響や霊的な音楽が船に伴って奏でられている。 更にまた、この起こされた空気の流れの反響のなか、自らを拡張し、展開することで、故郷を見つけるのも、シルフである。霊的な反響を発しながら、揺れ動く空気の要素のなかに、シルフは自らの故郷を見つけ、この空気の振動のなかに光の力が送り込む宇宙言語を受け取る。 このような事実から、シルフが、鳥が通過する空中に慣れ親しみ、我が家のような感じを持つことがわかるが、シルフ自身は、基本的に多少とも眠っている存在なのである。鳥のいない空中を飛ぶように強いられると、シルフは、まるで自己喪失したかのように感じる。 空中に鳥が見えると、シルフにとって、特別な存在が来たように感じる。このような事実は、人間、つまり人間の魂にとっては、自らを「私」と言うような事象に類似する。 常々、ジャン・パウルの言葉(2)、それは、「人間がはじめに、〔私〕というイメージ(表象)に辿り着いたとき、それはまるで、ヴェールをかけられた魂の至聖所を覗き込むようであった」に注意を喚起してきた。2)ジャン・パウルの言葉:ジャン・パウル Jean Paul 本名ヨハン・パウル・フリードリヒ・リヒター 1763-1825 家庭教師、作家、詩人。この言葉は、ジャン・パウルの著作『ジャン・パウルの生涯の真実』(第1小冊子、ブレスラウ1826 2回の講義 53頁)に基づく。字義通りには「幼い頃のある朝、私は家の戸口の下に立って左側にある木材を見ていたら、突然、私は「私」である、という内なる視覚が、天からの稲妻のように私の前に訪れ、以来ずっと輝きながらとどまった。このとき、私の自我がはじめて永遠に自己を見たのである。記憶違いは考えられない。どんなに珍しい物語も、ヴェールをかけられた人間の至聖所で起こる事件、その唯一の新鮮さをもってして、あんなにありふれた付随状況として、とどめおく事件に、何かを付け足して干渉することなどできなかった。」 シルフは、自分の魂、つまり、このようなヴェールをかけられた至聖所を覗き込むわけではないが、シルフは鳥を見ると、「私」という感情が起こる。鳥が空中を飛翔しながら、起こす空気の流れのなかに、シルフは、私(自我)を見つける。 そして、外界の大気のなかに、シルフは、自我を点火し、大気という空間に浸透する宇宙的な愛の担い手となる。シルフはまた同時に、例えば人間の希望のように生きるが、人間のような自我を、内に持たず、鳥の世界のなかに持つことで、万象の宇宙に浸透する愛の希望の担い手となる。 (シルフと鳥をあわせた象徴が、天使のイメージになったと、シュタイナーは別の講義で述べている。精霊、つまりシルフを人間の形とし、鳥の翼をあわせると、翼をつけた人間で、天使のイメージになる。天使の輪は、霊の意。) 従って、鳥の世界へのシルフの奥深い共感に着目すべきである。ノームが両生類の世界を憎むように、またウンディーネが魚に対して過敏で、魚に近づかず、魚から逃げ、ある意味、恐怖を感じているのとは逆に、シルフは鳥の方に進み、反響を発しながら漂う空気を、鳥の翼に乗せ運べると、心地よさを感じる。 例えば、もし、鳥に向かって、「誰に歌を習ったのか?」と尋ねるなら、鳥は次のように応えるだろう。 「私に霊感(インスピレーション)を与えるのはシルフです。」 シルフは鳥の姿を好む。だが、シルフは宇宙の秩序により、鳥になれない。なぜなら、シルフには別の役目があり、その役目は、光を愛のなかで、植物にもたらすことである。 ウンディーネが化学者であるように、シルフは植物にとっては光の担い手である。シルフは光を植物に浸透させ、植物の中に光をもたらす。 シルフが、植物のなかに光をもたらすことで、植物のなかには独自のものが作り出される。シルフは絶え間なく光を植物のなかに運び入れる。植物のなかの光、すなわちシルフの力は、植物のなかにウンディーネが移動させる化学力に働きかける。 植物のなかで、シルフの光とウンディーネの化学の共同作用が起こる。この共同作用は、可塑的な奇妙な活動である。上方へと流れ、ウンディーネに加工された実質を助けに、シルフは理想的な植物という形態を、光から織り上げる。 実際、シルフは光とウンディーネの化学的作用から、植物のなかに原植物(植物の原型)を紡ぎだす。
2010年04月13日
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ノームは本質的に地球内部で、地球外の叡智を示し、地上との癒着を絶えず避けなければならない。さもないと個々のノームは、両生類の姿になってしまう。そして地上に対する憎悪、嫌悪の感情から、ノームたちは、植物を地面から追い出す力を獲得する。 ノームは、その根源力を用いて、地上から離れ、この離脱から、植物は、上方の成長を得る。ノームは植物を巻き添えにし、地から離れ、ノームの地上に対する反感から、植物は、根だけを土の領域に属させ、その他の部分を土の領域から引き出し、生え出させる。 従って、実際ノームたちは、植物を、本来備わった土の姿から引き離し、上方に向かって成長させる。 植物が上方へと成長し、ノームの領域を去り、水-土的エレメント(元素)の領域から、水-空気的エレメント(元素)の領域へと移行すると、植物は外的な物質化、形状化を、葉として発達させる。 しかし、葉の全活動のなかでは、また別の存在たちが作用を及ぼす。その存在は、古代の遺伝的な霊視者の霊視術において、例えば、ウンディーネと呼ばれた水の精霊(水の精)たち、水のエレメント(元素霊)たちである。 ノームの存在たちが、植物の根の周辺を飛びまわり、動きまわるのを霊視できるように、地面の近くでは、水の元素霊たち、つまりウンディーネたちが、ノームが与えた上方への志向を心地よく眺めているのを霊視できる。 ウンディーネたちは、その内なる性質において、ノームたちとは異なる。ウンディーネは、ノームのような霊的な感覚器官のように、万有の宇宙へと伸びていくことができない。 ウンディーネは本質的に、空気-水的エレメント(要素)のなかの全宇宙の動きや働きに身を委ねることができるだけで、そのためノームほど賢い精霊ではない。 ウンディーネは常に絶え間なく夢を見る存在だが、同時に夢がウンディーネ自身の姿でもある。ウンディーネはノームほど烈しく地球を憎んではないが、地上に対して非常に敏感である。ウンディーネは水のエーテル的要素のなかで生き、このなかを漂い浮遊している。 また、ウンディーネは、魚類に対して、非常に過敏である。なぜなら、時折、魚の姿に変容してしまうので、ウンディーネにとっては、脅威だからである。とはいえ、すぐにまた、魚の姿を捨て、別の姿に変容していく。従って、ウンディーネは自らの存在を夢見る。 自身の存在を夢見ながら、ウンディーネたちは、夢を結びつけては解き放ち、空気の元素と結びつけては分離し、植物の葉のなかに、秘密に満ちた形で、夢や空気をもたらし、ノームたちによって上方へと押し上げられた場所へと運んでいく。 ノームたちは植物を上方へと押し上げ、四方から、ウンディーネたちがやってきて、植物を取り巻き、夢のような意識のなかで、ウンディーネがいわゆる宇宙の化学の担い手である証を見せなければ、植物は干からびてしまう。 ウンディーネたちは、物質的実質の結合と分離を夢見ている。そして、そのなかに植物は生き、上方へ向かって地を去り、成長していく。植物のなかで、ウンディーネの夢が、物質的実質の秘密に満ちた結合と分離を、葉から引き起こすので、ウンディーネは宇宙の化学者と呼ぶべき存在である。 従って、ウンディーネは植物の生のための化学者といえる。ウンディーネは化学を夢見ている。この特質は、ウンディーネのなかでは、極めて繊細な霊性であり、実際、水や空気が触れ合う場所に、自らの生である(化学的)要素をもつ。 ウンディーネたちは水的要素(元素)のなかで生きるが、ウンディーネが内なる満足を感じるのは、水の表面、例えば、滴(しずく)や液体の表面にいるときである。というのも、ウンディーネは、魚の姿にならないように、魚の姿を続けないように苦心して身を守るためである。 ウンディーネは常に変容し続けたいと思っていて、永遠に絶えることなく姿を変えていきたいと思っている。ウンディーネは、このように変化しつつ、星々や太陽、光や熱のことを夢見ているが、この変化において、ウンディーネは、ノームの力により、上へと押し上げられた植物を、葉から発して、植物を更に形成させる化学者となる。 (素粒子物理学でいえば、核力の弱い力に関わるウィークボソンのような性質といえる。弱い力は、核分裂で有名なベータ崩壊を引き起こす。) このように植物は葉を成長させ、植物を成長させる。植物の成長のなかに、ウンディーネの夢としての秘密全てが明かされる。
2010年04月12日
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「根の精霊たち」が理念を受け取る様子を以下のように示せる。 大地から植物が芽吹いてくる。植物は、この後、すぐ示すように、地球外の万有の宇宙とつながりを持つようになり、ある季節には特に、いわゆる霊の流れが上から、植物の花や実に降り注ぎ、経由して、下の根に向かって流れ、地中へと流れ込む。 そして、人間が、光を通じて視覚を確保するように、「根の精霊」は、植物を通して、上から地中へと滴り落ちていく対象に、知覚能力を向ける。 このとき、「根の精霊」に向かって滴り落ちる対象は、太陽の光が花の中へと送り込んだ宇宙言語や、太陽の熱が植物のなかに送り込んだ宇宙言語や、大気が葉の中につくりだした宇宙言語で、つまり、遥かな星々が、植物の形成のために働きかけてきた宇宙言語である。 植物は、万有の宇宙の秘密を集め、土壌に送り、ノーム(根の精霊;土の精霊)たちは、植物を通じて、霊的に滴り落ちてくる宇宙言語から、万有宇宙の秘密を、自らのなかに受容する。 そして、特に秋から冬の間中ずっと鉱石や岩石のなかを遍歴しながら、植物を通じて滴り落ちてきた宇宙言語を携えていくことで、「根の精霊たち」は、地球内部で、全宇宙の理念を地球に浸透させながら遍歴し、携えていく存在となる。 遥かに宇宙を見渡し、宇宙は宇宙霊により築かれ、宇宙理念の宇宙霊の受肉である。「根の精霊たち」ノームは、植物を通して、人間にとっては光線と同じ、万有宇宙の理念を受け取り、地球内部で完全に、万有宇宙の理念を意識しながら、鉱石から鉱石、石から石へと渡り歩く。 大地の奥底を見下ろすことで、機械的に作用する自然法則の抽象理念を探し求めるのではなく、地球内部の宇宙的知性の光に満ちた番人、つまり遍歴し、逍遙するノームたちを見るべきである。 このノームたちは見たものを即座に理解できるが故に、人間と比べても、確かに同質の知識をもつが、ノームは人間よりも遥かに抜きん出た知的存在であり、完璧な知性体である。 ノームにあっては全てが知性で、更に普遍的な知性なので、それは人間の不完全な知性をも見下すような知性である。人間が、知性をもって、何かを把握しようとするとき、しばしば難渋し、悪戦苦闘するのを、ノームの世界では、実際、そのような人間の不完全な知性を笑い飛ばす。 ノームは人間のように思案する必要など、まるでないからである。 ノームは宇宙のなかの叡智をそのまま見てとれる(理解できる)。人間が、どうにか知見に辿り着くために悪戦苦闘しているに気づくと、ノームは特に嘲笑的になる。 ノームはつぶやく、「どうしてまたそんなことになるのだ?」 「どうして、また、思考という骨折りができるのだ? はじめから一目瞭然で、全部明らかじゃないか。人間どもは馬鹿だよ」 ノームは笑いながらつぶやく、「(人間は)面倒なことに、思考しないと理解できないらしい。」 更に、人間が、論理に関してノームに語るなら、ノームは不作法なまでに嘲笑する。 ノームは言う。「一体、なぜ、そんな無駄な思考が必要だと言うのだ、思考の導きだって? 思考(の結果)は(既に)あるじゃないか。理念は植物を通って流れているじゃないか。 なぜに人間たちは自らの鼻を、植物の根のように地面の奥に突っ込んで、その鼻先に(理念を)ポタポタ落として貰わないのだ? 太陽が植物に話して聞かせているのに。そうすれば、人間たちも少しは宇宙を理解できるだろう! しかし論理なんかじゃ、お話にならない。ほんの少しも宇宙のことを知るなんて、できっこないさ!」 このようにノーム(根の精霊、土の精霊)は本質的に、宇宙の万象の、万有の理念を、地球内部で担う存在である。ところが、ノームたちは自分たちの棲家である地球を好まず、万有宇宙の理念を携えて、地中を飛びまわっているが、本質的には地上を憎んでいる。地上は、ノームにとって、逃れ去りたい場所である。 それでも、やはりノームたちは、この地上の傍にとどまり続けるが(理由は、まもなくわかるだろう)、ノームは地上を憎み、なぜなら地上は、ノームたちに対して、絶えず危険を作り出すからで、地上は、ノームたちを、ある姿、つまり、以前、描写した存在たちの姿、特に両生類や蛙や、いわゆる蟇蛙の姿をとらせようと脅かすからである。 従って、地中のノームは、次のように感じている。 「あんまり土にくっついていると、蛙や蟇蛙の姿になっちまう。」 ノームは大地にあまりに癒着しすぎて、蛙等の姿にならないように、絶えずジャンプしている。ノームたちは、自分たちが属するエレメント(元素霊)のなかで、蛙にするように脅かすような、いわば土の姿に対して絶えず抵抗している。 ノームは、土-水的エレメント(元素霊)のなかにとどまっているが、同時に絶えず両生類の姿になる危険に脅かされる。この両生類の姿になることから、ノームは絶えず身を引き離し、地球外の万象宇宙の理念で自らを満たす。
2010年04月08日
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外界に知覚できる可視世界に、不可視の世界が属し、可視の世界と共に、宇宙全体を形作っている。今、動物から植物に視点を転じてみると、この事実は極めて明白になる。 人間を喜ばせる植物は現存し、大地から芽生え、萌え出て、秘密に満ちた存在だと感じざるを得ない何らかの手懸かりを形成している。 動物の場合、動物の意志や動物の内(精神)的な活動性が、人間にとって、たとえ何か秘密に満ちていても、人間は自ら、次のように語ることができる。 「動物には、動物の意志があり、この意志から形態が生じる結果、動物という存在が現存する。」 しかし植物は、多様な形態をもって、地球の表面に現れ、秘密に満ちた方法で大地と大気圏に助けられ、種子から生え出る。人間に向かって現れてくるような形で、植物界が現れてくるには、何か別の存在が必要である、ということを感じる。 霊的な観照から、植物界に着目するとき、植物の背後にいる、溢れるほど多くの存在たちへと直接的に導かれる。 それらの存在たちは、遺伝的な霊視があった古代には知られ、認識されていたが、その後忘れ去られ、今日の人類は、その実在をも認めず、その多くの存在たちは、今日の詩人たちが用いる名前だけにとどめられ、残っている。 植物の周囲に群がり、取り巻いている存在の実在を認められないのと同じ程度に、植物界に対する理解も失われ、例えば(病気の)治療にとって(1)欠くことのできない植物界に対する知見は、実際、今日の人類からすっかり失われてしまった。 (1)治療にとって:ルドルフ・シュタイナー/イタ・ヴェークマン著『人智学的認識による治療の拡張のための基礎』(1925 GA27)参照。 さて既に、植物界や蝶の世界との非常に重要な関係を知った。ただし、この事実が、人智学徒の魂の前に正しく出現するには、更に、植物界の活動や営み全体を、深く覗き込む必要がある。 植物は根を地中に伸ばす。霊眼を用いて、植物から地中へと伸びる根を探求し、しかも正確に洞察するなら、実際、植物の根が伸びる場所に、同時に自然元素霊たちが存在し、植物の根を取り囲み、取り巻いている事実に遭遇できる。 (アリストテレスが述べた4大元素霊のこと。) そして、古代の観照力がノーム(土の精霊)と呼び習わし、「根の精霊」と呼んだ、この元素霊たちを、イマジネーション(想像、霊視)、もしくは、それより深いインスピレーション(霊感、霊聴)的世界観を用いれば、物質世界のなかに、人間の生活や動物の生活を追求するのと同じように、実際に追求できる。 いわば、霊能者は、この元素霊たち、いわゆる、この「根の精霊」世界の魂のなかを覗き込むことができる。 この「根の精霊たち」は、独特な地中の民で、外界の視覚では不可視だが、その働きを洞察するなら、想像できる。なぜなら、根と土壌を、この奇妙な「根の精霊たち」が仲介しなければ、どんな根も成長できないからである。 (現代科学では微生物の働きとされているが、古代では、微生物を、精霊としていたようである。古代エジプトのクレオパトラは、微生物ではないが、ミミズを土壌の主とし、尊重していたことでわかる。しばしば、地底人の都市伝説として残っている。) 「根の精霊たち」は地中の鉱物を流動(液体)状態にして、植物の根にもたらす。勿論、この事実は、霊的根拠から、ある経過(プロセス)を述べている。 土壌の至る場所に存在する「根の精霊たち」は、多少透き通った金属に貫入されている岩石や鉱石のなかで、格別心地よさを感じるが、自分たちの本来の居場所として特に最も心地よさを感じるのは、鉱物を植物の根に媒介(仲介)するときで、「根の精霊たち」は、内的な霊的性質にすっかり満たされる。 この「根の精霊たち」の心地よさは、人間の霊眼や霊聴のなかで、唯一捉えることが可能な霊的性質から比較できる。 なぜなら、「根の精霊たち」というのは、そのような霊的性質のなかでは、一種の感覚(体)だからである。 「根の精霊たち」は、本質的に、通常は感覚体から成立し、そして、この感覚は同時に知性でもあり、単に見たり聞いたりする知識だけでなく、見たり聞いたりしながら即座に理解する感覚、いわば、単にイメージを受け取るだけでなく、理念を受け取る感覚(体)である。
2010年04月06日
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もし、地球の進化が、これまで説明してきたような(動物と人間だけの)状況だけであったら、更なる進化に関して、地球にとっては非常に不都合で、そうなると地球は、蟇蛙という存在を排泄してしまい、物質的な人間と同様に、いつの日か存続することなく滅亡してしまうだろう。 今のところ、動物との関連の人間だけに注目しているが、これから植物に対しても、人間との関連に小さな橋を架けなければならない。 更に植物や鉱物の領域にも理解を広げていく必要があり、そして、地球紀に鉱物がどのように出現したかを見ていくだろう。つまり例えば、始源岩層の岩石が、植物により、いかに沈殿させられ、石灰岩の山地が後期の動物により、いかに沈殿させられるか、を見ていく必要がある。 鉱物界は植物界や動物界の沈殿であり、本質的には、最下等生物の沈殿である。蟇蛙は地球の鉱物に対して、まだそれほど多くを提供せず、魚も比較的僅かしか提供していないが、下等生物や植物は、非常に多くを提供している。 珪酸の甲皮や、石灰の甲皮や、石灰の殻を持つ下等生物たちは、まず自らの動物質や植物質から作り出したものを沈殿させ、そして鉱物質が崩壊する。鉱物質が崩壊するとき、鉱物質の崩壊生成物を、天の最高位の力が捉え、この崩壊生成物から新たな世界を築き、ある特定の場所の鉱物質が特に重要となる。 地球進化(熱変容、空気(気体)変容、水(液体)変容、鉱物的・土(固体)的変容)を追求していくと、人間の頭は、これら全ての変容を経てきた。(人間の頭は)崩壊してきたが、いまでもまだ常に幾らかの生命力に浸透されている頭骨では、外へと向かう鉱物的変容が残っている。 しかし、もっと更に明白な形で、人間の頭は土(固体)的・鉱物的変容を経てきた。 脳の形成において、人間の頭の中心部には、ピラミッド型に形成された器官の松果腺がある。この松果腺は、四丘体と視床の近くにある。この松果腺は、いわゆる脳砂を分泌し、脳砂はレモン色の石粒で、実際、人間頭部のなかの鉱物で、松果腺の一端に、小塊のように付いている。 松果体(松果腺) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9E%9C%E4%BD%93 中脳 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%84%B3 視床 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%96%E5%BA%8A この脳砂がないと、つまり、人間がこの鉱物を内部に持たないと、白痴、もしくはクレチン病になる。標準的な人間の場合、松果腺は比較的大きいが、クレチン病の場合、ゴマ粒くらいの松果腺しか発見できず、脳砂を分泌できない。 脳砂について http://www.topaz-dent.jp/129.html(上記の情報から、脳砂はハイドロキシアパタイトからなり、フッ素蓄積と関係しているようである。シュタイナーは医学講座で、フッ素の働きを、「賢さ」と関連付けて、エーテル体について述べており、上記のフッ素蓄積による初潮の低年齢化と関係しているものと思われる。 シュタイナーはフッ素がありすぎると、人間は賢くなりすぎ、なさすぎると、馬鹿になるといっているので、この脳砂がないと、白痴になるというのは理解できる。この脳砂は人間の骨格形成、つまりエーテル体と非常に関係するのだろう。) 霊人(自我、人間の霊魂)は、本質的に、この鉱物の含有物のなかに位置し、この事実が既に、生命的な存在が、本質的に、最初は霊を宿らせることができず、人間においては、霊は、特に独立に生きる霊としては、その中心点として非生命的な存在を必要とし、そこに存在しなければならない、ということを暗示している。 (霊は鉱物のクリスタル、つまり水晶を経由することはオカルトでは常識である。水晶玉を通じて占いをするのは古代の霊能者の模写で、現代人は霊能力に乏しいので単なるモノマネでほとんどハッタリか嘘である。) 蝶-頭の形成、鳥-頭の形成から、下降して爬虫類や魚まで誘導した進化は、素晴らしい展開であった。今、再び上昇し、動物の進化系統と同様、植物や鉱物の進化系統を考察していく。 過去に関しては、動物の進化系統から知見を引き出せ、同様に、地球の未来のために鉱物の進化系統から希望を引き出せる。 その際、無論、次回から、様々な形で、過渡的な動物を理解していく必要がある。というのも、これまでは、進化の分岐点に出現する主要な動物しか言及できなかったからである。
2010年04月05日
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魚の場合、地球的な生命(エーテル)状態を、蛙や爬虫類-両性類全般の場合、地球的な感受(アストラル)状態を共に体験する。 逆に、人間の全消化組織を研究するなら、次のような結論に到達する。 「無論、人間の消化組織もまた、魚や蛙等の構図に従って内部から形成される。」 従って、消化組織が、どのような機能を果たしているか、を真に研究するなら、両生類、爬虫類に着目する必要がある。 なぜなら、人間が消化器官の中を、内から(消化)力として展開している宇宙言語が、両生類-爬虫類では、外から飛来するからである。 人間が、消化に用いるのと同じ力で、外なる宇宙や自然は、蛇、蟇蛙、蜥蜴、蛙を形成する。 そして(自然においては何ら醜悪なものはなく、全てを客観的な形で議論する必要がある)、人間の大腸内の性質を、その排泄力と共に研究するなら、外界の蟇蛙を研究する必要がある。なぜなら、人間の大腸の中で、内から作用している(形成)力が、外から蟇蛙に飛来するからである。 このような事実は、描写という点では、以前、蝶に関して描写したような美しさはないが、自然における、あらゆる存在は、客観的な平等において、受容されるべきである。 このような霊的観想により、地球自らが、宇宙的生を共に体験している、という事実に関するイメージが得られる。というのも、いわば地球の排泄器官と呼べる存在を眺めれば、地球は、生命に乏しい人間の排泄物を排泄するだけでなく、生命に満ちた排泄物を排泄するからである。 地球の本質的な排泄物は、例えば蟇蛙であり、蟇蛙を通じて、地球は使用不可能なものを処理する。 このような全事実から、いかに自然の外界が至る場所で、自然の霊的な内部と照応しているかがわかる。 「自然の内部に創造する霊など入り込んでいかない」(5)と言うのは、外界の至る場所に、自然の内部が存在している、ということを知らないだけである。(5) 「自然の内部に…」:ベルンの医師、詩人、植物学者アルブレヒト・ハラー(1708-1777)の教訓詩「人間の徳の虚偽」のなかの箴言。ゲーテは、この箴言への反論として「もちろん、物理学者に」という詩を書いた、ゲーテ詩集「神と世界」の部に所収。 人間全体を、その内部の存在に従って研究できるのは、外の宇宙において、活動し、生きる存在を理解するときである。人間を、頭から四肢まで研究できるのは、外界の存在を研究するときである。 宇宙と人間は完全に補完し合って全体を成し、更に、次のような構図も作成できる。 例えば、大きな円を想像し、その大きな円は、力を一点(中心)に集中する。大きな円は、それより小さな円を、その内部に作り出し、力の集中点(中心)が、その小さな円を放射する。小さい方の円は、更に、それよりも小さい円を形成し、その内部にある点(中心)が、その円を放射する、というような構図である。 (円のフラクタル構造。) このような円が、また(それより小さな)円を形成し、人間の元(原型)は、外に向かって放射し、人間の外側が、宇宙の内部に触れる。人間の感覚が宇宙と遭遇する処では、人間に関して、内から外へと出ていったものが、宇宙に関しては、外から内へとやってきたものに触れる。 このような意味で、人間は小宇宙であり、マクロコスモス(大宇宙)に対するミクロコスモスである。 しかも人間は、このマクロコスモスの驚異と秘密全てを内包するが、ただ、その展開の方向は正反対である。
2010年04月02日
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魚の感覚に関連して、ヴァックスムート博士(4)が、地球の呼吸に関する非常に素晴らしい説明を行った。魚が、もし講演術を学んだなら、自らの経験から、この説明と同じ内容を講演するだろう。なぜなら、これまで述べてきた事実全てに属する現象の探求から、魚の実際の感覚がわかるからである。(4)ギュンター・ヴァックスムート:Gunther Wachsmuth, 1893-1963自然科学、法学、国民経済学を研究。法学で学位取得。シュタイナーにより1923年に一般人智学協会理事に任命された。協会で会計主任と自然科学部門の指導者。彼の著書『宇宙、地球、人間におけるエーテル的形成力』(シュトゥットガルト 1924)参照。 魚は、四季の経過を、地球の呼吸生活として特異な形で経験している動物である。なぜなら魚にとって重要なのは、いわゆる波打ちながら、出たり入ったりして、他の呼吸を行う存在を巻き込んでいくエーテル的な生命要素だからである。 爬虫類と両生類では、例えば、この点で極めて特徴ある蛙の場合、事情は異なる。蛙は宇宙のエーテル要素とは、あまり関係せず、むしろ宇宙のアストラル的要素と関係している。 魚に、「お前の本質は一体どうなっているのか?」、と尋ねれば、魚は次のように応えるだろう。 「そうですねえ、この地球上では、私は土(固体)の被造物で、土と水(液体)の要素(元素)から出来ている。でも、私の真の生命は、宇宙の呼吸と共にあり、地球全体の生命なのです。」 (魚は、地球の循環のなかに、生きているので、魚自身の生命を、自分のものとはみていない。) 蛙の場合は違い、魚とは事情は全く異なり、蛙は普遍的に拡がったアストラル性に参加している。 アストラルへの参加については、植物の場合を既に述べた、更にもう少し述べる。宇宙のアストラル性が花の上部にいかに触れているか、ということについて述べる。 丁度、魚が地球のエーテル体に関係しているのと同じように、蛙は、いわば地球のアストラル体と関係している。 魚はアストラル体を利己的に有する。蛙は、本質的にエーテル体を、魚より遥かに利己的に有するが、蛙はアストラル全般のなかに生き、従って蛙は特に、四季の循環から起こるアストラル的経過を共に体験し、地球の水の蒸発や水の再降下のなかに、自らのアストラル性を戯れさせている。 唯物論的思考の人は、当然次のように言うだろう。 「私の知見によれば、水は何らかの大気動力学、或いは気候力学で定義された力により蒸発し、蒸気を含んだ大気が上昇し、水滴が形成され、充分に重くなると、落下する。」 しかし、この知見は、例えば、人間の血液の循環に関して、血液の循環のなかでは、生命体として、全てが生きていることを考慮することなく、(物質的要素から)同様の理論を立てるのとほぼ同じ知見である。 上昇し、また下降しながら迸る地球の水の循環のなかには、地球のアストラル的な気圏、いわゆる地球のアストラル性が生きている。 このような話は、御伽話ではない。実際、蛙は(他の両生類も、アストラルと関係するが、蛙よりも退化している)気象のなかに発達(進化)し、アストラルの戯れと共に生きている。 蛙は、既知のように、天気予報にも、単純な形で利用される。天気予報に利用されるのは、蛙が、自らのアストラル性をもって、地球のアストラルに混合されることで、不思議にも、地球のアストラルを、戯れとして共に体験するからである。 (もし、蛙が言葉を話せるなら)蛙は、「自分は感情などは持っていない、ただ、雨期、乾期などに、地球が持つ感情の担い手になっているにすぎない」、と話すだろう。 従って、ある気象状態下で、多少とも、素晴らしいか、もしくは酷い蛙の音楽会を経験したなら、本質的に言って、この蛙の音楽会は、蛙が地球のアストラル体のなかの共体験の表現である。 蛙は、宇宙から、音楽を奏でる切欠を与えられ、鳴くのである。蛙は地球のアストラル体と共に生きている。 従って、次のような結論に到達できる。 「土-水的な要素(元素)のなかに生きる存在は、実際、地球を共に体験する。」
2010年04月01日
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