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人間認識における個々の詳細はどれも、これまで述べてきた事実の根底から、人間にインスピレーションを与えなければならない。 例えば、いま真に理念的(合理的)な治療学の体系を確立することを考察する。 この体系は一体何を内包すべきか? この体系は、第一に新陳代謝プロセスから、はじめるべきで、その他のプロセスは、その前提となるだけである。その他のプロセスに関しては、詳細を述べるべきだが、例えば、精密な解剖学であっても、それは固体として形成された対象を扱うものなので、逐一出発点に戻ることができるだけである。なぜなら、解剖学は既に人間として完成しているものを対象とするものだからである。 (解剖学は、解剖された原型を元に差異を見いだす学問だから、常に解剖された原型に言及するだけである。端的にいえば、臓器や組織のダイナミックな動的変化を基にした進化体系を考慮できない。) しかし、新陳代謝プロセスは、病気をもたらす傾向が知覚できるように、理念的(合理的)な医学体系により研究すべき第一の対象である。 従って、今日確立できる医学体系は、新陳代謝組織、すなわち、第一に正常な新陳代謝プロセスから始めるべきで、そして、そこから、人体内部の病気が最も広い意味での新陳代謝から生じてくる、という可能性が認識されるようにならないといけない。 更に、そこから、律動(循環)プロセスが作り出すものに関して詳細に認識することから、根本的な治療学が生じる必要がある。従って、今日の医学体系においては、新陳代謝プロセスの研究から開始すべきで、次いで、そこから、人間の律動(循環)プロセスの領域で生じる全てへと移行する必要がある。 そしてそのとき、人間の精神的(霊的)原基の健全な発達(進化)の前提となるのは、様々な治癒力から発する認識である、ということが示されることで、一種の全体への戴冠とでもいうべきものが達成される。 もし、治癒プロセスから出発しなければ、いかなる(治療学的)教育も見つけられず、また人間の精神の本性を健全に発達させる、いかなる芸術も見つけられないだろう。なぜなら、治癒プロセスとは、人間の精神的(霊的)プロセスを育成するのに純粋に必要な思考を、人間の中心部に適用することに他ならないからである。 (「教育芸術」とは、シュタイナーが説く芸術を介した教育のことで、オイリュトミー「ダンスの一種」などがその例である。オイリュトミーは、西洋風のヨガといえる。) 教育芸術家は、物質やエーテルに凝縮した治癒プロセスの力を、最初から最後まで、精神的(霊的)な形で利用しながら、活動しなければならない。ある子供に、教育芸術から治療を行うなら、それは精神性(霊性)を根底に持つプロセスが必要となる。 このプロセスを精神性(霊性)へと移行し、その領域において実行する治療法を、何らかの物質、もしくは(外界の)プロセスに適用(代替)し実行するとき、この代替プロセス、或いは物質が、薬剤(治療法)となる。 (俗に「病は気から」というが、外見的に現れる病気は、内面の精神的な補完を必要とする。人間の内面で行われる循環プロセス、つまり治癒力を用いるためには、外見に表れる病気を内面化する必要がある。 それが例えば、呼吸法だったり、体操等の運動であったり、芸術鑑賞等である。この内面的治癒力を、逆に、外界のなかに探し、外界のもので代用すると、薬剤による治療となる。 シュタイナーは、精神病などは存在しないもので、精神が病むのではなく、魂が、肉体を十分に制御できないことに起因すると言及している。 いわゆる精神病といわれる病気ほど、外界のなかに、薬剤等などの治癒力をみつける必要があると説いている。肉体は魂の精神表現のツール「道具」なので、「道具」に、油をつけたり、ネジを締めたりと、手入れする必要がある。 逆に、外見的な病気、例えば、肝臓障害等などは、内面的な治癒力、例えば、呼吸法や体操等、もしくは芸術鑑賞をみつける必要があると説いている。) 従って、まとめると、以下のような結論に到達する。 「医学とは、人間の精神的(霊的)な治療法を、下方の物質へと変容させることである。」
2010年05月28日
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前回の呼吸リズムによる循環リズムの分離や融合のなかに、人体のなかで絶えず行なわれている治癒プロセスの原型をみることができる。 しかし、実際、人体全体に入り込み継続していく呼吸プロセスを、ある方法で、内的治療と共に、もっと精妙な形で助ける必要がある。つまり、人体の至る処で、呼吸プロセスが循環プロセスを制御し、宇宙との普遍的な関係に引き戻すようにすることである。 (この方法がヨガなのだろう。) 従って、次のような結論に至る。 「人間は、本質的に、下(新陳代謝)から、常に病気になる傾向を持ち、人体の中間組織、つまり循環組織においては、継続的に、健康を維持する傾向を開発する必要があるため、食物摂取から(自然)治癒へと移行する。」 このように、人体の中間組織において、絶えず、(人体を)健康にする衝動が生じることで、この衝動が今度は、頭部の神経-感覚組織に向かって、何かを残していく。 このような過程から、第三のものとして、神経-感覚組織に至る。 では、神経-感覚組織のなかには、どんな力を見つけることができるのか? 神経-感覚組織のなかに、いわば医者(循環プロセス)が残していった力を見つけることができる。この医者(循環プロセス)は一方では、下の新陳代謝プロセスを健康にするように作用する。しかし新陳代謝組織を健康にするような作用を行うことで、他方で、その医者(循環プロセス)が、全宇宙のなかでの、ある定められた評価に到達する。 この事実は、何ら空想ではなく、徹頭徹尾、真実である。このプロセス、つまり人体のなかで、継続的に下方に向かって健康にする(循環)プロセスが起こることは、高次のヒエラルキア存在(天使、神々)の満悦を呼び起こす。 この満悦は、地上世界に対する高次のヒエラルキア存在(天使、神々)の歓びである。 ヒエラルキア存在たちは、下(地)を見下ろし、地上から人間のなかへと流入していく衝動、つまり地上的な物質の特性により止まっている存在から、病気が上昇してくるのを感じる。 ヒエラルキア存在たちは、地上的存在から作用する様々な力や、循環する空気(大気)他のなかにある様々な力の衝動が、継続的に健康にする(循環)プロセスである様子を見る。 この様子を見ることで、高次のヒエラルキア存在の満悦が呼び起こされる。 (土星の図と連想してください!以下に説明されてますが、外の環のようなものが健康にする力で、内の球が病気にかかる力を現す。) さて、いわば最も威厳に満ちた精神的(霊的)な研究対象として、この太陽系の境界に置かれた天体(土星)を手懸かりに、何が研究できるか、を考察する。 この天体の中心が、地球上に集中されていると考えると、それは、様々な病ませる力を、自らの内に秘める存在であり、その周囲には、様々な健康をもたらそうとする循環(回転)の力が示される。 そして、このような事実に感受性があるなら、土星の環に関して、人間は地球上にいるので、地球を囲む大気のなかに、土星の環のような(治癒の)刻印を、視覚として捉えることができないが、本質的には、循環しながら、回転し、健やかさを示す存在がある。 この土星の環は、天文学者たちが語るような存在とは本質的に異なる。この土星の環は、回転(循環)する健やかさの象徴であり、環に囲まれた土星を、純粋に集中した存在として見れば、病んでいく象徴、病気にさせる象徴である。 このように、太陽系の最外殻に置かれている土星(天王星、海王星、冥王星は、秘教では、太陽系以外の他の天体系に属する)では、継続的な新陳代謝や循環を通じて、人体のなかにもたらされているものと同じプロセスが生じている。 しかも、このプロセスを、遥か遠くに見るとき、霊眼では、特に第2ヒエラルキア(中級三隊)と第1ヒエラルキア(上級三隊)の世界に導かれることがわかる。 つまり、このプロセスは、第2ヒエラルキア存在のキュリオテテス(主天使、叡智霊)、デュナメイス(力天使、運動霊)、エクスシアイ(能天使、形態霊)の世界や、第1ヒエラルキア存在の、セラフィム(熾天使、愛の霊)、ケルビム(智天使、調和霊)、トローネ(座天使、意志霊)の世界であることがわかる。 霊眼をもって、土星と土星の環に注意を向けるとき、御満悦とでもいいたい様子で、病ませる力と健やかにする力を見張っている、上位(第1と第2)のヒエラルキア存在に導かれる。 この御満悦が、万有宇宙の力となる。高次のヒエラルキア存在の満悦が、人間の神経-感覚組織を貫いて流れ、人間の内部に、精神的(霊的)進化を伴う力(善意)を形成する。 以上が、いわば、人間のなかで、継続的に起こる治癒から開花してゆく力である。従って、第3に、精神的(霊的)進化が得られる。 1 新陳代謝―栄養摂取 2 循環―治癒 3 神経-感覚機構―精神的(霊的)進化 人間を土星時代、太陽時代、月時代を通じて記述すると、次のような結論に至る。 「人間は、原始(土星紀)、宇宙から生み出された精神(霊)であり、やがて(太陽紀に)、自らのうちに癒す者を生じさせ、そして(月紀に)、宇宙的な患者を受け容れることが可能になった。」 上記全ての共同作用を通じて、地球上に、自らの意志による運動を行う人間が造り出された。
2010年05月27日
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新陳代謝から、症状を特定する、とは次のようなことである。 人間は、ある物質を、人体のなかで澱粉や糖他に変化させる。例えば、口からの食物摂取、つまり口中でのプティアリン(唾液アミラーゼ)による食物溶解、いわゆる食物加工に関する現象を挙げることができる。 口から更に進んで、胃のなかでのペプシン消化、いわゆる消化組織のなかでの代謝産物の加工に関する現象を挙げることができる。この代謝による加工は、リンパ管へと移行し、更に血液へと移行する。 代謝による、このような加工を取り上げ、そのなかの、どんな個別のプロセスも探究する必要があり、この代謝組織のなかには、考察すべき無数のプロセスがある。 その症状が、そもそも一体どのプロセスから発するか、膵臓分泌液と代謝産物との混合、胆汁と物質との混合他、個々のどのようなプロセスに対しても、探求する必要がある。 すると、あるプロセスから、次のような回答をみつけるだろう。 「このプロセスだけでは、人間は病気になる。」 いかなる新陳代謝内の個々のプロセスも、人間の本性において、最終段階まで進むことが許されていない。なぜなら、新陳代謝内の経過(プロセス)が、最終段階までいくと、人間を病気にしてしまうからである。 人間の本性は、新陳代謝の経過(プロセス)がある段階でストップされる場合だけ健康となる。 このような真実は、当初、宇宙の構造上での愚行(不備)とも思われかねないが、新陳代謝プロセスが人間のなかで、途中で止められなければ、病気にしてしまう原理を、これから、至高の叡智として知ることになるだろう。 けれども、さしあたり当面は、事実に従って観察してみることになる。新陳代謝プロセスの1つ1つを、その本質に従って、内的に研究するとき、それらが、生体組織全体を、病気にする段階の途上にある、ということを考慮することになる。 そもそも人体に新陳代謝機能を存在させるには、それ以前に原基のなかで発達すべき別のプロセスが存在しなければならず、そして、それは循環のなかに存在するプロセス、つまり循環プロセスである。 循環プロセスは絶えず治癒プロセスを含んでいる。従って、実際、人間を次のように描写できる。 「人間は月進化紀の間に、いわゆる患者(新陳代謝プロセス)として生み出されたが、その前の太陽進化紀の間に、人間自身の本質のなかに、予め医者(循環プロセス)が派遣されていた。」 (自然治癒力とは、この循環プロセスにある。毎日の生活において、新陳代謝の特定のプロセスが、栄養摂取により、バランスを崩して、過度に進化するが、循環プロセスで補完することで、その過度な進行を抑え、遅らせることができる。) 太陽進化紀の間、人間は、自身の性質に基づく医者として生み出された。患者の前に医者が生じていたというのは、宇宙進化においては非常に慎重で賢明なことである。なぜなら、月進化紀の間に、人間のなかに患者がつけ加えられたからである。 (人間社会の場合は、患者という需要があり、医者が供給されるわけで、全く逆といえる。) 人間を正しく描写するなら、新陳代謝プロセスから循環プロセスへ、無論、衝動として循環プロセスの根底をなす全てへと、上へと進まなければならない。 広義の意味において、ある物質は、早い循環を、別の物質は、遅い循環を引き起こす。 人体内には実際、小さな循環プロセスもある。例えば、金、もしくは銅といった鉱物を取り上げ、人体に、内的に、例えば注射等による方法で、人間に服用すれば、循環(プロセス)のなかに、何らかの変化を引き起こし、健康にするように働きかけるような切欠となる。 (慢性関節リウマチに対しての金製剤の効果は、この循環の原理にあるのかもしれない。例えば、人体を、複雑系で解釈すると、カオスティックな機構の鏡像モデルと考えられ、この循環の原理は、「カオスの縁」といえる平衡「均衡」の領域を表すように思われる。 カオスの縁とは、カオス「非線形」と、秩序「線形」の間の領域を表し、この講義から、人体をこの3領域に分けると、カオスの領域が代謝系、秩序の領域が神経-感覚系となるだろう。人体をこのようなカオスティックな機構と考え、3領域に大別すると、炎症性の疾患と、腫瘍性の疾患にほぼ分類できる。) そして、人間本来の治癒プロセスを覗き見るために知るべきことは、人間の周囲にある個々の物質が、循環(プロセス)の変化に際して、人間のなかに誘発するものは何か?ということである。つまり、次のような結論に到達できる。 「循環(プロセス)は、継続的な治癒プロセスを生み出す。」 もし、この治癒プロセスを算出したいのなら可能である。例えば、人間は平均毎分18回呼吸する。この呼吸数は、宇宙に極めて規則的に適合したもので、人間の1日の呼吸数(18×60×24=25920)は、太陽年を通じて運行する際の太陽の循環リズムが作り出す数と同じになる。 (太陽年とは、太陽が黄道上、春分点を出て再び春分点に戻るまでの時間。3652422日。回帰年。) 太陽の春分点は、25920年で、全体(黄道)を一巡する。人間は中年期において、平均1日に25920回呼吸する。脈拍はこの4倍である。 また別のもっと内的に集中した循環プロセスは、新陳代謝(プロセス)の影響を受ける。呼吸という循環(プロセス)は、人間と外界との外的な交流に対応し、外界との相互関係である。 この呼吸リズムが循環リズムを継続的に制御し、それを4倍に保つようにしなければならない。さもないと、人間の呼吸リズムは、不規則な循環リズムと共にバランスを崩し、不規則なリズムになってしまい、103680{25920の4倍}という数を保てない。 不規則なリズム数では、宇宙の中に何らの対応を持たない。そうなると人間は宇宙から全く引き離された存在となる。新陳代謝(プロセス)は人間を宇宙から引き離し、宇宙から疎外する。そして、逆に、呼吸リズムは宇宙のなかへと絶えず人間を引き入れる。 (ヨガが、なぜ呼吸法に基づくのかが、この講義より明らかになる。ヨガは、呼吸リズムを保つことで、循環リズムにより、自然治癒力を発揮させようとしているのであろう。)
2010年05月26日
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人間のなかに純粋に人間の形を生み出す要素、人間を直立歩行の存在にする要素、人間内部に、話し思考する衝動を持たせるのに由来する要素、そして、動物を超えて、人間を人間にしている要素が、地上の固体的存在、いわゆる堅固に形成された結晶や、形(フォルム)へと参入することが許される(固体的存在に参入できる要素は、生体組織のせいぜい10パーセントである)。 動物質と植物質のうちのいくらかが人間の固体フォルム(形態要素)のなかに入り込むと、人間は病気になる。 鉱物質は全て、人間のなかでいったん、熱エーテルになる必要がある。植物質は全て、人間のなかで空気(気体)状の段階を経る必要がある。動物質全ては、人間のなかで水(液)状の段階を経ていく必要がある。 人間だけが、人間のなかで地上的-固体的フォルムを常に維持することが許されている。この真実が人間の生体組織の秘密の1つである。 さて、まず人間が地球から得るものを除外して、人間の皮膚の内部で起こる、狭義の新陳代謝機構、いわゆる排泄も含むが、これは勿論、地球が組織化される間に形成し改められたが、その原基を人間は月(月紀)から得たが、その新陳代謝を取り上げる(後の考察を一層豊かにする)。 すると、この新陳代謝は、食物の摂取により、絶え間なく変化させられている。最初は、人間の外にある食物が人間のなかに入り込み、この新陳代謝組織に組み込まれる。 この新陳代謝組織は、人間という環境にあるものを人間へと加工する。鉱物は、全て熱エーテルとなり始め、植物質は全て気体状-空気状-蒸気状になり始め、動物質は全て、特に固有の動物質として生じたものは、水(液)状になり始め、そして、本質的に、人間的なものを、組織されたフォルムの形成として固体に形成する。 このような全てが、それらの傾向に従って、新陳代謝のなかにある。新陳代謝は、この点において極めて興味深い。 新陳代謝を呼吸まで上昇し追求していくと、人間は体内にある炭素を、自ら形成している、という事実がわかる。 炭素は酸素の来訪を受け、炭酸に変化させられ、炭酸を人間が吐き出す。炭酸は炭素が酸素と結びついた物質である。呼吸を通じて吸い込まれた酸素は炭素に襲いかかり、炭素を自らのなかに取り込み、人間は炭酸、つまり酸素が炭素と共に成立させた化合物を吐き出す。 しかし、息を吐き出す前、炭素は、いわば人間という性質の善行者となっている。というのも、炭素は酸素と結びつくことで、いわば呼吸が血液循環から作り出す炭酸に、血液循環を引き起こす酸素を、結びつけるからで、この炭素は人間の生体機構の善行者となるからである。 また、炭素は、人間の生体組織から去る前に、生体組織全体にわたってエーテルを流出させる。物質科学は単に、炭素は炭酸とともに吐き出される、と述べるだけだが、この化合は、経過(プロセス)全体の一面にすぎない。 人間は炭酸を吐き出すが、人間の生体組織全体のなかには、呼気を通じて、酸素に使われる炭素により、エーテルが後に残される。このエーテルが人間のエーテル体のなかに侵入し、そしてまた常に炭素によって生み出される。 このエーテルが、人間の生体機構を、精神的(霊的)な影響に対して開き、適した状態にし、宇宙からのアストラル-エーテル的作用を受け容れるようにする。 このように炭素が後に残していくエーテルによって、宇宙の衝動、つまり、人間を形成するように働きかける衝動、例えば人間の神経組織を、思考の担い手とするように準備するような衝動が引き込まれる。 このエーテルは絶えず人間の感覚、例えば、人間の眼が見えるように、いわゆる眼が外界の光エーテルを取り入れることができるように、眼に浸透する必要がある。宇宙(の衝動)を出迎えることのできるエーテルの広がりを、人間がもてるのは、炭素の御蔭である。 以上の全ては既に新陳代謝組織のなかに準備されている。しかし新陳代謝組織は人間の組織として宇宙全体のなかに組み入れられ、新陳代謝組織自身だけで存在することはできない。 つまり、新陳代謝組織は人間のなかの第三の原基として形成された。神経-感覚組織は第一の原基として土星紀に、律動組織は、第二の原基として太陽紀に形成され、神経-感覚組織、律動組織が形成された後ではじめて、新陳代謝組織が人間のなかにもたらされた。なぜなら新陳代謝組織独自では存在できないからである。 人間の自らの意志による運動を除外すれば、さしあたり新陳代謝組織は、人間にとっては、宇宙関係のなかにおける食物摂取とみなされるが、この栄養摂取だけ独立した形で存在することはできない。人間は栄養摂取を必要とするが、栄養摂取は栄養摂取だけでは存在できない。 なぜなら、人間における新陳代謝を研究すると(人間の全生体機構にとって、新陳代謝がいかに不可欠か)、新陳代謝組織は、人間を病気にする、あらゆる傾向に浸透されているからである。 内的な、つまり外的損傷により生じたのではない病気の原因を、常に新陳代謝組織のなかに捜さなくてはならない。 従って、真に理念(合理)的な病気観察を行うなら、新陳代謝組織から出発する必要があり、そして本質的に新陳代謝組織における個別の、どのような症状に対しても、「その症状は一体(新陳代謝の)どのような道(プロセス)にあるのか?」、と問わなければならない。
2010年05月26日
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前回述べたように、人間は、宇宙の進化に組み込まれている。また、地球上を、空間的に取り巻いている環境等にも組み込まれている。例えば、鉱物界を考えると、人間は鉱物界と相互作用している。人間は食物を通じて鉱物を摂取し、それ以外にも、呼吸他を通じても鉱物を吸収する。人間は、自らのなかで鉱物を加工する。 ところが、あらゆる人間の進化、つまり、あらゆる体内での宇宙の経過は、人間の外とは異なっている。 既に指摘したように、今日、人間の外での現象を、化学実験室等で、化学プロセスを研究し、人間が食物を食べるとき、人間の外でおこる現象に関わる化学プロセスが、人間の内へと継続し、食物が消化されるもの、と単純に考えるなら、全く馬鹿げているといわざるを得ない。 人間は化学作用の合成物ではなく、人間の内では全てが変化する。そして、ある観点から、この変化は以下のように現われる。 いま、鉱物を摂取すると仮定する。鉱物として摂取する食物は、人間のなかである程度の効力を持つまで消化されなければならない。人間は自身の熱を持ち、健常人の血液の温度は約37度である。人間は血液の温度として、平均して、外熱を凌駕する内熱を持っている。 鉱物として摂取される食物は、生体組織のなかで変化させられ、変容させられ、血液の温度として、外の環境の中位の温度よりも高い熱を満たすように消化される。 食塩を、熱で溶かし、味わう際に、この食塩は、外界と共有する熱ではなく、人間自身の体内の熱により、吸収し、満悦のうちに摂取しなければならない。鉱物は全て、熱エーテルに変化する必要がある。鉱物が、熱エーテルに変化するのを妨害する障害が、生体組織のなかにあると、人間は病気になる。 (鉱物摂取→体内の熱に変容できないと、糖尿病等の疾患になる。熱にできない鉱物が血中に残るので、その鉱物が人体内で悪さをする。 シュタイナーは、このような変容を強化するには、数学等、特に幾何学の理解力、つまり数学的思考力を身につけるとよいと説いている。糖尿病患者に、図形問題を解かせるとよいかもしれない。鉱物の消化とは、結晶構造を解消し、分子や原子に戻すプロセスなので、知恵の輪などもよいかもしれない。) 次に、人間が摂取する植物に目を転じる。人間は植物を食物として摂取し、人間は植物を自らの中でも進化させることで、自身を宇宙の一部とする。人間は鉱物を含むが、鉱物は絶えず、熱エーテルになろうとする傾向を持つ。 植物は、人間のなかで絶えず、空気や気体のようになろうとする傾向がある。つまり人間は、自らのなかに、植物を、空気(気体)領域としてもつ。 植物摂取により人間のなかに入ってくる植物質、或いは人間自身が内的な植物体の機構として進化させる植物質全ては、空気や気体のようになる必要があり、人間のなかで空気、もしくは気体の形状をとらなければならない。 植物から摂取した植物質が、空気、もしくは気体の形状をとらないとき、つまり、人間のなかで、植物摂取から生まれた植物質を、生体機構が、空気(気体)の形状に移行するのを妨害するとき、人間は病気になる。 (植物摂取の不良による病気は、植物の部位にもよるが、花や実は人間の腹部で特に生殖器、茎や葉は胸部、根は頭部に相応する。太古の錬金術を知るパラケルススなどは、植物から万能薬をつくったという。 例えば、頭部の気体(耳鼻や口等)、或いはアストラル体(神経-感覚器)から生じる疾患は、植物の根の摂取と関連する。錬金術でいえば、「塩」である。逆に、腹部では、花や実の「燐」となる。 植物は、主にアストラル体と関連するので、神経-感覚器系の疾患、特に炎症性の疾患と関係深い。植物の花の匂いに癒しの効果があるのは、炎症性の疾患と関連するからである。 余談だが、花粉症について、古くは枯草病といわれていたようだが、体内の植物質、つまり花粉が、気化しないことに起因するのだろう。だから、花粉を消化することで、人体は、花粉の気化を身につける。 また、免疫学的に、ヘルパーT細胞のTh1とTh2のバランスが、液性免疫優勢になっている体質が挙げられている。インターフェロン等のサイトカインを導入すると、理論的に、Th1の細胞性免疫を優勢にできる。 血液系腫瘍や肝臓障害等にインターフェロンが有効なのは、細胞性免疫を優勢にでき、キラーT細胞等を活発化して、腫瘍性細胞やウイルスを駆逐するために思われる。Th1とTh2は、エーテルとアストラルのバランスをも表すと思われる。) 更に、今度は、動物から得る食物に目を転じる。人間が摂取する動物質、或いは、人間自身が自らのなかで、動物質として育成するものは全て、人間のなかで、少なくとも、ある期間は、液体的な、水のような形をとる。 人間は、自らのなかに、いかなる動物質も持つことは許されず、(動物の肉を食べることで)内的に作り出された動物質も、摂取された動物質も、いったん人間のなかで液体になるという経過(プロセス)を遂げる必要がある。 人間が、自身、或いは外来の動物質を液状にして、更に固体へと移行できないなら、人間は病気になる。 (動物性脂肪による、血管狭窄や、硬化症のことだろう。人体の液体は、エーテル体と関連するので、腫瘍性の疾患とも関係深い。 シュタイナーは、腫瘍の治癒に、ヤドリギが有効であることを主張しているが、勿論、ヤドリギは、植物だが、植物に寄生するという性質と、通常の植物の生命環とは、特異的に異なるので、植物の進化に取り残された植物で、半動物的な性質が有効であると説明している。 近年、腫瘍は遺伝子解析が進み、遺伝子疾患と断定されつつあり、なんらかのウイルスが関係しているという説もあるが、特に血液系腫瘍疾患で、悪性リンパ種に、EBウイルスなどだが、それは時間的に止まった一断面をみているにすぎなく、本質は、時間は止まることなく、動的に進行しているので、ウイルスや腫瘍等を除去しても、体質改善を計らない限り、再発する。ましてや遺伝子治療などは、体質改善の切欠にすぎない。 確かに、ウイルスが介入することで、腫瘍が悪性化する可能性は高いが、問題は、腫瘍を生むような人体の環境、つまり土壌にある。 腫瘍は、摂生不足から生まれた落とし胤のようなものである。例えは悪いが、不倫で生まれた不認知の子といえるかもしれない。人間社会も、人体も同じで、日頃から、家庭外で遊び呆けていれば、家庭崩壊に至るのは当然で、悪性化しないように注意が必要であろう。)
2010年05月22日
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これまでの講義は、真の包括的な人間認識を、最終的に生み出すべく、宇宙の様々な現象を総合するよう肉薄していることがわかるだろう。これまで観察してきた全ての事実から、人間認識を切実に必要とすることがわかるだろう。 そもそも、人間認識が可能なのは、それが最低次の現象界の形態、つまり人間に対して物質世界の顕現から開始されるときである。 このように物質世界の顕現の観察から始まるものが、ヒエラルキア存在の世界の観察へとつながる。 真の人間認識に通じるには、最低次の物質的存在の形態から、最高次の霊的存在の形態への、いわばヒエラルキア存在の世界に至るまで、追求する必要がある。さしあたり、現講義のなかで、このような人間認識のための素描を行う。 はっきりと理解すべきことは、人間の前に立つ存在は、常々、土星進化、太陽進化、月進化として経てきた、長い宇宙進化の結果であり、地球進化は、まだ終わっていない、ということである。とはいっても、本質的に人間は、狭義の、すなわち月進化に続く地球進化の御蔭で何を得ているのか、を明白に理解しておくことが望ましい。 両腕を伸ばし動かすとき、或いはまた指を動かすとき等の何らかの運動をするとき、腕、脚、頭、唇他を動かすために、生体組織のなかへと(人間の発現に必要な様々な力が生体組織の最も内側に入り込むために)、必要なもの全てが、狭義の地球進化を通じて人間に授けられた。 (「狭義」という言葉を使うのは、広義の地球進化は、土星紀から、将来のウルカヌス紀までを含むからである。狭義というのは、月紀が終わり、次の木星紀までの、地球紀という意味である。更に狭義にいえば、地球紀の前半が火星紀で、後半が水星紀になる。火星紀から水星紀に変わることを、アクエリアスの時代の到来、最近では、アセッションなどと呼んでいる。地球が変貌を遂げるようである。) このような事実に対して、肉体の外側の皮膚に閉じ込められた空間を覗き込むとき、物質的-肉体的な内的な人間における新陳代謝の全ての発達に着目するなら、そのなかに、人間が月進化の御蔭で得た描像が得られる。 (月紀―新陳代謝の発達) 更に、人間が太古の太陽進化の御蔭で得た像を得るには、全律動的(リズミカル)プロセスを眺めるときである。呼吸や血液循環の経過は、実際、最重要な律動的プロセスであり、これら全律動的プロセスを、人間は太陽進化の御蔭で得た。 (太陽紀―律動系の発達) そして、今日の人間の全身に広がっている神経-感覚の全ての発達を、人間は土星進化の御蔭で得た。 (土星紀―神経-感覚器系の発達) しかし、注目すべきことは、人間は(何かの一部ではなく)、全体であり、そして、宇宙進化も全体である、ということである。著書『神秘学概論』で示したように、「土星進化」という言葉を使うとき、太古の時代の、つまり地球進化、月進化、太陽進化に先行した(土星)進化を意味する。 ところが、宇宙進化は全体なので、根本的に言えば、土星進化といっても、現在の地球まで持ち越された土星進化ともいえる。地球が進化する一方で、地球のなかの土星進化も生じる。この新たな土星進化とは、地球進化のなかにあり、これはいわば、最も若い土星進化である。 地球進化まできた土星進化は最古のものである。太陽紀に土星進化として組み込まれた進化は、最古の土星進化よりも、少し若く、月紀に組み込まれた土星進化は更に若いが、今日、地球を満たしている土星進化、つまり、本質的に地球の熱組織に関わる土星進化は、最も若い土星進化である。 従って、人間は、この若い土星進化のなかに組み込まれている。
2010年05月21日
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「宇宙は言葉から生まれた」という真理を、完全に伝えるには、いかに個々の存在たちの声から宇宙言語が様々なニュアンスで構成されていくか、そして、この様々なニュアンスが、大いなる宇宙の調和(ハーモニー)と力強い宇宙の旋律(メロディー)のなかへと響き、いかに語り、創造するかを、具体的に徐々に知るようになるときである。 ノームたちの合唱から、「覚醒を求めよ!」が響くことで、人間の骨組織や、運動組織(系)全般を出現させる力として作用する宇宙言語が、ノームの言葉に置き換えられる。 そして、ウンディーネたちが「霊のなかで思考せよ!」と呼びかけることで、ウンディーネの言語に翻訳しながら、新陳代謝等の器官を形成するための宇宙言語を、人間のなかに注ぎ込む。 またシルフたちが、(高次の存在に)呼吸されることで、シルフの「創造しながら呼吸するいまを生きよ」が地上へと流れ込むことで、人間に律動(リズム)組織(系)の器官を備えさせる力を与え、揺り動かし、活気づける。 更に、火の精霊のやり方で、宇宙の火のマントから雷鳴と共に(宇宙言語が)響いてくる。人間が、この宇宙言語に気付くとき、これは反照や模像のなかに現れる。 この宇宙言語を探求するなら、これは宇宙の火のマントから、地上へと放射!されるもので、この宇宙の言葉の力が放射してくる!ことがわかる。 人間の神経-感覚組織(系)の1つ1つ、いわば頭のなかの1つ1つが、火の精霊の言葉に翻訳され、「愛しながら神々の意志を受け入れよ!」という意味の、小さな、ミニチュアの模像となる。 この「愛しながら、神々の意志を受け入れよ!」という言葉は、宇宙の最高の実体のなかで作用する言語で、人間が死と新たな誕生との間において、進化を遂げるとき、死の門を通り(死後)、担っていくものでもあり、その後、新たな誕生(転生)において、人間の神経-感覚器官の素に造り変えられる。 以上をまとめると、 運動組織 ノームの合唱:覚醒を求めよ! 新陳代謝機構 ウンディーネたち:霊のなかで思考せよ! 律動組織 シルフたち:創造しながら呼吸するいまを生きよ! 神経-感覚組織 火の精霊たち:神々の意志の力を愛しながら受け入れよ! 見ての通り、(この世の)境域(境界)の向こうにある世界が、(この世の)自然に属し、この精霊たちの宇宙言語が、創造する神々の力へと、他の全てに働きかけ、生きるなかに導入されることがわかる。別の世を待ち焦がれ、この宇宙の言葉のなかにある勧告から、次のような結語へと到達する。 私は(宇宙言語の)働く力全て、そしてその種子(素)を観る もはや言葉を色々とかきまわすことはしない これは人類の進化と発展の歩みのなかで実現されなければならない。人間を様々な形で作り上げる種子のなかの力を覗かないうちは、知る限りの知のなかで、言葉を様々に引っ掻きまわす。 従って、次のような結論に到達する。 「運動組織、新陳代謝組織、律動組織、神経-感覚組織は、様々な宇宙言語が合流して、1つになったものである。 つまり、地から天へと響いてくる『覚醒を求めよ!』や、『霊のなかで思考せよ!』という上昇を志向する言葉のなかに、逆に、天から地へと『創造しながら呼吸するいまを生きよ!』や『神々の意志の力を愛しながら受け入れよ!』という言葉が混ざることで、1つになったものである。」 この「神々の意志の力を愛しながら受け入れよ!」は、頭のなかで、静かに創造を行う力である。 地から天を目指してくる「霊のなかで思考せよ!」や、天から流れ落ちてくる「創造しながら呼吸するいまを生きよ!」は特に、呼吸から、血液のなかの作用へとリズミカルに移行する力として、1つの転写(コピー)となるような、活力的な相互作用を行わせる。 そして、感覚器官を人間に付与する言語は、天から流れ落ちてくる「神々の意志の力を愛しながら受け入れよ!」である。 しかし、立つときや、歩くとき、更に、腕や手を動かすときに働く力は、人間を、元々の意志に従って、生き抜くことへと導き、これは「覚醒を求めよ!」のなかに響く言語からくる。 以上から、人間が、いかに宇宙言語の協和音であるかがわかる。この宇宙言語は、これまで述べてきたように、最低次の段階で解釈できる。 この宇宙言語は更に高次のヒエラルキア存在のところまで達し、高次ヒエラルキア存在は、宇宙を発生させ、生み出すために、更にまた別の力を宇宙言語として繰り広げる。 元素霊たちが、いわば宇宙へと呼びかけてきた勧告は、創造し、造形し、形成する宇宙言語、つまりあらゆる働きと全存在の根底にある宇宙言語の最終音である。 ノームたち お前は自身を夢見ている そして目覚めを避けている。 私は根の生長力を保つ この力は私に形成体を創り出すウンディーネたち お前は天使の振る舞いから思考している それなのにそのことを知らない。 私は水の成長力を動かす、 この力は私に生命の素を形作る。シルフたち お前に創造の力が輝く、 お前はそれを予期しない; お前はその力を感ずる それなのに、この力に生を与えない。 私は空気の生命力を呑み込む、 この力は私をその威力で満たす。火の精霊たち お前を神々の意志が力づける、 お前はそれを受け取らない お前はその力で意志する それなのに、お前は、この力を突き離す。 私は火が志向する力を溶かす、 この力は私を魂の霊性のなかに解放する。ノームたちの合唱: 覚醒を求めよ!ウンディーネたち: 霊のなかで思考せよ!シルフたち: 創造しながら呼吸するいまを生きよ!火の精霊たち: 神々の意志の力を愛しながら受け入れよ!
2010年05月20日
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物質的生存には至らない、精霊たちは、自分たちの世界に人間も参加できるように、人間がその意識を伴って更に前進することを欲している。 このように、いわば、精霊たちが人間に語る内容に習熟していくと、精霊たちが、自らの本質をいかに表現するかも、次第にわかってくる。 たとえば、ノームたちは次のように表現する。 私は(植物の)根の成長力をもつ、 この力は私に形成体を創り出す。 ウンディーネたちは 私は水の成長力を動かす、 この力は私に生命の素養を提供する。 シルフたちは 私は空気の生命力を呑み込む、 この力は私をその威力で満たす。 火の精霊の行為に対して、何らかの地球上の言葉を見つけるのは非常に困難で、それは火の精霊が、地球の生と営みから遥かに隔たっているからで、以前は「消化する」という言葉を用いたが、本当は消化ではなく、火のように焼き尽くすという方がよいので、溶かすという言葉を用いる。ただし、「溶かす」は動詞でなければならず、火の精霊の行為を、的確に表現するためである。 私は火が志向する力を溶かす、 この力は私を魂という霊性のなかに解放する。 以上、これらの元素霊たちが、いかに自身を特徴づけるか、そして、何を人間たちに勧告しているか、の理解に努めた。しかし、精霊たちは、人間に、否定的な勧告だけを耳打ちするほど不親切ではなく、精霊たちからは、いわば碑文体の金言も発せられる。 このような金言は、途方もなく遥かに巨大に感じられる。このような金言に対する感受性を身につけておく必要がある。素晴らしいものだが、金言が人間の言語として語られるのか、力強いノームの一団から宇宙的に響くか、では異なる、ということに対する感受性である。 金言が生じてくる形によっては、全く異なる。そして人間が、ノームたちに耳を澄ますと、ノームの合唱は、以上に書き記した勧告を与えた後、人間に向かって、次のように響いてくる、 覚醒を求めよ! この言葉は、力強い道徳的イメージで、万有宇宙を貫いて流れ、夥しい数の個々の声から成る。このような言葉が、次のような意味を表す。 ウンディーネの合唱は次のように響く、 霊のなかで思考せよ! シルフの合唱となると、そのように単純ではない。満月の輝きのなかで、ノームたちが鎧をつけた輝く騎士のように現れ、地の底のノームたちから「覚醒を求めよ!」と響いてくる。 ウンディーネたちが、食べられようとする憧れのなかで、漂い上昇しながら、地上へと「霊のなかで思考せよ!」が響き返してくる。 シルフたちは宇宙の光のなかで、青-赤-緑を帯びた稲妻となって、消滅しながら上へと上り、自らを(高次存在に)呼吸させるが、このとき、光のなかに煌き入り、そのなかで消滅しながら、下へと響かせる。 創造しながら呼吸するいまを生きよ! 火のような怒りのなかで、とでもいうべきだが、破壊的なものではなく、宇宙から人間が得る必要があると感じるような怒りのなかで、同時に猛烈な怒りから響くように、火の精霊たちが、地球の火のマントのなかに携えていくとき、次の言葉が響いてくる。この響きは、個々の声が一緒に響くのではなく、地球の周囲から力強い雷鳴のように響いてくる、 神々の意志の力を愛しながら受け入れよ! 無論、これらの精霊の勧告全てから、注意を逸らすこともできる。通常、このような勧告を聞き取ることはない。このような勧告を聞くかどうかは人間の意志に任されている。 しかし人間は、このような勧告を聞き取ることで、いま現にある宇宙を成り立たせている要素、つまり、これまで描写してきたようにノーム、ウンディーネ、シルフ、火の精霊らが自らを展開していくことで、実際に起こる事象から成り立っている、ということを知る。 そしてノームたちは、人間に対して、これまで描写したような関係だけでなく、大地から自らの宇宙言語を響き渡らせ、ウンディーネたちは、自らの宇宙言語を上へと流れ漂いながら響かせ、シルフたちは上から稲妻のように響かせ、火の精霊たちが、雷鳴のような合唱として、力強い声の展開が、1つに合流するように勧告する。 これらの精霊たちの勧告としての宇宙言語は、人間社会に、出現するような言葉に置き換えられてきた。これらの言葉は宇宙言語の一部で、たとえ通常の意識では、聞くことが出来なくても、これらの言葉は人間にとって非常に意味をもつ。 なぜなら、「宇宙は言葉から造り上げられた」という太古の遺伝的な霊視に基づく観照は、深い叡智を示しているからである。しかし、宇宙をつくる宇宙言語は、一握りの数の音節から構成されたものではなく、数え切れないほど多くの存在たちから、響き合って成立したものである。 数え切れないほど沢山の存在たちが宇宙の全体性を語るので、宇宙言語は、数え切れない莫大な数の存在たちから一斉に鳴り響いてくる。「宇宙は言葉から生まれた」という一般的で抽象的な真理は、この真実を完全に伝えることはできない。
2010年05月20日
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この地上では、鳥たちの死が生じるのは一年のある時期だけだが、火の精霊たちは、見える霊的実質を、1年中ずっと万有宇宙へと注ぎ出すよう気を配っている。地球は周囲に1種の火の精霊による火のマントを纏っている。外から見る(霊視する)と、地球は火のように見える。 しかし、人間が見る光景とは全く別様に、地球を見る(霊視する)存在たちにより、地球全体の出来事が引き起こされる。人間にとって、地球は、地上に立ち、歩けるような堅い実質からなると感じられるが、ノームたちにとって、地球は、透過性の空洞の球である。 ウンディーネたちにとって、水とは、その中で、燐光放射を感じ取り、自分のなかに吸収し、体験できるものである。 シルフたちにとって、死にゆく鳥の世界から発する空気のアストラルは、従来のものより、遥かに鋭く煌く稲妻にするもので、シルフたちには、通常、鈍く青みがかった稲妻にみえる。 そしてまた、蝶の死も、いわば地球を火の外皮のように絶えず覆い続けるものである。これを観照すると、いわば地球は素晴らしい火の絵画に取り巻かれているようで、逆に、地球から見渡すと、煌く稲妻、燐光を発し消えていく、ウンディーネたちがいる。 これら全てをまとめると、次のようなイメージが浮かび上がる。 「この地球上では、これらの元素霊たちの活動的な営みがある、元素霊たちは上を目指し、地球の火のマントのなかで消え去る。」 しかし実際、元素霊たちは消滅するのではなく、高次のヒエラルキア存在たちの中へと移行し、そのなかに自分の永遠の実在(相応しい居場所)を見つける。 最終的に素晴らしい宇宙絵画のように見える地球全体のイメージも、結局は地球上で生じている事象の現れであり、全事象の最初の段階が、この地球上で起こる。 人間は常に、この宇宙絵画の内にいる。従って、たとえ通常の意識において、最初、これらの環境を把握できなくても、人間は、毎晩、精霊たちの活発な営みのなかにいて、自我及びアストラル体として、精霊たちの営みにも参加している。 特にノームたちにとって、睡眠中の人間の観察は一種の楽しみで、ベッドのなかの物質(肉)体ではなく、物質体の外にいる自我及びアストラル体としての人間を観察し、人間が本当はそのような霊体のなかで思考しているのに、そのような事実を知らない人間を知るのが一種の楽しみとなる。 また、ウンディーネにとっても、人間が、これほど自身を知らないのは不可解で、更にまたシルフや火の精霊にとっても同様な思いをもっている。 物質界では、夜中に、蛇のような存在に巻きつかれるのは、心地よいものではない。しかし、夜、(睡眠中の)人間の霊的部分、つまり自我やアストラル体は、これらの元素霊たちに、蛇のように包まれ取り巻かれている。それは、人間に対して、宇宙に関して、本質的に、もっと知るように、意識をもって前進せよという勧告でもある。 従って、このような精霊たちを理解するには、これらノーム、ウンディーネ、シルフ、火の精霊といった存在たちが、人間の睡眠中、いかに飛び交っているか、実際、人間の何を面白がっているか、人間に意識をもって、更に進むように勧告することで、人間から何を欲しているか等、精霊たちの勧告を聴き始めると、精霊たちは、どのようになるか、についての理解が必要である。 ノームたちがやってきて、たとえば次のように言う。 お前は自身を夢見ている そして目覚めを避けている。 ノームたちは、実際、人間が夢のなかに自我をもち、夢でなく、真の自我に到達するには、正しく覚醒しなければいけないことを知っている。ノームたちは、人間に関するこの真相を明確に理解している。従って、ノームたちは、睡眠のなかで人間に呼びかける。 お前は自身を夢見ている ■昼には次のように言う■ そして目覚めを避けている。 更にウンディーネたちの呟きが響いてくる、 お前は天使の振る舞いから思考している・・(天使とは、高次のヒエラルキー存在) 人間は、自分の思考が本来、天使の下にあることを知らない。 お前は天使の振る舞いから思考している それなのにその真実を知らない。 そして、シルフたちから、眠っている人間に向かって響いてくる。 お前に創造力が輝く お前はそれを予期しない お前はその力を感ずる ■創造の力■ それなのに、この力に生を与えない。 以上がおおよその、シルフ、ウンディーネ、ノームの言葉である。 火の精霊の言葉は お前を神々の意志が力づける お前はそれを受け取らない お前はその力で意志する ■神々の意志の力■ それなのに、お前は、この力を突き離す。 これらの言葉全ては、人間に自らの意識と共に先に進めという勧告なのである。 (精霊たちのいうことは、宇宙に対して恩恵ばかりを受け、甘えるなということに要約されると思われる。もっと気概と独立心をもて、ということだろう。 代弁して述べるなら、まず、人間は、自分が宇宙に対して何者であるかすらも、理解できず、欲望や夢ばかりを追いかけ、他の存在の恩恵のもとに、甘えている。 人間の知性だって、そもそもは、天使たちの借り物なのに、返しもせずに、自分のものと錯覚している始末である。 天使たちの知性から創造力を授かるが、宇宙にその力を還元しない。自分たちだけで利用しようとする。そしてまた、独自で判断できる意志を、神々は与えたが、かえってそれを放棄し、自分の判断を誰か他に委ね、責任をとろうとしない。 こんな厄介な人間に対して、神々が、キレないのも、愛情という忍耐力のなせる業なのだろう。)
2010年05月18日
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続いてシルフに移る。1年の経過のなかで、死んでいく鳥たちを発見する。この死んでいく鳥たちが、霊化された実質を持ちながら、地球から上昇するために、これらの霊化された実質を、高次の世界に引き渡すことを、以前述べた。 しかし、このとき、媒介者が必要である。シルフが、この媒介者である。実際、死んでいく鳥の世界を通して、大気(空気)は絶えずアストラルに満たされていき、低次のアストラルとはいっても、まぎれもないアストラルの実質に満たされる。 このアストラルの実質のなかを、「羽ばたく」のではなく、「浮遊する」のは、シルフである(アストラルのなかを羽ばたくことはできないので、浮遊するという表現がよい)。シルフたちは、死んでいく鳥の世界から発する霊化された実質を吸収し、ウンディーネと同じように、憧れに満ち、鳥の死を高みへと運び、高次のヒエラルキア存在たちによって、呼吸し尽くされることを欲する。 シルフたちは、高次のヒエラルキア存在の呼吸のために、自らを差し出す。ウンディーネと同様に、シルフのいわゆる供犠もまた壮大な光景である! 死んでいく鳥の世界を見るとき、鳥のアストラル的な、内的に輝く実質が空中に移っていく。 シルフたちが青い稲妻の如く、空気を貫いていくと、この青い稲妻のなかに、最初は緑、次いで赤みを帯びながら、鳥の世界から発してくるアストラルの霊的実質を、シルフたちは吸収し、上に向かって煌く稲妻のように上昇していく。これを空間の外まで追っていくと、シルフたちは高次ヒエラルキア存在たちに呼吸される。 従って、精霊のこれまでの性質をまとめると、次のようになる。 「ノームたちは、宇宙を、その構造に従って、別の宇宙へと携えていく。ノームたちは、いわば(比喩的にいえば)水平的な進化と共に進んでいく。他のウンディーネやシルフたちは、自身の死のなかで、(ヒエラルキア存在に)味わわれ、食され、呼吸されるなかで至福と感じ、上へと霊的実質を携えていく。」 このように、精霊たちは、高次のヒエラルキアのなかで更に生き続け、そのなかに自らの永遠を見つける。 次に火の精霊に移る。火の精霊と関わりの深い、蝶の翅(はね)の鱗粉は、死にゆく蝶と共に融けて消えるようにみえる。ところが、鱗粉が融けて消える、というのは間違いである。蝶の翅から飛散する鱗粉は、最高に霊化された実質である。 この霊化実質は、全て、地球を取り巻く熱エーテルのなかへと、いわば鱗粉の1つ1つが極小の彗星のように飛び去っていく。1年の経過のなかで、蝶が終わりを迎えるとき、蝶の世界はキラキラと煌く、内的な煌めきの世界となる。 そして、この煌めきの世界のなかに、火の精霊たちが溢れ出し、これを吸収する。火の精霊のなかで、吸収された霊的実質は、キラキラと煌めき続け、火の精霊も、他の精霊たちと同じように、憧れを抱く。 火の精霊たちは、このように吸収した霊的実質を、高次へと運び。そして(既に、別の側面から描写したが)、蝶の翅から火の精霊によって外へと運ばれた霊的実質が、宇宙空間へと煌めき出る様子を、霊視により、見ることができる。 しかし、霊的実質は、外へと煌めき出、流出するだけでなく、地球に関する高次ヒエラルキア存在の本質的な視覚をも生み出す。 高次のヒエラルキア存在たちは、地球を眺め、地球に関しては、主に、この火の精霊によって運ばれた蝶-昆虫を見る。火の精霊たちの最高の歓喜は、高次のヒエラルキア存在の霊眼の前に置かれ、あるがままの自分を感じ取ることにある。 火の精霊たちの最高の歓喜は、見られること、つまり、高次のヒエラルキア存在の霊眼に受け入れられることにある。火の精霊たちは、高次のヒエラルキア存在を目指して進み、地球に関する叡智を、高次存在に、もたらす。 以上から、4大元素霊たちが、いかに地球と霊的宇宙(霊界)との媒介者であるかがわかる。 (アリストテレスは、4大元素霊、つまり精霊のことを、土「ノーム」、水「ウンディーネ」、空気「シルフ」、火「サラマンダー」と語っていたようである。アリストテレスの弟子たちが、無能なので、いわゆる霊能力がなかったので、物質と勘違いしたようである。 錬金術に関しても、水銀や硫黄、燐、塩といった元素を、19世紀以降の人間は、物質と勘違いしているようだが、本質は、霊的存在で、今風に要約するなら、エネルギー体が辿るプロセスや状態のことを意味する。 これと似たような話は、空海にもあり、密教では、水銀を用いるという話があるが、この水銀は、物質の水銀ではなく、広い意味での霊的な水銀で、液体全般を表す。他の金属とは違い、水銀は、常温で液体なので、オカルトでは、地球の物質ではなく、よく月の物質と呼ばれる。 恐らく、空海が真言密教と名づけたのは、物質的な偽りの言葉ではなく、霊的な真実の言葉の意味を教える学問という意味があるのだろう。) 高次のヒエラルキア存在の光の海・炎の海のなかで、糧となって消えて行き、燐光を発し、上昇するウンディーネたちの光景や、高次のヒエラルキア存在に呼吸されるシルフたちの、上へと煌き、緑がかった赤みの稲妻など、精霊たちの領域では、地上の実質が絶え間なく永遠の霊的実質へと転じ続ける火の精霊たちが永遠に生き続ける。
2010年05月17日
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次に、ノームから、ウンディーネ、つまり水の精霊たちに移る。これらの精霊たちは、人間が持つような生の欲求や、動物が持つ、本能的だが、生の欲求すらももたず、ほとんど次のように言えるような、非常に奇妙な感情が、実際、生じている。 「ウンディーネたち、シルフたちは、生よりも、むしろ死への欲求を有している。」 真に、これらの精霊たちは、宇宙的な形で炎のなかに飛び込んでいく虫のようである。 これらの精霊たちは、本質的に、死んではじめて本当に生命を持つことができる、と感じている。これは非常に興味深いことで、この物質的な地球においては、全てが生きようと欲し、自らのうちに、活力を漲らせ、萌えあがらせ、芽生えさせる、生命力をもつことが評価され、重んじられるからである。 物質的な地球の生を超えていくと、これらの精霊たちが次のように語りかける。 「本当は、死こそが生の始まりなのですよ!」 そしてまた、これらの精霊たちは、(死と同時に)物質的な地球の生をも感じ取っている。 なぜなら、ウンディーネについて霊視すれば、航海の経験豊富な船乗りが、東の海上では7月、8月、9月に、それより西では、6月に、海が独特の印象を与えることを知っていて、この船乗りは次のように言うからである。 「海が花を咲かせ始める。」 海の中の腐敗物により、海がいわば萌えるようになる。海の腐敗が起こり、そのため海は独特の腐った臭気を発する。 しかし、人間には腐った臭気も、ウンディーネたちにとっては異なる。ウンディーネたちは何ら不快も感じず、海中で腐敗する何百万もの水の生物たちが崩壊していくとき、ウンディーネたちにとって、海は極めて素晴らしい燐光を発する色彩の戯れに輝くものとなる。 海のありとあらゆる全てが可能な色彩に輝き煌めく。ウンディーネにとって、海は、特に青みを帯び、菫色、もしくは緑がかった色彩で内にも外にも煌めく。海中の腐敗全体は、暗い緑の色彩で、鈍い煌めきとなる。 ウンディーネにとっては、このような色彩が現実となり、このときウンディーネたちが、この海の色彩の戯れのなか、この色彩を自らのうちに吸収するのが見られる。ウンディーネたちは、この海の色彩を自身の肉体のなかに引き込む。 ウンディーネたちは、この色彩の戯れのようになり、ウンディーネ自身が燐光を発するようになる。そしてウンディーネたちが、この色彩を吸収し、自ら燐光を発することで、ウンディーネ自身の中に何か憧れのような、上昇したい、浮かび上がりたいという衝動が生じる。 この憧れの衝動がウンディーネたちを浮上させ、この憧れと共にウンディーネたちは、高次のヒエラルキア存在の天使(アンゲロイ)、大天使(アルヒアンゲロイ)他に、自らを大地の糧として差し出し、至福を見い出す。こうして、ウンディーネたちは高次の霊的存在たちの内部で生き続ける。 これらウンディーネのような霊的存在たちが、早春となるたびに、底知れぬ深みから、上へと発生するのは奇妙な現象だが、このとき、ウンディーネたちは、以前描写した形で植物に働きかけることで、地球の生にも参加している。 また、ウンディーネたちは、水中に溢れ出し、自身の肉体を通して、水のなかで、燐光を放射し、つまり腐敗物を吸収し、壮大な憧れのなかで、これを上へと運ぶ。 従って、地球の水から発生し、ウンディーネを通じて、もたらされた霊的実質な色彩が、高次のヒエラルキア存在たちに、糧として、提供される様子が、巨大で、壮大な宇宙像のなかに見られる。 ウンディーネたちの憧れは、高次の霊的存在たちに、自分を食べ尽くしてもらうことなので、高次のヒエラルキア存在にとって、地球は食料の供給源となる。 ウンディーネたちは、このような形で、高次存在のなかで更に生き続け、いわば永遠のなかに参入していく。実際、このように、地球から形成された内面を持つウンディーネたちの、絶えることのない上への流出は毎年起こり、ウンディーネたちは、憧れに満たされながら、輝きを放ち、自らを糧として高次存在たちに差し出す。
2010年05月14日
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新月のとき、ノームは、その内部で思考の戯れが輝いている、透明で小さな人間のように見える。新月の時、ノームたちは極めて興味深い。なぜなら、それぞれが自らのなかに宇宙全体を担っているからで、次のようにいえる。 「宇宙のなかに、本来の月の秘密が安らいでいる。」 この月の秘密を解明すれば、非常に奇妙な結論に至る。つまり、月は現在、絶え間なく(地球に)接近しつつある(勿論、月があたかも地球を目指して突進してくるかのような粗雑な想像をする必要はないが)、月は実際、毎年少しずつ近づいてくる、と、ノームは自らに言い聞かせている。 そして実際に月は毎年地球に少しずつ近づいている。この事実は、ノーム世界において、新月に、益々活発になっていく月の力の作用から知ることができる。そして、この月の接近に対して、ノーム(小鬼)たちも特別な注意を払い、月がノームに行う作用から結果を引き出すことを、万有宇宙における自分たちの最大の使命とみなしている。 ノームは、月がまた地球と一体化する時を非常に緊張して待ち受け、全力を集中して、準備している。というのも、その際、ノームは、月の実質を用いて、地球の全実質に応じて、徐々に地球の実質を宇宙に分散させ、(地球の)実質をなくしていくからである。 このような使命を、宇宙から定められていることで、ノームたちは、自分たちを特に重要な存在と感じ、地球全体に渡り、極めて様々な経験を集め、全地球実質を、宇宙に撒き散らし、地球紀から木星紀へと進化していくときに、地球の構造のなかの良い部分を保管し、これを、一種の骨格として木星に組み込む準備を行う。 このような事実を、ノームの観点から捉えるなら、この地球から、水(海)を全て取り除いたらどうなるか、という描像を考え、思い浮かべることになる。地球の西半球(アメリカ、アフリカ大陸)では、北から南へ、東半球(ヨーロッパ、アジア大陸)では、東から西へと地殻構造が方向付けられている。 つまり、地球から水(海)を取り去ったなら、アメリカ大陸は、山地や海面下にある地殻も含めて、北から南へと延びる大陸構造として考えられる。そして、ヨーロッパ大陸を眺めると、アルプス、カルパチアなどに沿って東半球において、東から西への方向に延びる大陸構造が得られる。 この2つを合わせると、漠然として何か、地球上の十字構造が得られる。 この十字構造に霊的に参入していくと、この構造は元々月紀のノームの世界を集合させたものであるという印象を受ける。従って、現在の地球のノームの祖先たち、つまり、月紀のノームたちが、月の経験を集め、この堅い地球の組織構造を、経験から作り上げたことがわかる。 つまり、地球の堅い地殻形態は、本質的に、月紀のノームたちの経験から得られた。 ノームの世界に関連して、このような事実が発生してくる。この事実から、ノームたちは、万有宇宙の全進化に対して、極めて興味深い関係を獲得する。ノームたちは、いわば常に、固体(土)を、過去の存在から未来の存在へと運んでいる。 ノームは、(宇宙)進化における堅い構造(土)の継続の守護者である。このように、ある宇宙体から別の宇宙体へと、ノームたちは堅い構造(土)を継続し、保持していく。 超感覚的世界の、これら霊的存在たちに接近し、この存在たちの特殊な使命を研究するのは、極めて、興味深い。なぜなら、このような精霊たちを研究することではじめて、宇宙のなかに現れている存在全てが、宇宙のあらゆる形成(創造)に際して共働している、という印象が得られるからである。 (「ノーム」という呼び名は不思議である。遺伝子学の造語「ゲノム」に似ているし、幾何学の空間の長さを定義する「ノルム」にも似ている。「ノルム」はドイツ語のNORM「基準」という言葉からきている。「ゲノム」は、遺伝子「ジーン」と総体「オーム」の組み合わせ造語らしい。 ちなみに、総体「オーム」は、「あうむ」と読め、阿吽の呼吸と関連する。)
2010年05月13日
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(この世の)感覚界の存在をよく知るには、その活発な活動を観察するときであることを、これまで述べてきた。そして今述べている存在、いわゆる元素霊(精霊)たちの場合にも、感覚界と同様にあてはまり、感覚的-物質的存在の背後に、超感覚的に存在する。 或いは本質的に、感覚的-物質的存在よりも、高次の意味で、宇宙の全事象に参加する不可視の存在たちの場合にも、感覚界の感覚的-物質的存在と同じく、あてはまる。 (唯物的科学には観察力が必須だが、霊的科学つまり人智学にも、同様に、それ以上の観察力「洞察力」が必須で、シュタイナーは、この観察力にも、3段階の進化があるとしている。 第1段階がイマジネーション「霊視力」で、物質的観察力、いわゆる論理的な科学的分析力を超える直感的理解力である。論理というのはどうしても間接的で後手にまわらずを得ない。 現象が起こってしまってから、あれこれと論理を駆使して議論し、条件をモデル化し仮説を立て、実証するが、そもそも、細部まで検証すると宇宙に同じ事象というものは存在しないから、似たような分類しかできないし、似たような現象を近似的に処理するしかない。 つまり、イマジネーションは、事象が現実化「物質化」する一歩手前に予測する能力でもある。 第2段階はインスピレーション「霊聴力」で、イマジネーションよりも更に深い詳細な理解力である。イマジネーションは、いかなる現象が起こるか予兆を知ることができるが、その意図までは理解できない。インスピレーションは、意図を理解できる。 第3段階は、インテンション「霊人力、或いは天地融合力」で、事象とともに、事象を起こせる理解力である。宇宙の創造の意図を知り、自ら行うような預言者、救世主といえる。) さて、宇宙は、この存在たち(精霊)にとっては、感覚界の存在たち(人間)とは異なって見える。というのも、感覚界の存在が持つ物質(肉)体を、この存在たち(精霊)は持たないからである。 この存在たち(精霊)が宇宙で理解することや知覚全ては、例えば人間の視覚に押し寄せてくるものとは異なり、実際異なってみえる。 例えば、人間は、その地上を歩きまわる天体として、地球を感じている。 もし、この天体が、時折、大気の循環により、柔らかくなり、人間がほんの少しだけ地中に沈むようならば、不快に感じるだろう。人間は、硬い大地を感じ、少なくとも地中に沈まないように感じたい。 人間のこのような硬い大地の感じ取り方、つまり人間の地球へのこのような姿勢は、例えばノームには全く存在しない。ノームは地球のどこでも沈み、ノームにとって地球という天体全体は、通過可能な空洞のような存在である。 ノームは地球のどこにでも入り、岩石にも金属にも入り、自らの本質を携えて歩きまわり、泳ぎ回る、というように、ノームの泳ぎを妨げるものがないからである。 人間の言語には、地球の内部における、このノームたちの逍遙を表現する語はない。ただ、ノームたちは、地中の様々な成分に関する内的な感性や内的経験を持ち、例えば、ノームは金属の鉱脈に沿って移動するときと、石灰岩の層に沿って進むときでは別様に感じる。 つまり、ノームは、地中全てを内的な形で感じ、地中全てを突き抜けていく。ノームは本質的に、地球の存在すら思い浮かべることもなく、例えば、金や、水銀や、錫や、石英の感情などといった様々な感情を、体験する空間が存在する、と思っている。 実は、このような感情も、人間の言葉で語っているだけで、実際のノームの言葉ではない。ノームの言葉は、人間の言葉より、遥かに具象的で、本質的に、その生涯に渡り、全鉱脈や全地層を、繰り返し渉猟することで、以前、述べた究極の知性を獲得する。 ノームはそのような行為から包括的な知識を獲得し、地中の金属のなかで、外の万有宇宙のなかの全叡智がノームに明かされ、まるで鏡にでも映るように、感じ取る。けれども、地球の存在自体に対しては、ノームは観照力を全く持たず、地球の様々な成分の、様々な性質の内的体験だけを観照する。 (このようなノームの性質から、ノームは地底人伝説の元凶なのではないかと思う。) 代わりに、ノームたちは月からくるイメージに対して、特別の天分を持つ。月はノームにとって、常に注意深く様子を伺うべき存在である。この点でノームたちは、いわば「発生」以来(「生まれつき」という表現は的確でなく、人間の言葉では表現が非常に困難なので)の神経衰弱な患者といえる。 人間においては、神経衰弱質な病気となるが、ノームにとっては、本質的な生の要素である。月に過敏な体質は、ノームにとっては病気ではなく、自明である。この性質が、以前、ノームに関して述べてきた全性質に関係する内的な敏感さを与える。従って、ノームはまた月の様相の変化に対し非常に内的な敏感さをもつ。 ノームたちは、この月の様相の変化に、非常に注意深く、この内的な注意力がノームの姿さえも変化させる。従って、ノームの生態を探求すると、満月の場合や、新月の場合、或いはまた、これらの中間の月相の場合では、実際、全く異なったイメージを与える。 満月のとき、ノームは不快になる。ノームにとって、物質的な月光は嫌いなので、ノームは、全感情を外に向かって駆り立て、満月になると、いわゆる、霊的な皮膚を全身に張り巡らし、自らを覆い、体の周囲へと感情を押しやる。 (このような満月時のノームの性質は、狼男の性質を浮かび上がらせる。狼男等のモンスターのモデルは、ノームにあるのかもしれない。古代の霊能者が、ノームを他の人間に説明したのが、伝承するうちにモンスターになったのだろう。 日本の河童も、似たような経緯をもつのだろう。しかし、河童は川の怪物なので、ウンディーネがモデルだろう。人間に関わりをもつノームやウンディーネは、悪の性質をもつから、伝承としてモンスターになったのだろう。) 従って、このような事実を、イマジネーション(霊視)的に観れたなら、満月が輝くとき、ノームは甲冑を付け、光を放つ小さな騎士のように見える。そのとき、ノームは霊的な甲冑のようなもので身を覆っているが、不快な月光を避けるために、外へと皮膚を急き立てる。 しかし、新月に近づくと、ノームは逆に透明になり、奇妙にも、ノームの中には、キラキラと光を放つ色彩の戯れが見える。それは、まるで宇宙全体がノームのなかに生起している様である。 それはまるで、人間の脳のなかを覗き込むのと同じである、と述べたいが、ただし、それは、脳の中の細胞組織を探求するような解剖学者のような視点からではなく、脳のなかで、キラキラと思考が輝いているのを観るような視点から覗き込むなら、ではの話である。
2010年05月12日
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ノームやウンディーネと同様に、良い種類のシルフや火の精霊は、人間から距離をおき、以前、示唆した形で、植物の成長に関わるが、(人間や動物に関わろうとする)悪い種類も存在する。 悪い種類のシルフや火の精霊は特に、上の空気-熱の領域にのみ存在すべきものを、下の水的、土的領域へと運ぶ。 さて、例えば、シルフが、上に向かい、上に存在すべきものを、上の領域から下の水や土的要素の領域へと運び下ろすときに生じるのを研究するなら、ベラドンナ(1)をみればよい。ベラドンナの花は、(悪い)シルフにキスされたために、本来良い液となるものが、毒に変化してしまった。 1)ベラドンナ和名セイヨウハシリドコロ。ナス科の多年草。葉は卵型、葉の付け根に暗褐色の花をつけ、黒色の液果をつける。全体にアトロピンなどのアルカロイドを含み猛毒。瞳孔を拡大させる作用があるため、ルネサンス時代のイタリアで、瞳を大きく見せる美用法として用いられたことがあり、ベラドンナという名前はこの意味(Belladonna 美しい婦人)に由来する。非常に希釈して(最低でも原液の千万分の一の希釈)ホメオパシー療法でも用いられる。ベラドンナの特性と人間への作用については、『精神科学と医学』(GA312)第19講での説明も興味深い。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%8A このベラドンナの場合、領域(階層)の不一致と呼べる間違いが生じている。 シルフは、以前描写したように、絡むような光の力を発達させるが、人間には文字通り光により触れられように感じるが、これは、上にある鳥の世界が必要とするからだが、もし、シルフが下へ降り、植物界に関して、上部に適用すべきことを下部に用いると、植物のなかに強い毒が生じる。 寄生生物的な存在は、ノームとウンディーネにより生じ、シルフは毒を生じさせる。本質的に、毒とは、過度に深く大地へと流れ込んだ天である。 人間、もしくは、ある種の動物が、ベラドンナ(いま描写したことは、ベラドンナの形のなかに見て取れる。ベラドンナは、一見、サクランボのようにも見えるが、毒が萼の中に隠れ、下部へと押しこめられている。)を食べると、死んでしまう。 ところが、ツグミやクロウタドリのような鳥は、ベラドンナの枝に止まり、この世界での最良の食料としている。ベラドンナのなかの毒は、ツグミやクロウタドリの領域の一部である(2)。2)この点は、『精神科学と医学』(GA312)第15講(この講義、つまり人智学的医術その96)で、オニグモを食べたツグミがその毒の作用を消すために、ヒヨス(ベラドンナと同じくナス科の毒草)を食べる、と述べられている事実とも関連する。 http://plaza.rakuten.co.jp/5dolphin/diary/200904140000/ この毒に、ツグミやクロウタドリに代表される鳥たちたちが耐えられるのが、いかにも奇妙な現象にみえる。 上の鳥たちの領域にあるものが下へと運ばれ、本質的に、下部組織により、大地と結びついている動物や人間が、地では、ベラドンナのなかで失われた本質を、毒として摂取し、他方、鳥たちは、シルフ(良いシルフも含む)を通じて、霊的な形で、得たとしても、これと全く同じ毒を食料とするからである。 鳥たちよりも、大地に強く結びついている生物たちにとっては、毒となるものが、鳥たちにとっては、食物となる。 このように、ノームやウンディーネにより、寄生生物が、地から天へと、他の存在めがけて上昇する一方で、逆に、毒が上から滴り落ちてくる様子に関して1つの知見が得られる。 シルフに対して、蝶の領域に属する火の精霊たちが、蝶の進化のために非常に役に立つ衝動で自らを貫き、植物の果実のなかへと下降させるなら、例えば、アーモンド類の植物のなかに有毒なものが生じる。 この毒は、火の精霊の働きにより、アーモンドの実のなかへと下ろされる。(悪い)火の精霊により、食している果実が、悪しき形で、燃やされなかったら、そもそもアーモンドの実も生じることができない。 ともかく、アーモンドを構造的にみると、他の果実の場合、中心に白い核があり、その周囲に果肉があるが、アーモンドの場合、中心に核があり、周囲の果実はいわば周囲の果肉は焼き尽くされている。これが火の精霊の働きである。 そして、この火の精霊の働きが節度を失い、働きが、単に褐色のアーモンドの外皮に入り込むだけなら、まだ良いが、外皮にとどまらず、僅かでも、アーモンドの白い核の内部まで入り込むなら、アーモンドは有毒になる。 このように、この世の境界のすぐ向こうの世界で、隣人として存在する精霊たちが、その衝動を実行するとき、寄生生物や毒の担い手となり、更には病気の担い手となることに関するイメージが得られる。 このように、病気のなかで、人間を捉えることから、人間が健康な存在として、どこまで発達(進化)していけるのかが明らかになる。 というのも、これは創造や構築全て、いわゆる自然の成長や発生、更にまた自然の破壊をも可能にするために、この世の向こう側に存在すべき、火の精霊のうちの、悪い種類の存在の進化と関係があるからである。 結局、この関係は、遺伝的継承による霊視から発したインドのインテュイション(神通力、神人一体)による、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァに関する精霊の存在の根底にある。 ブラフマーは天の領域において、人間への接近を許され活動する精霊の存在を表し、ヴィシュヌは、構築物を絶えず再度、破壊しなければならない、つまり絶えず、構築物を変化させる限りにおいて、天の領域において人間に接近が許されている精霊の存在を表し、そしてシヴァは、様々な破壊力と関係する精霊の存在全てを表す。 古代インドの高度文化時代には次のようなことが言われていた。 「ブラフマーは火の精霊やシルフの全性質と密接に関係がある、ヴィシュヌは、シルフ-ウンディーネの全性質と関係がある。シヴァは、ノーム-ウンディーネの全性質と関係がある。」 総じて、これら古代イメージを遡っていくと、今日、自然の根底にある秘密として再探求すべき存在が、至るところで、具象的に表現されている事実が見い出せる。 さて以上のように、以前、この不可視の精霊と植物界との親和性を観察したが、いま、この不可視の精霊と動物の世界との親和性を付け加えた。 つまり、この世とあの世の境界のこちら側(この世)の存在たちは、至る場所で境界の向こう側(あの世)の存在たちに干渉し、境界の向こう側(あの世)の存在たちは、境界のこちら側(この世)の存在たちに干渉する等々である。 そして、この両者の活動的な共同作用の事実を知るときのみ、可視の世界がどのように展開していくかが真に理解できる。 人間にとって、超感覚的世界の認識は真に不可欠で、というのも、死の門を通過する瞬間、人間の周囲には、もはや(この世の)感覚世界はなく、このとき別の世界が人間の世界となり始めるからである。 現在の進化においては、人間はこの別の世界(あの世)へと(生きながら)赴くことはできない。従って、この向こう側の別の世界(あの世)を指し示す文字を、いわば物質的な顕現から認識しなかったなら、また、地の動物、水の動物、空気の動物、そして光の動物というべき蝶のなかに、死と新たな誕生との間の同居人である精霊(4大元素霊)たちが示すものを読みとる術を学ばなければ、別世界(あの世)を知ることもない。 しかし、これらの精霊の存在に関して見つける知見は、この誕生と死の間の人生においては、唯一、どこでも、粗雑かつ濃密な部分的断片というべきものである。超感覚的な存在に属するものは、洞察力や理解力(霊視)をもって、この超感覚的世界へと赴くとき、はじめて認識できる。
2010年05月11日
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しかし、霊界へと境界を踏み越えた瞬間、人間はすぐに、霊界の策略に入り込む。実際、霊界の至る場所に罠があり、人間は、小鬼たち(悪い精霊)から学び、用心する必要がある。 例えば、心霊主義者(スピリッチャリスト)たちは用心深くない。罠が至る所に張り巡らされ、次のような問いにいきつく。 「悪いノームやウンディーネたちが寄生生物を発生させるなら、そもそも一体、この寄生生物は何のために存在するのか?」 もし、これらの悪い精霊たちがいなければ、人間は、自らのなかに、その脳という塊を作り出す力を発達させることができなかっただろう。 (聖書の記述通り、人間の知性は脳にあり、脳は、悪い精霊たちが、人間のなかに寄生生物になった下等生物を付加したことでできたという。昨今、粘菌と脳の関係が取り沙汰されているが、この講義から、関連性がわかる。) 従って、この問いから、極めて重要な真実に到達する。 この真実を図式的に描いてみる。人間を、新陳代謝-四肢人間と、胸-リズム人間と、頭人間の神経-感覚人間として、3つに大別して考えるとき、明白に理解すべきことは、胸人間(リズム人間は除外)の下のプロセスの進行と、胸人間の上のプロセスの進行は相対することである。 上と下で生じるプロセスを一緒にすると、本質的に、通常の生活において、大抵、誤解されている結果が生まれる。その最たるものは、腸や、腎臓を通じての排泄を代表とする下へと流出する全排泄プロセスである。 大抵、この排泄プロセスは、単に排泄が目的のプロセスとしか見られていない。しかし、この見解は馬鹿げている。 排泄のための排泄ではなく、(胸部より)上で、物質的な脳の類似物が出現するのと同じ量の排泄物が、下部の中に霊的に出現する。下部で生じている排泄プロセスは、物質的進展において中途の段階に止まっている。 排泄が行われるのは、排泄プロセスが霊的な実質へと移行するからで、上部においては(排泄)プロセスは(脳の形成として)完了している。下部における霊的実質が、上部では物質的実質へと形成される。 つまり、上部では物質的な脳を、下部では霊的な脳を人間は持っている。 もし、下部で排泄された霊的実質を、更なる排泄プロセスの支配下に置き、改造を続けていくなら、最終的な変容として、人間の脳となるだろう。 人間の脳は、更なる排泄により変容形成を受けた排泄物である。この真実は、例えば医学的な関連においても、非常に重要なことで、16、17世紀の当時の医師たちにはまだ熟知されていた知見であった。 今日では、かつての「排泄物薬局」として軽蔑されても、当然な間違った知見もあるとはいえ、非常に軽蔑的に語られている。しかし、当時の知見を馬鹿にするのは、排泄物のなかに、いわば「霊のミイラが存在する」ということを、知らないせいである。 勿論、だからといって、近代の数世紀において、排泄物薬局として現れた、間違った見解を崇拝するわけではなく、いま、ここで述べたような深い関連を持つ、多くの真実を指摘するだけである。 (太古の医者は、排泄物から、人間の特徴を推測できたようである。いまでも動物学者の一部が、動物の排泄物から、動物の状態を言い当てることができることから、わかる。太古の医者は、人間の糞から、その人の気質「自我」を読み取り、尿から、その人の感情「アストラル体」を読み取り、汗から、その人の体質「エーテル体」を読み取ったようである。) 脳は、純粋に排泄物の高次の変容体である。従って、脳の病気は腸の病気と関連し、脳の病気の治療は腸の病気の治療と関連している。 ノームとウンディーネが存在することで、ノームとウンディーネが生きることのできる世界があり、力が存在する。勿論、人間の下部に、寄生生物を発生させることもできるが、同時に、上部のなかに、排泄物を脳に変容させる切欠ともなる力を与える。 もし、ノームとウンディーネが存在するように、この世界が作られていなかったら、人間は脳という器官を持つことはできなかった。 破壊力に関しては、ノームとウンディーネに当てはまる(破壊、解体は、やはり脳から生じる)が、構築力に関しては、シルフと火の精霊に当てはまる。
2010年05月10日
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ところで、前回述べた、睡眠中の夢への参入と同様の方法で、人間は起きているときの昼の生活にも参入できる。昼の生活において、人間は全く無骨な形で、物質(肉)体を用いている。このことに関しては「ゲーテアヌム」誌の論文のなかで述べた。 昼の生活において、人間は、全くといってよいほど、次のような事実の洞察までには到達していない。 その洞察とは、昼の生活のなかにも、常に火の精霊を霊視でき、火の精霊たちは、人間の思考と、頭部の組織から発する全てと、内的な親和関係にある、ということである。 従って、人間が、完全に覚醒した昼の意識をもち、しかも、ある意味、自身の(肉体の)外にいる状態になれば、つまり、いわゆる完全な理性的存在で、両脚でしっかりと大地に立ち、しかも同時に、自らの(肉体の)外にいる(自分であると同時に自分と相対する自分ではない存在、すなわち自己の思考を、外から眺める対象として観察できる)という状態になれば、そのとき、もし、火の精霊たちを知覚できれば、火の精霊たちが宇宙のなかで、別の側から、思考を知覚可能にするように、構成していることを認識できる。 このように、火の精霊を知覚することは、自身を思考の存在として見ることへと導き、思考の存在として、思考を煮詰めるだけでなく、思考の経過の観照へと導く。ただ、このとき、思考は、人間に結びつくことをやめ、思考は、自らを、宇宙の思考として呈示し、思考は宇宙における衝動として、生命体として活動する。 このとき人間は次のことに気づく。 「人間の頭は、あたかも、この頭蓋の内部に、思考が閉じ込められているかのように思う幻影を、呼び起こしているにすぎない。」 思考は、ただ頭蓋内部に反映しているだけで、そこにあるのは思考の鏡像である。思考の根底にあるものは、火の精霊の領域に属する。この火の精霊の領域に参入すると、人間は思考のなかに自分自身を見るだけでなく、宇宙の思考内容を、つまり、本質的に、同時にイマジネーション(霊視)的な内容である思考内容を見る。 つまり、この思考内容は、自身から出ていく力であり、宇宙思考を、思考として呈示してくれる力である。従って、次のような結論に達する。 「人間の身体ではなく、火の精霊領域から、つまり、いわば地球に入り込んでいる土星の本質から、地上に呈示される事象を眺めると、著書『神秘学概論』において、地球進化(2)に関して記述した通りのイメージが得られる。」(2)『神秘学概論』の地球進化:第一講の編註2参照のこと。 この『神秘学概論』は、火の精霊の視点から見て、宇宙思考が、思考として現れてくるように描かれている。 このような事柄の深遠に現実的な意味があることがわかる。しかし、人間にとって、現実的な意味は他にもあり、ノームとウンディーネのことを考えれば、シルフと火の精霊はいわば、人間の意識の世界と境を接する世界に生きる存在で、既に(この世の)境域の向こう側の存在である。 通常の意識では、これら4大精霊を見ることから守られている。なぜなら、これらの存在全てが、本質的に、良い性質(種類)ではないからである。良い性質(種類)のものは、例えば、以前述べたような、植物の成長に様々な形で働きかける精霊たちである。 しかし、それでも、その全てが良い性質(種類)ではない。これらの精霊たちが活動する世界に参入するやいなや、良いものだけでなく、悪いものに遭遇する。これらのうち、どれが良い種類で、どれが悪い種類か、を見分ける方法を修得する必要があるが、そう容易いことではない。 悪い種類の精霊を描写することから、見分けるしかない。悪い種類の精霊を、良い種類の精霊から区別するには、特に、良い種類は植物界と鉱物界を拠り所とすることが多く、悪い種類は、動物界と人間界に接近する性質をもち、また、更に悪い種類は、植物界と鉱物界にも近づく、という点にある。 これら鉱物界、植物界、動物界の領域の精霊たちが持ち得る悪に関する概念を得るのは、高次のヒエラルキア(神々)により、本来は、植物-動物界のために良い精霊たちに(役目として)指定されていた営みを、人間や動物に近づき、人間のなかで実行する(悪い)精霊たちに関わり合うときである。 ノームやウンディーネの領域に由来する悪い精霊たちがいて、悪い精霊は人間や動物に近づき、人間や動物に働きかけ、本来なら下等生物に付加すべきものを、物質的な形で人間や動物のなかで実現させ、将来、どのみち進化を辿れば、自ら獲得し、人間や動物のなかに存在するものを、早期に、物質的な形で実現させようとする。 (悪とは、間違ったTPOの善である。つまり、早熟をもたらす精霊が悪である。聖書にある人間の楽園からの追放は、悪い精霊ルシファー「聖書では蛇」に、人間は知恵「知性」を授けられたために、神々「高次のヒエラルキア」の進化計画「楽園」から追放されたことを暗示している。 シュタイナーによると、神々は、もっと後に成熟してから、人間に知性を授ける予定であったが、悪魔が人間を誑かして、早熟のうちに知性を授けたために、知性を駆使するだけの道徳性を身につけないうちに、人間は知性を乱用している、という。 その端的な例が、利己主義のために、知性を用いることである。他者を愚弄したり、罵倒したり、傷つけることなどが、それである。また科学技術を使って自分だけが利益を得たり、闘争したり、戦争したりすることもあてはまる。) 悪い種類のノームやウンディーネたちがいることで、人間や動物のなかで、より下等な生物-植物が生きるようになり、寄生生物が生まれた。このように悪い種類の精霊たちは寄生生物をもたらす存在である。
2010年05月07日
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睡眠は、通常の(日常)意識を消し去るので、睡眠中、明瞭な覚醒意識を獲得すると、ウンディーネが変容へと隆起し、生成する、驚くべき液体の世界をみることができる。 昼、起きているときの覚醒意識から、周囲に明白な輪郭を持った対象がみえるのと同じように、夜、睡眠中にも、(霊能による)明瞭な覚醒意識から、ウンディーネたちが絶えず周囲を動き回り、いわば1つの海のように波立ち、沈んでいく様子を見ることができる。 従って、深い睡眠は、本質的に、周囲を活発に動きまわる生物たち、いわゆるウンディーネたちの波立つ海により満たされる。 しかし、シルフに対しては、事情が異なる。シルフに関しては、ノームやウンディーネが、頭を欠く生物に、頭を付け加えたのとはまた別の形で、ある生物を、別の方向へと補完する。 さて、鳥は、以前述べたように、本質的に、頭だけの存在で、(人間の)頭部そのものである。シルフは、いわば頭の肉体的補完として、鳥に欠ける器官(組織)を、霊的な形で鳥に付け加える。つまり、シルフは、人間における新陳代謝-四肢系器官(組織)という生体組織(機能)を、鳥類に補完する。 鳥が脚を縮めて、空中を飛びまわると一層、シルフにより四肢が力強く形成され、下位の物質的実質として、牛が表現する器官を、霊的な形で、空中に表す。 従って、以前、シルフが、鳥類のなかに自我を持ち、シルフを大地に結びつけるのが鳥である、と述べた。 人間が地上で自我を獲得するように、シルフを大地に結びつける自我は、鳥類である。シルフが、少なくとも自我の意識をもつのは、鳥類の御蔭である。 さて、人間が夜眠り込んで、様々なウンディーネのフォルムから形成されるアストラル的な海に囲まれたとき、覚醒し、夢を見るとき、この覚醒時の夢もまた、人生の回想や身体内部の臓器による比喩という仮面をつけなければ、万が一、仮面をつけない夢を見たなら、人間は、シルフの世界に直面する。 しかし人間にとってシルフは奇妙な姿をとっている。シルフは、本質的に、人間にとって厄介な形で、太陽から作用を引き出し、人間を霊的に眠り込ませるような姿をとる。その理由は、直ぐ後に述べる。 人間が、もし、仮面のない覚醒時の夢を知覚するなら、その夢のなかに、本質的に、翼をはためかせ、進んでくる光を見る。人間は、それを不快に感じ、シルフたちの四肢が、いわば自分に絡みつき、巻き付いてくるように感じる。 人間は、光が四方から、攻撃してくるように、光が襲ってくるように感じ、光に対して酷く過敏になる。あるいは、人間は、光が自らをなめまわし撫でていくようにも感じる。 このような事実から示唆したいことは、人間を支持し、調査する、光が、本質的に、シルフの形(フォルム)をとって近づいてくるということである。 次に、火の精霊(サラマンダー)に移る。火の精霊の場合、儚い蝶の本性を補完する。蝶は、いわゆる自らの物質(肉)体、つまり本質的に、物質体を出来るだけ作り出さないために、蝶は、その体をできる限り希薄する。蝶は、(物質)体に対して光の存在である。 火の精霊は、自らを、蝶の身体を補完する存在として示すので、次のような印象が得られる。 「物質的な蝶(蝶の翅だけ)を、人間の大きさに拡大したイメージを考え、火の精霊を(火の精霊が蝶と一緒にいることは稀で、以前述べたような場合だけである)人間として見て、両者をお互いにくっつけると、翼を付けた人間のような存在、つまり実際、翼を付けた人間のイメージが得られる。」 ただ蝶を人間と相応に拡大し、火の精霊を人間の寸法と同じ存在に見なければならないが、そのように拡大し、人間と一致させれば、翼を付けた人間の存在が得られる。 (天使の像は、原型は、蝶と火の精霊の融合イメージにある。) このイメージからまた、火の精霊たちが、本質的に、実際、霊的存在のすぐ近くにいる、この蝶という生物の補完を行っていることを示し、この補完はいわば、下向きのものである。 (蝶は、人間の頭部の記憶を司るので、頭部以外の人間組織を、火の精霊が補完するから、頭より下を補う。) ノームとウンディーネは上位の器官、いわゆる頭部を補完するが、シルフと火の精霊は、鳥と蝶の下位の器官を補足する。つまり火の精霊と蝶はペアでなければならない。
2010年05月06日
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