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さて、地球外の力と地球の力に人間が依存する事実に関連し、以前述べた事実と、これまで補足してきた時間的な生成過程(プロセス)を総括すれば、次のような結論に至る。この結論は、自我の闘いで述べたような熱曲線の観察等の探求を更に追求する途上の助けとなるだろう。 「人間に対しては絶えず様々な力が行使されている。これらの力は、人間の物質体やエーテル体を観察すれば、第一に、地球外の力と、その力に対して反対の作用をする地球の力であり、火星、木星、土星を起源とする力と、実際、既に地球の力として転化させられている、金星、水星、月を起源とする力(下図参照)である。」 地球と月との関係もまた実際に起こっている事実に対して安易な思い違いがなされている。現代人は、安易に、「月は、地球の上方にあり、月は上方から影響を及ぼしている。(下図参照)」と考える。 しかし、月の影響を、上方から考えるだけでは、完全ではない。月は、地球の周りを回転する地球の衛星であるだけでなく、月のなかから地球に作用する力と同じ力が、本質的に、地球のなかにも含まれている。 地球のなかから外へと作用する、(転化された潜在的な)月の力も、地球は持っている(下図参照)。 物質現象でいう、潮の干満他の多くの現象、また例えば月経周期で示されるような出来事(事象)全般は、実際は地球の作用ではなく、月の作用なのだが、最近(1920年)の理論の主張のように上方の月の影響により起こるのではなく、地球のなかにある(転化され潜在化した)月の力により起こる。 従って、月経周期で示されるような出来事とは、外(物質)的にも対応してはいるが、少なくとも直接、時間的に関係するわけではない。 (天にある月の周期とは、ズレている。) 従って、太陽より下位にある惑星(月、水星、金星)の影響(上図の緑円)について語るには、地球のなかの反映(転化)像(上図の青の円)も探究すべきで、更には、物質への影響(上図の赤矢印)や、地上から発せられる物質的影響による反作用(上図の黄矢印)も考慮しないといけない。 ただし重要なことは、地球外の惑星の影響は、霊魂(機能)的に働きかけることである。例えば、月の場合、次のような感じとなる。 「月は地球にむかって、ある種の幻想力を投げかける。この事は、人間のファンタジー(幻想)を生み出すような創作活動を、月が高めることで表わすことができる。月は、人間の魂にファンタジーを生み出すように多大な影響を及ぼす。」 上記のような惑星の霊魂的な働きも研究すべきである。 唯物主義の時代では確かに、惑星の霊魂的な働きのような事柄は、ほとんど考慮されていない。しかしながら、惑星の霊魂的な働きは明らかに存在する。月は、人間の霊魂のファンタジーの創出に関連し、非常に強い影響力を持つ。 (偉大なる月 http://www.moonsystem.to/moon.htm 「新月・満月には重大事故が多く、上弦下弦の半月にはうっかり事故が起りやすい」ともいわれている。また「満月には犯罪が増加する」などともいわれている。) 霊的な影響とは反対の物質的な像、つまり生体器官への月の影響は、地球のなかの月から発せられ、人間の生体組織に作用する。考慮すべき作用とは、この地球のなかの月の作用なのである。この作用は、例えば、月よりも(地球から)外にある、太陽の下位の惑星(水星、金星)にも当てはまる。 (「太陽より内」とか、「外」とかの呼び方は、天動説を基にしている。地動説からいえば、地球から、月、金星、水星、太陽に進む場合が、「太陽より内」、または「下位の惑星」となり、地球から、火星、木星、土星と、太陽系の外に進む場合が、「太陽より外」、または「上位の惑星」となる。 端的にいえば、天動説は、銀河の中心を基点に、太陽がそれを追いかけ、太陽を他の惑星が追いかける描像である。天体の運動の違いが、天空の音楽、つまりシンフォニーとして、高次の霊能力を獲得すると聞こえるそうである。つまり、天使の歌声である。) 以上のように、人間には様々な形で、つまり地球に集約された(太陽より下位の惑星の)力、いわゆる地球の力と、また地球の外から地球に集約された(太陽よりも上位の惑星の)力が働きかけている事実がわかる。 (地球には、月、水星、金星の地球の力に転化した力と、火星、木星、土星の力が作用している。)
2012年01月31日
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また例えば、急性も含めた心内膜炎[Endokarditis]に生じる症状全般に対する、次のような疑問についても、過去の軽度の疾患が、後の年齢になって重篤な疾患として現れる、とする見解が通用する。 感染症心内膜炎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%9F%93%E6%80%A7%E5%BF%83%E5%86%85%E8%86%9C%E7%82%8E 「肺炎、もしくは胸膜炎に関連する症状が、過去の年齢で、どのように現われたのか?」と言う疑問である。 心内膜炎は、結局、少年少女のとき(14歳以降)に、肺炎や胸膜炎の症状を早め、急速に追放したかどうかの事例に帰着することがわかる。当然だが、両親や教育者は、肺炎や胸膜炎の症状をできる限り急いで後退させようと望む。 成長に際し必然的に生じる状態に伴う症状を、それ自身の運命に委ね、後年になって、有害な作用を起こす可能性を避けるには、その場に医師として居あわせ、病気の経過を実際に見守ることが、非常に重要となる。 従って、他の症状でも当然だが、少年少女期の胸膜炎や肺炎の症状と関係する幼児期の水頭症のような特有の症状ほど、次のような治癒を必要とする。 今日で呼ばれる一種の自然治癒の適用、すなわち、できるだけ病気に相応しい経過(プロセス)を辿らせ、病気の経過(プロセス)を早めたり、短縮させないようにすることが必要となる。 幼児期の病気の経過(プロセス)があまりに早く短縮されると、後に、心臓に関連する疾患全般に比較的に罹り易い素質や、特に多発性関節炎全般に罹り易い素質を招く恐れがある。 従って、特に注意を払うべき点は、成長時に生じる必然的な症状に関しては、病気の経過(プロセス)を妨げないことである。少年少女のときの胸膜炎と肺炎が欲する症状を妨げなければ、後の心臓の不規則な活動のなかに生じる心臓疾患の素質が取り除かれる。 人間の全体の成長のなかの、あらゆる内部に、上記のような関係が見られる。実際、次のようなことがわかる。 後に現れた病気の深刻で極端に悪化した状態だけでなく、病気が過去に比較的軽度の場合、治癒も比較的容易なので、自然治癒を明確に区別できないことがあり、「病気が比較的軽度なときに、早期の治療を望まなければ、病気は悪化しなかった」と、あえて患者に言わなくてはならない場合にも目を向ける必要がある。 (漢方でいうところの、「未病」のことだろう。) なぜなら、本質的に、人間は容易に癒される存在ではない、という認識が非常に重要だからである。治療は結構だが、次のようなことも考慮に入れるのが本当の治療である。 人生のなかでは、治療に期待しすぎる次のような「治療マニア」と呼ばれるような人物もそう珍しくない。 「『私は、実際に、様々な病気を体験し、様々な治療法も薬も体験してきたので、高齢に達したときには(いずれにせよ、このような人物は常に病気なのだが)、もはや私を元気づけてくれる治療を見つけるほうが困難だ!』というような人物も珍しくない。」 上記のような人物には、次のような意識を呼び起こさせるべきである。 「本質的に、大抵の人間は、実際、当人が思うほどには病んではいない」、という意識を呼び起こさせるべきである。当然、この意識は、影の側面も持つが、上記のような人物に対しては、この意識を呼び起こさせるのが良い。 さて、以上の事柄全てを光(叡智)のなかで見なくてはならない。つまり、人間は、はじめに物質的な生体組織をもち、更にエーテル組織が7歳から14歳まで強く働いて物質的組織に加わり、更に妊娠のような事態においては、エーテル組織は再度追い出される、というように、人間は非常に複雑な存在なのである。 更にまた、考慮すべきことは、アストラル体が、秩序をもちながら加わるのは、14歳以降になってからで、自我が加わるのは、それより更に後になってからだが、自我を、例えば、あたかも外にある組織体のように想定してはならない。 勿論、覚醒時には、自我は生体組織の外にあるわけはなく、生体に加わって、共同作用が高まる。従って、常に関係してくることは、生体組織に障害があるときには、他の生体組織内での、自我の正しく機能に何らかの困難が生じることである。 実際、次のような結論に至る。 今日の医学は、自我の実態を知ることなしに、既に遙か前から、自我が他の3つの組織体、人智学で呼ぶ、アストラル体、エーテル体、物質体とともに完全体になる困難さに関して、他の3つの組織体との自我の闘いから現れる挙動を記述できる段階にまで来ている。 唯物論的な時代に生きているので、勿論、生体内に、上記の闘いを直接見ることはないが、この闘いを、熱曲線として正確に描くときには、この熱曲線のなかに常に、上記に特徴を述べた自我の闘いが正確に写しとられる。 従って、様々な病気の際の熱曲線の探求から、上記のような関係が明らかになる。確かに、熱曲線の探求は、治療に対する病理学よりも遙かに重要性に乏しいかもしれないが、自我と3つの組織体との闘いを熱曲線で描写し、その関係を、多少とも一般的に理解すべきである。 というのも、例えば肺炎や、腸チフス[Typhus abdominalis]の洞察の際に、熱曲線の経過から、自我に対する見解が獲得できるからである。 肺炎の際の熱曲線の2つの主要な形を研究すればわかる。例えば、危険な経過の熱曲線と、危険でない経過の熱曲線を比較すれば、生体組織への介入を妨げられた自我が反撃する際、危険な経過と危険でない経過では、全く異なる形で行なっている事実が獲得できる。 例えば、肺炎の場合、熱曲線を描く(下図)と、自我と他の3つの組織体の闘いが表れ、平熱よりも危機的に降下する際に、(自我の)反撃(反発)が示される(図参照)。自我の反撃の機会は、まさに、その前の自我の闘いでなされた努力により、後から反撃の可能性として提示される。 別の、反撃の見込みのない消散性の経過の場合、自我の力のなかに、反撃する要素を加える可能性が乏しくなり、従って、不規則な熱の降下は、危険な経過とみなせる。 特に、他の3つの組織体に対する自我の働き全体を洞察するには、チフスの際の熱曲線を観察すればよい。 チフス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%95%E3%82%B9 チフスの熱曲線のなかに、自我の実際の闘いについての明白な描像が獲得できる。チフスの熱曲線の観察から、他ならぬ自然科学が医学に流入することで、人間の様々な組織体の考察が不可欠である事実が示せる。 医学上の混乱は、科学が唯物主義になり、物質体での事象(出来事)のみの観察に限定することで起こった。しかし、物質体での事象(出来事)は、(他の3つの組織から切り離され)決して独立したものではなく、何よりも、物質体で起こる事象(出来事)の性質は、全く等価ではない(組織毎に異なる)。 なぜなら、物質体では特に、エーテル体が物質体内部で働き、アストラル体、もしくは自我も、エーテル体内部で働くことで、物質体で起こる事象(出来事)が左右されるからである。疾患の症状等は常に確かに物質的な事象(出来事)ではあるが、物質的な事象(出来事)を特徴づけ、物質的な組織のなかで働く高次の構成体により、全く別の性質も持つからである。
2012年01月30日
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さて、骨化や硬化症として現れてくる形成(生成)過程(プロセス)は、均衡を破り、ある限界を超える可能性もある。骨化や硬化のような過程(プロセス)は、いわば中心へと向かう波動の原理から、度を超す、つまり強くなりすぎることもある。 また更に、骨化や硬化症の過程(プロセス)が、本来の形成(生成)過程とは全く異なる反対の形で現われることもある。全く異なった反対の形で現れる場合、最初は、反対の素質をもつ形で現われる。この反対の素質のなかに、本質を探究すべきである。 (ホメオパシーの原理で陰陽転換のこと) 骨化や硬化症として正常、もしくは人生の経過のなかで、度を超して異常として現れるのではなく、反対の対極へと転化すると、つまり、骨化、もしくは硬化症の経過が、そのまま進むのではなく、他の器官組織のなかで逆(反対)に進む(展開する)と、受胎前の反対像が病的な形で、つまり、肉化(破骨)や軟化症という形で、様々な種類の癌腫(腫瘍)形成[Karzinombildung]として現われてくる。 (骨や硬化症として進むべき力が、他の器官組織の腫瘍形成として出現する。陰から陽に転じるホメオパシーの原理である。ホメオパシーの原理を考察するには、3次元空間でなく、4次元をイメージするとよい。特に、重力だが、ブラックホール理論とホワイトホール理論は有用である。) 以上のような事実に注視するには、人生や、人間全体を、真に包括的に洞察する必要がある。でなければ、癌腫(腫瘍)形成のような形成(生成)過程は、人生のなかでは、比較的未知な要因(遺伝)に由来するものとなる。 癌腫(腫瘍)の要因を、骨化や硬化の形で、正しく作用すべき(天の再生)力が変容させられ、逆転され、別の器官組織に転じられた経過として関係づけるべきである。 更に、別の事実も、同様に観察できる。幼年期の水頭症や脳水腫[Hydrozphalus]として現われる影響を、同様に観察できる。 脳水腫 http://www.naoru.com/nousuisyu.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%A0%AD%E7%97%87 本質的に、人間は皆、水頭症の素質をもち、水頭症でなくてはならない。もし、水頭症の素質をもたなければ、人間の脳や神経組織を、正常に形成できなくなる。というのも、人間の脳や神経組織は、人間のなかにある液体(水銀)的な要素から引き出されるからである。 従って、幼年期には常に、水頭症への素質と、水頭症を克服する素質、つまり、水頭症を抑制する素質が、生体組織のなかに現われ、その間の闘いが見られる。実際、水頭症だけでなく、その反対の脳内の脊髄液の欠乏(脳脊髄液減少症)も語らなくてはならない。 脳内の液体の減少についてはほとんど考慮されていないが、実際、考慮すべき、水頭症の対極にある疾患である。幼児期には実際、水頭症と、後に起こる反対の疾患、いわゆる脳脊髄液減少症との両極端の間を、均衡に向かって、常に一方から他方へと揺れ動く(動的平衡状態にある)。 脳脊髄液減少症 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E8%84%8A%E9%AB%84%E6%B6%B2%E6%B8%9B%E5%B0%91%E7%97%87 さて、臨床上の問題については今後、詳細に述べていくが、水頭症と、脳脊髄液減少症との間の動的平衡に関して見逃すことがある。 いわゆる水頭症が完全に終局を迎える正しい大体の時期を見逃してしまい、水頭症への傾向をもつ素質を、幼児期、特に乳児期の教育や食餌療法等の治療行為全般により、早期に取り除いてしまうと、いわゆる水頭症の素質をあまりに早く消滅させてしまうような事態を招いてしまう。 以上のような事態のとき、特に、人生の経過全体を見ない弊害が生じる。というのも、このような事態に指摘できるが、幼児期の水頭症の経過と、梅毒[Syphilis]との関係を、後に現われる梅毒になりやすい素質との探究を試みれば、医学の学位請求(博士)論文を多数提供することも可能だろう。 梅毒の際の微生物の追求では、実際、何も得られない。上述したような事柄の考慮だけ実際に何らかの治療法を獲得できる。梅毒には、後に現れ、耳にする様々な症状があるが、梅毒の予防には、後に現れる梅毒の様々な症状の要因に対する幼児期での機敏な対処を試みればよい。 (水頭症の素質のなかに、液性免疫の起源があるものと思われる。液性免疫が充分に発達していないと、晩年になり、微生物に感染しやすくなるのだろう。) 少なくとも診断の際に常に念頭に置くべき事項とは、人生全般の経過(プロセス)から、本質的な原因へと遡ることにある。さて、この点に関して非常に重要なことは、次のような事実である。 「生体組織の経過(プロセス)全体、いわゆる上部組織の経過(プロセス)も、下部組織の経過(プロセス)も下腹部を経て、共に心臓に移行する」、という事実である。 つまり、「形成(生成)過程全体が、上下の組織両方から、本質的な滞留(均衡)器官の心臓へと向かい、押し寄せる。」 「しかし、この上下組織での経過の移行は、様々な年齢で生じる。移行の際の症状に肉薄すれば、少年少女期に現われる症状、例えば、肺炎[Pneumonie]、もしくは胸膜炎[Pleuritis]に通じる経過に関する症状全般の洞察力が習得でき、統合的にみれば、比較的早期の幼児期に、水頭症において行われた均衡作用の経過が、胸部へと進行し、移行した経過(プロセス)であることがわかる。」 胸膜炎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%B8%E8%86%9C%E7%82%8E 端的に言えば、幼児期の水頭症が生体組織のなかで一段階下へと移行した際、肺炎もしくは胸膜炎の症状になりやすい素質を形成する。少年少女期の肺炎や胸膜炎は、幼児期の水頭症の症状と関係し、水頭症になりやすい素質でもある。 しかし、幼児期の水頭症のような症状が、後の年齢になって、その反対の腫瘍性の生成(形成)過程(プロセス)を辿ることもある。つまり、幼児期の水頭症の症状が、実際、後になって現れると、今度は、水頭症とは逆の対極にある(髄液欠乏症を潜在的に経た)腫瘍性の症状として現われる。
2012年01月26日
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重要なのは、時間の概念を、病気の研究のなかに取り入れることである。一面的な表現だが、人間の生体組織の治療法を、容易に発見できるように、自然は、人間の生体組織を構築したような前提などは存在しない。 人間の生体組織は、治療法を楽に発見できるように構築されてはいない。現代では、あまりに容易な治療法の発見が期待されすぎている。 「類似の疾患は類似の治療法により治癒される」、という原則は、ある意味では正しい。しかし、治療法が発見された症候群に対して、類似の症候群は、別の年齢では、また別の症候群となる。 例えば、20歳以前に、ある症候群を引き起こした外(物質)的な薬が、20歳以降では、治療薬にもなることがある。従って、しばしば主張される「類似の疾患は類似の治療法で治癒できる」という説では、年齢を考慮にいれないといけない。 しかし、健康や病気を問わず、人生全体を注目するなら、重要なのは、人間は、いわば2つの互いに対極(過去と未来)を成す時間に生きる事実にある。若い頃は、中年とは全く別の影響に曝されている。 中年以降(42歳から)の年代になると、以前述べた事実に従って表現すれば、太陽より上位の惑星(火星、木星、土星)の影響を多く受け、若い頃(21歳まで)には、太陽より下位の惑星(月、水星、金星)の影響が大きくなる。そのなかでも、月の影響は比較的早く、明確に現われてくる。 (シュタイナーの教えたこと32 http://www.megaegg.ne.jp/~moon/steiner25.html) 人生の考察にあたり、上記の影響から、常に空間を時間に結びつける必要性が示される。空間を時間に結びつけることではじめて、人生に現われてくる様々な現象を正しい光のなかで見ることができるようになる。そして、人生の認識を正しい光のなかで見るための、個々の場合における方法についても、少しずつ触れていく。 人間に作用する天体の影響は、実際には、根本において誕生前、つまり受胎前から既にはじまっている。例えば、誕生前の研究の際に、「医学書のなかで、一般によく用いられている”原因不明の”等の表現の『原因』を正しく指摘できない病気が多いのは、なぜなのか」と自問したことがあった。 原因が不明なのは、次のようなことに全く注意が払われていないためである。 以前示した地球外の様々な天体力による複合作用は、人間の霊魂が誕生に近づくときだけでなく、受胎(受肉)に近づくときにも影響を与え、その後、その影響が逆転に転じ、反対の作用を生み出す。すなわち、受胎前から本質的(遺伝的)な影響を与えた生成過程(プロセス)は、受胎後、特に誕生後に反対の作用を生み出す。 従って、人生のなかに観察できる誕生後に現われてくる作用は、受胎前の自然との関係のなかで既にあった作用に対する反対の作用となる。 (つまり、誕生前の作用と、人生の作用は相反する。また、死後、この世で行った行為や築いた関係のうち、天に受け取られなかったものは、天に持ち込むことはできないので、あの世においていき、再び、転生したときに、受け取ることになる。 端的にいえば、欲望を全て捨てていかないと、天にはいけない。非道徳的行為や関係は、死後、天に持ち込むことはできずに、あの世の欲界にて、捨て去らなければいけない。捨て去るのが非常に困難なので、欲界が、地獄と化すわけである。 再び、転生したときに、捨て去った行為や関係を拾うことで、逆転した行為や関係を背負う。例えば、人生で誰かを殴ったなら、死後、殴られたその誰かの痛みを大体三倍味わい、殴りたい欲望を捨てないと、天にはいけない。 捨てられない場合は、次の人生において、殴られる立場を経験しに生まれる。だから、人間は、過去の自分の行為や関係、つまりカルマを解消するために生まれてくる。基本的に、霊魂の能力とは、自分のためではなく、誰かを幸せにするためにある。だから、金持ちは、自分ではなく、多くの人に金を分け与えないと天にはいけない。) 上記の内容は、特に骨化[Ossifikation]や硬化症[Sklerose]との関係全般と大いに関わり合っている。骨化や硬化症に関する形成(生成)過程も、本質的には、その反対の生成過程(プロセス)を受胎前に既に(遺伝的に)宿している。 骨化及び硬化症の形成(生成)過程は、受胎前の、いわゆる肉化(破骨)や軟化症の形成(生成)過程(プロセス)による作用に対して、正常な器官形成(生成)過程(プロセス)として、人間のなかで、対極的な(反対の)作用を及ぼす。 上記の事実に注目することが非常に重要である。骨化や硬化症の形成(生成)過程(プロセス)を、誕生、もしくは受胎以後に現われてくる地球外の力や、更に、受胎前の地球外の作用(プロセス)と関連づけることができなければ、骨化や硬化症の形成(生成)過程(プロセス)を制することはできない。 多発性硬化症 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%99%BA%E6%80%A7%E7%A1%AC%E5%8C%96%E7%97%87
2012年01月25日
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これまで述べてきた注意事項は、地球、および宇宙の環境への人間の適応に関し、第一に基礎とすべき事項だったが、どちらかといえば空間的な特質のものだった。この空間的な特質を、時間的な特質と結びつける必要がある。 なぜなら、人間を、時間的に、人生全体において観察すべきで、すなわち、人生には、いわば、子供期、成人期、老人期があり、この3要素が、個々の器官組織と関係する形で、各個人の人生が形作られるからである。 これまで獲得してきた知見を、更に超感覚的な事象と結び付ける必要がある。そうすることではじめて、個別の観察にアプローチできる。 特に注意を喚起しておきたい事項は、若年層の教育において、誕生から歯の生え変わり(大体7歳)までの期間と、歯の生え変わりから性的成熟期までの期間といった年齢差の考慮や、医学的観点から人生全般を考えること、つまり誕生から死までを考慮に入れることである。 既に述べたような人智学者の慣用表現を用いる。その後で、最終的には、表現の考察を続け先に進んだときに、一般人にもわかるような易しい翻訳による表現にまで到達できればよいだろう。 子供の観察の際に、明確に知っておくべき事項とは、幼児期(7歳あたり)を過ぎてから、人智学の表現でいう本質的な自我やアストラル体のなかの機能が、人間に加えられる事実である。この機能は、幼児期を過ぎたあたりから、器官組織のなかに加えられた後、弾力性のある柔軟な器官組織とともに実際に活動を行っていく。 従って、当然のごとく、幼児期を過ぎた頃から、人間の高次の機能が低次の機能に加わることに関係した障害が現われてくる。この障害は特に7歳から14、15、16歳にかけての年代で、性的成熟を目指してエーテル体が物質体に対して立場を獲得する時期に相当する。 このとき、物質体とエーテル体の弾性力が噛み合わない可能性が様々な形で出現する。実際、本質的な意味で、アストラル体の課題は、物質体とエーテル体の両者の弾性力に均衡をもたらすべく働きかけることなのである。 物質体とエーテル体が共に働かないときは、しばしばアストラル体が力を強化する必要が生じる。その際に、アストラル体が十分な力を持たないと、外(物質)的な手段等が必要な症状が現われてくる。従って、幼児期以降に、例えば舞踏病[Chorea]のような、いわば物質的な弾性力の放出というような症状が現われてくることがわかる。 舞踏病 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%88%9E%E8%B8%8F%E7%97%85/ ハンチントン病 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E7%97%85 以上のような、器官組織のなかで起こる症状の他に、心的な障害を伴う疾患全般は、物質体とエーテル体の弾性力の調停という、アストラル体が通常行なうべき活動に関係する。 更に舞踏病と同様の症状が妊婦にも現われる事実から、上記の症状が自明であることがわかる。なぜなら、妊娠によって、物質体とエーテル体の弾性力の調和が妨げられ、幼児期以降のアストラル体が必要とする調和力と同じ力を、妊婦のアストラル体が必要とするからである。 (誕生~7歳までが物質体形成期、7歳から14歳までがエーテル体形成期、14歳から21歳までがアストラル体形成期なので、この時期に、アストラル体の調和力が問題となる。) 従って、14歳近辺の子供に現われ、また妊娠の際の付随症状となるような病気には、アストラル体の効力を強め、アストラル体の機能が、物質体とエーテル体の弾性力に均衡をもたらす方向に落ち着くようにする薬を求めなければならない。 このため、常に年齢を考慮に入れることが大切だと強調してきたわけだが、例えば、多発性関節炎[Polyarthritis]やそれに類する症状を呈する傾向のある疾患の本質的な発病時期が、14、15、16歳から20歳の終わりであることが、アストラル体の調整力との関係からわかる。 多発性関節炎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%99%BA%E6%80%A7%E9%96%A2%E7%AF%80%E7%82%8E この時期にはアストラル体自身が、物質体とエーテル体に対して正しい関係に位置づけられる必要があるため、例えば、幼児期を過ぎても、アストラル体の準備が不十分なら、アストラル体は正しい関係を構築できずに、結果として、この時期から症状が現われてくる。
2012年01月24日
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さて、古代人が3つの自然の原理を苦心して取り出した過程(プロセス)の再現は、今日では、もはや困難なことは明らかである。 この講義でも、古代人が用いた過程の再現ではなく、必要なときに、古代の文献に光を投げかけるだけで、古代の叡智を度外視して、今日でも研究可能な3つの原理の分離過程に参画するだけだが、次のような知見に到達できる。 「自然の物質の特性である3つの原理から、必要な治癒過程を取り出すには、実際、自然の物質から、何らかの生成過程(プロセス)を分離する必要がある。 例えば、燃焼過程を起こせば、火や光を担う燐の生成(形成)過程が分離される。また治療の目的のためには、水銀の生成過程の分離が必要となり、自然の物質から、燐の過程と水銀の過程を分離すれば、結果として、塩の生成過程を誘導する過程が後に残る。」 また更に、酸の性質を持つ物質から、塩の生成過程を誘導できるので、植物や鉱物から、塩の薬が獲得できる。特殊な場合については、後に扱っていく。 以上のように、自然のなかに、光を担う過程を求め、地球外の作用を獲得し、また、地上の物質から、地球外の作用を分離し、地球の作用の保持に努めると、結果として、塩の作用が獲得できる。また、水銀の作用の獲得には、この両者の間に均衡状態の形成(生成)過程を試行する必要がある。 しかし、この3つの自然原理は、特性は異なるが、いずれもが、適切な利用により、目的の疾患を治療に導く。いかなる試行も、2つの両極(対極)的な道筋から、本質的には、両方の道筋に沿って進むことが可能である。 古代の医師たちの立場に立って、既知の物質から、燐や塩、もしくは水銀の特質を持つ生成過程の抽出を目指し、3つの原理を用いることができる。 古代の医師たちにとって、薬の様々な特殊な作用は、薬を、鉛から得たのか、銅から得たのかによっても、多少異なった。古代の医師は、薬の起源を考慮していた。例えば、鉛から塩の作用を抽出する場合、銅から抽出した塩の作用とは少し異なる。 従って、塩の作用について語る場合でも、本質的に、次のような結論に至る。 「様々な塩の作用があり、塩という特質の意味では同じ地上の作用だが、抽出する様々な金属の違いにより、地球外の力もわずかに含み、人間のなかの様々な作用と関わる。」 後に詳細な特徴を述べるが、同じ塩の作用でも、起源により違いがある事実を古代の医師たちは知っていた。 例えば、治療を目的とした塩の調合のために、上記の起源による相違が利用できる。古代の医師たちの薬の抽出方法が忘れ去られた後では、人間は単なるレトルト(実験用のガラス器具)ではなく、レトルト以上の存在であるという明確な理念から選出する方法を採るしかない。 この方法は、起源による相違の自乗(増幅)を通じて、(既に存在する)物質の根底にある力(潜在力;ポテンシャル)の利用を試みる方法である。 (つまり、相違を増幅することで、テコの原理で、潜在力を揺さぶり、潜在力を目覚めさせるわけである。例えば、抗原抗体反応による免疫の強化などであるが、これは動物療法なので、問題は複雑な上深刻である。) この方法は、本質的に、ハーネマンの方法に内在し、古代の方法が既に忘れ去られ、地球外の力や、その関連について、もはや全く無知になった後に、人間の医学的な努力から、いわば一種の新たな興隆を示せる治療法である。 現代の医師社会が絶望の淵にあるとでも表現したいが、現代の医学では、本質的に地上の作用の根底をなす力、もはや地上を超えた力を仰ぎ見ることはなく、地上のなかにある力だけで常にうまく処理しようとしている。 地上の力を超えていくのがホメオパシーの体系である。確かに、物質的な治療法も、地上を超えていこうとしているが、もはや光の担い手となる燐の正しい利用法、もしくは空気の担い手となる水銀の正しい利用法をもたないため、直接、光や空気を用いる治療法が第3の可能性となっている。 しかし、真の有効な方法は、人智学により、鉱物、植物、動物と地球外の存在との関係に迫るときにだけ、再び開かれる。動物療法を用いるとき、既に以前暗示したように、人間へのアプローチは容易ならぬものとなる。 古代人は1つの境界を設けたが、新たな研究から、探究していきたい。古代人は次のように考えた。 「植物は、太陽系の領域にあり、鉱物も、太陽系の領域にある。しかし、動物界に至ると、太陽系から出てしまう。地球の外の惑星内部にとどまるときよりも遙かに危険で、もはや事象と戯れることは許されない。」 動物の形成過程、特に、動物から人間の形成を導く力は、鉱物や植物のなかの力よりも遙かに、なおも宇宙に拡散した状態なのである。動物の形成や、人間の形成を導く力に対して、古代人は、獣帯(という境界線)を引いた。 サイン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3_(%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93) この獣帯により、植物、或いは鉱物のなかにある力を超えて、治癒力を探し求めないように、もしくは少なくとも、獣帯を超えると、容易ならぬ領域に踏み込んでいくことになるという事実に気づくためである。 確かに以前、既に少しばかり特徴を述べた方法により、この動物療法の領域にも踏み込んでしまった。動物療法については、病理学と血清療法の特殊な事例のなかに立ち入っていくとき、更に詳しく議論する。動物療法は通常、個別的な疾患に通用するために、強固な幻想を引き起こすため、このような事柄の背後にある危険性が、完全に隠蔽されてしまう。 (恐らく、耐性菌や耐性ウイルスの発生のことなのだろう。)
2012年01月20日
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更に、銀の生成は、他の天体に妨げられない主に月の作用との間の親和性を認識しなければならない。今日の文献を読むと、古代の銀と月の親和性の理由を、当時の人々が、月が銀色に輝いて見える外見的な特性に従っていたせいにしているが、この現代人の偏見は大きな間違いである。 個々の金属に関する古代の研究の本質が、実際には現代よりも緻密だった事実を知るなら、上記のような迷信(誤り)に屈することはない。とはいえ、上記の金属と天体の関係から、その他の物質の生成に対しても、充分な機会が提供されていた事実がわかる。 というのも、これまで名前を挙げた鉛、錫、鉄、銅、水銀、銀は、非常に傑出した代表的な物質(金属)だからである。これまで暗示してきた惑星同士の作用が競合し合うことで、例えば、土星の作用の領域に、火星などの作用の領域が入り込むことで、代表的な金属以外の他の物質に対する生成の機会が与えられる。 (錬金術とは、天体の軌道による地球上の金属の生成についての関係を解き明かしたものである。) 以上の天体の作用の複合により、代表的な金属以外の副次的な金属が生じる。しかし、いずれにせよ、地球の金属(鉱物)界のなかに、地球の外の様々な天体の作用の結果を見る必要がある。金属の生成過程のなかに、天体の作用をみることで、特定の関係から、金属の作用として表される生成過程が、植物のなかの生成過程と結びつけられる。 というのも、鉛、錫、鉄という鉱物薬のなかにある治癒過程を考察すれば、地球の地表より上方で生じる植物の花-種子の形成に関係する生成過程全般を、ほぼ同時に獲得できるからである。 また、銅、水銀、銀と関係づけられるのは、植物の根の形成と関係する生成(形成)過程である。 (灰の主成分元素はカリウムやカルシウム、マグネシウムであり、微量のアルミニウム、鉄、亜鉛、ナトリウム、銅などの金属元素(ミネラル)やプラント・オパール由来の珪酸も含まれる「含まれる元素は燃やすものによって左右される」。ウイキペディアの灰から抜粋。) 更にまた、一種の鉱物(金属)の調停者としての水星の存在に対し、当然のことながら、別の調停の探求も必要となる。というのも、水星は、地球と、いわば地球を超越する天体との間の調停者である。 (仏陀は、水星と呼ばれるので、調停者ともいえる。) しかし、この宇宙全体が、そもそも霊に浸透されているので、物質の調停とは別のもう1つの霊の両極(対極)性が成立する。 地上の存在と、更に地上を超えた存在を思い浮かべれば、地上と、地上を超えたなかに、光と重力との対立が発見できる。しかし、これでは、地上の存在と地上を超えた存在との単なる平衡状態の発見にすぎない。 しかし、また別の平衡状態、すなわち地上と地上を超えた全てを一様に貫く霊と、地上と地上を超えた全ての物質との平衡状態、つまり、霊と、物質との平衡状態も存在する。 物質のどの一点においても、霊との均衡が保たれている。この霊と物質の均衡は、宇宙でも成立する。宇宙において、霊と物質の均衡が保たれている(地球から)一番近い領域は、太陽である。太陽は、宇宙の霊と物質との均衡を保っている。 従って、太陽は、太陽系において秩序を保つ宇宙霊に応じているが、同時に、この秩序もまた、人間の物質組織のなかに入り込む様々な天体の金属(物質)の形成力により引き起こされる。以前特徴を述べたように、個々の惑星と金属との関係を確定できるのと同様に、太陽と黄金との関係も確定できる。 しかし、太陽と黄金との関係についても、古代人たちは、物質のアーリマン(悪魔)的な価値から黄金を尊重したわけでなく、黄金と太陽との霊的な関係から、つまり、霊と物質との均衡の関係により、黄金を尊重した。 さて常に注目すべき重要な事実は、地球上での、人間の思考や行為において、人間が分離し、外に出したものが、自然では、何らかの形で常に結合されることである。 人間は、思考のなかでも、重力に従い、塩の形成(生成)への傾向を持つ過程を、光の担い手となる燐の過程、つまり光の形成(生成)への傾向を持つ過程から、更には、この両者の均衡に従う水銀の形成(生成)過程から分離している。 (人間は、物質化への傾向をもつ) しかし、逆に、自然は、人間のように塩の生成過程へと分離するのではなく、分離された過程を互いに結びつけ、組み合わせ、非常に精巧な組織構造を形成する。この精巧な組織構造は、既に黄金の光輝のなかに含まれている。黄金を通じて、霊がいわば直接に外界を覗き込むからである。 いま注意すべきことを、括弧に入れて述べたい。『古代の文献から得られる示唆を、近代の文献に役立てることができる。もし、古代の文献を正しく理解できれば、例えば、学位請求論文を作成するための示唆が沢山獲得できる。』 古代の文献の理解から、非常に重要なことがわかる。すなわち、古代の文献から、どの物質のなかにも、塩、水星(水銀)、燐もしくは硫黄の3つの原理全てが様々に組み合わされていて、この3つの原理を何らかの物質から分離しようと、古代人が苦心していた事実が理解できる。 つまり、古代では、次のような見解が持たれていた。 「鉛は、これまで暗示してきたような土星が優位な配列(配置)から生じるが、黄金や銅と同様に、鉛も、塩、水銀、燐の3つの原理全てを含んでいる」、という見解である。 「そして、塩、水銀、燐によって、人間を治療するには、3つの原理が結びついている金属から、何らかの方法で、塩、水銀、燐の生成過程を分離することが肝要となる。」 古代の化学では、特定の生成過程の分離に対して、究めて周到な注意が払われていた。この生成過程(プロセス)の分離は、黄金の場合、最も困難を極めた。 従って、「黄金は壊すより、つくる方が易しい」というローマの箴言(”Facilius est aurum facere quam destruere.”)は、実際、古代の叡智の賛美に通じる。 なぜなら、黄金のなかでは、塩、水銀、燐という3つの自然の原理が互いに結び付いていて、この3つの原理を取り出すのは、黄金が最も困難だと考えられていたからである。
2012年01月19日
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さて、光を探究するなら、いわば、太陽系において、太陽の上位にある天体、つまり、火星、木星、土星ののなかにある力全てに着目する必要がある。そして、地球上で起こる全ては、ある意味で、地球外の天体の作用でもあるので、地上のなかに、宇宙で生まれる作用を発見しなければならない。 以上のような天の働きは、今日(1920年)の原子物理学、もしくは分子-原子化学が行なっているような抽象的、空想的な手法で、地上の物質のなかの物質の配置や凝集状態等の根拠を探し求める方向では、発見できない。 近代の原子化学では、物質の構成内部を覗き込み、いわば不可視の働きに対して、原子や分子について、ありとあらゆる都合のよい予想を考え出し、更には、今日(1920年)では減ったが、数十年前では、非常に誇らしげに語られていたが、物質の構成内部で生起する働きの、いわゆる「天文学的認識」について語られていた。 数十年前では、次のような知見について語られていた。以前、公開講演(1)で述べたように、今日では、原子の写真を撮影する。心霊主義的なグループも、写真を撮影するが、その場合は、霊の写真である。 今日、自然科学者は、霊の写真を信用しない傾向があるので、原子も、霊も、同じ存在であることを見通している人たちが、原子の写真も、霊の写真と同等に信用できないことを、認識させなければならない。なぜなら、結局、原子の写真も、霊の写真と同じ影響下にあるからである。 (1)1920年3月24日の「人智学と現代の諸科学」という講演。 (量子力学の観測問題のことである。観測者がイメージした形で現れる。つい最近、ハイゼンベルグの不確定性関係が問題となったが、要するに、本質的には、マクロ的な問題なので、マクロをミクロに限定すると、観測問題に帰着し、観測状況に依存する、例えば数式の形をとって現れる。 δxδp≧h/4π、hはプランク定数で不確定性関係は数式で表現できるが、x、pの素粒子の位置と運動量を表現するヒルベルト空間が非常に抽象的な想念の問題なので、具体的な観測問題が生じる。最近の実験は、中性子で行われたようだが、中性子は、厳密にいえば、クォークを基にしているので素粒子ではない。 マクロの現象を、ミクロでみることは、ほとんで不可能である、というのが不確定性原理の根本であろう。) 植物のなかに見られる生成過程は、原子や分子の内部で結合している力によるものではなく、地球の外で作用し、地上の物質に影響を与えている力によるものである。従って、地上の物質の配列(配置)を想定するなら、この配列(配置)の内部で作用する原子や分子といった小さなデーモンたちではなく、外から作用する宇宙の力にある。 (人間が実験により、例えば、原子の電子軌道から電子を取り出せば、人間の任意に外から配置できる。) つまり、地球の外に、ある天体の配列(配置)が成立する場合、例えば、太陽系から土星が、地球のある1点に特別に優位に作用するような配列(配置)が成立する場合を考察できる。 土星が優位に作用できる配列(配置)とは、土星の作用領域から、他の天体の作用領域ができる限り遠く離れ、例えば、下図の中止の地球に、土星が作用する場合(下図参照)で、すなわち、太陽や火星他の作用が、土星の軌道内や、土星の軌道近くに無く、できるだけ遠く離れ、土星だけが作用する場合である。 そのような土星優位の配列(配置)が成立すれば、中心にある地球の特定の場所は、土星以外の他の天体から離れている原因により、いわば土星に占有されるために、土星以外の天体力は僅かしか影響せず、土星の力にとっては優位な配列(配置)が成立し、占有された場所の地上の物質のなかに、土星特有の関係が生まれ、同様な関係において、例えば、火星優位の配列(配置)による作用とは異なった構造が、特定の場所に引き起こされる。 地上の物質のなかに発見できる本質は、まさしく天体の共同作用の産物に他ならない。 従って、以上のように、土星の作用を分離してみた場合、つまり、土星が地球のある特定の箇所に特別に優位に、かつ長期間作用する場合、その特別な場所に、鉛の現出を発見することで、鉛という産物のなかでの土星の作用が明らかになる。 以上が、ある種の地上の物質、特に金属という物質が、地球外の宇宙の、ある種の配列(配置)と関係づけられる理由である。 ここで可能なことは、今日の研究や人智学が提供できる叡智を、本質的に再発見することでしか理解できない太古の叡智により提供されていた叡智との対比に導くことに他ならない。というのも、古代の文書は、今日の化学や物理学により思考する現代人にとっては、実際、根本的に読むことの不可能なものだからである。 以下の例は、上記のことを教えてくれる。北欧のある非常に聡明な学者が、ある錬金術の歴史を書き記したが(2)、彼によれば、錬金術は、「今日(1912年)の化学的概念からすれば全く無意味な過程(プロセス)を挙げ、その過程からは、何も発見できない。」と記している。 (2)Theodor Svedberg、スウェーデンの化学者。おそらく、「物質[Die Materie]」(1912)という著書。1914年にドイツ語に翻訳出版された。 彼の主張は全く正当である。錬金術が挙げた過程(プロセス)とは、上述の土星による鉛の生成過程(プロセス)である。しかし、この善良な人物は、鉛の生成過程(プロセス)が、植物の種子形成過程(プロセス)を説明していることに無知だった。 彼は、鉛の過程(プロセス)は、現代の実験室内での鉛の精製(生成)過程(プロセス)の説明だと考えた。そのように考えるなら、当然の如く、無意味となる。 古代の用語は、現代とは異なる完全に別の世界に適用する必要があり、表現によっては、全く異なる意味を考える必要があることを、この人物は全く知らなかったため、彼にとって、錬金術の鉛の過程(プロセス)は無意味なものとなった。彼は現代の意味では正しいが、同時に、古代の意味では間違っていた。 錬金術が記述するように、地上の物質を、地球の周囲から地球に働きかける様々な天体の力に関係づけることができる。特に、金属の研究、つまり錬金術の方法を、これから講義のなかで暗示していくが、人智学的な方法で行うなら、金属の研究から、まさに特定の関係が明らかになる。 つまり、例えば、鉛は、他の天体に妨げられない主に土星の作用と関係づける必要があり、錫は、主に木星の作用、鉄は、主に火星の作用、銅は、主に金星の作用、今日の化学でも、水銀[Quecksilber]と呼ばれる金属は、主に水星の作用と関係づける必要がある。 水銀は、主に水星の作用から生成されるので、古代の人々は、水星[der Merkur]と、水銀[das Merkur]を同じ名で呼んだ。
2012年01月18日
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重要なのは、植物において、分離され現われる生成過程や、人間において、組織化の一面を決定する生成過程を、正しく見据えることである。 以前、いわば人間の外の自然特有の3つの形成過程に目を向けた。すなわち、塩の形成過程、水銀の形成過程、そして、燐や硫黄といった測定不可能な霊光の作用を、自らのうちに保持し、測定不可能な霊光の担い手となることで成立する形成過程である。 1.塩→固体化 2.水銀→液体化 3.燐や硫黄→気体化 では前回述べた反転の事実に関連して、人間の外の自然の上記の3つの異なる内的な形成過程の違いは、一体どのようなものなのか? 塩の生成過程、すなわち、塩の形成に通じる経過全般は、端的にいえば、内(霊)的な経過を、重力の領域に移行させる生成過程である。古代の医学文書を読むなら、古代の文書の「物質の塩化」について記述されている箇所を、次のように解釈すればよい。 「物質の塩化とは、塩化という経過により、当の物質が重力の支配下にあり、塩化とは反対の光の経過を用いれば、今度は、測定不可能な霊光を、重力から奪うことができる」、という解釈である。 つまり、光を、測定不可能な霊光の代理や代表者とするなら、人間の外の自然においても常に一貫して、光と重力の闘い、すなわち地球外の天を目指す力と、地上の物質を(地球の)中心へと向かわせる力との間の闘いを考慮しなければならない。 自然界には、第一に、重力-光の対立がある。そして、重力と光との間を揺れ動きながら、絶えず均衡を求める経過は、水銀(液体)のなかに現われる。水銀のなかに含まれる経過は、光と重力の間で絶えず均衡状態を求めている経過に他ならない。 (水銀の経過は、日本語の慣用句の「水に流す」を髣髴とさせる。) さて、重要なのは、塩、燐、水銀の対立を、実際、宇宙全体のなかに、つまり、重力、光のなかに、そして、この両者の対立や両者の均衡を求めるなかにも置いてみることである。 この完全な対立のなかに独特な形で置かれているのが、人間の心臓の全活動である。 現代の自然科学の見解から、心臓に対して適用されている、例のポンプシステムを支持できないことは既に述べたが、この間違いを除外しても、あたかも心臓が、表面の皮膚により、外に対して閉鎖された活動に尽きているかのように想定するのは、実際、恐るべき間違いである。 実際、心臓に対する今日の見解は、心臓本体を通じて生じる鼓動とだけ関係をもつかのように想定するのとほとんど変わらない。しかし、この見解は間違いで、人間の器官組織は、宇宙全体に組み込まれ、人間の心臓は、単なる生体組織のなかの1つの器官だけでなく、全宇宙経過(プロセス)の一部でもある。 そして、植物に生じている経過、つまり、太陽より上位にある天体(火星、木星、土星)と太陽より下位にある天体(月、水星、金星)との共同作用は、人間にも起こり、その現われが、心臓の運動(鼓動)のなかに発見できる。 心臓の運動には、人間に生じている事象が刻印(記録)されるだけでなく、人間の外にある関係も刻印(記録)される。人間の心臓を探求すれば、そのなかには根本において、宇宙の経過全体が反映している事実がわかる。 (宇宙全体の進む方向が道徳で、道徳に合わないと、心臓が弱くなる。だから、善意の育成は心臓を強化し、悪意をもつと心臓が弱まり、脈が弱まり、自信を失う。古代エジプトでの死後の最後の審判では、心臓を天秤にかける、といわれているが、それは光と重力の均衡の事実を理解していたからだろう。心臓は、獅子で象徴され、実際、ライオンの心臓は強いので、百獣の王と呼ばれた。) 人間とは本来、霊-魂の存在としてのみ個別化されている。人間は、宇宙の経過全体に組み込まれている。例えば、心臓の鼓動は、人間だけに起こる事象の顕現ではなく、全宇宙で起こっている光と重力の闘いの現われである、という事実により宇宙全体の経過(プロセス)に組み込まれている。 私(シュタイナー)は、一般大衆のために、人間が上記のように、宇宙のなかに置かれている事実の説明を、次のような大まかな計算を用いた具体例でよく試みる。 人間は、1分間に大体18回呼吸する。この呼吸数は、1日、つまり24時間では、25920回(18回×60分×24時間)となる。人生を1日から換算すると、1年は365日あり、人間の平均的な寿命、つまり大体71歳まで生きる場合(もっと長生きする可能性もあるが)を想定すると、人間の寿命の日数は、1日24時間の呼吸数とまったく同じ、25915(365日×71年)という数になる。 更に、黄道十二宮を巡る太陽の運行の1プラトン年、つまり太陽の春分点が、例えば、牡羊座から昇るとして、再び、牡羊座に戻ってくるまでに要する時間を考えると、25920年となる。 プラトン年 http://homepage2.nifty.com/SON/uranai/Aquariusage001.htm http://can.ifortune.net/wiki/wiki.cgi/astro/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3%E5%B9%B4 以上のように、人間と全宇宙との関係を表わす、不思議な数の例証が得られる。この例証は、人間の寿命の日数(25915)とほぼ同じ数を、太陽の運行の年数のプラトン年(25920)で示している。 この数の例証を明白に示すことができるが、これは宇宙の存立の特別な潜在意識までも暗示する。実際、人智学において強調してきた事実に注目すればよい。つまり、人間が、夜、眠りにつくと、人間の自我とアストラル体は、物質体とエーテル体から離れ出て、再び、朝起きるときに入り込む、という事実である。 この事実を、一種の物質体を通じての霊魂の呼吸として想定すれば、この呼吸により人間の生存は1日となるが、人間が生存中に行う、この霊魂の呼吸の数は、(大体71歳まで生きると)、25915、あるいは、1プラトン年の25920となる。この5の差は閏日のために生じる。 更にまた、宇宙のなかには、この同じ数に従って、見かけ上、太陽の運行と関係する働きがある。この宇宙の進行のなかには1つのリズムがあり、このリズムは大いなる存在のなかに現われ、1人1人の人間の寿命のなかにも、人間の1日の呼吸過程(プロセス)のなかにも現われている。 (1日は、英語では、デイ「DAY」だが、語源は、神デウスからきている。聖書の記述では、世界は7日でつくられたとあるが、この日は、現在の1日ではなく、神デウスのことである。つまり1柱という意味になる。だから、世界は、7柱の神々によりつくられているという意味なのである。すなわち、日「太陽」、月、火星、水星、木星、金星、土星でつくられるという太陽系のことになる。) 有史以前の世界では、遺伝的に受け継がれた霊能力から、ブラフマンの昼と夜という話で、すなわち、宇宙の呼吸について語っていたことも、もはや不思議とは思わないだろう。なぜなら、この宇宙の呼吸が、人間の日々の生の経過(プロセス)のなかでは、ミクロコスモス的な像をもつことに、有史以前の世界では、気づいていたからである。 実際、共感や反感の感情ではなく、具体的な事例に基づく認識により、太古の叡智を真に賛美できるようになる。私(シュタイナー)は、次のような出来事を、非常に頻繁に確認できなかったなら、けっして太古の叡智の賛美者とはならなかったことを保証できる。 太古の叡智のなかに再発見でき、太古の叡智をもった人間が知っていた事実と、今日、人智学から、再び獲得できる事実との間で、現代では消滅し、全く失われていた叡智が、今日、非常に頻繁に発見できるようになった。 真なる認識を目指して努力する人間が、太古の叡智の賛美者として育成する叡智は、太古の叡智を目指して猪突猛進することから生じるのではなく、現代にも通じる具体的な関係の洞察から生じる。
2012年01月17日
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実際、地球の植物相のなかに、地球と地球外との相互作用を完全な形で示すものが指摘できる。これは、単なる形態に及ぶだけでなく、内的な化学的現象[Chemismus]や器官組織全体にも及んでいる。 というのも、形態や機能において、地球の作用が、宇宙の作用に克服されるのと同じように、いわば植物のなかの地球の作用から生じる化学的現象も、地球外の作用により克服されるからである。地球の作用がある程度まで克服されると、今度は地上の化学的現象を示すために、地上のなかにもどされる。 更に、地上の化学的現象は、燃焼後の灰のなかに外的に現われる全成分として示される。つまり地上の化学的現象は、生命(再生力)から脱落し、抜け落ちることにより出現することが明確になる。地上の化学的現象は、重力に屈服するが、植物の上へと向かう成長は、重力他の地球に結びついた様々な力を、絶えず克服する。 以上のことから、重力と光の両極(対極;陰陽)的な対立について語ることができる。光は、絶えず重力を克服する。 光と重力との闘い、つまり、灰へと進む力と、火へと進む力との闘いの生成過程(プロセス)のなかに、ある意味、植物は拘束されている。 つまり、以上に示されるのは、灰化していく作用と、火のなかに開示される作用との両極的対立、すなわち、測定可能なものと測定不可能なものとの対立である。 さて、以上の事実から、一面において、宇宙的な関連のなかの植物界が得られた。 人間を観察するなら、既に以前の議論により、人間も、両極的に方向づけて考えなければ、うまくいかないことがわかる。というのも、植物では、下から上へと成長する生成過程が、人間では、逆転して、上から下へと成長するため、人間の場合、性や排泄の過程(プロセス)では、植物の花や種子の生成過程は下に向かい、根の生成過程は上に向かうからである。 ただ、この逆転は、人間では、機能的な意味であり、植物では、物質的な生成過程(プロセス)の意味である。 以上の事実からわかるが、人間の生体は、植物のなかの生成過程とは反対の生成過程をもつ。しかし、人間のなかに、単なる反対の生成過程があるだけでなく、この反対の生成過程を担う霊(精神)的な実質がある。 従って、次のような結論に至る。 人間の生体は、機能において、上に向かって、いわば植物の根を形成し、下へ向かって成長し、花や種子を形成する。そして、その機能の周辺を巡って、今度は下から上へと物質的に成長する傾向をもつ。 そのため、植物では、本質的に、上の種子の領域から、種子を取り出し、下の根の領域に沈ませる円環の達成が、(天の作用により)巧妙に行なわれるのに対し、人間の場合は(自身で)継続的に行なわれる。 そして、本質的には、人間の健康な生活も、病んだ生活も、この相互の変動のなかにある。これまで示してきたように、地球から上に向かって作用する再生力があり、逆に、この再生力を抑えることで、上から下への作用が生じる。 健康な状態も病気の状態も、人間の生は、これらの力の共同作用のなかにある、という事実を容易に看取するには、例えば、死の淵でなかば絶望しながら、次のような1つの重要な事実の前に立つときである。 人間の生体組織は、心臓よりも上に位置する器官組織を考察するときと、心臓よりも下に位置する器官組織を考察するときでは、全く別様に扱わなければならない、という事実である。 この場合、別の原理に従って、人間を観察しなければならない、とすら言える。この原理は、次のような事実、例えば、一般的な「クル病[Rachitis]」である四肢骨の湾曲や変形と、「頭蓋ろう[Kraniotabes]」との関係のなかに現われる。 頭蓋ろう http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0ss/113755400000/ くる病 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%82%8B%E7%97%85 「クル病」と「頭蓋ろう」の両者は、人間を統一体として観察する人にとっては、症状が互いに類似し、四肢と、頭部という、対極的に異なる部位から生じるために、全く異なる疾患として観察することもやむを得ない。この相違は重要な意味を持ちながら治療法にまで及んでいる。 つまり、四肢の「クル病」において、例えば、燐療法により、ある種の成果を示せた医師たちは、「頭蓋ろう」の場合には、この燐療法では全く成果を挙げられない。頭部の場合、炭酸石灰による(塩)治療によって、四肢とは反対の処置をとらなければならない。 しかし、以上から、次のような一般的な事実が現れる。次のような事実は、不快だが、全くの真実である。 「人間の治療の場合、つまり医学分野では、何らかの処置が主張されると、逆に、その反対の処置の主張もまた、常に、ある場合においては正しいことがあり、そして、この相反した両者は宿命ともいえる。 何らかの疾患に対して、誰かが正しい治療法を示し、一見全く同じ症状に対して適用しても、この正しい治療法が、治療法にならず、反対の治療法を適用しなければならないことも、十分に起こり得る。 そのため、ある治療法で処置できるのは、特定の部位のみで、他の部位はまた別の治療法で処置せねばならないという事実を意識しなければ、医学のなかでは、常に、ある治療理論を、別の治療理論によって撃退してしまう可能性もある。」
2012年01月16日
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植物の花の形成過程には、外惑星の火星、木星、土星を考慮しなければならないが、天王星や海王星は、天文学的意味でのみ、太陽系に加えることができる。この両者は、本当は太陽系の一部ではなく、太陽系の外にあった異物が、太陽系に接近した際に入り込んできた。 従って、太陽系に招かれた天王星と海王星は、本来、太陽系の、いわば訪問客で、通常は、度外視して語るのが正しい。 外惑星(火星、木星、土星)の力は、通常は、葉の螺旋構造だけに現われる形成過程を、抑制し、花-種子形成に作用することで、植物の上へと向かう力を後退させる作用を及ぼす。つまり、植物の生成を、葉の形成から上へと観察すれば、葉の上にある形成過程は、太陽と、火星、木星、土星との相互作用から成立した力を起源とする事実がわかる。 さて、しかし、太陽と、外惑星という2つの要素が、単純に一緒に作用するのではなく、この両者に対してまた、特に月や、太陽の下位に位置する惑星の水星と金星から発する作用が、更に影響している。水星、金星、月は、植物のなかに、地球へと向かう作用、つまり下方への傾向を生み出し、その最も顕著な生成過程は根の形成のなかに発見できる。 従って、地上に生じる存在全ては、実際には、太陽や外惑星の力と同時に、月と関係しながら、太陽の下位の惑星(水星、金星)に影響を受けている。つまり、植物のなかには、人間のなかにもある、この太陽系全体が表現されている。 植物のなかには、人間のなかにもある、この太陽系全体が表現され、また別側面では、人間のなかにも、この太陽系が表現されている事実を理解できないうちは、そもそも植物と人間との間の関係を見通すことなどできない。 実際、次のような事実に注目すればわかる。根の形成に傾く植物(根が発達している植物)、つまり花の形成に傾く植物(花が発達している植物)ほどには、花-種子の形成過程(プロセス)を成し遂げていない植物、もしくは全般的に、植物の根を燃やすと、花やヤドリギ、樹の類の植物を燃やすときよりも、遙かに多量な灰の成分が出る、という事実である。 根を燃やすほうが、花を燃やすよりも、多く灰が出るという違いは端的に、太陽の下位に位置する、つまり月、水星、金星が、根の形成に優位な傾向を示すような植物に対して、強く作用している、という事実に由来する。 灰のなかには、鉄、マンガン、珪石[Kiesel]といった、実際、直接的な薬剤の成分が析出でき、植物を利用する際に、薬として現われる成分が発見できる。 対照的に、根形成が優位な植物とは反対の種類の植物を燃やす際には、灰の成分は僅かしか出ない。燃焼から現われる薬剤の成分は、植物が、単に地球上に発見できる作用(力)だけに属するのではなく、宇宙全体の一部であることを示す、正確な外(物質)的な証拠である。 灰 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%B0 植物の生成過程(成長)を完全に観察するなら、1年生植物の場合、植物の生成過程(成長)は、種子(実)の形成と同時に、特定の時季(季節)に生成過程(成長)が中断される。すなわち、この種子形成を、主に、地球外の力に還元しなければならない。 植物の種子形成は中断され、種子は、再び、地上に委ねられ、中断されなければ、ある意味で、もっと高い段階に達していた生成過程(成長)が、中断により、いわば低い段階で再び継続される。従って、植物の成長全体のなかに、独特な進行が観察できる。 いま地球の表面を考えると、植物が地上から生えて、地球の外に向かって成長する(下図参照)。しかし、地球(地表)の外で形成された種子は、再び地球へと戻され、新たなる成長の循環が始まる。 従って、植物の成長全体を観察すれば、天からの様々な作用(力)が毎年地球へと降下し、地球の様々な作用(力)と結びついて、植物の成長の循環が完了し、また新たに始まる。つまり、天の作用は毎年、花-実へと進んだ生成過程を、再び、根のなかに沈降させることで、植物の成長全体を支配するライフサイクル(円環)を達成する(下図)。
2012年01月13日
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これから述べることに関しては、少々気懸かりである。というのも、このような事柄を述べるのに、3ヶ月ほどの期間を費やすことができたら、単なる幻想と安易にみなすことはないと思うが、治療の特殊な領域にまで入っていくような事実を、完全に理解できるために、このような事柄を、短期間でざっと通過していくので、単に事実を並べただけのように思うことが考えられるからである。 それでもやはり、できる限り、このような事柄には、今日の自然科学の基礎となっている事柄以上に充分な根拠があることを表現していきたい。 でははじめに、植物の形成過程(プロセス)を、宇宙的な関連のなかに置いて、提示することからはじめたい。 これまで見てきたように、人間のなかでは、植物の生成過程(プロセス)とは逆の生成過程(プロセス)が、機能的に働いている。従って、人間に対する植物界との直接の関係を発見するには、この植物の生成過程(プロセス)を、人間のなかに暗示しなければならない。 植物をみれば、植物が、生成過程(プロセス)において、明らかに対立する2つの傾向を持つことがわかる。一方は地球、つまり地に向かい、以前暗示したように、樹のような植物では、幹のなかに、地球が母体として凝縮するために、草のような通常の植物や下等な植物が地球(地)に根付くように、樹においては、花は葉とともに幹に根付く。 さて、植物は、一面では、地球に向かう傾向をもち、また他面においては、地球から離れようとする傾向をもつ。植物は、単なる、地球の引力に対抗する形成力(再生力)により、地球から離れようとするばかりでなく、その内的な形成過程(プロセス)全体によっても、地球から離れようとしている。 そして、花のなかで起こる経過は、根のなかで起こる経過よりも、地上を遙かに超えた、地球外の力に依存し、花の形成が地上に由来しない様々な(天体の)力に依存する事実に注目すべきである。 というのも、植物が、花-種子形成過程(プロセス)を導くのに用いる様々な力や生成過程は、以前暗示したが、人間の生体内では、必然的に、機能的に逆転することがわかるからである。 人間の生体内では、植物の生成過程(プロセス)は逆転するので、花-種子形成過程(プロセス)として発見できる地球外の様々な作用は、人間の下腹部における排泄、分泌、性(セクシュアリティ)の根本に関係する器官組織全般のなかに発見できる。 以上のような、人間と植物の逆転関係の探求から、植物の地球由来の経過(プロセス)だけでなく、地球外の経過(プロセス)をも、個別的に示すことができる。 この講義で述べる事実は、古代の医学文書から借用したものではなく、現代の人智学的研究に基づいたものであることが理解できるように努力を惜しまないが、術語において、時には古代の文献に依拠する試みも余儀なくされることもある。 それは、近代の文献が、この分野の術語を、いまだ開発できないでいるからだが、この講義で述べる事実を、古代の文書から、そっくりそのまま引用されたものと考えるなら、全くの思い違いである。 地上から上へと伸びていく植物の成長を追求するには、第一に、葉や花の発生と、螺旋状の生成過程(プロセス)の進行に、注意を向けなければならない。植物の形成(再生)力は、茎を巡る一種の螺旋状の進行に従っている。 この再生力の螺旋状の進行は、例えば、植物の内的な弾性(構造)力から生じるものではなく、地球外の作用、特に、主として、太陽に対する地球の見かけ上の(外面的な)運動を、相対的に考えなければならない。つまり、見かけ上の(外面的な)地球の相対的運動は、本質的には、太陽の軌道による作用に帰せられる。 ある意味、ガリレオの数学(天文学)よりも良い根拠に従って、天体の運行を、植物の螺旋状の形成過程(プロセス)の進行から徹底的に研究できる。なぜなら、天体の軌道を、植物は忠実に模写しているからである。 (植物の螺旋構造の形態から、天体の軌道が解析できる。このような事実は、漠然的ではあるが、フラクタル構造として解析されている。植物ではないが、貝殻の渦巻きの模様と、銀河の渦巻き模様は、類似している。貝殻は、塩作用で、霊光の放出からできるので、霊光の放出模様が現れている。) しかし、太陽(の軌道)に依存する地球から上へと向かう形成(生成)過程だけが、植物に働いていると考えるなら、間違いである。植物には、太陽の軌道だけでなく、太陽を通して引き起こされた太陽系の運動と共に、様々な天体が作用して、合力が形成されている。 しかも、植物のなかの太陽の作用は、元々の太陽の力に対して、外惑星(火星、木星、土星)の力が、螺旋状に、対抗して生じるもので、もし、元々の太陽の力が植物を完全に占有すれば、地球から上へと向かう生成過程を、絶え間なく無限に継続するだろう(下図参照)。 植物の構造からわかるように、実際のところ、太陽系の様々な惑星は、楕円運動ではなく、螺旋運動を行っている。そもそも今日のコペルニクスの宇宙観は再検討を要し、補足すべきものなのである。 (シュタイナーは、コペルニクスの宇宙観を間違いとはいっていない。現代人の解釈が間違っていると述べている。コペルニクスの第3法則を、弟子たちが理解できずに、省いたために、現代人の間違った解釈を生んだと述べている。 そもそも、宇宙は、少なくとも3次元以上の存在なのに、天体の軌道を楕円という2次元平面でしか記述しないのは、現代人の大きな過ちである。数学的にも高次元が明らかになっているのに、現代物理学でも、11次元が想定されているのにも関わらず、天体が2次元の楕円軌道をとるというのは、近視眼的な線形「平面」思考のなせる業である。 真実は、誰にでもわかるぐらい、単純ではないはずだが、人間の頭は楽をしたがる傾向にあるので、単純化して考え、単純なものと想定したがる。真実は誰にでもわかる単純なものであるというのは単なる人間の都合の思い込みでしかないと考える方が賢明だろう。 非線形現象を、線形で捉える過ちは枚挙に暇がない。カオス理論を、高校の必須科目にしなければ、人類は何度も同じ過ちを繰り返すだろう。大学で専門分野を学んでもまだ線形思考しかできない人間が沢山いる。これでは、記憶力はよいが、理解力に乏しい機械人間が増殖してしまう。)
2012年01月12日
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植物の花-実の器官形成が、燐や人間の下腹部の器官形成と親和性をもつのに対して、植物の根の器官形成は、人間の胸部よりも上に配置され組織される器官に対して特殊な親和性を持つ。 しかし、当然、注意すべき事項は、単純な外面的図式に則って、人間を3つに大別するのではなく、例えば、最下層に属する消化機能(システム)でも、上層を目指していて、その機能は、いわば、頭部まで継続する。 従って、本質的な思考物質が、脳の灰白質のなかに、与えられているという現代の見解は、全く馬鹿げた見解と言ってもよい。 この見解は間違いである。脳の灰白質は、本質的に、脳に栄養を与えるためにあり、脳に栄養を与えるための消化機能の出先機関(コロニー)なのである。一方、脳の白質が、思考物質として大きな意味を持つ。 (現代医学では、神経細胞は、灰白質にあり、白質は、神経線維の集合部位と考えられ、神経線維は、神経細胞の軸索なので、シュタイナーの見解をあてはめると、神経細胞は、栄養を与えるためで、軸索で、思考を伝達していることになる。 灰白質 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%B0%E7%99%BD%E8%B3%AA 神経線維 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E7%B9%8A%E7%B6%AD) 従って、脳の灰白質の解剖学的な様相では、灰白質の機能として、通常帰せられる思考物質というよりも、むしろ全体的な活動に関係する事実が発見できるだろう。だから、消化機能を語る際も、下腹部だけでは語れないことがわかる。 肝要なのは、植物の根との親和性に着目するなら、単なる人間の上部組織だけでなく、他の部分とも関わり合う事実に気づくべきである。 植物の上方の花を咲かせ、実を結ばせる作用と、下方の根を伸ばす作用との間を調停する、いわば通常の草などに現れる葉等の形成過程を、抽出した状態でも、人間の循環障害や、更には上部組織と下部組織の間の律動的な調和に関係する胸部に対して、特別な影響を与える。 以前、測定不可能な霊光を内面化する鉱物(燐)と、霊光を自ら遠ざけ、放出する鉱物(塩)との両者の間にある鉱物(水銀)を示したが、この水銀の調停作用は、植物の構成とも対比できる。 鉱物と植物の対比により、植物の各々の器官の発達度合いに応じて、人間の生体組織との相互関係を確立するための第一の合理的な手段を、植物から獲得できる。この合理的手段を、更にどのように特殊化していくかは、後に見ていく。 さて、これまで指摘してきたことは、植物、鉱物と、人間との間に、親密な相互関係が成立しているという事実だった。近代では、更に、人間と動物との間の親近性や相互関係が、いわば非常に期待に満ちたかのように付加されてきた。 とはいえ、血清療法の出現に際し、はじめは奇妙な方法で行われたことを度外視しても、今日、一般的に行われている血清療法に対して、治療原理と原則が通用するようになるべきである。実際、血清療法の登場時は、ベーリングにより、非常に奇妙な方法でそれが行われていた。 エミール・ベーリング http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0 血清療法の説明や、その周辺の知見ではなく、血清が実際、何の役に立つか、ということのみを述べたベーリングの発表論文を追求すると、実際、医学の革新に関わる話であるかのような印象を得たが、その際に、実施し、基礎となった実験の記述に立ち入っていくと、誇張ではないが、奇妙なことに、人間に転用するための、イルカの臨床研究から推定した血清療法では、「非常に多数」のイルカに、不都合なデータがあることが判明した。 血清で処置した多数のイルカのうち、有望な成果を示したのはたったの一頭にすぎなかった。血清療法を大々的に宣伝するための、いわば太鼓を打ち鳴らし始めた時期の論文でさえ、たった一頭のイルカのデータを偽装することで、動物療法がなされたということを、単なる1つの事実として挙げておきたい。 将来、上記の事実を理解する人も出てくるだろう。そして、このような現代科学の上での、「法外ないい加減さ」、というべき登場こそが、本来、科学史において厳密な考察を要すべきことである。 原則的に最後に挙げておきたいことは、何といっても、これまで見てきたように、人間に対して、直接影響を与える過程(プロセス)は、人間以外の外の直接、表面に現れるような過程(プロセス)ではなく、奥深い本質から取り出す必要のある過程(プロセス)である。 さて、人間は、ある意味、自らが外に出した過程(プロセス)、すなわち、燐生成過程(プロセス)、塩生成過程(プロセス)、花の形成過程(プロセス)、種子の形成過程(プロセス)、根の形成過程(プロセス)、葉を生やす形成過程(プロセス)と親和性を持つ。 そして、人間は、これらの過程全てを、実際に、逆転させながら、生きる。 また、人間の外の自然のなかに現れている、以上の過程を、人間は止揚し、反対の過程に逆転させる傾向をもつことから、親和性が生じている。 動物に対しては、上記の植物とは同じではない。というのは、動物は、この過程(プロセス)を、途中まで経ているからである。人間は、植物と同じ意味で、動物と反対の位置に置かれているわけではない。 人間は、いわば動物に対しては90度の位置にいて、植物に対しては180度の位置にいる。そして、これは、血清などのような動物薬の使用について、疑問が生ずるときに最も考慮すべき事項である。
2012年01月11日
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さて地球の植物を観察する際、通常の観察法では、植物の本質は、かえってみえなくなる。 地球上を歩きながら、次々に植物を観察し、詳細に調べ、植物を1つの思想体系のなかに組み込み、細分化された名称を考え出す、というような通常の観察法ではなく、地球全体を1つにとらえ、髪の毛を、人間の生体組織の1部とみるのと同じように(確かに、髪の毛はどれも似たような形で、植物は互いに異なるので、ある意味正確な比喩にはならないが)、植物界全体が、地球の生体組織の1部である事実を考慮に入れておく必要がある。 髪の毛1本1本を、1つの生体として観察できないように、個々の植物を、1つの独立した生体としては観察できない。植物が個々様々に異なるのは、地球が他の天体と相互作用しながら、様々な方向へ力を展開することで、植物が様々に組織化されることが基盤となっている。 しかし、植物という生命の成長の根底には、地球という統一的な生体組織がある。従って、ある特別な事情に注意を払うことは重要である。例えば、キノコの観察から、はじめに気づくことは、キノコにとって、地球が一種の生息地、つまり母体である事実だろう。 更に、キノコよりも高度な草のような植物に目を転じれば、やはり地球が、一種の母体となるが、地球の外の力が、つまり、光や他の力が、草のような植物に、ある種の影響、つまり花や葉などの形成において影響を与えている事実が理解できる。 しかし、特に興味深いことは、樹に注目すればわかる事実である。樹の樹幹の形成が、樹を樹齢何十年もの植物にしているわけだが、地面の上に直接生える植物にとっての地球全体としての母体が継続して、樹に対しては、樹幹の形成のなかに存在する。 この事実を、次のように思い浮かべる必要がある。地球から植物が生え出るが、地球のなかに、植物の成長の潜在(再生)力があり、宇宙からやってくる力と相互に作用しながら現れる力を探究できる。 地球は、樹が成長する際(以下の話は真実なので、ショックを受けないで欲しい)、地球から直接植物のなかに流出していた過去の成長力を、ある意味、上から覆っていき、幹のなかに貯蔵する。 つまり、幹は、全て地球の瘤なのである。このように考察できないのは、今日の実に忌まわしい唯物主義的な思考に起因し、現代人は、地球を単なる鉱物(物質)の複合体のように考え、その鉱物的な地球の考えを疑いもせずに固執し、地球の真の姿に対する探求の上で前進しようとしない。 地球は、鉱物(物質)を分離する他に、植物のなかに突き進む生命力を、自らのうちにもつ。この生命力が蓄積されて幹となる。幹の上で、更に成長する植物の器官組織は、草のような、地面に生える下等植物の器官組織に対比すべきである。 つまり、草のような下等植物にとっては、地球自体が幹であり、花や種子の器官を、幹に付けている植物は、自らで、幹という特別な地球を作り出している。このような事情から、樹から花を摘むか、草のような植物から花を摘むかでは、ある種の違いがあることがわかる。 更に、上記の観点から、植物に寄生する植物の形成、特にヤドリギの形成に注目して欲しい。ヤドリギは、通常の植物では組織的に結びつく花や種子を担う器官組織が、外界への分泌物として、まるで自然の1つの経過のように独立し、幹に寄生している。 従って、ヤドリギのなかに、通常の植物での花や種子の形成過程が、地球の潜在(生命)力との、ある種の分離と結びつき、上昇する作用を見なければならない。いわば、植物のなかの地球でない作用が、ヤドリギの形成として解放される。 従って、地球外(天)の力と相互作用しながら、地球から上昇する力が、花や種子の形成として、地球から、徐々に自らを分離していくのが見え、ヤドリギの形成においては、強力に自らを個性化し、解放にまで至るのが見える。 さて、以上のような天と地の相互作用を、植物の形成に結びつけるなら、次のような結論に至る。 植物のなかに根の形成を優先する傾向が現れると、逆に花や種子の形成は未発達で小さい、という成長の違いが生じる。 根が発達し、花や種子が未発達な植物は、地球に向かう傾向をもつ。逆に、地球から自らを解放する植物は、花や種子の形成へと上昇する植物で、特に植物界では寄生植物として通用する植物である。 しかし、植物には、3つに大別した器官(1.根、2.茎や葉、3.花や種子)のどれもが、他の器官よりも突出して成長する傾向をもち(マツなどの植物は、茎を幹として突出して成長するのが観察できる)、植物の主要な器官、つまり根、茎や葉、花や実のどれもが、植物全体の平均的な形から突出して成長し、主要な器官になろうと努力している。 例えば、トクサ[Equisetum]のような植物を考察する。トクサは茎の形成において突出(上昇)している。また別の植物は、葉の形成において突出(上昇)し、また別の植物は、茎の形成と葉の形成を萎縮させ、代わりに花の形成において突出(上昇)する。 トクサ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%AF%E3%82%B5 以上のことから、明らかになることは、植物の成長の様々な傾向と、これまで3つの類型として挙げた外の自然のなかの鉱物の働きが、ある意味で共生している事実である。 特に、植物が、自らを解放する働きのなかにあり、更に寄生植物の内的な活動のなかで最高潮に達する生成過程に目を向けるなら、測定不可能な霊光を内面化する傾向をもつ器官形成が得られる。 測定不可能な霊光として、宇宙から地球へと入り込む再生力は、器官形成が優勢なら、燐のなかに保持される霊光と同じように、優勢な器官のなかに保持される。従って、花、種子、ヤドリギ等への器官形成の傾向をもつ植物は、ある意味で、「燐」と呼べる。 逆に、根の形成過程(プロセス)を研究すればわかるが、地球を自らの母なる基盤とみなしながら成長する根等が優勢な植物は、「塩」と呼ばれる生成過程と密接に関わる。 上記のように他ならぬ植物においても、燐と塩の両極に直面する。そして、上方を目指す花や実と、下方に進出する根の両者の間を仲介する働きのなかに、水銀の生成過程(プロセス)があり、平衡をもたらしている。 従って、植物の器官の配置が、人間と逆転する違いを考慮すれば、次のような結論に至る。 「内的に花-実の器官形成の性質を優位に持つ植物は、人間の下腹部の器官や下腹部に配置される器官形成に対して、非常に強い親和性をもち、燐も、人間の下腹部の器官に対して非常に強い親和性をもつ。」 上記の内容が正しいことは、次回以降見ていく。
2012年01月10日
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人間は、いわば神経-感覚機能と、循環機能と、新陳代謝機能という三相化された存在であり、循環機能が、新陳代謝機能と神経-感覚機能の間にあって両者を仲介しているように、外の自然も、塩の作用ほど過度に再生力を放棄せず、かといって、燐の作用ほど、測定不可能な霊光を過度に保持するわけでもなく、この両方の過剰な働きの間で、いわば釣り合いを保つ働き全ては、液体を形成することで、両者を仲介する。 「水銀」の作用は、基本的に、内面的な潜在力(ポテンシャル)との関係から、常に水滴(液体)になる傾向を持つ。 「水銀」という言葉は、今日の物質的な水銀の意味での「水銀」ではなく、融解の(傾向をもつ)「塩」の作用と、測定不可能な霊光を引き寄せ、保持する「燐」の作用との間で釣り合いをとる働きをもつ関係の意味での「水銀」である。 (古代の「水銀」という命名は、現代の水銀とはほとんど関係がなく、むしろ、水星「金星」の愛や釣り合いの意味に近い。均衡を図るとか、中和するという意味で、古代では、「水銀」と呼んでいたようである。 梅毒に対する水銀療法も、物質の水銀を用いる意味ではなく、免疫を強化するための中和療法の意味であろう。現代医学でいうところの抗原抗体反応の促進にあたる。 だから、抗生物質投与によるアロパシー的な間接的な免疫強化による、梅毒への処置は、生体から活力や霊光を奪う点で、ホメオパシーよりも問題だが、結果的に免疫強化を図ることで、治癒に導いている。) つまり、水銀(液体)という状態のなかに明確に含まれる作用機序の研究が肝要である。従って、これからわかるが、水銀の作用とは、燐の作用と、塩の作用との間に、平衡をもたらすことを目的とすることに、本質的に関係している。 (カオス工学でいうなら、塩の作用のカオスと、燐の作用の秩序「オーダー」との間のカオスの縁を、水銀の作用と呼ぶことになる。生体の機能は、カオスの縁に導く、均衡作用を基本としていることがわかる。 参考に http://www.bizdyn.jp/report/scm01/scm01_020.html 免疫の機能を、ニューラルネットで解析すれば、腫瘍へとむかう塩の作用と、炎症へとむかう燐の作用との間のカオスの縁へと均衡をとる作用を表現でき、プログラム細胞死や自己組織化の描像を予測できる。 生体現象は、非線形現象なので、基本的に、線形解析の統計学で解析しても無意味であるばかりか、嘘を誇大させる元になるしかない。20世紀の物質科学が、特に経済学が将来を予測できないのは、線形解析を駆使しても、線形思考を越えることができないことにある。) たった今述べたことと生体組織での作用が矛盾しないという事実は、梅毒やそれに類する疾病について特別に述べていく場合に更に見ていくことになる。 さて以上、燐、水銀、塩について述べることで、特に明瞭な鉱物療法の類型を提示した。無論、既に、牡蠣の殻形成のなかに、塩の作用があり、その背後に潜む再生力、つまり器官の形成過程(プロセス)についても語る必要がある。 この形成過程(プロセス)は、ある意味、燐のなかで、測定不可能な霊光が濃縮されるときにも存在する。しかし、その場合、全てが内面化されるので、この形成過程(プロセス)は外に向かって、それほど明瞭に顕現しない。 さて今度は、以上のような外界における典型的な形成過程から生まれた鉱物界から、いわば過去に人間自らが分離した植物界へと進んでいく。 植物は、既に以前、別の観点から見てきたように、人間の生体組織の働きとは、いわば対照をなしている。しかし、植物についても、3つに大別できる。3つの区分は、根として地中に向かって下方に拡がる作用と、種や実や花として伸長し、上方へと向かう作用をみれば、特に明確に、心のなかに浮かびあがる。 外界への方向性から、植物と人間の違いを(動物は含めない)見ることができる。実際、この方向性のなかに、非常に重要で意味深い原理がある。植物は、根を地中の下に沈め、花、すなわち生殖器官を上に伸ばす。 対照的に、宇宙のなかで、人間の体型は、植物とは完全に反対になっている。つまり、人間は頭を上に向け、生殖器官を下に向けているので、植物とは全く逆の方向になる。 従って、人間は、いわば上に向かって根を張り、下に向かって花、つまり生殖器官を開花させる植物のイメージとして描け、そのイメージは実際に意味をもつ。つまり、植物は、特殊な形(逆向き)をとって、人間のなかに取り込まれる。 更にまた、人間と動物の違いを示す重要な指標は、動物は地表に水平に横たわるので、動物のなかに取り込まれた植物は、外界で生長する植物とは、直角の関係をなすが、人間は、植物とは、完全な転回、つまり百八十度の逆向きの関係をなす。 上記のような関係は、人間と外界との関係についての観察から発見できる啓発の1つである。医学研究者が、このようなマクロコスモス的な関係の観察に参画すれば、例えば細胞に対する様々な作用についても、顕微鏡での観察よりも、多くの事実が発見できる。 なぜなら、細胞に対する様々な作用は(植物、動物、人間によっても違いはあるが)、マクロコスモス的な関係のなかに観察でき、顕微鏡での観察では実際、真相はほとんど獲得できないからである。 人間の細胞に働く作用を研究するには、細胞が垂直に上下運動する機能と、釣り合いを保って静止する機能の間にある相互作用の研究が必要となる。このような様々な相互作用は、マクロコスモスのなかに研究すべきで、根本的には、マクロコスモス的な作用の写像(投影)に他ならない。 (天体の運動が、細胞にも反映している。つまり、宇宙全体の神様の働きを、人間個人の視点からみることはできないが、人間の個人的な視点を超えれば、宇宙全体として働いていることがわかる。)
2012年01月06日
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さて、例えば、下腹部に、霊魂の過剰な活動があり、特定の病気の形をとって(病気の形については後に見ていくが)、現れてくることが判明した際に、考慮すべき薬剤を、炭酸石灰がもつ、内から外への秘密に満ちた物質的な作用を通じて、牡蠣の殻やそれに類する鉱物から獲得できる。 このような病気の治療の本質は、牡蠣の内から外への流出[Von-innen-nach-aussen-Treiben]に基づいた治癒力の明確な理解にある。炭酸石灰のような薬剤に結びつく治癒作用や、それに類似する薬剤を、合理的に研究するには、以上のような関係が洞察できなければならない。 (霊魂が肉体に対して過剰に活動するような場合は、牡蠣などの炭酸石灰の内から外への作用を、ホメオパシー「陰陽中和」の原理を用いて、生体内に再現すると治療できる。 巷で話題のホメオパシー薬はほとんどが贋物なので注意すべきである。プラセボでしかない。第一、生体内で希釈しないと意味がないし、それには、免疫防御反応を充分に理解しないといけない。だから、免疫防御反応や生体防御反応の十分な理解なしに、理論的にも、ホメオパシー薬を処方できるはずがない。) さて、炭酸石灰の作用に対して、対極として相対する作用は、例えば、燐の作用である。この表現は、事実、真の意味において、今日の科学用語よりも、非科学的でない。 その理由は、炭酸石灰等の塩全般が、まるで環境に身を捧げるように出現する際、塩(塩の性質を持つ過程)は、燐のもつ、測定不可能な霊光等の内的な作用から解放されることで、対応物質として現出し、生ずるからである。 いわゆる塩全般は、塩生成過程を通じて、測定不可能な霊光等の再生力を、燐が内的に所持せずに解放する事象から生じる。 (幽霊や未浄化霊に塩を撒いて清める風習は、塩の生成過程からきているのだろう。つまり、霊魂の活発な活動を封じるために、炭酸塩等を与えるわけである。幽霊は、閉じこもった思想過多性の肉体のない鬱病と考えられるわけである。要するに、考えすぎの人間に塩を盛るようなものである。) 燐の場合は、塩の事情と全く逆になる。従って、古代における先祖伝来の伝統的な認識が、燐を光の担い手とみなしたのは、実際に正しい。なぜなら、燐が、測定不可能な霊光を、実際に担うことを、古代の霊的な認識は正確に見抜いていたからである。 (火の玉は、燐からできているといわれる。) 塩が霊魂から奪った活動(再生力)を、燐は自らのなかに担う。つまり塩の対極の物質の燐は、再生力、いわば測定不可能な霊光など、更には霊的な熱(エネルギー)などを、内面化して、自らの内的な特性として保持する。 燐に類似する物質全般は、燐のなかにある再生力、もしくは治癒過程に関連する作用を、上記のような事情に基づいて保持している。従って、測定不可能な再生力を内面化する燐は、とりわけアストラル体や自我が、正しく活動できないとき、正しい活動の再現に適している。 ある患者が病気で、個々の病気については後に述べるが、この患者が、頻繁な夢に悩まされ、すなわち、アストラル体が物質体から離れ、独自の活動の傾向をもち、更に例えば、その患者が器官周辺部に炎症の傾向を呈すれば、物質体のなかに、アストラル体と自我が正しく位置していないことを示すが、このようなことがわかったなら、この患者のアストラル体と自我を、物質体に正しく関わらせるために、燐などが保持する測定不可能な霊光を利用できる。 (炭酸石灰は、器官組織から、霊光を奪う作用「俗にいう憑依」を抑止する作用をもつが、燐は、霊光を強め、器官組織に霊光を与え、正しく関わらせる作用をもつ。葬式後に、憑依されないように、参列者を塩で清めるのは、この原理が風習となったのだろう。ただし、塩は、正確にいうなら、炭酸石灰だが…。 炭酸石灰(炭酸カルシウム) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%AD%E9%85%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0) また、この燐を、乱れた睡眠生活を送る人の、様々な病状に対し、薬剤として用いることができる。なぜなら、燐は、自我とアストラル体とを適切な形で物質体とエーテル体のなかに引き戻すからである。 (炭酸石灰は、肉体に対する、霊魂の過剰な活動を抑えるが、燐は、逆に、肉体に対する、霊魂の乏しい活動を促進する。) 以上のように、燐と塩は、ある意味、互いに対極的に相対する。気づいて欲しいことは、現代の化学により与えられているような、個々の物質名よりはむしろ、上述してきた物質が、宇宙全体の進化過程(プロセス)のなかで、果たしている作用(働き)に注意を向けるべきである。 更に、これから見ていくが、燐に似た作用をする物質も、燐の薬剤として使用できる。 (余談だが、燐は、燐酸として、DNAの構造に深く関わっている。 核酸の構造 http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/nuclacid.htm) 以上の事実から、外の自然における2つの互いに相対する状態、すなわち、塩としての作用と燐としての作用が確定できる。この両者の中間に位置するのが「水銀」としての作用である。
2012年01月05日
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謹賀新年 今年もよろしくお願い致します。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ では、意味深い相関関係を挙げる。この相関関係は、外の自然を、一種の三相状態(気体、液体、固体)として、三相化(気体化、液体化、固体化)した人間との対応を提示してくれる。特に、注目すべきことは、溶解性(液体化)を呈する状態との関係である。 すなわち、溶解性(液体化)は、地球という惑星の進化過程では、特に大きな意味をもつ究極的な特質である。実際、地球において分離された固体(鉱物)の大半が、根本において、宇宙的な溶解(液体化)過程(プロセス)に還元できる。 地球は、この宇宙の溶解過程(プロセス)を克服し、(宇宙的な)生命を奪って固体(鉱物)を沈殿させた。しかしながら、単なる自動的な沈殿物の堆積を想定し、地層として、地学や地質学に、基礎づけを求めたりするだけでは、地球に対しては、表面的な理解にとどまる。 地球形成、いわゆる地球の固体(鉱物)化、本質的にいえば、溶解(液体)状態からの結晶(固体)化、もしくは沈殿堆積は、溶解(液体化)とは逆の特殊な過程に相当する。従って、溶解過程(プロセス)が、人間の外の自然のなかで実現される限り、その溶解(液体化)過程は、かつて、人間が外へと出した分泌(液体化)過程でもある。 つまり、外界での溶解のなかに、かつて、人間が出した分泌過程が生じているはずである。従って、人間の外の宇宙での溶解過程(プロセス)と、人間の生体組織内の分泌過程等の経過との関係を研究すべきである。 以上のことから、基本的に重要なことは、霊魂と肉体-エーテル体が過度に強く結びついている人は、器官組織的に塩分(固体)を渇望するか、塩分に飢えているので、そのような人は、生体組織内で、塩の沈殿(鉱物)化過程(プロセス)を逆行させようとし(溶解の傾向をもち)、地球形成(鉱物化)過程(プロセス)を破棄しようとし、根本において、地球が固体化する以前の、液体化へと、塩(固体)を後退させようする。 (カネを使いたい人が、カネを求めるのと似ている。) 以上のような特質に着目することが特に大切となる。この特質に注目することで、真に人間の生体組織と外の自然との関係が霊的に洞察できる。人間の本性のなかに、外界で起こる、ある種の生成過程(プロセス)を逆行させ、それに抵抗するような一種の器官組織的な要求がある。 以前述べたように、人間は、脳を支えるために浮力を生じさせて、重力に抵抗するようなことも起こしている。総じて、人間には、外の自然に抵抗する傾向が存在する。 さて、では地球形成(鉱物化)過程(プロセス)への抵抗とは、一体何なのか? この疑問が意味するのは根本的に、人間の下部組織を、霊魂から自由にすることで、すなわち、下部組織から、霊魂を、例えば、上部組織のなかへと駆逐することに他ならない。 つまり、生体に、塩分の渇望が生じる例から、必然的にわかることは、下部組織への強すぎる霊魂の働きから、下部組織が、何らかの形で、自由になろうとし、下部組織から、霊魂の働きを、上部組織に押し戻そうとする事実である。 (俗に肉体労働者が、塩分を渇望するのは、霊魂の強すぎる働きに対する下部組織の抵抗と考えられる。) では、下部組織に異変とわかるような変調がある場合を考察する。この変調を知る方法と、この変調に起因する個々の病気については後に述べる。 (この変調に対して)何ができるか? さて、薬剤の使用に対する、ある種、一面的な見方になりがちな人にとって、有意義な考察を挙げる。そのような人は、鉱物薬に対する一種の嫌悪感が見られるが、このような嫌悪感は不当な先入観である。なぜなら、これから見ていくように、純粋な植物薬とは、特定の範囲内で効力を発揮し、深刻な場合では、鉱物薬が非常に大きな意味を持ってくるからである。 そこで、基本的な考察に際し、鉱物薬から述べても、嫌悪感をもたないで欲しい。鉱物薬とは言っても、いわば、鉱物薬の効力のみを、器官の再生力(機能)に組み込むにすぎない。特に、上部組織との関係に対する下腹部の治療について、牡蠣の研究から啓発が得られる。 牡蠣の殻の形成は極めて興味深い。というのも、牡蠣は、その炭酸石灰の外殻を、内から外へと追い出すからである。さて、牡蠣の探究に際し、人智学的な知見が助けになる。牡蠣を人智学的に探究するなら、牡蠣は、確かに動物の進化系列のなかでは下等生物だが、宇宙全体では、比較的高い位置を占めることが認識できる。 人間が、思考として、自らの霊魂のなかに担う再生力で、牡蠣は、炭酸石灰の外殻を分離するので、牡蠣は、宇宙全体では、比較的高い位置を占める。 牡蠣が再生力を内から外へと導き、殻を形成する過程から示される経過は、器官組織の発展に結びつけたら、牡蠣を、非常に賢くし、人間のような高等な動物にした再生力を、牡蠣は、逆の方向に導いた経過(下に向かう進化)である。 (鉱物化⇔ミネラル化、再生力の思考化⇔再生力の炭酸石灰化) 以上のことから、牡蠣の殻の形成を手懸かりに、いわゆる炭酸石灰[kohlensaurer Kalk]、すなわちカルカレア・カルボニカ[Calcarea carbonica]の作用から、霊魂の強すぎる活動を、生体組織から追い出し、抑制に導いていく作用が、いわば手に取るように読み取れる。
2012年01月04日
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