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秘儀参入者は、心霊主義的セッションを執り行う人たちの姿が、有毒な植物である事実に気づく。 この事実から、この心霊主義的な姿の内で働く全てが、本来なら、人間の進化プロセス(過程)を前進させ、遥か未来において実を結ぶべき成果を、それが属さない現在へと前倒しし、引きずり下ろす、ということを学ぶことができる。それらは、現在では(早熟の要因となり)、人間に有害な働きを及ぼす。 心霊主義のなかの秘密とは上記のもので、この秘密に関しては、もう少し学ぶことにする。 さて、心霊主義のどの側面が人間にとって主要な問題を提示するかを明確に示せる。このような文脈での説明は、必然的に多少抽象的に見えるかもしれないが、それでも心霊主義の本性に関する、なんらかの理解を与えるだろう。 さて、頭蓋内に横たわる人間の脳は平均1500g、もしくは多少前後した程度の重量をもつ。実際、これは、かなりの重量で、この重量がそのまま反映したなら、脳の下の基底部にある繊細な血管を、脳自身の重量で、直ちに押し潰してしまうだろう。 ところが、どんなに長く生きても、脳がその下の血管網を押し潰すということは決してない。このことは以下の説明によりすぐに正しく理解できる。 現代人の身体構成を取り上げてみる。脊椎管は上方にのび、脳で終わる。ある部分を除いて、脊椎管は液体で満たされ、脳はこの液体中に浮かんでいる。 では、ここで、アルキメデスの原理を考察する。アルキメデスの原理は理科の勉強で既知だろう。彼が風呂に入っているときにインスピレーションの閃きから発見したと言われている原理である。彼は次のような実験を行った。 彼が風呂に浸かっているとき、片方の足を水の上に上げ、続いて別の足を上げた。彼は足が水の上にあるか水中にあるかで重さが異なることに気づいた。水に浸かっているときには足の重量が失われた。 アルキメデスのような人物にとって、このような経験は広い意味を持っていた。彼は、物体が液体に完全に浸されているとき、見かけ上、物体により押し退けられた水に相当する重量を失う、という原理を発見した。 (アインシュタインの一般相対論は、このアルキメデスの原理に似ていて、質量をもった物体が時空間にあるとき、物体により歪められたエネルギーに相当する重力をもつ、という感じである。) ビーカーに水を入れ、実験台の上に置き、バネ秤から紐でつるした物体を、水の中に下げる。その物体は、水中では、空中にあるときよりも軽くなる。物体が液体に浸されるとき、押し退けられた水の重量に等しい浮力を受ける、というのがアルキメデスの原理である。 (一般相対論の場合は、質量に等しい重力を受ける、ということになる。) 人間にとって、この原理は大変有難いもので、何故なら、脳は脊椎液の中に浮かび、脳の見かけ上損失した重量は押し退けられた脊椎液の重量に等しいからである。 結局、脳は約1500gの重量を頭蓋内にもたない。脳が、見かけ上失った重量は押し退けられた脊椎液の重さ、つまり、約1480gだったら、アルキメデスの原理に従って、実際上の重量はたったの約20gということになる。 つまり、人間は、脳組織の中に、実際の重量よりも遥かに軽い重量に相応する「何か(脳砂?)」をもっている。頭蓋内で、脳はわずか20gしかないが、この20gを大切にすべきであり、何故なら、その重量だけが「自我」を担うことが可能だからである。 (松果体が石灰化するのと、関係があるのかもしれない。) さて、人間の身体全体には、液体という媒質中に浮かぶ、あらゆる種類の固体成分、例えば血液中には、血球が含まれている。それら全ての固体は、正味の重量喪失を被り、一部だけが重量として残る。それら一部もまた「自我」を担う。 上記のように残った重量である「自我」は重力に拘束されず、血液の中に血球として拡散する。 人生の中で、人間内にある知覚可能な重量をもつ、あらゆる存在を注意深く観察する必要がある。脳の重量に相応する霊的存在、文字通りの意味で、重量をもつ存在に対して、厳密な注意を払わなければならない。 何故なら、他でもなく残った重量のなかに「自我」が位置するからで、でなければ、アストラル体やエーテル体等々が、自我に取って代わるだろう。 霊媒師とは、人体構成において、この固体の残された重量部分、すなわち約20gの重量を有する脳が、「自我」をもはや包含しない人のことである。「自我」が、その重量部分から放逐されても、まだ重量を保持しているので、元素霊たちが、そこに直ちに入り込むことが可能になる。 唯物的思考法は、あらゆる存在に、物質空間を割り当てるので、元素霊が霊媒師に憑依するとき、人間のどの部位に入るのか、を知りたがる。このような思考法は、そもそも、静的、線形的に考える唯物心が語る言葉からなる。 ところが、生命とは、そのような静的、線形的ではなく、動的で、非線形的に進行するものなので、霊媒師が純粋に線形的、幾何学的に配置できる部位において取り憑かれている、と言うべきではない。 霊媒師が取り憑かれている部位とは、人体構成においては、残された重量、もしくは重さをもつ部分、つまり(浮力によって除かれていない)、いまだ地球に引きつけられている重量部分である、と言うべきである。 とはいっても、アーリマン的な存在たちは、そのような部位に参入できるだけでなく、別の部位にも入っていくことができる。 (シュタイナーは、人間が無意識になり、自我が離れた隙に、自我を担う部分に、アーリマン的存在が侵入するが、また別の部位にも侵入すると言っているが、この別の部位とは、腫瘍のことである。血栓も似たもの。 睡眠中に、自我は、肉体を離れ、霊界に戻るが、覚醒時に精神統一が意識的にできていないと、睡眠中に、自我の一部が離れて肉体に残り、闇のようになるという。いわゆる精神分裂の病態を示すという。 すると、睡眠中に、アーリマン的存在が、残された自我の一部、いわゆる闇を基点として、侵入し、肉体に腫瘍を形成するというわけである。) 上述した事実は、最も粗雑な側面を示したに過ぎない。より繊細な側面についても議論する必要がある。
2010年09月30日
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さて、では、秋のクロッカスが生えている牧場をイメージする。ベラドンナを見つけるには、遠くまで旅をし、山岳地帯に登る必要があるかもしれない。物質世界では、ベラドンナと秋のクロッカスが一緒に見つけられることはない。しかし、精神世界の中では、それらは、極近くに見つけられる。 空間が現世とは別様なのである。物質世界では、遠く離れて存在している物体同士が、精神世界では、極近くに見つけられることがある。精神世界は、精神世界特有の根源的な法則をもち、精神世界では、あらゆることが、物質世界とは異なっている。 さて、死者の世界で怪物になる、クロッカスやベラドンナのような植物に、死者の世界で遭遇することを想像してみる。 秘儀参入者が初めて死者と連絡を取るとき、これらの植物が、参入者の中に生じさせる恐ろしいイメージが、死者の中には決して生じていないことがわかる。 死者たちは、上記の悪魔的存在たちが、賢明な宇宙の計画に従い死者たちの周囲にいる、ということを知っている。従って、秘儀参入者が死者と連絡を取るとき、死者の世界には、毒をもつ植物に相応する悪魔的な姿をした存在たちが多く住んでいる、ということがわかる。 死者が更に進んで、10年、20年、もしくは30年後に、更に高次の領域に参入していくために、去っていくような高次の領域に参入するとき、無毒な植物に関連した相応の姿を見つける。 (霊界は階層構造になっているそうで、低次元の段階から高次元の段階まで様々に分かれているようである。現代科学でも、宇宙は階層構造になっていることがわかっているので、このような話とは矛盾しない。 ほとんどの宗教でも、宇宙が階層構造になっていることを説いているが、それぞれの世界観については見解が多少分かれていることはある。) 従って、植物界は物質世界と同様、物質界に隣接する高次世界においても重要な役割を果たしているが、物質界とは異なる世界の中では、物質界とは異なる形態を取っている。 真の姿においては、アストラル(星の)世界に属する存在が、地上での対応物として、ベラドンナ、秋のクロッカス、あるいはスミレのような姿や形態をもつ。それら植物の真の姿が、死者の世界にも、上述したような形で反映した姿をもつ。 物質世界に存在する全存在は別の世界にも働きかけるが、上記の事実を真に認識するためには、精神的存在が実際に属する世界に意識的に参入していく必要がある。 同様の事実は、死者の世界のような別世界の存在たちにも当てはまる。参入者は、人間の世界と直接境を接する世界に参入するときにはじめて、元素霊の、つまりアーリマン的な力をもつ子孫の真の存在を知ることができる。 さて、悪魔的な存在たちは霊媒を通して現れる。上記の悪魔的存在(の子孫)たちは霊媒に憑依し、一時的に、人間世界に参入する。もし、人間の霊媒を通してのみ、悪魔的存在と接触するなら、その存在の属する真の未知の世界を知らずに接触することになり、その悪魔的存在の真の姿を知らないことになる。 そのような悪魔的存在が出現する世界は、その存在にとっては未知の世界なので、霊媒を介する出現だけで、悪魔的存在たちに接触する人たちが、真実に至る可能性はほとんど皆無である。 それでも、精神的存在の顕現が伝えられる、という事実に疑いはないが、その精神的存在が属さない世界から、流出する限り、その存在の理解は不可能である。 霊媒的意識に結びついた全ての中にみられる高度に幻惑的で、あてにならない要素は、悪魔的存在たちと接触を持つ人たちが、悪魔的存在の真の本性を理解していない、という事実により説明できる。 さて、悪魔的存在は、上述のように霊媒を通して、人間世界に入り込んでくるが、そのために、特別な運命が、これらの存在たちに用意される。そして、このような宇宙に関する知識は、人類の知識水準を向上させるのに役立つ。 秘儀参入者が死者の世界に参入し、秋のクロッカスや紫のジギタリス、山りんご等々の悪魔的な森を横切るとき、例えば、将来スミレが変容を遂げ、現在とは全く異なる姿や形態を取る、ということに気づく。 悪魔的存在は、宇宙の未来にとって、何らかの意義をもっている。秋のクロッカスは、その本性により死を運命づけられ、死を準備している。毒のある植物は絶滅すべき植物で、未来では、進化する可能性がなく、死滅しつつある植物なのである。 ジキタリス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B9 山りんご http://www.kamilion.jp/blog/?p=704 現在の有毒植物は、未来では、別の有毒な植物に代わるだろう。今日、有毒な種類の植物は、現代において既に死滅しつつある。勿論、これらの植物の時代はまだ長い間続くが、有毒な植物は、内に死の種を宿している。 そして、死の種は、植物界全体の運命にもなる。秘儀参入者が、精神(霊)的な視覚で、植物界を探索するとき、未来に向けた動的な衝動をもちながら成長し、発展する力と同時に、死滅しつつあり、消滅することが運命づけられた植物の世界を知覚する。 上記のような事実は、霊媒に憑依する存在たちにも同様である。悪魔的存在は、現在を遙か未来に向けて運んでいくのが使命である(元素霊の)仲間から、自らを引き離す。悪魔的存在は霊媒という代理を通して現世に侵入し、地球の運命に捕らえられ、遥か未来の使命を犠牲にする。 悪魔的な元素霊たちは人間から、大いに、その未来の使命を奪い取る。霊媒主義の真の本性を理解するときに、これが目の当たりにする事実である。というのも、霊媒主義が示唆している真実とは、現在だけを重要とするために、未来を消滅させる、ということだからである。 (昔のアニメ「笑うセールスマン」のような存在といえる! 悪魔的元素霊が悪霊で、そうでない元素霊が、神々の命令に従う善い聖霊である。) 従って、真正な秘儀の関連性と宇宙の真の本性に対する洞察をもって心霊主義的なセッションに参加するとき、最初に驚かされるのは、心霊現象を見に集まった人々のサークル全体が、まるで有毒な植物に取り囲まれているように見えるときである。 あらゆる心霊主義的なセッションは実際、有毒な植物の庭に取り囲まれているが、それらの植物はもはや死者の王国と同様の側面を見せない。心霊主義者のセッションの周りで成長し、その実や花から、悪魔的存在たちが現れる光景に遭遇する。 超感覚(霊)的な視覚能力を持つ(霊能)者が心霊主義的なセッションで経験するのは上記のようなことである。霊能者は、大まかに言って、内部から活性化され、部分的に動物となった有毒な植物の繁る一種の宇宙の茂みを通過する。
2010年09月29日
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さて、一方で、アーリマン的な元素霊を、実際に創造したのはアーリマン的存在たちである、と結論づけられる。アーリマン的存在たちは、宇宙にあっては、人間の知性を遙かに凌駕する知性をもっている。 人間の世界と直接境を接する世界では、アーリマン的存在たちに遭遇するとき、或いは、霊的な洞察力を獲得することで、物質世界でも、アーリマン的存在に遭遇する可能性もあるが、アーリマン的存在の広大で卓越した知性に驚くだろう。 アーリマン的存在の知性は、人類の知性を遙かに超えている。そして、人間が、その無限にも思われる知性に気づくとき、はじめて、アーリマン的存在を尊敬するようになる。アーリマンの知性の欠片が、その子孫の元素霊たちに伝わり、霊媒的な脳に寄生することから、霊媒という手段で、重要な情報が明らかにされるようなことが起こり得る。 人間は、多くの決定的に重要な事実を、特に、充分に発達した霊媒たちの意識の中に伝えられる情報のなかに学ぶことができる場合もある。精神世界の本性とその成立を正しく理解するなら、霊媒が多くの権威ある情報を伝えることができる、という事実は否定できない。 しかし、霊媒を通して、多くの重要な事実を学ぶ可能性もあるが、それは精神(霊)的認識に向かう正しい方法(道)ではない。 このような真実は、いわゆる植物の霊媒、つまり植物毒の素となるアストラルの力を媒介する植物(ベラドンナ)の例からもわかる。唯一正しい方法で発達させられた意識を通じて、霊媒を用いた間違った精神の発達状況が生じた意味を理解できる。 上記のことを次のような方法で記述してみる。というのも、精神世界について議論するときには、抽象的な概念で語るよりも、明確で具体的な記述法がよいからである。 いま死者たちが死後の生活を送る世界に、超感覚(霊)的な認識をもって、参入することを考察する。秘儀参入者が、霊能力を用いて、死者を追っていくとき、最初に入っていくのは、現世とは全く異なる世界である。 この死後の世界については、既にある程度述べたが、そのとき指摘したのは、この死後の世界は、人間が誕生から死までの間を生きる現世よりも、遙かに現実的なイメージを与える、という事実だった。 参入者が、死後の世界に参入するとき、死者たちの魂とは別に、その世界に見つけられる特筆すべき存在たちにも驚かされる。例えば、最近、亡くなった人々の魂が、奇妙な、悪魔的な様相をした存在(化け物)に取り巻かれている光景に遭遇する。 この現世と隣接する、死者が参入しなければならない世界、ある種の超感覚(霊)的な視覚により、死者を追っていくことのできる死後の世界の入り口で、アヒルか野鴨、その他の水性動物のように、水かきのついた巨大な足(現世的な基準に照らして巨大という意味だが)、しかも、絶えずその形を変える巨大な水かきのついた足を持つ悪魔のような姿をした存在に遭遇する。 (水性の妖怪といえば、日本では河童が代表的である。恐らく、河童伝説は死後の世界が由来なのだろう。) この怪物たちは、幾分、カンガルーのような姿をしているが、半分鳥のようでもあり、半分、哺乳類のようでもある。参入者が、死者に付き添って死後の世界に行くとき、上記のような怪物たちが住む広大な領域を通過していくことになる。 (冒険小説の由来は、死後の世界にあるのかもしれない。) このような怪物たちは、一体、何に由来するのか、という疑問をもつなら、第一に、そのような存在たちの在処、いわゆる居場所についての明白な考えを持たなければならない。その怪物たちは常に人間の周りにいる。 何故なら、人間は死者と同じ世界に住んでいるからである。といっても、怪物たちを、いま講義をしている、この教室の中に探すべきでない。正当な探求は、次のような観点から始まる。 秋のクロッカスが沢山生えている牧場を散歩することをイメージする。秋のクロッカスの真っ只中で、死者を追っていける(霊的な)意識状態を生じさせるように努めるなら、クロッカスが生えている場所であれば何処でも、上記のような存在、つまり、水かきをもつ足と奇妙なカンガルーのような体を持った妖怪を見つけるだろう。秋のクロッカスの1つ1つから、上記のような存在が出現する。 クロッカス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AB%E3%82%B9 もし、更に移動し、ベラドンナが道端に生えている場所に行き、上記のような(霊的な)意識状態に移行したなら、上記の怪物とは全く異なる存在、やはり、死後の世界に属する恐ろしい悪魔のような存在に遭遇するだろう。 従って、秋のクロッカスやベラドンナは、現世と隣接する死後の世界の存在たちの参入を許す(植物の)霊媒、別の面から見ると、実際に死者の世界に属する(植物)霊媒なのである。 このような事実を心に留めれば、死後の別世界は、人間の周囲にある、ということがわかる。この死後の世界への意識的な参入が、ただし、単なる通常の覚醒意識で、秋のクロッカスやベラドンナを知覚するのではなく、死者との関係を保てるような高次の覚醒意識をもって知覚することが、本質的で必要である。
2010年09月28日
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秘儀参入者たちが取得可能な情報により、霊媒の実態を記述できる立場に立てる。 勿論、広義な意味での霊媒と、文字通りの狭義な意味での霊媒とを区別する必要がある。「霊媒」という言葉を広い意味に取ると、基本的には、人間は皆、霊媒といえる。 人間は皆、誕生から死までの人生を生きるために受肉する前は、魂と精神からなる存在だった。人間の精神(霊)的な本質が、物質(肉)体に受肉する。 物質(肉)体は精神が活動するための媒体である。従って、「霊媒」という言葉を広義の意味に取ると、あらゆる存在はある程度、霊媒である、と言うことができる。 この「霊媒」という言葉は人智学徒が通常、用いる「霊媒タイプ」という言葉の意味とは異なる。誕生から死までの間の世界(現世)では、「霊媒」とは、脳のある部分を、人間の全体性から切り離すような形で発達させた人のことである。 従って、ときとして、脳のある部分、特に自我の活動を支える部分が、基盤的な役割を果たさなくなることがある。 自分に向かって「私は」と言うとき、つまり、充分に自我を意識しているとき、この意識は脳のある特定の部位に根ざしている。この脳の部位が、霊媒(状態)により分離されると、前回述べた段階にある実体(アーリマン的存在)が、人間の自我の代わりに、そのような部位に滑り込みたい、という衝動を感じるようになる。 (この脳の部分とは、松果体にある脳砂のことだろう。シュタイナーによると、この松果体は正四面体、いわゆるピラミッド「四角錐」に近い形をしているというが、解剖学でいうとやや膨らんでいて、正四面体を球形に近づけた感じである。私観だが、男根の先にも似ている。 ピラミッドは、秘儀参入の場だが、松果体をモデルにしてつくられたのかもしれない。人間の霊媒の場である松果体が、秘儀参入の場でもあるからだ。 男根から連想すると、女性の膣の入り口も三角形で、正四面体に近い構造をしているから、霊の出入り口というのは、三角形と関係しているのかもしれない。ひょっとすると、エクスタシーとは、霊の憑依と関係しているのかもしれない。 プラトンは、自らの書に、恋愛とは、互いの信仰する神々との交流でもある、というようなことを書いているようなので、このような話についてもよく知っていたのだろう。) 第三の眼 http://www.topaz-dent.jp/129.html 松果体 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9E%9C%E4%BD%93 アーリマン的存在が、霊媒に憑依するとき、霊媒は、文明の成果を未来に伝えることを目的とするアーリマン的存在たちの乗り物になる。アーリマン的実体たちは、たまたま自我が不在になった脳に憑依するとき、この脳の中に自らを確立したいという圧倒的な欲求を感じる。 そして、霊媒がトランス状態にあり、脳(松果体)が、人間から分離されるとき、この種の文明の成果を未来に伝えるのが目的であるアーリマン的な影響を被る実体(元素霊)が、脳(松果体)の中に寄生する。 上記のような霊媒は、一時的に、自我の担い手ではなく、宇宙での自らの義務(業務)を怠っている元素霊の乗り物になる。宇宙的な義務を怠る元素霊、という表現を文字通りの意味として受け取って欲しい。 (アーリマン的存在は、堕天使で悪霊である。霊媒は悪霊に憑依される。従って、常に覚醒意識を確立しないといけない。意識的に行動しないといけないというわけである。 古代の神殿の巫女には、しばしば悪霊が憑依して、文明の成果を未来に伝える役割を担った。この事実を、聖書は、蛇に唆されて、知恵の実を食べたエヴァに準えている。) アーリマン的な元素霊の義務は、人間の筆記を観察することである。人間は、いま述べている脳の部位に根ざした力を用いて筆記するが、アーリマン的存在たちは、通常の業務としての観察の代わりに、人間から分離する可能性がある霊媒的な脳を絶えず探索している。 (筆記というのは、何も筆記に限定しているわけではなかろう。人間の活動全てを意味しているものと思われる。特に、筆記としているのは、文明は、文化的行為から生じるからであろう。) そして、分離した脳の中に滑り込み、筆記という技術に関して、その観察から、アーリマン的存在の技術を、教師として教え、同時代の世界に導入する。 このようにして、アーリマン的存在は、霊媒の力をかり、アーリマン的存在の目的に従い、(人類の進化度に応じて)未来に伝えるべき叡智を、現代に投影する。 霊媒主義は、本来、未来の能力となるべき叡智が、曖昧で、未熟な混乱した形で、現代において早熟に発達させられる、という事実に由来している。この事実が、霊媒の予知能力の源泉であり、他の人々を魅了する元ともなっている真実でもある。 実際、その機能は、今日の人間の機能よりも遥かに完璧だが、それは上記のような形で導入される。 (要するに、予言とは洗脳である。遥か古代に蓄積された技術のエキスを、未完成な形として教えることである。単純にいえば、子供に銃をもたせるようなものであろう。) ベラドンナがアストラル界を媒介するのと同じように、すなわち、ある種のアストラル的な力が、ベラドンナの実に吸収され、媒介されるように、霊媒もまた、その特殊な脳を通して、未来のある時点において、本来、人間の文明に参加すべき叡智が、アーリマン的な元素霊のために、働く。 というのも、人間には、ある地上生(前世)から別の地上生(現世)へと、全てを運ぶことが不可能だからで、運べないものを媒介する存在となる。この事実が、ある種のクラスの存在たちによる憑依、すなわち霊媒現象の秘密である。 (カバラの樹の図のセフィロトでは、隠された叡智のセフィロトに相当するのだろう。カバラの樹とは、通称は、生命の木と呼ばれ、人類の進化計画を図式化したものとされる。 聖書では、アダム、人類の祖が、生命の木から、知恵の実をとって食べた、と記述されているが、それは、この生命の木であるカバラの樹の図のセフィロトから、隠された叡智のセフィロトをとってしまったと解釈できるわけである。 このシュタイナーの講義をそのまま簡略化してイメージ化しているともいえる。)
2010年09月27日
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さて、宇宙には様々の領域に属する多くの存在たちがいる。秘儀参入者が、死者たちに遭遇し、死者がそこを離れるまで10年、20年、或いは30年にわたって同伴できる領域にも、人間に気づかれることなく物質世界に参入してくる多くの疑いなく現に存在するものたちを見つけることができる。 そのような存在たちは、ある特殊な元素霊として記述するのが最良だろう。上記のように、死の門を通過して間もない死者たちの後を追っていくとき、あらゆる種類の形態を付与された元素霊たちが住む世界、元素霊が属する世界へと参入することになる。 勿論、これら元素霊たちが、その世界に属している限り、その世界に適した力だけを実際に使用すべきである、と考えるだろう。 さて、元素霊の中には、その活動を自身の世界に限定せず、例えば、人間の筆記の様子を観察し、人間が生まれてから死ぬまでに、現世の中で行うあらゆる活動を追跡する存在もいる。そのような、人間の活動の観察者である元素霊たちに、人間は常に取り囲まれている。 (人間は、誰もみていないと悪事を行うが、実は、性質の悪い元素霊がみているともいえる。) さて、この元素霊の観察者としての役割自体は有害ではない。何故なら、今述べている観察行為の背後には全体的な計画があり、その本質とは、人間が物質世界との関わりを通して、獲得する全てのものが、人間の世界と境を接する全精神世界、つまり、人間が、死後直ちに参入する死者の世界も含むが、すなわち秘儀参入者が、死後何十年も経った死者たちと接触を持つ世界には欠けているからである。 この死者の世界には、例えば、筆記や読書、御馴染みの飛行機、自動車、或いは鉄道は、もともと存在しないからである。 (死後、人間の魂が、現世とあまりに異なる世界に参入して、ショックを受け、魂が硬直しないように、死後の世界は、現世に類似した世界につくられているという。人間の現世での欲求を、その世界で、徐々に捨て去る訓練を行うという。 簡単にいえば、怒りと破壊の衝動を捨てるための施設なのだろう。いわばカウンセリング室という感じなのだろう。現世と類似した環境をつくるために、現世で活動する人間の活動を元素霊たちは観察する必要がある。) この地上で、人間は自動車を組み立て、読書し、本を書くが、このような行為全てに天使たちが参加している。これら全ての共同活動が、宇宙一般にとって重大な意義がある。 今述べたような元素霊たちは、人間の世界と直接境を接する世界から「委嘱」を受けている、というのが真相で、元素霊は、人間の活動を監督する義務がある。元素霊は人間の本性に関心を持ち、将来のために、その分野で、元素霊が学ぶ叡智を保持する、という任務を、別の世界から負っている。 人間は、人間として、人間のカルマや外(唯物)的な文化によるカルマへの影響を、1つの人生から別の人生へと運んでいくことができる。例えば、人間は自動車に関連した経験を1つの地上生から別の地上生へと運んでいくこともできるが、自動車の組立方法という叡智そのものを運んでいくことはできない。 地上の力だけに関わる叡智を、ある人生から別の人生へと運んでいくことは人間自身にはできない。従って、人類は文明を通して、何らかの基礎を築いてきたが、もし、別の存在たちが力を貸さなかったなら、全て喪失していただろう。 さて、いま述べてきた元素霊たちは、人間が1つの地上生から別の地上生へと運んでいくことができない叡智を、未来のために保持する、という任務のために「分遣隊」が分けられている。 これら分遣隊の多くの元素霊たちにとって、その任務を成就するのは困難だったので、太古の時代に発見された多くが、再び人類から失われてきた。 人智学が確立を目指す顕著な点とは、人間が1つの地上生から別の地上生へと自分で伝えることができないような、例えば古代文献中の抽象的な内容を、宇宙的な計画に従って、未来に運んで行くという使命を負った存在たち(分遣隊)に、人間が取り囲まれている、ということを指摘することである。 (人間の進化は、どのように行われてきたか、といえば、必ず、宇宙人が想定されるが、その存在が、月の存在たちに人間の叡智の管理を委託された元素霊である。) 人間と直接的な関係にある精神的存在たち(神々や聖霊)には、自らの使命を明かすことは不可能である。従って、人間自身にも、不可能である。 人間と直接的関係にある精神(霊)的存在たち(神々や聖霊)の手助けをする存在として、元素霊のなかの分遣隊を選抜する必要があり、その分遣隊に相応しいのは、精神(霊)的存在たちとは長らく疎遠であった別の存在たち、すなわち、人間と直接関わってきた精神(霊)的存在たちとは、全く異なる進化を経験してきた存在たちである。 (この内容が、神と悪魔との人間に対する契約といわれるものなのだろう。悪魔は、人間に叡智を授ける代わりに、叡智に虜になり、自らのエゴのために、人類愛から踏み外す連中を、食べる役割を担うといえる。) 聖霊たちとは異なる進化を遂げた存在たちを、著書の中では、アーリマン的な存在たちと呼んだ。アーリマン的存在は、聖霊とは異なる進化を経てきたにも関わらず、ときとして、例えば、人間が自動車を組み立てる際、人間自身の進化に関わりを持つことがある。 アーリマン的存在たちは、アーリマン的な宇宙の力によって、自動車の組立のような現代技術を理解できる存在であり、人間自身が1つの受肉から次の受肉へと運んでいくことができないような文明の技術的な成果を未来の時代へと伝える存在なのである。
2010年09月24日
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第8講 精神的探求のなかで陥る過ち 既に述べた意識レベルを発達させる際、各レベルにおいて、宇宙のある特別な領域への扉が開かれる。人間がもつ知覚の本性と適切な意識状態を発達させることで、到達できる様々な領域との関係を概略的に記述する。 上記の領域は、実際、互いに重なり合っているが、隣接したものとして描くしかない(下図参照のこと)。月と水星(金星)の領域が、地上の人間の領域にも浸透している事実については既に示した。 死後、数年以内の死者との関わりを可能にする意識レベルを発達させた場合を想定する。その死者の世界は、人間の(物質)世界と境を接している。 次の意識レベルは、死者が、カマロカ(欲界)において、地上生活を逆向きに辿り体験した後に入る生活への参入を可能にする。以前、その意識を、「空の意識」と呼んだ。 しかし、その意識は物質世界との比較では、(更なる)覚醒意識である。参入者が次に参入する世界は、広い領域であり、そこでは水星(金星)の存在、すなわちラファエルの領域に特徴的な事象や出来事と密接な関係を持つ。特に、人間に本来備わっている(自然)治癒力を意識するようになる。 このように、秘儀参入者は、各意識状態により、固有の宇宙領域に参入し、参入毎に、これらの領域に属する存在たちを知るようになる。もし、死後間もない人間の状態を知りたければ、死者が住む世界への参入に適した意識を発達させる必要がある。 霊的存在の真の姿は、その存在が属する世界でのみ参入者に示される。もし、水星(金星)の霊的存在を観察したければ、水星(金星)の世界の意識に与る必要がある。従って、上記の霊的な世界は、ある意味、各々切り離され、当然、各世界には固有の意識状態がある。 実際、これは、人間が正しく宇宙を理解するための必要条件である。何故なら、上記のように考えることではじめて、上記の霊的存在たちを、その真の性格において知る準備ができるからである。 ここで、簡単な例を挙げ、上記のような認識(ある特定の宇宙領域に適した意識状態を正しい方法で発達させようとする認識)が、進化をどのような方向に導いていくのかを示す。 例えば、葉や花をつけた植物が、眼の前にあることをイメージする。以前、植物とは、精神世界(下位神界)に存在する元型(モナド)の地上での反射像である、という事実を学んだ。 そして、秘儀参入者が、この元型(モナド)の世界(下位神界)へと意識を上昇させ、植物世界の認識を獲得するとき、決定的に重要な認識、すなわち地上に見られる植物の種類を、明確に区別する必要がある、という真実が明らかになる。 適切な精神(霊)的な知覚力で、ある特別な植物、例えばチコリを検証すると、その外観は他の多くの植物とは異なっている。 チコリ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%BC 典型的な例として、よく見られるスミレを取り上げ、ベラドンナと比較する。 以前述べたような方法で、植物の世界を探求しながら、スミレが属する世界に参入すると、すなわち「空になった覚醒意識」で参入すると、スミレは、その全く無垢な姿で精神の目(霊眼)に映ることがわかる。 他方、ベラドンナは、その存在を、スミレとは別の世界から導出する。植物は物質体とエーテル体をもち、そして、その花と実は宇宙の普遍的要素に覆われている、という事実を知覚すると、日常の植物という存在を理解できる。 地球から芽生える植物の有機的な生命や、その周囲のエーテル体、そして、一見、雲のようなアストラル的要素が、至る場所に見つけられる。スミレのような植物の性質とは、「全く無垢な姿」である。 スミレ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%83%AC ベラドンナのような植物は、このスミレの姿とは全く異なっている。その釣り鐘型の花の内部には実が形成されるが、アストラル的要素は、その実の中へと浸透していく。スミレが発達させる「さく(果実)」は、エーテル体の中にある。 ベラドンナの実は、アストラル的要素を同化しているため、毒を持っている。大宇宙のアストラル性を、特定の部位に同化している植物は全て毒を持っている。動物の中に入っていく力、すなわち動物にアストラル体を付与し、動物を、感覚的な存在へと内的に形成する力は、植物では有毒な要素源でもある。 ベラドンナ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%8A 動物に感覚を与えるアストラル的要素が、植物では毒となるという事実は非常に興味深い。人間のアストラル体は、植物により同化されると、毒性を示す力の担い手になる。毒に関しては、上記のように考えるべきである。 人間のアストラル体が実際に、あらゆる毒の力をも含んでいる、という事実に気づくときだけ、毒に対する内(霊)的な理解を獲得できるが、それは、毒性を示す力が人間を構成する1つの重要な要素になっているからである。 この議論の中で、後になって精神的探求における真実の方法(道)と偽りの方法(道)を区別するための助けとなるような、はっきりとした観点を提示する。 では、スミレとベラドンナの例から何を学ぶことができるのか? 各々の植物界に適した意識を発達させたなら、スミレは、スミレ自身の世界の内側にとどまり、外の未知なる世界からは、何もひきよせない(奪うことのない)存在である、ということがわかる。 (スミレの花言葉は、「純潔」「慎み深さ」「誠実」である。) 他方、ベラドンナの場合、未知の世界から自分に何かをひきつける。その特質は、植物界ではなく、動物界の特権で、その何かを同化する。このような特性は、有毒な植物全てに当てはまる。有毒植物は、植物には属すべきではない特性、実際には、動物界に属する特性を同化している。 (ベラドンナの花言葉は、「沈黙」「移り気」「汝を呪う」である。) (有毒というのは自分のなかで確立せず、すなわち自立しておらず、他者から何かをひきよせ、奪う存在といえる。このことは人間にも当てはまる。与えず、奪うだけの存在といえる。)
2010年09月18日
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さて、元素霊による憑依と同様の結果は、シュレンク・ノッチングの実験からも得られた。彼の実験対象はある霊媒タイプの、特に影響を受けやすい霊媒たちだったが、霊媒たちは、自我が抑制され、減退した意識状態下の、皮膚からの液体的な影響(流体放射;エクトプラズム)のために、元素霊たちにとって憑依するのに理想的な媒体だった。 エクトプラズム http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%A0/ 霊媒という主題に関しては、シュレンク・ノッチングによる興味深い著書がある。イカサマだと言う人もいれば、高く評価する人もいた。彼の発見を普通ではないと後者が考えたとしても驚くにはあたらない。 何故なら、霊媒を使って、その実験が行われた際、地上には見つけられないエクトプラズムという、いわば精神(霊)的要素を体現する形態が、体のある部分から流出した、というのが普通ではないからである。多くの場合で、霊媒が最近見たグラビアの絵が、エクトプラズムの形に関連している、ということがわかった。 霊媒からエクトプラズムと呼ばれるものが流出し、皮膚から発散する。そして、この中には精神的な存在が流れ込むが、その形には、霊媒が最近みたグラビアや漫画雑誌、例えばポアンカレの肖像のようなものが結びつく。 上記のような出来事に人々が驚愕しても驚くにはあたらないが、流行に着飾った教養のある人々が、上記のような皮膚からの分泌について語り、魂の具現化について議論するのを最も嫌がるような婦人までもが、霊媒の汗から、エクトプラズム的なものが具現化されるのを見たいという淫らな欲求を感じる、という方が驚くべきことである。 シュレンク・ノッチングの実験で見られた現象は、皮膚からの発散(液体的な影響)を通して、分泌物が元素霊たちにより活性化され、エクトプラズマ的な形へと具現化したものにすぎない。 同様に、皮膚からの気体的な影響(発散)、すなわち霊媒から流出する霊的な気体形成は、ある元素霊たちにより刺激されることがある。 しかし、上記の皮膚からの気体的影響(発散)は、特定の人間の形態に非常に密接に結びついていて、元素霊たちに可能なのは、せいぜい人間の幽体(ファントム)を創造するという程度にすぎないが、それは人間が、自身の人間的形態を、幽体に非常に強く刻印することに依存する。その際、霊能者が目撃するのは、霊媒からの幽体の流出現象である。 人間からの熱的影響(放射)や光的影響(放射)をつくり出すことで、霊媒が、目に見えるもの、例えば、元素霊たちが、月の存在の影響下で働きかけることができる幽体のようなものを現出させるのは、それほど容易ではない。まず、ある準備が必要となる。 既に述べたように、自然科学は最近(1924年)、ある種の光的な霊的影響(放射)や熱的な霊的影響(発散)を、暗い部屋の中で可視化できる技術を開発した。このような関連では、モーリッツ・ベネディクトの実験は最も輝かしいものである。 上記のような準備は、いつの時代でも必要だった。つまり、今(1924年)でもそうだが、黒魔術を通して物質世界を操作するだけでなく、香を焚き、特別な香料や調合剤を使うことで、幻覚的な効果をつくりだすという準備段階を踏んだ者だけが熱や光の霊的影響(発散)を有効に使うことができる。 上記のような魔術的儀式の目的は、人間からの熱や光の霊的影響(発散)の中に、本来存在する(潜在)力を引き出すことにある。 エリファス・レヴィやパピュスというペンネームを持つジェラール・アンコースの著作の中には、このテーマに関する極めて危険で疑問の多い説明が見られるが、人間から発する霊的な影響に関して、その客観的な側面や真の本性について語るなら、上述の準備を無視して済ますことはできない。 (シュタイナーは、エリファス・レヴィとパピュスとジェラール・アンコースは同一人物だとみていることがわかる。魔術師として有名なレヴィや、アレスタ・クロウリーなどは、シュタイナーにいわせれば黒魔術師なのだろう。 グルジェフも、黒魔術っぽいが、実際に魔術に言及していな点で、上記の人物とは異なる。グルジェフ信望者は、シュタイナーこそ黒魔術師という人が多いが、自分をわざわざ黒魔術師と称する者はいないわけで、グルジェフも、クロウリーも、黒かどうかというよりも、全ての魔術は黒であるというような意味深なことを述べている。 しかし、シュタイナーはこの講義のようにはっきりと黒魔術に言及しているわけで、この点が、ブラバツキー夫人の神智学との決別につながったものと思われる。 シュタイナーにいわせれば、神智学は、月の領域までの記述しかないというのである。黒を示すことはできても、黒を白に変える方法を見い出せていないというわけである。黒を用いても黒に染まるだけで、黒をいかにして用いないかが重要に思われる。黒魔術を知ってはいるが使わないということに意味があるのだろう。) ジェラール・アンコース http://www7.ocn.ne.jp/~elfindog/PAPUS.htm http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/magic/papyusu.htm 魔術師 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E8%A1%93%E5%B8%AB 東方聖堂騎士団 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E8%81%96%E5%A0%82%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3 エリファス・レヴィ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3 他 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/tarot.html 上記の霊的影響全ては、地上的要素の中に隠された精神(霊)的要素を利用する黒魔術へと直接導く。 では、一体、この精神(霊)的要素とは何なのか? 著書「神秘学概論」の中に、月はかつて地球と結びついていた、と記述した。月に属する多くの力が地球上に残され、今や、鉱物、植物、そして動物の中に広がっている。これらの月の力は、いまでも、地上にある。 従って、人間が地球の存在として、本来は鉱物、植物、動物、或いは人間に属さない月の力を利用する際、人間の世界にとって未知な方法で、月の存在たちから多くの事項を学んだ元素霊たちに遭遇する領域に参入することになる。 黒魔術師は、上記のような事実から、まだ地上に存在している月の力を利用する。しかし、黒魔術師は、上記のような方法で働くことで、元素霊たちと接触することになる。 そして、元素霊たちは、人間と月の存在たちの間の正当な関係を(まるでハルマやチェスゲームを見るように)いわば監視することで、物質世界に限りなく接近し、覗き込み、参入することさえ学んでいる。 ハルマ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%9E しかし、通常の人間の場合、上記全ての事項は、無意識の中に留まり、元素霊(精霊)たちと接触を持つことはない。ところが、月の力を使って仕事をし、元素霊たちを、試験管や壺の中に閉じこめる黒魔術師は逆に元素霊たちの罠に嵌り、渦中に捕らえられることになる。 正直で善良な人間も、黒魔術師たちから学ぶことができる。ファウストの第1部でゲーテが示したのは人間が渦巻く力の中心にいるという状況、危険な黒魔術の近くにいるという状況である。参入者は、上記の月の力を利用することで、月の存在たちに奉仕する元素霊たちが、容易に人間と関係を持てる領域に参入することになる。 このように、黒魔術の中心地は、月の力とそれに直接奉仕するようになった精神(霊)的存在たちとが、悪事のために共に働く処に生じる。そして、ここ数世紀にわたり、この種の多くの活動が実践されてきた為、地上には危険な雰囲気がつくりだされている。 危険な雰囲気は疑いもなく黒魔術師たちが潜む場にあり、人間の活動と月の要素との統合、動的な月の力と邪な月の力に奉仕する元素霊たちとの統合から産み出される夥しい力が注入されている。ミカエルの時代に太陽の領域から進出することが定められている全てに活発に反対しているのは、この領域である。 そして、このような事実は、特に魂と精神の領域における生命的な影響(発散)との関連から考慮する必要がある。次の講義は、この観点から更に探求を行う予定である。 (元素霊とは、アリストテレスが説いた4大元素のことで、土、水、空気、火の精霊のことである。この4大精霊は、月の存在に奉仕している。月の存在の最高位が、エホヴァ神、ヤハウエだという。 月といえば、ルシファーは、堕落し、悪になった存在である。4大精霊が活躍する領域は、黄泉の国とも呼ばれ、スウェデンボルグは、精霊界と名づけている。善と悪の解釈は非常に困難だが、端的にいえば、善が行き過ぎたものが悪である。 例えば、月が過度に活発になると、地上に弊害がでてくるわけで、昨今では月相と交通事故の頻度を比較したデータなどもある。だから、魔術というのは、過度な活動で、刺激的で、特異で、不自然なので、悪に分類されるだろう。) ミカエル-太陽 ガブリエル-月 ラファエル-水星
2010年09月17日
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ミカエルの前のガブリエルの時代、人類は物質世界に魅了され誘惑されていた。当時の人々は、ある条件下で、人間に密接に関係する存在たちとの接触を求めようとはしなかった。その理由は、月の存在たちが、ガブリエルの時代には知らされないように、人間から発せられる神秘的な影響(放射)に関係していたからである。 既に述べたような方法で、秘儀参入者が、死者と関係を持つ精神世界は、誕生から死までの間に人間が住む物質世界に隣接している。しかし、この精神世界は、他にも多くの側面をもち、その中には人間の化学的影響から生じる悪の力がある。 (月の存在のなかには、人間を誘惑し、黒魔術をさせて、化学的影響を利用し、悪をなそうという存在もいる。通常は魔界の悪魔、堕天使とも呼ばれている。) ある意味、この力が存在する場所は、宇宙の中でも極めて危険な領域で、人類が持つべき力は、今回の連続講義でも、しばしば触れたが、月の存在たちから進み出てくる全てを、悪の力ではなく、善の力にするような、魂的、霊的なバランス能力と抑制力である。 実際、生命的影響を地上のものにする方向に急いで向かうように、現代人の総力と努力を結集すべきである。ところが、致命的なのは、この生命的影響と、人類が大喜びで歓迎したい他の全ての影響との間に、化学的影響が横たわり、つまり、安易に黒魔術の餌食になる、ということにある。 人間が特に好むのは、動作の中に表現される(後述するが)流体(オーラ)的影響(放射)や光の影響(放射)を可視化する、ということである。上述した影響全ては、ある程度、善の力に関連し、善に向かうことができるが、それはミカエルの時代が、夜明けを迎えているためである。 前回述べた全ての影響の間に横たわっているのが、黒魔術で、精神(霊)的探求に向かう正しい方法を追求するには、黒魔術に対抗しなければならない。 さて、地上の人間と月の存在たちの間の精神世界における前回述べた影響下の関係(この影響は無意識の中で絶えず生じている)が生じるとき、ある種の月の存在たちが、人間の筆記や描写の動作に対して、興味を発達させ、その興味は、すなわち、超感覚(霊)的に見ることができ、精神世界のある種の元素存在(元素霊、4大精霊)たちの中にも、その残響を見つけることができる。 元素存在(元素霊)たちは、月の存在たちよりも低次の段階にある。元素霊たちは一度も地上に受肉したことがなく、霊的-エーテル的な存在として、隣接する世界に住んでいる。元素霊たちの人間世界に対する興味とは次のようなものである。 元素霊たちは、人間の筆記の行為を、観察することで、思考を感じ取り、働きかける。思考はまず人間の自我の中に存在し、それからアストラル体に伝えられる。アストラル体は、自我が決めた通りの正確な動作を遂行する。 次に、その動作がエーテル体から、更に肉体にまで作用する。ある種の元素霊たちは、これらの影響を観察し、同じように反応することを望むが、それは不可能である。何故なら、元素霊の世界に通用する法則は、筆記が可能な物質世界の法則とは異なるからである。筆記は地上の人間の物質世界における特権である。 ところが、例外的に次のような状況も生じる。筆記や思考、もしくは感じるときでさえ、(肉体が)エーテル体と堅固に結びついている人がいる。つまり、そのような人の場合、エーテル体が、そのような行為に影響を受け、そのプロセスがフィードバックされ、肉体に強く刻印される。 そのような人の自我は抑制され、アストラル体とエーテル体と肉体は筆記や描写を忠実に再現する。霊媒とは上記のようなタイプの人間である。 (下位の存在が力をもち、上位の存在が抑制され、離反する。離反した下位の存在に、憑依するわけである。) 霊媒たちは、自我が抑制されているために、筆記の動作を学んだ精神世界の月の存在、すなわち、元素霊たちを、従順にも、自分の中に受容する。そして、自らの十全なる自我意識ではなく、自我を抑制し、コントロールする元素霊たちの影響下で、筆記を実行する。 (自動筆記がよくないといわれるのは、このためだろう。) オートマティスム http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%A0 減退した自我意識の状態の霊媒から固体的な影響(放射)を通じて、霊媒的な筆記や描写等、日常の霊媒現象が起こる。上記の影響(放射)は、自我を(月の世界から)コントロールするために利用される。 第2の液体的な影響(放射)は、月の存在の影響下で容易に人間の芸術的才能を吸収できる、ある種の存在たちにより利用される。これらの存在たちも、ある種の人間を操るが、その人間の表層意識は抑制され、ある種の芸術衝動を、液体的な影響(放射)へと導き、そのエーテル体とアストラル体の中に介入点をもつ。 究めて興味深いことだが、ある条件下で、上記のタイプの人間が、元素霊的な精神(霊)的存在に憑依され、液体的な影響(放射)から、幻影(ファントム)を形成し、その人間の人生経験に関する知覚がエーテル体とアストラル体の中にまで沈み抑圧され、液体的な影響(放射)として現れると、結局、憑依した元素霊が住む世界から伝播され、形成される幻影(ファントム)に、他の部分が浸透されている霊媒の状態を、秘儀参入者は観察できる。
2010年09月16日
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月の異邦人に対して、事の詳細に入っていくと、月の異邦人たちは、ある重要性をもっていることがわかる。地球の人類が、月の異邦人のような存在たちと関係を持つ(いくらか卑近な表現だが)とき、意見交換をしたい、様々な出来事に関して話し合いたい、という自然な感情をもつようになる。 具体例を挙げる。例えば、月の異邦人たちと、人間が、筆記について、すなわち人間の文章について話し合うとする。単純にきちんと丁寧に一字一字ごとに記述する人もいれば、省略して、記述する人もいる。 この問題に関して、月の異邦人たちと議論するとき、月の異邦人は次のように答えるだろう。 「人間は、我々にとって取るに足らないこと、つまり、文章の内容、例えば、『鍛冶屋』や『床屋』の意味等に興味を持つが、それらの単語を記述するときの筆者の手の動作、つまり、各人の異なった書きぶり(はやく書くか、丁寧に骨を折って書くか、巧みに書くか、ぎこちなく書くか、機械的に書くか、芸術的に書くか)を観察する方が遥かに興味深い。」 月の存在たちは人間の筆記の際の特別な動作パターンに綿密な注意を払っている。それが月の住人の関心事項なのである。 そして、精神世界の、月の存在たちは、既に地上には住まない実在たち、あるときは人間よりも下位に、またあるときは上位に位置づけられるような実在たちを、周辺に囲っている。 月の存在たちの周りの実在たちは、参入者に筆記の際の用法や命法について指導することはないが、実在たちが地上にいたときから人類が発展させてきた筆記のパターンや形式については助言を与える。 今日(1924年)の意味での筆記は、上記の存在たちが地上にいたときには存在していなかった。 実在たちは、人間との交流の中で、筆記が徐々に進化するのを観察してきた。実在たちは、人間の指の器用な動作に興味を持ち、その器用さに、後に羽根ペンが加わることで補強され、更には万年筆によって補強されるのに注目してきた。 実在たちは、紙に記述された内容にはほとんど興味を持たず、記述する際の必要な筆記の動作に没頭する。 さて、ある副次的要素を考慮しなければならない、今でも、残存する地球からの月への影響(放射)は、全般的に見過ごされてきた。地球の月への多くの影響(放射)の形のなかに、まず上述した人間から発する筆記の際の動作がある。月の存在たちと語り合うには、人間から発する動作に注意すべきである。 ところが、さしあたり、人間の筆記の際の動作は、真の月の存在たちの領域へと導かない。何故なら、月の存在たちが地上に住んでいた時代には筆記という行為がまだ存在していなかったからである。 現代人が、自身の行為から生じる流体(オーラ)状の影響(放射)に関して、ほとんど現代人が限定的な理解力しかもたないことについて、月の存在たちが発するコメントは相当皮肉に満ちたものである。現代人には、筆記の際の所作等は無視されるが、月の存在たちには、非常に熟知されている。 そのように、月の存在たちが地上にいた時代には、人間の動作から発せられる流体(オーラ)状の影響(放射)、特に皮膚からの流体(オーラ)的影響(放射)は決定的に重要なものだった。人間は、この流体(オーラ)的影響(放射)の挙動を通して、仲間の人間を認識していたが、この事実は後に知られなくなった。 月の存在たちが特に受容する第3の影響とは、皮膚からの発散、人間が発する気体(空気)的要素である。上記全ての影響(放射)は、後で見ていくように、半分、精神(霊)的な性質をもっている。 (オーラには、エーテル状のオーラと、アストラル状のオーラがある。前者が液体状で、後者が気体状である。人間の動作は、目にみえるので、オーラとは呼ばないが、一種の固体状のオーラともいえる。) 月の存在たちが特に敏感なのは、人間から発する影響(筆記の際の固体要素、皮膚の発汗の際の液体要素、皮膚呼吸における気体要素)である。人間は常に、皮膚を通して呼吸している事実を考慮すべきである。 第4に、月の存在たちは、熱の影響(放射)を受容する。熱全てが地上に存在する為に、月の存在たちにとって特別に重要なものである。人間は、筆記の際の動作や、その熱の発散における特別な性質から判断される。 熱の次に、恒常的に存在する光の影響(放射)が重要である。人間誰しも、オーラだけでなく、肉体やエーテル体からも光を放射している。通常の状態では、肉体やエーテル体から発する光の放射は、あまりにも微細なので目には見えないが、例えば、最近(1924年)、モーリッツ・ベネディクトが、特別に設置した実験室で、上記の放射の存在を示した。 彼は、肉体が、肉体の場所により、様々に異なる赤や黄、また青い光の放射を示す、繊細なオーラに囲まれている事実を示した。 彼は、色彩豊かなオーラを示す方法を述べ、通常光の条件下では肉体の左側半分のオーラの色彩を、特定の色のオーラを示す条件下では右側半分のオーラの色彩を示した。オーラの色彩全てを示す方法は、実験における適切な条件設定に依存している。 第6の放射は、化学的作用の影響(放射)だが、今日(1924年)、地上では、これは例外的なケースであり、稀にしか見られない。勿論、常に存在するが、黒魔術が行われるような稀な場合しか作用しない。人間が、自分たちの化学的な作用(放射)を意識し、探求するのは、地上で黒魔術が行われているときに限られる。 第7の放射は、精神(霊)的な生命の直接、及び間接的な影響(放射)である。今日(1924年)、化学的作用を用いるなら黒魔術に陥ることは避けられないが、黒魔術は嫌悪すべきで、悪徳である。黒魔術は禁止すべき力だが、生命的影響(放射)は、それほど危険ではない。 今述べている月の存在たちの場合、絶えず生命的影響(放射)に依存し、それに働きかけると同時に、善として用いているので、月の存在たちは黒魔術師ではない。何故なら、黒魔術師とは、ある条件下で悪に屈し、「地上で」悪を行う者に限られるからである。 しかし、月の存在たちが生命的影響(放射)に依存できるのは、太陽の反射光の中に生き、その影響下にある満月のときだけである。人類は精神世界から学び、創造的に用いるように努めなければならない。 現代の使命は、生きたアイデアを見つけ、生きた概念、知覚、感情を発達させることであり、死せる(破壊する)理論を発動することではない。そして、生命に溢れる知性は、ミカエルと呼ぶ存在に結びついた存在たちにより直接インスピレーション(霊聴力)的に与えられる。 1.筆記等の際の動作から生じる固体的な影響(放射) 2.発汗等の液体的な影響(放射) 3.呼吸等の気体的な影響(放射) 4.発熱等の熱的影響(放射) 5.発光等の光的影響(放射) 6.黒魔術の化学的影響(放射) 7.満月時に利用される生命的影響(放射)
2010年09月15日
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9世紀から15世紀までのラファエル(サマエルの時代も含む)の時代に参入していくとき、ダンテやジョット、そして後世に名が知られていない人物たち、或いはまた、前回触れたその他の人物たちが大きく浮かび上がってくる。 1190-1510年 サマエル 850-1190年 ラファエル その無名な人たちは、身近な人間としてのイメージを参入者に与える。肉体の中に一度も受肉したことのないラファエル自身は、遥かに背景の方向に退いている。 精神世界に永遠にとどまる、その他の精神的存在たちは、この時代にはそれほど明白にはみえてこない。ともかくも、大きく浮かび上がってくる存在は人間で、特に死者たちである。 続くガブリエルの時代は、ゲーテ、スペンサー、バイロン卿、或いはヴォルテールのような人物たちでさえ精神世界の中では、影のような存在のイメージを与える。他方で、精神的な知覚(霊視)を通して、人間というよりも超人というようなイメージを与える素晴らしく壮大な存在を意識するようにもなる。 ゲーテ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%86 スペンサー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC バイロン卿 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%B3 ヴォルテール http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB 超人的な存在は今日も存在している。地球が誕生から死までのいわば人間の住居であるように、月の領域が、超人たちの永遠の住居なのである。これらの印象的な存在たちが、参入者の注意を引く一方で、死者となった人間の魂は更に(月の)背景へと退いている。 今日の人間のように、これらの超人的な存在たちは、かつて(月紀に)地球に結びついていた、ということがわかる。人間は物質(肉)体の中に生きているが、これらの月の存在たちは、かつての地球(月紀)上では、精妙なエーテル体の中に生きていた。 そして、太古の時代には地上にあって人間と交流し、人間の精神的な教師であった存在たちは今でも、人間と共にある、ということに気づく。月の教師たちは、地上での使命が成就したとき、月の領域へと退き、もはや今日では地球に関係していない。 著書「神秘学概論」を読めばわかるが、月はかつて地球と結びついていたが、後に分離した。これらの超人的存在たちは、月の分離に際し、月に同伴し、その後、月の領域の住人となった。 従って、死後間もない死者たちとの交信を可能にする認識段階で参入する世界でも、通常の覚醒意識の前の(霊的)認識を、まだ保持しているために、参入者を取り囲む存在たち(超人的存在たち)は、かつて地上で肉体を持った人間であった、ということを今日の通常の覚醒意識でも認めることができる。 つまり、通常意識とは異なる(月の)意識に参入するとき、人間が地球に属しているのと同じように、月の領域に属する精神的存在たちと共にある事実に次第に気づくようになる。月の存在たちは普遍的に存在し、人間の行いに関心を寄せているが、今日の人間が行うような物質的観点からではない。 かつて人類の偉大な教師だった(超人的な月の)存在たち、すなわち、もはや地球の住人ではなく、いわば月の領域の住人たちは、人類よりも、圧倒的な壮大さと最高度に発達した精神性をもち、内的、精神的な荘厳さに満ちた存在である。 宇宙の神秘に関する非常に多くの真実を、月の存在から学べる。月の住人の知識は、現代人の通常の覚醒意識が到達できる知識を遥かに凌駕している。しかし、月の住人は、自身の知識を抽象的な(概念的な)思考により表現できない。 月の住人の傍に近づくと、歌が聞こえるが、月の住人は、全てを詩や芸術的なイメージを通して表現する。月の住人は、独自の形で、ホメロスや古代インドの叙事詩では知られていなかった崇高な調和をもって、参入者を喜ばせ、魅了し、しかも、参入者の前に、魔法のように出現させる全ての中には深い叡智が横たわっている。 とはいっても、月の住人のなかにも、不完全な存在もいる。地上に不愉快な連中がいるのと同じように、月の異邦人たちの間にも、仲間たちほどの荘厳さや完全さを達成できなかった者を見つけることができる。 にも関わらず、月の異邦人たちは、いわば生徒や弟子として地球の領域を離れ、月領域に生きながら働き続けたため、ある程度の完成段階に到達している。 卑近な表現だが、月の住人とつき合うと、月の住人が地上の出来事に燃えるような関心を寄せているのがすぐに分かるが、それは地球の人類とは全く異なる種類の関心なのである。月の異邦人の存在は、人類にとって好意的ではなく、どちらかというと招かれざる連中である、と想像してはならない。 異邦人たちは、仲間と比べれば不完全だが、現代人が通常の覚醒意識をもって到達できるレベルを遥かに超えた明晰さ、賢さ、洞察力をもっている。異邦人たちは、常に仲間と同じ習慣を共有しているが、現代人とは、全く異なる習慣や傾向をもっている。
2010年09月09日
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人間の幼児期に働く衝動が、現代の先のガブリエルの時代に由来し、現代のミカエルの太陽の力が、30代や40代の成人に特に運命づけられているという事実は、第6講で述べた、精神的な、直接的な知覚(霊感)から得られる実践的な結果(秘儀参入による結果)である。 地球→月;0-7歳 水星;7―14歳 金星;21歳まで 太陽;42歳まで 火星;49歳まで 木星;56歳まで 土星;63歳まで これは、空疎な理論ではなく、実践的な知覚による果実である。従って、現在のミカエルの時代に先行するガブリエルの時代を理解するには、その時代の肉体を脱いだ魂に個人的に出会う必要は特にない。 ガブリエルの時代の魂に遭遇するには、幼年期のインスピレーション的な知覚を獲得する必要がある為に、秘儀参入者は、その幼児のような認識から、魂をみるので、まるで大人の前に立つ子供のように感じた。 ガブリエルの時代に先行する時代、すなわちアラヌス・アブ・インスリス、ベルナルドス・シルベストリ、フィオーレのヨアキム、ハンビルのジョンやブルネット・ラティーニの時代の探求は全く別である。 この時代は、歯の生え替わり(約7歳)から思春期(約14歳)までの年代に、人間の内で働いている力を遡って振り返るときに獲得する力により支配されていた。これは水星の力である。 この人生期を出発点として、精神の知覚に対応する感覚器官を発達させるとき、非常に意義深いものを経験する。歯の生え替わりから思春期までの時期は、一種何でも知りたがる子供だが、この人生期に属する(霊的)感覚器官で知覚するとき、再び子供の情熱を経験する。 参入者が、この時代に属する人々に、個人的に会いたいと望むのは、この子供の情熱のせいである。そして、秘儀参入から生まれた認識をもって、実際に行う。 まるで10歳か12歳の子供が、目上の人、いわゆる教師や先生に出会うような形で、ブルネット・ラティーニのような人物に遭遇したいと思う。 秘儀参入の真の認識を自分のものにするとき、参入者は、現象世界の事柄にも無関心ではない。従って、大人であると同時に知識を渇望する子供となる。参入者は、ブルネット・ラティーニのような人物と対等の立場で向き合うが、彼から学びたいという強烈な欲望をもって行う。 15世紀から11世紀まで遡る時代の秘儀に参入する認識は、上記のような関係からくる特別な色合いを帯びる。当時は、地球と人類に対する主要な衝動が水星から与えられた時代である。 水星を中心に全てがまわっていた時代において、特別な重要性をもつ存在は、ラファエルという太古の名前の下で知られていた。ラファエルは、ルネッサンスに先行する時代、すなわち、ダンテやジョットの時代の水星だった。 参入者は、ルネッサンスに先行する、水星のような存在、すなわち歴史上ほとんど知られていない人たち、その名前が記録されなかった人たちと、個人的に知り合いたいと感じる。 人智学の教えに精通するとき、その時代は、参入者の中に奇妙な反応を引き起こす。第一に、ブルネット・ラティーニやアラヌス・アブ・インスリスのような人物に関して、現在の教科書がほとんど記述していないことに当惑し、もっと歴史的な事実を記述して欲しいと思うが、自身の知識の水平線が広がるに従い、通常の歴史が、これらの人物に対して、沈黙している事実に感謝し、有難く思うようになる。 何故なら、外(物質)的な歴史資料は、単なる断片にすぎないからである。もし、現代の認識に関して、後の歴史上の人物となる者の、その副次的な枝葉末節に関する新聞記事が、唯一の、その人物の有効な証明であると考えるなら、子孫の目に、そのことが、どのように映るかを想像してみればよい。 時代を代表するような歴史上の人物に関して、百科事典の中に見られる限られた情報により、邪魔されないことに、ただ感謝できるだけである。そして、今日(1924年)、人智学協会が手にできる全手段を用いて、これらの人物との精神的な接触を試みると同時に、人智学の立場から、確認できる全てを報告している。 このような関連から、ラファエルの時代において自然の認識に携わっていた人物たちと関係を持つことは特に重要である。 この時代の精神的な夜明け(9世紀から15世紀)の中から、超感覚的な知覚を通して、自然への深い認識や、医学への深い理解が出現し、現在流行している物質概念や全宇宙に対する人間の関係に関する考えを教示する多くの人物たちを通して伝えられる。 超感覚的な視覚(霊視)をもって、この時代を眺めるとき、後世に名前を伝えられて来なかった多くの無名の人物たちに遭遇するが、このような人物たちが実際に存在していたことがわかる。 霊視により、秘儀参入者の前に多くの人物たちが現れる。例えば、眼の前に立つのは、いわば「大パラケルスス」というべき人物だが、その名前は記録には残っていない。 パラケルスス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%B9 また、後のガブリエルの時代には「小パラケルスス」が生き、彼は大パラケルススの自然の叡智を、もはや純粋で崇高な精神の形態ではなく、その思い出としてもつ人物であることがわかる。 同様に、ガブリエルの時代に、「小ヤーコブ・ベーメ」も現れる。「小ヤーコブ・ベーメ」も、インスピレーションに刺激を与えられ、かつて様々な伝統的な教えから学び取った崇高な真実を、「大ヤーコブ・ベーメ」から告げられた、と述べる。 ヤーコブ・ベーメ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A1 従って、本当に「小ヤーコブ・ベーメ」を理解するには、後世には知られていない、アラヌス・アブ・インスリスやブルネット・ラティーニという名前と同様に、ほとんど触れられることのない「大ヤーコブ・ベーメ」が、眼前に現れるときだけである。 ルネッサンスに先行する時代は(その時代の終わりには、ダンテやブルネット・ラティーニのような有名な人物や孤立した明かりのようにシャルトルの学院が聳え立つが、その中心には、スコトゥス・エリウゲナが標石のように現れる)、力強い精神的な刺激を包含している。 エリウゲナ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B2%E3%83%8A 中世に関する外(資料)的な歴史は闇に包まれているが、この闇は、後の時代を、照らし出すことができる力強い人物たちの存在を隠している。
2010年09月08日
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個人的な経験の中から、ある事柄を紹介したい。カブリエルの時代に秘儀参入し、当時の代表的人物と交流する場合、個人的な経験が完全に客観的になる。 現代に先行する時代は、ゲーテの時代だったが、数十年にわたり彼の作品の研究に携わってきた。最近(1924年)、精神世界に精神的存在(霊魂)となった彼と個人的に直接接触する必要が生じたが、当初は、ゲーテ個人ではなく、いわば星の世界の存在としてのゲーテ、すなわち、宇宙に対する全体的な関係性の中で、死後のゲーテと交流した。 他方、ブルネット・ラティーニや彼の時代の本質に関わる研究に従事する人々と精神(霊)的に接触したい場合、個人的、かつ密接な精神(霊)的な関わりの中で、考えや意見を直接交換する必要性を感じる。 ゲーテに対する全体的な交流と、ラティーニに対する個人的な交流の違いは、非常に重要な相違だが、これは、2つの時代の内的、精神(霊)的な特徴が全く異なっているという事実に結びついている。 今日(1924年)、人間、もしくは全人類が、精神的な事実を、直接理解できるという珍しい機会をもつ時代、つまり、秘儀参入学が、普遍的な財産になる時代に生きている。 (先の時代は、個別的な性質をもっていたが、近代以降、現代へと続く時代は、全体的な性質をもち、ミカエルの性質が顕著に現れることを、言っているのだろう。太陽神ミカエルが直接姿を現すので、秘儀参入が、先の時代より、意味があるというわけだろう。) 今始まったばかりの、この時代を、教養のある階層の人々が、主要な事実として、世俗的、物質感覚的な事実ではなく、精神的な事実に、心から気づかずに、通りすぎるべきではない。 これからの時代は、精神世界に直接関連する人智学を精力的に探求すべきである。でなければ、人類は定められた使命を果たすことができないだろう。現代人は、益々精神的な時代へと入っていかなければならない。 以前の時代には、別の力が人類の進化に主要な影響を及ぼしていた。神聖なアストラル(星)の認識の立場から考察するなら、次のような結論に達する。 「前世紀の70年代に始まった時代(1870年代~)では、魂(精神)的な生活や物質的な生活、すなわち科学、宗教、芸術の全ての面で、特に太陽から輝き出る精神力が、主要な影響力を及ぼすようになる。」 (1879- 年;ミカエル、太陽の時代 現代) 現代では、太陽の力の影響と活動が益々広範に行き渡るようにすべきである。 真の(霊的)認識をもつ人々にとって、太陽は現代物理学が記述するようなガス(気体)球ではなく、精神的な存在たちの集合体である。 そして、太陽の光が物質的、すなわちエーテル的に輝くように、精神を放射する最重要な精神存在たちは、キリスト教-異教的、もしくはキリスト教-ユダヤ教的な用語法を用いるなら、ミカエルと呼ばれる存在の周りに集まっている。 ミカエルは太陽から働きかける。太陽からの精神的な影響はミカエルとその仲間たちの影響と呼べる。 現代に、先行する時代では、人間の生活や活動、そして認識を求める探求の背後にある原動力は太陽の力ではなく月の力だった。3、4世紀にわたって続き、1870年代に終わりを告げた時代の背後にあった原動力は月の力だった。 (1510-1879年;ガブリエル、月の時代 ) この時代、地球進化に影響を及ぼしていた指導的な存在たちは、古代の用語法を用いるなら、ガブリエルと呼ばれる存在の周りに集まっていた。別の名を(用語はあまり重要ではない)選べるが、キリスト教-ユダヤ教的な伝統に従って、ガブリエルという名前を使うのが最もよい。 このようにアストラル(星の)界から導かれる人間の精神活動を、これまで示したような形で気づくようになる。秘儀参入の認識を通じて、誕生から歯が生え替わる(大体7歳)までの時期に、人間の中で働いている力を認識するとき、宇宙に存在する月の活動に対する洞察力を獲得する。 言い換えれば、幼児時代の初めの時期を、インスピレーション(霊)的に遡って、辿ることを通じて、月の影響が特に活発に働いていたガブリエルの時代に関する認識を得る。 現代に特徴的な性格を知覚するには、幼児期より成熟し、20代から40代の時期、正確には、21歳から42歳までの間に、人間の中で、形成力として働いていた力を振り返ることができる年代になっていなければならない。 従って、現代に先行する時代(ガブリエルの時代)では、宇宙的な方向性に関して、決定的な役割を果たしていたのは非常に若い子供たちだった。ガブリエルの時代の(創造)力は、幼年期に働く衝動の中に投影されている。 現代において、太陽からの力の衝動を受け取るように運命づけられているのは30代や40代の人たちである。つまり、宇宙的な指導において決定的で重要な役割を担っているのは30代や40代の成人たちである。 (ガブリエルの時代での秘儀参入は、いわば子供の精神を通してのものなので、幼稚な認識しか得られなかったが、ミカエルの時代での秘儀参入は、30代~40代の大人の精神を通しての認識なので、全体的で、客観的で、高度なものとなる。 ある霊能者は、江戸時代は、割と幽界的な術が通じたが、近代以降は、通じなくなったと説いているが、それは、ガブリエルの時代が、いわゆる月神の時代なので、月の魔術的な個性、特に精霊たちの悪戯が発揮されたものと思われる。 しかし、近代以降は、ミカエルの時代になり、いわゆる太陽神の時代なので、月の魔力が封じこまれ、占術等が通用しなくなり、わりと客観的な科学の時代が到来したわけである。日本では、太陽神を天照大御神と呼んでいる。 日本では、月神から太陽神への交代期に、明治維新が起こっているのは興味深い。明治天皇は、ミカエルの使者ともいえる。しかし、あまりに全体主義が行き過ぎると、太陽悪魔の物質悪魔、人智学ではアーリマンと呼ばれる存在が現れる。 ガブリエルの時代の悪魔は、月悪魔で、人智学では、ルシファーと呼ばれる存在である。魔術的な悪魔である。善が行き過ぎ、中庸を失うと、悪になるから注意が必要である。)
2010年09月07日
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第7講 星の世界(アストラル界)の認識、人類の歴史における時代区分とその精神的な背景 第6講では、秘儀参入者が人生の様々な成長期を、精神(霊)的な視覚を用いて、いかに駆使して、成長の各年代を振り返るか、を見てきた。 このようにして、参入者は、星の世界との充分な霊的な交流に向け、自らの意識を、一歩一歩上昇させるようなインスピレーション(霊能力;霊聴力)を獲得する。勿論、この世界は、純粋に霊(精神)的な存在たちとの交流という事実を基に、純粋に霊(精神)的な表現、顕現として理解しなければならない。 精神世界への扉を開き、その世界への探求を始めるときは、必要な意識状態と必要な魂の条件を発達させるために骨の折れる努力が必須となる。通常の覚醒意識だけを用いて、精神的な洞察に到達できるという幻想を抱くべきではない。 この点を明快にするために、幾つかの特別な例が役立つだろう。精神的な探求において間違いの素となる可能性を示す前に、次のような前置きをしておきたい。 精神世界への扉の鍵を開け、いわば精神世界と対話するための知覚を可能にする精神的な訓練に真剣に取り組む者(秘儀参入者)は、人類の歴史的な進化には、広範な特殊性、すなわち精神(霊)的な背景について特筆すべき違いが示されていることに気づく。 後に示すような理由により、ミカエルの時代と呼べる現代は、19世紀後半の3分の1の、およそ1870年代に始まった。この時代に先立つ時代は3、400年(1510-1879年;ガブリエル、月の時代)続いた。精神(霊)的な認識力をもつ霊能者たちにとって、この時代の性格は、現代とは完全に別のものだった。 更に、その時代に先行し、やはり全く異なる性質の別の時代(1190-1510年;サマエル、火星の時代、850-1190年;ラファエル、水星の時代)があった。従って、秘儀参入の認識力をもって過去を振り返れば、個々の時代が全く異なるイメージを呼び起こすことが分かる。 では、これらのイメージを抽象的な記述ではなく、具体的な例証により示す。 これまで、この連続講義の中で、人類の進化に関して様々な役割を演じてきた人々について述べてきた。 例えば、有名なダンテの師ブルネット・ラティーニ、シャルトルの学院の教師たち、ベルナルドゥス・シルベストリ、アラヌス・アブ・インスリス、フィオーレのヨアキムについて触れたが、更に、9世紀から12世紀、あるいは13世紀にかけてさえも、このような何百人の人々について語ることができる。これらの人々はそれぞれがその時代を特徴づける人たちだった。 人智学の立場から、人類の歴史を、例えば、ダンテやジョットの時代、すなわちルネッサンスの時代を探求するなら、精神世界にいる人間、肉体を脱いだ人間たちとの交流が必須である、と感じる。つまり、隠喩的に言うと、死と転生の間にある人間たちと、直接出会う必要がある、と感じる。ジョットhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%8D 秘儀参入の認識の中で、ブルネット・ラティーニのような人物に対する精神的な関係は、物質世界における仲間との関係のように、個人的でなければならない、という明確な感情を持つ。この感情については、以前この講義で述べた内容の中で示唆しようと試みた。 すなわち、フィオーレのヨアキムやブルネット・ラティーニについて述べる際、この時代(1510-1190年;サマエル、火星の時代)が、できるだけ個人的な気分を与えるように、明白に感じる形で述べた。 19世紀後半の3分の2に至るまで続く、次の時代(1510-1879年;ガブリエル、月の時代)では、この時代の状況とは全く異なる。 (1879- 年;ミカエル、太陽の時代 現代) (1510-1879年;ガブリエル、月の時代 ) (1190-1510年;サマエル、火星の時代 ルネッサンス) (850-1190年;ラファエル、水星の時代) この時代(1510-1879年;ガブリエル、月の時代)には、秘儀参入者が、接触しようとする肉体を脱した魂と、個人的、もしくは個別的な関係を持つ必要が遥かに少なく感じる。 むしろ、その魂を、全体的な環境の中で見たいと思う。つまり、直接的に接触するのではなく、地上的な認識、通常の覚醒意識を通して、接触し、交流する必要を感じる。
2010年09月06日
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人生の第2期、いわゆる歯の生え変わりから思春期までの経験を、インスピレーション(霊)的な視覚に変化させるとき、第2の領域である水星(現在では金星)領域を経験する。 参入者は、地球と同時に水星の領域にも生きる。地上での7歳から14歳までの人生の経験から、自身でつくりあげた精神(霊)的な視覚器官を用いて、意識的で明確な知覚力から、人生を振り返るときに、水星領域での経験を見ることができる。 また思春期から21歳までの期間から導かれるインスピレーション(霊)的な視覚力をもって、参入者は、金星(現在では水星)領域を経験できる。 古代人は、現代人が想像するほど無知ではなかった。現代人の夢に相当するような古代人の認識力により、上述した事実について多くのことを知っていた。 古代人は、思春期の後に経験する、この惑星(金星)領域に、この年代(思春期~21歳)特有の性的な覚醒に関連した「ヴィーナス」という名前を付与した。 そして、21歳から42歳までの期間の経験を、意識的に振り返るとき、参入者は、太陽領域にいることを知る。 人生の各7年毎の期間を、内(精神)的な生活のための(霊的)感覚器官に変化させるとき、参入者に宇宙的な意識を1歩1歩拡大させる(洞察)力を付与する。 しかし、42歳になるまでは、太陽領域について全く知ることができない、というわけではない。金星(現在では水星)の存在たちからも、太陽領域について学ぶことができる。何故なら、金星(水星)の存在たちは、太陽領域について熟知しているからである。 (仏陀が水星人と呼ばれるのは、仏陀が水星の存在だからであるという。ちなみに、現代では、占星術等で水星と金星が置き換わっているが、秘教がむやみに暴かれないように配慮した転置であるという。だから、古代でいえば、仏陀は金星人になる。 シュタイナーによると、魂の進化度合いにより、住む天体が異なるという。キリストは太陽の存在で、太陽から地球にやってきたという。そのため、太陽に黒点が生まれ、イエスの肉体に宿り、死んだので、神は死んだと預言されたという。 つまり、いわゆる太陽系の宇宙人に会うには、何も宇宙船など必要なく、睡眠中に気づかないだけで、会っていることになる。要するに、人間は、魂を進化させるべく、地球に肉体をかりて経験を積みに修行しにきているわけである。 人生も、自分の向上心とともに出会う人物が現れるともいえるだろう。自分の経験に必要な人物が現れるというのは、正に一期一会である。 未知との遭遇は、覚醒意識を発達させ、夢をみることなく、眠らなければよい。宇宙人というと、グレイと呼ばれる容姿が代表的だが、シュタイナーの書籍を読むと、古代人の容姿に似ているようである。 つまり、睡眠中に地球以外の天体の存在に出会うことで、過去の古代人だったときの潜在意識の記憶が甦っているのではないかと思われる。シュタイナーにいわせると、宇宙人が人型をしていると考える方がおかしいという。) けれども、金星(水星)の存在から教わる場合、超感覚的な教えを通じて、間接的に経験が与えられる。自身の意識で、太陽領域を直接経験するためには、つまり、その中に参入するには、21歳から42歳までの期間を生きただけでなく、42歳を越えていなければならない。 従って、秘儀参入者は過去を振り返ることができなければならない。というのも、秘儀が開示されるのは回顧的探求の中だけだからである。 そして、49歳までの人生を振り返ることができると、火星の秘儀が開示される。もし、56歳までの人生を振り返ることができるなら、木星の秘儀が明かされる。 更に、深いベールに包まれ、驚くべき輝きを発する土星の秘儀(土星の秘儀には、次の講義で見ていくように、宇宙の深い秘密が隠されている)が開示されるのは、56歳から63歳までに起こった出来事を振り返るときである。 (生年が、高齢まで達しないのは、魂が、秘儀の開示に相応しくないからだろう。つまり、例えば、まだ、太陽の秘儀を開示するには、早いと思われる魂は、21歳以前で死を迎えるわけなのだろう。) 従って、人間とは実際、小宇宙なのである。人間は、通常の覚醒意識では知覚困難な上述の事実に関連している。 もし、月の力が誕生から7歳までの間、人間の中で活動していなかったなら、人生を形づくり、秩序づけることができないだろう。参入者は、後になってその影響を知覚できる。 もし、水星(金星)の秘儀が、人間の中で活動していなかったなら、7歳から14歳までの経験を、創造(再構築)できなかっただろう。 同様に、もし、人間が、金星(水星)領域に内(精神)的に関連づけられていなかったなら、14歳から21歳までの期間(もし、カルマによって、金星の創造力を受け取るように予め配慮されていたなら、強力な創造力が注ぎ込まれる期間である)における経験を創造(再構築)できなかっただろう。 そして、もし、人間が、太陽領域に統合されていなかったなら、21歳から42歳までの年代、つまり、若年から熟年へと通過していく年代に関して、成熟した理解や経験を発達できなかっただろう。 昔の社会体系は、非常に異なっていた。職人は21歳になるまで徒弟として働き。次に(独立した)「職人(旅人)」になり、最終的に「親方」になった。 (21歳から28歳までが「徒弟」、28歳から35歳までが「職人」、35歳から42歳までが「親方」という精神鍛錬による心の感覚器官の養成期といえる。) 上記のように21歳から42歳までの年代の内(精神)的な発達は全て太陽領域に関係づけられていた。そして、56歳から63歳までの衰退期での経験全ては土星領域の影響に帰属する。 人間は、地球と同時に互いに交流しあう7つの領域の中に存在し、人生の経過に従って、相互交流の中で成長すると同時に、相互交流のなかに関連づけられる。 誕生から死までの人生は、人間を形づくる天体(星)の領域からの影響によって、当初(誕生前)のパターン(カルマ)からの変化を被る。 土星の領域に達するとき、天体領域の存在たちが、慈悲によって、人間のために成し遂げた全てを経験したことになる。 (人間が、7つの天体の恩恵に与かっているというのは、聖書に記述されている、「神はこの世を7日でつくった」の意味である。 7日の「日」は、古代では「デウス」と呼ばれ、日ではなく、天体や神を意味する。つまり、7つの天体を司る神のことで、7柱のことである。 この世とは、人間のことでもあり、人間の能力、つまり「人生」は、7つの神々で7柱、つまり7つの天体の恩恵に与っている、という意味でもある。) そのとき、秘教的な意味において、秘儀に参入した立場から、惑星生活を振り返り、自由で独立した宇宙存在、つまり、ある意味で、もはや63歳までの人生経験からの強制(カルマ)に左右されない存在として船出する。このような事柄については、次の第7講で更に述べる。 (還暦は、干支を基にしているので61歳だが、易経は64掛なので、本当は64歳といえるだろう。つまり、64歳以降は、7つの天体の支援のない、本人の魂の能力だけで生きていくことになるのだろう。64歳に達したら、真の自由人となるわけである。)
2010年09月03日
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通常の覚醒意識の中で、自分がこの地上に立っているのを見る。そして、夜空の月は、自分の上にある。この通常の覚醒意識とは別様に世界を見るには、通常意識とは異なる種類の意識の中に参入する必要がある。 異なる意識の中に参入するには、ときとしてかなりの時間を要する。 異なる意識、すなわち死者と連なる意識、いわゆる人智学でいうインスピレーションに到達し、自身の経験、すなわち誕生から7歳の歯の生え変わりまで経過した経験を、内(精神)的な視覚能力となった意識をもって知覚できるとき、周囲に以前とは完全に異なる世界を見るようになる。 すると、通常の世界は曖昧で不明瞭なものになる。 この別の世界とは月の領域のことである。参入者が、この新しい意識に到達するとき、もはや月を独立した実体としては見ない。人間は、実際、月の領域にも住んでいる。月の軌道は月の領域のなかで地球から最遠方の境界(最外殻)を通っている。参入者は、自身が月の領域の内部にいることを意識する。 さて、もし、8歳の子供が秘儀に参入でき、人生の最初の7年を振り返ることができたら、その子は、上述した方法で月の領域に住むことを意識できるだろう。実際、8歳の子供は、後の教育の影響により妨害されていないので、月の領域に参入することに困難を感じないだろう。 このことは理論的に可能だが、勿論、8歳の子供を秘儀に参入させることはできない。 地球→月;0-7歳 白 水星;7-14歳 赤 金星;21歳まで 黄 太陽;42歳まで 火星;49歳まで 木星;56歳まで 土星;63歳まで 人生の最初(1)期である誕生から7歳までの期間から導かれる洞察力を、精神的な視覚(心眼)に用いるとき、通常の覚醒意識により知覚できる領域とは極端に異なる月の領域に参入できる。論点を説明するのに、上述の天体との類推が役立つ。 今日(1924年)の発生学では、生物学者たちは、胎児の発達を、最初期の段階から研究している。胎児の発達のある段階(胞胚期)で、外縁のある一点において細胞層の厚みが増す、ということが生じ、次に包接が生じて一種の核が形成される。 (原腸の形成のことだろう。胞胚の表面の細胞層が内部に入り込み。これは「陥入」といわれる) 胚発生 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%9A%E7%99%BA%E7%94%9F 原腸形成 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Gastrulation.png ところが、このこと(原腸形成)は顕微鏡ではっきりと見ることができるが、内部にできた核のようなものは植物でいう胚珠であり、人間でいう胎児にすぎない、とはいえない。何故なら、内部以外の他の部分(外胚葉)も、胎児にとっては、枢要な器官となるからである。 同じことが月やその他の天体にも当てはまる。現代人が、月として見ている存在は、単なる一種の核であり、月の軌道を含む全領域が月に属している。地球は月の領域の中にある。もし、月の領域全体が回転すれば、この核もまた回転する。従って、月の軌道は月領域の境界線を辿っているのである。 従って、上述の事実をまだ熟知していた古代人たちは、現代人のいう月だけではなく、月の領域について語った。現代人が、今日見るような月は、古代人にとっては最遠方の境界のある1点に過ぎなかった。この1点は、毎日位置を変え、28日間かけて、人間のために月の領域の境界線を辿る。 誕生から7歳までの、内(精神)的な経験がインスピレーション(霊)的な視覚になるとき、地球に関する日常的知覚を徐々に失うと同時に、月の領域(死者の領域でもある)に参入する洞察力を獲得する。
2010年09月03日
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さて、秘儀参入者は、精神世界において、ブルネット・ラティーニのような人物と共にいることが、重大事に感じられる。 もし、そのとき必要な準備さえできていたなら、自分が夢に幻惑されているのか、もしくは精神的な真実の中にいるのか、を見究めることができる。そのため、参入者は、そのとき受け取る情報を評価できる。 では、例えば、秘儀参入者が37歳のときに、精神世界においてブルネット・ラティーニと語り合うことを想像してみる。勿論、以下のようなやりとりを、文字通りに、受け取るべきではない(秘儀参入した本人が自身で受け取ればよい)。 ブルネット・ラティーニは、多くを語るだろう。そして、恐らく、参入者はもっと正確で詳細な情報が必要に思うだろう。 参入者に対して、彼は「詳細を知りたければ、現在(1924年)の20世紀から19、18世紀、そして私がダンテの師として生きた世紀にまで遡って足跡を辿らなければならない。もし、あなたが、この足跡を辿って、私について来るなら、あなたがもう少し歳を取るまで、つまり、あと幾年かの年月を経過するまで待たなければならない。 そのとき、私は全てを話し、あなたの知への渇きを満たすことができるだろう。あなたは高次の秘儀参入者になることができるが、実際、精神的な意欲だけでは過去への足跡を辿って、私についてくることはできない。」と言うだろう。 というのも、詳細を知るには、参入者は、(37歳を越えて)もっと歳を取る必要があるからである。 もし、問題の人物と共に精神世界へと、障害なく、帰還を確実にするなら、少なくとも42歳を通過して60歳に達していなければならない。 これらの事実は、人間の深い側面(潜在意識)や、若年期や老年期において潜在意識が果たす重要な役割を示すことになる。 何故、ある人は若死にし、また他のある人は高齢まで生きるのか、というようなことを理解するには、これらの事実に注意を払うべきである。これらの事実については後でもう少し述べる。 人間が成長と同時に、精神世界に関する知覚をいかに次第に深め、広げていくかを見てきた。すなわち、ブルネット・ラティーニのような、肉体を脱した魂としての精神世界の存在との関係が、参入者の進化状態に依存する。 つまり、精神的な知覚のために使用される感覚器官が、若年期に発達したのか、あるいは老年期に発達したのか、により異なることが示される。 俯瞰的な世界探求や、人間の魂の前で、展開する進化は、他の領域にも拡張できる。問題は、人間の意識や洞察力を、どのように拡張し、またそれに別の方向性を与えるか、ということである。 第6講では、そのような1つの方向性を示し、更なる詳細については次の第7講で述べる。 ほとんどの人間は、地上生活における通常の覚醒意識の中で、誕生から死までの間の地球環境についてだけを知っている。 もし、いまのような混沌とした夢の意識生活に終わりがあり、通常の覚醒意識ではなく、夢のない深い睡眠状態において知覚をもつことができていたなら、人間は、周囲に、純粋に地球環境を経験していなかっただろう。実際、通常とは異なる知覚や意識状態が付与されていただろう。 さて、現代人の日常意識が、周囲の身近な環境と関連しているものと考えてみる。地球内部を覗き見ることはできないので、周囲を直接取り囲む環境が通常の覚醒意識の領域である。 宇宙に存在する、地球以外のあらゆる天体、太陽や月他の全ての星は、この領域に光等を送りこみ輝く。他の天体と比較して、太陽と月は、宇宙での存在を、より明確に示すものを送り込む。 もし、物理学者たちが、物理的手法で(というのも、人智学的アプローチを全く考慮に入れないので)月や太陽の領域において卓越した状態を経験できたら、驚愕するだろう。というのも、天文学や天体物理の教科書に書いてあることは全くの的外れだからである。 教科書に載っている知識は非常に漠然とした示唆を与えるだけである。通常の生活において、誰かと顔見知りになり、後に、話す機会を得たなら、通常、この人物に関して漠然とした印象しかなく、ほとんど記憶にない、とは言わないだろう。 もし、顔見知りになった場合には、その人に対して、もっとはっきりとした印象を持ち、様子を語るはずである。 勿論、物理学者に選択の余地はない。当然の結果として、物証を基に、遠く離れた地球から星々を記述できるだけである。けれども、人間の変容し、拡大した意識は、星の世界へと人間を引き上げる。 そして、このような事実から最初に学ぶことは、通常の生活において語るのとは全く異なる方法で、星や天体の世界について語ることができる、ということである。
2010年09月03日
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