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以前、太平洋戦争の要因が、明治維新のフリーメーソン革命にあることを述べたが、今度は更に日本の歴史を遡り、戦国時代の意味を考えてみたい。 日本の戦国時代といえば、下克上の時代といわれ、身分制度の変革、立身出世のようなイメージで、現代では非常に人気があるのとは全く逆の酷い時代だったことがわかる書籍を、最近発見した。 それは、松重陽江著「検証!捏造の日本史」である。 明治維新の良い面といえば、西郷明治政府がおこなった身分制度の撤廃と、人身売買の禁止である。これらは、岩倉洋行組が、メーソンの本拠に帰っているときに、西郷が独断で断行したものである。西郷の、この政策断行が、西欧列強の人身売買による貿易の利益に反し、岩倉らのメーソンの犬に嫌われ、逆に西郷は追い込まれ、西南戦争で殺される。 つまり、裏を返せば、西郷が、人身売買の禁止を断行するまでは、日本人が奴隷として売られていたことを意味する。その多くは、下層民で、身分制度外の人たちで、いわゆる農奴といわれる人たちだったようである。 この事実を知らなければ、日本史は理解できない。特に戦国時代に、信長がイエズス会の布教の下に活躍できた意味が理解できない。 なによりも、鎖国と開国の本質が理解できない。 明治維新を開国と単純に表面だけで理解するのは、上記の事実を見過ごす愚挙に他ならない。極悪の伊藤博文が、賊軍となった幕府の子女を売り飛ばすような形で、千代田遊郭をつくれた理由もわからない。また、大村益次郎が、形を変えた現代版の奴隷制度ともいうべき徴兵制度をつくれた理由もわからない。 つまり、鎖国や開国とは人身売買に関することなのである。勝海舟が、咸臨丸で、米国の港に行ったときに、売春が多くて驚いたことを書いているが、また、高橋是清の青年期の米国留学が、実際は人身売買の奴隷としての派遣だったことからも、当時は、人身売買が普通に行われ、その背後で、仕切っていたのが、偽ユダヤのメーソンだということが伺える。 戦国時代を調べると、メーソンの前が、イエズス会であるようだ。キリスト教は、悪魔崇拝教なので、決して、この事を認めない。これは多くのキリスト教信者が、信者以外は奴隷として人身売買してよいことを述べている中世の記録からもわかる。戦国大名が、人身売買の奴隷の代わりに手に入れたのが軍事力であり、火薬の元となる硝石だったことが、上に紹介した書籍は明らかにしている。 実際、キリシタン大名といわれる連中に、火薬や鉄砲等の戦場での使用が目立ち、火薬のための硝石を輸入し入手するために、キリスト教の布教による人身売買を引き換えにしたようだ。その顕著な例が、信長だったようである。 上記の本によると、信長は、イエズス会から、軍略や鉄砲の利用法などを聞き出し、実際、信長軍は、西洋の軍略家を同行させていたともいわれているが、天下統一を目の前にして、自惚れがすぎて、キリスト教のゼウスになり代わろうとし、貿易のみを独占しはじめ、次第にイエズス会を排斥し出したので、飼い犬に手を噛まれた形となったイエズス会や、朝廷などの旧体制にも目障りな存在なので、反信長連合軍は、光秀と通じて、謀反に至らせたという顛末のようである。 上記の本によると、本能寺の変の信長は、爆弾による爆死だったそうで、大量の火薬は、イエズス会なしには考えられないので、本能寺の変の顛末は闇に葬られたそうである。なお、光秀は、山崎の戦以後も生存し、徳川幕府の重要な顧問となり、長く生きたのが、光秀=天海説になったという話である。 秀吉の代になって、キリシタン追放令が出されたのは、表向きは、人身売買を禁止する名目だが、裏事情は、他の大名に硝石が渡るのを恐れたからだという。また、朝鮮出兵は、他大名の火薬の硝石を消費させることが目的で、当時、硝石は高価だったので、豊臣家以外の大名の軍事力を削ぎ、経済状況を悪化させるためだったようである。 朝鮮出兵は、朝鮮に火薬を用いた近代兵器がなかったため、秀吉日本軍は、連戦連勝して、朝鮮にかなり侵攻したが、当時は朝鮮の方が、豊かな暮らしだったようで、戦乱につぐ戦乱の戦国時代の日本軍の兵士は、多くが捕虜や傭兵だったので、寝返りが多発し、終には、加藤清正軍の重臣までもが寝返ってしまい、清正は、自己保身で、李氏朝鮮と講和するに至ったという。その重臣は、講和後も、朝鮮に残って英雄となったという。 恐らく、そのことを小西行長から告げ口され、石田三成と加藤清正の確執が生まれたのだろう。石田三成の馬鹿正直すぎる性格からみれば、秀吉日本軍の多くの離反が、秀吉の耳にまで届いていたのだろう。秀吉は、そのために、多くの武将や、子飼いの武将までも朝鮮に残し、増員という名目で、朝鮮から、護送船を引き払ってしまったようである。その恨みが、関ヶ原の戦いで、徳川軍を有利にさせるから、歴史は因果である。 このエピソードだけでも、秀吉が多くの大名から嫌われていたことがわかる。その矛先が、朝廷の後ろ盾もない三成に向かったのは言うまでもない。 しかしながら、1回目の講和は決裂し、2回目の朝鮮出兵となるが、朝鮮も1回目の反省を生かし、キリスト教布教や人身売買の見返りに、硝石を手に入れ、軍事力を高めたので、秀吉日本軍は、2回目は、散々に打ちのめされたらしい。しかし、朝鮮も、キリスト教布教による軍事力獲得が逆に、後の戦乱を招き、日本軍の侵略を許すこととなり、李朝を崩壊させる要因となる。軍事力に頼る者は軍事力に滅ぶ。 そもそも、秀吉日本軍には、大義名分がなかったので、秀吉に飼い殺しにされたも同然となる。秀吉が運良く死んでくれたので、出兵軍は全滅を免れたが、秀吉の死は三成らに伏せられたので、後で知った出兵軍の武将たちは怒り心頭になり、三成を襲うことになる。 だから、関ヶ原の戦いは、朝鮮出兵軍の残兵を統合した徳川連合軍と、秀吉を担いでいた官僚軍の戦いとなる。戦場に出ていた多くの大名は、どちらが勝つかの形勢を判断して加担したものと思われる。洞ヶ峠の日和見だろう。家康が、小早川秀秋に鉄砲を撃ちかけたのは、無駄弾を撃つぐらい、徳川軍にはタンマリと硝石があるという意味なのだろう。 家康は、朝鮮出兵を誤魔化し、三浦按針(ウイリアムアダムス)らと交易し、硝石を密かに溜め込んでいたのが、大砲などの火器となって、豊臣家の大坂城方を驚かせることになる。 とどのつまり、戦国時代の勝敗を左右するのは火薬に必要な硝石で、そのためには経済力、特に貿易力が必要だったわけである。貿易の利権から軍事力を確保することが、戦国大名の統治力となった。 だから、徳川幕府が、開国や鎖国という名目で、貿易の利権を確保するのは、徳川幕府の統治力の必要性から明らかなのである。つまり、鎖国とは、幕府の人身売買に絡む貿易の利権の独占、独裁に他ならない。
2012年09月27日
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前回は、「〇に・(点)」から、陰陽の原理を辿って、「己を生かし他人も活かすのが天の道」という結論に導き、その結論を、人体の面から考察し、治療原理を紹介した。 そこで、再度、人体の治療原理の要点を再掲する。 健康とは、人体のなかの陰陽のバランスが確立している状態のことで、陽の極は、松果体の目のなかに集中し、陰の極は、太陽神経叢に集中している。 人間の想念は、松果体の目に集中した陽の極から出る陽のエネルギーを左右するので、良い想念は、肉体の恒常性を保たせるので、精神と肉体をバランスさせ、人間を健康にする。 だから結局、「己を生かし他人も活かす」ような想念が、人間を健康にさせる秘訣となる。 そのような想念を邪魔するのが、不適切な感情で、感情のコントロールが、何より重要となる。感情のコントロールとは、恐れ、怒り、憎しみを抱かないことにある。 その感情のコントロールの中枢が、シュタイナーの人智学では、心臓といわれている。心臓といっても物質的な心臓ではなく、霊的なエーテルの心臓のことである。 現代科学の複雑系の研究では、心臓の鼓動を形成する心筋細胞の調和運動と、ホタルが集団で光を発する求愛の調和活動は類似の数式で記述できるそうである。 この相似を、フラクタルと捉え、単純に考えると、心臓は、ホタルの集団と考えられるわけである。ホタルの光の点滅は、陰陽だし、心筋の電流伝達も、陰陽といえる。 だから、人体の不調は、まず心臓の活動に現れ、鼓動として記録されるはずである。そして、感情のコントロールを失うと、人間の意志に反し、心臓の制御が利かなくなるわけである。このことから、心臓が、松果体の陽のエネルギーと、太陽神経叢の陰のエネルギーの仲介役を果たしていることに気づく。 シュタイナーは、心臓は、人体内の感覚器官であると述べている。 また、人間の鼓動が、太陽の黄道に関連していることは、人智学的医術の講義で何度も紹介したが、そこから、心臓が太陽と関係していることがわかる。そこで、心臓と黄道を、「〇に・(点)」で説明してみる。 宇宙を見渡し、黄道のような円「〇」をイメージすれば、次のような疑問が浮かぶ。 一体、この円は何なのか? この円を通じて働きかけてくるものは何か? この円に親和性をもつ類似のものを、人間のどこに見つけられるのか? それは心臓のなかを覗けばわかる! 心臓には、いわば反転した天(黄道)が、天の対極となる「・(点)」がある。 外には、無限の彼方へと拡張していく円「〇」があり、人体内には、心臓へと集約した「・(点)」がある。 心臓に集約した「・(点)」のなかには、宇宙全体「〇」が存在する。 更に大雑把な比喩を用いるなら、 人間が山の上に立って、遙か彼方を見渡し、広大な宇宙を、円「〇」に見るのと同じく、人間よりも遙かに小さな小人を、人間の心臓のなかの「・(点)」に置いて、この小人が見る光景を思い浮かべる。 すると、この小人は、心臓内の回転運動のなかに、宇宙の「〇」が完全に縮小され、「・(点)」として統合された像を見る。 このような想像は、非常に単純な具体的イメージにすぎないが、正しく想念すれば、正しい治療指針となり、人体の陰陽の調整的なイメージや調整原理として働き、陰陽の不調和による個別的な疾患に対する認識をもたらし、その総括の手引き書となる。 というように、「〇に・(点)」の創造が繰り返し、相似形、つまりフラクタルとして展開していることに気がつく。宇宙の模造が人間であり、人間のなかには、宇宙があり、そして、人間の宇宙から、外の宇宙が生まれ、同時にその宇宙から、人間が生まれる。 人間は、外の宇宙から受け入れた宇宙を、体内に形成し、その体内宇宙を、外の宇宙に展開していく。 心臓が、随意筋の横紋筋の心筋からなるのは、これまで述べてきた治療原理が成立する根拠でもあり、シュタイナーによれば、人類が進化し、感情のコントロールができるようになると、心臓を手足と同様に自由自在に操れ、寿命を延ばすことにつながるという。 以上のことを、老子は、第48章で説いている。例のごとく、抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ 第四十八章 学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損す 原文 爲學日益、爲道日損。損之又損、以至於無爲。無爲而無不爲。取天下常以無事。及其有事、不足以取天下。 書き下し文 学を為(な)せば日々に益(ま)し、道を為せば日々に損(そん)す。これを損して又(ま)た損し、以(も)って無為(むい)に至る。無為にして為さざるは無し。天下を取るは、常に無事を以ってす。その事有るに及びては、以って天下を取るに足らず。 英訳文 The more you learn, the more you get knowledge. The more you acquire “the way”, the more you lose your knowledge. Losing your knowledge again and again, you can reach the stage of “doing nothing”. You can do everything if you never do anything unnecessary. You even can get the world if you never do anything unnecessary. If you do something unnecessary to control the world as you like, you can never get it. 現代語訳 学問を修めると日に日に知識が増えるが、「道」を修めると日に日に知識が失われていく。知識を減らした上にまた減らし、そうして無為の境地へと至るのだ。無為であれば出来ない事などありはしない。世界を支配するには、ありのままにまかせて余計な事はしない事だ。自分の思い通りにしようとして余計な事をすれば、世界を支配する事など出来はしない。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ では、自分流の訳で、 思考すればするほど、障害になり、病気になってくるが、陰陽のバランスの道を体得すれば、病気にも罹らない。正しい想念から、無我の境地に至れば、自己治療(自然治癒力)が働く。自ら受け入れたことが成就する。天の支配に準じ、受け入れることが肝要である。天の法則を受け入れることが、天をも支配することにつながる。 では、「タオの法則」から、 ☆ ☆ ☆ 実現すべきが実現しないのは 気づかない心の奥で 自身がその実現を 否定しているからだ タオの世界では 望むことと与えられることは 完璧に一致している 人間は望んだ通りに物事が進むようにできている。望んでいるのにそうならないのは、自己否定があるか、本当は心の奥でそれを望んでいないかのどちらかだ。 例えば、結婚したいのに相手がいつまでたっても現われない。本人は結婚を切望しているという。しかし、それは自身の本当の心に気づいていないだけだ! 小さな頃に両親の喧嘩ばかりをみたり、あるいはテレビドラマでそうした場面を繰り返し見たりすることでも心には深く結婚への恐れが刻印されることがある。 これは、受容の心になれば克服できる。まずは、今、結婚が実現していないということに感謝する。感謝とは、受容だ! 本当は結婚したくないという望みを天は叶えてくれているのだから、今の状況に心から感謝する。それが受容である。そんな心になると、何が恐怖心の原因となったのかが自然に思い出されてくる。 思い出される、ということは、意識下から意識上に異物が取り出されることだ。すると、それだけで、その記憶は恐怖ではなくなる。そんな簡単にと思うかもしれないが、この受容が本当に成されると、長年実現できなかったことも、あっという間に実現してしまうものだ。私たちは本当は全て望み通りの世界に生きている。 ☆ ☆ ☆ あなたが、正しく希望すれば、それは叶えられ、正しく成就する。
2012年09月27日
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前回は、「〇に・(点)」を主題に、カタカムナの意味から、「〇に・(点)」が、人間と神の関係で、「己を生かし他人も活かすのが天の道」、つまり新しき融合世界の生起であるという結論に至った。 そこで、人体のなかでは、特に、心臓が、新しき生命創造に不可欠であることを、少し考察してみたい。 その考察に格好の題材となるサイトをみつけたので、そのサイトを以下に紹介し、そこから拝借し、わかりやすく改変する。 知足自愛 http://blog.livedoor.jp/k12345kk-12345678910/archives/5778606.html ☆ ☆ ☆ 治療の真義より~その1 あらゆる病気の原因は、基本的に、肉体の陰陽の極性の不均衡からおこる。自然界総ての創造物の背後には、陰陽の2つの極性があり、実現に至っている。陰と陽の2極のバランスが完全にとれていると、肉体が病気に罹ったり、怪我や過ちに至ることはない。 病気は、原則的には、消極的で、否定的な考え方から生じ、その考えが、外的な病因や病原菌を招きよせる。 (「病は気から」というのは正しい。) 根本的には、あらゆる肉体の病気は、ただ一つのこと、すなわち、間違った心の状態によって生じた不調和に起因する。肉体と心(精神)の調和のバランスが回復するまでは、当初の症状が消えても、また別の症状があらわれてくる。 抑圧された感情というものは、肉体の不調和の大きな要因となっている。癌は、抑圧感情に起因している。 肉体は、人間の意志のもと、脳と神経組織による完全な支配下に造られることが明確に定義されている。精神的な治療の基本は、人間の意志を、健康状態に向かわせ、健康を同一視する方法に到達させることである。 肉体が、脳の直接の支配下にある場合、肉体各部の恒常性は保たれる。治療の第一にして最大の法則は、健康状態の心(精神)像を、患者に確立させることにある。 (健康状態のイメージを患者に確立させること。要するに、健康のイメージトレーニングである。) 肉体と精神の調和の完全なバランスが現存するには、肉体に、陰陽(能動と受動)の2つの創造力が均等に存在しなければならない。陽(能動)の極性は、頭の中の松果腺第2部に集中しているのに対し、陰(受動)の極性は、太陽叢に集中している。 松果体 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9E%9C%E4%BD%93 (松果腺第2部の第2部とは、どの部分なのかは不明だが、松果体を円とすると、中心の点のことが推測できる。つまり、松果腺の目と思われる。いま気づいたが、メーソンで有名なピラミッドに目の図は、この松果体の、陽のエネルギーを意味しているのではないのか? 脳砂といわれる石のような結晶が松果体に生じるが、メーソンが石屋と呼ばれる二重の意味をもっているようにもみえる。この松果体の目は、神秘学では、自我で、アルヒャイの権天使を暗示する。) 太陽叢 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1455319189 (太陽神経叢については、大体みぞおちのあたりにあるエネルギーセンターのことだそうだが、現代医学では、唯物論に染まっているので認められない。) 松果腺第2部は、肉体の潜在意識の座でもあるので、想念は、肉体に作用する陽の創造エネルギーに非常に大なる役割を果たしている。もし、心(精神)が適切な状態にあれば、陽のエネルギーが自由に流れる。 自己と思考とを分離させるための良い訓練方法は、心身をリラックスさせ、両目を閉じ、心に生じる想念を流れるままにすることである。その想念の流れを止揚し(自己を委ね)、無念無想になろうとすればするほど、想念が湧出してくる。 想念の流れによる思考が、肉体を支配し、悪影響を及ぼすから、思考から抜け出ることが、思想からの心(精神)の分離状態を有効に使う準備となる。 もし、肉体からくる不調があれば、心(精神)に不断にやってくる想念により形成される思考が、潜在意識的に悪影響を及ぼしていることになる。想念の形成する思考が、肉体との不調和の原因となる状況をつくる。心(精神)的な過程における病因が、他の病因を呼び込んで、肉体に顕在化させる。 (想念は受け取ったら即座に捨てることが重要なのだろう。禅でいうところの「仏陀に会ったら仏陀を殺せ」にあたる。) 脊髄や脳は、肉体の自動的な不随意的機能を支配し、肉体での新細胞の造成方法も支配している。完全に健康な自分を考え、健康なイメージに達したなら、思考をやめ、それから想念の流れのなかに向かい、その流れのなかへ、そのイメージを完全に投げ入れる。 (この健康イメージは、健康設計図というか、処方箋のようなものといえる。) すると、そのイメージが、脊髄や脳細胞に入る。そうすると再生されなかった細胞が、再生される。これは、肉体が、本質的に、全細胞、全組織の再生力を持っている事実からくる。病気の場合、今まで持っていた、いかなる病的な状況や否定的な状況の意識をも除外し、再生を図るべきである。 (不死性のガン細胞さえも創造できるのだから、本来は、なんでも創造できるはずである。) 人類の大部分の病気は、心(精神)の状況により生じるので、特に世界の状況が今日の様に混乱しているのは、人間の心(精神)が、不断の緊張を強いられていることによって、おこされる。 抑圧された感情や、特に否定的、破壊的な性質の抑圧思考は、ほとんど間違いなく、物質的な肉体に悪影響を及ぼす。 肉体的によい健康を望むなら、心(精神)の中に、恐れも怒りも憎しみも抱いてはならない。怒りや憎しみなどの心(精神)の状況は、「聖」に対して反発を生むだけで、「聖」なるものは、総ての健康と総ての物質的で、環境的な幸福の原因である。 心(精神)が肉体の支配者であることは、絶対的な真実である。心(精神)が、生命の動力である、というのは、目にみえない力が、人間の脳や心(精神)に作用している証以上の真実である。 実際、心(精神)とは、エゴ、すなわち、魂の霊的な創造力の現れなのである。人間には、真に聖心とも言うべき、高級な自我がもつ多様で目に見えない機能が存在する。 (エゴという低次元の自我と同時に、真我といわれる高次元の自我を、人間はもつ) 心(精神)の最大の妨害者は感情である。 「心(精神)が調和的になる前に、情緒(感情)を、まず支配しなければならない。」 実際問題として、感情の多くが、病気の原因である。 肉体に現れる総ての病状は、想念により形態化され、物質化される。この世の中には、原因なくして現れるものなど何もない。 「自分の思うとおりになる」のは、その人が思い、受け入れたことのみの真実なのである。人は、その人が受け入れた全想念の結果である。 だから、「自分自身で自分を間違えさせている」のが、人類の大多数にとって、真実なのである。総ての病気は、自分の心の中からおこる。多数の人々は、自身の否定的な、不調和な思考や感情の結果に過ぎない病気や苦痛を持っている。 何にしろ、病状や苦痛を、自分で認めている限りは、それらは離れない。この事実こそが、自己治療(自然治癒力)が可能な最大要因なのである。大事な鍵は、病気(を生じさせている感情)に全く無意識となり、病気や痛みを忘れ去り、無執着となることである。 (馬鹿は風邪をひかない、といわれるし、また欧米人には肩凝りという概念がない。) 無執着に、没我的に生きる、ということは、あらゆるものに関して没我的になることでもあり、環境や肉体に現れる総てに関して、没我的になることである。個人的な執着をもつ限り、肉体にも存在する。 多くの人々は、法則と原理を通じて、神が働いている真理や、各法則が、本質的に、陰陽の2重性を持ち、能動性(動的)と受動性(静的)の両極性が働いている真理を悟っていない。真理を悟るのは、その人の意識次第である。 これらの法則を、「己を生かし他人も活かすように」創造的に使う場合は、常に、人類自身と宇宙のために良いことを創造する。 万象に必要な聖法則がある。それは、以上に説いてきた治療の原理である。この治療の法則が、あらゆる病気を治癒させ、否定的な意識を破棄させる原因となる。 万象についての、人間の想いが、万象の原因をつくる。 なぜなら、皆人間は、神の子だからである。 ☆ ☆ ☆ 以上の要約に、文字数を要したので、老子の紹介はまた次回に譲る。
2012年09月27日
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前回は、シュタイナーの「〇に・(点)」の話にリンクするカタカムナの意味を紹介した。その要約を、再度、掲載する。 『男と女という陰陽の配偶が整ったところへ、現象界のアマと潜象界のカムが対向(ムカヒ)するような重ね合いの場ができれば、自ずからアマウツシ(宇宙エネルギーの授受)という生命発生の作用が起きて、新しい生命の発生(ムスビ)という現象が現れる。 生命も思想も芸術も、森羅万象全ては「陰陽性」をもって成立し、固定されるのではなく、「環境条件に応じて」、変容しながら、発生し、構造を伴い、連続性や循環性を持つ意味で、フラクタルと呼ばれる相似象を呈するのは、「現象界のアマと潜象界のカムの対向(ムカヒ)」による、重ね合いに、その原象(モトガタ)がある。」 要するに、現象界のアマと潜象界のカムの対向による重ね合いから、陰陽性をもって、森羅万象が現われてくる、ということを述べているようである。このカタカムナの意味に、「〇に・(点)」を結びつけると、以下のように考えられる。 カタカムナの現象界のアマと潜象界のカムの対向による重ね合いが、〇となって、アマウツシ(宇宙エネルギーの授受)という生命発生の作用により・(点)が生じ、・(点)が、再び〇に還っていくことが、新しい生命の発生(ムスビ)なのではないか、と思われる。 「〇に・(点)」というと、日月神示の元となった大本教の出口王仁三郎が、面白いことを述べている。その部分を、以下のサイトから拝借する。 知足自愛 http://blog.livedoor.jp/k12345kk-12345678910/archives/cat_188310.html ☆ ☆ ☆ 今までは悪の世でありたから、己殺して他人助けることを、この上もない天の一番の教えとしていたが、それは悪の天の教えであるぞ。己を生かし他人も活かすのが天の道ざぞ、かみの御心ぞ。 (中略) 神人共にと申してあろが。かみは人に依りかみになり、人はかみによって人となるのだぞ。まことの神の御心わかりたか。今までの教え間違っていること、だんだんわかりて来るであろうがな。 ☆ ☆ ☆ この王仁三郎の発言に、「〇に・(点)」から連想されるカタカムナを当てはめて、かみ=カム、人=アマと置き換えたなら、「〇に・(点)」の変換(入れ替え)は、アマ-カムの陰陽の重ね合わせと一致し、そこから、新しき世界が生まれ、「己を生かし他人も活かすのが天の道」ということが理解できる。 そのようなことを、老子は、第10章で説いているので、例のごとく、以下に御馴染みのサイトから抜粋し紹介する。 ☆ ☆ ☆ 第十章 営魄を載んじ一を抱きて、能く離るること無からんか 原文 載營魄抱一、能無離乎。專氣致柔、能孾兒乎。滌除玄覽、能無疵乎。愛民治國、能無以智乎。天門開闔、能爲雌乎。明白四達、能無以爲乎。生之畜之、生而不有、爲而不恃、長而不宰。是謂玄徳。 書き下し文 営魄(えいはく)を載(やす)んじ一を抱(だ)きて、能(よ)く離るること無からんか。気を専(もっぱら)にし柔(じゅう)を致し、能く嬰児(えいじ)ならんか。玄覧(げんらん)を滌除(てきじょ)して、能く疵(きず)無からんか。民を愛し国を治めて、能く以って知らるること無からんか。天門開闔(てんもんかいこう)して、能く雌(し)たらんか。明白四達(めいはくしたつ)して、能く以って為すこと無からんか。これを生じこれを畜(やしな)い、生ずるも而(しか)も有せず、為して而も恃(たの)まず、長たるも而も宰(さい)せず。これを玄徳(げんとく)と謂う。 英訳文 Can you calm your body and follow “the way”, then keep them? Can you concentrate your mind and soften your body, then become like a baby? Can you purify the mirror of your heart, then keep it blameless? Can you keep yourself nameless when you love people and rule a country? Can you keep yourself like female when all things are produced from the gate of heaven? Can you do nothing when you know everything clearly? The saint who knows “the way” does not possess things that he made or raised. He does not rely on his success. He does not become a dictator even if he becomes a leader. These are “mysterious virtues” of the saint. 現代語訳 迷える肉体を落ち着けて唯一の「道」を守って、そこから離れずにいられるだろうか。精神を集中して身体を柔軟にして、赤子のようになれるだろうか。心の鏡を洗い清めて、少しの落ち度もないようにできるだろうか。人々を愛し国を治めて、それで人に知られずにおられようか。天上の門から万物が生み出される時に、雌のように受身でいられるだろうか。何もかもはっきりと解っていながら、何もせずにいられるだろうか。ものを生み出し育てながら自分の物とせず、何かを成し遂げてもそれに頼らず、人の上に立っても取り仕切ったりしない。これらは「玄徳 – 神秘なる徳」と言う。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ 上記の訳にならって、自己流に訳してみる。 動的な陽の肉体と静的な陰の精神の重ね合わせから、新しい体験が生まれる。精神が一点に集中し、肉体が円みを帯びている赤子こそ、宇宙のエネルギーを受けるのに相応しい。心を洗い清めれば、病気には罹らない。人に知られずに、人を愛し国を治める。女性器のように全てを受け入れる孔になれば、天の森羅万象の受容器となる。無為となれば自然全てを理解できる。森羅万象を生み出しておきながら、そのことを知らせず、宇宙全体を支配しながら、少しも不自由さを感じさせない天の働きを、玄徳という。 という感じですが、やはり理屈っぽいので、「タオの法則」から抜粋して紹介する。 ☆ ☆ ☆ 広大な自己というものは これ以上にない快の意識に いかに多く入るかで決まる 世の天才は、それがどんな分野の天才であろうと、例外なくタオの意識領域を数多く体験している。タオは、時間や空間という相対世界を超えた領域であり、この領域に入るだけで、至高のエクスタシーに遭遇するのは、その瞬間、人間の意識が、三次元的制限から解放されるからだろう。 この領域には、制限というものがない。天才が、この領域を多く経験する、というよりは、この領域によって人は天才となる。老子は、これを「天門開闔(てんもんかいこう)して、能く雌と為らんか。明白にして四達し、能く無知ならんか。」と言っている。 「天門開闔(てんもんかいこう)」とは女性器が開いたり閉じたりする意味で、タオの領域の感覚を性の恍惚感に喩えた表現だ(本当はただの喩えではない)。その領域に入れば、四方八方の世界と1つになり、全てを感得できる。「無知」とは、老子の独特の逆説表現で、常人の知を超えた知の領域を示している。 ピアニストが、この領域に入れば天のリズムを奏で、発明家がこの領域に入ればインスピレーションが無限に沸き起こる。生命の基本は恍惚感にある。自然界の生命は、全てが恍惚に向かうことで達成させる。 ☆ ☆ ☆ 幸福は、現状を受け入れることからはじまる。そこから、自分と他人を同時に生かすことが、天の法則で、この世の現象界と、あの世の潜象界の天秤ともいえる。この天秤を、人間は心臓のなかにもっている。だから、古代エジプトの死後の審判では、人間の心臓が計られるといわれた。 輪廻転生も、この人間の心臓、つまり天秤を完成させ、梃子の原理で、天国に通じるためである。
2012年09月26日
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前回は、∞万華鏡∞ さまのサイトから、シュタイナーの「〇に・(点)」の話を元に、忠武飛龍さまのご指摘の華厳思想の性起説と天台思想の性具説から、老子の第45章を紹介した。 さて、「〇に・(点)」の話を、人間の意識の問題として考えると、仏教の曼荼羅図と、「〇に・(点)」の話から連想されるカタカムナの図が、なんとなくリンクしてくるように思われる。カタカムナの図とは以下のものである。 そこで、カタカムナのよい解説をネットで探してみるが、どれも理解困難で、なかなか、よい解説に巡りあわなかったが、以下のサイトなどがよいと思われる。 知足自愛 http://blog.livedoor.jp/k12345kk-12345678910/archives/cat_188304.html 更にわかりやすいのは以下のサイトである。 「カタカムナへの道 潜象物理入門」関川二郎著~その1 http://exercisedependency.blog3.fc2.com/blog-entry-365.html 例えば、上記のサイトから抜粋して、カタカムナを紹介する。 ☆ ☆ ☆ カタカムナ文明とは物理学者の楢崎皐月氏が提唱した、先史時代の日本に存在したとされる文明で、カタカムナ文献はカタカムナ文明の実在を示しているとされる書物です。カタカムナ文字によって記された80首の詩歌で構成されています。 カタカムナ文献の解読は、楢崎皐月の後継者である宇野多美恵氏によって受け継がれ、「相似象」学会誌で紹介されています。 「相似」という概念は、幾何学的には「フラクタル」という概念で説明されており、この「フラクタル」の重要性は日本古来の書物でも記されています。 (中略) 人間は一つの宇宙であり、細胞はミクロの宇宙です。宇宙は擬人化して体系化できます。地球と人体とはフラクタルな構造をしており、発生、崩壊も共通した理論で語られます。 そしてフラクタルの本質にあるのは「回転」です。その「回転」の意味するところは、物理的現象である「宇宙・地球の回転」に始まって、宗教的解釈である「輪廻転生」にまで及んでいます。 「カタカムナへの道 潜象物理入門」に於いては、上記の理論の原点ともいうべき法則・原理が紹介されています。例えばカタカムナ文献における、以下の第37首は 第37首 アメノクヒサモチ カタカムナ クニノクヒサモチ オキミツゴ (男にはサトリ、女には生命力が発生するというサトリ)と解説されていますが、以下のように応用が効きます。 「男性と女性という正反の配偶が整い、そのところへ環境側のアマ-カムの潜象が重合(ムカヒ)することが生命発生の条件であり、現象界と潜象界の対向(ムカヒ)の場ができさえすれば、自ずからアマウツシという作用が起きて、新しい生命の発生(ムスビ)という現象が表れる」 あらゆるものが「正反性」をもって成り立ち、固定ではなく環境条件に応じて、発生し、構造され、連帯性、循環性を持つという意味で相似象を呈しているのは、「アマ-カムの重合系潜象にその原象(モトガタ)がある」という関係がカタカムナ人によって示されています。 生命も思想も芸術も、そのすべてが「現象界と潜象界の対向(ムカヒ)」から発生します。しかもそれは「環境条件に応じて」発生します。新しいものの発生条件は決して固定的なものではなく、柔軟さを有しているのです。 以下では、「カタカムナへの道」から重要な部分を引用して、自身のカタカムナに対する理解に役立てたいと思います。 「ヒフミヨイ マワリテメグル ムナヤコト」の解釈1)「相似象」第3号~平面モデルによる解釈(地平線上の太陽の移動の位置)宇宙のすべてのものは、天体から極微の世界まで、正と反の旋転(自転)と循環(公転)の動きによる球の性(マリ性)によって抽象される。「ヒフミヨイ~ムナヤコト」は一から十までの数を意味する。2)関川塾による東西南北の解釈~球体モデルによる解釈(原子核を回る電子の位置)-エネルギー循環の説明(エネルギーの生成・発展・消滅)「ヒカシ」~「カ」はあらゆるエネルギーの総称であり、内に秘めたる「ヒ」のエネルギーが、どんどん満ちあふれてきて示されて「シ」いる。「ニシ」~現象「ニ」として示される「シ」。つまり目に見えるようになる。「ヒカシ」と「ニシ」は、エネルギーが生まれていくさまを言っている。「ミナミ」~エネルギーが収縮していってナミ(波動)としてミナミから抜ける。「キタ」~エネルギーはカムに戻ってまたキタから入ってくる。「キ」は起源・根源を意味し、「タ」は場所を意味する。キタとは根源の場を意味する。 カタカムナのウタヒ80首とは1)カタカムナ文献は古事記神話の原型である~例(イザナギ&イザナミ)2)現代人の性に関する認識は、種族本能と性官能の満足の二点に絞られているが、上古代人のそれは、宇宙生成のヒビキに感応して、直接アマウツシ(宇宙エネルギーの授受)を受ける大切な手段(スベ)である。 八鏡之文字とは、日本の上古代に存在した声音符号の図象符のこと。 カタカムナのウタヒ80首の内の第5、6首は「ヒフミヨイのウタヒ」と呼ばれ、最も重要は意義を持つ。現代のカタカナ50首の原型と推定される。 ヒフミヨイ マワリテメグル ムナヤコト アウノスへシレ カタチサキ ソラニモロケセ ユヱヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ 「マワリテメグル」の意味~渦巻螺旋状に生成発展する、これはアマの本性であり、銀河系を初めすべての星雲の運動や、太陽系の惑星の軌道、原子・電子等の運動軌跡にも共通(相似)の物理が存在している。 宇宙に潜在する根源の力「カ」が持っている基本的な性質、すなわちマワリ性とメグリ性によって膨張と縮合が繰り返されることで、すべての生命や物質が形成されて行く過程を直接的に表現している。一から十までの数列には、物質や生命が「ヒ」(始元の状態)から出発して、渦巻螺旋状に生成発展して次元が高められ、より高次のカムの世界に還元融合していく経過が示されている。 「カタカムナ」の意味~形のあるもの「カタ」は、形のないもの「カム」の分身「ナ」である。 「カ」はあらゆるエネルギーの総称で、以下のような相反する2つの性質を有する。1)凝集して球(タマ・マリ)になる性質・結球性・ナギ性。カムからアマへ移る方向・正方向・左回り方向。2)限りなく拡大していく性質・膨張性・ナミ性。アマからカムへ移る方向・反方向・右回り方向。 「カタカムナ」の意味は、1)2)の凝集性、膨張性の繰り返しによって大宇宙の秩序が成り立っていると言うサトリである。 1)凝集性・ナギ性と2)膨張性・ナミ性の矛盾する二つの性質を統一すると、渦流運動「マワリテメグル」が発生する。 この渦流運動「マワリテメグル」は基本的に相似的であるが、それぞれ固有のパターンを形成する。相似というのは共通性はあるが、画一的ではない。 ☆ ☆ ☆ カタカムナは、どうやら、古代人の(生命)科学らしきもののようである。現代人の科学でいうなら、元素の周期律表、つまり電子配列を想定する人が多いようだが、私には、原子核の素粒子状態を示す、坂田模型の方に近いのではないか、と思われる。 クォークモデル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB そこで、古代人の科学のカタカムナを、どのように、現代科学で解釈するかが問題となるが、例えば、現代人の意識を、3次元意識とし、カタカムナとして表されている図を、4次元以上の高次意識として、ともかくも非常に稚拙だが、区別することだけは可能だろう。 いまのところ、私には、上記の太字で示したカタカムナの意味を、前回のべた性起説と性具説の「〇に・(点)」の変換にリンクさせることしか思い浮かばない。 しかしながら、上記の抜粋により、カタカムナが示す意味は、以下のように要約できる。 『男と女という陰陽の配偶が整ったところへ、現象界のアマと潜象界のカムが対向(ムカヒ)するような重ね合いの場ができれば、自ずからアマウツシという生命発生の作用が起きて、新しい生命の発生(ムスビ)という現象が表れる。 生命も思想も芸術も、森羅万象全ては「陰陽性」をもって成立し、固定されるのではなく、「環境条件に応じて」、変容しながら、発生し、構造を伴い、連続性や循環性を持つ意味で、フラクタルと呼ばれる相似象を呈するのは、「現象界のアマと潜象界のカムの対向(ムカヒ)」による、重ね合いに、その原象(モトガタ)がある。」 だから、新しい発生の条件は決して固定的なものではなく、柔軟さをもっている。』 このような話を、老子は第10章で説いているが、その話はまた次回に譲る。
2012年09月26日
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では、一体、アルブミン化の過程(プロセス)とは何なのか? その過程(プロセス)を通じて、自然のなかの可塑性や増殖性をもつ物質が、人間や動物の生体形成のために組み入れられる。 対照的に、アンチモン化の力は、生体外から作用する、いわば造形芸術家で、器官形成に形(フォルム)を与える力である。このように、アンチモン化の力は、人体の諸器官の内からの器官形成力(アルブミン化の力)に対して、相対的な関係をもつ。 (内からの器官形成力=アルブミン化、外からの器官形成力=アンチモン化。血友病は、アルブミン化が過度で、アンチモン化に乏しい症状といえる。) だから、人体の器官において、この両方の過程(プロセス)を区別して欲しい。この区別は重要である。 例えば、食道の場合、人体内に組織されているので、食道では、どんな経過が起こっているか、食道に沿って、粥状になった食物が、どのように通過していくか、などに注意を払えば、食道の内部構造を追求できる。 食道が、人体内に摂取された食物などと一緒に作用することから、食道の構造がわかる。つまり器官内の経過と、外から与えられたものとが、共に働くとき、器官において生じることを、抽象的に区別できる。器官内部の経過と、外から与えられた経過は、2つの異なった経過(プロセス)である。 器官内部の経過においては、人間の行為などを介して、アンチモン化の力が作用する。人体内に外から与えられる全てを除外して考えれば、人間は本質的には、いわば造形芸術家で、アンチモンといえる。人間はアンチモンなのである。 (人間の行為が、人間自身を形作る。今生において手足をよく動かした人は、来世において、よく頭が働くと、シュタイナーは述べている。) 重要なことは、日常生活の経過(プロセス)のなかの、内からの器官形成力に、このアンチモンからくる形成力による負荷をかけすぎてはいけない、ということである。 日常生活の経過(プロセス)のなかで、このアンチモンによる形成力を供給してはいけない。供給してしまうと、人体を毒し、過度に刺激することになる。とはいえ、人体を強く刺激する必要があるときは、アンチモンの供給も考えないといけない。 アンチモンの作用は、その特性により、外から用いるか、内から用いるかによって、異なる作用を及ぼす。アンチモンを内服する場合には、上部組織内にまで浸透するように、生体内で非常に希釈して用いる必要がある。 アンチモンの作用が、上部組織内にまで浸透すると、障害を起こしている器官形成や器官過程(プロセス)を刺激する。従って、あるチフスの症状に対して、アンチモンを内服して、生体内で非常に希釈して(霊的に)用いれば、大きな治癒作用を与えることができる。 チフス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%95%E3%82%B9 対照的に、アンチモンを、あまり希釈せずに、物質的に軟膏などとして、外から用いるときには、内服とは異なった治癒作用が得られる。状況によっては、非常に希釈して、用いる場合もある。とはいえ、基本的には、外から用いる場合は、あまり希釈しないで用いる。 アンチモンの利用から、これまで述べてきた陰陽の対極的な現象を示すことができる、実際に、非常に有用な薬を、生体内での継続的で、規則的な進行のなかに組み込めることがわかる。従って、次のような結論に至る。 「意志の強い人には、主として、アンチモンを内服させ、意志の弱い人には、アンチモンを外用する。」 アンチモンのような薬は、内外の処方の違いによって、特殊化せざるを得ない。また、上記の事実から、鉱物界のなかのアンチモンは、人間の意志が、自ら感じとる限りにおいて、意識的であればあるほど一層、アンチモンの作用に対する反作用を引き起こすような内(霊)的な親和性をもっていることがわかる。 人間の意志は、以前描写したアンチモンの独特な形成力を、全て破壊するように作用する。一方で、人間を組織化する作用は全て、思考力の影響の下、特に無意識の思考力、例えば子どもがもつ無意識な思考力の影響の下、本質的に、アンチモンの力に支えられる。アンチモンの力は、組織化の作用と共作用する。 従って、もし人体のなかに、恣意的な形で、アンチモンを与え、アンチモンの独自の特性を通じて強力に人体に作用させるなら、強力なファントム(幽体)を形成する。人体内の器官の形成力が即座に刺激され、人体に与えられたアンチモンの作用と共同して働くために、空回りをはじめ、嘔吐、下痢などが生じる。 嘔吐、下痢は、形成力が、器官のなかに後退し、器官の周辺に広がらないことから起こる。これらの症状は、反作用とともに出現する。
2012年09月26日
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前回は、∞万華鏡∞ さまのサイトからのシュタイナーの話を元に、忠武飛龍さまのご指摘の華厳思想の性起説と天台思想の性具説が、神と人間の関係を、陰陽的な点と円の変換にみれば、同じであることを説いた。 さて、老子の第45章の紹介の前に少し、わき道に逸れてみる。 点と円の変換から、思い浮かぶのは、父性と母性である。面白いことに、「母性本能」という言葉は頻繁に使われるが、なぜだか「父性本能」という言葉は、あまり、お目にかからない。 日常生活で、母性本能といえば、女性に特有の子育ての行為からくる、「可愛い」という感情の「構ってあげたい、尽くしてあげたい」というような心境のことが思い浮かぶが、父性本能と聞いても、なぜだか実感が沸かない。 この母性本能を、前回の「〇に・(点)」で考えてみると、この母性は、内なる神の働きにみえるので、「私の中には神がいる」という意識、つまり、華厳思想の性起説のようにみえる。 対して、父性本能を考えるなら、天台思想の性具説に相当するのではないだろうか? すなわち、「私は神の中にいる」という意識である。恐らく、逆にみる人も、いるかもしれないが、とにかく、父性と母性は、陰陽のような対極的関係であることにかわりはない。 母性本能の、自分のなかの神について「構ってあげたい、尽くしてあげたい」に対して、父性本能は、自分のそとにいる神を「知りたい、確かめたい、みてみたい」という探求的、冒険的な行為が挙げられる。 だから、父性本能は、冒険心、好奇心などに言い換えられるのではないだろうか? 一般的に、女性が可愛いものに惹かれ、男性が格好いいものに惹かれるのは、この母性と父性の違いからくるのではなかろうか。特に、男子は、新しいものやメカニカルなものに惹かれやすい。 余談だが、女性は母性からくる可愛いか可愛くないか、男性は父性からくるカッコイイかカッコ悪いかで、異性を判断しているような感じもうける。例えば、女性が推薦する美女は、母性からみる可愛さであって、男性の父性からくるカッコよさでないことが多々ある。 男性が求める美女は父性、つまり探究心や冒険心をそそらせる女性なのである。対照的に、女性が求める美男は、父性とは全く逆の母性からくる可愛さや優しさであるのだろう。だから、女性と男性では美人の観点が大抵全く逆となる。 この男性と女性、つまり父性と母性の営みの違いから、人間の「〇に・(点)」の意識がつくられている。 そこで、老子の第45章の紹介にうつる。 例の如く、以下の老子の解説サイトから抜書きして紹介したい。 http://blog.mage8.com/category/jp-en/roushi/page/8 ☆ ☆ ☆ 第四十五章 大功は拙なきが若く、大弁は訥なるが若し 原文 大成若缺、其用不弊。大盈若沖、其用不窮。大直若詘、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。清靜爲天下正。 書き下し文 大成(たいせい)は欠くるが若(ごと)く、その用は弊(すた)れず。大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若く、その用は窮(きわ)まらず。大直(たいちょく)は屈(くっ)するが若く、大功(たいこう)は拙(つた)なきが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。躁(そう)は寒(かん)に勝ち、静は熱(ねつ)に勝つ。清静(せいせい)は天下の正(せい)たり。 英訳文 A greatly perfect thing looks imperfect, but use of it never withers. A greatly filled vessel looks empty, but use of it never be exhausted. A greatly straight thing looks curved. A greatly skillful person looks awkward. A greatly eloquent person looks reticent. If you move about, you can stand the cold. If you stay calm, you can stand the heat. But being clean and calm is the lord of the world. 現代語訳 本当に完全な物は何かが欠けている様に見えて、その働きは衰える事が無い。本当に満ちている物は空っぽに見えて、その働きは枯れる事が無い。本当に真っ直ぐな物は曲がっている様に見えて、本当に巧妙な者は下手くそに見えて、本当に能弁な者は口下手に見える。動き回れば寒さをしのげ、じっとしていれば暑さをしのげると言うが、清らかで静かな者こそが世界を支配しているのだ。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ 以上の訳を踏まえて、少し、独自の訳をしてみる。 完全な円(陽)は、中心点が無になること(陰)で、成立する。完全な円(陽)は、無になった中心点(陰)が、つくりだすので、点(無)が円(有)となり、円(有)が点(無)となることで、無尽蔵に働くことができる。もし、点が歪ならば、それに応じて、円も歪となる。 円にみえているものは、実は点であり、点にみえているものは、実は円である。種子が植物になり、卵が鶏になるのも、点と円が同じことからくる。点と円では、見かけ上異なるからといって、種子と植物を区別し、一方を捨て去れば、種子も植物も同時になくなる。 寒ければ、動き回り、暑ければ、じっとするのは、点と円が同じで、互いに移り変わるからである。点と円が互いに移り変わることで、永遠の正しい循環が繰り広げられる。 以上のように、やはり少し理屈っぽくなってしまうので、「タオの法則」から抜粋し紹介する。 ☆ ☆ ☆ 否定したくなる何かがあったなら 肯定したい何かへ とことん向かうべきだ 誰かの欠点を嫌悪すると、その人はその人で、あなたの何かが欠点に見えてくる。短所是正型の教師が子供を成長させられないのは、そのためだ。自分は人前で話すのが苦手だからと、その是正に取り組む。がんばってがんばって人前で話そうとするが、がんばればがんばるほど、冷や汗が流れ、筋肉がこわばる。「努力逆転の法則」だ! 短所是正とは、それが他者に対してあれ、自己に対してであれ、闘争であり、戦いだ!! そこで発想をかえてみる。徹底的な受容に生きる。だらしない子は、概してユニークな発想力をもつものだ。その発想力にとことん着目する。彼がその才能を遺憾なく発揮する頃には、だらしなさ、という表面上の欠点も消えているものだ。 話が苦手な人間は、話に向かうべきではない。まったくちがう真に楽しいと感じる何かを徹底して極めるべきだ。快の導きに従(順)うのだ。すると、気がつけば、独自の絶妙な弁舌をふるっているものだ。 「欠けたる」を欠けたるままに受けいれるとき、その「欠けたる」ことの必要性が見えてくる。老子の「無為」は、何もしないことではない。老子は逆説の詩人だ。それは我をはさまない天の導き通りの最大の創造と活動の状態をいう。 ☆ ☆ ☆ 短所(円)と長所(点)は相互に補完し合っている。時と場合の状況に応じて、短所になり、長所になっているだけなのである。だから、円と点が入れかわるように、長所を極めれば、それにつられて、点が円になるように、短所は、長所となる。 人間の意識が、状況に応じて、父性を現し、母性を現すように、そもそもは、宇宙神の働きにすぎない。 長所とは、現状に見合っていることを意味し、短所とは、現状の背後にある未来の展開に見合うものなのだ!
2012年09月25日
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前回は、老子が「〇に・(点)」を説いていることを、∞万華鏡∞ さまのサイトから、拝借して、紹介した。更に、コメントで、忠武飛龍さまに、華厳思想に似ているとのご指摘をあわせてうけた。 そこで、華厳思想をネットで調べているうちに、∞万華鏡∞ さまのサイトのシュタイナーの治療教育者に向けた話の引用とカブっ(シンクロし)てくるのに気がついた。それは、華厳思想の性起説と(天台思想の)性具説の対応と、シュタイナーの「〇に・(点)」の話の引用である。 華厳宗 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E5%AE%97 ∞万華鏡∞ さまのサイト http://plaza.rakuten.co.jp/onaga/diary/201209250000/ 以下に、カブっ(シンクロし)てくる部分を紹介する。 華厳思想からは、 「仏性についての考え方では天台宗が性具説を説き凡夫が次第に修行によって自らに十分備わっていない外来の仏性に救いとられて、目覚めさせられて行くと説くのに対し、華厳宗では性起説を説き、もともと衆生には円満な仏性が備わっているという如来蔵の考え方をとり、それが信じられず自覚しようとしないので迷うのだと考える。」 の部分で、まとめると、天台宗では、外来の仏性の性具説を説き、華厳宗では、内の仏性の性起説を説いているという。 これは、「〇に・(点)」のなかで、自分を「〇か」、「・(点)か」のどちらかに置くことの違いに相当するようにみえる。 対照的に、∞万華鏡∞ さまのサイトのシュタイナーの「〇に・(点)」から、抜粋し、要約して紹介すると、 ☆ ☆ ☆ 「これは瞑想に関わる真実です。 毎夜、次のような言葉を意識し、心の中で唱えてください。 「私の中には神がいる」、または「私の中には神霊がいる」 そして毎朝、「私は神の中にいる」という言葉を心の中で唱え、その日一日の日常生活のなかで、その想いを輝かせるのです。 このことを理論的に思案してはいけません。大抵の人の瞑想は、理論的に行ってしまう。 私と神、もしくは神霊の二つの言葉が感情となり、意志をもつ位にまで心の中に生かすことの意味をみつけるのです。 「私の中には神がいる」というイメージを心の中に生かし、そして翌朝には、「私は神の中にいる」というイメージを、心の中に生かすように試みてください。 「〇」と「・(点)」は同じなのです。単純に、円も点も同じに考えてください。夜と朝では逆になります。 翌朝になって、「〇」は「・(点)」になり、「・(点)」は、「〇」になるように、心の中に生かすのです。円が点になり、点が円になることを、意識のなかで理解してください。 「〇」が「・(点)」になる前後の状態を、意識のなかで生かしてください。 この2つの状態は、人間の営みと結びついているのです。 以前、四肢を含む腹部と頭部の状態を、上記の2つの前後の状態と同じように描いたことを思いだしてください。実は、この2つの状態は、瞑想のなかで実現する像を単純な形で示したものなのです。 頭部の自我の点が、翌朝になると、四肢を含む腹部のなかで円として、「実現」するのです。単純に、円といっても、実際は、人間のかたちをとっていますが、いずれにせよ、この2つの状態を理解することではじめて、人間全体が理解できるのです。 (我思う、故に我在りの真の意味。) 第一に、この二つの像と、二つの言葉、つまり、円と点が同じもので、区別できないことを知る必要があります。外から見たときにだけ、円と点は異なっています。外からみれば、円と点は異なってみえます。 なぜでしょうか? なぜなら、点は、頭自身からみた頭の図式化であり、円は、頭からみた身体の図式化だからです。けれども、身体の図式化のなかに、頭のなかの点である自分を作用させますと、脊髄になります。 同じ点が頭の中だと、頭部の中心、つまり自我になるのです。 外的な形態のなかの力学が、この2つの図式化から、洞察できるようになります。この洞察から出発して瞑想すれば、解剖学と生理学の内力学を把握できるのです。 そうすれば、頭部は、胴体の上に胡坐をかいて、乗せられていることや、頭を1つの人間と考えると、四肢と胴体が縮んで顎になっていることが、洞察できるようになります。 (人生を、顔相にあてはめて評価する顔相占いは、この話に起因する。) 更には、歯と手足の指とが、対極に位置することをも直感できるでしょう。そして、顎の骨の先端部に、委縮した手足を認めるでしょう。 (手が上顎、足が下顎で、歯がその指という感じ。) このような瞑想に、相応しい気分とは、どういったものでしょうか? 「内部の温もりの巣にいつまでも寝ていたい。」というような気分ではなく、「世界の真相の中へと分け入って、真実を把握したい」という厳粛な気分でなければなりません。 目にみえない存在への畏敬の念、尊敬の気分で満たされなければなりません。 ☆ ☆ ☆ 以上のシュタイナーの話から、華厳思想の性起説と天台思想の性具説が、本来同じものの、とり方の違いであることがわかる。 つまり、天台の性具説は、シュタイナーでいえば、「私は神の中にいる」というイメージの、翌朝の人間の意識を意味し、華厳の性起説は、「私の中には神がいる」というイメージの、夜の人間の意識を意味していることになる。 いずれにせよ、「〇に・(点)」のイメージにかわりはない。「〇に・(点)」は、漢字の「日」の原型である。「日」は英語の「day(デイ)」で、ラテン語の「デウス」に由来する。聖書の、「世界は7日でつくられた」の「日」は、デイではなく、本当は、神のことで、7柱の神でつくられるという意味なのである。宇宙が7日でつくられるわけがないだろう。 要するに、「〇に・(点)」の「日」は、神のことである。神と人間(私)の関係を、「日」という漢字は表している。点が円に変換するのが、一日というわけでもある。だから、点と円が交互に7回変換することで、新しい世界がつくられるともいえる。つまり、進化数は、7進数なのである。 7日の朝と夜で、次の週となるが、それは14の点と円の変換でもあり、最後の変換は、次の週の初めの変換と同じなので、正味は13の変換となる。宇宙の進化を考えると、土曜(土星の座天使)からはじまるので、金曜日の13回目の変換がどうなるかで、最後の審判という意味に準えることもできる。 以上のようなことを老子は、第45章で説いている。文字数が超えそうなので、老子の紹介は、次回に譲る。
2012年09月25日
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前回の自己を無にすることの大切さを、老子の第47章から紹介した。例えば、自己を円で喩えると、その中心は、点となる。 その喩えから、老子の第47章をイメージすると、円の中心点が、無という意味の無限大になれば、それに応じて、円が拡大していくことを説いているようにみえる。自己が無になることで、宇宙につながる。 このイメージをよく表現している話を、智慧の万華鏡というサイトにみつけたので以下に紹介したい。 赤血球の核卵!? http://plaza.rakuten.co.jp/onaga/diary/201209200000/ 上記のサイトの管理人さんは、「ありとあらゆることが〇に・(点)にシンクロするのです。」といっておられますが、まさに、大本教の教えと一致するところがある。ちなみに、私は、大本教信者ではない。 〇に・(点)は、老子の第47章とも非常によく似ている。 物理畑出身の私は、ヒッグス粒子の発見に絡んで、知人にヒッグス粒子の説明をよく求められたが、教科書で教えられる「対称性の自発的破れ」といわれる説明では、どうもしっくりこない感が残っていたので、「〇に・(点)」の話を聞いて、なんだか目から鱗というか、閃くものがあった。 この、「〇に・(点)」は、超対称性の話にも、イメージを与えることができる。 「〇に・(点)」が生じることで、対称性の破れが生まれ、ヒッグス粒子が、素粒子に質量を与えることができるのではないか?と思ったからである。 超対称性とは、フェルミオンの物質粒子と、ボソンの場のゲージ粒子の交換則のことで、喩えるなら、天秤のようなものである。つまり、物質粒子とゲージ粒子の釣り合いをとって生み出しているエネルギーの根源の法則と考えられる。 上記のサイトの管理人さんは、赤血球に核が生じ、組織化する理論の紹介に、「〇に・(点)」をイメージされているようだが、赤血球の、その有核化や組織化と、ヒッグス機構は、同等のように思えてきた。上記のサイトの筆者も潜在意識のなかでは薄々感じているようである。 湯川秀樹は、晩年、老子の陰陽論を用いて、湯川ポテンシャルなるものを考案し、原子核の閉じ込め論を展開したが、ゲルマンの量子色力学に押され、なかばで断念し、代替案のような形で、弦をポテンシャルに用いた弦理論が生まれ、別な形で、超重力理論とともに、超弦理論に発展する。 「〇に・(点)」は、この湯川ポテンシャルに似たものを再現するようにも思える。 例えば、無限に遠いところからみれば、〇は、・(点)にみえるわけで、逆に、・(点)自身から自身を無限に縮小して、・(点)をみれば、〇にみえる。 ということは、「〇に・(点)」の構造を同時に表記するのに都合のいい図形がトーラスであることに気づかされる。 トーラス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%B9 話を元に戻して、赤血球の「〇に・(点)」の有核化は、ヒッグス機構の質量を与える対称性の破れと同等で、「・(点)」は、宇宙の秩序の働きを意味するのではないだろうか? 情報の保存という意味の宇宙の秩序の働きである。 つまり、陰の虚無の「・(点)」が生じることで、宇宙全体のそのときの状態が、「・(点)」に複製され、記録される。その情報を元に、赤血球は活動し、素粒子は質量をもって運動するようになる。 そう考えると、老子は、宇宙の法則を説いていることが明らかになる。 「・(点)」は、宇宙神の命令である。 さて、そのことを老子は、第8章で説いている。そこで、また例の如く、抜粋して紹介したい。 ☆ ☆ ☆ 第八章 上善は水の如し 一番エエのは水みたいな生き方やねん。 水って色んなモンの成長させたりしてんねんけど、喧嘩したりしぃひんねん。 いっぱいの人が、嫌がる下の方の場所に居てる。嫌やとも思いもしよれへんで。 せやから「道」の働きに一番近いモンや。 住むとこには今のトコが一番エエ。その場所にもな、色々意味があるんやで。 心は深い淵のように静かなんがエエ。ゆっくり色んな出来事を楽しんで見たらエエねん。 友達は思いやり深くつき合うんがエエ。まわりの人も色んなキッカケをくれるんや。 言葉は誠実に使うんがエエ。ウソの言葉でもその奥のホンマが見えるで。 政治は平和がエエ。争っても何もかも見失うだけや。 仕事は能力がじゅうぶん発揮でけるモノがエエ。自分の能力を生かして生きるんや。 動くのはタイミングを見はからってダッシュや。自分を生かすのもタイミング次第やで。 そんだけや。みーんな水がお手本や。 せやから、競わずあくせくしないでいたら間違いなんてなーんもないんや。 お友達の怪鳥の名古屋弁訳編編 いっちゃんええ言うのは水みたいにあったりみゃーにある様なこと ひょっとしたらいっちゃんええ言うのは水みたいにあったりみゃーにある様なことかもしれんぞ 水はどこにでもあって誰でもいるっに決まっとるだろぉ~ み~んな、あんまり考えとらんだけで必要だがぁ~ ほんだでぇ~ 住んどるところに水がありゃ~それだけで幸せってことだにぃ いま住んどるということがだがねぇ 生きとるんだったらそれだけで、いろいろ考えられるがぁ~ できるにぃ~ ほんとはいっつもやっとることでしょぉ~ それが生きとるということだがね おみゃ~さんのまわりにおらっせる人もいろいろ考えとるにぃ そりゃ~そのこともあんたがちゃんと考えたらないかんにぃ~ ほんとのこと言やぁええんだってぇ~想っとることちゃんと言やぁ~ 嘘ついてもなんもならん みんないろいろ考えとるだんで それを汲み取った上でやらんといかんわさぁ~ すっげえやつはいっぱいおる ほんだで認めたりゃ~ やるときはタイミングだてぇ~ やりゃ~ええってもんじゃないにぃ~ ほんだけのことがもうすでにあるがや 水みたいになにげなくあるんじゃにゃ~の? なにをそうごちゃごちゃいうことがあるのぉ~ 特別な場所も人も考えもいらんのだてぇ~ ほんだけのことだにぃ~ 読み下し文 上善は水の如(ごと)し、水は善く万物を利して而(しか)も争わず。衆人の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し。居には地を善(よ)しとし、心には淵(えん)なるを善しとし、与(まじわり)には仁を善しとし、言には信を善しとし、正(政)には治を善しとし、事には能を善しとし、動には時を善しとす。夫(そ)れ唯(ただ)争わず、故に尤(とが)め無し。 白 文 上善如水。水善利万物、而不争。処衆人之所悪。故幾於道。 居善地、心善淵、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。 ☆ ☆ ☆ 英訳文 The Best Good is like water. Water never competes with others even though it benefits all things. Water always stays at the lowest place. So water resembles “the way”. The ground is good for houses. Depth is good for mind. Benevolence is good for friendship. Faithfulness is good for words. Peace is good for politics. Efficiency is good for projects. Timing is good for action. If you do not compete with others, you will not commit an error. 現代語訳 最上の善とはたとえば水の様なものである。水は万物に恵みを与えながら万物と争わず、自然と低い場所に集まる。その有り様は「道」に近いものだ。住居は地面の上が善く、心は奥深いのが善く、人付き合いは情け深いのが善く、言葉には信義があるのが善く、政治は治まるのが善く、事業は能率が高いのが善く、行動は時節に適っているのが善い。水の様に争わないでおれば、間違いなど起こらないものだ。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ 人には天来のポジションがある 摩擦はその位置から はずれた分だけ生まれる どうして○○は××なのだろうか、もっとこうなったらいいのに… そうして現状に不満をもち続け、いっこうに人生がよくならない。 これは天が与えたあるべきポジションからはずれているからで、実際にはずれている場合と、心理的にはずれている場合とがある。 人間は誰でも、その人その人に応じた他の人では代わりになれない役割があり、そのポジションに身も心もあれば、必ず人生は充足する。しかし、そこからはずれていると、その分だけ摩擦が生まれる。摩擦は、そこは違うよという、天の声だ! 天来のポジションは奪い合って取得するものではない。タオは、ハーモニーの領域だ! 自尊心やプライドによる努力は、自分を守り、一時は物事を強固に成り立たせるように見えるかもしれないが、ついには、人を大安心のタオから遠ざけ、雪だるま式に不安を増大させる。人は我という我を捨て去るその向こうで、真のあるべきポジションに必ず至るようにできている。 時間にもポジションがある。Aの時に最適な事柄がBの時には不適となる。我を捨てれば時の神に導かれ、時の神に導かれれば、次々に物事が成就する。内なる感覚がすべてのタイミングを導くからだ。 ☆ ☆ ☆ 〇は、内と外との関係で、・(点)は、その関係に成立する存在と考えられる。〇は陰陽の関係で、・(点)はタオを意味し、それは、無限大の究極の至福でなければならない。
2012年09月21日
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私は、新聞は日刊ゲンダイしか読まない。日刊ゲンダイも随所に偏向記事がみられるが、偽ユダヤが関わる他の洗脳新聞よりはマシであるからだ! その日刊ゲンダイの昨日の島田洋七氏のコラムの「がばいばあちゃん」の話は興味深かった。がばいばあちゃんの話は、少し前に流行ったものだが、不景気が続く日本の現状に見合ったもので、これからの日本人の生き方を予言しているように思えたからである。 ジョブスがアップル教の伝道者なら、島田洋七は、がばい教の伝道者のようにみえる。 宗教になってしまうのはよくないが、がばいばあちゃんの発言とされる多くは、日本人の道徳感を表現しているようにみえる。 「腹が減るのは気のせいや」 「動きまわると腹が減るから、寝なさい。」 「金がないところに幸せがある。」 以上の発言などは、一種、禅の悟りのような感じもある。 腹が減るのを、フロイトは欲求のせいとしたが、では欲求はどこから来るのか、にはフロイトは答えていない。フロイトは、欲求という言葉に置き換えたにすぎない。 それを、がばいばあちゃんは、「気のせいや」と看破する。気という言葉は、気孔を連想させるが、単なる「思い込み」という意味で使っているわけで、欲求だって、欲しいという思い込みなわけで、精神の問答上では、フロイトとなんらかわりはない。 同じような気の使い方に、「病は気から」という諺がある。この気の意味は、漢方医学の気孔に近い。シュタイナーの人智学では、エーテル体のことになる。エーテルという表現を使うと、オカルトにみえるので、生命力という言葉がよいだろう。 しかし、単純に生命力というと、唯物論では、細胞の増殖力や活性力という風に捉えられてしまうので、精神力という意味に近い。エネルギーというのが的確なのだが、直にみることはできないので、やはり精神力がよいだろう。 従って、「病は気から」というのは、「病は精神力から」という意味になる。精神力やエネルギーが枯渇したり、異常になると、病となるわけだ! すると、がばいばあちゃんの発言の、「腹が減るのは気のせい」は精神力のせいになる。精神力を正常に保てばよいということになる。 精神力を正常に保つには、寝るのが一番だという、次の発言につながる。「寝る子は育つ」という諺もある。 寝るというのは、この世での存在を無にすること。つまり、自己をなくすことでもある。とどのつまり、自己をなくせば、腹は減らないということを、がばいばあちゃんは、説いている。 禅は、瞑想で、寝るのではないが、睡眠と瞑想の違いは、覚醒意識を保ったままなのかどうかという点にある。睡眠は、潜在意識のなかに埋没してしまい、自己を失うわけで、瞑想は、覚醒意識を保ちながら、自己を失うわけだから、忍耐力がないと、眠ってしまう。 覚醒意識を保ちながら、自己を失うことが、禅の目的で、公案とは、その確認作業ということになるだろう。 さて、がばいばあちゃんの「金のないところに幸せがある。」は、キリストの「人はパンのみに生きるにあらず、神の言葉により生きる。」という発言に比類するように思われる。 この世を動き回るのには、確かに金がかかるが、寝ることは一文無しでもできる。瞑想なら、この世を齷齪動き回らなくても、この世の悟りが開かれ、なおさら、よいだろう。 これが、御釈迦さんが、仏教を開いた理由である。 つまり、逆にいえば、金持ちほど燃費の悪いクルマなわけだ! この世を走り回って大量の燃料を使い、排気ガスを出して、多くの迷惑をかけ、結局何も悟ることなく、出来事に気を奪われ、精神を安定させることなく、不幸なまま死んでいくわけである。暴走族と同じである。 金持ちが、天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るよりも困難だ! 昨今の仏教徒は皆邪道で、破戒坊主だから、地獄にいくよ! このような教えを、老子は、第47章で説いている。いつものように、気のきいたサイトから抜粋し紹介した後で、更に、「タオの法則」からも抜粋し、紹介する。 ☆ ☆ ☆ 原文 不出戸知天下、不闚牖見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人、不行而知、不見而名、不爲而成。 書き下し文 戸を出(い)でずして天下を知り、牖(まど)より闚(うかが)わずして天道を見る。その出ずることいよいよ遠(とお)ければ、その知ることいよいよ少なし。ここを以(も)って聖人は行かずして知り、見ずして名(あきら)かにし、為(な)さずして成す。 英訳文 You can know the world without going out. You can know the nature without looking out of the window. The farther you go out, the less you can know. So the saint who knows “the way” knows everything without going out, understands everything without seeing and does everything without doing. 現代語訳 玄関から出ずに世界の事を知り、窓から外を観ないで自然の摂理を知る。遠くへ出かければ出かける程に解る事は少なくなって行く。だから「道」を知った聖人は何処へも行かずに全てを知り、何も見ずに全てを理解し、何もせずに全てを成し遂げる。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ 存在の包括は 中心性に依存する 老子は、人間の根源に性の原理を直観する(この性は単なるセックスという意味ではない)。 性は人間の真中心の力であり、求心力の表れである。 だから、性が開いた(宇宙に身を委ねた)人は、多くの人にとって魅力的存在となる。 人間の成長は、意識の拡大にあり、拡大は、それとは対極の求心力に依存する。ゆえに、性の力により、人は宇宙を掌握する。 求心力なき人は、自身にしか目がゆかず、自身すら掌握できない。家族を真に思う人は、家族全体に自身の求心力を行き渡らせ、家族の中心となる。彼が思ったこと、彼が希望したことは、家族全てに反映される。 もし人類全体に真に意識を向けられる人がいたなら、彼は人類規模で性を成就させている。1人の女と男という存在を超え、広大な愛の深みに至る。 自己の求心力のみを信頼し、自己の求心力のみに順(したが)う時、自己なる存在の内側の、広大無辺の世界を見ることになる。求心力を最大に高める時、遠心力もまた、最大となるのである。 この、太陽のような力への信頼こそ真の「自信」であり、自信は、その人に万能の力を授ける。 ☆ ☆ ☆ 自分のなかに、愛の井戸が眠っている。自分のなかから汲み出さずに、なぜ、他から愛を奪ってこようとするのだろうか? 自分を失うことで、愛を汲み出せる秘術をほとんどの人は知らない。神の言葉が聞こえない。悪魔に洗脳されているからである。
2012年09月21日
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「タオの法則」という本を用いて、老子の教えを紹介してきて、再度、3つに大別した老子の教えを確認したい。 1.万物は陰陽で成り立つ 2.万象は道(タオ)に基づく 3.道(タオ)の領域は至福の領域である この3つの流れを把握しながら、自分の言葉で、老子の教えを表現するのがよい。 例えば、この3つを数学的な次元の違いとも捉えることができる。1は、3次元の物質世界、2は4次元から中次元の世界、3は高次元の世界というように。 宗教的にいえば、1は現界、2は幽界、3は神界という感じになる。素粒子物理的に大まかにいえば、1はフェルミオンの世界、2はボソンの世界、3は超対称性の世界ともいえる。 1の万物は、陰陽で成り立つが、陰陽の波の世界にとどまる限りは、日々、葛藤の世界に生きることになる。表面しかみえていない。それは、いわば、陰陽の海の世界を泳いでいる、というよりも、溺れているような感覚に近い。 陰陽の世界を巧みに中和しながら、調和して日々生きることで、陰陽の海の世界を楽しむことができる。空海さんの「空海」は、この意味から名づけたのではないだろうか? 巷で話題のアセンションとは、この1から2に到達することを指すのではないだろうか。 道(タオ)とは、荘子の説く「真人」であったり、ニーチェの説く「超人」だったり、それは、各個人の閃きによるだろうが、ともかくも、1の陰陽世界を乗り越えることが肝要に思われる。 とりあえず、人生とは、1から2に到達すること、つまり、陰陽の世界を泳げるようになることが目的のようである。さらに2から3に到達するには、何度も輪廻転生して、全てが同等であること、1であることを理解しないといけないようである。 さて、当面は、1から2に至るために、興味深い話をネットでみつけたので、以下に紹介したい。 先行き不透明な時代を生き抜く胆力/成瀬雅春 http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/551.html ☆ ☆ ☆ 『身体で考える』内田樹・成瀬雅春/マキノ出版‘11年から まえがき/内田 3・11…のあと、…貨幣に換算可能なものだけが「存在するもの」であり、外形的なエビデンス(証拠)のないもの(気配、場の力、霊的感受性など)は「存在しない」とみなす科学“主義”的な態度―は、これから次第に支配的イデオロギーの座から転落し、それに代わって、生きる知恵と力を高めるための伝統的な技法がまた改めて研究対象になってくるでしょう。僕はその傾向をおおづかみに「日本の霊的再生」というふうに呼んでいます。 第3章 ヨーガも武道も自分を知るためにある【内田】初心者は、自分自身を離れた視点から想像的に俯瞰するという訓練ができていないんですね、今の子供たちは。「大きな円を描いて」と指示すると、道場の広さと、その場にいる人数で、だいたいどれくらいの直径の円で、一人ひとりの感覚は何センチくらいって、瞬間的に判断できるはずが、なかなかできない。【成瀬】地球は一つの塊です。ところが人間は一人ひとりになってきている。現代に進化するに従って、動物的な能力が欠落しているわけです。昔の人は勘が鋭かったりして、まだ動物的な能力があった。動物のような感性が働いて、動物のように行動できた。 そのために、みんなで歌を歌ったら、あえて行動したりすることで(動物的な生命力を)復活させているわけです。歌を歌っているうちに、一個人としての自我が薄らぎ、徐々に動物的な、本能的な部分が表に出てくるから、そうすると全体で一つの大きな塊みたいになって、強い動きになるんです。 第4章 先行き不透明な時代を生き抜く胆力【成瀬】ヨーガをきわめようと思えば、胆力を練らないといけない。なぜかといえば、生き抜く覚悟、死ぬ覚悟というものに直結しているからです。どんな情況にあっても、「ここを生き抜く」という胆力は、技術的なものよりずっと大切なんです。【内田】多田宏先生(内田氏の合気道の師匠)も、よく「胆力」という言葉をお使いになります。同じ意味で「断定する」ということも言われます。 自分が、あるとき、ある場所にいて、何かをしているときには、「私がここにいることは、宇宙が始まって以来宿命づけられていた必然の出来事である」と断定しなければいけない。 「胆力」というのは別に「負けないぞ!」と力むことじゃないんです。断定することなんです。【成瀬】やるべきことは、やっておいたほうがいいですね。だから、僕は「常に命がけ」と言っている。簡単に言えば、今を楽しむ、常に楽しむということなんです。常に命がけで生きていれば、常におもしろいことが探せるわけです。(補足)<「今を楽しむ」という必死の覚悟>【成瀬】 僕の生き方は、常に「今」なんです。僕は、明日は死ぬかもしれないから(笑)。「今、楽しまないでどうするの?」というのが基本姿勢です。この対談が終わって外へ出た途端、車に轢かれて死ぬ可能性は誰にも排除できません。そうであれば、その瞬間を誰よりも楽しむようにしています。…日々、これの連続です。【内田】「必死の覚悟」ですね。ふつうの人は、「一歩外に出たら死ぬかもしれない」とは思いませんから。そういう人のほうが、結構危ないんですよ。「一歩外に出たら、車にはねられて死ぬかもしれない」と思っている人のほうが事故に遭う可能性が低い。「そういうことはわが身には起きない」と無根拠に信じている人のほうが備えが甘いです。<生き抜く覚悟、死ぬ覚悟>【成瀬】ヨーガをきわめようと思えば、胆力を練らないといけない。…(上に続く) ☆ ☆ ☆ 上述の対話から、1から2に到達するためには、胆力が必要であることが薄っすらとわかる。 東洋哲学の陽明学では、1に知識、2に見識、3に胆識が重要であることが説かれている。陽明学という名称は、王陽明からきているのだろうが、老子の陰陽論から考えると、陽を明らかにする学問という意味で、非常に面白い。 で、胆識とは、なにかといえば、実践力、実行力のことである。例えば、キリスト教信者に多いのは、キリストの教えは知っているが、実践し、実行する者はほとんど皆無である。 つまり、キリスト教信者は陽明学に乏しい。余談になるが、私は、宗教信者が嫌いだが、特にキリスト教信者が大嫌いである。理由は偽善者ばかりだからだ! だから、偽善者の判別には重宝している。キリスト教信者は、私の腹の底の辞書では、悪魔である。 ついでに仏教徒も大嫌いだ! 特別な修行をしたからといって、一般人よりも偉そうにしている振りは何様なのか? ああいう連中は地獄にいくと確信している。 さて、胆識を獲得するには、胆力が重要である。その胆力について、老子は第36章で説いている。 例のごとく、好きなサイトから抜粋する。 ☆ ☆ ☆ 老子 第三十六章 将にこれを歙めんと欲すれば、必ず固くこれを張れ 原文 將欲歙之、必固張之。將欲弱之、必固強之。將欲廢之、必固興之。將欲奪之、必固與之。是謂微明。柔弱勝剛強。魚不可脱於淵、國之利器、不可以示人。 書き下し文 将(まさ)にこれを歙(ちぢ)めんと欲すれば、必ず固(しばら)くこれを張れ。将にこれを弱めんと欲すれば、必ず固くこれを強くせよ。将にこれを廃(はい)せんと欲すれば、必ず固くこれを興せ。将にこれを奪わんと欲すれば、必ず固くこれに与えよ。これを微明(びめい)と謂(い)う。柔弱(じゅうじゃく)は剛強(ごうきょう)に勝つ。魚は淵(ふち)より脱すべからず。国の利器(りき)は、以(も)って人に示すべからず。 英訳文 If you want to make something reduce, extend it first. If you want to make something weaken, strengthen it first. If you want to make something decline, prosper it first. If you want to take something from someone, give him something first. These things are faint wisdom. Softness overcomes hardness. Fish is staying in deep water to avoid being caught. You should not tell these things which are useful to govern the country to others. 現代語訳 何かを縮小させようと思うならば、まずそれをいっぱいに拡大させると良い。何かを弱めようと思うならば、まずそれを強くさせると良い。何かを衰退させようと思うならば、まずそれを繁栄させると良い。何かを奪おうと思うならば、まず何かを与えると良い。このような事をわずかに見える明知と呼ぶ。柔よく剛を制すというのはこの事である。魚は水底にいてこそ安全なのだ。この様な国を治めるのに役立つ事柄は簡単に人に明かすべきではない。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ では、つづいて「タオの法則」から抜粋し紹介する。 ☆ ☆ ☆ 人生の最大の苦難 それは最大の創造のチャンスである 陰が大きいほど 陽も必ず大きくなる 新車を事故で失った。苦しい人間関係に遭遇した。人生にはそうした予期せぬ災難もある。しかし、負の現象が起こると、本質的に運気はプラス側に移行する。 大きな災難と感じられるものであればあるほど、間近に迫っている幸福の成就は大きい。だから人生に損はないとわかっている人間は、何かを失ったらワクワクする。幸せが誰かによって奪われたら、天の祝福が近づいたことを悟る。 大願を抱いた後に、人生の負の作用がやってきたら、新車を失ったからといって、すぐにまた新車に手を出したりしないことだ。自身を誰かが深く傷付けたとしても、仕返ししたり、怒りの気持ちを抱いたりしないことだ。そうした行動によって、運気の胎動を自ら手放す。 もしも土に落ちた花の種子がそれを悲しみ、元の位置に戻ろうとしたならば、来るはずの幸せ(創造)は達成されないで終わることになる。 厳しい寒さの意味を悟って、自らそれを受け入れようとする時、魂の本質は、その寒さの奥の悦びを感じるようにできている。未来への本当の希望はそこからわいてくる。天の世界では、損は益であり、益は損なのだ。 ☆ ☆ ☆ 損も益も、自己にとっては、陰陽であり、自己をなくせば、同じものということになる。
2012年09月20日
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前回は、反日運動の背後の悪の目論見を見抜くことが重要であり、そして、老子が説く第33章は、悪の対応によいことを述べた。 そして、「タオの法則」から、第33章を抜粋し、紹介する。 ☆ ☆ ☆ 幸運を求めると 幸運は逃げてゆく 幸せな心になると 幸運もやってくる 求める幸運は「欲」であり やってくる幸せは「快」である 現象にとらわれると、人生は、迷路になる。Aという人を見て、腹を立てる人もいれば感謝する人もいる。腹を立てる人は、他の人を見ても腹を立てる。怒りのモードの世界にいるから、怒りモードでしか人を見れず、次々に腹を立てなければならないことが舞い込んでくる。 人間は現実を見ているようで、現実を見てはいない。自己の世界を見ているにすぎないのである。 原因は外にあるのではない。今までの体験で積み重なった観念のフィルターで人は世界を体験する。現実を体験しているようで、真の現実は体験していないのである。 真の現実は、交感と共にある。人間の心が真の快感を感じる時、自身は気づかずとも、見えざる次元で存在との交感が始まっている。交感にある時、人は現実を生きている。現実という、今を生きている。この宇宙は快の連続体だ。 それゆえ、宇宙からはずれ、観念の世界に入り込むと、快を失う。現実(快)の喪失は、孤独を生み、愛を失わせ、その反動で、欲を生む。 交感のあるところには充足があり、そこが、タオの入口となる。 ☆ ☆ ☆ というように、幸福を外に求めれば求めるほど、自分を不幸に感じ、不満が蓄積する。 例えば、反日運動などで、不満を外にぶつけることは、一時しのぎにはなるかもしれないが、自分のなかに、不満をつくる性質がある限り、問題解決にはならないばかりか、不満があれば、なんでも外にぶつければよいという錯覚を生んでしまう。 一端、そのような習性を身に着けてしまうと、なんか不満があれば、外にぶつけて済まし、満足を永遠に知ることなく、絶えずなんらかの不満やストレスを抱える存在となる。 そのうち、自分でも、歯止めが利かなくなり、自分の不満を自分でもどうしていいかわからなくなり、他者の不満も餌にして、終には、過激な暴力を振るう獣と化す。 そのような獣を育成するのが、悪魔の目論見なのである。 悪魔は、自分の手足となる僕が欲しいのだ! 人類のなかから、人類に不満を持つ輩を探して、自分の手下とし、人類同士で競わせて、支配するのが、悪魔の目論見なのである。 そのような人類の裏切り者にならないように、キリストは、「一方の頬を打たれたら、他方の頬を差し出しなさい」、と述べた。 悪があるから、善の発露もある。悪に悪をもって対峙するのは、悪の目論見に嵌ることである。悪に対しては善で対峙しなければならない。 結局、自分で自分を満足させることができないから、他者に迷惑をかけ、他者を遣おうとするわけだ! 忠武飛龍さまのコメントに感化され、以下に付け加えます。 自分が発した不満なのだから、自分だけが解決できるはずである。自分の不満を他者にぶつけるのは、自分がわかっていない証拠でもある。少なくとも、もっと自分の成長を大切に見守る必要がある。 タオ=真人は、自分のなかにある。不満を発する時点で、タオがみえていない! 自分をみつめれば、世界がみえてくる。人は皆、タオ=真人を通じて、世界とつながっているからである。
2012年09月19日
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世界情勢が急なあまりという口実で、シュタイナーの人智学の要約が疎かになってしまい、申し訳がありません。しかしながら、当分は、この路線で進ませていただきます。 そこで、世界情勢の背後の分析によいサイトを以下に挙げておきます。 ニュースの真相 http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20120918/1347931417#seeall このサイトにはよく鋭い分析が載っているので、以下に抜粋します。 ☆ ☆ ☆ CIAが反日デモ&暴動を激化させる4つの理由 中国への反日デモや暴動が激しくなっています。 このデモ、実は先日のアメリカのQE3と深い関わりがあるのをご存じでしょうか? 「日中緊迫、円が売られる 欧米市場で78円台後半 外国為替市場では日中関係の悪化を受け、円が売られやすくなっている。日本時間で17日の欧米市場では1ドル=78円台後半、ユーロに対しても一時1ユーロ=103円台後半をつけた。ただ、18~19日に開かれる日銀の金融政策決定会合の結果次第では円高圧力が再燃するとの見方も根強い。今週の円相場は神経質な展開になりそうだ。 欧米市場では一時、円が78円台前半から一気に79円近くまで売られた。「日中の関係悪化が日本経済の打撃になるとみた海外投機筋が円売りを増やしているようだ」(外国銀行)。前週末には、米連邦準備理事会(FRB)が量的緩和第3弾(QE3)の実施を決定した後に、1ドル=77円13銭と約7カ月ぶりの円高水準をつけていた。その後、政府・日銀による円売り介入への警戒感と日中関係の悪化から円高が修正されている。 今週、市場参加者が注目するのは日銀が開く政策決定会合だ。追加の金融緩和を見送れば、市場参加者が日米の中央銀行の緩和姿勢を比べて日銀の方が弱いと意識し、一時的に円買いが高まる可能性がある。」 先日、アメリカでは、量的緩和第3弾が行われ、またまた大量にドルを市場に投入し始めています! これ、簡単に言うと、お金が足りないから印刷しちゃおう!という事。 放っておけば、ドルがダブつきドルの価値が下がってしまいます。 今のところ、ドルは世界の基軸通貨になっていますが、ドルの信用が揺らぐと、世界中でドルが使われなくなってしまいます。 アメリカという国はご存じの通り、世界からの借金だけで食べている国。 つまり、世界中の人間がドルを買って使ってくれる=金を貸し続けてくれるから破綻しないで存在し続けている訳です。 つまり、QE3による急激なドル安は、アメリカの国家破綻を意味します! ドルがポシャった場合、円が基軸通貨になるのは確実ですよね? そこで、QE3後日本に何らかの妨害工作を仕掛けてくると思っていたら、答えは『反日デモ&暴動の激化大作戦』でした(笑) もちろん、暴動を影で操っているのは、ご存じユダヤ米国CIAの皆さんです!本当に毎度、毎度、幼児が考えるようなバカバカしい事を、よくもまあ真剣に(笑) さてさて「ユダヤ米国プロデュースの反日デモ&暴動」ドル防衛の他にも、いくつか目的があるようですので、簡単に整理します。 ■分断統治 直接的なドル防衛以外でも、トップクラスの経済力を持っている日中が組んでしまったら、世界の経済の覇権を握ってしまうのは、火を見るより明らか! こうなってしまったら、世界の覇権は白人から黄色人種にうつってしまいます。そんな事にならないように、極東全体をいがみ合わせて分断統治するのが、ユダヤ金融勢力の基本戦略になっています。 ■中国国民の右傾化=ユダ金傀儡政権の強化=日中戦争担当政権の樹立 このブログでも、何度かお話していますが、現在、中国では、反ユダ金の胡錦涛派が、ユダ金傀儡の習近平派を完全に抑え込んでいます。 つまり、中国はユダヤ金融勢力がコントロール出来ない国になりつつある訳です。 このため、反日デモのプラカードを見ると、反政府=反胡錦濤派のスローガンが書いてあったり(毛沢東や薄煕来を支持するなんて、尖閣や反日とあんまり関係ないですよね?) つまり、このデモや暴動の中国国内での意味は、胡錦涛派転覆させ、習近平派に実権を握らせる事。 そして、将来に予定している日中戦争担当政権の基盤を作る事。 ■日本国民の右傾化=ユダ金傀儡政権の強化=日中戦争担当政権の樹立 日本でも、ユダ米の謀略がなければ、小沢一郎氏などの反ユダ金グループが政権を握っていた事でしょう。 ところが、ユダ米CIA直下の東京地検&マスコミ部隊の総攻撃で、鳩山-小沢ラインは崩壊! さらに、ユダ米工作員のホモ野田、ホモ前原、ホモ岡田、チビ安住などの妖怪部隊が民主党政権を乗っ取ってしまいました。 ここに来て、ようやく国民も民主党はヤバイと思い始めた訳ですが、本来は民主党がヤバかったんじゃなく、ユダ米工作員妖怪部隊と東京地検&マスコミ部隊がヤバイんです。 そこで、民主党を乗っ取られてしまった小沢一郎氏は「国民の生活が第一」という新党を立ち上げると、この辺りの真実を知ってるネットユーザーは支持がダントツ。 すると、ユダ米マスコミ部隊は、「国民の生活が第一」の事は一切報道しない!という戦略を取り始めているのが現在の状況です。 さてさて、この状況に中国のデモを上手にブレンドして、CIAジャパンハンドラーズちゃんが何を企んでいるかと言うと、これは、いつものようにマスコミ部隊の世論調査=世論操作が教えてくれています(笑) 最近の世論調査では、自民党の支持率が上がって来ているという事にしたいようです。そして、自民党の石破センセーが首相候補ですか? ホモで軍事オタクで、ネトウヨの星で背後は統一教会でしたっけ?(笑) そして、もちろん、橋下センセーの日本維新の会も大躍進を遂げる予定らしいです。高級クラブとコスプレが大好きで、権力を得るためなら主義主張はコロコロ変えて、背後はやっぱり統一教会ですよね?(笑) そして、このお二人の大センセーに共通する主張は、核武装、徴兵制、憲法九条改変など! つまり、マスコミの世論調査結果=ユダ米行動予定によると、石破センセーと橋下センセーを組ませて、ガチガチのCIA直属統一教会政権を樹立して。 日中戦争に備えるという事! ■まとめ CIAが反日デモ&暴動を激化させる4つの理由 ・ドル防衛 ・分断統治 ・中国国民の右傾化=ユダ金傀儡政権の強化=日中戦争担当政権の樹立 ・日本国民の右傾化=ユダ金傀儡政権の強化=日中戦争担当政権の樹立 ☆ ☆ ☆ というように、反日運動の背後にある悪の目論見がどういうものなのかを明らかにしてくれる。 結局のところ、米国支配層が恐れていることは、金融支配権が、アジアに移ることにあり、もしも移るのなら、自分たちの息のかかった人物にして欲しいという都合のよい論理にある。 このような目論みは、悪魔崇拝だからこそできるといわねばなるまい。神に成り代わりに、自分たちが歴史を捏造するつもりなのだろう。非常に滑稽という他はない。 紙幣を刷りすぎればダブつくのは、物理現象である。いくら米軍を各国に配置して、恐喝して、ドルを高めに見積もろうとしても、嘘は必ず露見するときがくる。やればやるほど、かえって、不信感をかう恐れがあり、貨幣が信用で成り立つ限りは、ついには、貨幣経済の終焉という墓穴を掘ることになる。 力による統治には限界があり、無理があり、かえって、人の怨みをかう。 悪に対する対応の1つは相手にしないことである。反日の真意は、偽ユダヤ支配層たちの、アジア蔑視であることを見抜かないといけない。金融支配権をアジアなんかにわたしてたまるか、が連中の本性なのである。 賢者は、奴隷の振りをしながら、主人の寝首をかく。 さて、悪に対する対応についてのよい教えが老子のなかにある。老子の第33章である。お気に入りのサイトから、老子第33章を抜粋し、最後に、「タオの法則」から抜粋し、紹介したい。 えごいすとな思想 http://home.att.ne.jp/wave/ayumi/ ☆ ☆ ☆ ホンマの幸せて何んやろな 第三十三章 人を知るは智なり 他人のコト理解するのは知恵があればエエ 自分のコト理解するのは真実を見抜かなアカン 他人に勝つのは力があればエエ 自分に勝つのはホンマに強くならなアカン 今に満足出来ける人は、心が豊かで幸せや アンタは満足出来てるんかいな? 頑張ったら望みは叶うかもしれへん でも、自分のホンマの心に正直ちゃうかったら 途中でシンドなってエンストしてまう 自分を理解して信用して好きになるコト 自分を大事にするコトが最後まで幸せに生きる方法や ワタシの独断と偏見の大幅意訳です・・・ 読み下し文 人を知る者は智なり、自ら知る者は明(めい)なり。 人に勝つ者は力あり、自ら勝つ者は強し。 足(たる)を知る者は富む。 強(つと)めて行う者は志あり。 其の所を失わざる者は久し.。 死して而(しか)も亡びざる者は寿し。 白 文 知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。 知足者富。強行者有志。不失其所者久。死而不亡者寿。 ☆ ☆ ☆ ちょんまげ英語日誌 http://blog.mage8.com/roushi-33 以下は、上記サイトの抜粋 ☆ ☆ ☆ 英訳文 To understand others is ordinary wisdom. But to understand oneself is clear wisdom. You need power to defeat others. But you need true power to defeat yourself. A person who knows contentment has true wealth. A person who continues his efforts has already achieved his purpose. A person who keeps his original self can last long time. To accept one’s plain self along “the way” and to forget about death is true longevity. 現代語訳 他人を理解する事は普通の知恵のはたらきであるが、自分自身を理解する事はさらに優れた明らかな知恵のはたらきである。他人に勝つには力が必要だが、自分自身に打ち勝つには本当の強さが必要だ。満足する事を知っている人間が本当に豊かな人間で、努力を続ける人間はそれだけで既に目的を果たしている。自分本来のあり方を忘れないのが長続きをするコツである。死にとらわれず、「道」に沿ってありのままの自分を受け入れる事が本当の長生きである。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ 最後は、「タオの法則」から抜粋しますが、文字数が掲載制限を超えたので、次回に持ち越しします。
2012年09月19日
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「禍福は糾える縄の如し。」といわれるが、老子を読み解くと、地獄も天国も、糾える縄の如し、とも感じられる。 さて、少し老子から離れて、前回紹介した以下のサイトをまた紹介したい。 悪の働き http://blog.goo.ne.jp/mimizuku16610/e/7f118fdf0e335bf0d3a7a3f5fa7e9d4e 以下は抜粋である。 ☆ ☆ ☆ 善悪一如。 悪の本質は、悪でありながら悪ではない。 悪の働きも神の一面である。 陰の中に陽があり、陽の中に陰がある。悪は外にだけあるのではない。自分の内にもある。 悪を面罵し礫を打つことは、神と自分を傷つけていることを知らねばならない。 だからと言って、悪に染まってはならない、悪を為してはならない、悪を見逃してもいけない。 そこには逃げ隠れを許されない自分との本真剣の大勝負、大死一番の覚悟がなくてはならない。 悪の働きがあって、ようやく人間の意識は目覚める。皮肉にも、悪は【気付き】の原動力ともなる。 【気付き】の瞬間は魂を成長させるまたとない機会である。 人類の意識が覚醒するとき、集合的無意識からの大変革が巻き起こり、世界は一瞬にして相転移する。 この世に悪が蔓延し、絶望が世界の九分九厘を占めるようになったとき、一厘の神性の光が灯る。 悪を殺すのではなく悪を抱き参らせることができたとき、意識の矛盾と対立を昇華させたとき、物質と意識が統合された新しい世界(みろくの世)となる。【ひふみ神示 黄金の巻 第九十七帖】 生命すててかからねば、まことの理解には入れん道理。身慾信心では駄目。いのち捨てねば生命に生きられん道理。二道二股 多いと申してあらう。物の文明、あしざまに申す宗教は亡びる。文明も神の働きから生れたものぢゃ。悪も神の御働きと申すもの。悪にくむこと悪ぢゃ。善にくむより尚悪い。何故に判らんのか。弥栄と云ふことは歩み一歩づつ喜び増して行くことぞ。喜びの裏の苦に捉はれるから判らんことに苦しむのぢゃ。苦と楽 共に見てよと申してあらう。偶然の真理、早う悟れよ。 ☆ ☆ ☆ 何が悪かとよくよく考えてみれば、利己的で部分的で、独りよがりなところに問題があることがわかる。人間は、宇宙全体を広く見渡して、考えることがほとんど不可能な存在といえる。だから、様々な宇宙の役割を通じて、悪いことを直に経験し、改めるしかない。 スウェーデンボルグは、自著のなかで、天使に、「赤ん坊は悪に染まっていないから、天国にいけるのか?」と質問したが、天使の答えは、「いいえ」だった。「確かに赤ん坊は、悪には染まっていないが、悪をみても、悪に染まらない意志に欠けるもので、本物ではない」というような答えだった。 悪をみても、悪に染まらない意志が、重要なのである。 つまり、絶えず、自分の中の悪を善に転じていく働きが重要で、その能力が天国への階段を上る翼となる。 政治家たちは本当にどうしようもないが、自分のなかにも、政治家たちのような悪がないかどうかよくよく考えてみなくてはいけない。恐らく、政治家と似たような悪を誰もがもっているはずである。だから、政治家が悪いのではなく、自分のなかの政治家と似た悪の責任で、まずは、自分のなかから、悪しき政治家をなんとかしなくてはいけない。 悪しき政治家を選ばないことも重要である。 悪とは、簡単にいえば、光のささない闇である。闇に光をさすにはどうしたらよいだろうか? では、その方法を老子の第57章から紹介したい。例の如く、老子の現代訳をネットから紹介し、続いて、「タオの法則」を紹介する。 ☆ ☆ ☆ 老子第五十七章 それ天下に忌諱多くして、民弥々貧し 原文 以正治國、以奇用兵、以無事取天下。吾何以知其然哉。以此。夫天下多忌諱、而民彌貧。民多利器、國家滋昬。民多智慧、邪事滋起。法令滋彰、盗賊多有。故聖人云、我無爲而民自化。我好靜而民自正。我無事而民自富。我無欲而民自樸。 書き下し文 正を以(も)って国を治め、奇を以って兵を用い、無事を以って天下を取る。吾れ何を以ってその然るを知るや。これを以ってなり。それ天下に忌諱(きき)多くして、民弥々(いよいよ)貧し。民に利器多くして、国家滋々(ますます)昏(みだ)る。民に知恵多くして、邪事(じゃじ)滋々起こる。法令滋々彰(あき)らかにして、盗賊多く有り。故に聖人は云(い)う、我(わ)れ無為にして民自(おのずか)ら化(か)す。我れ静を好みて民自ら正し。我れ無事にして民自ら富む。我れ無欲にして民自ら樸(ぼく)なりと。 英訳文 Govern a country with the right way. Use clever schemes when you make a war. But to get the world, you should do nothing. Why do I think so? Like this. If there are so many laws, people will become poor. And they will use convenient tools, they will disturb order. And they will get much knowledge, cunning people of them will do wrong. And many laws will be enacted again, many people will become robbers. So the saint who knows “the way” says – “People are inspired because I do nothing. People correct themselves because I am silent. People become rich because I do nothing. People are still naive because I am unselfish.” 現代語訳 国を治めるには正しいやり方で行い、戦には奇策を用いると言われるが、天下を得るには作為的な事は何もしない方が良い。私が何故そう思うのかと言うと、以下の通りである。世の中が規則や法律でがんじがらめになると自由な生産が妨げられて民衆が貧しくなり、その民衆が生活を豊かにしようと便利な道具を使うようになると国家が混乱し、そうして余計な知恵をつけた民衆の中から悪事を働くものが出るようになり、そしてさらに規則や法律が増やされてまた盗賊が増えるという悪循環に陥るからだ。だから「道」を知った聖人は以下の様に言う、「私が余計な事をしないからこそ、民衆は自ら感化される。私が静かに動かないでいるからこそ、民衆は自らを正す。私が特に何もしないからこそ、民衆は自ら豊かになる。私が無欲であるからこそ、民衆も素朴な生活を楽しめるのだ」と。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ 憧れの対象になりたい 人の心をつかみたい その衝動は、人を光へと至らしめる導きである。 人は、誰からも必要とされなければ、人生にむなしさを感じるものだ。どんなことをしていても、そのことがいきいきと感じられなくなる。逆に言えば、多くの人に必要とされれば、どんなことでもやってやろうという気持ちにさえなれる。 タオは、全てとつながりあった世界であり、その人の存在意義を実現する。 魅力はどこから生まれるのか。どんなにまじめでも、どんなにお金持ちであっても、その人自身が幸せでなかったら、人はその人に魅力を感じない。人に感化を与えられる人は、自ら溢れるほど幸せであるものだ。どうしてこんなに毎日が楽しいのだろう。楽しくてしかたがないという人は、必ず、それが、外にも現われる。 そうして多くの人が、その解放的な魅力にひきつけられる。高い幸福感が人をひきつけ、人を幸せにし、あるべきポジションにその人を位置づけさせる。多幸福感が、タオへと人を導くのだ。 こうした、心の躍動状態に導かれる生き方を、老子は、無為と呼ぶ。「世のつまらない大人のように、為そうとして事をなすのではない」という皮肉を込めて、彼はそれを無為と言うのだ。 多幸福感こそ、人を無為の存在として輝かせる秘訣である。 ☆ ☆ ☆ 人は闇にいても楽しいわけがない。闇をつくったのは、本人の責任でもある。外の表面の光ばかりみていると、自分で光をつくりだすことを忘れてしまう。これは他人の幸福を羨むことと変わりない。 外の光をみることはいいのだが、せっかく見るのならば、光のつくりかたも学ぶべきである。どうしてそんなに輝いているのだろうか? 陽だけでなく、陰もみることだ! 老子は、陽だけでなく、陰もみて、陽と陰の中和する方法を、無為自然と説いている。
2012年09月14日
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老子の第46章の紹介の前に、面白いサイトを見つけたので紹介したい。それは以下である。 惑星の真相 http://blog.goo.ne.jp/mimizuku16610/e/f8a75b0fd502b6e44b2947152ee72b73 以下はその抜粋である。 ☆ ☆ ☆ オリガルキー(寡頭権力層)が本当に恐れるもの オリガルキーが本当に恐れているのは、悪の陰謀計画が暴露されることではありません。彼らが、心底恐れ、絶対に阻止しなければならないこととは、大衆が霊的に覚醒し、利他心によって成立する【脱マネー社会】と本当の【世界平和】が実現することなのです。 平和は、それだけで現状の体制(軍産複合体)に対する大変な脅威となります。その上に、生産も流通もマネーという潤滑剤なしに、奉仕の心で滞りなくなされるようになれば、人の心はマネーから解放され、天国を地上に移写したかのような世界に生きることになります。 お金を刷り続けることで権力をほしいままにしてきた支配層にとっては、人々が目覚めることこそが、一番の脅威なのです。 人類の霊性をいつまでも眠らせておくために、3S政策(sports,sex,screen)で自分では何も考えることのできないよう画策、さらに、永遠にマネーを追い続ける生活に縛りつけておくために、住宅ローンなどで一生の負債を背負わせ、時間外労働や出世競争の過酷な労働環境に閉じ込め、大衆には余分な時間を与えないようにしてきたのです。 余暇があったとしても、それは多種多様な趣味やレジャーをコンテンツとした産業が利益を吸い上げる仕組みで、霊性に目覚めるために使われる有益な時間のことではありませんでした。 これまでオリガルキーに支配された社会のメイン・ストリームでは、霊だのUFOだのは、とんでもオカルトとして嘲笑される対象、或いは、危険極まりないカルト、現世利益のみを売り物にしたインチキ霊能者、として批判されるべきものしてのみ扱われてきました。 これらは、すべて人々の目をくらまし、宇宙の真理から遠ざけておくためです。 マネーという共同幻想で、思うがままに大衆を操るオリガルキーの正体は、悪魔崇拝のオカルト秘術集団です。 彼らは、手下のマスコミや情報産業を使って、欲望と恐怖を途切れることなく世界にばらまき、大衆の悪感情を増大させ、秘教秘術によりユークリッド空間にエネルギーとして再生させることで、自分たちの栄養として利用してきました。 しかし、そのような時代も終わろうとしています。欲望、恐怖、憎悪などの悪感情を常に自観できていれば、悪魔教オリガルキーに感情エネルギーを奪われることもありません。 エゴもその力を失い、ついには消滅してしまいます。 これからは、個人が【瞑想】と【自観法】によって、【カルマ(悪感情)】と【エゴ(小我)】を消滅させ、悟りを開く時代となります。 ☆ ☆ ☆ 以上の如く、この世は地獄であると再三紹介してきました。この世が地獄だからこそ、逆に天国へと自らで這い上がる方法や能力が獲得できるわけです。 人間は馬鹿だから、自分で実際に間違ってみないと悟れないのです。間違っても悟れないほど馬鹿な人もいますが、それは死後、閻魔様に裁かれて、地獄にいってから、わかるわけでほとんど手遅れです。 そんな話をしても作り話だと捉えることに馴れている位、悪魔に洗脳され、唯物論を信じ込まされている人には聞く耳持たずでしょうね。 しかし、まぁ、親が子に聞いていなくても、何度も同じことをいうのは、自分が死んだときに、その言葉を思い出すときが必ずくるからですな。大体は、親が先に、あの世に行くわけで、きっと生命のつながりを潜在意識で感じるからでしょう。 そういうわけで、老子を紹介しても、ほとんど無意味かもしれませんが、聞く耳を持つ者は幸いなり、その者に、神の言葉が与えられるからである、とキリスト風に言うのが精一杯というとこでしょう。 人はパンのみに生きるにあらずや、神の言葉により生きる。 これはキリストが言ったことなので、真実です。 というわけで、例の如く、老子の第46章を良く知られた以下のサイトから紹介し、続いて、「タオの法則」からも抜き出して紹介します。 ☆ ☆ ☆ 原文 天下有道、却走馬以糞、天下無道、戎馬生於郊。罪莫大於可欲、禍莫大於不知足、咎莫惨於欲得。故知足之足、常足矣。 書き下し文 天下に道有れば、走馬を却(しりぞ)けて以(も)って糞(ふん)し、天下に道無なければ、戎馬(じゅうば)郊(こう)に生ず。罪は欲すべきより大なるは莫(な)く、禍(わざわ)いは足るを知らざるより大なるは莫く、咎(とが)は得るを欲するより惨(いたま)しきは莫し。故に足るを知るの足るは、常に足る。 英訳文 When the world goes along “the way”, horses are used to cultivate. When the world does not go along “the way”, horses are used for warfares. Greed is the biggest sin. Not to know contentment is the biggest misfortune. To desire everything is the most pitiful fault. So people can get contentment from the bottom of their heart only by knowing contentment. 現代語訳 世の中で「道」が行われていると、伝令の早馬は追いやられて畑の耕作に用いられるが、世の中で「道」が行われていないと、軍馬の活動が都の近くでも起こるようになる。人間の欲望ほど罪深いものは無く、足るを知らない事ほどの災いは無く、何もかも手に入れようとする事ほどの過ちは無い。だから足るを知ると言う事で得られる満足によってのみ、人は本当の満足を得られるのだ。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ 続いて、「タオの法則」から ☆ ☆ ☆ 難問すべてを解決する方法 それは宇宙につながること その心が「足る」である 自然破壊や戦争、人心の荒廃など、現代社会の最大級の問題は、近世以来の所有、利潤追求、競争を善とする価値観から生まれている。これらの価値観は、人間に欲があることを前提とし、欲をエネルギーとした理論である。 欲はまた、個人の人生をも蝕む。プラス思考か、マイナス思考かによって人間は大きく変わるが、マイナス思考の裏には欲があるものだ。 おみくじが小吉で、喜び人もいれば「小吉か…」と落胆する人もいる。後者にはよいくじに当りたいという世欲がある。恋人ができて不安の心理が強まる人も、その奥に欲としての愛が育む。欲は必ず、天が与えた幸福の種を崩壊させる。 個人も社会も、「足るを知る」心が必要な時代である。しかし、私たちはどうしたらそこに至れるのだろうか。自制心のみで、果たしてそれが達成されるのだろうか。 宇宙大の至福の領域であるタオは、人為的な意志力を要求しないで、これを達成する唯一の道だ。それは、最も人間らしい人間を創り、社会を変える力となる。 ☆ ☆ ☆ 欲は地獄に堕ちる重力である。しかし、人間は、重力のおかげで、物質の大地に立つことができる。大地に立つことで、天に向かって、自由に行動でき、物質世界を認識できる。無重力では、ほとんど不可能である。 悪を外にみることで、自分の内にある悪を見つけることが重要なのである。 この世で経験することで、自分のなかの悪をみつけることが、幸福への指針となる。 自分のなかの悪がわからなければ、足るを知ることさえないだろう。 自分のなかの不満は、悪で、それを外に求めるから、欲になる。 悪を除くのではなく、自分の中の悪とどう付き合うかにある。 例えば、ガン細胞は、利己的な意味で悪であるが、不死という意味で悪ではない。不死のガン細胞が、利己的に他を障害させるから、悪なのであって、利己性を失わせれば、悪も善に移り変わる。 ガン細胞の不死が、生体全体の免疫向上につながれば、生体の寿命も延びるわけである。つまり、不死性を占有しようとするから問題なのである。それが闇につながる。 そこで、重要なのは、自分のなかの闇の悪をどう扱うかにある。続いて老子を紹介することで考えていきたい。
2012年09月14日
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以下のサイトは非常に面白いです。世の中の出来事が簡単にわかります。池上彰なんかよりも断然面白いですね。 http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/156.html とりあえず、面白い記事を抜粋します。 ☆ ☆ ☆ 郵政大臣死亡、中国大使行き倒れ、リビア米大使死亡で得をするのは米国であり偽ユダヤであり犯人は推して知るべしである。 郵政大臣は偽ユダヤヒラリー婆との面会後に死亡という事は女性問題は女性問題だがババア問題である。習近平は胡国家首席の仕業かのように偽キムチマスコミは報道しているがヒラリー婆との面会キャンセル後の失踪でありどちらも重要参考人はヒラリー婆であり考えられる動機は借金踏み倒しと更なる無心である。 カダフィー失脚はドル離れを始めた事への制裁というのは公然の秘密だがリビアを不当に占領した筈の米国の大使が死亡とは無理筋である。米国は残党カイダの仕業にしてなかなか上手くゆかないシリア詐欺の替わりにリビア詐欺パート2を始めたいのだろうが自作自演はバレバレで無理筋である。 恐らく処刑された筈のフセインもカダフィーも影武者で二人とも偽ドイツ人ヒトラーや偽日本人五十六のように南米で余生を過ごしている筈である。小泉時代にワルになってしまったが伊藤忠出身者として日中貿易の重要性だけは捨てなかった前任者が更迭され新中国大使が赴任直前に行き倒れとはこれまた話が出来すぎである。 偽キムチマスコミは中国の仕業にして日中関係を悪化させたいのだろうがそれで喜ぶのは米国であり偽ユダヤでありブッシュ・小泉時代に発見された得した者が犯人の法則を当て嵌めると答えは推して知るべしである。 偽キムチ疑惑が強くなってきた石原と前原が不自然に尖閣詐欺を騒ぎ始めたあたりから国民は白けているのである。私も時々不良品を掴まされるが中国製の100円ライターに毎日お世話になっているが中国は最大貿易相手国であり今や米国以上に大事な国であり日本文化の故郷でもある。 その国と戦争を考えるなど狂気でありそんな事は偽キムチと偽ユダヤしか思いつかないし中国でも偽中国人しか考えない。喫煙所仲間というか私が無給で雇った中国人諜報員はスーパーの店員だが日本語が私より達者で親父ギャグまで理解する能力があるが彼は尖閣詐欺も習失踪事件も正確に理解しており流石に私の部下である。 日中友好は私と彼のどちらかがたばこをやめない限り磐石であり偽キムチ石原が尖閣詐欺をさせようが馬鹿息子ののび太を自民党総裁に押し上げて日中戦争を画策しても無駄であり日中友好の為にも喫煙所を減らす意地悪はこの辺で終わりにして貰いたいというのが喫煙者一同の願いであり3千万人の会員を有する日本喫煙者協会特別代表の私からのお願いである。 そういう訳で何か変な事が起きたらまずあれもこれもそれも偽ユダヤの仕業という方程式を当て嵌めて考えると大抵の問題は5秒で推理できるから膨大な量の四則計算の積み上げから答えを導き出すのも時にはいい訓練になるが忙しい者は方程式を使って楽をすべきである。 ☆ ☆ ☆ 米国=偽ユダヤが戦争をはじめたい時は真珠湾や911のように自作自演をする、リビア・イエメン大使館襲撃もそんな所だろう。 真珠湾は偽ユダヤルーズベルトが企画・立案しパシリである五十六らに実行させた事が明らかになってきた。タイタニック詐欺の時もそうだが連中に都合の悪い事がばれそうになると捏造映画で刷り込みのやり直しをするが映画山本五十六も真珠湾詐欺がばれそうになってきたから急遽捏造映画を制作したのである。 偽キムチNHKが偽ユダヤのパシリ吉田茂をあたかも米国とギリギリの交渉をして日本の国益を必死に守る大宰相のように描いているのも偽キムチ小泉から野田ブーまでの売国行為の酷さから吉田や白洲が何をしてきたか連想が働き実態がばれそうになってきたからでありマッカーサーを叱った男などというキャッチも大嘘である。 911も解体予定のビルを半年前にシルバースタインが買い巨額の保険を掛け富士銀行のフロアや偽ユダヤの天文学的金額の借金を管理している銀行のフロアを狙い不渡りを回避したりブッシュの弟が警備会社として入り前日に電気工事と停電を起こし当日はイスラエル人がうろうろしておりキャスターは倒壊前に第七ビル倒壊を報道しこれ一つとってもビンさんの仕業だと思う者など一人もいないが相変わらず偽キムチマスコミはビンさんの仕業と言い張っているが馬鹿丸出しだ。 どこだか忘れたが米国大使館爆破事件もイスラム過激派の仕業という触れ込みだったが米国の自作自演だった事が複数ばれている。そんな中でオバカ大統領がリビアと協力して冷静に対処したいとか言っても白けるだけである。時をおなじくして偽ユダヤヒラリーが金策ツアーに出ると郵政大臣が自殺し中国大使が倒れ副首席が失踪しセクシー部長じゃあるまいし会った者がバタバタと倒れるなどおかしい。 リビアもイエメンも毎度毎度の自作自演と子供でも思うだろう。 ☆ ☆ ☆ このような話から、米国という国は、太平洋戦争どころか、アメリカ先住民から土地を奪って建国した当時の腐敗した精神から、一向に進歩していないことがわかる。 バイキン(グ)という偽ユダヤの血は汚れている。 さて、この国も偽ユダヤにより血が穢れてしまったが、穢れた連中の仕草から、その穢れた血が明らかになる。ヒトラーのパクリだからである。 次の選挙で、ヒトラーの選挙戦略をパクる者は地獄に行くだろうから、あえて預言したい。 ヒトラーの選挙戦略は以下である。 【1999年以後 ─ ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図 】 (祥伝社。五島勉・著。1988年10月出版)に書かれている「ヒトラーの選挙戦略」 どうだ、わたしの言ったとおりだろう。選挙の極意とはこういうものだ。つまり大衆は限りなく愚かだ。 大衆は女のように感情だけで動く。だから女をモノにするときのように、優しくしたり威圧したりすれば、大衆も政権も簡単にモノにできるのだ。 青少年も同様に愚かだ。彼らには車とオートバイと美しいスターと、音楽と流行と競争だけを与えてやればいいのだ。 それでシャンペンの空気を抜くように、かれらの頭から”考える力”を抜き取る。 あとは車とスターと流行と音楽の力を借りて、ワッとけしかければ、彼らは武器を抱いて地獄の底へでも突っ込んで行くよ。 そのためにも、大衆や青少年には、真に必要なことを何も教えるな。 1)必要がないバカのようなことだけを毎日毎日教えろ。それで競争させろ。 2)笑わせろ。 3)ものを考えられなくさせろ。真に必要なことは、大衆と青少年を操るものだけが知っていればいい。 そしてあとは、 4)”国家のため!”と何千回も呼びかけて、戦わせ殺し合わせるのだ。 1人の人間を殺せば殺人犯だが、戦争で100万人を1度に殺せば、その男は必ず国家から最高の勲章をもらえるぞ。 ☆ ☆ ☆ シロアリ退治を連呼しながら、シロアリになる総理をみれば、もはや、この国の大変の血が穢れてしまっていることがわかる。シロアリが群がるのは、ブラックボックスの特別会計だろうね。地獄に堕ちるのに道づれにするのだけは勘弁してほしいよ!
2012年09月14日
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なるべく見ないようにしているが、下らない政局を公共電波を使って、見せつけられていると、TV局の不要論とともに、政治家の不要論も出てくるべきではないか、と思ってくる。 どうせ、官僚が取り仕切っているのだから、政治家なんていらないのではないか? 官僚のいいなりの政治家こそ不要そのものである。 と思うわけで、官僚を選挙で選ぶようにしたらいいのではないか? と思うわけである。三権分立などは、もはや看板ですらないから、政治家など不要で、官僚という国の中枢を選挙で選ぶことにしたらいいのではないか? 官僚を任期制にし、4年で交替させれば、天下りをつくる余裕すらなくなるのではないか? 4年で業績を挙げなければ、即クビであるので、官僚は、民間並の働きが求められるようになる。官僚のなり手がいなくなるという反論が出るかもしれないが、政治家のなり手がいなくなっていないので、その反論の根拠が全く乏しいことがわかる。 国会などもはや機能していないのだから、政治家全員クビにして、現在の官僚を、選挙して、落選者と、当選者を決め、そこから、大臣を決めたらいいと思うよ! 全く政治家こそ、この国に不要な連中はいない。 嘘ばかりついて、公約にないことばかりやり、原発事故を起こして世界や自然に悪いことしても、刑務所に入ろうとすらしない。TVタレントに少し知識をつけたアホばかりが贅沢な暮らしがしたいがために、政治家になるのなら、政治家という商売こそ害悪なのではないか? 政治家をなくそうキャンペーンをしたい気持ちである。 政治家とは自分のことばかりしか頭にない連中なのだ! 脱原発ならぬ、脱政治家を! 政治家をゼロにしよう!! 官僚がいまの政治家と同じことやり出したら、今度は無政府にするしかないか?
2012年09月14日
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前回と前々回の老子の第16章の幸福になる秘訣と、第37章の幸福を感じる能力を高める方法から、老子が、幸福の使者であることがわかるだろう。 人間は、幸福になるために、この世に生まれてきたわけで、幸福の能力をすでにもっている。仏教では、幸福を仏に置き換えているだけにすぎない。 宇宙は、幸福の信号に満ち溢れている。ただ適度に、チャンネルを合わせるだけでいいのだ! ほとんどの人は、チャンネルの合わせ方を独自に設定し、間違えてしまうので、幸福を感じられず、不幸に感じてしまう。宇宙の信号の受け取り方を間違えているだけにすぎない。 例えば、良いことをすれば気持ちがいいし、満ち足りた安心感を感じ、悪いことをすれば気まずく、居心地の悪さを感じるのが普通である。それは、人間のなかに、宇宙の信号を受け取る感覚器があることを意味し、宇宙の信号を感じとれないと、感性が普通ではなくなる。 結局のところ、感じられるか、感じられないかの感性の問題となる。自分に感性がないのに、その感性を、他者に求めても無意味なだけである。金銭で買おうとしても、自分のものではないので、かえって無駄な努力に終わるだけである。 無駄なことをして、かえって、宇宙の幸福の信号を感じられなくなり、死んでしまえば、宇宙から益々孤立するだけなのに! 「金持ちが天国にいくのは困難だ!」とキリストがいったのは、金銭と幸福は全く無関係であるという意味である。感性は金銭では買えないばかりか、金銭で買おうとすればするほど、逆に、益々幸福の感性を失っていくからである。 それに、幸福を感じる能力は、十人十色で、千差万別だからである。 宇宙には、幸福の信号が満ち溢れているが、それを受信するのには、能力が必要で、それには、宇宙全体の営みへと感性を拡げる必要がある。 老子が説くように、万物は、陽と陰からなるということは、互いが補完し合う関係になっているということになる。男は女に快を感じ、女は男に快を感じるわけである。異質ということは、感じる能力を広く高めることができる。 もし、同質であったならどうだろう、感性は限定され、狭くそのままに留まってしまうから、宇宙の進化から、ついには取り残され、逸脱してしまう。不感症になってしまう。 宇宙の進化につながることが、タオにつながることだ! 宇宙の進化の信号は至る所から地球にやってくるが、どんなに信号を外から発せられようが、本人に受け取る意志がなく、不感症であるなら、もはや闇のように光が届かない存在となる。広大な宇宙のなかで、独房に入ったも同然の存在となる。 そのような悪魔の存在とならないために、老子は、第16章と、第37章で、幸福を説いている。 第16章で、老子が説くのは、幸福の感覚器を開発するには、現状の肯定が前提になることで、現状は、自分に由来することを自覚することに思われる。 自分の本質が、現状をつくってきたのであるから、全ては自分の責任である。 自分の責任であるなら、自分で責任をとらなければいけないわけで、それは自分を変えることになり、周囲に合わせ、周囲と協調して、宇宙全体の進化の方向に沿うことになる。 大きな流れに身を委ねれば、そのまま運んでくれるので、そのまま幸福になる。 具体的にいえば、新しい変化に身を委ねることなどである。 宇宙や大自然が与えてくれるものをそのまま成就することが肝要である。 それには、万物は陰と陽でなるので、現状とは全く逆の立場が求められることもあるだろう。季節においても、冬と夏が全く逆であるのと同じである。 夏になっても厚着をしていたら苦しいだけである。季節の変化に応じて装いを変えるように、時代の変化に応じて、自身を変えていかなければ快は得られず、不快となる。 古い自己を捨て、絶えず新しくしていくことが幸福の秘訣なのである。 毎日毎日退屈だという人が多いが、それは自分が古い自己を捨てないからである。 なぜ、人は、ジェットコースターやバンジージャンプのような冒険を試みるのだろうか? 一時、古い自己が捨てられ、新しい世界を体験できるからである。 幼児が毎日が楽しいのは、毎日、古い自己を捨てているからである。 進化成長の原則とは、古い自己を捨てることなのだ! それが、無我の境地に達する秘訣で、老子の第47章に説かれている。 次は、老子の第47章を紹介したい。
2012年09月13日
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前回は、老子の第16章から、幸福になる秘訣を紹介した。老子の訳で、ネットを色々検索していくと、世の中には、やはり上には上がいて、優れた人が沢山いることに気づかされる。 老子の訳についても、実に万華鏡の如く千差万別なのである。 それは、人間一人一人が、宇宙である証拠である。様々な宇宙が、この世に宿り、様々な経験を積んでいる。 さて、せっかくなので、前回紹介した老子第16章のまた別の現代訳を紹介したい。 それは以下のサイトである。 http://home.att.ne.jp/wave/ayumi/Lao/016.htm 以下は、その抜粋である。非常にくだけていてわかりやすい。 ☆ ☆ ☆ 第壱拾六章 虚を致すこと極まり 自分らしくなるってことは、いつも素直でいられること 心が優しく安らかになっていくこと。 怒りや悲しみで心が苦しくなることなんてない。 色んなモンが育って、それから元に戻っていくのが観えてくるや。 どんなものも、自分の本当の姿に帰っていくものなんや。 自分らしくいられたら心安らかになるんやよ。 必要なのはその心がホンマに望む自分の姿に気付くことやね。 そしたら楽しく生きられるよ。優しい気持ちになれるよ。 心が望まへん自分で生きるてことは、心にも身体にも不幸で悲しいことかもしれへん 心を穏やかにして生きていれたら 自分が生きているのは大きな地球のなかで、人間も大自然の生き物のヒトツで、 地球さんからしたら、どの動物も植物も昆虫もカワイイ我が子なわけってコトに気付くんや。 そんな場所で素直に生きられるのは、めっちゃ幸せなことや ☆ ☆ ☆ 以上から、老子は、現代に向かって、次のように語りかけている気がする。 ただ生きているだけでも、宇宙からすれば、それはもう本当に幸せなことなのに、人間は馬鹿で不感症なので、そのことを忘れて、ああだこうだ!と不満ばかりをお互いにぶつけあっている。 不満をぶつけあっても何も解決はせずに、ただ不満が充満するだけなのに! 地球の小さなニキビみたいな無人島を、ああだこうだと取り合って、ケンカしている愚かさといったら、全くアホらしい! それよりも、放射線を沢山放出し、環境を汚染させ、小さな生命体を変化させ、生態系をかえておきながら、知らん振りだから、全く無責任なものだ! 環境破壊こそ問題にすべきなのに、誰も住まない土地の所有をああだこうだと争っている。 お金がそんなに大切なのだろうか? お金があっても、環境がなくなれば、おしまいだよ! 信頼がなくなれば、闇だよ!! 住んでいる土地よりも、住まない土地を問題にしている。強欲のなせるわざである。 もっと素直になろうよ! いま生きているだけでも有難いことなんだからね。 お互い仲直りしようよ。不満は自分のなかにあるのだから、相手を赦すことで、不満も消えるのだよ。笑い合おうよ! 地球は、そんな下らない人間たちを温かく包んで笑っているよ!! 幸せになるのに条件なんか必要ないのさ、ただ自分から素直に幸せを感じればよいのさ。 というように、老子は、人類の馬鹿さ加減に呆れているようにもみえる。 続けて、幸福を感じる能力を高める方法を、老子の第37章から紹介したいが、第37章の現代訳は、上記に紹介したサイトには残念ながらなかったので、前回紹介した以下のサイトから抜粋し、「タオの法則」から、そのやさしい現代訳を続けて紹介したい。 老子 第三十七章 道は常に無為にして、而も為さざるは無し http://blog.mage8.com/roushi-37 ☆ ☆ ☆ 原文 道常無爲、而無不爲。侯王若能守之、萬物將自化。化而欲作、吾將鎭之以無名之樸。無名之樸、夫亦將無欲。不欲以靜、天下將自定。 書き下し文 道は常に無為にして、而(しか)も為さざるは無し。侯王(こうおう)若(も)し能(よ)くこれを守らば、万物は将(まさ)に自ら化せんとす。化して作(おこ)らんと欲すれば、われ将にこれを鎮むるに無名の樸(ぼく)を以(も)ってせんとす。無名の樸は、それまた将に無欲ならんとす。欲あらずして以って静かなれば、天下将に自ら定まらんとす。 英訳文 “The way” never does anything voluntary, but it can accomplish everything. If a monarch follows “the way”, all things grow up spontaneously. If there are some trying to forestall others, I calm them with the spirit of a nameless raw wood. If people have the spirit of a nameless raw wood, they will renounce excessive desire. If people do not have excessive desire and their minds are calm, the world will be stable. 現代語訳 「道」は自分からとくに何かをする訳では無いが、「道」によって成し遂げられない事は無い。人の上に立つ君主がこの事を弁えていれば、全てのものが自分から成長しようとするだろう。成長する過程で自分だけ飛びぬけようとするものがあれば、私は名も無い切り出したばかりの丸太の様な素朴さをもってその心を鎮めよう。丸太の様な素朴な心であれば、無駄な欲望を持つ事も無い。皆が無駄な欲望を捨て去り、心が静かであれば、世の中は自然と安定するだろう。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ なんだか、私には、少し堅苦しい老子の感じがする。私はもっとくだけた老子が好きな性分なので、「タオの法則」の老子の方に親近感を覚えるから、以下に紹介したい。 ☆ ☆ ☆ 宇宙には交流と交感のみが存在する その領域にある限り 人は完全なる解放の中に遊び続ける。 人には食欲と性欲という二大欲求があると言うが、食欲は、食べるべき時に、食べなさいと伝える尊い自然の信号だ。欲でものを食べる肥満の人は、まず血液が汚れている。快の体験の欠如により、満たされない心理が、狂った食欲を作り上げ、血流の汚れが体中に蓄積され、細胞が自然界との歯車からはずれ、交感力を失っている。 狂った受信機のように、ストップ信号もゴーサインとしてしか認識できなくなる。そうした人にとっては、確かにそれは欲なのだ。 性といわれるものも本来、欲ではない。それは、広大なスケールの信号だ。 性の性以前の働きは、異なる存在との交感を促す力である。自己の存在以外の存在は、ことごとく、水も、空気も、植物も、すべてが異なる性質の存在、異性である。宇宙のすべての存在は互いに異質である。それゆえに広大なエネルギーが生まれるのである。 人間は、そうした限りない存在と交感することでその本質たる宇宙につながる。その時の感覚が、快である。それが断たれる時、自身の存在意義を失う。その欠如が、様々な病理を生む。それは、人間にとっては、最も根本的な孤独感であるからだ。 愛欲、食欲、性欲、所有欲-全てはそこから生じている。 ☆ ☆ ☆ 以上の現代意訳でも、なんとなく堅苦しさを感じるかもしれないが、ともかく、老子を、自分の言葉に置き換えることが重要である。 何度も老子を味わうことが、そのまま幸福の感性につながる。 というのも、老子は、古代アトランティス時代の幸福の秘訣が詰まった叡智そのものなので、それを読み解くことで、古代人の幸福感が同時に甦るようにできているからである。 老子という幸福感を感じる感性ソフトをインストールするのは、各自の読解能力にかかっている。学者風の専門家ばった訳にして老子を死なせて、悪魔のように権威づけしては老子は、無意味であるばかりか、聖書の現代訳のように、悪魔崇拝の悪魔の洗脳書にもなってしまう。 古代の書籍は、良心で読み解くことが肝要なのである。悪意をもって読み解けば、悪魔の洗脳書にもなってしまうから注意が必要である。
2012年09月13日
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前回は、対立概念を捨てる重要さを、老子の第20章から、「タオの法則」を用いて紹介した。シュタイナーは、タオのことを、古代アトランティス人が、自らのなかで交信していた神だと述べている。 「タオの法則」にもあるように、老子の教えは、以下の3つに大別できる。 1.万物は陰陽で成り立つ 2.万象は道(タオ)に基づく 3.道(タオ)の領域は至福の領域である つまり、万物は、陰陽で成り立ち、陰陽を調和させている働きが、道(タオ)で、道(タオ)の働きが、万物に至福感をもたらす、ということなのだろう。 私は、道(タオ)を、進化の原則と捉えている。進化とは、人間が神に至る道なので、神道というべきものだろう。 だから、古神道は、タオの法則だったはずである。 つまり、シュタイナーの人智学でいえば、古代アトランティス時代の破局を免れてきた民族が、古代アトランティス時代の叡智を言い伝えたのが、古神道であり、タオの法則だったように解釈している。 その言い伝えが、西に向かったものが、ドルイド教などの、神秘学となり、東に向かったものが、老子の道教などになった、と考えている。 いままた、西と東が融合し、古代アトランティス時代の叡智が再生するはずである。それはキリストの復活と同じはずである。 しかし、悪魔は、この聖書の預言を利用して、キリストに成り代わろうとしていることは、シュタイナーも述べている。だから、救世主は、もはや目に見える形では現れないはずだ! 巷では終末論が盛んだが、その多くは悪魔崇拝によるもので、悪魔を招来する黒魔術に他ならない。つまり、アセンション(次元上昇)は、目に見える形では起こらないはずである。 悪魔自らが悪魔を葬る形で起こるはずである。 つまり、物質が物質故に行き詰って崩壊に至るはずである。 だから、救世主というのは、何者も救えない救世主として現れるので、単なる嘘つきで、その実体は悪魔なのである。 この国の現政権がそれを如実に物語っている。公約にないことを平気で実行し、嘘を突き通し、問責決議を受けても、辞めようとしない。嘘を突き通す悪魔そのものである。 悪は悪故に自滅するので、重要なことは、悪に加担しないことである。自称救世主には期待せずに、無視することが重要である。その兆候はすでに現れている。オーム真理教の教祖やコイズミをみれば、連中が救世主と名乗り現われ、全てを奪って隠れていったことから明らかである。恐らく、次は、ハシモトやアベ、イシハラだろう。連中の背後には悪魔崇拝教が潜んでいる。 さて、相も変わらず、この世の地獄劇場は演じるに任せておいて、一般庶民は賢く学びとらなければいけない。イジメ問題も、根本的にいえば、救世主願望にある。 結局のところ、現状に満足できない者は、何ものにも満足できない、ということにある。 例えば、100円で満足できる人間もいれば、100億でも満足できない人間がいるということにすぎない。100円で満足できる人間は、100億を必要としないし、逆に100億でも満足できない人間は、100円に価値をみつけることができないほど盲目で不感症と考えることができる。 このような腐敗した精神は、地を這いずり回るしか能がない。単なる数字取りゲームを、ゲームオーバーの死に至るまで続けるだけだ! 幸福とは、幸福を感じる能力にある。幸福を感じる能力を獲得するには、やはり老子の言葉に耳を傾けるのがよいと思う。 幸福を感じられないイジメ問題の根底は、1人1人の不幸の取り扱いの問題にある。幸福を感じる能力がないので、現状に満足できずに、幸福を外に求めてしまう。 なぜ不幸なのか?をとことん考えることなく、現状を安易に否定して、幸福を外に求めてしまうのが根本の問題なのである。自分が不幸を招き寄せていることに気づかない。 だから、幸福の不感症といえるイジメ問題の解決には、老子第16章を読み解く必要がある。老子の第16章の書き下し文は以下である。 例えば、以下のサイトなどがよい。 老子 第十六章 万物は並び作こるも、吾れは以って復るを観る http://blog.mage8.com/roushi-16 以下はその抜粋である。 ☆ ☆ ☆ 原文 致虚極、守靜篤。萬物並作、吾以觀復。夫物芸芸、各復歸其根。歸根曰靜、是謂復命。復命曰常、知常曰明、不知常、妄作凶。知常容。容乃公。公乃王。王乃天。天乃道。道乃久。沒身不殆。 書き下し文 虚(きょ)を致すこと極まり、静を守ること篤(あつ)し。万物は並び作(お)こるも、吾れは以(も)って復(かえ)るを観る。それ物の芸芸(うんうん)たる、各々その根(こん)に復帰(ふっき)す。根に帰るを静と曰(い)い、これを命に復ると謂(い)う。命に復るを常(じょう)と曰い、常を知るを明(めい)と曰い、常を知らざれば、妄(みだり)に作(な)して凶なり。常を知れば容(よう)なり。容は乃(すなわ)ち公(こう)なり。公は乃ち王なり。王は乃ち天なり。天は乃ち道なり。道は乃ち久し。身を没(お)うるまで殆(あや)うからず。 英訳文 If I empty my mind and stay calm, I can see that all things are produced and they return to the roots. Everything is produced one after another, then they return to the roots. Everything returns to silence like this. This is called “return to the original form”. This is a “law of nature”. To understand the law is called “clear wisdom”. If you don’t have this wisdom, you will fall into confusion. If you have it, you can accept everything. Accepting everything is fairness. Fairness is a “virtue of king”. The virtue of king is “Heaven’s will”. Heaven’s will is “the way”. This way is eternal. If you keep this way, you will never go astray. 現代語訳 心を空っぽにして静けさを保っていると、世の万物がどんどん生み出されてまた元の姿へ戻っていく様が見える。この世の全てはどんどん生み出されては、そうやって根源へ帰っていくものだ。万物はこうして静寂へ還る。これを「本来の姿に戻る」と言う、そしてこれは「万物の法則」とも言う。この法則を理解する事は「明らかなる知恵」と言う。この知恵が無いと何をしても出鱈目になってしまう。この法則を理解すれば、どんな事も包容出来る。全てを包容出来れば、全てを公平に扱う事が出来る。物事を公平に扱う事が出来れば、それは「王者の徳」と呼ばれる。王者の徳はすなわち「天命」である。天命とはすなわち「道」である。「道」を得る事は永遠を得る事であり、そうなれば生涯を通じて迷う事は無いだろう。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ 続けて、「タオの法則」からも抜書きして紹介したい。 ☆ ☆ ☆ 幸せな人は他人をも幸せにし 心に不満のある人は 他人をも不幸へと引き込む 平和も、調和も、愛も 自身の幸せから始まる。 近年、通り魔殺人が急増している。犯人たちのほとんどが、「誰でもよかった」と言っている。これは、彼らが特別ではなく、人間には自身に不幸感があると、他の誰かにその不満の原因を求めたり、痛めつけようとする心理が働く。 殺人犯は、いかにも不運な人とは限らない。通り魔殺人犯のほとんども、見かけ上は、普通の人である。人はどんなに恵まれていても、心が真に幸せでない限り、他人の不運を求め、傷付けようとする衝動が無意識に渦巻く。 ターゲットがいなくなれば、新たなターゲットを無意識に探し続け、それは身近な親しい人である場合も少なくない。他人への批判ばかりを口にする人も、そうした領域に生きている。 逆に幸せ一杯で生きている人は、他の人との幸せの共有を求め、意図しなくても、無意識に他人の幸せを望む。そうして、幸せも不幸せも、伝染するように広まっていく。 他の人を幸せにするには、まず自分自身がはちきれんばかりの幸せでなければならない。中途半端な幸せでは駄目で、人は天から命が与えられている以上、完璧な幸福人間となるべき責任を、天来的に担っている。 ☆ ☆ ☆ 総理大臣になれないと幸せでないという人間はただ現状に満足できない不感症が深刻なだけなのである。悪魔とは、現状に不満だらけの存在なのだ! 本当の救世主とは、キリストやお釈迦様のように、プータローで他者にゴミ扱いされても、感謝し、笑っている存在なのである。この世には、不満だらけの下らない人間が多いのに気づかされる。
2012年09月13日
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そこで、次のような疑問が生じるのは当然だろう。 一体全体、地球の外の、このアンチモン化の力とは何なのか? それは、惑星から言えば、水星と金星と月の共同作用なのである。この3つの惑星が、別々に作用せず、一緒に作用する共同作用で、いわゆる錬金術でいう、水銀、銀、銅が、個々に作用せず、共同で作用すると、アンチモンが地球に作用するような作用となる。 月や水星や金星の3つの力が、単純な座相ではなく、衝や矩といった然るべき座相をとることで、互いに中和されるような地球の位置に住む人間への作用を探究することで、この共同作用を調べることができる。 衝、矩 衝は惑星どうしが180度の角度で向き合う位置関係、矩は互いに90度(四分円)の角度になる位置関係。 3つの惑星の力が中和し合う共同作用は、アンチモンの作用と関係し、地球が望む相互作用がアンチモンのなかで起こる。地上のアンチモンのなかでは、地球の外の3つの天体から、地球へと作用する力と同じ力が作用している。 さて、やはり述べておくべき真相へと辿り着いた。地球の構造においては、アンチモンの場合、その塊を1つ1つ取り出してきて、語るだけではすまない。地球の組織化においては、銀も、金も1つであるように、全てのアンチモンも1つなのである。 (地球の構造、つまり金属の生成は、地球以外の他の惑星の星位による。だから、金属の生成を変えることは、地球の構造を変えることになる。) 個々の塊は、それほど問題ではない。一塊のアンチモンを、地球から取り出せば、地球に組み込まれている全アンチモンを掘ることになる。つまり、一塊のアンチモンは、アンチモン全体の一部なのである。 以上、アンチモンの作用を通じて、明らかになる事実全てを述べた。さて、自然においては、全ての作用に反作用が相対している。形成された物質は常に、他ならぬ、この作用と反作用の往復(均衡)運動によって生じる。 では、今度は、アンチモンの力に反作用する力を探す必要がある。この反作用の力をみつけるには、本来は人体内で制御されているアンチモンの力が、外に向かって突き進む瞬間に、(反)作用する力を認識でき、洞察できなければならない。 このアンチモンの力は、血液の凝固に作用する。この凝固の内部に、アンチモン化の力が働いている。血液が、継続的に流れる場において、凝固の傾向を示す場合は常に、アンチモン化の力が存在する。逆に、血液が凝固から逃れようとする場には常に、反作用が存在する。 従って、血友病患者と向き合うと、奇妙なことに、反-アンチモン化の力が見つかる。この反-アンチモン化の力は、アルブミン化の力、もしくは蛋白質形成の力とでも名づけたい力で、このアルブミン化の力は、蛋白質形成を促進しながら組織化を進める作用である。 なぜなら、血液の凝固を妨げる作用は、蛋白質形成力だからである。 スチビン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%93%E3%83%B3 (スチビンの溶血作用と似ている。ヘパリンにも似ている。) ヘパリン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%91%E3%83%AA%E3%83%B3 このようなわけで、人体組織におけるアンチモン化とアルブミン化の相対関係が認識できるようになる。このアンチモン化とアルブミン化の交替などを研究すれば、罹病の経過(プロセス)と治癒の経過(プロセス)の根底にある基本的な認識が獲得できる。
2012年09月13日
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前回は山岡鉄舟を題材に、老子の55章を、「タオの法則」という本を用いて、やさしく読み解き、紹介した。 「金もいらず、名もいらず、命もいらないものは、まことに始末に困るものなり」というのは、西郷の有名な言葉だが、この言葉は、鉄舟を評して述べたという説もあるが、鉄舟を調べると、まさに、この言葉がピッタリの人物に思えてくる。 この言葉は、老子の55章を言い当ててもいる。 老子の55章を一言でいえば、相対(対立)概念をもたない、ということに尽きる。 金や名や命などは、相対概念にすぎなく、他者との比較の上で成り立つものである。 つまり、本来の自分ではなく、外との関係から自分に付随したものである。 このような話は、物理学では、遮蔽効果という有名な現象で知られている。それは、例えば、マイナスの電荷をもつものは、電磁力により、周囲のプラスの電荷を引き寄せるので、第3者からみると、本来もつマイナスよりも、引き寄せたプラスの電荷分だけ、マイナスが中和された状態でみえる、という現象である。 この遮蔽効果を、繰り込み論で解釈して、量子電磁力学をつくり、ノーベル賞をとったのが、朝永-シュヴィンガー-ファインマンらである。 だから、外からみれば、本来の自分(上記の喩えでいえば、マイナスの電荷)に、周囲との関係(プラスの電荷)が付随し、遮蔽されてみえるわけで、その遮蔽を取り除くには、周囲との関係(電磁力)を消すしかないわけで、それはすなわち、本来の自分(マイナスの電荷)をなくすしかないのである。 遮蔽をなくすには、無我の境地に至るしかない。これを、老子は、赤子に喩えている。 しかし、存在を消すといっても、いなくなることは、人間にはできず、神様しかできないので、周囲と一体化することを意味するのである。カメレオンのように周囲と一体化する、和合することである。 赤子が無我なのは、周囲の環境や母親の愛情と一体化しているからである。 老子、つまり、タオは、常に、宇宙の愛情と一体化することを説いている。 だから、無我の境地とは、周囲の環境に臨機応変に適合することといえる。それはまるで自然の法則そのものとでも思えるような存在、つまり、天の意志そのものと一体化することなのである。 これを無為自然と、老子は説くのである。 前回は、飼い猫への飼い主の恐怖心を取り除くための愛情の発露の問題として、無為自然を紹介した。 無為自然とは、陰陽の相対(対立)概念を超えて、和合することを意味する。老子は、無我の境地に至ること、無為自然の境地に至ることを第一に説く。 陰陽の相対(対立)概念を超えて、陰陽を和合する立場に立て、ということを絶えず、老子は説いている。 で、今回は、また違う形の無為自然の、老子第20章を、「タオの法則」という本から、紹介したい。 その前に、老子の第20章は、以下の学者風の書き下し文だといわれている。 学を絶てば憂いなし 唯と阿とは 相去ることいくばくぞ 善と悪とは、相去ることいかん 人の畏るるところは 畏れざるべからず 荒としてそれいまだ央きざるかな 衆人熙熙(きき)として 太牢(たいろう)を享(う)くるがごとく 春台に登るがごとし われひとり泊(はく)としてそれ未だ兆(きざ)さず 嬰児の未だ孩(わら)わざるがごとし 累累(るいるい)として帰する所なきがごとし 衆人は皆余りあり 而してわれは独り遺(わす)るるがごとし 我は愚人の心なるかな 沌沌(とんとん)たり 俗人は昭昭たり 我は独り昏昏たり 俗人は察察たり 我はひとり悶悶たり 澹(たん)としてそれ海のごとく リョウとして止まること無きがごとし 衆人は皆以(もち)うるところあり 而(しこう)してわれは独り 頑(かたくな)にして鄙(ひ)に似る 我は独り人に異なりて 母に食(やしな)わるるを貴ぶ 以上では、全くチンプンカンプンである。 そこで、また、「タオの法則」から紹介したい。 ☆ ☆ ☆ 戦いは正義と頑張りの心から始まる。 「頑張り」がなぜいけないのかと思う人も多いだろうが、タオの心に近づくと、「正義」や「頑張り」ほど、人間の心をタオから引き離すものはない、ということがわかるようになる。 明治の近代化以降、勤勉が日本人の美徳となり、そのピークで生じた太平洋戦争のとき、どんな観念が日本人を戦争へと至らせたかを、日本は経験している。 それは、日本の正義のために、とことん頑張ることが最善であり、美徳であるという観念であった。頑張りは、我を強め、正義はやさしさを喪失させる。 頑張りや正義は、相対次元の観念にすぎない。Aにとっての正義は、Bにとっては罪悪だ。過労死者世界一の日本の現状は、何がもたらした結果なのか? 人間は何かに身を投じることを喜びに感じる性質があるが、その対象が、国や会社というような抽象的な存在となるとき、タオの領域からはずれてしまう。それは、何かとの対立次元に身をおかせる行為だからだ。 全ての存在は、タオという一点にのみ身を任せるようにできている。 ☆ ☆ ☆ 勝負の背後にある悪の元締めについて、人類は知るべきときに来ているように思える。勝者が全てを取るというのは、非常にわかりやすい悪の論理である。しかも、勝敗が決まる前に両方に賭けている悪は、問題とされない。 つまり、相対(対立)概念に、人類を洗脳させることで支配し、人類を勝負や競争により分断させ、統治するのが悪魔の目的である。 悪魔は、その目的を遂げるために、頑張りと正義を煽る。悪魔は、自分の支配と欲望を叶えるために、頑張りと正義を強いる。同士討ちさせることに、人類を血眼にさせる。 悪魔は、神の名を語り、頑張りと正義の下に、人類を戦わせ、分断し、統治するのである。 悪魔に騙されてはいけない。悪魔は悪魔であって、神様ではないからだ。 聖書では、悪魔は地を這いずり回る蛇に喩えられる。それは、つまり、相対(対立)概念という地を這いずり回る世界にしか生きられないことを意味している。数学でいうなら、2次元平面の存在ということになる。 蛇に翼があれば、龍になって、天に向かって飛ぶこともできる。相対(対立)概念から抜け出ることができる。 天から生まれる愛情に乗るための翼をもつには、頑張ることで、我を強くすることや、正義を振りかざすことで、やさしさを失うことの反対の立場に身をおくことが重要なのである。
2012年09月12日
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アンチモンの性質に着目すれば、アンチモンが独特な形で、自然の経過(プロセス)全体に関与している様が認識できる。アンチモンは独特の形で自然の経過(プロセス)全体に関与している。 アンチモンは、第一に、非常にありふれた性質だが、他の金属や物質と緊密な親和性をもち、他の物質とともに、特に硫黄と結合して現われることが多い(輝安鉱)。実際、硫黄は、自然のなかでは、アンチモンと同じような特殊な性質を持つが、この硫黄の性質は、既に、おおまかに述べた。 アンチモンが硫黄を通じて、他の物質と結合する傾向は、アンチモンが自然の経過(プロセス)のなかに関与している様を示している。けれども、アンチモンの別の特性は、更に、その性質をより強調している。 つまり、アンチモンは、束(房)状の結晶として、可能な限り現われ、なるべく大地を離れ、線(束)状になることを目指して進む性質をもつ。アンチモンが線(束)状に積み上がっていく性質に、地球の外から、地上へとやってくる結晶化の力を、外(物質)的に見ることができる。 通常は、もっと大きな規則性をもって現われる結晶化の力が、アンチモンでは、槍(線)状や束(房)状の形に集約して現れる。この形は、自然の経過(プロセス)全体に、アンチモンが関与している様を露出している。 同様に、アンチモンの溶解過程(プロセス)で生じる形も、結晶化の力を、よく露出している。溶解過程(プロセス)を通じて、アンチモンは細かい繊維状の形で得られる。 アンチモンのまた別の性質は、酸化、燃焼すると、ある独特な形になることにある。酸化、燃焼するときに生じる白い煙は、冷たい物質と、ある独特な親和性を示すが、この白い煙が、冷たい物質に付着して名高いアンチモン華を産出する。 アンチモン華もまた、アンチモンの別の物質への依存により、結晶化の力を放出する。 (アンチモンの結晶:アンチモンの主要鉱石は輝安鉱。アンチモンは硫黄と結合して現われることが多いと述べられているように、輝安鉱の成分はアンチモン(Sb)71.4%と硫黄(S)28.6%から成る。輝安鉱の結晶は長柱状、針状をなし、繊維状、毛状になることもある。 輝安鉱を木炭上で熱すると、容易に溶融して液状になり、そのまわりに三酸化アンチモンの白色の蒸皮を生ずる。また開管中で熱すると、管の底部に不輝発性の白色昇華物を残し、上部には白色輝発性の昇華物が輪状につく。 原鉱石の溶融によって得られる硫化アンチモニーはそのままでもマッチ、花火などに用いられる。) アンチモン華 http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/gallery9/643valentinite.html けれども、最も奇妙な性質は、これまで述べてきた地上の力のなかの、いわば電磁力に対して、アンチモンが持つ独特の抵抗力である。アンチモンを、電気分解で、陰極に運ぶ形で処理し、陰極の沈殿物に、金属の先端で触れる(電気を流す)と、小さな爆発を引き起こす(具体的手順は、以下のスチビンの解説を参照のこと)。 スチビン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%93%E3%83%B3 (アンチモンを、電気分解云々は、上のサイトの、「陰極材料にアンチモンが添加された鉛蓄電池は、充電時に微量のスチビンを発生する」に関係するように思われる。 また、スチビンは、「人体に対しては少量でも溶血作用を示し、肝臓・腎臓毒でありなおかつ神経毒、呼吸器毒である。」というのは、血友病にも似ている。) 電磁力に対する、このアンチモンの抵抗は、それを支持するものさえ得られれば、アンチモンに特徴的な性質となる。物質が、自然の経過(プロセス)全体のなかに置かれる様を、実際に、アンチモンで見ることができる。他の物質は、アンチモンほどではないとさえいえる。 さて、自然自らが、明白な形で示す様々な力を理解するには、自然の力が、様々な場所で作用している事実を出発点とする場合に限られる。ただ、自然のなかの力を、物質が特別に示すときは、その物質のなかに、自然の力が、特に集中し、限局している。 アンチモンの性質として現れる自然の力は、本質的には、様々な場に存在する。それは、いわば、「アンチモン化」というような表現を用いたほうがよいかもしれない。このアンチモン化の力は、人間のなかでも調整的に作用し、人間は、このアンチモン化の力を、正常な状態では、地球の外から引き入れる。 いわば、人間は、地球の外から、アンチモンを集め、作り出して、引き入れる。正常な状態では、人間は、地上のなかのアンチモン化の力や、アンチモンのなかに集積している自然の力に頼ることはなく、地球の外の力に頼る。
2012年09月12日
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では、そもそも一体、血友病は何に起因しているのか? 結局、血友病が何に因るかは、表面的に観察しても示せる。血液の凝固能力がないために、通常は傷のなかで、血液の凝固に至るが、血友病患者の場合、凝固に至らずに、単なる鼻血や、歯の手術による出血などの、人体外への僅かな開口部であっても、出血多量で、死に至ることもある。 もともと、血友病は、血液の凝固力の不足に因る。とすると、血液自身のなかに、凝固力に対抗する何かがあり、その何かが強く作用しすぎるので、通常なら、血液を凝固させる外からの力によっても、止められなくなる。 血液の凝固は、外からの力が関わっている。血液のなかに、この外からの力を抑えつけてしまう何かがあると、血液のなかに、過度の液体化の傾向が現れてくる。 人智学の知見から、この血液の液体化への強力な傾向は、人間の自我-形成全体と関わっていることが容易にわかるが、それは、自我のなかで働く、表面的な、表象(イメージ)に関わっているのではなく、自我のなかで働く、根底の意志と関わっている。 つまり、人間のなかの意志の強弱と、血液を過度に液体化する組織化とが関係している。 歴史的な事件に対して、正しい解釈を用いれば、ある自然の秘密へと辿り着ける事実を見事に示す事件を挙げることができる。それは歴史的に名高いエンガディン地方(スイスの一地方)の乙女たちの事件である。 エンガディン地方 http://www.myswiss.jp/jp.cfm/area/offer-Destinations-01Graubuenden-318719.html (エンガディン地方では、シュタイナーのいうような話はないようである。エルンスト・ツァーンの長編小説「タノの女たち」 に似たような話があるらしい。) エンガディンの2人の乙女は、医学が必要とする人間認識に対して、徹底的な啓蒙として影響を与える歴史的事件を作り出した。このエンガディンの乙女たちは、血友病の家系出身で、結婚しないことを固く決意したため、血友病の遺伝を個人的に撲滅した人たちとして歴史に登場する。 (この点から考えると、王家継承は、男系継承が相応しい。古代イスラエル王国継承の意味では、Y染色体にあるD系統YAP型は、古代イスラエル王国と、日本をつなぐ上で、研究上究めて重要である。) さて、このような歴史的な出来事の場合、正しい解釈に目を向けなくてはならない。上記のような乙女のように、生殖衝動から身を切り離すことは、血友病の家系から出た娘全ての特質ではない。アストラル体には作用せず、自我のなかだけに作用する、強い主観的な意志の養成も、意志の働きである。 つまり、彼女たちには、この強い主観的な意志があった。すなわち、彼女たちの自我のなかの意志は、血友病患者において効力を発揮している過度な力と、ある形で関係している。 この意志は、血友病でない人の場合よりも容易に、意識的に強められる。この意志を、正しい解釈で認識すれば、血液に特有の、ある本質的な力との関係を発見し、人間の外にある力との相互作用をも認識できるようになる。 意識的な意志と関係する、血液中の力へと目を向けることで、人間の意志と人間の外にある力との関係が、総じて、どのようなものなのかを洞察できるようになる。 さて、その回答は次のような事実にある。人間の外にある力が、人間の意志による力と霊(内)的な親和性を持つのは、宇宙の進化が経過するにつれ、人間の意識的な意志全般と関わる力が、最終的に自然界のなかに分離された、という事実が背景にある。 意志と関わる力は、最終的に自然界のなかに分離され、外にある力となった。 だから、人間の形成過程(プロセス)における分離により、外の自然のなかにある力を、その特性を通じて、人間の形成過程(プロセス)と、いかに関係を再び持ち得るかを、研究により示すことが重要となる。 このような関係は、長い間、自然のなかに研究されてきたが、それを洞察することは極めて困難である。なぜなら、17、18世紀までの先祖伝来の(伝統)医療が、なおも保持していた治癒力を、今日の主知主義的な人間のなかで、再現することは困難だからである。 当時研究されていた内容は、アンチモンとの関係全般だった。 アンチモン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A2%E3%83%B3 アンチモンは奇妙な物質である。バシリウス・ヴァレンティヌスのような伝説的な人物が、熱心にアンチモンを研究したのも、アンチモンが特別な物質だからだった。 バシリウス・ヴァレンティヌス Basilius Valentinus;14世紀と15世紀の変わり目頃生きた。著作:「アンチモンの凱旋車」、「太古の偉大なる賢者の石」、「化学の黙示」。 十二の鍵 http://macrocosm4alchemy.web.fc2.com/translation/Twelve_Keys.html
2012年09月11日
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今回から、出来るだけ沢山のことを片づけようと思う。そもそも、この講義の最初の問題提起において重要なことは主に、人智学から得られる知見、つまり、人間の外にある物質が、人体組織のなかで辿る道筋などの詳細を学びとることと、また、その物質の反作用を学ぶことにある。 つまり、物質作用についての完全な洞察が獲得できれば、それに基づいて、症状を診断でき、薬の適用のための指針が得られる。実際に薬を適用してから、この薬は、この症状に効く、あの薬は、あの症状に効く、といった個別的な処方をみつけるよりも、この洞察は、直接診断できる上でも、遥かに優れる。 さて、今回もまた、非常に親密な関係に到達するために、一見非常にかけ離れたようにみえる関係から出発する。提出してもらったなかから常に浮かびあがる質問は、ほとんど全員が関心を持つように思われる遺伝に関するものである。 遺伝は、少なくとも比較的健常な人、もしくは病人の診断においても究めて重要な役割を果たす。 さて、遺伝は、実に現代の唯物論的な自然科学においては非常に抽象的な意味でしか研究されていない。実際の生活に役立つ意味では、ほとんど全く研究されていない。 遺伝を真剣に研究すれば、秘教に通じない人には特に究めて難解で、秘教に通じた人にとっては、一目瞭然の法則性をもち、宇宙との関連について人間が知るべき重要な全てが、人間の外のどこかの場所に、目に見えるような形で顕現している現実が察せられる。 遺伝は、外的な顕現を通して、ある形で、隠されてはいるが、人間に対して、非常に有効な力が、自然の中に存在している事実を、常に示している。遺伝を研究するなら、特に、自然のなかに、隠されている力を究明しなければならない。 というのも、この自然のなかに隠された力の究明なしには、遺伝として外に顕現する宇宙との関連全ては、幻影をまとい、絶えず本質を損なうために、正しい診断が不可能となるからである。遺伝に関しては、個別的な判断が一旦は下せても、また別の個別的な現象にはあてはまらない。 遺伝が難解なのは、究めて甚だしく幻影に覆われていることに由来するが、遺伝には、非常に規則的だが、調整し難い形で、男性的な陽性と女性的な陰性が参画している。 陰陽の参画は規則的だが、この規則性と同等に明瞭な調整が常に可能というわけではない。つまり遺伝現象は、規則性に則ったものだが、その調整は困難なのである。 天秤の棹を水平に保てるのは、宇宙の規則性に基づくが、そこから、新たな規則性を求めるために、左右に錘を乗せていくと、微妙に、一方か、他方に傾くために、この厳密な規則性の調整が困難なのと同じである。この性質は、遺伝現象にも概ねあてはまる。 遺伝現象は、天秤の棹を水平にするような規則性を持っているが、この規則性は同時に、非常に可変性をもちながら現れ、上記に述べたように、男性的な陽と女性的な陰が参画し、しかも、陽は、地上に負う力をもたらし、陰は、地球の外の宇宙からくる力をもたらすような方向で参画する。 地球は絶えず男性の陽性を要求し、その地上の力を通じて、男性の陽性を組織化する。実際、地球は、男性という性の発生の原因でもある。女性の陰性を絶えず要求するのは、天である。天は絶えず女性という性の形成を引き起こしている。 天は、人体内の組織化過程(プロセス)全般において、圧倒的な影響を及ぼしている。この天の圧倒的な影響は、以前述べた事実を、改めて指し示す。そして、天の圧倒的な陰の力により、以下のようなことが生じる。 受胎を通じて、女性的な本性が発生すると、この女性的な陰の本性は、次第に益々地球外的な過程(プロセス)へと、自らを組み込んでいく傾向に向かう。この本性は、天を受容する傾向になっていく。逆に、男性的な陽の本性が発生すると、次第に益々地球が要求する傾向を帯びてくる。 すなわち、天と地が人間に実際、共作用している。 (遺伝は、男性の陽と女性の陰の均衡により成立する。端的にいえば、男性は筋骨隆々の地の力、女性は丸みを帯びた豊満な天の力といえる。) いま言及している規則性は、例えば、女性には天が作用し、男性には地が作用する、という意味ではなく、天と地の両方が男女の両方に作用し、女性の場合には、天秤の棹が、天に傾くことで釣り合い、男性の場合には、天秤の棹が、地上に傾くことで釣り合う、という意味である。 遺伝は、厳密な規則性をもつが、非常に可変的でもある。しかし、このような性質から、ある帰結が生じる。女性が、人体のなかに含み持つ陰性の力により、地上の陽性の力は、女性のなかで絶えず克服されるが、地上の力が克服されるのは、女性固有の人体組織に限り、胎児や、精子のなかでは克服されない、というような奇妙な現象が起こる。 つまり、女性の場合、天と地との闘いは、精子の形成等に関する生殖経過の外にある組織化過程(プロセス)に限られるため、女性は、先天的に備わる遺伝力から、生殖過程(プロセス)の際に生じる組織化を被ることなく、絶えず免れている。 生殖の周囲で、陽性を、陰性に転じることで、女性は、陽性を被ることを免れ続け、生殖力のなかの陽性、つまり遺伝の傾向は、男性を通じて生じる。女性自身は、この遺伝の傾向を免れるが、その代わり、女性は、卵の形成力のなかに強い遺伝傾向をもつ。 さて、人間社会においては、遺伝の破壊力には、どのように対抗できるだろうか、というような疑問が生じる。 遺伝力は、いわゆる霊、もしくは物質を、前にしても、躊躇することはなく、厳密に適応される。この事実は、いわゆる精神病が支配する家系のなかの形質(変容)の伝播のなかに示され、端的に、糖尿病に罹患し易い傾向をもつ現象として現われる。 だから、遺伝の破壊的な作用から、どのように免れるか、というのは途方もなく重要な問いとなる。この問いに対する回答は、何はさておき、婦人の健康をできるだけ維持するように配慮する以外に方策はない。 というのも、婦人の健康を維持すれば、女性を通じて、地上の課程(プロセス)に、地球の外の影響が、引き入れられ、有害な遺伝を、胎児にもたらすような作用過程(プロセス)を、女性の人体組織から継続的に制圧することが可能となるからである。 つまり、女性の健康によく注意が払われている社会では、遺伝過程(プロセス)に関連して、地の力から発する破壊的な影響に対して、闘いがなされている。というのも、社会には、地球の外から作用し、地の力を調停する力の、いわば蓄電池が、女性の人体機構のなかにしかなく、そのような天の力の効果に訴えかけるしかないので、女性の健康は、社会にとって、最大限配慮すべき重大事である。 今述べた遺伝力は、地上の力にも、地球の外の力にも当てはまり、普遍的な法則である。これは、血友病や生殖病を扱う場合、顕著に明らかになる。遺伝現象については、一般的に色々と述べるのではなく、具体的な事実が手にとれるように示しながら研究すべきだ、という指摘を受けるだろう。 この指摘に対しては、血友病患者における遺伝現象を研究すればよい。血友病を研究すれば、究めて奇妙な現象が見つかるが、これは、たった今説明した事実の、外的な顕現による現象である。 血友病の研究から見つかる奇妙な現象とは、次のような事実である。 血友病患者の継承が生じるのは、家系の血のなかでは、男性だけで、ただ、血友病を遺伝させるのは、女性を通じてであり、女性、つまり血友病患者の娘は、彼女自身が血友病でなくても、血友病の家系の一員なので、彼女の男の子孫に血友病を遺伝させる傾向をもつ。 血友病 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E5%8F%8B%E7%97%85 女性とは異なり、対照的に、男は血友病患者となる。しかし、血友病の家系の一員でないことが証明できる女性と結婚すれば、血友病は遺伝されない。 いま直ちに、遺伝現象を分析すれば、今述べた事実の明白な外的な顕現としての現象が得られ、血友病に関する現象から、少し前(1920年の少し前)のヴァイスマンの試みよりも、遥かに明確に、遺伝に関する本質的な事態の進行を示せる。 アウグスト・ヴァイスマン [August Weismann](1834-1914) 最初は医師、1866年から1912年までブライスガウのフライブルク大学で動物学教授、獲得形質の非遺伝性を仮定した。「遺伝理論の基礎としての生殖質の連続」(イェナ、1885)、「生殖質」(イェナ、1892)、及び、その後の論文参照。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3 女性を通じて男性に遺伝する事実などは、人体機構の全体的診断にとって、重要とみなすべき事実であり、人体機構に影響を及ぼす遺伝的法則に従って診断しなければならない。
2012年09月10日
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前回は、山岡鉄舟の武士道が、老子の55章を思わせることを書いた。 老子の55章とは、例えば、以下である。 含徳之厚きは赤子に比す 蜂タイ爬蛇(キダ)も螫(サ)さず 猛獣も拠らず 攫鳥(カクウ)も搏(ウ)たず 骨弱く筋柔らかにして握ること固し 未だ牝牡(ヒンボウ)の合を知らずして スイ作(た)つ精の至りなり 終日号(サケ)びて嗄(カ)れず 和の至りなり 和を知るを常といい 常を知るを明といい 生を益すを祥といい 気を使う心を強という もの壮なれば老ゆ 之を不道と謂う 不道は早く已(ヤ)む 上記のように漢文を書き下しても、恐らくチンプンカンプンなので、昨今知った著書「タオの法則」から、その意味を抜粋する。 ☆ ☆ ☆ 障害は恐怖心以外にない 恐怖心を克服すれば万事は必要な時に必要なように成就する。 あるテレビ番組で、長年かわいがっていた猫が突然飼い主に襲い掛かるようになり、近づけば興奮するため、檻のなかに入れたままでさわることもできなくなった家族のことを放映していた。 動物の心がわかるという人が家に来て、その猫としばらく対面した後、飼い主に、この子への恐怖心をまったくなくせたら近寄りなさいとアドバイスする。 飼い主の女性はそれまでの恐怖心を必死でなくし、猫に近づく。さらに、あなたのことが好きよと、心の中で言い続けなさいとアドバイスする。 猫はその場でウソのようにおとなしくなり、家族にじゃれつくようになり、飼い主は奇跡だと驚いていた。 つまり、猫と家族を遠ざけていたのは、過去のわだかまりによる恐怖心だったのだ! ☆ ☆ ☆ 以上の抜粋からわかるように、鉄舟の武士道とは、簡潔にいえば、心の整え方なのである。勝負に際して、敵は外にあると思えるけれど、敵の本体は、実は、自分の心のなかにある。 敵とは、自分の心が映した幻覚なのである。それが恐怖心だったり、功名心だったり、欲望だったりする。 では何故に、敵を外にみるのだろうか? それは自分という執着心が敵を外にみさせるのである。 つまり、自分という執着心を無にすれば、敵も無になるというわけなのだ。 例えば、赤い布が赤くみえるのは、赤以外の色を布が吸収し、赤のみが反射されているからである。だから、赤い布をみるときに、赤以外の色を補完してみれば、もはや赤くはみえない。これと似た理屈で、敵愾心をもってみるから、敵にみえるわけで、敵愾心をなくせば、敵にはみえなくなる。 敵愾心をもつのは、自分のなかになんらかの色眼鏡があるからである。色眼鏡を生じさせているのは、自己である。 例えば、老子が説くように、赤ん坊には、全く自己というものがなく、他者に委ねられるままの存在である。 鉄舟は、このタオの法則にしたがって、無刀流を切り開いた! 全てを育む宇宙の心と一体化すれば、敵など何もいなくなる。 タオに通じれば、勝負事などはどうでもよくなる。 さぁ、自分の殻を破って、出てきなさい。 と継続的に、タオは、人類に呼びかけ、語り続けているのである。 そして、鉄舟の武士道とは、端的にいえば、他者の失敗は自分の責任、自分の成功は他者の功績というような心を鍛錬することを意味するのだろう。 武士道の廃れた、いまの日本人の醜悪さを、どうしたらいいのだろうか? 自分さえ良ければいいという輩は、結局、自分さえも切り捨てるようになるのだよ。
2012年09月07日
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幕末の裏事情みたいなことを紹介してきて、明治維新が私利私欲に満ちていたことで意気消沈させてもいけないので、せめてもの救いとして、明治維新で、武士階級がなくなってはじめて武士道が生まれたわけで、武士道で代表的な山岡鉄舟を挙げておきたい。 山岡鉄舟は、暗黒の熱射病のなかの一服の清涼剤ともいえる。 鉄舟は、維新後、明治天皇の教育係となるが、大室明治天皇のことについて知っていたかどうかは謎だが、恐らく、晩年になって知ったと思われるような節がある。 そのことはともかく、山岡鉄舟の説く武士道とは、海舟も語っているが、山岡の武士道は、禅である、という。 山岡の武士道を知るのによい話が、以下のサイトに載っているので、拝借し抜粋する。 http://1767blog.digbook.jp/archives/116 ☆ ☆ ☆ 剣豪・山岡鉄舟 ~剣禅一如を達成~ 山岡鉄舟は、北辰一刀流の四天王の一人であり、剣の達人であった。また、山岡鉄舟は「講武所」の剣術師範でもあった。「講武所」とは、13代将軍・徳川家定が黒船来航を機に建てた、いわば、武力部隊養成所のようなものである。 その講武所で、「鬼鉄」と呼ばれ、皆から恐れられていたのが山岡鉄舟である。「向かうところ敵なし」の山岡鉄舟であったが、唯一敗れた相手が浅利又七郎であった。 最初に浅利又七郎と勝負したのは、道場ではなく、町の中であった。いわゆる、喧嘩である。その日、山岡鉄舟は、女遊びをした帰りで、夜も遅くなっていた。電気のない時代の夜は暗黒そのものである。暗黒の中、橋を渡りかけようとした山岡鉄舟は、誰かにぶつかった。 と、その刹那、今まで味わったこともない殺気を感じた。そこで、山岡鉄舟は刀に手をかけた。しかし、それよりも早く山岡鉄舟の喉に相手の刀が突き刺し、寸前のところで止まった。 「な、なんてことだ!俺よりも早く刀を抜ける奴がいたとは…」 「おい!お前、鬼鉄だな!」 「な、なに!誰だ、貴様は!」 「ははははっ、ただの町の老いぼれ剣士だ!その老いぼれのスピードについて来れないのだから、お前も大した腕ではないな!」 「なにを!」 しかし、この老いぼれには全く隙がなかった。 「おい、鬼!お前は剣術だけしか修行していないようだな!剣術だけでは限界がある。剣術から剣道に変容させることだ!魂と心と体の三位一体を体得しないかぎり、お前はいずれ命を落とすだろう!だから、今日のところは命は勘弁してやる。」 のちに、この老人が剣豪・浅利又七郎だと判明し、弟子入りしたのである。だが、この浅利又七郎に何度挑戦しても勝てなかった。そこで、山岡鉄舟は、剣術だけでは浅利には勝てないことを痛感し、禅の門をたたいたのである。 というのも、浅利は剣術の達人に加えて、人格者であったからだ。「剣術の腕なら、浅利先生と同等のレベルなのに、なぜ、俺は浅利先生に勝てないのか?」 そういう思案した結果、山岡鉄舟は「心」に差があると自覚したのであった。 山岡鉄舟が入門した禅は、臨済禅であった。 臨済禅とは、「公案」と呼ばれる難問を与え、その答えを禅によって見出そうという、独特の修行で悟りに導くものである。例えば、両手で「パンッ!」と柏手を打ち、「さぁ、音のなった手はどっちの手だ?」という演題を弟子に与える。 弟子が「両手です!」と言うと、師は「まだ、ダメだな!」と答える。弟子が「右手です」と言っても、師は「まだ、ダメだな!」と答える。「左手です」と言っても、師は「まだ、ダメだな!」と答える。 つまり、何を言っても、「ダメだ!」と言われるのである。 どんな答えを考えも、「ダメだ!」と言われるので、やがて、頭が疲れ果て、思考が止まる時がくる。 そして、思考のない静寂がやってくる。 その時、師は「それでいい!」と言うのである。 すなわち、「答えのないことが答え」なのである。 思考が出来なくなるまで徹底的に頭を使い果たし、その結果、無思考となり、悟りがやってくるのである。 山岡鉄舟も、「自分が生まれる前の顔とは何だ?」という演題を与えられ、それに悪戦苦闘していた。 「生まれる前の顔とは、これですか?」 「ダメだ!」 こんなやり取りが何年間も続いていた。 そして、とうとう、何の答えも見出せなくなってしまった。 考えつくことは、すべて考えたのだ。もう限界であった。山岡鉄舟は、初めて何の答えもないまま、師の前に来たのだ。 「では、聞くぞ! 生まれる前の顔とは何だ?」 「……」 何も答えがないので、山岡鉄舟はその場で瞑目した。 そして、思考が止まった。 静寂の間がしばらく続くと、師は言った。 「それだ! それが答えだ!」 はっ、と我に返った山岡鉄舟。 「そうか、そうっだのか! 無心の状態こそ生まれる前の顔だったのか!」 「鉄舟! 悟ったようだな!」 「はい、わかりました!」 「では、その状態にいつでも入れるよう坐禅に精進せよ!」 それから、山岡鉄舟は坐り続けた。そして、とうとう山岡鉄舟は、瞬時に「無心」になることが出来るようになった。そこで、山岡鉄舟は、浅利又七郎のところへ向かったのである。悲願達成の日は近づいていた。 「先生!浅利先生!」 「おう、鉄!ずいぶん長い間顔を出さないと思っていたが、とうとう来たか!」 「はい、先生、一手ご教授お願いします。」 「うむ、では道場へ参れ!」 浅利又七郎が正眼の構えになると、山岡鉄舟も正眼に構えた。そして、山岡鉄舟は、体は構えのまま、心で剣を捨て、「無心」の境地に入った。 その時、浅利又七郎が言った。 「ま、待て、鉄! お前、悟ったな! 今のお前は勝ち負けを超越している。」 「はい、先生!悟りました!先生と同じ心境になることが出来ました!」 浅利又七郎は、その場に剣を置くと、山岡鉄舟を抱きしめた。浅利の眼からは涙がこぼれていた。 「先生、ありがとうございます。先生と出会えなければ、今の私はなかったのです!」そして、山岡鉄舟の眼からも涙がこぼれていた。ついに、剣禅一如が成就した。 剣豪・山岡鉄舟の誕生である。時は、すでに明治の世であった。 ☆ ☆ ☆ 以上が抜粋だが、この話は恐らく創作だろうが、浅利又七郎と鉄舟の師弟関係を巧く表現しているように思える。 また、以下のサイトにも、似たようなことが書いてあるが、その部分を抜粋する。 山岡鉄舟『剣禅話』 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0385.html ☆ ☆ ☆ 20歳で願翁禅師の門下に入り、「本来無一物」の公案をもらってまったく手が出なかったが、焦らない。そのまま公案をぶらさげて進んだ。手にした問題を捨てないのである。ついで天龍寺の滴水和尚からは「無字の公案」を投げつけられたが、これもひたすら受け止めて、そのまま体にかぶったままになった。 さらに滴水は「両刃の公案」を与えた。「両刃、鋒を交えて避くるを須(もち)いず、好手還りて火裏の蓮に同じ。宛然おのずから衝天の気あり」というものである。これも鉄舟は抱えた。そして、45歳でようやく大悟した。そこから悠々と禅の本来に入っていった。 剣も似たようなもので、明治に入って多くの武士が刀の使いようもなくなり、多くの士族が拗ねていたか、挫けていたにもかかわらず、鉄舟はそんなことはおかまいなしに独座独考して、奥義を極めようとした。 そうなったのには、大きな契機があった。有名な話だが、浅利又七郎と手合わせをしてまったく勝てなかった。浅利は伊藤一刀斎の剣法を継承する明眼の達人で、鉄舟はその浅利に何度手合わせしても自分の未熟を知るだけだった。完敗なのである。 それからというもの、寝ても覚めても浅利の姿が消えなかったというのは大袈裟であろうが、ある日、豪商の商売の話をゆっくり聞いているうちに何かの気合を会得し、道場に出て瞑想をしてみたところ、ついに浅利の幻影が消えていた。 さっそく門人の篭手田安定を呼んで手合わせをしてみると、「参りました」という。「これまでの先生とちがいます。まったくスキがないんです。驚きました」という。鉄舟もそれを実感できた。そこで浅利又七郎に頼んで角技を申し込み、剣を構えあったのだが、浅利はたちまち一礼をして「余、及ぶところにあらず」と兜を脱いだ。それが明治13年3月30日のことだと鉄舟は『剣法と禅理』に記している。 鉄舟は幕臣で御蔵奉行をしていた小野朝右衛門の四男として生まれて、9歳には久須美閑適斎の神陰流を習うのだが、父が飛騨高山の郡代になったので、高山で北辰一刀流の井上清虎にを学びなおした。ここで岩佐一亭について書も学ぶ。 父の死で江戸に戻ると、安政2年に幕府の講武所に入って、千葉周作らの指南を受けた。ついで若死にした槍の山岡静山の家を継いだとき、静山の弟の高橋泥舟と親交を結ぶ。さらに清河八郎と攘夷党をつくり、さらに幕府が募集した浪士組の取締役となって近藤勇らを引きつれることになって、このあたりで大活躍をしそうだったのだが、浪士組がすぐに分裂して江戸に戻った。 このころはかなり血気も盛んであったはずで、そのまま腕を磨いて自信をもてばよいものを、ここで先にも書いたように浅利又右衛門に完敗して、そのまま沈思して修養に入ってしまった。 そしてひたすら武士道だけを考えた。武士道を心身に起こしきることを願った。 鉄舟が安政5年に綴った「修心要領」は、鉄舟が考えた武士道が敵を討つためのものではないことが明白に述べられている。 「世人剣法を修むるの要は、恐らくは敵を切らんが為めの思ひなるべし。余の剣法を修むるや然らず。余は此法の呼吸に於て神妙の理に悟入せんと欲するにあり」。 世の中で剣法といえばおそらく大半が敵を倒しこれを切るためのものであろうが、自分の剣法は人を切るためではなく、呼吸の神秘を会得するためだというのである。これは剣法が自分の大悟のためだけにあることを意味した。すなわち無敵、なのである。武士道に敵はないという主旨だった。鉄舟の剣法が「無敵の剣法」といわれたゆえんだ。 ところで、鉄舟は書人でもある。その書はその武道に似て、いかにも独断自在に富んでいる。明治18年の「書法に就て」を読むと、鉄舟自身が剣と書とを同一視していたことも伝わってくる。 「書法に就て」には、鉄舟がその書を拓くにあたっては音羽護国寺の堂内に掛かっていた空海の書に強烈な衝撃をうけたことも明示されている。鉄舟はその空海の"字体脱俗"の書風に憧れて、書を独自のものとしていった。 その書もまた武士道だった。 ☆ ☆ ☆ また、以下のサイトでは、山岡鉄舟が、自分の剣について端的に語っていることが書かれている。 山岡鉄舟の剣 http://www.aikido-yawatahama.jp/newpage31.htm 以下は抜粋。 ☆ ☆ ☆ 「人は道によっておこなうときは、勇気が出るが、わずかでも私心があり、術策をめぐらす気があらわれると、身に隙が生じるものである。」 ☆ ☆ ☆ 上記の鉄舟の言葉は、武士道の極意を巧く表現しているようにみえる。 「作為をなくせ」という意味にきこえる。この内容から連想するのは、老子である。 特に老子の第55章である。その解説は、次回に譲る。
2012年09月07日
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太平洋戦争の裏事情を色々紹介している経緯から、様々な出来事の真相というべき理由がわかってくる。 それは江戸無血開城の謎である。 戊辰戦争が、大室明治天皇、つまり南朝革命発案者慶喜-勝への薩長の口封じだと考えれば、慶喜が、無抵抗のまま幕府軍を置いて逃げ回り、恭順という名の下に黙秘を厳守した意味がわかる。 大室明治天皇が長州伊藤の手の内にあり、慶喜から挑発でもしない限り、江戸無血開城は、規定路線ということになる。つまりは、第2次長州征伐で、慶喜が大室明治天皇を手の内に入れることができず、幕府に大政が再任されなかった時点で、慶喜の敗北が決定し、慶喜には大室天皇に何とか取り入り、幕府存続の道しかなくなった。 そうすると、慶喜が尊王攘夷の志士たちを長崎に集めて撮らせたといわれている例のフルベッキ写真は非常に重要な意味をもってくる。 フルベッキ写真 http://www.nextftp.com/tamailab/verbeck.htm 薩長官軍は、この写真が世に出されるのを非常に恐れただろう。だからこそ、薩摩の西郷は、慶喜の首に拘った。薩長は、大政奉還後の龍馬が、慶喜を中心とする船中八策の共和体制案に、度肝を抜いただろう。 長州の伊藤が孝明天皇父子を暗殺した時点で、王政復古をしなければ、天皇制の維持が困難になるからだ。慶喜の二枚舌から考えれば、大室明治天皇の身柄が確保できれば、傀儡明治天皇の下に、改めて、幕府に大政を再任させて存続を図れ、また身柄を確保できなければ、龍馬から世に流れた共和国体制に転換を図ることも考えていたものと思われる。 しかし、慶喜の共和国体制になると、薩長のせっかくの大室天皇という玉が台無しになってしまう。この間の龍馬の動きは非常に重要になってくる。なにしろ、天皇制存続に関わるからだ! 龍馬が、慶喜を中心とした新政府構想を中岡に明かしたのは軽率だったというべきだろう。実際は○○○という記述だったが、慶喜公であることは明白だったからだ。 西郷は、龍馬が新政府構想に入っていないのに、疑問をもったという逸話がある。龍馬が海外の海援隊でもやると発言したそうだが、その発言は、西郷にとっては、上海メーソン、つまり麻薬や武器屋のジャーディン・マセソン商会の手下になるということを意味するので、実際に龍馬の亀山社中は、東インド会社のコピー会社であるから、とんでもない裏切り行為と感じただろう。 しかし、この龍馬の商社構想は、後藤象二郎や岩崎弥太郎になかば略奪される形で実現し、後の土佐山内家の家紋の三菱を基にした日本帝国海軍となる。慶喜の構想を略奪した伊藤と同じ。 つまり、龍馬を通して、慶喜の動きは筒抜けだったわけで、薩長同盟までは慶喜の構想に、薩長が乗っていたことを意味し、大政奉還後の薩長の動きは、慶喜からすれば、逆に薩長が裏切ったことになる。龍馬が、慶喜に動かされていたことをどこまで知っていたかは疑問が残る。恐らく、慶喜を信じきっていたのだろう。 中岡が、薩長の間者をやっていたという説もあるが、それだと、中岡が、薩長と幕府の狭間に立たされ、中岡は、龍馬に、新構想を断念させ、薩長に加担することを説得しにいき、駄目なら殺すという説も浮上する。 つまり、中岡に龍馬を説得させ、駄目なら、中岡に龍馬を殺させ、口封じのために中岡を薩摩が暗殺したという説も充分に説得力をもつ。実際、今井信郎は、近江屋の外で見張りをしていただけという証言もある。 ともかく、薩長により龍馬が殺され、大室天皇の下に王政復古がなされ、討幕の密勅がでた時点で、慶喜の構想は宙に浮いたものとなり、薩長の裏切りが明白になり、慶喜は幕府軍を捨て逃亡を図る。慶喜にとっては、家茂暗殺の件もあり、逃げるしかなかったのだろう。 龍馬が殺された以上は、密かに逃げるしか、慶喜の脳裏にはなかった! 薩長は、せっかく確保した玉を奪われないように、有栖川を先頭に立て、討幕という名の下の慶喜の口封じに走る。慶喜の手のうちには、例のフルベッキ写真が残されている。 江戸無血開城の黙秘の条件の背後に、あのフルベッキ写真が鍵を握っていたようにも思える。大室天皇は、慶喜がつくったという証拠を用いて、いかに徳川家の存続を図るか、が鍵となるからである。 薩長は慶喜口封じのための戊辰戦争なので、慶喜と勝は薩長に命を狙われる立場になる。龍馬が暗殺されたからだ。だから、慶喜と勝は、薩長とは接触できない。忽ち殺されてしまうからである。しかし、徳川家存続のためには、恭順という名目で、大室天皇のことを黙秘することを薩長側に納得させる必要がある。 つまり、江戸城無血開城とフルベッキ写真の非公開などの黙秘を条件に、徳川家存続を図るのが、有名な勝-西郷の前座として行われた山岡-益満と西郷の会談である。 慶喜と勝は、自分たちの命が狙われていることを充分に知っているので、他の人選を探ることになる。薩長側と通じている絶好の人物が、益満休之助である。また、慶喜を諌められるだけの幕府側の証人が必要だから、通常なら、勝海舟だが、薩長に命を狙われる立場で無理だから、高橋泥舟に話がいったが、高橋が江戸の治安から抜けると、幕府主戦論に対する抑えがきかなくなるというので、高橋泥舟が、山岡鉄舟を推薦したようだ。 世間では、山岡鉄舟の評価が高いが、確かに山岡の無謀ともいえる薩長への面会がなければ、徳川家の存続はなかっただろう。和宮は孝明天皇の暗殺を、後に知る可能性が高い人物として薩長には不都合な人物でもあり、天樟院は、西郷を良く知り、また徳川家側に立つ存在としても、危険な人物であろうから、記録のもみ消しなどに江戸城を奪取することは必然の成り行きといえる。 実際、慶喜は、和宮や天樟院を利用して、朝廷から薩長に揺さぶりをかけているから、西郷には目の上のタンコブだっただろう。事実、和宮や天樟院の手紙はほとんど無視されたようだ。多くの武士の命が奪われている現状に、単なる貴族の感傷などに構ってられるユトリなど西郷にはない。藩主の命令さえも無視している現状で、薩長にとっては、慶喜の口封じだけが目的だったからである。それに西郷は、旧来の身分制度撤廃が維新の目的である。 慶喜の大政奉還後、西郷は、慶喜から、水戸藩と長州藩との盟約に基づいた主導権を奪い返すために、益満休之助を使って、江戸の治安を混乱に陥れた。この年(1867年)は、龍馬暗殺の年でもある。つまり、西郷は、幕府と長州との間の勝海舟が取り付けた約定に揺さぶりをかけ、横槍を入れ、薩長側の目的である傀儡大室天皇による討幕に向かわせた。 慶喜は、一旦、朝廷に返上した大政が、再び戻ってくると思い込んでいたようだ。そのための家茂暗殺の長州征伐だったわけで、フルベッキの写真も証拠としてある。しかし、この慶喜の目論見は裏目に出る。薩長の裏切りを知ったときの慶喜は、顔面蒼白だっただろう。 事実、慶喜は蛻の殻同然だったという証言が多数残っている。もはや、幕府の主戦論者の意見などは耳に入らなかったようだ。逃げることしか頭になく、冷静さを失っていたようだ。慶喜は、西郷の恐ろしさを知った。勝は、西郷がいつ出るかと思っていたが、実際、西郷が出てきたときは、恐ろしさを感じた、というようなことを述べている。 傀儡大室天皇の王政復古を遂げるには、朝廷工作が必要となるが、それが西郷の江戸の治安悪化工作である。治安の悪化を理由に、幕府軍は野蛮だという印象を朝廷に植えつけるために、薩摩藩邸を襲わせる。 その工作の影の主役が、益満休之助で、戊辰戦争で、重要なことは、益満休之助が、幕府軍の弾薬補給を担っていた弾左衛門を、身分制度の撤廃という条件で、薩長側に寝返らせたことである。 その益満休之助が、幕臣の山岡鉄舟と、西郷の前に現れたから、西郷は肝を冷やしただろう。朝廷工作が見透かされたわけでもある。つまり、慶喜への裏切りを告発されたようなものだ。西郷に良心があれば、江戸を混乱に陥れた非道行為を恥じるだろう。 実際、西郷は、益満-山岡との会談の後、投げやりになったようだ。江戸については、勝海舟に任せるというようなことを述べたともいわれている。大久保利通も、西郷は、肝心なところで、投げやりになるというようなことを述べているが、江戸無血開城のことだろう。 冷徹な大久保には、西郷の心情を察することはできないのだろう。実際の官軍の江戸侵入については、大久保や伊藤、そして長州の大村益次郎で、幕府主戦派残党の彰義隊との戦いを利用して、長州は、薩摩に犠牲を強い、薩摩兵の戦力を奪う。つまり、後の西南戦争の前哨戦を行う。 このときの大村のやり方は非情極まりないもので、薩長軍には戦費がなかったので、鍋島藩の軍船を売る代わりに、その金で、わずか数日分の弾薬の都合をつけ、長州の奇兵隊を、幕府軍と偽って、彰義隊のなかに潜り込ませ、彰義隊と前線に配置した薩摩兵とを戦わせ、薩摩兵の消耗も図りながら、頃合いを見計らって、奇兵隊として寝返りさせ、彰義隊を挟み撃ちにするやり方だったようだ。大村は、この寝返り作戦を多用したようである。 このようなやり方は、メーソン特有のものである。大久保は、このとき、薩摩を裏切ったことになるから、後に暗殺されてしまう。自業自得といえる。大村も、このときのやり方を後に薩摩側に知られ、暗殺されてしまう。自業自得である。 西郷も、慶喜を裏切ったことで、後に、明治天皇に裏切られ、西南戦争で死ぬ。これまた自業自得といえる。慶喜は生き残ったが、晩年は、写真を撮る趣味に現を抜かしたようだ。フルベッキ写真は、自分が撮ったのだといいたかったのかもしれない。 明治維新の連中をみていると、自分がしたことが、自分にかえってきて、やはり自業自得という他はない。 勝は、幕府の残党とともに、徳川家が存続した後、伊藤の明治政府と言論で戦いながら、「これでおしまい!」と言って果てたという。 明治維新の主要メンバーのほとんどは、身分制度とともに殺された。しかし、二流の人物が、昭和に向かって、新たなる身分制度をつくっていく。だから、西郷や勝がいうように、明治維新は失敗だったのだろう。 学閥による新たなる身分制度をつくろうとしたのが、福沢諭吉である。そのことは、学問のススメに書かれている。学問が立身出世の道具となり、精神を腐敗堕落させた昨今の現状をみれば明治維新の失敗がよくわかる。私は、姑息な福沢諭吉が大嫌いだ! 実際、福沢諭吉は戊辰戦争のときに逃げ回っていたという。命を狙われるような人物でもないのに、逃げ回って、全てが終わったときに、口先だけ立派なことをいって出世する人物のようだ。海舟は、諭吉を利巧な奴だと皮肉っている。 現代の日本人は、福沢のコピーばかりだから、福沢という人物は、現代人の軽薄な特徴をつくった先人ともいえる。失敗は、他の人の責任、成功は自分の功績という人物なのだろう。要するに宣伝屋だ!
2012年09月06日
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抜粋転載を続けます。 ☆ ☆ ☆ 鬼塚英昭著『20世紀のファウスト』成甲書房より 以下抜粋。 『二十年前の資料によってもアスター家の資産は四百億ドル以上である。ロスチャイルド家、ロックフェラー家と並ぶ世界の大富豪である。そのジョン・ジェイコブ・アルターはイギリスに渡って金で貴族の地位を買い、アスター卿となった。息子のウイリアム・B・アスターはアメリカの各企業に投資して巨大組織を作った。』 『一九一九年、RIIA(王立国際問題研究所)がつくられ、アスター家はその中心となった。ここからCFR(外交問題評議会)が生まれた。このことはすでに書いた。ハリマンとヴィンセント・アスターは長年の友人だった。ヴィンセント・アスターは「ヴィンセント・アスター財団」をつくり、アメリカの世論を対ドイツ戦に誘導しようとした。 アスター家は、イギリスとアメリカで正反対の行動をとるのである。では彼らは仲違いしたのだろうか。ここに戦争がどうして起こるかの秘密がある。彼らはユダヤ王ロスチャイルドの「標準操作方式」を採用しているのである。』 『ヴィンセント・アスターについてもう少し書くことにしよう。イギリスのアスター家が「クリブデン・パーテイー」』を作り、ナチス・ドイツを讃えていた頃に、ヴィンセント・アスターを中心とした「ルーム」と呼ばれる秘密組織が出来た。アスターは情報を収集するために「ルーム」に人員を集めた。この情報をルーズヴェルト大統領に伝える一方で、アメリカの世論を誘導するための活動に入っていった。』 『アスターはセオドア・ルーズヴェルトの次男カーミット・ルーズヴェルトをこの「ルーム」に入れた。チェース・ナショナル銀行頭取のウインスロップ・オルドリッチも加わった。「諜報活動と破壊活動には金がかかる」とは、アスターがよく使っていた言葉である。』 『イギリスのバッキンガムにあるアスター卿夫妻の別荘に時折、奇妙な人々が集まり世界情勢について話し合っていた。その一部の政治家と金融グループは「クリブデン・セット」と呼ばれていた。 ロンドン・シティ(ユダヤ王ロスチャイルドの完全支配化にある)と金融業会から「多額の資金援助」を受けていた親ドイツ派グループであった。彼らは、ロックフェラー、モルガン、ハリマンなどのニューヨーク・ウォール街関係者たちと一脈を通じていた。当時の駐英大使ジョセフ・ケネデイ(JFKの父親)もこの一派とみなされていた。』 『イングランド銀行総裁モンタギュー・ノーマン卿とハリマンにとって深い関係にあるのがアスター家である。このアスター家を知ると、戦争がどうして、何のために起こるのかが分かってくる。』 『イングランド銀行の深奥の部屋の中には、棺桶とアカシアの小枝が置かれている。この部屋に入った者はみな、誓いの言葉を述べるのである。”私はこれによって、ここにおいて、私が授かった、または授かろうとしている、あるいは将来授かるであろういかなる技術も、秘術も、古代フリーメーソンの神秘も、いつも喜んで受け入れ、隠匿し、その一部を一点たりとも決して外部に漏洩しないことを、最も厳重に心より約束し、誓います。”』 『イングランド銀行のロッジには世界の秘密が隠されたままである。イギリス王室、ロスチャイルド、ブラウン家以外にも、アスター家、サッスーン家、デボンシア家などの貴族が、このロッジに入ることができる。 このロッジの中から、世界権力政府が数々の人材を世に送り出すことになる。イギリス首相のチャーチル、アメリカではルーズベルト大統領を操ったバーナード・バルーク、そして、レーニン、スターリン、ヒトラーたちである。』 『ヒトラーを支援し、総裁の地位に押し上げたのはイギリスの「クリブデン・セット」であるとすでに書いた。アスター子爵家に集う政治家ないし金融街シテイの連中のことだが、このアスター一族のほぼ全員RIIAのメンバーであった。中でも、M・L・アスターはタイムズの会長であり、ハンブローズ銀行の役員でもあった。タイムズ紙はRIIAの管理下にあることを知る必要がある。』 『RIIAの連中は「クリブデン・セット」を使い、一方でヒトラーに資金援助し、ナチス・ドイツを強大化し、同じやり方でヒトラー打倒の手を打っていくのである。こうすれば、戦争が勃発し世界が混乱するから、不幸な人々の富を奪い得るのである。一極集中の権威は戦争の中からしか生まれてこないのである。 ユダヤ思想と反ユダヤ思想とは、黒い貴族たちの間では決して矛盾するものではない。彼らの思想の根底にはヘーゲル哲学の「決定論」が脈打っている。これを金儲けに応用しているのである。二つの相対する勢力をでっち上げ、これを互いに闘わせて、一つの「総合」を得るという方法である。親ユダヤ対反ユダヤの効果として、一つの総合であるユダヤによる世界統一政府が出来るというわけである。』 『日露戦争を見るとこの方法が採用されたことがよく理解できる。ロスチャイルドは「西洋の敵」である日本に援助を与えた。それは帝政ロシアを滅ぼすための一手段として、日本を利用しようとしたのである。では日本が敗北していたらどうなっていたか。 日本の諸権益を奪えばそれでよかったのである。債権を持つロスチャイルドは日本銀行をイングランド銀行やアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)のような組織にしたであろう。ユダヤ王ロスチャイルドは、金を貸して利を得ることが第一の目的で、日露戦争に協力したということなのである。 従って、次に日本を敗北させてしまえば、日露戦争で儲けた分の数十倍も金が儲けられると計算したということである。日露戦争から第二次世界大戦にいたる軍拡国家日本に巨大な投資をし、巨大な利益を上げた。そして一気にぶっ壊すべく動いたのである。』 以上抜粋。 ☆ ☆ ☆ 以上の抜粋の内容から考えると、戦争に巻き込まれないためには、吉田茂や山本五十六のような人物を、国家中枢の重要な地位に就けないことが肝要となる。就いてしまっても、独裁できないように抑制するか、地位を剥奪する民主的な議会機能が重要となる。 議員については、メーソンに関係のある人物や、出自が明らかでない人物などを選ばないことが重要である。外国の経歴をもつ人物は特に危ない。税金を掠めとられる要因を生む。 悪魔は、金銭をバラマキ、マスコミを使って巧みに誘導するので、マスコミの誘導に乗らずに、自分の理性で判断することが重要である。現代でいえば、個人的には、コイズミが、YKKトリオの加藤、山崎を裏切ったあたりから、怪しいと睨んでいたが、マスコミのB層誘導により、コイズミ独裁が続いてしまい、コイズミ改革が、日本に大損害をもたらしたことはもはや一目瞭然であろう。日本は、第2の敗戦を、コイズミによりもたらされた。自殺者の増加がそれを物語っている。 ホワイトハウスに歓迎されたのはコイズミとナカソネであるが、これが何を意味するのかは、もはや、これまで紹介してきた謀略論から明らかだろう。ナカソネは極悪人だ! だから、我々国民ができることといえば、コイズミのような怪しい人物の登場を未然に防ぐしかない。それには、マスコミの誘導に乗らないために、マスコミを一切無視するのが重要である。新聞など洗脳媒体なので、読むのは非常に危険だ! いまの民主党政権は非常に危険である。問責決議を受けた総理や大臣が続けるというのは、民主主義無視の、全くの独裁である。かといって他の政党も似たようなものである。国会の民主的チェック機能をとにかく正常に戻さないといけない。復興を棚に上げ、原発稼動というアホさに日本民族の精神腐敗は極度に達している。 原発稼動しないと電力不足に陥るとマスコミはいっていたが、十分に足りている現状をみれば、マスコミが洗脳媒体であることのなによりの証明といえる。ああいう連中は、皆地獄にいくから、覚悟するがいいね! 閻魔様に舌を抜かれますぞ!!
2012年09月06日
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抜粋転載を続けます。 ☆ ☆ ☆ 再び前掲書より抜粋。 『男の仮の名はアダム・ワイスハウプト(1748~1830)である。・・・1776年5月1日・・・ワイスハウプトは、ババリア公国(ドイツ)のインゴルシュタットでルシファー[堕天使]を崇拝する秘密教団を設立した。 (776という数も意味深である。777に1つ足りないという意味がある。) 教団の名は「イルミナティ」。この名称は「光を受けた者」「啓蒙された者」を意味し、そのメンバーはルシファーから秘密の(同盟団の)教えを受けたということを示していた。 (ルシファーはキリストになりすまし、人類に叡智を与えたといわれている。それが、聖書の蛇に唆され、人類の祖アダムとエバが善悪の実を食べたと記述された意味である。) ルシファーは彼らにとっての光を掲げる存在、あるいは光をもたらす源と考えられた。ワイスハウプトは同盟団の悪魔の血流から潤沢な資金と特別待遇を受けていたが、彼らにとって使い勝手のいい理想的な表看板、広告塔に過ぎなかった。』 (悪魔というと、大抵の唯物論洗脳者は概念が皆無なので馬鹿にして相手にしないだろうが、人間も肉体をもつ精霊もしくは精神体と考えれば、悪魔の概念を少しは理解できるだろう。肉体をもたない精神体の存在である。 例えば、コンピューターは、ハードとソフトからなるが、大まかに人間にあてはめると、ハードが肉体、ソフトが精神という感じになる。ソフトは、ハードにインストールしないと動かせないが、悪魔はいわば悪さをするソフトで、悪魔の場合、誰かの肉体に憑依し、介入し、3次元世界に干渉するわけである。 人間が、悪いことを思えば、悪魔が介入するし、良いことを思えば、聖霊が介入するわけだ。つまり、人間は、善悪両方のソフト、つまり精神体をもっているといえる。) 『イルミナティが存続する唯一の道は姿を隠し続けることだった。それゆえ入会者はイニシエーションにおいて沈黙の宣誓を行い、秘密保持を誓わされた。誓いの言葉の一部には「和あたしは永遠の沈黙と、教団への揺らぐことのない忠誠と服従を誓い・・・」とある、誓いの言葉はさらに続き、もしも教団を離れたりその計画を洩らすようなことがあった場合には、どのような恐ろしい目に遭うかを語ってゆく。』 『イルミナティを詐術の壁の背後に隠しておくため、ワイスハウプトは信者に対して、悪魔の目標の達成については嘘をつくように言っている。「あるときはそれなりのことを言い、別のときには違ったことを言わなければならない・・・そうすれば、本当はどういう方向で考えているのか、私たちの心を読まれることはなくなる。」世間の目を欺く手段としては、表象やペンネームの使用がある。ワイスハウプトのまたの暗号名はスパルタカスだった。』 『十九世紀の終わりごろになるとイルミナティは外貌を変え始める。高位階の者が害のなさそうな名称でうわべだけの組織を作り、自分たちの会合を隠蔽し始めたのである。1901年にはアスター家が尽力してピルグルム・ソサエティ(巡礼者会)なるものが創設された。これは英米のイルミナテイのうち、プリンスと呼ばれる六親等のメンバーのための隠れ蓑である。』 (このような話は、最近では、宇宙人侵略説の類に誘導されている。確かに悪魔も、肉体をもたないという点では、宇宙人だから、間違いではない。宇宙人というよりは、地球上を徘徊するので、地底「闇」人というべきだろう。 オカルトでは、月の闇の存在と呼ばれる。進化の上で、月紀に、地球と分離し、月に移ったからである。月といっても、天体の月だけではなく、地上から、月までの領域を意味する。だから、本来の地球とは、3次元空間の物質領域を意味する。物質領域以外は、月の領域、あるいは黄泉とも呼ばれる。 このような観点から考えれば、UFOは、物質ではないエネルギー体の意味で、黄泉の領域に住む存在を意味し、宇宙人の船という表現もあながち間違ってはいないが、物質的に捉えられるUFOは、人類がつくった軍事兵器と考えるべきだろう。だから、UFOには2種類ある。) 『1919年、RIIAが作られ、アスター家はその財政支援の中心となった。RIIAは4親等以内のイルミナティの隠れ蓑として機能している。アスター家はまた、イギリス版スカル&ボーン・ソサエテイともいうべき「ザ・グループ」のなかでも飛び抜けた存在となっている。イギリスではアスター家とその他の約20の血族が「ザ・グループ」を支配している。』 『アスター家は他にもオーウエン・ラティモアをアヘン貿易の代理人として使い、その代わりにラティモアは、IPR(太平洋問題研究所)から資金を受けていたローラ・スペルマン(カトリック枢機卿)を利用していた。IPRは、イルミナティの決定に従って、アヘン貿易に参加した中共を監督した。』 『世界の大事件の後ろで人形を操る意図は一般大衆には見えないかもしれない。が、いくつかの大事件の根源をたどっていけば、アスター家が手を貸して糸を引いていることが分かる。例えば、IPRは真珠湾攻撃の下地作りを助成した。』 以上抜粋。 ◎総論続き アスター家はドイツ南西部から、アメリカに移民してきたルーツを持つ。ドイツ・ハイデルベルクでの魔女集会で、指導的な役割を果たしていた一族である。アメリカに移住して、サタン崇拝のエリートたちを支配し、麻薬貿易の他に、毛皮貿易を独占して貴族階級の地位を確保し、その後イギリスに移住して貴族となる。 彼らは代理人を通じて、現在もアメリカで強大な金融力を振るっている。アスター家のコレクションのなかに、ルーズヴェルト大統領の祖先デラノ家が入る。デラノ家は千年以上も続くベネチアの黒い貴族の一つである。 アスター家は「IPR」を財政支援する一方で、「クリブデン・セット」を組織する。アスター卿の屋敷に出入りする、親ドイツ派の政治家や金融家たちグループである。彼らは営々とヒトラーを育てて「乱」を演出し、「真珠湾攻撃」の下地作りをする。アスター卿はイングランド銀行の深奥にある小部屋に出入りを許されている。ここが「世界権力政府」のロッジである。 私は真珠湾攻撃の創案者はヴィンセント・アスター卿だと思う。 ☆ ☆ ☆ 以上の抜粋の文により、この内容を書いた筆者は、ヴィンセント・アスター卿により、山本五十六は嵌められたと考えているようである。
2012年09月05日
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歴史は、時の権力者により都合よく書き換えられることを前提にして、歴史を考証しなくてはいけない。 書き換え型にも特徴がみられるとよくいわれる。日本や中国では、これまでの歴史書に沿って改変するような書き方で、朝鮮では、これまでの歴史書とは無関係に新しく書き換えるような傾向があるといわれる。 現代によくある謀略論の展開としては、日本や中国に近く、前半は、信憑性の高い記述を用いながら、後半で、違う方向にもっていくような誘導の記述が多い。また、宇宙人やUFOなど奇想天外な題材を持ち出して、新しく書き換える謀略論は、朝鮮の書き換えに近いといえる。 そもそも歴史書や謀略論は、なんらかの意図をもって書かれるわけで、とどのつまり洗脳なわけで、洗脳のやり方を知れば、その謀略論の意図を読みことができる。 書き換えを行う必要があるのは、秘密を隠したいことなわけで、例えば、評判をよくしたいのは、あまり評判が良くない裏返しを表明することになる。 つまり、書き換えにも、陰陽の法則を考慮すればよいのだ! そのような意味で、歴史の書き換えと、謀略論から、真相が逆にみえてくるわけで、端的にいえば、謀略論として片付けるのは、それだけ知られては拙いことを暗示している。 さて、太平洋戦争の謎というタイトルで、色々な謀略論を紹介してきたが、そこからわかることは、出来事が起こる前には既にシナリオが整えられている、ということである。 そこで、前回の吉田茂と白洲次郎の、真珠湾攻撃への関係に迫る謀略論を続けて紹介したい。それは以下のサイトである。 http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/655.html 上記のサイトは、山本五十六は嵌められたという立場をとっているようだが、嵌められようが、フリーメーソンであろうがなかろうが、当時の国民にとってみれば、大量殺戮の片棒を担いだことにかわりはなかろう。 以下、上記のサイトの内容を抜粋していく。 ヴィクター・ロスチャイルドはナチス・ドイツと八百長戦争をして儲けるために、親ナチス派のエドワード八世に醜聞を仕掛けて排除したようです。彼は自分のお城にエドワード八世を招待し、既婚で凄腕のシンプソン夫人を差し向けました。 (ヴィクター・ロスチャイルドは、映画007のモデルとなった人物だという。要するに、人物宣伝である。上記の出来事は、落合信彦が訳した「20世紀最後の真実」にも載っていた。) シンプソン夫人は駐英大使リッペントロープ(後の独外相)とも愛人関係にあり、ナチスドイツが英国に勝利した暁には「ナチス帝国イギリス領」をプレゼントする、という餌が与えられていたと伝えられています。 ヒトラーとリッペントロープが二人の誘拐を図り、それを阻止すべくチャーチルがMI6を動かす。いざという時は二人を殺せという指令が出ていたようです。チャーチルはエドワード八世の醜聞に一役買っていた張本人。指令を出していたヴィクター・ロスチャイルドはMI5所属。鬼塚氏によるとヴィクターはIQ184だそうです。頭が良いだけでなく万能だったということです。 (IQ184というのは、恐らく眉唾だろう。) ◎山本五十六を人選した人物はヨハンセングループの中にいる。 ◎総論 第一次世界大戦が終了した直後の1919年6月、「パリ平和会議」という名前の次の戦争を練る会議が開催される。日本の全権大使一行の内訳は西園寺公望、その私設秘書である近衛文麿、牧野伸顕、その私設秘書である女婿の吉田茂。松岡洋右以下略。 (松岡洋右は、日本を対米戦争に巻き込むために、武器屋から賄賂を貰い、スイス銀行に預けたという噂もある。) 直前の5月30日、世界に乱を演出して儲ける主要メンバーが集結する。彼らはパリ・マジェスティックホテルの一室で談合し、政府に政策(という名の悪事)を進言する(という形で命令する)機関として、IIA、CFR、IPRを設立する。 この時IPRの創立に関わり財政支援したのがアスター家である。真珠湾攻撃を創案したのはアスター卿を中心とする親ドイツ派グループ「クリブデン・セット」である。 彼らはイギリスのバッキンガムにあるアスター家を本拠地にして、英米を動かしてヒトラーを営々と育てる一方で日米を大戦に引きずり込む作戦を練る。 そしてこの黒幕はドイツ国際問題研究所である。パリ平和会議日本全権大使一行としてヨハンセングループがパリに赴き、そのシナリオを受け取り昭和天皇に渡す。 (昭和天皇に渡したかどうかは怪しいところで、昭和天皇に反対される可能性は大だからである。) ヨハンセングループは真珠湾攻撃を演じさせる役者を物色する。悪意に満ち姦計に長けた人選がなされる。日米開戦に絶対反対派の海軍次官であり、かつての「賊軍」の名家を継いだ者に白羽の矢を当てる。 やがて時は流れ1939年9月1日ヒトラーがポーランドに侵攻し、チャーチルが宣戦布告して第二次世界大戦の八百長が幕を切る。直前の1939年8月30日に任命された海軍連合艦隊司令長官は、真珠湾攻撃を遂行するために人選されたのである。 この連合艦隊司令長官は最初から汚名を被る宿命にある。真珠湾攻撃の重要なポイントは鮮やかな奇襲ではなく、わざと通達を遅らせ卑怯な騙まし討ちにすることにある。アメリカ国民と議会を怒り心頭にし即参戦させ、ジャップスを無条件降伏に追い込むまで戦争を継続させるためである。八百長だから連合艦隊司令長官が第二次第三次攻撃を指揮することは許されない。 フリッツ・ズプリングマイヤー著『イルミナティ 悪魔の13血流』太田龍監訳 KKベストセラーズ刊行より 以下抜粋 『ベルギー南部に一つの城がある。(その地を旅行してこの城を見たいという人がいれば、地図で場所を示してご説明しよう)。これはマザーズ・オブ・ダークネス城である。城の中には聖堂があり、この聖堂の地下室では毎日小さな赤ん坊が生贄にされている。 そしてその血はインクとして、反キリストが権力を握っていく歴史を特別大きな本に書き込むのに用いられる。この書物は二十四時間ほとんど休みなしに書き込まれる。この手書きの本のなかの歴史を読めば、世界の主要なマスメデイアがだまされやすい大衆に対して行っている宣伝活動の裏に、どんな真実があるのか明らかになるだろう』 以上抜粋。 ◎総論続き マザーズ・オブ・ダークネス城で二十四時間書き継がれてきた歴史書には、真珠湾攻撃の謀略の仔細が記されているだろう。真珠湾攻撃を創案した者たちの意図、それが用意された時期、そして日本の海軍連合艦隊司令長官にその役を振り当てた経緯が、赤ん坊の血のインクで細大漏らさず書かれていると確信する。 スプリングマイヤー氏の前掲書より再び抜粋。 『一九一九年五月三十日パリ平和会議に向う代表団の主要メンバー数人がパリのホテル・マジェステイックに集まり、国際問題について各政府に進言を行うことを目的とした国際グループの設立を話し合った。国際問題研究所という名称はこの会議で決定した。』 『六月五日の会議では相互協力し合う別々の組織を持つことが最善であろうと立案者たちは決定した。その結果外交問題評議会(CFR)がニューヨークの本部を置き、その姉妹機関でチャタム・ハウス研究グループとしても知られているロンドンの王立問題研究所(RIIA)がイギリス政府に進言する目的で組織された。 注;ユースタス・マリンズによるとこの逆でIRRAの下部組織としてCFRが創設されたとしている)補助機関の太平洋問題研究所(IPR)は極東問題を専門的に扱う(だけでなく、真珠湾攻撃を助成するために設立された。』 以上抜粋。 ◎総論続き スプリングマイヤー氏は、 『同時にフランクフルトに設立された「ドイツ国際問題研究所』に関する研究は、これまで目にしたことがないが、このグループが第二次世界大戦の発生に、どのように関わったかを調べてみれば興味深いだろう』 と重要な示唆をしている。 LEGACY OF ACHESの管理人様によると、地図には載せられていないロスチャイルド家の本拠地が、ドイツの「ダッハウ」にあるという。ナチス・ドイツの強制収容所のあった地である。 ロンドンのシティーにあるロスチャ帝国は、見せかけの囮だと私は考えている。イギリスもアメリカも、所詮シナリオを演じる舞台に過ぎないのである。戦争に明け暮れた20世紀は、英米が八百長の主役を演じた。しかし想起してほしい。イルミナティのルーツはドイツにあるのだ。 恐らく彼らの「約束の地」とはクリミヤでもなければ勿論イスラエルでもない。
2012年09月05日
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http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/674.html 上記のサイトからの抜粋要約を続ける。 『リンドン・ラルーシュらの「麻薬株式会社ドープ・インク」の第三部八章は、「RIIA(英国王立国際問題研究所)は、どのようにして麻薬その他の汚いお金を動かしているか」を詳細に解き明かしています。RIIAは1919年に設立された、と記録されています。つまり、まぎれもない、第一次世界大戦の終了の直後です。 王立と名が冠せられているからには、れっきとした英国王室公認の機関であることが分ります。RIIAとその周辺、その関係諸団体の実相について、必ず参照しなければならない古典的学術書は、アメリカ、ジョージタウン大学(これはイエズス会系です)の教授をしていたキャロル・キグリーの「悲劇と希望-我が時代の世界史」という1300頁余の大著といわれています。』 『キグリー教授の説明によれば、19世紀の末に大英帝国の支配層の中に、ジョン・ラスキン、セシル・ローズを中心とする秘密結社が結成された。そしてこの秘密結社が次第に成長して、円卓会議(ラウンド・テーブル)、セシル・ローズ奨学金、ミルナーグループ、などとなり、アメリカにもその支部のごときものがつくられた(それをアメリカでは東部エスタブリッシュメントなどと称する)、この秘密結社の「フロント組織」としてRIIAが設立された、というのです。一応こんな具合に記述されるのですが、セシル・ローズもミルナーも、実は、英国ロスチャイルド財閥の使い走りに過ぎないように見えます。』 『ラルーシュらの「麻薬株式会社ドープ・インク」によると、世界の麻薬貿易(及びその他の汚い商売)の頂点に、RIIA司令部(ロンドン、セント・ジェームス・スクエア、チャタムハウス)が位置している、とあります。 RIIAは英国の国家そのものと言ってもよい。英国政府の政治的承認及び、世界の金融市場、世界の金とダイヤモンド市場の力のすべてをもってする支援と便宜なしに、RIIAが管理する世界麻薬ビジネスの運営は不可能である-と、ラルーシュらは述べています。』 『幕末の尊王攘夷の志士たちは、英国が清国に仕掛けた阿片戦争の不正、邪悪をしっかりと意識批判していました。ところが、手品でも使ったように、明治の新政府から英国への警戒感、英国が悪魔的麻薬ビジネスに関与していることへの批判が消えてしまうのです。のみならず、世界の超大国、大英帝国への崇拝、媚びへつらいの感情が支配的になっていくのです。 その結果、「日本の皇室のモデルは英国王室である」などという、途方もなく愚かな見解が、堂々とまかり通っているのです。歴史の真相を知ると、真に日本人として、顔から火が出るかと思われるほど恥ずかしい話です。 「ユダヤ陰謀説は狂人の幻想だ!」などと、フリーメーソン直結の国賊、小和田元外務事務次官(雅子妃の父君)は口走ったそうですが・・・フリーメーソンは「三百人委員会」の下部組織であり、従って必然的に国際敵麻薬貿易を支えているものと推定されますので、日本民族のその最高指導層の、少なくとも三人(中曽根元首相、竹下元首相、金丸元副首相)が麻薬ビジネスとの関係を云々されるという、非常事態に突入しました。』 『筆者は最近、アメリカで発見され、復刻公刊されている、一冊の超極秘文書を入手しました。それは「静かな戦争のための沈黙の兵器(サイレント・ウエポンズ・フォー・クワイエット・ウオー)と題されています。この秘密文書は、1986年にカリフォルニアで、全く偶然に発見されたそうです。 それによれば、1954年、国際エリートが会議を開き、全世界の大衆を家畜化(そして集団的大量殺害)するための第三次世界大戦をひそかに宣戦布告した、というのです。この静かな戦争の主たる兵器は、コンピューターであり、生物兵器、心理兵器であり、戦争を仕掛けられている大衆は、それに気づかない。 この「国際」エリートが依拠する根本思想は、あの初代ロスチャイルドが発見した、と銘記されていますから、「彼ら」の正体が国際ユダヤ指導部であることは自明のところでしょう。現代の麻薬は、実に、この沈黙の兵器体系の一つ(しかも最も重要なものの一つ)として位置づけられているらしいのです。』 以上抜粋。 太田龍は中曽根と麻薬ビジネスについて言及している。中曽根元海軍主計は吉田茂のコネクションである。では吉田の「右腕」といわれた白洲次郎とは何者か。 昨今白洲次郎&正子ブームが到来する陰で、次郎叩きも同時進行している。次郎は「日本一カッコいい」「風の男」なのか。はたまた「プリンシプルのない」「日本一最低の男」なのか。次郎の相反する言葉の中にヒントがある。 『素朴な正義感は貴いものだと思う。これだけは死ぬまで捨てない。僕の幼稚な正義感にさわるものはみんなフッとばしてしまう。』 『僕は知らんよ!知ってたとしても僕は何も喋らんよ。僕は口が堅いからここまで生きてこれたんだっ!』 次郎は「葬式無用」「戒名無用」と正子に遺言した。これはカッコいいセリフとして写真付きで公開されている。しかしそこには無惨な心情が潜んでいると私は思う。次郎の一見カッコいいセリフの裏には常に別の本心が隠されている。私は白洲次郎という男は、正義感どころか誇りさえ持てなかったと思う。 白洲次郎はそういう宿命を負って生まれてきた子どもである。彼は生涯『素朴な正義感』を持つことが許されなかった。いざというときフッとばされるのは『僕の幼稚な正義感』の方だったのだ。真実を知ってたとしても喋ることはできない。口が堅くなければ生きて行けない。エージェントとして宿命づけられた白洲次郎のプリンシプルである。 『私が、学校の宿題などで辞書を引くのが面倒くさいときに英単語の意味を問いますと、父は英語を日本語に訳せないことがしばしばありました。息子さんの留学の相談にみえた方に、「僕のようになるからあまり小さい時に外国にやらない方がいいよ」と言っていたそうです。 父の生涯を通じてのイギリスの友人、ロビンおじによりますと、ジローは大学に入ってきた時にはもう英語が出来たというのです。父にそのことを聞いてもはっきりとは答えてくれず、後年不思議に思って叔母に聞きますと、ハイカラだった彼等の家庭では、子ども達を神戸の日曜学校に行かせていて、教会の牧師様に英語を教わっていたということでした。』(牧山桂子『次郎と正子 娘が語る素顔の白洲家』より) 日曜学校で英語を習った程度で、次郎のような言語的奇形にはならないだろう。兄弟姉妹もケンブリッジ入学レベルを修得していたとでもいうのだろうか。次郎は物心ついた時から有用な道具となるべく、言語矯正を受けさせられていた。 彼がどもる癖があったのは強制的な言語教育のストレスが考えられる。友達と口論するとどもりながら次第に激昂し相手に手を出したという。次郎は正子との日常会話でも英語を使っている。手紙はほとんどが英語である。次郎のスマイソンのスケジュール帳も9割がた英語で予定が記録されている。 次郎が正子に送ったラヴレターも英語である。二人には本物の情愛があったと私も感じる。婚約者正子へ書き送った最大級の賛辞も次郎の本心だと思う。彼は最愛の正子への手紙の最後にジョンと署名している。これが彼の本当の名前なのである。だから正子も「私の愛するJon」と返信している。彼にとって本名はジョンなのである。 S・G・ウォーバーグ投資銀行の元東京支店長クリストファー・バービスの証言 『次郎は吉田茂元首相の右腕だったと聞きましたが、なぜ彼が戦後、あれほど力を持っていたか分らないのです。また、彼は普段、手紙もメモも作成せず、口頭でメッセージを伝える事が多かった。電話でも多くを語らず、アポなしでぶらりとオフィスを訪ね、用件だけ言うと、すっと消えていきました。だから、彼のメモすら残っていないのです。 』(徳本英一郎『英国機密ファイルの昭和天皇』より) しかし彼は家族のためにシナリオの一部を洩らしている。 『白洲夫妻が東京郊外に移住を決めたのは、太平洋戦争開戦前夜の1940年のこと。それは白洲次郎がこのころ既に「日本とアメリカが戦争になれば日本が負けることが明白であり、物資の不足が懸念される」という予測を立てていたから。そこで二人は食料不足となっても困らないようにと田畑付きの農家を探したのです。 鶴川で見つけたその家に移住したのだ43年のこと。その際は疎開のつもりだったものが、結局は終の棲家となり、それが現在公開されている、「武相荘(ぶあいそう)」なのです。』(和楽ムック『白洲正子のすべて』より) もちろん次郎は日米開戦の正確な時期も知っている。43年4月18日に五十六が暗殺され前半の区切りがつく時期も。シナリオでは戦局が悪化していく合図なのである。だから次郎は翌月の5月11日にに家族を連れて鶴川に疎開する。彼は東京大空襲も事前に知っている。 『「確か昭和20年の春でした。灯火管制の時に、夜、工藤さんが突然すうっ・・・・と来たんです。私は本所に住んでいたんですが、あと二~三日したらここは空襲になるから、荷物をできるだけ持って逃げろと。それで私は○○の方へ逃げたんです。本所が三月の九日か一〇日だと言ってました。 そうしたら、本当にその日に東京大空襲があったんです・・・」これは不思議な話だ。なぜ工藤孝次郎は東京大空襲の日時を知っていたのか。もし亜細亜産業が軍部から情報を得ていたとすれば、国は東京大空襲を知っていながら市民を見殺しにしたことになる。もしくは亜細亜産業は、戦時中から米軍と何らかの繋がりがあったのか・・・』(柴田哲孝『下山事件 最後の証言』より) 『戦前、この会社は闇貿易をしていた。前述した陸軍と財閥の癒着のなかから誕生した昭和通商と結びつきアヘン貿易に従事していた。この会社に白洲は出入りしていた。柴田哲孝の祖父がこの会社の重役であった。柴田は「我が家に白洲次郎と思われる人物が祖父や矢坂玄(亜細亜産業社長)などといっしょに写った写真が残っている」と書いている。』(鬼塚英昭『原爆の秘密 国外編』より) 『クリストファーによると、晩年の白洲は、S・G・ウォーバーグから肩書きも受けとっていなかった。しかも1982年創業者のシグムンド・ウォーバーグ卿が亡くなった後も、彼はクリストファーの後見役を続けた。「ウォーバーグ卿と次郎の関係は、個人的な友情に基づいていました。 そのウォーバーグ卿に頼まれた以上、それに応えるのは自然の事だったのでしょう。また次郎も、われわれの進出は日本のためになると信じていました」』(徳本英一郎『英国機密ファイルの昭和天皇』より) 『創業者のシグムント・ウォーバーグは、ドイツのハンブルクに本拠地を持つウォーバーグ家からイギリスに派遣され、SGウォーバーグをつくり、ロスチャイルドとともに、ヒトラーを育てたのである。そのウォーバーグ家の一族がアメリカに渡り、ロスチャイルドの血族シフ家と結ばれる。 FRBをつくりあげたのはポール・ウォーバーグ。その息子のジェームス・ウォーバーグはOSSの中に入り日本向けの情報担当者となる。白洲次郎はウォーバーグのエージェントとなり、国務次官グルーからの情報を、ヨハンセン・グループに流していく』(鬼塚英昭『原爆の秘密 国外編』より) 以上は抜粋だが、その後の内容は山本五十六の弁護で読むに価すものではない。真珠湾とミッドウェイに対して、山本が指揮官として何の責任もとらなかったことで、弁解の余地はないように思う。山本暗殺についても、生きていたという証言もあり、不明である。昭和天皇も、山本の国葬に疑問を投げかけているところをみると、山本が昭和天皇を裏切ったか、生きていたかのどちらかだろう。 ともかくも、死後、英雄視される人物はほとんどが胡散臭い人物といえる。
2012年09月05日
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http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/674.html 上記のサイトからの抜粋要約を続ける。 『ジャーディン・マセソン商会の前身は東インド会社で、元は貿易商社。1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、中国の広州(沙面島)に設立された。 設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。 (昨今、尖閣諸島や竹島などの国境での騒動の火付け役は、上海のメーソンに思われる。連中にしてみれば、北朝鮮、韓国、台湾の領域は、中東のパレスチナ問題と同じなのである。分断して統治し、騒動を起こして、略奪する悪魔の手法を適応しているにすぎない。連中の手の内は、二度の戦争から明らかであろう。「悪銭身につかず」という諺を知らないのだろうか?) 清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は9票という僅差で軍の派遣を決定した。 (メーソンに英国議会が乗っ取られている証拠でもある。) 1859年(安政6年)、上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック(ウィリアム・ジャーディンの姉の子)が横浜(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)に「ジャーディン・マセソン商会」横浜支店を設立。日本に進出した外資第1号としても知られる。 後に吉田茂の養父・吉田健三が一時期、同社横浜支店長を勤めていた。鹿島によって建設された横浜初の外国商館である社屋は、地元民から「英一番館」と呼ばれた。1863年(文久3年)、ウィリアム・ケズウィックは井上聞多、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉、伊藤博文の長州五傑のイギリス留学を支援する。彼らの英国滞在は、ジェームス・マセソンの甥にあたるヒュー・マセソン(ジャーディン・マセソン商会・ロンドン社長)が世話した。 一方長崎でも、1859年9月19日(安政6年8月23日)に幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバーが「ジャーディン・マセソン商会」長崎代理店として「グラバー商会」を設立。グラバーは、五代友厚(薩摩)、坂本龍馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)等を支援した。その他、神戸・大阪・函館にも代理店を置いた。 ウィリアム・ジャーディン - 創業者 ジェームス・マセソン - 創業者 ケズウィック・ファミリー - オーナー家 トーマス・ブレーク・グラバー - 「マセソン商会・長崎代理人」 としてグラバー商会を設立 吉田健三 - 元ジャーディン・マセソン商会・横浜支店長(内閣総理大臣吉田茂の義父)』(ウイキペデイアより) 『日本は、1842年、アヘン戦争の結果、中国の実権が皇帝から宋財閥のものとなったこと、そしてこの宋財閥はサッスーンの代理人であったこと、さらにはサッスーンは英国ロスチャイルド家の東アジア代理人であったこと、そして最後に、英国ロスチャイルド家は初代ロスチャイルドがヨーロッパ五カ国に張り巡らした金融寡頭権力体制オリガルキーの中核であったこと、このロスチャイルド家は19世紀中葉、世界の富の大半を支配下に置いていたこと、こうした東アジアをめぐる世界の激動について何も知らない。 上海に拠点を構築した英国ロスチャイルド、サッスーンは、日本が欧米列強によって半植民地状態に置かれると、間もなくトーマス・グラバーを長崎に派遣して、英国系フリーメーソン駐日代表、および英国の日本占領作戦の前線総指揮たらしめた。グラバーは20歳代の若者に過ぎないが、その背後にひそむ勢力が日本人には見えない。』(太田龍『長州の天皇征伐』成甲書房より) 『トマス・ブレーク・グラバーはスコッチ・メーソンで、上海経由で長崎に渡ったのは1856年、21歳の時である。グラバーは長崎で海産物の輸出をしていたが、薩摩、長州、土佐、肥前の諸藩に倒幕の機運が生じたので、鉄砲、弾悪、火薬を諸藩へ調達した、薩摩の小松帯刀と親しくなり、小松を通じて土佐の坂本竜馬を職り、坂本竜馬とは特別な関係を持った。 薩長離反のときなどには坂本竜馬に薩長同盟の組み立てをさせて革命勢力の統一を計っている。また坂本龍馬を通じて岩倉具視と親しくなり、官邸にも接近、日本とヨーロッパを結ぶ楔の役目をしている。とくに木戸孝允、伊藤博文、井上馨、五大友厚、森有礼、寺島宗則などには、公私の交際を続け、明治革命の裏方の役目を果たしている。(山石太郎『世界の改造者-楽園を創るフリーメーソン物語』世界連邦国際学会より) (坂本龍馬は、慶喜の南朝革命構想のための工作員でもあるから、徳川慶永などは、龍馬を高待遇する。グラバーというよりも、龍馬は、慶喜の命で動いていたと考えるべきであるが、大政奉還後の慶喜を頂点とした共和体制は、メーソンの入れ知恵の感もある。) 『伊藤は松蔭の推薦で米原良蔵に従って長崎に行き、約一年間イギリス人グラバーの下僕として英語を学んだ。伊藤博文が成功した理由は、彼がれっきとした武士ではなく貧農の出身であったために、グラバー邸のハウスキーパーとなり、その愛顧を得て鉄砲の買い付けに成功したこと、および力士隊の総長として大室寅之祐と親しくしたことの二つである。伊藤は自らイギリス人グラバーの下僕となって武器弾薬を入手し、ついにイギリスの差別と侵略の政治を模倣した。』(鹿島昇『日本侵略興亡史』より) 『明治新体制になると、グラバーは日本に帰化して「倉場」と改姓し、日本人女性と結婚して一家を構えている。今日でも長崎には「グラバー邸」跡が保存され、いわゆる観光名所である。そこにはフリーメーソンのシンボルが刻印されており、幕末、このグラバー邸が、西洋フリーメーソンの策源地であったことを証明している。 日本帝国内閣総理大臣伊藤博文が、そのグラバーの下男であったとはどういうことだ。通常の歴史書には、グラバーは「英国商人」「英国武器商人」「グラバー商会の長」として、ほんの申し訳程度に登場するに過ぎない。』(太田龍『天皇破壊史』成甲書房より) 太田龍『麻薬とユダヤの陰謀史』成甲書房より 以下抜粋。 『英国が中国(清王朝)に仕掛けた「阿片戦争」は、日本の歴史の教科書でも、名前ぐらいは出てきます。ところが、どうしたことか、筆者の知る限り、明治以降今日まで、この阿片戦争を本格的に掘り下げて解明した本は、ただの一冊もないのです。これは決して偶然ではありません。日本の学会(東京帝大と慶応大学を起点とする)とジャーナリズムの中に、英国の恥部を究明することを抑止する絶対的な悪魔の手が伸びていたのです。 ユダヤは、この英国の仮面をつけて麻薬ビジネスを取り仕切っている。英国の王室と貴族階級が闇の中で麻薬ビジネスに取り込まれており、彼らは、労せずして莫大な悪魔のカネを手に入れる立場にあった。つまり、それほどに、この英国の王室と貴族は、腐敗と堕落のただ中に生きていたのです。ユダヤが吸血鬼として英国に取り憑いてから、約350年。その英国の現状は、いや惨状というべきか、どうでしょうか?』 『「ドープ・インク(Dope INC.)という、戦慄すべき著作を入手しました。その日本語訳は「麻薬株式会社」でしょうか。ドープは麻薬、インクはインコーポレーション(株式会社)。実質的な著者はリンドン・ラルーシュというアメリカの政治家です。ラルーシュはアメリカ労働党という小政党の指導者だったようですが、彼は1977年に、アメリカ国民は、カーター大統領の政権によって推進されている非合法な麻薬ビジネス汚染に、反対する戦いに立ち上がらねばならないことを自覚しました。 1978年春にラルーシュは、アメリカ労働党内に麻薬問題の調査班を作り、こうして、「麻薬株式会社ドープ・インク」の第一版が1978年に公刊された、とあります。ラルーシュは「麻薬に反対する政治活動家」であり、ラルーシュによって組織された調査班の結晶としての同書の第一版は、全世界に広がる麻薬ビジネスの全貌を白日のもとにさらけ出した最初の著作である、とされます。』 『同書の出帆の直後から、ヘンリー・キッシンジャーと、ブナイブリス(”誓約の兄弟たち”ユダヤ人のみの高級秘密結社)のアンチ・デフォメーション・リーグ(”ADL ユダヤ人名誉毀損防止法”ブナイブリスの下部組織 麻薬ビジネスに関与)は同書の著者たちを沈黙させるための謀略活動を開始した、と記されています。1982年には、キッシンジャーの提案によって「ラルーシュ退治機動部隊タスク・フォース」が組織されたのだそうです。』 (ブナイブリスとは、ハザールの偽ユダヤ人だけが組織したメーソン員に命令を伝達するイルミナティの諜報機関と考えるとわかりやすい。連中は、正統なユダヤ人ではなく、偽者だから、まず、ユダヤ人であることの証明をみせるべきである。例えば、三種の神器は?と疑問を投げかけるべきである。) 『1986年に、同書の第二版が出版されました。その1986年10月に、400名以上の警察官が動員されてラルーシュの関係する幾つかの事務所を襲いました。そして、ラルーシュと彼の仲間たちは逮捕され、外国の情報部と結びついていたなどとの理由で裁判にかけられた、というのですが、この事件の経過については、筆者の知る限り、日本のマスコミはたったの一行も報道しておりません。 陪審員はラルーシュらに対し、無罪の票決を下したにも拘わらず、裁判所はこれを破棄して、1989年1月、ラルーシュに懲役15年の刑を言い渡したとありますから、現在、ラルーシュはアメリカの刑務所に幽閉されているわけです。』 『筆者が入手したものは、1922年発行の第三版で、697頁という大著です。これほどの著作(そして筆者)が、これまで日本人に全く知らされていなかった、一語も報道されなかった、というのはどういうことなのか。 ラルーシュの本は、麻薬ビジネスを遂行しているのはアメリカ政府である、いや、アメリカ政府を背後で動かしているより大きな世界地下帝国であることを論証している、従って、アメリカ政府とそれよりも大きな世界的権力そのものをまな板の上に乗せて料理しようとするのが、ラルーシュの立場です。』 『ラルーシュは「麻薬株式会社ドープ・インク」の第七部で「組織された犯罪」を論じ、「犯罪インターナショナル」の実在を検証し、更に、英国の「国際暗殺局(ブリティッシュ・インターナショナル・アサシネーション・ビューロー・バーミンデックス)」が1963年の米ケネデイ大統領の暗殺に関与した、としています。 1963年の春から夏、秋にかけて、カリブ海のジャマイカ島モンテゴ湾の某所で、ケネディ大統領を葬り去るための英国の秘密諜報部が主催する国際会議が開かれた、というのです。彼らがケネデイを暗殺しなければならなかった理由は、同大統領が麻薬ビジネスを抑止することを本気で考えたことである、つまり、地下世界帝国にとってケネディは除去すべき障害物となったらしいです。』 (上記のことは、マイヤーランスキーという偽ユダヤ人が築いたマフィアのシンジケートについてのサムジアンカーナの自伝を読めばよくわかる。) 次回に続ける。
2012年09月05日
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http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/674.html 上記のサイトからの抜粋要約を続ける。 白洲次郎は生涯エージェント(イルミナティ-メーソンのパシリ)として終わったが、吉田茂は第二の伊藤博文になった。 伊藤博文はアヘン王サッスーンが派遣したグラバーに魂を売り渡した下忍(インテリジェンス)である。吉田茂も生後10日で吉田健三のもとに養子に出され長じて同じ道を歩む。 実父の竹内綱も養父の吉田健三もジャーデイン・マセソン商会の旨い汁を吸った仲間同士だ。吉田健三は用済みになるや49才で心臓麻痺で急死させられ、茂に60億の遺産を残す。茂は外務次官になるまでにこれを蕩尽したが、『使途は不明』というのが通説とされている。 吉田茂が白洲次郎と違って決定的に有利だったのは、自分のカネをもっていたことである。ヴィンセント・アスターは「諜報活動には金がかかる」と言っている。吉田茂は潤沢な資金を元手に、独自のコネクションを創って秘密工作を仕掛ける。 白洲次郎は独自のコネクションを持つことができないので、吉田茂の右腕となる。吉田茂と白洲次郎には厳然とした違いがある。 『吉田茂は、明治11(1878)年9月22日生まれである。その業績は誰もが承知するところだが、奇妙なことながら吉田の出生にまつわるいくつかの問題にはまるで霧がかかったように曖昧なまま時間が過ぎてきた。昭和42年10月20日に没するまで、89年に及ぶ波乱の生涯を通じて、はっきりしているのは誕生日だけである。 吉田がどこで生まれたか、母はどういう立場の女性だったのか-吉田茂という、これだけの人物にしてなお肝心な点が不明瞭なまま諸説乱れ飛んでいるのが実情である。吉田自身、長じて自らの出自や幼年時代を語ることをあまり好まず、かえって出生にまつわるなんらかの影を負っていたのではないかと後年指摘される素因ともなっている』(工藤美代子『赫ヤクたる反骨 吉田茂』日本経済新聞出版社より) 『さて、養父・吉田健三についてである。彼は嘉永2年(1849年)5月6日、越前福井藩士・渡辺謙七の長男として生まれ、親戚の家を継いで吉田姓となった。元治元年(1864年)、15歳の時、大阪に出て医学を修めたが、これからは英学の時代だと思い直し、長崎への留学を決意する。 そして慶応2年(1866年)には何と密航を企てる。見つかったら死罪だが、長崎から英国の軍艦にうまくもぐりこんだ彼は雑役夫として働かせてもらいながら、上海からシンガポールを経て欧州へと渡った。イギリスには二年滞在。この間に養った語学力がその後の彼の人生を決定付けた。ちょうど帰国した年に明治維新があり、健三は自分の時代が来たことを実感する。 まず手はじめに川村純義海軍卿(白洲正子の祖父)に食い込み、彼から軍艦二隻の発注を受けた。ジャーデイン・マセソン商会を通じて英国に注文を出した。 当時、ジャーデイン・マセソン商会は極東における最大最強の英国商社である。とりわけ明治維新前後は最盛期に当たり貿易のみならず金融、海運、倉庫、保険、紡績等を世界各地に展開して巨利をあげていた。日本では横浜に支店を、長崎、兵庫、大阪、函館には代理店を置いていた。 ちなみに長崎の代理店を任されていたのが、長崎名所のグラバー邸で有名なトーマス・グラバーである。そのうちジャーデイン・マセソン商会は無給でなく月給300円(現在の600万円ほど)という破格の待遇をするようになる。 土佐自由党の竹内綱は、高島炭鉱の経営に関してジャーデイン・マセソン商会・長崎支配人のグラバーと手を組んだことから、健三とも急速に親密の度を加えていった。』(北康利『吉田茂 ポピュリズムに背を向けて』講談社より) 『吉田健三には並々ならぬ蓄財の才があったことが証明されている。商才に加えて、自信と勤勉さが備わっていた。彼は真冬でも午前四時に起きて、家族や使用人を叱咤して仕事を始めた。蓄財を重ねていた吉田健三は、当時の金で実に遺産五十万円という大金を養子の茂に残して亡くなった。 茂が相続した遺産五十万円はその割合でみれば、なんと六十億円という莫大なものである。ところが茂は昭和初年の次官就任時頃までにはその遺産の大部分を使い尽くしてしまった。』(工藤美代子前掲書より) 戦後吉田と組んだ昭和天皇は奇しくも言った。「戦前戦中戦後を通じて私に矛盾は無い。天皇制も連続している。明治天皇が五箇条の御誓文で、すでに今日の民主主義の基礎を築かれていたからだ」 目を剥く方もいると思う。私もその一人だったが、しかしそれは思慮が足りないのである。大宰相吉田茂に焦点を合わせ、明治以来の事象を遡ってみれば、確かに連続している。 彼を機軸にシナリオを読み解くと、福島原発事故に至る今日まで連続線が引かれている。これを反対に遡れば、田布施村から輩出された連中が引いた始点に繋がっている。その始点はアヘン戦争から始まる。 『「アヘン戦争」は調べれば調べるほど、むごい戦争(汚い麻薬戦争)だったことが分かる。1971年に「第25回毎日出版文化賞」を受賞した陳 舜臣氏の著書『実録アヘン戦争』(中央公論新社)には、次のような言葉が書かれてある。 「『アヘン戦争』は、単にイギリスによるアヘン貿易強行のための中国侵略戦争以上の意味を持っている。この“西からの衝撃”によって、我々の住む東アジアの近代史の幕が切って落とされたのである。」 この「アヘン戦争」は、イギリスの「サッスーン家(財閥)」を抜きにして語ることはできない。「サッスーン家」は、もともとは18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤ人の富豪家族で、トルコ治世下にあって財務大臣を務めるほどの政商であった。 1792年にこの一族の子供として生まれたデビッド・サッスーンは、バグダッド(現在のイラク)で活動していたが、シルクロードの交易によってますますその富を蓄え、そこからインドへ進出(移住)した。 デビッド・サッスーンは、1832年にインドのボンベイで「サッスーン商会」を設立し、アヘンを密売し始めた。イギリスの「東インド会社」からアヘンの専売権をとった「サッスーン商会」は、中国で売り払い、とてつもない利益を上げ、中国の銀を運び出した。※ デビッド・サッスーンは「アヘン王」と呼ばれた。彼はイギリス紅茶の総元締めでもあり、麻薬と紅茶は、サッスーンの手の中で同時に動かされていたのである。 1773~1842年の「三角貿易」体制 イギリスは、アジアとの貿易を行なうため、1600年に「東インド会社」を作った。アヘンを大量に送り込まれた清国では、アヘンが大流行して社会問題となった。 やがて、清国がアヘン輸入禁止令を出したことに端を発した「アヘン戦争」(1840年)が勃発。敗れた清国は、南京条約により上海など5港の開港と香港の割譲、さらに賠償金2億1000万両を支払わされ、イギリスをはじめ列国の中国侵略の足がかりをつくることになる。その意味では、「サッスーン財閥」はヨーロッパ列国に、第一級の功績を立てさせたアヘン密売人だった。 (この事情に精通していた日本の朝廷や諸藩が、江戸幕府の開港と貿易の独占に反発したのは当然のことである。「開国」と一般には呼んでいるが、これは造語で、幕末当時だって幕府は貿易していたし、外様大名は、密貿易していた。鎖国も造語で、これはキリスト教に限ったものだった。 そもそも、当時に国の概念がなかったことを考えれば、すぐにわかる。朝廷は、外国のいわば亡命政権なので、そもそも国の概念に乏しい。身分制度はあったが、国などはなく、だから人身売買も行われていた。明治政府ができて、西郷が、人身売買の禁止を施行したことでも明らかである。) ところで、中国大陸において「サッスーン商会」と並んで二大商社の名を馳せたのは、「ジャーディン・マセソン商会」である。この会社は、イギリス系商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、1832年に中国の広州に設立された貿易商社である。 設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出で、「アヘン戦争」に深く関わった。この「ジャーディン・マセソン商会」は、日本では、幕末・明治期の重要人物であるトーマス・グラバーが長崎代理店(「グラバー商会」)を設立したことで知られている。横浜にも、1859年に英商ウィリアム・ケスウィックが支店を設立。商館は地元民から「英一番館」と呼ばれていた。 トーマス・グラバーは、1859年に英国から上海に渡り「ジャーディン・マセソン商会」に入社。その後、開港後まもない長崎に移り、2年後に「ジャーディン・マセソン商会」の長崎代理店として「グラバー商会」を設立。 貿易業を営みながら、薩摩、長州、土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売した。幕末維新期の日本では、多くの外国人貿易商が諸藩への洋銃売り渡しに関わっていたが、その中でも英商グラバーの販売量は突出していた。 彼はのちに「三菱財閥」の岩崎家の後ろ盾となり、キリンビールや長崎造船所を作った。日本初の蒸気機関車の試走、高島炭鉱の開発など、彼が日本の近代化に果たした役割は大きかった。1908年、グラバーは「勲二等旭日重光章」という勲章を明治天皇から授けられ、この3年後(1911年)に亡くなった。墓は長崎市内にあり、邸宅跡が「グラバー園」として公開され、長崎の観光名所になっている。 ジャーディン・マセソン・グループは、今でも「マンダリン・オリエンタルホテル」を経営し、14ヶ国に26の高級ホテルを展開しており、現在もアジアを基盤に世界最大級の貿易商社として影響力を持っている』(http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_he/a6fhe100.html『アヘン戦争の舞台裏』より) 書ききれないので、次回に続く。
2012年09月05日
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太平洋戦争の謎というタイトルで明治維新にまで遡ってみてきたが、歴史は繰り返す意味がなんとなくみえてきたように思われる。繰り返すのは、ある意味、人類が馬鹿で、悟りを知らないことと関係するように思われる。そして、問題なのは、益々精神が堕落し、腐敗していることにある。 支配欲から、安易に人の上に立とうとするのは、精神が堕落し、腐敗している証拠である。というよりも、いま与えられている現状に満足できない愚か者ともいえる。 昨今の政治をみていると、自分だけよければよいというような堕落した精神をみせつけられて、非常に不愉快である。金儲けしか頭にない。いくら金を儲けても、裸で死んでいくことを考えない愚か者ばかりである。恥ずかしくないのだろうか? 世間でいわれている偉人を調べてみると、ほとんどが単なる欲ボケ獣であることがわかるから不思議でもある。自己宣伝が巧いだけで、悪賢いことばかりやっている。例えば、白洲次郎を調べればよくわかる。 このようなことを続けさせてきた理由の1つは、歴史に対する賛美や美化であろう。少し冷静になって歴史を検証する必要があるのはいうまでもない。 なぜなら、人は、皆神の子で、何者の奴隷でもないからである。特に思想の奴隷になってはいけない。そもそも、リベラルアーツという中世にはじまった学術の源流は、思想の奴隷にならない術を学ぶためであった。特に権威に屈しないためである。最近は、これとは逆に、権威の太鼓もち、犬や御用学者のような悪魔崇拝の者さえいる。 権威と闘うための科学なのに、権威に従う科学になっている。もはや科学ではない! こういう連中は、悪魔に魂を売ったという他はない。 人間が神から離れ、独り立ちする自由を与えられたのは、神にも逆らえる悪の闇を獲得したからである。神を知らず、感じることなく、命令に背けるからである。だからといって、神に逆らってばかりいると、同じ過ちを永遠と繰り返すことになる。 二度と同じ過ちを繰り返さない学術がリベラルアーツともいえる。 それには、歴史を美化せずに、冷静にみていく必要がある。 さて、明治維新が、伊藤の悪徳により闇を生んだことを紹介してきたが、それでも、身分制度を撤廃したことに、ある程度の意味を求めた。しかし、その闇が、昭和にむかって、特に長州を中心とした外国の勢力に取り込まれ、太平洋戦争で、闇同士の衝突を生んだことも紹介してきた。そして現在、外国勢力に取り込まれた官僚という新しい階級に、この国は支配されている。 現在の官僚をみていると、幕末の慶喜を彷彿とさせる。頭は、ずば抜けてよいが、二枚舌で、人を人とも思わない非感情の冷たさを感じさせる。 部下であった勝海舟は、慶喜が大嫌いだったとはいえ、慶喜よりも家茂を絶賛している。慶喜は負けを認めないプライドの高い人物で、フランスに借金してまで、薩長と戦おうとしたようだ。明治維新は政治の私物化でしかない。そのことは、慶喜の父徳川斉昭を調べればわかる。口先の宣伝ばかりで、中身空っぽだ! 慶喜の人物の悪さが、伊藤のような悪人を産んでいく。 明治維新の岩倉-伊藤の天皇傀儡統治手法は、昭和に至るまで、外国勢力の意向通りに、薩長閥に利用され、伊藤のような悪人が、立身出世のモデルとされていく。 そして、昭和の伊藤と呼ばれる人物が、吉田茂である。吉田茂を調べると、伊藤そっくりなので驚かされるというか、吉田は、伊藤を意識していたのではないかと思える。どちらも、スコットランドのメーソンであることがわかっているから、メーソンが育成したとも考えられる。 それは明治天皇に対して臣博文と言った伊藤の発言に対し、昭和天皇に対して臣茂といった吉田茂の発言が象徴的である。岩倉-伊藤の悪徳コンビは、白洲-吉田の悪徳コンビによく似ている。 ちなみに、臣とは、古代ヘブライ語では、ヨム・イで、ヨムは、「日」、「昼」、「期間」という意味で、イは、「我の」という意味をもつそうだ。「日」は、聖書のデウスと同じだから、太陽神の神だから、「我の神」ということになる。 つまり、臣博文、臣茂とは、自分は神になった、という宣言に近い高慢な悪徳の腐敗した精神を表すように思える。そこには、他の人を、地下人として見下す精神が込められている。自分は何をしても咎められないという有頂天さや、自信過剰さが秘められている。恐らく、自分が天皇を担いだ(つくった)、という高慢な自負心の表れなのだろう。おのぼりさんもほどほどにすべきだ! そのような悪魔に魂を売った吉田をネットで調べると、以下のサイトに出くわした。 http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/674.html 以下、上記のサイトから抜粋し、要約する。 五十六を連合艦隊司令長官に任命した人物は1919年パリ講和会議に出席している。その人物はヨハンセングループの中にいると前に書いた。 ヨハンセングループとは、憲兵隊の別称吉田反戦グループを文字ったものだが、牧野伸顕、樺山愛輔、吉田茂、白洲次郎らが本命であって、他のメンバーは目くらましである。 (憲兵隊は、権田実が、吉田茂を守るためにつけた吉田護衛隊と考えてよいだろう。メーソン工作隊だろう。) その中でも本命はこの世に生まれおちた時からアヘン王の掌中にあった吉田茂である。起きた事象を遡ると吉田茂が姿を現わす。彼こそがシナリオの主人公なのである。CIAの最高傑作といわれる吉田茂とは何者か。彼はザ・オーダー(NWO;新世界秩序)の隠し玉である。 1939年8月30日に連合艦隊司令長官に任命された人物は、1919年ヴィンセント・アスター卿らによって準備され始めたシナリオ(日独伊とソ米英を戦わせる構想)を演じる宿命にあった。 アスター家は奴隷と麻薬貿易でオールドマネーに成り上がったドイツ移民である。 アスター卿と吉田茂はザ・オーダーの最終兵器である麻薬で繋がっている。 真珠湾攻撃のヤラセはまず人事移動から始まる。人事の動きを見ると汚れ役が山本五十六に押し付けられると同時に、舞台から退場したキーパーソンがいる。駐英大使・吉田茂である。 吉田はこの時以降現役から退き、戦時内閣とは一切関わらないようにしている。 吉田は1937年9月3日帰朝命令を受け、11月29日に帰国する。 帰国と同時に外務省を退官する決意を固めている。吉田が退官願いを提出するや1938年3月20日付けで、「願いにより本官を免ずる」との辞令が出され、戦争が終了するまで浪人生活を続ける。 浪人中の吉田茂は新橋の芸者通いをしながら、家族ぐるみでグルー米国大使一家と交歓する。その吉田が引っ込んだ5ヵ月後、19398月3日付けで山本五十六が連合艦隊司令長官に任命され、その2日後の9月1日ヒトラーがポーランドに侵攻、即座にチャーチルが宣戦布告して第二次世界大戦が始まる。 1年後の1940年9月に三国同盟が締結され、同時期にナチス・ドイツがロンドン空爆を開始するのである。 「明治維新」によって確立した体制はトロイの木馬のようなものである。 「国体の精華」とはコンプラドール(傀儡政権による対外的支配)が権力の中枢を把握する体制なのだ。この体制は戦後も不変である。邪魔になる人物は戦死か暗殺か戦犯処刑で始末された。 山本五十六の暗殺(著者は暗殺とみているようだ。)には吉田茂と白洲次郎と海軍主計が関わっている。功を立てた海軍主計は、若手議員となって吉田内閣の予算委員会で原発導入を通過させた。 中曽根康弘である。原発利権の主役は中曽根&正力ではなく吉田茂&中曽根康弘なのである。 (著者は、中曽根が、山本長官視察を、米軍の無線に傍受されるように打電したとみている。幕末のときの龍馬にやった薩摩-土佐のような裏切り行為。海軍主計とあるが、源田実も絡んでいる可能性あり。白洲は、ウォーバーグ家の落胤で、ヒトラーと似たような境遇といわれている。後に白洲は原発事業の元締め的な役割となる。) 白洲次郎は原爆投下の交渉まで主役を務め、やがて講和条約締結の後は主流から外れる。しかし彼は死ぬまで任を解かれることのない掟に生きなければならなかった。彼は生まれた時からそのように育てられ墓場まで秘密を持っていった。 (白洲が戦中あれほど暗躍したのにも関わらず、白洲の記録がほとんどが自慢のような自伝ばかりしか残っていないのは不思議である。つまり闇に葬る必要があった。) 次に続ける。
2012年09月05日
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しばらく、太平洋戦争を調べることに夢中になってしまい、シュタイナーの講義の要約を休止していたが、再開します。 ++++++++++++++++++++++++++++ 物質体において、エーテル体の化学的作用を促進可能にする器官は、甲状腺、胸腺、副腎のような腺器官である。これらの腺器官は、化学的作用と結びついているために、人間の肌色(薄紅色)は、これらの腺器官の背後のエーテルの活動と、ある意味で密接に関わっている。 例えば、副腎の機能のなかには、肌を青白く、もしくは血色良くするなどの働きがある。副腎が退化すると、皮膚の色合いとして現われてくる。副腎の退化による、いわゆるアジソン病[Addisonsche Krankheit]に罹ると、褐色になることをみれば、このような関係の奥深くまで洞察できる。 慢性原発性副腎皮質機能低下症 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A2%E6%80%A7%E5%8E%9F%E7%99%BA%E6%80%A7%E5%89%AF%E8%85%8E%E7%9A%AE%E8%B3%AA%E6%A9%9F%E8%83%BD%E4%BD%8E%E4%B8%8B%E7%97%87 肌色等は、生体組織の、ある種の化学作用を示唆している。化学作用は、特に胎児の成長に重要だが、他方、光の作用は、14歳以上の成長にとって問題となる。更に、28歳以上の成長にとっては、熱の作用から、重要な活動が盛んに現われてくるようになる。 これらの作用変化のなかに、全体の人生に対する、重要で、極めて重要なヒントがある。それは次のようなことである。 幼年期の、とくに胎児の成長は、一種の過剰な塩過程(プロセス)を示し、その後の14歳以上の成長は、一種の水銀過程(プロセス)を示し、比較的、年齢が進んだ28歳以上からの成長は、一種の硫黄過程(プロセス)を示すので、幼年-子どもの年齢期には塩過程(プロセス)、その後の14歳以上の年齢には、水銀過程(プロセス)、そして比較的高齢の28歳の年齢には、硫黄、もしくは燐過程(プロセス)に注意を払い、調整すべきである。 上記のような人体組織の三重性、つまり化学作用による組織化、光作用による組織化、熱作用による組織化、いわゆる塩過程(プロセス)、水銀過程(プロセス)、硫黄過程(プロセス)の組織化からなる三重性に注目すれば、生命全体が、組織化しながら、人間に作用するのを、はっきりと思い浮かべることができる。 いま生活全般、例えば、栄養摂取だけでなく、人間の行為全般を述べているが、子どもの場合には化学作用が、生体組織の隅々まで介入しながら作用する。化学作用よりも強い光作用と呼ばれるプロセスは、青年期に、生体組織全体に介入しながら作用し、魂的な障害をも引き起こす萌芽を生じさせる。 人間は、青少年期には、外界の印象に対して最も敏感になる。この時期に、非論理的に構築された外界に向き合うか、論理的に構築された世界に向き合うか、の違いは、後の人生行路における魂の素質全体にとって大きな意味を持つ。特に、これまで述べてきた病理学に関する人智学的な知見については、次回以降も再度、述べ、それから、更に治療上の知見に移る。
2012年09月04日
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