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毎日、裏庭の柿の木から収穫した柿を食べています。いくら食べてもただです。柿には、渋柿と甘柿がありますが、なぜ甘い柿と渋い柿があるのでしょうか。 未熟の果実はタンニンを多く含みます。渋柿のタンニンは「水溶性タンニン」で食べた時に唾液に溶けるため渋みを感じます。一方熟した甘い柿のタンニンは「不溶性タンニン」に変化しているので唾液に溶けず、食べても渋みを感じることはありません。甘い柿を切った時のゴマが不溶性タンニンです。甘柿の代表的な品種は、富有と次郎です。富有は岐阜県が発祥であり、次郎は静岡県です。渋柿の代表的な品種は、平核無です。渋柿(平核無)は、渋抜きをしたり、干し柿などに加工しないと甘くなりません。富山県では、南砺市・福光の干し柿が有名です。柿の木は、家具に加工でき、葉は茶の代わりに飲むことがあります。葉は、柿の葉ずしに用いられます。成熟した果実のヘタを乾燥したものは、柿蒂(シテイ)という生薬でしゃっくり・鎮咳・鎮吐に用いられます。
October 31, 2005
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辺見じゅんの講演会がありました。辺見じゅんは、編集者を経て作家・歌人になった人です。角川文庫の角川春樹氏の姉です。1940年富山県生まれ、早稲田大学文学部卒業です。「闇の祝祭」(歌集)にて第12回現代短歌女流賞、「男たちの大和」にて第3回新田次郎文学賞、「収容所から来た遺書」にて第11回講談社ノンフィクション賞および第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。 今注目される映画「男たちの大和」は、戦後60年記念作品です。戦艦大和と運命を共にした男たちのへの鎮魂と、語り継ぐ為の壮大な叙事詩が、空前絶後のスケールで描かれます。12月17日大公開です。
October 30, 2005
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頼朝が放った刺客・土佐坊昌俊が、京都六条堀川の義経邸を襲います。 平安京は五条大路(現在の松原通り)までが市街の中心地で、六条堀川の一帯は代々おもに源氏一門が居を構えていました。左女牛井(さめがい)の名水を邸内に取り入れていたのが、義経の六条堀川館だといわれます。今の、京都東急ホテルの建つあたりです。土佐坊昌俊は、後日六条河原で、斬首されました。六条河原の近くの蓮光寺には、処刑された人々の霊を弔う駒止め地蔵が安置されています。
October 29, 2005
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西アジア原産のトキワサンザシ,中国原産のタチバナモドキ、インド原産のヒマラヤトキワサンザシなどを総称してピラカンサと呼びます。ギリシア語のピラ(火)とカンザス(刺)に由来する名前です。枝には鋭いとげがあります。遠くから見ると赤い花かと見間違うほど,たくさんの赤橙色の実をつける木です。赤い実は、えさが少なくなった冬に,鳥たちに見つけやすくそして食べてもらうためです。この赤い実は、12月ごろまで楽しむことができます。
October 28, 2005
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安定的な皇位継承を維持するため、男系男子に限っている皇位継承資格者を女性皇族に拡大することになりました。側室制度をやめてから、後継者不足が生じることは明らかでした。「長子優先」とするか、女子の後に弟が生まれた場合、弟を優先する「兄弟姉妹間での男子優先」にするのかまだ未解決ですが、愛子さまが、127代の天皇になるのは確実な情勢です。 愛子さまが、戦後間もなく皇室を離脱した宮家から、夫を選べば、その子は、また男系男子を維持できる可能性があります。でも、今から20年後、配偶者が簡単に見つかるとは思えません。どうしても夫が見つからなければ、いっそのこと全国公募したらどうでしょうか。あるいは、イギリスから王子を迎えたり、中国や韓国から夫を迎えるのもひとつの方法です。もともと飛鳥時代には、渡来人が活躍していました。 「ひいきの引き倒し」という、ことわざがあります。ひいきしすぎて、かえってその人の迷惑や不利になることです。有識者が、一生懸命愛子さまを天皇にしょうと思っているにしても、受ける人にとっては「ありがた迷惑」であったなら悲しいことです。
October 27, 2005
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富山県の花はチューリップ、鳥は雷鳥です。thunder bird なる特急が大阪まででていますが、英語では雷鳥はptarmigan といいます。雷鳥は立山に住む国の特別天然記念物です。2日前、立山に初冠雪がありました。雷鳥は、まもなく純白の冬羽根になります。そして、雪解けとともに徐々に保護色の薄茶色の夏羽根に変わります。高山にいるため、絶滅の心配はありません。繁殖期には、雄は目の上の赤い肉冠が目立ち、尾羽を広げるのが求愛のポーズです。
October 25, 2005
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大山祇神社は、しまなみ海道が通る大三島にあります。古来から武神・海上守護神(三島水軍守護神)として崇敬されました。日本総鎮守で全国の三島神宮は分社です。河野水軍を始め源氏やその他の武将に信奉され、多くの甲冑が奉納されています。全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類のなんと8割がここ大山祇神社にあつめられています。なかでも、源義経奉納の国宝・赤糸威胴丸鎧(あかいとおどしどうまるよろい)が、最高傑作でもっとも有名です。ドラマの義経が着ている鎧は、この国宝の鎧をモデルに復元したものです。
October 23, 2005
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NHK「その時歴史は動いた」は、鑑真の話でした。東京都美術館で鑑真和上展を見たのは、2001年のことでした。 鑑真和上は、唐からの帰化僧です。数度の渡航計画失敗の後、失明の身で仏像、律天台の経典を携えて来朝しました。東大寺にはじめて戒壇を設け、聖武天皇、孝謙天皇らに戒を授けました。のち大僧都となり、大和上の称号をうけ、唐招提寺を建立しました。 ところで、和上とは、修行を積んだ高徳の僧のことです。多くの僧の師である僧で、授戒のときに師となる僧です。当時の仏教界は大変乱れており、税を免れるために出家し、いいかげんな僧になるものが多かったのです。 受戒とは、仏の定めた戒律を受けることです。出家、在家を問わず、教団にはいったしるしとして、特定の規律に従うことを誓う儀式です。正式の僧(比丘)になる場合は、受戒を三師七証の十師から受けます。日本では天下三戒壇と称した東大寺・観世音寺・薬師寺で、小乗戒が授けられましたが、これに対し大乗戒を授けたのが延暦寺です。
October 23, 2005
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父が亡くなり1年半です。一人になった母が私の留守中に、親切な販売員を家にあげて、色々な買い物をしたり、勝手にリフォームの契約をしたりして困っています。その後も、同じ販売員が何度も家にくるようになり、高価な健康食品の契約をしていました。変化に気付いて、すぐに解約し、お金を取り戻しましたが、被害の総額は800万円を超えていました。 なぜ次から次と、だまされてしまったのでしょうか?これは、霊感商法のやり方です。人の不安や信仰心に付け込み、先祖のたたりがあるとか、このままだと不幸になる等といって恐怖心をあおって商品を売りつけてきます。例えば印鑑を見せてもらって「印相が悪いので、つくりかえないと大変な事になる」といって印鑑を売りつけたりすることから始まります。売りつけるものはすべて高額です。寝具、宝石類、絵画、浄水器、健康食品など色々あります。とくに新興宗教などを信じてしまうと脱会が困難で大変です。入会無料と言いながら、高価な壷を買わされたり、次々にお布施をとられたりします。
October 22, 2005
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石狩川の鮭が有名ですが、庄川にも多くの鮭が遡上します。昨年の台風で、ヤナが流されてしまいましたが、また150mのヤナが復活しました。人工孵化させ、体長6cmの大きさに育った鮭の稚魚を、毎春に放流してきたのです。海へ下った鮭は日本海、オホーツク海、ベーリング海を4年間の旅を続け、70cmほどになると産卵のため生まれた川の匂いを頼りに遡上してきます。遡上率は0.3%程度です。今年は、水温が高く例年よりサケの遡上が遅れています。10月17日の解禁日には、65匹の捕獲でした。 アイヌ語で,シャケンベ(夏食)で、富山県内ではアキアジとも言われます。雌の体色は背部が青灰色、腹部が銀白色で、繁殖期には、暗緑褐色に変じ、体側に赤い雲状斑が現れます。雄は吻(ふん)部が突き出して曲がるので俗に「鼻曲がり」と呼ばれます。魚屋の軒先に吊られたあらまきが、寒風に晒され並ぶ風景は、富山の冬の風物詩です。卵巣はすじこ、イクラで醤油漬けが美味です。
October 20, 2005
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富山中部高校卒業の有名人を、Google検索してみました。面白い結果が出ました。ノーベル賞が断トツのトップではありませんでした。日本語の検索では、国際的な評価が出来ません。わたしの本名も、富山県知事と同じくらいありましたが、同姓同名の人がほとんどです。 ・田中耕一(94,100 件) ノーベル賞 ・高橋はるみ (37,400 件) 北海道知事 ・木村剛 (467,000 件) 元日銀 ・井上義久(17,500 件) 衆議院議員 公明党政調会長 ・石井隆一(759 件) 富山県知事 ・楽天9215(631 件) ・わたしの本名(596 件)
October 19, 2005
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「ユビキタスや、タペストリーとは何か」と聞かれたらどうしますか?昔なら「知らない」と答えましたね。今の正解は、「Google検索してみます」です。どんな言葉であっても、意味はすぐわかります。では、その言葉の重要度をどうやって判定しますか?簡単です。何件ヒットしたか見れば良いのです。 では、「木村剛は、有名な人かどうか」と聞かれたらどうしますか?これも答えは簡単です。何件ヒットしたか見れば良いのです。でも、多数ヒットしたからと言ってその人の有名度を表わすとは限りません。同姓同名があるからです。試しに、自分の名前をGoogle検索してみましょう。ほとんどは、同姓同名の他人がヒットします。
October 17, 2005
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1週間前、富山市の木村剛講演会に行ってきました。演題は「日本経済の行方とこれからの人生設計」です。木村剛は、銀行の再編、不良債権問題の頃、テレビ朝日のニュースステーションによく出ていました。富山中部高校の卒業生であることを知ったのは、つい最近のことです。『1962年5月2日富山市生まれ、富山大付属中を経て、県立富山中部高時代にサッカーでインターハイに出場、1981年に東京大学入学、1985年に卒業、日本銀行に入行。1998年に金融サービスに関する総合コンサルティングを行うKFi株式会社(旧:KPMGフィナンシャル株式会社)を設立、代表取締役社長を務める。』 金融の仕事にめどがついたら「おカネより大事な命の問題」に取り組むつもりだといってます。薬の効能や医療の質のランキングなど医薬情報ビジネスです。 「いろんな指標でみると富山は暮らしやすい県なのかもしれない。でも『いい味、いい人、いきいき富山』には具体性がない。本当に暮らしやすいのは、リーズナブルな価格で日本最高の医療を提供する県です」と言っています。
October 16, 2005
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平家の総大将・平宗盛、清宗父子を護送途中、鏡の宿から少し通り過ぎた篠原地先で父子が処刑されました。義経は、自ら元服した「鏡の宿」を血で穢すことを避けわざと通り過ぎたと伝えられています。 近江の「鏡の宿」とは、滋賀県竜王町鏡のことです。「鏡」の烏帽子屋五郎大夫(ごろうたゆう)に源氏の左折れの烏帽子を作らせ、鏡池の石清水を用いて前髪を落とし元結(もとゆい)の侍姿を池の水に映し元服をしたと伝えられています。鏡神社より西側へ130mのところに義経元服の池があり、そばに石碑が建っています。鏡神社の参道には義経が参拝したときに松の枝に鳥帽子をかけたとされる鳥帽子掛けの松があります。義経が元服する時に使ったといわれる盥の底板が現在も残っています。
October 15, 2005
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ブログを始めて、ちょうど1周年です。04年、11月~12月のNHKホームページを作ろうが、きっかけでした。数人の人の、日記に勝手にリンクをはりました。デジカメで撮った写真を載せたり、字を大きくしたり、カテゴリーに分類したりすると、なんとなく自分のブログの形が見えてきました。しかし、ウイルスにやられたり、あるいは他の理由により、ブログをやめられた方も多くおられました。はじめは、ネットに自分の意見を書いたりすると、どう展開するのか、不安でもあり楽しみでもありました。幸い、中傷されるような大きなトラブルはありませんでしたが、あまり読まれていないからとも考えられます。コメントやトラックバックをいただき、ネットならではの不思議な縁を実感しましたが、最近行き詰まりも感じています。 今、株が上がっています。ライブドア、村上ファンドの動きに注目です。これからは、未体験のネット株もやっていこうと考えています
October 13, 2005
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『院内開業方式を導入する芦屋市立芦屋病院(姫野誠一病院長)は16日、耳鼻咽喉科、泌尿器科、歯科の3診療科について病院内で開業する医師の募集を始めました。来年4月の開業に向けて、来月中に決定します。同方式では、開業医は同病院に家賃を支払い、同病院とは別会計で診療所を営みます。入院が必要な患者は基本的に同病院の病床を利用するほか、公立病院としての役割への協力も求められます。賃料は民間の7割程度で、権利金・保証金はなく、現在使っている設備も希望があれば売却します。(共同通信)』 院内開業が注目されています。病院と診療所との独立性の確保が最大のネックでした。診療所専用の入り口を新たに建設するとともに、診療所と病院との間に仕切りを設けることで解決しました。 同病院によると、3診療科がなくなることで赤字計8500万円(2006年度)が解消される一方、家賃収入が年間約860万円が入ります。同病院には、これまでに開業を希望する医師から15件前後問い合わせがあるといいます。本日のNHKクローズアップ現代で、大分県の中津市民病院が、耳鼻科、整形、眼科、脳外科を廃止して、これらの科は民間病院と連携して、病院を黒字にした話を放送していました。今、全国の多くの病院は赤字で、病診連携に積極的に取り組んでいます。しかし、この院内開業形式は、日本で初めてかもしれません。
October 11, 2005
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鎌倉は、三方を山に囲まれ、南は海に向かって開けている天然の要害です。鎌倉七口の一つに朝夷奈切り通しがあります。この切り通しは他の切り通しと違い殆ど近代化されていません。七口は朝夷奈を含め、化粧坂、名越坂、 巨福呂坂、亀ヶ谷坂、大仏坂、極楽寺坂切り通しです。極楽寺坂切り通しの近くにあるのが、御霊神社です。その昔、鎌倉近辺には大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉という平氏五家があり、これら五家の祖を祀る神社です。極楽寺坂の切通しの護りが硬くとも、稲村ガ崎では、潮が引くと磯伝いに進入することが出来ました。
October 10, 2005
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街を歩いているとキンモクセイの濃黄色の小花が密集して咲いているのに気づきます。花の近くには、清らかな香りが漂います。強い香りの成分はオスマンです。キンモクセイは中国から渡来した常緑樹です。日本で見られるのはほとんど雄株であり、実を見る機会はほとんどありません。中国では丹桂と呼び、花を桂花陳酒(白ワインに漬けた酒)や茶に入れます。病害虫の害は少なく、あちこちの庭先で植えられています。路面に落ちた花は黄色のじゅうたんのようです。 キンモクセイはモクセイ科です。淡いうす黄色のギンモクセイの変種です。ヒイラギ(柊)も香りの高いモクセイ科の花ですが開花は11月に入ってからです。ヒイラギの葉には辺縁にとげがあるのが特徴です。この木で将棋の駒やそろばんの玉などが作られます。
October 9, 2005
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医薬品の製造特許は、十年で切れます。その後発売になる後発医薬品を使うと薬代が安くなります。後発医薬品は、外国では広く普及しています。日本では、新聞・TVコマーシャルを良く見ますが、それほど普及していません。なぜでしょう? 同じ薬の製造に、多い時は30社も名乗りを上げ、それぞれの会社が同じ薬に30種類もの勝手な名前をつけていました。売り逃げするような、いいかげんな薬もあったし、同じ薬なのに名前がそれぞれ違うので、医師も薬の名前すら覚えられませんでした。また、薬の名称や外観が類似した医薬品が増え、薬の取り違え事故が起こったりすることもありました。医療事故防止対策として、今後承認申請を行う後発医薬品の販売名は、原則的に含有する有効成分の一般名を基本として命名し、製造会社名を付すことになりました。 当然のことです。遅すぎた処置です。
October 8, 2005
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私たちが知らない間に、政府や自治体は個人情報をすべて握っています。個人情報保護法案ができてから、国勢調査に協力しない人も増えました。小学校の連絡網に電話を載せない親もあります。地域の緊急連絡網作りに協力しない住民も増えてきました。名前でなく番号で呼ぶ病院もあります。見舞いに行っても、入院しているかどうかさえ教えられないと言う病院もあります。――そんな事態が、今、全国各地で起きています。独居老人に関する情報を自治体が民生委員に提供しないので、民生委員も本来の活動が出来ません。地域の介護保険課も、われわれ開業医に主治医の意見書を書くのに必要な個人情報を教えようとしません。 地域住民の情報を住民同士で共有できず、また民生委員・開業医にさえ情報を提供しない社会の中で、老人の孤独死、病気の流行、大震災、火事、有事などのいざという時にどうやって助け合っていくのでしょうか?個人情報保護法案ができてから、行政当局に情報をコントロールされてしまい、無責任な体質がはびこっています。個人情報保護法とは、誰のため、いったい何のための保護なのか?大きな疑問を感じます。
October 7, 2005
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『医薬品でないアガリクスの健康食品を「末期がんに効く」と書籍で宣伝、販売したとして、警視庁は五日、薬事法違反(未承認医薬品の広告、無許可販売)容疑で、出版社「史輝出版」(東京都港区)役員、木村真木(49)と健康食品販売会社「ミサワ化学」(新宿区)社長、三沢豊(58)ら六容疑者を逮捕した。書籍の体験談は捏造(ねつぞう)がほとんどで、監修者の東海大名誉教授(75)と体験談を執筆したフリーライターの男(44)も、同法違反容疑で書類送検する。書籍を薬事法上の「広告」とみなした立件は全国初。(産経新聞)』 フリーライターが、週刊誌などにでたらめな記事を書くのはよくある話です。一冊あたり約六十万円の報酬を受け取っていました。東海大名誉教授も、いい加減な監修をして、いったいいくらもらったのでしょうか?
October 6, 2005
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10月2日は、横浜中華街に行きました。石川町でJRを降り、西門通りを歩き善隣門、中華街大通りに向いました。中華街は、年1900万人が訪れる人気観光地です。みなとみらい線、元町・中華街駅が出来てからは、渋谷から35分です。わずか500メートル四方の狭い空間に250もの中国料理店が密集しています。いつ、なぜ、ここに中華街が誕生したのでしょうか? 横浜港の開港は1859年です。欧米の商社と日本人の仲介をしていたのが、買弁と呼ばれた清国人でした。彼らは、英語が話せ、日本人とは漢字で筆談が出来ました。食の街としての顔をわずかに見せ始めた矢先の横浜中華街に2つの苦難が襲います。関東大震災と日中戦争・第2次世界大戦です。横浜大空襲で灰燼に帰した中華街を驚異的に復興させたのが、三把刀(さんばとう)と呼ばれる華僑の三大技術者集団でした。三把刀とは、刃物を使う職業つまり洋裁業、理髪業、料理業に就く人です。日本の敗戦によって華僑たちは一転“戦勝国民”となり、援助物資が優先的に供給された横浜中華街は、空前の闇市景気に沸くようになりました。昭和30年、それまで長い間馴染んできた支那町、南京町という名を捨て去り、牌楼(ぱいろう、いわゆる中華門)を建設し、横浜中華街として再生する道を選ぶことになったのです。
October 5, 2005
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2005年のノーベル生理学・医学賞をオーストラリア・西オーストラリア大のバリー・J・マーシャル博士(54)と同国のJ・ロビン・ウォレン博士(68)に授与すると発表されました。胃は食べ物を消化するために強い酸性の胃液を出しています。そんな環境に住める細菌などあるはずがないという考え方が長い間伝統的にありました。1979年、オーストラリアのロイヤル・パース病院の病理専門医ウォーレンが、胃炎をおこしている胃粘膜にらせん菌が存在していることを発見しました。1982年、ウォーレンは、マーシャルと共に研究をすすめ、この菌によって胃炎・胃十二指腸潰瘍がおこると考えました。それまでは、潰瘍は生活習慣やストレスが原因と考えられていました。今では、潰瘍の除菌に抗生物質がもちいられています。 ピロリ菌は、医学の常識が覆された大きな発見です。しかし、アメリカよりかなり遅れて日本で潰瘍の除菌療法が、健保適用になりました。
October 4, 2005
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アイスコーヒーの季節が終わり,ホットコーヒーの美味しい季節になりました。関西人は語尾の長音を省略することが多くコーヒです。わたしは、学生の頃喫茶店でアルバイトをしていました。ホットコーヒーは、略してホットです。東京ではアイスコーヒーですが、京都ではコールコーヒといいました。コールドコーヒを短くしたものです。レーコー(冷コーヒ)とも言っていました。明治時代には、冷やしコーヒと呼ばれていたことによるものです。 またソーメン、冷やし中華から暖かいラーメン、暖かいうどんの美味しい季節となりました。冷やし中華は、京都では冷麺といいます。盛岡では、冷風麺です。
October 3, 2005
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スキー場のゲレンデの、コスモスの花が今見ごろを迎えています。これは、シーズンオフのゲレンデを有効活用しようと、6月中旬に種が播かれたものです。 コスモスはキク科の一年草でメキシコが原産です。日本へは江戸時代末ごろ渡来し、観賞用に広く栽培されました。花は白・紅・淡紅・紅紫色、また、大輪咲き・八重咲きなどで多くの園芸種があります。漢字では、秋桜と書きます。イエローガーデンと呼ばれる黄色の花もあります。これは、秋に花の咲く遅咲きのコスモスです。最近は、種を播いてから2-3ヶ月で花の咲く早咲き(夏咲き)の改良品種が、主流となって来ています。野に咲くものは、昆虫により他家受精するので、翌年は交雑種ができてきます。
October 2, 2005
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