全13件 (13件中 1-13件目)
1

第百四十一回芥川賞・直木賞の選考会が、去る15日に開かれ、芥川賞は磯崎憲一郎氏(44)の「終の住処」に決まった。そこで、早速、書店で入手し、一気に読み終えた。 磯崎氏は三井物産勤務のサラリーマン作家であるが、「終の住処」を読んでみて、なるほどと納得した。恐らくそのような三井物産勤務という背景がなければ書けない小説だと思った。 内容は、30歳を過ぎて結婚した、彼と妻の約20年の生活を描いている。決して長い小説ではない。一気に読ませてしまう不思議なことば(声)が聞こえてきた。選考の経緯や評価などを調べてみたところ、書評の中に、次のような内容が見つかった。 『30を過ぎて結婚した男女の遠く隔たったままの歳月。ガルシア=マルケスを思わせる遠大な感覚で、人の幸不幸を超越して流れてゆく時間と、この世の理不尽と不可思議をあるがままに描きだす。第141回芥川賞受賞の瞠目の才能!』 さらに、受賞理由について、選考委員の山田詠美氏は次のように述べている。『時間軸を小説的にたくらんでいる。文学というものを確信しているという印象。他の候補作と違って“試み”があった』 私も、確かにそうだと思える描き方をしているなと思わざるを得なかった。例えば次のような一文に引きつけられた。・妻はそれきり11年、口を利かなかった。・過ぎ去った時間ほど、侵しがたく磐石なものがあるだろうか。ひとは、過去に守られているのだ。・とうてい重要とは思えないようなもの、無いなら無いに越したことはないものたちによってかろうじて人生は存続しているのだった。 これらの一文から、「時間軸を小説的にたくらんでいる・・」ことが、よくわかるし、このような時間軸のたくらみが、ガルシア=マルケスを思わせる遠大な感覚に繋がるのかも知れない。 はてさて、私の読みかけている小説、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』はいっこうに読み終えそうにない。「終の住処」のように、一気に読み終えれればよいのだが…。
2009.07.30
コメント(0)
今夏は梅雨が明けず、ぐずついた天気が続いている。夏山の計画も立てにくい。しかし、政局は7月21日衆議院が解散(梅雨明け)し、8月30日の選挙に向けて、40日間の熱い(暑い)闘いが始まっている。そして、攻守逆転、政権交代が話題となっている。今のところ民主党が有利な情勢である。民主党に風が吹いている。しかし、この風の行方は一日にして急変することもあり得る。この場合の急変要因は、人間の側の予想ではなく予防の在り方である。民主党は、今は上げ潮予想に湧いており、浮き足だっている。国民からの「日本が変わる」という期待感もある。 一方、自民党は深刻である。深刻であるからこそ、予防措置を講じている。あと一ケ月、民主党への風向が替わる可能性は大いにある得る。そして、選挙の行方は市場にも影響するため、様々な予想が飛び交っている。 風を変える最大の要因は、風評(呪縛的ムード)である。民主党の小沢元代表が秘書の政治献金問題で代表辞任に追い込まれたときに、解散を決断していたら、風の吹き方は変わっていたかも知れない。今日も橋下知事が地方分権について、民主党の公約に文句を付けると、鳩山代表がすぐさま過敏に反応するあたりは、いかに民主党も呪縛的ムードを恐れているかを物語っている。メルトダウンが起こるような世の中、はてさてどうなることか。 ところで、同じ観点で山の計画を立てるときの予想と予防について考えてみた。全文はこちらから・・・関連記事[山の悲しみ]はこちらから・・・
2009.07.29
コメント(0)

昨日は、日本で皆既日食が見られると言うことで、その軌道に当たる南の島々が、来島者で賑わった。私の住む地域は、60%程度の部分日食、それでも期待して観察時間を待っていた。しかし、朝からあいにくの曇り空、観察できそうになかった。待ちながらテレビを見ていると、屋久島での日食の様子が放映されていた。こちらも雨のため、日食は観察不能とのことであった。それでも、真っ暗になっていく様子は、見ていて面白かった。皆既日食を見ることができた地域からは、ダイヤモンドリンクやプロミネンスの様子を放映していたので、こちらの映像で、日食を楽しむことができた。 さて、屋久島のテレビを見ていて、屋久島に移り住んだ山仲間のSyaさんのことを思い出し、懐かしくなったので、早速メールを送った。そして、Syaさんからメールの返信があった。そのメールによれば、屋久島は7月18日から約1万人が島内に入ったが、宿泊施設が4500人分しかないので、町営グランドなどをテント地に開放したりしたが、多くの人が山に入ったようで、荒らされていないかとても心配であるとのこと。さらに、Syaさんの家の庭をうろうろする人などもいて、困ったそうだ。どうも幕営地を捜していたらしい。別な所では畑の真ん中にテントをはり、焚き火をしている人もいたらしい。さらに、この2日間に自宅の庭で起こった異変?の報告も書かれていた。その中の、『ヤマカカシが現れ、庭の一角で飼っていた訳ではありませんが毎日顔を合わせていたトカゲが食べられショックでした』の一文を読みながら、豊かな自然環境の中で暮らす様子と、Syaさんのやさしい気持ちや人柄が思い出され、懐かしさが一層増してしまった。 本題の日食の話に戻るが、屋久島皆既日食対策本部は7月19日に立ち上げられ、いよいよ日食の日を迎えたのであるが、2週間雨が降らず、庭の植木の水遣りが大変だったのに、当日は朝から大雨、日食の頃は雨があがったが、太陽が欠ける様子は見れなかったとのこと。しかし、次第に暗くなり、冷たい強い風がふき、鳥の群れが家路に急ぎ、不気味な感じがしたこと、日食直後の海は朝焼けでも夕焼けでもない薄紫からオレンジの空に縁取られ、これは見ごたえがあったことなどが書かれていた。どうも、屋久島で日食が見えたのは永田だけだったようで、もしかすると、宮之浦岳の頂上は雲の上に出ていて見れたかも???とのことであった。 私は35年前、屋久島の太忠岳の岩峰と永田岳ローソク岩のルート開拓のため、8日間滞在したことがある。もはや開拓したルートは風化し、再登することはおそらく不可能であろう。今ではすっかり若き日の思い出になってしまった感がある。しかし、屋久杉や宮之浦岳、永田岳の素晴らしさは今も鮮明に覚えている。日食騒ぎから、ぜひ屋久島を再び訪れたいとの思いが募ってしまった次第である。永田岳・ローソク岩 今回は山ではなく海辺の写真を掲載しました
2009.07.23
コメント(0)

私は、7月3日付けのブログ日記で、「ほんとにそう思いますか」という題名で、山に登る訳について問うた。人それぞれに山に登る訳があるようであるが、私にとっては、山の持つ危険性と冒険性の誘惑的な魅力が、その訳の重要な点であることを述べた。さらに追加して述べれば、これに未知へのチャレンジや探求心、体感性、成就感などが考えられる。 さて、ここでは山の登り方(山のプロセス)について考えてみたい。地域は日本に限定して登り方の分類を行うと、まず、(1)ルートの取り方である。沢から登るか、尾根から登るか、に、大きく分けられる。次に、(2)季節の選択である。いつの時期に登るのか。地域や季節によって、積雪量などの気候条件が大きく異なってくる。続いて、以上の選択に応じた、(3)装備の問題がある。歩きだけなのか、岩登りや沢登りを含むのか。スキーやボードを利用するのか。そして、最後に、(4)山の登頂を目的とするのか、特定の岩や沢、滑降だけを目的とするのか、という選択の問題である。さらに、これらの組み合わせによって、山の登り方が決まると考えることができる。 私の場合、好みとするところは、山の頂に向かうルートの取り方の面白さと創造的な工夫の楽しみである。全文はこちらから・・・
2009.07.21
コメント(0)
今日から錫杖岳~北尾根を経由して笠ケ岳に登る計画であったが、天候不順により中止した。そんな折、北海道大雪山系トムラウシ山・美瑛岳の2つの山で遭難事故があり、10人死亡のニュースが入ってきた。旅行社の募集登山による悲劇であった。今までも何度か、ツアー登山の危険性の警鐘は繰り返されていたが・・・と思わざるをえない。私が言っている、「世の風」のなすところの結果であった。ツアーを企画した会社の責任は厳しく問われることになるであろう。遭難に関する記事はこちら 一方、このよな旅行社の募集ツアー登山でなくとも、山岳会における登山の在り方にも、大きな警鐘になったと思う。遭難の原因はいろいろ考えられるが、ツアー会社の企画の問題性とリーダーの責任は、山岳会の山行計画においても同じ事が言えると思う。 私の目を引いたもう一つのニュースは、エアーズロック入山禁止のニュースである。この記事をネットニュースで読み、オーストラリア政府の判断に賛同した。ようやくあたり前のことが、コンセンサスを得られるようになったのだと感じた。もちろん観光事業への影響が少ないと判断されたことが、大きな理由ではあるが、大変喜ばしいことであると思う。記事はこちら 私自身への自戒も込めて、侵してはならない聖地は、日本にも多く存在する。侵してはならない場所は、聖地として、現地人によって拝まれ、尊崇の念をもって、人々の生活や精神生活を守ってきた歴史の重みがあると思う。このような聖地に都会人が足を踏み入れるとき、現地人の持つ畏敬や尊崇の念を深く知っておくべきであろう。 さて、以上の2つのニュースは関係がないように思えるが、私の中では一つに繋がっている。どの点において繋がるのか、その共通点を読者は真摯に考えてみて欲しい。 遭難事故については、これから様々な分析や議論、話題になると思うので、各ニュースや各方面からのブログにも着目して欲しい。ここでは取りあえず、ブログを一つ紹介しておきます。記事はこちら
2009.07.18
コメント(0)

伊集院羽津子さんのお店(ちゃや)を訪問しました。伊集院さんとは、音信のみで、今回が6年振りの再会でした。伊集院さんも加入されていたオールマウンテンクラブ仲間9名で訪問、みなさん、再会の喜びとお店の風情、田舎風情、山村生活の様子を見聞して大満足でした。夜はご主人の手作りベランダで深夜までおしゃべりをして過ごしました。伊集院さんも大変ご満悦でした。 なお、今はお店(羽津子のちゃや)を実名でされていますので、実名で紹介します。ご本人からも広く山仲間に紹介して下さいとのことでした。若い頃からほのかに燃やされていた夢をやっと実現され、『しあわせ』とだけ書かれた年賀状を貰っていました。転居されて、今年の春で丸3年、お店も軌道に乗ってきたようです。一ヶ月に平均100人のお客さんが来るようになっています。一日30人も来て大変だった日もあったとか。3月には、四国に里帰りされたSさんが10日間も滞在されて、木工作品やベンチなどの木材工作を残されていました。沢や(沢登りをする人)さんや、岩やさんの訪問が多いようなので、陶芸や田舎暮らしなどに興味を持つ一般客の訪問を広める方策を考えて欲しいとの依頼を受けました。 ご自慢のジビエカレーは「おいしい」です。自家製の野菜サラダが付きます。お店の様子をオールマウンテンクラブのホームページで紹介し、少しでも広報することにします。 一緒にスキーに行くことは叶わないですが、ぜひこれからもお付き合いを深めていきたいと思います。みなさんも、山仲間に紹介すると共に、お友達や家族連れで訪問してあげて下さい。
2009.07.12
コメント(3)

熊野市赤倉の田舎で、「羽津子のちゃや」というお店をやりながら、田舎暮らしをしている、オールマウンテンクラブ仲間のお宅を訪問した(7月12日のブログ)。 そのついでに、登り残している奈良百遊山の一つ、小峠山に登った。今年に入って3番目の奈良百遊山登山であった。今年中には終えると思っていたが、どうも怪しくなってきた。この辺りは白子又川、前鬼川に面し、沢登りで踏査していたが、小峠山のピークは踏んでいなかった。小峠山のピークは3つあり、水尻バス停から、東峰1099mと少し先にある最高峰中峰1100mを往復した。登り2時間15分。下り1時間15分の行程であった。
2009.07.11
コメント(0)
土居健郎さんが去る5日、死去した。89歳だった。土井さんは、「甘えの構造」などの著書にて、「甘え」という、極めて一般的な日常的概念を、研究の対象として、その心理分析を行い、日本人の特性(義理人情など)を鋭く分析した。 私も1971年に刊行された「甘えの構造」を、発刊当時に読み、深く考えさせられたことを覚えている。私に大きな影響を与えた学者の一人である。特に、私は十代の後半、夏目漱石を好んで読んでいたが、甘えの観点から漱石を分析した著書、「漱石の心的世界」は、精神病理学から文学研究を行うという、異色の謎解きともいえる研究であった。 このような精神分析的手法で、文学を含め、様々な社会的事象を分析することの妥当性や普遍性があるのかどうか、私にはよくわからないが、「人間、夏目漱石」を知る上で多くのことを考えさせられた。太宰治についても同様であった。多くのヒントを得た。 一昨年度には、『続「甘え」の構造』が出版されたが、改めて、この「甘え」の研究から得られた知見を、人生経験を経た今でこそ、再考してみる価値がありそうである。ご冥福をお祈りする。
2009.07.10
コメント(0)

今日、鈴鹿の沢登りの帰りに、Idさんの畑を訪れた。Idさんは今年3月に退職された。昭和23年生まれ、団塊の世代の真っ直中を生きてこられた。定年後、再就職されると思っていたが、自分の時間を選択された。高度成長期の急激な社会の変化を経験したが、これからの人生の生き方の選択として、晴耕雨読、今は農作業の道を歩んでおられる。現在は自称、見習い専業農夫ということである。私も、2年後の定年に備え、定年後の選択肢を考えている。すでに定年を迎えた人たちが、どのような選択をしたのか、いろいろと話を聞きながら、参考にさせてもらっている。 なお、帰りに、Idさんの畑で取れたなすび、キュウリ、ジャガイモのおみやげをいただいた。
2009.07.05
コメント(1)
いま、ガルシア・マルケス著作の「百年の孤独」を読んでいる。この小説は1967年に初版が出版され、日本では1972年に刊行されている。ノーベル文学賞受賞作品でもある。発刊からすでに40年近く経つが、今でも地味なベストセラーである。私も、読みたいと思っていながら、百年の孤独のように、長い年月が経過してしまった。そして、この年になってやっと読み始めた。若い頃に読むのと、60歳近くの年齢で読むのと、そこには自ずと、人生経験から来る価値観の違いや、自分自身に及ぼす影響も違ってくると思う。まだ読み終わっていないので、読後の感想はさておき、物語の中に、ブエンディア一族にまつわる人間の生と死、魔術的世界、神話的世界が登場し、結末に向けて、何やら、不思議な魅力がサスペンス的に展開していく。読中に、このような感想を記しておくのも、読後の感想と合わせて、面白い試みであると思う。 さて、小説の中に「賢者の石」が登場する。 賢者の石とは、中性ヨーロッパの時代、錬金術師が、鉛などを金に変える触媒として考え出した霊薬である。この辺りの物語が、魔術的世界の物語に通じるのであるが、中性では、結構これが流行っていた。不老不死を望む人間の欲望や大金を得たいという欲望が、この「賢者の石」を発明させたと云える。「賢者の石」は、この小説の中で登場するジプシーによって、錬金術の方法として、ブエンディア家にもたらされる展開になっている。 一方、「賢者の石」といえば、「ハリー・ポッターと賢者の石」があまりにも有名である。こちらは映画化されて大人気を博したが、原作は、1997年にイギリスの児童文学作家J・K・ローリングによって書かれた、ハリー・ポッターシリーズの第1作を映画化したものである。この映画のヒットを受けて、その後、次々と続作が映画化されている。この7月15日には、シリーズ第6作である、「ハリー・ポッターと謎のプリンス」が公開される。そして最終の第7作の映画化もいま進んでいる。しかし、強烈な印象を与えて世界中にハリー旋風を巻き起こしたのは、第一作であり、魔法使いヴォルデモートがハリーを殺そうとした際に失った肉体を取り戻すために「賢者の石」を得ようとする物語であった。この第一作では、「賢者の石」が不老不死・回生の妙薬として登場する。錬金術ではないが、魔術的世界の物語には、必ず登場するのが、この「賢者の石」である。 ところで、FRBが2002年9月の声明文の中で「地政学リスク」という危機管理の必要性を述べたが、この言葉は経済のグローバル化を迎えた状況を言い表しており、特定の地域の政変や軍事的緊張が、世界の経済の行方を不透明にするリスクのことであり、いまは誰もが広く認識するようになった。しかしながら、この地政学的リスクを予測し得る手だてはなかなか見つけにくい。何故かというと、人が人を魔術的に支配していく精神構造が、その裏に隠されており、神のみぞ知ることであるからである。「百年の孤独」の世界のように、人間の愛によって崩壊していく物語も、ファンタジ-ではなく、実世界で起こり得ることを予感させる。その点、今は愛を実感し得ない不気味な時代なのかも知れない。そして、人々は同時に、現実に苦しみながらも、真実の愛を求めて見果てぬ夢の中に生きているのかも知れない。いまは、「百年の孤独」を読了することが楽しみである。そして、読後に感想を問うことにする。
2009.07.04
コメント(0)
ただ山に登っていると考えると、これが大間違い。人それぞれに山に登る訳があるようである。山に登らない人から見ると、山に凝っている人(私もその一人であるが)、それも結構マニアックに山に凝っている人は、異邦人か宇宙人はたまた天狗様、挙げ句は「ほんとにご苦労さんですなぁ」と、諦め顔で慰めてくれる人までいる。中には「お前そんなことをいつまでもやっていたら死ぬぞ」と脅す人までいる。さて、山に凝っている人の言い分はどうであろうか。 私が26歳のとき、初めてヒマラヤ未踏峰の遠征に参加したときは、頭の中はすべて山・山・山で占められていたが、そのとき書いた文書が残っている。私のオールマウンテンクラブのホームページに、思い出のエッセイとして再掲してある。タイトルは、「ヒマラヤ遠征を終えて思うこと」である。その中で、危険と冒険の誘惑的な魅力について触れている。30年以上も前のことであるが、今でも現実味をもって私に問いかけてくるものがある。若かったからそのように考えたのではなく、自分の生きていることへの存在感を問う気持ちが強かったからであると思っている。この気持ちは、今も何ら変わっていない。だからこそ、今でも現実味をもって私に問いかけてくるのである。 さて、他の人はどうなんだろう。ここで、自分自身の気持ちに疑問を投げかけ、山に登らない人の気持ちを斟酌しながら、考えてみた。どうしてあなたはそれ程までして山に登るのですか?。今までに体験したことのない面白さがあるからですか?。「ほんとうにそう思いますか?」。爽快感や達成感が何とも素晴らしいからですか?。「ほんとうにそう思いますか?」山の景色が素晴らしいからですか?。「ほんとうにそう思いますか?」。そんな気恥ずかしい理由を考える前に、自分をそうさせてきた、世の風に問うてみては如何であろうか。 経済が上り調子で、生活が満ち足りて行こうとした時代に山に向かった人たちは、その上り調子そのままに、山の経済的発展を求めて、世界に進出していった。マナスル初登頂からエベレスト日本人初登頂、エベレスト日本人女性初登頂、ヨーロッパアルプス三大北壁日本人初登頂から冬期単独初登頂まで、右肩上がりの時代背景に後ろ押しされた。 しかし、バブル崩壊と伴に、お宅族が激増、山に打ち込む若者は減ったが、それでも彼らなりに活路を見つけようともがいていた。しかし彼らも30代に入り、その活路すら評価されないまま、今は、厳しい経済的苦境に立たされている。パイオニア時代の先人を凌ぐ素晴らしい登攀が、彼ら日本人の手によってなされたが、新聞に載ることもなく、登山雑誌の中でだけ、わずかに評価されたに過ぎなかった。 そもそも彼らから山を奪ったのは誰なのか?。彼らの先人を凌ぐ記録が評価されにくい時代になったのは何故なのか。私が26歳で遠征を行った1977年、日本山岳協会がK2登山隊を送り出した。実は、このときすでに、何を時代錯誤的なことを行うのか、と疑問を感じていた人も多かった。私もその一人であった。パイオニアに夢を賭けることのできた時代は美しく多くの物語やドラマを生んだが、この年以降、私は、パイオニアの世界は終わりを告げたことを痛感した。だからこそ、これ以降、登山は個性化の時代へと向かったのである。その意味において、パイオニアの先人達が今もって、その栄光にすがり、跳梁跋扈する姿はあまりにも情けない。 ところで、今の時代、なかなか先が見えない不安感が、刹那的な満足感を求めさせたり、体感的なもので精神をマヒさせようとする行為へと、人を一層駆り立てているのでは、という考えは穿った見方であろうか。バブル崩壊後、個人の側における精神的バブルも崩壊し、バブル期に雇用された今の40代(アタフォ-世代:これはわたしの勝手な造語で、アフタ-フォ-ティのこと)は、男女で明暗を分けている。男はバブル雇用と言われ、能なしと責められている。一方、もとから就職氷河期しか経験のない、今の30代(アタサ-)は、いいことなんかあるはずはないと、もとから夢など抱いていない世代であり、持続性という言葉の危うさを一番知っている世代である。それ故に、「あなたの言うことなど簡単には信じないわよ」と、先輩であろうが、上司であろが、食ってかかるだけのエネルギーを秘めている。私は、これからの時代、革新を起こすとすれば、この世代であろうと思っている。大阪府の橋下知事はその狭間世代であり、アタサ-の先駆者になり得るかもしれないし、アタフォ-に追随するだけのことになるかも知れない。それに較べ、60代後半~70代(アラセブン)は、夢のある時代を駆け抜けることができた。そして、その後を追い続けて、バブル経済を演出し、精神的バブルを生み出したのが団塊の世代である。今年60歳を迎える昭和24年生まれでもって、狭義の団塊の世代は定年を迎える。高度成長期、オイルショック、バブル経済、そしてバブル崩壊、そして世界的金融危機と、経済のしくみのオンパレードを経験させられてきた。ただ、私を含め、来年60歳を迎える世代からは少し違っている。私たちは、丁度、世相の過渡期(狭間)を生きてきた世代の先駆者であり、花の二八と言われた世代までが、これに当たる。登山に関して言えば、私は26歳のときにパイオニアの終焉を感じ、極めて個性化した登山へと向かわざるを得なかった。単独登攀の研究と実践がその始まりであった。 私は、このような時代背景を生きながら、残された開拓すべきパイオニアと、新しいパイオニア精神を醸成し、リーダーの天分を発揮することできたことは幸せであった。その点、後輩からすれば、ぎりぎりの勝ち逃げ世代である。
2009.07.03
コメント(0)

今年の3月15日に、飛騨の輝山(2063m)に山スキーで登ったが、山頂に標識がなく、一応、地図で山頂を確認したが、何となく殺風景な印象を持った。もちろん、それが自然ではあるが、山頂に標識があっても良いのではという気持ちから、「山の頂とかまぼこ板」というエッセイを書き、ホームページに掲載した。そして、早速、かまぼこ板を手に入れ、ペイントし、後は山名を入れるだけにして置いてある。 ところで、先日の富士登山の帰りに、Iさん宅に立ち寄ったとき、六甲ロックガーデンの赤ペンキによるマーキング事件の話しで盛り上がり、登山コースの標識の是々非々や山頂の標識の話しになった。私としては、山頂には、記念の標識があってもいいのではという意見を持っている。記念撮影にも便利である。但し、木の幹に、赤ビニルテープを巻くことには断固反対である。そんな話しをしていると、Iさんが、山名を書いた自作の標識を持ち出してきた。、Iさんがよく登る近郊の山名を記した標識であるとのことであった。 この標識を自作した訳は、山頂の標識がすぐに取られてなくなってしまうので、やむを得ず自作したとのことである。いくつかの山で、そのような事が起きているらしい。なぜ標識を取ってしまうのか、その意図はよくわからないが、いずれにしろ、山頂には標識が必要だろうということで意見が一致した。遠くから来た人が、どこが山頂かわからず、迷っていた光景を目にしたこともあるとのことである。そこで、自分で標識を自作し、付けることにしたそうである。すでに他でも付けたとのことである。ただし、取られないようにするために、標識を付けるときは、脚立を担いで行くとのことであった。大変ご苦労な話しであると思うと共に、そうすることで、その山に自分の思い出が残るであろうと思った。今度は取られないことを願っている。
2009.07.02
コメント(0)

先日の6月27日(土)に、私は富士山に登ったが、そのとき、八合目の雪渓を、約15名の中高齢者集団が降りてきた。その内、男性はリーダー1名のみ、他は女性であった。「リーダー、アイゼンを外していいでしょうか・・・、リーダー休憩でしょうか・・・」その喧噪さを見聞して、私は、思わず、「う~ん」と呻った。 同じ日、七合目辺りを登っていたとき、60歳代と70歳代と思われる男性2人が盛んに議論をしていた。聞き耳を立てると、内容は、富士山600回登山の記録は、本物ではない邪道だ、私は、きちんと、一回一回、正確に頂上まで登っている。とかいった内容であった。私は、思わず、「う~ん」と呻った。 翌日、富士山の帰りに立ち寄った友人宅での会話の中で、六甲ロックガーデンの赤のスプレーによるマーキング事件のことが話題になったので、帰宅してから早速、ネットで調べてみた。すると、芦屋川コア・アウトドア・ショップSky High Mountain Works オーナーさんのブログに以下のようなことが掲載されていた。(以下アンダーライン一部引用) ロックガーデンに、勝手にたくさんの赤のマーキングがペイントされているのが見つかり、犯人を捜してみると、兵庫区の77歳男性。なんで、こんなじーさんが・・・すぐに、事情を聞いた所、高座谷、奥高座谷、魚屋道から水場周辺、地獄谷などすべてのマーキングをこのお方がやっていたようだ。しかも、この2週間あまりの短い期間に一人でだ。なぜに?「まだ山を初めて2年ばかりだが、この辺は迷い易いから、これからの人のためにも、道を知らない人でも自分が楽しいと思えたルートを迷わず歩けるように、あくまでも親切心でやった。」と言い張った(以上引用)。この記事を読んで、私は、思わず、「う~ん」と呻った。
2009.07.01
コメント(2)
全13件 (13件中 1-13件目)
1
![]()

