全5件 (5件中 1-5件目)
1

一昨日(9/28)、堀川通を隔てて西本願寺の前にある龍谷大学龍谷ミュージアムに行ってきました。9/18(土)から始まった特別展「アジアの女神たち」を見るためです。冒頭の景色は、龍谷ミュージアムを西本願寺側から撮った全景です。堀川通の西側歩道を歩き龍谷ミュージアムに行くことはあまりないのですが、今回は別稿としてご紹介したい探訪との関係で、西側歩道経由になりました。ミュージアムの手前に見えるのは堀川通の下を潜る地下歩道です。西本願寺とミュージアムとの間はこの地下歩道があるので便利です。龍谷ミュージアムの正面壁面は、風をうけて巨大な簾がすこし波打つ感じの装飾が施されています。 正面の案内パネル このパネルの北端傍から、一旦地階の入口に向かいます。 特別展のPRチラシ。今なら各所で入手できることでしょう。 (龍谷ミュージアム・ホームページの特設サイトではチラシのpdfファイルをダウンロードできます。)展覧会場は撮影禁止ですので、案内パネルやチラシ裏面等に掲載の図像を後で部分拡大して引用したいと思います。 入場券の半券これらを並べてみると、ハイライト展示品の一端がここに表れています。今回はミュージアムの2階と3階に跨がって展示されていました。いつもの様に先に3階に上がると、後半第4章からの展示になっていました。ここでは、2階の展示から順にご紹介します。今回の特別展は5章構成で展示されています。<第1章 太古の地母神とその末裔> 太古、人々は大地の豊穣と多産を願い、豊満な女性の形を土偶の形で表現しました。これは小さな女性土偶(平山郁夫シルクロード美術館蔵)で、北シリア、紀元前5500年頃の出土品。「地母神」と呼ばれるそうです。ここにはシリアの女性土偶、イランやメソポタミアあたりの「アスタルテ女神像」など小さな作品ばかりですが、アジアの女神の始まりが展示されています。 こちらは、山梨県の鋳物師屋遺跡から出土した「円錐形土偶」(南アルプス市ふるさと文化伝承館蔵、重文)です。上掲同様、粘土焼成されたもので、縄文時代中期・前3000年頃だとか。初めて見るタイプの土偶でした。他に、ガンダーラ周辺出土で2世紀のカニシュカ1世金貨・銅貨や山海経、淮南子なども展示されています。7~8世紀のアスターナ古墳群(中国)出土の「伏羲女媧図(ふっきじょかず)」(龍谷大学図書館蔵)という図像(絹本着色)が印象的でした。中国神話の男神女神を描いたものと言います。これを見て私は棟方志功の版画に描かれた女性の容貌を連想しました。後期は同じ名称の別図と入れ替えが予定されています。日本の女神坐像が2躰展示されています。その1躰は後で立ち寄る予定にしていた市比賣神社蔵のものです。神社を訪れても見ることができない像をここで見ることができました。<第2章 インドの地母神からヤクシーへ>ここには、バローチスタン(パキスタン)で出土した前3000~2500年頃の粘土焼成による小さな女性土偶(平山郁夫シルクロード美術館蔵)が数多く展示されています。やはり胸部が豊満に強調された造形です。丸く穿たれた瞳が印象的でした。サーンチをはじめとしたインドのストゥーパの写真は幾度も見ています。しかし、「欄楯柱」の実物(一部分)を見たのははじめて。2世紀頃のマトゥラー周辺のものだそうです。女神ヤクシーが彫刻されています。ヤクシーはもともと聖樹に宿る精霊的な神だそうです。併せて、ヤクシー奉献板や化粧皿(ケートスに乗るネーレーイス)などが展示されています。ケートスはギリシャ神話に登場する海獣で、ネーレーイスは海の聖霊だそうです。ガンダーラ出土、前2~後1世紀のものだとか。ガンダーラ出土と知り、ナルホド・・・です。最初にギリシャの影響が及んだ地域。仏像発祥地の1つです。<第3章 インドの女神たちと仏教>まず、インドの「ラクシュミー奉献板」(粘土焼成、平山郁夫シルクロード美術館蔵)と「ガジャ・ラクシュミー浮彫」(木造、国立民族博物館蔵)が展示されています。前者は前1~後1世紀)、後者は19~20世紀のものです。ラクシュミーは『リグ・ヴェーダ』に登場する吉祥・福徳を司る女神です。ヒンドゥー教では、ヴィシュヌの妃として知られているとか。この女神が仏教に取り入れられて、吉祥天になります。『金光明懺法』(京都・泉涌寺蔵)など、吉祥天が記述される経典類が計3点でています。 奈良・薬師寺蔵の木造「吉祥天立像」(重文)が展示されています。平安時代・10世紀の作。どっしりと重厚感のある体躯の像です。「わが国では鎮護国家の根本経典である『金光明最勝王経』に基づく吉祥悔過(けか)の本尊として、奈良時代より吉祥天に対する信仰がはじまった。」(図録より)と言います。鎌倉・嘉禄元年(1225)に書写された「十巻抄 巻第九」(京都・笠置寺蔵)は、「平安末期に成立した十巻抄は、最古の図像集」(図録より)とされるもの。鎌倉時代の書写ですが、淡く彩色された吉祥天女の色が鮮やかに残っています。また、鎌倉時代、13~14世紀に描かれた「毘沙門天・吉祥天・善膩師童子像」(滋賀・園城寺蔵)も出ています。この三者は、毘沙門天の后が吉祥天で、善膩師童子が子という関係にあります。三尊形式で描かれるものが散見されるそうです。 仏教に取り入れられたもう一人の女神がハーリーティという豊穣・多産の女神です。 訶梨帝母像これは三曲の背障と勾欄付きの台座に右足を踏み下げて坐す図から像だけを抜き出したものです。ハーリーティを音写したのが訶梨帝です。「鬼子母神」とも呼ばれています。このセクションには、『妙法蓮華経 巻七』(龍谷大学図書館蔵)が展示されていて、「陀羅尼品第二十六」に「十羅刹與鬼子母幷其子及眷属」と記されています。鬼子母神の他に十羅刹女がでてきます。羅刹とは、「[暴悪で恐ろしい意の梵語の音訳](仏教で)空中を飛行し、人を食うといわれる、男女の鬼。」(『新明解国語辞典』三省堂)です。この鬼女が10人、十羅刹女として仏教に取り入れられ、法華経を読誦・受持する者の守護神に転化します。上記のフレーズの直前に、十羅刹女の名前が列挙して記されています。ここには、「普賢十羅刹女像」(奈良・能満院蔵)、「鬼子母神十羅刹女像」(愛知・長満寺蔵)の図像が展示されています。また、平安時代後期・12世紀に作られた「十羅刹女(十種供養菩薩)立像」(京都・実光院)という像高が40cmに満たない小像十躰も展示されています。私は十羅刹女の木彫像を初めて見ました。3階の会場に移ります。<第4章 『デーヴィー・マーハートミヤ』と大女神>『デーヴィー・マーハートミヤ』は、5~6世紀頃にインドで編纂された女神信仰の根本聖典だそうです。この聖典には悪魔を打ち倒す戦闘女神が登場すると言います。 物語に出てくる「ドゥルガー」の立像(国立民族学博物館蔵)で、20世紀のインドの作。ドゥルガーは「行くことの困難なもの。近づき難いもの」という意味で、美しい姿でありながら凄惨な殺戮を行うそうです。(図録より)同じく、「水牛の悪魔を殺す女神像(マヒシャースラマルディニー)」(国立民族学博物館蔵)が展示されています。この女神は、「魔王マヒシャーを退治するためにヴィシュヌをはじめとする神々の威力を結集して生み出された女神(ドゥルガー)」(図録より)だとか。ガンダーラ周辺の5世紀頃のもので、ストゥッコの「マートリカー像」(平山郁夫シルクロード美術館蔵)断片がいくつか出ています。「マートリカーは母神の意味で、地母神的な性格を持つ土着的な信仰に由来する女神」とみられていて、「ヒンドゥー教において7体の母神を並べて七母神として信仰される(八母神とすることもある)」(図録より)とのこと。 「ヴァイシュナヴィー立像」ガンダーラ周辺で出土した7~8世紀の作。「ヴァイシュナヴィーは、ヴィシュヌの女性形の女神(妃ともいわれる)で、一般に七母神の一人として造形される」(図録より)そうです。このマートリカーやヴァイシュナヴィーが『大日経 巻第一』『般若理趣経釈』(龍谷大学図書館)の展示に繋がっていきます。前者に「七母」、後者に「七母女天」という形で登場しています。2躰の小さなサラスヴァティー坐像が展示されています。「『水をもてるもの』という意で、もともとは河を神格化した女神」(図録より)であり、『リヴ・ヴェーダ』はその存在を3篇の単独讃歌で示しているそうです。 このサラスヴァティーが仏教に取り入れられて弁才天となります。この「弁才天像」(愛知・乾坤院蔵)は鎌倉時代・13世紀のの作。前期として、琵琶湖の竹生島にある宝厳寺の「弁才天像」図も展示されています。ここには『金光明最勝王経 巻第七』(奈良・西大寺蔵)が展示され、そこには8本の腕に武器などを持つもう一つの姿の弁才天が登場します。この記述の箇所は、研究の結果「実は戦闘女神・ドゥルガーを讃えるヒンドゥー教の文献からの引用だったことが判明しました」(図録より)とのこと。弁才天はドゥルガーでもあったのです。図像集の「十巻抄 巻十」(岡山県立博物館蔵)所載の八臂の弁才天像が展示されています。これも彩色がきれいに維持されています。 この八臂の弁才天坐像(滋賀・宝厳寺蔵)は、室町・弘安3年(1557)、重清作です。他にも図像や木像が並べて展示されています。 これは当日鑑賞後に購入した図録です。裏表紙の上部の左に上掲二臂の弁才天が使われています。右部分を取り出すと、 これは「荼柷尼(荼吉尼)天曼荼羅」(大阪市立美術館蔵)です。室町時代・15世紀の作。ダキニ天は、ヒンドゥー教の鬼女・ダキーニーが源流です。仏教に取り入れられたダキニ天は日本で稲荷信仰と習合して行きます。そして、水や稲作を司る農耕神としての側面をもつようになります。<第5章 観音になった女神-性を超えた聖->最初に、『妙法蓮華経 巻第八』(香雪美術館蔵)、『観世音菩薩普門品経』(龍谷大学図書館)が展示されています。観音菩薩について説いた妙法蓮華経の観世音菩薩普門品経第二十五は良く知られたところです。ここでは仏教に取り入れられた女神が様々な菩薩として位置づけられる経緯を扱っています。いくつかのターラー坐像、ターラー像が展示されています。ターラーという語は「瞳」を意味するとか。そこから、「ターラーの起源は『観音の瞳から放たれた光明から出現した』あるいは『観音の瞳から落ちた涙がたまって池となり、そこに咲いた蓮華の花の中から生まれた』と説明されることがある。」(図録より)とのこと。ターラー女神=多羅菩薩となり、胎蔵界曼荼羅にある蓮華部院の中に多羅菩薩が描かれるようになったそうです。「インドにおいては、ダーラニー(陀羅尼)を称えて特定のほとけや神々の加護を受けるという考えが発展し、多くの女神が誕生しました。」(図録より)その女神の一人に、チュンダー女神がいます。チュンダーとは鼓舞するという意味だとか。この女神が仏教に取りいれられ、「准胝観音」と称されます。准胝はチュンダーの音写です。平安時代10世紀の木造「准胝観音立像」(文化庁蔵)と、厨子に納められた准胝観音坐像(京都・泉涌寺蔵)が展示されています。前者の立像は今回の展示品の中では大きな作品のひとつです。後者の坐像は、江戸時代・17世紀の作。興味深いのは、准胝観音の坐す蓮華座の茎が池中から両脇侍より高い位置まで伸びています。その太い茎に龍が絡み付いているという意匠です。脇侍は二龍王でその装束は中国風に見えます。 図録表紙の左上に使われています。パンダラー女神は東アジアでは白衣観音と呼ばれるようになります。そして、三十三観音の一尊とみなされるように。 こちらは図録表紙の左下に使われています。左手に籠を持っています。籠の中に入っているのは鯉魚。この「魚藍観音像」(香雪美術館蔵)は中国の作品で後期の展示予定です。前期は別の「魚藍観音像」が展示されています。紙本墨画淡彩で室町時代・15~16世紀の作です。 最後に興味深い3点の小像が展示されています。「観音菩薩童子像(マリア観音)」(東京国立博物館蔵)です。これは17世紀の作。3点とも明~漢時代の中国のもの。福建省の徳化窯で焼成された白磁の像。安政3年(1856)の「浦上三番崩れ」で奉行所が押収した79点のうちに含まれていた作だとか。マリア観音と括弧書きしてある意味がよくわかります。今回、一番印象深いことは、観音の女性化という表現でした。観音(または観自在)菩薩は、インドのサンスクリット語の原語では必ず男性として認識されていたという説明を会場で読みました。サンスクリットでは名詞は男性・中性・女性に区分されていて、男神か女神かが明確に区分されているそうです。仏教の伝搬の広がりの中で、インドの女神が仏教に取り入れられて行きます。観音菩薩になった女神も生まれます。東アジアに仏教が伝搬してくると、東アジアには名詞に男女の区別がないことも影響してか、中国での大衆信仰の広がりの中で観音が女性化するという変容が生まれてきたと言います。最後に展示されていたマリア観音がまさにその典型といえそうです。勿論、そこには意図的な擬制がなされたとはいえますが。一方、女性化した観音を制作することに抵抗感がないという次元に至っていたと言えるかもしれません。この辺でご紹介を終わります。参考資料*図録『アジアの女神たち』 龍谷大学龍谷ミュージアム編集 2021*出品リスト「アジアの女神たち」補遺龍谷大学龍谷ミュージアム ホームページデーヴィー・マーハートミヤ :ウィキペディアリグ・ヴェーダ :ウィキペディア三十三観音 :「コトバンク」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)
2021.09.30
コメント(0)

京阪宇治線・六地蔵駅の少し東側を山科川が流れ、このあたりで南下してきた川筋が西方向に屈曲し六地蔵駅の南側を流れ、やがて宇治川に合流します。 山科川に架かる京阪電車の架橋に近い左岸で赤く咲く花が目にとまりました。近くまで堤を下りてみました。 彼岸花です。友人のブログ記事で、亀岡の彼岸花の里に咲き誇る花の写真に魅了されました。古本市場を久しぶりに覗く序でに、山科川の堤防を少し散歩してみようと思いたちました。川沿いに彼岸花が見られるかもしれない・・・・・と。やはり、咲いていました。最初に目に止まったのがここです。 わずかですが、彼岸の時季にあわせるように咲き誇っています。植物学者は和名でヒガンバナと称するそうです。「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」という名でも知られています。国語辞典には、曼珠沙華をヒガンバナの異名、別名と説明しています。 京阪六地蔵駅側から山科川の右岸(西岸)沿いに、モモテラスというショッピングセンターを目指します。こちらの堤にも彼岸花をみつけました。手許にある歳時記の索引で「彼岸花」を引くと、秋の季語「曼珠沙華」に導かれます。その説明の中に彼岸花が併記されています。そして、「まんじゅさげ」とルビが振られている歳時記(資料1,2)、「まんじゅしゃげ」とルビを振る歳時記(資料3)、両方を併記する歳時記(資料4)があります。曼珠沙華はサンスクリット語の音写だそうです。サンスクリット語の綴りを見ますと、「さが」が音に近いのかもしれませんが、参照本自体は「まんじゅしゃげ」とルビを振っています。(資料5)諸本を併読しますと、曼珠沙華は梵語(サンスクリット語)で赤い花という意味と説明を加え(資料3,4)ているものと、一方で、色には触れずに、「柔軟花」「円華」と漢訳されるとだけ説明するもの(資料5)があります。彼岸頃には符節をあわせるように、曼珠沙華の花が咲きます。花茎だけが30~40cmくらいに伸びその頂に蕊(しべ)の長い真っ赤な花が輪状に咲いています。花が散った後に細長く深緑色の葉が出てくるそうです。(資料1~4)ネット検索をしてみて、白い曼珠沙華が存在することを知りました。私は実物は未見です。補遺をご覧ください。一度、実物を眺めてみたいものです。諸歳時記から句を引用します。 ちらほらとありどつとあり曼珠沙華 山本多可史 彼岸花光りあかるき橋のうら 赤岡俊江 曼珠沙華どこそこに咲き畔に咲き 左右 彼岸花の傍に咲く花。白い花はゼフィランサス(タマスダレ)かも・・・・(自信はありません)。その手前の花は何だったか・・・不詳。 JR奈良線の高架下をくぐり、その先で対岸をみますと、繁茂する雑草(?)の中に、赤いものがちらりと見えます。 デジカメでズームアップして撮ってみますと、ここにも彼岸花が緑のただ中に咲いています。 対岸の火として眺む曼珠沙華 野村登四郎 火の国の火よりも朱し曼珠沙華 清水徹亮 空澄めば飛んで来て咲くよ曼珠沙華 及川 貞モモテラスの敷地を横断して、古本市場に立ち寄った後、再び山科川の堤防に戻ります。京阪六地蔵駅から川沿いにあるショッピングセンター、モモテラスの少し先辺りまでは、山科川が京都市と宇治市の境界線になっています。それより北は伏見区のエリアになり、その北が山科区になります。川を遡行する形で、右岸(西岸)の堤防上を北に歩みます。 対岸にみえるのは現存する京都市の東部クリーンセンター跡地の建物のようです。この手前の堤にも、わずかですが赤い色が見えます。 さらに北上しますと、対岸にかなり距離を隔てて、赤い部分を見つけました。 これらもズームアップしてみますと曼珠沙華(彼岸花)です。激しさすら感じる赤い色。美しい花。しかし、お彼岸の頃に、墓地近くによく咲くからでしょうか、忌み嫌われがちの花だとか。死人花、幽霊花、捨子花、天涯花、狐花、狐の嫁子などとも呼ばれるといいます。(資料1~4)また、リコリンを含む毒草でもあるそうです。(資料4)一方で、「アルカロイド系のかなり強い毒を有することは事実であるが、この毒は水に晒すことによって容易に除去することができ、球根からは極めて良質の澱粉がとれる。」といい、「曼珠沙華は山林原野にほとんど見られず、水田の畦に群生するが、これは飢饉への備えとして先人が植えたからである。」という説明にも出会いました。(資料6)一転してほっとする思いも湧きますね。 西国の畔曼珠沙華曼珠沙華 森 澄雄 遠き畔近づけてをり曼珠沙華 山田閏子 バス降りて徒歩で十分曼珠沙華 河村玲波 遠くから妻の墓見え彼岸花 鶴原虎児 曼珠沙華かたまって燃え飛んで燃え 夏秋仰星子 むらがりていよいよ寂しひがんばな 日野草城 燃えうつることなく燃ゆる彼岸花 桔梗きちかう対岸に市営大受団地の建物群を眺めつつさらに進むと、山科川に東北側から川が流れ込む合流地点があります。 その合流箇所には、川中に飛石の渡りが設けてあります。そこで、さらに北の橋まで歩かずにここで左岸に渡ることにしました。 河原に下ると、飛石はコンクリート製で、1つおきに蟹の形に似せてあります。 最初の蟹さん お尻側が先に目に止まる2つ目の蟹さん 合流する川側の飛石の渡り 左岸(東岸)に出て、ここから引き返します。北西方向には府営北後藤団地の建物群が見えます。 堤防上の防護柵のこちら側にはエノコログサの一種が群生しています。 「エノコログサは狗尾草と書く。これは花穂を子犬の尾にたとえたものだが、花穂で猫をじゃらすと猫が喜ぶんのでネコジャラシともいう」(資料7)とか。イネ科の植物。 アオサギでしょうか。 一羽がぽつねんと川面を眺めているように感じました。獲物の有無をウォッチングしているのでしょうか。彼岸花を見つけながら歩いてきたせいか、その佇まいをわびしさにむすびつけたくなります。 草茫々の左岸河原を眺めていくと、僅かに赤点が見えます。 防護柵に臂を固定させて目一杯ズームを拡大してみました。 曼珠沙華の大輪の赤い花の姿が見やすい写真が撮れました。参照資料2を読んだとき、季語解説の末尾に「仏の説教する時分にまんじゅさげが天から降ってきたということが御経にある」という一文が記されています。どの御経なのか?その関心の波紋でネットを検索して得たのが、参照資料6です。そこから原典に辿ってみました。「妙法蓮華経序品第一」の冒頭の経文から、最初の偈(詩頌)に入る前の一区切りの経文範囲の後半に、この曼珠沙華という言葉が出て来ます。「仏はこの経を説き己って結跏趺坐し、無量義処三昧に入りて、心身動じたまわざりき。この時、天は蔓陀羅華・摩訶曼陀羅華・蔓殊沙華・摩訶蔓殊沙華を雨(ふら)して仏の上及び諸(もろもろ)の大衆に散じ、普(あまね)く仏の世界は六種に震動す。」(資料8)天がマンダラケ、マカマンダラケ、マンジュシャケ、マカマンジュシャケの四華を供養したと述べています。この四華は音写された言葉です。注を転記してみます。曼荼羅華とは「適意華と訳し、その色美妙にして見る者の意を悦ばしめる天の華」曼珠沙華とは「柔軟華と訳し、見る者をして剛毅を離れしめるという天の華」を意味する想像上の華です。摩訶は「大いなる、非常の」という意味です。「摩訶不思議(まかふしぎ)」という使い方でも出てくる言葉。これも音写です、仏が法華経を説かれた時に天が瑞兆を示されたことを表現しているそうです。 右岸には彼岸花を見かけないな・・・と思っていたら。やはりぽつんと咲いているのを発見! 右岸から見ている時に気づかなかった左岸の箇所に最後に見つけた彼岸花です。まさにこのわずか一、二本咲く曼珠沙華からは、次の句と重ねてイメージを広げることができました。 うたたねや野に一本の曼珠沙華 島 みえ 曼珠沙華二本づつ立ち雨の中 阿部みどり女 曼珠沙華赤衣の僧のすくと立つ 角川源義 同じ赤い花ですが、この花も咲いています。対岸から眺めていました。左岸に回れば近くで撮れそうだったので、巡って来てから最後に撮りました。 ランの一種でしょうか。私には判別できません。手許の小図鑑でヒガンバナの項を読みますと、「中国原産の多年草で、古い時代に日本に入ったと考えられている。」と。上掲歳時記にも触れているのがあります。また、上記のネット検索で得た情報と重なることとして、「有毒植物だが、鱗茎をすりつぶして、水でよくさらせば食用になる。昔、飢饉のときに利用した。」と説明されています。畔にヒガンバナが植えられているのも大きな意味があったのですね。(資料7)これらは初めて知った知識です。また、小図鑑に「ヒガンバナの白花」の写真が収録されていました。大昔に買った本。今、初めて読んだ項です。ちょっとなさけない・・・・・。最後に、手許の歳時記で曼珠沙華の句を読んでいると、天空と曼珠沙華を対置した雄大な句も収録されています。 つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子 咲きそめて雲のつめたさ曼珠沙華 野見山朱鳥やはり、彼岸花は美しい花です。 ご一読ありがとうございます。参照資料1)『改訂版ホトトギス 新歳時記』 稲畑汀子編 三省堂2)『季寄せ 改訂版』 虚子編 三省堂3)『合本 現代俳句歳時記』 角川春樹編 角川春樹事務所4)『吟行版 季寄せ 草木花 秋[上]』 加藤楸邨 選・監修 朝日新聞社5)『岩波 仏教辞典 第二版』 中村・福永・田村・今野・末木 編集 岩波書店6)「曼珠沙華」:「教員エッセイ 読むページ」(大谷大学)7)『山渓ポケット図鑑3 秋の花』 山と渓谷社 p308-3098)『法華経 上』 坂本幸男・岩本裕訳註 岩波文庫 p18補遺白い彼岸花 白花彼岸花(シロバナヒガンバナ)の特徴や様子珍しい!純白の曼珠沙華、見る者の悪業をはらう 埼玉・熊谷の石上寺に400本咲いて見頃にゼフィランサス :「花と緑の図鑑」ゼフィランサス(タマスダレ)の花言葉と育て方|球根の植え方や時期は?:「HORTI」山科川 :ウィキペディア山科川/山科音羽川 [8606040774] 淀川水系 地図 | 国土数値情報河川データセット源流(起点)を訪ねる 『山科川~その18』 :「Open Matome」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)
2021.09.26
コメント(2)
それでは、郡部に移ります。愛知郡東郷町 涼松(スズミマツ)、諸輪(モロワ)海部郡大治町 なし海部群蟹江町 なし海部郡飛島村 なし北設楽郡設楽町 荒尾(アロオ)、神田(カダ)、西納庫(沖ノ平)(ニシナグラ(オキノタイラ)) 三都橋(ミツハシ)北設楽郡東栄町 なし北設楽郡豊根村 なし知多郡阿久比町 阿久比(アグイ)、植大(ウエダイ)知多郡武豊町 会下(エゲ)、上起(カミオコシ)、廻間(ハザマ)、壱畝町(ヒトセマch)知多郡東浦町 生路(イクジ)知多郡南知多町 なし知多郡美浜町 古布(コウ)、河和(コウワ)、布土(フット)西春日井郡豊山町 なし丹羽郡大口町 大御堂(オミド)、河北(コギタ)、御供所(ゴゴショ)、伝右(デンネ) 外坪(トツボ)丹羽郡扶桑町 斎藤(サイト)、南山名(ミナミヤナ)額田郡幸田町 上六栗(カミムツグリ)、逆川(サカサガワ)、深溝(フコウズ)参照資料郵便番号検索 愛知県付記1)郡部を眺めて行きますと、かなりの町村が市域に統合されて郡部が縮小しています。 現在の郵便番号簿で、郡部からは消えた町村名の統合状況を列挙してみます。 愛知郡 長久手町⇒長久手市 海部郡 佐織町・佐屋町・立田村・八開村 ⇒ 愛西市 七宝町・甚目寺町・美和町 ⇒ あま市 十四山町・弥富町 ⇒ 弥富市 西春日井郡 清洲町・新川町・西枇杷島町・春日町 ⇒ 清須市 師勝町・西春町 ⇒ 北名古屋市 額田郡 額田町 ⇒ 岡崎市2)郡部内で統合された町村もあます。 北設楽郡 津具村 ⇒ 設楽町、 富山村 ⇒ 豊根村3)郡部名が市制化により消滅したところもあります。7つの群名が廃されました。 渥美郡 赤羽根町・渥美町・田原町 ⇒ 田原市 中島郡 祖父江町・平和町 ⇒ 稲沢市 西加茂郡 小原村・藤岡町 ⇒ 豊田市、 三好町 ⇒ みよし市 葉栗郡 木曽川町 ⇒ 一宮市 幡豆郡 一色町・吉良町・幡豆町 ⇒ 西尾市 東加茂郡 旭町・足助町・稲武町・下山村 ⇒ 豊田市 南設楽郡 作手村・鳳来町 ⇒ 新城市ご一読ありがとうございます。補遺渥美郡 :ウィキペディア中島郡(愛知県) :ウィキペディア西加茂郡 :ウィキペディア葉栗郡 :ウィキペディア幡豆郡 :ウィキペディア東加茂郡 :ウィキペディア南設楽郡 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)今までに難読地名さがしをした地域は、こちらの地域一覧をご一読いただけるとうれしいです。観照 私的に難読地名さがしを行った地域一覧
2021.09.24
コメント(0)
愛知県のカ行以降の都市の地名について、私的な難読地名さがしの机上旅を続けたいと思います。春日井市 味美上ノ町(アジヨシカミノチョウ)、杁ケ島町(イリガシマチョウ)、内津町(ウツツチョウ) 上田楽町(カミタガラチョウ)、高座台(タカクラダイ)、廻間町(ハザマチョウ)刈谷市 一色町(イシキチョウ)蒲郡市 西迫町(ニシハサマチョウ)、拾石町(イロイシチョウ)北名古屋市 鍜治ケ一色(カジガイシキ)清須市 下津町(オリヅチョウ)、西枇杷島町一反五畝割(ニシビワチョウイッタンゴセワリ)、北二ツ杁(キタフタツイリ) 下砂入(シモスイリ)、廻間(ハサマ)、春日上須ケ田(ハルヒカミスカタ)、小松生(コマツバエ) 砂賀東(スカヒガシ)、大河戸(タイコウド)、江南市 小杁町一色(オイリチョウイッシキ)、高屋町中屋舗(タカヤチョウナカヤシキ)、野白町葭場(ノバクチョウヨシバ) 東野町鐘鋳山(ヒガシノチョウカネイリヤマ)、宮田町生原(ミヤタチョウハイバラ)、小牧市 春日寺(カスガンジ)、久保一色(クボイシキ)、下小針天神(シモオバリテンジン)、新小木(シンコキ)新城市 有海(アルミ)、玖老勢(クロゼ)、出沢(スザワ)、作手荒原(ツクデアワラ)、田原(ラバラ) 黄柳野(ツゲノ)、富岡(○○屋敷)(トミオカ(ヤシキチク))、富栄(トミサカ) 瀬戸市 汗干町(アセビチョウ)、海上町(カイショチョウ)、上半田川町(カミハダガワチョウ)、小空町(コノソラチョウ) 西印所町(ニシインゾチョウ)、西十三塚町(ニシトミヅカチョウ)、巡間町(ハザマチョウ) 刎田町(ハネダチョウ)高浜市 碧海町(アオミチョウ)、田原市 越戸町(オットチョウ)、神戸町(カンベチョウ)、古田町(コダチョウ)、波瀬町(ハゼチョウ) 馬伏町(バブシチョウ)、日出町(ヒイチョウ)、六連町(ムツレチョウ)、吉胡台(ヨシゴダイ)知多市 佐布里(ソウリ)知立市 谷田町(ヤタチョウ)津島市 杁前町(イリマエチョウ)、鹿伏兎町(カブトチョウ)、新開(シンガイ)、立込町(タテコミチョウ) 椿市町(ツバイチチョウ)、莪原町(バイバラチョウ)、東海市 なし常滑市 飛香台(カスカダイ)、奥夏敷(オクナチキ)、乙田(オコダ)、北古千代(キタゴチヨ) 小鈴谷(コスガヤ)、社辺(コソベ)、蛇廻間(ジャバサマ)、堕星(ダタボシ)、飛渡川(トンドガワ) 花狭間(ハナバサマ)、斧口(ヨキグチ)豊明市 大久伝町(オオクデチョウ)、栄町(姥子)(サカエマチ(ウバコ))、豊川市 国府町(コウチョウ)、三蔵子町(サンゾウゴチョウ)、蔵子(ゾウシ)、千両町(チギリチョウ) 当古町(トウゴチョウ)、御津町赤根百々(ミトチョウアカネドウドウ)、谷田入(ヤダイリ) 大草神場(オオクサカンバ)、西分莚(ニシフンムシロ)、金野足見(カネノタルミ)、徳寒(トクサブ 下佐脇洗出(シモサワキアライダシ)、引通(ヒキトオシ)、豊沢払田(トヨサワハライデン)、泙野(ウナギノ) 広石越川(ヒロイシオッカワ)、金堂(カナドウ)、豊田市 浅谷町(アザカイチョウ)、安実京町(アジキョウチョウ)、明賀町(アスガチョウ)、明川町(アスカワチョウ) 蘭町(アララギチョウ)、有間町(アンマチョウ)、一色町(イシキチョウ)、上八木町(ウワヤギチョウ) 上挙母(ウワゴロモ)、大ケ蔵連町(オオガゾレチョウ)、乙ケ林町(オカバヤシチョウ) 鴛鴨町(オシカモチョウ)、国閑町(カイゴチョウ)、上渡合町(カミドアイチョウ)、苅萱町(カルカヤチョウ) 榑俣町(クレマタチョウ)、挙母町(コロモチョウ)、篠原町(ササバラチョウ)、閑羅瀬町(シズラセチョウ) 枝下町(シダレチョウ)、李町(スモモチョウ)、葛町(ツヅラチョウ)、手呂町樋田(テロチョウトイタ) 百月町(ドウツキチョウ)、百々町(ドウドチョウ)、中垣内町(ナカガイトチョウ)、成合町(ナライチョウ) 迫町(ハサマチョウ)、林添町(ハヤシゾレチョウ)、東渡合町(ヒガシドアイチョウ)、平折町(ヒロリチョウ) 簗平町(ヤナダイラチョウ)、山谷町(ヤマガイチョウ)、豊橋市 飽海町(アクミチョウ)、飯村北(イムレキタ)、雲谷町(ウノヤチョウ)、曲尺手町(カネンテチョウ) 東雲町(シノノメチョウ)、下地町(大圦)(シミジチョウ(オオイリ))、操穴(クリアナ) 嵩山町(スセチョウ)、仁連木町(ニレンギチョウ)、橋良町(ハシラチョウウ)長久手市 茨ケ廻間(イラガバサマ)、杁ケ池(イリガイケ)、榎ノ下(エノシタ)、香桶(コオケ) 小深(コブケ)、松杁(マツイリ)、岩作石田(ヤザコイシダ)、欠花(カケハナ)、三ケ峯(サガミネ) 床寒(トコサム)、泥亀首(トチクビ)、長筬(ナガオサ)、向畑(ムカエバタ)、櫨木(ロウボク)西尾市 家武町(エタケチョウ)、大給町(オギュウチョウ)、吉良町乙川(キラチョウオッカワ)、駮馬(マダラメ) 宮迫(ミヤバ)、花蔵寺町(ケゾウジチョウ)、巨海町(コミチョウ)、志籠谷町(シコヤチョウ) 新渡場(シンドバ)、西小梛町(ニシコナギチョウ)、西幡豆町(ニシハズチョウ)日進市 なし半田市 阿原町(アワラチョウ)、乙川一色町(オツカワイシキチョウ)、北滑草町(キタナメソウチョウ) 吉田町(キッタチョウ)、東雲町(シノノメチョウ)、清城町(セイシロチョウ)、滑楚町(ナメソチョウ) 成岩東町(ナラワヒガシチョウ)、西生見町(ニシハエミチョウ)、兀山町(ハゲヤマチョウ) 岩滑北浜町(ヤナベキタハマチョウ)、碧南市 沢渡町(サワタリマチ)、葭生町(ヨシオイマチ)、みよし市 莇生町(アザブチョウ)、福谷町(ウキガイチョウ)弥富市 桴場(イカダバ)、稲狐町(イナコチョウ)、鯏浦町(気開)(ウグイウラチョウ(キトク)) 加稲(カイナ)、三稲(サント)、平島町(喜右味名)(ヘイジマチョウ(キアジナ)) 楽平(ヨシヒラ)参照資料郵便番号検索 愛知県補遺*尾西市は2005年4月1日に一宮市に編入され、同日廃止となった。 尾西市 :ウィキペディア 一宮市 ホームページ ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)今までに難読地名さがしをした地域は、こちらの地域一覧をご一読いただけるとうれしいです。観照 私的に難読地名さがしを行った地域一覧
2021.09.15
コメント(2)
コロナ禍で、探訪に出向くのを控えています。そこで、久々に・・・・郵便番号リストを検索してみました。私基準の地名判読、私的な覚書です。地名はやはりおもしろい。甲信越地方から、西南方向の東海地方に移ります。一般には愛知県、岐阜県、三重県、静岡県をさしますので、この順番で私的な難読地名さがしの机上旅を続けたいと思います。おつきあいくださるとうれしいです。名古屋市 [熱田区] 尾頭町(オトウチョウ)、木之免町(キノメチョウ)、切戸町(キレトチョウ)、神戸町(ゴウドチョウ) 須賀町(スカチョウ)、波寄町(ナミヨセチョウ)[北区] 織部町(オベチョウ)、垣戸町(カイドチョウ)、楠味鋺(クスノキアジマ)、猿投町(サナゲチョウ) 憧旛町(ドウバンチョウ)、八龍町(ヤチリュウチョウ)、真畔町(マグロチョウ)、[昭和区] 御器所(ゴキソ)、[千種区] 猪高町猪子石猪々道(イタカチョウイノコイシシシミチ)、稲舟通(イナフネトオリ)、香流橋(カナレバシ) 田代町(瓶杁)(カメイリ)、(蝮ケ池上)(マムシガイケガミ)、千種(チクサ) 仁座町(ニザチョウ)、猫洞通(ネコガホラトオリ)[天白区] 菅田(スゲタ)[中川区] 一色新町(イシキシンマチ)、尾頭橋(オトウバシ)、供米田(クマイデン)、五女子(ゴニョウウシ) 富田町包里(トミタチョウカノサト)、富田町千音寺(トミタチョウセンノンジ)富田町榎津(ヨノキズ) 長須賀(ナガスカ)、新家(ニイエ)、八剱町(ハチケンチョウ)、東起町(ヒガシオコシチョウ)[中区] なし[中村区] 乾出町(イヌイデチョウ)、猪之越町(イノコシチョウ)、栄生町(サコチョウ)、長筬町(ナガオサチョウ) 鈍池町(ニブイケチョウ)[西区] 稲生町(イノウチョウ)、上小田井(カミオタイ)、栄生(サコウ)、十方町(トホウチョウ)[東区] 主税町(チカラアマチ)、[瑞穂区] 御莨町(オタバコチョウ)、大殿町(オトドマチ)、佐渡町(サワタリチョウ)、春敲町(シュンコウチョウ) 十六町(ソロチョウ)、直来町(ナオライチョウ)、仁所町(ニショチョウ)[緑区] なし[港区] 土古町(ドンゴチョウ)[南区] 駈上(カケアゲ)、堤起町(ツツミオコシチョウ)、呼続(ヨビツギ)[名東区] 香流(カナレ)[守山区] 上志段味(カミシダミ)、吉根(キッコ)、愛西市 後江町(ヒツエチョウ)、二子町定納(フタゴチョウジョウノ)、日置町(ヘキチョウ) 持中町(モッチュウチョウ)あま市 甚目寺(ジモクジ)、安城市 篠目町(ササメチョウ)、城ケ入町(北立出)(キタタテダシ)、(団戸)(ダンド)一宮市 浅井町河田(アザイチョウコウダ)、今伊勢町新神戸(イマイセチョウシンカンベ)、宮後(ミヤウシロ) 起(オコシ)、萩原町築込(ハギワラチョウツキコミ)、真清田(マスミダ)、柚木颪(ユギオロシ) 枠杁町(ワクイリチョウ)稲沢市 朝府町(アザブチョウ)、一色青海町(イシキアオカイチョウ)、下津油田町(オリヅアブラデンチョウ) 北麻績町(キタオウミチョウ)、木全(キマタ)、陸田一里山町(クガタイチリヤマチョウ) 国府宮(コウノミヤ)、平江向町(タイラエムカエチョウ)、中之庄堤畔町(ナカノショウツツミグロチョウ) 生出上山町(ハイデカミヤマチョウ)、生出河戸町(コエドチョウ)、平和町(下起北)(シモコシキタ) 増田北町(マシタキタマチ)、目比町(ムクイチョウ)、梅須賀町(メスカチョウ)、矢合町(ヤワセチョウ)犬山市 杁下(イリシタ)、倉曽洞(クラソボラ)、継鹿尾(ツガオ)、羽黒摺墨(ハグロスルスミ) 前原味鹿(マエハラアジカ)、藪畔(ヤブグロ)、岩倉市 大山寺町(タイサンジチョウ)大府市 一屋町(ヒトツヤチョウ)、岡崎市 生平町(オイダイラチョウ)、小美町(オイチョウ)、上衣文町(カミソブミチョウ) 上六名(カミムツナ)、木下町(キクダシチョウ)、 桑谷町(クワガイチョウ)、菅生町(スゴウチョウ) 千万町町(ゼマンジョウチョウ)、鶇巣町(トウノスチョウ)、冨尾町(トンビュウチョウ) 百々町(ドウドチョウ)、仁木町(ニッキチョウ)、保久町(ホッキュウチョウ)、花崗町(ミカグチョウ) 明大寺町大圦(ミョウダイジチョウオオイリ)、矢作町(ヤハギチョウ)、米河内町(ヨナゴウチチョウ) 蓬生町(ヨモギュウチョウ)、六供町(ロックチョウ)、渡通津町(ワツヅチョウ)尾張旭市 北原山町鳴湫(キタハラヤマチョウナルクテ)、六田池(ムタイケ)、下井町刎内(シモイチョウハネウチ) 東大道町曽我廻間(ヒガシダイドウチョウソガサマ)、向町(ムカエチョウ)参照資料郵便番号検索 愛知県付記「愛知県の郵便番号」を利用しています。行政上の地域統廃合の状況がわかります。ア行の範囲でみると、次回以降の都市名を含めて、次の統合が進んでいます。 愛知郡長久手町 ⇒ 長久手市 渥美郡 赤羽根町・渥美町・田原町 ⇒ 田原市 海部郡 佐織町・佐屋町・立田村・八開村 ⇒ 愛西市 海部郡 七宝町・甚目寺町・美和町 ⇒ あま市 海部郡 十四山村・弥富町 ⇒ 弥富市今までに難読地名さがしをした地域は、こちらの地域一覧をご一読いただけるとうれしいです。観照 私的に難読地名さがしを行った地域一覧
2021.09.11
コメント(2)
全5件 (5件中 1-5件目)
1