実は行ってたシリーズ3(2022年4月にまとめてアップ)
Sの母の母方の祖父…Sひいおじいさんは結構有名な元校長で、自分が行った職場でも2校で古い額入り写真が飾ってあるのを見た人であった。ご本人(実物)と数回お会いしているがむしろ歴史上の人物イメージ…。自分の家のルーツについて、それ以前の記録があまりないことでその方(Sひいじいさん)が色々調べた結果、秩父事件に関わりがあって、山をいくつも越えて逃げていく中で青梅に住んだ…その結果、苗字の読み方を変えて珍しい漢字の「○○」になった。
この話は、自由民権運動などの中学社会の授業で、五日市憲法などとともに地域の話として取り扱う秩父事件の時によく紹介していた。叔父がボトルキープする時にその苗字を書くと、髪の薄い方に「いやみか!」と怒られたという話として(笑)
以前、事件に関わっていた人の記録(おそらく裁判になったり罪を問われた人)を古い図書館で調べたときにその元の苗字を見つけられなかったが、「そうか、逃げとおしたなら名前はばれてないわけだ」と気づいて、自分がそのことを調べるのはそれっきりになっていた。
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140年くらい前の当時(明治時代)は秩父暴動とされ、恐ろしい犯罪、火付け強盗とされていたので(ほぼ板垣退助が見捨てたせいだが)、関わった一族は当然それを子孫に秘したであろうが、今や自由民権運動が地域に根付いた一例として、欧米の市民革命のスモール日本版…のような位置づけである(言い過ぎかも)。
今回、自宅から普通に行かずに、途中、青梅から秩父に抜ける山道をあえて行きも帰りも通る(違う山道)という思い切った旅だった。対向車が来たらつらい細い山道だったので、空いていた今回は助かったが、もうわざわざ通ることはないだろうけれど(笑)、なるほどこれを追われながら逃げてきたとしたら、大変なことだったろうと想像できた。
が、子孫であろう1人はずっと寝ていた…。
皆さん、車酔いもせずに最初のトイレ休憩所に到着。
もしかしたら、夏の川遊びに使えるかもと下見。横瀬川の下流。
武甲温泉に入る。昭和感たっぷりでなかなか良い湯。
泊りはここではなくてホテルに。1泊目は農園ホテルの別館。元リゾートマンション…ということだが、玄関を出ると外の寒さ…階段とかがかなり、友人の大学時代のいいアパート…みたいな感じ。
それでも、中はメゾネットタイプの中2階のベッドなどもあり楽しめた。が、温泉でもない大浴場は、中浴場規模で残念。サラダはおいしい宿だった(安かったので文句はなし)。
中2階からのぞく裸族
翌日は、秩父事件の際に中心となった人々が多かった吉田村へ
映画「草の乱」(見てないけれど)に使ったセットの建物が資料館になっているということだったが、なんとこの日(火曜日)はここもふくめて何かと定休日…。
写真を撮って、建物の周りを見学して、道の駅に車を止めたまま、ウォーキングで椋神社や滝へ。
椋神社に向かう橋の龍
3000人の人々が集まったという椋神社へ
歴史に思いをはせるのは関係のない自分だけで、子孫かもしれない他の二人は淡々と過ごす(笑)
今は、この農民ロケットを飛ばすお祭りで有名らしい。
子(ね)の神の滝に行く途中の桜
車に戻って、天然温泉星音(せいね)の湯へ。今時の入浴施設だが、今回の旅で一番良かった湯かも。少なくとも駅前観光地の「祭りの湯」よりずっと良かった。
黒谷に移動して、楽しみにしていた洋食屋さんはやはり定休日で、和同開珎の採掘地は道路工事中で断念し、なんか笑っちゃうオブジェのある聖神社へ。
奈良の都で流通した貨幣の銅採掘地、当然、お金持ちになるご利益がある…はず。おみくじは大吉!
泊まった宿は「和どう」
夕食は懐石料理で本当においしかった。こういうゆっくりとしたおいしい食事…なんか久しぶりの気がした。順番に出るような料理をSがゆっくり待てるようになったのも大きいかな。ただし、テーブルは、箸の包み紙やお手拭きのビニールなどのちぎったものでいっぱいだった…。
ただ、宿から降りられる川は先ほどの横瀬川上流…いくつかの宿の排水のせいかにおいもあり(硫黄かもしれないが)、水が溜まっている部分はこけがあり、あまり水につかりたくない感じ…。夏の川遊びのための宿にはならなかった。(が、充分、また来たい宿であった)
吉田を出た秩父事件のご一行は、西方面を攻めた後、この音楽寺(堂)に集まり、寺の鐘を打ち鳴らしながら、今の秩父市街地へ「ときの声」を上げながら駆け下りていった…と授業で使う資料にあったのだが、現実の距離感は「声続かないだろう」という相当な距離であった。着くまでに疲れるよってくらい離れた山の上だし、いま大きなハープ橋があるが昔は川まで降りてまた登っただろうし…。
でも音楽寺から眼前に見える街は、当時の風景を思わせてくれるいい感じの場所だった。ちょっとおとなしめのS、ご先祖様の霊と対峙してたのかな…。
後ろに武甲山が見える音楽堂のある山(丘?)
そして、その鐘はいつでも突いてよし(たぶん戦時供出で当時のものとは違う)の大盤振る舞いのお寺。
秩父困民党戦士の墓碑から市街地を眺める。S本人、がけを降りるそぶりを見せたのは、ちょっととり憑かれたか!?
そして我々は山を駆け下りて(車でゆっくり)秩父まつり会館へ。バスガイドさんの研修?と一緒になり、施設のオッサンのいつもより気合の入った?説明を断片的に聞けた。
建物の中に神輿があったり、3D映像の後にその神輿のスペースに祭りの様子を重ねて見られたり、なかなか工夫のある展示・体験施設だった。
秩父神社はこんなところまで左甚五郎の装飾…という驚きの一方、秩父事件で人々が集まった場所でもあるのにそのことに触れる記述が一切ない…ことにも驚いた。やはり秩父暴動とされた時代の名残で、神社としては一貫して無関係の立場をとっているのかもしれない。時代によって歴史の評価が変わるから…うちはそれなくても十分やってけるし…みたいな。
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