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近藤先生と初めて会ったのは、養護教員をしていた妻に聞き取り調査に見えたときだったと思う。その後、いろんな方の聞き込みにタオル片手に汗を拭き吹き与論島かよいをしていた先生をみかけていた。まとまった話をした覚え葉あまりないが、調査した資料など送ってもらっていた。学生の相手をしたり、現地聞き取りの適任者についてはなしたりしたようなきがしているが、ついぞ持論を展開するような時間はもてなかった。与論島における死生観、葬送の儀式、お墓の詳細なる調査について貴重なる資料をいただき知識を得ることが多かった。最近の記憶では、適寿についてや福祉医療などについて読んだ覚えがある。あちこちの大学をてんてんとし、講師、助教授、教授になられ、医学博士・文学博士になられたお祝いを昨夜有志が集まり盛りあがった。先生の研究著書にはまだ目を通してないけれど、郷土研究の最も貴重な資料として役立つとの有識しゃからの言葉に納得している。妻もめとられたときいて万々歳。沖縄に住んでいるので今後大いに交流を深めたい。健康のためアルコールを控えているときいたので、今度はノンアルコールじっくりとでお話をお聞きしたい。火葬導入後の死生観などについて、また、与論の誠の心など魂の行方についてなど、福祉のこころなどおもいをのべてみたい。ともあれ、おめでとう。
2006.08.30
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老人会主催で講演会がある。編集長の植松さんが取材を兼ねて来島されていて、昨夜懇親会で一緒させてもらった。34年ぶりの与論島とのこと、話しぶりから人となりを感じさせられた。握手してお別れしたが、もっと個人的に話がしたかった。お年寄りが期待する島の観光行政についてなど、また本人のいきかたなどについては講演を期待したい。 停年退職した人々の第二の人生設計にこの与論島が、自然が輝き・人が輝いている老人の島として脚光を浴びるような島作りを目標にすることは、自分自身にとっても人生そのものである。子や孫に誇れる、財産をまず自分の屋敷に築いていきたい。価値のあるものは、めにみえるものとみえないものがある。みえないものをこつこつとまいてそだて、いつかめにみえるものとしてのこしていく、それが代々つづいていくことが肝心だと思う。夜明け前に雷がなり、雨がふっている。犬が散歩をせがんでいるがでかけられるだろうか。写真の入力の仕方忘れたので、再度使うとしよう。
2006.08.29
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犬のチレットと朝散歩。左手に懐中電灯、右手に糞拾い用の空き缶持って夜明け前の星空ながめながら歩く。ちにはたらけばかどがたつ じょうにさおさせばながされる とかくにこのよはすみにくいだったかな。最近、職場の雰囲気が特におかしくなっている。昨日、寺崎海岸で来客を囲んで懇親会をしたが集まりが少なかった。酔っていなかったいきおいで課長に意見してしまって後味の悪い思いでかえった。職場の雰囲気づくりにもっと気配りたいと反省しながら歩く星空は、プレアデス・ヒアデス星団・シリウス・プロキオンが東の空に輝いていた。カシオペアのMの文字はいびつに見え、ペルセウスのアルゴールの輝きは普通に思えた。御者座のカペラや双子のカストルとポリックスも北の天空を賑わせていた。天の川の西の空には白鳥座のデネブが輝きを失いながら沈んでいくようで、夏の大三角は確認できなかった。南の空の星座はわからなかった。ケンタウルスあたりかなとおもいながら赤みがかった星はフォーマルハウトなんだろうかよくわからない。歩く間に、流れ星が5個、普通に輝いてながれた。ドラマのシーンで見た、辞表の封筒を見せた同僚の心境を思うとき、やるせなく、悲しく、何かに憤りを感じる。せめてこの星空は彼の気持ちを察しておくれと願いたい。 高校の事務長から睡蓮などいくつかの水辺の草をいただいた。ビオトープがにぎやかになった。えのきはどこに植えようかと思案中。今日も、マンゴー手入れはおあずけして、昨日のつづきの庭いじりを楽しもう。 睡蓮を羊草と呼ぶのは羊の時刻になると花が眠ることからなずけられている。昨日、水槽を整理し3株植え込んだ。どんな色の花が咲くか楽しみだ。水溜りを工夫し広げよう、がしかし、農事用ポンプが動かない、寿命かもしれない。
2006.08.26
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町立図書館で郷土研究会の発表会があった。竹内会長から先だっての、ウプミャー屋敷の実測図面が配られた、流石、建築の専門家、得意の絵で屋敷全体図まで描いてこられた。発表は「シニグは農耕文化の歴史を後代に伝える為に先祖が創造した伝承遺産である」と題したA4、9pと資料B42ページからなる本格的な資料説明で端的に話された。次いで、立 秀文さんからシニグにまつわる稲作文化に時代的考察など発表された。ショウサークラなどのシニグの始まりなどに視点がおかれており、竹内会長の研究した時代の前の時代のことをはなされた。あえて、記録したものとしては出せないと前置きがあった。立さんは私と同じニッチエーサークラなので前々から聞かされてきたこともあり、影響をうけている。途中、サイエンスクラブの星空観測の説明で中座したので意見交換に参加できなくて残念なことしたが、会議あとの懇親会で今後の研究の課題が次々とだされ大いに成果がある会合となった。島外から参加してくれた、大島新聞の斉藤さん、瀬戸内町の学芸委員町さんにも喜んでもらえた。竹内先生の発表で私の持論を新たに展開できそうなので、シニグにおける神道について研究してみたい。言語と地形などからシニグの原点にアクセスしてみようと思う。次回は国指定無形文化財十五夜踊りについて、2番組は徳田さん、1番組は赤崎さん、まとめに土持さんと決まった。10月の後半あたりの予定。豊年祭典(与論島の十五夜踊り) 旧暦の十月十五日、地主(とこぬし)神社に奉納される国指定の無形文化財の豊年祭りがあった。「あーみたぼーりたーぼーりー、あーみたぼーりー田彫りー・・・」。雨をくださいと天に祈る詞書からはじまるゆがぷー踊り。五穀豊穣・島中安穏・無病息災を願いながら、伝え継がれた踊り子達が舞う。仕事帰りに覗いてみたところ参拝者が多く立ち見席の一角であった。 奉納相撲の土俵を照らす月がとても新鮮にみえて、ここのところに降った恵みの雨に感謝しながら、奉納すべき別の一族のサークラに向かって歩いていた。途中で軽トラック運転の親切な人に話しかけられたのは実の弟だった。どうするのときかれて、これからお祭りだとこたえた。きみは、どうするの、ときいた。氏子の慣習がこの島には残っていると思うので兄弟で先祖から伝え聞いた話を語り、境内で飲んでみたいと思ったが、ときがもうすこし待つよと彼につたえながら「按司根津栄神社」に送ってもらった。 氏子が会いそろった宴がはじまるときの席につくことになった。祭司にお祓いをしていただいて仲間入り、今年の無病息災を感謝しながらまわりと打ち解けて泡盛をくみかわすことでした。 酔いもまわったころ、子供たちが道路横断中のヤシガニを見つけたとの知らせが入った。調子にのった私の出番と勇みよくつかまえて、こどもたちに講釈たれたのはよくなくて、薬指はさまれてしまった。 指がちぎれるかもの痛みと、こどもたちの目線をきにしながら、ヤシガニの気持ちをきいてみた。わたしはオスなのかメスなのかしらべてくれませんかときかれて、おなかをひろげてたしかめようもない分繰りの重さやしぐさにおどろきながらも、かにのつめの動きとはやさにはやさしさをかんじた。とうとうがなし・・・。(ありがとうございます。) おじいとおばあがヤシガニのふんぐり(プグイ)を取りに行くはなしを沖縄の艶笑譚で読んでいてよかった。事実は小説より奇なりとの伝えのような経験であったのでかきしるすこととしよう。今年はやっすう年ですが、来年はゆがぷーをいのりたいです。(氏子一同のいやさかを祈る。) お世話になります。 酔いどれ親父の独り言 ぱな と うる ヲーキング 楽しみました。
2006.08.21
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「結婚報告会」なるものに夫婦出席し満足して帰った。昭和27年生の同級生の長男が医師になり種子島の女性と一緒になった報告会であった。披露宴はむこうで済ませてあったようで、与論では子宝にもめぐまれたとの喜びを住民に知らせるとともに、子供が自立し、島の医療のためにも貢献するようにとの自覚を促すための披露宴であったと思う。新夫の同級生の司会のもとに大いにもりあがった。成功者の祝いには、えてしてやっかみの陰口を聞くこともあるが、家族、親族の人柄のせいで短い時間のあいだで盛り上がった。私たち同級生も踊りを披露し何とか私の立場もつくろうことができた。めでたしめでたし。映像はほかのブログに載るであろう、楽しみに与論関係をお探しください。 散歩に行きたいと、犬がさいそくする。 にらいかない。 しあわせは しろいはねのちょうちょにのって うみのかなたから やってくる CAST A WAY (漂流の旅人) 日どりよし 天気よし 人もよし スタ-ト 酔いもよし揺りが浜に漂着 、、、、、、、 ・ 歩くの大好き の 面々と 急に空にいへん ちかみちに 変更 じたくにて ごきげんようと あいさつする 高校の坂道を登り始めたころから降る雨 ぽつぽつと 予想どうり天気は 待っていてくれたのかと おもいながら セダム アラブ サダムのまえで プリシーのばすをまつ ああ ありがとう、 まにあった。 竹 酔 人 H,17,2.7
2006.08.20
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南の島での日々の暮らしを、思いつくまま気ままに書いてみようと思ったことがあった。北の国からがあたら南の国もあったらいいね。などといってくれる人はいないが、酔っ払って手持ち無沙汰に書き留めたものをブログにのせてみようとおもいたった。日替わり写真つきだったら開く人もそれなりの楽しみもあるだろうが、写真をのせるの技術が未修得で、そのうちそのうちとのばしている。学生時代からおもいつくままにかきとどめていたことなど、回顧しながら夜明けまでの時間をつぶしたい。 今も咲き誇っているのうぜんかずらの花。女房の実家から移住してすっかり土着し、2階のベランダの一部を占領している。そのうち家ごとのっとられそう。鹿児島から持ち込んだ植物のなかにはこのように他の自生の植物を押しのけても生き生きとさきつづける花もあるかとおもえば、「春にじんちょうげ、秋にもくせい」といわれる香木のこの2種類は何度かためしたが、土着してくれない。肌があわないのだろう。おかげで出水の鶴はヨロンの塩水にはあってるみたい。なになに、飛んでにげられないように羽をぬかれたって。ちがうちがう、マンゴー食べ過ぎて重たくて飛べなくなちゃった。体重計にのったり降りたり、台風前の飛行場で計量器のっているみたいに首をかしげている。つうははだかをみちゃいかんつーた。なんちゃって、これDVD.
2006.08.18
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特産品開発グループの試食会にマグロのハンバーグを食べに行った。味はともかくとして「値ごろ感」に程遠いと思った。一個200円では他の商品を選ぶ。急速冷凍した刺身は皆口をそろえて「いける」との意見。今度は商売ベースの検討になる。7名の会員に私夫婦の少人数だったが結構意見の交換ができて久しぶりの現実みのある寄り合いであった。島おこしのため企画課が音頭をとっていろいろ塾が発足させられたが、この外情報グループ・自然再生グループは生き残っているようだ。自立し動きだしたこのメンバーのなかから島興しの人材がもうすぐ出てくるであろう。この3グループのリーダーはいずれも旅人(たびんちゅ)なのである。島人の泡さんもっとがんばれと地場生産者が励ましてくれるような気がする。特産品の現物生産にこれまで役場職員として研修させてもらった技術のすこしでも役に立てられるよう心したいものだ。私流の農作業は農業改良普及所の指導基準からかけはなれているので、真似しないようにと前置きがいる。自然農法とは聞こえはいいが怠惰農業、いわゆる「惰農」といわれている。その代わり、土地と気候に合った作物の生理を知らなければ成功しないので、近代農法より高度の技術が必要だと思う。せめて現代農業に関心のあるかたなら話ができるとおもうので、そちらのほうも教えてもらいたい。写真はモンキーばなな。たかがバナナとおもうであろうが、与論島では100種類以上の世界のバナナを試作した先駆者がいらした。結果はこれから活かされなければと思う。バナナは移動する植物だといわれるがそのわけご存知ですか。そんなばなな・・・。
2006.08.18
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外勤から帰ってきたら元自治公民館長さんと話をしている助役に呼び止められた。パパイヤを作ってサトウキビの補完作物にしたらどうかとの提案であった。以前から(10年以上前)あれこれの人から聞いてきたことだけに軽く受け流すつもりで座った。そう簡単に作れる作物だったら沖縄ですでにやってるよと。ところが話は、パパヤ組合から買った種はみんな実がつくのはどうしてかとの話題になった。助役が、果実の付け根の近くの種は全部メスだと聞いたと。こんどは別の人が、先のほうの半分がメスだという。あるひ人は、日当たりのよい部分がメスなのだという。 どれが正しいのか、きいてあきれる。そこに、町長までやってきて、とあるエージェントのかたからパパイヤの種をもらって島じゅう植えさせたとパパイヤ談義に花がさいた。ついで、大島新聞の地元駐在の林さんまで加わり会計の窓口はパパイヤの島おこしで午前中の幕がおりた。 昼食からもどったら、企画の池田さんが写真取材に付き合えと課長に断りを得たのでとある農家の珍しい花(インドシクンシ)をカメラに収めたあと、パパイヤのオスの実を紹介するため与論高校の中庭に行ったがすでに収穫されて、確認の写真が撮れなかった。残念。後の祭り。 前にも紹介したが、オスについた実(珍しい)からとった種はみんなメス。中間種から取った種は、オスが少ない。メスからとった種はオスめす中間種が同じぐらい。与論のみなさん、ぜひお試しください。海熊くんが、早速挑戦するであろう。泡君は漁夫の利をまっている都と、すでに遅しで起業家はもう実証済み。果樹園ぱぴるすではもうすでに確立の高いメス木栽培に取り組んでいるという。そのうち、カボチャ御殿ならぬパパ員特派員の棲家ができるであろう。 ご期待あれ。あれ、いつの間にか夜が明けた。犬と散歩、パパヤをみまわろう。作物にはこやしはいらない。人間の足音をきいて育つんですよ。赤子もお母さんの心臓の音をきいて・・・ と おもいませんか。 いうだけでは はえてきません。まかなくては。まいたら かりとるまで めがはなせません。みのったら 食べてくれるひとを 作物はまっているのです。 愛情一本 与論産 パオアインどりんく。あっせーくささい。みーがどうもりくぶ。 線ぶり、何度、しぶたんちん、いいものはいい。
2006.08.17
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記録より 今日はHTの22歳の誕生日だ。ラグビーの試合に出かけて行った。兄弟して田舎に帰る話があった。彼は砂糖キビ工場、僕は町役場務めなのだと父から聞いた。 兄弟そろって島に帰ることを両親はどう思うであろうかとか、世間はなどと・・・。家族が喜んでくれればそれでいいのだと思いながら、弟の漠然としか計画を立てていない様子に少々あきれている。僕も我侭育ちだから、「各自が自覚し自分で責任は持つべきなんだ」との思いは彼にはいわない。 暇にまかせて、田舎暮らしの夢でも記そうかと考える。 卒論の資料を集めながら町役場の住民対応の煩雑さに気がついた。ふと眼にした20年後の鹿児島が気をひいて、国土計画や郷土誌そして自然保護などに多少の興味を持った。空港・港湾・環境などに県の計画が書かれている。卒論は「離島観光ブームとその将来」ときめよう。ちっぽけな与論島だけれど、成すべきことは多い。道路・環境衛生・教育・観光・産業など、他の島々に先がけて町政を充実すべき時がきている。自分の能力をフルに活用できる公務に就ければそれでいいのではなかろうか。仕事にはそれ程の情熱はもっていない。生活のためでしかないが、なんと給料の安いことか。 趣味にささやかな夢がある。田舎暮らしを考えるときいつもこの事が先にたつ。 昭和51年9月12日 日曜日(曇) 退職まであと半年あまり。住民福祉課にいて住民対応をしながら初心にかえらなければと思う。せめて給料に見合った分だけでもとは、言い逃れでしかないだろうが。期限を守ることと、接遇には気配りたい。雨漏りで落ち着かない深夜に記す。月夜に夜明けを待つ。
2006.08.11
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階段が水浸し。慈雨があり木々は喜んで生き生きと活動しているが我が家は天井から雨漏りして床には鍋がおいてある。一向に止まる気配がなく天井のしみは広がるばかりだ。あの大日照りのときでさえ階段からはじわじわと湧き水に恵まれていたのに、今晩は洪水でねむれず起きだして書き込みしている。どこからしみ込んで、どこにたまっているだろうか、天井うらをのぞいてみなければならない。コンクリの家はひびがはいると厄介である。いずれ、改装しなければならないので、そのときまで応急措置でがまんするしかない。 写真は大雨のときの、供利漁港に排水が流入する様子。広報ヨロンに町内の要所が掲載されたがその一部である。最近、クズレ川の沈砂池が変わっている。きずいてている与論の方は果たして何人いるだろうか。せき止め提の一部が壊され、直接海に流水されるようになったことは自然にとってはいいことと思われる。環境がどう変わるか観察していきたい。 雨漏りしている箇所の真上のベランダのドラゴンフルーツの花が今満開。人工交配したいが手がいま一歩届かない。果たして結実するか楽しみだ。明日は韓国籍の教授団の火葬場案内。埋葬から火葬に移行する経緯についての調査につきあっている。いろんな方と知り合い、研究の手助けができることをうれしくおもう。夕方はサンゴ祭りのパレードでひょっとこ踊り隊に参加する。長女も博多からやってくるというので楽しみだ。
2006.08.11
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与論島には固有種がないと言われている。以前あった動植物がすくなくなったり見られなくなった例が多くよせられている。どうすればいいか、自分で集めるしかないとおもう。自然に反することとは思うが・・・。オオゴマダラを甦らせたいとの声は多く聞く。移入が手っ取り早いのでもうすでに始まっているらしい。そのうちのなんぴきかわ沖縄から自力で飛んできたのだろう。保護・保全。いろいろな思いが飛び交う。 花としてもきれいが、ウスキシロチョウの食草(幼虫の餌)。増やしたい樹木なのだが風当たりの強いところでは育ちにくい。 私は幼稚園生を2年も歩む恵まれた世代だったと追憶する。どじょう 泥ぬまに住むいきもののことをよぶのでしょうか。こどものころにかえって、どじょこだのふなっこだの・・・うしろのしょうめんだーれ。この年(昭和27年)になるとやたらにこどものころの記憶がよみがえる。那間小学校から下校する道端に松の樹があった。すこし下りの道で赤土の道であったと思う。続く道はかなりの坂で子供ごころではこわい森におもいだされる。
2006.08.06
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一冊の本がおくられてきた。「聖なる予言」ジェームズ・レッドフイールド作・山川紘也、亜希子訳。一度も読んだことないのに22ページまできたら前に体験した様書き出しで始まっている。贈り主が言ってた、共時性(偶然の一致)を感じさせられる。こんなことはよくあることだけれど近年増えてくるように思える。今朝読み始めたが眠くなってやめた。今から読み出すと眠れないから止める。明後日、奄美行きの飛行機のなかで読むとしよう。与論に移住しようと会いにきたかたがこれで3名。本気のようなので少し心配だけれど、うれしい。 今日は、裏の出入り口に砂利とサンゴ石でアプローチのまねごとを形作った。整理したら大分広くなって見栄えがする。明日もつづきを。
2006.08.05
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のうぜんかずら(直哉) Reddo わいん わいんたんでい 銘柄も しらずに 買ってきた 1500円 ゆうべ 半分 けさに あけられそう たりないかもしれないよくふるあめだこと 2002 classcico と印刷されているあじは まずまず おいしい 墓石職人の ふるさとさんと ふねにのることになったお前は 郵船(有泉)もってこい おれは 刺身をよおいするからと 墓石に 優先 と かかれたら 後楽園 じょうだんでもない かだんでもない がしかし 仕事でいくのだからつとめは ちゃんとするよ このわいん あじわってのむと おいしい あじなんて わかって のんでるかいなとそらみみがきこえる とおもいつつ ゆうせんを あをってのむ 直也 の ぐち(野口) に わらわれそう だ操舵 なんて じゃれたら 川口 に ぐちられてしまう そうそう だれかの 結婚披露宴 だとか げげ(黒山羊) のおやもとは あのゆうめいな 立長の やかだった(市郎兄) じのまちがい は ゆるしておくれ おなじ 岸本のはかの生まれだから 最近 なにかに かりかりと おこっている じぶんがみえるなにがしたいのか と とうてみると みたされぬ ぐらすに とうとうと 赤わいんをついでくれと それっだったら ういゆん(酔う) といえるだろうやはり 竹 酔う人は ういゆんちゅだったのか 仙人(サボテン) だった と いはれないよう 現実 主義 に 徹しよう ことし は しにぐく のとしだから すこし かんがえよう とも おもうせんぱいの ゆうしきしゃ や 杓子 を ふるうかたがたの おはなしも うかがいたい とくに ちょうちょう さまには 今日 にはには にわ とりごやの 準備を すませたよ まゆみすみました えさだい いくら なんていったって かせぐにおいつかないみんぼーのつま なんて おのぼりさんね くだれない わーど のどのれんしゅうちゅう あるちゅうぶる もとのもくあみ 泡 ちゅう ぶるぶるーすの女王 泡 盛 窪 2がつ 2じゅうにち ありえていけないこと くいいん の ふね しずまないこと おまじない 早起きすぎた朝 修正転記 書き込み練習 8月5日
2006.08.04
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海洋少年からの贈り物・映像だけ。 あとりえ「ノアノア」の絵描きさんとあって自宅に泊ってもらってお話を聞くことができた。教員時代の学校現場(中学校)のことに妻がいたく感動し話が弾んだ。今日、帰宅途中教育長に呼び止められ、郷土と係わりのある本兼光氏のこと訪ねてくださった。図書館の落成祝いに飾った絵の作者がその人だとやっと分ったという。芸術とはそのようなものらしい。そのうち、スケッチしてもらった泡さんの庭が日本の画壇に登場するのも近い。田中一村の森が目の前に広がることを創造し、またゴーギャンの愛したタヒチの海辺を創造して、庭をつくる。本氏がめざすゴーギャンが僕の庭にあると励ましてくれた。世界中から芸術家が集まる島を目指したいと硬い握手した。ノアノアとは「香り」を意味するらしい。画のなかからほのかな香りがしてくる、と自分なりに解釈した。私も香木が好きで意識的に季節を告げる匂いのする花木を植えることを心していただけにうれしかった。私は絵がへたなので、土地をかりてわたしのパーマカルチャーを続けよう。
2006.08.04
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メジロの巣は写真では見つけにくい。巣をかけた植物は「リュウキュウコマツナギ」のようだ。ここでしか見たことがない木できになっていたのでちょうどいい機会に調べることができた。 朝起きするとメジロのさえずりが美しく聞こえてくる。鳩の声とは違う趣をかもしだしてくれる。屋敷内にいくつか巣を見つけることがあった。明日はメジロのさえずりを気にして外に出よう。八丈島にはメグロがいることご存知ですか。
2006.08.04
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叔父が亡くなった。享年73歳。これから人生を謳歌しようとした矢先に思えて残念だ。入院しているとも知らずに、またお別れの言葉も交わせず泣くしてしまった。励ましの言葉は届いただろうか。子や孫に看取られて亡くなったのだから満足してください。葬儀は新しきしきたりで、火葬に付しましたが、埋葬の心もこめた儀式で行いました。私も箒・旗・ちょうちん・藁ぞうりづくりもさせてもらい、与論の葬儀のほとんどをマスターすることができました。今後も、形はかえても与論流の葬儀のありかたについて、思想としても検討し儀式のあり方について検討し普及していきたいと思う。誰かがやらなければならないことだと思っていたのでこれを機会に、教育の場でも思うことを述べてみたい。形式にとらわれることなく意味のある葬儀の方向ずけについて考えさせられた。今朝これから、雄鶏の亡骸を埋葬しよう。砂を運んでいたとき、ふらふらと近寄ってきてまるでつれてって、とつれてきて飼ってたレグホンが老衰で死んでいた。叔父の様態と雄鶏の様態を見守ってていただけに、昨日の雄鶏の死亡については必然と思える。叔父が酉年生まれであったからなおさらである。正月元旦の鶏の絵を描くのが得意だった。敬老会の古里の舞台のバックの絵は福雄叔父が描いてた印象が深い。くしくも、画家の本兼光さんがいらしてくれて故人をしのび語りあかしたことは生涯おもいでとして残ることであろう。娘たちまで間違えるほど生き写しの盛窪に力を授けてください。一隅を照らす者になれますようにと祈ります。
2006.08.02
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