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美人2が生まれました。
2006.10.31
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面白い植物を発見した。
2006.10.31
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昨夜は、酒処「いっか」で北九州共立大のN先生の教え子T建材店の方を交えての懇親会に出かけ、午前様で帰った。女房の友達も呼んでの大はしゃぎ、カラオケも楽しむことができた。支払いは先生のおごり・・・。恐縮しながらも、あまえてしまった。大学ともなると、卒業してもあまり交流はないものであるが久しぶりに師弟愛を見た思いがする。調査に連れてこられた学生にもいい交流会だったと遅くまで付き合ってくれたママとマスターに感謝。「どうか・・、どうか・・・。」 寝坊したので、きんぎょさんあてに、「夢みるきんぎょ」を再々になるが載せてみよう。 夢見るきんぎょ (アル中から抜け出すおまじない) 平成15年夏 想い出すことはいっぱいありとあらゆるあるけれど,それはいつかにとっといて,この一週間の我が実体験を聴いてやってちょうだいな。自覚症状は半年前からあった。 提出文書締め切り間近に控え,起案用紙に密着する我が指先をみつめ,田畑(豊)言うことには「兄(ヤカ)ヤアーイ,手(テイ)プルートウンチャーアランヌイ」と言われたのよ。手先の震えをきにしてから間もない頃だった。見つめられる指先は,なお緊張し,文字は起案用紙の上を跳ね踊っていた。隠せるものでもあるまいにと開きなおって,夜な夜な痛飲・・・・酒はうまいし姉ちゃんも綺麗に見える。時は過ぎ,カンキツグリーニング病の仕事も一段落した3月の月末,見かねた上司のはからいあってか,飲む機会の多かった産業課からとうとう解きはなされた。 異動先は町民生活課(また出戻り)。 戸籍住民係長の職名いただき新しい仕事が待っていた。以前とは違い,事務はパソコン処理,何とスピイデイーなことと感心しながらもパソコン不慣れの我が身にとっては,ちょっとつらい。戸籍の記載は,これまた筆記能力がとわれる。ままよときもちをひきしめてペンをとるのだけれど,いかんせん,もてるちからしか出せない。事務能力に限界を感じつつ,他の課との交流を楽しみつつ,時は過ぎゆくままに みをまかせ,金魚と戯れる日々。土,日,休日は池を掘り,立長の土と水草を拾ってきてみずの浄化の実験中。汗をかいた水分のほきゅうに,ほろにがいあわのたつ水を飲む,からだじゅうにゆめとエネルギーがわき上がる。ついには妻に隠れてのむようになる。 この 隠れて飲む の習慣が たまらないほどの快感 わからないだろうな・・・・。生活習慣病にかかったものでなければ のみ続けると 指のふるえも 止まるようなきがして なおかくれてのむ結果は ごろうじろ 出張中の怪談 などなど・・・・・ ついに サンゴ祭りのあくるよる アルコールを受け付けないからだになって めがさめて 女亡 とつれだって パナウル診療所にかけこんだ 断酒 を誓い三日間 眠れぬ夜を過ごすこととなる うつろなまどろみのなか 妻には聞こえない カンツオーネ スイングジャズがなかれてくる 天井が 煌めく星座でうめつくされ 花火があがっているよ 宇宙人が部屋のなかにきているよ と妻に指さして 金魚とたわむれる 次は 犬のチレットがでてきた 炭焼きの炭に手をかざすと 指先があつい 炎をだして 指先がもえている 想像の世界がそこにひろがってくれる ああおそろしや くわばらくわばら 行く川の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは かつきえ かつむすびて とどまりたるためしなし 人の世もまた おなじなる 誰の歌だかしらないけれど 誰もがいちどはきいている 長野で妹が溺れ死んだときのお寺さんのお説教だった さんずの川原を見た想いがした これで技連会とさっぱりお別れできます。お世話になりました。 本会のますますのご活躍を期待し,お礼のことばとします。 15、08,26 今回の断酒では、禁断症状で夢見ることもなく何とか現在にいたっている。 あの時の夢を体験しようと思って試みたけれど、幻聴はときにあったけれど、金魚とたわむれる夢は二度とはみることができなかった。これは冗談ではなく、実話であること誓います。 皆さん、飲むことはほどほどに。何事も 中庸がよろしいようです。 では、今日もいい日旅立ち。
2006.10.31
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沖縄産業祭りに行ってきた。収穫はあれこれあった。展示物等は目新しいものには出会えなかったが「トサガーデンサービス」の石川さんと出会ったことが一番。オオゴマダラを増やす運動をしながら自然の大切さをアピールしている方に思えた。ここしばらくみられなかったオオゴマダラを自宅の庭で再び甦らせることを決心した。鹿児島昆虫同好会の先生方から怒られることも承知で、ここに公表します。自然保護の考え方はいろいろあると思うので多くは語らないが、人と人との交流、物流のなかで自然もまた移ろい行くものであるとかんがえよう。害虫・益虫の考えは別として、もとは生息していたオオゴマダラダからとの思いは強く、石川さんに再生の協力をお願いした。八重山と本土のも違うというので、いずれは交配してマダラチョウの名前のごとくに混ざり合って土着していくのを期待している。 もう一つの収穫は、モノレールに乗ったこと。モノレールが珍しいことではないが、都市計画について利用しながら考えたことである。新都心、おもろまちに降りて道に迷いながら国際どおりまでたどり着いたとき、今後牧志の界隈から県庁にかけて地下街もできるであろうなどと考えたりした。第三の収穫は、断酒が実行できたこと。福洲園見学などいっぱいあった。 いずれか、デジカメ写真をアップできたときでもコメントしよう。よが明けてしまった。朝日を。
2006.10.30
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沖縄の産業祭りに古里産業部の視察研修に参加する。産業祭りには3度目だと思うが、珍しい苗木を期待している。産業部の副部長として遊びがてらに、断酒を継続できるかの試しも兼ねて。 農業視察に関して気になっていた文句。 先進地視察、いい加減に止めろ。先進地の先進地は何を見たのだ。先進地になれ。 そうなんだけれど。 アヒルが5ひきやってきた 本町における農業事情を考えるとき,果たして現在の作目で生き残っていけるだろうかと頭をひねっている。 平均耕地面積が,1,2ヘクタールの面積の中で,さとうきびを基幹作物におき,肉用牛,野菜,花卉,果樹の複合経営を推進するとしている。これといった産業もなく観光産業が衰退する中において,年々人口が減っていてやがて6,000人 を切ることも予想される。観光と商業は一体とみなすとすると,かなり商業は苦しいと言わざるを得ない。お土産品店も大分淘汰されてきている。又,景気が低迷している中,公共事業が減り建設業も不振を続け土木業者などお互いに凌ぎを削っているという。 農業者の高齢化が進むで中,後継者は帰って来れるるだろうか。認定農業者の育成のためにさまざまな施策がとられつつある昨今。農業政策の中で,さとうきびを無くす事が出来ない事情を抱えていて,それに変わる作物も見つからない今,今後どうすればいいのだろうか。産地間競争の激化のなかで,農作物の値段が上がるとは思えない。奄美の他産地に比べて本町では,右肩上がりに売り上げが伸びてきているのは喜ばしい事である。が,兼業農家が多いから今の所得で何とか生活を維持してきてるといえるだろう。この不況が長く続くとなると農地を多く持たない農家は出稼ぎに出るしかないと思われる。又,専業農家として生き残るためには,今ある作物のなかでの経営を見直し,所得を上げる技術を必要としている。困ったことに,サトイモの需要が伸びず単価が上がる望みも薄い。それに加え連作障害等で反収も計画どおりには伸びず,花については何とか高所得品目としてのびてはいるものの,いつまで続くものか安心はできない。小さい面積から高所得を上げるには,施設栽培,高技術による単価の高い作物の導入であろう。適地,適作,適技術により所得の上がる経営技術指針が待たれるところである。畜産は上のいい条件を生かせる品目と想われる。飼料作物の面積を確保し,機械化による作業効率の向上をを図るとともに,品種改良による高値販売の畜産経営が可能となる。だだ,し尿等による環境問題がにわかに浮上してきている。最近の農業のテーマとして,環境にやさしく,安全で安心して食べられる食材の提供が叫ばれている。土づくりを基本にした生産である。花卉の生産はその本来の生理からして農薬をなくしてはつくれない品目と見るべきであろう。そうなると,野菜と果樹栽培における減農薬栽培技術の確立にかかってくることだろう。付加価値という言葉をよく聞くが,他産地より高く売る工夫が必要になってくる。見た目の悪い品物も金に換える工夫とか。 近年熱帯果樹についての取り組みがなされてきている。台風の被害を受けない適地の造成が必須条件である。又土産品,加工品の開発が待たれるところでもある。長年かかったが,モズクソバの開発は高い評価をうけていいだろう。パパイヤ漬も生産から加工まで有利な条件を生かせる品目である。パッションフルーツ,アテモヤ等の加工品としての開発も期待できる。何と言っても有利な事は,観光と農業を結びつけることによって付加価値を高めることが出来ることだ。又,海産物も大いに利用したい。観光を今後どう生かしていくかが島の経済にとって重要さを増している。観光地づくりをしても,どういう仕方で人が集まるか,若い者達の知恵を絞って,未来にゆめを託してほしい。 アクセス,飛行場の拡張等の問題がある。滑走路を延長しジェット機が利用出来る空港建設を最重要課題に取り上げるべきだと思う。地元の同意がとれれば,用地等については県が負担してくれるから島の経済にとっても有利だと思える。このまま島の経済が冷えきってしまうと飛行機も飛ばなくなることも考えられる。次期世代を担う者達がより集い,将来にむけての話し合いがなされなければならない。 ヨロン島の将来をイメージし,夢を描いてみたらどうだろうか。 その場が,アグリルネッサンス会議でできればとおもう。 産業課に出戻りしたころ(平成10年) のこと メモ用紙より 平成15年夏 与農技連絡会とバイバイ 竹 酔 日
2006.10.27
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アルフレド・ハウゼ楽団のCDを聞きながら夜が明けるのを待っている。タンゴのリズムは南国にはあっている、この与論島でも。会議は踊るが流れている、能動的な海の波をながめながら、あるいは今日の船の上で聞きたいものだ。 船の旅の楽しみは、デッキで島をながめながらビールの酔いに揺られながら現実から解放されて夢想の世界に浸ることだ。世間から解放された独りきりの空間、船上の人となったら知人からも離れて時を過ごすことにしている。幾たびも見慣れた島々の姿ではあるが、その時の心情で見る目が違うからまた新しい出会いが期待できる。 あくまでも、団体行動を忘れずに心しなければ。久しぶりに民謡酒場でも訪ねてみようか。
2006.10.26
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私の山羊は菊を主食にしてると書いたことがある。秋になると都会の川原はセイタカアワダチソウの黄色で彩られる。アワダチソウは悪名高い雑草である。奄美大島にも侵入した新聞記事を目にしたが、幸い与論では未だ見かけない。ずい分前、キリンソウの仲間らしきもの見かけたが繁殖しなかったので安心しているが、アワダチソウは別格だから見かけたら駆除を要する。 山羊は畑の雑草(アワユキセンダングサ)を防除するために飼っている。肥料か飼料に混じって移入された白いかわいい花の咲くこの菊科の植物はいつの間にか島中にはびこってしまった。農家のきらわれものナンバーワンの雑草である。山羊(小雪)は畑の杭にくくりつけられ、綱の届く範囲のアワダチソウを主食に、好物は桑、ついでハイビスカス、ガジュマル、デイゴの葉っぱなど種類は多いが同じものだけいっぱい食べることはなくあれこれと好き嫌いの激しい厄介な癖をもっている。雑木が増えたのでそろそろ増頭しようと思っていた。先日植えたカボチャがナメクジの食害で2本失ったので見回りに行った。カボチャは大丈夫だったので隣の畑のブロッコリーをみたら葉っぱがない。またもナメクジかと思ったが食べ方が違う。キジの野郎かと薄暗くなった畑で対策を思案しているところ足跡を見つけた。ついで、山羊の機嫌を伺いに雑草の合間をみると山羊が見当たらない。杭ごと逃走してしまっているのだ、犯行は山羊の仕業だとわかって慌てふためいて近所を捜すと、隣後ろの家から高校生のSさんが連れ出してくるところだった。目出度しめでたしだけれど、近所の野菜が山羊の食害に会ってないか今朝は誤りに(4件)まわらなければならない。 除草剤を使わないための手抜きの農法は、他の被害をこうむる笑い話である。食事をあたえないっと、マンゴーの葉っぱをたべたり、ひいては皮まで食べられ巻き枯らしにあったこともあるが、私のパーマカルチャーの愛嬌と思えば笑える。 勇気農業は早くも多難な出発。ブロッコリーの生き残りは何本あるのだろうか。次に植える野菜の検討をしなければならない。それにしても、ナメクジは誘引剤で駆除するしか方法がない。物理的防除では無理がある。敷き草があだになった。防虫網は役に立ってない。 アシヒダナメクジの侵入時のエピソードについてはいつか又ご紹介するとしよう。
2006.10.25
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居酒屋で、好き嫌いが激しいのにメニューを見ても注文が苦手なのでお任せコースをお願いすることが多い。昨日は保健所の給食施設監視の案内で那間・朝戸保育所を案内した。園児たちが庭で遊んでいる時間帯であった。園児たちが元気よく挨拶して、手を引いて園長室まで案内してくれた。職員は顔なじみの方々だったので、気軽に園児遊んで保健所の指導が終わるのを待っていた。その間、先生と子供たちの遊ぶ姿をみていて思うことに、大変な仕事だと思えた。顔見知りの子供もいたりして楽しく接することができた。いい環境ですねとは保健所のYさんのことば。うれしかった。同じおもいで保育所の庭をみていた。自分が保育所の庭の設計頼まれたらなどと思ったりしてから・・・。長女が福岡で保育所に勤務している関係で職員の接遇にも関心があったが、とても良かった。施設の管理も合格で100点と言われ案内したわたしも誇らしくなった。すべてはその環境にあるとおもう。環境にこだわっているからか? 幼児教育が大切なことはいうまでもない。子供たちの生き生きした表情をみて教育している先生方が分るような気がした。私は3人とも保育園にはお世話にならなかった。父母と同居していたおかげである。共働きであったのでどうしようかと迷ったが、妻が自分でそだてると無理をしながら育児に当り、長男は子育て上手にいかなかったようだ。後のこはなんとか。 ともかく、初等教育環境が子供の将来にとっていかに大切かを実感した。飲み屋でのお任せコースはよしとしても、子供の教育環境は他人任せではいけないと思う。特に躾は親の姿であるから。鏡をみるたびに父の姿ににてくる。声色、言葉使い、歩く姿。 犬がよんでいる。散歩にでかけよう。
2006.10.25
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県庁でのヒアリングの日程を変更してもらった。理由は書類ができてないこと、なんて横暴な依頼をききいれてくれた担当に感謝して昨日は別様の仕事をした。犬3匹、ネコ2匹を天国に送り出す作業のお手伝い。残酷だと思うかもしれないが、ペットをちゃんとかわないから余計なしごとがでてくる。弛緩剤を打たれたネコはちょと苦しんだのでかわいそうだ。きょうも2匹、持って来る方の気持ちのほうがネコの苦しむ姿よりかわいそうに思う。ノラネコにえさをやった償いがこれだとしったら、お金をはらってまで処分してくれるその人が天使におもえる。いぬねこ、はたまたウシ殺し介添えを幾たびとしてきた我が身の償いはいかに。 役場の仕事とわりきって、やがて30年も勤めると面の皮も心臓にも毛が生える。それにしても、下水道処理計画のメドが立ったのはうれしい。与論町の排水処理計画の基本構想となるはずのヒアリングなので課長も同席をお願いした。 残り少ない役場のしごとが順序よくやってくる。ストックヤード、食品衛生、ごみ処理、浄化槽設置、今度はリサイクルセンター周辺のダイオキシン測定分析依頼。年内にかたづけて、年明けたら実績報告の整理と日程を調整しておこう。週末は沖縄産業まつり。 今日の書き込みは、これまでの日記調になった。映像がアップできないと気分ものらない。字の配列など、よみやさしい手法などこれからの勉強だ。 今日も体調充分。 断酒継続中。
2006.10.23
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とうとうやって来た。奥さんは腰痛のため旅の途中熊本に残し、ペットの銭亀「ダンケ」を連れて車で降り立った。Aさんと軽トラで迎え、宿泊先のビレッジまで案内し一緒に着いたコンテナ2台の運搬の打ち合わせをした。一時保管の自宅の倉庫に案内したあと、借りられるといいのにとおもっている、おじさんさん宅を見てもらったあと再び港へ行った。JRコンテナなは思ってたより大きく、自宅の入り口からは運べないことを聞いて、まずは落ち着き先の家を探すことが先決となった。おじさんの長女にあい相談、長男に連絡を取ってみたところ、まだ日が浅いしおもいでが詰まっているとのニュアンスがあり他の空家を捜してみるとしよう。 又、あたらしい夢と希望が膨らんできた。昨日、時間がなく植えられなかったカボチャ5鉢を今から植えに行こう。果たして、実を結ぶか、立ち枯れになるか、虫の餌食となるかごろうじろ。
2006.10.23
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カラオケボックスいくつもりで待ってたら、皿洗いの音をたてながらTVの案内の声がかかってきた。よく見る番組で、カラオケはどうでもよくなった。御獄信仰などに惹かれていたのでいい勉強になった。首里城の復元したのをみたことがあるが、絢爛なだけであまり感心はしなかった。やはり今帰仁城跡の壮大な石垣がいい。妻も一緒に拝所廻りをしたので、思い出しながらあらためて琉球の世界における位置をかんがえさせられた。道州政を考えて、与論はやはり琉球を前面に主張したい。県知事の与論訪問の答弁を聞かされてますますその思いが強くなった。言い方に御幣があるだろうが、「鹿児島の尻尾となるよりも、琉球の頭となれ」。袈裟、与論放送局をみさせてもらった。歴史案内など、編集者のみなさんありがとうございました。夜明けが近い。今日はいよいよ、札幌からの移住者夫婦が与論島着。夢がふくらんできた。
2006.10.22
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トウガンの古株を引き抜いて百円市で買った与論かぼちゃの苗5本を植えた。土が固いのでつるはしを使って耕した。果たして、500円分収穫できるだろうか。役場で園芸担当していた実力が試されるときがきた。無農薬・有機栽培の実践が成功するだろうか結果をお楽しみに。ブログをいじっていたら写真の取り込みができなくなった。デジカメのテストしたが取り込みソフトがないので、いましばらく楽しみはお預け。NHK放送の美空ひばりきいていたら、カラオケ行こうとなって、妻が化けるのを待ってる間に書き込みしている。夫婦でカラオケボックス。たまにはいいさ、酒よ。実は、真相回転してから行ったことないので下見。
2006.10.21
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大人げないと思いながらも相性の悪い人とは目をあわせたくなくついついそむけてしまう。同じ服を着ている人までも、また、その人の使っているカバンだけでも見るのがイヤになる。悪い性格だとおもいながらもなおすことができなくて、年をとるほどに意固地になるような気がする。仕事の意見の食い違いなど特にそのことを感じてしまう。秋風の季節になると特にそんな気配を感じるのはになるのは私ひとりであろうか。・・・誰かのブログのため息をきいた知人が漏らした言葉・・・。そこはかとなくとびちろう 落ち葉かな。
2006.10.19
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マントヴァーニ楽団の映画音楽を聴きながら書いている。学生のころ暇に任せて日記を書いていた心境になっている。道具が発達し、今は写真入りで書けるようになった。勉強したら昨夜みた夢を手書きで絵にすることもできるのだが、先はまだまだだと、今できることから始めよう。 他人の島ばナナを借用したが、自宅裏庭の島バナナが黄色くなっているのを確認した。収穫には梯子がいるが、梯子はプラティー(熱帯魚)を捕るため畑の隅のかんがい水タンクにおろしているのでちょいまちとしよう。味が楽しみだ。先日愛知から見えた方からモンキイバナナを分けてもらうことになっているので、小さなバナナ園を作るとしよう。 昨日、海洋少年と「すかりゆし酢」の製造過程をみせてもらった。小規模ながら本格的だと思った。黒糖の煮汁ようの鍋もあって、工夫次第では黒糖と酢も同時に製造できると思った。私も考えていた特産品製造工程だったので感激して話をうかがった。仕込み壺の置き場は周りが蘇鉄で仕切られてあり、アダンなど島の特徴をだす植物を植えたら工場の環境美化によいなどと次々と夢が広がる思いがした。海洋少と造庭計画など話しながら、特産品開発に一役買ってもらいたいとの思いを強くした。黒糖作りの技術を那間の山下さんから教えてもらおうと本気で考えている。 サトウキビが今のザラメ糖から他の用途の産物に変わる夢は世界を駆け巡るなんちゃって。搾取した絞り汁を売って、自分たちの自らの工夫で外貨を稼がなければならない。いつまでも国のおんぶぶにだっこ、また、先祖からいただいた土地(土壌)を搾取しつづけてはいけない。歴史に残る黒糖地獄を反省し、島民がちからをあわせ外国にも商品として販売できる特産品(ヨロン銘柄)を生み出す努力をしなければと思う。しかし、誰がするかが問題だ。発想はだれでもと いうが・・・。夜が明けた。犬のチレットと海を見に出かけよう。
2006.10.18
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ごみの分別収集が頭にあって「分別」がきにかかっている。妻に断りなしに海熊君にデジカメの注文を頼んだ。条件は3万以下、てぶれ防止つき、映像とりこみアダプターがセットされていること。これでデジカメ映像のアップの練習ができることになった。仕事終わり、課内の懇親会を断って帰りがけに海洋少年に花見にさそわれた。ヨロン党結成の庭につれていかれたが、1年たった庭木は生き生きと成長しそれなりの木陰をつくってくれてまるでオアシスだ。日々の水掛の努力がうかがえてうれしいできごとであった。女房から携帯に連絡があってヨロン党の庭にいるとつげたら怪訝な様子。二回めの携帯は、居酒屋オアシスで受けた。ママと3人で飲んでいるところだった。そのあと、「すかりゆし酢」のもとさんご夫妻と酢の専門技師も仲間に加わりにぎやかな宴席となった。飲み物は、ビール・有泉・ジュース・水・そしてウイスキーと各自の好きなものをのみあった。与論献奉もまわったが無理強いなしの優しい作法でこうあるべきだと断酒の身にとってはこの上ない飲み方だった。話題も豊富だった。「すかるゆし」さんが海洋少年の奥さんも呼べばといって、益々にぎやかになった。私の女房もよんだらといわれたが、オートバイで帰るからと。オアシスからひけて帰りのオートバイがみつからず、修理に出してたことを思い出し、結局は女房を呼び出してかえることになった。妻と女房はうまく使いえ分けるにこしたことはないが、言葉の使い分けがわからない。今朝は朝寝したので、浜で朝日を拝むことができなく家の周りの散歩ですませた。これからしゃわー。
2006.10.17
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雇用開発促進協議会主催の史跡めぐりにAさんを誘った。札幌から与論に移住して1月、丁度いい機会と思い役場まえ9時出発と案内して出かけようとしたところ、妻に用事の来客の応対に時間を取ってしまって急いで役場についたところマイクロが見えない。職員にきいて集合場所を間違えてたのに気がついた。あわてて中央公民館に駆けつけたところ出発した後だった。おそらく城跡からだろうと検討をつけて城集落から赤碕海岸を廻って再び城跡にもどっても、マイクロに出会えなかった。サザンクロスセンターの真理子さんに連絡をとってもらってハキビナ海岸に追いついたが彼女は見当たらないので、アパートに行った。時間どおり役場前に行ったがそれらしき様子がないので失望してもどったという彼女に言い訳しながら、軽トラックの助手席にのせて次の案内地、国頭墓・安田墓(くんじゃんばー・あだんばー)で追いついた。説明者は郷土研究会副会長の麓才良先輩で城跡のことなどとても詳しい説明がきけて大変勉強になった。城壁の石垣など場所の確認と城門の場所など、また菩薩さんがある風葬墓ではお寺さんからの講釈もあり参加していただいたかたは満足していた。時間が足りなくて城跡までまわったら昼食時間がきて、残り半分は次回送りとなって解散した。麓さんにAさんを紹介したあと弁当を買って寺崎の海岸で海を眺めながら、史跡めぐり中にであった蝶ちょのことを話題にしたついでアサギマダラの飛来の確認をして帰った。 北側の城壁について、按司根津栄神社と絡めて時分流の物語を作ってみようかとの思いをますます強くする史跡めぐりであった。高橋先生がおっしゃっていた、与論島全体が城であるとは、地形が物語っている。海上に浮かぶ城パピルとでもあそびごころでいつかつづるとしよう。それにしても早く、寺崎にたどりつくシニグ道の調査をしなければと思う。 立長 優勝おめでとう。入場行進から燃えてました。与論出身の立長のみなさん地元ではこんなに盛り上がっています。私たちが島を守りますので元気で頑張ってください。時々、便りくれよな。おーい、娘よむすこよ。いっちこー、むでぃてぃくーよーほい。
2006.10.15
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アクセスしてくれたかたの映像を楽しみにすることができるようになった。少しづつブログにも慣れつつある。モーツアルトなどの曲はバックミュージックとしては適しているようだ。若い時分にレコード集めなどしていたが、音楽機器の進歩には追いつけず古いレコードを再生して聞いていたがこれからはパソコンでCDかけながら書き込みするとしよう。妻の知り合いに好きな方がいるようで、またもや他人利器で。 5時はまだ暗い。おぼろげに大犬座のシリウスが南中しているのが確認できる。今日は史跡めぐりがある。麓先輩が案内役、城跡に詳しいので勉強してこよう。何人集まるか気になる。 昨日のドラム缶の池はうまくできた。廃品利用で水辺を広げていきたい。ビオトープは水辺の再生からである。それにしてもいつマンゴー手入れをしようか。遊んでばかりいるが、さて夜明けを待って砂利拾いにいこう。ドラム缶の周りに敷き詰めるため。
2006.10.15
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眠気がやってこない。おもい浮かぶこともなく手持ち無沙汰に軽音楽を聴いている。耳慣れたピアノ曲だが曲名はわからないが心地よい調べである。 タイトルと写真は関係ありません。写真は借り物です、月が写っているとかいてるが僕には捜せません。 足 芸 マイフェアレデイダダダダ ダダーベッドの中から足をだすふとんの中から手を出す落ちて全身でおどりだす福祉のこころ復活 H.17.2.13 竹 酔 人 砂 と り 舟倉に砂取りにいった後姿から 平 シーチャン先生かとおもえた なぜここに 親戚のかたがたと 浜辺をあるいていらっしゃる貝をひろったようす盛窪・・盛窪 僕を認めた様子袋ないのー 買い物袋をわたすと いそいで 岩陰にかくれてしまったその間 親戚の方と砂のことではなしをした観葉植物で商売をしている80歳の麓さん挿し木用にいいですね 一緒にやりませんか みんなでやれば運賃がやすくなるといういいですねとあいずちを打つそこに平先生もどってらして 盛窪 もっと大きい袋ないのとおっしゃるそれそれ その肥料袋 頂戴と 親戚があきれるかおをものとせず 海辺に去っていっただいぶ としをとってしまった少し ぼけが はいってしまったのかな いや まだまだ これからよまだ みこんだもの これからひとはな さかせます平の 家系をまもりぬくために。 いい砂が見つかったので 今朝はさっそく 砂取りにいこう夜が明けるのが 待ちどおしいマンゴー手入れと 砂・砂利の道づくり充実した三連休となりそうだ がんば がんば。 そろそろねるとしよう。魔笛より「夜の女王のアリア』を最後に おやすみなさいませ。
2006.10.13
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今日も早く帰ります。愛しの真由美の料理を・・・そして早起きして砂集めです。
2006.10.13
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愛知県のメロン産地の農家の方が楽園荘にお見えになっていると妻が伝えたのは夕食時だった。電話で又のお越しを聞いていたのだが日にちを留めてなかった。早速たずねたら夕食をおえて雑談中だった。アルコールはあまり・・・といっていらしたがちょっと街までとお誘いし居酒屋「いっか」にはいった。札幌から移住した例のAさんも呼んで農業の話をしていたら血液型が農作業に作用する云々と、妻にやっつけられてしまった。アルギット農法とはノルウエーの海藻を肥料にしたミネラル豊富な野菜栽培をグループで銘柄としているという。有機農業をを産地づくりに取り入れている先進産地である。細井さんは65歳。経営は息子にゆずって、暇のときは方々旅をしているという。奄美がすきで、ヨロンは4度目。ドラゴン・アテモヤ・マンゴー・パパイヤなど熱帯果樹を楽しんでいるとのこと。農家にも停年があってもいいといって外国なども夫婦で旅行している生き方は流石先進地農家である。隣の席から与論献奉なども戴き、Aさんに女房を紹介する機会ができてよか夜でした。半月が愛知で見た月とずいぶん違うなどの会話をしながら帰り着いた。 喫茶での夢 私が与論に帰ってからしばらくして、Kさんと「喫茶エルム」に入った。そこで初めてTにあった。何を話したか憶えていない。もう一度会ったのは、それからだいぶたってからで、やはり「エルム」で、Kさん・Yさん・T、それに私の4人でモカコーヒーを飲みながら田舎での青年の暮らし方について語り合った。若者を楽しくさせるレジャーが無いとか、ハエが多いのには困るとかいう話題の中で、「映画館があれば・・・」とTがいった。私も学生の時よく映画を見に行った・・・。気に入った作品は2度も3度も見た。サウンドオブミュージックは3度見たが3度とも感動した。ワルツの場面をもう一度見たいなどとぼんやり考えながら、Yさんの話を聞いていた。「時々4人で会いましょう」と彼女が提案して、Tが大賛成だということで交友が始まった。 エルムで何度か会ってお互いのことを少しづつわかる様になった。彼は農家の長男で農大卒業して故郷に帰り今の職場に就いたこと、与論の植物に興味を持っていてそれでKと知りあったこと、自然科学全般に興味を持っていたことからKと知り合ったことなど、与論では教育を受けた人間の部類のようでした。時々ビールなど飲んだりしたが、おもにKとYがよく話し、私とTは聞き役だった。ある秋の晩、エルムをでたら満天の星が輝いていた。「星を見に行こう・・・」。だれとはなくさそった。できれば琴平神社の境内で見ようということになって、Kの車に乗り込んだ。自然と私とTは後部座席にすわることになった。5分ぐらい走ると暗闇の神社の境内に着いた。北斗七星はしっている? 北極星は?南十字星は?といいながら星空の美しさに魅せられていた。Kは生物の教員なので、あまり星座のことは知らないとこぼしていた。Tはかなり詳しい様子だった。神社の高台に上ると天空が大きく広がり、こんなにも星がきらめいているのかとその美しさに感動した。涼しい風のなかで、北斗七星・北極星・それにカシオペア座の位置を教えてもらった。それからTが秋の星空のロマンスを語ってくれた。カシオペアがどうして逆さに座らされているのか、とか、ペガサスに乗ったペルセウスがメドウサを退治してアンドロメダ姫を助けたはなしなどなど・・・。女学生の頃読んだ少女マンガにそのような物語があったようなきがしてた。しかし、この見上げている星空にそんなロマンスがあるなんて・・・。ペルセウス座やアンドロメダ座、ペガサス座がどれか知りたいと思ったが彼は、黙って空をみあげているだけだった。私は彼の目線から、あのあたりだろうとぼんやり眺めていると、北から西の方角に流れ星が尾を引いた。『アット』思った瞬間、流れ星が消えた。その後、消えた所にぼんやりとした輝くリングが見えた。ほんの一瞬のできごとである。その夜、星空の神秘さに秘かされた。帰りの車のなかでYさんが、流れ星を見たら人が死ぬという迷信があるので流れ星はきらいだと言った。すると、Tが、こんなはなしがあると前置きして「何かの小説でよんだけれど、流れ星が、丸い光の輪のなかに飛び込んで消えることがある、そんなことはほんとにまれなことだそうだがそれを見た人は必ず幸福になれるという。星が流れる度にその話を思い出すが未だ一度もそんなことに出会ったことがない。あんなに星が輝いているのに。」私は今先それを見たと言おうとしたが黙ってしまった。それを口に出してしまうと幸福が逃げて行ってしまう様な気がしたし・・・またそれが、確かだったとは証明のしようもなかった。私はその晩から星に興味を持つようになった。それからというもの、ときどき独りで星空を眺めて流れ星を数えるようになった。そしてTに会うのが楽しみになった。 それからしばらくたってTに星ぞらに興味があったら「星座手帳」を読んでみるように進められ、ついでに「ギリシャ神話」もおもしろいからとページのめくれた文庫本を貸してくれた。星のことで共通の話題を持ったことで親しくなり、たまに二人だけで神社の境内に上るようになった。彼が私に好意を寄せていることはそれとなく分かったが、友達としてのそれであるとも思われた。そういう風にして二人だけで会うようになってからは、Tはだいぶおしゃべりになった。音楽のことをよく語り合ったが、小説や詩、植物のこと、家庭、農業にたいする夢のことなど、無口だと思ってた彼は雄弁になってきた。私も自分の生い立ちのことを色々と気軽にうちとけてはなした。 昭和52年12月28日火(半月) 日記より 転記 (P.132.133・134) 平成18年4月25日(水) 早朝
2006.10.13
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いつものように庁舎玄関の植え込みにみずかけをしていた。かんなの花が咲き出したのにみ取れていたら「盛窪やか、ビンの収集日、こっち来て見てみて・・・」とMさんによびだされた。役場前に出されたビン類の仕分けを手伝ってくれとのことだった。リサイクルのためのビン類の茶花校区の収集日が今日で、その最初なので実態を把握するためちょうどよかった。茶色ビン・透明ビン・その他ビンの仕分けが全くできてない。よくもまー、これだけのビンの種類があったものだとおもいながらの分別をおえて、これまでやってきた分別収集説明会の効果のむなしさを感じさせられた。雑多な事務整理を終わって、清掃センターの所長と約束だったので、清掃車のあとからごみ収集の実態を調査するためにでかけた。所長の運転する車で街なかの主要箇所を見回ったがペットボトル・ビン類とも仕分けができているところはわずかであった。所長とわかれて、バイクで自分ひとりで街はずれも見てまわったが同じような様子であった。広報だけでなく現場指導が必要だとの思いを強くかんじた。事業等の事務整理を早くかたずけてステーションでの現場協力の指導をしたいと思う。かえって事務整理しようとしていたら、窓口で高齢の見かけたことのあるおばあちゃんがわけのわからないことをいっているらしく戸惑いがおのUさんに話かけてみた。どうも介護関連のことらしい。30ぷんぐらいもかけて分ったようでわからない窓口サービスをして、昼食じかんがきてもお帰りならない95歳のおばあちゃんを同僚のHさんがひきとってくれて無事玄関から送りだしてくれた。おばあちゃんから世間ばなしが聞けて、有意義な経験をさせてもらった。日ごろのおこないがいかに大切なことか、しらずしらず、住民からみられてることを役場の職員として自覚したいとあらためて思った。昼食当番だった。海洋少年が高校で職業講話をするといってレジメを印刷していたのでホッチ止めを手伝いしているところに電話があり、仕事かとおもったら、学生時代お世話になったかたからの珍しい電話で、与論に観光に行きたいといっている妹の紹介であった。これで恩返しがひとつできる。海洋少年のレジメは彼らしい発想と映像を駆使したいい内容だった。後輩に伝えたい一言、気に入った。 昼食ごはリサイクルセンターで収集したペットボトルの梱包作業。富士電機から定期点検にきているというので、ちょうど機械を動かして作業ををしているところだったが梱包機の調子がよくなくて結束紐がちらばって修理しているところだった。ペットボトルが収集車から下ろされてくるごみ袋を開き、フタをとり、ラベルをはずし仕分け作業が4時すぎまでかかった。どうにか機械もなおり、作業員は今日のうちに那覇経由石垣島泊という。予算が厳しいのでと、かつてはそうでなかったと、とれそうな会話。清掃センターにもどってみると清掃車はもどっていた。修理にきてた顔見知り作業員らとたむろしてたので仲間に加わり、今日の一日の作業の感想などを聞き取りして帰庁した。急ぎの書類もなかったので水道課にたちよって、集落排水事業の打ち合わせをしようとM課長とヒアリングのことはなしたら担当が休みだととのことであきらめた。机のうえに関西大の先生からお土産が届いていて、きょうの役場の日課は終わり。こともなく充実した一日に感謝、帰宅したが犬しかむかえてくれなかった。山羊をつれてまんごーの手入れを少時間。暗くなって風呂にはいったあとブログをのぞいてたところに女房がきたく。高校生の裁縫のボランテアをしてきてたとのことだ。生き生きしているからまーいいだろう。
2006.10.12
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ブログが7007の数字を表示している。切番とか誰かがかいていたが、どう見るのかわからない。たまたま来てくれた方ありがとうございます。 札幌から移住してきたAさんの就職がきまった。職さがしが困難なこの島では定職に就けることが最大のよろこびであろう。彼女は看護しの資格ゆえに求人があったのであるが、息子や娘を職に付けさせたくても働き口がないのが現状だ。Aさんの場合は特別であったとおもう。待遇面はともかくとして、選択肢があったから。めでたしめでたし、ということでお祝いをすることにした。 ちょうど、飲み友達の海洋少年に彼女との立ち話をみられたので役場職員いきつけの居酒屋「やぐら」にお誘いした。狭い座敷の6名のなかに割り込ませてもらった。いつものごとく酔っ払いが集まり、座敷の隔てもなく与論献奉が延々とつづいた。郷にいればなんとかやらで彼女も洗礼をうける。紅一点の彼女、旅人(タビンチュ)であったせいもあってか大いにもてる。ついに家名(ヤ-ナー)までもらう。ナビと名づけた方は元井先輩である。ナビとは鍋の意味で女性独自の呼び名である。祖父などの先祖の名をいただく、ちなみに私はウシ。弟はトラ。イヌやネコはいない。まー、そんあことで、彼女の入島式は無事おわりこれからはれっきりとした島人(シマンチュ)になった。そのあと、スナック『虹」でコーラをのみながら島に帰った若い自分の恋への憧れをおもいだしながら月光仮面をうたった。恥ずかしい記録を載せてみよう。記録の123P 私が与論に帰ってから、しばらくして、Kさんと「エルム」に入った。そこで初めてTさんに出会った。なにを話したか憶えていない。もう一度会ったのは、それからダイブタッテカラデ、ヤハリ「エルム」でKさん・Yさん・Mさん・それにわたしの4人でお茶を飲みながら、田舎での青年の暮らしについて語らった。若者を楽しませてくれるレジャーがないかとか、ハエが多いのは困るとかの話題のなかで、「映画館があれば・・・」と話が移った。私も学生時代300円映画をよく観にいった。気にいった作品は二度も三度も観た。「サウンドオブミュージック」は三度観たと思い出すが、感動したワルツの場面をもう一度観たいとなどとぼんやりおもいだしながら、Yさんの話をきいていた。時々4人で会いましょうと彼女が提案して、私が大賛成だということで友達になった。エルムで何度か会って、お互いのことをすこしづつわかるようになった。農家の長男で、農大卒して田舎に帰ってきて、今の職場に就いたこと、与論の植物に興味をもっていたので、それでKと知り合ったこと、自然科学全般に関心があるなど、彼は与論では教養のある部類であった。 ときどき、ビールなどを飲んだりしたが、おもにKとYがよく話し、私とMさんは聞き役だった。ある秋の晩、エルムをでたら満天の星が美しかった。「星を見に行こう、できれば琴平へ」とKの車を走らせた。北斗七星・北極星・南十字星は見えるかなどと話題しながら移動する車のなかで、Kはあまり星座のことは知らないという。神社の境内につくと天空には満天の星がちりばめられていた。Mに星空の輝きをおしえてもらった。 つづく。 後日談 かれは いまだに のぞみのほしにであえない。 昭和51年12月28日 火曜日(半月)
2006.10.11
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久しぶりに息子と電話で話した。元気な明るい声で安心した。妻が彼女がいるかとか貯金しているかとかしゃべってたので替わってもらった。仕事やめて自分のしたいこと告げたら、「いいじゃない、自分流のいきかたしているから」と淡々とした返事だ。仕事のグチをきいたこともないし、なにはともあれ仕事をつづけてくれているから言うことなしである。彼女の容姿が気になるが若い時分の自分を思えばあれこれと経験したほうがいいと思う。24歳の年だから。 いずれ島にかえらなければならない教育をしたつもりでいるので、私が元気なうちは自由に暮らしてくれればいい。身勝手な考えとは思うが、先祖崇拝を家訓に受け継いだ我が身として、子孫を繁栄させる使命がある。いつの間にか夜が明けている。朝日を拝みに行こう。
2006.10.10
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写真と記事は関係ありません。真夏に咲いた我が家のゴールデンシャワーの花です。もっと鮮やかな黄色にとれてたら良かったのにと、海熊さんの映像からパクリました。今は30センチほどの長い豆がぶらさがっています。園芸のブログに書き込みをしてみたら返事があったのでうれしく思い、少し花や動植物についても書いてみようと思う。園芸の好きな方よろしく。 台風16号とともに北風の第一陣がやってきたようである。渡りをする鳥、サシバの声がピッピーとかん高く聞こえている。アサギマダラ蝶も自宅で見かけた。もちろん秋風に体感を覚える。 ブログを始めてからこれまでのような日記をかくこともなくなった。アルコールの時間をPCとの対話で過ごすこととなり、これまでの日記などよみかえしてみると、南の島の田舎暮らしを時間つぶしにと思い、又、断酒の記録を公表することによってアル中から立ち直れる自分を世間に認めてもらいたいとおもう。話題がない時は若いときの日記を転記したり、手紙などあたりさわりのないものなどのせてみたい。夜が明けるときまでの暇つぶしに。 浦田さんへの手紙おはようございます。旧暦23日のおつきさんが今朝の空で微笑んでいます。妻も息子も娘もいまごろは夢のなかの世界でしょう。練馬の浦田さん宅からこの月みえているでしょうか。味なアジの贈り物ありがとうございました。パリパリと骨までかじり、健康に感謝しながらごはんをおいしくいただきました。年月のたつのは、早いものですね。去年の今日は飛行場でお二人をお迎えすることができました。今年も梅雨の晴れ間の休みが期待できそうで、早起きして夜明けを待ちながら書いています。おかげさまで真弓と二人とも、日々楽しく暮らしています。澄子さんの闘病たいへんでしょうけれど完治の目標にむけてがんばりましょう、共に。おかげさまで私は、断酒日が続いています。人が変わったといわれますが、元に戻ったのだと妻にいわれるとよけいうれしくなります。これが当たり前、結婚したてのときの生活習慣だったのだろう。役場の仕事も今のところ問題もなく停年後の生活設計にとりかかっています。問題は基本的な生活のための収入を得るための仕事探し。なんとかなるさと、海からの贈り物、陸からの贈り物をさがして島じゅうを廻っています。真弓には日直のほか、小学校の保育園の延長1時間 の仕事も決まり忙しくしています。あいた時間は畑と庭の草むしり、作家 故森瑤子さんの旦那(スコットランド生まれ)の奥さんとも親しくなり文化人サロンをつくろうなどと冗談をいいながらまたもや交際が広がり、いまや国際人になりつつあります(冗談)。先日、懸案の「与論郷土研究会」発足されましたので記事をおくります。副会長にといわれましたが、まだ若いし、実績もないので書記会計に名乗りました。実務仕事ですので忙しくなると思いますが、役場勤務でできなかった使命をはたせられたらと 思い上がっています。うれしいことに、高橋先生が7月初旬に來島、10月には関西大学の学生たちをつれて地理学の実習計画の打ち合わせをします。これまでのレジャー的な観光から、心癒しや、レクチャー、自然と人との交流をとおして、外国では得られない体験型の観光地を目指したい。現地語と日本語で対話する、日本であり外国(琉球)である、天国に一番近い島を夢見ています。 夜があけました。ちょうど半月がお日様の出るのを待ちわびています。私も、海からの贈り物(白い砂)を戴きに行ってまいります。お体をたいせつに・・・。 H.18.5.20 大舜童子
2006.10.08
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ゆっくり、いそがず、当たり前。 画像の書き込みを教えてもらった。他人のブログからの借用の仕方はこれでOK.デジカメの写真はアダブターが必要らしいので今度E-まるけーで注文してもらおう。すこしづつ、すこしづつ、それがおおきい。
2006.10.07
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取り込み完了。一段落。
2006.10.07
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うまくいった。
2006.10.07
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「生き残るための生態学」サミュエル著・辻由美訳が目に留まった。今は誰もが当たり前だとおもっている環境への配慮について、与論に帰って来た当時そんなこと言ったら反発を買ったであろう。なにか、体制に意見をのべたら共産党と言われた。いまでも、その言葉はものいうひとに使われる。ぜひ直したい、方言(表現)である。 台風あとの海岸を散歩してきた。いつもの見回りなのか顔なじみの先輩にあった。どこの海岸にもそれぞれにそんな方がいるようだ。私も、小浜の見回り人として自他とも認められるようになりたいと思った。今日は予定のない休日。庭いじりとマンゴーの枝落としのあと保育園の運動会に行って来よう。お母さんが運動会の練習のけがで沖縄に入院してしまったので隣のれいなちゃんがおじいちゃんと運動会でさびしいだろうから親子競技など参加してこいとの妻の指しがねである。子供を保育園にいれなかったので近所付き合いで時々顔をだしていたがここのところご無沙汰していたから、息抜きで出かけよう。秋晴れの運動会日和になっている。明日は町民体育祭。出番がないので練習もなくのんびりと過ごせる。役目は駐車場整理、役場勤めの最後の役目としてはちとさびしい。
2006.10.07
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恵みの雨が降り出した。今日は与論島十五夜踊りが地主神社(とこぬし神社)に奉納される。五穀豊穣・無病息災・嶋中安穏を祈願する豊年祭りである。受けつがれた伝統を一番組と二番組に分かれて交互に踊る。雨たぼーり、たーぼーりー、雨たぼーり、たーぼーりーで始まる踊りは雨乞いの儀式である。町長が祭り主であるので行政がかかわっているともとれるがなぜか大きな反対もなく公然とおこなわれる町のイベントである。この行事を司る関係者は一週間から一月ぐらいの間、葬式と出産祝いに出席してはいけないとの慣習があり、昨日告別式で記帳係りをした私はもちろん参加してはよろしくない。「ティジティばちはぶり」といわれる。意味は、良くないことをして(身を清めないで)出席しても、神様はちゃんと見ていて、ばちがあたるから行動を控えなさいという意味なのかと良くわからないので教えてもらいたい方言の一つである。葬式を黒、出産を赤と考え黒と赤を慎むこととされている。意味があることと思うが詳しいことは私はまだ知らない。 故律子さんは鹿児島市で葬儀を済ませたがお墓のある与論でも葬式をすることとなり、お骨を迎えて通夜、葬式をすることとなった。親族あつまり役目を決め私は記帳係りに指名され無事勤めることができた。準備もよくスムーズに滞りなく儀式がおわった。火葬方式にもみんななれたように感じている。これからも、よき伝統はのこしながら新しい慣習をつくりあげなければと葬儀のたびに思うことである。まず、自分の身内、親戚のなかで自分の役割」のなかで実行していきたい。 按司根津栄神社でも豊年祭があるが、そんなことで参加できない。これからは地主神社の豊年祭にはいかないで、氏子として奉納している根津栄神社にお参りすることとしよう。 拝む神様がおられるとしたら、それが本来の姿だと思う。それはそれとして、与論島の十五夜踊りを否定するものではない。国指定の無形文化財であるし、伝承の大切さは理解している。だからこそ、氏子として根津栄神社の祭りごとを怠ってはならないと自覚している。 すっかり夜が明けた。いい日のはじまりはじまり。
2006.10.06
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関西大学の学生に提供するための農業関係の書類を捜すため土壌診断センターにある書庫棚を捜した。過去のハード事業の数々をみてその多さにため息がでた。経営構造対策事業の成果物の小冊子2冊を捜したがあるはずのところに見つからなかった。検討したあとのファイルが目にについてめくってみたが目的物にはお目にかかれなかった。ひょっとしたら庁舎内で整理されているのかも知れない。直接、産業課に頼んでみるとしよう。産業課を移動した時、記念にと自宅に持ち帰ったつもりでいたがここでも見つからなかった。どこかの大学の研究生にあげた気もする。書棚をファイルで整理しないとこんなことがしばしばある。このパソコンとともに書類を移動したいと思う。あいた部屋がいくつかあるのでちゃんとした整理だなを購入しようと思う。今年度末をメドに。 どんこびっちょ(あたびく) は どこにいるの 観光協会Mさんから,電話くれとのことで紹介された方は京都大・大学院生でヨロン島に生息するカエルについて調べたいとのことであった。特にヒメアマガエルについて確認したいとのことであったので案内することとなる。 折りたたみ式の自転車をライトバンに積んで,水場を探しカエルを見つけることにしたまずは立長の秘定井(ピジョウゴウ),水たまりはあるけれどカエルは見つからない。おたまじゃくしが居るのでどこかにひそんでいるはず。 次いで自宅に案内する。鳴き声の違いで3種類はいるだろうと思っていた。いたいた,学生は右手をエイとさしだしておさえつけとらまえた。ヒメアマガエルに間違いないとのこと。またリュウキュウカジカガエルが数匹つかまった。ハローウエルアマガエルはバショウの葉の中に隠れているだろうが見つからなかった。田圃など水溜まりを数カ所回ったが,成果が上がらない。とうとうまた,立長の湧水地に行くこととなり草むらを探すが見つけられず,草道を上へ上へと歩いていたところ,ホウロクイチゴの葉上でくつろいでいるハローウエルアマガエル見つけた学生君,両手で上と下ではさみこんだ。痛・・・・・イチゴの棘にささったのだ。彼はそれでもめげずにゲット。これで彼が目指していた三種類のカエルを確認することができた。よかったよかった。 私としては記録(与論町誌)に残っているヌマガエルも見つけたかった。 次に,ピャーヌパンタの湧水地に行ってみることにした。いるいる,小さなリュウキュウカジカガエルが,これが大人になったら,カジカガエルの,虫の鳴き声のような大合唱が聞こえることだろう。数匹つかまえたあとは,時間もきているので宿へ送ることにした夜間の調査もするとのことだったので「暇があったら来るかも知れない」と言い残し戻ることとなる。 オリンピックを見ながら夕食を済ませると8時前だった。妻もついていきたいと言うので運転してもらうこととなる。懐中電灯が見つからず(星空観測に使ったあと行方不明)隣の家から借りてきてさあ出発。宿屋をたずねたら彼がでてきたので成果がでそうな昼間の捜索場所を廻ること2時間半,やはり自宅の庭で多くを見つけることができたが,ヌマガエルはとうとう確認できなかった。鳴き声でも聞かせてくれたら良かったのに・・・・ 久しぶりの夜の捜査はちょっぴりの怖さと,見つけたいとの好奇心で妻とともに満足。ビール一杯でもと夜の街へくりだし,彼の進路などを聞き出しながら話しがはずんだ。二件目で,与論献奉を伝授しようと訪ねた行きつけの店は閉店。12時もすぎているのでもうもどろうということになって,今日の一日はおわりとなる。 H。16.8.17 竹 酔 日 初見日 アサギマダラ じたくにて H・16.10.23 オオゴマダラがみつけられない なぜだろうか アサギマダラをまだみていない サシバが鳴いて1週間ぐらいすぎた モンシロチョウだろうか 叶(メーギシ)でみかけた 何にたわむれているのだろう アサギマダラ初見日 高校南坂道にて一頭 H・16.10.21
2006.10.05
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通夜の席から弟を送っていったら聞きたいことがあるからと家にあがれと誘われた。めったにないことで、喜んで夫婦で邪魔をした。通夜で会った親戚のつながりを聞きたいとのことであったが、山西家についてはあまり僕もわからなかった。故人は祖母の妹の子であり、母の母の妹の子でもある。母方は親戚が多いのでこんがらがってしまう。家系図を整理したい。話が弾んでいるところに、弟の奥さんも加わって農作業の夫婦のトラブルをぶちまけ会って彼女らのウップンを聞くことになった。僕の立場が一番攻撃のまとになった。帰宅して寝床についたところに、妻に携帯がはいり送っていったら目がさめてしまったので書き込んでいる。今朝書き込めなかった部分をコピーで貼り付けてみよう。 年をとるにつれて むかしのことが 懐かしくおもいだされます。 昨夜は LPレコード盤を深夜まできいてしまいました。 クラシックにであったのはたしか さんわちょうのあのおたくだったとおもいだしながら きいていました。 ふるい写真のなかに ばあちゃんの お顔がうかびだします。 失礼にも おくります。 セツおばさんの アルバムのなかにいろんなかたのすがたがのこっています。 だれかおしえてくださるかたをさがして 記録にのこしておきたいです。あそびで応募して入選できなかった作文を送らせて下さい。 「 教育観光の島づくり 」がテーマでした 原田吉村やかの次女 さおり さんがトップ賞でした。 昭一やかと いつかまたのみたいなあ。 もりくぼ 今度は書き込めました。別のも貼り付けしてみよう。 按司根津栄神社の由来 奄美年表によると,第56代せいわ清和天皇のこうえい後裔ちんぜい鎮西はちろう八郎ためとも為朝公が伊豆大島から琉球に赴いたと記録されている。しかし,年を経るにつれて郷愁の思いにかられた為朝公は後ろ髪引かれる思いを残して,妻子を後とにまきみなと牧港から旅立った。その一行は水と食料の補給のため,ユンヌ島の南端の前浜に降り立った。しばし滞在した公は,朝戸の根(ニイ)の地に住む「ヌル」を見初め,やがて男の子をもうけた。時は1180年頃のことと推察される。それが後のあじにっちえー按司根津栄となった。 按司根津栄は文武ともに優れ,特に弓術は父為朝譲りで,その評判は琉球の王にまで響くほどであり,剛勇に加え,心の優しさ,民思いの心根を物語る説話も多く,語り継がれている。王は,いったん献上した妹の愛弓を取り返した按司根津栄の武勇に恐れをなし,千人の兵を派遣したが,最後の一兵を残して全滅させられてしまった。按司根津栄はその一兵が年老いためしたき飯炊きだったので,殺さず,「戦いはこれ以上は望まぬと王に伝えよ。」と命じた後,勝利のあんどかん安堵感であがさ赤佐の浜(ピグチ)で兜を脱ぎ,一休みした一瞬,飯炊き老人が太陽に向けて放った一矢が頭に当たり,一生を終えた。(チンバーに納められたずがいこつ頭蓋骨の矢の跡が,按司根津栄の無念さを伝えている。) その後老人の報告を受けた琉球王は死を確かめるため,千人の兵を派遣したが,武装したまま直立していた根津栄の死体を生きているものと見誤り,混乱を来して全軍もろとも海に沈んだという。(それゆえに,生きて千人死んで千人の伝説を残すこととなった。) 本神社の付近には,弓こひりの跡(ウマヌクン),沈庭(チンバー),船倉海岸のぱま浜やどぅい宿の跡,石積半田(イシジミパンタ)のとりで砦あと跡,刀田(ハタナダー),千人岩穴(センニンイョー),千人浜等史実を物語る遺跡を多く残している。 氏子一同勤書 書き込めました。明後日は神社で十五夜祭りがあるが、葬儀に行ったので参加することは許されない。もちろん地主神社の豊年祭典にも。身を清めていないとの理由により。
2006.10.04
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あきかぜの たなびく雲の 絶え間より もれいずる月の かげのさやけさ 高橋先生らとカラオケを楽しんだあと帰り道、電証施設(ソリダゴ)を見学してながらドライブした。十五夜をまつ月の影は秋風を感じさせた。今日山西さんの奥さんの通夜がある。鹿児島で葬儀をすませたのだが、与論のお墓に納骨するのでここでも告別しきをすることになった。今日、明日親戚としての役割を果たしながら故人を忍びたい。昨日、フロッピーの一太郎文書をワードに変換している時、律子さんにあてた手紙が目についたので載せてみよう。戸籍訂正のお詫びに書いた私的文書である。そのころだれがこんな運命になろうとしっていただろうか。 おひさしぶりです。 やさしい でんわ の こえ で こちらのあやまちを ゆるして くださったようなきもちになりました。 あらためて おわびします。 職権訂正のはじめての職務でしたので緊張して作成しました。 別添のとおり,おくりますのでお確かめ下さい。 以上 仕事がら 竹 ご無沙汰しております。 つづきの文章が貼り付けできない。不思議な現象だ。いつもの操作なのに。別のを貼り付けてみよう。 嵐の夜に波乱が起こった。 第56代清和天皇の 公が伊豆大島より琉球に赴いたと歴史書に記録されている。琉球の諸国を旅している間に,大里按司の妹と恋におちいり一子をもうけ尊敦(初代琉球王舜天)と名をつけた。しかし年を経るにつれて郷愁の思いにかられた為朝公は後ろ髪引かれる思いを残し,妻子をあとに牧港より大和へ旅立つ琉球船は,時折しも吹きよせた北東の風にあおられ, の天然の良き運天港にのがれついた 。ことのほか北に向かう心は強くさしせまり運を天にまかせふたたび舟をこぎ出した。かいふたの島影をとらえた一行は水と食料の補給のため琉球の島々を一望出来る前の浜の地に降り立った。公は島の森の豊かさに魅せられて流れに沿って上に上にと歩を進められついに木下井(シーシチャゴー)を飲料水としている の里にたどり着いた。時は12世紀頃と推察される。その地はキャーラドキの神が治めていた。公はしばし滞在され,ヲナリ神「ヌル」をみそめて男の子をもうける事となる。それがのちの按司根津栄となることは与論町誌の英雄伝説にも取り上げられている。 按司根津栄は文武ともに優れ特に弓は父為朝譲りでその弓勢は琉球の王にまで響く程であり,剛勇に加え心の優しさ民思いの心根を物語るエピソードは多く語り次がれている。琉球王は按司根津栄の武勇に恐れをなし千人の兵を派遣されたが最後の一兵を残して全滅させられた,根津栄はその一兵が年老いた飯炊きだったので殺さず「戦いはこれ以上望まぬと王に伝えよ」と命じ勝利の安心感で赤佐の浜(キリスト協会の隣)で兜を脱ぎ一休みの一瞬,飯炊き老人が太陽に向けて放った一矢が頭に当たり一生を終える。 キャーラドウキ(農業の神様) 按司根津栄には兄がいた。名はキャラドウキと呼ばれ弟と違っておとなしく,体つきも人並みであったが,農作物を作る名人であった。その頃,大和の邦よりもたらされた稲作が最初は麦屋川を中心として耕作されだんだんと川上の方に広がって行ったと思われる。 ・・・・・インジュルキ(海の神様) つづく 竹 酔 日 書き込めた。何だろう。朝寝してしまったのでこれから井戸にいこう。
2006.10.04
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ストックヤードの工事の完成検査を終えて去年からの繰越事業を無事終了した。完成祝いが江島の待合所で行われ、御礼を乾杯の音頭で言葉にさせてもらった。役場勤めの最後の仕事とおもうと感慨深いひと時であった。みんなと酔って仕事の苦労を分かちあいたい気持ちもあったが、お茶を飲みながら待合所から街の灯をながめていた。ビニールハウス事業・農協の集出荷場・コイン式揚水施設・干害対策事業・浄化槽など補助事業を扱った数としては誰にも負けないと思う。特に、浄化槽や、ボーリングと貯水槽事業は個人への補助事業だっただけにそれぞれの事情に合わせて対応したつもりで現場現場に思い出がある。歩いて帰る道すがら、現場主義を通してきた自分の考え方に満足していた。造園施工管理しの資格がなかったので建築関係の技術家としては認めてもらえなかった。あえて自分から言い出すこともしなかった。竹内先輩が建築士の免許を持っているため役場の仕事外の検査まで頼まれて苦労しているのを自宅の確認検査のときから知っていたから。 事務家のほうが出世も早いのが県庁での建前だし、現場の苦労もしないでよいとの考えでとうとう資格をとろうとは思わなかった。造園の資格持っているのはいたし、公民館などの設計など余分な分には立ち入りたくなかった。庭は自宅のをためしたあとにとのおもいもあった。与論にあった植物と材料でなければ成功しない事例をたくさんみるにつけ、やらなくてよかったとひこっみじあんの自分をほめたい。 そんなわけで、造園の基礎知識は日の目をみることはなかったが、工事の基礎知識として役に立ったこと言うまでもない。ビニールハウスの大島地区での強度問題、型式などには大分意見をだし与論方式を他に先駆けてやったつもりだ。それはおいといて・・・。 確認検査など現場であれこれの上司に立ち会ったがやはり人柄でるものだ。あたりまえのことだが、仕事とかねての付き合いは別個だし、とおもい昨日の宴会は割り切ってお世話になった現場監督を誘って参加した。のんでグチもいいながら明日の現場で又気持ちよく働くためにも良かった思う。完成の区切りをつけて次の仕事への切り替えのために。さあー、次なる課題へ前進。 今日は関西大学ご一行さまがみえる。明日は通や、明後日葬式。風がつめたい。
2006.10.02
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ぐっすりと眠れた。みた夢も問題の解決と期待のもてる展開で終わり、スッキリと目覚めた。頭上におうし座のVの字がよこたわりプレアデスとオリオンの三つ星がとくに輝いてみえた。昨夕、山西さんの奥さんの訃報をうけた。脳腫瘍で回復の見込みがないときかされていたので驚きはしなかった。主人の退職で生まれ故郷に家をたてこれからさらなる人生を楽しむ時を迎えた矢先の病気で残念だ。女房とも親しくなり、習い事などおしえてもらおうと家族ぐるみの付き合いが始まっていて、庭づくりなどにも僕なりの協力をしようと思っていたのに運命とはいかんせん。律子姉さんのもってたウインナワルツの曲が私のクラシック楽の入門となった。鹿児島での浪人時代の立ち寄り場所でもあった。鴨池の飛行場の隣に家があり、夜には滑走路に入って遊んだこともあった。今は住宅団地にかわり面影をのこすのは荒川の河口付近だけである。この川の上流、鹿大付属小近くに下宿していたころを懐かしく思い出している。 書き込み失敗。肝心なかきたいことがきえてしまった。あらためてかくとしよう。この胸のさけびだから、そのときそのときで・・・・。「伊江村の民泊について」大変勉強になった。講師の生き方、考え方を参考に行動に移したいと思った。
2006.10.01
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廃品のポリタンク(20リットル)を使って水辺を作った。農業用水用の30トンタンクの掃除をしていると熱帯魚(プラティ)がたくさん見つかったのでかわいそうに思い移動してあげた。午前中は運動会の応援、弁当はタテダラで海を眺めながら独りでたべたあと、ハキビナ、ウカチを廻って帰宅した後の作業であった。もう少し水辺を増やしたいが大きなタンクを買う金がないのいで、廃品で我慢するとしよう。運動会の反省会に顔だしたあと帰宅したら誰もいない。例の卓球仲間のところだろう。今日は書きたいこともないので、恥をさらす記録を転記しよう。 仲順の 赤木七枝踏み上がり 鳩の夫婦が 孝行となく (沖縄 中城にて) 経営構造対策事業の行方について H.12.9.24 美知瑠の運動会の日、シドニーオリンピック女子マラソンで高橋選手がみごと金メダルに輝いた。勝つための努力は計りしれないものがあるだろう。昨日はサッカーがPK戦で敗れた。期待していただけにファンのショックは大きいだろう。 僕の担当している経営構造対策事業も座礁してしまった。昨日から検討してきた複合経営促進施設は22日平田氏宅にて話し合いを持ち、県の指導している団地化と共同利用の理由づけがむづかしいとの結論で事業導入を断念し、県単園芸ブランド事業で予算わくを広げて採択してもらう様お願いすることで話がまとまった。もうひとつの、集落営農機械化組織については、受委託作業が明確に説明できるかどうか,又、規模決定根拠、補足説明資料の作成が期限内にできない事由により中断している。明日、支庁の白石技師が来島するので指導を受けることで行方をさがしたい。 昨今、「ケ、セラ、セラ』の心境である。今朝方は、水平方向に加え、垂直にも飛べる夢をみた。それをきいた高校の教諭が特殊能力を記事にしたいとの夢事であった・・・。願望がよくでている。その前の日の夢はミナタ離れの潮の出入り口での、台風の波をうけての脱出状況の夢も今の心境そのままである。 挿絵あり・・・。 願望どおり事が運んだらどんなにいいものだろう。夢で知らせるといった沖縄のあの「ガブガブの神」を信じたい。 今日、中学校へ行く道すがら、台風のあとに切られた森のあとを見て、ちょっと気にかかった。石積パンタの下の道路の右上部、按司根津栄のインジュルキの戦い跡(屋敷)、朝戸公民館北側の屋敷跡(?)、残しておきたい屋敷林が消えていく。大きなガジュマルが倒れていく危険性からだろうか・・・。寄らば大樹の陰というけれど・・・。 14号台風でナンヨウスギが折れてしまった。ホウオウボク、トックリキワタの枝もだいぶ折れてしまった。家の近くに植える樹等、他人に迷惑がられる木の植栽には気配りが必要だと反省している。新しい品種を持ち込んだ者としての責任を感じなければならないだろう。後々の管理もよく考えて行動しなければならない。在来の品種を生かしながら、用途の高いもの、金のなる木を植えなければならない。産業課で防風林の普及に力を入れてきたつもりでいるが、イヌマキの樹種選定は失敗だった。キオビエダシャクに食害されたのだが、混植によって救えないだろうか、自分のところで試してみる必要がある。自分が生涯かけてできることといったら、木を植えることしかないと思える。自分の屋敷内に動植物が調和できる生態系を作りたい。 さて、経営構造対策の目標は担い手農家の育成であり、地域農業の変革である。いくら農業が好きでも、職業として農業で食べていけなければ後継者は残らないだろう。将来の農業をどうするかは、さとうきびの経営方法にかかってくると思う。製糖工場の存続とあわせて、農政を本音で語り合わなければならないと思う。きびの機械化が進まない中でのさとうきびの規模拡大は困難である。喜界島の農業事例は本町においては真似のできない土地基盤整備状況がある。畜産農家は活気がでている。機械化による大型経営が可能になっているからだ。しかし、畜舎などの建設費、元牛導入など、経営規模の拡大には資金が必要なことも現実的な問題である。今年の上位20の内10人が畜産が主の経営であった。後継者がいることも強みである。 施設花き(ソリダゴ)も高収益を上げる品目として位置づけられ、経営の柱となりえている。花き農家についても目標が設定できたと言えるだろう。 まわりの産業構造を考えると、観光の落ち込みは厳しいものがある。商店街もあまり活気がない。このままの調子で人口が減り続けると、与論島全体が倒産してしまうのではないだろうか。町の財政が苦しい・・・、公共工事が少ない、教育費の負担が大きい、医療費が負担仕切れない・・・。どういった方策を取ればいいものだろうか、節約しかないのではなかろうか。 自分の家庭の財政事情を考えるとしよう。現在、農業収入は0であるから給料、まゆみのアルバイト代、父母の年金収入で日々暮らしをしている。長男・正太郎が就職することになったので学資の仕送りしないですむ事になりそうだけれど,長女・紘歌の時になったら借金するしかないだろう。2人、3人と学資を仕送りしている家庭はどんなやりくりをしているだろうか? だから夫婦して皆一生懸命働いているのだ。本来農業収入で生活の足しにしなくてはならないのに、父が病気してからは農作業を放棄している。 体育館で弁当をたべたあと、シニグ道を通って家に帰ったあと役場に行った。耕地課で3名頑張っている。T・Kがここのところいつも残業だ。公共工事を導入し職員も残業してやるくらい仕事をしなければ、皆が生活できない社会になるのではあるまいか。 昨夜、アメリカ大統領選挙の応援合戦を見ながら感じた事は、アメリカ社会に変革が起きるのでなかろうか。アメリカはIT産業を打ち出し、世界経済を牛耳っている、がしかし、この便利社会はいつの日か足元からくずれるのではないだろうか。アメリカに追随してきた日本経済がまずはじめにおかしくなるのではないかと懸念される。相次ぐ金融業の破綻、ゼネコン、大企業の統合、リストラ、先行きは不安材料ばかりである。与論島の金融業、建設業も果たして大丈夫なのだろうか。建設業界に仕事がなければ出稼ぎしかない。おのずと人口が減少し、経済は小売店を直撃する。外資を稼ぐ施策が必要となるが・・・。 農業を興さなければならない。M(株)が畜産に目をむけている。その前は、観葉・洋欄に手がけていたがどうも成功したとは思えない。農事組合法人龍美組合の果樹についても未だ実績が出てこない。今年の台風では、果樹の施設も大分被害があるはずだ。与論カボチャを生み出したように、特産品を作るまでの生みのくるしみだろうか。しかし、熱帯果樹は魅力ある品目である。 防風林帯をしっかり整備し、長期構想のもとに島の農業を展開する必要がある(果樹について) 消費市場を沖縄に定めた農業の展開を考えると楽しくなる。今のところ輸送費が割高になっているのがネックだ。夏野菜・冬野菜の流通を考えると、沖縄市場をもう一度考える必要がある。 将来の自家農業を考えた場合、まず後継者を想定することができない。正太郎には、よろんの事は考えないで自立くれと言っている。現在保有している農地では農業では食べていけない。他の産業にも従事できるあてもない。もしチャンスがあれば、何か資格を取って,それを生かせる職場が島にあるかどうかだ。それまでは島をあてにさせてはいけないと思う。かれが定年退職して帰れる家づくりを夫婦で心がけねばならないだろう。 そのために 多額の借金をしない 自分たちの稼ぎに合った生活を心がける ムダ使いをしない 事故をおこさない 先祖や親を大事にする 長い目で世の中を見つめ謙虚な気持ちで生きる 子どもを信じ正しい道を歩ませる 自立し、自立させる 金銭感覚をきちっとする 恩返しをする やさしい思いやりのことばをかける 自給自足の食生活を目標とする農業基盤づくりを心がけている。竹家にしかない独自の生産物(特産品づくり)が物々交換品として気持ちよく相手に受け入れてもらえる、漬物・果実・たけのこ・野菜・香料・花き・薬草等々。屋敷内で採れる(生態系を利用した)ものを生かす工夫を今から考えていくとしよう。 有機農業の確立 ソテツ等在来種の利活用 海産物の有効活用 この仕事で行きづまってから、人前に出るのが億劫になっている。何をしても自信がもてない。気力がなくなっている。仕事をやめるしかないとも考えた。しかし妻や子どもの生活を考えると、農業で食える当てもないし、ましてや他の仕事など手に技術がない身にとっては何とか今の仕事を続けさせてもらうしかないであろう。美知瑠の高校卒業までは何としても持ちこたえなくては・・・。あと5年。53歳。美知瑠が短大卒なら55歳。耳も悪いし、世代交代の時期だし、第二の人生に余力をのこしの退職となるいいころあいではなかろうか。 去年の今頃は父が生死のさかいであった。そう思えば現在は、去年より気を楽にもったらいいと思う。父母は、自分らの身を削って苦労し、大学をだしてもらい今の職につけさせてくれた。両親には孝をつくさないといけない。しばらく母を見舞っていないので久しぶりに花を届けたい。いつか自宅で介護してあげないといけないのだが・・・。今のほうが手厚い介護になるかも・・・父が生き生きと暮らしているのがなによりだ。パッションフルーツの畑を父にゆだねた方がいいのかもしれない。僕も元気をだしてマンゴーや果物の手入れに精を出し、活力をつけなければと思う。父も母も、たぶん長生きするであろう。母は回復する気配はないが目に見えて弱るという風でもない。いじけないでくれたら、今のままで生活を安定させることができる。兄弟の協力が必要になってくる。MAは専門学校志望とのことで資金借用の保証人となった。MIは短大を今年卒業だろうか?農協は停年が早いときいている。弘伸も香をひかえているので頑張らないといけない。 親持ち子としての責任は、先祖のお墓と屋敷守りだと考えている。親戚づきあいを極力おさえているのは竹家の血統からだろうか。反省する点も多いけれど、次世代のことを考えるとその方が(自分も楽)いいと考える。 5年前の 記録より転記する。 金城先生にお会いしてからいろんな体験しました。 平成18年4月17日
2006.10.01
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