貴方の仮面を身に着けて

貴方の仮面を身に着けて

2012/05/10
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玄関で出迎えたのは、品の良い老紳士だった。朱雀は拓人をそっと下ろした。
「大丈夫かね?」
拓人は頷いた。朱雀は拓人の肩に手を置いた。
「この子が拓人だ、桐原」
朱雀は拓人の方に身をかがめると言った。
「桐原はこの屋敷の執事なのだよ。解らない事は彼に聞くといい」
桐原は拓人に頭を下げた。
「お部屋までご案内致します」


「急拵えの部屋で申し訳ございませんが、本日はこちらでお休みを」
桐原はそう言って下がった。拓人は一人になると疲れを覚え、安楽椅子に腰を下ろした。柔らかい椅子に身をまかせ、拓人は室内を眺めた。拓人の住んでいた2DKの部屋をすべて合わせたよりも広かった。桐原は急拵えと言ったが、室内は拓人の見た事のない豪奢を漂わせていた。薄い金色の覆いのかかった寝台、黒檀のテーブル、硝子の花弁を組み合わせたようなスタンド、書斎机の上にはペン立てとインク壷。艶やかな深緑色の分厚いカーテンが引かれ、窓は見えない。壁に張られた織物の細かい模様を縁取る金糸や銀糸が、古めかしいシャンデリアの光を鈍く照り返していた。どれもが時代がかって、この洋館にふさわしく思えた。

拓人は背広のままだった。疲れたような興奮したような、落ち着かない心持ちでいた。
「拓人、入っていい?」
柚木の声がした。
「いいよ」
柚木が入って来た。柚木の顔を見た途端、拓人はほっとした。柚木は白いシャツと砂色の木綿のズボンに着替えていた。柚木はグレイのスウェットの上下と身に付けているのと同じようなシャツとズボンを抱えていた。
「これ、僕のだけど使って」
「ありがとう、助かるよ」
柚木はクローゼットにそれらを仕舞いながら言った。
「百合枝さんが一緒にお茶をどうかって」

「朱雀おじさんの奥さん。この屋敷は百合枝さんの生まれ育った場所なんだ」
拓人は両手を広げた。
「この格好でいいの?」
「いいと思うよ」
並んで廊下を歩きながら、柚木は拓人を気遣うように尋ねた。

「柚木の顔を見たら、ちょっと安心した。腹は・・そうだね、さっきサンドイッチ食ったけど、まともな飯が食いたいな」
「僕も安心したよ、拓人が元気で。百合枝さんに挨拶したら飯を食いに行こう。津代が用意してくれてる。津代の飯は美味いよ」
拓人が尋ねる前に、柚木は教えてくれた。
「津代は台所の仕事をしてる。昔は百合枝さんの乳母だったそうだよ」

廊下のつき当たりが百合枝の部屋だった。その部屋は、門の前で屋敷を見上げた時、特徴のある緑の窓が印象に残った部屋だと拓人は気づいた。柚木は礼儀正しく扉を叩いた。扉を開けたのは、黒く長い髪を後ろに束ねた浅黒い精悍な男だった。男の態度には柚木と拓人への敬意が感じられた。
「百合枝さん、拓人を連れて来たよ」
柚木が言った。柔らかな色に満ちた部屋だった。女性らしい香りがした。部屋の奥の椅子に一人の婦人がいた。ゆるやかに巻かれた栗色の髪が肩に落ちていた。その肩には幾重にも淡い色のショールが巻き付けられ、ショールの下から覗く薔薇色のスカートは床に届いていた。
「貴方が拓人ね。逢えてうれしいわ」
優しい笑顔が拓人に向けられた。拓人は恥ずかしくなり、口の中で「どうも」と言って軽く頭を下げた。拓人の母と同年代だろうが、笑顔も声も若々しく可愛い。あまりにも可憐で何処か守ってやりたくなるような女性だった。朱雀もきっと彼女を大切にしているに違いないと拓人は思った。今は百合枝の側に控えている先程の浅黒い男も、百合枝をとても大切に思っているのが見て取れた。
「二人とも、おかけになって」
拓人は柚木と並んでソファに腰掛けた。ソファの前の卓上にはお茶の用意がされていた。女主人に似合いの優雅な水色と金に縁取られた茶器と銀のポットに砂糖壷、菓子の盛られた皿が並んでいた。
「千条、お茶をお願い」
「はい」
千条は注意深く二人の茶碗に、銀のポットから茶を注いだ。
(彼も”盾”なのだろうか)
拓人は思ったが、尋ねる事はしなかった。今はその方面には関わりたくなかった。

拓人は和やかな時間を過ごした。香り高い紅茶と焼菓子が美味かった。柚木と百合枝との会話を聞いていると、柚木は百合枝を母というよりも姉のように思っているらしかった。柚木は仏蘭西語を百合枝に習っていると言った。
「拓人も一緒に習えばいいよ。おじさんの息子になったら、ここに住むのだろうしね」
拓人は戸惑った。
「まだどうなるか解らないよ。社長が本気で言ったのどうか、俺には解らない」
百合枝が言った。
「朱雀が言ったのなら、本気よ」
「そうなの?」
「あの人はそういう人だから」
「貴方は嫌じゃないですか?俺みたいなのが家族になって」
柚木が口を挟んだ。
「拓人は良い奴だよ、百合枝さん」
百合枝は柚木に微笑した。
「そうね、そう思うわ」
そして拓人にも笑顔を向けた。
「素敵な息子が増えてうれしいわ」

(つづく)





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Last updated  2012/05/11 03:16:28 AM
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