貴方の仮面を身に着けて

貴方の仮面を身に着けて

2012/06/23
XML




夕暮れの商店街を抜けながら、拓人は疎外感を覚えていた。見慣れた風景のはずなのに、まだほんの数日しか経っていないはずなのに。あの惨劇の事を明確に思い出すのは避けていた。母を失った衝撃から立ち直ったかどうか、自分に問う事もしなかった。今は今後の事だけを考えようと思ったからである。朱雀の息子として生きる事、その為に覚える事は沢山あった。会社について、社会について、世界について、経済について。

毎朝、柚木の元へ桐原が届けるものがあった。新聞や雑誌、ニュースを数枚の紙にまとめたものである。柚木は登校の途中にそれを読むのを日課にしていた。桐原に頼んで拓人もそれを毎朝もらう事にした。内容の半分も理解出来なかった。だが我慢して読む事にした。

「あせらなくていい」
朱雀は言った。
「そのうちに、自分のしたい事、するべき事が解るだろう」

朱雀が”人でない”と知った後も、拓人の朱雀への印象は何も変わらなかった。あの社長室で初めて見た瞬間に感じた、朱雀の優れた人柄と容姿への畏敬の念は変わりようがなかった。朱雀は拓人が人生で出会った中で最高の人物であった。朱雀が”人でない”と明かした直後にそれを口にすると、朱雀は苦笑した。
「私をかいかぶりすぎだ」
「そんな事はないよ」


この季節は暮れるのが早かった。カフェも兼ねたアイスクリームの店で買い物をして出る頃には、あたりはすっかり夕闇に包まれていた。
(遅くなったな。お屋敷に電話した方がいいかな)
あの空き地の横の道に来た。さすがに嫌な気持ちが湧き上がり、嵩張る箱を抱えた拓人は足を速めた。

「おい」
男の声がした。それも頭上から。拓人は聞こえなかったふりをして、ますます歩く速度を上げた。
「おい」
拓人は襟首を捕まれた。振り回されて尻餅をついた。
「無視するなよ、ゴミのくせに」
ぐしゃっと音がした。踏み潰されたアイスクリームの箱が目に入った。汚いジーンズにスニーカーの足だった。痩せた男はひょいっと側の塀の上に飛び上がった。そしてへらへらと笑った。
「お前もあの箱と同じにしてやろうか?」
男の口が耳まで裂けた。


白く長い髪の美影が宙にあった。

”異人”は吼えた。
「家族?こいつもお前ら化け物の仲間か?」
その問いへの答えを”異人”は聞く事はなかった。真っ二つとなっていたからである。

何事もなかったかの如く、優雅な黒衣の影は拓人の側に降り立った。

拓人はうなずいた。顔を合わせたのは初めてだったが、夢の中で見た竹生に間違いはなかった。

竹生は無残に踏み潰された箱に目を止めた。
「あれは?」
拓人はまだ全身の震えが止まらなかったが、ようやく口を動かした。
「真彦に・・」
「真彦様がご所望されたものか」
竹生が微笑した。その顔を見た途端、拓人はすべてを忘れた。恐怖も震えもたちどころに消え去り、恍惚と目の前の妙なる美を見上げた。竹生は白くたおやかな片手を差し伸べた。
「立て、店へ案内せよ」
その手に触れて良いのかどうか、拓人は一瞬ためらった。竹生は目顔で促した。拓人は竹生の手を握った。竹生は拓人を引き起こした。まったく力を入れた気配はなかった。拓人はふわっと身体が軽くなったような気がした。

竹生がアイスクリーム屋に足を踏み入れると、店内の空気が一変した。誰もが突如降臨した天使に出会ったような驚きの目で竹生を見た。そして目をそらす事が出来なくなった。白く長い髪と黒い外套の裾をなびかせ、竹生はショーケースに歩み寄った。ケースの中に並ぶ色とりどりのアイスクリームですら、竹生に見られた途端にとろけてしまいそうに見えた。竹生は、ショーケースの向こうからうっとりと自分を見詰めたまま硬直している男に、声をかけた。
「アイスクリームが欲しい」
大きな声ではないのに、店中の誰もがその声を耳にした。艶やかな夜空の輝きを秘めたベルベットの如き声を。竹生は青き魔性の目で男の顔を覗きこんだ。男は我に返り、慌てて返事をした。
「はい、どれを差し上げましょうか?」
「そうだな」

拓人はまだ竹生の買い物の恐ろしさを知らなかった。それを知ったのは、翌日届けられたアイスクリームが、屋敷中の冷蔵庫を占領したあげく、朱雀の派遣した冷凍車に残りが積まれて会社へと運ばれた後であった。

「お前に覚えておいて欲しい事がある」
玄関で冷凍車を見送りながら、朱雀は言った。
「竹生様に買い物をさせるな。あの方は、買い物には慣れておられぬのだ」
「もう、覚えたよ」
拓人は答えた。

(つづく)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012/06/26 10:39:18 AM
[社長の息子(完結)] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Profile

menesia

menesia

Archives

2024/11
2024/10
2024/09
2024/08
2024/07

Comments

龍5777 @ Re:白衣の盾・叫ぶ瞳(3)(03/24) おはようございます。 「この歳で 色香に…
menesia @ Re[1]:白衣の盾・叫ぶ瞳(1)(03/20) 風とケーナさん コメントありがとうござい…
menesia @ Re[1]:まとめサイト更新のお知らせ(03/13) 龍5777さん 「戯れに折りし一枝の沈丁の香…
龍5777 @ Re:まとめサイト更新のお知らせ(03/13) おはようございます。「春一番 風に耐え…
menesia @ Re[1]:まとめサイト更新のお知らせ(03/13) 龍5777さん 「花冷えの夜穏やかに深まりて…

Favorite Blog

コンドルの系譜 第… 風とケーナさん

織田群雄伝・別館 ブルータス・平井さん
ころころ通信 パンダなめくじさん
なまけいぬの、お茶… なまけいぬさん
俳ジャッ句      耀梨(ようり)さん

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: